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Posted by 八少女 夕

【小説】旅の無事を祈って

さてリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念立て続けに発表させていただいていますが、77777Hit記念掌編としては4つ目。リクエストはlimeさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*中世ヨーロッパ
*薬用植物
*一般的な酒類/もしくは嗜好飲料
*乗用家畜(馬・ロバ・象など)
*雨や雪など風流な悪天候
*「森の詩 Cantum Silvae」関係


中世ヨーロッパをモデルにした架空世界のストーリー『森の詩 Cantum Silvae』は、魔法やかっこいい剣士など一般受けする要素が皆無であるにも関わらず、このブログを訪れる方に驚くほど親しんでいただいているシリーズです。他のどの作品にもまして、地味で活躍しない主人公よりもクセのある脇役たちが好かれるので、勝手にその個性の強い脇役たちが動き出して続編がカオスになりつつあります。

今回、limeさんに「森の詩 Cantum Silvae」関連でとのリクエストをいただきましたので、独立したストーリーでありつつ、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」で拾えなかった部分と、続編「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」に繋げる小さいスピンオフを書いてみました。

ここに出てくる兄妹(馬丁マウロと侍女アニー)以外のキャラクターは全て初登場ですので、「知らないぞ」と悩まれる必要はありません。また、マウロとアニーの事情も全部この掌編の中で説明していますので、本編をご存知ない方でも問題なく読めるはずです。

出てくる修道院はトリネア侯国にあるという設定ですので、センヴリ王国(モデルはイタリア)をイメージした舞台設定になっていますが、この修道院長はドイツに実在したヒルデガルド・フォン・ビンゲンという有名な女性をモデルに組立てています。

そして《ケールム・アルバ》という名前で出てくる大きな山脈のモデルはもちろん「アルプス」です(笑)


【参考】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物

森の詩 Cantum Silvae 外伝



森の詩 Cantum Silvae 外伝
旅の無事を祈って


 時おり子供のような天真爛漫さを見せるその娘を、エマニュエル・ギースはいつも氣にしていた。彼は、ヴァレーズの下級貴族の三男で受け継ぐべき領地や財産を持っていなかったが、生来の機敏さと要領の良さでルーヴランの王城に勤めるようになってからめきめきと頭角を現し、バギュ・グリ候にもっとも信頼される紋章伝令長官アンブローズ子爵の副官の地位を得ていた。

 同郷のその娘は、とある最高級女官の侍女だった。森林管理官の姪で両親を早くに失ったので兄と二人叔母を頼り、その縁で王城に勤めていた。健康で快活なその娘のことを好ましく思い、彼はいつもからかっていた。

「なんだ。そんなにたくさんの菓子を抱えて。食べ過ぎると服がちぎれるぞ」
「これは私が食べるのではありません。里帰りのお土産です」

「おや、そうか。楽しみすぎて戻ってくるのを忘れるなよ」
「まあ、なんて失礼な。私は子供じゃないんですから! ギース様だって侯爵様の名代としてペイ・ノードへいらっしゃるんでしょう。あなた様こそ遊びすぎて戻ってくるのを忘れないようになさいませ」

 彼女のぷくっと膨らんだ頬は柔らかそうだった。触れてみたい衝動を抑えながら、彼はもう少し近くに寄って、こぼれ落ちそうになっている菓子を彼女が抱えている籠の中に戻してやった。

「一刻、家に戻るそなたと違って、私は雪と氷に閉ざされた危険な土地ヘ行くのだぞ。長い旅の無事を祈るくらいの心映えはないのか?」

 娘は不思議そうに彼を見上げて言った。
「ギース様ったら、あなた様の槍はあちこちの高貴な奥方さまから贈られたスダリウム(注・ハンカチのような布)でぎっしりじゃないんですか?」

「まさか。私はそんなに浮ついてはいないよ」
「まあ。槍が空っぽなんて、かわいそうに」

 彼女は楽しそうに言うと、籠を彼に持たせると懐から白いスダリウムを取り出して彼の胸元に無造作に突っ込んだ。
「これでもないよりはマシでしょう? あなた様の旅の安全を!」

 屈託のない笑顔を見せてくれたその娘が、捨て石にされてその主人であった女官とともに異国に送り込まれたのを聞いたのは、彼がペイ・ノードから戻ってきた後だった。

* * *


 マウロは北側にそびえる白い山脈を見上げた。白く雪を抱いたそれは、グランドロンやルーヴランといった王国と、センヴリやカンタリア王国のような南の地域を分ける大きな山脈だ。あまりに高く、壮大で、神々しいために、人びとは「天国への白い階段(Scala alba ad caelum)」転じて《ケールム・アルバ》と呼んでいた。

 彼は国王の使者であるアンブローズ子爵に連れられて、センヴリ王国に属するトリネア侯国の聖キアーラ女子修道院に来ていた。そこではルーヴラン王族出身の福者マリアンナの列聖審査が進んでいる。ルーヴラン国王はそれを有利に進めたかった。それで教皇庁から審査に派遣されているマツァリーノ枢機卿へ芦毛の名馬ニクサルバを贈ることにしたのだ。馬丁であるマウロはその旅に同行することを命じられた。

 ただの馬丁でありながら、マウロは自分が非常に危うい立場にあることを自覚していて、できれば一刻も早くこの勤めから解放されたかった。

 ルーヴラン王国は、永らくグランドロン王国から領地を奪回するチャンスを狙っていた。だが国力に差があり普通に戦を交えても勝てないことは火をみるより明らかだった。それでルーヴラン世襲王女との婚姻を隠れ蓑にグランドロン王国に奇襲をかけようとした。そのために偽の王女が送られたが、その奸計はグランドロンに見破られた。
 
 マウロは親友ジャックと共に、偽王女にされた《学友》ラウラと恋仲であった教師マックスの逃亡を手伝った。死んだ振りをしていたマックスを地下に運んだジャックは身の危険を感じて早くに姿をくらましたが、マウロは侍女である妹アニーの身を案じて城に留まった。

 ラウラ付きの侍女としてグランドロン王国に行ったアニーは一度は戻ってきたものの、バギュ・グリ侯爵に伴われて再びグランドロンへ行った。そして、それきり戻ってくることはなかった。

「勝手にいなくなった。おそらく死んだのだろう」
侯爵はそれ以上の説明をしてくれなかった。

 心酔していたラウラの仇を討とうとしたアニーがグランドロン王の暗殺に成功すればいいと思って自由にさせたに違いないのに、それが失敗すればすぐ自分たちは関係ないと切り捨てる。身勝手で小心者の侯爵をマウロは憎いとすら思った。彼はすぐにも妹を捜しに行きたかったので退職したいと申し出たが、それも許されなかった。

* * *


 ルーヴランやグランドロンのある北側の土地とセンヴリやカンタリアのある南側の土地の間に横たわる長く連なる山脈《ケールム・アルバ》にはすでに深く雪が降り、アセスタ峠を越えることが出来ないので、一行はバギュ・グリ領を通って海からトリネアに入った。

 アンブローズ子爵は船室の奥でギースと話をしていた。
「バギュ・グリ侯は、あの馬丁を殺してくるようにと仰せだ」
「なぜですか」

「侯爵は、グランドロンとの関係を損なわぬために、ラウラ姫をはじめからフルーヴルーウー伯に嫁がせたということにしたいのだ。だからあの偽王女が実はラウラ姫だったことを知っているだけでなく、侯爵がフルーヴルーウー伯やグランドロン王を殺そうとした件も知っているあの兄妹を抹殺したいのだよ。王を狙った妹の方はグランドロンで秘かに始末されたらしいが」

 ギースが下唇を秘かに噛んだが、アンブローズは氣づかなかった。
「とにかく、我々が戻るまでに殺らなくてはならない。だが、他の者たちには、我々が手を下したとわからぬようにせねば。この船の上から突き落としてしまえば簡単じゃないかね」

 ギースは首を振った。
「それはなりません。あの馬の世話はただの召使いにはできません。馬を引き渡すまではお待ちください」

 一行の中で軍馬ニクサルバの世話が出来るのはマウロだけだった。エサや水をやるだけではなく、マッサージをし、蹄鉄や足の状態などのチェックをするには熟練した馬丁である必要があった。アンブローズもそれは認めた。

「だが、あの者は我々を警戒しているだろう。馬がいなくなったら早々に逃げだすんじゃないのか」

 ギースはしばらく考えていたが、やがて言った。
「私におまかせくださいませ。修道院長のマーテル・アニェーゼは、以前からの個人的な知り合いなのです。独自修道会を目指すあの方はルーヴラン王国の支援が喉から手が出るほど欲しいはず。私から上手く事を運ぶように手紙を書きましょう」

 トリネア港につく少し前に、ギースは巨大な軍馬の世話をしているマウロの所へ行った。
「まもなく大役も終わりだな」
「ギース様」

「マウロ。アニーのことは、本当に氣の毒だった」
その言葉を聞くと、馬丁は青ざめて下を向いた。

「グランドロン王の暗殺を企てたのなら、許されるはずはありません。そうわかっていても、ラウラ様のご無念を思うと、何事もなかったように暮らすことは出来なかったのでしょう。止めることも、代わってやることもできなくて、本当にかわいそうなことをしました」

 ギースは、マックスとラウラが生きて、しかもフルーヴルーウー伯爵夫妻の地位におさまっていることを口にはしなかった。今ここでそんな事を言ったら、無為に妹を失い、自らも命の危険に晒されているこの馬丁が怒りと絶望でどんな無茶を始めるかわからない。彼は黙って自分のすべきことを進めることにした。

「マウロ。お前は危険が迫っていることを知っているな」
「ギース様……」

「お前にチャンスをやろう。いいか。あの修道院で馬を渡す時に、具合が悪いと修道女に申し出よ。我々の誰もがいない所に案内されたら、この手紙を院長にお渡しするのだ。お前を助けて逃すように書いておいた」
「ギース様、なぜ? そんなことをしたらあなた様のお立場が……」

 彼は、黙って懐から白い布を取り出した。そのスダリウムをマウロはよく知っていた。刺繍の不得意なアニーが彼にもくれたスダリウムにも、言われなければそうとは到底わからぬ葡萄とパセリの文様がついていた。妹がエマニュエル・ギースを慕っていたような氣配はまったくなかったので彼はとても驚いたが、少なくとも彼がそのスダリウムを肌身離さず持っている意味は明確だった。マウロは心から感謝して、その手紙を受け取った。

* * *


 アンブローズ子爵の一行は、華麗な馬具を身につけたニクサルバを連れて修道院へ入った。大人の身丈の倍近くもあるその軍馬は、さまざまな戦いで名を馳せ、諸侯の垂涎の的だった。その堂々とした佇まいは、馬には目のない枢機卿をはじめとした人びとの賞賛を浴びた。

 長い退屈な引き渡しの儀式の後、修道院の食堂で枢機卿と子爵の一行、そして修道院長マーテル・アニェーゼが午餐を始めた。マウロは、ギースに言われた通りに具合が悪いと若い尼僧に申し出た。

 粗相をされると困ると思ったのか、尼僧はすぐにマウロを案内し、中庭に面した静かな部屋に案内した。
「横になられますか。ただいまお水をお持ちします」

 マウロはあわてて声を顰めて言った。
「あの、具合の方は問題ないのです。実は、伝令副官のギース様から、他の同行者に知られぬように院長にお渡しすべき手紙を預かっているのです」

 それを聞くと尼僧は驚いたが「わかりました」と言って出て行った。

 大きな扉が閉められ、嘘のように静かになった。中庭にある泉ではチョロチョロと水音が響いていた。冷え冷えとしていた。マウロはこれからどうなるのだろうと不安になった。逃げだしたことがわかれば子爵はすぐに追っ手をよこすだろう。そうすれば殺すことももっと簡単になる。貴族でもなければ、裕福な後ろ盾もない者の命は、軍馬のたてがみほどの価値もない。

 そうでなくても、土地勘も友人もないトリネアでどこに逃げればいいというのだろう。追っ手を恐れながらどんな仕事をして生きていけばいいというのだろう。道から外れた多くの貧しい者たちのように、じきに消え失せてしまうのだろうか。

 妹と同じように、この世からいなくなってもすぐに忘れられるのだろう。彼はアニーにもらったスダリウムを取り出して眺めてから目の所へ持っていった。

「何をメソメソしているんだ」
張りのある声がして、振り返ると戸口の所に華奢な少年が立っていた。ここにいるからには修道院つきの召使いなのだろうが、ずいぶん態度が大きい。

男装のエレオノーラ
このイラストの著作権はうたかたまほろさんにあります。無断転用は固くお断りします。

「なんでもない。君は誰だ。院長はいらしてくださらないのか」
「私はジューリオだ。院長は頃合いを見て抜け出してくるだろう。あの枢機卿は酒が入るとしつこいんだ。上手くあしらわないと列聖審査にも関わるし、大変なんだぞ」

「そうか。君は、ここで働いているのか。使用人にしては、ルーヴラン語、うまいな」
「トリネアの言葉はセンヴリの言葉よりもルーヴランの言葉に近いんだ。これは普段話している言葉さ。それに、私はここで働いているわけではない」

「じゃあ、なぜここにいるんだ? ここは女子修道院だろう?」
「マーテルお許しがあってここには自由に出入りできるのさ。それよりもお前こそ何しにきたんだ」

「マーテル・アニェーゼに手紙を渡すためだ」
「どの手紙だ、見せてみろ」
「そんなのダメだよ。それに君は読み書きが出来るのか」

 ジューリオと名乗った少年は口を尖らせた。
「失礼な。詩を作ったりするのは得意じゃないが、手紙を読むくらいなんでもないぞ。どのみちマーテルに言えば、私に見せてくれるに決まっているんだぞ。いいから見せてみろ」

 そう言われたので、マウロは懐から手紙を出して彼に渡した。マーテルがどんな反応をするのかわからなかったし、もしかしたらこの少年が逃げる時になんらかの手助けをしてくれるかもしれないと思ったのだ。ジューリオは笑って受け取ると丁寧に手紙を開いた。だが、手紙を読んでいるうちに眉をひそめて真剣な顔になった。マウロは不安な面持ちでそれを見つめた。

「なんて書いてあるんだ? 僕のことを書いてあると思うんだけれど」
ジューリオは、ちらっと彼を見ると頷いた。
「命を狙われているから逃がしてやりたいと書いてある」

 マウロはホッとした。少なくともギースは彼を騙したのではなかったのだ。

 その時、衣擦れの音がして二人の尼僧が入ってきた。一人は先ほどの若い尼僧で、もう一人が枢機卿の隣にいた修道院長だった。彼女はジューリオを見ると驚き、深くお辞儀をした。
「まあ、いらしていたのですか! ごきげんよう、エレオノーラさま。この方のお知り合いなのですか」
「いや。珍しい馬がいると聞いたのでやってきて、たまたまここで知り合ったのさ」

 マウロはぎょっとしてジューリオを見た。
「君は女性だったのか? それに……」

「この方はあなた様がどなたかご存じないのですか、エレオノーラさま」
「私は誰かれ構わず正体を明かすほど無防備ではないのだ」
「しかし、姫さま」

「そのことはどうでもいい。それよりもこの者が持ってきたこの手紙を見てくれ。この手紙を書いたギースという者はマーテル、あなたの友達か?」
「はい。古い知り合いでございます。以前ヴァレーズで流行病にかかった修道女たちを助け、薪の配達を停止した森林管理官に掛け合ってくださったことがございます。立派なお方です」
「そうか。この馬丁はルーヴで少々知りすぎたようで命を狙われている」

 そういうとジューリオことエレオノーラは手紙を院長に渡した。院長は厳しい顔で読んでいたが困ったようにマウロとエレオノーラの顔を見た。
「この方を亡き者にしたように振る舞いながら、フルーヴルーウー伯爵領へと逃してほしいと。神に仕えるこの私に演技とは言えそんなことを」

 エレオノーラは笑った。
「おもしろいではないか。あなたなら上手く切りぬけると期待されているのだ。マウロ、そもそも何を知ってしまったのか話してみろ。我々は口が堅いし、事情によっては、この私ひとりでもお前を助けるぞ」

 マウロは、ルーヴランで起こったことを院長とエレオノーラに話した。罪のない恋人たちと妹に起こった悲しい話に、修道女たちは同情の声を漏らした。妹が下手な刺繍をほどこしたスダリウムを見せながら、ギースが自らの危険を省みずに自分を救ってくれようとしていることも語った。院長はそのスダリウムを手にとった。

「これは珍しい意匠ですが、私どもとも縁の深いデザインです。あの薬酒を持っておいで」
院長は、若い尼僧に言った。やがて尼僧は小振りな壺と盃を三つ盆に載せて戻ってきた。院長は香りのするワインを注ぐとマウロとエレオノーラに渡した。

「これは特別なお酒なのですか?」
マウロが訊くと院長は微笑んだ。
「この修道院の庭で採れた葡萄で作った白ワインにお酢と蜂蜜、そしてパセリが入っています」

「なんだ。珍しくも何ともないではないか」
エレオノーラが不思議そうに覗き込む。院長は笑った。

「珍しいものではございません。けれども、そこにこの修道会の意味と神のご意志があると思っています。滅多に手に入らぬ珍しい植物で作った薬はとても高価で、王侯貴族や裕福な者しか使うことが出来ません。けれど貧しい者たちも健康な体を作ることで病に負けずに生き抜くことが出来るのです。どこでも手に入るものだけで出来たこの飲み物は強壮にいいのですよ。高価な薬を一度だけ使うよりも、日々体を丈夫にすることの方が効果があります。さあ、乾杯しましょう。あなたの妹さんが心を込めて刺繍をしたのと同じように、あなたの長生きを願って」
そう言って乾杯した。マウロはアニーを思って目頭が熱くなった。それから、この院長のもとに彼を逃してくれたギースに感謝して。

「マウロさん。時に私たちは試練の大きさに心砕かれ、父なる神に見捨てられたと感じるかもしれません。けれど、自暴自棄にならず、起こったことの意味を考えてください。あなたたちを利用し見捨てた方々をお恨みに思うお心はよくわかります。けれども、どうか憎しみの連鎖でお命を無駄になさらないでください。妹さんは、お仕えしていた方のために命を投げ出されましたが、同時にあなたとギースさまの幸運と安全を願われました。憎しみが妹さんのその想いよりも尊いはずはございません。ギースさまがあなた様のことをこの私に頼まれたのは、そうお伝えになりたかったからだと思います」

「しかし、なぜフルーヴルーウー伯爵領なのだろう? 腕のいい馬丁ならば、私の所に来てもいいのだが」
エレオノーラが言うと、院長はじろりと彼女を見てから言った。

男姫ヴィラーゴ ジュリアに憧れてらっしゃるあなた様が馬丁を連れて帰るなんて悪い冗談です。お父様がどんなに心配なさることか」
「ははは、そうだった。出奔したジュリア姫の夫になったのは馬丁だったな」

「マウロさん。ギースさまがフルーヴルーウー伯領ヘ行けとお書きになった理由は、私にはわかりませんが、何かご深慮がおありになるのでしょう。つい先日見つかったばかりの伯爵は、岩塩鉱で働く人びとの安全を慮って三人一組で働くようにと決まりを変えられたそうです。おそらく神の意に適うお心を持った方なのでしょう。私が腕のいい馬丁が働き口を求めているという推薦状を書きますので、それを持ってフルーヴルーウー伯爵の元をお訪ねになってみてはいかがですか」

 マウロは院長の言葉に深く頭を下げた。
「はい。ありがとうございます。フルーヴルーウー伯爵領にいれば、ルーヴランでの知り合いに会うことはないでしょうから、ギースさまにもご迷惑はかからないと思います。院長さまのご助力に心から感謝します」

「珍しくもない白ワインやパセリが、私たちの役に立つように、一介の馬丁であってもその天命を全うすることは出来ます。それに、エレオノーラさま。女の役目を全うしつつも活躍をすることは出来るのですよ。私たちはそれぞれに与えられた役割を受け入れることによって、真の力を発揮することが出来るのです」

 この手の説教には飽き飽きしているらしいエレオノーラは、手をヒラヒラさせると言った。
「わかった、わかった。では、私はじゃじゃ馬としての天命を全うすることにしよう。ここで出会ったのも神の思し召しだろう。この者がこの国を無事に出て、フルーヴルーウーへ辿りつけるように、私が手配しよう」

 それを聞いて院長はニッコリと笑った。

 彼女は枢機卿やアンブローズ子爵の元に戻ると、倒れた馬丁は性質の悪い流行病なのでしばらく修道院で預かると告げた。 

 マウロは、姫君エレオノーラの遊興行列に紛れてトリネアの街を出て、雪のちらつく峠を越えてフルーヴルーウー領へと向かった。

 数日後にルーヴランに帰る前に馬丁の様子を知りたいとやってきたアンブローズ子爵に対して、院長は「もうここにはいません」と答えた。ぎょっとしてどこにいると訊く子爵に、彼女は黙って上の方を指差し十字を切った。

 修道院長が十字を切るということは、決して嘘ではないことを知る子爵は、心の中で笑いながらも悲しそうな顔を作り、礼を言って暇乞いをすると一行に帰国を命じた。

 雪はゆっくりと里へと降りてくる。冬の間、トリネアやフルーヴルーウーと、バギュ・グリ領やルーヴランの間には、冬将軍が厳しい境界を作る。一刻でも早く帰らねばならなかった。

 子爵の横にいたギースには院長が指差した先は本物の天国ではなく雪を抱く《ケールム・アルバ》、かの伯爵領との国境であるフルーヴルーウー峠を指していることがわかっていた。

 マウロは、フルーヴルーウー伯爵となったマックス、妹が命よりも大切にしていた伯爵夫人ラウラと再会するだろう。兄がその二人の元で大切に扱われることこそ、アニーが心から望むことに違いない。

 彼は白いスダリウムの入っている左の胸に右手を当てた。

(初出:2016年8月 書き下ろし)

追記



全くの蛇足で、本編をお読みになった方はご存知のことですが、マウロの妹アニーも命を救われて、ラウラの侍女としてフルーヴルーウー伯爵に仕えています。つまり、マウロは遠からず死んだと思っていた妹とも再会することになります。この話の続きは、現在執筆中の「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」にご期待ください。(全然書いていないけれど)
関連記事 (Category: 小説・森の詩 Cantum Silvae 外伝)
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Comment

says...
執筆、お疲れ様でした。

『森の詩』のスピンオフ、楽しませていただきました。
 第一部の完結からもうかなり時間がたっていますが、一瞬にしてあの世界に連れて行っていただきました。
 なんか小ずるい連中が多いルーヴランにも、ギースのような人物がいるのですね。まあ、彼の行為は極めて個人的な感情によるもので、政治的にはたいしたことではないのでしょうけど。
 そして、エレオノーラ殿下、鮮烈なデビューですね。いきなりそれかよ、と思わずツッコミを入れそうになりました。とくに、男姫と馬丁のくだりは、面白かったです。うん、たしかにこの方、かなり残念っぽいかも(笑) でも、誰かさんのヨメには、案外よさそうな(自粛)
 パセリと酢と蜂蜜入りの白ワイン、なんか薬草酒みたいで、健康に良さそうですね。当時なら、いわゆるオーガニックだろうし。ヒルデガルド・フォン・ビンゲンという方は知らなかったので、ググってみました。なるほど、それで薬草酒なわけですね。こういう雑学が豊富なのも、『森の詩』の魅力です。
『トリネアの真珠』の連載開始が、待ち遠しいです。
2016.08.17 14:27 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
やっぱりエレオノーラ姫はサキの想像通り素敵な人です。登場シーンもカッコいいですね。驚くマウロの様子、お約束かも知れませんがワクワクしますよ。
振る舞いも喋り方も理想型ですね。ちっとも残念なんかじゃないですよ。
彼女が本格的に活躍する本編のスタートを気長にお待ちしています。
でもマウロ、良かったですね。ギースの手際はとても良くて、胸のすく思いでした。アニーの兄だということもあるのでしょうが、正義感あふれる彼もまた気に入っています。スダリウムに込められたギースとアニーの気持ち、何らかの形で報われるといいなぁと思っています。

あ、そうそう、デュランだったんですね。早速直しておきました。
デュランの登場は「パイロット国道」と「いつかまた・・・」の2編だったと思うので置き換えておきました。
2016.08.17 14:40 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。このままでは、読者の皆様だけでなく自分でも忘れちゃう!
でも、書いていたら自分の中にも戻ってきました。
アニーやマウロも、前作よりものびのびと動き回っている感じです。

ギースはわりと正義感かな。まあ、アニーの件はちょっぴり(いや、かなり)私情が入っていますが(笑)
仕事もちゃんとできるし、まあ、少しはこういう人がいないと、あの国もねぇ。

エレオノーラは、ね、残念でしょう?
この人、こんなだから父親も「とにかく人前に出すな」なんですけれど、じっとしていないんですよね。
でも、まあ、マリア=フェリシアとは正反対のタイプですからね。
ご一行さまからの好感度は……ね。

お題に薬用植物が入っていたので、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンをモデルにした人物を入れる案はかなり最初の方にできたんですけれど、それだけだとちょっと大人しすぎてしっくり来なかったんです。で、舞台をトリネアにしてみたら、いろいろとピースが埋まりました。ここで出てきた人たちのうち数人は「トリネアの真珠」でも登場することになります。

まだまだお待たせすることになりますが、できたらぜひ読んでくださいね〜。(こらっ)

コメントありがとうございました。
2016.08.17 21:22 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

おお、エレオノーラ、お氣に召していただけましたか。
キャラとしては、悪い子ではないんですけれど、お姫様としてはいろいろと致命的です(笑)
でも、こうなってしまったのは、彼女なりの理由があったのです。
サキさんに味方になってもらったから、彼女も頑張ると思います。(たぶん)

ギースは貴族としてはあまり位は高くないですが、仕事はできるし、人間としてもちゃんとしているので、人望もあるタイプです。アニーを口説きそびれて、離ればなれになっちゃいました(死んだと思っているし)
マウロは、もうちょっとしたら妹と涙の再会ですね。引き続き続編でもこの兄妹は出てきますので、お楽しみに。

そして、デュランの件、本当にご迷惑おかけしました。
わざわざ直してくださったんですね。助かります。

コメントありがとうございました!
2016.08.17 21:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
夕さん、めちゃくちゃスッキリしました。
本編で出会えなかったマウロとアニーが、このあとどんな表情で再会するのかを思うとワクワクします。
冒頭の、ギースがアニーを思うさまもとってもいい感じで、この淡い恋心が兄妹を救う事になるんだなと、不思議な気持ちです。

そして、夕さんたら抜かりが無いなあ~^^
しっかりエレオノーラ姫をいい場面で登場させて、印象付けてしまうんだもん。
やっぱり思った通り、彼女はカッコいい姫様でしたね。
そして賢くて思慮深い。
いつか会える日が楽しみです。

短い話の中にものすごく細かい計算と本編紹介のエピソードもサラリと詰め込んであって、うまいな~~と、改めて夕さんの腕に惚れ惚れ。
すごく悩んだとおっしゃっていましたが、まったくそんなことを感じられませんでした。
久しぶりに森の詩の世界観に浸れて、とてもうれしかったです。
楽しい番外を、ありがとうございました(*^-^*)
2016.08.18 10:25 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
これはまた、素敵なスピンオフですね!
スピンオフでありながら次へのお話の架け橋にも
なっておりプロローグと受け取れなくもない鮮烈な内容。
ジューリオことエレオノーラですが、彼女が男装の美少女だという
ことは織り込み済みだったにも関わらず、登場シーンの美少年(!)
っぷりに鳥肌が立ってしまいました。
何となく、勝手に、男っぽいのは服装とかだけで、言葉遣いは女性っぽい感じを想像していたのですが、わたしの貧困な想像よりももっとずっと素敵な振る舞いに早くもうっとりなってしまっています。
馬丁と伝説の男姫とのくだりも、にやりとさせられる心憎い演出ですね!

アニーとマウロの再会含め、欠けていたピースがやがて第二部へと
収束していくような流れに期待が高まりました。
ここにいる何名かは引き続き登場するとのことですが、ギースも
報われて欲しいな……なんて^^
2016.08.18 13:14 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

お、マウロとアニーのエピソード、納得していただけましたか。
主要人物の「どうなったか」を追うだけでけっこう煩雑になり、マウロ程度の「その他大勢」まで書き込んでいると訳のわからない作品になってしまうのですが、とはいえ「どうなったんだっけ」を回収できるチャンスがあったら書いてみたいというのはいつもどこかにあります。
アニーも子供みたいな娘という設定ですが、蓼喰う虫もいるってことで……。

あ、エレオノーラの登場ですが、最初は、マーテル・アニェーゼだけの予定だったんですよ。
でも、ちょっと地味な話になってしまって、いや、もともと地味な話なんですけれど、全然面白くなくって。
話も二転三転しました。3回くらい書き直したかな……。
最終的にエレオノーラの残念姫君ぶりを前に押し出すことで、全体の地味さを誤摩化すことに。

同じヒロインでも、ラウラは静的でよく考えるタイプでしたが、エレオノーラは動的で向こう見ずかもしれません。
よかれと思っていろいろとやるんですけれどねぇ。

お題でいただいたモチーフ、無理やりはめ込んでいます。
自分で選んだモチーフだけで書く場合には絶対に出てこないような展開になりました。
そして、このスピンオフから、本編のかなり重要な舞台設定が決まりましたから、limeさんには感謝感謝です。
本編、頑張って書きますね。

リクエストとコメント、どうもありがとうございました。
2016.08.18 22:04 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。
最初はルーヴランかグランドロンのどこかを舞台にして当たり障りのない掌編を書こうと思っていたんですが、どうもしっくりこなくて。それで、いっそのこと「トリネアにしてしまえ」です。
そして、スピンオフ用の使い捨てキャラだったはずのギース、「トリネアの真珠」にも出すことにしました。使い出のありそうな男なんで(笑)

エレオノーラ、実際には男も女もない話し方だと思うんですよ。
男言葉、女言葉があるのって日本語の特徴じゃないですか。
でも、日本語で作品を書いているので、性格を表すのにこれを使おうと思って。
エレオノーラは、こういう口調が合う、若干雑な感じのお姫様です。父親の侯爵も匙を投げています。

アニーは続編ではレギュラー化しますし、マウロも時々登場します。
仲のいい兄妹ですし、マックスやラウラも逃亡を手助けしてくれたマウロの身の安全、氣になっていたと思うんですよ。
だから、いっそのことまとめてマックスたが引き取ってしまえということにしました。

一方、ルーヴランの方は、牢獄の中のザッカしかまともな臣下がいないというのもなんなので、優秀なエリート伝令官としてギースにも頑張ってもらいたい所です。

コメントありがとうございました。
2016.08.18 22:14 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
すっかりいっぱい記事が上がっているのに、コメントいっぱいしたかったのに、追いついていなくてすみません。でもいちいち感動しておりました。さすが夕さん。蝶子の「いっちゃダメ」にきゅんとさせられたり、久しぶりの『バッカスからの招待状』シリーズににまにましたり。そうそう、田中氏は相変わらず恋のキューピッド(といっても、矢を放っているかどうかは不明だけれど)渋く決めてくださいますね。そしてリナのデート指南も……また改めてコメに伺うとして。
まずはこちらから。いや、これは読み応えがありました。このシリーズは世界観がはっきりしているので、少しくらい間が開いていてもすんなりとそこに入っていけますね。うん、主人公がいなくても(いや、こちらの主人公はしばしば脇に食われているから、いいのか)、その世界自体がすでにメインキャラみたいなものですから。ちらちらと端々に語られた事情に「あ、そうそう」「え、そうなのか」とうなずきつつ、最後はまだアニーが死んじゃったと思っているマウロがちょっとかわいそうだったり、でもその分、書かれていないものの想像できる再会のシーンの喜びがイメージできて、スピンオフの醍醐味、味わいました。
それにしても、アニーにもちょっと素敵なお話があったのですね。ギースもなかなかいい人っぽいけれど、アニーにはアウトオブ眼中だったのでしょうか。えっと、こちらの再会はないのかな。
こちらの修道院のイメージ、『サウンド・オブ・ミュージック』の修道院を思い出しちゃいました。粋な計らい、ちょっぴり胸のすくような想いでした。で、このエレオノーラは、もしかしてレオぽんの?(私の中で勝手にレオポンなるニックネームになっていることをお許しください)いや、先に断られているのか。あ、でも、今独り身だし。いや、でも、問題は出会いの形で……と真夜中にぐるぐるしている大海でした。
いつかの続きが楽しみになる素敵な掌編でした。
2016.08.21 17:28 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こちらにもどうもありがとうございます。

それも、あんなにお忙しいのに全部小説を読んでくださっていらっしゃるのですね。
嬉しくてしかたありませんけれど、どうかご無理なさらないように。

いちおう、小説の週一は死守していますが、それもいつまでできるかわからないから、できる時にやっておこうかなと思っていますよ。反対に週一以上は、読まされる方の負担もあるから、止めていたりします。無理して発表してスルーされるよりは、読んでいただける方がいいかなとも思いますし。この辺の匙加減はいつも悩んでいます。

あ、田中は、ただ接客しているだけです(笑)
「バッカスからの招待状」少しずつサブキャラを集めていますが、とくにめくるめく話はないかも。

そして、「森の詩 Cantum Silvae」ですが、まだ「貴婦人の十字架」は活躍していなくても一応話は主人公二人を中心に進んでいたんですけれど、もはや完璧なカオスになりつつあります。もうそれぞれが勝手に動く動く。

このスピンオフも、勝手に動いているサブキャラの勝手なストーリーの前哨戦(笑)
「トリネアの真珠」にガッツリ絡んできますので、またその時に思い出していただけると嬉しいです。

マウロはフルーヴルーウー伯爵夫妻が誰だかわかっていませんし(テレビや雑誌のない時代で、しかもシモジモなので本当に情報が伝わらないのですよね)、そこにアニーがいることももちろん想像もしていませんからびっくり仰天、大喜びになりますよね。
あ、でも、アニーはまだヴェルドンにいるので、再会はもうちょっと後になります。

アニーはギースの件はよくわかっていません(同郷とはいえ、偉い人だから想像したこともないって感じでしょうか)が、きっと後々マウロに聞いてびっくりするでしょう。ギースとアニーの再会ですか。うふふ、内緒です。(内緒になっていないぞ)

エレオノーラは、レオポルドにとってはそれこそアウトオブ眼中(というか彼なりの政治的理由があって)四年前に思いっきり断られていますが、それから状況が変わっていて、もう一度縁談が持ち上がります。それが「トリネアの真珠」のメインストーリーになります。(レオポン・笑。ヒロポンみたい。「サザエさん」並の古い発想だけど)

この修道院のモデルは、二年前に行ったボッビオというイタリアの街にある修道院ですが、聖キアーラ会はもちろんアッシジ、そして、マーテル・アニェーゼと修道会そのもののイメージはドイツのヒルデガルド・フォン・ビンゲンの修道会をイメージしています。ここも「トリネアの真珠」の舞台の一つになります。それまでにちゃんと設定を膨らませないと! 本当に書いていないんですよ。頑張ります。

書けたら読んでいただけると嬉しいです。
お疲れのところ読んでいただき、またコメントもいただきありがとうございました。
2016.08.21 21:54 | URL | #9yMhI49k [edit]

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