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【小説】黒髪を彩るために

Posted by 八少女 夕

scriviamo! 2017の途中なのですが、今日は別枠の小説を発表します。月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の……」シリーズ、去年は試験的に「四季の……」で年四回にしたんですが、今年は再び月一シリーズとして復活しました。今年は「十二ヶ月のアクセサリー」です。一月のテーマは和風に「つまみ簪」です。

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黒髪を彩るために

 紅、白、薄桃色。指の先の大きさにも満たない布のパーツを順番に並べていく。「つまみ」は、小さな絹を折ったパーツを組み合わせて簪や櫛飾りなどを作る、江戸時代から続く伝統工芸だ。

 折った布の曲線が外に出る丸つまみ。赤いちりめんのパーツを五つ使って梅の花。大きさを変えて咲き誇る紅白の梅の花をつくる。

 折り目を外側に尖らせる剣つまみは、たくさんの花弁にできるので、菊の花を作る。外側を華やかな曙色、わずかずつ白みの多い桃色の布を使ってグラデーションをつけていき、一番内側は純白にした。そして、枝垂れ梅のように紅白の花房さがりを垂らす。花の中心は小さな淡水パールで上品に留めた。

 できた。恵美は簪を外の光にかざして眺めた。

 かつて姉の初子が作っていたものとは違って、よく見ると糊がしみ出してしまっているところや、上手く折れていなくて左右対称でないところもあるのだけれど、こんな大作を一人で作ったのは初めてだから満足だった。

「簪、恵美ちゃんの成人式に間に合わせなくちゃね」
初子は、大学生だった恵美に優しく微笑んだ。

「そんなこといいから、休んでいてよ。一昨日退院したばかりなのに、もうこんなに根を詰めて」
恵美は慌てて言ったものだ。

 初子は身体が弱くて、いつも家にいた。大学に行くこともなかったし、就職もしなかった。家の中でできること、体力を使わなくていいことしかできなかったが、その分手先がとても器用で、手芸の類いは何でも出来た。

 通信教育で習ったつまみ細工にもその才能が遺憾なく発揮されたので、和装小物のメーカーに納品するようになった。

 大きいかまぼこ板のような木の板の上に薄く糊を伸ばす。ピンセットで器用に折った小さなちりめんや羽二重の布を手早く並べていく。そして、それを銀色のパーツの上に載せて美しい小さい花を完成させていく。つまみ細工はその繰り返しだ。辛抱強くて几帳面な初子にぴったりの仕事だった。

 恵美が成人式に振袖を着ることになると、大喜びで簪を作ってくれると言った。

 恵美は、大正ロマン風の振袖を買ってほしかった上、つまみ簪よりもオーガンジーなどで出来た洋風の飾りが欲しいと思っていたのであまり乗り氣ではなかった。両親が大喜びで「よかったわね」と言うのも面白くなかった。

 子供の頃から、両親の姉と自分への関心には差があるように感じていた。彼らは身体が弱くて入退院を繰り返していた娘を心配していたのだろう。運動会にも出られない、遠足にも行けない初子のことを「かわいそうにね」と慰め、国語や算数で優秀な成績をとると褒めちぎった。一方、健康だけれど成績もそこそこだった恵美は、褒めてもらった記憶もあまりないし、何事も二の次にされてきたと感じていた。それによく叱られた。

 恵美は初子のことを嫌いだったわけではない。少しは妬んだけれど、いつも優しく穏やかだった初子、苦しくてもけなげに耐えている姉のことを偉い人だと思っていた。それに、いつまでもそうやって一緒にいてくれるのだと思い込んでいた。

 でも、初子は恵美の成人式まで生きられなかった。つまみ簪も完成しなかった。

 成人式用に、好きな髪飾りを買ってくれると母親に言われたとき、恵美は首を振った。
「初子姉さんの作ってくれた簪をする」

「でも、あれは作りかけで、目立つところの花弁が欠けているわよ」
「いいの。あれをつけたいの」
恵美は泣きながら言った。他の髪飾りが欲しいなどと思ったりしなければよかった。姉さんに作ってくれたお礼も言えなかった。

 伝統工芸だから、レンガ色と抹茶色で幾何学的な模様のモダンな着物には合わないだろうと思っていたが、それは恵美の思い違いだった。初子は、若竹色と落ち着いたレンガ色のちりめんを使い、剣つまみの内側の花弁を黒にすることで、モダンなデザインの簪を作ってくれていた。

 行動範囲が狭まっている分、彼女の宇宙は小さなピンセットと細い指先から生み出されて自在に広がっていたのだ。恵美は、生きているうちにもっと姉と話して、その心の中の宇宙を覗けなかったことを後悔していた。偏狭で思い込みに縛られていたつまらない自分を悔やんだ。

 同級生たちはその簪を見て、変な顔をした。黙って目を見合わせてから、影でくすくす笑った。恵美は、姉の形見であることを誰にも言わなかった。それは、心ない同級生たちとの会話で穢されたくない神聖な思い出だった。人になんてわかってもらわなくていい。私の黒髪を美しく飾ってくれようと心をこめてくれた姉さんの想いがここに刺さっているんだからと。

 そして、その成人式からもうじき十五年が経つ。

「お母さん、ただいまー」
玄関の引き戸ががらりと開いた。恵美は、もうそんな時間かと驚いた。

「おかえりなさい、初音。あら、またそんなに汚して」
お転婆娘は、またどこかで泥だらけになってきたらしい。

「公園でちょっと滑り台に乗っただけだよ。でも砂場が湿っていたんだもん」
「公園に行くのは、一度帰ってランドセル置いて、着替えてからっていつも言っているでしょう、もう」
「ごめんなさい。忘れちゃった」

 恵美は初音の頭をそっと撫でた。両親が自分に対して感じいていたことを、今は理解できる。健康で元氣よく飛び回っていることは、どんなに有難いことだろうか。漢字の書き取りがバッテンだらけでも、何を着せてもすぐに泥だらけにしてしまっても。何度叱ってもいう事をきかないので、しょっちゅうは褒めないけれど、でも、愛しい娘であることには違いはないのだ。

「お母さん、これ作っていたの? きれいだね」
初音は、簪を覗き込む。

「ふふ。これは初ちゃんのよ」
「私の? 本当? 今もらっていいの?」
「あら、今オモチャにしちゃダメよ。初詣の時に、おきもの着るでしょう。その時にね」

「ふうん。そうか。マイコさんみたいにするんだものね。でも、お母さん。おきものはいいけれど、ぞうりはいたいから、きらい。ビーチサンダルはいちゃダメ?」
「う~ん。それは、いまいちだと思うなあ。でも、痛いのはつらいよね。写真撮らない時はそれでもいいかしら。少なくとも運動靴よりはいいわよね」

 せっかくの簪でばっちり可愛く決めようと思ったんだけれどなあ。カエルの子はカエルだからしかたないかなあ。

 恵美はため息をつくと、タンスの上の初子の写真を振り返った。姉は、昔と変わらずに優しく微笑んでいた。


(初出:2017年1月 書き下ろし)
.16 2017 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー trackback0

【小説】人にはふさわしき贈り物を

Posted by 八少女 夕

もう三月になっていますが「十二ヶ月のアクセサリー」二月分を発表します。二月のテーマは「ブローチ」です。

日本でも「●●お宝探偵団」的な番組があるようですが、ドイツ語圏にもその手の番組がいくつかあって、「先祖から受け継いだ」「蚤の市で買った」「離婚した夫が置いていった」などといったいろいろなアンティークや美術品、古い調度などが思いもよらぬ値段をつけてもらっていたり、反対に「これは二束三文です」といわれてがっかりして帰ったりするのが放映されています。今回の小説は、その番組にヒントを得て書き出しました。


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人にはふさわしき贈り物を

 宝石鑑定士の厳しい顔を見て、クルトはこれはだめだな、と心の中で嘆息した。一攫千金を夢見てここまで来たが、どうやら無駄足だったようだ。テレビで毎日のように放映されている「お宝鑑定」では、蚤の市で50ユーロで購入した陶製の壺が4000ユーロにもなったりしている。だから、彼もかねてから価値を知りたかったブローチを持って半日もかけてここまで出てきたのだ。

「残念ながら、これはルビーではありません。ルビーとよく間違えられるスピネルですらないんですよ」
「じゃあ、なんなんですか」
「アルマンディン(鉄礬ざくろ石)またはパイロープ(苦礬ざくろ石)です。どちらかは組成をみないとわかりませんが、どちらにしてもガーネットの中でもっともありふれたタイプの石ですな。もし、両者が入り交じっているとすると半貴石扱いになりますのでもっと価値は下がります」

 そう簡単にうまい話が転がっているわけはないな。

 クルトは、その石を持って帰るつもりになり、鑑定士の方に手を差し出した。
「そうですか。あまり価値のない石ってことなんですね」

 だが、宝石商は何か考え込むように、自分でありふれた宝石と断定したこの赤い石を見ていた。
「何か?」
不安に感じたクルトが訊くと、ためらいがちに答えた。

「カットと、この台座のデザインがですね」
「台座?」

「ええ。この石はスターストーンです。一つの光源のもとでだけ、内包された別種の鉱物に光が反射されて放射状の光が見える石のことをそう呼ぶのです。ほら、こうすると見える。この六本の白い光彩です。普通はこのスターを生かすように滑らかなカボッションに加工するものなんですが、この石はブリリアントカットを施されている」

 クルトは宝石を覗き込んだ。そう言えば一度白い筋のようなものが見えて、傷かと思っていたが違うのか。価値を落とすものじゃないならなんでもいい。

 宝石商はさらに石をひっくり返し、周りを飾っているすっかり黒くなった台座の細工を眺めた。

「この台座もずいぶんと凝っている。これは職人が手作業で作った台座ですが、今どきこのような加工をするととんでもない値段になるんですよ。大きいとは言え、この手のガーネットにねぇ。誰が何のためにこんなわけのわからないことをしたんだろう。このブローチの由来をご存知ですか」

 クルトは、肩をすくめた。
「亡くなった祖母さんが、戦争中に一晩だけ匿った将校にもらったって言っていましたよ。価値のあるものだから大切にするように、一緒に渡された手紙に書いてあったってね」

「手紙? どこにその手紙があるんですか?」
「さあね。祖母さんは、学がなくてよく読めなかった上、戦後の混乱の中でどっかいってしまったって言っていましたよ。少なくとも宝石だけはちゃんととっておいたと威張っていましたけれどねぇ」

「そうですか。いずれにしても、これだけの大きさの石ですからこの程度はお支払いさせていただきますよ。いかがですか」

 クルトは眉をひそめた。ここに来るまで期待していた額の十分の一もない。現金が欲しいのは間違いがないが、もし後から手紙が出てきてもっと価値が上がったということになると悔しいだろう。

「いや、ルビーじゃないかと思っていたのでね。そういう金額でしたら無理して売らなくてもいいんですよ。そちらには大したことのない石でも僕にしてみたらたったひとつ残った祖母さんの形見ですしね」

 彼はそのブローチを布にくるんでから箱にしまうと、持ってきたときよりも明らかに雑な動作でポケットにしまい、その店を出た。わざわざこんなところまで来たのにな。妻に散々に言われるんだろうな。そう思いつつ、村へと帰っていった。

* * *


 まだ春には遠い。彼は暖房の入っていない冷え冷えとした部屋を見回した。エレナは寝息を立てている。生まれて初めて男を知ったというのに泣きもしなかった。それに、この戦火でいつ人生が終わるかもしれない極限の状態にもかかわらず、ぐっすり眠れる神経というのは大したものだ。

 彼は服を着ると窓辺の小さなデスクに座り、満月の明かりを頼りに手紙を書き出した。こんなところを見回りの奴らに見つかったら、終わりだ。だが、これを書くチャンスは今を置いてはもうないだろう。彼はずっと楽観して生きてきた。だが、さすがの運命の女神の恩寵もこんどばかりは尽きたらしい。彼の叩き込まれた考え方からすると、今すべきことはたった一つだった。

 首からかけて肌身離さず持っていた絹の袋を開けた。中からそっと紅いカーバンクルを取り出した。そっとそのブリリアントカットの表面を指でなぞる。彼の存在の唯一の証明と行ってもいい宝物だ。手放すのはつらい。ましてやこの粗野な娘にその運命を託すのは心細い。だが、そうする他はない。彼とともにあれば先祖代々より託された全ての希望が潰えるのだから。

親愛なるエレナ。

 戦争中だからといって、見知らぬ男にこんな目に遭わされたことを恨みに思うかもしれないね。君は、僕を匿ってくれただけでなく、残り少ない食糧をわけてさえくれたのに。でも、僕は一時の欲望に突き動かされたわけでも、君を軽んじてこんなことをしたわけでもない。

 僕には君の助けが必要なんだ。

 僕は、君にはペーター・ポスティッチと名乗ったけれど、本名をアンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチといって今はなきアレクサンドロスベニア王国の正式な継承者なんだ。残念ながら祖父の代に起こった革命のせいで父はポーランドでの亡命生活を余儀なくされた。そして、追って来た狂信的な革命派の残党どもに惨殺された。

 それから僕は、身分を隠して生きてきた。アレクサンドロスベニア王国再興の良機を待ち続けていたが、どうやら僕の代でも悲願は叶わないようだ。僕は、君も知っているように追われている。ずっと親友だと信じていた男に密告され、先祖代々の財宝のほとんどを奪われた上、身分詐称の罪で軍の地位も剥奪された。

 おそらく数日で僕は捕まり、命を落とすことになるだろう。逃げ切りたいとは思うが、もはや僕にはどんなカードも残されていない。だが、アレクサンドロスベニア王家の未来にはまだチャンスがある。昨日、君のお母さんが闇市に出かけ、君と二人でこの家に残された時に、僕は確信したんだ。

 アレクサンドロスベニア国王として、ふさわしい王妃を迎えることが出来ないまま現在に至った今、僕は緊急避難として君に未来を託すことにした。

 もし神が僕を憐れみ、国の再興を許すならば、きっと君は子供を産むだろう。そしてその子供を正しい地位につけるために、僕は君を王妃に迎えようと思う。アレクサンドロスベニア国王であるアンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチは、エレナ・シマンスカにカレクシュザスカ公爵夫人の称号を授与し、アレクサンドロスベニア王妃として迎える。生まれてくる子に神の恩寵あれ。

 世が平和になり、君が世界にこの手紙を公表できるようになったら、君の子供、もしくはその子孫は再びアレクサンドロスベニア王としてあの地を統べることになるだろう。

 ここに君に預ける『アレクサンドロスベニアの血潮』は、代々の王位継承セレモニーで王が身につけるマントを留めた家宝だ。この星のある紅い宝石は、大きいだけでなく非常にユニークだから、この手紙の真贋を証明し、君の子供がふさわしい地位を得るのに大いに貢献するだろう。

 どうかこの戦争を生き延びてわが王朝の命運を引き継いでほしい。君が栄誉にふさわしき母となるよう命ある限り祈る。

心からの感謝を込めて
 アンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチ



 エレナ・シマンスカが目を覚ますと、かくまった青年将校の姿はもうどこにもなかった。闇市から母親が戻ってくる前に彼が姿を消してくれて本当によかった。親切にしてあげたのに、あんなふしだらなことをするなんて。

 お礼のつもりなのか、大きな赤い石のブローチとなんだか難しい言葉がたくさん書かれた手紙が残されていた。学校で書き取りをもっとちゃんとやっておけばよかった。達筆すぎてよく読めないし、読みとれたところも意味がわからない。

 宝石なんだろうとは思うけれど、こんなに大きな石は見た事がなかったし、下手に人に見せると盗んだのかと疑われたり、どうしてもらったのかと訊かれたり、面倒なことになりそうだ。しばらく、誰にも言わないでおこう。あの手紙は、みつかったらお母さんにひどく怒られるだろうから、頃合いを見つけて暖炉のたき付けにでもしてしまおう。

 エレナはブローチを無造作にポケットに突っ込むと、支度をして動員されている工場へと向かった。

(初出:2017年3月 書き下ろし)
.13 2017 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー trackback0

【小説】永遠の結び目

Posted by 八少女 夕

立て続けで恐縮ですが新連載を始める前に「十二ヶ月のアクセサリー」三月分を発表します。三月のテーマは「十字架」です。

今回のストーリーの舞台は念願かなって2015年に行くことが出来たエーヴベリーです。ヨーロッパ最大のストーンサークルで、セント・マイケルズ・レイライン上にある、その手のことが好きな人は一度は行ってみたいところ。でも、なかなか簡単にはいけないんですよ。このストーリーではいろいろと差し障りがあるので土産物屋は三軒と書いてありますが、実際には二軒しかありません。念のため。


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永遠の結び目

 灰色に垂れ込めた雲がどこまでも広がっていた。ようやく日の長さと夜の長さの割合が逆転して、春の訪れを期待できるようになってきたとは言え、枯れた牧草の間から新しい生命の息吹が世界を明るく変えるには少し早かった。牧草地に乾いた風が渡っていく。形の揃わぬ大きな灰色の岩が、その牧草地の所々に立っていて、無言で風の問いかけに答えていた。それは何千年も続いた光景だ。

 美優はバスから降りると頼りなげにその光景を見回した。ここが本当にヨーロッパ最大のストーンサークルなんだろうか。ケチらないでガイドのついたツアーで来た方がよかったかな。

 エーヴベリーはイングランド南西部ウィルトシャーにある。新石器時代の紀元前2600年頃に作られたといわれるこの遺跡は、周縁部に大きなストーンサークル、土手と溝でできた大規模なヘンジ、それに独立した二つの小さいストーンサークルで構成されている。

 有名なストーンヘンジにも使われている巨石はこのエーヴベリー近郊で削りだされた。そして、正確な目的はわからないものの、人びとはここでも地をならし、クレーンもない時代に50トンにもなる巨大な石をひとつ一つ運んでサークルを作り、千年以上に渡って使用していた。

 そのサークルはあまりにも巨大なので、丘の上に立つか、上空から眺めないと全容が掴めない。その目的が忘れ去られてしまった後、人びとは牧草地のど真ん中に立つ巨大な岩をこれ幸いと切り出して建材に使っていたらしい。バスから降りたばかりの日本人には、歯抜けになってしまったサークルの間に立っていることがなかなか理解できなかった。

 ストーンヘンジのように次々と訪れる観光バスをピストン輸送したり、各国語による音声案内や土産物屋で歓迎するような観光地化が進んでいなかったおかげで、美優は日本からずっと心を騒がせていた想いに再び浸ることが出来た。

 ようやくこの地に来たのだ。ずっと私を呼んでいた、不思議な古代の力に導かれて。

 ケルトのドルイド僧たちが活躍した時代と同じように、風は幾ばくかの不安を呼び起こしながら、運命の女神たちのささやきのように岩の間を通っていく。美優はゆっくりと牧草地を進みながら自分の身長の数倍ある巨石に手を触れた。古代からの叡智が、話しかけてくれはしないかと期待して。

 けれど、美優には岩の言葉は聞こえなかった。なぜこれほどまでストーンサークルとケルト文明に心惹かれたのか、そして、居ても立ってもいられない心地でここまで来たのか。

 しばらくヘンジの土手の上から、サークルを眺め、何枚もの似たような写真を撮り終えた後、彼女は釈然としない想いを抱えて、バス停の近くの店に入った。ガイドブックでは、ここには土産物屋は二軒しかないとあったのに、どういうわけか三軒ある。

 ナショナル・トラストの公式ショップを覗いてから、ニューエイジ関係の書籍などが置いてある店をぶらついて、最後に一番小さな店に入った。そこは、暗い狭い店だったが、アーサー王と円卓の騎士を題材にしたポスターやケルトモチーフの土産物がたくさんあって美優の心は騒いだ。

「いらっしゃい。よく来たね」
奥には、伝説の魔女のようなしわくちゃの老婆が座っていて、まるで美優が来るのを待っていたかのようににやりと笑った。

「何かお探しかい」
「いえ。ケルト風のお土産でも買おうかと思って……」

「ケルト神話に興味があるのかい」
「……」

 美優は少しの間迷ったが、せっかくここまで来たのだから何か知ることが出来ないかと思って正直な氣持ちを打ち明けることにした。

「その……私は東京生まれでケルトと関係があるはずはないんですが、いつからか、ここへ来たい、行かなくちゃいけないと思うようになってしまって」
「おやおや」
「呼ばれている……そんな感じがして。でも、なぜだかわからなくて」

 老婆は壁にかかっているTシャツのケルト文様を眺めている美優を見て、なるほどという顔をして見た。

「もしかしてあんたはこれに呼ばれてきたんじゃないかね?」
そういうと、対面ケースの奥に入っている青い天鵞絨の箱をそっと取り出した。中には錆び銀の大きめの十字架が置かれていた。

 普通の十字架ではなく、中心に円がデザインされたケルト十字だ。その円の部分にケルト特有の組紐文様がくっきりと描かれている。100ポンドの札が見えた。

「これはイヴァルのサーキュラーノットがデザインされた十字架だよ。サーキュラーノットは、エタニティーノットともいわれるが、始まりも終わりもない組紐のデザインで、永遠を表すんだ。そして、イヴァルとはイチイの木でね。有名なディアドラとノイシュの悲恋からきているんだよ」

「ディアドラとノイシュ?」
「そうだよ。ディアドラは生まれた時に、絶世の美女に育つが、そのために災いと悲しみを招くと予言された。そこでコンホヴォル王が彼女を引き受けて妻にするために閉じこめて育てさせたんだ。そして、彼女は若く美しい騎士ノイシュを見かけて恋をし、彼に自分を連れて逃げだすようにゲッシュ(誓約)を課したんだよ。そのために戦争が起こり、ノイシュとその兄弟たちは殺されてしまい、ディアドラはコンホヴォル王のもとに連れ戻された。そして、ある日彼女は王とノイシュに手をかけたイーガンの間に馬車に乗せられて笑い者にされたために、悲しみのあまり身を投げて死んでしまったのさ。そして、その墓から生えたイチイの木は、ノイシュの墓のイチイの木と枝を絡ませ、離れなくなったということさ」

「それが、その十字架と関係が?」
「そう。アルスターの神話では、ダーナ神族の女神たちは転生する。千年もかけて何度も転生すると自分がかつてダーナ神族であったことも忘れてしまう。でも、運命の組紐は決して途切れずに、何度も生まれ変わる神々を再びこの地にたぐり寄せるのだよ。私は、どうしてこのイチイの永遠の結び目をもった十字架がここへやってきたのか、ずっと不思議に思っていた。そして、運命に導かれたディアドラがノイシュと再び出会うための道しるべとしておそらくこれを探しにくるはずだと予想していたのだよ」

 美優は震えた。これが、私がずっと心落ち着かなかった理由なんだろうか。そうじゃなかったら、どうしてここにその十字架が来たりするんだろう。

「その、十字架……。特別なルートでここに?」
「そうさ。この店では一度も扱ったことのないモチーフなのだが、ある日突然やってきたんだ。これは妥当な値段で、ロンドンではもっとするはずだが、卑しくもアルスターの子供たちの血を引くこの私は、神々に対する敬意は失っていないのさ。こんなめぐり合わせはアルスター神話の一部だ。おそらく生まれる前から、これはあんたに属していたんだろうさ。だから、他ならぬあんたに100ポンド払ってもらおうとは思わないよ。本来ならタダであげたいところだが、私らも仕入れる時にかなり払っているからね。少しでも足しになるように10ポンドでも15ポンドでも置いていってくれるとありがたいね」

「もちろん、お支払いします」
そういうと、美優は財布を開けて中身を確認した。ロンドンまでの電車賃や夕食代を考えるとあまりたくさんは出せない。考えて20ポンドを払い、他にポストカードなども買った。老婆は頷くと黒い革紐で十字架を重々しく彼女の首にかけてくれた。

 美優には、自分の周りの空氣が突然変わったように思われた。アルスター神話時代からの途切れなかった想いが形をとってその場に現れたようだった。このケルト十字が運命の相手ノイシュがやはり生まれ変わった相手に自分を導いてくれるのだろうか。

* * *


 その日本人が思い詰めた様子で店を出て、バスに乗って去った後、老婆は肩をすくめると代金をレジにしまった。

 裏から出てきた老人がため息をついた。
「お前な。あんな嘘八百を並べ立てて良心は痛まないのか」

 老婆は夫をじろりと睨んで答えた。
「あんたが同じような商品ばかり仕入れるからだよ。私たちに、永遠の命があるとでも思っているのかい? あと何十年土産物屋をやっていくと思っているのさ。ああでもしないと厄介払いできないだろう」

 対面ケースの下には、同じ十字架の入った天鵞絨の箱が十八個並んでいた。他にも大きな指輪が十三個残っていたし、もっと厄介なのはトリスケル・スパイラルの組み合わせでデザインされたやけに目立つ腕輪で、これを四つも売りさばかねばならなかった。

 熱にうなされたような観光客は、世界中から次々とやってくる。ケルト神話をアレンジして少し話をすると、大抵は生まれ変わりだの、アーサー王の遺産と自分の縁を感じて、これらの商品を引き取ってくれる。これまでのところ大抵は十分な金額も置いていってくれていた。

 老人は商売上手な妻が、そのうちに与太話に騙された観光客に袋叩きにされるんじゃないかと思いつつ、黙って店の奥で帳簿を付けることにした。


(初出:2017年3月 書き下ろし)
.22 2017 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー trackback0
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