scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

そんなに買うな

4週間にわたる日本滞在を終えて、金曜日に無事に帰国したことはすでにお伝えしましたが、日曜日に荷物が着くまでは落ち着きませんでした。

スーツケースと大きめのボストンバッグに入った荷物。私が乗った飛行機では23キロの荷物2つまで預けて持ってくることができます。というわけで普段は船便で別送する荷物も全て一緒に飛ぶことにしたのです。ただし、さすがにこんなものは持てないので、実家から成田空港までは宅急便で、成田空港からはスイス国鉄のサービスも利用して、直接最寄り駅まで送ってもらったのです。そのおかげで荷物を受け取るのが日曜日の朝になったわけなんですが。

日本戦利品

さて、無事に届いたウルトラ重い荷物を開けて、土産物を整理しました。

靴が増えています。今回はちょうど欲しかったショートブーツと「20キロ歩ける」というパンプスを購入してきました。こちらでも靴は買えるんですけれど、こういう至れり尽くせりな機能のある靴は、こちらでは見つけるのがちょっと難しいのです。

同様に文房具の類いで、こちらでは手に入らないようなもの、それに100円ショップの商品でこちらだとかなり高くつくものを買い込んでいます。洗濯ネットとか、小さめのトングなどですね。

日本戦利品

食品もたくさん持ちこみました。数でいうとお菓子が多いですね。子供の頃に一度に買えなかったお菓子を大人買いしています。かなりノスタルジーが入っています。あ、コーヒービートは、連れ合いからのお願いで買ったものです。

ふりかけに、サンショウの粉、粉醤油。レトルトカレーやミニインスタントラーメンも。普段はそういうものは食べない(カレーは手作りする)のですが、たまに無性に食べたくなるのです。仁多米と仁多米で作ったお餅は重かったな。でも、しばらくは楽しめそうです。ここには写っていませんが、冬菇椎茸のスライスなども買ってきました。

日本戦利品

今回は、器をたくさん買ってきてしまいました。九谷のミニ皿、蕎麦猪口ぐらいの大きさの器、それに茶器なのか盃なのかというサイズの器。これは、いくつか組み合わせてオードブルを盛る時に重宝するんですが、白磁のものと青い清水焼。無印良品では、お玉を立てておく器を。それにティファールの日本にしかない卵焼き器や、灰汁をとるお玉など日本のアイデア品をいろいろと。

買いすぎかなと思いますし、こうして並べるとすごいですが、日本には滅多に行かないし、金額も意外とささやかだし…いや、言い訳はやめよう。買いすぎです。orz
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Posted by 八少女 夕

またまたスイスです

いつもより長く滞在したはずなのに、あっという間に終わってしまった日本里帰り。

遊び食べまくった日々は終わり、静かな我が家に無事戻りました。

しばらくは、片付けと、不在の間に連れ合いがやらかしてくれた我が家をちゃんとした状態に戻すこと、買ってきたものの整理、洗濯、調理などに忙殺される予定です。

日本滞在中は、皆様にたくさん遊んでいただき感謝しています。

これに懲りずに、また、ブログでのおつきあい、よろしくお願いします。
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Posted by 八少女 夕

御朱印をいただいて来ました

御朱印

本当は流行りだからと始めるものではないのでしょうが、今回の旅で初めて御朱印をいただいてみました。

本当は写経をお納めした後でいただくものだったようですが、現在は寺社で幾らかお金をお納めすることで参拝の印である御朱印をいただけるようになっています。

義兄が仕事であちこち行くので集めているという話を聞き、最近よく訪問先の神社に参拝しているから、私もいただいてみようかなと思ったのです。

今回の旅で参拝した神社のうち、京都の神泉苑、金沢の尾山神社と金澤神社でいただいてきました。

似たような慣習はヨーロッパのサンチアゴ・デ・コンポステラ巡礼にもあって、スタンプラリーとは違いますが、いただいた印を眺めて、ああ、ここに巡礼したなと後に振り返るのですね。

今回は三つで終わりますが、次回またいただこうかなと思っています。
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Posted by 八少女 夕

日本国内旅行が終わりました



六甲、神戸、京都、金沢と、急ぎ足で巡った旅行が終わりました。

かなり歳をとってきた母の希望に応えるかたちで回ったのですが、母のノスタルジーだけでなく 私自身のそれとも重なりました。

金沢は以前一人で来たことがあるのですが、今回はお城と兼六園回りをメインに回って来ました。神社をいくつも参拝し、石垣などをじっくり観察して、人々の想いや匠や文化に注目してきました。



日本酒も忘れずに飲んで来ました。

詳しくはスイスに帰宅してからゆっくり語りますね。
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Posted by 八少女 夕

六甲山にいます

母と日本国内旅行に出ました。最初の目的地は兵庫県の六甲です。子供の頃祖父母が六甲に住んでいて、母は私や姉を連れて来ていました。母は両親がここに住んでいた年齢を越え、ここに来るのも最後かもしれないと言っていて、せっかくなのでノスタルジー旅行をする事に。

阪急は、もちろん当時とは違う車両なのですが、色が同じで「懐かしい」と心が暖かくなりました。街も同じで、当時を知る母が言うにも当時馴染んだものはほとんど何も残っていないようですが、それでも来られてよかったようです。


六甲山 に泊まったのですが、夜景だけは当時のように綺麗で、大満足でした。明日は神戸。とても大切な約束があります。



その報告は少し後で(^^)
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Posted by 八少女 夕

日本を満喫中

うなぎ

一ヶ月も来ているというと、ものすごく長いように思えますが、あっという間に半分が終わってしまいました。

今回の帰国は、いつもの三週間の休暇の間に一週間の労働が挟まっていました。今週がその週だったのですが、スイスの会社のPCにネット接続して働いたのです。

時差がありますし、機器が手元にないので全く同じではないですが、とにかく時間の上ではきちんと勤務しました。

またこれをやりたいかと訊かれると微妙なところですが、少なくともその間は日本にいるので、日本でしかできないことをいろいろと楽しみました。

水曜日の朝は、渋谷に行って、映画をみました。TOM-Fさんに薦められた「君の名は。」を。素直に楽しくて美しくて心の動くいい映画でしたね。日本のアニメと一口に言っても、いろいろあるんでしょうけれど、これは本当に子供が見ても大人が見てもそれぞれが楽しめて、感動して、好きになれるいい意味で日本らしい映画でした。レビューを書くほど映画を見ているわけではないので、ここではこれ以上は語りません。TOM-Fさんの記事は色々と納得でしたから、気になる方はそちらをどうぞ。あ、東映の映画館、設備よすぎです。

月曜日は年金をどうするか相談に行きました。火曜日は母親と買い物。先週の日曜日は姪の、今週は甥の文化祭。その合間に大学やアフリカで知り合った友人にも会い、かなりのハードスケジュールですね。

カステラ

月曜日から、国内旅行に出かけます。日本の秋を堪能するつもりです。
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Posted by 八少女 夕

ブログのお友だちとお会いしました

日本についてすぐ、今帰国のハイライトのひとつがありました。けいさんにお会いしたんです。

ご存知の方も多いですが、けいさんも私も海外移住組。オリジナルの小説を書き、かつ海外に永住という二つのファクターが揃った知り合いは実はけいさんお一人なんです。もちろんそれがどうというわけではないのですが、やはり格別の親しみがあります。

そしてあっさりお会いできたことも嬉しかったです。

けいさんのライフスタイルと帰国なさるタイミング、そして私のそれらを考えると、私たちが同じ場所にいるのって奇跡のようなことなのです。だから、「会えるものなら会っていただこう」って真剣さが違ったのですよね。

日本にいた頃は、「これが最後のチャンスかも」と思うことはまれでした。まだ若かったし、時間は永遠にあると思っていましたから。

けいさんのお土産

けいさんは、書かれる文章そのままのステキな方でした。個人的なことも含まれるので、詳細は書きませんが、しゃべりまくることなんと6時間以上! その上別れ際の駅でもまだ話のタネは尽きず。創作の話も、人生のお話も面白くて、こういう引き出しから、あのハートフルな作品が生まれてくるんだと納得です。

日本に着いたばかりでまだ新しいステキな店などのリサーチが済んでいなくて、ここぞといういいお店にご案内できなかったのが心残りですが、私はとっても楽しい1日を過ごさせていただきました。けいさん、ありがとうございました。お土産もありがとうございました。あ、チョコは独り占めしませんのでご安心を!

そして。実はlimeさんともお電話でお話ししちゃいました。「おおお、生limeさんだ〜」と妙に感動してしまった私です。どんなステキな方だったかもここで語りたいところですが、内緒。
お仕事から戻られてお忙しいお時間に、すみませんでした。
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Posted by 八少女 夕

日本にいます

成田空港

久しぶりの日本、別に大したことはしていないんですが、楽しんでいます。

買い物をして、ご飯を食べて、親や姉や姪や甥といっぱい話して。

あ、ちょっとはポケモンGOもやったっけ。うちの実家の近く、恐ろしいほどポケストップはあるんですが、出るポケモン自体は大したことなくて、バッグは常にいっぱいです。(知らない方、すみません。大した話題ではないです)

若鶏の和風ソース

昨日は買い物が長引いたので母と外食しました。なんてことのない洋食を食べたんですが、日本のお肉が美味しいので堪能しましたよ。

買い物は、靴と靴の中敷、それに念願の眼鏡。眼鏡は結局二つ買いました。JINSというお店で。遠近両用と中近両用です。前者が外や休日用で、後者は仕事用。ブルーライトカットの割合も変えてもらいました。一週間後にできるそうです。氣になっていた件を二つ終えたのでホッとしました。
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Posted by 八少女 夕

鳴らしちゃダメ

レストランのベル

他の国はよくわかりませんが。

もしスイスのレストランで、こういうベルを見かけたら、不用意に鳴らすのはやめましよう。

これを鳴らした人は、その場にいる客の分の全ての代金を払うという伝統があるんだそうです。

あ、もちろん払いたければどうぞご自由に。かなりの確率でクレジットカードの限度額を超えてしまうと思いますけれど。
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Posted by 八少女 夕

ウィーン自然史博物館

まだまだ続くウィーン週末旅行の話。あ、でも、少しマニアックですので。(それはいつものことか)

ウィーン自然史博物館

私がウィーンを訪れるのはこれで四回目でしたが、それでも当然ながら行けていない所というのがあるのですよ。これが最後ではないと思うので、無理をせずに優先順位の高い所から一つひとつ見て回っています。

今回ようやく行けたのは、「ウィーン自然史博物館」です。目の前に「ウィーン美術史美術館」があって、ここにラファエロがあるので行く度に足を運んでいるのですが、そちらに時間がかかるため足が棒になって、いつもこちらは「また今度」になっていたのですね。

とくに前回は歳をとった母と一緒だったので、無理はさせられずここは諦めましたが、今回はもともと自然の好きな友人と一緒だったので、はじめから「ここには行きたい」と約束してありました。で、恐竜などがすごいだろうなとは思っていたのですが、期待を超えた凄さでした。ずーっと心が躍りっぱなしでした。

ここの素晴らしさは、かつての宮殿を利用した豪華な建物の中に3000万点を超える膨大な自然科学の収蔵品が収められていることです。皇帝のコレクションというのはこういうものかというスケールの品々に、さらに後々加えられた収蔵品の充実っぷりに、さすが世界有数の博物館と言われるだけのことはあると感服しました。

(実は、もっとも有名な「ヴィレンドルフのヴィーナス」を見逃してきちゃったのですが、これは次回のお楽しみということにします)

私は鉱物の類いが好きだったので、まずは鉱物のコーナーから見てきました。あるあるあるある。なんなんだこの豊富なコレクションは。世界のありとあらゆる石、半貴石、貴石がびっしりと並んでいます。宝石の展示ではないのでカットされたようなものは少ないですが、巨大なアメジストや石英の結晶、金塊などこりゃすごいお宝だろうと思うものも無造作に展示されていました。

バージェス頁岩

恐竜コーナーの手前で見つけてしまったのが、古生代約5億年前の生物の化石バージェス頁岩です。「なんでこんなものまであるの!」と狂喜乱舞。本物をスミソニアンに行かずに見られたなんて信じられませんよ。あ、バージェス頁岩について詳しく知りたい方は、NETでググるか、スティーヴン・J・グールド「ワンダフルライフ」を読んでくださいね。これ以上ここで語ると長くなってしまうので。

そして、もちろんそこからアンモナイトなどの化石もあって堪能しました。昆虫のコレクションも、巨大な恐竜コーナーもすごかったのですが、現生生物コーナーの、ステラーカイギュウの剥製にも度肝を抜かれました。ゾウより大きい! ステラーカイギュウは、残念なことに発見されてから30年も経たないうちに乱獲で絶滅してしまいました。来訪者を残らず驚愕させるこの剥製はもういない生き物の悲しい記録なのです。

この他にも絶滅したドードーなどの鳥類もありましたが、カカポの剥製もけっこうあって「お願い絶滅しないで!」と念を送って来ました。

ウィーン自然史博物館

そして、鳥類コーナーで私が必死に探しまわった剥製がありました。これだけあるなら、どこかに絶対あると思ったんですね。そう、私のアフリカ好きに拍車をかけたきっかけのひとつ、「マシアノケ」こと「ハマーコップ(シュモクドリ)」です。足を棒にして何度も探しましたが、「あれ、あんなところにいま流行のハシビロコウがいるぞ」と歩いていったその真上にいました。

このシュモクドリ、アフリカのバードパークで、生きているのも見たことがあるのです。でも、いつかは野生の姿を見てみたいなあと思っていたりします。

そんなこんなで、あれもこれも大興奮の感動の博物館でした。次回もきっと行くと思います。
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ウィーンでポケモンGOした

呆れられるかとは思いますが、ポケモンGOしているんです。まあ、もちろん適度に、ですけれど。

もともと私はゲームの類いは全然やらない人で、ポケモンもピカチュウがなんだかは知っていましたけれどそれ以上の知識はなかったぐらいなのです。でも、いつもいる道にポケモンが出るなんて楽しいじゃないですか。で、ダウンロードしてはじめました。

とはいえ、ご存知の通りのド田舎ですから、見渡す限りポケストップがないなんてことも普通で、通勤途中に一か所、会社の側に一か所あるのを訪問してポケボールをゲットしている、そんな状態です。あ、全くなさらない方のために説明すると、このゲームはポケモンが出たらボールをぶつけて捕まえることができるのですが、そのボールは課金しなくてもポケストップという所に行って補給できる仕組みになっているんです。

で、出てくるポケモンも、田舎ですからそんなに珍しいものがうじゃうじゃ出るわけはなく、のんびりとプレイするしかないんですけれど。

で、この間のウィーン旅行です。都会だし、ポケストップもたくさんあるし珍しいポケモンも沢山出るだろうということで半分は球補給のつもりで向こうでも立ち上げたりしたんです。

もちろん観光中にポケモンGOをやるほどは狂っていないので(ウィーンにはポケモンよりも見たいものがたくさんありますからね)やったのは主に早朝とホテルに帰る前。ホテルの目の前に公園があって、そこは常に桜吹雪が舞っていた(誰かがルアーモジュールなるものを設置してポケモン出現しっぱなしになっている状態)んですね。道でやるより安全だし、みんなやっていたので恥ずかしくなかったので、ちょっと嬉しかったです。

ポケモンGO in Wien

ただの公園だと思ってウロウロして、みつけたポケストップをよく見たらあの「黄金のシュトラウス像」だったので心底びっくりしたなんていう、全く本末転倒なこともやっていました。

で、いろいろと捕まえましたよ。上の写真はうちの方ではどうやっても出てこないミニリュウ。まあ、何十匹も集めることはできないですけれど、記念に。近くにピカチュウの影も見たんですけれど、これは捕まえられませんでしたね。

でも、いいんです。いかにも強そうなのや、今ひとつキモチ悪いのも捕まりましたし、すっと欲しかったゼニガメも待っていてくれましたし。かわいいキツネみたいなロコン、動作がかわいすぎるカモノハシみたいなコダックも図鑑に載りました。

何よりも沢山ポケボールをもらえましたから。

ポケモン・ウィーク?

もうひとつ、ポケモンGOが流行っている恩恵がありました。

ベルヴェデーレ上宮という美術館は、クリムトがたくさんあることで有名なんですけれど、ここにいったらなぜか「ポケモンウィーク」をうたっていたんですね。

この美術館、普段は一切写真不可なんですが、「この週末だけはスマートフォンでの撮影許可」って書いてあるんです。速攻でスマートフォンを取り出しましたよ。帰って来てから氣がつきましたが、この「スマートフォンでの撮影許可」ってドイツ語だけで書いてあるんですよね。ドイツ語を知らなかったら撮れなかったのかも。

クリムト

そう、みんなスマートフォンで撮影していました。でも、ポケモンGOをしている人は皆無だったんじゃないかしら。一人も見かけませんでした。本物のクリムトをバチバチ撮れるチャンスですよ、それどころじゃないです。

私はここでもいろいろと撮ってきました。ホーフブルグで撮影禁止だった有名なシシィの肖像画(のひとつ)もばっちりと撮影できましたし。

ポケモンGOの流行に大感謝です。
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Posted by 八少女 夕

ウィーンは真夏です


夜行列車でウィーンに来ました。電車で行ける距離とはいえ往復で休みを2日使うのはもったいないから。
22時半にスイスを発って朝にはもうウィーンです。
日本から来た友人と待ち合わせて、昨日はシェーンブルンなどに行ってきました。
たくさん話し過ぎて乗り過ごしたり、方向を間違えて歩き過ぎたり、若干の失敗もしましたが、滞在を楽しんでいます。
暑い夏は、久しぶり!
詳しくは帰国後の記事にしますね。
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Posted by 八少女 夕

夏の午後だから

日曜日、久しぶりに晴れ渡って、しかも夏らしくなったので、アイスクリームを食べに高地のレストランへ行ってきました。

Wergensteinパノラマ

今年は本当に惨めと言っていいほど天候に恵まれず、先週は盛夏のはずの7月半ばにアローザで雪が降るという珍事が起こる始末です。私の住んでいる所は標高700m前後なのですが、さすがにそこまで雪は降らなかったけれど、昼休みに8℃だったという(笑)

そんなショックの後だったので、きもちよく晴れ渡った日曜日、「どっかにいかなきゃ!」と、連れ合いと二人ヴェルゲンシュタインという小さな山の上の村に行ってきました。この日は、うちの近くで30℃ちかくまで氣温が上がったのですよ。

ここは、アイベックスが生息している場所で、アイベックス観察センターみたいな位置づけになっているレストラン。

Steinbock

アイベックスというのはドイツ語では「Steinbock」と言って、グラウビュンデン州のワッペンにも描かれているアルプス高地の代表的な野生動物。山羊の仲間です。乱獲によってスイスでは一度絶滅してしまったのですが、イタリア領地にいた個体をもらって保護した結果、現在はずいぶんと増えています。もっとも、絶滅危機にあることは間違いないので勝手に撃つことは出来ません。

そんなアイベックスの観察できるような場所ですから、もちろん山の上。

この村からはアンデールからヒンターラインへ、そしていずれはイタリアへと向かう谷が一望のもとに見渡せる素晴らしいパノラマが楽しめるのです。そして、スイスにしてはご飯がおいしいのも嬉しいレストラン。こんな夏の一日にはハイキングを楽しむ人たち、ドライブに来た人たちで賑わっていました。

Wergenstein

レストランの裏手にひっそりと立つ教会。あたり前だけれど、野良猫のようにアイベックスが登場するわけではないので私は生きている本物を見たことはないんですが。剥製や、オブジェなどが村おこしに貢献しているのを微笑ましく眺めました。この青空! これがグラウビュンデン州がヨーロッパ中から観光客を集める秘密です。
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Posted by 八少女 夕

エーヴベリーの話

すっかり忘れていましたが、十月に行ったイギリス旅行のメインイベントの報告が残っていました。なぜ思い出したかというと、今月の終わりにウィーンに行くのですが、その前に前の旅行のことを書いた方が……という流れです。はい。

エーヴベリー(Avebury)はヨーロッパ最大のストーンサークルを含む新石器時代のヘンジです。ヨーロッパにおけるもっとも完成された先史時代遺跡の一つです。有名なストーンヘンジの北、およそ30キロの所に位置するエーヴベリー村近郊にあります。……って、これは近郊って言うのかなあ。村が遺跡の一部を貫いている感じといえばいいんでしょうか。

Avebury
(エーヴベリー遠景 by Bob Croxford)

この遺跡は紀元前2600年頃に建造されてその後千年くらい使われたとのことです。ヘンジ、長方形古墳群、ストーンサークル、アヴェニュー、土手道で結ばれ、同心円上の堀に囲まれた集落エンクロージャーなどから成っています。サイズとしてはかのストーンヘンジ14倍もあるにも関わらず、あちらのように有名ではありません。

1990年に始めてストーンヘンジとフランスのカルナックを訪れ、その時から行きたいと思っていたのがグラストンベリーとこのエーヴベリーでした。でも、当時もマイナーではなかったでしょうがストーンヘンジほど観光客が行きたがらないので、余りやすいツアーのようなものはなかったのですよ。

今回行ってみて思ったのは、以前より観光用にバリバリ整備されたストーンヘンジとの差でした。いや、こういうのもいいんですよ。黄昏れた写真を撮っても他の観光客も映らないし、柵もなくて触り放題だったし。

お仕着せのツアーではまず行かないので「あそこにいく!」という強い意志がない限りは生涯見られない遺跡の一つだと思います。その分、今回行けたことは大感激でした。

Avebury
出典:File:Avebury, Stensättningen i ursprungligt skick, Nordisk familjebok.png

もともとはこのイラストのような形をしていたらしいのですが、今では多くの石が取り除かれてしまっています。現在はナショナル・トラストによって保護されていますが、何世紀にもわたり「おお、ここにちょうどいい石材があるぞ」と近隣の人たちが家を造るのに使っていたというのですね。

この遺跡がストーンヘンジよりもかなり雑な扱いを受けているのは、おそらくその巨大さが原因なのではないかと私は思いました。

エーヴベリー
「さあ着きましたよ」といわれて見ると、確かに巨石がいっぱいあります。でも、どこがサークルなのかさっぱりわかりません。

どうなっているんだろう、と歩いていたら見事に羊の糞を踏んでしまいました(笑)羊をそこで放牧しているんですね。

よくみると大きな土手のようなものが見えて、あれがエンクロージャーかとわかります。その上までかなり歩いて登ってみると、ようやくサークルに成っている全体像が見えてくるというわけです。つまり、大きすぎて何が何だかわからないんですよ。

エーヴベリー

この巨石のほとんどはこの地域で採れるものだそうです。そして、かのストーンヘンジの大きい方の石もここから運んでいたのだそうです。

石の形はストーンヘンジのように成形してありません。もともとの形を残すようにしてあるようです。でも、サークルになるように並べたのですから、大変な労力だったことは間違いないでしょう。当時はクレーンもなかったですし。

村と公道がサークルやエンクロージャーを分断するように発展してしまっているせいで、それぞれの巨石を見るためには、それらを越えて行かなくてはなりません。なかなか不思議な感覚でした。なんせ他の巨石遺跡は、たいてい囲まれて公園のようになっているので、それを見学するときは何となくタイムスリップした感じがするか、もしくは公園を見学しているように感じるのですが、ここは現実の村の生活と遺跡が分断されていないのです。
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Posted by 八少女 夕

旅の自撮り

今日はちょっとふざけた画像付き。

最近のSNS全盛、自分も決して人ごとではないんですけれど、「何だかなあ」と思うことがあります。例えば、わざわざ逢っているのに、例えば食事の間にもスマホを氣にしている人がいるなんて話を聞くこと。まあ、でも、仕事でどうしてもメールを読まなくちゃいけないこともあるでしょうし、Lineは何分以内に返さないと関係にひびが入るなんて話も聞くので、一概に「それはNG」とは言えませんけれど。

私がやっているSNSはfacebookだけです。これは日本の友達や知り合いに逢う度にいつも同じ事(「スイスにいるんだ。何しているの」「どんな暮らし?」)を訊かれるので、実名での付き合いの方に「百聞は一見に如かず」のつもりで個人的な写真を見せています。が、あまり熱心な方でもなく、休暇旅行など、どっかに行ったときの写真がメインでしょうか。あ、あと、Swissinfoでのスイス生活を紹介する記事(このブログではトップのお知らせにリンクのある記事ですね)をシェアしています。

反対に、これはどうしてもやりたくないなと思うのは、自撮り写真をSNSにアップすることです。私の個人的な知り合いではあまりいないんですけれどね。

Jidori_yu.png
天水 清太さんの描いてくださったアイコン画像、勝手にコラージュしました。すみません。

先日、写真を整理していて氣がついたのですが、自分の写真が異様に少ないのですよ。旅行に行くと連れ合いが一枚か二枚撮ってくれるのですが、「これ見て〜」と一般に公開したくなるような写真はあまりありません。写真は絵画と違ってそのままだから「それが自分なんだ、諦めろ」といわれたらその通りです。でも、ねぇ。

これをわざわざ自分で撮ってアップロードしたくなるなんてことは、まったくないんですよ。私がスマホに笑いかけている写真なんて、とくに他の人が見たいと思うとは思えないし、さらにいうと、どうやって撮影していたかが、何となく想像できる、その絵柄に自分で我慢がならないのですね。

もっと拒否反応があるのは自撮り棒で写真を撮ること。

jidori2.png
うたかたまほろさんの描いてくださった「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」のディミトリオス、ふざけてコラージュしました。すみません。

自撮り棒、有名観光地に行くと必ず売っているんですけれど、あれで撮るのは死んでも嫌です。美意識からも許せないし、そうやって撮った写真をSNSにアップするのも嫌。だって、観た人全員に「あの間抜けな自撮り棒をかざしてあの美しい光景の中にいたんだ」と告白しているようなものじゃないですか。

素晴らしい光景をバックに写真を撮って思い出にしたいということ自体は私も思います。写真を撮ってくれる同行者がいない場合もあります。同行者と一緒にフレームにおさまりたいと思うこともあるでしょう。でもねぇ。その場にいる他の人に「すみません、一枚撮っていただけないでしょうか」もしくは「そちらもお撮りしましょうか」とコミュニケーション一つできないというのはどうかと思うんですよ。

私は、観光バスから降りて、自撮り棒で写真を撮って、五分後にはまたバスに乗っていなくなってしまう、そういう旅のスタイルは嫌なんですね。出会った他の旅人や、現地の人と拙くてもコミュニケーションをとり、カフェでまったりと街を眺め、カメラだけでなく心の中にも思い出を積もらせたいんです。

というわけで、毎回自撮り棒を売りつけたい怪しいおじさんにまとわりつかれても、にべもなく断る私なのでした。
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Posted by 八少女 夕

メメント・モリ

お陰様で火曜日に当ブログは77777Hitを達成しました。いつもお越し下さる皆様のお陰です。本当にありがとうございます。いただいたリクエストは順番に執筆していきます。それぞれお待たせすることになりますが、納得のいくものを書きたいと思いますのでお待ちいただけると嬉しいです。

さて今日は、先日発表した『夜のサーカスと黄色い羽 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」』で出てきた少々ブキミな納骨堂について解説してみます。

この記事、一度予約投稿していたんですが、シャレにならないことが起こったので、しばらく公表を見合わせていました。というわけで小説の発表からは大分時間が経っています。


納骨堂

モデルにしたのは、コモ湖畔ではなく、イタリア語圏スイスのポスキアーボという街にある納骨堂です。街のど真ん中にこういうものがあるのですね。

中にある頭蓋骨はすべて本物です。もちろん最近亡くなった方の頭蓋骨はありません。

ヨーロッパには、遺体の一部が誰でも見える状態でずっと置いてあることがわりと多いように思います。よくあるのが聖遺物という形で、教会に置いてある骨などですけれど、その他に教会の地下に行くと、壁にぎっしり頭蓋骨などというのも。

でも、日本にいるときほど「怖い」「びっくり」という感覚はないように思います。夜にこの納骨堂の前を通っても、そんなに怖くないんです。不思議な事に。風土の違いかなあと思います。

絵画にも、花やフルーツの静物画に混じって、ぽんと頭蓋骨が置かれている事があります。「メメント・モリ(死を想え)」というラテン語で表現されるように、「自分もいつか死ぬ事を忘れるな」と現世の享楽を戒めたり、貧富の差など死の前では意味がない事などを我々に意識させるようにする伝統があるようです。

華やかな街の広場にこういうものがポンと置かれ、ドアには大鎌をもった死神やら髑髏の絵が書いてあるのは、明らかに生活をする人びとに「メメント・モリ」と告げているんだなと思います。それでも、人びとはパスタやピッツァとともに美味しいワインを飲んで楽しんでいます。

そして、私もかなり慣れっこになっています。この写真、全く躊躇せずに撮ってサイズ縮小してアップしてしまいましたし。



関連して一つ音楽を。サン・サーンスの「動物の謝肉祭」です。このテーマだと普通は同じ作曲家の「死の舞踏」をイメージすると思うんですけれど、私のイメージはそれをさらに元ネタとしたこの「動物の謝肉祭」の第12曲「化石」(15:15あたり)のおちゃらけたイメージなのです。シロフォンで骨がカタカタ言うあたりの軽さが、アントネッラの作品でパレードに使った骸骨たちのイメージです。
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Posted by 八少女 夕

旅の荷物の話

この間、旅のバトンを持ってきたら、とても多くの方に拾ってもらえて意外で嬉しかった私です。(一応、小説ブログだけれど)旅の好きな方が多いんだな、ということで、ちょっと掘り下げてしまおう、というのが今日の記事です。

「旅の必需品は何ですか」という質問で、「パスポートと、現金と、iPhoneと、歯ブラシと……」というような身も蓋もない回答をしましたけれど、実は旅の荷物というのは永遠の課題です。

もともと日本人というのは海外旅行に行くときの荷物が多い謎の国民として、私の周りのガイジンたちの間では有名だったりします。たった一週間の旅行に大の男でも簡単には持ち上げられない荷物を持ち、しかも毎日違うホテルにチェックイン、つまり旅のほとんどをその重い荷物を引きずっているのは何故なんだと……。

例えばヨーロッパの鉄道で旅をするとわかると思いますが、車両に乗り込むにはかなり段差があったり、ドアが手動だったりするので慣れないと昇降が大変なのです。これを20キロもの大きい荷物を持ってやるとなるとかなりストレスですよね。

私が旅行するときは、(お土産&スイスに持って帰るものが多い)日本に行く時を除いて、片手で持ち上げられるサイズの荷物で行くようにしています。機内持ち込みギリギリくらいのサイズですね。これはその荷物を持って階段を下りるときに足にぶつけたりしないし、片手で手すりにしっかりつかまれることが大事だから。

そのサイズにお土産も詰め込むことも想定して、往きは4割くらいガラガラ(重量も、往きが8キロ以内、帰りが多くて15キロってところでしょうか)にしていきます。つまり衣類はとても少ないです。

一週間くらいの旅行で下着もTシャツも三組程度、ボトムスは着ているものの他に着替えが一つ、上着の類いは着た切り雀です。もっとも、ヨーロッパは寒暖の差が激しいので、ブラウスやカーディガン、ジャケット、大判ストールなどを重ね着して調節するので、組み合わせで変化も出ます。たたむと小さくなるウルトラライトダウンジャケットやウィンドブレーカーなど、旅用の衣料もかなり厳選しています。

「もしかしたらいるかもしれない」と思ったものは心を鬼にして切り捨てます。これだけ旅をしていると本当になくて困ったものが何かくらいはわかるので、それは入れます。たとえば、充電ケーブルの類いは現地では簡単に手に入りません。また、歯ブラシを備えてあるホテルはほとんどないので、絶対に忘れられません。日本と違って日曜日には何も買えないなんてことも多いので、1日でも無しではいられないものは、忘れずに。そして、私はホテルでは靴を脱ぎたい人なので、ぺったんこに出来るスリッパもいつも持っていきます。バイクの旅のときは、スリッパの代わりにローマ風のサンダル。

ミニオシボリ

これは、ちょっとした工夫です。ハンカチタオルを無印良品の歯磨きセット用ケースに入れています。そして、必要なときに濡らしてオシボリとして使うのです。このケースに入れればバックの中が濡れることもないですし、シャワーのときに使うタオルにもします。ウェットティシュー、浴用タオル、ハンカチを一つで済ませているわけです。

一つで済ませるといえば、iPhoneを持つようになって以来、旅の必需品が減ってとてもありがたいです。前は、音楽を聴くための機械、アドレス帳、予定表のある手帳、航空券のコピー、文庫本、携帯電話、地図、ガイドブックなどを個別に持っていましたからね。便利な時代になりましたね。
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Posted by 八少女 夕

旅の効率

今日の話題、カテゴリーで迷ったのですが、「旅行」と新カテゴリーを作るのもなんだなあと思ったので、「スイス・ヨーロッパ案内」というカテゴリーを「旅の話 / スイス・ヨーロッパ案内」と変えて対応する事にしました。下手にカテゴリー増やすと過去記事の整理でハマりそうだから。

ひとり旅はずっと好きでした。高校一年生くらいだったか、祖母の当時住んでいた熱海に東海道線の鈍行で一人で出かけていったのも含めて、日常を離れて遠くに一人で行くのが好きでした。なぜ一人が好きだったかというと、会話をしなくて済み、窓の外の風景を見ながら妄想を自由に走らせる事が出来たからだと思います。そう、私はそれよりもずっと前から頭の中は勝手な創作のお話でいっぱいだったのです。

で、修学旅行や団体旅行などは苦手でした。いまでも苦手ですけれど。そういえば子供の頃デートの定番だった「かっこいい車に乗せてもらって海岸をデートドライブ」みたいなシチュエーションの事を羨ましいと思った事もありません。運転席の相手とずっと会話しなくちゃいけないというところが、逃げ腰の理由。そんなことはどうでもいいんだった。

で、ようやく本題です。こういう事を繰り返しているうちに「個人の旅が好き」→「現地で団体に混じらない旅行こそ正しい旅」みたいな変な思い込みに落ちていったようで、私は長くツアーや手配旅行を避けていたのです。1990年に3ヶ月かけてエジプトからロンドンまでユーレイルパスをつかって廻った旅などでも、自分だけが行きたいと思っていたフランスのカルナックや、イギリスの湖水地方を訪れるのに普通路線を使ってパリやロンドンから日帰りをしています。確かに安くは済んでいるんですが、現地滞在時間が30分しかとれなかったというようなものすごく非効率な滞在でした。それでも当時はものすごく満足したんですけれど。

いまでも個人の旅がメインなのは同じですが、必要に応じてオプショナルツアーや市内観光バスなどを使うようになりました。

市内観光バスから見たポルトのフォス(大西洋海岸)

ヨーロッパの大きな都市では、二階建ての市内観光バスが走っていますよね。昔は一切使わずに、公共交通機関をつかって名所にたどり着く事を誇りにすら思っていました。でも、初めて行く街は地理は頭に入っていないし、乗り換えは不便、それにどこで降りたら何が見られるのかなどが頭にはなかなか入らず、非効率この上なかったのです。

いつだったか、マラガで連れ合いと一緒に試しにこの手の二階建て観光バスに乗ってみたら、ものすごく便利だという事がわかったのです。一周すると街の地理が頭に入りますし、外からみたいだけで別に中に入るまでもない名所は座ったまま素通りできます。たいていイヤホンをもらえて、回っている場所の解説(ほとんどの場合日本語も選べます)や街の歴史について面白い話が聴けるのも、乗ってみるまで知らなかった大きな魅力でした。事前に知らなかったけれど「へえ」と興味を持った所は、二周目以降に降りて訪れてもいいのです。

これに味をしめて、私は都市を訪れるときにはこの手の市内観光バスをほとんどと言っていいほどよく利用するようになりました。「黄金の枷」シリーズのモデルであるポルトでも、この手のバスで仕入れて興味を持って調べた事が豆知識となって作品にたくさん生かされています。

昨年10月に、週末に有休を一日くっつけて3泊4日でロンドンへ行ったときにも、たった4日では到底回れないけれど「まだ見た事がないから見たいなあ」と思っていたザ・シャードなどを夜のロンドン市内観光ツアーというのに参加する事で効率よく見てくる事が出来ました。これ、18ポンドでした。ロンドン中の美しくライトアップされた観光名所をただ回るだけでなく、ガイドが面白おかしく説明してくれるのですよね。公共交通機関で行くとしたら、一か所くらいしか回れず、ライトアップも見られないし、知っている以上の事はなにもわからず、足が棒になるだけだったのですが、このツアーに参加したおかげで大満足の観光が出来ました。しかも夜のツアーだったのでお買い物したい時間とかぶらなかったのも嬉しかったです。

それから、一日観光にも近年は積極的に参加しています。先日ポルトから行ったコインブラ&アヴェイロ一日観光もよかったですが、なんといってもここ数年最大のヒットだったと思うのが、やはり去年のロンドン行きで一日使ったストーンヘンジ、グラストンベリー、エーヴベリー一日観光でしょう。

グラストンベリー・トール

先日もブログのお友だちと「田舎の電車って」という話になったんですけれど、1時間に1本来るというのはまだいい方で、英国やフランスやポルトガルのちょっと田舎の観光地に行こうとすると、一日に2本とか4本しかないなんて事は普通です。しかも接続が悪い。以前、無理してロンドンからコッツウォルズまで日帰りした事がありますが、ほんとうに現地に30分くらいしかいられなくて、「私何やっているんだろう」という状態でした。

で、一日観光ツアーです。グラストンベリーに個人で行って何かを見ようとすると、電車の関係で二泊くらいしないとまともに見られないのです。そうなると英国に5泊くらいしないといけない勘定になります。さらにエーヴベリーも行きたいなんてなったらそれこそ一週間くらい必要。つまり有休が5日&殺人的に高い英国の宿泊費が7日分も必要になるのです。それをガイド付きでたった一日で3か所回れるというのです。ストーンヘンジも行けて、重い荷物を持って移動することもないし、ただ座ってガイドの説明を聞いているだけで到着できる、それで129ポンドならずっと安くつくのですね。

学生の頃は、時間だけはたっぷりあったので、ユースホステルなどのドミトリーに泊まって、食事もひたすら安くあげて、無駄なエネルギーを使いつつ自分の足で回るということに魅力を感じていましたが、今は、もう少し体力を温存しつつ、短くてもいいから少し楽をして楽しみたい、貴重な有休の無駄遣いせず、さらに「これまで頑張って働いた分のプチご褒美」と思えるような体験をしたい。さらに、歴史や民俗についての新しい知識も入手できるなら、そっちの方がずっといいと思うようになったのですね。
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Posted by 八少女 夕

コインブラ、ポルトガル最初の首都で大学の街

ポルトガル発祥の地はギマレインスですが、最初の首都はコインブラです。これは1139年にスペインから独立を勝ち得た国王アフォンソ・エンリケスが、王国の首都をコインブラに定めたからです。

コインブラはポルトの南120㎞のところにあります。というわけで、ポルト旅行中のオプショナルツアーでちょいと足を伸ばしてきました。

以前も書いたことがあるのですが「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、ブラガは祈る」というように、それぞれの都市の人たちの氣質を表す言葉があります。コインブラは大学の街として有名なのです。他の都市にも大学はあるのですが、大学が街の中心になっているのはコインブラだけのようです。

街の小高い丘を登っていくと、てっぺんにコインブラ大学の校舎があります。ただの大学ではなくて、ヨーロッパ最古の大学でユネスコ世界遺産にも登録されています。そのうちの一部は、観光客に公開されていて見学する事が出来ます。

コインブラ大学にて

こちらは実際に使われている講堂だそうで。アズレージョが美しい教室ですね。こんな所で学ぶんだ……と感心してしまいました。

コインブラ大学にて

セレモニーホールも豪華です。

コインブラ大学にて

この見学の要であり、圧巻なのはやはりジョアニナ図書館でしょう。内部の写真撮影は禁止だったので内部の様子をご覧になりたい方はこちらで。

そして、見逃してはならないのが、学生たちの服装です。お金持ちも、貧乏人も全く同じ物を着る伝統からこの黒いローブ姿なのですが、どこかで見たようだと思いませんか? そう、ハリー・ポッターっぽい。

コインブラ大学にて

「ハリー・ポッター」シリーズの作者J.K.ローリングはポルトに在住していた事があり、コインブラ大学は作品のモデルになった場所や事柄がたくさんあるそうです。

この制服もその一つですが、マントは1年ごとに巻いて短くしていくんだそうで、長く居ればいるほどマントが短いそう。それに、恋人が出来ると一部を裂くなどの伝統もあるそうで、確かに一部が裂かれたマントを着ている人もいました。ガイドは別れると縫うなんて言っていました。本当かな?
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Posted by 八少女 夕

新年のお祭り

本日2月29日でもってscriviamo! 2016の新規受付を終了させていただきます。あっという間でしたね。いつもドッキドキの二ヶ月なんですが、今年は量は例年より少なかったんですけれど、本当に容赦のない難題揃いで、挑戦し甲斐がありました。渾身の作品でご参加くださった創作者の皆様、本当にありがとうございます。

そして、明日は3月1日。古代ローマのお正月です。

チャランダ・マルツ

子供の頃、月の名前の語源を知って「?」となったことを思い出します。例えば英語での10月。「オクトーバー(October)」 って、なんでオクト? 「オクトパス(Octopus)」は8本足のタコを意味するようにこの英語の元になったラテン語(綴りは同じ)は「第8の月」なんですが、「第10の月じゃないの?」って。

3月から始まるとすると、これも納得です。

そして、ローマ帝国の属州であったスイスも、かつては3月1日が新年だったのです。途中から、今と同じように1月1日が新年になったんですけれど、山の中にはかつての新年のお祭りが残って現在に至っています。それが、絵本「ウルスリのすず」で有名になったチャランダ・マルツ(Chalanda Marz)です。そもそもこの「チャランダ・マルツ」という言葉自体が「3月朔日」を意味するのです。私の住むグラウビュンデン州の主にエンガディン地方に残っている風習で、子供たちが赤い帽子と青い服を着て、カウベルを鳴らしながら意地悪な冬の精を蹴散らすというお祭りなのですね。

チャランダ・マルツ

なお、私の住む地域は、3月朔日には特に何もしないのですが、大晦日の早朝に子供たちが同じようにカウベルを鳴らしながら行進する風習があります。おそらく昔はこの風習、年末年始にいろいろなところでやっていたのでしょうね。キリスト教化が進むとクリスマスなどキリストや聖人に関する祭がメインになっていきますが、それ以前の祝祭がまだどこかに残っている。私はこういうものがとても好きなのです。

ともあれ、チャランダ・マルツが来ると春です。本当の春はまだ少し先ですが、その希望が見えてきます。日も高くなってきましたね。
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Posted by 八少女 夕

ブルーストーンをめぐるロマン

本日は、10月に行ったストーンヘンジの話を。

ストーンヘンジの戦利品

ブログのお友だち大海彩洋さんほどではありませんが、私もかなり巨石の類いが好きで、世界の各地で巨石を見て歩いたりしています。といっても日本の巨石はほとんど存在すらも知らなかったりするので、巨石ファンと名乗るのはちょっと恥ずかしい程度です。

ストーンヘンジを訪れたのは、この秋で二回目です。最初の訪問は1990年の三月。びっくりするような昔です。ういういしい大学生でした。(年がバレる!)

でも、今回の方がずっとたくさんのことに感銘を受けたように思います。

はじめて「かのストーンヘンジの実物が目の前に!」というインパクトは大きかったです。それに、柵があって「入らないでください」状態になってしまった現在と違って、もっと素朴なストーンヘンジを体験できたのです。にもかかわらず一度目よりも今回の方がずっと強い感銘を受けた原因はひとつです。今回は案内してくれている人の言っていることが全部わかったということ。

大学生の時の私の英語力は思えば酷いもので、とにかく質問したその答えがイエスかノーかはわかったけれどそれ以上ではなかったように思います。あれでよく無事に帰国できたものです。(もっとも今だってボキャブラリーなどで言えば英検三級のレベルを超えていないと思うんですが)

ここ数年、ポルトなどで英語でコミュニケーションすることが増えてそういう外国では全く問題なく英語でコミュニケーションできることはわかっていたのですが、本場のイギリスに行ったらネイティヴの英語なのでまた全然聴き取れなくなると思っていました。ところがどっこい、全部わかるじゃないですか(笑)

どれだけ酷いヒアリング力だったんだ、大学生の私。

で、日帰りオプショナルツアーで、ストーンヘンジを観にいった時も、ひたすら話してくれるガイドさんの説明が全部聴き取れたんです。

少しだけほかの話題と違うとすれば、考古学や地質学の語彙って、少し特殊なんですよね。ギリシャ語源の単語などが入っていたり。だから、普通の会話よりも少しだけ難しいように思います。でも、とにかくわかったんですね。これは私自身にヨーロッパの歴史や考古学に関する知識が少し増えていたこととも関係があると思います。

そして、ここからが今日の本題です。(前置き長くてすみません)

ストーンヘンジというと注目を浴びるのは、サークルの内側に堂々とそびえるグレート・トリリトン(三石塔)でしょう。二本の石柱の上に横棒のように石がわたされているあれです。この巨石は一つ35トンにもなる立派なもので、これがストーンヘンジのメインのように見えています。

でも、古代の人々にとって本当に大切だったのは、そっちではなくて、外側のサーセン石による環状列石と内側のトリリトン馬丁型配列の間にサークルとなって配列されたもっと小さい石群だったらしいのです。写真で私が赤く印を付けたのがそれ、ブルーストーンと呼ばれる石です。

ストーンヘンジ

トリリトンに使われているのはサーセン石と呼ばれる砂岩の一種で、大きいものでもこのストーンヘンジの北30キロ、私が今回言ったもう一つの巨石群エイヴベリーの近くで採れるそうですが、ブルーストーンは240キロ以上西北にあるプレセリ山脈でしか採れないそうです。

トラックもクレーンもない、さらにいうと掘建て小屋に住んでいた人たちが、なぜそんな遠くからわざわざ石を運んでこなくてはならなかったのかということを考えるとき、それが「冬至と夏至を示すカレンダー」と私が聴かされていた俗説は論理的な回答のように思えません。

ストーンヘンジのかなり近くには、木でできたウッドヘンジという建築物が発掘されていますが、夏至に太陽の昇る方向を示すだけならそれでもいいわけです。240キロも先から苦労して石を運んでくる必要はありません。

最近の調査では、ストーンヘンジは一度建てられてそれっきりだった訳ではなく、一度作られたものを取り除いて改めて今のような形に組み直したことがわかっているそうです。

ブルーストーンをより効果的に配置するために、わざわざ建設し直し、サーセン石の巨石をあの印象的なスタイルに組み直したのでしょうか。周りに次々と建設された古墳群から、古代の人々にとってストーンヘンジはこの世とあの世をつなぐとても大切な聖地と考えられていたようです。

ストーンヘンジ

この復元モデルを見ると、サーセン石のトリリトンのサークルと馬蹄形のトリリトン配列の間に二重になったブルーストーンのサークルが綺麗に並んでいます。

スイスに戻ってから、ZDFの番組でたまたまストーンヘンジに関する最近の調査のことを特集していたのですが、当時の人びとはおそらくブルーストーンに特別な治癒力があると信じていたのではないかということでした。そして、ここに来ることでその特別な魔力の恩恵を得ることができると信じていたのではないかというのです。

2008年の発掘で見つかった大量の小石サイズのブルーストーン。もしかしたら霊験あらたかな石としてここで取引されていたのかもしれないそうです。

2002年に発掘された人骨、「エイムズベリーの射手」といわれる男性は、歯の組成を調べてみたところなんとスイスなどのアルプスで生まれた人だということがわかったそうです。この人の周りには当時は貴重品であった金属などたくさんの副葬品があったそう。なんらかの理由で、わざわざここに来て亡くなり、この特別な場所に葬られたのでしょう。

本当のことは何一つわからないですが、この場所が彼らにとって特別であったことだけはわかります。そして、考古学を通していろいろなドラマがわき上がってきます。地球にはまだまだロマンに溢れる場所がたくさんあるのですね。
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Posted by 八少女 夕

グラストンベリー、アーサー王伝説の聖地

先日、少し長めの週末旅行で英国に行ったときの話です。

ファンタジー好きの方ならアーサー王伝説はよくご存知だと思いますが、グラストンベリーのことも常識でしょうか?

少なくとも、私が日本にいた二十世紀のときは、そこまで知られた場所ではありませんでした。ここは、アーサー王が瀕死の状態で運ばれて行った、アヴァロンではないかと言われている場所です。そしてアーサー王の墓が発見された場所としても有名です。

グラストンベリーはロンドンの西、およそ200kmのところにあります。車だとおよそ三時間でしょうか。電車を乗り継いでも行けるんですが、さほど便も良くなく、短い旅行の間に荷物を持って移動するのも大変なので、私は日帰りツアーを利用して行ってきました。ストーンヘンジ、エイヴベリーという二つの巨石遺構と一緒にグラストンベリーまで見てしまおうという欲張りなツアーですね。

Glastonbury Tor

グラストンベリーと言ったら、まず忘れてはならないのが、このグラストンベリー・トールという塔です。聖ミカエル教会というのが正式な名称のようです。この小高い丘は、干拓される前は湿地であったこの土地で、湖に浮かぶ島のようであったということです。瀕死のアーサー王は船でアヴァロンに運ばれたということになっていますが、ここがそのアヴァロンではないかという説の根拠となっているのが、この教会からアーサー王の遺体が発掘されて、グラストンベリーの街にある修道院に埋葬されたという修道院縁起からなのですね。

アーサー王の実在や、その遺体の真偽は別として、ラテン語で書かれた十字架や発掘された遺体を収めた教会は、アリマタヤのヨセフがキリストの血を受けたと言う聖杯や茨の冠を持ってきてここに埋めたと言う伝説と相まって、英国でも有数の巡礼地となりました。が、1539年に自身の離婚をめぐる争いからカトリック教会との決別を望んだヘンリー八世に打ち壊されて以来、完全な廃墟になってしまっています。

現在では、アーサー王伝説に惹かれてくる巡礼者だけでなく、セント・マイケルズ・レイラインと呼ばれるヨーロッパでも最も強いと言われるパワースポットにある場所として、多くの人びとが訪れているようです。

実際に、霊感にあたるようなものが全くない私でも、クリアで澄み渡った空氣を感じました。こういう感覚は、出雲大社や伊勢神宮を訪れた時にも感じたものに近いので、おそらくパワースポットというものはあるのではないかなと思います。そこにアーサー王が眠っているかどうかではなく、もともとこういう特別な場所に神社仏閣や教会などが建てられる傾向があり、そこから長い歴史の間でいろいろな伝説を集めるのではないかと思うのです。

The Chalice Well

この丘の麓にはチャリス・ウェルという庭園があります。アリマタヤのヨセフが聖杯をトールに埋めたという伝説から、ここで湧き出る水は聖なる力を持っているといわれていますが、この庭園では、その水を汲むことが出来るのです。私も飲んできましたが、鉄分のある、温泉水のような味でした。

子供の頃に較べると、アーサー王伝説や聖杯伝説などに対して、「キリストの血を受けた聖杯や茨の冠があったとしても、イスラエルから、わざわざここに持ってくるかな」などと考えてしまうかわいげのない大人になってしまいました。伝説もかつてはいろいろと暗記していたのにずいぶん忘れてしまっていたことも、少しショックでした。ツアーに同行した日本からの青年が泣き出さんばかりに感激をしているのを見て、二十五年前には、私も彼と同じような想いでここに来たがっていたっけと思い出しました。

今は、ちょっとお金を払えば簡単に行ける場所で、まるで普通の観光の一環のように感じていた自分に氣がついて、純粋だった自分はどこに行ってしまったのかなと、思いながら風に吹かれていました。

グラストンベリーのお土産

とはいえ、子供の頃に夢中になったケルトやアーサー王伝説の聖地にいるのですから、やっぱりそれにふさわしいお土産を買わなくっちゃ! そう、大人買いです。

イギリスのお土産の定番と言ったらティータオルですが、今回は三枚買いました。一枚は義母へのプレゼント用ですが、残りの二枚は私用。そのうちの一枚が、この写真の下に敷いてあるもの。たくさんの紋章がついていて素敵だなと思って、グラストンベリーで買ったのですが、よく見たらこの黄色い丸は円卓で、アーサー王と円卓の騎士の紋章でした。「湖のランスロット」とか「ギャラハット」とか書いてあるのは、妙に嬉しいです。やっぱりミーハーな私。

そして、プラスティックの瓶は、チャリス・ウェルで汲んできた聖水。隣は修道院時代からの製法を守り続けている蜂蜜酒「グラストンベリー・アベイ・ミード」です。瓶もなかなかお洒落でサイズもお土産にぴったりでした。

Chalice Wellデザインのペンダント

さて、こちらの写真は、ロンドンの大英博物館で買ってきた銀のネックレス。ケルト文様の物を買いたいなと思って見ていたのですが、ふと見つけてしまったのがこれ。チャリス・ウェルの泉の蓋の模様のものなんです。この旅の思い出としては、こっちのほうがいい! そう思って買ってきました。
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Posted by 八少女 夕

イギリスにいます

66666Hit、皆様からのお祝いとリクエストありがとうございます。詳細についてはもう少しお待ちください。

木曜日の夜から、イギリスに来ています。リアル友で、小説友達でもあるうたかたまほろさんが、二年間だけロンドン暮らしをしているのです。そして、来年には帰ってしまうというので、遊びに来たという訳です。

せっかくここまでくるのだからと、いつかは行ってみたかったこんなツアーにも参加してみました。

Small-Group Day Trip to Stonehenge, Glastonbury and Avebury from London

アーサー王伝説ゆかりのグラストンベリー、ヨーロッパ最大のストーンサークルであるエーヴベリー、それにいわずもがなのストーンヘンジをまとめて一日で見てしまおうという欲張りな一日ツアーです。

最初は電車で行こうかと思っていたんですけれど、そうするとあと三泊ぐらいしないと見られないんです。二週間くらいの旅ならいいんですけれど、今回は有休一日つけただけの長めの週末で来ているので、手っ取り早く日帰りツアーにしてみました。まほろさんも一緒に参加してくれました。



これは誰でもご存知のストーンヘンジ。某Tさんの小説では吹っ飛んでいるはずですが、無事に復元(?)されていました。

この他、色々と興味深いところを巡ったのですが、それはまた帰ってから。

あと2日、楽しんできます。
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Posted by 八少女 夕

女の運転は……

本日は、先日見かけた面白いものを。

Frauen Parkplatz

これ、先日ドイツのコンスタンツのとある駐車場で見かけた標識です。女性専用パーキング。あるっていうのは聞いたことがありましたが、目にしたのははじめてです。ドイツだけではなく、スイスにもあるらしいです。

普通のパーキングよりも広くなっています。「女は車の操作が下手だから狭いと上手く停められない」という発想のもとに作られているんです。

よくみると「男の運転者は使用禁止」「男の同乗者がいる場合も使用禁止」マークがついています。つまり「男がいれば、まともに停められるはず」ということらしいです。

感心しちゃいました。いやあ、運転や駐車の下手な女性がいるのは間違いないです。たぶん、数で言ったら、下手な男より下手な女の方が多いように思います。私だって下手ですから。でも、こんなにあからさまに制度化して、フェミニストからよく文句が来ないな~って。

私は、怒りませんよ。もし、うちの近くにこういうスペースがあったら、進んでそこに停めます。東京に住んでいたときよりずっと上手くなって、あまり切り返さないで縦列駐車もできるようになりましたし、普通の駐車場にも停めますけれどね。でも、下手なのは間違いないし、広い駐車スペースが空いていたら嬉しいんですもの。
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Posted by 八少女 夕

「私」と「彼」のルーツの交差点

今日は、前回のアルザス旅行の間に一日だけ訪れたドイツの街のお話。

Ettlingen

この旅の半分くらいの目的は、私の祖先の事をもう少し知りたいという事でした。それでドイツ人である彼女(曾々祖母)が住んでいたストラスブール(現在はフランス)で、古文書館へ行って調べたり、単純に博物館でアルザスの事を知ったりと、肌で土地の事を感じてきたのです。

でも、具体的な事はあまりよくわかりませんでした。はっきりと確認できたのは、彼女の父親の死亡届だけでした。それで彼(曾々々祖父)の出身地へも行ってみたのです。それがエットリンゲンでした。ライン河を挟んで東側はもうドイツです。そして、カールスルーエの少し手前にこの街はあります。

行ってみたら、中世の面影の強く残る素敵な街でした。それもそのはず、カールスルーエそのものよりもずっと古い街だったのです。カールスルーエはまだ建立300年ほどだそうですが、エットリンゲンは、バーデン辺境伯の領主未亡人の居城のある由緒ある城下町だったのです。

Ettlingen

そして、連れ合いは知らない事ですが、この「バーデン辺境伯」という言葉に、私は大きく反応してしまったのです。実は、去年連載が終了した「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の元のストーリーになった「森の詩 Cantum Silvae」三部作で何よりも大切だった深い森《シルヴァ》は黒い森がモデルですし、三作にわたって大きな役割を果たすフルーヴルーウー辺境伯は、バーデン辺境伯がモデルだからです。

ということは、マックスの治めていた土地のモデルの街で、私の先祖が生まれたってこと?! もう、先祖の調査なんてそっちのけで大興奮ですよ。といっても、こんなことを語れるのはここしかないんですけれど(笑)

というわけで、連れ合いが「この街、氣にいったよ。また来よう」と言ったのを、横でブキミなほどにニヤニヤと喜んでいた私でした。でも、いずれは辺境伯ゆかりの街、バーデン・バーデンとラットシュタットにも行かなきゃ!
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Posted by 八少女 夕

ストラスブール散策



旅行に関する記事の二つめ。

ストラスブールに数日滞在しました。運河に囲まれた旧市街はさすがに見事で大いに楽しみました。

街の中心は大聖堂。近くで見ると圧巻です。



曾々祖母に関することはあまりわからなかったのですが、遠い先祖や親戚たちがこの光景を見ていたのだなと思ってしみじみ佇んでいました。

詳しくは後日。
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Posted by 八少女 夕

アルザスをドライブ



旅先からの更新です。

フランスのアルザスをタンデムで北上しました。

特徴的なカラフルな家が並ぶおとぎ話のような光景を楽しみました。

例えばコルマールはジブリ映画で有名ですが、そこに行かずとも幾らでも素敵な街並を見る事が出来ます。

天候に恵まれたので、これ以上望むべくもないドライブが出来ました。

昨日からストラスブール滞在を楽しんでいます。この件はまた別の記事で。
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Posted by 八少女 夕

ライン河を遡る

実は、今日から遅い夏休みです。二週間の有給休暇ですね。普段だと、もう旅立っているのですが、今回は明日から。というわけで、いつもの旅行用テンプレートに変わったら「行っちまった」という事だとご承知置きくださいませ。



昨日、会社で休暇前の最後の仕事を慌ただしく片付けていたら、このロベルト・シューマンの交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(Symphonie Nr. 3 Es-Dur Op. 97 "Rheinische" )がラジオから流れてきました。おおお、なんとタイムリーな。

実は、今回はライン河を遡ってコブレンツの方まで行きたいねと話しているのです。もっとも、天候次第なので途中で引き返してくる可能性もありますけれど。

ご存知の方も多いですが、私の住む村にもライン河が流れています。正確にいうとヒンターライン(後ライン)です。ライン河はたくさんの支流を集めていきますが、源流と言われるところが二つあって、一つがビュンデナーオーバーランドのトーマ湖とされていて、こちらをフォルダーライン(前ライン)といいます。もう一つがサン・ベルナルディーノ峠の側ヒンターラインで、ここから流れてくる河が我が家の近くを通り、ライヘナウでフォルダーラインと合流した後、ボーデン湖、バーゼル経由でフランスとドイツの国境を流れて、最後はオランダまで行って北海へと注ぐわけです。

普段見ているのは、対して大きな河ではないのですが、ドイツに行く頃には「大河」というにふさわしくなっているはずです。

この河沿いに旅行をしたのは2005年でしたから、今からちょうど十年前だったのですね。去年連載していた「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」で、主人公が旅をするシーンの一部は、この旅の思い出から組立てたのです。ですから、今回の旅は、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を追想する旅でもあります。

そして、もう一つの目的が、アルザス地方に行くこと。私の曾々祖母はストラスブールの出身なのです。私のドイツ(当時はストラスブルグはドイツだったのです)の親戚は、第二次世界大戦後に、GHQからドイツとの交流が禁止されていた間にフランスから出て行ってしまい、もう連絡がつかなくなってしまっているのですが、せめて彼女に繋がる何かを探し出せないかなと願っているのです。

というわけで、中世妄想と、19世紀のアルザスと、それから、秋のライン河畔と、三つ巴で楽しんでこようと思います。
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Posted by 八少女 夕

ロマンシュ語について

前回の記事で、コメントをいただき読んでいるうちに、ロマンシュ語の事(それ以前にスイスの言語事情)がみなさんにはものすごくわかりにくかったらしいということに氣がつきました。

住んでいる私はもちろん、スイスの事が好きです何度も来ている方(私がお逢いするのはそんな方ばかり)には当然の事が、それ以外の方には著しく「?」なのですよね。

というわけで今日は、もう少しわかりやすくご説明する事にします。


まず、グラウビュンデン州について。下の地図で黄色く塗ってある位置にあります。あ、全体はスイスの地図です。スイスがどこにあるかなどの説明は、いいですよね(笑)

グラウビュンデン州

グラウビュンデン州はスイスの南東の端にあります。国境を接しているのは、オーストリア、リヒテンシュタイン、そしてイタリアです。

そして、下の地図はWikipediaから引っ張ってきました。
2000年時点のスイスの言語分布地図です。緑色がフランス語圏、オレンジがドイツ語圏、江戸紫がイタリア語圏、京紫がロマンシュ語圏です。ドイツ語とロマンシュ語が入り交じっている場所もあります。

四つの言語がスイスの公用語ですが、その四つを全ての地域で話しているのではなく、州ごとに決まった公用語があります。例えばチューリヒはドイツ語、ジュネーヴはフランス語、ティツィーノはイタリア語という具合に一つの事が多く、例外的に二つの言葉を公用語にしている州もあります。そして、グラウビュンデン州だけは例外中の例外。地図を見ていただくとわかるように、ドイツ語、イタリア語、そしてロマンシュ語を話す地域が含まれているので、公用語が三つあるのです。ロマンシュ語はスイスではこの州だけで話される言葉です。

Map Languages CH
By Marco Zanoli (sidonius 13:20, 18 June 2006 (UTC)) (Swiss Federal Statistical Office; census of 2000) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

ロマンシュ語(もしくはレトロロマンシュ語)というのは、ラテン語から派生した言葉です。紀元一世紀ぐらいにこの辺りはローマの属州となり、ローマ帝国の版図すべての地域では公用語ラテン語を話すようになりました。でも、その後にゲルマン人がやってきて、現在のドイツ、オーストリア、スイスの一部はゲルマン化されたのです。そして、残りの部分の平地は、それぞれの支配した人びとの言語が優勢となり、イタリア語圏やフランス語圏ができたのです。でも、山の中で支配の及ばなかったところはラテン語が変化して独自の言語ロマンシュ語になったのです。ちなみに同じようにラテン語から独自の言語になった言葉(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語など)のことをロマンス諸語と総称します。

ロマンシュ語はスイス人口の0.5%ぐらいが話します。イタリア語に似ていると言えば似ていますが、まあ、イタリア語とスペイン語くらいの「似ている」かな。ドイツ語圏の人には全くわからない言葉ですが、イタリア語ができれば「なんとなくこんなこと言っているかな」と推測はできる感じですね。 もっとも、ドイツ語圏に支配されていて、長い間公文書などに使う公用語としてはドイツ語が使われてきたこともあり、かなりの語彙がドイツ語から流用されている事にも特徴があります。

イメージとしては、和語としての日本語にない新しい単語は外来語がそのまま取り入れられていますよね、あの感じです。例えば「テレビ」「パンナ・コッタ」みたいに。ああいう感じで、ラテン系の言語の中に突然ドイツ語の単語が入り交じるのです。

ロマンシュ語は絶滅の危機に瀕している言語です。子供たちは、全員ドイツ語とのバイリンガルですし、村を離れて都会に行けば話すのはドイツ語です。そこで結婚して家庭を作れば、その子孫はドイツ語を話す事になります。こうして年々ロマンシュ語を話せる人びとの数は減っており、州と連邦は危機感を持って組織的にその保護活動を進めています。

スイスの地理をご存知の方がロマンシュ語の分布をご覧になると、「ああ」とおわかりになるかと思いますが、基本的にアルプスの山の中の地域にあるのです。中央スイスに近い方の地域は、フォルダーライン河の流れるビュンデナーオーバーランドです。そしてオーストリアに近い方がエンガディン地方です。

この二つの地域は、過去にはあまり交流がなかったため、言葉はそれぞれの形で方言化しました。もちろんお互いに話は通じますが、共通ロマンシュ語(Rumantsch Grischun)を作る作業で大きな困難となっているのです。

ロマンシュ語をスイスの公用語として認め、保護しようとする動きが始まったのは、そんなに古い事ではありません。1938年にファシスト化したイタリアが、「住民がイタリア語を話す地域はみんなイタリア!」と領土拡大の侵略政策をとりはじめると「彼らが話しているのはイタリア語じゃない、独自言語だ」と、スイスはロマンシュ語を第四の公用語にしました。

実は、それまではかなり長い間「ロマンシュ語なんて話すな。ちゃんとドイツ語を話せ」と学校などではドイツ語を強要していたのです。これがロマンシュ語の人たちがイタリア語ではなくてドイツ語とバイリンガルになった理由でもあります。

そういう事情があり、ロマンシュ語はずっと方言としてだけ存在し、「公式ロマンシュ語」にあたるものが存在しませんでした。公式文書に書き記すべき文語がなかったのです。もちろんこれでは、学校でロマンシュ語を教えるのにも困ります。

共通ロマンシュ語(Rumantsch Grischun)を作る動きが本格的に始まったのは1970年代、そして、それが正式にグラウビュンデン州の公用語となったのは2001年です。現在はロマンシュ語の放送局もあります。でも、今でもまだ批判があったり、なかなか広まらないなどの問題が残っています。何故かと言うと、共通ロマンシュ語は各方言から少しずつ持ってきた言葉で出来ているのですが、そのせいで実際にその言葉で毎日話している人間が居ない、という逆説的な事になってしまうからです。エスペラント語のような感じでしょうか。人工言語というのは普及させるのは難しいのですね。ある程度の強制力とそれを日常的に使う一定数以上の人びと、そして十分な時間がないと、なかなか根付かないものです。NHK標準日本語や標準ドイツ語などのようにある方言が集権的に統制されて使われる事によってできた共通語の方が浸透しやすいのでしょうね。

このような特殊な言語ですので、イタリア語圏やフランス語圏で生まれ育った人がロマンシュ語を話せるという事はまずありません。(例外は、両親ともにロマンシュ語圏出身で、別の地域に移住しても家庭ではロマンシュ語で話し続けている場合)

他の地域のスイス人がロマンシュ語圏の人たちと会話をする時に使う言語は、ドイツ語か英語です。公用語が四つもあるにも関わらず、自国の人間と会話をする時には外国語を使わなくてはならない。このあたりは、日本の方にはとてもわかりにくい事情かもしれないですよね。

いずれ、もっと不思議な言語であるスイスジャーマン(スイス方言ドイツ語)についてもお話ししたいと思います。
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Frohe Ostern!

本日は復活祭、つまりイースターです。日曜日だからあたり前だけれどお休み。キリスト教国ではクリスマスと同じくらい大切なお祭りです。

Happy Easter!

二年前に「復活、おめでとう」という記事で書いたので、もう詳しくは書きませんが、復活祭というのは毎年日付が変わります。で、今年はこの日です。満月が昨日でしたからね。春分の後の最初の満月の直後の日曜日は今日なんですね。

春が来て、大地が息を吹返す季節。昼が夜よりも長くなり、花が咲き、人びとが掃除をしたり、自転車を引っ張りだしたりする時。

私は、(あまり敬虔ではない)カトリック教徒です。まあ、葬式仏教を信じる日本人程度に、と考えていただけるとわかりやすいでしょうか。キリスト教でそんな信じ方があるかと言われると困ってしまうのですが、その程度です。

それよりも、私は人びとの信仰の源、カトリックといった宗教のカバーに覆われて、太古から脈々と繋がる人びとの想いや祭りというものを尊重しています。春が来たことを喜び、太陽の復活を誉め歌え、命の息吹を感じる。それが復活祭の原点であると感じるから、一緒に祝っているのです。

それと同時に、移り変わり、緩やかに途絶えていきかけている何かが、再び復活してくれるといいなと願う日でもあります。諸行無常ですから、いつまでも同じということはないとわかっていても、できれば息絶えないでほしいなと願う、いくつもの事象について想いを馳せていたりします。

そんなことはさておき、今日は卵料理をを楽しもうと思います。

今朝は、昨日から仕込んでおいた「フレンチ・トースト」を食べます。「ホテルオー○ラ風」というには、漬けてある時間が足りない。そう名乗るには24時間も漬けておかなくちゃいけないらしいですが、私は12時間くらいです。

それに、土鍋プリンって、日本ではもう長く流行っているんでしょうか? 私は最近知ったんですが、簡単に大量のプリンができるんですね。土鍋あるんで、作ってみます。前に作ったときはちょっとスが入ったので今日は二度目のトライです。

みなさん、素敵な春の一日を!
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Posted by 八少女 夕

サンティアゴ・デ・コンポステラ

一日ツアーでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラに行って来ました。


巡礼で有名なスペインの北西端の街です。

ポルトからは車で二時間半くらいで行けるのですね。

夏にはたくさん巡礼者が来るのですが、まだ寒いので、大聖堂も空いていました。(満員ではない程度に)

感動するためには、やはり巡礼しなくてはならないようですね。最短100km歩くのです。ま、いつかは

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Posted by 八少女 夕

カーニヴァルの季節が来た

カーニヴァル

暖冬だと、雪道に悩まされることなくイタリア側のスイスへと行くことができます。スイスの高速道路というのは、とてもよく除雪されているので降っている最中でなければ、大抵は問題なくいけるのですが、いつ降ってくるかわからない状態だとちょっと怖いのですよね。

昨日の日曜日は、午前中晴れていたので行ってみました。道の状態は完璧でした。早く帰って来たので、帰りに家の近くでほんの少し降り出した状態で済み、ラッキーでした。

イタリア側のスイスは、例年よりも更に暖かく、お昼に4℃くらいありました。食事をしてから外に出たら妙に暖かい。この時は9℃くらいあったでしょうか。あ、もちろん摂氏プラスですよ、マイナスで話をしているわけではないです、今回は。

この日は、私たちが行った村で、子供たちのカーニヴァル行列がある日だったのです。そう、あまり暖かいので忘れていましたが、もうそういう時期なのですよね。

日本ではクリスマスほどには知られていないお祭りなので少し説明すると、カーニヴァル(謝肉祭)というのはキリスト教のカトリックの地域で行われる祝祭(みたいなもの)です。けれど、正確にはキリスト教の祝祭ではありません。カトリックのカレンダーと密接に結びついていますが、カトリックがこれを祝えということはありません。

クリスマスと同じくらい大切なキリスト教の祝祭が復活祭(イースター)です。イエス・キリストが十字架につけられて亡くなった三日後に復活したという信仰を祝う祭りです。彼が十字架につけられたのは、ユダヤ教の過ぎ越しの祭の始まる直前の金曜日でしたので、復活祭は「春分の日を過ぎてから最初の満月の直後の日曜日」と定められています。そのせいで、毎年復活祭の日は変わるわけなのです。

カトリックでは、この復活祭までの四十日間は肉や嗜好品を断って、イエス・キリストの苦難を思うべしという習慣があります(もしくは、ありました)。この四十日の断食の始まりが「灰の水曜日」という日です。この日にはミサがあり、司祭が参列者の額に灰を塗るのです。

さて、「明日から四十日間、肉も食えんし、酒飲んで大騒ぎなんて論外だ、なら今夜は騒ぐか」という日が、この直前の火曜日です。フランス語では「マルディ・グラ(太った火曜日)」といいますが、この大騒ぎがいわゆるカーニヴァルなのですね。とにかく飲んで食べて大騒ぎ、何もかも無礼講、という日なのです。

ヨーロッパの断食というのは日本人が普通イメージするような断食とは違います。肉断ちといっても、魚はノープロブレム、場合によっては家禽もOK。「全然断っていないじゃん」と思うんですが、それは習慣の違い、敬虔なカトリック教徒は、この「苦行」を黙々と四十日間続ける訳ですが、日本ほど「無宗教と言い放つことが普通」ではないにも関わらず、ヨーロッパでも敬虔な信者というのは激減していまして、私の近くの地域では四十日間の断食をしている人たちというのはそんなにたくさんはみません。もっとカトリックの強い地域では(スペインやポルトガルなど)では、今でもこの時期は魚だけという人たちがたくさんいるらしいです。

断食はしてもしなくても、カーニヴァルはなくなりません。「断食しないなら飲みだめ、食べだめはいらないだろう」という問題ではないようです。これはクリスマスが終わってから、春がくるまでの寒い時期を大騒ぎして吹き飛ばそうという祭りとなってしまっているからです。

私の住む州の州都は市町村としてはプロテスタントを採用しているのですが、カトリックの大司教座があるせいなのかカーニヴァルを盛大に祝います。たくさんのブラスバンドのグループが、それぞれの社会風刺をこらした仮装と山車を用意して、街を練り歩きます。参加者がカトリックなのかプロテスタントなのかはもはや関係ないようです。そして、大人も子供も楽しみます。中には、「一年間をカーニヴァルの準備のためだけに使う」と豪語する人すらいます。

昨日行った村は小さな村で、子供のための小さな行列がありました。それぞれ工夫を凝らした仮装で楽しむ子供たち。冬の風物詩です。

カーニヴァル
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お城行きの顛末

ここで書かないと絶対に記事にするのを忘れると思ったので、年末年始の旅行の事を書いておこうと思います。

もともと例年だと年末年始はアウグスブルグの友人の所を訪問する事が多いのです。で、今年もそのつもりで友人も「来いよ」と言っていたのですが……。どうやら彼女と大げんかした模様。空氣を読んだ私と連れ合いは「よいお年を」といって、さあ、どうしようとなりました。

せっかくの11連休ですよ。どこにも行かないなんてガッカリ過ぎる。その時に頭に浮かんだのが数日前にテレビで観たホーエンツォレルン城でした。

Burg Hohenzollern ak.jpg
Burg Hohenzollern ak“ von A. Kniesel (= User:-donald-), Lauffen - Eigenes Werk. Lizenziert unter CC BY-SA 3.0 über Wikimedia Commons.


前にもリンクしましたが、これは私が撮った写真ではありません。プロイセン王家の発祥の地に建てられたお城です。11世紀にはこの地にお城があったそうなのですが、現在のお城は19世紀に再建された比較的新しいものです。形としては、もう完璧な「ヨーロッパのお城」ですよね。

このお城、ノイシュヴァンシュタイン城ほど有名じゃないんですが、やはり南ドイツのシュヴァーヴェン地方にあります。つまり、飛行機に乗らなくても行けるのです。で、私の頭の中の「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の世界と重なってしまい「行く! 行ってみせる!」と前日に予約を入れたのです。

雪景色1

考えていなかったのが、天候でした。というのは私の住んでいる所では、大して降っていなかったし、全く積もっていなかったから。もちろん電車の遅れなどもなく、何の心配もしないで出発したのです。

でも、国境のあるボーデン湖あたりで「げ。何でこんなに積もっているの」という風景になり、しかも到着が10分くらい遅れたのです。このお城のあるヘッヒンゲンという街に行くためには、我が家からだと7回の乗り換えがあったのですが、その度に遅延だの運休だののオンパレードとなってしまい、一時は「本当に今日中に辿りつけるの?」と不安になったくらい。でも、幸い二時間半の遅れでホテルに辿りつきました。

で、チェックインの時に「あの〜、明日お城に行きたいんだけれど、行き方を……」と質問したら「え。雪崩で道が塞がれたんで、通行止めだと思うけれど」と言われてしまったのですよ。その時はまだ雪がやんでいなくて、この地方では四日止まずに降り続けているとのこと。ええ〜、ここまで来て、お城なしで宿泊だけ? 大ショックのまま、とにかく空腹なのでご飯を食べようということになりました。

ホテルブリールホフの夕食

泊ったホテルはホーエンツォレルン城のお膝元にあるブリールホフという400年の歴史のあるホテルなのですが、この地域ではグルメでも有名らしく地元の人もここぞという時には集まるという事。この日はそんなに混んでいませんでしたが、翌日の大晦日は180席近いレストランが満席。私たちは頼み込んで、キャンセルが来た途端紛れ込ませてもらって夕食抜きを逃れたのです。というだけあって、とても美味しかったです。

ホーエンツォレルン城

で、お城ですが、31日の朝は雪もやんでいて、道の雪もちゃんとどけられたらしく観光には問題なしとの事、私たちは朝一で出かけました。

シャトルバスでお城の入口まで行きましたが、そこから中庭までもけっこう歩きます。でも、私はこういうお城の光景に勝手に脳内妄想を爆発させていたので、歩くのも楽しかったです。夏はもっと歩きやすいと思うんですが、こんどは観光客だらけでここまで「お城は私のもの」というイメージは膨らまないでしょうね。

ホーエンツォレルン城

このお城、外側の撮影はOKなのですが、ガイドツアーのある部分は撮影禁止なのです。CD-Rになっている公式写真集も買ってきたのですが、WEB公開は不可という事なので、お見せできません。下のパブリックドメインになっている白黒写真、この伯爵の大広間は金と瑠璃色に彩られた荘厳な空間で、ぶら下がるシャンデリアには本物のロウソクの灯りがともされるそうです。今でもプロイセン王家が許可した特別な場合は、音楽会に使われたりするそうです。

Hohenzollern Grafensaal
Paul Sinner [Public domain], via Wikimedia Commons

個人的な感想ですが、以前観たノイシュヴァンシュタイン城はあまりにファンタジックで人が住む所とは思えない、どちらかと言うと舞台みたいだと感じたんですが、こちらは豪華だけれども、もう少し「本当に王侯貴族が住むかもしれない」と感じるものでした。やはり観光用で誰も住んでないみたいですが。

一番にんまりしたのは、図書室に掲げられた壁画のうちの一枚。1454年に一度取り壊された城が再建される所を描いた絵で、服装が私が今描いている「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の時代のものと同じなのです。「そうそう、こんな服!」という感じでニマニマしていました。CD-Rを買ってきたのは、これらの絵の写真が中で撮れなかったけれど、あとで資料にしたくなるかもと思ったからです。

辺境伯の部屋、国王夫妻の寝室、青いサロン、王妃の応接室と豪華で状態のとてもいい部屋を見学した後、宝物展示室でツアーは終わります。アルテ・フリッツのあだ名で有名なフリードリヒ大王の命を救った黄金の鍵タバコ入れや、盗難を免れた素晴らしい王冠(たくさんのダイヤモンドやサファイアで飾られています)などが展示されています。

ツアーはおよそ45分と言われていましたが、それほど多くなかった参加者たちが色々と質問しまくったせいか、一時間ほどでした。それから私たちはカフェに入ってスープを食べて暖まり、ショップで買い物をして満足していました。13時くらいまでゆったりしていたのですが、その頃にはもっとたくさんの人たちが来ていました。

私たちは帰りはホテルまで歩きました。お城の写真を撮りたかったので。途中でたくさんの車とすれ違いました。この日は大晦日のため15時でお城が閉まってしまうのですが、それを知らない人たちが次々と向かっている模様。あちゃ〜。

私たちは無事にホテルに辿りつき、冷えてしまったので熱いシャワーを使った後で、大晦日の晩餐へ。これも早めに行ったので、スタッフが戦争状態になる前で、おしゃべりをする余裕もあって楽しい食事になりました。

その分、夜の12時を待たずに寝てしまい、真夜中に花火の爆音で起こされる事になりました。スイスの田舎の村と違って立派な花火、ちょっとだけ窓からのぞきましたが、ちゃんと服とコートを着て写真を取りに行く元氣はなく、そのまま寝ちゃいました。

雪景色2

そして、元旦、往きに懲りたので早めの電車に乗りスイスに戻りましたが、天候もよくなっていて遅延も全くなく無事に戻ってくる事が出来ました。

以上、二泊三日の小旅行の報告でした。
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Posted by 八少女 夕

言葉と国境と国民

久しぶりに放置しているカテゴリー、「スイス・ヨーロッパ案内」です。私のブログって、こういうのを目指してくる方は……ほとんどいないんだろうな。でも、押し売りで語ってしまうことにしましょう。


突然ですが海外で書類を書かされる時、「Nationality欄」に「Japan」と書くべきかそれとも「Japanese」にするべきか迷った経験はないでしょうか。国籍だから当然「日本人」で長いこと考え込むような問題ではありませんが、これが「Staatsangehörigkeit」とドイツ語になると私は毎回悩みます。

もうひとつ。Japaneseの訳語、すぐに思いつくのは「日本人」ですか、それとも「日本語」ですか。そして、それはどちらもあなた自身の属性ですか。つまりあなたは日本語を話す日本人ですか。

多くの日本の方はあまりこういうことを意識しないと思います。外国で暮らす日本国籍の方か、日本で生まれ育った外国人以外、「日本人は日本語を話すもので、さらに日本に住んでいる」場合が非常に多いからです。

スイスではこういうことをしばしば意識します。今日の記事は、一つの公用語とあまり国境の変更のなかった歴史を持つ日本の方には多少わかりにくいスイスの事情について書いてみます。

スイスの公用語は四つあります。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語です。けれど、一人で四カ国語話せる人はほとんどいません。基本的に母国語は一つです。大抵の場合は一つの州に一つの公用語です。二つの公用語の州、そして、例外的に私の住むグラウビュンデン州だけ公用語が三つあります。しつこいですが、三か国語を全員がわかるのではなく、住んでいる市町村ごとにその言語が決まっているのです。

ロマンシュ語はグラウビュンデン州の限られた地域で話されている言語で、語学学校などで学ぶことも出来ないので、たとえばジュネーヴに生まれた人がロマンシュ語を話せるようになるのは、日本人が中国のミャオ族の言語を話せるようになるくらい珍しいことです。つまり、その地域に住まないと習得できません。

ロマンシュ語はイタリア語に近い語彙と、長い間ドイツ語圏の人びとに支配された歴史から文法や語彙の一部を受け継いでいるラテン語系の言葉です。しかも谷によってまったく違う方言で共通ロマンシュ語を作る作業も難航しました。一方、ロマンシュ語はそれ以外の地域の人には全くわからず、さらに長い間公用語としての地位が認められていなかったため、彼らはドイツ語を習得することが義務づけられてきました。だから大抵のロマンシュ語圏の人はドイツ語とのバイリンガルです。

さて、隣の州の人が自分にはわからない言葉で話すから、その人は外国人と同じでしょうか。国境の向こうに自分と同じ言葉を話すから、そっちのほうにシンパシィを感じるでしょうか。いいえ違うのです。

ドイツ語圏のスイス人とフランス語圏のスイス人の間には溝があると言います。(「ロシュティの溝」といいます)イタリア語圏のスイス人のことをドイツ語系やフランス語系は小馬鹿にしたりもします。それでも、彼らはドイツ人やオーストリア人やフランス人やイタリア人よりも別の言語圏のスイス人のことが好きだし、「俺たちはあいつら(外国人)とは違う」と思っているのです。

もっとも、外国の定義も日本ほど単純ではありません。歴史をみると、スイスのある地域はローマ帝国に属していたこともあるし、また別の地域はドイツ皇帝の支配下にありました。現在のイタリアの一部をスイスの州が持っていたこともありますし、建国が1291年と言っても、現在の国境と同じスイスになったのは1815年以降です。

あ、今のスイスは完全に独立しています。もっとも国土を囲んでいるEUに合わせなくちゃいけないこともあって、それが不満なスイス人もけっこう多いみたいです(笑)
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旅先でポルトガル史のお勉強

ギマランイス城にて

三回目のポルト旅行から無事に戻ってきました。服装の読みが甘かったらしく、風邪を引いてしまいましたが、あまり悪化もせずに終息に向かっております。出発の前はスイスもとっても暖かかったんですけれどね……。

スイスに戻ってきてから、かなり穏やかな天候で、むしろこっちの方が暖かいじゃないのと地団駄踏んでいますが、旅行中はスイスにも雪が降っていたそうで、やっぱりポルトに行ってよかったわと。

今回は世界遺産のギマランイスとブラガにも足を伸ばしました。別に狙っていたわけではないのですが、旅の途中からむくむくと頭をもたげていた新作のアイデアもガンガン仕入れ、なんだか休暇で行ったんだか取材旅行に行ったんだかわからない事になっております。

もともとギマランイスには電車でぶらっと行こうと思っていたのですよ。でも、地理勘もないし、連れ合いの足が痛かったということもあって、無駄に歩き回りたくなかったので効率よく回れるツアーを探したんですよね。そして見つけたのがポルトのホテル発着で昼食と各種入場料込みの一人65ユーロのツアー。学生の頃なら却下したでしょうが、この歳になるとやはりこの程度の金額なら楽を選びます。

で、シーズンオフということもあって参加者がいなかったんでしょうね、貸し切りツアーになってしまいました。運転手兼ガイドの方が10時間付きっきりで案内解説してくれたんですよ。歴史の面白い話てんこもりで、途中から連れ合いの脳みそはパンクしていたようですが、もともと史学科出身の私、なおかつ小説のネタになりそうな話ばかりで、もう小躍り状態でございました。どのくらい使えるかはわからないんですけれどね。これからまた資料を集めようかと思っています。

ポルトガルの歴史は世界史の時間だとほとんど飛ばされているじゃないですか、スペインとセットで大航海時代に一瞬出てきておしまい、みたいな。だから私もいろいろとわかっていなかったのですが、やはり自分の国の歴史として話してくれる方にきくと面白いんですよね。

ちなみに構想に取りかかっている新作は歴史物ではありません。現代ものだけれど、「大道芸人たち」のような普通の世界の話ではなく、「樋水龍神縁起」ほどではないにしてもありえない事が入っているお話です。
(っていうか、ついこの間、新連載始めたばかりなのにもう新作の話……)

ヒロインの名前を決めたら、なんとそれはギマランイスの近くの地名と一緒でした。それだけでニヤニヤしてしまっていた危ない私でした。
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ポルトにいます



今年もポルトに来ています。予報では雨だと言われていた今日も降るには降りましたが、すぐに青空が広がって、傘を使わずに楽しめました。

今夜はファドを聴いて旅情に浸ります。
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Posted by 八少女 夕

熊だらけの街・ベルン

需要があるのかわからないけれど、よく考えたら、あまりスイスやヨーロッパの観光情報って書いていないかもと思ったんですよね。もともと、ここは海外情報ではなくて小説のブログなので、わざと書いていなかったのですが。

検索ワードを見ても、スイス関係でここに来る人はほとんどいないんですよ。リンクしているお友達のところには結構行くみたいなんですが。まあ、いいか。そんなわけで需要はゼロかもしれないけれど、最近ネタに困ったりすることもあるので、書いてみようかな〜と。

ネタ詰まりの他に、なぜ突然そんなことをと思うかもしれませんね。
実は、スイスのことが大好きで調べている日本の方とお話をする機会があったのですよ。そして認識しちゃったのですが、どうやらその方が必死に調べるようなことを、片手間に書けるくらいのネタが私の頭の中にあるみたいなのです。そういうわけで時々スイスまたはヨーロッパ案内みたいな記事も突然出てくるかもしれません。あしからず。

で、今日はベルンの話。
ベルンの時計台


スイスの首都なんですけれど、ご存知でしょうか。チューリヒやジュネーヴの方が大きいし有名なんで「え、首都違うの?」って方もいらっしゃるんじゃないかなあと。そう、ベルンなんです。

スイスのちょうど真ん中あたりにあって、そんなに大きくないのですが、とても素敵な街なのですよ。実をいうと私はチューリヒやジュネーヴは便利だと思うのですが「スイスに行くならどこを観たらいい?」と訊かれてお薦めすることはあまりないのです。まあ、大体の方はどちらかは通るので、私がお薦めしようがしまいが観光なさるんですけれどね。

で、ベルンに話は戻りますが、とても素敵な小都市なのですよ。昔ながらの建物、アーケードが残り、アーレ川を眺める素敵なテラスもあります。そして、ベルンは名前もそうなのですが熊にゆかりがあり、やたらと熊モチーフのある街です。

街の中心部にある時計台では定時になると、音楽とともに熊が出てきてまわる仕掛けがあります。熊の彫像も道の真ん中に建っていますし、本物の熊もいるのですよ。

美術館も充実しています。サイズも適当で観光があまり疲れないのもポイントですよね。

スイスらしさを満喫するには都市と田舎と両方を観る必要があるのですが、都市の代表としてぜひ立ち寄っていただきたい街なのです。

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Posted by 八少女 夕

水のある風景

本題とは関係ないのですが、一昨日訪問して書いたコメントの八割がなくなっていて、ふてくされております。そういうわけで、ふてくされたまま昨日はコメントをほとんど書きませんでした。だからこれは消えたわけではありません。本日くらいには復活するかな……。で、この下から本日の記事です。

まあ、日本ほど暑くないんで、さほど涼をとりたいというわけでもないんですが。なんとなく。

シェーンブルンにて

海外旅行でカメラを持っていると必ず一枚か二枚は撮ってしまうのが、水辺の写真です。

思ったほどいい写真が撮れなくてがっかりすることもあるんですけれど。水に光が反射する感じ、その動きが好きみたいです。

この写真はウィーンのシェーンブルン宮殿の庭ですね。庭と言ってもものすごく広いんです。時期は七月でしたね。直射日光の強い暑い日で、庭の木陰と風で運ばれてくる噴水の水が涼しくて嬉しかったのを思い出します。
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Posted by 八少女 夕

Cadtell'Arquato



旅の途中です。美しいお城の街にいます。朝の光が優しいですが、これから暑くなります。今日はリボルノまで行くのです。
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ラインの滝にいます



シャフハウゼンに来ています。
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Posted by 八少女 夕

さよならポルト



一週間はあっという間でした。
ポルトにお別れして明日からまた普通の小説のブログに戻ります。
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