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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 番外編 〜 ロンドンの休日 〜 featuring「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」

今回発表する小説は、このブログではおなじみの「大道芸人たち」の番外編です。ブログのお友だちTOM-Fさんとの初コラボ作品です。あちらのブログで現在連載中の「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」の主要登場人物三人(主役のエミリーちゃんとマイケル氏、そして私の一押しハノーヴァー公)と、「Artistas callejeros」のメンバーが、ロンドンで出会う夢の競演! 

「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」は、ロンドンを舞台に、スコットランドヤードの若きエリート刑事と、見かけも身分も手の届かぬ雲の上の少女が、猟奇的殺人事件を通してめぐり逢い行動を共にするローファンタジー小説です。超自然的な能力を操る集団が闘争するドキドキものの展開、手に汗を握るストーリー、ほどよいロマンス風味、イギリス好きなら見逃せない観光案内、あり得ないはずのロンドングルメ案内など、私のツボを押さえたお話で、毎回楽しみにしているのです。というわけで、三人にお会いしたくて、四人を無理矢理ロンドンへと派遣しちゃいました!(ついでに拓人の元カノも再登場……)

TOM-Fさんのブログからお越し下さいました皆様、こんにちは。三人のイメージを壊さないように頑張りました。当方の作品をお読みになった事のない方のために、ここに「大道芸人たち」のあらすじと登場人物へのリンクが貼付けてあります。

TOM-Fさん、競作の作業、とっても楽しかったですよね。いきなりの申し出に、快く承諾していただき、さらには共同作業がしやすいように、数々の準備を黙々としてくださって、本当にありがとうございました。おんぶにだっこで、呆れたでしょうが、これに懲りずに、またコラボしていただければ幸いです。


【小説】大道芸人たち あらすじと登場人物

同時発表:TOM-Fさんの「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」Chapter X ロンドンの休日(Layer-3, Overlook) featuring 「大道芸人たち Artistas callejeros」はこちらから



大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 〜 ロンドンの休日 〜 
featuring「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」



「アーデルベルト、アーデルベルトじゃない? まあ、なんて偶然かしら」

ヴィルは、いつもの無表情のまま、ゆっくりと振り向いた。ロンドン・サウスエンドには、いくつかのフルートの工房がある。定休日で各々が自由に過ごしたこの日、ロンドン中心部で思いついて楽器店に入ったヴィルは、この地区の職人たちの噂を聞き、その足でとりあえずやってきたのだ。声を掛けたのは、その内の一つの工房から出てきた女だった。

「エヴェリン、あんたか」
それはミュンヘン大学でフルートを習っていた時代に一学年先輩だったエヴェリン・レイノルズだった。

「まあ。こんなところで再会するなんて。いつ、ロンドンに? どうしているの? あなたもフルートの調整に?」
畳み掛けられる質問に、ヴィルは苦笑した。

「ロンドンには仲間とちょっと寄っただけだ。俺はあんたも知っているように、もうフルートは吹いていない」
「だったら、どうしてここに?」
エヴェリンの疑問はもっともな事だった。

「ちょっと、観光中にここの噂を聞いたんだ。知り合いのフルートの事が氣になっていたから」
そう、調整が必要なのは、蝶子のフルートだ。その事は、本人がよくわかっているはずで、ヴィルがそれを氣にするのは全く余計なお世話だった。

「そう。その情報は、あたりよ。ここは、ロンドンで最も腕が良くて、良心的な職人たちが工房を持っているの。それと、私みたいに急いでいる人間にも、嫌な顔せずに対応してくれるの」
それは、いい事を聞いた。ヴィルは思った。ロンドンにはそう長く居るとは思えない。何日も待たされるようでは困る。

 エヴェリンが、まだいろいろと訊きたそうなので、それを封じるためにヴィルは特に興味もなかったが彼女の事を話題にした。
「あんたはどうしているんだ? 俺はあれから音楽界の事情には疎いんで、当然知っているべき名声についても知らないんだ。氣を悪くしないでくれ」

 エヴェリンは悲しそうに微笑んだ。
「ふふ。名声なんてないわ。私のキャリアの最高点は、あの時、あなたが優勝したあのコンクールで六位入賞したあの年だったのよ」

 ヴィルは余計な口を挟まなかった。

「ロンドンのオーケストラに二年ほど勤めたけれど、結局新しい人たちに座を明け渡す事になったわ。今は、ミュージカルのオケ・ボックスで吹いているの。しかたないわよね。職があるだけでもありがたいと思わなきゃ」
「そうか」

 エヴェリンは、この青年の無表情をありがたいと思った。この男はどんな時でも、大して感情を持たないのだ。下手に同情されるよりずっといい。

「あなたが、フルートをやめたって聞いた時、これで私に少しはチャンスが回ってくるかと思ったわ。でも、そんなものじゃなかった。上手い人が一人いなくなったからって、私の人生には大して変化はなかったんだわ」
「そうだな」

 ヴィルは、ぼんやりと蝶子のことを考えた。自分が父親の一番の弟子だったとしても、蝶子は父親の元でフルートを学んだだろう。そして、自分がいようといまいと、結局は自由を求めて父親の元を去っただろう。

 だが、もし蝶子がフルート界に戻ろうとするならば、かならず親父の目に留まる。その時には、俺と一緒にいる事は叶わないだろう。つまり、俺といる以上、蝶子の音楽に未来はないのだ。

 ヴィルは蝶子のフルートのきしんだ音色に苦痛を感じた。

 ヴィル本人は大道芸人として生きる根のない生活を心から愛していた。フルートをやめた事も、全く後悔していなかった。時おり蝶子に吹かせてもらう、フルートの音色を響かせるだけで完全に満足していた。名声も、金も、何もいらなかった。だが、あふれるばかりの野心とともに日本からやって来た愛する女の音楽をこのまま摘み取ってしまうのかと思うと、腹の底が捩じられるようだった。微妙な狂いが楽器に生じてくる。それは、道を往く観光客には聴き取れないほどわずかなものだ。だが、ヴィルにはわかる。蝶子はもちろん、稔にもわかるだろう。

 稔はいい。もし彼が望めば、彼は日本で再び三味線の活躍の場が与えられるだろう。あの卓越したギターにも、別のチャンスが待っているかもしれない。

 だが、蝶子は……。エッシェンドルフ教授と息子のヴィル、二人の男に愛されたがために、彼女の芸術は、行き場を失っている。彼女の音楽を誰よりも愛するヴィルにはそれが何よりもの苦痛だった。

「じゃあ、アーデルベルト、またいつか逢えるといいわね」
「ああ、エヴェリン、あんたもな。活躍を祈っているよ」
らしくない親切な言葉に、エヴェリンは首を傾げた。

 アーデルベルト・フォン・エッシェンドルフが立ち去ってからしばらくして、彼女は肝心な彼の事を訊きそびれた事を思い出して悔しがった。そういえば、数年前に聞いた噂では、エッシェンドルフ教授が、私と歳のほとんど変わらない日本人の生徒と結婚するって事だったわよね。新しい義母の事についても訊くべきだったのよ! ああ、失敗しちゃった!

※ ※ ※

 稔は、レネを拾いにハロッズに入って行った。高級デパートか。全く俺の趣味じゃないんだよな。でも、待ち合わせにわかる名前がそのくらいしかなかったんだ。
「ええと、カフェ・フロリアン、三階か……」

 ハードロック・カフェは楽しかった。ピカデリー・サーカスやロンドン塔ってのもなかなか面白かった。稔は以前一度ロンドンに来たことがあった。まだArtistas callejerosを結成する前で、手持ちの金に全く余裕がなかったので、観光らしい観光はまったくしてこなかった。特に入場料のかかるような観光は全然しなかった。

 蝶子が、大英博物館に行くと言った時には断った。
「俺、もう行ったんだ。あそこはタダだったからさ。それより、今度は二階建てバスに乗りたいんだ」

 公共バスの方がもっとお金がかかるのだ。稔は一日乗車券を買って、何度もバスに乗ったり降りたりしていた。

 あっという間に、待ち合わせの時間の一時間前になった。稔は二階建てバスで遊ぶのをやめて、ナイツブリッジに向かった。

(ハロッズかあ。ブラン・ベックのヤツ、こんなところで退屈してんじゃないのかなあ。本屋で待ち合わせればよかったんだよな、まったく)

 そうして、エレベータを待っていると、隣に男がすっと立った。きっちりとスーツを着こなした金髪碧眼の青年でいかにも英国紳士らしき礼儀正しい佇まいだった。だが、その男の醸し出す雰囲氣に、稔はさっと身構えた。

 サツだ、こいつ。それは四年間の浮浪者同然の生活で、自然と備わった野生の勘のようなものだった。稔は、すっと後ずさりをして、その男から離れた。

 なんて馬鹿げた振舞いなんだろう、稔は自嘲した。これじゃ、俺、まるで犯罪者じゃないか。稔は、現在はもちろん過去にも、警察を怖れなくてはならないことはしていなかった。公には。だが、あの四年間、遠藤陽子との結婚の約束を反古にして失踪し、ヴィザも住むところもない四年を過ごしていた間、ずっと犯罪者と同じ心持ちだった。そうだ、俺は、陽子が黙って受け入れて警察にいかなかったから犯罪者にはならなかったが、本当は結婚詐欺を働いて逃げている犯罪者だったのだ。

 詐欺男として警察に捕まるのが嫌だったのか、居場所がわかって日本に帰らなくてはならないのが嫌だったのか、はっきりしなかった。けれど、稔はいつも警察を怖れていた。それで、私服を着ていようと、完膚なきまでの紳士の姿であろうと、警官や刑事がどういう訳だかすぐにわかる特技を身につけてしまったのだ。そして、もう、怖れる理由がどこにもなくなった現在でも、その本能的な忌諱を発動してしまうのだった。

※ ※ ※

 蝶子は、大英博物館の大理石の床に静かにハイヒールの音を響かせていた。その冷ややかな音は、あたかも大聖堂の中にいるような敬虔で静謐な感覚を呼び起こす。

 ひとり静かに美術を鑑賞する。これは蝶子がイタリア時代から定休日に続けてきた習慣だった。他の三人はさほど美術館や博物館に興味がないので、これは一人を楽しむ時間と決めていた。

『エルギン・マーブル』展示スペースに入った時には、誰もいなかった。巨大な大理石の群像が圧倒する迫力で置かれているのを、蝶子は黙って見ていた。

 やはり、静かな靴音がして、誰かが入ってきたのを感じた。その音は、他の鑑賞者の邪魔をすまいとする心遣いにあふれていながら、しっかりとした自信を感じさせるものだった。蝶子は振り向いてはっとした。そこにいたのは実に質のいいスーツを身に着けた紳士だった。ウェーブのかかった金髪と、凍り付きそうな青い瞳、それは、蝶子が知っているある男には似ていなかった。けれど、あたりを威圧する佇まい、自分が誰だか、どれだけ重要な人物かよくわかっている人間の立ち姿がエッシェンドルフ教授を思い出させた。その記憶から目を逸らして『エルギン・マーブル』に意識を戻そうとした途端、突然の喧噪がすべてを中断した。

「あっ、これだ、これっ」
「銀行のコマーシャルで使われていたヤツだね。同じポーズしようぜ」
「チーズっ」
東洋人観光客だった。二人の目の前を遮るように写真を撮ると、ガヤガヤ話しながらさっさと去って行った無粋な若者たちに、蝶子は眉をひそめた。

 蝶子自身はカメラを持っていない。何かを撮影して、それだけで満足するような芸術の鑑賞をしないでいることを、蝶子はとても嬉しく思った。もちろん、それは所有するものの限られる大道芸人生活という制限があっての事だったが。

 ふと、紳士もその集団に眉をひそめていたのを目にし、蝶子はにっこりと微笑んだ。
「困ったものですわね」

 紳士は、表情を緩めて向き直った。
「本当に。マナーのなっていない者には、芸術を鑑賞する資格はない」
「全く同感ですわ。でも、幸い、あの手の人たちは長居はしません。静かになりましたから、これからゆっくりと鑑賞することにしましょう」

 二人は、ゆっくりと『エルギン・マーブル』を正面から見据える事の出来る、少し後ろの方へと移動した。
「申し遅れました。私は、アーサー・ウイリアム・ハノーヴァーといいます」
「四条蝶子です」

「エルギン・マーブルに興味がおありですか?」
ハノーヴァー氏の問いかけに、蝶子は小さく頷いた。
「ええ。一度観てみたいと思っていました。こんなに大きなものだったなんて。よくイギリスまで運んでこれたと思いますわ」

 相槌を打ってハノーヴァー氏は続けた。
「エルギン伯爵トマス・ブルースがパルテノン神殿から略奪してきたものだ、と言われています。いちおう時の領主であったセリム3世の許可はとったらしいが……まあ、略奪といっていいでしょう」

 ヨーロッパには、ロンドンやパリやローマには、そんなものばかりが残っている。蝶子は、この国のことをさぞ誇らしく思っているに違いないこの完膚なきまでの英国紳士を少しちゃかしてみたいいたずら心に駆られた。
「ギリシャに返却すべきものだとはお思いになりませんか?」

 彼は、怯んだ様子も、腹を立てた様子も見せなかった。ただ、少しだけ顎を撫でて考えてから口を開いた。
「もちろん、本来なら、パルテノン神殿と一体となった状態で評価されるべきものだ。しかし、あの時代のギリシャに放置していたら、もうとっくに崩れて風化し、ただの瓦礫となっていた事でしょう。ここに置いてあるかぎり、このレリーフは安泰です。芸術というものは、それにふさわしい所にあってこそ、その本来の輝きを放てるものだと思いませんか」

 蝶子は、はっとした。
「……。おっしゃる通りかもしれませんわね」

 虚をつかれたようだった。芸術はふさわしい所にあってこそ……。フルートをぎゅっと抱きしめる。もうとっくに調整に出していなくてはならないはずだった。大道芸人の暮らしでフルートは悲鳴を上げている。私たちの音楽も、路上で風化し、瓦礫と化してしまうのかもしれない。

 蝶子は、ふとこの紳士に、芸術のあるべき場所について、もっと訊きたくなった。言葉をまとめて声を掛けようとした時、紳士が不意に胸ポケットに触れて、携帯電話を取り出した。眉を顰めている。何か大切な用件なのだろう。

「貴女とは、もっと親交を深めたいところだが。あいにく、今日は時間の持ち合わせが少なくてね。じつに、残念だよ」
蝶子は落胆の表情を見せないように努めながら、微笑んだ。
「お話が出来て、光栄でした。閣下」

 なぜ、そんな敬称が出てしまったのか、自分でもわからなかった。しかし紳士は訂正せずに別れの言葉を口にするとゆっくりと出口に向かって歩いていった。答えは自分で見つけなくてはならないのだわ。蝶子はひとり言をつぶやいた。

※ ※ ※

 レネは、その頃、約束通りハロッズ三階の「Caffè Florian」の一角に座っていた。大好きな本屋巡りをした後、一足先に着いて甘いものを堪能しようとしたのだ。

 彼は、渡されたメニューを開いて目を疑った。嘘だろう? これって本当にポンド建てなの? ユーロにしてもこんなに高いなんてあり得ない。黒いスーツを着たウェイターが礼儀正しく、ただし馬鹿にした目でレネの慌てた様子を見下ろしていた。

 その時、ウェイトレスに案内されて隣の席についた客があった。ウェイターがはっとしたようにそちらを見たので、レネも一緒に隣に座ったいい香りのするふわりとした布の方を見た。そして、目が釘付けになってしまった。それは少女だった。美しい乙女。しかし、それだけなら、この世にはいくらでもいる。そこに座っていたのは、どこにでもいるような美少女とは全く違っていた。

 まず、髪が艶やかな真珠の色だった。透き通るような肌と紅い瞳が次に目に入ったので、ああ、アルビノなんだと思った。ところが、ぶしつけなレネの視線に不審げにこちらを顔を振り向けたので、もう一つの瞳が見えた。海の底のように碧かった。オッドアイ! ネコは別として、レネは今まで本物の虹彩異色を見た事がなかった。隣に、そんな美少女がいる。ふわりとしたクリーム色のジャンパースカートから、花のようなほのかな薫りが漂っている。

「ミスター、ご注文はいかがいたしましょうか」
ちいさな咳払いに続いて、ウエイターが畳み掛けてきて、レネは慌てて目をメニューに戻した。
「あっ。では、コーヒーとティラミスを……」

 つい、そう答えてしまってから、レネは財布にいくら入っているか心配になった。ウェイターが去ると慌ててポケットを探る。隣の少女の視線が氣になり、ますます落ち着きがなくなった。でない、でない、この財布が。

「あっ」
そう思った時には財布の代わりに飛び出たカードが、床に散らばっていた。ウフィッツィ美術館の金箔入りタロットだ。

 彼女は慌ててカードを拾うレネをじっと見つめていた。集めるときの鮮やかな手つきが、ドジでひょろひょろしたダメ男に似合わない。カードはレネの手の中で生き物のように礼儀よく整列し、タララララと音を立てて、一つの束に収まった。

「ねぇ……」
どこからか声が聞こえたような氣がする。隣の美少女のあたりから。まさか。また僕の妄想かな。

 しかし、それは妄想ではなかった。少女はレネが聴こえなかったのかと思ったのか、もう少しはっきりと話しかけてきた。
「あなた占い師なの?」

 神様! 彼女が僕に話しかけている。ありがとうございます。このチャンスを大切にします。レネは嫌われないように、慎重に、真剣に答えた。
「いえ、本職は違うんですが、でも、占いもします。友だちにはいつも一枚だけ引いてもらいます。よくあたるって言われますよ」

 少女が、美しい紅い唇をほんの少し動かして微笑んだ。スカートの衣擦れがして、もっとこちらに向き直った。あ。自己紹介しなくちゃ。
「ああ、僕はレネ・ロウレンヴィルといいます」
少女は、はっきりと笑って答えた。
「わたしは、エリザベート・フォアエスターライヒよ。……一枚引かせてくれる?」

 レネは心から嬉しく思った。他のどんなこともレネは人並み以下だったが、カードの腕前だけは誰もが褒めてくれる。パピヨンですら、僕のカードは天下一品だって保証してくれるぐらいなんだから。

 レネは頷くとカードを切った。先程カードを拾ったときよりももっと早く、華麗だった。もちろん、このパールホワイトの髪と輝く二色の瞳を持つ美少女に自分をよく印象づけるためである。美しく輝く金箔押しのカードの扇が少女に差し出される。エリザベートの美しい指先が、微かに震えながら一枚のカードを抜き取った。ゆっくりと表に返される時の永遠にも思える時間。車輪が目に入る。おお。

「これは?」
「『運命の輪』。正位置ですね」
「どういう意味かしら?」
「どんなことも必然というカードです。必要な時に、必要なことが起こり、必要な時に必要な人と出会う」

 レネは、その後に「僕とあなたがここで出会った事も、運命ってことなんです」と続けようとした。この状況を利用するのではなく、これこそが運命なのだと思ったから。マドンナの天上の碧とカルメンの情熱の紅。二つの輝く瞳がふふっと優しく笑った。運命の女神がようやくレネに微笑みかけたかのように。

「失礼」
その無粋な、けれど完璧なマナーに則った声が聞こえて来たのはその瞬間であった。

 レネは、呆然と声の方を見た。この暑いのにきちっとジャケットを着込んだ若い青年だった。そして少女に話しかける。
「こちらの紳士は、おまえの知り合いなのか?」

「さあ、どうかしら」
 エリザベートがそう答えたので、青年は憤慨したように正面の席に腰を下ろした。
「すこし、話を聞きたい。あんた、エミリーとは、どういう関係なんだ」

 その剣幕があまりに激しいので、レネは少し腹が立った。イギリス人って、どいつもこいつも警官みたいだ。誰なんだろう、この人。それに……。
「エミリーって?」

※ ※ ※

 稔は、エレベーターを使いたくなかったので、わざわざ建物の反対側まで歩いてエスカレータを探した。ようやくお目当てのカフェにたどり着いた彼は、入り口で目を疑った。さっきのサツ野郎、こともあろうにブラン・ベックを尋問しているぞ。ってことは、あいつはあんまり優秀じゃないな。ブラン・ベックって犯罪を犯す、最後の人間ってヤツじゃないか。英語の文法風に言えば。

「とぼけるなよ。もしかして、あんた薔薇十字……」
そういって青年が立ち上がったとたん、テーブルが揺れて、ガチャンという甲高い音がした。

「あ」
レネの前にあった水の入ったグラスが、テーブルの上に倒れていた。呆然とするレネと青年が眺めている間にテーブルから零れ落ちた水は、レネの足にかかった。あちゃ~。稔は面白がって先行きを眺める。

 レネの隣に座っていた白い髪の少女がバッグからすばやくハンカチを取り出して差し出した。
「これを使って」

 警察関係と稔が見立てた青年は、慌てて倒れたコップをもとに戻した。少女はきつく非難した。
「ほんとうに、がさつで役立たずなひとね。この人とは、たまたま席が隣になったので、すこしお喋りしていただけよ」

 青年ははっとしたようだが、レネの方もがっかりした。たまたま隣になっただけ。この青年はエリザベート嬢とかなり親しそうだ。僕の運命の輪はどうなっちゃったんだろう。

「すまない、失礼をした」
 青年の謝罪に、レネは必死に作った笑顔で、いいですよ、と答えるしかなかった。

「それは、返してくれなくていいわ。ごめんなさいね」
そう言って、レネの手の中の濡れたハンカチを一瞥すると、エリザベートは軽い会釈をしてから、さっさと歩き出した。青年が慌てて後を追う。

 稔は、少女が自分の横を通る時に改めてその顔をちらりと見た。へぇ。こりゃブラン・ベックがぽうっとなる典型的なタイプだね。

「おい、どこに行くんだ」
追って来た青年も稔とすれ違う。出て行く二人を背中越しに一瞥してから、肩をすくめると稔は項垂れているレネのもとに歩いていった。

「なんだよ、ブラン・ベック。またかよ」
「なんて綺麗な人なんだろう、ヤス、見ました? あの瞳を」
「ん? ああ、もちろん。片っぽだけカラーコンタクト入れるなんて、自意識過剰の変な女だな。ありゃ、ギョロ目の別れたコブラ妻より厄介だぞ」
「なんて失礼な事を言うんです。あれは、オッドアイって言うんですよっ!」

※ ※ ※

「で? また記録更新しちゃったの?」
ドミトリーに戻ると、他の三人はもう戻っていた。蝶子は、一目でレネが再び失恋したのに氣がついた。蝶子の鋭い指摘にレネは肩を落とし、手に持っていた白いハンカチを見つめてため息をついた。

「もしかしたら、運命の女性だったかもしれないのに。でも、あの青年とはずいぶん親しそうだったから……」
「って、そのサツ野郎に尋問されていたじゃないか。ああいうのとは、関わらない方がいいって」
「どうしてヤスはそうやって勝手に決めつけるんですか」

 蝶子はレネが大切に握りしめている白いハンカチに手を伸ばした。
「ちょっと見せて」
「え。いいですよ。どうぞ」
彼女はその白い小さな布をそっと拡げた。

「ヤスの言う通りね。このハンカチの持ち主が、大道芸人と結ばれるとは思えないわ」
「どうしてですか?」

「見てご覧なさいよ。このレースの部分、手刺繍よ。ついているタグを見ると、スイスのザンクト・ガレンで作らせたものみたい。ま、350スイスフランは下らないわね。これを返さなくていいって言ったんでしょ。とんでもない大金持ちだわ。それに、この香水……」
「いい香りですよね。お花でしょうか」

「『リリー・オブ・ザ・バレー』よ。英国王室御用達フローリスのものじゃないかしら。鈴蘭は可憐に見えるけれど、猛毒があるんですって。触らぬ神に祟りなしっていうわよ」
レネががっかりし、稔は高らかに笑った。

「それはそうと、お前はどうしていたんだ?」
稔の質問に、蝶子の顔は少しだけ曇った。

「大英博物館に行ったのよ」
「つまんなかったのか?」
「そんなことないけれど、どうして?」
「なんか歯切れが悪いからさ」

 なめたらダメね。すっかり見透かされている。
「ちょっとね。出会った人に芸術の風化について言及されちゃったの」
それを聞いて、ヴィルの眉が動いた。彼はポケットから一枚のメモを取り出すと、蝶子に渡した。

 蝶子は、目を疑った。フルートの修理とチューニングの専門店の住所だった。
「どうしてわかったの?」
「たまたまだ。前から氣になっていた」

 蝶子は、肩をすくめて、それからいつもの笑顔になった。
「ありがとう、明日、行ってくるわ」

 稔が横から覗き込んだ。
「ふ~ん。サウスエンドか。じゃ、明日はこの近くで稼ぐか」

 四人は、それからいつもの通り、酒盛りを始めた。

(初出:2012年10月書き下ろし)
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Tag : コラボ 小説 読み切り小説

Comment

says...
 こんばんは。
大英博物館ーーーーー そうそう ギリシアでは 此の彫刻の本物は
大英博物館にあります って類が 笑い話になるほど 多かった 確かに…

そして ギリシアでは 美しい女神像も そのまま神殿の中に 風雨に晒されて
神殿の中に 佇んでいる。
僕は 其れでいいと思う 女神像は神殿にあってこそ 女神であるが
女神像を 博物館のライトの元に晒すことは 単なる美術品とする事。
神殿の中で 神殿と共に 風雨に晒され ゆっくりと朽ち果てていく とっても 優しい選択だと思う。

2012.10.17 10:42 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

エジプトのミイラも、けっこう大英博物館にいってて、カイロ考古学博物館のはしょぼかったりしたんですが。でも、どう考えても英国の方が状態は良かったかも。あれなら、墓場に返した方がいいぞ、エジプト人、と思いましたね。

まあ、英国もフランスも絶対に返しませんよね〜。だって空になっちゃうもの。博物館も美術館も。イタリアも「ええと、モナ・リザをそろそろ……」とか言いたいみたいだけど。

ギリシャに限らず、置いておいて風雨にさらされて朽ちていくのは、それが一番正しいと思うのですが、イデオロギーのために破壊されてしまうのは悲しいですね。作る時間や手間と壊すそれらのあまりの違いに。

コメントありがとうございました。
2012.10.17 17:31 | URL | #9yMhI49k [edit]

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