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Posted by 八少女 夕

【小説】夢から醒めるための子守唄 (2)

五回連載の二回目です。第一回と二日連続で恐縮ですが、アップしてしまおうと思います。中編小説では、回ごとにある程度の完結、つまり前後を読まなくてもなんとかついていけるように書こうとしますが、それでも限度がありますね。できれば第一回からお読みください。
カンポ・ルドゥンツ村シリーズの登場人物は個性強烈ですが、実はみなモデルがいます。小説を書くのにこれ以上の環境はないかも、時々そう思います。





夢から醒めるための子守唄(ララバイ) - 2. 『dangerous liaison』

こんなに暑い夜は、年に数度しかない。日中は三十五度にもなった。夜九時の今でも二十七度くらいあるに違いない。クラッカーに添えるディップを用意しながら、レーナはタンクトップの胸の辺りを引っ張って風を入れた。カウンターの端にはステッフィがいつもと全く変わらない様相で立っている。

カンポ・ルドゥンツ村にあるバー、『dangerous liaison』にレーナが勤めだして三週間が経っていた。そもそも、最初は併設されている有機食品店で雇われたのだ。二つの店は一組のカップルによって経営されていた。ステッフィとトミー、この小さな村でゲイのカップルがカミングアウトするのは珍しい。彼らは堂々としていた。インテリアもかかる音楽もアメリカのジャズをメインにしているのは、ハードボイルドの匂いのあるステッフィの趣味だが、皮肉に満ちた店の名前はトミーによる命名に違いなかった。

レーナがこの店で雇ってもらえたのは、このバーの常連であるホルヘの紹介があったからだ。急に辞めた店番の代りを探しているという話を聞き、「掃除婦よりは安定した仕事がある、年金も半分負担してくれる雇い主だ」と、いつも会うサービスエリアのカフェで提案してくれたのだ。

レーナは大喜びで飛びついた。店番は週一日半の仕事だったが、それでもそれまで六件の家庭から請け負っていた掃除の半分を辞めることができた。やがてレーナの回転の速い頭と信頼できる人柄を見込んだトミーが、時間が夜にもなるが、バーの方の手伝いもしてくれれば週四日の仕事になると言ってくれたので、レーナは残りの全ての掃除の仕事も辞めた。雇い主が一カ所ならば、時間のやりくりはもっと簡単になる。掃除の仕事は孤独で単調だったが、食料品店やバーでは二人の雇い主や客たちと会話ができて満足だった。

ステッフィは口数が極端に少なく、常にかけているサングラスの向こうの表情はほとんど読み取れないが的確なことを言う。トミーの方はあけすけによくしゃべるが心根が優しい。二人の人柄に惹かれて、谷中の、時には峠も越えてアウトローが集まり店は繁盛していた。

レーナは壁の時計を見た。今夜はホルヘは来ないのかもしれない。なんだかがっかり。レーナはポニーテールにしたブルネットの髪の束をぎゅっと二つにして引っ張った。ここで働き始めてから、ホルヘとはよく顔を合わせることになった。彼はいつも八時頃にやってきて、十時頃までゆっくりと飲んでいく。


「いらっしゃい」
ステッフィが、これ以上簡潔にできない口調で入口に向かって言った。
「ホルヘ!今夜はもう来ないのかと思っちゃった」
レーナは、ばたばたとカウンターを動き回り、グラスや小皿を用意した。
「急ぎの注文があったんだ」
「え?こんな時間まで働いていたの?」
レーナは言ったが、ステッフィはそんなことは珍しくないのにと思いつつホルヘの方を見た。残業代が出るわけではないが、彼は自分の仕事を納得がいくまでじっくりとやるのが好きだった。また、キリの悪い所でおしまいにするのも性に合っていなかった。夏場には夜九時まで明るいので、仕事を続けるのは何の苦にもならなかった。しかし、そういえば、ここしばらくホルヘはあまり残業をしていないようだった。

「はい。冷めちゃったから暖め直したわよ」
レーナは、ホルヘ用に作っておいた夕食を差し出した。本来その食事は、トミーやステッフィとレーナが食べるまかない用だった。「三人分も四人分も同じよ」とのトミーの言葉をいいことに、レーナはいつもホルヘの分も作り、あたりまえのように出してやった。無口なステッフィはもちろん小言の多いトミーも特に文句は言わなかった。ホルヘはこのバーの古い馴染み客というだけでなく、必要があれば店の棚を修理したりもしていたからだ。
「ありがとう」
いつものように淡々と礼を言ってホルヘはスパゲティを食べ始めた。

ドアが開いて、別の客が入ってきた。
「いらっしゃい。リタ」
ステッフィの声には驚きがこもっていた。レーナは思わず戸口を見た。あら。カトリーヌ・ドヌーヴ。四十代の頃の。それは田舎の村には珍しい洗練された女性だった。シニヨンにまとめた金髪はどちらかというと暖かい色で、アプリコット色の麻のスーツにぴったりだ。

「お久しぶり、ステッフィ。あら、珍しい人もいるじゃない」
リタとよばれた女性は、ホルヘに目を留めた。

「帰る」
ホルヘは、八割がた残っている皿をカウンター越しにステッフィに渡し、酒代を置いて立ち上がった。

「あら。追い出したみたいじゃない。私、三十分もいないから、後でまた来れば?」
リタは余裕たっぷりの笑顔で、足早に出て行くホルヘの後ろ姿に声を掛けた。実際に、彼女は二十分後に現われた立派な紳士と一緒に去ったが、ホルヘはその夜はもうやってこなかった。


「ねえ、ステッフィ、あの女性、誰?」
レーナが切り出すと、ステッフィは「そらきた」と言いたげにわずかに微笑みながら、角刈りの金髪を掻いた。
「さっき来た、ハイディガー医師の奥さんだよ。ラシェンナに住んでいる」
それ以上は、何を訊いても答えてくれそうにもなかったので、レーナは翌日に有機食品店の方でトミーに訊き直さなくてはならなかった。

トミーは爆笑した。
「絶対に訊くと思っていたわ。昨夜ステッフィがリタが来たって言っていたから」
「誰なんですか、あの人」
「ステッフィはなんて答えたのよ」
「ラシェンナ村のハイディガー先生の奥さん」
「その通りよ」
レーナは激昂した。
「絶対にそれだけじゃないでしょう。隠さなくてもいいじゃない」

トミーは爪の手入れをやめて、ちらっとレーナを眺めた。
「教えてあげてもいいけど、先に個人的なこと訊いていい?」
「何を?」
「あんたとホルヘってどういう関係?」

たじろぎ口をパクパクさせた後に、仕方なくレーナは答えた。
「と、友達…」
「それだけ?」
「私は、それ以上になりたくて、ホルヘはそれを知っていると思うけど、相手にされていないのよね…」

トミーは、はは~んという顔をして、うなだれるレーナを上から下まで見た。彼女はこざっぱりとした服装をし、清潔感はあるが、どうひいき目に見ても農家出身のあか抜けない学生のようにしか見えなかった。あえて女らしさを拒否しているとも思えないのだが、彼女にはほとんど色氣というものがなかった。リタの匂い立つような、年齢を重ねるごとに凄みを増していく艶やかさはおろか、トミーの持つ女らしさにも遠く及ばなかった。

「あたしがこれから言うことをね、誤解しないでほしいの。あたしは、ホルヘが大好き。ステッフィがいなかったら惚れちゃいそうなほどに。そして、あんたのことも、女の中ではかなり悪くないと思っているのよ。だからいうんだけど」

レーナはちらりとトミーを見た。鮮やかなアロハ風のシャツを着て、完璧に手入れされた爪の光る指先を優雅に振っているトミーは、いつもよりも真剣な顔をしていた。彼女は黙って次の言葉を待った。

「おもしろ半分や、軽い恋愛ごっこのつもりなら、ホルヘはおやめなさい」
「どうして」
「昨日、来たリタは、離婚前はフエンテス夫人だったの」
やっぱり。あの人がホルヘの別れた奥さんだったんだ。レーナは息を飲んだ。トミーはレーナが言葉を探している間に、さっさと続けた。

「彼女が、ホルヘのもとを去ろうとした時に、ちょっとした騒ぎになってね。刃傷沙汰になったんで、ホルヘは二週間ばかり刑務所に入らなくちゃならなかったのよ」

レーナは林檎の入っていた箱を取り落とした。トミーは肩をすくめて、林檎を拾い始めた。
「それ以来、彼にはステディな恋人はいないの。ま、氣持ちはわかるわ。できれば、それに懲りてこっちの世界に来てくれればいいんだけど、こればっかりはね」


その日は火曜日で午後は仕事がなかったので、普段ならば部屋の掃除をしてから買い物に行くのだが、レーナはそのつもりになれなかった。村のはずれの土手をサイクリングしていく。この土手の散歩道の先に、ホルヘと出会ったサービスエリアがある。たくさんの白樺が自生していて夏の強い日差しを上手に防いでくれるのだ。この夏は、いつも以上に美しかった。夜中になるとひとしきり雨が降り、その雨露が樹々をつやつやと輝かせる。真っ青な空が晴れ上がりわずかに雪の残った山の嶺を引き立たせる。鳥や蝶が自転車に向かっては追い越し、風とともに舞う。レーナは口を一文字に結んで、ひたすらペダルを漕いだ。溢れてくる言葉はとりとめもなかった。心の整理が上手くできなかった。自分が何にショックを受けているのかもはっきりしなかった。

夏の日差しは強かった。露出した肩がひりひりするほどに。やがてまわりはジャガイモの畑になった。その次は小麦畑だった。遠くに小さい教会が見える。高速道路に走る自動車の騒音が時折聞こえるが、暑いからか交通はまばらだった。牧草地に放し飼いにされた牛たちは、日差しを避けるように背の高い木の下に集まり、ゆったりと座っている。やがて、レーナはペダルを踏むのを止めた。風がわずかに触れて去っていく。しばらく、そうやって止まっていたが、ひとつ深呼吸をすると、彼女はいま来た道を引き返していった。カンポ・ルドゥンツ村に向かって。

長いサイクリングの後で、喉が渇いて疲れていたので、レーナはほとんど何も考えずにいつものようにサービスエリアのカフェに入っていった。そして、いつもの席にホルヘがいるのを見た。
「あ」

ホルヘは戸惑ったレーナの顔を見て、いつものように皮肉に満ちて口元をゆがめた。
「お前は、本当に考えていることが全部顔に出るんだな」

レーナは、半ば慌ててホルヘの前に座った。
「どういう意味よ」
「トミーに問いただしたんだろう。心配するな。いくら俺でも、誰かれ構わず刺してまわっているわけじゃないんだ。そんなに怯えなくてもいい」
「そんな心配なんかしていないわよ」

ホルヘはレーナの言葉をまったく信用していないというようにもっと口元をゆがめてコーヒーを飲んだ。それでレーナは言いつのった。
「違うわ。私がショックだったのは、その件じゃない」
「じゃあ、なんだ」

レーナは、ようやく言葉を見つけた。振り向いてくれないのは、あの人を忘れられないからでしょう。そりゃ、どうやっても敵いっこない人だものね。けれど、そんなことは言えなかった。それでとっさに別の言葉を口にしていた。
「私が金髪にしたら馬鹿にしたのに、ホルヘだって結局は金髪の人がいいんじゃない」
自分でも呆れるほど馬鹿馬鹿しく響いたが、もはや出てしまった言葉は取り戻せなかった。

ホルヘは一瞬、口をぽかんと開けていたが、次の瞬間に破顔して笑いだした。あまり笑いすぎて腹をよじることになった。そこまで笑われると、レーナは居心地が悪かった。やがて目尻から涙を拭って彼は言った。
「お前は、信じられん馬鹿だな。想像を絶するよ」
「悪かったわね」

散々な言われようだったが、それほど悪くはなかった。口の悪さも、カップを支えているごつごつした職人らしい手も、皮肉を言う時の歪んだ口元も、笑っている時の目元の皺も、数ヶ月前のレーナならば「やっぱり他の人にしよう」と思うための恰好の理由になっていたはずだった。それが、どうだろう。今では一つひとつが、もっと好きになる理由になっている。振り向いてくれなくたって、ただの友達だっていいじゃない。私は、この人といるとこんなに幸せなんだもの。

「急ぎの仕事は、終わったの?」
「まだだ。このコーヒーが終わったら、また工房に戻るよ」
「そんなに忙しくない時でいいから、ホルヘの仕事している所、見てみたいなあ」
レーナは煙に巻かれると覚悟して言ってみた。ホルヘは上機嫌で言った。
「邪魔をしないなら、いつ来ても構わないさ。なんなら、これから一緒に行くか?」
レーナは大喜びで立ち上がった。

二人はとりとめのない話をしながら、土手の道をホルヘの働いている工房に向かって歩いていった。もうじき五時だというのに、日はまだ高かった。白樺の木漏れ陽が揺らめく村の夏の日はまだまだ終わりそうになかった。
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