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Posted by 八少女 夕

「赤スグリの実るころ」に見る私の小説

さて、「赤スグリの実るころ」という小説を書くにあたって、考え込んだことについてここに書こうと思います。

赤スグリ

この小説はscriviamo!という私の主催している企画のなかの一篇です。この企画では、さまざまなブロガーの方が創作作品や記事で参加してくださったものに対して、私がお返事という形で主に掌編をお返しする企画なのですが、「赤スグリの実るころ」は、GTさんが書いてくださった作品へのお返しです。

この「赤スグリの実るころ」は、不定期で連載している「リゼロッテと村の四季」というシリーズの番外編で19世紀末から20世紀のスイス・グラウビュンデン州にある架空の村を舞台に話を展開させています。このカンポ・ルドゥンツ村は、私が現在住んでいる村がモデルです。そして、出てくるモチーフや風習などは、全て当時のものを調べたか人づてに聴き取ったことを反映させています。つまり、私の創作ではありますが、かなり実際の地理天候ならびに文化・歴史が反映された作品になると思います。

この作品を書くにあたって私が意図したのは、もちろん常に意識している私の創作テーマが根底に流れていますが、その上に現在96歳になるある歴史の生き証人から直接口頭で聴いたことを日本語の文章で残すことです。そして、その中にはおそらく日本人が日本で書こうとしても決して書けない内容がたくさん含まれています。私は日本人としては特別優秀な書き手ではありませんが、「日本語でこれを書けるのは世界に私一人だ」という題材を持っているラッキーな人間の一人だと思っています。

さて、話は元に戻ります。

「赤スグリの実るころ」を書いたのはGTさんへのお返しだと先ほど書きましたが、このGTさんは世界名作劇場の熱烈なファンでいらっしゃいます。そしてですね、私の周りにはこの世界名作劇場の熱烈なファン、またはそれに関わっていらっしゃる方がけっこういらっしゃるのです。どなたも並ならぬ情熱を傾けていらっしゃって、さらには児童文学にも強い関心をお持ちの方がいらっしゃいます。

なぜそういう方が私の周りに多いかというと、偏にマイエンフェルトのあるグラウビュンデン州に住んでいるから、必然と聖地巡礼をなさる方とのご縁ができるわけなんですね。

そして、私本人は、実はそのフィールドにとても弱い人間なんです。

もともとスイスに関する関心はゼロで、一生足を踏み入れなくても構わないと思っていました。「アルプスの少女ハイジ」のアニメも放映当時に見ただけですから詳細はほとんど憶えていません。その程度の関心しかなかったのです。その他のスイスを舞台にした名作劇場は存在すら知りませんでした。

実際に、名作劇場ファンの方、もしくは、関わっていらっしゃる方とお話しさせていただくと、その想いや情報の詳しさは驚くべきレベルです。一つの愛好ジャンルとして多くの人びとの中に完全に定着しているのですね。

愛されている作品群に共通するのは、もともと子供向けに作られたものであること、純粋で、努力を尊び、最終的に(大抵の場合は)優しくけなげな主人公たちが報われて、幸せな結末を迎える、そういう「いい作品」であることだと思います。また、子供には理解できないような複雑な人間関係や、どうすることも出来ない世の中の理不尽もほとんどでてきません。それはいい悪いではなく、そういうものです。

その世界は、実は、私の描き出すものとは少し、いいえ、まったく違う世界なのです。

なにが言いたいかというと、同じような舞台設定、同じような時代の小説を書いていても、表現する人間が意図するものによって全く違う中味になると言うあたり前のことなんですけれど、それが「スイスの田舎の子供たちの出てくる小説」とまとめてしまうと、どうもそれがなかなか見えにくいように思うのです。

スイスの児童文学っぽい小説には、ずっと手を出すつもりはなかったんですが、それをすることになったのは、上でも書いたように、ある方から口承で得たこの時代のこの世界の話を書き残すためにはこういう形が一番だと思ったからです。でも、やはりパッと見には同じタイプの小説に見えるかなと思ったんです。

それで、「赤スグリの実るころ」のあえてGTさんの書かれたモチーフを重ねてみました。重ねることでその違いが明らかになるようにです。うちのヒロイン・アナリースには、非常に可愛げのないところがあります。勉学のために旅立つ将来の夫となるヨーゼフの身を案じたり、「早く帰って来てね」と泣いたり、心をこめてて料理を振る舞うという女の子らしさ、GTさんの作品で見られたけなげなヒロインの姿はなく、むしろ正反対の女性像を持ってきました。

このエピソードは、既に私の頭の中にあったものですが、私は「これがアニメではなく実際のスイスの当時の女性だ」と言うために書いたわけではありません。作品に書かれた女性の権利についての記述はすべて当時のこの地域の常識だったことですが、「可愛い純粋なヒロイン」が存在しなかったということではないんです。

単純に、私の興味は、等身大の人間の心の動きに向いているということです。それもどちらかというとピュアで幸せな心の動きよりも、弱くてよどみ蠢く、けれど決して邪悪ではないごく普通の小市民の心の動きなのです。

「黄金の枷」シリーズの中でもテーマに据えていましたが、人間はその周りに据え付けられた社会慣例や因習、貧富の差や時代背景といった簡単に越えられない枠組みに捉えられています。物語を書く人の中には、魔法や持って生まれた才能、超人的努力、もしくはその枠組みそのものを見えなくすることで主人公が幸福を獲得していく、現実とは違うものを描き出したいと思われる方がいます。そして、そうした物語の需要の方が多いのもまた事実です。

私が書こうとする物語は、枠組みの中で苦悩する人間そのものなので、かならず枠組みがそのまま提示されます。平ったく言わせてもらうと、簡単に枠組みを克服されると、書くことがなくなってしまうんですよ。

ということを、なぜここで長々と語っているかと言いますと、世界名作劇場が好きでそのつながりでここにたどり着いた方は、「赤スグリの実るころ」を読んでおそらく戸惑われるだろうと思ったからです。

他の作品はともかく、「赤スグリの実るころ」ならびに「リゼロッテと村の四季」シリーズは、「きれいなスイスが好き」「世界名作劇場みたいな世界が好き」という方にはきっと肩すかしな小説になっているだろうなと、しみじみと感じたここ二週間でした。
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Comment

says...
小説の方にコメしようかと思ったけれど、やっぱりこっちにしました。
夕さんの書かれる世界の中の出来事、夕さんの目指しておられる物語の在り方、結構分かるなぁと思っています。私がそれを書けるかというとそうじゃないし、きっと書き方は全然違うけれど(Cさん曰く「まるで違う作風」)と、理解と納得がある程度はできているように勝手に思っているのでした。

それは多分初めて『樋水龍神縁起』を拝読したときに、あれ? ブログで発表されている他の方々の小説とずいぶん違う種類の小説書きに出会ってしまったぞ、と思って、私はこういう感じかなり好きだけど、ブログの世界ではなかなかタフだなぁとも感じたり。
あのお話の中で、どんなラストに落とすんだろうと思っていたら、あぁ、そうきたか、「そうは問屋が卸さない」とも見えるし、一方で、どう取るかは読み手次第だよと言われている感じがして。でも個人的には、あれで、世の中の多くのブログ小説が帰着するのと同じところへ落とされていたら、あの時、夕さんのお話に強く興味を惹かれたかどうかは分からないなぁと思います。
この感覚、中学生の時に夏目漱石の『こころ』で感じたのと同じなんですよね。何だろうな。理不尽のような、それでいいような、納得がいかないようでいて認めざるを得ないような、いや、そうでもなくてすごく納得しているような、かといって別に絶望的な感覚にもならないし、そんな自分を発見する感じ?

そう言えば、友人がある時、大河ドラマについて「この人のエピソード面白いと思うのに、一瞬で切り捨てられていく」といっていたのですが、確かに、ダイナミックな小説的展開ってもっと他にあるんじゃないの、身もふたもないじゃない、って展開に思えるけれど、よく考えたらそれが史実から外れない範囲で、それ以上盛り上げるわけにもいかないという現実の縛りがあるんですよね。その縛りの中で、話を面白くするためだけに話を盛ったりしないのが何とももどかしくもあるけれど、そのもどかしさが「普通」であったり。それを描くことで、それ以上でも以下でもない何かを書いているというのか。

小説の中でどのくらい「普通」を描いていくかということは結構難しくて、小説は読み手のことを考えると、エンターテイメントの部分も必要だというのも理解できるし、一方で突拍子もない展開はついて行けないし、この絶妙のバランスを、それぞれの書き手で多少配分を変えながら、向かうところを探しながら、書いているんだろうなぁ。

そう言えば、柳田国男の『遠野物語』って、全然物語じゃなくて、その地域のじいさん・ばあさんから聴きとった話をただひたすら記録として書き並べてあるじゃないですか。小説じゃないから、身もふたもないんですけれど、読み始めたら何だか嵌まるんですよね。それはきっと、夕さんが言っておられる、その時代の、普通に生きている人の感じていたこと、生活が端々に出ているからなんだな、と今思いました。話をした人たちが、自分たちの時代や住んでいる場所の「枠組み」をなんとかしたいとか、おかしいんじゃないの、とか思っていたかどうかは分からないけれど(そんなことも感じられない世界だったかも。雪深い東北の冬、右も左も分からなくなる山の中とかで生きていたら、その感覚さえなかったかも)……

なんか話があさっての方向へ行っちゃった……済みません。
で、何より、結局、ちっとも「肩すかし」とは思わなかった私などは、もう十分、八少女夕ワールドに浸かって「これでいいのだ。そういうものだ」と認識しているんだろうなぁ~
2017.02.05 14:45 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017.02.05 15:23 | | # [edit]
says...
こんばんは。

なんか、長々と読ませてしまいました。すみません。ちょっと反省。

で、また長く書いちゃいそうな予感がするんですが、そうなんですよね。彩洋さんと私の書き方(作風というかっこいい呼び名にするとドキドキしますが)すごく違うんですけれど、でも、なんかとてもリンクするものが多くて驚かされますよね。別に一緒に育ったわけでもないし、ブログを通してお知り合いになるまで一度も「こんなこと考えていて、文章にしてみようと思うんだけれど」なんて打ち合わせをしたわけでもないのに、「おお! またリンクが!」なんて事案がいっぱいあって。

「樋水龍神縁起」は、あの結末は「ひどすぎ」と言われてもしかたないですが(笑)自分としての般若心経の解釈からいうと、あそこで人間界の幸せの方にいっちゃったらあんなに字数を書いた意味なくなっちゃいますしね。

ブログ界ならびに一般ウケする小説ということは、ここ数ヶ月けっこう考えているテーマなんです。limeさんやけいさんをはじめとする皆さんがブラッシュアップに頑張っているのを見つつ、私はそっちはいいかなと思うようになってきました。どう考えても私の書こうとするものは、大衆に受けるタイプのものではないし、認められるかそれとも好きなものを書くかという二択だと好きなものを書きたいという思いの方がずっと強いんですよね。井の中の蛙のお友だちサークルの中だけでも構わないから、小説だけは自分の好きな物を書きたいと。

「そうは問屋が卸さない」は、よく私もぶつぶつ呟く言葉です(笑)
なんかね。この前書いた「アプリコットの猫」でもそうなんですけれど、たとえファンタジーでも大きすぎるラッキーってどうも「そうはいくか」って思っちゃうんです。宝くじが当たるにしても十万円くらいなら「そういうこともあるかもね」だけれど、十億円とか当たって、それだけで解決するっていうのは嫌だなあって思うんです。簡単すぎて。昔のファンタジーで言うと「王子様に見初められてめでたしめでたし」ですね。やっぱり「王子と結婚したら、姑からシモジモってこれだから困るわといじめられる」とか色々あるじゃないかってなんか考えちゃうんですよね。やっぱり、こう小市民的なバランス感覚があるんだろうなあ。

歴史物については、おっしゃる通りですよね。どんなに面白くても史実でその人が例えば「この戦いで死ぬ」というのは変わらないし、そこを変えてしまうのはどうかと思います。まあ、男女逆転の大奥とかタイムスリップものとかがもてはやされるこの世の中で、そういうことを言っているから大衆に認められる小説が書けないってのはありますけれど。

時代劇については、水戸黄門が全国行脚していたわけないだろうとか、将軍様が週一ペースで悪者を成敗させていたはずあるか、っていうのもありますけれど、まあ、あれはそんなに罪はない無茶苦茶だからいいかなと思ったりします。あと、架空の人物と史書には書いていなかった空白の時間をつかって恋をさせるとかも全然引っかからないんです。反対になんだかなと思うのは、未来から来たヒーローが当時はなかった文明の利器をつかって戦局と結果を変えてしまう類いの、今日の記事でいうところの枠組みを作者都合で簡単に取っ払ってしまうのはひっかかってしまうんですよね。絶体絶命を突然出来るようになったテレポートで自分だけ切りぬけるとか、そういうやつですね。

突拍子のなさ、もしくは、エンターテーメントとしての驚きっていうのは、伝記でない以上はどこかには必要で、そうじゃないとただのつまらない文章になってしまうんですけれど、本当にバランスが必要ですよね。

反対に作った突飛なことが何もなくても、彩洋さんがあげてくださった「遠野物語」のようにどこか自分たちとは違うなにかがただ綴られているだけでも、書き方によっては読者を惹き付けて面白いと感じさせるといういい例ですよね。もっともその域に達するのは、私の技量ではきっと無理(笑)

そして、彩洋さんはもう私のいまひとつ夢のない書き方にきっと慣れてしまわれているように思います(笑)

コメントありがとうございました。
2017.02.05 22:26 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
丁寧に書いてくださり、どうもありがとうございます。

自己中ですか(笑)
そうなんですね。私は、本当にいくつか、しかも自分が子供の頃ですから半分以上意味もわからずに観ていたのですよね。

原作があってそれをテレビアニメ化するとなると、どうしても設定など変えられないこともありますよね。もっとも、そういう設定が喜ばれるから選ばれるということもあって、設定が嫌だからオリジナルで行こうとなっても、結局ウケなくては意味がないということになってしまうのかもしれませんね。

あ、林檎の花の画像ですか。そういえば、私はアニメは観ていないのですが、「赤毛のアン」を若いころに読んでいて、林檎の花にアンが大感激するシーンにちっともピンと来なかったんですが、ここに来て実物を観たらストンと納得しました。桜より断然林檎だわって、今は思います。日本のソメイヨシノはちょっと別なんですけれど。

目で見ないとなかなか理解できないことってたくさんあるなとその時に思いました。
もっとも、それが伝わるような書き方をしなくちゃいけないんですけれどね。

コメントありがとうございました。
2017.02.05 22:37 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017.02.06 09:28 | | # [edit]
says...
比べて読みました
可愛くて純粋なお話もいいけれど、確かに夕さんの書く話とは違いますよね
クララが立つのは素晴らしいけれど、どうやっても立てない人はその陰にたくさんいて、そっちに焦点を当てている感じでしょうか?
そういう点では私の描きたいものと近いかもです
ただ私の場合はアンチ普通の市民ですが…
2017.02.06 14:32 | URL | #- [edit]
says...
スイス……そこは兵士と狩人の国……傭兵とカルヴァン主義者の国……職人と銃器の国……金と情報が武器になる国……戦わざる男が生きていけない国……。

などとエスピオナージュ的なイメージを抱くわたしよりは名劇のほうがよほど健全ではないかと(^^;)

現在ワインで酩酊中(笑)
2017.02.06 15:12 | URL | #0MyT0dLg [edit]
says...
そうですね。
他の方に干渉されていると感じたことはないんです。
私はどちらかというと交流するのが好きな方なので、書いたり書いていただいたりというのは楽しんでいます。

ただ、ジャンルが違うことを交流しているご本人はともかく、その周りの同じジャンルにしか興味のない方が理解せずに「?」となることがあるかなと思ったりしています。

それと、私は一般受けよりも自分が書きたい物を書きたいという想いが強いんでしょうね。
だからどんなリクエストや交流でも、結局自分の小説のテイストになりますね。

コメントありがとうございました。
2017.02.06 22:27 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ああ、そうです。正にそういうことです!
ハイジのおかげでクララは立てるし、みんな幸せになってハッピーエンド、というのはとてもいいお話だけれど、それは私が書かなくてもいいでしょ、という感じですね。
かといって、笑顔の裏で完全犯罪を企む、というようなそこまでダークサイドな話を書きたいわけでもないんです。

ダメ子さんの描いている世界は、いつも思うんですけれど、バランスが絶妙ですよね。
各種の居たたまれなさに思わず頷いてしまうし、ニヒルな部分がありつつ、でも、小市民的な部分にも共感できるし、キラキラチームへの視線も意外と暖かいし。

コメントありがとうございました。
2017.02.06 23:04 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

あはは、ポールさんのイメージもまた名劇系と同様に、「ありがちイメージ」でもありますよ。
まあ、真実もたぶんに含まれていますけれど。
「ニンジャとゲイシャ」か「トヨタとニンテンドー」かのどちらかと言われても、日本人が困るのと同じで。

関係ないですけれど、ポールさんのコメントを読んだ昼休みに「昼間っから飲んでるのか」とつい思ってしまった私です。
そちらは八時間進んでいるから昼間からじゃないですよね。

コメントありがとうございました。
2017.02.06 23:10 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
夕さんの創作への想いが、改めて伝わってきます。
ブログ小説の良さは、自分が本当に描きたいものを誰にはばかられることなく書けて、そしてそれを楽しんでくださる読者と共有できるって事で。
夕さんの書くものは、しっかりした文学(文芸っていうのかな?)であると思います。軽い読み物しか読まない若者に支持されなくったって、そこに素晴らしいメッセージがあるのを、みんな知っています。
まだ上のSSは読んでいないけど、後でじっくり読ませてもらいますね。

ああでも私も児童文学や名作劇場は小学校のころチラッと見たくらいで、あまり思い入れが無く。
すぐに図書館のミステリーシリーズに心を奪われたのが、運のつき。
子供の頃に読んだものって、書くものききっと影響するんでしょうね。
私には絶対に書けない、しみじみと人の生活や人間そのものを描く夕さんの物語、リスペクトしています。
また、おじゃましますね^^
2017.02.06 23:19 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
こんばんは。

あいかわらず長々と語ってしまいました。言い訳めいていて、少し反省。

limeさんやけいさんの挑戦を拝見しながら、いろいろと考えたりもしたんですけれど、やはり私には厳しく指導される形で、自分の腕を磨いていくというやり方は向いていないと思うんですよ。ここで自分の好きな物を書いて交流しているのはとても楽しいし、時間を割くのも全然苦ではないけれど、コテンパンにいわれて大衆ウケしないとわかっていて悩むなんてことをしていたら、きっとすぐにイヤになってしまうだろうなと思って。

なんてことはさておき。
私自身は、あまり興味のないことっていっぱいあるんですけれど、日本語で売れている本のほとんどってその興味のないことで成り立っているんですよね。

興味がないというのは「嫌い」ということではなく、名劇にしても、単純に子供の頃以来観た事がなくて、よく知らなかったんですけれど。子供のための作品だと思っていたので、けっこう大人のファンがいっぱいいるということをスイスに来てから知りました。展覧会などもけっこう開かれていて、盛況みたいです。私のブログにいらっしゃる方で「スイス」「小説」というところから間違っていらしてしまって「なんだこりゃ」となる方は多いだろうなあと、思っています(笑)

書くものが全体的に地味なので、limeさんをはじめとしてみなさん、あくびをしながら読んでくださっているんじゃないかなあと、恐縮しています。

limeさん、お耳は大丈夫ですか。ご無理なさらないで、うちの小説を読んでくださるのは、いつか暇を持て余した時で構いませんので……。

コメントありがとうございました。
2017.02.07 21:35 | URL | #9yMhI49k [edit]

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