scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

scriviamo! 2016のお報せ

お知らせです。2016年も(というか、今から)「scriviamo!」を開催します。開催は四回目になります。つまり、2016年3月2日に四周年を迎える当ブログの記念企画ですが、すでにこのブログの年間行事としての意味合いが強くなっていますね。既にご参加くださったことのある方、今まで様子を見ていた方、どなたでも大歓迎です。また、開催期間中であれば、何度でも参加できます。

scriviamo!


scriviamo! 2013の作品はこちら
scriviamo! 2014の作品はこちら
scriviamo! 2015の作品はこちら
scriviamo! 2016の作品はこちら

scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。

私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去三回の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。

では、参加要項でございます。(例年とほぼ一緒です)


ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)

  • - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
  • - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
  • - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
  • - イラスト
  • - 写真
  • - エッセイ
  • - Youtubeによる音楽と記事
  • - 普通のテキストによる記事


このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。

記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)

参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返イラスト(絵は描けないので、フォトレタッチの画像です。念のため)」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。

過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)

また、2016年からは「プランB」を選ぶことができるようになりました。

「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。

これまで、私だけが後だしジャンケンみたいでずるい、と思われていた方もいらっしゃるかもしれないと思い、このパターンもご用意しました。

「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。

「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)




期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2016年2月29日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも2月7日(日)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。

皆様のご参加を心よりお待ちしています。



【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから一週間ほどお時間をいただきます。

小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。

ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合は5000字以内で返させていただきますのでご了承ください。

当ブログには未成年の方も多くいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。

他の企画との同時参加も可能です。例えば、Stella参加作品にしていただいても構いません。その場合は、Stellaの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。私の締め切っていない別の企画(50000Hit, 66666Hit - 35ワード企画、神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません)

なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。

嫌がらせまたは広告収入目当の書き込みはご遠慮ください。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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締め切り日を過ぎましたので、scriviamo! 2016への参加申し込みを停止させていただきます。この記事へのコメント書き込みはできませんが、すでに参加表明していらっしゃる方のご連絡は、他の記事のコメ欄をお使いくださいませ。
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Category : scriviamo! 2016

Posted by 八少女 夕

【小説】酒場にて

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2016」の第一弾です。ポール・ブリッツさんは、別ブログで私の書いた記事を参考に、掌編を書いてくださいました。それもこの企画公表から数時間で……

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『狩猟期』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書かれていらっしゃる創作系ブロガーさんです。とても勉強家で熱心な創作者で、シニカルな目の付け所の作品を書いていらっしゃる上、よく恐ろしくも容赦のない(笑)挑戦状を叩き付けてくるブログのお友だちです。

今回書いてくださった作品は、ちょっと硬派の復讐劇のような感じなのですが、私のオリジナル小説の舞台カンポ・ルドゥンツ村での出来事らしいのです。別の国や別の州とかなら、よく知らないのでそのままにしておいてもよかったんですけれど、この村で起きたこととおっしゃるのなら捨て置けない点がいくつかあったのを逆手に、流れをひっくり返してみました。ポールさん、すみません。だって、そうでもしないと、これへのお返しで何を書けと……。

舞台は、時々私の小説(「夢から醒めるための子守唄」「夜想曲」など)に出てくる『dangerous liaison』というバーです。



「scriviamo! 2016」について
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酒場にて
——Special thanks to Paul Blitz-san


「とにかく、このままにはしておけないよ」
熱っぽく語るマルコに、注文のリベラの赤を出してやりつつ、トミーは綺麗に描かれた眉を右側だけ持ち上げた。

 自動車工マルコ。今日はレッカーサービスの週番だからと清涼飲料水しか飲んでいない。だったらわざわざ飲み屋に来る事もないと思うけれど、彼には『dangerous liaison』は貴重な情報交換の場らしく、欠かさずやってくるのだ。

 オレンジと紺青を基調として、トロピカルな壁画が色鮮やかなインテリアのバー『dangerous liaison』は、カンポ・ルドゥンツ村の中心から少し離れたところにある。村役場の近くにある三軒の伝統的な旅籠レストランと違って、ここには、お硬い輩は足を踏み入れない。

「そもそも連中は、よそ者だろう」
マルコは言った。トミーは首を傾げた。

「どうかしら。でも、エルンストだの、カールだの、ヴィルヘルムだの、そんな古めかしい名前、このあたりじゃ珍しいわよね。話す言葉はフォルアルベルグあたりの方言だから、あっちのスイス人かもしれないし、ボーデン湖を越えたオーストリアかドイツの出身なのかも」

 マルコは、我が意を得たりと言う顔をした。
「だろう。もめ事なら自分のとこに帰ってやってくれりゃいいのにって、村の事なかれ連中は、ヤバいとわかっているのに見て見ぬ振りをしているんだよ。まったく」
彼は川向こうのサリスブリュッケに祖父の代から住んでいるイタリア人で、このあたりの閉鎖的な考え方に辟易している。

「ヤバいねぇ。息子さんが亡くなったのは氣の毒だと思うけれど、もう二年前のことなのにどうして、あんたたちは今さら騒ぐのかしら。そっとしておいてあげなさいよ」

「それが過去の話じゃないんだよ。あの親父は、例の若い男を恨んで、付け狙っているんだ」
マルコは、声を顰めた。その目が妙に生き生きしているのを、トミーは見逃さなかった。なに面白がっているのよ、この野次馬男。

「いい加減なことを触れ回ると、名誉毀損で訴えられるわよ」
「ふん。飲み屋ネットワークを馬鹿にしてもらっちゃ困るね。やっこさんは、一昨日『ガルニ・ポスト』で、あの若者がチューリヒからやってきているかを訊き回って、昨日はサリスブリュッケで弾を入手している。猟が始まって二週間も経つんだぜ。あと一週間しか撃てない今ごろそんなことをやってりゃ、噂にもなるさ」

「まったく、本当に田舎の村って、何一つ秘密にできないのよね」
当人は、まさか村中の噂の種になっているとは夢にも思っていないに違いない。都会人には想像もつかないかもしれないが、秘かに事を運ぶなんて事は、この村では不可能なのだ。ここでは、ケーキを作る時に砂糖と塩を取り違えた程度のことでも、翌週には知れ渡るんじゃないかと、トミーは秘かに思っている。

「あの子は車の事故で死んだんでしょ。自殺と限った訳でもないのに、なぜあの親父があのヴィルヘルムとかいう若者を狙っていると断言するのよ」
「そりゃ、あの息子と怪我をしたスペングラーって男の人生をめちゃくちゃにしたのはヴィルヘルムだと思っているからさ」
「なんだったかしら、間違えて仔連れの牝鹿を撃ったというきっかけの争いだったわよね」
「そこがおかしいんだよ。そんな話は信じられないね」

 それからマルコは、アルコールがみじんも入っていないリベラをちびちびと飲みながら、名探偵のごとく語りだした。
「誰だって、少し考えれば、わかるだろう。仔連れの牝鹿を撃ったりしたら、過失だろうととんでもない罰金を払わなくちゃいけない。それをわかっていて、面白半分で撃つほどあのヴィルヘルムって若者も馬鹿じゃない。それに、それを監督している男が、仔連れの牝鹿を狙いはじめた若者を止めなかったのもおかしい。本当のもっと知られたらまずい事を隠蔽しているに違いねえ」
「はいはい。それで、あんたの信じている真実のストーリーは?」

「あのカールって若者が、まず傷害事件を起こしたんだ。そして、その殺意をなかったことにするために、あの若者が面白半分に牝鹿を撃ったのがきっかけということにした」
「なんでそんな面倒くさいことを」
「痴情のもつれで起こったもめ事だと、世間に知られないためにさ。三人ともその点では利害が一致していたんだ」

 トミーは、ちらっとマルコを見て何も言わなかった。

「しらばっくれるなよ。そっちの世界に居るあんたが知らないわけないだろう。あの親父もお高くとまっていずに、俺たちみたいなブルーカラーとの仲間になっていりゃ、噂からわかっただろうけれどね。自分の友人も息子も同性愛シュヴール ってことを、やっこさんは知らないんだ」

 トミーは、その父親とわずかだが話したことがある。この店には来ないが、日中に併設する自然食料品店の方に買い物に来たことがあったのだ。男同士のカップルが、堂々と店を出していることを、さも珍しいものでも見たような口ぶりで話した。礼儀正しかったが、言葉の端々に「きちんとした家庭で育たなかったからそうなってしまったんだろう」という差別的印象を交えていた。つまり、我が子がそうだとは考えたこともなかったのは明らかだった。

「親が知らないのなんて、よくあることよ」
「あっちの男とは親友だって言うのにな。俺たちが知っている妻子のいる隠れシュヴールのリスト作ったら、お高くとまっている連中は大騒ぎになるな」

 トミーは、大きなため息を漏らした。
「それで、あんたはどうしたいのよ」
トミーは、綺麗にネイルされた手をひらひらと振った。

「そこだよ。例の情けない牧農家見習いのアンリが、何も知らないヴィルヘルムの方にひっついているんだけどよ。なにかあったら、ここを連絡先にさせてくれ……」

 その時、ドアがバンッと開いて、青ざめた顔の青年が転がるようにして入ってきた。
「大変だ!」

 マルコはカウンターの丸椅子から飛び降りて、息を切らして倒れそうな若い牧童を支えに行った。
「何があったんだ、アンリ」

 アンリは、息も絶え絶えだった。フランスなまりの聴き取りにくい彼の話を、マルコとトミーが根氣よく聞き出したところ、二人は近くの森に狩りに行った。そして、車から銃を取り出して準備をしているヴィルヘルムを、例の親父が銃で狙っていることにアンリが氣がついて大声をだし、身を伏せて、二人は難を逃れたらしい。

「それで、件の親父はどうしたんだ」
マルコが訊くと、アンリは泣きそうな顔をした。
「車に乗って、サン・ベルナルディーノ方面へ逃げて行った」
「警察には連絡したのか?」
「それが……」

「僕が止めたんです」
戸口からの声に、一同が振り向くと、ヴィルヘルムが青ざめた顔をして入ってきた。
「もし、彼が僕を狙ったことを通報したら、彼は殺人未遂で逮捕されてしまう」

「だって、それが事実だろう」
「死んだカールが、そんなことを望んでいたと思うか? 自分のために父親を殺人者にしてしまうなんて。何かの誤解だと思うし、話し合った方が……」
「でも、相手は銃を持っているんでしょう。行った先で何をするかわからないじゃない。やっぱり警察に連絡した方がいいんじゃないかしら」

「今、先生に連絡しましたから」
「先生ってのは、エルンスト・スペングラーか?」
「はい。カールのお父さんに、あの時のことを秘密にしたのは間違っていたと、おっしゃっていました。連絡してくださるそうです。上手く説得してくれるといいんですけれど」

「元々は、やっぱり、あれだろ。痴情のもつれ」
したり顔でマルコが断言した。ヴィルヘルム青年は、ぽかんとして、訊き直した。
「いったい何の話ですか」

「だから、あんた達の三角関係がもつれたんだろ? それでおこった殺人未遂を隠すために、仔連れ牝鹿を面白半分に撃ったなんてくだらない話を作った」

 ヴィルヘルムは、まだしばらく口を開けっ放しにしていたが、我に返ると真っ赤になって抗議した。
「どこからそんな話になるんだよ! 勘弁してくれ!」
「あれ? でも、スペングラーとカールがそういう仲だったのは知っているだろう?」
「まさか?!」
「ええっ。お前さんも知らなかったのか?」

「先生と会ったのは、あの狩りの時がはじめてで……。ええっ、お父さんの親友じゃなかったのか? アンリ、お前も知っていたのか?」

 牧童は頷いた。
「あの二人のことは、村ネットワークでは知られた話でしたよ。君が知らなかったとは思わなかったけれど」

 ヴィルヘルムは、カウンターに座り込んで頭を抱えた。
「カールが何かに悩んでいたのはわかっていました。僕に狩りのことを教えてくれる先生に、いきなり刺々しい嫌味を言ったり、刑務所にいた時も先生が面会に来てくれないのは僕のせいだと言ったり。でも、まさかあの二人が……」

「牝鹿を撃ったのは、スペングラー氏の指示だったの?」
トミーが訊くと、ヴィルヘルムは頷いた。
「ええ。罰金は払えないから、いやだと言ったんですが、金なら用意してやるとおっしゃるので言う通りにしました。カールを救うためだと言われて」

「で、あんたが今ごろまた猟をはじめて、例の流れ星のような模様のある牡鹿を仕留めようとしたのは?」
「流れ星? なんですか? それは」

「だから、あの時の鹿の子供の方に流れ星みたいな模様があって、それが最近よく出没するって話さ。その牡鹿をあんたがまた撃とうとしてわざわざチューリヒからやってきたっていう噂が流れていたんだよ。それを聞いて、あの親父さんのあんたへの憎しみが爆発したらしいんだが」
マルコが言うと、ヴィルヘルムは首を傾げた。

「変だな。牝鹿を撃ったとき、僕たちの方からは草むらにいた仔鹿の模様なんかほとんど見えませんでしたよ。そっちはすぐに逃げてしまったし。それに、親を失った仔鹿がどうなったか、罰金を払う時に狩猟漁獲庁で訊いたけれど、一匹では生き延びられないので捕まえてチューリヒの動物園に引き取ってもらったって言われましたよ。撃ちたくても撃てるわけないじゃないですか」

 一同は、首を傾げた。
「何だか、きな臭いな。誰かが話をねじ曲げているぞ」
そういうマルコをじっとみつめてトミーは言った。
「誰が仔鹿の模様のことなんか話したのかしら。それに、この子が性悪だという噂をわざわざ流して得するのは……」

「まさか! あのスペングラー氏が?」
アンリが青くなって立ち上がった。ヴィルヘルムも、心配そうに立ち上がった。
「なぜ、そんなことを……」
「あんたが余計なことを知っていると思っていたのかも」

 一同は、顔を見合わせた。
「ってことは、こいつの口を封じるために、カールの親父に殺意を起こすよう嘘を吹き込んだと?」
マルコは、信じられずトミーと、ヴィルヘルムの顔を順番に見た。

「ちょっと待って。君、そのスペングラー氏に、電話したって?」
アンリはヴィルヘルムに問いかけた。
「ああ。だって、あの先生はお父さんの親友だと……。ってことは……」

「親父さんが危ない!」
慌てて、三人が出て行った後、トミーは誰もいなくなった店内でため息を一つついた。車で追いかけたって、テレビドラマみたいにちょうどいい場面に出くわせる訳でもないのにねぇ。

 少し考えた後、彼は電話の子機を取り上げた。ダイアル先は、馴染みの警察幹部だ。官僚主義のこの国で事を速やかに進めるためには、どのような親しい友人ネットワークを持っているかが最も大切なのだ。トミーは有力者でも、金持ちでもなかったが、この手の財産は誰にも負けないほどあった。

 十五分以内に、主要道路の検問体制が整うだろう。この話の真実も行方もわからない。だが、ここしばらく常連連中がここに集まって噂話に花を咲かせるのは間違いない。まったく、田舎の村ってのは。トミーは、美しく描かれた右眉を満足そうに少しだけ持ち上げた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】雪山に月が昇るとき

scriviamo!


「scriviamo! 2016」の第二弾です。Sha-Laさんは、以前書かれた物語を改めて書き直した作品で参加してくださいました。

Sha-Laさんの小説『明けない夜はない~秘密のプチ家出』

Sha-Laさんはファンタジーを中心に現代物、架空世界物などを書かれるブロガーさんです。他にもいくつかのブログをお持ちで、ご自身のこと、英語のことや観劇のことなども書いていらっしゃいます。

今回参加してくださった作品は、中学生のピュアな恋愛もの。どす黒い大人になってしまった私には「ま、眩しい」という感じの作品でした。

お返しをどうしようかなと思ったのですが、せっかくなので同じように恋愛ものにしてみました。あちらは日の出がとても大切なモチーフになっていましたので、こちらはお月様でいきます。中学生設定では、でてくる内容(飲酒)的にまずいので、年齢層は引き上げてあります(笑)


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雪山に月が昇るとき
——Special thanks to Sha-La san


 雪はザラメのようにさらさらだった。沙耶は何度も足元のキラキラ光る結晶を転がすように動かして、汚れもしないし溶けてもしまわない氷点下の世界を楽しんだ。

 遅れている彼女を振り返って、何をしてるのかわかったマリオは笑って戻ってきた。革の手袋をした大きい手のひらを伸ばしてきて、赤い手袋に包まれた彼女の手を包み、先を急がせた。

「あ。ごめんね」
そう言って見上げると、端正な彼の横顔の向こうに、澄んだ紺青の空が見えた。頬に触れる冷たさは切るようだ。一等星が瞬いて見える。なんてきれいな夜なんだろう。あの山の向こうから、もうじき満月が見えてくるだろう。

 サン・モリッツ駅前に駐車した車から降りた時、沙耶はスイスの冬の寒さとは何かがわかったように思った。彼女の住むサリスブリュッケよりもさらに15℃ほど寒かった。出かける時にマリオが「ちゃんと暖かいコートを着て」と言った意味が分かった。駐車場からホームまでなんて五分もあれば行くのにと心の中で思ったのは、サリスブリュッケの冬が思ったほど寒くなかったからだ。

 でも、ここは違う。吐く息までが一瞬で凍りそう。マリオとは腕が重なり合っていてとても近い。こんな風に歩いたことはなかったから、ドキドキする。いいのかなあ。

 沙耶は、九月から交換留学生としてスイスにやってきた。本当ならばもう大学二年生でもおかしくない年齢だけれど、交通事故で高校に行けなくなって二年生になるのが遅れた。年が二つ違うとわかった時点で同級生から敬語で話されるようになってしまい、それが原因でクラスで浮くようになってしまった。そんなことに負けたくなかったから、新たなチャンスを探した。それが交換留学制度だった。別の国だったら、何もかもクラスメートと同じでなければいたたまれないなんてことはないだろうと思ったのだ。

 実際に、いたたまれないなんて思っている暇はなかった。ホストファミリーであるレンツ家のお父さんもお母さんも、はじめのうちこそ英語で対応してくれたものの、最近は沙耶のためとわからない単語以外全て正規ドイツ語で話す。次男のウルスは、まだ12歳で英語は苦手なのでドイツ語のみでの会話だ。クラスメイトは皆ドイツ人ですら理解できないと言われるスイス方言で話すし、授業のやり方も、生活習慣も何もかもが違って、ついていくのが精一杯だった。

 スパルタ救育が功を奏したのか、会話が成り立つようになってきた。ようやく学校も生活も楽しくなってきたから、来たことを後悔しなくなったし、家に帰りたいとも思わなくなった。つらくてしかたなかった最初の三ヶ月でも、もう少し頑張ろうと思えたのは、レンツ家のみんなが優しくて、全力でサポートしてくれたから。

 とくに、長男マリオの存在は大きかった。沙耶より二つ歳上の彼は、正確にはもう同じ家にはいなくてすぐ近くのアパートメントに住んでいるのだけれど、よく訪ねてくるのだ。沙耶をチューリヒ空港まで迎えにきてくれたのも彼だった。とある北欧王室の美形の王子にどことなく似ているので、沙耶は『王子様』と秘かに呼んでていた。

 アイドルに憧れるのと同じ。距離はもっと近いけれど、中学生の時に秘かに好きだった男の子に対して思うような「もしかしたら」は始めから期待していない。クラスや村には、ハリウッドスターと変わらないみたいに綺麗な女の子もいるし、しっかりした素敵な子が沢山いる。一方、私は極東から来た違う人種で、クラスでも成績が悪くてみそっかす。いつまで経ってもちゃんとしたドイツ語も話せないし、東京では何の家事もしなかったからホストのお母さんのお手伝いもろくにできない。どう考えてもチャンスはないのだから、変な期待はしないで「目の保養」ぐらいにしておくのが一番。沙耶はそう思っている。

 でも、マリオは優しくて、週末になると眺めのいい山頂のレストランに連れて行ってくれたり、宿題を見てくれたりたくさん時間をとってくれた。一年経ったら、また関係のない人になってしまい、いずれは存在も忘れられてしまうだろうけれど、自分の方は『王子様』との思い出を沢山作ったら、それを胸にそれからの人生のつらいことも乗り越えられるかも。そんなふうに、沙耶は思っていた。

「満月の晩に雪山を走る特別列車があるんだ。行ってみないか?」
マリオにそう誘われたとき、沙耶は、レンツ家との沢山の思い出を一つ増やすつもりで二つ返事で「行く」と言った。

 サン・モリッツ駅に夕方6時15分に出発する『満月列車』は、月光を浴びながら雪原の中を州の最高峰ピッツ・パリューとパリュー氷河の眺められるアルプ・グリュムまで登って行く。そして、駅に併設されたレストランでチーズ・フォンデュを楽しみ、23時半に再びサン・モリッツまで戻ってくる。

 当日になって、行くのはファミリー全員ではなくてマリオと二人だとわかって驚いた。そ、それってまるで、デートみたい。狼狽えているのは沙耶だけで、お父さんもお母さんもニコニコしているだけだし、マリオもキオスクでも行こうと言っているみたいに平然としていた。ウルスだけは「ヒュー」と言ったけれど。

 マリオはずっと沙耶の手を握ったまま歩いていた。コンクリートの打ちっぱなしで灰色のサン・モリッツ駅構内。人影はまばらで、青白い光で少し寂しく感じる。彼女は、ほうっと白い息を吐き出した。彼が振り向いて笑う。また子供だと思われたかな……。

 ホームに上がって行くと、赤い列車の乗車口に乗務員がにこやかに待っていた。
通された座席には「レンツさん、ようこそ」というカードともに、シャンパングラスが二つ置かれていた。

 へぇ、スパークリングワインのサービスがあるんだ、お洒落ね。沙耶は嬉しくなった。それに、こうやって置いてあると、大人のカップルとして扱われているみたい。この国では19歳の沙耶はもう成人で、お酒を飲んでもいい。強くないからいつもほとんど飲まないけれど、でも、今日は少しだけ背伸び。だって、『王子様』と『満月列車』に乗っているんだもの。

 通路をはさんで向こうに座ったのはカナダから来た老夫婦。後には、イタリアから来たカップル。反対側には、グラールス州から来たという夫婦がいた。普段は見ることのできない光景に高鳴る期待で浮かれぎみになり、みな親しげに挨拶を交わした。

 終電の後に回送電車で路線の安全確認をしていた運転手が、「この美しい光景を独り占めするなんてもったいない」と直訴して始まったという『満月列車』。この時期、この場所でしか味わえない贅沢。

 間もなく列車は出発し、乗務員がスパークリングワインを注いだ。窓の外では屋根から落ちる細かい雪が舞い、青白くどこまでも広がる雪原に消えていく。

 スイスの夫婦も、カナダの年配のカップルも、イタリアの若い恋人たちも、シャンパングラスを重ねて乾杯をしてからキスをしていた。目の前で堂々とマウストゥマウスでキスをされると、そういう光景に慣れていない沙耶は戸惑ってしまう。

「サヤ」
呼ばれて振り向くと、マリオがシャンパングラスを掲げていた。あ、私たちも。でも、カップルじゃないから、キスはなしだね。スパークリングワインがこぼれないように見ていると、咎めるように彼が言った。
「ちゃんと目を見て」

 うわ。そうだった。乾杯の時には相手の目を見なくてはいけない。握手をする時も、話をする時も、すぐに眼を逸らしてしまう沙耶を、マリオは時々こうして叱ってくれるのだ。

 顔を上げると、彼は淡い茶色の瞳を向けていた。うわ『王子様光線』全開……。これはまずい。ドキドキが止まらない。これはデートじゃなくて、お世話になっているファミリーの息子さんの好意だってば。冷静さを保とうとしても、ダメそう。私、完璧に恋に落ちていってる。沙耶は、せめて氣づかないでほしいと願った。

「乾杯、サヤ」
「乾杯、マリオ」
グラスを重ねた後、彼の顔があたり前のように迫ってきたので、沙耶は心底慌てた。ふっと笑って、彼は彼女の頬に優しくキスをした。あ、ほっぺたか。やだな、私、きっと真っ赤だ。マリオの大きい手のひらが沙耶の頭から頬を撫でた。いい子、いい子ってことかな。

 電車が雪山を登って行く。凍った電線と電車が触れる時に起こる青緑のスパークが、あたりを花火のように輝かした。

「わぁ」
人びとの歓声があがる。突然、車内の電灯が消えて、小さいランプだけがついた。外をよく観ることができるように車内を暗くしたのだ。周りの樹々は雪に覆われていて、それが明るい月夜に照らし出されて青白く輝く。満月がこれほど明るいなんて知らなかった。

 車内は暖かく、列車の音はかなりうるさい。けれど、沙耶の心には静寂が広がっていた。氷点下の世界。何にも穢されていない清冽な大地。世界を照らす冷たい月。そのまっすぐな光に照らされて列車は走って行く。それは神々しい時で、ふさわしい言葉が見つからなかった。窓を見つめる沙耶の顔の近くに、やはり窓の外を眺めるマリオの端正な横顔があった。彼女の視線を感じると、その澄んだ瞳を向けて、何も言わずに微笑んだ。

 言葉は必要ないんだ。沙耶が安心すると同時に、彼が沙耶の手の甲に手のひらを重ねてきた。今度は、二人とも手袋をしていない。ええ~っ。ど、どうしよう。

 これは、一種の夢なのだと思った。北の国の王子様との不思議なお伽噺。私がこの先の人生を、つまづかずに歩いていけるようにと、天からの贈り物。同い年の女の子たちと一緒に高校を卒業できなかったことも、普通の高校生という完成した社会からはみ出してしまった悲しさも、この魔法のように魅惑的な夜を体験するための準備だったというのなら、それでよかったのだと思えた。

 沙耶はそっと彼の指を握った。彼は、指をしっかりと絡めてきた。その暖かさに泣きそうになった。

 急に電灯がついた。乗務員の女性が、間もなくアルプ・グリュムに着くと告げた。いいところだったんだけれどな。

 電車が停まると、乗客たちは次々と降りて行く。ホームで待っていたレストランの従業員たちが、グリューワインとカナッペを差し出した。

 他の乗客たちと次々と乾杯して、湯氣のあがるグリューワインを飲んだ。じんわりとアルコールが体に沁みていく。ドキドキしっぱなしなのは、この飲み物のせいじゃないのはわかっている。

「こっちにおいで」
マリオが沙耶の手を引いた。冷えた指先を、彼の手がもう一度温かく包む。彼は、レストランのテラスを回って、バルコニーに彼女を連れて行った。
「ほら。あれが、パリュー氷河だよ」

 大きな山に、青白く氷河が輝いている。満月が煌煌と輝く。身を切るような清冽な空氣。そして、ホーム側の騒がしさとは反対に、しんと静まり返っていた。

「……きれい」
「そうだな。こんなに静かで美しい世界があるんだな」
「マリオもはじめて見たの?」

 彼は笑った。
「昼には何度も来たことがあるよ。でも、こんなロマンティックな状況で見るのは初めてだ」

 そう言うと顔を近づけてきて、全く躊躇せずに沙耶に口づけをした。瞳を閉じて、永遠にも思える一瞬を味わった。ふらつきそうになるのを彼がしっかりと抱きとめてくれる。彼の腕の中は暖かい。

「なんだか夢を見ているみたい。あまり素敵で、本当のこととは思えない」
沙耶は呟いた。

「ここまで来るのがずいぶんかかったからな」
そう答えるマリオに、沙耶は顔を上げて問い返した。
「満月列車のこと?」

 彼は、笑った。
「まあ、そういうことにしておけよ。さあ、あまり長く外にいると風邪を引く。中に入ってチーズ・フォンデュを食べよう。ここのはやたらと美味しいんだよ」

 えーと。それはつまり、そういうことなのかしら。違ってもいい。そういうことにしちゃえ。

 沙耶は、腹ぺこの王子様が開けてくれる新しい世界へのドアを幸せに満ちてくぐった。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

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これといったオチがない上に、胸焼けをさせてしまったかもしれません。書き慣れていないものを書くのって、難しい……。

余談ですが、この『満月列車』は実在します。別ブログで、乗車した時のことを書いたことがありますので、リンクを貼っておきます。

雪山を満喫する宵 - レーティッシュ鉄道「満月列車」(swissinfo ブログ「もっと知りたい!スイス生活」)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】ニューヨークの英国人

scriviamo!


「scriviamo! 2016」の第三弾です。ウゾさんは、たくさんの小説群の中でも大人氣を誇る「探偵もどき」のお話で参加してくださいました。

ウゾさんの書いてくださった『星の夢』


ウゾさんは、とても深いものを書かれる高校生ブロガーさんで、おつきあいが一番長い方たちのお一人です。短い作品の中に選び抜かれた言葉を散りばめる独特の作風で、たくさんのファンがいらっしゃいます。

さて、書いていただいた作品は、強烈な個性を持つキャラクターの揃う「探偵もどき」シリーズの最新作、で、ウゾさんらしいなぞなぞがあったんですけれど……。

ごめんなさい。謝っておきます。どう考えてもこの謎は全く解けませんでした。私の解釈は、たぶん間違っていると思います。でも、ウゾさんのお話からイメージした話を書きました。私が発表したいまなら、ウゾさんが正解を発表してくださるかも。これからウゾさんの作品をお読みになるみなさん。誰か、ウゾさんに正解を訊いてください!

で、この話は、ついこの間さようならしたばかりの、あの世界に戻ってきてしまいました(笑)それどころか、キャラクターが二人増えてる。「鳥打ち帽のおじいさん」同様、この二人の生みの親はウゾさんです。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、関連する小説へのリンクを置いておきます。
「マンハッタンの日本人」シリーズ
「ファインダーの向こうに」
「ファインダーの向こうに」を読む

「scriviamo! 2016」について
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ニューヨークの英国人
——Special thanks to Uzo san


 ドアが開いて、いつものように「ハロー」と言ってから、キャシーは、あれ? と思った。彼女の勤める《Sunrise Diner》は、ニューヨークのロングアイランドの海の近くにある。大衆食堂だから、わりとラフな服装で来る人が多い。

 なのに、その客はちょっと変わっていた。グレーの長めのコート。ぴしっとアイロンの効いたチェックのスラックス。グレーの帽子に、黒い雨傘。今日は降りっこないし、降ったとしても雪じゃない、なんで傘がいるのよ。

 彼は帽子を持ち上げて「ごきげんよう」と挨拶すると、窓際の席に腰掛けた。

「こんにちは。ご注文をどうぞ」
「紅茶をお願いするよ。煮立ったお湯を注ぐ前に、冷たいミルクを先にポットに入れてほしい」

 キャシーは、この客大丈夫かなと少し不安になった。ここは、ケンジントン宮殿じゃないんだけど、わかっているのかしら。
「冷たいミルクを……って、ポーションのコーヒーフレッシュしかないんだけれど。ちなみにこのカップしかないし、リプトンのティーバックですけれど」

 男性は、わずかに失望の表情を見せたが、礼儀正しく頷いた。
「トーストは、あるかな」

「ありますよ。ベーグルや、パンケーキもね」

 彼は、キャシーが見せたメニューの写真を見て、少し悲しそうな顔をした。
「三角に切る必要はないけれど、片面だけ焼いてくれるなんてことは、ないだろうね、お嬢さんマイ・ディアー

「残念ながら、ないわね。トースターが一度に両面焼いちゃうもの」
「じゃあ、しかたない。トースト二枚に、スクランブルエッグとベーコンも頼む」

 キャシーは、自慢のブラウン・ポテトを薦めようと一瞬考えてからやめた。それから、てきぱきと働きながら、カウンターに座っている常連客にコーヒーのお替わりを入れてやった。

 それはミズリー州出身の、特に面白くない話で笑いを取ろうとするのが玉に瑕の男だが、チップを弾むのでキャシーは辛辣なことは言わないようにしていた。彼は、もったいぶって始めた。
「新年のなぞなぞだ、キャシー。クリスマスはいつ終わると思う?」

「今日でしょ。1月6日、公現祭エピファニー
キャシーが、即答すると彼は笑った。
「そう思うだろう? でも、国によって違うんだぜ」

「どう違うのよ」
「例えば、グレゴリウス暦と13日ズレてしまっているユリウス歴を採用しているギリシアやロシアの正教会では明日1月7日がクリスマスで、神現祭エピファニー は1月19日。だから、それまでがクリスマス。そして、日本では、そもそものクリスマスの始まる前の24日に終わっちまうんだ」

「なんで?」
「日本人の大多数はキリスト誕生にはあまり興味がなくて、24日に恋人たちがデートするのがクリスマス。そして25日以降は正月の準備で忙しいんだ」
本当かしら。その件は、ミホに確認しなくちゃ。キャシーは心の中で決意した。

「そしてだ。英国の金持ちのクリスマスはいつ終わると思う?」
彼は、窓際の英国人をからかうように見ながら言った。キャシーは答えた。
「そのくらい知っているわよ。私たちと同じでしょ。今日」

「違うね。12月26日のボクシングデーに、あいつらは使用人に休みをやらなくちゃならないんだ。だから、クリスマスの翌日には普段やりもしない、家事やら掃除を自分たちでやらなくてはならない。そんなわけで、クリスマスは一日でおしまいさ」

 同国人が小馬鹿にされて笑われることに雄々しく堪えつつ、礼儀正しい英国人は背筋を伸ばして、コーヒーフレッシュ入りの薄い紅茶を飲んだ。キャシーはやれやれと思った。

 その時に、ドアがばたんと開いて、一人の女性が飛び込んできた。キャシーが「ハロー」という暇もなく、彼女は謎の紳士を見つけて、彼のテーブルに大股で歩み寄った。

「やっと見つけた! マクミランさん、アイリーンはどこ?」
見る方向によっては美人といえないこともない、生き生きとして表情豊かな女性だった。

 紳士は、礼儀正しく立って彼女の手を握ろうとしたが、そんなまどろっこしいことはしていられないという風情の女性の表情を読んで、わずかにお辞儀をした。
「ごきげんよう、ダルトンさん。残念ながら、あなたのお姉さんがどこにいるか、私も知らないのですよ」
「なんですって。駆け落ちをしてアメリカに来てまだ三日も経っていないじゃないですか! どうやったらそんな薄情になれるの? アイリーンは、この国では右も左も分からないのよ」

 マクミラン氏は、ため息を一つついた。
「そうおっしゃっても、私はあなたのお姉さんを盗み出したのでも、強引にさらってきたのでもないのです。アメリカにどうしても行きたいとおっしゃって、ついていらしただけで。現に、ニューヨークに着いた翌日に理想の男性に出会ったとかで、嬉々として去って行かれましたよ」

「理想の男?」
「ええ。南欧風のスタイリッシュな男性でした。なんといったかな、ああ、ダンジェロ氏。ミスター・マッテオ・ダンジェロとかいっていたな。羽振りのいい実業家みたいでしたよ」

「やだわ。マッテオ・ダンジェロって、大金持ちのセレブで、有名なプレイボーイよ。ほら、この雑誌にもでている」
キャシーが口を挟んで、カウンターから『クオリティ』という写真誌を取り出した。インタビューとともに、海岸にいる青年実業家のモノクロームの写真が特集になっていた。それを見て英国人は、確かにこの人だと頷いた。

「まあ、大変。アイリーンったら、またいつもの『有名人に一目惚れされてしまったみたい』病がでちゃったのね。それじゃ、そのダンジェロ氏の周辺を探さなくちゃ。でも、そんな有名人にどうやったらコンタクトできるのかしら」
それから、彼女はキャシーの方を見て、懇願した。

「お願い。知恵を貸してくださいな。この人は、全く頼りにならないし、私は昨日この国についたばかりなの」

 それから、キャシーのあっけにとられた顔を認識してから、少し恥じたように頭を下げた。

「ごめんなさい。自己紹介もしていなかったわね。私はクレア・ダルトン、英国人です。姉のアイリーンを探しているの。協力してくれませんか。マッテオ・ダンジェロって人はどこにいるの」

 キャシーは、面白そうな顔になってきた。
「マンハッタンのものすごく高いアパートメントのはずよ。どこだったかな。あ、この写真を撮ったの、私のお客さんの一人なの。だから、もしかしたら居場所も知っているかもね。あ、私は、キャシー。よろしくね。で、こっちの人は?」

 それを聞くと、おかしな男はあわてて立ち上がった。
「大変失礼しました。クライヴ・マクミランといいます。私も英国人です」

 キャシーは笑った。
「英国人なのは、はじめからわかっているわよ」

 クレアも、おかしそうに笑った。それから、クライヴの前に座った。
「せっかくだから、私も朝食をいただこうかしら」

「トーストを両面焼いちゃうけれどいいの?」
「もちろん問題ないわ。それにここで特におすすめなのは何? ニューヨークらしいものを食べさせて」

 それを聞いてキャシーは、満足そうに微笑み、ちらっとクライヴを見た。

「このモーニング・セットはどう? ニューヨークで最高のブラウン・ポテトを食べさせてあげるわ。それに、アメリカン・コーヒーをヨーロッパの人たちが嫌がるけれど、あなたはコーヒーにはそんなにうるさくないでしょう? お替わり自由よ」
「じゃあ、それをお願い。それから、そこのドーナツも。お腹がペコペコなの」
クレアは、あっという間にキャシーと仲良くなってしまった。

 キャシーは、クレアに朝食を用意してから、携帯電話を取り出して、客であり友人である写真家ジョルジア・カペッリにかけた。
「ハロー、ジョルジア。今朝は、食べにくる? え。ああ、もうじき着くのね。それならいいわ。ちょっと頼み事があるの。うん、着いたらその時にね。うん。紹介したい人たちがいるの。うん。じゃ、すぐ後で」

 電話を切ると、クレアに笑いかけた。
「彼女、あと五分で着くって。よかったわね」

「ありがとう。ところで、このポテト、とっても美味しいわ。マクミランさん、なぜあなたもこれを頼まないの?」
「そうだな。とてもいい匂いだ。紅茶に合うかな」

 キャシーはカウンターに頬杖をついた。
「なぜあなたたち、お互いにそんなに他人行儀なの?」

「なぜって……」
「私たちは、そんなに親しくないんですよ。実をいうと、アイリーン・ダルトンさんともファーストネームで呼び合う仲じゃなかったんです」

「ええっ」
キャシーとクレアが声を揃えて驚いた。

「駆け落ちしたのに?」
キャシーが訊くと、クライヴは首を振った。

「私としては、きちんと順番を踏みたかったんです。でも、手の甲にキスをしている段階で、彼女に何か違うと思われてしまったんでしょうね。あの人は、きっと男性に言い寄られるのに慣れていて、行儀のいい付き合いには魅力を感じないのかもしれません」

 別に、言い寄られ慣れていなくても、今どきそんなまどろっこしいことしているヤツはいないわよ。キャシーは思った。一緒に海を越えようと言っているのに、手を握るだけなんて脈はなし、さっさと次いこうと思うに決まってるでしょ。

「で、あなたは、ここニューヨークで何をしているの?」 
キャシーは、クライヴに訊いた。

「私ですか。ロンドンにある大きな骨董店のニューヨーク支店を任されたんですよ。ここから歩いて五分くらいのところです。たぶん、折々にここに来ることになるでしょうね。そういえば、ダルトンさん、よく私を探し当てましたね」

「あなたのお店で教えてもらったのよ。朝食を食べに行った、おそらくあの辺りだろうって。雨傘と帽子姿の英国人を知らないかと訊いたら、あたりの人たちみんな見かけていたわ。あなた、どれほど目立っているかわかっている?」

「なるほど。私のモットーは『誰に何を言われようと自分らしく』なんですよ」

「自分らしくはいいけれど、そろそろファーストネームで呼びあってくれない? 聴いていてイライラするから」
キャシーが言うと、クレアとクライヴは顔を見合わせた。それから、クレアがさっと手を出した。

「私、クレアよ」
「クライヴです。光栄です」

「ねえ。クレアもこれからニューヨークに住むの?」
「いいえ。姉を見つけたら英国に帰るつもり。もっとも、せっかく来たんだから、少しアメリカ見物するのもいいかもしれないわね。国に帰っても失業保険手続きの列に並ぶだけだから」

「だったら、私の店で働きませんか。こちらで雇ったスタッフはみな、紅茶とショートブレッドで休憩時間を過ごそうとしてくれないんですよ」
クライヴがすかさず言った。

「なんですって? あなた私たち一家に関わるのは、ごめんだと思わないの?」
クレアが心底驚いて訊いた。

「店をあなたのご両親のお家みたいに、けばけばしく電飾で飾り立てないでくれれば、何の文句もありませんよ」

 クレアは肩をすくめた。
「あの電飾は、ママの趣味だから。絶対にクリスマスの終わるエピファニーまで飾り立てたいママと、電氣代を心配してボクシングテーには消したいパパが、毎年大騒ぎしていたのだけれど、ようやく二人とも満足する解決策を見つけたの」

「ほう、それは?」
「水力発電所のあるウェールズの村に引越したの。電氣代が割安になるって。だから私は住む場所と仕事といっぺんに失ってしまったの。田舎には住みたくなかったし」

「そうですか。では、『ニューヨークの英国人』となるのは、あなたにも悪い選択ではないようですね」
「悪くないけれど、アイリーンを探すのが先決よ」

 キャシーは、こんなへんなナンパ初めて見たと、心の中で呟いた。『誰に何を言われようと自分らしく』ねえ。流儀は人それぞれ。クレアがそれでいいなら、問題ないわよね。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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鋭い方はすぐにおわかりになったかと思いますが、このストーリーのインスピレーションになったのはスティングのこの曲です。


Sting - Englishman In New York
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -4 - 

scriviamo!


scriviamo!の第四弾です。

ココうささんは、二句の夏の俳句で参加してくださいました。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

独り占めしたき眼や椎若葉   あさこ

砂山を崩しこつそり手をつなぐ   あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、以前素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっていらっしゃいましたが、現在はブログをお持ちではありません。でも、今でもこのブログを訪ねてくださり、さらに今年もscriviamo!に参加してくださいました。実生活と違って、ブログ上でのお付き合いは連絡先を知らない限り簡単に途切れてしまいますが、こうして絆を持ち続けて行こうと思っていただけること、本当に嬉しいです。

今年のために選んでくださったのは、ココうささんの先生も推す素晴らしい作品で大切になさっている二句です。今回も、もともとココうささんの作品から生まれてきたコンビ、怜子とルドヴィコでお応えします。

今回、はじめて舞台が島根県であることが本文中に明記されています。それに二人の苗字も初のお目見え。二人の関係も少しずつ進んでいます。


特に読まなくても通じると思いますが、同シリーズへのリンクをつけておきます。そろそろカテゴリーにしょうかなあ。
その色鮮やかなひと口を
その色鮮やかなひと口を -2 - ~ Featuring「海に落ちる雨」
その色鮮やかなひと口を -3 -


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その色鮮やかなひと口を -4 - 
Inspired from 2 Haikus by Asako-San
——Special thanks to Kokousa san


 海の向こうに、白い雲が一つだけぽっかりと浮かんでいた。透き通るように深く青い海水。神在祭の前夜には八百万の神々が渡ってくる神秘的な海原も、夏の今はまるで別の世界のようだ。底抜けに明るいビーチ。そして、ほとんど誰もいなかった。

 ルドヴィコは、北イタリアの出身だ。夏になると、家族とアドリア海の方へ海水浴に出かけていた。海は夏にしか見た事がなかったので、冬の日本海を初めて見た時には、その厳しい様相に驚いたらしい。けれど、彼の美意識からすると、騒がしい夏の海水浴場よりも、冷たくて厳しく拒否されたようにも感じる冬の砂浜の方が好ましいらしい。

 怜子は、海水浴場として登録されていないために地元民だけが楽しめるこのビーチを知っていたが、今までルドヴィコにそれを言ったことがなかった。それは、別に後ろめたいことでもないのだけれど、ある思い出が影響しているからだった。

 鳥取との県境に近いこの街に怜子は二年ほど暮らしたことがある。引越魔の異名をとった父親は、島根県内のほぼ全ての市と郡を制覇して、今は山口県との県境に住んでいる。ここに住んだのは怜子が小学校六年生の時だった。

 友達とは早晩お別れをするものだと思っていたので、あまり親しい関係を作ろうとしなかった。だから、この近辺に親しい友達はいない。年賀状のやりとりすらない。憶えている子はひとりだけ。それも断片的な記憶のみ。博くん、今どうしているんだろう。

「怜子さん?」
ルドヴィコの声で我に返った。バスを降りてからひと言も話さなかったから、不思議に思ったのかもしれない。

「何だか久しぶりで変な感じなの。十年くらい来ていなかったから」
赤茶けた屋根の民家は、子供の頃と全く変わらない。ここは、時間の流れがゆったりとしている。降りたバス停は、学校に行く時にいつも使った。隣のバス停から乗ってくる少年はこの地区で唯一の同級生だった。

 その山根博という少年と、学校でどんな話をしたか、バスの中でどんな態度だったのかも、怜子は憶えていなかった。憶えているのは、この砂浜での夏休みの午後。

 怜子は、一人で砂の城を作っていた。城と言っても、台形に煙突に酷似した塔がついた程度の情けない形で、「これはなんだと思う」と問えば、禅問答になるような酷い代物だった。

 もう崩して帰ろうかと思っていた時に、博がやってきたのだ。
「あれ。渡辺、何やっているんだ?」

 怜子は、出来の悪い砂の城を見られて赤くなったが、博は面白がってその改築を申し出てくれたのだ。彼には怜子よりずっと才能があり、しばらくするとシンデレラ城とまではいかないが、誰が見ても城とはっきりわかるようになった。

 上手くできると、楽しくなり、時間の経つのも忘れて二人は城を大きくしていった。途中でトンネルを掘っている時に、砂山の中で二人の手が触れた。怜子は手を引っ込めようとしたけれど、博はさっとその手を握った。夕陽が砂の城を染めはじめていた。

 怜子は、びっくりしてその手を振りほどくと、そのまま逃げていった。
「渡辺!」
博の声は、しばらく耳に残っていた。怜子は二度とこの海辺にいかなかった。そして、その夏休みが終わる前に父親がまた引越すと宣言して、妙にホッとした。

 そのことは、誰にも言わなかった。今にしてみれば、大したことではない。それに、ものすごく嫌だったわけでもないのだ。友達以上、初恋未満、そんな感じ。「ごめんね」も「さようなら」も言えなかった。

「あれ……。もしかして、渡辺じゃないか?」
声に現実に戻って振り向くと、紺のポロシャツを着た半ズボンの青年が、両手にいくつもの魚の干物を持って立っていた。

 えええ。本物に逢ってしまった……。怜子は、紛れもない山根博の登場に動揺した。一方、博の方は、特に氣まずそうな様子は皆無で、明るい笑顔だった。隣のルドヴィコにも「は、ハロー」と明らかに慣れていなさそうな英語を使おうとした。

 ルドヴィコは「こんにちは」と目をつぶっていたら外国人とはわからないようなNHK標準語の発音で返して、怜子に「おともだち?」と訊いた。

「うん。昔の同級生、山根博くん」
そう怜子が紹介すると、ルドヴィコは、さっと右手をだした。
「はじめまして、ルドヴィコ・マセットです。イタリアで生まれましたが、日本に移住して和菓子職人をしています」

「はじめまして。すげーな。日本語、ペラッペラだ」
博は右手を麻の半ズボンできれいにしてから手を差し出した。

「博くん、今もここに住んでいるの?」
「ああ。そこの山根屋って民宿やっている。よかったら寄っていくか。スイカと麦茶、あるぞ」

 山根屋は海辺に面していて、縁側に座ると白い砂浜と海に反射する陽の光が目に眩しかった。蝉の声が波の音にかき消されている。潮風が優しく吹いて心地よかった。

 怜子は、ずっと心に引っかかっていた少年との氣まずい別れが、なんでもなかったことに安心して少し浮かれていた。懐かしそうに中学生の時の話をする二人を、ルドヴィコはほとんど口を挟まずに聴いていた。麦茶のグラスについた水滴が流れ落ちていく。

「あ。前にここでやったスイカの種を飛ばす競争しようか」
「ええ? あれから一度もやっていないもの、もうできないかも」
「そんなわけないだろ、あんなに上手かったんだしさ。あ、ルドヴィコさんも、一緒にどうですか?」

 ルドヴィコ、スイカの種、飛ばせるのかな。だって、いつも飲み込んじゃうし。怜子は、ヨーロッパの人間はスイカの種を出さずに食べてしまうことを、ルドヴィコと知り合ってから知ったのだ。

 案の定、ルドヴィコはスイカの種を飛ばすことはなかった。会話は完璧にわかっているはずなのに、ほとんど話さなくていつもと違ったので、怜子は少し不安になった。
「ルドヴィコ、ここ暑すぎる? 大丈夫?」

 博が「あ」と言って、扇風機を用意しようとしてくれたが、「そうじゃありません。大丈夫です」と言うと、縁側から立ち上がって目の前の広がる海と同じ色の瞳を細めた。

* * *


「怜子さん、すみません」
帰りのバスの中で、ルドヴィコがいきなり謝ったので、怜子は驚いた。

「何のこと?」
「せっかく久しぶりに友達とあったのに。本当はもっとゆっくり話をしたかったんじゃありませんか」
「ううん。そんな心配しないで。それに、私の方こそ、なにかルドヴィコが不快に思うことをしちゃった?」

 彼は首を振った。それから、しばらく黙っていたが、青い瞳をむけてから口を開いた。
「怜子さんじゃ、ありません。僕の方です。僕は、志多備神社に行った時のことを考えていたんです」

 怜子は、首を傾げた。志多備神社に行ったのは、五月の終わりだった。日本一と言われるスダジイがあることで有名な神社だ。

 九本の枝を周囲に張り、幹周り11.4m、樹高18mにもなる巨樹は、樹齢300年以上と言われている。45mにもなる稲藁で作った大蛇が巻き付けてあり、その堂々たる姿は神の一柱がここにもいると納得させる存在感だ。

 本当にたった300年なのか、本当は千年以上の長い時を見つめてきたのではないかと錯覚してしまうような佇まいで、苔むしてねじれた太い枝の一つひとつに、力強い重みと苦悶にも思える表情を深く刻んでいた。

 二人は滴る緑の中で、椎の独特の香りに雨の季節を感じつつ、神聖な存在と黙って対峙していた。

 そこに一人の外国人女性がやってきた。ルドヴィコが漢字も読めるようだとわかると、そばかすの多い顔をほころばせて早口で話しかけた。それからしばらく二人は巨樹について話していた。ついでにその話が別のことにも至ったようだというのは、怜子でもわかったが、そもそも二人が何語で話しているのかすら彼女にはよくわからなかった。

「スペインの女性ですよ。僕はイタリア語で、彼女はスペイン語で話したのですが、それで何となく通じてしまいます。正確に伝えなくてはならないところは、お互いに英語を使いますけれど」

「何を訊かれたの?」
「いろいろですが、最終的には日本人にとっての『神』という存在についてです。彼女をはじめとするたいていの欧米人には巨樹が『神』として崇められるということが、わからないのです。複数の神を同時に崇めるということもね。おそらく、僕も完全に『わかっている』わけではない、たんに文化の違いとして理解しているだけなのかもしれませんね」

 怜子は、胸の奥が痛くなるのを感じた。

 ルドヴィコは、平均的日本人よりもずっと日本の伝統や文化に詳しく、かつそれを尊重している。だから、彼は日本に、ひいては自分にとても近いと思っていたのだ。けれど、彼が「完全にはわからない」と告げた言葉で、怜子は彼が急にあの見ず知らずの金髪女性の方に行ってしまったように感じた。

 自分の努力や意志では決して越えられない壁があると氣づくとき、人はその無力さに傷つく。スダジイの脇から顔を見せた蜻蛉の薄羽色の若葉が風に揺られているのを見ながら、怜子は「その人と話すのをやめて。ここで二人で一緒に樹を見ようよ」と心の中で呟いた。でも、その感情、怜子がつまらない嫉妬だと自嘲した感情は、ルドヴィコには悟られていなかったはずだった。

「あの時の、あの女の人との会話のこと? でも、どうしてルドヴィコが私に謝るの?」

「あの時、怜子さんは悲しそうでした。僕は、なぜ悲しく感じたりするのだろう、怜子さんは僕をよく知っているのにと思ったんです」

 怜子は、また驚いた。私の心の中、ルドヴィコに、全部バレていたんだ。彼は続けた。
「でも、それは、傲った考え方だと、ようやく今日わかったんです。博さんと怜子さんはたった二年一緒にいただけで、その後十年も会っていなかった。それなのに、彼の方がずっと怜子さんのことをよく知っているように感じて、僕はガラスの敷居で区切られたように感じてしまったのです」

 怜子は、ただ彼の言葉を黙って聴いていた。
「怜子さんが、トイレに行った時、博さんが僕に言いました。怜子さんはとても素敵な人で、初恋の人だったって。その怜子さんが僕と幸せそうでとても嬉しいと言っていました」
「……」

「その時に、僕は、博さんという存在に嫉妬していたのではなくて、もっと大きい文化の違いにつまづいていたんだとはっきり認識したのです。そして怜子さんもあのスペイン女性に嫉妬したんじゃなくて、同じことで傷ついていたのだと、そこでようやく思い至ったのです」

 怜子は、彼にそう言われて初めて自分の中にあった悲しい感情の正体が分かった。そうか、そうだったんだ。

「僕は、同じ文化で育ったこなかったことに起因するいつも存在している不安を見落としていました。それをしっかりと見据えることなしに、お互いを尊重する努力をできるはずなんかありませんよね。だから、怜子さんに謝らなくてはいけないと思ったのです」

「謝ることなんかないよ、ルドヴィコ。あなたの言いたいこと、とてもよくわかるし、正しいと思う。でも、私のことを一番わかっているのは、ルドヴィコだよ。たとえ、生まれた場所がどれほど離れていて、お互いにまだ理解できない文化の違いがどれほどたくさんあってもだよ」

 ルドヴィコは、青い瞳の輝く目を細めて微笑んだ。怜子は、小さく続けた。
「だからね、ルドヴィコ……あの、こうしても、いい?」

 そういって彼女は、ルドヴィコの大きな手にそっと触れた。彼は、その手をしっかりと握り返してきた。

 怜子には、はっきりとわかった。友達以上、恋未満だったのは同じでも、博とルドヴィコにはもうはっきりとした違いがあった。怜子は、ルドヴィコと手をつなぎたかったし、離したくないと思った。そして、彼もそう思っていてくれることを心から嬉しく思った。

 バスを降りるまで、二人はずっとそうやって手を握っていた。運転手や数少ない他の乗客からは見えないようにこっそりと、でも、大きな安堵と幸せに包まれた時間だった。


(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】おとなりの天使 ~ The angel next to him

scriviamo!


scriviamo!の第五弾です。山西 左紀さんは、limeさんの「お題掌編」に呼応する形で書かれた素敵な作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『隣の天使』
limeさんの関連する小説
お題掌編 『となりの天使』(前編)
お題掌編 『となりの天使』(後編)


山西左紀さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。コラボをしていただいた作品もとても多いのです。普段はSFや仮想世界を題材にした作品が多く、それなのにまるで実際に眼で見ているような精密かつ美しい描写をなさるので尊敬しています。

今回は、珍しく大阪のとあるアパートで起きたお話。でも、サキさんらしさはそのままですね。limeさんの作品にインスパイアされてお書きになったそうです。

もともとのlimeさんのお話は「『隣に引っ越して来たのは・・・?』というテーマで、妄想を広げてください」というお題に基づいて作られました。サキさんもこれに合わせて書いていらっしゃいます。というわけで、私も。で、サキさんへのお返しなので、サキさんの小説と微妙に(じゃないか、がっちりと)絡み合っております。サキさん、キャラクターのイメージが違ったらごめんなさい!

サキさんが、limeさんの掌編にあわせて(でも少し変えて)題名をつけられたのに倣いました。


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おとなりの天使 ~ The angel next to him 
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 悟は、意を決して504号室の扉をノックした。やはり、こういうのは最初が肝心だからな。

 前のアパートでも、そつなく対応できていたと自負している。大家さんが亡くなって、子供たちが遺産相続のためにアパートを更地にするからと追い出されることになったけれど、代わりの格安アパートを探してもらえたのもそれまでの行いを評価してもらっていたからだと思っていた。

 もっとも、本当にそつがないなら、大学三年も終わりかけているのに就職活動にはかばかしい成果が出ない現状はおかしいのだけれど。

 引越の挨拶には何をもっていくかもしっかりリサーチした。最初は引越ソバを持っていくつもりだったけれど「蕎麦アレルギーの人もいて迷惑がられることも」と言われてやめた。食べたり使ってなくなるものがベストというけれど「高級すぎるとお返しを期待されているのかと思う」とか「スルメをもらった。どういうセンスだ」とか「タオルはたまる一方でいらない」とか「洗剤は使わないタイプのものだと迷惑」とか、ネットで調べるといろいろと難点が指摘されている。結局、無難にということでかなり高級なティッシュペーパーを三箱、熨斗付き。

 二度、呼び鈴を押したが誰も出てこなかったので、控えめノックに切り替えた。やっぱり出てこない。いないのかな、いや、隣の電灯がついたのがベランダの仕切りから漏れる光でわかって、それできたんだから、いないはずはないよな。

 そう考えていると、向こうからショートカットの若い女性が歩いてきた。顔が小さくて可愛い。へえ。こんな可愛いご近所が。彼女は悟の立っている扉の横、つまり505号室の前で立ち止まると、黒い小さいショルダーバックから鍵を取りだして開けた。
「ただいま~」
甘えた可愛い声だ。

 なんだ、男がいるのか、残念。そう思って自分の引越の挨拶の件に戻ろうと思った途端、その美女がまた顔を出した。
「この部屋の人に用なの?」

 悟は頷いた。
「あ、はい。はじめまして。僕、山中悟といいまして、503号室に越してきました。大学の三回生です。それでお隣のこちらに引越の挨拶を……」

 全て言い終わる前に彼女はにっこりと微笑んで口を挟んだ。
「この人、そんな生温いノックじゃ氣づかないわよ、こうやるの」

 そう言うと、拳を振り上げてガンガンガンとものすごい勢いで扉を叩いた。わあっ、なんてことをするんだ。こっちが常識知らずみたいに思われる。

 悟の焦りをものともせずに「じゃあね」といって女性は505号室に消えてしまった。それとほぼ同時に「はい」と言って目の前の扉が開いた。

 がっちりとした長身の男性と、その斜め後に立っている細身で中性的な女性だ。ちょっと見には少年のように見えないこともないけれど、表札には女性の名前もあったから、女性なのだろう。

「なんでしょうか」
精悍な顔立ちの男性は、仏頂面でたたみかけた。まずい。ドアをあんな風に叩いたら好印象を期待しても無駄だ。

「すみません。隣に越してきた山中悟といいます。引越の挨拶に伺ったのですが……失礼しました」

 男は、一瞬首を傾げたが、「ああそう」という顔をした。
「どうぞよろしく。君は一人ぐらし?」
「はい」
「じゃあ、独り者同士、よろしく」

 え? 悟は、目を隣人と、その後にいる女性との間で泳がせた。だが、彼は受け取ったティッシュペーパーの箱に意識を向けたまま、「じゃ」といってばたんと扉を閉めた。

 もしかして、おかしな隣人なのか? 悟は、首を傾げつつ、自宅の扉を開けて中に入って、そのまま腰を抜かしたように座り込んだ。

 たった今、目の前で視界から消えたはずの、隣人の後にいた中性的な女性が、ちゃっかり自宅に入り込んでいる。どうやって。

「ふ~ん、やっぱり見えるんだ」
彼女は腕を組んだ。白いシャツに白いベルボトム、少し流行遅れに見えないこともないスタイルだが、このさい流行などは大して重要とは思えなかった。

「な、何がですか……。っていうか、どうやって僕んちに?」
ドアに張り付いている悟に、彼女はにっこりと微笑んだ。

「私が見えているってこと。どうやってって、別に難しくないわよ、壁をすり抜けてね」
「はあっ?!」

「なんだ。他にも見えるんじゃないの? もしかして、普通の人間には見えない存在を見たの今日が初めて? そんなわけないわよね、その歳なんだから。ああ、そうか、もしかして私たちの仲間すべてを肉体を持つ存在と勘違いしたまま現在に至っているとか?」
女はけたたましく笑った。

 悟は、瞬きも忘れて相手を見ていたが「あんた誰?」とだけようやく言った。

「私? 彼の守護の天使よ。といっても、もともとそうだった訳でなくて、ちょっと押し掛けで守護しているんだけれどね」
「押し掛け?」
「ええ。ちょうど通りかかった時に、失恋で自暴自棄になっていたから、氣になって居着いてみたの」
「え? そうなんですか? 失恋ねぇ……」

「ええ。さっき逢ったでしょう? 505号室の女の子にね」
「ええっ?」

「あの子の名誉のために言っておくけど、あの子が振ったんじゃなくて、あいつが追い出したのよ。なんだっけ、勝手に外車を買ったから、とかなんとか。お仕置きのつもりで追い出して、すぐに謝って帰ってくると思っていたら、お隣さんと仲良くなっちゃったって訳。隣で幸せそうに暮らしているもんだから、余計落ち込んでいるの。そういうわけで、あいつの前でお隣さんのことは口にしないようにね」

 悟は、「はあ」と頷いてから、なに納得しているんだと自分につっこんだ。

「じゃ、私帰るから。あと、彼の前で、私のことは口にしない方がいいわよ。あいつには見えないし、聴こえないんだから、何を言ってもあなたが頭のおかしい人と思われるだけよ」
そういうと、守護の天使とやらは、すっと504号室と接している壁の中に消えてしまった。マジかよ。

 それから、ありえないことになった。「自称・守護の天使」が勝手に悟の部屋に入ってくるようになったのだ。

 悟は、いつもの手抜きで一週間分のおでんの具を煮込んでいたが、後にいつの間にか立っていた天使が覗き込んだ。
「おいしそうじゃない」

「今日は、なんすか」
「それ持って、ウチにくるか、こっちにあいつを招いてよ」
「なんで」

「505号室がなんかゲームやっているらしくて、楽しそうな声がやたらと響いてくるのよ。で、またグズグス想い悩んでレミー・マルタンに逃げ込んでるの」
「……。男とおでん囲んで紛れますかね」
「紛れさせなさいよ」
「なんで僕が」
「あんたが私を見えるのが悪いのよ。つべこべ言わずに行く!」
「はあ」

 悟は首を傾げながら、504号室に向かい呼び鈴を押した。
「なんだ」
男は出てきて、暗い瞳を向けた。

 いつものように黒い革のパンツに白いシャツ。貧乏アパートにはあまり似合わないハードボイルドタイプ。しかもシリアス系。こういう知り合いいないし、なんか怖いよ。心の中で文句を言うと、後にいた天使が恫喝した。
「つべこべいうと、死神や貧乏神をあんたの部屋に派遣するわよ」

 悟はことさらヘラヘラと笑うと言った。
「あ~、おでん作りすぎちゃったんです。よかったら一緒にどうっすか」

「君、田舎そだちか」
「へ? まあ、そうですけれど、なぜですか?」
「都会での隣人との距離感というものがわかっていないようだから」

 ちくしょう。僕だって、別にお近づきになりたい訳じゃないんだ! 悟が泣きそうになると後からほうっというため息が聞こえた。
「かっこいいわねぇ。こういうもの言い、本当に好み~」

「だったら、自分でなんとかしろよ!」
思わず振り向いて文句を言うと、男は言った。
「誰と話しているんだ。携帯電話か?」

 しまった、こいつには見えないし聞こえないんだった。天使はべーと舌を出した。ムカつく。
「いや、なんでもないっす。嫌ならいいっすよ。一人で食いますから」
そう言って引き下がろうとすると、男は首を振った。
「嫌とは言っていない。酒はあるか。ないなら持っていくが」

 なんだよ、結局来るのか。悟は、急いで部屋に戻ると、彼が来るまでに足の踏み場を作ろうとした。
「そのくらい、私がやるわよ」
天使はさっと手を振った。コタツの周りにあった乱雑に脱いだ衣類や新聞が、あっという間に畳まれて部屋の片隅におさまった。

「へえ。こりゃいいや。ありがとさん。寝床周りもやってくれる?」
「必要ないでしょ。彼とベッドインするなんて許さないわよ」
「! するわけないだろ。でも、彼のために貴重な時間を使うんだからさ~。少しくらい僕にも恩恵があっても……」

 天使は腕を組んでから言った。
「そうね。ちゃんと彼に親身になってくれたら、帰り際にやってあげるわよ」

 男は、ハイネケンを1ダースと、金のラベルのついている一升瓶を持ってきた。見ると純米大吟醸らしい。お、おい。スーパーで買った特売おでんに、どうしてこんな酒を。

「これしかなかった。嫌なら買いにいくが」
「え。いや、とんでもない。もったいないと思っただけで」
「一人で飲んでいてもしかたないからな。つきあってくれ」

 落ち着かない飲みだった。悟は、男と差しで飲みながら、右側にちゃっかり座って男に見とれている天使を見ないようにしていた。余計な事を言うと天使は睨むし、その言葉に反応してはならないし、天使から聞いた情報を勝手に口にする訳にもいかない。頭が混乱していて、酔うどころの騒ぎではなかった。

 一方、男は順調に盃を重ねて、ハードボイルド調からただの酔っぱらいへと変化していった。
「そりゃ、他の男を好きになることだってあるだろうさ。でも、なにも隣に住まなくたって、いいじゃないか……」

 なんだよ。泣き上戸かよ。参ったな。
「そんなに思い詰めない方がいいっすよ。女は一人だけじゃないし、ほら、意外と近くで心配して見守ってくれる人もいるかもしれないし」

 悟は、既にコタツに突っ伏しかけている男の頭を愛おしそうに撫でている天使を見ながら、ドッチラケという氣分で最後のちくわぶを口に運んだ。

「なんだ。それは口説きか。俺は女の方がいい」
「! こっちも女の方がいいっす」

「そもそも、君にも彼女はいないのか。若いのに不甲斐ないな」
あんたには言われたくない。

「すいませんね。東京に高校時代ずっとつき合っていた彼女いたんすけど、こっちの大学に来たら遠距離で自然消滅。今はレポートと就職活動が大変で、彼女作っている暇なんてないっす。関西の子たちはノリも違いますしねぇ」

「ふん。就職活動ね。どこを受けるんだ」
「え。まあ、製造とか。クルマも好きだけれど、ほとんどチャンスが……」

 天使が睨んでいる。しまった。彼女が車を買ったんで喧嘩になったんだっけ。車の話は御法度だったか。

「それなら、親父に頼んでやるよ。国産車が嫌でないならね」
「へ?」

「この人、世界的に有名な国産車メーカーの御曹司よ」
天使が囁く。げっ!

「就職が決まったら、美味い寿司でもおごってやるよ。俺もいつまでも、部屋にこもっているのはよくないからな……」
そう寝言のように呟きながら、男はコタツに突っ伏して寝てしまった。

 う。さっきの言葉、録音しておけばよかった。悟は、天から降ってきたチャンスがうやむやになってしまわないことを心から祈った。

 天使は「私には関係ない」という風情で寛いでいた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには

scriviamo!


ものすごく巻いていますが、そうなんです、今、いっぱいたまっているんですよ。というわけで、scriviamo!の第六弾です。limeさんは、「妄想らくがき」シリーズの最新作で参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『狐画』
『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。昨年も携帯投稿サイトの小説家を養成する公募企画で大賞を受賞されたすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。まあ、みなさんよくご存知ですよね。

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっと妖艶な感じの狐の化けたような少女の登場するイラストです。これ、私には七転八倒するほどの難問だったのですが、どうもそれは私だけだったようで、あちこちのブログで素晴らしいお話が発表されています。

で、お返しなんですが、最初にイメージした妖狐を使う話は避けました。他の方と重なることが予想されたし、さらにscriviamo!は基本的に受付順でお返しするので、思いついた話を即日発表できるような状況になかったので。で、普段は書かないようなストーリーにしましたが、なんだか私の性格の悪さを露呈しただけのような……。他の方の書かれる素敵なお話と毛色の違う妙なストーリーになりました。

そもそもありえない状況を書いていますので、「なぜこれがこうなるんだ」というような辻褄にこだわるとハマります。辻褄は、全く考えていませんので、あしからず。


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目が合ったそのときには 
——Special thanks to lime san


「お願い。まずは友達になってくれるだけでもいいから」
佳子の必死な声に、俺は背を向けた。悪い。二次元じゃなきゃ嫌だっていうほどこっちも病んではいないけれど、君はまったく趣味じゃないんだ。

 佳子は、三流の女子校を上から十番目くらいの成績で卒業して、推薦で短大に進み、親のすすめで入った会社で経理をやっているというタイプの女だ。本当のところは知らないけれど、とにかくそういうイメージ。きっと得意料理は肉じゃがとかマカロニグラタンとか、その手の無難なヤツだろう。

 そういうのが好きな男はいっぱいいるから、悪いけれどそっちへ行ってくれ。俺が小悪魔タイプがいいのは知っているだろ。
「悪いけれど、三次元だったら、猫耳のコスプレしてミニスカートでお出迎えしてくれるような子じゃないとイヤなんだ。君にはまったくチャンスはないよ」

 いくら俺でも、本当にそんなタイプじゃないと彼女にできないなんて、そこまで怪しくはない。もちろん、妄想ではいつもその手の子だけれど、現実はそんなに俺に都合良くできていないことくらいわかっている。そもそも上から目線で選べるほどこっちの条件がいいわけじゃない。でも、ここまでいえばこの子は諦めてくれるだろう。

 泣きながら佳子は去っていった。俺は、少しホッとした。秋葉原へ行くつもりだったけれど、氣をそがれて中央通りを銀座方面へと歩いていった。何か用事があった訳ではないけれど、こんな俺でも少し後ろめたいときだってあるんだ。まあ、俺に振られたくらいで世を儚むこともないだろうから、罪悪感を持つこともないんだけれど。

 京橋にたどり着く少し前に、洒落た画廊の前を通り、ガラスウィンドウから見慣れた後ろ姿を目に留めた。総務の京極だ。

 同期で一番の出世頭なだけじゃない。女が群がる超絶イケメンで、生家は江戸時代から中央区に屋敷を構え、子供の頃から一流品だけを身につけている品のいい金持ちで、会長が惚れ込んで孫娘との縁談を進めようとしている。

 そのスペックのたった一つでいいから、神様が俺にわけてくれたらよかったのに。

 京極は、草原の上で白い狐が日向ぼっこをしている絵を見ていた。御坊ちゃまらしい品のいい趣味だ。俺だったら、ただの狐じゃなくて猫耳もとい狐耳をした女の子に日向ぼっこしてもらいたいけれどな。あいつ、あの絵を買うんだろうか。優雅なこった。

 俺は、そのまま銀座まで歩くと、日比谷線に乗って我が家に帰った。ガラのあまりよくない繁華街を通らないといけないせいで、東京二十三区の中にあるというのに家賃は格安だ。部屋に戻って最初にするのはPCの電源を入れること。そして、今日も好みのコスプレちゃんを探してネットサーフィンに興じるのだ。

 冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出した。プシュと開けて、そのままPCの前に戻る。いつもは「猫耳」「制服」で検索するのだが、今夜は趣向を変えてみたくなった。

 少し考えた。「狐」「コスプレ」「小悪魔」。よし、これで行こう。

 いつもとあまり変わらない検索結果が表示されたが、そのページの一番最後に、著しく心惹かれる顔があった。真っ白い肌、髪も白い。ほっそりとした顔立ちに、簡単には落ちないと言いたげな反抗的な目つき。俺の好みにど真ん中。へえ。こんな子がいるんだ。

 俺は、その子の写真をクリックした。表示されたページで、何とその子とチャットもできることが判明。俺の方はカメラはないけれど、あちらはライブで映してくれるらしい。ほんとかよ。

 俺は、恐る恐る「チャット希望」ボタンを押してみた。ボタンが「呼び出し中」に変わり「接続しています」に変わった。それから、パッと画面が暗くなったと思ったら、全面に紛れもないその子の姿が映し出された。

「こんばんは」
聞き覚えのある声だ。もちろんこんなかわいい子に逢ったら絶対に忘れないから、知っているはずはないのだけれど。

「こんばんは。僕の名前は……」
「名前なんて言わなくていいわ。私、知っているもの」
「え?」

「わからない? さっきまで一緒にいたのに」
俺は、ぎょっとした。聞き覚えのある声の持ち主が、それでわかったからだ。
「佳子? まさか!」

「そうよ。ここで逢うとは思わなかったでしょう? さあ、私の目を見て」
「え?」

 狐の耳をした美少女の金色に光る瞳が、こちらを向いて光った。その時に、俺の周りは急に金色の光に包まれて何も見えなくなった。

「はい、終了。私はあなたを手に入れたから」
俺の声がした。

 なんだって? 俺は、恐る恐る瞼を開けた。

 すると、画面の向こうに見慣れた俺の部屋があって、俺の服装をした男が立ち上がっているところだった。

「PCの電源を落とす前に教えてあげる。その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる。私は、もうあなたを離したくないから、二度と狐と目なんか合わさないけれど、あなたは自由になりたかったら、好きなところヘ行って誰かの体をもらうといいわ。もっとも、あなたも好きでたまらない耳のある美少女を手に入れたんだから、ずっとそのままでもいいかもね」

 そう言うと、彼女はぷちっと電源を落とし、俺は暗闇の中に取り残された。

 これは、夢だ。こんな馬鹿なことが! 俺は、大声をだし、頬をつねり、ジタバタ走り回った。でも、どうにもならなかった。俺は、狐の耳を持ち、白い髪の毛とふさふさの尻尾を持った、ロリータ系美少女の体つきになっていた。冗談じゃない。俺は鑑賞する方がいい、自分が美少女になって何が楽しいものか。

 とにかく、なんとかしなくちゃいけない。佳子が言っていたことが本当だとすると、また俺みたいに狐耳の美少女を求めて検索してきたヤツと交代すればいいんだろうか。

 まてよ、それは嫌だ。自分ならいいけれど、俺みたいな嗜好をもった他のむさ苦しい男になるなんて勘弁だ。どうせ違う人間になるなら、もっと恵まれた存在になりたい。例えば京極みたいな。

 そして俺は思い出した。京極のヤツ、あの画廊で絵を眺めていたな。まてよ、あれも四角い枠じゃないか。もし、あいつが明日もあの画廊に行くなら……。俺にもチャンスが向いてきた。

* * *


 そして、俺は、あの画廊の、あの絵の中にいる。絵の中にいた白い狐は蹴散らしてやった。あの狐が日向ぼっこしていた場所に座って、あいつが来るのを待っている。座っているのに飽きたので、横たわって昼寝をすることにした。

 日中にヤツがやってこなかったのは、やむを得ない。総務のヤツらは五時までは上がれないからな。ようやく営業時間が終わった。待ちくたびれたぞ、早く来い。早く来い。

 ふっ。本当に来たぞ。画廊の店番が大喜びで出迎えていやがる。さあ、こっちにこい。お前と目が合ったその時には、俺の恵まれた人生が始まるんだからな。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ いただきもの

Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -4- オールド・ファッションド

scriviamo!


scriviamo!の第七弾です。もぐらさんは、 雫石鉄也さんという方のお作りになった作品の朗読という形で参加してくださいました。

もぐらさんの朗読してくださった『ボトルキープ』

原作 雫石鉄也さんの「ボトルキープ」

もぐらさんは、創作ブロガーの作品を朗読をなさっているブロガーさんです。昨年の終わりぐらいにリンクを辿っていらしてくださってから、長編を含む作品を読んでくださっているありがたい読者様でもあるのですが、うちの作品の中で一番最初に読むことにしてくださったのが、この「バッカスからの招待状」シリーズです。

珍しいものから読んでくださるなと思っていたのですが、実は雫石さんのお書きになるバー『海神』を扱ったシリーズの大ファンでいらっしゃることから、この作品に興味をおぼえてくださったということなのです。

今回朗読してくださったのは、その『海神』とマスターの鏑木氏が初登場した作品だそうで、ご縁のある作品のチョイスに感激しています。

ですから、お返しにはやはり『Bacchus』の田中を登場させるしかないでしょう。参加作品「ボトルキープ」にトリビュートしたストーリーになっています。もぐらさん、雫石さん、そして鏑木さま。本当にありがとうございました。


参考:
バッカスからの招待状
いつかは寄ってね
君の話をきかせてほしい

「scriviamo! 2016」について

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バッカスからの招待状 -4- 
オールド・ファッションド
——Special thanks to Mogura san & Shizukuishi san


 そのバーは大手町にあった。昼はビジネスマンで忙しいけれど、飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく書かれている。『Bacchus』と。

 店主であるバーテンダーの田中佑二は、今夜も開店準備に余念がない。バブルの頃は、何人かのバーテンダーを雇わないと回らないほど忙しかったこともあるが、今は繁忙期以外は一人でやっている。大手町だから家賃も相当かかるが、幸いそこそこの固定客がいるのでなんとか続けていられる。

「いらっしゃい」
今日最初の客だと顔を向けた。意外な人物が立っていたので戸惑った。

「これは……。庄治さんの奥様。こんばんは」
健康そうではあるが、既に七十歳にはなっているだろう。厳格な表情をして地味な服装なので同年代の女性よりさらに老けて見える。

 彼女は、『Bacchus』の客ではなかった。どちらかというとこの店の売上にブレーキをかける役目を果たしていた。つまり、彼女の夫がここで飲むのを嫌がり、必至で阻止していたのだ。しかし、それもずいぶん昔のことだ。庄治が顔を見せなくなってから三年は経つだろうか。

「こんばんは。まだ開店していないなら、外で待ちますけれど」
「いいえ。どうぞお好きな席へ」

 老婦人は、キョロキョロと見回してから、一度奥の席に行きかけたが、戻ってきてカウンターの田中の前に座った。

「ご主人様とお待ち合わせですか?」
彼が訊くと、笑って首を振った。
「それは無理よ。先月、四十九日の法要を済ませたのよ」

 田中は驚いた。
「それは存じ上げませんでした。ご愁傷様です」
「ありがとう。もちろん知らなくて当然よね。私が知らせなかったんですもの。あの人、ドクターストップがかかって飲みには行けなくなった後、他のお店には行きたいとは言わなかったのに、ここにだけはまた行きたがっていたの」

 それから、田中の差し出したおしぼりを受け取って、上品に手を拭くと、メニューを怖々開いた。しばらく眺めていたが、閉じて言った。
「ごめんなさいね。私、こういうお店で飲んだことがなくて、わからないの。あの人はどんなものを頼んでいたのかしら」

「ご主人様は、いつもバーボンでした。フォア・ローゼスがお氣に入りでボトルをキープなさっていらっしゃいました」
そういうと、後に並んだ棚から、三分の二ほど入っているボトルを一つ取って、彼女に見せた。

 ここでは、キープのボトルには、本人にタグの名前を書いてもらう。亡くなった夫の筆跡を見て、彼女の眉が歪んだ。

「私のこと、嫌な女だと思っていらしたでしょう。いつも早く帰って来いと電話で大騒ぎして。それにここまで来て連れ帰ったこともありましたよね」
「庄治さんのご健康をお考えになってのことだったのでしょう」

「ええ。そうね。でも、こんなに早くいなくなってしまうのなら、あの人が幸せと思うことを自由にさせてあげればよかったって思うの。今日ね、たまたまギリシャ神話の本を目にしてね、あの人が、もう一度『Bacchus』に行きたいなと言った言葉を思い出して。供養代わりに来てみようかなと思ったのよ。歓迎されないかもしれないけれど」

「とんでもない。おいでいただけて嬉しいです」
田中は、心から言った。

 彼女は、ふっと笑うと、ボトルを指して訊いた。
「このお酒、飲んでみてもいいかしら。これって確かとても強いのよね。ほんの少ししか飲めないと思うけれど」

 田中は少し困った。バーボンには明示された賞味期限はないが、開封後はやはり一年くらいで飲みきった方が美味しい。かといって、キープされたボトルを勝手に捨てるわけにはいかないので、全く訪れなくなった客のボトルはそのまま置いてある。

 田中はそのことを告げてから、別のフォアローゼスの瓶を取り出した。
「ですから、お飲みになるのは新しい方にしてください。もちろん、別にお代は頂戴しませんので」

 庄治夫人は、首を振った。
「まずくなっていてもいいから、あの人のボトルのお酒を飲みたいわ。私でも飲めるように少し軽くなるようなアレンジをしてくれませんか」

 田中は頷いた。
「わかりました」

 ボトルを開けて、香りをかいだ。幸い品質はほとんど低下していないようだ。これならと思い、オールド・ファッションド・グラスに手を伸ばした。
「オールド・ファッションドというカクテルがございます。砂糖やオレンジなどを使っていて、それと混ぜながらご自分でお好きな加減の味に変えて飲みます。いかかですか」

 老婦人はじっと田中を見つめた。
「お酒はそんなに飲みなれていないので、全部飲めないかもしれないけれど」

「強すぎて無理だと思ったら遠慮なく残してください。ノンアルコールのカクテルもお作りできますから」
田中の言葉に安心したように彼女は頷いた。

 田中はグラスに角砂糖を入れた。カランと音がする。アロマチック・ビターズを数滴しみ込ませてからたくさん氷を入れた。それからフォアローゼスを規定よりもかなり少なめに入れて、スライスオレンジとマラスキーノ・チェリーを飾った。レシピにはないが、絞りたてのオレンジジュースを小さいピッチャーに入れて横に添えた。

 庄治夫人は、怖々とマドラーでかき混ぜながらそのカクテルを飲んでみたが、首を傾げてから添えてあるオレンジジュースを全て注ぎ込み、それから安心して少しずつ飲みだした。
「これ、あなたの受け売りだったのかしら」

 田中は、彼女の言う意味が分からずに首を傾げた。老婦人は笑いながら続けた。
「いつだったかしら、いつもお酒ばかり外で飲んでと文句を言ったら、美味しいんだぞ飲んでみろと頂き物のウィスキーを私に飲ませようとした事があるの。それが水を入れても、強いだけで全く美味しくなくて。そうしたらこれならどうだって、オレンジジュースを加えてくれたのよ。そうしたら結構美味しかったの。悔しいかったから、美味しいなんて言ってあげなかったけれど」

 彼女は、目の前のフォアローゼスの瓶のタグに愛おしげに触れた。
「美味しいわねって、ひと言を言ってあげれば、私が大騒ぎしなくても帰って来たのかもしれないわね。それに、一緒にここに来ようと言ってくれたのかもしれないわ。もう遅いけれど」

 それからタグを持ち上げて田中に訊いた。
「もし、これを捨てるなら、私が持ちかえってもいいかしら」
「もちろんです。庄治さん、大変お喜びになると思います」

 長居をせずに彼女が帰った後、田中は庄治の残していったボトルを眺めた。キープしたまま二度とこなくなった客のボトルを置いておくのは場所塞ぎだ。だが、客との大切な約束のように思って彼はなんとか場所を作ってきた。

 タグを未亡人に返して、このボトルをキーブしておく意味はなくなった。彼は寂しさと、約束を果たせたというホッとした想いを同時に噛み締めていた。庄治夫人から聞いた墓は、彼の自宅からさほど遠くなかった。今度の休みには、このボトルをもって墓参りに行こうと思った。


オールド・ファッションド(Old Fashioned)

標準的なレシピ
バーボン・ウイスキー 45ml
アロマチック・ビターズ 2dashes
角砂糖 1個
スライス・オレンジ 
マラスキーノ・チェリー

作成方法: オールド・ファッションド・グラスに角砂糖を入れ、アロマチック・ビターズを振りかけて滲みこませる。氷を入れ、ウイスキーを注ぎ、スライス・オレンジ、マラスキーノ・チェリーを飾る。



(初出:2016年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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この作品をもぐらさんが朗読してくださいました。

第303回 バッカスからの招待状 オールド・ファッションド


もぐらさん、本当にありがとうございました!
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】命のパン

scriviamo!


scriviamo!の第八弾です。canariaさんは、楽しい四コママンガで参加してくださいました。

canariaさんの『「scriviamo! 2016」参加作品 』

ザッカ・四コマ by canariaさん
この四コマ漫画の著作権はcanariaさんにあります。無断転用は固くお断りします。


canariaさんは、Nympheさんというもう一つのお名前で独特の世界観と研ぎすまされた美意識の結晶を小説・イラスト・動画などで総合芸術を創作なさるブロガーさんです。以前、fc2でお持ちになっていたブログの頃からのお付き合いで、最初のscriviamo!でもご参加いただいたことがあります。お返ししたのはcanariaさんの「侵蝕恋愛」にトリビュートするソネットでしたが、scriviamo!のお返しで一番たくさん拍手をいただき、たぶん私の作る日本語ソネットでこれを超えるものはないだろうという作品。それだけcanariaさんの物語の世界観が高みにあるからだと思うのです。

今回の作品は、私の「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の登場人物とcanariaさんの手作りパンの共演なのですよ! 私も食べたことのない尊いパンを、なぜザッカがもらうと嫉妬剥き出しの私です(笑)

で、どうしようかな〜と悩んだ結果、このありがたいシチュエーションをそのまま外伝に書いてしまうことにしました。こういう機会でもないと、ザッカの話なんて書くことないし。ザッカのイメージは、動画記事で発表した公式(おっさん)のものでも、canariaさんの描いてくださった長髪美青年でもお好きな方で(笑)長髪美青年の方が萌える?


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2016」について
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森の詩 Cantum Silvae - 外伝
命のパン
——Special thanks to canaria san


 石壁に置かれた牛脂灯の焔が揺れた。わずかに黒い煙を吐き出して、焦げた臭いが漂った。イグナーツ・ザッカは、外で監視を命じられた兵士が交代の時に「ひどく冷えるな」と弱音を吐くのを耳にした。

 彼は笑みを漏らした。宰相としての役目を解かれ、全財産を没収され、罪人としてこの西の塔に幽閉されて半年近くなるが、その待遇は悪くはなかった。彼はこの塔から出ることはできないが、拷問をされることもなければ餓えることもなかった。この部屋は、王侯貴族からしてみれば酷い待遇の監獄なのかもしれないが、彼がかつて暮らしていた修道院の生活と大して違わなかったし、ましてや貧民街とは較べるまでもなかった。

 ルーヴラン王国が、グランドロン王国に対する奸計の咎を全て彼に負わせて事態を収束させたものの、そのまま彼を殺さなかった上に、そこそこの待遇を保っている理由は一つだった。彼らにはまだザッカが必要だったのだ。

 宰相時代の副官であったジュリアン・ブリエは、現在は親政をしている国王エクトール二世の名代として時おり慰問にやってくる。それはただの口実で、彼らはザッカの助言を必要としていた。ザッカの築き上げて来た政策の大半はまだそのまま残っていた。多くの貴族たちは財政緊縮のために廃止された特権を元に戻してもらうことを望んだが、グランドロンに賠償として差し出した直轄領からの収入が途絶えた今、国にそのような余裕はなかった。

 ザッカの宰相時代に恩恵を受けた親類縁者がいれば、そこから没収することも出来たかもしれない。だが、外国人であり、さらにどの貴族とも血縁関係のないザッカには資産はほとんどなかった。彼の得ていた少なからぬ報酬の多くは、治水事業と貧しい者への施しに使われていた。既に多くの国費も使われている治水事業を取りやめれば、国の未来に絶望が待っていることは凡庸な国王や欲の張った臣下たちにもわかっていたので、それも続行せざるを得なかった。

 ザッカは囚われの身のままで、王侯貴族たちのそしりを受けつつ、いまだにルーヴラン王国のために日々心を砕かざるを得なかった。

 何のために。彼は自問する。私の企ては失敗した。念入りに立てた計画の全てが無に帰したのだ。神になど頼らぬ、わが意志で世界を変えると決めた。そして、この国であれば、私の思う結果が出せると信じた。だが、神は思わぬ駒を進めた。役目を解かれた私が、今さら心を砕いて何になる。私はこの塔の外には出られぬ。私の施しを待ち、終油の秘蹟を求めるあの貧しい者たちのところへももう足を運ぶことは叶わない。何百人もの《マルコ》たち。私は負けたのだ。

 小さいノックが聞こえた。彼に食事を運ぶ召使いや、ブリエの先導をしてここに入ってくる兵士たちはノックなどしない。訝って扉ヘ行くと、外ら中をのぞくための小さい窓が開けられ、フードを目深に被った人物が立っているのが見えた。
「何者だ」

「名を申すことはできませぬが、お氣の毒に思う者でございます。秘密裡に参りました。このような囚われの御身、さぞおつらいこととお察し申し上げます」
「ご心配はありがたいが、危険を冒してお越しいただくほどの苦境にはござらぬ」

「少しでもお力になりたく、これを持参いたしました。お体を大切になさり、どうぞ好機をお待ちくださいませ。我々が必ずや……」
そう言うと、彼の手に何かの塊を押し付けて、返事も待たずに立ち去った。

 小窓がカタンと閉まり、揺れていた。彼は、それをしばらく見ていたが、やがて受け取った包みに目を落とした。草木で染められた布を開くと、焼いたばかりと思われるパンが現れた。丁寧に挽いた小麦粉から作られ、干しぶどうの入った高価なパンだった。彼は、しばし呆然とし、想いを少年時代に馳せた。

* * *


 少年イグナツィオは、ふらつく体を壁に押し付けて、修道院の廊下を進んだ。看病をしていた修道士パウロが、院長と話があると言って席を外したので、チャンスだと思った。

 彼が倒れてから一週間が経っていた。全身の痛みと一度も経験したことのない高熱で、他のことなど考えられなかったが、状態が良くなってきてから心配でたまらなくなった。一週間も「あそこ」に行っていなかった。彼の持っていく食糧だけしか食べるもののない小さな少年は、どのような思いで自分を待っているのだろう。イグナツィオは、食事の時に食べずにとっておいたパンを懐にしまうと、なんとか外套を身に着け裏庭へと向かった。不浄なもの用に設けられて普段は使われていない出口からそっと修道院の外に出た。

 修道院から子供の足でも半刻もあれば辿りつくほどの近さに、貧民街はあった。そこへ初めて行ったのは、パウロと一緒だった。院長に託された施しの食糧を抱えて行ったが、それは全く足りていなかった。子供たちは何人かいたが、走れて大人たちの隙をついて食糧に手を伸ばせたものだけが少しのパンや果物を手にすることができた。

 イグナツィオは、その時にマルコと知り合ったのだ。マルコは、イグナツィオと二つしか違わなかったが、痩せこけて小さく、まるで五つも歳下のように見えた。一番最初に近づいてきて手を伸ばしたけれど、食糧には届かず、大きな男に横取りされてしまった。イグナツィオが差し出したリンゴを手にしたのに、他の少年にもぎ取られてしまった。結局お腹をすかせたまま涙をにじませて、彼はイグナツィオの持っていた籠に顔を埋めた。パン屑を少しでも舐めようとして。

 イグナツィオは、その様子に心を痛め、次の日に自分の食事のパンを一つ残しておいた。修道院で用意される食事は決して多くなく、パンを一つ失うのはお腹がすいてつらかった。それでも、彼はパンを隠し持ち、こっそりと抜け出して、マルコにパンを持っていってやったのだ。

 それから、彼は矛盾に苦しむことになった。倒れるほどにお腹をすかしているのはマルコだけではなく、彼は時折マルコを失望させても他の弱い子供にパンをやらなくてはならなかった。マルコは、イグナツィオの行為に恨みがましいことは言わなかった。イグナツィオは、少なくともマルコを一番目にかけていたから。

 マルコは、だが、少しずつ弱っていった。パウロとともに正式の施しに食糧を持ってくる時に、走ってくることはできなくなった。イグナツィオは、走ることのできない人間たちが、餓えて病に陥り、やがて「終油の秘蹟」を必要とする段階へと進むことも理解した。パウロも、他の修道士たちも、神父たちも、多くのことはできなかった。

 イグナツィオは、まだ残る熱でふらつきながらも、貧民街へと走った。マルコは、もう一週間も何も食べていない。

 彼は、貧民街の入り口で既に嫌な臭いを嗅いだ。また死人が出たのだ。マルコの住む小屋の近くらしい。マルコがいつも踞っている小屋の裏手に回ると、ものすごい腐臭がして、黒く蠢く何かがあった。彼が入ってきた振動で、それはわっと動き、たかっていたハエの大群だったことがわかった。

 目にしたものにショックを受けて、イグナツィオは、すぐに来た道を戻った。

 わずかに見えた手はマルコのサイズだった。いつも身に付けていたボロ着もすぐにそれとわかった。何日あの状態だったかはわからない。だが、幼い少年は「終油の秘蹟」を受けることもなく、イグナツィオに別れを告げることもなく、この世から姿を消した。

 悔しさと悲しさに涙がにじむ。自分が無力な子供であることや、修道院で日々教えられている教えと現実との矛盾に怒りを感じた。だが、彼に神の慈悲と偉大さをを教える院長やパウロたちが善良で努力を惜しまない立派な大人であることも、彼の苦しみを増した。怒りの行き場がどこにもなかったから。
 
 部屋に戻る前に修道院長の部屋の前を通る。院長とパウロの声が聞こえて、彼は思わず動きを止めた。

「本当に医者を呼ぶ必要はないのかね」
「いいえ。ここでは院長様やそれに準じるような方が酷い病になった時以外、お医者様を呼ぶことなどないではないですか」
「だが、あの子は……」

「院長。あの子は、私がここへお世話になることになったたまたま同じ日にこの修道院の前に捨てられていた孤児。お忘れにならないでください」
「……。わかっている。だが、医者を呼ばなかったために、取り返しのつかないことになる可能性も……」

「院長。私にあの子を託した方は、『殺せ』とお命じになったのですよ」
「なんと!」
イグナツィオは、びくっと身を震わせた。それから戸口から漏れてくる弱い光をじっと見つめた。

「あの方は、ご自分の利益のためにそうおっしゃったのではありません。もしあの女性の産んだのが男児で、その子が生き延びていることが今わかれば、国は二つに分かれ恐るべき争いになるでしょう。すでに荒廃している土地がさらに戦火にさらされ、多くの民が今よりも酷い苦しみに晒されることとなる。あの子供は争いの種なのです。あの方はこうなることがわかっていたので私に命令を下されたのです」

「だが、パウロ。そなたは神に命を捧げた身ではないか」
「はい。ですから、私にはどうしてもあの方の命令を実行することができませんでした。いえ、幼子の無垢な寝顔を前にして、どうすることもできなかったのです」
「だから、ここへあの子を連れてきたのか。では、なおさら医者を」

「院長。私にはわからないのです。私のしたことは正しかったのか。あの子を生かそうとしたのは神の御心に適っていることだと思っていました。だが、あの子は年々あの方に似てきています。同年齢の子たちよりもずっと聡く、政や世の理不尽に対しての感受性も強い。このまま育てば、あるいはいずれあの方の心配なさった事態が起こるかもしれません。それを本当に神も望まれているのか」
「我々が神を御心を知ることはできないのだよ、パウロ」

「ええ。でも、私は神のご意志に従いたいと思います。もし、今あの子が病で命を落とすのならば、それが神のお答えだと納得することができます。そして、あの子が生き延びるのならば、これまでと同じようにあの子を、誰も頼る者のない孤児であるあの子の支えとなっていくつもりです」

 少年は、静かにその場を離れた。震えているのは、熱のせいだけではなかった。部屋に戻ると扉を閉じた。しばしその場に踞っていたが、やがて、のっそり立ち上がって外套を脱ぎ元のように鉤に掛けた。膨らんだポケットから固くなったパンを取り出した。

 なす術もなく死んでいったマルコの姿が浮かんだ。あれが神の意思だというのか。私も、あんな風に朽ちていくべきだというのか。嫌だ。そんな言葉で、納得するものか。

 吐きそうになるのを堪えて、彼はパンを食べた。パンの味が乾いた喉から空腹で疲れた胎内に沁みていく。食べてもう一度健康になる。医者を呼んでもらえなくても、マルコみたいに弱っていったりするものか。彼は、ひと口ごとにパンを噛み締めた。

* * *


 あれから四十年近くが経った。故郷を離れ、名前を変えて、神の家とも袂を分かった。だが、彼の前にはいつも無念さを表現することもできずに消えていった何百人もの《マルコ》たちがいた。彼は世界を変えるために政治家になった。彼の存在意義のためでもなく、豪奢な生活や王侯貴族の名誉のためでもなかった。そして、実現可能であるならば生まれ育ったセンヴリでも、ルーヴランでもかまわなかった。

 人生が終わりに近づいた今、ようやく目的に近づけるかと思ったが、叶わなかった。この石塀に囲まれた西の塔で彼を苦しめていたのは、寒さでも誇りの喪失でもなかった。まだ何も変えられていない焦燥と虚しさだった。世界は重く、日々は苦かった。

 彼は、渡されたパンの意味を考えた。

 柔らかい上等なパンを口に入れた。わずかな甘味が口の中に広がっていく。あの時と同じだ。餓えた魂に、力がみなぎっていく。

「諦めるなというのか……。私の道はまだ半ばなのだと」
彼は、笑うと次のひとかけらを手でちぎった。

(初出:2016年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには - 2 -  俺ん家が温泉風呂になったわけ

scriviamo!


scriviamo!の第九弾です。かじぺたさんは、limeさんの「妄想らくがき『狐画』」につけたお話で参加してくださいました。

かじぺたさんの書いてくださった『狐画』によせて・・・【オレん家の風呂が温泉になった訳】scriviamo!2016参加作品

かじぺたさんは、好奇心旺盛なブロガーさんで、旅のこと、日々のご飯のこと、ご家族のことなどを、楽しいエピソードとともにたくさんご紹介してくださっています。それも、毎日更新! fc2のブログって、私にはいっぱい容量があって永久にいっぱいになんてならないと思っているのですが、かじぺたさんは熱心に更新なさっていらっしゃるので、ひとつのブログはもう一杯になってしまい、現在は二つ目のブログを中心に活躍なさっていらっしゃるのです。が、どうやら旧ブログもしっかりと更新していらっしゃるだけでなく、もう一つのブログもあるみたい。そのパワーはどこに? ただ更新しているだけでなく、ちゃんと中身が充実しているのがすごいです!

そして、それだけでなくて、皆さんのブログへのコメントがとても丁寧で、とっても暖かいのですよ。お人柄にじーんときます。私が仲良くしていただけるようになったのは、わりと最近なんですが(彩洋さんちのオフ会ぐらいがきっかけだったでしょうか)、小説もたくさん読んでいただけているだけでなく、その暖かさに感動している私なのです。

さて、scriviamo!参加用に出してくださったのは、あちこちのブログで競作が盛んなlimeさんの『狐画』につけたお話で、お風呂に入っている時に思いついたとのこと。可愛くて、ハートフルなお話し、温泉みたいにぽかぽか温まっちゃうし、可愛い女の子にきゅんきゅんしてしまいます。

で、お返しなんですが、かじぺたさんのお話は、きちんとまとまっているので、何かを書き加えるのは難しいし、この企画の常連さんはご存知のように、limeさんからの宿題でこのイラストに合わせた話はもう書いたのですよ。同じ絵で別の話は自分の中で上手くイメージできないので、前回「続きが氣になる」とおっしゃった方が何人かいらっしゃったのをいいことに、続編を書いてみました。

かじぺたさんのお話は「オレん家の風呂が温泉になった訳」ですが、沐浴小説ブログ(いつからそうなった?)の管理人としては、これはいただかないと(笑)こちらはそれをもじって「俺ん家が温泉風呂になったわけ」です。

え〜と、かじぺたさんだけでなく、皆さんに謝っておきます。この素敵なイラストでこんな話を書いているのは、私一人です。


参考 (読まなくても話は通じますが、読んだ方がわかりやすいかも)
目が合ったそのときには

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目が合ったそのときには - 2 - 
俺ん家が温泉風呂になったわけ
——Special thanks to Kajipata san & lime san


『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。


 絵に背を向けて、俺は颯爽と画廊を後にした。こんなに簡単にいくとは思わなかった。京極のヤツ、間が抜けすぎているんじゃないか? 俺と入れ替わっても騒ぎもしない。あまりのことに呆然としているんだろうか。

 でも、ヤツのことを凝視していると、また目が合ってしまうかもしれないので、さっさとトンズラすることにした。

 昨夜、俺は振った佳子に猫耳少女ならぬ狐ギャルに変身させられてしまった。現実の世界に戻る方法は、目の合った最初の人間と入れ替わることだけ。狂った設定だけれど、賢い俺はこのピンチをチャンスに変えて、超絶イケメン京極の体と一緒に金持ちライフを手に入れたってわけだ。

 商談を続けようとする画廊の親父を振り切って、俺は中央通りに出た。京極の野郎はここから徒歩で帰れるすごいお屋敷に住んでいるのだ。江戸時代から続く名家は、中央区に二百坪の屋敷を構えている。営業の途中に前を通って、「ちくしょう、いい星の下に産まれやがって」と思っていたが、今日からあそこが俺の家だ。

 コートのポケットにiPhoneが入っている。これももう俺のものだ。パスコードは知らないけれど、指紋認証は問題ないし、ヤツのメールも読み放題だ。

 まてよ。佳子が言っていたな。
「その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる」

 もし、狐にされてしまった京極の野郎がスマホから戻ってこようとしたら……。ダメだ。スマホもPCも避けなくちゃ。ああ、今晩放映するアニメも観られないじゃないか。せっかく京極になったって言うのにいろいろと厄介だな。

 考えているうちに、もう京極の家に着いていた。あたり前だが、玄関の枠も四角かったのでビビったが、狐は出てこなかった。出てきたのは割烹着を着たおばさんだ。

「坊ちゃま。おかえりなさいませ」
う。誰だろう。使用人かな。

「どうかなさいましたか」
「い、いや。なんでもないんだ。実は、会社でちょっと頭を打ってね。記憶が曖昧なんだけれど、二三日で元に戻るだろうと医者にいわれたんだ、そのつもりでいてくれ」

 俺が口からでまかせを言うと、その女はちょっと変な顔をしたが「そうですか」と言った。なんとか誤摩化せたか。

「お食事にしますか。それとも、いつものようにお風呂に入られますか」
「ああ、風呂にするよ。いつものようにね」

「今夜は満月ですから、露天風呂にお入りになるんですよね。いつも通り熱燗をご用意しましょうね」
「え? 露天風呂?」
「ええ。お忘れですか。ご先祖様がわざわざお引きになった温泉のことも」
京極のヤツ、自宅で温泉なんかに入っていたのか。こりゃいいや。今日から、俺んちの風呂は温泉露天。サイコー!

 俺は嬉々として、その女の後について、でかい屋敷の中を進んだ。個人邸宅だというのに、そこら辺の旅館よりも立派な風呂で、楕円形の内風呂の他に、本当に立派な露天風呂があった。香り高い檜の枠で、湯の底に丸い天然石がきれいに敷き詰められているのが見えた。

 わずかに鉄のような匂いのするいい湯だ。女が徳利とお猪口の載ったお盆を持ってきた。もちろん全裸で入っていた俺は、一瞬慌てたが、女は京極の裸は見慣れているのか、「ごゆっくり」と言って出て行った。

 なぜお猪口が二つあるんだろう。俺は首を傾げた。まあ、いいか。

 水面に満月が揺れている。湯氣が立ちのぼる。いい湯だな。こういう風呂で猫耳のギャルにお酌してもらいたいなあ。彼女は言うんだ。「あたし、少し酔っちゃったみたい。肩に頭載せてもいい?」なんちゃって。

 と、思った途端、水面の月が揺れたかと思うと、その中から狐耳の美少女が浮かび上がってきた。え?

 月の光が眩しい黄金になって目がくらんだ。ええっ?

「体、返してもらったから」
あわてて目をこすって、瞼を開けると、目の前に京極がいて、手に持っていたお猪口を傾けて、熱燗を飲んだ。そして、俺は、また狐耳の美少女にされていた。

「坊ちゃま、お済みになりましたか?」
扉の向こうから、さっきの女の声がする。京極は答えた。
「ああ、無事に戻ったよ、サエさん。ありがとう」

 俺は、呆然として京極の顔を見ていたが、ようやく口をきいた。
「なんで……」

「もう五回目なんだよ。サエさんも慣れていてね。こういう時には、この露天風呂に誘導してくれるんだ。四角い枠だろう、この風呂も」
そういうと、日本酒をもう一つのお猪口に入れて奨めてくれた。なんだよ、こいつ、この余裕は。

「俺の目を見ろ!」
再トライしてみたが、京極は笑った。
「ダメなんだよ。前の人の時もそうだったけれど、同じ人とは一度しか入れ替われないらしいよ」

 俺は、がっくりしてしかたなくそのお猪口を受け取った。京極は、月見酒を飲みながら訊いた。
「ところで、君も、うちの会社の人?」

 俺は、もちろん黙秘だ。
「そんなこと、あんたには、関係ないだろう」
「まあね。でも、否定しないってことはそうなんだろうね」

「前にもうちの会社のヤツが、狐になったのか」
「少なくとも三人はね。人事と総務と経理」

 俺は、それで氣になっていたことを口にした。
「経理の関谷佳子、今日会社に来たか?」

 京極は、じっと俺を見つめてから答えた。
「いや、有休だそうだ。営業の山内拓也が今日、その届けと彼自身の退職届を持って来たよ」

 お猪口を持つ手が止まった。
「え? 退職?」
「ああ、そうだ。なんだっけ、外国に行くとか」

 俺は、ざばんと温泉から立ち上がった。
「なんで俺が、外国に行くんだ~!」

 京極の目が、不自然に逸らされたので、俺は美少女のあられもない姿をヤツにさらしてしまったことに氣がついて、慌てて湯の中に戻った。

「君、山内だったんだな」
不覚……。バレてしまった。

「そうだよ。悪かったな。でも、助けてくれよ。佳子のヤツ、あのままトンズラするつもりだ」
「関谷くんが、君の体を乗っ取っているのか?」
「うん。俺が振ったのを恨んでいるのかな。取り返されないように逃げるつもりだ。居場所がわからないと、追いかけられないよ。どうしよう」
「でも、変だな。石橋を叩いて渡る関谷くんにしては行動が早いな」

 言われてみればそうだった。佳子は、一昨日までは存在すらもわからないくらいだったのだ。いきなりの告白、振ったらその日のうちに復讐。

「告白をしてきた佳子、もしかして本人じゃなくて乗っ取られていたのかな」
「その可能性はあるな。そして、その誰かは一度、狐女になってから今度は君を乗っ取ったのかもしれないな」

 京極は、俺のお猪口にまた熱燗を注いでくれた。
「俺はどうすればいいんだろう。俺の体の中にいるヤツの裏をかいて、また入れ替われればいいんだけれど。絶対に返したくないって宣言されちゃったんだよ」

「関谷くんとコンタクトをとって、まず彼女が本人なのか確認した方がいいな。君の中にいるのが誰なのかも確認した方がいいし、それに、狐女になったことのあるうちの社員たちと話をして、もともとの狐がどこにいるのかも……」
「でも、それがわかるまで、俺はどうしたらいいんだよ。この恰好じゃどこにも行けないし、うっかり変な奴と目が合ったら、またおかしなことに」

 京極は、う~んと言って月を見上げた。
「じゃあ、しばらくここにいろよ。僕が明日会社に行って、関係者と話をして情報を集める。この露天風呂には、ほとんど誰も来ないし、誰か来たらお湯の中に消えればいい。サエさんには、食事を運んでくれるよう言っておくから」

 俺は、京極の顔をみた。体を乗っ取ろうとした奴に、なんとまあ親切なこった。
「お前、そんなに人がいいから五度も乗っ取られるんだぞ」
「そうかな。でも、君がその姿でここにいる限り、新たな混乱は起こらないだろう。その方がこっちにもいいんだよ」

「ふうん。じゃあ、お言葉に甘えるかな。でも、この風呂の中に一人でずっと居るのは退屈だな。マンガとかお前持っていなさそうだよな。日中、アニメとか観てもいいかな?」

 京極は呆れた顔をしたが、頷いた。
「しかたないな。後でテレビとリモコンをここに持ってくるよ。それと悪いが、裸でそこら辺をうろちょろしないでくれ」

「そんなこといわれても、服持っていないよ」
「晒し布かタオルを用意してもらうから、それでも巻いておけよ」

 それよりもスクール水着はって言おうとしてやめた。俺は、京極にこれ以上呆れられないように、大人しくお猪口を傾けた。まあいいや、しばらくはこの温泉風呂を根城に、ちょっとした休暇を楽しもうっと。アニメ三昧の。

(初出:2016年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】世界の上に広がる翼

scriviamo!


scriviamo!の第十弾です。

けいさんは、当ブログの70000Hitのお祝いも兼ねて「Infante 323 黄金の枷」のあるシーンを別視点で目撃した作品を書いてくださいました。目撃シリーズ、私の作品では二度目ですね。ありがとうございます!


けいさんの書いてくださった小説『夕景色の出逢いの一コマ (scriviamo! 2016)』

オーストラリア在住のけいさんは、素敵なキャラクターが優しい青春小説をお得意となさっていらっしゃいます。読後感の爽やかさとハートフル度は、群を抜いていらっしゃいます。去年はお仕事が忙しくなっただけでなく、目の不調なども抱えられて、しばらく小説をお休みなさっていたのですが、年末から復帰なさり、ただいま新作を絶賛連載中。けいさん、ご無理はなさらず、お互いに、ゆっくりのんびり、長く続けていきましょうね。

さて、今年目撃されてしまったのは、「Infante 323 黄金の枷の」主人公たちです。これですね。今年は去年と違って、けいさんのところのキャラクターを目撃者に仕立て上げることができなかったので、純粋にこれまで書いていない外伝を書くことにしました。

目撃されたシーンは、本編の中では12年前の回想なのですが、これはその本編から見ると8年前、目撃シーンからすると4年後にあたります。出てくる人は、全員本編にも出てくる人ですが、その辺は知らなくても問題ありません。ただ、この話は設定が少し特殊なので、全く読んだ事のない方は「あらすじと登場人物」か、下にも貼っておいた動画で「こんな話か」とあたりをつけていただいたほうがいいかもしれません。

で、今年の目撃者の正体は……。あ〜、けいさん、ごめんなさい。なんか暗くなっちゃいました……。


【参考】
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷

小説・黄金の枷 外伝

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黄金の枷 外伝 
世界の上に広がる翼
——Special thanks to Kei san


 そのカモメは、建物のてっぺんの使われていない煙突の上で寛いだ。傾斜の多いこの街、時にGの街から、時には大西洋から、白い鳥はPの街を眺める。観光客のまき散らしたパン屑を食べることもあれば、きちんと漁をすることもある。ここ数ヶ月は暖かったので、越冬も楽だった。

 翼を広げ、ほんの少し斜めに滑空すると、カモメは普段はあまりいかない街の東側へと向かった。春めいてきた街には、マグノリアやアーモンドのといった街路樹が花を艶やかに咲かせていた。

「あ、カモメ!」
マイアは、指差した。
「いいなあ。海の方から来たんだよね。私も行きたいなあ」

 彼女は、公園に座っていた。彼女がナウ・ヴィトーリア通りに引越してから4年が経っていた。2年に一度、彼女には一人ぼっちの日がある。二人の妹を含む同じ学校に通う生徒たちが遠足に行く日、パスポートの申請が上手くいかなかったという理由で連れて行ってもらえない。もう4度目だし、14歳になっていたマイアには申請する前から今度も上手くいかないことがよくわかっていた。

 だから、今回ははじめから一人の休日に何をするかと色々と想いをめぐらせていた。本当は、D河岸へと行くつもりだった。4年前に初めて自分と同じく金の腕輪をしている少年と知り合ったのも、この遠足の前日だったし、遠足の日も会う約束だった。その少年は、「ドラガォンの館」と呼ばれている屋敷の敷地内の小さい小屋に閉じこめられているようだった。ずっと体を洗っていないようだったし、浮浪者の子どもではないかとマイアは思っていた。

 残念ながら、翌日に会いに行ってもその少年には逢えなかった。その代わりに黒い服の男の人に見つかってつまみ出されてしまった。不法侵入をしていたマイアが悪かったのだ。あの少年もまた、つまみ出されてしまったのかもしれない。Pの街に居るのなら、D河に沈む夕陽が美しいところに行けば逢えるように感じていた。同じ黄金の腕輪をしているだけでない。彼もまたあの夕陽の美しさをよく知っていた。きっとあの子とはいい友達になれる、マイアは思った。

 あの少年は今のマイアくらいの年齢に見えた。ということは、もう働かなくてはいけない年齢だろう。ふらふらと河岸にいたりはしないかな。でも、夕方なら……。

 マイアは、父親に「明日D河まで行きたい」と言った。けれど父親は反対した。
「どうして? 街の外には行かないよ。前に住んでいたところだし、行っちゃいけないなんてことはないでしょう?」

「マイア。あと4年経ったらお前は18歳になる。そうしたら大人として自分でしたいことをいくらでも試すがいい。でも、それまでは父さんのいう事をきいてくれ。正直言って、その腕輪のことも、パスポート申請が上手くいかない理由も、父さんにもよくわかっていない。でも、お前ももうわかるだろう? 闇雲に抵抗をすると、もっと望まないことを強制されるって。父さんは、お前のことが心配なんだ。明日父さんが働いている間に、一人で遠くまで行って冒険したりしないでくれ。お願いだ」

 そこまで言われたら行くつもりにはなれなかった。無理に行ってもあの少年と確実に会えるのでもなければ、腕輪をした他の子と友達になれるわけでもない。それに、マイアは再びあの少年に会うのも少し怖かった。腕輪をしている大切な友達。そんな風に思っているのは自分だけで、むこうはとっくに忘れているかもしれない。

 公園の隅で何かをついばんでいたカモメが、ゆっくりと羽ばたいて飛び上がった。マイアはその姿を目で追った。また、降りてきたのを見ると、四角い石のようなものが埋められているところだった。

「あんなところに石があったっけ」
マイアは立ち上がって、カモメの足元にある四角い石を見た。それはずいぶん古い大理石の板で、半分土に埋まっていた。

「なんだろ。《Et in Arcad..》あとは読めないや。こういうの、どこかで見たわよね……」
マイアは、土を手で退けた。ああ、あそこだ。「ドラガォンの館」の裏の、あの小屋の前にあった。マイアが忍び込んで夕陽を見つめる時に特等席だと決めていた石のすぐ側にあった。あそこのは、もうすこし読みやすかったように思う。でも、あの時のマイアは10歳の子どもで、ラテン語の碑文を読んで意味を考えようなんて思わなかった。

 もしあの子があの翌日もあそこにいたのなら、腕輪のことだけじゃなくて、あの石のことも訊けたかも。もっとたくさん話をしたかったな。

 カモメは、マイアに追い回されたと思ったのか、大きく羽ばたくと去っていってしまった。大きく旋回して、空高く昇っていく。

 私も、あんな風に飛びたいな。マイアは、ため息をついた。

 お父さんはああ言ったけれど、18歳になっても変わりっこない。お母さんは死ぬまで腕輪をしていた。きっと私は大きくなっても妹たちのように自由にはなれないんだろうな。それに、ずっとこんな風に一人ぼっちなんだろう。マイアは、項垂れて、家へと戻っていった。

* * *


「本当に、申しわけございませんでした」
そう言って、アマリアは頭を下げてから出て行った。

 通りかかったジョアナが「いったい何をしたの」と問いただしていた。彼女は、しどろもどろになって答えた。
「石鹸を捨てようとしてしまって……」

 アマリアはこの館に勤めて2年経つが、ご主人様の一人である18歳の青年が、大きな声を出したり取り乱したりしたのをこれまで見た事がなかった。同じように格子の中に閉じこめられている彼の二つ違いの弟は、冗談を言って話しかけてきたり、ありとあらゆるわがままを言いながらも魅力たっぷりの笑顔で怒る氣をなくさせてしまったりするのだが、彼はまったく手間をかけない代わりに挨拶以上に口をきいたことすらなかった。

 そのインファンテ323と呼ばれている青年が、三階から転がり落ちるように駆け下りてきて、掃除道具とゴミ袋を持って居住区から出て行こうとしている彼女を止めた。
「洗面台にあった紫の石鹸をしらないか?」
「あ、はい。ずいぶん小さくなっていたので、新しいものとお取り返しましたが」
「捨ててしまったのか? そこか?」

 彼は、返事も待たずにアマリアの持っているゴミ袋を手にとって開けると、ものすごい勢いで中を探った。その剣幕に驚いて、彼女は謝った。石鹸は直に見つかった。他のゴミに混じって、汚くなっていたが、彼は気に留める様子もなかった。

「申しわけありません」
その言葉を聞いて、彼はアマリアの様子にようやく目を留めた。それから、とてもばつの悪そうな顔をした。自分が騒いでしまったことを恥じて。

「すまない。お前が悪いんじゃないんだ。掃除に来るのをわかっていたのに、外に出しておいた俺のせいだ。氣にしないでくれ」
彼は、石鹸を持って3階へと行ってしまった。アマリアは、もう1度謝って頭を下げてから外へと出たのだ。

 彼は、バスルームに入ると、汚れた石鹸をきれいに洗った。ただでさえ小さくなっていた石鹸が溶け出していく。彼はそれを痛みのように感じた。

 アマリアがこれを捨てようとしたのも当然だ。もう香りもないし使うには小さすぎる。4年前にもらってからしばらくは毎日使った。スミレの華やかな香りのするとても大きな石鹸で、いつまででも使いつづけられるように思っていた。

「石鹸持ってきてあげるね」
あの屈託のない少女も、もう大きくなっただろう。もう忘れてしまっただろうか。それとも、D河に落ちる夕陽を見られなくした張本人として、俺のことを恨んでいるのだろうか。

 彼は石鹸をアラバスターの箱に収めると、また捨てられたりしないように洗面台の中の戸棚にしまった。扉を閉めると鏡に自分の姿が映った。縮れた髪に黒い瞳。眼を逸らすとバスルームから出て、また階段を降りていった。隣の居住区で弟の24が、ここのところ執心している娘とふざけ合っている声が聞こえた。彼は、だまって1階へと降りて行った。

 工房には、赤いハイヒールが置いてあった。アントニアにはじめて頼まれて意氣込んで完成させた。この午後にフィッティングに来ると聞いていたが、来る様子はなかった。仕事がたくさんあるのだろう。急いでいるとは言わなかったが、できるだけ急いで、でも、いつものように丁寧に作り上げた。石鹸のこともそうだが、自分は人が重要と思わないことを、大仰に考えてしまうようだとがっかりした。

 短い鳴き声が聞こえたので、窓を見た。鉄格子の嵌まった窓の向こうに、1羽のカモメがいた。少し羽を休めているようだ。

 彼は、工房の隅にもたせかけてあるギターラを取り上げた。カモメに聞かせてやるつもりで、ようやく弾けるようになった「Asas sobre o mundo(世界の上に広がる翼)」を爪弾きはじめた。

 世界を自由に飛び回れるならば、いつもカモメを見上げたりしないだろう。それに、来てくれるかわからない人間を、あてもなく待ったりもしない。小さくなり使い物にならなくなった希望を箱に閉じこめて、捨てなければならない時を引き延ばしたりもしないだろう。

 彼は、自分が存在しなかった者としてラテン語の碑文の彫られた四角い石の下に眠る日まで、ずっとこんな風に独りで生きていくのだと思った。

 カモメは、大きく羽ばたくと再び大西洋の方へ、ギターラの響きよりも興味深い、漁師からかすめ取る魚のことを思い描きながら飛んでいった。

(初出:2016年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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本文中に出てくる曲は、この動画のBGMになっています。手っ取り早く世界観を理解するのにも、この動画はいいかも。

この動画の説明などは、こちら
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記  葩ちる道

scriviamo!


scriviamo!の第十一弾です。

TOM-Fさんは、大好評連載中の『花心一会』の最新作で参加してくださいました。ありがとうございます!


TOM-Fさんの書いてくださった小説『花心一会 第十三会 「その、花の香りに包まれて」』

TOM-Fさんは、時代物からローファンタジーまで様々なジャンルの小説を自在に書き分けられる創作ブロガーさんです。素人にもわかりやすく書いてくださいる天文の専門用語、専門家なのではないかと思うほど詳細なマシンの記述や、女の私が恥ずかしくなって逃げだすほどのファッション知識などにもいつも唸らせていただいていますが、何よりも敵わないなと思うのは完璧な女の子の描写でしょうか。あんな風に書いてもらったら、キャラの女の子たちは本望でしょう(ごめんよ、うちの子たち!)

さて、今回書いていただいたお話も、そういう素敵なヒロインのひとり、華道花心流の若き家元である彩花里が活躍するシリーズの最新作。いつもは他の相手の人生を静かに手助けしているヒロインもオブザーバーにならないでいる珍しい回ですが、うん、TOM-Fさんの書くストーリーのうち、「静の美しさ」が色濃く出ている素敵なストーリーでした。

って、のんきに感心している場合でなく、これに何を返せと……。今回のscriviamo! みなさん本当に容赦がないんですが、こちらも難問中の難問でした。

で、こうしました。TOM-Fさんが「梅」と「紀友則の和歌」書かれましたので、私は「桜」と「詠み人しらず」で。同時にTOM-Fさんのお話の中で使われていた花びら餅が「葩餅」と書かれるのに掛けて、さらに人間関係の設定を踏襲させていただきました。

そして、舞台は平安時代。この「安達春昌と桜」という組み合わせは、実は最初のscriviamo!でTOM-Fさんと競作させていただいた作品を意識して書いています。

しかし。同じモチーフでもTOM-Fさんの作品は、あんなにハートフルで暖かいのに、私が書くとオカルトみたいになってしまうのはなぜ?


【参考】
【断片小説】樋水の媛巫女
【掌編小説】樋水龍神縁起 外伝 — 桜の方違え — 競艶「妹背の桜」
【掌編小説】樋水龍神縁起 東国放浪記 - 秘め蓮

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樋水龍神縁起 東国放浪記 
はなちる道
——Special thanks to TOM-F san


 春は近いとは言えまだ肌寒く、風が通り過ぎる度に、次郎は身を震わせた。振り返り馬上の主人を見やると、風に心を乱された様子もなく前方を見つめていた。

「春昌様、いいがなされましたか」
次郎は、主人の眉がわずかに顰められたのを見て訊いた。

「この時期に花が?」
春昌は、ようやく見えてきた里の方を見ているようだった。もう少し進むと歩いている次郎にも、その里の様子が見えてきた。確かにその里は、白い花が満開に咲いているように見えた。だが、今朝後にした里ではようやく梅がほころびはじめた寒さなのだ。

「山間の谷にありますから、霜の華でございましょうか。それにしては華やかに見えますが」

 次郎は、時期外れに花が咲いていようと、実のところ構わなかった。かつて住んでいた出雲の国では、仕えていた御覡である瑠璃媛の類いまれな霊力により、禍々しいものなどは近くに寄ることもできなかったし、故あって現在仕えている安達春昌もかつては右大臣の覚えもめでたかった陰陽師で、旅の間に現れた奇妙な邪神はことごとく跳ね返していた。

 侍者としての次郎の心配の種は、もっと他のところにあった。今夜の宿は確保できるのか、食べるものを得ることはできるのか。心細い旅だった。

 安達春昌は、慢心から樋水の媛巫女を盗み出して死なせた。その贖罪のために、陰陽頭の後継者とも囁かれた未来を捨てて、東国を彷徨っていた。媛巫女の遺言により、次郎はその春昌に付き添い、一度も出たことのない出雲の国を離れて、寂れた山道を共に歩いているのだった。

 里へ降りて近づいてみたところ、二人とも見えていた満開の花が、現実うつつのものではないことを知った。道の両脇に二十本ほどの桜の樹が立ち並んでいるのだが、その枝には固く閉じた花芽があるばかりで、春はまだ遠いと訴えかけているようだった。

 だが、その枝の至る所から、満開に咲き誇る桜の氣が満ちあふれ、存在していない白いはなびら の吹雪が終わることもなく降り注いでいる。尽きることなく降り注ぐその氣で、道は馬の足の半ばが埋まるほどに霞んでいた。

 次郎には生まれながらにして巷の人びとには見えないものを見る力があった。とはいえ、主ほどはっきりと見る能力がある訳ではない。さらに、その見えているものが何であるかを知るための知識も欠いていた。

「春昌様。これはどういうことなのでございましょう」
「わからぬ。だが、おそらくは……」

 馬上の主が答えかけたその時、後からやってきた馬の足踏みと、男の声が聞こえて二人は振り返った。

「なんということだ。黒や、なぜ進まぬ」
立派な狩衣を身に着けたその男を乗せた馬は、桜の並木の異様な様子に怯えてか、どうしてもその道を進もうとはしない。それどころか暴れるので、男は馬から落ちないように必至につかまらなくてはならなかった。

「あ、危のうございます」
次郎が脇にどいている間に、春昌は手印を組み、ほとんど聞こえないほどの小ささで何かを呟いた。公達の馬は、耳をぴくりと振るわせると暴れるのをやめて、春昌の馬の近くに寄って来た。

 春昌は、馬から下りて頭を下げた。頭上の男は、訝しげに二人を見て、それから口を開いた。
「もしや、お助けくださったのでしょうか。ここは何事もない普通の道に思えますが、何か禍々しきものがいるのでしょうか」

 春昌は頭を上げて、しっかりと男を見据えると口を開いた。
「禍々しいという訳ではございませぬ。けれども、馬の目にはまっすぐ歩けるようには見えぬのでございましょう。この道をお通りにならねばならぬ訳がおありでしょうか」

 男は、しばし口をつぐんだが、やがて頷いた。
「古き約束を果たしに参ったのです。危険があるとお考えですか。見れば、陰陽の心得があるようにお見受けいたす。それに賎しからぬご身分のようですが……」
春昌の色褪せてくたびれた狩衣に、首を傾げた。それから顔を見て何かを考えていたがはっとした。

「あなた様は、たしか陰陽寮にいらした……」
その言葉に、次郎は驚いて春昌の顔を見た。主人は特に慌てた様子でもなければ、懐かしそうな様子も見せなかった。

「ご明察の通り、陰陽寮におりました安達春昌でございます。二年前は兵衛少志でいらっしゃったお方ですね」
「やはりそうであられたか。私は土岐頼義と申し、今は兵衛尉従七位となりました。しばらくお見かけしないと思っておりましたが、いかがなさいましたか」

「二年前にお役目を辞し、このように彷徨の身と相成りました。訳はお尋ねくださいますな」
頼義は仔細が氣になってしかたないようだったが、春昌は口を閉ざすとしきりにもと来た道を振り返る公達の黒駒に手をやって落ち着かせた。

「春昌殿。あなたもこの馬と同じように、この先に進まぬ方がいいとお考えですか。ここは、父が郡司を務めている村、特に鬼神が出るとの話も聞きませぬし、かつて来た時には何の問題もなかったのですが」

 春昌は、じっと頼義の足元を見ていた。次郎ははっとした。桜の並木道から溢れ出てきている幻のはなびら が少しずつ頼義の黒駒の足元に集まりだしている。自分や春昌のところにはほとんど何も起こっていない。

 春昌は、頼義に言った。
「然り。この桜の怪異は、あなた様とご縁のあることのようですな。私がお守りしつつ、この道をご同行いたしましょう。もしお差し支えなければ、あなた様のおっしゃったお約束についてお話しいただけませんか」

「それはありがたい。ぜひお願いいたします。仔細は、喜んでお話ししましょう」
頼義が頷くと、春昌は道に向けて手印を組んだ。次郎には道にうずたかく積んでいた幻のはなびらが風に吹かれるように左右にわかれ、細い道ができたのが見えた。そのまま進む春昌に続き、左右に二頭の馬の手綱を持ち、次郎も続いた。

 並木道が終わって里に入る時に、次郎は後ろを振り返ったが、道は再びはなびらでおおわれ、さらに激しく花吹雪が舞っているのだった。彼は、この里から出ることはできるのだろうかと訝った。

 里の中は、特に変わったこともなく、幾人かの人びとが貴人である一行に軽く挨拶をした。頼義は、二人が今夜の宿を探していると聞き、「では、私がこれから行こうとしている家ヘ行きましょう」と誘った。それは里の一番奥にあり、他の民家からは少し離れていた。

「私がまだ元服したての頃でございます。この辺りに鷹狩りに参りまして、突然の嵐に襲われ里長の家で雨宿りをしたことがあるのです。年頃の娘が食事を運んできてくれたのですが、髪は長く色は白い、賎しい者の娘とはとうてい思えぬ美しさで、私はひと目で氣にいってしまったのですよ。衣を乾かしているうちに夜も更けたので泊る事になり、どうしてもその娘が思い出されてしかたないので呼び、秋の夜長に契りを結び交わしたのです」

 春昌は、ちらりと頼義を見た。都ですでに兵衛尉従七位となった前途ある若者が、若き頃に契った里の娘を今さら訪ねるのは少し珍しかった。

「見目麗しいだけではなく、優しき心映えの娘で、それから足繁く通うこととなりました。後のちまでもと誓い、いずれは屋敷に迎えようと思っていたのです。私は嫡子ですし、小さな里長の家に婿に入るという訳にはいきませんからね」
そういうと、頼義は少しだけ言葉を切った。春昌は黙って頷き、先を促した。

「けれど、まだその話がきちんとする前に、私は二十一歳になって、兵衛として京に上ることになったのです。今から六年ほど前のことです。いずれは父の後をついで大領になる身としては、断ることのできない大切なお役目でした。それを娘に告げたところ、一度も何かを願ったことのなかった娘が行かないでくれと泣いたのです。そこで私は、戻ってきたら必ず迎えにくるからと固く約束をしたのです。賎しい身分の娘とのことを反対していた父は、引き離せば忘れると思っていたようですが、京でも、思い出すのはあの娘のことばかり、想いの消えることはありませんでした。そして、私は都で思わぬ出世をしました。おそらく郡司の大領は弟が継ぐことになり、私は宮仕えを続けることになる。ですから、京の屋敷に愛しい娘を迎えようと思ってこうして訪ねてきたという訳です」

 目の前に少し大きい館が見えてきた。里長の家とはこれのことであろう。だが、次郎は眉をひそめた。屋根は破れ、草木が茂り、狐狸の住処のように荒れ果てた風情だったからだ。

「はて、どうしたことだろう」
そう言って奥に進もうとする頼義を、春昌は止めた。
「お待ちください」

 次郎は主人の視線の先を見た。そこには完全に立ち枯れた桜の老木があった。だが、その枝からは白く透き通った存在しないはなびら がわき出して、狂ったように舞い落ちているのだった。

 その葩の嵐は、一行を目指しものすごい勢いで舞い襲ってきた。春昌が次郎に「馬を!」と叫んだ。次郎は必死に手綱を握り、馬が怖がって逃げだしたり頼義を振り落とそうとするのを防いだ。

 春昌は、手印を組むと梵文で何かを呟いた。途端に、花吹雪は勢いを止め、それから緩やかに一行の上に降り注いだ。次郎は、女のすすり泣きが聞こえたように思った。

 春昌は一人で人けのない家の中に入っていった。次郎は不安に思いながら、何も見えていないらしい頼義に、彼らの見ている事情を説明しながら待っていた。しばらくすると、狂ったように降っていた花吹雪が止んだ。ほとんど同時に出てきた春昌が二人の元に来た時には、次郎にもあれほどあった白いはなびらが見えなくなっていた。

 春昌は家の中から扇を持ち出してきた。それを渡された頼義が訝りながら広げると、中にはきれいな筆蹟で和歌がしたためてあった。

「しひて行く人をとどめむ桜花……」
その先を声に出して読むことができずに頼義は泣き出した。

 一行は里に戻り、一番大きい家で里長の消息を訊いた。新しい里長であるその家の持ち主が語った事によると、五年前に里長一家は遠くへ行き、その行方は彼らにはわからないということだった。

「娘は、若様が京に行かれてから一年もせずにあの家で亡くなりました。産後の肥立ちが悪かったそうでございます」
「産後? 子どもが生まれたのか?」
「はい。珠のような女の子でございました。今どちらにいらっしゃるかは、手前どもはぞんじあげません」

 頼義は、思いもよらぬ成り行きにさめざめと泣いた。娘の形見であろう扇は、先ほどのはなびらのようにぼんやりと白く輝いていた。春昌は頼義に言った。

「あの家の中で、あなた様の想われるお方の残思とお話をいたしました。あなた様が忘れずに戻って来てくれたことを知り、ことのほかお喜びでした。その扇は肌身離さずお持ちくださいませ。忘れ形見の姫君へと導いてくださることでしょう」

 頼義は、泣きながら何度も頷いた。

 次郎は、ほとんど表情を見せずに語る主が右手を胸元に置いているのを見た。色褪せてくたびれた狩衣の内側に、濃い瑠璃色の勾玉がかかっていることを次郎は知っていた。許されることもなく、希望もなく、彷徨い歩く己の運命を思っているに違いなかった。

 頼義は、これから向かう父親の屋敷に逗留するように奨めたが、春昌は断った。頼義は里長に二人の数日の宿と世話を頼んだ。久方ぶりの心づくしのもてなしと、頼義から届けられた新しい狩衣や馬などに心から感謝して、二人は、かつて春昌も夢みた出世の道を進む頼義と反対の東へと旅立った。

 かつての里長の家に立っていた、枯れた桜の大木は、それからほどなくして倒れてしまったと言うことだ。

しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道とまどふまで散れ

(古今403 詠み人しらず)


意訳:無理をおして出発する人を留めましょう。桜の花よ、どこが道かと迷うほど激しく散っておくれ



(2016年2月書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】グラスを傾けながら 〜 彼と彼女の幸福論

scriviamo!


scriviamo!の第十二弾です。

大海彩洋さんは、『奇跡を売る店』シリーズの番外編で参加してくださいました。ありがとうございます!


大海彩洋さんの書いてくださった小説『しあわせについて~懺悔の値打ちもない~』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。私と同年代(プラスマイナス一歳ぐらいらしいですね)かつ、ずっと昔から書いていた、途中ブランクがあったというところまでとても似ているんですが、書く内容は「どうしてここまで違う」というものに。たぶん人生の重みと真剣さの違いが作品に出るんでしょうね。こればかりは一朝一夕では追いつけませんし、そんな野望も持っていません。無理無理。

『奇跡を売る店』は「真シリーズ」の別バージョンかつエッセイ「巨石紀行」でもおなじみの天然石の知識を存分に生かされた作品群です。今回は、主人公が勤めている京都のオカマショウパブ『ヴィーナスの溜息』を舞台に、あちらでのおなじみのキャラのみなさんが庚申講にひっかけた懺悔大会(?)と『幸福学』シンポジウムについて語っているのですが、そこにある男性の人生が語られ、うちの毎度食べて飲んでいるだけの二人も登場させていただきました。

この盛りだくさんな作品に、さらにうちの66666Hit記念の企画、お題の単語6個以上を使うという課題にまで挑戦してくださっていて、なんと35ワードコンプリートです。すごっ。本当にありがとうございます。

で、感心している場合ではなく。いやあ、もう慣れましたけれど、今年のscriviamo!のお約束のごとく涙目級超難解課題。ええ、こちらも本当に難しい。

今回は、うちの「生理学教授クリストフ・ヒルシュベルガー&その秘書ヤオトメ・ユウ」を京都にご招待くださりたくさんご馳走してくださったので、もう、そのままこの二人を出すことにしました。そして、彩洋さんの物語の中で語られた「しあわせについて」&「人生の選択」などで真面目にリターン(したつもり)。そして、二つの一見全く関係のない話を、接点もほとんどなく重ねてみました。同じテーマでも今度もやっぱり「私が書くとなぜこうなる」。ううう、彩洋さん、ごめんなさい。今ひとつハートフルラストに落とせないのは、もしかして私の人生観って……。


【参考】この二人のでてくる作品群です。あ、ヤオトメ・ユウは私とは別人キャラです、念のため。
教授の羨む優雅な午後
ヨコハマの奇妙な午後
パリ、イス、ウィーン、ニライカナイ、北海道、そして
君を知ろう、日本を知ろう


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グラスを傾けながら 〜 彼と彼女の幸福論 
——Special thanks to Oomi Sayo san



 いつも後にきっちりと結わえている髪を下ろした彼女の姿は柔らかで、研究室で見るよりずっと年若く見せた。黒い髪に、夜空を思わせる黒い瞳。アルミネは、話す時に少し斜め前を見るように伏し目になり、悲しそうに微笑んだ。

 彼は研究室では一番早く出勤するので、彼女が泣きながらファンデーションを塗っているのを見てしまった。目の周りの青あざ。研究室のすぐ側にある薬局ではそれを隠せるほどの濃いファンデーションを売っている。誰にも言わずに堪えている彼女が心配だった。

 アルミネは、主任教授の秘書だった。若い研究員である彼は、雑用を彼女と一緒にする機会が多く、彼女がアルメニア人であることを知っていた。といっても彼女自身がアルメニアから来たわけでなく、全アルメニア人の六割を占めると言われている「ディアスポラ」つまり迫害を避けて逃げだしてきた国外アルメニア人の出身だった。

 生まれた時からスイスに住んでいるので完璧なスイスドイツ語を話すが、美人が多く天才も多いと言うアルメニア評にふさわしく、美しく賢い、そして優しく穏やかな性格で、彼は好意を持っていた。と言っても、彼女にはパートナーがいることを知っていたので、口説くことはなかったが。

 その日は主任教授に頼まれた資料作成に手間取り、研究室を出るのは二人が最後だったので、彼は断られると予想しながらもアルミネを食事に誘った。けれど彼女は言った。
「ご一緒しようかしら。まっすぐ帰っても、今日は誰もいないし」

 食事をしながら、彼は朝はからずも見てしまった光景について謝った。すると彼女は、伏し目で笑いながら、夫に殴られたことを白状した。

「君が助けを必要とするなら、いつでも役に立ちたい」
彼の言葉に、彼女は首を振った。
「ありがとうございます。でも、いいんです。彼は、手が早いだけ。怒りが収まったら、きっとまた普通の日常に戻れると思います」

 他の友人や家族のバックアップがあるのかと訊くと、彼女は首を振った。彼女が恋に落ちたのはトルコ人だった。不倶戴天の敵といっていい民族の男との恋が、祝福されるはずはなかった。
「友人も家族も失って、彼といるしかいないんです」

「わからないな。君たちの聖なるアララト山を国境の向こうへと持っていったのは彼ではないし、例の大虐殺も彼がしたことではない。でも、痣がつくほど君を殴ったのは彼だろう? 君は、そんな男と幸せになれるのかい。家族にアルメニア共同体に戻れと言うんじゃない。ただ、君自身を大切にしてほしいんだ」

 アルミネは、優しい黒い瞳を少し潤ませて見つめた。
「アルメニアびとは悲しい民族なんです。たぶん、私もその運命から逃れられないんだと思います。そう思いませんか?」

「民族の問題と君の幸せは関係ないだろう? 君は、スイスで育った。スイスの教育を受けて、スイスのものの考え方を常としているはずだ」

「ええ。わかっています。頭では。両親が正しかったとは思いません。私は敵と恋に落ちたのではなく、ひとりの人間と恋愛をしたのだと今でも思っています。でも、私は、アルメニア人なの。頭では理路整然と問題に立ち向かうべきと思うのに、感情が我々は虐げられることに慣れているとため息をついているの。彼と一緒になって、家族と切り離されてから、それをずっと強く感じるようになったんです」


 食事の後に一緒に入った店では、ピアノ弾きが物悲しい曲を静かに弾いていた。それを耳にして彼女は、ひとすじ涙をこぼした。
「どうしたんだ?」
「この曲……アルメニア人の作曲家によるものなんです」
「……なんて言うんだい?」
「アルノ・ババジャニアンの『エレジー』です。ね、やっぱりそうでしょう? 私たちは悲しい民族なんです」

 彼は彼女をフロアに誘い、静かに踊った。僕が君を守ってあげたい、その言葉を言うべきか戸惑っていた。すぐにナイフを持ち出すような、導火線の短い異国の男と争ってでも、この女性の人生を受け止めるべきだろうかと。研究者としての未来に影を落とすことになるかもしれないとも思った。

 もし、この夜が最後になるとわかっていたら、彼はそんな風に躊躇しなかっただろう。彼女は二度と研究室に来ることはなかった。プレパラートに落とす一滴の薬が、細胞を一瞬で無に帰してしまうように、その夜ひとりの女性がいとも簡単に二度と目覚めぬ眠りについた。

 前の日に受けた暴力の影響が、翌晩にあらわれたのか。それとも、トルコ人は二晩続けて彼女を虐げたのか。他の男と食事に行ったことが、彼女に災いしたのか。それとも、彼が希望を与えなかったから、彼女の心が民族共通の悲しみに堪えられなかったのだろうか。

 彼は警察に呼ばれ、彼女から聞いた話を供述した。その間にトルコ人は逃げて、主任教授と彼女の両親が彼女の弔いと、その後の後始末を済ませた。それだけだった。新しい秘書が来て、日常が再開された。トルコ人が捕まったかどうかは、彼には知らされないままだった。

 アルミネの憂いに満ちた美しい幻影は、しばらく彼を苦しめた。だが、それもずいぶん昔のことになった。
 
* * *


「君がこんな洒落た店を知っているとは驚いたね」
クリストフ・ヒルシュベルガー教授は、落ち着いた店内を見回した。

「お褒めいただきありがとうございます。東京には昔住んでいましたからね。洒落たバーのひとつや二つ……って言いたいところですが、実は、適当に入っただけで前から知っていたわけではないんです」

 黒曜石で出来た壁には、星に見えるようにたくさんの小さな電球が埋め込まれていた。カウンターは、客たちの静かな語らいを邪魔しないように低い位置から電灯が照らしていた。

「そうか。たまたまでも、これだけ美味しいつまみの出てくるバーにあたるというのは、君がよほどラッキーなのか、それとも日本のグルメのレベルが高いからなのか」
「おそらく後者でしょう。でも、先生。京都であれだけ食べて、さらに新幹線でも駅弁三つの食べ競べをしたのに、まだそんなにおつまみ頼むんですか。よくお腹壊しませんね」

 ユウはつくづく呆れて、「トロトロ煮込んだビーフシチュー」を嬉々としてつつく教授に白い視線を浴びせたが、彼は全く意に介さなかった。

「ところで、先生。京都の出雲先生とのお話でおっしゃっていた『蚤の市で買った偽物を掘り出し物と信じていること』の件ですけれど、それって本当に幸福なんですか?」
「死ぬまで氣がつかなければね。たいていの人間は、薄々それがまがい物だと氣がついてしまう。それでも払った大金のことを考えると手放せないものなのだよ」

 ユウがそうかなと思って考えていると、教授はバーテンダーに合図して響17年をお替わりした。
「ひとつ例を挙げよう。往きの飛行機で一緒になってしまった、あのアメリカ人のご婦人はどうだね」

 ユウは、腹立たしい記憶を呼び起こされて、教授をひと睨みした。

 三人がけの一番奥に座っていたのは、同じシンポジウムに参加するためにサンフランシスコから来たという女性で、経済学を教える夫は大統領の顧問、本人は料理番組を持つ傍ら生活提案の著作に励み、下の女の子はこども美人コンテストの入賞者、上の子どもはスイスの寄宿学校に入っているという経歴をまくしたてた。

「日本に行く前に、息子に逢ってきたんですの。せっかくなので、半日でしたけれどサン・モリッツでスキーもしてきましたのよ」

 もしかして、これは世間話ではなくて自慢かとユウが訝りはじめた時には、教授は勝手に会話を中断して寝てしまったので、ユウはその女性の話をひとりでひたすら聴く羽目になったのだ。

 そのくせ食事のサービスが始まったらすぐに起きて。ユウがそれを思い出してムッとしていることに全くひるんだ氣配もなく教授は言った。
「フラウ・ヤオトメ。私は君の返事を待っているのだが」
なんなのよ、この人は。

「はあ。アメリカの典型的な勝ち組ですかね。シンポジウムでは『勝ち取る幸せ』ってテーマで最新の著作のアピールしていましたっけ」
「周りの失笑にも臆しないところは、大したものだったがね」

 忙しい日常の合間に、華やかなパーティに顔をだし、ジムに行って汗を流し、精神分析にも通う。新しいスポーツに挑戦するのも好きで、休暇の度にカヤックやロッククライミング、クロスカントリーなどを楽しむと語っていた。彼女は自分は「幸福の塊」であるとユウに断言した。

「そうですか。ご本人は幸せだとおっしゃっていましたから、それがまがい物だとは思っていないんじゃないですか?」
「そうかね。夫は三人目の愛人とのスキャンダルで裁判沙汰になっているし、本人の若いツバメは彼女の会社の経理を誤摩化して高飛び。息子をスイスの寄宿学校に送り込んだのは、少年刑務所送りになるのを避けるための苦肉の策らしいがね。その愛息が寄宿舎の裏庭に大麻を植えて騒ぎになったことも付け加えておこうかね」

「先生、どこからそんな下世話なゴシップを仕入れているんですか」
「言いたくてしかたのない人間というのは、どこにでもいるものだ。幸福に見えるものを他人が持っているのを許せずに、メッキを剥がしたがる輩もね。動じずに、己が幸福を信じ続けるのもかなり精神力が必要だな」

 ユウはちらりと教授を見た。
「先生は、動じないんですね」
「この私がないものをあると思い込むとでも?」

 ないと断言されちゃ……。
「じゃあ、先生は幸福でグリュックリッヒ はないのですか?」
グリュック で人生を計ってどうする。私は『幸福であるグリュックリッヒ 』ではなく『満足しているツーフリーデン 』という言葉を遣うのだよ」

 なるほどね。言葉遊びみたいだけれど、いかにもこの人らしい。

「私の意見では、手に入れられないものを追い続けることは幸せとも充足とも相反している。ところで、君はアンニをどう思うかね」

 アンニというのは、ヒルシュベルガー教授の姉だ。教授と同じ屋根の下の別住宅に住んでいて、ユウがチューリヒに泊らざるを得なくなる時は、いつもアンニの客間に泊めてもらっている。物怖じしない豪快な性格で、泣く子も黙る教授を洟垂れ小僧扱いする人間は、ユウの知る限りこの人ひとりだ。

 教授よりもひと回り以上歳上で、若くして両親をなくした教授の親代わりだったらしい。生涯独身になったのは本人の主義やめぐり合わせもあるかもしれないが、両親も財産もない弟が研究者として独り立ちするまで身を粉にして働き支えていたのも大きいように思えた。そのことが引け目となって、弟もまた独身を貫いているのかは、ユウには判断しかねたが。

「そうですね。彼女は、無駄に何かを追い求めたりしているようには見えません」
「私もそう思うよ。彼女は、例のアメリカ女性がまくしたてていたものは何一つ持っていない。だが、実に満ち足りているのだ。彼女にも悔いや手に入れたくても入れられなかったものはあるだろう。だが、それを思って眉間に皺を寄せるよりは、現在持っているものを実に愉快に楽しむことが出来る。彼女のあり方は、私には理想的に思えるね」

幸福グリュック より充足ツーフリーデンハイト ですか。なるほどねぇ」

あれ? ということは……。
「でも、先生、『幸福学シンポジウム』に出られるからには、このテーマに強い関心がおありだったのでは?」

 ユウの言葉に教授は首を振った。
「特にないが」
「え? だったらどうして……」

「日本とキョウトにはまた来たかったんでね。ウキョウとも久しぶりに逢えたし」
「逢えたしって、メインの目的は、ま、まさか、グルメと和菓子の食べ競べ……」
「何がいけないのかね。私は自分のしたいことは、はっきりわかっているのだよ。すくなくとも今ではね」

 そうやって話しているうちに、学生崩れと思われる青年が入ってきてグランドピアノの前に座り、憂いに満ちたワルツを弾きだした。

「おや、懐かしい曲を……まさか日本で聴く事になろうとは」
教授は、グラスを揺らしながら言った。

「はじめて聴きました。誰のなんて曲ですか?」
ユウが問うと「もの知らずな君らしいね」と口には出さないけれど明らかに語っている目つきで教授はちらっとユウを見た。

「アルメニアの作曲家ババジャニアンの『エレジー』というのだよ」
知る訳ないでしょう、そんなマニアックな。ユウは口の中でもぐもぐと弁解した。

「アルメニア……ですか。旧ソ連の国でしたっけ」
「ノアの方舟が辿りついたと言われるアララト山や、世界で最初にキリスト教を国教にしたことを誇りにしている古い伝統のある民族だが、迫害の歴史があってね。コーカサスには常に紛争があったから。今でも民族の六割は国外に避難したままだ。ソ連から独立した後も戦争に対する制裁がつづいたままで経済的に先行きが見えないので帰国が進まない悲劇の民族なんだよ」

 へえ。コーカサスか。ケフィアの故郷ってことぐらいしか知らないなあ。迫害されていた民族だなんて知らなかったな。
「じゃあ、スイスにもたくさんいるんですか?」
「ロシアやアメリカに較べたら、大した数はいないよ。スイスにいる日本人の10分の1ぐらいだろう。もっともスイス国籍を取得したアルメニア人を入れるともっと多いだろうがね」

「勉強になります。そういう民族だから、こういう悲しいトーンになるんでしょうかね。でも、美しい曲ですね。スイスにいるアルメニア人ですか。創作のネタになりそう。少し調べてみようかなあ」

 教授は「くだらない」と言いたげに、いつもの皮肉に満ちた目つきでユウを一瞥すると、黙ってウィスキーグラスを傾けた。


(初出:2016年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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作中に出てきたババジャニアンの「エレジー」はこんな曲です。


"ELEGY" - ARNO BABADJANIAN - A. NERSISSIAN /1995)
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Category : scriviamo! 2016

Posted by 八少女 夕

【小説】王と白狼 Rex et Lupus albis

scriviamo!


scriviamo!の第十三弾です。

ユズキさんは、『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』をモチーフにした絵本風作品で参加してくださいました。ありがとうございます!


ユズキさんの書いてくださった作品『【絵本風】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架:デュランの旦那を慰める会 』


ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。代表作『ALCHERA-片翼の召喚士-』は、壮大で緻密な設定のファンタジー長編で、現在物語は佳境に入ったところ、ヒロインが大ピンチで手に汗を握る展開になっています。

そしてご自身の作品、その他の活動、そしてもちろんご自分の生活もあって大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。ご好意に甘えまくって、さらにキリ番リクエストなどでも遠慮なくお願いしてしまったりしているのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」の主人公四人を全員描いてくださり、そして、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」には《男姫》ヴィラーゴジュリアや、主要三人の素晴らしいイラストも描いてくださりました。昨年のscriviamo!では、《旅する傍観者》マックスをユズキさんのところのキャラで私の大好きなガエルと共演させてくださいました。

そして今回は、物語では一番活躍した割に踏んだり蹴ったり(?)だった人氣ナンバーワンキャラ、レオポルドを題材に絵本風のイラスト連作を作ってくださいました。傷に軽〜く塩を塗り込まれつつ(笑)村人に慰められるレオポルド、ニヤニヤが止まりません。背景に至るまで丹念に描きこんでくださり、嬉しくて飛び上がりました。本当にありがとうございました。

お返しをどうしようかと悩んだ末、以前に一度お借りしたことのあるフェンリルをもう一度お借りして、ユズキさんが描いてくださったシチュエーションをそのまま掌編にしてみました。フェンリルは、ユズキさんの『ALCHERA-片翼の召喚士-』にてヒロインを守る白い狼の姿をした神様です。実際の姿を現すと街にも入りきれないほど大きいので、普段は白い仔犬の姿で登場します。連載中の今は、正直言ってフェンリルもよその誰かを構っている場合ではないんですけれど、私がそのへんの空氣を全く読まず、無理やり中世ヨーロッパにご登場いただきました。

なお、下の絵は以前ユズキさんが描いてくださった「大道芸人たち」のヴィルと仔犬モードのフェンリル。あの時も本当にありがとうございました。


ヴィルとフェンリル by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない二次使用は固くお断りします。


なお、フェンリルは、彼(?)自体が神様なのですが、レオポルドたちのいる中世ヨーロッパでは一神教であるキリスト教価値観の制約を受けていますので、まるで「神の使い」みたいな受け止め方になってしまっています。これも時代と文化の違いということでお許しいただきたいと思います。

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あらすじと登場人物


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森の詩 Cantum Silvae 外伝
王と白狼 Rex et Lupus albis
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士」
——Special thanks to Yuzuki san


 深い森《シルヴァ》を臨む草原に、彼は無言で立っていた。その後ろ姿を見ながら、靴屋のトマスとその妻が小さな声で話していた。

「デュランの旦那は、また考え事をしていなさるんだね、あんた」
デュランというのは、彼すなわちグランドロン国王レオポルド二世が忍びで城下を訪れる時に使う名前である。トマスたちは、彼が王太子であった時代から身分の違いを超えて既知の仲であった。
「最近、多いな。まあ、無理もない。なんせ失恋したばかりらしいからな」

「し、失恋? まさか、あの方が?」
「そうさ。どうやら嫁にするつもりだった例の姫さんに、本氣だったらしい」
「でも、あの偽の姫は、デュランの旦那が首をちょん切らせておしまいになったじゃないのさ」

 トマスは、わかってねえなという顔で妻を見た。
「お前、氣がついていなかったのか?」
「何をさ」
「この間、デュランの旦那が見つかったばかりのフルーヴルーウー伯爵夫妻を連れてきたじゃないか」
「え。マックスの旦那と奥方のラウラさまかい?」
「そうさ。あのラウラさまの声、聞き覚えあるだろう?」

 トマスの女房はぽかんとしていたが、やがてぎょっとした顔をした。
「ま、まさか!」
「そのまさかだよ。俺もしばらくわからんかったが、デュランの旦那があの奥方さまを見ていた顔を見てぴーんときたね」

「あらあ。そりゃ傷心にもなるわね、旦那ったら。なんせあのお二人の仲のいいことったら……」
女房とトマスは、彼の後ろ姿を氣の毒げに見つめた。

「ちょっといって慰めてくるか……」
トマスは彼の方へと足を向けた。

* * *


(全部聞こえているんだが……)
背を向けたままのレオポルドは、片眉を持ち上げた。

(余は、失恋の痛手のためにここに来ているのではない……こともないか……)
彼は、苦笑した。忙しい政務の間のわずかな自由時間に、忍びでこの村へ来ることは時折あった。王太子時代に親しくなった村人たちとの交流を通して、臣下たちのフィルターを通さずに市井の状況を知るいい機会でもあったから。とはいえ、近年は高級娼館《青き鱗粉》から派遣されてくる娼婦たちと、私室で楽しい時間を持つことの方が多くなっていたのだ。

 だが、今日、侍従が「どうなさいますか」と訊いてきた時に、娼婦たちを呼べと言い出しかねた。一つには、先日からフルーヴルーウー伯爵夫人ラウラが、宮廷奥総取締ハイデルベル男爵夫人の副官として出仕していて、彼が娼婦たちを呼びつけると彼女にわかってしまうからだった。それはいいとしても、彼自身が娼婦たちと楽しく騒ぐ氣分にどうしてもなれないのだった。

 彼は国王としては若いが、未だに独身でいていいというほど若いわけではない。亡き父王フェルディナンド三世は十八歳で結婚した。今のレオポルドよりも十歳以上若い。それでも世継ぎが彼以外できなかったのであるから、誰も彼もが早く結婚してお世継ぎをと騒ぐのは道理であった。

 彼の結婚がここまで決まらなかったのには理由があった。彼の王太子時代には、父王と現在王太后であるマリア=イザベラ王妃は、レオポルドにふさわしい后について意見が一致したことがなかった。そして、薦められた姫君たちを悉く氣にいらなかったレオポルドは、反対する両親のどちらかを利用して上手に破談にしてきたのだ

 父王が流行病で急逝し、思いがけず即位することとなった後は、レオポルド本人もつべこべ言わずに結婚しなくてはならないことを自覚していた。ところが、即位後の五年間は、政務に追われて嫁探しに本腰を入れ時間はなくなった。彼は既に二度も戦争を体験していた。父王が統一したノードランドをめぐってルーヴラン王国に宣戦布告をされ敗戦、後に西ノードランドを奪回すべく再び戦いを交えたのだ。

 この騒ぎと戦後処理の間は、結婚どころではないとレオポルドは一切の縁談を退けた。縁談ごときは臣下で進められると母后は諌めたが、結婚相手に一度も会わずに決める事だけはすまいと思っている若き王は決して首を縦に振らなかった。そこまで彼が后選びに頑になっている理由は、政略だけで結婚した両親をよく見ていたからであり、さらに自分の息のかかったカンタリア王国ゆかりの王女のみを薦めようとする母親のカンタリア氣質に辟易していたからである。ありていにいえば、母親みたいな女だけはごめんだと思っていたのであった。

 今日も、政務もなく居室で自由にしていると、「母上様がこちらにご機嫌伺いにいらっしゃりたいとのことです」とハイデルベル夫人から連絡を受けたので、逃げだしてきたのだった。

 他にすることもないので、彼は政治のことをゆっくり考えることにした。明日大臣たちとの会議があり、実質ノードランドを支配管理しているヴァリエラ公爵と今後の交易権について話さなくてはならない。公爵は先日の謀略を行ったルーヴランに対する制裁の意味を込めて関税を高くすることを望んでいる。関税引上げ派と据置き派、双方の言い分に理はある。相手に非がある今こそこちらに有利に変更すべきだという公爵のいい分はもっともだ。もちろん現在ルーヴランは大人しいが、一方であまり厳しくすると不満がたまり後々再び宣戦布告を突きつけられる可能性もある。

「さて、どうすべきか」

 その時、《シルヴァ》から、白い仔犬のような姿の動物が出てきた。彼は、目を疑った。十五年前と全く変わっていない同じ姿だった。あの時もこの村に来る途中だった。

* * *


 それは、トマスを知った翌日のことだった。馬で遠乗りに来ていたレオポルドは、《シルヴァ》で苦くまずい木の実を集めていたガリガリに痩せたトマスと偶然知り合った。王宮で何不自由ない暮らしをしていた彼は、旱魃と飢饉が王国を襲っていることに氣がついていなかった。だが、本来なら食べることもないようなものまで食糧にしなくてはならない村人たちの窮状にショックを受けた。

 彼は、王宮から山積みになっていた菓子をごっそり持ち出すと、《シルヴァ》を再び通り、トマスの住む村を目指していた。途中まで来た時に、草むらから白い仔犬のような動物が顔を出しているのに氣がついて馬を停めた。そんなところに仔犬がいるのはおかしかったし、それに逃げもせずにじっとこちらを見ている様相も妙だった。

「なんだ。親とはぐれたのか? それともお前も餓えているのか?」
レオポルドは、話しかけた。「それ」は、じっと彼を見つめて動かなかった。おかしい。どう考えても仔犬の動きではない。じっと眺めると、犬ではないことに氣がついた。狼だ。だが、純白の狼など彼は見た事がなかった。この森の中、これほど目立つ仔狼が、熊や鷲にも教われずに一匹で悠然と歩いているなど、ありえない。

 レオポルドは、馬から下りて狼に近寄った。試しに菓子のひとつを取り出した。その菓子はいい香りのする焼き菓子で、彼は袋に詰める時にも食べたい誘惑と戦わなくてはならなかった。だが、トマスたちに一つでも多くあげたい思いやっとのことで堪えたのだ。その菓子を手にして、彼は狼の鼻先に近づけた。

 狼は菓子の先端を咥えてそっと折った。残りはとっておけ、そういっているようだった。動物が遠慮するのを始めてみたレオポルドは、これがただの仔狼ではないことを確信した。白い狼は、背を向けて草むらへと歩き去った。彼は馬に再びまたがり、先を進もうとした。すると、また狼がやってきて、黙って彼を見つめ、それから背を向けて草むらへと向かう。同じことがさらに二度繰り返された。

 レオポルドは、狼が「ついて来い」と言っているのだと理解した。彼が草むらに分け入り、その後ろを歩くと、狼は振り返らずにけれども彼が見失わないようなスピードでゆっくりと歩いた。それは草むらにいるだけで、彼の行こうとしている道とまったく平行だった。彼は首を傾げた。

 だが、次の瞬間、鋭い鳴き声がして、彼は本来歩いていたはずの道に何かがいるのを知った。それは、大きな鹿で誰かの仕掛けた罠にかかって倒れていた。そこをまるで待っていたかのように餓えて凶暴になった熊が襲いかかっているところだった。レオポルドはぞっとした。もし彼があの道を急いでいたら、彼の馬が罠にかかり、熊に襲われていたかもしれないのだ。

 彼が呆然として小さい狼を見ると、わずかに笑ったような口元をしてから、それは踵を返して草むらの奥に消えていった。彼は、神に感謝して、熊に見つからないように急いで馬を走らせてその場を去った。

 とても小さな経験だったが印象的で、後に白い狼は彼に好意的な存在だと直感的に思わせるきっかけとなった。それは、彼の王としての評価を変えることとなったノードランド奪回の戦いのときだった。

 彼は決戦の前に、ロートバルド平原に進むか、それとも勾配の急なノーラン山塊を通ってルーヴラン軍を急襲するかの決断を迫られた。平原を進めば全面対決となるが、袋小路に追いつめられる危険はなかった。だが先にノーラン山塊から迂回することで、ルーヴランの裏をかき、ドーレ川との間に挟み撃ちにすることが出来る。

 半年前の敗戦の屈辱が、彼を迷わせた。お互いの意見に反対するだけで、建設的な戦法を進言できない先王の重臣たちを戦略会議から外し、自ら陣頭指揮を執ると宣言した手前、失敗は許されないという思いもあった。できるだけ少ない損失で早い勝利を手にするためにはノーラン山塊のルートをとりたい。だが、もし相手がそれを先読みして待ち構えていたら……。

 王都ヴェルドンを発つ時に、人生の師であり今やよき相談相手となった老賢者ディミトリオスが言った餞の言葉が甦る。
「王よ、決断なされませ。あなた様はこの国を率いなくてはならぬのです。年若いなどという言い訳は許されませぬ。ただ、決断なされませ。そして全てを背負うのです。それが王たるものの宿命ですぞ」

「へ、陛下!」
見張りからの連絡を受けた紋章伝令官が陣幕へと入ってきた。見ると顔が青ざめて震えている。
「何事だ」
「そ、空に……北の空に……」

 伝令官が口もきけないほど動転しているので、彼は陣幕の外に出て空を見上げた。そして、目を見開いた。どんよりと暗く垂れ込めた灰色の雲の下のもっと低い位置に白い雲が垂れ込めていた。だが、その雲は大きな狼の頭のような形をしていた。全体が狼の形をしていたというわけではない。そもそも、それは大きすぎて、頭に見える部分以外は山の後に隠れていて見えなかった。その鼻に見える部分だけで、山ひとつ分ほどに大きいのだ。

「何でございましょう。あれは……ノーラン山塊の上に……何か恐ろしいことが待っている徴なのでは……」
兵たち、重臣たちも怯えて浮き足立っていた。

 レオポルドは笑った。伝令官も重臣たちも、それに付き添っていたヘルマン大尉たちもあっけにとられる大笑いだった。
「ノーラン山塊へ行くぞ」

「陛下! なんと、今そちらの道を選ばれるのですか?! この徴が何だかわからず、兵士たちは浮き足立っております。もともと危険なノーラン山塊ですし……」

 レオポルドは言った。
「だからだ。あの徴を見て怯えるのは我々だけだと思うのか。ルーヴランのヤツらは、我々がノーラン山塊から来るとは思わなくなるだろう。これは我々の最大のチャンスだ。兵士たちに伝えるのだ。あれは余の守護に神が使わした白狼だとな」

 迷いを振り切った自信のある力強い言葉と態度は、伝令官たちや重臣たちに伝染した。彼らは、熱狂的に兵士たちに命を伝え、彼らは鬨の声をあげてノーラン山塊へと進んだ。そして二日後には、ルーヴランの軍勢を追いつめて決定的な勝利を手にした。

* * *


「デュランの旦那。また考え事でございますか」
トマスの声にはっとして振り向いた。彼はまだ《シルヴァ》をのぞむ草原に立っていた。白い仔狼はまだ森の入口に踞り、じっとこちらを眺めていた。

「旦那、あまり力をお落としにならないでくださいよ。ご自分のお氣持ちを犠牲にしてまで、あのお二人の力になったのを、神様はちゃんと見てなさる。旦那にはきっとあの奥方さまに負けない、いや、上回る素晴らしいお方が必ず待っていらっしゃるんだから。安心してくだせえ」

 レオポルドは、「そうだな」と苦笑した。
「トマス、あれが見えるか?」
「なんでございましょうね。仔犬でしょうか。毛繕いをしていますね」

 レオポルドは、狼が再び現れた理由を考えていた。白狼がかつて二度までも自分を救ってくれた理由についても考えた。おそらく自分の行動の何かが、あの特別な存在に親切で好意的な氣まぐれを起こさせたのだ。

 あの日、レオポルドはトマスたち貧しい者たちを飢えから救いたくて道を走らせていた。彼は、彼の人民たちを苦しみから救いたかった。王になったら、もっと貧しい人民のために尽くしたいと志を抱いた。そうだ、そうに違いない。彼は考えた。

 ルーヴランから金を搾り取れば、わが国の貴族たちは潤っても、かの国の人民たちは疲弊するだろう。ラウラが涙した、ルーヴの都の貧民たちのような存在がもっと増えるに違いない。あの狼はそれを思い出させるために現れたに違いない。

「トマス。余は、答えを得たぞ」
「なんでございますか。またお嫁さんを探されるご決心がついたんで?」

 レオポルドはカラカラと笑った。
「その件ではない。ノードランドの関税の件だ。据え置くようにヴァリエラ公を説得するのだ」

 機嫌良く帰っていくレオポルドを見送りながらトマスは首を傾げた。なんだかさっぱりわからんが、とにかく少しお元氣になられたようでよかった。ところで、あの仔犬は?

 トマスが《シルヴァ》の方を見やると、そこにはもう何もいなかった。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2016
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】カフェの午後 - 彼は耳を傾ける

scriviamo!


scriviamo!の第十四弾です。山西 左紀さんは今年二つ目の参加として、ローマ&ポルト&神戸陣営シリーズ(いつの間にか競作で話が進むことになったシリーズの1つ)の続きにあたるお話を書いてくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『絵夢の素敵な日常(初めての音) Augsburgその後』
山西 左紀さんの関連する小説
絵夢の素敵な日常(10)Promenade
絵夢の素敵な日常(12)Porto Expresso
絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2
Promenade 2
初めての音 Porto Expresso3
絵夢の素敵な日常(初めての音)Augsburg


「ローマ&ポルト&神戸陣営」は今年はほとんど進まなかったのですが、サキさんは66666Hit作品に、この作品と頑張って二つも進めてくださっています。

全くこのシリーズをご存じない方のために少し解説すると、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」にはうちの「黄金の枷」サキさんの「絵夢の素敵な日常」大海彩洋さんの「真シリーズ(いきなり最終章)」のメンバーたちがヨーロッパのあちこちに出没してコラボしています。「黄金の枷」の設定は複雑怪奇ですが無理して本編を読む必要はなく、氣になる方は「あらすじと登場人物」をご覧下さい。このコラボで重要になっているのは、本編ではほとんどチョイ役のジョゼという青年です。もともとサキさんのとコラボのために作ったキャラです。他に、マヌエル・ロドリゲスというお氣楽キャラが「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではよく出てきますが、今回は「神父見習い」というひと言以外は全く出てきません。「ローマ&ポルト&神戸陣営」の掌編は「黄金の枷・外伝」カテゴリーで読む事が出来ます。ただ、今回の作品にはジョゼ関係の必要な情報が全部入っていますので、読まなくても大丈夫です。

さて、今回サキさんが書いてくださったのは、「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ、ヤスミンで、彼女はアウグスブルグで絵夢に逢い、さらにはミクと演出家ハンス・ガイステルの会話にちゃっかり聞き耳を立てています。というわけでこちらは、ポルト(本編ではPの街と言っていますが、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではポルトと言いきってしまっています)に舞台を移し、こちらでも誰かさんが聴き耳を立てています。話しているのは、「黄金の枷」重要キャラと、やはり「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ。以前サキさんがヤスミンを出してくださったお話で、お返しはやっぱりこの人の登場にした事があるのですが、それを踏襲しています。

サキさんは、とっとと話を進めてほしかったようですが、まだまだ引っ張ります。っていうか、この続きは今月末にロケハンに行ってからの方がいいかな~と。ちなみに本編(続編)の誰かさんに関わる情報もちょいと書いています。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


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黄金の枷・外伝
カフェの午後 - 彼は耳を傾ける
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 白いぱりっとした上着をきちんとひっぱってから、ぴかぴかに磨かれたガラスケースを開けて、中からチョコレートケーキを取り出した。ジョゼはそれをタウニー・ポートワインの30年ものを飲んでいる紳士の座っている一番奥のテーブルに運んだ。
「大変お待たせいたしました」

「おお、これは美味しそうだ。どうもありがとう」
 発音からスペイン人だとわかるその紳士は、丁寧に礼を言った。ジョゼは、ずいぶん目の大きい人だなと思ったが、もちろんそんな様子は見せなかった。

 ジョゼは、Pの街で一番有名なカフェと言っていい「マジェスティック・カフェ」のウェイターとして働いている。1921年創業のこのカフェは、アール・ヌーボーの豪華絢爛な装飾で有名で、その美しさから世界中の観光客が押し寄せるので、母国語だけでなく外国語が出来なくては勤まらない。ジョゼは英語はもちろん、スペイン語も問題なく話せるだけでなく、子供の頃にスイスに住んでいたことがありドイツ語も自由に話せるので職場で重宝されていた。

マジェスティック・カフェ


「こちらでございます」
振り向くと、黒いスーツを着た彼の上司が女性客を案内してきた。このカフェの壁の色に近い落ち着いたすもも色ワンピースと揃いのボレロを着こなしていた。ペイズリー模様が織り込まれたそのスーツは、春らしい鮮やかさながらも決して軽すぎず、彼女の高貴な美しさによく似合っていた。ジョゼは、はっとした。彼女に見憶えがあったからだ。

 彼のテーブルに座っていた、目の大きいスペイン人はさっと立ち上がり、その女性の差し出した手の甲に口づけをした。
「ドンナ・アントニア。またあなたにお逢いできてこれほどうれしいことはありません」

 黒髪の麗人は、艶やかに微笑んで奥の席に座った。革のソファの落ち着いた黒に近い焦げ茶色が、彼女の背筋を伸ばした優美な佇まいを引き立てる。
「遠いところ、足をお運びいただいてありがとうございます、コルタドさん」

 上司に「頼むぞ」と目配せをされて、この二人がVIPであることのわかったジョゼは、完璧なサービスをしてみせると心に誓って身震いをしてから恭しく言った。
「いらっしゃいませ。ただ今、メニューをお持ちいたします」
二人の客は、頷いてから、会話を始めた。

「二年ぶりでしょうか。いつお逢いしても月下美人の花のごとく香わしくお美しい。仕事の旅がこれほど嬉しいことは稀なことです」
「まあ、相変わらずお上手ですこと。お元氣そうで何よりです。お噂は耳にしていますわ。事業の方も、芸術振興会の方も絶好調だそうですね」

「おかげさまで。いつまでも活躍していてほしかった偉大なる星が沈むこともありますが、新しく宵の明星のごとく輝く才能もあります。それを見出し支援することが出来るのは私の何よりの歓びです。そして、同じ志お持ちになられているあなたのように素晴らしい方と会い、若き芸術家たちとの橋渡しができることも」

 麗人は無言で微笑んだ。どう考えても、目の大きい紳士の方がはるかに歳上だと思われるのに全く物怖じしない態度で、ジョゼは感心しながら見とれていた。ドンナ・アントニアか。相当に金持ちのようだとは考えていたけれど、そうか、貴族かなにかなんだな。彼は心の中で呟いた。

 彼女は、チョコレートケーキを嬉々として食べているコルタド氏に微笑んだが、自身はコーヒーしか頼まなかった。それもエスプレッソをブラックで。

 彼女は、ずいぶん前に立て続けにこのカフェに来たことがあった。その理由は、なんとジョゼにある伝言をするためだった。彼女からチップとともにそっと手渡された封筒に、幼なじみマイア・フェレイラからの秘密の依頼が入っていたのだ。彼は、何が何だか全くわからぬままに頼まれたことをやり、そのお礼としてこれまで一度も履いたことがないほど素晴らしい靴を作ってもらった。いま履いている黒い靴だ。

「それで、お願いした件は……」
アントニアは、つややかな髪を結い上げた形のいい頭を少し傾げて訊いた。コルタド氏は、大きく頷くと鞄からCDを取り出した。
「こちらがバルセロナ管弦楽団のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番で、こちらがスイスロマンド管弦楽団によるメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルトです」

「まあ、もう二つもご用意くださったのですね。素晴らしいわ。ありがとうございます。録音していただくの、大変だったでしょう?」
「そうですね。世界に名だたるオーケストラと指揮者にソリストなしのカラオケを録音していただくのですからね。なんに使うのか、皆知りたがります。でも、ご安心ください。あなたのお名前を悟られるようなヘマはいたしておりません」
「心から感謝いたします。かかった費用はすぐにお支払いします。それに、あなたが理事を務めていらっしゃる芸術振興会にいつもの倍の寄付をさせていただきたいと思います」
アントニアは、真剣な面持ちで礼を言うと、CDを大切にハンドバッグにしまった。

「私が全く興味を持たなかったかと言えば嘘になります」
コルタド氏は誰もが引き込まれてしまうような、人懐っこい笑顔を見せた。アントニアはわずかに笑った。
「もし可能ならば、生のオーケストラをバックに演奏したいと願い続けている人のため。それ以上は、私が言わずとももうご存知でしょう?」

 コルタド氏は、意味有りげな顔をした。
「表向きは何の情報もありませんが、私の懇意にしているセビーリャのジプシーたちはこの街に住む特別な一族のことを話してくれますので」

 アントニアは、全く何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。それから突然話題を変えた。
「それで。新たに見つけた才能のことを話してください。場合によっては、寄付をまた増やしてもいいのですから」

「そうですね。例えば、私が大変懇意にしている四人組の大道芸人たちがいます。でも、彼らのことは、私が個人的に支援しているだけですがね。ああ、そうだ。この街出身の素晴らしい才能が国際デビューしたことはご存知ですか」
「どこで?」
「ドイツです。ミュンヘンの、例の演出家ハンス・ガイステルが見いだしたようで。彼女の名前が少し特殊だったので、もしかしたらあなたのご一族なのかと思ったのですが」
「なんと言う名前ですか」
「ミク・エストレーラ」

 ジョゼはぎょっとして、思わず二人をしっかりと見てしまった。幼なじみで且つ想い人であるミクの名前をここで聞くとは! ミクは、正確にはこの街の出身者ではない。日本で生まれ育った日本人だ。ティーンエイジャーだった頃、母親を失いこの街に住んでいた祖母のメイコ・エストレーラに引き取られて引越してきたのだ。ジョゼは、その頃からの友達だった。

 ミクはその透明な歌声を見出されて、ソプラノ歌手としてのキャリアを歩み始めていた。ドイツのアウグスブルグで『ヴォツェック』のヒロインであるマリー役で素晴らしい成功をおさめたことは聞いていた。もちろん彼がアウグスブルグに行ったわけではないけれど、彼女の歌声が素晴らしいのは子供の頃からずっと聴いているから知っている。

 大学に進み、この街を離れるまでは単純に歌うのが好きな綺麗な姉貴だった。(ミクは6歳も歳上なのだ!)大学在学中に、テクニックとか曲の解釈とか、ジョゼにはよくわからない内容に心を悩ませ、迷い、それに打ち勝って単純に美しいだけではない深みのある歌い方をするようになった。

 夢を追っているミクは輝いていたし、ジョゼも心から応援していたが、彼女の夢が1つずつ叶う度にこの街に帰ってくる間隔が長くなり、さらには手の届かない空の星のような存在に変わっていってしまうように感じられて心穏やかではなくなった。

 そうだ、エストレーラ 。彼女の苗字がなんだって? この女性の一族? まさか!

 アントニアは、クスッと笑った。それから首を振った。
「私たちの一族でエストレーラ という苗字を持つものはおりません」

 コルタド氏はアントニアが左の手首にしている金の腕輪を眺めて「そうですか」と納得していない様子で呟いた。彼女は、婉然と微笑んだ。

星を持つOs Portadores da Estrela のと、Estrela であるのは違うのですよ。私たちの家名はどこにでもいるような目立たないものに限られているのです。誰もがその存在に氣がつかないように」

 それから何かを考え込むように遠くを見てから、コルタド氏に視線を戻して優しく微笑んだ。

「才能があり功名心を持つ人は、星など持たぬ方がいいのです。世界へ飛び立ち、自由に名をなすことができるのですから。《星のある子供たち》Os Portadores da Estrela は、あなたもご存知のように、この街に埋没し、世間に知られずにひっそりと生き抜くべき存在なのです」

「あなたも……?」
コルタド氏は、これまでに見たことのあるどの女優にも負けぬほど美しく、どの王族にも引けを取らず品をもつ麗人を見つめた。彼女は顔色一つ変えずに「私も」と答えた。

 そして、二人を凝視しているジョゼに視線を移すと、謎めいた笑みを見せた。彼は客の会話に聞き耳を立てるどころか、完全に注目して聴いてしまっていたことに思い至り、真っ赤になって頭を下げた。

「それで、あなたはそのエストレーラ嬢の後ろ盾になるおつもりなのですか」
アントニアは、コルタド氏に視線を戻した。

「いいえ。そうしたいのは山々ですが、彼女にはもう立派な後ろ盾がいるのですよ。ヴィンデミアトリックス家をご存知ですか」
「ええ。もちろん」
「かのドンナ・エム・ヴィンデミアトリックスが、彼女を応援しているのですよ。それに、どうやらイタリアのヴォルテラ家も絡んでいるようです。あなたが絡んでいないとしたら、どうやってそんな大物とばかり知り合いになれるのか、私にはさっぱりわかりませんね」

 絵夢ヴィンデミアトリックス! またしても知っている名前が飛び出してきたので、ジョゼの心臓はドキドキと高鳴った。絵夢は日本の高名な財閥令嬢で、ミクと同じ日にジョゼが知り合った、長い付き合いの友達だ。

 ミクがポリープで歌手生命の存続を疑われた時に、イタリアの名医を紹介してくれたのも絵夢だった。ついでに、メイコのところに来ている神父見習いの紹介でヴァチカンとつながりのあるすごい家も助けてくれたって、言っていたよな。ともかく、彼らのバックアップの甲斐あって、手術は大成功、彼女はまた歌えることになったんだ。ジョゼはわずかに微笑んだ。

 僕はその事情を全部知っています。言いたくてしかたないのを必死で堪えつつ、ジョゼは綺麗に食べ終えたチョコレートケーキの皿をコルタド氏の前から下げた。

 その時に、アントニアの視線が彼の靴を追っていることに氣がついた。彼は、そっと足を前に踏み出し、彼の宝物である靴を彼女に見せてからもう一度頭を下げた。この靴のことも、それから彼女がマイアの件で彼に伝言を依頼したことも、彼女は知られたくないことを知っていたので、ジョゼはあくまで何も知らない振りをした。アントニアは満足したように頷いた。

 コルタド氏は二人の様子にはまったく目を留めずに、話を続けた。
「来月、またこの街に参ります。その時は、もうひとつのご依頼である『ます五重奏』の方も持ってこれるはずです」
「何とお礼を申し上げていいのかわかりませんわ」

「あなたにまたお逢いできるのですから、毎週でも来たいものです」
コルタド氏が言うと、アントニアは微笑んだ。
「私がいつまで、こうした役目を果たせるかわかりませんわ」

「なんですって。ドンナ・マヌエラからお役目を引き継がれてから、まださほど経っていないではないですか」
「ええ。でも、ようやく本来私のしている役目を果たすべき者が決まりましたの。まだこの仕事には慣れていませんので、しばらくは私が代わりを務めますが」

「それは、ご一族に大きな慶事があったということでしょうか」
「ええ。その通りです」
「なんと。心からお祝い申し上げます。ドン・アルフォンソにどうぞよろしくお伝えください」
「必ず。ご健康と、そしてあなたのご事業のますますのご発展を祈っていると、彼からの伝言を受けていますわ」

「これはもったいないお言葉です。私の方からも心からの尊敬をお伝えください」

 コルタド氏は立ち上がって、アントニアに手を差し出した。その手に美しい手のひらを預けて優雅に立ち上がると、彼女は水色の瞳を輝かせながら微笑んだ。
「バルセロナへお帰りですか?」

「いえ、せっかくここまで来ましたのでひとつ商談をするためコインブラへと参ります。そのためにレンタカーを借りました。そして可能でしたら、少し足を伸ばしてアヴェイロにも行くつもりです。《ポルトガルのヴェニス》と呼ばれているそうですね」
「そうですか。よいご滞在を。またお逢いするのを楽しみにしています」

 二人が去った後に、テーブルを片付けると、コルタド氏の座っていた席に、多過ぎるチップとともに料金が置いてあった。ジョゼは、ミクが帰って来たら「姉貴のことを噂していた人がいたよ」と話そうと思った。

 ミクがまた歌えるようになるまで三ヶ月かかるとメイコは言っていた。その静養期間に彼女はしばらくこの街に戻ってくるとも。

 彼は、つい先日格安で中古のTOYOTA AYGOを手に入れた。小さい車だが小回りがきき丈夫でよく走る。アヴェイロか。そんなに遠くないよな。

 彼女が帰って来たら、ドライブに誘おう。ここしばらく話せなかったいろいろな事を話そう。そして、出来たらもう小さな弟代わりではなくて、友達でもなくて、それよりもずっと大切に思っていると、今度こそ伝えたいと思った。

 街には春のそよ風が心地よく吹いていた。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
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