scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

今日のパン&ニュース

田舎風パン

今年の目標の一つ(志がちょっと低い野望の一つ)が、「パンの焼ける幸せというレベルのパンを焼けるようになりたい」というものなのですが、ほんのちょっとだけその目標に近づいたかな〜と。

パンを焼くプロセスに慣れてきたと言うか、「これだけは守らなくては」が少しわかってきたようで、パンを焼く度にいい匂いがするようになってきたのですね。まだまだ先は長いんですけれど、諦めずにもう少し続けてみようかなあと思っています。

上の写真は、普段食べている田舎風パン。ディンケル(スペルト小麦)と全粒小麦、それにライ麦をミックスしたパンです。真っ白のパンより腹持ちがいいのが特徴ですが、いわゆるドイツの黒パンのような酸味はなくて食べやすい味です。外側はぱりぱりっといういい音がするのですけれど、個人的にはもう少し膨らんだ方がいいかなあ。型にしている器が小さすぎるのかなあ。

下の方は、日曜日に食べる少し甘味の多いゾップフ(三つ編みパン)の生地を使って、干しぶどうとシナモンと胡桃と砂糖を巻き込んだパンです。手で成形しているので不格好ですが、中はもちもち、ふわふわにできましたよ。あ、私にしては、ですけれど。

どちらも粉は250gで作っています。

シナモン葡萄パン

なぜ、いきなりこんな話を始めたかというと、明日発表する小説と関係があるからなんです。ま、私のパンはどうでもいいんですけれど。




そしてお報せがひとつ。

前回のscriviamo!で発表した「バッカスからの招待状 -4- オールド・ファッションド」をもぐらさんが朗読してくださいました。

第303回 バッカスからの招待状 オールド・ファッションド

たくさん書いてきていますけれど、自分の小説を朗読していただくのは生まれて初めてです。

もぐらさん、本当にありがとうございました。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

灰かぶり

薪は萌える

子どもの頃「シンデレラ」のストーリーを読んで、「なんて酷い継母かしら」と憤慨していました。いくら継子だからって灰にまみれるまで働かせるなんて虐待をして、と。

もちろん当時の私は、火のおこし方なんて知らないし、当時のヨーロッパの暮らしについても何もわかっていませんでした。

で。

現在の私の冬のルーティンとして、帰宅したら火をおこすというのがあります。これは義務ではないんですけれど、真冬(外は−15℃などという時です)だと薪ストーブを使わないとかなり寒く感じるので、「火〜? 怖〜い、夕たん、できない〜」などという寝言は言わずに、新聞紙と薪をさくっとピラミッド状に積み上げて「ファイヤ〜!」と着火しております。

シンデレラのお話ができた頃のヨーロッパというのは、この手の「あれば暖かい」などというようなストーブではなく、セントラルヒーティングも電氣コンロもなかった時代、薪ストーブは暖房兼調理に必要不可欠な存在、火を絶やしたりしてはならなかったわけです。

で、使用人がわんさか居るような家は別として、当時は子どもが泉の水を汲んできたり(水道なんて通っていませんから)、薪を割ったり、それにストーブに火をくべたり毎日灰をかきだしたりするのはあたり前だった訳です。実子とか継子とかそういう問題ではなく。

灰というのは、よほど氣をつけていても、搔き出したり捨てたりする時に舞い上がり、なにかと灰かぶり状態になりがちです。つまり、それだけを考えるとシンデレラは別に虐待されていた訳ではないのですね。まあ、他に虐待要因があったのかもしれませんけれど。

反対に、もし私が「ストーブの担当と、水汲みの担当とどっちがいいか」と問われれば、間違いなくストーブをとります。考えても見てください。−15℃の中を、十リットルくらいの水を何度も汲みにいかされるのと、暖炉の前で薪をくべるのとどららが快適か。

私も、水道は蛇口から出て、暖のために薪ストーブの灰を搔き出すくらい、全く問題なし。だからシンデレラの「かわいそう度」は、スイスに来てからものすごく下がってしまいました。
関連記事 (Category: 生活のあれこれ)
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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -4- オールド・ファッションド

scriviamo!


scriviamo!の第七弾です。もぐらさんは、 雫石鉄也さんという方のお作りになった作品の朗読という形で参加してくださいました。

もぐらさんの朗読してくださった『ボトルキープ』

原作 雫石鉄也さんの「ボトルキープ」

もぐらさんは、創作ブロガーの作品を朗読をなさっているブロガーさんです。昨年の終わりぐらいにリンクを辿っていらしてくださってから、長編を含む作品を読んでくださっているありがたい読者様でもあるのですが、うちの作品の中で一番最初に読むことにしてくださったのが、この「バッカスからの招待状」シリーズです。

珍しいものから読んでくださるなと思っていたのですが、実は雫石さんのお書きになるバー『海神』を扱ったシリーズの大ファンでいらっしゃることから、この作品に興味をおぼえてくださったということなのです。

今回朗読してくださったのは、その『海神』とマスターの鏑木氏が初登場した作品だそうで、ご縁のある作品のチョイスに感激しています。

ですから、お返しにはやはり『Bacchus』の田中を登場させるしかないでしょう。参加作品「ボトルキープ」にトリビュートしたストーリーになっています。もぐらさん、雫石さん、そして鏑木さま。本当にありがとうございました。


参考:
バッカスからの招待状
いつかは寄ってね
君の話をきかせてほしい

「scriviamo! 2016」について

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バッカスからの招待状 -4- 
オールド・ファッションド
——Special thanks to Mogura san & Shizukuishi san


 そのバーは大手町にあった。昼はビジネスマンで忙しいけれど、飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく書かれている。『Bacchus』と。

 店主であるバーテンダーの田中佑二は、今夜も開店準備に余念がない。バブルの頃は、何人かのバーテンダーを雇わないと回らないほど忙しかったこともあるが、今は繁忙期以外は一人でやっている。大手町だから家賃も相当かかるが、幸いそこそこの固定客がいるのでなんとか続けていられる。

「いらっしゃい」
今日最初の客だと顔を向けた。意外な人物が立っていたので戸惑った。

「これは……。庄治さんの奥様。こんばんは」
健康そうではあるが、既に七十歳にはなっているだろう。厳格な表情をして地味な服装なので同年代の女性よりさらに老けて見える。

 彼女は、『Bacchus』の客ではなかった。どちらかというとこの店の売上にブレーキをかける役目を果たしていた。つまり、彼女の夫がここで飲むのを嫌がり、必至で阻止していたのだ。しかし、それもずいぶん昔のことだ。庄治が顔を見せなくなってから三年は経つだろうか。

「こんばんは。まだ開店していないなら、外で待ちますけれど」
「いいえ。どうぞお好きな席へ」

 老婦人は、キョロキョロと見回してから、一度奥の席に行きかけたが、戻ってきてカウンターの田中の前に座った。

「ご主人様とお待ち合わせですか?」
彼が訊くと、笑って首を振った。
「それは無理よ。先月、四十九日の法要を済ませたのよ」

 田中は驚いた。
「それは存じ上げませんでした。ご愁傷様です」
「ありがとう。もちろん知らなくて当然よね。私が知らせなかったんですもの。あの人、ドクターストップがかかって飲みには行けなくなった後、他のお店には行きたいとは言わなかったのに、ここにだけはまた行きたがっていたの」

 それから、田中の差し出したおしぼりを受け取って、上品に手を拭くと、メニューを怖々開いた。しばらく眺めていたが、閉じて言った。
「ごめんなさいね。私、こういうお店で飲んだことがなくて、わからないの。あの人はどんなものを頼んでいたのかしら」

「ご主人様は、いつもバーボンでした。フォア・ローゼスがお氣に入りでボトルをキープなさっていらっしゃいました」
そういうと、後に並んだ棚から、三分の二ほど入っているボトルを一つ取って、彼女に見せた。

 ここでは、キープのボトルには、本人にタグの名前を書いてもらう。亡くなった夫の筆跡を見て、彼女の眉が歪んだ。

「私のこと、嫌な女だと思っていらしたでしょう。いつも早く帰って来いと電話で大騒ぎして。それにここまで来て連れ帰ったこともありましたよね」
「庄治さんのご健康をお考えになってのことだったのでしょう」

「ええ。そうね。でも、こんなに早くいなくなってしまうのなら、あの人が幸せと思うことを自由にさせてあげればよかったって思うの。今日ね、たまたまギリシャ神話の本を目にしてね、あの人が、もう一度『Bacchus』に行きたいなと言った言葉を思い出して。供養代わりに来てみようかなと思ったのよ。歓迎されないかもしれないけれど」

「とんでもない。おいでいただけて嬉しいです」
田中は、心から言った。

 彼女は、ふっと笑うと、ボトルを指して訊いた。
「このお酒、飲んでみてもいいかしら。これって確かとても強いのよね。ほんの少ししか飲めないと思うけれど」

 田中は少し困った。バーボンには明示された賞味期限はないが、開封後はやはり一年くらいで飲みきった方が美味しい。かといって、キープされたボトルを勝手に捨てるわけにはいかないので、全く訪れなくなった客のボトルはそのまま置いてある。

 田中はそのことを告げてから、別のフォアローゼスの瓶を取り出した。
「ですから、お飲みになるのは新しい方にしてください。もちろん、別にお代は頂戴しませんので」

 庄治夫人は、首を振った。
「まずくなっていてもいいから、あの人のボトルのお酒を飲みたいわ。私でも飲めるように少し軽くなるようなアレンジをしてくれませんか」

 田中は頷いた。
「わかりました」

 ボトルを開けて、香りをかいだ。幸い品質はほとんど低下していないようだ。これならと思い、オールド・ファッションド・グラスに手を伸ばした。
「オールド・ファッションドというカクテルがございます。砂糖やオレンジなどを使っていて、それと混ぜながらご自分でお好きな加減の味に変えて飲みます。いかかですか」

 老婦人はじっと田中を見つめた。
「お酒はそんなに飲みなれていないので、全部飲めないかもしれないけれど」

「強すぎて無理だと思ったら遠慮なく残してください。ノンアルコールのカクテルもお作りできますから」
田中の言葉に安心したように彼女は頷いた。

 田中はグラスに角砂糖を入れた。カランと音がする。アロマチック・ビターズを数滴しみ込ませてからたくさん氷を入れた。それからフォアローゼスを規定よりもかなり少なめに入れて、スライスオレンジとマラスキーノ・チェリーを飾った。レシピにはないが、絞りたてのオレンジジュースを小さいピッチャーに入れて横に添えた。

 庄治夫人は、怖々とマドラーでかき混ぜながらそのカクテルを飲んでみたが、首を傾げてから添えてあるオレンジジュースを全て注ぎ込み、それから安心して少しずつ飲みだした。
「これ、あなたの受け売りだったのかしら」

 田中は、彼女の言う意味が分からずに首を傾げた。老婦人は笑いながら続けた。
「いつだったかしら、いつもお酒ばかり外で飲んでと文句を言ったら、美味しいんだぞ飲んでみろと頂き物のウィスキーを私に飲ませようとした事があるの。それが水を入れても、強いだけで全く美味しくなくて。そうしたらこれならどうだって、オレンジジュースを加えてくれたのよ。そうしたら結構美味しかったの。悔しいかったから、美味しいなんて言ってあげなかったけれど」

 彼女は、目の前のフォアローゼスの瓶のタグに愛おしげに触れた。
「美味しいわねって、ひと言を言ってあげれば、私が大騒ぎしなくても帰って来たのかもしれないわね。それに、一緒にここに来ようと言ってくれたのかもしれないわ。もう遅いけれど」

 それからタグを持ち上げて田中に訊いた。
「もし、これを捨てるなら、私が持ちかえってもいいかしら」
「もちろんです。庄治さん、大変お喜びになると思います」

 長居をせずに彼女が帰った後、田中は庄治の残していったボトルを眺めた。キープしたまま二度とこなくなった客のボトルを置いておくのは場所塞ぎだ。だが、客との大切な約束のように思って彼はなんとか場所を作ってきた。

 タグを未亡人に返して、このボトルをキーブしておく意味はなくなった。彼は寂しさと、約束を果たせたというホッとした想いを同時に噛み締めていた。庄治夫人から聞いた墓は、彼の自宅からさほど遠くなかった。今度の休みには、このボトルをもって墓参りに行こうと思った。


オールド・ファッションド(Old Fashioned)

標準的なレシピ
バーボン・ウイスキー 45ml
アロマチック・ビターズ 2dashes
角砂糖 1個
スライス・オレンジ 
マラスキーノ・チェリー

作成方法: オールド・ファッションド・グラスに角砂糖を入れ、アロマチック・ビターズを振りかけて滲みこませる。氷を入れ、ウイスキーを注ぎ、スライス・オレンジ、マラスキーノ・チェリーを飾る。



(初出:2016年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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この作品をもぐらさんが朗読してくださいました。

第303回 バッカスからの招待状 オールド・ファッションド


もぐらさん、本当にありがとうございました!
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

新しいiPhone (でも中古)

あまりに小説が続くので、インターバル。明日またscriviamo!です。ちなみに「Infante 323 黄金の枷」は今月の更新は断念しました。来月ヒマヒマになったら二本まとめて更新するかもしれません。

2011年、スティーブ・ジョブスの死去でショックを受けたあの年、「4Sとはfor Steveのことだ」というApple信者らしい理由で買ったiPhone 4Sですが、いくら信者でも4Sは色々と重くて使い続けるのが厳しくなっていたのでした。でも、「すぐにまた代えなくちゃいけなくなる電話機に9万円も出せるか」という健全な金銭感覚もあって、困ったなと思っていたのです。

私は会社の仕事でiPhoneアプリの開発にも関わっているので、「別に最新でなくてもいいけれど、せめて最新のiOSが問題なく動くマシンを安く入手できないかなあ」と思っていたところ、iPhone6Sに乗り換えた人から5Sを無料で譲ってもらえることになりました。64GBもあるし、きれいな白でした。ラッキー。

で、ようやくiOS9の仲間入り。指紋認証も今ごろデビュー。SIMカードの種類をナノSIMというもっと小さいものに替えなくちゃいけなかったので、しばらくかかりましたが、無事にデータ移行も済んで、クリスマス休暇から新しいiPhoneです。快適。校正に使っているiBooksがサクサク動くのが一番嬉しかったりします。

で、それに合わせて新しいディスプレイ保護シートも買いました。ブルーライトカット機能付きのもので破損防止にもなるものです。

目の機能がものすごく退化して以来、iPhoneでの校正も可能な限りやらないようにしています。そのせいで執筆が遅れている訳でもないんですけれど、なんか別の方法を考えるべきかなあと思っていたり。
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Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


ものすごく巻いていますが、そうなんです、今、いっぱいたまっているんですよ。というわけで、scriviamo!の第六弾です。limeさんは、「妄想らくがき」シリーズの最新作で参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『狐画』
『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。昨年も携帯投稿サイトの小説家を養成する公募企画で大賞を受賞されたすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。まあ、みなさんよくご存知ですよね。

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっと妖艶な感じの狐の化けたような少女の登場するイラストです。これ、私には七転八倒するほどの難問だったのですが、どうもそれは私だけだったようで、あちこちのブログで素晴らしいお話が発表されています。

で、お返しなんですが、最初にイメージした妖狐を使う話は避けました。他の方と重なることが予想されたし、さらにscriviamo!は基本的に受付順でお返しするので、思いついた話を即日発表できるような状況になかったので。で、普段は書かないようなストーリーにしましたが、なんだか私の性格の悪さを露呈しただけのような……。他の方の書かれる素敵なお話と毛色の違う妙なストーリーになりました。

そもそもありえない状況を書いていますので、「なぜこれがこうなるんだ」というような辻褄にこだわるとハマります。辻褄は、全く考えていませんので、あしからず。


「scriviamo! 2016」について
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目が合ったそのときには 
——Special thanks to lime san


「お願い。まずは友達になってくれるだけでもいいから」
佳子の必死な声に、俺は背を向けた。悪い。二次元じゃなきゃ嫌だっていうほどこっちも病んではいないけれど、君はまったく趣味じゃないんだ。

 佳子は、三流の女子校を上から十番目くらいの成績で卒業して、推薦で短大に進み、親のすすめで入った会社で経理をやっているというタイプの女だ。本当のところは知らないけれど、とにかくそういうイメージ。きっと得意料理は肉じゃがとかマカロニグラタンとか、その手の無難なヤツだろう。

 そういうのが好きな男はいっぱいいるから、悪いけれどそっちへ行ってくれ。俺が小悪魔タイプがいいのは知っているだろ。
「悪いけれど、三次元だったら、猫耳のコスプレしてミニスカートでお出迎えしてくれるような子じゃないとイヤなんだ。君にはまったくチャンスはないよ」

 いくら俺でも、本当にそんなタイプじゃないと彼女にできないなんて、そこまで怪しくはない。もちろん、妄想ではいつもその手の子だけれど、現実はそんなに俺に都合良くできていないことくらいわかっている。そもそも上から目線で選べるほどこっちの条件がいいわけじゃない。でも、ここまでいえばこの子は諦めてくれるだろう。

 泣きながら佳子は去っていった。俺は、少しホッとした。秋葉原へ行くつもりだったけれど、氣をそがれて中央通りを銀座方面へと歩いていった。何か用事があった訳ではないけれど、こんな俺でも少し後ろめたいときだってあるんだ。まあ、俺に振られたくらいで世を儚むこともないだろうから、罪悪感を持つこともないんだけれど。

 京橋にたどり着く少し前に、洒落た画廊の前を通り、ガラスウィンドウから見慣れた後ろ姿を目に留めた。総務の京極だ。

 同期で一番の出世頭なだけじゃない。女が群がる超絶イケメンで、生家は江戸時代から中央区に屋敷を構え、子供の頃から一流品だけを身につけている品のいい金持ちで、会長が惚れ込んで孫娘との縁談を進めようとしている。

 そのスペックのたった一つでいいから、神様が俺にわけてくれたらよかったのに。

 京極は、草原の上で白い狐が日向ぼっこをしている絵を見ていた。御坊ちゃまらしい品のいい趣味だ。俺だったら、ただの狐じゃなくて猫耳もとい狐耳をした女の子に日向ぼっこしてもらいたいけれどな。あいつ、あの絵を買うんだろうか。優雅なこった。

 俺は、そのまま銀座まで歩くと、日比谷線に乗って我が家に帰った。ガラのあまりよくない繁華街を通らないといけないせいで、東京二十三区の中にあるというのに家賃は格安だ。部屋に戻って最初にするのはPCの電源を入れること。そして、今日も好みのコスプレちゃんを探してネットサーフィンに興じるのだ。

 冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出した。プシュと開けて、そのままPCの前に戻る。いつもは「猫耳」「制服」で検索するのだが、今夜は趣向を変えてみたくなった。

 少し考えた。「狐」「コスプレ」「小悪魔」。よし、これで行こう。

 いつもとあまり変わらない検索結果が表示されたが、そのページの一番最後に、著しく心惹かれる顔があった。真っ白い肌、髪も白い。ほっそりとした顔立ちに、簡単には落ちないと言いたげな反抗的な目つき。俺の好みにど真ん中。へえ。こんな子がいるんだ。

 俺は、その子の写真をクリックした。表示されたページで、何とその子とチャットもできることが判明。俺の方はカメラはないけれど、あちらはライブで映してくれるらしい。ほんとかよ。

 俺は、恐る恐る「チャット希望」ボタンを押してみた。ボタンが「呼び出し中」に変わり「接続しています」に変わった。それから、パッと画面が暗くなったと思ったら、全面に紛れもないその子の姿が映し出された。

「こんばんは」
聞き覚えのある声だ。もちろんこんなかわいい子に逢ったら絶対に忘れないから、知っているはずはないのだけれど。

「こんばんは。僕の名前は……」
「名前なんて言わなくていいわ。私、知っているもの」
「え?」

「わからない? さっきまで一緒にいたのに」
俺は、ぎょっとした。聞き覚えのある声の持ち主が、それでわかったからだ。
「佳子? まさか!」

「そうよ。ここで逢うとは思わなかったでしょう? さあ、私の目を見て」
「え?」

 狐の耳をした美少女の金色に光る瞳が、こちらを向いて光った。その時に、俺の周りは急に金色の光に包まれて何も見えなくなった。

「はい、終了。私はあなたを手に入れたから」
俺の声がした。

 なんだって? 俺は、恐る恐る瞼を開けた。

 すると、画面の向こうに見慣れた俺の部屋があって、俺の服装をした男が立ち上がっているところだった。

「PCの電源を落とす前に教えてあげる。その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる。私は、もうあなたを離したくないから、二度と狐と目なんか合わさないけれど、あなたは自由になりたかったら、好きなところヘ行って誰かの体をもらうといいわ。もっとも、あなたも好きでたまらない耳のある美少女を手に入れたんだから、ずっとそのままでもいいかもね」

 そう言うと、彼女はぷちっと電源を落とし、俺は暗闇の中に取り残された。

 これは、夢だ。こんな馬鹿なことが! 俺は、大声をだし、頬をつねり、ジタバタ走り回った。でも、どうにもならなかった。俺は、狐の耳を持ち、白い髪の毛とふさふさの尻尾を持った、ロリータ系美少女の体つきになっていた。冗談じゃない。俺は鑑賞する方がいい、自分が美少女になって何が楽しいものか。

 とにかく、なんとかしなくちゃいけない。佳子が言っていたことが本当だとすると、また俺みたいに狐耳の美少女を求めて検索してきたヤツと交代すればいいんだろうか。

 まてよ、それは嫌だ。自分ならいいけれど、俺みたいな嗜好をもった他のむさ苦しい男になるなんて勘弁だ。どうせ違う人間になるなら、もっと恵まれた存在になりたい。例えば京極みたいな。

 そして俺は思い出した。京極のヤツ、あの画廊で絵を眺めていたな。まてよ、あれも四角い枠じゃないか。もし、あいつが明日もあの画廊に行くなら……。俺にもチャンスが向いてきた。

* * *


 そして、俺は、あの画廊の、あの絵の中にいる。絵の中にいた白い狐は蹴散らしてやった。あの狐が日向ぼっこしていた場所に座って、あいつが来るのを待っている。座っているのに飽きたので、横たわって昼寝をすることにした。

 日中にヤツがやってこなかったのは、やむを得ない。総務のヤツらは五時までは上がれないからな。ようやく営業時間が終わった。待ちくたびれたぞ、早く来い。早く来い。

 ふっ。本当に来たぞ。画廊の店番が大喜びで出迎えていやがる。さあ、こっちにこい。お前と目が合ったその時には、俺の恵まれた人生が始まるんだからな。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには

scriviamo!


ものすごく巻いていますが、そうなんです、今、いっぱいたまっているんですよ。というわけで、scriviamo!の第六弾です。limeさんは、「妄想らくがき」シリーズの最新作で参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『狐画』
『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。昨年も携帯投稿サイトの小説家を養成する公募企画で大賞を受賞されたすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。まあ、みなさんよくご存知ですよね。

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっと妖艶な感じの狐の化けたような少女の登場するイラストです。これ、私には七転八倒するほどの難問だったのですが、どうもそれは私だけだったようで、あちこちのブログで素晴らしいお話が発表されています。

で、お返しなんですが、最初にイメージした妖狐を使う話は避けました。他の方と重なることが予想されたし、さらにscriviamo!は基本的に受付順でお返しするので、思いついた話を即日発表できるような状況になかったので。で、普段は書かないようなストーリーにしましたが、なんだか私の性格の悪さを露呈しただけのような……。他の方の書かれる素敵なお話と毛色の違う妙なストーリーになりました。

そもそもありえない状況を書いていますので、「なぜこれがこうなるんだ」というような辻褄にこだわるとハマります。辻褄は、全く考えていませんので、あしからず。


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目が合ったそのときには 
——Special thanks to lime san


「お願い。まずは友達になってくれるだけでもいいから」
佳子の必死な声に、俺は背を向けた。悪い。二次元じゃなきゃ嫌だっていうほどこっちも病んではいないけれど、君はまったく趣味じゃないんだ。

 佳子は、三流の女子校を上から十番目くらいの成績で卒業して、推薦で短大に進み、親のすすめで入った会社で経理をやっているというタイプの女だ。本当のところは知らないけれど、とにかくそういうイメージ。きっと得意料理は肉じゃがとかマカロニグラタンとか、その手の無難なヤツだろう。

 そういうのが好きな男はいっぱいいるから、悪いけれどそっちへ行ってくれ。俺が小悪魔タイプがいいのは知っているだろ。
「悪いけれど、三次元だったら、猫耳のコスプレしてミニスカートでお出迎えしてくれるような子じゃないとイヤなんだ。君にはまったくチャンスはないよ」

 いくら俺でも、本当にそんなタイプじゃないと彼女にできないなんて、そこまで怪しくはない。もちろん、妄想ではいつもその手の子だけれど、現実はそんなに俺に都合良くできていないことくらいわかっている。そもそも上から目線で選べるほどこっちの条件がいいわけじゃない。でも、ここまでいえばこの子は諦めてくれるだろう。

 泣きながら佳子は去っていった。俺は、少しホッとした。秋葉原へ行くつもりだったけれど、氣をそがれて中央通りを銀座方面へと歩いていった。何か用事があった訳ではないけれど、こんな俺でも少し後ろめたいときだってあるんだ。まあ、俺に振られたくらいで世を儚むこともないだろうから、罪悪感を持つこともないんだけれど。

 京橋にたどり着く少し前に、洒落た画廊の前を通り、ガラスウィンドウから見慣れた後ろ姿を目に留めた。総務の京極だ。

 同期で一番の出世頭なだけじゃない。女が群がる超絶イケメンで、生家は江戸時代から中央区に屋敷を構え、子供の頃から一流品だけを身につけている品のいい金持ちで、会長が惚れ込んで孫娘との縁談を進めようとしている。

 そのスペックのたった一つでいいから、神様が俺にわけてくれたらよかったのに。

 京極は、草原の上で白い狐が日向ぼっこをしている絵を見ていた。御坊ちゃまらしい品のいい趣味だ。俺だったら、ただの狐じゃなくて猫耳もとい狐耳をした女の子に日向ぼっこしてもらいたいけれどな。あいつ、あの絵を買うんだろうか。優雅なこった。

 俺は、そのまま銀座まで歩くと、日比谷線に乗って我が家に帰った。ガラのあまりよくない繁華街を通らないといけないせいで、東京二十三区の中にあるというのに家賃は格安だ。部屋に戻って最初にするのはPCの電源を入れること。そして、今日も好みのコスプレちゃんを探してネットサーフィンに興じるのだ。

 冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出した。プシュと開けて、そのままPCの前に戻る。いつもは「猫耳」「制服」で検索するのだが、今夜は趣向を変えてみたくなった。

 少し考えた。「狐」「コスプレ」「小悪魔」。よし、これで行こう。

 いつもとあまり変わらない検索結果が表示されたが、そのページの一番最後に、著しく心惹かれる顔があった。真っ白い肌、髪も白い。ほっそりとした顔立ちに、簡単には落ちないと言いたげな反抗的な目つき。俺の好みにど真ん中。へえ。こんな子がいるんだ。

 俺は、その子の写真をクリックした。表示されたページで、何とその子とチャットもできることが判明。俺の方はカメラはないけれど、あちらはライブで映してくれるらしい。ほんとかよ。

 俺は、恐る恐る「チャット希望」ボタンを押してみた。ボタンが「呼び出し中」に変わり「接続しています」に変わった。それから、パッと画面が暗くなったと思ったら、全面に紛れもないその子の姿が映し出された。

「こんばんは」
聞き覚えのある声だ。もちろんこんなかわいい子に逢ったら絶対に忘れないから、知っているはずはないのだけれど。

「こんばんは。僕の名前は……」
「名前なんて言わなくていいわ。私、知っているもの」
「え?」

「わからない? さっきまで一緒にいたのに」
俺は、ぎょっとした。聞き覚えのある声の持ち主が、それでわかったからだ。
「佳子? まさか!」

「そうよ。ここで逢うとは思わなかったでしょう? さあ、私の目を見て」
「え?」

 狐の耳をした美少女の金色に光る瞳が、こちらを向いて光った。その時に、俺の周りは急に金色の光に包まれて何も見えなくなった。

「はい、終了。私はあなたを手に入れたから」
俺の声がした。

 なんだって? 俺は、恐る恐る瞼を開けた。

 すると、画面の向こうに見慣れた俺の部屋があって、俺の服装をした男が立ち上がっているところだった。

「PCの電源を落とす前に教えてあげる。その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる。私は、もうあなたを離したくないから、二度と狐と目なんか合わさないけれど、あなたは自由になりたかったら、好きなところヘ行って誰かの体をもらうといいわ。もっとも、あなたも好きでたまらない耳のある美少女を手に入れたんだから、ずっとそのままでもいいかもね」

 そう言うと、彼女はぷちっと電源を落とし、俺は暗闇の中に取り残された。

 これは、夢だ。こんな馬鹿なことが! 俺は、大声をだし、頬をつねり、ジタバタ走り回った。でも、どうにもならなかった。俺は、狐の耳を持ち、白い髪の毛とふさふさの尻尾を持った、ロリータ系美少女の体つきになっていた。冗談じゃない。俺は鑑賞する方がいい、自分が美少女になって何が楽しいものか。

 とにかく、なんとかしなくちゃいけない。佳子が言っていたことが本当だとすると、また俺みたいに狐耳の美少女を求めて検索してきたヤツと交代すればいいんだろうか。

 まてよ、それは嫌だ。自分ならいいけれど、俺みたいな嗜好をもった他のむさ苦しい男になるなんて勘弁だ。どうせ違う人間になるなら、もっと恵まれた存在になりたい。例えば京極みたいな。

 そして俺は思い出した。京極のヤツ、あの画廊で絵を眺めていたな。まてよ、あれも四角い枠じゃないか。もし、あいつが明日もあの画廊に行くなら……。俺にもチャンスが向いてきた。

* * *


 そして、俺は、あの画廊の、あの絵の中にいる。絵の中にいた白い狐は蹴散らしてやった。あの狐が日向ぼっこしていた場所に座って、あいつが来るのを待っている。座っているのに飽きたので、横たわって昼寝をすることにした。

 日中にヤツがやってこなかったのは、やむを得ない。総務のヤツらは五時までは上がれないからな。ようやく営業時間が終わった。待ちくたびれたぞ、早く来い。早く来い。

 ふっ。本当に来たぞ。画廊の店番が大喜びで出迎えていやがる。さあ、こっちにこい。お前と目が合ったその時には、俺の恵まれた人生が始まるんだからな。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ いただきもの

Posted by 八少女 夕

【小説】おとなりの天使 ~ The angel next to him

scriviamo!


scriviamo!の第五弾です。山西 左紀さんは、limeさんの「お題掌編」に呼応する形で書かれた素敵な作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『隣の天使』
limeさんの関連する小説
お題掌編 『となりの天使』(前編)
お題掌編 『となりの天使』(後編)


山西左紀さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。コラボをしていただいた作品もとても多いのです。普段はSFや仮想世界を題材にした作品が多く、それなのにまるで実際に眼で見ているような精密かつ美しい描写をなさるので尊敬しています。

今回は、珍しく大阪のとあるアパートで起きたお話。でも、サキさんらしさはそのままですね。limeさんの作品にインスパイアされてお書きになったそうです。

もともとのlimeさんのお話は「『隣に引っ越して来たのは・・・?』というテーマで、妄想を広げてください」というお題に基づいて作られました。サキさんもこれに合わせて書いていらっしゃいます。というわけで、私も。で、サキさんへのお返しなので、サキさんの小説と微妙に(じゃないか、がっちりと)絡み合っております。サキさん、キャラクターのイメージが違ったらごめんなさい!

サキさんが、limeさんの掌編にあわせて(でも少し変えて)題名をつけられたのに倣いました。


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おとなりの天使 ~ The angel next to him 
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 悟は、意を決して504号室の扉をノックした。やはり、こういうのは最初が肝心だからな。

 前のアパートでも、そつなく対応できていたと自負している。大家さんが亡くなって、子供たちが遺産相続のためにアパートを更地にするからと追い出されることになったけれど、代わりの格安アパートを探してもらえたのもそれまでの行いを評価してもらっていたからだと思っていた。

 もっとも、本当にそつがないなら、大学三年も終わりかけているのに就職活動にはかばかしい成果が出ない現状はおかしいのだけれど。

 引越の挨拶には何をもっていくかもしっかりリサーチした。最初は引越ソバを持っていくつもりだったけれど「蕎麦アレルギーの人もいて迷惑がられることも」と言われてやめた。食べたり使ってなくなるものがベストというけれど「高級すぎるとお返しを期待されているのかと思う」とか「スルメをもらった。どういうセンスだ」とか「タオルはたまる一方でいらない」とか「洗剤は使わないタイプのものだと迷惑」とか、ネットで調べるといろいろと難点が指摘されている。結局、無難にということでかなり高級なティッシュペーパーを三箱、熨斗付き。

 二度、呼び鈴を押したが誰も出てこなかったので、控えめノックに切り替えた。やっぱり出てこない。いないのかな、いや、隣の電灯がついたのがベランダの仕切りから漏れる光でわかって、それできたんだから、いないはずはないよな。

 そう考えていると、向こうからショートカットの若い女性が歩いてきた。顔が小さくて可愛い。へえ。こんな可愛いご近所が。彼女は悟の立っている扉の横、つまり505号室の前で立ち止まると、黒い小さいショルダーバックから鍵を取りだして開けた。
「ただいま~」
甘えた可愛い声だ。

 なんだ、男がいるのか、残念。そう思って自分の引越の挨拶の件に戻ろうと思った途端、その美女がまた顔を出した。
「この部屋の人に用なの?」

 悟は頷いた。
「あ、はい。はじめまして。僕、山中悟といいまして、503号室に越してきました。大学の三回生です。それでお隣のこちらに引越の挨拶を……」

 全て言い終わる前に彼女はにっこりと微笑んで口を挟んだ。
「この人、そんな生温いノックじゃ氣づかないわよ、こうやるの」

 そう言うと、拳を振り上げてガンガンガンとものすごい勢いで扉を叩いた。わあっ、なんてことをするんだ。こっちが常識知らずみたいに思われる。

 悟の焦りをものともせずに「じゃあね」といって女性は505号室に消えてしまった。それとほぼ同時に「はい」と言って目の前の扉が開いた。

 がっちりとした長身の男性と、その斜め後に立っている細身で中性的な女性だ。ちょっと見には少年のように見えないこともないけれど、表札には女性の名前もあったから、女性なのだろう。

「なんでしょうか」
精悍な顔立ちの男性は、仏頂面でたたみかけた。まずい。ドアをあんな風に叩いたら好印象を期待しても無駄だ。

「すみません。隣に越してきた山中悟といいます。引越の挨拶に伺ったのですが……失礼しました」

 男は、一瞬首を傾げたが、「ああそう」という顔をした。
「どうぞよろしく。君は一人ぐらし?」
「はい」
「じゃあ、独り者同士、よろしく」

 え? 悟は、目を隣人と、その後にいる女性との間で泳がせた。だが、彼は受け取ったティッシュペーパーの箱に意識を向けたまま、「じゃ」といってばたんと扉を閉めた。

 もしかして、おかしな隣人なのか? 悟は、首を傾げつつ、自宅の扉を開けて中に入って、そのまま腰を抜かしたように座り込んだ。

 たった今、目の前で視界から消えたはずの、隣人の後にいた中性的な女性が、ちゃっかり自宅に入り込んでいる。どうやって。

「ふ~ん、やっぱり見えるんだ」
彼女は腕を組んだ。白いシャツに白いベルボトム、少し流行遅れに見えないこともないスタイルだが、このさい流行などは大して重要とは思えなかった。

「な、何がですか……。っていうか、どうやって僕んちに?」
ドアに張り付いている悟に、彼女はにっこりと微笑んだ。

「私が見えているってこと。どうやってって、別に難しくないわよ、壁をすり抜けてね」
「はあっ?!」

「なんだ。他にも見えるんじゃないの? もしかして、普通の人間には見えない存在を見たの今日が初めて? そんなわけないわよね、その歳なんだから。ああ、そうか、もしかして私たちの仲間すべてを肉体を持つ存在と勘違いしたまま現在に至っているとか?」
女はけたたましく笑った。

 悟は、瞬きも忘れて相手を見ていたが「あんた誰?」とだけようやく言った。

「私? 彼の守護の天使よ。といっても、もともとそうだった訳でなくて、ちょっと押し掛けで守護しているんだけれどね」
「押し掛け?」
「ええ。ちょうど通りかかった時に、失恋で自暴自棄になっていたから、氣になって居着いてみたの」
「え? そうなんですか? 失恋ねぇ……」

「ええ。さっき逢ったでしょう? 505号室の女の子にね」
「ええっ?」

「あの子の名誉のために言っておくけど、あの子が振ったんじゃなくて、あいつが追い出したのよ。なんだっけ、勝手に外車を買ったから、とかなんとか。お仕置きのつもりで追い出して、すぐに謝って帰ってくると思っていたら、お隣さんと仲良くなっちゃったって訳。隣で幸せそうに暮らしているもんだから、余計落ち込んでいるの。そういうわけで、あいつの前でお隣さんのことは口にしないようにね」

 悟は、「はあ」と頷いてから、なに納得しているんだと自分につっこんだ。

「じゃ、私帰るから。あと、彼の前で、私のことは口にしない方がいいわよ。あいつには見えないし、聴こえないんだから、何を言ってもあなたが頭のおかしい人と思われるだけよ」
そういうと、守護の天使とやらは、すっと504号室と接している壁の中に消えてしまった。マジかよ。

 それから、ありえないことになった。「自称・守護の天使」が勝手に悟の部屋に入ってくるようになったのだ。

 悟は、いつもの手抜きで一週間分のおでんの具を煮込んでいたが、後にいつの間にか立っていた天使が覗き込んだ。
「おいしそうじゃない」

「今日は、なんすか」
「それ持って、ウチにくるか、こっちにあいつを招いてよ」
「なんで」

「505号室がなんかゲームやっているらしくて、楽しそうな声がやたらと響いてくるのよ。で、またグズグス想い悩んでレミー・マルタンに逃げ込んでるの」
「……。男とおでん囲んで紛れますかね」
「紛れさせなさいよ」
「なんで僕が」
「あんたが私を見えるのが悪いのよ。つべこべ言わずに行く!」
「はあ」

 悟は首を傾げながら、504号室に向かい呼び鈴を押した。
「なんだ」
男は出てきて、暗い瞳を向けた。

 いつものように黒い革のパンツに白いシャツ。貧乏アパートにはあまり似合わないハードボイルドタイプ。しかもシリアス系。こういう知り合いいないし、なんか怖いよ。心の中で文句を言うと、後にいた天使が恫喝した。
「つべこべいうと、死神や貧乏神をあんたの部屋に派遣するわよ」

 悟はことさらヘラヘラと笑うと言った。
「あ~、おでん作りすぎちゃったんです。よかったら一緒にどうっすか」

「君、田舎そだちか」
「へ? まあ、そうですけれど、なぜですか?」
「都会での隣人との距離感というものがわかっていないようだから」

 ちくしょう。僕だって、別にお近づきになりたい訳じゃないんだ! 悟が泣きそうになると後からほうっというため息が聞こえた。
「かっこいいわねぇ。こういうもの言い、本当に好み~」

「だったら、自分でなんとかしろよ!」
思わず振り向いて文句を言うと、男は言った。
「誰と話しているんだ。携帯電話か?」

 しまった、こいつには見えないし聞こえないんだった。天使はべーと舌を出した。ムカつく。
「いや、なんでもないっす。嫌ならいいっすよ。一人で食いますから」
そう言って引き下がろうとすると、男は首を振った。
「嫌とは言っていない。酒はあるか。ないなら持っていくが」

 なんだよ、結局来るのか。悟は、急いで部屋に戻ると、彼が来るまでに足の踏み場を作ろうとした。
「そのくらい、私がやるわよ」
天使はさっと手を振った。コタツの周りにあった乱雑に脱いだ衣類や新聞が、あっという間に畳まれて部屋の片隅におさまった。

「へえ。こりゃいいや。ありがとさん。寝床周りもやってくれる?」
「必要ないでしょ。彼とベッドインするなんて許さないわよ」
「! するわけないだろ。でも、彼のために貴重な時間を使うんだからさ~。少しくらい僕にも恩恵があっても……」

 天使は腕を組んでから言った。
「そうね。ちゃんと彼に親身になってくれたら、帰り際にやってあげるわよ」

 男は、ハイネケンを1ダースと、金のラベルのついている一升瓶を持ってきた。見ると純米大吟醸らしい。お、おい。スーパーで買った特売おでんに、どうしてこんな酒を。

「これしかなかった。嫌なら買いにいくが」
「え。いや、とんでもない。もったいないと思っただけで」
「一人で飲んでいてもしかたないからな。つきあってくれ」

 落ち着かない飲みだった。悟は、男と差しで飲みながら、右側にちゃっかり座って男に見とれている天使を見ないようにしていた。余計な事を言うと天使は睨むし、その言葉に反応してはならないし、天使から聞いた情報を勝手に口にする訳にもいかない。頭が混乱していて、酔うどころの騒ぎではなかった。

 一方、男は順調に盃を重ねて、ハードボイルド調からただの酔っぱらいへと変化していった。
「そりゃ、他の男を好きになることだってあるだろうさ。でも、なにも隣に住まなくたって、いいじゃないか……」

 なんだよ。泣き上戸かよ。参ったな。
「そんなに思い詰めない方がいいっすよ。女は一人だけじゃないし、ほら、意外と近くで心配して見守ってくれる人もいるかもしれないし」

 悟は、既にコタツに突っ伏しかけている男の頭を愛おしそうに撫でている天使を見ながら、ドッチラケという氣分で最後のちくわぶを口に運んだ。

「なんだ。それは口説きか。俺は女の方がいい」
「! こっちも女の方がいいっす」

「そもそも、君にも彼女はいないのか。若いのに不甲斐ないな」
あんたには言われたくない。

「すいませんね。東京に高校時代ずっとつき合っていた彼女いたんすけど、こっちの大学に来たら遠距離で自然消滅。今はレポートと就職活動が大変で、彼女作っている暇なんてないっす。関西の子たちはノリも違いますしねぇ」

「ふん。就職活動ね。どこを受けるんだ」
「え。まあ、製造とか。クルマも好きだけれど、ほとんどチャンスが……」

 天使が睨んでいる。しまった。彼女が車を買ったんで喧嘩になったんだっけ。車の話は御法度だったか。

「それなら、親父に頼んでやるよ。国産車が嫌でないならね」
「へ?」

「この人、世界的に有名な国産車メーカーの御曹司よ」
天使が囁く。げっ!

「就職が決まったら、美味い寿司でもおごってやるよ。俺もいつまでも、部屋にこもっているのはよくないからな……」
そう寝言のように呟きながら、男はコタツに突っ伏して寝てしまった。

 う。さっきの言葉、録音しておけばよかった。悟は、天から降ってきたチャンスがうやむやになってしまわないことを心から祈った。

 天使は「私には関係ない」という風情で寛いでいた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -4 - 

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第四弾です。

ココうささんは、二句の夏の俳句で参加してくださいました。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

独り占めしたき眼や椎若葉   あさこ

砂山を崩しこつそり手をつなぐ   あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、以前素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっていらっしゃいましたが、現在はブログをお持ちではありません。でも、今でもこのブログを訪ねてくださり、さらに今年もscriviamo!に参加してくださいました。実生活と違って、ブログ上でのお付き合いは連絡先を知らない限り簡単に途切れてしまいますが、こうして絆を持ち続けて行こうと思っていただけること、本当に嬉しいです。

今年のために選んでくださったのは、ココうささんの先生も推す素晴らしい作品で大切になさっている二句です。今回も、もともとココうささんの作品から生まれてきたコンビ、怜子とルドヴィコでお応えします。

今回、はじめて舞台が島根県であることが本文中に明記されています。それに二人の苗字も初のお目見え。二人の関係も少しずつ進んでいます。


特に読まなくても通じると思いますが、同シリーズへのリンクをつけておきます。そろそろカテゴリーにしょうかなあ。
その色鮮やかなひと口を
その色鮮やかなひと口を -2 - ~ Featuring「海に落ちる雨」
その色鮮やかなひと口を -3 -


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その色鮮やかなひと口を -4 - 
Inspired from 2 Haikus by Asako-San
——Special thanks to Kokousa san


 海の向こうに、白い雲が一つだけぽっかりと浮かんでいた。透き通るように深く青い海水。神在祭の前夜には八百万の神々が渡ってくる神秘的な海原も、夏の今はまるで別の世界のようだ。底抜けに明るいビーチ。そして、ほとんど誰もいなかった。

 ルドヴィコは、北イタリアの出身だ。夏になると、家族とアドリア海の方へ海水浴に出かけていた。海は夏にしか見た事がなかったので、冬の日本海を初めて見た時には、その厳しい様相に驚いたらしい。けれど、彼の美意識からすると、騒がしい夏の海水浴場よりも、冷たくて厳しく拒否されたようにも感じる冬の砂浜の方が好ましいらしい。

 怜子は、海水浴場として登録されていないために地元民だけが楽しめるこのビーチを知っていたが、今までルドヴィコにそれを言ったことがなかった。それは、別に後ろめたいことでもないのだけれど、ある思い出が影響しているからだった。

 鳥取との県境に近いこの街に怜子は二年ほど暮らしたことがある。引越魔の異名をとった父親は、島根県内のほぼ全ての市と郡を制覇して、今は山口県との県境に住んでいる。ここに住んだのは怜子が小学校六年生の時だった。

 友達とは早晩お別れをするものだと思っていたので、あまり親しい関係を作ろうとしなかった。だから、この近辺に親しい友達はいない。年賀状のやりとりすらない。憶えている子はひとりだけ。それも断片的な記憶のみ。博くん、今どうしているんだろう。

「怜子さん?」
ルドヴィコの声で我に返った。バスを降りてからひと言も話さなかったから、不思議に思ったのかもしれない。

「何だか久しぶりで変な感じなの。十年くらい来ていなかったから」
赤茶けた屋根の民家は、子供の頃と全く変わらない。ここは、時間の流れがゆったりとしている。降りたバス停は、学校に行く時にいつも使った。隣のバス停から乗ってくる少年はこの地区で唯一の同級生だった。

 その山根博という少年と、学校でどんな話をしたか、バスの中でどんな態度だったのかも、怜子は憶えていなかった。憶えているのは、この砂浜での夏休みの午後。

 怜子は、一人で砂の城を作っていた。城と言っても、台形に煙突に酷似した塔がついた程度の情けない形で、「これはなんだと思う」と問えば、禅問答になるような酷い代物だった。

 もう崩して帰ろうかと思っていた時に、博がやってきたのだ。
「あれ。渡辺、何やっているんだ?」

 怜子は、出来の悪い砂の城を見られて赤くなったが、博は面白がってその改築を申し出てくれたのだ。彼には怜子よりずっと才能があり、しばらくするとシンデレラ城とまではいかないが、誰が見ても城とはっきりわかるようになった。

 上手くできると、楽しくなり、時間の経つのも忘れて二人は城を大きくしていった。途中でトンネルを掘っている時に、砂山の中で二人の手が触れた。怜子は手を引っ込めようとしたけれど、博はさっとその手を握った。夕陽が砂の城を染めはじめていた。

 怜子は、びっくりしてその手を振りほどくと、そのまま逃げていった。
「渡辺!」
博の声は、しばらく耳に残っていた。怜子は二度とこの海辺にいかなかった。そして、その夏休みが終わる前に父親がまた引越すと宣言して、妙にホッとした。

 そのことは、誰にも言わなかった。今にしてみれば、大したことではない。それに、ものすごく嫌だったわけでもないのだ。友達以上、初恋未満、そんな感じ。「ごめんね」も「さようなら」も言えなかった。

「あれ……。もしかして、渡辺じゃないか?」
声に現実に戻って振り向くと、紺のポロシャツを着た半ズボンの青年が、両手にいくつもの魚の干物を持って立っていた。

 えええ。本物に逢ってしまった……。怜子は、紛れもない山根博の登場に動揺した。一方、博の方は、特に氣まずそうな様子は皆無で、明るい笑顔だった。隣のルドヴィコにも「は、ハロー」と明らかに慣れていなさそうな英語を使おうとした。

 ルドヴィコは「こんにちは」と目をつぶっていたら外国人とはわからないようなNHK標準語の発音で返して、怜子に「おともだち?」と訊いた。

「うん。昔の同級生、山根博くん」
そう怜子が紹介すると、ルドヴィコは、さっと右手をだした。
「はじめまして、ルドヴィコ・マセットです。イタリアで生まれましたが、日本に移住して和菓子職人をしています」

「はじめまして。すげーな。日本語、ペラッペラだ」
博は右手を麻の半ズボンできれいにしてから手を差し出した。

「博くん、今もここに住んでいるの?」
「ああ。そこの山根屋って民宿やっている。よかったら寄っていくか。スイカと麦茶、あるぞ」

 山根屋は海辺に面していて、縁側に座ると白い砂浜と海に反射する陽の光が目に眩しかった。蝉の声が波の音にかき消されている。潮風が優しく吹いて心地よかった。

 怜子は、ずっと心に引っかかっていた少年との氣まずい別れが、なんでもなかったことに安心して少し浮かれていた。懐かしそうに中学生の時の話をする二人を、ルドヴィコはほとんど口を挟まずに聴いていた。麦茶のグラスについた水滴が流れ落ちていく。

「あ。前にここでやったスイカの種を飛ばす競争しようか」
「ええ? あれから一度もやっていないもの、もうできないかも」
「そんなわけないだろ、あんなに上手かったんだしさ。あ、ルドヴィコさんも、一緒にどうですか?」

 ルドヴィコ、スイカの種、飛ばせるのかな。だって、いつも飲み込んじゃうし。怜子は、ヨーロッパの人間はスイカの種を出さずに食べてしまうことを、ルドヴィコと知り合ってから知ったのだ。

 案の定、ルドヴィコはスイカの種を飛ばすことはなかった。会話は完璧にわかっているはずなのに、ほとんど話さなくていつもと違ったので、怜子は少し不安になった。
「ルドヴィコ、ここ暑すぎる? 大丈夫?」

 博が「あ」と言って、扇風機を用意しようとしてくれたが、「そうじゃありません。大丈夫です」と言うと、縁側から立ち上がって目の前の広がる海と同じ色の瞳を細めた。

* * *


「怜子さん、すみません」
帰りのバスの中で、ルドヴィコがいきなり謝ったので、怜子は驚いた。

「何のこと?」
「せっかく久しぶりに友達とあったのに。本当はもっとゆっくり話をしたかったんじゃありませんか」
「ううん。そんな心配しないで。それに、私の方こそ、なにかルドヴィコが不快に思うことをしちゃった?」

 彼は首を振った。それから、しばらく黙っていたが、青い瞳をむけてから口を開いた。
「怜子さんじゃ、ありません。僕の方です。僕は、志多備神社に行った時のことを考えていたんです」

 怜子は、首を傾げた。志多備神社に行ったのは、五月の終わりだった。日本一と言われるスダジイがあることで有名な神社だ。

 九本の枝を周囲に張り、幹周り11.4m、樹高18mにもなる巨樹は、樹齢300年以上と言われている。45mにもなる稲藁で作った大蛇が巻き付けてあり、その堂々たる姿は神の一柱がここにもいると納得させる存在感だ。

 本当にたった300年なのか、本当は千年以上の長い時を見つめてきたのではないかと錯覚してしまうような佇まいで、苔むしてねじれた太い枝の一つひとつに、力強い重みと苦悶にも思える表情を深く刻んでいた。

 二人は滴る緑の中で、椎の独特の香りに雨の季節を感じつつ、神聖な存在と黙って対峙していた。

 そこに一人の外国人女性がやってきた。ルドヴィコが漢字も読めるようだとわかると、そばかすの多い顔をほころばせて早口で話しかけた。それからしばらく二人は巨樹について話していた。ついでにその話が別のことにも至ったようだというのは、怜子でもわかったが、そもそも二人が何語で話しているのかすら彼女にはよくわからなかった。

「スペインの女性ですよ。僕はイタリア語で、彼女はスペイン語で話したのですが、それで何となく通じてしまいます。正確に伝えなくてはならないところは、お互いに英語を使いますけれど」

「何を訊かれたの?」
「いろいろですが、最終的には日本人にとっての『神』という存在についてです。彼女をはじめとするたいていの欧米人には巨樹が『神』として崇められるということが、わからないのです。複数の神を同時に崇めるということもね。おそらく、僕も完全に『わかっている』わけではない、たんに文化の違いとして理解しているだけなのかもしれませんね」

 怜子は、胸の奥が痛くなるのを感じた。

 ルドヴィコは、平均的日本人よりもずっと日本の伝統や文化に詳しく、かつそれを尊重している。だから、彼は日本に、ひいては自分にとても近いと思っていたのだ。けれど、彼が「完全にはわからない」と告げた言葉で、怜子は彼が急にあの見ず知らずの金髪女性の方に行ってしまったように感じた。

 自分の努力や意志では決して越えられない壁があると氣づくとき、人はその無力さに傷つく。スダジイの脇から顔を見せた蜻蛉の薄羽色の若葉が風に揺られているのを見ながら、怜子は「その人と話すのをやめて。ここで二人で一緒に樹を見ようよ」と心の中で呟いた。でも、その感情、怜子がつまらない嫉妬だと自嘲した感情は、ルドヴィコには悟られていなかったはずだった。

「あの時の、あの女の人との会話のこと? でも、どうしてルドヴィコが私に謝るの?」

「あの時、怜子さんは悲しそうでした。僕は、なぜ悲しく感じたりするのだろう、怜子さんは僕をよく知っているのにと思ったんです」

 怜子は、また驚いた。私の心の中、ルドヴィコに、全部バレていたんだ。彼は続けた。
「でも、それは、傲った考え方だと、ようやく今日わかったんです。博さんと怜子さんはたった二年一緒にいただけで、その後十年も会っていなかった。それなのに、彼の方がずっと怜子さんのことをよく知っているように感じて、僕はガラスの敷居で区切られたように感じてしまったのです」

 怜子は、ただ彼の言葉を黙って聴いていた。
「怜子さんが、トイレに行った時、博さんが僕に言いました。怜子さんはとても素敵な人で、初恋の人だったって。その怜子さんが僕と幸せそうでとても嬉しいと言っていました」
「……」

「その時に、僕は、博さんという存在に嫉妬していたのではなくて、もっと大きい文化の違いにつまづいていたんだとはっきり認識したのです。そして怜子さんもあのスペイン女性に嫉妬したんじゃなくて、同じことで傷ついていたのだと、そこでようやく思い至ったのです」

 怜子は、彼にそう言われて初めて自分の中にあった悲しい感情の正体が分かった。そうか、そうだったんだ。

「僕は、同じ文化で育ったこなかったことに起因するいつも存在している不安を見落としていました。それをしっかりと見据えることなしに、お互いを尊重する努力をできるはずなんかありませんよね。だから、怜子さんに謝らなくてはいけないと思ったのです」

「謝ることなんかないよ、ルドヴィコ。あなたの言いたいこと、とてもよくわかるし、正しいと思う。でも、私のことを一番わかっているのは、ルドヴィコだよ。たとえ、生まれた場所がどれほど離れていて、お互いにまだ理解できない文化の違いがどれほどたくさんあってもだよ」

 ルドヴィコは、青い瞳の輝く目を細めて微笑んだ。怜子は、小さく続けた。
「だからね、ルドヴィコ……あの、こうしても、いい?」

 そういって彼女は、ルドヴィコの大きな手にそっと触れた。彼は、その手をしっかりと握り返してきた。

 怜子には、はっきりとわかった。友達以上、恋未満だったのは同じでも、博とルドヴィコにはもうはっきりとした違いがあった。怜子は、ルドヴィコと手をつなぎたかったし、離したくないと思った。そして、彼もそう思っていてくれることを心から嬉しく思った。

 バスを降りるまで、二人はずっとそうやって手を握っていた。運転手や数少ない他の乗客からは見えないようにこっそりと、でも、大きな安堵と幸せに包まれた時間だった。


(初出:2016年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -4 - 

scriviamo!


scriviamo!の第四弾です。

ココうささんは、二句の夏の俳句で参加してくださいました。ありがとうございます!


ココうささんの書いてくださった俳句

独り占めしたき眼や椎若葉   あさこ

砂山を崩しこつそり手をつなぐ   あさこ


この二句の著作権はココうささん(あさこさん)にあります。無断転載ならびに転用は固くお断りします。


ココうささんは、以前素晴らしい詩や俳句、揮毫を発表なさっていらっしゃいましたが、現在はブログをお持ちではありません。でも、今でもこのブログを訪ねてくださり、さらに今年もscriviamo!に参加してくださいました。実生活と違って、ブログ上でのお付き合いは連絡先を知らない限り簡単に途切れてしまいますが、こうして絆を持ち続けて行こうと思っていただけること、本当に嬉しいです。

今年のために選んでくださったのは、ココうささんの先生も推す素晴らしい作品で大切になさっている二句です。今回も、もともとココうささんの作品から生まれてきたコンビ、怜子とルドヴィコでお応えします。

今回、はじめて舞台が島根県であることが本文中に明記されています。それに二人の苗字も初のお目見え。二人の関係も少しずつ進んでいます。


特に読まなくても通じると思いますが、同シリーズへのリンクをつけておきます。そろそろカテゴリーにしょうかなあ。
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その色鮮やかなひと口を -4 - 
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 海の向こうに、白い雲が一つだけぽっかりと浮かんでいた。透き通るように深く青い海水。神在祭の前夜には八百万の神々が渡ってくる神秘的な海原も、夏の今はまるで別の世界のようだ。底抜けに明るいビーチ。そして、ほとんど誰もいなかった。

 ルドヴィコは、北イタリアの出身だ。夏になると、家族とアドリア海の方へ海水浴に出かけていた。海は夏にしか見た事がなかったので、冬の日本海を初めて見た時には、その厳しい様相に驚いたらしい。けれど、彼の美意識からすると、騒がしい夏の海水浴場よりも、冷たくて厳しく拒否されたようにも感じる冬の砂浜の方が好ましいらしい。

 怜子は、海水浴場として登録されていないために地元民だけが楽しめるこのビーチを知っていたが、今までルドヴィコにそれを言ったことがなかった。それは、別に後ろめたいことでもないのだけれど、ある思い出が影響しているからだった。

 鳥取との県境に近いこの街に怜子は二年ほど暮らしたことがある。引越魔の異名をとった父親は、島根県内のほぼ全ての市と郡を制覇して、今は山口県との県境に住んでいる。ここに住んだのは怜子が小学校六年生の時だった。

 友達とは早晩お別れをするものだと思っていたので、あまり親しい関係を作ろうとしなかった。だから、この近辺に親しい友達はいない。年賀状のやりとりすらない。憶えている子はひとりだけ。それも断片的な記憶のみ。博くん、今どうしているんだろう。

「怜子さん?」
ルドヴィコの声で我に返った。バスを降りてからひと言も話さなかったから、不思議に思ったのかもしれない。

「何だか久しぶりで変な感じなの。十年くらい来ていなかったから」
赤茶けた屋根の民家は、子供の頃と全く変わらない。ここは、時間の流れがゆったりとしている。降りたバス停は、学校に行く時にいつも使った。隣のバス停から乗ってくる少年はこの地区で唯一の同級生だった。

 その山根博という少年と、学校でどんな話をしたか、バスの中でどんな態度だったのかも、怜子は憶えていなかった。憶えているのは、この砂浜での夏休みの午後。

 怜子は、一人で砂の城を作っていた。城と言っても、台形に煙突に酷似した塔がついた程度の情けない形で、「これはなんだと思う」と問えば、禅問答になるような酷い代物だった。

 もう崩して帰ろうかと思っていた時に、博がやってきたのだ。
「あれ。渡辺、何やっているんだ?」

 怜子は、出来の悪い砂の城を見られて赤くなったが、博は面白がってその改築を申し出てくれたのだ。彼には怜子よりずっと才能があり、しばらくするとシンデレラ城とまではいかないが、誰が見ても城とはっきりわかるようになった。

 上手くできると、楽しくなり、時間の経つのも忘れて二人は城を大きくしていった。途中でトンネルを掘っている時に、砂山の中で二人の手が触れた。怜子は手を引っ込めようとしたけれど、博はさっとその手を握った。夕陽が砂の城を染めはじめていた。

 怜子は、びっくりしてその手を振りほどくと、そのまま逃げていった。
「渡辺!」
博の声は、しばらく耳に残っていた。怜子は二度とこの海辺にいかなかった。そして、その夏休みが終わる前に父親がまた引越すと宣言して、妙にホッとした。

 そのことは、誰にも言わなかった。今にしてみれば、大したことではない。それに、ものすごく嫌だったわけでもないのだ。友達以上、初恋未満、そんな感じ。「ごめんね」も「さようなら」も言えなかった。

「あれ……。もしかして、渡辺じゃないか?」
声に現実に戻って振り向くと、紺のポロシャツを着た半ズボンの青年が、両手にいくつもの魚の干物を持って立っていた。

 えええ。本物に逢ってしまった……。怜子は、紛れもない山根博の登場に動揺した。一方、博の方は、特に氣まずそうな様子は皆無で、明るい笑顔だった。隣のルドヴィコにも「は、ハロー」と明らかに慣れていなさそうな英語を使おうとした。

 ルドヴィコは「こんにちは」と目をつぶっていたら外国人とはわからないようなNHK標準語の発音で返して、怜子に「おともだち?」と訊いた。

「うん。昔の同級生、山根博くん」
そう怜子が紹介すると、ルドヴィコは、さっと右手をだした。
「はじめまして、ルドヴィコ・マセットです。イタリアで生まれましたが、日本に移住して和菓子職人をしています」

「はじめまして。すげーな。日本語、ペラッペラだ」
博は右手を麻の半ズボンできれいにしてから手を差し出した。

「博くん、今もここに住んでいるの?」
「ああ。そこの山根屋って民宿やっている。よかったら寄っていくか。スイカと麦茶、あるぞ」

 山根屋は海辺に面していて、縁側に座ると白い砂浜と海に反射する陽の光が目に眩しかった。蝉の声が波の音にかき消されている。潮風が優しく吹いて心地よかった。

 怜子は、ずっと心に引っかかっていた少年との氣まずい別れが、なんでもなかったことに安心して少し浮かれていた。懐かしそうに中学生の時の話をする二人を、ルドヴィコはほとんど口を挟まずに聴いていた。麦茶のグラスについた水滴が流れ落ちていく。

「あ。前にここでやったスイカの種を飛ばす競争しようか」
「ええ? あれから一度もやっていないもの、もうできないかも」
「そんなわけないだろ、あんなに上手かったんだしさ。あ、ルドヴィコさんも、一緒にどうですか?」

 ルドヴィコ、スイカの種、飛ばせるのかな。だって、いつも飲み込んじゃうし。怜子は、ヨーロッパの人間はスイカの種を出さずに食べてしまうことを、ルドヴィコと知り合ってから知ったのだ。

 案の定、ルドヴィコはスイカの種を飛ばすことはなかった。会話は完璧にわかっているはずなのに、ほとんど話さなくていつもと違ったので、怜子は少し不安になった。
「ルドヴィコ、ここ暑すぎる? 大丈夫?」

 博が「あ」と言って、扇風機を用意しようとしてくれたが、「そうじゃありません。大丈夫です」と言うと、縁側から立ち上がって目の前の広がる海と同じ色の瞳を細めた。

* * *


「怜子さん、すみません」
帰りのバスの中で、ルドヴィコがいきなり謝ったので、怜子は驚いた。

「何のこと?」
「せっかく久しぶりに友達とあったのに。本当はもっとゆっくり話をしたかったんじゃありませんか」
「ううん。そんな心配しないで。それに、私の方こそ、なにかルドヴィコが不快に思うことをしちゃった?」

 彼は首を振った。それから、しばらく黙っていたが、青い瞳をむけてから口を開いた。
「怜子さんじゃ、ありません。僕の方です。僕は、志多備神社に行った時のことを考えていたんです」

 怜子は、首を傾げた。志多備神社に行ったのは、五月の終わりだった。日本一と言われるスダジイがあることで有名な神社だ。

 九本の枝を周囲に張り、幹周り11.4m、樹高18mにもなる巨樹は、樹齢300年以上と言われている。45mにもなる稲藁で作った大蛇が巻き付けてあり、その堂々たる姿は神の一柱がここにもいると納得させる存在感だ。

 本当にたった300年なのか、本当は千年以上の長い時を見つめてきたのではないかと錯覚してしまうような佇まいで、苔むしてねじれた太い枝の一つひとつに、力強い重みと苦悶にも思える表情を深く刻んでいた。

 二人は滴る緑の中で、椎の独特の香りに雨の季節を感じつつ、神聖な存在と黙って対峙していた。

 そこに一人の外国人女性がやってきた。ルドヴィコが漢字も読めるようだとわかると、そばかすの多い顔をほころばせて早口で話しかけた。それからしばらく二人は巨樹について話していた。ついでにその話が別のことにも至ったようだというのは、怜子でもわかったが、そもそも二人が何語で話しているのかすら彼女にはよくわからなかった。

「スペインの女性ですよ。僕はイタリア語で、彼女はスペイン語で話したのですが、それで何となく通じてしまいます。正確に伝えなくてはならないところは、お互いに英語を使いますけれど」

「何を訊かれたの?」
「いろいろですが、最終的には日本人にとっての『神』という存在についてです。彼女をはじめとするたいていの欧米人には巨樹が『神』として崇められるということが、わからないのです。複数の神を同時に崇めるということもね。おそらく、僕も完全に『わかっている』わけではない、たんに文化の違いとして理解しているだけなのかもしれませんね」

 怜子は、胸の奥が痛くなるのを感じた。

 ルドヴィコは、平均的日本人よりもずっと日本の伝統や文化に詳しく、かつそれを尊重している。だから、彼は日本に、ひいては自分にとても近いと思っていたのだ。けれど、彼が「完全にはわからない」と告げた言葉で、怜子は彼が急にあの見ず知らずの金髪女性の方に行ってしまったように感じた。

 自分の努力や意志では決して越えられない壁があると氣づくとき、人はその無力さに傷つく。スダジイの脇から顔を見せた蜻蛉の薄羽色の若葉が風に揺られているのを見ながら、怜子は「その人と話すのをやめて。ここで二人で一緒に樹を見ようよ」と心の中で呟いた。でも、その感情、怜子がつまらない嫉妬だと自嘲した感情は、ルドヴィコには悟られていなかったはずだった。

「あの時の、あの女の人との会話のこと? でも、どうしてルドヴィコが私に謝るの?」

「あの時、怜子さんは悲しそうでした。僕は、なぜ悲しく感じたりするのだろう、怜子さんは僕をよく知っているのにと思ったんです」

 怜子は、また驚いた。私の心の中、ルドヴィコに、全部バレていたんだ。彼は続けた。
「でも、それは、傲った考え方だと、ようやく今日わかったんです。博さんと怜子さんはたった二年一緒にいただけで、その後十年も会っていなかった。それなのに、彼の方がずっと怜子さんのことをよく知っているように感じて、僕はガラスの敷居で区切られたように感じてしまったのです」

 怜子は、ただ彼の言葉を黙って聴いていた。
「怜子さんが、トイレに行った時、博さんが僕に言いました。怜子さんはとても素敵な人で、初恋の人だったって。その怜子さんが僕と幸せそうでとても嬉しいと言っていました」
「……」

「その時に、僕は、博さんという存在に嫉妬していたのではなくて、もっと大きい文化の違いにつまづいていたんだとはっきり認識したのです。そして怜子さんもあのスペイン女性に嫉妬したんじゃなくて、同じことで傷ついていたのだと、そこでようやく思い至ったのです」

 怜子は、彼にそう言われて初めて自分の中にあった悲しい感情の正体が分かった。そうか、そうだったんだ。

「僕は、同じ文化で育ったこなかったことに起因するいつも存在している不安を見落としていました。それをしっかりと見据えることなしに、お互いを尊重する努力をできるはずなんかありませんよね。だから、怜子さんに謝らなくてはいけないと思ったのです」

「謝ることなんかないよ、ルドヴィコ。あなたの言いたいこと、とてもよくわかるし、正しいと思う。でも、私のことを一番わかっているのは、ルドヴィコだよ。たとえ、生まれた場所がどれほど離れていて、お互いにまだ理解できない文化の違いがどれほどたくさんあってもだよ」

 ルドヴィコは、青い瞳の輝く目を細めて微笑んだ。怜子は、小さく続けた。
「だからね、ルドヴィコ……あの、こうしても、いい?」

 そういって彼女は、ルドヴィコの大きな手にそっと触れた。彼は、その手をしっかりと握り返してきた。

 怜子には、はっきりとわかった。友達以上、恋未満だったのは同じでも、博とルドヴィコにはもうはっきりとした違いがあった。怜子は、ルドヴィコと手をつなぎたかったし、離したくないと思った。そして、彼もそう思っていてくれることを心から嬉しく思った。

 バスを降りるまで、二人はずっとそうやって手を握っていた。運転手や数少ない他の乗客からは見えないようにこっそりと、でも、大きな安堵と幸せに包まれた時間だった。


(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -4- オールド・ファッションド

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第七弾です。もぐらさんは、 雫石鉄也さんという方のお作りになった作品の朗読という形で参加してくださいました。

もぐらさんの朗読してくださった『ボトルキープ』

原作 雫石鉄也さんの「ボトルキープ」

もぐらさんは、創作ブロガーの作品を朗読をなさっているブロガーさんです。昨年の終わりぐらいにリンクを辿っていらしてくださってから、長編を含む作品を読んでくださっているありがたい読者様でもあるのですが、うちの作品の中で一番最初に読むことにしてくださったのが、この「バッカスからの招待状」シリーズです。

珍しいものから読んでくださるなと思っていたのですが、実は雫石さんのお書きになるバー『海神』を扱ったシリーズの大ファンでいらっしゃることから、この作品に興味をおぼえてくださったということなのです。

今回朗読してくださったのは、その『海神』とマスターの鏑木氏が初登場した作品だそうで、ご縁のある作品のチョイスに感激しています。

ですから、お返しにはやはり『Bacchus』の田中を登場させるしかないでしょう。参加作品「ボトルキープ」にトリビュートしたストーリーになっています。もぐらさん、雫石さん、そして鏑木さま。本当にありがとうございました。


参考:
バッカスからの招待状
いつかは寄ってね
君の話をきかせてほしい

「scriviamo! 2016」について

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バッカスからの招待状 -4- 
オールド・ファッションド
——Special thanks to Mogura san & Shizukuishi san


 そのバーは大手町にあった。昼はビジネスマンで忙しいけれど、飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく書かれている。『Bacchus』と。

 店主であるバーテンダーの田中佑二は、今夜も開店準備に余念がない。バブルの頃は、何人かのバーテンダーを雇わないと回らないほど忙しかったこともあるが、今は繁忙期以外は一人でやっている。大手町だから家賃も相当かかるが、幸いそこそこの固定客がいるのでなんとか続けていられる。

「いらっしゃい」
今日最初の客だと顔を向けた。意外な人物が立っていたので戸惑った。

「これは……。庄治さんの奥様。こんばんは」
健康そうではあるが、既に七十歳にはなっているだろう。厳格な表情をして地味な服装なので同年代の女性よりさらに老けて見える。

 彼女は、『Bacchus』の客ではなかった。どちらかというとこの店の売上にブレーキをかける役目を果たしていた。つまり、彼女の夫がここで飲むのを嫌がり、必至で阻止していたのだ。しかし、それもずいぶん昔のことだ。庄治が顔を見せなくなってから三年は経つだろうか。

「こんばんは。まだ開店していないなら、外で待ちますけれど」
「いいえ。どうぞお好きな席へ」

 老婦人は、キョロキョロと見回してから、一度奥の席に行きかけたが、戻ってきてカウンターの田中の前に座った。

「ご主人様とお待ち合わせですか?」
彼が訊くと、笑って首を振った。
「それは無理よ。先月、四十九日の法要を済ませたのよ」

 田中は驚いた。
「それは存じ上げませんでした。ご愁傷様です」
「ありがとう。もちろん知らなくて当然よね。私が知らせなかったんですもの。あの人、ドクターストップがかかって飲みには行けなくなった後、他のお店には行きたいとは言わなかったのに、ここにだけはまた行きたがっていたの」

 それから、田中の差し出したおしぼりを受け取って、上品に手を拭くと、メニューを怖々開いた。しばらく眺めていたが、閉じて言った。
「ごめんなさいね。私、こういうお店で飲んだことがなくて、わからないの。あの人はどんなものを頼んでいたのかしら」

「ご主人様は、いつもバーボンでした。フォア・ローゼスがお氣に入りでボトルをキープなさっていらっしゃいました」
そういうと、後に並んだ棚から、三分の二ほど入っているボトルを一つ取って、彼女に見せた。

 ここでは、キープのボトルには、本人にタグの名前を書いてもらう。亡くなった夫の筆跡を見て、彼女の眉が歪んだ。

「私のこと、嫌な女だと思っていらしたでしょう。いつも早く帰って来いと電話で大騒ぎして。それにここまで来て連れ帰ったこともありましたよね」
「庄治さんのご健康をお考えになってのことだったのでしょう」

「ええ。そうね。でも、こんなに早くいなくなってしまうのなら、あの人が幸せと思うことを自由にさせてあげればよかったって思うの。今日ね、たまたまギリシャ神話の本を目にしてね、あの人が、もう一度『Bacchus』に行きたいなと言った言葉を思い出して。供養代わりに来てみようかなと思ったのよ。歓迎されないかもしれないけれど」

「とんでもない。おいでいただけて嬉しいです」
田中は、心から言った。

 彼女は、ふっと笑うと、ボトルを指して訊いた。
「このお酒、飲んでみてもいいかしら。これって確かとても強いのよね。ほんの少ししか飲めないと思うけれど」

 田中は少し困った。バーボンには明示された賞味期限はないが、開封後はやはり一年くらいで飲みきった方が美味しい。かといって、キープされたボトルを勝手に捨てるわけにはいかないので、全く訪れなくなった客のボトルはそのまま置いてある。

 田中はそのことを告げてから、別のフォアローゼスの瓶を取り出した。
「ですから、お飲みになるのは新しい方にしてください。もちろん、別にお代は頂戴しませんので」

 庄治夫人は、首を振った。
「まずくなっていてもいいから、あの人のボトルのお酒を飲みたいわ。私でも飲めるように少し軽くなるようなアレンジをしてくれませんか」

 田中は頷いた。
「わかりました」

 ボトルを開けて、香りをかいだ。幸い品質はほとんど低下していないようだ。これならと思い、オールド・ファッションド・グラスに手を伸ばした。
「オールド・ファッションドというカクテルがございます。砂糖やオレンジなどを使っていて、それと混ぜながらご自分でお好きな加減の味に変えて飲みます。いかかですか」

 老婦人はじっと田中を見つめた。
「お酒はそんなに飲みなれていないので、全部飲めないかもしれないけれど」

「強すぎて無理だと思ったら遠慮なく残してください。ノンアルコールのカクテルもお作りできますから」
田中の言葉に安心したように彼女は頷いた。

 田中はグラスに角砂糖を入れた。カランと音がする。アロマチック・ビターズを数滴しみ込ませてからたくさん氷を入れた。それからフォアローゼスを規定よりもかなり少なめに入れて、スライスオレンジとマラスキーノ・チェリーを飾った。レシピにはないが、絞りたてのオレンジジュースを小さいピッチャーに入れて横に添えた。

 庄治夫人は、怖々とマドラーでかき混ぜながらそのカクテルを飲んでみたが、首を傾げてから添えてあるオレンジジュースを全て注ぎ込み、それから安心して少しずつ飲みだした。
「これ、あなたの受け売りだったのかしら」

 田中は、彼女の言う意味が分からずに首を傾げた。老婦人は笑いながら続けた。
「いつだったかしら、いつもお酒ばかり外で飲んでと文句を言ったら、美味しいんだぞ飲んでみろと頂き物のウィスキーを私に飲ませようとした事があるの。それが水を入れても、強いだけで全く美味しくなくて。そうしたらこれならどうだって、オレンジジュースを加えてくれたのよ。そうしたら結構美味しかったの。悔しいかったから、美味しいなんて言ってあげなかったけれど」

 彼女は、目の前のフォアローゼスの瓶のタグに愛おしげに触れた。
「美味しいわねって、ひと言を言ってあげれば、私が大騒ぎしなくても帰って来たのかもしれないわね。それに、一緒にここに来ようと言ってくれたのかもしれないわ。もう遅いけれど」

 それからタグを持ち上げて田中に訊いた。
「もし、これを捨てるなら、私が持ちかえってもいいかしら」
「もちろんです。庄治さん、大変お喜びになると思います」

 長居をせずに彼女が帰った後、田中は庄治の残していったボトルを眺めた。キープしたまま二度とこなくなった客のボトルを置いておくのは場所塞ぎだ。だが、客との大切な約束のように思って彼はなんとか場所を作ってきた。

 タグを未亡人に返して、このボトルをキーブしておく意味はなくなった。彼は寂しさと、約束を果たせたというホッとした想いを同時に噛み締めていた。庄治夫人から聞いた墓は、彼の自宅からさほど遠くなかった。今度の休みには、このボトルをもって墓参りに行こうと思った。


オールド・ファッションド(Old Fashioned)

標準的なレシピ
バーボン・ウイスキー 45ml
アロマチック・ビターズ 2dashes
角砂糖 1個
スライス・オレンジ 
マラスキーノ・チェリー

作成方法: オールド・ファッションド・グラスに角砂糖を入れ、アロマチック・ビターズを振りかけて滲みこませる。氷を入れ、ウイスキーを注ぎ、スライス・オレンジ、マラスキーノ・チェリーを飾る。



(初出:2016年1月 書き下ろし)

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この作品をもぐらさんが朗読してくださいました。

第303回 バッカスからの招待状 オールド・ファッションド
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Tag : 小説 読み切り小説 神話系お題

Posted by 八少女 夕

メモが消えた

今日は、どうでもいい話。

仕事をしている時には、普段は小説のことは頭から追い出します。私はプログラマーなんですけれど、あれって思考形態が小説の妄想とは最も遠いところにあるように思うんです。つまり、私の小説は論理ではなくて感覚に近いってことなんだと思うんですけれど。

とはいえ、昼休みに、散歩したりしている間に小説の妄想が進むなんてこともありまして、それがなくなってしまわないうちに慌てて会社で使っている裏紙に走り書きしたりすることもあるのです。で、それを持ちかえって「走り書きファイル」につっこみ、後々必要な時に取り出したりするんです。

が、時折そのメモが異次元に消えてしまうのです。

ええ、整理が悪いだけじゃん、ということなんですが。

でも、一度書き留めたことだけ憶えていて、詳細が思い出せないのは悲しい。すごく大切なシーンなどは、脳内で何度も再生されているのでメモなどはいらないんですけれど、ちょっとしたアイデアとか、シリーズ物の簡単な構想とか、まとめてなくなると取り返しがつかない。う〜ん、悔しい。

諦めきれずに、ごそごそ探します。で、みつからない。無駄な時間が経過。この時間に何か他のものが書けるのになあ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】ニューヨークの英国人

scriviamo!


「scriviamo! 2016」の第三弾です。ウゾさんは、たくさんの小説群の中でも大人氣を誇る「探偵もどき」のお話で参加してくださいました。

ウゾさんの書いてくださった『星の夢』


ウゾさんは、とても深いものを書かれる高校生ブロガーさんで、おつきあいが一番長い方たちのお一人です。短い作品の中に選び抜かれた言葉を散りばめる独特の作風で、たくさんのファンがいらっしゃいます。

さて、書いていただいた作品は、強烈な個性を持つキャラクターの揃う「探偵もどき」シリーズの最新作、で、ウゾさんらしいなぞなぞがあったんですけれど……。

ごめんなさい。謝っておきます。どう考えてもこの謎は全く解けませんでした。私の解釈は、たぶん間違っていると思います。でも、ウゾさんのお話からイメージした話を書きました。私が発表したいまなら、ウゾさんが正解を発表してくださるかも。これからウゾさんの作品をお読みになるみなさん。誰か、ウゾさんに正解を訊いてください!

で、この話は、ついこの間さようならしたばかりの、あの世界に戻ってきてしまいました(笑)それどころか、キャラクターが二人増えてる。「鳥打ち帽のおじいさん」同様、この二人の生みの親はウゾさんです。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、関連する小説へのリンクを置いておきます。
「マンハッタンの日本人」シリーズ
「ファインダーの向こうに」
「ファインダーの向こうに」を読む

「scriviamo! 2016」について
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ニューヨークの英国人
——Special thanks to Uzo san


 ドアが開いて、いつものように「ハロー」と言ってから、キャシーは、あれ? と思った。彼女の勤める《Sunrise Diner》は、ニューヨークのロングアイランドの海の近くにある。大衆食堂だから、わりとラフな服装で来る人が多い。

 なのに、その客はちょっと変わっていた。グレーの長めのコート。ぴしっとアイロンの効いたチェックのスラックス。グレーの帽子に、黒い雨傘。今日は降りっこないし、降ったとしても雪じゃない、なんで傘がいるのよ。

 彼は帽子を持ち上げて「ごきげんよう」と挨拶すると、窓際の席に腰掛けた。

「こんにちは。ご注文をどうぞ」
「紅茶をお願いするよ。煮立ったお湯を注ぐ前に、冷たいミルクを先にポットに入れてほしい」

 キャシーは、この客大丈夫かなと少し不安になった。ここは、ケンジントン宮殿じゃないんだけど、わかっているのかしら。
「冷たいミルクを……って、ポーションのコーヒーフレッシュしかないんだけれど。ちなみにこのカップしかないし、リプトンのティーバックですけれど」

 男性は、わずかに失望の表情を見せたが、礼儀正しく頷いた。
「トーストは、あるかな」

「ありますよ。ベーグルや、パンケーキもね」

 彼は、キャシーが見せたメニューの写真を見て、少し悲しそうな顔をした。
「三角に切る必要はないけれど、片面だけ焼いてくれるなんてことは、ないだろうね、お嬢さんマイ・ディアー

「残念ながら、ないわね。トースターが一度に両面焼いちゃうもの」
「じゃあ、しかたない。トースト二枚に、スクランブルエッグとベーコンも頼む」

 キャシーは、自慢のブラウン・ポテトを薦めようと一瞬考えてからやめた。それから、てきぱきと働きながら、カウンターに座っている常連客にコーヒーのお替わりを入れてやった。

 それはミズリー州出身の、特に面白くない話で笑いを取ろうとするのが玉に瑕の男だが、チップを弾むのでキャシーは辛辣なことは言わないようにしていた。彼は、もったいぶって始めた。
「新年のなぞなぞだ、キャシー。クリスマスはいつ終わると思う?」

「今日でしょ。1月6日、公現祭エピファニー
キャシーが、即答すると彼は笑った。
「そう思うだろう? でも、国によって違うんだぜ」

「どう違うのよ」
「例えば、グレゴリウス暦と13日ズレてしまっているユリウス歴を採用しているギリシアやロシアの正教会では明日1月7日がクリスマスで、神現祭エピファニー は1月19日。だから、それまでがクリスマス。そして、日本では、そもそものクリスマスの始まる前の24日に終わっちまうんだ」

「なんで?」
「日本人の大多数はキリスト誕生にはあまり興味がなくて、24日に恋人たちがデートするのがクリスマス。そして25日以降は正月の準備で忙しいんだ」
本当かしら。その件は、ミホに確認しなくちゃ。キャシーは心の中で決意した。

「そしてだ。英国の金持ちのクリスマスはいつ終わると思う?」
彼は、窓際の英国人をからかうように見ながら言った。キャシーは答えた。
「そのくらい知っているわよ。私たちと同じでしょ。今日」

「違うね。12月26日のボクシングデーに、あいつらは使用人に休みをやらなくちゃならないんだ。だから、クリスマスの翌日には普段やりもしない、家事やら掃除を自分たちでやらなくてはならない。そんなわけで、クリスマスは一日でおしまいさ」

 同国人が小馬鹿にされて笑われることに雄々しく堪えつつ、礼儀正しい英国人は背筋を伸ばして、コーヒーフレッシュ入りの薄い紅茶を飲んだ。キャシーはやれやれと思った。

 その時に、ドアがばたんと開いて、一人の女性が飛び込んできた。キャシーが「ハロー」という暇もなく、彼女は謎の紳士を見つけて、彼のテーブルに大股で歩み寄った。

「やっと見つけた! マクミランさん、アイリーンはどこ?」
見る方向によっては美人といえないこともない、生き生きとして表情豊かな女性だった。

 紳士は、礼儀正しく立って彼女の手を握ろうとしたが、そんなまどろっこしいことはしていられないという風情の女性の表情を読んで、わずかにお辞儀をした。
「ごきげんよう、ダルトンさん。残念ながら、あなたのお姉さんがどこにいるか、私も知らないのですよ」
「なんですって。駆け落ちをしてアメリカに来てまだ三日も経っていないじゃないですか! どうやったらそんな薄情になれるの? アイリーンは、この国では右も左も分からないのよ」

 マクミラン氏は、ため息を一つついた。
「そうおっしゃっても、私はあなたのお姉さんを盗み出したのでも、強引にさらってきたのでもないのです。アメリカにどうしても行きたいとおっしゃって、ついていらしただけで。現に、ニューヨークに着いた翌日に理想の男性に出会ったとかで、嬉々として去って行かれましたよ」

「理想の男?」
「ええ。南欧風のスタイリッシュな男性でした。なんといったかな、ああ、ダンジェロ氏。ミスター・マッテオ・ダンジェロとかいっていたな。羽振りのいい実業家みたいでしたよ」

「やだわ。マッテオ・ダンジェロって、大金持ちのセレブで、有名なプレイボーイよ。ほら、この雑誌にもでている」
キャシーが口を挟んで、カウンターから『クオリティ』という写真誌を取り出した。インタビューとともに、海岸にいる青年実業家のモノクロームの写真が特集になっていた。それを見て英国人は、確かにこの人だと頷いた。

「まあ、大変。アイリーンったら、またいつもの『有名人に一目惚れされてしまったみたい』病がでちゃったのね。それじゃ、そのダンジェロ氏の周辺を探さなくちゃ。でも、そんな有名人にどうやったらコンタクトできるのかしら」
それから、彼女はキャシーの方を見て、懇願した。

「お願い。知恵を貸してくださいな。この人は、全く頼りにならないし、私は昨日この国についたばかりなの」

 それから、キャシーのあっけにとられた顔を認識してから、少し恥じたように頭を下げた。

「ごめんなさい。自己紹介もしていなかったわね。私はクレア・ダルトン、英国人です。姉のアイリーンを探しているの。協力してくれませんか。マッテオ・ダンジェロって人はどこにいるの」

 キャシーは、面白そうな顔になってきた。
「マンハッタンのものすごく高いアパートメントのはずよ。どこだったかな。あ、この写真を撮ったの、私のお客さんの一人なの。だから、もしかしたら居場所も知っているかもね。あ、私は、キャシー。よろしくね。で、こっちの人は?」

 それを聞くと、おかしな男はあわてて立ち上がった。
「大変失礼しました。クライヴ・マクミランといいます。私も英国人です」

 キャシーは笑った。
「英国人なのは、はじめからわかっているわよ」

 クレアも、おかしそうに笑った。それから、クライヴの前に座った。
「せっかくだから、私も朝食をいただこうかしら」

「トーストを両面焼いちゃうけれどいいの?」
「もちろん問題ないわ。それにここで特におすすめなのは何? ニューヨークらしいものを食べさせて」

 それを聞いてキャシーは、満足そうに微笑み、ちらっとクライヴを見た。

「このモーニング・セットはどう? ニューヨークで最高のブラウン・ポテトを食べさせてあげるわ。それに、アメリカン・コーヒーをヨーロッパの人たちが嫌がるけれど、あなたはコーヒーにはそんなにうるさくないでしょう? お替わり自由よ」
「じゃあ、それをお願い。それから、そこのドーナツも。お腹がペコペコなの」
クレアは、あっという間にキャシーと仲良くなってしまった。

 キャシーは、クレアに朝食を用意してから、携帯電話を取り出して、客であり友人である写真家ジョルジア・カペッリにかけた。
「ハロー、ジョルジア。今朝は、食べにくる? え。ああ、もうじき着くのね。それならいいわ。ちょっと頼み事があるの。うん、着いたらその時にね。うん。紹介したい人たちがいるの。うん。じゃ、すぐ後で」

 電話を切ると、クレアに笑いかけた。
「彼女、あと五分で着くって。よかったわね」

「ありがとう。ところで、このポテト、とっても美味しいわ。マクミランさん、なぜあなたもこれを頼まないの?」
「そうだな。とてもいい匂いだ。紅茶に合うかな」

 キャシーはカウンターに頬杖をついた。
「なぜあなたたち、お互いにそんなに他人行儀なの?」

「なぜって……」
「私たちは、そんなに親しくないんですよ。実をいうと、アイリーン・ダルトンさんともファーストネームで呼び合う仲じゃなかったんです」

「ええっ」
キャシーとクレアが声を揃えて驚いた。

「駆け落ちしたのに?」
キャシーが訊くと、クライヴは首を振った。

「私としては、きちんと順番を踏みたかったんです。でも、手の甲にキスをしている段階で、彼女に何か違うと思われてしまったんでしょうね。あの人は、きっと男性に言い寄られるのに慣れていて、行儀のいい付き合いには魅力を感じないのかもしれません」

 別に、言い寄られ慣れていなくても、今どきそんなまどろっこしいことしているヤツはいないわよ。キャシーは思った。一緒に海を越えようと言っているのに、手を握るだけなんて脈はなし、さっさと次いこうと思うに決まってるでしょ。

「で、あなたは、ここニューヨークで何をしているの?」 
キャシーは、クライヴに訊いた。

「私ですか。ロンドンにある大きな骨董店のニューヨーク支店を任されたんですよ。ここから歩いて五分くらいのところです。たぶん、折々にここに来ることになるでしょうね。そういえば、ダルトンさん、よく私を探し当てましたね」

「あなたのお店で教えてもらったのよ。朝食を食べに行った、おそらくあの辺りだろうって。雨傘と帽子姿の英国人を知らないかと訊いたら、あたりの人たちみんな見かけていたわ。あなた、どれほど目立っているかわかっている?」

「なるほど。私のモットーは『誰に何を言われようと自分らしく』なんですよ」

「自分らしくはいいけれど、そろそろファーストネームで呼びあってくれない? 聴いていてイライラするから」
キャシーが言うと、クレアとクライヴは顔を見合わせた。それから、クレアがさっと手を出した。

「私、クレアよ」
「クライヴです。光栄です」

「ねえ。クレアもこれからニューヨークに住むの?」
「いいえ。姉を見つけたら英国に帰るつもり。もっとも、せっかく来たんだから、少しアメリカ見物するのもいいかもしれないわね。国に帰っても失業保険手続きの列に並ぶだけだから」

「だったら、私の店で働きませんか。こちらで雇ったスタッフはみな、紅茶とショートブレッドで休憩時間を過ごそうとしてくれないんですよ」
クライヴがすかさず言った。

「なんですって? あなた私たち一家に関わるのは、ごめんだと思わないの?」
クレアが心底驚いて訊いた。

「店をあなたのご両親のお家みたいに、けばけばしく電飾で飾り立てないでくれれば、何の文句もありませんよ」

 クレアは肩をすくめた。
「あの電飾は、ママの趣味だから。絶対にクリスマスの終わるエピファニーまで飾り立てたいママと、電氣代を心配してボクシングテーには消したいパパが、毎年大騒ぎしていたのだけれど、ようやく二人とも満足する解決策を見つけたの」

「ほう、それは?」
「水力発電所のあるウェールズの村に引越したの。電氣代が割安になるって。だから私は住む場所と仕事といっぺんに失ってしまったの。田舎には住みたくなかったし」

「そうですか。では、『ニューヨークの英国人』となるのは、あなたにも悪い選択ではないようですね」
「悪くないけれど、アイリーンを探すのが先決よ」

 キャシーは、こんなへんなナンパ初めて見たと、心の中で呟いた。『誰に何を言われようと自分らしく』ねえ。流儀は人それぞれ。クレアがそれでいいなら、問題ないわよね。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

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鋭い方はすぐにおわかりになったかと思いますが、このストーリーのインスピレーションになったのはスティングのこの曲です。


Sting - Englishman In New York
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Tag : 小説 読み切り小説 地名系お題

Posted by 八少女 夕

【小説】ニューヨークの英国人

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scriviamo!


「scriviamo! 2016」の第三弾です。ウゾさんは、たくさんの小説群の中でも大人氣を誇る「探偵もどき」のお話で参加してくださいました。

ウゾさんの書いてくださった『星の夢』


ウゾさんは、とても深いものを書かれる高校生ブロガーさんで、おつきあいが一番長い方たちのお一人です。短い作品の中に選び抜かれた言葉を散りばめる独特の作風で、たくさんのファンがいらっしゃいます。

さて、書いていただいた作品は、強烈な個性を持つキャラクターの揃う「探偵もどき」シリーズの最新作、で、ウゾさんらしいなぞなぞがあったんですけれど……。

ごめんなさい。謝っておきます。どう考えてもこの謎は全く解けませんでした。私の解釈は、たぶん間違っていると思います。でも、ウゾさんのお話からイメージした話を書きました。私が発表したいまなら、ウゾさんが正解を発表してくださるかも。これからウゾさんの作品をお読みになるみなさん。誰か、ウゾさんに正解を訊いてください!

で、この話は、ついこの間さようならしたばかりの、あの世界に戻ってきてしまいました(笑)それどころか、キャラクターが二人増えてる。「鳥打ち帽のおじいさん」同様、この二人の生みの親はウゾさんです。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、関連する小説へのリンクを置いておきます。
「マンハッタンの日本人」シリーズ
「ファインダーの向こうに」
「ファインダーの向こうに」を読む

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ニューヨークの英国人
——Special thanks to Uzo san


 ドアが開いて、いつものように「ハロー」と言ってから、キャシーは、あれ? と思った。彼女の勤める《Sunrise Diner》は、ニューヨークのロングアイランドの海の近くにある。大衆食堂だから、わりとラフな服装で来る人が多い。

 なのに、その客はちょっと変わっていた。グレーの長めのコート。ぴしっとアイロンの効いたチェックのスラックス。グレーの帽子に、黒い雨傘。今日は降りっこないし、降ったとしても雪じゃない、なんで傘がいるのよ。

 彼は帽子を持ち上げて「ごきげんよう」と挨拶すると、窓際の席に腰掛けた。

「こんにちは。ご注文をどうぞ」
「紅茶をお願いするよ。煮立ったお湯を注ぐ前に、冷たいミルクを先にポットに入れてほしい」

 キャシーは、この客大丈夫かなと少し不安になった。ここは、ケンジントン宮殿じゃないんだけど、わかっているのかしら。
「冷たいミルクを……って、ポーションのコーヒーフレッシュしかないんだけれど。ちなみにこのカップしかないし、リプトンのティーバックですけれど」

 男性は、わずかに失望の表情を見せたが、礼儀正しく頷いた。
「トーストは、あるかな」

「ありますよ。ベーグルや、パンケーキもね」

 彼は、キャシーが見せたメニューの写真を見て、少し悲しそうな顔をした。
「三角に切る必要はないけれど、片面だけ焼いてくれるなんてことは、ないだろうね、お嬢さんマイ・ディアー

「残念ながら、ないわね。トースターが一度に両面焼いちゃうもの」
「じゃあ、しかたない。トースト二枚に、スクランブルエッグとベーコンも頼む」

 キャシーは、自慢のブラウン・ポテトを薦めようと一瞬考えてからやめた。それから、てきぱきと働きながら、カウンターに座っている常連客にコーヒーのお替わりを入れてやった。

 それはミズリー州出身の、特に面白くない話で笑いを取ろうとするのが玉に瑕の男だが、チップを弾むのでキャシーは辛辣なことは言わないようにしていた。彼は、もったいぶって始めた。
「新年のなぞなぞだ、キャシー。クリスマスはいつ終わると思う?」

「今日でしょ。1月6日、公現祭エピファニー
キャシーが、即答すると彼は笑った。
「そう思うだろう? でも、国によって違うんだぜ」

「どう違うのよ」
「例えば、グレゴリウス暦と13日ズレてしまっているユリウス歴を採用しているギリシアやロシアの正教会では明日1月7日がクリスマスで、神現祭エピファニー は1月19日。だから、それまでがクリスマス。そして、日本では、そもそものクリスマスの始まる前の24日に終わっちまうんだ」

「なんで?」
「日本人の大多数はキリスト誕生にはあまり興味がなくて、24日に恋人たちがデートするのがクリスマス。そして25日以降は正月の準備で忙しいんだ」
本当かしら。その件は、ミホに確認しなくちゃ。キャシーは心の中で決意した。

「そしてだ。英国の金持ちのクリスマスはいつ終わると思う?」
彼は、窓際の英国人をからかうように見ながら言った。キャシーは答えた。
「そのくらい知っているわよ。私たちと同じでしょ。今日」

「違うね。12月26日のボクシングデーに、あいつらは使用人に休みをやらなくちゃならないんだ。だから、クリスマスの翌日には普段やりもしない、家事やら掃除を自分たちでやらなくてはならない。そんなわけで、クリスマスは一日でおしまいさ」

 同国人が小馬鹿にされて笑われることに雄々しく堪えつつ、礼儀正しい英国人は背筋を伸ばして、コーヒーフレッシュ入りの薄い紅茶を飲んだ。キャシーはやれやれと思った。

 その時に、ドアがばたんと開いて、一人の女性が飛び込んできた。キャシーが「ハロー」という暇もなく、彼女は謎の紳士を見つけて、彼のテーブルに大股で歩み寄った。

「やっと見つけた! マクミランさん、アイリーンはどこ?」
見る方向によっては美人といえないこともない、生き生きとして表情豊かな女性だった。

 紳士は、礼儀正しく立って彼女の手を握ろうとしたが、そんなまどろっこしいことはしていられないという風情の女性の表情を読んで、わずかにお辞儀をした。
「ごきげんよう、ダルトンさん。残念ながら、あなたのお姉さんがどこにいるか、私も知らないのですよ」
「なんですって。駆け落ちをしてアメリカに来てまだ三日も経っていないじゃないですか! どうやったらそんな薄情になれるの? アイリーンは、この国では右も左も分からないのよ」

 マクミラン氏は、ため息を一つついた。
「そうおっしゃっても、私はあなたのお姉さんを盗み出したのでも、強引にさらってきたのでもないのです。アメリカにどうしても行きたいとおっしゃって、ついていらしただけで。現に、ニューヨークに着いた翌日に理想の男性に出会ったとかで、嬉々として去って行かれましたよ」

「理想の男?」
「ええ。南欧風のスタイリッシュな男性でした。なんといったかな、ああ、ダンジェロ氏。ミスター・マッテオ・ダンジェロとかいっていたな。羽振りのいい実業家みたいでしたよ」

「やだわ。マッテオ・ダンジェロって、大金持ちのセレブで、有名なプレイボーイよ。ほら、この雑誌にもでている」
キャシーが口を挟んで、カウンターから『クオリティ』という写真誌を取り出した。インタビューとともに、海岸にいる青年実業家のモノクロームの写真が特集になっていた。それを見て英国人は、確かにこの人だと頷いた。

「まあ、大変。アイリーンったら、またいつもの『有名人に一目惚れされてしまったみたい』病がでちゃったのね。それじゃ、そのダンジェロ氏の周辺を探さなくちゃ。でも、そんな有名人にどうやったらコンタクトできるのかしら」
それから、彼女はキャシーの方を見て、懇願した。

「お願い。知恵を貸してくださいな。この人は、全く頼りにならないし、私は昨日この国についたばかりなの」

 それから、キャシーのあっけにとられた顔を認識してから、少し恥じたように頭を下げた。

「ごめんなさい。自己紹介もしていなかったわね。私はクレア・ダルトン、英国人です。姉のアイリーンを探しているの。協力してくれませんか。マッテオ・ダンジェロって人はどこにいるの」

 キャシーは、面白そうな顔になってきた。
「マンハッタンのものすごく高いアパートメントのはずよ。どこだったかな。あ、この写真を撮ったの、私のお客さんの一人なの。だから、もしかしたら居場所も知っているかもね。あ、私は、キャシー。よろしくね。で、こっちの人は?」

 それを聞くと、おかしな男はあわてて立ち上がった。
「大変失礼しました。クライヴ・マクミランといいます。私も英国人です」

 キャシーは笑った。
「英国人なのは、はじめからわかっているわよ」

 クレアも、おかしそうに笑った。それから、クライヴの前に座った。
「せっかくだから、私も朝食をいただこうかしら」

「トーストを両面焼いちゃうけれどいいの?」
「もちろん問題ないわ。それにここで特におすすめなのは何? ニューヨークらしいものを食べさせて」

 それを聞いてキャシーは、満足そうに微笑み、ちらっとクライヴを見た。

「このモーニング・セットはどう? ニューヨークで最高のブラウン・ポテトを食べさせてあげるわ。それに、アメリカン・コーヒーをヨーロッパの人たちが嫌がるけれど、あなたはコーヒーにはそんなにうるさくないでしょう? お替わり自由よ」
「じゃあ、それをお願い。それから、そこのドーナツも。お腹がペコペコなの」
クレアは、あっという間にキャシーと仲良くなってしまった。

 キャシーは、クレアに朝食を用意してから、携帯電話を取り出して、客であり友人である写真家ジョルジア・カペッリにかけた。
「ハロー、ジョルジア。今朝は、食べにくる? え。ああ、もうじき着くのね。それならいいわ。ちょっと頼み事があるの。うん、着いたらその時にね。うん。紹介したい人たちがいるの。うん。じゃ、すぐ後で」

 電話を切ると、クレアに笑いかけた。
「彼女、あと五分で着くって。よかったわね」

「ありがとう。ところで、このポテト、とっても美味しいわ。マクミランさん、なぜあなたもこれを頼まないの?」
「そうだな。とてもいい匂いだ。紅茶に合うかな」

 キャシーはカウンターに頬杖をついた。
「なぜあなたたち、お互いにそんなに他人行儀なの?」

「なぜって……」
「私たちは、そんなに親しくないんですよ。実をいうと、アイリーン・ダルトンさんともファーストネームで呼び合う仲じゃなかったんです」

「ええっ」
キャシーとクレアが声を揃えて驚いた。

「駆け落ちしたのに?」
キャシーが訊くと、クライヴは首を振った。

「私としては、きちんと順番を踏みたかったんです。でも、手の甲にキスをしている段階で、彼女に何か違うと思われてしまったんでしょうね。あの人は、きっと男性に言い寄られるのに慣れていて、行儀のいい付き合いには魅力を感じないのかもしれません」

 別に、言い寄られ慣れていなくても、今どきそんなまどろっこしいことしているヤツはいないわよ。キャシーは思った。一緒に海を越えようと言っているのに、手を握るだけなんて脈はなし、さっさと次いこうと思うに決まってるでしょ。

「で、あなたは、ここニューヨークで何をしているの?」 
キャシーは、クライヴに訊いた。

「私ですか。ロンドンにある大きな骨董店のニューヨーク支店を任されたんですよ。ここから歩いて五分くらいのところです。たぶん、折々にここに来ることになるでしょうね。そういえば、ダルトンさん、よく私を探し当てましたね」

「あなたのお店で教えてもらったのよ。朝食を食べに行った、おそらくあの辺りだろうって。雨傘と帽子姿の英国人を知らないかと訊いたら、あたりの人たちみんな見かけていたわ。あなた、どれほど目立っているかわかっている?」

「なるほど。私のモットーは『誰に何を言われようと自分らしく』なんですよ」

「自分らしくはいいけれど、そろそろファーストネームで呼びあってくれない? 聴いていてイライラするから」
キャシーが言うと、クレアとクライヴは顔を見合わせた。それから、クレアがさっと手を出した。

「私、クレアよ」
「クライヴです。光栄です」

「ねえ。クレアもこれからニューヨークに住むの?」
「いいえ。姉を見つけたら英国に帰るつもり。もっとも、せっかく来たんだから、少しアメリカ見物するのもいいかもしれないわね。国に帰っても失業保険手続きの列に並ぶだけだから」

「だったら、私の店で働きませんか。こちらで雇ったスタッフはみな、紅茶とショートブレッドで休憩時間を過ごそうとしてくれないんですよ」
クライヴがすかさず言った。

「なんですって? あなた私たち一家に関わるのは、ごめんだと思わないの?」
クレアが心底驚いて訊いた。

「店をあなたのご両親のお家みたいに、けばけばしく電飾で飾り立てないでくれれば、何の文句もありませんよ」

 クレアは肩をすくめた。
「あの電飾は、ママの趣味だから。絶対にクリスマスの終わるエピファニーまで飾り立てたいママと、電氣代を心配してボクシングテーには消したいパパが、毎年大騒ぎしていたのだけれど、ようやく二人とも満足する解決策を見つけたの」

「ほう、それは?」
「水力発電所のあるウェールズの村に引越したの。電氣代が割安になるって。だから私は住む場所と仕事といっぺんに失ってしまったの。田舎には住みたくなかったし」

「そうですか。では、『ニューヨークの英国人』となるのは、あなたにも悪い選択ではないようですね」
「悪くないけれど、アイリーンを探すのが先決よ」

 キャシーは、こんなへんなナンパ初めて見たと、心の中で呟いた。『誰に何を言われようと自分らしく』ねえ。流儀は人それぞれ。クレアがそれでいいなら、問題ないわよね。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

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鋭い方はすぐにおわかりになったかと思いますが、このストーリーのインスピレーションになったのはスティングのこの曲です。


Sting - Englishman In New York
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Posted by 八少女 夕

紅茶を飲む

十月にロンドンに行った余波がまだ残っています。

今日は、次に発表する小説の前フリも兼ねて、イギリスと紅茶の話などを。


紅茶

二十年くらい前に最初にイギリスに行った頃、しばらくは強烈なミルクティー派になりました。

これは行ったことのある人にはわかってもらえるかと思います。日本でいつも飲んでいた普通の飲み物と、全く違うんです。それに日本では「紅茶」ですけれど、「Brack tea」というように、色も全然違うんですよ。こんなに美味しい飲み物があるのかと驚愕するんですけれど、それがただの紅茶なんです。英国王室御用達の特別な紅茶じゃありませんよ、そこらへんのスーパーの紅茶もそのくらいおいしいのですね。

で、買い込んで日本に帰って飲む。「あれ? こんな程度だったっけ?」確かに美味しいのですけれど、他にも美味しい飲み物あるから、それだけ飲み続けるほどじゃないのです。同じティーバックなのに。

それで思いました。あれは水が違うのか、それとも何か他の要素が違うのか、とにかく英国限定で美味しくなる飲み物なのだと。

それから私のイギリス熱は、長い年月の中で少しずつ冷めて、前ほどイギリスに一々反応するようなことはなくなりました。連れ合いは、南アフリカにいたことがあるので、他のヨーロッパの人たちよりは英国文化に馴染んでいるところがあって、紅茶の地位も他のスイスの家庭よりも高いのです。だから、私もまたスイスに来てからは、日本にいた時よりは飲むようになったのですが、それでも、「紅茶ばかり」というほどの寵愛ぶりではなかったのです。

ところで、スイスの水は硬水です。日本人には硬水でお腹を壊す方もあるようですが、私は水道水の水をガンガン飲んでも何もない経済的な体質のようです。あ、都会は別ですが、スイスの田舎の水道水は、ミネラルウォーターに負けない水質です。ワインの銘柄っぽくふざけて「Hahnenburger(Hahn=水道栓)」と呼ぶことがあるくらいです。

で、この水で紅茶を淹れると、日本で飲む時よりもずっとイギリスっぽい味になります。完全に同じではありませんが、水の違いは大いに関係あるようですね。

で。

昨年10月の英国旅行です。安いだけが取り柄のホテルですら泣くほど美味しかった紅茶で、再び紅茶熱をという病にかかり、あまり大きくないスーツケースに紅茶をを8箱くらい入れて帰ってくる暴挙にでました。それを今も飲んでいる訳です。

スイスで見かける紅茶のティーバッグはたいてい四角いのですが、英国ではなぜか丸いものが多いのです。

写真に映っている黄色くて丸い缶は、アルザス旅行の時に買った「コウノトリの卵」というチョコレート菓子が入っていた(完食しちゃいました)のですが、これがこの英国式丸いティーバッグのサイズにぴったりなのです。

高級スーパー「マークス&スペンサー」の紅茶。銀色のパックから出ているのが、イングリッシュ・ブレックファーストティーで、とても濃いので私はミルクティーで飲みます。また、二人ともアール・グレイも好きなので、こちらはわずかにお砂糖だけを入れて。これらは日常的にどんどん飲んでいます。

そして、写っていませんが、うたかたまほろさんからはフォートナム&メイソンのお茶もいただいたので、こちらは「ハレの日」用ですね。
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Posted by 八少女 夕

【小説】雪山に月が昇るとき

scriviamo!


「scriviamo! 2016」の第二弾です。Sha-Laさんは、以前書かれた物語を改めて書き直した作品で参加してくださいました。

Sha-Laさんの小説『明けない夜はない~秘密のプチ家出』

Sha-Laさんはファンタジーを中心に現代物、架空世界物などを書かれるブロガーさんです。他にもいくつかのブログをお持ちで、ご自身のこと、英語のことや観劇のことなども書いていらっしゃいます。

今回参加してくださった作品は、中学生のピュアな恋愛もの。どす黒い大人になってしまった私には「ま、眩しい」という感じの作品でした。

お返しをどうしようかなと思ったのですが、せっかくなので同じように恋愛ものにしてみました。あちらは日の出がとても大切なモチーフになっていましたので、こちらはお月様でいきます。中学生設定では、でてくる内容(飲酒)的にまずいので、年齢層は引き上げてあります(笑)


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雪山に月が昇るとき
——Special thanks to Sha-La san


 雪はザラメのようにさらさらだった。沙耶は何度も足元のキラキラ光る結晶を転がすように動かして、汚れもしないし溶けてもしまわない氷点下の世界を楽しんだ。

 遅れている彼女を振り返って、何をしてるのかわかったマリオは笑って戻ってきた。革の手袋をした大きい手のひらを伸ばしてきて、赤い手袋に包まれた彼女の手を包み、先を急がせた。

「あ。ごめんね」
そう言って見上げると、端正な彼の横顔の向こうに、澄んだ紺青の空が見えた。頬に触れる冷たさは切るようだ。一等星が瞬いて見える。なんてきれいな夜なんだろう。あの山の向こうから、もうじき満月が見えてくるだろう。

 サン・モリッツ駅前に駐車した車から降りた時、沙耶はスイスの冬の寒さとは何かがわかったように思った。彼女の住むサリスブリュッケよりもさらに15℃ほど寒かった。出かける時にマリオが「ちゃんと暖かいコートを着て」と言った意味が分かった。駐車場からホームまでなんて五分もあれば行くのにと心の中で思ったのは、サリスブリュッケの冬が思ったほど寒くなかったからだ。

 でも、ここは違う。吐く息までが一瞬で凍りそう。マリオとは腕が重なり合っていてとても近い。こんな風に歩いたことはなかったから、ドキドキする。いいのかなあ。

 沙耶は、九月から交換留学生としてスイスにやってきた。本当ならばもう大学二年生でもおかしくない年齢だけれど、交通事故で高校に行けなくなって二年生になるのが遅れた。年が二つ違うとわかった時点で同級生から敬語で話されるようになってしまい、それが原因でクラスで浮くようになってしまった。そんなことに負けたくなかったから、新たなチャンスを探した。それが交換留学制度だった。別の国だったら、何もかもクラスメートと同じでなければいたたまれないなんてことはないだろうと思ったのだ。

 実際に、いたたまれないなんて思っている暇はなかった。ホストファミリーであるレンツ家のお父さんもお母さんも、はじめのうちこそ英語で対応してくれたものの、最近は沙耶のためとわからない単語以外全て正規ドイツ語で話す。次男のウルスは、まだ12歳で英語は苦手なのでドイツ語のみでの会話だ。クラスメイトは皆ドイツ人ですら理解できないと言われるスイス方言で話すし、授業のやり方も、生活習慣も何もかもが違って、ついていくのが精一杯だった。

 スパルタ救育が功を奏したのか、会話が成り立つようになってきた。ようやく学校も生活も楽しくなってきたから、来たことを後悔しなくなったし、家に帰りたいとも思わなくなった。つらくてしかたなかった最初の三ヶ月でも、もう少し頑張ろうと思えたのは、レンツ家のみんなが優しくて、全力でサポートしてくれたから。

 とくに、長男マリオの存在は大きかった。沙耶より二つ歳上の彼は、正確にはもう同じ家にはいなくてすぐ近くのアパートメントに住んでいるのだけれど、よく訪ねてくるのだ。沙耶をチューリヒ空港まで迎えにきてくれたのも彼だった。とある北欧王室の美形の王子にどことなく似ているので、沙耶は『王子様』と秘かに呼んでていた。

 アイドルに憧れるのと同じ。距離はもっと近いけれど、中学生の時に秘かに好きだった男の子に対して思うような「もしかしたら」は始めから期待していない。クラスや村には、ハリウッドスターと変わらないみたいに綺麗な女の子もいるし、しっかりした素敵な子が沢山いる。一方、私は極東から来た違う人種で、クラスでも成績が悪くてみそっかす。いつまで経ってもちゃんとしたドイツ語も話せないし、東京では何の家事もしなかったからホストのお母さんのお手伝いもろくにできない。どう考えてもチャンスはないのだから、変な期待はしないで「目の保養」ぐらいにしておくのが一番。沙耶はそう思っている。

 でも、マリオは優しくて、週末になると眺めのいい山頂のレストランに連れて行ってくれたり、宿題を見てくれたりたくさん時間をとってくれた。一年経ったら、また関係のない人になってしまい、いずれは存在も忘れられてしまうだろうけれど、自分の方は『王子様』との思い出を沢山作ったら、それを胸にそれからの人生のつらいことも乗り越えられるかも。そんなふうに、沙耶は思っていた。

「満月の晩に雪山を走る特別列車があるんだ。行ってみないか?」
マリオにそう誘われたとき、沙耶は、レンツ家との沢山の思い出を一つ増やすつもりで二つ返事で「行く」と言った。

 サン・モリッツ駅に夕方6時15分に出発する『満月列車』は、月光を浴びながら雪原の中を州の最高峰ピッツ・パリューとパリュー氷河の眺められるアルプ・グリュムまで登って行く。そして、駅に併設されたレストランでチーズ・フォンデュを楽しみ、23時半に再びサン・モリッツまで戻ってくる。

 当日になって、行くのはファミリー全員ではなくてマリオと二人だとわかって驚いた。そ、それってまるで、デートみたい。狼狽えているのは沙耶だけで、お父さんもお母さんもニコニコしているだけだし、マリオもキオスクでも行こうと言っているみたいに平然としていた。ウルスだけは「ヒュー」と言ったけれど。

 マリオはずっと沙耶の手を握ったまま歩いていた。コンクリートの打ちっぱなしで灰色のサン・モリッツ駅構内。人影はまばらで、青白い光で少し寂しく感じる。彼女は、ほうっと白い息を吐き出した。彼が振り向いて笑う。また子供だと思われたかな……。

 ホームに上がって行くと、赤い列車の乗車口に乗務員がにこやかに待っていた。
通された座席には「レンツさん、ようこそ」というカードともに、シャンパングラスが二つ置かれていた。

 へぇ、スパークリングワインのサービスがあるんだ、お洒落ね。沙耶は嬉しくなった。それに、こうやって置いてあると、大人のカップルとして扱われているみたい。この国では19歳の沙耶はもう成人で、お酒を飲んでもいい。強くないからいつもほとんど飲まないけれど、でも、今日は少しだけ背伸び。だって、『王子様』と『満月列車』に乗っているんだもの。

 通路をはさんで向こうに座ったのはカナダから来た老夫婦。後には、イタリアから来たカップル。反対側には、グラールス州から来たという夫婦がいた。普段は見ることのできない光景に高鳴る期待で浮かれぎみになり、みな親しげに挨拶を交わした。

 終電の後に回送電車で路線の安全確認をしていた運転手が、「この美しい光景を独り占めするなんてもったいない」と直訴して始まったという『満月列車』。この時期、この場所でしか味わえない贅沢。

 間もなく列車は出発し、乗務員がスパークリングワインを注いだ。窓の外では屋根から落ちる細かい雪が舞い、青白くどこまでも広がる雪原に消えていく。

 スイスの夫婦も、カナダの年配のカップルも、イタリアの若い恋人たちも、シャンパングラスを重ねて乾杯をしてからキスをしていた。目の前で堂々とマウストゥマウスでキスをされると、そういう光景に慣れていない沙耶は戸惑ってしまう。

「サヤ」
呼ばれて振り向くと、マリオがシャンパングラスを掲げていた。あ、私たちも。でも、カップルじゃないから、キスはなしだね。スパークリングワインがこぼれないように見ていると、咎めるように彼が言った。
「ちゃんと目を見て」

 うわ。そうだった。乾杯の時には相手の目を見なくてはいけない。握手をする時も、話をする時も、すぐに眼を逸らしてしまう沙耶を、マリオは時々こうして叱ってくれるのだ。

 顔を上げると、彼は淡い茶色の瞳を向けていた。うわ『王子様光線』全開……。これはまずい。ドキドキが止まらない。これはデートじゃなくて、お世話になっているファミリーの息子さんの好意だってば。冷静さを保とうとしても、ダメそう。私、完璧に恋に落ちていってる。沙耶は、せめて氣づかないでほしいと願った。

「乾杯、サヤ」
「乾杯、マリオ」
グラスを重ねた後、彼の顔があたり前のように迫ってきたので、沙耶は心底慌てた。ふっと笑って、彼は彼女の頬に優しくキスをした。あ、ほっぺたか。やだな、私、きっと真っ赤だ。マリオの大きい手のひらが沙耶の頭から頬を撫でた。いい子、いい子ってことかな。

 電車が雪山を登って行く。凍った電線と電車が触れる時に起こる青緑のスパークが、あたりを花火のように輝かした。

「わぁ」
人びとの歓声があがる。突然、車内の電灯が消えて、小さいランプだけがついた。外をよく観ることができるように車内を暗くしたのだ。周りの樹々は雪に覆われていて、それが明るい月夜に照らし出されて青白く輝く。満月がこれほど明るいなんて知らなかった。

 車内は暖かく、列車の音はかなりうるさい。けれど、沙耶の心には静寂が広がっていた。氷点下の世界。何にも穢されていない清冽な大地。世界を照らす冷たい月。そのまっすぐな光に照らされて列車は走って行く。それは神々しい時で、ふさわしい言葉が見つからなかった。窓を見つめる沙耶の顔の近くに、やはり窓の外を眺めるマリオの端正な横顔があった。彼女の視線を感じると、その澄んだ瞳を向けて、何も言わずに微笑んだ。

 言葉は必要ないんだ。沙耶が安心すると同時に、彼が沙耶の手の甲に手のひらを重ねてきた。今度は、二人とも手袋をしていない。ええ~っ。ど、どうしよう。

 これは、一種の夢なのだと思った。北の国の王子様との不思議なお伽噺。私がこの先の人生を、つまづかずに歩いていけるようにと、天からの贈り物。同い年の女の子たちと一緒に高校を卒業できなかったことも、普通の高校生という完成した社会からはみ出してしまった悲しさも、この魔法のように魅惑的な夜を体験するための準備だったというのなら、それでよかったのだと思えた。

 沙耶はそっと彼の指を握った。彼は、指をしっかりと絡めてきた。その暖かさに泣きそうになった。

 急に電灯がついた。乗務員の女性が、間もなくアルプ・グリュムに着くと告げた。いいところだったんだけれどな。

 電車が停まると、乗客たちは次々と降りて行く。ホームで待っていたレストランの従業員たちが、グリューワインとカナッペを差し出した。

 他の乗客たちと次々と乾杯して、湯氣のあがるグリューワインを飲んだ。じんわりとアルコールが体に沁みていく。ドキドキしっぱなしなのは、この飲み物のせいじゃないのはわかっている。

「こっちにおいで」
マリオが沙耶の手を引いた。冷えた指先を、彼の手がもう一度温かく包む。彼は、レストランのテラスを回って、バルコニーに彼女を連れて行った。
「ほら。あれが、パリュー氷河だよ」

 大きな山に、青白く氷河が輝いている。満月が煌煌と輝く。身を切るような清冽な空氣。そして、ホーム側の騒がしさとは反対に、しんと静まり返っていた。

「……きれい」
「そうだな。こんなに静かで美しい世界があるんだな」
「マリオもはじめて見たの?」

 彼は笑った。
「昼には何度も来たことがあるよ。でも、こんなロマンティックな状況で見るのは初めてだ」

 そう言うと顔を近づけてきて、全く躊躇せずに沙耶に口づけをした。瞳を閉じて、永遠にも思える一瞬を味わった。ふらつきそうになるのを彼がしっかりと抱きとめてくれる。彼の腕の中は暖かい。

「なんだか夢を見ているみたい。あまり素敵で、本当のこととは思えない」
沙耶は呟いた。

「ここまで来るのがずいぶんかかったからな」
そう答えるマリオに、沙耶は顔を上げて問い返した。
「満月列車のこと?」

 彼は、笑った。
「まあ、そういうことにしておけよ。さあ、あまり長く外にいると風邪を引く。中に入ってチーズ・フォンデュを食べよう。ここのはやたらと美味しいんだよ」

 えーと。それはつまり、そういうことなのかしら。違ってもいい。そういうことにしちゃえ。

 沙耶は、腹ぺこの王子様が開けてくれる新しい世界へのドアを幸せに満ちてくぐった。

(初出:2016年1月 書き下ろし)

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これといったオチがない上に、胸焼けをさせてしまったかもしれません。書き慣れていないものを書くのって、難しい……。

余談ですが、この『満月列車』は実在します。別ブログで、乗車した時のことを書いたことがありますので、リンクを貼っておきます。

雪山を満喫する宵 - レーティッシュ鉄道「満月列車」(swissinfo ブログ「もっと知りたい!スイス生活」)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

今年も七草リゾット

クリスマスツリーを飾らないことや、年越しヌードルを省略すること、もしくはクリスマスの晩餐すら省略してしまうこともあるんですけれど、なぜかこれだけは毎年やっているのが七草粥ならぬ七草リゾットです。

といっても、春の七草が手に入るなんて事はありません。っていうか、全部言えませんし、見てもどれだかわかりません。そう、日本にいた時は食べたこともなかったんですよ。

でも、なんとなく、1月7日は、クリスマスと年末年始を含めた「ご馳走期間」でお腹は重くなるし、年は改まるし、なんとなく胃を休めたくなるのです、スイスにいても。

七草リゾット準備

で、今年の七種類は、これです。もはや七草もへったくれもないですけれど、大根なかったんですよ。蕪(の仲間)、フェンネル、にんじん、ズッキーニ、セロリ、イタリアンパセリ、タイムです。

七草リゾット

で、できあがったのがこちら。ただのリゾットだ。でも、美味しかったし、連れ合いも「美味しい」と言っていたのでいいことにします。
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Posted by 八少女 夕

【小説】酒場にて

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2016」の第一弾です。ポール・ブリッツさんは、別ブログで私の書いた記事を参考に、掌編を書いてくださいました。それもこの企画公表から数時間で……

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『狩猟期』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書かれていらっしゃる創作系ブロガーさんです。とても勉強家で熱心な創作者で、シニカルな目の付け所の作品を書いていらっしゃる上、よく恐ろしくも容赦のない(笑)挑戦状を叩き付けてくるブログのお友だちです。

今回書いてくださった作品は、ちょっと硬派の復讐劇のような感じなのですが、私のオリジナル小説の舞台カンポ・ルドゥンツ村での出来事らしいのです。別の国や別の州とかなら、よく知らないのでそのままにしておいてもよかったんですけれど、この村で起きたこととおっしゃるのなら捨て置けない点がいくつかあったのを逆手に、流れをひっくり返してみました。ポールさん、すみません。だって、そうでもしないと、これへのお返しで何を書けと……。

舞台は、時々私の小説(「夢から醒めるための子守唄」「夜想曲」など)に出てくる『dangerous liaison』というバーです。



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酒場にて
——Special thanks to Paul Blitz-san


「とにかく、このままにはしておけないよ」
熱っぽく語るマルコに、注文のリベラの赤を出してやりつつ、トミーは綺麗に描かれた眉を右側だけ持ち上げた。

 自動車工マルコ。今日はレッカーサービスの週番だからと清涼飲料水しか飲んでいない。だったらわざわざ飲み屋に来る事もないと思うけれど、彼には『dangerous liaison』は貴重な情報交換の場らしく、欠かさずやってくるのだ。

 オレンジと紺青を基調として、トロピカルな壁画が色鮮やかなインテリアのバー『dangerous liaison』は、カンポ・ルドゥンツ村の中心から少し離れたところにある。村役場の近くにある三軒の伝統的な旅籠レストランと違って、ここには、お硬い輩は足を踏み入れない。

「そもそも連中は、よそ者だろう」
マルコは言った。トミーは首を傾げた。

「どうかしら。でも、エルンストだの、カールだの、ヴィルヘルムだの、そんな古めかしい名前、このあたりじゃ珍しいわよね。話す言葉はフォルアルベルグあたりの方言だから、あっちのスイス人かもしれないし、ボーデン湖を越えたオーストリアかドイツの出身なのかも」

 マルコは、我が意を得たりと言う顔をした。
「だろう。もめ事なら自分のとこに帰ってやってくれりゃいいのにって、村の事なかれ連中は、ヤバいとわかっているのに見て見ぬ振りをしているんだよ。まったく」
彼は川向こうのサリスブリュッケに祖父の代から住んでいるイタリア人で、このあたりの閉鎖的な考え方に辟易している。

「ヤバいねぇ。息子さんが亡くなったのは氣の毒だと思うけれど、もう二年前のことなのにどうして、あんたたちは今さら騒ぐのかしら。そっとしておいてあげなさいよ」

「それが過去の話じゃないんだよ。あの親父は、例の若い男を恨んで、付け狙っているんだ」
マルコは、声を顰めた。その目が妙に生き生きしているのを、トミーは見逃さなかった。なに面白がっているのよ、この野次馬男。

「いい加減なことを触れ回ると、名誉毀損で訴えられるわよ」
「ふん。飲み屋ネットワークを馬鹿にしてもらっちゃ困るね。やっこさんは、一昨日『ガルニ・ポスト』で、あの若者がチューリヒからやってきているかを訊き回って、昨日はサリスブリュッケで弾を入手している。猟が始まって二週間も経つんだぜ。あと一週間しか撃てない今ごろそんなことをやってりゃ、噂にもなるさ」

「まったく、本当に田舎の村って、何一つ秘密にできないのよね」
当人は、まさか村中の噂の種になっているとは夢にも思っていないに違いない。都会人には想像もつかないかもしれないが、秘かに事を運ぶなんて事は、この村では不可能なのだ。ここでは、ケーキを作る時に砂糖と塩を取り違えた程度のことでも、翌週には知れ渡るんじゃないかと、トミーは秘かに思っている。

「あの子は車の事故で死んだんでしょ。自殺と限った訳でもないのに、なぜあの親父があのヴィルヘルムとかいう若者を狙っていると断言するのよ」
「そりゃ、あの息子と怪我をしたスペングラーって男の人生をめちゃくちゃにしたのはヴィルヘルムだと思っているからさ」
「なんだったかしら、間違えて仔連れの牝鹿を撃ったというきっかけの争いだったわよね」
「そこがおかしいんだよ。そんな話は信じられないね」

 それからマルコは、アルコールがみじんも入っていないリベラをちびちびと飲みながら、名探偵のごとく語りだした。
「誰だって、少し考えれば、わかるだろう。仔連れの牝鹿を撃ったりしたら、過失だろうととんでもない罰金を払わなくちゃいけない。それをわかっていて、面白半分で撃つほどあのヴィルヘルムって若者も馬鹿じゃない。それに、それを監督している男が、仔連れの牝鹿を狙いはじめた若者を止めなかったのもおかしい。本当のもっと知られたらまずい事を隠蔽しているに違いねえ」
「はいはい。それで、あんたの信じている真実のストーリーは?」

「あのカールって若者が、まず傷害事件を起こしたんだ。そして、その殺意をなかったことにするために、あの若者が面白半分に牝鹿を撃ったのがきっかけということにした」
「なんでそんな面倒くさいことを」
「痴情のもつれで起こったもめ事だと、世間に知られないためにさ。三人ともその点では利害が一致していたんだ」

 トミーは、ちらっとマルコを見て何も言わなかった。

「しらばっくれるなよ。そっちの世界に居るあんたが知らないわけないだろう。あの親父もお高くとまっていずに、俺たちみたいなブルーカラーとの仲間になっていりゃ、噂からわかっただろうけれどね。自分の友人も息子も同性愛シュヴール ってことを、やっこさんは知らないんだ」

 トミーは、その父親とわずかだが話したことがある。この店には来ないが、日中に併設する自然食料品店の方に買い物に来たことがあったのだ。男同士のカップルが、堂々と店を出していることを、さも珍しいものでも見たような口ぶりで話した。礼儀正しかったが、言葉の端々に「きちんとした家庭で育たなかったからそうなってしまったんだろう」という差別的印象を交えていた。つまり、我が子がそうだとは考えたこともなかったのは明らかだった。

「親が知らないのなんて、よくあることよ」
「あっちの男とは親友だって言うのにな。俺たちが知っている妻子のいる隠れシュヴールのリスト作ったら、お高くとまっている連中は大騒ぎになるな」

 トミーは、大きなため息を漏らした。
「それで、あんたはどうしたいのよ」
トミーは、綺麗にネイルされた手をひらひらと振った。

「そこだよ。例の情けない牧農家見習いのアンリが、何も知らないヴィルヘルムの方にひっついているんだけどよ。なにかあったら、ここを連絡先にさせてくれ……」

 その時、ドアがバンッと開いて、青ざめた顔の青年が転がるようにして入ってきた。
「大変だ!」

 マルコはカウンターの丸椅子から飛び降りて、息を切らして倒れそうな若い牧童を支えに行った。
「何があったんだ、アンリ」

 アンリは、息も絶え絶えだった。フランスなまりの聴き取りにくい彼の話を、マルコとトミーが根氣よく聞き出したところ、二人は近くの森に狩りに行った。そして、車から銃を取り出して準備をしているヴィルヘルムを、例の親父が銃で狙っていることにアンリが氣がついて大声をだし、身を伏せて、二人は難を逃れたらしい。

「それで、件の親父はどうしたんだ」
マルコが訊くと、アンリは泣きそうな顔をした。
「車に乗って、サン・ベルナルディーノ方面へ逃げて行った」
「警察には連絡したのか?」
「それが……」

「僕が止めたんです」
戸口からの声に、一同が振り向くと、ヴィルヘルムが青ざめた顔をして入ってきた。
「もし、彼が僕を狙ったことを通報したら、彼は殺人未遂で逮捕されてしまう」

「だって、それが事実だろう」
「死んだカールが、そんなことを望んでいたと思うか? 自分のために父親を殺人者にしてしまうなんて。何かの誤解だと思うし、話し合った方が……」
「でも、相手は銃を持っているんでしょう。行った先で何をするかわからないじゃない。やっぱり警察に連絡した方がいいんじゃないかしら」

「今、先生に連絡しましたから」
「先生ってのは、エルンスト・スペングラーか?」
「はい。カールのお父さんに、あの時のことを秘密にしたのは間違っていたと、おっしゃっていました。連絡してくださるそうです。上手く説得してくれるといいんですけれど」

「元々は、やっぱり、あれだろ。痴情のもつれ」
したり顔でマルコが断言した。ヴィルヘルム青年は、ぽかんとして、訊き直した。
「いったい何の話ですか」

「だから、あんた達の三角関係がもつれたんだろ? それでおこった殺人未遂を隠すために、仔連れ牝鹿を面白半分に撃ったなんてくだらない話を作った」

 ヴィルヘルムは、まだしばらく口を開けっ放しにしていたが、我に返ると真っ赤になって抗議した。
「どこからそんな話になるんだよ! 勘弁してくれ!」
「あれ? でも、スペングラーとカールがそういう仲だったのは知っているだろう?」
「まさか?!」
「ええっ。お前さんも知らなかったのか?」

「先生と会ったのは、あの狩りの時がはじめてで……。ええっ、お父さんの親友じゃなかったのか? アンリ、お前も知っていたのか?」

 牧童は頷いた。
「あの二人のことは、村ネットワークでは知られた話でしたよ。君が知らなかったとは思わなかったけれど」

 ヴィルヘルムは、カウンターに座り込んで頭を抱えた。
「カールが何かに悩んでいたのはわかっていました。僕に狩りのことを教えてくれる先生に、いきなり刺々しい嫌味を言ったり、刑務所にいた時も先生が面会に来てくれないのは僕のせいだと言ったり。でも、まさかあの二人が……」

「牝鹿を撃ったのは、スペングラー氏の指示だったの?」
トミーが訊くと、ヴィルヘルムは頷いた。
「ええ。罰金は払えないから、いやだと言ったんですが、金なら用意してやるとおっしゃるので言う通りにしました。カールを救うためだと言われて」

「で、あんたが今ごろまた猟をはじめて、例の流れ星のような模様のある牡鹿を仕留めようとしたのは?」
「流れ星? なんですか? それは」

「だから、あの時の鹿の子供の方に流れ星みたいな模様があって、それが最近よく出没するって話さ。その牡鹿をあんたがまた撃とうとしてわざわざチューリヒからやってきたっていう噂が流れていたんだよ。それを聞いて、あの親父さんのあんたへの憎しみが爆発したらしいんだが」
マルコが言うと、ヴィルヘルムは首を傾げた。

「変だな。牝鹿を撃ったとき、僕たちの方からは草むらにいた仔鹿の模様なんかほとんど見えませんでしたよ。そっちはすぐに逃げてしまったし。それに、親を失った仔鹿がどうなったか、罰金を払う時に狩猟漁獲庁で訊いたけれど、一匹では生き延びられないので捕まえてチューリヒの動物園に引き取ってもらったって言われましたよ。撃ちたくても撃てるわけないじゃないですか」

 一同は、首を傾げた。
「何だか、きな臭いな。誰かが話をねじ曲げているぞ」
そういうマルコをじっとみつめてトミーは言った。
「誰が仔鹿の模様のことなんか話したのかしら。それに、この子が性悪だという噂をわざわざ流して得するのは……」

「まさか! あのスペングラー氏が?」
アンリが青くなって立ち上がった。ヴィルヘルムも、心配そうに立ち上がった。
「なぜ、そんなことを……」
「あんたが余計なことを知っていると思っていたのかも」

 一同は、顔を見合わせた。
「ってことは、こいつの口を封じるために、カールの親父に殺意を起こすよう嘘を吹き込んだと?」
マルコは、信じられずトミーと、ヴィルヘルムの顔を順番に見た。

「ちょっと待って。君、そのスペングラー氏に、電話したって?」
アンリはヴィルヘルムに問いかけた。
「ああ。だって、あの先生はお父さんの親友だと……。ってことは……」

「親父さんが危ない!」
慌てて、三人が出て行った後、トミーは誰もいなくなった店内でため息を一つついた。車で追いかけたって、テレビドラマみたいにちょうどいい場面に出くわせる訳でもないのにねぇ。

 少し考えた後、彼は電話の子機を取り上げた。ダイアル先は、馴染みの警察幹部だ。官僚主義のこの国で事を速やかに進めるためには、どのような親しい友人ネットワークを持っているかが最も大切なのだ。トミーは有力者でも、金持ちでもなかったが、この手の財産は誰にも負けないほどあった。

 十五分以内に、主要道路の検問体制が整うだろう。この話の真実も行方もわからない。だが、ここしばらく常連連中がここに集まって噂話に花を咲かせるのは間違いない。まったく、田舎の村ってのは。トミーは、美しく描かれた右眉を満足そうに少しだけ持ち上げた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

幸せな時間

2016年の新年、みなさんはどんな風に迎えられたでしょうか。

私は、大晦日の夜、友人の男声合唱を聴くために私の小説の世界では「ラシェンナ」と呼んでいる村に行きました。大きなクリスマスツリーの飾られた教会でミサ、それから広場でグリューワインを飲みながら、規模は小さいけれど44年間もの伝統のあるというコーラスに耳を傾けました。

それから、その友人の家で軽く食べたり飲んだりしながら新年を待って、新年の瞬間にスパークリングワインで乾杯してから谷のあちこちで上がる花火を楽しみました。

帰宅が2時半すぎてしまったので、元旦は10時半まで朝寝してしまいましたが、それから電車に乗ってグラウビュンデン州のてっぺんまで一泊旅行。楽しかったです。

そして、その旅行中にメールチェックして、ブログのお友だちけいさんにブログがいつの間にか70,000Hitに達していたことを教えていただきました。「ええ〜?」ですよ。本当だ。

年末の休暇中に何度も会社に呼び出されたり、来客があったり、でも、大掃除もしたりしていたのでバタバタして、いつもなら注目するカウンターをまともに見ていませんでした。

こんなに早く7万に達したのは、こうしてこのブログを訪れてくださる皆様のお陰です。本当にありがとうございます。元旦と7万ヒットが重なるウルトラめでたいスタートですので、きっといいことがたくさんあるんじゃないかと、勝手に期待しています。皆様にも素晴らしいことがたくさんありますように。

いつもならキリ番記念企画をするところですが、「scriviamo!」中なので、特に何もしません。77777Hitでは何かをやりたいと思いますので、その時はどうぞよろしくお願いします。

Al Portoにて

さて、もう一つ幸せな時間のことを。この写真は、この冬休みに車でひとっ走り行ったイタリア語圏スイスのルガーノで入ったカフェの写真。このカフェ「Al Porto」といいますが、私の偏愛しているポルトガルの都市とは無関係です。

1803年開業のカフェ・レストランで、古き良き時代の雰囲氣をたっぷりと味わえるのです。

Al Portoにて

そして、お菓子もとってもおいしかった。え〜と、カロリーもやたらと高かったに違いないし、お値段もちょっと張りましたけれど、ええ、いいんです。たまにはね。このお店で過ごした幸せな時間には代えられないってことで。
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Posted by 八少女 夕

新年あけましておめでとうございます

スイスでも2016年が始まりました。旧年中はたくさんのご訪問、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いします。

ルガーノ湖にて

今年も例年のごとく抱負を語ってみますね。

【リアルライフの抱負】
*もう少し「パンの焼ける幸せ」というレベルのパンを焼けるようになりたい
*ギターは「禁じられた遊び」を卒業して新曲にトライしたい(相変わらず志低い)


【ブログの抱負】
*「黄金の枷」三部作を書き上げる
*「大道芸人たち」第二部を一部だけでも公開
*「十二ヶ月の○○」シリーズの再登場
*「scriviamo! 2016」の完走
*「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」を書きはじめる

「Infante 323 黄金の枷」は春に完結する予定で、今年は大きい連載は開始しません。「大道芸人たち」の第二部の最初の方だけを公開する予定ですが、その後は短編を中心に発表して行く予定です。本人も息切れしかかっていますが、たぶん読まされる方もキツいと思うので、ペースを落とそうと思っています。

既に始まっている「scriviamo!」は今年で四回目になりました。何人かの方から参加表明をいただいて大変嬉しく思っています。二月末までありますので、参加してみたいと思われている方はお氣軽にどうぞ。

そういうわけで、本年も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。
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