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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (36)ミュンヘン、 接触

親子の葛藤って、どこでもあると思うんですよね。まあ、こんなに深刻なものでない方がいいでしょうが。親にとってみればいつまでも頼りなくて、いろいろと口を出したくなる。子供は親心が鬱陶しかったりもする。永遠の課題なのかもしれませんね。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(36)ミュンヘン、接触



 ヴィルは仲間が何度も接触に失敗したことを知っていた。父親がその都度、馬鹿にしたように報告してきたからだ。

「うろんな外国人が、こともあろうにハンスを買収しようとしたそうだ。あの男が五代にわたりこのエッシェンドルフの庭師をつとめた家の出で、驚くべき忠誠心を持っていることをシュメッタリングは忘れたのかね」
「今日は、お前の演劇仲間がやってきたそうだ。お前がここにいると聞いたといってな。誰がそれをいったのか、想像がつくな」

 電話は一切取り次いでもらえなかった。手紙はすべてマイヤーホフが先にチェックしていた。特にスペイン、フランス、イタリア、日本からの通信はヴィル宛であろうとなかろうと一切ヴィルの手に渡ることはなかった。

 ヴィルが外出を許されるのは病院に検査にいくときだけで、その時には秘書のマイヤーホフと召使い頭のミュラーがぴったりとくっついていた。ヴィルが一人でどこか個室に入るような時には、まずマイヤーホフが徹底的に調べ、その間誰もヴィルに近づかないようミュラーが見張っていた。

 ヴィルは氣にしていなかった。コルタドの館は警察調書での四人の住所から完全に父親のマーク下だが、まだ父親の知らない場所がいくらでもある。上手く逃げ出せさえすれば、コモ湖のロッコ氏のレストランやアヴィニヨンのレネの両親のところに行き、三人と連絡を取ることもできる。問題はここを逃げ出すことだけだった。

 父親は以前は書斎にあった金庫を寝室に移していた。そして毎日金庫を開けてパスポートがまだあるか確認しているらしかった。つまり、ヴィルは逃げるその当日にしかパスポートを取りにいけない。そのチャンスと網の目のように巡らされた使用人たちの目をすり抜けてこの館を出る、そのタイミングを合わせなくてはならない。

 この二ヶ月ほど、何も聞かなかった。ヴィルは父親にたてつくことも、反対にすり寄ったそぶりも一切しなかった。できるだけ自然に見えるように振るまった。父親のフルートの指導を受け、ごく普通に会話をし、領地の管理についての事務に同席した。以前はほとんど話をしたことのなかったマイヤーホフやミュラー、それに家政婦たちを取り仕切っているマリアンともごく普通の関係を築いた。

 ハインリヒは、いつまでも息子を軟禁しておくわけにはいかないことを知っていた。息子は完全に絶望してあきらめなくてはならない。大道芸人に戻ることなど。そして、蝶子と一緒になることなど。

「マイヤーホフ。例の書類を持ってきなさい」
ヴィルのフルートのレッスンが終わると、ハインリヒは秘書を呼んだ。普段はどんな仕事でも息子を同席させる父親が、今日だけは同席を求めなかった。それでヴィルはマイヤーホフとすれ違って部屋を出る時に、わざとぶつかった。マイヤーホフに謝りながら取り落とした書類を拾い、さりげなく見た。婚約不履行の訴訟の判例集だった。ヴィルは、父親がまだ蝶子をあきらめていないことを知った。

 完璧主義のエッシェンドルフ教授はフルートの音には確固たる自信があり、息子に限らず教えを受ける者は誰でも彼の言う通りの音以外を出すことは許されなかった。ヴィルは父親と争うつもりがなかったので、レッスンでは教師を満足させる生徒であろうとした。しかし、その日、教授は意外なことを言った。
「この間の音を出してみなさい」

 ヴィルは首を傾げた。先日、言われた通りに吹いたはずだった。それで、氣をつけて再び同じ音を出そうとした。ハインリヒはイライラして言った。
「この間というのは、お前が一人で吹いていた時の音だ。プーランクを吹いていただろう」

 ヴィルは眉をひそめた。出雲を思い出しながら吹いていた『フルートソナタ第二番』、それは蝶子たちと一緒に育てた音だった。蝶子の音はArtistas callejerosとの旅で、ヴィルや稔と一緒に自由に奏でるうちに、ハインリヒの望む音からかなり変容していた。ここでヴィルが一人で奏でる時にも、自分の中から湧き出る感情とテンポ、そして音色を響かせるArtistas callejeros式の演奏をしていた。それをハインリヒが聴いているとは思わなかった。聴いていたら即座に中断させ訂正するはずだった。

 躊躇するヴィルに父親は再び言った。
「あの音を出してみなさい。悪くなかった」

 ヴィルは腹を決めて、今までとはまったく違う音を出した。父親を満足させるためのレッスンではなく、大道芸でもなく、それは口に出せない想いを抱えている魂の響きだった。

 エッシェンドルフ教授はうなった。息子のやってきたことにはまったく感心できなかった。演劇だと。大道芸だと。シュメッタリングへの横恋慕だと。それは若さという名でまかり通る愚かさに過ぎない。すべてが私が導こうとしているお前の正しい道からの遠回りだ。なぜ素直に私の言う通りにしない。しかし、この音はどうしたことだ。

 十九歳の時、息子の音は一度完成したはずだった。ハインリヒ・ラインハルト・フライヘル・フォン・エッシェンドルフの完全なコピーとして。だが、いま響かせている音は、コピーなどではなかった。息子は明らかによりよくなって帰ってきた。自分以外に息子の音をこれほどに変えられる者や事があるとは信じられなかった。自分以上の教師がいるはずもなかった。すべてのフルート奏者は自分に従うべきだった。しかし、反逆を繰り返した息子の音色が、自分の教えてきた音楽を遥かに超えている。教授は自分の支配が息子に及ばなくなってきた事を不快に思ったが、ヴィルの音色に対して手を加える事が出来なかった。

「それで、マイヤーホフ。病院での検査の結果は」
「もう、傷は完全に塞がったということでした。午後にシュタウディンガー博士からお電話をくださるそうです」

「聞いたか。アーデルベルト。これからは病人扱いはしないぞ」
「はい」

「今月の終わりに、お前の快癒祝いと後継者披露のパーティをする。市長を始め、ありとあらゆる有力者を招待する。今後お前は、正式に私の後継者として社交の場や公式の場に出ることになる。覚悟を決めなさい」
「二人の監視役をつけたままでか」
「お前が腹を決めさえすれば、監視など必要ではなくなるのだ」

 腹はとっくに決まっている。監視がいらなくなる日は来ない。ヴィルは心の中でつぶやいた。パーティ。絶好のチャンスだ。客が多く、召使いたちがてんてこ舞いになれば、監視の目が届かなくなる。パスポートを取りにいくことも可能だ。

「そうそう、アーデルベルト。パーティにはお前が会いたい人間も招待するぞ」
ヴィルは訝しげに父親を見た。
「私は、シュメッタリングを再び手に入れる。お前がここから逃げ出さなくとも、直に毎日会えるようになるぞ。アーデルベルト」

 何を企んでいる。蝶子が自分からここに戻るはずはない。どうやって強制するつもりだ。

 パーティの準備をしているミュラーと雑談している時に、ミュラーがいくつかのパンフレットを持ってきた。
「パーティ用に酒を注文しなくてはいけませんのでね、なにかご希望がありますか」

 ヴィルはわずかに笑みを浮かべてパンフレットを繰った。ドイツのビールとワイン、フランスのワインやシャンペン、スペインのシェリー、ポルトガルのポート、イタリアのワインとグラッパ……。ゆっくりとパンフレットを繰っているうちに、あり得ないものを目にした。それはスウェーデンのアクアヴィットのページだった。だが、ヴィルはミュラーに不審を抱かせないように、そのページを長く眺めたりはしなかった。

 やがて、二人でワイン、シャンペン、ビール、グラッパ、その他の膨大な注文リストを作成した。
「あんたには他にもやることがたくさんあるんだろう。なんなら、俺が電子メールで注文するが」

 ミュラーはコンピュータの扱いがあまり得意ではなかったので、喜んでこの申し出を受けた。ヴィルがこの館から送る手紙、電子メールはいずれにしてもすべて教授が監視している。

 ヴィルはリストとパンフレットを持って、教授の書斎にあるコンピュータの前に座った。それぞれのページには別の業者の連絡先が書いてあるので、何通かのメールを書かなくてはならなかった。どのメールにも事務的な注文の文面を書いた。

 アクアヴィットのページに来た。鮮やかな濃い紫のリラの花の下に、アクアヴィットの瓶が置かれている。それは、コモのレストランのバルコニーに置かれていたのとそっくりな青銅製のテーブルで、丁寧にもタロットカードが一緒に置かれている。一番上に見えているのはもちろん恋人の正位置と運命の輪の逆位置。一ダース以上の注文にはサービスとしてリラの苗をプレゼントすると書いてある。

 ヴィルは無表情のまま事務的で父親に疑われないような変哲もない注文のメールを書いた。来るな、蝶子。ここであんたを待っているのは罠だ。
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Comment

says...
 こんにちは。
これは 難攻不落の難敵ですねーーーー
唯 逃げ出すだけではダメで 自由になる為には パスポートが必要…
どのように 監視の目をかいくぐるのか
脱出劇 楽しみにしています。

2012.12.12 07:33 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは!体調は如何でしょうか・・・!!> <

音楽家としての二人は、今まで明らかな師弟関係のそれと、抗えない上下関係があったかと思われるのですが、ここにきてエッシェンドルフ教授でも手を加えられないヴィルさんの音楽性は・・・

ここでふと思ったのですが、ラスボス様は、音楽家としてヴィルさんを支配下に置いていた安泰感があったかと思うのですが、では蝶子さんを巡って、一人の男性としてはどう思っているのだろう?と思った事でした。
エッシェンドルフ教授は、気持ちに余裕がある大人の振る舞いを見せる事が多かったのでつい私も見過ごしていたのですが、よくよく考えると、実の息子と一人の女性を巡って争っているともいえるのですよね・・・
今回の教授の企みも、音楽家としてのある種の敗北、じゃないんだけれど、対抗心のようなものが、一人の男性としての心にも火をつけたように思いました・・・!

>「前がここから逃げ出さなくとも、直に毎日会えるようになるぞ。アーデルベルト」

な、なんて色気がある濃厚でいやらしい状況なんだ・・・///とちょっと赤面してしまいました・・・
そして、最後のアクアヴィットのページ。これは、偶然じゃないですよね、Artistas callejerosのメンバーサイドが仕組んだ事・・・?
いろいろと壁が立ちはだかっていますが、それをどう切り抜けるのか、続きを楽しみにしております^^
2012.12.12 10:21 | URL | #- [edit]
says...
ウェブページに電子メール、しかも、暗号めいた内容……スパイ小説でも読んでいるような展開で、続きが気になりますね。

それにしても、ラスボスの執拗さには、感心もとい呆れます。自身の価値観を信じて疑わない堅物ですが、音楽家としての「耳」は持っていたことで、ちょっとだけ見直しました。
子供が親を超えていく、普通なら、祝福されるべき状況なのですが、ラスボス様はどうでしょうかねぇ。まあ、そんなにものわかりのいいのが敵じゃあ、面白くないですしね。

あと二回ですか……クライマックス、どうなるのか楽しみだなぁ。
でへ、また。
2012.12.12 15:39 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

日本からヨーロッパへ逃げ出すのよりは格段に楽なはずですが、さすがにパスポート又はIDカードがないと、やっぱりまずいですね。完全な浮浪者ならそれでもOKですが。あと、追う方も貧乏人なら問題ないのですが、このお父様は正式ルートは簡単に押さえられますので、その辺がね。
楽しみにしていただけて嬉しいです。あと二回、どうぞおつき合いください。

コメントありがとうございました。
2012.12.12 18:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。ご心配おかけしました。単なる夜更かしですので……。しょーもない……。

カイザー髭は、根拠のない自信に満ちた方ですので、「帰ってきさえすれば、また彼女はこの私にメロメロになるはず」とか思っていたりするんじゃないでしょうか。「お前の過ちは許してやろう」などと、蝶子に対してもヴィルに対しても上から目線で思っているようです。どう考えても、今からヴィルが蝶子のことを「お義母さん」と思う心境にになるはずはないのに、どうなんでしょうねぇ。

>な、なんて色気がある濃厚でいやらしい状況なんだ・・・
ははははは。大爆笑。この状況、創り出したら面白かっただろうな。そしたら、このブログ、ジャンルが変わりましたね。

アクアヴィットの広告は、発案が三人で、お金を出したのはもちろん、カルちゃんです。やっぱり、ヴィルの目につくと言ったら酒だろうってことで。どこにも書いていませんが、お酒のカタログ他にもいろいろと別のモチーフを仕込んで、連絡がくるまで続けるというお金と根氣のいる作戦で、カルちゃんなしにはどうやっても無理でしたね。

毎回、丁寧に読んでくださって、とても嬉しいです。再来週の最終回まで、もう少々おつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2012.12.12 18:44 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

まあ、推理小説やスパイ小説のようなすごいトリックとか、ものすごい設定はこの小説向きではないので、この程度ですが、まあ、実際に関わっている登場人物たちには緊迫した状況ではあります。刺されてから一度も口裏を合わせられなくて、それから連絡がとれていない、というたったそれだけの事なのですが。

カイザー髭は、他の事はどうあれ、息子を愛しているという自覚はあって、その愛し方がかなり歪んでいるとはいえ、それは間違いではないと思うのです。だから、フルートが自分の教えた方向とは違うけれども上達している事には、親としても教師としても嬉しいのですよね。けれど、「蝶子はやらん」これは譲れないようです。今まで女を捨てる一方でしたので、捨てられた事はないのですよね。で、引き際というものが全くわかっていない、ということのようです。だめじゃん。

長い事、おつき合いいただきましたが、来週は、たぶんTOM-Fさんにはちょっと嬉しい展開をご用意しています。あと二回、どうぞ見捨てずによろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2012.12.12 18:53 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
大分迫ってきました。
秘密の連絡・・・通じましたね。
来るなわなだといっても、来ちゃうのでしょう。

楽器って、どんなに上手くてもコピーでは大成しないんですよね。
コピーでは、いつまでたってもオリジナルにはかなわないはずだと思うんです。
それを超えるのはやはり自分流ではないかと。
ヴィルはそれをやっちゃいましたね。
というか、見せてしまった。この際、見せつけてやれ~
2014.04.23 16:07 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

ええ、来るなというと来ちゃう(笑)
打ち合わせが事前にまったくできなかった上、具体的な連絡も不可能なので、ヴィルも三人も手探り状態ですね。

この話の設定で、メインキャスト二人がフルート奏者なのですが、私の中でヴィルの方が蝶子よりもちょっと上、というのがあります。もともとの環境が格段に良かった上、さらに肺活量も蝶子よりも大きい。そして、それだけではダメな部分を二人とも努力と苦悩によって音楽性を高めてきたのですが、この旅ではヴィルの方が長く苦悩しているのでさらに頭一つ出た、ということにしてあります。

教授のメソッドはものすごくいいはずなのだけれど、それを忠実にこなしているだけではダメで、心の修行の旅に出たことでヴィルはようやく自分の音楽に辿りついたのでしょうね。

あとちょっとで終わりです。もう少しだけおつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2014.04.23 19:58 | URL | #9yMhI49k [edit]

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