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【小説】冬、やけっぱちのクリスマス



今日発表するのは、読み切り短編集「四季のまつり」の第4回、冬の話で「クリスマス」を題材にした掌編です。といっても、全世界的なクリスマスの話ではなくて、ちょっと歪んでしまっている日本的クリスマスの話(笑)そのクリスマスの風潮にいまいち乗り切れていない地味な紗英と、モテるお隣の歳下坊や宙の色氣のないクリスマスです。

もしかしたらデジャヴを感じる方もいるかもしれません。この二人は、以前に発表した「白菜のスープ」という作品のキャラクターたちです。といっても、とくに読む必要はありません。全部本文の中で説明されています。あ、出てくるもう一人のキャラも、別の作品で出てきている人だったりします。どうでもいいことですが。

今回、構成を作ったのは早かったんですが、書く時間がなくて本当にギリギリになってしまいました。はあ、落とすかと思った……。




冬、やけっぱちのクリスマス

 キッチンからは紗英を知るものなら首を傾げるような香りが漂っていた。熱したバナナとチョコレートってのは、どうしてこう甘ったるい匂いがするのかしらね。彼女は思った。

 この菓子を作っているのは、食べたかったからではない。ついつい食べ損ねて、真っ黒とまではいかないものの、皮が相当変色してしまったバナナが三本もあったのだ。世界には飢餓に苦しむ子供たちがたくさんいるというのに、熟しすぎたというだけで食品を捨てるのは嫌だった。それで、インターネットで検索して完熟バナナ三本を消費可能なレシピを探したのだ。

 中でも一番簡単なレシピを印刷した。本当に呆れるほど簡単で、十分も経たずに紗英はオーブンの前で腕を組んで立っていた。

「お。本当に紗英がデザート作ってるぞ。明日、雨が降るのか」
声に振り向くと、宙が台所の入口から覗いている。昔と違って背が高くなったので、紗英は彼を見上げなくてはならない。

「あんた、なに勝手に人ん家に上がり込んでいるのよ」
「勝手にじゃねぇよ。表でおばさんに挨拶したもん。お前が菓子作っているからどうぞって言われたぞ」
何がどうぞなのよ、お母さんったら。

 宙は、紗英の隣の家にずっと住んでいる。仲良しの母親同士がよく一緒にでかけたので、中学生だった紗英が小学生の彼の面倒をあれこれと看てやった。それなのに恩どころか人生の三年先輩に対する敬意すらも全く感じられないモノのいい方をする生意氣な大学生に育った。特にカッコいいとは紗英には思えないが、歳下の女の子たちにはやけにモテる。老人会の手伝いを嫌がらないせいか、町内のご婦人方からもちやほやされている。泣き虫の洟垂れ小僧だったくせに。

「それにしても、お前がこんなに可愛いもんを作るとは意外だよな。なになに、『簡単すぎる作り方はナイショ! 完熟バナナで愛されスイーツ』かあ。へえ。こんなに甘そうなのに材料も作り方もあっさりしてんなあ」
宙は、テーブルの上の印刷されたレシピを持ち上げて読んでいる。

 紗英はよけいな誤解をされるのはゴメンだと、ことさら渋い顔をして言った。
「何が『愛されスイーツ』よ。ただのチョコレートケーキじゃない」

「おい。ちゃんとレシピのタイトル読めよ。ケーキじゃなくてブラウニーだろ。正確には『チョコバナナブラウニー』だな。そのいい方だと『愛され』で検索したんじゃなくて『熟し過ぎバナナ』で探したんだろ」

 図星だったので少し赤くなったが、ちょうどタイマーがけたたましい音をさせたので、オーブンから取り出した。串で刺すと、ちょうどいい具合だったらしく生地はくっついてこない。紗英は大ざっぱに切り分けると大皿に載せてテーブルに載せた。ちゃっかり座り込んでいる宙は、嬉しそうに手を伸ばし「あちち」と言いながら食べた。

 あんたに食べさせるとはまだひと言も言っていないんだけれど。紗英はブツブツ言いつつ、彼の好きなほうじ茶を入れてやった。宙は甘ったるいフレーバーティの類いよりも、大袋で買える普通のほうじ茶が好きなのだが、カワイ子ちゃんの前ではかっこつけて言い出せないのだ。

「美味いじゃん、これ。砂糖は入れないでバナナの甘味だけで作ったんだ。これで十分だよな。どうせなら、これをクリスマスに作って食わせてくれよ」

 何を言っているんだ、この男は。私にクリスマスの予定があるんじゃないかと訊くくらいの礼をつくせんのか。紗英はムッとした。

 顔立ち、性格、生き方のどれも平凡でこれといって目立つことのない紗英には、クリスマスの直前に駆け込みで男を作るような才能はないと舐めきっているに違いない。その通りだけど。そこまで考えて、はたと思い出した。

「クリスマスって、大事な彼女の、名前なんだっけ、あ、そうそう、亜衣ちゃんはどうしたのよ」
「う~ん」

「もしかして、振られたの?」
意外な展開に、紗英は思わず単刀直入に質問してしまった。
「おいっ。そういうデリカシーのないいい方をすんなよ」

「ごめん。でも、なんで? あんたとつき合うまで、あんなに熱心だったじゃん、あの子」
「俺の誕生日にさ。同じゼミの後輩がザッハートルテを作ってきてくれたんだよ。それに美味かったってお礼を言ったらさ、他の女から受け取るのも食って喜ぶのもありえないって、激怒。いいじゃん、食ったって。せっかく作ってくれたのに、もったいないよ」

 宙はそう言いつつ、さほどハートブレイクという感じでもないようだ。いずれにしても他のカワイ子ちゃんたちが、隙を狙っているんだろうし。紗英はさほど同情していない。

「あははは。そういうのなんていうか知っている?『二兎を追うものは一兎を得ず』」
「追ってねえよ。お前こそ一兎ぐらい追ってみせろよ。どうせクリスマスはまた一人ぼっちなんだろ?」
「ふん。社会人はね。クリスマスイヴだって仕事があるんです。その日は総務の京極さんのお手伝いよ」

 総務の京極さんというのは、紗英の勤めている会社で一番人氣の課長補佐だ。切れ者で性格もよく、しかも超絶イケメンと呼ばれるのにふさわしい美形であるだけでなく、中央区に先祖代々伝わっているというとんでもなく広いお屋敷に住んでいる大金持ちのご令息らしい。もちろん、秘書課や外商の美人社員たちがこぞって狙っているので、はなからアタックするつもりはない。が、なぜかその日にだけ、いつも彼とペアで定例業務をしている先輩社員の代わりを務めることになって、多くの女子社員から羨望光線を浴びているのだ。

 だが、「クリスマスイヴに残業のできない予定はなさそうな女子社員」と烙印を押されたも同然だということは、紗英も薄々感づいていた。実際にそうなんだけれど。

「なんだ。結局毎年と一緒じゃないか。じゃ、帰って来たら電話しろよ。おじさんとおばさんは恒例の年末海外旅行なんだろ。お前の寂しい一人ディナーにつきあってやるからさ」

 何をエラそうに。自分の予定がなくなったからでしょ。でも、大人の余裕を見せるために断らないでおいてやった。

「なんか普通の美味いもんが食べたいな。フレンチみたいな小洒落たんじゃなくて子供ん時に食べていたみたいな懐かしい系」
「なにそれ。ただの晩ご飯じゃない」
「それそれ、そういうの。カワイ子ちゃんとのクリスマスデートって肩凝るもんな」

 なに負け惜しみ言ってんのよ。そう思いつつも、いつもの晩ご飯を作るだけなら氣が楽だと思った。それに、私が残業になっても、こいつは自分の家で普通に食べればいいんだし。ともあれ明日またバナナ買ってきて少し放置させなくちゃ。

* * *


 結局、本当に残業になってしまった。といっても、たった一時間程度で、普段の退社時間とあまりかわらない。宙には四時半の段階でちゃんとメールを入れた。
「今日は仕事が長引いて遅くなりそう。帰ってから料理すると遅くなるから、別の日に改めて。ブラウニーは、明日持って行く」

 彼からは「了解」という返事をもらったし、安心していた。むしろ京極さんに「クリスマスイヴなのに、本当に申し訳ない」と恐縮されて、たとえこんなくだらないシチュエーションでも、京極さんにこんなに氣を遣われるなんて嬉しいと思っていたのだ。

 それはそうと、京極さんこそこのクリスマスイヴに残業なんてしていていいのかしらと紗英は首を傾げていた。もっとも、だからこそ本当ならもっとかかりそうな量の作業を、恐るべきスピードでテキパキ片付けたのかもしれない。

 仕事は終わり、退出する会社の玄関で彼が訊いた。
「遅くなってしまったし、本当に今夜予定がないなら、近くで寿司でもごちそうしようかと思うんだけれど」

 ええ~! 京極さんと。ど、どうしよう。みんなに妬まれて大変なことになるかも。でも、これは天から私に与えられたクリスマスプレゼントかな。狼狽えているところに、コートのポケットから着信音が響いた。

 見ると、無粋なことに宙からだった。
「サンダース大尉のところでチキンを大量ゲット! 終わったら寄れ」

「チ、チキンを大量って、バーレルかしら……」
紗英が呟くと、京極は少し笑って「待ちかねている人がいるみたいだね」と言った。「そんなんじゃないです」と否定しても無駄だった。

 紳士的な別れの挨拶をして彼は去って行った。おそらくオーダーメードで作ったと思われる素敵なトレンチコートの後ろ姿に最敬礼をすると、紗英はクリスマスメロディとケーキを叩き売る街の喧噪に紛れて地下鉄の改札へと急いだ。

 私の生涯一度のチャンスをよくも。それにお寿司の代わりに、ファーストフードのチキンって、どうよ。心の中の罵倒とは裏腹に、紗英は妙にニヤニヤしながら電車に乗った。

(初出:2016年12月 書き下ろし)
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【小説】秋、まつり囃子



今日発表するのは、読み切り短編集「四季のまつり」の第3回、秋の話で「秋祭り」を題材にした掌編です。

第1回と、第2回が両方とも既に書いた作品の外伝だったのですが、この作品は完全な読み切りにしました。モチーフは祭のお囃子で、イメージしたのは「葛西囃子」ですが、すみません、よくわかっていません。

それと、モーリシャスの密輸話が出てきますが、これは連れ合いの友人に起こった実話をモデルにしています。その人は、未だに服役しているみたいです。うまい話には氣をつけましょうってことで。




秋、まつり囃子

 西陣織の袋の紐を回して解いた。それはまるで茶道のお点前のように、定められた動きだ。どうしてもそうしなくてはならないわけではないけれど、誠也がそうしていた姿を忘れないために、私も同じようにする。

 甲斐のご隠居が、じっと私を見つめている。秋祭りは明後日に迫っている。約束の10年。私は誠也の代わりにこの伝統を受け継ぐのだ。

 子供の頃から、秋になると加藤誠也の付き合いは極端に悪くなった。彼だけでなく彼の家族全員の関心がおおとり 神社の祭礼に向いたからだ。

 私の通っていた小学校は、M区の11番目の学区にあった。隣のS区との境界が変則的で、一度S区に入ってそれから再びM区に入る通学路のせいで、同じ通学路を使うのは私と誠也だけだった。誠也は、祭が好きなだけあって氣っ風のいい江戸っ子で2つ歳下の私の面倒をよく看てくれた。帰宅時には待っていてくれたし、クラスのいじめっ子に上履きを隠された時も、談判して取り返してくれた。

 私は、孵ってすぐに犬を見てしまったアヒルみたいに、誠也の後について歩いていれば安心する変な子供になってしまった。

 でも、今、周りの人たちが思い込んでいるような、甘い想いを誠也に抱いたことはない。誰もが私が篠笛を吹くようになったのは、誠也に恋をしているからだという。でも、本当にそんなことじゃないのだ。

 私は残業をしない。「腰掛け女め」とあからさまに嫌味を言う男もいる。言いたければ言えばいい。私には営業時間中にダラダラと暇をつぶし、5時近くなってからようやく仕事を始めているような時間がないのだ。

 可能な限り定刻で上がり、甲斐のご隠居の家に急ぐ。そして、「とんび」つまり篠笛を習う。「屋台」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」曲目はこの4つだが、まともに吹けるようになってきたのはここ3年ほどだ。

 私が甲斐のご隠居に教えてほしいと頭を下げたとき、誰もが「冗談もたいがいにしろ」と言った。女の私がお囃子に加わるなんてとんでもないとも言われた。誠也があそこまで吹けたのは6年も精進していたからであって、そんな簡単に代わりができると思うなんて思い上がりだとも言われた。

 最終的に味方をしてくれたのは、他でもない甲斐のご隠居だった。

「今の時代、男だ女だと言っていたら、お囃子の伝統は途切れてしまう。やりたいと言うからには、弱音は吐かないだろう。10年精進できたらわしに代わらせよう。どっちにしても、わしがくたばるまでに他の志願者はもう出てこんだろう」

 私が「とんび」を習い始めて2ヶ月くらい経った頃、誠也のお母さんが私を訪ねてきた。
「秋絵ちゃん。話しておかなくてはいけないことがあるの」

 私は、静かな喫茶店で誠也のお母さんと向かい合った。彼女は、しばらく何でもない世間話をしていて、私は彼女が話を始めるのを待った。やがて、彼女は決心したように私を見た。
「ねえ、秋絵ちゃん。あなたがお囃子の笛を習いだしたことだけれど、誠也の代わりにと思ってくれたんじゃない?」
「はい」

「その……あなたと誠也は……何か約束をしていたの?」
私は首を振った。
「いいえ。誠也はお祭りのことやお囃子のことは、何も」

「ううん。そういう意味ではなくて、その……」
私は、お母さんが示唆していることがわかって、大きく首を振った。
「いいえ。つき合っているとかそういうことはなかったです。それに、誠也にはユキさんという彼女がいますよね」

「そう」 
誠也のお母さんはため息をついた。それから、またためらいがちに訊いた。
「あの子がどうしていなくなったか、知っている?」
「いいえ。いろいろな事を言う人がいますけれど……」

 そう。誠也は死んだとか、ユキさんと駆け落ちしたとか、伝染病で隔離されているとかみんなが勝手なことを言っていた。でも、お葬式もなかったし、ご家族が泣いているような様子もなかった。

 お母さんは、声を顰めた。
「全部違うの。あの子はね、モーリシャスで逮捕されたのよ」

 私は心底驚いた。逮捕? モーリシャス? 

 その後、誠也のお母さんが話してくれたことは、私の想像を大きく超えていた。誠也は、インターネットで知り合った誰かから特別なバイトを引き受けた。それは南アフリカ共和国からモーリシャスにダイアモンドの原石を運ぶだけの簡単なものだった。ただでモーリシャスに行けると知って彼は喜んだ。けれど、その箱にはダイヤの原石ではなくて麻薬が入っていたのだ。

「弁護士さんが言うには、誠也は囮に使われたみたいなの。あらかじめリークして、わずかな量の麻薬を持った人の捕り物をさせておき、その後からもっと大量の麻薬を持った目立たない人間を通らせる手口があるんですって。でも、誠也は現行犯で逮捕されてしまったので、どうにもならないの。彼には懲役20年が求刑されているの」

 私は言葉を失った。お母さんは申しわけなさそうに言った。
「その……もし、秋絵ちゃん、あなたが誠也の帰ってくるのを待っているんだとしたら……ちゃんと話してあげた方がいいと思ったの。待っているうちにあなたの人生を無駄にしてしまうから」

 私は首を振った。
「それは私じゃなくて、ユキさんにおっしゃることじゃありませんか」

 お母さんは悲しそうに肩をすくめた。
「ユキさんね、別の方と婚約したんですって。誠也の自業自得とはいえ、落ち込んでいるあの子に言いにくくて、まだ言っていないんだけれど」

 お母さんは後に、彼が本当に懲役刑になったことを教えてくれた。いつの間にか誠也がどうしたのか噂をする者はいなくなった。人間は簡単に忘れられてしまうんだなと、悲しくなった。私は一度だけ誠也に手紙を書いて、お母さんに送ってもらった。誠也が跡を継ぐはずだった甲斐のご隠居の「とんび」を私が習い始めていること、戻ってきたらいずれ一緒にお囃子をやりたいということを。

 返事はもらわなかった。

 そして、あっという間に10年が経った。甲斐のご隠居は、ようやく私に今度の鷲神社秋祭りのお囃子で演奏することを許してくれた。法被を作り、他の演奏者たちと1年にわたり入念な練習を重ねてきた。はじめは女だからと反対していた大太鼓の長さんも、鉦の大二郎さんとも息のあったお囃子が演奏できるまでになってきた。

 私は日本のお祭りの伝統を受け継ぐのだ。甲斐のご隠居が守ってきた、誠也が夢見ていた、失われてはいけない日本の文化を未来に受け継いでいくのだ。女であろうと、誰かの恋人ではなかろうと、そんなことは関係ない。私はおおとり 様に10年変わらぬお祈りをしてから「とんび」を奏でる。

* * *


 祭礼当日。昨日から少しずつ始まったお祭りの設営は、昼前には全て終わった。射的の屋台ではきれいに並べられた景品を手に入れようと銃を打つ音が聞こえだした。水色の浅いプールには金魚が泳いでいる。それにゴムのヨーヨー同士がこすれる音。風船を膨らます音。カルメ焼きや綿飴の屋台からは砂糖が焦げるいい香りがして、それにイカ焼き、焼きそば、トウモロコシ、今川焼などのたまらない香りが漂う。

 その全てにノスタルジックな祭らしさを加えるのがお囃子だけれど、それをいま演奏している社中にこの私が加わっているのだ。去年までは、脇に控えて甲斐のご隠居の演奏を聴いていた。今年はその位置にいて私たちを見ているのがご隠居だ。

 もちろん夜までずっと私が吹くのではなくて、朝、昼、夜と1回ずつの出番で、残りは今まで通り甲斐のご隠居が吹く。なんといっても「とんび」はお囃子の主導的な役割を担っていて、私のような若輩者が僭越ながらベテランの長さんたちを率いるのだ。

 十年もずっと練習してきただけのことがあって、指の動きも音色も滑らかにできた。それでも、祭の雰囲氣はいつもの練習とは違って、心が昂揚しているのがわかる。通りかかった親子が楽しそうに眺めていく。

 父親と母親は、心配そうに朝一番で見にきたが「思ったよりまともなお囃子になっているぞ」と失礼な驚き方をして帰っていった。

 去年まで実行委員で忙しくしていた誠也のご両親の姿は、今年は見ていなかった。一昨日のリハーサルの時に誠也のお母さんが少しだけ見にきて、何かを言いたそうにしていたけれど、時間がなかったのかそのまま帰ってしまった。

 もしかして、加藤のおばさんは、私が誠也の代わりにここで吹いているのを見るのがつらいのかな。そんな風に初めて考えた。モーリシャスの監獄で20年も過ごすなんて。その間の青春もキャリアも、みな無駄になってしまって。ユキさんと結婚でもしていたら子供はもう小学校に入る頃だ。

 今夜の最後の出番を終えた。「屋台」を威勢良く吹き終えて、五人揃ってお辞儀をした。笛を西陣の袋に収めて神楽殿から退出する。脇で待っていた甲斐のご隠居が「よくやった」と笑って褒めてくれた。

「ありがとうございました」
私は、ようやくほっとして、それから肩がひどく凝っていることに氣がついた。

「練習と違って、本番は、緊張するだろう」
「はい」

「来年は、もう少し出番を増やすからな」
「はいっ。この後は、ご隠居のお囃子を聴いて勉強しますね」

 そういうと、ご隠居は首を振った。
「今日はもういい。お前を待っていた人がいるから、屋台めぐりでもしてくるがいい」

 誰だろう? 私が今夜お囃子で演奏することを知っている人なんてそんなにいないはずなのに。ご隠居が示した方を見たら、ありえない人が立っていた。

「誠也!」
モーリシャスの監獄にいるはずの幼なじみが、立っていた。昔とあまり変わらないジーンズと、チェックのシャツを着ていたけれど、痩せて日に焼け、それにかなり白髪が交じっていた。でも、少なくとも彼はわずかに笑顔を見せていた。

「どうして? 帰って来れたの?」
「うん。判決では15年の実刑だったんだけれど、品行方正のせいか早く出してもらえた」
「いつ帰って来たの?」
「3日前」

 だから今年は加藤家が誰もお祭りの運営にいなかったんだ。息子が帰ってくる準備でそれどころじゃなかったから。

「よかった」
私は、ほっとしてパイプ椅子に座り込んだ。誠也はポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめた。

「立派なお囃子デビューだったな、秋絵」
誠也の言葉に、私は顔を上げた。
「そう思う? 私は10年前の誠也の方が上手かったと思うけれど、でも、頑張ったんだよ」

 誠也はポケットからくたびれた封筒を取り出した。見憶えがあった。私が書いた手紙だ。
「これ読んでから、母に頼んで笛を差し入れてもらった。自由時間に練習したよ。何もかもダメになったと思ったけれど、少なくとも帰ったらまた、お前や社中のみんなとお祭りで演奏するんだって、励みになった」

 私は大きく頷いた。嬉しくてしかたなかった。
「来年のお祭りには出られるといいね」
「そうだな。なんか食いにいこうぜ。お祭りの屋台を見たら、ようやく本当に帰って来たんだって実感したよ」

「何が食べたい? 好きなものおごるよ。振興会のみなさんからデビューのお祝いももらったし」
「じゃあ、焼きそばから行くか。それから、お前の好きなりんご飴……」

「うん。でも、その前に神様にお参りしよう。お願い叶えてくれたお礼」
「お願い?」
「誠也が早く無事に帰って来ますようにって。たぶん、みんなが同じお願いして、うるさかったんじゃないかな、おおとり 様」

 誠也は笑った。
「だから早く出て来られたのか。じゃ、もう一度お参りするか」

 私たちは、おおとり 様にたくさんのお礼を言ってから、久しぶりに楽しい祭の宵を楽しんだ。

(初出:2016年9月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】夏、花火の宵



今日発表するのは、読み切り短編集「四季のまつり」の第二回、夏の話で「花火」を題材にした掌編です。

というところまでは、ずっと前に決まっていたんですが、最初に出来た作品はあまりにも地味なのでボツりました。ですが、この作品で、canariaさんの主催するwebアンソロジー季刊誌「carat!(カラット)」に参加するつもりなので、書かないで放置は出来ません。

二つ目挑戦しました。最初のよりはいいかなと思ったんですが、「黄金の枷」の外伝にしてしまったので、本編を読んでいない人は、あの特殊設定の山には全くついていけないという現実を思い出しました。「四季のまつり」だけならいいけれど、「carat!」でそれはないわ、とこれもボツ。考えてから書けばいいものを。

三度目の正直。今度も外伝ですが、まあ、「ファインダーの向こうに」は読んでいなくても特に問題のある設定はないので、これで押し通すことにしました。canariaさん、ごめんなさい。でも、もう締切間近ですし、これで許してくださいまし。




夏、花火の宵

 7月4日、独立記念日。この日を心待ちにしていたのは、ハドソン川沿いに集まって花火が上がるのを今かと待っている観客だけではない。

 マンハッタンのパークアベニュー、32階建ビルの最上階で開催されるパーティに招待された人たちも同じだ。華やかで朗らかな魅力ある成功者、マッテオ・ダンジェロのペントハウスで独立記念日を祝うのは、ある種の人びとにとっては自慢すべきステイタスであり、また、彼の妻の座を狙う女性軍にとっては輝かしい未来への前進であった。

 パーティールームに用意された巨大なスクリーンには、ハドソン川で打ち上げられる花火の中継が映し出されることになっている。子供を肩車した一般人に視界を遮られつつ屋外で花火を鑑賞するより、ルイ・ロデレールのシャンパンを傾けながら女優や銀行家たちと上品な歓声を上げる方が自分にふさわしい。参加者たちの多くはそう考えていた。

 楽しく談笑しながら、客の間をまわっているマッテオ・ダンジェロ自身は、しかしながら、今年はこの日が彼主催のパーティでなければどんなに良かったかと思っていた。もし、この日に予定が何もなかったならば、彼はイタリア産の軽いスプマンテを持って、ロングビーチに住む妹を訪ねたことだろう。

 彼の大切な妹、取り巻きの女性たちの言葉を引用するならば「その価値もないくせにミスター・ダンジェロに溺愛されている」ジョルジアは、毎年一番最初に独立記念日の招待状を手にするにも関わらず、一度も姿を現さなかった。
「だって、兄さん。私はあなたのビジネスやロマンスの邪魔はしたくないの。それに、ああいうパーティは私には場違いだわ」

 例年ならば、この日ジョルジアと逢えなくとも、また別の日に食事に誘えばいいと思っていた。だが、今年は、出来ることなら彼女と一緒に花火を見てやりたい。彼は、客たちににこやかな笑顔を向けたままで、半年前の光景に想いを馳せた。

 それは、スイスのサン・モリッツでのことだった。もう一人の妹、アレッサンドラの結婚披露宴の直後で、引き続き滞在している招待客たちと一緒に大晦日を迎えていた。クルム・ホテルの豪華なダンスホールには、新郎の親戚である貴族たち、某国の元首や総理大臣、ハリウッドスター、そうした人びとに混じって参列を許された富豪たちとその妻たちが華やかに年の瀬を楽しんでいた。

 マッテオは、世界中のVIPが集まる厳戒態勢の結婚式の総監督的役割をこなしていたので、この日でようやく重責から解放されることを喜んでいた。

 三度目の結婚とはいえ、永遠の愛を誓ったばかりの妹の幸せに溢れた様子は、疲れと緊張を忘れさせてくれた。美しく立派なカップルの幸福に満ちた様相は、招待客たちに伝染して、ダンスホールは華やいだ幸福感で満ちていた。そして、夜は更けていよいよ新年へのカウントダウンが始まると、人びとはシャンパンのグラスを片手にそれぞれのパートナーとその瞬間を待った。

「ハッピー・ニュー・イヤー!」
グラスの重なる音、新しいシャンパンの開く音、人びとのキス。そして、大きな花火が開放的な窓ガラスの向こうに広がり、感嘆の声があちこちからあがった。楽団はウィンナ・ワルツを演奏し、人びとは新年を祝った。

 マッテオは、多くの人と乾杯しながら、まだ新年を祝っていないジョルジアの姿を探した。

 彼女は、ダンスホールではなく、その外側のバルコニーになった回廊に一人で立っていた。ガラスで覆われているので寒くはないが、熱氣のこもるダンスホールに較べると涼しい。

 ドアが閉まり、楽団の音と楽しくはしゃぐ人びとの声が聞こえなくなると、まるで別の世界に来たかのように、寂しくなった。マッテオは、華やかな世界に背を向けて夜に佇む妹の背中に、ブルー・ノート・ジャズを感じた。

 幸せに酔っているアレッサンドラの前では決して見せない遣る瀬なさ。華やかな世界に馴染めない居たたまれなさ。そして、手にすることが出来ないものを想う苦しみ。どうしてやることも出来ない妹の寂しい姿に彼の心は締め付けられた。

「ジョルジア、ハッピー・ニュー・イヤー」
五分以上経ってようやく声を掛けると、彼女は振り向いた。彼女は泣いてはいなかった。苦しんでいる表情もしていなかった。微かに笑うと「ハッピー・ニュー・イヤー、マッテオ兄さん」と返した。彼は、妹を抱きしめた。

* * *


「あら、ジョルジア。いらっしゃい」
キャシーは入って来たジョルジアを歓迎した。

《Sunrise Diner》は独立記念日だからといって休みではないので、キャシーはテレビをつけて花火を楽しもうと待っている。もっとも、常連客で店はそこそこ埋まっているので、のんびりと花火を眺めている時間はなさそうだ。

 サンフランシスコから遊びに来ている元同僚の美穂、この春からほぼ毎日やってきては居座っている英国人クライヴとその従業員クレアが同じテーブルに座っていた。彼らは、椅子を動かして彼女の場所を作った。

 ジョルジアは感謝してその席に収まった。

「いいタイミングで来たわね。ちょうど花火が始まるところよ。何を飲む?」
キャシーが訊き、ジョルジアはグラスワインの赤を頼んだ。

「今、話をしていたんですよ。花火の時にはどんな音楽が似合うのかってね」
クライヴが自分の店から持ち込んだボーンチャイナで紅茶を飲みながら口火を切った。

「ほら、ハドソン川の花火だと、ミリタリーバンドによる吹奏楽と合唱じゃない? でも、国によって違うらしいのよね、いろいろと」
キャシーが説明する。

 隣の席にいた常連でオーストリア人のフェレーナが口をだした。
「私は、『美しき青きドナウ』だって思うわ。とくに、新年の花火はやっぱりウィンナ・ワルツじゃないと」

 ジョルジアは、そういえばサン・モリッツの新年の花火でもウィンナ・ワルツを演奏していたなと思い出し頷いた。

「僕の意見は誰にも賛同してもらえないと思うけれど」
そう言って話しだしたのは、フェレーナの連れのスイス人ステファン。
「8月1日のスイスの建国記念日は、花火を見ながら野外クラッシックコンサートってことが多くて、スイスの建国記念日のコンサートだとロッシーニの『ウィリアム・テル』が定番なんだよね。だから花火というとどうもあれが……」

「いや、やはりベルリンではなんといっても『第九』だよ。東西統一の記念祭を思い出すから」
マルクスがドイツ人らしい断乎とした口調で主張する。

 クライヴも負けていなかった。
「いや、花火と言ったらなんといってもエルガーの『威風堂々』ですよ。毎年『プロムス』の最終夜で演奏されますし」

「それに、『ルール・ブリタニア』と『ジェルサレム』でしょ」
と、クレアが彼の愛国主義を茶化した。 

「日本はどうなの?」
キャシーに訊かれて美穂は首を傾げた。
「う~ん、どうかな。花火大会で曲はかかるけれど、あまり特徴のない映画音楽みたいなものかしら。そもそも、花火の方がすごくてどんな曲がかかっているかなんてほとんど考えたこともなかったし、まさかこんなに国によって違うものだとは思わなかったわ」

 ジョルジアの前に赤ワインのグラスを置いて、キャシーは訊いた。
「あなたにとっては? ジョルジア」

 そうね、と微笑んでから彼女は《Sunrise Diner》の店内を見回した。
「ここでかけている曲、かな」

 キャシーは、「え」といった。有線放送をかけているが、夜は少し賑やかなボサノヴァ風ジャズが多い。花火って感じじゃないなあ。
「どうして?」

「私、これまでわざわざ花火を観る習慣がなかったの。だから、特にかかる曲のイメージはもっていないの。でも、ここの曲、いま、映っている花火とけっこう合っているわよ」
そう言って、テレビの花火に目を細めるとワインを飲んだ。

 彼女は去年の秋から冬にかけて、キャシーとその家族が写真のモデルになって撮影していた頃と較べてリラックスしている。ここでかかっているボサノヴァ風ジャズみたいに。それと同時に、少しずつではあるが、ウルトラ個性的な常連たちに馴染んで来た。

 いつも一人カウンターに座ってテレビのニュース番組を観ているか音楽に耳を傾けているだけだったのが、呼ばれると彼らのテーブルに移ってきて一緒に時間を過ごすようになっていた。

 時間をかけて重い鎧を脱いで、剣を身から離すことが出来るようになって来たのかな。それとも、この間のアフリカに旅行で何か特別な経験でもしたのかな。

 客たちは、次々上がる花火の映像に歓声を上げて、それぞれの日々の苦労や腹立ちを忘れて楽しんでいる。一年に一度の浮かれた祭りの宵。

 どこで観るのも自由。どんなこだわりがあっても構わない。大切なことはみんなでワイワイ楽しく観ることだものね。

 店の有線放送の『ワン・ノート・サンバ』に合わせて打ち上げられる花火か。うん、本当に悪くない。キャシーもまた、サンバのような軽快な足取りで、次々入る新しい注文を華麗にさばいていった。


(初出:2016年6月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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「carat!」は読み切りを前提としているので、敢えて読む必要はないのですが、一応、今回の話も既存のシリーズの外伝になっています。興味のある方はどうぞ。

「ファインダーの向こうに」
「ファインダーの向こうに」

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」

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Posted by 八少女 夕

【小説】春、いのち芽吹くとき



今日発表するのは、読み切り短編集「四季のまつり」の第一回、春の話です。一昨年まで「十二ヶ月の○○」というシリーズで月に一回掌編を発表してました。今年それを復活するつもりだったのですが、いろいろと事情が重なって1月と2月を発表できそうになかったので、年4回シリーズにしてみました。今年のテーマは「まつり」にしました。オムニバスでそれぞれの季節の祭やイベントに絡めたストーリーを書いていく予定です。第一回目は「復活祭」です。春は眠っていた大地が目覚め、死んでいた世界が復活するとき。そのイメージにひっかけて、十九世紀の終わりのカンポ・ルドゥンツ村での小さなストーリーを書いてみました。そして、この作品で、canariaさんの主催するwebアンソロジー季刊誌「carat!(カラット)」に参加することにします。



春、いのち芽吹くとき

 どこからか硬い規則的な音が響いてくる。ああ、もうキツツキが。彼女は、立ち止まって見上げたが、どこにいるのかは確認できなかった。結局、厳しい冬は来ないまま春がくるんだろうか。

 数日前からフェーンが吹き荒れ、雪はすっかりなくなってしまった。家の近くの池に張っていた氷もなくなり、鴨たちが再び戻ってきていた。ベアトリスは、ぬかるんだ小径を急いで歩いていた。大地は雪解け水を全て受け入れられるほどには目覚めておらず、表面にたまった水分が不快なぬかるみを作る。彼女の古ぼけた靴には冷たい泥がしみ込みだしていた。

 彼女は、丘の向こうの牧場ヘ行く途中だった。カドゥフ家は、この村では一番大きな牧畜農家だ。30頭近くの牛、それよりも多い山羊、それにたくさんの鶏を飼っていて、放牧やチーズづくりの傍ら、三圃式農業で小麦や燕麦、トウモロコシ、それにジャガイモなども作っている。

 来客でバターが必要になったから行ってきてくれと母親に言いつけられたとき、彼女の顔は曇った。

「どうしたのさ。秋には、別に用事もないのにあそこに入り浸っていたじゃないか」
母親は、仔細ありげな物言いをした。

 夏から晩秋にかけて、夕方にカドゥフ家の長男マティアスと小径のベンチで逢い、焼き菓子を二人で食べた。散歩が長すぎると母親に嫌味を言われても、どこからか湧いてくる笑顔を隠すことはできなかった。それが今、もしかしたらマティアスに逢ってしまうかと思うと、それだけでこの道を登っていくのが嫌になるのだ。

 学校は、復活祭の前に終わる。そうしたら彼女は、サリスブリュッケのホテルに奉公に行くことになっている。

「行儀作法を身につけて、料理がうまくなれば、村の若い衆の誰かがもらってくれるだろう」
去年の夏に父親にそう言われて、ベアトリスは嬉しそうに頷いたものだ。その時は、もらってくれる若い衆を頭の中に思い浮かべていたから。でも、今のベアトリスにはそんな未来予想図は何もない。

 あれはクリスマスの少し前のことだった。サリスブリュッケに住むディーノ・ファジオーリが大きいパネトーネを持ってベアトリスの家にやってきた。ディーノの母親とベアトリスの母親は、子どもの頃に隣に住んでいたので仲が良かった。

 パネトーネはイタリア語圏のクリスマスに欠かせないお菓子だが、アルプス北側のドイツ語圏ではまだ珍しい。イタリア出身のファジオーリ家は、毎年クリスマスの前にはパネトーネを焼く。そして、ベアトリスの家庭へと届けてくれるのだ。

 ディーノは、綺麗な包み紙で覆ったもうひとつ小さいパネトーネを持っていて、それを村一番の器量よしのミリアム・スッターにプレゼントするつもりだった。そり祭りの時に見かけて以来、彼はベアトリスに逢う度に、ミリアムはどんな物が好きか、偶然出会うにはどの辺りに行ったらいいのかなどのアドバイスを乞うのだった。

「それをさっさと持っていけばいいじゃない」
ベアトリスが言うと、ディーノは項垂れた。
「もう行ったよ。でも、受け取ってもらえなかったんだ。村の青年会に怒られるからって」

 サリスブリュッケはカンポ・ルドゥンツ村の河を挟んで向かい側にあるが、18世紀まで灰色同盟と神家同盟という別の国に属していた。そのため、百年経って同じ国の同じ州になった今でも住人同士の交際や結婚を好まない風潮がある。河を超えて結婚する場合には、それぞれの青年会の賛同を必要とするのだ。

 村一番の美女をよそ者に渡してなるものかと、村の若者たちはディーノがミリアムの周りをうろちょろするのを躍起になって阻止した。

「それに、それにカドゥフの奴に誤解されるのは嫌だって言うんだ。それって俺は失恋したってことだろ?」
ベアトリスはどきっとした。ミリアムが、そんな事を言うなんて。

 マティアスは、二年前に学校を卒業して以来、カドゥフ家で一番の働き手となった。今は両親たちが経営している牧場は、いずれは彼が引き継ぐことになる。子どもの頃から親を手伝って働いていたから、日に焼け、がっちりとした体格で力も強い。重い干し草の包みを荷車に載せる時などには、力強い筋肉の盛り上がりがシャツに隠れていてもわかる。ベアトリスはそんな彼の姿を見るとドキドキしてしまう。

 牧畜農家というのは、一年中、朝から晩までやることがあって、彼は村の同じ歳の青年たちのように夕方にレストランに集まって面白おかしい時間を過ごしたり、高等学校に進んだ学生たちのように韻を踏んだ詩を添えて花束を贈るようなことをする暇が全くなかった。

 夕方のわずかな時間に、牧場の近くの坂道で絞りたての牛乳を飲みながら休憩するのが彼の余暇で、それを知っているベアトリスがクッキーやマドレーヌを焼いて持っていく。広がる牧草地を見下ろし、河を越えた向こうに見える連峰がオレンジに染まるのを見ながら、なんという事のない話をした。

 彼との会話には、ロマンティックなところはまるでなくて、主に日々の仕事と生活のことだけだった。ベアトリスはカドゥフ家の牛や山羊のうち目立つ特徴があるものは言われなくてもわかるくらい詳しくなってしまっていた。そんな無骨な男のことを、自分以外の女性が、しかも常に村の青年たちに言いよられている綺麗なミリアムが好きになるなんて、考えたこともなかった。でも、もしそうなら、自分には全く勝ち目がないと思った。これだけ長く一緒にいても、彼の方からまた逢いたいとか、逢えて嬉しいという言葉をもらったこともなかったから。

 その残念な情報をもたらしたディーノは、ベアトリスのがっかりした様子には全く氣づくこともなくパネトーネの包みを持て余していたが、やがて彼女にポンと押し付けた。

「持って帰るのも馬鹿みたいだから、お前にやるよ。じゃあな」
失礼ね。ついでみたいに。でも、美味しいからいいか。

 帰っていくディーノに手を振っているところに、マティアスがやってきた。というよりも、いつも彼がここに来るから、この時間になるとベアトリスがこの場所で待つのが日課になっているのだ。彼は、彼女の持っているきれいな包みを見て、何か言いたそうにしたが、言わなかった。ベアトリスは、その奇妙な沈黙に堪えられなかった。

「ほら、見て。クリスマスプレゼントにパネトーネをもらったの。私にだってくれる人がいるのよ」
「そうか。よかったな」
「あなたは、ミリアムに何かプレゼントするの?」

 すると、マティアスは露骨に不機嫌な顔をした。
「なんだよ、それは」
「噂を聞いたのよ。氣分いいでしょ。あのミリアムに好かれているなんて。大晦日のダンスパーティのパートナーになってもらったら。みんなが羨ましがるわ」

 マティアスは、いらついた様子で言った。
「くだらないことを言うな」

 そうじゃない、君にパートナーになってほしいんだ。ベアトリスが期待したその言葉をマティアスは言わなかった。そのまま踵を返して帰ってしまった。彼女は、どうしたらいいのかわからなかった。

 数日経っても、いつもの散歩道に彼が来ることはなく、不安になったベアトリスは、マティアスの妹モニカに相談した。彼女はそれを聞いて頭を抱えた。
「馬鹿ね。マティアスは、そういう風に試されるのが大嫌いなのよ。あ~あ、彼を怒らせちゃったのね」

 大晦日のダンスパーティには行けなかった。誰からも誘ってもらえなかったし、マティアスとミリアムが一緒にいたりしたら、つらくて死んでしまうと思ったから。年が明けてから、ミリアムはトマス・エグリと一緒に来ていたと耳にした。マティアスはパーティには来なくて、年末からしばらく留守にしていると聞いたきりだ。

 他の牧場もそうだが、カドゥフ家も、夏の間に一日も休まずにせっせと働くだけでは経営が多少苦しいので、冬の間子どもたちはチャンスがあれば金持ちの殺到するリゾートで現金を稼ぐ。モニカも直にエンガディンに行ってしまったので、マティアスが出稼ぎから帰って来たかどうかもわからなかった。

 一ヶ月以上、彼がいつもの散歩道に来ず、連絡もなかったので、ようやくベアトリスは自分がマティアスとの上手くいきかけていた仲をめちゃくちゃにしてしまったのだと認めた。試すだなんて、そんなつもりじゃなかった。でも、そうだったのかもしれない。時間が経ちすぎて謝るチャンスすら逃してしまった。

 バターを買いに、ぬかるんだ道を歩くベアトリスの足取りは重かった。このまま、嫌われたのだと、はっきり思い知らされることもなく、痛みを忘れたいと思っていた。でも、もし今彼が家にいて顔を合わせたら……。

 門を通り過ぎて、鶏小屋の脇を通り、母屋で声を掛けた。ジャガイモの皮を剥いていたマティアスの母親が笑顔で「いらっしゃい、ベアトリス」と言った。それから、奥のチーズを作る小屋を指して言った。
「バターのことは聞いているわ。さっきマティアスに言っておいたから、もう用意してあると思うわ」

 彼女は、困ったなと思ったけれど、悟られたくないと思ったので「わかりました」と言って、重い足取りで作業小屋へ向かった。

 扉をノックして開けると、彼は大きな鉄鍋の下に薪をくべているところだった。ベアトリスを見ると「きたか」という顔をして立ち上がった。

「こんにちは」
上目遣いで見上げる彼女に構わずに、彼は冷えた石造りの別室から包みを持ってきた。口をきくのも嫌なのかしら。包みを受け取ってポケットから出した料金を渡そうとした時に、彼は「あ。これも」と言ってまた離れた。

 彼が持ってきたのは、茶色い紙に包まれたもう少し大きな包みだった。
「これは?」

「ルガーノで買ってきた。コロンバだ」
コロンバはイタリア語圏で復活祭に食べる鳩の形をした菓子だ。ベアトリスは一度だけ食べたことがあって、とても好きだった。
「私に?」

 マティアスは目を逸らして口を尖らせた。
「パネトーネをもらって喜ぶなら、これも好きだろうと思ったんだ」

 ベアトリスは、胸が詰まってしまった。彼は、彼女の紅潮した頬と、笑顔と、それから半ば潤んだような瞳を見て、口角をあげた。
「あんまりがっつくと復活祭がくる前に食べ終わっちまうぞ。あれ、その小さな袋じゃ両方は入らないな。待ってろ、いま何か袋を……」

 彼女は、そのマティアスを引き止めた。
「ううん。このお菓子、今日は持って帰らないわ」

「なぜ?」
「今日はこのバターが溶けないうちに帰らなくちゃいけないもの。コロンバは、あの散歩道であなたと一緒に食べたいの。だから、その時に」

 彼は、それを聞くと目を細めて頷いた。
「あの散歩道のベンチ、さっき行って残りの雪を取り除いておいたんだ。きっと明日には乾いているだろうから、また座れるな。夕方じゃなくて、まだ陽の高い三時頃はどうだ?」

 ベアトリスは、頷いた。
「ええ。ありがとう。それに……ごめんね」
「何に対して?」
「氣に障る事を言って」

 彼は、また眼を逸らした。
「俺、あの時は無性に腹が立った。お前まで、酒を飲んで深夜まで騒ぐような連中に混じりたいのかって。これまでダンスパーティに行きたいなんて思ったことはないし、毎朝早く起きなくちゃいけないから、これからも行くことはないだろう。でも……」

「でも?」
「ルガーノのホテルで浮かれて騒ぐ客たちを見ていたら、確かに楽しそうだなと思ったよ。みんなが行きたがるわけだ。お前だって、年に一度くらい楽しみたくて当然だ。俺のとやかくいうことじゃない」

 ベアトリスは、そんなんじゃないのにと思いながら彼を見た。彼は、彼女の目を見た。
「俺はお前に詩を贈ったりダンスに誘ったりはできない。それどころかいつも家畜の匂いがとれない作業服を着ている。……こんな俺はお前にとって失格か」

 マティアスの瞳には、わずかに臆病な光が灯っていた。私の中にあるのと同じだ、ベアトリスは思った。
「ううん。私はダンスや花やロマンティックなセリフなんていらない。背広じゃなくて作業服でも全く構わない。あなたに逢って話をするだけでとても幸せなんだもの。本当よ」

 彼は、ようやくいつもの屈託のない笑いをみせた。
「シャンパンじゃなくて、牛乳でも」
「絞りたての牛乳の美味しさを知ったら、シャンパンを飲みたがる人なんかいなくなると思うわ」

 彼は、コロンバの包みを高く持ち上げると、言った。
「明日、三時だ。一分でも遅れたら、俺がひとりで食っちまうからな」

 バターの包みを抱えての帰り道、両脇の木に淡い翠の芽が顔を出しているのを見つけた。たくさんの鳥たちが合唱をはじめた。春の光が大地の新たな息吹を呼び起こす。世界は、復活の準備に余念がなかった。命の甦り。歓びの祭典。すぐそこまで来ている。ぬかるみも、靴に沁みる冷たい水もなんでもなかった。

 ベアトリスは、幸福に満ちて坂道を下っていった。
 
(初出:2016年3月 書き下ろし)



 

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全くの蛇足ですし、あえて読む必要も全くないのですが、この二人「リゼロッテと村の四季」のジオンの両親です。まだ彼らが若いころの話です。

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