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【小説】その色鮮やかなひと口を

Posted by 八少女 夕

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


「scriviamo!」の第十四弾です。


ココうささんは、素晴らしい揮毫とともに、優しくも暖かい詩を書いてくださいました。ありがとうございます! 見事な筆跡は、どうぞ、ココうささんのサイトでご覧ください。


ココうささんの書いてくださった詩と揮毫『あなたいろ』

『あなたいろ』

ツンとした空気が

ふんわりした風に変わる頃

つぼみが膨らんで

誰かを待っているように

足踏みしていた気持ちが目をさます


ゆっくりとあなた色に染まる季節




ココうささんは女性らしさに溢れた優しい詩をお書きになっています。青春の眩しい輝きをぎゅっと閉じ込め、その周りをパステルカラーのシンプルなリボンで包んだような、そんな響きです。でも実は、酸いも甘いも経験して、人生の辛苦にもきちんと向き合ってきた方で、だからこそ、その優しい言葉がただの甘いメルヘンにはなっていないのです。

お返しは掌編小説にさせていただきました。どんな「あなた色」にしようかなと頭をしぼりました。絵画を題材にしたのはもう書いた事があるし、生け花などは私の知識があやしすぎる。ウウム困った。で、こうなりました。


「scriviamo!」について
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その色鮮やかなひと口を Inspired from 『あなたいろ』
——Special thanks to KOKOUSA-SAN


 ルドヴィコは妙なガイジンだった。肩幅が広く、服の上からでも筋肉が盛り上がっているのがわかる。小柄な怜子には雲をつく巨人のようにも見えるが、実際には180センチメートルを少し越えたぐらいだろう。けれど、昔ながらの日本家屋の戸口は低く、油断すると頭をぶつけていた。

 彼は流暢な日本語を話す。怜子が「らぬき言葉」などを遣うと、ちっちっと人差し指を立てて不満を表明した。その指がまた特徴的だった。頑丈そうなガタイに似合わず、長くて細い、いかにも繊細そうな手先なのだ。そして、性格もまた、かなり変わっている。日本が大好きなのはいいとしよう。もともとはアニメのポケモンから入ったらしいが、どういうわけかその熱が高じて日本に移住し、和菓子職人として修行をする事になったのだ。

 多少寂れたこの街の自慢は、一にお城の跡地で、二に湖で採れるしじみ、そして三つ目に来るのが和菓子だった。そして、この街には人口に比例して、どう考えても多すぎる和菓子屋が乱立していて、怜子が半年前からアルバイトをしている「石倉六角堂」はその一つだった。しかも、全国に名が知られるような有名老舗でもなければ、斬新な試みで名を馳せる先鋭店でもなかった。どういうなりゆきで、わざわざヨーロッパから移住してきて、こんな店で修行する事になったのか、怜子はいつも疑問に思っていた。

「怜ちゃん、来てすぐで悪いんだけど、急ぎの注文、包装してほしいの」
店に入るなり、社長の妻である石倉夫人が頼んだ。
「は~い。品はどこですか?」
「いま、ルドちゃんが作ってる」

 怜子は眼を丸くした。そんなに急ぎなんだ。奥に箱やプラスチックの容器を持って入っていくと、ルドヴィコが真剣な顔をして整形していた。

「うわ。綺麗」
怜子は思わず口にした。それを聞いて、ルドヴィコは怜子の方を見てにやりと笑った。
「こんにちは。怜子さん。綺麗ですか」

 怜子は力強く頷いた。若草色のきんとんにピンクや紫や黄色い花が咲いている。透明にふるふると光っている錦玉は青空のようなブルーだが、食欲を失わない微妙な淡い色合いに押さえられていて、わずかに白い雲のように見えるのは中に隠れている求肥だろう。金粉が輝いているつやつやの栗かのこ。誰がイタリア人が作ったなんて信じるだろうか。でも、イタリア人と言われれば納得の部分もある。どこが違うのかと訊かれても困るのだが、微妙に怜子の馴染んだ和の色合いではないのだ。

 怜子は小さな宝石を扱うように、一つひとつをプラスチックのケースに収めていく。そして、四つずつ箱に入れようとした時、ルドヴィコがまた人差し指を立てて抗議した。
「違います。これが左上。となりはこれ。それから、こう並べてください」

 ルドヴィコが収めた箱を見て、怜子は感心した。一つひとつも綺麗だと思っていたけれど、四つ並んだその形と色合いは、本当に一服の絵を見るようだった。なんて不思議な色のマジックだろう。並べてどうなるかまで計算して作っているなんて。

「急ぎの仕事なのに、ここまで考えて作ったの?」
びっくりする怜子に、ルドヴィコは片目を閉じた。
「もちろんです。どんな時でも全力投球ですから」

 怜子は次々と菓子を箱に収めていった。引き出物かしら。それにしてはどうしてこんなにギリギリに大量注文するんだろう。ルドヴィコがいなかったらどうするつもりだったのかしら。佐藤さんは今日は休みで、義家さんは午前中に仕込みを済ませて、社長と一緒に京都の研修会に行ったはずよね。

「あ、怜子さんの分も作りました。あとで食べて感想をお願いします」
「えっ。だから私はダイエット中だってば」
ルドヴィコは青い瞳に悲しみに満ちた光をたたえて怜子を見た。

「う。わかったわよ。でも、四分の一サイズしか食べないから」
「そう言うと思って、小さく作りました」
そういって、作業台の片隅を示した。確かに一口サイズになっている。けれど、それが八種類もあるのだ。

 ルドヴィコになつかれるのは悪くない。和菓子も好きな方だ。でも、毎回どうして私にだけこんなに食べさせるのよ。これだから、ダイエットが全然進まないのよね。

 彼は、昔ながらの古い民家に住んでいる。小さな庭では鹿威しがカーンと音を立てている。家に戻ると、和服に着替えて、文机に向かい、ジャパニーズ・ライフについて墨書きでつらつらとしたためているらしい。墨書きでイタリア語って、難しそう。怜子は思った。その家にはプラスチック製のものが何もない。そんなものは美しくないというのがその理由だった。

 ルドヴィコは美しさというものに異様に執着していた。100円のボールペンなど絶対に使わない。家では墨書きで、外出先では金の蒔絵のついた万年筆を愛用するのだ。美意識にかなう炊飯器が見つからなかったという理由で、鍋でご飯を炊いていた。そして、時代物の蓄音機でざらざら雑音の入る復古版のレコードを聴きながら、庭の四季を眺めるのだ。怜子は、ごく普通の日本人なので、こんなに時代遅れの生活をする人間がいるなんてと、ひどく驚いたものだ。もう慣れたが。

 店では怜子はルドヴィコの彼女だとみなされていた。よく散歩や街歩きに誘われるし、彼の明治時代のような自宅にも招待されて何度も食事をご馳走になっていたので、そう思われるのは無理もないが、実際にはそのような特別な関係は何もないのだった。私、そんなに魅力ないかな。怜子は思ったが、さほど残念でもなかったので、完全にただの友人としての付き合いを続けている。それに、彼の作った和菓子の試食係である。

「怜ちゃん、どうもありがとう。おかげで納品に間に合ったわ」
ルドヴィコが先方に注文品を届けに行ったのを見送ってから、夫人が奥に入ってきた。怜子は、ルドヴィコの作った試食用の練りきりを頬張っているところだったので、あわてて飲み込み、それが喉につかえて咳き込んだ。

「まあ。そんな所で立って。お茶を淹れてあげるから、ちゃんと座って試食しなさい」
石倉夫人は言った。

「す、すみません。勤務中ですし……」
「いいのよ。試食も仕事のうち。それに怜ちゃんの意見がモチベーションになってルドちゃんがどんどんいいものを作ってくれるんですもの」

 怜子はこのあたりで誤解を解いておいた方がいいと思った。
「あの、私とルドヴィコはそういう関係ではなくて、彼も友だち以上には思っていないと……」

 石倉夫人は眼を丸くした。
「あら嫌だ。怜ちゃんったら、この間のルドちゃんの告白をきいていなかったの?」
「は?」
「ほら、うちの人が、『ガイジンにとっての日本の一番の魅力って何だ』って、訊いたじゃない」

 怜子は首を傾げた。その話題は憶えている。新年会の席で酔っぱらった社長の石倉がルドヴィコに質問したのだ。彼はまったく酔った様子もなく、盃をきちんと置いて答えていたっけ。
「それは人によって違いますよ。伝統の文化や自然とのかかわり方に惚れ込む人もいますし、武道などの形式美に夢中になる人もいます。若い世代にはアニメやマンガやビジュアル系バンドも大人氣ですよ」

 石倉は、そのルドヴィコの肩をぽんぽんと叩いて言った。
「で、ルド、お前はどうなんだ。日本に来て、和の暮らしをして八年。現在はどう思う?」

 その時、みんなが注目している中、ルドヴィコは澄まして答えたのだ。どういうわけか怜子の方を見て。
「日本の美については、僕は小泉八雲のと同意見です」
そして、その時、周りは「おお~」と笑いながら盛り上がったが、怜子には全く訳がわからなかった。

「確か、小泉八雲がどうのこうのと……」
そういう怜子を見て、石倉夫人は呆れた顔をした。
「まあ、知らなかったのね。訊けばいいのに」
そういって、小泉八雲、すなわち、ラフカディオ・ハーンの著作について説明してくれた。

日本の最上の美的産物は、象牙細工でもなく、青銅製品でもなく、陶器でもなく、日本刀でもなく、驚くべき金属製品や漆器でもなくて、日本の婦人である。現世界にこのような型の女性は、今後何十万年経るといえども再び現れないであろう

小泉八雲著 「封建制の完成」


 怜子はのけぞった。
「そんな回りくどいことを言われても、わかりませんよ。それに、それは告白っていうか、ただの一般論では。本当にルドヴィコが私の事を好きなら、イタリア人っぽく『Ti amo(愛してる)』とか言って、ガンガン押すだろうし……」

 石倉夫人は、ちらりと怜子を見て言った。
「ほんとうに、鈍い人ねぇ。ま、いいわ。ルドちゃんがそういうあなたを好むんだから」
そういって、お客さんが来たので、お店に行ってしまった。

 あ~あ、どうしよう。ルドヴィコが帰って来たら、意識して顔が赤くなっちゃうよ。怜子は二杯目のお茶を飲みながら、宝石のように美しい錦玉を手に取った。ううん。さっきまで青空の色だったのに、ルドヴィコの瞳の色になっちゃっているよ。困るなあ。甘すぎないふるふるで優しい寒天、中の求肥に包まれた淡い黄色のこし餡のわずかなゆずの香りが絶妙だ。ああ、美味しいなあ。こんな事を続けていたら、どうやってもダイエットには成功しないだろうなあ。

(初出:2013年3月 書き下ろし)

.02 2013 小説・ その色鮮やかな、ひと口を trackback0

【小説】その色鮮やかな、ひと口を -2 - ~ Featuring「海に落ちる雨」

Posted by 八少女 夕

ブログのお友だちの大海彩洋さんがですね。なんと「大道芸人たち Artistas callejeros」を作品に登場させてくださったのですよ。【幻の猫】という作品の一部になんですが、これがまた素晴らしいパフォーマンスぶりで、原作者の私がびっくりするやら、嬉しいやら。よかったらぜひご一読くださいませ。この回には、Artistas callejeros以外にも素敵な方々の作品が登場します。詳しくは、読んでのお楽しみにしておきましょう。

彩洋さんの作品(の一部) 【幻の猫】(6) 世界で一番美しい広場

さて、そういうわけで、ご紹介だけで記事を終わらせてもよかったのですが、せっかくの雨の土曜日、前から書きたかったこの作品を書いちゃう事にしました。彩洋さんの小説「海に落ちる雨」から、小道具として使われていた雑誌を一つお借りしています。そう、雑誌の表紙に映っている魅惑的な男性こそ彩洋さんの小説の主人公のお一人です。そして、私の方は「scriviamo!」の時に登場させたあの二人が頼まれもしないのに再登板です。前の話は読まなくても通じると思いますが、一応リンク貼っておきます。

【小説】その色鮮やかなひと口を


その色鮮やかな、ひと口を -2-
~ Featuring「海に落ちる雨」


 六月の風は爽やかだった。梅雨入りしたばかりだが晴れたその朝は、樹々の若葉がことさら瑞々しく煌めき、昨夜の雨で水打ちしたかのように湿るアスファルトが涼しげだった。怜子は「石倉六角堂」に向かう道すがら、ソフトクリームを買うか少し悩んでやめた。今朝はルドヴィコが仕込みをしているはずだから、何かを試食させられる可能性が高かったからだ。

 怜子は大学生だ。学費の足し、というよりは仕送りだと少し足りないお小遣いを稼ぐために和菓子屋「石倉六角堂」で週に三度ほどアルバイトをしている。土曜日に朝から入る事は少なかったが、今日は石倉夫人に所用があって販売員が足りないので入る事にしたのだった。

 石橋のかかった堀の先で、いつもの書店の角を曲がる時、ふと店頭に山積みにされた雑誌が目に入った。「PREDENTIAL」というタイトルが踊っていた。経済誌に関する怜子の興味は皆無と言ってよかった。でも、その雑誌には惹き付けられた。思わず首を傾げながらひとり言をいった。映画雑誌かと思った。その雑誌には金髪碧眼の麗しい外国人が微笑んでこちらを向いていたのだ。同じ外国人でも、ずいぶん違うなあ……。

 彼女が比較して思い浮かべたルドヴィコは日本に憧れて移住し、どういうわけかこの地方都市で和菓子職人になった。彼と怜子の関係は友達以上恋人以下だった。つまり、二人で展覧会に行ったり、彼の家で食事をご馳走になったりするけれど、特に「彼女になってほしい」と告白された事もなければ、そうなりたいと切望しているわけでもない、そんな関係だ。社内旅行での彼の発言が怜子への愛の告白だったというのが「石倉六角堂」での共通見解だったし、それを知って以来、怜子がちょっと意識しているのは間違いないが、あいかわらず進展もなく、そのまま「仲のいい試食係」のポジションに甘んじている。そこはかなり心地がよかった。彼女は雑誌の事は頭から追い出すと、そのまま角を曲がった。

「おはようございます」
怜子は店に入るとすぐに自分のエプロンと三角巾を身につけて、対面ケースの方に向かった。ケースの前にはすでに小夜子と千絵が立っていてキャーキャー言っていた。ふと目にすると、彼女たちが見ているのは先ほどの雑誌の外国人だった。経済誌「プレデンシャル」とこの二人は、怜子以上に意外な組み合わせだったから、彼女たちがこの雑誌を購入した目的は、あきらかにその外国人だろう。横からちらりと見ただけだが、並んでいる写真はどれもプロの映画俳優かモデルのように決まっていた。なぜ経済誌にこの人がと怜子が首を傾げていると千絵が笑った。

「この人ね、イタリア人なのに、日本名も持っているんだって。ねえ、本当にかっこいいでしょ? でも、芸能人じゃなくて経済人なのよ~。大金持ちみたいよ。しかもレストランとギャラリーの経営しているだけじゃなくて、美術の修復師なんだって! 天は二物を与えずっていうけれど三だの四だの五物ならありなのね~」
そういって怜子の顔の前に表紙を持ってきた。表紙には目立つフォントで書いてあった。 
——銀座の有名ギャラリーおよびレストランのオーナー、稀代の修復師『大和竹流(36) 』

 その時、奥の作業場からひょいと巨大な男が顔を出した。
「あ、怜子さん、おはようございます。試食用の練りきり、怜子さんの意見を取り入れて作り直しました」

 流暢な日本語を使うこの大男もまたイタリアからやってきた。雑誌で魅力的な笑みを魅せるイタリア人と違って、このルドヴィコを映画に使うとしたらかなりの脇役になるだろう。表紙に載せても雑誌の売り上げを飛躍的に伸ばしたりはすまい。やけに大柄で、金髪に水色のきれいな瞳をしている。確かに目は日本人よりも奥にくぼんでいるし、鼻も高いが、だからといって美男かと訊かれると微妙な線だ。もちろん醜くはないけれど、眉のバランスか、もしくは顔のパーツのついている位置というのか、とくに黄金比率ではないようだ。個性的な顔立ちと言っておくのが一番無難かもしれない。でも、怜子はそれを惜しいと思った事はなかった。所詮彼はアイドルではないのだから。

 怜子は、ちょっとだけ顔をルドヴィコに向けて「おはよう」と言った。ルドヴィコが手にした練りきりを見てほんの少し眉をひそめた。だから、白あんじゃなくて、黒ごま餡の方が美味しいってアドバイスしたのに。そしたら、色がどうのこうのと言って反論してきた。で、結局白あんでつくったわけね。色が同じだもの。むかつく。
「後で食べるわ」
そして、それから再び雑誌のインタビュー記事に戻った。

 千絵と小夜子はクスクス笑って言った。
「今はダメよ。怜ちゃん、ちょうど記事を読みはじめたところだもの」
ルドヴィコが少し失望した様子で奥に引っ込むのを片目でちらりと追ったが、白あんに腹が立っていたのでそのままにした。こっちの外国人の話を読んじゃうもんね。

 二人の言ったことは大げさではなかった。ちゃんと書いてある。へえ~。この人も日本語ペラペラなんだ。和食もプロなみに上手くて、しかも恋人があちこちにいっぱいいるとはねぇ。こんな人がこの世の中にいるのねぇ。その雑誌の記事を読み終える前に、客が続けてやってきたので怜子はあわてて接客に集中した。

 その日はとても忙しくて、客が途切れる事はなかった。大きなお茶会がお城で開催され、小夜子は途中からルドヴィコも含めた職人らが作る製品を包装するように言われて奥に引っ込む事となった。それで怜子と千絵は表での販売にてんてこ舞いになった。

 ろくにお昼ごはんを食べる時間も得られずに立ちっぱなしで働いたので、夕方にはぐったりしてさっさと帰宅の路についた。怜子がルドヴィコに頼まれていた試食をすっかり忘れた事を思い出したのは翌日の午後に出勤したときだった。

「怜ちゃん、ちょっと」
出勤するなり石倉夫人が小さく手招きした。
「はい、なんでしょう」

 怜子は奥の作業場に入って、石倉夫人が示す台の上を見てはっとした。その台の上には、昨日の忙しさの中ですっかり忘れていたあの雑誌と、横にきっちりと並べられた小さな練りきりが四種類載っていた。怜子がダイエットに差し支えるので四分の一サイズでないと食べないというので、わざわざ小さくした怜子限定試食品だった。その一つに昨日彼女は眉をひそめたのだった。そうだ、その後は例の雑誌を読んでいた時にお客さんが来て忙しくなってしまって……。

「ルドヴィコは?」
少し後ろめたくなって訊いた。石倉夫人はため息をついた。
「今日は休んでいるわ。昨日ね、私が帰ってきたらここで一人で餡を練っていたのよ。なんか様子がおかしいと思ったら、熱でフラフラしていたわ。誰も氣もつかないで帰ってしまったのね。他の職人は帰ってしまって、仕込みをする人がいないからと無理して残っていたらしいけれど。だから、すぐに帰って寝ろって言ったの」

 具合が悪かったなんて、ひと言もいわなかった。でも、言うチャンスもなかったのかも。私は一度も奥に入らなかったし。ああ、もし私があの時に試食していたら……。

「これ、食べてあげなさいね。もう、固くなっていると思うけれど、治って出てきた時にこのままだったら、ちょっとかわいそうでしょう?」
石倉夫人は言った。怜子は、真っ赤になって下を向いた。

 夫人は雑誌の表紙を軽く叩いた。
「あななたち若い女の子の氣持ちもわかるわよ。こういう素敵な人に憧れ、キャーキャー騒ぐのもまったく他意のない事でしょう。ルドちゃんもそんなことに目くじらを立てるほど子供じゃないと思うけれど。でもねぇ」
夫人は少し遠い目をした。
「ルドちゃんだって、異国で頑張って生きているのよ。具合が悪くても歯を食いしばって働いている時に、誰にも氣づいてもらえないのはねぇ」

 怜子はそれ以上聴いていられなかった。
「ええと、あの……今日、すごく忙しいんでしょうか」
石倉夫人はにっこりと笑った。
「店の事ならいいわよ。行ってきなさい」

 三角巾とエプロンをもどかしげに畳むと、急いで出ていこうとしてから怜子は慌てて引き返し、台の上に起きっぱなしになっている四つの練りきりをバックにつっこんで走って出て行った。

 ルドヴィコが借りている家は、「石倉六角堂」から見るとお城の裏手にあり、堀沿いに歩いて15分ほどのところにある。怜子がルドヴィコに夕食をご馳走になる時には二人でゆっくりライトアップされた城郭やお堀の水に映る月を眺めながら歩いた。その道を怜子は小走りで急いだ。

 明治時代に建てられた民家なので、玄関は引き戸だ。鍵が閉まっているかと思ってちょっと引いたら簡単に開いた。寝ているはずなのに、不用心だなあ。
「ルドヴィコ? 入るね」

「ああ、怜子さん、どうしたんですか?」
奥から弱々しい声が聞こえたので、怜子は靴を脱ぎ捨てるようにして上がった。
「どうしたって、熱があるって聞いたから。大丈夫?」

 奥の畳の部屋、いつも怜子がご飯を食べさせてもらう、庭の見える部屋でルドヴィコは横になっていた。汗をかいて赤い顔をしているが、例によってちゃんと浴衣を着ていた。Tシャツやパジャマで寝たりしないんだ。こだわるなあ。

「すみません、お店は大丈夫でしたか」
彼は少し起き上がって心配そうに訊いた。
「うん。ちゃんと義家さんが来てくれていた。奥さまが店の事は氣にしないでゆっくり休んでいいって」
それをきくと、ルドヴィコはほうっと息をついてまた枕に頭をもどし、それから瞼を閉じた。
「ダメですね。皆さんに迷惑をかけて」

 怜子は言った。
「具合の悪いときくらい、甘えていいんだよ。ルドヴィコはいつも頑張っているじゃない」
「……」

 ルドヴィコは何も言わなかった。怜子の言葉に納得した様子も全くなかった。
「あ。ルドヴィコ、何か食べたの? あたし、おかゆでも作ろうか?」

「……怜子さん、料理できるんですか?」
ルドヴィコの疑問はもっともだった。以前、ご馳走になった時に手伝おうと思って申し出て、キャベツの千切りを頼まれた事があった。そのできばえと時間のかかりように呆れたルドヴィコが残りをやってくれて、あまりの違いに落ち込んだ事を思い出した。
「おかゆくらいなら……。あ、冷ご飯から作るのでよければ……」

 ずっと苦しそうだった彼も、その時は少し笑顔になった。そして冷蔵庫の中にご飯があると言った。

 慣れない台所でなんとか鍋や必要なものを見つけると、いんちきお粥を作った。待っている間にふと思い出して、鞄を開けると練りきりが見えた。すこし固くなっていたけれど、怜子はそっとそれを口に入れた。
「あ」

 彼女は、台所から顔を出して、寝ているルドヴィコを眺めた。汗をかいてふうふう言っているけれど、来たときよりも不安の色が減っているように見えた。そうだよね、弱っている時に一人って不安だよね。ここは家族も一人もいない異国なんだよね。でもルドヴィコはこんなに頑張っている。その存在が当たり前すぎて、その事を忘れていたんだ、私。

 こみ上げる何かをこらえて、彼の好きな一人用の土鍋にお粥を移すと、こぼさないようにゆっくりと彼の布団の側に持っていった。
「ルドヴィコ。起きられる?」

 赤い顔をして起き上がった彼に羽織をかけてやると、感謝してレンゲでお粥をすくっている姿を眺めながら、怜子は小さい声で言った。
「ごめんね」
「何がですか?」

「練りきり。昨日すぐに食べないで」
「いいんですよ。昨日はみんな、とても忙しかったし」

「そうじゃないの。昨日、私勝手にまた白あんだと思っていやな顔したでしょ。ルドヴィコ、変えてくれていたのに」
「固くなった、あれを食べたんですか?」
ルドヴィコは言った。怜子は下を向いて涙を拭った。

 それは胡麻餡だった。でも、色彩が醜くならないように、白ごまを色がでないようにそっと炒って作った白い胡麻餡だった。黒ごまよりも上品で優しい味がした。怜子が胡麻味が好きだと騒いだから、工夫を重ねて作ってくれたのだ。

「怜子さん、泣かないでください」
「だって……」

「いいんですよ。あんなに素敵で何でも出来る、しかもヴォルテラ家の御曹司の記事があったら、誰だって夢中になりますよ」
「ヴォル……?」
ぽかんとしている怜子を見て、ルドヴィコはいいんです、と言って首を振った。

 怜子は大きな声で言った。
「ねえ、ルドヴィコはそのヴォルなんとかの、なんとかオーナーとは違うよ。全然違うよ」
「わかってます」
空色の瞳が哀しそうに畳に落ちた。

「そういう意味で違うって言っているんじゃないの。ルドヴィコは雑誌の中にはいない。東京や京都みたいな遠いところにいるわけでもない。そのなんとかって人は、同居人のためにすごい和食を作っているらしいけれど、私のために胡麻餡入り練りきりを作ってくれるのはルドヴィコ一人だけだもの。本当だよ」

 ルドヴィコが怜子を見た。青い瞳は熱のために潤んでいた。怜子はドキッとした。昨日、あんなに素敵な男性のグラビアを見ても、こんなにときめいたりはしなかったなと思った。今度こそ、この人といい雰囲氣になれるといいなと思いつつ、怜子は優しく訊いてみた。
「大丈夫? ルドヴィコ、何かしてほしいことある?」

 すると彼は少しほっとしたように答えた。
「ええ、お粥にちょっと塩を入れてくれませんか」
怜子は、味を付けるのをすっかり忘れていた事を思い出して、慌てて台所に塩をとりに走っていった。
 
(初出:2013年6月 書き下ろし)
.01 2013 小説・ その色鮮やかな、ひと口を trackback0

【小説】その色鮮やかなひと口を -3 - 

Posted by 八少女 夕

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第十四弾です。

ココうささんは、二句の春らしい俳句で参加してくださいました。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

その先の波は平らか梅の花   あさこ

春秋も恋もいとほし紅枝垂   あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、ブログをはじめた初期のころから仲良くしてくださった方で、素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっておられ、大変お世話になった方です。現在はブログをお持ちではありません。優しくて、温かいお人柄、さらに、日本酒もお好きという私が「お友だちになりたい!」ポイントをたくさんお持ちの方で、ブログ閉鎖なさった時にはとても残念でした。

どうなさっていらっしゃるかなと思っていた所、お祝いのお言葉と一緒に素敵な俳句で参加してくださいました。お元氣で活躍なさっていらしたこと、俳句を続けられていて日々精進なさっていらっしゃることなどを伺い懐かしさと同時に「私も頑張ろう!」とパワーをいただきました。懐かしい方とこういう形で再会できるのはとても嬉しいものです。

さて、どういう形でお返ししようかなと考えました。最終的に、一回目の「scriviamo!」で、詩で参加してくださった時に創り出したキャラクターたちを使って、この俳句からイメージされた世界を掌編にするのが一番かなと思いました。そういうわけで、和菓子職人ルドヴィコとアルバイトの怜子が再登場です。ココうささん、素敵な世界が台無しになってしまったらごめんなさい。でも、精一杯の敬意を込めて。

そして、この二人の住む「和菓子屋がとても多くお城のある街」とだけ開示されている名前のない街、帰国する度に何故か通っている松江がモデルです。というわけで、出てくる湖とは宍道湖ですね。しだれ桜のある尊照山千手院も松江に実在しています。私も見たいなあ。


特に読まなくても通じると思いますが、同シリーズへのリンクをつけておきます。
その色鮮やかなひと口を
その色鮮やかなひと口を -2 - ~ Featuring「海に落ちる雨」


「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



【小説】その色鮮やかなひと口を -3 - 
Inspired from 2 Haikus by Asako-San
——Special thanks to Kokousa san


 曇りや雪の合間に、暖かい晴天の日が少しずつ増えてくると、怜子は間もなく春が来るのだなと感じる。堀の周りをゆっくりと歩いて見上げると、天守閣の雪が消えかけている。お茶会に使う急ぎの商品を届けた帰り、こんなに心地のいい土曜日に、バイトに入るのはもったいなかったなと思った。

 でも、明日は休み。晴れそうだから、久しぶりに街を散策してみたいと思った。ルドヴィコは、つき合ってくれるだろうか。「石倉六角堂」の自動ドアと暖簾をくぐり「ただいま」と元氣よく口にすると、石倉夫人が微笑んで「お帰りなさい」と言ってくれた。

 怜子が、この店でアルバイトをはじめてそろそろ三年になる。こんなに長く働くことになるとは思わなかったけれど、それだけ居心地がいいということなのだろう。少しだけ氣になる人もいる。仲のいい友達と、恋人のちょうど真ん中くらいの関係。背が高くて青空のような瞳をした、少し変わったイタリア人だ。ルドヴィコは、この店の和菓子職人で、こし餡を練らせたら右に出るものはいない。日本人には考えつかない不思議なセンスで創りだされる、色鮮やかな和菓子は評判がよく、お茶会用に指名で注文が入ることも増えてきた。届けた時に中を見せて、そのイタリア人らしい鮮やかなデザインの練りきりに、客が喜びの声を上げるのを聴いて、怜子は自分のことのように嬉しく思った。

 エプロンと三角巾をして、対面ケースに立った。求肥の生菓子「若草」が出来上がったというので裏に入ると、ルドヴィコが盆を渡してくれた。

「あ、お客さんね、練りきりに感心していたよ。次もまたお願いしますって、おっしゃっていたよ」
怜子が言うと、とても誇らしそうに笑った。怜子はふと思い出して
「あ、あのね、ルドヴィコ、明日、何か用事ある?」
と訊いた。ルドヴィコが答えようとすると、暖簾の向こうから石倉夫人が声を掛けてきた。
「ルドちゃん、あなたにお客様よ」

 ルドヴィコは、誰だろうという顔をして、表に出た。続いて怜子も対面ケースを開けて、若草の盆を納めた。店の入口には、水色とヴァイオレットと白のストライプのシャツブラウスを綺麗に着こなした髪の長い女性が立っていた。そして、よどみないイタリア語でルドヴィコに話しかけた。

 ルドヴィコも、驚いたようにイタリア語で答えた。この時になって初めて氣がついたのだが、あまりに彼の日本語が達者だったので、怜子は彼がイタリア語を母国語として話すということをすっかり忘れていた。彼は、対面ケースの向こう側に行って、親しげに話しかけたかと思うと、その女性の両方の頬にキスをした。怜子は、それを見て固まってしまった。

 二人は、自動ドアから外へ出てしまい、怜子が唇を噛んで下を向き、石倉夫人がどうしようかしらと目を宙に泳がせた。けれども、ルドヴィコは数秒でまた中に入ってきた。その時は、女性だけでなく、一人の男性、外国人の青年をも連れてきた。そして、嬉しそうに抱きあった。
「ロメオ!」

 それから石倉夫人と怜子の方を向くと、日本語に戻って、二人を紹介した。
「紹介します。ミラノから来た僕の親友、ロメオです。そして、こちらはその恋人で照明デザイナーのジュリエッタ……、それ、本名なんですか?」
と、女性に訊いた。ジュリエッタと紹介された日本人女性は笑って頭を振った。
「もちろん違います。神谷珠理と申します」
「でも、イタリアの友人の間では、ロメオとジュリエッタで通っている二人です。日本に来ているなんて、僕も知らなかったんですよ。ジュリエッタ、こちらはお世話になっている石倉の奥さん、そして、怜子さんです」

 それから、ルドヴィコはイタリア語でロメオに、石倉夫人と怜子のことを紹介した。怜子のことを説明する時にはどうやら名前だけを紹介したのではなさそうだったが、怜子にはどういう意味だったかはわからなかった。ただ、ロメオも珠理も、満面の笑顔で怜子を見た。

 それから、十分ほど三人はイタリア語で話していた。主にルドヴィコと珠理が話し、ロメオはほとんど口を挟まなかった。それから、ロメオが手を振り、珠理が丁寧に頭を下げて店を出て行った。
「もう帰っちゃうの?」
怜子が訊くと、ルドヴィコは片目をつぶった。
「仕事が終わったら、待ち合わせて旧交を温めるんですよ。今日は、パスタとトマトを買って帰らないと」

 明治時代に建てられた民家に住み、日本人よりもずっと和式の暮らしをしているルドヴィコの口からパスタなんて言葉が出るとは夢にも思わなかった。イタリア語で話すルドヴィコは、突然知らない外国人になってしまったように感じた。二人のイタリア人とよどみなくイタリア語を話す珠理は、同じ日本人と言っても、まるで違う存在のように見えた。ミラノ在住の照明デザイナー、流暢なイタリア語、スタイリッシュで颯爽とした佇まいは素敵だった。

 怜子は何も言わずに、下を向いて、ショーウィンドーの曇りを磨いた。イタリア語どころか英語すらもまともに喋れない、役立たずのアルバイトなのだと感じた。

「怜子さん?」
横を見ると、まだルドヴィコがそこに立っていた。
「何?」
「さっき、明日のことを訊きませんでしたか?」

 怜子は、困ったように言った。
「ううん、暖かくなってきたし、用事がなかったら千手院にでも行かないって訊こうかと思ったけれど、お友だちが来たもの、用事あるよね。氣にしないで」

 ルドヴィコは水色の瞳を輝かせて微笑んだ。
「もし怜子さんが嫌でなかったら、あの二人もつれて一緒に行きませんか。少しこの街を案内したいんです、つき合ってくれませんか」

「行ってもいいの?」
「僕は、怜子さんにも来てほしいんです」
怜子はすこし浮上して頷いた。

* * *


 真言宗の尊照山千手院は、お城の北東にある。広い境内に本堂、護摩堂、僧房、鐘楼などが揃い、広い庭は緑豊かな憩いの地として親しまれている。怜子は、この寺の四季の移り変わりを眺めるのが好きだ。特に、天然記念物に指定されているしだれ桜、枝華桜の咲く時期には毎年必ず訪れていた。アルバイトを始めてルドヴィコと知り合ってからは、二人で夜桜を鑑賞するのが恒例となっている。

「咲いたら綺麗でしょうね。早く来すぎちゃったのね」
珠理がため息をつく。ミラノから、東京へ行くのも大変だが、さらにここまで来るのも遠い。花は氣まぐれで、予定通りに咲いてくれることはない。「いつかは」が叶わぬことも多い。「今宵、観に行きましょうか」とくり出せる場所に住んでいることは、どれほど幸運なことなのかと怜子は思う。

 境内にある休憩所、誠心亭からは街が一望のもとで、お城がとても美しく見える。
「本当によくみえるのね!」
珠理が歓声を上げた。東京育ちの珠理は、この街にははじめて来たのだと語ってくれた。お茶を飲みながら、ルドヴィコとロメオが早口のイタリア語で語り合っているのを横目で見た。ルドヴィコが20くらい話すと、ロメオがひと言答えるような会話に聴こえた。ルドヴィコが、こんなに話すとは思っていなかった怜子は、少し驚いていた。そんな風に思ったことはないけれど、彼もホームシックにかかることもあるのかなと思った。

 珠理は、二人の会話には加わらず、街を眺めながら怜子と話をした。イタリア語の話せない怜子のことを慮ってくれたのだろうと感じた。
「ミラノで、照明デザイナーをしているなんて、すごいですね。憧れます」
怜子がそういうと、珠理は首を振った。
「聞えはいいけれど、私はそんなにすごい人間じゃないの。イタリア語もまだまだだし、仕事でも、人生でも、これまで挫折ばっかりだったのよ」
「それでも、頑張ってイタリアに居続けているんですよね」

 珠理は、しばらく黙っていたが、それから怜子の方を見て言った。
「ロメオがいてくれたから。異国でも、成功していなくても、今日も明日も一緒に頑張ろうと思わせてくれたから」
「そういうものなのかな」
「ルドヴィコも、同じように思うから、ここにいるんじゃないかしら」
そういって怜子に微笑みかけた。

 また中心部へと戻り、城の見学をした後、二人は、ルドヴィコと怜子をレストランへと招待してくれた。全面ガラス張りの窓から陽光を反射する穏やかな湖が見える。植えられた梅の木に花が咲きだしている。

「いつかミラノへ遊びに来てね」
珠理はいい、ルドヴィコの通訳を聴いたロメオも大きく頷いて、何か言った。
「二人で一緒に、って」
珠理が通訳して、微笑んだ。ルドヴィコが間髪をいれずに頷いたので、怜子は赤くなった。

 珠理が、ロメオについて口にした言葉を、怜子は考えていた。こんな風に、はっきりと迷いなく「この人がいてくれるから」とお互いを想うのって素敵だろうな。私とルドヴィコも、いつかそんな風になれるのかな。

 梅の花が、風に揺れている。その向こうに湖の波紋が、揺れて煌めいている。甘酸っぱい想いが胸に広がる。四つの人生の交わったわずかな時間。この二日だけ共にいてまた遠くに離れてしまう親しい友、人生のことを少しだけ垣間見せてくれた素敵な女性、それから、移り変わる四季の一日一日を一緒に見つめている怜子とルドヴィコ。

 ロメオと珠理は、再会を固く約束して去っていった。過ぎ去った電車を二人で見送った後に、ホームに残った二人には、どこか寂しい風が吹いている。

「ルドヴィコ」
「何ですか、怜子さん」
「イタリアが、恋しいんじゃない?」

 ルドヴィコは首を振った。
「ここで、この街で、和菓子を作って生きると決めたのは僕自身ですから」
そうなのかな。珠理さんも日本を離れてミラノで生きるのは、あまりつらくないみたい。やり甲斐のある仕事があって、ロメオもいて……。ふと横を見ると、ルドヴィコが青空のような瞳の輝く目を細めて、怜子を見て微笑んでいた。怜子は、少し赤くなって下を向いた。

「怜子さん」
「なあに、ルドヴィコ?」
「今年も、千手院の枝華桜が咲いたら、一緒に観に行きましょう」

 怜子は、頷いた。イタリア語も、照明デザインもできなくても、一つだけ自分にできることがある。移り行く春秋を、この街でルドヴィコと共に生きること。満開のしだれ桜が咲く、いくつもの春の朝と宵を、二人で歩き続けることを、怜子は願った。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

.26 2015 小説・ その色鮮やかな、ひと口を trackback0

【小説】その色鮮やかなひと口を -4 - 

Posted by 八少女 夕

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第四弾です。

ココうささんは、二句の夏の俳句で参加してくださいました。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

独り占めしたき眼や椎若葉   あさこ

砂山を崩しこつそり手をつなぐ   あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、以前素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっていらっしゃいましたが、現在はブログをお持ちではありません。でも、今でもこのブログを訪ねてくださり、さらに今年もscriviamo!に参加してくださいました。実生活と違って、ブログ上でのお付き合いは連絡先を知らない限り簡単に途切れてしまいますが、こうして絆を持ち続けて行こうと思っていただけること、本当に嬉しいです。

今年のために選んでくださったのは、ココうささんの先生も推す素晴らしい作品で大切になさっている二句です。今回も、もともとココうささんの作品から生まれてきたコンビ、怜子とルドヴィコでお応えします。

今回、はじめて舞台が島根県であることが本文中に明記されています。それに二人の苗字も初のお目見え。二人の関係も少しずつ進んでいます。


特に読まなくても通じると思いますが、同シリーズへのリンクをつけておきます。そろそろカテゴリーにしょうかなあ。
その色鮮やかなひと口を
その色鮮やかなひと口を -2 - ~ Featuring「海に落ちる雨」
その色鮮やかなひと口を -3 -


「scriviamo! 2016」について
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
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その色鮮やかなひと口を -4 - 
Inspired from 2 Haikus by Asako-San
——Special thanks to Kokousa san


 海の向こうに、白い雲が一つだけぽっかりと浮かんでいた。透き通るように深く青い海水。神在祭の前夜には八百万の神々が渡ってくる神秘的な海原も、夏の今はまるで別の世界のようだ。底抜けに明るいビーチ。そして、ほとんど誰もいなかった。

 ルドヴィコは、北イタリアの出身だ。夏になると、家族とアドリア海の方へ海水浴に出かけていた。海は夏にしか見た事がなかったので、冬の日本海を初めて見た時には、その厳しい様相に驚いたらしい。けれど、彼の美意識からすると、騒がしい夏の海水浴場よりも、冷たくて厳しく拒否されたようにも感じる冬の砂浜の方が好ましいらしい。

 怜子は、海水浴場として登録されていないために地元民だけが楽しめるこのビーチを知っていたが、今までルドヴィコにそれを言ったことがなかった。それは、別に後ろめたいことでもないのだけれど、ある思い出が影響しているからだった。

 鳥取との県境に近いこの街に怜子は二年ほど暮らしたことがある。引越魔の異名をとった父親は、島根県内のほぼ全ての市と郡を制覇して、今は山口県との県境に住んでいる。ここに住んだのは怜子が小学校六年生の時だった。

 友達とは早晩お別れをするものだと思っていたので、あまり親しい関係を作ろうとしなかった。だから、この近辺に親しい友達はいない。年賀状のやりとりすらない。憶えている子はひとりだけ。それも断片的な記憶のみ。博くん、今どうしているんだろう。

「怜子さん?」
ルドヴィコの声で我に返った。バスを降りてからひと言も話さなかったから、不思議に思ったのかもしれない。

「何だか久しぶりで変な感じなの。十年くらい来ていなかったから」
赤茶けた屋根の民家は、子供の頃と全く変わらない。ここは、時間の流れがゆったりとしている。降りたバス停は、学校に行く時にいつも使った。隣のバス停から乗ってくる少年はこの地区で唯一の同級生だった。

 その山根博という少年と、学校でどんな話をしたか、バスの中でどんな態度だったのかも、怜子は憶えていなかった。憶えているのは、この砂浜での夏休みの午後。

 怜子は、一人で砂の城を作っていた。城と言っても、台形に煙突に酷似した塔がついた程度の情けない形で、「これはなんだと思う」と問えば、禅問答になるような酷い代物だった。

 もう崩して帰ろうかと思っていた時に、博がやってきたのだ。
「あれ。渡辺、何やっているんだ?」

 怜子は、出来の悪い砂の城を見られて赤くなったが、博は面白がってその改築を申し出てくれたのだ。彼には怜子よりずっと才能があり、しばらくするとシンデレラ城とまではいかないが、誰が見ても城とはっきりわかるようになった。

 上手くできると、楽しくなり、時間の経つのも忘れて二人は城を大きくしていった。途中でトンネルを掘っている時に、砂山の中で二人の手が触れた。怜子は手を引っ込めようとしたけれど、博はさっとその手を握った。夕陽が砂の城を染めはじめていた。

 怜子は、びっくりしてその手を振りほどくと、そのまま逃げていった。
「渡辺!」
博の声は、しばらく耳に残っていた。怜子は二度とこの海辺にいかなかった。そして、その夏休みが終わる前に父親がまた引越すと宣言して、妙にホッとした。

 そのことは、誰にも言わなかった。今にしてみれば、大したことではない。それに、ものすごく嫌だったわけでもないのだ。友達以上、初恋未満、そんな感じ。「ごめんね」も「さようなら」も言えなかった。

「あれ……。もしかして、渡辺じゃないか?」
声に現実に戻って振り向くと、紺のポロシャツを着た半ズボンの青年が、両手にいくつもの魚の干物を持って立っていた。

 えええ。本物に逢ってしまった……。怜子は、紛れもない山根博の登場に動揺した。一方、博の方は、特に氣まずそうな様子は皆無で、明るい笑顔だった。隣のルドヴィコにも「は、ハロー」と明らかに慣れていなさそうな英語を使おうとした。

 ルドヴィコは「こんにちは」と目をつぶっていたら外国人とはわからないようなNHK標準語の発音で返して、怜子に「おともだち?」と訊いた。

「うん。昔の同級生、山根博くん」
そう怜子が紹介すると、ルドヴィコは、さっと右手をだした。
「はじめまして、ルドヴィコ・マセットです。イタリアで生まれましたが、日本に移住して和菓子職人をしています」

「はじめまして。すげーな。日本語、ペラッペラだ」
博は右手を麻の半ズボンできれいにしてから手を差し出した。

「博くん、今もここに住んでいるの?」
「ああ。そこの山根屋って民宿やっている。よかったら寄っていくか。スイカと麦茶、あるぞ」

 山根屋は海辺に面していて、縁側に座ると白い砂浜と海に反射する陽の光が目に眩しかった。蝉の声が波の音にかき消されている。潮風が優しく吹いて心地よかった。

 怜子は、ずっと心に引っかかっていた少年との氣まずい別れが、なんでもなかったことに安心して少し浮かれていた。懐かしそうに中学生の時の話をする二人を、ルドヴィコはほとんど口を挟まずに聴いていた。麦茶のグラスについた水滴が流れ落ちていく。

「あ。前にここでやったスイカの種を飛ばす競争しようか」
「ええ? あれから一度もやっていないもの、もうできないかも」
「そんなわけないだろ、あんなに上手かったんだしさ。あ、ルドヴィコさんも、一緒にどうですか?」

 ルドヴィコ、スイカの種、飛ばせるのかな。だって、いつも飲み込んじゃうし。怜子は、ヨーロッパの人間はスイカの種を出さずに食べてしまうことを、ルドヴィコと知り合ってから知ったのだ。

 案の定、ルドヴィコはスイカの種を飛ばすことはなかった。会話は完璧にわかっているはずなのに、ほとんど話さなくていつもと違ったので、怜子は少し不安になった。
「ルドヴィコ、ここ暑すぎる? 大丈夫?」

 博が「あ」と言って、扇風機を用意しようとしてくれたが、「そうじゃありません。大丈夫です」と言うと、縁側から立ち上がって目の前の広がる海と同じ色の瞳を細めた。

* * *


「怜子さん、すみません」
帰りのバスの中で、ルドヴィコがいきなり謝ったので、怜子は驚いた。

「何のこと?」
「せっかく久しぶりに友達とあったのに。本当はもっとゆっくり話をしたかったんじゃありませんか」
「ううん。そんな心配しないで。それに、私の方こそ、なにかルドヴィコが不快に思うことをしちゃった?」

 彼は首を振った。それから、しばらく黙っていたが、青い瞳をむけてから口を開いた。
「怜子さんじゃ、ありません。僕の方です。僕は、志多備神社に行った時のことを考えていたんです」

 怜子は、首を傾げた。志多備神社に行ったのは、五月の終わりだった。日本一と言われるスダジイがあることで有名な神社だ。

 九本の枝を周囲に張り、幹周り11.4m、樹高18mにもなる巨樹は、樹齢300年以上と言われている。45mにもなる稲藁で作った大蛇が巻き付けてあり、その堂々たる姿は神の一柱がここにもいると納得させる存在感だ。

 本当にたった300年なのか、本当は千年以上の長い時を見つめてきたのではないかと錯覚してしまうような佇まいで、苔むしてねじれた太い枝の一つひとつに、力強い重みと苦悶にも思える表情を深く刻んでいた。

 二人は滴る緑の中で、椎の独特の香りに雨の季節を感じつつ、神聖な存在と黙って対峙していた。

 そこに一人の外国人女性がやってきた。ルドヴィコが漢字も読めるようだとわかると、そばかすの多い顔をほころばせて早口で話しかけた。それからしばらく二人は巨樹について話していた。ついでにその話が別のことにも至ったようだというのは、怜子でもわかったが、そもそも二人が何語で話しているのかすら彼女にはよくわからなかった。

「スペインの女性ですよ。僕はイタリア語で、彼女はスペイン語で話したのですが、それで何となく通じてしまいます。正確に伝えなくてはならないところは、お互いに英語を使いますけれど」

「何を訊かれたの?」
「いろいろですが、最終的には日本人にとっての『神』という存在についてです。彼女をはじめとするたいていの欧米人には巨樹が『神』として崇められるということが、わからないのです。複数の神を同時に崇めるということもね。おそらく、僕も完全に『わかっている』わけではない、たんに文化の違いとして理解しているだけなのかもしれませんね」

 怜子は、胸の奥が痛くなるのを感じた。

 ルドヴィコは、平均的日本人よりもずっと日本の伝統や文化に詳しく、かつそれを尊重している。だから、彼は日本に、ひいては自分にとても近いと思っていたのだ。けれど、彼が「完全にはわからない」と告げた言葉で、怜子は彼が急にあの見ず知らずの金髪女性の方に行ってしまったように感じた。

 自分の努力や意志では決して越えられない壁があると氣づくとき、人はその無力さに傷つく。スダジイの脇から顔を見せた蜻蛉の薄羽色の若葉が風に揺られているのを見ながら、怜子は「その人と話すのをやめて。ここで二人で一緒に樹を見ようよ」と心の中で呟いた。でも、その感情、怜子がつまらない嫉妬だと自嘲した感情は、ルドヴィコには悟られていなかったはずだった。

「あの時の、あの女の人との会話のこと? でも、どうしてルドヴィコが私に謝るの?」

「あの時、怜子さんは悲しそうでした。僕は、なぜ悲しく感じたりするのだろう、怜子さんは僕をよく知っているのにと思ったんです」

 怜子は、また驚いた。私の心の中、ルドヴィコに、全部バレていたんだ。彼は続けた。
「でも、それは、傲った考え方だと、ようやく今日わかったんです。博さんと怜子さんはたった二年一緒にいただけで、その後十年も会っていなかった。それなのに、彼の方がずっと怜子さんのことをよく知っているように感じて、僕はガラスの敷居で区切られたように感じてしまったのです」

 怜子は、ただ彼の言葉を黙って聴いていた。
「怜子さんが、トイレに行った時、博さんが僕に言いました。怜子さんはとても素敵な人で、初恋の人だったって。その怜子さんが僕と幸せそうでとても嬉しいと言っていました」
「……」

「その時に、僕は、博さんという存在に嫉妬していたのではなくて、もっと大きい文化の違いにつまづいていたんだとはっきり認識したのです。そして怜子さんもあのスペイン女性に嫉妬したんじゃなくて、同じことで傷ついていたのだと、そこでようやく思い至ったのです」

 怜子は、彼にそう言われて初めて自分の中にあった悲しい感情の正体が分かった。そうか、そうだったんだ。

「僕は、同じ文化で育ったこなかったことに起因するいつも存在している不安を見落としていました。それをしっかりと見据えることなしに、お互いを尊重する努力をできるはずなんかありませんよね。だから、怜子さんに謝らなくてはいけないと思ったのです」

「謝ることなんかないよ、ルドヴィコ。あなたの言いたいこと、とてもよくわかるし、正しいと思う。でも、私のことを一番わかっているのは、ルドヴィコだよ。たとえ、生まれた場所がどれほど離れていて、お互いにまだ理解できない文化の違いがどれほどたくさんあってもだよ」

 ルドヴィコは、青い瞳の輝く目を細めて微笑んだ。怜子は、小さく続けた。
「だからね、ルドヴィコ……あの、こうしても、いい?」

 そういって彼女は、ルドヴィコの大きな手にそっと触れた。彼は、その手をしっかりと握り返してきた。

 怜子には、はっきりとわかった。友達以上、恋未満だったのは同じでも、博とルドヴィコにはもうはっきりとした違いがあった。怜子は、ルドヴィコと手をつなぎたかったし、離したくないと思った。そして、彼もそう思っていてくれることを心から嬉しく思った。

 バスを降りるまで、二人はずっとそうやって手を握っていた。運転手や数少ない他の乗客からは見えないようにこっそりと、でも、大きな安堵と幸せに包まれた時間だった。


(初出:2016年1月 書き下ろし)

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