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【小説】バッカスからの招待状 -4- オールド・ファッションド

Posted by 八少女 夕

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


scriviamo!の第七弾です。もぐらさんは、 雫石鉄也さんという方のお作りになった作品の朗読という形で参加してくださいました。

もぐらさんの朗読してくださった『ボトルキープ』

原作 雫石鉄也さんの「ボトルキープ」

もぐらさんは、創作ブロガーの作品を朗読をなさっているブロガーさんです。昨年の終わりぐらいにリンクを辿っていらしてくださってから、長編を含む作品を読んでくださっているありがたい読者様でもあるのですが、うちの作品の中で一番最初に読むことにしてくださったのが、この「バッカスからの招待状」シリーズです。

珍しいものから読んでくださるなと思っていたのですが、実は雫石さんのお書きになるバー『海神』を扱ったシリーズの大ファンでいらっしゃることから、この作品に興味をおぼえてくださったということなのです。

今回朗読してくださったのは、その『海神』とマスターの鏑木氏が初登場した作品だそうで、ご縁のある作品のチョイスに感激しています。

ですから、お返しにはやはり『Bacchus』の田中を登場させるしかないでしょう。参加作品「ボトルキープ」にトリビュートしたストーリーになっています。もぐらさん、雫石さん、そして鏑木さま。本当にありがとうございました。


参考:
バッカスからの招待状
いつかは寄ってね
君の話をきかせてほしい

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バッカスからの招待状 -4- 
オールド・ファッションド
——Special thanks to Mogura san & Shizukuishi san


 そのバーは大手町にあった。昼はビジネスマンで忙しいけれど、飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく書かれている。『Bacchus』と。

 店主であるバーテンダーの田中佑二は、今夜も開店準備に余念がない。バブルの頃は、何人かのバーテンダーを雇わないと回らないほど忙しかったこともあるが、今は繁忙期以外は一人でやっている。大手町だから家賃も相当かかるが、幸いそこそこの固定客がいるのでなんとか続けていられる。

「いらっしゃい」
今日最初の客だと顔を向けた。意外な人物が立っていたので戸惑った。

「これは……。庄治さんの奥様。こんばんは」
健康そうではあるが、既に七十歳にはなっているだろう。厳格な表情をして地味な服装なので同年代の女性よりさらに老けて見える。

 彼女は、『Bacchus』の客ではなかった。どちらかというとこの店の売上にブレーキをかける役目を果たしていた。つまり、彼女の夫がここで飲むのを嫌がり、必至で阻止していたのだ。しかし、それもずいぶん昔のことだ。庄治が顔を見せなくなってから三年は経つだろうか。

「こんばんは。まだ開店していないなら、外で待ちますけれど」
「いいえ。どうぞお好きな席へ」

 老婦人は、キョロキョロと見回してから、一度奥の席に行きかけたが、戻ってきてカウンターの田中の前に座った。

「ご主人様とお待ち合わせですか?」
彼が訊くと、笑って首を振った。
「それは無理よ。先月、四十九日の法要を済ませたのよ」

 田中は驚いた。
「それは存じ上げませんでした。ご愁傷様です」
「ありがとう。もちろん知らなくて当然よね。私が知らせなかったんですもの。あの人、ドクターストップがかかって飲みには行けなくなった後、他のお店には行きたいとは言わなかったのに、ここにだけはまた行きたがっていたの」

 それから、田中の差し出したおしぼりを受け取って、上品に手を拭くと、メニューを怖々開いた。しばらく眺めていたが、閉じて言った。
「ごめんなさいね。私、こういうお店で飲んだことがなくて、わからないの。あの人はどんなものを頼んでいたのかしら」

「ご主人様は、いつもバーボンでした。フォア・ローゼスがお氣に入りでボトルをキープなさっていらっしゃいました」
そういうと、後に並んだ棚から、三分の二ほど入っているボトルを一つ取って、彼女に見せた。

 ここでは、キープのボトルには、本人にタグの名前を書いてもらう。亡くなった夫の筆跡を見て、彼女の眉が歪んだ。

「私のこと、嫌な女だと思っていらしたでしょう。いつも早く帰って来いと電話で大騒ぎして。それにここまで来て連れ帰ったこともありましたよね」
「庄治さんのご健康をお考えになってのことだったのでしょう」

「ええ。そうね。でも、こんなに早くいなくなってしまうのなら、あの人が幸せと思うことを自由にさせてあげればよかったって思うの。今日ね、たまたまギリシャ神話の本を目にしてね、あの人が、もう一度『Bacchus』に行きたいなと言った言葉を思い出して。供養代わりに来てみようかなと思ったのよ。歓迎されないかもしれないけれど」

「とんでもない。おいでいただけて嬉しいです」
田中は、心から言った。

 彼女は、ふっと笑うと、ボトルを指して訊いた。
「このお酒、飲んでみてもいいかしら。これって確かとても強いのよね。ほんの少ししか飲めないと思うけれど」

 田中は少し困った。バーボンには明示された賞味期限はないが、開封後はやはり一年くらいで飲みきった方が美味しい。かといって、キープされたボトルを勝手に捨てるわけにはいかないので、全く訪れなくなった客のボトルはそのまま置いてある。

 田中はそのことを告げてから、別のフォアローゼスの瓶を取り出した。
「ですから、お飲みになるのは新しい方にしてください。もちろん、別にお代は頂戴しませんので」

 庄治夫人は、首を振った。
「まずくなっていてもいいから、あの人のボトルのお酒を飲みたいわ。私でも飲めるように少し軽くなるようなアレンジをしてくれませんか」

 田中は頷いた。
「わかりました」

 ボトルを開けて、香りをかいだ。幸い品質はほとんど低下していないようだ。これならと思い、オールド・ファッションド・グラスに手を伸ばした。
「オールド・ファッションドというカクテルがございます。砂糖やオレンジなどを使っていて、それと混ぜながらご自分でお好きな加減の味に変えて飲みます。いかかですか」

 老婦人はじっと田中を見つめた。
「お酒はそんなに飲みなれていないので、全部飲めないかもしれないけれど」

「強すぎて無理だと思ったら遠慮なく残してください。ノンアルコールのカクテルもお作りできますから」
田中の言葉に安心したように彼女は頷いた。

 田中はグラスに角砂糖を入れた。カランと音がする。アロマチック・ビターズを数滴しみ込ませてからたくさん氷を入れた。それからフォアローゼスを規定よりもかなり少なめに入れて、スライスオレンジとマラスキーノ・チェリーを飾った。レシピにはないが、絞りたてのオレンジジュースを小さいピッチャーに入れて横に添えた。

 庄治夫人は、怖々とマドラーでかき混ぜながらそのカクテルを飲んでみたが、首を傾げてから添えてあるオレンジジュースを全て注ぎ込み、それから安心して少しずつ飲みだした。
「これ、あなたの受け売りだったのかしら」

 田中は、彼女の言う意味が分からずに首を傾げた。老婦人は笑いながら続けた。
「いつだったかしら、いつもお酒ばかり外で飲んでと文句を言ったら、美味しいんだぞ飲んでみろと頂き物のウィスキーを私に飲ませようとした事があるの。それが水を入れても、強いだけで全く美味しくなくて。そうしたらこれならどうだって、オレンジジュースを加えてくれたのよ。そうしたら結構美味しかったの。悔しいかったから、美味しいなんて言ってあげなかったけれど」

 彼女は、目の前のフォアローゼスの瓶のタグに愛おしげに触れた。
「美味しいわねって、ひと言を言ってあげれば、私が大騒ぎしなくても帰って来たのかもしれないわね。それに、一緒にここに来ようと言ってくれたのかもしれないわ。もう遅いけれど」

 それからタグを持ち上げて田中に訊いた。
「もし、これを捨てるなら、私が持ちかえってもいいかしら」
「もちろんです。庄治さん、大変お喜びになると思います」

 長居をせずに彼女が帰った後、田中は庄治の残していったボトルを眺めた。キープしたまま二度とこなくなった客のボトルを置いておくのは場所塞ぎだ。だが、客との大切な約束のように思って彼はなんとか場所を作ってきた。

 タグを未亡人に返して、このボトルをキーブしておく意味はなくなった。彼は寂しさと、約束を果たせたというホッとした想いを同時に噛み締めていた。庄治夫人から聞いた墓は、彼の自宅からさほど遠くなかった。今度の休みには、このボトルをもって墓参りに行こうと思った。


オールド・ファッションド(Old Fashioned)

標準的なレシピ
バーボン・ウイスキー 45ml
アロマチック・ビターズ 2dashes
角砂糖 1個
スライス・オレンジ 
マラスキーノ・チェリー

作成方法: オールド・ファッションド・グラスに角砂糖を入れ、アロマチック・ビターズを振りかけて滲みこませる。氷を入れ、ウイスキーを注ぎ、スライス・オレンジ、マラスキーノ・チェリーを飾る。



(初出:2016年1月 書き下ろし)


追記


この作品をもぐらさんが朗読してくださいました。

第303回 バッカスからの招待状 オールド・ファッションド
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