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Posted by 八少女 夕

【小説】「樋水龍神縁起」 外伝 — 桜の方違え — 競艶「妹背の桜」

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


月刊・Stella ステルラ 3月号参加 掌編小説 読み切り月刊・Stella ステルラ


「scriviamo!」の第十三弾です。TOM-Fさんの小説と一緒にStellaにもだしちゃいます。

TOM-Fさんは、「樋水龍神縁起」の媛巫女瑠璃を登場させて「妹背の桜」の外伝を書いてくださいました。ありがとうございます!


TOM-Fさんの書いてくださった小説『花守-平野妹背桜縁起-』「妹背の桜」外伝 競艶 「樋水龍神縁起」

現在TOM-Fさんが執筆連載中の「フェアリ ーテイルズ・オブ・エーデルワイス」は舞台がロンドンで、「大道芸人たち」のキャラが押し掛けて、当ブログ最初のコラボ作品を実現する事が出来ました。TOM-Fさんはとても氣さくで、「コラボしたい〜」という無茶なお願いを快く引き受けてくださったのです。ですから今回のコラボは二度目です。TOM-Fさんの「妹背の桜」は、私と交流をはじめる前に完結なさっていた小説です。もともとは天平時代の衣通姫伝説を下敷きにしているミステリー風味のある時代小説ですが、設定上は平安時代のお話になっています。そこで確かに「樋水龍神縁起」の二人と時代が重なるわけです。

お返しは、最初はストレートに瑠璃媛を出そうかと思ったのですが、この女性、この時点では出雲から一歩も出たことのない田舎者ですし、キャラ同士の話の接点が作れません。そこで思いついたのが、もう一人の主役、安達春昌。こっちはフットワークも軽いですしね。TOM-Fさんの「妹背の桜」からは橘花王女と桜を二本お借りしました。ありがとうございました! 『花守-平野妹背桜縁起-』を受けての桜の移植がメインの話になっています。

もっとも、「瑠璃媛」だの「安達春昌」だのいわれても、「誰それ?」な方が大半だと思います。「樋水龍神縁起」本編は、FC2小説と別館の方でだけ公開しているからです。だからといって、「scriviamo!」のためだけにこの四部作を今すぐ読めというのは酷なので(もし、これで興味を持ってくださいましたら、そのうちにお読みいただければ幸いです)、一部を先日断片小説として公開いたしました。この二人は基本的に本編にもここにしか登場しないので、手っ取り早くどんなキャラなのかがわかると思います。ご参考までに。


この小説に関連する断片小説「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より「樋水の媛巫女」」


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官能的表現が一部含まれるため、成人の方に限られますが……「樋水龍神縁起」四部作(本編)は別館にPDFでご用意しています。
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「樋水龍神縁起」 外伝 — 桜の方違え — 競艶「妹背の桜」
——Special thanks to TOM-F-SAN


 退出する時に、左近の桜をちらりと見た。花はとうに散り、若々しい緑が燃え立つが、特別な氣も何も感じない、若い桜だ。ただ、南殿にあるということだけが、この木に意味を持たせている。殿上人たちと変わりはない。今これから動かしにいく大津宮の桜も同じであろう。かつての帝が植えさせたというだけ。斎王を辞したばかりの内親王に下賜され、平野神社に遷されるのだそうだ。木の方違えとはいえ、師がご自分で行かないということは、やはり大した仕事ではないのであろう。

 安達春昌は二年ほど前に陰陽寮に召し抱えられたばかりの年若き少属である。彼は安倍氏の流れもくまず賀茂氏とも姻戚関係はなく、安達の家から御所への立ち入りを許された最初の者であった。従って、本来ならば殿上人にお目見えする機会などもないはずであったが、あらゆる方面にすぐれた知識を持つだけでなく、陰陽頭である賀茂保嵩がここぞという祓いにかならず同行するので、すでに右大臣にも顔と名を知られていた。とはいえ、彼はいまだに従七位上である陰陽師よりも遥かに下位の大初位上の身、昇殿などは望むべくもなかった。

 春昌は野心に満ちて驕慢な男であったが、陰陽頭に対しては従順であった。摂津にいた彼を見出し、その力を買って陰陽寮に属する見習い、得業生にしてくれたのは他でもない陰陽頭であった。それは彼の力が見えているということだった。実をいうと、陰陽寮には「見えるもの」は数名のみであった。見えていない者が判官となり助となっていることは春昌を驚かせたが、彼の力と野心をしても、いまだに陰陽師どころか大属への道も開けなかった。生まれ持った身分で人生が決定するこの世の常は、彼を苦しめた。はやく手柄を、明確な力を示す実績を。春昌は焦っていた。

 それだというのに、桜の方違えだ。御所の庭にも《妹背の桜》と言われる桜が植わっている。大津の同じ名で呼ばれる桜とともに平野神社へ遷されるという木で、もともとは二本揃って吉野に立っていたものだと聞かされた。春には滴るごとく花を咲かせ見事な木ではあるが、それだけのことで陰陽寮の者による方違えが必要とも思えぬ。同じような木であるならば、何ゆえ師は、この私に大津へ行けなどと申し付けられたのか。

「よいか。今、私と安倍博士は御所を離れられぬ。ここしばらく皇子様の瘧、甚だしく、しかも祓っても祓っても、よからぬものが戻ってくる。だが、あの桜の方違いに『見えぬ』陰陽師を遣わすわけにはいかぬ」
陰陽頭みずからにそういわれては、「私めも皇子様の祓いに加わらせてくださいませ」とは言えなかった。

「その桜には、何かが取り憑いているのですか。平野神社に遷す前にそれを祓えばいいのでしょうか」
春昌が、手をついて伺うと、陰陽頭は小さく首を振った。
「確かに特別な桜だが、何も祓う必要はない。祓うなどという事も不可能であろう。平野神社に着くまでに、怪異が起らぬように、そなたが監視すればそれでよい」

 なんだ、やはり大したことのない仕事か。その思いが顔に出たのであろう、陰陽頭はじっと春昌を見て、それから、つと膝を進めた。
「春昌、そなたに言っておくことがある」
そして、安倍天文博士に目配せをした。頷いた博士はその場にいたすべての者を連れて部屋を出て行った。

「春昌。そなた、ここに来て何年になる」
陰陽頭は、厳しい表情の中にも、暖かい声色をひそませて、この鋭敏な若者を見つめた。
「故郷でお声をかけていただいてから、八年に相成ります」

「その間、そなたは実に精励した。文字を読むのもおぼつかなかったのに、寝る間も惜しみ、五経を驚くべき速さで習い、天文の複雑な計算を覚え、医学や暦、宿曜道に通じた。他のものには見えぬ力も、強いだけで制御もままならなかったのに、たゆみなく訓練を続け、符呪をも自由に扱えるようにもなってきた」
思いもよらなかった褒め言葉に、春昌は儀礼的に頭をもっと下げた。

「だが、陰陽師になるには、それだけではだめなのだ」
春昌はその言葉を聞いて、弾かれたように師の顔を見た。陰陽頭の顔は曇り、目には哀れみの光がこもっていた。

「忘れてはならぬ。そなたの未来を阻んでいるのは、特定の人や、生まれついた身分などではない。その驕り高ぶった、そなたの不遜な態度なのだ」
「師。私は決して……」

「言わずともよい。そなたはまだ若く、私の言う事を腹の底から理解する事が出来ぬのはわかっている。だが、大津に行って、あの桜に対峙しなさい。あの痛みを感じるのだ。今のそなたに必要なのは、一度や二度の皇子様の祓いに参加する事などではない。よいか。大津に行かせるのは、そなたのためなのだ」

 近江は忘れられた京だった。造営の途中で戦乱となり、打ち捨てられたために、にぎわいを見せたこともなく、ただ大津宮が近淡海を見下ろすように立っている。摂津より京に上がった春昌は、近江には二度ほどしか来たことがなかった。一人でここまで来るのははじめてだった。

 伴としてついてきた下男に馬を任せ、春昌は大津宮にほど近い丘の上から近淡海を見渡した。なんという開放感。いつもの京の雑踏、光の足らぬ陰陽寮での息を殺した測量と卜占・術数が、どれほど氣をめいらせていたかがわかる。心を割って話せる友もなく、取るに足らぬ家に生まれたくせに生意氣な奴と蔑まれる日々に疲れていた事にもはじめて思い至った。

 師が言わんとした事は、わかったようで、はっきりしなかった。

 得業生となったのは私よりも後なのに、左大臣様の姻戚というだけで、あっという間に出世した判官どのや助どの。彼らに対して隠そうとも燃え立ってしまう妬みの氣を、師は見ていたのかもしれぬ。春昌はため息をついた。

 視線を背後の大津宮に移そうとして、ふと氣配を感じた。
「だれ……。あなた? あなたなの? ようやく、来てくださったの……」

 なんだ、この氣は? それは突然、風のように増幅して、丘の上を満たした。この季節に咲いているはずのない満開の桜の氣だった。これが師のおっしゃっていた桜なのか?

 春昌は、京で何度か陰陽頭とともに百鬼夜行をやりすごしたことがあり、禍々しいものを祓ったことも数多くあったので、怖れはしなかった。だが、それは悪意の漂う怨霊の氣配とはまったく異なるものだった。かといって、聖山に満ちる清浄な氣とも違っていた。

 ねっとりとまとわりつく、真夏の宵のような氣、カミに近い清らかさはあるものの、どこかで感じた、もっと身近なものに似通う重さもある。

 ああ、五条の芦原の女房だ。春昌は、愛想を尽かしてしまった品のない女のことを思い出す。
「お恨み申し上げます。私のことは、遊びだったのですね。これほどお慕い申し上げても、お返事もくださいませんのね」
涙で白粉がはがれ、それでもこちらの氣持ちが変わるのを期待するように、袖の間から覗く、どこかずる賢い女の視線。こびりつく妄執。離すまいと縋り付く、重い、重い、想い。

「おのれ。出たか」
春昌は、身構えた。だが、氣はそれ以上近寄ってこようとはしなかった、それどころか、急激に規模を小さくしている。

「なぜ……。私は、あなたを待っていただけなのに……」

 春昌は、ひと息つくと、身を正して大津宮の門へと歩を進めた。そして、怖々と、しかし、氣を引かんとするように、こちらの身に度々触れる例の氣を感じながら、礼を尽くして訪問の意を伝えた。

「お待ち申し上げておりました」
中からは、年を経た郎党が深々と頭を下げて迎え入れる。何人かの老女と、桜の移植のためにすでに控えている人足たちが土に手をついて都からの陰陽寮職員を迎えた。

「実は、平野神社には前斎王様がお忍びでお見えになっており、この桜の到着を待っているとの報せがございました。長旅でお疲れの所、誠に申しわけございませんが、すぐにはじめていただきたいのです」

 春昌は眉をひそめた。
「吉日である明日に事をはじめるよう、準備をして参りました。今すぐはじめるのであれば、再び方位を計算しなおさねばなりませぬ」

「それでも、是非」
「明日から始めたのでは、前斎王様の物忌みにさしつかえてしまうのです」

 春昌は大きくため息をついた。わがままな内親王め。こっちの迷惑も考えろ。だが顔に出すわけにはいかない。まじめに計算しなおしていたら、明日になってしまう。彼は、腹を決めて、桜の木の助けを求める事にした。こちらにはありとあらゆる星神の位置を鑑みて計算しなければわからない事でも、この桜にははっきりわかっているはずだ。本人にとって大切な事なのだから、文句は言わずに教えてくれてもいいだろう。

 彼は黙って、桜の前に座った。新緑の燃え立つ、葉桜だ。しかし、いまだに満開の花氣を発している。奇妙な木だ。師のおっしゃっていた意味が分からない。この木の痛みを感じる事がどうして私のためになるのか。

「私に何をしてほしいの?」

 春昌は、声に出さずに、木に語りかける。
「今すぐに、あなたを平野神社に遷さねばなりませぬ。予定してきた明日の方位は使えませぬ。あなたにとって一番の移動の方位をお示しください」

「なぜ、ここにいてはいけないの? 私は、待っているのです。ここにいないと、あの方は私に帰り着かないでしょう」
「平野神社にお連れするのは、主上さまの御意志です。あなたをもう一本の桜と一緒にするためだそうです」

「どの桜?」
「あなたと同じく《妹背の桜》と呼ばれる御所にある桜です。確か、吉野ではあなたと一緒に立っていて、みまかりし先の帝がここと御所とに……」
「ああ、ああ、ああ」
春昌が語り終えるのを待たずに、桜の氣は再び大きくなった。激しい歓びの氣だ。
「今すぐに平野神社に行けば、また私たちは一緒になれるのですね」

 急にハッキリとした意志を持ったかのように、桜は氣を尖らせてまっすぐに近淡海の南端を示した。その先には、石山寺がある。一夜を明かすのにふさわしい。そして、そこから再び折れてまっすぐに平野神社の方位を示した。春昌はかしこまり、その方位を懐紙にしたためた。

* * *


 平野神社に着いたのは二日後の夕暮れだった。ねっとりとした女の氣に辟易しながらも、それにも慣れてきた頃だった。何ゆえにこの桜は、いつまでも満開の氣をしているのだろう。なぜ、これまで誰も祓おうとしなかったのだろう。明らかに、ただの桜ではないのに。旅の途上で春昌が思う度に、桜は責めるように、けれど、どこか誘うように生温い氣を這わせてくるのだった。それで、春昌は一刻も早く、物好きな前斎王にこの木を引き渡したいと願った。

 平野神社には、驚いた事に、御所にあったもう一本の桜が既に届いていた。そちらは、当然のごとく花の氣ではなく、季節に応じた氣を漂わせていたが、御所で見た時のような凡庸なものではなく、内側から震えるように輝き、大津の《妹背の桜》を心待ちにしていた事がわかった。

「ようやく、ようやく、願いが叶った」
「ああ、やっと、ほんとうにお逢いできたのですね。あなた……」

 すべての儀式を終え、退出の準備をしている所に、位の高そうな女房が近づいてきた。
「もうし……」

 春昌が、かしこまると、前斎王様が直々にお逢いしたいと仰せだと春昌を本殿へと連れていった。春昌は言われた通りに、本殿の前に用意された桟敷の上に座り、頭を下げた。

 御簾の向こうから衣擦れの音がした。
「どうぞ、頭を上げてください」
暖かく、深い声が聞こえてきた。名に聞こえた伝説の斎王がその場にいる。春昌は武者震いを一つした。

「無理を言った事をお許しくださいね。どうしても、一刻も早く桜を見たかったのです。主上さまや陰陽頭には私から重ねて礼を伝えさせていただくわ」
やれやれ。そうこなくては。春昌はかえって都合が良くなってきたと腹の内で喜んだ。

「あなたは、とても早く新しい方位を割り出してくださったと、みなが驚いていました。どうやったのですか?」
長く斎王をつとめ、賀茂大御神に愛された偉大な巫女ともあろう方が、このような質問をするとは。
「《妹背の桜》ご自身にお伺いしたのです。急な変更で、計算する時間がございませんでしたので」

 前斎王は、はっと息を飲むと、衣擦れの音をさせた。御簾にもっと近づいたらしい。
「話をしたのですね。あなたは、桜と話せるのですね」

 なんと、このお方は「見えぬ者」なのか。わずかに呆れながらも春昌はかしこまった。
「教えてください。桜はなんと言っていましたか。私の決定は間違っていないと言っていましたか」

 春昌は、面を上げて、御簾の、前斎王がいると思われる場所をしっかりと見据えて答えた。
「ご安心くださいませ。かの桜の喜びようは、またとないほどでございました」
「桜が……喜んでいるのね」
「はい」

 御簾の向こうから嗚咽が聞こえた。どれほど長い事、こらえていたのだろうか。引き絞るような深い想いだった。春昌は、御簾の向こうの前斎王の強い氣を感じた。それは、一瞬にして甦った過ぎ去りし時の記憶だった。春昌のまったく知らない人びとの幻影が通り過ぎる。衣冠をつけた若く凛々しい青年、華やかで匂いたつような美しい女、帝の装束を身に着けた壮年の男、高貴で快活な青年……。二本の桜から立ち昇る歓びの氣と、前斎王の記憶に混じる楽しさの底に、同じ哀しみが流れている。春昌が、これまで愚か者の妄執と片付けていた、ひとの情念。生きていく事そのものの哀しみと痛み。

 ああ、師のおっしゃっていた、感じてくるべき痛みとはこの事なのだろうか。悼むというのは、この感情を持つ事なのだろうか。

 前斎王がこの桜にどのような縁があるのかはわからなかった。だが泣いているということは、相当深い縁なのであろう。三人の帝に、斎王として仕えた長い人生。我々が知る事も出来ないほどの過去に、何かがあったのであろう。春昌は退出すると、狂喜乱舞しながら哭く二つの桜の氣を背中に感じて、京への帰途に着いた。

 別れ際の前斎王の言葉が耳に残る。
「あなたのように、本当に能力のある人が、主上さまにお仕えしているのは、頼もしい事です」
「もったいなきお言葉です」

「つい先日、あなたのように素晴らしい能力を持った方にお会いしたわ。奥出雲で」
「樋水の媛巫女さまでございますか」
「ご存知なの?」
「滅相もございません。お名前を噂で漏れ聞くばかりでございます」

「そう。お美しい方でした。神に愛されるというのは、ああいう方の事をいうのね」
この私とは正反対だな。春昌は心の中で笑った。

「陰陽寮と奥出雲、場所も立場も違いますが、あなた方のような若い人たちに未来を託せるというのは嬉しい事です」

 前斎王の声には、疲れが響いていた。長い人生。見てきた事、見続けるだけで果たせなかった事。未来を夢みる事のなくなった響き。
「私は、ようやくこれで、安心して眼をつぶれます。大切な二本の桜が私を弔ってくれる事でしょう」

 帝の内親王として何不自由なく育った女の低いつぶやくようなささやきは、春昌の心にしみた。生まれの高いものを羨み、妬みや悔しさに身を焼く自分の苦しみは、この女にはなかったであろう。だが、そうではない痛みに長く貫かれてきたのだろうことは、彼にも想像できた。やんごとなき血に生まれようとも、何十年ものあいだ神聖なる社で過ごそうとも、人はやはり人なのだった。春昌もまた、陰陽寮にて市井では得られぬ知識を学び、他の者には見えぬものを見て祓うことができようとも、ひとの心の中にうごめく情念と哀しみは如何ともしがたかった。

 人はみな、苦しみや哀しみと無縁ではいられぬのであろうか。呪を操る世界に生きるという事は、このような哀しみと痛みを感じ続けるという事なのだろうか。師のおっしゃっていたのは、こういうことなのだろうか。

 彼は初夏の風を受けながら、魍魎のうごめく京へと戻っていった。大津の自由な風、歓びに震える桜の木の叫び、そして、哀しく終焉を待つ女の静かな祈りは春昌の中に残り、静かに沈んでいった。彼が陰陽頭である賀茂保嵩の推薦を受けてようやく陰陽師となったのは、それから二年後の事であった。

(初出:2013年2月 書き下ろし)

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Tag : 小説

Posted by 八少女 夕

アプフェル・クーヘンは暖めて

本日は、食いしん坊モードで。

アップフェル・クーヘン

これは近くのレストランで食べたのですが。

冬のドイツ系ヨーロッパで食べる代表的なお菓子にアプフェル・シュトゥルーデルがありますよね。それとどう違うのかというと、皮の部分がちょっと違うのです。こちらクーヘンは、まあ、普通の皮なんですよね。(それじゃわからん!)

で、中身はほとんど一緒で、甘く煮たリンゴが入っています。シナモンがかかっているのもお約束。クリームやバニラソースと一緒にいただきます。個人的には暖めてあるのが好きです。それにミルクコーヒー。至福のひとときですよ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】「樋水龍神縁起」 外伝 — 桜の方違え — 競艶「妹背の桜」

scriviamo!


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TOM-Fさんは、「樋水龍神縁起」の媛巫女瑠璃を登場させて「妹背の桜」の外伝を書いてくださいました。ありがとうございます!


TOM-Fさんの書いてくださった小説『花守-平野妹背桜縁起-』「妹背の桜」外伝 競艶 「樋水龍神縁起」

現在TOM-Fさんが執筆連載中の「フェアリ ーテイルズ・オブ・エーデルワイス」は舞台がロンドンで、「大道芸人たち」のキャラが押し掛けて、当ブログ最初のコラボ作品を実現する事が出来ました。TOM-Fさんはとても氣さくで、「コラボしたい〜」という無茶なお願いを快く引き受けてくださったのです。ですから今回のコラボは二度目です。TOM-Fさんの「妹背の桜」は、私と交流をはじめる前に完結なさっていた小説です。もともとは天平時代の衣通姫伝説を下敷きにしているミステリー風味のある時代小説ですが、設定上は平安時代のお話になっています。そこで確かに「樋水龍神縁起」の二人と時代が重なるわけです。

お返しは、最初はストレートに瑠璃媛を出そうかと思ったのですが、この女性、この時点では出雲から一歩も出たことのない田舎者ですし、キャラ同士の話の接点が作れません。そこで思いついたのが、もう一人の主役、安達春昌。こっちはフットワークも軽いですしね。TOM-Fさんの「妹背の桜」からは橘花王女と桜を二本お借りしました。ありがとうございました! 『花守-平野妹背桜縁起-』を受けての桜の移植がメインの話になっています。

もっとも、「瑠璃媛」だの「安達春昌」だのいわれても、「誰それ?」な方が大半だと思います。「樋水龍神縁起」本編は、FC2小説と別館の方でだけ公開しているからです。だからといって、「scriviamo!」のためだけにこの四部作を今すぐ読めというのは酷なので(もし、これで興味を持ってくださいましたら、そのうちにお読みいただければ幸いです)、一部を先日断片小説として公開いたしました。この二人は基本的に本編にもここにしか登場しないので、手っ取り早くどんなキャラなのかがわかると思います。ご参考までに。


この小説に関連する断片小説「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より「樋水の媛巫女」」


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「樋水龍神縁起」 外伝 — 桜の方違え — 競艶「妹背の桜」
——Special thanks to TOM-F-SAN


 退出する時に、左近の桜をちらりと見た。花はとうに散り、若々しい緑が燃え立つが、特別な氣も何も感じない、若い桜だ。ただ、南殿にあるということだけが、この木に意味を持たせている。殿上人たちと変わりはない。今これから動かしにいく大津宮の桜も同じであろう。かつての帝が植えさせたというだけ。斎王を辞したばかりの内親王に下賜され、平野神社に遷されるのだそうだ。木の方違えとはいえ、師がご自分で行かないということは、やはり大した仕事ではないのであろう。

 安達春昌は二年ほど前に陰陽寮に召し抱えられたばかりの年若き少属である。彼は安倍氏の流れもくまず賀茂氏とも姻戚関係はなく、安達の家から御所への立ち入りを許された最初の者であった。従って、本来ならば殿上人にお目見えする機会などもないはずであったが、あらゆる方面にすぐれた知識を持つだけでなく、陰陽頭である賀茂保嵩がここぞという祓いにかならず同行するので、すでに右大臣にも顔と名を知られていた。とはいえ、彼はいまだに従七位上である陰陽師よりも遥かに下位の大初位上の身、昇殿などは望むべくもなかった。

 春昌は野心に満ちて驕慢な男であったが、陰陽頭に対しては従順であった。摂津にいた彼を見出し、その力を買って陰陽寮に属する見習い、得業生にしてくれたのは他でもない陰陽頭であった。それは彼の力が見えているということだった。実をいうと、陰陽寮には「見えるもの」は数名のみであった。見えていない者が判官となり助となっていることは春昌を驚かせたが、彼の力と野心をしても、いまだに陰陽師どころか大属への道も開けなかった。生まれ持った身分で人生が決定するこの世の常は、彼を苦しめた。はやく手柄を、明確な力を示す実績を。春昌は焦っていた。

 それだというのに、桜の方違えだ。御所の庭にも《妹背の桜》と言われる桜が植わっている。大津の同じ名で呼ばれる桜とともに平野神社へ遷されるという木で、もともとは二本揃って吉野に立っていたものだと聞かされた。春には滴るごとく花を咲かせ見事な木ではあるが、それだけのことで陰陽寮の者による方違えが必要とも思えぬ。同じような木であるならば、何ゆえ師は、この私に大津へ行けなどと申し付けられたのか。

「よいか。今、私と安倍博士は御所を離れられぬ。ここしばらく皇子様の瘧、甚だしく、しかも祓っても祓っても、よからぬものが戻ってくる。だが、あの桜の方違いに『見えぬ』陰陽師を遣わすわけにはいかぬ」
陰陽頭みずからにそういわれては、「私めも皇子様の祓いに加わらせてくださいませ」とは言えなかった。

「その桜には、何かが取り憑いているのですか。平野神社に遷す前にそれを祓えばいいのでしょうか」
春昌が、手をついて伺うと、陰陽頭は小さく首を振った。
「確かに特別な桜だが、何も祓う必要はない。祓うなどという事も不可能であろう。平野神社に着くまでに、怪異が起らぬように、そなたが監視すればそれでよい」

 なんだ、やはり大したことのない仕事か。その思いが顔に出たのであろう、陰陽頭はじっと春昌を見て、それから、つと膝を進めた。
「春昌、そなたに言っておくことがある」
そして、安倍天文博士に目配せをした。頷いた博士はその場にいたすべての者を連れて部屋を出て行った。

「春昌。そなた、ここに来て何年になる」
陰陽頭は、厳しい表情の中にも、暖かい声色をひそませて、この鋭敏な若者を見つめた。
「故郷でお声をかけていただいてから、八年に相成ります」

「その間、そなたは実に精励した。文字を読むのもおぼつかなかったのに、寝る間も惜しみ、五経を驚くべき速さで習い、天文の複雑な計算を覚え、医学や暦、宿曜道に通じた。他のものには見えぬ力も、強いだけで制御もままならなかったのに、たゆみなく訓練を続け、符呪をも自由に扱えるようにもなってきた」
思いもよらなかった褒め言葉に、春昌は儀礼的に頭をもっと下げた。

「だが、陰陽師になるには、それだけではだめなのだ」
春昌はその言葉を聞いて、弾かれたように師の顔を見た。陰陽頭の顔は曇り、目には哀れみの光がこもっていた。

「忘れてはならぬ。そなたの未来を阻んでいるのは、特定の人や、生まれついた身分などではない。その驕り高ぶった、そなたの不遜な態度なのだ」
「師。私は決して……」

「言わずともよい。そなたはまだ若く、私の言う事を腹の底から理解する事が出来ぬのはわかっている。だが、大津に行って、あの桜に対峙しなさい。あの痛みを感じるのだ。今のそなたに必要なのは、一度や二度の皇子様の祓いに参加する事などではない。よいか。大津に行かせるのは、そなたのためなのだ」

 近江は忘れられた京だった。造営の途中で戦乱となり、打ち捨てられたために、にぎわいを見せたこともなく、ただ大津宮が近淡海を見下ろすように立っている。摂津より京に上がった春昌は、近江には二度ほどしか来たことがなかった。一人でここまで来るのははじめてだった。

 伴としてついてきた下男に馬を任せ、春昌は大津宮にほど近い丘の上から近淡海を見渡した。なんという開放感。いつもの京の雑踏、光の足らぬ陰陽寮での息を殺した測量と卜占・術数が、どれほど氣をめいらせていたかがわかる。心を割って話せる友もなく、取るに足らぬ家に生まれたくせに生意氣な奴と蔑まれる日々に疲れていた事にもはじめて思い至った。

 師が言わんとした事は、わかったようで、はっきりしなかった。

 得業生となったのは私よりも後なのに、左大臣様の姻戚というだけで、あっという間に出世した判官どのや助どの。彼らに対して隠そうとも燃え立ってしまう妬みの氣を、師は見ていたのかもしれぬ。春昌はため息をついた。

 視線を背後の大津宮に移そうとして、ふと氣配を感じた。
「だれ……。あなた? あなたなの? ようやく、来てくださったの……」

 なんだ、この氣は? それは突然、風のように増幅して、丘の上を満たした。この季節に咲いているはずのない満開の桜の氣だった。これが師のおっしゃっていた桜なのか?

 春昌は、京で何度か陰陽頭とともに百鬼夜行をやりすごしたことがあり、禍々しいものを祓ったことも数多くあったので、怖れはしなかった。だが、それは悪意の漂う怨霊の氣配とはまったく異なるものだった。かといって、聖山に満ちる清浄な氣とも違っていた。

 ねっとりとまとわりつく、真夏の宵のような氣、カミに近い清らかさはあるものの、どこかで感じた、もっと身近なものに似通う重さもある。

 ああ、五条の芦原の女房だ。春昌は、愛想を尽かしてしまった品のない女のことを思い出す。
「お恨み申し上げます。私のことは、遊びだったのですね。これほどお慕い申し上げても、お返事もくださいませんのね」
涙で白粉がはがれ、それでもこちらの氣持ちが変わるのを期待するように、袖の間から覗く、どこかずる賢い女の視線。こびりつく妄執。離すまいと縋り付く、重い、重い、想い。

「おのれ。出たか」
春昌は、身構えた。だが、氣はそれ以上近寄ってこようとはしなかった、それどころか、急激に規模を小さくしている。

「なぜ……。私は、あなたを待っていただけなのに……」

 春昌は、ひと息つくと、身を正して大津宮の門へと歩を進めた。そして、怖々と、しかし、氣を引かんとするように、こちらの身に度々触れる例の氣を感じながら、礼を尽くして訪問の意を伝えた。

「お待ち申し上げておりました」
中からは、年を経た郎党が深々と頭を下げて迎え入れる。何人かの老女と、桜の移植のためにすでに控えている人足たちが土に手をついて都からの陰陽寮職員を迎えた。

「実は、平野神社には前斎王様がお忍びでお見えになっており、この桜の到着を待っているとの報せがございました。長旅でお疲れの所、誠に申しわけございませんが、すぐにはじめていただきたいのです」

 春昌は眉をひそめた。
「吉日である明日に事をはじめるよう、準備をして参りました。今すぐはじめるのであれば、再び方位を計算しなおさねばなりませぬ」

「それでも、是非」
「明日から始めたのでは、前斎王様の物忌みにさしつかえてしまうのです」

 春昌は大きくため息をついた。わがままな内親王め。こっちの迷惑も考えろ。だが顔に出すわけにはいかない。まじめに計算しなおしていたら、明日になってしまう。彼は、腹を決めて、桜の木の助けを求める事にした。こちらにはありとあらゆる星神の位置を鑑みて計算しなければわからない事でも、この桜にははっきりわかっているはずだ。本人にとって大切な事なのだから、文句は言わずに教えてくれてもいいだろう。

 彼は黙って、桜の前に座った。新緑の燃え立つ、葉桜だ。しかし、いまだに満開の花氣を発している。奇妙な木だ。師のおっしゃっていた意味が分からない。この木の痛みを感じる事がどうして私のためになるのか。

「私に何をしてほしいの?」

 春昌は、声に出さずに、木に語りかける。
「今すぐに、あなたを平野神社に遷さねばなりませぬ。予定してきた明日の方位は使えませぬ。あなたにとって一番の移動の方位をお示しください」

「なぜ、ここにいてはいけないの? 私は、待っているのです。ここにいないと、あの方は私に帰り着かないでしょう」
「平野神社にお連れするのは、主上さまの御意志です。あなたをもう一本の桜と一緒にするためだそうです」

「どの桜?」
「あなたと同じく《妹背の桜》と呼ばれる御所にある桜です。確か、吉野ではあなたと一緒に立っていて、みまかりし先の帝がここと御所とに……」
「ああ、ああ、ああ」
春昌が語り終えるのを待たずに、桜の氣は再び大きくなった。激しい歓びの氣だ。
「今すぐに平野神社に行けば、また私たちは一緒になれるのですね」

 急にハッキリとした意志を持ったかのように、桜は氣を尖らせてまっすぐに近淡海の南端を示した。その先には、石山寺がある。一夜を明かすのにふさわしい。そして、そこから再び折れてまっすぐに平野神社の方位を示した。春昌はかしこまり、その方位を懐紙にしたためた。

* * *


 平野神社に着いたのは二日後の夕暮れだった。ねっとりとした女の氣に辟易しながらも、それにも慣れてきた頃だった。何ゆえにこの桜は、いつまでも満開の氣をしているのだろう。なぜ、これまで誰も祓おうとしなかったのだろう。明らかに、ただの桜ではないのに。旅の途上で春昌が思う度に、桜は責めるように、けれど、どこか誘うように生温い氣を這わせてくるのだった。それで、春昌は一刻も早く、物好きな前斎王にこの木を引き渡したいと願った。

 平野神社には、驚いた事に、御所にあったもう一本の桜が既に届いていた。そちらは、当然のごとく花の氣ではなく、季節に応じた氣を漂わせていたが、御所で見た時のような凡庸なものではなく、内側から震えるように輝き、大津の《妹背の桜》を心待ちにしていた事がわかった。

「ようやく、ようやく、願いが叶った」
「ああ、やっと、ほんとうにお逢いできたのですね。あなた……」

 すべての儀式を終え、退出の準備をしている所に、位の高そうな女房が近づいてきた。
「もうし……」

 春昌が、かしこまると、前斎王様が直々にお逢いしたいと仰せだと春昌を本殿へと連れていった。春昌は言われた通りに、本殿の前に用意された桟敷の上に座り、頭を下げた。

 御簾の向こうから衣擦れの音がした。
「どうぞ、頭を上げてください」
暖かく、深い声が聞こえてきた。名に聞こえた伝説の斎王がその場にいる。春昌は武者震いを一つした。

「無理を言った事をお許しくださいね。どうしても、一刻も早く桜を見たかったのです。主上さまや陰陽頭には私から重ねて礼を伝えさせていただくわ」
やれやれ。そうこなくては。春昌はかえって都合が良くなってきたと腹の内で喜んだ。

「あなたは、とても早く新しい方位を割り出してくださったと、みなが驚いていました。どうやったのですか?」
長く斎王をつとめ、賀茂大御神に愛された偉大な巫女ともあろう方が、このような質問をするとは。
「《妹背の桜》ご自身にお伺いしたのです。急な変更で、計算する時間がございませんでしたので」

 前斎王は、はっと息を飲むと、衣擦れの音をさせた。御簾にもっと近づいたらしい。
「話をしたのですね。あなたは、桜と話せるのですね」

 なんと、このお方は「見えぬ者」なのか。わずかに呆れながらも春昌はかしこまった。
「教えてください。桜はなんと言っていましたか。私の決定は間違っていないと言っていましたか」

 春昌は、面を上げて、御簾の、前斎王がいると思われる場所をしっかりと見据えて答えた。
「ご安心くださいませ。かの桜の喜びようは、またとないほどでございました」
「桜が……喜んでいるのね」
「はい」

 御簾の向こうから嗚咽が聞こえた。どれほど長い事、こらえていたのだろうか。引き絞るような深い想いだった。春昌は、御簾の向こうの前斎王の強い氣を感じた。それは、一瞬にして甦った過ぎ去りし時の記憶だった。春昌のまったく知らない人びとの幻影が通り過ぎる。衣冠をつけた若く凛々しい青年、華やかで匂いたつような美しい女、帝の装束を身に着けた壮年の男、高貴で快活な青年……。二本の桜から立ち昇る歓びの氣と、前斎王の記憶に混じる楽しさの底に、同じ哀しみが流れている。春昌が、これまで愚か者の妄執と片付けていた、ひとの情念。生きていく事そのものの哀しみと痛み。

 ああ、師のおっしゃっていた、感じてくるべき痛みとはこの事なのだろうか。悼むというのは、この感情を持つ事なのだろうか。

 前斎王がこの桜にどのような縁があるのかはわからなかった。だが泣いているということは、相当深い縁なのであろう。三人の帝に、斎王として仕えた長い人生。我々が知る事も出来ないほどの過去に、何かがあったのであろう。春昌は退出すると、狂喜乱舞しながら哭く二つの桜の氣を背中に感じて、京への帰途に着いた。

 別れ際の前斎王の言葉が耳に残る。
「あなたのように、本当に能力のある人が、主上さまにお仕えしているのは、頼もしい事です」
「もったいなきお言葉です」

「つい先日、あなたのように素晴らしい能力を持った方にお会いしたわ。奥出雲で」
「樋水の媛巫女さまでございますか」
「ご存知なの?」
「滅相もございません。お名前を噂で漏れ聞くばかりでございます」

「そう。お美しい方でした。神に愛されるというのは、ああいう方の事をいうのね」
この私とは正反対だな。春昌は心の中で笑った。

「陰陽寮と奥出雲、場所も立場も違いますが、あなた方のような若い人たちに未来を託せるというのは嬉しい事です」

 前斎王の声には、疲れが響いていた。長い人生。見てきた事、見続けるだけで果たせなかった事。未来を夢みる事のなくなった響き。
「私は、ようやくこれで、安心して眼をつぶれます。大切な二本の桜が私を弔ってくれる事でしょう」

 帝の内親王として何不自由なく育った女の低いつぶやくようなささやきは、春昌の心にしみた。生まれの高いものを羨み、妬みや悔しさに身を焼く自分の苦しみは、この女にはなかったであろう。だが、そうではない痛みに長く貫かれてきたのだろうことは、彼にも想像できた。やんごとなき血に生まれようとも、何十年ものあいだ神聖なる社で過ごそうとも、人はやはり人なのだった。春昌もまた、陰陽寮にて市井では得られぬ知識を学び、他の者には見えぬものを見て祓うことができようとも、ひとの心の中にうごめく情念と哀しみは如何ともしがたかった。

 人はみな、苦しみや哀しみと無縁ではいられぬのであろうか。呪を操る世界に生きるという事は、このような哀しみと痛みを感じ続けるという事なのだろうか。師のおっしゃっていたのは、こういうことなのだろうか。

 彼は初夏の風を受けながら、魍魎のうごめく京へと戻っていった。大津の自由な風、歓びに震える桜の木の叫び、そして、哀しく終焉を待つ女の静かな祈りは春昌の中に残り、静かに沈んでいった。彼が陰陽頭である賀茂保嵩の推薦を受けてようやく陰陽師となったのは、それから二年後の事であった。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2013
Tag : 小説 読み切り小説 月刊・Stella コラボ リクエスト

Posted by 八少女 夕

「みかんの白いスジ、取る?取らない?」

「scriviamo!」の小説が続いていますので、毎週水曜日の小説発表、今週はお休みします。さすがに週に三本の小説って、読まされる方は苦痛でしょうし。こちらはみなさんに続々と感想をいただけて、死ぬほど嬉しいのではありますが……。

さて、そういうわけでトラックバックテーマです。(どういうわけ?)


みかんのスジ、取るかとらないかと訊かれれば、取るんですけれどね。でも、積極的に取る訳ではないです。基本的に野菜や果物は、食べられる所はすべて食べた方がいいと思っていまして、でも、リンゴの芯やジャガイモの芽のように食べられない所は仕方なく食べない、というスタンスなのです。

連れ合いが関節炎になって以来、食生活を変えました。知り合いの自然療法医に薦められて尿酸を減らすような食事に変えた訳です。それを実践しているうちに、マクロビオティックの考え方なども知り、実際には全然マクロビではないし、ベジタリアンでもない生活ですが、少しそれに近い方向を目指していたりする訳です。で、「一物全体」の考え方を取り入れると、白米よりも玄米、精製薄力粉よりも全粒粉、そしてリンゴも皮ごと、という話になる訳です。

そして、みかんの白いスジですよ。ものすごく太いのは氣になるので取っちゃうのですが、もともとみかんの白いスジって、漢方薬にもなるんですよね。取っちゃダメじゃん、という思いがあって、結局中途半端に食べています。書いていて思ったけれど、ヘタレですね、私。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「みかんの白いスジ、取る?取らない?」です。日本の冬といえばこたつ!そしてこたつにはみかんもう2月になってしまいましたが、まだまだこたつが大活躍しているお家もあるでしょう。ちなみにほうじょうの家にはこたつはありませんみかんの皮をむくと、実に白いスジがついていて、それを几帳面にきれいにはがして食べる人っているじゃないですか...
トラックバックテーマ 第1602回「みかんの白いスジ、取る?取らない?」

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Posted by 八少女 夕

【小説】君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作

この記事はカテゴリー表示用のコピーです。

scriviamo!


「scriviamo!」の第十二弾です。


栗栖紗那さんは、「大道芸人たち Artistas callejeros」の蝶子を描いてくださいました。ありがとうございます!


蝶子 on コルシカフェリー

お返しは詩か小説でとのご希望でしたので、せっかくなので紗那さんのオリキャラをお借りした小説にしようかなと考えました。紗那さんは正統派のライトノベル作家さんです。「グランベル魔法街へようこそ 」や「まおー」などたくさんのラノベを発表なさっていらして、私もひそかに(全然ひそかじゃないかも)お氣に入りキャラに入れあげたりしているのですが、私にラノベは「無理」です。それでもめげずに二次創作するために、私でも書けそうな題材を探してしまいました。

お借りした小説は、私のサイトでいう所の「断片小説」で、一部だけ発表なさっていて、まだ全貌がわからないもの。でも、一部だけなのに実に「二次創作ゴコロ」を刺戟するお話です。


お借りした断片小説『小説未満(Love flavor)』

断片を読んで勝手に出てきた妄想ですので、知らず知らずのうちに設定を壊しているかもしれません。もしそうなっていたらごめんなさい。勝手に増やした(一応、一掃しておきました)キャラですが、「蓮くんに憧れている女」か「刹那さんに惚れている男」のどちらかにしようと考えました。で、蓮くんは出てこなかったからよくわかんないので、こっちにしました。ついでに「リナ姉ちゃんのいた頃」のサブキャラがちょこっと出てきています。

「scriviamo!」について
「scriviano!」の作品を全部読む



君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作
——Special thanks to SHANA-SAN


「コーキ先輩っ!」
バタバタと駆けてきたのは、遊佐栄二だった。

「次期生徒会長が廊下を走るな」
東野恒樹は振り向きながら、そう言った。

「いや、廊下どころじゃないっすよ。本当なんですか? 生徒会長が、転校していなくなるなんて、前代未聞ですよ!」
恒樹は肩をすくめた。
「生徒会長が、じゃないだろう。俺が生徒会長なのは、今月いっぱい。いなくなるのは来月だ」

「だっ、だけどっ。コーキ先輩がフォローしてくれると思ったから立候補したのにっ」
知るか。俺がいつ、院政を敷くって言ったんだよ。
「俺も、前任者も、はじめは新米会長だったんだ。お前も頑張れ。副会長はしっかり者だし、力を合わせてやればなんとかなるよ」

 栄二を軽くあしらいながら、恒樹は廊下に出てきたばかりの彼女が二人の会話を耳にとめてこちらを見たのを感じた。ゆっくりと前を通り過ぎる。蜂蜜色の長い髪を目の端で捉えながら、彼は氣にもとめない様子で歩いていった。

「東野くん」
ハスキーな声が、恒樹を押しとどめた。恒樹は振り向いて、まともに白鷺刹那を見た。刹那は片手に日誌を持っていた。

「職員室に行くなら、これ持っていってよ」
「わかった」
短く答えて、手を出したが、彼女は恒樹がそれをつかむ直前に、引っ込めた。

「なんだよ」
「本当なの。転校するのって」

「転校っていうのが適当かどうかはわかんないけど、来月からここにいないのは本当さ」
「きいていない」
「お前の許可はいらないだろう」

 栄二は、二人の間のただならぬ空氣を感知して、そそくさと去っていった。このそつのなさが、学力や押しの弱さをカバーして、生徒会長選挙で有利に働いた事は間違いないだろう。その調子で荒波を泳ぎ抜け。

 栄二の背中を見送っている恒樹を、刹那は日誌ではたいた。
「いてっ。なんだよ」
「どこへ行くのよ」
「ロンドン」

「なんで」
「親の転勤だよ」

「ついていく事、ないでしょう」
「最初は下宿してでもここに残ろうかと思ったんだ。だけど……」

「だけど、何」
「親が借りた部屋が、ベイカー街にあるんだよ。シャーロッキアンの俺としては行くしかないだろう?」
恒樹はおどけてみせた。それは、半分本当だった。そして残りの半分は、いま目の前でこちらを睨みつけているのだ。

「ボクは……」
刹那は口走ってから、はっとして、唇をかみながら下を向いた。それから小さな声を出した。
「蓮は知っているの?」
やっぱり蓮か……。

「親が転勤になるかもとは言ったけれど、決めた事はまだ言っていないよ。胡桃崎だけが知っていたらどうだっていうんだよ」
刹那はきっと睨みつけた。
「そうだね。ボクには関係ないよね」

 恒樹には刹那がそれを氣にしているのが意外だった。俺にはずっと興味もなかったじゃないか。

 胡桃崎蓮と白鷺刹那とは、幼なじみだった。もちろん、蓮と刹那の絆ほど固いわけではない。小学校からずっと同じ学校に通っていたというだけだ。放課後に二人と遊んだのは小学生までだった。中学に入ると恒樹は塾通いが忙しくて二人と疎遠になった。モデルになった刹那にも時間がなくなった。蓮にも彼女が出来て、話をする事が少なくなった。それに、あの事件が起ってから、蓮は心を閉ざしている。

 恒樹はずっと知りたかった。そして、知るのが怖かった。あの夜、刹那が本当に意味していた事を。あれはあの事件からそんなに経っていなかった。モデルの仕事が忙しくて、滅多に会えない刹那が、あの事件の後だけは仕事をしばらく休み、合唱部によく顔を出していたのだ。事件のショックをどう咀嚼していいのかわからなかったのだろう。久しぶりに見る刹那は恒樹には眩しかった。見る度に美しくなっていき、モデルになって届かない所に行ってしまっていたかのようだったのに、中身はほとんど昔と変わっていないように思えた。

 その夜、帰宅の途中で偶然二人だけになった時に、恒樹は突然、告白しようと思い立ったのだ。
「なあ、白鷺。俺、実はさ、ずっとお前の事を……」

 けれど、刹那はそれを遮った。
「だめ。お願い、何も言わないで」

 刹那は瞳を閉じて立ちすくんでいた。
「ダメだよ。男とか女とか、つき合うとかそんなんじゃなくて、ボクと蓮と、ただ遊んでいられたあの頃みたいに、ずっと友だちのままでいさせてよ」

「やっぱり、蓮なのか。お前が好きなのは」
恒樹は、打ちのめされて口にした。

「だから、そういうんじゃなくて。どっちにしても、蓮にあんな事があったばかりなのに、今、ボクが彼氏とかつくっている場合じゃないでしょ。あれは、ボクのせい……」
「白鷺のせいじゃない。犯人だってつかまったじゃないか!」

 蓮の最愛の彼女が、通り魔に殺されたのはデートの後だった。刹那が仕事の帰りに蓮に迎えにきてほしいと頼んだので、彼女は一人で帰ったのだ。恒樹は自分を責めて苦しんでいる刹那を見ているのが辛かった。

「ごめん。東野くん。ボク、何も聞かなかった。だから、ずっとこのままでいようよ。ボクと、蓮と、それから東野くんと……」

 それが体よく振るための口実だったのか、それとも刹那の本当の願いだったのか、恒樹にはわからなかった。でも、そのまま合唱部にいるのがいたたまれなくなり、恒樹は生徒会の方にのめり込んだ。刹那とは疎遠となり、あれ以来ほとんど話をしていなかった。

「ボクには関係ないよね」
そういう刹那に「そうだよ。お前が俺を振ったんだろ」と突き放す事も出来る。でも、俺はまだ引きずってんだよっ。恒樹は腹の中で舌打をする。

 勝手な話だが、蓮と刹那が上手くいってくれればいいと思う。亡くなった彼女や事件のことを蓮が忘れる事は出来ないだろう。でも、蓮だって前を向いて進んでいかなくちゃならない。白鷺と蓮はお似合いだ。あいつだったら、俺でも仕方ないと思える。容姿や頭の出来がいいだけじゃない。本当にいいやつだから。

「みんな、バラバラに離れていっちゃう……」
刹那が小さくつぶやいた。

「お前には蓮がいるだろ。俺なんかいてもいなくても……」
「誰がそんな事、言ったよ!」
刹那は叫んだ。

「あの時、言ったじゃないか。ずっと、あの頃のままでいたかったって。男とか、女とか、将来とか、夢とか関係なく、今だけを見て遊んでいられたあの頃……」
「白鷺……」

「東野くんなんか、ベイカー街でにも、パスカヴィル家にでも、行っちゃえばいいんだ」
刹那は日誌を恒樹の手に押し付けると、そのまま走って去っていった。

 ってことは、あれは口実ではなかったんだな。けれど、恒樹には、いまだにわからなかった。あの頃のままでいたいというのは、蓮との間に彼女の存在などなかったからなのか、それとも彼女が「女」になってしまう前の存在に戻りたいからなのか。ふ。どっちにしても彼女には、俺の彼女になるという選択は徹底的にないらしい。

 長い蜂蜜色の髪が揺れていた。潤んだ瞳が心を突き刺した。容姿にまったく合わない、一人称と性格。人生のはじめに、お前みたいな女に会うなんて、本当に厄介だ。これを忘れるってのはずいぶんな大事業だな。何もかも全く異なる所で人生をリセットするぐらいがちょうどいいんだ。

 彼女のぬくもりのわずかに残る日誌を手にして、恒樹はしばらく夕陽の射し込む廊下に佇んでいた。金髪の女なんか珍しくもない国に行くんだ。スタイルのいい女だってたくさんいるだろう。これ以上貴重な青春を、見込みのない片想いに費やす事もないさ。恒樹は日誌を手でもてあそびながら、職員室に向けて歩き出した。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・リナ姉ちゃんのいた頃)
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃

Posted by 八少女 夕

【小説】君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作

scriviamo!


「scriviamo!」の第十二弾です。


栗栖紗那さんは、「大道芸人たち Artistas callejeros」の蝶子を描いてくださいました。ありがとうございます!


蝶子 on コルシカフェリー

お返しは詩か小説でとのご希望でしたので、せっかくなので紗那さんのオリキャラをお借りした小説にしようかなと考えました。紗那さんは正統派のライトノベル作家さんです。「グランベル魔法街へようこそ 」や「まおー」などたくさんのラノベを発表なさっていらして、私もひそかに(全然ひそかじゃないかも)お氣に入りキャラに入れあげたりしているのですが、私にラノベは「無理」です。それでもめげずに二次創作するために、私でも書けそうな題材を探してしまいました。

お借りした小説は、私のサイトでいう所の「断片小説」で、一部だけ発表なさっていて、まだ全貌がわからないもの。でも、一部だけなのに実に「二次創作ゴコロ」を刺戟するお話です。


お借りした断片小説『小説未満(Love flavor)』

断片を読んで勝手に出てきた妄想ですので、知らず知らずのうちに設定を壊しているかもしれません。もしそうなっていたらごめんなさい。勝手に増やした(一応、一掃しておきました)キャラですが、「蓮くんに憧れている女」か「刹那さんに惚れている男」のどちらかにしようと考えました。で、蓮くんは出てこなかったからよくわかんないので、こっちにしました。ついでに「リナ姉ちゃんのいた頃」のサブキャラがちょこっと出てきています。

「scriviamo!」について
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君をあきらめるために - 「Love flavor」二次創作
——Special thanks to SHANA-SAN


「コーキ先輩っ!」
バタバタと駆けてきたのは、遊佐栄二だった。

「次期生徒会長が廊下を走るな」
東野恒樹は振り向きながら、そう言った。

「いや、廊下どころじゃないっすよ。本当なんですか? 生徒会長が、転校していなくなるなんて、前代未聞ですよ!」
恒樹は肩をすくめた。
「生徒会長が、じゃないだろう。俺が生徒会長なのは、今月いっぱい。いなくなるのは来月だ」

「だっ、だけどっ。コーキ先輩がフォローしてくれると思ったから立候補したのにっ」
知るか。俺がいつ、院政を敷くって言ったんだよ。
「俺も、前任者も、はじめは新米会長だったんだ。お前も頑張れ。副会長はしっかり者だし、力を合わせてやればなんとかなるよ」

 栄二を軽くあしらいながら、恒樹は廊下に出てきたばかりの彼女が二人の会話を耳にとめてこちらを見たのを感じた。ゆっくりと前を通り過ぎる。蜂蜜色の長い髪を目の端で捉えながら、彼は氣にもとめない様子で歩いていった。

「東野くん」
ハスキーな声が、恒樹を押しとどめた。恒樹は振り向いて、まともに白鷺刹那を見た。刹那は片手に日誌を持っていた。

「職員室に行くなら、これ持っていってよ」
「わかった」
短く答えて、手を出したが、彼女は恒樹がそれをつかむ直前に、引っ込めた。

「なんだよ」
「本当なの。転校するのって」

「転校っていうのが適当かどうかはわかんないけど、来月からここにいないのは本当さ」
「きいていない」
「お前の許可はいらないだろう」

 栄二は、二人の間のただならぬ空氣を感知して、そそくさと去っていった。このそつのなさが、学力や押しの弱さをカバーして、生徒会長選挙で有利に働いた事は間違いないだろう。その調子で荒波を泳ぎ抜け。

 栄二の背中を見送っている恒樹を、刹那は日誌ではたいた。
「いてっ。なんだよ」
「どこへ行くのよ」
「ロンドン」

「なんで」
「親の転勤だよ」

「ついていく事、ないでしょう」
「最初は下宿してでもここに残ろうかと思ったんだ。だけど……」

「だけど、何」
「親が借りた部屋が、ベイカー街にあるんだよ。シャーロッキアンの俺としては行くしかないだろう?」
恒樹はおどけてみせた。それは、半分本当だった。そして残りの半分は、いま目の前でこちらを睨みつけているのだ。

「ボクは……」
刹那は口走ってから、はっとして、唇をかみながら下を向いた。それから小さな声を出した。
「蓮は知っているの?」
やっぱり蓮か……。

「親が転勤になるかもとは言ったけれど、決めた事はまだ言っていないよ。胡桃崎だけが知っていたらどうだっていうんだよ」
刹那はきっと睨みつけた。
「そうだね。ボクには関係ないよね」

 恒樹には刹那がそれを氣にしているのが意外だった。俺にはずっと興味もなかったじゃないか。

 胡桃崎蓮と白鷺刹那とは、幼なじみだった。もちろん、蓮と刹那の絆ほど固いわけではない。小学校からずっと同じ学校に通っていたというだけだ。放課後に二人と遊んだのは小学生までだった。中学に入ると恒樹は塾通いが忙しくて二人と疎遠になった。モデルになった刹那にも時間がなくなった。蓮にも彼女が出来て、話をする事が少なくなった。それに、あの事件が起ってから、蓮は心を閉ざしている。

 恒樹はずっと知りたかった。そして、知るのが怖かった。あの夜、刹那が本当に意味していた事を。あれはあの事件からそんなに経っていなかった。モデルの仕事が忙しくて、滅多に会えない刹那が、あの事件の後だけは仕事をしばらく休み、合唱部によく顔を出していたのだ。事件のショックをどう咀嚼していいのかわからなかったのだろう。久しぶりに見る刹那は恒樹には眩しかった。見る度に美しくなっていき、モデルになって届かない所に行ってしまっていたかのようだったのに、中身はほとんど昔と変わっていないように思えた。

 その夜、帰宅の途中で偶然二人だけになった時に、恒樹は突然、告白しようと思い立ったのだ。
「なあ、白鷺。俺、実はさ、ずっとお前の事を……」

 けれど、刹那はそれを遮った。
「だめ。お願い、何も言わないで」

 刹那は瞳を閉じて立ちすくんでいた。
「ダメだよ。男とか女とか、つき合うとかそんなんじゃなくて、ボクと蓮と、ただ遊んでいられたあの頃みたいに、ずっと友だちのままでいさせてよ」

「やっぱり、蓮なのか。お前が好きなのは」
恒樹は、打ちのめされて口にした。

「だから、そういうんじゃなくて。どっちにしても、蓮にあんな事があったばかりなのに、今、ボクが彼氏とかつくっている場合じゃないでしょ。あれは、ボクのせい……」
「白鷺のせいじゃない。犯人だってつかまったじゃないか!」

 蓮の最愛の彼女が、通り魔に殺されたのはデートの後だった。刹那が仕事の帰りに蓮に迎えにきてほしいと頼んだので、彼女は一人で帰ったのだ。恒樹は自分を責めて苦しんでいる刹那を見ているのが辛かった。

「ごめん。東野くん。ボク、何も聞かなかった。だから、ずっとこのままでいようよ。ボクと、蓮と、それから東野くんと……」

 それが体よく振るための口実だったのか、それとも刹那の本当の願いだったのか、恒樹にはわからなかった。でも、そのまま合唱部にいるのがいたたまれなくなり、恒樹は生徒会の方にのめり込んだ。刹那とは疎遠となり、あれ以来ほとんど話をしていなかった。

「ボクには関係ないよね」
そういう刹那に「そうだよ。お前が俺を振ったんだろ」と突き放す事も出来る。でも、俺はまだ引きずってんだよっ。恒樹は腹の中で舌打をする。

 勝手な話だが、蓮と刹那が上手くいってくれればいいと思う。亡くなった彼女や事件のことを蓮が忘れる事は出来ないだろう。でも、蓮だって前を向いて進んでいかなくちゃならない。白鷺と蓮はお似合いだ。あいつだったら、俺でも仕方ないと思える。容姿や頭の出来がいいだけじゃない。本当にいいやつだから。

「みんな、バラバラに離れていっちゃう……」
刹那が小さくつぶやいた。

「お前には蓮がいるだろ。俺なんかいてもいなくても……」
「誰がそんな事、言ったよ!」
刹那は叫んだ。

「あの時、言ったじゃないか。ずっと、あの頃のままでいたかったって。男とか、女とか、将来とか、夢とか関係なく、今だけを見て遊んでいられたあの頃……」
「白鷺……」

「東野くんなんか、ベイカー街でにも、パスカヴィル家にでも、行っちゃえばいいんだ」
刹那は日誌を恒樹の手に押し付けると、そのまま走って去っていった。

 ってことは、あれは口実ではなかったんだな。けれど、恒樹には、いまだにわからなかった。あの頃のままでいたいというのは、蓮との間に彼女の存在などなかったからなのか、それとも彼女が「女」になってしまう前の存在に戻りたいからなのか。ふ。どっちにしても彼女には、俺の彼女になるという選択は徹底的にないらしい。

 長い蜂蜜色の髪が揺れていた。潤んだ瞳が心を突き刺した。容姿にまったく合わない、一人称と性格。人生のはじめに、お前みたいな女に会うなんて、本当に厄介だ。これを忘れるってのはずいぶんな大事業だな。何もかも全く異なる所で人生をリセットするぐらいがちょうどいいんだ。

 彼女のぬくもりのわずかに残る日誌を手にして、恒樹はしばらく夕陽の射し込む廊下に佇んでいた。金髪の女なんか珍しくもない国に行くんだ。スタイルのいい女だってたくさんいるだろう。これ以上貴重な青春を、見込みのない片想いに費やす事もないさ。恒樹は日誌を手でもてあそびながら、職員室に向けて歩き出した。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

樋水龍神縁起の世界 - 2 -

三月から連載を予定している「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」用の宣伝カテゴリー「樋水龍神縁起の世界」です。

満開の木蓮

この写真は、スイスで撮ったものです。「樋水龍神縁起」本編を書いたのも、その続編である「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を書いたのも、すべてスイスにおいてでした。これらの小説の背景はすべて日本で、さらにモチーフは平安時代だったり、京都や奥出雲の山奥だったりと、ことさらジャパニーズな世界なのですが、実際に書く時に観察してイメージをふくらました自然そのものは、(私にとって)もっと身近な、スイスやヨーロッパのものだったりもするのです。

これは、私が東京では、ここスイスにいるほどには自然に近くなかったという事情があります。この話は、男と女の関係の話であると同時に、人間と自然の関係の話でもあるので、個人的には自然の描写がとても大切だったのです。

日本に行った後に、樋水川のモデルにした斐伊川をさかのぼる列車の旅をして確認した事ですが、スイスと日本とがこれだけ離れていても、山や谷の光景というのは似通った所があって、私がイメージしていたものとほとんど違いがありませんでした。

「樋水龍神縁起」本編は、四部構成になっているのですが、すべてに四季をあてはめています。その分、その巻では他の四季にあたる描写が書けない制限がありました。「Dum Spiro Spero」の方はあえてその縛りを外しました。構成に縛られない分、思うがままに書いた「Dum Spiro Spero」は、どちらかと言うと、本編よりも普段の私のスタイルの小説になっています。



官能的表現が一部含まれるため、成人の方に限られますが……「樋水龍神縁起」四部作(本編)は別館にPDFでご用意しています。
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(scribo ergo sum: anex)
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとわすれな草色のジャージ

月刊・Stella ステルラ参加作品です。二月ももうじき終わり。そう、投稿期間なのです。いつもの「夜のサーカス」シリーズです。ようやく、チルクス・ノッテ側の主要メンバーが全部揃いました。今回登場するのは、ヒロイン・ステラの幼なじみと言ってもいい青年、マッテオです。バリバリのイタリア人です。


月刊・Stella ステルラ 3月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


あらすじと登場人物
「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む



夜のサーカスとわすれな草色のジャージ


夜のサーカスとわすれな草色のジャージ

 オリンピックの選考から漏れたと知った時、マッテオは悲しいとか、悔しいとか思う余裕はなかった。この日が来る事は、予想していてもよかったはずだ。でも、心がついていかない。子供の頃から体操界で活躍する夢しか持ってこなかったからだ。

 マッテオは二十歳だった。学校に行ったり、見習いを始めたりといった、新しい人生の切り直しをするには育ちすぎていた。かといって引退して悠々自適の生活をするほど歳をとっている訳でもなかった。ずっと体操しかしてこなかったのでカーブが下を向いた時にどうしたらいいかわからなくなるのはマッテオだけではなかった。

 たくさんの仲間たちとしのぎを削ってきた。選抜選手を決めるための合宿に参加していた馴染みの少年少女たちは、大会の成績に応じていつの間にか少しずつ入れ替わった。マッテオは、同期の中ではいつも一番だったので、たくさんの出会いと別れを経験した。でも、それは他の誰かが出たり入ったりするだけで、彼の居場所は常に約束されていたのだ。これまでは。急に未来がなくなって、マッテオは途方に暮れた。

「望むのは優勝、少なくともイタリア代表になる事」
そう豪語してきたマッテオにみな賛同した。
「俺も」
「私もよ」

 けれど、一人だけ、にっこりと笑って何も言わなかった少女がいた。マッテオはその金色の瞳の少女の事を考えた。彼女は、もう選考会にも合宿にも参加しなくなった。他の子たちの場合とは違って成績が落ちたからではなかった。

 不思議な魅力を持った少女だった。マッテオは彼女を十年ほど知っていた。彼女が合宿に連れられてきた時のことを、いまでも鮮明に思い出す事が出来る。まだ学校にも入っていな年齢の少女に彼は訊いた。
「君、小さいね。もう体操を始めたの?」
「大車輪を出来るようになりたいの」

 そんなはっきりとした目標を六歳の少女が口にするとは夢にも思わなかったマッテオも、横にいた教師も驚いた。少女は、きらきらとした瞳を輝かせて言った。
「わたし、ステラよ。あなたは?」

 ステラはとても優秀だった。しなやかで軽やかだった。床運動や平均台ではバレリーナのように美しく芸術的に動いた。段違い平行棒や跳馬は正確に、でもスピード感を持っていた。天性のものもあるのかもしれないが、それだけではないようだった。教師やコーチに言われたままに、得点の上がるような演技を目指す他の少女たちと、どこかが全く違っていたのだ。

 金色の瞳がいつもキラキラと光っていた。女性らしい柔らかな動きでマットの上を跳躍していった時、段違い平行棒で見事な大車輪をしていた時、平均台の上で意識を集中させて回転した時、全身から生き生きとした歓びが、隠しきれない情熱が溢れ出していた。確実に得点出来るように無難なステップを選んだり、コーチに言われたから見せる硬い作り笑いをする少女たちとはあまりにも違っていた。そのために、時として彼女の成績は芳しくない事があった。

 彼女は得点には興味がなかった。驚くほどの自己克己と努力をしていたが、目指しているのは大会での競技ではなかったのだ。だから、彼女はオリンピックで金メダルを穫りたいというような目標を口にする事はなかった。

 彼は今、ジャージをボストンバッグに丸めて突っ込みながら、自分の行く末について想いを馳せている。世界選手権に、オリンピックにいけなくなったら、どんな人生が待っているかなんて考えてもいなかった。どこか田舎で体操の教師としての職を探すか。それともスポーツインストラクターになって都会の有閑マダムの相手をするか。ちくしょう。それはちっとも輝かしい未来には思えなかった。そう、あのステラが目を輝かしていたような、希望に満ちた未来には。

 マッテオは協会の重い木の扉を押して外に出ると、木枯らしの吹くパルマの街をとぼとぼと歩いていった。風が木の葉をくるくると遊ばせて、ホコリが彼の目を襲った。くそっ。
かさかさ音を立てる枯れ葉の間に、しわくちゃになった一枚のチラシがあった。ふと足を止める。サーカス。チルクス・ノッテ。……チルクス・ノッテ?

「じゃあ、これで、さよならね」
半年前の大会が終わった日、ステラは握手を求めてきた。

「これでって、どういうこと? 来月には選抜の合宿があるよ」
「わたし、就職が決まったの。だから、もう競技には出ないの」
「嘘だろう? 君は入賞候補なのに。何か事情があるのかい? お金の問題かい?」

 ステラは生き生きとした瞳で微笑んだ。
「違うの。ようやく夢が叶ったの。私ね、サーカスに入ったの」
マッテオはぽかんと口を開けてステラの顔を見つめた。サーカス?

 チルクス・ノッテは、そのステラが入団したサーカスだった。マッテオはあわててチラシを拾って指で丁寧に拡げた。そんなに古くないチラシだった。パルマでの興行は終わっていなかった。明日が最終日だ。ステラは、この街にいるんだ! マッテオは、いま来た道と反対側、チルクス・ノッテのテントのある方へと走った。切符を手に入れるために。

* * *

 舞台には光があふれていた。妖艶で美しい女が、ライオンを操っていた。たくましく異国情緒をたたえた屈強な黒人が、見事な逆立ちをしてみせた。赤い水玉のついた白いサテンの服を来たピエロが滑稽ながらも鮮やかなジャグリングをしていた。派手な縞の服を来た男が操る馬たちの曲芸。観客の叫びと、喝采の中で場内は熱い興奮に包まれていた。

 やがて、照明は清らかな青に変わった。静かで宗教的とも思える音楽とともに、先程の道化師が紅い薔薇を手にして舞台に上がってくる。彼は憧れに満ちた様子で上を見つめている。その先に眩しい蒼い光が満ちて、ゆっくりとブランコが降りてきた。ゆったりとしたワルツに合わせて、ブランコは大きく揺れだす。神々しいほどの優雅な動き。彼女はブランコから、道化師めがけて飛び降りるかのように宙に飛び出す。けれどももちろん落ちたりなんかはしない。見事な回転のあとで、しっかりとブランコを掌でつかむのだ。

 マッテオは、その回転が体操界でなんと呼ばれるものか、すべて言う事が出来た。けれど、そんなことはここでは全く意味がなかった。落ちるかと思ったのに、足だけでブランコに引っかかる。片手だけでぶら下がりながら、美しいアラベスクのポーズをとる。ステラの動きの一つひとつに、観客から大きな拍手が起こった。

 喝采を浴びながら、道化師の優しい眼差しのもとで、超新星が爆発したごとき猛烈な輝きを放っている。仲間の体操選手たちの中で、一人だけ違う方向を見つめていた少女は、ここを目指していたのだ。何十人もの選手の中に埋没した一人としてではなく、何百人もの観客の視線を一身に集めていた。そして、光の中であふれる生命力と、息苦しくなるような哀しみと、狂おしい歓びを謳歌していた。

 なんという美しさだろう。マッテオは強い憧れがわき起こるのを感じた。これが彼女の言っていたことなんだ。
「ようやく夢が叶ったの。私ね、サーカスに……」

 カーテンコールが終わって、観客がどんどん去っていっても、マッテオはずっと席に座っていた。

 抱えているボストンバックには、イタリアチームの青いジャージが入っている。どうする? もう一度体操界でトップになるために、そして、いずれは失ってしまう場所を勝ち取るために、高得点のためだけの技術を競うか? このまま、諦めて、イゾラの街に帰るか? それとも……。マッテオは暗くなった誰もいない客席で、舞台を見つめたままじっと座っていた。

 舞台に小さな光が点り、薄紫のシャツにジーンズ姿の一人の青年が入ってきた。そして、膝まづいて、端から舞台のナットが弛んでいないかを点検しだした。慣れているらしく、正確で素早い動きだった。そして、よどみなく移動していく。彼が三分の一ほどの点検を終えた所に、ぱたぱたと音がして青色の何かが走り込んできた。
「あ、いたいた。ヨナタン!」

 その声は、間違いなくステラだった。目を凝らすと、少女は先程の輝く美しい衣装とは打って変わり、明るい金髪をポニーテールにして、マッテオとお揃いのわすれな草色の、つまり、イタリアチームに支給されたジャージを着ていた。何を着ていても、彼女の生き生きとした様子は変わらなかった。いや、むしろ際立って見えた。

 ヨナタンと呼ばれた青年は膝まづいたまま顔を上げて、すぐ側にやってきたステラを見た。
「あのね。マルコたちが街のバルに行くんだって。マッダレーナとブルーノも行くみたいだし、ヨナタンも一緒に行かない?」

 ヨナタンはすっと立ち上がった。ステラよりも頭一つ分背が高い。彼女を見下ろすと、優しく静かに言った。
「この点検が終わったら行くよ。先に行っていてくれてもいいよ」

 ステラは大きく首を振って答えた。
「着替える前に、どこで待ち合わせるか、みんなに訊いておくね。点検が終わるまで待っているから、一緒に行かない?」

 ヨナタンは同意の印に、片手でくしゃっと彼女の前髪を乱してから、その小さな背中をやって来た方向へと押した。スキップするようにステラが去ると、青年は何事もなかったかのように点検を続けて、終わりが来るとすっと立ち上がり、舞台の電灯を消して立ち去った。

 マッテオは、立ち上がった。テントの出口を手探りでみつけて月夜に躍り出ると、雄牛のような勢いで、キャラバンカーのたくさん並んでいる所に向かった。

「すみません!」
たまたますれ違った中年の男を捕まえると、つかみかからんばかりに責任者に会わせて欲しいと頼み込んだ。よく見たら、それは先程、舞台の上で綱渡りをしていた小男だった。マッテオの態度に怯えたルイージは、彼を団長ロマーノのキャラバンに案内してくれた。

 馬の曲芸師がでて来た。こいつが団長だったんだ。彼はマッテオを見ると髭をしごきながら興味深そうに訊いた。
「私に何か用かね?」
「ぼ、僕、マッテオ・トーニといいます。体操をやっていて、イタリア選手権にもでた事があります。そ、その、ここの入団テストを受けたいんですが!」

 ロマーノは、じっとマッテオを見つめた。服の上からでもわかる筋肉質の均整のとれた体型を上から下まで堪能した。それから再び髭をしごきながら、笑顔をみせると言った。
「明日、十時に撤収と移動が始まる。その前に、君のテストをしよう。朝の八時に舞台となったテントに来れるかね?」

 マッテオは、大きく頷いた。ボストンバックをしっかりと抱きしめた。このジャージを着てテストを受けよう。待ってろ、ステラ。数日後には、僕は君の同僚になっているからな。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Posted by 八少女 夕

【断片小説】樋水の媛巫女 

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今週は、小説爆弾の連続投下になってしまっています。「scriviamo!」が終わりに近づいてきているのと、新連載の準備と、Stellaの投稿週間が重なっているためです。まあ、全部お読みになっている方もいらっしゃらないかとは思いますが、いらっしゃったらさぞ大変だと思います。すみません。

本日発表するのは、官能的な表現が一部含まれているためにこのブログでは公開していない「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」の中から、「樋水の媛巫女」の章です。先日のエントリーでも書いたように、このシリーズの舞台は基本的に現代なのですが、この章だけが千年前の平安時代の話です。「樋水龍神縁起」本編、それから三月からこのブログで公開予定の「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」のストーリー上、かなり重要なエピソードです。そして、実は本編を読んでくださったブログのお友だちTOM-Fさんが、この章の登場人物を使って「scriviamo!」参加の作品を書いてくださる事になりましたので、その前にこちらでこの章を公開する事にしました。(この章はR18ではありませんので、ご安心ください)

この章は、「千年前に何かがあった」というだけのストーリーです。私の他の短編小説のように、何かを伝えようというようなテーマなどはありません。ただ「樋水龍神縁起」本編や「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」の中で重要なモチーフである樋水龍王神社の、それどころか「大道芸人たち Artistas callejeros」にすら出てくる伝説の話ですので、当ブログの常連の皆様には、ぜひご紹介したい部分なのです。


fc2小説「樋水龍神縁起 -第一部 夏、朱雀」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第二部 冬、玄武」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第三部 秋、白虎」
fc2小説「樋水龍神縁起 - 第四部 春、青龍」
縦書きPDF置き場「scribo ergo sum anex」へ行く 縦書きPDFで読む(scribo ergo sum: anex)
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「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より「樋水の媛巫女」

「九条様について来られた陰陽師とはあなた様でございますね」

 振り向くといつの間にか、女がそこに立っていた。緋袴に白い単衣姿、今羽化したばかりの蝉の羽のように白とも薄緑ともつかない紗の被衣から見えるのは紅色の口元だけであった。

 奥出雲は考えた以上に原初の森の姿を留め、緑滴り蝉が激しく鳴く。樋水龍王神社という特別の神域を囲み、この森は不思議な清らかさに満ちていた。その神々しい氣に圧倒されていたとはいえ、安達春昌は今まで氣配なく背後に人に立たれたことなどなかったので、ひと時氣色ばんだ。

 だが氣を沈め冷静に観察してみることにした。その女の身につけている衣は全て上等の絹だった。身分は低くないらしい。しかし、どこかしっくりこないところがあった。理由はすぐにわかった。それは口元だった。深紅の形のいい唇から見えている歯が童女の如く白かったのだ。それから、身丈の倍ほどにも広がる清冽な薄桃色の氣を感じて、それではこれが噂の媛巫女かと納得した。安達春昌は、下男を通して媛巫女に力を貸してほしいと願い出たところだった。

「樋水の媛巫女様とお見受けいたします。安達春昌と申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
「九条様はこの奥出雲に何をお持ち込みになられたのか。ただいま『やすみ』のはずの龍王様が穏やかならず解せませぬ」

「山越えの際、北の方にキツネが憑きました。旅路故、私一人の蟇目ひきめ神事で祓うように申し付けられましたが、なかなか手強く、ぜひとも媛巫女様のお力をお借りしたいのです」
「キツネごときに龍王様の眠りが妨げられるとは思えませぬ。誠にキツネなのでございましょうか」

 女の声音は凊やかで心地よかったが、その言葉は力に満ち明快であった。女は被衣をわずかにあげて、訝しそうに春昌をみた。その時に、媛巫女の顔が見え春昌は思わず息を飲んだ。

 黒耀石ほどに黒く艶のある双眸がこちらを見ていた。白い肌に黒い瞳と描いていないのに均整のとれた眉と紅の形のよい唇が映えている。春昌は美しいと評判の幾人かの姫君のもとに忍んだこともあったが、未だかつて手を入れていない生まれたままの顔でこれほど美しい女に遭ったことはなかった。

 媛巫女は龍王に捧げられた特別な女で、それゆえ人間の男のための化粧は必要ではなかった。眉を剃ることも、お歯黒をすることもなかった。だが、それ故にその生まれながらの浄らかさが極限までに高められ、本来の美しさを神々しさにまで高めていた。京で位が低い高い、呪に長けているいないと、人の世の迷いごとに日々を費やしている春昌には、この媛巫女が手の届かぬ神の域に属する特別な女であることがすぐにわかった。

 媛巫女は、その間安達春昌を見つめていたが、やがて言った。
「陽の氣に長けておられる。神の域のこともお見えになるとお見受けします。蟇目神事も形だけではなく誠におできになられるのですね」
「媛巫女様のお力には遥かに及びませぬが、多少の心得がございます」

「私に蟇目神事はできませぬ」
媛巫女ははっきりと言った。安達春昌は、意外な心持ちで媛巫女の次の言葉を待った。

「私は浄め、鎮め、そして龍王様にお任せするのみでございます。キツネを鎮めることはできますが、消すことはできませぬ」
「私はいたしますが、困っているのは北の方様に蟇目の矢を放つことはできないことでございます。もとより私には御簾の中に入ることも叶いませぬ。媛巫女様のお力でキツネのみを御簾の外に連れ出すことはできませんでしょうか」

「出来ます。が、その祓いは為さねばなりませぬのか。いま、この樋水にて」
「九条様は近く二の姫が東宮妃としてご入内される大切なとき、方違えでこの出雲に参られましたが、キツネをつれて帰ったとあっては主上さまもお怒りになられましょう。なんとしてでもこの一両日中に祓わねばなりませぬ」

 媛巫女は、主上と聞き、ふと胸元の勾玉に手を当てた。ああ、それではこれが下賜されたという奴奈川比売の勾玉か、春昌は聡く考えた。
「そうとあれば致し方ありませぬ。しかし、ただいま龍王様の『やすみ』ゆえに神域での祓いは禁じられております。従って北の方が神社にお越しになるのはお断りいたします。私の方から戌の刻に九条様のもとに伺いましょう。蟇目神事のご用意をなさりお待ちくださいませ」

 そういうと媛は来たときと同じように氣配なく森に姿を消した。安達春昌は蟇目神事の前だというのに、媛に心奪われてしばらくその場に放心して立ちすくんでいた。

 九条実頼は、媛巫女の来訪にことのほか満足の意を表した。氣に入っているとはいえ、位の低く家柄もとるに足りぬ安達春昌は陰陽師として完全には信用しきれなかった。特に入内前のこの大切な時期に北の方が狐憑きで京には戻れない。だが、龍王の媛巫女が来てくれたたとあれば、もう祓いは済んだも同然だった。この媛巫女は昨年、親王の病を癒やすように主上の命を受け、奥出雲から身を離れて内裏に現れ親王を浄め、その礼に神宝である奴奈川比売の勾玉を下賜されたのである。

「樋水龍王神社の瑠璃と申します。右大臣さまには、ご挨拶が遅れまして、まことに申し訳ございません。ただいま龍王様の『やすみ』の時ゆえ、神域では通常の神事が禁じられております。それゆえ、ご挨拶は控えさせていただいておりました。『やすみ』はあと二ヶ月続くはずでございましたが、昨日、龍王様がお出ましになり、本来神域にあるべきでないよどみの存在が明らかになりました。それ故、安達様のお導きで、こうして私が蟇目神事のお手伝いにまかり越しました」
「それは、それは。どうかなにとぞお力添えを」

 瑠璃媛は供の次郎とやらを一人を連れて、神域の外にある九条の滞在先にやってきたのであった。春昌は遥か後方に控えていたが、瑠璃媛が側を通るときの衣擦れの音、わずかな沈香の漂い、そして灯台の炎に浮かび上がる媛の白い横顔に心をときめかせていた。長く黒い髪が媛の目と同じ黒耀石の輝きを放っていた。

 毎夜亥の刻に現れるキツネを祓うために、媛は北の方の寝室にて待ち、春昌は次郎とともに御簾の外で待つ。右大臣は自分の寝室に下がり、朝に報告をすることとなった。

 静かな夜であった。蝉が合唱をやめて風が樹々をならすだけになると、奥出雲の清冽さがさらにひしひしと感じられた。北の方の寝息と灯台の炎の音だけが暗闇に響くが、媛巫女の氣配はどこにも感じられなかった。春昌は長い待ちの時間にわずかでもいいから美しい媛巫女を感じたいと思ったが、それは叶わぬ願いであった。

 やがて剣呑な目つきで春昌を見ていたはずの次郎が突然意識を失った。それでキツネの到来がわかった春昌は急いで自らの氣配を消した。そうせねば自分もキツネに眠らされてしまうであろう。北の方が不氣味なうなり声をあげだすと紗の衣擦れがして、瑠璃媛が動いたのがわかった。

 御簾の向こうだったにもかかわらず、目ではない目で観察を始めた春昌には瑠璃媛とキツネの対決がはっきりと見えた。キツネは恐るべきかんなぎが側にいることに驚愕して逃げ回らんとしたが媛巫女は素早く自分の氣でキツネを囲い込み、手にしていた水晶玉にキツネの霊を封じ込めてしまった。

 北の方が布団の上に崩れ落ちる音がしたと同時に、御簾の中から瑠璃媛がでて来た。水晶を春昌の先の庭の方に向けて差し出し、頷いた。鏑矢を引き絞り水晶の方向、瑠璃媛を傷つけないように慎重に狙った。そして納得がいくと「いまぞ!」と合図を出した。水晶からキツネが躍り出てきたが、その時には鏑矢に刺し抜かれて、庭の老木にあたり、キツネの霊は霧散した。

 その衝撃で、瑠璃媛は倒れた。目を覚ました次郎が駆け寄るよりも速く、春昌はすでに瑠璃媛を抱き起こしていた。その時、三人ともまったく予想していなかったことが起こった。

 春昌と瑠璃媛が触れた部分が乳白色に輝き、二人ともそれまで感じたことのない不思議な感覚が走ったのだ。瑠璃媛は驚いて身を引くのも忘れ、春昌に抱きかかえられたままになっていた。春昌の方は、完全に瑠璃媛に魅せられてしまい、しばらくはやはり離すこともできないでいた。次郎が最初に我に返った。
「この無礼者め! 媛巫女様から離れぬか!」

 その声に、瑠璃媛が我に返り、身を引いた。
「およし、次郎。私は大丈夫です。春昌様に失礼なことをしてはなりませぬ」
それから、おびえた目つきで春昌を見た。春昌は、混乱したまま無礼を詫びた。瑠璃媛も動揺を隠せないまま、北の方のご様子を見なくてはならないと、御簾の中へと入っていた。

 春昌は熱にうなされた目で、瑠璃媛の後ろ姿を追いかけ、御簾の中の媛をもう一つの目で見た。媛の氣が大きく広がり、やはり広がった自分の氣と触れ合っているのを見ることができた。その二つの氣はねじれあい一つになった。



 右大臣と北の方は大喜びで京に帰っていった。本来は安達春昌も一緒に帰る予定だったが、穢れを落としてから帰ると口実を作り、数日の猶予を願い出てひとり奥出雲に残った。穢れなどどこにもついていなかった。あの夜、瑠璃媛を送り届けて、神域の外で別れた後、瑠璃媛の幻影に心うなされながら森を通っている時、不意に今でかつてないほどに完璧に浄められていることに氣がついた。全ての穢れが消え失せていた。龍王の御覡に触れて、あの不思議な白い光を浴びたからだ、春昌はそう思った。京にこのまま戻るわけにはいかない。このまま、あの媛と離れるなどできぬ相談だった。

 安達春昌は、右大臣が貧しい貴族の娘に生ませた四の君を狙っていた。上手く右大臣に取り入れば、陰陽寮で賀茂家に劣らぬ地位に就けてもらえるやも知れぬ、そう考えていた。そして自分はそうあってしかるべき力を持っていると自負していた。

 陰陽寮には自分より上位にもかかわらず、下等な霊すらも見ることのできない者たちがたくさんいた。これだけの力をもち努力をしている自分の家柄が低いというだけで取り立ててもらえないのは不公平だと感じていた。この奥出雲の方違えで右大臣に取り入れば、四の君との結婚が許されるかもしれない、危険を冒してものキツネ祓いももちろん打算があってのことだった。だが、もはや四の君のことは考えなくなっていた。春昌は生まれて初めて計算なしに女に惚れた。もちろん計算が完全になくなったわけではなかった。自分の価値を高めるのには落ちぶれた四の君なんかよりも、主上の覚えのめでたい特別な媛の方がいい。春昌は、森の奥の神社の神域を目指してうろうろと歩き出した。

 その頃、瑠璃媛は、混乱の極みに陥っていた。次郎と神社に戻ってから、瑠璃媛の心には一瞬たりとも平穏な時がなかった。龍王の『やすみ』の時にはしないことではあったが、龍王が起きていることを知っていたので、瀧壺のある池に入り龍王を探した。龍王は眠っておらず、瑠璃媛が水の中に入るときはいつもそうするように、近くへと寄ってきたが、いつものように共に泳いだりはせずそのまま瀧壺へと姿を消した。

 瑠璃媛は、水から上がり、拝殿で意識を神域に同調させようとした。普段なら媛と森は直に一体となり、そこに龍王が喚び憑るはずだった。だが瑠璃媛は森に同調できなかった。瑠璃媛の心には別の存在が住んでいた。瑠璃媛は『やすみ』の龍王が即座に起きたほどの神域における異物とはあのキツネではなかったことを知った。それは安達春昌その人だった。あの晩の、あのときを境に、龍王はその御覡を失った。瑠璃媛は恐ろしさにおののいた。恋は、龍王の巫女として生まれた瑠璃媛にとっては破滅でしかなかった。



 神域には入れなかった安達春昌は、奥出雲を離れる前にせめて一目でもと想い詰めて、旅支度をしたままはじめて瑠璃媛と出会った森の外れに向かった。逢いたくて、逢いたくて、意識を集中して瑠璃媛を呼んだが、森はその入り口を深く閉ざし春昌を拒むように立ちふさがった。どうしても出なくてはならない時間を半時も過ぎてから、ようやく春昌は京へ向かうべく道を折り返した。

 森を振り返り振り返り、丘まで来るとそこに見覚えのある紗の被衣の女がひとりでひっそりと立っていた。

「瑠璃媛……」
「お別れに参りました」

 わずかに見えている口元の横を涙が伝わったのを見た春昌は、我を忘れて媛を抱き寄せた。
「なりませぬ」

 泣きながら抗議する瑠璃媛は、しかし、自ら離れようとはしなかった。媛はやがてはっきりとした声で言った。
「私を殺めてくださいませ。あのキツネにしたように、私を消してくださいませ」

「なぜ、私がそなたを殺めねばならぬのか」
「私は、人をお慕いしてはならぬ身でございます。春昌様にもご迷惑がかかりましょう」

「迷惑などかからぬ。二人で京へ登ろう。陰陽師の妻として京で暮らせばよいではないか」
「私は、ここを離れては十日と生きられませぬ。春昌様。せめて一目お会いしてお別れを申し上げたくて参りましたのに」
「愚かなことを言うな。そなたは私とともに来るのだ。嫌だと言っても盗んで連れていく。それでたとえ主上の怒りを買ったとしても構わない」

 春昌は瑠璃媛を馬に乗せて、自分も跨がるとそのまま奥出雲を離れ、京を目指す道へとひた走った。樋水龍王神社の御覡を盗みだしてしまったことの重大さに氣づいたのはずっと後だった。そのときは他のことは何も考えていなかった。瑠璃媛は自分のしていることをはっきりと自覚していた。人からならば運がよければ逃げおおせることができる。だが、運命からは何人も逃げられはしない。瑠璃媛は自分に課せられた運命を受け入れていた。そして、その残りの時間のすべてを春昌と共にいることを選んだのだった。



 空は燃えていた。丘の上に立ち、初めてみるこの広大な朝焼けに立ちすくむ。樋水の東にはいつも山が控えていた。瑠璃媛は朝焼けを見た事がなかった。これほど広い地平線も見た事がなかった。向こうに遠く村が見える。今まで一度も行ったことのない村。一度も会ったことのない人たち。そしてもっと遠くには春昌の帰りたがる京がある。

 瑠璃媛にとって京とは極楽や涅槃と同じくらいに遠いところだった。そこに誰かが住んでいることは聞いた事があっても自分とは縁のないところであった。瑠璃媛にとって世界とは樋水の神域の内と外、奥出雲の森林の中だけであった。そこは瑠璃媛にとって安全で幸福に満ちた場所だった。

 安達春昌に遭い、瑠璃媛はまず心の神域を失った。龍王とのつながりを失った。場としての神域と奥出雲を出ることで、氣の神域を失った。そして、安達春昌にすべてを与えたことで肉体の神域も失った。

 瑠璃媛は今、あらゆる意味での神域から無力にさまよい出た一人の女に過ぎなかった。その類い稀なる能力をすべて持ったまま、それをまったく使うことのできない裸の女に変貌していた。

 その心もちで、朱、茜、蘇芳、ゆるし色、深緋、ざくろ色、紫紺、浅縹、鈍色と色を変えて広がる鮮やかな空と雲を眺めて立ち尽くした。

 春昌には媛の心もとなさがわかっていなかった。媛は京と素晴らしい未来に思いを馳せているのだと思っていた。春昌の人生は常に戦いだった。どんな小さなものも、全て勝ち取ってきた。貧しくつまらない家柄に生まれた、大きな能力と野心のある若者は、そうすることで人生を切り開いてきた。欲しいものは全て勝ち取れると信じていたし、今、較べようもなく尊いものを手にしたと誇りに思っていた。

 春昌は自分のしていることを正しく理解していなかった。勝利に酔いしれ、昨夜の媛との情熱的な夜に満足の笑顔を浮かべて馬の手入れをしていた。

 突然、森からひづめの音が聞こえた。
「神を畏れぬ盗人め、覚悟しろ!」
次郎が矢を引きつがえて春昌に向かっていった。春昌は無防備な状態だった。考えもしなかった攻撃にあわてて身を翻そうとした途端、放たれた矢と春昌の間に何かが割って入ったのを感じた。白い単衣と黒い髪が見えた。鈍い音がしてそれに矢が刺さったのがわかった。何があったのか理解できなかった。

 必死で媛を抱きかかえた。安達春昌は矢を用いたりする武士ではなかった。だが、瑠璃媛がどのような状態にあるのかはすぐにわかった。蘇芳色の染みが白絹の亀甲紋を浮き上がらせていく。媛が息をするたびに、その染みは広がっていく。瞳孔が開かれ、額に汗がにじみ出る。白い顔は更に白くなり、唇はみるみる色を失っていく。

「媛、瑠璃媛……」
「ひ、媛巫女様……」
よりにもよって命よりも大切な媛巫女を射てしまった忠実な次郎も、媛に劣らぬ青い顔になって、泣きながら寄ってくる。

「次郎……」
聴き取れぬほどのかすかな声で瑠璃媛は次郎を呼んだ。泣きながら次郎は駆け寄った。

「媛巫女様……、私はなんということを……」
「龍王様が、お定めになったこと……。お前のせいでは、ありません……」
「媛巫女様…」

「……私の最後の命を……きいておくれ」
「媛巫女様」

「お前の……命が終わるまで……春昌様を……わが背の君を……お守りして……」
「何を! もうよい、媛、口をきくな!」
春昌は泣きながら媛を抱きしめた。

 瑠璃媛は最後の力を振り絞って、勾玉を握りしめ、春昌を見た。
「幸せで……ございました……。許されて……再び……お目にかかる日まで、これを……」

 それが最後だった。瑠璃媛は動かなくなり、苦しそうな息づかいも果てた。二人の触れた時に起こる、既に当然となっていたあの白い乳白色の光と、不思議な感覚が、少しずつ消えていった。完全に何も感じなくなっても、まだ春昌は呆然と瑠璃媛を抱いていた。次郎の号泣も、馬の嘶きも耳に入らなかった。

 昼前までに、次郎の涙は枯れ、春昌も起こったことを理解するまでになっていた。
「どうか、私めをお手打ちにしてくださいませ。私めが、媛巫女様を……この手で……」
次郎は春昌の前にひれ伏して涙声で言った。

 春昌は、言葉もなく次郎を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「媛巫女を、樋水までお届けしてくれぬか」

「………」
「こうなったのは、私のせいだ。瑠璃媛を龍王様のもとで弔わねばならぬが、穢れた私は神域に入りお届けすることができぬ。つらい役目だが果たしてくれぬか」

「春昌様は、そのまま行ってしまわれるのですか。私は春昌様のお側に居ねばなりませぬ。媛巫女様とのお約束を果たさねばなりませぬ」
「では、媛巫女の弔いが終わり、そなたが樋水に暇乞いをしてくるまでここで待とう。戻ってこずとも、他の刺客とともに戻ってきても構わぬ。瑠璃媛なくして一人で生きのびたいとは思わぬ」

 次郎は、馬に媛巫女の亡がらを乗せ、樋水へと戻っていった。安達春昌は翡翠の勾玉を抱きしめたまま、七日七晩その場で次郎を待った。眠りもせず、食事もとらなかった。意識を失っていたが、次郎に世話をされ息を吹き返した。

 それから二人は京には登らず東を目指した。村と村の間を歩き、半ば物乞いのごとく、半ば呪医のごとく過ごした。安達春昌は、その後二十年ほど生き、伊勢の近くの小さな村で、はやり病により死んだ。

 最後まで手厚く看病をした次郎は、言われた通り亡くなった廃堂の裏手に主人と翡翠の勾玉を目立たぬように埋め、そのあと一人で樋水龍王神社に戻りそこで生涯を全うした。

 瑠璃媛が亡くなった後、樋水では安達春昌を逆賊として呪詛する動きがあったが、夜な夜な神として祀った媛の霊が現れ泣くので、次郎が戻った後、安達春昌を媛巫女神の背の神として合祀することとなった。それ以来、樋水龍王神社の主神は、樋水そのものである龍王神と媛巫女神瑠璃比売命、背神安達春昌命の三柱となった。

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Posted by 八少女 夕

【断片小説】樋水の媛巫女 

今週は、小説爆弾の連続投下になってしまっています。「scriviamo!」が終わりに近づいてきているのと、新連載の準備と、Stellaの投稿週間が重なっているためです。まあ、全部お読みになっている方もいらっしゃらないかとは思いますが、いらっしゃったらさぞ大変だと思います。すみません。

本日発表するのは、官能的な表現が一部含まれているためにこのブログでは公開していない「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」の中から、「樋水の媛巫女」の章です。先日のエントリーでも書いたように、このシリーズの舞台は基本的に現代なのですが、この章だけが千年前の平安時代の話です。「樋水龍神縁起」本編、それから三月からこのブログで公開予定の「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」のストーリー上、かなり重要なエピソードです。そして、実は本編を読んでくださったブログのお友だちTOM-Fさんが、この章の登場人物を使って「scriviamo!」参加の作品を書いてくださる事になりましたので、その前にこちらでこの章を公開する事にしました。(この章はR18ではありませんので、ご安心ください)

この章は、「千年前に何かがあった」というだけのストーリーです。私の他の短編小説のように、何かを伝えようというようなテーマなどはありません。ただ「樋水龍神縁起」本編や「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」の中で重要なモチーフである樋水龍王神社の、それどころか「大道芸人たち Artistas callejeros」にすら出てくる伝説の話ですので、当ブログの常連の皆様には、ぜひご紹介したい部分なのです。


fc2小説「樋水龍神縁起 -第一部 夏、朱雀」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第二部 冬、玄武」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第三部 秋、白虎」
fc2小説「樋水龍神縁起 - 第四部 春、青龍」
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「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より「樋水の媛巫女」

「九条様について来られた陰陽師とはあなた様でございますね」

 振り向くといつの間にか、女がそこに立っていた。緋袴に白い単衣姿、今羽化したばかりの蝉の羽のように白とも薄緑ともつかない紗の被衣から見えるのは紅色の口元だけであった。

 奥出雲は考えた以上に原初の森の姿を留め、緑滴り蝉が激しく鳴く。樋水龍王神社という特別の神域を囲み、この森は不思議な清らかさに満ちていた。その神々しい氣に圧倒されていたとはいえ、安達春昌は今まで氣配なく背後に人に立たれたことなどなかったので、ひと時氣色ばんだ。

 だが氣を沈め冷静に観察してみることにした。その女の身につけている衣は全て上等の絹だった。身分は低くないらしい。しかし、どこかしっくりこないところがあった。理由はすぐにわかった。それは口元だった。深紅の形のいい唇から見えている歯が童女の如く白かったのだ。それから、身丈の倍ほどにも広がる清冽な薄桃色の氣を感じて、それではこれが噂の媛巫女かと納得した。安達春昌は、下男を通して媛巫女に力を貸してほしいと願い出たところだった。

「樋水の媛巫女様とお見受けいたします。安達春昌と申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
「九条様はこの奥出雲に何をお持ち込みになられたのか。ただいま『やすみ』のはずの龍王様が穏やかならず解せませぬ」

「山越えの際、北の方にキツネが憑きました。旅路故、私一人の蟇目ひきめ神事で祓うように申し付けられましたが、なかなか手強く、ぜひとも媛巫女様のお力をお借りしたいのです」
「キツネごときに龍王様の眠りが妨げられるとは思えませぬ。誠にキツネなのでございましょうか」

 女の声音は凊やかで心地よかったが、その言葉は力に満ち明快であった。女は被衣をわずかにあげて、訝しそうに春昌をみた。その時に、媛巫女の顔が見え春昌は思わず息を飲んだ。

 黒耀石ほどに黒く艶のある双眸がこちらを見ていた。白い肌に黒い瞳と描いていないのに均整のとれた眉と紅の形のよい唇が映えている。春昌は美しいと評判の幾人かの姫君のもとに忍んだこともあったが、未だかつて手を入れていない生まれたままの顔でこれほど美しい女に遭ったことはなかった。

 媛巫女は龍王に捧げられた特別な女で、それゆえ人間の男のための化粧は必要ではなかった。眉を剃ることも、お歯黒をすることもなかった。だが、それ故にその生まれながらの浄らかさが極限までに高められ、本来の美しさを神々しさにまで高めていた。京で位が低い高い、呪に長けているいないと、人の世の迷いごとに日々を費やしている春昌には、この媛巫女が手の届かぬ神の域に属する特別な女であることがすぐにわかった。

 媛巫女は、その間安達春昌を見つめていたが、やがて言った。
「陽の氣に長けておられる。神の域のこともお見えになるとお見受けします。蟇目神事も形だけではなく誠におできになられるのですね」
「媛巫女様のお力には遥かに及びませぬが、多少の心得がございます」

「私に蟇目神事はできませぬ」
媛巫女ははっきりと言った。安達春昌は、意外な心持ちで媛巫女の次の言葉を待った。

「私は浄め、鎮め、そして龍王様にお任せするのみでございます。キツネを鎮めることはできますが、消すことはできませぬ」
「私はいたしますが、困っているのは北の方様に蟇目の矢を放つことはできないことでございます。もとより私には御簾の中に入ることも叶いませぬ。媛巫女様のお力でキツネのみを御簾の外に連れ出すことはできませんでしょうか」

「出来ます。が、その祓いは為さねばなりませぬのか。いま、この樋水にて」
「九条様は近く二の姫が東宮妃としてご入内される大切なとき、方違えでこの出雲に参られましたが、キツネをつれて帰ったとあっては主上さまもお怒りになられましょう。なんとしてでもこの一両日中に祓わねばなりませぬ」

 媛巫女は、主上と聞き、ふと胸元の勾玉に手を当てた。ああ、それではこれが下賜されたという奴奈川比売の勾玉か、春昌は聡く考えた。
「そうとあれば致し方ありませぬ。しかし、ただいま龍王様の『やすみ』ゆえに神域での祓いは禁じられております。従って北の方が神社にお越しになるのはお断りいたします。私の方から戌の刻に九条様のもとに伺いましょう。蟇目神事のご用意をなさりお待ちくださいませ」

 そういうと媛は来たときと同じように氣配なく森に姿を消した。安達春昌は蟇目神事の前だというのに、媛に心奪われてしばらくその場に放心して立ちすくんでいた。

 九条実頼は、媛巫女の来訪にことのほか満足の意を表した。氣に入っているとはいえ、位の低く家柄もとるに足りぬ安達春昌は陰陽師として完全には信用しきれなかった。特に入内前のこの大切な時期に北の方が狐憑きで京には戻れない。だが、龍王の媛巫女が来てくれたたとあれば、もう祓いは済んだも同然だった。この媛巫女は昨年、親王の病を癒やすように主上の命を受け、奥出雲から身を離れて内裏に現れ親王を浄め、その礼に神宝である奴奈川比売の勾玉を下賜されたのである。

「樋水龍王神社の瑠璃と申します。右大臣さまには、ご挨拶が遅れまして、まことに申し訳ございません。ただいま龍王様の『やすみ』の時ゆえ、神域では通常の神事が禁じられております。それゆえ、ご挨拶は控えさせていただいておりました。『やすみ』はあと二ヶ月続くはずでございましたが、昨日、龍王様がお出ましになり、本来神域にあるべきでないよどみの存在が明らかになりました。それ故、安達様のお導きで、こうして私が蟇目神事のお手伝いにまかり越しました」
「それは、それは。どうかなにとぞお力添えを」

 瑠璃媛は供の次郎とやらを一人を連れて、神域の外にある九条の滞在先にやってきたのであった。春昌は遥か後方に控えていたが、瑠璃媛が側を通るときの衣擦れの音、わずかな沈香の漂い、そして灯台の炎に浮かび上がる媛の白い横顔に心をときめかせていた。長く黒い髪が媛の目と同じ黒耀石の輝きを放っていた。

 毎夜亥の刻に現れるキツネを祓うために、媛は北の方の寝室にて待ち、春昌は次郎とともに御簾の外で待つ。右大臣は自分の寝室に下がり、朝に報告をすることとなった。

 静かな夜であった。蝉が合唱をやめて風が樹々をならすだけになると、奥出雲の清冽さがさらにひしひしと感じられた。北の方の寝息と灯台の炎の音だけが暗闇に響くが、媛巫女の氣配はどこにも感じられなかった。春昌は長い待ちの時間にわずかでもいいから美しい媛巫女を感じたいと思ったが、それは叶わぬ願いであった。

 やがて剣呑な目つきで春昌を見ていたはずの次郎が突然意識を失った。それでキツネの到来がわかった春昌は急いで自らの氣配を消した。そうせねば自分もキツネに眠らされてしまうであろう。北の方が不氣味なうなり声をあげだすと紗の衣擦れがして、瑠璃媛が動いたのがわかった。

 御簾の向こうだったにもかかわらず、目ではない目で観察を始めた春昌には瑠璃媛とキツネの対決がはっきりと見えた。キツネは恐るべきかんなぎが側にいることに驚愕して逃げ回らんとしたが媛巫女は素早く自分の氣でキツネを囲い込み、手にしていた水晶玉にキツネの霊を封じ込めてしまった。

 北の方が布団の上に崩れ落ちる音がしたと同時に、御簾の中から瑠璃媛がでて来た。水晶を春昌の先の庭の方に向けて差し出し、頷いた。鏑矢を引き絞り水晶の方向、瑠璃媛を傷つけないように慎重に狙った。そして納得がいくと「いまぞ!」と合図を出した。水晶からキツネが躍り出てきたが、その時には鏑矢に刺し抜かれて、庭の老木にあたり、キツネの霊は霧散した。

 その衝撃で、瑠璃媛は倒れた。目を覚ました次郎が駆け寄るよりも速く、春昌はすでに瑠璃媛を抱き起こしていた。その時、三人ともまったく予想していなかったことが起こった。

 春昌と瑠璃媛が触れた部分が乳白色に輝き、二人ともそれまで感じたことのない不思議な感覚が走ったのだ。瑠璃媛は驚いて身を引くのも忘れ、春昌に抱きかかえられたままになっていた。春昌の方は、完全に瑠璃媛に魅せられてしまい、しばらくはやはり離すこともできないでいた。次郎が最初に我に返った。
「この無礼者め! 媛巫女様から離れぬか!」

 その声に、瑠璃媛が我に返り、身を引いた。
「およし、次郎。私は大丈夫です。春昌様に失礼なことをしてはなりませぬ」
それから、おびえた目つきで春昌を見た。春昌は、混乱したまま無礼を詫びた。瑠璃媛も動揺を隠せないまま、北の方のご様子を見なくてはならないと、御簾の中へと入っていた。

 春昌は熱にうなされた目で、瑠璃媛の後ろ姿を追いかけ、御簾の中の媛をもう一つの目で見た。媛の氣が大きく広がり、やはり広がった自分の氣と触れ合っているのを見ることができた。その二つの氣はねじれあい一つになった。



 右大臣と北の方は大喜びで京に帰っていった。本来は安達春昌も一緒に帰る予定だったが、穢れを落としてから帰ると口実を作り、数日の猶予を願い出てひとり奥出雲に残った。穢れなどどこにもついていなかった。あの夜、瑠璃媛を送り届けて、神域の外で別れた後、瑠璃媛の幻影に心うなされながら森を通っている時、不意に今でかつてないほどに完璧に浄められていることに氣がついた。全ての穢れが消え失せていた。龍王の御覡に触れて、あの不思議な白い光を浴びたからだ、春昌はそう思った。京にこのまま戻るわけにはいかない。このまま、あの媛と離れるなどできぬ相談だった。

 安達春昌は、右大臣が貧しい貴族の娘に生ませた四の君を狙っていた。上手く右大臣に取り入れば、陰陽寮で賀茂家に劣らぬ地位に就けてもらえるやも知れぬ、そう考えていた。そして自分はそうあってしかるべき力を持っていると自負していた。

 陰陽寮には自分より上位にもかかわらず、下等な霊すらも見ることのできない者たちがたくさんいた。これだけの力をもち努力をしている自分の家柄が低いというだけで取り立ててもらえないのは不公平だと感じていた。この奥出雲の方違えで右大臣に取り入れば、四の君との結婚が許されるかもしれない、危険を冒してものキツネ祓いももちろん打算があってのことだった。だが、もはや四の君のことは考えなくなっていた。春昌は生まれて初めて計算なしに女に惚れた。もちろん計算が完全になくなったわけではなかった。自分の価値を高めるのには落ちぶれた四の君なんかよりも、主上の覚えのめでたい特別な媛の方がいい。春昌は、森の奥の神社の神域を目指してうろうろと歩き出した。

 その頃、瑠璃媛は、混乱の極みに陥っていた。次郎と神社に戻ってから、瑠璃媛の心には一瞬たりとも平穏な時がなかった。龍王の『やすみ』の時にはしないことではあったが、龍王が起きていることを知っていたので、瀧壺のある池に入り龍王を探した。龍王は眠っておらず、瑠璃媛が水の中に入るときはいつもそうするように、近くへと寄ってきたが、いつものように共に泳いだりはせずそのまま瀧壺へと姿を消した。

 瑠璃媛は、水から上がり、拝殿で意識を神域に同調させようとした。普段なら媛と森は直に一体となり、そこに龍王が喚び憑るはずだった。だが瑠璃媛は森に同調できなかった。瑠璃媛の心には別の存在が住んでいた。瑠璃媛は『やすみ』の龍王が即座に起きたほどの神域における異物とはあのキツネではなかったことを知った。それは安達春昌その人だった。あの晩の、あのときを境に、龍王はその御覡を失った。瑠璃媛は恐ろしさにおののいた。恋は、龍王の巫女として生まれた瑠璃媛にとっては破滅でしかなかった。



 神域には入れなかった安達春昌は、奥出雲を離れる前にせめて一目でもと想い詰めて、旅支度をしたままはじめて瑠璃媛と出会った森の外れに向かった。逢いたくて、逢いたくて、意識を集中して瑠璃媛を呼んだが、森はその入り口を深く閉ざし春昌を拒むように立ちふさがった。どうしても出なくてはならない時間を半時も過ぎてから、ようやく春昌は京へ向かうべく道を折り返した。

 森を振り返り振り返り、丘まで来るとそこに見覚えのある紗の被衣の女がひとりでひっそりと立っていた。

「瑠璃媛……」
「お別れに参りました」

 わずかに見えている口元の横を涙が伝わったのを見た春昌は、我を忘れて媛を抱き寄せた。
「なりませぬ」

 泣きながら抗議する瑠璃媛は、しかし、自ら離れようとはしなかった。媛はやがてはっきりとした声で言った。
「私を殺めてくださいませ。あのキツネにしたように、私を消してくださいませ」

「なぜ、私がそなたを殺めねばならぬのか」
「私は、人をお慕いしてはならぬ身でございます。春昌様にもご迷惑がかかりましょう」

「迷惑などかからぬ。二人で京へ登ろう。陰陽師の妻として京で暮らせばよいではないか」
「私は、ここを離れては十日と生きられませぬ。春昌様。せめて一目お会いしてお別れを申し上げたくて参りましたのに」
「愚かなことを言うな。そなたは私とともに来るのだ。嫌だと言っても盗んで連れていく。それでたとえ主上の怒りを買ったとしても構わない」

 春昌は瑠璃媛を馬に乗せて、自分も跨がるとそのまま奥出雲を離れ、京を目指す道へとひた走った。樋水龍王神社の御覡を盗みだしてしまったことの重大さに氣づいたのはずっと後だった。そのときは他のことは何も考えていなかった。瑠璃媛は自分のしていることをはっきりと自覚していた。人からならば運がよければ逃げおおせることができる。だが、運命からは何人も逃げられはしない。瑠璃媛は自分に課せられた運命を受け入れていた。そして、その残りの時間のすべてを春昌と共にいることを選んだのだった。



 空は燃えていた。丘の上に立ち、初めてみるこの広大な朝焼けに立ちすくむ。樋水の東にはいつも山が控えていた。瑠璃媛は朝焼けを見た事がなかった。これほど広い地平線も見た事がなかった。向こうに遠く村が見える。今まで一度も行ったことのない村。一度も会ったことのない人たち。そしてもっと遠くには春昌の帰りたがる京がある。

 瑠璃媛にとって京とは極楽や涅槃と同じくらいに遠いところだった。そこに誰かが住んでいることは聞いた事があっても自分とは縁のないところであった。瑠璃媛にとって世界とは樋水の神域の内と外、奥出雲の森林の中だけであった。そこは瑠璃媛にとって安全で幸福に満ちた場所だった。

 安達春昌に遭い、瑠璃媛はまず心の神域を失った。龍王とのつながりを失った。場としての神域と奥出雲を出ることで、氣の神域を失った。そして、安達春昌にすべてを与えたことで肉体の神域も失った。

 瑠璃媛は今、あらゆる意味での神域から無力にさまよい出た一人の女に過ぎなかった。その類い稀なる能力をすべて持ったまま、それをまったく使うことのできない裸の女に変貌していた。

 その心もちで、朱、茜、蘇芳、ゆるし色、深緋、ざくろ色、紫紺、浅縹、鈍色と色を変えて広がる鮮やかな空と雲を眺めて立ち尽くした。

 春昌には媛の心もとなさがわかっていなかった。媛は京と素晴らしい未来に思いを馳せているのだと思っていた。春昌の人生は常に戦いだった。どんな小さなものも、全て勝ち取ってきた。貧しくつまらない家柄に生まれた、大きな能力と野心のある若者は、そうすることで人生を切り開いてきた。欲しいものは全て勝ち取れると信じていたし、今、較べようもなく尊いものを手にしたと誇りに思っていた。

 春昌は自分のしていることを正しく理解していなかった。勝利に酔いしれ、昨夜の媛との情熱的な夜に満足の笑顔を浮かべて馬の手入れをしていた。

 突然、森からひづめの音が聞こえた。
「神を畏れぬ盗人め、覚悟しろ!」
次郎が矢を引きつがえて春昌に向かっていった。春昌は無防備な状態だった。考えもしなかった攻撃にあわてて身を翻そうとした途端、放たれた矢と春昌の間に何かが割って入ったのを感じた。白い単衣と黒い髪が見えた。鈍い音がしてそれに矢が刺さったのがわかった。何があったのか理解できなかった。

 必死で媛を抱きかかえた。安達春昌は矢を用いたりする武士ではなかった。だが、瑠璃媛がどのような状態にあるのかはすぐにわかった。蘇芳色の染みが白絹の亀甲紋を浮き上がらせていく。媛が息をするたびに、その染みは広がっていく。瞳孔が開かれ、額に汗がにじみ出る。白い顔は更に白くなり、唇はみるみる色を失っていく。

「媛、瑠璃媛……」
「ひ、媛巫女様……」
よりにもよって命よりも大切な媛巫女を射てしまった忠実な次郎も、媛に劣らぬ青い顔になって、泣きながら寄ってくる。

「次郎……」
聴き取れぬほどのかすかな声で瑠璃媛は次郎を呼んだ。泣きながら次郎は駆け寄った。

「媛巫女様……、私はなんということを……」
「龍王様が、お定めになったこと……。お前のせいでは、ありません……」
「媛巫女様…」

「……私の最後の命を……きいておくれ」
「媛巫女様」

「お前の……命が終わるまで……春昌様を……わが背の君を……お守りして……」
「何を! もうよい、媛、口をきくな!」
春昌は泣きながら媛を抱きしめた。

 瑠璃媛は最後の力を振り絞って、勾玉を握りしめ、春昌を見た。
「幸せで……ございました……。許されて……再び……お目にかかる日まで、これを……」

 それが最後だった。瑠璃媛は動かなくなり、苦しそうな息づかいも果てた。二人の触れた時に起こる、既に当然となっていたあの白い乳白色の光と、不思議な感覚が、少しずつ消えていった。完全に何も感じなくなっても、まだ春昌は呆然と瑠璃媛を抱いていた。次郎の号泣も、馬の嘶きも耳に入らなかった。

 昼前までに、次郎の涙は枯れ、春昌も起こったことを理解するまでになっていた。
「どうか、私めをお手打ちにしてくださいませ。私めが、媛巫女様を……この手で……」
次郎は春昌の前にひれ伏して涙声で言った。

 春昌は、言葉もなく次郎を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「媛巫女を、樋水までお届けしてくれぬか」

「………」
「こうなったのは、私のせいだ。瑠璃媛を龍王様のもとで弔わねばならぬが、穢れた私は神域に入りお届けすることができぬ。つらい役目だが果たしてくれぬか」

「春昌様は、そのまま行ってしまわれるのですか。私は春昌様のお側に居ねばなりませぬ。媛巫女様とのお約束を果たさねばなりませぬ」
「では、媛巫女の弔いが終わり、そなたが樋水に暇乞いをしてくるまでここで待とう。戻ってこずとも、他の刺客とともに戻ってきても構わぬ。瑠璃媛なくして一人で生きのびたいとは思わぬ」

 次郎は、馬に媛巫女の亡がらを乗せ、樋水へと戻っていった。安達春昌は翡翠の勾玉を抱きしめたまま、七日七晩その場で次郎を待った。眠りもせず、食事もとらなかった。意識を失っていたが、次郎に世話をされ息を吹き返した。

 それから二人は京には登らず東を目指した。村と村の間を歩き、半ば物乞いのごとく、半ば呪医のごとく過ごした。安達春昌は、その後二十年ほど生き、伊勢の近くの小さな村で、はやり病により死んだ。

 最後まで手厚く看病をした次郎は、言われた通り亡くなった廃堂の裏手に主人と翡翠の勾玉を目立たぬように埋め、そのあと一人で樋水龍王神社に戻りそこで生涯を全うした。

 瑠璃媛が亡くなった後、樋水では安達春昌を逆賊として呪詛する動きがあったが、夜な夜な神として祀った媛の霊が現れ泣くので、次郎が戻った後、安達春昌を媛巫女神の背の神として合祀することとなった。それ以来、樋水龍王神社の主神は、樋水そのものである龍王神と媛巫女神瑠璃比売命、背神安達春昌命の三柱となった。
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Posted by 八少女 夕

【寓話】小鳥と木こりと世にも美しい鳥かごの話

scriviamo!


「scriviamo!」の第十一弾です。
とあるブロガーさま(仮に「秘密の詩人」さまとお呼びします)は、美しい詩で参加してくださいました。本当にありがとうございます。テーマはヒツジグサ。「秘密の詩人」さまのメッセージを引用しますが、このハス科の植物は「葉の形が心臓で、花言葉が「清純な心・純潔」なんです。 花が咲くのは午後二時(未の刻)だけ」だそうです。私とそのブログのこの辺の記事をイメージして書いてくださったとおっしゃるのですが、いや、その、とんでもない。汗だくになります。実は未年なので、えっ、どうしてわかったのと焦ったのは内緒です。(これで歳がわかるな……)


未の末
ヒツジグサ

産湯にただよい
ぷかぷかと浮いては沈んで 
白々しい肌 見せしめて
音なき波紋 しずかに拡がる

つばの生臭さ
日に日に 濃さをましては
葉に隠れ 抱きよせた

泥水にすける肌 
脈うつ葉 濡れゆくたび 
心うばわれる 

鴉の啼き声
沼と空に吸い込まれ
白々しい花 朽ちてゆく



この詩の著作権は「scriviamo!」参加のとあるブロガー様にあります。ご本人の承諾なしのコピーならびに転載、二次使用は固くお断りします。また画像の出典はウィキメディア・コモンズよりE-190氏によるヒツジグサ(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Hitsujigusa.jpg)です。

お返しする作品をいろいろと考えたのですが、この魂の叫びのような強い情念のこもった清冽な詩に、中途半端なソネットや、知ったかぶりの知識と言葉で何かを返すつもりにはなれませんでした。それで、お読みになる他の方には関連性が「?」になるのを承知で、これまでと趣向を変えて、寓話(メルヒェン)の形をとって、この「秘密の詩人」さまへの想いを書く事にしました。

「scriviamo!」について
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小鳥と木こりと世にも美しい鳥かごの話
——Special thanks to secret minstrel


 ある鬱蒼とした森の奥に、大きな大きな菩提樹が立っていました。夏の光に萌黄色の輝きを反射し、爽やかな風にさわさわと葉を鳴らしていました。そのてっぺんに、つがいの鳥が心を込めて巣を作りました。美しい葉に隠れて雛たちが猛禽から見つからず、とても高くてイタチや山猫は登ってこないという利点はありましたが、足場がさほどよくなかったのでとても小さな巣になってしまいました。
 
 雛たちは狭い巣の中で大きく口を開けて、両親を呼びました。ばさばさと羽音をたてて親鳥は少しずつエサを運んできましたが、六匹もいる雛たちに一度でお腹いっぱいになるようにすることはできませんでした。雛たちは狭い巣の中で押し合いへし合いして、お腹がすいて満ち足りぬ日々にへきえきしていました。

 一番小さな雛は、お腹がすいている事よりも、兄弟たちに押されて踏みつけられる事が嫌でしかたありませんでした。父さんや母さんのように飛べたら、あたしは一人でどこまでも飛んでいけるのに。そう思って巣の中で羽ばたきを繰り返しました。兄さんたちは狭い巣の中でそんな事をするのは迷惑だと憤慨しました。それで雛は、もうあたしは雛なんかじゃない、立派な小鳥だと言って、空に飛び立ちました。

 父さんや母さんは楽々と飛んでいるように見えて、それはとても簡単なように思われたのですが、実際に飛んでみると、風があたり、足元には支えるものが何もなく、恐ろしい勢いで落ちていくのでした。必死に翼を動かしましたが、ふわりと浮くにはほど遠く、菩提樹の枝と枝の間にぶつかりながら、ガサガサとぶざまに落ちていったのでした。

 氣がつくと、小鳥は菩提樹の根元に身を伏せていました。右の翼の付け根がずきずきと痛み、腹の下にもどくどくと血が流れていました。飛ぶどころか、歩く事も、伸びきった翼をたたむ事も出来ませんでした。何とかしなくてはならないという本能だけが頭の中で明滅し、傷ついていない左の翼だけで飛べないかと、ばさばさと動かしました。その度に、腹の傷が痛みました。

 しばらくすると、そこを子供が通りかかりました。傷ついた小鳥をみかけると、走って近寄り様子を見ようとしました。小鳥は危険を感じて子供の手を強くつつきました。子供はびっくりして走って逃げました。

 もうしばらくすると、今度は老婦人が側を通りかかりました。この女は小鳥の傷ついた状態がわかったので、そっと近寄り眼を閉じさせて医者に連れて行こうとしましたが、あまりの痛みに耐えかねて、小鳥が力のかぎりに抵抗したので、どうしようもなく小鳥をその場に置いて去っていきました。

 ぐったりしている小鳥の横を、こんどは一人の木こりが通りかかりました。木こりもまた、小鳥の危険な状態がよくわかりました。それで老婦人と同じように近づき、小鳥に触れました。小鳥は先ほどと同じように抵抗しました。子供にしたように激しくつつき、老婦人にしたように力のかぎり暴れました。けれど木こりはそれで諦めたりはしませんでした。
「大丈夫だ。安心しろ。お前を助けたいんだ」
木こりは小鳥をぎゅっと抱きしめました。

 木こりは小鳥を小さな小屋に連れ帰ると、丁寧に傷の手当をしました。手当はとても痛かったのですが、包帯をされて血がとまり、だらんと伸びていた翼に添え木がされて痛みが楽になると、小鳥はほんの少し大人しくなりました。木こりは森の中をかけずり回って、小鳥の好きそうな毛虫を集めてきては食べさせてくれました。そして、果物かごに布団を敷いてそっと小鳥を寝かせました。イタチやフクロウの襲ってこない、森の小屋の中で小鳥はぐっすりと眠りました。

 木こりは辛抱強く小鳥の面倒を見ました。警戒心が強く、人を信じずに攻撃を繰り返しても、いつも優しく語りかけました。
「大丈夫だ。安心しろ。お前に害はくわえないから」

 やがて、怪我が少しずつよくなってくるのが、小鳥にもわかりました。毎日かかさず食事を用意してくれるので、木こりが自分の味方だとわかり、つつかないようになりました。木こりに何かお礼が出来ないかと思って、父さんと母さんがしたように歌ってみました。木こりは眼を輝かせて喜んだので、小鳥はもっとたくさん歌えるようになりたいと思いました。

 何日か経って、木こりはつまらない灰茶色をした小鳥の羽がどんどん抜け変わるのに氣がつきました。そして、その羽がすべて生え変わった時に、自分の小屋にいるのが七色に輝く世にも美しい鳥だという事を知りました。そして、天使の歌声もかくやというようにさえずるのです。

 もともと木こりは、小鳥の怪我が治ったら、野生に返してあげようと思って面倒を見ていました。けれど、あまりにも小鳥が美しくて貴重に思われ、なついて慕ってくるのも可愛くて、すっかり好きになってしまい、このままずっと小屋にいてくれたらいいと思うようになりました。それで、街に出かけてゆき、真鍮で出来たきれいな鳥かごを買ってきました。そして、そのシンプルな鳥かごでは、世界で一番美しい小鳥には似合わないと思い、母親が遺してくれた小さな宝石箱を取り出して、中に入っていた色とりどりの貴石で鳥かごを装飾しました。

 天蓋を真珠とルビーで覆いました。ほっそりとした柵にはサファイアとエメラルドを交互に取り付けました。そして床は珊瑚と桜貝で埋め尽くしたのです。質素で贅沢なものの何もない小屋の中で、鳥かごは一つだけ宵の明星のようにキラキラと輝いていました。そして、眠っている小鳥をそっとその鳥かごの中に移したのです。

 朝、目が醒めると、小鳥は黄金の鳥かごの中にいる事に氣がつきました。朝日を浴びてキラキラと光っていて、王様の御殿の中にいるようでした。柵の中から覗くと、優しい木こりがいつものように笑って、食事と水を用意してくれるのでした。それで小鳥はいつものように力のかぎり歌いました。

 次の日も、その次の日も同じでした。怪我はすっかりよくなり、本当だったらもう外を飛び回ってもかまわないはずだったのですが、小鳥はずっと鳥かごの中にいたのです。

 知っている歌はすべて歌ってしまいました。語れる詩はみな語り尽くしてしまいました。小鳥は世界と新しい歌を知る事もなく、鳥かごの中でうつろに動くようになりました。

「どうして歌ってくれないのかい、僕の小鳥さん」
木こりはある朝、訊ねました。

「あたしには歌が残っていないの。あたしは何も見ていないの。巣の中にいた時と同じなの」
小鳥はそう答えました。

 それを聞いて、木こりはさめざめと泣きました。大好きでいつも側にいてほしいと思って作った鳥かごが、小鳥を不幸せにしている事を、木こりはよく知っていたのです。

 それで、木こりはそっと鳥かごの扉を開けて言いました。
「それでは、空を飛び回り、お前の歌を探しなさい」

 小鳥は、言われたように籠から出ると、開け放たれた小屋の扉を抜けて、外に出て行きました。巣から出た時には、あれほど困難だった飛行はちっとも難しくありませんでした。それで、大空に向かって翼をはためかせ、ぐんぐんと昇っていったのでした。

 木こりは鳥の姿が視界から消えると、辛くて悲しくて、地面に突っ伏して大声で泣きました。けれど、いつまでも泣いているわけにはいかないので、いつものように仕事に行きました。

 夕暮れに小屋に戻ると、扉を閉めて、静寂の中で食事をしました。小鳥に出会う前よりも、一人でいる事が寂しくて、涙をぽろりとこぼしました。

 すると、扉の外から、コツコツという音がしてきました。こんな時間に、誰が来たのだろうと不思議に思って扉を開けると、彼の大好きな小鳥がぴゅーっと入ってきました。

「どうしてあたしが帰ってくる前に食事をしたの?」
木こりは泣き笑いのまま、小鳥に謝りました。

 小鳥は、木こりが食事をしている間中、世界で見てきたたくさんの事を語りました。王宮の大広間で踊る三人の王女様のこと、大海原を走る白い帆船のこと、不思議な形をした岩山の事、そのすべてを新しい歌にして語りました。
 
 夜になって、木こりが世にも美しい鳥かごの扉を開けて、寝床を示すと、小鳥は小さく首を振りました。小鳥は木こりの暖かい寝床に潜り込み、まだ語り尽くせていない新しい詩を夜更けまで歌い続けました。
 
 これが世にも美しい鳥かごのいらなくなった、小鳥と木こりの幸せなお話。遠い、遠い国の、昔むかしのお話。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

フェリーの上の蝶子をいただきました!

ブログのお友だち、栗栖紗那さんが「scriviamo!」参加作品として「大道芸人たち Artistas callejeros」の蝶子を描いてくださいました。紗那さん、ありがとうございます! おおおおお。蝶子です、蝶子です。

登場のシーンですので、海の上で、髪は腰まであって、しかも泣いています。性格きついヒロイン蝶子が泣くシーンは、後にも先にもここだけです。かつては私の脳内にしかなかったこのシーンが、イラストになりました。

お友だちにイラストをプレゼントしてもらっている、いろいろな方のブログで「いいなあ、でも、うちはイラストどころか、そもそも読者がいないし」と指をくわえていたのは昨日の事のようなのに。

蝶子 on コルシカフェリー


「scriviamo!」では、来週の頭にキャラをお借りしての返掌編発表を予定していますが、このイラストはお願いして持ち帰らせていただきましたので、まずはここでご紹介させていただきます。

紗那さんのブログ「「グランベル魔法街のきまぐれ掲示板」」は、ライトノベルとイラストの一次創作、それに学生さんの日常を綴っていらっしゃいます。タイトルにもある「グランベル魔法街へようこそ 」、Stellaでもおなじみの「まおー」など、ラノベ好きの方にはたまらないブログでしょう。



「大道芸人たち」を知らない方のために。「大道芸人たち Artistas callejeros」は昨年このブログで長期連載していたオリジナル小説です。まだご存じないという方、いくつかのまとめ読みの形態をご用意しています。よろしかったら、この機会に是非……。

あらすじと登場人物
このブログではじめからまとめて読む
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜想曲 - 6- 夜の瀧

ブログのおともだちと、「めでたしめでたしの恋愛成就のその先について」みたいな話題をしたのですが、今回はちょっとそれにかすっているかなと思います。どんなに熱烈な恋愛をしていてもやっぱりケンカやすれ違いはあります。関係が長く続くには、そうした不協和音をどう通常モードに復帰させられるか、その辺が大事なんではないかと……。

そして、これが六回にわたって連載してきた「夜想曲(ノクターン)」の最終回です。お読みいただきまして、ありがとうございました。


「夜想曲(ノクターン)」を読む はじめからまとめて読む



夜想曲(ノクターン) 
- 6 - 夜の瀧



 その瀧は、ブレガリアの谷のずっと奥にあった。

 しんとした栗の林の間をひたすら車を走らせてゆき、途中からは徒歩で向かう。頼りになるのはどこからともなく聞こえてくるせせらぎで、それすらも風の向きでは今はあちら、今度はそちらと惑わす。

 エステバンは、ブレガリアに住んでいた頃、何度もその瀧に行った事があるので、もう暗くなり始めているとはいえ、迷う事はなかった。

 迷っているのは道順ではない、断じて。


 マヤとつまらない喧嘩をした。言うべきではない事を言った。彼女は自分のために骨を折ってくれたのに、それを受け入れられない。自分が悪いのはわかりきっている。だがどうしても我慢がならなかった。

 心地よいフラット。愛する女との生活。ものわかりのいい雇い主。困難の少ない仕事。いらだつ必要はどこにもないはずだった。

 だが、スイスに戻ってきて以来、エステバンは再び強い疎外感に悩まされていた。それは前よりも深い絶望だった。求め続けていた女の側で、もう一つの国にも自分の居場所はないとはっきり悟った後で、新しく始めた生活にこんな強い疎外感を感じるとは。

 たぶん、それを自覚するようになったのは、マヤに連れられてあのバーに行ってからだ。

《ふざけたエステバン》がいた。経営者であるゲイのカップルがいた。ハンガリー人とアンドラ人のカップルもいた。スイスドイツ語と英語とスペイン語が飛び交い、和やかに、けれど、お互いを干渉しない心地よい関係が見て取れた。

 どこかに傷を抱えているのは彼だけではなかった。マヤが彼を連れて行ったのも理解できた。だが、傷を克服している彼らを見ていると、自分だけが努力が足りないと言われているようで、苦しくなった。


 喧嘩の原因は、フラットの賃料の事だった。もう給料をもらっているのだから、半分負担したいとエステバンが言うと、マヤは彼にはまだスイスに戻ってくるために借金が残っている。それが終わってからの方がいいと反対した。そんな事を君に心配されたくないと憤った。変なプライドを持たないでと彼女が言った事で、彼はへそを曲げた。余計なお世話だというような事を言ったかもしれない。後はただの売り言葉に買い言葉だった。

 出て行く時に、泣きそうな声でマヤは訊いた。
「どこへいくつもり?」
「君の知った事じゃない」

 実を言うと、彼自身にもわかっていなかった。自分を受け入れてくれる唯一の場所、マヤのもとを飛び出すのだから。

 何も考えずに、まずは駅に向かった。自然とサン・モリッツへと向かう列車に乗っていた。行きたかったわけではなかったが、少なくともクールから遠かった。


 八月のサン・モリッツは夏休みを楽しむ人々で賑わっている。裕福で洗練された服装の人々がそこここを行き来する。冷たく取り澄ました風情に映る。クールにいるよりもずっと、痛みを突かれる。そこには長くいられなかった。再び駅に行くと、彼には行き先がわかった。ブレガリア。かつて彼が住んでいた谷。ドイツ語圏に我慢ができずに遷ったイタリア語圏の小さな村に行こう。


 バスに乗ってプロモントーニョへと向かう。彼は車窓を眺めていた。どこもかしこも清潔で、きちんとしている。バスの中にも、落書きや板が剥がれた壁などありはしない。差し込まれた時刻表も、まるで今設置されたかのようにきちんとしている。窓の外に広がる風景にもリマの貧民街のような悲惨で美しくないものは何もない。遠くの雪をいただく山は白く穢れない。彼は、イタリア語圏に行こうとスイスはスイスだと思った。

 自分が悪かったのは、わかっていた。あんな事でマヤに当たる必要はなかった。もしかしたら、これで彼女を失うかもしれない、そう思った途端、息ができなくなるほどの強い痛みを感じた。そう感じているのは自分だけではないかと思った。彼は、地元民たちがゆったりと乗り降りするのを眺めていた。

 もう一つ、バスを乗り継ぐ。終点の手前で降りると、バスの運転手は妙な顔をした。こんな何もない所で、外国人がどうするのだろう。
「注意しないと、帰りのバスがなくなるよ」
「わかっている。ありがとう」
イタリア語で答えると、運転手は納得して去っていった。

 そこは、かつて彼があの瀧に行く時に車を停めた駐車場のすぐ側だった。今から瀧に行ったら、もうサン・モリッツに向かうバスに間に合わないのはわかっていた。プロモントーニョに泊まればいいのだが、そういう周到さが氣にいらなかった。今後どこにも行くあてがないのに、ホテルだって。彼は頭を振った。

 あたりが暗くなった頃、例の駐車場にさしかかった。たった一台車が停まっていた。誰かがここに来るなんて珍しい。マヤの車に似ている。そう思って目を凝らしてナンバーを見た。マヤの車だった。

 エステバンは、足を速めた。マヤが来ている。僕を追ってきたはずはない。ここに来るなんて自分でも思ってもいなかったから。

 彼は、空港で待っていたマヤの事を思い出した。

 アトランタから到着した飛行機にはかなりの数の南米人が乗っていた。エステバンを含めて彼らは徹底的な荷物検査を受けた。横を白人がどんどん通されていく。荷物を全て広げる係員を見ながら、麻薬なんてどこにも入っていない、コカの葉一枚だってと、心の中でつぶやいたつもりだったが、それは声に出ていたらしい。係員は驚いた顔をした。
「東スイスの出身なのか?」

 エステバンはスイス方言でつぶやいていたのだ。
「はい。メルスで育ちました。メルスに戻るところです」
そういって、労働許可証を見せると、係員は早く言ってくれという顔をして、全ての荷物をまとめて、行っていいという仕草をした。

 ついた途端、麻薬売人扱いされたも同然だったので、少し落ち込んで出口へと向かった。それと同時に、マヤが抱きついてきた。
「エステバン! ようこそ、スイスへ。嬉しい。本当に来てくれたのね」

 彼はマヤを強く抱きしめた。世界中の他の奴らに不当な扱いをされたって構わない。彼女と一緒にいられるなら。


 車。空港を出て、颯爽と運転する姿を見て、エステバンは再び彼女がかつての高校生ではないのを認識した。マヤは自家用車を維持し、運転する事ができる自立した大人だった。フラットも広くて快適だった。彼がそれまで住んでいた祖国の小さな家がかわいそうになるほどに。これだけの暮らしを一人で維持し、彼の助けはいらない。むしろ、彼が彼女に援助してもらっている状態だった。それが、プライドを傷つけ、彼は拗ねていたのだ。

 どう考えても彼女は悪くない。彼ははじめてマヤの心について考えた。精一杯の善意と愛情を拒否されて、どれほど傷ついたことだろう。なぜ彼女はこの瀧に来たのだろう。まさか、何かよからぬ事を考えているのでは……。

 瀧の音が大きくなり、足下の自分の駆ける音さえも聞こえなくなってきた。懐かしい激しい音。かつてと同じように嘆きを感じた。

「私たちの代わりに泣き叫んでくれているみたい」
十年前の彼女の言葉が蘇る。

「マヤ、マヤ?!」
暗闇の中、樹々をかき分けながら、彼は叫んだ。

「エステバン……」
月の光が差し込む岩場に、マヤは座っていた。十年前に、二人が座って足を水に浸した場所だった。エステバンは走りよるとマヤを抱きしめた。

「ごめん……」
「私も、ごめんね」

「どうして、ここに?」
「ここしか思い浮かばなかったの。もし、ここにいなかったら、一人で泣けばいいんだって、ペルーに行く前に、そう思ったの。もし、あなたに許してもらえなかったら、一人でここに来ようって……」

 大人になり、自立していても、彼女は変わっていなかった。彼はそれを知った。二人の間の絆は失われていなかった。あの頃と同じ、壊れやすい魂をその体の中に抱えていた。

「一人で来たのか」
「あなたがいないのに、他に誰と来る事ができるの?」
彼の胸の中で、くぐもった声で答えるマヤは、すっかり冷えていた。

「僕もだ。君の所以外、帰る所はどこにもないのに、何を探していたんだろう」

 マヤが顔を上げた。月の光の中で浮かび上がるその顔をエステバンは美しいと思った。

「君は、とっくに鏡を出て現実の世界に行ってしまい、中に取り残されているのは僕一人だと思っていた」
「違うわ。私も、あなたも、鏡の外にいるの。でも、二つの魂はずっとあの中にいるんだと思うわ」

 彼は、彼女の意見に賛成だった。たぶん、この瀧の勢いに乗って押さえつけていた想いは、外に出てくる事ができるのだろう。瀧は、二人にとって鏡と現実の世界を結ぶ魔法の通過点だった。

「こんなに冷えて。行こう。風邪をひく」
マヤは、黙って頷いた。

 エステバンは、マヤの手を取って歩いた。暗闇の中、確かなものはその手に伝わるぬくもりだけだった。

「あなたを失うのかと思った……どうしていいのか、わからなかった」
彼女が小さくつぶやくと、彼は手のひらに力を込めた。
「君を失いたくないと思った。考えただけで、苦しくてどうにかなりそうだった」

 マヤが手を握り返す。
「私たち、会ったばかりなのにね……」

 この三週間、ペルーでの一週間、そして十年前の半日。そんなに短い間しか同じ時を過ごしていない。
「そうだね。でも、もう何万年も前から君に焦がれていたような氣がするよ」


 車を走らせるマヤに、しばらくするとエステバンは訊いた。
「なぜそんなにゆっくり走る?」

「だって、暗いし、道がよくわからないから……」
「停めて。僕が運転しよう」

 マヤはほっとしたように頷いて、運転席を空けた。不意に彼は悟った。マヤの力になるのは、こんな簡単な事なのだ。

 クールまでは二時間かからなかった。往きに四時間以上かかったのだから、後から出たマヤに追い越されてしまったのは当然だった。

「どのくらいあそこにいた?」
「一時間くらい。いろいろ考えていたの。私じゃ、だめなのかなとか。あなたを失ったらどうやって生きていけばいいんだろうとか」

「同じ事を考えても、僕の方が快適な場所にいたな」
「どうやって来たの?」
「サン・モリッツからバスに乗って」

「今夜はどうするつもりだったの?」
「どうでもよかった。そんな事を考えるの自体が嫌だった」
「……帰りたくないの?」

 その問いを聞いて、彼はマヤの方を見た。少し長過ぎるぐらいだったので、見つめられて、また、事故を起こすのではないかと心配して彼女はどぎまぎした。

「この車を見て、君がいる事を知った時に、僕はもう帰っていた。帰るのはフラットにじゃない。君の所になんだ」
マヤは、嬉しくて涙ぐんだ。

「次に喧嘩する時のために、もっと近い瀧を見つけておいた方がいいな。毎回こんな遠くまで来る必要はないよ」
それを聞いて彼女も笑った。
「サン・ベルナルディーノ峠の近くに一つあるわ。私ね。あそこを通って、あなたにどうしても会わなくちゃいけないと思った。ペルーに行こうって決めたの」


 フラットに戻ると、マヤは湯を沸かしてマテ茶の缶を取り出した。
「病み付きになっちゃったわ」

 コカ茶でなくてよかったなとエステバンは思った。
「僕が淹れよう」
彼女は微笑んで缶とポットを渡した。

「シモンが送還された後、何をしたか知ってる?」
「マネッティ坊やか? 何をやらかしたんだ?」

「向こうで氣にいったからって、インターネットで注文してスイスに大量のコカ茶を送りつけようとしたんですって。もちろん大騒ぎよ。ろくな事をしないからって、ついにご両親にネットの使用を禁止されてしまったそうよ」
彼は高らかに笑った。マヤはその笑顔を見て心から嬉しくなった。二人で過ごす、ごく普通の日常はこんなに楽しい。

「マヤ。僕にできることからさせてくれ。まずは食費を払う。借金が片付いたら家賃も負担する。遠出するときは運転もするし、買い物も手伝う。いいだろう?」
彼女は頷いた。

 二人は湯氣を挟んでお互いを見つめていた。

 傷つきやすい二つの孤独な魂は、帰る場所を知っている。どこから来たのでもいい。どこへ行くのも恐れない。二人の耳には、瀧の音が聞こえている。鏡から飛び出し自由に世界を泳いでも、その音を頼りにお互いのもとに戻る事ができる。魂はもう、どこにも閉じ込められていない。

(初出:2012年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

ムパタ塾のこと - 9 -

いつまでも引っ張る、ムパタ塾の話題。今回取り上げるのは、向こうで出会った普通の人びとの事です。

市場の女たち

男女同権が憲法に明記されていて、時には、逆差別もおこるほどに女性への配慮がなされた社会で生まれ育つと、いわゆる第三世界での女性差別にはぎょっとする事があります。

スイスでは、男に生まれたらそれでゲームオーバーと言っていいくらい女性の権利が保護されていて、それなのについうっかりアフリカ人と結婚してしまい、その価値観の違いに仰天して離婚する女性の話が後を絶ちません。男性には尽くす方と言われている日本人の私でも、かなり「それは、勘弁」と思うエピソードをよく聞きました。

マサイ族の男性に聞いた話です。
「女の仕事は、家を建てる事、子供の世話と、家事全般。それに家畜の世話と、農耕作業(ある場合はですが)、それから(数キロ先まで)水を汲みにいく事、他にもいろいろあるけれどね。男の仕事は、ライオンが来たら闘う事。あとはビールを飲んで仲間とおしゃべりだね」
ちなみに現在は、国立公園として保護されているので、ライオンと闘う事は許されていません。つまり男性の仕事はビールを飲んでおしゃべり、それから子づくりのみ。

「アフリカ人は怠惰だ」という意見を聞きますが、この場合は「アフリカ男は」ときちんと言っていただきたい。女性は基本的には勤勉です。

ただし、彼女たちの働き方は「勤勉」という言葉からイメージされるものとはちょっと異なっています。テンポが緩やかで、かなり非効率な動きをしています。でも、まあ、こんなに理不尽な男女差別に何千万年も堪えるのにパキパキなんてしていられないでしょうね。彼女らは仕事も何もかも楽しんでいます。歌って、だらだらして笑って。

こういう姿を見ると、「ウーマンリブ」や「女性の解放」という言葉が、別世界のように見えます。これでいいんだか、よくないんだか、よくわかりません。生命や身体の危険にさらされている女性たちは国際社会の圧力をかけてでも救ってあげる必要があると思います。その一方で、アフリカ人にはアフリカ人なりの生活哲学があるのだから、一概に欧米や日本のような男女の関係をあてはめても意味がないのかもしれないんですよね。
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Posted by 八少女 夕

【小説】二十年後の私へのタイムマシン

scriviamo!


「scriviamo!」の第十弾です。
akoさんは、すてきな詩で参加してくださいました。本当にありがとうございます。



akoさんの詩 『明日の私へ』


akoさんは、短い詩と美しい画像を組み合わせた作品を発表なさっているブロガーさんです。ブログ『akoの落書き帳』は、前向きで優しい珠玉の言葉たちが、忙しい生活の中でささくれ立った心をそっと癒してくれる、そういう空間です。

今回のご要望は、akoさんの紡ぎ出した言葉に、なんと私の作る画像を組み合わせてほしいという、異例のお申し出でした。いや、こんなに沢山の素晴らしい絵師様たちがいるのに、いいのかな、と思いつつも、せっかくの機会ですのでイメージ画像を作ってみました。akoさんがそれに詩を載せてくださったのがこちらです。


明日の私へ

画像だけではあまりにも手抜きなお返しですので、akoさんの言葉からインスパイアされた掌編小説を書いてみました。akoさん、本当にありがとうございました。


「scriviamo!」について
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二十年後の私へのタイムマシン
Inspired from 『明日の私へ』
——Special thanks to ako-SAN


 同窓会に行って「タイムマシン」と名付けた小さな瓶(タイムカプセル)をもらうことになった。小学校のときの私が書いた作文、「二十年後の私へ」が入っているらしい。らしい、というのは、当の本人が全く記憶にとどめていないからだ。

「本当に忘れているんだ。情けない人ねぇ」
幼なじみの亜矢子が呆れて言った。彼女はどうやら憶えていたらしい。懐かしそうに受け取ってきたばかりの小さな筒をあけて中を覗き込んだ。

「どんな作文?」
「ふふっ。女優として大成功している未来の私へって書いてある」
「あはははは。らしいね」
亜矢子は頬をふくらませて私を睨むと、こつんと私の頭を叩いた。

 亜矢子が女優になる夢を見ていたのは憶えている。最初はアイドルだった。でも、アイドルよりも女優の方がちゃんとした職業だからと、高学年になってからは「女優になりたい」と言うようになった。もっともどんな演技がしたいとか、どんな役をやりたいからとかではなく、単純にスターになりたいと夢みていたのだ。子供の夢なんてそんなものだ。彼女は、少なくともその美貌を生かして、一部上場企業の受付嬢の職と弁護士の婚約者を手にした。

 一方、私は可もなく不可もないような、平凡な二十年を過ごしてきた。ごく普通の短大を卒業して、中堅の商社に勤め、三年前からは一人暮らしもはじめて、平凡な生活をしている。難があるとしたら、白馬に乗った王子様との出会いがこれまでになく、今後も全く予定がないことくらい。亜矢子が大女優やスターにはならなかったおかげで、二十年経った今でも時々一緒にお茶をして、お互いの話をし、それから私の趣味にもつきあってもらえている。

 私は亜矢子みたいに綺麗ではない。学校の成績もいまいちだったし、仕事でも上司に重宝されているわけでもない。唯一、私が私であると思えるのは、小説を書いているときだけ。それも、趣味の範囲で。読者は亜矢子だけ。彼女は時に好意的な、でも、時には鋭い批評をしてくれる。それが、嬉しいときもあるけれど、最近は、私には才能ないのかなあとがっかりする事が多くて、筆が進まない。

「ねえ、『オズワルドの春風』、いつになったら最終章が読めるの?」
亜矢子が言う。期待してくれるのかなと思うと嬉しい。でも、「すごい。本当に面白かった。また読みたいよ」って言ってくれるような結末が思いつかなくって、迷ってしまっている。好きだからずっと続けているけれど、小説を書く事に意味があるのかな。



「さあ、早く取りにいきなよ」
亜矢子が私の背を押した。恩師が一人一人に手渡している小さな筒。本当に全く憶えがないので、行って「あなたの分はありません」と言われるのが怖かった。でも、先生は、私の姿を見かけてニコニコして、袋を探った。

「ああ、ありました。これがあなたのですよ」
そういわれて手渡された小さな筒には、シールラベルが貼ってある。そのみっともない筆跡は、紛れもなく、子供の頃の私のもので、かなり乱れた感じで私の名前が書いてあった。本当にあったんだ。

 ドキドキしながら、私はその「タイムマシン」の封を切った。どんな手紙が入っているんだろう。小学生の私はどんな20年後を期待していたんだろう。

 筒の中には、ずいぶん沢山の紙が入っていた。亜矢子のは、たったの二枚だったのに。つっかえていてなかなか出ない紙の束を、もどかしく取り出す。
「あ……」

 後ろから覗いていた亜矢子の眼が輝いた。
「あれっ。マンガだぁ」

 それはマンガの作品だった。定規でコマ割をした鉛筆描きで、何の作品かはすぐにわかった。小学校の時に夢中になって創作していた「タイムマシンもの」だった。「二十年後の私へのタイムマシン」と言われて、皆と同じように未来の自分宛に手紙を書いたりせずに、一人だけ「タイムマシン作品」を突っ込んでおいた自分のウィットがおかしくて仕方なかった。

「ねえ、読ませてよ」
亜矢子は手を伸ばす。
「だめっ」
「なんで? いつも小説を読ませるくせに、これはダメなの?」

 私はその紙束を鞄に突っ込んで言った。
「ものすごく、くっだらない、恥ずかしいストーリーなんだ。タイムマシンに乗って、歴史上の有名場面に行くんだけれど、いちいちそこに自分の前世がいてね」

「それにしては、嬉しそうじゃない?」
亜矢子は不思議そうに言った。

 私は、実をいうと、とても嬉しかった。その恥ずかしい、稚拙で、情けない創作物を送りつけてきたのは二十年前の小さな私だった。でも、彼女は、私と同じ方向を向いていた。二十年後に生きている自分に、その当時の彼女に出来るかぎりの最高傑作を届けてきたのだ。

 二十年後の私が、現在の私の作品を読んだら、やっぱり頭を抱えるような氣がする。でも、これから書き直す事も可能だ。できれば、二十年後の私が時も忘れて没頭するようなそんな作品にしたい。そんな「タイムマシン」を用意したい。

「ねえ、亜矢子。私、頑張って書くよ。『オズワルドの春風』、この夏中に完結させる」
私が言うと、亜矢子はふーんと鼻で笑った。
「待っているよ。鬼の編集者みたいに催促するから」
亜矢子の皮肉はもう耳に入らなかった。構想を練るモードに入ったのだ。久しぶりに。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

樋水龍神縁起の世界 - 1 -

また新カテゴリーを作ってしまいました。「樋水龍神縁起の世界」です。「大道芸人たちの見た風景」と同じで、三月から連載を予定している「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」用の宣伝カテゴリーなのです。ただ、実は「scriviamo!」で外伝を準備中で、本人の中では再びこの世界が前面に押し出されているのですよ。いや、例によって、勝手に一人で盛り上がっているだけなのですが。

出雲大社にて


この写真は、2011年の秋に日本に行った時にはじめて行った出雲大社での一枚です。「樋水龍神縁起」という題名から、この小説は時代物だと思われる事が多いのですが、メインの舞台は現代です。それどころか「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」にいたっては、近未来小説です。でも、書いている本人としてはメインの舞台が現代でも平安時代でもあまり変わらない感じで書いています。そうなる原因が、出雲という場所にあるのです。

この写真、平安時代の物語のイメージ写真としても十分にいけると思いませんか? 千年前も今も同じように佇む世界。ここに息づくあってなきもの、延々と繰り返される自然と人の営み。これが私の中の「樋水龍神縁起」の世界観だったりします。

新連載「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」と、写真で語る「樋水龍神縁起の世界」、しばらくおつき合いいただく事になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。



官能的表現が一部含まれるため、成人の方に限られますが……「樋水龍神縁起」四部作(本編)は別館にPDFでご用意しています。
縦書きPDFで読む(scribo ergo sum: anex)
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Posted by 八少女 夕

【小説】海藤氏の解答 - 『伝説になりたい男』 二次創作

scriviamo!


「scriviamo!」の第九弾です。
十二月一日晩冬さんは、大切なブログ最後の記念掌編で参加してくださいました。本当にありがとうございます。



十二月一日晩冬さんの掌編小説 『伝説になりたい男』



晩冬さんは、サッカージャーナリストを目指していらっしゃいます。文章の鍛錬として、書評や掌編小説を発表していらっしゃいました。私とほぼ同じ頃にブログをはじめ、早速リンクをしてくださり、いつも楽しいコメントをいただき、親しくお付き合いをしてきました。ご自分の夢を叶えるために、ブログの更新はおやめになるそうです。寂しいですが、そういう前向きな理由とあれば仕方ありません。近いうちに夢を叶えられて、プロとしての晩冬さんにお目にかかれる事をお祈りしています。そして、一個人として、やっぱりもとのブログ仲間の所にも時々顔を見せていただければこんなに嬉しい事はありません。

今回の返掌編は、ウィットの効いた晩冬さんが好きじゃないかなと思うおふざけで書きました。晩冬さんからいただいた宿題の掌編は、「怪盗」と「会頭」をかけた言葉のお遊びが効いているお話でした。というわけで、こちらも中にいくつ「カイトウ」が入っているか、そのお遊び。主人公の名字も一つという事で。


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海藤氏の解答 - 『伝説になりたい男』 二次創作
——Special thanks to BANTO-SAN


 ビルの谷間に突風が吹いた。眼にホコリが入らないように、山高帽を目の前に下げると海藤はトレンチコートの襟を合わせて肩をすくめた。くわえたタバコの灰が飛んで佐竹の瞼の近くをかすめた。

「ちょっ。待ってくださいよ、海藤さんっ」
佐竹は眼をこすると、慌てて海藤の後を追う。同じようにトレンチコートは着ているのだが、多少太り過ぎの体を隠しているためかパンパンに膨らみ、後ろから見るとクマのぬいぐるみのように見えた。この佐竹と一緒にいると、海藤のハードボイルドな雰囲氣はいちいちぶち壊しになった。

「そ、それって、どういう事なんです?」
佐竹は、海藤がもらした言葉の意味を図りかねていた。佐竹は会東新報社の社会部に勤めている。上司はもちろん海藤。いま追っているのは、伝説の大泥棒「怪盗乱麻」だ。そして、その怪盗乱麻の唯一の目撃者で《怪盗乱麻ファンクラブ》を立ち上げた警備員に一番早く接触したお手柄で、二人は社内で表彰されたばかりだった。

 しかし、それだというのに海藤の眉には深いシワが刻まれている。その理由を訊ねた時に、海藤は意外な事を言ったのだ。
「だから、あのクリークって男、ただの警備員じゃないって事だよ」
「金持ちだからっすか? 自分でも言っていたじゃないっすか、祖父さんの遺産だって」

 海藤は、眼を細めて佐竹をじろりと見た。
「《怪盗乱麻ファンクラブ》の会頭。警備員にしては頭が回りすぎる。お前、最初にあのビルに言った日の事を憶えているか?」
「え? もちろんっすよ。あのクリークが、僕たちに目撃談を話して、さらに例の《怪盗乱麻ファンクラブ》の立ち上げを告白した記念すべき日じゃないですか。いやぁ、びっくりしましたね。あんなに高い会費なのに、あっという間に会員数がふくれあがって。会員ナンバーが一桁の会員証って、それだけでけっこうなお宝なんっすよね」
そういいながら、佐竹は自分の会員証を嬉しそうにこねくり回す。

 こいつの目は本物のフシアナだな。海藤はため息をついた。ヤツの高級マンションの一室、あのだだっ広い空間を一室という事が許されるならだが、とにかくあそこには見事なお宝がたくさん飾ってあった。ヤツはそれを《怪盗乱麻ファンクラブ》の会頭として作らせたレプリカだと言った。「皇帝の夜光の懐中時計」をはじめ、例の盗人が華麗に奪った有名な美術品の数々。精彩に描かれた図柄の美しい18世紀の陶器、マリー・アントワネットの襟元を飾ったと言われるダイヤの首飾り、水晶とルビーで出来たロシアの高杯、中国古代の素晴らしい灰陶、ピサロがインカ帝国から持ち帰ったと言われる黄金のマスク、空海和尚が使ったと言われている戒刀。

「すっごいお宝に見えましたよね。レプリカだから、実際には大した値段ではないんでしょうけれど」
佐竹はのほほんと言う。

「俺は、あれらは本物じゃないかと思うんだ」
海藤は足を止めて言った。再び突風が吹き、トレンチコートが海濤のようにおおきくうねり、ばさばさと音を立てた。

 佐竹は風が通り過ぎると、あわてて上司を追い、息を切らせて訊いた。
「ちょっ、そ、それは、つまり、あのクリークが? そんな、馬鹿な! 海藤さん、根拠があって言ってんっすか?」

「あの部屋を思い出せ。あそこにあったものをひとつひとつ。おかしな物はなかったか?」
「なかったっすよ。どれも怪盗乱麻が実際に盗んだものと同じに見えましたし、それ以外には豪華な調度品と、高そうなワイングラスと……」

「絵は」
「ありましたね。ゴヤ、ルーベンス、エル・グレコ……。でも、いくら金持ちでも買えるわけないし、怪盗乱麻が盗んで以来見つかっていないものばかりだし」

「あの、『聖母被昇天』は?」
「ああ、確かあった……、あれ? 一昨日行った時にはなかったような」
「そうだ。なくなっていた。俺たちが行った初日にだけあったんだ」

 佐竹は口の先で笑った。
「まさか、それが根拠で、クリークが怪盗乱麻だなんていうんじゃないでしょうね」
「まさにそれだ」

 佐竹は、真面目な顔になって、海藤の方に向き直った。
「すんません、どういうことか、ちゃんと教えていただけないっすか?」

「俺たちはあの『聖母被昇天』が怪盗乱麻に盗まれた事を知っている、なぜだ」
「なぜって、ほら、スクープを用意して徹夜……あっ!」

 佐竹にもようやく合点がいった。『聖母被昇天』の盗難に怪盗乱麻が成功した事を記事にしたのだが、印刷屋に送る寸前にストップがかかり、あの記事はお蔵入りになったのだ。盗まれたのは会東新報の大株主でもある甲斐棟建設の社屋からだった。だが、時価58億円のあの絵は二重の抵当に入っていた。絵が怪盗乱麻に狙われた事も、そしてまんまと盗まれてしまった事も絶対に表沙汰にしてはならぬと圧力がかかった。そう、表向きは『聖母被昇天』はまだ甲斐棟建設の社屋にある事になっているのだ。
「あいつはあの絵が盗まれた事を知っていた。『皇帝の夜光の懐中時計』のあった博物館のただの警備員が……」

「そして、《怪盗乱麻ファンクラブ》を世間に公開した時には、あの絵は隠されていた。ヤツはあの絵を人に見られてはならない事をよく知っているのだ。つまり、我々があの絵を目にしたのは、ヤツにとっては本当の奇襲だったのだ。そうだよ。ただの警備員なんかじゃない。つまり、ヤツこそ本物の怪盗乱麻だよ」

「海藤さんっ。すごいじゃないですか。これはスクープっすよ。俺たちは英雄となり、懸賞金も……」
佐竹は叫んだ。

 だが海藤は眼を細めて愚鈍な部下をきっと睨んだ。
「馬鹿野郎。大きな声を出すな」
「す。すんません。極秘ですね」
「極秘どころか、俺たちはヤツを警察に渡す事は出来ない」
「ど、どうして?」

「まず証拠がない。それに、証拠を得るためには警察にこの件を話さなくてはならないが、そうすると甲斐棟建設は倒産の憂き目に遭う。それを阻止するために、甲斐棟建設は組の人間を派遣して俺たちの口を封じようとするだろう」
佐竹は青くなった。海島綿のフリルのついたハンカチを取り出すとしきりに額を拭いた。

「やっぱり快刀乱麻を断つってわけにはいかないもんだな。あの男は、とんでもなく頭がいい。俺たちに何も出来ないのをわかっていやがる」

「僕たちの全面降伏っすね。ねえ、海藤さん、ひとつだけ出来る事がありますよ」
「なんだね?」

「僕たちだけ脱会してきましょう。そして、何も知らなかった事に」
「そうだな。もしヤツが逮捕でもされたら払い戻しで大騒ぎになる。それに、その前にやつが高飛びをするかもしれないしな。とにかくへそくりだけは取り返さないとな」

「へそくりだったんですか?」
「そうなんだよ。何がまずいって、俺が入会している事を山の神に知られるのが一番まずい。どこにそんな金があったのかって、尋問されたら、俺はオシマイだ」

 海藤は、(彼にとっての)正しい解答をみちびき出すと、さらにコートの襟を立てて、寒そうに摩天楼の谷間を歩いていった。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ムパタ塾のこと - 8 -

ムパタ塾の話の続きです。まだまだ、ひっぱる……。

これまでの話は、カテゴリー「アフリカの話」でまとめて読む事が出来ます。こちらからどうぞ。

ライオンの顔にも……

突然ですが、食事の前に必ず手を洗いますか? 出来れば石けんで、本当は滅菌作用のある石けんでと思っていらっしゃいますか?

アフリカに行って以来、私はその辺の事に疑問を持つようになってきました。そりゃ、肥だめの中に手を突っ込んだままで食事をしたりはしませんよ。でもねぇ。滅菌に命をかけている日本の母親たちが、あんなに頑張っているのに日本の子供たちはすぐに病氣になり、あんな不衛生な状態で暮らしているのに、アフリカの子供たちはへっちゃらなのですよ。滅菌すればするほど、人間の免疫力が低下するんじゃないかと思うんですよね。

外のテラスで食事をするレストランでの食事に例をとります。日本でお皿の中にハエが一匹入ってしまったら、取り替えてもらう人が多いと思います。ケニアではそんな事をする人はいません。外にいて一匹なんて奇蹟です。お皿の上にはぎっしりとハエの集団がいるのです。そして、客は自分が口に運ぶ、スプーンやフォークのところに来るハエをはらって食べる訳です。一匹のハエでお皿を取り替えてもらっていたら、永久に食事にはありつけません。私はそういう食事をしていましたが、一度も病氣になりませんでした。

マサイ族の住む村を訪問しました。彼らは自分の住む家を(女性が)建てます。たった今完成したばかりという家を見せてもらいました。黒い壁でした。私たちがその家に近づくと、いきなり壁は灰茶色に変わりました。その壁は牛の糞でできていたので、全面にハエがたかっていたのが、一斉に飛び立ったのです。よく見ると立っている足元もすべて牛の糞でした。

彼らはそういう所で年間を通じて暮らしています。滅菌石けんという問題ではない事がおわかりいただけると思います。レベルはだいぶ違いますが、スイスもそうです。ハエがどうのこうのと言っていては生きてはいけません。

不潔な状態から感染するというのは事実です。だから、ハエや汚れにまみれる方がいいとは言いません。でも、本当に大切なのは免疫力をつけるという事なのではないかと思います。

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Posted by 八少女 夕

Vivere la vita

先日から取り憑かれている構想があります。現在は「scriviamo!」の方で手一杯なので、まだ何も手を付けていないのですが。

題名は「Vivere la vita - ただ生きよ」にしようと思っています。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、5000字の小説を三本の連作にして、しかもその三本には明確に関係があるという形をとります。「Vivere la vita」はイタリア語です。この話の裏テーマがエロス・ラマゾッティとシェールのデュエットした「Più che puoi」という曲なのですが、その中に出てくる一節なのです。

サブキャラとして、カンポ・ルドゥンツ村の絵梨とリュシアンが登場します。これだけでわかる方にはわかると思いますが、このストーリーはノンフィクションをベースにしています。

詳細を書かないので、訳がわからないでしょうが、じつは、もともと書くつもりのない事実でした。でも、書く事を決めたのは、ブログのお友だちである由香さんのある記事を読んだからです。由香さんは、詩をベースに活動されて、とても真摯な姿勢で苦しい境遇にある方を力づけようとなさる、言動一致型の素晴らしい方です。私の人生で出会った(もちろん面識はありませんが)中でも五本指に入るほど尊敬している方です。

その由香さんが、心を痛めた事がありました。詳しくは書きませんが(こればっかりでごめんなさい)、単純な「嫌な事」で片付けられる事ではありませんでした。少なくとも私にとってはそうではありませんでした。私は何も出来ませんでした。由香さんに対しても、原因となったことにたいしても。私がその事に対して思ったままを口にしても、それは偽善となるか、もしくは高みの見物になってしまうからです。

私は、いいコメント書きではありません。私の伝えたい事を書くのに、一番適しているのは小説です。「え」と思われるかもしれませんが、私にとってはそうなのです。だから私は、この物語を書こうと思いました。三つの人生の話。そして、由香さんのようには生きられないけれど、100%由香さんを応援している私の氣もちを表現する、唯一の方法。だったら、さっさと書けと言われそうですが、さすがに今は無理です。でも、必ず今年中には書きますので……。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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歌の動画も貼付けておきます。

"PIU' CHE PUOI" EROS RAMAZZOTTI & CHER
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜想曲 - 5- 太陽の乙女

ここ数日、文学系のブログの方ではじめていらっしゃる方が、ガンガン増えています。一年近くブログやっていますが、こんなことはじめて。いったいどうしたんだろう? ちょっと前まで、文学系の方の方がずっと少なかったのですが。はじめての皆様、はじめまして。毎日更新していますが、小説以外の記事の方が多いです。今日は、メインの小説の日です。さて、以下から、いつもの記事です。


「太陽の処女たち」という曲をご存知でしょうか。もともとはペルーの民謡のようです。ペルーと言えば「コンドルは飛んでいく」が有名ですが、その手の音楽です。大学時代に友人がカセットテープに録音してくれた曲が大好きで、私にとってのペルーのイメージはこの曲が元になっています。(追記に動画、くっつけておきました)
おなじ「おとめ」でも、今回の題名は「乙女」にしておきました。だって、ねぇ……。


はじめからまとめて読む



夜想曲(ノクターン) 
- 5 - 太陽の乙女


 エステバン・ホセ・リベルタは溢れ出す水流と戦っていた。顧客の二階に住む住人はひどい状態の部屋に住んでいた。ゴミの山をかき分けるようにして、水道管の詰まった洗面所を探さねばならなかった。下の住人は二日間も水漏れに苦しめられている。上の住人が我関せずなので、しかたなく自分のコストで配水管工を呼ぶ事になり、大変機嫌が悪かった。

 エステバンの腕には定評があった。この職業訓練はスイスで受けたのだ。緻密で正確な仕事の後は、問題がぴたっと収まるので、最近はリマの中心部にある豪邸からも仕事を頼まれる事があった。大きな建設会社の後ろ盾のある、エル・アグスティノのリョサ氏は最初エステバンに彼の店で働いてほしいと言った。郊外のチェロ・サン・クリストバルに一人で小さな店を構えている若者だが、既に脅威になりかけていたからだった。エステバンはためらいがちに断った。ヴィザがとれ次第、生まれ育ったスイスに戻ろうとしている事を打ち明けて。リョサ氏は大いに満足した。もし、君が残していく顧客がいたら、私たちに回してくれ、そう言って。

 しかし、今日のような仕事は、リョサ氏の店では死んでも請け負わない、踏んだり蹴ったりの仕事だった。ひどい悪臭の漂う不衛生な部屋で、まずは水浸しになったゴミの山をどけて場所を作らなくてはいけなかった。それから詰まっている配管を取り除くために、一度水栓を閉めなくてはいけないのに、錆びて老朽化した管は栓を閉めたと同時に穴が開き、そこからも水が漏れ始めた。ちくしょう。

 スイスにはこんなひどい仕事はまずない。ちょっと水が漏れただけで、この世の終わりのように大騒ぎするヒステリックな客はいるが、それでもバケツ二杯程度の水漏れだ。こっちは滝みたいに流れ、終わりもない。


 インカ帝国を築いたほこり高き民族の末裔たるエステバンはスイスで育ち、その冷たい社会に馴染めなかった。それでも、親兄弟がペルーに帰国した後も一人残り、スイスで生きていこうとした。十九歳の夏、ブレガリアの谷であの少女に会うまでは。

 マヤ・カヴィエツェルは、東洋人の顔をしていた。赤子の時に養女に出されスイスで育った十六歳の多感な少女は、驚くほどエステバンに似ていた。鏡を見る度に違和感を覚えると少女は言った。周り中は東洋人である事を期待するのに、その部分は何もない。けれど、二人の兄たちとはあまりにも違っていて、スイス人としてもしっくりとこない。自分自身でも得体が知れず、持て余しているのに友達と深くつき合う事などできない。だから、マヤは表面だけ友人たちに合わせる、間違った仮面を被ってしまった。

 マヤとエステバンは、すぐに恋に落ちた。二人とも似た顔つきをしていた。同じ言葉で話し、同じ痛みを抱えていた。鏡の中に閉じ込められた魂。

 だが、二人は先を急ぎすぎた。マヤはまだ高校生で、エステバンはマヤの養父母に責め立てられた。彼らの圧力でエステバンは職を失った。マヤと逢う事は望むべくもなかった。絶望して彼はペルーに帰ってきた。

 今度は、祖国で同じ戸惑いを味わう事になった。エステバンはペルーの社会にも馴染めなかった。激しい貧富の差、不正やごまかしの横行、時間は不正確で物事は半分機能しなかった。スイスにはなかった良さもたくさんある。鏡を見てどきりとする事はなくなった。人々の仲は親密で、食事や文化も求めていたものに近かった。けれど、やはり自分はここにも本当には属していない。マヤが「自分には属する所がどこにもない」と言った時に、彼は彼女を哀れに思った。何故なら、彼は祖国にそれがあると信じていたから。ペルーで、彼ははじめてマヤの心持ちを完全に理解した。祖国とは、パスポートに記載された国という意味ではなかった。遺伝子を伝えた祖先の多くが住んでいた土地でもなかった。エステバンにも祖国はなかったのだ。マヤに逢いたいと思った。だが、それは無理な話だった。


 先にペルーに戻っていた家族は故郷に馴染んでいた。もともとペルーで生まれ育った両親はもとより、十歳と、八歳でペルーに帰った弟と妹も、スイスの事はほとんど憶えていなかった。それどころか二人は長年会っていなかった兄に対して違和感を覚えていた。我が家で受ける疎外感はエステバンを苦しめた。自然と彼は家族と疎遠になった。両親の生まれ故郷イーカにいる意味はなくなり、彼はペルーに戻って数ヶ月で首都のリマに遷った。


 水との闘いは終わった。洗面所の床はだらしなく湿っていたが、掃除は彼の仕事ではない。そこだけ新しくて妙に浮いている配水管をもう一瞥すると、下の住人に報告して料金の請求に行った。その後しばらく、払いを渋る客と話を付けなくてはならなかった。濡れた服がまとわりつき不快だった。

 こういう時には、再びヨーロッパに行く決意をしたのは間違っていないと思う。


 六月のペルーは、冬のさなかだ。日照時間の最も短くなる冬至、つまり太陽神の生まれ変わりを記念して、毎年六月二十四日にはクスコでインティライミ祭が開催される。ほぼ丸々一ヶ月が祭り一色になるクスコとは違うが、リマでも人々は浮き足立っている。普段はスペイン語を話し、ヨーロッパの植民地時代の建物でビジネスマンとして働く人々も、この時期だけは先住民族の誇りをあらわにする。それはエステバンがスイスで夢見ていたような、過去に対する熱い熱情に似通うものがあった。

 工具箱を持って、足取り重く歩いていくと、横を民族衣装に身を包んだ少女たちが笑いながら通り過ぎていく。インティライミが近づくと、観光客が急激に増える。彼らはクスコに向かう前に必ずリマに滞在する。そして食事の時にはフォルクローレの流れるショーを観るのだ。今のは舞台に出演する踊り子たちに違いない。彼はふと「太陽の乙女」に思いを馳せた。

 インカ帝国には、太陽神に捧げられた選ばれし処女たちがいて、神殿の奥で機を織り、神に捧げる酒を作っていたという。絶対的な権力を持つ皇帝ですら顔を見る事すらかなわない、隔離された生活を送っていた誇り高き少女たちは、民謡「太陽の乙女たち」が伝える遠い伝説だ。彼が朧げに存在を求めていた乙女たちは、祖国では発見できなかった。観光名所と化したインカ帝国の跡地、観光の目玉としての祭り、俳優が演じる皇帝や神官や乙女。それらは祖国の偽りの姿ではないかもしれない。だが、過去の文明の深い底や、そこから湧き出る歓びを自分と人々の中に期待していた彼には失望が待っていた。


 自分を見失い、もがくエステバンの前に、突然現われたのは、忘れる事のできなかったかつての少女だった。去年の十月、夏の始まりだった。マヤが側にいた一週間、彼は全てがいつもと違っているのに氣がついた。朝起きるのも、夜夢見るために眠るのも幸福に満ちていた。工具を手に持ち水道管と果てしない闘いをするのも苦にならなかった。買い物に行き食材を選ぶのも、小さな台所で簡単な食事を作るのも満ち足りていた。それは、まるで夜と昼の明るさの違いのようだった。ああ、太陽の乙女だ、彼は思った。マヤは太陽の昇る国で生まれた女だった。彼女だったんだ。どれほど長く間違った場所を探していたのだろう。

 だが、十年経って突然現われたマヤは、二十六歳の自立した女性になっていた。焦茶色の丸い瞳は、同じ光を放っていたが、寄る辺なさや絶望感は以前ほど感じられなかった。全精神で彼に寄りかからってきた魂の飢餓状態は、もうどこにも感じられなかった。養父母による支配は終わっていた。行こうと思えば、地の果てにでも一人で行ける。そして側には親切な男が立っていた。

 エステバンは、完全に思い違いをしていた事を知った。あの魂の交わりを必要としていたのは彼の方だった。それを知って以来、彼にはペルーに残る選択肢はなくなった。どうしても見つけられないと思っていた、彼の心の太陽は、ペルーにではなく、スイスにあったのだから。

 店に戻り、郵便受けを覗いた。待ち望んでいた封筒がそこにあった。海を渡ってきた書類。かつて彼を雇ってくれていた、メルスに店を持つ親方が、彼のために労働許可を申請してくれて、ついに許可が出たという返事だった。ドイツやイタリアにも申請を出していた。どこからもまだ芳しい返事は来ていなかった。何度諦めようと思った事か。ようやくやり直す事ができる。それも思った以上にマヤの近くで。


 店に入ると、電話に不在の着信があった事を示すランプが点滅していた。番号を確認するとマヤからだった。二人の通話は、たいていがマヤの方からかかってくるものだった。ギリギリの生活をしているエステバンにはとてもスイスに長時間の国際電話をする余裕はなかった。だが、その経済的格差は彼女の成長と同じように、彼の心を苦しめた。電話一つするのすら不自由している事実は彼の自尊心をも傷つけた。移住にも金がかかる。スイスからペルーに移住するのはとても簡単だった。だが反対はそうではない。だが、それをマヤには言いたくなかった。マヤの側にいた、もう一人のエステバンは、WEBデザイナーだといっていたな。花形の仕事だ。さぞかしいい給料をもらっている事だろう。

 エステバンは、頭を振って、迷いながらマヤに電話した。
「エステバン? ごめんね、忙しいの? そうじゃなかったら、私からかけ直すわよ」
「いや、いいんだ。知らせたい事があるんだ。二ヶ月したら、またメルスで働ける。今日、親方の手紙が届いたんだ」

「本当に? 嬉しい。夢みたい……」
彼女の声は涙をこらえているようだった。

「僕も嬉しい。しばらく電話も難しくなるけれど、その分そっちに着いたらたくさん逢おう」
それを聞いて、マヤは少し黙り、それから戸惑いながら訊いた。
「エステバン、あの、住む所はどうするつもりなの?」

 まだ何も考えていなかったエステバンは答えに詰まった。
「それは、親方に安い部屋でも紹介してもらうか……」

「メルスだったら、クールから通えるわ。あの、もし、よかったら、私のところに……」
エステバンはしばらく黙った。

「君のご両親に殺されるんじゃないか…」
「私、あなたに逢いにいった事も話したの。あまり好意的には受け止められなかった。でも、私はもう子供じゃないから、誰と住もうと両親の許可はいらないの。ただ、あなたが、私と住むのは嫌だと言うなら、無理強いはしないけれど……」
「嫌なわけはないだろう。ありがとう、マヤ。僕はただ君の邪魔にはなりたくないんだ」

「私が嫌になったら、いつ出て行ってもいいわ。でも、スイスでの生活が軌道に乗るまでは、私にあなたの手助けをさせて。私は、あなたと少しでも一緒にいたいし……」

 マヤとの電話を切って、エステバンはふと前を見た。鏡に彼自身が映っていた。優しい、愛しいマヤ。彼女の深い愛を感じる通話を終えたばかりだというのに、鏡に映った男は疲れて苦しそうな顔をしていた。彼は「太陽の乙女」をみつけた。しかし、彼自身はインカの皇帝ではなかった。


 暗い小さな台所で、マテ茶を作る。戸棚から、小さな缶を取り出して、壊れかけた小さなテーブルの前に腰掛ける。缶の中に入っているのはコカの葉を乾燥させたもので、コカ茶用にペルー中のどこでも買う事ができる。コカインの原料である事は間違いないが、コカ茶を飲むだけで酩酊する事はない。マテ茶よりも美味いと思う。だが、エステバンはこの茶を飲む事はほとんどなかった。

 彼の心はこの十年間ずっとペルーとヨーロッパの間を彷徨っていた。この地に足をつけて生きていく決意がないのに、この国から持ち出せない植物に依存した状態にはなりたくなかった。実際、二ヶ月後には彼はスイスに旅立つ。この葉ともお別れだ。彼は葉を一つ取り出して、噛んだ。体は軽くなり、不安はわずかに消えたように思われる。だが、中毒になるような変化ではない。マヤがこの台所にいた瞬間と、えらい違いだ。そう、これっぽっちの効果のものでも禁止するというならば、世界中の女をも撲滅しなくてはならないだろう。彼はゆっくりとマテ茶を飲むと立ち上がって、缶の中のコカの葉をゴミ箱に放り込んだ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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友人が録音してくれたのと、全く同じ演奏家による動画発見。 貼っておきます。

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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

晩冬さんに、カチッ、カチッ

ブログのお友だちの一人である十二月一日晩冬さんがブログを閉じられる(訂正:更新停止なさる、でした)事になった。

一年間弱のブログ人生の中で、こういうことははじめてじゃないけれど、やっぱりとても寂しい。

晩冬さんは、サッカージャーナリストを目指している若者だ。文章の鍛錬のために、小説や書評を定期的に発表、最近はビールの「飲んで書いて」批評記事も発表されていて、最近とみにそのプロ志向が特にはっきりしてきたなあと思っていた所だった。

私のやっているような「お遊び」に時間をかけている場合じゃない、とにかく夢を叶えるために真剣に進む時間を確保したいと思われる晩冬さんの思いは、とてもよく理解できる。ブログって、他の人との交流が醍醐味であるけれど、やはり執筆時間はそれに削られてしまうから。

もの書きだけで食べていけるようになるっていうのが、どれだけ大変な事かは、実際にはトライしていない私でもよくわかる。

だから、「行っちゃ嫌だ、せっかく仲良くなれたのに」と子供みたいに引き止める事はできない。晩冬さんの未来の成功を祈って、笑顔で送り出してあげたいと思う。そう、心は、火消しの後ろで、火打石をならすおかみさんの心持ち。カチッ、カチッと威勢良く鳴らしてあげたい。

夢をかなえて、雑誌に名前が出るようになったら、「実は、これが私です」とコメしてほしいものである。って、その頃までには、私が閉鎖していたりする可能性もけっこうあるのだけれど。そうならないうちに、是非、夢を実現していただきたい。

それに、時々は遊びにきてくれると嬉しいなあ……。


P.S. 最後の掌編を、「scriviamo!」に出してくださったので、これから、返掌編にとりかかります。
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Category : となりのブログで考えた

Posted by 八少女 夕

「ツヌゥニ」のひと息

しばらく追われ続けていた「scriviamo!」が全部返し終わりました。TOM-Fさんの分も発表を待つばかりですしね。宿題を全部やり終えたような清々しさです。ようやく、本人にも勝手が分かってきましたので、後半戦も頑張りたいと思います。これから参加という方、いまならかなり即お返しできますよ〜。お待ちいたしております。最終締切は2/28でございますが、「お願い、待って」という場合は、こちら(「scriviamo!」のお報せ)の方にコメをいただければと思います。

で、今日は、例によって「いただきます」の話題です。



スイスには「九時に」と訳すのが適当な「ツヌゥニ」という習慣があります。日本語での「おやつ(八の刻にちょっとしたものを食べていた)」と同じで、軽食を食べる時間がそのまま言葉になったのです。

これは昔の牧農家の習慣です。彼らは朝早くから働いていました。五時頃に朝食を食べ、牧草地で厳しい肉体労働をしているのでお昼まで持つはずがなく、九時頃に一息入れて、ミルクとパンとチーズを食べていたのです。

現在は、農家でも機械化されていますから、肉体労働なのはもちろんですが、お昼まで持たないというほどのものではないみたいです。そして、オフィスワーカーならなおさらです。なのですが、「ツヌゥニ」の習慣はそのまま残っていて、この時間に朝食としてコーヒーとパンを食べる人も多いのです。

ちょっとひと息

これは電車の中で朝食代わりに食べたクロワッサン。なかなか美味しかったですよ。皮がパリパリでした。
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Posted by 八少女 夕

幸せを願って

とあるブログのお友だちが熱烈恋愛中である。実はこの二人の成り行きは、微妙な記載からの推理の域を出なかった昨年からひそかに注目していたので、競馬で当たったような下世話な「よっしゃ!」のガッツポーズ中。(真剣なお二人には申しわけありません)もちろん、プライヴェートな事には首を突っ込むべきではないと思っていたので、コメで指摘したりはしていない。

この方は、いろいろな根拠があって、たぶん私と同年代だと踏んでいる。私のブログのお友だちの半分くらいはもっと若い世代で、私もそのくらいの年齢の時には思っていたように、このくらいの年齢になると、なんというのだろうかもっと落ち着いてしかるべきという勝手なイメージがあると思う。別のいい方をすると「いい歳をして」である。

けれど、この歳になった私が宣言する。人間の肉体にはあっても、情念に「いい歳」なんてものはない。恋愛は、たぶん90歳になっても現役でいていいのだと思う。だから、今の二人の状態には、当然ながら「Go! Go!」と旗ふり状態である。

でも、それだけならわざわざ記事にしたりはしない。別に、私が願おうと願うまいと、二人はハッピーだし。記事にしているのはもっと別の願いを持っているからだ。私は、この方の未来の幸せを祈っている。もちろんお相手の幸せも願っている。でも、お相手の方は、知ってそんなに長くないし、先ほども書いたように、この方には同世代としての共感やある種の記憶の共有があるもので(それにいろいろと恩のある方でもあるし)、ますます思い入れがあるのだ。

男と女の関係(同性同士でもいいのだけれど)は薪ストーブに火をくべるのに似ている。最初の方に、引火がある。ここで燃え上がらなかったらおしまい。強烈に焔が燃え上がってくれば、温度が上がる。けれどその狂おしい焔の時期はそんなに長くない。焔がおさまり、薪が赤く静かに熾っている安定した状態、それが続くと火が長続きする。

私はその方が、燃え上がる灼熱のカリブの夜だけではなくて、その先に続く冬の暖炉の前の静かな夜のように、愛が赤々と静かに燃え続ける、そういう状態の幸福を手にされる事を心から祈っている。長い冬の寒さに一人で耐え、ひたすら暖かさを求めていたその方の、永い平和な幸せを心から願っている。
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Posted by 八少女 夕

【小説】タンスの上の俺様 - 「カボチャオトコのニチジョウ」シリーズ 二次創作

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


月刊・Stella ステルラ 3月号参加 掌編小説 読み切り月刊・Stella ステルラ


「scriviamo!」の第八弾です。
イマ乃イノマさんは、オリジナル小説で参加してくださいました。「月刊・Stella」をお読みの方にはおなじみの「カボチャオトコのニチジョウ」の中の一本です。本当にありがとうございます。



イマ乃イノマさんご指定の小説 「カボチャオトコのニチジョウ」(クリスマス編)
さらに使わせていただいた小説 新年に向けての「カボチャオトコのニチジョウ」


イマ乃イノマさんはStellaでお世話になっているブロガーさんです。たぶん、学生さん。別の記事で「カボチャオトコで書いてほしい」というご希望をちらっと目にしたので、こてこての二次創作にさせていただきました。たぶん、イマ乃イノマさんの設定の邪魔はしていないつもり。でも、していたら、笑ってスルーしてくださるとありがたいです。それから、まったく根拠もなく、威張って上から目線な「俺様」の存在も……。


「scriviamo!」について
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タンスの上の俺様 - 「カボチャオトコのニチジョウ」シリーズ 二次創作
——Special thanks to IMANOINOMA-SAN


 俺様はタンスの上に鎮座している。カボチャオトコの野郎は、俺様をただの白い猫の置物だと思っているらしいが、もの知らずなのだから仕方ない。この右の前足をきちんと持ち上げて「幸福を招く」ところに俺様の本分がある。とある世界の、とある島国では、大層ありがたがられている縁起物なのだ。

「ねえ、カボチャオトコ~」
リリィが甘ったるい声を出す。
「なんだ?」
「何で、こんなところに猫を飾っているの?」

 カボチャオトコは首を傾げた。
「それがどうも思い出せないんだよな。どこでそんな変な置物を買ったんだろう?」

 なんて失敬な。変な置物とは何だ、変な置物とは。大体、お前が一人ほっちではなくなり、もったいないほどの美少女が入り浸るという幸福にひたれているのを、いったい誰のおかげだと思っているのだ。こんな失敬なヤツにも、いつも幸福を招き寄せる寛大な俺様なのだ。

 俺様が、恐れ多くも、魔界のこんな辺鄙な片隅にある、寂れたあばら屋に来てやったのは、そう、クリスマスの少し前のことであった。といっても、去年のクリスマスではないぞ、もっと前だ。思えばそれはちょっとした偶然であった。

「いつもすまないな」
サンタクロースの御大は、申しわけなさそうにカボチャ頭の若者に謝った。毎年、プレゼント配布にとても手が回らないので、ボランティアとしてこの野郎に手伝いを頼んでいるのだ。
「当日だけでなくて、こうして下準備にも来てくれるから、本当に助かるよ、カボチャオトコ」
「いいえ、大したことじゃありませんから。一人で家にいてもつまらないし」

 俺様はそのセリフを袋の中で聞いていた。こいつは、ひとりぼっちで、つまらない家なんかに住んでいるのか。ろくでもない野郎だ。

「どうだ、カボチャオトコ。お前さんには給料も払えないが、よかったら何かこの中からひとつ、プレゼントを持っていったら」
「えっ。いいんですか?」
カボチャオトコの野郎は、やけに嬉しそうな声になったっけ。サンタクロースの御大はニコニコと頷いている。

「じゃあ、この真っ白い肌が綺麗な女の子のお人形を」
カボチャオトコがそれに手を伸ばした時に、サンタクロースの御大の顔はさっと曇った。
「いや、それはだな。病で明日をも知れぬ女の子が、どうしてもと所望した……」

 おい、カボチャオトコ。そんなものを欲しがってどうするんだ。いい歳してままごとでもするのか。俺様は怒りに震えて、カタカタと動いてやった。

「えっ。いや、そんな事情も知らずに、すんません。じゃ、これでいいです。これも白いし」
おいっ。俺様に氣安く触るんじゃない! それに「これでいい」とはなんだ、「これでいい」とは。

「ほう。それを選ぶとは、お前も眼が高いな。大切にしてやれ。いいことがあるかもしれないぞ」
サ、サンタクロースの御大……。「かもしれない」っていい方、ひどくないですか? ともかくそんなわけで、カボチャオトコの野郎は、もったいなくも、この俺様をあばら屋に連れ帰ったという訳だ。

「ネコかあ」
家につくと、カボチャオトコは俺様を興味もなさそうにちらっとみて、ポンとタンスの上に置いた。失礼なヤツめ。お前だって、カボチャの頭をしている、大して強そうでもない魔物ではないか。よいか、この俺様の実力を見せてやる。憶えていろ。その日から俺様はタンスの上に鎮座して、カボチャオトコのために福を呼び寄せているのだ。ヤツは憶えてもいないらしいが。

 俺様がありがたがられている、とある世界の、とある島国では、俺様のような「福を招く」猫がたくさん作られている。ありがたがっている奴らは何も知らないが、実は、俺様たちにも天命というものがある。持ち帰ってくれた奴らが、いかに福の招きがいのない、つまらない野郎であろうとも、精魂込めて福を招くのだ。うまくいく場合と、いかない場合がある。俺様たちにも出来ないことだってあるのだ。俺様たちは、魔法を使うのではない。単に日々、夜な夜な、ひたすら「福よ来い」と招くだけだ。

 無事に福がそいつの家にやって来て、そいつの幸福度がアップすることが三度重なると、俺様たちの天命は全うされる。その時には、俺様たちは自然と壊れて土に帰る。そして、面白おかしく楽しい生命に生まれ変わることが出来るといわれている。本当かどうかは知らない。なんせ俺様はまだ壊れていないからな。

 だが少なくとも二つは変わったのだ。もちろん、俺様が思うには、だが。一つはリリィだ。俺様が、このタンスの上で渾身の力を振り絞り、福を招き出してから数日、この野郎はふたたび、サンタクロースの御大を手伝いに出かけていった。そして、帰ってきた時には、どういうわけか、肌の真っ白い美少女を連れてきていたのだ。

 考えてもみろ。「行く所がない」なんて理由で、得体の知れぬ美少女がそこら辺をウロウロしたあげく、よりにもよってカボチャ頭の男のもとに入り浸るか? こやつらは「不思議な偶然」などと呼ぶのかもしれないが、この俺様の実力のほどがわかるというものだ。

 そして二つ目がゲーム運だ。本日の今の話だぞ。俺様の目の前で、カボチャオトコはリリィとトランプをしている。年が明けようというのに、他にすることはないらしい。しかもこの野郎の弱さときたら眼を覆うばかりだ。こんなに弱いのに、なぜトランプなどをやろうと思うのだ。まったく理解に苦しむ。

「弱いわね、あなたって。」
10度目に勝って、リリィは鼻で笑った。

「……くっ、くそぉ! も、もう一回だあ!」
カボチャオトコはトランプをかき集めて、シャッフルする。やめておけ、無駄だって。そもそも、お前は腕力ですら常にリリィに負けているではないか。そっちこそ、なんとかしろ。俺様は、こっそりとため息をついた。

「いいけど……あなた勝てるの?」
リリィが心配そうにいうと、勢いよく立ち上がり、カボチャオトコの野郎は人差し指を美少女の鼻先に向けて宣言しやがった。
「ああ、今のカボチャオトコは今までのカボチャオトコではないッ!」

 このあと、二人だけではなく俺様も驚いたことに、この時、カボチャオトコの方に運が向いてきたのである。

 俺様が変えてやったとは言わない。実をいうと、どうやったら独り者の男がかわいい女の子に出会えるのかとか、へたくそで仕方ないゲームで勝てるようにしてあげられるのかとか、俺様はとんと知らないのだ。単に、俺様は福を招いているだけなのだ。しかし、これで二つと。三つ目の福が向いてきた時に、どうなるのか、俺様はドキドキしてきた。

 そう。今までは、俺様には縁のないことだったので、よくは考えたことがなかったのだが、もし、天命が全うされたら、どんな生命に生まれ変われるのかなど、多少は考えておくのも悪くはあるまい。うむ、そうだな。カボチャ頭なんぞになるのはごめんだ。それから、いくら綺麗でも、こんな怪力少女もな……。ふむ。平凡かもしれないが、ネコは悪くあるまい。希望をいえるなら、チンチラ……、いや、ブリティッシュ・ショートヘア……、やめとけ、キャットフードの宣伝じゃあるまいし。やっぱり、図太く、雄々しい虎猫だろうな。そうなるといいが。

 それまでは、俺様は、一刻も休まずに、このわりと恵まれた男に福を招き続けてやろう。よし、渾身の力を込めて……。う? なんか妙な音がしないか? この家の外だと思うが、風を切るような……。何かが近づいてくるよう……。

 ドッガァァァァン!

 カボチャオトコの家は強い光に満たされた。どういう訳だか、いや、つまり、近づいていた飛行物体が衝突したその衝撃で屋根に穴が穿たれ、そのために飛行物体そのものが輝いているのが視界に入ったという訳だった。
「わっ! まぶしっ!」

 その飛行物体は、次第に下降してきながら、光を弱めてきた。
「あれ、人間の子供じゃない?!」
リリィが叫び、カボチャオトコがあわてて、落ちてくるその子供を抱きとめた。

 カボチャオトコとリリィは、落ちてきた子供と、完全に破壊された天井の損害に氣をとられていて、まったく意に介していなかったが、つい先ほどまでタンスの上に鎮座していた白い猫の置物は天井の破片があたり、粉々に破壊されていた。これまで、幾度もリリィがカボチャオトコに戦闘をしかけ、家具やカボチャオトコその人がこの家の中を飛んでいても、一度たりとも当たったことなどなかったのだが。

 カボチャオトコとリリィが、派手に散乱した天井の破片とその他の壊れた品々を片付け、不思議な登場をしたばかりの子供が真っ青な瞳をぱっちりと開けてその二人を眺めているその時に、あらたな歳の到来を告げるチャイムが鳴った。

(初出:2013年2月 書き下ろし)


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Posted by 八少女 夕

【小説】タンスの上の俺様 - 「カボチャオトコのニチジョウ」シリーズ 二次創作

scriviamo!


月刊・Stella ステルラ 3月号参加 掌編小説 読み切り月刊・Stella ステルラ


「scriviamo!」の第八弾です。
イマ乃イノマさんは、オリジナル小説で参加してくださいました。「月刊・Stella」をお読みの方にはおなじみの「カボチャオトコのニチジョウ」の中の一本です。本当にありがとうございます。



イマ乃イノマさんご指定の小説 「カボチャオトコのニチジョウ」(クリスマス編)
さらに使わせていただいた小説 新年に向けての「カボチャオトコのニチジョウ」


イマ乃イノマさんはStellaでお世話になっているブロガーさんです。たぶん、学生さん。別の記事で「カボチャオトコで書いてほしい」というご希望をちらっと目にしたので、こてこての二次創作にさせていただきました。たぶん、イマ乃イノマさんの設定の邪魔はしていないつもり。でも、していたら、笑ってスルーしてくださるとありがたいです。それから、まったく根拠もなく、威張って上から目線な「俺様」の存在も……。


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タンスの上の俺様 - 「カボチャオトコのニチジョウ」シリーズ 二次創作
——Special thanks to IMANOINOMA-SAN


 俺様はタンスの上に鎮座している。カボチャオトコの野郎は、俺様をただの白い猫の置物だと思っているらしいが、もの知らずなのだから仕方ない。この右の前足をきちんと持ち上げて「幸福を招く」ところに俺様の本分がある。とある世界の、とある島国では、大層ありがたがられている縁起物なのだ。

「ねえ、カボチャオトコ~」
リリィが甘ったるい声を出す。
「なんだ?」
「何で、こんなところに猫を飾っているの?」

 カボチャオトコは首を傾げた。
「それがどうも思い出せないんだよな。どこでそんな変な置物を買ったんだろう?」

 なんて失敬な。変な置物とは何だ、変な置物とは。大体、お前が一人ほっちではなくなり、もったいないほどの美少女が入り浸るという幸福にひたれているのを、いったい誰のおかげだと思っているのだ。こんな失敬なヤツにも、いつも幸福を招き寄せる寛大な俺様なのだ。

 俺様が、恐れ多くも、魔界のこんな辺鄙な片隅にある、寂れたあばら屋に来てやったのは、そう、クリスマスの少し前のことであった。といっても、去年のクリスマスではないぞ、もっと前だ。思えばそれはちょっとした偶然であった。

「いつもすまないな」
サンタクロースの御大は、申しわけなさそうにカボチャ頭の若者に謝った。毎年、プレゼント配布にとても手が回らないので、ボランティアとしてこの野郎に手伝いを頼んでいるのだ。
「当日だけでなくて、こうして下準備にも来てくれるから、本当に助かるよ、カボチャオトコ」
「いいえ、大したことじゃありませんから。一人で家にいてもつまらないし」

 俺様はそのセリフを袋の中で聞いていた。こいつは、ひとりぼっちで、つまらない家なんかに住んでいるのか。ろくでもない野郎だ。

「どうだ、カボチャオトコ。お前さんには給料も払えないが、よかったら何かこの中からひとつ、プレゼントを持っていったら」
「えっ。いいんですか?」
カボチャオトコの野郎は、やけに嬉しそうな声になったっけ。サンタクロースの御大はニコニコと頷いている。

「じゃあ、この真っ白い肌が綺麗な女の子のお人形を」
カボチャオトコがそれに手を伸ばした時に、サンタクロースの御大の顔はさっと曇った。
「いや、それはだな。病で明日をも知れぬ女の子が、どうしてもと所望した……」

 おい、カボチャオトコ。そんなものを欲しがってどうするんだ。いい歳してままごとでもするのか。俺様は怒りに震えて、カタカタと動いてやった。

「えっ。いや、そんな事情も知らずに、すんません。じゃ、これでいいです。これも白いし」
おいっ。俺様に氣安く触るんじゃない! それに「これでいい」とはなんだ、「これでいい」とは。

「ほう。それを選ぶとは、お前も眼が高いな。大切にしてやれ。いいことがあるかもしれないぞ」
サ、サンタクロースの御大……。「かもしれない」っていい方、ひどくないですか? ともかくそんなわけで、カボチャオトコの野郎は、もったいなくも、この俺様をあばら屋に連れ帰ったという訳だ。

「ネコかあ」
家につくと、カボチャオトコは俺様を興味もなさそうにちらっとみて、ポンとタンスの上に置いた。失礼なヤツめ。お前だって、カボチャの頭をしている、大して強そうでもない魔物ではないか。よいか、この俺様の実力を見せてやる。憶えていろ。その日から俺様はタンスの上に鎮座して、カボチャオトコのために福を呼び寄せているのだ。ヤツは憶えてもいないらしいが。

 俺様がありがたがられている、とある世界の、とある島国では、俺様のような「福を招く」猫がたくさん作られている。ありがたがっている奴らは何も知らないが、実は、俺様たちにも天命というものがある。持ち帰ってくれた奴らが、いかに福の招きがいのない、つまらない野郎であろうとも、精魂込めて福を招くのだ。うまくいく場合と、いかない場合がある。俺様たちにも出来ないことだってあるのだ。俺様たちは、魔法を使うのではない。単に日々、夜な夜な、ひたすら「福よ来い」と招くだけだ。

 無事に福がそいつの家にやって来て、そいつの幸福度がアップすることが三度重なると、俺様たちの天命は全うされる。その時には、俺様たちは自然と壊れて土に帰る。そして、面白おかしく楽しい生命に生まれ変わることが出来るといわれている。本当かどうかは知らない。なんせ俺様はまだ壊れていないからな。

 だが少なくとも二つは変わったのだ。もちろん、俺様が思うには、だが。一つはリリィだ。俺様が、このタンスの上で渾身の力を振り絞り、福を招き出してから数日、この野郎はふたたび、サンタクロースの御大を手伝いに出かけていった。そして、帰ってきた時には、どういうわけか、肌の真っ白い美少女を連れてきていたのだ。

 考えてもみろ。「行く所がない」なんて理由で、得体の知れぬ美少女がそこら辺をウロウロしたあげく、よりにもよってカボチャ頭の男のもとに入り浸るか? こやつらは「不思議な偶然」などと呼ぶのかもしれないが、この俺様の実力のほどがわかるというものだ。

 そして二つ目がゲーム運だ。本日の今の話だぞ。俺様の目の前で、カボチャオトコはリリィとトランプをしている。年が明けようというのに、他にすることはないらしい。しかもこの野郎の弱さときたら眼を覆うばかりだ。こんなに弱いのに、なぜトランプなどをやろうと思うのだ。まったく理解に苦しむ。

「弱いわね、あなたって。」
10度目に勝って、リリィは鼻で笑った。

「……くっ、くそぉ! も、もう一回だあ!」
カボチャオトコはトランプをかき集めて、シャッフルする。やめておけ、無駄だって。そもそも、お前は腕力ですら常にリリィに負けているではないか。そっちこそ、なんとかしろ。俺様は、こっそりとため息をついた。

「いいけど……あなた勝てるの?」
リリィが心配そうにいうと、勢いよく立ち上がり、カボチャオトコの野郎は人差し指を美少女の鼻先に向けて宣言しやがった。
「ああ、今のカボチャオトコは今までのカボチャオトコではないッ!」

 このあと、二人だけではなく俺様も驚いたことに、この時、カボチャオトコの方に運が向いてきたのである。

 俺様が変えてやったとは言わない。実をいうと、どうやったら独り者の男がかわいい女の子に出会えるのかとか、へたくそで仕方ないゲームで勝てるようにしてあげられるのかとか、俺様はとんと知らないのだ。単に、俺様は福を招いているだけなのだ。しかし、これで二つと。三つ目の福が向いてきた時に、どうなるのか、俺様はドキドキしてきた。

 そう。今までは、俺様には縁のないことだったので、よくは考えたことがなかったのだが、もし、天命が全うされたら、どんな生命に生まれ変われるのかなど、多少は考えておくのも悪くはあるまい。うむ、そうだな。カボチャ頭なんぞになるのはごめんだ。それから、いくら綺麗でも、こんな怪力少女もな……。ふむ。平凡かもしれないが、ネコは悪くあるまい。希望をいえるなら、チンチラ……、いや、ブリティッシュ・ショートヘア……、やめとけ、キャットフードの宣伝じゃあるまいし。やっぱり、図太く、雄々しい虎猫だろうな。そうなるといいが。

 それまでは、俺様は、一刻も休まずに、このわりと恵まれた男に福を招き続けてやろう。よし、渾身の力を込めて……。う? なんか妙な音がしないか? この家の外だと思うが、風を切るような……。何かが近づいてくるよう……。

 ドッガァァァァン!

 カボチャオトコの家は強い光に満たされた。どういう訳だか、いや、つまり、近づいていた飛行物体が衝突したその衝撃で屋根に穴が穿たれ、そのために飛行物体そのものが輝いているのが視界に入ったという訳だった。
「わっ! まぶしっ!」

 その飛行物体は、次第に下降してきながら、光を弱めてきた。
「あれ、人間の子供じゃない?!」
リリィが叫び、カボチャオトコがあわてて、落ちてくるその子供を抱きとめた。

 カボチャオトコとリリィは、落ちてきた子供と、完全に破壊された天井の損害に氣をとられていて、まったく意に介していなかったが、つい先ほどまでタンスの上に鎮座していた白い猫の置物は天井の破片があたり、粉々に破壊されていた。これまで、幾度もリリィがカボチャオトコに戦闘をしかけ、家具やカボチャオトコその人がこの家の中を飛んでいても、一度たりとも当たったことなどなかったのだが。

 カボチャオトコとリリィが、派手に散乱した天井の破片とその他の壊れた品々を片付け、不思議な登場をしたばかりの子供が真っ青な瞳をぱっちりと開けてその二人を眺めているその時に、あらたな歳の到来を告げるチャイムが鳴った。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

「お気に入りの合唱曲」

以前もこの話を取り上げたことがあるような氣もするのですが、トラックバックテーマになっていたので、あらためて取り上げてみることにしました。私の一番好きな合唱曲はこれです。もちろん海外のものでとても好きなものもあるのですが、ここでは、日本の合唱曲に限定して。

「季節へのまなざし」 伊藤海彦:作詞  荻久保和明:作曲

いや、この曲、メロディも好きなのですが、なんといっても歌詞がいいのです。高校生だった私に衝撃を与え、たぶん私の創作の中にもっとも強い影響を与えた言葉の数々。

春・夏・秋・冬に対応した「ひらく」「のびる」「みのる」「ゆめみる」の四曲からなっているのですが、その季節にあわせて、実際に見えているもの、目には見えないもの、見えないでいることの恐ろしさ、見えてきたことへの幸せと不幸を歌っています。私の書く四季に対するイメージは、この四曲によって形成されたと言っても過言ではありません。「樋水龍神縁起」などは、かなり強い影響を受けているかもしれません。


こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当山本です今日のテーマは「お気に入りの合唱曲」です。学生時代、合唱コンクールを経験したことのある方は沢山いらっしゃると思いますが、皆さんはどんな曲を合唱した事がありますか?最近は、流行のアーティストの曲を合唱したことのある方もいるとのことでうらやましい気持ちでいっぱいです!でも流行の曲でなくても、合唱曲って名曲が多いのでたまに、「コレ聴きたい!」という...
トラックバックテーマ 第1598回「お気に入りの合唱曲」

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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聴いてみたいと言う方のために、動画を探してきました。混声合唱もあるのですが、いい演奏が男声合唱の方が多かったので。実は混声と男声では、ちょっと違うどこもあるらしいのですが。


これは中学生の混声合唱らしいのだけれど、素晴らしい。最終曲「ゆめみる」だけですが。
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Posted by 八少女 夕

【小説】君たちが幸せであるように

scriviamo!


「scriviamo!」の第七弾です。
紫木 紫音さんは、オリジナル小説で参加してくださいました。本当にありがとうございます。



紫木 紫音さんが書いてくださった小説 ひだまりとひまわりの午後。


紫音さんは、小説家になる夢をお持ちの若い学生さんです。このブログでたくさんのものを書く方と知り合えるきっかけになった自分自身さん主宰の「短編小説書いてみよう会」で知り合いました。お互いに、いろいろな方に作品を読んでいただきたい、それをもとに向上したいという想いを持って、おつき合いしています。

ほかの作品もそうですが、この作品についてはとくに、まず紫音さんの書いてくださった作品をお読みくださるようお願いします。というのは、第一にネタバレが含まれています。それから、第二に紫音さんの作品のイメージをまず先に抱いていただきたいと思うからです。そう、意識して別のトーンを混ぜています。今回は、とても短く書きましたが、紫音さんという作家を象徴するトーンと、私を象徴する文章のトーンの違いが今回のテーマです。紫音さん、作品のヒロインたち、お借りしました。ありがとうございました。


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君たちが幸せであるように
——Special thanks to SION-SAN



 ひまわりが揺れているな。重い瞼を少々持ち上げて、彼は騒がしい公園を見回した。晴れている日は好きだが、この歳になると熱さと湿氣が少々こたえる。

「あ。権兵衛がいるよ!」
うるさいな。この声は、スキンシップが好きで仕方ないタロウだろう。ドタドタと音がして、何人かの小学生が権兵衛の周りに座った。もともとは明るく艶やかだった背中の毛を、なんどもなんども撫でる。めったにシャンプーをしてもらえなくなった権兵衛の毛並みからは艶が失せていた。だから大人たちは権兵衛に触れることをためらった。けれど少年たちは手が汚れて、臭くなることも何とも思わない。彼らに代わる代わる撫でてもらうと、権兵衛はうっとりと眼を閉じて横たわり、前足を持ち上げて腹を見せた。少年たちは慎重に優しく老犬の腹を撫でた。

 権兵衛は十五歳の誕生日を迎えたばかりのスパニエルだが、もちろん誰も誕生祝いなどはしなかった。子犬だった頃はこの小学生たちのようにかわいがってくれたケイコさんやミチオくんも、最近は散歩よりも大事なことがあって、散歩はつい先日定年退職をしたお父さんの日課となった。

 お父さんはどちらかというとパチンコに行きたいらしいので、散歩の途中にこの公園のベンチに権兵衛を結びつけるとこういうのだった。
「しばらく大人しくしていろよ」

 お父さんがいなくなると、権兵衛はじっと眼を閉じて、鳥の声や樹々のざわめきに耳を傾ける。それから、こうして子供たちの相手をしたり、ベンチに座る孤独な老人たちの一人語りに相槌を打って過ごしたりするのだった。

 それから、時おりあの子が姿を見せると、しゃきっとして尻尾を振る。首に小さな鈴をつけた真っ白い猫、ヒナだ。ヒナのことは彼女がまだ人間の掌におさまりそうな子猫だった時から知っている。ケイコさんがまだ散歩に連れて行ってくれた頃、静かな住宅街をのんびりと歩いていたら、ぴょんと飛び出してきたのだ。

「きゃあっ」
不意をつかれたケイコさんは大声を出して、子猫はそれにびっくりして逃げだそうとした。そして、慌てたせいか権兵衛の足元に突っ込み、怯えて「みゃー」と叫んだ。

「おい、大丈夫か」
権兵衛が声をかけると震えながら叫んだ。
「ごめんなさい、食べないで!」
誰が猫なんか食べるか。

「新参者だな。この辺の子なのか?」
権兵衛が落ち着いて声を掛けたので、落ち着きを取り戻したヒナはこくんと頷いた。

「いや~ん! 子猫ちゃん、かっわいい~」
ケイコさんがヒナを抱こうとするので、驚いたヒナはじたばたした。

「大丈夫だ。怖いことはしないから、ちょっとだけつき合ってやってくれ」
権兵衛はヒナに頼んだ。

 それから権兵衛は時おりヒナに出会うようになって、犬と猫という種の違いと、人生、もとい猫生のはじまりと犬生の終わりという年齢の違いを乗り越えて、一種の友情を育んだ。好奇心旺盛で物怖じしないヒナは、たちまち街の人氣者になっていった。ケイコさんやミチオくんの興味が薄れ、人びとから少しずつ忘れられるようになっていった権兵衛と対照的だった。

 ヒナが、はじめて塀の上を歩いた時に「氣をつけろよ」と声を掛けてやったし、やんちゃな小学生たちの前に出た時にも立ちはだかってやったが、しだいにそんな必要もなくなってきた。ヒナはどんどん大きくなり、どこにでも出かけ、そして、みんなにかわいがられていた。

 それから、一年近く前に、ヒナに友だちが出来た。そう、今日も連れてきた黒いタケだ。若い俊敏な雄猫で、権兵衛と違ってどこかに縛り付けられているわけではない。猫らしく、ヒナと一緒に塀を登り、裏道を抜けて、つむじ風のように駆けている。ああ、よかったな。ボーイフレンドが出来たんだな。

「あ。タケとヒナだ!」
権兵衛の腹を撫でていた小学生は、わーっと騒いで二匹の猫のもとに走っていった。権兵衛は大儀そうに体を動かして、大切な腹を隠した。穏やかで平和な夏の午後。緩やかに時間が流れていく。こんな午後を楽しめるのもあとどのくらいだろうか。権兵衛は舌を出してハアハアと喘いだ。

「ねえ、タケちゃん」
ヒナがタケににこにこと話しかけている。
「何だ?」
「来年もひまわり、見にこようね」
「ああ……そうだな」
二匹の猫たちは、楽しそうに笑いあっている。

 ベンチの下に伏せながら、遠くから茶色い犬がその二匹を眺めている。君たちが、いつまでも、そう、この老犬がいなくなった後も、ずっと幸せであるように。そう心から願うと、権兵衛は日だまりを背中に感じて眼を閉じた。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

あれ、いたよ

会社が引越しまして、通勤路が変わったのです。で、新しい通勤路に「カモのお池」と言われる場所がありまして。朝、時間がない時に見たカモを撮ろうと思って、帰りにまたその池の前で自転車を止めたのです。一匹もいやしない。ちっ、と舌打をした途端、目が合いました。カモより珍しい鳥がぼーっと立っていました。

鷺の仲間?

いつもだと、ズームにするとぶれちゃうのですが、今回は上手く撮れました。これはなんだろう。鷺の仲間かな?
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜想曲 - 4- 楽園

今回出てくる人びとは、このブログを公開した当初(まだ小説を公開しても読んでくださる方のほとんどいなかった頃)に発表した「夢から醒めるための子守唄」の登場人物です。「八少女 夕ワールド」の中には、いくつかの並行する世界がありまして、現在の所「大道芸人たちワールド」「樋水龍神縁起ワールド」「夜のサーカスワールド」とならんで大きな位置を占めているのが「カンポ・ルドゥンツ村ワールド」です。「夜想曲」も「夢から醒めるための子守唄」も、それから私小説である「絵梨とリュシアンの出てくる話」もみなここに属しています。基本は、私の実際に住んでいる村とその周辺がモデルなので。「どっかで聞いたような名前」がガンガン出てきても、「ああ、ご近所だからいるかもね」程度に流していただいて結構です。(笑)

はじめからまとめて読む



夜想曲(ノクターン) 
- 4 - 楽園


「今晩、ヒマか?」
《ふざけたエステバン》からの電話だった。

「そうね、何も用事はないわよ。なんで?」
「俺の馴染みのバーにさ、ジャズカルテットが来て生演奏してくれるんだ。モントルーのジャズ・フェスティバルにも出演した事のある本格的なやつだよ。滅多にない機会だから、どうかと思ってさ」

 ジャズは嫌いでなかったし、このあたりでは素晴らしい生演奏を聴く機会はなかなかない。
「へえ。いいわね。クールなの?」
「違うよ。カンポ・ルドゥンツ村」

 マヤはびっくりした。
「あんな小さな村に有名なジャズカルテットが来るの?」

「それが、くるんだな。そのバーはさ、オーナーがジャズ好きで有名なんだぞ。俺、五時半にはクールを出られるけど、お前は?」
「その時間なら私も大丈夫。楽しみにしているわね」

 年が明けてから、マヤは再びクールで秘書の仕事を見つけた。ペルーから戻ってきてから、家族との間でおこった一悶着もなんとか収まった。オリバーとの婚約を破棄した事や、ペルーに《黒髪のエステバン》を探しにいったことを、狂ったのかとなじられたが、マヤはもう動じなかった。結局の所、マヤはもう成人だった。辛抱強く自分にとって一番大切な事をしているのだと説明した。彼らは納得したわけではなかったが、今回はマヤが引かなかったので話は平行線のまま続き、ついに彼らの方が諦めた。つまり、もう何も言ってこなくなった。

 人生は続いていく。それは素敵な事だった。ペルーに行く前は、道が見えなかった。自分の職業も生活態度も全てが間違っていたかのように感じていた。でも、ペルーでエステバンに再会し、また情交が結ばれると人生はまったく違って見えてきた。共に時間を重ねていくためには、生活手段がいる。仕事と住処は必要不可欠だった。秘書の仕事をすることで得る給料が、ペルーにいるエステバンとの電話代になる。直にまたヨーロッパに帰ってくるエステバンと定期的に会うための交通費にもなる。そう思うと、マヤは一生懸命働こうと思った。自分の小さな城であるフラットを快適に保ち、健康になるための食事をしよう。掃除や炊事もまったく別の意味を持つようになった。ようやく魂と生活が同じ方を向くようになったのだ。

 ペルーからの帰国の飛行も、《ふざけたエステバン》と一緒だった。彼はマヤの帰国に合わせて予約を変更したのだ。一緒にチェックインしたので、席も一緒だった。あいかわらず軽口を叩いているエステバンとの時間は楽しかった。《黒髪のエステバン》と上手くいったことを知っていたから、迫ってくる事もなく、マヤには心地よかった。

 あれっきりになると思っていたのに、彼はそのつもりではないらしい。《黒髪のエステバン》が、近いうちにスイスに戻ってくる事も言ったから、わかっていると思っていた。曖昧な態度は示したくない。でも、あれだけはっきり言ったから、大丈夫よね。

「カンポ・ルドゥンツにジャズ・バーがあるなんて知らなかったわ。新しいの?」
「いや、もう五年くらいになるよ。オーナーはカップルなんだけどさ、二人とも男なんだ」
「えっ?」
「そう。ゲイなんだ。強烈だけど、いいヤツらなんだぜ、二人とも。だから、谷中のアウトローが慕って集まってくるんだ。もう一人働いている女の子はハンガリー人で、可愛いいい子だけど、世間知らずで抜けている。その子の年上の彼氏も常連で、そっちはアンドラ人。俺、彼とはスペイン語でいろいろ話せるんで、それでよく行くようになったんだ」

 マヤは、高速道路をぶっ飛ばすエステバンが熱弁を振るうのを、微笑んで聴いていた。
「そんな個性的なバーが、あの小さな村にあるなんて、全然知らなかったわ」
「だろ? お前を一度連れて行きたかったんだ」
「どうして?」
「お前のアイデンティティ・プロブレムには、ああいう所が必要だと思ってさ。お前は、自分の問題に蓋をしてなかったことにしたり、反対にすべてを壊す破滅的な行動に出たり、やることが極端だ。ちょっとわかってくれると思っただけで、《黒髪のエステバン》に全て与えちゃったりさ」

 マヤは抗議をしようとしたが、彼はそれを制して続けた。
「そのバーのオーナー二人も、それからアンドラの男も、お前とは別の意味で、スイス社会からはみ出している。あのバーは、経営側も客も、はみ出し者の集まりだ。もちろん俺もそうだけどさ。そういう奴らとつき合ってみると世界が広がるぜ」

 マヤは肩をすくめて小さく笑った。
「そうね。確かに《黒髪のエステバン》以外、私の全部の知り合いは、養父母のお眼鏡にかなうような《まっとうな》人たちばかりだったの。自分からアイデンティティ・プロブレムを持った人たちと知り合おうともしなかったし」


「『dangerous liaison』ですって?」
マヤは店の名前を見て笑った。「危険な関係」だなんて。外から見ると、その目立たない看板以外は特にコンサバな田舎の村から遊離している所はなかったが、中に入るとイメージは一転した。青空を思わせる鮮やかな青い壁。極楽鳥花やプルメリアが咲き乱れ、ヤシの間を鮮やかなオウムが飛んでいる壁画になっている。店内には、その極楽鳥花と同じオレンジがインテリアのアクセントになっていた。カウンターもテーブルも戸棚の類いも全て磨き込まれた古い木でできていて、シンプルで怜悧なインテリアが流行っているスイスでは、初めて見るようなバーだった。マヤはこの店がもう好きになっていた。

「あら、エステバン、いらっしゃい。早く来れたのね」
店の奥から、派手なシャツを着た小綺麗な男が声を掛けた。

「ほい、トミー」
エステバンは慣れた様子で、そこそこ混んだ店の中をすいすいと進んでカウンターにマヤを連れて行った。

「まあ、かわいいお嬢さんを連れてきたじゃない。あんたにはもったいないわね」
トミーが言うと、エステバンは口を尖らせた。
「ちぇ。実際に俺の彼女じゃないんだよ。猛烈アタックしてんだけど、こいつ、別の暗っちいペルー人のほうがいいんだとさ。紹介するよ、この人がトミー、あっちで黙っているのがステッフィだ。こちらはマヤ。例の人探しのペルー旅行で知り合ったんだ」

「こんばんは。こんな素敵なお店がこの村にあるなんてまったく知りませんでした」
マヤはにっこりと笑いかけた。
「あら、ありがとう。このインテリアが氣にいったなら、デザイナーにそういってあげて。レーナ、ちょっと来て」
トミーは、奥で給仕をする女性に声を掛けた。

「あれが、ほら、さっき話したハンガリー人の子」
エステバンが説明しながらレーナに手を挙げた。

 ハンガリー人はたくさんのグラスをお盆に載せてにこやかに近づいてきた。トミーはマヤにレーナを紹介した。
「このバーのリニューアルのデザインはね、この娘がしたのよ。ハンガリーでインテリアデザインを学んだ経験を生かしてもらったの。こちらはエステバンのお友達のマヤさんよ。ここが氣にいったんですって」

「はじめまして。褒めてくださってありがとう。このバーは、私の楽園だって事を表現してみたの。トミーとステッフィが好きにやらせてくれたので、とても楽しかったわ」
そういって、愛おしそうに木のカウンターをなでた。

「家具類は、みんなホルヘが担当したんだ?」
エステバンはそういって、マヤにレーナの恋人が古木専門の指物師だと説明した。

「リニューアルが好評で、ますます繁盛しているの。私たちの楽園だっていうのは、間違っていないわよね」
トミーが言うと、ステッフィが黙って頷いた。あら、動いた。マヤは思った。あまりに寡黙なので、会話が聞こえていないのかと思っていたのだ。

 バーはますます混み出していた。レーナは飛ぶように動き回り、注文を取ってはドリンクやつまみを運んでいた。ステッフィは黙々と注文のつまみを作り続け、トミーは客と楽しく会話をしながら、注文のドリンクをテキバキと用意した。

「ホルヘ。ここ空けておいたぜ」
エステバンは、入ってきたアンドラ人に自分の隣のカウンター席を示した。
「なんだ、今日は、一人じゃないのか」
「うん。友達だよ。スペイン語はできない。こう見えてもスイス人なんだ、この子」


 しばらくすると、店の奥に設けられたステージに、ジャズカルテットが上がってきて、拍手が起こったので、トミーは舞台をのぞいて照明を暗くした。

 マヤでもよく知っているスタンダード・ナンバーが次々とかかった。無表情だったステッフィが、体を動かしてのっているので、マヤは微笑んだ。この店、本当に好きだわ。


 マヤはエステバンに頼んで、改めて次の週にまたこのバーを訪れた。
「あら、エステバン、よかったじゃない。マヤちゃんと仲良くできて」

「俺とデートしたいんじゃなくて、あんたたちに会いたいんだぜ、こいつ。本当に傷つくよなあ」
そういいつつ、エステバンは上機嫌だった。

「ステッフィさんはいないんですか?」
「うちは、普段は二人体制なのよ。ローテーション組んでるの。今夜は、あたしとレーナなの。ステッフィがいなくてがっかりした?」

「三人ともお会いしたかったの。この間は忙しそうだったから。ステッフィさんとはひと言もお話しできなかったし」
「そんなの普通だよ。すごいヒマな時でも、俺、ステッフィと合計で十分以上話をした事ないぞ」
エステバンが肩をすくめた。

「それはあんたがつねにしゃべってるからでしょ」
トミーは笑いながら混ぜっ返した。レーナはできたばかりのアボガドのデップと焼いたピッツァの皮を二人の前に置いた。

「レーナさんはどうしてこの村に来たんですか?」
マヤは不思議そうに訊いた。レーナはウィンクして答えた。
「だってハンガリーから一番近いスイスの州はグラウビュンデンよ。クールで仕事を探すつもりだったけれど、あそこに住むのは高すぎるわ」

「仕事ってインテリアの?」
「来てみたら、無理だってわかったの。まだ言葉も話せなかったし、ハンガリーのディプロマじゃ誰も雇ってくれなかったし。食べていくためには、仕事を選んでいられなかったわ。ずっと掃除婦をして、何件もの家庭を行ったり来たりしていたのよ」

 トミーが頬杖をついて口を挟んだ。
「今なら、話せるじゃない。ホルヘと一緒に住んでんだから、明日飢餓状態で死ぬわけでもないし」

 レーナはトミーに向かって片眉を上げた。
「ここをクビになったら、考えます」

 それからマヤの方を見て、満面の笑顔で言った。
「私ね。今の生活が一番だと思っているの。前はね、立派なエリートと出会って、結婚して、インテリアデザインの仕事するのが幸せだと思い込んでいたのよ。でも、私の幸せはそんな所にはなかったの。デザインの勉強をした事が、無駄じゃないかと思ったこともあったけれど、ほら、こんな風に役に立ったし」

 そういって、店を誇らしげに見回すレーナをマヤは素敵だと思った。こんな風にきっぱりと、自分が幸せだと言い切れる人がどのくらいいるだろうか。マヤの学生時代からの友人たちは、いつも何かに対して愚痴をいい、不満を口にしていた。オリバーと結婚しようとしていた半年前のマヤも同じような態度でいたような氣がする。もっと待遇のいい仕事があるはずだ。オリバーと感性が一致しない所があるけど、彼に合わせなくてはいけないんだろうか。そんな風に、日常の小さな不満や不安を重ねて、自分がどのような環境にいるのか考えた事がなかった。

 ハンガリーでは、リマの貧民街で見たような悲惨な生活を強いられているわけではないだろう。それでも、スイス人が誰もやりたがらないような仕事を請け負ってでもスイスで暮らしていこうと思うだけの、恵まれた生活がここにはある。《ふざけたエステバン》も、アンドラ人のホルヘも、それからかつては《黒髪のエステバン》の家族も、皆その格差からよりよい生活を求めてこの国にやって来たのだ。清潔で安全、機能的で経済的に豊かなスイスは、そこで生まれた国民以上に、よそから評価されている国だった。

 マヤは、《黒髪のエステバン》と暮らす日々を思い浮かべた。ここにいる皆の前でにこやかに笑い合う姿を。幸福はそんなに遠くにはない。鏡の中にこもっている必要はない、そう思った。
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Posted by 八少女 夕

【エッセイ】好きな作家はと問わるれば……

scriviamo!


「scriviamo!」の第六弾です。
hedgehogさんは、fc2の外からはじめて、エッセイでこの企画に参加してくださいました。本当にありがとうございます。


hedgehogさんが書いてくださったエッセイ 好きな作家は?

返事はエッセイでというご希望だったので、直球でこのテーマに取り組ませいたただきました。創作系の方の参加ばかりで躊躇なさっていらっしゃる方、こういうのもありですので、どうぞお氣軽にご参加ください。二月いっぱい、受け付けております。(しつこい!)

ここでhedgehogさんについて。この方、私、八少女 夕の(狭義でいう)友です。「(狭義でいう)友」という訳は、メールアドレスの交換をした人や、知り合いや、同僚や、クラスメートなどではなく(かつては確かにクラスメートではありましたが)、お互いにどんなことでも話し合うことの出来る特別な存在ということです。私には「(狭義でいう)友」はさほどいません。かろうじて両手の指から溢れる程度です。性格も興味の対象も、文化的バックグラウンド(私は関東人)もまったく違うにもかかわらず、私の人生の半分以上を「(狭義でいう)友」ポジションに位置し続けている、そういう方です。

似ているのは、お互いに興味のないことはしない、つまり、「こういう企画で参加してくれる人がいないと寂しいからお願い〜」と言っても、本当に興味がなければスルーするhedgehogさんです。そのかわり、興味のあることに対するのめり込み方は、半端ではありません。リンク先のエッセイに出てくる、hedgehogさんの人生を捧げている作家ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズに関するホームページの充実ぶりは、英語版の伝記作成者のサイトにリンクされているわ、日本語版新訳の翻訳者が後書きでサイトに言及してしまうなど、個人の趣味の範囲をとうに超えて、100億光年の彼方にいっちゃっています。(リンク先のブログは、この有名なサイトとは別です。こちらは主にエコのことと、本や映画の紹介をする個人ブログです)で、この方がまた、本を読むんだな。映画も観ますけれどね。こういう方に「好きな作家は?」と振られると、ドキドキしますよ。


「scriviamo!」について
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好きな作家はと問わるれば……
——Special thanks to hedgehog-SAN

友のエッセイに、「好きな作家は?」と問われて、まだ一冊も完読したことのないドストエフスキーの名前を挙げてしまったお方の多少痛いエピソードがでてきた。まあ、どれだけご本人がいたたまれなかったかは別として、こういう話を辛いと思ってしまう私も「好きな作家」の名前を挙げるのが苦手だ。

それは、実をいうと、そのエッセイを書いた当の友のせいでもある。その人はイギリスのユーモア作家、ダグラス・アダムスの熱烈なファンだ。単に「好き」などと言う範疇はとっくに越えていて、うっかり「面白そうかも」などと言ってしまった日には、貸し出し用と本人が決めた文庫本を持ってきて熱心に読むことを薦める。それは『銀河ヒッチハイク・ガイド』という五冊からなるシリーズで、本当に面白い。ただし、カルトなファンの多い欧米と違って、この友を除いてここまで強烈にこの作品を愛している日本人に、私はまだ会った事がない。どうしてなんだろう。それはさておき。

もし、友人がその作家の本しか読んでいなければ、私も「好きな作家は?」の問いに躊躇することはなかっただろう。人の好みはそれぞれだし、私が他の作家に夢中になっていても、それはそれでいいはず。けれど、友人はそれ以外のあらゆる本を読んでいる。そして「好き!」と思った作家と作品に対する思い入れが強く、一度語らせると半日はこちらが無言でも何の支障もなくなる。おわかりだろうか、私にはそこまで語れるほど好きな作家はいないのだ。

もともと日本人は、本をよく読む民族だ。これはヨーロッパの普通の家庭に行けばすぐにわかる。本棚の数が違うのだ。個室ごとに本棚なんかない。それどころか本棚のない家庭も多い。「本がないと生きていけない」というセリフを日本人以外から聞いたこともない。そういう環境にいると、ますます本を読まなくなり、(日本語の本も売っていないし)私の読書量は、日本にいた時の十分の一以下である。

もちろん、どっかのアイドルではないので、「これまでに読了した本ってはじめてですぅ」なんてことはない。夢中になり、長く語れるほど惚れ込んだ作家は何人もいる。たとえば、ヘルマン・ヘッセ、ライアル・ワトソン、ガルシア・マルケス、カルロス・フエンテス、マイクル・クライトン。これらの作家の書いた本のうち何冊かは、ボロボロになるくらい読んだ。寝食を忘れるほど、夢中になって読んだ。しかし、「どの巻のどのあたりに、どんなセリフが出てきて」まで暗記している本と言えば、結局『銀河ヒッチハイク・ガイド』にはおよばない。私がのめり込んでいる本と作者ではないのに、かの友人と付き合い、話しているうちに全部脳に刻まれてしまっているのだ。こんな恐ろしい勢いで、他人に影響を与えられるほど好きな作家……。この人に「好きな作家は?」とお題を振られる私の苦悩がおわかりいただけるだろうか。

そこまで、何もかも一体化するほど、誰よりもよくわかり、何度も読んでいる作品、それは、あれである。「大道芸人たち Artistas callejeros」「樋水龍神縁起」「夜のサーカス」。そう、自分の作品に他ならない。これなら間違いなく数日間ぶっ通しで語れる。誰にどう突っ込まれても、「いや、それはあそこの○○の章に、別の記述があるよ」と言えるだけ、すべて頭に入っている。

反対に言えば、自分の創作の世界で自由に遊ぶことを憶えてしまったために、私には「好きな作家」と胸を張って言えるほどのめり込める作家がいなくなってしまったのかもしれない。
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