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【小説】春、いのち芽吹くとき

Posted by 八少女 夕

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

webアンソロジー季刊誌「carat!(カラット)」
 vol.1 参加作品 
carat! バナー


今日発表するのは、読み切り短編集「四季のまつり」の第一回、春の話です。一昨年まで「十二ヶ月の○○」というシリーズで月に一回掌編を発表してました。今年それを復活するつもりだったのですが、いろいろと事情が重なって1月と2月を発表できそうになかったので、年4回シリーズにしてみました。今年のテーマは「まつり」にしました。オムニバスでそれぞれの季節の祭やイベントに絡めたストーリーを書いていく予定です。第一回目は「復活祭」です。春は眠っていた大地が目覚め、死んでいた世界が復活するとき。そのイメージにひっかけて、十九世紀の終わりのカンポ・ルドゥンツ村での小さなストーリーを書いてみました。そして、この作品で、canariaさんの主催するwebアンソロジー季刊誌「carat!(カラット)」に参加することにします。



春、いのち芽吹くとき

 どこからか硬い規則的な音が響いてくる。ああ、もうキツツキが。彼女は、立ち止まって見上げたが、どこにいるのかは確認できなかった。結局、厳しい冬は来ないまま春がくるんだろうか。

 数日前からフェーンが吹き荒れ、雪はすっかりなくなってしまった。家の近くの池に張っていた氷もなくなり、鴨たちが再び戻ってきていた。ベアトリスは、ぬかるんだ小径を急いで歩いていた。大地は雪解け水を全て受け入れられるほどには目覚めておらず、表面にたまった水分が不快なぬかるみを作る。彼女の古ぼけた靴には冷たい泥がしみ込みだしていた。

 彼女は、丘の向こうの牧場ヘ行く途中だった。カドゥフ家は、この村では一番大きな牧畜農家だ。30頭近くの牛、それよりも多い山羊、それにたくさんの鶏を飼っていて、放牧やチーズづくりの傍ら、三圃式農業で小麦や燕麦、トウモロコシ、それにジャガイモなども作っている。

 来客でバターが必要になったから行ってきてくれと母親に言いつけられたとき、彼女の顔は曇った。

「どうしたのさ。秋には、別に用事もないのにあそこに入り浸っていたじゃないか」
母親は、仔細ありげな物言いをした。

 夏から晩秋にかけて、夕方にカドゥフ家の長男マティアスと小径のベンチで逢い、焼き菓子を二人で食べた。散歩が長すぎると母親に嫌味を言われても、どこからか湧いてくる笑顔を隠すことはできなかった。それが今、もしかしたらマティアスに逢ってしまうかと思うと、それだけでこの道を登っていくのが嫌になるのだ。

 学校は、復活祭の前に終わる。そうしたら彼女は、サリスブリュッケのホテルに奉公に行くことになっている。

「行儀作法を身につけて、料理がうまくなれば、村の若い衆の誰かがもらってくれるだろう」
去年の夏に父親にそう言われて、ベアトリスは嬉しそうに頷いたものだ。その時は、もらってくれる若い衆を頭の中に思い浮かべていたから。でも、今のベアトリスにはそんな未来予想図は何もない。

 あれはクリスマスの少し前のことだった。サリスブリュッケに住むディーノ・ファジオーリが大きいパネトーネを持ってベアトリスの家にやってきた。ディーノの母親とベアトリスの母親は、子どもの頃に隣に住んでいたので仲が良かった。

 パネトーネはイタリア語圏のクリスマスに欠かせないお菓子だが、アルプス北側のドイツ語圏ではまだ珍しい。イタリア出身のファジオーリ家は、毎年クリスマスの前にはパネトーネを焼く。そして、ベアトリスの家庭へと届けてくれるのだ。

 ディーノは、綺麗な包み紙で覆ったもうひとつ小さいパネトーネを持っていて、それを村一番の器量よしのミリアム・スッターにプレゼントするつもりだった。そり祭りの時に見かけて以来、彼はベアトリスに逢う度に、ミリアムはどんな物が好きか、偶然出会うにはどの辺りに行ったらいいのかなどのアドバイスを乞うのだった。

「それをさっさと持っていけばいいじゃない」
ベアトリスが言うと、ディーノは項垂れた。
「もう行ったよ。でも、受け取ってもらえなかったんだ。村の青年会に怒られるからって」

 サリスブリュッケはカンポ・ルドゥンツ村の河を挟んで向かい側にあるが、18世紀まで灰色同盟と神家同盟という別の国に属していた。そのため、百年経って同じ国の同じ州になった今でも住人同士の交際や結婚を好まない風潮がある。河を超えて結婚する場合には、それぞれの青年会の賛同を必要とするのだ。

 村一番の美女をよそ者に渡してなるものかと、村の若者たちはディーノがミリアムの周りをうろちょろするのを躍起になって阻止した。

「それに、それにカドゥフの奴に誤解されるのは嫌だって言うんだ。それって俺は失恋したってことだろ?」
ベアトリスはどきっとした。ミリアムが、そんな事を言うなんて。

 マティアスは、二年前に学校を卒業して以来、カドゥフ家で一番の働き手となった。今は両親たちが経営している牧場は、いずれは彼が引き継ぐことになる。子どもの頃から親を手伝って働いていたから、日に焼け、がっちりとした体格で力も強い。重い干し草の包みを荷車に載せる時などには、力強い筋肉の盛り上がりがシャツに隠れていてもわかる。ベアトリスはそんな彼の姿を見るとドキドキしてしまう。

 牧畜農家というのは、一年中、朝から晩までやることがあって、彼は村の同じ歳の青年たちのように夕方にレストランに集まって面白おかしい時間を過ごしたり、高等学校に進んだ学生たちのように韻を踏んだ詩を添えて花束を贈るようなことをする暇が全くなかった。

 夕方のわずかな時間に、牧場の近くの坂道で絞りたての牛乳を飲みながら休憩するのが彼の余暇で、それを知っているベアトリスがクッキーやマドレーヌを焼いて持っていく。広がる牧草地を見下ろし、河を越えた向こうに見える連峰がオレンジに染まるのを見ながら、なんという事のない話をした。

 彼との会話には、ロマンティックなところはまるでなくて、主に日々の仕事と生活のことだけだった。ベアトリスはカドゥフ家の牛や山羊のうち目立つ特徴があるものは言われなくてもわかるくらい詳しくなってしまっていた。そんな無骨な男のことを、自分以外の女性が、しかも常に村の青年たちに言いよられている綺麗なミリアムが好きになるなんて、考えたこともなかった。でも、もしそうなら、自分には全く勝ち目がないと思った。これだけ長く一緒にいても、彼の方からまた逢いたいとか、逢えて嬉しいという言葉をもらったこともなかったから。

 その残念な情報をもたらしたディーノは、ベアトリスのがっかりした様子には全く氣づくこともなくパネトーネの包みを持て余していたが、やがて彼女にポンと押し付けた。

「持って帰るのも馬鹿みたいだから、お前にやるよ。じゃあな」
失礼ね。ついでみたいに。でも、美味しいからいいか。

 帰っていくディーノに手を振っているところに、マティアスがやってきた。というよりも、いつも彼がここに来るから、この時間になるとベアトリスがこの場所で待つのが日課になっているのだ。彼は、彼女の持っているきれいな包みを見て、何か言いたそうにしたが、言わなかった。ベアトリスは、その奇妙な沈黙に堪えられなかった。

「ほら、見て。クリスマスプレゼントにパネトーネをもらったの。私にだってくれる人がいるのよ」
「そうか。よかったな」
「あなたは、ミリアムに何かプレゼントするの?」

 すると、マティアスは露骨に不機嫌な顔をした。
「なんだよ、それは」
「噂を聞いたのよ。氣分いいでしょ。あのミリアムに好かれているなんて。大晦日のダンスパーティのパートナーになってもらったら。みんなが羨ましがるわ」

 マティアスは、いらついた様子で言った。
「くだらないことを言うな」

 そうじゃない、君にパートナーになってほしいんだ。ベアトリスが期待したその言葉をマティアスは言わなかった。そのまま踵を返して帰ってしまった。彼女は、どうしたらいいのかわからなかった。

 数日経っても、いつもの散歩道に彼が来ることはなく、不安になったベアトリスは、マティアスの妹モニカに相談した。彼女はそれを聞いて頭を抱えた。
「馬鹿ね。マティアスは、そういう風に試されるのが大嫌いなのよ。あ~あ、彼を怒らせちゃったのね」

 大晦日のダンスパーティには行けなかった。誰からも誘ってもらえなかったし、マティアスとミリアムが一緒にいたりしたら、つらくて死んでしまうと思ったから。年が明けてから、ミリアムはトマス・エグリと一緒に来ていたと耳にした。マティアスはパーティには来なくて、年末からしばらく留守にしていると聞いたきりだ。

 他の牧場もそうだが、カドゥフ家も、夏の間に一日も休まずにせっせと働くだけでは経営が多少苦しいので、冬の間子どもたちはチャンスがあれば金持ちの殺到するリゾートで現金を稼ぐ。モニカも直にエンガディンに行ってしまったので、マティアスが出稼ぎから帰って来たかどうかもわからなかった。

 一ヶ月以上、彼がいつもの散歩道に来ず、連絡もなかったので、ようやくベアトリスは自分がマティアスとの上手くいきかけていた仲をめちゃくちゃにしてしまったのだと認めた。試すだなんて、そんなつもりじゃなかった。でも、そうだったのかもしれない。時間が経ちすぎて謝るチャンスすら逃してしまった。

 バターを買いに、ぬかるんだ道を歩くベアトリスの足取りは重かった。このまま、嫌われたのだと、はっきり思い知らされることもなく、痛みを忘れたいと思っていた。でも、もし今彼が家にいて顔を合わせたら……。

 門を通り過ぎて、鶏小屋の脇を通り、母屋で声を掛けた。ジャガイモの皮を剥いていたマティアスの母親が笑顔で「いらっしゃい、ベアトリス」と言った。それから、奥のチーズを作る小屋を指して言った。
「バターのことは聞いているわ。さっきマティアスに言っておいたから、もう用意してあると思うわ」

 彼女は、困ったなと思ったけれど、悟られたくないと思ったので「わかりました」と言って、重い足取りで作業小屋へ向かった。

 扉をノックして開けると、彼は大きな鉄鍋の下に薪をくべているところだった。ベアトリスを見ると「きたか」という顔をして立ち上がった。

「こんにちは」
上目遣いで見上げる彼女に構わずに、彼は冷えた石造りの別室から包みを持ってきた。口をきくのも嫌なのかしら。包みを受け取ってポケットから出した料金を渡そうとした時に、彼は「あ。これも」と言ってまた離れた。

 彼が持ってきたのは、茶色い紙に包まれたもう少し大きな包みだった。
「これは?」

「ルガーノで買ってきた。コロンバだ」
コロンバはイタリア語圏で復活祭に食べる鳩の形をした菓子だ。ベアトリスは一度だけ食べたことがあって、とても好きだった。
「私に?」

 マティアスは目を逸らして口を尖らせた。
「パネトーネをもらって喜ぶなら、これも好きだろうと思ったんだ」

 ベアトリスは、胸が詰まってしまった。彼は、彼女の紅潮した頬と、笑顔と、それから半ば潤んだような瞳を見て、口角をあげた。
「あんまりがっつくと復活祭がくる前に食べ終わっちまうぞ。あれ、その小さな袋じゃ両方は入らないな。待ってろ、いま何か袋を……」

 彼女は、そのマティアスを引き止めた。
「ううん。このお菓子、今日は持って帰らないわ」

「なぜ?」
「今日はこのバターが溶けないうちに帰らなくちゃいけないもの。コロンバは、あの散歩道であなたと一緒に食べたいの。だから、その時に」

 彼は、それを聞くと目を細めて頷いた。
「あの散歩道のベンチ、さっき行って残りの雪を取り除いておいたんだ。きっと明日には乾いているだろうから、また座れるな。夕方じゃなくて、まだ陽の高い三時頃はどうだ?」

 ベアトリスは、頷いた。
「ええ。ありがとう。それに……ごめんね」
「何に対して?」
「氣に障る事を言って」

 彼は、また眼を逸らした。
「俺、あの時は無性に腹が立った。お前まで、酒を飲んで深夜まで騒ぐような連中に混じりたいのかって。これまでダンスパーティに行きたいなんて思ったことはないし、毎朝早く起きなくちゃいけないから、これからも行くことはないだろう。でも……」

「でも?」
「ルガーノのホテルで浮かれて騒ぐ客たちを見ていたら、確かに楽しそうだなと思ったよ。みんなが行きたがるわけだ。お前だって、年に一度くらい楽しみたくて当然だ。俺のとやかくいうことじゃない」

 ベアトリスは、そんなんじゃないのにと思いながら彼を見た。彼は、彼女の目を見た。
「俺はお前に詩を贈ったりダンスに誘ったりはできない。それどころかいつも家畜の匂いがとれない作業服を着ている。……こんな俺はお前にとって失格か」

 マティアスの瞳には、わずかに臆病な光が灯っていた。私の中にあるのと同じだ、ベアトリスは思った。
「ううん。私はダンスや花やロマンティックなセリフなんていらない。背広じゃなくて作業服でも全く構わない。あなたに逢って話をするだけでとても幸せなんだもの。本当よ」

 彼は、ようやくいつもの屈託のない笑いをみせた。
「シャンパンじゃなくて、牛乳でも」
「絞りたての牛乳の美味しさを知ったら、シャンパンを飲みたがる人なんかいなくなると思うわ」

 彼は、コロンバの包みを高く持ち上げると、言った。
「明日、三時だ。一分でも遅れたら、俺がひとりで食っちまうからな」

 バターの包みを抱えての帰り道、両脇の木に淡い翠の芽が顔を出しているのを見つけた。たくさんの鳥たちが合唱をはじめた。春の光が大地の新たな息吹を呼び起こす。世界は、復活の準備に余念がなかった。命の甦り。歓びの祭典。すぐそこまで来ている。ぬかるみも、靴に沁みる冷たい水もなんでもなかった。

 ベアトリスは、幸福に満ちて坂道を下っていった。
 
(初出:2016年3月 書き下ろし)
 

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全くの蛇足ですし、あえて読む必要も全くないのですが、この二人「リゼロッテと村の四季」のジオンの両親です。まだ彼らが若いころの話です。

【不定期連載】リゼロッテと村の四季
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