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Posted by 八少女 夕

【小説】狩人たちの田園曲(パストラル)

読み切り小説です。去年書いていた「十二ヶ月の組曲」の9月分。この小説は、Seasonsの秋号に発表したもので、友人のうたかたまほろさんがとても素敵な挿絵をつけてくれました。



狩人たちの田園曲(パストラル)

狩人たちの田園曲 -1-


「ほら、みなさいよ。私の言った通りでしょ」
フレーニーはいつものごとく不満をぶちまけた。
「茸なんか、全然残ってやしないわ。あの忌々しいイタリア人どもが、ハイエナみたいに持っていくんだから。五時前に起きて、朝一番で来ないからよ。何よ、ゆっくりコーヒーを飲んでからだなんて」

 アントニオは口答えをしなかった。ブレガリア谷の九月は眩しいほどの光に満ちている。枯れ葉の覆った山道をサクサクと音を立てながら登る、うららかな秋の昼前は、もっと穏やかであってもいいはずだった。

 イタリア語圏の暖かい谷に茸狩りに行きたいと言い出したのは、アントニオだったが、どうしても茸がたくさん欲しかったわけではない。ただ、秋の山に行ってみたかっただけだ。茸なら買ってもいいじゃないか。


 フレーニーと結婚したいと思った事はなかった。そんな事を言ったら大変なことになるから一度も口にした事はない。六十年も一緒にいれば、もうどうでもいい事だ。

 あれは単なる成り行きだった。アントニオは十七歳の時、若者同盟に加入した。といっても当時はソリスブリュッケの男が義務教育を終えて職業訓練に入ると全員そうしたものだ。若者同盟は結婚して一人前になるまでの数年の通過儀礼のようなものだった。

 もっとも重要だったのは二月に行われる《そり祭り》だった。当時は冬には道の雪は取り退かれず、車の代わりに馬に引かせるそりが村の交通を担うものだった。ソリスブリュッケの若者同盟の《そり祭り》は長い伝統があった。若者同盟の全メンバーが一斉にそりで行進する。村をパレードした後に谷を走り、ホーヘンテオドールで大昼食会を催す。

 行列の先頭は、婚約したカップルたち、そして後ろに年齢、誕生日順にメンバーが続く。各自は、馬とそり、そしてエスコートする女の子を用意しなくてはならない。つき合っている娘がいる若者はいい。だが、当時のアントニオのように娘と話した事もないような奥手の青年には大きな問題だった。

《そり祭り》が近づき、アントニオは焦った。ハンスもゲオルクもいつのまにか村の娘を誘っていた。この子なら断らないかもと期待していたマリアは、突然ゲルトとの婚約を発表した。彼女は行列の三番目の晴れの位置を獲得したのだ。

 フレーニーは論外だった。口やかましく、ずけずけものを言う、痩せぎすの娘を、村の若者はみな苦手に思っていた。あの娘とそりに乗るなんて、末代までの恥になる。みんながそう言っているのをアントニオは知っていた。だったら、ホテル・アデレールのウェイトレス、クラウディアを誘いたい。彼は思った。
「なんだって? あれはドイツ人じゃないか。しかも、カトリックだぞ」

 アントニオの叔父は大反対した。それを聞きつけてきた隣人たちも、この世の終わりのように騒いだ。村の娘がもういないならまだしも、ドイツ人ウェイトレスとそりに乗るなんて許されない、そういうのだった。話は次第に大事になった。みな、アントニオに村の娘とそりに乗る事を期待した。だが、それはフレーニーと、という事ではないか。

 フレーニーは誰にも誘われていない事に、面目を失いかけていた。もし、アントニオが彼女を誘わなかったら、彼女は世をはかなんで死んでしまうかもしれない。そういう輩まで現われた。

「来年は、もっと早くから探して、かわいい子を誘おう」
アントニオは、そう決心して、死刑に赴くような心持ちでフレーニーの家に行ったのだ。

「お二人のなれそめは?」
金婚式のパーティで、司会者が訊いた時に、フレーニーはペラペラとしゃべった。
「あれは、最後の《そり祭り》だったわね。ほら、道の雪を次の年から取り除くようになって、馬に引かせるそりってものがなくなっちゃったじゃない。最後の祭りの年にね、この人、若者同盟に加入してね。女性にまともに口もきけない引っ込み思案だったのに、同乗するパートナーが必要になったのよ。それで、私の家にきて、どうか僕と一緒にそりに乗ってください、祭りに一緒に参加してください、ってねぇ」

 まあ、嘘ではないな、と思いながら、アントニオは黙ってワインを口に運んだものだ。その金婚式からも、もう十年が経った。


 ソリスブリュッケで家庭を持って四十年。アントニオは村の公証事務を勤めあげた。三人の子供、八人の孫、そして四人のひ孫が産まれた。フレーニーは初めから変わらなかった。口やかましく、痩せぎすで、ありとあらゆる事に文句ばかり言った。大抵の事は、彼女に分があった。子供が言う事をきかない時に叱り飛ばし、村のどこかで不条理な事が起こった時に憤慨するフレーニーは、どこも悪くなかった。単に極端に口数が多いというだけだった。自分に矛先が向かっているときでさえ、半分は彼女の言う事に一理あるとアントニオは思った。それに、フレーニーは邪悪な女ではなかった。

 ハンスは村一番の器量よしのマルグリットと結婚したが、二人目の子供が産まれる頃にはかつての美女は河馬と見分けがつかないほどにふくよかになってしまった。医者の娘、リゼロッテと結婚したアロイースは、妻の浪費と浮氣に怒って殴打し、義父に訴えられた。家事のできないマリアに愛想を尽かしたゲルトはウェイトレスのクラウディアと駆け落ちをして再婚したが、結局離婚した。

 アントニオとフレーニーはソリスブリュッケで金婚式を迎えた数少ない夫婦だった。途中で死んだもの、別れたもの、理由は様々だったが、健康に夫婦で五十年を過ごすという事は、それほどに稀な事なのだ。

 まさかこの女と六十年も添い遂げる事になるとはなあ。結婚式で「健やかなときも、病めるときも」と神に誓ったにしては、心もとない見通しで始まった関係をアントニオは思い返している。彼は彼女の口やかましさにうんざりしていたが、別れようと能動的に思う事はなかった。


 祭りのそりの上で、アントニオを見ないまま、フレーニーは言った。
「誘ってくれて、ありがとう」

 アントニオは、彼女からそんな素直な言葉が出てくるとは思わなかったので、びっくりした。頑固で思っていない事は口に出せない性格のために無口なアントニオは、なんと答えていいのかわからなかった。

「他の人には誘ってもらっても嬉しくないけれど、あなたに誘ってもらうのは特別よね」
彼は自分が村の娘には大して評価が高くないのを知っていたから、彼女がそんな事を言うのが意外だった。

「どうして?」
「だって、あなたは頑固で正直だもの。誘いたくない女の子を誘うくらいなら一人でそりに乗るでしょう。でも、誘ってくれた。私、お情けや間に合わせで祭りに参加するくらいなら、一人で家に居ようって思っていたの」

 アントニオはその時に、フレーニーにも心があるのだという事にはじめて氣がついた。彼はフレーニーが言うほど正直だとは言いがたかった。クラウディアを誘えなかった事情も打ち明けられなかった。だが、言わない方がいい事もある。彼女は彼を誤解する事で、絶望を免れたのだ。

「昼食会の後、ソリスブリュッケに戻ってから、みなはダンスに行くんだそうだ。僕はあまりダンスが上手くない……」
「無理して行く事はないわ。私とダンスを踊ったりしたら、みんなにからかわれるでしょう」
「そんなこと、氣にしない」
「いいの、代わりにソリス峠までドライブしてよ。冬には一度も行ったことがないんですもの」

 それは悪くない提案だった。

 人の滅多に行かない冬のソリス峠への道は、育った樹氷がお化けのように迎える凍えた世界だった。馬が鼻息荒く通り過ぎると、振り落とされた粗目雪が二人に降り掛かった。静かな白い世界を着飾った若い二人は進んでいく。フレーニーがずっとしゃべり続け、アントニオは黙々と馬を走らせた。知らない間に村中のどの青年よりもフレーニーの事に詳しくなってしまっていた。祭りさえ終われば、再びよく知らない二人に戻るつもりだった彼は、それが不可能である事を悟った。
狩人たちの田園曲 -2-


「ほら、ご覧なさい。ここに落ちているのはレモン・ソーダの缶よ。こんなものを落としていくのはイタリア人に決まっています」

 杖代わりにしているスキーのストックで、フレーニーは枯れ葉の間を探って、だらしなく液体が出ている缶を示した。どっこいしょとその缶を拾った彼女は本来は茸を入れようとしていた袋に放り込んだ。すでにいくつもの空き缶、イタリア語の書かれた菓子パンの袋、キャンディの包み紙などがその中にたまっていた。アントニオは黙ってその袋を引き取って持った。

 空は濃い青で、黄色やオレンジの葉の間から、柔らかい光を差し込んでいる。足下はサクサクと音を立てる。急勾配の道は、まもなく八十になるアントニオには少々きつく、曲がり角に設置されたベンチに腰掛けて息を整えなくてはならなかった。

 彼女は拾ってきたゴミを備え付けのくずかごに捨て、リュックサックからてきぱきとポットを取り出して、カップに熱いお茶を注いで彼に渡した。

「今朝は、ちゃんとお薬を飲んだんでしょうね」
「たぶんね」
「たぶん? たぶんってどういうことです?」
「忘れていなければってことだ」

 彼女は大きくため息をつくと、なぜいつも言う通りにチェック表に書き込まないのだと小言を言った。書き込んだかどうかを覚えていないのだからしようがないだろうと心の中で思ったが、アントニオは大して氣に留めなかった。一日薬を飲まなかったからって、何が違うというのだ。明日はまたフレーニーがチェック表を手にもって、飲んだか飲まないか大騒ぎするに決まっているのだ。

「おや、そこにあるのは、茸じゃないか?」
アントニオは低い位置から見ないと死角になっている岩陰に、少し大きなポルチーニ茸のように見えるものを見つけて話しかけた。

「……。そうね。そうみえるけれど」
どっこいしょと立ち上がって、フレーニーはその岩陰を覗いた。

「あらまあ、どういう事かしら。これは生えている茸じゃないわよ」
それを聞いて、アントニオも様子を見にいった。それは隠してある籠入りの茸だった。全てポルチーニ茸だ。十五キロはあるだろう。一人の人間が持ち出せる最大の茸は一日あたり二キロと制限されている。国境では厳重な検査がされているので、たぶんイタリア人が仲間を連れて再び持ち帰るために隠したに違いない。

「これ、どうしましょう」
「持っていって、村役場に届けるしかないだろう。このまま黙って密猟者にくれてやる事はないよ」
「でも、重いじゃありませんか」

 アントニオは黙って、自分のリュックサックに茸を詰めた。持ってきた手提げ袋にも入る限りの茸を詰め込んだ。フレーニーはそれを見て、残りを自分のリュックサックに入れ、二人の老人は重さによろめきながら麓の村役場まで向かった。


 二人の老人の無謀な運搬と正義感に満ちた行動は、称賛を浴びた。村役場はお礼とともに二人に四キロ分の茸を郵送すると約束した。残りの茸は調理して地元の老人ホームで提供するという事だった。

「私たちが自分で探したらとても四キロなんて見つからないし、持って帰るのも不可能でしたからね」
フレーニーは嬉しそうに帰りのバスの中で言った。

 アントニオは無謀な運搬のせいで腰が痛くてたまらなかったのだが、その事は話題にしたくなかった。それで思いつきを口にした。
「前に作ったミラノ風のリゾットを作ってくれんかね? あれはお迎えが来る前にもう一度食べてみたくてね」
「まあ。それで茸狩りに行きたいなんて言い出したんですの?」

 彼女は料理の腕を褒められたと思って嬉しそうだった。皺のよったフレーニーの顔を見ながらアントニオはふと考えた。この女を《そり祭り》に誘わなかったら、どんな六十年間だったことだろう。それはとても考えられない状況だった。

 彼女は美しくなかった。口やかましく、小言が多かった。だが、春も、夏も、秋も、冬も常にこうして共にいた。アントニオが座れば、横からすっとポットのお茶が出てくる。薬を忘れれば、チェック表を見て追いかけてくる。きちんと掃除されて片付いた住居と、手作りのパンやジャム、口にあった食事の数々。そんなに悪い人生ではなかったな、彼は窓の外の暖かい秋の夕陽を眺めながら一人ごとを言った。

狩人たちの田園曲 -3-

(初出:2012年10月 Seasons 2012年秋号)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の組曲)
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
なかなかうらやましい夫婦で…
結婚してからさらによさがわかってくる関係だと
長くうまくいくのかなあなんて思いましたです

関係ないけどヨーロッパでも毒キノコを間違えて食べる
とかあるものなんでしょうか?
2013.01.09 09:32 | URL | #- [edit]
says...
容貌は年月と共に変化(衰えて)していくけれど、年月を経る事でしか得られない、年月を経て尚一層深まっていく絆にじーんと来ました。
フレーニーは、素敵な女性ですね^^気がきいて、いろんな事に実は敏感で、素直じゃないところも少しあって・・・ソリの上でアントニオを見ないまま言った言葉に、彼女はきっとアントニオをそれとなく想いを寄せていたんじゃ...と思いました。
長く一緒に居られる関係と、一時的に熱い関係を築ける関係ってまた別で、優秀をつけるものではない(?)のかもしれないけれど、一人の他人の人と、こんなにも長い間一緒にいられる事、口にあった食事を共に出来るって、やっぱり何にも代え難い幸福だなって思いました。
あと、フレーニーは、きっと、アントニオの胃袋を掴んだんですね(笑)キノコのリゾット私も食べてみたいです!
2013.01.09 12:54 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

日本はわかりませんが、スイスではどうも最初に熱々のカップルは早く別れ、はじめからそこそこ醒めている方が長続きしているみたいです。

毒キノコ中毒、ありますよ〜。「素人が食うな」とよく話題になります。写真を専門家に送って「食べていいか」確認してもらうサービスみたいなのがあるらしいです。

あと、もっと関係ない話題ですが、キョロ乃ちゃんをお借りしても、よいでしょうか……。

コメントありがとうございました。
2013.01.09 19:53 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。
スイスでも、戦後すぐは今のように完全に自由恋愛ではなくて、「隣の村の女とつきあうなんて」とか「カトリックなんて論外」の時代だったんですよね。今のように、とりあえず一緒に住んで、うまくいくか確認してから結婚なんてのもありえなくて、手探りだったと思います。

フレーニーというのは「おお、ブレネリ」の歌でもおなじみ、スイスとオーストリアのこの年代の女性にとても多い「フェレーナ」という名前の変化系で、「お花さん」みたいなつもりで名付けました。スイスの年配の女性は、こういうきっちりとして、こまこまとした女性が多いのです。きれいでなくても、さらに歳とってしわくちゃになっても、日常生活を紡ぐという地味なルーティンが、どんな若い子やグラマラス美女に劣らぬ引力をもっているということが、この作品のテーマでもありました。読み取っていただけて、とても嬉しいです。

そうですね。胃袋攻めは、かなり重要! ポルチーニ茸入りミラノ風(サフラン)リゾットは、異様に簡単な上に、美味しいですよ! 是非お試しください。

コメントありがとうございました。
2013.01.09 20:07 | URL | #9yMhI49k [edit]

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