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Posted by 八少女 夕

わが魂のために

おやつBox

なんだかいかにも中二病的なタイトルですが。

二年くらい前に一時期、体重の増加が見過ごせないレベルになってきまして、ダイエットをした事がありました。

私は全人生を「痩せ形」で通してきたんですけれど、さすがにこの歳になるとお腹がぽっこりなってくるものなんですよ

で、「美魔女」として生きたいなどという野望はみじんも持っていないんですが、服全部を買替えなくちゃいけないというのは嫌だという身もふたもない理由で、とりあえずダイエットに励み、まずは体重が落ち、それから一年くらいかけて、お腹ぽっこりも解消してきて、真っ平らとはとても言えませんがなんとか三年前の水準に戻ったわけです。

それから、一応、毎日体重計に載り、さらには深夜のおやつを制限するなど、大したことのない努力だけは続けているわけなのです。

でも、時々は自分を甘やかすのです。

私はファッションモデルでもないし、そもそもファッションに興味もほとんどない、連れ合いも私の外見にははじめからほとんど期待しておらず、要するに健康で持っている服を引き続き着用できればいいわけで、そのために苦行をしたくはないわけです。

だからあまり厳しいダイエットルールを自らに課して、不満だらけの人生を過ごしたくないんです。

で、自分への言い訳代わりによく遣う言葉が「Für meine Seele」という言葉なんですね。直訳すると「わが魂のために」となります。「この深夜のチョコをひと口はルールを破っているんじゃないの。私の魂が欲しているの」みたいな感じで使っております。あ、これはドイツ語の慣用句とかではなくて、私が個人的に、ですよ。もちろん私だって、真面目にこんないい方をしているわけではなくて、「(苦笑)」がくっついたみたいな感じで口にするわけです。

上は、そんなひと口の「魂のお薬」の入った缶でございます。いちごみるくとか明治やグリコのチョコレートなどが入っています。

スイスチョコの最高峰!

こちらは最高に美味しいスイスチョコLäderachのチョコ。友人へのプレゼントを買ったついでに自分用に購入したものです。これでしばらく幸せに頑張れそう。

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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】絶滅危惧種

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十一弾です。

大海彩洋さんは、『ピアニスト慎一』シリーズの番外編で参加してくださいました。ありがとうございます!


彩洋さんの書いてくださった短編 『サバンナのバラード』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。年代が近い、物語を書いてきた長さが近い、ブランクがあったことも似ているなどなど「またシンクロしている!」と驚かされることの多い一方で、えらい違いもあり「ううむ、ちゃんと精進するとこれほどすごいものが書けるようになるのか」と唸らされてしまうことがとても多いのです。

今回書いていただいた作品とその本編に当たる「死と乙女」でも、私のよく書く「好きなクラッシック音楽をモチーフに」に挑戦されていらっしゃるのですが、「なんちゃってクラッシック好き」の私とまさに「えらい違い」な「これぞクラッシック音楽をモチーフにした小説!」が展開されています。

で、今回書いてくださったのは、またまた「偶然」同じモチーフ「女流写真家アフリカヘ行く」が重なった記念(?)に、彩洋さんのところの女流写真家ご一行と、うちの「郷愁の丘」チームとのコラボです。というわけで、こちらはその続きを……。

しかし! 大人の事情で「ジョルジア in アフリカ with グレッグ」は出せませんでした。出すとしたら「郷愁の丘」が終わったタイミングしかなくて、それはあまりにもネタバレなので却下。そして、せっかくゲストに来ていただいているというのに、某おっさんは、これまた大人の事情で取りつく島もない態度……orz。彩洋さん、ごめんなさい。ここで簡単にネイサンたちと仲良しになれるようなキャラに変更すると、本編のプロット大崩壊なんです。

ということで、おそらく彩洋さんの予想と大きく違い、別のもっとフレンドリーなホストで歓待させていただきました。こっちは、たぶん五分で意氣投合すると思います。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む(第1回のみ公開済み)
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
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郷愁の丘・外伝
絶滅危惧種 
——Special thanks to Oomi Sayo san


 普段はあまり意見を言わない看護師がぼそっと言った。
「どうしてわざわざシマウマを観に行くの」

 運転席で、それは当然な問いかけだなと彼は思った。アフリカのゲーム・サファリをする時に、シマウマを観るためだけに車を走らせたりする者はない。ライオンやチーターを探すついでに見たくなくても見えてしまうのが普通だからだ。

「見せてもらうのはただのシマウマじゃないんだよ。ね、スコット博士」
フランスから来た医師が彼に話しかけた。

「はい。これからお目にかけるのは、グレービー・シマウマです」
彼は後を振り返って答えた。彼の運転するランドクルーザーには、三人の客と一匹の犬が同乗している。助手席にはソマリア出身の看護師が座り、フランス人の医師と日本人の女性カメラマンは後部座席に座っている。そして、その後に踞るのは彼の愛犬であるローデシアン・リッジバック、ルーシーだ。

 ネイサン・マレ医師は、撮影をしたがるに違いない奈海が助手席に座った方がいいと主張したのだが、ルーシーがソマリア人を執拗に威嚇するので、距離を開けるためにしかたなくその配置にしたのだ。

「よくあることなんだよ」
スコット博士がソマリア人に謝っているとき、ネイサンは奈海に耳打ちした。

「なにが?」
「アフリカの番犬は、黒人にひどく吠えることが多いんだ。別にそういう教育をしているわけじゃなくても。そして、多くの黒人は番犬が苦手になる。そうすると、それを感じとる犬はもっと吠えるんだ」
「でも、ルーシー、最初は私やあなたにもずいぶん吠えていたわよ」
「まあね。番犬として優秀ってことかな」

 その説明を聞きながら彼は申しわけなさそうに言った。
「彼女は、ほぼ全ての初対面の人間にひどく吠えるんです」

「ってことは、例外的に吠えなかった人もいるってことかい?」
ネイサンが訊くと、彼は短く「ええ」とだけ答えた。

 彼自身の父親であるジェームス・スコット博士でも、その恋人であるレイチェル・ムーア博士でもなく、そして二人の娘のマディでもない。初対面の人間にひどく吠え立てるルーシーがはじめからひどく尻尾を振って懐いたのは、半年ほど前に滞在したアメリカ人女性だった。

 それは、やはり今日のようにマリンディの父親の別荘に滞在した時だった。彼の意思とは関係なく別荘に行くことになったのは今回と同じだったが、その女性は自分で招待したのだ。彼が誰かを招待したのはここ十年では彼女一人だけだった。そもそも、断られると思いながら誘ったのだが、彼女が意外にも簡単に招待に応じてくれたのだ。

 その時たまたまその場にいた旅行エージェントを営む友人リチャード・アシュレイは、彼のことを誤解したようだった。しばらく逢わないうちにすっかり社交的になったのだと。実際には、あいかわらず人間との交流を可能な限り避けている。リチャードは、半年前に彼の人生の沙漠に突然訪れた夢のような一週間のことは知らないだろう。それとも、不器用なために何の成果も手にしなかった話がすでに面白おかしく伝わっているのかもしれない。

 そもそもリチャードは、今回この三人の客を彼に紹介したわけではなかった。ホスピタリティにあふれ、時おりビジネスの範囲を大きく超えて客を歓待するリチャードは、彼に三人の客を見事に接待する能力があると思うほど楽天的ではなかった。

 そうではなくて、この別荘を実質的にいつも使っている人懐こい夫婦に、三人のもてなしを依頼したのだった。つまり、マディとその夫であるイタリア人アウレリオ・ブラスだ。

 アウレリオはオックスフォード時代から付き合いのあるリチャード・アシュレイの親友だ。彼が、リチャードを通じて性格の全く違う無口で人付き合いの下手なケニア出身の学生スコットに近づいたのは、大いなる下心があってのことだった。すなわち、一目惚れした彼の腹違いの妹と親しくなるための布石だ。

 その甲斐あって、マデリン・ムーアと首尾よく結婚したアウレリオは、今では彼の義理の弟となってケニアに移住している。そして、イタリア系住民のコミュニティのあるマリンディの別荘でバカンスを楽しむことも多かったし、親友リチャードの依頼を愛想良く受けてその友人を歓待することも好んだ。だが、愛すべきアウレリオには、大きな欠点があった。肝心な時に決してその場にいないのだ。

 今回もリチャードから紹介され、三人の客の受け入れを快諾したものの、ミラノでの商談の時間がずれ込み約束の日にケニアに戻って来ることが出来なかった。だが、別荘の本来の持ち主である義父ジェームス・スコット博士に代わりに接待をしろとは言えない。妻のマディは二人の子供を抱えていて簡単に250キロも移動できない。そこで急遽、鍵を持っているジェームスの息子であるヘンリーが呼びつけられたのだ。

「グレービー・シマウマって、普通のシマウマとどう違うの?」
日本人カメラマン奈海の声で彼は我に返った。シマウマの研究者である彼は、説明を始めた。

「グレービー・シマウマは、アフリカ全土でよく見られるサバンナシマウマ種よりも大型です。縞模様がよりはっきりしていますが、腹面には模様がありません。ケニア北部とエチオピア南部のみに生息しています」

「ずいぶん減っているんだろう?」
「はい。ワシントン条約のレッドデータでEN絶滅危惧種に指定されています。1970年代には15000頭ほどいたのですが、現在およそ2300頭ほどしか残っていません」

 奈海は驚いた声を出した。
「そんなに減ってしまったの? どうして?」
「縞模様が格別にきれいで、毛皮のために乱獲されたんです。そして、家畜と水飲み場が重なったためにたくさん殺されました」

「今は保護されているんだろう?」
「ええ、捕獲や殺戮は禁止されていますしワシントン条約で保護されたためにここ数年の生息数は安定しています。でも、エチオピアが建設を予定している大型ダムが完成するとトゥルカナ湖の水位が大きく下がると予想されています。それで再び危機的な状況になると今から危惧されています」

 ランドクルーザーは、アラワレ国立自然保護区に入ってから、ゆっくりと進んでいた。マリンディから130キロしか離れていないと聞いていたので、すぐに到着して簡単にシマウマが見られると思っていたが、すでに三時間が経っていて、いまだにヌーやトムソン・ガゼルなどしか目にしていなかった。

「ほら、いました」
彼は、言った。
「あ、本当ね」
ソマリア人が答えた。

「え? どこに?」
奈海は後部座席から目を凝らした。彼女にはシマウマの姿は見えていない。ネイサンが笑った。
「都会の人間には、まだ見えないよ」
「え?」
「サバンナに暮らす人間は視力が6.0なんてこともあるらしいよ。遠くを見慣れているからだろうな。十分くらいしたら君や僕にも見えてくるさ」

 本当に十分以上してから、奈海にもシマウマが見えてきた。彼は生態や特徴などについて丁寧に説明してくれるが、奈海が満足する写真を撮れるほどには近づいてくれない。窓を開けてカメラを構えるがこの距離では満足のいくアングルにならない。

「もう少し車を近づけていただけませんか」
「これが限界です。これ以上近づくことは許可されていません。向こうから近づいてくればいいのですが」

「でも、周りには誰もいないし、僕たちはシマウマにとって危険じゃないから、いいだろう」
ネイサンは、奈海のために頼んだ。
「車で近づくのがダメなら、私、降りて歩いてもいいわ」

「近づくのも降りるのも不可です。彼らをストレスに晒すことになりますから。この規則は、あなたたちに問題が降り掛かるのを避けるためでもありますが、それ以上に生態系を守るためにあるんです」

 警戒心の強いシマウマたちは、どれだけ待っていても近づいてこなかった。やがて彼は時計を見て言った。
「申しわけありませんが、時間切れです。もう帰らないと」

「まだ陽も高いし、少しスピードあげて戻ればいいんだし、あと一時間くらいはいいだろう? まだ彼女が撮りたいような写真は撮れていないんだ」
ネイサンがまた奈海のために頼んだが、彼は首を振った。

「この保護区内では時速40キロ以上を出すことは禁じられているんです。そして、夕方六時までに保護区の外に出ないと」

 これまでのサファリで、こんなに融通の利かない事を言われたことはなかったので、ネイサンと奈海は顔を見合わせた。頼んでも無理だということは彼の口調からわかったので、大人しく引き下がった。

 出かける前にパリに電話をかけていて出発が遅くなったことが悔やまれた。そう言ってくれれば、電話は帰ってからにしたのに。奈海は名残惜しい想いで遠ざかるグレービー・シマウマの群れを振り返った。

* * *


「ヘンリー!」
マリンディに戻ると、アウレリオと二人の子供たちと一緒に到着したマディが待ち構えていた。夫が三人の客たちに無礼を詫びつつ、リビングで賑やかに歓待している間、彼女は彼を台所に連れて行った。

「私たちの到着が遅くなって、三人の世話をあなたにさせたのは悪かったわ。でも、ヘンリー、あなた、まさかお客様にあれを食べさせたわけ?!」
彼女は、流しの側に置いてあるコンビーフの空き缶を指差した。

 彼は肩をすくめた。
「僕にフルコースが作れると思っていたのかい」
「思っていないけれど、いくらなんでも!」

 彼は首を振った。
「心配しなくても、焼きコンビーフを食べさせたわけじゃないよ。そうしようかと思っていたら、見かねたマレ先生があれとジャガイモでちゃんとした料理を作ってくれた」
「あきれた。マレ先生に料理させちゃったのね」

「だから、今夜は、まともに歓待してやってくれ。僕は、帰るから」
「食べていかないの?」
「今から帰れば、明日の朝の調査が出来る。それに、僕がここにいても場は盛り上がらないから」

 マディは、居間にいる四人と子供たちがすっかり打ち解けて楽しい笑い声を上げているのを耳にした。そして、打ち解けにくい腹違いの兄との時間で三人が居たたまれない思いをしたのではないかと考えた。ヘンリーは決して悪い人ではない。ないんだけど……。

「そんなことないわ。それにあの日本女性、写真家だし、弾む話もあるんじゃないの?」
マディは、含みのあるいい方をしたが、彼は乗ってこなかった。

 彼女は続けた。
「彼女と連絡取り続けているんでしょう? 行くって聞いたわよ、来月ニューヨークに」
「どういう意味だ」
「ママがあなたも行くって。あなたが海外の学会に行くなんて、珍しいことだもの。ミズ・カペッリに会うんでしょう?」

 彼は首を振った。
「ニューヨーク学会に行くのは、レイチェルがスポンサーに紹介してくれるからだ。もしかしたら援助してもらえるかもしれないから。ミズ・カペッリは忙しいだろうし、押し掛けたら迷惑だから連絡していない」

「どうして?! せっかく再会できるチャンスなのに、この間、ずいぶん仲良くなったじゃないの」
マディは、よけいなおせっかいとわかっていながら言い募った。

 彼は、答えずに彼女の瞳を見つめ返した。暗い後ろ向きな光だった。彼女は、よけいな事を言ったことを後悔した。上手くいっていたと思っていたのに……。

 彼は、「じゃあ、これで」と言うと表で待つルーシーを連れて車に乗り込み去っていった。

 人付き合いが下手な上、父親ともほとんど没交渉の彼のことを、マディと母親のレイチェルはいつも氣にかけていた。クリスマスや復活祭の食卓に招んだり、別荘での休暇に呼び出したり、学会でも声を掛けたり、彼が《郷愁の丘》に引きこもり続けないように心を砕いてきた。彼は、それを感謝し嫌がらずに出かけてくるが、自ら打ち解けることはまだ出来ない。

 逢ってまだ三十分も立っていないのに、もう昔からの親友のように楽しそうに語り合うアウレリオとマレ医師たちの声を聴きながら、彼女はこの世と上手くやっていけない腹違いの兄と比較してため息をついた。

 夫は彼女に近づくのに躊躇したり、迷惑だろうからと遠慮したりはしなかった。そして、それが彼女自身の幸せにつながった。だが、それをヘンリーに言っても助けにはならないだろう。彼はそういう人間ではないのだから。

 彼女は両親や兄のように動物学者ではないから、学術的なことはわからない。でも、進化論で「絶滅した種は環境に適応できなかったから」と言われているのくらいは知っている。他の生物と同じく環境に適応できないために種を保存できない人間もいるのかもしれない。

 彼女は頭を振ると、去っていった兄の愛するアメリカ人ではなく、パリから来た女流写真家と会話を楽しむべく居間へと向かった。

(初出:2017年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

ウルトラ乾燥に対抗して

ハンドクリーム

子供の頃、祖母の手がしわしわなのを見てかわいそうだなと思ったことを記憶しています。その手の甲には、シミもたくさんあって、爪も当時の私の桜色の爪と違って白っぽくってざらついていました。

それから○十年。自分の手がどちらかというと祖母のものに近づくとは。まあ、そういうものです。我が家は肝臓の弱い家系なのですが、そのせいなのか祖母は身体のあちこちにシミがあり、氣にしていました。私の年齢はまだ当時の祖母と比較するとひと回りは若いから比較は出来ないかもしれませんが、手のシミはまだ「よく見るとひとつ2つ」程度。顔にはもっとありますけれど。

もっとも、乾燥しているせいか、ザラザラしてきて「これはまずい!」と思ったので、ここしばらくちゃんとケアしています。そう、それまではほとんど何のケアもしないでいたんです。

食器は主に食洗機で洗うので、手で洗うのはそれほど多くありませんが、実は手袋をしていません。ドイツのFloschという環境に優しい洗剤を使っているのですけれど、それのおかげか洗いものではほとんど手荒れをしないんです。

でも、冬になると、やはりとんでもなく乾燥しているせいか、かなりザラザラ。それに踵の肌荒れもひどくて。

で、この冬はL'Occitaneのハンドクリームを買ってきて毎日擦り込んでいます。シアバター入りで、なかなかいい感じです。

買うときに、ミニサイズにするか、このお徳用の大きさにするか迷ったんです。かなりお高いじゃないですか。結局大きい方を買ったので、使わないままに放置せずに、毎日せっせと塗っています。使わなくなるとすぐにまた荒れてきますから、とにかくなくなるまでせっせと塗ろうと思っています。その代わり、次のはポルトに行く時に空港で小さいのがいくつか入っているお徳用セットを買うつもりでいます。

子供の頃の肌に戻るわけではないですが、「冬だ、まずい状態だ」の手が、握手しても恥ずかしくないぐらいにはなりましたよ。

それに、踵です。とんでもなく荒れていたのが、「人間の踵」になってきました。まだ「女の子の踵」って訳ではないですけれど(笑)
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Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -5 -

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十弾です。

嬉しいことに今年もココうささんが、俳句で参加してくださいました。冬と春の二句です。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

冬木立手より重なる影ありぬ  あさこ
 
春の水分かれてもまた出会ひけり  あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、以前素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっていらっしゃいましたが、現在はブログをお持ちではありません。でも、今でもこのブログを訪ねてくださり、時々、お話ししてくださるんです。実生活と違って、ブログ上でのお付き合いは連絡先を知らない限り簡単に途切れてしまいますが、こうして交流が続くこと、本当に嬉しく思います。

そして、毎年のお約束になっていますが、一年間放置した二人をココうささんの俳句で動かさせていただきました。島根県松江市で和菓子職人になったイタリア人ルドヴィコと店でバイトをしている大学生怜子のストーリーです。年に一度という寡作の割になぜか展開が早いのですが、もう五年もこのままですからね。


【参考】この話をご存じない方のために同シリーズへのリンクをつけておきます。
その色鮮やかなひと口を

「scriviamo! 2017」について
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その色鮮やかなひと口を -5 - 
Inspired from 2 Haikus by Asako-San
——Special thanks to Kokousa san


 二月だというのに、道には雪はほとんどなかった。まだ肌寒いが、枝の蕾のふくらみや、穏やかな陽の光に歌う小鳥のさえずりが、春はそう遠くないことを報せてくれる。

 怜子は、運転席に座るルドヴィコに視線を移した。さほど空間の広くないレンタカーの中で、彼の頭と天井との空間はたくさんは残っていなかった。怜子は背の高い穏やかな青年の横顔に微笑みかけた。

「どうしましたか。怜子さん」
彼は、いつも通り流暢な日本語で語りかけた。怜子は「なんでもない」と言って窓の外に視線を戻した。

 注文品を届けることがあるので、彼は仕事で運転することはあるが、プライヴェートでは一畑電鉄のバスや電車にのんびりと乗るのを好んでいた。でも、今日は、山口県との県境まで行かなくてはならず、交通の便が今ひとつなので車を借りたのだ。怜子は、彼とドライブしたことは一度くらいしかないので、妙にワクワクしていた。もっとも、怜子の両親のところに行く用事の方にもっとドキドキすべきなのだが、そちらの方はいまいちピンと来ていなかった。

 そもそもの事の起こりは、二週間ほど前だった。怜子が将来のことでルドヴィコに相談を持ちかけたのだ。

「ゼミの指導をしてくれている助教授がね。恩師が教鞭をとっている京都の大学院を受けてみないかっておっしゃるの。どうしようかなあ」
「怜子さんは文学の研究を続けたいんですか?」

「う~ん。もっと研究したら面白いとは思うけれど、将来のこともあって考えちゃう。研究職に就きたいってことではないのよね。京都に行けば京阪神の大都会で仕事をする可能性が開けるとゼミ仲間は言うけれど、大学院卒ってよほど優秀じゃないと就職先ないし」

「怜子さん、都会で仕事したいんですか」
「私、島根県から出たことないもの。このままここで就職活動したら、井の中の蛙のままになるんじゃないかなあ。それでもいいれど、先生がせっかく奨めてくれるのは自分を試すチャンスかもしれないと思って。ルドヴィコはどう思う?」

「もし、こちらで就職活動をするとしたら、どんな所に勤めたいんですか?」
「とくに決めていないよ。私は特殊技能もないし、事務職かなあ。そもそも求人があるかしら」

「『石倉六角堂』にこのまま勤めるのは嫌なんですか?」
「いや、嫌じゃないけれど、私はバイトだもの。ルドヴィコみたいに和菓子職人としての技能があれば社長も正社員として採用してくれるけれど、バイトの正社員登用なんてないと思う」

 彼は腕を組んで納得のいかない顔をしていたが、どうやら社長に打診してくれたらしい、翌日怜子は石倉夫人と社長に呼ばれた。

「怜ちゃん、ルドちゃんから聞いたんだけれど、卒業後にここで働くつもりはないの?」
石倉夫人に訊かれて怜子は驚いた。
「え。考えたことなかったです。去年、千絵さんも就職活動の時期に辞められたのを見ていたから、はじめから無理だと思っていて……」

「うちはそんなにたくさん正社員を雇えないし、一度雇ったら誰かが辞めるまでは新しく募集できないさ」
社長がいった。怜子は、ほら、そうだよね、と思いながら頷いた。

「だからね。怜ちゃんが卒業するまでは、少しキツいけれどバイトのシフトだけでなんとか凌ごうって去年、アルバイトを増員したのよ」
石倉夫人は夫の言葉を継いだ。

「え?」
怜子は、目を瞬かせて二人の顔を見た。その反応に二人は顔を見合わせた。

「ルド公は、何にも言っていないのか?」
「なにをですか?」

「困ったヤツだな」
社長はため息をもらした。それから、ばっと事務所の扉を開けると、奥の厨房にいるルドヴィコに向かって叫んだ。
「おい。ルド公! 俺から言ってしまうからな!」

 奥から「どうぞ」という彼の声が聞こえると、社長は再びドアを閉めて、また怜子の前に座った。

「実はな。一年ぐらい前から具体的に話しているんだが、数年後にもう一軒支店を増やすつもりなんだ。新しい店は義家と真弓さんに任せるつもりでいる。そうなると、こっちでメインに作ってもらうのは佐藤とルド公になるだろ。で、真弓さんの代わりに昼夜関係なく働ける正社員がもう一人いるって話になったんだよ。そうしたらルド公が、自分の嫁じゃだめなのかといったんだよ」

「え?」
「その、ルドちゃんは、怜ちゃん、あなたが卒業したらお嫁さんになってもらって一緒にここでやっていくつもりだったの。もちろん私たちは大歓迎だけれど、彼ったら何も言っていなかったのね。まさか、こんな形で私たちから告げることになるとは夢にも思わなかったわ」

 あまりに驚いて何も言えない怜子に、社長は言った。
「あいつの嫁になるかどうかは別として、もしここを辞めて県外に行くなり、他の職種に就職したいって場合は、三月までに返事をくれないか? その頃には、正社員の募集をかけなくてはならないし」

 それで、その日の仕事から上がるとすぐにルドヴィコに詰め寄った。
「ルドヴィコ、わたし何も聞いていないよ!」

 彼は、肩をすくめて言った。
「だから、近いうちに怜子さんのご両親の住む街に行こうって言ったじゃないですか。怜子さんが試験が終わってからがいいと言ったんですよ」
「うちの両親なんて、これと関係ないでしょう。……って、あれ? まさか……」
「そうですよ。『お嬢さんをください』って、ご挨拶をしないと」

「ええっ? でも、ルドヴィコ、まだ私にプロポーズしていないよ?」
「しましたよ。怜子さんOKしたでしょう」
「いつ?」
「先週、城山稲荷神社で」
「え? あ……あれ?!」

 松江城の敷地内にある城山稲荷神社は千体もの石の狐がある不思議空間だ。店からもルドヴィコの住まいからもとても近いにも関わらず、この神社に一緒に行ったのはまだ三回目だった。石段を上るのが一苦労だからだ。

 でも、その日は二人で久しぶりにお稲荷さんにお詣りして、かつて小泉八雲が愛したと言う耳の欠けた狐や幸福を運ぶ珠を持った狐を二人で探した。

「小泉八雲は通勤中にここをよく訪れたそうですよ。日本らしい幽玄な光景、当時二千体もあったお稲荷さんを見て、そして、それが全て神として信仰されているのを知り、ここは故郷とどれほど違った国なのだろうと驚いたでしょうね」
「そうだよね。私たち日本人でも、これだけ揃っているとすごいなあって思うもの。八雲、よく日本に帰化する決心がついたよね」
 
 ルドヴィコは、怜子を見つめてにっこりと笑った。彼の後にある大きな樹から木漏れ日が射していた。
「彼は、日本とその文化を深く愛していたから、この国に居たいと思ったのでしょうね。でも、二度と故郷に戻らなくてもいい、ここにずっと居ようと決心させたのはセツの存在だと僕は信じます。この人が自分にとってのたった一人の人なのだと確信して、一緒に生涯を共にしようと思った。この松江で、僕もそういう人に逢えたことを神に感謝しています」

 そう言って、彼は怜子の手を取った。
「怜子さん。僕たちも、これからこの街の四季を眺めながら、ずっと長い人生を歩いていきましょう」

 葉を落とした大きな神樹の枝の影、背の高いルドヴィコの優しい影、そして繋がれた手のひらから伝わるぬくもりで、怜子の心は大きな安心感に満たされた。きっと小泉セツも、同じような確信を持って、異国の人と生涯を添い遂げようと思ったんだろうなと理解した。
「うん。ルドヴィコ。そうなるといいね」

 そのとき、怜子は、「いずれ彼と結婚することとなるに違いない」と確信したのだ。でも、まさかあれがプロポーズそのものだったなんて!

「あんな抽象的ないい方じゃ、プロポーズされているんだかどうだかわからないよ!」
「なんですって。じゃあ、僕がどんなプロポーズをすると思っていたんですか?」
「え。花もって、膝まづいて、結婚してくださいってヤツ?」

 ルドヴィコは「そんなベタなプロポーズは今どきイタリアでもしませんよ」と、大きなため息をついた。

 そして、ようやく怜子の試験が終わったので、レンタカーで両親のもとへ行くことにしたのだ。

 ナビゲーターに誘導されて、レンタカーは小さな谷間を走っていた。人通りの少ないのどかな田園風景がどこまでも続く。ルドヴィコは、車を停めて休憩をした。

「わあ。こんなところに、かわいい小川がある」
怜子は、道の脇から覗き込んだ。まだ残っている雪が溶けて、透明な滴をぽとり、ぽとりと川に注いでいた。

 休みの日に、こうやってルドヴィコと二人でのんびりと過ごせるのは、とても自然で嬉しいことだった。そして、それはこれからの人生ずっと続くことなのだ。あたり前のようでいて、とても不思議。怜子は考えた。

「あ。来週、先生に京都の件、断らなくちゃ」
怜子が言うと、ルドヴィコは「断っていいんですか」と訊いた。

「だって、大学院で研究しても、将来には結びつかないよ。京都や大阪で就職する必要もなくなったし」
「井の中の蛙は嫌なんじゃないんですか」
そう言われると、いいんだろうかと考えてしまう。

「ルドヴィコも、イタリアから外の世界に出てみたかったの?」
怜子が訊くと、彼は彼女の方を見て笑った。
「イタリアの外じゃなくて、日本に行きたかったんですよ。夢の国でしたから。今ほど簡単に情報が手に入らなかったので、混乱しましたけれど、その分、早く行ってみたいと想いを募らせていました」

「何があると思っていたの?」
「子供の頃は、ポケモンとニンジャですよ。少し大きくなってからは伊藤若冲とドナルド・キーン」
怜子はすこしずっこけた。子供の頃と少し大きくなってからが、全然つながっていない。

「日本に到着してからは、もっとたくさんの情報に振り回されましたが、松江にたどり着いてようやく落ち着きました。日本には本当に何でもありますが、自分にとって大切なものは、自ら削ぎ取らないと見失ってしまう。日本古来の美学は、それを知るいい指針となりました」

 怜子は、そうなのかなあと思いながら、田園風景を眺めた。確かにルドヴィコと私が両方とも大阪や東京にいたら絶対に出会えていなかっただろうし、お互いのよさに氣づく時間もなかっただろう。

「お茶室を初めて見たとき、ものすごく感動しました。家具と言えるものがほとんどなくて、畳の上に亭主と自分がいる。そして、お菓子とお茶がシンプルに出てきます。円形の窓から外の世界が見える。風の音、樹々のざわめき、鹿威しの音。わずかな音が静寂を際立たせる。僕に必要だったのはこの世界なんだと思いました。たくさん詰め込むのではなくて、不要なものを極限まで削ぎ取ったところに現れる世界。実際にはわずかな空間なのに無限の広がりを感じました。僕が日本に住もうと思った瞬間でした」

「だから、和菓子職人になろうと思ったの?」
「はい。小さな一つのお菓子の中に、季節ともてなしの心が詰まっている。伝統的であるのに、独創的で新しい。これこそ僕の探していたものだと思いました」

 探していたものかあ。私はなにか探したのかな。探す前に、いつも向こうからやってきているみたいだからなあ。怜子はまた考え込んだ。

「怜子さん。京都で研究したいなら、行ってください。結婚は大学卒業後すぐでなくても構いませんし、お店で働かなくてもいいのですから」
怜子は、はっとして彼を見た。

 ルドヴィコは、深い湖のような澄んだ瞳で見ていた。
「見てください。あそこで川の水は二手に分かれています。そして、少し離れてあそこでまた一つになっている。そしてどこを通ってもいつかは同じ海に流れていくんです。怜子さんがどちらに向かおうとも進む道に間違いはありません。したいと思うことを諦めずにしてください。僕はちゃんと待てますから」

 怜子は、その時にはっきりとわかった。自分がどうしたいのか。川の水もキラキラと光りながら迷わずに海へと向かっている。彼女はしっかりとルドヴィコを見つめ返していった。
「私、卒業したらすぐに『石倉六角堂』で働く。井の中の蛙でもいい。都会には行かないし、他のことも探さない。だって、私にとって大事なことは、ここにあるんだもの」

 彼はその言葉を聞くと笑顔になった。青いきれいな瞳が優しく煌めいていた。

 怜子は、続けた。
「その代わりに、私ね、イタリア語を始めようと思うの」
「え?」
「だって、ルドヴィコの家族とも親戚になるんでしょう? 挨拶も出来ないんじゃ、困るもの」

 彼は、目を見開いてから、嬉しそうに口を大きく開けて笑った。
「では、明日から特訓してあげましょう。鉄は熱いうちに打てって言いますからね。そして、遠からず行って僕の家族に引き合わせましょう」

(初出:2017年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ミニカレーを食べた

カレー!

連れ合いがアフリカに行っているので、和食だの中華だの、好きなものを食べ放題の私です。

こういう時のためにあるのが、11月に日本から買ってきた「お宝」の数々。今回お見せするのはレトルトのカレーなんですが、ミニサイズ。お茶碗一杯にちょうどいいサイズということなんです。

カレーは好きだけれど、辛いのは苦手。でも、お子様カレーは嫌な私には、このサイズは実に都合よくて幸せなひと時でした。
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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -8- テキーラ・サンライズ

「scriviamo! 2017」の最中ですが、今日発表するのは、WEB月刊誌「Stella」参加作品「バッカスからの招待状」です。東京・大手町にある隠れ家のようなバー『Bacchus』。バーテンダー兼店主の田中佑二が迎える客たちのなんて事はない話をほぼ読み切りのような形でお届けしてます。

しばらくスペシャルバージョンが続きましたが、また田中はいつものオブザーバーに戻りました。今回の話は、ちょっと古い歌をモチーフにしたストーリーです。あの曲、ある年齢以上の皆さんは、きっとご存知ですよね(笑)


月刊・Stella ステルラ 2、3月号参加 連載小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


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バッカスからの招待状 -8- 
テキーラ・サンライズ


 その二人が入って来た時に、田中に長年酒場で働いている者の勘が働いた。険悪な顔はしていないし、会話がないわけでもなかった。だが、二人の間には不自然な空間があった。まるでお互いの間にアクリルの壁を置いているように。

 大手町のビル街にひっそりと隠れるように営業している『Bacchus』には、一見の客よりも常連の方が多い。だが、この二人に見覚えはなかった。おそらく予定していた店が満席で闇雲に歩き回って見つけたのだろう。

 店などはどうでもいいのだ。未来に大切にしたくなる思い出を作るつもりはないのだろうから。どうやって嫌な想いをせずに、不愉快な話題を終わらせることができるか、それだけに意識を集中しているのだろう。

 二人は、奥のテーブル席に座った。田中は、話が進まないうちに急いで注文を取りに行った。彼らも話を聞かれたくはないだろうから。

「カリブ海っぽい、強いカクテルありますか」
女が田中に訊くと、男は眉をひそめたが何も言わなかった。
「そうですね。テキーラ・サンライズはいかがでしょうか。赤とオレンジの日の出のように見えるカクテルです」
「それにして。氣分は日の入りだけれど……」

「僕はオールドの水割りをお願いします」
男は女のコメントへの感想も、田中との会話をも拒否するような強い調子で注文した。田中は頷いて引き下がり、注文の品とポテトチップスを入れたボウルをできるだけ急いで持っていくとその場を離れた。

* * *


 亜佐美はオレンジジュースの底に沈んでいる赤いグレナディンシロップを覗き込んだ。ゴブレットはわずかに汗をかき始めている。かき混ぜてそのきれいな層を壊すのを惜しむように、彼女はそっとストローを持ち上げてオレンジジュースだけをわずかに飲んだ。
「こうやってあなたと飲むのも今日でおしまいだね」

 和彦は、先ほど田中に見せたのと同じような不愉快な表情を一瞬見せてから、自分の苛立ちを押さえ込むようにして答えた。
「あの財務省男との結婚を決めたのは、お前だろう」

「……ごめんね。私、もう疲れちゃったんだ」
「何に?」
「あなたを信じて待ち続けることに」

 和彦は、握りこぶしに力を込めた。だが、その行為は何の解決にも結びつかなかった。
「僕が夢をあきらめても、財務省に今から入れるわけじゃない。お前に広尾の奥様ライフを約束するなんて無理だ。それどころか結婚する余裕すらない」

「私が楽な人生を選んだなんて思わないで。急に小学生の継母になるんだよ。あの子は全然懐きそうにないし、お姑さんもプライド高そうだから、大変そう」
「なぜそこまでして結婚したがるんだよ」

 亜佐美は黙り込んだ。必要とされたということが嬉しかったのかもしれない。それとも、プロポーズの件を言えば、和彦が引き止めてくれると思いたかったのかもしれない。彼は不快そうにはしたけれど引き止めなかった。

「カリブ海、行きたかったな」
「なぜ過去形にするんだ。これからだって行けるだろう」

 彼女は、瞼を閉じた。あなたと行きたかったんだよ。それに、もう憶えていないかな。まだ高校生だった頃ユーミンの『真夏の夜の夢』が大ヒットして、一緒に話したじゃない。こんな芝居がかった別れ話するわけないよねって。なのに私は、こんなに長く夢見続けたあなたとの関係にピリオドを打って、まるであの歌詞と同じような最後のデートをしているんだね。

 サンライズじゃない。サンセット。私の人生の、真夏の夜の夢はおしまい。

 二人は長くは留まらなかった。亜佐美がテキーラ・サンライズを飲み終わった頃には、水割りのグラスも空になった。そして、支払いを済ませると二人は田中の店から消えていった。

* * *


 おや。田中は意外な思いで入ってきた二人を見つめた。常連たちのように細かいことを憶えていたわけではないが、不快な様子で出て行く客はあまりいないので、印象に残っていた。おそらく二度と来ないであろうと予想していたのだが、いい意味で裏切られた。

「間違いない。この店だよな」
「そうね。6年経ってもまったく変わっていないわね」

 二人の表情はずっと穏やかになっていた。男の方には白髪が増え、カジュアルなジャケットの色合いも落ち着いていたが、以前よりも自信に満ちた様子が見て取れた。

 女の方は、6年前とは違って全身黒衣だった。落ち着いて人妻らしい振舞いになっていた。

「カウンターいいですか」
男が訊いたので田中は「どこでもお好きな席にどうぞ」と答えた。

「どうぞ」
おしぼりとメニューを渡すと、女はおしぼりだけを受け取った。

「またテキーラ・サンライズをいただくわ」
それで田中は、この二人が別れ話をしていたカップルだったと思い出した。
「僕も同じ物を」
彼もまたメニューを受け取らなかった。

「それで、いつ発つの?」 
「来週。落ち着いたら連絡先を報せるよ。メールでいいかい?」
「ええ。ドミニカ共和国かぁ。本当に和彦がカリブ海に行く夢を叶えるなんてね。医療機器会社に就職したって年賀状もらった時には諦めたんだと思っていたわ」

「理想と現実は違ってね。ODAって、場所やプロジェクトにもよりけりだけれど、政治家やゼネコンが癒着して、あっちのためになるどころか害にしかならない援助もあってさ。それで発想を変えて本音と建前が一致する民間企業の側から関わることにしたんだ」
「夢を諦めなかったあなたの粘り勝ちね。おめでとう」

「お前に振られてから、背水の陣みたいなつもりになっていたからな。それにしても驚いたな。お前の旦那が亡くなっていたなんて」

 田中はその言葉を耳にして一瞬手を止めたが、動揺を顔に出すようなことはしなかった。亜佐美は下を向いて目を伏せたが、すぐに顔を上げた。

「そろそろ半年になるの。冷たいと思うかもしれないけれど、泣いているヒマなんかなかったから、かなり早く立ち直ったわ」
「まだ若いのに、何があったんだ?」

 亜佐美は、田中がタンブラーを2つ置く間は黙っていたが、特に声のトーンを落とさずに言った。
「急性アルコール中毒。いろいろ重なったのよね。部下の女の子と遊んだつもりでいたら、リストカットされちゃってそれが表沙汰になったの。上層部はさわぐし、お姑さんともぶつかったの。それで、彼女が田舎に帰ってしまってからすこし心を病んでしまったのね」
「マジかよ」

「受験も大学も、財務省に入ってからもずっとトントン拍子で来た人でしょう。挫折したことがなかったから、ストレスに耐えられなかったみたい。和彦みたいに紆余曲折を経てきたほうが、しなやかで強くなるんじゃないかな」

「それは褒めてないぞ。ともかく、お前も大変だったんじゃないか?」
「そうでもないわ。事情が事情だけに、みな同情的でね。お姑さんもすっかり丸くなってしまったし、奈那子も……」
「それは?」
「ああ、彼の娘。もうすぐ大学に入学するのよ。早いわね」

「えっと、亜佐美が続けて面倒見るのか?」
「面倒見るっていうか、これまで家族だったし、これまで通りよ」

「その子の母親もいるんだろう?」
「母親が引き取らなかったから、慌てて再婚したんじゃない。今さら引き取るわけないでしょ。最初はぎこちなかったけれど、わりと上手くいっているのよ、私たち。継母と継子って言うより戦友みたいな感じかな。思春期でしょ、父親が若い女にうつつを抜かしていたのも許せなかったみたい」

「お前は?」
「う~ん。傷つかなかったといえば嘘になるけれど、でもねぇ」

 亜佐美はタンブラーの中の朝焼け色をじっと眺めた。
「あの人、あんな風に人を好きになったの、初めてだったみたい。ずっと親に言われた通りの優等生レールを進んできて、初めてわけもわからずに感情に振り回されてしまったの。それをみていたら、かわいそうだなと思ったの。別れてくれと言われたら、出て行ってもいいとまで思っていたんだけどね」

 和彦は呆れたように亜佐美を眺めた。
「おまえ、それは妻としては変だぞ」
「わかっているわよ。奈那子にもそう言われたわ。でも、今日私があなたと会っているのも、あの子にとっては不潔なんだろうな」

「いや、今日の俺たちは、ただ飲んでいるだけじゃないか」
「それでもよ。でも、いいの。奈那子に嫌われても、未亡人らしくないって世間の非難を受けても、あなたが日本を離れる前にどうしてももう一度逢いたかった。逢って、おめでとうって言いたかったの」

「これからどうするんだ?」
和彦はためらいがちに訊いた。

 亜佐美は、ようやくストローに口を付けた。それから、笑顔を見せた。
「奈那子が下宿先に引越したら、あの家を売却して身の丈にあった部屋に遷ろうと思うの。奈那子の将来にいる分はちゃんと貯金してね。それから、仕事を見つけなきゃ。何もしないでいるには、いくらなんでもまだ若すぎるしね」

 和彦は、決心したように言った。
「ドミニカ共和国に来るって選択肢も考慮に入れられる?」

 亜佐美は驚いて彼を見た。
「本氣?」

 彼は肩をすくめた。
「たった今の思いつきだけど、問題あるか? 奈那子ちゃんに嫌われるかな」

 亜佐美は、タンブラーをじっと見つめた。あまり長いこと何も言わなかったので、和彦だけでなく、成り行きかから全てを聞く事になってしまった田中まではらはらした。

「新しい陽はまた昇るんだね」
彼女はそういうと、瞳を閉じてカクテルを飲んだ。

「今さら焦る必要もないでしょう? 一度、ドミニカ共和国に遊びにいくわね。カリブ海を眺めながら、またこのカクテルを飲みましょう。その時にまだ氣が変わっていなかったら、また提案して」
亜佐美の言葉に、和彦は明るい笑顔を見せた。

 田中は、安心してグレナディン・シロップの瓶を棚に戻した。


テキーラ・サンライズ (Tequila Sunrise)
標準的なレシピ
テキーラ - 45ml
オレンジ・ジュース - 適量
グレナディン・シロップ - 2tsp

作成方法: テキーラ、オレンジ・ジュースをゴブレットに注ぎ、軽くステアする。
ゴブレットの縁から静かにグレナディン・シロップを注ぎ、底に沈める。



(初出:2017年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Posted by 八少女 夕

【小説】赤スグリの実るころ

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第九弾です。GTさんは、オリジナル小説で参加してくださいました。ありがとうございます!

GTさんの書いてくださった『クロスグリのパイ』

GTさんは、わりと最近知り合って、交流してくださるようになったブロガーさんです。熱烈な世界名作劇場のファンで、ファンサイトとしてレビューなどを書かれる傍ら、名作劇場作品の二次創作、それから同じテイストの一次創作も発表なさっています。

私のブログにいらしてくださったのは、おそらく「スイス」に反応してだと思われますが、正直言って「アルプスの少女ハイジ」ともかく、スイスを舞台にした他の名作劇場作品を全く知らなかった私ではお話にならなくて、おそらくこのブログから得る知識は0かと思いますが、にもかかわらず熱心に作品を読んでくださり感謝しています。

今回、はじめてのscriviamo!参加のために書きおろしてくださったのは、オリジナル作品で私の生半可な知識ではどこの国のお話か、どの時代なのかまではちょっとわからなかったのですが、名前などから類推するとアメリカかカナダなどの英語圏のような感じがします。おそらく架空の土地のお話ですね。

GTさんのおすきな世界名作劇場でよく題材にされるのは18から20世紀初頭のストーリー、主に児童文学を原作にしたものが多いと思うのですが、たまたま私が不定期に連載している「リゼロッテと村の四季」シリーズが、その頃の話ですので、この世界の話でお返しを書くことにしました。

ところがですね。これがまたかなり苦戦しました。その経緯は、長くなりますので別記事にしますが、時代背景ならびにいくつかのモチーフを重ならせて書いています。GTさんの作品と合わせてお読みになると、同じ時代背景、同じモチーフを使って書いても、私の作品が全く「かわいく」なくて、さらにいうと児童文学には全く不向きだということがよくわかります。でも、私らしい作品を全力で書くことがGTさんに対して敬意を表する一番の方法だと信じてアップさせていただきます。


「リゼロッテと村の四季」
「リゼロッテと村の四季」・外伝

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赤スグリの実るころ
——Special thanks to GT-san


 つるつるの赤い果実を房から外す作業に、アナリースはかなりの時間をかけた。赤スグリのルビーのような赤がとても好きだ。両親の家の垣根のそばにある数本の木は、夏になるとこの艶やかな実がたわわに実り、優しい緑の葉と相まって目を楽しませてくれる。

 そして、ヨーゼフ・チャルナーが、アナリースと新生活を始めるために買ったこの家にも、三本の赤スグリの木があって、彼女はやっと自由に出入りすることが出来るようになったので、熟れた実を集めていた。

 たくさん摘んで大きめのボールにたっぷり入れた果実は、まるで無人島の洞窟に隠された海賊の財宝箱の中身のごとく秘密めいた輝きを放った。ひとつ二つと口に含むことはあるが、酸っぱくてもっと食べたくなることはない。赤スグリはジェリーにすることでその価値をはるかに増す。

 日曜日の三つ編みパンに添えて、バターと一緒につけるのも美味しいが、ちょっとしたデザートに添えるのも色味ともにアクセントになっていい。それに、秋の狩猟シーズンには、洋梨のコンポートに赤スグリのジェリーを載せたものを付け合せに加える。

 だから、彼女は庭の赤スグリを一粒も無駄にしたくなかった。彼もきっと喜んでくれるはずだわ。

「ちょっと。アナリース! あなた、何をやっているのよ」
入ってきたのは幼なじみで今は兄嫁であるマリアだ。

「何って、赤スグリのジェリーを作っているのよ」
「それは見たらわかるけれど、私が聞きたいのは、どうしてよりにもよって今そんなことをするのってこと。ヨーゼフは今日帰ってくるんでしょう? おめかししなくちゃいけないんじゃないの?」

 アナリースは笑った。掛けてある黒いスタンドカラーの飾りの少ないブラウスに、縦縞のくるぶしまである広がりの少ないスカートを目で示すと、マリアはその質素で面白みのない服装にため息をもらした。

「なによこれ。ほとんど普段着と変わらないじゃない。ヨーゼフに会うのは何年ぶりだと思っているの? もっと美しく装わないと」
「どうして?」

「バーゼルは都会だからきれいな服を着た女性が多いに違いないわよ。そういう女性を見慣れているんだから、田舎娘は野暮ったいなって思われちゃうわ。流行っている膨らんだ袖のドレスは一枚もないの?」

 アナリースは首を振った。
「きれいなドレスに興味がないと言ったら嘘になるけれど、ああいう服装をするためには布地が二倍も必要になるもの。私はそれだったら図書館の入場料にして、一冊でもたくさん本を読みたいの。先週ついにコンラート・フェルディナント・マイヤーの『女裁判官』が入ったのよ」

「なんですって。あなた、そんな本を読むの? あれって、確かスキャンダルになったんじゃない」
「そうよ。いけない? あれはカール大帝時代を題材にした歴史小説じゃない」
「でも、ほら、兄と妹の恋の話と、実のお母さんへの愛憎がモデルになっているって……」

「だから?」
「ヨーゼフは牧師になるひとだし、あなたは……」
「代理教師だから、牧師の婚約者だから、女だから、コンラート・フェルディナント・マイヤーを読んじゃいけないなんてナンセンスだわ」
アナリースはわずかに強い語調で言った。

 マリアは、友の苛立ちを感じた。話題を変えた方がいいかもしれないと素早く考えた。
「それで、どうしてあなたは着替えもせずになぜジェリーなんて作っているのよ」

 アナリースは、マリアの戸惑いを感じたので、少し恥じて俯いた。彼女は薪オーブンの上に置いてあったやかんをどかすと、赤スグリと砂糖を入れた鍋を置いて焦げないようにかき混ぜた。スグリからは紅いジュースがしみ出してきてやがてそれは固形物から液体に変わる。

「彼と約束したんだもの」
「これを?」
返事をする代わりに、アナリースは微笑んだ。

* * *


 ヨーゼフと同じ教室で学んでいた頃、アナリースの成績はクラスで一番だった。彼女は知識欲と向学心に燃えて、大学に進み立派な教師になることを夢見ていた。彼女の成績がずば抜けてよかったにもかかわらず、彼女は大学に進むことも出来なかったし、中学校教師の資格をとるのがやっとだった。

 海外にでる覚悟があればもっと高等教育を受けることも可能だったかもしれない。そうであっても女性が大学に通うことは、まだ眉をひそめられることだった。ましてやこの国のこの州では、大学進学は不可能だった。女性は代理教員としてしか雇ってもらえないし、そういう将来しか望めない人間の学費を負担するのを村は拒否した。「学費の補助は、女性の趣味のためではなく、家計を支え国の将来を担う男性のために使われるべきだ」と。

 彼女が女に生まれた理不尽さに涙していても、村の少女たちは「アナリースったら、本氣でそんな事を言っているの? 困った人ね」と頭を振るだけで氣持ちをくんではくれなかった。彼女たちにしてみれば、学校は出来れば行きたくないおぞましいところだったし、そもそも教育が人生の役に立つのかピンと来ないぐらいで、アナリースのことも校長先生になりたがっている権威欲の強い娘だと感じていたからだ。

 唯一、彼女の悔しさを理解してくれたのが、ヨーゼフ・チャルナーだった。彼はもう幼いクラスメートではなく青年になりかけていたが、正直で真面目なところは子供の頃から変わらなかった。それに、彼は温かい心の持ち主で、アナリースも相応の敬意を持っていた。

「アナリース。君は、僕のことを怒っているんだろう?」

 それは、日が高くて、青々とした牧草地からたくさんの色とりどりの野の花が風に揺れる初夏の夕方だった。丘を越えて自宅へと戻ろうとせっせと歩く彼女を後から追いかけてきたヨーゼフは、しばらく口をきかずにいたが、丘のてっぺんまで来ると話しだした。彼は秋からラテン語学校への進学が決まっていた。

「私が? あなたに怒ってどうなるっていうのよ」
そういいつつも、自分の声音に刺々しいものがあると彼女は感じた。ヨーゼフのせいで彼女が進学できないわけではない。でも、自分が通いたかった大学への道を歩みだした彼が、これまで一度だって試験で自分を負かしたことがないのを思わずにはいられなかった。

 彼は、ラテン語とギリシャ語を習う。そして、ヘブライ語も。バーゼルヘ行き、神学科に籍を置くことになる。そして、やがて立派な牧師として尊敬を集めるようになるだろう。それにひきかえ、自分は、高等学校からチューリヒの教師養成セミナーに進むだろう。そして、病欠をしたり、兵役に行く教師の代わりに一日または数週間だけあちこちの教室に派遣されて、「女なら大人しく家で料理でもしていればいいものを」と陰口を叩かれる存在になるのだ。

「じゃあ、ちゃんと僕の目を見てくれよ」
ヨーゼフは真剣に言った。アナリースはため息をついた。
「ごめんなさい。あなたにむかっ腹を立てることじゃないのに。ねえ、イヴがアダムの脇腹の骨から作られた取るに足らない存在だってことは、どうやっても変えられないのかしら?」

 ヨーゼフは首を振った。
「聖書を振りかざしてそういう事を言う人がいるのはわかっているよ。僕はそんなことは思わない。アダムとイヴはしらないけれど、少なくともアナリースがヨーゼフより優秀なのくらいはちゃんとわかっている」

「私は、そんな事を言いたいわけじゃ……」
「でも、それが事実だよ。だけど、アナリース。女性がとるに足りないなんて僕は思わないけれど、男性と女性が全く同じだとも言えないとも思っているんだ」

「つまり?」
「子供を産むのは女性にしか出来ない。女が子供を産んで育てている間に、男が森や野原で獲物を捕まえてくると役割分担ができて、それが今の社会につながったんじゃないかと思うんだ。もちろん、獲物を捕まえるのが得意な女性や、むしろ家で料理を作る方が得意な男性の存在は無視されてしまっているけれど。僕たちは世界を一日で変える事はできない。無視されるわずかな例外はつらいけれど、どうにかして世界と折り合って行くしかないんじゃないか」

 彼女は瞳を閉じて、丘の上を渡る風を感じた。後にシニヨンにまとめた髪からこぼれた後れ毛が風にそよいだ。彼は、そんな彼女を黙って見つめていた。

「大丈夫よ。どんな形でも、理想的な教師になるように努力するもの。それに、学問や読書は、ずっと続けるつもりよ。大学に行って、校長先生の資格を取るだけが、教育に関わる唯一の道じゃないはずよね」
アナリースがそういうと、ヨーゼフは一歩前にでて大きく頷いた。

「僕もずっとそう思っていたんだ。ねえ、アナリース。君のその志、僕と一緒に完成させないかい?」
「あなたと? どうやって?」

 彼は、真剣なまなざしで彼女を見つめた。
「僕は、いつかこの村に戻ってくる。この村の牧師として、村人たち、次の世代を担う子供たちの精神的な支えになる、とても重い責任を背負うことになる。一度だって君よりもいい成績を取れなかった、この頼りない僕が。だから、僕には支えが必要なんだ。思慮ぶかくて、氣高い精神にあふれた君みたいな女性が。そして、君も、牧師の妻としてならただの代理教師としてよりもずっと尊敬を集めて、さらに幅広く子供たちの教育に中心的な役割を果たすことが出来る。違うかい?」

 彼女は、ぽかんとヨーゼフの顔を眺めていたが、氣を取り直すと言った。
「で、でも、牧師の妻って……その……結婚は好きな人とするものじゃないの?」

 彼は肩をすくめた。
「僕は、君のことをかなり好きだけれど、ダメかな?」

 アナリースは、真っ赤になって「そんなのはダメ」と言おうとしたけれど、どういうわけだか全くその言葉が出てこなかった。それで、ヨーゼフは勝手に納得して「そのつもりで大学に行くけれど、待っていてくれるね」と言った。

「そんなに待った後で、あなたに他に好きな人がいるから、結婚できないって言われたら、私もう結婚できなくなってしまうわ」
「わかっているよ。でも、僕は約束はちゃんと守る」

 ヨーゼフは彼女の手をとった。
「僕は必死で勉強する。そして、学問だけでなく、村の牧師として必要になりそうなあらゆることを身につける。だから、君も僕を待っている間に、村の大人たちや女性たちに受け入れてもらえる牧師夫人目指して苦手なことにも挑戦してほしい。そうしたら、後は、ずっと一緒に理想を目指して歩いていこう」

 彼の示唆していることは、なんとなくわかった。アナリースは、勉強は得意でも裁縫や料理はあまり得意ではなかったし、おしゃべりをする時間がもったいなくて村の娘たちとの付き合いに顔を出さないので浮いた存在になっていた。

「そうね。……何から始めようかしら」
彼は、優しく笑った。
「そうだな。たとえば、ほら、あそこにある赤スグリ。僕、あのジェリーがとても好きなんだ。子供の頃、三つ編みパンとあのジェリーを毎日食べられるように毎日日曜日にしてくださいってお祈りして父さんにこっぴどく怒られたことがあるんだよ」
「……。作り方、お母さんに習っておくわ」

* * *


 あれから何度も夏と冬が過ぎた。赤スグリも何度も実った。アナリースは、もうジェリーを何も見なくても作れるようになっていた。

 パン焼き日には、村のパン焼き釜にでかけ、娘たちと話をしながらパンの焼けるまでの時間を過ごした。村の泉で洗濯をする時も、年末に豚の腸詰めや燻製を作るときも村人たちと一緒に作業するようになった。

 くだらない噂話だと思っていた会話が、時に人生の悲哀がこもり、時に哲学的な示唆に満ちた時間だということも知った。本や大学の教授からだけではなく、けたたましく笑ったり泣き言を言う村人からも学ぶことがたくさんあるのだと知った。

 そして、アナリースは、家事が上手で人付き合いの上手い立派な娘だとの評判を勝ち得た。牧師となるチャルナーと婚約していることも、村人たちからの敬意を得る大きな要素になった。

 それは静かな宵に、誰にも邪魔されずに本を読むことを許され、教師としての勉強を続けても誰にも非難されることのない心地よい立場だった。

 赤スグリと砂糖を溶かした真っ赤な液体を、消毒したガラス瓶に詰めながら、首を傾げるマリアを前に、アナリースは微笑んだ。
「いいの。私がどんな装いをするよりも、あの人はこの瓶が並んでいるのを喜ぶのよ」

(初出:2017年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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このストーリーに登場するヨーゼフとアナリースは、「リゼロッテと村の四季」でカンポ・ルドゥンツの村人が通う教会の牧師夫妻です。

カンポ・ルドゥンツ村は、私の住む村をモデルとした、スイス・グラウビュンデン州にあるということになっている架空の村で、「リゼロッテと村の四季」は、19世紀末から20世紀初頭のこの地域の歴史と生き証人からの話の聞き取りを基にした小説です。
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Posted by 八少女 夕

「赤スグリの実るころ」に見る私の小説

さて、「赤スグリの実るころ」という小説を書くにあたって、考え込んだことについてここに書こうと思います。

赤スグリ

この小説はscriviamo!という私の主催している企画のなかの一篇です。この企画では、さまざまなブロガーの方が創作作品や記事で参加してくださったものに対して、私がお返事という形で主に掌編をお返しする企画なのですが、「赤スグリの実るころ」は、GTさんが書いてくださった作品へのお返しです。

この「赤スグリの実るころ」は、不定期で連載している「リゼロッテと村の四季」というシリーズの番外編で19世紀末から20世紀のスイス・グラウビュンデン州にある架空の村を舞台に話を展開させています。このカンポ・ルドゥンツ村は、私が現在住んでいる村がモデルです。そして、出てくるモチーフや風習などは、全て当時のものを調べたか人づてに聴き取ったことを反映させています。つまり、私の創作ではありますが、かなり実際の地理天候ならびに文化・歴史が反映された作品になると思います。

この作品を書くにあたって私が意図したのは、もちろん常に意識している私の創作テーマが根底に流れていますが、その上に現在96歳になるある歴史の生き証人から直接口頭で聴いたことを日本語の文章で残すことです。そして、その中にはおそらく日本人が日本で書こうとしても決して書けない内容がたくさん含まれています。私は日本人としては特別優秀な書き手ではありませんが、「日本語でこれを書けるのは世界に私一人だ」という題材を持っているラッキーな人間の一人だと思っています。

さて、話は元に戻ります。

「赤スグリの実るころ」を書いたのはGTさんへのお返しだと先ほど書きましたが、このGTさんは世界名作劇場の熱烈なファンでいらっしゃいます。そしてですね、私の周りにはこの世界名作劇場の熱烈なファン、またはそれに関わっていらっしゃる方がけっこういらっしゃるのです。どなたも並ならぬ情熱を傾けていらっしゃって、さらには児童文学にも強い関心をお持ちの方がいらっしゃいます。

なぜそういう方が私の周りに多いかというと、偏にマイエンフェルトのあるグラウビュンデン州に住んでいるから、必然と聖地巡礼をなさる方とのご縁ができるわけなんですね。

そして、私本人は、実はそのフィールドにとても弱い人間なんです。

もともとスイスに関する関心はゼロで、一生足を踏み入れなくても構わないと思っていました。「アルプスの少女ハイジ」のアニメも放映当時に見ただけですから詳細はほとんど憶えていません。その程度の関心しかなかったのです。その他のスイスを舞台にした名作劇場は存在すら知りませんでした。

実際に、名作劇場ファンの方、もしくは、関わっていらっしゃる方とお話しさせていただくと、その想いや情報の詳しさは驚くべきレベルです。一つの愛好ジャンルとして多くの人びとの中に完全に定着しているのですね。

愛されている作品群に共通するのは、もともと子供向けに作られたものであること、純粋で、努力を尊び、最終的に(大抵の場合は)優しくけなげな主人公たちが報われて、幸せな結末を迎える、そういう「いい作品」であることだと思います。また、子供には理解できないような複雑な人間関係や、どうすることも出来ない世の中の理不尽もほとんどでてきません。それはいい悪いではなく、そういうものです。

その世界は、実は、私の描き出すものとは少し、いいえ、まったく違う世界なのです。

なにが言いたいかというと、同じような舞台設定、同じような時代の小説を書いていても、表現する人間が意図するものによって全く違う中味になると言うあたり前のことなんですけれど、それが「スイスの田舎の子供たちの出てくる小説」とまとめてしまうと、どうもそれがなかなか見えにくいように思うのです。

スイスの児童文学っぽい小説には、ずっと手を出すつもりはなかったんですが、それをすることになったのは、上でも書いたように、ある方から口承で得たこの時代のこの世界の話を書き残すためにはこういう形が一番だと思ったからです。でも、やはりパッと見には同じタイプの小説に見えるかなと思ったんです。

それで、「赤スグリの実るころ」のあえてGTさんの書かれたモチーフを重ねてみました。重ねることでその違いが明らかになるようにです。うちのヒロイン・アナリースには、非常に可愛げのないところがあります。勉学のために旅立つ将来の夫となるヨーゼフの身を案じたり、「早く帰って来てね」と泣いたり、心をこめてて料理を振る舞うという女の子らしさ、GTさんの作品で見られたけなげなヒロインの姿はなく、むしろ正反対の女性像を持ってきました。

このエピソードは、既に私の頭の中にあったものですが、私は「これがアニメではなく実際のスイスの当時の女性だ」と言うために書いたわけではありません。作品に書かれた女性の権利についての記述はすべて当時のこの地域の常識だったことですが、「可愛い純粋なヒロイン」が存在しなかったということではないんです。

単純に、私の興味は、等身大の人間の心の動きに向いているということです。それもどちらかというとピュアで幸せな心の動きよりも、弱くてよどみ蠢く、けれど決して邪悪ではないごく普通の小市民の心の動きなのです。

「黄金の枷」シリーズの中でもテーマに据えていましたが、人間はその周りに据え付けられた社会慣例や因習、貧富の差や時代背景といった簡単に越えられない枠組みに捉えられています。物語を書く人の中には、魔法や持って生まれた才能、超人的努力、もしくはその枠組みそのものを見えなくすることで主人公が幸福を獲得していく、現実とは違うものを描き出したいと思われる方がいます。そして、そうした物語の需要の方が多いのもまた事実です。

私が書こうとする物語は、枠組みの中で苦悩する人間そのものなので、かならず枠組みがそのまま提示されます。平ったく言わせてもらうと、簡単に枠組みを克服されると、書くことがなくなってしまうんですよ。

ということを、なぜここで長々と語っているかと言いますと、世界名作劇場が好きでそのつながりでここにたどり着いた方は、「赤スグリの実るころ」を読んでおそらく戸惑われるだろうと思ったからです。

他の作品はともかく、「赤スグリの実るころ」ならびに「リゼロッテと村の四季」シリーズは、「きれいなスイスが好き」「世界名作劇場みたいな世界が好き」という方にはきっと肩すかしな小説になっているだろうなと、しみじみと感じたここ二週間でした。
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Posted by 八少女 夕

某キャラクターの風貌

すみません。はじめから謝っておきます。今日の記事は時間稼ぎです。しょーもないな。

つい先日、大海彩洋さんにscriviamo! 2017の参加作品を読ませていただいて、コメント欄でお話ししていて氣がついたんですけれど、「郷愁の丘」まだ主人公のひとりの風貌を描写していませんでしたね。っていうか、本編ではまだ登場していなくて、番外編「最後の晩餐」では本人目線だったので、描写するところがなかったんですけれど。

で、何もここで開示することもないとは思うんですけれど(小説を読んでもらえ、設定なんかいちいち語るなって、話もあって)、でも、隠すほどのことでもないし、しょっちゅう読んでくださる方に脳内イメージを植え付けてしまえ、ということで、私が頭に浮かべている風貌をここでお見せしちゃいます。

そう、「書きます」ではなくて、「見せます」なんですよ。下のYoutubeのジャケット絵、この方が私の中のヘンリー・G・スコット(グレッグ)のイメージなんです。表情も含めて。この方は、前にもご紹介しましたが、最近私が大好きなサン=プルーというフランスの作曲家です。


Le Départ
Album "Le Piano sous la Mer" (1972) by Christian Langlade a.k.a Saint-Preux.


Final
Album "La Passion" (1973) by Christian Langlade a.k.a Saint-Preux.

彩洋さんは、もっと若くてカッコいい男性をイメージされていたように思いますが、(あ、サン=プルーがカッコ良くないという意味ではなく!)身もふたもなく言うと「野暮ったくていまいち自信の無さそうなヒゲのおっさん」です。こういう人が、実は私の心の琴線に触れるんですよ。そういえば「黄金の枷」シリーズの23もヒゲ面だったな。べつに髭フェチでもないんですけれど、毎朝ブラウンの電動ひげ剃り機で完璧に剃っているようなエリートっぽい男性って、私の小説ではあまり表には出てこないようにも思います。そういえば、グレッグの対比として登場するためにまたしてもお借りしているTOM-Fさんのところの超有名ニュースキャスターは、きっと身だしなみを完璧に整えているエリートですよね。

上の二つは、単にサン=プルーの顔をお見せしたくて選んだ曲ですが、下は「郷愁の丘」のエンディングテーマとして、勝手にマイ・プレイリストに入れている曲です。


Saint-Preux: Le Piano d'Abigail 1ere partie
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Posted by 八少女 夕

【小説】翼があれば

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第八弾です。limeさんは、今年も素敵なイラストで参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『またもや天使』
『またもや天使』 by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。各種公募企画で大賞をはじめとする受賞常連のすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。羨ましすぎる!

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっとだけ脱いでいる(?)天使と蝶のイラストです。去年も私一人で七転八倒していたわりにみなさんはスラスラと素敵な作品を書かれていましたが、今年もすでに何名の方々がインスピレーションを受けて素晴らしい作品を発表なさっています。

で、他の方は自由参加ですが、私は何かを書かなくてはならないので「う〜ん」と悩みました。

もちろんあちらのコメント欄で盛り上がっていたナース服天使、という路線では書けません。(書いてもいいけれど、limeさんに絶交されるかもしれないし・笑)去年はふざけたストーリーでなんとかなりました(なっていないともいう)が、今年の天使はどちらかというと清楚でシリアス系なのでふざけておかえしするのはなし。しかも清楚なのに脱いでいるし。ここにかなり長くつまづいていましたね。「天使でなければ」「脱いでいなければ」って。

かといって、単に真面目に取り組んでもピンと来るストーリーにならなかったんですよ。私の作品って、あまり目立った色がないので、ごく正面からこの正統派で美しい絵に取り組むと、そのよさが台無しになるぼやぼやした感じの作品になってしまうんです。

じゃ、どうしようか、と思ってこうなりました。天使であること、脱いでいること、蝶がいること、そして、背景がああなっていること、全てを使ってみました。limeさん、みなさんが呆れる顔が今から目に浮かびます。すみません。今から謝っておきます。(毎年、毎年……orz)


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翼があれば
——Special thanks to lime-san


 若草がゆっくりと大地を埋め尽くし、柔らかな風が心地よく渡りはじめると、フラクシヌスは大きく広げた枝を微かに揺らした。停まっていた鳥たちは、わずかな間だけさえずりを止めたが、すぐにおしゃべりを再開した。

「ねえねえ。あなた初めてアフリカに行って戻ってきたんでしょう? 旅はどうだった?」
「どうってことはない、って言いたいところだけれど、大変だったなあ。去年の秋、ここを発ったところまではよかったけれど、ミラノのあたりでもうカスミ網に捕まりそうになったんだ」
「ああ、噂に聞くヤツね。南イタリアじゃないんだ、へえ」

「それから後も、ハプニングだらけ。でも、初めて見るものばかりで心躍ったなあ。フランスから来たコウノトリと仲良くなったんだぜ。それに、赤い湖でフラミンゴにもあったなあ。ところで、お前さんは?」
「私は、いつも通りこっちで越冬したわよ。雪が少なかったから、けっこう過ごしやすい冬だったなあ。あの山を越えたところに、美味しい餌を用意してくれるニンゲンがいてね。少し太っちゃった」

 フラクシヌスは、小鳥たちのさえずりに耳を傾けて、コウノトリやフラミンゴとはどんな鳥なのだろうかと想像した。赤い湖や山の向こうのニンゲンがどれほどここと違っているのだろうかと考えた。

 街はずれの小高い丘の上にたどり着き、大地の上に伸びをして小さな芽を出したあの日から、フラクシヌスはいつもここにいた。柔らかな緑色の芽はまっすぐに伸びて、やがて滑らかで青みかがった灰色の幹に変わった。それが分厚いたくさんヒビの入ったどっしりした幹に変わった頃には、大きく伸ばしたたくさんの枝には、たくさんの小鳥たちや虫たち、リスやヤマネなどが動き回るようになった。

 フラクシヌスは、そうやっていつも誰かの訪問を受けていたので、決して寂しくはなかったが、彼らがする噂話から、ここではない世界への憧れを募らせていた。

 夏が来ると、梢の葉はしっかりとしたものに変わり、暑い日差しを避けて立ち寄る動物や散歩の途中の人間などが、彼の根元で休みつつ新しい話を聞かせてくれるようになった。

 近頃の一番の楽しみは、黄金の髪の毛を持った優しい少女で、まどろむ小動物たちをアルトの優しい響きで歌いながら眠らせるのだった。

「ああ、私、本当にここが好きだわ。なんて美しい木陰なんでしょう。仕事も何もかも忘れて安らげるのはここだけよ」

 彼女は、誰に話しかけるでもなくよく呟いた。彼女のひとり言を耳にするのもフラクシヌスには楽しいひとときだった。

「本当に、私もあの鳥たちのように空を飛べたらねぇ。わずかな賃金と引き換えに、朝から晩まで工場で糸を紡いだりしないで、どこまでも自由に旅して行くのにねぇ」

 ああ、この娘も、私の同じ憧れを持っているんだ。翼を羽ばたかせて、世界の果てまで自由に飛んで行きたい。氷に閉ざされた光のカーテンのある国や、火を吹く怒りの山や、七色の湖のある谷間を探して飛んで行くことを夢見ている。そして、その願いをずっとここで、この私と共有してくれるのだ。

「お嬢さん、あなたは何を呟いているの?」
そこに来ていたのは、この間まで緑色の芋虫だった紫色の蝶だ。フラクシヌスの葉をたくさん食べて大きくなり、しばらく繭にこもったかと思うと、秋までには羽を持つ美しい姿に生まれ変わる。そして、仲間と一緒に隊列を組んで遠くの暖かい国まで飛んで行く。

「あら、きれいな蝶さん。まだ旅立たないの? 昨日、あなたのお仲間が隊列を組んでいたわよ」
「私は今朝、ようやく蝶になれたのよ。もう少し仲間が集まったら、私も旅立つわ。ところで、あなたは、何をおかしなことを言っているの?」

 紫の蝶は、ひらひらと娘の周りを飛んで、くすくすと笑った。

「笑うなんてひどいわ。私だって翼があったら、あなたのように飛んで行きたいのよ。でも、それが出来ないから、ため息が出ちゃうんじゃないの」

 すると蝶は娘の正面に戻ってきて、その瞳を覗き込んで言った。
「だから、おかしいのよ。あなただって飛んで行くことが出来るのに、何も試さないで文句ばかり言っているんですもの」

「飛んで行くことができる? どうやって? 私は貧乏な労働者で飛行機のチケットすら買えないのよ」
「チケットなんて必要ないわ。あなたにも翼があるのよ。知らないの?」

「翼が?」
「そうよ、服を脱いで、背中を湖に映してご覧なさい。翼が生えているのが見えるはずよ」

 娘が薄紅色の薄いワンピースを少し脱いで湖を覗き込むと、本当に白い一対の翼が現れた。彼女はひどく驚いて、触ったりくるくると回って確認したりした後に、本当に翼が動いて自分も空を飛べるのだということを納得した。

「なんて素敵なんでしょう。ねえ、蝶さん。あなたが南へ旅立つときまで、私に空を飛ぶ特訓をしてちょうだい。そうしたら、私もあなたと一緒に旅立つから」
「いいわ。じゃあ、すぐに始めましょう」

 嬉しそうに笑いながら、娘が紫の蝶と一緒に去ってしまうと、フラクシヌスは大きいため息をついた。

 娘は、彼の仲間ではなかった。鳥や蝶たちと同じように、翼を持って自由に飛んで行くことができる天使だった。彼はまた丘の上に取り残されて、小鳥たちのさえずりに耳を傾けた。

 夏が終わると、彼の枝にはたくさんの楕円形の種が用意された。新しい命を宿した、大地の実り。やがて何百年も生きる可能性を秘めた小さな、小さな、ユグドラシルの子孫。彼は旅立つ子供たちに、彼の憧れの全てを託した。空を飛び、遠くへと飛んで行けと。

 フラクシヌスの子供たち、セイヨウトネリコの種は、小さなヘリコプターのようにくるくると回りながら、風に運ばれて丘から森へ、森から平地へと飛んで行った。ある者は馬車の後に落ちて、隣町へと旅立った。また、別の種は、木こりたちの束ねた薪の間に着地して、都会への長い旅をはじめた。

 そして、フラクシヌスは、また長い生命のうちにめぐり来る厳しく白い冬を迎えるために、丘の上で眠りの準備に入った。

(初出:2017年1月 書き下ろし)


註・Fraxinus excelsiorは和名セイヨウトネリコ、英語ではアッシュ、ドイツ語ではエッシェンと呼ばれる大木になる広葉樹。成長が早い上、曲げやすくて衝撃にも強いので加工用木材としてよく使われる。燃料としても古くから使われていた有用な植物で、北欧神話の世界樹ユグドラシルはセイヨウトネリコである。秋になると楕円形の種がタケコプターのように飛来して行くのがよく見られる。

Fraxinus excelsior 4560
Fraxinus_excelsior, seeds
From Wikimedia Commons, the free media repository
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Posted by 八少女 夕

新しいオモチャ買った

事情があって、またしてもカメラを買いました。

最初は一眼レフかミラーレス一眼にしようかと思っていたんですが、何かを撮ろうとする度にレンズを取り替えなくてはならないのは煩雑すぎますし、そもそも私の腕でまともな写真が撮れるようになるには相当な時間がかかるので、あきらめました。

それに、シャッターチャンスがあったらすぐに撮れるように常に持ち歩いていないといけないので、カメラと複数のレンズを持ち歩くのはどう考えても実用的ではありません。

とはいえ、これまで愛用していたOLYMPUSのSZ-31MRは、遠くを撮る分にはさほど違いがでないのですが、近くを撮るとどうもいまいち。これはセンサーの違いでどうしようもないようです。SZ-31MRは光学24倍ズームが撮れるという売りがあるのですが、そうなると反対にセンサーはたくさん搭載できないんだそうです。

で、高級コンデジに限定して、いろいろと検討した結果、SONYのDSC-RX100M3というカメラを購入しました。このシリーズでは2017年1月現在、最新モデルM5がでているんですが、値段と良くなった点を比較した結果、私には最新である必要はないと判断して2モデル前のものを買いました。

で、現在は、まだ慣れていないながらいろいろと撮る練習中。

雪山

遠景は、普通に見えますね。「おおっ。このカメラすごい!」という感動はあまりないかも。

オーソブッコ

でも、近くを撮ると全然違う! 練習し甲斐があります。
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Posted by 八少女 夕

【小説】穫りたてイワシと塩の華

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第七弾です。夢月亭清修さんは、めちゃくちゃ美味しそうなお魚小説(?)で参加してくださいました。ありがとうございます!

夢月亭清修さんの掌編小説『フィッシュ&ソルト』

清修さんは、小説とバス釣りのことを綴られているブロガーさんです。サラリーマン家業の傍ら小説家としてブログの他に幻創文庫と幻創文芸文庫でも作品を発表なさっていて、とても広いジャンルを書いていらっしゃいます。そして、文筆に劣らぬ情熱を傾けているのがバス釣りで、ブログにはお魚の話題もたくさん載っています。

今回書いてくださった小説も釣り人としての知識と想いが詰め込まれた、短いながらも心と胃袋の両方をつかむ作品でした。

お返しは、悩んだ末、「お魚&塩」を踏襲しました。でも、日本の釣りや魚のことをよく知らない私が書いてもあまりにも見劣りがするので、舞台を去年行った場所に持ってきました。そして、一応、清修さんの作品のもう一つのモチーフにもかすってあります。でも、同じ登場人物なのかどうかは決めていません。たまたま似た状況の他人である可能性も含めて「この人かなあ」と読んでいただければありがたいです。


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穫りたてイワシと塩の華
——Special thanks to Mugetutei Seishu-san


 カモメか、それともウミネコか。飛んで行く白く大きい鳥を眺めて尚子は海の街から来た人を想った。

 もう何年経つんだろう。なぜ、あの時違う選択をしなかったんだろう。全ては遅すぎる意味のない問いかけだと知りつつ、彼女は波の音に耳を傾けた。

 ここは日本から遠く離れたポルトガル、海の街アヴェイロ。時間だけでなく距離もまた、彼からははるかに離れている。そして人生の道も。

 大企業をやめて、ポルトガル製品を扱う小さな店を開いた友人に協力すると決めた時、家族も含めて多くの人が反対した。必要だったのは「応援するよ」のひと言だけだったけれど、それはほとんど聞こえなかった。

 彼のプロポーズを断ったのは、会社を辞める前だったけれど、彼の妻になったら一生の夢が叶うチャンスを失うと思っていたことも理由のひとつだった。

 でも、今ならわかる。きっと彼は私の夢を応援してくれただろう。暖かい、人の心のわかる人だった。

 夢いっぱいではじめた店は、案の定、簡単には軌道に載らなかった。いや、思った以上に上手くいっていたのに、肝心の共同経営者である友人に裏切られてしまった。裏切ったというのは、よくないいい方なのかもしれない。彼女には、金銭的に他の選択肢がなかったのだろうから。

 開店から一年もしないうちに、尚子に何も言わずに、友人は夜逃げに近い形で姿を消した。連帯保証人となっていたが故の借金と商品の支払いが全て尚子にのしかかった。それでも必死で歯を食いしばって働き、ようやく返済を済ませ、よく儲かっているとは言えないまでもそこそこの利益を出せるようになってきた。

 もちろん完全な休暇の旅行をするような金銭的余裕はないが、買い付けと言う名目で、大好きなポルトガルに来れるようになったことはありがたい。

 このバタバタの間は、恋愛どころではなくて、彼のプロポーズを断って以来、異性とは何の縁もない。

 だから、想いはいつも簡単に、あの頃に帰って行く。元氣かな。あれから十年近く経ってしまったから、今でも一人でいるはずはないよね。あんなにいい人だったもの、もう結婚して子供もいるんだろうなあ。

「海がお氣に召しましたか?」
尚子は、その声にはっとして振り向いた。隣町にある陶器の工場の持ち主であるノゲイラ氏に案内してもらってここにいたのをすっかり忘れていた。

「すみません。海岸に来たの、久しぶりなんです。島国に住んでいるのにおかしいですね」
「いいえ。僕もこんなに近いのに、ここまで来たのは久しぶりですよ。せっかくですから、工場に行く前に、ここでご飯にしましょう。その前に、よかったら運河のモリセイロに乗りませんか?」

 モリセイロは、ポルトガルのヴェニスと呼ばれるこの街アヴェイロを縦横に走る運河に浮かぶ伝統的な小舟だ。このカラフルでフォトジェニックなボートは、かつては運搬用に使われていたが、現在は観光客用のアトラクションになっている。運河からアールヌーボー様式の美しいファサードを持つ街並を見て回るのだ。

 尚子は喜んでこの申し出を受けた。街並は確かに美しかったけれど、目をみはるほどではないなと思った。もちろんノゲイラ氏にはそんなことは言わなかったけれど。それにあっという間に折り返してきてしまい、もう終わりなのかとすこしあっけなく思った。

 だが小舟は船着き場を通り過ぎて、海の方へと進んで行った。船頭がポルトガル語に続き、英語で説明する。

「あの先を見てご覧なさい。あの白い小山は、塩です。この地域で伝統的に作られている天日の塩田です。引き込んだ海水を天日で蒸発させて塩をつくるんです。かつては250ほども塩田があったのですが、現在は少なくなってしまいました。量は少ないですが、かつてと同様にここで作られる上質な塩は、有名です。英国王室にも納品されたんですよ」

 へえ。天日の塩。アヴェイロの塩って、はじめて聞いたけれど、日本にお土産に買って行こうかしら尚子は塩の小山の写真を撮った。

 ノゲイラ氏はモリセイロを降りて、運河沿いのレストランに彼女を案内して説明した。

「天日の塩には、二種類あるんです。ごく普通のもの、そして、塩の華フィオール・ドゥ・サル という大粒のものです。これは海水を蒸発させる時にその表面に出来る結晶だけを集めたもので、とても美味しいのですが、たくさんのミネラルが含まれているので真っ白ではないんです。かつては、輸出用には普通の白い塩がたくさん取引されていて、塩の華はむしろ国内の上流家庭で消費していました。色はともかく格段に美味しいので。でも、フランス製の塩の華がグルメの間でブームになってから、ここの塩の華のよさも見なおされたんですよ。食べてみましょうか」

 出てきたのは、イワシのグリル。山のようなご飯、大雑把にカットされたレタスとトマトと玉ねぎだけの飾りっけのないサラダ。ポルトガルでよく見る実に素朴な料理だ。穫りたての焼いたイワシの香りが胃袋を直撃した。

 肉を焼く香りも美味しそうだと思うけれど、魚の脂が焦げる香りは、もしかしたら日本人のDNAのどこかを刺激するのではないかと思う。わずかな焦げも、パリパリになって波打っている皮と破れから覗く身の放つ湯氣も、「早く食べて!」と尚子を誘っていた。

 ポルトガルは、ヨーロッパの中でも特にたくさん魚料理を食べる国だ。さらにお米をたくさん食べるところも日本人には馴染みやすい。ヨーロッパの他の国を旅行しているとたまに和食とまではいかなくても中華料理でも食べようかなと思うことがあるのだが、ポルトガルでは一度もそう感じたことがない。どこかに懐かしさを感じる馴染みのある味によく出会う。

「さあ。食べてご覧なさい。これが塩の華。この良さを生かすために、他にはなにも味を付けないんです」

 大粒の塩の塊は、真っ白ではないと言われていて想像していたものとは違って、十分に白い。パラパラとかけてそっとナイフを入れてフォークで掬った。イワシの香りがさらにふわっと広がる。遅れて運ばれたフォークから熱々のイワシの身が舌の上に載った。

 尚子は思わず瞼を閉じた。魚の味、香り、そして塩の何とも言えぬ複雑な旨味が、口の中で極彩色になって飛び回りダンスを踊っているよう。ああ。なんて美味しいんだろう。

 こんなに美味しい魚を食べたのは、いつ以来なんだろう。東京でも魚は食べていたけれど、スーパーのパックの切り身や、定食屋のそこそこの焼き魚ばかりを食べていたように思う。

 不意に彼のことを思い出した。彼は、海辺の街の出身で、自身も熱心な釣り人だった。魚については強いこだわりがあって、デートの時にも店は汚くても格別美味しい魚を食べさせるところに連れて行ってくれた。

 そうか、彼のプロポーズを断って以来なのね。

 ノゲイラ氏に見せてもらったアヴェイロの街。街を彩るアズレージョにも通じるポルトガルの素朴な陶器づくり。好きだったポルトガル雑貨の販売で生計を立てられるようになったこと。今の穏やかで幸せと言えるようになった生活を得るために、失ってしまった時間と暖かくて穏やかな人のことを考えた。

 彼が、この十年近い時間を幸せに生きているといいと思った。そして、どこかで、ここで食べているような五臓六腑に染み渡るように美味しい魚を、誰かと笑い合いながら食べていてほしいと願った。

「ナオコ、どうしました? イワシ、熱すぎましたか?」
涙ぐんでいる彼女のことをノゲイラ氏は不思議そうに見た。

 尚子は笑って首を振り、極上のイワシの塩焼きを残さず味わうためにフォークとナイフを持ち直した。

(初出:2017年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】アプリコット色の猫

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第六弾です。たらこさんも、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

たらこさんは、四コママンガでひまわりシティーという架空の世界で起きる壮大な事件をいろいろと表現なさっていらっしゃる創作ブロガーさんです。「ひまわりシティーへようこそ!」の最終章を絶賛連載中です。

初参加の今回、いきなりのBプラン、なおかつご自分が描きやすくなるようなリクエストもなしという、前代未聞のチャレンジをなさっているので、全くフリーで書かせていただきました。しかも、普段ほとんど書かないファンタジー系。私が書きやすいファンタジーって、こういうのだなって改めて思いました。

せっかくたらこさんへのBプランなので、なんとなくキャバ嬢を絡めたくなってしまいました。いや、その、別にたらこさんがキャバクラ好きだと言いたいわけじゃありませんよ。ええ、そんなことは思っていませんとも。

で、書いていたらなぜか大幅に予定を越えて7000文字以上になってしまいました。これではいかんとどこかを削らねばと悩んだんですが、キャバクラ関連以外削るところがなかったので、削らずに長いままでいくことにしました。すみません。


【追記】
たらこさんが、素敵かつ笑える四コママンガでお返しを描いてくださいました!
たらこさんの描いてくださった 「アプリコット色の猫」



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アプリコット色の猫
——Special thanks to Tarako-san


 どこでおかしくなっちゃったのかなあ。姫子はバッグの奥をかき回しながら、考えた。

 今朝、ホテルでちゃんと持ちもの確認をしなかったから? あのホテルにエアコンがなくて、暑くて考えられなかったから? 安いホテルにしたのが悪かったの? そもそも夏のウィーンに来たのが悪いの? 

 いや、婚約破棄になって何もかも嫌になったせい? そもそも、キャバ嬢のバイトをしていたのが間違い? ううん、あの奨学金を返せるあてもないのに申し込んだのが悪かったの? っていうか、金持ちの娘に生まれてこなかったから?

 いや、落ち着こう。お財布は、どこかにあるはず。すられるほど人混みのところは歩いていないし、第一、こんなごちゃごちゃの鞄からお財布をするのはプロにも難しいはず。

「あ。あった」
キルティングのオレンジ色の財布は、お客さんにプレゼントしてもらったものの中で一番のお氣に入りで、これだけは転売しなかった。転売するような値段のものではなかったこともあるけれど、そういう問題ではない。大切な思い出が詰まっているのだ。

 姫子は、コーヒーの代金をつっけんどんな様子で待つ店員に払った。あ、これ最後の50ユーロ札だ。これからどうしようかなあ。

 姫子は勤めていた役所をクビになり、アパートも追い出されたので、荷物を処分して日本から逃げだしてきた。新婚旅行で行くはずだったウィーン。自暴自棄になって人生を諦める前に、ここだけは来てみたかった。でも、軍資金は底をついた。

 結婚したら、これまでの上手くいかない生活が全てリセットされて、白金や広尾で優雅にお茶の出来る日々が待っているんだと思っていた。ああいうちゃんとした人と結婚するなら、借金返済のためにキャバ嬢のバイトをしていたなんて言わない方がいいと思っていた。

「匿名で教えてくれた方がいましてね。興信所で調べてもらったんですよ」
あの人のお母さんが、とても冷たい目をして言った時、それでも一度でも結婚しようと思ったなら、少しはかばってくれるかと思ったんだけれど、避けるようにして帰っていったよね。

 公務員がバイトを、ましてや水商売の副業をしちゃダメなのはわかっていた。でも、あの給料で奨学金を返すのはどう考えても無理だった。

「ねえ、ちょっと」
日本語の声がしたので辺りを見回すと、誰もいない。つっけんどんな店員はもう別のテーブルに行っているし、隣のテーブルの熟年カップルは、熱々で二人の世界にどっぷり。こちらは存在していないかのような態度。ってことは、空耳かしら。

「ここだよ、ここ、ここ。下を見て」
また日本語なので、変だなと思って、足元を見た。

 猫がいた。つぶらな瞳をしたオレンジっぽい毛色の猫だ。何だっけなあ、この色。どっかで見た。ああ、今朝食べたアプリコットジャムの色だ。雑種かな。どこにでもいそうな普通の猫で、赤いコートを着ているわけでもないし、長靴も履いていない。それに見た感じでは人間の言葉は話してはいない。

「呼んだの、あなた?」
訊くと「みゃー」と短く鳴いた。

 馬鹿じゃないの、私。猫が日本語を話すわけないじゃない。空耳、空耳。姫子は、おつりを財布にしまうと、バッグにしまって出て行こうとした。するとまた声が聞こえた。
「ちょっと待ってよ。話は終わっていないんだから」

 姫子は、まじまじと猫を見た。
「今、呼んだの、本当にあなた? 本当なら、尻尾を三回振って」

 ゆらゆらゆら。尻尾が揺れた。へたりと椅子に座り直した姫子の膝に、その猫はストンと載って、ゆっくりと三回瞬きをした。それから頭の中にまた日本語が聞こえてきた。
「電車に乗ってフシュル湖へ行かないといけないんだ。協力してよ。お礼はちゃんとするからさ」

「フシュル湖? どこそれ? どうやって?」
幸い周りに日本語を解せる人がいないおかげで、変な目で見る人はいない。猫を可愛がっている無害な日本人観光客に見えるだろう。

「ザルツカンマーグートだよ。僕をペット用バスケットに入れてさ。バスケットはちゃんとあるんだ。上手くザルツブルグ行きの電車に乗せてくれたら、そこまででいい。お礼は最高のザルツブルグ観光を一日。どう?」
ザルツカンマーグートがどこにあるのかも知らない。でも、ザルツブルグは知っている。でも、今、観光させてもらって喜ぶような心境じゃないんだけれど。姫子は猫をじっと見つめた。

「一日観光はいいから、代わりに私の状況、少し変えてくれない? 私の人生詰んじゃっていて、いよいよ終わりにするかどうかってとこなのよ」

 猫は、一瞬だけ黙ってから、ヒゲを前足で弄びながら答えた。
「そんなの一介の猫には無理だよ」

 日本語テレパシーで喋っているくせに、都合が悪くなると「一介の猫」ですか。姫子はムッとした。そのまま彼女が立ち上がって払い落とされた猫は、慌てて言った。
「わかったよ。じゃあさ。あっちで僕としばらく一緒に暮らすといい。少なくとも人間の生活よりも面白おかしいぜ。会社に行ったりとか、税金の支払いとか、犬の散歩とか、そういう面倒なことは何もしなくていいんだ」

 姫子は、ちらっと考えた。心もとないけれど、どうせ路頭に迷うなら猫の世話になる方がいいかも。テレパシーが使えるなら魔法が使えるかもしれないし。

「そのザルツカンマーグートで、あなた、どんな所に住んでいるの?」
「小さめの城ってところかな。いくらでもいるヤマネを追いかけたり、鳥の羽根をむしったり、けっこういい暮らしをしていたんだぜ。でも、ここに連れてこられちゃってさ。早く帰りたいんだ」

 そのいい暮らしというのが、どうもネコ目線の意見で若干の不安はあるが、このままでは浮浪者となるのがほぼ確実なので、論議はしないことにした。

「でも、猫って、遠くに連れてこられても自力で歩いて帰るんじゃないの? 人間に頼んで連れて帰ってもらうなんてはじめて聞いたわ」
姫子は首を傾げた。猫は前足でヒゲをちょっと触ると上目遣いで言った。

「そりゃ時間がたっぷりあるならそうするさ。でも、僕は急いで帰らなくっちゃいけない事情があるんだ。協力するの、しないの? しないなら、他の人を……」

「え。するわよ。じゃ一緒に来て。荷物をホテルに取りに行くから。ところであなたのバスケットはどこにあるの?」
「そこの裏手さ、こっち」

 猫についていくと、カフェの裏手の暗い路地に、小さなプラスチックの猫移動用ケースが置いてあった。扉の部分が壊れている。
「これ、どうしたの」
「壊さないと出られなかったんだ。大丈夫だよ。電車の中ではペットらしくしているから」

 姫子はホテルに預けてあった全財産でもある小さな機内持ち込みサイズのスーツケースを受け取ると、猫についてウィーン中央駅に向かった。

「急いでよ。今日の電車がでちゃう」
電車の近くまで来ると、猫はちゃっかりとバスケットに収まって、飼い猫のフリをした。でも、姫子に指図する態度は一向に変わらない。

「あなた、なんで時刻表を知っているのよ」
「昨日と一昨日、上手く紛れ込めないかトライしたんだよ。でも、最近の電車は入口が電動で、高いところにあるボタンを押さなくちゃ開かないんだ」

 猫に案内されて、ザルツブルグに向かっている。細かいことは考えないに限る。ホテル暮らしをするお金はもうないんだし、猫でもなんでも頼らないと。

 電車が走り出すと、コンパートメントの扉を閉めてから、バスケットを椅子の上に置いた。猫は出てきて腰掛けると丁寧に顔を洗い始めた。

「ところで、ちゃんと説明してよ。なんでザルツカンマーグートからウィーンに来ることになったの? どうして急いで帰りたいの? どうして、私が助けてくれると思ったの?」
姫子は馬鹿馬鹿しいことを口にしているなあと思いながら立て続けに訊いた。

「僕は飼い主と賭けをしてね。彼の命が尽きるまでに僕が帰れることができれば僕はずっとあそこにいられる。それができなければウィーンの野良猫になるって。もうだめだと思ったけれど、君のアプリコット色のお財布を見て、ピンと来たんだ。この人が僕を連れ帰ってくれるってね。だから話しかけたんだよ」

 アプリコット色のお財布? ドキッとした。このお財布は、キャバクラであるお客さんが姫子にプレゼントしてくれたのだ。他の人がプレゼントしてくれたブランドものは、みなネットオークションで転売した。一円でも多く手にして返済に回したかったから。でも、そのお客さんは、姫子が奨学金の返済で困っているということを憶えていて、ブランド品の代わりにとても安いこのお財布の中にブランド品を買ってもおつりが来るだけのお金を入れてプレゼントしてくれたのだ。

「どうしてそんなによくしてくれるんですか?」
「全額返済してあげられるような甲斐性はないからね」

 そういって笑った彼は、キャバクラ通いをするお金が続かなかったらしく、やがて来なくなった。迷っていないでプライヴェートのメールを教えてあげればよかったなと思ったけれど、結局それっきりになってしまった。

 婚約した御曹司は、お金があって、私を救い上げてくれそうだった。でも、あのお客さんほどの真心も持っていなかったんだ。打算で結婚しようとした私もそれ以下の馬鹿だものね。姫子は考えた。

「でも、このお財布のことを知っているってことは、あなたのご主人は、あのお客さんなのかな?」
姫子がそう訊くと、猫は首を傾げた。
「なんのこと? 僕は仔猫の頃にその色をした古いお財布をオモチャにもらったんだ。僕と同じ色だからってね。それを思い出したんだよ」

 なんだ。そういうことか。

「飼い主は、年寄りで、病持ちで、もうそろそろアブナいんだって。だから、僕が死ぬまではつきあえないんだって。それで僕をウィーンに連れてきたんだ。帰りたいなら誰か信頼できる人に手伝ってもらえ、嫌ならウィーンの野良になれってね」

「猫のくせに、自由にしたくないの?」
「猫にだって、ホームが必要なんだよ。僕があそこに帰ったら、君だってあそこで自由にしていいんだ。時々、僕の世話はしなくちゃいけないけれど」

 それってねこまんまを作れってことかなあ。姫子は、窓の外の田園風景を眺めながら、それも悪くないかなと思った。

「ものすごくきれいなところなんだ。湖に光はキラキラしているし、大きな魚は撥ねているし、春にはレンゲや野菊やアプリコットの花が咲き乱れるんだ。ごちゃごちゃしたウィーンなんて目じゃないよ」

 へえ。ちょっとだけでもそういうところに暮らせたらいいなあ。姫子は思った。春までは無理としても、しばらく泊めてもらえないかな。飼い猫を届けるんだし。

 ザルツブルグでバスに乗り換えてフシュルまで行き、そこから歩いた。バスケットが邪魔なら捨てろと言われたけれど、ここまで持ってきたし、いつ必要になるかわからないし、軽いので持ち歩いた。

「急いでよ。早く!」
荷物がない身軽な猫にそう急かされて、姫子はふうふう言いながら上り坂を歩いた。途中から道は湖畔になり、輝く湖水が目を射た。

 ああ、本当だ。なんてきれいなところなんだろう。真っ青な湖、若緑の絨毯みたいな田園風景。揺れる木の葉に、落ち着いた緑の山並み。ウィーンも面白かったけれど、こんな静かで心洗われる風景ではなかった。それに蒸し暑かったウィーンと較べて、ずいぶんと爽やかだ。これならエアコンはいらないわよね。

 いつも東京の狭い六畳のワンルームアパートと、満員電車、灰色の役所、それにネオン街の往復しかしていなかったから、こんなに落ち着く光景に心うたれたのがいつ以来なのだかもう憶えていない。ここに来て、本当によかった。猫に急かされているとは言え。

 小走りで走っていた猫が、急にぴたっと止まった。それから、湖の方を眺めた。
「どうしたの?」
追いついた姫子が訊くと、項垂れて言った。
「もう急がなくていいよ。間に合わなかったんだ」

「ええっ。飼い主さんが死んじゃったの? なんでわかったの?」
猫は答えなかったが、再び歩き始めて、こんどはゆっくりと進んだ。それからひと言も話さなかったので、姫子は、さっきまで聴いていたのはもしかして自分の想像だったのかと思い始めた。

 やがて湖畔をそれてまた丘に登った猫は、果樹園のようなところを横切って、その中央にあるボロボロの小屋に向かって行った。え。ちょっと待って、さっき小さいお城って言わなかった? まさか猫のいうお城って、これ?

 小屋の前には、立派な車が三台ほど停まっていて、小屋の中からはドイツ語で話す声が聴こえていた。なんかお取り込み中みたいだな。私はどこかに隠れていた方がいいかも……。そう姫子が思った途端、開け放たれたドアの向こうにいた年配の女の人が大きな声を出して、姫子の方にやってきた。

 猫が姫子の足元にいて、姫子がバスケットを持っているので、猫を連れてきたのだと思ったのだろう。中にいた人たちも近寄ってきてみな口々に何かを言っている。ドイツ語なのでわからないけれど。

 小屋の中にはベッドがあって、亡くなったばかりと思われる老人が横たわっていた。猫は人間たちの足元を通り抜けて中に入り、そのベッドに飛び乗って、みゃーみゃーと鳴いた。それと入れ違いに出てきた眼鏡の男性が姫子に話しかけたが、言葉が通じないとわかると英語に切り替えて話しだした。

「あなたがあの猫を連れてきてくださったのですね」
「え。あ、はい。成り行きで……」

「そうですか。私は故人ケスラー氏の顧問弁護士トーマス・ウルリッヒです。こちらにいらっしゃるのは故人の息子のケスラー氏とその夫人です。奥にいて死亡診断書を書いているのがマイヤー医師です。あなたは?」
「あ~、日本人旅行者で永田姫子っていいます」

 名前を訊いたわりに、ケスラー夫妻とウルリッヒ弁護士の目は、なぜか姫子の持っている壊れたバスケットに釘付けになっていた。
「あなたは、この不明になっていた猫の事情をご存知ですか?」

 姫子は日本人らしく曖昧な笑顔を見せて肩をすくめた。猫から帰りたいと聞いたなんてことは言わない方がいいように思ったのだ。弁護士は深く頷くと話しだした。

「実は、故人には最近したためた遺言状がありましてね。古城を含めた全財産を慈善団体に譲るというものだったのです。もともとは、この果樹園小屋で暮らしたがる変わったご老人を息子さんたちが諌めたことが原因の諍いだったのですが、この遺言状が効力を持つと息子さんたちは全てを失うことになるんです」

「はあ」
それと猫がどう関係があるんだろう。

 弁護士は姫子の持っているバスケットに手を伸ばした。
「ちょっと見せていただきたいのですが、いいですか?」

 わからないまま頷くと、弁護士は壊れたバスケットの扉をどけて、中に手を伸ばした。床板をそっと動かすと、そこから立派な封筒が出てきた。
「あったぞ!」

 ケスラー夫妻が大喜びで、それを確認してから、姫子の手を握ってきた。
「ありがとう。あなたのおかげです」
姫子は、あいかわらず何がなんだかわからなかった。

 それから、古城に泊めてもらい、しばらく湖畔に滞在してわかったことには、バスケットに隠してあったあの封筒は全財産を慈善団体に寄付するとした遺言状よりも更に新しい、有効な遺言状だった。そして、遺産は元通りに息子夫婦が相続出来ることになった。

 ただし、あの果樹園と小屋だけは、バスケットを持って帰って来た人間に譲ると書いてあったので、なんと姫子がもらえることになった。さらに、息子夫婦は姫子が奨学金の残りを返済してもおつりが来るくらいのお礼をくれた。そして、姫子がこの村に住むことが出来るように面倒な手続きを全てしてくれた。

「あなたのおかげですもの」
「でも、どうしてあの方は果樹園小屋に住んでいたんですか?」
姫子は未だに納得がいかないままだった。

 ケスラー夫人は声を顰めた。
「それがね、お義父さまは、猫と意思疎通が出来るなんて言ったんです。主人はそれはナンセンスだと言って、売り言葉に買い言葉。それで、お義父様が家を出てしまわれて。帰って来いと主人が言っても猫と意思疎通が可能と認めなければ帰らないと言うし、主人も認めることは出来ないというし。そのうちに、あの猫と新しい遺言状を隠してきた、あの猫が誰かの助けを得て戻ってくるか、うちの主人が間違っていたと謝らない限りは、全財産は慈善団体に行くなんていいだして。しかも、どちらも折れないでいるうちに、お義父様があの日急逝なさってしまわれて、私たちは真っ青だったんですよ」

 姫子は、どうやって猫と一緒にここにたどり着いたかは言わなかった。ケスラー夫妻も追求してこなかった。ここはあやふやにしておくのが大人ってものだろう。

 こうして姫子は、猫と話せたおかげで新しい人生を始めることが出来た。かなりめちゃくちゃな結末だけれど、悪くない。

「とにかく、あなたのおかげで本当に私の人生、好転したのよ。どうもありがとう。果樹園の世話なんてどうやるのかわからないけれど、ケスラーさんたちが教えてくれるっていうから、きっとなんとかなるわよね」

 話しかけると、猫は大きく伸びをした。
「簡単だよ。水をやるのは、天の神様だし、授粉は蜂たちがやってくれるのさ。出来た木の実をもぐだけなんて、ネズミを狩ったりするほどの技術もいらないだろう」

 そういうものかな。なんか違うようにも思うけれど、これから家族になる猫だから、不要な喧嘩はしない方がいいだろう。そう思って、ふと思い出した。
「あなたの名前、訊いていなかったわね。なんていうの?」

 猫はきれいな瞳をくるくる回した。
「マリッレ。この木と同じだよ」

(初出:2017年1月 書き下ろし)

註・マリッレとはオーストリア方言でアプリコットのこと
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Posted by 八少女 夕

救い出してみたら

scriviamo! 2017、ありがたいことに続々とご参加いただいています。頑張って書いてお返ししていますが、あまりに小説が続いているので、今日は別の話題を。時間稼ぎとも言う?

お茶セット

日本に一時帰国していた10月のこと。実家に滞在しておりました。

朝、母が「燃えないゴミがあったら今出して」というので、玄関の前に出しにいったら、可愛いボーダー柄の瀬戸物が2つありました。

母に訊いてみたら、プリンか何かが入っていて、食べ終わったあとも洗ってしばらく使っていたのだけれど、場所もないしもういいかと思って処分することにしたというのです。

私は「う〜ん」と悩んでしまいました。他に何も持っていくものがないならばともかく、ものすごい量の(くだらないものも含めて)荷物をスイスに持ちかえるので、よけいなものは増やしたくない。

でも、この形と大きさがちょっとツボにはまったのです。

蕎麦猪口サイズの食器も欲しいなと思っていたのですが、それにちょうどいいものはまだ買えていませんでしたし、日本茶だけでなく紅茶などを入れても良さそう。なかなか使いでがありそうです。それで、最終的に氣にいらなかったら小さい植物の鉢にすればいいやと思って、持ち帰りの荷物に入れたのです。

で、帰って来たら、なんと一番お氣に入りのティーカップになってしまいました。

基本は、これにほうじ茶を入れて飲んでいるのですが、紅茶を入れたり、ジャスミンティーを入れたり、ミニサラダやポタージュを入れたり、使い道がいろいろあるじゃないですか。重ねて収納できるのもいいところ。

なかなかいいものをゲットしてきたぞとホクホクしている私です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】頑張っている人へ

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第五弾です。けいさんも、まずはプランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

プランBで、拍手絡みの物語を、うちの「シェアハウス物語」とコラボでお願いしても良いですかね。それを受けて、私も掌編を描く。それのお返事掌編をまたいただく…B→B(A)→A混合サンドイッチ、みたいなの。


この二つ書けとおっしゃるうち、ひとつはちょうどブログトップのFC2拍手を1000カウント目にしてくださった記念掌編です。

けいさんは、私と同じく海外在住ですが、お住まいは地球の反対側、スイスから一番遠いオーストラリアです。だから、お逢いするのは生涯無理だと思っていたのですが、なんとブログのお友だちの中で一番最初にお逢いした方になったんです。オーストラリアは、見知らぬ人にもフレンドリーな人が多い国ですが、その社会に馴染んでいらっしゃるけいさんも例外でなくとてもフレンドリーで暖かいハートをお持ちの方。それだけでなく生涯に何度もないウルトラ長期休暇に長編小説を毎日書いたという、とてつもない努力家でいらっしゃいます。爪の垢を煎じて送っていただきたい~。

今回コラボご希望になった「シェアハウス物語」は昨年発表なさった作品で、大学生宇宙そらくんが暮らすことになったシェアハウスでのハートフルな人間模様です。

拍手がらみの話ということですのでどうしようかなと悩みましたが、「応援の拍手」で書くことにして、まず今回は折り紙アーティストのワンちゃんをメインにお借りしました。けいさん、ありがとうございます!

そして、うちからは、あの店が再登場しています。


「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね


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頑張っている人へ - Featuring「シェアハウス物語」
——Special thanks to Kei-san


 山から下りてくる道は、双方向とも一車線しかない細い道で、切り立った崖のおかげで実際の日暮れよりも早く暗くなる。

 千沙は、ゆっくりと中央線にあわせてハンドルを切り、ブレーキを踏まずにきれいにカーブした。それからすぐにトンネルが来た。コンクリートの壁、独特のオレンジの電灯、千沙は不意に思い出して少しだけ悲しくなった。

 時夫君。私はトンネルを普通に通れるようになったよ。あなたも頑張れるよね。

 時夫は、千沙の父方の従兄だ。同じ街で育ち、それから大学に入った時に埼玉に引越した。千沙が二年遅れてやはり東京の大学に進んでから四年間、下宿が比較的近かったので時おり逢った。とくに千沙が運転免許を取りたての頃、彼に頼んで高速や山道の運転の特訓をしてもらった。

「おい。そんなにブレーキを踏むなよ」
「だって、怖いんだもん」
「そんなことやると、後から衝突されるよ。もっとスムースに走らせなくちゃダメだ」
「わかっているよ」

 そして、トンネルに入ると千沙は速く走れなかった。
「なんでだよ」
「だって、壁にぶつかりそうなんだもん」

 トンネルの壁が車の左側を擦りそうな感じがしたのだ。そして、中央線の反対側には強い光を放つ対向車が向かってくる。上手くすれ違えるか不安になる。

「ぶつかるかよ。これまで走っていた道と同じ幅じゃないか。まっすぐ道の真ん中を見て、同じスピードで走れ」
「う、うん」

 時夫は、口は悪くても千沙にとっていい教師だった。根氣よく、粘り強く指導してくれた。だから、大学を卒業して就職する頃には、千沙は、上手とまではいかなくとも、少なくとも他人に迷惑をかけない程度には運転できるようになっていた。

* * *


 ようやく帰り着いたが、千沙は、車を駐車したあとにまっすぐにマンションには入らなかった。トンネルを過ぎた一時間ほど前からの、もの悲しい想いを誰もいない自宅には持ちかえりたくなかったのだ。

 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が一人で切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、開店してから五年ほどの間にそこそこの固定客が付き、暖かい家庭的な雰囲氣で満ちている。

「いらっしゃいませ。あら、小林さん。今日は少し遅かったかしら」
涼子は千沙に笑いかけた。

「秩父に出張だったの。この時間は、いっぱいね」
そう言って、カウンターを見回した。いつもの常連である西城や橋本の他に、始めて見る国際色豊かな客たちが四人ほど座っていて、その間の一席だけがかろうじて空いていた。

 その席の隣にいた黒髪の女性がにっこり笑って自分の椅子を動かした。どうぞ座ってくださいという意味だと思ったので、千沙は会釈してその席に向かった。

「ワンちゃん、もっとこっちに来ても大丈夫だよ」
肌の色が浅黒く、目の大きなアジア系の男が、意外に流暢な日本語で言った。ワンちゃんってことはこの人も日本人じゃないのかな、そう思いながら千沙は座った。

「今日はどうしますか?」
涼子が暖かいおしぼりを手渡してくれた。今日の装いは黒地に赤や黄土色の縦縞の入った縮緬の小紋だ。袖に手を添えて出す所作がきれいで、千沙はいつも感心する。こういう大人になるのが理想だけれど、いつになることやら。

「今日は、少し酔いたい氣分だから、最初っから熱燗にしてもいいですか」
千沙が言うと、涼子は目を丸くした。

「そうなの? 銘柄はどうしましょうか」
「う~ん、わからないけれど、飲みやすいのはどれかしら」
「そうねぇ。出羽桜の枯山水はどうかしら。三年醸造でわりとふっくらとした味わいだけれど」
千沙はこくりと頷いて、それを頼んだ。

 それまで賑やかに飲んでいた国際的なチームは、千沙に遠慮したのか、少し小声にして飲んでいた。

 一方、既に出来上がっている西城と橋本は、涼子が熱燗を用意しながら、カウンター越しに千沙への突き出しや小皿を置いている間に話しかけてきた。

「どうしたんだい、千沙ちゃん。酔いたい、だなんてさ」
「俺っちが、はっなしを聴いてあげよっか?」

「ちょっと、お二人とも、酔っぱらって小林さんに絡まないでくださいな」
涼子が嗜めると、二人とも赤い顔をして、滅相もないと慌てて手を振った。

 千沙は、笑って二人の方を見てから涼子に答えた。
「大丈夫ですよ。実はね、運転中に車の特訓をしてくれた従兄のことを思い出して、悲しくなっちゃったんです。その従兄ね、いまガンで闘病中なんです」

「まあ、そうなの? それは心配ね」
「仕事熱心のあまり、おかしいと氣づいてからもしばらく検査に行かなかったらしくて、ちょっと進んじゃっているみたいなんです。ほら、若いと早いって言うじゃないですか」

「そりゃあ、悲しくもなるよなあ」
「でもっ。希望っを、失っちゃ、ダメだよなっ。俺っちも、よくなるように、祈るからっさ」

 あらあら、ろれつが回っていない。この酔い方では、おそらく明日になったら何の話題をしていたかも憶えていないだろうなと思いつつも、千沙は微笑んだ。

「その従兄、私と違って優秀だったんです。子供の頃から努力家で、頑張りやで、私が何か出来ないと助けてくれたんですよ。車の運転もそうで、国から出てきた身内が他にいなかったこともあるんですけれど、下手な私にずいぶんとつきあってくれて。それを思い出したら、私は彼のために何も出来なあと、悲しくなっちゃって」

 千沙は、暖かい土色の猪口に浮かんだ枯山水の波紋を眺めながら言った。湯氣の暖かさ、涼子や常連たちの思いやりのある言葉にホッとする。

「そうね。きっとよくなるって信じて陰ながら応援することも、彼の力になるんじゃないかしら」
涼子がそういうと、西城と橋本も大きく頷いた。

「そうだよな。よしっ。俺っち、この箸袋で鶴を折るぞ。そうしたら、千羽鶴にしてさ……」
西城はそういいながら鶴を折りだしたが、手元が危うくて上手く折れていなかった。

「ええ。西城さん、それじゃ、やっこさんになっちゃいますよ」
「うるさいな、ハッシーは、黙って、一緒に折るんだよ。そのイトコを応援するんだってば」

 左側の二人の酔っぱらいに、千沙の意識はしばらく捉えられていたのだが、涼子の驚きの声で我に返った。
「まあ。なんて素敵なの!」

 千沙が、右側を向くと、隣に座ったワンちゃんと呼ばれた女性がどこからか取り出した小さい折り紙で、あっという間にいくつもの折り鶴を完成させていた。しかもそれだけでなく、赤、オレンジ、黄色などできれいな紅葉を折っていた。

「え。この短時間に?」
千沙は、その女性が取り組んでいる別の折り紙作品に目を奪われた。

 それは、追えないほどの速さで、しかも正確に織り込まれて、あっという間に人間のような形になっていった。その小さい人物は、腕を前に差し出して重ねている。

「拍手をしているみたい」
千沙は思わず呟いた。

 ワンちゃんはにっこりと頷いた。
「そうなの。これは拍手をしている人。応援の拍手。頑張っている人への」

 その人物像の周りで、紅葉もまるで小さな手のひらのよう。一緒に拍手をしているようだ。小さな折り鶴も羽ばたいて見える。

「さすがワンちゃん。すごいな。それ、今度のテツオリで、僕たちに教えて」
一番向こうにいた、日本人の若い青年が言った。

「テツオリ?」
千沙が訊くと、青年の隣に座っている青い目の女性がにっこり笑って答えた。
「私たちのシェアハウスで時々やる徹夜の折り紙教室のことなんです。こちらのワンちゃんにいろいろな折り紙を教えてもらうんです」

 ワンちゃんは、千沙に作品の数々を渡した。
「そちらの方の分と一緒に、これもその従兄さんに差し上げてください。ここにいるみんなで応援していますからって」

 千沙は、目頭が熱くなるのを感じながら頷いた。
「はい。彼はきっと喜ぶと思います。不屈の精神を持つ人だもの、きっと頑張ってくれると思います。私もめげずに応援します」

 どんなトンネルにも出口がある。どんな下手な運転も、練習すればそれなりになる。諦めて何もしない人が好くなることはないと教えてくれたのは、他ならぬ時夫だ。

 体調や病状は、努力とやる氣だけではどうにもならない部分もあるけれど、諦めたらお終いというのは同じ。好くなることを信じよう。応援することしか出来ないけれど、せめてそれだけは続けよう。

 週末は、ここにある全ての折り紙を持って彼を元氣づけるためにお見舞いにいこう。千沙は、熱燗を飲み干すと、自分も下手ながらも折り鶴を折るために、箸袋を広げた。

(初出:2017年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】黒髪を彩るために

scriviamo! 2017の途中なのですが、今日は別枠の小説を発表します。月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の……」シリーズ、去年は試験的に「四季の……」で年四回にしたんですが、今年は再び月一シリーズとして復活しました。今年は「十二ヶ月のアクセサリー」です。一月のテーマは和風に「つまみ簪」です。

短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む



黒髪を彩るために

 紅、白、薄桃色。指の先の大きさにも満たない布のパーツを順番に並べていく。「つまみ」は、小さな絹を折ったパーツを組み合わせて簪や櫛飾りなどを作る、江戸時代から続く伝統工芸だ。

 折った布の曲線が外に出る丸つまみ。赤いちりめんのパーツを五つ使って梅の花。大きさを変えて咲き誇る紅白の梅の花をつくる。

 折り目を外側に尖らせる剣つまみは、たくさんの花弁にできるので、菊の花を作る。外側を華やかな曙色、わずかずつ白みの多い桃色の布を使ってグラデーションをつけていき、一番内側は純白にした。そして、枝垂れ梅のように紅白の花房さがりを垂らす。花の中心は小さな淡水パールで上品に留めた。

 できた。恵美は簪を外の光にかざして眺めた。

 かつて姉の初子が作っていたものとは違って、よく見ると糊がしみ出してしまっているところや、上手く折れていなくて左右対称でないところもあるのだけれど、こんな大作を一人で作ったのは初めてだから満足だった。

「簪、恵美ちゃんの成人式に間に合わせなくちゃね」
初子は、大学生だった恵美に優しく微笑んだ。

「そんなこといいから、休んでいてよ。一昨日退院したばかりなのに、もうこんなに根を詰めて」
恵美は慌てて言ったものだ。

 初子は身体が弱くて、いつも家にいた。大学に行くこともなかったし、就職もしなかった。家の中でできること、体力を使わなくていいことしかできなかったが、その分手先がとても器用で、手芸の類いは何でも出来た。

 通信教育で習ったつまみ細工にもその才能が遺憾なく発揮されたので、和装小物のメーカーに納品するようになった。

 大きいかまぼこ板のような木の板の上に薄く糊を伸ばす。ピンセットで器用に折った小さなちりめんや羽二重の布を手早く並べていく。そして、それを銀色のパーツの上に載せて美しい小さい花を完成させていく。つまみ細工はその繰り返しだ。辛抱強くて几帳面な初子にぴったりの仕事だった。

 恵美が成人式に振袖を着ることになると、大喜びで簪を作ってくれると言った。

 恵美は、大正ロマン風の振袖を買ってほしかった上、つまみ簪よりもオーガンジーなどで出来た洋風の飾りが欲しいと思っていたのであまり乗り氣ではなかった。両親が大喜びで「よかったわね」と言うのも面白くなかった。

 子供の頃から、両親の姉と自分への関心には差があるように感じていた。彼らは身体が弱くて入退院を繰り返していた娘を心配していたのだろう。運動会にも出られない、遠足にも行けない初子のことを「かわいそうにね」と慰め、国語や算数で優秀な成績をとると褒めちぎった。一方、健康だけれど成績もそこそこだった恵美は、褒めてもらった記憶もあまりないし、何事も二の次にされてきたと感じていた。それによく叱られた。

 恵美は初子のことを嫌いだったわけではない。少しは妬んだけれど、いつも優しく穏やかだった初子、苦しくてもけなげに耐えている姉のことを偉い人だと思っていた。それに、いつまでもそうやって一緒にいてくれるのだと思い込んでいた。

 でも、初子は恵美の成人式まで生きられなかった。つまみ簪も完成しなかった。

 成人式用に、好きな髪飾りを買ってくれると母親に言われたとき、恵美は首を振った。
「初子姉さんの作ってくれた簪をする」

「でも、あれは作りかけで、目立つところの花弁が欠けているわよ」
「いいの。あれをつけたいの」
恵美は泣きながら言った。他の髪飾りが欲しいなどと思ったりしなければよかった。姉さんに作ってくれたお礼も言えなかった。

 伝統工芸だから、レンガ色と抹茶色で幾何学的な模様のモダンな着物には合わないだろうと思っていたが、それは恵美の思い違いだった。初子は、若竹色と落ち着いたレンガ色のちりめんを使い、剣つまみの内側の花弁を黒にすることで、モダンなデザインの簪を作ってくれていた。

 行動範囲が狭まっている分、彼女の宇宙は小さなピンセットと細い指先から生み出されて自在に広がっていたのだ。恵美は、生きているうちにもっと姉と話して、その心の中の宇宙を覗けなかったことを後悔していた。偏狭で思い込みに縛られていたつまらない自分を悔やんだ。

 同級生たちはその簪を見て、変な顔をした。黙って目を見合わせてから、影でくすくす笑った。恵美は、姉の形見であることを誰にも言わなかった。それは、心ない同級生たちとの会話で穢されたくない神聖な思い出だった。人になんてわかってもらわなくていい。私の黒髪を美しく飾ってくれようと心をこめてくれた姉さんの想いがここに刺さっているんだからと。

 そして、その成人式からもうじき十五年が経つ。

「お母さん、ただいまー」
玄関の引き戸ががらりと開いた。恵美は、もうそんな時間かと驚いた。

「おかえりなさい、初音。あら、またそんなに汚して」
お転婆娘は、またどこかで泥だらけになってきたらしい。

「公園でちょっと滑り台に乗っただけだよ。でも砂場が湿っていたんだもん」
「公園に行くのは、一度帰ってランドセル置いて、着替えてからっていつも言っているでしょう、もう」
「ごめんなさい。忘れちゃった」

 恵美は初音の頭をそっと撫でた。両親が自分に対して感じいていたことを、今は理解できる。健康で元氣よく飛び回っていることは、どんなに有難いことだろうか。漢字の書き取りがバッテンだらけでも、何を着せてもすぐに泥だらけにしてしまっても。何度叱ってもいう事をきかないので、しょっちゅうは褒めないけれど、でも、愛しい娘であることには違いはないのだ。

「お母さん、これ作っていたの? きれいだね」
初音は、簪を覗き込む。

「ふふ。これは初ちゃんのよ」
「私の? 本当? 今もらっていいの?」
「あら、今オモチャにしちゃダメよ。初詣の時に、おきもの着るでしょう。その時にね」

「ふうん。そうか。マイコさんみたいにするんだものね。でも、お母さん。おきものはいいけれど、ぞうりはいたいから、きらい。ビーチサンダルはいちゃダメ?」
「う~ん。それは、いまいちだと思うなあ。でも、痛いのはつらいよね。写真撮らない時はそれでもいいかしら。少なくとも運動靴よりはいいわよね」

 せっかくの簪でばっちり可愛く決めようと思ったんだけれどなあ。カエルの子はカエルだからしかたないかなあ。

 恵美はため息をつくと、タンスの上の初子の写真を振り返った。姉は、昔と変わらずに優しく微笑んでいた。


(初出:2017年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】今年こそは〜バレンタイン大作戦

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第四弾です。ダメ子さんも、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

新しいプランができてる
じゃあ私も久しぶりに思い切ってBプランを注文しますです


ダメ子さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人です。かわいらしい絵柄と登場人物たちの強烈なキャラ、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

せっかくなので「ダメ子の鬱」のたくさんのキャラたちのうち、ダメ子さんのクラスの男の子三人組、とくにチャラくんをお借りしてお話を書かせていただくことにしました。といっても、実際の主役は、一年に一度だけ出てくる、あの「後輩ちゃん」です。チャラくんはバレンタインデーのチョコを自分ももらいたいと思っているのですが、毎年この後輩ちゃんからのチョコを受け取り損ねているんです。

快くキャラをお貸しくださったダメ子さん、どうもありがとうございました。名前はダメ子さん式につけてみました。「あがり症のアーちゃん」と「付き添いのつーちゃん」です(笑)


【追記】
ダメ子さんが、バレンタインデーにあわせてお返しのマンガを描いてくださいました! アーちゃんのチョコの運命やいかに(笑) ダメ子さん、ありがとうございました!

ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」



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今年こそは〜バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 今日は例の日だ。2月14日、聖バレンタインデー。アーちゃんは、がたがた震えている。たかだか先輩にチョコを渡すだけなのにさ。

「ごめんね、つーちゃん。つきあわせて。でも、私一人だと、また去年の二の舞になっちゃう」

 アーちゃんは、とんでもないあがり症だ。昨日も授業で当てられて、現在形を過去完了に変えるだけの簡単な質問に答えられなかった。答えがわからなかったのではなくて、みんなの前で答えるというシチュエーションにパニックを起こしてしまったのだ。先生もいい加減アーちゃんがこういう子だって憶えりゃいいのに。

 そんなアーちゃんだけれど、意外と執念深い一面も持ち合わせていて、もう何年もとある先輩に懸想している。バスケ部のチャラ先輩だ。カッコ良くて女性の扱いの上手いモテ先輩ならわかるけれど、なんでチャラ先輩なんだろう。まあ、明るくてけっこう優しいところはあるけれどさ。

「前ね、今日みたいに授業で答えられなくて、クラスの男の子たちに下駄箱で嗤われたことがあるの。そこにチャラ先輩が通りかかってね。『かわいそうだから、やめろよ』って言ってくれたの」
「それ、いつの話?」
「えっと、中学のとき」

 何ぃ? そんな前のこと?
「もしかして、この高校を受験したのは……」
「うん。チャラ先輩がいたから。あ、それだけじゃないよ、偏差値もちょうどよかったし、家からもわりと近かったし」

 全然近くないじゃない。やっぱりこの子、変わってる。そんなに大好きなチャラ先輩に、告白が出来ないどころか、もう何年もバレンタインデーのチョコを渡しそびれているらしい。なにをやっているんだか。

 スイス産のクーベルチュール、70%カカオ、それにホワイトチョコレート。純国産のミルクチョコレートにとってもお高い生クリーム。彼女ったら、あれこれ買ってきて、レシピも調べて研究に余念がなかった。そして、なんとけっこうプロっぽい三色の生チョコを作ったのだ。

「わざわざ用意したんだから、あとは渡すだけじゃない。何で毎回失敗しているの?」

「だって、先輩、二年前は部活に来なかったの。去年は、ものすごく素敵なパッケージのチョコレートを食べながら『さすが、味も包装もまるでプロ並だよな』なんて言って通ったの。私のこんなチョコは受け取ってくれないかもと思ったら、渡せなくて」

 私はため息をついた。そんな事を言って食べているってことは、本命チョコのはずはないじゃない。でも、舞い上がっていて、そんなことを考える余裕がなかったんだろうな。

「わかった。さすがに一緒に行くってわけにはいかないけれど、途中まで一緒に行ってあげよう。どんなチョコにするの? パッケージもちょっと目立つものにするんだよ。義理っぽいものの中では目立つようにね」

 私がそういうと、アーちゃんはこくんと頷いた。
「ごめんね、つーちゃん。その日は他に用事ないの?」
「あ? 私は、そういうのは関係ないからさ。友チョコとか、義理チョコとか、そういう面倒くさいのも嫌いだからやらない宣言してあるし」

 というわけで、私は柄にもなく、きゃーきゃーいう女の子たちの集う体育館へと向かっているのだ。バレンタインでへの付き添い、この私が。チャンチャラおかしいけれど、これまた経験だろう。

 バスケ部のところに女どもが群がっているのは、どう考えてもモテ先輩狙いだろう。あんなにもらうチョコはどう処理しているんだろう。全部食べるわけないと思うんだけれど。女の私だって胸が悪くなるような量だもの。でも、目立つように処分したりするようなことはしないんだろうな。そう言うところは絶対に抜かりないタイプ。

 チャラ先輩は、そんなにもらうとは思えないから、いかにも本命チョコってパッケージのあれをもらったら、けっこう喜ぶと思うんだけれどな。アーちゃんは、かわいいし。

 もっとも男の人の「かわいい」と私たち女の思う「かわいい」って違うんだよね。男の人って、「よく見ると味がある」とか、「人の悪口を言わない性格のいい子」とか、「あがり症でも一生懸命」とか、そういうのはポイント加算しないみたい。むしろ「意外と胸がある」とか、「かわいいってのは顔のことでしょ」とか、「小悪魔でちょっとわがまま」とかさ。まあ、こういう分析をしている私は、男から見ても、女から見ても「かわいくない」のは間違いないけれど。

「つーちゃん、待って。私、ドキドキしてきた」
その声に我に返って振り向くと、アーちゃんが震えていた。まだ体育館にもたどり着いていないのに、もうこれか。これで一人で、先輩のところまで行けるんだろうか。

「いい、アーちゃん。あそこにモテ先輩と群がる女どもが見えるでしょ。あそこに行って彼女たちを掻き分けて先輩にそのチョコを渡すことを考えてご覧よ。どんなに大変だか。それに較べたら、ほら誰も群がっていないチャラ先輩のところにぴゅっと走っていって、『これ、どうぞ!』と手渡してくるだけなんて楽勝でしょ?」

 私は、チャラ先輩がムツリ先輩と二人で立っているのを見つけて指差した。二人は、どうやらモテ先輩がたくさんチョコをもらっているのを眺めながら羨ましく思っているようだ。
「これはチャンスだよ。自分も欲しいなあ、と思っている時に本命チョコを持って女の子が来てくれるんだよ。ほら、早く行っておいで」

 私の入れ知恵で、パッケージにはアーちゃんのクラスと名前が入っているカードが忍ばせてある。あがってひと言も話せなくても、チャラ先輩が興味を持ってくれたら自分から連絡してくれるはずだ。少なくともホワイトデーのお返しくらいは用意してくれるはず。……だよね。


 アーちゃんは、よろよろしながら体育館の方へと走っていく。えっ。何やってんの、そっちは方向が違うよ。

 彼女は、チャラ先輩の方にまっすぐ走っていかずに、モテ先輩の人だかりの方に迂回してしまった。人に紛れて見えないようにってことなのかもしれないけれど、それは誤解を呼ぶぞ。

 あらあらあら。あれはキツいバスケ部のマネージャーだ。モテ先輩とつきあっているって噂の。アーちゃんの持っているチョコを目ざとく見つけてなんか言っている。「抜け駆けする氣?」とかなんとか。

 アーちゃんは、慌てて謝りながら、モテ先輩の周りにいる女性たちから離れた。そして、動揺したせいか、その場に転んでしまった。私はぎょっとして、彼女の方に走っていった。

「アーちゃん、大丈夫?」
「う、うん」

 全然大丈夫じゃないみたい。膝が擦り剥けて血が出ている。手のひらからも出血している。
「わ。これ、まずいよ。保健室行こう」

 でも、アーちゃんは、自分よりもチョコの箱の惨状にショックを受けていた。
「つーちゃん、こんなになっちゃった」

 不器用なアーちゃんでもきれいに詰められるように、テトラ型のカートンにパステルカラーのハートを可愛くレイアウトして印刷したものを用意してあげたのだけれど、転んだ時のショックで角がひしゃげてしまっている。幸い中身は無傷のようだけれど。

「えっと、大丈夫?」
その声に見上げると、チャラ先輩とムツリ先輩だった。アーちゃんは、完璧に固まっている。

「だっ、大丈夫ですっ!」
彼女は、チョコの箱を後に隠して立ち上がった。
「わっ、私、保健室に行かなきゃ! し、失礼しますっ」

「あ、そのチョコ、モテにだろ? 僕たちが渡しておいてあげようか?」
チャラ先輩は、一部始終を見ていたらしく、覗き込むようにちらっと眺めながら言った。お。チャンス!

「え。いや。そうじゃないです! そ、それにもう、潰れちゃったから、渡せないし、捨てようかと……」
アーちゃんは、焦って意味不明なことを言っている。そうじゃなくて、これはチャラ先輩に持ってきたって言えって。

 パニックを起こしている彼女は、誤解を解くどころか、箱をよりにもよって私に押し付けて、ひょこひょこと校舎に向かって走っていった。ちょっと。これをどうしろって言うのよ。

 思いあまった私は、潰れた箱をチャラ先輩の手に押し付けた。
「これ、モテ先輩に渡したりしちゃダメですよ。 中身は大丈夫のはずだから、食べてくださいね!」
 
 あとはチャラ先輩がこれを開けて、中のカードをちゃんと読んでくれることを祈るのみ。中の生チョコが潰れていなければ、カードに必要な情報が全部書いてあるはずだから。

 ところでアーちゃんは「チャラ先輩へ」ってカードにちゃんと書いたのかな。今は、それを確かめようもない。私はアーちゃんを追わなくちゃいけないし。

 ああ、この私が加担したにもかかわらず、今年も前途多難だなあ。

(初出:2017年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【写真】20枚の写真

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第三弾です。ポール・ブリッツさんは、引き続きプランBでのご参加もしてくださいました。プランBは、まず先に私が書き(描き)、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。下記のようなリクエストをいただいています。

「これはないだろう」というような無理難題をお待ち申し上げております。


SなんだかMなんだかよくわからないポールさんですが、どうやったら無理難題を出せるのか、しかも失礼にならないように。最初はいつだったか嫁に出したうちの美穂とポールさんところのポールに波風でも立てるかなどという案も考えたんですが、つまんなかったので却下。

というわけで、こちらが書く小説での挑戦はやめました。下に書くことを読んだ方は「ひどい」とお思いになるかもしれませんけれど、私だってやりたくて無理難題を考えだしているわけじゃないんですよ。あくまでもご希望なので(笑)


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



20枚の写真
——Special thanks to Paul Blitz-san


scriviamo!は、イラストや写真などでも参加できるので、それを使ってちょっと変わったお題を出したいと思います。

以前、66666Hit記念で、みなさまから募集した35個の名詞を使って小説を書いていただく企画をやったことがありますが、あれの写真編をやってみたいと思います。

下に表示されているのは、すべて私が撮った写真です。20枚あります。スイスのものもありますし、他の国のものもあります。

この写真のうち、少なくとも5枚を使って、その情景に上手く合うようなストーリーを作っていただきたいと思います。

写真には、純粋に写真に興味を持ってくださる方のために、下に説明文が添えてありますが、それがどこのものか、実際にどういうシチュエーションで撮ったものかは無視してくださってけっこうです。目で見た写真とストーリーがマッチしていればそれでOKです。順番ももちろん関係ありません。

もちろん20枚全部を使っても構いません。複数の作品にしていただいても構いません。(一篇に写真5枚以上は必須ですが)

写真の著作権は放棄しませんが、この企画で使う場合に限り、ご自由にダウンロードして作品に貼付けていただいてけっこうです。

ちなみに、ポールさん以外の方で「面白いから私もやりたい」と思われる方もどうぞご自由にご参戦ください。



scriviamo! 2017 Photos (1)
教会の祭壇です。聖母子像ですね。

scriviamo! 2017 Photos (2)
こちらはホテルのレストラン。

scriviamo! 2017 Photos (3)
八月になるとトウモロコシがぐんぐん育って、背の高さを超えると「夏も終わりだ」と実感することになります。

scriviamo! 2017 Photos (4)
昔の街並の残る旧市街は壁で囲まれていて、そこに入るのにこうした門を通っていくことが多いです。

scriviamo! 2017 Photos (5)
秋のエンガディンは金色に色づいた落葉松が印象的です。

scriviamo! 2017 Photos (6)
とある公園にて。黄葉の下でまどろむ彫像。何を夢見ているのでしょう。

scriviamo! 2017 Photos (7)
空港はいつもドラマの予感。長距離フライトがあまり好きではなくなった今でも、ここに来るのはやはりちょっぴりときめきます。

scriviamo! 2017 Photos (8)
雪の止んだ月夜。普段よりも幻想的な光ですね。

scriviamo! 2017 Photos (9)
ホテルのロビーにて。私たちの旅行では、ここでいろいろとドラマが生まれているのです。

scriviamo! 2017 Photos (10)
これもホテル。でも、立派なお屋敷もこういう感じなんじゃないかしら。

scriviamo! 2017 Photos (11)
ちょっと特殊な写真ですね。

scriviamo! 2017 Photos (12)
これはイタリアとの国境です。時おり誰もいません。フリーバス。

scriviamo! 2017 Photos (13)
これはマッジョーレ湖ですかね。南国の明るさにあふれた湖水です。

scriviamo! 2017 Photos (14)
時計博物館で撮った写真です。アンティークのものですけれど、自宅にあったらちょっとこわいなあ。

scriviamo! 2017 Photos (15)
これも冬の夜。なんてことのない光景ですけれど心うたれたのでパチリ。

scriviamo! 2017 Photos (16)
これはポルトで撮った写真。洗濯物は生活感あふれています。カラフルなところが氣にいりました。

scriviamo! 2017 Photos (17)
ポルトの夜景です。

scriviamo! 2017 Photos (18)
会社の近くにある教会の外にある彫刻。レンギョウの花の咲く季節ですね。

scriviamo! 2017 Photos (19)
イタリアとの国境に近いブレガリア地方にて。黄色いバスはこの辺りの唯一の公共交通機関です。

scriviamo! 2017 Photos (20)
我が家の近くにて。たまにこういう空の色が見られます。


【追記】
ポール・ブリッツさんがお名前のごとく稲妻スピードでお返しを書いてくださいました。しかも物足りないからとご自分でハードルをあげられたようです。ありがとうございました!

ポールさんの書いてくださった小説「キングも知らない


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Posted by 八少女 夕

【小説】異国の女と謎の訪問者

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第二弾です。ポール・ブリッツさんは、私の小説群に出てくる架空の村、カンポ・ルドゥンツ村の出てくるスパイ小説で参加してくださいました。

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『カンポ・ルドゥンツの来訪者』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。どうも、こういう企画は難しい挑戦をしないといけないとお思いになっているらしくて、毎年しょっぱなから大いにハードルをあげてくださるブログのお友だちです。でも、挑戦されたからと言って、応える方の技量には限りってモノが……。まあ、いいや。

いやー最近読んでいるスパイ小説が面白くって(^^)


この参加宣言と、あちらの小説のみなさんのコメントでは、私もスパイ小説でお返しすることを期待されているような氣もしますが、そう簡単に書けるわけないじゃないですか。しかも舞台がカンポ・ルドゥンツ村ですよ。何もないし。というわけで、こんな話になりました。例によって真相は「藪の中」です。なにが本当でなにが憶測なのか、謎の男は何しにきたのか、ポーランド人と、ロシア人は、スパイ小説とどう関わっているのかもしくは全然関わっていないのか、それは読者の想像にお任せします。

登場するトミーとリナは、去年のscriviamo!をはじめとして、私の小説では既におなじみのキャラなのですが、別に読まなくても大丈夫です。一応シリーズのリンクはつけておきますけれど……。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズ
「酒場にて」

「scriviamo! 2017」について
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「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



異国の女と謎の訪問者
——Special thanks to Paul Blitz-san


 道は凍り付いている。育ち始めた霜は、結晶を大きくさせて、雪が降ったあとのようにあたりを白くしている。カンポ・ルドゥンツ村は、ライン河の東岸にある小さな村だ。小高い丘の上にある少し裕福な人たちの住む場所は別として、泉のある村の中心部には三ヶ月にわたり一度も陽の光が差さない。

 河向こうにあるサリス・ブリュッケと違い住民も少ないこの村は、冬の間はまるで死んだかのように人通りがない。かつては広場を囲んで三軒あった旅籠兼レストランのうち今も営業しているのは一軒のみで、他には村の中心部からかなり離れたところにバーとそれに隣接した有機食料品店があるだけだ。

「こんにちは、トミー!」
そのバーの扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、そんな寒村には全く似合わない派手な出立ちの娘だ。鮮やかな緑のコートは確か雑誌で見かけたバリーの新作だし、その下から現れた白いミニ丈のニットドレスは、どこのブランドかわからないけれど今年のトレンドであることは間違いない。黒いタイツに茶色いロングブーツのバランスもこだわりを感じさせる。それがわかるトミーだが、そんなことを容易く褒めてはやらないのが彼らしさだ。

「リナ。いつお外が春になったのよ」
「なっていないわよ。マイナス10℃ってところかな。寒かった~」
「だったら何でそんな恰好をしているのよ」
「だって今日はこういう氣分なんだもん」

 『dangerous liaison』は、コンサバティヴで過疎な寒村カンポ・ルドゥンツ村のはみ出しものが集うバーだ。ゲイのカップルであるステッフィとトミーが経営している。青とオレンジを基調とした南国風の室内装飾はこのあたりでは滅多にない派手なインテリアで、やってくる客もこの谷の半径三十キロ地点にいるはみ出しものばかりだった。

 この村に住むリナ・グレーディクもその一人で、週に二度ぐらいはこの店にやってきてトミーに新しいファッションを披露するのだった。

 カウンターの奥でクスっと笑う声がしたので顔を向けると、ノヴァコフスキー夫人で通っているイリーナが壁についたカラフルなシミのように座っていた。このバーの常連の中で最高齢だと思われ、正確な歳は誰も知らないがおそらく八十歳は超えているはずだ。夫のノヴァコフスキーは五十過ぎてから結婚してこの村に彼女を連れてきたが、彼が亡くなった後三十年ひとりで近くのアパートメントに住んでいる。

「あれ。一人? お客さん、帰ったの?」
リナは訊いた。

 前回この店にきた時に、常連である自動車工マルコが大騒ぎしていたのを耳にしていたのだ。
「おい。知っているか? ノヴァコフスキーの後家婆さんのところにボーイフレンドが来ているぞ! あの歳でやるよな」

「どんなヤツだ?」
「外国人だよ。顔立ちから言うと南欧の男かな。でも背はかなり高い。どこにでもいそうな老人だ」

 マルコの情報によると、村の中心にある旅籠に滞在しているということだった。そして、イリーナが彼を訪ねてきて二人で自宅に向かったのを目撃したレストランの常連たちが、驚きと興味を持って二人の関係についてあれこれ詮索して騒いでいたというわけだった。

「あの婆さんもポーランド人だったっけ」
「いや。確かロシア人だったはずだ。ティツィーノ州からやってきたらしく、イタリア語が達者なんだ」
「ああ。亡命貴族が多いんだよな。革命の時にごっそり持ち出した財宝でマッジョーレ湖のヴィラで優雅に暮らしている帰化者がいっぱいいるって話だ」
「そんな金持ちが、ヤン・ノヴァコフスキーみたいな貧乏人と結婚してこんな田舎に来るか」
「さあな。貴族の召使いの子弟ってのもいるだろう」

「そもそもヤン・ノヴァコフスキーは何でこの村に来たんだっけ?」
「ああ。ありゃ戦争捕虜だよ。フランスで従軍していたんだが、ドイツに投降するくらいなら、スイスに入った方がマシな扱いを受けるからって越境してきたんだ。で、戦後に村の娘と結婚して帰化したはずだ」
「なるほど。その娘が亡くなってから後添いに来たのがあのイリーナ婆さんってことだな」

「その婆さんが、今度は別の外国人をこの村に連れてくるってことか? はてはて。で、今度は何人かな」

 そんな噂が村の中心を駆け巡っていたのが四日ほど前だった。だが、村人の予想に反して、謎の南欧風の男は迎えにきた車に乗ってどこかへと去っていった。

 リナの質問は、村の噂がすでにバー『dangerous liaison』にまで広がっていることや、自分が村の好奇心の対象となっていることを示していたので、イリーナは笑った。銀髪を優雅に結った女性で、若いころと変わらずに魅力的で秘密めいた微笑みを見せる。未亡人となってからはいつも黒い服を身につけているが、纏っているスカーフが色とりどりで華やかだ。

「ええ。帰りましたよ。昨日ね」
それから、トミーにワインのお替わりを頼んだ。

 すぐに帰るつもりはないと判断したリナは、イリーナの隣に座った。
「イリーナの家族?」

 イリーナは首を降った。
「いいえ。友達よ。ペンフレンドね」
「ペンフレンド?」

「ええ。いつだったか州都のスーパーマーケットで、告知をみつけたの。キリル文字で書かれていたのよ。懐かしかったから近寄って見たらペンフレンド募集だったのよ。それで連絡して文通するようになったの。この歳になると、使わないと、すっかり忘れて使えなくなってしまうのよ」

 リナはカンパリソーダを飲みながらイリーナの顔を覗き込んだ。
「イリーナはポーランド人じゃなかったんだ」
「いいえ。私の両親はロシアの出身なのよ。革命から逃げてティツィーノ州に来たの。私はイタリア語圏スイスで生まれ育ったんですよ」

「でも、イリーナはずいぶんきれいなドイツ語を話すよ? どうやって覚えたの?」
「若いころにルガーノに住んでいたドイツの男爵のところで働いていましたからね」

「リナ。あんたはいろいろな事を不躾に訊きすぎるわよ」
トミーが注意した。リナは「ごめん」とは言ったが、反省している様子はなかった。

「いいのよ。変な噂を流されるよりは、訊いてくれた方がすっきりするわ」
イリーナはワインを飲んだ。

 それで、リナは勢いこんで更に訊いた。
「それで、文通をしていた友達が会いにきたのね?」

「そうよ。変わった人でね。ペンフレンドを募集しておきながら、応募してくる人間がいるとは思わなかったなんて書いてくるし、特に文通がしたかったわけでもないみたいだったの。単に婆さんの書いてくる田舎の日常が面白かったから、暇つぶしに時々手紙をくれたみたいね。だから、まさか逢いにくるとは夢にも思わなかったんだけれど」

「じゃあ、何で来たのかしらね?」
リナが訊くと、老女はおかしそうに笑った。
「オクローシカを食べたかったみたいね」

「何それ?」
リナとトミーが同時に訊いた。

 イリーナは笑って言った。
「冷たい野菜スープの一種よ。クワスという発酵飲料で作るの。私は母からクワスの作り方を習っていたので、パンと酵母で手作りしているんですよ。この前の手紙でその話を書いたら、一度訪問したいって書いて来てね。大都会ならペットボトル入りのクワスが専門店で買えると思うんだけれどねぇ」

「ああ、それはわかるわ。故郷を離れていると、なかなか手に入らない手作りの味が無性に恋しくなるのよね」
トミーが頷いた。

* * *


 その頃、村の中心にある旅籠のレストランでは、男たちがまさにイリーナ婆さんと謎の男の噂をしていた。

「俺は、あの男はにはどこかおかしいところがあるように思うんだ」
マルコが熱弁を振るっている。他の男たちはビールを飲みながら首を傾げた。
「どこが?」

「第一に、こんな何にもない村にいきなりやって来たかと思うと、へんな送迎の男たちと去っていっただろう」
「はい、はい。また始まった。お前、外国人とみるとすぐになんかの陰謀だと言い出すんだよな」

 マルコはムキになって続けた。
「おかしいのはそれだけじゃないぞ」
「なんだよ」
「あの顔さ。手は皺しわなのに、額や鼻にほとんど皺がなかった。あれは整形かもしれないぞ」

「へえ。そうなのかな」
「で、イリーナ婆さんのところに何の用だ?」
「諜報機関の奴らが、なんかの書類を受け渡しにきたとかさ。ロシアの亡命貴族とKGBの密会というのは面白い組み合わせだな。それとも亡きポーランド人の遺した第二次世界大戦の時の重要書類か」

 それを聞くと、ほかの男たちは馬鹿にした顔つきで眼を逸らすと、新しいビールを注文した。
「お前は、スパイ小説を読みすぎだ。そんなわけないだろう。寝言もいい加減にしろ。あの男はどうせ婆さんの家族か親戚か、そんなところさ」

(初出:2017年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと天空の大聖殿

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2017」の第一弾です。山西 左紀さんは、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。下記のようなリクエストをいただいています。

夕さんが気になる、或いは気に入ったサキのキャラとコラボしていただけたら 嬉しいです。


山西左紀さんは、色鮮やかな描写と緻密な設定のSFをはじめとした素晴らしい作品を書かれる方です。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

既に多くの作品でコラボさせていただいていますが、もっとも多いのが、「夜のサーカス」のキャラクターの一人であるアントネッラと、そのブログ友達になっていただいたサキさんの「物書きエスの気まぐれプロット」のエスというキャラクターとの競演です。

記念すべき初のプランBですから、やはりこの組み合わせで書きたいなと思いました。アントネッラとエスの交流の話、もしくは劇中劇形式になっているストーリーの話、どちらで遊んでいただけるのかも興味津々です。どんな形でお返事いただけるのか、いまからワクワクです。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
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夜のサーカスと天空の大聖殿 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」
——Special thanks to Yamanisi Saki-san


 風を切って雲の間を抜けていく時、《勇敢なる女戦士》ロジェスティラは、イポリトの首筋の茶色い羽毛に顔を埋めた。彼女の忠実な乗り物となったこの巨大なヒッポグリフは、そっと顔を向けて「大丈夫か」と伺うかのごとく黄金色の大きな瞳を動かした。

「怖くなんかないわ。これは武者震いよ。あの天空の大聖殿に近づくのは、お前のような神獣の助けを借りなくちゃ不可能だし、わが軍で《翼あるもの》の使い手は、いまや私一人ですもの。オルヴィエート様をお救いすることが出来るのは、お前と私しかいないんだわ」

 初めて目にした天空の大聖殿は、何と美しいことだろう! いくつもの尖塔がぎっしりとひしめき、針の山のように見えた。灰色と赤茶けた岩しか存在しない、人里離れた地の果てのごときヘロス山に、遠く離れたグラル山塊でしか産出しない青白い大理石をこれだけ運ぶ労力はどれだけのものだったのだろう。

 このように壮大な聖殿を建てても、祭司に集まる貴族たちも、祈りを捧げる民らも到達することは出来ない。五百年前の大噴火によってヘロサ新山が生まれた後、馬はもちろん、徒歩ですら近づくことが出来なくなったのだ。厳しい渓谷に阻まれたこの壮麗なヘロス大聖殿は秘密に守られて、何世紀にも渡り伝説で語られるだけの存在であった。

 ロジェスティラは、モルガントとの対決を思って下唇を噛んだ。将軍である皇孫オルヴィエートを欺き誘拐してこの大聖殿に立てこもっているのが、自分と子供時代を共に過ごした乳兄弟であることを知った時、彼女は「何かの間違いよ!」と叫んだ。けれども、それは間違いではなく、彼が邪悪な《闇の子たち》のために働いていることも疑う余地はなかった。

 いま彼女が躊躇すれば、高貴なるオルヴィエートの命やこの国の命運が失われるだけでなく、《光の子たち》の築き上げてきた世界そのものが崩壊してしまう。

「イポリト。氣をつけて。そろそろモルガントがお前の飛来を感じ取るはずよ。どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないわ」

 ロジェスティラのささやきに、イポリトは「わかっている」と言いたげに振り向いた。「あなたこそ、振り落とされないように、お氣をつけなさい」そう言っているかのように瞬きをした。

 そして、イポリトは、ますます速度を上げて、稲光の中に浮かび上がる青白い要塞に向かって降りて行った。



「う~ん。どうも陳腐だわね」
アントネッラは、ため息をつくと、エスプレッソ用品の置いてある窓辺のテーブルに向かった。

 もちろん、そこまでのほぼ全ての地面には、本と書類の山や、二ヶ月ほど前に買ってきてまだショッピングバッグに入れたままになっているトイレットペーパーや洗剤やパスタ、彼女としてはきちんと積み上げてあると認識している衣類の入った木箱などが道を塞いでいるので、彼女はその間のわずかな空間を身体を横にしたり少し飛んだりしながら通らなくてはならない。これもまたいいエクササイズだわ、というのが彼女のいつものひとり言だった。

「さてさて。ファンタジーもののセオリーには、乗っ取っているんだけれど。謀略。主人公と敵対者の闘争。主人公によるヒロインの救出……これは立場が逆ね。敵対者の仮面が剥がれ、主人公の欠如が解消される。でもねぇ。なんだかどこかで聞いたような話になっちゃっているのよねぇ。どこかに、こう、パンチのあるひねりが欲しいわ」

 窓辺に辿りつくと、彼女は少し大きめのアイボリーの缶の蓋をがたがた言わせて開けた。中からは深煎りしたコーヒー豆が現れる。彼女はフランス製の四角い木箱のついたアンティークコーヒーミルに、その豆を入れて、ハンドルをひたすら回した。美味しいエスプレッソを淹れるためには極細挽きにしなくてはならないのだ。挽きたての魅惑的な香りが、彼女の部屋に満ちた。

「ロジェスティラのイメージは、やはりあのライオン使いのマッダレーナかしらね。愛する貴公子を救うために勇敢にも敵地に一人で乗り込む美しきヒロインですもの。容姿のところを書き足さなくちゃ。オルヴィエートは、よく電話してくるあの金髪の俳優にしておこうかな。でも、敵役モルガントの容姿はどうしようかしら。暗い感じで、でも、一見は悪者に見えないような容姿がいいのよね。あ、ヨナタンの容貌は悪くないわね」

 マキネッタの最下部に水を、その上にセットしたバスケットにきっちりと粉を詰めると、ポット部分をセットして直火にかけた。フリーズドライのインスタントコーヒーを使えば、こんな手間はいらないのだが、第一に、彼女はまっとうなエスプレッソを飲む時間を持てないほど人生に絶望してはいないし、第二に、こうした単純作業は創作に行き詰まった時の氣分転換に最高だと知っていたからだ。

「なんでファンタジーを書く企画に参加しちゃったのかしら。まったく書いたことのないジャンルなのに」
彼女は、マキネッタがコトコトと音を立てはじめたのを感じながら、窓の外に広がる真冬のコモ湖を眺めた。

「そもそも私、ファンタジーをまともに読んだこともないし、この系統の映画もほとんど観ていないし。でも、参加すると手を挙げちゃったからには、何かは完成させないと。ああ、困った」

 夏場は観光客を乗せて軽やかに横断する遊覧船が、手持ち無沙汰な様相で船着き場で揺れている。谷間の陽の光は弱く、どんよりと垂れ込めた灰色の雲の間から、わずかに光が射し込んで湖畔の家々を照らしている。

 少なくともエスプレッソが完成するまでは、窓辺でこの光景を眺めていられたのだが、無情にも完成してしまったので、彼女は素晴らしい香りとともにそのコーヒーを愛用のカップに注いで、またコンピュータの前に戻らざるを得なかった。

「そうだ。エスに彼女の進捗状況を訊いてみよう。彼女は、SFは得意だけれど、ファンタジーはあまり書いたことがないって言っていたから、同じように苦労しているかもしれないし」

 エスというのは、日本に住んでいるネット上の創作仲間だ。アントネッラがインターネット上で小説を公開しだしてから数年になるが、ごく初期の頃から交流をもち、お互いの小説について忌憚なく意見を交わしている。あまり情報処理のことに詳しくないアントネッラのかわりに、エスは調べ物をしてくれたりもする。とても頼りになる友人なのだ。

 今回の企画には、エスも同じように参加している。彼女のファンタジーについての意見を聞いたら、自分の作品に足りない「何か」の正体がわかるかもしれないと思ったのだ。

 アントネッラは、創作に使っているエディタを閉じると、チャットアプリを立ち上げて、ログイン画面が現れるのを待った。

 一瞬「保存しますか?」と訊く画面がでたように思ったが、普段ならキーを押したあとに続く「どのフォルダに保存しますか」と言う問いかけが出てこないことに氣がついた。チャットアプリに保存は関係ないから、保存すべきだったのは何だったのかしらと考えてから青ざめた。

 慌ててエディタの方をアクティヴにしようと試みたが、大人しく終了してしまったらしく、うんともすんとも言わない。

 チャットアプリのログイン画面がポップに輝くのを絶望的に眺めてから、アントネッラは乱雑に机の上に積み上げられた書類の山の中に突っ伏した。


(初出:2017年1月 書き下ろし)


【11.01.2017 追記】
サキさんが、あっという間に素晴らしい返掌編を書いてくださいました! さすがです。みなさまどうぞご一読を!

サキさんの作品 「物書きエスの気まぐれプロット(26)クリステラと暗黒の石


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