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Posted by 八少女 夕

【小説】いつかは寄ってね

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

「十二ヶ月の歌」の九月分です。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。九月は石川さゆりの「ウイスキーがお好きでしょ」を基にした作品です。えっと、私と同世代以上の日本人なら絶対に知っているはずですが、若い方は知らないのかな? いや、ずいぶん後までコマーシャルやっていましたよね。

とはいえ、サビの部分しかご存じない方も多いかと思います。ま、さほど意味のある歌でもなく、コマーシャルの世界にインスパイアされて書いたので、歌詞を追わなくてもいいかと(笑)

お酒のお店がこれで私の小説世界では五件目になってしまいました。(他の四つは『dangerous liaison』、『Bacchus』、『お食事処 たかはし』、マリア=ニエヴェスのタブラオ『el sonido』)本人はそんなに飲ん兵衛じゃないのになあ……。

涼子のイメージは、ずばり石川さゆり。「夜のサーカス」が完結したら、「バッカスからの招待状」をStella連載用にしようと目論んでいるので、その布石のキャラ配置でございます(笑)


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いつかは寄ってね
Inspired from “ウイスキーがお好きでしょ” by 石川さゆり

「いらっしゃい」
涼子は引き戸の方に明るい声をかけた。

「おっ。ハッシー」
カウンターの西城がろれつのまわらぬ口調で叫ぶ。入ってきたばかりの橋本はほんの少し失望したような顔をした。

「こんばんは。涼子ママ。なんだよ、もう西城さんが出来上がっているんじゃないか」
「へへっ。今日は直帰だったんでね。一番乗り」
西城は涼子にでれでれと笑いかけた。

『でおにゅそす』は、東京は神田の目立たない路地にひっそりと立つ飲み屋で、ママと呼ばれている涼子一人で切り盛りをしている。店の広さときたら二坪程度でカウンター席しかない。五年ほど前に開店した時には、誰もが長く続かないだろうと思ったが、意外にも固定客がついている。この世知辛いご時世だから安泰とは言えないが、この業界の中では悪くはない経営状況だった。

 西城や橋本をはじめとする足繁く通う常連は、みな誰よりも涼子と親しくなろうと競い合っていた。そのほぼ八割方は既婚者だし、涼子もにっこり笑って相手をしているが特に誰とも深い仲になることもなかった。

「涼ちゃんだけだよ。どんな話でもニコニコと聴いてくれるのはさ。うちの嫁なんか、そういうグチグチしたことは聴きたくない、あんたは給料だけしっかり運んで来ればいいんだって……」
「うふふ。お子さんのお世話でイライラしていたんでしょうね。奥さま、本当は西城さんのことを大切に思っているわ。でも、吐き出してしまいたいことがあったら、いつでもここに来て言ってくれていいのよ」
涼子が微笑んでそういうと、西城はにやけて熱燗をもう一本注文した。負けてはならぬと、橋本も急いで飲みだす。

「単衣の季節かあ。まだ暑いだろう?」
橋本はおしぼりで汗を拭きながら、涼子の白地に赤やオレンジの楓を散らした小紋にちらりと目をやる。

「そうねぇ。でも、単衣を着られる時期って少ないから、着ないと損したみたいだし」
涼子は小紋の袖をそっと引いて、つきだしを橋本の前に出した。その動きは柔らかくて控えめだ。和服の似合う静かな美人だし、小さいとはいえ店を経営するんだから、誰かの後ろ盾があるに違いないと人は噂したが、この五年間にそれらしき男の影はどこにも見られなかった。

「なあ、ハッシー、知っているか。板前の源さん、入院したんだってさ」
西城が、赤い顔で話しかけた。源さんというのは、やはり『でおにゅそす』でよく会うメンバーの一人で、橋本とも旧知の仲だった。もともとはただの客なのだが、付けを払う代わりにカウンターの中に入り、つまみを用意することが多いので『でおにゅそす』の半従業員のようになっていた。

「え。どこが悪いのかい?」
「胆石ですって。先ほど、勤め先のお店の方がわざわざお見えになってね。しばらく来れないけれど、そういう事情だからって」
「へえ~。そうか。じゃあ、そんなに深刻な病状ではないんだね」
「ええ、不幸中の幸いね」

「でも、ってことは、涼子ママは困っているんじゃないの?」
「くすっ。そうね。源さんが作るほど美味しくないけれど、しばらくは私が作るので我慢してね」
そっと出てきたあさりの酒蒸しは優しいだしの香りがした。

「美味しいよ。でも、ママが困っているなら、何でも言ってくれよな。力になるからさ」
そういう橋本に西城も負けずと叫ぶ。
「俺っちだって、何でもするよ」

 涼子はにっこりと微笑んだ。

 自分で店をはじめていなければわからなかった人情というものがある。かつて一部上場の商社でOLをしていた頃、同僚が病欠をしたりすると「ち。この忙しいのに」という声が聞こえた。休んだ方はどちらにしても使いきれはしない有給休暇を使われてしまうことに納得のいかない顔をしたものだ。実際には涼子たちの仕事は他の誰かが代わりにできることで、それにどうしてもその日のうちに終わらせなくてはならないことでもなかった。仕事を休んでも月末には同じように給料が入ってきた。

 けれど、この店をはじめてから涼子には有休など寝言も同然の言葉になった。一日休めばそれだけ収入が減る。たまたまその日に来てくれたお客さんが二度と来なくなってしまう心配すらあった。自分一人では解決できないことを、義務ではなくて親切心から手を差し出してくれる人たちのことを知った。顔や身長や肩書きや年収ではなくて、氣っ風とハートと実用性こそが涼子を本当に助けてくれるのだった。

 思えば、考えてもいなかった世界に流れてきたと思う。あの商社に勤めていた頃は、この歳まで一人でいる可能性など露ほども考えていなかった。当時つき合っていたのは大手銀行に勤めるエリートで、他の多くの同僚たちのように結婚と同時に退職して家庭に入り、時々主婦同士で昼食会に行ったり買い物をしたりの浮ついた未来が用意されていると信じていた。実際に、彼はそんな未来を涼子に用意しようと考えていたのだ。

「ねえ。涼子ママはこんなにきれいなのに、どうして一人なの?」
橋本がほんのり赤くなりながら訊いてくる。

「おい、ハッシー、野暮なことを訊くなよ。誰かいい人が居るに決まってんじゃん」
西城が口を尖らせる。

 涼子はそっと笑った。
「あのね。昔ね、運命の人に出会ってしまったの。どうしても結ばれることのできない人で、だからあきらめるしかなかったの」

 涼子がそういうと、二人とも肩をすくめた。全く信じていないのがわかった。涼子がそんな風にはぐらかしたのははじめてではなくて、パトロンの存在を匂わせると固定客が減るからだろうと勝手に解釈していた。

 本当のことなのにね。

 姉の紀代子が連れてきた男の職業に、父親は激怒した。母親も眉をひそめて涼子に囁いた。
「何も水商売の男性を選ばなくてもねぇ」
「カタギじゃないの?」
涼子が仕事から帰って来た時には、挨拶に来たその青年はもう帰っていて、どんな職業か興味津々だった。

「バーテンですって」
「へえ」
「挨拶だけして、これから開店だからってさっさと帰っちゃったのよ」
「お姉ちゃんは?」
「彼を手伝うって大手町に行っちゃった」

 涼子は優等生だった姉が、両親の許しが得られないまま彼と暮らしはじめたことに驚いた。そして、「関わるな」と言われたにも拘らず好奇心でいっぱいになって、会社帰りに大手町にあるというそのバーに足を運んだ。

 『Bacchus』は小さいながらも味のあるしゃれたバーで、姉の選んだ男性はそのバーを一人で切り盛りしていた。繁華街から離れたオフィスビルの地下にあり隠れ家のような静かな店で、センスのいいジャズががかかっていた。涼子がぎこちなく店を見回していると微かに笑って「何が飲みたい?」と訊いた。

 子供だと思っているんだ、そう思った涼子はちょっとムッとした。
「ウィスキーください」
飲めもしないのに、どうしようかなあと思っていると、すっとロングドリンクが出てきた。時間と秘密を溶かし込んだような深いウィスキーの味わいはそのままに、夢みがちな少女時代の憧れにも似た軽い炭酸水をそっと加えたウィスキーソーダだった。添えられたミントの葉が妙にピンと立って見えた。背伸びをしている未来の義理の妹への最初の挨拶だった。

 紀代子は後からやってきた。涼子は邪魔をしないようにそっとカウンターの端に座って眺めた。時おりそっと二人で微笑みあっていた。とてもお似合いだった。その晩に涼子は田中佑二のことをすっかり氣にいってしまったのだ。

 両親に認めてもらえなかった分、涼子が味方をしてくれたのが嬉しかったのだろう、二人は涼子をよく『Bacchus』に呼び、三人でいろいろな話をすることが多くなった。カウンターの端からゆっくりと眺めていると、佑二はそっと客たちに話しかけていた。社交辞令や上っ面の挨拶ではなく、一人一人に違った言葉で話しかけていた。哀しく酔っている客もいたし、楽しそうに報告をする客もいた。答えを探し自分の心の奥を探っている男。仕事の失敗を嘆く青年。逢えなくなった孫たちのことを想う老婦人。恋人に去られた娘。それぞれの人生に短い言葉や優しい相槌で答えながら、キラキラと氷が光を反射するグラスをそっと差し出す姿。涼子は姉の男性を見る目に感心した。

 そして、涼子のつき合っていた「大手銀行くん」がクリスマスイヴにシティホテルを予約して、薔薇の花束とカルチェの指輪でプロポーズをしてきた。つい先日発売された雑誌の「クリスマスデート特集」の表紙から数えて3ページ目「ケース1」と、ホテルの選択からプレゼントまで全て一致していた。彼は涼子が知らないと思っていたのかもしれないが。急に醒めていくのがわかった。彼は仕事でどれだけの金額の取引に関わったか、ハネムーンはハワイに行ってできれば最新のロレックスを買いたいというような話題を、涼子の反応もまったく意に介せずに話し続けていた。

 当時はバブルがはじけて間もない頃だった。彼の勤めていた銀行が統合されてなくなってしまうなんて事は誰も考えていなかった。とても浮わついていた時代でもあったのだ。涼子はよく考えてからプレゼントを返し、進もうとしていた道から引き返した。

 でも、涼子にとって悲劇だったのは、「大手銀行くん」以外のプロポーズしてくれる男と出会えなかったことではない。涼子にはわかっていたのだ。一緒に人生を過ごしたい男性は、姉と人生をともにしようとしていることを。
 
 あれからいろいろなことがあった。紀代子と佑二の間に何があったか涼子は知らされていなかった。両親に祝福されない関係、昼と夜の逆転した生活に疲れていたのは知っていた。でも、少なくとも最後にあった時に、姉は恋人のもとを去ろうとしているような氣配は全く見せなかった。ましてや、失踪したまま仲の良かった妹にも居所を知らせないままになるなんてことを予想することはできなかった。佑二が紀代子を心配して必死で探していたことは間違いない。もちろん両親や涼子も。一度だけカリフォルニアからハガキが来た。消印は姉が居なくなってから二週間ほど後で、姉の筆跡でわがままを許してほしい、探さないでほしいということが書かれていた。両親にも佑二にも謝罪の言葉はなかった。

 それから二十年近くが経った。佑二はいまだに大手町の『Bacchus』で同じように働いている。彼の受けた傷と、涼子の両親との間に起った不愉快ないざこざのあと、涼子は『Bacchus』に以前のように行くことができなくなってしまった。

 『でおにゅそす』を開店する時に、涼子は知人一同に挨拶状を送った。よりにもよって水商売をはじめたと激怒した両親はもちろん、商社時代の知人たちからもことごとく無視されたが、開店の日に佑二は見事なフラワーアレンジメントを贈ってくれた。深いワインカラーの薔薇をメインにした秋の饗宴だった。

 『Bacchus』にちなんで『でおにゅそす』と名付けたことも、姉のことがあってもまだ好意を持ち続けていることも、きっと伝わったのだと思った。それでいいわよね、今は。

「涼子ママの好きな人さ。この店に来るのかな」
橋本は、誰が恋人もしくはパトロンなんだろうと、頭を働かせているようだった。

 そりゃあ、来ないでしょうね。私が店を開けている時には、あの人も開店中。でも、いつかはこのカウンターに座ってくれないかな。そうしたら、私が作れるようになったことを教えてあげるから。佑二さんが私のために出してくれたあの絶妙のウィスキーソーダを。

(初出:2013年9月 書き下ろし)

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で、一応動画を貼付けてみました。この曲です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】君の話をきかせてほしい

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月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の野菜」の十二月分です。このシリーズは、野菜(食卓に上る植物)をモチーフに、いろいろな人生を切り取る読み切り短編集です。最終月に選んだテーマは「大根」です。冬の大事な食材。シンプルだけれど存在感のある野菜を最後に持ってきました。その分小説としての料理が大変でした。

去年初登場した『でおにゅそす』の涼子が登場しました。そして、客としてやってきた青年。読んでいくうちにデジャヴを感じるかもしれません。


とくに読む必要はありませんが、『Bacchus』の田中佑二と『でおにゅそす』の涼子を知らない方でお読みになりたい方のためにリンクを貼っておきます。
 「バッカスからの招待状」シリーズ
 「いつかは寄ってね」



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君の話をきかせてほしい

 吐く息が白くなるこの時期は、年の瀬を感じて誰もが早足になる。華やかな街の喧噪にどこが浮き足立った人たちが忘年会やクリスマス会食をはしごする。カウンター席しかない二坪ほどの小さな『でおにゅそす』もこの時期はかきいれ時だ。会食で飲み足りない男たちが、ほろ酔い加減で立ち寄り、涼子の笑顔と数杯の日本酒に満足して家路につく。

 だが、その青年はそうしたほろ酔い加減はみじんも感じさせなかった。引き戸をためらいがちに開けて、小さな看板と手元のメモを見較べながら入ってきたので、誰かからの紹介なのだなと思った。実際、涼子の一度も見たことのない客だった。歳の頃は三十代半ばというところだろうか。

「いらっしゃいませ」
ちょうど多くの客が帰りほとんどの席が空いていたが、その青年の佇まいから彼女は騒ぐ常連たちから離れた入口に近い席を勧めた。青年は軽く会釈をしてトレンチコートを脱いだ。焦げ茶色のアラン編みのセーター。勤めの帰りではないらしい。

「何になさいますか」
おしぼりを手渡しながら涼子は訊いた。青年は戸惑いながら、カウンターに立っている小さなメニューを覗いた。
「では、日本酒を……どれがいいんだろう。詳しくないのでお任せします」

 常連の西城が赤い顔をしてよろめきながら近づいてきた。
「兄ちゃん、見慣れない顔だね。この店を見つけたのはらぁっきぃってやつさ。せっかくだから『仁多米』にしなさい。ありゃ、美味いよ」

 それから涼子に満面の笑顔を見せた。
「じゃあね、涼ちゃん。今日はかかあの誕生日だからさ、帰んなくっちゃいけないけど、また明日来るからさ」

 その後に青年に酒臭い息を吹きかけて言った。
「楽しんでいきなよ。でも、涼ちゃんを誘惑しちゃダメだよ。俺らみんなのアイドルなんだから……」
青年は滅相もないと言いたげに首を振った。

「もう、西城さんったら、失礼だわ。若い方がこんなおばさんに興味持つわけないでしょう」
「涼ちゃんは、歳なんか関係なく綺麗だからさ。今日のクリスマス小紋もイカすよ」
黒地に南天模様の小紋に柊をあしらった名古屋帯を合わせた涼子のセンスをを褒めてから西城は出て行き、店の中には西城の近くに座っていた半従業員のような板前の源蔵と、青年だけになった。

 涼子は少し困ったように笑った。
「ごめんなさいね。西城さん、いい方なんだけれど、ちょっと酔い過ぎているみたい」
「いいえ。とんでもない。あの方のおすすめのお酒をお願いします」
礼儀正しく青年は答えた。

 涼子は小さいワイングラスに常温の日本酒を注いだ。
「このお酒ね。奥出雲にいる知り合いの方が送ってくださったの。こうして飲んでみてって」

 青年は黙って頭を下げると、ワイングラスを持ち上げてそっと香りをかいだ。服装や佇まいには都会の匂いがないが、ワイングラスを傾ける姿は洗練されている。どの畑の人なのだろうといぶかった。そもそも誰がこの店に送り込んだのだろう。

 青年の携帯電話がなった。礼儀正しく「失礼」と言うと青年は電話を受けた。
「あ、うん。そうか。まだ当分かかるんだね。いや、氣にしないでくれ。今、神田にいるんだ。……ああ、終わりそうになったら、電話してくれれば、またさっきの『Bacchus』へ行くから……」

 涼子は目を丸くした。電話を切った青年をまじまじと見た。
「佑二さん、いえ、大手町『Bacchus』の田中さんが、ここを?」

 青年は黙って頷いた。それからコートの内ポケットから、名刺を取り出してしばらく迷いつつ手元で遊ばせていた。それから、ゆっくりと顔を上げると、決心したようにその名刺を涼子に手渡した。

 忘れもしない、佑二の筆跡が目に入った。
「涼ちゃん。身につまされる悩みを抱えたお客さんなんだ。よかったら女性の観点から君の意見を話してあげてくれないか。田中佑二」

 瞬きをしながら言葉を探している涼子に、青年はもう一度頭を下げてから急いで言った。
「すみません。実は先ほど、『Bacchus』でつき合っている女性と飲んでいたんですが、彼女が急遽仕事で呼び出されて。それで一人で田中さんと話しているうちに、人生相談みたいなことをしてしまって。心配した田中さんが、ここへ行って女性の考えを訊いてみろって。本当に相談するつもりで来たわけではないんですが、待ち時間がかなりあってずっとあそこにいたら、忙しい田中さんにも迷惑だろうし、東京には滅多に来ないので、店もほとんど知らなくて……」

 涼子は、ふっと笑った。
「ご飯は食べていらしたんですか?」

 青年ははっとしたように顔を上げた。
「あ、いや、まだ……」

 源蔵がすっと立って、涼子に話を聞いてやれと目配せをした。そして、カウンターに入って、簡単なつまみを用意しだした。涼子は小皿と割り箸を用意し、突き出しの蒟蒻と小松菜のごま油炒めを青年の前に置いてやった。青年は再び頭を下げた。

「それで。どちらからいらしたの?」
「静岡です。新幹線に乗るのも何年ぶりだろう。自分の街からほとんどでたことがなくて。東京がこんなに広くて華やかなのをすっかり忘れていました」
「いらしたのはその女性に逢うため?」

「はい。ずっと昔に東京に引越した女性で、数ヶ月前に再会してから、ほぼ毎週末に来てくれるんですが、たまには自分が逢いに来るべきだと思って」
「平日に?」

「僕も飲食店をやっていて、明日が定休日なんです。クリスマスはかきいれ時なんで、今日明日を逃したら当分は来られません。彼女は僕が来ると知って明日の有休を取ってくれたんですが、どうしても対処しなくてはいけないことができて、明日休むためにまた仕事に戻ることになって……」
涼子にも、青年の暗い顔の原因がこの女性に関することなのだろうと推測できた。でも、佑二さんの「身につまされる悩み」っていうのは何かしら。

 青年はサーモンと白菜の和風ミルフィーユ仕立てをゆっくりと食べると、「仁多米」を味わうように飲み、目を閉じた。それからほうっと息をついた。
「美味しいですね。こういう味、本当に久しぶりだ。ほっとします」

 この青年は疲れているのだと思った。
「お店は、洋食関係なの?」
涼子が訊くと青年は頷いた。
「カフェなんです。うちのあたりには、料理もケーキも、それからコーヒーの淹れ方までもこだわった本格的な店はなくて、かなり自負を持っているんですが、東京だと珍しくもなんともないですね」

「おつき合いなさっている方がそうおっしゃったの?」
「いいえ。彼女は、僕のやっていることを尊重してくれています。だから、仕事が忙しくて疲れていても来てくれるし、僕の方でたくさん時間が取れなくても文句も言わずに手伝ってくれます」

「羨ましいくらいに、お幸せに聞こえるけれど……違うの?」
青年はため息をもらした。
「ええ、そうですね」

 涼子は源蔵と顔を見合わせた。青年はしばらく黙っていたが、グラスの透明な日本酒を揺らすのを止めて顔を上げた。
「東京は華やかですね。この時期に来るのは初めてなんですが、どこもイルミネーションが……」

「ああ、ここ数年、派手なイルミネーションが増えたねぇ。節電のなんとかっていう技術が発達してから、やけに増えたんじゃないか?」
「まあ源さんったら、LEDでしょう。そうね。そう言えば昔はこんなになかったわよね」

「華やかなライトに照らされたショーウィンドウに、高価で洒落た商品がたくさん並んでいて、彼女の着ているスーツも洗練されていて、なんだか自分だけ場違いな田舎者みたいだし、用意してきたプレゼントもつまらない子供騙しに思えてしまって……」
涼子ははっとした。源蔵もなるほどね、という顔をした。

「わかるな。俺もはじめて東京に来た時、氣後れしたしさ。だけどさ、悩むほどのことでもないと思うぜ?」
源蔵の言葉に青年は首を振った。
「そのことで悩んでいるわけじゃないんです」

「じゃあ、何を?」
涼子が訊くと青年は、困った顔をした。
「すみません、こんな湿っぽい話をして」
「氣にするなよ。王様の耳はロバの耳って言うじゃないか。田舎と違って、ここで話したことはどこにも伝わらないし、話せばすっきりするぞ」

 源蔵の言葉に涼子も微笑んで頷いた。青年は観念したように口を開いた。
「ここに、東京に来るまでは、たぶん単純に浮かれていたんでしょうね。新しい関係やぬくもりに。彼女は僕よりずっと若くて、きれいで、それなのに僕を慕ってくれて。夢みたいだと思ったんです。いつもの世界が華やかで明るくなり、心も身体も満足して。このまま関係を進めていけばお互いに幸福になれると」
「違うの?」
涼子は、そっと手を伸ばして空になった小鉢を引っ込めた。源蔵は黙ってゆずの皮を削った。

「僕は一度結婚に失敗しているんです。前の時のことを思いだしました。はじめは朗らかだった妻が、しだいに笑わなくなって……。一緒にいても苛立ちと不満のぶつけあいになっていきました。あの時、僕は彼女の変化の原因が分からなかった。ここにいたくない、大阪に戻りたいという妻の言葉をわがままとしかとらえられなかった。大して儲からない店に固執するのは馬鹿げているとも言われました。確かに楽な暮らしはできないのですが、店に対する熱意は僕の存在意義そのもので、それを否定されてまで一緒にいられなかった」

 涼子はじっと青年を見つめた。涼子の姉である紀代子が、田中佑二のもとを去って姿を消してしまった時、彼女も佑二も理解ができなかった。涼子はできることならば姉の立場になって『Bacchus』に全てを捧げる佑二を支えたかったから。佑二さんの「身につまされる悩み」っていうのはこれね……。

「今つき合っている女性は僕と店のことをよくわかっていて、きっとうまくやって行けるんじゃないかと思っていたんです。でも、この東京で颯爽と働く彼女の姿を見ていたら、これがこの女性の人生と生活なんだと、僕とはまるで違う世界に属している人なんだと感じました。僕が彼女に側にいてほしいと願い、あの小さなつまらない街に閉じこめたら、あの生き生きとした笑顔を奪うことになるのかもしれない。次第に不満だけがたまって、やがて別れた妻と同じように僕のことを嫌いになっていくのかもしれないと」

「私はそのお嬢さんと逢ったことがないからわからないけれど、仕事と東京での暮らしが人生を左右するほど大切だったら、週末ごとにあなたの所に通ったりしないと思うわ」
「でも……」

 涼子はにっこり笑って青年の言葉を制した。
「確かに女ってね、仕事は仕事、愛は愛って分けられないの。全て一緒くたになってしまうのよね。もちろん全ての女性がそうだというつもりはないけれど」
「だとしたら……」

「あなたは男性だから、お仕事に関することは妥協できないんでしょう。お店を閉めてまで、彼女のために東京で暮らそうとは思わない。だから彼女に仕事を諦めてあなたの側に来てほしいと願うことは信じがたい苦痛を強いるように感じるんじゃないかしら。でも、私、きっと彼女はもっと簡単に幸福への道を見つけると思うわ」

 涼子は大根の煮物を黙っている青年の前に置いた。
「ねえ、これを召し上がってご覧なさい。私ね、女って大根の煮物みたいなものだと思うの」

 彼は訝しげに涼子を見たが、箸を取りすっと切れる柔らかい大根を口に入れた。出汁と醤油の沁みたジューシーな大根が舌の上で溶けていった。
「色は完全に染まってしまっているし、細胞の隅々まで出汁に浸かっている。それでも、出汁でもないしお醤油でもない、お大根そのものの味でしょう?」

 青年は目を見開いた。それから、再び箸を動かして大根を口に入れた。涼子は続けた。
「お大根は淡白で、主張が少ないからどんな食材の邪魔もしないけれど、でも、あってもなくてもいいわけじゃないわ。たとえばおでんに入ってないなんて考えられないでしょう。ステーキやピッツァのような強い主張もないし、熱になるカロリーは少ない。その目的には向いていないわね。でも、食物繊維や消化酵素の働きで、消化を助けて胃もたれや胸焼けも解消してくれるとても優秀な野菜よ。どちらがいいというのではなくて役割が違うのね」

 涼子は微笑んで続けた。
「女は本来とても柔軟なの。愛する人間に寄り添えるように、どんな形にでも姿を変えて、道を見つけることができる。でもね、それがあまりに自然なので、時おり男性はそれをその女性の本来の姿だと思ってしまうのね。あたり前なのだと思って意識しなくなってしまうの。そうやって認められなくなると、女のエネルギーは枯渇してしまって、もう合わせられなくなってしまう。男は女が変わったと思い、女はわかってもらえないと悩む。その心のずれを修復できないと、二人はどんどん離れていってしまうんだと思うわ」

 青年はじっと涼子の顔を見た。彼女は安心させるように笑った。
「あなたはそのお嬢さんのことをちゃんと思いやっている。でも、言葉にするのをためらっていると、伝わらないわ。一生懸命やっていればわかるだろうなんて思わずに、あなたの想いを彼女に伝えてご覧なさい。どれだけ大切に思っているか、仕事のことも尊重したいと思っていること、側にいてくれたらいいと願っていることもね。彼女がどうしたいのかもちゃんと言葉にして訊いて、その上で、お互いに譲り合える所、妥協はできない点をすり合わせていけばいいのよ」

 青年は頷きながら大根を噛みしめていた。
「今は二十一世紀だもの、いろいろな関係があっていいと思うの。男性に単身赴任があるように、女性にあってもいいでしょう。毎日出勤しなくてもいい働き方もあるし、別の仕事を見つけることもあるかもしれない。でも、全ての工夫は何があっても関係を保ちたいとお互いが意志を持つことから始まるんじゃないかしら。私はそう思うわ」

 源蔵が笑った。
「涼ちゃん、いいこというねぇ。この人にここへ来いって言った、その『Bacchus』の田中さんとやら、よくわかっているんだねぇ」

 涼子は口を尖らせた。
「とんでもないわ。佑二さんはもう少し女心を研究すべきよ。あの唐変木……」
そう言いながら、用事だけしか書かれていない田中の名刺を大切に懐にしまった。
 
 源蔵は吹き出し、青年もようやく笑顔を見せた。折しも再び携帯電話が鳴り、彼は急いで「仁多米」を飲み干すと、アドバイスに心からの礼をいい、少し多めの代金を置いて立ち上がった。涼子は彼の迷いが晴れたことにほっとしながら訊いた。
「ところであなたのお店はどこにあるの。静岡に行くことがあったらぜひ寄りたいわ」

 青年は嬉しそうに懐からコートから名刺を二枚取り出した。
「名乗るのが遅れてすみません。僕は吉崎護といいます。店は『ウィーンの森』といって、この駅のすぐ側です」

 引き戸から立ち去る護の後ろ姿に、雪が舞いはじめた。少し早いクリスマス氣分。天も恋人たちのロマンスに加勢しているらしい。涼子と源蔵は嬉しそうに笑って、「仁多米」でもう一度乾杯をした。

(初出:2014年11月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】頑張っている人へ

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scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第五弾です。けいさんも、まずはプランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

プランBで、拍手絡みの物語を、うちの「シェアハウス物語」とコラボでお願いしても良いですかね。それを受けて、私も掌編を描く。それのお返事掌編をまたいただく…B→B(A)→A混合サンドイッチ、みたいなの。


この二つ書けとおっしゃるうち、ひとつはちょうどブログトップのFC2拍手を1000カウント目にしてくださった記念掌編です。

けいさんは、私と同じく海外在住ですが、お住まいは地球の反対側、スイスから一番遠いオーストラリアです。だから、お逢いするのは生涯無理だと思っていたのですが、なんとブログのお友だちの中で一番最初にお逢いした方になったんです。オーストラリアは、見知らぬ人にもフレンドリーな人が多い国ですが、その社会に馴染んでいらっしゃるけいさんも例外でなくとてもフレンドリーで暖かいハートをお持ちの方。それだけでなく生涯に何度もないウルトラ長期休暇に長編小説を毎日書いたという、とてつもない努力家でいらっしゃいます。爪の垢を煎じて送っていただきたい~。

今回コラボご希望になった「シェアハウス物語」は昨年発表なさった作品で、大学生宇宙そらくんが暮らすことになったシェアハウスでのハートフルな人間模様です。

拍手がらみの話ということですのでどうしようかなと悩みましたが、「応援の拍手」で書くことにして、まず今回は折り紙アーティストのワンちゃんをメインにお借りしました。けいさん、ありがとうございます!

そして、うちからは、あの店が再登場しています。


「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



頑張っている人へ - Featuring「シェアハウス物語」
——Special thanks to Kei-san


 山から下りてくる道は、双方向とも一車線しかない細い道で、切り立った崖のおかげで実際の日暮れよりも早く暗くなる。

 千沙は、ゆっくりと中央線にあわせてハンドルを切り、ブレーキを踏まずにきれいにカーブした。それからすぐにトンネルが来た。コンクリートの壁、独特のオレンジの電灯、千沙は不意に思い出して少しだけ悲しくなった。

 時夫君。私はトンネルを普通に通れるようになったよ。あなたも頑張れるよね。

 時夫は、千沙の父方の従兄だ。同じ街で育ち、それから大学に入った時に埼玉に引越した。千沙が二年遅れてやはり東京の大学に進んでから四年間、下宿が比較的近かったので時おり逢った。とくに千沙が運転免許を取りたての頃、彼に頼んで高速や山道の運転の特訓をしてもらった。

「おい。そんなにブレーキを踏むなよ」
「だって、怖いんだもん」
「そんなことやると、後から衝突されるよ。もっとスムースに走らせなくちゃダメだ」
「わかっているよ」

 そして、トンネルに入ると千沙は速く走れなかった。
「なんでだよ」
「だって、壁にぶつかりそうなんだもん」

 トンネルの壁が車の左側を擦りそうな感じがしたのだ。そして、中央線の反対側には強い光を放つ対向車が向かってくる。上手くすれ違えるか不安になる。

「ぶつかるかよ。これまで走っていた道と同じ幅じゃないか。まっすぐ道の真ん中を見て、同じスピードで走れ」
「う、うん」

 時夫は、口は悪くても千沙にとっていい教師だった。根氣よく、粘り強く指導してくれた。だから、大学を卒業して就職する頃には、千沙は、上手とまではいかなくとも、少なくとも他人に迷惑をかけない程度には運転できるようになっていた。

* * *


 ようやく帰り着いたが、千沙は、車を駐車したあとにまっすぐにマンションには入らなかった。トンネルを過ぎた一時間ほど前からの、もの悲しい想いを誰もいない自宅には持ちかえりたくなかったのだ。

 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が一人で切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、開店してから五年ほどの間にそこそこの固定客が付き、暖かい家庭的な雰囲氣で満ちている。

「いらっしゃいませ。あら、小林さん。今日は少し遅かったかしら」
涼子は千沙に笑いかけた。

「秩父に出張だったの。この時間は、いっぱいね」
そう言って、カウンターを見回した。いつもの常連である西城や橋本の他に、始めて見る国際色豊かな客たちが四人ほど座っていて、その間の一席だけがかろうじて空いていた。

 その席の隣にいた黒髪の女性がにっこり笑って自分の椅子を動かした。どうぞ座ってくださいという意味だと思ったので、千沙は会釈してその席に向かった。

「ワンちゃん、もっとこっちに来ても大丈夫だよ」
肌の色が浅黒く、目の大きなアジア系の男が、意外に流暢な日本語で言った。ワンちゃんってことはこの人も日本人じゃないのかな、そう思いながら千沙は座った。

「今日はどうしますか?」
涼子が暖かいおしぼりを手渡してくれた。今日の装いは黒地に赤や黄土色の縦縞の入った縮緬の小紋だ。袖に手を添えて出す所作がきれいで、千沙はいつも感心する。こういう大人になるのが理想だけれど、いつになることやら。

「今日は、少し酔いたい氣分だから、最初っから熱燗にしてもいいですか」
千沙が言うと、涼子は目を丸くした。

「そうなの? 銘柄はどうしましょうか」
「う~ん、わからないけれど、飲みやすいのはどれかしら」
「そうねぇ。出羽桜の枯山水はどうかしら。三年醸造でわりとふっくらとした味わいだけれど」
千沙はこくりと頷いて、それを頼んだ。

 それまで賑やかに飲んでいた国際的なチームは、千沙に遠慮したのか、少し小声にして飲んでいた。

 一方、既に出来上がっている西城と橋本は、涼子が熱燗を用意しながら、カウンター越しに千沙への突き出しや小皿を置いている間に話しかけてきた。

「どうしたんだい、千沙ちゃん。酔いたい、だなんてさ」
「俺っちが、はっなしを聴いてあげよっか?」

「ちょっと、お二人とも、酔っぱらって小林さんに絡まないでくださいな」
涼子が嗜めると、二人とも赤い顔をして、滅相もないと慌てて手を振った。

 千沙は、笑って二人の方を見てから涼子に答えた。
「大丈夫ですよ。実はね、運転中に車の特訓をしてくれた従兄のことを思い出して、悲しくなっちゃったんです。その従兄ね、いまガンで闘病中なんです」

「まあ、そうなの? それは心配ね」
「仕事熱心のあまり、おかしいと氣づいてからもしばらく検査に行かなかったらしくて、ちょっと進んじゃっているみたいなんです。ほら、若いと早いって言うじゃないですか」

「そりゃあ、悲しくもなるよなあ」
「でもっ。希望っを、失っちゃ、ダメだよなっ。俺っちも、よくなるように、祈るからっさ」

 あらあら、ろれつが回っていない。この酔い方では、おそらく明日になったら何の話題をしていたかも憶えていないだろうなと思いつつも、千沙は微笑んだ。

「その従兄、私と違って優秀だったんです。子供の頃から努力家で、頑張りやで、私が何か出来ないと助けてくれたんですよ。車の運転もそうで、国から出てきた身内が他にいなかったこともあるんですけれど、下手な私にずいぶんとつきあってくれて。それを思い出したら、私は彼のために何も出来なあと、悲しくなっちゃって」

 千沙は、暖かい土色の猪口に浮かんだ枯山水の波紋を眺めながら言った。湯氣の暖かさ、涼子や常連たちの思いやりのある言葉にホッとする。

「そうね。きっとよくなるって信じて陰ながら応援することも、彼の力になるんじゃないかしら」
涼子がそういうと、西城と橋本も大きく頷いた。

「そうだよな。よしっ。俺っち、この箸袋で鶴を折るぞ。そうしたら、千羽鶴にしてさ……」
西城はそういいながら鶴を折りだしたが、手元が危うくて上手く折れていなかった。

「ええ。西城さん、それじゃ、やっこさんになっちゃいますよ」
「うるさいな、ハッシーは、黙って、一緒に折るんだよ。そのイトコを応援するんだってば」

 左側の二人の酔っぱらいに、千沙の意識はしばらく捉えられていたのだが、涼子の驚きの声で我に返った。
「まあ。なんて素敵なの!」

 千沙が、右側を向くと、隣に座ったワンちゃんと呼ばれた女性がどこからか取り出した小さい折り紙で、あっという間にいくつもの折り鶴を完成させていた。しかもそれだけでなく、赤、オレンジ、黄色などできれいな紅葉を折っていた。

「え。この短時間に?」
千沙は、その女性が取り組んでいる別の折り紙作品に目を奪われた。

 それは、追えないほどの速さで、しかも正確に織り込まれて、あっという間に人間のような形になっていった。その小さい人物は、腕を前に差し出して重ねている。

「拍手をしているみたい」
千沙は思わず呟いた。

 ワンちゃんはにっこりと頷いた。
「そうなの。これは拍手をしている人。応援の拍手。頑張っている人への」

 その人物像の周りで、紅葉もまるで小さな手のひらのよう。一緒に拍手をしているようだ。小さな折り鶴も羽ばたいて見える。

「さすがワンちゃん。すごいな。それ、今度のテツオリで、僕たちに教えて」
一番向こうにいた、日本人の若い青年が言った。

「テツオリ?」
千沙が訊くと、青年の隣に座っている青い目の女性がにっこり笑って答えた。
「私たちのシェアハウスで時々やる徹夜の折り紙教室のことなんです。こちらのワンちゃんにいろいろな折り紙を教えてもらうんです」

 ワンちゃんは、千沙に作品の数々を渡した。
「そちらの方の分と一緒に、これもその従兄さんに差し上げてください。ここにいるみんなで応援していますからって」

 千沙は、目頭が熱くなるのを感じながら頷いた。
「はい。彼はきっと喜ぶと思います。不屈の精神を持つ人だもの、きっと頑張ってくれると思います。私もめげずに応援します」

 どんなトンネルにも出口がある。どんな下手な運転も、練習すればそれなりになる。諦めて何もしない人が好くなることはないと教えてくれたのは、他ならぬ時夫だ。

 体調や病状は、努力とやる氣だけではどうにもならない部分もあるけれど、諦めたらお終いというのは同じ。好くなることを信じよう。応援することしか出来ないけれど、せめてそれだけは続けよう。

 週末は、ここにある全ての折り紙を持って彼を元氣づけるためにお見舞いにいこう。千沙は、熱燗を飲み干すと、自分も下手ながらも折り鶴を折るために、箸袋を広げた。

(初出:2017年1月 書き下ろし)

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Category : 小説・いつかは寄ってね