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Posted by 八少女 夕

Pfifferlinge(アンズタケ)もらった

今日はグルメ、それも「小さい秋みつけた」な話。(なんだそりゃ)

Pfifferlinge(アンズタケ)

先日、こんなキノコをいただきました。そろそろキノコ狩りのシーズンなんですね。スイスアルプスでは、秋になるとキノコを求めてハイカーたちのみならず、目の色を変えたイタリア人たちが押し寄せてきます。イタリア名物でもあるポルチーニ茸をスイスで狩りまくるというわけです。

キノコ狩りにはルールがあって、自治体によって違いますが一人あたり二キロまで、または三キロまでという制限がされています。それをこっそり二十キロくらい採ってしまって国境で見つかって没収なんてことも、毎年ニュースになります。

さて、頂いたのはPfifferlinge(アンズタケ)というキノコです。こちらもかなりお高いキノコで、私は店ではなかなか手がでません。今回はそれを500グラムも頂いてしまいました。

採りたてだったので、まだ土が付いていました。

お料理をする方はご存知だと思いますが、「キノコは水洗いをしちゃいけない」んですよ。美味しさが全て水に流れてしまい、更にとても水っぽくなるからです。栽培されたキノコならちょっと拭けばきれいになりますが、野生のキノコの場合は洗わずにきれいにするのは至難の技です。ブラシや紙ナフキンで一つ一つ丁寧に拭いていくのです。これが面倒臭い。

このキノコが我が家に回ってきたのも、おそらくこの面倒くささをしたくなかった人たちが、辞退したからだと思うのです。そうじゃなかったらこのキノコがたらい回しになんてなるはずないんです。

涙目になってきれいにしていたら、見かねた連れ合いがちょっとだけ手伝ってくれました。彼が受け取ってきた手前、私の逆鱗に触れるのが怖かったのかも?

Pfifferlinge(アンズタケ)のパスタ

で、私は日本人なので、アンズタケのレシピなんて頭に入っているわけはありません。でも、以前食べた記憶を元に力技で作ってみました。

アンズタケは食べやすく切り、エシャロットのみじん切りとニンニクをオレーブオイルで炒めて香りが立ったたフライパンに投入します。火が通ってきたら白ワインをかけ、塩胡椒それにチキンスープの素で味を整えて生クリームを投入。タイムを散らしてパスタソースの出来上がりです。

パスタは以前買った栗の粉を使ったブレがリアの名産パスタを使ってみました。秋の味っぽくするために。味見ではなんか物足りないような氣もしましたが、食卓でパダーノ・チーズを振りかけたら、ばっちり。

美味しかったです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(7)滞在と別れ - 2 -

「郷愁の丘」の続きです。「滞在と別れ」の二回目です。

まるで当たり前のように滞在していますが、ジョルジア、要するにほとんど知らなかった人の家にずっといるのです。彼女は年に一度、たいてい三週間から一ヶ月の休暇をまとめて取ります。今回の旅は三週間ほどという設定で、アメリカを出発してからここに来るまでが一週間ほどでした。

少し退屈かもしれませんが、今回のパートには、このストーリー上では大切な会話が入っています。ただし、既に外伝でいくつか開示した情報が混じっているので、たいして目新しくないかもしれません。グレッグが事情を自分で語るのは、多分ここが初めてじゃないかと思います。

ジョルジア、写真撮っていないじゃん、というツッコミが今回も入りそうですが、撮るところの前で切ってしまいました。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(7)滞在と別れ - 2 -

 翌日、彼はジョルジアを連れてマサイの村に寄った。茨で出来たボマといわれる大きな円形の柵の中に牛の糞で作った小屋が何軒も建っている。マサイの集落はハエが非常に多い。牛とその糞による湿氣がハエを呼ぶのだ。けれども牛の糞自体はさほど臭うものではない。糞だと思わなければさほど氣持ちの悪いものでもない。

 かつて撮影で連れて行ってもらったマサイマラの集落よりも小さい上、商売氣が少なかった。あの時は無秩序に人びとが集まってきた。頼みもしないのに色とりどりのビーズで作った首飾りをかけて売りつけようとしたり、自分の子どもの写真を撮らせてチップをもらおうと手を差し出しながら近寄ってくる者もいた。だが、今回は幾人かの男たちが興味を持って近づいては来るものの、グレッグが話そうとしている長老よりも前に出てこようとするのは子どもたちだけだった。女たちはそれぞれの家で仕事を続けていた。

 小さい子どもたちはジョルジアの周りに集まり、めずらしそうにあちこちに触れた。あまり日焼けのしていない肌や短いけれども縮れていない艶のある髪に興味を持ち、小さな手で触れてきた。

 グレッグは、短くマサイ語で挨拶した。長老はそれに答えて重々しく何かを語った。
「なんていったの?」
「彼は誤解しているんだ。僕が恋人を連れてきたと思って」

 彼は長老に英語ではっきりと言った。
「違うんだ。この人はお客さんで、僕の恋人ではない」
 長老は動じた様子もなく、さらにマサイ語で何かを重々しく告げた。

「なんですって?」
ジョルジアは、訊いた。グレッグは、少し悲しげな瞳をしていた。しばらく何も言わなかったが、それから口を開いた。
「僕にもなんと言っているのかわからない」

 ジョルジアは、きっと彼は長老の言葉の意味はわかったのだろうと思った。でも、通訳するつもりはないのだ。強いれば、もっと彼を悲しませる事になるような氣がした。

 彼は、サバンナの水場について長老と話をしていた。長老は聴き取りにくい英語で重々しく告げた。
「心配ない。ここしばらく雨が多いので、我々は牛を遠くに連れて行く必要もない。シマウマの群れは今年は《骨の谷》で渡るだろう。あの川は幅が狭く渡るには好都合だが、おそらくいつもより多くワニも待ち受けている事だろう。お前も氣をつけなさい」

 《郷愁の丘》に戻り、ジョルジアは昨夜作っておいたシチューを温めた。普段作るなんということのない料理も、添えるものがパンではなくウガリ(白いコーンミール)になっただけでアフリカの料理らしくなる。テーブルの用意をしているグレッグに彼女は訊いた。

「シマウマの通り道を教えてもらいにいったのね」
「そう。彼らは経験豊かで、伝承による叡智も受け継いでいるから、僕の予測よりもずっと正確なんだ」

「ワニが多いって言っていたけれど」
「そうだね。シマウマやヌーたちは、一斉に川を渡るんだ。ワニはそれを待ち構えている。ワニが一頭を襲い食べている間に、他のものは川を渡り切る」

「そんな危険があっても、川を渡るのね」
「そうしなければ、ここが乾季で干上がってしまうからね。彼らはどうしても南に行かなくてはならないんだ」

「そして、雨季になるとまた戻ってくるのね」
「そうだ。そして、次々と子どもが誕生するんだ」

 食後に二人はワイングラスを持ってテラスに移動した。涼しくなった風が心地よく渡っていく。

「あなたはそのシマウマの外見を憶えてしまうんでしょう?」
「ああ。生まれてから立ち上がるまで見守っていると、特徴が頭に入ってしまう。それから毎日みて、生き延びている事にほっとしたりする」

 ジョルジアは微笑んでから、赤ワインのグラスを持ち上げた。生き延びたシマウマに乾杯して二人はワインを飲んだ。
「名前を付けたりするの?」
「いや。サイやライオンやゾウのようにはいかないな。星の数ほど生まれて、そのうちの多くがあっという間に死んでいく。もっとも一度名付けた事がある。もう二度とするまいと思ったよ」

「どうして?」
「名前を付けるというのは特別な行為だと思い知った。つけた途端に大きな思い入れが発生する。ハイエナやライオンに追われるのを助けたくなってしまうんだ。もちろんそんな事は許されないからしなかったけれど」

 特別な行為と聞いて、彼女は氣になっていた事を訊いてみようと思った。どうしてみなが呼ぶヘンリーではなくて、グレッグと呼んでほしいと言ったのか。
「ねえ。グレッグという名前には特別な思い入れがあるの?」

 彼は、グラスを置いて彼女を見た。
「祖父から受け継いだ名前なんだ」
「お祖父様っ子だったの?」

 彼はしばらく黙っていた。ジョルジアが他の話題を持ち出すべきかと考えていると、彼は立って中に入り、書斎からセピア色の写真の入った額を持ってきた。彼とどことなく似ている老人と、並んで座っている五歳くらいの少年が映っていた。

「これはあなたなの?」
「ああ」

 彼は、ジョルジアの隣に座って話しだした。
「父と母ははじめからとても折り合いが悪かった。母は生まれた僕に自分が望む名前を付けたがった。だから父は、母が候補にした名前の中で、あえてスコット家に代々伝わる名前ではないヘンリーを選んだ」

 ジョルジアは、何と言っていいのかわからないまま彼の話を聴いた。
「父は僕の曾祖父、彼の祖父のトマス・スコットを尊敬していたが、アルコールに弱く学者にならなかった自分の父親グレゴリー・スコットのことは尊敬していなかった。だからヘンリーなどと付けずに、自分の名前を付けろと彼が言うと、アルコール中毒の義父を毛嫌いしている妻への嫌がらせでそれをミドルネームにしたんだ」

 悲しそうな顔をしているジョルジアに、彼はいつものように穏やかに微笑んで首を振った。
「僕は、祖父が好きだった。両親が留守がちで友達もいなかった僕は、一人でいる事が多かったけれど、そんな僕のために彼は時間をとってくれた。彼は僕のことを『小さいグレッグ』と愛情を込めて呼んでくれた。母が父と離婚してイギリスへ引越したのは僕が十歳のときで、直接逢ったのはそれが最後になった。もっともずっと手紙を書いていたから関係が途切れたわけじゃなかったけれどね」

「お祖父さまは……」
「十三年前に亡くなった。僕を氣にかけてくれて、わざわざ遺言で僕にいくばくかのものを残してくれたんだ。だから僕はこの《郷愁の丘》を買うことが出来たんだ」

「そうだったの」
「両親が離婚する時に、母は養育費を要求した。するとそれを拒みたかった父は僕にDNA検査をさせたんだ。それで僕は間違いなく父の子供だと証明されて、大学にまで進めたけれど、同時に父親に我が子ではないと疑われていたことも知ってしまった。離れていたこともあり、僕は父にはどうしても必要がある時以外は、自分から話も出来なくなってしまった。父もクリスマスにすら連絡をよこさなくてね。それで祖父は亡くなるまで僕たちの関係を心配してくれたんだと思う。相続する時に、ケニアに戻ってきて弁護士の所で十五年ぶりに父に会った。イギリスではなくてケニアで研究をしたいとようやくその時に言えた。彼は少なくとも反対はしなかった」

「お母様は?」
「バースにいる。こちらに戻ってから一度も逢っていない。クリスマスカードのやりとりはしているけれど」
「ケニアに戻って来たことがお氣に召さなかったの?」

「いや、僕が何をしようがさほど興味はないと思う。イギリスに戻ってしばらくは一緒に住んでいたけれど、僕が寄宿学校に入るとすぐに再婚して、新しい家庭を作った。あまり歓迎されないのがわかっていたので、休みの期間にもいつも寄宿舎に残っていたよ」

 胸が締め付けられるようだった。この人はなんて寂しい境遇で育ったんだろう。あまり裕福ではない漁師だったジョルジアの両親もほとんど家にいなかった。だが、彼女には歳の離れた兄マッテオと妹アレッサンドラがいた。妹二人を溺愛する兄の深い愛情、そして忙しくとも会える時には精一杯の愛情を注いでくれる両親の暖かさで、ジョルジアとアレッサンドラは常に幸福だった。

「父も母も、みなヘンリーと呼ぶ。でも、僕には祖父が呼んでくれた『小さいグレッグ』こそが本当の名前に思えるんだ」
「ええ。グレッグ。私もそう思うわ」
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Posted by 八少女 夕

夏の土曜日、やっていたことは

日本の皆様、大変暑いそうですね。こちらは、申し訳ないほど快適、といいたいところでしたが、ここ数日は涼しいというか、すでに寒いに近い領域。土曜日の午前十時に13℃って。八月ですよ、八月!

そんなこんなもあって、どこにも行かずに自宅にこもっていました。そして、ここ数日やっているのは、あいかわらずMacの番人なのですが、先週から少しいつもと違う事をしています。

以前もこのブログで少し書いたことがあると思うのですが、私の曾々祖母、つまり祖母の祖母は明治時代に日本に嫁いできたドイツ人なのです。で、しばらくはあったドイツの親戚との交流は、日本の敗戦、二度の世界大戦でドイツが負けて国の変わった地域のドイツ人が移住を余儀なくされたことで途絶え、現在どこにいるのかわからなくなっています。

私がスイスに来てから、せっかくドイツ語が話せるし、近くに住んでいるのだからと何度かこの失われた親戚を探せないかとトライしているのですが、いまだに果たせていません。

その捜索に、新しい展開が起きたのがこの月の初めです。

かつて電車で偶然知り合った方からの紹介で、ある親切な方の協力を得て、曾々祖母の両親のことがわかったのです。

もともとこの父親のことがわからなかったのは、出生時に両親が結婚していなかったせいで洗礼時の苗字が母親の旧姓だったから。そんなこと知るわけないし!

で、それがわかったのと、こういう事を調べるための特別なサイトの存在を知ったおかげで、芋づる式に曾々祖母の祖父母や姉妹のこともわかってきました。わかったはいいけれど、これまで聞いていたことと結構違っていて、わかればわかるほど検証が大変になりました。

なんで私、1850年代の、こういう手書きの読み難いアルファベットと夜な夜な格闘しているんだろう。

公文書

おかげで書かなくちゃいけない「十二ヶ月のアクセサリー」も「バッカスからの招待状」も全然手つかずのまま。これはまずいです。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


ちなみに先祖を調べるサイトというのはこれです。
基本的に細かい内容を見るためには、登録して会費を払わなくてはなりません。私はとりあえず一ヶ月分は払いました。継続するかは考え中。

ancestry.de
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(7)滞在と別れ - 1 -

一週あきましたが、再び「郷愁の丘」の続きです。この部分も少し長いので三回に分けます。

前作をお読みになっていらっしゃらない方のためにちょっと説明すると、ジョルジアは弱小出版社の専属カメラマンとして無名だったのですが、この前の年に世界中の子供の笑顔をテーマにした写真集『太陽の子供たち』が評判になり、『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の一般投票部門で六位入賞という快挙を果たしています。現在は一般受けする子供の写真から離れてモノクロームで大人の写真を撮っています。



郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(7)滞在と別れ - 1 -

 また激しい雨が降った。彼女の心はサバンナへと向かった。稲光の中で浮かび上がるアカシアの樹とキリンのシルエット。シマウマのくっきりとした縞の上を伝って落ちる雨水。

 天の恵である雨は、けれどもその瞬間には厳しい自然の猛威であり、屋根どころか傘すら持たない動物たちの上に等しく降り注いでいる。彼女は、サバンナで見かけた生まれたばかりのガゼルやシマウマの子どもたちが怯えていないか考えた。彼らにとっては初めての雷雨なのだ。

 生まれてすぐに立ち上がり、母親の与える乳を満足に飲む前に危険を避けて移動する術を学ばされる小さな生き物たち。自然の厳しい掟の中で、それでも続いていく生命の環は神々しいほどに美しかった。

 それに較べれば、ニューヨークで彼女が一喜一憂している、写真集の売上や雑誌に載ったシリーズの評判などは、取るに足らない杞憂だった。そして、世界中の称賛を受ける妹と比較されることへの抵抗や、彼女や成功した兄が自由に泳いでいく社交界の海に近寄る事すら出来ない不甲斐なさもどうでもいいのだと思えた。

 そう思っていた《郷愁の丘》の彼のリビングに、よりにもよって彼女が『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』に受賞した特集号である写真誌《アルファ》があるのを見つけた時には、その皮肉に思わず笑った。表紙に映っているのは授賞式のために着飾っているジョルジア自身なのだ。

 彼女は、不意にレイチェルの家で知った事を思い出した。彼はジョルジアの写真集を全て購入していた。それにこの特集号の存在も知って、わざわざアメリカから取り寄せたに違いない。彼女が、知り合ってもいない有名ジャーナリストに恋をしてしまい、その著作やレポートの載っている雑誌を買って読んでいたのと全く同じように。

 ジョルジアはジョセフ・クロンカイトとの恋が実るとは露ほども考えなかった。彼の側に間もなく婚約が発表されるだろうと噂された美しい女性がいたこともあるが、それ以前に彼女には愛の成就は遠すぎる願いだった。

「君のような化け物を愛せる男などいるものか」

 かつて投げつけられた言葉は、彼女の世界を変えてしまった。息ができなくなるほどの苦しいショックを何ヶ月もかけて克服した後、生身の恋愛はもはや彼女とは無縁の壁の向こうの出来事に変わってしまっていた。それから十年も可能な限り人と関わらずに生きてきたので、それがあたり前になってしまい、恋をしても片想いのままで終わる以外の選択はなかった。

 この《郷愁の丘》に来る直前に知った、グレッグに女性として愛されていたという事実は、彼女に大きなショックを与えた。それなのに、何事もなかったかのような紳士的で穏やかな彼の態度に慣れて、彼女は既にその事実を忘れかけていた。《アルファ》の表紙に映った授賞式用に特別に装った彼女自身の姿は、いかにもその場にあるのが不自然な存在として目に映った。非現実的でまるでオーパーツのようだった。

 彼女が黙ってその表紙を眺めているのを見ながら、彼は言った。
「そういえば、まだちゃんと言っていなかったね。受賞、おめでとう」

 彼女は、はっと我に返った。彼はさっきまでと変わらない。友情に満ちて穏やかな教養高い紳士だった。この《郷愁の丘》に関する全て、生命と孤高と美しさと厳しさを秘めた世界の専門家として、つまり、彼女を強く惹き付ける全てを兼ね備えたまま、彼女を唯一困惑させる異性としての氣配を消してそこに存在していた。

 彼女は、そのたゆまぬ努力にはじめて意識を向けた。愛する人を前にしてあふれそうになる想いを常に隠す事は、彼女に可能だろうか? 可能だとしても、それは何と苦しいことであるか。もし、彼がその苦しい努力を、ただ彼女のために続けてくれているとしたら、それは何とありがたい事なのだろう。

 それとも、親しくなった事で、彼の幻想が打ち砕かれ、彼は努力すら必要とせずに想いを消したのだろうか。そう思えれば、負い目はなくなるのに、彼女はそれを信じたくなかった。どこかで彼の崇拝を手放したくないと思っている。彼にとって、誰よりも特別な存在で居続けたいと願っている。なんというエゴイスムだろう。

「賞をとれたのはあなたのおかげよ」
彼女は、自分の中のこの不穏な想いから眼を逸らすために、努めて明るく彼に話しかけた。
「どうして?」

「あの時撮ったマサイの女の子の笑顔が評判よくて、いくつかのメディアで取り上げられたの。それで『太陽の子供たち』の売上が予想外に上がったの。あなたが長老に交渉してくれなかったらあの写真は撮れなかったもの」

 彼は笑った。
「それを聞いて嬉しいよ。たしかにあれはいい写真だった。その場にいたのに、僕は彼女があんな表情をした瞬間に氣がつかなかったよ」
「あの子、どうしたのかしら」

「数ヶ月前に、あの集落を訪れたよ。赤ん坊を背負っていたな」
「まさか! あの子、まだ幼児だったじゃない」
「彼らの結婚は早いけれど、さすがにまだだろうな。生まれてすぐに親が婚約を決めるけれど、実際に女の子が結婚するのは十三歳から十五歳くらいなんだ。背負っていたのはたぶんあの子の兄弟だと思うよ」

「そう。でも、小さな子供が兄弟の子守りをするのね。私の姪は、あの子より少し歳上だけれど子守りをするなんて考えられないわ」
「そうだね。あの子たちは欧米の子どもたちよりも早熟だ。六歳ぐらいから親の手伝いをするのが普通で、それはマサイ以外の部族でもそうだな。子供を背負ったまま十キロ近く歩いて学校に通う子もいるし、亡くなった母親の代わりに煮炊きをしているのをみた事もある」
「ここでは人生サイクルのスピードが私たちとは全く違うのね」

 彼は思い立ったように提案した。
「明日、マサイの村に行ってみるか? この近所の部族だから、あの子はいないけれど」
「いいの? 調査の件で行くんでしょう? よそ者がついて行ったら嫌がられない?」

 彼はじっとジョルジアをみてから言った。
「君なら大丈夫だ」
「どういうこと?」

「欧米の都会から来る人たちの中には、マサイ族を見せ物小屋のエンターテーナーのように扱う人たちがいる。飛び上がる所を写真に撮りたいとかね。彼らの生活の中に遠慮もなしに割り込んで、いますぐあれを見たい、これをしたいと要求するんだ。一部の部族は、既に観光客相手にショーをする事で生計を立てている人たちもいる。でも、僕が逢いに行く人たちは昔ながらの生活様式を守っていて、彼らのペースで誇りを持って生きている。君は、小銭を投げて、いいことをしてやっていると思うような傲慢な人じゃない。彼らの生活を尊重する事を知っている。だから、連れて行っても彼らは嫌がらないだろう」
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パンのお供(3)赤スグリのジェリー

真っ赤な自然の色、赤スグリのジェリー

今年の「scriviamo!」で題材にした赤スグリのジェリーを今年も作りました。英語で言うとレッドカラント、ドイツ語ではヨハネスベーレンと呼ぶ真っ赤な実は、毎年六月末から七月の頭に実ります。

この実は本当に宝石のように綺麗なんですけれど、かなり酸味が強くて、そのまま食べてもあまり美味しくありません。というわけで、ほぼ同量の砂糖と一緒に煮詰めてジェリーにします。

子供の頃、家の近くにアメリカ資本のスーパーマーケットがありました。そこには、今でいう明治屋にあるような舶来の高級食材が揃っていて、中を歩くとちょっと海外のスーパーに行ったような独特の洒落た雰囲氣を楽しむ事ができました。

で、スイスのHeroのジャムもありました。Heroのジャムは今の東京ならたいして珍しくないかもしれませんが、当時は滅多に見なかったように記憶しています。その一つがレッドカラントのジェリーでした。真っ赤なジェリーにナイフを入れてパンに載せると断面がキラキラして宝石みたいに見えましたっけ。

こちらに移住してからHeroのジャムは「どこにでもある普通のジャム」に格下げされてしまいましたが、ホテルの朝食などで赤スグリのジェリーをみるとやはり嬉々として手にしてしまいます。

赤スグリ、加熱中

自分で作るのもかなり簡単です。

同量の砂糖と一緒に混ぜながら加熱します。煮立ってからは絶対に混ぜないようにする事とレシピに書いてありました。八分沸騰させたら、ざるで濾します。この時に実を潰すと苦みが出て、さらに色が濁ってしまうそうです。あとは煮沸した瓶に詰めるだけ。簡単でしょう?

赤スグリは大量のペクチンを含むので砂糖だけで固まるというのですが、私が作ると大抵ゆるくなりすぎるのです。ペクチンを混ぜて固めるという方法もありますが、このゆるい状態だと、デザートソースなどにも使えるので、わざとこのままにしています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記  母の櫛

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」七月分を発表します。七月のテーマは「櫛」です。

櫛はジャパニーズなものを書きたいと思っていたので、また例の放浪者に登場してもらうことにしました。「樋水龍神縁起 東国放浪記」の続きです。江戸時代の話にすれば完璧にアクセサリーになったんですが、平安時代ですからまたしても「これ、アクセサリーじゃないじゃん」になってしまいました。ま、いいや。「十二ヶ月の野菜」の時もかなり苦しい題材を使いまくりましたから、いまさら……。

今回の話、実は義理の妹姫も出そうと練っていたんですが、意味もなく長くなるので断念しました。本当は五千字で収めたかったのですが、止むを得ず少し長めです。すみません。


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樋水龍神縁起 東国放浪記
母の櫛


 それは、屋敷の庭では滅多に見ない大木であった。大人が抱えるほどの幹周りがあり、奥出雲の山深き神域で育った次郎ですらも見たことがないほど背の高い柘植は、おそらく樹齢何百年にもなろうかと思われた。屋敷を建てる遥か昔からここに立っていたのであろう。根元から複数の枝が絡み合うように育ち、一部は苔むしている。

 安達春昌と付き従う次郎は、丹後国を通り過ぎようとしていたところだった。一夜の宿を願ったのは村の外れの小さな家で、人好きのする若き主は弥栄丸といった。

「すると、あなた様は陰陽師でいらっしゃるんで?」
彼は昨夜、春昌に陰陽の心得があることに大きな関心を示した。

「かつては陰陽寮におりましたが、現在はお役目を辞し、この通りあてもなく旅をする身でございます」
春昌は、この旅で幾度となく繰り返した答えを口にした。弥栄丸は春昌が役目を辞した事情よりも氣にかかっていることがあったので、詳しい詮索をしなかった。

「実は、私めがお仕えしているお屋敷で、なんとも不思議なことが起きまして、困っているのでございます。先日、この辺りでは名の通った法師さまに見ていただいたのですが、どうも怪異は収まらず、殿様は、もっと神通力のあるお方に見ていただきたいと思っていらっしゃるのです。と申しましても、このような田舎ではなかなかそのような折もございませんで。ですから、都の陰陽師の方がここにおいでになったとわかったら、殿様は何をおいてでもお越しいただきたいと願うはずです」
「あなたがお仕えしていらっしゃるのは」

「はい。この郡の大領を務める渡辺様でございます。私めは従人として、お屋敷の中で姫君がお住いの西の対のお世話を申しつかっているのです。その寝殿の庭の柘植の古木に人型のようなものが浮かび上がってまいりまして、女房どもがひどく怖がっております。そして、お元氣だった姫君が病に臥すようになられたのです。もしや何者かが調伏でもしているのではと、お殿様は心配なされていらっしゃいます」

「姫君? お一人別棟にお住まいなのですか」
「はい。実は、この姫様は、北の方のお生みになった方ではなく、殿様のもとで湯女をしていた方がお生みになったのです。殿様は、北の方に隠れて長いことこの女を大切にしていたのですが、何年か前に流行り病で亡くなってしまわれました。姫君はそれから観音寺に預けられておりました。ところが、位の低い女の娘とは思えぬほど美しくお育ちになり、殿様がこの娘をこちらを狩場となさっておられる丹後守藤原様のご子息に差し上げたいとお思いになり、一年ほど前にお引取りになったのです」

「姫君のお身体に差し障りが起きたのは、それ以来なのですか」
「いいえ。床に臥すようになられたのは、ここ半年ほどです。殿様も北の方もご心配になられてお見舞いにいらしたり、心づくしのものをお届けになったり、なさっていらっしゃるのですが」

「そうですか」
春昌は頷いた。

「姫様をお助けいただければ、私めもありがたく思います。ほんにお優しい姫君でして。私のことも心安く弥栄丸と呼んで頼みにしてくださっているのです」

 そして、二人は翌日の昼過ぎにこの弥栄丸に連れられて、渡辺のお屋敷へと向かったのだった。
「お殿様から、ぜひお力添えをいただきたいとのことでございます。御礼はできる限りのことをさせていただきたいと仰せでした」
「何かお手伝いができるかわかりませぬが、まずはその柘植の木を拝見させていただきましょう」

 弥栄丸は春昌と次郎を屋敷へと案内した。西門から入ると件の大木はすぐに目に付いた。その根が庭の半分以上を占めていて、しかもよく見る柘植の木のように行儀良く育たず、太い幹が伏してから斜めに育っていた。大きく枝を広げておりそのためにその木の下は森の始まりのような暗さだった。西の対の寝殿に面した側面に、言われてみると確かに人型に見える文様が浮き出ていた。

「弥栄丸。都の陰陽師さまとは、そちらのお方か」
寝殿の縁側からの明るい声に振り向くと、菜種色の表地に萌黄の裏が美しい菖蒲襲を身につけた女性が御簾から出てきたところだった。

「これ。姫様! なりませぬ」
慌てて、侍女と思われる歳上の女が追いすがるが、姫君は履物を引っ掛けさっさと春昌のところまで進んできた。さほど位の高くない大領の娘とはいえ、とんでもない行為だ。次郎はあっけにとられた。

「安達春昌にございます」
春昌は深く礼をし、次郎もそれにならった。こんなはしたない姫君に国司のご子息を婿に迎えようというのは、無謀にもほどがあると次郎は心の内で思ったが、確かになかなかに美しい姫君で、しとやかに振る舞えば評判にもなろうと思った。

「あたくしは夏といいます。安達様。これは誠に禍々しいものですの? あたくしには、ちっとも恐いものには思えませんの。それにあたくしの病、いつもひどいわけではないのよ。例えば、今日はとてもいいの。あたくしなんかを呪詛しても、誰も得をしませんし、とてもそんな風には思えないのだけれど」
 
 夏姫は人懐こい笑顔を見せた。次郎は、確かにこのように朗らかで、誰にも分け隔てなく接する姫は、皆に好かれるであろうと思った。

「今から、調べてみようと存じます」
春昌も、珍しく柔らかい表情をして姫君に答えた。

 姫はにこにこと笑った。
「あたくしも見ていていいでしょう。ああ、今日はとても暑いわね。生絹すずしぎぬで、出てこれたらいいんだけれど、それだけはサトも許してくれないから、我慢しなくちゃ」

 それを聞いて次郎は真っ赤になった。生絹は袴の上に肌が透けて見える着物だけを身につける装束だ。彼がかつてお仕えしていた奥出雲樋水の媛巫女はもちろんそのようなだらしない姿をすることは決してなかったが、やんごとない女性は御簾のうちでそのような形をしていると、郎党仲間に教えてもらったことがあった。

「でも、これくらいはいいわよね」
そういうと、姫は懐から美しく彩色された櫛を取り出して長い髪をまとめ出した。そして、櫛を口に咥えるとまとめた髪をあっという間に紐で縛った。

「姫様!」
サトと呼ばれた侍女が姫君らしくない振る舞いをたしなめるが、夏姫は肩をすくめただけだった。

 その様を横目で捉えた春昌は、柘植の木を見るのをやめて、寝殿の縁側に控えているサトに訊いた。
「姫君の御患いはいかなるものなのですか」

 サトは、突然話しかけられて少し驚いたが、丁寧に答えた。
霍乱かくらんのように、悪しくなられます。また高い熱がでて、ひどい眠たさに襲われることもございます。他の皆様と同じものを召し上がられておりますが、姫君だけがお苦しみになり、暑さ寒さに拘らず悪しくなられます」

「左様でございますか。姫、大変失礼ですが、そちらを拝見してもよろしいでしょうか」

 姫は、何を言われたのか一瞬分からなかったようだったが、春昌が自分の櫛を見ているのがわかると笑った。
「これですか? きれいでしょう。 このお屋敷に来て、北の対の母上様と初お目見えした時に頂戴したあたくしの宝物なのです。悪しきものから身を守る尊い香木で作った珍しい櫛なのですって。確かに観音寺で焚いていたお香と同じ香りですわ。とても高価だとわかっているのですが、毎日使ってしまうのです」

 姫はその櫛を愛おしげに撫でてから春昌に渡した。彼は、その美しき櫛の背の部分の色が褪せているのを見た。
「恐れながら、あなた様はいつも先ほどのように髪をお結いになっておられるのではないですか」
「ええ、そうよ。わかっているわ。やんごとない姫君は自分で髪を結ったりしないって。でも、とても暑いのですもの。どなたもお見えにならない時には、つい昔のように装ってしまうの。たくさんの美しい装束をご用意くださった父上さまや母上さまに申し訳ないとは思っているのよ。でも、どうしてわかるの」

 春昌はやさしく微笑んだ。片時もじっとしていられそうもない、この愛すべき姫君を、はしたないと思いつつも周りが甘やかしてしまう様子が手に取るようにわかった。弥栄丸は傍で笑いをこらえている。

「髪を結うのは侍女の方にお任せいただけないのですね」
「それは無理よ。そんなことをしているのがわかったら、サトが叱られてしまうもの。私がいつの間にか勝手にこんな形をしているってことにしなくちゃいけないの」
「左様でございますか」

「安達様?」
弥栄丸は、春昌が姫と禍々しきものとは全く関係のない話をいつまでもしているように思われたので、不思議に思って口を挟んだ。春昌は、微笑んで櫛を姫君に返すと、弥栄丸と姫君に庭の柘植の木を示した。

「こちらに現れていますのは、姫君の御生母様の御魂でございます。お屋敷に上がられ、これまでとは全く違うお暮らしをなさっている姫様のことを心配なされているのでしょう。私に、姫様に形見の御品を身近にお使いいただきたいと訴えかけておられます。たとえば、お母様のお形見に柘植の櫛はございませんでしたか」

 姫は「あ」と言って、奥で控えている下女のサトを見た。
「この櫛をいただくまで使っていた、母上の櫛はどこにあったかしら」

「こちらの小箱にございます。ほら、このように」
サトは、道具箱から飾りの全くない柘植の櫛を取り出すと、一行のもとに持ってきた。春昌はそれを受け取ると、柘植の古木に近寄り、件の人型にあてて小さな声で呪禁を呟いてから、それを姫君に渡した。

「こちらの櫛を肌身離さずお使いくだいませ。そして、その美しき櫛は、特別の祭祀の折にサト殿に梳いていただくときだけお使いくださいませ。亡くなられたお母様の願いが叶い、その憂いが収まれば、姫様の病も治ることでしょう」

 それから、春昌は柘植の古木に近寄り、人型に両手を当てて呪禁を呟いた。次郎には、主人が木に何らかの氣を送り込んでいるのがわかった。春昌がその手を離すと、明らかに人型のようなものがあった木の幹には、よく見なければわからないような瘤があるだけになっていた。

「なんと! 法師様がどうすることもできなかった、あの人型が……」
「母上様のお心は、この屋敷を動けぬこの木を離れ、新たにそちらの櫛の方に宿っておられます。どうか、私の申し上げたことをお忘れになりませぬよう」

 夏姫は深く頷き、弥栄丸とサトは春昌の神通力に感銘を受けてひれ伏した。

* * *


 夏姫の父である渡辺の殿様から、新しく拝領した馬はこれまでの痩せ馬よりもしっかりと歩んだ。いただいた礼金の重みは久しくなかったほどで、次郎を憂いから解き放った。しばらくの間は宿を取るにも物乞いのような惨めな思いをせずに済む。

 その領地を出てしばらく森を歩き、ひどく歪んだ古木を見て、次郎はあの古い柘植の木のことを思い出した。

「春昌様。お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なんだ、次郎」

「どうして柘植の櫛のことがおわかりになったのですか。あの老木に、私は何も見えなかったのでございますが」

 春昌は口元をわずかに歪めた。
「次郎。あれはただの木瘤だ。幹の氣の流れを変えて、乾いた樹皮を落としたのだ。あそこに母君の御魂が現れたり消えたりしたわけではない」

「なんと。では、母君の御魂が柘植の櫛を使うようにとおっしゃられたというのは……」
「あれが柘植の木だったので、思いついたまでのこと。弥栄丸殿の話では、御生母は湯女だったとのこと。あまり位の高くない女ならば高価な香木などではなく柘植の櫛を使うのが常であろう。その読みがあたったまでだ。私はあの姫があの香木の櫛以外の物を使ってくれればなんでもよかったのだ」

「なぜでございますか?」
「あの姫君が件の櫛を日々咥えているのを知ったからだ」
「え」

 まったく合点がいっていない次郎を、春昌は優しく見下ろした。次郎は、他の者には見えぬものを朧げに見る能力はあったが、陰陽道はもちろん本草の知識にも欠けており、春昌がどちらの知識を用いて人々の苦しみを取り除いているのか分からないことを知っていたからだ。

「あの櫛は、しきみの木から作られている。香りが良く珍重される木だが、口に含むと毒になる。熱が出て、眠たくなり、腹を下し反吐を吐く霍乱かくらんのごとき病となる。ちょうどあの姫君が苦しんでいたのと同じだ」

「なんですって。では、まさか北の方が、継子である姫君を亡き者にしようとしてあの櫛を贈ったということなのですか」

「それはわからぬ。北の方が、草木の知識に長けているとは思わぬ。そもそも姫君が口に櫛を咥えるとは、北の方のように位の高いお方は夢にも思わぬであろう。それを知っていた誰かの入れ知恵かもしれぬが、長く逗留せねばそれはわからぬ。余計なことを申せば、あの家に大きな諍いの種を蒔くことになる。私にわかっているのは、ひとつだ。樒の櫛を口に咥えるようなことは、すべきでない。あの姫が再び丈夫になれば、それでよいのだ。身寄りのなかった娘が、ようやく手にしたと喜んでいる家族との仲を不用意に裂く必要はあるまい」

 次郎は、主人の顔を改めて見上げた。聡く天賦の才に恵まれた方だと畏怖の心は持っていたが、どちらかというと冷たい心を持つ人なのだと思っていた。彼が神にも等しくあがめ敬愛してやまなかった亡き媛巫女が、なぜこの陰陽師を愛し背の君として付き従ったか長いこと理解できないでいた。

 媛巫女さまは、私めなどよりもずっと多くのことを瞬く間にご覧になったのだ。彼は心の中で呟いた。

 もっと効果的に毒の櫛のことを大領に話せば、ずっと多くの謝礼を手にすることもできたのに、春昌はそれを望まなかった。それよりも、一つの家族の和を壊さずに、問題のみを解決して姿を消すことを選んだ。

 彼は、この旅がどれほど辛く心細くとも、この主人に付き従っていくことを誇らしく思った。


(初出:2017年8月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

「オリジナル小説書きさんへバトン」やってみた

久しぶりにFC2のバトンをやってみようと思いました。

自分でHTMLを使わなくていいのはいいんですけれど、回答の字数が短いんですよね。まあ、だから短時間で回答できるんですけれど。でも、ちよっとこれでは伝わらないという部分もあって。仕方なく、敢えてHTMLで編集し直しました。

すでにご存知の方も多い内容もありますが、また改めて回答し直してみました。


オリジナル小説書きさんへバトン



Q1. 小説を書き始めてどのくらいですか?

創作は長いけれど、文字オンリーの小説に転向してから……三十年は経っているかも。

Q2. 処女作はどんなお話でしたか?

忘れたけれど、神話系の短編だったかな。あ、今流行っているゲーム系じゃなくて、民俗学から入ってます。それから、短編集みたいなのを書いていた時期もあったな。いまでいうと「十二ヶ月の〇〇」シリーズのようなオムニバスですね。

Q3. どんなジャンルが書きやすいですか?

ジャンル、わけにくいです。無理に押し込むと恋愛系になるけれど、恋愛そのものはテーマじゃないし。だから恋愛ものでもはっきりとしたR18シーンは少ないです。嫌いだからというわけではなくて、重点がそこにはないというか。

Q4. 小説を書く時に気をつけていることは?

わかりやすいこと。読み易い文章、その世界の事を知らない人でも理解出来る内容などですね。

私は海外在住で、その経験に基づいた旅行ものなども書くんですが、文字だけではまったく理解できないような風物はできるだけ登場させないようにしています。

また、時代や国家の違う題材で書く時に、その当時、またはその国で存在しない概念や口調などをしないように氣をつけています。同じ色を表すのも例えば現代では「ピンク」でも平安時代には「薄桃色」「朱鷺色」と表現するなど。

もう一つの例を挙げると、現代日本の話ではない場合に、いくらわかりやすくても「女子会」とか「リア充」などのスラングで表現せずに一般的な普通名詞を使うことをルール化しています。

Q5. 更新のペースはどのくらいですか?

ブログでは最低でも週一度は小説を発表しています。反対に更新が多すぎないようにも氣をつけています。

Q6. 小説のアイデアはどんな時に浮かびますか?

通勤中、旅行中、ドキュメンタリーを見たり、本を読んだとき、あとは音楽を聴いているときに浮かんできたりします。

Q7. 長編派ですか? 短編派ですか?

どちらも書くけれど、力を入れるのは長編ですね。もちろん短いものでも言いたいことを伝えることは可能なんでしょうが、題材によってはそう短くはできないのです。

最近困っているのは、書き終えてから発表までにブランクがあるんですけれど、連載を終えるまでに勝手に続編の妄想が始まってしまい、書ける保証もないのについ「続編書きます」と宣言してしまうこと。これでまた続きがのびていく……。

Q8. 小説を書く時に使うものはなんですか?

Mac上で小説用エディタScrivenerで執筆。ePub形式に出力してiPhoneで校正と推敲します。

それから、資料は限られるんですが、可能な限り集めます。スイスに移住してから買った本のほとんどは小説用の資料だったりします。こちらで中世の城や博物館などを訪れる時もすぐに取材モードになります(笑)

Q9. 執筆中、音楽は聞きますか?

執筆中よりも、構想段階で聴きます。クラッシック、イージーリスニング系が多いかなあ。

Q10. 自分の書いた小説で気に入っているフレーズを教えてください。

一つだけだと、なんか伝わらなかったので、三つほどピックアップしてみました。余計伝わらなかったりして。

 流れ星がいくつも通り過ぎる。この人が無事に帰れますように。声に出したつもりはなかったが、肩にかけられた腕に力が込められた。
「大丈夫、帰れるさ。俺たちが出会ったあのバーで、もう一度テキーラで乾杯しよう」

 私は少し驚いて彼の横顔を見つめた。それから黙って彼の肩に頭を載せた。嘘でも構わない。まだ夢を見続けることができる。今は少なくともこの男の恋人でいられる。星は次から次へと流れていった。私は夜が明けないことを願った。

「終焉の予感」より



 風の音に耳を傾けた。

 人生とは、何と不思議なものなのだろう。閉ざされていた扉が開かれた時の、思いもしなかった光景に心は踊る。フルートが吹ければそれでいい、ずっと一人でもかまわないと信じていた。世界は散文的で、生き抜くための環境に過ぎなかった。

 だが、それは大きな間違いだった。蝶子は大切な仲間と出会い、そして愛する男とも出会った。風は告げる。美しく生きよと。世界は光に満ちている。そして優しく暖かい。

「大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 風の音」より



 バスがカーブを曲がった時に、瀧が目に入った。勢いよくほとばしる水の流れが悲鳴を上げている。黒い瞳が心を射る。その光はチェロの響きのように泣いている。私は彼の心を殺した。彼を弁護しなかったからではなく、あの時に二人が共有した想いを、ただの幻影として切り捨ててしまったから。私は二人の魂が閉じ込められたままの鏡を壊してしまったのだ。マヤの瞳からは涙が溢れ出した。蓋をしていた想いだった。それは止まらない。存在しなかったはずの魂は、まだそこにあったのだ。

「夜想曲」より


Q11. スランプの時はどうしてますか?

ご飯食べて、お風呂入って寝ます。出てこないものは出てこないんです。

Q12. 小説を書く時のこだわりはありますか?

特にない……かも。敢えて言うなら「ウケるポピュラーなジャンル」ではなく「自分だからこそ書ける物語」を書く事かな。まあ、だからこういう地味な小説になるんですけれどね。

Q13. 好きな作家さん&影響を受けた作家さんはどなたですか?

H.ヘッセ、M.クライトン、G.マルケス、福永武彦

Q14. 感想、誤字脱字報告、批評……もらえると嬉しい?

もちろん嬉しいです。いいものも、悪いものも。誤字脱字報告はほんとうに有難いです。

Q15. 最後に。あなたにとって「書くこと」はなんですか?

このブログのタイトルどおり、「scribo ergo sum (書くからこそ私は存在する)」




やってみたい方は、どうぞおもちかえりください。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 4 -

「郷愁の丘」です。四回に分けた「シマウマたち」の四回目、ラスト部分です。

主人公グレッグはカメラを持っていません。彼は視覚的な記録をすべてスケッチで残しています。これはこの人の特殊能力とも関連あるのですが、お金もあまりなくてインフラも整っていないサバンナの生活では、このウルトラアナログな方法が一番面倒がないという事情もあります。

かつてフィルムのカメラが主流だった頃は、旅から帰国すると現像して写真を整理してという面倒がありました。現在はデジカメになりましたが、今度は旅先で「あ、コンセントの形状が!」とか「iPhoneもカメラも充電しないと」というような面倒が増えました。記録を鉛筆一本と紙一枚さえあれば自由に残せる、グレッグのような能力があればいいなと、時々思います。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 4 -

 それから、不意に思い出した。
「でも、グレッグ。あなたは今日、ノートに文字だけを書いていたわよね。スケッチをする事もあるの? もしかして、私が横でいろいろと訊いていたから落ち着いてスケッチできなかったの?」

 彼は首を振った。
「そうじゃないよ。スケッチは、いつも後でするんだ」
「後で? 写真にも撮らなかったのに、どうやって?」

 彼は、一度室内に入ると、スケッチブックを持って出てきた。そして、座ると何も描いていない白いページを開けると、尖った鉛筆を一番左端の下方に持っていった。鼻先から始まってすぐにシマウマとわかる顔が現れた。耳とたてがみ、背中、尻尾。脚が四本揃うまで、鉛筆はただの一度も間違った所を通らなかった。次に縞が描かれていく。その斜め後に二頭目が現れはじめた。ジョルジアは自分の目が信じられなかった。

「あの群れが、どこに、どんな風にいたのか憶えているの?」
「うん。これを描こうと意識すると、その詳細を憶える事が出来るんだ。もちろんはじめから集団全体を憶えられたわけじゃないよ。いつもこればかりやっていたからね。子供の頃から動物の絵を描くのはわりと得意だったんだ。その代わり、そっちに夢中になりすぎて、約束したのにクラスメイトと遊ぶのを忘れてしまったり、宿題をやらなかったりで、親や先生を困らせたんだ」

 ジョルジアは、彼が論文を確認するのに熱中して七時間も部屋にこもっていた事を思い出した。「あまり友達もいない、かなり変わったヤツなんですけれど」そうリチャード・アシュレイが彼について評していた事も。彼の集中力と才能は、おそらく多くの人間関係の犠牲を強いてしまったのだろう。

 どんどんシマウマは増えていった。あっという間に、草食動物の群れがスケッチブックを埋め尽くしていく。サバンナの下草も、アカシアの樹も、側にいたインパラやヌーもまるで写真を「鉛筆スケッチ」というフィルターをかけて加工したかのように正確に描き込まれていく。

 彼女は、黙ってスケッチを完成させていく彼を見つめた。彼は、彼自身の宇宙に籠っていた。ジョルジアの存在はたぶん完全に消え去っているのだろう。

 それが無礼だと、多くの人が彼を責めたのかもしれない。もしくは自分が大切な存在と認められていないと判断して腹を立てたのかもしれない。けれども、そういう事ではないのだと、ジョルジアは思った。

 先ほどサバンナで見かけたシマウマたちは、絶対に安全だと判断するまではこちらを観察するのをやめなかった。観察している人間が無害だと確信しなければ安心して草を食むことはないのだ。彼もまた、誰の前でもこれほど無防備な姿を晒せるわけではないだろう。

 彼女は、彼女がシャッターを切る瞬間と同じ、ある種の真空を感じた。絶対に邪魔をしてはならない時間。完成するまで、黙って待つ事は彼女には困難ではなかった。

「す、すまない」
我に返った彼が動転して発した言葉が予想とぴったりだったので、彼女は声を立てて笑った。彼は、彼女の朗らかな様子にホッとして笑顔を見せた。それから、はにかんで出来た絵を彼女に見せた。

 彼女はそれをしみじみと眺めた。先ほどのサバンナで、確かに彼女もこの景色を見た。デジタルカメラを再生するまでもなく、彼の描いたどこも間違っていない事を確信する事が出来た。
「素晴らしい才能だわ。信じられないくらいよ。画家になればよかったのに」

 彼は首を振った。
「僕が描いているのは観察記録だよ。芸術とは違う。例えば、これをリビングに飾りたいかい?」

 そう言われて、ジョルジアは首を傾げた。確かにリビングに飾る絵とは違う。
「う~ん。そうね。ちょっとバランスが。……このシマウマをここに移動することは無理かしら」

「移動?」
「そうよ。構図なんだけれど、ここにみんな固まっているでしょう。実際にそこにいたからなんだろうけれど。でも、この繁みと重なっていてシマウマの柄が上手く出ないから、こちらの何もないところだとすっきりすると思うの。空の割合とのバランスもよくなるし」

「構図?」
「三分割構図や黄金分割なんていろいろなメソッドがあるけれど、でも、印象的であればそれにこだわらなくてもいいのよ」

 彼はページをめくると、面白そうに手の位置を動かした。
「ここかい?」
「ええ。それも少し手前に大きく」

 彼女が想像した通りのシマウマが現れる。そして、アカシアの樹、遠くに見える《郷愁の丘》、遠くで眺める仲間のシマウマたちも。不思議な事に、それは彼女にとっても現実のサバンナとは違うファンタジーに見えた。

 彼は楽しそうに笑った。
「本当だ。絵画らしくなってきたね」

「そうね……。でも、こうして見るとわかるわ。これは印象的だけれど、明らかに本物じゃないわね。それに、あなたの研究の資料としては間違いになってしまうわ」

 彼はそれを聞いて、彼女の方を見た。ロウソクの暖かい灯り越しに、研究の価値を尊重してもらったことの喜びが伝わってきた。

 彼はスケッチブックからその絵を切り取ると、彼女に渡した。ジョルジアはそれを両手で受け取った。
「皺にならないように持って帰らなくちゃ。宝物にするわ」
「そんなの、大袈裟だよ」
「いいえ。額に入れて飾るの」
そう言って彼女は、シマウマの背の部分をそっと指でなぞった。

 彼女は、一日どこかに引っかかっていた何かにようやく答えが見つかったような氣がした。

「ねえ、グレッグ。私、今朝は望遠レンズと、リバーサルフィルム用のNIKONを持ってこなかった事を後悔していたんだけれど……」
「けれど?」
「わかったの。今回の私に、それらは必要なかったんだわ」

 グレッグは首を傾げた。
「いまは景色や動物たちは撮らなくていいってことかい?」

 彼女は首を振った。
「私がいま撮らなくてはならないのは、違うものなの。あの朝焼けの色でも、サバンナの雄大なドラマでも、そしてこの星空の輝きでもない。次の写真集に欠けている最後のピースなの」

 新しいモノクロームの人物像だけで構成する写真集。彼女が撮ってきた写真に映っている陰影は、全て彼女の心の光と影だ。それでいて、モデルとなった人たちは、全て彼女からほど遠い人たちだった。彼女はかけ離れた位置に立ち、自らが立ち直れないほどに傷つくことはない光と影を映し出した。

 けれど心の奥に、傷つきのたうち回っている弱い自分が待っている。正視する事の出来ない痣を持つ鏡の向こうの醜い化け物。理解してもらう事を求めながら、逃げ回る事しか出来ない臆病な生き物。それでいながら、わずかな居場所から生きる証を発信したいという願い。

 ジョルジアは、どうしてもその陰影をも映し出さねばならなかった。

 それと向き合えなかったのは、確信が持てなかったからだ。確信を持てなかったのは、自分が進んでいる道が正しいのか、報せてくれる道標を見かけなかったからだ。けれども、彼女は、自分の直感が導いたこの地で、十分すぎるほどの啓示を受け取ったと感じた。《郷愁の丘》と、グレッグという人間と。

 これまで彼女が手探りで求めてきたものを、全く違う場所で、かけ離れたメソッドで、同じように探している「私に似ている誰か」。人間社会の決めた「呼び名」のどれに当てはまるのか、決める事は出来なくても、これだけはわかる。この人は私の人生にとって絶対的に必要な人なのだと。

 彼は不思議そうに彼女を見ていた。ジョルジアは、身体の向きを変えて彼を正面から見据えて言った。
「あなたを撮らせてほしいの」
「僕を?」
「ええ。ここで、シマウマたちと対峙しているあなたを撮りたいの」

 世界に作品を受け入れてもらえるかどうかはわからない。けれど、彼女が世界にさらけ出すのは魂の風景でなくてはならなかった。そして、今の彼女には、魂の心象とは彼を撮る事に他ならなかった。

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Posted by 八少女 夕

シュピューラー

ええと、本日の記事は、尾籠ですので、お食事中の方はお読みにならない方がよろしいかとおもいます。といっても、べつに生々しい話ではありませんが。

というわけで、若干スクロール用空間を……。




















そう、トイレで使う商品のお話です。「えっ。あの八少女 夕さんがトイレに行くの? ショック!」という方はさすがにどこにもいらっしゃらないかと思いますが、お通じの件を話題にするのはどんなものかと若干迷ったことも付け加えておきましょう。もっとも、冗談とは言え、風呂場で「はらり」なんて小説を発表してしまったブログですからね。何でもありでしょう。

今の日本の都会だと、どこに行ってもウォシュレットがついているじゃないですか。私が子供の頃は、そんなもののある家はありませんでしたし、当時は「洋式なんて汚いから和式にしか入らない」なんて事を言っている人も多かったのですよ。今は時代が変わったようですね。

ヨーロッパで、というか日本以外の国で、ウォシュレットを見たらかなりラッキーだと思ってください。今は売り出していますけれど、実際についているのを見たことはありません。今まで一回も。

イスラム系の国の田舎だと、紙がなくて常備してある水と自分の左手で綺麗にするらしいですが、私は幸いその事態にもなったことはありません。いや、慣れの問題だと思いますが、やっぱり抵抗ありますよ。

で、ヨーロッパでは通常どうなっているのかというと、普通に紙を使うか、いわゆるウエットティシューを使うのですね。普通のウェットティシューと違ってトイレに流してもいいというものがありまして、「ただし一度に三枚までにしてね」と書いてあったりします。

トイレのお供

スイスのトイレは、基本的にどこも水圧が高いので、これでもいいのですが、例えばポルトガル辺りだと「トイレットペーパーも流さないでください」という所もあります。そういう場合、このウェットティシューは論外です。

それに、いくら流してもいいとは言え、このトイレ用ウェットティシューは長い目で見ると環境問題になっているのですよ。浄化の大きな負担になっているのですって。

私は、環境保護狂ではないのですが、やはり毎日のことですので地球に負担をかけ続けていると知っているのに続けるのは抵抗があります。それに、私は経費毒という問題にも敏感でして、たまになら全然氣にしませんが、毎日なんだかわからない化学薬品が肌に触れているのもなと思ってしまうのです。

じゃあ、高くても自宅にウォシュレットを取り付けるかというと、そんなことはしませんよ。電氣を無駄にしないというのも、ポリシーですから。

トイレのお供

それで、考えたのですよ。ウォシュレットがないと生きていけない現代の日本人が、海外旅行に行く時に使う便利用品が絶対売り出されているはずだろうと。で、見つけました。幾種類もありました。二つほど買ったのです。というのは、ひとつは会社に置きっぱなしにしているからなのです。

どちらも中に水や温水を入れて、手で押すとノズルから水が出てくるという商品です。電源がいりませんので水さえあれば永久に使えます。バッテリーチャージみたいな手間もありません。水は使用する時に入れればいいので、持ち運ぶときは軽いです。

最初に買ったのが紫色の方で、水量たっぷりというのが売りでした。それに、ノズル部分が頑丈で全然壊れそうもありません。

でも、ちょっとみかけが微妙な感じです。しかも、ノズルを取り外して専用袋に入れても、いかにも大きくて邪魔です。しかも、トイレの個室の中に水道があればいいですが、普通は外にありますよね。取り出してこれに水を入れてセットするのはかなり恥ずかしいのですよ。そういうわけで、持ち運びはしたくなくなってしまったのです。これは自宅専用になりました。もっとも頑丈なので、いつまでも壊れません。このどぎつい紫をいつまでも使い続けるんだろうか……。

トイレのお供

次に買ったのは、「シュピューラー」という商品です。入る水の容量は少ないんですが、実際には使い方の工夫次第で、この量でも十分だったのですよ。

これね、さすがに日本製でして、もう一つの商品で私の持った全ての不満が解消されているんです。ノズルを引き出して使うのですが、これをしまってしまうともう本当に何のボトルかわからないんです。水を入れるときにも、ノズルは仕舞ったままでいいので、なんのボトルに水を入れているのかわかりにくいのも○。色も白くてどぎつさがありませんし、それにこの小ささがポイントです。バックの中で全く邪魔になりません。旅行用と会社用と二つ買って愛用しています。

うちの会社のトイレは、男女別の個室にたった一つの便器と洗面台、その洗面台の上に棚という作りになっていて、棚の中におきっぱなしにした「シュピューラー」を取り出して、温水を設置、それから使用、そのあとに濯いで拭いてしまう、という一連の作業が密室内で可能。

ずっとその洗面棚に入れっぱなしだったのですが、だれからも「これ何?」と訊かれたことはありませんでした。本当にただの普通の空ボトルに見えるんですよね。たぶんバックに忍ばせていて、なんかの拍子に誰かに見られても興味を惹くことはないと思います。そういうことって、実はとても重要なんだよなあと思いました。

(ただ、残念ながら、ある日なくなってしまったのです。ゴミだと思われて捨てられてしまったのか、それとも「これは便利だ」と盗まれてしまったのか、なんか訊いて回るのも嫌だったので、黙ってもう一つ購入してそれからは置きっ放しにしないようにしました)

海外旅行で「ウォシュレットないと困る!」と思われる方、これ、本当におすすめですよ。ま、旅行程度なら、流せるウェットティッシュでも問題ないでしょうが。

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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 3 -

「郷愁の丘」です。四回に分けた「シマウマたち」の三回目です。

今回「たてがみの極端に短い雄ライオン」がでてきます。これはこの個体の話ではなく、マサイライオンという種類のライオンの特徴です。ツァボ国立公園にはこのマサイライオンがいるのです。ご存知の方もあるかと思いますが「ツァボの人食いライオン」で有名になったのもこのマサイライオンの二頭です。今回は人は食われませんでしたが。

また、後半でウルトラ・ロマンティックな舞台をガン無視して、相変わらず色っぽさゼロの会話をしている二人がいます。ここで迫らなかったら、いつ迫るんだ、まったく。あ、グレッグの絵を描く能力に関しては、次回までお預けです。すみません。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 3 -

 その話をしている間に、穏やかだったサバンナに異変が起きた。一番奥の方から、急激に頭を上げたトムソンガゼルに続き、シマウマたちがざわつきだした。その動揺は、緩やかな波のように群れ全体に伝わっていった。緊張が走り、やがて土ぼこりと共にまずグラントガゼルたちが、つづいて全ての草食動物たちが一斉にジョルジアたちから向かって左側へと走り出した。

「来た」
グレッグは、右のずっと遠方を指差した。
「何が?」
ジョルジアには、草とアカシアの樹々しか見えない。

「ライオンが、一、二、……五匹だ。ほら、もう君にも見えるんじゃないか」
その通りだった。土ぼこりを立てながら、駆けて来るライオンたちが見えた。

 草食動物の群れは訓練されたように美しい隊列を組んで走っていく。土煙が、何千もの脚が、草が大きく動き、静かだった世界が、躍動に満ちたスペクタクルに変わる。けれどこれは舞台ではなく、生死を分ける真剣勝負だ。ジョルジアの心臓は激しく鼓動を打った。

 生まれたばかりのまだ弱いヌーの仔が遅れて、やがて一番最後に取り残される。ライオンたちは、集中してその仔を追いはじめる。

「だめ!」
ジョルジアは、思わず叫んだ。一番先頭のライオンが追いついてその尻に飛びついた。たてがみが異様に短いが、それは雄ライオンだった。仔ヌーが倒れると、他の若い雌ライオンたちも飛びかかった。ジョルジアは顔を手で覆った。

 十分に離れたところで、草食動物たちは停まり、世界は再び静かになった。狩りが終わった事を知ったハゲタカたちが空から舞い降りて来る。ジョルジアは瞼を開き、草食動物たちがゆっくりと去っていくのを確認してから、グレッグの方を見た。

 彼は、彼女の方を見て頷いた。ほとんど無表情に近かった。けれど、その瞳には摘み取られてしまった小さな命に対する悲しみをたたえ、それでもそうして生きていくライオンたちの生命に対する尊重も感じられた。

「ここは、動物園じゃないものね」
ジョルジアが呟くと、彼は黙って頷いた。あの仔ヌーがかわいそう。そんな言葉はこのサバンナでは空虚な偽善でしかなかった。

 二人は夕暮れ時に家に戻った。サバンナの夕焼けも美しかった。ヌーの事を考えてジョルジアは言葉少なめだった。彼は彼女の思考を遮らず黙って運転した。それに、ぬかるんだ道を崖の上を目指して走る事は慣れたグレッグにも困難で、彼は集中して慎重に運転せざるを得なかったのだ。

 夕食の後、彼はテラスでワインを飲まないかと言った。ガラス製風よけのついたキャンドルに灯をともし、ガーデニアの樹の横に置かれたテーブルに置いた。少し厚めで頑丈なワイングラスに彼はワインを注いだ。

「まあ」
ジョルジアはいつの間にか広がっていた満天の星空に驚嘆の声を上げた。

 地平線の上は巨大なプラネタリウムと化していた。天の川がくっきりと見える。星は瞬いていた。しばらく星を眺めているうちに、彼女の沈んだ心は慰められていった。

「サバンナに長く居ればあの光景に慣れざるを得なくなるけれど、はじめて見るとショックだろうね」
「テレビでは見た事はあるし、動物園のライオンだって、ベジタリアンではない事くらい知っているのにね。それに、実は、私もステーキが好きなのよ」
「僕もだ」
「私たちは普段そういう事から無意識に目を逸らしているのね」

「草食動物は、食糧でしかないみたいに言われる存在だし、サファリでは草食動物なんか見ても面白くないという人たちもいる。保護の観点でも、絶対数が多いせいかかなり後回しになる」
「あなたはどうしてシマウマの研究をしようと思ったの?」

 彼は、少しの間言葉を切った。キャンドルの光に照らされたその口角は、優しく上がっていた。
「子供の頃に、シマウマの絵を描いて祖父に褒められたんだ。それでシマウマを描くのが好きになった。直接のきっかけはそれかな。でも、もう少しちゃんとした理由もあるよ」

 ジョルジアはクスッと笑った。
「そちらの理由もきかせて」

「僕の曾祖父、トマス・スコットもまた動物学者だったんだ。彼は、現在の父のように権威ある職に就いたりしたわけではないんだが、やはりこのツァボ国立公園でフィールドワークをしていてね。当時のこの地域の実態を事細かに報告した日誌を残したんだ」

「日誌?」
「ああ、とても細かい人だったんだね。サバンナでは、年によって水場があちこちに移動したりするんだけれど、その位置や水場を訪れていた動物の種類や数なども詳細に報告している。また当時はこの地域に自生していた植物などもスケッチに残していて、植物の生態系の変化なども今と比較するいい研究材料になるんだ」

「その日誌はどこにあるの?」
「父が持っているよ。もっとも、現在一番活用しているのはレイチェルじゃないかな。曾祖父はゾウのこともよく調べていたからね」
「そう」

「ヒョウやサイなどの個体数がとても少ない野生動物は、追跡も楽だし緊急性があるから研究費も集めやすい。数の多い草食動物の研究はどうしても後回しになりがちだ。ましてや、単調で束縛される事の多い長期間の調査は皆やりたがらないんだ。僕は、父やレイチェルのような斬新な仮説や際立った研究をするほど頭がいい訳ではないんだけれど、でも、コツコツとフィールドワークをして現状に関する調査をする事は出来る。それも子供の頃から一番好きだったシマウマの研究でね。さほど目立った成果は出なくても、その調査を何十年も続ければ、曾祖父の日誌のように、後世の偉大な学者たちの役に立つものを残せるかもしれない。それが僕がここで研究をしようと思ったきっかけなんだ」
「素晴らしいと思うわ。地味だし、とても忍耐のいる仕事よね」

「僕のように、どこにも出かける予定のない人間に向いているんだ。仕事と趣味が一致しているようなものだし、ここに住むのは好きだ。パーティにもいかなくて済むし」
それを聞いてジョルジアは吹き出した。

「あなたは、曾お祖父さまの研究との比較をしているの?」
「いや、まだそこまではいっていない。いずれは現在の調査結果と曾祖父のフィールドワークを比較するアプローチをしたいと思っている」

「あなたの曾お祖父さまの遺産ですもの、いつかきっとあなたのものになるわよ」
「そうだね。そう願っている」
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Posted by 八少女 夕

コップ代わりに

またトラックバックテーマから題材を見つけてまいりました。でも、やっぱり「生活のあれこれ」に入れてしまいます。そもそものテーマは「ペットボトルを買う派?ドリンクボトルを使う派?」なんです。

結論は「どちらかといえばドリンクボトル派かな」ですね。なぜそう歯切れが悪いのかというのも含めて書いてみようと思います。


まずペットボトルを全く買わないかと訊かれると、買うこともあるんです。でも、環境問題とBPA(ビスフェノールA)問題の両方の観点から、私はプラスチックの使用を意識的に減らそうとしているのです。といっても現代社会に生きる限り、ゼロにすることは不可能なので、「意識せずに使った場合の半分以下にする」程度のゆるい減らし方です。で、そうなると「ペットボトル飲料を常時買う」ような行動パターンは避けるわけです。それに、そもそも、通勤途上に買いたくなるようなペットボトル飲料がないんですよ。

珍しく長時間電車に乗るような時、スイス旅行したことのある方はご存知かもしれませんが、車内販売でペットボトルを買ったりすると、ただの水でも450円くらいかかります。海外旅行中で「それもいい思い出」の方はいいんですが、住人の私はそれはちょっと我慢ならないので、水くらいは持っていきます。かつては小さめのペットボトルの再利用をしていたのですが、今はこちらを使っています。

ミニ魔法瓶

このドリンクボトル、タイガーのものなんですが、魔法瓶のように保温機能があるのにものすごく軽いのです。ペットボトルを持ち歩く利点は軽さと壊れないことに尽きると思うのですが、このドリンクボトルはそのペットボトルのアドバンテージに肉薄しているのです。かつ、半日経っても熱々という驚異の保温力や、ステンレス製で洗いやすいこと、色移りしないこと、熱い飲み物を入れてもBPAは大丈夫かと考えずに済むことなど、ほかの利点があるので、旅行や外出に持っていくことは多いです。

サイズは、一番小さいものにしています。200mlですね。これ以上はかさばりますし、本体は軽くても液体が入るとその分重くなりますから、大きなボトルにすると結局重くなります。「重いから持っていかなくてもいいか」と思うようになってしまうんです。

さて、上のリードで、私の歯切れが悪かった理由はこの辺にもあります。私はあまり持ち歩きのドリンクでこまめに水分補給ってしないんですよ。数時間続けて電車に乗るとしても、このボトルで一杯飲むかどうか、持っていなかったらそのまま次に停車したところでカフェに入って、そこで何か飲み物を注文します。

旅行をしたり、遠出をしたりする時に、特に目的もなくカフェなどでまったりすることが多く、さらに電車の乗り換えなどで三十分以上の待ち時間があったらカフェに行く、などということをしていると、結局飲み物を持ち歩くかどうかはそんなに重要じゃなくなることが多いのです。

連れ合いとバイクの旅行に行く時も持っていきますが、実を言うとあまり使わずに帰ってくることも多いんですよね。でも、いざという時には重宝するので、やはり「どちらかというとドリンクボトル派」ですね。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の三浦です今日のテーマは「ペットボトルを買う派?ドリンクボトルを使う派?」ですお水は常温で飲むのが好きな三浦です去年から節約のために水筒を持ち歩いています最近ではマグボトルというオシャレな名前がついていたり、透明なものや、スタイリッシュなデザインのものも増えていますよね冷たさや温かさをキープできるのも便利ですみなさんはペットボトルを買う派?ドリンクボトルを使う派...
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 2 -

「郷愁の丘」です。四回に分けた「シマウマたち」の二回目です。

グレッグの研究対象であるシマウマの観察に連れて行ってもらうジョルジア。いわゆる「サファリ」ですね。草食動物は群れになっていることが多く、一度にたくさん眺めることができます。あまりたくさんいるので、そのうちに、人々は草食動物を見るのに飽きてしまいます。

私はシマウマが大好きだったので、シマウマに対しては飽きませんでしたが、そういえば滞在の終わりにはトピやガゼルを見ても「ふ~ん」くらいにしか思わなくなっていたかも。でも、どの動物も、動物園の動物とはまったく違う佇まいで、ちょっと神々しいほどでしたよ。というような話は、今回のストーリーとは関係ないですが。

今回発表する分もそうですが、この小説は主人公たちが二人でいることがとても多くて、会話の具体的内容にとても苦労しました。とにかく、この二人、ずっと恋愛とは無縁のことを話しまくっているんです。一緒にいる時間が長いのでそのボリュームも半端なく、しかも私は写真家でも動物学者でもないので、何を話すんだろうかというところから始めて、悩みまくりでした。しかもストーリーに絡まってないといけないし。自然に表現できていたらいいんですけれど。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 2 -

 その話をしている間、ランドクルーザーはゆっくりと進み、道の悪い長い坂をいくつか下っていった。しばらくすると切り立った崖を背にしてどこまでも広がる広大なサバンナを走っていた。そこは《郷愁の丘》のテラスから眺めているあの土地だった。やがて、彼の目指す水場が近づいてきた。昨夜の雨で広がった大きな水源で、今朝テラスからそれを見て見当をつけていたのだ。彼は、離れた木陰で車を停めた。

 トムソンガゼルやインパラやヌーの大群が、ゆっくりと草を食んでいる。キリンの姿も見えたし、もちろん彼の観察対象であるシマウマもたくさんいた。陽炎の先に彼らが立ちすくむ。何頭かが、こちらを観察している。それ以上近づいて来ないかどうかを慎重に。安心したように頭を下げて食べだすものがいる。

 それは子供の頃の絵本で見たエデンの園のようだった。ジョルジアは、無意識に装備を手にしようとした。そして、休暇中だった事と、今回の旅に望遠レンズを全く持ってこなかった事を思い出した。

 彼は、固まっているシマウマたちを指差しながら、説明をした。
「あそこの二頭は姉妹だ。手前の子供は一週間ほど前に生まれた。かなり近くにハイエナがいたから随分ひやひやしたよ」
「まあ。ねえ、もしかして、シマウマを個別にわかっているの?」
「ここの調査は頻繁にしているから、特徴のある個体はわかるよ」
遠いせいでもあるが、ジョルジアには小さい仔シマウマ以外はどれも同じに見える。それを告げると彼は笑った。

 しばらくすると、動かないランドクルーザーに興味を持ったのか、それとも安心したのか、もっとずっと近くに動物たちが近寄ってきた。もちろん、すぐ側というほどではないが、それでも背の高いキリンなどが通り過ぎると、その姿に圧倒される。ジョルジアはコンパクトカメラを構えて、何回かシャッターを切った。彼は、何かを手元のノートに書いていた。小さい几帳面な筆蹟だ。

 氣がつくと昼どきになっていた。彼は、ルーシーに水と乾いた餌を少しやった。ジョルジアは、紅茶の入ったポットから二つのカップに紅茶を注ぎ、朝用意したランチボックスを開けた。

 長時間の戸外で悪くならないように、ジャムだけが挟まったあっさりとしたサンドイッチと塩だけしかつけないゆで卵。ジョルジアが見慣れている物に較べて黄身が白い。それにいくつかのオレンジ。彼はポケットナイフを駆使してあっという間に皮を剥いてくれる。

 ランチはあっさりしているが、目の前にたくさんの野生動物がいて、一緒に食事をしているのは愉快だった。食事の後も、観察と会話は続いた。

「先日した話の続きだけれど。人間の目は、シマウマの縞部分の写真を見てモノクロームとカラーを見分けられるものなのか?」
「ええ。見分けられるわ。もしそれがイラストで、全くただの二色だったらダメだけれど。もしわずかでもグラデーションがあれば、カラー写真にはいろいろな色が写っているの。もちろん、個人差もあるし、遠くから眺めたら、それだけで判断するのは難しいわね。でも、シマウマ自身はどうなのかしら?」

「彼らがモノクロームとカラーの違いにこだわるとは思えないな。少なくとも彼らと僕たちとは違う見え方をしていることはわかっている。ほ乳類のうち三色型色覚を持つのは霊長類だけでシマウマは二色型色覚だ。青と赤の違いは識別できないだろうね。黄色や緑は識別できるから新鮮な草とそうでないものは見てわかるのかもしれないね」
「色の違いを認識する必要はないってことね」

「そうだね。彼らにとってもっと大切なのは、周囲の動きを認識する事だからね」
「つまり?」

「目のついている位置を観察してごらん。横についているだろう? あの配置のおかげで視野がほぼ三百五十度あるんだ。背後で何かが動けばすぐに氣づく。肉食獣から逃げるために必要なんだね。ただし、両方の目で同時に見る両目視野はとても狭くて距離を測るのは得意ではない」

 ジョルジアは、なるほどと思いながらシマウマを見た。確かに彼らは振り向かずに後も見ているようだ。
「ライオンやチーターは?」

「追う方の肉食獣は、距離の測定がとても大切なので、立体的に見える両目視野が百二十度あるかわりに後方に全く見えない領域が八十度ある」
「よく出来ているのね」
「そうだな。非常によく適応している事はわかっても、どうしてそうなったのかはわからないんだ。さっき話にでた、二色型と三色型の色覚も、魚類では三色型や四色型色覚を持っていたのにほ乳類は一度色覚を失って二色型になり、その後に霊長類が再び三色型を獲得している」

 ジョルジアにとっては、色の違いはとても重要な関心事であると同時に、あたり前の事でもあった。色の違いによって表現するカラー写真と、陰影で表現するモノクロームの世界。それは人類がその違いを認識できるからこそ存在する表現方法だ。

 そのシステムを考える事は、作品の根源を見極める事でもある。そして、写真家のジョルジアにとってだけでなく、この会話は動物学者であるグレッグにとってもなんらかのインスピレーションになっていればいいと思った。

「シマウマって、本当に斬新なデザインの毛皮を着ているわよね。あたり前みたいに思っていたけれど。よく考えるとどうしてあんな風に進化したのかしら」
「それはいい質問だね。実は未だにはっきりとはわかっていないんだ。わりと最近までは、あの模様が集団でいると個体の区別がつきにくくなり襲われにくくなるからと信じられていたんだが、群れから離れると反対に目立ちやすくなるだろう」

「最近は別の学説もあるの?」
「ああ。体温調節のためとも言われていたけれど、最近一番有力だとされているのは、ツエツエバエを除けるのに有効だという説だ」
「ツエツエバエ?」

「吸血蠅でね。睡眠病を引き起こすトリパノソーマの感染の原因になるんだ。研究ではツエツエバエから検出される血液の中から、シマウマのものは極端に少ない事がわかっているし、ウマ科の他の動物に比較するとシマウマが睡眠病にかかりにくいこともわかっている。そして、吸血虫は色が均一でない所には着地しづらいという研究があるんだ。つまり縞があると刺されにくくなるといってもいいね」

「それは人間でも有効なの?」
「そうだ。ツエツエバエに刺されると人間も睡眠病になる。だから、まだらな服を着ている方がいいってことになるね」

「自然の叡智ってすごいのね。縞のある方がいいとシマウマの遺伝子にプログラムが書き込まれるまで、随分とたくさんの試行錯誤をしたんでしょうね。私たちがあっさり『進化論』と呼んでいるものだって、細胞が知っているわけじゃないんですものね」

 彼女の言葉に、グレッグは頷いた。
「進化論というのは、結果的に生き残ったものがどうして生き残ったかの理由付けとしてわかりやすいけれど、本当はそれだけでは片付けられない多様性もある。何千万年経っても、いまだに弱くて生存に向かない個体も普通に生み出され続けていることの説明はつかない」

「そうね。言われてみるとそうだわ。でも、絶対的な勝者じゃなくても、何とか生き延びる事が出来たなら、それはそれで生き残った事にならない?」

 彼は、ジョルジアを見て驚いたような顔をした。それから答えた。
「その通りだね。生き残るというのは正にそういう事だ。そして、そうやってなんとか生き延びた弱い生命の中から、次の環境変化に適応できたものが、思いもしなかった繁栄に預かることもある。そう思うと、僕もなんとか生きていくことに希望が持てるな」

「私もよ」
ジョルジアがそう答えると、彼は笑った。それは「君は弱者ではないだろうに」という否定の笑い方だった。ジョルジアは、少しだけ不満に思った。彼女はいつも自身を光に満ちた人びとの蔭に埋没した取るに足らない存在だと認識し続けてきたから。
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Posted by 八少女 夕

公爵のB&B

北イタリア旅行の話の続きですね。

私と連れ合いは、一度行って氣にいったところがあると、何度もリピートして訪問するのです。北イタリアのアペニン山脈やピアチェンツァの界隈も、そんなこんなで何度も行っています。

もともとは、コルシカ島へ行くための通り道だったのですが、このあたりをもっとよくドライブしたいということで、時々ここを訪ねて回っているのですね。

そんなこんなで、何度も訪れることになった街の一つが、カステッラルクアート(Castell'Arquato)。人口5,000人に満たない小さな中世の遺構です。八世紀からの古い歴史を持つお城を中心に、いい意味で観光地ずれしすぎていないほっとする場所なのです。

カステッラルクアート

今回みつけた宿は、Booking.comで予約したB&Bなのですが、地図上ではどう見ても中心の広場のところにあります。でも、あのあたりにあった高いホテルの横にB&Bなんてあったっけ? 首をかしげながらも、便利な場所なのに安いので急いで予約しました。しかも、鍵のかかる門の内側の敷地にバイクを駐車できるという利点もありました。夜間外に置いておくのは心配なので、パーキングは予約の大事なポイントなのです。

B&B
B&Bテラス

そして、たどり着いてみたら、本当にお高いホテルの隣にあった、以前「ここってすごいお館みたいだね」と言っていた建物がB&Bだったのです。もともとはピアチェンツア公爵のお屋敷だったそうで、かなり立派な建物。それを現代的に改装してあるのでとても快適な空間になっていました。

実は、泊まった二晩は私たち二人だけしか宿泊客がいなくて、しかもオーナーは別のところに住んでいるので、お城みたいな館を占有することになってしまいました。

そして、豪華な朝食。

フォカッチャのサンドイッチ

イタリアの朝ごはんは、普通だと甘いジャムの入ったクロワッサン、パンとジャム、そしてコーヒーぐらいのことが多いので、そんなイメージでいたのです。でも、それらに加えて、毎朝違うタイプのお菓子と、フォカッチャのサンドイッチ、焼いたパイなどがこれでもかと並べられました。

オーナーの女性とおしゃべりしながらこれを二時間くらいかけて食べていました。このマリーナさん、イタリア人には珍しく(失礼)外国語が得意で、しかもものすごく歴史や文化にも詳しい方でした。連れ合いは、理解できる人だと突然フランス語で話しだしたりするので、会話はイタリア語とフランス語と英語が混在することに。ついていく私も、話すほうもコロコロ言語が変わるので大変だったかも。でも、いつもこうなんです。

手作りジャム

マリーナさんとご主人は近郊に農場を持っているのですが、手作りジャムも出してくださいました。イチゴ、サクランボ、かりんなど農園で採れたもの、それにびっくりしたのがバラの花びらで作ったジャム、とても香りが良くておいしかったです。

ちょっとした王侯氣分を楽しめた二日間でした。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 1 -

少し間が空きましたが「郷愁の丘」です。ここは12000字を超えているので4回に分けます。

日本やスイスは、住むのに比較的安全な国です。そういうところから、そうではない国を訪問すると、安全であることに対して考えさせられることがあります。今回の部分は、そういった体験をもとにした記述が少し入っています。

それに、季節のあり方が日本とは少し違うので、そのことにも触れてあります(ここだけでなく、小説全体のあちこちに埋め込んであります)が、あまりうるさくならない程度の記述に抑えてあります。この辺は難しくて、伝わらないと困るのですが、一方で「説明しています」という感じになるのは嫌なので、毎回「どうしようかな」と悩むところです。

タイトルのシマウマは……。すみません、まだ出てきていません。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 1 -

 翌朝、彼はサバンナの調査にジョルジアを同行しようと言った。ルーシーにそれを告げると尻尾を振って、外へ飛び出そうとした。彼は、それを厳しく止めた。

 ジョルジアは、彼がルーシーを連れいてかないつもりなのかと思った。けれど彼は外の様子を示していった。
「あそこで跳ね回られると、車の中が大変なことになるからね」

 前庭は茶色い泥沼のような様相をしていた。ジョルジアは、昨夜の食事中に突然降り出した激しい雷雨の事を思い出した。

「雨季だから」
彼はその時、なんということはないという様子で言った。恐ろしい雷鳴や、屋根が抜けるのではないかと思うような大雨だったが、彼が落ち着いていたので、ジョルジアは思ったほど恐ろしさを感じなかった。ニューヨークで時々経験するハリケーンのような横殴りの風はなく、ひたすら大量の雨が降っただけで夜半までは続かなかった。だから、ジョルジアも安心して眠りにつく事が出来たのだ。

 彼はリードをつけてルーシーに水たまりを避けさせ、指定席である最後部座席に載せた。

 ジョルジアは、レイチェルの家で二匹のドーベルマンを見た時から疑問に思っていた事を訊いた。
「ルーシーをどこにでも連れて行くのね。家の番はいいの?」

 彼は笑った。
「犬を泥棒よけとして飼う人の方が多いけれど、うちにその心配はないよ。盗まれて困るものはほとんどないし、それでもうちから何か盗みたい人はルーシーぐらいなら簡単に殺してしまうさ。僕やここに滞在している人に、誰か不審者が来た事を報せてくれるという意味では、ルーシーは番犬だ。でも、それ以外ではどちらかというと僕の唯一の家族みたいなもので、泊りの時や調査ですぐには戻れないかもしれないところに行く時にはいつも連れて行く」

 それから、申しわけ程度の柵しかない表側の庭をジョルジアに見せて言った。
「この家には、野生動物よけの弱い電流を流す柵だけで、人間が侵入するのを防ぐ仕掛けは何もない」

 確かにそうだった。《郷愁の丘》の門には何のロックもない。サバンナの景観を遮るような境界も全くない。崖に面した東側には柵すらない。だからこそ、ジョルジアは生涯忘れる事はないだろうあの朝焼けを寝室で見る事が出来たのだ。

 レイチェルの家の塀には電氣ショックを与える柵があって、周囲からはあまり中が見えないように背の高い植木があった。その内側には鋭い針のあるアガベの仲間が隙間なく植えてあり、入り込んできた輩は怪我をするようになっていた。二匹のドーベルマンの他に、ガチョウを何匹も飼っているのは侵入者が入り込むと大きな鳴き声で騒ぐからだと説明してくれた。ゲートも電動だったし、さらに家のどの窓やドアにも鉄格子の侵入よけがあった。

「どうして? 何か他の仕掛けがあるの? それとも、性善説を信じているの?」
ジョルジアが訊くと、彼は笑って首を振った。

「ここがあまりにも人里から離れているから、何も必要ないんだ。この近くにいる人間はマサイのある部族だけだ。彼らは盗んだりはしない。牛以外はね」
「牛?」

 グレッグは頷いた。
「彼らの信仰では、神は世界の全ての牛をマサイのものと定めたんだそうだ。だから、他の部族やその他のよそ者が牛を飼ったりすると、彼らは『正統な持ち物を取り返しに』行くんだ。でも、それ以外の金目のものや電氣製品などを盗るために家に入り込んだりするような人たちではない」


「それで、他の家のようにドアに鉄格子がついていないのね?」
「泥棒たちは、何もないとわかっているのに、こんな遠くまでやってくるような無駄な事はしないからね。引越したての頃、二回か三回ほど留守に入られた事がある。でも、あまりに何もないので呆れたんだろうね」

 彼は居間を見回した。ジョルジアは改めて置いてある家具に目を留めた。ジョルジアの感覚では、そこにある家具の全てはアンティークと言ってよかった。

 彼女がニューヨークでよく行くダイナー《Sunrise Diner》で友人となったイギリス人クライヴとクレアの働いている骨董店《ウェリントン商会》には、ここにあるような家具がびっくりするような値段で売られている。モダンで快適な家具に飽きた酔狂な金持ちか、古き良き時代に憧れる人たちが「ようやく見つけた」と喜んで買っていく。それほど、今やどこにも見かけなくなったような古くて使い込まれた家具だった。

 ただし、この家具が作られた時代から高級品とは言いがたいクオリティで作られたもので、それが時代を経て使い込まれ、上塗りもあちこち剥げて色褪せたせいで、どことなく物悲しさが漂っていた。そして、その家具の中も上も、シンブルに徹した簡素さで、言われてみると金目のものなどどこにもなさそうだった。食器やカトラリーですら、特に高級なものは何もなかった。

 この家までわざわざやってきて何かを盗んでいこう、それを更に売り払おう考えた泥棒が、運搬の手間すら惜しんでやめたことは十分に想像できた。

「僕は、せっかく書いた論文や資料を心配して青くなったけれど、興味も持たなかったらしくて、何もかも残っていてホッとしたんだよ。それから十年近く一度も泥棒には入られていない。時々、スプーンや砂糖などはなくなるけれど」

 二年前にリチャード・アシュレイが黒人の使用人の事を罵っていたのを思い出した。カトラリーや食糧の備蓄がなくなるのは、こちらでは日常茶飯事なのだと。ジョルジアは、ここでもそれが起こっているのかと思った。つまり、想定される犯人は、あのアマンダだということになる。でも、グレッグの方はとくに彼女に腹を立てているように思えなかった。そういうものなのだと、受け入れてしまっているようだ。

 出かける用意を済ませ車で待っていると、彼も戸締まりをして出てきた。ライフルを持っていたので、彼女はぎょっとした。彼は、笑ってそれを後の座席に置くと言った。
「まず使わないよ。でも、どうしても使わなくてはいけない時もあるから、ここに住むようになってから訓練した。人間の愚かさのため、使わざるを得ないときが一番辛い」

「使う羽目になった事があるの?」
「幸い、威嚇だけで済んだけれどね。キクユ族の男がハイエナに襲われたのを救った事がある。それに、僕はあまり観光客には関わらないようにしているんだけれど、レイチェルが案内したベルギーの金持ちは勝手に車から降りて、ライオンに襲われそうになったんだ。その時は同行していたレンジャーがそのライオンを射って怪我をさせたんだ。それが原因でしばらくして死んだ。彼女はその観光客の勝手な行動を止められなかったとずいぶんと自分を責めていたよ。」

「調査のためにも、氣を遣うのね」
「そうだね。撃つなんて事は論外だけれど、動物たちのストレスにならないようにしたいんだ。彼らの警戒心を起こさせるような行動は極力避ける」

「どういうふうに?」
「例えば距離だよ。ほんのわずかな違いなんだけれど、たった半メートル近すぎるだけで、動物たちは落ち着いて草を食めなくなるんだ。見えないテリトリーだね。長年の経験で、どこまでは近づいていいかはたいていわかるんだ。こちらが我慢して動物たちの安心できる位置に留まっていると、信頼してくれた動物の方から近づいてきてくれる事もある」

 ジョルジアは、納得して彼の言葉を聞いていた。
「向こうから興味を持ってくれる事もあるのね?」
「馴染みの深い動物たちは、興味津々で観察してきたりするよ。何ヶ月か観察していると、お互いに知り合いみたいになるんだ」
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Posted by 八少女 夕

目を守る

今日はトラックバックテーマでもあるんですが、一応「生活のあれこれ」カテゴリーに入れてみました。テーマは「サングラスをかけますか?」だそうです。

で、かけます。以前「眼鏡の話」という記事でも語りましたが、昔から酷使してきた目を、ここ数年必要にかられて保護しています。

昨年の秋に日本に行った時に、遠近両用眼鏡と中近両用眼鏡を作ってきました。中近両用の方はブルーライトのカットを強くしてもらって会社での仕事専用に置きっぱなしにしています。そして、下の写真の水色のフレームのものが、それ以外の時間に使っている遠近両用。JINSという会社で作ってきました。ほとんど違和感なく使い始められ、現在ではもともとの眼鏡に戻れないほど馴染んでしまいました。

クリップ・オン・サングラス装着

そして、屋外に長時間行く時は、さらにサングラスを掛けています。色が変わるものや、そもそも完全に掛け替える度入りサングラスなども検討したのですが、現在一番都合が良くて使っているのが、このクリップ・オンタイプのサングラス。これは白内障や加齢黄斑変性の原因となる紫外線と青色光線(ブルーライト)をカットしてくれるそうです。通販生活で買いました。

色が黄色いので、眩しい昼間から、暗くなったり屋外に入っても特に問題なく見えます。もちろん屋外に長時間いる時には外しますが、キオスクに寄るときぐらいならこのまま。

オーバーグラス式サングラス

こちらは以前もご紹介したことのあるオーバーグラスタイプのサングラス。主にドライブで使っています。これの優れたところは、前方だけでなくサイドもサングラスになっていて、ドライブ中に西日が横から入ってきて辛いときなどもカバーしてくれるのです。運転中は横を向いたりできないし、高速などでは勝手に停まれないので、このサングラスは本当に便利です。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の三浦です今日のテーマは「サングラスをかけますか?」です夏は日差しが強く、まぶしいですよね街中ではサングラスをかけている方が増えた気がします三浦は自転車通勤 なので、サングラスはマストアイテムです 車を運転される方 や、ファッションでかけている方も多いと思いますが皆さんはいかがですかあと、外国人の方はめちゃくちゃサングラスが似合ってかっこいいですよねサングラス...
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Posted by 八少女 夕

【小説】それもまた奇跡

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」六月分を発表します。六月のテーマは「メダイ」です。「なんだそれ」と思われる方もあるかと思います。カトリックで使われるお守りのようなメダルのことです。

宗教的なもの、とくに「奇跡を起こすメダル」の話をするとアレルギー反応を示される方もあります。特に私がカトリックを公言しているので警戒なさる方もあるかもしれませんが、今回の話はとくに信仰心や奇跡とは関係のない話ですのでご安心ください。むしろどちらかというと「塞翁が馬」的なストーリーですね。

全く必要のない情報ですが、出てくる男性が勤めている「健康食品の会社」の社長は「郷愁の丘」のヒロインの兄、マッテオ・ダンジェロだという設定です。でも、この作品には出てきませんし、これはただの読み切りです(笑)


短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む



それもまた奇跡

 ケイトは、行ったばかりのデパート、ボン・マルシェの方に戻った。その近くにある『奇跡のメダイのノートルダム教会』に寄ってくるように、トレイシーに懇願されていたことを思い出したのだ。

 彼女自身はカトリックではなく真面目なキリスト教徒とはお世辞にも言えなかったし、聖母出現だの、奇跡を起こすメダルなどというものはナンセンスだと思っていたが、それを信じて待っている人間のために、デパートの帰り道に寄るくらいのことを断るほど偏狭ではなかった。でも、くだらないと思っていたせいか、もう少しで忘れるところだった。

「何それ?」
パリに行くと話した時に、トレイシーがおずおずと口にした願いを耳にしたケイトは、何を買ってくればいいのか全く理解できなかったので問い直した。

「奇跡を起こすメダルよ。楕円形でね。表に聖母マリア像と『原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え』って意味のフランス語が、裏には十字架とM、それにジーザスと聖母マリアの心臓が打出されているの。パリの教会で買う事ができるの」

「一つの教会でしか買えないの?」
「他のカトリックの教会で置いているところもあるかもしれないけれど、似ていて違うものとあなたは見分けがつかないでしょう? 道端で売っているものや、通販などだと偽物がほとんどよ。そもそも転売は禁止されているの。だから、本家の教会で買って来てほしいの」

 トレイシーは、現在入院中でパリに自ら行くことはできない。奇跡が必要なほどの重病でもないので、わざわざ家族が行くこともない。要するに親友が行くついでに欲しいと言ってみたのだろう。ケイトは、「わかったわ」と頷いた。

「ところで、その教会にそのメダイとやらは一種類しかないの?」
「いいえ。銀色だったり、ブルーだったり、いろいろとあるみたいだけれど、その教会で売っていればどれも本物だわ。このお金で買えるものを買ってきて。おつりはあなたにあげるから、好きなものを買ってね」

 彼女の手渡してくれたドル紙幣は、とっくにユーロに両替した。これで買って行かなかったら詐欺になってしまう。六月の日差しは刺すように強い。今日はとても暑い。何も考えずにタンクトップできてしまったけれど、その教会にこの格好で入れるかなあ。ケイトは先ほど暑くてしまったスカーフをカバンから取り出して、申しわけ程度に肩から羽織った。

 白い教会の門は、先ほど通り過ぎたところだった。中に入り、きょろきょろと見回した。熱心な信者なら教会で祈ってからメダイを買いに行くのだろうが、ケイトはそれを省略して売店に直行した。ボン・マルシェでの買い物にはあれほど時間をかけたのに、しかも、この後にスケジュールが詰まっているわけでもないのに、ひどい態度だ。敬虔なカトリックだった亡き祖母が知ったら、さぞ憤慨したことだろう。

 メダイはどこにありますかと訊く必要もなかった。壁際にたくさんぶら下がっていて、人びとが次々と買い求めていた。ケイトは近づいて見て驚いだ。一つ一つを結構な値段で売っているのかと思ったのだが、多いものは50個ほどがビニール袋にどさっと入っている。それでいて15ユーロほどの値段だから、ほぼ材料費だろう。最もいいものも一つ六ユーロなので、商売として売っているのではないようだ。

 ふーん。よくわからないけれど、とにかく買って帰ろう。

 トレイシーが身につけるように、一番高い一つ入りのものを一つ、それから彼女が他の人にプレゼントできるように大入袋を一つ買った。それに、信じていないのにどうかと思うが、試しに十個入りのものを自分用に買った。これはトレイシーから預かった金額ではなく、自分のお財布から出したつもりで。

 
* * *

 
 こんな踏んだり蹴ったりの旅は生まれて初めて。ケイトは心底腹を立ててシャルルドゴール空港のベンチにうずくまった。ケチがつき始めたのは、ボン・マルシェに行った水曜日からだ。

 ホテルに戻るとフロントの感じの悪い男に「さっさとチェックアウトしろ」と言われた。金曜日まで六泊する予約だから今日チェックアウトするはずはないと答えると、予約は三泊だけで昨夜までだという。

 そんなはずがあるかと予約確認書を見たら、どういうわけか本当に三泊分だけだった。慌ててインターネットで探してなんとか残りの三泊分の宿を確保したが、少し郊外で足の便が悪かった。そのせいで帰りの空港行きバスに乗り遅れた。

 次のバスで空港に向かうと、飛行機には乗れないという。まだチェックインは締め切っていないのになぜと問いただすと、ダブルブッキングでもう席がないという。次の便に代わりの席を用意してくれるというが、それでは乗り継ぎ便に間に合わなくなり、最終的には八時間も遅れることになった。

「はあ。本当に腹がたつ。こっちで八時間遅れるなら、まだパリ観光ができるのに」
ケイトは、使い切ろうと買い物をしてしまったために残り少ないユーロで、バゲットサンドイッチとオレンジジュースを買い、ゲート前のベンチで食べた。

 財布の中は、わずかなコインと、水曜日に買って財布に突っ込んだ『奇跡を起こすメダイ』だけが虚しい音を立てていた。
「そういえば、これを買いに行ったっけ。奇跡が起こるって言われたけれど、反対じゃない。礼拝堂に行かずにこれだけ買いに行ったのがいけなかったのかしら」
サンドイッチをかじりながら、ケイトはメダイをながめて首をかしげた。

「失礼。この席は空いていますか」
その声に振り向くと、スーツを着た小柄な男が立っていた。周りを見回すと、確かにもう空いているベンチはほとんどなく、ケイトは隣の席に置いていた彼女の手荷物を足ものとに置き直して「どうぞ」と言った。

 男は「ありがとう」と言って腰かけた。それからケイトの手元のメダイを見て話しかけた。
「カトリックですか」

「え。いいえ。母方の祖母はカトリックでしたが、私はプロテスタントで洗礼を受けています。もっとも、大人になってからは冠婚葬祭以外では一度も教会に行っていないかも。これは、友人に頼まれて買いに行ったついでに、つい自分用に買ってしまっただけ」
「どこで?」
「『奇跡のメダイのノートルダム教会』よ。他にもあるの?」

 男は身を乗り出してきた。
「ええ。同じデザインのものはあちこちの教会で売っています。けれど、いわゆる『奇跡を起こすメダイ』は、その教会で買ったものだけなんです。通信販売などはなく、しかもプレゼントは構わないが転売は禁止されていて、インターネットなどで売っているものでは奇跡は期待できないんです。では、あなたは本物を買われたんですね。羨ましい」

「あなたはカトリック? これを買いそびれたの?」
そうケイトが訊くと、男は頷いた。
「ええ。こちらにはビジネスで来て、昨日、やっと時間が空いたので買いに行ったんですが、教会が見つからなくて探している間に売店が閉まってしまったんですよ。闘病している母に頼まれたんですが、買えなくて残念です」

 ケイトは、それを聞くとカバンからビニール袋を取り出した。十個もいらないと思っていたところだったから。中から五個とりだすと、男に渡した。「どうぞ」

「え。そんなつもりではなかったんですが、本当にいいんですか? お支払いしますが、おいくらでしょうか」
「転売すると効果がなくなるんでしょう? 大した値段じゃなかったし、プレゼントするわ。お母さん、早く治るといいわね」

 男は、「ありがとう」と言って頭を下げた。
「お礼にご馳走させていただけませんか。目的地はニューヨークですか? それともどこかへ乗り継ぎですか?」

「ロサンゼルスまで行かなくちゃいけないの。実は、前の便にオーバーブッキングで乗れなくて、ニューヨークで四時間も待たなくちゃいけないの」

「でしたら、空港の近くのおいしいレストランにご案内しましょう。空港内よりもおいしいものが食べられますし」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく」

「僕は、ブライアン・スミスと言います」
「私は、ケイト・アンダーソンよ。よろしく」

 搭乗の案内が始まった。ファーストクラスとビジネスクラスから先にと言われ、ケイトはブライアンが立ち上がったのを座ったまま見送った。
「エコノミーなんですか?」
「ええ」

「ちょっと待ってください」
ブライアンは、カウンターに行くと何かを係員と話してからケイトに来るように合図した。なんだろう?

 ケイトがカウンターに行くと、係員が彼女の搭乗券の提示を求めた。
「こちらのスミスさまのマイレージで、ビジネスクラスにアップグレードをいたしますね」
「え? そんな、悪いです」
「いいんですよ。どっちにしても、マイレージは使い切れないんですから」

 係員の計らいで、ブライアンの隣の席にしてもらい、ニューヨークまでのフライトで彼とずっと話すことになった。話は面白いし、感じのいい人だ。

 話しているうちに、彼は健康食品の販売で有名な会社の重役であることがわかった。ふ~ん。道理でマイレージを捨てちゃってもなんでもないわけだ。ケイトはちらりと彼の上質なスーツを眺めた。若いのにすごいなあ。エリートってやつかあ。パリに遊びに行くのに五年も旅費を貯めなくてはならないケイトとは、随分と違う世界に住んでいる。

「ロサンゼルス市内にお住まいなんですか? 実は、今度の土曜日にロスの母の家に行く予定なんですよ。もしお時間があったら一緒にいかがですか。メダイを譲ってくれたご本人に母は会いたがるはずですから」
ブライアンはニコニコと笑いかけた。

 ええっ。これっきり二度と会わないはずだと思っていたけれど、この人そうじゃないの? いやいや、失礼な想像をしちゃダメよね。こんなにお金持ちで有能そうで性格も良さげな人は、放っておいても女性が群がるだろうし。まあ、ものすごくかっこいいってわけじゃないけれど……。

「ええと。その日は、私もトレイシーに会ってメダイを渡す予定なんです。彼女は今月いっぱいUCLAのリハビリ科にいて、そこなら我が家からそんなに遠くないし、それに彼女はこれを待っていると思うので……」

 その後でもいいなら、という前にブライアンは身を乗り出してきた。
「UCLAメディカル・センター? トレイシーさんはそこに入院しているんですね。なんて奇遇なんだろう」

 あ。トレイシーのお見舞いにも行くのね。ま、そうだろうなぁ。それじゃ、きっと彼女に夢中になるな。男性は、みんなトレイシーみたいな美人が好きだし、ましてや入院中の儚い感じは破壊力抜群だもん。よけいな期待しないでよかった。うんうん。

 ケイトは、変に安心して、自分の幸運の取り分を大いに楽しむことにした。すなわち、このビジネスクラスのフライトと、ニューヨークのレストランでの豪勢なランチだ。五個全て足しても五ユーロに満たないメダルと引き換えのラッキーとしては、奇跡とまではいかないけれど十分お釣りがくるだろう。ホテルを追い出されたことやフライトの遅れを差し引いても。

 ブライアンが連れて行ってくれたのは、予想に反して高価そうに見えないイタリア・レストランだったが、何もかも信じられないくらいおいしかった。食事がまずいことで有名な空港界隈にこんなにおいしいレストランがあるなんて。さほど値もはりそうになかったので、ケイトは安心して食べたいものをオーダーした。おいしいワインに、もちろん終わりのドルチェまで。もっともその食事で一番よかったのは、ブライアンとの楽しくて興味深い会話だった。

* * *


「ケイト! 奇跡をありがとう」
土曜日に、約束通りにメディカル・センターへ行くと、トレイシーが待ち構えていた。

「トレイシー。私があれをちゃんと買えたって、どうしてわかるのよ」
ケイトは笑いながら、『奇跡を起こすメダイ』を鞄から取り出してトレイシーの透き通るように白い手のひらに置いた。

「だって、スミスさんが全部話してくれたもの。そしてね。私たち、おかげで婚約したの!」
トレイシーの発言に、ケイトはずっこけた。いくらなんでも展開が早すぎる。

「え? も、もう?」
「ふふ。私たち、ずっとお互いにいいなって思っていたのよ。でも、ケイトの冒険のおかげで、月曜日からずっと個人的に話をすることになって……」

 えっ、月曜日? ケイトは首を傾げた。
「ミスター・スミスったら、そんなにすぐにここに来たの?」

 トレイシーは、きょとんとしてから、笑い出した。
「ごめんなさい。説明不足だったわね。私の言っているのは、あなたが出会ったブライアン・スミスさんの弟のダニーのことよ。ここで療法士をしているの。そもそも、あの『奇跡を起こすメダイ』のことを教えてくれたのもダニーなの。あなたとお兄さんがバリで知り合って、しかもメダイを譲ってもらったと聞いて、翌日に興奮して話に来たのよ。それがきっかけで、私たち、お互いにいいなと思っていたことがわかって」

 ケイトは、なるほど、と思った。婚約したのは弟さんか。ケイトはうっとりするトレイシーのますます綺麗な横顔を眺めた。
「今週に入ってから、私の回復のめざましさに、先生たちも驚いているわよ。やはり『奇跡を起こすメダイ』なのね。ケイト、本当にありがとう」
いや、それはメダイのおかげというか、愛の力なんじゃ……。そういう無粋なことは、この際言わないほうがいいのかな。

「で。ミスター・ブライアン・スミスは、お見舞いに来たの?」
「いいえ。でも、昨日ダニーがあなたの来る時間を訊いてきたの。きっとブライアンはもうじき来るでしょうね。あなたにしては、妙に首尾よく彼を夢中にさせちゃったのね、ケイト」

 ええっ? なんの冗談?
「それはないと思うわよ。もう二度と会わないと思って、ガサツに食べて飲んじゃったし」

 トレイシーはウィンクをした。
「ダニーによると、彼はあなたのことを周りに全然いなかったナチュラルなタイプで、とても氣になるって言っていたんですって。そもそもあなた、新しい出会いなんて全然ないってこぼしていたじゃない。これもメダイの奇跡かもしれないわよ」

 あんなに真面目に祈っている人たちの信じているメダルで起こる奇跡が、こんなどうでもいいことのわけないじゃない! まあ、でもラッキーというのはどんな形でもうれしいけれど。

 病室の外でコツコツと靴音が近づいてきた。ノックの音が聞こえて、ケイトは、真っ赤になった。


(初出:2017年6月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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この小説で扱っている『奇跡を起こすメダイ』はこういうメダルです。(画像はWikimedia Commonsより)

Miraculous medal
By Xhienne (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons
Medal of the Immaculate Conception (aka Miraculous Medal), a medal created by Saint Catherine Labouré in response to a request from the Blessed Virgin Mary who allegedly appeared rue du Bac, Paris, in 1830. The message on the recto reads: "O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee — 1830".
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Posted by 八少女 夕

ピアチェンツァ、食の魅力

って、新作短編じゃありません。今日は、先日の休暇で出会った美味しい話。

イタリアはどこに行ってもそれぞれ自慢料理のあるところです。そして、世界が認める美味しさ。レストランの「あたり度」はスイスの比ではありません。スイスにも美味しいものはありますが、較べる相手が悪い(笑)食にかける情熱の違いは歴然です。

そして、私と連れ合いが今回廻ったピエモンテ州とエミリア=ロマーニャ州は、そのイタリアの中でもグルメの中のグルメがそろっているところです。ワイン、米、パスタ、チーズ、きのこ、狩猟肉などなど。

イタリア料理を語るときに決して外せないパルミジアーノ・レッジャーノチーズは、パルマやレッジョ・エミーリア産、世界三大ハムの一つプロシュット・ディ・パルマもパルマ産でその名前を戴いています。旅をしているときにずっと通っていたブドウ畑では、Colli Piacentini Gutturnio (赤)やColli Piacentini Ortrugo(白)などの素晴らしいワインが作られています。

これらを食べて飲まなくてどうします!

今回の旅ではいくつかのラッキーがあったのですが、そのうちの一つ。ボッビオの近くで見つけたB&B。実際の経営者が旅行中だったために、その息子さんが代わりにもてなして下さったのですが、これが僥倖以外の何物でもなかったのです。

ちなみに、ボッビオは、県都ピアチェンツァの南西にある小さな中世の街で、莫大な蔵書のある図書館があったことで有名で、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のモデルにもなりました。なんですが、車でないと行けないせいか、日本人観光客にはまだ会ったことがない街です。B&Bはそこからさらに5キロくらい離れた、村というよりは集落というような場所にあります。GPSなしではたどり着けないような場所です。州はエミリア=ロマーニャで、県がピアチェンツア、そしてそれぞれの市町村の名前があるわけですが、これ以上細かく書いてもわからないと思うので、これまで。

さて、B&Bで我々の到着を待っていてくれたサンドロさんは、普段はボッビオでバーを経営している40歳のかっこいい兄ちゃん。(なぜか日本の「タトゥー」に憧れて横浜に何ヶ月か滞在して本物の彫物師に刺青を入れてもらったそうです。遠山の金さんもびっくりのすごい刺青で、見せてもらった時はギョッとしました)

で、あっというまに連れ合いと意氣投合して、自宅から持ち出してきたビールを二人で飲みまくりました。話題は文化のことから、政治までいろいろです。そして、晩ごはんを食べようにも、田舎の山の上で、連れ合いがだらだら飲み出しちゃったから、もうどこにもいけないな、こりゃ晩ごはん抜きかと思っていたら、歩いて十分くらいのところにピッツェリアがあるというのです。それにしてもすごい山だしどうしようかとごちょごちょ相談していたら、サンドロが「なんなら今から車で一緒に行く?」というので大喜びで連れていってもらいました。

で、ピッツァを頼むのかと思ったら、「この店に来たら、ピッツァよりもオススメがある」と教えてくれたのが生パスタです。手作り生パスタというのは製造にものすごく時間がかかるので、ピアチェンツァ界隈ではもう五人ほどしかできる人がいないのだとか。その一人、九十歳のおばあちゃんが作っている生パスタです。

生マッケローニの一皿

これがその生マッケローニとポルチーニ茸の一皿。もうね。アルデンテというのはこういうことなのね、というか今まで食べていたパスタは一体なんなの、という美味しさです。例えて言うなら冷凍の伸びきったうどんしか食べたことがなかった人が、はじめて本場の讃岐うどんを口にした時のような衝撃。しっかりとコシがあるのに、固くはなくて、もちっとしていて美味しい。余分な味付けは何もしていないだけに、素材の美味しさがぐぐっとひきたっていました。

前菜詰め合わせ

その前に、サンドロがパパッとオーダーしてくれたのが、この前菜取り合わせ。二種類のチーズスフレに、プロシュット・ディ・パルマ、コッパ、サラメッティ、プロシュット・クラテッロ。塩けが絶妙で本当に美味しいんです。

白ワインはOrtrugoというやはりピアチェンツアの二種類のワインを合わせて作ったもので、とても飲みやすいクセのないワインです。私が飲んだ白ワインの中で、おそらく上から五位以内に入る美味しさ。この組み合わせを、ボッビオへ向かう緑豊かな谷間を見ながら戸外で食べるのです。小さな村なのにレストランは満杯。近くの人たちが皆通ってきているわけです。

チョコレートムース

食後のデザートは、やはり手作りのチョコレートムース。こうなってくるとカロリーはとんでもないことになっていますが、構うものですか。こんなに美味しい体験は生涯にそうそうありませんし。

私たちだけでは絶対に味わえなかった、最高のディナー。こうした幸運も、見ず知らずの人と楽しくペラペラ喋る連れ合いのおかげでしょう。実は、このサンドロ、イタリア語しか喋らないのです。私も彼の話していることは八割がたはわかりますが、さすがに自分の言いたいことを全て表現するにはイタリア語の能力に限界があります。どうしても伝わらない分、連れ合いが通訳してくれているわけですが、「私はイタリア語わかんない」と拗ねていたらこういうラッキーにはありつけないなと思うのです。

もう何年も前になりますが、一念発起してしばらくイタリア語を独学しておいて本当に良かったと思いました。

ちなみに、サンドロ、なんどこっちが奢ると言っても、俺が招待するといってきかず。結局ご馳走になってしまいました。B&B70ユーロ、払ってもらった晩ごはんのお会計55ユーロ。翌日ワインはもらうは、連れ合いはビールを飲みまくるわ、それ大赤字じゃない……。一応、普通じゃありえない高額のチップは置いてきましたが、少し涼しくなったら高級スイスチョコでも送ろうかなと思っています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -10- マンハッタン

WEB月刊誌「Stella」参加作品「バッカスからの招待状」です。東京・大手町にある隠れ家のようなバー『Bacchus』。バーテンダー兼店主の田中佑二が迎える客たちのなんて事はない話をほぼ読み切りのような形でお届けしてます。

今回は、いつもと違って田中本人の過去に関わるストーリーになっています。前半の客・中野の視点と後半の常連・夏木の視点からは、どういう過去かはわからないようになっていますが、中野がマミと呼んでいる女性(本名・伊藤紀代子)と田中の過去について詳細を知りたい方は、「いつかは寄ってね」という掌編を覗いてみてください。


月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 連載小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


「バッカスからの招待状」をはじめから読む「バッカスからの招待状」をはじめからまとめて読む
「いつかは寄ってね」をはじめから読む「いつかは寄ってね」をはじめからまとめて読む




バッカスからの招待状 -10- 
マンハッタン


「東京に行くなら、寄ってほしいところがあるの」
彼女はそう言った。

 理由を訊いても答えてくれないのはいつもと同じだ。彼女の秘密主義には慣れていた。出会ってから十七年、一緒に暮らして九年経つが、それは変わらない。

 中野は背筋を伸ばして歩いた。大手町のビル街。五年ぶりに訪れた日本だったが、少なくともアメリカに移住した十八年前以降、大手町に来た記憶はないので、おそらく二十年以上はこの界隈には足を踏み入れていないだろう。東京駅の様相がずいぶんと変わってしまったのにも驚いた。

 こんなに様変わりした街なら、彼女が言っていたバーはもうないかもしれないと思っていた。だが、少なくともそのビルは建て替えたりしていないらしく、その地下にバーがあるかどうかははっきりしないが、とにかく中に入ってみた。そして、言われていなければ見落とすほどの小さな紫のサインをみつけた。白い小さな文字が浮かび上がっている。『Bacchus』と。

 さて。まだなくなっていなかったら、入って酒を飲んで来いとだけ言われたが、一体どんな店なのだろう。

* * *


 入口が開いた。入ってきた客と、ちょうど目の合った夏木は、おや、と思った。中年のきちんとした紳士だが、佇まいにどことなく違和感がある。顔はアジア人だが、外国人だろうか。

 店主でありバーテンダーでもある田中がいつものように穏やかに迎えた。
「いらっしゃいませ。カウンターと奥のお席、どちらがよろしいですか」

 田中が名前を呼ばないという事は、一見の客なのだろう。珍しい。この店は、なかなか見つけにくい場所にあり、新しい客の大半は、常連が連れてきて紹介するのだ。必然とほとんどの客の名前を一人で店を切り盛りしている田中が憶える事になる。夏木のように入り浸っていると、やはり、ほとんどの常連の名前を知る事になってしまう。

「一人ですから、カウンターでお願いします」
その日本語は、ごく普通のものだったので、夏木は外国人ではなかったのかと思った。なにが日本人と違うと思ったのかと考えると、姿勢と歩き方だった。

 おしぼりを受け取ると、その客は「ありがとう」とはっきりと口にした。その動作、答え方もどことなく慣れているものと違う。外国暮らしが長いのかもしれない。

 その客は、店を見回し、それから田中に訊いた。
「この店、随分昔からあるんですか」

「はい。来年、開業二十五周年を迎える予定です。途中で数回、手を入れましたしましたが、基本的にはほとんど変わっていません。どなたからかご紹介でしょうか」

 彼は頷いた。
「パートナーが、東京に行くならこの店に行けと。彼女も少なくとも十七年は日本を離れているので、店がまだあるかどうかわからないと言っていました。変わらずにあったよと伝える事ができますね」

「外国にお住まいですか」
「ええ。ニューヨークに住んでいます」

 夏木は、田中の表情が一瞬強張ったのを見た。彼は、しかし、すぐにまた手を動かして、メニューを男に渡した。
「……その頃の女性のお客様で、アメリカですか。メニューをどうぞ。なにをお飲みになりますか」

 おや。紹介者のこと、これ以上、訊かないんだろうか。夏木は首を傾げた。

 男はメニューを広げて、各種の酒やカクテルが並んでいるのを見た。それから、顔を上げて自分を見ている夏木と目を合わせた。そして、笑って訊いた。
「ここでは、なにかお奨めはありますか?」

 夏木は肩をすくめた。彼は、アルコールを受け付けない体質で、酒は飲めないからだ。
「ここ、ワインやウイスキーなども揃ってますが、田中さんの作るカクテルは評判いいですよ。僕はお酒は弱いので、いつもノンアルコール・カクテルを作ってもらっています」

 男は頷くと、「じゃあ、僕もカクテルを」と言ってそのページを開いた。
「ああ、『カクテルの女王』があるぞ。僕の住んでいる街に因んで、これをお願いします」

 田中は頷いた。
「マンハッタンですね。かしこまりました。ライ・ウィスキー、カナディアン・ウイスキーのどちらになさいますか。バーボンや他のウイスキーでもできますが」

 彼は少し考えてから言った。
「バーボンで作っていただけませんか。そう言えば、彼女はいつもそうやって飲んでいたので」

 田中は、「そうですか」と小さく言うと、「かしこまりました」と言って後の棚からフォア・ローゼスを手にとった。他にもバーボンはあり、こういう状況では必ず確認する田中がその瓶を手にした事を夏木は彼らしくないなと思った。

「バーボンを使うなら、『バーボン・マンハッタン』と言わなくてはならないと言う方もあるそうですね。実を言うと、僕にはそこまで味の違いはわからないんですよ。彼女はいつも、そのフォア・ローゼスで作ってほしいとバーテンダーに頼んでいますね。もしかして、この店で憶えたのかな」

 田中は、何も言わずに、バーボン、ノイリー・プラット スイート、アンゴスチュラ・ビターズ をミキシング・グラスに入れてかき混ぜた。カクテル・グラスに注いで、マラスキーノ・チェリーを飾った。

 それから、いつものように丁寧な手つきで、男の前に置いた。
「どうぞ」

「さすがですね。彼女はいつもノイリー・プラットにしろと注文して、時おり誇り高いバーテンダーともめているんです。これはあなたのオリジナルなんですか?」
男は満足そうに頷くと、夏木に向けて少しグラスを持ち上げると飲んだ。

 田中は首を振った。
「いいえ。特にご指定がなければスイート・ベルモットはクセの少ないチンザノを使います。ただ、十五年以上前にこの店で、フォア・ローゼスのマンハッタンをご所望なさり、ずっとお見えになっていらっしゃらない方は一人しか思い当たりませんので、こちらのレシピでお作りしました」

「マミを憶えていらっしゃるんですね。僕はニューヨークで彼女と知り合ったので、日本にいたときの彼女のことは何も知らないです。彼女も全く昔の事は話したがらないので」
男は、ニコニコと笑いながら言った。

 田中は、少し間をあけてから答えた。
「大変失礼ながら、お名前は憶えておりません。そのお客様は、妹さんとご一緒によくいまそちらの夏木さんがお掛けになっていらっしゃる席にお掛けになっていらっしゃいました」

 夏木は、また「おや」と思った。二度目や三度目には必ず名前で呼んでくれる田中が、マンハッタンのように強い酒を頼み、しかも変わった注文をする常連の名前を憶えていないなんて事があるだろうか。

「ニューヨークに戻ったら、彼女に報告しよう。お店がまだちゃんと有っただけでなく、田中さんが憶えていてくれて、こだわりのマンハッタンを出してくれたってね」
「お元氣でいらっしゃると伺い、嬉しいです。どうぞ奥様に、よろしくお伝えください」

 その男は、上機嫌で帰って行った。夏木は、田中に訊いた。
「すごいですね。そんな昔の注文をよく憶えているものだ」

 田中は、少し遠い目をして答えた。
「先ほど、バーボンを使うなら、『バーボン・マンハッタン』と言わなくてはならないという人もいると、あの方はおっしゃっていたでしょう。あれを私も言ったんですよ。私もまだ若くて、頭でっかちでしたから」

「へえ?」
「レシピは、あくまで基本です。お客様にはそれぞれの好みがあります。好みに合わせてその方にとって一番おいしいカクテルを作るのが私の仕事であって、自分の知識を押し付ける必要はないのです。その事を教えてくださったのが、その方でした」

 それなのに、名前を憶えていない? そこまで考えてから、夏木ははっと思い当たった。

 僕の座る席って、例の『でおにゅそす』涼子さんも二十年以上前によく座っていたって……。もしかして、さっきの人の奥さんって、あの涼子さんのお姉さんなんじゃないか? 

 待てよ、田中さんは彼女の事を「涼ちゃん」と呼んでいた。それなのに、そのお姉さんの名前を知らないなんてありえない。ということは、田中さんは、もしかして誰だかわかっていて知らないフリをしていたんじゃ……。

 田中は、フォア・ローゼスとノイリー・プラットの瓶を棚に戻してから、振り向くと言った。
「夏木さん、『でおにゅそす』にいらっしゃったとおっしゃいましたよね」

「はい。この間、すみれさんと一緒に行きました。和風の飲み屋に一人で入るのは敷居が高いというので。素敵なお店でしたよ。田中さんにもいらしてほしいとおっしゃっていました」
「お互いに時間がなかなか合いませんので。ところで、近いうちに、またいらっしゃるご予定はありますか?」
「ああ、実は、今度の金曜日に行く予定なんです。近藤さんが僕たちが言った話を聞いて行きたかったと言うので」

 それを聞くと、田中は頷いて名刺を取り出してペンを走らせた。
「それでは、これを彼女に渡していただけませんか」

 夏木は、「わかりました」と言ってそれを受け取った。文字が上になっていたので、内容が読めた。

「涼ちゃん。今日、君のお姉さんのご主人と思われる方がいらしたよ。彼女が日本を離れた仔細をご存じないようだったので、細かい事は何も訊かなかったが、今はニューヨークで幸せに暮らしているようだった。田中佑二」

 お姉さんが、ニューヨークに住んでいる事を、涼子さんは知らないってことかな? 夏木は、田中の顔を見て、仔細を訊くべきか考えた。田中は、微笑んで「お願いします」と言った。それは、これ以上は触れないでほしいという意味に聞こえたので、その通りにする事にした。

 夏木は名詞を大事に自分の名刺入れに挟むと、頷いた。少なくとも酔っぱらって、これを渡す事を忘れてしまう事だけはない。飲めない体質も悪くないなと思った。

 お礼の代わりにと田中がごちそうしてくれるというので、彼は一番好きなサマー・デライトを注文した。

マンハッタン(Manhattan)
標準的なレシピ
ライ・ウイスキー、バーボン・ウイスキーまたはカナディアン・ウイスキー 2
スイート・ベルモット 1
アンゴスチュラ・ビターズ 数滴

作成方法: 
材料をミキシング・グラスに入れてステアする。
カクテル・グラスに注いでマラスキーノ・チェリーを飾る。




(初出:2017年6月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

北イタリアの夏

短い休暇を満喫してきました。750ccのバイクにタンデムで北イタリアを数カ所巡ってきました。

最初にマッジョーレ湖のリゾート、ピエモンテ州のストレーザで二泊。かつてのボッロメオ家の栄華を今に物語るボッロメオ三島の玄関口になっている街です。ここにはすでに10回くらい行っていて、いつも泊まるホテルの一家とも仲良しになっています。

「夜のサーカス」や「ヴィラ・エミーリオの落日」などの小説のインスピレーションを得たのもここなのですね。

それから、アペニン山脈のドライブをするためにピアチェンツァへ移動しました。滞在したのは、やはりすでに滞在したことのあるカステル・アルクアトとボッビオというともに中世の街です。今回は両方ともB&Bに滞在したのですが、どちらも予想外に興味深い宿でした。Booking.comで見つけたんですけれど、どちらも大きなツアー会社経由では絶対に泊まれないような特別な体験でした。詳しくはいずれまた。

あ、ボッビオやバルディ、ビゴレーノなどのアペニン山脈の小さな町は「夜のサーカス」や「森の詩 Cantum Silvae」それに「ピアチェンツァ、古城の幽霊」などいろいろな小説のインスピレーションのもとになっています。

B&Bのわんこたち

こちらの二頭の犬は、ボッビオに近い方のB&Bのところで飼われていました。どういうわけだか好かれてしまって嬉しかったな。洋服は毛だらけになりましたが(笑)

マッジョーレ湖遠景

真っ青なマッジョーレ湖。とても印象的でもっと眺めていたかったのですが、この写真を撮ったあたりでバイクが急に不調になりました。エンジンがかからなくなると困るので、そのままスイスの我が家に直行することに。食事も休憩もせずにとばしてきたのでちょっと疲れましたが、予定より半日も早く家にたどり着き、夕方からはゆっくりとしています。

それにしても北イタリアは暑かったです。38度くらいありました。そして、夜も暑くて、さらに蚊にも悩まされました。今夜は涼しくて、蚊もいない、快適な夜を過ごせそうです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 3 -

「郷愁の丘(5)朝焼けの家」、三回に切った最終部分です。少し長くなってしまいましたが、四回に分けるほどの量ではなかったので、このまま行きます。

今回書いたうち写真集に関する部分は、前作を読まれた方には重複になるかと思いますが、前作を読んでいな方へのダイジェストとして書き加えました。

また、後半部分では、グレッグがモテない理由がいくつかでてきます。生真面目で堅いだけが理由ではないんですね。とくに七時間の件は、やったら大抵の女の子は怒って去りますって。悪氣は全くないんですけれど。ジョルジアは、ぜんぜんへっちゃらでしたが。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 3 -

 明らかにきちんと仕事をしていないにもかかわらず、アマンダが帰ってしまったので、ジョルジアは余計なこととは思ったが、彼女の感覚での「ちゃんとした掃除」をしてから道具をしまい、また読書に戻った。

 グレッグは、その間一度も出てこなかった。それどころか昼の時間を過ぎて、ジョルジアが愛犬ルーシーとひとしきり遊んだ後になっても。

 裏庭には建物のすぐ近くに二本の大きなガーデニアの樹があって、優しい木陰を作っていた。その間にはキャンバス地のハンモックが吊るされていて、グレッグは時おりそこで昼寝をするのだと言っていた。何時でも自由に使ってくれと言われたのを思い出したジョルジアは、その上で読書の続きをしたり、しばらくうとうとしたりしなから、時おり鍋の様子を見てのんびりと時間を過ごした。

 その間、たくさんの野鳥たちがテラスを訪れた。黄色、赤、青、目の周りに模様のある鳥や、尾の長い鳥もいた。さらには宝石のように金属的な照りのある青い鳥がやってきて、ジョルジアは一人歓声を上げた。ルーシーは嬉しそうに尻尾を振った。

 インターネットはなかった。電話もなかった。今どき見かけないような古風なテレビやラジオもあったが、その日は電波が弱いらしくて使い物にならなかった。台所の窓のあたりにくるとiPhoneでメールチェックをする事は可能だったが、インターネットを快適に見られるほどではなかった。昨夜ジョルジアがしたメールチェックをグレッグが意外そうに見ていたのがおかしかった。

「そうか。この位置ならデータ通信が出来るのか。僕は携帯電話しか使わないし、そちらはほとんど問題ないのだけれど、前にマディがここはメールチェックも出来ないと憤慨していたんだ」

「Eメールがないと困らない?」
ジョルジアは訊いた。

「週に一度は講義で大学に行くので、その時に通信しているよ。僕がその頻度でしかメールチェックをしないので、急ぎの人は携帯電話かSMSで連絡してくる。でも、ここでもメールチェックが出来るなら、いずれはスマートフォンに変えた方がいいかな」
グレッグは肩をすくめた。

「どうかしら。メールに追われずに済むのって、現代社会では特権みたいなものだから、このままでもいいのかもしれないわよ」
その自分の言葉を思い出したジョルジアは、笑ってエアプレーンモードに切り替えた。

 こんなに「何もせずに過ごした」のは何年ぶりだろう。ジョルジアは、そのつもりがなくても自分はニューヨーク式の秒刻みの生活に慣れすぎていたのだと思った。いろいろな写真のアイデアが頭の中を通り過ぎていく。必要だったのは、別の物を見ることではなかった。外部からの刺激を減らしてアイデアが自由に行き交うスペースを確保することだったのだ。

 彼女は、最終段階にきている新しい写真集の事を考えた。

 一年半前の十一月、ニューヨークのウッドローン墓地で起こった事が始まりだった。それはとある追悼詩に使う墓石の写真を撮る仕事で、普段は使っていなかったILFORD PAN Fのモノクロフィルムを入れたライカを構えていた。その時に偶然視界に入ってきた男の佇まいに、彼女は衝撃を受けた。そして、氣がついたら夢中でシャッターを切っていた。彼女は、それをきっかけにモノクロームで人物像を撮りはじめた。

 彼女がそのまま恋に落ちてしまった知り合ってもいない男、彼女を愛し導いてくれる兄や妹、よく行くダイナーのウェイトレスで今や最良の友になったキャシー、誰よりも親しい同僚であるベンジャミン、そして、その他に少しずつ勇氣を出して向き合い撮らせてもらった幾人かの知り合いたち。どの写真にも映っていたのは、人生の陰影だった。モデルとなった人びとの陰影であると同時に、それはジョルジア自身の心の襞でもあった。彼女が選び取った瞬間、彼女が見つけた光と影。

 この旅が終わった後に編集会議があり、これまで撮った中から新しい写真集で使う写真を選ぶことになっている。彼女が考えているどの写真にも自負があり、意味がある。けれども、何かが足りなかった。彼女の中で、誰かが訴えかけている。一番大切な私をお前は忘れている。もしくは、蓋をしてみなかった事にしようとしていると。ニューヨークでは、それが何だか彼女には皆目分からなかった。ここ《郷愁の丘》でもまだわからない。だが、声はずっと大きく、もしくは近くで囁くように聞こえた。

* * *


 ばたんと扉が開いた音がして、まるで転がるように彼はキッチンに入ってきた。あまりの勢いだったのでジョルジアは何かあったのかと心配した。
「どうしたの?」

「え。いや、その……君を放置したまま、半日以上も……」
「ああ、そんなこと。論文は進んだ?」

 ジョルジアは、鍋の蓋を取って中を覗き込んだ。スプーンですくって味を見ると満足して火を止めた。彼は、テーブルの前に立ちすくんだ。
「その香りで、我に返ったんだ。なんて美味しそうな匂いなんだろう、お腹が空いたなって。それで、時計を見たら……」

 キッチンの隅々に夕陽の赤い光線が柔らかく入り込んでいた。ジョルジアが湧かしたお湯にスパゲティを投入するのをじっと見つめながら、彼は項垂れた。
「本当に申し訳ない。こんなに時間が経っていたなんて」

 ルーシーが、その側にやってきて慰めるようにその手を舐めた。ジョルジアは、テーブルの上にサラダボウルと取り皿を並べた。
「飲み物は、どうしたらいいかしら?」

 グレッグは、あわてて戸棚から赤ワインを取り出した。彼が栓を開け、ジョルジアは、食器棚からグラスを二つ出した。それから、二人でテーブルに向かい合った。

「夢中になって時間を忘れてしまうこと、私にもよくあるの。アリゾナで脱水症状を起こしかけたこともあったわ。ほんの半時間くらいのつもりだったのに、四時間も撮っていたの」
「それは大変だったね。でも、今回はもっとひどいよ。こんな何もない所に君を七時間も放置したなんて」

 ジョルジアは、微笑んだ。
「ルーシーと遊んだし、あのハンモックの上で持ってきた小説を読み終えたのよ。それに我慢ができなくて、少し写真も撮ってしまったの。初めて来た所なのに、こんなにリラックスして楽しんだことないわ。おかげで新しい仕事のアイデアがたくさん浮かんできたのよ。それに、これも作れたし」

 ジョルジアは、アルデンテに茹で上がったスパゲティとボローニャ風ソースをスープ皿に形よく盛りつけた。渡そうとした時に、彼が黙ってこちらを見ているのに氣がついた。朝食の後、何も食べていなかったようだし空腹だろうとは思ったが、グレッグの瞳が潤んで見えるのを大丈夫かと訝った。
「具合が悪いの?」

 彼は、はっとして、それから首を振った。それからいつものようなはにかんだ表情をしてから小さな声で言った。
「君にこんな家庭的な一面があるなんて、考えたこともなかった」

 ジョルジアは、彼の前に皿を置いて答えた。
「それは食べてから判断した方がいいんじゃない? どうぞ召しあがれ」

 彼は、スパゲティを絡めたフォークを口に運ぶと、目を閉じてしばらく何も言わなかった。ジョルジアがしびれを切らして「どう?」と言いかけた時に、瞳を見せてため息をもらすように「美味しい」と言った。兄マッテオがこのパスタソースについて毎回並べる何百もの讃辞に較べると、拍子抜けするほどあっさりとした意見だったが、その口調は兄の賞賛に負けないほど深いものだったので、ジョルジアは満足した。

「どんな魔法を使ったのかい?」
彼は台所を見回した。料理は得意ではないから、最低限の調味料しか持っていない。アマンダが届けてくれた野菜も、昨日肉屋で一緒に買ったひき肉も、普段と全く同じで、特別なものは何ひとつない。訝るのも当然だった。ジョルジアは肩をすくめた。

「特になにも。ちょっと時間がかかるだけで普通のボローニャ風ソースと一緒よ。祖母に習ったの」
「イタリア系のアメリカ人は、みなこういうパスタソースを食べるのかい?」
「いいえ、そうでもないわ。みな忙しいもの。スーパーマーケットの出来合いのソースで食べる方が多いんじゃないかしら」

「君も?」
「そりゃよそで出てきたら食べるけれど、自分で作るならこうやって作るわ。家にいる日ってあるでしょう? 他のことをしながら作ればいいのよ。たくさん作って、余ったら冷凍して置くの。もっとも、兄にこれを作ったのがわかると、たいていすぐにやってきて食べちゃうんだけれど」

「お兄さんがいるのかい?」
「ええ、マンハッタンに住んでいるの。妹もいるわ。彼女はロサンゼルスに住んでいるの」
「そうか」

 彼はわずかに遠くを見るような目つきをした。ジョルジアは、彼が自分の家族のことを考えているのだと思った。
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