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Posted by 八少女 夕

【断片小説】森の詩 Cantum Silvae I - 姫君遁走より

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

先日発表した「大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 〜 森の詩 Cantum silvae」の作中作としてちょっと開示した「森の詩 Cantum Silvae I - 姫君遁走」の一部にユズキさんがとても素敵なイラストを描いてくださったのですよ。

Virago Julia by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない使用は固くお断りします。
ユズキさんの記事 「ジュリア姫

先日開示した時は、さらにその一部だったので、もうちょっとお見せしたら驚かれました。ええ、とんでもないお姫様なんですよ、この人。そして、ユズキさんはわざわざ描き直してくださったのです。おわかりでしょうか、人物のタッチも違いますが、森も前とは違っているのです。ええ、現代の森ではなくて中世のもっと深くてミステリアスで時には残酷な世界にしてくださっているのです。(ぜひ大きくして細部をご覧になってくださいね)

このまま、皆さまにお見せしないで私一人だけのお宝にしておくのはもったいなさすぎる! そういうわけでユズキさんのイラストに大いに助けていただいて、「森の詩 Cantum Silvae」の世界にもう少しみなさまをお連れしたいと思います。



森の詩 Cantum Silvae I - 姫君遁走より

 教皇ペテロ=ウルバヌス二世の御代、跡継のないクラウディオ三世の崩御によりルーヴラン王国には後継者争いが起こった。一人は姪のイザベラ王女の夫バギュ・グリ侯爵ハインリヒで、もう一人はクラウディオ三世の従兄弟にあたるストラス公オイゲンだった。二ヶ月に亘るいくつかの戦の後、ルーヴランはストラス公の支配する所となり、公はオイゲン一世として戴冠した。バギュ・グリ侯爵が憤死したために侯爵領を継ぐことになったのは、ハインリヒの腹違い弟のテオドールであった。「ひょうたんから駒」で侯爵の座が転がり込んで来たテオドールは、その豪胆で奇天烈な振舞から《型破り候》と呼ばれることとなった。

 さて、この《型破り候》には跡継ぎのマクシミリアンの他に、その姉にあたる娘が居た。粗野な父親が若い日にストラス公オイゲンの従姉妹にあたるマリア姫に懸想して産ませた姫君だった。バギュ・グリの厄介者テオドールの妻などに成り下がったと両親に嘆かれたが、マリアは氣丈にテオドールに従い、従兄弟が国王となるにあたって上手く立ち回って侯爵夫人の座を手に入れた。娘のジュリアはこの母親から美貌、そして父親からは粗野で型破りな性格を受け継いでいた。

 ジュリアは父親のバギュ・グリ侯爵が大嫌いだった。母親の侯爵夫人のことはもっと嫌いだった。うるさい乳母のメルヒルダは少しはマシだったが、これも好きとは言いがたかった。庭師や家庭教師は大して重要な輩ではなかったのでどうでもよかった。夕食の給仕をするアルベルトは巻き毛がかわいらしく氣にいらない訳ではなかった。もっとも十歳も年上の男をかわいらいしいという言い方があたっているかどうかは微妙だったが。

 誰よりも嫌いなのは彼女の馬丁、ハンス=レギナルドだった。父侯爵のことは女の尻ばかり追い回しているから嫌いで、母侯爵夫人のことは冷たく高慢だから嫌いだった。メルヒルダにはやかましく小言ばかり言うという、これまたれっきとした理由があったが、この馬丁に対しては嫌う理由になんらかの説得力があるわけではなかった。

「馬丁のくせに名前を二つも持っているんだ」
「あたしよりも高い柵を越えてみせたんだ」
ジュリアはいかにも氣にいらないというように顔をしかめる。

 以前、馬丁長が侯爵に伺いを立てたことがある。
「姫の馬丁をお変えになりますか」

 侯爵はつまらなさそうに言った。
「あれは誰にも満足せんのだ。これ以上、わがままの相手を増やせというのか」
それからは誰も同じ提案をしなかった。

「ハンス=レギナルド!」
ジュリアは、つかつかと厩舎に踏み入ると怒鳴った。藁の影からハンス=レギナルドと召使いのクリスティーンが身を起こした。姫は冷たく一瞥すると
「ばからしい」
と、言った。

 おろおろするクリスティーンを無視してジュリアは愛馬にまたがり、馬丁に言った。
「城下に行くわよ。供をおし」
「ですが、ジュリア様。母君のお許しが出ないでしょう」
「母上のお許しはもう永遠に出ないわよ。亡くなられたんだから」

 クリスティーンはわっと泣き出した。看病の枕元を抜け出してハンス=レギナルドにキスをもらっている間に奥方様は亡くなられたのだ。

 ジュリアはうんざりして召使い女を見ると、馬に鞭をくれて厩舎から飛び出した。馬丁は慌てて彼の馬に飛び乗り、わがままな姫君を追った。
「お待ちください」

 ジュリアは待たず、柵を越え、森に入りどんどん走らせていく。ハンス=レギナルドの馬は次第に追いつき、やがて二頭の馬は並んだ。

「お前には負けないわよ」
「ジュリア様。私は競争をしたいのではありません」
「いつもそうなんだ」

「何故そういうお言葉をお遣いになるのです。何故そのような恰好をなさるのです」
ジュリアの男物の出立ちは城下にも知れ渡っていた。

「馬にドレスで乗ってどうするのよ」
「乗る姫君もおられるではないですか」
「あたしは散歩をしたいんじゃない」

「ジュリア様。どこまで行かれるのですか。奥方様のお側にいてさしあげなくてはならないとはお思いにならないのですか」
「いてどうするのさ。誰ももう側には居られないんだよ。母上は亡くなられた。マクシミリアンの名を呼んでね……」

 ジュリアは急に馬を停めると方向を変えて走り出した。ハンス=レギナルドは後を追う。しばらくは無言のまま馬を走らせ、馬丁が追いつくと方向を変え、しばらくは追いかけっこが続いた。ついに、綱さばきのミスからジュリアは草むらに落ちた。

「ジュリア様!」
ハンス=レギナルドは馬から飛び降りて、姫君を助け起こした。痛みでしばらく動けなかった彼女は、それが薄らいでくると顔を上げ、じろりと馬丁を見た。

「本当に頭に来るわね。うちの女中と料理人の全てに愛を語ったその口で、偽りの心配の言葉を述べるんだから」
「偽りの心配などどうしてできましょう。それに、私はあなた様のお家の全ての使用人と恋をした訳ではありませんよ」
「この食わせ者。その整った顔と声で、君だけだとかなんとか迫るんだね。マリアの里帰りもお前が原因に違いないよ」
「とんでもない。私じゃありません。侯爵様です」
「ええ、父上だって。あの恥知らず。お前といい勝負だよ。誰をも本氣で愛したことなんかないんだ」

 ハンス=レギナルドはジュリアの足や腕が折れていないか調べていたが、その言葉を聞くと顔を上げて主人の目を見た。
「では、あなた様はどうなのです。誰かを本氣で愛されたことがおありなのですか」

「反撃にでたわけ。いいえ、ないわ。あたしは愛なんか信じていない。父上は滑稽だし、クリスティーンたちも愚かにしか見えない。お前、その顔は何?」
「私に何を言わせたいのです」
「ええい、そうやるんだね、いつも。騙されないよ。他の女と一緒にするんでないよ」

 風が森を通り抜け、木漏れ日はキラキラと輝いていた。ひんやりとした草むらに腰掛けてジュリアは馬丁が腕を自分の体に回して支えていることに氣づいた。ハンス=レギナルドの顔はすぐ近くにあった。
「もちろん、あなた様は違います」
「女中と一緒におしでないよ」
「いえ。身分に関係なく、そう、どこの姫君とだってあなた様は違います」

 ジュリアはキラキラと光る若葉を見ながらうっすらと微笑んだが、すぐに厳しい顔をして馬丁に言いつけた。
「馬を探しておいで」

 ハンス=レギナルドは木の幹にジュリアの背をもたれかけさせながら言った。
「私はかつて一人の女に恋をしました。日も夜もなくその女を愛しました。眠れぬ夜が続き、氣が狂うかと思いました。皮肉なことに、想いを遂げたどの女たちをも、あれほどに恋いこがれることはなかったですね」
そう言うと、二頭の馬の去った方向へと歩き出した。

 ジュリアはきつい調子のまま問いかけた。
「お待ち。それはあたしの知っている娘なの?」
「あなた様ですよ」
ハンス=レギナルドは木の間に消えた。

 ジュリアは少しの間ハンス=レギナルドの消えた方向を見ていたが、立ち上がるとその場を離れた。馬丁が二頭の馬と戻って来た時には探しようもなかった。

 ジュリアは森を歩いていった。侯爵夫人の訃報が届けば、今日の祭りは中止になるだろうが、酒場一軒くらいは開いているだろう。

(やっと母上から自由になったのよ、これを祝わなくてどうするのよ)

 侯爵夫人がジュリアを束縛するようになったのは、父親が候爵位を継いだ六年前のことだった。ジュリアはそのとき十二歳だった。ジュリアには父親が侯爵家の厄介者であろうと、侯爵様であろうとまったく関係なかったのだが、母は娘を以前のような野放図にしておくつもりはなかった。

 加えてアルベルトのことがあった。ジュリアはアルベルトにキスをさせ、かわいそうな給仕は姫君に夢中になってしまった。無理もない。ジュリアは美しい。漆黒のまっすぐな髪。挑みかける瞳。血のように紅い唇。何ひとつ知らない故に、何ひとつ恐れなかった。ジュリアはキスをしてみたかったし、アルベルトならいいと思ったのだ。

 侯爵夫人はちっともいいと思わず、父親の淫らな血がと騒ぎ立てた。そして、男の汚さや恋の愚かしさを説き続けた。ジュリアの美しさを懸念して、常に見張り、女らしく装うことを許さなかった。ジュリアはそれを受け入れ、母親の望む通りに育ったがその束縛を憎んでもいた。

 ジュリアは行く手の樹木の間から煙を見た。ジプシー。聖アグネスの祭りだ。彼らは侯爵夫人の喪になんか服さないだろう。

 森の空き地に数台の幌馬車が停まり、炎の周りでジプシーたちは踊っていた。ジュリアには誰も氣に留めずに、めいめいで歌ったり踊ったりしているので、少しずつ中に入っていった。やがて一人の老女がじっと見つめているのに氣がついた。

「バギュ・グリの姫さんが何の用かね?」
老女は言った。

「あたし、お前に会ったことないけれど」
「私らは何でも知っているよ」
「嘘ばっかり。私がなぜここに来たかわからないくせに」
「知っているともさ。お前は別れに来たんだよ」

「誰とさ」
「全てとね。まず、その男物の服をなんとかしよう。それでは踊っても楽しくないだろう」
「そうね。でも、こうしていないと男どもが寄ってくるのよ」
「悪いことじゃあるまい。寄ってくる男どもをあしらうのは、女の楽しい仕事さ。それともダンスもできない方がいいのかね」
「わかったわ。この服とはお別れしよう。私を変身させて」

 老婆はジュリアを幌馬車に連れて行った。再びジュリアが出て来た時ジプシーたちはもはや彼女に無関心ではいられなかった。薄物を纏い、しなやかに歩み出る彼女は深夜の月のようだった。彼女は踊り始めた。その悩ましさは例えようもない。ジュリアにとってもこの夜は麻薬だった。踊りの恍惚。自分が誰かも忘れ、夢の中にいるように狂った。

 深夜に老婆は緑色に透き通る液体を差し出した。
「これをお飲み。聖アグネス祭の今宵、お前さんは愛する男を夢に見るだろう」

 ジュリアは口の端をゆがめて言った。
「あたしは誰も愛していないわよ。嫌いな男ばっかり」
「だからこそ、この薬が必要なんじゃ」

 ジュリアは受け取って一息で飲んだ。強い酒だった。

 翌朝、ジュリアは幌馬車から出て老婆を見つけるとひっぱたいた。
「何よ、あれ。あたしの体が動かないのをいいことに」

 老婆はにやりと笑った。
「孫はお前さんに一目惚れしたのさ。だが、お前さんのためにもなっただろう。お前さんを抱いた男は孫じゃなかったはずだよ。愛している男は誰だったかね?」

「想像していた通りの男だったよ」
ジュリアは冷たく言い放った。

「よかったじゃないか」
「あんたの孫に言っておいて。二度とあんな真似はできないって」
「わかっているとも。昨晩、お前さんを抱きたかったのはあの子だけじゃないからね。あの子は幸運な方さね」
「ふん」

 ジュリアは空き地から離れて森に入り、昨日ハンス=レギナルドと別れた所に行った。馬丁はジュリアをもたれかけさせたあの木の根元で眠っていた。彼女はハンス=レギナルドを叩いた。彼は目を醒ますと信じられないという顔で、薄物をまとい輝くように美しい主人を見つめた。

「お前、あたしを捜してたの?」
「ご無事だったんですね」

「お前だけなの、捜していたのは」
「私も命が惜しいので、お館には帰っていませんから」

 馬が二頭近くの木に繋がれていた。
「そう。お前、あたしを好きだったと言ったね」
「はい」

「今はどうなの」
「今でも。誰と愛を語っても、いつも最後にその女はあなた様になってしまいます」

「ふうん。あたし、昨晩、ジプシーに抱かれたの」
「ジュリア様!」

 ジュリアは楽しそうにハンス=レギナルドを見た。まったく見たことのない表情を彼はしていた。いや、かつて一度見たことがあったかもしれない。
「アルベルトとキスをした時にも、お前、あたしを好きだったのかい」
「あなた様にお会いした日からずっとです」

「そう。じゃあ、アルベルトの時から始めよう。私にキスをおし」
ジュリアは命令した。ハンス=レギナルドはぽかんとその主人を見ていた。
「ハンス=レギナルド。聞こえないの?」
ジュリアは自分からキスをした。

 捜索の疲れと幸せな安堵でハンス=レギナルドが眠ってしまうと、ジュリアはそっと恋人の側を離れた。そして、愛馬を連れてジプシーの集団のもとに戻り、そのまま、国を出てしまった。




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Posted by 八少女 夕

【小説・定型詩】蒼い騎士のラメント

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scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第二弾です。Sha-Laさんは、以前に書かれた詩に物語を付けた作品で参加してくださいました。

Sha-Laさんの詩と小説『単発! 吟遊詩人アルス (1話完結)』

Sha-Laさんはファンタジーを中心に現代物、架空世界物などを書かれるブロガーさんです。

今回参加してくださった作品は、もともとどなたかにリクエストなさったイラストと組み合わせてあって、吟遊詩人と王妃さまに関する小さなお話でした。

お返しのご希望が「定型詩+それに合わせた物語」ということでしたので、どうしようかなとしばらく考えました。で、結局、吟遊詩人という存在だけそのまま使わせていただき、いま連載中の「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の舞台の中に組み込む事にしました。というわけで、舞台は中世ヨーロッパ風異世界です。出てくるキャラは読んでくださっている方にはおなじみの傍観主人公で、今回も例に漏れずオブザーバー。Sha-Laさんご自身はこの作品はお読みになっていらっしゃらないと思いますが、特に読む必要もないと思います。


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



蒼い騎士のラメント
——Special thanks to Sha-La san


 ああ、降り出した。マックスは白い息を吐きながら空を見上げた。重く暗い灰色の空から、白い雪の欠片がひらりはらりと降りてくる。幸い森には切れ目が見えて、間もなく聞いていた街へと辿りつくようだ。早く暖炉の火で暖まりたい。

 急に羽ばたきがして、彼のすぐ側の大きな樅から鳥が飛び立った。鷹がこんな所に? マックスはその樅の奥に目を凝らした。すると、そこに大きな灰色の塔があるのがわかった。道を見失わないようにそっと歩み寄ると、その塔には苔やツタが絡み、上部は崩れ落ちて天井がなくなっており、長い間忘れ去られていたものだということがわかった。

 また、その位置からは森の出口までにあまりに距離があって、高い針葉樹に阻まれてとても物見の塔の役割は果たせなかったであろうと思われた。では、何のために。彼は不審に思ってその塔の周りを一周したが、何も見つけられなかった。興味を失って街へと向かう道へと戻ろうとした時に、先ほどの鷹が再び塔に戻り、上部の四角い窓から塔の中へと入って行った。鷹にとってはちょうどいい住まいなのかもしれぬ。彼は納得してその場を去った。

 雪で白くなりかけている下草を踏み分けながら、森の出口にさしかかった。既に白く埋まった野原の向こうに見えてきた街は、そこそこの大きさで旅籠も少なくとも数軒はありそうだった。行商たちの声、鍛冶屋の鉄を叩く音、雪がひどくなる前に家路を急ぐ人びと、マックスはスープの香りを頼りに旅籠を探した。

 《銅の秤》という旅籠を覗くと、中は料理と酒を待つ人びとで一杯だった。それでマックスはおいしい料理を期待して中に入って行った。
「今夜、泊めてもらえないか」
そう訊くと頑固そうな親爺が早口で宿賃を口にした。
「朝食は込みだが、夕食は別だ。ここ以外で夕食を食べる客は滅多にいないが」
マックスは「夕食も頼む」と言って、少ない荷物を椅子の上に置いた。

 その席の前には彼よりもほんの少しだけ年上に見える銀髪の男が座っていて、マックスの座る場所を作るために彼の荷物をどけた。すると竪琴が目につき、彼が吟遊詩人である事がわかった。それに氣がついたのはマックスだけではなかったらしく、少し酔いの入った髭の男が大声を出した。
「吟遊詩人がいるぞ! 景氣のいい歌を歌ってもらおう」

 竪琴を布で覆って、詩人は答えた。
「申し訳ないが、私は悲しい唄しか歌えないんだ」

 酔った男たちは「そんな吟遊詩人があるか」と一様に不満の声を上げたが、詩人が頑に歌うのを拒んだので、やがて白けて酒と猥雑な冗談へと戻っていった。

 詩人は傷ついた瞳を落とし、冷たくなったスープにとりかかった。

 マックスは、この詩人に興味をおぼえた。
「どうして楽しい唄は歌わないんだ? 何か事情があるのかい?」
そう訊くと詩人は、目を上げた。それからとても短くひと言で答えた。
「罰」
「罰? 誰からの? どんな罪に対しての?」

 詩人は答えずにスープを食べ終えた。旅籠の主人がマックスの温かいスープと一緒に詩人に煮込み肉を持ってきた。それでマックスはスープに取りかかり、口をきこうとしない詩人の事を忘れる事にした。詩人は時おり考え込むようにしてひどく時間をかけて食べていたので、果物の甘煮は二人同時に出る事になった。

 低い声で詩人は言った。
「旅人よ、悲しい唄は聴きたくないかい」
「いや、君が嫌でないならば、僕はぜひ聴いてみたい」

 他の男たちは安い酒を飲みすぎて、疲れて眠りはじめている。うるさかった食堂は竪琴の音が聴こえるほどには静かになっていた。詩人は酒を飲み干すと、竪琴を取り出して弾き語り始めた。

かのひとは深夜に白金きん の髪を梳き
空眺めため息をつく籠の鳥
その塔は乙女を護る灰の檻
蒼ざめた肌を照らす暗き月

騎士の琴 甘き調べに心浮き
白き絹裂けてからだ 踊りし深き森
哭き鳥が夜を切り裂き叫ぶ時
亡骸をつれなく覆う夜の雪

義なき騎士 罪は永劫赦されまい
こと切れし女主人あるじを運ぶ黒い馬
都へと報せを運ぶは白き鷹

そのひと紅唇くち は二度と開かない
消ゆるは蒼く冷たき水の砂
氷華こおりばな 哀しく咲くは冬の墓



 続けて詩人はいくつもの哀切のラメントを歌いだした。どの唄にも蒼い甲冑を身に着けた騎士が、国王の隠し子である姫に甘い言葉を囁き、そのせいで彼女が塔から身を躍らせて亡くなってしまった悲劇を歌っていた。塔から降りるために使おうとした白い絹が裂ける絶望的な音、誠実ではない騎士に対する姫の嘆き。雪の上に沁みていった姫の赤い血潮。

「それはもしかして、あの森にある塔で起った事なのか?」
マックスは好奇心に耐えかねて、詩人の唄を遮った。

 竪琴の弦が切れて、びいいいいいんと谺した。人びとは語るのをやめて押し黙り、重い静寂が部屋を覆った。だが、それも一瞬の事で、やがて他の客たちはマックスと詩人を忘れて酒と雑談に戻っていった。

 マックスは、動かなくなった詩人を見つめて押し黙っていた。彼らの周りだけには、あの森の冷たく凍える灰色の塔と、雪の重さにしなった針葉樹が存在したままだった。

 詩人の閉じられた目から、赫い涙が流れた。詩人を覆っていた白いケープが解け、その下からかなり昔のものと思われる蒼鈍色の騎士の甲冑が見えた。

「罰というのは……」
マックスの問いかけに答えず、蒼い騎士でもある詩人は竪琴を使わずに悲しい唄を繰り返した。歌われた白い雪が、森の灰色の塔に降り積もる。音もせず訪れる者もいない忘れ去られた墓標を静かに覆い尽くしていく。

 女が待ち続けた永劫を、罰を受けた騎士が歩み続ける。この地に縛られ、誰も耳を傾けぬ悲しい唄を彼は一人歌い続ける。

 その街を離れる時に、マックスは後方の塔を抱く森を見た。それは白い雪に覆われて、忌まわしい因縁すらも、幻の彼方へと消してしまっていた。

(初出:2015年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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今回、劇中歌として作った詩は例によって日本語ソネット(a-b-b-a, a-b-b-a, c-d-e, c-d-e)です。ドイツ語ソネットにしようかとも考えたのですが、ここは話の流れを重視して日本語で行くことにしました。ソネット(十四行定型詩)とはなんぞやという方はこの辺りを読んでください。

ここから先は、作品のイメージとなった世界観についてです。ラメント(Lamento)とは、嘆き、遺憾、哀悼を表した詩や歌、楽曲。日本語では哀歌(あいか)、悲歌(ひか)、挽歌(ばんか)などと訳されます。

で、モンテヴェルディ作の「ニンフのラメント」という作品がありまして、悲しみを切々と訴え続けるのです。今回の作品は、この曲と、それから「Tombe La Neige」という歌(雪は降る降る、あなたはこない、の曲です)をごちゃ混ぜにして作りました。

Lamento della Ninfa

Amor
(Dicea)
Amor
(il ciel mirando,
il piè fermo,)
Amor
Dove, dov’è la fè
Ch’el traditor giurò?
(Miserella)
Fa che ritorni il mio
Amor com’ei pur fu,
O tu m’ancidi, ch’io
Non mi tormenti più.
(Miserella, ah più, no,
Tanto gel soffrir non può.)


「ニンフのラメント」より抜粋
愛よ
(彼女は言った)
愛する人よ
(空を見つめ、しっかりと立って)
誠はどこにあるの
裏切り者が誓ったその誠は?
(かわいそうな女)
どうか私の彼を取り戻して
愛する人、彼がかつてそうであったように
さもなくば私を殺してください
もはや私が自分自身を苦しめる事がなきように
(かわいそうな女よ、もはやこれほどの霜柱に苦しめさす事はできない)




Bernarda Fink sings Lamento della Ninfa (Claudio Monteverdi)
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Posted by 八少女 夕

【小説】マックス、ライオン傭兵団に応募する

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第十五弾です。ユズキさんは、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の主人公マックスとユズキさんの代表作「ALCHERA-片翼の召喚士」の戦士ガエルのコラボでイラスト付きストーリーを描いてくださいました。ありがとうございます!

ユズキさんの作品 企画参加投稿品:ある日、森の中

ユズキさんの参考にさせていただいた作品と解説ページ
ALCHERA-片翼の召喚士-  特別小咄:人魚姫と王子様(?)
《コッコラ王国の悲劇:キャラクター紹介》


ユズキさんは、異世界ファンタジー「ALCHERA-片翼の召喚士-」をはじめとする小説と、数々の素晴らしいイラストを発表なさっているブロガーさんです。私も「大道芸人たち」の多くのイラストや、強烈な「おいおい」キャラである「森の詩 Cantum Silvae」のジュリアを描いていただきました。そして、フリーイラストの方でも、たくさんお世話になっています。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」も、最初から読んでくださっていて、旅する傍観者マックスはにも馴染んでいただいています。今回は、ALCHERA-片翼の召喚士-」に出てくる熊の頭をした戦士ガエル、そう、私の大好きなガエルとマックスを謎の森で逢わせてくださいました!

「もりのくまさん」を彷彿とさせる、楽しいお話。折角なのでお返しもこのまま、時空の曲がりまくった異世界コラボでいきたいと思います。ユズキさんのお許しを得て、「ALCHERA-片翼の召喚士-」の「ライオン傭兵団」の皆さんにご登場いただくことにしました。

なお、「ALCHERA-片翼の召喚士-」には、数々の魅力的なキャラクターが登場します。が、今回は、あえてヒロインのキュッリッキ、とってもカッコ良くて優しいメルヴィン、強くてかっこいい中年トリオ、白熊&パンダ正副将軍コンビなどの重鎮にはご登場いただいていません。彼らの活躍は、もちろん本編でどうぞ。



「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


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森の詩 Cantum Silvae 外伝 マックス、ライオン傭兵団に応募する
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士-」
——Special thanks to Yuzuki san


 おかしいなあ。先ほど見た、あれは夢だったのだろうか。マックスは首を傾げながら森を進んでいた。

 その日、いつものように一人で森を進んでいたら、今まで目にしたことのない異形のものと出会った。サラゼンの人びとのようななりをした大男(と思われる誰か)がそこにいたのだ。だが問題はその男の頭だった。熊だった。マックスは、それまで奇妙なものをたくさん見てきた。頭に殺した熊を剥製にした兜をかぶる、はるか北の国の戦士にも出会ったことがある。だが、先ほどの男の頭部は兜などではなかった。彼が話す度に、その口は開き、見つめる瞳も生氣に溢れていた。何かのまやかしにやられたのか。そういえば、その熊男と一緒に入ったけばけばしい物売り小屋が、忽然と消えてしまった。

 だが、魔女や悪魔に惑わされたにしては、経験したことが馬鹿馬鹿しすぎる。熊男は大瓶の蜂蜜をいくつも買って帰ったのだ。そんなシュールなまやかしがあるものか。それに、マックスも、財宝を欲しがったわけではない。蜂蜜の小瓶を一つ買おうとしただけだ。納得がいかない。

 マックスが、ブツブツ言いながら森を進んでいると、不意にバサバサと音がした。猛禽でもいるのかと上を見上げると、樹々の合間から空を飛ぶ鳥ではないものが見えた。
「天使……? それに抱えているのは、人魚?」

 輝く黄金の髪をした美しい男が、翼を広げて飛んでいた。腕の中には魚の尾鰭を持った少女を抱えている。だが、マックスが戸惑ったことに、彫刻や絵画で目にし慣れている天使の姿と違って、その天使は全く何も身に付けていなかった。人魚の娘を上手に抱えれば都合の悪いものは隠れるだろうが、どうやら娘の楽な姿勢を優先したのだろう、問題のある部分だけが丸見えになっていた。天使ともなると恥ずかしさなどは感じないのであろうか。マックスは視線を森に戻し、何も見なかったことにした。

 すると、森の途切れた辺りに、見覚えのある若草色の衣服が見えた。あれは先ほどの熊男ではないか! マックスは、その男を追ってみることにした。

 森を出ると、突如として広がった景色は、マックスの見たことのあるどのような街とも違っていた。自然の石を敷き詰めた石畳ではなく、きちんと四角に切り添えられた石で道が造られていた。家のスタイルも、色遣いも違う。もう少し原色に満ちている。ここはどこなんだ。それに、こんなに大きい街がここにあるとは聞いたことがない。これは王都ヴェルドンよりもはるかに大きい都のようだ。

 人通りが多くなり、熊男を見失わないようにするのが難しくなった。その時に、この街に対する大きな違和感の理由がわかった。道を行く人びとも、グランドロンやルーヴラン風の衣装とは違うものを着ているのだが、それは大した問題ではなかった。それよりも、彼らの1/3くらいが、人間の頭をしていないのだ。猫、狐、狸、猛禽……。熊男が歩いていても、誰も驚かないはずだ。幸い、マックスと同じように人間の頭をしている者も多かったので、マックス自身も目立っているとは言えなかった。

 背の高い熊男の頭を見失わないように急ぐと、熊男が一つの大きな家の前に立って何かをしているのが目に入った。彼は、呼び鈴の隣に掲げられた立て板のような所に、羊皮紙のようなものを張り出していた。彼が貼ろうとしている告知は大きく、前に貼られていたものを上から覆うようにしている。それが終わると、大量の蜂蜜の壺を軽々と抱え直して扉の中に消えた。「今帰ったぞ」という声が聞こえた。

 彼の張り出していた告知を見ると、マックスが知らない言葉で読めなかったが、蜂蜜の絵があったので、これは彼が蜂蜜を販売していることなのだろうとあたりをつけた。では、この僕が最初の客になろう。マックスはひとり言を言って、扉を叩いた。

「なんだ」
顔を出したのは、ザン切り頭で無精髭を生やした、屈強な男だった。

「その張り紙を見たんだが」
マックスが告げると、男はああ、という顔をして、奥に向かって叫んだ。
「おい、応募者が来たぞ! カーティス!」

 応募者? 言葉は通じていると思うのだが、単語に違う用法があるのかもしれない。マックスは、目の前の男が中へ招き入れるのに素直にしたがった。
「ちょっとこの部屋で待っていてくれ。あ、俺はギャリー。うまくあんたが採用されたら仲間になるってわけ、よろしくな」
そういって去っていった。仲間? 蜂蜜を買う仲間って何だ? マックスは首を傾げた。これはその責任者が来たらきちんと話をしないと……。そう思っていると、ドタドタと音がして大量の人間が階段を下りてくるのが聞こえた。

「嘘だろ、あれっぽっちの報酬で応募してくるバカがいるのかよ」
「おい、俺にも見せろ! どんなスキル〈才能〉があるヤツなんだ」
「ちょっとっ! 賭けは賭けよ。本当だったらアタシの勝ちじゃない」

 ドアが開き、華麗なスカーフとマントを身に着け、目が隠れるほど長い前髪を垂らしいてる黒髪の青年が入ってきた。
「ごきげんよう。遠い所、ようこそ。私がライオン傭兵団のリーダーを務めるカーティスです。お名前と出身地をどうぞ」
「マックス・ティオフィロスです。グランドロン王国の王都ヴェルドンの出身です」
蜂蜜を買うのに出身地を言わなくてはならないとは。マックスは首を傾げた。だが、カーティスと名乗った男も眉をひそめた。

「グランドロン王国? そんな国聞いたことねーな」
カーティスが何も言っていないのに、部屋の外にいる外野が騒いでいる。カーティスの立派なマントの影になり、全ての後ろの人びとがマックスに見えているわけではないが、ちらりと狐や狸の顔をした人物は見えた。

「そのような王国があるとは初耳ですね。あなたはヴィプネン族ですよね。惑星はヒイシですか?」
マックスは言葉を失った。ヴィプネン族? 惑星って何の話だ?

「グランドロンでは、人民を種族で区別したりはしないのですが。あの、表の張り紙にあった蜂……」
マックスが全て言い終わる前に、カーティスは畳み掛けた。
「スキル〈才能〉は何をお持ちですか」

「え? 私は、王宮での教師を生業としていますが」
「ということは記憶スキル〈才能〉をお持ちということですか?」
「記憶……ですか。悪くはないとは思います。それに、リュートとダンスなども少々嗜みます」
「それは楽器奏者のスキル〈才能〉もお持ちということで?」
「は? 弾けるということです」
話が噛み合ない。マックスはますます混乱した。

「だ・か・ら~っ。カーティスが訊きたいのは、あんたはどんなスキル〈才能〉を使って敵を倒せるのかってことでしょっ!」
噛み合わないやり取りに苛立って、ずかずかと入ってきた女性がいた。オレンジ色の髪に赤い瞳をした、なかなか魅力的な女性だ。
「マリオン。悪いが、黙っていてくれませんか。私がこれから……」

 だが、話がますます聞き捨てならない方向に向かっているので、マックスはカーティスの言葉を遮って言った。
「失礼ですが、私は文人ですので、戦闘などには一切関わらないのです。私がこちらに来たのは、表の張り紙にあったように蜂蜜を買いたかったからなのですが……」

「蜂蜜~?!」
その場にいた全員がすっとんきょうな声を上げた。誰かが表のドアを開けて、掲示板を見に行った。

「おいっ! 本当に傭兵募集の張り紙の上に、ガエルの蜂蜜頒布会のお知らせが貼ってあるぞ!」
その声に、カーティスはがくっと首を垂れた。
「ガエルっ」

 呼ばれて、誰かが地下室から上がってきた。
「誰か俺を呼んだか?」
「呼んだか、じゃありません! 表の張り紙はなんですか! 仲間募集の張り紙が隠れてしまったでしょう?」
「あ? あの募集は賭け用のシャレじゃないのか? あんなちっぽけな報酬で傭兵になりたがるヤツなんかいないだろう」

「う……ところで、この方は、どうやらあなたのお客さんのようです」
そう言われて「なんだって」と部屋に入ってきたのは、確かに先ほどの熊男だった。
「あれっ、さっきの……。あんた、俺から蜂蜜を買いたいのか?」

 マックスは肩をすくめた。
「先ほどの店がどういうわけかなくなってしまったんでね。ほんの少しでいいんだが」
「じゃあ、わけてやるよ。あんたは特別だ、払わなくていい」

 マックスは、ガエルにごく小さい蜂蜜の壺を貰うと、荷物の中に丁寧にしまい、礼を言って立ち上がった。
「ところで、ここはどこなんだい?」
マックスが訊くと、その場にいた人たちはきょとんとした。

「皇都イララクスだが」
ガエルが答える。マックスは、それはどこだと心の中で訴える。ガエルは、そのマックスの心の叫びを理解したようで、ポンと彼の肩を叩いた。

「さっきの森に戻れれば、きっとあんたの世界に帰れるだろう。ちょっと待ってくれ、飛べるヤツを呼んでくるから」
そう言って、部屋から出ると「おい! ヴァルト、ちょっと頼まれてくれ」と叫んだ。

「なんだよ」
声がして、バタバタと誰かが二階から降りてきた。部屋に入ってきた金髪の男を見て、マックスは「あ」と言った。さっきのすっぽんぽん天使だ。いや、今はきちんと服を着ているし、羽も生えていないが。

「悪いが、ちょっとした恩のある男なんだ。森まで連れて行ってくれないか」
「俺様が? どっちかというとカワイ子ちゃんを抱えて飛ぶ方が好みなんだが。ま、いっか」

 ヴァルトは、ばさっという音をさせると、大きくて美しい羽を広げた。
「来な。あんた、まさか高所恐怖症じゃないだろうな。忘れ物すんなよ」

 ヴァルトに抱えられて空高く舞い上がったマックスに、ライオン傭兵団の面々は手を振った。ガエルが「また逢おう!」と声を掛けた。マックスは手を振りかえした。

 鳥の視点で見る都は、とても美しかった。だが、その不思議な色彩の建築物の数々を見れば見るほど、ここはどこか異世界なのだとはっきりとわかった。
「ほら。森が見えてきた。ここでいいだろう」

 ヴァルトは、樹々の間を通って下草の間にそっとマックスを降ろした。それからウィンクして言った。
「じゃあな。もう迷子になるなよ。またどこかで逢おうぜ」
それからバサバサと音を立てて飛び立っていった。下から見上げてマックスには、それがヴァルトを最初に見かけた正にその場所だとわかった。

「ありがとう! またどこかで逢おう!」
マックスは、手を振った。

 《シルヴァ》は、広大な森は、いつものように神秘的で深かった。下草を掻き分け、小川に沿ってゆっくりと進むと、また明るい光が射し込んできた。

 街が見えてくる。マックスの見慣れた、グランドロン式の建物が目に入った。ようやく彼は自分の世界に戻れたのだと確信できた。マックスは荷物をそっと開けて、蜂蜜の小さな壺があるのを確認した。あれは夢ではなかったようだ。だとしたら、またガエルやヴァルトや、その他の傭兵たちともどこかで逢えるのかもしれないな。

 マックスは、次の目的地を目指して、道を探した。新しいものを見聞し、世界の広さを知る、人生の旅だった。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

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Category : 小説・森の詩 Cantum Silvae 外伝

Posted by 八少女 夕

【小説】命のパン

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第八弾です。canariaさんは、楽しい四コママンガで参加してくださいました。

canariaさんの『「scriviamo! 2016」参加作品 』

canariaさんは、Nympheさんというもう一つのお名前で独特の世界観と研ぎすまされた美意識の結晶を小説・イラスト・動画などで総合芸術を創作なさるブロガーさんです。以前、fc2でお持ちになっていたブログの頃からのお付き合いで、最初のscriviamo!でもご参加いただいたことがあります。お返ししたのはcanariaさんの「侵蝕恋愛」にトリビュートするソネットでしたが、scriviamo!のお返しで一番たくさん拍手をいただき、たぶん私の作る日本語ソネットでこれを超えるものはないだろうという作品。それだけcanariaさんの物語の世界観が高みにあるからだと思うのです。

今回の作品は、私の「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の登場人物とcanariaさんの手作りパンの共演なのですよ! 私も食べたことのない尊いパンを、なぜザッカがもらうと嫉妬剥き出しの私です(笑)

で、どうしようかな〜と悩んだ結果、このありがたいシチュエーションをそのまま外伝に書いてしまうことにしました。こういう機会でもないと、ザッカの話なんて書くことないし。ザッカのイメージは、動画記事で発表した公式(おっさん)のものでも、canariaさんの描いてくださった長髪美青年でもお好きな方で(笑)長髪美青年の方が萌える?


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2016」について
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森の詩 Cantum Silvae - 外伝
命のパン
——Special thanks to canaria san


 石壁に置かれた牛脂灯の焔が揺れた。わずかに黒い煙を吐き出して、焦げた臭いが漂った。イグナーツ・ザッカは、外で監視を命じられた兵士が交代の時に「ひどく冷えるな」と弱音を吐くのを耳にした。

 彼は笑みを漏らした。宰相としての役目を解かれ、全財産を没収され、罪人としてこの西の塔に幽閉されて半年近くなるが、その待遇は悪くはなかった。彼はこの塔から出ることはできないが、拷問をされることもなければ餓えることもなかった。この部屋は、王侯貴族からしてみれば酷い待遇の監獄なのかもしれないが、彼がかつて暮らしていた修道院の生活と大して違わなかったし、ましてや貧民街とは較べるまでもなかった。

 ルーヴラン王国が、グランドロン王国に対する奸計の咎を全て彼に負わせて事態を収束させたものの、そのまま彼を殺さなかった上に、そこそこの待遇を保っている理由は一つだった。彼らにはまだザッカが必要だったのだ。

 宰相時代の副官であったジュリアン・ブリエは、現在は親政をしている国王エクトール二世の名代として時おり慰問にやってくる。それはただの口実で、彼らはザッカの助言を必要としていた。ザッカの築き上げて来た政策の大半はまだそのまま残っていた。多くの貴族たちは財政緊縮のために廃止された特権を元に戻してもらうことを望んだが、グランドロンに賠償として差し出した直轄領からの収入が途絶えた今、国にそのような余裕はなかった。

 ザッカの宰相時代に恩恵を受けた親類縁者がいれば、そこから没収することも出来たかもしれない。だが、外国人であり、さらにどの貴族とも血縁関係のないザッカには資産はほとんどなかった。彼の得ていた少なからぬ報酬の多くは、治水事業と貧しい者への施しに使われていた。既に多くの国費も使われている治水事業を取りやめれば、国の未来に絶望が待っていることは凡庸な国王や欲の張った臣下たちにもわかっていたので、それも続行せざるを得なかった。

 ザッカは囚われの身のままで、王侯貴族たちのそしりを受けつつ、いまだにルーヴラン王国のために日々心を砕かざるを得なかった。

 何のために。彼は自問する。私の企ては失敗した。念入りに立てた計画の全てが無に帰したのだ。神になど頼らぬ、わが意志で世界を変えると決めた。そして、この国であれば、私の思う結果が出せると信じた。だが、神は思わぬ駒を進めた。役目を解かれた私が、今さら心を砕いて何になる。私はこの塔の外には出られぬ。私の施しを待ち、終油の秘蹟を求めるあの貧しい者たちのところへももう足を運ぶことは叶わない。何百人もの《マルコ》たち。私は負けたのだ。

 小さいノックが聞こえた。彼に食事を運ぶ召使いや、ブリエの先導をしてここに入ってくる兵士たちはノックなどしない。訝って扉ヘ行くと、外ら中をのぞくための小さい窓が開けられ、フードを目深に被った人物が立っているのが見えた。
「何者だ」

「名を申すことはできませぬが、お氣の毒に思う者でございます。秘密裡に参りました。このような囚われの御身、さぞおつらいこととお察し申し上げます」
「ご心配はありがたいが、危険を冒してお越しいただくほどの苦境にはござらぬ」

「少しでもお力になりたく、これを持参いたしました。お体を大切になさり、どうぞ好機をお待ちくださいませ。我々が必ずや……」
そう言うと、彼の手に何かの塊を押し付けて、返事も待たずに立ち去った。

 小窓がカタンと閉まり、揺れていた。彼は、それをしばらく見ていたが、やがて受け取った包みに目を落とした。草木で染められた布を開くと、焼いたばかりと思われるパンが現れた。丁寧に挽いた小麦粉から作られ、干しぶどうの入った高価なパンだった。彼は、しばし呆然とし、想いを少年時代に馳せた。

* * *


 少年イグナツィオは、ふらつく体を壁に押し付けて、修道院の廊下を進んだ。看病をしていた修道士パウロが、院長と話があると言って席を外したので、チャンスだと思った。

 彼が倒れてから一週間が経っていた。全身の痛みと一度も経験したことのない高熱で、他のことなど考えられなかったが、状態が良くなってきてから心配でたまらなくなった。一週間も「あそこ」に行っていなかった。彼の持っていく食糧だけしか食べるもののない小さな少年は、どのような思いで自分を待っているのだろう。イグナツィオは、食事の時に食べずにとっておいたパンを懐にしまうと、なんとか外套を身に着け裏庭へと向かった。不浄なもの用に設けられて普段は使われていない出口からそっと修道院の外に出た。

 修道院から子供の足でも半刻もあれば辿りつくほどの近さに、貧民街はあった。そこへ初めて行ったのは、パウロと一緒だった。院長に託された施しの食糧を抱えて行ったが、それは全く足りていなかった。子供たちは何人かいたが、走れて大人たちの隙をついて食糧に手を伸ばせたものだけが少しのパンや果物を手にすることができた。

 イグナツィオは、その時にマルコと知り合ったのだ。マルコは、イグナツィオと二つしか違わなかったが、痩せこけて小さく、まるで五つも歳下のように見えた。一番最初に近づいてきて手を伸ばしたけれど、食糧には届かず、大きな男に横取りされてしまった。イグナツィオが差し出したリンゴを手にしたのに、他の少年にもぎ取られてしまった。結局お腹をすかせたまま涙をにじませて、彼はイグナツィオの持っていた籠に顔を埋めた。パン屑を少しでも舐めようとして。

 イグナツィオは、その様子に心を痛め、次の日に自分の食事のパンを一つ残しておいた。修道院で用意される食事は決して多くなく、パンを一つ失うのはお腹がすいてつらかった。それでも、彼はパンを隠し持ち、こっそりと抜け出して、マルコにパンを持っていってやったのだ。

 それから、彼は矛盾に苦しむことになった。倒れるほどにお腹をすかしているのはマルコだけではなく、彼は時折マルコを失望させても他の弱い子供にパンをやらなくてはならなかった。マルコは、イグナツィオの行為に恨みがましいことは言わなかった。イグナツィオは、少なくともマルコを一番目にかけていたから。

 マルコは、だが、少しずつ弱っていった。パウロとともに正式の施しに食糧を持ってくる時に、走ってくることはできなくなった。イグナツィオは、走ることのできない人間たちが、餓えて病に陥り、やがて「終油の秘蹟」を必要とする段階へと進むことも理解した。パウロも、他の修道士たちも、神父たちも、多くのことはできなかった。

 イグナツィオは、まだ残る熱でふらつきながらも、貧民街へと走った。マルコは、もう一週間も何も食べていない。

 彼は、貧民街の入り口で既に嫌な臭いを嗅いだ。また死人が出たのだ。マルコの住む小屋の近くらしい。マルコがいつも踞っている小屋の裏手に回ると、ものすごい腐臭がして、黒く蠢く何かがあった。彼が入ってきた振動で、それはわっと動き、たかっていたハエの大群だったことがわかった。

 目にしたものにショックを受けて、イグナツィオは、すぐに来た道を戻った。

 わずかに見えた手はマルコのサイズだった。いつも身に付けていたボロ着もすぐにそれとわかった。何日あの状態だったかはわからない。だが、幼い少年は「終油の秘蹟」を受けることもなく、イグナツィオに別れを告げることもなく、この世から姿を消した。

 悔しさと悲しさに涙がにじむ。自分が無力な子供であることや、修道院で日々教えられている教えと現実との矛盾に怒りを感じた。だが、彼に神の慈悲と偉大さをを教える院長やパウロたちが善良で努力を惜しまない立派な大人であることも、彼の苦しみを増した。怒りの行き場がどこにもなかったから。
 
 部屋に戻る前に修道院長の部屋の前を通る。院長とパウロの声が聞こえて、彼は思わず動きを止めた。

「本当に医者を呼ぶ必要はないのかね」
「いいえ。ここでは院長様やそれに準じるような方が酷い病になった時以外、お医者様を呼ぶことなどないではないですか」
「だが、あの子は……」

「院長。あの子は、私がここへお世話になることになったたまたま同じ日にこの修道院の前に捨てられていた孤児。お忘れにならないでください」
「……。わかっている。だが、医者を呼ばなかったために、取り返しのつかないことになる可能性も……」

「院長。私にあの子を託した方は、『殺せ』とお命じになったのですよ」
「なんと!」
イグナツィオは、びくっと身を震わせた。それから戸口から漏れてくる弱い光をじっと見つめた。

「あの方は、ご自分の利益のためにそうおっしゃったのではありません。もしあの女性の産んだのが男児で、その子が生き延びていることが今わかれば、国は二つに分かれ恐るべき争いになるでしょう。すでに荒廃している土地がさらに戦火にさらされ、多くの民が今よりも酷い苦しみに晒されることとなる。あの子供は争いの種なのです。あの方はこうなることがわかっていたので私に命令を下されたのです」

「だが、パウロ。そなたは神に命を捧げた身ではないか」
「はい。ですから、私にはどうしてもあの方の命令を実行することができませんでした。いえ、幼子の無垢な寝顔を前にして、どうすることもできなかったのです」
「だから、ここへあの子を連れてきたのか。では、なおさら医者を」

「院長。私にはわからないのです。私のしたことは正しかったのか。あの子を生かそうとしたのは神の御心に適っていることだと思っていました。だが、あの子は年々あの方に似てきています。同年齢の子たちよりもずっと聡く、政や世の理不尽に対しての感受性も強い。このまま育てば、あるいはいずれあの方の心配なさった事態が起こるかもしれません。それを本当に神も望まれているのか」
「我々が神を御心を知ることはできないのだよ、パウロ」

「ええ。でも、私は神のご意志に従いたいと思います。もし、今あの子が病で命を落とすのならば、それが神のお答えだと納得することができます。そして、あの子が生き延びるのならば、これまでと同じようにあの子を、誰も頼る者のない孤児であるあの子の支えとなっていくつもりです」

 少年は、静かにその場を離れた。震えているのは、熱のせいだけではなかった。部屋に戻ると扉を閉じた。しばしその場に踞っていたが、やがて、のっそり立ち上がって外套を脱ぎ元のように鉤に掛けた。膨らんだポケットから固くなったパンを取り出した。

 なす術もなく死んでいったマルコの姿が浮かんだ。あれが神の意思だというのか。私も、あんな風に朽ちていくべきだというのか。嫌だ。そんな言葉で、納得するものか。

 吐きそうになるのを堪えて、彼はパンを食べた。パンの味が乾いた喉から空腹で疲れた胎内に沁みていく。食べてもう一度健康になる。医者を呼んでもらえなくても、マルコみたいに弱っていったりするものか。彼は、ひと口ごとにパンを噛み締めた。

* * *


 あれから四十年近くが経った。故郷を離れ、名前を変えて、神の家とも袂を分かった。だが、彼の前にはいつも無念さを表現することもできずに消えていった何百人もの《マルコ》たちがいた。彼は世界を変えるために政治家になった。彼の存在意義のためでもなく、豪奢な生活や王侯貴族の名誉のためでもなかった。そして、実現可能であるならば生まれ育ったセンヴリでも、ルーヴランでもかまわなかった。

 人生が終わりに近づいた今、ようやく目的に近づけるかと思ったが、叶わなかった。この石塀に囲まれた西の塔で彼を苦しめていたのは、寒さでも誇りの喪失でもなかった。まだ何も変えられていない焦燥と虚しさだった。世界は重く、日々は苦かった。

 彼は、渡されたパンの意味を考えた。

 柔らかい上等なパンを口に入れた。わずかな甘味が口の中に広がっていく。あの時と同じだ。餓えた魂に、力がみなぎっていく。

「諦めるなというのか……。私の道はまだ半ばなのだと」
彼は、笑うと次のひとかけらを手でちぎった。

(初出:2016年2月 書き下ろし)

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Category : 小説・森の詩 Cantum Silvae 外伝

Posted by 八少女 夕

【小説】王と白狼 Rex et Lupus albis

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第十三弾です。

ユズキさんは、『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』をモチーフにした絵本風作品で参加してくださいました。ありがとうございます!


ユズキさんの書いてくださった作品『【絵本風】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架:デュランの旦那を慰める会 』


ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。代表作『ALCHERA-片翼の召喚士-』は、壮大で緻密な設定のファンタジー長編で、現在物語は佳境に入ったところ、ヒロインが大ピンチで手に汗を握る展開になっています。

そしてご自身の作品、その他の活動、そしてもちろんご自分の生活もあって大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。ご好意に甘えまくって、さらにキリ番リクエストなどでも遠慮なくお願いしてしまったりしているのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」の主人公四人を全員描いてくださり、そして、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」には《男姫》ヴィラーゴジュリアや、主要三人の素晴らしいイラストも描いてくださりました。昨年のscriviamo!では、《旅する傍観者》マックスをユズキさんのところのキャラで私の大好きなガエルと共演させてくださいました。

そして今回は、物語では一番活躍した割に踏んだり蹴ったり(?)だった人氣ナンバーワンキャラ、レオポルドを題材に絵本風のイラスト連作を作ってくださいました。傷に軽〜く塩を塗り込まれつつ(笑)村人に慰められるレオポルド、ニヤニヤが止まりません。背景に至るまで丹念に描きこんでくださり、嬉しくて飛び上がりました。本当にありがとうございました。

お返しをどうしようかと悩んだ末、以前に一度お借りしたことのあるフェンリルをもう一度お借りして、ユズキさんが描いてくださったシチュエーションをそのまま掌編にしてみました。フェンリルは、ユズキさんの『ALCHERA-片翼の召喚士-』にてヒロインを守る白い狼の姿をした神様です。実際の姿を現すと街にも入りきれないほど大きいので、普段は白い仔犬の姿で登場します。連載中の今は、正直言ってフェンリルもよその誰かを構っている場合ではないんですけれど、私がそのへんの空氣を全く読まず、無理やり中世ヨーロッパにご登場いただきました。

なお、下の絵は以前ユズキさんが描いてくださった「大道芸人たち」のヴィルと仔犬モードのフェンリル。あの時も本当にありがとうございました。


ヴィルとフェンリル by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない二次使用は固くお断りします。


なお、フェンリルは、彼(?)自体が神様なのですが、レオポルドたちのいる中世ヨーロッパでは一神教であるキリスト教価値観の制約を受けていますので、まるで「神の使い」みたいな受け止め方になってしまっています。これも時代と文化の違いということでお許しいただきたいと思います。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2016」について
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森の詩 Cantum Silvae 外伝
王と白狼 Rex et Lupus albis
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士」
——Special thanks to Yuzuki san


 深い森《シルヴァ》を臨む草原に、彼は無言で立っていた。その後ろ姿を見ながら、靴屋のトマスとその妻が小さな声で話していた。

「デュランの旦那は、また考え事をしていなさるんだね、あんた」
デュランというのは、彼すなわちグランドロン国王レオポルド二世が忍びで城下を訪れる時に使う名前である。トマスたちは、彼が王太子であった時代から身分の違いを超えて既知の仲であった。
「最近、多いな。まあ、無理もない。なんせ失恋したばかりらしいからな」

「し、失恋? まさか、あの方が?」
「そうさ。どうやら嫁にするつもりだった例の姫さんに、本氣だったらしい」
「でも、あの偽の姫は、デュランの旦那が首をちょん切らせておしまいになったじゃないのさ」

 トマスは、わかってねえなという顔で妻を見た。
「お前、氣がついていなかったのか?」
「何をさ」
「この間、デュランの旦那が見つかったばかりのフルーヴルーウー伯爵夫妻を連れてきたじゃないか」
「え。マックスの旦那と奥方のラウラさまかい?」
「そうさ。あのラウラさまの声、聞き覚えあるだろう?」

 トマスの女房はぽかんとしていたが、やがてぎょっとした顔をした。
「ま、まさか!」
「そのまさかだよ。俺もしばらくわからんかったが、デュランの旦那があの奥方さまを見ていた顔を見てぴーんときたね」

「あらあ。そりゃ傷心にもなるわね、旦那ったら。なんせあのお二人の仲のいいことったら……」
女房とトマスは、彼の後ろ姿を氣の毒げに見つめた。

「ちょっといって慰めてくるか……」
トマスは彼の方へと足を向けた。

* * *


(全部聞こえているんだが……)
背を向けたままのレオポルドは、片眉を持ち上げた。

(余は、失恋の痛手のためにここに来ているのではない……こともないか……)
彼は、苦笑した。忙しい政務の間のわずかな自由時間に、忍びでこの村へ来ることは時折あった。王太子時代に親しくなった村人たちとの交流を通して、臣下たちのフィルターを通さずに市井の状況を知るいい機会でもあったから。とはいえ、近年は高級娼館《青き鱗粉》から派遣されてくる娼婦たちと、私室で楽しい時間を持つことの方が多くなっていたのだ。

 だが、今日、侍従が「どうなさいますか」と訊いてきた時に、娼婦たちを呼べと言い出しかねた。一つには、先日からフルーヴルーウー伯爵夫人ラウラが、宮廷奥総取締ハイデルベル男爵夫人の副官として出仕していて、彼が娼婦たちを呼びつけると彼女にわかってしまうからだった。それはいいとしても、彼自身が娼婦たちと楽しく騒ぐ氣分にどうしてもなれないのだった。

 彼は国王としては若いが、未だに独身でいていいというほど若いわけではない。亡き父王フェルディナンド三世は十八歳で結婚した。今のレオポルドよりも十歳以上若い。それでも世継ぎが彼以外できなかったのであるから、誰も彼もが早く結婚してお世継ぎをと騒ぐのは道理であった。

 彼の結婚がここまで決まらなかったのには理由があった。彼の王太子時代には、父王と現在王太后であるマリア=イザベラ王妃は、レオポルドにふさわしい后について意見が一致したことがなかった。そして、薦められた姫君たちを悉く氣にいらなかったレオポルドは、反対する両親のどちらかを利用して上手に破談にしてきたのだ

 父王が流行病で急逝し、思いがけず即位することとなった後は、レオポルド本人もつべこべ言わずに結婚しなくてはならないことを自覚していた。ところが、即位後の五年間は、政務に追われて嫁探しに本腰を入れ時間はなくなった。彼は既に二度も戦争を体験していた。父王が統一したノードランドをめぐってルーヴラン王国に宣戦布告をされ敗戦、後に西ノードランドを奪回すべく再び戦いを交えたのだ。

 この騒ぎと戦後処理の間は、結婚どころではないとレオポルドは一切の縁談を退けた。縁談ごときは臣下で進められると母后は諌めたが、結婚相手に一度も会わずに決める事だけはすまいと思っている若き王は決して首を縦に振らなかった。そこまで彼が后選びに頑になっている理由は、政略だけで結婚した両親をよく見ていたからであり、さらに自分の息のかかったカンタリア王国ゆかりの王女のみを薦めようとする母親のカンタリア氣質に辟易していたからである。ありていにいえば、母親みたいな女だけはごめんだと思っていたのであった。

 今日も、政務もなく居室で自由にしていると、「母上様がこちらにご機嫌伺いにいらっしゃりたいとのことです」とハイデルベル夫人から連絡を受けたので、逃げだしてきたのだった。

 他にすることもないので、彼は政治のことをゆっくり考えることにした。明日大臣たちとの会議があり、実質ノードランドを支配管理しているヴァリエラ公爵と今後の交易権について話さなくてはならない。公爵は先日の謀略を行ったルーヴランに対する制裁の意味を込めて関税を高くすることを望んでいる。関税引上げ派と据置き派、双方の言い分に理はある。相手に非がある今こそこちらに有利に変更すべきだという公爵のいい分はもっともだ。もちろん現在ルーヴランは大人しいが、一方であまり厳しくすると不満がたまり後々再び宣戦布告を突きつけられる可能性もある。

「さて、どうすべきか」

 その時、《シルヴァ》から、白い仔犬のような姿の動物が出てきた。彼は、目を疑った。十五年前と全く変わっていない同じ姿だった。あの時もこの村に来る途中だった。

* * *


 それは、トマスを知った翌日のことだった。馬で遠乗りに来ていたレオポルドは、《シルヴァ》で苦くまずい木の実を集めていたガリガリに痩せたトマスと偶然知り合った。王宮で何不自由ない暮らしをしていた彼は、旱魃と飢饉が王国を襲っていることに氣がついていなかった。だが、本来なら食べることもないようなものまで食糧にしなくてはならない村人たちの窮状にショックを受けた。

 彼は、王宮から山積みになっていた菓子をごっそり持ち出すと、《シルヴァ》を再び通り、トマスの住む村を目指していた。途中まで来た時に、草むらから白い仔犬のような動物が顔を出しているのに氣がついて馬を停めた。そんなところに仔犬がいるのはおかしかったし、それに逃げもせずにじっとこちらを見ている様相も妙だった。

「なんだ。親とはぐれたのか? それともお前も餓えているのか?」
レオポルドは、話しかけた。「それ」は、じっと彼を見つめて動かなかった。おかしい。どう考えても仔犬の動きではない。じっと眺めると、犬ではないことに氣がついた。狼だ。だが、純白の狼など彼は見た事がなかった。この森の中、これほど目立つ仔狼が、熊や鷲にも教われずに一匹で悠然と歩いているなど、ありえない。

 レオポルドは、馬から下りて狼に近寄った。試しに菓子のひとつを取り出した。その菓子はいい香りのする焼き菓子で、彼は袋に詰める時にも食べたい誘惑と戦わなくてはならなかった。だが、トマスたちに一つでも多くあげたい思いやっとのことで堪えたのだ。その菓子を手にして、彼は狼の鼻先に近づけた。

 狼は菓子の先端を咥えてそっと折った。残りはとっておけ、そういっているようだった。動物が遠慮するのを始めてみたレオポルドは、これがただの仔狼ではないことを確信した。白い狼は、背を向けて草むらへと歩き去った。彼は馬に再びまたがり、先を進もうとした。すると、また狼がやってきて、黙って彼を見つめ、それから背を向けて草むらへと向かう。同じことがさらに二度繰り返された。

 レオポルドは、狼が「ついて来い」と言っているのだと理解した。彼が草むらに分け入り、その後ろを歩くと、狼は振り返らずにけれども彼が見失わないようなスピードでゆっくりと歩いた。それは草むらにいるだけで、彼の行こうとしている道とまったく平行だった。彼は首を傾げた。

 だが、次の瞬間、鋭い鳴き声がして、彼は本来歩いていたはずの道に何かがいるのを知った。それは、大きな鹿で誰かの仕掛けた罠にかかって倒れていた。そこをまるで待っていたかのように餓えて凶暴になった熊が襲いかかっているところだった。レオポルドはぞっとした。もし彼があの道を急いでいたら、彼の馬が罠にかかり、熊に襲われていたかもしれないのだ。

 彼が呆然として小さい狼を見ると、わずかに笑ったような口元をしてから、それは踵を返して草むらの奥に消えていった。彼は、神に感謝して、熊に見つからないように急いで馬を走らせてその場を去った。

 とても小さな経験だったが印象的で、後に白い狼は彼に好意的な存在だと直感的に思わせるきっかけとなった。それは、彼の王としての評価を変えることとなったノードランド奪回の戦いのときだった。

 彼は決戦の前に、ロートバルド平原に進むか、それとも勾配の急なノーラン山塊を通ってルーヴラン軍を急襲するかの決断を迫られた。平原を進めば全面対決となるが、袋小路に追いつめられる危険はなかった。だが先にノーラン山塊から迂回することで、ルーヴランの裏をかき、ドーレ川との間に挟み撃ちにすることが出来る。

 半年前の敗戦の屈辱が、彼を迷わせた。お互いの意見に反対するだけで、建設的な戦法を進言できない先王の重臣たちを戦略会議から外し、自ら陣頭指揮を執ると宣言した手前、失敗は許されないという思いもあった。できるだけ少ない損失で早い勝利を手にするためにはノーラン山塊のルートをとりたい。だが、もし相手がそれを先読みして待ち構えていたら……。

 王都ヴェルドンを発つ時に、人生の師であり今やよき相談相手となった老賢者ディミトリオスが言った餞の言葉が甦る。
「王よ、決断なされませ。あなた様はこの国を率いなくてはならぬのです。年若いなどという言い訳は許されませぬ。ただ、決断なされませ。そして全てを背負うのです。それが王たるものの宿命ですぞ」

「へ、陛下!」
見張りからの連絡を受けた紋章伝令官が陣幕へと入ってきた。見ると顔が青ざめて震えている。
「何事だ」
「そ、空に……北の空に……」

 伝令官が口もきけないほど動転しているので、彼は陣幕の外に出て空を見上げた。そして、目を見開いた。どんよりと暗く垂れ込めた灰色の雲の下のもっと低い位置に白い雲が垂れ込めていた。だが、その雲は大きな狼の頭のような形をしていた。全体が狼の形をしていたというわけではない。そもそも、それは大きすぎて、頭に見える部分以外は山の後に隠れていて見えなかった。その鼻に見える部分だけで、山ひとつ分ほどに大きいのだ。

「何でございましょう。あれは……ノーラン山塊の上に……何か恐ろしいことが待っている徴なのでは……」
兵たち、重臣たちも怯えて浮き足立っていた。

 レオポルドは笑った。伝令官も重臣たちも、それに付き添っていたヘルマン大尉たちもあっけにとられる大笑いだった。
「ノーラン山塊へ行くぞ」

「陛下! なんと、今そちらの道を選ばれるのですか?! この徴が何だかわからず、兵士たちは浮き足立っております。もともと危険なノーラン山塊ですし……」

 レオポルドは言った。
「だからだ。あの徴を見て怯えるのは我々だけだと思うのか。ルーヴランのヤツらは、我々がノーラン山塊から来るとは思わなくなるだろう。これは我々の最大のチャンスだ。兵士たちに伝えるのだ。あれは余の守護に神が使わした白狼だとな」

 迷いを振り切った自信のある力強い言葉と態度は、伝令官たちや重臣たちに伝染した。彼らは、熱狂的に兵士たちに命を伝え、彼らは鬨の声をあげてノーラン山塊へと進んだ。そして二日後には、ルーヴランの軍勢を追いつめて決定的な勝利を手にした。

* * *


「デュランの旦那。また考え事でございますか」
トマスの声にはっとして振り向いた。彼はまだ《シルヴァ》をのぞむ草原に立っていた。白い仔狼はまだ森の入口に踞り、じっとこちらを眺めていた。

「旦那、あまり力をお落としにならないでくださいよ。ご自分のお氣持ちを犠牲にしてまで、あのお二人の力になったのを、神様はちゃんと見てなさる。旦那にはきっとあの奥方さまに負けない、いや、上回る素晴らしいお方が必ず待っていらっしゃるんだから。安心してくだせえ」

 レオポルドは、「そうだな」と苦笑した。
「トマス、あれが見えるか?」
「なんでございましょうね。仔犬でしょうか。毛繕いをしていますね」

 レオポルドは、狼が再び現れた理由を考えていた。白狼がかつて二度までも自分を救ってくれた理由についても考えた。おそらく自分の行動の何かが、あの特別な存在に親切で好意的な氣まぐれを起こさせたのだ。

 あの日、レオポルドはトマスたち貧しい者たちを飢えから救いたくて道を走らせていた。彼は、彼の人民たちを苦しみから救いたかった。王になったら、もっと貧しい人民のために尽くしたいと志を抱いた。そうだ、そうに違いない。彼は考えた。

 ルーヴランから金を搾り取れば、わが国の貴族たちは潤っても、かの国の人民たちは疲弊するだろう。ラウラが涙した、ルーヴの都の貧民たちのような存在がもっと増えるに違いない。あの狼はそれを思い出させるために現れたに違いない。

「トマス。余は、答えを得たぞ」
「なんでございますか。またお嫁さんを探されるご決心がついたんで?」

 レオポルドはカラカラと笑った。
「その件ではない。ノードランドの関税の件だ。据え置くようにヴァリエラ公を説得するのだ」

 機嫌良く帰っていくレオポルドを見送りながらトマスは首を傾げた。なんだかさっぱりわからんが、とにかく少しお元氣になられたようでよかった。ところで、あの仔犬は?

 トマスが《シルヴァ》の方を見やると、そこにはもう何もいなかった。

(初出:2016年3月 書き下ろし)

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Category : 小説・森の詩 Cantum Silvae 外伝

Posted by 八少女 夕

【小説】旅の無事を祈って

さてリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念立て続けに発表させていただいていますが、77777Hit記念掌編としては4つ目。リクエストはlimeさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*中世ヨーロッパ
*薬用植物
*一般的な酒類/もしくは嗜好飲料
*乗用家畜(馬・ロバ・象など)
*雨や雪など風流な悪天候
*「森の詩 Cantum Silvae」関係


中世ヨーロッパをモデルにした架空世界のストーリー『森の詩 Cantum Silvae』は、魔法やかっこいい剣士など一般受けする要素が皆無であるにも関わらず、このブログを訪れる方に驚くほど親しんでいただいているシリーズです。他のどの作品にもまして、地味で活躍しない主人公よりもクセのある脇役たちが好かれるので、勝手にその個性の強い脇役たちが動き出して続編がカオスになりつつあります。

今回、limeさんに「森の詩 Cantum Silvae」関連でとのリクエストをいただきましたので、独立したストーリーでありつつ、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」で拾えなかった部分と、続編「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」に繋げる小さいスピンオフを書いてみました。

ここに出てくる兄妹(馬丁マウロと侍女アニー)以外のキャラクターは全て初登場ですので、「知らないぞ」と悩まれる必要はありません。また、マウロとアニーの事情も全部この掌編の中で説明していますので、本編をご存知ない方でも問題なく読めるはずです。

出てくる修道院はトリネア侯国にあるという設定ですので、センヴリ王国(モデルはイタリア)をイメージした舞台設定になっていますが、この修道院長はドイツに実在したヒルデガルド・フォン・ビンゲンという有名な女性をモデルに組立てています。

そして《ケールム・アルバ》という名前で出てくる大きな山脈のモデルはもちろん「アルプス」です(笑)


【参考】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物

森の詩 Cantum Silvae 外伝



森の詩 Cantum Silvae 外伝
旅の無事を祈って


 時おり子供のような天真爛漫さを見せるその娘を、エマニュエル・ギースはいつも氣にしていた。彼は、ヴァレーズの下級貴族の三男で受け継ぐべき領地や財産を持っていなかったが、生来の機敏さと要領の良さでルーヴランの王城に勤めるようになってからめきめきと頭角を現し、バギュ・グリ候にもっとも信頼される紋章伝令長官アンブローズ子爵の副官の地位を得ていた。

 同郷のその娘は、とある最高級女官の侍女だった。森林管理官の姪で両親を早くに失ったので兄と二人叔母を頼り、その縁で王城に勤めていた。健康で快活なその娘のことを好ましく思い、彼はいつもからかっていた。

「なんだ。そんなにたくさんの菓子を抱えて。食べ過ぎると服がちぎれるぞ」
「これは私が食べるのではありません。里帰りのお土産です」

「おや、そうか。楽しみすぎて戻ってくるのを忘れるなよ」
「まあ、なんて失礼な。私は子供じゃないんですから! ギース様だって侯爵様の名代としてペイ・ノードへいらっしゃるんでしょう。あなた様こそ遊びすぎて戻ってくるのを忘れないようになさいませ」

 彼女のぷくっと膨らんだ頬は柔らかそうだった。触れてみたい衝動を抑えながら、彼はもう少し近くに寄って、こぼれ落ちそうになっている菓子を彼女が抱えている籠の中に戻してやった。

「一刻、家に戻るそなたと違って、私は雪と氷に閉ざされた危険な土地ヘ行くのだぞ。長い旅の無事を祈るくらいの心映えはないのか?」

 娘は不思議そうに彼を見上げて言った。
「ギース様ったら、あなた様の槍はあちこちの高貴な奥方さまから贈られたスダリウム(注・ハンカチのような布)でぎっしりじゃないんですか?」

「まさか。私はそんなに浮ついてはいないよ」
「まあ。槍が空っぽなんて、かわいそうに」

 彼女は楽しそうに言うと、籠を彼に持たせると懐から白いスダリウムを取り出して彼の胸元に無造作に突っ込んだ。
「これでもないよりはマシでしょう? あなた様の旅の安全を!」

 屈託のない笑顔を見せてくれたその娘が、捨て石にされてその主人であった女官とともに異国に送り込まれたのを聞いたのは、彼がペイ・ノードから戻ってきた後だった。

* * *


 マウロは北側にそびえる白い山脈を見上げた。白く雪を抱いたそれは、グランドロンやルーヴランといった王国と、センヴリやカンタリア王国のような南の地域を分ける大きな山脈だ。あまりに高く、壮大で、神々しいために、人びとは「天国への白い階段(Scala alba ad caelum)」転じて《ケールム・アルバ》と呼んでいた。

 彼は国王の使者であるアンブローズ子爵に連れられて、センヴリ王国に属するトリネア侯国の聖キアーラ女子修道院に来ていた。そこではルーヴラン王族出身の福者マリアンナの列聖審査が進んでいる。ルーヴラン国王はそれを有利に進めたかった。それで教皇庁から審査に派遣されているマツァリーノ枢機卿へ芦毛の名馬ニクサルバを贈ることにしたのだ。馬丁であるマウロはその旅に同行することを命じられた。

 ただの馬丁でありながら、マウロは自分が非常に危うい立場にあることを自覚していて、できれば一刻も早くこの勤めから解放されたかった。

 ルーヴラン王国は、永らくグランドロン王国から領地を奪回するチャンスを狙っていた。だが国力に差があり普通に戦を交えても勝てないことは火をみるより明らかだった。それでルーヴラン世襲王女との婚姻を隠れ蓑にグランドロン王国に奇襲をかけようとした。そのために偽の王女が送られたが、その奸計はグランドロンに見破られた。
 
 マウロは親友ジャックと共に、偽王女にされた《学友》ラウラと恋仲であった教師マックスの逃亡を手伝った。死んだ振りをしていたマックスを地下に運んだジャックは身の危険を感じて早くに姿をくらましたが、マウロは侍女である妹アニーの身を案じて城に留まった。

 ラウラ付きの侍女としてグランドロン王国に行ったアニーは一度は戻ってきたものの、バギュ・グリ侯爵に伴われて再びグランドロンへ行った。そして、それきり戻ってくることはなかった。

「勝手にいなくなった。おそらく死んだのだろう」
侯爵はそれ以上の説明をしてくれなかった。

 心酔していたラウラの仇を討とうとしたアニーがグランドロン王の暗殺に成功すればいいと思って自由にさせたに違いないのに、それが失敗すればすぐ自分たちは関係ないと切り捨てる。身勝手で小心者の侯爵をマウロは憎いとすら思った。彼はすぐにも妹を捜しに行きたかったので退職したいと申し出たが、それも許されなかった。

* * *


 ルーヴランやグランドロンのある北側の土地とセンヴリやカンタリアのある南側の土地の間に横たわる長く連なる山脈《ケールム・アルバ》にはすでに深く雪が降り、アセスタ峠を越えることが出来ないので、一行はバギュ・グリ領を通って海からトリネアに入った。

 アンブローズ子爵は船室の奥でギースと話をしていた。
「バギュ・グリ侯は、あの馬丁を殺してくるようにと仰せだ」
「なぜですか」

「侯爵は、グランドロンとの関係を損なわぬために、ラウラ姫をはじめからフルーヴルーウー伯に嫁がせたということにしたいのだ。だからあの偽王女が実はラウラ姫だったことを知っているだけでなく、侯爵がフルーヴルーウー伯やグランドロン王を殺そうとした件も知っているあの兄妹を抹殺したいのだよ。王を狙った妹の方はグランドロンで秘かに始末されたらしいが」

 ギースが下唇を秘かに噛んだが、アンブローズは氣づかなかった。
「とにかく、我々が戻るまでに殺らなくてはならない。だが、他の者たちには、我々が手を下したとわからぬようにせねば。この船の上から突き落としてしまえば簡単じゃないかね」

 ギースは首を振った。
「それはなりません。あの馬の世話はただの召使いにはできません。馬を引き渡すまではお待ちください」

 一行の中で軍馬ニクサルバの世話が出来るのはマウロだけだった。エサや水をやるだけではなく、マッサージをし、蹄鉄や足の状態などのチェックをするには熟練した馬丁である必要があった。アンブローズもそれは認めた。

「だが、あの者は我々を警戒しているだろう。馬がいなくなったら早々に逃げだすんじゃないのか」

 ギースはしばらく考えていたが、やがて言った。
「私におまかせくださいませ。修道院長のマーテル・アニェーゼは、以前からの個人的な知り合いなのです。独自修道会を目指すあの方はルーヴラン王国の支援が喉から手が出るほど欲しいはず。私から上手く事を運ぶように手紙を書きましょう」

 トリネア港につく少し前に、ギースは巨大な軍馬の世話をしているマウロの所へ行った。
「まもなく大役も終わりだな」
「ギース様」

「マウロ。アニーのことは、本当に氣の毒だった」
その言葉を聞くと、馬丁は青ざめて下を向いた。

「グランドロン王の暗殺を企てたのなら、許されるはずはありません。そうわかっていても、ラウラ様のご無念を思うと、何事もなかったように暮らすことは出来なかったのでしょう。止めることも、代わってやることもできなくて、本当にかわいそうなことをしました」

 ギースは、マックスとラウラが生きて、しかもフルーヴルーウー伯爵夫妻の地位におさまっていることを口にはしなかった。今ここでそんな事を言ったら、無為に妹を失い、自らも命の危険に晒されているこの馬丁が怒りと絶望でどんな無茶を始めるかわからない。彼は黙って自分のすべきことを進めることにした。

「マウロ。お前は危険が迫っていることを知っているな」
「ギース様……」

「お前にチャンスをやろう。いいか。あの修道院で馬を渡す時に、具合が悪いと修道女に申し出よ。我々の誰もがいない所に案内されたら、この手紙を院長にお渡しするのだ。お前を助けて逃すように書いておいた」
「ギース様、なぜ? そんなことをしたらあなた様のお立場が……」

 彼は、黙って懐から白い布を取り出した。そのスダリウムをマウロはよく知っていた。刺繍の不得意なアニーが彼にもくれたスダリウムにも、言われなければそうとは到底わからぬ葡萄とパセリの文様がついていた。妹がエマニュエル・ギースを慕っていたような氣配はまったくなかったので彼はとても驚いたが、少なくとも彼がそのスダリウムを肌身離さず持っている意味は明確だった。マウロは心から感謝して、その手紙を受け取った。

* * *


 アンブローズ子爵の一行は、華麗な馬具を身につけたニクサルバを連れて修道院へ入った。大人の身丈の倍近くもあるその軍馬は、さまざまな戦いで名を馳せ、諸侯の垂涎の的だった。その堂々とした佇まいは、馬には目のない枢機卿をはじめとした人びとの賞賛を浴びた。

 長い退屈な引き渡しの儀式の後、修道院の食堂で枢機卿と子爵の一行、そして修道院長マーテル・アニェーゼが午餐を始めた。マウロは、ギースに言われた通りに具合が悪いと若い尼僧に申し出た。

 粗相をされると困ると思ったのか、尼僧はすぐにマウロを案内し、中庭に面した静かな部屋に案内した。
「横になられますか。ただいまお水をお持ちします」

 マウロはあわてて声を顰めて言った。
「あの、具合の方は問題ないのです。実は、伝令副官のギース様から、他の同行者に知られぬように院長にお渡しすべき手紙を預かっているのです」

 それを聞くと尼僧は驚いたが「わかりました」と言って出て行った。

 大きな扉が閉められ、嘘のように静かになった。中庭にある泉ではチョロチョロと水音が響いていた。冷え冷えとしていた。マウロはこれからどうなるのだろうと不安になった。逃げだしたことがわかれば子爵はすぐに追っ手をよこすだろう。そうすれば殺すことももっと簡単になる。貴族でもなければ、裕福な後ろ盾もない者の命は、軍馬のたてがみほどの価値もない。

 そうでなくても、土地勘も友人もないトリネアでどこに逃げればいいというのだろう。追っ手を恐れながらどんな仕事をして生きていけばいいというのだろう。道から外れた多くの貧しい者たちのように、じきに消え失せてしまうのだろうか。

 妹と同じように、この世からいなくなってもすぐに忘れられるのだろう。彼はアニーにもらったスダリウムを取り出して眺めてから目の所へ持っていった。

「何をメソメソしているんだ」
張りのある声がして、振り返ると戸口の所に華奢な少年が立っていた。ここにいるからには修道院つきの召使いなのだろうが、ずいぶん態度が大きい。

男装のエレオノーラ
このイラストの著作権はうたかたまほろさんにあります。無断転用は固くお断りします。

「なんでもない。君は誰だ。院長はいらしてくださらないのか」
「私はジューリオだ。院長は頃合いを見て抜け出してくるだろう。あの枢機卿は酒が入るとしつこいんだ。上手くあしらわないと列聖審査にも関わるし、大変なんだぞ」

「そうか。君は、ここで働いているのか。使用人にしては、ルーヴラン語、うまいな」
「トリネアの言葉はセンヴリの言葉よりもルーヴランの言葉に近いんだ。これは普段話している言葉さ。それに、私はここで働いているわけではない」

「じゃあ、なぜここにいるんだ? ここは女子修道院だろう?」
「マーテルお許しがあってここには自由に出入りできるのさ。それよりもお前こそ何しにきたんだ」

「マーテル・アニェーゼに手紙を渡すためだ」
「どの手紙だ、見せてみろ」
「そんなのダメだよ。それに君は読み書きが出来るのか」

 ジューリオと名乗った少年は口を尖らせた。
「失礼な。詩を作ったりするのは得意じゃないが、手紙を読むくらいなんでもないぞ。どのみちマーテルに言えば、私に見せてくれるに決まっているんだぞ。いいから見せてみろ」

 そう言われたので、マウロは懐から手紙を出して彼に渡した。マーテルがどんな反応をするのかわからなかったし、もしかしたらこの少年が逃げる時になんらかの手助けをしてくれるかもしれないと思ったのだ。ジューリオは笑って受け取ると丁寧に手紙を開いた。だが、手紙を読んでいるうちに眉をひそめて真剣な顔になった。マウロは不安な面持ちでそれを見つめた。

「なんて書いてあるんだ? 僕のことを書いてあると思うんだけれど」
ジューリオは、ちらっと彼を見ると頷いた。
「命を狙われているから逃がしてやりたいと書いてある」

 マウロはホッとした。少なくともギースは彼を騙したのではなかったのだ。

 その時、衣擦れの音がして二人の尼僧が入ってきた。一人は先ほどの若い尼僧で、もう一人が枢機卿の隣にいた修道院長だった。彼女はジューリオを見ると驚き、深くお辞儀をした。
「まあ、いらしていたのですか! ごきげんよう、エレオノーラさま。この方のお知り合いなのですか」
「いや。珍しい馬がいると聞いたのでやってきて、たまたまここで知り合ったのさ」

 マウロはぎょっとしてジューリオを見た。
「君は女性だったのか? それに……」

「この方はあなた様がどなたかご存じないのですか、エレオノーラさま」
「私は誰かれ構わず正体を明かすほど無防備ではないのだ」
「しかし、姫さま」

「そのことはどうでもいい。それよりもこの者が持ってきたこの手紙を見てくれ。この手紙を書いたギースという者はマーテル、あなたの友達か?」
「はい。古い知り合いでございます。以前ヴァレーズで流行病にかかった修道女たちを助け、薪の配達を停止した森林管理官に掛け合ってくださったことがございます。立派なお方です」
「そうか。この馬丁はルーヴで少々知りすぎたようで命を狙われている」

 そういうとジューリオことエレオノーラは手紙を院長に渡した。院長は厳しい顔で読んでいたが困ったようにマウロとエレオノーラの顔を見た。
「この方を亡き者にしたように振る舞いながら、フルーヴルーウー伯爵領へと逃してほしいと。神に仕えるこの私に演技とは言えそんなことを」

 エレオノーラは笑った。
「おもしろいではないか。あなたなら上手く切りぬけると期待されているのだ。マウロ、そもそも何を知ってしまったのか話してみろ。我々は口が堅いし、事情によっては、この私ひとりでもお前を助けるぞ」

 マウロは、ルーヴランで起こったことを院長とエレオノーラに話した。罪のない恋人たちと妹に起こった悲しい話に、修道女たちは同情の声を漏らした。妹が下手な刺繍をほどこしたスダリウムを見せながら、ギースが自らの危険を省みずに自分を救ってくれようとしていることも語った。院長はそのスダリウムを手にとった。

「これは珍しい意匠ですが、私どもとも縁の深いデザインです。あの薬酒を持っておいで」
院長は、若い尼僧に言った。やがて尼僧は小振りな壺と盃を三つ盆に載せて戻ってきた。院長は香りのするワインを注ぐとマウロとエレオノーラに渡した。

「これは特別なお酒なのですか?」
マウロが訊くと院長は微笑んだ。
「この修道院の庭で採れた葡萄で作った白ワインにお酢と蜂蜜、そしてパセリが入っています」

「なんだ。珍しくも何ともないではないか」
エレオノーラが不思議そうに覗き込む。院長は笑った。

「珍しいものではございません。けれども、そこにこの修道会の意味と神のご意志があると思っています。滅多に手に入らぬ珍しい植物で作った薬はとても高価で、王侯貴族や裕福な者しか使うことが出来ません。けれど貧しい者たちも健康な体を作ることで病に負けずに生き抜くことが出来るのです。どこでも手に入るものだけで出来たこの飲み物は強壮にいいのですよ。高価な薬を一度だけ使うよりも、日々体を丈夫にすることの方が効果があります。さあ、乾杯しましょう。あなたの妹さんが心を込めて刺繍をしたのと同じように、あなたの長生きを願って」
そう言って乾杯した。マウロはアニーを思って目頭が熱くなった。それから、この院長のもとに彼を逃してくれたギースに感謝して。

「マウロさん。時に私たちは試練の大きさに心砕かれ、父なる神に見捨てられたと感じるかもしれません。けれど、自暴自棄にならず、起こったことの意味を考えてください。あなたたちを利用し見捨てた方々をお恨みに思うお心はよくわかります。けれども、どうか憎しみの連鎖でお命を無駄になさらないでください。妹さんは、お仕えしていた方のために命を投げ出されましたが、同時にあなたとギースさまの幸運と安全を願われました。憎しみが妹さんのその想いよりも尊いはずはございません。ギースさまがあなた様のことをこの私に頼まれたのは、そうお伝えになりたかったからだと思います」

「しかし、なぜフルーヴルーウー伯爵領なのだろう? 腕のいい馬丁ならば、私の所に来てもいいのだが」
エレオノーラが言うと、院長はじろりと彼女を見てから言った。

男姫ヴィラーゴ ジュリアに憧れてらっしゃるあなた様が馬丁を連れて帰るなんて悪い冗談です。お父様がどんなに心配なさることか」
「ははは、そうだった。出奔したジュリア姫の夫になったのは馬丁だったな」

「マウロさん。ギースさまがフルーヴルーウー伯領ヘ行けとお書きになった理由は、私にはわかりませんが、何かご深慮がおありになるのでしょう。つい先日見つかったばかりの伯爵は、岩塩鉱で働く人びとの安全を慮って三人一組で働くようにと決まりを変えられたそうです。おそらく神の意に適うお心を持った方なのでしょう。私が腕のいい馬丁が働き口を求めているという推薦状を書きますので、それを持ってフルーヴルーウー伯爵の元をお訪ねになってみてはいかがですか」

 マウロは院長の言葉に深く頭を下げた。
「はい。ありがとうございます。フルーヴルーウー伯爵領にいれば、ルーヴランでの知り合いに会うことはないでしょうから、ギースさまにもご迷惑はかからないと思います。院長さまのご助力に心から感謝します」

「珍しくもない白ワインやパセリが、私たちの役に立つように、一介の馬丁であってもその天命を全うすることは出来ます。それに、エレオノーラさま。女の役目を全うしつつも活躍をすることは出来るのですよ。私たちはそれぞれに与えられた役割を受け入れることによって、真の力を発揮することが出来るのです」

 この手の説教には飽き飽きしているらしいエレオノーラは、手をヒラヒラさせると言った。
「わかった、わかった。では、私はじゃじゃ馬としての天命を全うすることにしよう。ここで出会ったのも神の思し召しだろう。この者がこの国を無事に出て、フルーヴルーウーへ辿りつけるように、私が手配しよう」

 それを聞いて院長はニッコリと笑った。

 彼女は枢機卿やアンブローズ子爵の元に戻ると、倒れた馬丁は性質の悪い流行病なのでしばらく修道院で預かると告げた。 

 マウロは、姫君エレオノーラの遊興行列に紛れてトリネアの街を出て、雪のちらつく峠を越えてフルーヴルーウー領へと向かった。

 数日後にルーヴランに帰る前に馬丁の様子を知りたいとやってきたアンブローズ子爵に対して、院長は「もうここにはいません」と答えた。ぎょっとしてどこにいると訊く子爵に、彼女は黙って上の方を指差し十字を切った。

 修道院長が十字を切るということは、決して嘘ではないことを知る子爵は、心の中で笑いながらも悲しそうな顔を作り、礼を言って暇乞いをすると一行に帰国を命じた。

 雪はゆっくりと里へと降りてくる。冬の間、トリネアやフルーヴルーウーと、バギュ・グリ領やルーヴランの間には、冬将軍が厳しい境界を作る。一刻でも早く帰らねばならなかった。

 子爵の横にいたギースには院長が指差した先は本物の天国ではなく雪を抱く《ケールム・アルバ》、かの伯爵領との国境であるフルーヴルーウー峠を指していることがわかっていた。

 マウロは、フルーヴルーウー伯爵となったマックス、妹が命よりも大切にしていた伯爵夫人ラウラと再会するだろう。兄がその二人の元で大切に扱われることこそ、アニーが心から望むことに違いない。

 彼は白いスダリウムの入っている左の胸に右手を当てた。

(初出:2016年8月 書き下ろし)

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全くの蛇足で、本編をお読みになった方はご存知のことですが、マウロの妹アニーも命を救われて、ラウラの侍女としてフルーヴルーウー伯爵に仕えています。つまり、マウロは遠からず死んだと思っていた妹とも再会することになります。この話の続きは、現在執筆中の「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」にご期待ください。(全然書いていないけれど)
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