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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (13)セビリヤ、 蛇 - 3 -

セビリヤ編は今回で終わりです。アンダルシアはイスラムの影響が強く残っているのですが、その悲しげな残像が、強い太陽の光とそれと対で織りなされる陰にくっきりと浮かび上がり、独特の雰囲氣をもたらします・ドイツやスイスなどとは全く違った、風景に関する強い感情を感じる旅が楽しめます。

あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(13)セビリヤ、 蛇  後編



カルロスは、マリア=ニエヴェスの忠告を伝えるのをすっかり忘れていた。いつも四人が一緒にいるので油断していたのかもしれない。また、あれだけ恥をかかされたのに、再び前妻が別荘にやってくるとは思ってもいなかったこともある。

エスメラルダの面の皮は厚かった。意地になっていたのかもしれない。翌日四人が戻ってくると、またしても居間に陣取っていた。

「カルロスはどこ?」
「バロセロナに帰ったよ。あんた、昨日ギョロ目に言われたことを聞いていなかったのか?」
稔が呆れて言った。

「なんのこと?」
「ギョロ目はあんたがここを自宅のように使うことに同意していないじゃないか」

「そう? でも、私は、ここが好きなの。どっちにしてもあなたに命令される筋合いはないのよ」

「そんなにカルちゃんが好きなら、どうして離婚したわけ?」
蝶子が意地悪く訊いた。エスメラルダの目が吊り上がった。よりにもよってこの女にそんなことを言われるなんて。

「誰が、誰を好きですって?」
二人の間だけ空間が歪んでいるようだった。稔は首をすくめた。くわばわくわばら。なぜこの手の女たちってのはこうなんだよ。

稔の観察によれば、少なくともこれはカルロスの愛をめぐる戦いではなかった。蝶子はカルロスになついていたが、それは明らかに恋愛関係とは無縁だった。その判断は妙といってもいいかもしれない。バルセロナの館では、蝶子は何度もカルロスと二人で部屋にこもっていた。つまり二人には少なくとも『外泊』に相当する程度の男女関係があると稔は見ていた。それでいながら、蝶子はカルロスに対して恋愛感情を持ち合わせているようには見えなかった。むしろArtistas callejerosのメンバーに対するような感情に近いと判断していた。その二つは本来相容れないものだった。蝶子の人間関係には、例のハードディスクのたとえでいうところの『重要書類』と『どうでもいい書類』しかなかったはずだった。そして『重要書類』とは一切ややこしい関係にならないと決めているようだった。しかし、カルロスだけはその中間にいるようだ。そんな複雑なことが可能なんだろうか?恋愛感情なしに体だけの関係を持ちつつ、固い信頼関係を築くなんて。

この前妻だって、カルロスに未練があるようには見えなかった。カルロスの持つ物質的な贅沢に対する未練は大いにあるようだったが。もしかすると、これはカルロスの物質的な寵愛をめぐる、女同士の戦いなのかもしれない。そうだとしたら、ギョロ目はかわいそうな男だな。稔は考えた。

エスメラルダは短い沈黙を破った。
「はっきりさせておくわ。私が彼に我慢ならなくなったの。私のような女は束縛されるのがたまらないの。それに程度の低い女に侮辱されるのもね」

「そう? あなたの行動は、そんなふうには見えないわ」
蝶子は興味を失ったように言った。

エスメラルダは本氣になった。つまり、この日本女の鼻っ柱を折ってやると、固く決意したのだった。エスメラルダのような女にとって一番の屈辱とは取り巻きの男たちを取られることであった。それで、コブラ女はなんとしてでも蝶子の周りの三人の男を自分に膝まづかせてやろうと決意したのだ。

エスメラルダが彼女の部屋と決めている豪華な寝室に消えたので、四人はこの変な対決は終わったものだと思っていた。いつものように夜更けまで飲んでいたが、やがて就寝した。


「おはよう」
蝶子が食堂に入ってきた時、ヴィルと稔が妙な顔で迎えた。

「おはよう、どうしたの?」
蝶子は二人の顔を見比べながら訊いた。稔が首を傾げながら答えた。
「ブラン・ベックがいないんだ」

「いないってどういうこと? まだ寝ているんじゃなくて?」
「朝起きたら、あいつの寝ていた部屋のドアが開いていて、ベッドは空だった」

稔の言葉に蝶子は目を白黒した。
「あんな遅くに、もしくは早朝に出かけたってこと?」

「外出用の靴は残っている」
ヴィルが短く補足した。

蝶子は食堂を出て、階段の上のエスメラルダの使っている部屋の方を見た。ドアは閉じられたままだ。いずれにしてもあの女はそんなに早くは起きてこない。

「そういうことだと思う」
稔が後ろから付いてきて腕を組んだ。

「やるわね、あの女」
蝶子は笑った。

「笑い事じゃない」
ヴィルが言った。

「心配しているの? ブラン・ベックはティーンエイジャーじゃないわ」
「だが、あんたみたいに恋愛慣れしているわけじゃないだろう」

蝶子は肩をすくめて食堂に戻った。
「朝食、食べましょう。で、ブラン・ベックが来たら、次の行き先についてみんなで話をすればいいんじゃない?」
三人が一致すれば、多数決は成立する。つまりすぐにでもブラン・ベックをセビリヤから引き離すことが可能だった。

「さあな。俺はまずはあいつがどうしたいか、訊いてみたいよ」
稔が食堂の入り口を見ながら言った。

いつもの出かける時間を三十分過ぎても、階段の上の部屋のドアは閉じられたままだった。それで、三人は諦めて三人で大聖堂前に行った。仕事をしていれば、そのうちにレネが来るだろうと思ったのだ。

レネは、実際に昼近くにやってきた。皮肉を言うのもためらわれるほどうなだれていているので、稔は何も言わずに手品を始めるようにと合図をした。それから一時間ほど稼いでから、全員で広場前のバルに食事に入った。
レネは食欲がないらしく、飲み物しか注文しなかった。

ヴィルがレネの好きなオリーブを差し出してやると、楊枝に刺したまましばらく手にしていたが、やがて眼鏡を取って腕で目を拭った。

パン・タパスをかじっていた稔も、ティント・デ・ベラーノを飲んでいた蝶子も、手を止めた。ヴィルがセルベッサのグラスを押しやって、珍しく最初の口を切った。

「どうした」
「僕、馬鹿だなって……」

蝶子は賢明にも発言を控えた。ただし、彼女にしては優しい表情でレネを見ていた。稔が静かに言った。
「お前、すぐにでもセビリヤから離れたいか?それとももう少しここにいたいのか?」

レネはしばらく下を向いて黙っていたが、やがて再び目を拭うと、顔を上げた。心配する蝶子と目が合った。彼女が全く怒っているように見えなかったので、まずはほっとした。

「僕、どうしたらいいか、わからないんです。この前から、ずっとそうなんです。あの人が来ると、他には何も考えられなくなってしまって、でも、あの人はいとも簡単にいなくなってしまう。そうなるとほっとするのに、どこかでずっと待っているんです」

蝶子は、そういう支配に覚えがあった。エッシェンドルフ教授のレッスン内容がお世辞にも純粋なフルートのレッスンとはいえなくなった時に、蝶子ははっきりと断ることができなかった。それどころか蝶子は次のレッスンを待ち望んでいた。やがて教授は蝶子に下宿を引き払って館に遷ってくるように命じた。蝶子はそれに逆らわなかった。週に一度のレッスン時間はあまりにも短かった。蝶子は、フルートのレッスンを邪魔されたくなかった。しかし、その時間に代わりに行われている教授の別レッスンはもっと頻繁にしてほしかった。

「あの人が僕に興味がないのなんかわかり切っています。ヤスとテデスコが簡単にはいかないので、僕にとっかかりを求めているんだってことも」

けれど、レネはエスメラルダに恋をしてしまっているのだった。蝶子への憧れや、今までぽうっとなった多くの女性たちとはわけが違った。パリでつきあっていたアシスタントのジョセフィーヌとも全く違った。彼女たちは意思の力でレネを狂わそうとしたりなどしなかった。それが可能なわけでもなかった。

「行き先の候補はある?」
蝶子が静かに言った。レネが自ら決められないならば、仲間が決定してもいいだろう。時に人は誰かに行動を決定してもらいたいものなのだ。特に、こういう状況の時には。

ヴィルも蝶子と同じ考えだったので具体的に答えた。
「三十キロくらい先に、カルモナという小さい城下町がある。一度行ってみたいと思っていた」

レネがセビリヤに舞い戻ろうとすればできなくはない距離だが、近すぎもしない絶妙な立地だった。

「なら、私もそこに行ってみたいわ」
「OK。三票目だ。これで決まりだな。夕方のバスに間に合うように荷造りだ」
稔が言った。レネはだまって頷いた。


「何をしているの」
居間で荷づくりしているヴィルの後ろからきつい香水の香りが漂ってきた。女の腕が蔦のようにヴィルの周りに絡み付いた。ヴィルは嫌悪感を覚えたので自分で驚いた。

「抱きつく相手を間違っているぞ」
「いいえ。私は今、あなたに問いかけているのよ」
女は豊かな胸をヴィルの背に押し付けた。

「あんたはそんなことまでしなくちゃいけないほど、シュメッタリングにプライドを傷つけられたってわけか」

折しも居間に自分の荷物を運んできた蝶子が、その光景を見て立ち止まった。まあ、テデスコったら、この状況でも冷静だこと。さすがSS(ナチス親衛隊)のお仲間ね。

エスメラルダはまだ自信たっぷりだった。
「そうでもないわ。でも、あなたまでが私に夢中と知ったら、そこの女性はさぞショックでしょうね」

ヴィルは振り向いて蝶子がそこにいるのを見た。その振り向いた顔にエスメラルダが顔を近づけてまともにキスをした。蝶子は興味津々でそのまま見ていた。エスメラルダの行為ではなく、蝶子の物見高い冷静な態度がヴィルをいらつかせた。珍しく手荒に女を振りほどくと、口紅の付いた唇を拭いながら、荷物を持って、入ってきた稔とすれ違い様に玄関の方へ出て行った。

蝶子は笑った。
「馬鹿ね。あれはテデスコに対する最悪のアプローチよ。他のドイツ人でもっと練習した方がいいんじゃないの?」

逆上したエスメラルダが近づいてきて、男たちへの誘惑よりも、もっとしたかったことを実行に移した。つまり蝶子に平手打ちを食わせようとした。稔がそのエスメラルダの手を捉えてねじり、簡単に地面に突き倒した。稔はヴィルと違って、女性に対する礼儀などという概念は全く持ち合わせていなかったのだ。倒れた女を軽蔑したさまで見下ろすと、階段の方に向かって怒鳴った。
「さあ、行くぞ。ブラン・ベック。早くしろ」

それから蝶子の肩を抱いてにやりと笑うと、やはり玄関の方に向かった。玄関に、レネが直接やってきた。レネがコブラ女に会わないようにできるだけ急いで、三人はレネをガードするかのようにカルロスの別荘を後にした。女のヒステリックな泣き声にレネは何度も振り向いたが、三人が阻んでいて、戻ることは叶わなかった。

カルモナ行きのバスは夕方の五時に出発した。稔はレネの荷物を頭上の棚に載せてやった。

「ヤスは恋したことってないんですか」
レネは訊いた。

「あるさ。たくさん。失恋もお前並にしているよ。単にああいうタイプじゃないだけだ」
「そうですか。だから優しいんですね」

「失恋経験と優しさはあまり関係ないさ。俺は、いや、俺たちはみんなお前が心配なんだ。大事な友達だからな」

レネは夕闇の中に遠ざかるセビリヤの街を振り返った。レネにとっても疑う余地はなかった。あの女をどれだけ好きであるとしても、この仲間達と離ればなれになることは考えられなかった。
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Comment

says...
こんばんは!リンク貼らしていただきました^^

僕は遅筆&遅読なので、なかなか話題に乗りきれへんくて申し訳ないのですが。。。

^^ここで、久遠の詩 Mamu さんと会うのも縁ですね^^

こんど、うちの子たちの小説を書いてみようと思うのですが、その時はご指導(ご鞭撻はいりません^^)お願いいたします!

HIZAKI
2012.05.17 14:44 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは!
リンクの件、ご快諾いただいただけでなく、相互にしていただき、ありがとうございました。
私の方は、時差もあって反応が鈍く、ご迷惑をおかけしますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
Mamuさんのところにあったリンクがご縁でHIZAKIさんのブログにたどりつけました。素晴らしいめぐり合わせに感謝しています。
切ない詩にいつも感動しています。指導なんてとんでもない! こちらこそHIZAKIさんの言葉の持つ力に驚かされて、毎回勉強させていただいています。
涼くんとおねえちゃんの物語、楽しみにしています。
2012.05.17 19:26 | URL | #- [edit]
says...
|電柱|д・) ソォーッ…
2012.05.20 08:13 | URL | #z8Ev11P6 [edit]
says...
あっ、あっ! Mamuさん発見!ようこそ。
先日は、私信でコメント欄に書き込みまして、失礼しました。

2012.05.20 11:42 | URL | #- [edit]
says...
旅と音楽とエピソードを楽しく拝読させていただいています。
私も主人公が音楽をしながら旅をするというお話を書いたので、物語に入り込んじゃってやばいです(笑)

クリスマスのシーンはカルチャー的にとても参考になりました。
オーストラリアのクリスマスもへえ、でしたが、ヨーロッパもへえ~です。
同じクリスチャンでも違うんですよね。いまさらなんですけど。
四人の歳がばれちゃいました(?)大人の物語ですねえ。

モロッコ・アフリカ!に行かせてくださって、ありがとうございます。
ジブラルタルから見えるなんて、知りませんでした。しかもUKって書いてある。
オーストラリアからは、ニュージーランドはもちろん、タスマニアだって見えないのに。
歴史に身をはせます・・・

トカゲとコブラにぷぷぷ。爬虫類~
どうして女ってこう、気(だけ)が強いんでしょうかね。
あ、酒も強いのかな。

この先も楽しみに進んで参ります^^
2014.04.20 04:17 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。

けいさんとは、たくさん共通点がありますよね。とても親しみがわきます。

クリスマスのシーン、日本と違うのは当然ですが、ヨーロッパでも地域ごとにまったく違って、例えば同じドイツ語を話していてもドイツ語圏スイスとドイツのクリスマスはずいぶん違いますし、スイス国内でも例えばドイツ語圏とイタリア語圏ではかなり違うのです。それを踏まえて、レネの実家のクリスマスを書く時にはとても慎重に調べました(笑)こういう比較はとても面白いですよね。

クリスマスやイースターのような大きな行事には、もちろんカトリックかプロテスタントかの違いも色濃く出るのですが、それに加えてキリスト教伝来前の土着の祭りの要素が加わるのでそのことも大きな違いを生むようです。

四人の歳は、そうですね。
私の実年齢よりはかなり下ですが、書いている内容(経験や技術の習得)が不自然でない年齢を、ヨーロッパでの状況も鑑みて総合して設定しました。

タスマニア、見えないんですね。そうか、見えるくらいの距離かと思っていました。
オーストラリア、島じゃなくて大陸ですものね。
ヨーロッパは小さい空間にたくさんの国と文化がひしめいている面白さがあります。
ヨーロッパからアフリカも、近い所では見えますしね。

トカゲとコブラの対決は、第一部だとこれだけなのですが、ただいま執筆中の第二部では再び出てくる予定です。この二人は書いていて楽しいですね。周りの男性は迷惑でしょうけれど(笑)

読んでくださってありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
2014.04.20 09:13 | URL | #9yMhI49k [edit]

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