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Posted by 八少女 夕

【小説】明日の故郷 - 2. 帰還

この記事は、「明日の故郷」の後編です。



「明日の故郷 2. 帰還」

 六月の半ばを過ぎた頃、一行がビブラクテといわれる土地にたどり着いた時、長老たちは行く手にローマの軍勢が待ち伏せしていると言う報せを受けた。わざわざ進路を変更し、セクアニ族にローマの支配下でない彼らの土地を通らせてもらいここまで来たのに。

 ユリウス・カエサルはヘルヴェティ族がハエドゥイー族の土地を襲い、財産を奪おうとしているという陳情を受けたと元老院に報告した。そして、元老院でその件が審議される前に、もう「かわいそうなハエドゥイー族」を救援するための軍隊をビブラクテに向かわせたのである。

 カエサルにとって、ケルト人が東から西へと移動することなど、本質的にはどうでもよかったし、ハエドゥイー族がその他のケルト人よりも同情すべき一族と考えていたわけでもなかった。単に、分裂し混乱する他民族の事情を利用して、ローマの勢力を伸ばし、その功績によって自分の地位が上がるチャンスを逃さなかった、それだけのことだった。

 だが、ヘルヴェティ族たちは、今度は方向を変えて逃げ出すわけにはいかなかった。彼らの約束の土地に辿り着くためには、喧嘩を売るローマ軍と戦うしかなかったからだ。


 戦闘が始まってしばらくは、不安なだけでアレシアたちは安全だった。戦士たちがローマ兵と戦っているのは、ヴィンドクスの荷車のある草原ではなく、丘を越えた更にその先だったからだ。もちろん戦うために去っていった勇者アルビトリオスとその甥のことは心配だったが、二人が強いことはわかっていたので、命に関わることはないと思っていた。

 風に乗ってわずかに届く閧の声がまだ戦闘が終わっていないと知らせるが、それは現実とは思えぬほど遠いものだった。だが、それらの音は次第に近づいてきた。

 やがて、丘の近くに荷車を置いていた仲間たち、男や女たちの悲鳴が聞こえてくるようになった。逃げ惑う人々、訓練されていない男たちまでが戦っている氣配が伝わってきた。それは多くの戦士たちがローマ兵を防げない状態になってしまったことを意味していた。

 アレシアは、泣きながら走ってくる二人の幼い少女に目を留めた。同じ村のフリディアの娘たちだ。
「どうしたの? お父さんとお母さんはどこにいるの?」

 アレシアとヴィンドクスの姿を見ると少女たちは泣き叫びながら抱きついてきた。
「わからない。みんなで逃げている間に、いなくなっちゃったの」

 すぐ後に、ローマ兵たちが丘を駆け上ってくるのが見えたので、ヴィンドクスはアレシアと少女たちを荷車の陰に押し込めて隠した。そして自分も身を隠しながら、荷物の中を探り、奥にあった布に包まれた長いものを取り出した。

「お父さん、どうするつもりなの?」
アレシアは、その中から古い一振りの剣が現われたことに驚いて、父親に問いかけた。
「心配するな。父さんだって、昔は祖父さんに少しは剣を習ったんだ。お前たちを守ることぐらいはできる。見つからないように隠れていなさい」

 そういうと、ヴィンドクスはアレシアとフリディアの娘たちを荷車の陰に押し込めて、戦場に出て行った。
「お父さん!」
アレシアは父親を止めたかったが、幼い少女たちが泣き叫ぶ声がローマ兵たちに届かないように、必死で抱いていたので追いすがることは出来なかった。

 荷車の陰から見た光景は凄惨たるものであった。父親が無事かどうかを見届けたいだけなのに、数十メートル先で、若い牛飼いの青年が槍で突かれたのを目にしてしまった。あちらにもこちらにも、敵や味方が横たわっている。しばらくは父親が剣を振り回しているのを確認することが出来た。

 だが、小一時間もしないうちに、ヴィンドクスが何人かのローマ兵に囲まれ、盾代わりにしていた樽の蓋を失ったのを見た。声にならない叫びを絞るアレシアの祈りも虚しく、父親は崩れ落ち、ローマ兵たちは他の相手を求めて去っていった。


 午後になると、突然静かになった。昆虫のように次から次へと襲ってきたローマ軍の動きが止まった。つまりもう攻めてこなくなった。

 アレシアは荷車の影から身を起こすと、父親が倒れた所に走っていった。
「お父さん……」

 一目見ただけで、もう息がないのがわかった。肩から背中をざっくりと切られて、うつぶせになっていた。
「お父さん。ごめんね。お父さん」

 やがて、必死で娘たちを探していたフリディアをみつけて、自由に出歩けるようになったので、泣きながら父親の衣服を整えてやり、一緒に葬るために彼の剣を探した。だが、それは見当たらなかった。彼女は、どこかに落ちているかと見回し、ローマ兵たちの去って行った丘を越えて歩いていった。

 少し離れた所に、ボイオリクスが呆然と膝まづいているのを見つけた。彼は真っ赤だった。返り血なのか、怪我をしているのかわからなかった。思わず近づくと側に見慣れたチェックの外套を着た男が息絶えているのも見えた。

「アルビトリオスさま……」
「俺のせいだ」
ボイオリクスが呆然とつぶやいた。

「敵に囲まれた俺を助けようと、叔父貴は……」
 彼の左肩から腕にかけて傷が見えた。彼は痛みで氣を失いそれ以上戦えなかった。薄れていく意識の中で最後に見た叔父は、傷だらけになりながらも両手に持った剣で十人以上の男たちと打ち合いながらボイオリクスの方に向かってくる勇姿だった。


 長老が戻ってきた。重い足を引きずって、生き残ったヘルヴェティ人たちに声が届く所まで来ると、手を挙げて静粛にさせた。

「諸君。ご存知の者もあるかと思うが、我々は降伏した。ローマの示した降伏の条件は次の通りだ。我々が殺したローマ兵たちの首を狩り持ち帰ることは許されない。我々が捕虜にしたローマ兵たちは全て彼らに引き渡し、死亡した我らが戦士の持ち物はローマが没収する。既に捕らえられたものは、捕虜となってローマに連行される。残りの我々は、ガリアに留まることは禁じられた」

「ということは?」
「つまり、元の土地に戻れということだ」

 大きな溜息が漏れた。元の土地。ただの焼け野原。雨露をしのぐ屋根すらないのだ。冷たい風が吹き、陽の差す時間は短く、葡萄もない谷間だ。だが、他に選択の余地はなかった。半数以上の仲間を失い、負傷した体を引きずって、もと来た道を帰るしかないのだ。来る時には希望に満ちていたのに。

 アルビトリオスの亡骸の側でうずくまっていたボイオリクスは、土に頭をこすりつけて、大声で泣き出した。
「ちくしょう! 俺たちは何のために戦ったんだよ。戦士として役に立たなかったと、生き恥をさらすためかよ。こんなんだったら、死んだ方がマシだよ。ここで叔父貴と一緒に」

 その弱音を聞いたアレシアは、怒りにかられた。アルビトリオスの亡骸に走りよると、肩のところを渾身の力で押して仰向けにした。体の下にあった巨大な剣が姿を現した。固まった指を外し、剣を両手で引き抜いた。アレシアが想像していたのよりずっと重かったが、それを引きずるようにしてボイオリクスの前に持ってきて、手を離した。ゴトッと鈍い音がして、それはうずくまるボイオリクスの額のすぐ側に落ちた。

 アレシアは面を上げた青年を睨みつけて叫んだ。
「死にたいなら、これで死になさいよ! これはもう、あなたのものなんだから。持ち主が死ねば、ローマの奴らが、喜んで戦利品として持っていくはずだわ」

 ボイオリクスは震える手で、その血にまみれた名剣をつかんだ。叔父が死しても守り、ボイオリクスとヘルヴェティ族に残してくれた形見だった。
「叔父貴……」

「父さんも、アルビトリオスさまも、私たちを救おうと命をかけてくれたのよ。その私たちが、命を粗末にしていいと思っているの?」

 ボイオリクスは大声で泣きに泣いた。アレシアは、ゆっくりと彼に近づくと、自分のスカートの端を引き裂いて、細い布をつくり、ボイオリクスの傷をぎゅっと縛った。

 誰かが、素晴らしいユートピアに連れ行ってくれるわけではない。それどころか、この悔しさや悲しさから救い出してくれるわけでもない。ただ、生きていくためだけにですら、自分たち一人一人が行動を起こさなくてはならない。アレシアは、今それを肌で感じていた。


 彼らは、亡くなった戦士たちを出来るだけ簡素に弔うと、ローマ軍に追われるようにして、もと来た道を戻りだした。旅の間、アレシアはやはりボイオリクスと一緒に居た。一日に何度も彼の傷の手当をし、その傷が塞がってくるのを自分のことのように喜んだ。アレシアが途中で熱を出した時には、今は亡き父親の代わりにボイオリクスが一晩中、側について面倒を見た。

 ボイオリクスは旅の始まりの頃とは別人のようだった。叔父のように無口になり、目つきは少し厳しくなった。さぼりがちだった鍛錬を、叔父の小言はなくなったのに一人で実行し、夕方には何匹もの小動物を捕らえてはアレシアと自分の分だけでなく、大黒柱を失った女たちにも配って歩いた。

 アレシア自身も変わっていた。西のユートピアにたどり着いたらどんなにいい暮らしが出来るのかと、夢ばかり見ていたのはほんの一ヶ月前のことだったのだ。だが、アレシアはもう誰かに与えてもらうユートピアなど信じていなかった。ラバや馬の世話、荷車の整頓、炊事、ボイオリクスと自分の衣類の洗濯など出来ることを黙々とこなし、それから星空の下で焚火にあたりながら、母親を失った幼い子供たちを子守唄で寝かせてやった。


 ヘルヴェティ族が旅立ったもとの土地にたどり着いたのは秋風が吹く頃だった。一族の数は半減していた。戦いで命を落とした者や捕虜になった者の他に、長旅による疲れと病で命を落とした者たちも多くいた。だが、彼らをもっとも落胆させたのは、わかっていたこととはいえ、戻ってきた時に目にした故郷の変わり果てた姿だった。

 アレシアは変わらぬ丘の上からかつて村のあった場所を目にした時に、思わず涙ぐんだ。かつてこの時期には金色の小麦が風になびいて輝いていた場所はただの草原になっていた。あの川の曲がったところに広がっていた集落とその境界もすべてただの草原になっていた。それが集落だったとわかるのは、アレシアが愛していたいくつもの美しい大木が、黒焦げになって佇んでいたからだった。

 ゆっくりと体を休められる我が家はもう存在しない。冬が来るのに、一粒の穀物もない。ここに戻れというのは、冬の間に死んでしまえってことなのね。アレシアは体中の力が抜けていくのを感じた。それは彼女だけではなかった。文句もいわず、黙って旅を続けていた多くの女たち、老人たちのすすり泣きがあちこちから聞こえてきた。

 だが、伝令は馬で威勢良く駆けてきて、丘の上の一族に声を張り上げた。
「皆、心配するな。ローマから冬を越すための穀物が送られてくる。村や町を建て直すのに必要な資材や援助も明日には届けられるそうだ。我々が今しなくてはならないのは、冬が来る前に住める家を建て直すことだ。ここで泣いていないで、我々の土地に入ろう。あれが我々の生きていく土地なのだ」

 ボイオリクスは不審に思って質問した。
「なぜローマの奴らが負けた俺たちにそんなに親切にしてくれるんだ?」

「スエービー族のせいだ。我々がここで死に絶えてしまったら、春にはスエービー族がここに入植してくるだろう。現に、北や東の土地にはもう奴らが入り込んでいるんだ。カエサルは、我々にここでスエービー族を食い止める役割を期待している」

 どう利用されるとしても、他に生き延びる術のない敗者ヘルヴェティ族には、断る選択はあり得なかった。


「あなたは、コンダに帰るの?」
アレシアはボイオリクスにずっと訊けなかった問いを口にした。離れがたいけれど、それを口にしてはいけないような氣がしていた。

 ボイオリクスは最近生やし始めたあご髭をしごきながら少し考えるふりをした。
「どうかな。北はもうスエービー族にやられたって言っていたよな。わざわざ行って、ダメだからって戻って『この村に俺を住ませてくれませんか』って訊いてまわるのも面倒だよな」

 アレシアが嬉しそうな顔をしたのを横目で捉えながら、彼は今までのようにアレシアの荷車につなげてあるラバの鼻面を叩いて丘を降りだした。

「お前の親父さんや、フリディアの旦那の分の力仕事をする男手が必要だろ?」
アレシアは満面の笑顔で彼を追った。


 村作りは順調に進んだ。ヘルヴェティアは秋の好天に恵まれた。アレシアは大量の葦を運んでくると、息をついて屋根を葺いているボイオリクスに声を掛けた。
「ねえ。疲れちゃったわ。少し水でも飲んで休まない?」

 村のあちらこちらに、家の形を成していく建物が次々と完成していく。ボイオリクスは降りてくるとどっかりとアレシアの隣に座った。

「ねえ。直に村は元通りになるわね」
アレシアの言葉に、彼は首を振った。

「元通りじゃないよ。もっと大きくして、立派な町にするんだ。俺たちの世代には無理かもしれないけれどさ。俺は叔父貴と『雷鳴』の名に懸けて、この村をスエービーやローマから守ることに生涯を捧げるぞ。だから、お前も、女としての使命を果たせよ」
「女としての使命って?」
「産めよ、増やせよってヤツさ。立派な町にするには、今の人口は少なすぎるもんな」

 彼女は呆れて若い男の顔を見た。
「だけど、私はまだ未婚なのよ。どうしたら子供を産みまくれるって言うのよ」

 ボイオリクスはウィンクしてみせた。
「それについては、この俺が大いに協力できると思うぜ」

 アルビトリオスさまに似てきたと思ったけれど、とんでもないわね。アレシアは図らずも顔が弛んでしまうのを見られないように、ことさら澄まして立ち上がった。白い壁が目に眩しかった。

 ここは日照時間の少ない寒い土地だ。小麦は年に一度しか収穫できない。葡萄がたわわに実る土地でもない。輝く深紅の石もなければ、市場を歩く美しい奥方もいない。でも、それが何だというのだろう。明日も、来年も、何百年も、私たちはここに根を下ろすのだ。

 ボイオリクスと一緒に、ここに居るみんなで、心地よい村を作っていこう。家の壁にはお母さんが描いてくれたような美しい絵を描いていこう。生まれてくるヘルヴェティの子供たちに素晴らしい故郷を用意してあげよう。私たちの手で、誰にでも誇れる素晴らしい国にしていこう。

 アレシアは次の葦を運ぶために、川の方へと歩いていった。

(初出:2012年5月 書き下ろし)







前書き
1. 希望の旅立ち
2. 帰還
後書きならびに感想&反省
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