scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -1-

10,000Hitのキリ番で、前後賞の9999を踏んだウゾさんからのリクエスト。ウゾさん、ありがとう!

ズバリ スイスの家庭料理に付いて 出来れば 日本で手に入る材料で出来るもので
レシピ付き。

ただの記事にしてもよかったんですが、ちょっと趣向を変えて、こんな連載風短編に仕立ててみました。主人公は日本の中学生の遊佐三貴くんとスイス人高校生リナ・グレーディクちゃん。日本とスイスの異文化交流ものとしてまたテーマをいただいたら追加していこうかなと思っています。って、一回で終わりになるかもしれないけれど。



リナ姉ちゃんのいた頃 -1-

リナ姉ちゃんが我が家にやって来た日の事は今でもよく憶えている。我が家がひっくり返したような大騒ぎになったのは、その一週間ほど前の事だった。

「えええ〜っ? なんで?」
僕と栄二兄ちゃんは、最初、父さんが冗談を言っているのかと思った。我が家に、交換留学生の女の子がやってくる、一年間ホームステイする、スイス人だって。母さんは、重大発表のあいだ黙ってご飯をよそいでいた。

「だから、急遽、そういうことになったんだよ」
父さんは頭をかいた。
「斉藤専務のお宅で預かる事になっていた子なんだけどさ。部長の奥様に悪性腫瘍が見つかって、それどころじゃなくなっちゃったんだそうだ。それで、代わりにって。ほら、うちは今年から一美が下宿をはじめて、部屋も一つ空いたしさ」

「いや、代わりにって言ったってさ。その子、日本語喋れないんでしょ? どうすんの?」
栄二兄ちゃんが訊くと、父さんはじっと僕の方を見た。
「そうなんだよ。三貴、お前は三年も英会話学校に通っているだろう。お前だけが頼りなんだ」

僕はのけぞった。いや、だって僕はまだ義務教育中の身だよ。確かに、英会話学校に通っているのは、この中では僕だけだけど、栄二兄ちゃんは高校三年だし、父さんも母さんも大学をでているじゃないか。英会話学校って言ったって、週に一度の習い事じゃ、まともな英語なんて話せない。現に、FENもCNNもさっぱりわからないんだよ?
でも、父さんの道端に捨てられた子猫みたいにすがる目を見たら、嫌とは言いがたい空氣が流れた。

「何で断らなかったのさ」
栄二兄ちゃんが、僕の氣持ちを代弁する。

「斉藤専務は、私たちの仲人だし、人事部長時代は母さんの直接の上司だったんだよ」
「逆らわない方がいいのよねぇ、あの人には」
母さんが間延びした声で言った。父さんは再びすがるように僕を見た。僕は仕方なく頷いた。


それから一週間して、僕は父さんと一緒に成田空港に行った。「ようこそ、日本へ。リナ・グレーディクさん」と英語で画用紙に書くのすら、僕の仕事になった。こんなに英語がダメで、ほんとうに大丈夫なんだろうか。今まで尊敬ひとすじだった父さんが、なんだか頼りなく見える。

スイス・インターナショナルエアラインが到着すると、緊張が最高潮に達した父さんはトイレに駆け込んでしまい、僕は一人でそのスイス人の女の子を待つ事になった。僕と父さんの想像した彼女の姿はクリーム色のTシャツに赤いジャンパースカートだった。それほど僕たちにとってスイスは馴染みのないメルヘンの国だった。

いろいろな人が出て来た。野暮ったい女の子が出てくる度に「この人かな」と思ったけれど、彼女たちは僕の掲げた画用紙をちらっと見ただけで通り過ぎてしまった。

それから、彼女がやって来た。艶やかな栗色のウェーブした髪。すらりとした華奢な足。ヒョウ柄のカットソーに黒い革のミニスカート、黒いブーツというハイジとはまったくかけ離れた美少女。彼女の輝く灰緑色の瞳は、僕の掲げた画用紙にピタッと停まって、まっすぐに僕の方に歩いて来た。ええ〜? 嘘だ。この人? 類いまれな美少女じゃないか。彼女は僕に笑いかけた。あれれ? 先程の完璧な美がそれで吹き飛んだ。口が大きいのか、なんだかわからない。だが、その笑顔は、「あれ」に酷似していた。「不思議の国のアリス」の挿絵にある、チェシャ猫のニヤニヤ笑い。それがリナ姉ちゃんだった。


それから、リナ姉ちゃんは驚くべき事実を知った。家族の中で、意思の疎通が可能なのは、この僕だけだってこと。でも、彼女は素早く順応した。僕も、家につくまでには、どうやってリナ姉ちゃんと必要な意思の伝達が出来るか、なんとかめどが立っていた。FENの英語と較べて、リナ姉ちゃんの英語はずっとゆっくりではっきりとしていた。もともとリナ姉ちゃんにとっても英語は外国語なのだ。そしてドイツ語が通じるはずがない事は百も承知だ。幸い、僕には多少の絵心があったので、語彙の貧弱さはそれで補う事が出来た。それに父さんは、僕にポケット英和和英辞典を買ってくれた。


家につくと、母さんが食事の用意をして待っていた。栄二兄ちゃんは、リナ姉ちゃんの姿を見て、真っ赤になり、それからなにかごにょごにょ言って、僕と役目を代わりたがっていたけれど、バイトに出かける時間だったので、泣く泣く出て行った。僕はリナ姉ちゃんに、玄関で靴を脱ぐ事を教え(姉ちゃんったら、靴のまま上がろうとしたんだ)、部屋に案内し、それから食堂に連れて行った。


母さんはちらし寿司を用意していた。日本と言ったらスシだけど、いきなり生の魚じゃきついかと思ったらしい。だからサーモンと海老のちらしだ。

「わぁ〜、すごくきれいね。ちょっと待って。写真撮るから」
リナ姉ちゃんははしゃいだ。奥ゆかしさってものが全然ない人だな。僕はお腹がすいていたので、ぼうっとしていた。

「ほら、ミツ。早く食べましょ」
どっちの家なんだか、わかりゃしない。それに、僕の名前は三貴だ。ミツなんていわれると猫になったみたいじゃないか。

食事の間、僕は忙しかった。父さんと母さんとリナ姉ちゃんの通訳をしていたからだ。
「へえ。これもスシなの。日本人は、毎日寿司を食べているの?」
「そんなわけないだろ。今日は特別」
「じゃあ、普段は何を食べているの?」
「ええと。白いご飯に、魚とか、肉とか、野菜をたっぷりつけて」
「スパゲッティなんかは食べないの?」
「食べるよ。洋食って言うんだ」

母さんがふと興味を持って訊いた。
「スイスではどんなものを食べるのかしら? スパゲッティ?」

僕が訊くとリナ姉ちゃんは頷いた。
「イタリア料理はよく食べるわね。お肉やチーズもたくさん食べるわ」

「こう、これこそ、スイスって料理は?」
父さんの質問にリナ姉ちゃんは肩をすくめた。
「チーズ・フォンデュとラクレットかな。どっちも溶かしたチーズの料理よ」

「他には?」
「私の住んでるグラウビュンデン州の郷土料理は大きな葉っぱでパスタとチーズを包んだカプンツとか、ネギとパスタをスープで煮込んでチーズをかけたピッツォケリとか」
「ここで作れる?」
「ええっ、それは無理よ。カプンツはマンゴルドの葉っぱがないと出来ないし、ピツォケリはそういう名前のパスタがないと出来ないもの」

僕は口を尖らせた。
「なんか、日本でも出来る料理はないの?」
「う〜ん、アルペン・マカロニは?」
「何それ?」
「小さくゆでたジャガイモとマカロニをチーズで和えるの」


アルペン・マカロニ 四人分(スイスのなので日本だと六人分かも……)

300g ジャガイモ
350グラム マカロニ
200グラム ナチュラル・チーズ (エメンタールなど)
(追記:本当は癖の強いチーズと弱いチーズを半々なのですが、癖の強いチーズは香りも強烈です。日本人には好き嫌いがあるかも。手にもなかなか入りませんし。それで、エメンタールなどのパンチの弱いチーズだけを使う場合は、出来てから味を見て、塩を追加してください)
1.5dl 生クリーム
カリカリに揚げたタマネギ、ベーコンなど、適宜

作り方
ジャガイモは1㎝角に切って、5分ほど塩ゆでしておく。
マカロニを表示時間通りゆでる。
オーブンは170℃に温める。
チーズを1㎝角に切る。
ジャガイモとマカロニとチーズを耐熱皿の中で混ぜて生クリームを注ぎ、25分焼く。
トッピングとしてカリカリタマネギやベーコンを散らす。


「ううむ。すごく美味しそうだけど、でも、今、真夏だよ」
「そうね。夏の食べ物じゃないわね。じゃあ、これは?」


ビルヒャー・ミューズリー 二人分

250cc ミューズリー・シリアル
2大さじ 干しぶどう
1大さじ クルミを砕いたもの
2大さじ アーモンドスライス
フルーツ(リンゴ、梨、苺、ブルーベリー、キウイ、バナナ、桃などなんでもいい)
1カップ ヨーグルト
砂糖、または果実のジャム
1/2カップ 牛乳

作り方
すべての材料を混ぜる。


「これ、料理か?」
「料理って言うには語弊があるけど、でも、れっきとしたレシピよ」
「わかった。じゃあ、ミューズリー買ってくるから、週末に作ろうよ」

こうして、僕たちとリナ姉ちゃんの一年間が始まったのだ。
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : キリ番リクエスト 小説 連載小説 リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -2-

確定申告に追われている私です。それなのに、ここ数日、ブログのお友達のところでは、じっくりコメントを入れたい重大な記事ばかり。ごめんなさい。復帰したら書きますから!

さて、今日の更新は、人氣ブログランキングのWeb小説部門一位記念に左紀さんからいただいたリクエスト。「リナ姉ちゃんのいた頃 -1-」の続編です。左紀さん、リクエスト、ありがとう!

-1-を読んでいない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴くん(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディクちゃん。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。-1-を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。


リナ姉ちゃんのいた頃 -1-



リナ姉ちゃんのいた頃 -2-

僕はそれまで、かなりそつのない人生を歩んでいたと思う。もちろん、一美姉ちゃんみたいな優等生でもなければ、栄二兄ちゃんみたいに上手く立ち回れる性格でもないけれど、少なくとも、近隣のガラの悪い高校生に目を付けられるようなヘマはしてこなかった。リナ姉ちゃんが家にやってくるまでは。

リナ姉ちゃんは、あっという間に町内一の有名人になってしまった。そりゃそうだろう。テレビでだって滅多に見ないようなスタイルのいい美少女ガイジンが、闊歩しているんだもの。東京にはたくさん外国人がいるはずだ。でも、麻布や六本木ならまだしも、目黒区辺りにはまだ珍しいのだ。それだけじゃない。

「ねぇ。リナ姉ちゃん」
「何、ミツ?」
だから、僕の名前はミツじゃなくて三貴だって、何度言ったら……。いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。
「本当にその格好で行くわけ? 商店街に」
「そうよ、いけない?」

スーパーで、タレントがプロデュースしている網タイツを見つけたリナ姉ちゃんは大喜びで買いあさった。でもさ。革のホットパンツに、蝶の文様の入ったその網タイツ、ちょっと目立ちすぎるんだけど。上も、百合の大きな柄が珍しいオレンジ色のしゃれたタンクトップだけれど、ブラのヒモが見えてるし。いや、これも日本で見つけた見せても大丈夫なラインストーンのものだけどさ。そして、七センチヒールの黒い艶つやサンダル。

「どうやっても、道行く人全員の注目を集めるよ」
「そう? タイツ以外は、普通の格好じゃない」
どこが!

「高校生が、シャネルの馬鹿でかいサングラスしているのを、この国では普通とは言わないよ」
「あん?」
ピンと来なかったのか、リナ姉ちゃんはそのサングラスを外すと、さっとカチューシャ代わりに頭にひっかけた。

商店街の百円ショップに行くだけなのに!

夏休みの間に、僕たちがどれだけ有名になっていたか、新学期が始まって学校に行ってようやく知った。教室に入ると、クラスメイトたちがどっと寄ってきて、僕は質問攻めにあった。
「遊佐! お前、超絶美少女とつき合っているって本当かよ!」
「タレントの付き人になったって聞いたわよ」
どれもとんでもないデマだ。
「違うよ。あの人は、家にホームステイにきた交換留学生だよ。家では僕しか意思疎通出来る人がいないから、通訳代わりに引っ付いているだけなんだ」
僕はあわてて説明した。

「ええっ。遊佐くん、英語喋れるの? すごい!」
「ああ、こいつ中一のときから、駅の英会話教室通ってたもんな」
僕は頭をかいた。
「いや、本当はそんなに喋れないんだ。でも、家では、他の全員が日本語しか喋らないから、どうしてもリナ姉ちゃんは、僕に引っ付いてくるんだよ」

実際には、すごいことが起こっていた。リナ姉ちゃんと暮らしはじめてひと月で、お互いの会話の癖がつかめたのか、それとも、腹が据わったのか、僕ははじめの頃より会話に苦労しないようになっていた。そして、夏休みが終わって、再び英会話教室に行ったら、前と全然違っていた。リスニングが明らかに向上していたのだ。

氣のせいかなと思って、家に戻ってからFENを聴いてみた。げっ。言っている事がわかる! 前は、全然聴き取れなかったのに。ずっと下から数えて十位以内だった学校のリスニングテストで、僕は突然学年三位に躍り出た。皆がざわめいたのは言うまでもない。

一方、リナ姉ちゃんは、僕の中学から200m離れた帰国子女も受け入れている高校に通いだした。一応心配なので、朝と帰りは僕が校門まで送り迎えをしている。お陰で、外国人高校生とつき合うませた中学生というデマが横行してしまったのだ。

リナ姉ちゃんを送り迎えしたい輩は、他にいた。登校三日目、僕が高校の門の前で待っていると、向こうから学ランの男子生徒三人が歩いてきた。うっ。あれは若田高校の奴らだ。ひどく着崩された制服の袖を肘までまくり上げている。大して長くない足がさらに短くなる腰パンも三人共通だ。

「君が、噂のませたちゅー坊くんだねぇっ」
真ん中の生徒、仮に名付けてナンバー1がニヤついて言った。僕は後ずさったが、後ろに門柱があって逃げそびれた。ナンバー2と3が横を固めて逃げ道を塞いだ。万事窮す。
「俺たち、君に話があって来たんだ~」
やけに馴れ馴れしい。ナンバー2が続ける。
「綺麗なお姉さんといつも一緒みたいだけどさ。よかったら紹介してくれないかなっ」

勘弁してよ。なんで僕がリナ姉ちゃんを若田高校の不良に紹介しなくちゃいけないのさ。
「そういわれても、僕あなたたちを知りませんし……」

ナンバー3はすぐにカッと来る性質らしかった。
「何だとお! 《バカタの三羽がらす》を知らないってことはねぇだろう」
僕はバカタなんて言っていないからね。自分で言ったんだから。願書さえ書けば誰でも入学出来ると評判の私立若田高校を陰でそう呼ぶ人がいるのは知っていたけれど、まだ高校受験もしていない僕がそんな風に呼ぶのは失礼ってものだろう。だから、僕はいつもちゃんと若田高校と呼んでいる。

僕の衿をつかんで怒鳴るナンバー3をリーダー格らしいナンバー1がやんわりと止めた。
「まあまあ。知らないなら自己紹介から始めようか」
ナンバー2は低い声で補足する。
「さっさと名前を言え」

僕は仕方なく答える。
「遊佐……三貴です」
そう答えた途端、ナンバー1の顔色が変わった。
「う、遊佐? え。えっと、住んでいるのは?」
「え、この先の、三丁目……ですけれど」
「やべっ」
ナンバー2が声を上げ、ナンバー1が急にぴしっと立った。それからまだ僕の襟首をつかんでいるナンバー3の頭をバシッと叩いた。
「何やってんだよ。お前っ」
「え? なんで?」
「わかんねえのかっ。三丁目の遊佐さんってのは一美姐さんの家だよっ」

一美姐さん? 一美姉ちゃんが、なんだって? 僕の姉ちゃんはこの春から八王子の大学の近くに下宿して家にはいない。だけど、若田高校の有名な不良どもが、どうして姉ちゃんを知っているんだろう? 去年まで通っていた有名私立高校は女子校で、しかも若田高校とは全然近くないのに。僕は、勇氣を振り絞って事情を訊こうかと思った。

その時だった。
「ミツ? お待たせっ」
軽やかな英語の呼びかけが響いた。げっ。どうしてこういう場に! リナ姉ちゃんは、状況を全く理解していないので、平然と寄って来た。
「お友達?」
「い、いや、その……」
僕が困っている一方、《バカタの三羽がらす》は、彫刻のように固まってしまっていた。あれれ、君たち、綺麗なお姉ちゃんが、日本語を話せない事を知らなかったのかね。

「こんにちは。私はリナ・グレーディクよ。よろしくね」
よろしくといわれて、三人はますます慌て、捨てられた子猫のような瞳で僕に訴えかけた。
「あなた達に逢えて光栄ですと言ってますが」
僕は当然この三人にだってわかっているだろう内容を通訳してやった。
「こちらこそ光栄っす!」
「ちょーうれしーっす」
「すんませんっ。どうか今日の事は一美姐さんにはご内密に!」
そう、口々に叫ぶと、結局名前も言わずに逃げるように立ち去ってしまった。

「なに、あれ?」
リナ姉ちゃんが首を傾げる。
「《バカタの三羽がらす》だってさ。リナ姉ちゃんのファンらしいよ」
「ふうん?」

僕は、周りにいたたくさんの下校途中の高校生たちがこちらを見ながら通るのを感じながら、困った事になったなあと思っていた。僕の目立たない平和な日々を返してよ。

* * *

そんな事があったばかりだったので、土曜日に商店街に行くだけで、リナ姉ちゃんがこんなに目立つ格好をするのは嫌だったのだ。

姉ちゃんは、東京のショッピング天国に夢中になっていた。たかだかコンビニにまで30分も長居したりするので、僕は辟易していた。でも、ほっておいて何かあったら、父さんが斉藤専務に睨まれる。そしたら僕の来月のお小遣いはどうなることか。

そして、100円ショップだ。
「姉ちゃん。確かに100円だけどさ。毎回そんなに買い込んでどうするんだよ。一年経ったら僕んちに入りきらないほどになっちゃうよ」
「うるさいわね。もし多くなりすぎたら船便でスイスに送るもの。ほっておいてよ」
ちりも積もれば山となる。リナ姉ちゃんのお財布は、到着以来どんどん軽くなっているようだった。

「ねぇ、ミツ。お願いがあるんだけど」
一緒に表を歩きはじめてから、リナ姉ちゃんは僕に話しかけた。
「うん? どうぞ」
「外国為替の出来る銀行ってどこ?」

僕は首を傾げた。リナ姉ちゃんの生活費とお小遣いは、父さん宛に毎月送られて来て、父さんはお小遣いを日本円で渡したはず。
「お小遣い、日本円じゃなかったの?」
「今月分、もう使っちゃった。でも、緊急用のお金をおばあちゃんからもらってあるから、それを両替しようと思って」
彼女が、例のチェシャ猫そっくりの笑顔を見せたので、僕は肩をすくめて、駅前の銀行に向かった。

「スイスフランですか。当行では扱っておりませんね」
ぐっ。リナ姉ちゃん、米ドルかユーロで持って来てくれよ。

「どこでなら両替出来るんですか?」
「○○銀行の渋谷支店は扱っていますよ」
商店街に行くはずが、渋谷に行く事になってしまった。

渋谷駅はいつも通り人でごった返していたけれど、やっぱりリナ姉ちゃんと僕は人目を集めた。リナ姉ちゃん、本当に美人だもんな。笑うとチェシャ猫だけど。ものすごく混んでいる駅の通路が、僕たちの周りだけすうっと開いていく。みんな立ち止まって僕たちを見る。リナ姉ちゃんは、まったく躊躇せずに軽やかに歩いていく。まるで心躍る楽しいミュージカルの舞台をみんなで踊りながら進んでいるみたいに。ハチ公の前を闊歩する。スクランブル交差点で車はリナ姉ちゃんのために全部停まる。あ、いや、これは信号か。そして僕たちはクーラーのきいた○○銀行にすうっと引き込まれていく。

* * *

「でも、僕たち、わざわざ来たんですよ。電車に乗って。ここならスイスフランを両替してくれるって言うから」
僕は、赤くなって窓口で抗議していた。

「確かに当行では、スイスフランの両替をお取り扱いしております。でも、この紙幣は……」
リナ姉ちゃんが、プラダの財布からそっと取り出した紫色の馬鹿でかい紙幣を見て、その女性行員はしどろもどろになった。何がいけないんだろう。
「これは、1000フラン紙幣ですよね。当行では200フランの紙幣までしかお取り扱いしていないのです」

僕は、1000フランと言われてもピンと来なかった。コインはダメって言うならわかるけれど、どうして?
「だって、これもスイスのお金じゃないんですか?」
「ええと、スイスでは確かに1000フラン紙幣は発行されているようなんですが……。すみません、ちょっとお待ちください」

もめている僕と行員の様子を見ていたリナ姉ちゃんは、財布とお揃いのプラダのバッグからiPhoneを取り出すと、どこかへと電話をかけだした。そして、変な言葉で話しだした。英語じゃないからこれがドイツ語なんだろうか。でも、なんか響きがドイツ語っぽくないな。方言なのかな。

あっけにとられていた行員は、はっとすると、ぺこりとお辞儀を一つして、奥へ引っ込んだ。それから、恰幅のいい男性をつれて戻って来た。高額紙幣とか、1000スイスフランとかいろいろと話している。たぶん行員の上司だろう、その男性は、僕の方を見て丁寧に、でも、ちょっと見下した感じで説明しだした。

「ええと、あなたも、このお嬢さんも未成年ですよね」
「はい、そうですが。未成年は両替しちゃいけないんでしょうか」
「いえいえ、そうではないんですがね。この紙幣の価値をご存知ですか?」
僕は正直に首を振った。スイスフランのレートなんか知らない。

「この紙幣は、日本円にすると八万三千円の価値があるんですよ」
げっ。せいぜい一万円ぐらいだと思ったのに! 姉ちゃん、そんなお小遣いがあるか! そりゃ、そんな高額紙幣を中学生が替えに来たら不審がられてもおかしくないよね。
「で、現在こちらには、偽札発見のシステムで200スイスフランまでしか……」
上司は、そこまで説明したが、その時、別の男性が慌ててやって来て、そっと袖のところをつついた。

「なんだね、君。今、私は……」
「頭取からのお電話です。現在、お話中のお客様の事で……」

それを聞いた男性は、顔色を変えて、もう一人の男性行員の差し出したコードレスフォンを受け取って話しだした。
「はい、吉崎です。はい、はぁ、ええっ? あ。はい、はいっ。わかりました。はい、失礼のないように、対処します。はいっ。失礼いたします」

僕は事情が変わった事に氣がついた。リナ姉ちゃんは口を閉じてにっこりと笑っている。こうやって笑えば、無敵なんだけどなあ。

吉崎氏は、さっきとはうってかわった、媚びるような笑いを浮かべると、へこへこしながら僕に言った。
「いや、大変失礼いたしました。グレーディク様。△△商事の斉藤専務と当行の頭取の山口からよろしくとの事です。日本円はいますぐ、用意いたしますので」

女性行員がぽかんと口を開けている。吉崎氏はきっとなって命じた。
「君っ。すぐに手続きをしなさい」

それから僕とリナ姉ちゃんを、何故か応接室に連れて行って、麦茶とお菓子まで出してくれた。

「リナ姉ちゃん、どこに電話したんだよ」
「どこって、スイスよ」
携帯電話で国際電話かける?
「スイスのどこ?」
「ん? 名付け親よ。国際通貨基金の理事やってるんだけどね」
僕は、ぐったりして麦茶をすすった。

姉ちゃんは、手にした八万三千円をきっちりとプラダの財布にしまった。僕はその時に、同じ紫色のスイスフラン紙幣が、ほかに五枚くらいはその財布に入っているのを見てしまった。くわばら、くわばら。それから、姉ちゃんは呆然としている○○銀行の吉崎部長の頬にキスをして、颯爽と渋谷の街にでていった。また、ミュージカルのダンスをするみたいに。

IMFの理事まで引っ張りだして買いたいものが100円ショップにあるなんて、きっと誰も信じないだろうな。リナ姉ちゃんは、呆れている僕の顔を見て、いつもの大きな口でニイッと笑った。やっぱりチェシャ猫そっくりだ。

(初出:2012年9月書き下ろし)

スイスの高額紙幣これがスイスのお札です。紫の方は滅多にお目にかかれませんが……。他に10、20、50フラン紙幣もあります。
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -3- Featuring 「254」

本年最後の小説は、15003を踏まれた左紀さんからいただいたリクエスト。私の大好きな左紀さんの「254」のコトリとヤキダマ(共に敬称略)が、「リナ姉ちゃんのいた頃」に入り込んで共演してくれることになりました。左紀さん、ありがとう!

左紀さんの特別許可を得て、私がコトリとヤキダマのことを書いちゃっています。本邦初公開(?)の二人の本名も左紀さんに教えていただいたものです。左紀さんとそのファンの皆さん、コトリたちに対する愛情はいっぱい込めましたが、もし彼等らしくなかったとしたら、それは私の筆力のなさのせいです。ごめんなさい。書き方をちょっとイレギュラーにして、前半をヤキダマ目線、後半をミツ目線で書いています。

「リナ姉ちゃんのいた頃」の-2-までを読んでいない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディク。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。前の分を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。


リナ姉ちゃんのいた頃 をはじめから読む
山西左紀さんの「254」を読む



【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -3-
Featuring 「254」


「あのさ。今朝、コトリは一人でちょっと乗ってくるとか言って親父さんのところを出て行ったよな、たしか。」
ヤキダマはこめかみに人差し指をあててツボを押しながら言った。目の前に見えているものが、幻であってくれることを願って。

「ん? そうだったね」
コトリはヘルメットを脱いでくったくのない笑顔を見せた。コトリと愛車Moto Guzziの254そのものはいつも通り異常はない。問題はその後部座席だ。

「で、その後ろにいるのは、誰なんだ」
「誰って、ついさっき、知り合った友達だよ。いい子なんだ」

 友達。ヤキダマにはそれが「友達」なるジャンルの人間には見えなかった。どちらかというと、バイクの新作発表会で、意味もなく新製品にまたがっている外国人モデル。ウェーブした栗色の髪は、シャンプーの宣伝みたいに異様に輝いているし、顔も不必要に整っている。着ているものも新作発表会にぴったり。真っ赤な厚手の化繊のカットソーに上質の黒革のジャケットとパンツ。しかも真っ黒のハイヒール。
「ハイヒールでバイクの後ろに座る外人。しかも、ヘルメット省略かよ」

 コトリは少し口を尖らせて小さな声で言った。
「だから急いで、まずここに来たんだよ。ヘルメットを調達しなくちゃいけないと思ったから。ヤキダマ、ヘルメット貸してよ。わたしのだとキツいんだって」

 かわいい顔を上目遣いにして、まるで不当な尋問をされているかのごとく言うので、ヤキダマは自分の正当性を強調すべく、ぐいっと胸を張って首を振った。
「まだ、ちゃんとした答えを聞いていないよ。それ、誰なんだ」

 コトリが答える前に、新作発表会のモデルもどきの方が口を開いた。
「コニチハ。リナ・グレーディク デス。スイスカラ キタヨ」
ますます怪しい。なんだ、この教科書通りのガイジン・ジャパニーズは。妙に大きい口でにいっと笑われて、ヤキダマはたじたじとなった。

「ヤキダマ、少しは英語話せるんでしょ。リナは、まだ日本に来て三ヶ月なんだから、英語で話して」
コトリが流暢な英語でそういったので、ヤキダマは仰天した。そういえば、コトリこと彩香サヤカがどんな教育を受けていたのか、ヤキダマは知らなかった。しかし、ここで怯んでいる場合ではなかった。大学院生としての沽券を賭けて、彼も慣れない英語を口にした。
「で、どこで拾ったんだ」

「リナは首都高の入り口でヒッチハイクしていたんだ」
ヤキダマはそれを聞いて再びこめかみに痛みを感じた。

「渋谷で買い物をしていてミツとはぐれちゃったの。で、うろ覚えでバスに乗ったら、全然知らないところに来ちゃった。家に帰り着いたミツとは電話で連絡取れたんだけれど、あの子は中学生だから、そんなに簡単に迎えに来れないのよ。で、せっかくだからヒッチハイクしてみようかなって」
「轢かれるかもしれない危ないところに立っていたので、停まって訳を訊いたら、そういうことだって。だから、送ってあげようかと思って。祐天寺だもの、ここからそんなに遠くないんだよ。ヤキダマも一緒に来る?」

 楽しく笑いあう二人を見て、ヤキダマはひどく疲労感を憶えた。この外人モデルもどきは変だ。二人にしておいて、コトリに何かあったら困る。そう判断し、黙って中に入ると、ヘルメットを二つ持って戻ってきた。

 モデルもどき、もといグレーディク嬢は白いヘルメットを被ってみた。
「あ、これなら前も後ろも痛くない。でも、横はブカブカね」

 ヤキダマは、日本人の頭蓋骨が欧米人と較べて前後に短く横幅が広いということを思い出した。だからヘルメットを欧米から輸入しても日本人には合わないことが多いのだと親父さんが教えてくれたのだ。

 ヤキダマは自宅の戸締まりをして鍵をかけると、ガレージからHONDAのスクーターPCXを出して来た。
「遅いよ、ヤキダマ。置いてっちゃうよ」
コトリの言葉に肩をすくめる。グレーディク嬢が調子に乗っておうむ返しをした。
「オイテッチャウヨ!」

 ヤキダマの住む恵比寿から祐天寺はそんなに遠くない。ほんの少し渋滞はあるが、二輪車にとってはそんなに大きな問題ではなかった。グレーディク嬢が左右をキョロキョロと見ている。よほど面白いらしい。駒沢通りに入り、祐天寺の塀が目に入ると、彼女はコトリの肩を叩いて合図をした。254が駅の方向に右折すると、PCXもよどみなく曲がって後を追う。やがて、二台は目立たない一軒家の前で停まりエンジンを切った。

※ ※ ※


「リナ姉ちゃん!」
外からのエンジン音が止まった途端、僕と母さんは表に飛び出した。最初に目に入ったのは真っ赤なバイク。そして、その前で格好よくヘルメットを脱いで髪を揺らすリナ姉ちゃん。それからその後ろにいる二人と、スクーターにも目がいった。

「ミツ、ママ。たっだいま~」
リナ姉ちゃんは、死ぬほど心配していた僕たちが悲しくなるくらい明るい。

「いったいどうなったんだよ。この人たちはいったい?」
ヘルメットを脱いだ二人の顔が見えた。ええっ。女性だ。おかっぱの髪がさらさらしている。メイクをしているかどうかわからない、ナチュラルな透明感のある丸顔。とても清潔感のある人だ。こんなかわいい人が、バイクを運転するんだ。もう一人はとても背の高い青年で、痩せているけれどとても姿勢がよくて、なんていうのか骨っぽくて強そう。でも、顔はどちらかというと知性で勝負ってタイプに見える。二人とも、とても感じがよくて、リナ姉ちゃんとも英語でペラペラ話している。
「紹介するわ。さっき友達になったの。コトリとヤキダマよ」
――変わった名前だな。リナ姉ちゃんと友達になるだけのことはあるかも。

「はじめまして。中小路彩香なかこうじ さやかと申します」
三厩幸樹みんまや こうきです」
二人がきちんと母さんに挨拶をした。やっぱりちゃんとした社会人だった。そうだよな。本名のわけないじゃん。

 母さんは、慌ててお礼をいい、二人にお茶でもと言った。リナ姉ちゃんが言った。
「遠慮しないで、寄っていって。このうち、いつもすごく美味しい和菓子がでてくるのよ。私、練りきり大好き」
姉ちゃん……。母さんの言うお礼ってのは、姉ちゃんがおやつを食べるって意味じゃないんだけど。

 でも、姉ちゃんは、客間に通された二人にぴったりついてゆき、二人が一つずつしか食べていないのに、一人で二つも和菓子を平らげた。
「だって、こっちは道明寺だし、こっちは黄身餡なのよ。選べないわ」
そういう問題じゃないって。

「大体、なんで渋谷じゃないところに行っちゃったんだよ」
「いつものバスに乗ったつもりだったの」
いつものバスってことは洗足駅行に乗ろうとしたんだ。どこから?
「どっかのバス停よ。同じ柄のバスだったから、いつものだと思ったの」
で、行き先も確認しないで乗っちゃったんだ。僕はくらくらした。

「東急のバスはみんな同じ柄だよ。ちゃんと行き先を確認してよ」
「だって読めないんだもの」
そうか。漢字だから読めるわけないよな。それは氣がつかなかった。

「それで、三厩さん、中小路さん、お二人はどこで彼女を見つけてくださったんでしょうか」
母さんはコトリさんたちに、おそるおそる訊いた。
「目黒です。首都高の入り口でヒッチハイクをしていて……」

「姉ちゃんっ!」
コトリさんの説明をきくなり、僕は詰め寄った。
「何?」
「高速道路でヒッチハイクをしていたって……」

「高速道路の中には入っていないわよ」
「そういうことじゃなくって、なんでヒッチハイクなんてするんだよっ」

 リナ姉ちゃんは肩をすくめた。
「スイスだとよく見るのよ。大工の人とか」
どうしてここで大工がでてくるんだよ。

 リナ姉ちゃんは、もう少し説明してくれた。ドイツの職人たちは徒弟としてのカリキュラムが終わると「ヴァルツ」という三年にわたる放浪修行の旅に出かける伝統があるのだそうだ。ヨーロッパ各地の、同じ職業の親方のところに飛び込みで頼み込み数ヶ月ずつ雇ってもらうらしい。

「黒い服に、黒い帽子をかぶってね。それで、その人たちは公共交通機関使っちゃダメなの」
「ええ~っ。」
「ヨーロッパ中に行くのに?」
コトリさんとヤキダマさんも身を乗り出している。
「そうなの。ヒッチハイクするか、歩くしかないの。だからね。スイスでもたまに高速の入り口にそういう人たちが立っているのよ。だから、私もやってみようかなって思ったの」

 やってみようかなってさ。ここは日本なんだけど。
「でも、上手くいったじゃない。新しい友達もできたし。コトリには、今度ツーリングに連れて行ってもらうことにしたの」
そういうと、リナ姉ちゃんは、コトリさんと顔を見合わせて微笑んだ。

「えっ」
僕と母さんだけでなくて、そんな話を知らなかったらしいヤキダマさんも、ぎょっとして二人を見た。

「ヤキダマも一緒に来ていいよ。でも、ぐすぐすしていると、オイテッチャウヨ」
リナ姉ちゃんは、最後だけ習いたての日本語を使って、ムッとしているヤキダマさんに、いつものチェシャ猫風に、にいっと笑いかけた。


(初出:2012年12月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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スイス人留学生が日本にやって来て異文化交流をするという趣旨に則って、このシリーズでは毎回日本人の知らないスイスと、スイス人の知らない日本を少しずつ埋め込んでいます。

今回は、欧米人と日本人の頭蓋骨の違い、私の連れ合いが日本で交通機関を利用する時に困った点、それに今どき珍しいドイツのマイスター制度でヒッチハイクをして旅をするヴァルツのことなどを入れました。

ヴァルツに関しては、この辺の記事はいかがですか。(英語です)
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Posted by 八少女 夕

【小説】君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作

この記事はカテゴリー表示用のコピーです。

scriviamo!


「scriviamo!」の第十二弾です。


栗栖紗那さんは、「大道芸人たち Artistas callejeros」の蝶子を描いてくださいました。ありがとうございます!


蝶子 on コルシカフェリー

お返しは詩か小説でとのご希望でしたので、せっかくなので紗那さんのオリキャラをお借りした小説にしようかなと考えました。紗那さんは正統派のライトノベル作家さんです。「グランベル魔法街へようこそ 」や「まおー」などたくさんのラノベを発表なさっていらして、私もひそかに(全然ひそかじゃないかも)お氣に入りキャラに入れあげたりしているのですが、私にラノベは「無理」です。それでもめげずに二次創作するために、私でも書けそうな題材を探してしまいました。

お借りした小説は、私のサイトでいう所の「断片小説」で、一部だけ発表なさっていて、まだ全貌がわからないもの。でも、一部だけなのに実に「二次創作ゴコロ」を刺戟するお話です。


お借りした断片小説『小説未満(Love flavor)』

断片を読んで勝手に出てきた妄想ですので、知らず知らずのうちに設定を壊しているかもしれません。もしそうなっていたらごめんなさい。勝手に増やした(一応、一掃しておきました)キャラですが、「蓮くんに憧れている女」か「刹那さんに惚れている男」のどちらかにしようと考えました。で、蓮くんは出てこなかったからよくわかんないので、こっちにしました。ついでに「リナ姉ちゃんのいた頃」のサブキャラがちょこっと出てきています。

「scriviamo!」について
「scriviano!」の作品を全部読む



君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作
——Special thanks to SHANA-SAN


「コーキ先輩っ!」
バタバタと駆けてきたのは、遊佐栄二だった。

「次期生徒会長が廊下を走るな」
東野恒樹は振り向きながら、そう言った。

「いや、廊下どころじゃないっすよ。本当なんですか? 生徒会長が、転校していなくなるなんて、前代未聞ですよ!」
恒樹は肩をすくめた。
「生徒会長が、じゃないだろう。俺が生徒会長なのは、今月いっぱい。いなくなるのは来月だ」

「だっ、だけどっ。コーキ先輩がフォローしてくれると思ったから立候補したのにっ」
知るか。俺がいつ、院政を敷くって言ったんだよ。
「俺も、前任者も、はじめは新米会長だったんだ。お前も頑張れ。副会長はしっかり者だし、力を合わせてやればなんとかなるよ」

 栄二を軽くあしらいながら、恒樹は廊下に出てきたばかりの彼女が二人の会話を耳にとめてこちらを見たのを感じた。ゆっくりと前を通り過ぎる。蜂蜜色の長い髪を目の端で捉えながら、彼は氣にもとめない様子で歩いていった。

「東野くん」
ハスキーな声が、恒樹を押しとどめた。恒樹は振り向いて、まともに白鷺刹那を見た。刹那は片手に日誌を持っていた。

「職員室に行くなら、これ持っていってよ」
「わかった」
短く答えて、手を出したが、彼女は恒樹がそれをつかむ直前に、引っ込めた。

「なんだよ」
「本当なの。転校するのって」

「転校っていうのが適当かどうかはわかんないけど、来月からここにいないのは本当さ」
「きいていない」
「お前の許可はいらないだろう」

 栄二は、二人の間のただならぬ空氣を感知して、そそくさと去っていった。このそつのなさが、学力や押しの弱さをカバーして、生徒会長選挙で有利に働いた事は間違いないだろう。その調子で荒波を泳ぎ抜け。

 栄二の背中を見送っている恒樹を、刹那は日誌ではたいた。
「いてっ。なんだよ」
「どこへ行くのよ」
「ロンドン」

「なんで」
「親の転勤だよ」

「ついていく事、ないでしょう」
「最初は下宿してでもここに残ろうかと思ったんだ。だけど……」

「だけど、何」
「親が借りた部屋が、ベイカー街にあるんだよ。シャーロッキアンの俺としては行くしかないだろう?」
恒樹はおどけてみせた。それは、半分本当だった。そして残りの半分は、いま目の前でこちらを睨みつけているのだ。

「ボクは……」
刹那は口走ってから、はっとして、唇をかみながら下を向いた。それから小さな声を出した。
「蓮は知っているの?」
やっぱり蓮か……。

「親が転勤になるかもとは言ったけれど、決めた事はまだ言っていないよ。胡桃崎だけが知っていたらどうだっていうんだよ」
刹那はきっと睨みつけた。
「そうだね。ボクには関係ないよね」

 恒樹には刹那がそれを氣にしているのが意外だった。俺にはずっと興味もなかったじゃないか。

 胡桃崎蓮と白鷺刹那とは、幼なじみだった。もちろん、蓮と刹那の絆ほど固いわけではない。小学校からずっと同じ学校に通っていたというだけだ。放課後に二人と遊んだのは小学生までだった。中学に入ると恒樹は塾通いが忙しくて二人と疎遠になった。モデルになった刹那にも時間がなくなった。蓮にも彼女が出来て、話をする事が少なくなった。それに、あの事件が起ってから、蓮は心を閉ざしている。

 恒樹はずっと知りたかった。そして、知るのが怖かった。あの夜、刹那が本当に意味していた事を。あれはあの事件からそんなに経っていなかった。モデルの仕事が忙しくて、滅多に会えない刹那が、あの事件の後だけは仕事をしばらく休み、合唱部によく顔を出していたのだ。事件のショックをどう咀嚼していいのかわからなかったのだろう。久しぶりに見る刹那は恒樹には眩しかった。見る度に美しくなっていき、モデルになって届かない所に行ってしまっていたかのようだったのに、中身はほとんど昔と変わっていないように思えた。

 その夜、帰宅の途中で偶然二人だけになった時に、恒樹は突然、告白しようと思い立ったのだ。
「なあ、白鷺。俺、実はさ、ずっとお前の事を……」

 けれど、刹那はそれを遮った。
「だめ。お願い、何も言わないで」

 刹那は瞳を閉じて立ちすくんでいた。
「ダメだよ。男とか女とか、つき合うとかそんなんじゃなくて、ボクと蓮と、ただ遊んでいられたあの頃みたいに、ずっと友だちのままでいさせてよ」

「やっぱり、蓮なのか。お前が好きなのは」
恒樹は、打ちのめされて口にした。

「だから、そういうんじゃなくて。どっちにしても、蓮にあんな事があったばかりなのに、今、ボクが彼氏とかつくっている場合じゃないでしょ。あれは、ボクのせい……」
「白鷺のせいじゃない。犯人だってつかまったじゃないか!」

 蓮の最愛の彼女が、通り魔に殺されたのはデートの後だった。刹那が仕事の帰りに蓮に迎えにきてほしいと頼んだので、彼女は一人で帰ったのだ。恒樹は自分を責めて苦しんでいる刹那を見ているのが辛かった。

「ごめん。東野くん。ボク、何も聞かなかった。だから、ずっとこのままでいようよ。ボクと、蓮と、それから東野くんと……」

 それが体よく振るための口実だったのか、それとも刹那の本当の願いだったのか、恒樹にはわからなかった。でも、そのまま合唱部にいるのがいたたまれなくなり、恒樹は生徒会の方にのめり込んだ。刹那とは疎遠となり、あれ以来ほとんど話をしていなかった。

「ボクには関係ないよね」
そういう刹那に「そうだよ。お前が俺を振ったんだろ」と突き放す事も出来る。でも、俺はまだ引きずってんだよっ。恒樹は腹の中で舌打をする。

 勝手な話だが、蓮と刹那が上手くいってくれればいいと思う。亡くなった彼女や事件のことを蓮が忘れる事は出来ないだろう。でも、蓮だって前を向いて進んでいかなくちゃならない。白鷺と蓮はお似合いだ。あいつだったら、俺でも仕方ないと思える。容姿や頭の出来がいいだけじゃない。本当にいいやつだから。

「みんな、バラバラに離れていっちゃう……」
刹那が小さくつぶやいた。

「お前には蓮がいるだろ。俺なんかいてもいなくても……」
「誰がそんな事、言ったよ!」
刹那は叫んだ。

「あの時、言ったじゃないか。ずっと、あの頃のままでいたかったって。男とか、女とか、将来とか、夢とか関係なく、今だけを見て遊んでいられたあの頃……」
「白鷺……」

「東野くんなんか、ベイカー街でにも、パスカヴィル家にでも、行っちゃえばいいんだ」
刹那は日誌を恒樹の手に押し付けると、そのまま走って去っていった。

 ってことは、あれは口実ではなかったんだな。けれど、恒樹には、いまだにわからなかった。あの頃のままでいたいというのは、蓮との間に彼女の存在などなかったからなのか、それとも彼女が「女」になってしまう前の存在に戻りたいからなのか。ふ。どっちにしても彼女には、俺の彼女になるという選択は徹底的にないらしい。

 長い蜂蜜色の髪が揺れていた。潤んだ瞳が心を突き刺した。容姿にまったく合わない、一人称と性格。人生のはじめに、お前みたいな女に会うなんて、本当に厄介だ。これを忘れるってのはずいぶんな大事業だな。何もかも全く異なる所で人生をリセットするぐらいがちょうどいいんだ。

 彼女のぬくもりのわずかに残る日誌を手にして、恒樹はしばらく夕陽の射し込む廊下に佇んでいた。金髪の女なんか珍しくもない国に行くんだ。スタイルのいい女だってたくさんいるだろう。これ以上貴重な青春を、見込みのない片想いに費やす事もないさ。恒樹は日誌を手でもてあそびながら、職員室に向けて歩き出した。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】ロンドン便り — Featuring「Love Flavor」

20000Hitのリクエストをお二人からいただいていますが、まずは栗栖紗那さんからいただいた方から。

東野恒樹くんの物語を読んでみたい気がしてるのです。できたらお願いします。お題は特に出しません。


東野恒樹と言われても、どんなキャラで誰に片想いしていて、という詳細までわかるのは紗那さんと私ぐらいかもしれませんね。ここでちょっと解説しておきます。

先日開催した当ブログの一周年企画「scriviamo!」で紗那さんのくださったイラストへお返事として書いたのは紗那さんの『小説未満(Love flavor)』という記事にインスパイアされて書いた『君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作』でした。その後、紗那さんは『Love Flavor』の連載を開始してくださいました。

『Love Flavor』には胡桃崎蓮君と白鷺刹那さんというキャラが出てきまして、当方のオリキャラ東野恒樹はこの二人と小学校以来の同級生で刹那さんに報われない片想いをしているという設定でございました。私の二次創作の勝手な作法「余計に増やしたキャラは原作者さまのご迷惑にならないように一掃する」に基づき、この男はロンドン島流しにして二人の前から姿を消したわけです。

でも、再びの登場をと言われれば喜んでしゃしゃり出てきますとも! で、一人では役不足なので、どこかで見たような出しゃばりももう一人登場。紗那さん、今回は、勝手に蓮さまのお名前をお借りしています。どうか、ご容赦を!




ロンドン便り
— Featuring「Love Flavor」


蓮。どうしてる? 俺はなんとかやっている。英語だってかなり慣れてきたんだぜ。こっちでも桜が咲いたよ。もっとも、その直後に雪が降っちまって、花冷えもいいところだったんだ。幸い、日曜日の今日はまた暖かくなったから、ロンドン探索を再開だ。


 バッキンガム宮殿で行われる衛兵交代のハガキ。いかにもロンドンって感じだろ。しかも書いているボールペンはユニオンジャック柄だ。これで何枚目だろう。俺が目にしたものを書く。日本にいるあいつには珍しいに違いない、ロンドンの風物詩を書いているつもりだけれど、どうもくだらない観光案内みたいになっちまっている。

 蓮の書いてくるハガキは、折り目正しい。新しい英語教師がヤマブキの野郎とえらく違って親切でわかりやすいことや、俺の後に生徒会長になった栄二が苦労している様子や、それに通学路にできた新しいコンビニの品揃えが実に独創的で評判になっていることなんかが手にとるようにわかる。

 もっとも、俺が一番興味を持っている、あいつのことは全く触れてこない。俺がいつまでも片想いを引きずらないようにって心遣いだろう。頭に来るくらい、よくわかっているヤツだ。まったく。

「ねえ、あなた日本人?」
ハッキリとした、つまり英国人とは思えない英語の問いかけで顔を上げると、栗色の髪と瞳をもった妙にきれいな女の子が覗き込んでいた。日本でいったら即タレントクラスだろうが、この英国でもスカウトが来るんじゃないかと思うくらい。

「うん。そうだ。君も英国人じゃないだろう」
「ええ。スイス人よ。旅行中なの」
そういうと、その女はにかっと笑った。だめだ、これじゃスカウトされないだろう。なんなんだ、この口の大きさは。

「日本人なら、ラッキー。ねえ、ここ座っていい?」
口の大きい美少女は、俺の回答を待たずにもう座っていた。まあ、ここは俺の持ち物じゃないし。ナショナル・ギャラリーのセルフサービス・カフェ。相席するほどは混んでいないけれど、俺一人で四人座れる席を独り占めすべきってほどでもない。

「なんで日本人なら、ラッキーなんだ? 中国人や韓国人じゃなくてさ」
俺は、ハガキをジャケットのポケットに滑り込ませて、紅茶を一口飲んでからこの変な女に向き合った。

「ふふ。私、この夏から日本に交換留学する予定なの。日本の子と話せるチャンスって、うちの近くではまずないから。私、リナ・グレーディクっていうの。あなたは?」
俺は彼女の差し出した右手を握った。
「俺は、東野恒樹。よろしく」

「コーキは日本のどこから来たの?」
「東京だよ」
「やった。私も東京に行くの。メグロクってところよ」
「嘘だろう? 俺は目黒区の高校に通っていたんだぜ」

 あまりの偶然に驚いた俺は、うっかりリナの馴れ馴れしさに対して釘を刺すのを忘れてしまった。まあ、いいか。

「君、一人でスイスから来たの?」
「違うわ。友だちと来たの。でも、その子ったら、こっちに秘密の彼氏がいたのよ。私を誘ったのは、両親を安心させる方便だったみたい。で、ロンドンに着いた途端、別行動ばっかり。好きな所に行けるのはいいけれど、ご飯を一人で食べるの、嫌になっちゃったわ。コーキも一人なら、この後ランチにつきあってよ」
ランチって、そのでかいケーキを食った後に、まだ食べるつもりか? 

「ナショナル・ギャラリーはもう観たのか?」
「ええ。といっても、イタリア絵画だけ。全部みると疲れちゃうんだもの。無料だから、ほかのが観たければまた来ればいいし」
「じゃ、紅茶を飲み終わったら、外を歩くか。本当にすぐにランチが食えるのか?」
「もちろん。でも、アフタヌーン・ティーにしてもいいわよ。あれも一人だと侘しいし」
はあ、確かに。女ならともかく、俺が一人でアフタヌーン・ティーって論外だと思っていたので、まだ一度も試していない。こりゃいい機会だな。

「日本人ってコーキぐらいには英語話せる?」
「ううん、どうかな。みんな単語や文法はそこそこわかっているから、学校では俺より優秀な子も多いけれど、読み書きばっかりで会話ができないんだよな。俺も、こっちにきてしばらくはまともに話せなかった。今は慣れてきたから、ずいぶんついていけるようになったけれど。リナは普段は何語で話しているんだ?」
「ドイツ語。っていっても、スイスでしか通じない、スイス・ジャーマンって口語なの」

 俺たちは、ビック・ベンを横目でみながら、トラファルガー・スクエアを通りすぎ、緑鮮やかなセント・ジェイムス・スクエアを横切っていく。
「英語はどこで?」
「学校でよ。まだ二年だけど、まあまあでしょ?」
おいっ。二年でそんなにペラペラになるのかよっ。どういう国なんだ。
「クラスでは、まず正規ドイツ語を習うの。それからイタリア語か英語。私はイタリア語を選んだから、英語は第三外国語ってわけ」

「スイスってたしかフランス語も公用語じゃなかった? 選択肢になかったのか?」
「ああ、あのね。私が住んでいるのはグラウビュンデン州で、州の公用語がドイツ語・イタリア語・ロマンシュ語なの。だから、学校で使う公用語はドイツ語で第一外国語の選択肢にフランス語がないわけ。これがフリブールみたいにドイツ語とフランス語の州になると、まずフランス語かドイツ語ってことになるわけ」

「ちょっと待て。州ごとに学校のカリキュラムが違うのか?」
「もちろんよ。義務教育は何年かや週ごとの授業時間もみんな州が決めるんだもの。スイスは連邦国家だから、州の自治が強いのよ。日本は全部同じなの?」
「そうだよ。どの教科書を使っていいかまで、ぜんぶ中央のお役所が決めるんだ」
「へぇ〜。よく文句が出ないわね」

 そんな話をしている間に、俺たちは交通が激しくて騒がしいピカデリー・サーカスに辿りついた。フォートナム&メイソンは、日本にいた時はレストランだと思っていたが、実はデパートだった。しかし、なんなんだ。この豪華な感じは。ダイヤモンドなんとかティーサロン? これは何としてでも蓮に報告せねば。

 ショックはその後に来た。たかだか茶とサンドイッチとケーキなのに、お一人さま、40ポンドだってぇ? 払えねぇよっ。俺が眼を剥いているとリナは片目をつぶった。
「心配しなくていいわよ。私をダシにした、ステファニーに訊かれたの。なんで埋め合わせすればいいかって。で、連れも含めて滞在中のすべてのランチを彼女が払うって取り決めをしたのよ。彼女は私をよくわかっているから、どれだけ高くつくか、覚悟しているってわけ」

 俺はため息をついた。こんなひどい女をダシにして秘密旅行をしようなんて、その女、救いようがない間抜けだな。ま、いいや、二度とこんなことないだろうから、便乗することにしよう。

 真っ黒なスーツを着た執事みたいなウェイターは、明らかに未成年な俺たちが二人でティーサロンに入ってきたことに戸惑っていたが、リナが威厳を持って堂々と命じたので恭しく中に通した。その時に氣がついたのだが、リナの服装はこんな場所でもまったく引け目を感じないものだった。白とシルバーのミニ丈のワンピースに、黒いジャケットを着ている。長い足で颯爽と歩く時にミニブーツの尖ったつま先も目に入った。ジャケットのロゴから推察するに、どうやら全部ヴェルサーチみたいだ。俺は、ブランドものには詳しくないから、自信はないけれど。俺の服装は、ノーブランド。でも、少なくともソフトジャケットとチノパンでよかった。出てくるまでジーンズにするか迷ったんだけど。

 リナは優雅に紅茶を飲みながらにっこりとする。仏頂面だったウェイターが動揺しているのがわかる。待て、早まるな、オッサン。こいつが大口を開けて笑えば、あんたのほのかなときめときは全ておじゃんになるから。その隙に、俺はサンドイッチに手を伸ばす。ナショナル・ギャラリーで紅茶だけにしておいてよかった。アフタヌーン・ティーは侮れない。ただのお茶だと思ったら、こんな量があるとは。キュウリとサーモンのサンドイッチ。アスパラガスのタルト。それになんだこのしめ鯖みたいな魚は? 美味いな。

 それから、スコーンにクロテッド・クリーム。いくつも並んだミニケーキ。ロンドン全体のレストランでの平均的に残念な味が嘘のように、どれもやけに美味い。とくに紅茶の美味さは異常だ。ただし、男の俺でも、もういいって量だ。たかだかお茶の時間に、女がこんなもんをぱくぱく食べるのってどうかと思う。もしくは何時間も、非生産的に食ってばかりなのか、こいつらは。

「ねえ、コーキ。今晩、なんか予定ある?」
「いや。なんで?」
「スイスで二人分の『Cats』のチケットを予約してきたんだけど、ステファニーはスコットランドに行っちゃったのよ。一人で行ってもいいんだけど、せっかくのチケットが無駄になっちゃうから」
へえ。まだ、一度もミュージカルには行っていないもんな。悪くないや。

 それで、俺は家に電話をしてこのままリナとの半日デートもどきを続けることにした。母さんは晩ご飯はどうするんだと訊いてきたが、勘弁してくれ、もうひと口も入らないくらいお腹いっぱいだ。
「そう? 私はまだターキー・サンドイッチくらいなら楽に入ると思うけどなあ。劇場の売店で買おっかな」
化け物だ、この女。

 俺は今まで一度もミュージカルを見たことがなかった。大げさな音楽劇だと思い込んでいた。 アンドリュー・ロイド=ウェーバーのロングラン作品である『Cats』は、たとえエリオットのウィットに富んだ詩の意味が聴き取れない俺みたいな英語初心者でも十分に楽しめる娯楽作品だ。舞台を所狭しと踊り走り回る猫に扮したダンサーたち。見事な歌の心を打つメロディと演技。時間があっという間に経った。ステファニー、ありがとう。スコットランドへ逐電してくれて。

 不思議だった。日本から離れてからも、いつも彼女のことばかり考えていたのに、今日は全くあいつのことを思い出さなかった。もちろん、この大口女に惚れたわけじゃない。こんな女、絶対にごめんだ。でも、俺は、もしかしたら、自分自身であいつへの囚われた想いから出ていこうとしていなかったんじゃないかって、そんな氣がしてきたんだ。このとんでもない女に振り回されていたら、ナルシスティックに悩んでいる暇はなくて、それが必然でもないことを認識したってこと。蓮、どう思う? お前が、あいつのことを全く書いてよこさなかったのは、そのことを知っていたからなのかな。

 舞台では、娼婦猫が心を打つあの有名なメロディを歌い上げている。この歌に、どれだけの人間が自分のことを重ねて勇氣づけられたんだろう。俺みたいに。蓮、俺、ここでがんばってみるよ。お前も頑張れ。俺たちはお互いに新しい人生を生きていくんだろう?

Daylight
I must wait for the sunrise
I must think of a new life
And I musn't give in
When the dawn comes
Tonight will be a memory too
And a new day will begin

陽の光
私は日の出を待たねばならない
新しい人生を思わねばならない
そして負けてはならない
夜が明ければ
今夜もまた思い出に変わる
そして新しい日が始まる

Andrew Lloyd Webber - Memory (Cats) より



(初出:2013年3月 書き下ろし)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト キリ番リクエスト コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -4- Featuring 「254」

今日の小説は、左紀さんからいただいた22222Hit記念リクエスト。私の大好きな左紀さんの「254」のコトリとヤキダマ(共に敬称略)は、「リナ姉ちゃんのいた頃 -3- Featuring 「254」」に入り込んで共演してくださり、さらに別の小説でも、うっすらと登場させるというとんでもないことをしているのですが、それを快くご承諾いただいただけではなく、「噂のツーリングを書いて」とリクまでいただいてしまいました。左紀さん、ありがとう! そして、二輪車の技術的ヘルプも本当に助かりました。御礼申し上げます(^o^)/

なお、リクエストの順が前後していますが、「リナ姉ちゃん」シリーズの時系列の関係で、こちらを先に公開することになりました。紗那さんからいただいたリクも、近日中に(特定の日に)公開予定です。

「リナ姉ちゃんのいた頃」の-3-までを読んでいない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディク。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。前の分を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。


リナ姉ちゃんのいた頃 をはじめから読む
山西左紀さんの「254」を読む



【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -4-
Featuring 「254」


 リナ姉ちゃんが、コトリさんとヤキダマさんと一緒にツーリングに行く、出来れば僕もつれて行きたいと言った時、いつもはあまり口を挟まない母さんが珍しく反対した。
「三貴はまだ中学生だし、危ないんじゃないかしら。先方にご迷惑をかけることになるし」

 父さんは、リナ姉ちゃんがいう事は、それまで何でもOKしてきたのだけれど、こういう風に母さんが言う時には問答無用で母さんの味方をする。僕はリナ姉ちゃんが頑張ってくれることを期待したけれど、あっさりと言った。
「わかったわ。残念だけれどしかたないわね」

 僕はリナ姉ちゃんが諦めたんだと思っていた。もちろん行きたかったけれど、リナ姉ちゃんすら加勢してくれないなら、僕に出来ることなんて何もない。だから、翌日、会社から帰って来た父さんがこっそり僕を呼び出してこう言ったとき、心底驚いた。
「お前、うちの斉藤専務と知り合いなのか?」

 まさか。知り合いなのは父さんじゃないか。僕は、斉藤専務の名前ばかり聞かされているだけで、もちろん一度だって会ったことなんてないよ。やっぱりリナか、そういって父さんは肩を落とした。

 今日、父さんが出社すると、斉藤専務が上機嫌で父さんを手招きしたらしい。
「いやあ、嬉しいねぇ。三貴君が親切なお友だちと、リナさんをツーリングに連れて行ってくれるらしいね。大変楽しみにしているらしいとリナさんのお父さんから丁寧なお電話をいただいてね。私からも信頼できる部下の子息なので安心してまかせられますと答えておいたよ。いや、いいねぇ。私も若いころにはずいぶんツーリングに行ってね。今度ご子息とツーリングの話でもしたいね」

 そう言われて、まさか息子は行かせませんとは言えなかった父さん。母さんと話をしなくてはならないことに苦悩の色を隠せなかった。リナ姉ちゃん、また国際電話を使ったんだね。やった! そういうわけで、僕はツーリングに行けることになったんだ。

「とても早く出るんだけれど、大丈夫?」
コトリさんはさらさらのおかっぱ頭をほんの少し傾けて訊いた。大人の女性に失礼だと思うんだけれど、こういうちょっとした仕草がとてもかわいい人だ。話し方や表情のつけ方はむしろぶっきらぼうと言った方がいいような、さっぱりしたものなんだけれど、それでも時々見せるこのかわいさが、僕を安心させる。つまり、その、嫌われていて冷たくされているのとは違うんだなって思えて。

「大丈夫です。僕、遠足の日はいつも明け方に目が覚めちゃうんです。嬉しくて」
そう僕がいうと、ヤキダマさんがカラカラと笑った。ヤキダマさんは明るい大学院生だ。大学院に行くんだからもちろん頭がいいに決まっているけれど、すましたところがまったくない。僕は大学院に行く人って、もっと取っ付きにくい人だと思っていた。だから、ヤキダマさんを知ってから、将来、研究者になるのも悪くないかなあって思うようになったんだ。

「どこに行くの?」
リナ姉ちゃんが訊く。訊いて日本の地名がわかるとは思えないのに。

「日帰りにはちょっと遠いんだけれど、湯河原の方まで。まだ朝晩はとても冷え込むはずだから、暖かく着込んでおいてね」
コトリさんが言うと、ヤキダマさんが続けた。
「湘南の方を走ってから、湯河原の親戚のところで甘夏みかんを狩らせてもらうんだ。そして、食事をして帰ってくる。いいだろう?」

 リナ姉ちゃんは、湘南も湯河原も全くわかっていなかったが、みかんというところだけには反応した。結局食べられればなんでもいいらしい。僕もワクワクしてきた。

* * *


 当日、僕はだるまのように着込んで二人を待っていた。リナ姉ちゃんは鼻で笑った。
「暖かくしろって言われただろう」
「そんなみっともない恰好したくないわ。それに、そんなに寒くないもの」

 リナ姉ちゃんは黒革のパンツに黒いブーツ、それに首のところをきっちりと閉められる革ジャンを着て、赤いスカーフをしている。髪の毛は後ろで束ねているけれど、それ以外は防寒って感じじゃなかった。
「革は風を通さないからけっこう暖かいのよ」
 
 僕は、二枚もセーターを着込んで、ダウンのジャケットまで着ているので、ちょっと恥ずかしかったけれど、こうしないと母さんが行くのを許してくれないからしかたなかった。

 実際に、バイクの上での風は、外で普通に立っているときよりもずっと冷たくて寒かった。コトリさんと母さんの言ったことは正しかったのだ。僕はヤキダマさんのスクーターHONDA PCX150の後ろに乗せてもらった。ヤキダマさんの背中が風よけになって首をすくめると明らかに寒さが和らぐ。小柄なコトリさんの後ろに座っているリナ姉ちゃん、あんなかっこうで本当に大丈夫なんだろうか。大体、風景が氣になるらしく、ちょくちょく顔を左右に乗り出しているし。

 道のことは、よくわからないからどこを通ったのかははっきりしないけれど、高速道路から降りて普通の道を行った頃になって、だんだんと暖かくなってきた。もちろん走行速度も落ちているから受ける風も違うんだろうけれど、真っ青な空に燦々と降り注ぐ太陽がぽかぽかにしてくれる。休憩の度に僕は一枚ずつセーターを脱いでリュックサックに仕舞った。

 細い道をガタガタと進んで行く。右も左も野菜畑だ。風に葉っぱがそよぐたびに青臭い何とも言えない香りがする。土の香りも。ああ、いいきもち! 僕は、バイクやスクーターに乗る人のことを誤解していたかもしれない。速く走るかっこよさを追求しているんだと、何となく思っていたんだ。だけど、そうじゃない。きっとバイクが好きな人たちは、この肌に触れる爽やかさが好きなんだ。要塞みたいに守られた車の中では決して感じられない、空や大地と一体になった走り。風になるって表現が、よくわかる氣がした。

「すごい! これ全部野菜なんだ」
リナ姉ちゃんも騒いでいる。僕はリナ姉ちゃんが畑から野菜を失敬したりしないか、ハラハラしてみてしまった。ふと見ると、ヤキダマさんとコトリさんが海の方を見ながら、まっすぐに立っていた。背の高いヤキダマさんがほんの少し頭を傾げるようにして小さい声で話すコトリさんの言葉に耳を傾けている。あそこに見えているのは房総半島だというような、ごく普通の会話なんだけれど、しかも、二人はベタベタしていなくてとても爽やかな感じなんだけれど、でも、とても仲がいいんだなあって思う。この春の湘南みたいに爽やかだけれど暖かい、そんな二人なんだ。

「で、みかんはどこ?」
ちょっと、リナ姉ちゃん! ふたりがせっかくいい感じなのに、なんでそういう雰囲氣ぶちこわしなことをいうんだよ。でも、二人は怒った様子もなく、笑って戻ってきた。
「湯河原まで、また走らなきゃね」

 それから、僕たちはずっと海沿いを走った。春の海って、どうしてこんなに青くて綺麗なんだろう。ついこの間まで、肌寒くてつらい冬だったなんて、誰も信じないような色だ。道にならぶ家の庭に植えられた梅や桃や早咲きの桜、レンギョウなどが咲いていて、とても綺麗。僕は右の花を見ていいんだか、それとも左の海を見ていいんだか決められなくてキョロキョロしてしまう。やがて、「西湘バイパス」って書かれた、高速道路みたいなところに入った。コトリさんはぐんぐんとアクセルを吹かしてスピードを上げていく。Moto Guzziの254っていうバイクは、真っ赤でかっこいいけれどかわいらしいコトリさんにぴったりだ。リナ姉ちゃんが嬉しそうに周りを見回している。後ろからぴったりとつけていくヤキダマさん。僕も大きくなったら二輪車を運転できるようになりたいな。

 また普通道に入ってから、あちこちにみかんのなった木が見えるようになった。甘夏みかんがもう採れるだけあって、この辺りは本当に温暖なんだろう。ヤキダマさんの親戚の農場は、ちょっとした小高い丘の上にあった。エンジン音を聞きつけて優しそうな背の低いおばさんが出てきてくれた。
「よくきたね」

 甘夏みかんが採れるのは、三月上旬から六月頃までだそうで、普通は4、5キロ入る袋を販売して後はご勝手にと採ってもらうんだそうだけれど、おばさんは僕たちに袋をくれて料金は受け取ってくれなかった。それどころか、朝ご飯を食べていないんだろうと、農園の真ん中の木のテーブルにおにぎりとお茶を持ってきてくれた。

「わあ。昆布おにぎり。おいしいわねぇ」
リナ姉ちゃんが、甘夏狩りもそこそこにおばさんと食べだした。おばさんは英語が全く話せないので、コトリさんが察してすっとそばに座ってくれた。僕とヤキダマさんは黙々と甘夏をもぐ。僕たちが両手に重い袋を持って戻ると、リナ姉ちゃんはおばさんの出してくれた手作りのこんにゃくの煮物をほおばっていた。

「これ、ご自分でお作りになったんですか」
コトリさんがちょっとびっくりしている。こんにゃくは、スーパーで買うのと違って、少しざらざらさているけれどしっかりとした歯ごたえと、こんにゃくらしい強い味があって、とても美味しい。

「これなに?」
リナ姉ちゃんはこんにゃくをはじめて食べる食品だと思ったらしい。すき焼きに入っていた糸こんにゃくと同じものには確かに思えないし。

「こんにゃくだよ。お芋の一種を加工しているんだ」
「ええええ〜。これがあの?」

 これがあのってどういうことだよ。
「驚異のダイエット食品! これを採ると三ヶ月で二十キロ痩せるんでしょ。こんなに食べて大丈夫かな?」
「は?」

 みんなで少しずつ情報を引き出して理解したところによると、ヨーロッパでは「奇跡の植物 コンニャク」を粉末にしたダイエットパウダーを何万円にもなる値段で売っているようだ。だから、リナ姉ちゃんはコンニャクを体内に入れると激やせするんだと思ったらしい。

「確かにダイエットしたい人がコンニャクを食べることはある。でも、それはコンニャクに痩身効果があるんじゃなくって、単にカロリーがないのにお腹にたまるからだよ」
ヤキダマさんが上手に説明してくれたので安心したのか、リナ姉ちゃんは再び煮物に手を出した。だけど、この後に別のところで食事をするはずなんだよな。入らなくなっても知らないから。素朴なおにぎり、狩ったばかりの甘夏の香り、そして柔らかい番茶の味わい。甘夏農園の春っていいなあ。

 スクーターの座席の下にも、コトリさんのサイドボックスの中にも、ぎっしりと甘夏みかんの袋が詰め込まれた。僕たちはおばさんにお礼を言って、またしばらく海沿いを走った。そして、辿りついた先は温泉旅館だった! ここの旅館は宿泊客だけでなく、日帰り客用に入浴とお昼ご飯のセットを用意しているんだって。だから、僕たちはまず温泉に向かった。僕とヤキダマさんが男湯の露天風呂でまったりとくつろいでいると、竹垣越しにリナ姉ちゃんがキャーキャーいう声が聞こえてきた。コトリさんは小さくて聴き取れない声で、何かを説明している。でも、リナ姉ちゃんのリアクションが大きいので、何を話しているのか、みんなわかってしまう。

「へえ〜。すご〜い。外で入るんだ! わっ、熱っ。え。うん、大丈夫。岩がある。この竹のカンカンいうのはなあに?」

「君も大変だね」
ヤキダマさんがぼそっと言った。
「はあ」

 僕は肩までざぶんとお湯につかると、今日のツーリングのことを考えた。リナ姉ちゃんはひっちゃかめっちゃかだけれど、ああやって嵐みたいにみんなを巻き込んでくれるから、僕もこんなに楽しいツーリングに参加できた。ため息をつきつつ、ヤキダマさんもコトリさんも、それからヤキダマさんの親戚のおばさんもみんなリナ姉ちゃんのことを楽しんで、かき回してくれることを喜んでいる。僕は、年甲斐もなく「縁」のことなんかを考えていて、もう少しで熱い温泉で茹だってしまうところだった。

(初出:2013年5月 書き下ろし) 
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト コラボ キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -5-

今日の小説は紗那さんからいただいた22222Hitリクエスト。本日5月8日は、紗那さんのお誕生日なのです。そして、リクは「リナ姉ちゃん+誕生日」だったらどうしても今日公開しなくっちゃ! 紗那さん、お誕生日、おめでとうございます。健康で楽しい一年になりますように!

「リナ姉ちゃんのいた頃」の-4-までを読んでいない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディク。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。前の分を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。


リナ姉ちゃんのいた頃 をはじめから読む




【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -5-

 僕は典型的な牡牛座だと思う。安定した規則的な日々を好み、我慢強く物事をじっくり進めていく方だ。柔軟性やロマンに欠けることは認めるけれど、この性格、そんなに嫌いじゃない。安定した規則的な生活は、リナ姉ちゃんが我が家にやってきてからは吹っ飛んでしまった。リナ姉ちゃんは絶対に牡牛座じゃないよね。

「ミツ~。このゲーム、クリアしちゃった。続編ないの?」
リナ姉ちゃんがコントローラーを振り回している。姉ちゃんは日本語の勉強がどうのこうのと言いながら、毎日せっせと僕のゲームに取り組んだ。ついに全部終わっちゃったんだ。

「もうないよ。正確には市場には出回っているけど、うちにはない」
「購入の予定は?」
「うん。日曜日の誕生祝い何が欲しいかって母さんに訊かれたから、ちょうどそのゲームをリクエストしたんだ。だからちょっと待って」

 僕は、誕生日のプレゼントを開封して最初にプレイするのが自分ではないことを既に諦観していた。リナ姉ちゃん相手に正論を述べても意味なさそうだし。

「え。今度の日曜、ミツの誕生日なの?」
「うん」
プレゼントなら、別にいいんだよ、そう言おうとしたのに姉ちゃんは意外な言葉を続けた。

「やったっ。私ね、苺大福が食べたい! ひゃっほうっ」
なんで姉ちゃんが希望を述べるんだろう。
「僕の……誕生日なのに……?」

 リナ姉ちゃんはこれまたちょっと不思議そうに答えた。
「だから、ミツがお茶をごちそうしてくれるんでしょ?」

「なんで?」

 噛み合ないやりとりのあと、僕は驚くべき事実を知った。リナ姉ちゃんの国スイスやその近隣の国では、誕生日を迎えるものが、同級生や同僚にお茶を振る舞うものなんだって。プレゼントをもらうのではなくて。

「子供はプレゼントをもらうけれどね」
僕は中学生だよ! 子供じゃないの?

 リナ姉ちゃんは僕の心の叫びは軽く無視して、誕生日プレゼントを早めに買えないか母さんに交渉するためにルンルンと階下に行ってしまった。しかたないなあ。苺大福、いくつあればいいのかな。リナ姉ちゃん一人で三個は食べると思うんだけど。

 土曜日、リナ姉ちゃんが来てはじめて、僕たちは別行動をすることになった。僕は栄二兄ちゃんの高校の見学会に行くことになったのだ。最近、受験生を対象にした見学会がけっこうある。で、今回は栄二兄ちゃんが生徒会長に就任して最初の大舞台だから、受験しようがしまいが絶対に来いっていわれちゃったんだ。別の高校に通うリナ姉ちゃんは連れて行けないので、この日は下宿している一美姉ちゃんが帰宅して代りに面倒を見てくれることになった。女同士で買い物に行くって、二人は朝から騒いでいる。大丈夫かなあ。

 兄ちゃんの学校は、妙に明るい。まだ受験もしていない僕たちに、入学したらうちのクラブに入れとか、オーストラリアの姉妹校との交換留学制度に応募しろとか、やけに話を進めている。一番テンションが高いのは、やっぱり栄二兄ちゃんみたいだ。そんなにストレスになるなら、なんで生徒会長に立候補したりするんだろう。優等生だった一美姉ちゃんと違って、栄二兄ちゃんは生徒会長ってキャラじゃないと思ったんだけれどなあ。

 兄ちゃんの渾身のギャグに、微妙な愛想笑いをしている大人しい中学生たちの間に座っていて、僕はちょっとだけ退屈していた。夏から、週末はいつもリナ姉ちゃんと一緒だった。あの無茶苦茶な大騒ぎにはほとほと疲れていたはずなのに、いないとけっこう寂しい。いまごろ一美姉ちゃんと百円ショップにいるのかなあ。

「おい、三貴!」
見学会が終わったので帰ろうとしていた僕を後ろから呼んだのは、栄二兄ちゃんだ。兄ちゃんももう帰れるらしい。
「なあ、どうだった、俺のスピーチ。生徒会長としての威厳あった?」
「う、うん、まあ」
「なんだよ、その中途半端な返事は。ま、いいや。とにかくまずは終わったからな。おい、どこ行くんだよ」

 僕は先に見えているいつもの和菓子屋を指差した。
「明日のために、苺大福を注文しなくちゃいけないんだ」

そういうと、栄二兄ちゃんはカラカラと笑った。
「はは。心配するなよ。三日も前に、リナが母さんに言って注文してもらってたから」
な、なんだって? そのぶん僕のお小遣いから天引きなの? リナ姉ちゃん、いったいいくつ注文したんだろう。

「それだけじゃないぞ。なんか、明日のことを企んでいるらしい」
栄二兄ちゃんはそっと耳打ちした。ええっ。どうなるんだろう。こんなに不安に満ちた誕生日前夜ってなかったかも。

 そして、誕生日当日。僕の不安をよそに、真っ青な五月晴れだった。若葉の間からなんともいえないいい香りが漂ってくるこの季節はとても好きだ。朝から僕は緊張して、新しいTシャツをおろして袖を通した。さて、何が起こるかわかんないけれど、心頭を滅き……。

「ちょっと、ミツ! 何してんのよ、早く早く!」
バタバタと駆け上がってきたリナ姉ちゃんは騒ぐ。見るといつもより派手な恰好だ。いや、いつも通りか。そのショッキングピンクのミニフレアースカート、昨日買ったわけ? カチューシャもおそろいだ。でも、サテンの黒いシャツの襟がピンと立っているので、かわいいというよりかっこいい。

 手を引っ張って、僕を階下に引きずりおろすみたいに連れて行ったかと思えば、玄関でサンダルを履いている。
「何してんのよ。早く靴はいて!」
「え? どっかでかけるの?」
「そうよ。あと十五分しかないから急いで!」

 何がなんだかわからないまま、僕はリナ姉ちゃんに続いた。向かっている先はあれ? 「丘の上の教会」だ。僕は仏教徒だし、その教会には行ったことがない。かつて一美姉ちゃんがボランティアでオルガンを弾きに行っていたから、知っているけれど。

 で、どういうわけだか僕はリナ姉ちゃんと一緒に、教会の十時のミサに参列することになってしまった。荘厳なオルガンの音色にあわせて、けっこう上手いグレゴリオ聖歌風の男声合唱がついているから退屈しないけれど、よりにもよって誕生日に仏教徒の僕が教会に行かなくても……。

 僕はちょっとキョロキョロした。びっくりしたことに後ろの方に父さん、母さんそして栄二兄ちゃんまでも座っていた。なんで? 謎は全く解けないまま、みごとなテノール、バリトン、そしてバスのソロ三重唱でミサは終了した。

 神父さんは、典礼の詠唱が終わると、僕たちの方を向いてにこやかに話しかけた。
「今日の素晴らしい歌を聴かせてくれた合唱団と、ソロの三人をご紹介しましょう、さあ、皆さん前に」
階段を下りてくる音がして、後ろの合唱席にこもっていた男性陣、そして一美姉ちゃんが現われた。

 僕は、一番前にならんだ三人を見て、目を疑った。ええっ。あれは若田高校の! そう、夏にリナ姉ちゃんと友達になりたいから紹介しろと言って僕に迫ってきた不良の三人組、自称《バカタの三羽がらす》じゃないか。そういえば、一美姉ちゃんと知り合いだったみたいだからどうしてか訊こうと思ってすっかり忘れていたよ!

「ご紹介しましょう。本日の素晴らしいソロを聴かせてくれた若き才能です。洗礼名、アンブローズ、ルーカス、テオの三人です」

 わーっと、拍手が響き、三人はちょっと照れくさそうに笑った。へえ~。意外。有名な不良の三人組が、洗礼も受けているキリスト教信者だったなんて。

 そんなことを考えているうちに、合唱団と三人、それに一美姉ちゃんに向けられた拍手は、アンコールを求める規則的なものに変わった。一美姉ちゃんは、頷いてちょっと指揮をするように手をあげた。そして、聞こえてきた合唱は……。

「Happy birthday to you,
 Happy birthday to you.
 Happy birthday dear Mitsutaka,
 Happy birthday to you!」

 僕は不覚にも、うるっときてしまった。一美姉ちゃんと、リナ姉ちゃん、そして家族のみんなに《バカタの三羽がらす》と教会のみんなが、こっそりこれを準備していてくれたんだと思うと。

「ありがとう、みなさん、ありがとうございます」
僕は立ち上がってお礼を言った。そしたらリナ姉ちゃんがぱっと立ち上がって叫んだ。
「さ。信徒会館でパーティよっ」

 信徒会館といわれる建物の一階の集会室は紙テープと風船で飾り付けられていた。そしてそこには、ポテトチップスやドラムチキン、巻寿司やいなり寿司、野菜スティック、チーズ、柿の種などがたくさん並べられていて、信徒の皆さんや合唱団も混じえてジュースで乾杯することになった。

 僕、小学校の低学年以来、誕生日パーティなんてしたことがなかったので、恥ずかしかったけれどすごく嬉しかった。

「よう」
その声にびくっとすると、後ろに《バカタの三羽がらす》が立っていた。右からアンブローズ、ルーカス、テオだっけ。大和民族特有の顔に、そのネーミング。服装もいつもの腰パンじゃなくて真面目な感じだし、なんかイメージが……。

「き、今日は、ありがとうございました」
「いいってことよ。一美姐さんとリナさんの両方に頼まれたんだ。断ったら男がすたるってもんよ。誕生日ってのはめでたいよな」
「そうそう。誕生日おめでとう」
「おめでとうっす」

 三人に祝われて僕は眼をしばたいた。

「あ。悪いけど、今日のことはオフレコにしてくれよ」
「そうそう。イメージ戦略に関わるし」
「俺たち、ハードボイルド路線だから」
はあ。そうなんですか。僕はしっかりと頷いた。もちろん誰にも言いませんよ。クラスのみんなに今日のことを言っても誰も信じなくて僕がほら吹きだと思われるだけだろうし。

 そのあと、父さんと母さんがやってきて、約束のゲームの入った包みを渡してくれた。父さんはちょっと嬉しそうに僕の頭をこつっと叩いた。栄二兄ちゃんはCDを、一美姉ちゃんは水彩色鉛筆のセットを渡してくれた。

「おめでとう、ミツ!」
そう言って、リナ姉ちゃんは僕に抱きつくと、頬にキスをしてからはいっと封筒みたいな何かを手渡した。何だろうと思って開けてみると、青い色をした紙の束が出てきたた。子供銀行のお札みたいに見えるけれど、なんだろう。マッターホルンの絵と10という赤い字。

「これ、本物?」
「そうよ」
「どこで使えるの?」
「スイス」

 そう、それは交通機関やホテルなど旅行の時に使えるスイスの金券、Reka-Checkだったのだ。

「スイスって……」
「ミツが私のところに遊びにくる時に、使ってね」

 そういうと、リナ姉ちゃんはニコニコと笑いながら、感無量で立ち尽くしている僕からゲームの包みをぱっと取り上げた。帰ったら早速プレイする氣、満々らしい。僕は、会場の片隅におかれているお盆の上に、50個近い苺大福が載っているのを見てぎょっとした。ええっと。苺大福は全部僕持ちかな。それどころか、この会場の食べ物、全額なんてことないよね……。

 会費制だから心配しなくて大丈夫よと一美姉ちゃんが耳打ちしてくれるまで、ぼくは半ば涙目で会場の騒ぎと飛び跳ねるリナ姉ちゃんを眺めていた。会場では、《バカタの三羽がらす》が再びみごとなアカペラを響かせていた。

「Happy birthday to you,
 Happy birthday to you.
 Happy birthday dear Mitsutaka,
 Happy birthday to you!

 Happy birthday to you,
 Happy birthday to you.
 Happy birthday dear 紗那さん,
 Happy birthday to you!」

(初出:2013年5月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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スイス人留学生が日本にやって来て異文化交流をするという趣旨に則って、このシリーズでは毎回日本人の知らないスイスと、スイス人の知らない日本を少しずつ埋め込んでいます。

今回は、誕生日の習慣の違いと、スイスで発売されている金券Reka-Checkのことを埋め込みました。

Reka-Checkに関しては、この辺の記事はいかがですか。(英語です)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -6- Featuring『ハロー ハロー ブループラネット』

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。
scriviamo!


「scriviamo! 2014」の第三弾です。ウゾさんは、うちのオリキャラ、リナ・グレーディクを「いかれた兄ちゃん」シリーズにラジオ出演させてくださいました。ありがとうございます!

ウゾさんの書いてくださった掌編『ハロー ハロー 乳製品の国よりスパイシーを込めて』

ウゾさんは中学生のブロガーさんなんですが、とてもそうは思えない深い掌編と異様な博識さで有名なお方です。この企画にも二年連続で参加くださっている他、普段からいろいろとお世話になっています。

お返しの掌編でも「いかれた兄ちゃん」に登場いただいていますが、この兄ちゃんの魅力はなんとしてでもウゾさんのブログで「ハロー ハロー」のシリーズで真の姿を読んでみてくださいね。

そして、「そもそもリナ・グレーディクって誰?」って方のために。リナ姉ちゃんのいた頃シリーズは、もともとウゾさんのリクエストから生まれた作品です。スイスからの交換留学生、リナ・グレーディクが突然ホームスティすることになった家の三男、中学生の遊佐三貴が右往左往する比較文化小説です。



「scriviamo! 2014」について
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



リナ姉ちゃんのいた頃 -6- 
Featuring『ハロー ハロー ブループラネット』
——Special thanks to Uzo-san


 日本に来る交換留学生なんて、そんなに珍しい存在じゃないと思う。もちろん我が家にとっては青天の霹靂だったけれど。父さんが言うには、斉藤専務はこれまでに五人くらいの交換留学生をホームステイさせていたんだって。奥さんが高校生の時にアメリカに交換留学に行ってすごく楽しい滞在をしたんだって。だから少しでもお返しをしたくって、日本にはホームステイの受け入れ先が少ないからって率先して協力をしていたそう。そして、リナ姉ちゃんの名付け親ととても親しかったから、姉ちゃんが来るのを楽しみにしていたらしい。ところが姉ちゃんが来る直前になって、奥さんが入院することになり、急遽新たな受け入れ先として白羽の矢が立ったのが、部下である父さんだったんだそう。

 リナ姉ちゃんの故郷はスイスのグラウビュンデン州、カンポ・ルドゥンツ村。人口2000人しかいなくて、牛や山羊が道端を歩いているような所らしい。そんな田舎にも日本からの交換留学生がいたんだって。だから、この1300万人も人の住んでいる東京に、いや、1億2700万の人口のこの日本にどれだけ交換留学生が来ているか、想像もつかない。

 それなのに、なんで姉ちゃんがその代表としてラジオ局に招ばれるの?

 姉ちゃんは朝から大騒ぎだった。例によって前夜からファッションショー。勝負服なので赤を着るんだって。その理屈はよくわからないけれど、逆三角形のシェイプがカッコいい赤地に黒でアクセントの入った革のジャケットとスカートにしたみたい。

「どうしよう。髪型が決まらない。新しいカットソー、買っておいてよかった! それにストッキング、蝶柄と孔雀の羽模様とどっちがカッコいいと思う?」
僕はため息をついてから指摘した。
「姉ちゃん。オンエアーされるって言っても、ラジオだからどんな格好をしていても視聴者には見えないよ」
「そんなこと、問題じゃないわ!」
じゃあ、どういう問題なのさ。

 とにかく、僕は例によって姉ちゃんの日本語の通訳としてラジオ局まで同行することになった。いま一番クールなラジオ局「ブループラネット」に行けるんだ! 栄二兄ちゃんはものすごく羨ましそうで、僕の代わりに行きたがっていたけれど、兄ちゃんの高校で生徒会の大会があるので行けなかった。いちおう、これでも生徒会長だしと悔しそうだった。

 僕は知らなかったけれど、東京にある「ブループラネット」は支局なんだって。なんで「地球支局」って書いてあるのか理解できないけれど、とにかく時間通りに僕と姉ちゃんはちょっとアバンギャルドなインテリアの建物に入っていった。リナ姉ちゃんはぶっ飛んだ性格だけれど、時間だけは厳守する。これはありがたいことだよね。

 僕たちを迎えてくれた人たちは、日本人もいたけれど、外国人なんだかちょっとわかりかねるような微妙な顔立ちの人もいた。変な色のドウランを塗っている人もいたけれど、あれは何のコスプレなんだろう? 僕たちは「第一スタジオ」と日本語となんだかよくわからない記号みたいなのが書かれた部屋に連れて行かれた。ガラス越しに中で喋っている人を見ると、なんかすごいテンションだった。

「あれが今日のDJ、通称《いかれた兄ちゃん》だよ」
ディレクターが、呼びかけるのに差し障りがありそうな愛称をさらりと言った。僕はこれが冗談なのかどうか判断できなくて姉ちゃんを見たけれど、姉ちゃんはケラケラと笑っていた。いいのかなあ。

 で、僕たちは音楽の間に短くDJ《いかれた兄ちゃん》と引き合わせてもらって、それからすぐにオンエアーとなった。

 いつも姉ちゃんには驚かされる。絶対にあがったり、オロオロしたりしないんだね。そりゃ中学生の僕よりは年上だけれど、まだ16歳なのにどうしてこんなに肝が据わっているんだろう。

 DJにどこから来たとか、なぜ日本にいるのとか話すのも堂々としている。だけど、なんで日本で一番氣にいった場所が100円ショップなんていうのかなあ。

 次に姉ちゃんが話しているのは、日本人がスイスに関する話題でいつもハイジのことを持ち出すこと。うん、確かに。でもさ、姉ちゃんの住んでいるグラウビュンデン州ってハイジで有名なところじゃない。住んでいる谷は、ハイジのおじいさんの出身地だって教えてくれたじゃない。

「ヘィヘィヘィィィィ、キュートなエンジェルちゃん。視聴者から質問が来ているぜぃ。気が向いたら答えてやってくれぃベイベー」
そういってDJはFAXの紙を取り出した。

匿名希望 遊
斉藤専務ってどんな人だか知っていますか。あの人には逆らわない方がいいって噂を聞いたんですけれど、本当ですか



淡々と読み上げるDJの言葉を聞いて、僕はぎょっとした。「あの人には逆らわない方がいい」って言ったのは母さんだ。それを知っている「遊」ってまるで僕みたいじゃないか。ガラス越しだから近くには行けないけれど首を伸ばして紙を見る。げっ、あの金釘流の字は、栄二兄ちゃん! なんて質問するんだよっ。もし、斉藤専務がこの放送を聴いていたら……。いや、聴いているに決まっているじゃん! これを止めなかったら、後で父さんが専務に怒られる。そして、僕の来月のお小遣いはどうなる? 僕は必死でディレクターに食いついた。あんなことを答えさせないでって。

 ディレクターは慌てて紙に、僕には全然読めない変な記号をいっぱい書いて、それをDJに振りかざした。それはなんらかの効用があったらしくDJは顔色を変えた。

「そうね。秘密と言うか。私もあまり知らないの。でもね…… そうね……」
リナ姉ちゃんが話そうとするのを彼が必死で止めている。でも、なんか変なこと言っているな。

「斉藤専務の代理人って人物から警告が送られてきた」
えええ。そんなこといったら、斉藤専務が悪者みたいに聞こえちゃうじゃない! やばい。どうしよう。

 ああ、願わくは斉藤専務が腹痛でも起こしてトイレに籠っていてくれて、この放送を聴いていませんように! ダメかな。

 胃が痛くなりそうな僕とは対照的にリナ姉ちゃんは終始ご機嫌だった。放送が終わってからDJとスタッフと一緒にオレンジジュースで乾杯して、出してもらったお菓子を楽しそうに食べていた。それから、ふとスタジオの片隅に積まれている「本日の提供 商品」という一角に目を向けた。僕もしょっちゅうコンビニにいくけれど、こんな変なパッケージのカレーはまだ見たことがない。ビキニ姿の小悪魔がカレーのパッケージを持っていて、そのパッケージの中にも同じ小悪魔がいて、それがずっと繰り返されるデザイン。それに相変わらず読めない記号がいっぱい。これどこの国の文字なんだろう。

 でも、姉ちゃんは細かいことは氣にならないみたい。
「ねえ。このレトルトカレー、何味なの? 悪魔が笑っているけれど、そんなに辛いの? 持って帰っていい?」
「リナ姉ちゃんっ!」

「いいともさー。持ってけ、ドロボー」
DJはご機嫌だった。でもさ、姉ちゃん。いくらいいって言われたからって、50食分も持って帰るのはやめようよ。どうせ持てなくて僕に押し付けるんでしょ。


(初出:2014年1月 書き下ろし)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃

Posted by 八少女 夕

【小説】買えぬならつくってみせよう柏餅

miss.keyさんに9999拍手のリクエストはとお伺いした所、なんだかすごいお題をいただきました。

 ・・・リクエストしちゃいましょうか。フランスパンと柏餅、そこにスイスのドイツ系頑固おやぢでひとつ、お願いします。無茶言うな? (汗



ええ、もちろん頭を抱えました。その上、柏餅と言ったらこどもの日ですよ。こどもの日に間に合わせなかったら意味なし! というわけで、急遽、書いてみました。ええ、そうなんです。私の取り柄、それは書き上がるまでが早いってことなのですよ。miss.keyさん、お氣に召すかはかなり不安ですが、少なくともお題は入れ込みました。ただし、頑固系オヤジは、当人は出て参りません。

あと、他の読者の方で「リナ姉ちゃんのいた頃」やカンポ・ルドゥンツ村ものをお読みになっていらっしゃる方は、そちら系小説としてお楽しみくださいませ。このブログの記事と小説に10000を超える拍手をくださいました、心優しい読者のみなさま全員へ心からの感謝を込めてお送りします。




買えぬならつくってみせよう柏餅

 ぱーんという派手な音がした。トミーことトーマス・ブルーメンタールは綺麗に弓型に整えた眉を少しあげてみせた。カンポ・ルドゥンツ村にあるバー『dangerous liaison』は、過疎の村には似つかわしくない洒落た南国風インテリア、大人のジャズ、そしてゲイのカップルであるトミーとステッフィが経営しているために保守的な地域では珍しく自由な雰囲氣を併せ持った特別な空間だ。常々トミーは「日曜日には時計仕掛けの人形のように定時に教会のベンチに座るくせに、それ以外の曜日は不寛容によそ者を非難するプリミティヴな客はお断り」と言っていたのだが、この扉の開け方は、その類いの奴らのように思われたのだ。けれどトミーは入ってきたスタイルのいい女を見て、ちょっと表情を和らげた。

「何よ、リナ。また喧嘩したわけ?」
リナ・グレーディクは憤怒の表情のまま、大股でカウンターに歩み寄ると、黒い革のミニスカートからすらりと伸びた長い足を交差させてスツールに腰掛けた。
「カールア・ミルク。リキュール多めで!」

 リナは二十歳。この村の出身のこの年齢の若者は、できればチューリヒに、そうでければせめて州都クールに出て都会の暮らしをしたがる。けれどリナはこの村に残ることを選んだ。かといって彼女が保守的な井の中の蛙というわけではない。それどころか、多少という域をはるかに超えて冒険をしたがるタイプで、高校生の時には一年間、極東の日本に交換留学をしていたぐらいだ。

 スイスの若者のほとんどが知らないカールア・ミルクも日本で覚えたらしい。そして、クールではどのバーテンダーも知らなかったこのカクテルを、きちんと二層に分けて、大きいアイスキューブも入れて出してくれたこのバーのことを絶対的に信頼しているのだ。
「聞いてよ、トミー。ハンス=ルディったらさ!」

 トミーはにやりと笑う。ここの所、リナは仕事の合間に、村一番の頑固者、ハンス=ルディ・ヨースの所に行って、コンディトライの修行にいそしんでいる。パンとケーキ、チョコレートなどを作る仕事だ。もちろん本職になるためには、四年間の徒弟期間をパン屋で修行し、終了試験に受からなくてはならないのだが、リナは単純に食いしん坊が高じて習いたくなっただけなので、パン屋を息子夫婦に譲って老後を楽しんでいるハンス=ルディに無料で習っているのだった。世捨て人のように村はずれの高地に住む癇癪持ちの老人と、シマウマ柄の絹のブラウスにヴェルサーチのジャケットを合わせる村では浮きまくっている生意氣な女は、ありえない組み合わせだったので誰もが一度で物別れに終わると思ったが、どういうわけかもう三ヶ月もこの修行は続いているのだった。

「今日は何なの?」
「バゲットよ! 私はあいつの言った通りに生地を練って、発酵時間だって、まあ、ちょっとはしょったけれど、ちゃんとやってさ。とっても美味しくできたから持っていったのに、あいつったら中の氣泡がどうのこうのって、ずーっと小言を言うんだもの!」

 トミーはにやっと笑った。
「それはハンス=ルディの方が正しいわよ。きちんと穴の開いていないパンなんて、スーパーで売っている工場生産のものと変わらないじゃない」
「う・る・さ・い!」

「持ってんでしょ。出して見なさいよ」
「う……」
リナはパンが入っているとはとても思えないプラダのバックから半分になったバゲットを取り出してカウンターに置いた。トミーはパン切りナイフでそのバゲットを切った。パリッと音がして表面の皮が割れ、香ばしさが広がった。その外側を二本の指で押さえるとしっかりとした弾力が感じられた。中の氣泡による穴は確かに少なく、均等な感じだが、食べてみるともっちりして喉の奥にも香りが登る。

「どう?」
「そうね。彼の言う通りじゃない。氣包の穴がちゃんとできるようになったら、完璧ってことよ。あの人の息子がここまで焼けるようになるには二年くらいかかったんじゃないかしら」

 リナはそれを聞くとにっと笑った。この村でも一二を争う美人なのだが、笑うとその口の大きさが強調されて、途端にコミカルになる。トミーは、この娘のこのギャップもかなり氣にいっていた。

「次回は、発酵時間をはしょったりするような真似はおよしなさい」
「わかっているって。今回は、ちょっと起きるのが遅くなっちゃったのよね」
リナはぺろっと舌を出した。トミーは赤いマニキュアを綺麗に塗った指先で優雅にカールア・ミルクのグラスを持ち、そっとリナの前に置いた。

「ありがと」
リナはせっかくトミーが完璧に二層に分けて出したそのカクテルを豪快に混ぜてこくっと飲んだ。それからほうっとひと息ついた。
「どうしよっかなあ。この頑固オヤジ、もう二度と来るもんかって出てきちゃった」

 トミーは肩をすくめた。
「私が間違っていました、って謝りにいけば?」
リナはぷうと頬をふくらませて横を向いた。そりゃ、無理かしらねぇ。トミーは笑った。

「いいこと教えてあげようか?」
「何?」
「あのじいさんね、甘い物に目がないのよ。でもね、スイスに普通にある甘ったるいお菓子に我慢がならなかったので、自分で作れるようにあの職業を選んだんですって」
「へえ、そうなんだ」
「そうよ。あんた、せっかく日本にいたんだし、繊細な甘味で有名な日本のスイーツでも作って持っていけば? 懐柔も楽々だと思うわよ」
「トミーって、ほんとうに悪知恵が働くのね」
リナにそう言われて、トミーは片眉をあげて不満の意を表明した。

「何作ろうかな~。って、どうやったら作れるんだろ。この間ミツに送ってもらったジョウシンコって粉で何かできないかな」
「ミツって?」
「あ、日本にいた時にホームステイしていたうちの子。ちょっと待って」

 リナはiPhoneを取り出すと、番号を選んで電話を掛けた。そして英語で話しだした。
「あ、ミツ? わたし、わたし、ひっさしぶり~、あ、ごめん、寝てた? あ、今そっち午前二時なの? 悪いわね」
トミーは目を天井に泳がせた。氣の毒に。

「うん。この間送ってくれたジョウシンコで、どんなスイーツができると思う。うん、草餅? あ、あれ美味しいね。え、ヨモギ? そこら辺の草でいいの? ダメか……。え、柏? それならあるよ。ああ、カシワモチ! うん、あれ大好き。ね、いますぐ作り方調べて英語で送って! え、明日の朝? ま、いっか、それでも。うん、お休み」

 電話を切ったリナにトミーは食って掛かった。
「あんたね。それが人に物を頼む態度なの? 午前二時にたたき起しておいて、今すぐレシピを送れだなんて」
「あん? そう言えばそうだよね。ちょっと反省。あとで謝罪のメールを送ろっかな」
リナがiPhoneを横において、残りのカールア・ミルクをこくこくと飲んでいると、チリンとメールの着信音が鳴った。

「あ、ミツだ! やっぱり、寝る前に英訳して送ってくれたよ」
トミーは、さすがこの娘を一年間も受け入れた一家の一員だと呆れてため息をついた。

「ふむふむ。柏の葉っぱは茹でればいいのね。白あんは白いんげん豆から作るのか。これはそこら辺で買えるよね。ああ、白みそ。ちょっと高いけれど、クールの自然食品店で売っていた。ふーん、ちょっと面倒だけど、バゲットほどじゃないわね」
そういうとリナは料金を置いて立ち上がった。

「何よ、もう帰るの?」
「うん。味噌を買いにいかなきゃ。日本の諺にね『善は急げ』ってのがあるのよ。ちょうど明日は五月五日の男の子の日だから、あの爺さんにはぴったりじゃない?」

 男の子の日ねぇ。トミーはやれやれという顔をした。扉を閉める前にリナはもう一度顔を見せていった。
「上手くできたら、トミーにも持ってきてあげるね。カシワモチのためなら、一日くらい男の子に戻るのも悪くないでしょ?」
トミーは真っ赤なマニキュアが印象的な手をヒラヒラさせて言った。
「あたしは今でもれっきとした男の子よ。ステッフィの分も持って来なかったら承知しなくてよ」

「了解!」
ニィッと笑ってリナはつむじ風のように去っていった。

(初出:2014年5月 書き下ろし)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -7-   Featuring 「Love Flavor」

44444Hitのリクエストの一つ目、まずは栗栖紗那さんからいただいた『刹那さんとリナ姉ちゃん』です。紗那さん、ありがとうございます。

刹那さんは紗那さんの『Love Flavor』に出てくる主要キャラのお一人で、コラボで使わせていただくのは、ええと、何度目だろう。リナは『Love Flavor』の方にも出演させていただいていますしね。

今回も頼まれもしないのに出てきた当方のオリキャラ東野恒樹は刹那さんに報われない片想いをしているという設定で『Love Flavor』の二次創作のためだけに作ったキャラです。だから、しつこく出します。紗那さん、すみません。前半が恒樹の語りで、後半はミツです。念のため。


「リナ姉ちゃんのいた頃」をご存知ない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディク。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。前の分を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。

リナ姉ちゃんのいた頃 をはじめから読む



リナ姉ちゃんのいた頃 -7-
— Featuring 「Love Flavor」


 携帯電話が鳴った。ちょうどビッグベンが午前九時を報せたところだった。表示されているナンバーには今ひとつ憶えがない。「+41」で始まっているところを見ると、ヨーロッパのどこか、ああ、スイスか。スイスから俺にかけてくるといったらあの女の他にはいない。

「リナか。何の用だ」
俺は首を傾げた。あいつ日本に行くと言っていなかったか? やめたのかな。耳に飛び込んできたのはありえない声だった。

「ホントに東野くんの声だ……」
「えっ?」
俺の頭はまさにホワイトアウト。このハスキーな声は……。

「ハッロ~? ねっ、驚いた? セツナと私が知り合うなんて思わなかったでしょ」
けたたましく聞こえてきたのは、電話番号から俺が予想していたチェシャ猫女だ。

「おっ、おい! 今のはどういうことだ! 今の、まさか、本物の白鷺刹那かよっ!」
ここはロンドン、ウェストミンスター。日本人観光客が横をぞろぞろ歩いているようなところで、白鷺の名前を出すのはためらわれる。なんせあいつは超有名モデル。あ、もとモデル、か。

 俺、東野恒樹は混じりっけのない大和民族特有の顔立ちで、日本人であることはどこから見てもバレバレだ。加えて日本語訛りの抜けない英語でケータイに向かって叫ぶ羽目に陥った。だが、そんなことを構っている場合ではない。

「そうなの。今、友達になったのよね。ミツと一緒に火浦学園に来てるの」
「ミツって誰だ」
「ん? あ、ホームステイ先の子だよ。エージは知っているでしょ? ミツはエージの弟なの」

 ちょっとまて。エージってまさか……。
「お前、もしかして遊佐栄二の家にホームステイしてんのか?」
「そうよ。昨日、偶然コーキの話になって、それなら、ぜひセンパイ紹介するからって。ねえ、この学校、面白いね。私もここに留学したかったな~」

 俺は頭痛がしてくるのを感じた。
「さっきのが本当に白鷺なら、悪いが、もう一度代わってくれ……」
「いいよ、もちろん」

「東野くん? そっちはどう?」
「あ。うん。元氣にやってるよ。お前は?」
「相変わらず、かな。もっとも、来週からは大学だから、相変わらずじゃなくなるけれど」
「ああ、そうだよな。進学おめでとう。蓮も一緒にだろう?」
日本にいる友達の中で、俺が一番親しい(と俺は思っている)蓮の名前を白鷺に語る時だけは複雑な氣分になる。

 蓮は白鷺にとって一番親しい友達だ。幼なじみでもある。俺だって二人を小学生の頃から知っているけれど、この二人ほどの近さではない。そして、俺がかつて白鷺に告白して玉砕したのは、蓮の存在があるからじゃないかと今でも思っている。白鷺は「そんなんじゃない」と言ったけれど。

「もちろん一緒だよ。でも、一緒に大学に上がるのはボクたちだけじゃないし」
相変わらず、見かけとまったく一致しない一人称だ。蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳、完璧な美貌に女性らしいスタイルのくせに、親しい人間の前だとこうなってしまう。氣を許してもらっているのだと思うと嬉しいが、こいつを諦めようと決めてこっちに来てからそろそろ一年だって言うのに、未だにダメだ……。ここで声なんて聴いちまったからまた振り出しじゃんか。

「東野くんのハガキ、ときどき蓮が見せてくれる。彼、楽しみにしているみたい。ボクもだけど」
「お前も?」
「だって、東野くん、ボクには一枚も送ってくれないし」
「え……。それは、そんなの送ったら、迷惑かと……いや、送ってもいいなら、送るけど……」

 俺が真っ赤になりながらしどろもどろ答えている横を、日本人観光客が怪訝な顔をして通り過ぎていく。が、その(あくまで俺にとってだけだけど)甘い会話は突然打ち切られた。

「ちょっと! コーキったらいつまで話してんのよ。私もセツナと話したいのよ!」
「リナ……。俺とじゃないのかよ」
「コーキには、スイスに戻ってから幾らでも電話してあげるわよ」

 俺は慌てた。
「ちょっと待て。白鷺の前で、誤解されるような発言はするなよ!」
「あん? ああ、なるほど。セツナ、心配しないで。私とコーキは恋愛関係じゃなくてただの友達だから」
い、いや、そういういい方されると……。デリカシーのない女め。迷惑そうな顔をしている白鷺の姿が目に浮かぶ。ちくしょう。もともと1%もない奇跡の起こる確率をゼロにすんなよ、チェシャ猫女め。俺は無情にも切られた電話を眺めながら、嘘みたいなあいつとの会話を心の中で繰り返していた。

 あれ? そういえばこの会話、リナのスイスの携帯からだったな。スイスの番号で。っていうことは、あいつ、日本からスイスにローミングしていて、その電話でさらにロンドンの俺の携帯まで国際電話かけてきたんだ。通話料、一体いくらになったんだろう……。

* * *


「ありがとうございました。通話料、かなりかかったんじゃないですか。失礼でなかったら支払いたいと思いますが」
刹那さんは柔らかいけれどきちんとした調子でリナ姉ちゃんに訊いた。姉ちゃんは笑って手を振った。
「そんなの氣にしないでいいわよ。わたし、いつもヨーロッパにかけまくっているから。それより、コーキが喜んで嬉しいわ。さっ、ご飯食べにいきましょう!」

 刹那さんはきれいな微笑みを見せた。白鷺刹那さんとご飯を一緒に食べるなんて、ラッキーだなあ。栄二兄ちゃん、すごい人を知っているんだって改めて思ったよ。

「どんなものを食べたいですか? この時間だとまだどこも混んでいないから何でも」
刹那さんは腕時計を見て言った。五時十五分か、そうだね、まだ早いよね。

 リナ姉ちゃんは即答した。
「『ラーメン大将』!」

 刹那さんは目を丸くした。僕は思わず叫んだ。
「姉ちゃん! 刹那さんにラーメンなんてっ」
「なんで? ラーメン、美味しいよ。豚肉二倍、替え玉、餃子つき〜」

「リナ、そんなにラーメンが食べたかったら、明日連れて行ってやるからさ……。刹那センパイとはもう少し小洒落たところに……」
事なかれ主義の栄二兄ちゃんすらが説得に走ったが、意外なことに刹那さんがそれを止めた。
「いいわよ。そこに行きましょう。しばらくそういうところに行っていないし」

 天下の白鷺刹那ともなると、ラーメンを食べるのすらスタイリッシュだ。へえ、こんな風に格好よく食べられるんだ。周りの視線が熱い。だってこの店、むさ苦しいオヤジしかいないのに、やたらと目立つ女が二人もいるんだもの。リナ姉ちゃんは名前は知られていないけれどド派手な玉虫色のタンクトップを着て額にシャネルのサングラスを引っ掛けたガイジンだし、その向かいには有名モデルが座っている。同席している栄二兄ちゃんと僕は、周りの好奇と羨望の視線を一身に浴びて、食欲もそがれがち。でも、リナ姉ちゃんの食欲は全くそがれないみたいだった。

「リナ。よく食べるな」
栄二兄ちゃんが男性でも残しそうなラーメンをいつの間にか食べ終えて二皿目の餃子に手を出した姉ちゃんを白い目で見た。

「だって美味しいんだもの。セツナも食べなさいよ」
「ありがとう」
刹那さんは優雅な箸使いで餃子を一つ食べた。この人が食べると、ラーメン屋の餃子も「点心」って風情になる。

「東野くんとはどこで?」
刹那さんはアフタヌーンティーでも楽しんでいるかのような調子で話しかける。
「去年の春にロンドンで。日本のことを知りたくて話しかけたの。だから、私の最初の日本人の友達ね」

「もう、ロンドンに慣れたんでしょうね」
「そうね。馴染んでいるのは間違いないけれど、でもねぇ」
「何か?」
「心残りが日本にあるみたいね」
と、刹那さんの方を見て大きな口をにっと開けた。

「リナ姉ちゃんっ!」
僕と栄二兄ちゃんは姉ちゃんが何を言いだすのかとドキドキしっぱなし。

 刹那さんは琥珀色の瞳を少し揺らした。けれど、それについては何も答えなかった。
姉ちゃんは「ふ~ん」という顔をした。僕はいつだったか姉ちゃんが言った言葉を思い出した。
「日本人って、複雑よね。でも、それがいいところなのかも。私にはとても真似できないけど」
今の姉ちゃんは、きっとそう思っているに違いない。

「それはともかく、セツナ、わたしあなたが大好きになっちゃった。いつかスイスにも来てよ。そのレンって子も一緒に。その時はコーキもロンドンから呼びつけるから」
僕たちがさらにオロオロするのを目の端で捉えながら、刹那さんは全く動じずにふっと笑った。
「ええ、ぜひ。楽しみにしていますね」

 さすがだ。僕と兄ちゃんはただひたすら刹那さんに尊敬のまなざしを向けていた。

(初出:2014年6月 書き下ろし)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 リクエスト キリ番リクエスト コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】The 召還!

60,000Hit記念掌編の第二弾です。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、今回は、栗栖紗那さん、ふぉるてさん、limeさんからのリクエスト。

『異世界』でお願いしたいと思います。
(紗那さん)


ええと、お題は 『時間(または「時」に関連するものや、連想する何かなど)』
キャラは…もし可能であれば…こちらの世界の住人の誰か(人選、人数などは任意で…)を入れて頂けると…嬉しいです><;
(ふぉるてさん)


では、そうですねえ、お題というほどこだわらなくてもいいんですが、「植物」をどこかにいれてほしいな。
木でも草でも花でも。菌類でも(笑)←架空の植物でもいいです。
「ぼく夢」の博士が植物研究者ってことにちなんで。
そして、うちの玉城をどこかにちょろっと出してもらえたら、もうすごく喜びます^^
(limeさん)


このリクエストにお応えするために、リナ姉ちゃんのいた頃シリーズでおなじみのリナ・グレーディクと、彼女の友達でロンドン在住の東野恒樹をメインに据えました。そして無謀にも、異世界に無理矢理連れて行ってしまいました。

紗那さんのまおーからユーニス、ふぉるてさんの「ARCANA」からハゾルカドスとモンド、そしてlimeさんの「RIKU」から玉城(すべて敬意を持って敬称略)をお借りしています。




The 召還!

 話が違う。東野恒樹は、ビッグベンの文字盤の長針にぶら下がりながら呟いた。

 彼が、ロンドンに引越してきてから、一年以上が経つ。周りの日常会話が聴き取れるようになり、言いたいことの半分くらいは言えるようになった。友達もそれなりに出来た。

 それなりでよかったはずが、友情を深める必要もない女と友達になってしまった。それが、この絶体絶命の一番の原因だ。
「おい! なんで俺がこんなアクションスターみたいな真似をしなくちゃいけないんだよっ! リナ!」

 ロンドン名物、国会議事堂の時計塔であるビッグベンことエリザベス・タワーは、英国在住者であれば無料のツアーに参加することで登れることになっている。彼を訪ねてきたリナ・グレーディクはスイス人なので、無料ツアーには参加できない。それでも、どうしてもエリザベス・タワーに登るために、彼女は国会議員のなんとかさんと、ウェストミンスター寺院で主任なんとかをしているかんとかさんを動かした。恒樹とリナだけが、特別ツアーガイドのミスターXに引率されていく、というのも十分に怪しかったが、集合時間も尋常ではなかった。23時って、なんだよ。

 暗闇の中、懐中電灯を頼りに階段を登っているのは、まるで泥棒ツアーみたいだったし、だいたい夜景以外何も見えなかった。謎のアジア系移民という趣のミスターXは、こっちの理解などおかまいなしに、ペラペラ喋りながらさっさと階段を登っていったが、こんな時にハイヒールのサンダルを履いてきたリナは、階段の隙間に踵が引っかかったとかで、あれこれ騒いだ。恒樹は、しかたなく戻った。

 元々は美人とは言え、例のチェシャ猫みたいな口の大きい笑い顔が懐中電灯の光に浮かび上がって相当ブキミだった。「笑ってる場合じゃないだろ」とリナを引っ立てて、ミスターXの銭湯の中みたいに妙に響く声を追って登った。

 それが、急に何も聞こえなくなった。
「あれっ? おい、俺たち、はぐれたのかもしれないぞ」
「そう? そこら辺にいるんじゃないの?」

「おいっ。そうやって勝手に動くなよっ。……って、わぁぁぁぁ」
急に足元が抜けたようになった。そして、氣がついたら、彼は世界で最も有名な時計の一つの長針にぶら下がっていた。

「きゃあっ。コーキ、大丈夫? ちょっと待って。そっちに行くから」
「おい、氣をつけろ。お前、そんなハイヒールで!」
「だって、靴脱ぐと、それはそれで危なさそうでしょ?」

 こんな状況で、のんきなことを言うな! ともあれ、恒樹は文字盤の上のアーチの柱につかまりながら手を伸ばすリナに腕を伸ばした。二人とも必死で手を伸ばして、ようやく二人の手が届きそうになった時、リナのつかまっている柱にひびが入って少しだけ崩れ、彼女は支えを失った。
「え? きゃあああああ」

 落っこちてきたリナの手を握っていた恒樹は、反動で長針から手を離してしまった。そのまま、二人は、真っ逆さまにビッグベンから、ロンドンの夜景へと落っこちていった。まるで007の映画みたいに。いや、こんな時に冗談言っている場合じゃないって。恒樹は、泣きそうになりながら考えた。どこだっていいから、ここでないところに居たいと。

* * *


「もうし、もうし……」
う~ん、なんだ? どこからか、間延びした声が聞こえてくる。恒樹は、そっと瞼を開いた。眩しかったので、すぐに一度閉じたが、その時に目にしたものがありえなかったので、額に手をかざしながら、もう一度怖々と瞼を開けた。

 あ~、なんだこれは。一つ目。一つ目~?

 恒樹はがばっと起き上がると、状況の確認をした。草むらに横たわっていた。周りは深い森というわけではないが、少なくともロンドンの国会議事堂の前にはないような緑豊かな場所だった。ただし、イギリスのどこにでもあるような、普通の控えめな植生ではなく、赤やピンクの派手な花があちこちに咲いている、妙にサイケデリックな森だった。だが、特に湿度が高いわけではなく、まるで大昔のチャチな映画セットみたいだ。

 恒樹の横たわっていたすぐ側には、リナが横たわっている。氣絶ではない、俗にいう爆睡ってやつだ。百年の恋も醒めるような豪快な眠りっぷり。

 そして、恐る恐る、先ほど見た珍妙なものを確認すべく、前に辛抱強く立っている男の顔を見た。鼻と、口と、その下の白いあご髭は普通だ。ただ、まん丸い目が一つだけ、真ん中についている。ありえん。とりあえず、俺の頭がどうかしちまったのか、確認するためにこいつを起こそう。

「おい、リナ! 起きろ!」
「うう~ん。眠いもん」
「寝ている場合じゃないって。お前、危機管理能力なさすぎ!」
「あん? うるさいなあ。睡眠不足は、美容の大敵……あれ? ここ、どこ?」
「知らん。なんか尋常じゃないことが起こったような……」

「ビッグベンから落ちたんじゃなかったっけ?」
「ああ、でも、天国にしちゃ、ここちょっと普通だぜ? それに、この人さ……」

 リナは目をこすって、ようやく一つ目の男を見た。
「あれ?」

「おお、お目覚めかな。こんな所で二人で寝ているから、何かあったのかと思いましたんじゃ」
一つ目の男は、意外と親切らしい。

「あ~。あなた、誰?」
リナのヤツ、単刀直入だ、と恒樹は思った。一つ目の男は、笑顔を見せて言った。
「ユーニスというんじゃ。お前さんがたはどこから来たのかな」

「こんにちは、ユーニス。あたしはリナ。この人はコーキ。ちょっと前までロンドンにいたんだけれど、ここはどこかしら?」
「ここか。おそらくイースアイランドのどこかと思いますがの」

 恒樹は、その語尾の自信のなさをとらえて詰め寄った。
「おそらくってなんだよ。確信はないのか?」
「十分ほど前に、魔王様と一緒にいたのは、間違いなくイースアイランドでしたからの。たまたま魔王様たちが視界に入っていないものの、まあ十中八九はまちがっていないかと」
「俺たちだって、少し前はロンドンにいたんだよ! そんな推論があてになるかよ」

 リナは、まあまあと間に入った。
「別にイースアイランドとやらだって、不都合はないでしょ。そういうことにしておこうよ」
「リナ、お前なあ。現在位置がわかんなきゃ、帰り道だってわかんないだろ!」

 リナは肩をすくめた。
「面白いから何でもいいじゃない。少し冒険していこうよ。これってイセカイショーカンってやつでしょ?」
「召還じゃねぇ! ただの迷子だろ」

 リナは、恒樹の言葉をあっさり無視して、ユーニスの肩を馴れ馴れしく叩いた。
「じゃあ、とにかく一緒にこの森を出ない? うまく魔王様に出会えたら、私たちを送り返してって頼めばいいでしょ?」
「おっしゃることはもっともですの。では、行きましょうか」

 歩き出そうとするユーニスとリナに向かって、恒樹は訊いた。
「そっちだって、確証はあんのか?」

 リナは当然大きく首を振った。ユーニスは大きな一つ目をくるりと一回転させてから答えた。
「こちらから歩いてきましたからの。そのまま前方へ進もうかと」
「そうしたらもっと迷うだけじゃないのか?」

「じゃあ、あそこのお兄さんに訊いてみようよ」
リナが突然言った。お兄さん? ユーニスと恒樹は、怪訝な顔をしてリナの方を振り返った。リナが指差している先に、アマリリスに酷似している巨大な花が沢山咲いている異様に妖しい繁みがあり、そこから「痛って~」と頭を抱えながら、日本人とおぼしき男性が立ち上がっている所だった。

玉ちゃん by limeさん
この画像はlimeさんからお借りしています。著作権はlimeさんにあります。limeさんの許可のない使用はお断りします。


「ったく、なんだよ。人の頭を思いっきり叩きやがって」
チェックのシャツを着たその青年は、屈んで何かを拾った。それは宝石が埋め込まれたかなり立派な杖のように見えた。

「大変失礼しました! あなた様の頭を叩くつもりは全くなかったのでございます!」
その声に、青年はぎょっとしたようだった。恒樹たち三人も、どこからその声が聞こえたのか周りを見回したが、他に人影はなかった。

「わたくしでございます。ここ、ここ」
青年は「わっ」と言って杖を投げ出した。

「っと。それはあまりに乱暴な!」
「つ、杖が喋った!」

 これは面白いと、リナが走って青年と杖の所へと向かったので、恒樹とユーニスも巨大アマリリスの繁みへと急いだ。

「わたくしは、ハゾルカドスと申します。偉大なる魔法使いレイモンド・ディ・ナール様によって、このような特別の力を授かったものでございます」

 杖がペラペラ喋るという状況には簡単に順応できない青年の代わりに、リナは杖を起こして訊いた。
「じゃ、あなたも魔法が使える?」
「え。いえ、魔法をお使いになるのはわがマスターでして……」
「そっか。じゃあ、その偉大なるご主人様を呼んでよ」
「はあ。で、でも、その……マスターはどうしてここにいないんだろう……それに、他の皆さんも、いったいどこに」

「なんだよ。魔法の杖も迷子かよ」
恒樹が呆れる。それから日本人に話しかけた。
「君、日本人だよな? 俺は東野恒樹、日本人。こっちは、リナ・グレーディク、スイス人。ロンドン観光中にどういうわけかこの謎の世界に飛ばされちまった様子。この一つ目のおっさんは、魔王様のお付きとやらでユーニスっていうんだってさ。で、君は?」

 青年は、巨大アマリリスの繁みからようやく抜け出してくると、ぺこんと頭を下げた。
「玉城って言います。さっきまで熱を出して自宅で寝ていたはずなんですけれど、なんでこんな所にいるんだろう。ここ、ロンドンなんですか?」

「イースアイランドですじゃ!」
ユーニスが叫んだ。その横から杖のハゾルカドスが異議を唱えた。
「いいえ、ヴォールのはずです!」

「あ、どっちも証拠ないから信じなくていいと思う」
恒樹が宣言すると、それは全然慰めにならなかったらしく玉城は泣きそうな顔をした。

「いっぱい増えたけれど、あたしたち全員、役立たずの上に迷子ってこと?」
リナがのんびりと訊くと、ユーニスとハゾルカドスは揃ってため息をついた。

「ねえねえ。ここの花って、持ち帰ったりしてもいいのかな」
間延びしたリナの質問に、恒樹は首を傾げた。
「何をするつもりだよ」
「こんな大きいアマリリス見た事ないもの。持って帰って増やそうかなって」

「そういう無謀なことは、やめた方がよいの」
ユーニスがいうと、ハゾルカドスもカタカタ動いて同意した。
「ちょうどヴォールでは『ラシル・ジャルデミア』のご神木が500年に一度の花を咲かせているのです。何か特別なことが起こっているから、私どももこのような不可解なことの巻き込まれているのかもしれませぬ。この森の植物は、どれも奇妙ですから、触ったり抜いたりなどということはなさらない方が……」

 リナは、こちらを向くと例のチェシャ猫のようなニッという笑いを見せて、右手を上げた。
「もう、抜いちゃった」
リナの右手に握られた巨大なアマリリスの下から、玉ねぎサイズの球根がブルブル震えて見えた。

「うわっ。こいつ、やっちまったよ」
恒樹が、後ずさるのと、球根が「ぎゃーーーー」とつんざく叫びをあげたのが同時だった。リナは、ぱっと手を離して、一目散に逃げだした。恒樹が続き、ユーニスも走り出した。

「お待ちください!」
杖のハゾルカドスは叫ぶと、腰を抜かして座り込んだ玉城の背中とシャツの間に飛び込んだ。玉城は、必死に立ち上がると、さっさとトンズラした三人を追った。

 球根は走れなかったらしく、追ってこなかった。無事に逃げたとわかると、四人と杖は座り込んで息を整えた。
「お前さ、少し考えてから行動しろよ」
恒樹がいうと、ユーニスが同意した。
「とんでもないガールフレンドをお持ちですの」
「ちっ、違う! こいつは、俺のガールフレンドじゃない!」

「そんなに激しく否定しなくたっていいじゃない。ねぇ、タマキ? あ、これって、ファーストネーム?」
リナが訊くと、恒樹は「違うよな」と確認した。玉城は黙って首を振った。

「じゃあ、ファーストネームは、なんていうの?」
リナが訊いた。その途端、玉城は「わっ」と泣き出した。

「おい、お前、どうやらしちゃいけない質問をしたらしいぜ」
恒樹が言うと、リナは黙って肩をすくめた。

「それはそうと、無茶苦茶に走って逃げたので、さらに迷ってしまったようですの」
ユーニスが不安げに言った。先ほどよりも暗く、どうも森の奥に入ってしまったようだ。

「森の動物にでも案内してもらえるといいんだがな」
恒樹が腕を組んで考えているとハゾルカドスが、「あっ」と言った。

「なんですの。いい案でもありますかな」
「ええ。リスの知り合いがいるんです。モンドっていうんです。呼んでみましょうか」

 そこで、四人と杖は、声を合わせて「リスのモンドさ~ん!」と呼んだ。恒樹と玉城は、「なんでこんな馬鹿げたことを」という思いを隠しきれなかったが、他に方法もなさそうなのでしかたなく一緒に叫んだ。

「あっしを呼んだでござんすか」
不意に足元から声がした。

「わぁっ!」
不意をつかれて恒樹が飛び上がった。ごく普通の茶色いリスがそこにいた。

「おひかえなすって!」
リスは片手を前に出して器用にも仁義を切り出した。
「生まれはアゼリス、育ちはルクト。生来ふわふわ根無し草、しがねぇ旅ガラス、風来坊のモンドってのぁ、あっしの事でござんす!」

「旅リスじゃないの?」
リナが話の腰を折るので恒樹が睨んだ。

「なあ、風来坊のモンドさんよ。この森には詳しいのかい?」
恒樹が、間髪入れずに本題に入った。

「まあ、全部をわかっているというわけじゃありやせんが、そこそこ」
「おお、じゃあ、出口はわかりますかの?」
ユーニスが訊くと、モンドはこくんと頷いた。

「やった! 連れて行って!」
リナが言うと、モンドは、先頭に立ってちょこちょこと歩き出した。
「あ、球根が叫ぶアマリリスの繁みは避けてくれるかな」
恒樹が注文を出した。

「構いやせんが、するってぇと、少し遠回りになりますぜ。火を吹く竜のいる池を泳ぐのと、九つの首のあるコブラの大群が待っている渓谷とどちらがお好みでやんすか」
リスが訊くと、四人と杖は揃って首を振った。
「アマリリスの繁みでいいです」

 つい先ほど通った、巨大アマリリスの繁みでは、地面に転がった球根が「元に戻せ!」とうるさく叫ぶので、リナの代わりに玉城が球根を土の中に埋めた。
「どうもありがとっ」
リナは、玉城の頬にキスをして感謝を示したが、若干迷惑そうな顔をされた。さもあらんと恒樹は思った。

 それから、サイケデリックな花園を通り、妖しげな道なき道を進んだ。

 それから、太い蔓草が絡んでいるジャングルに入る時にリスは振り返った。
「腕時計をしている方はいやせんでしょうね」

「iPhoneがあるから時計は持っていないけれど、なんで?」
リナが訊いた。リスは蔓草を示して答えた。
「これは『時の蔓草』でやんす。時計の、時を刻む音がすると、途端にとんでもないスピードで育ちだすので、進むのがやっかいになりやんす」

「面白い草だね」
リナの言葉に、嫌な予感を持ったのか、ユーニスが続けた。
「この草が育ちだすと、ついでに時間の方も進み方が無茶苦茶になるんでの。出来れば、今は余計ないたずら心を起こさんで欲しいんじゃが、お若いの」

 何かしたくても時計を持っていないもの、とリナがブツブツ言うのに安心しつつ、一行はただの蔓草にみえる『時の蔓草』の繁みを掻き分けて通り過ぎた。

 突然目の前が開けた。
「さ、ここが森の出口でござんす!」
リスのモンドは、威張って宣言した。

 四人と杖は、一瞬絶句した。確かに、森は唐突に終わっていた。目の前にはハワイのような真っ青な大海原と白砂のビーチが広がっていて、沢山のパラソルとリクライニングチェアが置いてあった。

「魔王様はどこだよ」
恒樹がユーニスに訊くと、一つ目の男は悲しげに首を振った。

「大魔法使いは?」
玉城が訊くと、杖も項垂れるようにしなった。

「ま、いっか。せっかくビーチがあるから、少し海水浴でも楽しもうよ」
のんきにリナが言うと、三人の男と杖は黙って彼女を睨んだ。

 リスが言った。
「残念でござんすが、この海は泳ぐためのものではないざんす」
「じゃ、何のため?」
「テレポート・ステーションでござんすよ」

「なんだって?」
「あそこのリクライニングチェアに座って、目を閉じるんでやんす。太陽がちょうど傘の真ん中に来た時に、行きたい所を思い浮かべると、そこへテレポートするでやんす」

「早く言えよ!」
太陽は、かなり高く上がっている。一同は、慌ててリクライニングチェアへとダッシュした。

「ありがとう、リスさん!」
「お役に立ててようござんした!」

 恒樹は、白と青のストライプのリクライニングチェアに座って、行きたい所はと考えた。ふと、日本にいる幼なじみの顔が浮かんだが、いま日本に出現したら、厄介なことになると思った。ロンドン、ロンドン。彼は、呟いた。

 リナも一瞬、スイスに帰るか、それともかつてホームステイした東京のある家庭のことも考えたが、ロンドンにお氣に入りのスーツケースが置き去りになっていることを思い出して、ロンドンにしようと思った。

 ユーニスは、どうやら魔王様の滞在先を呟いているようだった。

 玉城にリクライニングチェアに横たえてもらった杖のハゾルカドスは「マスターのところへ帰らせてくださいませ」と呟いていた。

 そして、玉城は「リク、今、助けにいくからね」と呟いた。

 太陽は、ビーチの真上にやってきた。「お達者で!」というリスの声が聞こえたかと思ったら、傘の中心から白くて強い光が溢れ出て、恒樹には周りがまったく見えなくなった。ロンドン、ロンドン。あ、ビッグベンにいたんだよな、俺たち。

* * *


「なんでこうなるんだよっ!」
恒樹は、泣きそうになった。確かに彼はロンドンに戻ってきた。だが、彼はまだビッグベンの文字盤の長針にぶら下がったままだった。ヒュルルと風が強い。絶体絶命。

「えっ。やだ! コーキも、ここに戻ってきちゃったわけ?」
その声に、上を見ると、リナがいた。

「た、助けてくれっ」
「ちょっと待って、いいもの持ってきたから」
そう言うと、リナはポケットから緑色のものを取り出した。それはさっきのジャングルにあった、妙に太い蔓草だった。……ちょっと待てよ。確かあのリスは『時の蔓草』って、言ったよな。時計があるとヤバいとかなんとか……。恒樹は、巨大な時計の長針にぶら下がっているというのに。

 リナは、それの片方をアーチに固く結びつけると、反対側を恒樹に投げてよこした。そんな短いものが届くかと思ったのもつかの間、それはぐんぐん伸びて、文字盤と針を覆いはじめた。あのリスの言う通りだった、ヤバいぞと思った。が、ちょうど足場にして、上へとよじ上るのに都合よかったので、リナへの文句は言わないことにした。

 恒樹が無事に上のアーチに上がり、ひと息をついた頃には、ビッグベンはすっかりその巨大な蔓草で覆われていた。このままじゃ、まずいよなあと思ったが、とにかく急いで塔から降りることにした。ユーニスの言葉によると、この草のせいで、時間の進み方もめちゃくちゃになるらしいから、早くこの場を離れた方がいい。

 実際に、上では真夜中だったはずなのに、なんとか下まで辿りついた頃には、夜がうっすらと明けはじめていた。

「あ~あ、朝になっちゃったかぁ」
リナが間延びした声で言うので、批難のコメントをしようと振り向くと、『時の蔓草』に覆われたビッグベンが目に入った。奇妙で大きな蔓草は、朝日を浴びて、溶けるように消えていく所だった。

 安堵と疲れで、声もなく立ちすくむ恒樹に、リナは言った。
「ねえ、コーキ。私、お腹空いちゃった。この時間にご飯食べられるところ知ってる?」

 恒樹は、先ほどよりずっと強い疲労感を感じつつ、何があっても懲りない変な女を振り返った。

(初出:2015年7月 書き下ろし)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】横浜旅情(みなとみらいデート指南)

さて、かなり間が空きましたが、リクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念今週から、3つほど続けて発表させていただきます。そのひとつ目で、77777Hit記念掌編としては3つ目。リクエストはけいさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*針葉樹/広葉樹
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*橋
*晴天
*カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ
*コラボ「秘密の花園」から花園徹(敬称略)


『秘密の花園』は、つい最近読ませていただいたけいさんの小説。花園徹はけいさんの小説群にあちこちで登場する好青年(ある小説ではすでに素敵な大人の男性になっています)で、本人には秘密めいた所はないのになぜか「秘密の花園」と言われてしまうお方。作品全てに共通するハートフルで暖かいストーリーからは、けいさんのお人柄と人生観がにじみ出ているのです。

うちでは「カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ」「現代日本」ということですから、日本に縁のあるリナが一番適役なのは間違いないですが、あのお嬢はまったくハートフルではないので、毒を以て毒を制するつもりでもう一人強烈なキャラを連れて来日させました。

けいさん、私がもたもたしていたら、旅にでられてしまいました。これは読めないかな。ごめんなさいね。オーストラリアに戻られたらまた連絡しますね。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズをはじめから読む



横浜旅情(みなとみらいデート指南)
Featuring『秘密の花園』


 晴れた。カラッカラに晴れた。桜木町駅の改札口で、花園徹は満足して頷いた。日本国神奈川県横浜代表として、スイスからやってきた少しぶっ飛んだ女の子とその連れに横浜の魅力を伝えるのに、申し分のないコンディション。

 徹は神奈川国立大学経営学部に在籍する21歳。オーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがあり、英語でのコミュニケーションは問題ない。それに、そのスイス在住の女の子は、高校生の時に一年間日本に交換留学に来ていたことがあって、ただのガイジンよりは日本に慣れている。

 今日案内することになっているリナ・グレーディクとは、「友達の従妹の、そのまた知り合いの兄からの紹介」という要するに全く縁もゆかりもない仲だった。が、二つのバイトを掛け持ちしつつ学業に励む中での貴重な一日を潰されることにも怒らずに、徹は『インテリ系草食男子』の名に相応しい大人の対応で、誰も彼もいとも簡単に友達にしてしまう謎の女とその彼女が連れて来る男を待っているのだった。

 相手の男の名前は、トーマス・ブルーメンタール。厳つい筋肉ムキムキの男かな。リナが昨夜電話で徹につけた注文は「デートコース! ヨコハマデートにおすすめの所に案内してよね!」だったので、熱々の仲の男を連れてくるのかなと思った。でも、ってことは俺はお邪魔虫なんじゃ? 

「おまたせ!」
素っ頓狂な英語が聞こえて、徹は現実に引き戻された。見間違うことのないリナがそこに立っていた。栗色の髪の毛は頭のてっぺんの右側でポニーテールのように結ばれている。オレンジ色のガーベラの形をした巨大な髪留め。

 それが全く氣にならないのは、着ているものがオレンジと黒のワンピースなんだかキャミソールなんだかわからないマイクロミニ丈のドレスにオレンジのタイツ、そして、やけに高い黒のミュールを履いているド派手さのせいだった。徹は特にブランドに詳しいわけではないが、そのドレスがヴェルサーチのものであることはわかった。なんせ胸にでかでかとそう書いてあるのだから。

 だが、ド派手なのはリナだけではなかった。リナの連れは、ボトムスこそは黒いワイドパンツだけれど、カワセミのような派手なブルーに緑のヒョウ柄の、大阪のおばちゃんですら買うのに躊躇するようなすごい柄のシースルーブラウスを身につけていた。赤銅色に染めた髪の毛はしっかりとセットされている。その上リナにも負けない、いやもっと氣合いの入ったフルメイクをしていて、見事に手入れされた長い爪には沢山のラインストーンがついていた。

「はじめまして」
その「男」はにっこりと笑いかけた。

「トオル、紹介するわね。これがトミー。私がよく行く村のバー『dangerous liaison』の経営者よ。今回は、彼に日本のあちこちを紹介して回っているの」
「はじめまして、花園徹です」

「トミー、この人が『秘密の花園』ことトオルよ」
リナの紹介に彼は少しムッとした。
「ちょっと待て、俺には秘密なんかない。そのあだ名が嫌いだってこの前も言っただろう」

 リナは大きな口をニカッと開けてチェシャ猫のように笑って答えた。
「だからそう呼ぶのよ。ショーゴもそう言っていたわ」

 ちくしょう。田島、あいつのせいだ。なんでこんな変なチェシャ猫女に俺のあだ名を教えるんだ。徹は大きくため息を一つつくと、諦めて二人に行こうと身振りで示した。

「デートコースが知りたいって言っていたよね」
聞き違えたのかと心配になって徹が訊くとリナもトミーも頷いた。

「そうそう。デートの参考にしたいよね」
「そうね。侘び寂びもいいけれど、続いたから少し違ったものが見たいのよ。日本のカップルが行くような場所のことをスイスにいるアタシのパートナーのステッフィに見せてあげたいし」

 OK。では、間違いない。安心して歩き出す。

「わあ、きれい。これがベイブリッジ?」
リナが左右の海を面白そうに眺めながら訊いた。それは、長い橋のようになっている遊歩道だ。かつては鉄道が走っていた道を整備したものだが、眺めがいいのでちょっとした観光名所になっている。

「違うよ。横浜ベイブリッジは、ずっとあっち。この遊歩道は汽車道っていうんだ。いい眺めだろう?」
「そうね。海ってこんな香りがするのね」
トミーが見回した。スイスには海がないので青くどこまでも広がる海は、バカンスでしか見ることが出来ない。

 徹は、周りの日本人たちがチラチラとこちらを見ていることに氣がついていた。そりゃあ目立つだろうなあ。このド派手な外国人二人連れて歩いているんだから。

「横浜ベイブリッジに展望遊歩道があると聞いたの。留学してたときも横浜は中華街しか行ったことがなかったから、今度は行こうと思っていたんだけれど、今日は時間ない?」
リナは振り返って訊いた。

 徹は首を振った。
「残念ながら、あのスカイウォークは閉鎖されてしまったんだ。年々利用者が減って維持できなくなってしまったんだよね」

 横浜ベイブリッジの下層部、大黒埠頭側から約320mに渡って設置された横浜の市道「横浜市道スカイウォーク」は、1989年から20年以上市民に親しまれていたが、競合する展望施設が多かったことに加え、交通の便が悪いことや、隣接予定だった商業施設の建設計画がバブルの崩壊後に白紙に戻ったこともあり、年々利用者が減って2010年には閉鎖されてしまった。

「そのかわりに、これから特別な展望施設に連れて行ってあげるよ。そこからはベイブリッジも見える。いい眺めだぞ」
そう徹がいうと、リナはニカッと笑って同意を示した。

 徹は二人をよこはまコスモワールドの方へと誘導した。この遊園地は入園無料で、アトラクションごとに料金を払うことになっている。シンボルとなっている大観覧車にだけ乗るのもよし、キッズゾーンだけ利用するもよし、単純に散歩するだけでも構わない。

 もっとも、リナは、水の中に突っ込んで行っているように見えるジェットコースターに目が釘付けになっていた。
「あれに乗りたい!」
「はいはい」

 ダイビングコースター「バニッシュ!」は、祭日ともなると一時間も待たされるほどポピュラーなアトラクションだが、平日だったためか奇跡的にすぐに乗ることが出来た。徹はトミーとリナが並んで車両の一番前に陣取るのを確認してから、一番写真の撮りやすい場所に移動してカメラを構えた。

 すげえなあ、見ているだけで目が回りそうだ。ピンクのレールを走る黄色いコースターはくるくると上下に走り回る。人びとの悲鳴とともに、コースは水面へと向かうように走り落ちてくる。そして、水飛沫のように思える噴水が飛び交うと同時に池の中のトンネルへと消え去った。タイミングばっちり。二人が戻ってくるまでにデジカメの記録を確認すると、楽しそうに叫ぶリナと、引きつっているトミーがいい具合に撮れていた。

「きゃあ~! 面白かった〜。こういうの大好き!」
リナは戻ってきてもまだ大はしゃぎだ。

「アタシはこっちを試したいわ」
トミーが選んだのは、巨大万華鏡。星座ごとに違うスタンプカードをもらって迷路の中で正しい自分の星座を選んでスタンプを押して行くと最後にルーレットチャンスがあるらしいが、そもそも日本語が読めないトミーはそちらは無視して、中の幻想的な鏡と光の演出を楽しんだ。
「こういう方が、ロマンティックだわ」

 それぞれが満足したあとで、徹は二人とコスモクロック21に乗った。この大観覧車は100メートルの回転輪、定員480名と世界最大のスケールを誇っている。15分の間に、360度のパノラマ、横浜のあらゆるランドマークを見渡すことができる。
「ああ、本当だわ。あれがベイブリッジね!」

「あそこに見える赤茶色の建物は?」
トミーが訊いた。
「あれは赤レンガ倉庫だ。後で行こうと思っていた所だよ」
「そう。チューリヒにローテ・ファブリックっていう、カルチャーセンターがあって、あたし、そこで働いていたことがあるの。あの赤レンガの外壁を見てなんか懐かしくなってしまったわ」

「へえ。そうなんだ。あの建物も今は文化センターとして機能している所なんだ」

 横浜赤レンガ倉庫は、開港後間もなく二十世紀初頭に建てられた。海外から運び込まれた輸入手続きが済んでいない物資を一時的に保管するための保税倉庫で、日本最初の荷物用エレベーターや防火扉などを備えた日本が世界に誇る最新鋭の倉庫だった。関東大震災で半壊したあと、修復されて第二次世界大戦後にGHQによる接収を挟んで再び港湾倉庫として使用されていたが、海上輸送のコンテナ化が進んだことから1989年に倉庫としての役割を終えた。現在は「港の賑わいと文化を創造する空間」としてリニューアルされ沢山の来場者で賑わっている。

「ここにあるカフェ『chano-ma』はちょっと有名だぞ。ソファ席もあるけれど、靴を脱いでカップルでまったりと寛げる小上がり席やベッド席もあるんだ」

「なんですって? 靴を脱ぐと寛げるの? どうして」
トミーは首を傾げた。リナは肩をすくめる。
「日本人は靴を脱ぐと自宅にいるような感じがするんじゃないかしら?」

「へえ。トオルは、そのベッド席で可愛い女の子としょっちゅう寛いでいるわけ?」
「いや、俺は……そのいろいろと忙しくて、まだ……いや、俺のことなんてどうでもいいだろう!」

 その徹にリナはニカっと笑って言った。
「ふーん。いろいろと忙しいなんて言っていると、かわいいナミを他の人にとられちゃうよ?」
ちょっと待て。どこからそんな情報を。奈美さんは確かにとても素敵な人だけど!

 リナは、赤くなって口をぱくぱくさせている徹に容赦なくたたみかけた。
「この間、ショーゴに言われていた時にも、同じように赤くなっていたよ。あれからまだ連絡取っていないの? ゼンハイソゲなんでしょ」

「その話はいいから。ところで、夕方までここにいて、ライヴつきのレストランで食べたい? それとも、もっと歩いて横浜中華街に行きたい? デートコースっぽいのは、オシャレなライヴの……」
「中華街!」
確かデートコースを知りたいとか言っていたはずの二人は声を揃えて叫んだ。色氣よりも食欲らしい。まあ、その方がこの二人には似合うけどな。

 赤レンガ倉庫には何軒かの土産物屋があったので、出る前にそこをぶらついて行こうということになった。トミーは徹に訊いた。
「せっかくここまで来たんだから、うちのバーで出せる横浜らしいものを送ろうと思っているんだけれど何がいいと思う?」

「おすすめはこれだな」
徹は、黒いラベルのついた茶色の瓶を手にとった。
「横浜エール。開港当時のイギリスタイプの味を再現した麦芽100%のビールなんだ。国際ビールコンペティションで入賞したこともある」

「私はビール飲まないんだけれど」
リナが言うと徹はすぐ近くにあった透明な瓶を見せた。
「これもいいぞ。横浜ポートサイダーというんだ。爽やかな味が人氣だよ。この横浜カラーの水玉がかわいいだろ?」
「あ。これ、おしゃれ! 後から見ると水玉模様になってる。これ一本買って帰って、飲み終わったら花瓶にしようっと」

 そのセリフだと開けずにスイスまで持って行こうとしているように聴こえたが、見ているうちに待てなくなってしまったのか、リナはレジで払う時に栓を開けてもらい、山下公園への道を歩いている最中に飲んでしまった。
「荷物は軽い方がいいでしょ?」

 山下公園を歩いている時、白い花の咲く背の高い木を見上げてトミーが立ち止まった。スイスでは見かけない木だ。微かないい香りがしている。
「ああ、これは珊瑚樹だよ」
徹は、ついている木のネームプレートを確認してから二人に説明した。

「珊瑚樹?」
「赤いきれいな実がなるんでそう呼ばれているんだ。この厚くて水分の多い葉と枝が延焼防止に役立つというので、防火のために庭木や生け垣によく使われるんだ。銀杏などと一緒に横浜市の木に指定されているんだよ」
「へえ。そうなの」

「それにしても開放的でいい公園ね」
リナはそんな高いミュールでどうやってやるんだと訝るような軽やかさでスキップを踏んでいる。

 晴れ渡った青い空が遠い水平線で太平洋とひとつになる。氷川丸が横付けされたこの光景は、横浜らしい爽やかさに溢れている。太平洋の明るさが眩しい場所だ。この山下公園に、これまで何度来たことだろう。徹は思った。そして、この光景のある県が自分の故郷であることを誇らしく思った。

「さあ、中華街に行って美味しいものを食べましょう! 沢山食べたいものがあるの。道で売っている大きいお饅頭でしょ。ワゴンで運ばれてくる点心いろいろでしょ。それから回るテーブルのお店にも行かなきゃ。青椒肉絲に、酢豚に、海老チリソースに、レバニラ炒めに、フカヒレスープ。チャーハンも食べなきゃいけないし、焼きそばは硬いのと柔らかいのどっちも食べたいわ。それに〆はやっぱり杏仁豆腐!」

 どこの腹に、そんなに沢山入るんだよ。徹は呆れた。ツッコミもしないトミーの方もそんなに食べるつもりなんだろうか。なんでもいいや、久しぶりに美味い中華を楽しもう、彼は自身も食欲の権化になって、中華街への道を急いだ。


(初出:2016年7月 書き下ろし)
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