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Posted by 八少女 夕

リゼロッテと村の四季 あらすじと登場人物

【あらすじ】
ドイツ人の少女リゼロッテは、健康になるためにスイスの小さいカンポ・ルドゥンツ村にやってきた。彼女が、スイスの田舎で大人や仲間たちとの交流を通して、世界を理解していく様子を描く。

【登場人物】
(年齢は第一話時点のもの)
◆リゼロッテ(リロ)・ハイトマン(Liselotte Heitmann)11歳
 紫がかった灰色の瞳。透き通るような白い肌にローズの唇。焦げ茶の長くて細い髪。ドイツで生まれたが病弱で医者に空氣のいいところで療養するように言われて、この村の館に住むことになった。

◆ジオン・カドゥフ(Gion Caduff)9歳
 焦げ茶の瞳に、黒くて硬い髪。比較的短いが、ボサボサ。ずんぐりした体型で太い眉。農家の三男で薄汚れた服を着ている。勉強は苦手。

◆テオドール・ハイトマン(Theodor Heitmann)45歳
 リゼロッテの父親。裕福な商人。医者の妻が、別の医者とアメリカに駆け落ちしたが、本人も忙しいのでリゼロッテの教育は使用人に任せっきりである。三週間に一度くらい、週末に訪れ、リゼロッテと過ごす。女優のドロレス・ラングとつき合っている。スイスを田舎と馬鹿にしてTeodorと綴られるのを毛嫌いしている。

◆ハンス=ユルク・スピーザー(Hans-Jürg Spieser)13歳
 村の子供たちのリーダー的存在。もの静かで優秀。ギムナジウムへの進学を勧められている。ブルネットで黒い瞳。背が高い。

◆ドーラ・カドゥフ(Dora Caduff)12歳
 ジオンの姉。ちゃきちゃきしている。リゼロッテの面倒をよく見る。

◆マルク・モーザー(Marc Moser)12歳
 小さい子供たちにつらくあたったり、ハンス=ユルクにつっかかる村の問題児。

[ハイトマン家の使用人たち]
◆ヨハンナ・ヘーファーマイアー(Johanna Höfermeyer)36歳
 リゼロッテの家庭教師。

◆カロリーネ・エグリ(Caroline Egli)41歳
 カンポ・ルドゥンツ村出身の家政婦。

◆ロルフ・エグリ(Rolf Egli)47歳
 カロリーネの夫で、力仕事を請け負っている。

[カンポ・ルドゥンツ村の大人たち]
◆ヨーゼフ・チャルナー(Josef Tscharner)38歳
 カンポ・ルドゥンツ村の牧師。

◆アナリース・チャルナー=スピーザー(Annalise Tscharner-Spieser)32歳
 牧師夫人。ハンス=ユルクの叔母。

◆タニア・ギーシュ(Tania Gies)
 美容師で豪快な姉さん。

◆パウル・モーザー(Paul Moser)
 マルクの父親。イェーニッシュで村の鼻つまみ的存在。

◆マティアス&ベアトリス・カドゥフ
 ジオンたちの両親。酪農家。ハイトマンのことを「金持ちのSchwab(シュヴァブ)」と言い放つ。

◆パウル・カドゥフ(Paul Caduff)18歳 & クルディン・カドゥフ(Curdin Caduff)17歳
 ジオンたちの兄。

[カンポ・ルドゥンツ村の子供たち]
◆アネット・スピーザー(Anet Spieser)10歳
 ハンス=ユルクの妹。おしゃま。
◆アドリアン・ブッフリ(Adrian Buchli)11歳
◆ルカ・ムッティ(Luca Mutti)8歳
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Category : 小説・リゼロッテと村の四季

Posted by 八少女 夕

【小説】リゼロッテと村の四季(1)紫陽花いろの雨

limeさんが、とても素敵なイラストを自由に使っていいとおっしゃってくださっていて、しばらく考えていたのですよ。

(イラスト)雨の精はきっとロマンチスト★

本当は、limeさんのイラストにつけるとっても小さい話のはずだったんですが。なぜかどんどん設定が進んでいってしまい、現在登場人物リストに20人以上いる、長い話になってしまいそうな予感。もちろん、いますぐ連載をはじめたりはしません。本当のさわりだけです。「リナ姉ちゃんのいた頃」と同じように、不定期に時々書いていこうかなと思っています。どっちもスイスのカンポ・ルドゥンツ村の話ですが、あちらは現代の話、こちらは20世紀初頭、第一次世界大戦くらいまでの時期をイメージして書いています。

それに、これ子供の話なんですが。来月のアルファポリスの大賞に出す予定はありません。たぶん、最終的には全く児童文学とは関係のない話になりそうなんで。




リゼロッテと村の四季
(1)紫陽花いろの雨

 涙雨のようだった。リゼロッテは、項垂れて庭の片隅へと向かった。彼女の細くて長い焦げ茶色の髪も、それを飾っている明るい茶色のサテンリボンも、しっとりと雨に濡れていた。ヘーファーマイアー嬢がオルタンスやグラッシィの話を好きでないのは知っていた。でも……。

「ええ。ハイトマンさん。こんなことを言うのは氣が引けるんですけれど、お嬢さんの体だけではなくて、一度、脳の方もお医者さんに診ていただいた方が……」
「なぜそんな事を言うのかね。あの子は、引っ込み思案ではあるが、至極まともに話をするではないか」
「ええ。でも、ご存知ではないでしょう。お嬢さんは、ガラス玉の妖精や、花の上の小さい娘さんと話ができるなんていうんですよ。もう二十世紀になったというのに!」

 書斎で話をする父と、リゼロッテの教育を任されている家庭教師の会話を耳に挟んでしまったのは偶然だった。

「なに、あの子はふざけているだけだろう。でも、くだらないことは言わないように、言っておかねばならないな。人に信用されなくなるような言動は慎まないと。そういえば、あの子の母親も虚言癖があった」
父親は忌々しげに呟いた。

「そうでなくても、この辺りは無知蒙昧な野生の山羊と変わらない人たちが住んでいるんですもの。ほっておいたら、どんな迷信を吹き込まれるかわかりませんわ。つい先日まで、魔女狩りをしていたって話、聞きましたか? お嬢さんのお体が十分によくなられたら、一日も早くデュッセルドルフに戻るべきですわ」
「そうかもしれないな」

 虚言……。花の上に妖精が住んでいると絵本を読みながら語ってくれたのは、リゼロッテの母親だった。国でまだ数人目の女医として、とても忙しく働いていたけれど、一日の終わりには、リゼロッテのベッドに来て抱きしめてくれた。

「あいつは、お前を捨てて、男とともにアメリカに行ってしまったのだ。もうお母さんのことは忘れなさい」
ある日、父親に突然言われた。それからリゼロッテには、絵本を読んでくれる人はいなくなった。

 ある時、突然このスイスのカンポ・ルドゥンツ村に連れてこられた。リゼロッテの虚弱体質を改善するためだと言って。デュッセルドルフの屋敷よりも部屋数は少ないけれど、庭が広くて太陽の燦々と降り注ぐ、美しい家だ。

 庭の一番奥に、紫陽花が植えてあって、夏のはじめになると、リゼロッテの顔ほどもある青い花を咲かせる。彼女は、その花に、美しい花の妖精がいるのではないかと思った。母親が読み聞かせてくれた絵本の中に沢山飛んでいたように。

 そんなリゼロッテに、そっと話しかけてくれたのが、オルタンスだった。

雨の精はきっとロマンチスト by limeさん
この画像の著作権はlimeさんにあります。二次使用についてはlimeさんの許可を取ってください。


 艶やかな青い髪を持った、優しい妖精。リゼロッテは、いつだったか確かに彼女の声を聴いたと思った。姿もわずかな時間だけは見かけたように思う。
「なんて心地いい雨なんでしょう。リゼロッテ、あなたも一緒に水浴びしましょうよ」

 でも、お母さんは、私に嘘を言っていたの? そして、私が、オルタンスと友達なのは、嘘つきの子供だからなの? オルタンス、あなたは本当にいるの? 答えてよ。

「オルタンスって誰だよ?」
突然生け垣から声がしたので、リゼロッテは飛び上がった。

 声のした方を見ると、生け垣から、薄汚れた服を着た少年が顔を出していた。ごわごわの短い髪が乱れている。太い眉と、大きめの目が印象的な子だ。
「あなた、誰?」

「俺? ジオンって言うんだ。あっちの先の酪農場に住んでいる。あんたは?」
「私は、リゼロッテ。リゼロッテ・ハイトマンよ」
「ああ、《金持ちのシュヴァブ》のお嬢様ってのは、あんたか。確かにいい服着てるよな」

 リゼロッテは、そんな不躾な事を言われたのははじめてだったので、面食らった。そもそも、彼女は子供と話をしたことがほとんどなかった。兄妹がいない上に、体が弱くて学校に行ったことがないので、子供と知り合う機会がほとんどなかったのだ。

 とくに、この村に来てからは、子供と知り合う機会がなかった。ヨハンナ・ヘーファーマイアーは、この地方の方言を毛嫌いしており、お嬢様にそんなクセがついたら大変だと思っていたからだ。リゼロッテが館の外に出るのは、日曜日の礼拝のときだけで、しかもわざと、村の人びとのほとんどやってこない早朝にだった。

「それで、なんで泣いているんだ? オルタンスって誰?」
ジオンは、大きな瞳を見開いて訊いた。聴き取りにくい方言だけれど、その様子には、馬鹿にしたり、意地悪を言っている様子はなかったし、ヘーファーマイアー嬢のように眉をしかめてもいなかったので、リゼロッテは躊躇しながら答えた。
「……友達。紫陽花に住んでいる水色の女の子。でも、本当はそんな子、いないのかもしれないって思ったら悲しくなってしまって……」

 ジオンは、首を傾げた。
「今は、いないだけかもしれないだろ? そういうヤツらは、いろいろと忙しいんだぜ」
「そうなの?」
「そうさ。クリスマスに、赤ちゃんキリストが来る(注1)って言うじゃないか。でも、全部の家に行くんだから忙しくて、だから、一度だって出くわしたことないだろう?」
「あ」

 そういえば、「赤ちゃんのキリストがクリスマスに来る」というのは、母親だけでなく、父親もヘーファーマイアー嬢も口にしていた。だったら、オルタンスだって、やっぱりいるのかもしれない。

 リゼロッテは泣くのをやめた。けれど、やはりどこか寂しそうな微笑みを見せた。紫陽花いろの雨がしっとりと二人に降り注ぐ。ジオンは、少し考えてからポケットに手をやった。
「そのオルタンスがいないと、寂しくて泣いちゃうなら、代わりにすごくいいものを置いていってやるよ。さっき見つけたんだ。雨じゃないと出てこないんだ。俺だって滅多に見たことのない、宝石みたいに綺麗な上物だぜ」

 宝石みたい? リゼロッテは、薄汚れた少年から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったので、目をみはった。彼は、ポケットから小さなブリキの缶を出した。そして、そっと蓋に手をやると言った。
「よし、手を出せ。氣をつけろよ。すぐ行っちまうから」

 なにが? そう訝りながらも素直に出したリゼロッテの手のひらの上に、彼はそっと缶を逆さにした。冷たい感触がぴくっと触れた。鮮やかな、つややかな緑色。

 それから、リゼロッテはびっくりして叫んだ。
「きゃーーーっ!」

 その声に驚愕して、逃げ去ったのは、手のひらの上に置かれた小さなあまがえるだけではなくて、繁みから顔を出していたジオンもだった。

* * *


 大騒ぎが起こって、すぐに探しにきたヘーファーマイアー嬢に館に連れて行かれたリゼロッテは、雨に濡れて風邪を引いたらどうするんだとか、粗野な村のこどもと話したりするからだとか、散々注意された。

 父親は、あまりきつくは叱らなかったが、「妖精がいるというようなくだらないことを言ってはいけないよ」と諭した。

 リゼロッテは、先ほどよりも、ずっと悲しい心持ちになっていた。

 とても驚いて、叫んでしまったけれど、あのあまがえるは、そんなにきもちが悪かったわけではなかった。あのジオンという少年も、意地悪で蛙をくれたのではなくて、きっと本当にリゼロッテを慰めてくれるために自分の宝物を渡してくれたのだろう。それなのに、自分はすべてをめちゃくちゃにしてしまった。あの子には、嫌われてしまっただろう。

 彼女は、部屋に戻ると、自分の宝箱の中を覗き込んだ。一度はいたと思った、もう一人の友達、ガラス玉おはじきの中に住む小さな女の子グラッシィもやはり姿を見せなかった。リゼロッテは、肩をふるわせて机に突っ伏した。

* * *


 翌朝は、晴れ渡っていた。書き取りと、かけ算の課題が終わった後に、リゼロッテは庭にでることを許された。一番奥の紫陽花は、とても綺麗な青色で咲いていた。ジオンが首を突っ込んだために、その横の生け垣の下部がスカスカになっている。もう、来ないよね、きっと。リゼロッテは、悲しくその穴を眺めた。

 ふと、濃いピンクの何かが目に留まった。屈んでみると、小さく束ねてあるアルペンローゼ(注2)だった。小さな紙がついていて、汚い字で「ごめん」とだけ書かれていた。しかも、綴りが間違っている。

 リゼロッテは、ジオンからの贈り物を抱きしめた。紫陽花の青い花が風に揺れて話しかけた。
「よかったね! リゼロッテ!」

 彼女は、今日は見えていない優しいオルタンスに微笑んで、アルペンローゼを抱きしめたまま、館へと戻っていった。

(初出:2015年7月 書き下ろし)



(注1)ドイツ語圏ヨーロッパでは、クリスマスにサンタクロース(サン・ニクラウス、来るのは12月6日)は来ない。25日の朝にやって来るのは生まれたばかりのキリスト。ただし、20世紀初頭のグラウビュンデン州では現在のようにクリスマスの朝、樅の木の下にプレゼントが用意されているという習慣は浸透していなかった。
(注2)アルペンローゼ(アルプスの薔薇という意味)はツツジ科の灌木でアルプスの高地に咲く。エーデルワイス、エンツィアンとともに「アルプス三大名花」と呼ばれている。
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Category : 小説・リゼロッテと村の四季
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Posted by 八少女 夕

【小説】リゼロッテと村の四季(2)山羊を連れた少年

20世紀初頭のスイスの田舎カンポ・ルドゥンツ村を舞台にした不定期連載「リゼロッテと村の四季」を戯れに書いてみました。まだ特に話は大きく動いていませんけれど、ジオンの家のことや当時の村での学校制度の事などが少しずつ明らかにされています。

今回もlimeさんの素敵なイラストを使わせていただいています。
(イラスト)妄想らくがき・雨なら飴の方が・・・
limeさん、どうもありがとうございます。



「リゼロッテと村の四季」「リゼロッテと村の四季」をはじめから読む
あらすじと登場人物




リゼロッテと村の四季
(2)山羊を連れた少年


 メエエ、メエエと鳴き声がした。リゼロッテは、窓に駆け寄って大きく開け放った。庭の向こうの小径を二十頭くらいの山羊が歩いているのが見えた。

 ヘーファーマイアー嬢は、この村を歩き回る山羊が大嫌いだ。
「山羊のチーズほど臭いものはないと思っていましたが、もっと臭いものがあったのね。雄山羊が通ると、ずっと先でもわかる。おお、いやだ」

 リゼロッテも、山羊のチーズは苦手だ。一度出てきて、ひと口食べて、残りには手を付けなかった。
「チーズを食べないと、健康にはなれませんよ、嬢ちゃま」
家事の一切を引き受けているカロリーネ・エグリは言ったが、ヘーファーマイアー嬢が「食べる必要はない」と言って皿を下げさせた。

 それから山羊のチーズが出てくる事はなくなったのだが、そのチーズの源である山羊の行列にリゼロッテが興味を持つのには理由があった。

 行列の一番前には、長ズボンを履いた若い青年が行く。カロリーネによると、この館に一番近い酪農家カドゥフ家の17歳になる次男でクルディンというらしい。行列の前になったり、後になったりして動き回る、落ち着きのない白い犬がチーロ、そして一番後からついていく半ズボンの少年がジオンだ。

 先月、館の生け垣に頭をつっこんで、リゼロッテと話した、あの硬い髪の少年だ。紫陽花の精オルタンスやガラス玉おはじきの中に住む小さなグラッシィのような、本当にいるのかもはっきりしない友達しかいなかったリゼロッテの、たぶん最初の友達になってくれそうな少年だ。彼女は、通りを行くジオンに大きく手を振った。少年もそれに手を振って応える。

 それが終わると、リゼロッテは、階下に降りて行った。応接間に置かれた大きないかめしい机の前に座って、ヘーファーマイアー嬢のいう通りに書き取りをしたり、計算をしたり、それから本を朗読したりしなくてはならない。

 ジオンは、山羊とどこかへ行く。本も持っていないから、学校に行くようにも見えない。私も外に行きたいな、こんなにきもちよく晴れているのだもの。でも、ヘーファーマイアー嬢に言うと叱られる事がわかっているので、リゼロッテは大人しく勉強した。

 昼食後、一時間ほどの自由時間がある。リゼロッテは、そっと台所に向かった。カロリーネが、せっせと床を磨いていた。
「あれ、どうしましたかね、嬢ちゃま。何かお探し物でも」

 カロリーネのはとても聴き取りにくい発音で話す。はじめは、ヘーファーマイアー嬢の言いつけを破って、方言でリゼロッテに話しかけているのかと思っていたが、夫であるロルフ・エグリが樋の修理にやってきた時に二人で話していた言葉を聴いたら、まったく何を言っているのかわからなかった。それで、リゼロッテは、これまでのカロリーネが遣っていた言葉は、訛は強いけれど正規ドイツ語だったのだとようやくわかった。

「いいえ。探し物ではないの。訊きたい事があって」
「なんでしょう。訊いてくださいな」

「あのね。どうしてジオンは学校に行かないの? 私みたいに家庭教師に習っているの?」
リゼロッテの質問の意味を理解しようと、しばらく口をあんぐりと開けていたカロリーネは、それからあははと笑った。

「ジオンに家庭教師ですって? それは傑作な冗談だこと。いえいえ、嬢ちゃま、ジオンは学校に行きますよ。でも、それは冬の間だけですよ」
「え?」

「学校は、十月に始まって、復活祭でおしまいになるんですよ。そうじゃなかったら、夏の間、働けませんからね」
「働く?」
「もちろんですよ。ここでは、夏の間、みんな働くんですよ」

 カロリーネは、ジオンは9歳だと言った。リゼロッテよりも二つ歳下だ。でも、リゼロッテは働いた事などない。そう言ったらカロリーネは大きく笑った。
「嬢ちゃまは生涯働く必要なんかないですよ。どこかのお金持ちの奥様になるんでしょうから」

 でも、リゼロッテの母親は、医者だった。ドイツで医者の資格を取った女性はまだ五人くらいしかいない。母親は、その事を誇りに思うと言っていた。
「女でも、努力すればやりたい事を職業にできるのよ。医者だって、飛行機のパイロットだって」

 でも、私はどんな職業に就きたいのかわからない。お父さんもヘーファーマイアーさんも、それにカロリーネも、私はお嫁さんになればいいって言うけれど、それでいいのかな。ジオンだって働いているのに。

 リゼロッテは、考えながら自分の部屋に戻った。早く夕方にならないかな。ジオンがまたあの道を帰ってくるだろうから、また手を振ってみよう。

 それから、不意に、先日もらったアルペンローゼのお礼をしようと思い立った。何かないかしら、ジオンにあげられるもの。リボン、お人形、だめだめ、そんなのいるはずはないわ……。

 リゼロッテは、自分の宝箱をそっと開けた。中には色とりどりの丸いガラス玉が入っている。いつだったかお母さんがヴェネチアに行って買ってきてくれたムラノ島の手作りおはじきだ。

「こんにちは。リゼロッテ。今日は、もう遊べるの?」
明るい声がしたように思った。あ、グラッシィ! リゼロッテは、箱の中を覗き込んだ。

 リゼロッテにしか見えない、それも、いつも見えるわけではない小さい友達。リゼロッテは、彼女をグラッシィと呼んでいる。おしゃまで、ケラケラと笑う、楽しい少女だ。

「雨なら飴の方が」 by limeさん
この画像の著作権はlimeさんにあります。二次使用についてはlimeさんの許可を取ってください。

「ううん、グラッシィ。まだ遊べないわ。すぐに、午後の授業が始まっちゃうもの。ねぇ、それより、あなたのガラス玉、少しもらってもいい?」

 リゼロッテは、小さい友達に話しかけた。グラッシィは、首を傾げた。
「どうするつもり?」
「友達にわけてあげようと思うの」
「女の子?」
「ううん、男の子よ」

 グラッシィは、つんとして首を振った。
「だめよ。男の子は、おはじき遊びなんかしないわよ。カエルやヘビにしか興味がないのよ。あたし、そんなところにはいかない」

 リゼロッテは、項垂れた。ダメなの……。じゃあ、何をあげたらいいんだろう。わたしにはカエルやヘビは用意できないもの。

* * *


 午後の授業は、なくなった。カールスルーエのカイルベルト氏とその夫人が、イタリア旅行の途上で訪ねてくることになったのだ。リゼロッテの父親はしばらくここに来ないのだから、わざわざ訪ねてこなくても良さそうなものだが、「そういうものではない」らしい。

 リゼロッテは、父親の名代として応接室に座っていなくてはならないが、もちろん11歳で大人の応対などできるわけはないので、実際の会話はヘーファーマイアー嬢がする。かといって、あくびをしているわけにもいかない。

「いずれは立派な奥様になるために、こういう応対に慣れておくのはいいことです」
ヘーファーマイアー嬢は断言した。

 カイルベルト氏は、リゼロッテの父親の遠縁に当たる裕福な商人で、柔らかい視線をした丁寧な紳士だが、華やかで美しいカイルベルト夫人は、とても口数が多い上、身振り手振りも口調も大袈裟だった。

「まあ、リゼロッテも本当に大きくなって。すっかり健康そうになりましたね。三年前に会った時は本当に痩せていて、顔色も悪かったから、とても心配したんですよ。でも、お医者様のお母さんがついているのに、いろいろと言うのもねぇ……あっ」

 どうやら、ヘーファーマイアー嬢の表情から、リゼロッテに母親の話をするのはタブーだと氣がついたのだろう、それからよけいに内容のない言葉をたくさん使って騒いだが、リゼロッテは黙って下を向いていた。

「お前、リゼロッテにお土産を持ってきたのだろう」
カイルベルト氏が、助け舟を出した。それで夫人は、再びはしゃいで、荷物からとても綺麗な花柄の箱に入ったプラリネを取り出した。

「チューリヒのシュプリュングリィのものなんですのよ。私たちが帰る時にももう一度行って買って帰るつもりなんです。やはりプラリネはここでなくっちゃ」

 箱の中に24個の一つひとつ形の違うプラリネが綺麗に並んでいる。カロリーネの持ってきたコーヒーを飲みながら、カイルベルト夫人は物欲しそうな目をした。ヘーファーマイアー嬢はリゼロッテに、箱をテーブルに置くように言い、それはお客様にも召し上がっていただけと言う意味だったので、リゼロッテはヘーファーマイアー嬢に箱を渡した。

「今は二つだけですよ」
ヘーファーマイアー嬢に言われたリゼロッテは、ピスタチオが載ったものと、クルミの載ったものを一つずつお皿にとり、残りのプラリネが自分から遠ざけられて、カイルベルト夫妻にどんどん食べられてしまうのを残念に思いながら見つめた。

 プラリネを食べようと思ったその時に、不意にこれをジオンにあげようと思い立った。それで、大人たちに見られないように、そっとポケットにしまい、大人しく自分用に用意されたミルクを飲んで、それからしばらく退屈な会話に耳を傾けた。

* * *


 夏の日暮れは遅く、八時半頃だ。「メエエ、メエエ」という鳴き声がしたので、リゼロッテは、また窓の方へと行ってみた。歩いてきたジオンが、何か合図をしている。リゼロッテは頷くと、そっと庭の生け垣の方へと向かった。

 以前、彼が頭をつっこんだオルタンスの紫陽花の影になった繁みから、ジオンは再び顔を現わした。
「よう。いいもの見つけたから、持ってきたんだぜ」

 リゼロッテは、またカエルなのかと身構えた。
「違うよ。カエルやヘビは嫌なんだろ。こっちさ」

 そう言って彼が取り出したのは、エンツィアン(注1)だった。
「まあ、なんて綺麗な青なの!」
とても深い宝石のように濃いブルー。

「山の上じゃないと咲いていないんだぜ。すぐにしおれちゃうから、いますぐ水に漬けろよ、リロ」
少年は、大きな目を片方つむった。

「リロ?」
リゼロッテは、自分を指した。
「うん。だってリゼロッテって長いだろ。嫌か?」

「ううん、嫌じゃないけれど、変な感じ」
「すぐに慣れるさ」
ジオンは、もう勝手にそう呼ぶと決めているようだった。

「じゃ、またな」
そう言って、躙り出ようとする少年を、リゼロッテはあわてて止めた。
「待って。これ、渡そうと思ってたの。この間のアルペンローゼのお礼よ」

 そういって先ほどのプラリネを出そうとポケットを探る。取り出してみると、それは少し溶け変形していて、あまり美味しそうには見えなかった。
「潰れちゃった……。ごめんね。また今度もっとちゃんとした形のを……」

 再びポケットにしまおうとするリゼロッテの手から、ジオンは素早く一つ奪った。
「形なんて、どうでもいいよ! これ、食べていい?」
「ええ。もちろん。こんな潰れていてもいいなら、こっちも……」

 言い終わる前に、一つのプラリネは、もうジオンの口の中に消えていた。目をキョロキョロさせた後、しばらく瞑って、溶けていくチョコレートのハーモニーを楽しんだ。
「ああ、うめぇ。プラリネを食べたのは、まだこれで二度目なんだぜ」

「もう一つは、食べないの?」
リゼロッテが残りのプラリネを差し出しながら訊くと、彼はしばらく至福をもたらすに違いない誘惑と戦っていたが、やがてそれをとってポケットにしまった。

「ドーラにやる」
「ドーラ?」
「俺の姉ちゃん。あいつも、プラリネ大好きだもの。俺だけ食べるのは不公平だ。じゃあな、ありがとう、リロ!」

 リゼロッテは、にじりながら生け垣から消えていくジオンの姿をじっと見ていた。両親や、兄弟姉妹と楽しく食卓を囲む少年の姿を思い浮かべた。それからプラリネをとても喜ぶであろう、まだ見ぬドーラという女の子の姿を思い浮かべた。もしかしたら、彼女の秘密の友達、おしゃまなグラッシィと似ているのかなと思った。


(初出:2015年8月 書き下ろし)



(注1)エンツィアンは濃い青色をしたリンドウ科の草花でアルプスの高地に咲く。エーデルワイス、アルペンローゼとともに「アルプス三大名花」と呼ばれている。
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Category : 小説・リゼロッテと村の四季
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【小説】リゼロッテと村の四季(3)教会学校へ

20世紀初頭のスイスの田舎カンポ・ルドゥンツ村を舞台にした不定期連載「リゼロッテと村の四季」をちょっと進めてみました。

今回は新しいキャラクターがわんさか出てきます。でも、びっくりしないでください。重要なキャラはそんなにいませんので。視点は初登場のドーラです。ジオンの姉ですね。牧師夫人であるアナリース・チャルナーとその甥でもあるハンス=ユルク・スピーザーも初のお目見え。

リゼロッテの村の生活はこの辺りから少しずつ変わっていきます。



「リゼロッテと村の四季」「リゼロッテと村の四季」をはじめから読む
あらすじと登場人物




リゼロッテと村の四季
(3)教会学校へ


 ドーラ・カドゥフは、丁寧に髪を編んでから、日曜日用の晴れ着を戸棚から取り出して、注意深く袖を通した。彼女の持つ唯一のスカーフを形よく胸元で結ぶと、窓から顔を出した。そして、まだ泥だらけの服装のままの弟を見つけるとため息をついた。

「ジオン! 今すぐ用意をしないと、間に合わないわよ」
鶏の卵を抱えた少年は、彼女に目を向けるといつもと同じように「わかっているよ。すぐに」と言った。

 彼らの家は、母屋の他に牛小屋と山羊小屋、そして鶏小屋がある。鶏に餌をやり卵を集めるのはかつてはドーラの仕事だったが、現在は弟のジオンが担当している。ドーラには、窯の火を絶やさないようにする役目と、泉から水を汲んでくる役目があった。それに彼女はジャガイモの皮を剥いて蒸かしたり、パンをこねるのも得意だ。もう12歳になるのだから、台所仕事の多くは母親の代わりに出来るようになっていた。

 ドーラは頭の回転がよくハキハキした子どもで、どんなことでも親の手をかけずに上手にやってのける。一年中休みなく働く両親の代わりに、3歳年下の弟の面倒を看ることも忘れない。親たちは10時のミサに行けばいいのだが、ドーラとジオンは8時半からの教会学校に行かなくてはならない。

 日曜日に仕事をすることは基本的に禁じられているので、牧畜農家を生業にしていない家の子どもたちはゆっくり起きだしてきてすぐに晴れ着を着て教会に向かうだけだ。一方、日曜日であっても動物の面倒を看ることと、牧草をひっくり返すことは例外的に許されているので、農家の子供たちには日曜日の朝もやることがあった。だが、子供のいる農家で教会から離れている所に住んでいるのはカドゥフ家だけなので、結局ドーラたちだけがいつも遅刻しそうになるのだった。私はいつもきちんと準備をしているのに、ジオンったらもう。

 あわてて入ってきたジオンは、かろうじて汚れていない日曜日用の半ズボンとシャツを着用していたが、髪は乱れていて、頬には泥がついていた。ドーラはたらいの側に彼を連れて行き、白い布をそっと水でぬらしてから彼の顔を拭いてやり、それから靴の汚れも取ってやると、その手を引いて急ぎ足で家を出た。

 カドゥフ家は、村の中心から少し離れたところにあった。小走りに牧草地を抜け、小径を途中まで歩いていると、横を馬車が通った。御しているのはロルフ・エグリだった。
「なんだ。お前たち、教会に行くところか?」

「ええ。もうどうやっても遅刻なの」
ドーラがいうと、ロルフは御者席を少し横にずれて「乗れ」という顔をした。
ジオンは首を伸ばして、馬車の中にリゼロッテが居るのをみつけると、「やあ」と言った。

「なんだ。お嬢さんを知っているのか」
ロルフが言うとジオンは大きく頷いた。

 リゼロッテは、ジオンと、それから初めて逢うドーラに嬉しそうに微笑んで会釈をした。ドーラも笑って「こんにちは」と言うと、二人の子どもは御者席に飛び乗った。

 リゼロッテが住んでいるのは、ジオンの家からさらに丘を登ったところにあるお屋敷だ。彼女は、これまで教会学校に来たことがなく、家庭教師のヘーファーマイアー嬢と一緒に朝早いミサに行くだけだった。家政を手伝っているカロリーネ・エグリと時々忍び込んで話をしているジオンから噂を聞くだけの村の子どもたちは、ドイツ人の令嬢がどんな子なのか興味津々だった。

 長い茶色の髪の毛を形よく結んで、白いレースの襟のついた品のよい焦げ茶の天鵞絨のワンピースを身に着けた少女の優しげな笑顔は、ドーラにはとても好ましく思えた。今日はどういうわけでヘーファーマイアー嬢抜きで教会に向かっているのかわからないが、ドーラにはいい風向きに思えた。

 ジオンの話では、お高くとまったところのないいい子で、村の子どもたちとも仲良くなりたがっているというのに、ヘーファーマイアー嬢が「まともなドイツ語も話せない野猿のような子どもたちと交際をするのは好ましくありません」と言っていたのだ。ドーラは、あの女のいない時に、さっさと自己紹介をしてあの子と仲良くなろうと思った。

 8月のカンポ・ルドゥンツ村は、穏やかで美しい。盛夏は過ぎて、わずかに秋の訪れが感じられる。背が高くなったトウモロコシの濃い緑の葉の先は乾き枯れてきており、小麦の穂がいつの間にか黄金に輝くようになっていた。

 それは、家族とともに牧草をひっくり返す作業をするときにいつも身に付けている赤い綿のスカーフが、いつの間にか色褪せていることに氣づいたことと似ていた。風は穏やかになり、日の長さも少しずつ短くなっていた。10月になれば学校が始まる。ドーラはまた一つ上の学年になることにときめいた。

 ロルフは馬車を教会の前にぴったりと着けた。ジオンがまず飛び降りて、ドーラも降りている間に、後に回ってドアを開けた。その手助けを受けてリゼロッテが降りたのを確認したロルフは、帽子を持ちあげて言った。
「では、お嬢さん、ミサの時にはまたあっしも参りますんで」

「ありがとう、エグリさん」
リゼロッテの声を、ドーラは鈴のようだと思った。

 馬車が言ってしまうと、リゼロッテはジオンとドーラの方を振り向いて、はにかんで笑った。ドーラはさっと手を出した。

「はじめまして。私、ドーラ・カドゥフよ」
「はじめまして。リゼロッテ・ハイトマンよ。お逢いできて嬉しいわ、ドーラ。ジオンのお姉さん、どんな女の子かいろいろと想像していたの」

「想像の女の子に、似ていた?」
「ええ、ほとんどそっくり。ジオンと似ているもの」

「あら。私は、この子みたいに、いつも泥だらけじゃないわよ」
ドーラが言うと、リゼロッテはクスッと笑った。
「ええ。そこだけ、想像と全く違ったわ」
それで、三人とも楽しく笑った。

「何をしているの、早くお入りなさい」
声に振り向くと、牧師夫人アナリース・チャルナーが牧師館の扉のところで呼んでいる。ドーラはリゼロッテに道を譲って言った。
「行かなきゃ。あ、それはそうと、プラリネのお礼を言っていなかったわね。どうもありがとう」

 リゼロッテは、ニッコリと笑った。数週間前に、彼女はジオンに初めてのプレゼントとして二粒のプラリネを手渡したのだ。彼は二つとも食べてしまわないで、一つをドーラにあげたいと言った。それで、リゼロッテは彼女の存在を知ったのだ。
「どういたしまして。少し溶けてしまっていたけれど、食べられた?」
「もちろんよ。あまり嬉しくて夢見心地だったわ」

 牧師館には既に村の子どもたちが揃っていた。一番前には8歳の泣き虫ルカ・ムッティを筆頭に6人の幼年組がいた。その次の列にはおしゃまなアネット・スピーザーやマルティン・ヘグナーなど10歳の子供たち、次の列にはアドリアン・ブッフリをはじめとする4人の11歳と12歳の子たちがいた。次の列はそれ以上の少し大きい子たちで最年長の14歳のマルグリット・カマティアスが奥に座っていた。一番後にアネットの兄であるハンス=ユルク・スピーザーが一人で座っていた。村の学齢に達した子どもたちは20人程度、決して教会に来ないモーザー家のマルクを除いて日曜日にはここに集まるのだった。

 1年前に、ドーラとジオンの兄クルディンと、アドリアンの姉コリーナが堅信式を迎えて、大人の仲間入りをした。それから、コリーナは長いスカートで装い、クルディンは長ズボンを履くようになった。そして、子どもの集まる場所には一切顔を出すことはなくなった。学校の先生からの伝達をする役目や、教会での行事の中心になるのは当時12歳のハンス=ユルクになった。

 他の同い年の子供もいたし、マルグリットは年長でもあったのだが、誰もそのことに異議を唱えるものはいなかった。

 ハンス=ユルクは、ドーラとひとつしか違わないが、ずっと落ち着いている。聡明で誰に対しても分け隔てなく対峙するので、カンポ・ルドゥンツ村だけでなく、同じ学校に通うラシェンナ村の子どもたちからも信頼されてている。

 チャルナー夫人に連れられて、ドーラたちと一緒にリゼロッテが入ってきたのを見て、子どもたちは騒ぎかけたが、ハンス=ユルクが「静かに」と言うと、すぐに大人しくなった。チャルナー夫人は満足げに頷いて、ドーラたちにハンス=ユルクの隣に座るように目で合図すると、リゼロッテを前に連れて行った。

「皆さんに紹介しましょうね。丘の上のハイトマンさんのお嬢さん、リゼロッテです。普段は家庭教師のヘーファーマイアーさんと早朝ミサにいらしていたのですが、彼女のお母さんが病に倒れたとの知らせで急遽ドイツにお帰りになったので、その間、皆さんと一緒にミサを受けることになりました。仲良くしてあげてくださいね」

 拍手と歓声が聞こえた。

「すげえ服着てんな」
ルイジは天鵞絨を見たのは初めてで、やわらかく艶やかな襞に感嘆して大きな声を出した。リゼロッテは、そんな事を言われたのは初めてだったので、少し赤くなった。チャルナー夫人が少し睨んでから、リゼロッテをドーラの隣に連れて行った。

「わからないことがあったら、このドーラとハンス=ユルクに訊いてね。二人ともお願いね」
チャルナー夫人にいわれて二人は頷いた。リゼロッテは、ハンス=ユルクに小さく会釈した。彼も礼儀正しく頭を下げた。
 
 チャルナー夫人は、一番前に戻っていき、「始めますよ」と言った。彼女は綺麗な正規ドイツ語を話した。単語によっては小さい子供たちも理解できるように方言による単語を交えて話したので、リゼロッテにとっては方言の単語を知るいい機会にもなった。

 マルグリットは、チャルナー夫人に名指しされて新約聖書のルカの第10章、「善きサマリア人のたとえ」の箇所を朗読した。

するとその人は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った。「わたしの隣り人とは誰の事ですか」

イエスが答えて言われた。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗たちが襲い、彼の衣をはぎ、殴りつけ、半殺しにして去って行った。

たまたまある祭司がその道を下って来た。彼を見ると,反対側を通って行ってしまった。

同じように一人のレビ人もその場所に来て、彼を見ると反対側を通って行ってしまった。

ところが、旅の途中のサマリア人が彼のところにやって来た。彼を見て氣の毒に思い、彼に近づいてその傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き介抱した。

次の日出発するとき、2デナリを取り出してそこの主人に渡して言った。『この人を見てやってください。費用が余計にかかったら、わたしが戻って来たときに払いますから』

さて、あなたは、この3人のうちのだれが、強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」

彼は言った。「その人にあわれみを示した者です」

するとイエスは彼に言った。「行って、同じようにしなさい」


 
 マルグリットがどうにか朗読を終えると、チャルナー夫人は子供たちの顔を見回した。多くの子供たちは、「よくわからない」という顔をしていた。かなり滞った朗読のせいでもあったのだが、その他に知らない単語もたくさんあったからだろう。「レビ人」「サマリア人」と言われても、幼い子供たちには何の事だかわからない。

「サマリア人というのは、主の時代のユダヤでは、異端の信仰を持ち、つき合ってはならない人たちとされていたのです。レビ人というのは、ユダヤ人の中で祭司に関わる特別な部族として敬われていた人たちで、祭司はもちろんユダヤの聖職者ですから、強盗に襲われた人にとっては同国人、サマリア人は付き合いのなかった外国人だったのです」

 チャルナー夫人が「外国人」と口にすると、多くの子供たちが振り返ってリゼロッテを見た。彼女は恥ずかしくなって下を向いた。

 ドーラはそのリゼロッテを横目で見た。「善きサマリア人のたとえ」はもう習った事があったから知っていた。でも、以前は外国人と言われても具体的によくわからなかった。ドーラの父親、マティアスが時々「《金持ちのシュヴァブ》はいい氣なもんだ。働きもしないで美味いもんばかり食いやがって」と言っていたので、「ガイコクジン」とは、なんだか自分勝手で傲慢な人たちだと思っていたのだ。けれど、こうして横に並んでみると親切そうでいい友達になれそうな普通の女の子だ。

 この子が強盗に襲われている図は、想像できないけれど、もしそうなっても私はもちろん助けて看病してあげる。ドーラは秘かに思った。私が強盗にあったら、この子は立ち止まって看病してくれるかな? 

 そう思って見つめていると、視線を感じたリゼロッテが振り向いた。それから、ドーラの方を見てニッコリと笑った。うん、きっと看病してくれる。ドーラは、嬉しくなった。

(初出:2016年4月 書き下ろし)
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Category : 小説・リゼロッテと村の四季
Tag : 小説 連載小説