scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

Tag: コラボ - 新しい順に表示されます。


Posted by 八少女 夕

【小説】異教の影

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十五弾です。TOM-Fさんは、代表作『フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス』とうちの「森の詩 Cantum Silvae」のコラボ作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

TOM-Fさんの書いてくださった小説『ヴェーザーマルシュの好日』

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広く書かれるブログのお友だちです。音楽や趣味などで興味対象がいくつか重なっていて、それぞれの知識の豊富さに日頃から感心しまくっているのです。で、私は較べちゃうとあれこれとても浅くて恐縮なんですが、フィールドが近いとコラボがしやすく、これまでにたくさん遊んでいただいています。

今回コラボで書いていただいたのは、現実の某ドイツの都市の歴史と、某古代伝説、そしてTOM-Fさんのところの『フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス』の登場人物の出てくるお話の舞台に、当方の『森の詩 Cantum Silvae』の外伝エピソード(『王と白狼 Rex et Lupus albis』)を絡めたウルトラC小説でした。

いやあ、すごいんですよ。よく全部違和感なくまとめたなと感心してしまうんですけれど、それもすごくいい話になって完結しているんです。素晴らしいです。

でも、毎年のことながら「こ、これにどうお返ししろと……」とバッタリ倒れておりました。なんか、あちらの姫君が「森の詩 Cantum Silvae」の世界を旅していらっしゃるらしいので、なんとなく全然違う話は禁じられたみたいだし……。七転八倒。

で、すみません。天の邪鬼な作品になっちゃいました。TOM-Fさんのストーリーが愛と自由と正義の讃歌のような「いいお話」で、しかも綺麗にまとまっているのに、全部反対にしちゃいました。愛と正義を否定する、言っていることは意味不明、ゲストにとんでもない態度。なんというか全くもってアレです。

まあ、「森の詩 Cantum Silvae」らしいと言っちゃえば、らしいです。この世界の人たちは、その時代の枠を越えることはできないので。(象徴的に言えば、トマトどころか、フォークすらありません! 手づかみでお食事です)

TOM-Fさんの作品と揃えたのは、「ある実在する都市の観光案内」が入っていることです。この都市のモデルを知りたい方は「ムデハル様式 世界遺産」または「スペインのロメオとジュリエット」で検索してください。

そして、すみません。あちらの登場人物の従兄ということでご指名いただいた某兄ちゃんは完璧に役不足なので無視しました。せっかくなので、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の続編で登場する最重要新キャラをデビューさせていただきます。登場人物を知らないと思われた方、ご安心ください。知っている人はいません(笑)

で、TOM-Fさんのところの姫君(エミリーじゃなくてセシル系? このバージョンもそういう仕様なのかしら?)も、グランドロン王国ではなくずっと南までご足労願っています。舞台は、中世スペインをモデルにした架空の国、カンタリア王国です。


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



森の詩 Cantum Silvae 外伝
異教の影 - Featuring「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」
——Special thanks to TOM-F-san


 その高級旅籠は、三階建でムデハル様式の豪奢な装飾が印象的だった。もし異国からこのカンタリアの地に足を踏み入れたばかりの者ならば、ここはいったいキリスト教の国なのか、それともサラセン人に支配されたタイファ諸国に紛れ込んでしまったのかと訝るところだ。

 これはサラセン人たちの技術を取り入れたカンタリア独特の建築様式で、その担い手の名を冠してムデハル様式と呼ばれていた。ムデハルとは、国土回復レコンキスタ が進むにつれて後退していくタイファ諸国に住んでいたムスリムたちのうち、技術の高さから残留を許された者のことである。レンガやタイル、寄せ木細工などを用いて幾何学模様を施したサラセン風の装飾が、異国にいるような錯覚を呼び起こす。

 今でこそ国土回復レコンキスタ は絶対的正義の大義名分を得、「憎きサラセン人どもを神の名において駆逐する」と言う者もいるが、そもそもこのカンタリア半島では異教徒とキリスト教徒たちは永らく共存し、交流をする普通の隣国同士であった。文化的にも技術的にも優れていたのはタイファ側であったので、キリスト教諸国の商人たちはタイファ諸国の地ヴァンダリスへとこぞって買い付けにいったものだ。

 その旅籠に本日逗到着した一行は、ムデハル様式の建築が盛んなこの街サン・ペドロ・エル・トリーコに初めて逗留したので、豪奢に隙間なく飾られた壁や柱を珍しそうに見回した。その旅籠は、彼らの暮らす王宮よりも美しく彩られているようにさえ見えた。
「なんというところだ」

 ぽかんと口を開けて、周りを見回す太った青年とは対照的に、影のように控えている男は顔色一つ変えなかった。そして低い声で言った。
「殿下。お部屋の用意が済んだようでございます。どうぞあちらへ」
「ヴィダル。お前には、この光景は珍しくも何ともないのであろうが……」

 ヴィダルと呼ばれた黒髪で浅黒い顔の男は、嫌な顔をした。彼もこの街に来るのは初めてなのだ。「異教徒だ」「モロ(黒人)だ」と陰口を叩かれるのを毛嫌いしている彼は、母親の出身を示唆する王子の言葉に苛立ちを感じた。

 その様子を離れたところから眺めていた客が「くすっ」と笑った。ヴィダルは、そちらを鋭く一瞥した。宿屋の中だというのに灰色の外套を身につけたままで、そのフードを目深に被っている。声から女だと知ったが、それ以上のことはわからなかった。

 王子の安全を氣するヴィダルに宿屋の主人は「ヴェーザーマルシュのヘルマン商会の方です。正式な書き付けをお持ちですから物騒なお方ではないと思います」と耳打ちした。

 カンタリアの第二王子エルナンドとその一行は、旅をしていた。表向きは物見遊山ということになっていたが、彼らには別の目的があった。そのために、センヴリ王国に属するトリネア侯国、偉大なる山脈《ケールム・アルバ》を越えた北にあるグランドロン王国の王都ヴェルドン、そしてその西にあるルーヴラン王国の王都ルーヴにそれぞれ嫁いだカンタリア王家出身の女性たちを訪れるつもりであった。

 王都アルカンタラを出て以来、グアルディア、タラコンなど縁者の城に逗留してきたのだが、この一帯には逗留できる城はなく、山がちながらも比較的安全で王子の逗留にふさわしい旅籠のあるこの街に立ち寄ったのだ。

 この旅籠は決して小さくはないのだが、王家の紋章の入った華やかな鞍や馬鎧を施された馬に乗ったエルナンド王子、やはりそれぞれの紋章で馬や武具を飾り立てて付き従う十数名の騎士たち、そして護衛の従卒や小姓たちが入るとそれなりにいっぱいになったので、先客たちは早めに旅籠についておいてよかったと安堵した。

 食事は二階の大食堂で行われた。従卒や小姓などの身分の低い者は別だが、エルナンド王子と騎士たちは食堂の中心にある大きいテーブルに座った。物事を一人で決めるのが不得意な王子に常に付き従う《黒騎士》ヴィダルはいつものように、宿屋の者とすぐに話が出来るように一番端に座った。

 彼の斜め前には、先ほどの外套を着たままの商人が一人で座り、食事をしていた。ナイフを扱ったりフィンガーボールで洗う時に見える白く美しい手から、ヴィダルはこの女は意外と位の高い貴族なのではないだろうかと思った。

 だが、到着してからすでに浴びるほどの酒を飲み続けていた騎士たちは、その外套姿の方にしか目がいかなかったらしい。
「変わった女だ。なぜいつまでもその外套をとらぬのだ」
騎士の一人が言うと、その女は短く答えた。
「あまり人に見せたくない容姿だから。それに女の一人旅は、用心に越したことがないでしょう」

「女というのは氣の毒な生き物だな。己の醜さに囚われて旅籠ですら寛げぬとは」
「そんなに醜いなら、一人旅でもとくに問題はないであろう」
既に酔い始めた騎士たちは、口々に女を馬鹿にする言葉を吐き、ひどく笑い始めた。

 そして、ある者は、ヴィダルの方をちらりと見ながら言った。
「醜いというのならまだましさ。この世には恐ろしい魔女もいる。その美しさで男を籠絡し理性を奪う。外見が変わることもなく、この世の者ならぬ力でいつまでも男を支配し続ける悪魔がな」

 それまで騎士たちの嘲りに反応を見せなかった女が、低い声で呟きながら立ち上がった。
「黙って聴いておれば、このわたしを悪魔扱いして愚弄するつもりか。ずいぶんと勇氣のあることだな」

 ヴィダルは、女の口調にぎょっとして、その動きを遮るように立ち上がった。
「あの男が言っているのは、この私の母のことだ」
「お前の?」

 その時飲み過ぎた別の騎士が椅子から落ちて、地面に倒れ込んだ。騎士たちがどっと笑い、小姓たちが駆け寄って介抱する間、食堂にいた者たちの目はそちらに集中した。だが、ヴィダルは未だに自分を見ているらしい女に目を戻した。

「そうだ。カンタリア国王の愛妾だ。もちろん魔女でも悪魔でもなく普通に歳もとっている。だが、愚か者は自分と見かけの違う者を極端に怖れ、冷静に観察することも出来ぬのだ」
彼の苛立ちを隠さぬ口調に、女は興味を持ったようだった。

「なるほど。お前のその肌の色は母親譲りというわけか。そうか。港街で商人たちがお前の噂をしていたぞ。カンタリアの王子に付き添うサラセンの《黒騎士》がいるとな」
「サラセンでもモロでもない。かといって、正式に呼ばれる名前にも意味はない」

「意味がないのか」
「私がもらった名前は、私の欲しかったものではない。だが、構うものか。名前は自ら獲得してみせるのだから」

 女が顔をもっと上げ、ヴィダルをしっかりと見つめた。そのためにヴィダルの方からも初めてその女のフードに隠れていた顔が見えてぎょっとした。その手と同じように白い肌に、先ほど醜いとあざけった騎士ならば腰を抜かさんばかりの美貌を持った女だった。が、それよりもわずかに見えている髪が白銀であることと、赤と青の色の違う瞳の方に驚かされた。なるほど、この容姿ならば人に無防備に見せたくはないだろう。

 女はわずかに笑うと、座ってまたもとのように食事を取り出した。おそらくこの女の顔を見たのは彼一人だったのだろう。周りは彼らの会話に氣をとめていなかった。女はヴィダルの方を見もせずに低い声で続けた。
「その氣にいらぬ名前を名乗ってみろ」

 ヴィダルはわずかに苛つき答えた。
「それを知りたければ自分から名乗れ」

「ツヴァイ」
「それは人の子の名か。その立ち居振る舞いに言葉遣い、商人などではないな」

「名前に意味はないと自分で言わなかったか。が、知りたければ聴かせてやろう。セシル・ディ・エーデルワイス・エリザベート=ツヴァイ・ブリュンヒルデ・フォン・フランク。これで満足か。名乗れ」

「ヴィダル・デ・アルボケルケ・セニョーリオ・デ・ゴディア」
ヴィダルは苦虫を噛み潰したように言った。
「インファンテ・デ・カンタリアと名乗りたいということか」
 
 嫡出子ではないヴィダルは国王の血を受け継いでいてもカンタリア王家の一員として名乗ることは許されない。愛妾ムニラを溺愛するギジェルモ一世が、せめて貴族となれるようにアルボケルケ伯の養子にしてゴディア領主としたが、彼はその名に満足してはいなかった。だが、彼は女の問いに答えなかった。ひどく酔っぱらって狂騒のなかにいるとはいえ、その場にはあまりに多くの騎士たちがいたから。

「言いたくはないか。ところで、お前は、これも食べられるのか」
女が示しているのは、この地方の名産山の塩漬け肉ハモン・セラーノ だ。その横には、豚の血で作ったチョリソなどもあり、どちらもムスリムやユダヤ人などの異教徒は口にすることが出来ない禁忌品だ。

「もちろん、食べるさ。禁忌などに縛られるのはごめんだ」
彼はそう言ったが、宿の主人は彼の前に無難な川魚料理を出した。彼は塩漬け豚を彼にも出すように改めて頼まなくてはならなかった。女がクスリと笑う声を耳にして、彼は忌々しそうに見た。

「キリスト教徒に見えぬお前はこの地では生きにくいだろうが、異教徒の心は持たぬのだから、かの地に行ってもやはり生きにくいのかもしれんな」
「生きにくい? この世に生きやすいところなどあるものか。そういうお前はどうなのだ。商人のフリをしているのは、何かから逃げているのか」

 すると女は鈴のような笑い声を響かせた。
「わたしか。逃げる必要などない。ただ自由でいたいだけだ。この旅も大いに楽しんでいる。カンタリアの酒と食事は美味い」

 強い太陽の光を浴びた葡萄から作られたワインは、グランドロンやルーヴランで出来るものよりもずっと美味で、香辛料漬けにする必要がなかった。オリーブから絞られた油は、玉ねぎやニンニクを用いた料理の味を引き立てていた。山がちのこの地域は、清流で穫れる川魚、山岳地方の厳しい冬と涼しい夏が生み出す鮮やかな桃色の塩漬け豚も有名だった。さらに、残留者ムデハルが多いため、《ケールム・アルバ》以北ではほとんど食べられていない米、ヒヨコ豆やレンズ豆、アーモンド、ナツメヤシ、シナモンなど、特にアラブ由来の食材をたくさん使う料理が発達した。それらの珍しい食材が古来の食材と融合して、独特の食文化を築き上げていた。

* * *

 
 翌朝、王子たちの朝食は遅かった。深夜まで酒を飲んでいた騎士たちと王子がなかなか起きなかったからだ。ヴィダルはまた端の席に座って静かに朝食をとった。昨夜見た女は、とっくに朝食をとったのだろう、その場にはいなかった。

「ヴィダル。今日は一日この街でゆっくりするのだから、街の名所を案内してくれるよう、宿の主人に頼んでくれぬか」
王子の言葉に頷き、彼は宿の主人に街を見せてくれる人間を推薦してほしいと頼んだ。主人は二つ返事で、彼の舅が案内をすると言った。

 それはかなり歳のいった老人だったが、貴人たちに街を案内するのは慣れているらしく、よどみのない話し方で街の名所を手際よく説明してくれた。ムデハル様式の築物は街の至る所にあり、中でもサンタ・マリア大聖堂の塔、サン・マルティン教会とその塔の美しい装飾を技法の説明も交えて要領よく説明していった。そして、彼は次にサン・ペドロ教会に一行を案内した。

「この教会もムデハル様式の装飾で有名ですが、もっと有名なのは、ここに埋葬されているある恋人たちの悲しい物語なのです」
彼がもったいぶって説明すると、王子と騎士たちは一様に深い興味を示した。彼は一行を教会内部の二つの墓標が並んでいる一画へと案内した。

「いまから百年ほど前のことでした。この街に住んでいたイザベルという貴族の娘と、アラブの血を引く貧しいファンが恋仲になったのです。イザベルの父は二人の結婚を認めず、目障りなファンを厄介払いするために、法外な結納金を設定し五年以内にそれを用意できれば娘と結婚させると約束しました。ファンは唯一のチャンスにかけて、聖地奪回の戦いに身を投じ、五年後に莫大な戦利品を得て凱旋することが出来たました。ところが、イザベルは父親にファンが戦死したと言われたのを信じて既に他の男に嫁いでしまっていました。やっとの思いでイザベルのもとに忍び込んだファンのことを彼女は結婚した身だからと拒絶せざるを得なかったのです。彼は絶望によりその場で亡くなってしまいました。そして、彼を愛し続けていたイザベルもまた埋葬を待つ彼の遺体に口づけしたまま悲しみのあまり死んでしまったのです。その姿を発見した父親と街の人びとは、深く後悔して二人を哀れみ、この教会に共に埋葬しました」

 王子エルナンドは、懐から白いスダリウムを取り出し涙を拭いた。
「なんという悲しくも美しい話であろうか」

 騎士たちもまた、それぞれが想い人たちから贈られた愛の徴であるスダリウムを手にし、悲しい死んだ恋人たちのために涙を流した。だが、ヴィダルだけは醒めた目つきで墓標を見ているだけで何の感情も見せなかった。エルナンドは、ヴィダルのその様子をみると言った。
「お前はこの話に心動かされぬのか」

「心を動かされる? なぜ、私が」
「お前と同じ、サラセン人の血を引く男が、愛する女と引き裂かれたのだ。あの娘のことを思い出しただろう」
そう王子が言うと、《黒騎士》は笑った。

「あの娘とは、どの娘のことです。私は、女のために命を投げ出し、戦い、せっかく得た名声もそのままに悲しみ死んでしまうような愚かな男ではありません」

 エルナンドは首を振った。
「すくなくとも、何といったか……あのルシタニア出身の娘のことだけは愛していたのだと思っていたのだが。他の者のようにお前が悪魔のごとく血も涙もないモロだとは思わんが、時々疑問に思うぞ。神はそもそも、お前に魂を授けたのか?」

 ヴィダルは「さあ。私もそれを疑問に思っております」と答えて、教会の内部装飾の説明をする老人とそれに続く騎士たちの側を離れた。

 老人は、奥の聖壇の豪奢な装飾について滔々と説明をしていた。
「ご覧ください。神の意に適う者たちが命の危険を省みずに聖地を奪回するために戦った勇氣、次々とヴァンダルシアを我々キリスト教徒の手に取り戻したその偉業、神の意思が実現された歓びをこの聖壇の美しさは表現しているのです」

 彼は、幾何学文様と草花のモチーフの繰り返された鮮やかな壁面装飾を見上げた。明り取りの窓から入った光は、その見事な装飾にくっきりと陰影を作っていた。

「神の意ときたか」
女の声にぎょっとして横を見ると、いつの間にか昨夜の謎の女ツヴァイが立っていた。

「お前もここにいたのか」
「この街は面白い。神の栄光を賛美するのに、敵の様式をわざわざ用いるのだから」
女はおかしそうに笑う。

 ヴィダルは首を振った。
「大昔は知らんが、今のこの国で奴らが口にする、残忍な異教徒の追放だの、神の意だの、聖地奪回だのは、本音を覆い隠す言い訳だ。実際は領土拡大と経済的な動機で戦争をしているだけだ。そこでありがたがられている死んだ男も、そうやって手っ取り早く名声を得、大金を稼いだのだ。それなのに女に拒否されたくらいで死ぬとは何と愚かな」

 女は声を立てて笑った。
「それには違いない。だが、たった一人の相手ためにすべてを投げ打つほどの想いの強さがあったのだ。真の愛が人びとの心を打つからみな涙してここに集まるのだろう」

「他人の涙を絞るだけで本人には破滅でしかない愛など何になる。欲しいものを手にすることが出来ないならば、氣高い心や善良な魂なども無用の長物だ」
ヴィダルは拳を握りしめた。女は朗らかにいった。
「では、わたしは、お前がその手で何を掴むのか楽しみにしていよう、《黒騎士》よ」

 ヴィダルはその言葉に眉をひそめて、灰色の外套を纏った女の見えていない瞳を探した。
「ツヴァイ。お前は、一体何者なのだ」

 女は笑った。
「わたしが誰であれ、お前にとって意味はない、そうだろう?」

 それを聞くと、ヴィダルはやはり声を上げて笑った。
「その通りだ。たとえお前が商人であれ、高位の貴族であれ変わりはない。神の使いや、悪魔の化身であっても、同じことだ。この出会いで、私は己のしようとすることを変えたりはせぬ」

 彼は、射し込んだ光に照らされた祭壇の輝きを見ながら頷いた。

(初出:2017年3月 書き下ろし)

ヴィダル by うたかたまほろさん
このイラストの著作権はうたかたまほろさんにあります。無断使用は固くお断りします。



関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 いただきもの コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】ありがとうのかわりに

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十四弾です。けいさんは、毎年恒例の目撃シリーズで書いてくださいました。この作品は、当scriviamo! 2017の下のようにプランB(まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法)への返掌編にもなっています。ありがとうございました。

プランBで、拍手絡みの物語を、うちの「シェアハウス物語」とコラボでお願いしても良いですかね。それを受けて、私も掌編を描く。それのお返事掌編をまたいただく…B→B(A)→A混合サンドイッチ、みたいなの。


この二つ書けとおっしゃるうち、ひとつはちょうどブログトップのFC2拍手を1000カウント目にしてくださった記念掌編です。

けいさんの書いてくださった『とある飲み屋での一コマ(scriviamo! 2017)』

けいさん、実はどうも今、公私ともにscriviamo!どころではない状況みたいで、いま発表するのはどうかなと思ったんですが、こちらの事情(後が詰まっていて)で、空氣を全く読まない発表になってしまいました。ごめんなさい!

今回の掌編は、けいさんの掌編を受けて、前回私が書いた作品(『頑張っている人へ』)の続きということになっています。そっちをお読みになっていらっしゃらない方は、え〜と、たぶん話があまり通じないかもしれません。

今回は「シェアハウス物語」のオーナーにご登場いただいていますが、それと同時にけいさんの代表作とも言えるあの作品にもちょっと関連させていただきました。

で、けいさん……。大変みたいだけれど、頑張ってくださいね。応援しています。


「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



ありがとうのかわりに - Featuring「シェアハウス物語」
——Special thanks to Kei-san


 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が一人で切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、そのアットホームさを好む常連客で毎夜そこそこ賑わっていた。

「いらっしゃいませ。あら、葦埜御堂あしのみどうさん。今夜はお一人?」
涼子は現に微笑んだ。

「残念ながらね。でも、みんなここがとても氣にいったようで、近いうちにまた来たいらしいよ。その時には、またよろしく頼むよ」
シェアハウスのオーナーである現は、先日シェアハウスに住む国際色豊かな四人をこの店に連れてきたのだ。

 今日は、会社が終わると一目散にやってきて現が来る頃には大抵でき上がっている西城と、少しは紳士的なのに西城にはハッシーと呼ばれてしまっている橋本が仲良く並んで座っていた。そして、カウンターの中には、涼子ママと、常連だがツケを払う代わりに料理を手伝う板前の源蔵がいた。

「よっ。現さん、この間は驚いたよ。あのガイジンさんたち、すごかったよねぇ」
西城は、あいかわらずろれつが回っていない。

「何がすごかったんですかい?」
あの時、一人だけ店にいなかった源蔵が訊いた。橋本が答えた。
「現さんのつれていらした人たち四人のうち三人が外国の人たちだったんですが、みなさん、日本語ぺらっぺらで、しかも鶴まで折っちゃって。日本人の僕たちよりも上手いのなんの……」

「それに、あのアジアのおねーちゃん! あの人形の折り紙はすごかったよなあ。アレを折り紙で折るなんて、目の前で見ていなければ信じられなかったよ」

 涼子はもう少し説明を加えた。
「源さんも知っているでしょう、時々やってくる、小林千沙さん、あの方の従兄の方が闘病しているって話になって、だったらみんなで応援しようってことになって、あの夜、ここでみんなで鶴を折ったのよ」

 現はその間にメニューをざっと検討して、まずヱビスビールを頼み、肴は適当に見つくろってほしいと頼んだ。源蔵がいる時は、料亭でしか食べられないような美しくも味わい深い、しかもメニューには載っていない一皿にめぐりあえることがあるからだ。

 源蔵はそれを聞くと嬉しそうに、準備に取りかかった。現は、突き出しとして出された枝豆の小鉢に手を伸ばしながら訊いた。
「その後、どうなったんでしょうね」

 涼子は微笑むと、カウンターから白い紙袋を取り出した。
葦埜御堂あしのみどうさんがお見えになるのを待っていたのよ。実はね、四日くらい前だったかしら、小林さんがいらっしゃってね。これを、皆さんにって」

 現は「へえ」と言いながら紙袋の中を覗き込んだ。中には、赤と青のリボンで二重に蝶結びにして止めた、白い袋が五つ入っていた。そして、それぞれに付箋がついていた。

「ゲンさんへ、か。これが僕のだ」
彼は、一つを取り出した。残りの四つには「ワンさんへ」「ニコールさんへ」「ムーカイさんへ」「ソラさんへ」と書いてある。あの時、耳にしただけで漢字がわからなかったので全てカタカナなのだろう。ワンちゃんだけ「ちゃん」付けするのはまずいと悩んだんだろうな。うんうん。彼は笑った。

「西城さんたちももらったんですか?」
現が訊くと、二人は大きく頷いた。

「もちろんさ。俺っちたちは、千沙ちゃんが来た時にここにいたからさ、直接いただいちゃったって訳。開けてごらんよ」

 中には透明のビニール袋に入ったカラフルなアイシングクッキーと、CDが入っていた。彼は取り出して眺めた。

 ピンクや黄色や緑のきれいなアイシングのかかったクッキーは、全て紅葉の形をしていた。それはちょうどあの日ワンちゃんが折った拍手に見立てたたくさんの紅葉に因んだものなのだろう。

「小林さんの手作りですって。いただいたけれど、とっても美味しかったわ」
涼子が微笑んだ。

「それは嬉しいね。少し早いホワイトデーみたいなものかな。で、こちらは?」
彼はCDをひっくり返した。それはデータのディスクか何かを録音したもののようだった。

「それさ。例の闘病中の従兄が演奏したんだってよ」
西城が言った。

 現は驚いて顔を上げた。橋本が頷いた。
「そうなんだってさ。先日、無事に放射線療法がひと息ついて、退院して自宅療養になったんだって」

 涼子がその後を継いだ。
「あの皆さんからの折り紙がとても嬉しかったんですって。絶対に諦めない、頑張るって改めて思われたそうよ。それで退院してから小林さんと相談して、みなさんに何かお礼の氣持ちを伝えたいって思われたみたい。それで、ギターで大ファンであるスクランプシャスっていうバンドの曲を演奏して録音したんですって」

「歌は入っていなくてインストだけれど、すごいんだよ。俺たちもらったCD全部違う曲が入っていたんだ。だから現さんたちのとこのもたぶん全部違う曲だと思うぜ」
橋本は興奮気味だ。

「そうですか。僕のはなんだろう。あ、裏に書いてあるぞ『悠久の時』と『Eternity Blue』か。デビュー・アルバムからだね」
「あら、葦埜御堂あしのみどうさん、お詳しいのね」

「もちろんだよ。僕は自慢じゃないけれど、スクランプシャスのアルバムは全部持ってんだから」
現が言うと、皆は「へえ~」と顔を見合わせて頷いた。

「だれが『夢叶』をもらったのかな」
現が皆の顔を見回して訊くと、涼子は笑った。
「私たちじゃないわ。たぶんワンさんじゃないかしら。あの時、いつか折り紙作家になりたいっておっしゃっていたから」

「俺っちもそれに賭ける」
西城が真っ赤になりながら猪口を持ち上げた。

「宇宙かもしれないぞ。あいつもこれから叶える夢があるからな」
その現の言葉に、皆も笑って頷いた。

 涼子が現のグラスにヱビスビールを注ぎ、源蔵が鯛の刺身を梅干しと紫蘇で和えた小鉢を置いた。

 現はプレゼントを紙袋に戻すと、嬉しそうに泡が盛り上がったグラスを持ち上げた。

(初出:2017年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】絶滅危惧種

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十一弾です。

大海彩洋さんは、『ピアニスト慎一』シリーズの番外編で参加してくださいました。ありがとうございます!


彩洋さんの書いてくださった短編 『サバンナのバラード』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。年代が近い、物語を書いてきた長さが近い、ブランクがあったことも似ているなどなど「またシンクロしている!」と驚かされることの多い一方で、えらい違いもあり「ううむ、ちゃんと精進するとこれほどすごいものが書けるようになるのか」と唸らされてしまうことがとても多いのです。

今回書いていただいた作品とその本編に当たる「死と乙女」でも、私のよく書く「好きなクラッシック音楽をモチーフに」に挑戦されていらっしゃるのですが、「なんちゃってクラッシック好き」の私とまさに「えらい違い」な「これぞクラッシック音楽をモチーフにした小説!」が展開されています。

で、今回書いてくださったのは、またまた「偶然」同じモチーフ「女流写真家アフリカヘ行く」が重なった記念(?)に、彩洋さんのところの女流写真家ご一行と、うちの「郷愁の丘」チームとのコラボです。というわけで、こちらはその続きを……。

しかし! 大人の事情で「ジョルジア in アフリカ with グレッグ」は出せませんでした。出すとしたら「郷愁の丘」が終わったタイミングしかなくて、それはあまりにもネタバレなので却下。そして、せっかくゲスト(奈海、ネイサン、ソマリア人看護師の三名)に来ていただいているというのに、某おっさんは、これまた大人の事情で取りつく島もない態度……orz。彩洋さん、ごめんなさい。ここで簡単にネイサンたちと仲良しになれるようなキャラに変更すると、本編のプロット大崩壊なんです。

ということで、おそらく彩洋さんの予想と大きく違い、別のもっとフレンドリーなホストで歓待させていただきました。こっちは、たぶん五分で意氣投合すると思います。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む(第1回のみ公開済み)
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



郷愁の丘・外伝
絶滅危惧種 
——Special thanks to Oomi Sayo san


 普段はあまり意見を言わない看護師がぼそっと言った。
「どうしてわざわざシマウマを観に行くの」

 運転席で、それは当然な問いかけだなと彼は思った。アフリカのゲーム・サファリをする時に、シマウマを観るためだけに車を走らせたりする者はない。ライオンやチーターを探すついでに見たくなくても見えてしまうのが普通だからだ。

「見せてもらうのはただのシマウマじゃないんだよ。ね、スコット博士」
フランスから来た医師が彼に話しかけた。

「はい。これからお目にかけるのは、グレービー・シマウマです」
彼は後を振り返って答えた。彼の運転するランドクルーザーには、三人の客と一匹の犬が同乗している。助手席にはソマリア出身の看護師が座り、フランス人の医師と日本人の女性カメラマンは後部座席に座っている。そして、その後に踞るのは彼の愛犬であるローデシアン・リッジバック、ルーシーだ。

 ネイサン・マレ医師は、撮影をしたがるに違いない奈海が助手席に座った方がいいと主張したのだが、ルーシーがソマリア人を執拗に威嚇するので、距離を開けるためにしかたなくその配置にしたのだ。

「よくあることなんだよ」
スコット博士がソマリア人に謝っているとき、ネイサンは奈海に耳打ちした。

「なにが?」
「アフリカの番犬は、黒人にひどく吠えることが多いんだ。別にそういう教育をしているわけじゃなくても。そして、多くの黒人は番犬が苦手になる。そうすると、それを感じとる犬はもっと吠えるんだ」
「でも、ルーシー、最初は私やあなたにもずいぶん吠えていたわよ」
「まあね。番犬として優秀ってことかな」

 その説明を聞きながら彼は申しわけなさそうに言った。
「彼女は、ほぼ全ての初対面の人間にひどく吠えるんです」

「ってことは、例外的に吠えなかった人もいるってことかい?」
ネイサンが訊くと、彼は短く「ええ」とだけ答えた。

 彼自身の父親であるジェームス・スコット博士でも、その恋人であるレイチェル・ムーア博士でもなく、そして二人の娘のマディでもない。初対面の人間にひどく吠え立てるルーシーがはじめからひどく尻尾を振って懐いたのは、半年ほど前に滞在したアメリカ人女性だった。

 それは、やはり今日のようにマリンディの父親の別荘に滞在した時だった。彼の意思とは関係なく別荘に行くことになったのは今回と同じだったが、その女性は自分で招待したのだ。彼が誰かを招待したのはここ十年では彼女一人だけだった。そもそも、断られると思いながら誘ったのだが、彼女が意外にも簡単に招待に応じてくれたのだ。

 その時たまたまその場にいた旅行エージェントを営む友人リチャード・アシュレイは、彼のことを誤解したようだった。しばらく逢わないうちにすっかり社交的になったのだと。実際には、あいかわらず人間との交流を可能な限り避けている。リチャードは、半年前に彼の人生の沙漠に突然訪れた夢のような二週間のことは知らないだろう。それとも、不器用なために何の成果も手にしなかった話がすでに面白おかしく伝わっているのかもしれない。

 そもそもリチャードは、今回この三人の客を彼に紹介したわけではなかった。ホスピタリティにあふれ、時おりビジネスの範囲を大きく超えて客を歓待するリチャードは、彼に三人の客を見事に接待する能力があると思うほど楽天的ではなかった。

 そうではなくて、この別荘を実質的にいつも使っている人懐こい夫婦に、三人のもてなしを依頼したのだった。つまり、マディとその夫であるイタリア人アウレリオ・ブラスだ。

 アウレリオはオックスフォード時代から付き合いのあるリチャード・アシュレイの親友だ。彼が、リチャードを通じて性格の全く違う無口で人付き合いの下手なケニア出身の学生スコットに近づいたのは、大いなる下心があってのことだった。すなわち、一目惚れした彼の腹違いの妹と親しくなるための布石だ。

 その甲斐あって、マデリン・ムーアと首尾よく結婚したアウレリオは、今では彼の義理の弟となってケニアに移住している。そして、イタリア系住民のコミュニティのあるマリンディの別荘でバカンスを楽しむことも多かったし、親友リチャードの依頼を愛想良く受けてその友人を歓待することも好んだ。だが、愛すべきアウレリオには、大きな欠点があった。肝心な時に決してその場にいないのだ。

 今回もリチャードから紹介され、三人の客の受け入れを快諾したものの、ミラノでの商談の時間がずれ込み約束の日にケニアに戻って来ることが出来なかった。だが、別荘の本来の持ち主である義父ジェームス・スコット博士に代わりに接待をしろとは言えない。妻のマディは二人の子供を抱えていて簡単に250キロも移動できない。そこで急遽、鍵を持っているジェームスの息子であるヘンリーが呼びつけられたのだ。

「グレービー・シマウマって、普通のシマウマとどう違うの?」
日本人カメラマン奈海の声で彼は我に返った。シマウマの研究者である彼は、説明を始めた。

「グレービー・シマウマは、アフリカ全土でよく見られるサバンナシマウマ種よりも大型です。縞模様がよりはっきりしていますが、腹面には模様がありません。ケニア北部とエチオピア南部のみに生息しています」

「ずいぶん減っているんだろう?」
「はい。ワシントン条約のレッドデータでEN絶滅危惧種に指定されています。1970年代には15000頭ほどいたのですが、現在およそ2300頭ほどしか残っていません」

 奈海は驚いた声を出した。
「そんなに減ってしまったの? どうして?」
「縞模様が格別にきれいで、毛皮のために乱獲されたんです。そして、家畜と水飲み場が重なったためにたくさん殺されました」

「今は保護されているんだろう?」
「ええ、捕獲や殺戮は禁止されていますしワシントン条約で保護されたためにここ数年の生息数は安定しています。でも、エチオピアが建設を予定している大型ダムが完成するとトゥルカナ湖の水位が大きく下がると予想されています。それで再び危機的な状況になると今から危惧されています」

 ランドクルーザーは、アラワレ国立自然保護区に入ってから、ゆっくりと進んでいた。マリンディから130キロしか離れていないと聞いていたので、すぐに到着して簡単にシマウマが見られると思っていたが、すでに三時間が経っていて、いまだにヌーやトムソン・ガゼルなどしか目にしていなかった。

「ほら、いました」
彼は、言った。
「あ、本当ね」
ソマリア人が答えた。

「え? どこに?」
奈海は後部座席から目を凝らした。彼女にはシマウマの姿は見えていない。ネイサンが笑った。
「都会の人間には、まだ見えないよ」
「え?」
「サバンナに暮らす人間は視力が6.0なんてこともあるらしいよ。遠くを見慣れているからだろうな。十分くらいしたら君や僕にも見えてくるさ」

 本当に十分以上してから、奈海にもシマウマが見えてきた。彼は生態や特徴などについて丁寧に説明してくれるが、奈海が満足する写真を撮れるほどには近づいてくれない。窓を開けてカメラを構えるがこの距離では満足のいくアングルにならない。

「もう少し車を近づけていただけませんか」
「これが限界です。これ以上近づくことは許可されていません。向こうから近づいてくればいいのですが」

「でも、周りには誰もいないし、僕たちはシマウマにとって危険じゃないから、いいだろう」
ネイサンは、奈海のために頼んだ。
「車で近づくのがダメなら、私、降りて歩いてもいいわ」

「近づくのも降りるのも不可です。彼らをストレスに晒すことになりますから。この規則は、あなたたちに問題が降り掛かるのを避けるためでもありますが、それ以上に生態系を守るためにあるんです」

 警戒心の強いシマウマたちは、どれだけ待っていても近づいてこなかった。やがて彼は時計を見て言った。
「申しわけありませんが、時間切れです。もう帰らないと」

「まだ陽も高いし、少しスピードあげて戻ればいいんだし、あと一時間くらいはいいだろう? まだ彼女が撮りたいような写真は撮れていないんだ」
ネイサンがまた奈海のために頼んだが、彼は首を振った。

「この保護区内では時速40キロ以上を出すことは禁じられているんです。そして、夕方六時までに保護区の外に出ないと」

 これまでのサファリで、こんなに融通の利かない事を言われたことはなかったので、ネイサンと奈海は顔を見合わせた。頼んでも無理だということは彼の口調からわかったので、大人しく引き下がった。

 出かける前にパリに電話をかけていて出発が遅くなったことが悔やまれた。そう言ってくれれば、電話は帰ってからにしたのに。奈海は名残惜しい想いで遠ざかるグレービー・シマウマの群れを振り返った。

* * *


「ヘンリー!」
マリンディに戻ると、アウレリオと二人の子供たちと一緒に到着したマディが待ち構えていた。夫が三人の客たちに無礼を詫びつつ、リビングで賑やかに歓待している間、彼女は彼を台所に連れて行った。

「私たちの到着が遅くなって、三人の世話をあなたにさせたのは悪かったわ。でも、ヘンリー、あなた、まさかお客様にあれを食べさせたわけ?!」
彼女は、流しの側に置いてあるコンビーフの空き缶を指差した。

 彼は肩をすくめた。
「僕にフルコースが作れると思っていたのかい」
「思っていないけれど、いくらなんでも!」

 彼は首を振った。
「心配しなくても、焼きコンビーフを食べさせたわけじゃないよ。そうしようかと思っていたら、見かねたマレ先生があれとジャガイモでちゃんとした料理を作ってくれた」
「あきれた。マレ先生に料理させちゃったのね」

「だから、今夜は、まともに歓待してやってくれ。僕は、帰るから」
「食べていかないの?」
「今から帰れば、明日の朝の調査が出来る。それに、僕がここにいても場は盛り上がらないから」

 マディは、居間にいる四人と子供たちがすっかり打ち解けて楽しい笑い声を上げているのを耳にした。そして、打ち解けにくい腹違いの兄との時間で三人が居たたまれない思いをしたのではないかと考えた。ヘンリーは決して悪い人ではない。ないんだけど……。

「そんなことないわ。それにあの日本女性、写真家だし、弾む話もあるんじゃないの?」
マディは、含みのあるいい方をしたが、彼は乗ってこなかった。

 彼女は続けた。
「彼女と連絡取り続けているんでしょう? 行くって聞いたわよ、来月ニューヨークに」
「どういう意味だ」
「ママがあなたも行くって。あなたが海外の学会に行くなんて、珍しいことだもの。ミズ・カペッリに会うんでしょう?」

 彼は首を振った。
「ニューヨーク学会に行くのは、レイチェルがスポンサーに紹介してくれるからだ。もしかしたら援助してもらえるかもしれないから。ミズ・カペッリは忙しいだろうし、押し掛けたら迷惑だから連絡していない」

「どうして?! せっかく再会できるチャンスなのに、この間、ずいぶん仲良くなったじゃないの」
マディは、よけいなおせっかいとわかっていながら言い募った。

 彼は、答えずに彼女の瞳を見つめ返した。暗い後ろ向きな光だった。彼女は、よけいな事を言ったことを後悔した。上手くいっていたと思っていたのに……。

 彼は、「じゃあ、これで」と言うと表で待つルーシーを連れて車に乗り込み去っていった。

 人付き合いが下手な上、父親ともほとんど没交渉の彼のことを、マディと母親のレイチェルはいつも氣にかけていた。クリスマスや復活祭の食卓に招んだり、別荘での休暇に呼び出したり、学会でも声を掛けたり、彼が《郷愁の丘》に引きこもり続けないように心を砕いてきた。彼は、それを感謝し嫌がらずに出かけてくるが、自ら打ち解けることはまだ出来ない。

 逢ってまだ三十分も立っていないのに、もう昔からの親友のように楽しそうに語り合うアウレリオとマレ医師たちの声を聴きながら、彼女はこの世と上手くやっていけない腹違いの兄と比較してため息をついた。

 夫は彼女に近づくのに躊躇したり、迷惑だろうからと遠慮したりはしなかった。そして、それが彼女自身の幸せにつながった。だが、それをヘンリーに言っても助けにはならないだろう。彼はそういう人間ではないのだから。

 彼女は両親や兄のように動物学者ではないから、学術的なことはわからない。でも、進化論で「絶滅した種は環境に適応できなかったから」と言われているのくらいは知っている。他の生物と同じく環境に適応できないために種を保存できない人間もいるのかもしれない。

 彼女は頭を振ると、去っていった兄の愛するアメリカ人ではなく、パリから来た女流写真家と会話を楽しむべく居間へと向かった。

(初出:2017年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】今年こそは〜バレンタイン大作戦

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第四弾です。ダメ子さんも、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

新しいプランができてる
じゃあ私も久しぶりに思い切ってBプランを注文しますです


ダメ子さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人です。かわいらしい絵柄と登場人物たちの強烈なキャラ、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

せっかくなので「ダメ子の鬱」のたくさんのキャラたちのうち、ダメ子さんのクラスの男の子三人組、とくにチャラくんをお借りしてお話を書かせていただくことにしました。といっても、実際の主役は、一年に一度だけ出てくる、あの「後輩ちゃん」です。チャラくんはバレンタインデーのチョコを自分ももらいたいと思っているのですが、毎年この後輩ちゃんからのチョコを受け取り損ねているんです。

快くキャラをお貸しくださったダメ子さん、どうもありがとうございました。名前はダメ子さん式につけてみました。「あがり症のアーちゃん」と「付き添いのつーちゃん」です(笑)


【追記】
ダメ子さんが、バレンタインデーにあわせてお返しのマンガを描いてくださいました! アーちゃんのチョコの運命やいかに(笑) ダメ子さん、ありがとうございました!

ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」



「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



今年こそは〜バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 今日は例の日だ。2月14日、聖バレンタインデー。アーちゃんは、がたがた震えている。たかだか先輩にチョコを渡すだけなのにさ。

「ごめんね、つーちゃん。つきあわせて。でも、私一人だと、また去年の二の舞になっちゃう」

 アーちゃんは、とんでもないあがり症だ。昨日も授業で当てられて、現在形を過去完了に変えるだけの簡単な質問に答えられなかった。答えがわからなかったのではなくて、みんなの前で答えるというシチュエーションにパニックを起こしてしまったのだ。先生もいい加減アーちゃんがこういう子だって憶えりゃいいのに。

 そんなアーちゃんだけれど、意外と執念深い一面も持ち合わせていて、もう何年もとある先輩に懸想している。バスケ部のチャラ先輩だ。カッコ良くて女性の扱いの上手いモテ先輩ならわかるけれど、なんでチャラ先輩なんだろう。まあ、明るくてけっこう優しいところはあるけれどさ。

「前ね、今日みたいに授業で答えられなくて、クラスの男の子たちに下駄箱で嗤われたことがあるの。そこにチャラ先輩が通りかかってね。『かわいそうだから、やめろよ』って言ってくれたの」
「それ、いつの話?」
「えっと、中学のとき」

 何ぃ? そんな前のこと?
「もしかして、この高校を受験したのは……」
「うん。チャラ先輩がいたから。あ、それだけじゃないよ、偏差値もちょうどよかったし、家からもわりと近かったし」

 全然近くないじゃない。やっぱりこの子、変わってる。そんなに大好きなチャラ先輩に、告白が出来ないどころか、もう何年もバレンタインデーのチョコを渡しそびれているらしい。なにをやっているんだか。

 スイス産のクーベルチュール、70%カカオ、それにホワイトチョコレート。純国産のミルクチョコレートにとってもお高い生クリーム。彼女ったら、あれこれ買ってきて、レシピも調べて研究に余念がなかった。そして、なんとけっこうプロっぽい三色の生チョコを作ったのだ。

「わざわざ用意したんだから、あとは渡すだけじゃない。何で毎回失敗しているの?」

「だって、先輩、二年前は部活に来なかったの。去年は、ものすごく素敵なパッケージのチョコレートを食べながら『さすが、味も包装もまるでプロ並だよな』なんて言って通ったの。私のこんなチョコは受け取ってくれないかもと思ったら、渡せなくて」

 私はため息をついた。そんな事を言って食べているってことは、本命チョコのはずはないじゃない。でも、舞い上がっていて、そんなことを考える余裕がなかったんだろうな。

「わかった。さすがに一緒に行くってわけにはいかないけれど、途中まで一緒に行ってあげよう。どんなチョコにするの? パッケージもちょっと目立つものにするんだよ。義理っぽいものの中では目立つようにね」

 私がそういうと、アーちゃんはこくんと頷いた。
「ごめんね、つーちゃん。その日は他に用事ないの?」
「あ? 私は、そういうのは関係ないからさ。友チョコとか、義理チョコとか、そういう面倒くさいのも嫌いだからやらない宣言してあるし」

 というわけで、私は柄にもなく、きゃーきゃーいう女の子たちの集う体育館へと向かっているのだ。バレンタインでへの付き添い、この私が。チャンチャラおかしいけれど、これまた経験だろう。

 バスケ部のところに女どもが群がっているのは、どう考えてもモテ先輩狙いだろう。あんなにもらうチョコはどう処理しているんだろう。全部食べるわけないと思うんだけれど。女の私だって胸が悪くなるような量だもの。でも、目立つように処分したりするようなことはしないんだろうな。そう言うところは絶対に抜かりないタイプ。

 チャラ先輩は、そんなにもらうとは思えないから、いかにも本命チョコってパッケージのあれをもらったら、けっこう喜ぶと思うんだけれどな。アーちゃんは、かわいいし。

 もっとも男の人の「かわいい」と私たち女の思う「かわいい」って違うんだよね。男の人って、「よく見ると味がある」とか、「人の悪口を言わない性格のいい子」とか、「あがり症でも一生懸命」とか、そういうのはポイント加算しないみたい。むしろ「意外と胸がある」とか、「かわいいってのは顔のことでしょ」とか、「小悪魔でちょっとわがまま」とかさ。まあ、こういう分析をしている私は、男から見ても、女から見ても「かわいくない」のは間違いないけれど。

「つーちゃん、待って。私、ドキドキしてきた」
その声に我に返って振り向くと、アーちゃんが震えていた。まだ体育館にもたどり着いていないのに、もうこれか。これで一人で、先輩のところまで行けるんだろうか。

「いい、アーちゃん。あそこにモテ先輩と群がる女どもが見えるでしょ。あそこに行って彼女たちを掻き分けて先輩にそのチョコを渡すことを考えてご覧よ。どんなに大変だか。それに較べたら、ほら誰も群がっていないチャラ先輩のところにぴゅっと走っていって、『これ、どうぞ!』と手渡してくるだけなんて楽勝でしょ?」

 私は、チャラ先輩がムツリ先輩と二人で立っているのを見つけて指差した。二人は、どうやらモテ先輩がたくさんチョコをもらっているのを眺めながら羨ましく思っているようだ。
「これはチャンスだよ。自分も欲しいなあ、と思っている時に本命チョコを持って女の子が来てくれるんだよ。ほら、早く行っておいで」

 私の入れ知恵で、パッケージにはアーちゃんのクラスと名前が入っているカードが忍ばせてある。あがってひと言も話せなくても、チャラ先輩が興味を持ってくれたら自分から連絡してくれるはずだ。少なくともホワイトデーのお返しくらいは用意してくれるはず。……だよね。


 アーちゃんは、よろよろしながら体育館の方へと走っていく。えっ。何やってんの、そっちは方向が違うよ。

 彼女は、チャラ先輩の方にまっすぐ走っていかずに、モテ先輩の人だかりの方に迂回してしまった。人に紛れて見えないようにってことなのかもしれないけれど、それは誤解を呼ぶぞ。

 あらあらあら。あれはキツいバスケ部のマネージャーだ。モテ先輩とつきあっているって噂の。アーちゃんの持っているチョコを目ざとく見つけてなんか言っている。「抜け駆けする氣?」とかなんとか。

 アーちゃんは、慌てて謝りながら、モテ先輩の周りにいる女性たちから離れた。そして、動揺したせいか、その場に転んでしまった。私はぎょっとして、彼女の方に走っていった。

「アーちゃん、大丈夫?」
「う、うん」

 全然大丈夫じゃないみたい。膝が擦り剥けて血が出ている。手のひらからも出血している。
「わ。これ、まずいよ。保健室行こう」

 でも、アーちゃんは、自分よりもチョコの箱の惨状にショックを受けていた。
「つーちゃん、こんなになっちゃった」

 不器用なアーちゃんでもきれいに詰められるように、テトラ型のカートンにパステルカラーのハートを可愛くレイアウトして印刷したものを用意してあげたのだけれど、転んだ時のショックで角がひしゃげてしまっている。幸い中身は無傷のようだけれど。

「えっと、大丈夫?」
その声に見上げると、チャラ先輩とムツリ先輩だった。アーちゃんは、完璧に固まっている。

「だっ、大丈夫ですっ!」
彼女は、チョコの箱を後に隠して立ち上がった。
「わっ、私、保健室に行かなきゃ! し、失礼しますっ」

「あ、そのチョコ、モテにだろ? 僕たちが渡しておいてあげようか?」
チャラ先輩は、一部始終を見ていたらしく、覗き込むようにちらっと眺めながら言った。お。チャンス!

「え。いや。そうじゃないです! そ、それにもう、潰れちゃったから、渡せないし、捨てようかと……」
アーちゃんは、焦って意味不明なことを言っている。そうじゃなくて、これはチャラ先輩に持ってきたって言えって。

 パニックを起こしている彼女は、誤解を解くどころか、箱をよりにもよって私に押し付けて、ひょこひょこと校舎に向かって走っていった。ちょっと。これをどうしろって言うのよ。

 思いあまった私は、潰れた箱をチャラ先輩の手に押し付けた。
「これ、モテ先輩に渡したりしちゃダメですよ。 中身は大丈夫のはずだから、食べてくださいね!」
 
 あとはチャラ先輩がこれを開けて、中のカードをちゃんと読んでくれることを祈るのみ。中の生チョコが潰れていなければ、カードに必要な情報が全部書いてあるはずだから。

 ところでアーちゃんは「チャラ先輩へ」ってカードにちゃんと書いたのかな。今は、それを確かめようもない。私はアーちゃんを追わなくちゃいけないし。

 ああ、この私が加担したにもかかわらず、今年も前途多難だなあ。

(初出:2017年1月 書き下ろし)

関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】異国の女と謎の訪問者

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第二弾です。ポール・ブリッツさんは、私の小説群に出てくる架空の村、カンポ・ルドゥンツ村の出てくるスパイ小説で参加してくださいました。

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『カンポ・ルドゥンツの来訪者』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。どうも、こういう企画は難しい挑戦をしないといけないとお思いになっているらしくて、毎年しょっぱなから大いにハードルをあげてくださるブログのお友だちです。でも、挑戦されたからと言って、応える方の技量には限りってモノが……。まあ、いいや。

いやー最近読んでいるスパイ小説が面白くって(^^)


この参加宣言と、あちらの小説のみなさんのコメントでは、私もスパイ小説でお返しすることを期待されているような氣もしますが、そう簡単に書けるわけないじゃないですか。しかも舞台がカンポ・ルドゥンツ村ですよ。何もないし。というわけで、こんな話になりました。例によって真相は「藪の中」です。なにが本当でなにが憶測なのか、謎の男は何しにきたのか、ポーランド人と、ロシア人は、スパイ小説とどう関わっているのかもしくは全然関わっていないのか、それは読者の想像にお任せします。

登場するトミーとリナは、去年のscriviamo!をはじめとして、私の小説では既におなじみのキャラなのですが、別に読まなくても大丈夫です。一応シリーズのリンクはつけておきますけれど……。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズ
「酒場にて」

「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



異国の女と謎の訪問者
——Special thanks to Paul Blitz-san


 道は凍り付いている。育ち始めた霜は、結晶を大きくさせて、雪が降ったあとのようにあたりを白くしている。カンポ・ルドゥンツ村は、ライン河の東岸にある小さな村だ。小高い丘の上にある少し裕福な人たちの住む場所は別として、泉のある村の中心部には三ヶ月にわたり一度も陽の光が差さない。

 河向こうにあるサリス・ブリュッケと違い住民も少ないこの村は、冬の間はまるで死んだかのように人通りがない。かつては広場を囲んで三軒あった旅籠兼レストランのうち今も営業しているのは一軒のみで、他には村の中心部からかなり離れたところにバーとそれに隣接した有機食料品店があるだけだ。

「こんにちは、トミー!」
そのバーの扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、そんな寒村には全く似合わない派手な出立ちの娘だ。鮮やかな緑のコートは確か雑誌で見かけたバリーの新作だし、その下から現れた白いミニ丈のニットドレスは、どこのブランドかわからないけれど今年のトレンドであることは間違いない。黒いタイツに茶色いロングブーツのバランスもこだわりを感じさせる。それがわかるトミーだが、そんなことを容易く褒めてはやらないのが彼らしさだ。

「リナ。いつお外が春になったのよ」
「なっていないわよ。マイナス10℃ってところかな。寒かった~」
「だったら何でそんな恰好をしているのよ」
「だって今日はこういう氣分なんだもん」

 『dangerous liaison』は、コンサバティヴで過疎な寒村カンポ・ルドゥンツ村のはみ出しものが集うバーだ。ゲイのカップルであるステッフィとトミーが経営している。青とオレンジを基調とした南国風の室内装飾はこのあたりでは滅多にない派手なインテリアで、やってくる客もこの谷の半径三十キロ地点にいるはみ出しものばかりだった。

 この村に住むリナ・グレーディクもその一人で、週に二度ぐらいはこの店にやってきてトミーに新しいファッションを披露するのだった。

 カウンターの奥でクスっと笑う声がしたので顔を向けると、ノヴァコフスキー夫人で通っているイリーナが壁についたカラフルなシミのように座っていた。このバーの常連の中で最高齢だと思われ、正確な歳は誰も知らないがおそらく八十歳は超えているはずだ。夫のノヴァコフスキーは五十過ぎてから結婚してこの村に彼女を連れてきたが、彼が亡くなった後三十年ひとりで近くのアパートメントに住んでいる。

「あれ。一人? お客さん、帰ったの?」
リナは訊いた。

 前回この店にきた時に、常連である自動車工マルコが大騒ぎしていたのを耳にしていたのだ。
「おい。知っているか? ノヴァコフスキーの後家婆さんのところにボーイフレンドが来ているぞ! あの歳でやるよな」

「どんなヤツだ?」
「外国人だよ。顔立ちから言うと南欧の男かな。でも背はかなり高い。どこにでもいそうな老人だ」

 マルコの情報によると、村の中心にある旅籠に滞在しているということだった。そして、イリーナが彼を訪ねてきて二人で自宅に向かったのを目撃したレストランの常連たちが、驚きと興味を持って二人の関係についてあれこれ詮索して騒いでいたというわけだった。

「あの婆さんもポーランド人だったっけ」
「いや。確かロシア人だったはずだ。ティツィーノ州からやってきたらしく、イタリア語が達者なんだ」
「ああ。亡命貴族が多いんだよな。革命の時にごっそり持ち出した財宝でマッジョーレ湖のヴィラで優雅に暮らしている帰化者がいっぱいいるって話だ」
「そんな金持ちが、ヤン・ノヴァコフスキーみたいな貧乏人と結婚してこんな田舎に来るか」
「さあな。貴族の召使いの子弟ってのもいるだろう」

「そもそもヤン・ノヴァコフスキーは何でこの村に来たんだっけ?」
「ああ。ありゃ戦争捕虜だよ。フランスで従軍していたんだが、ドイツに投降するくらいなら、スイスに入った方がマシな扱いを受けるからって越境してきたんだ。で、戦後に村の娘と結婚して帰化したはずだ」
「なるほど。その娘が亡くなってから後添いに来たのがあのイリーナ婆さんってことだな」

「その婆さんが、今度は別の外国人をこの村に連れてくるってことか? はてはて。で、今度は何人かな」

 そんな噂が村の中心を駆け巡っていたのが四日ほど前だった。だが、村人の予想に反して、謎の南欧風の男は迎えにきた車に乗ってどこかへと去っていった。

 リナの質問は、村の噂がすでにバー『dangerous liaison』にまで広がっていることや、自分が村の好奇心の対象となっていることを示していたので、イリーナは笑った。銀髪を優雅に結った女性で、若いころと変わらずに魅力的で秘密めいた微笑みを見せる。未亡人となってからはいつも黒い服を身につけているが、纏っているスカーフが色とりどりで華やかだ。

「ええ。帰りましたよ。昨日ね」
それから、トミーにワインのお替わりを頼んだ。

 すぐに帰るつもりはないと判断したリナは、イリーナの隣に座った。
「イリーナの家族?」

 イリーナは首を降った。
「いいえ。友達よ。ペンフレンドね」
「ペンフレンド?」

「ええ。いつだったか州都のスーパーマーケットで、告知をみつけたの。キリル文字で書かれていたのよ。懐かしかったから近寄って見たらペンフレンド募集だったのよ。それで連絡して文通するようになったの。この歳になると、使わないと、すっかり忘れて使えなくなってしまうのよ」

 リナはカンパリソーダを飲みながらイリーナの顔を覗き込んだ。
「イリーナはポーランド人じゃなかったんだ」
「いいえ。私の両親はロシアの出身なのよ。革命から逃げてティツィーノ州に来たの。私はイタリア語圏スイスで生まれ育ったんですよ」

「でも、イリーナはずいぶんきれいなドイツ語を話すよ? どうやって覚えたの?」
「若いころにルガーノに住んでいたドイツの男爵のところで働いていましたからね」

「リナ。あんたはいろいろな事を不躾に訊きすぎるわよ」
トミーが注意した。リナは「ごめん」とは言ったが、反省している様子はなかった。

「いいのよ。変な噂を流されるよりは、訊いてくれた方がすっきりするわ」
イリーナはワインを飲んだ。

 それで、リナは勢いこんで更に訊いた。
「それで、文通をしていた友達が会いにきたのね?」

「そうよ。変わった人でね。ペンフレンドを募集しておきながら、応募してくる人間がいるとは思わなかったなんて書いてくるし、特に文通がしたかったわけでもないみたいだったの。単に婆さんの書いてくる田舎の日常が面白かったから、暇つぶしに時々手紙をくれたみたいね。だから、まさか逢いにくるとは夢にも思わなかったんだけれど」

「じゃあ、何で来たのかしらね?」
リナが訊くと、老女はおかしそうに笑った。
「オクローシカを食べたかったみたいね」

「何それ?」
リナとトミーが同時に訊いた。

 イリーナは笑って言った。
「冷たい野菜スープの一種よ。クワスという発酵飲料で作るの。私は母からクワスの作り方を習っていたので、パンと酵母で手作りしているんですよ。この前の手紙でその話を書いたら、一度訪問したいって書いて来てね。大都会ならペットボトル入りのクワスが専門店で買えると思うんだけれどねぇ」

「ああ、それはわかるわ。故郷を離れていると、なかなか手に入らない手作りの味が無性に恋しくなるのよね」
トミーが頷いた。

* * *


 その頃、村の中心にある旅籠のレストランでは、男たちがまさにイリーナ婆さんと謎の男の噂をしていた。

「俺は、あの男はにはどこかおかしいところがあるように思うんだ」
マルコが熱弁を振るっている。他の男たちはビールを飲みながら首を傾げた。
「どこが?」

「第一に、こんな何にもない村にいきなりやって来たかと思うと、へんな送迎の男たちと去っていっただろう」
「はい、はい。また始まった。お前、外国人とみるとすぐになんかの陰謀だと言い出すんだよな」

 マルコはムキになって続けた。
「おかしいのはそれだけじゃないぞ」
「なんだよ」
「あの顔さ。手は皺しわなのに、額や鼻にほとんど皺がなかった。あれは整形かもしれないぞ」

「へえ。そうなのかな」
「で、イリーナ婆さんのところに何の用だ?」
「諜報機関の奴らが、なんかの書類を受け渡しにきたとかさ。ロシアの亡命貴族とKGBの密会というのは面白い組み合わせだな。それとも亡きポーランド人の遺した第二次世界大戦の時の重要書類か」

 それを聞くと、ほかの男たちは馬鹿にした顔つきで眼を逸らすと、新しいビールを注文した。
「お前は、スパイ小説を読みすぎだ。そんなわけないだろう。寝言もいい加減にしろ。あの男はどうせ婆さんの家族か親戚か、そんなところさ」

(初出:2017年1月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと天空の大聖殿

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2017」の第一弾です。山西 左紀さんは、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。下記のようなリクエストをいただいています。

夕さんが気になる、或いは気に入ったサキのキャラとコラボしていただけたら 嬉しいです。


山西左紀さんは、色鮮やかな描写と緻密な設定のSFをはじめとした素晴らしい作品を書かれる方です。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

既に多くの作品でコラボさせていただいていますが、もっとも多いのが、「夜のサーカス」のキャラクターの一人であるアントネッラと、そのブログ友達になっていただいたサキさんの「物書きエスの気まぐれプロット」のエスというキャラクターとの競演です。

記念すべき初のプランBですから、やはりこの組み合わせで書きたいなと思いました。アントネッラとエスの交流の話、もしくは劇中劇形式になっているストーリーの話、どちらで遊んでいただけるのかも興味津々です。どんな形でお返事いただけるのか、いまからワクワクです。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



夜のサーカスと天空の大聖殿 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」
——Special thanks to Yamanisi Saki-san


 風を切って雲の間を抜けていく時、《勇敢なる女戦士》ロジェスティラは、イポリトの首筋の茶色い羽毛に顔を埋めた。彼女の忠実な乗り物となったこの巨大なヒッポグリフは、そっと顔を向けて「大丈夫か」と伺うかのごとく黄金色の大きな瞳を動かした。

「怖くなんかないわ。これは武者震いよ。あの天空の大聖殿に近づくのは、お前のような神獣の助けを借りなくちゃ不可能だし、わが軍で《翼あるもの》の使い手は、いまや私一人ですもの。オルヴィエート様をお救いすることが出来るのは、お前と私しかいないんだわ」

 初めて目にした天空の大聖殿は、何と美しいことだろう! いくつもの尖塔がぎっしりとひしめき、針の山のように見えた。灰色と赤茶けた岩しか存在しない、人里離れた地の果てのごときヘロス山に、遠く離れたグラル山塊でしか産出しない青白い大理石をこれだけ運ぶ労力はどれだけのものだったのだろう。

 このように壮大な聖殿を建てても、祭司に集まる貴族たちも、祈りを捧げる民らも到達することは出来ない。五百年前の大噴火によってヘロサ新山が生まれた後、馬はもちろん、徒歩ですら近づくことが出来なくなったのだ。厳しい渓谷に阻まれたこの壮麗なヘロス大聖殿は秘密に守られて、何世紀にも渡り伝説で語られるだけの存在であった。

 ロジェスティラは、モルガントとの対決を思って下唇を噛んだ。将軍である皇孫オルヴィエートを欺き誘拐してこの大聖殿に立てこもっているのが、自分と子供時代を共に過ごした乳兄弟であることを知った時、彼女は「何かの間違いよ!」と叫んだ。けれども、それは間違いではなく、彼が邪悪な《闇の子たち》のために働いていることも疑う余地はなかった。

 いま彼女が躊躇すれば、高貴なるオルヴィエートの命やこの国の命運が失われるだけでなく、《光の子たち》の築き上げてきた世界そのものが崩壊してしまう。

「イポリト。氣をつけて。そろそろモルガントがお前の飛来を感じ取るはずよ。どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないわ」

 ロジェスティラのささやきに、イポリトは「わかっている」と言いたげに振り向いた。「あなたこそ、振り落とされないように、お氣をつけなさい」そう言っているかのように瞬きをした。

 そして、イポリトは、ますます速度を上げて、稲光の中に浮かび上がる青白い要塞に向かって降りて行った。



「う~ん。どうも陳腐だわね」
アントネッラは、ため息をつくと、エスプレッソ用品の置いてある窓辺のテーブルに向かった。

 もちろん、そこまでのほぼ全ての地面には、本と書類の山や、二ヶ月ほど前に買ってきてまだショッピングバッグに入れたままになっているトイレットペーパーや洗剤やパスタ、彼女としてはきちんと積み上げてあると認識している衣類の入った木箱などが道を塞いでいるので、彼女はその間のわずかな空間を身体を横にしたり少し飛んだりしながら通らなくてはならない。これもまたいいエクササイズだわ、というのが彼女のいつものひとり言だった。

「さてさて。ファンタジーもののセオリーには、乗っ取っているんだけれど。謀略。主人公と敵対者の闘争。主人公によるヒロインの救出……これは立場が逆ね。敵対者の仮面が剥がれ、主人公の欠如が解消される。でもねぇ。なんだかどこかで聞いたような話になっちゃっているのよねぇ。どこかに、こう、パンチのあるひねりが欲しいわ」

 窓辺に辿りつくと、彼女は少し大きめのアイボリーの缶の蓋をがたがた言わせて開けた。中からは深煎りしたコーヒー豆が現れる。彼女はフランス製の四角い木箱のついたアンティークコーヒーミルに、その豆を入れて、ハンドルをひたすら回した。美味しいエスプレッソを淹れるためには極細挽きにしなくてはならないのだ。挽きたての魅惑的な香りが、彼女の部屋に満ちた。

「ロジェスティラのイメージは、やはりあのライオン使いのマッダレーナかしらね。愛する貴公子を救うために勇敢にも敵地に一人で乗り込む美しきヒロインですもの。容姿のところを書き足さなくちゃ。オルヴィエートは、よく電話してくるあの金髪の俳優にしておこうかな。でも、敵役モルガントの容姿はどうしようかしら。暗い感じで、でも、一見は悪者に見えないような容姿がいいのよね。あ、ヨナタンの容貌は悪くないわね」

 マキネッタの最下部に水を、その上にセットしたバスケットにきっちりと粉を詰めると、ポット部分をセットして直火にかけた。フリーズドライのインスタントコーヒーを使えば、こんな手間はいらないのだが、第一に、彼女はまっとうなエスプレッソを飲む時間を持てないほど人生に絶望してはいないし、第二に、こうした単純作業は創作に行き詰まった時の氣分転換に最高だと知っていたからだ。

「なんでファンタジーを書く企画に参加しちゃったのかしら。まったく書いたことのないジャンルなのに」
彼女は、マキネッタがコトコトと音を立てはじめたのを感じながら、窓の外に広がる真冬のコモ湖を眺めた。

「そもそも私、ファンタジーをまともに読んだこともないし、この系統の映画もほとんど観ていないし。でも、参加すると手を挙げちゃったからには、何かは完成させないと。ああ、困った」

 夏場は観光客を乗せて軽やかに横断する遊覧船が、手持ち無沙汰な様相で船着き場で揺れている。谷間の陽の光は弱く、どんよりと垂れ込めた灰色の雲の間から、わずかに光が射し込んで湖畔の家々を照らしている。

 少なくともエスプレッソが完成するまでは、窓辺でこの光景を眺めていられたのだが、無情にも完成してしまったので、彼女は素晴らしい香りとともにそのコーヒーを愛用のカップに注いで、またコンピュータの前に戻らざるを得なかった。

「そうだ。エスに彼女の進捗状況を訊いてみよう。彼女は、SFは得意だけれど、ファンタジーはあまり書いたことがないって言っていたから、同じように苦労しているかもしれないし」

 エスというのは、日本に住んでいるネット上の創作仲間だ。アントネッラがインターネット上で小説を公開しだしてから数年になるが、ごく初期の頃から交流をもち、お互いの小説について忌憚なく意見を交わしている。あまり情報処理のことに詳しくないアントネッラのかわりに、エスは調べ物をしてくれたりもする。とても頼りになる友人なのだ。

 今回の企画には、エスも同じように参加している。彼女のファンタジーについての意見を聞いたら、自分の作品に足りない「何か」の正体がわかるかもしれないと思ったのだ。

 アントネッラは、創作に使っているエディタを閉じると、チャットアプリを立ち上げて、ログイン画面が現れるのを待った。

 一瞬「保存しますか?」と訊く画面がでたように思ったが、普段ならキーを押したあとに続く「どのフォルダに保存しますか」と言う問いかけが出てこないことに氣がついた。チャットアプリに保存は関係ないから、保存すべきだったのは何だったのかしらと考えてから青ざめた。

 慌ててエディタの方をアクティヴにしようと試みたが、大人しく終了してしまったらしく、うんともすんとも言わない。

 チャットアプリのログイン画面がポップに輝くのを絶望的に眺めてから、アントネッラは乱雑に机の上に積み上げられた書類の山の中に突っ伏した。


(初出:2017年1月 書き下ろし)


【11.01.2017 追記】
サキさんが、あっという間に素晴らしい返掌編を書いてくださいました! さすがです。みなさまどうぞご一読を!

サキさんの作品 「物書きエスの気まぐれプロット(26)クリステラと暗黒の石


関連記事 (Category: scriviamo! 2017)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2017
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】ジョゼ、日本へ行く

当ブログの77777Hit記念掌編、7つはすでに発表させていただいたのですが、最後のリクエストと数分の差でかじぺたさんにリクエストをいただいていたのでした。しかもちょうどその頃、かじぺたさんのお嬢さんがご結婚なさったとのことですので、お祝いを兼ねてリクエストにお答えすることにしたのでした。かじぺたさん、大変お待たせしました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*薬用植物
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*城
*ひどい悪天候(嵐など)
*「黄金の枷」関係


「黄金の枷」シリーズの主要キャラたち、とくに「Infante 323 黄金の枷」の主人公たちは設定上、今回のリクエストの舞台である日本には来ることが出来ないので、同じシリーズのサイドストーリーになっているジョゼという青年の話の続きを書かせていただきました。できる限り、この作品の中でわかるように書かせていただきましたが、意味不明だったらすみません(orz)

このキャラは、山西左紀さんのところのミクというキャラクターと絡んでいるんですが、全然進展しないですね。新キャラを投入して引っ掻き回していますが、私の方にはまったく続きのイメージがありません(なんていい加減!)この恋路の続きは、サキさんに全権委任します。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
ジョゼ、日本へ行く


 すごい雨だった。雨は上から下へと降るものだと思っていたが、この国では真横に降るらしい。それも笞で打つみたいに少し痛い。痛いのはもしかしたら風の方だったかもしれないが、そんな分析を悠長にしている余裕はなかった。目の前を立て看板が電柱から引き剥がされて飛んでいき、とんでもないスピードで別の電柱に激突するのを見たジョゼは、危険を告げる原始的なアラームが大脳辺縁系で明滅するのを感じてとにかく一番近いドアに飛び込んだ。

 それは小さいけれど洒落たホテルのロビーで、静かな音楽とグロリオサを中心にした華やかな生花が高級な雰囲氣を醸し出していた。何人かの日本人がソファに座っていて、いつものようにスマートフォンを無言でいじっていた。
 
 風と雨の音が遠くなると、そこには場違いな自分だけがいた。びっしょり濡れて命からがら逃げ込んできた人間など一人もいない。

「ジョゼ! いったいどうしたのよ」
エレクトラが、落ち着いたロビーの一画にあるソファに座って、薄い白磁でサーブされた日本茶と一緒にピンクの和菓子を食べていた。

 ジョゼは、とある有名ポートワイン会社の企画した日本グルメ研修に、勤めるカフェから派遣された。彼が職場の中でも勉強熱心で向上心が強いウエイターであるからでもあったが、日本人とよく交流していて仕事中にも片言の日本語で観光客を喜ばせているのも選考上で有利に働いたに違いない。

 彼は、日本に行けることを喜んだ。彼の給料と休みでは永久に行けないと思っていた遠くエキゾティックな国に行けるのだ。そしてその国は、なんと表現していいのかわからない複雑な想いを持っているある女性の故郷でもある。ああ、こんな言い方は卑怯だ。素直に好きな人と認めればいいのに。

 話をややこしくしている相手が、目の前にいる。日本とは何の関係もないジョゼの同国人だ。幼なじみと言ってもいい。まあ、そこまで親しくもなかったんだけれど。

 エレクトラ・フェレイラは、ジョゼとかつて同じクラスに通っていたマイアの妹だ。フェレイラ三姉妹とは学校ではよく会ったが、それはマイアの家族が引っ越すまでのことで、その後はずっと会っていなかった。ひょんなことから彼はマイアの家族が再び街の中心に戻ってきたことを知った。

 快活で前向きな三女のエレクトラは、小さいお茶の専門店で働いている。ジョゼの働いているカフェのように有名ではないし、従業員も少ないのでいくら組合の抽選で当たったとはいえ、休みを都合して日本へ来るのは大変だったはずだ。それを言ったら彼女はにっこり笑って言った。
「だってジョゼが行くって知っていたもの。一緒に海外旅行に行くのはもっと親しくなる絶好のチャンスでしょう」

「え?」
「え、じゃあないでしょう。そんなぼんやりしているから、そんな歳にもなって恋人もいないのよ。マイアそっくり。もっともマイアだって、さっさと駒を進めたけれどね」
「あのマイアに恋人が?」

 エレクトラは、人差し指を振って遮った。
「恋人じゃないわ、夫よ」

「なんだって?」
「しかも、もうじき子供も生まれるんですって」
「ええええええええ?」

「彼女、例の『ドラガォンの館』の当主と結婚しちゃったの。全く聞いていなかったから、のけぞったわ。私たちが知らされたのは結婚式の前日よ」
「マイアが?」

「あ。なんかの陰謀じゃないかって、今思ったでしょう」
「いや、そんなことは……」
「嘘。私も思ったわよ。でもね。結婚式でのマイアを見ていたら、なんだ、ただの恋愛結婚かって拍子抜けしちゃった。あの当主のどこがそんなにいいのかさっぱりわからないけれど、マイアったらものすごく嬉しそうだったもの」
「僕に知らせてもくれないなんて、ひどいな」

「仕方ないわよ。おかしな式だった上、それまでも、それからも、私たちですらマイアに会えないんだもの。妙な厳戒態勢で、私たちが結婚式に列席できただけで奇跡だってパパが言っていたわ」

 意外な情報にびっくりして、ジョゼは目の前の女の子に迫られているという妙な状況も、自分には好きな女性がいると告げることもすっかり意識から飛ばしてしまった。だから、最初にきっぱりと断るチャンスを失ってしまったのだ。それにエレクトラは、ものすごい美人というわけでもないが、表情が生き生きとしていて明るく、会話が楽しくて魅力的なので、好かれていることにジョゼが嬉しくないと言ったら嘘になった。

 この旅に出て以来、エレクトラはことあるごとにジョゼと行動を共にしたがった。彼は、曖昧な態度を見せてはならないと思ったが、朝食の席がいつも一緒になってしまい、一緒に観光するときも二人で歩くことが増えて、周りも「あの二人」という扱いを始めているくらいなのだった。

「一体、何をしてきたのよ、そんなに濡れて」
「あの嵐でどうやったら濡れずに済むんだよ」

 エレクトラは肩をすくめた。
「この台風の中、地下道を使わないなんて考えられないわ」
彼女が示した方向にはガラスの扉があり、人々が普通に出入りしていた。ホテルは地下道で地下鉄駅と結ばれていたのだ。ジョゼはがっかりした。

 彼女はバッグからタオルを取り出すと、立ち上がって近づき、ジョゼの髪や肩のあたりを拭いた。
「日本では、水がポタポタしている男性は、いい男なんですって。文化の違いっておかしいと思っていたけれど、案外いい線ついているのかもしれないわね」

 エレクトラの明るい茶色の瞳に間近で見つめられてそんなことを言われ、ジョゼはどきりとした。けれど、彼女はそれ以上思わせぶりなことは言わずにタオルを彼に押し付けるとにっこり笑って離れ、また美味しそうに日本茶を飲んだ。

「明日からは晴れるらしいわよ。金沢の観光のメインはお城とお庭みたいだから、晴れていないとね」

* * *


 あの嵐はなんだったんだと呆れるような真っ青な晴天。台風一過というのだそうだ。 ジョゼは、まだ少し湿っているスニーカーに違和感を覚えつつ、電車に乗った。ただの電車ではない。スーパー・エクスプレス、シンカンセンだ。

「この北陸新幹線は、わりと最近開通したんですって。だから車両の設備は最新なのね」
エレクトラは、ジョゼの隣に当然のように座り、いつの間にか仕入れた情報を流した。彼は、ホテルや町中のカフェなどと同じように、この特急電車のトイレもまた暖かい便座とシャワーつきであることに氣づいていたので、なるほどそれでかと頷いた。

 この国は不思議だ。千年以上前の建物や、禅や武道のような伝統を全く同じ姿で大切に継承しているかと思えば、どこへ行っても最新鋭のテクノロジーがあたり前のように備えてある。それは鉄道のホームに備えられた転落防止の扉であったり、妙にボタンの多いトイレの技術であったり、雨が降るとどこからか現れる傘にビニール袋を被せる機械であったりする。

 クレジットカード状のカードにいくらかの金額を予めチャージして、改札にある機械にピタンとそのカードを押し付けるだけで、複数の交通機関間の面倒な乗り換えの精算も不要になるシステム。40階などという考えられない高層にあっという間に、しかも揺れもせずに運んでくれるエレベータ。

 ありとあらゆる所に見られる使う側の利便を極限まで想定したテクノロジーと氣遣いは、この国では「あたりまえ」でしかないようだが、ジョゼたちには驚異だった。

 それは、とても素晴らしいことだが、それがベースであると、「特別であること」「最高のクラスであること」を目指すものには、並ならぬ努力が必要となる。

 ジョゼは、街で一二を争う有名カフェで働いていて、だから街でも最高のサービスを提供している自負があった。ただのウェイターとは違うつもりでいたけれど、この国からやってきた人にとっては、ファーストフードで働く学生の提供するサービスとなんら変わりがないだろう。彼女ミク にとっても。

 彼女は、ミュンヘンで彼のことを好きだと言った。あまりにもあっさりと言ったから、たぶん彼の期待したような意味ではないんだろう。知り合った時の小学生、弟みたいな少年。あれから月日は経って、背丈は追い越したけれど、年齢は追い越せないし、住んでいる世界もまるで違う。もともとはお金持ちのお嬢様だったとまで言われて、なんだか「高望みはやめろ。お前とは別の次元に住んでいる人だ」と天に言われたみたいだ。そして、彼女の故郷に来てみれば、理解が深まるどころか民族の違いがはっきりするばかり。

「なんでため息をついているの?」
エレクトラの問いにはっとして意識を戻した。「なんでもない」という事もできたけれど、彼はそうしなかった。

「この国と、僕たちの国って、大きな格差があるなって思ったんだ」
そういうと、彼女は眉をひとつ上げた。

「格差じゃないわ。違いでしょう。私は日本好きよ。旅行には最高の国じゃない。まあ、同化していくのは難しそうだから、住むにはどうかと思うけれど。結局のところ、物理的にも精神的にも、この国と人びとは私たちからは遠すぎるわよね」

* * *


 台風は秋を連れてくるものらしい。それまでは夏のようなギラギラとした陽射しだったのに、嵐が過ぎた後は、真っ青な空が広がっているのに、どこか物悲しさのある柔らかい光に変わっていた。

 金沢城の天守閣はもう残っていない。もっとも堂々たる門や立派な櫓、それに大きく整然としたたくさんの石垣があるので、エキゾティックなお城を見て回っている満足感はある。

 何百年も前の日本人が、政治の中心とは離れた場所で、矜持と美意識を持って独自の文化を花咲かせた。それが「小さい京都」とも言われる金沢だ。同じ頃に、ジョゼの国では世界を自分たちのものにしようと海を渡り独自の文化と宗教を広めようとした。かつての栄誉は潰えて、没落した国の民は安い給料と生活不安をいつもどこかで感じている。

 ジョゼたち一行は、金沢城を見学した後、隣接している兼六園を見学した。薔薇や百合や欄のような華やかな花は何ひとつないが、絶妙なバランスで配置された樹々と、自然を模した池、そして橋や灯籠や東屋など日本の建築がこれでもかと目を楽しませる。枯れて落ちていく葉も、柔らかい陽の光のもとで、最後の輝きを見せている。

「この赤い実は、山茱萸さんしゅゆ といいます。滋養強壮に役に立つのでお酒に入れて飲みます」
「こちらの黄色い花はツワブキといいます。茎と葉は火傷や打撲に対する湿布に使います。またお茶にすると解毒や熱冷ましにもなる薬用植物です」

 ガイドが一つひとつ説明して回る花は、見過ごしてしまうほどの地味なものだが、どれも薬になる有用な植物ばかりだ。
「野草をただ生えさせておいたみたいに見えるのに、役に立つ花をいっぱい植えているのねぇ」
エレクトラが言った。

 地味で何でもないように見えても、とても役に立つ花もある。そう考えると、没落した国の民、しがないウェイターでも、なんらかの役割はあるのかもしれない。それが彼女ミク にとって、なんらかの意味を持つかどうかはわからないが。

 なんだかなあ。彼女の国に行ったら、いろいろな事がクリアに見えてくるかと思っていたのに、反対にますますわからなくなっちまった。ジョゼはこの旅に出てから20度目くらいになる深いため息をついた。

(初出:2016年11月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・黄金の枷 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・黄金の枷 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとマリンブルーの輝き

さてリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念立て続けに発表させていただいていますが、77777Hit記念掌編としては5つ目。リクエストは山西左紀さんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*野菜
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*公共交通機関
*夏
*「夜のサーカス」関係
*コラボ(太陽風シンドロームシリーズ『妖狐』の陽子)


今回のリクエスト、サキさんが指定なさったコラボ用のオリキャラは、もともとlimeさんのお題絵「狐画」にサキさんがつけられたお話なのですが、サキさんらしい特別の設定があって、これをご存じないと意味がないキャラクターです。というわけで、今回はご存じない方は始めにこちらをお読みになることをお薦めします。

山西左紀さんの 狐画(前編)
山西左紀さんの 狐画(後編)

そのかわり、私の方のウルトラ怪しい(っていうか、胡散臭い?)キャラクターは、「知らねえぞ」でも大丈夫です。

「夜のサーカス」はイタリアの話なんですけれど、現代日本とのことですので舞台に選んだのは、一応明石市と神戸市。でも、サキさんのお話がどことはっきり書かない仕様になっていますので、一応こちらもアルファベットにしています。前半の舞台に選んだのは、こちらのTOM-Fさんのグルメ記事のパクリ、もといトリビュートでございます。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




夜のサーカス Circus Notte 外伝
夜のサーカスとマリンブルーの輝き


 蒸し暑い夏の午後だった。その日は、僕の個展が終わったので、久しぶりの休みを取りA市方面へ行った。長いほったらかしだった時間の埋め合わせをするように、出来る限り彼女の喜ぶデートがしたかった。

 ようやく僕が出会えた理想の女性。思いもしなかったことで怒らせたり泣かせてしまったりもしたけれど、誤解は解けて、僕たちはとても上手くいっている。少なくとも僕はそう思っている。

 今ひとつ僕の言葉に自信がないのは、陽子にどこかミステリアスな部分があることだ。もちろん、僕が一度経験した、夢のような体験に較べれば受け入れられる程度に謎めいているだけだけれど。

 朝食をとるにはとても遅くなってしまったので、僕たちはブランチをとることにした。彼女の希望で、A市に近い地元で採れた五十種類以上の野菜を使ったビュッフェが食べられるレストランを目指した。

 そこは広大な敷地、緑豊かな果樹園に囲まれている農作業体験施設の一部で、その自然の恵みを体で感じることが出来る。都会派でスタイリッシュな陽子が、農業や食育といったテーマに関心があることを初めて知った僕は、戸惑いを感じると同時に彼女の新しい魅力を感じて嬉しくなった。

 ビュッフェに行くと、僕はどうしても必要以上に食べたくなってしまうのだが、薄味の野菜料理なのでたとえ食べ過ぎてもそんなに腹にはこたえない。もっとも大量に食べているのは僕だけで、陽子はほんのわずかずつを楽しみながら食べていた。そして、早くもコーヒーを飲みながら静かに笑った。

「はじめての体験って、心躍るものね」
「初めて? ビュッフェが?」

 彼女は、一瞬表情を強張らせた後でにっこり微笑むと「ここでの食事が、ってことよ」と言った。それは当然のことだ。馬鹿げた質問をしてしまったなと、僕は反省した。

 そのまま農作業体験をしたいのかと思ったら、彼女は首を振って「海に行って船に乗りたいわ」と唐突に言った。

 海はここから車で三十分も走れば見られるが、船に乗りたいとなると話は別だ。遊覧船のあるK港まで一時間以上かけていかなくてはならない。だが、今日、僕は彼女の願いを何でも叶えてあげたかった。

「よし。じゃあ、せっかくだから、特別におしゃれな遊覧船に乗ろう」
「おしゃれな遊覧船?」
「ああ、クルージング・カフェといって、美しいK市の街並を海から眺めながら、洒落た家具の揃ったフローリングフロアの船室で喫茶を楽しむことが出来る遊覧船があるんだ。あれなら君にも満足してもらえると思う」

 K市の象徴とも言える港は150年の歴史を持つ。20年ほど前に起こった大きな地震で被害を受けた場所も多かった。港では液状化した所もあったが、今では綺麗に復旧している。災害の爪痕は震災メモリアルパークに保存され、その凄まじさを体感できるようになっているが、そこからさほど遠くないクルーズ船乗り場の近くにはショッピングセンターや観覧車などがある観光名所になっている。

 僕は陽子をエスコートしてチケットを購入すると「ファンタジー号」ヘと急いだ。船は出航寸前だったからだ。この炎天下の中、長いこと待たされるのはごめんだ。

 なんとか甲板に辿りつくと、この暑さのせいでほとんど全ての乗客は船内にいた。ところが、見るからに暑苦しい見かけの男が一人、海を眺めながら立っていた。

 その男は外国人だった。赤と青の縞の長袖の上着を身に着けていて、大きな帽子もかぶっていた。くるんとカールした画家ダリのような髭を生やしていて、僕と陽子を見ると丁寧に帽子を取って大袈裟に挨拶をした。

「これは、なんと美しいカップルに出会えた事でしょう、そう言っているわ」
陽子が耳打ちした。僕は、陽子がこの英語ではない言語を理解できるとは知らなかったので驚いて彼女を見つめた。陽子は「イタリア人ですって」と付け加えた。

 怪しいことこの上ない男は、それで僕にはイタリア語がわからず、陽子にだけ通じていることを知ったようだった。全く信用のならない張り付いた笑顔で、たどたどしい日本語を使って話しだした。
「コノコトバ ナラ ワカリマスカ」

 僕は、どきりとした。かつて僕が体験した不思議なことを思い出したのだ。人間とは考えられない異形の姿をしたある女性(異形であっても女性というのだと思う)を、僕は一時期匿ったことがあるのだが、その獣そっくりの耳を持った女性が初めて僕に話しかけてきた時、「コノコエデツウジテイル?」と言われたのだ。

 僕は、この人は日本語も話せるのか感心しながら「日本語がお上手ですね」と答えてみた。すると、男は曖昧な微笑を見せてすまなそうに英語で言った。
「やはり、日本語でずっと話すのは無理でしょうな。英語でいいでしょうか」

 僕は、英語ならそこそこわかる上、たどたどしい日本語よりは結局わかりやすいので、英語で話すことにした。

「日本にいらしたのは観光ですか?」
「ええ。私はイタリアで小さいサーカスを率いているのですが、こともあろうに団員の半分が同じ時期に休みを取りたいと言い出しましてね。それで、まとめて全員休みにしたのですよ。演目が限られた小さな興行で続けるよりは、全員の休みを消化させてしまった方がいいですからね。それで生まれて初めて日本に来たというわけです」

 サーカスの団長か。だからこんな派手な服装をしているのか。
「それにしても暑くないのですか? そんな長袖で」
「私はいつ誰から見られてもすぐにわかるように、常に同じでありたいと思っているのですよ。だからトレードマークであるこの外見を決して変えないというわけなのです」
変わった人だ。僕は思った。

「外見を変えない……。変えたら、同じではなくなるなんてナンセンスだわ」
陽子が不愉快そうに言った。すると、サーカスの団長といった男は、くるりとしたひげを引っ張りながらにやりと笑い、陽子の周りをぐるりと歩いた。

「そう、もちろん服装を変えても、中身は同じでしょう。ごく一般的な場合はね」
「なんですって?」

 男は、陽子には答えずに、僕の方に向き直ると怪しい笑顔を見せた。
「だまされてはいけません。美しい女性というものは、化けるのですよ、あなた」

「それは、どういう意味ですの」
陽子が鋭く言った。

「文字通りの意味ですよ。欲しいものを手に入れるために、全く違う姿になり、それまでしたことのない経験を進んでしたがる。時には宝石のような涙を浮かべてみせる。我々男にはとうていマネの出来ない技ですな」

「聞き捨てならないわ。私のどこが……」
言い募る陽子の剣幕に驚きつつも、僕はあわてて止めに入った。
「この人は一般論を言っているだけだよ。僕は、少なくとも君がそんな女性じゃないことを知っている」

 そういうと、陽子は一瞬だけ黙った後に、力なく笑った。
「そう……ね。一般論に激昂するなんて、馬鹿馬鹿しいことだわ。ねぇ、キャビンに入って、アイスクリームでも食べましょう」

 その場を離れて涼しい船内へと入ろうとする二人に、飄々とした声で怪しい男は言った。
「では、私もご一緒しましょう」

 陽子は眉をひそめて不快の意を示したが、そんなことで怯むような男ではなかった。それに、実のところ空いているテーブルはたった一つで、どうしてもこの男と相席になってしまうのだった。僕は黙って肩をすくめた。

 ユニフォームとして水兵服を着ているウェイトレスがにこやかにやってきて、メニューを示した。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」

「何か冷たいものがいいな。陽子、君はアイスクリームがいいと言っていたよね。飲み物は何がいい?」
「ホットのモカ・ラテにするわ」

 僕は吹き出した汗をハンカチで拭いながら、驚いて陽子を見た。ふと同席の二人を見ると、どちらも全く汗をかいた様子がない。いったいどういう事なんだろう。

「私は、このビールにしようかな。こちらの特別メニューにあるのはなんですかな」
サーカス団長の英語にウェイトレスはあわてて、僕の方を見た。それで僕はウェイトレスの代わりに説明をしてやることにした。

「ああ、期間限定で地ビールフェアを開催しているんですよ。このH県で生産しているビールですよ。城崎ビール、メリケンビール、あわぢびーる、六甲ビール、有馬麦酒、山田錦ビール、幕末のビール復刻版、幸民麦酒か。ううむ、これは迷うな。どれも職人たちが手作りしている美味いビールですよ」

「あなたがいいと思うのを選んでください」
そういわれて、僕は悩んだが、一番好きな「あわぢびーる」を選んで 二本注文した。酵母の生きたフレッシュな味は、大量生産のビールにはない美味しさなのだ。

「なるほど、これは美味いですな」
成り行き上、乾杯して二人で飲んでいる僕に陽子が若干冷たい視線を浴びているような氣がして僕は慌てた。
「陽子、君も飲んでみるか?」

「いいえ、私は赤ワインをいただくわ」
陽子は硬い笑顔を僕に向けた。結局、クルーズの運行中、謎の男はずっと僕たちと一緒にいて、陽子の態度はますます冷えていくようだった。

 下船の際に、さっさと降りて行こうとする陽子を追う僕に、サーカスの団長はそっと耳元で囁いた。
「言ったでしょう。女性というのは厄介な存在なのですよ」

 誰のせいだ、そう思う僕に構わずに彼は続けた。
「彼女のことは、放っておいて、どうですか、私と今晩つき合いませんか?」

 僕は、心底ぎょっとして、英語がよくわからなかったフリをしてから彼に別れを告げ、急いで陽子を追った。

 彼女は僕の青ざめた顔を見て「どうしたの」と訊いた。
「どうしたもこうしたも、あの男、どうやら男色趣味があるみたいで誘ってきた。女性を貶めるようなことばかり言っていたのは、それでなんだな」

 それを聞くと、陽子は心底驚いた顔をした。
「まあ……そういうことだったのね、わたしはてっきり……」
「てっきり?」

 彼女は、その僕の質問には答えずに、先ほどよりもずっとやわらかくニッコリと笑った。
「なんでもないわ。ところでせっかくだから、そこにあるホテルのラウンジに行かない? もっと強いお酒をごちそうしてよ」

「いいけれど、僕は車だよ」
「船内でもうビールを飲んでしまったでしょう。あきらめなさい」

 僕は予定していなかった支出のことを考えた。海を眺める高層ホテルの宿泊代ってどれだけするんだろう。それでも、誰よりも大切な陽子が喜ぶことなら……。

 Kの港は波もない穏やかな海のマリンブルーの輝きに満ちていた。

(初出:2016年8月 書き下ろし)


この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


【参考】
神戸シーバス クルージングカフェ ファンタジー号

そして、実は、次も「夜のサーカス 外伝」なんです。イタリアに残った連中がなにをしていたかは、来週までのお楽しみ。
関連記事 (Category: 小説・夜のサーカス 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・夜のサーカス 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】横浜旅情(みなとみらいデート指南)

さて、かなり間が空きましたが、リクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念今週から、3つほど続けて発表させていただきます。そのひとつ目で、77777Hit記念掌編としては3つ目。リクエストはけいさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*針葉樹/広葉樹
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*橋
*晴天
*カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ
*コラボ「秘密の花園」から花園徹(敬称略)


『秘密の花園』は、つい最近読ませていただいたけいさんの小説。花園徹はけいさんの小説群にあちこちで登場する好青年(ある小説ではすでに素敵な大人の男性になっています)で、本人には秘密めいた所はないのになぜか「秘密の花園」と言われてしまうお方。作品全てに共通するハートフルで暖かいストーリーからは、けいさんのお人柄と人生観がにじみ出ているのです。

うちでは「カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ」「現代日本」ということですから、日本に縁のあるリナが一番適役なのは間違いないですが、あのお嬢はまったくハートフルではないので、毒を以て毒を制するつもりでもう一人強烈なキャラを連れて来日させました。

けいさん、私がもたもたしていたら、旅にでられてしまいました。これは読めないかな。ごめんなさいね。オーストラリアに戻られたらまた連絡しますね。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズをはじめから読む



横浜旅情(みなとみらいデート指南)
Featuring『秘密の花園』


 晴れた。カラッカラに晴れた。桜木町駅の改札口で、花園徹は満足して頷いた。日本国神奈川県横浜代表として、スイスからやってきた少しぶっ飛んだ女の子とその連れに横浜の魅力を伝えるのに、申し分のないコンディション。

 徹は神奈川国立大学経営学部に在籍する21歳。オーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがあり、英語でのコミュニケーションは問題ない。それに、そのスイス在住の女の子は、高校生の時に一年間日本に交換留学に来ていたことがあって、ただのガイジンよりは日本に慣れている。

 今日案内することになっているリナ・グレーディクとは、「友達の従妹の、そのまた知り合いの兄からの紹介」という要するに全く縁もゆかりもない仲だった。が、二つのバイトを掛け持ちしつつ学業に励む中での貴重な一日を潰されることにも怒らずに、徹は『インテリ系草食男子』の名に相応しい大人の対応で、誰も彼もいとも簡単に友達にしてしまう謎の女とその彼女が連れて来る男を待っているのだった。

 相手の男の名前は、トーマス・ブルーメンタール。厳つい筋肉ムキムキの男かな。リナが昨夜電話で徹につけた注文は「デートコース! ヨコハマデートにおすすめの所に案内してよね!」だったので、熱々の仲の男を連れてくるのかなと思った。でも、ってことは俺はお邪魔虫なんじゃ? 

「おまたせ!」
素っ頓狂な英語が聞こえて、徹は現実に引き戻された。見間違うことのないリナがそこに立っていた。栗色の髪の毛は頭のてっぺんの右側でポニーテールのように結ばれている。オレンジ色のガーベラの形をした巨大な髪留め。

 それが全く氣にならないのは、着ているものがオレンジと黒のワンピースなんだかキャミソールなんだかわからないマイクロミニ丈のドレスにオレンジのタイツ、そして、やけに高い黒のミュールを履いているド派手さのせいだった。徹は特にブランドに詳しいわけではないが、そのドレスがヴェルサーチのものであることはわかった。なんせ胸にでかでかとそう書いてあるのだから。

 だが、ド派手なのはリナだけではなかった。リナの連れは、ボトムスこそは黒いワイドパンツだけれど、カワセミのような派手なブルーに緑のヒョウ柄の、大阪のおばちゃんですら買うのに躊躇するようなすごい柄のシースルーブラウスを身につけていた。赤銅色に染めた髪の毛はしっかりとセットされている。その上リナにも負けない、いやもっと氣合いの入ったフルメイクをしていて、見事に手入れされた長い爪には沢山のラインストーンがついていた。

「はじめまして」
その「男」はにっこりと笑いかけた。

「トオル、紹介するわね。これがトミー。私がよく行く村のバー『dangerous liaison』の経営者よ。今回は、彼に日本のあちこちを紹介して回っているの」
「はじめまして、花園徹です」

「トミー、この人が『秘密の花園』ことトオルよ」
リナの紹介に彼は少しムッとした。
「ちょっと待て、俺には秘密なんかない。そのあだ名が嫌いだってこの前も言っただろう」

 リナは大きな口をニカッと開けてチェシャ猫のように笑って答えた。
「だからそう呼ぶのよ。ショーゴもそう言っていたわ」

 ちくしょう。田島、あいつのせいだ。なんでこんな変なチェシャ猫女に俺のあだ名を教えるんだ。徹は大きくため息を一つつくと、諦めて二人に行こうと身振りで示した。

「デートコースが知りたいって言っていたよね」
聞き違えたのかと心配になって徹が訊くとリナもトミーも頷いた。

「そうそう。デートの参考にしたいよね」
「そうね。侘び寂びもいいけれど、続いたから少し違ったものが見たいのよ。日本のカップルが行くような場所のことをスイスにいるアタシのパートナーのステッフィに見せてあげたいし」

 OK。では、間違いない。安心して歩き出す。

「わあ、きれい。これがベイブリッジ?」
リナが左右の海を面白そうに眺めながら訊いた。それは、長い橋のようになっている遊歩道だ。かつては鉄道が走っていた道を整備したものだが、眺めがいいのでちょっとした観光名所になっている。

「違うよ。横浜ベイブリッジは、ずっとあっち。この遊歩道は汽車道っていうんだ。いい眺めだろう?」
「そうね。海ってこんな香りがするのね」
トミーが見回した。スイスには海がないので青くどこまでも広がる海は、バカンスでしか見ることが出来ない。

 徹は、周りの日本人たちがチラチラとこちらを見ていることに氣がついていた。そりゃあ目立つだろうなあ。このド派手な外国人二人連れて歩いているんだから。

「横浜ベイブリッジに展望遊歩道があると聞いたの。留学してたときも横浜は中華街しか行ったことがなかったから、今度は行こうと思っていたんだけれど、今日は時間ない?」
リナは振り返って訊いた。

 徹は首を振った。
「残念ながら、あのスカイウォークは閉鎖されてしまったんだ。年々利用者が減って維持できなくなってしまったんだよね」

 横浜ベイブリッジの下層部、大黒埠頭側から約320mに渡って設置された横浜の市道「横浜市道スカイウォーク」は、1989年から20年以上市民に親しまれていたが、競合する展望施設が多かったことに加え、交通の便が悪いことや、隣接予定だった商業施設の建設計画がバブルの崩壊後に白紙に戻ったこともあり、年々利用者が減って2010年には閉鎖されてしまった。

「そのかわりに、これから特別な展望施設に連れて行ってあげるよ。そこからはベイブリッジも見える。いい眺めだぞ」
そう徹がいうと、リナはニカッと笑って同意を示した。

 徹は二人をよこはまコスモワールドの方へと誘導した。この遊園地は入園無料で、アトラクションごとに料金を払うことになっている。シンボルとなっている大観覧車にだけ乗るのもよし、キッズゾーンだけ利用するもよし、単純に散歩するだけでも構わない。

 もっとも、リナは、水の中に突っ込んで行っているように見えるジェットコースターに目が釘付けになっていた。
「あれに乗りたい!」
「はいはい」

 ダイビングコースター「バニッシュ!」は、祭日ともなると一時間も待たされるほどポピュラーなアトラクションだが、平日だったためか奇跡的にすぐに乗ることが出来た。徹はトミーとリナが並んで車両の一番前に陣取るのを確認してから、一番写真の撮りやすい場所に移動してカメラを構えた。

 すげえなあ、見ているだけで目が回りそうだ。ピンクのレールを走る黄色いコースターはくるくると上下に走り回る。人びとの悲鳴とともに、コースは水面へと向かうように走り落ちてくる。そして、水飛沫のように思える噴水が飛び交うと同時に池の中のトンネルへと消え去った。タイミングばっちり。二人が戻ってくるまでにデジカメの記録を確認すると、楽しそうに叫ぶリナと、引きつっているトミーがいい具合に撮れていた。

「きゃあ~! 面白かった〜。こういうの大好き!」
リナは戻ってきてもまだ大はしゃぎだ。

「アタシはこっちを試したいわ」
トミーが選んだのは、巨大万華鏡。星座ごとに違うスタンプカードをもらって迷路の中で正しい自分の星座を選んでスタンプを押して行くと最後にルーレットチャンスがあるらしいが、そもそも日本語が読めないトミーはそちらは無視して、中の幻想的な鏡と光の演出を楽しんだ。
「こういう方が、ロマンティックだわ」

 それぞれが満足したあとで、徹は二人とコスモクロック21に乗った。この大観覧車は100メートルの回転輪、定員480名と世界最大のスケールを誇っている。15分の間に、360度のパノラマ、横浜のあらゆるランドマークを見渡すことができる。
「ああ、本当だわ。あれがベイブリッジね!」

「あそこに見える赤茶色の建物は?」
トミーが訊いた。
「あれは赤レンガ倉庫だ。後で行こうと思っていた所だよ」
「そう。チューリヒにローテ・ファブリックっていう、カルチャーセンターがあって、あたし、そこで働いていたことがあるの。あの赤レンガの外壁を見てなんか懐かしくなってしまったわ」

「へえ。そうなんだ。あの建物も今は文化センターとして機能している所なんだ」

 横浜赤レンガ倉庫は、開港後間もなく二十世紀初頭に建てられた。海外から運び込まれた輸入手続きが済んでいない物資を一時的に保管するための保税倉庫で、日本最初の荷物用エレベーターや防火扉などを備えた日本が世界に誇る最新鋭の倉庫だった。関東大震災で半壊したあと、修復されて第二次世界大戦後にGHQによる接収を挟んで再び港湾倉庫として使用されていたが、海上輸送のコンテナ化が進んだことから1989年に倉庫としての役割を終えた。現在は「港の賑わいと文化を創造する空間」としてリニューアルされ沢山の来場者で賑わっている。

「ここにあるカフェ『chano-ma』はちょっと有名だぞ。ソファ席もあるけれど、靴を脱いでカップルでまったりと寛げる小上がり席やベッド席もあるんだ」

「なんですって? 靴を脱ぐと寛げるの? どうして」
トミーは首を傾げた。リナは肩をすくめる。
「日本人は靴を脱ぐと自宅にいるような感じがするんじゃないかしら?」

「へえ。トオルは、そのベッド席で可愛い女の子としょっちゅう寛いでいるわけ?」
「いや、俺は……そのいろいろと忙しくて、まだ……いや、俺のことなんてどうでもいいだろう!」

 その徹にリナはニカっと笑って言った。
「ふーん。いろいろと忙しいなんて言っていると、かわいいナミを他の人にとられちゃうよ?」
ちょっと待て。どこからそんな情報を。奈美さんは確かにとても素敵な人だけど!

 リナは、赤くなって口をぱくぱくさせている徹に容赦なくたたみかけた。
「この間、ショーゴに言われていた時にも、同じように赤くなっていたよ。あれからまだ連絡取っていないの? ゼンハイソゲなんでしょ」

「その話はいいから。ところで、夕方までここにいて、ライヴつきのレストランで食べたい? それとも、もっと歩いて横浜中華街に行きたい? デートコースっぽいのは、オシャレなライヴの……」
「中華街!」
確かデートコースを知りたいとか言っていたはずの二人は声を揃えて叫んだ。色氣よりも食欲らしい。まあ、その方がこの二人には似合うけどな。

 赤レンガ倉庫には何軒かの土産物屋があったので、出る前にそこをぶらついて行こうということになった。トミーは徹に訊いた。
「せっかくここまで来たんだから、うちのバーで出せる横浜らしいものを送ろうと思っているんだけれど何がいいと思う?」

「おすすめはこれだな」
徹は、黒いラベルのついた茶色の瓶を手にとった。
「横浜エール。開港当時のイギリスタイプの味を再現した麦芽100%のビールなんだ。国際ビールコンペティションで入賞したこともある」

「私はビール飲まないんだけれど」
リナが言うと徹はすぐ近くにあった透明な瓶を見せた。
「これもいいぞ。横浜ポートサイダーというんだ。爽やかな味が人氣だよ。この横浜カラーの水玉がかわいいだろ?」
「あ。これ、おしゃれ! 後から見ると水玉模様になってる。これ一本買って帰って、飲み終わったら花瓶にしようっと」

 そのセリフだと開けずにスイスまで持って行こうとしているように聴こえたが、見ているうちに待てなくなってしまったのか、リナはレジで払う時に栓を開けてもらい、山下公園への道を歩いている最中に飲んでしまった。
「荷物は軽い方がいいでしょ?」

 山下公園を歩いている時、白い花の咲く背の高い木を見上げてトミーが立ち止まった。スイスでは見かけない木だ。微かないい香りがしている。
「ああ、これは珊瑚樹だよ」
徹は、ついている木のネームプレートを確認してから二人に説明した。

「珊瑚樹?」
「赤いきれいな実がなるんでそう呼ばれているんだ。この厚くて水分の多い葉と枝が延焼防止に役立つというので、防火のために庭木や生け垣によく使われるんだ。銀杏などと一緒に横浜市の木に指定されているんだよ」
「へえ。そうなの」

「それにしても開放的でいい公園ね」
リナはそんな高いミュールでどうやってやるんだと訝るような軽やかさでスキップを踏んでいる。

 晴れ渡った青い空が遠い水平線で太平洋とひとつになる。氷川丸が横付けされたこの光景は、横浜らしい爽やかさに溢れている。太平洋の明るさが眩しい場所だ。この山下公園に、これまで何度来たことだろう。徹は思った。そして、この光景のある県が自分の故郷であることを誇らしく思った。

「さあ、中華街に行って美味しいものを食べましょう! 沢山食べたいものがあるの。道で売っている大きいお饅頭でしょ。ワゴンで運ばれてくる点心いろいろでしょ。それから回るテーブルのお店にも行かなきゃ。青椒肉絲に、酢豚に、海老チリソースに、レバニラ炒めに、フカヒレスープ。チャーハンも食べなきゃいけないし、焼きそばは硬いのと柔らかいのどっちも食べたいわ。それに〆はやっぱり杏仁豆腐!」

 どこの腹に、そんなに沢山入るんだよ。徹は呆れた。ツッコミもしないトミーの方もそんなに食べるつもりなんだろうか。なんでもいいや、久しぶりに美味い中華を楽しもう、彼は自身も食欲の権化になって、中華街への道を急いだ。


(初出:2016年7月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・リナ姉ちゃんのいた頃)
  0 trackback
Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】薔薇の下に

先週に続きリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念のふたつめです。リクエストは大海彩洋さんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代・日本以外
*毒草
*肉
*城
*ひどい悪天候
*「黄金の枷」関係
*コラボ・真シリーズからチェザーレ・ヴォルテラ(敬称略)


『真シリーズ』は、彩洋さんのライフワークともいっていい大河小説。何世代にもわたり膨大な数のキャラクターが活躍する壮大な物語ですが、中でも相川真に続くもっとも大切な主人公の1人が大和竹流ことジョルジョ・ヴォルテラです。今回リクエストいただいたチェザーレ・ヴォルテラはその竹流のパパ。ヴァチカンに関わるものすごい家系のご当主です。

うちでは「黄金の枷」関係、しかも毒草だなんて「午餐の後に」のような「狐と狸の化かしあい・その二を書け~」といわれたような。彩洋さん、おっしゃってますよね? どうしようかなと悩んだ結果、こんな話になりました。実は「ヴォルテラ×ドラガォン」のコラボはもう何度かやっていまして、いま私が書いているドラガォンの面々は、竹流と真の子孫と逢っていますので、チェザーレとコラボすることは無理です。で、23やアントニア、それにアントニオ・メネゼスの先祖にあたる人物を無理矢理作って登場させています。

彩洋さん、竹流パパのイメージ壊しちゃったら、ごめんなさい。モデルのお方のイメージで書いてしまいました……。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
薔薇の下に Featuring『海に落ちる雨』


 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港の到着口で、ヴァチカンのスイス衛兵伍長であるヴィーコ・トニオーラは待っていた。

「出迎え、ですか?」
彼はステファン・タウグヴァルダー大尉に訊き直した。直接の上司であるアンドレアス・ウルリッヒ軍曹ではなく大尉から命令を受けるのも異例だったし、しかもその内容が空港に到着する男を迎えに行けというものだったので驚いたのだ。
「そうだ。ディアゴ・メネゼス氏が到着する。お待たせすることのないように早めに行け」

「これは任務なのですか」
「もちろんだ。《ヴァチカンの警護ならびに名誉ある諸任務》にあたる。くれぐれも失礼のないように」

「そのメネゼス氏は何者なのですか。……その、伺っても構わないのでしたら」
「竜の一族の使者だ」

「それはどういう意味ですか?」
彼は答えなかった。

「その……空港でお迎えして、その後こちらにお連れすればいいのでしょうか」
「いや、ヴォルテラ氏の元にお連れしてくれ。その後、すぐに任務に戻るか、それとも引き続き運転をしてどちらかにお連れするのかは、ヴォルテラ氏の指示に従うように」
「ヴォルテラ氏というと、リオナルド・ヴォルテラ氏のことですよね。ローマに戻っていたんですか」

 ヴォルテラ家はヴァチカンでは特別な存在だった。華麗なルネサンスの衣装を身に着け表立って教皇を守るスイス衛兵と対照的に、完全に裏から教皇を守る世には知られていない家系だ。ようやく部下を持つことになった程度の若きスイス衛兵ヴィーコは、当然ながらヴォルテラ家と共に働くような内密の任務には当たっていない。だが、当主の子息ではあるが氣さくなリオナルド・ヴォルテラとは面識があるだけでなく一緒にバルでワインを飲んだこともあった。彼は英国在住で、時折ローマに訪れるのみだ。

「まさか。寝ぼけたことを言うな。当主のチェザーレ・ヴォルテラ氏に決まっているだろう」
タウグヴァルダー大尉は、渋い顔をして言った。仰天するヴィーコに大尉は畳み掛けた。
「これはただの使い走りではない。君の将来にとって、転機となる任務だ。心して務めるように」

 ヴィーコは落ち着かなかった。彼は、スーツに着替えると空港に向かった。激しい雨が降っていた。稲妻が扇のように広がり前方を明るくする。それはまるで空港に落ちているかのように見えた。こんなひどい雨の中運転するのは久しぶりだ。故郷のウーリは天候が変わりやすかったので、彼は雷雨を怖れはしなかった。

 本来であったら今日はウルリッヒ軍曹とポンティフィチオ宮殿の警護に当たるはずだった。軍曹と二人組で仕事をするのが氣まずくて、この任務に抜擢され二人にならずに済んだことは有難いと思った。だが、これは偶然なのだろうか。

 ヴァチカン児童福祉省で実務の中心的役割を果たしているコンラート・スワロスキ司教がローマ教区での児童性的虐待に関わっている証拠写真を偶然見つけてしまった時、軍曹は「歯と歯を噛み合わせておけ」つまり黙認しろと命令した。
「俺たちの仕事は猊下とヴァチカン市国を守ることだ。探偵の真似事ではない」

 彼には納得がいかなかった。スワロスキ司教と個人的な親交を持つウルリッヒ軍曹が、彼をかばっているのだと思ったのだ。カトリック教会内における児童性的虐待は新しい問題ではなかったが、それを口にすることを嫌う体質のせいで永らく蓋をされてきた。プロテスタントの勢力が強いスイスでも問題視し告発する者がようやく現れた段階で、ヴァチカンの教皇庁内部の人間を告発したりしたらどれほど大きいスキャンダルになるかわからない。だが、このままにしておくことは、ヴィーコの良心が許さなかった。

 彼は親友であるマルクス・タウグヴァルダーにこのことを相談していた。マルクスはタウグヴァルダー大尉の甥だ。マルクスから大尉に伝わったのだろうか。彼は大尉に呼び出された時に、その件だと思った。だが、ポルトガル人を出迎えてヴォルテラ氏の所に行けというからには、自分にとって悪いことが起こる前触れではないだろうと、少し安心した。とにかくこの任務をきちんと果たそう。

 予定していた飛行機はこの雷雨にもかかわらず定刻に到着していた。ヴィーコは「メネゼスさま」という紙を掲げて税関を通って出てくる人びとを眺めた。

「出迎え、ご苦労様です」
低い声にぎょっとして見ると、いつの間にか目の前に黒い服を来た男が立っていた。きっちりと撫で付けたオールバックの髪、痩せているが背筋をぴんと伸ばしているので、威圧するような雰囲氣があった。丁寧な英語だが、抑揚が少なく感情をほとんど感じられなかった。

「失礼いたしました。スイス衛兵のヴィーコ・トニオーラ伍長です。ヴァチカンのヴォルテラ氏の所へご案内します。お荷物は?」
小さめのアタッシュケース1つのメネゼスに彼が訊くと、黙って首を振った。

 彼はまっすぐにヴァチカン市国に向かった。雨はまだ激しく降っていて、時おり稲光が走った。ヴィーコは不安げに助手席に座った男を見たが、彼は眉一つ動かさずに前方を見ていた。

 サンタンナ門からスイス衛兵詰所の脇を通って中央郵便局の近くに車を停めると、メネゼス氏を案内してその近くの目立たぬ建物に入った。扉が閉まると、激しい雷雨は全く聞こえなくなり、ヴィーコはその静けさに余計に不安になった。そこは、何でもない小屋に見えるが、地下通路でヴォルテラ氏の事務所に繋がっていた。

 緩やかな上り坂の通路の突き当たりにいかめしい樫で出来た扉があり、ヴィーコがセキュリティカードを脇の機械に投入すると数秒の処理の後、自動でロックが解除され扉が開いた。さらに先に進むと、紺のスーツを着た男が扉を開き頭を下げて待っていた。
「ようこそ、メネゼスさま。主人が待っております、どうぞこちらへ」

 メネゼスが応接室へと入ると、ヴィーコはその場に立って「もう戻っていい」と言われるのを待っていたが、紺の服の男は、ヴィーコにも目で応接室に入るようにと促した。戸惑いながら応接室に入ると明るい陽射しが目を射た。瞬きをして目が明るさに慣れるのを待つと、がっしりとしたマホガニーのデスクと、暗い色の革の椅子、そして同じ色の応接セットが目に入った。

 窓の所にいた男がこちらに歩み寄り、メネゼス氏に丁寧に挨拶をしているのが見えた。格別背は高くないが、灰色の緩やかにウェーヴのかかった髪と青灰色の意志の強そうな瞳が印象的で、一度見たら忘れられない存在感のある男だった。チェザーレ・ヴォルテラ。彼の事務所に足を踏み入れる日が来るなんて。ヴィーコは入口の近くに直立不動で立っていた。

「トニオーラ伍長、ご苦労だった。申し訳ないが、後ほどリストランテまで運転してほしいのだ。もう少しここで待っていてほしい」
ヴィーコは、ヴォルテラ氏に名前で呼ばれて仰天しつつ、頭を下げた。

「ドン・フェリペは、お元氣でいらっしゃいますか」
「はい。猊下とあなたにくれぐれもよろしくと申しつかっています」

 紺の服を着た男が、メネゼス氏とヴォルテラ氏の前にコーヒーを用意する間、二人はなんと言うことはない世間話をしていたが、男が部屋を出て扉が閉じられると、しばらくの沈黙の後、声のトーンを低くして厳しい顔で語りだした。

「それで。緊急に処理をしなくてはならないご用事とは」
ヴォルテラ氏が言うと、メネゼス氏はアタッシュケースから一枚の写真を取り出した。
「この方をご存知でしょうな」

 ヴォルテラ氏はちらっと眺めてから「ベアト・ヴォルゲス司教ですな。ヴォルゲス枢機卿の甥の」と言った。

 メネゼス氏は続けた。
「その通りです。私どもの街にいらして以来、実に精力的に勤めてくださいまして、ずいぶんと多くの信奉者を作られているようです」

「それは好ましいことです」
「ええ。正義感の強いまっすぐな方で、なんの見返りも求めずに人びとの幸福を願う素晴らしい神父でいらっしゃる。ところで私どもが問題としているのは、とある青年がある娘と結婚が出来ないことを悲しみ、ヴォルゲス司教に相談をしたことなのです」

「とおっしゃると、その女性は金の腕輪をしている方ということでしょうか」
「おや、あなたが女性のアクセサリーに興味があるとは存じませんでした。ええ、あなたがその素晴らしい指輪をしていらっしゃるのと同じように確かに彼女は腕輪をしているようです。それはともかく、司教は二人の問題をペレイラ大司教に訴えました。大司教は、私と同じ役割の家系出身で、当然ながらその件からは手を引くように説得したのですが、納得のいかない司教が叔父上である枢機卿とローマに掛け合うと言い出したのです」

 ヴィーコは、話の内容についていけなくなった。金の腕輪? 結婚できない二人の話? メネゼス氏と同じ役割の家系? 何の話だろう。

 ヴォルテラ氏とメネゼス氏は、ヴィーコに構わずに話を続けていた。
「それで、私どもにどうせよとおっしゃるのですか」
「私どもが、あなた方に何をお願いしたり、ましてや要求できるような立場にはないことは明白です」
「では?」

「たんなる情報としてお伝えしに参ったのです」
含みのあるいい方だった。まったく別の印象を抱かさせる物言いだ。ヴィーコは、メネゼス氏を送り込んだドン・フェリペとやらがヴォルテラ氏に何かをさせようとしていることを感じた。ヴォルテラ氏は、眉一つ動かさずに言った。
「つまり、これはイヌサフラン案件だとおっしゃりたいのですか」

 メネゼス氏は、即座に首を振った。
「まさか。あのように善良な方を『ゆっくりと、苦しみながら死に至らせる』なんてことは、キリスト教精神に反します」
「そうですか」

 ヴォルテラ氏の反応を確かめるように、メネゼス氏はゆっくりと続けた。
「そうですとも。ところで、ローマで珍しい樹の苗を扱う業者をご存じないでしょうか。私は最近園芸に興味が出てきまして、いい苗を買いたいと思っているのですよ。例えばミフクラギなどを」
「ミフクラギですか。Cerbera manghas。インドで自生する花ですな。わずかに胃が痛み、静かに昏睡し、三時間ほどで心臓が止まる。よりキリスト教精神に則った効果が期待できると」

 メネゼス氏は特に表情を変えずに言った。
「いいえ。私はあの白くて美しい花を我が家にも植えたいだけです」

 ヴィーコは、ぞっとして二人の話を聴いていた。恋する二人の信徒を助けたいと願った善良な司教についてなんて話をしているんだろう。

 ヴォルテラ氏は小さくため息をつくと言った。
「園芸業者のことは私は存じません。それはそうと、ヴォルゲス司教のことはいい評判を聞いていますので、早急にローマに戻っていただくのがいいと猊下に申し上げましょう。猊下でしたら枢機卿が話を大きくする前に、司教にふさわしい役目を用意してくださるでしょう。ちょうど空いたポストもあることですし」

 メネゼス氏は、黙って頭を下げた。ヴォルテラ氏はほとんど表情を変えないポルトガル人を見ていたが、青ざめて立っているヴィーコの方を向いて言った。
「リストランテ・サンタンジェロに予約が取ってある。悪いが一緒に来てもらい、その後メネゼス氏をもう一度空港へと送ってもらうことになる。いいね」

「はい」
ヴィーコは頷いた。

「サンタンジェロですか。というと、あの有名なイル・パセットを歩いていくわけですか?」
とメネゼス氏が言った。彼が言っているのは、ボルゴの通路(Il Passeto di Borgo)のことだ。サンタンジェロ城とヴァチカンを結ぶ中世の避難通路で、他国からの侵略があった時に歴代の教皇が使ってきたものだ。このポルトガル人はニコリともしないのでジョークなのか本氣で訊いているのかわからない。

「せっかくローマまでいらしたのですから、ご案内したいのは山々ですが、あの通路の半分以上には屋根がないのですよ。この悪天候ではリストランテには入れないほどびしょ濡れになってしまうでしょう」
ヴォルテラ氏は穏やかに微笑みながら返し、手元の小さいベルを鳴らした。

 ドアが開き、先ほどの紺のスーツの男が入ってきた。
「図書館の前にお車を回してあります。リストランテの予約は、スイス人ベルナスコーニ、3名で入れてあります」

 まさか! 3名ってことは、僕も一緒にってことか? 戸惑うヴィーコに、紺の服の男は「入口であなたがベルナスコーニだと名乗ってください」と言った。

 つまり、このイタリア人とポルトガル人が逢っていたことが噂にならないように注意しろという意味なのだと思った。だが、それならわざわざ何も知らないヴィーコにさせなくとも、この男か他のヴォルテラ氏の配下がやったほうが抜かりがないはずだ。なぜ? ヴィーコは訊きたかったが、余計なことをしてヴォルテラ氏を怒らせるようなことをしてはならないことだけはわかっていた。

 想い悩むヴィーコをよそに、図書館へと至る地下通路を歩きながら二人は和やかに話をしていた。
「ところでメネゼスさん、猪肉はお好きですか」
「ええ。そのリストランテは猪肉を出すんですか?」
「そうです。おそらくあれだけの味わい深いの漁師風赤ワイン煮込みは、あそこでしか食べられないと思います。ぜひご案内したいと思っていました」
「それは楽しみです。食通で有名なあなたが太鼓判を押す味なら、間違いありませんから」

「猪猟はトスカーナの伝統なのですが、本日ご案内する店で出している肉は、とある限られた地域のものなのです」
「ほう。何か特別な地域なのですか?」
「ええ。イタリアでも珍しくなってしまった手つかずの森がある地域でしてね。そこでしか育たない香りの高い樫があるのですよ。その店の肉は、その幻の樫のドングリをたっぷりと食べて育った若い猪のものなのです」

「幻の樫ですか」
「ええ。この国の者でもその存在を知る者はほとんどないでしょう。この世の中は深く考えずに踏み込み、滅茶苦茶に荒らしてしまう無責任で無知な者たちで満ちています。失われてはならぬものを守るためには、その存在を公から隠し、目立たぬようにしなくてはならない。いや、あなたにこのような話は無用でしたな」

 メネゼス氏は立ち止まり、しばらく間を置いてから低い声で呟いた。
「ご理解と、ご助力に心から感謝します」
「なんの。これで先日の借りを返せるのならば、お安いことです」
ヴォルテラ氏の張りのある声が地下道に響いた。

「ところで、トニオーラ伍長」
暗い地下通路の真ん中で、不意にヴォルテラ氏が立ち止まり振り返った。ヴィーコはどきっとして立ちすくんだ。
「はい」

「あなたも園芸に興味がありますか?」
唐突な問いかけだった。
「い、いえ。私は無骨者で、その方はさっぱり……」

 ヴォルテラ氏は、静かに言った。
「そうですか。児童福祉省のコンラート・スワロスキ司教は、コンゴへと赴任することになりました。あなたの上司のウルリッヒ軍曹がご家庭の事情で今日付けで急遽退官なさることになったのとは、全く関係のないことですが、おそらくあなたには報せておいた方がいいかと思いましてね」

 ヴィーコの背中に冷たい汗が流れた。ヴォルテラ氏はこれ以上ないほど穏やかに微笑みながら続けた。
「今日、特別な任務を引き受けてくださったお礼としてあなたに何かをお贈りしようか考えていたのですが、園芸に興味がないということでしたら、苗をお贈りしてもしかたないでしょうね」
「苗ですか。私に……?」
「もちろんミクフラギやイヌサフランではありませんよ。私が考えていたのは薔薇の苗です」

 ヴィーコは、即座にヴォルテラ氏の言わんとすることがわかった。彼が必要もないのにメネゼス氏の送迎を任された理由も。
「Sub rosa(薔薇の下に=秘密に) ……」
彼は、ヴォルテラ氏の望んでいる言葉を口にした。

 ヴォルテラ氏は満足そうに頷くと「ワインはタウラージの赤7年ものを用意してもらっているのですよ」とメネゼス氏との会話に戻っていった。

 すっかり震え上がっているヴィーコは、どんな素晴らしい料理を相伴させてもらうとしても、全く味を感じられないだろうと思いつつ、二人について行った。

(初出:2016年7月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


スイス衛兵というのは、十六世紀以来ローマ教皇をガードすることになっているスイス人のカトリック教徒による軍隊です。この写真のようなド派手なルネサンス式コスチュームで有名です。
Francis Inauguration fc03
Photo by Fczarnowski via Wikimedia Commons
関連記事 (Category: 小説・黄金の枷 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・黄金の枷 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】そばにはいられない人のために

当ブログの77777Hit記念掌編のひとつめです。最初のリクエストはTOM-Fさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*園芸用花
*一般的な酒類もしくは嗜好飲料
*家
*雨や雪など風流な悪天候
*「大道芸人たち」関係
*コラボ、『花心一会』の水無瀬彩花里(敬称略)


『花心一会』は、WEB誌Stellaでもおなじみ、若き華道の家元水無瀬彩花里とその客人たちとの交流を描くスイート系ヒーリングノベル。優しくも美しいヒロインと花によって毎回いろいろな方が癒されています。今回コラボをご希望ということで勝手に書かせていただいていますが、本当の彩花里の魅力を知りたい方は、急いでTOM-Fさん家へGo!

今回の企画では、リクエストしてくださった方には抽象的な選択だけをしていただき、具体的なキャラやモチーフの選択は私がしています。どうしようかなと思ったんですけれど、せっかくお家元にいらしていただくのだから、日本の伝統芸能に絡めた方がいいかなと。花は季節から芍薬を、嗜好飲料はとある特別な煎茶を選ばせていただきました。そして「家」ですけれど、「方丈」にしました。お坊さんの住居だから、いいですよね。ダメといわれてもいいことにしてしまいます。(強引)

TOM-Fさん、『花一会』の流儀、いまいちわからないまま書いてしまいました。もし違っていたら直しますのでおっしゃってくださいね。


【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説で、現在その第二部を連載しています。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
そばにはいられない人のために Featuring『花心一会』



 瞳を閉じてバチを動かすと、なつかしい畳の香りがした。湿った日本の空氣、夏が近づく予感。震える弦の響きに合わせて、放たれた波動は古い寺の堂内をめぐり、やがて方丈に戻り、懐かしいひとの上に優しく降り注いだ。

 浄土真宗のその寺は、千葉県の人里から少し離れた緑豊かな所にあった。『新堂のじいちゃん』こと新堂沢永和尚は四捨五入すると百の大台に乗る高齢にも関わらず、未だにひとりでこの寺を守っていた。日本に来る度に稔はこの寺を訪れる。これが最後になるのかもしれないと思いながら。

 彼の求めに応じて三味線を弾く。または、なんてことのない話をしながら盃を傾ける。死ぬまで現役だと豪語していた般若湯(酒)と女だが、女の方は昨年彼より二世代も若い馴染みの後家が亡くなってから途絶えたらしい。
「これもいつまで飲めるかわからん。心して飲まねばな」
カラカラと笑って大吟醸生『不動』を傾ける和尚を稔は労りながらゆっくりと飲んだ。

「何か弾いてくれ」
「何を? じょんがら節?」
「いや、お前がヨーロッパで弾くような曲を」

 それで稔は上妻宏光のオリジナル曲を選んだ。その調べは白い盃に満たされた透明な液体に波紋を起こすのにふさわしい。懐かしくもの哀しいこの時にも。Artistas callejerosはこの曲を街中ではあまり演奏しなかった。コモ湖やバルセロナのレストランでの演奏の時に弾くと受けが良かった。頭の中ではヴィルがいつものようにピアノで伴奏してくれている。

 まだ弾き始めだったのだが、和尚は小さく「稔」と言った。バチを持つ手を止めて、彼の意識のそれた方に目を向けると開け放たれた障子引き戸の向こうに蛇の目傘をかざし佇む和装の女性が見えた。

「ごめんください」
曲が止まったのを感じて、彼女は若く張りのある声で言った。和尚は「いらしたか」と言うと、稔に出迎えに行けと目で合図した。客が来るとは知らなかった稔は驚いたが、素直に立ち上がって方丈の玄関へと回った。

 その女性は、朱色の蛇の目傘を優雅に畳んで入ってくると玄関の脇に置いた。長い黒髪は濡れたように輝き、蒸し栗色の雨コートの絹目と同じように艶やかだった。そして、左腕には見事な芍薬の花束を抱えていて、香しい華やかな薫りがあたりに満ちていた。

「どうぞお上がりください」
稔はそれだけようやく言うと、置き場所に困っている女性から芍薬を受け取った。彼女ははにかんだように微笑むと、流れるような美しい所作で雨コートを脱ぎ畳んだ。コートの下からは芍薬の一つのような淡い珊瑚色の着物が表れた。

 色無地かと思ったが、よく見たら単衣の江戸小紋だった。帯は新緑色に品のいい金糸が織り込まれた涼やかな絽の名古屋、モダンながらも品のいい色の組紐の帯締めに、白い大理石のような艶やかな石で作られた帯留め。この若さで和装をここまで粋に、けれども商売女のようではなくあくまでも清楚に着こなせるとは、いったい何者なのだろう。

「おう、遠い所よくお越しくだされた。何年ぶりでしょう。実に立派になられましたな、彩花里さん。いや、お家元」
居室に案内すると、和尚は相好を崩して女性を歓迎した。

「ご無沙汰して申しわけありません。お元氣なご様子を拝見して嬉しく思います」
きっちりと両手をつき挨拶する作法も流れるように美しく稔は感心して「お家元」と呼ばれた可憐にも美しい女性を見つめた。

「あ~、このお花、花瓶に入れてきましょうか」
稔が訊くと、和尚は大笑いした。

「いかん、いかん。お前なぞに活けられたら芍薬ががっかりしてしぼむわい。わしもこの方に活けていただく生涯最後のチャンスを逃してしまうではないか」

 それから女性に話しかけた。
「ご紹介しましょうかの。ここにいるのは、わしの遠縁の者で安田稔と言います」

「安田さん……ということは……」
「その通りです。安田流家元の安田周子の長男です。稔、こちらは華道花心流のお家元水無瀬彩花里みなせあかり さんだ」

 稔は、畳に正座してきちんと挨拶した。
「はじめまして。大変失礼しました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

「こやつは三味線とギターのこと以外はさっぱりわからぬ無骨者で、しかも今はヨーロッパをフラフラとしている根無し草でしてな。華道のことも、あなたが本日わざわざお越しくださっている有難さも全くわかっておりません」

 彩花里は、微笑んだ。
「いいえ。私たちが一輪の花を活けるのも、一曲に全ての想いを込めて奏でるのも同じ。先ほどの曲を聴いてわかりました。安田さんは、私と同じ想いでここにいらしたのですね」

 それから稔の方に向き直った。
「花心流の『花一会』はひとりのお客さまのために一度きりの花を活けます。本日は、和尚さまへのこれまでの感謝とこれからの永きご健康をお祈りして活けさせていただくお約束で参りました。安田さん、私からひとつお願いをしてもかまわないでしょうか」

「なんでしょうか」
「私が活けるあいだ、先ほどの曲をもう一度弾いていただきたいのです。私が来たせいで途中になってしまいましたから」
「わかりました。よろこんで」

 それから和尚の前の一升瓶を見て、彩花里はわずかに非難めいた目つきを見せた。般若湯などと詭弁をろうしても、住職が不飲酒戒を破っていることには変わりない。ましてや陽もまだ高い。堂々と一升瓶を傾けるのはどうかと思う。
「お届けしたお茶はお氣に召しませんでしたか?」

 和尚は悪びれることもなく笑った。
「いやいや、あの特別のお茶とお菓子はあなたとご一緒したくてまだ開けておりませんのじゃ。どれ、湯を沸かしてきましょうかの」

 彩花里が花の準備をしている間、稔は和尚を助けてポットに入れた熱湯と、盆に載せた茶碗、そして美しい茶筒、三つ並んだ艶やかな和菓子『水牡丹』を居室に運んだ。

 準備が整うと、彩花里は和尚の正面に、稔はその横の庭を眺められる位置に座して三味線を構えた。
「それではこれから活けさせていただきます」
彩花里は深々と礼をした。彩花里の目の合図に合わせて、稔は先ほどの曲をもう一度弾きだした。

 彩花里の腕と手先の動きは、まるで何度もリハーサルを繰り返したかのように、稔の奏でる曲にぴったりとあっていた。活けるその人のように清楚だが華やかな花の枝や葉を、たおやかな手に握られた銀の鋏が切る度に馥郁たる香りが満ちる。

 稔はかつてこの空間にいたはずの、和尚の失われた息子のことを考えた。彼のために奥出雲の神社で奉納演奏をしたのは何年前のことだったろう。妻に先立たれ、ひとり息子を失い、生涯が終わる時までこの寺で独り生きていく大切な『新堂のじいちゃん』の幸について考えた。

 この美しい女性も、たった一度の花を活けながら今の自分と同じ氣持ちでいるのだと考えた。真紅、白、薄桃色。雨に濡れて瑞々しくなった花が彼女の手によって生命を吹き込まれていく。寂しくとも、悲しくとも、それを心に秘めて人のために尽くし続ける老僧を慰めるために。

 バチは弦を叩き、大氣を振るわせる。その澄んだ音色は、もう一度、和尚の終生の家であるこの方丈の中に満ちていった。

 外は晴れたり降ったりの繰り返しだった。眩しいほどに繁った新緑がしっとりと濡れている。その生命溢れる世界に向けて三味線の響きは花の香りを載せて広がっていった。消えていく余韻の音を、屋根から落ちてきた滴が捉え抱いたまま地面に落ちていった。

 彼がバチを持った手を下ろして瞼を開くと、彼女は完成した芍薬を前にまた頭を下げていた。

 ほうっと和尚が息をつき、深く頭を下げた。
「先代もあなたがここまでの花をお活けになられると知ったらさぞお喜びでしょう」

 彩花里は、穏やかに微笑みながらゆったりとした動作で茶を煎れた。その色鮮やかな煎茶の香りを吸い込んで、稔は日本にいる歓びをかみしめた。

「八十八夜に摘んだ一番茶でございます。無病息災と不老長寿をお祈りして煎れさせていただきました」
「水牡丹」の優しい甘さが、新茶の香りを引き立てている。稔は、茶碗を持ったまま瞳を閉じている和尚に氣がついた。飲まないんだろうか。

「和尚さま、このお茶の香りに、お氣づきになられましたか」
彩花里は優しく言った。

「奥出雲の山茶……」
彼は、わずかに微笑みながら言った。

「はい。日本でもわずかしかない在来種、実生植えされ、百年も風雪に耐え、格別香りが高いこのお茶こそ、今日の『花一会』にふさわしいと思い用意いたしました」

 そうか。あの神社から流れてくる川の水で育ったお茶なんだな。それを飲んで無病息災を願う。本当にじいちゃんのために考え抜いてくれているんだ。

「お前もこの日本の味を忘れぬようにな」
彩花里が完璧に煎れてくれた一番茶を味わっている稔の様子を和尚はおかしそうに見ていた。

「安田さんは、ヨーロッパにお住まいとのことですが……どこに」
彩花里が思い切ったように口を開いた。

「はい。俺は大道芸人をしていて、あちこちに行くんです」
「では、あの、パリに行くことなども、おありになるのでしょうか」

「時々は。どうして?」
「母が、パリにいるんです」

「先代お家元の愛里紗さんは、彩花里さんに家元の座を譲られてからパリで華道家として活躍なさっていらっしゃるのじゃ」
和尚が「水牡丹」を食べながら言った。

「何か、お母様にお渡しするものがありますか?」
彩花里は首を振った。
「いま弾かれた曲を、母の前で弾いていただけませんでしょうか」

 稔は訊いた。
「無病息災と、不老長寿を祈願して?」

 彩花里は「はい」と微笑んだ。

 稔は彼女の母親は、この曲の題名を知っているのだろうかと考えた。『Solitude』。彼は、和尚にはあえて言わなかった。家元の重責に氣丈に耐えているこの女性もおそらく知っているけれど、あえて口にすることはないのだろう。共にはいられないことを言い募る必要はない。ただ想う心だけが伝われば、それでいいのだと思った。


(初出:2016年6月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


稔が弾いた曲はこちらです。

上妻宏光『Solitude』
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・大道芸人たち 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】 アヴェイロ、海の街

「大道芸人たち」を放置していますが、今週と来週も別件小説の発表です。すみません。
本日発表するのは、「黄金の枷・外伝」扱いにしてありますが、ブログのお友だちの間では「ポルト&ローマ陣営」で知られているコラボ作品の最新作です。山西左紀さんのところの「ポルトのミク&メイコ」と大海彩洋さんのところの「詩織&ロレンツォ&トト」と、うちの「黄金の枷」シリーズのキャラたちが交流しているのです。

そのうちの流れの一つが、左紀さんの所のミクとうちのジョゼの話なんですけれど、何だかよくわからないうちに、「ミクとジョゼをカップルに」的な流れになっていまして、人様のキャラ相手にこんなこと書いていいのかと首を傾げつつ、本日の展開になっている、とお考えください。急いで発表すべき大人の事情(笑)がありまして、急遽書き下ろしました。

うちのブログでは「黄金の枷・外伝カテゴリー」で追うと、「ポルト&ローマ陣営」の大体のことがわかるかと思います。ま、一つ前の「カフェの午後 - 彼は耳を傾ける」を読めばそれにほぼ情報は入っているかな。
サキさんの所ではこうやって追えば、わかるでしょうか。
ちなみに彩洋さんの所はこのカテゴリーかな? 今回の話にはからんでいないパートですが。



【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
アヴェイロ、海の街


 ずっと寒かったから心配していたけれど、その日は晴れ渡っていて正にドライブ日和だった。ジョゼが車を家の前に駐車して、呼び鈴を鳴らすと、ミクだけでなく祖母のメイコまで出てきた。

 メイコは口にこそ出さないが「子供が車に乗っていいのか」という顔をしていた。もちろんジョゼはもうれっきとした成人だし、自動車免許証をちゃんと取得している。もっとも、左側のバンパーがへこんでいるのを目ざとく見つけたメイコが十字を切るのを見て「安全運転するから大丈夫だって」と言い訳がましくつぶやいた。

 ミクは新しいブラウスを着ていた。それは若草色や水色、それに白などが鮮やかにプリントされたオーガンジーで、内側に着ている黄色いキャミソールと、日本人らしい彼女のわずかに黄味のある肌を引き立てていた。この前逢った時よりも少し髪の毛が伸びたみたいだ、ジョゼはちらりと横目で見て、あれ、今日はあのピンはしていないんだ、そう思った。

 長かった髪を切って以来、ミクはいつもあのトパーズのついた髪ピンをつけていた。キラキラして似合っていた。一度、落ちそうになっていたので指摘したら「ありがとう。これ、幸運のお守りなんだって」と言った。安いものには見えないから、誰かのプレゼントじゃないかと思ったけれど、どういうわけだか訊けなかった。訊かない方がいいと、どこかで思っていた。

 ミクの幸運を願う氣持ちは大いにあるけれど、ジョゼはそのピンを彼女がつけなくなったことにどこかホッとしていた。もっとも、今日はたまたま付けていないだけかもしれない。

「どこに連れて行ってくれるの?」
ミクは、車の窓を開けて風を入れた。

「うん。特にリクエストがなければ、アヴェイロはどうかな」
「どこ、それ?」

 ミクは、ティーンエイジャーの時にこの国にやってくるまではずっと日本にいた上、その後も留学やなんかで忙しかったから、この国の地理にそんなには詳しくない。そりゃ、リスボンやコインブラがどこにあるくらいは知っているだろうけれど。

「南に一時間弱走ったところだよ。運河の街だからポルトガルのヴェニスって呼ばれているんだ」
「へえ。面白そう。じゃあ、そこに行きましょう」

 ミクは、鼻歌を歌いながら運転するジョゼに顔を向けた。免許を取ったのはもう一年くらい前だと言っていたけれど、まだ一度も彼の運転している姿を見た事がなかった。彼女の滞在がいつも短くて、その度に逢っているものの車で遠出をする時間などあった試しがなかった。ポリープの手術の後の三ヶ月の療養期間は、歌手を目指し始めてから初めての長い休みだ。

 彼のハンドルさばきは鮮やかで安定していた。若者らしく少しスピードは超過しているが、無理な追い越しなどはしないし、ブレーキ操作もスムースだった。彼は、いつの間にこんな大人になったんだろう。ついこの間まで絵夢に甘えていた小学生だったくせに。

「なんだよ。あんまりカッコ良くて見とれている?」
ミクの視線を感じて顔を向け、おどけてジョゼは言った。

「よく言うわ。ちゃんと前見て運転してよ」
彼女は、一時間弱のドライブじゃ、短すぎるなと思ったけれど、死んでもそんなことは言ってあげないと心の中で呟いた。

* * *


 ポルトガル中部、アヴェイロ県の都でもあるアヴェイロは潟と運河で発展してきた海の町だ。現在は大西洋に面する重要な港湾都市として工業も盛んだが、街の中心部はかつての優美な姿を今に留めている。運河の前には美しいファサードの建物が並び、水の上には色とりどりに塗られたモリセイロと呼ばれる舟が浮かんでいる。かつては海藻や塩の運搬に使われていたこの舟も、今はヴェニスと同様に観光客用のアトラクションになっている。 

「でも、乗るだろ? せっかくここまで来たんだし」
ジョゼは、船着き場に向かう。二人で舟に乗るなんてロマンティックと思っていたら、なんのことはない十人以上の観光客が一緒に乗る舟だった。舟にはエンジンが取り付けてあって二人の船頭の役割は、方向転換とマイクによる観光ガイドだった。しかも英語だ。

 水の上は少し肌寒かったので、ジョゼは備え付けてあった毛布を広げてミクの膝にかけた。
「ありがとう。こんなに温度が変わるのね」
「そうだね。まだ春だから。いくらポリープは取れたといえ、風邪なんか引かない方がいいだろう?」

 アール・ヌーボーの美しい家々、塩づくりや漁業で財を成した人たちの豪邸、荒れる海との戦いを彷彿とさせるいくつもの海門、それに英国の王室にも納品しているという有名な塩田などを見学して舟は元の広場に戻ってきた。

「冷えちゃったから、コーヒーでも飲んでいこうぜ」
ジョゼは、船着き場からさほど遠くない一軒のカフェに入って行った。そのカフェは思ったよりも広いが、中は客がぎっしりと座っていた。ポルトガルに多い、対面のガラスケースにお菓子を所狭しと並べて販売している。

 二人が座ると、ウェイトレスが注文を取りに来た。
「大きなカップでコーヒーを二つと、それからオヴォシュ・モレーシュも二つ頼むよ」
ジョゼが注文した。

「オヴォシュ・モレーシュ?」
「ここの名産なんだ。ほら、きた」

 白い貝の形をした薄くてぱりっとした皮に黄身の甘いクリームが詰めてある菓子だった。
「あ、最中!」
ミクは懐かしそうに言った。

「モナカ?」
「そう、この皮にそっくりな日本のお菓子があるのよ。小豆で出来た餡を入れたり、アイスクリームを挟んだり。この黄色いクリームも日本で食べる黄身餡に似ているし、嬉しくなっちゃう。日本には大航海時代にポルトガルから伝わったお菓子や言葉が今でも残っているの」

「へえ。たとえば?」
「鶏卵素麺っていうお菓子はフィオス・デ・オヴォスのことだし、パン・デ・ローはカステラって名前になって、大人も子供もみんな食べるポピュラーなお菓子よ。それにコンフェイト(菓子)を語源にした金平糖という砂糖菓子もあるのよ。だからこちらで食べるお菓子は、あたしには懐かしいものが多いの。たとえ初めて食べるものでもね」

 ジョゼは、ミクをじっと見つめながら訊いた。
「日本が懐かしい?」

 ミクは答えるのに少し躊躇して言葉を選んでいた。ジョゼは、日本に帰りたいと言わないでくれたらいいなと思った。彼女はようやく口を開いた。
「懐かしくないと言ったら嘘になるけれど……」

 それから、笑顔を見せた。
「あたしね、故郷から遠く離れているんじゃなくて、あたしには二つの故郷があるって思うようにしているの。それに、今は日本よりこの国に大切な人がいるから」

「それって……」
メイコのことかな、それとも……。ジョゼが続きを訊こうとするのを無視して彼女は立ち上がり、対面ケースのところで、オヴォシュ・モレーシュの詰め合わせの箱を二つ買った。

 彼は肩をすくめてコーヒーを飲み干すと、会計をした。

 帰りに華やかな家々の並ぶ海岸沿いを通ってから、帰途についた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。この三ヶ月間どのくらい彼女と会えるのかなあ。ジョゼは、今日もまた言えなかったじゃないかと思いながら、車を走らせていた。

「オヴォシュ・モレーシュ、メイコにお土産か?」
「ええ、一箱はね」
「じゃあ、もう一箱は?」

 ミクはいたずらっ子のように笑いながら、箱を開けて「こうして食べる用」と一つ取り出してかじった。
「え。一人で?」
ジョゼが不満顔で言うと、彼女は自分のかじった残りを冗談めかして彼の口元に持っていった。

 彼は、それをそのままひと口で食べてしまった。
「あ!」
ミクは目をみはった。間接キスしちゃった。

 ジョゼは、ミクが嫌がっていないのに氣をよくした。彼女の持っている箱から、もう一つ取り出すとひと口かじってから、ミクの口元に持っていった。そして、彼女がいつもよりずっと魅力的に微笑んでから、大きな口を開けてぱくっと食べてしまったのを確認した。彼は飛び上がりたい氣もちを抑えて真面目に運転した。

(初出:2016年6月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


オヴォシュ・モレーシュはこんなお菓子です。
オヴォシュ・モレーシュ
関連記事 (Category: 小説・黄金の枷 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・黄金の枷 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと黄色い羽 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」

今日の小説は、ブログのお友だち山西左紀さんの20000HIT記念小説にインスパイアされて書きました。サキさんは、私のリクエストに応えて、この掌編を書いてくださいました。

山西左紀さんの『物書きエスの気まぐれプロット(22)午後のパレード』

サキさんの所のエスは、私の小説の登場人物アントネッラ(ハンドルネームはマリア)のブロともになってくださっていて、情弱ぎみのアントネッラのために情報検索の手伝いをしてくれたり、公開前の小説を読んで意見をくれたりする貴重な存在、という事にしていただいています。そして、今回そのエスが友人コハクとともにこっそりコモ湖に来ているのですが、アントネッラはそれを知りません。

というわけで「夜のサーカス」の主人公二人を登場させて、なんともビミョーなアンサー掌編を書いてみました。途中出てくる奇妙な存在は、サキさんの掌編にインスパイアされたものですが、サキさんの小説にでてくるパレードの正体と言いたいわけではありません。じゃあ、なんだよと言われそうですが、ええと、なんとなく。

「夜のサーカス」本編は読まなくても話は通じるはずですが、一応リンクも貼っておきますね。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




「夜のサーカス」番外編
夜のサーカスと黄色い羽 Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」

 コモ湖は春の光に覆われて、これでもかというくらいに輝いていた。普段はサングラスをしないヨナタンすらも、ヴィラに辿りつくまで着用していた。ステラはそのヨナタンの姿にうっとりとしていた。

「なぜ見ているんだい」
困惑したように言う口調はヨナタンそのままなのに、急に映画スターにでもなったように感じたステラは、それをそのまま口にして、彼にため息をつかれた。

「えっと、そろそろだったわよね。まだ通り過ぎたりしていないわよね……」
ステラは慌てて言った。ヨナタンの口元が笑った。これまで通ってきた所にあったのはどれも立派なヴィラばかりで、至極残念な状態であるアントネッラのヴィラを見過ごすことなど不可能だからだ。

 それはかつては壮麗だったはずの大きなヴィラで、40年くらい前に塗ったと思われる外壁はアプリコット色だ。はげ落ちていない所は、という意味である。一階部分の大半は伸び放題になったひどい状態の庭(かつては庭だったと言った方がいいかもしれない)の枯れ枝に隠されてよく見えていなかった。玄関ドアはかろうじて閉めたり開けたりができる状態だったが、たとえ開けっ放しでも泥棒に入られることはなかっただろう。

 門の所に大きい松かさの形をした石のオーナメントが載っていたこともあるようだが、現在そのうちの1つは地面に横たわり、雑草の中に埋もれていた。

 そんな状態だったので、ようやくその前に辿りついたステラもすぐにここがアントネッラのヴィラだとわかった。ヨナタンは、錆び付いた門をギイと押して開けてやると、ステラを通した。

 二人は枯れた草の間を進んだ。もしこれが夏だったら雑草の間を泳ぐようにして進まなくてはならなかったことだろう。玄関ドアの所に進むと開けて「アントネッラ、こんにちは!」と叫んだ。すぐに上の方から「入っていらっしゃい!」と返答があった。

 埃にまみれて廃屋同然の一階と二階を通り過ぎ、さらに螺旋階段を昇っていくとたどりつくのが展望台として作られた小さな物見塔だ。アントネッラは茶菓子とコーヒーを用意して待っていた。

 アントネッラは小さな彼女のアパートから運び込んできた全ての家財をここに押し込んでいた。木製のどっしりとしたデスクには年代物のコンピュータと今どき滅多に見ない奥行きのあるディスプレイ、ダイヤル式の電話などが置いてあった。小さな冷蔵庫や本棚、携帯コンロと湯沸かしを上に置いた小さい食器棚、それからビニール製の衣装収納などが場所を塞ぐので、ベッドは省略してハンモックを吊るし、デスクの上空で眠るのだった。

 ステラはこの場所が好きだった。そこだけは足元が塞がれていないソファの前に立って、開け放たれた窓を眺めると、その向こうに青く輝くコモ湖が見える。マグノリアと花水木があちこちで咲き乱れていた。

「よく訪ねてくれたわね。何ヶ月ぶりかしら。どうしたのかと思っていたのよ」
アントネッラの頬にキスをしながら、ステラは元氣よく答えた。
「だって、南の方に行っていたのよ。私、ローマやナポリって初めてだったの。でも、やっぱり北イタリアに帰ってくるとホッとするわ」

 アントネッラは嬉しそうに笑った。ステラとヨナタンは、「チルクス・ノッテ」というサーカスに所属していて、街から街へとテントで移動して暮らしている。アントネッラとは、普段はヨナタンと呼ばれているこの青年にまつわる事件を通して友達になり、それ以来、興行でコモに来る時には必ず訪問することにしているのだ。

 アントネッラは、私設の電話相談員として生計を立てている。もちろんそんな仕事では、コモ湖畔のヴィラをまともに状態に保つだけの収入は望めないので、この崩れかけた祖母の形見のヴィラはまるで半世紀前から打ち捨てられているかのごとくなっていたが、彼女は全く氣にしていなかった。この窓から眺めるコモ湖の景色さえあればそれで満足だったからである。

「思ったよりも到着が遅かったから心配していたのよ。久しぶりで道に迷ったの?」
アントネッラが訊くとステラは首を振った。
「違うの。街で人助けをすることになったので、遠回りになっちゃった。コモから直接じゃなくて、一度東岸に行って、ヴァレンナから船に乗ってきたの」

「まあ、人助け?」
そうアントネッラが訊くとヨナタンが頷いた。
「二人の日本人が、変なところをウロウロしていたんです。どうやら病院に行った帰りに、レッコ行きのバスの出るポポロ広場へと向かう近道を行こうとしたらしく、表通りをそれてしまったようですね」

「日本人がレッコやヴァレンナに何の用事があるのかしら」
「どうやら一人の女性のお祖母さんがこの地方の出身だそうで、先祖の墓も探したかったみたいですよ。それで、コモの街で道を一本間違えてしまった所、迷路のようになった急な上り坂で、体の弱そうな女性の方が少しダウンしてしまったようで」
「そっちの女の子はイタリア語も話せるのよ。でも、具合が悪くてたくさんは話せなかったの」

 イタリア語の話せる日本人。それを聞いて、アントネッラはある友達の事を連想した。それは日本に住んでいるエスという名前以外はほとんど知らない女性だ。アントネッラと同様、趣味で小説を書いていて知り合ったのだ。

「それで。その二人は、無事に墓地に行けたの?」
アントネッラは、カップにコーヒーを注ぎながら訊いた。ステラは、ビスコッティとアマレットのどちらから食べようか迷っていたが、結局両方一度に手にとってから答えた。
「ええ。少し休んでから、私たちが連れて行ってあげたから。そして、とても面白いものも見たのよ」
「面白いもの?」

 それは、日本人女性たちと別れて船着き場へ向かうために墓地を横切り、出口付近にあった中世の納骨堂の前を通った時の事だった。その納骨堂は黒い艶やかな金属製の壁と柵で覆われているのだが、中には所狭しと頭蓋骨が並んでいるのだった。そして、黒い壁にはダンス・マカーブルよろしく、骸骨たちが楽しそうに人びとを連れて行列している絵が描かれていた。

 納骨堂の柵から、蟻が行列を作って出てきていた。それは二人がこれまで見た事もないような大きな蟻で、黒と赤茶色をしていた。そして、その多くが黄色っぽい三角の何かを運んでいるのだった。ステラが屈んでよく見ると、それは小さな蝶の羽だった。

 そうやってゾロゾロと練り歩く蟻の群れは、終わる事もなく次々と納骨堂から溢れ出てくるのだった。

「まるでカーニバルの行列のようだったのよ。アントネッラに見せてあげたくて、ひとつだけその蝶の羽を持ってきたの」
そういうと、ステラはポケットからハンカチーフを取り出して手のひらの上でそっと広げて見せた。

「あれ?」
そこに挟まっていたのは、黄色い蝶の羽などではなく、三角の金色の紙だった。

 アントネッラは、ステラとヨナタンの両方が「そんなはずはない」という顔をしているのを見て、二人が嘘をついているのではないなと思った。ハンカチごと受け取ると、金色の紙をしげしげと眺めた。
「不思議な事もあるものね」

 アントネッラは、この不思議な話を短い作品にまとめたらどうだろうかと考えた。サーカスのブランコ乗りと道化師が、カタコンブからゾロゾロと現れる骸骨のパレードに翻弄される話だ。

僧侶、裕福な商人、徴税人などの豪奢な中世風の衣装をまとった骸骨たちは、金色の三角の紙をまき散らしながら、コモ湖の方へと向かう二人を追う。

カタカタと歯を噛み合わせて嗤う白い髑髏は、面白おかしい歌を歌えとブランコ乗りに要求するが、道化師が「歌わない方がいい」と止める。ブランコ乗りを地の果てに連れて行こうとする骸骨たちを道化師は黄色いジャグラーボールを使って撃退する。だが、コモ湖の前で二人は追いつめられる。

その時、教会の厳かな鐘の音が鳴り響き、骸骨たちは全て蟻の群れに戻って二人の視界から消えていく。二人の手のひらには、黄色い蝶の羽だけが残される。



 このストーリーについてどう思うか、エスの意見を聞いてみよう。アントネッラは考えた。

 でも。どういうわけか、ここ数日、エスはチャットにログインしていないのよね。「サルベージ」とやらでしばらくチャットできないと予め言われていた時以外に、エスがこんなに長くログインしなかった事はなかった。アントネッラは、今夜こそエスが再ログインするといいなと、ぼんやりと考えつつ、またしても空になったステラのコーヒー茶碗に新しくコーヒーを注いだ。

(初出:2016年4月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・夜のサーカス 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・夜のサーカス 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】カフェの午後 - 彼は耳を傾ける

scriviamo!


scriviamo!の第十四弾です。山西 左紀さんは今年二つ目の参加として、ローマ&ポルト&神戸陣営シリーズ(いつの間にか競作で話が進むことになったシリーズの1つ)の続きにあたるお話を書いてくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『絵夢の素敵な日常(初めての音) Augsburgその後』
山西 左紀さんの関連する小説
絵夢の素敵な日常(10)Promenade
絵夢の素敵な日常(12)Porto Expresso
絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2
Promenade 2
初めての音 Porto Expresso3
絵夢の素敵な日常(初めての音)Augsburg


「ローマ&ポルト&神戸陣営」は今年はほとんど進まなかったのですが、サキさんは66666Hit作品に、この作品と頑張って二つも進めてくださっています。

全くこのシリーズをご存じない方のために少し解説すると、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」にはうちの「黄金の枷」サキさんの「絵夢の素敵な日常」大海彩洋さんの「真シリーズ(いきなり最終章)」のメンバーたちがヨーロッパのあちこちに出没してコラボしています。「黄金の枷」の設定は複雑怪奇ですが無理して本編を読む必要はなく、氣になる方は「あらすじと登場人物」をご覧下さい。このコラボで重要になっているのは、本編ではほとんどチョイ役のジョゼという青年です。もともとサキさんのとコラボのために作ったキャラです。他に、マヌエル・ロドリゲスというお氣楽キャラが「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではよく出てきますが、今回は「神父見習い」というひと言以外は全く出てきません。「ローマ&ポルト&神戸陣営」の掌編は「黄金の枷・外伝」カテゴリーで読む事が出来ます。ただ、今回の作品にはジョゼ関係の必要な情報が全部入っていますので、読まなくても大丈夫です。

さて、今回サキさんが書いてくださったのは、「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ、ヤスミンで、彼女はアウグスブルグで絵夢に逢い、さらにはミクと演出家ハンス・ガイステルの会話にちゃっかり聞き耳を立てています。というわけでこちらは、ポルト(本編ではPの街と言っていますが、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではポルトと言いきってしまっています)に舞台を移し、こちらでも誰かさんが聴き耳を立てています。話しているのは、「黄金の枷」重要キャラと、やはり「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ。以前サキさんがヤスミンを出してくださったお話で、お返しはやっぱりこの人の登場にした事があるのですが、それを踏襲しています。

サキさんは、とっとと話を進めてほしかったようですが、まだまだ引っ張ります。っていうか、この続きは今月末にロケハンに行ってからの方がいいかな~と。ちなみに本編(続編)の誰かさんに関わる情報もちょいと書いています。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



黄金の枷・外伝
カフェの午後 - 彼は耳を傾ける
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 白いぱりっとした上着をきちんとひっぱってから、ぴかぴかに磨かれたガラスケースを開けて、中からチョコレートケーキを取り出した。ジョゼはそれをタウニー・ポートワインの30年ものを飲んでいる紳士の座っている一番奥のテーブルに運んだ。
「大変お待たせいたしました」

「おお、これは美味しそうだ。どうもありがとう」
 発音からスペイン人だとわかるその紳士は、丁寧に礼を言った。ジョゼは、ずいぶん目の大きい人だなと思ったが、もちろんそんな様子は見せなかった。

 ジョゼは、Pの街で一番有名なカフェと言っていい「マジェスティック・カフェ」のウェイターとして働いている。1921年創業のこのカフェは、アール・ヌーボーの豪華絢爛な装飾で有名で、その美しさから世界中の観光客が押し寄せるので、母国語だけでなく外国語が出来なくては勤まらない。ジョゼは英語はもちろん、スペイン語も問題なく話せるだけでなく、子供の頃にスイスに住んでいたことがありドイツ語も自由に話せるので職場で重宝されていた。

マジェスティック・カフェ


「こちらでございます」
振り向くと、黒いスーツを着た彼の上司が女性客を案内してきた。このカフェの壁の色に近い落ち着いたすもも色ワンピースと揃いのボレロを着こなしていた。ペイズリー模様が織り込まれたそのスーツは、春らしい鮮やかさながらも決して軽すぎず、彼女の高貴な美しさによく似合っていた。ジョゼは、はっとした。彼女に見憶えがあったからだ。

 彼のテーブルに座っていた、目の大きいスペイン人はさっと立ち上がり、その女性の差し出した手の甲に口づけをした。
「ドンナ・アントニア。またあなたにお逢いできてこれほどうれしいことはありません」

 黒髪の麗人は、艶やかに微笑んで奥の席に座った。革のソファの落ち着いた黒に近い焦げ茶色が、彼女の背筋を伸ばした優美な佇まいを引き立てる。
「遠いところ、足をお運びいただいてありがとうございます、コルタドさん」

 上司に「頼むぞ」と目配せをされて、この二人がVIPであることのわかったジョゼは、完璧なサービスをしてみせると心に誓って身震いをしてから恭しく言った。
「いらっしゃいませ。ただ今、メニューをお持ちいたします」
二人の客は、頷いてから、会話を始めた。

「二年ぶりでしょうか。いつお逢いしても月下美人の花のごとく香わしくお美しい。仕事の旅がこれほど嬉しいことは稀なことです」
「まあ、相変わらずお上手ですこと。お元氣そうで何よりです。お噂は耳にしていますわ。事業の方も、芸術振興会の方も絶好調だそうですね」

「おかげさまで。いつまでも活躍していてほしかった偉大なる星が沈むこともありますが、新しく宵の明星のごとく輝く才能もあります。それを見出し支援することが出来るのは私の何よりの歓びです。そして、同じ志お持ちになられているあなたのように素晴らしい方と会い、若き芸術家たちとの橋渡しができることも」

 麗人は無言で微笑んだ。どう考えても、目の大きい紳士の方がはるかに歳上だと思われるのに全く物怖じしない態度で、ジョゼは感心しながら見とれていた。ドンナ・アントニアか。相当に金持ちのようだとは考えていたけれど、そうか、貴族かなにかなんだな。彼は心の中で呟いた。

 彼女は、チョコレートケーキを嬉々として食べているコルタド氏に微笑んだが、自身はコーヒーしか頼まなかった。それもエスプレッソをブラックで。

 彼女は、ずいぶん前に立て続けにこのカフェに来たことがあった。その理由は、なんとジョゼにある伝言をするためだった。彼女からチップとともにそっと手渡された封筒に、幼なじみマイア・フェレイラからの秘密の依頼が入っていたのだ。彼は、何が何だか全くわからぬままに頼まれたことをやり、そのお礼としてこれまで一度も履いたことがないほど素晴らしい靴を作ってもらった。いま履いている黒い靴だ。

「それで、お願いした件は……」
アントニアは、つややかな髪を結い上げた形のいい頭を少し傾げて訊いた。コルタド氏は、大きく頷くと鞄からCDを取り出した。
「こちらがバルセロナ管弦楽団のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番で、こちらがスイスロマンド管弦楽団によるメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルトです」

「まあ、もう二つもご用意くださったのですね。素晴らしいわ。ありがとうございます。録音していただくの、大変だったでしょう?」
「そうですね。世界に名だたるオーケストラと指揮者にソリストなしのカラオケを録音していただくのですからね。なんに使うのか、皆知りたがります。でも、ご安心ください。あなたのお名前を悟られるようなヘマはいたしておりません」
「心から感謝いたします。かかった費用はすぐにお支払いします。それに、あなたが理事を務めていらっしゃる芸術振興会にいつもの倍の寄付をさせていただきたいと思います」
アントニアは、真剣な面持ちで礼を言うと、CDを大切にハンドバッグにしまった。

「私が全く興味を持たなかったかと言えば嘘になります」
コルタド氏は誰もが引き込まれてしまうような、人懐っこい笑顔を見せた。アントニアはわずかに笑った。
「もし可能ならば、生のオーケストラをバックに演奏したいと願い続けている人のため。それ以上は、私が言わずとももうご存知でしょう?」

 コルタド氏は、意味有りげな顔をした。
「表向きは何の情報もありませんが、私の懇意にしているセビーリャのジプシーたちはこの街に住む特別な一族のことを話してくれますので」

 アントニアは、全く何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。それから突然話題を変えた。
「それで。新たに見つけた才能のことを話してください。場合によっては、寄付をまた増やしてもいいのですから」

「そうですね。例えば、私が大変懇意にしている四人組の大道芸人たちがいます。でも、彼らのことは、私が個人的に支援しているだけですがね。ああ、そうだ。この街出身の素晴らしい才能が国際デビューしたことはご存知ですか」
「どこで?」
「ドイツです。ミュンヘンの、例の演出家ハンス・ガイステルが見いだしたようで。彼女の名前が少し特殊だったので、もしかしたらあなたのご一族なのかと思ったのですが」
「なんと言う名前ですか」
「ミク・エストレーラ」

 ジョゼはぎょっとして、思わず二人をしっかりと見てしまった。幼なじみで且つ想い人であるミクの名前をここで聞くとは! ミクは、正確にはこの街の出身者ではない。日本で生まれ育った日本人だ。ティーンエイジャーだった頃、母親を失いこの街に住んでいた祖母のメイコ・エストレーラに引き取られて引越してきたのだ。ジョゼは、その頃からの友達だった。

 ミクはその透明な歌声を見出されて、ソプラノ歌手としてのキャリアを歩み始めていた。ドイツのアウグスブルグで『ヴォツェック』のヒロインであるマリー役で素晴らしい成功をおさめたことは聞いていた。もちろん彼がアウグスブルグに行ったわけではないけれど、彼女の歌声が素晴らしいのは子供の頃からずっと聴いているから知っている。

 大学に進み、この街を離れるまでは単純に歌うのが好きな綺麗な姉貴だった。(ミクは6歳も歳上なのだ!)大学在学中に、テクニックとか曲の解釈とか、ジョゼにはよくわからない内容に心を悩ませ、迷い、それに打ち勝って単純に美しいだけではない深みのある歌い方をするようになった。

 夢を追っているミクは輝いていたし、ジョゼも心から応援していたが、彼女の夢が1つずつ叶う度にこの街に帰ってくる間隔が長くなり、さらには手の届かない空の星のような存在に変わっていってしまうように感じられて心穏やかではなくなった。

 そうだ、エストレーラ 。彼女の苗字がなんだって? この女性の一族? まさか!

 アントニアは、クスッと笑った。それから首を振った。
「私たちの一族でエストレーラ という苗字を持つものはおりません」

 コルタド氏はアントニアが左の手首にしている金の腕輪を眺めて「そうですか」と納得していない様子で呟いた。彼女は、婉然と微笑んだ。

星を持つOs Portadores da Estrela のと、Estrela であるのは違うのですよ。私たちの家名はどこにでもいるような目立たないものに限られているのです。誰もがその存在に氣がつかないように」

 それから何かを考え込むように遠くを見てから、コルタド氏に視線を戻して優しく微笑んだ。

「才能があり功名心を持つ人は、星など持たぬ方がいいのです。世界へ飛び立ち、自由に名をなすことができるのですから。《星のある子供たち》Os Portadores da Estrela は、あなたもご存知のように、この街に埋没し、世間に知られずにひっそりと生き抜くべき存在なのです」

「あなたも……?」
コルタド氏は、これまでに見たことのあるどの女優にも負けぬほど美しく、どの王族にも引けを取らず品をもつ麗人を見つめた。彼女は顔色一つ変えずに「私も」と答えた。

 そして、二人を凝視しているジョゼに視線を移すと、謎めいた笑みを見せた。彼は客の会話に聞き耳を立てるどころか、完全に注目して聴いてしまっていたことに思い至り、真っ赤になって頭を下げた。

「それで、あなたはそのエストレーラ嬢の後ろ盾になるおつもりなのですか」
アントニアは、コルタド氏に視線を戻した。

「いいえ。そうしたいのは山々ですが、彼女にはもう立派な後ろ盾がいるのですよ。ヴィンデミアトリックス家をご存知ですか」
「ええ。もちろん」
「かのドンナ・エム・ヴィンデミアトリックスが、彼女を応援しているのですよ。それに、どうやらイタリアのヴォルテラ家も絡んでいるようです。あなたが絡んでいないとしたら、どうやってそんな大物とばかり知り合いになれるのか、私にはさっぱりわかりませんね」

 絵夢ヴィンデミアトリックス! またしても知っている名前が飛び出してきたので、ジョゼの心臓はドキドキと高鳴った。絵夢は日本の高名な財閥令嬢で、ミクと同じ日にジョゼが知り合った、長い付き合いの友達だ。

 ミクがポリープで歌手生命の存続を疑われた時に、イタリアの名医を紹介してくれたのも絵夢だった。ついでに、メイコのところに来ている神父見習いの紹介でヴァチカンとつながりのあるすごい家も助けてくれたって、言っていたよな。ともかく、彼らのバックアップの甲斐あって、手術は大成功、彼女はまた歌えることになったんだ。ジョゼはわずかに微笑んだ。

 僕はその事情を全部知っています。言いたくてしかたないのを必死で堪えつつ、ジョゼは綺麗に食べ終えたチョコレートケーキの皿をコルタド氏の前から下げた。

 その時に、アントニアの視線が彼の靴を追っていることに氣がついた。彼は、そっと足を前に踏み出し、彼の宝物である靴を彼女に見せてからもう一度頭を下げた。この靴のことも、それから彼女がマイアの件で彼に伝言を依頼したことも、彼女は知られたくないことを知っていたので、ジョゼはあくまで何も知らない振りをした。アントニアは満足したように頷いた。

 コルタド氏は二人の様子にはまったく目を留めずに、話を続けた。
「来月、またこの街に参ります。その時は、もうひとつのご依頼である『ます五重奏』の方も持ってこれるはずです」
「何とお礼を申し上げていいのかわかりませんわ」

「あなたにまたお逢いできるのですから、毎週でも来たいものです」
コルタド氏が言うと、アントニアは微笑んだ。
「私がいつまで、こうした役目を果たせるかわかりませんわ」

「なんですって。ドンナ・マヌエラからお役目を引き継がれてから、まださほど経っていないではないですか」
「ええ。でも、ようやく本来私のしている役目を果たすべき者が決まりましたの。まだこの仕事には慣れていませんので、しばらくは私が代わりを務めますが」

「それは、ご一族に大きな慶事があったということでしょうか」
「ええ。その通りです」
「なんと。心からお祝い申し上げます。ドン・アルフォンソにどうぞよろしくお伝えください」
「必ず。ご健康と、そしてあなたのご事業のますますのご発展を祈っていると、彼からの伝言を受けていますわ」

「これはもったいないお言葉です。私の方からも心からの尊敬をお伝えください」

 コルタド氏は立ち上がって、アントニアに手を差し出した。その手に美しい手のひらを預けて優雅に立ち上がると、彼女は水色の瞳を輝かせながら微笑んだ。
「バルセロナへお帰りですか?」

「いえ、せっかくここまで来ましたのでひとつ商談をするためコインブラへと参ります。そのためにレンタカーを借りました。そして可能でしたら、少し足を伸ばしてアヴェイロにも行くつもりです。《ポルトガルのヴェニス》と呼ばれているそうですね」
「そうですか。よいご滞在を。またお逢いするのを楽しみにしています」

 二人が去った後に、テーブルを片付けると、コルタド氏の座っていた席に、多過ぎるチップとともに料金が置いてあった。ジョゼは、ミクが帰って来たら「姉貴のことを噂していた人がいたよ」と話そうと思った。

 ミクがまた歌えるようになるまで三ヶ月かかるとメイコは言っていた。その静養期間に彼女はしばらくこの街に戻ってくるとも。

 彼は、つい先日格安で中古のTOYOTA AYGOを手に入れた。小さい車だが小回りがきき丈夫でよく走る。アヴェイロか。そんなに遠くないよな。

 彼女が帰って来たら、ドライブに誘おう。ここしばらく話せなかったいろいろな事を話そう。そして、出来たらもう小さな弟代わりではなくて、友達でもなくて、それよりもずっと大切に思っていると、今度こそ伝えたいと思った。

 街には春のそよ風が心地よく吹いていた。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2016)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 連載小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】王と白狼 Rex et Lupus albis

scriviamo!


scriviamo!の第十三弾です。

ユズキさんは、『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』をモチーフにした絵本風作品で参加してくださいました。ありがとうございます!


ユズキさんの書いてくださった作品『【絵本風】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架:デュランの旦那を慰める会 』


ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。代表作『ALCHERA-片翼の召喚士-』は、壮大で緻密な設定のファンタジー長編で、現在物語は佳境に入ったところ、ヒロインが大ピンチで手に汗を握る展開になっています。

そしてご自身の作品、その他の活動、そしてもちろんご自分の生活もあって大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。ご好意に甘えまくって、さらにキリ番リクエストなどでも遠慮なくお願いしてしまったりしているのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」の主人公四人を全員描いてくださり、そして、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」には《男姫》ヴィラーゴジュリアや、主要三人の素晴らしいイラストも描いてくださりました。昨年のscriviamo!では、《旅する傍観者》マックスをユズキさんのところのキャラで私の大好きなガエルと共演させてくださいました。

そして今回は、物語では一番活躍した割に踏んだり蹴ったり(?)だった人氣ナンバーワンキャラ、レオポルドを題材に絵本風のイラスト連作を作ってくださいました。傷に軽〜く塩を塗り込まれつつ(笑)村人に慰められるレオポルド、ニヤニヤが止まりません。背景に至るまで丹念に描きこんでくださり、嬉しくて飛び上がりました。本当にありがとうございました。

お返しをどうしようかと悩んだ末、以前に一度お借りしたことのあるフェンリルをもう一度お借りして、ユズキさんが描いてくださったシチュエーションをそのまま掌編にしてみました。フェンリルは、ユズキさんの『ALCHERA-片翼の召喚士-』にてヒロインを守る白い狼の姿をした神様です。実際の姿を現すと街にも入りきれないほど大きいので、普段は白い仔犬の姿で登場します。連載中の今は、正直言ってフェンリルもよその誰かを構っている場合ではないんですけれど、私がそのへんの空氣を全く読まず、無理やり中世ヨーロッパにご登場いただきました。

なお、下の絵は以前ユズキさんが描いてくださった「大道芸人たち」のヴィルと仔犬モードのフェンリル。あの時も本当にありがとうございました。


ヴィルとフェンリル by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない二次使用は固くお断りします。


なお、フェンリルは、彼(?)自体が神様なのですが、レオポルドたちのいる中世ヨーロッパでは一神教であるキリスト教価値観の制約を受けていますので、まるで「神の使い」みたいな受け止め方になってしまっています。これも時代と文化の違いということでお許しいただきたいと思います。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2016」について
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



森の詩 Cantum Silvae 外伝
王と白狼 Rex et Lupus albis
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士」
——Special thanks to Yuzuki san


 深い森《シルヴァ》を臨む草原に、彼は無言で立っていた。その後ろ姿を見ながら、靴屋のトマスとその妻が小さな声で話していた。

「デュランの旦那は、また考え事をしていなさるんだね、あんた」
デュランというのは、彼すなわちグランドロン国王レオポルド二世が忍びで城下を訪れる時に使う名前である。トマスたちは、彼が王太子であった時代から身分の違いを超えて既知の仲であった。
「最近、多いな。まあ、無理もない。なんせ失恋したばかりらしいからな」

「し、失恋? まさか、あの方が?」
「そうさ。どうやら嫁にするつもりだった例の姫さんに、本氣だったらしい」
「でも、あの偽の姫は、デュランの旦那が首をちょん切らせておしまいになったじゃないのさ」

 トマスは、わかってねえなという顔で妻を見た。
「お前、氣がついていなかったのか?」
「何をさ」
「この間、デュランの旦那が見つかったばかりのフルーヴルーウー伯爵夫妻を連れてきたじゃないか」
「え。マックスの旦那と奥方のラウラさまかい?」
「そうさ。あのラウラさまの声、聞き覚えあるだろう?」

 トマスの女房はぽかんとしていたが、やがてぎょっとした顔をした。
「ま、まさか!」
「そのまさかだよ。俺もしばらくわからんかったが、デュランの旦那があの奥方さまを見ていた顔を見てぴーんときたね」

「あらあ。そりゃ傷心にもなるわね、旦那ったら。なんせあのお二人の仲のいいことったら……」
女房とトマスは、彼の後ろ姿を氣の毒げに見つめた。

「ちょっといって慰めてくるか……」
トマスは彼の方へと足を向けた。

* * *


(全部聞こえているんだが……)
背を向けたままのレオポルドは、片眉を持ち上げた。

(余は、失恋の痛手のためにここに来ているのではない……こともないか……)
彼は、苦笑した。忙しい政務の間のわずかな自由時間に、忍びでこの村へ来ることは時折あった。王太子時代に親しくなった村人たちとの交流を通して、臣下たちのフィルターを通さずに市井の状況を知るいい機会でもあったから。とはいえ、近年は高級娼館《青き鱗粉》から派遣されてくる娼婦たちと、私室で楽しい時間を持つことの方が多くなっていたのだ。

 だが、今日、侍従が「どうなさいますか」と訊いてきた時に、娼婦たちを呼べと言い出しかねた。一つには、先日からフルーヴルーウー伯爵夫人ラウラが、宮廷奥総取締ハイデルベル男爵夫人の副官として出仕していて、彼が娼婦たちを呼びつけると彼女にわかってしまうからだった。それはいいとしても、彼自身が娼婦たちと楽しく騒ぐ氣分にどうしてもなれないのだった。

 彼は国王としては若いが、未だに独身でいていいというほど若いわけではない。亡き父王フェルディナンド三世は十八歳で結婚した。今のレオポルドよりも十歳以上若い。それでも世継ぎが彼以外できなかったのであるから、誰も彼もが早く結婚してお世継ぎをと騒ぐのは道理であった。

 彼の結婚がここまで決まらなかったのには理由があった。彼の王太子時代には、父王と現在王太后であるマリア=イザベラ王妃は、レオポルドにふさわしい后について意見が一致したことがなかった。そして、薦められた姫君たちを悉く氣にいらなかったレオポルドは、反対する両親のどちらかを利用して上手に破談にしてきたのだ

 父王が流行病で急逝し、思いがけず即位することとなった後は、レオポルド本人もつべこべ言わずに結婚しなくてはならないことを自覚していた。ところが、即位後の五年間は、政務に追われて嫁探しに本腰を入れ時間はなくなった。彼は既に二度も戦争を体験していた。父王が統一したノードランドをめぐってルーヴラン王国に宣戦布告をされ敗戦、後に西ノードランドを奪回すべく再び戦いを交えたのだ。

 この騒ぎと戦後処理の間は、結婚どころではないとレオポルドは一切の縁談を退けた。縁談ごときは臣下で進められると母后は諌めたが、結婚相手に一度も会わずに決める事だけはすまいと思っている若き王は決して首を縦に振らなかった。そこまで彼が后選びに頑になっている理由は、政略だけで結婚した両親をよく見ていたからであり、さらに自分の息のかかったカンタリア王国ゆかりの王女のみを薦めようとする母親のカンタリア氣質に辟易していたからである。ありていにいえば、母親みたいな女だけはごめんだと思っていたのであった。

 今日も、政務もなく居室で自由にしていると、「母上様がこちらにご機嫌伺いにいらっしゃりたいとのことです」とハイデルベル夫人から連絡を受けたので、逃げだしてきたのだった。

 他にすることもないので、彼は政治のことをゆっくり考えることにした。明日大臣たちとの会議があり、実質ノードランドを支配管理しているヴァリエラ公爵と今後の交易権について話さなくてはならない。公爵は先日の謀略を行ったルーヴランに対する制裁の意味を込めて関税を高くすることを望んでいる。関税引上げ派と据置き派、双方の言い分に理はある。相手に非がある今こそこちらに有利に変更すべきだという公爵のいい分はもっともだ。もちろん現在ルーヴランは大人しいが、一方であまり厳しくすると不満がたまり後々再び宣戦布告を突きつけられる可能性もある。

「さて、どうすべきか」

 その時、《シルヴァ》から、白い仔犬のような姿の動物が出てきた。彼は、目を疑った。十五年前と全く変わっていない同じ姿だった。あの時もこの村に来る途中だった。

* * *


 それは、トマスを知った翌日のことだった。馬で遠乗りに来ていたレオポルドは、《シルヴァ》で苦くまずい木の実を集めていたガリガリに痩せたトマスと偶然知り合った。王宮で何不自由ない暮らしをしていた彼は、旱魃と飢饉が王国を襲っていることに氣がついていなかった。だが、本来なら食べることもないようなものまで食糧にしなくてはならない村人たちの窮状にショックを受けた。

 彼は、王宮から山積みになっていた菓子をごっそり持ち出すと、《シルヴァ》を再び通り、トマスの住む村を目指していた。途中まで来た時に、草むらから白い仔犬のような動物が顔を出しているのに氣がついて馬を停めた。そんなところに仔犬がいるのはおかしかったし、それに逃げもせずにじっとこちらを見ている様相も妙だった。

「なんだ。親とはぐれたのか? それともお前も餓えているのか?」
レオポルドは、話しかけた。「それ」は、じっと彼を見つめて動かなかった。おかしい。どう考えても仔犬の動きではない。じっと眺めると、犬ではないことに氣がついた。狼だ。だが、純白の狼など彼は見た事がなかった。この森の中、これほど目立つ仔狼が、熊や鷲にも教われずに一匹で悠然と歩いているなど、ありえない。

 レオポルドは、馬から下りて狼に近寄った。試しに菓子のひとつを取り出した。その菓子はいい香りのする焼き菓子で、彼は袋に詰める時にも食べたい誘惑と戦わなくてはならなかった。だが、トマスたちに一つでも多くあげたい思いやっとのことで堪えたのだ。その菓子を手にして、彼は狼の鼻先に近づけた。

 狼は菓子の先端を咥えてそっと折った。残りはとっておけ、そういっているようだった。動物が遠慮するのを始めてみたレオポルドは、これがただの仔狼ではないことを確信した。白い狼は、背を向けて草むらへと歩き去った。彼は馬に再びまたがり、先を進もうとした。すると、また狼がやってきて、黙って彼を見つめ、それから背を向けて草むらへと向かう。同じことがさらに二度繰り返された。

 レオポルドは、狼が「ついて来い」と言っているのだと理解した。彼が草むらに分け入り、その後ろを歩くと、狼は振り返らずにけれども彼が見失わないようなスピードでゆっくりと歩いた。それは草むらにいるだけで、彼の行こうとしている道とまったく平行だった。彼は首を傾げた。

 だが、次の瞬間、鋭い鳴き声がして、彼は本来歩いていたはずの道に何かがいるのを知った。それは、大きな鹿で誰かの仕掛けた罠にかかって倒れていた。そこをまるで待っていたかのように餓えて凶暴になった熊が襲いかかっているところだった。レオポルドはぞっとした。もし彼があの道を急いでいたら、彼の馬が罠にかかり、熊に襲われていたかもしれないのだ。

 彼が呆然として小さい狼を見ると、わずかに笑ったような口元をしてから、それは踵を返して草むらの奥に消えていった。彼は、神に感謝して、熊に見つからないように急いで馬を走らせてその場を去った。

 とても小さな経験だったが印象的で、後に白い狼は彼に好意的な存在だと直感的に思わせるきっかけとなった。それは、彼の王としての評価を変えることとなったノードランド奪回の戦いのときだった。

 彼は決戦の前に、ロートバルド平原に進むか、それとも勾配の急なノーラン山塊を通ってルーヴラン軍を急襲するかの決断を迫られた。平原を進めば全面対決となるが、袋小路に追いつめられる危険はなかった。だが先にノーラン山塊から迂回することで、ルーヴランの裏をかき、ドーレ川との間に挟み撃ちにすることが出来る。

 半年前の敗戦の屈辱が、彼を迷わせた。お互いの意見に反対するだけで、建設的な戦法を進言できない先王の重臣たちを戦略会議から外し、自ら陣頭指揮を執ると宣言した手前、失敗は許されないという思いもあった。できるだけ少ない損失で早い勝利を手にするためにはノーラン山塊のルートをとりたい。だが、もし相手がそれを先読みして待ち構えていたら……。

 王都ヴェルドンを発つ時に、人生の師であり今やよき相談相手となった老賢者ディミトリオスが言った餞の言葉が甦る。
「王よ、決断なされませ。あなた様はこの国を率いなくてはならぬのです。年若いなどという言い訳は許されませぬ。ただ、決断なされませ。そして全てを背負うのです。それが王たるものの宿命ですぞ」

「へ、陛下!」
見張りからの連絡を受けた紋章伝令官が陣幕へと入ってきた。見ると顔が青ざめて震えている。
「何事だ」
「そ、空に……北の空に……」

 伝令官が口もきけないほど動転しているので、彼は陣幕の外に出て空を見上げた。そして、目を見開いた。どんよりと暗く垂れ込めた灰色の雲の下のもっと低い位置に白い雲が垂れ込めていた。だが、その雲は大きな狼の頭のような形をしていた。全体が狼の形をしていたというわけではない。そもそも、それは大きすぎて、頭に見える部分以外は山の後に隠れていて見えなかった。その鼻に見える部分だけで、山ひとつ分ほどに大きいのだ。

「何でございましょう。あれは……ノーラン山塊の上に……何か恐ろしいことが待っている徴なのでは……」
兵たち、重臣たちも怯えて浮き足立っていた。

 レオポルドは笑った。伝令官も重臣たちも、それに付き添っていたヘルマン大尉たちもあっけにとられる大笑いだった。
「ノーラン山塊へ行くぞ」

「陛下! なんと、今そちらの道を選ばれるのですか?! この徴が何だかわからず、兵士たちは浮き足立っております。もともと危険なノーラン山塊ですし……」

 レオポルドは言った。
「だからだ。あの徴を見て怯えるのは我々だけだと思うのか。ルーヴランのヤツらは、我々がノーラン山塊から来るとは思わなくなるだろう。これは我々の最大のチャンスだ。兵士たちに伝えるのだ。あれは余の守護に神が使わした白狼だとな」

 迷いを振り切った自信のある力強い言葉と態度は、伝令官たちや重臣たちに伝染した。彼らは、熱狂的に兵士たちに命を伝え、彼らは鬨の声をあげてノーラン山塊へと進んだ。そして二日後には、ルーヴランの軍勢を追いつめて決定的な勝利を手にした。

* * *


「デュランの旦那。また考え事でございますか」
トマスの声にはっとして振り向いた。彼はまだ《シルヴァ》をのぞむ草原に立っていた。白い仔狼はまだ森の入口に踞り、じっとこちらを眺めていた。

「旦那、あまり力をお落としにならないでくださいよ。ご自分のお氣持ちを犠牲にしてまで、あのお二人の力になったのを、神様はちゃんと見てなさる。旦那にはきっとあの奥方さまに負けない、いや、上回る素晴らしいお方が必ず待っていらっしゃるんだから。安心してくだせえ」

 レオポルドは、「そうだな」と苦笑した。
「トマス、あれが見えるか?」
「なんでございましょうね。仔犬でしょうか。毛繕いをしていますね」

 レオポルドは、狼が再び現れた理由を考えていた。白狼がかつて二度までも自分を救ってくれた理由についても考えた。おそらく自分の行動の何かが、あの特別な存在に親切で好意的な氣まぐれを起こさせたのだ。

 あの日、レオポルドはトマスたち貧しい者たちを飢えから救いたくて道を走らせていた。彼は、彼の人民たちを苦しみから救いたかった。王になったら、もっと貧しい人民のために尽くしたいと志を抱いた。そうだ、そうに違いない。彼は考えた。

 ルーヴランから金を搾り取れば、わが国の貴族たちは潤っても、かの国の人民たちは疲弊するだろう。ラウラが涙した、ルーヴの都の貧民たちのような存在がもっと増えるに違いない。あの狼はそれを思い出させるために現れたに違いない。

「トマス。余は、答えを得たぞ」
「なんでございますか。またお嫁さんを探されるご決心がついたんで?」

 レオポルドはカラカラと笑った。
「その件ではない。ノードランドの関税の件だ。据え置くようにヴァリエラ公を説得するのだ」

 機嫌良く帰っていくレオポルドを見送りながらトマスは首を傾げた。なんだかさっぱりわからんが、とにかく少しお元氣になられたようでよかった。ところで、あの仔犬は?

 トマスが《シルヴァ》の方を見やると、そこにはもう何もいなかった。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2016)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには

scriviamo!


ものすごく巻いていますが、そうなんです、今、いっぱいたまっているんですよ。というわけで、scriviamo!の第六弾です。limeさんは、「妄想らくがき」シリーズの最新作で参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『狐画』
『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。昨年も携帯投稿サイトの小説家を養成する公募企画で大賞を受賞されたすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。まあ、みなさんよくご存知ですよね。

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっと妖艶な感じの狐の化けたような少女の登場するイラストです。これ、私には七転八倒するほどの難問だったのですが、どうもそれは私だけだったようで、あちこちのブログで素晴らしいお話が発表されています。

で、お返しなんですが、最初にイメージした妖狐を使う話は避けました。他の方と重なることが予想されたし、さらにscriviamo!は基本的に受付順でお返しするので、思いついた話を即日発表できるような状況になかったので。で、普段は書かないようなストーリーにしましたが、なんだか私の性格の悪さを露呈しただけのような……。他の方の書かれる素敵なお話と毛色の違う妙なストーリーになりました。

そもそもありえない状況を書いていますので、「なぜこれがこうなるんだ」というような辻褄にこだわるとハマります。辻褄は、全く考えていませんので、あしからず。


「scriviamo! 2016」について
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



目が合ったそのときには 
——Special thanks to lime san


「お願い。まずは友達になってくれるだけでもいいから」
佳子の必死な声に、俺は背を向けた。悪い。二次元じゃなきゃ嫌だっていうほどこっちも病んではいないけれど、君はまったく趣味じゃないんだ。

 佳子は、三流の女子校を上から十番目くらいの成績で卒業して、推薦で短大に進み、親のすすめで入った会社で経理をやっているというタイプの女だ。本当のところは知らないけれど、とにかくそういうイメージ。きっと得意料理は肉じゃがとかマカロニグラタンとか、その手の無難なヤツだろう。

 そういうのが好きな男はいっぱいいるから、悪いけれどそっちへ行ってくれ。俺が小悪魔タイプがいいのは知っているだろ。
「悪いけれど、三次元だったら、猫耳のコスプレしてミニスカートでお出迎えしてくれるような子じゃないとイヤなんだ。君にはまったくチャンスはないよ」

 いくら俺でも、本当にそんなタイプじゃないと彼女にできないなんて、そこまで怪しくはない。もちろん、妄想ではいつもその手の子だけれど、現実はそんなに俺に都合良くできていないことくらいわかっている。そもそも上から目線で選べるほどこっちの条件がいいわけじゃない。でも、ここまでいえばこの子は諦めてくれるだろう。

 泣きながら佳子は去っていった。俺は、少しホッとした。秋葉原へ行くつもりだったけれど、氣をそがれて中央通りを銀座方面へと歩いていった。何か用事があった訳ではないけれど、こんな俺でも少し後ろめたいときだってあるんだ。まあ、俺に振られたくらいで世を儚むこともないだろうから、罪悪感を持つこともないんだけれど。

 京橋にたどり着く少し前に、洒落た画廊の前を通り、ガラスウィンドウから見慣れた後ろ姿を目に留めた。総務の京極だ。

 同期で一番の出世頭なだけじゃない。女が群がる超絶イケメンで、生家は江戸時代から中央区に屋敷を構え、子供の頃から一流品だけを身につけている品のいい金持ちで、会長が惚れ込んで孫娘との縁談を進めようとしている。

 そのスペックのたった一つでいいから、神様が俺にわけてくれたらよかったのに。

 京極は、草原の上で白い狐が日向ぼっこをしている絵を見ていた。御坊ちゃまらしい品のいい趣味だ。俺だったら、ただの狐じゃなくて猫耳もとい狐耳をした女の子に日向ぼっこしてもらいたいけれどな。あいつ、あの絵を買うんだろうか。優雅なこった。

 俺は、そのまま銀座まで歩くと、日比谷線に乗って我が家に帰った。ガラのあまりよくない繁華街を通らないといけないせいで、東京二十三区の中にあるというのに家賃は格安だ。部屋に戻って最初にするのはPCの電源を入れること。そして、今日も好みのコスプレちゃんを探してネットサーフィンに興じるのだ。

 冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出した。プシュと開けて、そのままPCの前に戻る。いつもは「猫耳」「制服」で検索するのだが、今夜は趣向を変えてみたくなった。

 少し考えた。「狐」「コスプレ」「小悪魔」。よし、これで行こう。

 いつもとあまり変わらない検索結果が表示されたが、そのページの一番最後に、著しく心惹かれる顔があった。真っ白い肌、髪も白い。ほっそりとした顔立ちに、簡単には落ちないと言いたげな反抗的な目つき。俺の好みにど真ん中。へえ。こんな子がいるんだ。

 俺は、その子の写真をクリックした。表示されたページで、何とその子とチャットもできることが判明。俺の方はカメラはないけれど、あちらはライブで映してくれるらしい。ほんとかよ。

 俺は、恐る恐る「チャット希望」ボタンを押してみた。ボタンが「呼び出し中」に変わり「接続しています」に変わった。それから、パッと画面が暗くなったと思ったら、全面に紛れもないその子の姿が映し出された。

「こんばんは」
聞き覚えのある声だ。もちろんこんなかわいい子に逢ったら絶対に忘れないから、知っているはずはないのだけれど。

「こんばんは。僕の名前は……」
「名前なんて言わなくていいわ。私、知っているもの」
「え?」

「わからない? さっきまで一緒にいたのに」
俺は、ぎょっとした。聞き覚えのある声の持ち主が、それでわかったからだ。
「佳子? まさか!」

「そうよ。ここで逢うとは思わなかったでしょう? さあ、私の目を見て」
「え?」

 狐の耳をした美少女の金色に光る瞳が、こちらを向いて光った。その時に、俺の周りは急に金色の光に包まれて何も見えなくなった。

「はい、終了。私はあなたを手に入れたから」
俺の声がした。

 なんだって? 俺は、恐る恐る瞼を開けた。

 すると、画面の向こうに見慣れた俺の部屋があって、俺の服装をした男が立ち上がっているところだった。

「PCの電源を落とす前に教えてあげる。その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる。私は、もうあなたを離したくないから、二度と狐と目なんか合わさないけれど、あなたは自由になりたかったら、好きなところヘ行って誰かの体をもらうといいわ。もっとも、あなたも好きでたまらない耳のある美少女を手に入れたんだから、ずっとそのままでもいいかもね」

 そう言うと、彼女はぷちっと電源を落とし、俺は暗闇の中に取り残された。

 これは、夢だ。こんな馬鹿なことが! 俺は、大声をだし、頬をつねり、ジタバタ走り回った。でも、どうにもならなかった。俺は、狐の耳を持ち、白い髪の毛とふさふさの尻尾を持った、ロリータ系美少女の体つきになっていた。冗談じゃない。俺は鑑賞する方がいい、自分が美少女になって何が楽しいものか。

 とにかく、なんとかしなくちゃいけない。佳子が言っていたことが本当だとすると、また俺みたいに狐耳の美少女を求めて検索してきたヤツと交代すればいいんだろうか。

 まてよ、それは嫌だ。自分ならいいけれど、俺みたいな嗜好をもった他のむさ苦しい男になるなんて勘弁だ。どうせ違う人間になるなら、もっと恵まれた存在になりたい。例えば京極みたいな。

 そして俺は思い出した。京極のヤツ、あの画廊で絵を眺めていたな。まてよ、あれも四角い枠じゃないか。もし、あいつが明日もあの画廊に行くなら……。俺にもチャンスが向いてきた。

* * *


 そして、俺は、あの画廊の、あの絵の中にいる。絵の中にいた白い狐は蹴散らしてやった。あの狐が日向ぼっこしていた場所に座って、あいつが来るのを待っている。座っているのに飽きたので、横たわって昼寝をすることにした。

 日中にヤツがやってこなかったのは、やむを得ない。総務のヤツらは五時までは上がれないからな。ようやく営業時間が終わった。待ちくたびれたぞ、早く来い。早く来い。

 ふっ。本当に来たぞ。画廊の店番が大喜びで出迎えていやがる。さあ、こっちにこい。お前と目が合ったその時には、俺の恵まれた人生が始まるんだからな。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2016)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ いただきもの

Posted by 八少女 夕

【小説】おとなりの天使 ~ The angel next to him

scriviamo!


scriviamo!の第五弾です。山西 左紀さんは、limeさんの「お題掌編」に呼応する形で書かれた素敵な作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『隣の天使』
limeさんの関連する小説
お題掌編 『となりの天使』(前編)
お題掌編 『となりの天使』(後編)


山西左紀さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。コラボをしていただいた作品もとても多いのです。普段はSFや仮想世界を題材にした作品が多く、それなのにまるで実際に眼で見ているような精密かつ美しい描写をなさるので尊敬しています。

今回は、珍しく大阪のとあるアパートで起きたお話。でも、サキさんらしさはそのままですね。limeさんの作品にインスパイアされてお書きになったそうです。

もともとのlimeさんのお話は「『隣に引っ越して来たのは・・・?』というテーマで、妄想を広げてください」というお題に基づいて作られました。サキさんもこれに合わせて書いていらっしゃいます。というわけで、私も。で、サキさんへのお返しなので、サキさんの小説と微妙に(じゃないか、がっちりと)絡み合っております。サキさん、キャラクターのイメージが違ったらごめんなさい!

サキさんが、limeさんの掌編にあわせて(でも少し変えて)題名をつけられたのに倣いました。


「scriviamo! 2016」について
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



おとなりの天使 ~ The angel next to him 
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 悟は、意を決して504号室の扉をノックした。やはり、こういうのは最初が肝心だからな。

 前のアパートでも、そつなく対応できていたと自負している。大家さんが亡くなって、子供たちが遺産相続のためにアパートを更地にするからと追い出されることになったけれど、代わりの格安アパートを探してもらえたのもそれまでの行いを評価してもらっていたからだと思っていた。

 もっとも、本当にそつがないなら、大学三年も終わりかけているのに就職活動にはかばかしい成果が出ない現状はおかしいのだけれど。

 引越の挨拶には何をもっていくかもしっかりリサーチした。最初は引越ソバを持っていくつもりだったけれど「蕎麦アレルギーの人もいて迷惑がられることも」と言われてやめた。食べたり使ってなくなるものがベストというけれど「高級すぎるとお返しを期待されているのかと思う」とか「スルメをもらった。どういうセンスだ」とか「タオルはたまる一方でいらない」とか「洗剤は使わないタイプのものだと迷惑」とか、ネットで調べるといろいろと難点が指摘されている。結局、無難にということでかなり高級なティッシュペーパーを三箱、熨斗付き。

 二度、呼び鈴を押したが誰も出てこなかったので、控えめノックに切り替えた。やっぱり出てこない。いないのかな、いや、隣の電灯がついたのがベランダの仕切りから漏れる光でわかって、それできたんだから、いないはずはないよな。

 そう考えていると、向こうからショートカットの若い女性が歩いてきた。顔が小さくて可愛い。へえ。こんな可愛いご近所が。彼女は悟の立っている扉の横、つまり505号室の前で立ち止まると、黒い小さいショルダーバックから鍵を取りだして開けた。
「ただいま~」
甘えた可愛い声だ。

 なんだ、男がいるのか、残念。そう思って自分の引越の挨拶の件に戻ろうと思った途端、その美女がまた顔を出した。
「この部屋の人に用なの?」

 悟は頷いた。
「あ、はい。はじめまして。僕、山中悟といいまして、503号室に越してきました。大学の三回生です。それでお隣のこちらに引越の挨拶を……」

 全て言い終わる前に彼女はにっこりと微笑んで口を挟んだ。
「この人、そんな生温いノックじゃ氣づかないわよ、こうやるの」

 そう言うと、拳を振り上げてガンガンガンとものすごい勢いで扉を叩いた。わあっ、なんてことをするんだ。こっちが常識知らずみたいに思われる。

 悟の焦りをものともせずに「じゃあね」といって女性は505号室に消えてしまった。それとほぼ同時に「はい」と言って目の前の扉が開いた。

 がっちりとした長身の男性と、その斜め後に立っている細身で中性的な女性だ。ちょっと見には少年のように見えないこともないけれど、表札には女性の名前もあったから、女性なのだろう。

「なんでしょうか」
精悍な顔立ちの男性は、仏頂面でたたみかけた。まずい。ドアをあんな風に叩いたら好印象を期待しても無駄だ。

「すみません。隣に越してきた山中悟といいます。引越の挨拶に伺ったのですが……失礼しました」

 男は、一瞬首を傾げたが、「ああそう」という顔をした。
「どうぞよろしく。君は一人ぐらし?」
「はい」
「じゃあ、独り者同士、よろしく」

 え? 悟は、目を隣人と、その後にいる女性との間で泳がせた。だが、彼は受け取ったティッシュペーパーの箱に意識を向けたまま、「じゃ」といってばたんと扉を閉めた。

 もしかして、おかしな隣人なのか? 悟は、首を傾げつつ、自宅の扉を開けて中に入って、そのまま腰を抜かしたように座り込んだ。

 たった今、目の前で視界から消えたはずの、隣人の後にいた中性的な女性が、ちゃっかり自宅に入り込んでいる。どうやって。

「ふ~ん、やっぱり見えるんだ」
彼女は腕を組んだ。白いシャツに白いベルボトム、少し流行遅れに見えないこともないスタイルだが、このさい流行などは大して重要とは思えなかった。

「な、何がですか……。っていうか、どうやって僕んちに?」
ドアに張り付いている悟に、彼女はにっこりと微笑んだ。

「私が見えているってこと。どうやってって、別に難しくないわよ、壁をすり抜けてね」
「はあっ?!」

「なんだ。他にも見えるんじゃないの? もしかして、普通の人間には見えない存在を見たの今日が初めて? そんなわけないわよね、その歳なんだから。ああ、そうか、もしかして私たちの仲間すべてを肉体を持つ存在と勘違いしたまま現在に至っているとか?」
女はけたたましく笑った。

 悟は、瞬きも忘れて相手を見ていたが「あんた誰?」とだけようやく言った。

「私? 彼の守護の天使よ。といっても、もともとそうだった訳でなくて、ちょっと押し掛けで守護しているんだけれどね」
「押し掛け?」
「ええ。ちょうど通りかかった時に、失恋で自暴自棄になっていたから、氣になって居着いてみたの」
「え? そうなんですか? 失恋ねぇ……」

「ええ。さっき逢ったでしょう? 505号室の女の子にね」
「ええっ?」

「あの子の名誉のために言っておくけど、あの子が振ったんじゃなくて、あいつが追い出したのよ。なんだっけ、勝手に外車を買ったから、とかなんとか。お仕置きのつもりで追い出して、すぐに謝って帰ってくると思っていたら、お隣さんと仲良くなっちゃったって訳。隣で幸せそうに暮らしているもんだから、余計落ち込んでいるの。そういうわけで、あいつの前でお隣さんのことは口にしないようにね」

 悟は、「はあ」と頷いてから、なに納得しているんだと自分につっこんだ。

「じゃ、私帰るから。あと、彼の前で、私のことは口にしない方がいいわよ。あいつには見えないし、聴こえないんだから、何を言ってもあなたが頭のおかしい人と思われるだけよ」
そういうと、守護の天使とやらは、すっと504号室と接している壁の中に消えてしまった。マジかよ。

 それから、ありえないことになった。「自称・守護の天使」が勝手に悟の部屋に入ってくるようになったのだ。

 悟は、いつもの手抜きで一週間分のおでんの具を煮込んでいたが、後にいつの間にか立っていた天使が覗き込んだ。
「おいしそうじゃない」

「今日は、なんすか」
「それ持って、ウチにくるか、こっちにあいつを招いてよ」
「なんで」

「505号室がなんかゲームやっているらしくて、楽しそうな声がやたらと響いてくるのよ。で、またグズグス想い悩んでレミー・マルタンに逃げ込んでるの」
「……。男とおでん囲んで紛れますかね」
「紛れさせなさいよ」
「なんで僕が」
「あんたが私を見えるのが悪いのよ。つべこべ言わずに行く!」
「はあ」

 悟は首を傾げながら、504号室に向かい呼び鈴を押した。
「なんだ」
男は出てきて、暗い瞳を向けた。

 いつものように黒い革のパンツに白いシャツ。貧乏アパートにはあまり似合わないハードボイルドタイプ。しかもシリアス系。こういう知り合いいないし、なんか怖いよ。心の中で文句を言うと、後にいた天使が恫喝した。
「つべこべいうと、死神や貧乏神をあんたの部屋に派遣するわよ」

 悟はことさらヘラヘラと笑うと言った。
「あ~、おでん作りすぎちゃったんです。よかったら一緒にどうっすか」

「君、田舎そだちか」
「へ? まあ、そうですけれど、なぜですか?」
「都会での隣人との距離感というものがわかっていないようだから」

 ちくしょう。僕だって、別にお近づきになりたい訳じゃないんだ! 悟が泣きそうになると後からほうっというため息が聞こえた。
「かっこいいわねぇ。こういうもの言い、本当に好み~」

「だったら、自分でなんとかしろよ!」
思わず振り向いて文句を言うと、男は言った。
「誰と話しているんだ。携帯電話か?」

 しまった、こいつには見えないし聞こえないんだった。天使はべーと舌を出した。ムカつく。
「いや、なんでもないっす。嫌ならいいっすよ。一人で食いますから」
そう言って引き下がろうとすると、男は首を振った。
「嫌とは言っていない。酒はあるか。ないなら持っていくが」

 なんだよ、結局来るのか。悟は、急いで部屋に戻ると、彼が来るまでに足の踏み場を作ろうとした。
「そのくらい、私がやるわよ」
天使はさっと手を振った。コタツの周りにあった乱雑に脱いだ衣類や新聞が、あっという間に畳まれて部屋の片隅におさまった。

「へえ。こりゃいいや。ありがとさん。寝床周りもやってくれる?」
「必要ないでしょ。彼とベッドインするなんて許さないわよ」
「! するわけないだろ。でも、彼のために貴重な時間を使うんだからさ~。少しくらい僕にも恩恵があっても……」

 天使は腕を組んでから言った。
「そうね。ちゃんと彼に親身になってくれたら、帰り際にやってあげるわよ」

 男は、ハイネケンを1ダースと、金のラベルのついている一升瓶を持ってきた。見ると純米大吟醸らしい。お、おい。スーパーで買った特売おでんに、どうしてこんな酒を。

「これしかなかった。嫌なら買いにいくが」
「え。いや、とんでもない。もったいないと思っただけで」
「一人で飲んでいてもしかたないからな。つきあってくれ」

 落ち着かない飲みだった。悟は、男と差しで飲みながら、右側にちゃっかり座って男に見とれている天使を見ないようにしていた。余計な事を言うと天使は睨むし、その言葉に反応してはならないし、天使から聞いた情報を勝手に口にする訳にもいかない。頭が混乱していて、酔うどころの騒ぎではなかった。

 一方、男は順調に盃を重ねて、ハードボイルド調からただの酔っぱらいへと変化していった。
「そりゃ、他の男を好きになることだってあるだろうさ。でも、なにも隣に住まなくたって、いいじゃないか……」

 なんだよ。泣き上戸かよ。参ったな。
「そんなに思い詰めない方がいいっすよ。女は一人だけじゃないし、ほら、意外と近くで心配して見守ってくれる人もいるかもしれないし」

 悟は、既にコタツに突っ伏しかけている男の頭を愛おしそうに撫でている天使を見ながら、ドッチラケという氣分で最後のちくわぶを口に運んだ。

「なんだ。それは口説きか。俺は女の方がいい」
「! こっちも女の方がいいっす」

「そもそも、君にも彼女はいないのか。若いのに不甲斐ないな」
あんたには言われたくない。

「すいませんね。東京に高校時代ずっとつき合っていた彼女いたんすけど、こっちの大学に来たら遠距離で自然消滅。今はレポートと就職活動が大変で、彼女作っている暇なんてないっす。関西の子たちはノリも違いますしねぇ」

「ふん。就職活動ね。どこを受けるんだ」
「え。まあ、製造とか。クルマも好きだけれど、ほとんどチャンスが……」

 天使が睨んでいる。しまった。彼女が車を買ったんで喧嘩になったんだっけ。車の話は御法度だったか。

「それなら、親父に頼んでやるよ。国産車が嫌でないならね」
「へ?」

「この人、世界的に有名な国産車メーカーの御曹司よ」
天使が囁く。げっ!

「就職が決まったら、美味い寿司でもおごってやるよ。俺もいつまでも、部屋にこもっているのはよくないからな……」
そう寝言のように呟きながら、男はコタツに突っ伏して寝てしまった。

 う。さっきの言葉、録音しておけばよかった。悟は、天から降ってきたチャンスがうやむやになってしまわないことを心から祈った。

 天使は「私には関係ない」という風情で寛いでいた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2016)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】酒場にて

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2016」の第一弾です。ポール・ブリッツさんは、別ブログで私の書いた記事を参考に、掌編を書いてくださいました。それもこの企画公表から数時間で……

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『狩猟期』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書かれていらっしゃる創作系ブロガーさんです。とても勉強家で熱心な創作者で、シニカルな目の付け所の作品を書いていらっしゃる上、よく恐ろしくも容赦のない(笑)挑戦状を叩き付けてくるブログのお友だちです。

今回書いてくださった作品は、ちょっと硬派の復讐劇のような感じなのですが、私のオリジナル小説の舞台カンポ・ルドゥンツ村での出来事らしいのです。別の国や別の州とかなら、よく知らないのでそのままにしておいてもよかったんですけれど、この村で起きたこととおっしゃるのなら捨て置けない点がいくつかあったのを逆手に、流れをひっくり返してみました。ポールさん、すみません。だって、そうでもしないと、これへのお返しで何を書けと……。

舞台は、時々私の小説(「夢から醒めるための子守唄」「夜想曲」など)に出てくる『dangerous liaison』というバーです。



「scriviamo! 2016」について
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



酒場にて
——Special thanks to Paul Blitz-san


「とにかく、このままにはしておけないよ」
熱っぽく語るマルコに、注文のリベラの赤を出してやりつつ、トミーは綺麗に描かれた眉を右側だけ持ち上げた。

 自動車工マルコ。今日はレッカーサービスの週番だからと清涼飲料水しか飲んでいない。だったらわざわざ飲み屋に来る事もないと思うけれど、彼には『dangerous liaison』は貴重な情報交換の場らしく、欠かさずやってくるのだ。

 オレンジと紺青を基調として、トロピカルな壁画が色鮮やかなインテリアのバー『dangerous liaison』は、カンポ・ルドゥンツ村の中心から少し離れたところにある。村役場の近くにある三軒の伝統的な旅籠レストランと違って、ここには、お硬い輩は足を踏み入れない。

「そもそも連中は、よそ者だろう」
マルコは言った。トミーは首を傾げた。

「どうかしら。でも、エルンストだの、カールだの、ヴィルヘルムだの、そんな古めかしい名前、このあたりじゃ珍しいわよね。話す言葉はフォルアルベルグあたりの方言だから、あっちのスイス人かもしれないし、ボーデン湖を越えたオーストリアかドイツの出身なのかも」

 マルコは、我が意を得たりと言う顔をした。
「だろう。もめ事なら自分のとこに帰ってやってくれりゃいいのにって、村の事なかれ連中は、ヤバいとわかっているのに見て見ぬ振りをしているんだよ。まったく」
彼は川向こうのサリスブリュッケに祖父の代から住んでいるイタリア人で、このあたりの閉鎖的な考え方に辟易している。

「ヤバいねぇ。息子さんが亡くなったのは氣の毒だと思うけれど、もう二年前のことなのにどうして、あんたたちは今さら騒ぐのかしら。そっとしておいてあげなさいよ」

「それが過去の話じゃないんだよ。あの親父は、例の若い男を恨んで、付け狙っているんだ」
マルコは、声を顰めた。その目が妙に生き生きしているのを、トミーは見逃さなかった。なに面白がっているのよ、この野次馬男。

「いい加減なことを触れ回ると、名誉毀損で訴えられるわよ」
「ふん。飲み屋ネットワークを馬鹿にしてもらっちゃ困るね。やっこさんは、一昨日『ガルニ・ポスト』で、あの若者がチューリヒからやってきているかを訊き回って、昨日はサリスブリュッケで弾を入手している。猟が始まって二週間も経つんだぜ。あと一週間しか撃てない今ごろそんなことをやってりゃ、噂にもなるさ」

「まったく、本当に田舎の村って、何一つ秘密にできないのよね」
当人は、まさか村中の噂の種になっているとは夢にも思っていないに違いない。都会人には想像もつかないかもしれないが、秘かに事を運ぶなんて事は、この村では不可能なのだ。ここでは、ケーキを作る時に砂糖と塩を取り違えた程度のことでも、翌週には知れ渡るんじゃないかと、トミーは秘かに思っている。

「あの子は車の事故で死んだんでしょ。自殺と限った訳でもないのに、なぜあの親父があのヴィルヘルムとかいう若者を狙っていると断言するのよ」
「そりゃ、あの息子と怪我をしたスペングラーって男の人生をめちゃくちゃにしたのはヴィルヘルムだと思っているからさ」
「なんだったかしら、間違えて仔連れの牝鹿を撃ったというきっかけの争いだったわよね」
「そこがおかしいんだよ。そんな話は信じられないね」

 それからマルコは、アルコールがみじんも入っていないリベラをちびちびと飲みながら、名探偵のごとく語りだした。
「誰だって、少し考えれば、わかるだろう。仔連れの牝鹿を撃ったりしたら、過失だろうととんでもない罰金を払わなくちゃいけない。それをわかっていて、面白半分で撃つほどあのヴィルヘルムって若者も馬鹿じゃない。それに、それを監督している男が、仔連れの牝鹿を狙いはじめた若者を止めなかったのもおかしい。本当のもっと知られたらまずい事を隠蔽しているに違いねえ」
「はいはい。それで、あんたの信じている真実のストーリーは?」

「あのカールって若者が、まず傷害事件を起こしたんだ。そして、その殺意をなかったことにするために、あの若者が面白半分に牝鹿を撃ったのがきっかけということにした」
「なんでそんな面倒くさいことを」
「痴情のもつれで起こったもめ事だと、世間に知られないためにさ。三人ともその点では利害が一致していたんだ」

 トミーは、ちらっとマルコを見て何も言わなかった。

「しらばっくれるなよ。そっちの世界に居るあんたが知らないわけないだろう。あの親父もお高くとまっていずに、俺たちみたいなブルーカラーとの仲間になっていりゃ、噂からわかっただろうけれどね。自分の友人も息子も同性愛シュヴール ってことを、やっこさんは知らないんだ」

 トミーは、その父親とわずかだが話したことがある。この店には来ないが、日中に併設する自然食料品店の方に買い物に来たことがあったのだ。男同士のカップルが、堂々と店を出していることを、さも珍しいものでも見たような口ぶりで話した。礼儀正しかったが、言葉の端々に「きちんとした家庭で育たなかったからそうなってしまったんだろう」という差別的印象を交えていた。つまり、我が子がそうだとは考えたこともなかったのは明らかだった。

「親が知らないのなんて、よくあることよ」
「あっちの男とは親友だって言うのにな。俺たちが知っている妻子のいる隠れシュヴールのリスト作ったら、お高くとまっている連中は大騒ぎになるな」

 トミーは、大きなため息を漏らした。
「それで、あんたはどうしたいのよ」
トミーは、綺麗にネイルされた手をひらひらと振った。

「そこだよ。例の情けない牧農家見習いのアンリが、何も知らないヴィルヘルムの方にひっついているんだけどよ。なにかあったら、ここを連絡先にさせてくれ……」

 その時、ドアがバンッと開いて、青ざめた顔の青年が転がるようにして入ってきた。
「大変だ!」

 マルコはカウンターの丸椅子から飛び降りて、息を切らして倒れそうな若い牧童を支えに行った。
「何があったんだ、アンリ」

 アンリは、息も絶え絶えだった。フランスなまりの聴き取りにくい彼の話を、マルコとトミーが根氣よく聞き出したところ、二人は近くの森に狩りに行った。そして、車から銃を取り出して準備をしているヴィルヘルムを、例の親父が銃で狙っていることにアンリが氣がついて大声をだし、身を伏せて、二人は難を逃れたらしい。

「それで、件の親父はどうしたんだ」
マルコが訊くと、アンリは泣きそうな顔をした。
「車に乗って、サン・ベルナルディーノ方面へ逃げて行った」
「警察には連絡したのか?」
「それが……」

「僕が止めたんです」
戸口からの声に、一同が振り向くと、ヴィルヘルムが青ざめた顔をして入ってきた。
「もし、彼が僕を狙ったことを通報したら、彼は殺人未遂で逮捕されてしまう」

「だって、それが事実だろう」
「死んだカールが、そんなことを望んでいたと思うか? 自分のために父親を殺人者にしてしまうなんて。何かの誤解だと思うし、話し合った方が……」
「でも、相手は銃を持っているんでしょう。行った先で何をするかわからないじゃない。やっぱり警察に連絡した方がいいんじゃないかしら」

「今、先生に連絡しましたから」
「先生ってのは、エルンスト・スペングラーか?」
「はい。カールのお父さんに、あの時のことを秘密にしたのは間違っていたと、おっしゃっていました。連絡してくださるそうです。上手く説得してくれるといいんですけれど」

「元々は、やっぱり、あれだろ。痴情のもつれ」
したり顔でマルコが断言した。ヴィルヘルム青年は、ぽかんとして、訊き直した。
「いったい何の話ですか」

「だから、あんた達の三角関係がもつれたんだろ? それでおこった殺人未遂を隠すために、仔連れ牝鹿を面白半分に撃ったなんてくだらない話を作った」

 ヴィルヘルムは、まだしばらく口を開けっ放しにしていたが、我に返ると真っ赤になって抗議した。
「どこからそんな話になるんだよ! 勘弁してくれ!」
「あれ? でも、スペングラーとカールがそういう仲だったのは知っているだろう?」
「まさか?!」
「ええっ。お前さんも知らなかったのか?」

「先生と会ったのは、あの狩りの時がはじめてで……。ええっ、お父さんの親友じゃなかったのか? アンリ、お前も知っていたのか?」

 牧童は頷いた。
「あの二人のことは、村ネットワークでは知られた話でしたよ。君が知らなかったとは思わなかったけれど」

 ヴィルヘルムは、カウンターに座り込んで頭を抱えた。
「カールが何かに悩んでいたのはわかっていました。僕に狩りのことを教えてくれる先生に、いきなり刺々しい嫌味を言ったり、刑務所にいた時も先生が面会に来てくれないのは僕のせいだと言ったり。でも、まさかあの二人が……」

「牝鹿を撃ったのは、スペングラー氏の指示だったの?」
トミーが訊くと、ヴィルヘルムは頷いた。
「ええ。罰金は払えないから、いやだと言ったんですが、金なら用意してやるとおっしゃるので言う通りにしました。カールを救うためだと言われて」

「で、あんたが今ごろまた猟をはじめて、例の流れ星のような模様のある牡鹿を仕留めようとしたのは?」
「流れ星? なんですか? それは」

「だから、あの時の鹿の子供の方に流れ星みたいな模様があって、それが最近よく出没するって話さ。その牡鹿をあんたがまた撃とうとしてわざわざチューリヒからやってきたっていう噂が流れていたんだよ。それを聞いて、あの親父さんのあんたへの憎しみが爆発したらしいんだが」
マルコが言うと、ヴィルヘルムは首を傾げた。

「変だな。牝鹿を撃ったとき、僕たちの方からは草むらにいた仔鹿の模様なんかほとんど見えませんでしたよ。そっちはすぐに逃げてしまったし。それに、親を失った仔鹿がどうなったか、罰金を払う時に狩猟漁獲庁で訊いたけれど、一匹では生き延びられないので捕まえてチューリヒの動物園に引き取ってもらったって言われましたよ。撃ちたくても撃てるわけないじゃないですか」

 一同は、首を傾げた。
「何だか、きな臭いな。誰かが話をねじ曲げているぞ」
そういうマルコをじっとみつめてトミーは言った。
「誰が仔鹿の模様のことなんか話したのかしら。それに、この子が性悪だという噂をわざわざ流して得するのは……」

「まさか! あのスペングラー氏が?」
アンリが青くなって立ち上がった。ヴィルヘルムも、心配そうに立ち上がった。
「なぜ、そんなことを……」
「あんたが余計なことを知っていると思っていたのかも」

 一同は、顔を見合わせた。
「ってことは、こいつの口を封じるために、カールの親父に殺意を起こすよう嘘を吹き込んだと?」
マルコは、信じられずトミーと、ヴィルヘルムの顔を順番に見た。

「ちょっと待って。君、そのスペングラー氏に、電話したって?」
アンリはヴィルヘルムに問いかけた。
「ああ。だって、あの先生はお父さんの親友だと……。ってことは……」

「親父さんが危ない!」
慌てて、三人が出て行った後、トミーは誰もいなくなった店内でため息を一つついた。車で追いかけたって、テレビドラマみたいにちょうどいい場面に出くわせる訳でもないのにねぇ。

 少し考えた後、彼は電話の子機を取り上げた。ダイアル先は、馴染みの警察幹部だ。官僚主義のこの国で事を速やかに進めるためには、どのような親しい友人ネットワークを持っているかが最も大切なのだ。トミーは有力者でも、金持ちでもなかったが、この手の財産は誰にも負けないほどあった。

 十五分以内に、主要道路の検問体制が整うだろう。この話の真実も行方もわからない。だが、ここしばらく常連連中がここに集まって噂話に花を咲かせるのは間違いない。まったく、田舎の村ってのは。トミーは、美しく描かれた右眉を満足そうに少しだけ持ち上げた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2016)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(3)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第三弾、完結編です。本当は「Infante 323 黄金の枷」を先に発表する予定だったのですが(前回も同じ事言ったぞ)、こちらの展開が明後日の方向に行ってしまった関係で、他の方の書かれるご予定を狂わせるに間違いないという事で、少しでも早く発表する事にしました。
オリキャラのオフ会

浦河に到着するところなどは全てすっ飛ばして、盆踊り大会の日から始まっています。若干の回想は入っていますが。うちの二組のキャラのストーリーを畳む事だけに専念していますし、さらにお許しもなく勝手にコラボっています。該当キャラの持ち主の皆さん、すみません。ありがとうございました。

オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など



君との約束 — あの湖の青さのように(3)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


 正志は焦っていた。浦河の相川牧場に来て二日が経っていた。到着した十日の夜のウェルカムパーティでもずいぶん飲んだが、その前夜の屈斜路湖から、もうペースが崩れていた。昨晩も働いた後にソーラン節の練習をしてから宴会で、思っていた以上に酔ってしまった。そして、今晩は盆踊り大会。ソーラン節を踊りつつ、北海道の海の幸を堪能する結構な待遇だが、これまた飲みまくる事になるだろう。

 自分で酒はそこそこ強いと思い込んでいた。営業という仕事柄、接待で飲み慣れている。だが、この場にいるメンバーの飲み方は、その彼の「そこそこ」をはるかに凌駕していた。

 全員が飲んでいるわけではない。高校生トリオや、中学生の双子、それに見事な太鼓のバチさばきを見せてくれる成太郎は19歳なので、当然一滴も飲まない。二十歳だから飲んでも構わない綾乃も敢えて飲もうとしなかった。牧場の女性陣、それに手伝いにきているかじぺたさんと呼ばれている女性は、お酌をする事はあっても自分たちが飲みまくる事はない。むしろ忙しく台所と宴会場を行き来をしていた。

 異国風の三人のうち、詩人と呼ばれている部屋の中でも全身を覆う見るからに暑い服を纏った不思議な人物は、カニをつつきながら合うとは思えない甘いジュースを飲んでいた。一方、その連れであるオッドアイの青年レイモンドと、大柄な女性リーザは、どれほど飲ませてもまるで水を飲んでいるかのように、全く変わらない。

 それは、コトリも同じだった。屈斜路湖でもそうだったが、もの静かな彼女は飲んでも口数が多くなる事はない。いつもと同じように落ち着いているが、氣がつくと盃が空になっている。ダンゴの方は、賑やかに飲む。量は多くないが、楽しい酒のみだ。そして、屈斜路湖から親しんでいるマックスたちと楽しく話している事が多かった。

 ホストファミリーの相川家は遺伝なのか、誰もがとんでもないうわばみだ。とくに家長の長一郎は、その歳でそんなに飲んで大丈夫なのかと、余計な心配をするほどだが、京都から来た旧知の友、鏡一太郎の方も同じペースで飲み、しかも赤くなって声は大きくなっても、酔って乱れた様子は全く見せない。

 結局、飲んでいるメンバーの中で、一番酒に飲まれかけているのは、悔しい事だが正志なのだった。そして、部屋に行くとふらついたまますぐに寝てしまうので、千絵とまともに話すらできないのだった。

 こんなはずじゃなかった。

 この旅行を計画した時、彼は千絵と、もう少し別の形の旅行をするつもりでいた。屈斜路湖での混浴の露天にゆったりと浸かり、アイヌの文化に触れた後で、二人でじっくりと語り合う。そして、力を合わせて働いた後、部屋で今後の事も話そうなどと、勝手に思っていたのだ。

 今後の事。二人の未来の事。そう、もう少し具体的にいえば、次に旅行するときは新婚旅行だね、という話に持っていければ上等だと思っていた。花火大会もあるから、ムードは満点だと。

 屈斜路湖から見ず知らずのメンバーたちと意氣投合して、毎晩宴会になる事は考えてもいなかった。豪華で美味しい朝食にも舌鼓を打ち、仲間たちと朝から笑い合った。それは嬉しい誤算でとても楽しい事だったが、千絵にプロポーズをする段取りからはどんどん離れていくようだった。

 宴会で千絵と並んで飲みながら話そうと思っても、忙しく働き回る牧場の女性陣を見ると、いつもの放っておけない性格がうずくのか、立ち上がって手伝いに行ってしまう。彼も立って一緒に台所に行こうとすると、他のメンバーが正志を呼び止め、盃に酒をついで話しかけてきた。

 それに、昨日のソーラン節練習直後、宴会の始まりに起こった件があった。

 ソーラン節の振り付けと、厳しい指導、それにめげないメンバーたちのふざけた楽しい騒ぎ。そういうムードが苦手な人もいる。どうやらコトリはそのタイプだったようで、そっと席を外した。たまたま入口の側にいてそれを見ていた正志は、宴会時間になっても帰ってこないので、どうしたのかとトイレに行くついでに建物から出て周りを見回したのだ。

 コトリは愛車DUCATI696のところにいて、オイルをチェックしていた。一日で300キロ近くを走ったのだ。ベストなコンディションにするために、少し整備をしていたのだろう。

「思いっきり飛ばせた?」
正志が訊くと、少し驚いたようだったが、微笑んで頷いた。
「神戸では、ほとんど信号のない直線コースなんてないから」

 それから、しばらくモーターサイクル談義に花が咲いた。正志は、Kawasaki Ninja 650Rに乗っていた時に、逆輸入車だったので、合うキャリア&トップケースを見つけるのに苦労し、バイクを処分したときもそのケースだけは手元に置いてしまったと話した。

「マンションを買うと決めた時に、バイクに乗る事自体をもうやめようと思ったくせにね。まだ未練があるんだろうな」
「ER-6fはまだ市場にでているから、そのうちにまた買えばいいでしょう」
「そのうちにか……」

 その時に、コトリが建物の入口の方を見たので、正志もその視線を追った。そこにはゴミ袋を持っている千絵がいて、DUCATIの前で話し込んでいる二人を見ていた。二人の視線に氣づくと、彼女は小さく手を振って、ゴミ置き場の方へ急いで行ってしまった。

「あ……」
どことなくこれはマズい状況ではないかと思った。後ろめたい事をしていたわけではないし、千絵は、いままでやきもちを焼いたりすることはなかったので、わざわざ追って行って何かをいうのも、よけいに事をこじらせるように思い、しばらく立ちすくんでいた。

「行ってあげたら」
コトリがぽつりと言った。
「え?」

「ダンゴが言ってくれなかったら、私もわからなかったけれど、車種や整備の話、走りの話題についていけない女の子たちは、置いてきぼりになったようでずいぶんと寂しい思いをするみたい。それはそれ、これはこれでどちらも大切なんだって、安心させてあげた方がいいと思う」

 正志は、コトリをじっと見つめた。よくみている人だなと思った。ぶっきらぼうに感じることもあるけれど、とても心の温かい人なのだとも感じた。
「ありがとう。いってくる」

* * *


 ゴミ袋を持って小走りにゴミ捨て場に向かっていた千絵は、悲しいきもちを振り払おうと頭を振った。その時にちゃんと前を向いていなかったので、角を曲がって走ってきた小さなものに氣がつかなかった。

 足元に暖かいものがポンと当たった。それは茶虎柄の小さい猫だった。
「みゃ~!」

「あ。マコト! ごめんなさい!」
千絵は、あわてて屈んでその仔猫を抱き上げた。左右で色の違うきれいな瞳が、千絵を見ていた。いきなりぶつかったにもかかわらず、マコトは嫌がる事もなく、千絵の顔を覗き込んでかわいらしく鳴いた。千絵は、その頭を撫でてやりながら、そっと立ちすくんで、大きなため息を一つ漏らした。

「ずいぶんと大きいため息だな」
その声にはっとして振り向くと、建物の影にいた赤毛の大柄な女性が、千絵の方を見ていた。泉の縁に腰掛けて、何か貴金属のようなものを洗っているところのようだった。

「リーザさん」
「いつも男どもが食い散らかしたものの後始末に走り回っているようだが、それに疲れたんじゃないのか」

 千絵は驚いた。褒めてもらいたかったわけではないし、自分も他の参加者たちのように普通に座って食べているだけでもいいのに勝手に手伝っている事もわかっていたけれど、それでも誰かがそれをしっかり見ていてくれる事が、嬉しかったから。

「いいえ。そうじゃないんです。動き回るのは、私のクセみたいなものですし、嫌じゃないんです。そうじゃなくて……。たぶん、自分の中にはないと思っていたつまらない感情があったので、がっかりしてしまったんだと思います」
「ふ~ん? そういうこともあるさ。それが人間ってもんだろう?」

 千絵は、マコトの毛並みを優しく梳きながら、リーザの方に近づいて行った。見ると彼女が泉の水で洗っているのは小さな真鍮の指輪だった。
「それは?」

「これか? わたしが子供の時に、恩人がくれた指輪さ。ウニがついてしまったんで、洗いにきたんだ」
「とても綺麗。水を反射して光っていますね」

 リーザは、笑って指輪についた水分を丁寧に拭きながら言った。
「高価な宝石付きと違って、どこにでもある類いの指輪かもしれない。だが、わたしにとっては剣とともに一番大切な持ち物だ。モノってのは、どのような形で自分のものとなったか、もしくは失ってしまったか、その歴史で価値が決まるんだと思う。そうやって特別になったものは、他のヤツらがなんと言おうと関係なく大切な存在になるんだ」

 千絵は、リーザが愛おしそうに指輪を嵌めるのを見ながら考えた。私の知らない、バイクに乗っていた頃の正志君。バイクショップの店長であるコトリさんとその話をしている彼がとても生き生きとしていたのは、当時の彼がそのバイクで走る時間を大切にしていたからなのよね。入っていけない世界を感じて悲しくなってしまったけれど、そんな姿を見せたりしちゃダメなのかもしれない。

 マコトが、千絵の腕からぱっと離れて、リーザの膝の上にすとんと遷った。リーザは、千絵の後を見て笑った。
「ああ、邪魔者は消えた方がいいな」

 千絵が振り向くと、そこには戸惑った顔をした正志が立っていた。リーザはマコトを抱いたまま、「がんばんな」とでも言うように正志の肩をポンと叩くと、また続きの酒を飲むために宴会場に戻っていった。それが昨日の事だ。
 
* * *


 盆踊り大会が始まっていた。正志は、「踊っている場合じゃないんだけれどな」と、半ば涙目になりながらソーラン節を踊っていた。昨日の件の誤解はなんとか解けたようだし、千絵は怒ってはいなかったのだが、その後もポイントを稼ぐチャンスがあまりなく、プロポーズどころではなかった。

 踊りながら千絵を探すと、つまだけになった刺身の盛り皿を抱えて台所へと向かっているところだった。

 櫓の上は、盛り上がっていた。レオポルドは、特別に用意してもらった金色の浴衣を身に着けて、ソーラン節を踊った。せっかく用意してくれたお揃いの浴衣もあったのだが、目立たないものは嫌だとゴネたのだ。縫わされる女性陣はムッとしていたようだが、彼らがアイヌの衣装を着、アイヌのハチマキをお土産に持ってきた事を喜んだ弘志夫人が大人の対応で用意してくれた。

「陛下。もうそのぐらいにしておいていただけないでしょうか」
妙に冷静な男の声に振り向くと、見慣れぬ外国人が二人立っていた。一人は、くすんだ赤の袖の膨らんだ上着に灰色の胸当てをし、この暑いのにマントまで身につけた男で、もう一人は大きくデコルテは開いているが、裾までしっかりと覆われたアプリコット色のドレスを着た妙に色っぽい女性だった。

「なんだフリッツか。よくここがわかったな」
レオポルドは、悪びれずに言った。

「あれは誰ですか」
長一郎が、小さい声でマックスに訊ねた。彼はにニコニコ笑って答えた。
「陛下の護衛の責任者を務めているフリッツ・ヘルマン大尉と、高級娼館の女主人マダム・ベフロアです。我々と別れて札幌の歓楽街へ行っていたのです」

「この世界の出口でお待ちしていましたが、いっこうにお見えにならないので、お迎えに参りました」
「もう少しいいではないか。そなたもここに来て飲め。伏見の酒はまだ飲んだ事がないのだろう? それにソーラン節を踊るのも滅多にない経験だぞ」

「陛下。いい加減にしてください。向こうでどれだけの政務がたまっているとお思いなんですか。臣下の皆様のお小言をいただくのは、この私なのですよ」
「じゃあ、お前だけ先に帰って、じじいどもに『よきにはからえ』と伝えろ。余とマックスは、疲れを癒すためにもう一ヶ月ほど滞在する」
レオポルドは、抵抗を試みた。

 ヘルマン大尉は、腕を組み軽蔑した目つきで、女性陣に囲まれて楽しそうなレオポルドとマックスを眺めた。
「では、お二人のご様子を、宮廷奥取締業務の引き継ぎで休む暇もないフルーヴルーウー伯爵夫人に詳細にお伝えする事にします」

 レオポルドとマックスは、ぎょっとして慌てて櫓から降りてきた。
「ちょっと、待ってください、ヘルマン大尉。私はすぐに帰りますので……」
「フリッツ、余が悪かった。明日、花火とやらを見たらすぐに帰るので、ラウラに告げ口するのだけは勘弁してくれ」

「フルーヴルーウー伯爵夫人?」
「ええっ。マックスったら、結婚していたってこと?!」
女性陣から、次々と批判的な声が上がる。特に、馴れ馴れしくされていたダンゴはおかんむりだ。

「ええ。陛下のおぼえもめでたいバギュ・グリ侯爵令嬢で、大恋愛の末の新婚なのよ」
ヴェロニカが、とどめを刺す。皆の冷たい視線に耐えかねて、マックスは、無理やり話題を変えた。

「ところで、ヘルマン大尉。お預けしたお金は全て遣い切ったでしょうか」
現地通貨を持ち帰ってはいけないことになっているので、彼らに渡した三百万円のことを訊ねているのだ。

 ヘルマン大尉の顔は曇った。
「そ、それが……」

 大尉の視線を追うと、二人の後には大量のジェラルミンケースが置かれている。
「私は、歓楽街であるススキノでなんとか遣い切ろうと努力したのですが」

「どうやって遣ったのだ、フリッツ」
「はあ、『そーぷらんど』というご婦人と一緒に入る公共浴場のようなところへ行きまして、値段が張るところでしたので、かなり減らす事には貢献できたと思うのですが……」
「なんだ。そんな大金は払わずとも、女と風呂に入りたいなら、ここの岩風呂を使えばいいのに。いい湯だぞ」

「えっ」
ヘルマン大尉は真っ赤になって、女性陣を見回した。正志は、それは違う! と、心の中でつっこんだが、レオポルドたちに余計な知識は付けない方がいいだろうと思い、そのまま黙っている事にした。

「ソープ……ランドって、何?」
後方で、高校生トリオの一人である萌衣が大きな声で享志に訊いている。正志は、なんて質問をするんだと苦笑いし、享志がどう答えるのかにも興味津々となった。

「聞いたことないな。真、知ってる?」
「いや。知らない。お風呂だって言っていたから、そうなんじゃないのか」

 なんだ、なんだ? どこのお坊ちゃま、お嬢様なんだ、この三人? まあ、こちらに振られるよりは、これで納得してくれれば、その方がいいけれど。なんせ今、千絵の前で、その手の店の詳細を知っているようなそぶりは見せたくないから。

「でも、この人がチンタラ楽しんでいる間に、私がそれ以上に稼いでしまったみたいなのよね」
ヴェロニカが、妖艶な口元をほころばせて言った。

「何をやったのだ」
「ススキノの研修先の高級クラブで、お客さんに氣にいられて。一緒に仕手株というのをやったら、なんだか増えに増えてしまって、このケースの中、全部一万円札がぎっしりなの。どうしたらいいかしら、陛下」

「それでは、それを遣い切るまでは帰れないではないか。なんとか明晩までに使わねばならぬな」
レオポルドは、真剣な面持ちをしたが、金色の浴衣を着ているとどうやっても真面目に考えているようには見えなかった。

 翌朝、襟裳岬経由で花火大会に行く前に、レオポルドとマックスは、ヘルマン大尉によって強制的に着替えさせられた。きちんとした中世の服装をすると、二人ともこれまでのおちゃらけようが嘘のようにサマになった。これまで、彼らの事を少しねじの外れたただの外国人なのではないかと思いかけていた一同も、やはり彼らは異世界から来た王侯貴族なのだと納得した。

* * *


 帯広の夜空を、大きな花が彩った。東京よりも広がっている空がずっと広い。そこを腹の底に響く轟音とともに、赤や緑や金色の色鮮やかな花火が次々と花ひらいた。

 この数日間をともに過ごしたメンバーが座って同じ花火を眺めている。いつも飲んでいたメンバーも、忙しく働いていた女性陣も、バチを話さなかった成太郎も、熊の置物の謎に挑んでいた高校生たちも、宴会を抜け出してバイクの整備をしていたコトリも、今は、全て同じ方向を見て、花火を楽しんでいる。

 隣に座る千絵の白い横顔が、花火の光に彩られている。正志は、今なら話ができると思い当たった。

「千絵」
「なあに、正志君?」

「俺……本当は、もっとお前に休んでもらうつもりで来たんだけれど……いろいろと氣が回らなくて、一人で飲んでいるばっかりで、ごめんな」

 千絵は、微笑んで首を振った。
「そんなことない、正志君。私の事を氣にして、何度も声を掛けようとしていてくれたわよね。それがわかっただけで、十分だったの。あのね、私、この旅、とても楽しかったの。来れてよかったって何度も思ったわ。本当よ」

 千絵は、嫌味でも、諦めでもなく、本当にそう思っているようだった。この旅に来る前と変わらずに、曇りのない澄んだ瞳で正志の事を見つめていた。ちょうど屈斜路湖や美瑛の青い池の水のように。正志の怖れは、すっとほどけていった。

「陛下の提案じゃないけれど……」
「?」
「また、一緒にここ北海道に来ような」

 その言葉を聞くと、千絵は正志を見て、とても嬉しそうに笑った。
「ええ。そうしましょう」

「すぐに来ような。それも……」
「それも?」
「その、できたら……新婚旅行で」

 千絵が、驚いた様子で正志を見た。彼は、意を決して、千絵の方に向き直り、はっきりと言いかけた。
「つまり、その、俺と結婚してくださ……」

 その時、正志は視線に氣がついた。

 中世組四人が遠慮なく注視していた。それに、双子と高校生三人も、生まれてはじめて目にするライブのプロポーズを見逃すまいと、しっかりと目をこちらに向けている。異国風の三人組も会話をやめて止まっていた。そしてそれ以外の若者や大人たちも、あえて見ないようにしながら、全員が固唾をのんで成り行きに注目していた。

 千絵も、その異様な注目に氣がついて赤くなった。正志は、くらくらした。轟音と花火の華麗さを隠れ蓑にして、こっそりプロポーズのはずだったのに、こんな見せ物みたいな状態になってしまった。控えめな千絵が、こんな状態でうんと言ってくれるはずは……ないよな。怒っても、当然だ。ちくしょう、失敗した……。

 がっくりと肩を落として下を見る正志を見て、千絵には、彼の心の内がわかったらしい。皆の視線をものともせずにその手を取ってから、はっきりした声で答えた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 正四尺の特大花火が、帯広の空に炸裂した。その一つひとつの光は流星のように尾を引いて、仲間たちの上で輝いた。だが、彼らはその花火を見ていなかった。たった今婚約した二人の周りに集まって、思い思いの歓声を上げた。正志は、ガッツポーズをして、飛び上がった。

「なんとめでたいことだ。余からも祝わせてもらおう」
レオポルドが言った。

「いや、陛下からはすでにいろいろと……」
「それはそれ、これはこれだ。結婚祝いだからな。ふさわしい贈り物をせねば。そうだな、馬百頭を贈ろう」

「えっ?」
正志と千絵は、固まった。

「い、いや、陛下。うちはしがないマンション暮らしで、馬百頭もらっても……」
第一、馬の値段をわかっていないような氣がする。それに馬の維持費も……。

「余が贈ると言ったら、贈るのだ。足りないと言うなら羊も……」
「いや、そうじゃなくて!」

 その時、コトリがすっと立って、こちらにやってきた。
「デュラン、ちょっといいかしら」

 正志が何か言おうとすると、コトリは「私にまかせて」という顔をした。正志は、千絵と顔を見合わせてから、コトリに頷いた。彼女は続けた。
「この世界では、馬をたくさん贈るのは、あなたの世界ほど現実的ではないの。だから、代わりにたくさんの馬に匹敵する機械馬をプレゼントしてあげるといいわ。たとえば、私のDUCATIは馬80頭に匹敵するの。正志君は、数年前に、Kawasaki Ninja 650Rという機械馬を手放さざるを得なくて、とても残念がっていたの。だからそれをプレゼントしてあげて」

「おお、それはいい案だ。そうしよう」
正志は、その展開に小躍りして、もう一度ガッツポーズをした。やった! またNinja 650Rに乗れるんだ! 今度は、千絵とタンデムするぞ。

「ところで、そのNinjaとやらは馬100頭分か?」
レオポルドはコトリに訊いた。
「いいえ。72頭よ」
「では28頭分は、どうするのだ」

 100頭にこだわるな。誰もが苦笑いした。真が立ち上がって言った。
「では、こうしたらどうでしょうか。残りの28頭は、この牧場から買って、そのままここに預けるというのは」

「そうね。維持費の代わりに、ここで観光用に使ってもらえばいいと思うわ」
綾乃もにこやかに提案した。

 相川長一郎と弘志は、突然28頭も馬が売れる事になって驚いたが、やがて頷き合って笑い、それから言った。
「名前はどうしましょうか」

「ここに集まった仲間全員と同じ名前を付けたらどうですか」
成太郎が提案した。皆がそれに同意したので、相川牧場では、このワーキングホリデーに参加した仲間全員の名前をそれぞれに持つ馬が飼われる事になった。

 一つだけ問題があって、マコト号がダブるので、一頭をアイカワマコト号、もう一頭をチャトラマコト号と名付けることで決着した。当然ながらエドワード1世号、アーサー号、ポチ号もいるし、ハゾルカドス号やコクイノオンナ号もいる。

 相川牧場に積まれたジェラルミンケースの中の一万円札の内、一部はコトリの店に送られ、Ninja 650RことKawasaki ER-6fを仕入れてきちんと整備してから正志たちに送る手はずとなった。そして、残りは相川牧場にて28頭の馬の代金と維持費に充てられる事になった。

 正志たちが、もう一度礼を言おうとレオポルドの方を振り返ると、中世の服装をした奇妙な四人はもうそこにはいなかった。始めからいなかったかのように、消え去っていた。だが、マックスとレオポルドの持ってきた土産や、ずっと着ていたアイヌの衣装は相川牧場に残されていたし、ジェラルミンケースの山もちゃんとそこにあった。

「なんとなく、これからもずっと一緒にいるんだと思っていたわ」
千絵がぽつりと言った。正志も、同じ事を思っていた事に氣がついて驚いた。

「いつかまた逢えるよな。ここ北海道で」
「そうね。ここに集まったみんなとも、またいつか逢えるわよね」

 一つの約束が、次の約束に繋がっていく。北海道で始まった絆が深まると、次の縁を呼び寄せる。正志と千絵は、とても幸福になって、青く深い北の大空を見上げた。

(初出:2015年8月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more



というわけで、駆け足でしたけれど、今回はこれで完結です。上手く絡めなかった方、ごめんなさい! とくに幹事の彩洋さんのところのメンバーと、もっと絡みたかったけれど、長くなる一方でどうにもできず。課題の角ドンと、それから「とにかく相川牧場で馬を買う」という目標に向けてのみ邁進した結果です。

いろいろと、空白時間がありますので、お好きなようにうちのキャラを使って書いてくださって構いませんので……。どうぞよろしくお願いします。

今回も、皆さんにたくさん遊んでいただいて、嬉しいオフ会になりました。みなさん、本当にありがとうございました。そして、幹事の彩洋さんとマコト、本当にお疲れさまです!
関連記事 (Category: 小説・あの湖の青さのように)
  0 trackback
Category : 小説・あの湖の青さのように
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会

Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(2)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第二弾です。本当は「Infante 323 黄金の枷」を先に発表する予定だったのですが、他の方が書かれるご予定もあるだろうという事で、こちらを先に発表する事にしました。
オリキャラのオフ会

サキさんのところのコトリ&ダンゴとしばしの別れを告げて、四人はミニバンで富良野へと向かいます。北見でlimeさんのところの双子を、美瑛にてTOM-Fさんのところの綾乃を拾ってまいります。

なお、この後の話は、欠片も書いていません。皆さんの出方を見ながらのんびり一本だけ書こうと思っています。


オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など



君との約束 — あの湖の青さのように(2)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


「あの先に、二人少年がいるだろう」
後の席に座っているレオポルドが、運転席の正志に話しかけた。

 言われてみると、一キロほど先の反対車線の道路脇に、小さな影が二つ見えた。なんで少年ってわかるんだ?
「少年?」

「ああ、少年二人。一人は親指を上に向けている」
「親指?」
「そうだ。そして、もう一人の少年が、昨夜、そなたたちが見せた例の牧場の紙を見ているぞ」

「ええっ?!」
正志と千絵はぎょっとした。正志と千絵、それに昨日知り合って一緒に浦河の牧場でのワーキングホリデーに同行することになった謎の外国人、レオポルドとマックスは、レンタカーの七人乗りのミニバンで北上していた。本来だったら、昨日行くはずだった富良野へ寄る用事があったからだ。

 朝食後、やはり浦河へと行くことになっているバイクでの女性旅行者たち、コトリとダンゴに夜までの別れを告げて屈斜路湖畔を北上し、北見までやってきたところだった。

 普段なら、反対車線のヒッチハイカーになど氣を留めたりしないのだが、そんな手前から予言のようなことを言われたので、スピードを緩めつつ近づくと、本当に二人の少年で、背の低くてフワフワとした髪の少年が「浦河」と書かれた紙を掲げ親指を突き出していて、もう一人がオロオロと見ている紙は、紛れもなくあの浦河の牧場のチラシだった。

 正志が車を停めて窓を開けた。
「本当だ。あのチラシを持っている。お~い、君たち、ここで何をしているんだ?」

「ヒッチハイクです。残念ながら、みなさんは、反対方向みたいですね」
きれいな顔をした少年だった。凊やかな表情でキッパリと答えた。

 背の高い方の少年が、後から小さな声で言った。
「なあ、ナギ、やっぱりヒッチハイクは無謀だよ。なんかあったらどうするんだよ。電車やバスを使った方がいいって」

 千絵は、鞄から例のチラシを取り出して二人に見せた。
「ねえ、あなたたちもここヘ行こうとしているの?」

 二人は、驚いたようだった。それから頷いて、こちらの車線へと移動してきた。
「嘘みたいだ。さっきから二十台くらい、車が通ったんですが、みんな無視するか、全然違うところにしか行かないみたいで」

「そりゃ、そうだよ」
正志は頷いた。電車を乗り継ぐより、相当効率悪いだろう。

「俺たちは、今日、富良野経由で浦河へ行く。レンタカーにスペースはたっぷりある。君たちが、北海道を半周する遠回りが嫌じゃなかったら、乗ってもいいぞ。そこの二人も乗りかかった船で道連れになったんだ」

 二人の少年は、顔を見合わせた。
「遠回りかもしれないけれど、座っているだけで目的地に確実に辿りつける。こんな偶然は二度と起こらないよね、ミツル」
「そうだな、ナギ。この人もこのチラシを持っているからには、人さらいってこともなさそうだし」
二人は小さく話し合い、それから、こくんと頷いた。

「お願いします。ガソリン代とか、必要だったら言ってください。僕たち、お小遣いも持ってきていますから」
ナギの言葉に、正志は笑って手を振った。

「君たちのお小遣いをぶんどるほど悪どくないよ。それに、レンタカー代とガソリン代だけでなく、昨日の宿泊費用まで全部そっちの二人が払ってくれちゃったんだ。国王さまと伯爵殿らしいから、失礼がないように頼むよ」

 その言葉を聞いて、二人の少年は揃って目を見開いた。国王と伯爵? そのアイヌのコスプレをしたウルトラ奇妙な二人が?

* * *


 釧路から屈斜路湖までずっと平坦な道だったので、層雲峡を通るコースは変化が出るだろうと思っていた。確かに少しは変化があったが、それでも単調な道という印象は拭えない。東京の信号機だらけでイライラする道と較べれば天国のようなのだが、こうも直線コースだけだと少し眠たくなってくる。昨夜は楽しくて騒ぎすぎたし。

 その正志の疲れを察知したのか、層雲峡の手前で、千絵が運転を代わると言ってくれた。レオポルドも運転したがったが、無免許に決まっているので、もちろん断った。千絵の運転は、多少もたつくがひたすら直線コースでは特に問題はなかったし、第一ブレーキなどが丁寧で、ナギとミツルはむしろこっちの運転の方が嬉しいようだった。

 助手席に座った正志は、振り返ってレオポルドに話しかけた。
「ところで、陛下。さっき、ミツル君があのチラシを持っているって、なんでわかったんですか?」

「なんだって。そなたには見えていなかったのか?」
「えっ。あの距離で見えるわけないでしょう」
「そんな視力では、狩りの時に獲物が見えないではないか」
「か、狩り?」

 マックスが、にこやかに言った。
「あまり遠くを見ない生活をしている者たちは、視力が落ちるものなのですよ。例えば街の職人たちは、とても細かい作業は得意ですが、100フィート先の麦の数を正確に数えられなかったりします」
「そういうものなのか」

 正志は、マックスの方を向いて訊いた。
「ってことは、あなたもあの距離のチラシが見えたんですか?」
「ええ、もちろんです。私は、遍歴の教師でしたから、遠くを見る事が多かったのです。なるほど、ここの皆さんたちの視力は、街の職人たちのようなものなのですね」

「あの、お二人はどこから来たんですか?」
ミツルがおずおずと訊いた。
「先ほど、我々はグランドロン王国から来たと言わなかったか」

「ええと、聞きましたけれど……それ、どこですか?」
「知らぬのか。《シルヴア》の森に面している国だが」
「ごめんなさい。僕たち、世界地理はまだ中国までしか終わっていないんだ。二学期になったらヨーロッパの地理もやると思うけれど」

 正志は、俺はヨーロッパの地理も歴史もやったけれど、そんな国の事は憶えていないぞと心の中でつっこんだ。

 ミツルが、大人たちの会話に加わっている間、ナギの方は、少し熱っぽい様子で、会話には加わらずにじっとレオポルドの事を見つめていた。

「おお。千絵殿も『本氣』を出されたか」
突然、レオポルドが楽しそうに言った。

「なんですって?」
千絵と正志は、意味が分からずに同時に訊き返した。

「余は昨日、無理を言ってコトリの機械馬に乗せてもらったのだが、彼女が『本氣だしますよ』と加速した時にな、兜が浮いたような感じになったのだ。今は、全身がわずかに……」

「冗談はやめてください。私は法定速度を遵守しています」
千絵が困ったように言う。正志は、F1じゃないんだから、体が浮くほどスピードを日本国内で出せるかと頭を振った。

「ナギ!」
ミツルが咎めるような声を出したので、運転している千絵以外はナギを見た。彼は、はっとして、それから窓の外を眺めた。大人たちは、それからミツルの方を見たが、こちらは曖昧に笑って誤摩化した。わけがわからなかったが、正志は宣言した。
「とにかく、少なくともみんなちゃんとシートベルトを締めてくれ」

 そういっている間に、車は層雲峡を過ぎ、大雪高原へと入っていった。今朝ダメもとで電話してみたら運良く予約が取れたガーデンレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ」に到着したのだ。「大雪高原旭が丘」の施設の一つで、隣には大きなガーデンがいくつもあるが、今日は食事だけなので入園はしない。

 といっても、目の前に雄大な大雪山を眺める広く開放的なレストランでのランチコース。三方向に大きな窓があり、オープンキッチンで料理される宝石のように美しい料理の数々が運ばれてくる。北海道出身のオーナーシェフ三國氏が監修した、産地最高の食材を使った本格イタリアンだ。

 甘エビのカルパッチョにはグレープフルーツのピュレと、食べられる色鮮やかな花が踊るように添えられている。パスタは、黄色トマト、モツァレラチーズ、そして薫り高いバジル使ったオレキエッテ。メインの肉料理は道産牛のフィレンツェ風ステーキ。そしてドルチェがマンゴーソルベとアマレット酒のパンナコッタで甘いザバイオーネソースがかかっている黄金のような一品。

「どの料理も本当に美味しいですね。しかも色鮮やかで美しいときている」
マックスが幸せな笑顔を見せる。

「そなたたちは、毎日このように美味い物を食べているのか。不公平だ」
レオポルドがブツブツ言っているので、千絵と少年たちはくすくすと笑った。

「いや、毎日ここまで美味い物を食べているわけじゃありませんよ。東京じゃこうは行きません。北海道は海の幸も山の幸も新鮮で美味しい場所として有名なんです。ま、北海道以外にもそういうところはありますけれど」
正志がそういうと、マックスはため息をもらした。
「私たちのいるところは、どこへ行っても、それに最高の食材を集めても、ここまで美味しいものは食べられません。皆さんが羨ましい」

 食事が終わり、エスプレッソを飲んだ後、先を急ぐためにレストランを出る事になった。会計の時に、マックスが全て払おうとしたので千絵が抗議した。
「そんなに何もかも払っていただくわけにはいきません」

「いいではないか。この金は、我々の世界にはもって帰れないのだから、運転してくれているそなたたちのために遣って何が悪い」
レオポルドが言った。

 千絵は、少し躊躇したが、また口を開いた。
「正志君に、ここ北海道で食事をごちそうする一年前からの約束があるんです。一年前に、私の無理をきいて助けてくれたお礼なんです。ここで払わなかったら、また約束が果たせないわ」

 正志は、一年前の約束をすっかり忘れていたので驚いた。彼らが札幌の空港で出会い、なりゆきで富良野まで一緒にレンタカーで行くことになったあの二日間のあと、「北海道に再び行って海鮮丼をおごる事」を約束させたのだ。また逢ってもらう口実のつもりだった。

「あの約束は……」
千絵に言おうとした時に、レオポルドがそれを制した。

「では、なおさら、ここは余が払おう。二人でもう一度ここへ来る約束をするがいい。いや、何度でもここに来て、正志殿が助けてくれた事を想うがいい。正志殿も、その方が金を払ってもらうよりずっと嬉しいだろう」

 千絵は目を見開いた。その彼女に、ニコニコ笑ってマックスは、伝票を係員に渡した。彼女は、それから、ゆっくりと正志の方を振り返った。正志は、何も言わずに大きく頷いた。千絵も無言で微笑んだ。

「想い合うというのは、いいものだな、マックス」
レオポルドが話しかけると、マックスは「本当に」と答えた。

「なぜ余だけいつもチャンスがないのだ。昨日、コトリにほのめかした時にも、結婚したばかりだとあっさり袖にされた」
レオポルドが呟くと、マックスが大袈裟に振り向いた。
「陛下! ご結婚相手はきちんと選んでくださらないと困ります。貴賤結婚だけはやめてください」

「マックスさん、それは時代遅れだわ。コトリさんがとても素敵な方だってあなたも知っているじゃない。貴賤結婚だなんて」
千絵が憤慨した。正志は、憤慨まではしないが、マックスがそういう事を言うタイプだとは思わなかったので、少し驚いた。

 マックスは、少し慌てて弁明するように言った。
「千絵さん、違うのです。私は、世界のあらゆる人たちが、身分の差のある人と愛し合っても構わないし、心から応援するのです。ただお一人、この方を除いて。この方にそれをやられると、私に実害が及ぶんです」

「どういうことですか?」
千絵が少し表情を緩めて訊くと、レオポルドが笑いながら代わりに答えた。
「我々の慣例では、貴賤結婚をすると位の高いものはその地位を失うのだ。そして、余が国王でいられなくなると、現在のところ次期国王にされるのは、わが従弟であるこのフルーヴルーウー伯なのだ」

「伯爵になるのだって、不自由で嫌だったのに、国王なんてまっぴらですよ。絶対にやめてください」
マックスが真剣に抗議しているのがおかしくて、正志たちも双子の少年たちもくすくす笑った。

* * *


 コバルトブルーの水が、鏡のように静まり返っていた。美瑛の青い池。去年、富良野に行った時には存在を知らなかった。千絵がiPhoneの待ち受け画面として使っている画像が、この池の写真だと教えてくれたのは正志だった。

「じゃあ、次に北海道に行く時にはここに行ってみたいわ」
そんな風に話したのは、去年のクリスマスの少し前の事だっただろうか。

 今回の旅行を計画した時、正志に富良野の上田久美子に何かプレゼントを持っていきたいと提案したのは千絵だった。二人がつき合うきっかけになったのは、千絵が亡くなった患者から受け取った指輪のプレゼントを久美子に届けることがきっかけだった。けれど、そのついでに美瑛の青い池にも行きたいとは、千絵には言えなかった。

 札幌から、屈斜路湖へ行く。そして、ずっと南の浦河へも行く。楽しそうに計画を進めている正志に、寄り道をして富良野へ行ってもらう事だけでも、大きすぎる頼み事のように感じていた。

 ましてや、自分の遅刻が原因で、屈斜路湖から富良野経由で浦河へ行くなどという殺人的スケジュールになってしまった後は、「青い池」なんて口にするのも憚られた。けれども正志は、何も言わずに車を白金温泉の方へと向け、青い池の駐車場で停まった。

「わざわざ、ここに来てくれたのね」
「そりゃそうだよ。ほとんど通り道じゃないか。行きたいって言っていただろう?」
「ありがとう、正志君。なんてきれいな色なのかしら。信じられないわ」

 しばらく雨も降っていない晴天の夏の日。青い池を訪れるには最高のコンディションだった。次回また北海道に来るとしても、この素晴らしいブルーが見られるとは限らない。どれほど疲れていても、まるで何でもないかのように笑顔で、この瞬間をプレゼントしてくれた正志の優しさを、千絵は瞳に焼き付けようと思った。

「そなたは何をしているのだ」
正志と千絵は、レオポルドの声のする方を見た。そこには黒い服を着た若い女性がいて、かなり本格的な一眼レフカメラを構えて池を撮っていた。邪魔をされて振り向いた女性の顔に一瞬驚きが表れた。それはそうだろう。アイヌの民族衣装を身に着けた外国人が二人立っていたのだから。

「あらら。ちょっと助けにいってくるか……」
正志は苦笑いして、そちらへと向かった。千絵は、双子はどこにいるのかと周りを見回した。少し離れたところでやはり写真を撮っていたので、安心して正志の後を追った。

 女性は、想像した年齢よりもずっと若そうだった。遠目では、黒いスキニージーンズに、黒いカーディガン、そしてショートカットがボーイッシュなイメージを作っているのだが、大きな瞳とふっくらとした柔らかそうな頬はずっと少女のような可愛らしい印象を作る。大人の女性というよりは、滅多にいない美少女という感じが強い。だが、その唇から出た言葉は、正志たちをさらに驚かせた。
「May I help you?」

 かなりネイティヴに近いアメリカ英語の発音だった。外国人相手だと思ったので、わざわざ英語にしたのだろう。だが、レオポルドたちはお互いの顔を見た。

「どこの言葉だ?」
「アルビオン(ブリテン島の古名)から来た遍歴職人たちの言葉に似ていますね。若干、訛っているようですが」

 以前は、二人で話す時には彼らの言葉だったのに、日本語に慣れすぎたのか、いまでは二人の間の雑談まで日本語だ。
「我々に話しかけるのに、そんな辺境の言葉を遣うのか? ラテン語かギリシア語で返してみるか」
「どうでしょうか。遍歴職人たちはそのような言語は話せませんでしたが……」
「では、面倒を省くには、この酒を飲ませるのが一番早いかもしれんな」

 それを訊いて、正志は吹き出した。
「いや、たぶんその方は、お酒を飲まなくても日本語が話せると思いますよ、ちがいますか?」

 女性は、頷くと改めて言った。
「ええ。日本人ですから。でも、あの……日本語がわかるのに、英語、ご存じないんですか?」

 千絵は、にっこりと笑って言った。
「ちょっと特殊なところからいらしたお二人なんです。それで、現代文明のことなどはあまりご存じないみたいで。カメラも初めて見たんだと思います」

 思えば、いつの間にかこの妙な二人の事をいて当然みたいに受け入れてしまったけれど、よく考えたらありえないよなあ。正志は、考えた。でも、間違いなく昨日からずっと一緒にいるし、酒飲んで騒いだし、それにいっぱいおごってもらったもんな。こうやって、二人にはじめて出会う人が驚く度に、正志は自分がいかにこの二人に馴染んでしまっているかを思い知らされるのだった。おそらく千絵もそうなんだろう。

「これは、カメラと言って、いま観ている景色を記録する機械です。絵を描くのと違って、一瞬でできるんです。見てみますか?」
女性は、レオポルドとマックスの写真を一枚撮ると、ディスプレイを切り替えていま撮った画像を二人に見せた。

「なんと! これはすごい。今の一瞬で、この絵を?」
「なるほど、あちらこちらに置かれている絵が妙に写実的だと思っていたのですが、この機械で作成したのですね」

「あたし、春日綾乃って言います。アメリカのニューヨークに住んでいて、いま一時帰国中なんです。あなた方はどちらからいらしたのですか?」

「俺は、山口正志、こちらは白石千絵。東京から来ました。この二人とは屈斜路湖で知り合ったんですが……」
「我々はグランドロン王国から来たのだ。余は国王のレオポルド、こちらは従弟のフルーヴルーウー伯マクシミリアンだ」

 綾乃は、それはどこと言いたげに正志たちを見たが、カップルの肩のすくめ方と曖昧な笑顔を見て何かを理解したのか「そうですか」とだけ言った。

「綾乃さんはもしかして写真家? なんだかすごい機材を持っているわね」
千絵が訊く。綾乃はニッコリと笑った。
「カメラは趣味です。いずれ職業にする可能性もありますけれど。あたし、学生なんです。専攻は天体物理学で、ジャーナリズム・スクールにも通っています」

「て、天体物理学? アメリカで? す、すげっ」
正志が狼狽える。少女みたいだなんてとんでもない……。

「天体物理学とはなんだ」
レオポルドが正志の方を見て訊いた。

「あ~、星を見て研究する学問で……」
「ああ、占星術の事か。なかなか優秀なようだな」
絶対に占星術じゃない! 正志はそう思ったが、自分で説明するのは難しそうだったので、本人が訂正するのを待つ事にした。

「写真撮影が趣味なら、今日ここに来たのはラッキーだったわね」
千絵が言った。綾乃は、大きく頷いた。
「そうなんです。本当は、できるだけ早く札幌へ行って、夜行バスに乗らなくちゃいけないんですけれど、ここ数日のこの池の状態が最高のコンディションだって聴いたら、浦河に行くのが一日遅れてもしかたないって思えてしまって」

「浦河?!」
正志と千絵は同時に叫んだ。
「ええ、浦河です。ある牧場で働く事になっているんです。どうして?」

 千絵は、バックから例のチラシを取り出した。
「これのことじゃない? 私たち、実は、これから浦河へ行くの。あそこにいる二人の中学生も、今朝、やっぱり牧場に行くってわかって、一緒に連れて行くところなのよ」

 綾乃は、千絵の指す方向を見た。二人の少年が、こちらへと歩いてきていた。
「それは……すごい偶然ですね。みなさんは、どうやっていらっしゃるんですか?」
「俺たちは、レンタカーだ。でも、ミニバンだから、もう一人ならまだ乗れるよ。富良野で、一か所だけ寄るところはあるけれど、その後は浦河に直行する。札幌から夜行バスに乗るよりずっと楽だと思うけれど、よかったら、一緒に行くかい?」

 綾乃は、すぐに決断したようだった。
「ええ、ぜひお願いします!」

 正志は、レオポルドとマックスが嬉しそうな顔をするのを、目の端でとらえた。一方、千絵は、正志とミツル少年も嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。おかしくてクスクス笑った。

 綾乃がレンタルスクーターを美瑛で返却するのを待ってから、満席になった七人乗りのミニバンは、目的地へ向かって出発した。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


出てきた場所の情報です。

フラテッロ・ディ・ミクニ
大雪高原旭が丘
白金青い池

次は浦河到着後から書こうと思っています。ちなみにマックスにラウラという妻がいる事は、二人とも決して言いません。ナンパの旅ですからね(笑)話の最後に、ヘルマン大尉とヴェロニカも浦河へやってきますが、この二人の登場はおまけなので、どうぞお氣になさらずに。それより正志と千絵の話のオチはどうしよう。このままではヤマなしオチなしだ……。
関連記事 (Category: 小説・あの湖の青さのように)
  0 trackback
Category : 小説・あの湖の青さのように
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会

Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(1)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第一弾です。
オリキャラのオフ会

今回のオフ会では、基本的に正志視点で事が進みます。というわけで、正志が目撃していないサキさんの書いてくださったお話の続き部分は、後日に(どんな形かはまだ考え中)発表する事になります。

前回のオフ会(in 松江)での、素晴らしい設定に敬意を表して、例の日本酒が再登場します。cambrouseさん、勝手に設定を増やしました。お許しください。


オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など



君との約束 — あの湖の青さのように(1)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


「あれ。間違えたかな。こんな簡単な道なのに」
正志は首を傾げた。もう屈斜路湖が見えてきていいはずなのに、その氣配がない。ナビゲーターが引き返すように騒ぎだした。

「曲がり角、見落としちゃったのかしら。そろそろ暗くなってきたから。本当にごめんね。正志くん」
「だから、謝らなくていいってば。もともとの到着時間と大して変わっていないって」

 昼前には札幌千歳空港に着く便を予約していたので、ゆっくりと観光をしながら六時間以上かけて屈斜路湖までドライブするつもりだった。千絵が夜勤明けとは聞いていた。そんな疲れることをして大丈夫かと言ったら「飛行機で少し眠れば大丈夫」というので、そのスケジュールにしたのだ。ところが、急患でバタバタして、羽田発札幌行の搭乗時間に間に合わなくなってしまった。それで搭乗便を変更してもらい、夕方の釧路行になんとか乗り込むことが出来た。

 釧路からのドライブ時間はたったの一時間半ほど、途中で曲がるところはたったの二カ所。ナビケーターもついているのに道を間違うなんてみっともないな。正志は思ったが、千絵は飛行機に乗り遅れたせいだと謝ってばかりだ。
「でも……千歳空港に行けていたら慣れているセダンだったのに、釧路には七人乗りのミニバンしか残っていなかったし……もし、午前の飛行機に間に合っていれば……」

「だから、もう氣にするなよ。そもそも、後輩のパニックを放っておけなかったなんて、本当にお前らしい理由での遅刻じゃないか。疲れているはずなのに、ドライブ中も全然寝ないで、ずっと謝っているしさ」
「羽田の待合室で少し寝させてもらったたじゃない。せっかくの旅行のスタートがこんななのに、運転してくれる正志君の横で私がぐうぐう寝るなんて悪いわ」

「だからさ。そうやっていつも人のことばかり……うわぁっっ!」
正志は、ブレーキを強く踏み、車は急停車した。目の前を黄色っぽい塊が横切ったのだ。それは、慌てて道際の木立へと消えていった。

「い、今の……き、キツネだったよな?」
「……尻尾、ふわふわだったわね」
「う、ビビった~。轢かなくてよかったよ」
「本当にいるのね、キタキツネ。初日に見られるなんて思わなかったわ」
「おう。こういうラッキーもあるってことさ」

 二人は笑って、それから五月蝿いナビゲーターの言う事をきいて、もと来た道を戻りだした。それから、今度は間違えずに52号線に入り、屈斜路湖を目指した。

 二人が出会った北海道へもう一度一緒に行こう、その約束を果たしに来た。一年ぶりの北海道。二人がつき合って一年が経ったということになる。看護師である千絵の休みは不規則だから、週末ごとに逢えるわけではない。都内で清涼飲料水の営業をしている正志は残業や接待が多くて平日の夜に逢えることもあまりない。それでも、二人とも可能な限り機会を作り、逢える時間を大切にしてきた。

 人のことを氣遣うあまり、いつも自分のことを二の次にしている千絵のことを、正志は時々じれったく思い、もっと自分を優先しろと言うけれど、実のところ彼が千絵のことで一番氣にいっているのは、そういう多少過ぎたお人好しな部分だ。それと同時に、時おり心配になる部分でもある。看護師は彼女の天職であると同時に、患者も同僚もそのつもりはなくてもそんな彼女を消耗させてしまうだろうから。

 だから、「長い休みを取ると周りに迷惑をかける」という彼女を説得して、北海道旅行を企画したのだ。「約束だから」と強引に。ついでに、たまたま見つけた数日間牧場に滞在して働き、その仲間たちと帯広の花火大会を観に行くという企画にも申し込んだ。単純に観光して飲み食いしているだけより、二人で同じところで寝食を共にして働いたら、もっとお互いのことがわかるいいチャンスだと思ったから。千絵もそのアイデアを面白がってくれた。

 札幌から牧場のある浦河まで直行してもよかったのだが、せっかく休みを取ったので、一度行ってみたかった屈斜路湖で屈斜路コタンの文化に触れることにした。本当は、札幌からのドライブの途中に去年の旅の目的だった、富良野在住の女性を訪ねてお土産を渡すつもりだったのだが、ルートを変更したので、明日、一日で北海道を半周する500km近いドライブになるが、美瑛、富良野を通って浦河まで行くことにしている。

 半日遅れの北海道到着だったが、正志は半日無駄にしたとは思っていなかった。千絵が羽田に着いたらすぐに飛び立てるような都合のいい便には空きはなかったけれど、夕方のフライトを待つまでの間、二人でゆっくり食事をして、たくさん話もできた。待合室で椅子にもたれていたのが、いつの間にか彼の腕に額をもたれかけさせてきた千絵の寝顔を眺めたりしたのも、くすぐったいような嬉しい時間だった。そして、釧路からの一時間半のドライブも、青い空と目に鮮やかな沿道の緑、そして、どこまでも続く道を行くワクワクした心地が久しぶりでとても楽しかったのだ。

「お。あったぞ。あれが今晩の宿だ」
屈斜路湖畔に建てられた本物のアイヌ文化を楽しめるとうたっているプチホテルだ。アイヌ文様をインテリアに多用した客室や、アイヌの伝統に根ざす創作料理を出してくれたるだけでなく、ホテルのスタッフがアイヌ詞曲舞踊団に早変わりしてライブをしてくれることもあるらしい。

 車を停めた時に、正志は、横に停めてあった赤いDUCATI696をちらりと見た。イタリア車か。へえ。綺麗に乗っているな。持ち主はどんな人だろう。そんな事を考えつつ、荷物を持ってホテルへと入っていった。

 アイヌの民族衣装を身に着けた、笑顔の女性が迎え入れてくれた。チェックインがすむとやはりホッとする。なんだかんだいって長い一日だったからな。食事の前に風呂に入って、ゆっくりするか。

「屈斜路湖に面した混浴の露天風呂があるって聞いたんですけれど」
「コタンの湯ですね。ここからすぐのところです。もっとも今、やはりここにお泊りの外国の男性お二人が入っていますよ」
「あ~、俺たちは一緒に入ろうと思って水着を用意してきましたが、その二人は?」
「褌してますよ。外国の方は大抵そうなんですけれど、全裸は抵抗があるとおっしゃったので。さっき宿主が締めてあげました」
「そうですか」

 正志は千絵の方をちらっと見たが、クスッと笑っていたので大丈夫だろうと思った。よく考えたら、若い女性であっても、千絵は看護師で男性患者の世話などもするのだから、褌を締めた男を見るのくらいどうということはないのであろう。それよりも、外国人か。言葉は通じるのかな。正志は戸惑った。

「ところでどこの国の方なんでしょうか。英語ですか?」
「さあ。それが、妙に流暢に日本語を話されるんですよ。ですから、会話には困らないと思います。もっとも、少し変わったところのあるお二人ですけれどね」

「そうなんですか?」
「ええ。どうも、大変コンサバティヴな伝統のある国からいらしたみたいで、テレビやエアコンのことなどをご存じないようなんです。でも、いい方々だと思いますよ。それと、アイヌのモシリライブをどうしても観たいとおっしゃるので、八時半から開催するんですよ。追加料金はお二人が払ってくださいましたので、必要ございません。よかったらそのお時間にシアターにお越し下さいね」

 正志たちは部屋に荷物を置くと、宿の裏手の露天温泉風呂に向かった。

 脱衣室は男女に分かれている。風呂の半分までは大きな岩で区切られているが、その先は混浴だ。
 
 正志が入っていくと、確かに二人の先客がいた。一人は黒い長い髪をオールバックにしたがっちりとした男で、もう一人はもう少し背が低くて茶色くウェーブした肩までの髪の男だった。屈斜路湖の先に夕陽は沈んでしまったばかりのようで、わずかに残った薄紫の光が遠く対岸の稜線を浮かび上がらせていた。二人は、そちらを見ながら静かに外国語で話していた。

「おじゃまします」
正志が声を掛けると、二人は振り向いた。
「おお。遠慮はいらぬぞ。素晴らしい眺めが堪能できるいい湯だ」
髪の長い男が言った。妙に流暢だが、確かに変わった言葉遣いだ。正志は思った。

 茶色い髪の男の目が、岩の向こうから表れた千絵に釘付けになった。彼女の水着は水色花柄のホルターネックタイプで、ブラの部分の下に大きいフリルがあるし、ボトムスも花柄のフリルがミニスカートのように覆っているので、ごく普通のビキニと比較すると大した露出ではないのだが、二人が顔を見合わせてやたらと嬉しそうな顔をしたので、正志はムッとする以前に先ほどの宿の女性の言っていた「コンサバティヴな伝統の国から来た」という言葉を思い出しておかしくなった。当の千絵の方は、そんな風に見られて居心地が悪かったのか、すぐに湯の中に入ってしまった。

「同じ宿に泊まっていると聞きました。俺は山口正志。彼女は白石千絵といいます。東京から来ました。日本語がとてもお上手ですが、日本にお住まいなんですか」
正志が言うと、二人とも首を振った。

「我々はグランドロン王国から来たのだ。余は国王のレオポルド、こちらはフルーヴルーウー伯爵マクシミリアンだ」
「こ、国王と伯爵?」
そんな国あったっけ、そう思いながら正志は二人の顔を見たが冗談を言っているようにも見えなかった。

「そ、そうなんですか。日本語はどちらで習われたんですか」
「習ったわけじゃないんです。これのおかげで聴き取ったり話したりが出来るというだけで」
マックスが手元の瓢箪を持ち上げてみせた。

「なんですか、それは」
「日本酒だ。知らないのか。出入り口で売っているが」
レオポルドが上機嫌で言った。

「出入り口って?」
「時代や空間を超えて旅をする時に通る道の出入り口だ。《シルヴァ》という大きい森と繋がっているのだ。この世界の入り口ではこの酒を買うように奨められているぞ」

「なんて銘柄の日本酒ですか?」
正志の勤める会社は酒類も扱っているが、そんな日本酒があることは知らなかった。聞き捨てならない。

「cambrouse酒造の『年代記』だ。『るじつきー』『ぴるに』『じーくふりーと』と三種類あって、我々は一番値の張る『るじつきー』を買って飲んでいるので、このように話が出来るのだ」

「他の二つだと、どうなるんですか?」
千絵も興味を持ったようで訊いてきた。

 マックスがにこやかに答えた。
「相手の言っていることは、三つとも同じようにわかるのです。ただ、こちらの話す能力に差が出るらしいのです。『ぴるに』だと、どのようなことを話そうとしても、相手にはイーとしか聴こえないそうです」
なんだそりゃ。ショッカー仕様なのか? 正志は首を傾げた。

「もうひとつの『じーくふりーと』だと?」
「相手が返答に困るような爆弾発言を繰り返すそうだ」
レオポルドが答えた。正志と千絵は、顔を見合わせた。それは、まずい。

「それで、お二人は一番高いのを、お買いになったわけですね」
「そうだ。だが、『るじつきー』には現地の滞在費を十分まかなえる金額の小切手が一枚ついて来るのだ。だから結局はさほど高くないのさ」
「お国の通貨でお支払いになったんで?」

「通貨ではなくて、これで払いました」
マックスが、風呂の脇の岩の上に置いてある袋を開けてみせた。中には、大小様々の金塊が入っていた。

「! こ、これ、本物の金ですか?」
「ええ。かなり重いんですよ。あの小切手でもらえる紙幣が、あれほど軽くて価値があると知っていたら、こんなに持ってこなかったんですが」

「一体いくらの小切手だったんですか?」
「五百万円。適当な大きさの金塊がなかったので大きめので払ったら、おつり分も小切手に入れてくれたらしい。札幌に行った連れたちは歓楽街へ行くというので、三百万ほど渡して、残りを我々が持っているのだが、想定したよりも物価がずっと安くて、まだ全然使えていないのだ」

 風呂から出て、食事の時に二人と再会することを約束して部屋に向かう途中、正志たちは二人連れの女性とすれ違った。一人は、黒い髪をきれいにボブカットに切り揃えているボーイッシュなイメージでおそらく千絵と同年代、もう一人はもう少し若そうで、艶やかな長い髪をポニーテールにして赤いリボンをつけているミニスカートの可愛い女性だった。

 二人とも感じよく会釈をして、通り過ぎた。そして、向こうから歩いてくるレオポルドたちのことを見つけると、ポニーテールの女性が大きく手を振ってにこやかに訊いた。
「あ、デュランにマックス! お風呂はどうでしたか?」

 マックスは妙に嬉しそうに答えた。
「ええ。とてもいいお湯でしたよ。こちらの奥方も一緒に入ったのですよ。お二人もお入りになればよかったのに」

 ボブカットの女性は、素っけなく答えた。
「わたしたちは、宿の風呂に入りました。水着も持ってきていないし」

「そなたたちもフンドシを締めてもらえばいいではないか」
レオポルドが言うと、ポニーテールの女性だけでなく、会話を耳にしてしまった正志たちも吹き出した。

「そういうわけにはいきません。それにもうすぐに食事でしょう。ところで、その服、いつも着ているんですか?」
ボブカットの女性が指摘しているのは、レオポルドとマックスの着ている白い服のことだ。木綿でできたアイヌの民族衣装でカパラミプというのだと、当の二人に露天風呂を上がった後に更衣室で教えてもらった。切伏文様を施し刺繍もされている手のかかった服で、かなり高価だと思うが、なぜこの外国人二人が常に着ているのかわからない。

「我々の服装は目立つのでな。滞在国の民族衣装を着ていた方が少しは目立たぬであろう」
「いや、反対に、ものすごく目立ちますけれど」
正志が指摘したが、どうもこの二人は「目立つ」と言われると少し嬉しそうだった。結局、目立ちたいのか。

 こうやって、正志たちも二人の女性と和やかに話をすることができたので、食事は宿のスタッフに頼んで六人一つのテーブルにしてもらった。

「自己紹介がまだでしたね。俺は、山口正志、東京で営業職に就いています。こちらは白石千絵、看護師です」
正志が改めて挨拶をすると、女性二人も笑顔で握手をした。

「はじめまして。私は三厩彩香みんやま さやか です。でも、普段はコトリで通っています。神戸の『コンステレーション』というショップで店長をしています。こちらは友人で運送会社に勤めている佐々葉月さっさ はづき 、通称ダンゴです」

「ダンゴ? こんなにかわいいのに?」
千絵が驚くと、ダンゴはほんの少し顔を赤らめた。
「笹団子からの連想ですって。友達がつけてくれたんです」

 そのいい方とはにかみ方がとても可愛らしかったので、正志と千絵は「なるほど」と、思った。ただの「友達」ではないらしい。

「ダンゴってなんですか?」
マックスが、ニコニコと訊いた。コトリは、わずかに微笑んで、目の前のきびで作られた「シト」という団子を指差した。
「これよ。こういう丸くて素朴なお菓子のこと」

「ほう。ということは、これもダンゴみたいなものだな。見かけは素朴だが、なかなか美味いもので、病みつきになってしまったのだ」
その言葉に横を見ると、レオポルドが部屋にあったジャガイモを発酵させたポッチェを持ち込んで食べていた。これから食事なのに、なぜそれをいま食べる……。正志は苦笑した。

「ところで、ダンゴさんたちは、なぜこの人の事をデュランって呼ぶんですか?」
正志はレオポルドを指差した。
「え? だって、そう自己紹介されましたよ。違うんですか?」

「違わないぞ。どちらも余の本当の名前だ。正式に全部名乗ると長いが、聴きたいか?」
「陛下、やめてください。聞き終わるまでに夜が明けます」
マックスがやんわりと制し、それからにこやかに続けた。

「城下に忍びで出かける時に、レオポルドと名乗られるとすぐに陛下だとわかっちゃうんですよ。それで、子供の頃から忍びのときはデュランと名乗られるのを常にしておられるのです。ちなみに、私はマックスという名前だと思って育ちましたので、親しい者の間では普段からマックスです」
「じゃあ、何故、我々には忍びのお名前をつかわなかったんですか?」

「先ほどまでデュランとマックスで通していたんだが、だんだんと民のフリをするのも面倒になってきてな。どっちにしても我々の事を知っている人間はここには居ない事がわかったしな」
「私も、陛下に対して敬語を使わず話すのに疲れてしまったんで、もう忍びはやめようかと、さっきお風呂の中で二人で話し合ったのですよ」

「ええ~。じゃ、私たちも陛下と伯爵って呼ばなくちゃダメ?」
ダンゴが可愛らしく口を尖らせる。
「そんな必要はありません。さっきまでと同じようにマックスと呼んでください」
「余の事もデュランでいいぞ」

「じゃ、そう呼びますね。コトリもそうするでしょ?」
「今さら変えるのも変だしね」
そのコトリの言葉を聞くと、レオポルドは若干嬉しそうだった。

 料理が次々と運ばれてきた。エゾウグイ、アイヌ語名「パリモモ(口笛を吹く魚)」の活造りは、淡白だが甘味があり口の中でとろけるよう。それに凍らせた刺身「ルイペ(溶けた食べ物)」、ヒメマスの塩焼きなど屈斜路湖の幸が続く。行者ニンニクと豚を濃い味のたれでからめて作った「コタン丼」、おそらく肉と野菜のたっぷり入った味噌汁「カムオハウ」も美味しかった。菱の実「ペカンペ」を利用した和え物、味が濃くて美味しい舞茸、オオウバユリ「トゥレプ」を用いた粥「サヨ」など、日本人である正志たちもはじめてのアイヌ料理の美味さに六人ともしばし無言となった。

「ところで、お忍び旅の目的は?」
千絵が、酒をつぎながらマックスに訊いた。

「休暇です。しばらくきつい仕事をしていまして、それが無事に完了したので、打ち上げみたいなものでしょうか。みなさんは?」
マックスが訊き返すと、千絵はバックから一枚のチラシを取り出した。

「私たちはね、明日からここで働くのよ。たった数日間だけれど、自然と触れあいつつ、美味しいものを食べて、最後に花火を見せてくれるっていう、面白いツアーを見つけたの」

「オリキャラのオフ会 in 北海道」ちらし by 彩洋さん

 すると、コトリとダンゴがびっくりして立ち上がった。
「ええっ。千絵さんたちも? 私たちも、その牧場に行く予定になっているの」

「なんだって。そりゃ、面白い偶然だな。じゃあ、明日からもしばらく一緒だな」
正志が言い、四人はしばらく盛り上がった。

 レオポルドはマックスと、しばらく何か異国の言葉で話していたが、やがて言った。
「面白そうなので、我々も同行してもいいだろうか」

「え? いらっしゃいます? だったら、申し込まないと。今、電話して訊いてみますね」
千絵が、電話するその横で、正志はコトリたちと明日のルートについて話していた。

「うん、わかっている。無謀なんだけれど、今日寄れなかった富良野に行かなくちゃいけないんで、朝一で国道39号線を通って一日ドライブすることになっているんだ」
「それは、ちょっと大変ですね。私たちは、バイクですし、そんな無理は利かないので、直行します。向こうでお逢いしましょう」

「あ。表のDUCATI、君のなんだ! すごいな。その華奢な体で、あれに乗っちゃうんだ」
「あ、でも車体は161キロで軽い方なんですよ。燃料やオイルを入れても200Kgいかないはずです。アルミフレームも使っていますしね。かなり扱いやすいです」
「へえ。たしか80馬力くらいあったよね」
「ええ。加速は胸がすくようですよ。正志さんもバイクに乗るんですか?」
「昔ね。最後のはKawasaki Ninja 650R。マンション買うときに手放した。でも、いずれまた乗るかもね」

 千絵は電話を切ると、にっこりと笑った。
「アイヌ文化に興味のある外国のゲストって言ったら、大歓迎ですって。明日、一緒に行きましょうね」

 六人は、明日以降も続く親交と共同作業を喜んで、再び乾杯をした。食事の後には、スタッフたちがエンターテーナーに早変わりして、モシリ・ライブを開催してくれた。心の触れあう、縄文の精神をテーマにしたアイヌの舞台は圧倒的だった。

 その興奮が醒めやらぬまま、六人はレオポルドたちの泊っている豪華な特別室「アイヌルーム」へ移動し、夜更けまで楽しく飲んで親交を深めた。

(続く)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more

関連記事 (Category: 小説・あの湖の青さのように)
  0 trackback
Category : 小説・あの湖の青さのように
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会

Posted by 八少女 夕

【小説】君を知ろう、日本を知ろう

60,000Hit記念掌編の第三弾です。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、最後の今回は、けいさん、山西左紀さんからのリクエストにお応えします。

お題:「『八少女 夕』に密着取材!」
キャラ:複数ブログからの複数キャラ
(けいさん)


さて60000HIT企画のお題ですが、気遣い無用とのことですので「そばめし」でどうでしょうか?
そしてキャラはサキの作品から夕さんの気になる人物をお貸しします。
誰でもいいですよ(複数可)。
(サキさん)


けいさんのお題にお応えするために、こちらのキャラはヤオトメ・ユウ&クリストフ・ヒルシュベルガー教授です。正確にはヤオトメ・ユウと私はイコールではないのですが、違っているところには注釈をつけました。

密着取材ということ、それに複数のブログから複数のキャラというご指定なので、TOM-Fさんちのジャーナリスト、それから、けいさんもよくご存知の大海彩洋さんにもご協力をいただき、それにサキさんのキャラにも絡んでいただいてコラボにしました。

けいさんの「夢叶」からロジャー、TOM-Fさんの「天文部」シリーズからジョセフ(名前のみのご登場)、彩洋さんの「真シリーズ」から龍泉寺の住職。そして左紀さんの「絵夢の素敵な日常 」から榛名(すべて敬意を持って敬称略)をお借りしています。けいさんが「ロジャーの苗字、つけてもいいよ」おっしゃってくださったので、遠慮なくつけちゃいました。けいさん、お氣に召さなかったらおっしゃってくださいね。

ウルトラ長くなってしまったので、前後編にわけるつもりでしたが、「オリキャラのオフ会」作品もどんどん伸びて、このままでは新連載が始められないので、この作品は14500字相当、まとめてアップする事になりました。はじめにお詫びしておきます。


【参考】
教授の羨む優雅な午後
ヨコハマの奇妙な午後
パリ、イス、ウィーン、ニライカナイ、北海道、そして





君を知ろう、日本を知ろう

 ううむ。これは、よくない事の前触れじゃないかしら。ユウは、嫌な予感に身を震わせた。バーゼルでの学会が滞りなく終了したら、久しぶりの休暇。その足で日本へと旅立つつもりだった。もちろん、一人で。日本に全く興味がない夫は既に南アフリカへと旅立っていたので、これからの三週間は誰にも邪魔されずに、ホームランド・ジャパンを満喫するはずだった……。

「それは、実に面白い偶然だね。フラウ・ヤオトメ」
立派な口髭をほころばせて、威厳たっぷりに微笑むのは、他でもないユウの上司、クリストフ・ヒルシュベルガー教授だ。上質のツイード・ジャケットをきちんと着て、完璧な振舞いと威厳ある態度を示すので、はじめて逢う人間は厳格な紳士だという印象を持つ。第一印象がいつも正しいとは限らない。

「私の休暇の行き先も、やはり日本でね。君の通訳やオーガナイズは、決して満点をあげられるものではないが、少なくとも私の好みをよくわかった上で手配を任せられるという意味では、これ以上のガイドはいないからね」
「お言葉ですが、先生。いったい私がいつ、休暇を先生のガイドとしてのボランティアに使うと申し上げたんでしょうか」

「まあまあ、いいではないか。前回のように、君一人ではとても泊れないホテルへのアップグレードや、日本ならではの最高級料理店に、私の財布であちこち行けるのは、悪い話ではないだろう」
「う……」

 そう言われてしまうと、ぐうの音もでない。それに、断ってもどうせ引っ付いて来るのだ。こちらにも大した用事はないので、つきあって日本のグルメと、こぎれいなビジネスホテルのシングルルームを堪能できる方がいい。

 その誘惑にうっかり負けてしまったので、ユウはヒルシュベルガー教授と並んでチューリヒ経由日本行きの飛行機に乗る事になった。

「この機内食には、まったくもって我慢がならん」
ヒルシュベルガー教授は、そういいながらもワインを二杯お替わりし、ソースのあまりかかっていないチキンだけでなくカラカラに乾いた米まで平らげた。

「なぜパンを食べないんだね」
「前に一度、申し上げたでしょう。私は主食の炭水化物を二つ重ねて食べるのはあまり好きではないんです。私だけでなく、多くの日本人がそうだと思うんですけれど。お米がついているのにパンは不要でしょう」

「だったら、私が」
そういうと教授は、ユウの返事も聞かずに彼女のトレーからパンとバターを取って食べはじめた。

 ユウを挟んで教授と反対側、つまり窓側に座っていた青年が、身を乗り出してきた。
「失礼ですが、あなたは日本人で、しかもドイツ語がお話になれるのですね」

 ユウは「はい」と答えて、その青年を見つめた。スイス方言のドイツ語を話した青年は、人懐こい微笑みを見せた。茶色い髪がドライヤーをあてているかのように綺麗になびき、ヘーゼルナッツ色の瞳が輝いていた。

「僕はバーゼルの新聞社に勤めているもので、ロジャー・カパウル(Roger Capaul)と言います。実は、ニューヨークのとある有名なジャーナリズムスクールの夏期講習に参加して、インタビューの具体的手法の実習中なんですよ。それでその講師が僕に課したレポートのテーマが『日本人への密着取材を通して日本という国を知る』なんです。たまたまこれから東京へ仕事で行き、その後に自分の休暇を利用して旅行をするつもりなので、向こうに行ってからどなたかに頼もうかと思っていたんです。が、つい先ほど待合室で会った人に、現地の日本人はあまり外国語を話したがらないと言われまして」

 ユウは頷いた。外国語を話したがる日本人はいないわけではないだろうが、知らない外国人に「密着取材をさせてくれ」と言われて快諾する人はあまりいないだろう。いたとしても若干厄介なタイプである可能性が高い。

「あまり賢いメソッドとは言えませんね。バーゼルでお知り合いをつてに探して頼む方が早いと思いますけれど」
「僕もそう思いましたが、実は時間切れ間近でして。それで、もしご迷惑でなければ、このフライトの間だけでも、ご協力をいただけたらと……」

 ユウは戸惑って、ヒルシュベルガー教授を見た。彼は、しっかり話は聴いていたが、まだ口を挟むときではない思っているらしく知らんぷりをしていた。

 その時に、近くをフライトアテンダントが通りかかり「お飲物はいかがですか」とにこやかに聞いた。ロジャーは素早く言った。
「有料でも構わないのですが、普通よりもいい赤ワインなどはありますか?」
「ございます。2005年のボルドーで、先ほどファーストクラスのお客様のためにあけた特別なものがまだ半分ほど……」
「では、それをこちらのお二人分も含めて、三人分お願いします。クレジットカードは使えますよね」

 その言葉を耳にした途端、ヒルシュベルガー教授は厳かにユウに宣言した。
「フラウ・ヤオトメ。先日、君はたしか日本では袖がこすれるとどうこうと、私に言っていたように思うが」

 ユウは、ヒルシュベルガー教授がロジャーの懐柔作戦にあっさりと乗った事を感じて、軽蔑の眼を向けながら答えた。
「『袖触れあうも他生の縁』です。わかりました。協力すればいいんでしょう。ったく」

 ロジャーは、作戦の成功が嬉しかったのか、にっこりとした。

 ユウはロジャーの方に向かって口を開いた。
「まずは自己紹介しますね。私は、ヤオトメ・ユウと言います。東京出身の日本人で、14年前から夫の住むカンポ・ルドゥンツ村(注1)に住んでいます。職業は、ここにいるクリストフ・ヒルシュベルガー教授の秘書(注2)、それからサイドワークとして小説を書いています(注3)
「ほう。小説ですか。ドイツ語で、それとも日本語で?」
「日本語のみです。半分趣味みたいなものですが、私のライフワークです」

「今回の日本行きもお仕事ですか?」
「いいえ、ただの休暇です。ボスがついてきてしまったのは予想外だったのですが」
ユウの嫌味など、全く意に介さない様子で、滅多に飲めないヴィンテージのボルドーをグラスで堪能しながら教授は威厳ある態度で頷いた。

 ロジャーは、手元のタブレットに繋げたBluetoothキーボードを華麗に叩いて内容を打ち込んでいく。
「そうですか。では、東京以外にもいらっしゃるのですか?」
「京都と神戸に行くのだ」
教授が即答したので、そんな予定のなかったユウはムッとして雇い主、もとい『休暇の予備のお財布』を睨んだ。

「あの、それでしたら、その時の往復の電車だけでも同行させていただけませんか。道中に目にするものと、あなたのご意見を通して、日本を知る事が出来そうに思うんですが」
ユウは、ひっついてくる輩は一人でも二人でもさほど変わらないと思った。教授がまた口を開いた。
「道中一緒なら、どうせなら向こうでも一緒に廻ったらどうかね。私は構わんが」

 ユウは、いったい誰の休暇で、誰の旅行なんだと思いつつ、諦めて同意した。絶対にどちらかに神戸牛をおごらせてやる。それに、大吟醸酒も飲むからね。

 それから、不意に氣になり、ロジャーに訊いた。
「ところで、あなたにその課題を出した、ジャーナリズムスクールの講師、なぜ日本のことを?」

 ロジャーは、肩をすくめた。
「何故かは、僕にもわかりません。彼には教え子の日本人がいて、よく彼女をジュネーヴに派遣したりしているんですよ。その関係でスイス人の僕には、日本の事でもと思ったのかな。もっとも、彼女に密着取材するなんて手っ取り早い方法はダメだって、最初に釘を刺されましたけれどね」

 ユウは、どぎまぎした。どう考えても、その講師というのは……。
「う……。もしかして、その方、ニューヨーク在住で、お名前はクロンカイト氏……なんてことは……」
「ご存知なんですか? それは奇遇だ。こんど彼がスイスに来る時には、ぜひご一緒に……」
「い、いや。その、知り合いってわけではなくて。その、いろいろとあって、彼には大変申し訳のない事をした事があって……その禊がまだ済んでいないのよね……」

 教授は口髭をゆがめて笑った。
「悪い事は出来ないね、フラウ・ヤオトメ」

 だが、ロジャーは、別のことに食いついてきた。
「ミソギって、なんですか?」

 ユウはぎょっとした。
「え? ああ、これも日本独特の思想と観念に基づいた言葉よね。もともとはね、日本固有の宗教である神道で、宗教行事の前に清らかな水で体を洗って綺麗にすることを禊っていうの。でも、それから転じて、一度罪を犯したり、失敗をしたり、醜態を晒しても、それを自ら認めてお詫びや償いをすることで『水に流して』もらって、再びまっさらな罪悪感のない状態で社会や被害を受けた人の前に出られるようになることを『禊を済ませる』って、言うのよね」

「シントー……なるほど」
彼のタブレットには、また大量の文字が打ち込まれていった。ユウはその手元の向こう、窓の外に広がっている、何時間も続くロシアの大地を眺めつつ、どんな旅になるのだろうかと考えた。

* * *


 新幹線の中で、ロジャーが歓声を上げたのは、やはり向かい合わせになる三人掛け椅子だった。もちろんその前には、二列になって礼儀正しく待つ乗客たちの正に真ん前でドアを開き、秒単位の正確さで次々と出発する、スーパーエクスプレス新幹線に大袈裟な感嘆の声を上げた。

「いま君は、典型的な『はじめて日本に来た観光客』になっているぞ」
ヒルシュベルガー教授が、三度目の来日らしい余裕で笑ったが、ロジャーの興奮はまだおさまっていなかった。やたらと写真は撮っているが、どうやら被写体として魅力的なのは密着取材相手よりも日本の驚異の方らしく、はじめの頃に較べるとユウと教授の映っている写真はめっきりと減っているのだった。

「それで、お仕事の方は無事に終わったの?」
成田で一度別れてから、三日後の今朝、JR品川駅の新幹線改札口で再びロジャーと合流したのだ。

「ええ、おかげさまで。とある国際会議の取材だったんですが、昨夜、会社に原稿と写真を送りました。ほら、これですよ」
そう言って、タブレットでインターネット版の記事を見せてくれた。へえ、もう記事になっているんだ。あ、本当だ、名前が一番下に書いてある。へえ~、かっこいい。

「ですから、今日からは、楽しい休暇です。まあ、密着取材はしますけれど、せっかくだから日本を楽しみたいなって」
「そう。じゃあ、ここでは、何から話せばいい……」
「ああ~!」

 突然、ロジャーが大声を上げたので、ユウと教授は面食らった。が、すぐに理由がわかった。日本晴れの真っ青な空の下、車窓に富士山が見えていたのだ。

 ロジャーだけでなく、同じ車内にいた外国人たちは揃って、富士山の見える窓の方に駆け寄り、カメラを向けた。それを見て、日本人乗客たちは微笑みつつ、それぞれがスマートフォンを取り出してやはり写真を撮っていた。もちろんユウも一枚撮った。
「なんて雄大で素晴らしい姿なんだろう! それも、こうやって新幹線の中から簡単に見られるなんて!」

 チューリヒからジュネーヴへ向かう特急からマッターホルンやユングフラウヨッホがついでのように見える事はない。ロジャーが旅をしたオーストラリアでも、エアーズロックことウルルに一番近い主要都市アリススプリングスまでは500キロあった。とても旅の途中に見る事の出来るものではなかった。

「冬の晴天だと、場所によっては東京からでも見えるのよ」
「ええっ。そうなんですか」

 ロジャーが富士山の勇姿に興奮しているのとは対照的に、教授の方は、品川駅で一つに絞りきれずに三つ購入した駅弁の内、シュウマイ弁当にとりかかっていた。

「ところで、君のお父さんはグラウビュンデンの出身でフランス語圏で暮らしているのか? 珍しいな」
箸を休めることのないまま、教授はロジャーに話しかけた。

「ええ、その通りです。さすがですね」
ロジャーがそう答えたので、ユウは驚いて教授に訊いた。
「どうしてわかったんですか?」

「カパウルは典型的なロマンシュ語の苗字だからね。それなのにドイツ語の発音はロマンシュ語よりもフランス語訛りの方が強い。つまり、彼はフランス語圏で育ったと簡単に推測できるんだ」

 ユウは感心した。スイスの言語事情というのは、なかなか複雑だ。公用語が四つあるが、誰もがすべてを理解できるわけではない。バーゼルはドイツ語圏だが、フランスとも国境を接している。英語、ドイツ語、フランス語を流暢に扱い、さらにはネイティヴでない限りは話せないロマンシュ語まで話せるスイス人というのは滅多にいないので、新聞社に勤めるにあたってロジャーは実に有利だろうと思った。

 それに、この人なつこい笑顔もまた大きな武器になるだろう。ユウも、彼の与えられた課題にそこまで協力する必要はないだろうと思いつつ、この笑顔で質問されると、ついつい何でも答えたくなってしまう。

 今日も既に、いろいろと聞き出されていた。
「そもそも、どうしてスイスに来ることになったんですか? スイスがお好きだったんですか?」

「いいえ、全然。スイスは、東京よりも寒そうだったから、全く興味がなかったのよね」
「じゃあ、どうして?」
「あ~、私、一人でアフリカ旅行をしたことがあるの。その時にたまたまスイス人の夫と知り合って。彼は日本には全く興味のないタイプでね。そういう人が日本に住むのは大変だし、仕事もないでしょ。だから、私がスイスに来るしかなかったわけ」

「アフリカ一人旅ですか。それまた思い切ったことをなさいましたね」
「まあね。大学で東洋史の専攻でエジプトやセネガルの民間伝承をちょっと齧ったりしたんで、その延長で」

「日本が恋しくなりませんか」
「う~ん。あまりならないですね」
「それはどうして? スイスの生活の方が合っているんですか」
「そうね。スイスの生活は嫌ではないわ。私、人に合わせるのがちょっと苦手なの。日本って国では、周りと合わせることはとても大切なのよね。もっとも、それが日本が恋しくならない理由ではないけれど」

「では、どんな理由があるのですか」
「日本のもの、情報が簡単に手に入るし、帰国するのもそんなに難しくないからかしら。私の曾々祖母は、ドイツ人で明治の初期に日本にお嫁に行ったのだけれど、生涯祖国に帰れなかったし、インターネットもテレビもなかったのよね。彼女に較べると、私はずっとお手軽な時代に異国に嫁いだと思うの」
「なるほどね」

 そうやって、ロジャーの質問に答えている間に、教授は「幕の内弁当東海道」と「ヒレカツ弁当」も綺麗に平らげて、きちんと身支度を済ませてから、スイス製高級腕時計を眺めて厳かに宣言した。
「そろそろ京都につく頃だな」

 既に、新幹線には二度乗っている教授は、新幹線の発着がスイス時計と同じくらい正確であることをさりげなくロジャーに示したのだ。
「え。もう? 500キロの距離をこの短時間で?」
「それが新幹線なのよ」
ユウは少しだけ自慢したくなった。

 京都駅に着くと、教授は「約束の時間には、十分間に合いそうだ」と言った。
「約束の時間って、なんの?」
ロジャーが訊く。
「お昼ご飯っていう意味よ」
ユウが囁く。駅弁を三つ食べたあとなのに? ロジャーの顔に表れた疑問は、二人には黙殺された。

 連れて行かれた先は、龍泉寺。お寺だ。レストランに行くんじゃないのか? ロジャーは首を傾げた。

 入口で作務衣を来た若者に、ユウが約束があることを告げると、「伺っております」と言って奥へと消えた。そして、すぐに小柄な老僧侶が出てきた。黒い着物に紫の袈裟を身につけている。白い眉毛が長く、目が細いので、ロジャーは昔みた香港映画の仙人を思い出した。もちろん仙人と違って、その老人はワイヤーワークでいきなり空を飛んだりはしないようだったが。

「ようこそおいでくださった。おひさしぶりでございますな、ヒルシュベルガー先生。それに八少女さんも」

 深々とお辞儀をすると、ユウは教授に住職の言葉を訳した。教授は、礼儀正しく彼に手を差し伸べた。
「ご無沙汰いたしております。チューリヒでのワークショップで素晴らしい講演をしていただいて以来ですね。またお目にかかれてこれほど嬉しいことはありません。いつかこちらへお邪魔させていただくという約束をようやく果たせました」

 ユウは、教授の言葉を訳した後に、続けてロジャーを示して言った。
「ご紹介させてください。こちらは、バーゼルで新聞記者をなさっているロジャー・カパウルさんです。休暇を利用して、私に密着取材をしながら、日本という国を知ろうとなさっているのです。私のような日本にも外国にも属さないコウモリのような日本人を取材しているだけでは、日本の本質からはほど遠いので、ぜひ和尚さまから禅を通して日本のことをお教え頂けないかと思い連れてまいりました」

 ユウの言葉に、和尚は細い目をさらに細めて笑った。
「ほ、ほ、ほ。仏の道には日本も外国もございません。禅の教えは誰もが知っている至極簡単なものでございます。己の内と向き合い、まっさらな心で、穏やかに生きる。たとえば、そろそろお昼で、お腹がすきましたでしょう。どうぞお上がりください」

 ユウに訳されて、ヒルシュベルガー教授は、至極もっともだと言わんばかりに頷いた。ロジャーは、老僧の言葉に既に深い感銘を憶えたようで、目が輝いていた。

「はい。お邪魔いたします」
住職に案内されて三人は、奥の広間に向かった。そこは天井に見事な龍が描かれいる書院造の間で、四人分の膳が用意されていた。ロジャーは、キョロキョロと珍しそうに見回していたが、教授はわずかに咳払いをしてさっさと座るように促した。

 始終にこやかな住職は、言った。
「難しいことはございません。一度の食事をすることでも、禅と日本に受け継がれてきた心のあり方を知ることが出来ましょう。本日は、私どもが通常食べる、飯、汁、香菜、平、膳皿、坪の一汁三菜に加えて、もてなしの心を込めて、猪口、中皿、箸洗代わり、麺を加えた二汁五菜の献立を用意させていただきました」

 既にユウは全てを訳すことが出来なくなって適度に端折っているが、訳せたとしてもロジャーには全て憶えられたとは思えないのでいいことにした。

「これは美味しい。ベジタリアン料理というのがこれほど美味しいものだとは思いませんでした」
教授は感嘆した。

「そう。精進料理は、誤解されています。修行のために、美味しいものを諦めて不味さを我慢する食事というように。しかし、その考え方は禅の教えとはかけ離れています。いま目の前にある食材に手間をかけ、その持ち味を活かすように心を込めて調理する。そして、一度しかないこの食事に感謝しながらいただく。不味くなどなるはずがないのです」

「この胡麻和えも美味しいですね。胡桃に、胡瓜、椎茸、さくらんぼ、それにキウイも入っているんですね」
ユウの言葉に住職は頷く。

和敬清寂わけいせいじゃく という言葉がございます。和え物とは二つ以上の素材を合わせて作る調理法ですが、それぞれの個性を生かしつつ互いの味を引き立て合うことが最も大切なのです。日本でとても大切とされる『和』というのは、お互いを敬い引き立て合うことです。それは、誰かが他の誰か一人のために我慢することではなく、それぞれが敬い合い、お互いのよさを引き立て合うことです。古来日本にはなかった食材も、その性格を活かして和えることで他の食材の新しい美味しさを生むことが出来るのです。私どもの寺の典座てんぞ は、なかなかに冒険が好きでしての、こうして驚くような組み合わせで新しい味を作ってくれるのですよ」

「これは……プリンみたいですね」
でも、甘くない? ロジャーが首を傾げる。

「これは胡麻豆腐です。炒り胡麻、水、片栗粉で作ります。材料はこれだけですが、胡麻をここまで滑らかにするまでに半刻ほどかかります。雑念を捨て、一心に胡麻をすりあげる調理方法が禅の考えそのものと通じるので『精進料理の華』と呼ばれています。だし醤油、木の芽、わさびと味付けもシンプルですが、その僅かな香りと辛みが持ち味を活かしておりますでしょう」

 香りの高い枝豆入り梅おこわ、夏野菜の天麩羅、ご汁風けんちん、メカブの酢の物、手打ちの蕎麦など、どれも美味しくて飽きがこなかった。肉が大好きな教授も、ジャパンな舞台に圧倒されているロジャーもその食事に夢中になった。

威儀即仏法いぎそくぶっぽう  作法是宗旨さほうこれしゅうし ともうしましての。料理をすること、食事をすること、起きて身支度をしてから、夜に就寝をするまでの全ての身支度や立ち居振る舞いそのものが、仏様の教えを広めることにほかならないという意味でございます。仕事が忙しいから、他にやることがあるからと、生活を乱すようなことはせずに、きちんと生きることがとても大切だということです」

「そう。食事を大切にすることは、禅の心に適っているということだな」
厳かにヒルシュベルガー教授が宣言する。ユウは、まあ、そういわれればそうだけれど、あなたの場合は少し極端では……と思ったが、この素晴らしい精進料理と住職の禅の手ほどきを受けて感動の渦の中にいるロジャーのためにも、この場では黙っておこうと思った。

 素晴らしいもてなしと、禅の心に感動し、すっかりお腹もいっぱいになったので、礼を言って退出しようとしたが、三人とも足がしびれて立てなくなるというみっともない経験をすることになった。給仕をしてくれた、あの作務衣の修行僧が、必死で笑いを堪えていた。

* * *


 神戸で、三人を待っていてくれるのは、黒磯榛名という青年らしかった。

「どうやって、そうやって次から次へと日本在住の日本人と知り合いになるんですか?」
ユウが訊くと、ヒルシュベルガー教授は澄まして答えた。
「昔、香港で仲良くなった友人の子息だよ。友人はヴィンデミアトリックス家の執事をしていてね。今日は残念ながら時間が取れないので、かわりにハルナ君が迎えにきてくれて案内もしてくれるというんだ。悪い話じゃないだろう?」

「え? ヴィンデミアトリックス家って、あの有名な?」
ロジャーがぎょっとした。

「知っているの?」
ユウが訊くと、ロジャーはもちろんと言わんばかりに頷いた。

「というわけで、明日はおそらくヴィンデミアトリックス家も認める最高の味のレストランで神戸ビーフを食べることになるから、今日は対極な庶民の味に案内してもらうことになっているのだ」
教授が真面目な顔で言う。

 また食べ物の話か。ユウは思ったが聞き流した。ここ数日の間で、彼の行動パターンを理解したロジャーもあっさりと受け流した。

 京都での二泊旅行を堪能した後、三人は再び新幹線に乗って新神戸へと向かった。京都駅からわずか30分、京都駅に較べると簡素な印象の駅だが、新幹線の発着のためだけの駅なのでホームも上りと下りの二つだけであっさりしているのも当然だった。駅に直結しているホテルに泊る事になっているので、荷物を持たずに神戸の街に行けるのもありがたかった。

 無事にチェックインをしてひと息ついた後に、ユウの部屋にフロントから電話があり、黒磯青年がやってきたことがわかった。ユウは、教授とロジャーの部屋に電話をして、エレベータの前で待ち合わせをし、一緒にフロントへと降りて行った。

 フロントで待っていたのは、手足が長くすらっとした細身の青年だった。少し長めの黒髪、とても白い肌、そして大きな瞳が印象的だ。
「はじめまして。ようこそ、神戸へ。黒磯榛名です」

「お忙しいのに、ありがとうございます。八少女 夕です。こちらが、クリストフ・ヒルシュベルガー教授。そして、バーゼル在住の新聞記者で、ロジャー・カパウルさんです。今日は、どうぞよろしくお願いします。榛名さんは、ネイティヴではない外国人の話す英語はわかりますか?」
「簡単な英語でしたら。難しくなったら通訳をお願いできますか」
「わかりました。というわけで、これからはドイツ語じゃなくて、英語でよろしくお願いします」
ユウは二人のスイス人に宣言した。

 二人のドイツ語を日本語に訳しつつ、日本語をドイツ語に訳すのは大変なのだ。日本人は、スイス人の話すぐらいの英語は大抵聴き取れるので、スイス人に英語で話してもらえれば、日本人が上手く表現できない言葉を英語やドイツ語に訳すだけで済み、ずっと楽になる。

「庶民的な神戸の味にご案内するようにと父から言われているのですが、地下鉄に乗って移動するのは問題ないですか?」
「もちろん」
「そうですか。では西神・山手線に乗って新長田駅までいって、そこから少し歩きます」

 地下鉄に乗っている時から、ロジャーは少し不思議な顔をしていたが、新長田駅について歩き出してから、榛名に質問をした。
「京都で見た街並と比較すると、何もかもが新しいように見えますが、ここは新開発地域なのですか?」

 榛名は、街並を見回して答えた。
「1995年に、とても大きい地震があって、この地域はとても大きい被害を受けたのです。この駅は全壊して、あの辺りは震災の後に起きた火災で一面の焼け野原になってしまったのです。いまご覧になっている新しい建物はそれ以降に再建されたものなのです」

「つい最近のことのように感じるが、あの大地震から二十年経っているのだな」
ヒルシュベルガー教授も周りを見回した。

 阪神大震災のニュースのことを記憶している教授はもちろん、若いロジャーもコウベの地震については、知っていた。彼の住むバーゼルは地震がそれほど多くないスイスの中で、巨大地震によって街が全壊したという希有な歴史を持っている。1356年に起きたこの地震では、近隣30キロメートル以内の教会や城も倒壊するほどで、マグニチュード6.5であったといわれているが、7以上だったという研究すらある。

 とはいえ、知っていて関心があるというのと、経験するのとでは大きな違いがあった。一行は、日本に到着してから、すでに二度は体感する大きさの地震にあっていたが、ロジャーは、ユウをはじめとして日本人たちがほとんど騒がないことにも強い印象を受けた。彼自身は地震や火山などの被害が考えにくい国に住んでいることをとても嬉しいと感じたからだ。

「もちろん、日本人だって、地震や、火山や、台風や、その他の自然災害にあわないことを願っているのよ。でも、いつ何か大きな自然災害が起こっても不思議はない、そういう感覚は誰もが持っていると思う。スイスにいるよりもずっと自然の驚異というものを身近に感じて暮らしているって氣がする」
ユウは、ロジャーに言った。榛名は、それに同意して頷いた。


「すっかりきれいになったのですね」
ユウは、榛名に言った。彼女は震災の数ヶ月後に、仕事のためにこの地域を訪れたことがある。震災直後ひどい状態ではなかったとはいえ、瓦礫が片付けられて何もなくなった街には、全てを失った虚しさが漂っていた。いま見る新長田は、その状態が嘘のように、きちんとした街になっていた。

「建物の再建や、地下鉄の再開などは、震災後に比較的早くに再開発が進んだらしいです。ですから、東日本大震災に較べると、街が綺麗になったのはとても早かったんですが、その後にテナントがなかなか決まらなかったり、人通りが震災前のレベルにはなかなか戻らないなど、未だに問題はたくさん残っているんです」

「そうなんですか。大変なんだな」
ロジャーは、言った。

 榛名は、紺の暖簾に「お好み焼き」と白く染め抜かれた小さな店を指差しながら答えた。
「ええ、ですから僕は、三宮の繁華街にある店ではなくて、少し離れていてもこの店に来ようと思ったんです。こうやって、客を連れて来ることも、この地域の復興に少しでも役に立つかなと思って」

「お好み焼きとたこ焼きのお店ですか? 神戸なのに?」
ユウは不思議そうに榛名を見た。お好み焼きとたこ焼きと言うと、大阪名物という印象がある。榛名は笑った。
「この辺りは、日本でも有数のお好み焼きの激戦区です。だから美味いですよ。それに、この地域が発祥と言われる庶民の味があるんですよ」

 あまり大きくない店内は茶色い木の壁、木の椅子に紺地の座布団とユウのイメージするお好み焼きやそのままのインテリアで、肉や醤油、ソースの焼ける香ばしい匂いに満ちていた。まだ昼前だが、座席はそこそこ埋まっていて、人氣店だというのがよくわかった。

「お、榛名君、いらっしゃい」
「こんにちは。今日は外国からのお客さん連れてきたんだ」
「それはそれは。その奥でいいかい?」

「黒磯さん、常連なんですね。予約はなさらなかったんですか?」
ユウが訊くと「ここは予約は受け付けない店なんですよ」と笑った。

 彼は、生ビールを人数分頼んで、それから三人の全権を受けて食べ物を注文した。牛すじ肉とコンニャクを煮たぼっかけ入りのにくてん焼き、すじ焼き、貝焼き、だし汁に浸けて食べる明石焼、を注文してから「それにそばめしも」と言った。

「そばめし?」
一度も聞いたことのない名称に、ユウは訊き返した。

「ええ。そばめしです。これが長田発祥の庶民の味なんですよ」
「そばなんですか? それともご飯?」
「両方です。焼きそばとご飯を一緒に焼き付けたものです」
「ええっ?」

 説明を訊いたヒルシュベルガー教授は、ユウにちくりと言った。
「君は、日本人は炭水化物を二つ一緒に食べるのは好きではないと言っていたね」

「う。それって嘘じゃないですよ。そんな組み合わせ、はじめて聞きました」
ユウが言うと、榛名は笑った。
「関東の方は、そばめしをご存じなくて、最初はそういう反応を示される方が多いですよ。騙されたと思って食べてみてください」

 ロジャーはもちろん、ヒルシュベルガー教授もお好み焼きを食べるのは生まれてはじめてだった。
「これは?」
「スイスで言うオムレツみたいなもの」
ユウは答えた。

 ドイツ語圏のスイスでは、オムレツというのは日本でいうオムレツとは違って、どちらかというとパンケーキに近く、ハムやチーズと一緒に食べる。卵と小麦粉の生地を円形に焼くというところは、似ている。

 ユウは東京ではわざと、お好み焼きやもんじゃ焼きの店に教授を連れて行かなかった。もんじゃ焼きのどろっとした感じには、西洋人は抵抗があるだろうし、関西と違って店によって味のレベルに当たり外れがありすぎるからだ。

 出てきたにくてん焼きをひと口食べて、その判断は正解だったと思った。これだけの味を東京で探すのはかなり難しかっただろう。すじ肉の味がじわっと来る。スイスのぼんやりとした肉の味とは大違いだ。はじめて見る不思議な食べ物に戸惑っていた二人のスイス人も、ひと口食べて以降の箸を動かすスピードが倍増した。
「うっわ~、おいしいですね」

 そして、そばめしが出てきた。ご飯と細切れになった焼きそばが一緒くたになっている。こんな料理あり? 目を丸くするユウだったが、榛名の微笑みに促されてひと口食べてびっくりした。焼きそばと、焼き飯のおいしいところを一つにした料理と言うが、二つ合わさると倍ではなくもっと美味しくなるらしい。それに、ぎっしりと入ったすじ肉、それにお焦げの風味が絶妙だ。

「ここのそばめしは、油を一切使わないで、強火で仕上げるんです。自宅でやりたくてもちょっと出来ない味なんですよ。どうですか」
「……美味しい」

「炭水化物、二つだがね」
勝ち誇ったように教授は言い、彼女の目の前のそばめしを一瞬で全てかすめ取った。
「ちょっと、先生! 大人げないですよ」

 二人の子供っぽい争いを見て、ロジャーと榛名は大笑いした。

* * *


「それで、日本のことはわかった?」
神戸に三日滞在した後、ユウは、帰りの新幹線の中でタブレットに忙しく何かを打ち込んでいるロジャーに訊いた。

 彼は、しばらく考えていたが、やがて言った。
「まだ、まとまりませんね。歴史を感じる伝統の様式美、あちこちで見かけるキッチュな風物、この新幹線のような完璧なテクノロジーや、行き届いたサービスのこと、経済の仕組みのこと、震災のこと、それにあの和尚さんやハルナ、クロイソ氏、それにヴィンデミアトリックスの皆さんのホスピタリティなど、取り上げるテーマが多岐にわたっていて、印象もまちまちなんです。そもそもユウ、あなたのことも知れば知るほどわからなくなります」
「どうして?」

「日本と同じですよ。シンプルのようでいて、奥深い。私たちと似ているようで、想像を絶する違いもある。いろいろなものを受けとめる柔軟な成熟さがあるかと思えば、信じられないほど子供っぽい。これをレポートにしてクロンカイト氏に提出したら、結局何が言いたいんだと怒られそうです」

 ユウは肩をすくめてから教授に訊いた。
「日本って、そんなにわかりにくいですか、先生?」

 ヒルシュベルガー教授は、「神戸牛すきやき弁当」とおにぎりや沢山のおかずを楽しめる「六甲山縦走弁当」を食べ終え、壺に入った「ひっぱりだこ飯」に取りかかっているところだった。
「そんなことはない、大変わかりやすいよ。庶民的な味も、身代が傾くような高級料理店の味も、それぞれ違っていても、実に美味い。日本とは、そういう国だ」

「……。もう少し格調高くまとめられないんですか」
「そんな必要がどこにあるかね。どんなものでも、心を込めて大事に調理し、それを一人一人が美味しく食べる。それこそが禅の真髄だと、龍泉寺の和尚も言っていたではないか」

 あれってそういう意味だったっけ、と首を傾げるユウとは対照的に、教授の言葉に深く感銘を受けたロジャーは、タブレットを鞄にしまい、側を通った車内販売の係員からビールと駅弁を買って食べだした。

 ユウは、クロンカイト氏が読まされるレポートの内容を想像して、「氣の毒に」と小さくため息をついた。

(初出:2015年7月 書き下ろし)

注釈

  1. カンポ・ルドゥンツ村は、グラウビュンデン州にあるということになっている架空の村。リアル八少女 夕在住の村がモデルで、ここを舞台にした小説がたくさんある。

  2. この秘書というのは高橋月子さんが書いてくださった掌編の設定で、チューリヒ在住の生理学の権威クリストフ・ヒルシュベルガー教授はもちろんフィクション。リアル八少女 夕の職業はプログラマー。

  3. 高橋月子さんの書いてくれた小説の設定では、作家ヤオトメ・ユウの小説「夜のサーカス」は出版されていることになっているが、リアル八少女 夕の本は出版されていない。あたり前。

関連記事 (Category: 小説・教授の羨む優雅な午後)
  0 trackback
Category : 小説・教授の羨む優雅な午後
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】The 召還!

60,000Hit記念掌編の第二弾です。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、今回は、栗栖紗那さん、ふぉるてさん、limeさんからのリクエスト。

『異世界』でお願いしたいと思います。
(紗那さん)


ええと、お題は 『時間(または「時」に関連するものや、連想する何かなど)』
キャラは…もし可能であれば…こちらの世界の住人の誰か(人選、人数などは任意で…)を入れて頂けると…嬉しいです><;
(ふぉるてさん)


では、そうですねえ、お題というほどこだわらなくてもいいんですが、「植物」をどこかにいれてほしいな。
木でも草でも花でも。菌類でも(笑)←架空の植物でもいいです。
「ぼく夢」の博士が植物研究者ってことにちなんで。
そして、うちの玉城をどこかにちょろっと出してもらえたら、もうすごく喜びます^^
(limeさん)


このリクエストにお応えするために、リナ姉ちゃんのいた頃シリーズでおなじみのリナ・グレーディクと、彼女の友達でロンドン在住の東野恒樹をメインに据えました。そして無謀にも、異世界に無理矢理連れて行ってしまいました。

紗那さんのまおーからユーニス、ふぉるてさんの「ARCANA」からハゾルカドスとモンド、そしてlimeさんの「RIKU」から玉城(すべて敬意を持って敬称略)をお借りしています。




The 召還!

 話が違う。東野恒樹は、ビッグベンの文字盤の長針にぶら下がりながら呟いた。

 彼が、ロンドンに引越してきてから、一年以上が経つ。周りの日常会話が聴き取れるようになり、言いたいことの半分くらいは言えるようになった。友達もそれなりに出来た。

 それなりでよかったはずが、友情を深める必要もない女と友達になってしまった。それが、この絶体絶命の一番の原因だ。
「おい! なんで俺がこんなアクションスターみたいな真似をしなくちゃいけないんだよっ! リナ!」

 ロンドン名物、国会議事堂の時計塔であるビッグベンことエリザベス・タワーは、英国在住者であれば無料のツアーに参加することで登れることになっている。彼を訪ねてきたリナ・グレーディクはスイス人なので、無料ツアーには参加できない。それでも、どうしてもエリザベス・タワーに登るために、彼女は国会議員のなんとかさんと、ウェストミンスター寺院で主任なんとかをしているかんとかさんを動かした。恒樹とリナだけが、特別ツアーガイドのミスターXに引率されていく、というのも十分に怪しかったが、集合時間も尋常ではなかった。23時って、なんだよ。

 暗闇の中、懐中電灯を頼りに階段を登っているのは、まるで泥棒ツアーみたいだったし、だいたい夜景以外何も見えなかった。謎のアジア系移民という趣のミスターXは、こっちの理解などおかまいなしに、ペラペラ喋りながらさっさと階段を登っていったが、こんな時にハイヒールのサンダルを履いてきたリナは、階段の隙間に踵が引っかかったとかで、あれこれ騒いだ。恒樹は、しかたなく戻った。

 元々は美人とは言え、例のチェシャ猫みたいな口の大きい笑い顔が懐中電灯の光に浮かび上がって相当ブキミだった。「笑ってる場合じゃないだろ」とリナを引っ立てて、ミスターXの銭湯の中みたいに妙に響く声を追って登った。

 それが、急に何も聞こえなくなった。
「あれっ? おい、俺たち、はぐれたのかもしれないぞ」
「そう? そこら辺にいるんじゃないの?」

「おいっ。そうやって勝手に動くなよっ。……って、わぁぁぁぁ」
急に足元が抜けたようになった。そして、氣がついたら、彼は世界で最も有名な時計の一つの長針にぶら下がっていた。

「きゃあっ。コーキ、大丈夫? ちょっと待って。そっちに行くから」
「おい、氣をつけろ。お前、そんなハイヒールで!」
「だって、靴脱ぐと、それはそれで危なさそうでしょ?」

 こんな状況で、のんきなことを言うな! ともあれ、恒樹は文字盤の上のアーチの柱につかまりながら手を伸ばすリナに腕を伸ばした。二人とも必死で手を伸ばして、ようやく二人の手が届きそうになった時、リナのつかまっている柱にひびが入って少しだけ崩れ、彼女は支えを失った。
「え? きゃあああああ」

 落っこちてきたリナの手を握っていた恒樹は、反動で長針から手を離してしまった。そのまま、二人は、真っ逆さまにビッグベンから、ロンドンの夜景へと落っこちていった。まるで007の映画みたいに。いや、こんな時に冗談言っている場合じゃないって。恒樹は、泣きそうになりながら考えた。どこだっていいから、ここでないところに居たいと。

* * *


「もうし、もうし……」
う~ん、なんだ? どこからか、間延びした声が聞こえてくる。恒樹は、そっと瞼を開いた。眩しかったので、すぐに一度閉じたが、その時に目にしたものがありえなかったので、額に手をかざしながら、もう一度怖々と瞼を開けた。

 あ~、なんだこれは。一つ目。一つ目~?

 恒樹はがばっと起き上がると、状況の確認をした。草むらに横たわっていた。周りは深い森というわけではないが、少なくともロンドンの国会議事堂の前にはないような緑豊かな場所だった。ただし、イギリスのどこにでもあるような、普通の控えめな植生ではなく、赤やピンクの派手な花があちこちに咲いている、妙にサイケデリックな森だった。だが、特に湿度が高いわけではなく、まるで大昔のチャチな映画セットみたいだ。

 恒樹の横たわっていたすぐ側には、リナが横たわっている。氣絶ではない、俗にいう爆睡ってやつだ。百年の恋も醒めるような豪快な眠りっぷり。

 そして、恐る恐る、先ほど見た珍妙なものを確認すべく、前に辛抱強く立っている男の顔を見た。鼻と、口と、その下の白いあご髭は普通だ。ただ、まん丸い目が一つだけ、真ん中についている。ありえん。とりあえず、俺の頭がどうかしちまったのか、確認するためにこいつを起こそう。

「おい、リナ! 起きろ!」
「うう~ん。眠いもん」
「寝ている場合じゃないって。お前、危機管理能力なさすぎ!」
「あん? うるさいなあ。睡眠不足は、美容の大敵……あれ? ここ、どこ?」
「知らん。なんか尋常じゃないことが起こったような……」

「ビッグベンから落ちたんじゃなかったっけ?」
「ああ、でも、天国にしちゃ、ここちょっと普通だぜ? それに、この人さ……」

 リナは目をこすって、ようやく一つ目の男を見た。
「あれ?」

「おお、お目覚めかな。こんな所で二人で寝ているから、何かあったのかと思いましたんじゃ」
一つ目の男は、意外と親切らしい。

「あ~。あなた、誰?」
リナのヤツ、単刀直入だ、と恒樹は思った。一つ目の男は、笑顔を見せて言った。
「ユーニスというんじゃ。お前さんがたはどこから来たのかな」

「こんにちは、ユーニス。あたしはリナ。この人はコーキ。ちょっと前までロンドンにいたんだけれど、ここはどこかしら?」
「ここか。おそらくイースアイランドのどこかと思いますがの」

 恒樹は、その語尾の自信のなさをとらえて詰め寄った。
「おそらくってなんだよ。確信はないのか?」
「十分ほど前に、魔王様と一緒にいたのは、間違いなくイースアイランドでしたからの。たまたま魔王様たちが視界に入っていないものの、まあ十中八九はまちがっていないかと」
「俺たちだって、少し前はロンドンにいたんだよ! そんな推論があてになるかよ」

 リナは、まあまあと間に入った。
「別にイースアイランドとやらだって、不都合はないでしょ。そういうことにしておこうよ」
「リナ、お前なあ。現在位置がわかんなきゃ、帰り道だってわかんないだろ!」

 リナは肩をすくめた。
「面白いから何でもいいじゃない。少し冒険していこうよ。これってイセカイショーカンってやつでしょ?」
「召還じゃねぇ! ただの迷子だろ」

 リナは、恒樹の言葉をあっさり無視して、ユーニスの肩を馴れ馴れしく叩いた。
「じゃあ、とにかく一緒にこの森を出ない? うまく魔王様に出会えたら、私たちを送り返してって頼めばいいでしょ?」
「おっしゃることはもっともですの。では、行きましょうか」

 歩き出そうとするユーニスとリナに向かって、恒樹は訊いた。
「そっちだって、確証はあんのか?」

 リナは当然大きく首を振った。ユーニスは大きな一つ目をくるりと一回転させてから答えた。
「こちらから歩いてきましたからの。そのまま前方へ進もうかと」
「そうしたらもっと迷うだけじゃないのか?」

「じゃあ、あそこのお兄さんに訊いてみようよ」
リナが突然言った。お兄さん? ユーニスと恒樹は、怪訝な顔をしてリナの方を振り返った。リナが指差している先に、アマリリスに酷似している巨大な花が沢山咲いている異様に妖しい繁みがあり、そこから「痛って~」と頭を抱えながら、日本人とおぼしき男性が立ち上がっている所だった。

玉ちゃん by limeさん
この画像はlimeさんからお借りしています。著作権はlimeさんにあります。limeさんの許可のない使用はお断りします。


「ったく、なんだよ。人の頭を思いっきり叩きやがって」
チェックのシャツを着たその青年は、屈んで何かを拾った。それは宝石が埋め込まれたかなり立派な杖のように見えた。

「大変失礼しました! あなた様の頭を叩くつもりは全くなかったのでございます!」
その声に、青年はぎょっとしたようだった。恒樹たち三人も、どこからその声が聞こえたのか周りを見回したが、他に人影はなかった。

「わたくしでございます。ここ、ここ」
青年は「わっ」と言って杖を投げ出した。

「っと。それはあまりに乱暴な!」
「つ、杖が喋った!」

 これは面白いと、リナが走って青年と杖の所へと向かったので、恒樹とユーニスも巨大アマリリスの繁みへと急いだ。

「わたくしは、ハゾルカドスと申します。偉大なる魔法使いレイモンド・ディ・ナール様によって、このような特別の力を授かったものでございます」

 杖がペラペラ喋るという状況には簡単に順応できない青年の代わりに、リナは杖を起こして訊いた。
「じゃ、あなたも魔法が使える?」
「え。いえ、魔法をお使いになるのはわがマスターでして……」
「そっか。じゃあ、その偉大なるご主人様を呼んでよ」
「はあ。で、でも、その……マスターはどうしてここにいないんだろう……それに、他の皆さんも、いったいどこに」

「なんだよ。魔法の杖も迷子かよ」
恒樹が呆れる。それから日本人に話しかけた。
「君、日本人だよな? 俺は東野恒樹、日本人。こっちは、リナ・グレーディク、スイス人。ロンドン観光中にどういうわけかこの謎の世界に飛ばされちまった様子。この一つ目のおっさんは、魔王様のお付きとやらでユーニスっていうんだってさ。で、君は?」

 青年は、巨大アマリリスの繁みからようやく抜け出してくると、ぺこんと頭を下げた。
「玉城って言います。さっきまで熱を出して自宅で寝ていたはずなんですけれど、なんでこんな所にいるんだろう。ここ、ロンドンなんですか?」

「イースアイランドですじゃ!」
ユーニスが叫んだ。その横から杖のハゾルカドスが異議を唱えた。
「いいえ、ヴォールのはずです!」

「あ、どっちも証拠ないから信じなくていいと思う」
恒樹が宣言すると、それは全然慰めにならなかったらしく玉城は泣きそうな顔をした。

「いっぱい増えたけれど、あたしたち全員、役立たずの上に迷子ってこと?」
リナがのんびりと訊くと、ユーニスとハゾルカドスは揃ってため息をついた。

「ねえねえ。ここの花って、持ち帰ったりしてもいいのかな」
間延びしたリナの質問に、恒樹は首を傾げた。
「何をするつもりだよ」
「こんな大きいアマリリス見た事ないもの。持って帰って増やそうかなって」

「そういう無謀なことは、やめた方がよいの」
ユーニスがいうと、ハゾルカドスもカタカタ動いて同意した。
「ちょうどヴォールでは『ラシル・ジャルデミア』のご神木が500年に一度の花を咲かせているのです。何か特別なことが起こっているから、私どももこのような不可解なことの巻き込まれているのかもしれませぬ。この森の植物は、どれも奇妙ですから、触ったり抜いたりなどということはなさらない方が……」

 リナは、こちらを向くと例のチェシャ猫のようなニッという笑いを見せて、右手を上げた。
「もう、抜いちゃった」
リナの右手に握られた巨大なアマリリスの下から、玉ねぎサイズの球根がブルブル震えて見えた。

「うわっ。こいつ、やっちまったよ」
恒樹が、後ずさるのと、球根が「ぎゃーーーー」とつんざく叫びをあげたのが同時だった。リナは、ぱっと手を離して、一目散に逃げだした。恒樹が続き、ユーニスも走り出した。

「お待ちください!」
杖のハゾルカドスは叫ぶと、腰を抜かして座り込んだ玉城の背中とシャツの間に飛び込んだ。玉城は、必死に立ち上がると、さっさとトンズラした三人を追った。

 球根は走れなかったらしく、追ってこなかった。無事に逃げたとわかると、四人と杖は座り込んで息を整えた。
「お前さ、少し考えてから行動しろよ」
恒樹がいうと、ユーニスが同意した。
「とんでもないガールフレンドをお持ちですの」
「ちっ、違う! こいつは、俺のガールフレンドじゃない!」

「そんなに激しく否定しなくたっていいじゃない。ねぇ、タマキ? あ、これって、ファーストネーム?」
リナが訊くと、恒樹は「違うよな」と確認した。玉城は黙って首を振った。

「じゃあ、ファーストネームは、なんていうの?」
リナが訊いた。その途端、玉城は「わっ」と泣き出した。

「おい、お前、どうやらしちゃいけない質問をしたらしいぜ」
恒樹が言うと、リナは黙って肩をすくめた。

「それはそうと、無茶苦茶に走って逃げたので、さらに迷ってしまったようですの」
ユーニスが不安げに言った。先ほどよりも暗く、どうも森の奥に入ってしまったようだ。

「森の動物にでも案内してもらえるといいんだがな」
恒樹が腕を組んで考えているとハゾルカドスが、「あっ」と言った。

「なんですの。いい案でもありますかな」
「ええ。リスの知り合いがいるんです。モンドっていうんです。呼んでみましょうか」

 そこで、四人と杖は、声を合わせて「リスのモンドさ~ん!」と呼んだ。恒樹と玉城は、「なんでこんな馬鹿げたことを」という思いを隠しきれなかったが、他に方法もなさそうなのでしかたなく一緒に叫んだ。

「あっしを呼んだでござんすか」
不意に足元から声がした。

「わぁっ!」
不意をつかれて恒樹が飛び上がった。ごく普通の茶色いリスがそこにいた。

「おひかえなすって!」
リスは片手を前に出して器用にも仁義を切り出した。
「生まれはアゼリス、育ちはルクト。生来ふわふわ根無し草、しがねぇ旅ガラス、風来坊のモンドってのぁ、あっしの事でござんす!」

「旅リスじゃないの?」
リナが話の腰を折るので恒樹が睨んだ。

「なあ、風来坊のモンドさんよ。この森には詳しいのかい?」
恒樹が、間髪入れずに本題に入った。

「まあ、全部をわかっているというわけじゃありやせんが、そこそこ」
「おお、じゃあ、出口はわかりますかの?」
ユーニスが訊くと、モンドはこくんと頷いた。

「やった! 連れて行って!」
リナが言うと、モンドは、先頭に立ってちょこちょこと歩き出した。
「あ、球根が叫ぶアマリリスの繁みは避けてくれるかな」
恒樹が注文を出した。

「構いやせんが、するってぇと、少し遠回りになりますぜ。火を吹く竜のいる池を泳ぐのと、九つの首のあるコブラの大群が待っている渓谷とどちらがお好みでやんすか」
リスが訊くと、四人と杖は揃って首を振った。
「アマリリスの繁みでいいです」

 つい先ほど通った、巨大アマリリスの繁みでは、地面に転がった球根が「元に戻せ!」とうるさく叫ぶので、リナの代わりに玉城が球根を土の中に埋めた。
「どうもありがとっ」
リナは、玉城の頬にキスをして感謝を示したが、若干迷惑そうな顔をされた。さもあらんと恒樹は思った。

 それから、サイケデリックな花園を通り、妖しげな道なき道を進んだ。

 それから、太い蔓草が絡んでいるジャングルに入る時にリスは振り返った。
「腕時計をしている方はいやせんでしょうね」

「iPhoneがあるから時計は持っていないけれど、なんで?」
リナが訊いた。リスは蔓草を示して答えた。
「これは『時の蔓草』でやんす。時計の、時を刻む音がすると、途端にとんでもないスピードで育ちだすので、進むのがやっかいになりやんす」

「面白い草だね」
リナの言葉に、嫌な予感を持ったのか、ユーニスが続けた。
「この草が育ちだすと、ついでに時間の方も進み方が無茶苦茶になるんでの。出来れば、今は余計ないたずら心を起こさんで欲しいんじゃが、お若いの」

 何かしたくても時計を持っていないもの、とリナがブツブツ言うのに安心しつつ、一行はただの蔓草にみえる『時の蔓草』の繁みを掻き分けて通り過ぎた。

 突然目の前が開けた。
「さ、ここが森の出口でござんす!」
リスのモンドは、威張って宣言した。

 四人と杖は、一瞬絶句した。確かに、森は唐突に終わっていた。目の前にはハワイのような真っ青な大海原と白砂のビーチが広がっていて、沢山のパラソルとリクライニングチェアが置いてあった。

「魔王様はどこだよ」
恒樹がユーニスに訊くと、一つ目の男は悲しげに首を振った。

「大魔法使いは?」
玉城が訊くと、杖も項垂れるようにしなった。

「ま、いっか。せっかくビーチがあるから、少し海水浴でも楽しもうよ」
のんきにリナが言うと、三人の男と杖は黙って彼女を睨んだ。

 リスが言った。
「残念でござんすが、この海は泳ぐためのものではないざんす」
「じゃ、何のため?」
「テレポート・ステーションでござんすよ」

「なんだって?」
「あそこのリクライニングチェアに座って、目を閉じるんでやんす。太陽がちょうど傘の真ん中に来た時に、行きたい所を思い浮かべると、そこへテレポートするでやんす」

「早く言えよ!」
太陽は、かなり高く上がっている。一同は、慌ててリクライニングチェアへとダッシュした。

「ありがとう、リスさん!」
「お役に立ててようござんした!」

 恒樹は、白と青のストライプのリクライニングチェアに座って、行きたい所はと考えた。ふと、日本にいる幼なじみの顔が浮かんだが、いま日本に出現したら、厄介なことになると思った。ロンドン、ロンドン。彼は、呟いた。

 リナも一瞬、スイスに帰るか、それともかつてホームステイした東京のある家庭のことも考えたが、ロンドンにお氣に入りのスーツケースが置き去りになっていることを思い出して、ロンドンにしようと思った。

 ユーニスは、どうやら魔王様の滞在先を呟いているようだった。

 玉城にリクライニングチェアに横たえてもらった杖のハゾルカドスは「マスターのところへ帰らせてくださいませ」と呟いていた。

 そして、玉城は「リク、今、助けにいくからね」と呟いた。

 太陽は、ビーチの真上にやってきた。「お達者で!」というリスの声が聞こえたかと思ったら、傘の中心から白くて強い光が溢れ出て、恒樹には周りがまったく見えなくなった。ロンドン、ロンドン。あ、ビッグベンにいたんだよな、俺たち。

* * *


「なんでこうなるんだよっ!」
恒樹は、泣きそうになった。確かに彼はロンドンに戻ってきた。だが、彼はまだビッグベンの文字盤の長針にぶら下がったままだった。ヒュルルと風が強い。絶体絶命。

「えっ。やだ! コーキも、ここに戻ってきちゃったわけ?」
その声に、上を見ると、リナがいた。

「た、助けてくれっ」
「ちょっと待って、いいもの持ってきたから」
そう言うと、リナはポケットから緑色のものを取り出した。それはさっきのジャングルにあった、妙に太い蔓草だった。……ちょっと待てよ。確かあのリスは『時の蔓草』って、言ったよな。時計があるとヤバいとかなんとか……。恒樹は、巨大な時計の長針にぶら下がっているというのに。

 リナは、それの片方をアーチに固く結びつけると、反対側を恒樹に投げてよこした。そんな短いものが届くかと思ったのもつかの間、それはぐんぐん伸びて、文字盤と針を覆いはじめた。あのリスの言う通りだった、ヤバいぞと思った。が、ちょうど足場にして、上へとよじ上るのに都合よかったので、リナへの文句は言わないことにした。

 恒樹が無事に上のアーチに上がり、ひと息をついた頃には、ビッグベンはすっかりその巨大な蔓草で覆われていた。このままじゃ、まずいよなあと思ったが、とにかく急いで塔から降りることにした。ユーニスの言葉によると、この草のせいで、時間の進み方もめちゃくちゃになるらしいから、早くこの場を離れた方がいい。

 実際に、上では真夜中だったはずなのに、なんとか下まで辿りついた頃には、夜がうっすらと明けはじめていた。

「あ~あ、朝になっちゃったかぁ」
リナが間延びした声で言うので、批難のコメントをしようと振り向くと、『時の蔓草』に覆われたビッグベンが目に入った。奇妙で大きな蔓草は、朝日を浴びて、溶けるように消えていく所だった。

 安堵と疲れで、声もなく立ちすくむ恒樹に、リナは言った。
「ねえ、コーキ。私、お腹空いちゃった。この時間にご飯食べられるところ知ってる?」

 恒樹は、先ほどよりずっと強い疲労感を感じつつ、何があっても懲りない変な女を振り返った。

(初出:2015年7月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・リナ姉ちゃんのいた頃)
  0 trackback
Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】ロマンスをあなたと

60,000Hit記念掌編の第一弾です(すみません。今ごろです。もう62,000超えてる……)。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、一本目の今回は、TOM-Fさんからのリクエストオンリーの小説です。

リクエストですが、「園城真耶」でお願いします。久しぶりに、彼女の鬼っぷり……もとい、神っぷりが見たいです(笑)


ということですので、思いっきり趣味に走らせていただくことにしました。舞台はウィーン。音楽はマックス・ブルッフ。そして、真耶と言ったら、セットは拓人(なんでといわれても困りますが)です。

途中で新聞記事上に日本人女性がでてきますが、TOM-Fさんのキャラを無断でお借りしています。50000Hitの時に「ウィーンの森」のお題で書いてくださった掌編、それにこの間のオフ会にも出てきている、TOM-Fさんのところの新ヒロインです。

あ、そもそも「真耶って誰?」「それからここに出て来る拓人ってのは?」って方もいらっしゃいますよね。大道芸人たち Artistas callejeros樋水龍神縁起 Dum Spiro Speroに出てくるサブキャラなんですが、大道芸人たち 外伝なんかにもよく出てきています。この辺にまとめてあります。ま、読まなくても大丈夫だと思います。



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
ロマンスをあなたと


 六月は、日本ではうっとうしい季節の代名詞だが、ここヨーロッパでは最も美しい季節のひとつに数えられる。特に今日のように太陽が燦々と降り注ぐ晴れた日に、葡萄棚が優しい影を作る屋外のレストランで休日を楽しむのは最高だ。

 『音楽の都』ウィーンで、真耶がのんびりとホイリゲに腰掛けているのには理由があった。昨夜、楽友協会のホールでソリストとしての演奏をこなし、拍手喝采を受けた。その興奮と疲れから立ち直り、次の演奏の練習に入るまでの短い休息なのだ。

 マックス・ブルッフの『ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85』は、日本ではもう何度も演奏していたが、海外で演奏するのははじめてだった。真耶の透き通った力強い響き、そして、冷静に弾いているように見えるのに激しい情熱を感じる弓使いは、屈指の名演を聴き慣れているウィーンっ子たち、それに手厳しい批評家たちをも唸らせた。

 黄金に輝く大ホール。美しく着飾った紳士淑女たち。オレンジの綾織りの絹のドレスを着て強い光の中に立ちながら、真耶は見えていない客席に向かって彼女に弾ける最高の音を放った。それが、日本でもウィーンでも関係なかった。目指すものは全く同じだった。

 そして、その客席の中に、彼が座っていることが、真耶の昂る神経に対してのある種の重しになった。二人で目指した同じ芸術。彼がピアノ協奏曲のソリストとして、客席に座る真耶の一歩前に出てみせれば、次の演奏会で、真耶がさらに先へと進んでみせる。そして、時には同じ舞台の上で音を絡ませ、共に走る。子供の頃からあたり前のように続けてきた道のりだ。

 昨晩も、彼は真耶の音の呼びかけを耳にしたに違いない。そして、もし彼が忘れていなければ、彼女の奏でた音の中に、豪華絢爛な楽友協会大ホールとは違う、緑滴る小道での爽やかな風を感じたはずだ。小学生だった真耶と拓人が、あの夏に歩いた道。

* * *


 結城拓人の父親は、軽井沢に別荘を持っていた。幼稚園の頃から、夏になると結城家は避暑で軽井沢へ行く。もちろん、別荘にもグランド・ピアノが置いてあり、拓人は夏の間も自宅と同じようにピアノ・レッスンをさせられた。

 拓人の母親の従姉妹である真耶の母親は、毎年二週間ほど真耶を連れてその結城家の別荘へ行っていた。真耶自身は拓人と違い、放っておいても幾らでもレッスンをしたがった。当時真耶が習っていたのはヴァイオリンだった。

 普段はレッスンをサボりたがる拓人も、一つ歳下の真耶に笑われるのが嫌で、彼女が来たときだけは毎朝狂ったようにレッスンをした。それで、安心した母親二人は連れ立ってショッピングに行くのだった。

 あの日も、そうやって午前中を競うようにしてレッスンで過ごし、お互いの曲についてませた口調で批評し合った。その日の午後は、街に行って「夏期こどもミュージックワークショップ」に行くことになっていたが、母親たちは遠出をしていたので、二人で林を歩いて街まで行くことになっていた。

 蒸し暑い東京の夏と違い、涼しい風が渡る美しい道だった。蝉の声に混じって、秋の虫の声もどこからか聞こえてくる。そして、遠くからエコーがかかったような鳥の鳴き声が聞こえていた。半ズボンを履いた11歳の拓人は紳士ぶって、真耶のヴァイオリンケースを持ってくれた。それから時おり「足元に氣をつけろよ」などと、兄のような口をきいた。

 樹々の間から木漏れ陽が射し込んだ。風が爽やかに渡り、真耶のマンダリン・シャーベット色のワンピースと帽子のリボンが揺れた。

「あっ」
突如として強く吹いた風に、麦わら帽子が飛ばされて、真耶は少し林の奥へと追うことになった。拓人も慌ててついてきた。そして、今まで近づいたことのない木造の洋館の近くで帽子をつかまえた。

 二人は、窓を見上げた。白いレースのカーテンが風になびき、開けはなれた窓から深い響きが聞こえてきたのだ。それが、マックス・ブルッフの『ヴィオラと管弦楽のためのロマンス』だった。それも、たぶん当時でもかなり珍しいレコードの特徴のある雑音の入った演奏だった。

* * *


「待たせてごめん!」
その声に我に返ると、待ち人がようやくこちらに向かってきていた。ベルリン公演が終わったあと、帰国の予定を変更して、昨夜ウィーンに駆けつけて聴いてくれた再従兄はとこ だ。

「私も15分くらい前に来た所なの。だから、まだ何も頼んでいないから。それで、デートは終わったの?」
真耶は、拓人が荷物を置けるように自分の隣の椅子を少し動かした。

 彼は少しふくれっ面をした。
「デートじゃないよ。後援会長。でも、さすが日本人だね。ここまで来たらブダペストにも行きたいって、たった三日の旅程なのに行っちゃったよ。あの歳なのに、元氣だよな。おかげでこっちはお相手する時間が少なくて済んだけれど」
「文句言わないの。今度の大阪公演のチケットも大量に捌いてくれるんでしょう?」
「まあね」

 拓人は、真耶の前に座ると、荷物からドイツ語の新聞を取り出した。
「それより、ほら。ちゃんと買ってきたよ」

 真耶は、それが昨日のマックス・ブルッフの批評のことだとわかっている。言われるページを開けてみると、タイトルからして悪くなかった。
「柔らかい動きの弓にのせて、ロマンスは躍動した……ね」

「美しき日本のヴィオリストは、我々に改めてヴィオラという楽器の奏でる控えめだが力強い主張を教えてくれた……。これは、あの辛口批評家のシュタインミュラーが書いたんだぜ。文句の付けようがなかったってことだろう?」
「どうかしら。後から演奏されたブルックナーの方も絶賛されているもの。辛口批評をやめただけなんじゃないの?」
「いずれにしたって、極東から来たヴィオラ奏者が褒められたんだ。立派なもんさ」

 真耶は、その隣のページのサイエンス欄にも目をやった。
「あら、ここにも日本から来た女性が取り上げられているわよ」

 拓人は、ウィンクをして言った。
「うん、じっくり読んだよ。美人の話は氣になるからね。そんな可愛い顔しているのに、なんとCERN(欧州原子核研究機構)で活躍している物理学者らしいぜ」

「CERNって、ジュネーヴでしょう? スイスで活躍する日本人が、なぜウィーンの新聞に?」
「ああ、そのイズミ・シュレーディンガー博士は、ウィーンで育ったらしいんだ。その真ん中あたりに書いてあった」

 まあ、そうなの。同じ日に二人の日本人女性がウィーンの新聞に並んで載ったのが少し嬉しくて、真耶は新聞を大切にバッグにしまった。

 ウェイトレスが、注文を訊きにやってきた。
「あれ、まだ全然メニューを見ていないや。ここは何が美味いんだろう?」
拓人が訊く。メニューを見せながら真耶は言った。
「この季節限定メニュー、アスパラガスのコルドンブルーって、美味しそうじゃない?」
「ああ、そうだな、それにしよう。ワインは?」
「白よね。これに合わせるとしたらどれがおすすめ?」

 ウェイトレスは、フルーティで軽いGrüner Veltlinerを奨めた。ピカピカに磨かれたワイングラスに葡萄棚からの木漏れ陽が反射した。

 拓人は、乾杯をしながら、葡萄棚を見回した。
「ここは氣持ちいいなあ。よく見つけたね」
「何を言っているのよ。ここに来たのははじめて?」
真耶は、首を傾げる拓人に笑いかけた。

「この店? 『Mayer am Pfarrplatzマイヤー・アム・プファールプラッツ 』? 知らないなあ」
「ここはね、ベートーヴェンが第九を書いた家として有名なホイリゲなのよ。日本人がベートーヴェン巡礼にしょっちゅう来ているわよ」

「へえ。そうなんだ。確かに『田園』の着想を得たって言うハイリゲンシュタットだもんな。その向こうの『遺書の家』記念館は、ずいぶん前に一度行ったよ」
「でしょう? だから、ここにしようと思ったの」

 拓人は、若干げんなりした顔をした。真耶のいう意味がわかったのだ。東京に帰ったら、次のミニ・コンサートで彼女が弾きたがっているのがベートーヴェンの『ロマンス 第二番』なのだ。もともとはヴァイオリンのための曲だが、一オクターブ下げてヴィオラで弾くバージョンを、拓人も氣にいっているのは確かだ。だが、昨日の今日で、もう次の曲の話か……。

「そういえば、昨日のも『ロマンス』だったな」
拓人は、ぽつりと言った。真耶は、周りの滴る新緑を見上げた。そうよ。あの時に聴いた曲だわ。

「ああ、そうだ。軽井沢、こんな感じだったよな」
拓人は、あたり前のごとく言った。憶えていたのね。真耶はニッコリと笑った。もちろん彼女は一度だって忘れたことはない。ヴァイオリンではなくてヴィオラを習いたいと突然言いだして、親を慌てさせたのは、あの洋館から聴こえてきたマックス・ブルッフの『ロマンス』が、きっかけだったから。

 そして、あの時は、全く考えもしなかったことがある。兄妹のように憎まれ口をたたきながら育ち、どんなことも隠さずに話してきた親友でもある再従兄、音楽と芸術を極めるためにいつも共にいた戦友でもある目の前にいる男のことを、いつの間にか『ロマンス』と名のつく曲を奏でる時に心の中で想い描くようになったこと。

 だが、そのことは口が裂けてもこの男には言うまいと思った。そんな事を言う必要はないのだ。ロマンスがあろうとも、なかろうとも、二人が同じ目的、一つの芸術のために生きていることは自明の理なのだから。彼女のロマンスは、常にその響きの中にある。そして彼は、いつもその真耶の傍らにいる。

 二人の話題は、次第に来月のベートーヴェンの『ロマンス 第二番』の解釈へと移っていった。葡萄棚からの木漏れ陽は優しく煌めいていた。六月の爽やかな風がウィーンを渡っていった。

(初出:2015年7月 書き下ろし)


この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


さて、出てくるホイリゲはこちらです。
Mayer am Pfarrplatz
http://www.pfarrplatz.at


真耶が演奏したということになっている楽友協会はこちら。
https://www.musikverein.at

そして、『ヴィオラと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 作品85』この曲のために書いたこの作品。動画を貼付けておきますね。

Miles Hoffman plays Bruch Romanze, Op. 85, for viola and orchestra
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 外伝)
  0 trackback
Category : 小説・大道芸人たち 外伝
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト キリ番リクエスト コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(4)さくら咲く宵に

「オリキャラのオフ会 in 松江」第四弾です。これでおしまいです。長くても、無理矢理終わらせるために、一つにぶち込みました! (すみません)
オリキャラのオフ会
このアイコンはご自由にお使いください。

アメリカ組は八重垣神社に行き、Artistas callejerosは、昼から夕方まで宴会をしていました。そして、夕方。四人は宍道湖で夕陽を眺め、そして玉造温泉で打ち上げします。なお、私が書くのはここまでですので、話を上手く納める方、さらに混乱させたい方はどうぞご自由に!

【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(別館に置いてあります)
あらすじと登場人物



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
 ~ 松江旅情(4)さくら咲く宵に


「何やるの?」
キャシーは、八重垣神社の参詣がすんだ後に、奥の院にある「鏡の池」の前で、美穂に問いかけた。そこには、四人の女性がいて、池の水を覗き込んでいた。正確には、池に浮かべた紫色の紙のようなものとその上にのせられた硬貨を覗いていたのだった。

「で?」
「ほら、見て。さっき買ってきたこの占い用の和紙の上にね、ああやって硬貨を載せて浮かべるの。すぐ近くに沈んだ場合は身近な所に結婚に至るご縁があって、遠くに沈んだ時は遠方に、それにすぐに沈んだ場合は、すぐに……」
「でも、ご縁もヘったくれもあたしたち……」

「わかっているわよ。私たちは既婚だけれど」
美穂はそういってから、黙って写真を撮るのに夢中になっているジョルジアの方を見た。ああ、なるほど。キャシーはそういう顔をしたが、美穂がジョルジアを誘いにいったので、池を眺めている四人の女性の方を見た。

 一人の女性が格別目立つ。顔は見えていないが、ボブカットの髪の毛はまるで真珠のように白く輝いていた。その横に二人の女性がいて、あれこれ話していたが待つのに疲れたのか、あたりを散策に行ってしまった。屈んでコインを見ていた女性は、顔を上げて白く輝くボブカットの女性の方を見た。その女性は、何かを考えているかのように、奥の院の緑深い樹々の方を見つめていた。風が通って髪の毛がサラサラと泳いでいた。かがんでいる女性は、深いため息を一つつくと、決心したかのように人差し指を伸ばしてコインをつついた。

「あ」
キャシーが言うと、二人の女性は同時にこちらを見たかと思うと、キャシーの視線を追って沈んでいくコインと、まだ濡れている女性の人差し指に視線を合わせた。

「だからね、ジョルジア、この和紙にコインを載せてね……」
ジョルジアを連れて、美穂がやってくると同時に、他の二人も池の周りに戻ってきた。

「あ。ついに沈んだの?」
そういうと、屈んでいた女性は首を振った。
「もう待っていられないもの。神様の手伝いしちゃった」
そう言って指を見せた。「やだあ」二人の女性の笑い声が響いた。

「お待ちどうさま。さ、次に行こう。ほら、敷香も」
そう言って、屈んでいた女性は、先頭に立って歩き出した。そして、キャシーの横を通る時に、少し切ない微笑みを見せてから会釈して通り過ぎた。 

「キャシー、どうしたの?」
美穂が訊くと、キャシーはぽつりと答えた。
「あなたたちの神様って、容赦なく真実を語るんだ……」
「え?」

 キャシーは、ジョルジアの方に向き直った。
「やってみる?」
ジョルジアは、首を振った。
「そんなことをする必要はないわ。神様に訊かなくたって知っているもの」
そういって、カメラを持って去っていってしまった。

 美穂は、紫の紙を持ったまま、困って立っていたが「もったいないもの」と言って自分の財布から五円玉を取り出すとそっと紙の上に載せて水面に浮かせた。どういうわけだか、五円玉と紙は数秒も経たないうちに、手からほとんど離れない場所に沈んでしまった。

「わかりきったことをしなくてもいいのに」
キャシーが肩をすくめて、ジョルジアを追い、美穂も急いでそれに続いた。

* * *


 夕方、Artistas callejerosの四人と茶虎の感じの悪い仔猫は、宍道湖夕日スポット(とるぱ)にいた。
「夕陽を見るためだけに、こんななんにもない所に来たのか?」
ヴィルは、例によって身も蓋もないことをいうが、蝶子と稔は無視した。レネは、既にセンチな心持ちになっている。『スズランの君』に貰ったハンカチを取り出して、泣く準備も完了だ。

 直に、人びとが集まってきた。すぐ近くに、五十代くらいのとても品のいい金髪の女性が立って、その後ろからやってきたもっと年上の、しかし女性とよく似た風貌の男性が彼女のためにハンカチを広げて座るように促した。小声の静かな会話は東欧系の言葉のように聞こえた。それから女性がふざけてフランス語で「レマン湖に行ったときのことを思い出すわ」と言ったので。レネがびくっと振り向いた。

「あら、フランスの方?」
婦人は優しくレネに笑いかけた。
「はい。ご旅行ですか」
「ええ、そうね。そうと言えないこともないのだけれど……」
困ったように、連れの男性を見た。

「どうやら、紛れ込んでしまったようだが、あたふたしてもしかたないので、美しいと言われる城の桜を見学してから、もともと突然現れたこの湖畔に来てみたのだよ」

 豊かな人生経験があって、たいがいのことでは慌てたりしない人のようだと、レネは感じた。会話の内容を英語に訳して三人に話した。すると、次からは二人も英語で話しだした。見事な発音で、二人ともひとかどの人物に違いないと思わされた。

「夜桜でしたら、私たちこの後、タクシーで千手院という所へ行くつもりなんですよ。よかったらご一緒しませんか。その後、私たちは玉造温泉へ行く予定ですが、その前にまたここへお連れしますけれど」
蝶子が言うと、二人は顔を見合わせてから頷いた。

「私は蝶子、こちらはレネ、稔、そしてヴィルです。お近づきになれて嬉しいです」
蝶子が手を伸ばすと、紳士は古風にその手にそっと口づけをした。
「私はカロル・ルジツキー、これは妹のへレナです。どうぞよろしく」

「ルジツキー?」
ヴィルが少し驚いた顔をしたので、ルジツキー氏は少しだけ笑って「ご存知ですかな」と言った。
「父が取引をしていた有名な財閥の名前と一緒だったので」
「ほう、失礼だが、お名前は?」
「エッシェンドルフといいます」

「というと、ミュンヘンの?」
「はい。やはり、あのルジツキーさんなのですか?」
「どうだろうな。お父様の名前は、ルドルフ・フライヘル・フォン・エッシェンドルフではないだろう? おかしく響くかもしれないが、ルドルフとはただの知り合いではなく友人なのだよ。彼は典型的なバイエルン人でね、非常にドイツ的なものと徹底的に反ドイツ的なものを同時に持っている。その分、我々の間にも傍目には理解できないであろう強い愛憎がある」
「……。六代前はルドルフでした。彼は十九世紀の生まれです」
「そうか。我が家もエッシェンドルフ家も、長く安泰のようで何よりだ」

 他の三人は、ただ黙って何も聴かなかったことにした。

 宍道湖はオレンジに染まっていた。嫁ヶ島のむこうに夕陽が静かに沈んでいく。湖面は静かに波立ち、平和な一日が暮れていく。あたり前のようでいて、全くあたり前ではない一日。平和であることの美しさに、彼らはしばし言葉を失った。

 千手院で、多くの人びとと一緒にしだれ桜、枝華桜を見た時にも彼らは同じように無口になった。樹齢250余年の花は、オレンジ色のライトアップで妖しくも美しく咲いている。その間に起こってきた、人間たちの傲慢さや愚かさに満ちた行動も、それぞれの市井の人びとの歓びや哀しみにも、何も言わず、ただ黙々と毎年この美しい花を咲かせ続けてきたのだろう。

「ねえ、ルドヴィコ。あの人たち、今朝来たお客さんだよ」
その声に振り向くと、「石倉六角堂」で接客してくれた女性がそこにいた。レネがあまりに大量に買うので、稔と蝶子が大笑いしたので憶えていたのだろう。

「毎度ありがとうございます。お氣に召していただけましたか」
一緒に立っていた外国人が、あまりにもよどみない日本語で話したので、四人はびっくりした。

「ええ。とても綺麗な練りきりで、それに繊細な味付けでした。あなたもお店の方なんですか?」
蝶子が訊くと彼は頷いた。
「ええ。今朝の練りきりは僕が作りました。和菓子職人なんです」
「ええっ。こちらで生まれ育ったんですか?」
「いいえ、ミラノの近くです。こちらに来て、修行を始めて、そろそろ十年になります」

「げっ。なのに、俺よりも流暢な日本語」
稔がブツブツと言った。英訳を聴いて、レネ、ヴィル、ルジツキー兄妹も驚いて頷いている。

「十年勉強なさったのですか。では、ニホンシュとやらを飲んだわけではないんですね」
ヘレナがそっと訊いた。
「?」

 流暢な日本語と日本酒とのつながりのわからないArtistas callejerosの四人とルドヴィコに、ルジツキー氏が説明した。
「先ほど、ここに来たばかりの時は、日本語がまるでわからなかったんですよ。でも、あるお店でニホンシュなるものを飲まされたら、二人とも突然日本語がわかって、話せるようになりましてね。残念ながら、それが醒めてしまったら、また全くわからなくなってしまったんだが」
「え? それは普通の日本酒ではないです。僕たち散々飲んでいますけれど、一度も日本語がわかったことないですよ」
レネは哀しそうに答えた。ルドヴィコもおかしそうに笑って肯定した。

「ここ島根は日本の神々の集まる、特別な場所なんです。建国神話にも深い関わりがありましてね。不思議な話もたくさん伝わっているのですよ。だから、そういう不思議な力のある日本酒があっても驚きませんよ。そうですよね、怜子さん?」
ルドヴィコに突然振られても、英語がわかっていない怜子は首を傾げた。彼が素早く日本語に訳したので、笑って頷いた。

「さてと、この二人は時空を迷子になっているらしいんだけれど、どこに連れて行ったら一番簡単に帰れそうかな。怜子さん、そういう場所のことを聞いたことがありますか」
稔がルジツキー兄妹を示しながら訊くと、怜子は少しだけ首を傾げた。
「さあ、どこでそういうことが起こっても不思議はないと思いますけれど」
「いま、一番行きたい所に行くのが一番じゃないですか? たぶんお二人が心惹かれる所が、そのスポットなんじゃないかな」
ルドヴィコが言葉を継いだ。 

 皆の注目を浴びて、兄妹は顔を見合わせた。それから、ヘレナが静かに言った。
「実は、こちらの四人が温泉に行くとおっしゃるのを聞いて、私も行ってみたいと思っていたんです」
「君もか。私も、できることならその温泉に行って、月見酒とやらを嗜んでみたいと思っていたのだよ」

「じゃ、決まりですね。行きましょうか。ところで、怜子さん、あなたたちもご一緒にどうですか? 私たち今日たくさんの方と知り合ったんですが、みなさん、玉造温泉に行くみたいなの。こんな不思議なことって、滅多にないでしょう?」
蝶子が言うと、ルドヴィコと怜子は顔を見合わせた。怜子が少し赤くなって下を見たけれど、ほぼ二人同時に頷いた。

「そうと決まったら、早速、移動しよう」
稔が言って、全員は笑いながら大型のタクシーに乗り込んだ。

* * *


 桜の散りかけている花びらが吹雪のように湯面を覆っている。月が煌煌と明るい。奥出雲の方では、突然の嵐になって、樋水川は急に水量を増したと聞く。だが、玉造温泉は絶好の好天のままだった。

「さっきの宴会飯、上手かったよな」
ぴちゃんと湯を跳ねさせながら、稔は腹をさすった。昨夜入ったときは、蝶子しかいなかった大露天風呂に、今日はずいぶん沢山の人びとがいる。

 特筆すべきは、もちろん昨日から目を付けていたかわいい姉妹三人組だが、その他にも、綺麗めの女性四人組もいる。びっくりしたのは、その中の一人がまたしてもオッドアイだったことだ。いったいどうなっているんだろう? それに、不思議な額飾りをした男もオッドアイだったな。

「あとでまた、宴会場に戻るんでしたっけ。また、別のご馳走がでるんでしょうか」
レネは、月を見るか、女性を見るか、それとも日本酒を飲むか、どれをしていいのかわからず混乱しながら言った。

「なぜ俺たちが余興を用意することになったんだ?」
ヴィルが当面の問題について話しだした。もちろん盃を傾ける速度は変わらない。

「一番ヒマそうに見えたのか、それとも大道芸人だから? なんか案はあるか?」
稔は、さりげなくカワイ子ちゃんたちを観察できるポジションをとりながら答えた。

「あ、あれはどうですか? このあいだ憶えさせられた、あの踊り」
レネが恐る恐る訊くと、稔は腕を組んだ。
「ハイヒールを履いて、ビヨンセの音楽で踊るやつか? ウケるのは間違いないけれど、あの時とメンバーが違うからな」

「今度のメンバーの男と言うと……満沢はバッチリだろうな。あれは役者だから」
「あの和菓子職人もイタリア人ですからね、ノリでは問題ないでしょう」

「高校生は?」
「『級長』って方は、ノリノリだろう。オッドアイの方は……」
「冷静に、何やっているんだと見つめられそうです」

「額飾りをつけた、オッドアイの男は?」
「風呂に入るのですら恥ずかしがっているのに、無理だろう」
ヴィルは盃を飲み干した。

「さっきの挙動不審男は?」
稔が言及しているのは、アメリカから来たという四人のうちの一人で、風呂の水に飛び込んだかと思ったら、急に妻にキスの雨を降らせた謎の男だ。いたたまれなくなった妻に引きずられるようにして風呂から出て行った。
「あれか。妻を人質に取れば何でもやりそうだな。だが踊りが上手そうには見えん」
ヴィルが切り捨てている。

「あそこの二人は?」
「猫に睨まれていた玉城とかいう男の方は、『義務だ』とか言えば、やってくれそうだ。美形の方は……」
「あの人にそんなことをやらせたら、僕たち、あの偉丈夫なお姐さんに首の骨折られそうです」

「それに、あのスイスの教授にも踊ってもらうんですか?」
レネがおずおずと訊く。稔は、手酌をしているヴィルから徳利を奪って、自分の盃を満たしながら言った。
「あのおっさんは、食べ物で釣れば、大抵のことはやりそうだ。もっとも見たいヤツがいるかな? それに、お前のご先祖様の友達は?」

 ヴィルは眉をしかめた。
「やめた方がいい。あの人は、怒らせると怖いと思う」

「『スズランの君』と同行しているブロンドの長髪の人は……」
レネが訊くと、稔とヴィルは顔を見合わせ、それから同時に言った。
「命が惜しい。他の余興にしよう」

 稔たちが、熱心に語り合っている時に、噂になっているとも知らず、セシルとアーサーは並んで大浴場の上にひろがる星空を見て語り合っていた。
「こんなにゆっくりとできるのは、本当に久しぶりだな、セシル」
「そうだな、アーサー。ここでもロンドンと同じ星が見えるんだな」

 だが、湯氣が立ちのぼり、空にもヴェールがかかったようになっていた。
「ち。少し、晴れるようにするか」
セシルは、右手をすっと浴場の中心に向かって動かした。はっとして、アーサーが言った。
「やめろ。忘れたのか、今日ここには『ドラゴン』のエアー・ポケットが多数開いているんだ、下手なことをすると空間が予測不能に歪むぞ!」
その二人の動きが、わずかに空間を歪めた。一瞬だけ湯氣が完全に晴れ、おかしな渦が露天風呂の中を走った。

 その少し前に、キャシーは、洋子と並んで日本酒を飲んでいた。先ほど八重垣神社の池に指でコインを沈めた女性だ。

 美穂が、夫ポールの奇妙な行動に真っ赤になって、彼を引きずるように浴場から連れ出して消えると、それを面白くなさそうに見ていたキャシーの隣にいつの間にか来て、日本酒をついでくれたのだ。
「私、あなたとはいい友達になれそうって予感がしたわ」
洋子はそれだけ言うと、盃を合わせた。キャシーはニヤッと笑って言った。
「さっき、私もそう思った」

 それから、日本酒を立て続けに何杯か煽ってすっかりほろ酔いになったキャシーは、「スタンド・バイ・ミー」を歌いながら、上機嫌で風呂の真ん中まで移動していた。両手を挙げて踊りながら。そこを、先ほどの渦が通り過ぎたのだ。

 キャシーを覆っていた布が、ハラッとほどけた。途端につんざくような叫びをあげて、彼女はお湯の中に座り込んだ。事態を察知した洋子が、速攻で近くに寄り、布を拾って彼女の周りに巻き付けてやった。一秒後には、再び湯氣が辺りを覆った。

 セシルの手を見ていたアーサーをはじめ、それぞれ誰かと話をしていた人物は、場面を見ていなかったが、二人だけ偶然キャシーの裸の上半身を見た人物がいた。一人が『級長』こと享志で、目撃した物をラッキーと判断していいのか、自分の良心に問い合わせていた。

 それと、ちょうど対角線上にいて、キャシーの見事な胸を目撃した稔は、享志を見てぐっと親指を突き出した。「超ラッキー」という意味だ。それを見とがめたキャシーがすぐにやってきて、稔は散々お湯を引っ掛けられたので、享志はこの幸運については、自分の胸三寸におさめておくべきだと若くして学んだ。

* * *


 俺様は、宴会場で風呂チームが戻るのを待っている。ここには、俺様をはじめとして四匹の猫がいる。猫と風呂は相いれないから、これでいいのだ。ニンゲンのくせに、風呂に入りたがらないヤツらも二人ばかりここにいる。イタリア系アメリカ人の女と、国籍不明の、額に飾りをした男だ。それぞれ事情があるのかもしれん。いずれにしても、他の彼奴らが食い散らかした残りのサシミや松葉ガニなどをほぐして俺様たちに食わせる係として使ってやっている。

 俺様以外の三匹は、どれも甘え上手だ。白いヘブンは控えめなヤツで、俺様にも挨拶をした。「空氣を読む」猫の典型だ。世界的に有名な『半にゃライダー』ナオキは、スターの傲慢さが全くない。他の二匹にサインをせがまれて、背中に醤油に浸した肉球を押し付けていたが、どうせ価値のわからぬニンゲンどもが、数日でシャンプーしてしまうに違いない。

 左右の目の色の違うマコトとやらは、やたらとアメリカ女に対して質問が多いが、ニンゲンが愚かでその言葉を理解していないことには氣がついていないらしい。だが、そのことを指摘してやるほど親切な俺様ではない。猫たるもの、ニンゲンが愚かであることは、自ら悟るべきなのだ。

 さて、風呂組も、順番に宴会場に戻ってきている。最初にやってきたのが、やたらと妻に謝ってばかりいるアメリカ人とその日本人妻。妻は「もう、恥ずかしかったんだから」とか言って批難しているが、夫の方は謝りながらも妙に嬉しそうだ。言動が破綻しているぞ。

 次にやってきたのは、ああ、この二人は彼奴らの中ではもっとも賢そうな兄妹。
「カロル、本当に楽しかったですね。これでいつ帰っても悔いはないわ」
「そうだな。いい経験だった」

 なかなか品のいい二人だ。この二人の所になら、飼われてやってもいいかなと少し思う。毎日美味しいものも食えそうだしな。と思ったら、突然二人は姿を消した。なんと。『根の道』が再び開きだしているらしい。

 それを見ていた、額に飾りをつけた男も、はっとしてその閉じかけている『根の道』に飛び込んだ。なんだ、こやつも帰るのか。だが、アメリカ女よ。お前はもう少しここにいて、俺様たちにその白身魚をほぐすがよい。そこのしじみもな。

「じゃあ、やっぱり『半にゃライダー』ごっこでもするか。ちょうど満沢とナオキもいるし」
「俺はまたあのアバンギャルドな髪型をしなくちゃいけないのか」
「テデスコ。サムライ役は格が上なんですよ。ところで、そうなると入浴シーンは?」
「お蝶が、まだ入っているだろ。お色氣シーンは、あいつの独断場だ」

蝶子 in お風呂 by ダメ子さん
このイラストの著作権はダメ子さんにあります。無断使用は固くお断りします。

「ああ~、いい湯だった」
「よし。続きでここで飲むぞ!」

 そう言って、ぞろぞろとうるさいヤツらが戻ってきた。ちっ。俺様たちの食べ放題はこれでおしまいか。うむ。早く次のオフ会をしてくれないかな。俺様としては、次回は北海道辺りで開催してもらいたいものだ。なんせ、うまい海の幸には事欠かないからな。

(初出:2015年4月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


http://www.kankou-matsue.jp/shinjiko_yuuhi/spot-01.html
宍道湖夕日スポット(とるぱ)

http://www.senjyuin.com/
尊照山 千手院

第一回、オリキャラのオフ会に参加くださった皆さん、それに一緒に楽しんでくださった皆さん、本当にありがとうございました! もしよかったら、またやりましょうね。

関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
  0 trackback
Category : 小説・松江旅情
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会 地名系お題 いただきもの

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(3)堀川めぐり

「オリキャラのオフ会 in 松江」第三弾です。四月八日の昼、四人は、まだお城付近にいます。本当の松江の桜は、8日にはもう散っているかもしれませんが、こちらではちょうど満開ということで。
オリキャラのオフ会
このアイコンはご自由にお使いください。

TOM-Fさんの所のセシルとアーサー、それに彼らの目撃情報によると彩洋さんちのハリポタトリオ、けいさんのところの「半にゃライダー」コンビも目撃されている界隈、まだまだ目撃情報が続きます。すみません、ストーリーもへったくれもなく、食べて飲んで見学して騒いでいるだけです。なお、私以外誰も知らないイタリア系アメリカ人キャラが一人登場しています。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の終わった後に連載する中編の主人公です。知らなくても心配なさらずにスルーしてください。

【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(別館に置いてあります)
あらすじと登場人物



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
 〜 松江旅情(3)堀川めぐり


「参りましたね」
レネは、辺りを見回した。ヴィルの表情は変わっていないが、困っているのは彼も同じだ。よりにもよって、なぜ日本人二人とはぐれてしまったのか。しかもこんなジャパニーズな場所で。

 松江城の見学が終わってから、四人は一緒に塩見縄手と呼ばれる通りまではやってきたのだ。そして、武家屋敷の中を一緒に見学することにした。松江藩士たちが住んだ屋敷で、二百七十年前のものがとても良い状態保存されているのでショーグンの時代にタイムスリップしたかのようだとレネは大喜びだった。

 それだけなら良かったのだが、ついうっかり「お休み処」に心惹かれて、庭を見ている蝶子や稔と離れてしまったのがいけなかったらしい。レネを引き止めにきたヴィルも巻き添えで迷子になってしまった。

「そんな遠くには行っていないはずだ。次にはコイズミなんとかに行くと言っていたから、そこを探せばいいだけだろう」
ヴィルは通りを見回した。

 問題は、二人とも日本語が全く話せないということだった。そして、日本人たちというのは、外国人が簡易な英語で話しかけると、どういうわけだか、一様に意味不明な笑みを見せて逃げていってしまうという謎もあった。

「ああ、日本人じゃない人がいましたよ!」
レネが嬉しそうに叫んだ。ヴィルが振り向くと、門の前に、褐色の肌を持った女性が立っていた。どうやら彼女は写真を撮っている別の女性たちを待っているようだった。

「ちょっとお伺いしていいですか」
レネが近づくと、彼女は振り向いた。そしてはっきりとしたアメリカ英語で答えた。
「どうぞ」

「どうやら俺たちは仲間の日本人たちとはぐれてしまったようなんだが、コイズミなんとかにはどうやったらいけるんだろうか」
ヴィルが訊いた。

 彼女は、肩をすくめてから、庭をみている二人の女性のうちの一人に英語で声を掛けた。
「ミホ! コイズミなんとかって知っている?」

 写真を撮っていた白人女性に一声かけてから、日本人女性がこちらに歩いてきた。
「ええ、すぐ側よ。このあと、私たちもそこへ行こうかと思っていた所だわ。でも、こちらは裏門だから、ここで探しても見つからないわよ」

 ヴィルとレネは安心して頷いた。アメリカ英語だが、話の通じる女性がいたのはありがたい。
「すまないが、連れて行ってくれるとありがたい。俺はヴィル、こっちはレネだ」
「よろしく。私は美穂、こちらはキャシーです。それから、あそこで写真を撮っているのは……。ジョルジア! そろそろ行くわよ。じゃ、行きましょうか。ところで、その足元の猫は、あなたの?」

 そう言われて、足下を見ると、茶虎の仔猫がじっとこちらを見上げていた。見上げているというよりは、睨んでいると言った方がいいかもしれない。一度も見たことのない猫だった。
「いや、僕たちの猫じゃありません。なんか、おっかない猫ですね」
レネが狼狽えた。

Oresama

「そう、今日は、やけにたくさん猫がまとわりつく日なのよね。さっきも茶虎の仔猫にあったんだけれど、そっちはやけに可愛くて、しかも目の色が左右で違ったのよ」
キャシーが言うと、ヴィルとレネは顔を見合わせた。二人とも、今朝あった『スズランの君』と、昨日旅館で逢った高校生のことを思い浮かべていた。オッドアイの猫が、二人のオッドアイの人たちが偶然来ている街にいる? どんな確率で起こることなんだろう。

「それに、ニューヨークでも大人氣の『半にゃライダー』のロケ現場にも出くわしたの。本物のナオキを見られるなんて、日本に帰って来た甲斐があったわ」
美穂が嬉しそうに言った。『半にゃライダー』? どこかで聞いたような……。

「あっ。以前、バイトをしたあの番組!」
レネが叫んだが、ヴィルは、ため息をついた。
「ついさっき、お城でショーをやっていたじゃないか。あんたはどうせ団子屋しか見ていなかったんだろう」

「あ、あのショー、あなたたちもご覧になっていらしたんですか? ラッキーでしたよね。『やにゃれたらにゃり返す。あなたには500倍返しにゃ。それが私の流儀なんでにゃ』あの決め台詞を聞けたなんて」

 美穂がうっとりとするのに心動かされた様子は皆無で、ヴィルはキャシーに訊いた。
「あんたたちも、あのマスクを被った猫のファンか?」

 キャシーは肩をすくめた。
「よくわからないわ。ああいうのは子供のためのものだと思うんだけれど、日本人にとっては違うみたいね。ジョルジア、あなたはどう思う?」

 そう言って振り向くと、連れの女はまた遅れていた。写真を撮るのに夢中になっているらしい。
「ジョルジア! 今日くらいは仕事のことは、忘れなさいよ! 今度はあなたがはぐれるわよ」

 レネとヴィルは、急いでこちらに向かってくるその女をちらっと見た。黒いショートヘアに飾りのない白いTシャツ、ジーンズにGジャンという少年のような佇まいで、どうやらスッピンのようだ。だが意外と整った南欧系の顔立ちだ。「ごめんスクーザ 」と口にしたので、イタリア系なのだろう。

「イタリア語も話せるのか」
ヴィルがイタリア語に切り替えて訊くと、少し驚いたが首を振った。
「私はニューヨークで育ったの。相手の言っているイタリア語はわかるんだけれど、ちゃんとは話せないの。あなたたちの方が、私よりずっと上手だわ」
「だって、僕たちは、年の1/3くらいはイタリアにいるんですよ」
「そう」

 威張った顔つきの仔猫は、五人にしっかりついてきている。話が分かっているみたいに、時々、バカにしたようにこちらを眺めるのがおかしい。

「ああ! いたいた!」
「おい、お前ら、探したんだぞ!」
小泉八雲記念館のすぐ前にいた蝶子と稔が近づいてきた。

「すみません! つい、うっかり」
レネが謝ったが、その時には二人は、新しく増えた連れの方に興味を示していた。

「へえ。ニューヨークから来たんだ。女性三人で?」
「ううん。ここにいるミホの旦那も入れて四人で。この子たちはサンフランシスコでイタリア料理店を経営しているの。せっかくだからミホの故郷を見にこようってね。私と、ここにいるジョルジアは生まれてからずっとニューヨーク在住。この人は、私の勤めている食堂のお客さんで、フォトグラファーなのよ」
キャシーが簡単に説明した。稔は不思議そうに美穂を見た。
「旦那さんは?」

 彼女は肩をすくめた。
「なんだか旅の途中から、様子がおかしくて。具合が悪いのかと訊いてもなんでもないって言うし。なれない長時間旅行で疲れただけだから、三人で観光して来いって言われちゃったの。何度か電話を入れているんだけれど、急病ではないみたいなんで、少し休んでいれば治ると思うんたけれど」

「ジェットラグかしらね?」
蝶子が言って、「小泉八雲記念館」の入り口をくぐった。六人はそれに続いた。

 後に小泉八雲と名乗ることになったラフカディオ・ハーンはギリシャで生まれ、アイルランドやフランス、アメリカで暮らした後に、明治23年、日本へやってきて島根県の尋常中学校と師範学校の英語教師となった。そして、松江に住み小泉セツと結婚した。橋姫伝説などの怪異譚を知り、後に『怪談』をはじめとして、多くの日本の伝説や文化について海外に紹介する原点となった松江生活だが、実際には一年と三ヶ月ほどしかいなかったと言う。

「大雪と冬の寒さに堪えたんですって」
展示を見ながら蝶子が言うと、稔が頷いた。
「ここは山陰だからな。降るときはすごいんだろうな」
「春に来て正解でしたよね」
美穂も頷いた。どういうわけか足元の猫も頷いていた。

「私たちこれから堀川遊覧船に乗るんだけれど、よかったら一緒にどう?」
そう蝶子が訊くと、アメリカ組三人はすぐに頷いた。

松江城の堀川は3.7km、所要時間55分で城の周りを一周する遊覧船がめぐっている。すぐ近くにあった乗船場で七人は同じ舟に乗った。
「その猫もですかい?」
そう訊かれて足下を見ると、まだ茶虎の猫がそこにいた。「当然」という顔をされて、周りを見回してから「しかたないな」と抱え上げたのは稔だった。

 船頭はなかなかのエンターテーナーで、松江城や松江藩の歴史をよどみなく話し、さらには「松江夜曲」なる歌まで披露してくれた。もっともガイジン比率が高く、内容をわかっていたのは限られていたが。

 岸辺と松江城の桜が見事だった。春の陽が波立つ川に反射してキラキラしていた。泳いでいた魚がぴちゃんと跳ねると、仔猫はびくっとして、稔にしがみついた。

「なんだ、魚が怖いのか?」
そういうと、「失敬な」という目つきで睨んだ。稔は「しょうがないな」といって、猫の尻尾の付け根あたりをこすってやった。一瞬、きっと睨んだが、そのポジションからいっこうに動かない所を見ると、もっと撫でろという意味なのかもしれない。周りの全員が桜や松江城を堪能しているのに、どうして俺だけこの猫の面倒を看ているんだろうと、稔は首を傾げた。

 一周して同じ発着所で遊覧船を降りた。代わりに乗り込んできたのは、三人組の日本人だった。男性が二人と女性が一人。一番前が、ふわりとした栗色の髪に大きい瞳が印象的な美青年。その後ろから長い髪を後ろで縛っている筋肉質で背の高い女性が乗り込んだ。一番後ろの黒髪で鼻筋が通り切れ長の目の青年は、ハンサムと言っても過言ではないのだが、どういうわけか頼りない印象を与えた。彼は城の桜を撮影していたが、女性に「玉城、船頭さんが待っているんだから、さっさと乗れ」と叱られていた。

 稔にくっついていた仔猫は、すぐにその青年の所へ行って、批難のまなざしで見上げた。稔と背の高い女性の二人は、それに同時に氣がついて、顔を見合わせて笑い出した。船の中で桜を見ていた美形の青年と、カメラをしまって舟に乗り込もうとしていた玉城と呼ばれた青年は、何があったのかわからずにぽかんとして、女性と稔の顔を交互に見た。それから、玉城青年が足元の茶虎の仔猫に睨まれていることに氣がつき「ひゃっ」と言った。それで、こんどはその場にいた全員が笑った。

 それから仔猫はすっと稔の横に戻ってきた。会釈を交わすと、三人組をのせた遊覧船は、岸を離れていった。

 そのまま七人で昼食をとることにした。発着所の隣に『松江・堀川地ビール館』という建物があり、最高級の島根和牛を焼き肉で食べることができる。七人という大所帯なので、コースの他にいろいろな肉や野菜を少しずつ頼んで、地ビールも堪能した。

「なんだ、このビール。やけに美味いな」
ヴィルが首を傾げると、稔と蝶子はガッツポーズをした。
「インターナショナル・ビア・コンペティションで何度も入賞しているんですって。ドイツのビールにも負けていないでしょう?」
レネとヴィルは頷いた。キャシーはいける口のようで、陽氣に騒いでいた。一方で、ジョルジアはビールではなく島根ワインを頼み、静かに食べていた。

 島根和牛の美味しさは、格別だ。ヨーロッパの煮込まないと食べられないような大して美味しくない牛肉に慣れているArtistas callejerosの四人も、それから量だけはあるが大味なアメリカンビーフに慣れているアメリカチームも、焼き肉を食べるときはしばし無口になった。

「ああ、日本の食事って、おいしいですよね」
霜降り和牛と一緒に食べているお替わり自由のご飯を噛み締めるように、美穂が言った。

「カリフォルニアなら和食なんて珍しくもないかしら?」
蝶子が訊くと、美穂は首を振った。
「日本料理店は多いですけれど、私はほとんど行かないんです。なんせ自分自身がイタリア料理店で働いているので」

「じゃ、家で和食ってこともないんですね」
レネが訊いた。美穂は首を振った。
「和食って手間がかかるでしょう。仕事以外ではあまり調理に時間をかける氣にならないんで、食べたくて死んじゃうって時じゃないと、なかなかね」

「さっき懐石料理とかいう料理のパンフレット見せてもらったけれど、手が込んでいるんだものねぇ。あれを仕事のあとに作るなんて、私も嫌だな」
キャシーが言った。稔も蝶子も、懐石料理を家庭で作るわけないだろうと思ったが、家庭料理との違いについての説明が面倒だったのでスルーした。

「みなさんは、これからどうするんですか?」
美穂は稔に訊いた。

「松江フォーゲルパークに行こうと思ったんだけれど、ガイジンたちがもう動きたくないって言うんで、諦めて夕方までここで酒でも飲んでいようかと思っているんだ。宍道湖の夕陽を見た後、千手院のしだれ桜を見て、それから玉造温泉に戻るよ」
「えっ。玉造温泉にお泊まりなんですか? 私たち『長楽園』に泊るんですが」
「へえ。偶然だな、同じ宿だ。じゃ、また逢えるな」

「ええ。じゃあ、私たちは『八重垣神社』へ行ってきますから、後でまたお逢いしましょう」
美穂と、キャシー、そしてジョルジアは手を振って、出て行った。

 四人はそのまま地ビールとつまみで本日の宴会の第一弾を始めた。茶虎の仔猫は「しかたないな」という顔をして、大騒ぎする四人を片目で見てから丸まった。

(初出:2015年4月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


今回でてきた名所に興味を持たれた方は、こちらへどうぞ。
http://www.matsue-tourism.or.jp/buke/
松江市指定文化財 武家屋敷

http://www.matsue-tourism.or.jp/yakumo/
小泉八雲記念館

https://www.ichibata.co.jp/jibeer/index.html
松江・堀川地ビール館

内容もないのにダラダラと連載していますが、次回、フィナーレです。やっと(笑)
関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
  0 trackback
Category : 小説・松江旅情
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】ピアチェンツァ、呪縛の古城

この作品は2015年のエイプリルフール企画です。念のため。

今日の作品は、ほんのちょっとホラー・テイストです。イタリアの古城で起こった幽霊による神隠し。悲鳴を残していなくなった恋人のために奮闘する青年のお話。


ピアチェンツァ、呪縛の古城

 どうしてこんなことになったのだろう。イェルク・ヨナタン・ミュラーは、青ざめて古城の暗い廊下を歩んでいた。

 彼は、休日を利用して、恋人であるステラと一緒に、このピアチェンツァに日帰り旅行に来ていた。その坂を登ったところに、できたての野菜と美味しい豚肉料理を出してくれるアグリトゥーリズモの田舎風レストランがあるはずだった。ステラに地図を読ませたのが間違いだった。「私だって地図ぐらい読めるわ」彼女の言葉を信じてしまった彼の失態でもあった。女に地図が読めるはずがないのに。

 坂を登りきった所にあったのは農家ではなくて古城だった。それもレストランなどが併設されているようではなく、明らかにプライヴェートの。すぐに来た道を戻ろうとするヨナタンに、ステラは言った。

「でも、この裏に農家があるかも」
彼女が勝手にそちらに行ってしまったので、彼はあわてて後を追った。そして、空模様が急におかしくなっていることを知った。まさかこんな時期に雷雨が来るのか? 雨宿りをしなくてはならない、だがその前にステラを止めないと、角を曲がろうとした時に、ステラの悲鳴が聞こえた。

「ステラ! 何があったんだ」
慌てて後を追ったが、角を曲がった途端に、彼は意識を失った。氣づいた時には、冷たい石畳の敷き詰められた暗い廊下に横たわっていた。

「目が覚めたか」
女の声がしたので振り向いたが誰もいなかった。
「誰だ。どこにいる」
「ここだ。だがお前には見えまい。ふふふ。さあ、立ってこちらに来るのだ。声のする方に……」

「だが……彼女は無事なのか?」
ヨナタンは、焦りを隠さずに問いかけた。女の声はカラカラと笑った。
「お前が言う事をきかなければ、無事では済まない。いいか、お前に選択権はない。ここでは、人間ごときの能力など何の役にも立たないからだ」
姿の見えない女の声は薄氣味悪く虚空に響いた。

 石の床は彼の足元で冷たい音を立てた。廊下の両側に立っている中世の甲冑が揺れてカチャカチャと鳴った。金属音が鋭く彼の耳を貫いた。脇に冷たい汗が流れる。ここから逃れる術は何もないのだろうか……。

 やがて、彼は大きな木のドアの前に立たされた。
「さあ、ここに入るんだ」
おどろおどろしい声に促されて、怖々と彼がそのドアを開けると、何故か全く似つかわしくない音楽が大音響で流れていた。

――これは……ビヨンセじゃないかな?

 そして目に飛び込んできた光景はもっと奇妙だった。たくさんの男たちがいた。全部で20人くらいだろうか。男だけだったが、どういうわけか全員ハイヒールを履いて踊っていた。

「は~い、マウリッツィオ。新しいバックダンサー連れてきたわよ」
ふと横を見ると、さっきの声の主が、天使みたいな羽根をつけた少女の姿になって顕現していた。

limeさんの「羽根のある君と」
このイラストの著作権はlimeさんにあります。使用に関してはlimさんの許可を取ってください。

「おお、ご苦労。次の迷子が来たら、またここに連れてきてくれ、アロイージア」
一番前で踊っていた黒髪に青い瞳をした男が頷いた。後ろで踊っていた男たちも騒いだ。
「よろしく! 新しいお仲間さん!」

「お前らは黙って練習しろ。おい、そこの新入り。さっさとそこにあるハイヒールに履き替えて、一番後ろに並べ! そこの筋肉男! 振り付けを教えてやれ」
マウリッツィオは、厳しい顔で命じた。

「あ、あの……、これはいったい……」
ヨナタンが体格のいい男に近づいて声を顰めた。

「よろしく。俺の名前は、マイケル・ハースト。アメリカ人だ。それから、そこにいる三人は大道芸人だそうだ。金髪のドイツ人がヴィル、茶髪のフランス人はレネ、それからそこの日本人は稔というらしい。ああ、それからもう一人日本人がいたな。たしかヤキダマとかいう。それにそこのモロッコから来たヤツはムスタファ。あとは、俺もまだ名前を知らないんだ。ところで、あんたは?」
「ヨナタンです。ドイツ人ですが、イタリアに住んでいます」

「そうか、ヨナタン。ご苦労だが、あんたがここに来たからには俺たちと一緒に踊ってもらわなくちゃいけない。俺たちの連れの女たちは全員人質になっている。そしてあのマウリッツィオとさっきの羽の生えた幽霊が満足する踊りを習得するまで解放してもらえないんだ。この曲は知っているだろう?」

「はあ。たしかビヨンセの……」
「そう『Crazy In Love』だ。そんで、あいつはヤニス・マーシャルみたいにカッコ良く踊りたいんだってさ。で、俺たちがバックダンサー。人質を無事に返してもらいたかったら、とにかくこの振り付けを憶えんだな」
「……はあ」

 ヨナタンは、生まれて初めてハイヒールを履き、とにかく振り付けを憶えた。といってもうまく踊れるはずなどなく、マウリッツィオに罵倒されつつ必死でレッスンを繰り返した。

 前の列で踊っている三人の大道芸人たちは、バックダンサーにされてからかなり長い時間が経っているらしく、振り付けはばっちり、おしゃべりをする余裕もあるらしかった。

「ヤス、その日本の盆踊りみたいな動きは何とかならないのか」
「お前こそこんなシュールなダンスを無表情で完璧に踊るのはやめろよ」
「テデスコ、少し手加減してくださいよ。あまりうまく踊るとマウリッツィオを食っちゃって、睨まれますよ」
「ふん。どうやったらヤスみたいに下手に踊れるのかわからん」
「くそっ! 憶えていろ!」

 ヨナタンは、周りを見回した。ヤキダマと紹介された男は日本人らしく黙々と練習していた。よほど人質となった女性が心配らしい。僕もちゃんと踊らないと。ステラはどんな辛い目に遭っているんだろう。

 その一方で、彼は視界の端に、三頭の仔パンダが楽しそうに踊っているのもとらえていた。真面目に心配するようなシチュエーションには思えないが、ここはいったいどうなっているんだろう。

* * *


「もう少し、コーヒーはどう?」
にこやかに奨められて、ステラは戸惑いながらコーヒーカップを差し出した。

「あの、こんなことをしている間に、ヨナタンは……」
そう言うと目の前の蝶子と名乗った日本人女性が笑って否定した。
「大丈夫よ。エンターテーメントの練習をしているんですって。私たちはこうやってお茶会をして待っているだけ。ほら、レアチーズケーキもあるわよ」

 ステラは周りを見回した。17、8人の女性と、明らかにパンダに見えるのに服を着ている二人が大きな舞台のある大広間に用意されたデザートビュッフェでにこやかに談笑していた。国籍も、年齢もバラバラだが、誰もがかなりリラックスしていた。

 時おり、彼女たちをこの広間に連れてきた羽根のある幽霊がやってきては、報告をしてからいなくなった。
「まだ踊れないヤツがいて、もうちょっとかかるかも。あ、パンナ・コッタも用意したから。ワインの方がいい人がいたら言ってね」

 ステラは、隣の席に座っているコトリと名乗った日本人に話しかけた。
「あなたもレストランを探していて迷いこんだの?」
「いいえ。新婚旅行中で古城ホテルに泊るはずだったんですけれど、そのホテルからいつの間にか転送されてしまって」
「え。そうなの?」
「バイクはあっちのホテルにあるはずだし、この催し物が終わったら、どうやって帰っていいのか」

 向かいの席に座っていたミシェルと名乗ったフランス人の女性がコーヒーを飲みながら言った。
「私たちなんか、元の世界に連れを一人追いてきちゃったみたいなの。早く帰って世話をしてあげないといけない人なんだけれど、それを言ったらあの幽霊は、時間が止まっているし、満足のいくエンターテーメントになったら、元の世界にはちゃんと送り返すから大丈夫だって。ま、心配しても何もできないし、こんなにゆっくりできることって久しぶりだから、楽しんじゃおうかなって」

 そうか。じゃあ、私もヨナタンが戻ってくるまで、パンナ・コッタでも食べようかな。

 ステラが、パンナ・コッタと、レアチーズケーキと、ベイクド・チーズケーキと、サバイオーネと、レモンケーキと、マチェドニアと、ティラミスと、それからマーマレード・サンドイッチを食べ終えた頃、舞台に灯りがついて、音楽が流れた。ビヨンセの『Crazy In Love』だ。

 奥の大階段から、一番前に艶のある黒革の衣装に、黒いハイヒールを履いたマウリッツィオが降りてきて、後ろに二十人のバックダンサーが続く。うまい男と下手くそな男と色々いるが、それぞれが懸命に踊っている。

 ヨナタンが、ハイヒールで踊っている……。ステラは、カルチャーショックで固まった。隣を見るとコトリも硬直していた。けれど、ミシェルと蝶子、それにガタイのいい男を応援しているアレクサンドラという女は、大笑いしながらも拍手をして騒いでいた。

 稔は予想通りヘタクソだった。だが、ふっきれて笑いを取る方に走っていたので、見ていて辛くはない。レネは意外と踊りが上手い。リズムのとり方が上手な上、リラックスしている。ヴィルはプロ並に上手いのはいいのだが、いつもの無表情のままなのでかえって怖い。

 一生懸命が服を着ているような踊り方をしているのは、ヤキダマだ。振り付けを間違えないように集中しているので、新婚旅行中にハイヒールを履いて踊らされている理不尽について思いやってあげられるのは、新妻のコトリ一人だった。

 そのヤキダマの一生懸命さと比較して、ヨナタンの方は「なぜこんなことをしているんだろう」という疑問が表情と踊りの両方に表れていた。もっとも普段から舞台で音楽に合わせて演技するサーカスの道化師なので、踊り方はさほど下手ではない。

 そして、褐色のモロッコ人ムスタファはさすがに身体能力が抜群で、踊りが様になっている。負けてなるものかと、横でノリノリで踊るのは、「ブロンクスの類人猿」とアレクサンドラに呼ばれているマイケル。二人で、アドリブを混ぜながら仲良く踊っている。「楽しんだもの勝ち」のいい実例だ。
 
 そして、望み通りのバックダンサーを従えて得意顔のマウリッツィオは、羽根の生えた幽霊アロイージアの用意したスポットライトの光を浴びて汗を飛び散らせ回転している。

「キャー! セクシーねぇ」
「おお、こんなに上手く踊れるとは!」
女たちは拍手喝采だ。その周りを、ポルターガイストで、カップや皿が広間を飛び回っている。

 間奏曲になると、三頭の仔パンダが前面に出てきて、キュートなダンスを披露する。あまりの可愛さに、女たちは悶死寸前だ。

 それから再び全員で激しく踊り、熱氣の中で最後のポーズが決まった。やんやの拍手喝采がなされた。スタンディグ・オベーションにマウリッツィオは大満足だった。

 バックダンサーにされた男たちは、女たちが菓子とコーヒーとワインでもてなされているのを見て、文句たらたら、さらに男なのに仔パンダが踊るのと引き換えにこちらで待っていられた父親パンダへのひいきに文句を言うものも出てきたが、今からお茶会に加わっていいとのマウリッツィオの宣言を聞くと、大喜びで舞台から降りてきて、それぞれの連れの女性の所へと走った。

「お疲れさま。ヨナタン。意外だったけれど、かっこよかったよ」
ステラが言うと、ヨナタンは照れたように笑って「ありがとう」と言った。

 女たちにそれぞれ上手に労われて、さらに空腹が癒されると、男たちの機嫌も治ってきた。
「お腹もいっぱいになったことだし、いい加減この衣装とハイヒールは返したいよな」
稔が言うとレネも頷いた。
「僕の服、どこに言っちゃったんだろう」

「俺の服のポケットには、手榴弾が入っているんだ。扱いには氣をつけてくれよ」
マイケルは物騒な文句を言う。

「そんなに、着替えたいか」
その声に見上げると、マウリッツィオ・ビアンコが不敵な笑みを漏らして立っていた。

「まさか、このまま解放してくれないとか?」
ヴィルが眉をひそめた。

 ビアンコは高笑いした。恐ろしいラップ音とともに、バックダンサーたちは、黒いシャツに白いスーツというお揃いの服装に早変わりしていた。

「もちろん、このまま返すわけはないだろう。次は『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。さっ、男ども、さっさと練習室に戻るんだよ!」

 マウリッツィオ・ビアンコに命じられて、男性陣は猛烈なブーイングで抗議したが、ポルターガイストで何でも起こる古城で彼らにできる抵抗はほとんどなかった。

 彼らが練習室に姿を消すのを見守った後、女性陣とパンダの夫婦は顔を見合わせると、再びコーヒーポットから熱々のコーヒーをお互いのカップに注ぎ、新しく積まれたお菓子に手を伸ばして和やかに談笑を始めた。

 幸せな北イタリアの春の午後は、のんびりと過ぎていった。

(初出:2015年4月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


え~、今年もやってきました、恒例のエイプリルフール企画。さすがに今年騙された方はいらっしゃらないかと思いますが(笑)

ハイヒールを履いてビヨンセを踊るヤニス・マーシャルというのはこの人です。

YANIS MARSHALL CHOREOGRAPHY. MUSIC BY BEYONCE. FEAT ARNAUD & MEHDI. STUDIO68 LONDON #BGT REHEARSAL

で、これがご本家。

Beyoncé - Crazy In Love (Live)

さて、演技したチームですが……
今年、強制友情出演してくださったのは

山西 左紀さん「254」からコトリとヤキダマ
ユズキさん「ALCHERA-片翼の召喚士-」からハギ副将軍とそのご家族(パンダ一家)
大海彩洋さん「明日に架ける橋」からムスタファとミシェル
そして、limeさんイラストの二人


大事なキャラを無断でお借りいたしました! お詫びとともに、心から御礼申し上げます。エイプリルフールなので、怒らないでくださいね。

このブログからの出演者は

ヨナタン&ステラ from 「夜のサーカス
蝶子&稔&レネ&ヴィル from「大道芸人たち Artistas callejeros」
マイケル&アレクサンドラ from 「ヴァルキュリアの恋人たち」「ヨコハマの奇妙な午後」
マウリッツィオ&アロイージア from 「ピアチェンツァ、古城の幽霊」


で、お送りしました。
関連記事 (Category: 小説・ピアチェンツァ、古城の幽霊)
  0 trackback
Category : 小説・ピアチェンツァ、古城の幽霊
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(2)城のほとり

「オリキャラのオフ会 in 松江」第二弾です。四月八日の朝、四人は、旅館の朝ご飯を堪能した後に電車に乗って松江の街にやってきました。

あ、参加者の方への業務連絡です。玉造温泉の混浴が人氣でしたので、夜に千手院で夜桜を堪能した後に、また玉造温泉に戻って再び四人を月見沐浴させようと思います。ご希望の方は、どうぞ乱入してきてくださいね。また、私が書いていない時間、スポットでの目撃談も、どうぞご自由に書いてくださいませ。


オリキャラのオフ会
このアイコンはご自由にお使いください。

ちなみに、Artistas callejerosの四人組の外見描写、私の書いている中にはほとんど出てきません。目の色などを細かく知りたい方はこちらをどうぞ。視覚で知りたい方は下のユズキさんの描いてくださったイラストで。髪型など、完璧に再現してくださっていますので。服装も、このままということにしちゃいます。蝶子だけは、これに白っぽいスプリングコートを上に着ているかな。
「大道芸人たち」 by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない使用は固くお断りします。

【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(別館に置いてあります)
あらすじと登場人物



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
 〜 松江旅情(2)城のほとり


「ちょっと、ブランベック。なに食べ歩きしているのよ」
蝶子は露骨に嫌な顔をした。レネは、たった今入ったばかりの和菓子店「石倉六角堂」で買いあさった和菓子のうち、どら焼きを開けて食べていた。

「お茶もなしによくそんな甘いものが食えるな」
稔も呆れている。ヴィルも今回は助け舟を出すつもりはないらしい。なんせ四人はつい今しがた、併設された簡易喫茶で練りきりと緑茶を堪能してきたばかりなのだ。

「こんなにおいしい和菓子は、僕たちの所では食べられないじゃないですか。放っておくと固くなっちゃうし、少しでもたくさん食べておかないと」
レネはふくれた。

「そんな姿をみたら、百年の恋も醒めちゃうわよ」
「ほっておいてください。見られて困るような人がここにいるわけないんですから」

 レネが、一つめを食べ終わって、さらに袋を探っている所を稔がつついた。
「おい。今の言葉、後悔すんなよ。ほらっ」

 レネは顔を上げて、稔が顎で示している方向を見て、ぽかんとした。
「……スズランの君……」

 蝶子とヴィルも、レネの視線を追った。道の向こう側、お城の堀に近い方向を、二人の外国人が歩いていた。一人は長い金髪に濃紺のスーツを身に着けた背の高い男性で、もう一人は桜色に薔薇の柄のフリルの多いドレスを着ている若い女性だった。

 その女性をもっとよく見て、ヴィルと蝶子にもレネが誰の事を言っているのかわかった。真珠色の長い髪に赤と青のオッドアイ。ロンドンで、レネがぽーっとなったという女性だろう。レネは彼女にもらったレースのハンカチを未だに大切にしているのだが、そのハンカチから薫っていたのが『リリー・オブ・ザ・バレー』の香水だった。

「ほらみろ。買い食いなんてするもんじゃないだろう」
稔が言うと、レネは恥ずかしげに出しかけていた二つ目のどら焼きを袋にしまった。

「どうした?」
ヴィルが、蝶子に訊いた。蝶子は、やはり少し驚いた様子で、女性の連れの方を見ていた。
「あの男性……」
「知ってんのか?」
稔が訊くと蝶子は頷いた。
「大英博物館で逢った人よ。へえ。『スズランの君』と知り合いだったのね」
「そういえば」と稔は首を傾げた。「あの時のサツ野郎と一緒じゃないんだな……」

「ロンドンで逢った人たちと、日本で再会か……。不思議なめぐり合わせだな」
ヴィルが言うと、レネが息巻いた。
「運命ですよ!」

 蝶子と稔は吹き出した。それから稔が訂正した。
「『縁』だろ。島根県は『縁の国』だからな」

 四人は、道路の向こうの二人に会釈をして通り過ぎた。ところで、あの人は私のことを憶えているのかしら? 蝶子はちらりと考えた。

* * *

 
 松江城の観光を始める前に、まず松江歴史館から観ることにした。武家屋敷のような建物で、松江城とその堀川の景色ともよくマッチしている。もともとは四家の重臣の屋敷のあった場所で、その中の松江藩家老朝日家長屋の一部が今も残り、松江市指定文化財となっている。歴史館にはこの建物や復元された木幡家茶室や日本庭園と企画展示室が上手に組み合わされている。

 展示室では、松江藩の概要、産業、城下町の暮らし、それに水とともにある松江の暮らしなどをコーナーごとに解説し、模型、絵巻風のパネルや鎧兜、陶器、その他の展示で日本語が読めないものも飽きずに見学できるようになっていた。

 ひと通り見学を終えて、出口に向かう途中、売店の側でレネが足を止めた。喫茶店があったのだ。蝶子が辛辣なひと言を言おうとした正にその時、横をドイツ語で話しながら二人組が通り過ぎた。

「先生。ついさっき和菓子屋で食べたばかりじゃないですか。いちいち和菓子を見る度に食べようとなさらないでください!」
「失敬なことをいうね、フラウ・ヤオトメ。この前に通った、少なくとも二軒の和菓子屋では立ち止まらなかったぞ」

 蝶子は吹き出した。首を傾げるレネと稔にヴィルが素早く通訳した。それを耳にして、二人組は立ち止まった。一人は太い眉に銀のラウンド髭を蓄え、細かいチェック柄のツイードの上着を着た厳格そうな外国人で、もう一人は首までの茶色く染めた髪を外側にカールさせ、臙脂色のスプリングコートを着た日本人女性。

「この街で、ドイツ語のわかる人に逢うとは思わなかったな」
と、紳士は握手の手を伸ばし、スイスに住むクリストフ・ヒルシュベルガー教授であると自己紹介をして、同行しているのが秘書のヤオトメ・ユウであると言った。

「お知り合いになれて光栄です。ヴィルフリード・エッシェンドルフです」
ヴィルは、手を伸ばし礼儀正しく挨拶をした後、続けて残りの三人を紹介した。

「せっかくですから、ここの喫茶店でお茶でもしませんか」
教授がそう言ったので、蝶子はまた笑いそうになったが、必死で堪えて喫茶店『きはる』に入った。日があたり暖かいので屋外の濡れ縁で、和菓子と緑茶を楽しんだ。

「この後は、どこに行かれるのですか?」
ユウが訊いた。蝶子は日本語で答えた。
「ここ以外は、まだ、和菓子屋にしか入っていないので、これからちゃんと観光する予定なんです。まずはお城に行って天守閣に登りたいなと思っています。それから、できれば堀川遊覧船にも乗りたいですし、武家屋敷や小泉八雲記念館にも行きたいなと思っているんですが、あまりたくさん観光したがらないガイジン軍団がいるんで、計画通りにいくかどうか……ユウさんは?」

「ええ、和菓子屋めぐりはそこそこにして、イングリッシュガーデンにいくか、神魂神社への参詣ついでに『風土記の丘』や黄泉比良坂に行くのもいいかなと」
「氣になる所、たくさんありますよね」
「ええ。でも、外国人連れだと……何に騒いでいるのかわかってもらえない部分もありますよね」
「確かに」
妙な所で意氣投合してしまった。

「でも、外せないのは宍道湖の夕陽を見て、千手院でしだれ桜を見ることでしょうか」
ユウが言うと、稔が頷いた。
「確かにそれは見逃せないな。じゃあ、後でまた逢うかもしれないな」

 和菓子も食べて、レネとヒルシュベルガー教授も満足したようなので、六人は松江歴史館を出て再会を約束して別れた。

「さあ、とにかくお城に行きましょう」
立派な門を通って、小高い丘を登っていく。
「やっと入口か。天守閣に行くのもさらに登るんだよな。覚悟しろよ」
稔が言う。

「あ、あそこでお団子を売っていますよ!」
レネの叫びを、三人は無視することにした。

(初出:2015年3月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


【参考】
松江歴史館
http://www.matsu-reki.jp
関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
  0 trackback
Category : 小説・松江旅情
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(1)玉造温泉

「オリキャラのオフ会 in 松江」第一弾です。といっても、ちょっとまだプロローグ的です。日時は前泊から始まっていますし、場所は玉造温泉。でも、ちゃんと4月8日も入っているし、玉造温泉は松江市です(笑)

オリキャラのオフ会
このアイコンはご自由にお使いください。

今回のオフ会でも、結局この四人をメインに物語を組立てることにしました。物語と言っても、あまりストーリーもありませんけれど。前泊、朝、昼、宵くらいで松江市をうろつかせようかなと思っています。途中で、ほかのウチのオリキャラもいろいろと出てくると思いますが、それは適当に。他の方が書かれたものがあれば、それに合わせてどんどん動かしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。臨機応変にね。あ、本文には書きませんでしたが、他の方達に目撃された時、四人はたぶん旅館の浴衣と半纏を着ていると思う……。

【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(別館に置いてあります)
あらすじと登場人物



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
 〜 松江旅情(1)玉造温泉


「うわっ。こりゃ壮観だ」
稔は玉湯川の桜並木を見て叫んだ。四百本の桜が咲き乱れる様は壮観だ。夜はライトアップされる。
「きれいねぇ。やっぱり桜の時期の日本は外せないわね」
蝶子がうっとりする。

「この桜、すごいですね。花がこんなにぎっしりと詰まっている」
「なるほどな。日本の桜を見ろと、行ったヤツが口を揃える理由がわかったよ」
ガイジン二人もすっかり感心している。

 玉造温泉は、松江からJR山陰本線でおよそ十分のところにある温泉街だ。『枕草子』にも三名泉としてその名が登場し、歴史と格式がある。規模は大きいが、歓楽色がないうえ、料金設定も高めで数寄屋造りの高級旅館が多い。そのため、観光客ずれした場所を嫌うヴィルやレネを連れてくるにはもってこいだった。街のあちこちに、出雲の神話をモチーフにしたオブジェが建っている。

「まずは、今夜のお宿に行きましょうよ。温泉に浸かってゆっくりとして、明日、松江の観光に行くことでいいわよね」
蝶子が言うと、稔が付け加えた。
「宴会を忘れんなよ」

 島根県松江市玉湯町にある「玉造温泉 湯之助の宿 長楽園」は、明治元年創業の老舗だが、創業した長谷川家は奈良時代からこの地に住み、江戸時代より松江藩から「湯之助」の官職を申しつかり玉造温泉の差配・管理をしていた由緒ある家柄だ。

 そもそも玉造温泉は、奈良時代に開かれた日本最古の歴史を持つ温泉の一つで、大国主命とともに国造りをした少彦名命が発見したとの言い伝えもある。

「『ひとたび濯げば形容端正しく、再び浴すれば万の病ここぞとに除こる』って、出雲風土記に書いてあるんだって」
説明書きを読みながら、蝶子が頷く。
「なんですか、それは?」
もともと日本語はまったくわからないレネが首を傾げる。稔が砕いて英訳した。
「一回入ると美形になって、二回入ると病が治るってことじゃないか」
「僕も?」
レネが言うと、ヴィルは鼻で笑った。
「温泉に入っただけで、姿形が変わるわけないだろう」

「とにかく! ここに来たのは混浴ができるからなのよ」
蝶子が言うと、ガイジン二人は目を剥いた。
「こ、混浴? で、でも、日本のオンセンって……あの、その、すっぽんぽんで……」
レネが大いに狼狽えて、ヴィルは無表情ながらもムッとしたのがわかった。

「大丈夫だよ。混浴って言う場合は、本当の裸じゃないんだ」
稔がパンフレットを見せた。たしかに女性モデルが薄いバスタオルのようなものを巻いて温泉に入っている。
「前に日本に来た時、私だけ別のお風呂だったでしょう? 今度は絶対混浴温泉に行こうと思っていたの」
蝶子はすっかり乗り氣だった。一方、ヴィルはパンフレットに掲載された料理に興味を示した。
「ここでも、例の宴会か?」

 稔は大きく頷いた。
「そ。日本で旅館に泊まるとなると、必ず宴会食なんだ」
「日本酒、楽しみですねぇ」
レネも目を細める。

食事は、掘りごたつの座敷会場でだったが、自分たちの席に案内される時に他の客たちが既に食事をしている横を通った。

「お、おい。なんか可愛い三人組がいるぞ」
稔が蝶子を肘でつついた。見ると、二人ロングの長髪、一人はおかっぱの少女で、三人ともよく似ているので姉妹のようだ。稔は、一番年若いと思われるおかっぱの少女を見てにやけている。蝶子は肩をすくめた。
「あなたって、本当に結城さんと女の子の好みがダブっているわよね」
「いいじゃないか。結城と違って、こっちは見ているだけで実害はないぞ」
「まあね。あの子、未成年みたいだから、実害があっちゃ困るわよ」
「あの子たちも混浴温泉に行くのかなあ。断然楽しみになってきたぞ」

 蝶子は、ため息をついて通り過ぎた。案内された席の反対側には、やはり高校生と思われる三人組がいた。こちらは女の子ひとりと、男の子二人。そのうちの一人が元氣よくその場をしきっている。もう一人の男の子は、寡黙だ。どこか違和感があって、蝶子がもう一度よくその少年を見た。そして納得した。瞳が片方だけ碧かったのだ。へえ。珍しいもの見ちゃった。蝶子は心の中でつぶやいた。

 もっとも日本人二人、外国人二人の蝶子たちは、やはり周りの注目の的だった。特に隣の高校生たちが大人しくジュースを飲んでいるのに、次々と日本酒をオーダーしてよく飲むArtistas callejerosは、かなり浮いていたに違いない。

 島根和牛のステーキ、桜鯛や花烏賊のお造り、筍の土佐煮、白魚と穴子の桜花揚げ、その他たくさんの海の幸と山の幸を桜を多用した春らしい会席料理。
「日本の料理って、味だけでなくて、見た目も楽しむものなんですよね」
レネが言い、四人は頷きながらしみじみと味わう。
「これが終わったら、露天だ、露天」
やけにハイテンションな稔に蝶子は白い目を向ける。
「こんなに飲んで、お風呂で倒れないでよ」 

 水曜日の朝、蝶子は一人で朝風呂に向かった。昨夜、四人で露天風呂に来たが、いたのは彼らだけだった。
「ちぇ。せっかく日本の露天に来て、見れたのはお蝶だけかよ」
ブツブツ言っていた稔のことを思い出す、おかしくてしかたない。

 ふと見ると、昨日の三人組の女性が、仲良く並んで女湯に浸かっていた。あらぁ、いるじゃない。もっともここじゃ、ヤスが見るチャンスは皆無だったわね。

 蝶子は、巻物を身につけて、朝の露天風呂に向かった。冷たい風が氣持ちいい。ほのかに桜の香りのただよう春の露天で、今日のこれからのことを考えた。朝食の後、チェックアウトして松江に向かうのよね。美味しいものもたくさんあるし、観たいものもいろいろ。もっとも、ガイジン軍団は、あまり動きたがらないから、どうやって移動させるかがポイントよね。
 
 楽しい一日が始まった。

(初出:2015年3月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


【参考】
「玉造温泉 湯之助の宿 長楽園」のサイトです。行きたいけど、遠い……。
http://www.choraku.co.jp/onsen/ryugu.html
関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
  0 trackback
Category : 小説・松江旅情
Tag : 小説 連載小説 コラボ オリキャラのオフ会 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】さようならのかわりに

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十七弾です。TOM-Fさんは、もう一度「マンハッタンの日本人」のための作品を書いてくださいました。ありがとうございます。

TOM-Fさんの書いてくださった『マイ・ディアレスト - サザンクロス・ジュエルボックス アフターストーリー』
TOM-Fさんの関連する小説: 
「天文部」シリーズ
『この星空の向こうに』-Featuring『マンハッタンの日本人』
『この星空の向こうに』第2話サザンクロス・ジュエルボックス -Featuring『マンハッタンの日本人』


今年の「scriviamo!」は、全く今までと違った盛り上がり方をしました。なぜモテるのかよくわからないヒロインの取り合いという、書いている本人が首を傾げる状況でした。TOM-Fさんも、たぶん「乗りかかった舟」というのか、半ば私に脅される形で、アタックするジョセフを書いてくださいました。

自分で「ぐらっときたほうに美穂をあげます」と、書いてしまい、死ぬほど後悔しました。実生活だって、こんなに悩んだことないのに、なぜ小説でこんなに悩むことに……。ええ、三角関係を煽るような真似は、もうしません。海より深く反省しました。

今回書いたこの作品が、私の書く「マンハッタンの日本人」シリーズの最終回です。皆さんご注目の「どっちを選んだか」には異論があることも承知です。みなさんの予想とどう違ったかにも興味があります。

それはともかく、この作品を、ここまで盛り上げてくださった、ポール・ブリッツさんとTOM-Fさんのお二人、そして《Cherry & Cherry》とキャシー誕生のきっかけをくださったウゾさん、それから一緒になって騒いでくださった読者のみなさまに心から御礼申し上げます。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、まとめ読み出来るようにしてあります。
「マンハッタンの日本人」あらすじと登場人物
「マンハッタンの日本人」シリーズ

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



「マンハッタンの日本人」シリーズ 13
さようならのかわりに
——Special thanks to Paul Blitz-san & TOM-F-san


 なんて明るいのだろう。美穂はワーナーセンターの入口で、ネオンの灯でまるで昼のように明るいマンハッタンを見回した。何年この街にいたんだろう。これが見納めなのかと思うと、不思議な心持ちがした。もう全部終わったんだよね。船便で送り出した荷物は、あっけないほど少なかった。あとは小さなスーツケースが一つだけ。アパートメントの解約は、キャシーがやってくれることになっている。

 《Cherry & Cherry》をオーナーは売ることにした。夜番のジェフとロイが引き抜かれて辞め、キャシーも妊娠して、ロングビーチのボブの両親の家の近くに引越すことになったのだ。以前から《Cherry & Cherry》を売るチャンスを待っていたオーナーは今だと判断したらしい。美穂には、《Star’s Diner》に戻るように言ったが、美穂は首を振った。

 ちょうど今そうなったのが、天の采配のように感じた。

 一週間前の夜、キャシーは浮かれて帰ってきた。ボブが子供ができたことを喜ぶなんて、夢にも思っていなかった。結婚することになったのも、それ以上の驚きだった。

 その日の午後、取材旅行に向かう前のジョセフ・クロンカイトが美穂にと言伝た薔薇の花束と手紙は、産婦人科に行く直前にアパートメントの机の上に置いて来た。美穂には「早くアパートメントに戻ってきなさいよ。驚くものが置いてあるわよ」とメールを打って。

 だから、二人でお互いの幸福を祝うつもりで、笑ってドアを開けたのだ。するとキッチンで美穂が泣いていた。そんなことは、夢にも考えていなかった。美穂の手元には、手紙があった。

「なんで泣いているの?」
キャシーは、ジョセフがプロポーズするのだと思っていた。紅い薔薇の花束の意味だって、それ以外にあるんだろうか。

 美穂は、ジョセフがプロポーズしたことを認めた。手紙には、取材旅行から戻ったら一緒に二人の故郷を訪ねる旅をしようと書いてあった。水曜日に用意をして待っていてほしいと。すぐに旅立てるように。それは、ポールがサンフランシスコに行くときに美穂に送ったメールの内容を彷彿とさせた。美穂が、愛の告白だと信じた旅立ちへの誘い。

「だったら、なぜ泣いているの?」
「あの時は、書いてなかった、あの時に言ってほしかった言葉が書いてあるんだもの」
――君を愛している。……これからの人生を、私とともに送ってほしい。

「よかったじゃない」
キャシーが言うと、美穂は、もっと激しく泣き出した。
「……わかってしまったんだもの。私は、ポールにそう言ってもらいたかったんだって」

 キャシーは、青ざめて立ちすくんだ。
「でも、ポールは言ってくれなかった。これからも言ってくれない。たぶん最初から、一度だって好きになってくれなかったんだよね。私は、ただの同僚でしかなかった。でも、だからといって、忘れられるわけじゃない。ジョセフは、こんなにいい人なのに、どうして私は……」

「ミスター・クロンカイトとは、結婚できないの?」
美穂は首を振った。
「できない。少なくとも、今はできない。だって、応えられないもの。あの人の優しさや、愛情に。ポールのことを考えながら、どうやっていい奥さんになれるの? そんなの不可能でしょう?」

 キャシーは、両掌を組んで、二つの親指を神経質に回していたが、やがて決心したように食器棚の小さな引き出しから封筒を取り出してきた。両手で顔を覆って泣いていた美穂は、机の上、自分の前に置かれた封筒に氣づき、不安げにキャシーを見上げた。

「すごく後悔した。隠したりすべきじゃなかったって。でも、もうやってしまって、これを知られたらミホは私を二度と信用してくれないと思ったから、渡せなかった。ごめんね、ミホ……」

 美穂は、裏返して、ポールの名前を見つけ、信じられないようにその封筒を見つめていた。それから、丁寧に封を切って中の航空券と手紙を取り出した。

 美穂は黙ってその手紙を読んでいたが、小さくため息をついて再び顔を手で覆った。
「遅すぎた?」
キャシーが訊くと、美穂は頷いた。キャシーは下唇を噛んで、椅子に座り込んだ。
「怒ってよ。殴ってもいいよ、ミホ……」

 美穂は、首を振った。それから、そっとポールの手紙をキャシーに見せた。
「同じだもの……。また、書いていないもの……」

 ポールの手紙には、二号店のオープンに招待したいということが書いてあった。ジョセフの手紙と違って、それはプロポーズではなくて招待状に過ぎなかった。航空券の日付は、この前の土曜日だった。美穂がジョセフのホームパーティを手伝った日だ。

「私が手紙を隠していたって、連絡してみたら?」
そう言うキャシーに美穂は首を振った。
「それが何になるの? もういいの。そろそろ前を向かなくちゃ」

 《Cherry & Cherry》の売却のことを知った美穂は、潮時だと思った。オーナーに「日本に帰ります」と決心を伝えた。それからの一週間で、全てが終わってしまった。ジョセフに断りの連絡をし、航空券を手配し、荷造りをした。そして、今夜がマンハッタンの夜景を見る最後の夜になってしまった。

 ゆっくりと五番街をめぐり、それからワーナーセンターの前に来た。足がいつかジョセフと待ち合わせをしたエスカレータの近くへと向かっていた。

 ジョセフには、逢って断りをいれることができなかった。彼はマンハッタンにいなかったし、旅行をキャンセルしてもらうためには、どれほど失礼だとわかっていても、電話をするしかなかった。そして、それっきりになってしまっていた。

 さようならを言うために時間をとってもらうことなんてできない。そうでなくても、忙しい人なのだ。ましてや、私は彼を傷つけてしまったのだから。でも……。
  
 人波を遮るように立っていたが、やがてため息をついて端の方にどいた。それから、携帯電話を取り出してメールを打った。

――親愛なるジョセフ。私のためにしてくださった全てのことに対して心から感謝します。どこにいても、あなたの健康とさらなるご活躍を祈っています。ありがとうございました。美穂

 メールが送信されてから一分も経たないうちに、電話が鳴った。ジョセフ……。
「今、どこにいる」

 同じやり取りをここでしたな、そう美穂は思った。
「マンハッタンです」
「それは、想像していたよ。もう少し狭い範囲で、どこにいる?」
「ワーナーセンターの、あのエスカレータの所です」
素直に美穂は言った。「二分で行く」と言われて電話が切れた。

 逢うのは心が乱れると思ったが、きちんと挨拶ができると思うと、ほっとした。あんなにひどいことをしたのに、彼は少しも変わらない。美穂はぼんやりと考えた。

 エスカレータを降りてくるのだと思っていたが、彼は全く反対の方向からやってきた。
「危うく建物を出てしまう所だった。今夜は運がよかったんだな」
そう言うと、以前と全く変わらずに微笑んだ。美穂は申し訳なくて頭を下げた。

 マンダリン・オリエンタル・ホテルのラウンジから、素晴らしい夜景が見えた。星屑が煌めくように、今夜のマンハッタンは潤んで見えた。何を飲みたいかと訊かれてマンハッタンを注文した。これで最後だからというのもあったが、少し強い酒を飲んで、恥ずかしさを誤摩化してしまいたかったから。
「すみません。お時間をとっていただくことになってしまって」

 ジョセフは少しだけ辛そうに眉をしかめた。
「そんな風に、他人行儀にしないでくれないか。それでも、連絡してくれてありがとう」
「どうしてもお礼を言いたかったんです。もう、お逢いすることはできないと思いますし」
「どうして。君は、友人としてすらも私には逢いたくないのか?」

 美穂は、首を振った。
「いいえ。でも、日本は遠いですから」
「日本に帰るのか? いつ?」
「明日」
「どうして?」

 美穂は、答えるまでに長い時間をかけた。彼の目を見て話すことができなくて、オレンジ色のカクテルを見ていた。

「エンパイアステート・ビルディングに連れていってくださった時に、おっしゃいましたよね。『ニューヨークに好きな場所がたくさんできていた』って。私、長く居れば、そうなれるのかもしれないと思っていたんです。でも、今は、居ればいるほど、苦しくなる思い出ばかりが増えていくんです。どこに行っても、かつては好きだった場所が、楽しかったり幸せだった場所が、心を突き刺す悲しい場所に変わっているんです」

「彼との想い出の場所だから?」
「それもあります。でも、それだけではありません。一生懸命働いた場所も、キャシーと一緒に過ごした場所も、それに、あなたと歩いた場所も、全てです……」

 彼は、バーボンを飲む手を止めた。
「今、こうしているここも、辛い場所に加わるのか?」
「わかりません。いずれにしてもこの街には、もう二度と来ないでしょうから……」

 ジョセフはしばらく考えていたが、美穂の方を見て続けた。
「結局、彼には連絡しなかったのか?」
「これ以上悲しくなる必要もないと思って。それに、二度の誘いに返事もしなかった私のことを、彼は軽蔑していると思います。そんな女がずっと好きだったと言っても信じてくれないでしょう? もう、いいんです。日本で、全く違う文化と社会の中に埋もれれば、きっと忘れられると思います」
 
 ジョセフは、何も言わずにしばらくグラスを傾けていた。美穂は、無神経なことを言って、ジョセフにも軽蔑されたんだろうなと思い、悲しくなった。こうした話をすることができるのは、この人しか居なかったのだと今さらのように氣がついた。キャシーにも、他の誰にも、それどころか、日本の家族や友人にもいなかった。これからは、世界中に一人も居なくなってしまうのだと思った。自業自得だものね。

 その美穂の思考を遮るように、突然彼が言った。
「航空券をここに持っているか?」
「え? はい」

 美穂は、どうするつもりなのだろうと思いながら、バウチャーをジョセフに見せた。14時45分発ロサンジェルス経由羽田行ユナイテッド航空のチケットだ。ジョセフは、携帯電話を取り出したが、周りに人がいるのを見て、「失礼」と言ってから、席を外した。彼女は、ため息をつきながら、グラスの中のチェリーをぼんやりと眺めていた。

 十分ほどして、「待たせて済まなかった」と言いながらジョセフが戻ってきた。そして、バウチャーの上に、一枚のメモを載せて美穂に返した。
「予約を変更した。出発は午後ではなくて朝8時ちょうど。中継地はサンフランシスコで11時21分到着だ」
「え……」
「サンフランシスコ発羽田行きの出発時刻は19時45分。市内に行く時間はたっぷりとある」
「でも……私は、もう……」

 ジョセフは、美穂の言葉を遮った。
「私のために、行ってくれ。君がこんな状態では、私は君を諦めて未来を向くことはできない。わかるかい?」
「……」

「彼に逢いに行って、君の想いを正直に告げるんだ。そして、彼が何と返事をしたか、私に報せてほしい。優しさからの嘘ではなく事実をだよ、わかるね」
美穂は、ジョセフの瞳と、真剣で表情の読みにくい端正な顔を見て黙っていたが、やがて瞳を閉じて深く頷いた。

 彼は、最後にアパートメントまで美穂を送ってくれた。
「ありがとうございました。本当に申しわけありません」
「謝らないでくれ。君の幸せを願っている」
「……どうぞお元氣で。さようなら」

「さようならは言わない。約束を忘れないでくれ」
そう言うと、彼は美穂を抱きしめた。これまでのように、優しいものではなく、とてもきつく。彼の顔が美穂の額に強く押し付けられていた。美穂は、彼がどれほど長く、感情を押し殺してきたのかを感じて苦しくなった。彼の背中が、角を曲がって見えなくなると、美穂はまた悲しくなって泣いた。

* * *


 サンフランシスコは、やはり大都会だった。誰もがTシャツで歩いているわけでなければ、町中がビーチなわけでもなかった。アベニューの名前に聞き覚えがない、バスや地下鉄の車体の色が違う、坂が多く、ほんの少し太陽の光が強く感じられる。

 ニューヨークで機体故障による遅延があったため、招待状を頼りに美穂が彼の店を見つけられたのは午後二時を数分過ぎていた。その店は、暖かみのあるフォントで店名の書かれた木の看板を掲げたレストランで、イタリア国旗の三色を使った外壁が目立った。入口は閉じられていた。

「ランチ 11:00 - 14:00 ディナー 18:30 - 22:00」
美穂は、口に出してみた。遅すぎたんだ。ディナーまで待っていたら、搭乗時間に間に合わない。美穂は、泣きたくなった。ここまで来たのに。やっぱり、逢わない方がいいってことなのかな。美穂は、そのまま踵を返しかけたが、ジョセフとの約束を思い出した。ポールの返事を、知らせなくてはいけない。

 美穂は、携帯電話を取り出した。いつだったかポールに連絡をしようとして、勇氣がなくて切ってしまった番号が送信記録に残っているはず。彼は、あの時も折り返しかけてはくれなかった。だから美穂は、こんどこそはっきりとした答えだと思ったのだ。あの時に電話をしたから、それでも彼は新しいお店の開店にあわせて招待状をくれたのだろう。それにも行かなかったし、断りの連絡すらしなかった。それ以前に、サンフランシスコに誘ってくれた時にも、バス停にも行かなかった。彼はとても怒っているに違いない。それでも、迷っている時間はなかった。

 呼び出し音が鳴った。三回……五回、六回……九回、十回。出るのも嫌なのかな。それとも誰からかわからないから、出ないのかな。諦めた方が……。

「ハロー」
電話の向こうから、抑揚のない声がした。ポールの声だ、何ヶ月ぶりなんだろう。

「誰ですか?」
美穂が戸惑っていると、声は続いた。切られてしまう前に慌てて答えた。
「私、谷口美穂です」

 長い沈黙のあと、声のトーンが変わった。恐る恐る、確かめるかのように。
「……ミホ?」

 美穂は、急いで続けた。
「お休み時間に邪魔してごめんなさい。あなたと話をしたいからお店にきたんだけれど、夕方まで閉まっているというので……」
「どこに来たって?」
「え。あなたの、お店の前……」

 途端に、頭上でガタッという音がした。見上げると、窓の緑色の鎧戸が開けられて、そこからポールが顔を出した。「今、行くから」と言われて、電話が切られた。

 ものすごいドタドタとした音がして彼が降りてくるのがわかった。目の前のドアが開けられて、そこにポールがいた。彼は、最後に見た時よりも痩せて、少し歳をとったように見えた。けれど、美穂は、どれほど彼に逢いたかったのか、自分が正しく理解していなかったのだと感じた。この瞬間のためだけでも、ここにきてよかったのだと感じた。

 彼は震えていたが、やがて、笑顔を見せてぽつりと言った。
「……ようこそ」

* * *


「ご案内申し上げます。スイスインターナショナルエアラインLX 2723 便ジュネーヴ行きは、ただいまよりご搭乗の手続きを開始いたします。ファーストクラスならびにビジネスクラスのお客様はどうぞご搭乗カウンターにお越し下さいませ。繰り返します……」

 ゲートの近くに座っていた金髪の男性は、手元の手紙をもう一度眺めた。

親愛なるジョセフ。

あなたが、私のためにしてくださった助言と、ご助力には感謝してもしきれません。私は、あなたに取り返しのつかないほどひどいことをしました。許してほしいと、頼むこともできないほどに。でも、あなたはそれを恨むどころか、私にこれ以上ない最高の贈り物をくださいました。

あなたがわざわざ手配し直してくださった日本行きの航空券を、また無駄にすることになってしまいました。私はこれを、サンフランシスコの小さいイタリア料理店の二階で書いています。

マンハッタンは、私にとってもう悲しくて辛い場所ではなくなりました。懐かしくて逢いたい人に溢れ、優しく幸せな想い出のある大切な街になりました。全てあなたのおかげです。

あなたの人生がこれまで以上に輝かしいものとなることを心からお祈りしています。そして、ご活躍を陰ながら応援させてください。

さようならのかわりに、心からの尊敬を込めて 谷口美穂



 彼は手紙を丁寧にたたんで封筒に収め、胸ポケットにしまった。それから搭乗券とパスポートを右手に、左手にアタッシュケースを持ち、搭乗カウンターへと歩いていった。

 
(初出:2015年3月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


ここからは、「マンハッタンの日本人」の後書きです。この作品に後書きを書く日がくるなんて……、書きっぱなしの読み切りだったはずなのに、全部で13編も書いちゃいましたよ。自分でもでびっくり。

最初に伝えたいのは、この結末は悩みに悩んだ末の苦肉の策だということです。TOM-Fさんの書かれたジョセフのアタックが、ポール・ブリッツさんの書かれたポールのアタックよりも心を動かされなかったわけではないのです。

最終回を書く前に三つの結末をシミュレートしました。今回発表したパターン、どちらも選ばないパターン、そしてジョセフを選ぶパターンです。どちらも選ばないパターンを書いてもよかったんですが、それだといつまでも終わらない。書かされているお二人もですけれど、読者ももう「勘弁してよ」になるなと思ったのです。

そして、ジョセフを選ぶパターンも途中までは書いたのですが、ダメでした。実生活ではジョセフの属性はモテ要因ですし、この二人でどっちを選ぶかという局面では有利に働くはずなんですが、小説ではとっても不利なんですよ。何を書いても「結局、打算で選んだのね」になっちゃうじゃないですか。

実をいうと、ポールを選ぶ構想は、今回書いたこれしかなかったのですが、ジョセフを選ぶタイプの構想は三種類くらいありました。どこで心変わりをするかの違いで。その三つが、こうして書き終わった後も「こっちだってば!」と脳内で叛乱を起こしていたりします。こんな妙な小説はじめて……。

そして、このお二人がアタックを書いてくださる時に、どちらも美穂にではなく、「私に」失礼がないようにと、ものすごく紳士的に書くしかなかったのかなと思いました。その紳士的すぎるアプローチでは、二人の異なるキャラクターに大きな差は出しにくかったことと思います。ポールは長い時間を共にした親しさを武器にできなかったし、ジョセフはあれだけ近くにいたのに全然実力行使ができなかったのですよね。お氣を遣わせてしまって、すみませんでした。このひと言に尽きます。

でも、この作品を一緒に作り上げていただき、本当に嬉しかったです。これは、ポール・ブリッツさん、TOM-Fさんだけでなく、ウゾさんに対してもです。

氣づかれた方もいらっしゃるかと思いますが、昨年まで谷口美穂という一人のヒロインだった人物を、今年に入ってから二人に分けました。美穂とキャシーです。もともとあまり肯定的な面の多くなかった美穂がモテキャラになってしまったので、もともとの美穂らしさはキャシーが受け継ぎました。そのキャシーが生まれるきっかけを作ってくださったのがウゾさんです。

作品の途中でも書きましたが、どの方向に向かうのか全くわからない作品というのは今まで書いたことがありませんでした。その分、書いている自分がドキドキするという滅多にない経験をさせていただきました。

たぶん、こういうタイプの小説を書くことはもうないんじゃないかと思います。応援してくださった読者のみなさまにも心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 連載小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】Stand By Me

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十六弾です。ポール・ブリッツさんは、「マンハッタンの日本人」を更に進めた作品を書いてくださいました。ありがとうございます。

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『作る男』
ポール・ブリッツさんの関連する小説: 
『歩く男』
『食べる男』
『夢を買う男』
『待つ男』
『働く男』


「マンハッタンの日本人」シリーズ、こじれまくっていますが、そろそろ終息に向かっています。前回の「楔」の前書きで「より女心をぐらりとさせるアタックをして、私と読者の方々に『こっちだ!』と納得させた方に美穂をあげます」と宣言してしまいましたところ、ポール・ブリッツさん、TOM-Fさんお二人とも果敢に挑戦してくださることになりました。今回ポール・ブリッツさんが書いてくださったのが、ポールの求愛作戦。ついにポールが本氣をだして動いてくださいました。

今回書いたこの掌編は、ポールのアタックに対するアンサーではありません。単なるインターバルです。アンサーは、TOM-Fさんの掌編が発表されたあとに一つの短編の形をとらせていただきたいと思います。それまで少々お待ちください。なお、今回のストーリーは、キャシーの話です。この作品は、書いてくださった方のそれぞれの小説に合わせる形をとって書く特殊な執筆形態をとっていますが、そうであってもカテゴリーを通読して一つの作品となるようにしています。アンサーとしてではなく、私の小説としての「いいたいこと」を組み込むために、このパートが必要だと判断して書きました。今回に限って、R18スレスレ(っていうか、そのもの?)の記述があります。苦手な方はお氣をつけ下さい。

なお、この後は、TOM-Fさんの書かれるジョセフのアタックが発表される予定です。その後に、私が最終回を書いて、「マンハッタンの日本人」を完全に終わらせる予定です。というわけで、
これ以後に、TOM-Fさん以外の方がこのストーリーに関して書かれるものは完全スルーさせていただきますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、まとめ読み出来るようにしてあります。
「マンハッタンの日本人」あらすじと登場人物
「マンハッタンの日本人」シリーズ

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



「マンハッタンの日本人」シリーズ 12
Stand By Me


 帰ったら、美穂の様子がおかしかった。狭いキッチンのテーブルの前に座って、電源の入っていない携帯電話を見ながらじっと考え込んでいた。キャシーは、「早かったのね」と言いながら上着をハンガーに投げかけた。その時にくずかごの中に粉々になった紙を見つけた。何があったか予想はついたが、何も言わなかった。

 ジョセフ・クロンカイトのくそったれ。

 キャシーは、心の中で悪態をつくと、シャワーを浴びにいった。それから、ふたたびキッチンに顔を出すと「今夜は戻らないから」と声を掛けた。美穂がはっとして、彼女の方を見た。キャシーは、その視線を避けるように玄関を出た。

 美穂は、こんな時間に一人でアパートメントの外に出ることはない。それは、彼女には危険すぎる冒険だ。街角の至る所に、目つきが悪く、違法なものを売買している有色人種がたむろしている。古いレンガには、スプレーで落書きがされ、小便臭く、ゴミ箱の間をドブネズミが走るような地区だ。

 ジョセフ・クロンカイトが、紳士らしく彼女をこのアパートメントに送る度に、この世界に属する自分や、ここに甘んじなくてはならない美穂が、彼のクラスとは違うと認識するだろうと感じた。それでも、あの子がここから出て行けることを願っていた。

 さほど遠くない、似たようなレンガの建物に入っていく。薄い木の扉を激しくノックすると。「誰だ」という野太い声がした。

「あたしよ」
キャシーがいうと、すぐに扉が開けられた。中は煙草の煙で真っ白だった。キャシーよりもはるかに黒い肌をした、タンクトップを着た男が、にやりと笑っている。

「あたしよ、ボブ」
「わかっているよ、キャシー」
ボブは、キャシーを引き寄せると、タバコ臭い口を押し付けてきた。

「同居人と、なんかあったのか」
「ないわよ。全然ないわ。あの子は何も言わない。誰も責めない。一人で全部抱え込んでいるのよ。バカみたいに」

 男は、「シャワーを浴びて来たんだな」というと、有無をいわせずキャシーの服を脱がせて、押し倒した。

 彼女は、わずかな嫌悪感を押し殺して、体が熱くなるのを待った。これほど苛つく理由はわかっている。望んだことがうまく運ばないからだ。

 春の終わりに、ジョセフが美穂に関して質問してきた時に、キャシーは交換条件として、ポールのことを調べさせた。ポールが美穂のことを忘れて、新しい環境に馴染み、前向きに生きている証拠がほしかった。そうすればキャシーは美穂にはっきりという事ができた。「ほら、あんな男のことはすっぱり忘れて、前を向かなきゃ」と。

 ジョセフの持ってきた情報は、全く都合の悪いものだった。勝手にカリフォルニアなんか行っておきながら、しかも、あれから何ヶ月も連絡一つよこさないでおきながら、ポールには、妻どころか恋人の影すらなかった。しかも、狂ったように仕事をしているらしいが、一向に成果も出ていなかった。美穂がこれを知ったら、すぐにでもサンフランシスコに行くと言い出しかねない。そして、またしても、地を這う生活の続きだ。ニューヨークがサンフランシスコに変わるだけ。

 ジョセフ・クロンカイトが連れて行く摩天楼の高級レストランや、洗練されたマナーの人びとの間で、美穂が本当に心地よいかどうかはわからない。だが、美穂は少なくとも自分とは違うクラスにいるとキャシーは感じていた。一緒に住み、共に働き、過ごす時間が長ければ長いほど、その違いを感じる。こんな所にいるべき人間ではないのだ。

 彼女と働いていて、はじめて仕事が好きだと思えた。「いつか一緒に店を持とうね」そんな話もしたけれど、それが現実になるなんて思っていない。そんな風に、彼女を縛ることなんかできないと思っている。もうこの歳で、怪我もしたし、プロのスケート選手になれることもないだろう。あたしの人生には、どんでん返しがあるはずもない。だからこそ、美穂だけでも、こんな地の底から抜け出してほしいと願ったのだ。

「お前は、おかしな女だな。そんなにその同居人が好きなら、なぜ他の男とくっつけようとしたりするんだ」
ボブは笑いながら、キャシーの体を弄ぶ。彼女は、「くだらないことを言わないで」と、男の体に抱きついた。

「なぜ認めない? バイセクシュアルの女が嫌いだとは言っていないぜ」
「そういうんじゃないのよ。それだけだわ」

 こんな粗野な男には、わかりっこない。それに、あんたにも、ジョセフ・クロンカイト。女に必要なのは、公正なる真実なんかじゃない。そんなものは、あんたのジャーナリズム・スクールの教則本の中にでも大事にしまっておくべきだったのよ。

 あたしは夢が見たい。終わることのない夢。そして、腕が欲しい。強い腕。決して出て行くことのできない、下町の薄汚れた区画。どうやっても這い上がることのできない、食べていくのがやっとの貧しさ。このやりきれなさから、救い上げてくれるか、そうでなければ、願いを忘れさせてくれる強い腕が欲しい。

 生まれた時から、羽布団の中でぬくぬくと育ったやつらにはわからなくても、あたしたちと同じ最下層から這い上がったあんたにはわかると思っていた、ミスター・クロンカイト。美穂を救い出してという、あたしのメッセージが。

 ボブが、あたしを愛しているなんてお伽噺は信じていない。でも、この男は、少なくとも忘れさせる術を知っている。あたしがそれを必要とする時に、くだらない駆け引きもしない。首尾一貫して、同じ強さであたしをねじ伏せる。手に入らないものから、あたしの心を引き剥がす強い腕を持っている。だから、あたしは、いつもここに駆け込むのだ。

 キャシーは、ボブが本能に支配された動物に変わっていくのを感じながら、自分も全ての思考を追い出して動物に変わってしまおうとした。

 ことが終わった後も、抱きついたまま離れようとしないキャシーの頭を撫でながら、ボブは傍らの煙草の箱に手を伸ばし、一本咥えて火をつけ煙を吹き出した。狭くて暗い部屋に、通りの向こうのけばけばしいネオンの光が入ってくる。うっとうしい、湿った夜だ。

 キャシーは、項垂れていた美穂の横顔の夢を見た。

 朝早く、再びシャワーを浴びるために、アパートメントに戻った。美穂は、キャシーが戻ってくると、ほっとした顔をした。用意された朝食を食べてから、二人で《Cherry & Cherry》へと向かった。

 美穂が、いつものようにもブラウン・ポテトを調理する間、キャシーは店内を掃除して、開店準備をした。郵便受けを覗くと、少し大きい封筒が入っていた。《Star's Diner》から転送されてきたらしい。美穂宛だ。

 あたしたちのアパートメントの住所を知らない人って誰だろう。キャシーは、封筒を裏返して差出人を見た。

 ポール……。

 しばらくその封筒を見つめていたが、美穂には見せずに自分のバッグに入れた。

 美穂が、「Stand By Me」を小さな声で歌っているのが聞こえた。

(初出:2015年3月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 連載小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】マックス、ライオン傭兵団に応募する

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十五弾です。ユズキさんは、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の主人公マックスとユズキさんの代表作「ALCHERA-片翼の召喚士」の戦士ガエルのコラボでイラスト付きストーリーを描いてくださいました。ありがとうございます!

ユズキさんの作品 企画参加投稿品:ある日、森の中

ユズキさんの参考にさせていただいた作品と解説ページ
ALCHERA-片翼の召喚士-  特別小咄:人魚姫と王子様(?)
《コッコラ王国の悲劇:キャラクター紹介》


ユズキさんは、異世界ファンタジー「ALCHERA-片翼の召喚士-」をはじめとする小説と、数々の素晴らしいイラストを発表なさっているブロガーさんです。私も「大道芸人たち」の多くのイラストや、強烈な「おいおい」キャラである「森の詩 Cantum Silvae」のジュリアを描いていただきました。そして、フリーイラストの方でも、たくさんお世話になっています。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」も、最初から読んでくださっていて、旅する傍観者マックスはにも馴染んでいただいています。今回は、ALCHERA-片翼の召喚士-」に出てくる熊の頭をした戦士ガエル、そう、私の大好きなガエルとマックスを謎の森で逢わせてくださいました!

「もりのくまさん」を彷彿とさせる、楽しいお話。折角なのでお返しもこのまま、時空の曲がりまくった異世界コラボでいきたいと思います。ユズキさんのお許しを得て、「ALCHERA-片翼の召喚士-」の「ライオン傭兵団」の皆さんにご登場いただくことにしました。

なお、「ALCHERA-片翼の召喚士-」には、数々の魅力的なキャラクターが登場します。が、今回は、あえてヒロインのキュッリッキ、とってもカッコ良くて優しいメルヴィン、強くてかっこいい中年トリオ、白熊&パンダ正副将軍コンビなどの重鎮にはご登場いただいていません。彼らの活躍は、もちろん本編でどうぞ。



「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



森の詩 Cantum Silvae 外伝 マックス、ライオン傭兵団に応募する
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士-」
——Special thanks to Yuzuki san


 おかしいなあ。先ほど見た、あれは夢だったのだろうか。マックスは首を傾げながら森を進んでいた。

 その日、いつものように一人で森を進んでいたら、今まで目にしたことのない異形のものと出会った。サラゼンの人びとのようななりをした大男(と思われる誰か)がそこにいたのだ。だが問題はその男の頭だった。熊だった。マックスは、それまで奇妙なものをたくさん見てきた。頭に殺した熊を剥製にした兜をかぶる、はるか北の国の戦士にも出会ったことがある。だが、先ほどの男の頭部は兜などではなかった。彼が話す度に、その口は開き、見つめる瞳も生氣に溢れていた。何かのまやかしにやられたのか。そういえば、その熊男と一緒に入ったけばけばしい物売り小屋が、忽然と消えてしまった。

 だが、魔女や悪魔に惑わされたにしては、経験したことが馬鹿馬鹿しすぎる。熊男は大瓶の蜂蜜をいくつも買って帰ったのだ。そんなシュールなまやかしがあるものか。それに、マックスも、財宝を欲しがったわけではない。蜂蜜の小瓶を一つ買おうとしただけだ。納得がいかない。

 マックスが、ブツブツ言いながら森を進んでいると、不意にバサバサと音がした。猛禽でもいるのかと上を見上げると、樹々の合間から空を飛ぶ鳥ではないものが見えた。
「天使……? それに抱えているのは、人魚?」

 輝く黄金の髪をした美しい男が、翼を広げて飛んでいた。腕の中には魚の尾鰭を持った少女を抱えている。だが、マックスが戸惑ったことに、彫刻や絵画で目にし慣れている天使の姿と違って、その天使は全く何も身に付けていなかった。人魚の娘を上手に抱えれば都合の悪いものは隠れるだろうが、どうやら娘の楽な姿勢を優先したのだろう、問題のある部分だけが丸見えになっていた。天使ともなると恥ずかしさなどは感じないのであろうか。マックスは視線を森に戻し、何も見なかったことにした。

 すると、森の途切れた辺りに、見覚えのある若草色の衣服が見えた。あれは先ほどの熊男ではないか! マックスは、その男を追ってみることにした。

 森を出ると、突如として広がった景色は、マックスの見たことのあるどのような街とも違っていた。自然の石を敷き詰めた石畳ではなく、きちんと四角に切り添えられた石で道が造られていた。家のスタイルも、色遣いも違う。もう少し原色に満ちている。ここはどこなんだ。それに、こんなに大きい街がここにあるとは聞いたことがない。これは王都ヴェルドンよりもはるかに大きい都のようだ。

 人通りが多くなり、熊男を見失わないようにするのが難しくなった。その時に、この街に対する大きな違和感の理由がわかった。道を行く人びとも、グランドロンやルーヴラン風の衣装とは違うものを着ているのだが、それは大した問題ではなかった。それよりも、彼らの1/3くらいが、人間の頭をしていないのだ。猫、狐、狸、猛禽……。熊男が歩いていても、誰も驚かないはずだ。幸い、マックスと同じように人間の頭をしている者も多かったので、マックス自身も目立っているとは言えなかった。

 背の高い熊男の頭を見失わないように急ぐと、熊男が一つの大きな家の前に立って何かをしているのが目に入った。彼は、呼び鈴の隣に掲げられた立て板のような所に、羊皮紙のようなものを張り出していた。彼が貼ろうとしている告知は大きく、前に貼られていたものを上から覆うようにしている。それが終わると、大量の蜂蜜の壺を軽々と抱え直して扉の中に消えた。「今帰ったぞ」という声が聞こえた。

 彼の張り出していた告知を見ると、マックスが知らない言葉で読めなかったが、蜂蜜の絵があったので、これは彼が蜂蜜を販売していることなのだろうとあたりをつけた。では、この僕が最初の客になろう。マックスはひとり言を言って、扉を叩いた。

「なんだ」
顔を出したのは、ザン切り頭で無精髭を生やした、屈強な男だった。

「その張り紙を見たんだが」
マックスが告げると、男はああ、という顔をして、奥に向かって叫んだ。
「おい、応募者が来たぞ! カーティス!」

 応募者? 言葉は通じていると思うのだが、単語に違う用法があるのかもしれない。マックスは、目の前の男が中へ招き入れるのに素直にしたがった。
「ちょっとこの部屋で待っていてくれ。あ、俺はギャリー。うまくあんたが採用されたら仲間になるってわけ、よろしくな」
そういって去っていった。仲間? 蜂蜜を買う仲間って何だ? マックスは首を傾げた。これはその責任者が来たらきちんと話をしないと……。そう思っていると、ドタドタと音がして大量の人間が階段を下りてくるのが聞こえた。

「嘘だろ、あれっぽっちの報酬で応募してくるバカがいるのかよ」
「おい、俺にも見せろ! どんなスキル〈才能〉があるヤツなんだ」
「ちょっとっ! 賭けは賭けよ。本当だったらアタシの勝ちじゃない」

 ドアが開き、華麗なスカーフとマントを身に着け、目が隠れるほど長い前髪を垂らしいてる黒髪の青年が入ってきた。
「ごきげんよう。遠い所、ようこそ。私がライオン傭兵団のリーダーを務めるカーティスです。お名前と出身地をどうぞ」
「マックス・ティオフィロスです。グランドロン王国の王都ヴェルドンの出身です」
蜂蜜を買うのに出身地を言わなくてはならないとは。マックスは首を傾げた。だが、カーティスと名乗った男も眉をひそめた。

「グランドロン王国? そんな国聞いたことねーな」
カーティスが何も言っていないのに、部屋の外にいる外野が騒いでいる。カーティスの立派なマントの影になり、全ての後ろの人びとがマックスに見えているわけではないが、ちらりと狐や狸の顔をした人物は見えた。

「そのような王国があるとは初耳ですね。あなたはヴィプネン族ですよね。惑星はヒイシですか?」
マックスは言葉を失った。ヴィプネン族? 惑星って何の話だ?

「グランドロンでは、人民を種族で区別したりはしないのですが。あの、表の張り紙にあった蜂……」
マックスが全て言い終わる前に、カーティスは畳み掛けた。
「スキル〈才能〉は何をお持ちですか」

「え? 私は、王宮での教師を生業としていますが」
「ということは記憶スキル〈才能〉をお持ちということですか?」
「記憶……ですか。悪くはないとは思います。それに、リュートとダンスなども少々嗜みます」
「それは楽器奏者のスキル〈才能〉もお持ちということで?」
「は? 弾けるということです」
話が噛み合ない。マックスはますます混乱した。

「だ・か・ら~っ。カーティスが訊きたいのは、あんたはどんなスキル〈才能〉を使って敵を倒せるのかってことでしょっ!」
噛み合わないやり取りに苛立って、ずかずかと入ってきた女性がいた。オレンジ色の髪に赤い瞳をした、なかなか魅力的な女性だ。
「マリオン。悪いが、黙っていてくれませんか。私がこれから……」

 だが、話がますます聞き捨てならない方向に向かっているので、マックスはカーティスの言葉を遮って言った。
「失礼ですが、私は文人ですので、戦闘などには一切関わらないのです。私がこちらに来たのは、表の張り紙にあったように蜂蜜を買いたかったからなのですが……」

「蜂蜜~?!」
その場にいた全員がすっとんきょうな声を上げた。誰かが表のドアを開けて、掲示板を見に行った。

「おいっ! 本当に傭兵募集の張り紙の上に、ガエルの蜂蜜頒布会のお知らせが貼ってあるぞ!」
その声に、カーティスはがくっと首を垂れた。
「ガエルっ」

 呼ばれて、誰かが地下室から上がってきた。
「誰か俺を呼んだか?」
「呼んだか、じゃありません! 表の張り紙はなんですか! 仲間募集の張り紙が隠れてしまったでしょう?」
「あ? あの募集は賭け用のシャレじゃないのか? あんなちっぽけな報酬で傭兵になりたがるヤツなんかいないだろう」

「う……ところで、この方は、どうやらあなたのお客さんのようです」
そう言われて「なんだって」と部屋に入ってきたのは、確かに先ほどの熊男だった。
「あれっ、さっきの……。あんた、俺から蜂蜜を買いたいのか?」

 マックスは肩をすくめた。
「先ほどの店がどういうわけかなくなってしまったんでね。ほんの少しでいいんだが」
「じゃあ、わけてやるよ。あんたは特別だ、払わなくていい」

 マックスは、ガエルにごく小さい蜂蜜の壺を貰うと、荷物の中に丁寧にしまい、礼を言って立ち上がった。
「ところで、ここはどこなんだい?」
マックスが訊くと、その場にいた人たちはきょとんとした。

「皇都イララクスだが」
ガエルが答える。マックスは、それはどこだと心の中で訴える。ガエルは、そのマックスの心の叫びを理解したようで、ポンと彼の肩を叩いた。

「さっきの森に戻れれば、きっとあんたの世界に帰れるだろう。ちょっと待ってくれ、飛べるヤツを呼んでくるから」
そう言って、部屋から出ると「おい! ヴァルト、ちょっと頼まれてくれ」と叫んだ。

「なんだよ」
声がして、バタバタと誰かが二階から降りてきた。部屋に入ってきた金髪の男を見て、マックスは「あ」と言った。さっきのすっぽんぽん天使だ。いや、今はきちんと服を着ているし、羽も生えていないが。

「悪いが、ちょっとした恩のある男なんだ。森まで連れて行ってくれないか」
「俺様が? どっちかというとカワイ子ちゃんを抱えて飛ぶ方が好みなんだが。ま、いっか」

 ヴァルトは、ばさっという音をさせると、大きくて美しい羽を広げた。
「来な。あんた、まさか高所恐怖症じゃないだろうな。忘れ物すんなよ」

 ヴァルトに抱えられて空高く舞い上がったマックスに、ライオン傭兵団の面々は手を振った。ガエルが「また逢おう!」と声を掛けた。マックスは手を振りかえした。

 鳥の視点で見る都は、とても美しかった。だが、その不思議な色彩の建築物の数々を見れば見るほど、ここはどこか異世界なのだとはっきりとわかった。
「ほら。森が見えてきた。ここでいいだろう」

 ヴァルトは、樹々の間を通って下草の間にそっとマックスを降ろした。それからウィンクして言った。
「じゃあな。もう迷子になるなよ。またどこかで逢おうぜ」
それからバサバサと音を立てて飛び立っていった。下から見上げてマックスには、それがヴァルトを最初に見かけた正にその場所だとわかった。

「ありがとう! またどこかで逢おう!」
マックスは、手を振った。

 《シルヴァ》は、広大な森は、いつものように神秘的で深かった。下草を掻き分け、小川に沿ってゆっくりと進むと、また明るい光が射し込んできた。

 街が見えてくる。マックスの見慣れた、グランドロン式の建物が目に入った。ようやく彼は自分の世界に戻れたのだと確信できた。マックスは荷物をそっと開けて、蜂蜜の小さな壺があるのを確認した。あれは夢ではなかったようだ。だとしたら、またガエルやヴァルトや、その他の傭兵たちともどこかで逢えるのかもしれないな。

 マックスは、次の目的地を目指して、道を探した。新しいものを見聞し、世界の広さを知る、人生の旅だった。

(初出:2015年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 〜 風の音

scriviamo!


scriviamo!の第十三弾です。

けいさんは、当ブログの55555Hitのお祝いも兼ねて「大道芸人たち Artistas callejeros」のあるシーンを別視点で目撃した作品を書いてくださいました。ありがとうございます!


けいさんの書いてくださった小説『旅人たちの一コマ (scriviamo! 2015)』

けいさんは、オーストラリア在住の小説を書くブロガーさん。心に響く素敵なキャラクターが溢れる、青春小説をお得意となさっていらっしゃいます。読後感の爽やかさと、ハートフル度は、ブログのお友だちの中でも群を抜いていらっしゃいます。雑記を読んでいても感じることですが、なんというのか、お人柄がにじみ出ているのです。まさにタイトル通り「憩」の場所なのですよね。2月12日に、40000Hitを迎えられました。おめでとうございます!

海外在住ということで、勝手に親しみを持ってそれを押し付けているのですが、それも嫌がらずにつき合ってくださっています。いつもありがとうございます。

さて、「scriviamo!」初参加のけいさんが書いてくださったのは、このブログで一番知名度が高い「大道芸人たち Artistas callejeros」に関連する作品。「●●が○○に△△した」あのシーンです。ってわかりませんよね。これです。自分でも好きなシーンなので、注目していただけて、さらにけいさんらしい優しい視線でリライトしていただけて感激です。端から見ると、そうなっていたんですね(笑)

というわけで、この目撃者を捕まえちゃうことにしました。折角なので、私もけいさんの作品の中で最初に読破した代表作「夢叶」を使わせていただくだけでなく、勝手にとあるキャラとコラボさせていただくことにしました。作品を読んでいる時から注目していた、あの人です。

なお、この作品には、「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(チャプター4)のネタバレが含まれています。大したネタバレではありませんし、すでに既読の方の間では既成事実となっているので「今さら」ですが、「まだ知りたくない!」という方がいらっしゃいましたら、お氣をつけ下さいませ。あ、あと「夢叶」もちょっとだけネタバレです、すみません!


【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(別館に置いてあります)
あらすじと登場人物

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



【小説】大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
風の音 - Featuring「夢叶」
——Special thanks to Kei san


 ゆっくりと階段をひとつひとつ踏みしめて登った。心地よい風が耳元で秋だよと囁く。サン・ベノア自然地学保護区にある遊歩型美術館に行こうと口にしたのは蝶子だった。ここは、南仏プロヴァンス、ディーニュ・レ・バン。今ごろはニースで稼いでいるはずだった。実際に、稔とレネは今ごろどこかの広場で稼ぎながら待っていることだろう。

 蝶子は、前を行くヴィルの背中を見上げた。青い空、赤い岩肌、オリーブ色の乾いた樹々。何と暖かく、心地よく美しく見えることだろう。この男の存在する世界。アンモナイトや恐竜の眠る、太古の秘密を抱くこの土地で、彼女は今を生きていることを感じる。迷う必要はなかった。苦しむこともなかった。これでいいのだと魂が告げるのだから。

 彼が振り向いた。そして、蝶子が少し遅れているのを見て、手を差し出した。あたり前のごとく。昨日までは、見つめることしか出来なかった。諦め、去っていこうとすらした。彼もまた、迷いを取り去ったことを感じて、蝶子は手を伸ばした。二つの、銀の同じデザインの指輪が、強いプロヴァンスの光に輝いた。二人は、階段の曲がり角に立ち、赤茶色の屋根の並ぶディーニュの街を見下ろした。

 風の音に耳を傾けた。

 人生とは、何と不思議なものなのだろう。閉ざされていた扉が開かれた時の、思いもしなかった光景に心は踊る。フルートが吹ければそれでいい、ずっと一人でもかまわないと信じていた。世界は散文的で、生き抜くための環境に過ぎなかった。

 だが、それは大きな間違いだった。蝶子は大切な仲間と出会い、そして愛する男とも出会った。風は告げる。美しく生きよと。世界は光に満ちている。そして優しく暖かい。

 ヴィルが蝶子の向こう側、階段の先を見たので、彼女も振り向いた。そこには一人の青年が立っていて、信じられないという表情をしていた。蝶子はこの青年にはまったく見覚えがなかった。だが、それはいつものこと、彼女は関心のない人間の顔は全く憶えておらず、大学の同級生であった稔の顔すら忘れていたことを未だにいじられるくらいだから、逢ったことのある人だと言われても不思議はないと考えた。

ヴェル ?」蝶子が訊くとヴィルは「知らないカイネ・アーヌング 」と短く答えた。それが、ドイツ語だったので、その見知らぬ青年は笑って「こんにちはグリュエツィ 」と言った。蝶子は首を傾げた。どこかで聞いたことのある挨拶だが何語なのだろう。

「スイス人か」
「ええ。ドイツの方だとは思いませんでした」
二人の会話で、蝶子にも納得がいった。二人はドイツ語で話している。先ほどのはスイス・ジャーマンの挨拶なのだ。

「申し訳ないが、どこで逢ったんだろうか、大道芸をしている時に見ていたのか?」
そうヴィルが訊くと、青年は首を振った。
「いいえ。僕は昨日着いたばかりなんです。駅であなたたちをみかけました。はじめまして、僕はロジャーと言います」

 ヴィルは無表情に頷き「ヴィルだ。よろしく」と言った。蝶子は、赤面もののシーンを見られていたことへの恥ずかしさは全く見せずににっこりと微笑むと、ヴィルとつないでいた手を離してロジャーと握手をした。
「蝶子よ。よろしく」

「ここは、素敵ですね」
青年は言った。

「プロヴァンスは、はじめてなのか?」
「ええ。バーゼルに住んでいるのに、休暇で南フランスへ行こうと思ったのは初めてなんですよ。隣町がフランスだというのに。ここは、まるで別世界だ」
「俺もプロヴァンスは好きだ。風通しが良くて、酒もうまい」

「南フランスがはじめてなら、普段はどこへ休暇に行っているの?」
蝶子が訊くと、ロジャーは笑った。
「遠い所ばかり。南アフリカ、カナダ、カンボジア、それに、休暇ではないけれど、学生時代にかなり長いことオーストラリアにもいたな。ここの赤い岩肌は、あの国を思い出させる……」

「エアーズロックかしら?」
蝶子が訊くとロジャーは頷いた。
「あなたは、日本人ですか?」
「ええ。日本人よ。どうして?」
「僕は、あそこで日本人と友達になったんだ。とてもいいヤツで、またいつか逢えたらいいと思っている。今、彼のことを思い出しながら、ここを歩いていたんです」

 そういうと、彼は、小さく歌を口ずさみだした。蝶子とヴィルは、顔を見合わせた。それからヴィルが下のパートをハミングでなぞった。ロジャーは目を丸くして二人を見た。

「どうしてこの曲を?」
その曲は、ロジャーの日本の友人がエアーズロックで作曲したばかりだと聴かせてくれたオリジナル曲だった。なぜ南仏で出会った見知らぬ人たちが歌えるんだろう。

 蝶子はウィンクした。
「それ、私たちのレパートリーにも入っているのよ。スクランプシャスの『The Sound of Wind』でしょ?」

 スクランプシャスは、日本でとても人氣のあるバンドで、最近はアメリカでもじわじわと人氣が広がっている。ヨーロッパでも、ツアーが予定されているので、いずれはこちらでブレイクするだろう。日本に帰国した時に、稔が大喜びでデビューアルバム『Scrumptious』のCDと楽譜を買ってきたのだ。

「じゃあ、ショーゴは、デビューしたんですか? 夢を叶えたんですね?」
「ショーゴって、ボーカルの田島祥吾のことよね。ええ、彼は今や大スターよ」

 ロジャーは、微笑んで大きく息をついた。
「ウルルで、彼は僕にこう言ったんですよ。『夢を誰かに話すと、その夢は叶う』って。本当だったんだ」
ロジャーは、ヘーゼルナッツ色の瞳を輝かせた。

「あんたも、彼に夢を話したのか?」
「ええ。『世界を駆けるジャーナリストになる』ってね。あの頃、僕はただの学生でしたが、今は、本当に新聞社に勤めている。まだ『世界の……』にはなっていないけれど、言われてみれば、少しずつ進んでいますね」

「じゃあ、きっと叶うわ。だって、ここで私たちに夢を話しているもの」

 蝶子は、フルートを取り出すと、ディーニュの街へと降りてゆくプロヴァンスの風に向かって、『The Sound of Wind』を演奏しはじめた。ロジャーとヴィルがそのメロディを追う。通りかかった人たちも、微笑みながらその演奏に耳を傾けていた。

 風は、地球をめぐっていた。アボリジニたちの聖地で生まれた歌が、世界をめぐり、南仏で出会う。秋の優しい光が、旅人たちを見つめている。ひと時の出会いを祝福しながら。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


お借りしたロジャーというキャラは、私の住むグラウビュンデン州でしか話されていないロマンシュ語も話すことのできるスイス人。いつかは共演させていただきたいと願っていたので、お許しなく勝手にお借りしちゃいました。

スクランプシャスというバンドの田島祥吾という青年こそ『夢叶』の主人公です。ロジャーと祥吾が語り合うウルル(エアーズロック)のシーンに感動したのは昨日のことのよう。同じ赤い岩肌のある場所で、彼のことを無理矢理思い出していただくことにしました。

Musée Promenade de Digne les Bains
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】午後の訪問者

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十二弾です。山西 左紀さんは三つ目の参加として、『サン・ヴァレンティムの贈り物』の間に挟まれている時間のお話を書いてくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『初めての音 Porto Expresso3』
山西 左紀さんの関連する小説
絵夢の素敵な日常(10)Promenade
絵夢の素敵な日常(12)Porto Expresso
絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2
Promenade 2


「ローマ&ポルト&神戸陣営」も、頑張っています。左紀さんのところのヴィンデミアトリックス家、彩洋さんの所のヴォルテラ家、ともに大金持ちでその世界に多大な影響のある名士たち。で、うちのドラガォンのシステムも絡んで、謎の三つ巴になりつつある(笑)そんなすごい人たちが絡んでいるのに、やっているのは「お友だちの紹介」という平和なお話。

ミクのポリープの診察と手術は、ローマの名医のもとで行われることになっています。で、ヴィンデミアトリックス家がヴォルテラ家にお願いしているかもしれないし、全くの蛇足だとは思うのですが、ドサクサに紛れて首を突っ込んでいる人が約一名います。サキさんが「あの人は戻ってくることをどう思っていたの」と質問なさったのにも、ついでにお答えすることにしました。


【参考】
追跡 — 『絵夢の素敵な日常』二次創作
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



午後の訪問者
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 海風が心地よく吹いた。白っぽい土ぼこりが灰色の石畳を覆っていく。マヌエル・ロドリゲスは、陽射しを遮るように手を眉の上にかざした。まだ肌寒い季節だが、春はそこまで来ている。ゆっくりと坂を登ると、目指す家が見えてきた。ポーチにはプランターが二つ並んでいて赤や黄色、そして紫の桜草が植えられている。丁寧に掃き掃除をしたらしい玄関前には土ぼこりの欠片もない。

 この家の女主人が、この辺りの平均的住民よりも少しだけ勤勉なのは明らかだった。それは遺伝によるものなのかもしれない。住んでいる女性は、極東のとても勤勉な人びとの血を受け継いでいた。

 修道士見習いという低い地位にも関わらず、ヴァチカンでエルカーノ枢機卿の秘書をしていたマヌエルは、その役目を辞して故郷に戻ってきた。もともとはこの国を離れて自由に生きたいがために、神学にも教会にも興味もないのに神学生になった。だが、その頭の回転の速さが枢機卿の目にとまりいつのまにかヴァチカンで働くことになった。もちろん、彼がある特殊な家系の生まれであることを枢機卿は知っていた。マヌエルは、半ば諜報部のようなエキサイティングな仕事には興味を持っていたが、もともと禁欲だの貞節だのにはあまり興味がなかったので、このまま叙階を受けることにひどく抵抗があった。

 彼が故郷を離れたかったのは、家業に対しての疑問があったからだった。街に留まり、ある特定の人たちを監視報告する仕事。時にはその人たちの自由意志を束縛して苦しめることもある。それがどうしても必要なこととは思えなかった。

 けれど、彼はローマで同じ故郷出身の一人の女性に出会った。彼女は監視される立場にあったが、特殊な事情があり自由になっていた。そして、そのクリスティーナ・アルヴェスは、マヌエルの家系が関わる巨大システムの中枢部と深く関わる人物の一人だった。彼は、ローマで彼女と親交を深めるうちに、考え方が根本から変わってしまった。故郷から逃げだすのではなく、その中心部に入り込み役目を果たしたいと思うようになったのだ。《星のある子供たち》を監視するのではなく守るために。《星のある子供たち》の中でも特に一人の女性、クリスティーナを。

 とはいえ、マヌエルの表向きの帰国の理由は、異動だった。彼は、サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会付きの修道士見習いとなったのだ。戻ったからにはあっさりと教会を出てもよかったのだが、異動直後からボルゲス司教の計らいではじめた仕事にやり甲斐を感じて、まだしばらくは教会に奉仕をするのも悪くないかなと思っている。それが、地域の独居老人を定期的に訪問する仕事だった。

 半月ほど前から彼はGの街の小さな教会に移り、この地域の担当になった。こうした仕事に若手が不足しているのはこの国でも一緒だ。ましてやカトリック教会で奉仕をしたがる若者はかなり稀だ。神に仕えるよりは女の子と遊ぶ方が好きな若者の方がずっと多いのだから。マヌエルはこれを乗りかかった船だと思っている。クリスティーナが、自分を恋人にしてくれそうな氣配は今のところ皆無だが、幸い彼女は他の男性にも大して興味を持っていないようだった。それで、少なくとも数年の間は、彼は、若い男性の助けを必要としているお年寄りの力になろうと思っているのだ。

 例えば、今日訪れる家では、屋根裏にたくさん積まれた本を紐で縛って古紙回収のために準備することになっていた。
「たくさんのポルトガル語と、それから、いつかは読みたかった日本語の本があるんだけれどね。もう細かい字が読めなくなってきたから、少し整理しないと」
「お孫さんがお読みになるんじゃないですか?」
「ええ、彼女に残してあげる本もたくさんあるの。でも、あまりにもたくさんあって、彼女には大事な本がどうでもいい本に紛れてしまうから」
「わかりました。明後日の午後に伺いますね」
そして、今日がその約束の午後なのだ。

 マヌエルは、呼び鈴を押した。すぐに黒い服を来た女性が出てきた。ショートにしたグレーの髪、ニコニコと笑っている。
「こんにちは、メイコ。お約束通り来ました」
「ありがとう。マヌエル。あら、今日は修道服じゃないのね」

 マヌエルは笑った。白いシャツにスラックス。私服でメイコの家にきたのははじめてだった。
「修道服だと作業がしにくいんで。本のことだけでなく、なんでもやりますから遠慮しないでくださいね」
「ありがとう」
メイコは微笑んだ。女性の一人暮らしでは、どうしてもできない作業がある。ジョゼが遊びにくる時に頼むこともあるが、それでもこうして教会が定期的に助けてくれるのはありがたい。

「今日は、ミクがいるんじゃないんですか?」
「いいえ。友達とでかけているの。靴がどうとか言っていたけれど。サン・ヴァレンティムの日だし、ゆっくりとしてくるんじゃないかしら」
「そうですか、それは素敵ですね。お邪魔しますね」

 マヌエルは綺麗に片付いていて、心地のいい家に上がった。
「じゃあ、行きますか。屋根裏はこちらでしたね」
そういうと、メイコはあわてて首を振った。
「あら。そんな事を言わないで、まずはお茶でもどうぞ。パン・デ・ローがちょうど焼けたところなの」

 道理でたまらなくいい匂いがするわけだ。居間にはボーンチャイナのコーヒーセットが用意されていて、マヌエルは、まだ何の仕事もしていないのに、もう誘惑に負けてしまった。実は、この家に来るのが楽しみだったのは、毎回出してくれるお菓子がこの上なく美味しいからだった。
「日本だと、このお菓子、カステラっていうのよ」
「何故ですか?」
城には見えないのに。

「大航海時代に、宣教師が伝えたんだけれど、何故かそう呼ばれるようになってしまったんですって。言葉がきちんと通じなくて誤解があったのかもしれないわね。そういえば、日本だと円形ではなくて四角いの」
「ああ、日本に行かれた時に召し上がったのですね」
「ええ。神戸で知り合った大切な友人とね。彼女には、それからたくさんお世話になって……今回も……」

 メイコの穏やかな表情が、突然悲しげに変わったので、彼は驚いた。
「どうなさったんです、メイコ」
「実は、ミクがね……」

 それから彼女はマヌエルに孫娘の直面している苦しみについて語った。歌手としてようやく才能が認められつつある大事な時に、突然ポリープができたこと。診察のために日本に帰ったのだが、専門医からポリープの位置が悪く、手術で歌手生命に影響が出るかもしれないと宣言されてしまったと。
「でも、そのヴィンデミアトリックス家のお嬢さんが、ローマのいい先生を紹介してくださってね。明日、診察のためにイタリアへ発つことになったの」

「ローマですか?」
「ええ。ああ、そういえばあなたはずっとローマにいたのよね。ローマは、この街や日本みたいに夜中でも歩ける安全な街ではないと聞くし、それにあの子、日本語とポルトガル語は達者だけれど、イタリア語はそれほどでもないでしょう。なんだか心配で。もちろん、ヴィンデミアトリックス家のお嬢さんがきっと安全な手配をしてくださっているから、これは年寄りの杞憂なんでしょうけれど」

 マヌエルは、微笑んで言った。
「では、僕からも、ある方に頼んでみましょう。何かあった時には、きっと力になってくれます。彼はポルトガル語もできるし、それにその人の家族に日本人のお嬢さんと婚約なさっている方がいるのですよ」

 メイコの目が輝いた。マヌエルは、メイコに便箋とペンを用意してもらって、短い手紙をしたためた。

大好きなトト。
君は、あんな形でローマを去ってしまった僕のことを怒っているだろうか。僕が、君への友情よりも、僕の女神に付き添ってこの国に戻ることを選んだって。でも、君も理解してくれるだろう? 枢機卿に叙階しろってうるさく言われ続ける僕の苦悩を。生涯独身なんて、まったく僕の柄じゃない。

君に、不義理をしたままで、こんな頼み事をするのは心苦しいけれど、僕のとてもお世話になっている老婦人のために力になってくれないか。(彼女の作ってくれるお菓子を君に食べさせたいよ! それをひと口食べたら、君だって彼女の味方にならずにいられるものか)

僕の大切なメイコには孫娘がいる。ミクって言うんだ。(とっても綺麗な子で才能にあふれているんだぜ!)その子が明日、ポリープの診察でローマへ行く。どうやらあのヴィンデミアトリックス家が絡んでいるみたいだから、僕が心配する必要はないだろうが、ローマは大都会だから何があるかわからないってメイコが思うのも不思議はないだろう? 僕はただ彼女を安心させたいんだ。もし、ミクが助けを求めてきたら、力になってあげてほしいんだ。彼女は日本人でポルトガル語も堪能。でも、イタリア語はあまり話せない。声楽家だからオペラに出てくる歌詞ならわかるはずだけれど。でも、そっちには、シオリもいるし、コンスタンサ、いや、”クリスティーナ”もいるだろう? 

僕は、こちらでのんびりやっているよ。しばらくは修道士見習いとして、柄にもなく人のためになることをしようと思っている。君のことをときどき思い出す。こんな何でもない外国人のことを友達だと言ってくれた君のことを。いつかまた、どこかで君とワインを飲み交わしたいと思っている。それまで、あまり無茶なことをするなよ。

君の友、マヌエル・ロドリゲス



「さあ、これでいい」
マヌエルはメイコにFAXを借りると、イタリアのある番号を打ち込んで送信した。
「ものすごく面倒見のいい男なんですよ。たぶん、明日ミクが空港についたら、もう迎えが待っているんじゃないかな。ローマで、これ以上安全なことなんてありませんからね」

 メイコのホッとした笑顔が嬉しかった。彼女は、コーヒーをもう一杯すすめた。マヌエルは、作業に入る前に、大好きなパン・デ・ローをもう一切れ食べることにした。


(初出:2015年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】楔

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十一弾です。ポール・ブリッツさんは、「マンハッタンの日本人」を更に進めた作品を書いてくださいました。ありがとうございます。

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『働く男』
ポール・ブリッツさんの関連する小説: 
『歩く男』
『食べる男』
『夢を買う男』
『待つ男』


ポール・ブリッツさんはどちらかというとフェードアウトをご希望かと思いきや、とんでもなく。予想外にこじれています。「マンハッタンの日本人」シリーズ(笑)

はまりつつある泥沼をご存知ない方のために軽く説明しますと、ニューヨークの大衆食堂で働くウルトラ地味なヒロイン谷口美穂は、どういうわけか元上司で今はサンフランシスコに行ってしまったポールと、客で有名ジャーナリストであるジョセフの二人に想いを寄せられる異例の事態になっています。ポールと美穂は相思相愛だったのですが、どちらもダメになったと思い込んでいて、連絡も途絶えています。そこに表れたジョセフからのアタックなのか違うのかよくわからないアプローチに、美穂は戸惑っているのが前回までのストーリーでした。

ポール・ブリッツさんの作品でのポールは、こちらが手の出しようもないみごとなグルグルっぷり、「これをどうしろというのよ」と悩んだ結果、私なりのウルトラCで無理に事態を動かすことにしました。ただし、ポール・ブリッツさんへの返掌編ではありますが、両方に公平にチャンスを与えることにしました。

事態打開のために、TOM-Fさんのご協力をいただきました。大切なキャラ二人を快く貸してくださったことに心から御礼申し上げます。

この後のことを、宣言させていただきます。より女心をぐらりとさせるアタックをして、私と読者の方々に「こっちだ!」と納得させた方に美穂をあげます。「女心と秋の空」っていうぐらいですから、結末はどうとでもなります。って、二人共から見事にフラれる「やっぱりね」の結末もありますけれど。

なお、この泥沼に、更に殴り込み参戦なさりたい方は、どうぞお氣兼ねなく。はい、私、やけっぱちになっております。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、まとめ読み出来るようにしてあります。
「マンハッタンの日本人」あらすじと登場人物
「マンハッタンの日本人」シリーズ

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



「マンハッタンの日本人」シリーズ 11

——Special thanks to Paul Blitz-san


 不思議な時代だ。ただの日本人が、ジュネーヴからの電話をニューヨークで受けている。美穂は、ぼんやりと考えた。

「美穂さん、聴こえています?」
ハキハキとした明るい声。春日綾乃はいつでもポジティヴなエネルギーに溢れている。昨年《Star’s Diner》で知り合ったジャーナリストの卵が、ジョセフ・クロンカイトの教え子だったと知った時にはとても驚いた。しかも、彼女は今ジュネーヴでジョセフの依頼で事件を追っているらしい。そんな大変な時に、しかも国際電話で、大衆食堂のウェイトレスの近況などを知らなくてもいいのではないかと思うが、それを言ったら綾乃は一笑に付した。

「大丈夫です。これIP電話ですから、国内通話と変わらないんですよ。それに、先生と美穂さんのこと、あたしには大事なんですから」
美穂は返答に詰まる。

「お似合いだと思うんだけれどな。先生、変なところが抜けているから、美穂さんみたいに落ち着いてしっかりした人、ぴったりですよ」
「綾乃ちゃん。それは、クロンカイトさんに失礼だわ。あの方にとって私はどうでもいい人間の一人に決まっているでしょう」
「美穂さんったら。どうでもいい人をそんなに熱心に誘う人がいると思います? 先生がどんなに忙しいか知っているでしょう?」

 綾乃のいう事はもっともだと認めざるを得なかった。ジョセフ・クロンカイトとは、すでに七、八回食事を一緒にしている。最初の二回は「お礼」だったが、次からは特に理由はなかった。週に一度か、十日に一度くらいの頻度で連絡が来る。「今日は予定があるか」だったり、「明日は時間があるか」だったりする。美穂に先約があった試しは一度もない。たぶん365日いつでもヒマだ。

 一緒に食事をしていると、いつも数回は「緊急の電話」が入る。
「わかった。明日の朝までに目を通しておくから、自宅にFaxを送ってくれ」
「今夜アヤノから連絡があるまで待ってくれ。わかっている、二時までにはメールする」
「明日は三時までは予定がいっぱいで無理だ。三時半にCNNの会議室に来れるか」
そんな短いやり取りをしてから、携帯電話を内ポケットに入れ、無礼を詫びる。でも、美穂はそれほど忙しいのに自分と食事をする時間を割いてもらっていることを申し訳なく思う。

「でも、美穂さんは、先生と逢う事自体は嫌じゃないんでしょう?」
綾乃が訊き、美穂は即答した。
「もちろんよ。クロンカイトさんとお話ししていると、いつも時間を忘れるの。世界ってこんなにエキサイティングに動いているんだなって、改めて思ったわ。毎回、新しいことを教えていただくし」
「美穂さん……。クロンカイトさんって、まだそんな距離感なんですか? ジョセフって呼んであげてくださいよ」
「そんなの無理だわ。全然そんな立場じゃないもの。それにいつもご馳走になってばかりで、本当は私も払いたいんだけれど、じゃあ払ってくれと言われても払えないようなお店ばかりなのよね……。心苦しくて」

 綾乃がため息をついた。
「もう、先生ったら……。とにかく、あたしは断然応援していますから。美穂さん、先生は変なところ奥手なんだから、そんな他人行儀にしないであげてくださいよ」
「でも……」

 美穂は口ごもった。綾乃のいう通り、ジョセフ・クロンカイトは酔狂で自分に連絡をしてきているわけではないだろう。彼は食事をして一緒に話をするだけで、それ以上のことを特に求めてくるわけではなかった。だからこそ、美穂もまた誘いを断らなかった。美穂はジョセフに対してのはっきりとした恋心を持っていない。だが、それは一目惚れのような燃え上がる恋情はないというだけで、彼に対しての興味がないということではない。むしろ逢う度に、こんなに興味深くて素敵な人はいないという想いが強くなる。全く釣り合わないと思うし、これからも釣り合うような女性にはなれないと思いつつも、いつかはそのことに悩むことになるのだろうかとも思っている。

 でも、純粋にこの状況に身を任せられない理由はわかっている。もう終わったことだと言い聞かせても、まだ心に打ち込まれた大きな楔を取り除けていないからだ。鞄の中には、まだポールから貰ったメールのプリントアウトが四つ折りになったまま入っている。開ける必要もない。暗記してしまっているから。連絡のないことが答え。何度自分に言い聞かせたことだろう。泣くことはなくなった。痛みは確実に薄れている。でもなくなっていないのだ。

 ジョセフから愛を告白されたなら、美穂はその事を言わなくてはならないと思っていた。そのことで、彼との時間を失うのは残念でならない。もう二度とジョセフのような人と知り合うチャンスはないだろう。それどころか、誰かに興味を持ってもらえることもないかもしれない。終わってしまったことのために、他の大切なものも失ってしまうのだろうか。この楔を取り除けたら、問題は一つ減るんだろうか。

「美穂さん?」
黙ってしまった美穂が、まだ受話器の向こうにいるのか、綾乃は不安になったらしい。美穂ははっとして、会話に戻ってきた。
「ねえ、綾乃ちゃん。話題が突然変わって申し訳ないんだけれど、教えて。一般人が、去年サンフランシスコで開店したレストランのリストって、入手できると思う?」
「え? 本当に唐突ですね。サンフランシスコ市内だけですか? そうですね。市役所にはリストが公開されているでしょうね。今、ここからだとちょっとわからないですけれど、急ぐなら先生に訊いてみましょうか?」
「いいえ、それはいいわ。時間はたっぷりあるから自分でやってみる。ありがとう」

 向こうで綾乃が首を傾げているのが目に浮かぶ。礼を言って電話を切った後、美穂はぼんやりと電話を見つめていた。このままじゃいけない。綾乃の電話は、天からのメッセージのようだと思った。クロンカイトさんに対しても失礼だし、自分のためにも。

* * *


 翌朝、ジョセフから連絡があった。例によって何の予定もない美穂は、その夜に彼と待ち合わせた。いつものようにマンハッタンにある夜景の見える店ではなく、ブルックリンの西部にあるダンボ地区に連れて行かれた。コンクリートの打ちっぱなしの床や壁に、暖かめの間接照明を多用して、ギャラリーのようなたくさんのアートがかかった店には、ネクタイをしている客はほとんどいなかった。

「ハイ、ジョセフ。久しぶりだね」
スタッフや、常連とおぼしき客たちと親しげに挨拶を交わしているので、よく知っている店なのだろうと思った。テーブルマナーなど、だれも氣にしないような雰囲氣で、美穂は少しホッとしていた。

 小さな丸テーブルに案内されて、珍しそうに店を見回す美穂に彼は訊いた。
「この店が氣にいった?」
「ええ。落ち着く店ですね」

「アヤノに怒られたよ」
「え?」
「申し訳なく思うような高い店にばかり連れて行ってどうする氣だって。女の子の扱いが下手すぎると口癖のように言われているんだ。すまなかった。居心地の悪い時には、はっきり言ってほしい」
「そんな……。私こそ、すみません」

 美穂が続けようとするのを遮って、彼は続けた。
「それに、サンフランシスコ市役所に調べものに行く必要はない」

 彼女が、言葉を見つけられずにいると、ジョセフは内ポケットから愛用の革手帳を取り出すと、中から一枚のメモを抜いてテーブルに置いた。
「アヤノは、ジャーナリストとしてあらゆる素質を持っているんだが、一つだけ不得意なことがあってね」
「それは?」
「ポーカーフェイス。君とは全く関係ないことを装って、昨年のサンフランシスコの登記簿について聞き出そうとしたんだが、残念ながら私にはすぐに君からの依頼だとわかってしまった。これをもう持っていたからね」

 『ピンタおばさんの店』。店の所在地、ポールの氏名、現住所、携帯電話番号が並んでいた。美穂は、じっとその紙を見つめていた。
「どうやって……」

「アヤノには言っておいた。誰かが情報を求めている時は、言われたままに探すのではなく、なぜその情報が必要なのかを確認することが一番大切だ。それによってメソッドが変わってくるからね。このケースでは、昨年開店した何千もの店から探すのは徒労だ。この青年を捜す方がずっと早い。例の反戦詩の版権のことで行方をくらました青年だと聞いてからは簡単だった。彼を追い回していたジャーナリストの中で貸しのあるヤツらに数本電話をかけるだけで十分だった」

「でも、どうして……」
「春の終わりにキャシーに頼まれた」
「キャシーが?」
「正確に言うと、私が必要とした情報に対して彼女が求めた対価もある情報だった。それを知るために、この青年の所在が必要になった」

 美穂は、手を伸ばしてメモを手にとった。
「キャシー……。どうして……」
「なぜ、君に何も言わなかったのか。私の伝えた客観的事実を、報せたくなかったからだろう。この連絡先を、彼女に渡そうとしたら、それはいらないと言った。そして、もし君がそれを必要とした時には、渡してやってほしいとも言っていた」

「彼女が知りたかったのは?」
「その青年の現在の家族構成と、その店の経営状況。もし君が聞きたいならば、今ここで正確にいう事ができるが」

 美穂は、何も言わずにその連絡先を見つめていた。ウェイターが二人の前にワインを置いている間も身動きもせずに、文字を見ていた。それから、しばらくしてから頭を振った。

「キャシーが、私に報せたくないと思った内容なら、おっしゃってくださらなくて結構です」
そう言うと、鞄から四つ折りになったプリントアウトを取り出した。連絡先とそのプリントアウトを重ねると、二つに切り裂いた。

 ジョセフは、その間、何も言わなかった。美穂は、下を向いた。涙を見せたりしてはいけない。そんな失礼なことをしてはいけない。楔を取り除きたいと望んだのは自分だ。破いた未練をゴミ箱に捨てようかと思ったが、個人情報だと思い直し、そのままバッグに入れてジッパーを締めた。
「ありがとうございました。お手数をおかけしました。調べていただいたお礼は、どうしたらいいんでしょうか」

 ジョセフはワインを飲んで、それから首を振った。
「君に依頼されて調べたものではない」
「でも……」

「どうしても氣が済まないと言うならば、来週末、我が家で親しい人たちを招いてホームパーティをすることになっているんだ。手伝ってくれればありがたい」
美穂は、彼のあまり変わらない表情をしばらく見つめていたが、やがて「はい」と言って頭を下げた。

 それから、二時間ほど、いつものようにいろいろなことを話しながら、アラカルトを食べ、ワインを飲んだ。美穂は、頷いたり質問したりしながら、今週世界で起こったことに耳を傾けていた。だがそれと同時に、体の中を冷たい風が吹き抜けていくように感じていた。

 楔が抜けるということは、それで塞がっていた傷が開くということだった。彼女の心から哀しみという名の血が溢れ出していた。いつものように笑えなくなっていることを感じた。

 店を出て、アパートメントまで送ってくれるジョセフと歩いている時も、いつもの石畳が別の世界のように冷たく感じられた。言葉少なく考え込んでいる美穂に、彼は言った。

「ミホ。忠告をしておく。情報というものは、人の手を通った回数が多ければ多いほど、フィルターがかかるものだ。君がキャシーを信じるのは悪いことではない。キャシーが君のことを大切に想って行動したのは間違いない。だが情報は、私の知人、私、そして、キャシーの三人のフィルターを通してもたらされている。ジャーナリストである私は、アヤノにいつもこう教えている。できるだけソースに近づき裏を取るようにと。君はジャーナリストではないが、悔いを残さないために、苦しくとも真実に近づくことを怖れない勇氣を持った方がいい」
「ミスター・クロンカイト……」

 ジョセフは、ため息をついた。
「頼むから、次回はファーストネームで呼んでくれないか」
アパートメントの前についていた。美穂は頷いた。ジョゼフは、優しく美穂にハグをすると、「おやすみ」と言って、もと来た道を戻っていった。

 キャシーは、まだ戻っていなかった。美穂は、部屋の灯をつけて、靴を脱ぎ、上着をハンガーにかけると、鞄を開けた。引き裂かれたメモとメールのプリントアウトが見えた。机に並べた。悔いを残さないためにか……。

 美穂は、携帯電話を取り出して、ゆっくりと一つずつ番号を打ち込んだ。メールの内容が頭に浮かんだ。「サンフランシスコで店を……きみも来ないか」ジョセフの言葉も浮かんだ。「家族構成と……」

 ポールのメールには、美穂を愛しているとはひと言も書いていなかった。好きだったから希望的観測で求愛と読みとってしまったけれど、あれは従業員として店で働いてくれないかという意味だったのかもしれない。呼び出し音が一回聴こえた。連絡のないことが答え。冬の間、つぶやいた言葉。今さら私からかかってきても、ポールは困るだけだろう。美穂は、電話を切って電源を落とした。それから、破れた紙を粉々にして、ゴミ箱に捨てた。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more



というわけで、ポールが思い悩んでいるうちに、ジョセフの方も着々と彼女の心の中に入り込んでいます。

美穂自身も、グルグルしているだけでまともに動かないキャラです。それでは話が全然進みませんので、周りが勝手に動いています。

自分の担当教官と美穂がうまくいくといいなと応援するTOM-Fさんの「天文部」シリーズのヒロイン春日綾乃、ポールが去って以来陰に日向に美穂を支えるキャシー、恋敵に関することだとわかっていても大人の対応且つジャーナリストとしての公平さをもってポールの居場所と現状を調べたジョセフ。三人とも善良で美穂の味方ですが、それぞれに意図があり、美穂に言う事と言わないことがあります。読者の方は、どう思われるでしょうか。そして、今後どうなるべきとお考えでしょうか。

私は、ひと言です。いいなあ、こんな風にモテてみたい。
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 連載小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】サン・ヴァレンティムの贈り物

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十弾です。山西 左紀さんは二つ目の参加として、前回の『絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2』の更に続きを書いてくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『Promenade 2』
山西 左紀さん関連する小説
絵夢の素敵な日常(10)Promenade
絵夢の素敵な日常(12)Porto Expresso
絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2


すてきなお嬢様、絵夢が繰り広げる一連の作品は、左紀さんの作品群の中ではほんの少し異色です。どの作品も素敵なのですが、このシリーズは他の作品群と較べて、楽しく彩られているように思うのです。明るくて凛としていて、そしてどこかユーモラスな絵夢が、周りを優しく力強く変えていくのですが、そこにはどこも押し付けがましさがなくて魅力に溢れています。このシリーズは、リクエストして掘り下げていただいたり、Artistas callejerosとコラボしていただいたり、何かと縁が深くてものすごく親しみを持っている世界なのですが、さらに私が三年前から狂っているポルトの街にもメイコとミクを住まわせていてくださって、「マンハッタンの日本人」の舞台ニューヨークに負けないコラボ場所になっていたりします。「ローマ&ポルトチーム」も、scriviamo!の定番舞台になってきたみたいで、ニマニマが止まらない私です。

さて、左紀さんの作品では、悩みがあり絵夢に力づけてもらっているミク。ポルトで彼女の帰りを心待ちにしている歳下の男の子ジョゼは、ヴァレンタインデー(Dia de São Valentim)に想いを馳せています。

で、ブログのお友だちにわりと人氣のある誰かさんの靴、サキさんはいらなかったかもしれないけれど、無理矢理押し付けちゃうことにしました。受け取ってくれると嬉しいです。


【参考】
追跡 — 『絵夢の素敵な日常』二次創作
再会
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



サン・ヴァレンティムの贈り物
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 ボンジャルディン通りは地下鉄トリンダーデ駅からさほど遠くない。だが、ジョゼの勤め先のあるサンタ・カタリナ通りのような華やかさはなく、この街に住んでいてもどこにあるのかわかる人間は少ないだろう。間口の狭い家が身を寄せあうように建っている。一階は店になっている所が多いが、店子が見つからないまま何年間も放置されているような家も多い。

 ジョゼは家番号を確認しながら歩き、通り過ぎていたことがわかってまた戻った。ここか? 本当に? 目を凝らすと、確かにショウウィンドウと言えなくもないガラスの窓があって、そこには三足の靴が並んでいた。よく見ると赤字で「売約済み」と書いた札がついている。

 ジョゼはきしむ古いドアを押して中に入った。中には少し長めの白髪の小男が座って、靴を修理していた。灰色の荒いチェックのシャツに緑色のエプロンを掛けている。
「あ~、ビエラさんって、ここでいいんですか」
「わしがビエラだが」
老人は鼻にかかった丸いフレームの眼鏡の上側からジョゼを見定めて無愛想に答えた。

 こんな流行ってなさそうな小さな店だとは思わなかった。ジョゼは手元の黒いカードをもう一度ひっくり返した。裏の白い部分にここの住所と、靴が必要になったらここを訪ねるといい、手間に対するお礼だと書いてあった。このカードをジョゼにくれたのは、この世のものとも思えぬ美しい貴婦人だった。幼なじみのマイア・フェレイラに秘密の用事を頼まれた時のことだ。ウェイターとして働くジョゼの勤め先にやってきた黒髪の美女が、チップを渡すフリをしてマイアの手紙をこっそりと手渡して帰っていったのだが、その封筒の中にこのカードが入っていたのだ。

 あれから何ヶ月も経った。ジョゼはこのカードのことをすっかり忘れていた。思い出したきっかけは、愛用の安物の靴に穴があいてしまい新調しようとしたことだった。はじめは、デパート「エル・コルテ・イングレス」に行き、それからサー・ダ・バンデイラ通りの靴屋を何件かぶらついたが、ピンと来る靴が見つからなかった。一ついいのはあったのだがサイズが合わなかった。その時に突然このカードのことが頭に浮かんだのだ。

「靴が欲しいんですが……」
と周りを見回したが、新品の靴はウィンドウに置かれている三足しかなさそうだった。その靴は、見るからに柔らかい本革で出来ているようで、オーソドックスながらも品のいいフォームだった。こういうのが欲しかったんだけれどな、売約済みじゃしょうがないよな。
「ないみたいですね。失礼しました」

 そういって出て行こうとするジョゼをビエラ老人は引き止めた。
「そのカード、見せてもらおう」

 ジョゼは、素直にカードを渡した。それは黒地に竜が二匹エンボス加工で浮き上がっており、右上に赤い星が四つついていた。裏の字は印刷で、署名もなかったが、老人は頷いた。
「ドンナ・アントニアの依頼じゃな。ここに座って、靴と靴下を脱ぎなされ」
「は?」
「あんたの足型をとるので、足を出すのだ」

「い、いや……オーダーメードの靴を作るほどの予算は……」
そういうとビエラはじろりと見て、立ち上がると、粘土の用意を始めた。
「そこにある靴はオーダーメードではないが、それでもあんたの予算にはおさまらんよ。このカードがあるということは、あんたが払う必要はない。足を出しなされ」

 タダで作ってくれんのか? そこにあるみたいなかっこいい靴を? 嘘だろう?
「あの……ちなみに、そこにあるような靴は、いくらくらいで買えるんですか」

 老人は粘土を練りながら答えた。
「それは、この店で買うから350ユーロだ。イタリアに持っていった分は同じものが1100ユーロで取引されている」
「ええっ! じゃあ、オーダーメードだともっと高いんじゃ……」
「材質や仕事の量によって違うが、600ユーロはもらっておるよ」
ジョゼは目をぱちくりさせた。なんだよ、手紙を誰かに送っただけで、なんでこんなお礼を貰えるんだ……。ビエラは、あれこれと考えているジョゼにはかまわずに、まず右足の型を取り、粘土で汚れた足をバケツの水で簡単に濯がせるとタオルをよこして拭けと手で示した。

 左足の型を取っている時に、ジョゼは突然叫んだ。
「ストップ。ストップ! やめだ、やめ! そのカード、返してくれ」

 ビエラは眉をひそめて訊き返した。
「なんだと?」

 ジョゼは足をバケツに突っ込んで、粘土を洗った。
「ごめん。このカードがあれば、僕じゃなくてもタダでそのすごい靴を作ってもらえるんだろう?」
「ああ、そうだが?」

「僕のじゃなくって、ある女の子の靴を作ってほしいんだ」
「誰の」
「今、この街にいない。もうすぐ、戻ってくるんだ。その子にプレゼントしたい」

 ミクがこの街に帰ってくる。もうすぐサン・ヴァレンティムの記念日だ。ジョゼは、ミクに特別のプレゼントをして、氣もちを伝えるつもりだった。まだ、プレゼントは見つかっていなくて、焦っていた。真っ赤な薔薇、それとも長い髪に似合う、高価なレースでできたリボンはどうか。特別じゃなくっちゃ。僕が冗談を言っているんじゃない、本氣なんだってわかってもらえるものを。指輪を贈ろうかとも思ったけれど、それではありきたりすぎる。もっと特別なものでなくちゃ。

 600ユーロもするオーダーメードの靴ならきっと喜んでくれる。舞台でも映えるに違いないし!

「彼女にプレゼントしたいのはわかったが、あんたは靴が必要だからここに来たんじゃないのか」
それを聞いて、ジョゼはちらっと窓辺の靴を見た。
「それ、ちょっとだけ履いてみてもいいかい?」
「いつも履いているサイズは?」
「42」
「その真ん中のヤツだ」

 ジョゼは、売約済みの茶色い靴を履いた。柔らかい皮にぴったりと包み込まれた。歩いてみると、雲の上に浮かんでいるようだった。締め付け感がまるでなく、しかし、ブカブカではなかった。ジョゼはすぐに決心した。
「これと同じのを注文したいな。数ヶ月、必死で働いてお金を貯めなきゃいけないけどさ」

 ビエラは靴に魅せられているジョゼと、手元の型を取ったばかりの粘土をじっと見ていたが、やがて「わかった」と言って黒いカードをジョゼに返した。ジョゼは幸せな氣持ちになってビエラの店を後にした。

* * *


 ジョゼは、ミクと一緒にビエラの店の扉を開けた。ショートカットになったミクは耳元にキラキラ輝くトパーズの並んだヘアピンをつけている。颯爽と歩く姿は前と同じだけれど、女性らしくなったように思う。そういえば、ジョゼの前ではなくて隣を歩くようになった。

 二週間前、この街に帰ってきてすぐにこの店に連れてきた時には、やはりあまりに閑散とした棚に驚いていたが、ビエラ老人とどんな靴がいいか話している間にすっかり信頼するようになり、出来上がりを楽しみにしてくれていた。

 明日、ミクはローマへと旅立つ。ポリープのために歌手としての生命を絶たれるかもしれないと打ちのめされていたが、絵夢に紹介してもらい、世界的権威である名医の診察を受けられることになったのだ。新しい希望が、彼女をさらに生き生きとさせている。その直前に来た靴の出来上がりの連絡は、彼女が幸運の女神に愛されていると告げているようだ。

「いらっしゃい。待っていたよ」
ビエラは、後ろの棚から白い箱を取り出した。蓋があくと、ミクは息を飲んだ。

 緑がかった水色でできた絹のハイヒールだった。ヒールは太めで、飾りの白いリボンが可愛らしい。
「こりゃ、かわいいな」
ジョゼも驚いた。ミク本人を知っている人が作ったみたいだ。

「履いてごらん」
ビエラは靴べらを渡した。ミクは宝石を持ち上げるように靴を取り出すと、新しいので多少当たって痛いことを予想しながらつま先を靴の中に滑らせた。

「え?」
全く痛くなかった。どこも当たらない。歩く時に普通のハイヒールだと強く感じる前足部の痛みもなかったし、外れそうになることもなかった。オーダーメードの靴って、こんなに楽なんだ! しかも低い靴を履いている時と同じように安定して、まっすぐに歩ける。

 ジョゼは嬉しそうなミクを眩しそうに見ていた。本当によく似合っている。子供っぽい所のある姉貴だと思っていた。それに、この靴は大人っぽいというよりも可愛い方だと思った。でも、こうやってハイヒールを履いて歩くと、ミクの長い足がとても綺麗に見えてセクシーでもある。喜んでくれてよかった。これなら、自分の靴のために何ヶ月もパンと水だけで暮らすのもなんでもないや。

 二人が礼を言って帰ろうとすると、ビエラが呼び止めた。
「こっちはあんたの靴だ」
そう言って、もう一つの箱を取り出してジョゼに渡した。ジョゼは黙って中身を見つめた。最初にこの店で見た、あの茶色い靴ではなくて、もう少しフォーマルに見える黒い靴だった。明らかにあの靴より高いだろう。
「これは……」

「茶色い靴がほしければ、ゆっくりと金を貯めるがいい。これはあんたが女の子のために自分の靴を諦めたことを聞いた靴職人からのプレゼントだ」
「よかったね! ジョゼ!」
ミクが抱きついてきた。彼は真っ赤になった。

 プレゼントは渡した。期は熟した。今日はサン・ヴァレンティムの日。絶対に今日こそ告白するぞ。……告白できるといいんだけれど。いや、今は診察前で、それどころじゃないだろうから、姉貴がイタリアから戻ってきてからの方がいいかな。

「姉貴。頑張れよ。その靴を履いて、また舞台に立てるようにさ」
ジョゼは、今日の所は、これだけしか言わないことにした。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


というわけで、ミクのポリープ治療(とジョゼの恋)の顛末は、「to be continued...」です。ほら、ローマに送り込んじゃったから、同じポルト陣営だけれどローマ在住の、ヒッチハイク好きの偉い人とその婚約者と偶然であって、彼らがいろいろと助けてくれるかもしれないし。(なんて無責任な!)

全然関係ないですが、設定上、ビエラ老人のお店は、もう一カ所あります。そっちは、息子が店主でもう少しちゃんとした普通の靴屋です。わりと高級な既成靴を各種揃えています。本編でアマリアが言っていた店は、息子のお店。イタリアのデザイナーなどに送って、バカ高い値段で売られる靴はこの息子の店を通して取引されています。《監視人たち》の家系のビエラ老人は、23の靴づくりの師匠ですが、現在は引退して簡単な修理だけをしながら、23の靴の欲しい特別な客だけをこの怪しい店で応対しています。たぶん彩洋さんちの詩織がつれてこられたのもこっちですね。
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】そよ風が吹く春の日に

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第九弾です。TOM-Fさんは、「マンハッタンの日本人」を新たに大きく展開させた作品を書いてくださいました。ありがとうございます。

TOM-Fさんの書いてくださった『この星空の向こうに』第2話サザンクロス・ジュエルボックス -Featuring『マンハッタンの日本人』
TOM-Fさんの関連する小説: 
「天文部」シリーズ
『この星空の向こうに』-Featuring『マンハッタンの日本人』


TOM-Fさんは、時代物から、ファンタジー入りアクション小説まで広い守備範囲を自在に書きこなす小説ブロガーさんです。どの題材を使われる時も、その道のプロなのではないかと思うほどの愛を感じる詳細な書き込みがなされているのが特徴。その詳細の上に、面白いストーリーがのっかっているので、ぐいぐい引き込まれてしまいます。お付き合いも長く、それに、私にとっては一番コラボ歴の長い、どんな無茶なコラボでもこなしてくださるブログのお友だちです。

今年は、去年に続き『天文部』シリーズと『マンハッタンの日本人』を絡めて参加してくださいました。それも、ものすごい変化球で……。

もう前回で最終回かと危ぶまれていた『マンハッタンの日本人』シリーズですが、終わりませんでした(笑)しかも、なんかいいなあ、美穂。私も予想もしていなかった展開なんですけれど。今年はいったいどうしたんだろう。

今年も同時発表になっていますが、時系列の関係で、TOM-Fさんの方からお読みいただくことをお薦めします。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、まとめ読み出来るようにしてあります。
「マンハッタンの日本人」あらすじと登場人物
「マンハッタンの日本人」シリーズ

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



「マンハッタンの日本人」シリーズ 10
そよ風が吹く春の日に
——Special thanks to TOM-F-san


 桜かあ。春になっちゃったねぇ。キャシーはダイナー《Cherry & Cherry》のカウンターに肘をついて、ぼんやりと考えた。毎年、セントラル・パークに桜が咲く頃になると、人びとの頭の中からウィンタースポーツのことは消える。キャシーの頭の中からは消えないけれど、実際に滑ることは不可能になるので、陸の上でできるトレーニングを黙々とこなすようになる。次の冬のステップアップに向けての大切な時期ではあるけれど、滑ることそのものが好きなキャシーには残念な季節だ。

 それで仕事でのやる氣も若干そがれる季節なのだが、今年は同居人がプライヴェート上の悩みを振り払おうと、やけに頑張って働くのでダラダラするのに罪悪感が伴い、キャシーにしては真面目に仕事に励んでいた。美穂は早く出勤して、モーニング・セットのためにブラウン・ポテトを作っている。後から出勤してもいいのだが、それを作りながら、もともとその仕事をするきっかけになった男のことを思いだして、彼女がまためそめそしているんじゃないかと思うと、どうも二度寝を楽しむ氣になれない。それでキャシーは美穂と一緒に出勤して、掃除やその他の開店準備をすることになった。

 そうやって早くから用意していると、時間に余裕ができるのか、今まで見えていなかった粗が目につくようになる。ずっと動かしたことのない棚の中の食器の位置を変えて、出し入れがスムーズになった。そうすると配膳が楽になり、ナフキン入れやケチャップ・マスタード立ての曇りに目がいった。いつの間にか客たちの文句が減り、会話が増えたように思う。美穂が《Star’s Diner》ではじめた「オシボリ」とかいう、小さいタオルを手ふきとして出すサービスも、最初は仕事が増えるだけとしか思わなかったが、反対に客がテーブルや床を汚すことが圧倒的に減り、毎日ふきんやミニタオルを洗濯する手間はほとんど変わらないのに仕事が楽になっていくように思う。

 その変化は《Cherry & Cherry》の常連たちにも好評だった。緩やかに変化を見てきた人たちはそうでもなかったが、しばらく足が遠のいていて久しぶりにやってきた客たちは一様に驚いて何があったのかと訊きたがった。美穂は通常はキッチンにいて人びとと接する機会はあまりなかったのだが、説明を面倒に思うキャシーはその度に、キッチンから美穂を引きずり出して「この子が、変えてくれたの」と説明しては済ませていた。

 入口のドアが開いて、今日最初の客が入ってきた。あらぁ、久しぶりだこと。ジョセフ・クロンカイト。キャシーがフルネームを知っている数少ない客だ。と言っても、自己紹介をされて知っているわけではなく、CNNの解説委員としてテレビに出ている有名ジャーナリストだからなのだけれど。
「おはよう、ミスター・クロンカイト」
キャシーがいうと、その男は、驚いたような顔をしてから、言った。
「君か、キャシー」

「あ、今、がっかりしたでしょう」
「い、いや、していないとも。おはよう。ところで怪我をしたんだって。大丈夫か?」
「ありがとうございます。つまり、昨日の、財布を落としたお客さんってあなただったんですね、ミスター・クロンカイト。とてもおいしい食事をご馳走になったってミホが言っていたけれど」

 美穂はどうやらこの男が何者なのかわかっていないらしい。それもそうだ。ひと口にジャーナリストと言われても、コミュニティ紙編集部から従軍記者までさまざまだ。ジョセフ・クロンカイトは有名人と言っても俳優ではないので、ニュースを観ない人間にまでは知られていない。それに美穂は外国人だ。前に住んでいたアパートメントにはテレビはなかったし、キャシーと暮らしはじめてからも二人でCNNのニュースを観ることなどほとんどない。知らなくても不思議はない。

「君は、いいジャーナリストになれるね。もう何もかも聞き出したのか?」
「ふふん。日本人から何もかも聞き出せるほどの腕があったら、こんな所で働いていると思います? ところで、珍しいですね。二日続けてくることなんてなかったじゃないですか。ここの所全然来なかったし」

「取材でアメリカにはいなかったんだ。来ない間に、ずいぶんとこの店が変わっていたんで驚いたよ。これならもっと足繁く通ってもいいね。モーニングセットを頼むよ。ところで、今日はミホは……」
カウンターに腰掛けたジョセフが全て言い終わる前に、キャシーは「ふ~ん」という顔をした。目の前に素早く、カトラリーと「オシボリ」を置くと、キッチンに向かいながらウィンクした。

「残念ながら、ミホはオーナーに呼び出されて《Star's Diner》へ向かっているんです。一時間は帰って来ませんよ。今日は私だけで我慢して、また明日にでも来るんですね」
ソイミルクを通常よりも多く入れたコーヒーと、ブラウン・ポテトの少なめのモーニングセットを彼の前に置いた。

「悪いが、昨日以来、ブラウン・ポテトはたっぷり入れてもらうことにしたんだ」
「なるほど。わかります」

 ジョセフはことさら無表情を装っていたが、キャシーはその様子をみて心の中で笑った。ブラウン・ポテトって、こんなに効能のある食べ物だって、この歳まで知らなかったな。この人までがミホに興味を持つとはねぇ。これはひょっとすると……。

「あ!」
その声に我に返ると、ジョセフはスラックスのポケットに手をやっていた。
「どうしたんですか。まさか昨日の今日で、また財布をなくしたとか?」
「そのまさかだよ。家に忘れたのかな? なんて失態だ。すまない、後で支払いにくる」

 キャシーはため息をついた。この人の硬派で完璧主義のイメージ、見事に崩れちゃったわ。しょうがないなあ。
「後でって、遅くなるんでしょう。私たち、五時までの勤務だし、それ以後だと困るんですけれど」
どうしようかと考えはじめているジョセフが何かを言い出す前にキャシーは続けた。
「ミホに《Star's Diner》からの帰りに集金に行かせます。わざわざ出向くんですから、コーヒーくらいはおごってやってくださいね」

 ジョセフは言葉を見つけられずに、眼鏡を掛け直していた。キャシーは続けた。
「ただし。あの子はあなたの周りにいくらでもいるような、要領がよくて恋愛ゲームにも慣れている華やかな女性とは違いますから」

 他の客たちが次々と入ってきたので、キャシーは忙しくなり、ジョセフも彼女に対して美穂をナンパしようとしているわけではないという趣旨のことを言い出しかねた。

* * *


 美穂はタイムワーナーセンターの入口で守衛に話しかけるために勇氣をかき集めた。昨日はここに辿りつく前に、あの人が見つけてくれたんだけれどな。
「CNNのジョセフ・クロンカイトさんを呼んでいただきたいんですが」
守衛はせせら笑った。
「君、彼のファンか? 受付で呼べば本物のジョセフ・クロンカイトがのこのこ出てくるとでも?」
「え……」

 美穂は、ジョセフが有名人らしいとようやく氣がついた。モーニングセットの代金をもらいにきたなんて言ったらますます狂信的ファンの嘘だと思われるだろう。携帯電話の番号はあるから、連絡をして下まで降りてきてもらうことはできる。でも、仕事中で忙しいのかもしれないし、これっぽっちのお金のことで、本氣でここまで押し掛けたと呆れられるのが関の山だろう。自分のポケットから払って、終わりにした方がずっと早い。
「わかりました。帰ります」

 美穂は踵を返して、エスカレーターを降りた。この新しい大きなビルには、五番街の銀行に勤めていた頃に何度か来た。セントラル・パークに近い新しい話題のスポット。ニューヨークの今を生きる自分にふさわしいと来るのが楽しみでしかたなかった。仕事を失って以来、その晴れ晴れしさがつらくて避けていた。

 昨日、ジョセフに連れられて、久しぶりにこの建物の中に入って、別の惑星にいるように感じた。マンハッタンにいるのはずっと同じなのに、摩天楼にはずっと足を踏み入れていなかった。アパートと、職場と、地下鉄と、スーパーマーケットと、いつもの場所を往復するだけの生活に慣れてしまっていた。

 《Star's Diner》や《Cherry & Cherry》の仲間たち、常連たち、オーナー、キャシー、そして……。いなくなってしまった人の面影がよぎる。美穂の世界は、とても小さい所で完結していた。《Cherry & Cherry》から歩いて30分もかからない所にあるこの建物はその世界の外にあった。そして、もう二度と関わることのない、関係のない場所になっていた。

 昨夜のジョセフの言葉が甦る。
「……そうやってこの街の底辺をさ迷いながらも、少しずつ自分の居心地のいい場所を見つけられたからね。もっとそういう場所を増やしたくて、前だけを見て、上だけを向いて、無我夢中で頑張ってきた。気がついたら、ニューヨークに好きな場所がたくさんできていたんだ」

 美穂の好きな場所は減っていくばかりだ。上を見て、上を目指して頑張ったこともない。ジョセフも、ポールも、人生を大きく変えるために、必死で頑張っていた。ジョセフは戦火を逃れてこの国に来たと言っていた。地獄から歯を食いしばって這い上がってきたのだろう。穏やかで冷静な言動の底に、壮絶な時間の積み重ねがあるのだ。

 美穂は、そんな苦労はしたことがない。地元でも知られていない何でもない学校を卒業し、なんとなくアメリカに憧れて留学し、そこそこ頑張って得た銀行の事務職で天下を取ったようなつもりになり、失業や失恋したぐらいで世界に否定されたと嘆いていた。《Star's Diner》や《Cherry & Cherry》、それにキャシーと暮らすアパートメントは居心地が悪いわけではないけれど、ずっとここにいるべき場所、もしくはどこにも行きたくない大切な場所とは思っていない。むしろ、いつまでも甘えて迷惑をかけているのではないかと時々不安になる。不安定。それが今の自分に一番ぴったりくる言葉なのかもしれない。

 だからこそ、大きいものは何もつかめないのだろう。この街の中に好きでたまらない場所が増えていかない。居場所がいつまでも見つからない。

 昨夜ジョセフは、食事をしながらたくさんの興味深い話をしてくれた。世界を見つめている視点が違う。視野が広い。時間が経つのを忘れた。風が冷たかったエンパイア・ステート・ビルディングの展望台では、上着を脱いで美穂に掛けてくれた。彼女の日常にはほど遠い夢のような時間だった。職場の客と店員という立場を超えて、もっと親しくなれたらいいと思った。友人などという大それた立場ではなくて、尊敬する人として時々話すことができたら世界が違って見えるだろうと思ったのだ。だが、その想いは、彼がこの街で成功した有名人だとわかった途端にしぼんでしまった。

 ショッピングモールの入口では、音楽が流れていた。あ、またセリーヌ・ディオンだ……。『All By Myself』か。マイクに振られてしばらくは、この曲を耳にすると泣いていたっけ。「もう一人ではいたくない」と。

All by myself
Don't wanna be
All by myself
Anymore



 今の美穂は、この曲を聴いて泣きたくなることはない。特別な誰かにめぐりあいたいとも思っていない。もうめぐりあって、それで手を離してしまったのか、それともそれすらも幻想だったのか、わからなくなっている。

 わからない。一人ではいたくないのかな。それとも、このまま、波風が立たないでいられる一人の方がいいのかな。わからないのは、それだけじゃない。ただ生きていくだけの人生って問題があるのかな。成功を、上を目指せない私は、この国、この街には向かないのかな。

 とぼとぼと歩いていると、携帯電話が鳴った。誰だっけ、このナンバー。受けた途端、わかった。
「いま、どこにいるんだ?」
ハキハキとした声は、昨日と同じ。ジョセフ・クロンカイトは少し怒っているようだった。

「あ、その……」
「もしかしてと思って、守衛に電話してみたら、帰ったと言われたんだが。電話番号がわからなくなった?」
「え、いいえ、その……」

 面倒になったので自分で払って終わりにしようと思ったとは、言えない。そういう解決策は、この国では全く理解してもらえないことだけはよくわかっていた。ましてや、こういう理路整然としたタイプに言えば、確実に厄介な会話が後に続く。これはアメリカで美穂が覚えた有用な知識の一つだった。

「どこにいる?」
もう一度訊かれて、美穂は、ようやく自分が立っている位置を口にした。「そこを動かないように」と釘を刺された。人びとが忙しく行き交う明るいエントランスに美穂は立ち尽くした。

 世界は、ままならない。一人でいたくないと思うと一人にされるし、迷惑がかからないようにしようと思うと連絡をしなかったと怒られる。わかるのは一つだ。美穂は世界を動かしていない。世界が彼女を動かしているのだ。
 
 エスカレーターからジョセフが降りてくるのが見えた。周りの女性たちが彼に氣づいてチラチラと見ながらお互いに囁いているのがわかった。隙のない品のいいグレーのスーツ、セルリアンブルーと紺の中間のようなシルクのネクタイ、きつちりと撫で付けられた金髪。時に冷徹に見える縁なしの眼鏡。言われてみれば、有名人と言われても納得するオーラを漂わせている。そんな近付き難い人だが、昨夜見せてくれたような細やかな優しさもある。

「待たせたね。早めのランチをする時間はあるか」
美穂は大きく頭を横に振った。もうじき11時になる。
「できるだけ早く店に戻らないと。ランチタイムはとても忙しいんです。今、キャシー一人ですし」
「そうか。じゃあ、夕方に改めてお礼をさせてもらおう」
「そんな。いいです。昨夜も十分過ぎるほどでしたし、お忙しいのはわかっていますから……」

 ジョセフは有無を言わさぬ口調で美穂の固辞をさえぎった。
「そうはいかない。君に訊きたい日本語の単語もあるしね。キャシーは君たちは五時で上がりだと言っていたな。五時十五分に迎えにいくのでいいかな」

 何かがおかしい。美穂は思った。たかだかこれっぽっちの集金のことで、大袈裟だ。でも、抵抗しても無駄みたい。そういえば昨日、知り合いに日本人の女の子がいるって言っていたわよね。その女の子と恋愛でもしていて、相談したいことでもあるのかしら。

 雲の上の人と二度も食事に行けるのが、その女性のおかげなら感謝しなくちゃね。美穂はほんの少しだけ浮き浮きした足取りで、キャシーの待つ《Cherry & Cherry》へと戻っていった。桜の花びらの舞うそよ風に、マンハッタンの季節も動いていくようだった。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


TOM-Fさんの小説の方では、『When I fall in love』がずいぶんロマンティックに使われていましたので、こちらもお揃いでセリーヌ・ディオンの曲を使ってみました。

Céline Dion - All By Myself
関連記事 (Category: scriviamo! 2015)
  0 trackback
Category : scriviamo! 2015
Tag : 小説 連載小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】午餐の後で

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第八弾です。大海彩洋さんは、「Infante 323 黄金の枷」とご自身の小説のコラボで参加してくださいました。ありがとうございます!

彩洋さんの書いてくださった『【scriviamo!参加作品】青の海、桜色の風 』
彩洋さんの関連する作品:
【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(前篇)
【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(中篇)
【いきなり最終章】ローマのセレンディピティ(後篇)


彩洋さんは、たくさんの小説を書いていらっしゃるブロガーさん。書いている年数では、もしかしたら私と同じくらいかなあと思うのですが、その密度や完成度には天地の違いがあって、アマチュアでも魂を込めて精進すると、これほどのものが書けるんだといつも感心しながら読ませていただいています。中でも、ライフワークともいえる大河小説「真シリーズ」は圧巻です。

今回参加していただいた作品の主役は、この大河シリーズの最終章に登場する幸せなカップル。この二人のプレ新婚旅行に、私の書いている小説の舞台P(ポルトガルのポルト)を選んでくださいました。

そして、お返しは、書いていただいた設定を引き継いで、登場する「Infante 323 黄金の枷」の世界の小さな逃走劇の顛末を書くことにしました。できるだけ自分のキャラを中心に書きたかったのですが、それでは読者と同じ「?」の視点で書ける人物がいなかったので、そのまま彩洋さんの所のお二人からの視点で書かせていただきました。彩洋さん、すみません。キャラがぶれていないことを祈るばかり……。

なお、この作品に関しては、本編を読まないと意味の分からないことが多いかもしれません。下のリンクはカテゴリー表示ですが、一番上は「あらすじと登場人物」ならびに用語の紹介になっていますので、手っ取り早く知りたい方はそちらへどうぞ。


【参考】
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


関連する作品:
追憶のフーガ — ローマにて

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



午餐の後で
——Special thanks to Oomi Sayo-san


 その街にはレトロな路面電車が走っていて、詩織は少しだけうらやましげに眺めた。ボアヴィスタ通りに向かうバスは、何の変哲もないどこにでもあるような車体だった。けれど、詩織はホテルで「タクシーをお呼びしましょうか」と言われたのを断ったロレンツォのことを誇りにすら思っていたので、そのバスに乗ること自体に文句はなかった。
「明日にでもあれに乗ってみるか」
彼は詩織の想いを見透かしたかのように訊いたので、彼女は嬉しくなって頷いた。

 詩織はバスの中で、既に観光して回ったこの街のことをロレンツォに語った。その話はやがて、詩織に街を見せてくれた天使のような優しい少女のことに移っていった。
「逢ったばかりなのに、もうずっと前からの友達みたいに感じていたの。それに、あの書店で見てしまった二人の姿、とても他人事に思えなくて……」
ロレンツォは、黙って頷いただけだったが、詩織の瞳をじっと見つめる優しさに、彼女は理解してもらっていることを感じた。

 バスを降りた二人は、道沿いに五分ほど歩いた。春の光が柔らかい。通りに車が絶えることはなかったが、その騒音の合間に空を飛ぶカモメの鳴き声が聞こえてきて、それがここはローマではない、二人で異国にいるのだと浮き浮きした氣持ちにさせてくれた。

 ホテルや豪邸の建ち並ぶボアヴィスタ通りはPの街でもっとも長い通りだ。その半ばほどに、ほかの屋敷よりもひときわ大きい建物があった。水色の壁、白い窓やバルコニー、そして広い庭、きれいに手入れされた庭、そしてどこからかヴァイオリンの旋律が聴こえてくる。

 ロレンツォは開け放たれたひとつの窓を見上げて、その旋律に耳を傾けた。
「知っている曲?」
詩織が訊くと彼は頷いた。
「ベートーヴェンの『スプリング・ソナタ』だな」
春にぴったりな曲なのね。詩織は嬉しくなった。そのまま通り過ぎるのかと思ったが、彼は門に向かい呼び鈴を押した。それで彼女はこここそが目的地なのだとわかった。謎のドンナ・アントニアの住むお屋敷。

「ドンナ・アントニアってどんな方?」
詩織がロレンツォに訊くと、彼はちらっと彼女を見て何かを言いかけた。けれど氣が変わったのか、少し間をとってから答えた。
「すぐに逢うから自分で確かめるといい」

 詩織は、大金持ちの貴婦人、銀髪の老婦人かなと思った。このような豪邸に住み、たくさんの使用人を自由に使い、ヴォルテラ家とも対等に付き合っているのだから、かなりの大物に違いないと思ったのだ。

 インターフォンに答える声がして、ロレンツォが来訪を告げると「お待ちしておりました」という声がした。すぐに出てきた黒服の男が門を開け、二人を中に迎え入れた。
「ご連絡をいただけましたら、ホテルまでお迎えに伺いましたものを」
そういう男にロレンツォは首を振った。
「いえ、観光もしたかったので」

 広い応接室は、光に満ちていた。白い絹で覆われたソファは柔らかかったが沈み込むほどではなく、座り心地は抜群だった。「少々お待ちくださいませ」と言って男は出て行った。物珍しそうに室内を見回す詩織をロレンツォは優しく見つめていた。ヴァイオリンの響きはまだ続いている。ずいぶん熱心に練習する人だなと詩織は思った。同じ小節を何度も何度も繰り返している。彼女にはとても上手にしか聴こえないのに、どこかが氣になるのか、その繰り返しをやめなかった。

 ドアが開き、女性が入ってきた。詩織は目をみはった。長い絹のような黒髪、水色の瞳、細い三日月型の眉、そして赤く形のいい唇、女優かモデルみたいな人だと思った。歳の頃は二十代後半か、三十代のはじめ、ヴァイオレットの絹に黒い唐草の刺繍のしてある大胆なボレロとタイトスカートを優美に着こなしていて、ひと目で貴婦人だとわかった。背が高い。ロレンツォが立ち上がったので、詩織もあわてて立った。

 その麗人はロレンツォと詩織に親しげに微笑みかけ、流暢なイタリア語で挨拶をした。
「ようこそ、スィニョーレ・ヴォルテラ、スィニョーラ・アイカワ。お呼び立ていたしました」
ロレンツォはさすがはヴォルテラ家の跡継ぎだった人だと感心するような完璧なマナーで女性に挨拶をした。
「お招きいただきまして光栄です、ドンナ・アントニア。ついに私の婚約者を紹介できて嬉しく思います」
では、この方がドンナ・アントニア! 詩織は驚きの色を隠せないまま、アントニアに頭を下げた。

「ヴォルテラ家の方にわざわざ足をお運びいただいたのですから、本来でしたら、当主のアルフォンソこそが今日の午餐でおもてなしすべきなのですが、あなたの弟様がご依頼された件の後処理がまだございまして、間に合いませんでしたの。失礼を心からお詫びするようにと伝言を申しつかっています」
「とんでもない。弟がお願いした件で、ご迷惑をおかけしたのではないでしょうか」

「いいえ。もともとは私どもの問題ですから。ただ、スィニョーレ、あなたにはおわかりいただけるかと思いますが、システムを統べるものが、ルールを曲げることはとても難しいのです。あの娘にはルールに則り、自身の義務を果たさせるために抑制力が動いていました。けれど、他のことならともかく、ヴォルテラ家が関わったので、私どもは例外を作らねばなりませんでした。スィニョーレ・ヴォルテラ、どうか弟様にお伝えくださいませ。システムの例外を作るために、誰かがその義務を引き受けねばならなかったと。ご自身の身を以てご存知のはずの、同じことがここでも起きたのだと」

 詩織は不安になって、アントニアとロレンツォの顔を見た。ロレンツォも眉をひそめ訊き返した。
「それは、誰か他の方が望まぬことを押し付けられて、不幸になったのだということですか」

 アントニアは、微笑んだ。
「ご心配なく。午餐に同席しますので、そうではないことをご自身で確認なさるといいですわ。私が申し上げたかったのは、こういうことです。あなた方がお持ちの権力は多くのことを可能にするでしょう。けれども、システムは思っておられる以上に複雑なのです。安易に発生させた例外が、時に重篤な問題の引き金となることを、知っていただきたいのです」

 そういうと、アントニアは二人を食堂へと案内した。大きいシャンデリアの輝く部屋だった。琥珀色と白の入り交じった大理石の床の上に、どっしりとしたマホガニーの大きなテーブルがあり、そこに一組の男女が座っていたが、三人の姿を見ると立ち上がった。詩織にとっては一度も見たことのない人たちだったが、ロレンツォは驚いた様子で声を上げた。
「マヌエル、マヌエル・ロドリゲス、君か! それに、あなたは、確か、クリスティーナ・アルヴェスさん……」

 ロレンツォに親しげに握手をするその青年は、キリスト教司祭の黒地に白い四角のついたカラーの服装をしていた。そして、詩織はクリスティーナと呼ばれた女性の左手首に、コンスタンサと同じ金の腕輪があるのを見て取った。館の美しき女主人の手首にも同じ腕輪があるのを彼女は既に発見していた。

 アントニアははっきりとした声で言った。
「マヌエル・ロドリゲスは既にご存知のようですね。ご紹介しますわ。こちらにいる女性は、コンスタンサ・ヴィエイラです。スィニョーラ・アイカワはもうよくご存知ですよね。何度かご案内をさせていただきましたから……」

 詩織には、先ほどからアントニアが口にしてきた内容が、ようやく形をとって見えてきたような氣がした。この女性は、詩織が知っている、彼女がPの街に到着してからずっと案内してくれて、かけがえのない友達になっていたコンスタンサとは似ても似つかない別人だった。あのヘーゼルナッツのような色合いの髪の、天使のように儚い美少女はいっても17、8歳だったはずだ。けれど、その場にいるのは、アントニアと変わらぬほどのしっかりとした成人で、黒髪に濃い焦げ茶の瞳を持った意志の強そうな女性だった。

「はじめまして、スィニョーレ・ヴォルテラ。こんにちは、シオリ」
女性は平然と口にした。ローマでロレンツォにクリスティーナ・アルヴェスを紹介したマヌエル・ロドリゲスも、それについて何の訂正もしなかった。ロレンツォと詩織は、さきほどアントニアが口にしていた「開いた穴」とはコンスタンサという存在で、それを「塞いだ」のが、ここにいるもとクリスティーナと呼ばれていた女性なのだと理解した。

* * *


 二人が、席につくと、午餐がはじまった。詩織は、給仕をする召使いたちも、黄金の腕輪をしていることに目を留めた。継ぎ目のない黄金の腕輪。手首の内側に、男性には青い、女性には紅い透き通る石がついている。詩織はどちらもコランダムではないかと思った。色と輝きからすると24金に見えるし、ルビーやサファイアを使っているとすると、召使いとして生計を立てる人間が簡単に買えるような値段のはずはない。しかも、それぞれの違う太さの手首にぴったりと嵌まっている。それは一つひとつがオーダーメードだということを示している。詩織が腕輪に職業的興味を示しているのを見て、ロレンツォは微かに笑った。

 料理は、格別手が込んでいるように見えないのに、味わい深かった。白いジャガイモのヴィシソワーズに渦巻き型に流し込まれた緑色のピュレ。コンスタンサと一緒に街の食堂で食べたカルド・ヴェルデという青菜のスープだろうと思った。それはずっと滑らかで青臭さはまるでないのに、しっかりとした味を感じた。

 サラダには薄くスライスしたゆでだこがカルパッチオのようにのっていたが、ひと口食べてみてその柔らかさに驚いた。ソースは実にシンプルで、たこの味が浮き上がるように計算されていた。

 マデイラワインを贅沢に使ったローストポークも、とても柔らかくてジューシーだった。それに、日本人の詩織にとってはどこかなつかしい、舌に馴染む味だった。海外旅行から日本に戻って、母親のみそ汁を口にした時に旅の疲れがほどけていくような、安心する懐かしさがある。

 ロレンツォは、ワインにも驚嘆しつつ、マヌエルに話しかけていた。
「枢機卿は、アルゼンチンへ行かれたのだろう。君も同行するものだとばかり思っていたが」
「いいえ。私は役目を辞して、ここへ戻ることになったのです」
「なんだって? それはまた急じゃないか」
「ええ。わかっています。家業に従事することにしたのです。猊下にもお許しをいただきました」

 ロレンツォは、この青年が特別の家系に生まれ、親と同じ仕事をして生きるのを嫌がって、この街から離れるために神学生になったことを知っていた。この急な帰国がコンスタンサの件と無関係とは考えられなかった。だが、マヌエルは迷いのない表情をしていた。

* * *


 別れの時間が来た。玄関でロレンツォの頬に軽く親愛の口づけをし、それから詩織を優しく抱きしめると、アントニアは首に掛けていたハート形の黄金の針金細工を外し、詩織の首に掛けた。

「これは……?」
「この国の伝統工芸でフィリグラーナといいます。女の子が生まれると、両親はその子の幸せを祈り、これを少しずつ買い集めて、婚礼に備えるのです。これは、私の父と母から贈られたもの。幸せな花嫁になるあなたへの私からの小さな贈り物です」
「そのように大切なものを……」
「どうぞ受け取ってください。花嫁になることのない私には宝の持ち腐れなのですから」

 車で送らせるというアントニアの言葉を断り、先程と同じバスに乗って、さらにボアヴィスタ通りが終わる所、大西洋に面したフォスまで行った。カステロ・ド・ケージョというクリーム色の要塞が建っている。
「ほら、さっき食べたチーズみたいな形だろう。だから、チーズのお城って言うんだ」
ロレンツォは、その説明をしながらも、どこか心は遠くにあるようだった。

「美味しい食事だったわね」
詩織はわざと関係のなさそうなことを言ってみた。彼は詩織の方を見て、頷いた。

「ねえ。訊いてもいい?」
「何を?」
「食事の最中に、ヴァイオリンの弾き手のことで、奇妙な会話をしていなかった?」

 デザートが運ばれてくる前に、ロレンツォがずっと聴こえているヴァイオリンの演奏について口にしたのだ。
「先日お伺いした時にも申し上げたかったのですが、見事な演奏ですね。もし可能でしたらお近づきになって、素晴らしい演奏に対してのお礼を申し上げたいのですが」

 するとアントニアは、にっこりと微笑みながら答えたのだ。
「そのお言葉を伝えたら、大層喜ぶと思いますわ。あれは、前当主のカルルシュが弾いているのです」

 ロレンツォは、押し黙って、アントニアの顔を見つめた。彼女は少し間をとってから続けた。
「ですから、ご紹介はできないんですの。ご理解いただけますでしょうか」
「それは、もちろん、わかります」

 詩織は、大西洋の優しい潮風を感じながら、ロレンツォの顔を見た。
「前の当主が引退してあそこに住んでいるってことでしょう? でも、どうして紹介できないの?」
「ドン・カルルシュが五年近く前に亡くなったからだ。父はその葬儀に出たんだ」
「え?」
「そう。あのヴァイオリンを弾いていたのは、幽霊ということになる。それに……」

 ロレンツォは、詩織と自分の履いている靴を眺めた。詩織が履いている靴を見て、アントニアは微笑みこう言ったのだ。
「その靴、お氣に召しました?」
「はい。こんなに履き心地のいい靴ははじめてです。大切にします」
「そうアルフォンソに伝えましょう。彼からの伝言です。もし合わない所があったら遠慮なく言ってほしいと、納得がいくまで作り直すからと。この靴は、彼が作ったのです」

 二人は目を丸くした。謎の靴職人が当主その人だなんて、誰が信じるだろうか。
「あれも、同じ意味だったのかもしれない。ドラガォンには、たくさんの幽霊がいると聞いたことがある」

「ドラガォン?」
首を傾げる詩織をロレンツォはおかしそうに見た。
「まさか、あの人たちを靴制作の集団だとは思っていないだろう」
「そりゃ、思っていないけれど……でも、ドンナ・アントニアとあなたが話していた内容、ほとんど何もわからなかったわ。そういうことに首を突っ込んだりしちゃ、いけないのかと思っていたし」

「私が知っていることを全て話すわけにはいかない。でも……」
「でも……?」

「お前の友達と、あの女性が入れ替わったことはわかっただろう?」
「ええ、なんとなく」
「トトが、どうやってヴィエイラ嬢と書店員の青年のことを知り、首を突っ込んだのかはわからない。彼らしい優しさに満ちた手助けだったんだろうな。だが、それはヴォルテラ次期当主のとった行動としては大失態だった」
「失態?」

 アントニアが、食堂へ移動する前に口にした言葉を思いだした。
「スィニョーレ、弟様にくれぐれもお伝えください。これは我々からの意趣返しでも報復でもないのです。私たちには他に使えるカードがなかったのです」

「報復がどうとか、おっしゃっていたこと?」
詩織が訊くと、ロレンツォは頷いた。
「報復ではなくとも、警告なのかもしれないな。火傷をしたくなければ二度とこんなことはするなと」
「どういうこと?」
「ヴォルテラ家の当主、大きな組織の長として、大きな問題を把握し事態を打開していく時に頼りになるものは何だと思う?」

  詩織は考えた。
「財力……いいえ、違うでしょうね。判断力や頭の良さ、それとも人間関係?」

「そうだ。一番大切なのは人脈だ。億単位の金を何も訊かずにすぐに動かしてくれる人物、何かあった時に必要な情報をすぐに集めてくれる人間、自分の危険すらも省みずにこちらのために働いてくれる人びと。そうした人びとは、親の代からのつながりでも知り合うが、結局は本人が心から信頼できる人間をどれだけ増やせるかにかかっている。トトにはドラガォンとのつながりも不可欠だ。ドン・アルフォンソの統べているドラガォンは、秘密結社的な巨大システムだ。とくにヴァチカンを快く思わない特定のキリスト教徒たちに対して、ある種の絶対的な影響力を持っているんだ。偶然知り合ったクリスティーナ・アルヴェスという存在は、トトにとって神からの恩寵も同然だった。ドン・アルフォンソやドンナ・アントニアが家族も同然に思っている特別な女性だ。ヴォルテラがドラガォンの協力を必要とする時にパイプ役としてこれ以上の人物はまずいない。しかも、ローマにいたんだ」

「あの女性が……?」
「そう。それなのに、あいつは意図せずに、そのクリスティーナ・アルヴェスと、お前の友達、ヴォルテラにとっては何の意味もない恋する少女を交換してしまったんだ。父がこのことを知ったら、なんて言うか。今から頭が痛いよ」

 詩織には、あまりにも大きな話でピンと来なかった。金の腕輪をしている奇妙な人たち。何人もいるらしい幽霊。聞いた事もない組織。現実のものとは思えない。ロレンツォは、首を傾げている詩織に笑いかけた。
「もっともお前にとっては、朗報だな。あの二人は、新しいクリスティーナ・アルヴェスとその恋人として、ローマに住むことになる。新しい友だちといつでも逢えるぞ」

 それは確かに朗報だった。乗りたかったレトロな路面電車は、二人を迎えにきたかのようにそこにきて停まった。海からの心地よい風が吹いている。ロレンツォと二人でここにいる。素敵なことばかり。詩織は胸元のフィリグラーナをぎゅっと握りしめた。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more

レトロな路面電車

既に彩洋さんの小説をお読みになった方の疑問に答えてみようかなと思って、こういうストーリーになりました。逃げようとした《星のある子供たち》たちを組織はどうするのだろうか。意外と優しく許してくれるのかな。そんな声もずいぶんありましたが、許してくれません(笑)

この組織の本分は、血脈をつなぐことですから、全てのルールはその原則に照らしながら決められます。そして、例外としてルールを破ることを許すのも、より重要なケースを優先させるためか、もしくは血脈をつながせる過程で何かの犠牲になったか、そのくら