scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

西と東、昔と今

訪問させていただいた方の氣になる記事から、勝手に話を発展させてしまう記事シリーズ。

今回取り上げさせていただくのは、山西左紀さんの記事です。


 この記事がとてもツボにはまってしまいました。実はつい先日、東ドイツ時代の映像がテレビで流れていて(ドイツのテレビ局はヒトラー時代の話や東ドイツの話をほぼ毎週のように流すので珍しい事ではありません)、その鬱屈した重苦しい空氣をテレビを通して感じていたばかりだったのです。それは終わった事のようなのですが……。

 ベルリンの壁はもうないんですけれど、そして、かつてのDDRだった所も、大きく変わっているわけなのですが、それでもどこかにまだ「ベルリンの壁」がある。これが私の印象です。
 
 人々はいまだに「あいつは東だよ」といういい方をします。東ドイツ人と西ドイツ人は確かにどこかが違うのです。たった40年で、民族の氣質が変わるというのは驚くべき事ですが、共産主義時代に培われた人々の考え方、行動基準が十年経った今でも確かに残っているのです。

 経済格差は今でもあります。それに、ある種の差別、ある種の懐古主義もあります。恐るべき速さでやってくる変化にまぎれて、時としてそれは見えたり見えなくなったりするのですが、やはりどこかに壁があるのです。ドイツ語を話して、ドイツ人と個人的に知り合って話す、そこまでいかないとなかなか感じられないほどの微妙な壁です。

 そこは世界と世界、国と国の勝手な都合で生まれた不幸な都市、「東ベルリンと西ベルリン」です。

 東ベルリンについては山西なんかは映画から得た暗い抑圧されたイメージしかないんですけど、そこで人々はどんな生活を送っていたのか実際に見てみたかったです。実際に機能するベルリンの壁も見て体験したかったです。

 その当時、自由を謳歌していたように見えた西ベルリン、この孤島のように取り残された都市はどんな雰囲気だったんだろう。

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Comment

says...
 こんにちは。
ああっ ベルリンの壁 崩壊当時は 壁のかけら 話のネタとして売っていたらしいですね…
其の 収益は 如何様に使われたのだろう。

僕は 東ドイツ出身の方には 一人だけ会った事がありますね。
画家で バナナの絵ばかり描く 不思議な方でした。
御互いに カタコトの英語での会話で あまり 意思疎通できなかったですがね。
2012.11.22 08:01 | URL | #- [edit]
says...
あれ?こんなところに山西の記事が…
取り上げていただいてありがとうございます。

特に先がぼやくことぼやくこと、彼は当時このチャンスを
逃したらまたいけなくなるんじゃないかと思って、
何をとち狂ったのか中国を選択したみたいなんですよ。
ベルリンにしておくべきだったと悔やんでいます。
こんなに早く崩壊するとは夢にも思わなかったみたいです。
2012.11.22 15:14 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

思うんですが、誰が売っていたんでしょうね?
側にいて拾った人? それともベルリン市?
買う方も勇氣がいりますよね。下手するとただのコンクリを売りつけられちゃうし。

バナナの絵ばかりを描く東ドイツ人。どんな主張がバナナに……。そういう変わった人に会うのは、けっこう好きです。ウゾさんったら、どこでそんな人に。

コメントありがとうございました。
2012.11.22 20:28 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

使わせていただきました! 無断ですみません。

先さんは、中国を選んじゃったんですね。あっちは、まだありますからねぇ(笑)
あの当時の近未来SFではしょっちゅう「アメリカとソ連が戦争の危機に」ってなってましたし、まさか共産圏が怒濤の勢いでなくなるとはね。

私の亡き父はいまから五十年くらい前にプラハに留学していたのですが、「二度と行きたくない」って言っていました。戦後の日本より生活が大変だったようです。プラハの地下鉄などでは、いまでも独特の雰囲氣がありますよ。よかったらお二人でいらっしゃったら?

記事のネタとコメントありがとうございました。
2012.11.22 20:37 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おじゃまします

青森でも東西の地域で(確か南部と津軽だったかな)
新潟でも新潟と長岡の人で、それぞれ人柄は良いのに
気質が違い、仲が余りよろしくない。
と聞いた事があり、それが国が分かれ体制も全く
変わって40年以上と言えば一世代以上なので、
自然な事かな。
と国民の人生に関わる事を分析してしまう。

こういう時に、自分の冷酷な性格に悲しくなります。

ただ統一されそれぞれの国民の有志で、
第九を上演した際の、喜びを込めた大合唱は
どんなプロの演奏でも叶わない感情の発露。
を聞いた時には、確かに技術なんて吹っ飛ぶな。
と心から思った記憶があります。

おじゃましました
2012.11.22 23:58 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

日本でも関西人と関東人がお互いに「あの人はさ〜、あっちの出身だから」と思うことありますよね。スイスでもドイツ語圏とフランス語圏、もしくはチューリヒ人とそれ以外、みたいな壁はあるのですが。

その違いを超えてどこが違うのかと言われると。共産圏だった人たちのものの考え方が、共産圏仕様になっているんですよね。十年経っても。

そうそう。それでも統一のメロディはきますね。私は、ドイツ統一以来、第九を聴く度に涙ぐんでしまう派です(笑)

コメントありがとうございました。
2012.11.23 00:10 | URL | #9yMhI49k [edit]

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