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Posted by 八少女 夕

【小説】夢から醒めるための子守唄 (4)

五回連載の四回目です。本文とは何の関係もありませんが、ハンガリーの姓名は私たちと同じ順番なんですよね。この物語の登場人物はみなドイツ語で会話している設定なので、そこまでこだわる事はなかったんですが、人物の性格から考えると、正しい順番で呼ぶだろうなと思ったのです。




夢から醒めるための子守唄(ララバイ) - 
4. 彩りの秋、ターニングポイント


レーナはいつものように頬杖をついて黙って仕事をするホルヘを眺めていた。火曜日の午後に、ホルヘの工房で彼の仕事を見守るのは、レーナにとって日曜日の教会のミサのように当たり前の習慣になっていた。といっても、レーナが教会に行くのは年に数回でしかないのだが。

白樺を使った椅子とホルヘは格闘していた。見かけは優雅で柔らかなフォルムだが、実際にはとても硬い木材なのだ。レーナは自分がここにいることも忘れられていると思っていたがそうではなかったらしい。

「悪いが、その引き出しに入っている錐を取ってくれないか」
ホルヘは椅子の足から目を離さずに言った。レーナは引き出しを開けてみたが錐はなかった。
「ないんだけど」
ホルヘは乗り出して引き出しを見た。他の引き出しや棚の上も見たが、錐はなかった。

「また、あいつだ」
そういうとホルヘは大股に工房から歩み出て、大きな音のしている隣の工場にむかって怒鳴りつけた。
「ジォン!俺の錐をどこにやった!必ず返せと何度言ったらわかるんだ」

隣から聞こえていた大きな騒音がぴたっと止んだかと思うと、ばたばたと走り込んで来る音がした。
「ごめんよ、フエンテス」

その男はやたらと背が高かった。タンクトップから露出した肩には日焼けした筋肉が盛り上がり、汗の匂いがした。セクシーな若いお兄さんだこと。しかし慌てて錐を引き出しに返す姿は、多少情けない。レーナはこれが話にきいていた鍛冶屋のジォンかと眺めた。

「あれ、可愛い子ちゃんがいるぞ。フエンテス、隅に置けないな」
ジォンは奥に座っているレーナに目を止めて口笛を吹いた。ホルヘはムッとした顔で答えた。
「下らないことを言うな。見学をしているただの友人だ」
「ふ~ん?じゃあ、今度俺がデートに誘っても怒らない?」
「勝手にしろ」

ジォンが出て行くと、レーナは目を潤ませてホルヘを睨んだ。ホルヘはそのレーナを見て言った。
「なんだ」
「どうしてあんな事を言うのよ。私の氣持ちを知っているくせに」

ホルヘは困ったようにため息をついた。
「まだそんな事を言っているのか」

「インターネットサイトの肩書きだけで男を探すなって言ったのはホルヘじゃない」
「だからって、なんで俺に惚れるんだ。俺は小児性愛嗜好者じゃないんだ。俺はお前の父親と変わらないだろう」
「ホルヘ、何歳なのよ」
「もうじき四十六になる」

それを聞いてレーナは勝ち誇ったように言った。
「じゃあ、私のお父さんは十三歳で私のお母さんを妊娠させた計算になるわよ。私たち、歳はそんなに離れていないんだわ」

ホルヘは目を剥いた。
「お前、三十歳を超しているのか?俺はまた、二十代初め、もしかしたら十代かもと…。そんな世間知らずの三十代があるか!」
「しかたないでしょう。そりゃ、私がちょっと頼りないのは確かだけど。とにかく私は子供じゃないのよ。だから、好きでいてもいいでしょう」

ホルヘはきっぱりと首を振った。
「いい加減にしろ。俺はお前の理想の恋人と正反対じゃないか。それに、俺なんかに関わると後悔することになるぞ」

「もういい」
レーナは鞄を取って工房から走り出た。前にもこういうことがあったが、やはり同じだった。ホルヘは追ってきてはくれない。だが、その後に冷たくなるわけではなかった。レーナの勤める『dangerous liaison』に来てはいつもと同じように話し、レーナの子供っぽい意見を皮肉に満ちた口元でたしなめた。火曜日に工房に遊びにいくことも特には禁じない。だからレーナは諦めきれなかった。

ホルヘとサービスエリアのカフェで知り合ったのは去年の秋だった。あの頃、インターネットの出会いサイトで理想の恋人を探していたレーナは、手厳しい意見をしたホルヘのことを忌々しく思っていた。けれど、彼を少しずつ知るようになり春には彼に好意を持ち始めた。皮肉っぽい所はあっても優しく、仕事の心配もしてくれたホルヘに、レーナはどんどん惹かれていった。そして、今や、もともとの理想はどこかに吹き飛んでしまった。私が探していた理想の相手って、あのラルフ・ハイディガー先生みたいなつまらない男じゃない。ホルヘのもと奥さん、えせカトリーヌ・ドヌーヴはどうしてホルヘを捨ててあんな男のもとに走ったのかなあ。私にはちっとも理解できない。レーナは首を傾げた。

去年の秋とは何もかも違って見える。今年の秋は当たり年だ。蓼の葉はこれ以上ないというほど赤く燃え立ち、菩提樹の黄色はいつにもまして濃かった。柔らかい日差しはヘーゼルナッツや白樺の暖かい色合いの葉に降り注ぎ、それらの色の競演がフェーンで異様に深まった紺碧の空に映えた。恋に悩むレーナの傷ついた心は、実に効果的に高揚した。


「あれ。あの女」
マルクスは並木道をぼんやりと歩くレーナの姿に目を留めた。

一緒に歩いていた学生時代の友人のジォンは驚いたようにマルクスを見た。
「あれ、『dangerous liaison』のレーナをお前も知ってんのか」
「へぇ、あそこに勤めてんのか。前にちょっとな」

ジォンはマルクスが出会いサイトでレーナを騙したことや、それがバレたために自分が妻に吊るし上げられて離婚寸前に追い込まれて、レーナを逆恨みしていることも知らなかった。それで悪友がレーナに別の興味を持っているのだと思って言った。

「可愛いけど、狙ってもダメだぜ。あの子、指物師のフエンテスに夢中で、俺も振られたんだ」
「へえ。あのフエンテスに?できてんのか?」
「いや。フエンテスは変な所は頑固なヤツだからな。いくら惚れられているからって無責任に食ったりはしないのさ。そういうところは憧れるよな。俺なら即いただいちゃうと思うけど」

それを聞いて、マルクスはにやりと笑った。あの女を痛い目に会わせてやるいいチャンスじゃないか。夜まで飲んでからジォンと別れた後、マルクスは自分の携帯の番号通知を使用不可にして、出会いサイト経由で会った時に知ったレーナの携帯電話にメッセージを送った。


「あら、ホルヘ、どうしたの?」
その夜『dangerous liaison』にやってきたホルヘに店番をしていたカウンターにいたトミーが声を掛けた。

「お前こそ、どうしたんだ。今日はレーナの日じゃなかったのか」
「何を言っているのよ。レーナはあんたにデートに誘ってもらったからって、あたしに交代を頼んできたのよ」
「俺とデート?何の冗談だ?」
「さっき、メッセージを見せてくれたわよ。ジャズのコンサートのチケットが手に入ったから、いつものサービスエリアのカフェに九時半に来いって。他には『バードランドの子守唄』がどうのこうのって書いてあったかな。Jって頭文字だけだったけど、あたしでもあんたからだと思ったわ。違うの?」
「違う。俺はそんなメッセージは送っていない。あいつは俺の携帯の番号を知っているのに…」
ホルヘは携帯を取り出すために上着を探った。

掛けようとした時にレーナからメッセージが入った。
「五分ほど遅れるけれど、すぐ行くから待っていて」

氣を利かせて、トミーはレーナに電話をかけてホルヘに渡した。一瞬、電話は呼びだし状態になったが、すぐにレーナが電話を切ってしまった。ホルヘがレーナにかけ直した時には電話は留守番状態になっていた。

「ちくしょう」
ホルヘは上着を取って立ち上がった。トミーは肩をすくめた。
「自分で電話を切ったのよ。五分後に向こうについたら自分が勘違いしていたことがわかるんじゃないの?Jがだれかはわかんないけれど」
「あいつに何かあったらどうするんだ。明らかに俺を装ってあいつをおびき出しているんだぞ」
「何かあったら?あんたの知ったことじゃないでしょう?どうせあんたは、あの子のあんたへの恋心には興味ないんだし。放っておきなさいよ」
「放っておけないんだ!」
そういって出て行ったホルヘを、トミーは片眉をあげて見送った。あらそう。そういうことなのね。


サービスエリアの光が見える森の出口で、走ってきたレーナは急に襲われた。あまりに突然のことで、しかも暗闇の中だったので、自分を襲っている男が自分を騙したハインツ・ミュラーを名乗っていた男だということに氣づくまでしばらくかかった。

「まんまと騙されたな。俺をひどい目に遭わせた報いを受けさせてやる」
「いや。離して!どうして?」
レーナは恐怖に駆られて、逃れようとした。けれどロープを用意して待っていたマルクスは、簡単にレーナの自由を奪い、森の中に連れ去ろうとした。レーナはまだサービスエリアにホルヘがいると思っていたので、ここからでは届かないとは思っていたが必死に助けを求めて叫んだ。

「静かにしろ、このクソ女」
怒りに駆られたマルクスはレーナの口を塞いだ。誰かがやってくる音がしたのだ。レーナもそれを感じたので、必死でマルクスの手に噛み付き、ひるんだ男の隙をついて助けを求めて再び叫んだ。

駆けてきた足音は、まっすぐ二人の方にやってきて、問答無用でマルクスに殴り掛かった。ホルヘだった。マルクスは応戦しようとしたが、普段スーパーの事務業務をしているマルクスが腕っ節でホルヘに敵うはずはなかった、しばらく殴り合った後、マルクスは簡単に伸びてしまった。

「ホルヘ…」
ショックで震えて泣いているレーナをホルヘは抱きしめた。
「マーレルネー・エレーナ。お前はどこまで馬鹿なんだ。なぜ、携帯の電源を切った」

暖かくて木の香りがした。安堵が躯の隅々にまで満ちて来る。レーナは泣きながら答えた。
「トミーが電話してきたの。せっかくのデートを邪魔されたくなかったの」

「なぜメッセージの差出人を確認しない。俺の携帯の番号は登録してあるはずだろう」
「だって、だって…。ホルヘが誘ってくれたと思ったんだもの。そうだったらいいって、振り向いてほしいっていつも思っていたから、違うなんて思いたくなかったんだもの」

「そんなだから、こんな下衆野郎に騙されるんだ。お前はナイーヴすぎる。本当に危なっかしい」
「やめてよ。わかっていても、こうやって優しくされたら、また期待しちゃうじゃない。もしかしたらいつかは振り向いてくれるかもって夢見ちゃうじゃない。もう、私のことは放っておいてよ」

泣きじゃくるレーナをホルヘはもっと強く抱きしめて、先程トミーに言った言葉を繰り返した。
「放っておけない。何をするかわからないから、目が離せない」
その言葉が嬉しくて、レーナはもっと激しく泣き出した。

ホルヘはレーナを立たせて、自分の上着を掛けてやった。それから伸びているマルクスを一瞥してから、レーナの肩を抱いて村の方へ戻りだした。

「フラットまで送るから」
「いやっ」
レーナは激しく頭を振った。
「何が嫌なんだ」
「怖いもの、一人にしないで」

ホルヘは冷えた秋の夜風に顔を向けて、大きくため息をついた。
「じゃあ、俺の所に来い。後悔しても知らないぞ」

レーナはますます泣きながら、ホルヘの腕にしがみついた。ホルヘは何でもないように静かに続けた。
「言っておくが、掃除なんかしていないからな」
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