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Posted by 八少女 夕

【小説】明日の故郷 - 1. 希望の旅立ち

この記事は、「明日の故郷」の前編です。



「明日の故郷 1. 希望の旅立ち」

 アレシアは住み慣れた家をもう一度見回した。全ての持ち物は荷車に載せられた。持っていけないもの、家具やアレシアが小さい頃に描いた落書きを、今は亡き母が美しく装飾してくれた壁の絵はこれで見納めだ。二度とこの家に戻ってこない。

 皆で素晴らしい国に移住するという長老の決定を聴いたあの日から二年が経過していた。葡萄の実る暖かく肥沃な土地、西のガリアへ行くのだ。暖かい日だまりでゆったりとした冬を過ごすことが出来るという。恐ろしい蛮族に怯える日々からも解放される。


 野蛮なスエービー族たちが、頻繁に襲ってくるようになったのは、アレシアがまだ幼い少女だった頃だ。日当りが悪く、作物はギリギリしか穫れないこの土地で、なんとか暮らしている村人たちは、町で頻繁に起こるというスエービーの略奪の話を聞く度に不安になった。

「怖い大きい人たちは、どこから来たの?」
「北の寒い所だそうだ」
「じゃあ、私たちの遠い親戚なの? 私たちの祖先も、ほら、北からこのヘルヴェティの地に遷ってきたんでしょう?」
「とんでもない。あいつらは俺たちの親戚なんかじゃない。戦ばかりをする野蛮な奴らで、北の果てからやってきたんだそうだ。我々の祖先は旅程にしてひと月ほどの北から来たんだよ」


 アレシアの父親ヴィンドクスも、ゲルマン人とケルト人の明確な違いなどはわかっていなかった。ヘルヴェティ人は紀元前一世紀頃、現在の西スイスに居住してきたケルト系の民族だ。ケルトと言っても、かつての獰猛な戦士やミステリアスな魔法の部族のイメージはなく、農業や商業を中心に暮らす小柄な人々だった。

 アレシアが「怖い大きい人たち」と表現したゲルマン系のスエービー族は現在のフランスにあたるガリアに住むセクアニ族と同盟を結び、肥沃で暖かい地域に勢力を伸ばそうとしていた。当然ながら、その中間の位置にあるヘルヴェティは、押し寄せるスエービー族に悩まされるようになったのである。


 アレシアが若い娘となる頃には、事態はますます深刻となっていた。その頃、ヘルヴェティ族の富豪の一人が、ガリアのハエドゥイ族の領主の一人と手を結び、彼らの住む肥沃な土地に部族ごと移住するというアイデアを持ち出してきた。

 部族はこれに賛成し、二年の入念な準備期間が設けられた。長旅の間、部族が飢えないように持ち運べる穀物を沢山用意し、沢山の駄馬と荷車を買い集め、途中で通してもらう近隣の部族と友好関係を築いた。

 そして、準備期間が過ぎ、いよいよ旅立ちの日がやってきたのだ。紀元前五八年三月二八日だとカエサルの『ガリア戦記』には記されている。


「ほら、時間がないんだ、早く村の外に出て」
伝令が戸口から顔を突っ込んだ。

「ちゃんと荷造りは終わったわ。父はもう荷車と出たのよ。掃除が終わったらすぐに追いかけます」
アレシアが答えると伝令は頭を振った。
「掃除だって? そんな必要はないんだ。早く来なさい。一人でも村に残っていると最後の仕事が始められないんだよ」

「最後の仕事?」
「焼き払うんだよ」
アレシアは戦慄した。焼き払うって、何を? 

 伝令に引っ張られるようにして外に出ると、村はずれを数人の男たちが松明をもって歩いているのが見えた。彼らは茅葺きの屋根に火をつけているのだ。

「何をするの? あれはフリディアの家じゃない」
「そうだ。だがフリディアの所だけじゃない。村全部の家に火をかけるんだ。わかるだろう。早く離れないと危険なんだ」
「嘘でしょう? だめよ。お母さんとの思い出が詰まった家なのよ」

 伝令は厳しい顔をした。
「我々はこの地から離れるんだ。どんな思い出があろうと、もう二度と戻ってこないんだよ。簡単に戻ってこようとするものが出ないように、全部焼き払うんだ。ヘルヴェティの総意なんだ」

 総意じゃないわ。私はそんなことに同意していないもの。

 だが、もう遅かった。風上から煽られた炎は、激しく燃え盛り、あっという間に村を飲み込んだ。松明を放り出して男たちが走ってくる。彼らを追うように炎の舌が次々と襲いかかってくる。まだ昼過ぎだというのに、辺りは夕暮れのごとく真っ赤になった。黒い煙が上がり、顔を向けていられないほどの熱があたりを満たした。アレシアの育った小さな家も炎に飲み込まれた。お母さん! アレシアは涙を飲み込んだ。こうしてヘルヴェティの十二の町と四百あまりの村は全て灰燼と化した。

「さあ、行こう。今日中に、川まで行くつもりなんだよ、長老は」
伝令は、振り返るアレシアを叱咤した。


 アレシアはその日の夕方にはヴィンドクスの荷車に追いついた。
「ああ、アレシア。遅かったね。心配したよ」

 父親は、二人の立派な体格の男たちと並んで荷車を引くラバを歩かせていた。お揃いのチェックの外套を羽織った戦士と思われる二人の男は馬に乗っていた。一人は白髪まじりの明るい茶色の髪を持ち見事なあご髭をたくわえた男だった。その馬には立派な鞍と蹄鉄がついていた。もう一人のトゲネズミのように硬くこわばった黒髪の若い男は簡素な鞍の上で澄ましていたが、アレシアのたおやかな姿を見ると相好を崩し、馬から下りて近づいてきた。

 一度も会ったことのない男たちだったので、アレシアは戸惑って父親の方を見た。
「こちらにおいで、紹介するから。びっくりするぞ」
 父親はさも得意そうにアレシアに壮年の男を示した。

「こちらは、コンダのアルビトリオス殿だ」
「アルビトリオスさまって、まさか、あの有名な『両手使い』の?」

それは、この戦士が右手でも左手でも自在に剣を操るのでついたあだ名だ。
「そのまさかの、本人がここにいらっしゃるのさ。さっき、荷車が溝にはまって立ち往生していた所をこのお二人がお力添えしてくださってな。お名前を聞いたら、我が一族随一の英雄だったというわけだ」

 アルビトリオスは、スエービー族の襲撃を食い止めるのに何度も貢献した著名な戦士だった。名前だけは何度も聞いたことがある。アレシアは若い方の男の方を見た。
「こちらは?」

「それは私の甥のボイオリクスです」
アルビトリオスは短く紹介をした。ボイオリクスはウィンクした。


 アルビトリオスはヴィンドクスと意氣投合した。偶然にも、子供の頃にアレシアの祖父に剣術の指導を受け、彼が推薦してくれたおかげでコンダのドゥブノクスのもとに弟子入りすることが出来たというのだ。彼は幼い頃をアレシアの父親とほぼ同じ場所で過ごした。アレシアの知らない固有名詞が飛び交い、二人は楽しそうに話をし、それは尽きることがなかった。それ故、英雄とその甥は、旅の間中ヴィンドクスたちと一緒に行動することにしてくれたのだった。

 アレシアは成り行きからボイオリクスと話をすることが多くなった。ボイオリクスは、悪い人間ではないのだが、軽薄なところがあって、偉大な戦士である叔父と比較すると、アレシアにはどうしても頼りなく思えてしまうのだった。

「あなたは、叔父さまに剣を習っているの?」
「そうさ。剣だけじゃないぞ。俺が一番得意なのは、実は槍なんだ。でも、その内に俺も『両手使い』っていわれるような剣士になりたいんだよなあ」

「利き手でない方で剣を使うのって、そんなに大変なの?」
「そうさ。文字を書くだけだって、右と左とでは違うだろ? 剣だってそうなんだ。俺はまだこの程度の剣しか使いこなせないんだけどさ」

 そう言ってボイオリクスは手のひらを広げたほどもある広さの剣を取り出してみせた。きれいに手入れされて鋭利な刃先にアレシアはおののいた。柄には黒ずんだ銀色でトネリコの文様が彫られている。

「すごい剣ね。有名な鍛治師が作ってくれたんでしょう?」
「まあな。これは叔父貴にもらったんだ。今、叔父貴が愛用している『雷鳴』も、その内に譲り受けたいな。もちろん叔父貴が引退する時にだけどさ」

 それを聞きつけてアルビトリオスは振り向いた。
「俺が死んだら、この剣はお前のものにしてもいいが、そうでなければ俺が認める腕になるまで絶対にやらん。第一、毎朝の鍛錬をことあるごとにさぼろうとするヤツがこの剣にふさわしいと思っているのか?」
ボイオリクスは、ちっと舌打をした。図星のようだった。アレシアはそっぽを向いて笑った。


 旅は楽ではなかった。住み慣れた家の屋根の下で、自分の懐かしい寝台で寝るのは違っていた。風よけにもならないテントの中で寒さに凍えながら固い地面の上で寝るので、くたくたになるほど歩き疲れていても夜中によく目が覚めた。起きると体は痛い。長い髪を解いてきっちりと結い上げる習慣も途絶えた。体が重く何もかもが億劫になっていた。

 朝も昼も歩く旅が続く。一日の終わりには、アレシアは男たちのために煮炊きをしなくてはならない。もちろん薪は父親が集めてきてくれるし、二人の戦士は小動物を捕まえてきてくれるのだから文句を言うわけにはいかなかった。帰りたいという言葉を口にすることは出来なかった。あの懐かしい我が家はもうないのだ――燃え尽きて。

 星が煌めく草原で、焚火を囲みながら男たちが昔話をするのを、アレシアは黙って聴いていた。時には、話を聴かずに、夢を見ていた――この旅が終わる時のことを。――新しく住む素晴らしい土地のことを。

 葡萄がたわわに実り、小麦が年に二度収穫できるという、西のガリア。男たちが建てる新しい快適な家のことを考えた。新しい家がどんどん建設されて地平線の彼方にまで広がっていく。アレシアの想像は果てしなく続いていく。

 村じゃなくて町になればいいのに、そうアレシアは考えた。毎週活氣のある市場が立っていたというコンダのようなところは面白いに違いない。父さんの着ている外套はもう古いし、ボイオリクスが言っていたような珍しい石で出来たネックレスを見てみたい。アルビトリオスさまのような有名な方や綺麗な奥方がそこら辺を歩いている町。悪くないじゃない?

 その一方で、アレシアは素朴な村の生活をも夢見ていた。咲き乱れる香り高い花を摘みにいこう。清らかなせせらぎで女たちと談笑しながらゆったりと洗濯をしよう。

 どんなふうになるかはわからない。村かもしれないし、町かもしれない。どちらにしても素晴らしい場所が待っている。私の新しい故郷になる場所だ。あと二ヶ月もすれば、手に入る夢の生活だった。


 旅の半分以上が過ぎたある日。前を行っていた仲間たちの動きが突然止まり、それから半日以上も動かなかった。伝令たちが行ったり来たりし、男たちが厳しい顔で話し合っていた。そして、翌日、再び伝令たちが人々に何かを伝えていくと、隊列はもと来た道を戻りだした。途中の峠まで戻ってから今度は北へと向かうのだと言う。

「どうしたの? どうして予定を変更することになったの?」
アレシアは穀物のことを考えた。目的地に着くまでに食料が尽きてしまうかもしれない。

 ボイオリクスは肩をすくめて説明した。
「ローマだよ。アロブロケーズ族の領地は、ローマの支配下にあるんだ。通らせてくれないから、遠回りをしてジュラ山脈を越えなくちゃいけなくなったんだ」

「どうしてはじめから北に向かわなかったの?」
「長老は『アルプス向こうのガリア』を通らせてほしいとローマに頼んであった。だが、今になって彼らはそれを拒否し、軍隊を差し向けたのだ」
アルビトリオスが苦虫を噛み潰したような顔をした。

「恐れることがあるもんか。俺たちは何も悪いことをしていないのに、いちゃもんを付けるつもりなら、受けて立ってやればいいだろう。ローマなんて、馬に蹄鉄もつけていない奴らで、この辺りには大した数の軍もいやしないんだし、簡単に片付くだろう?」
そうボイオリクスがうそぶくと、アルビトリオスは甥に厳しい顔を向けた。
「お前は、ローマと戦ったことがあるのか? あいつらの戦い方を知らないだろう」

「スエービーの蛮族とどう違うんですか?」
アレシアは不安になって訊いた。

「我々やスエービーは戦士一人一人が剣で戦う。だがローマ軍はフォーメーションを組み、槍や投石バリスタなどで攻めてくるのだ。統率がとれた集団よる戦術で打ち破るのが難しい。特に、今、ガリアに向かっているのは、新総督ガイウス・ユリウス・カエサルだ。天才的な司令官だと聞いている」

 アルビトリオスの声は低く静かだった。彼はいくつもの戦争をくぐり抜けてきたからこそ知っていた。戦争の準備はできていない。長旅で一族はみな疲れており、武器や食料も足りていない。土地勘もない。勝てない戦いなどすべきではないのだ。

 風が吹いてきた。丘の向こうから灰色の雲がゆっくりと向かってくる。嵐になるかもしれない。人々は不安な面持ちで行く手を見つめていた。






前書き
1. 希望の旅立ち
2. 帰還
後書きならびに感想&反省
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