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【断片小説】樋水の媛巫女 

Posted by 八少女 夕

今週は、小説爆弾の連続投下になってしまっています。「scriviamo!」が終わりに近づいてきているのと、新連載の準備と、Stellaの投稿週間が重なっているためです。まあ、全部お読みになっている方もいらっしゃらないかとは思いますが、いらっしゃったらさぞ大変だと思います。すみません。

本日発表するのは、官能的な表現が一部含まれているためにこのブログでは公開していない「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」の中から、「樋水の媛巫女」の章です。先日のエントリーでも書いたように、このシリーズの舞台は基本的に現代なのですが、この章だけが千年前の平安時代の話です。「樋水龍神縁起」本編、それから三月からこのブログで公開予定の「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」のストーリー上、かなり重要なエピソードです。そして、実は本編を読んでくださったブログのお友だちTOM-Fさんが、この章の登場人物を使って「scriviamo!」参加の作品を書いてくださる事になりましたので、その前にこちらでこの章を公開する事にしました。(この章はR18ではありませんので、ご安心ください)

この章は、「千年前に何かがあった」というだけのストーリーです。私の他の短編小説のように、何かを伝えようというようなテーマなどはありません。ただ「樋水龍神縁起」本編や「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」の中で重要なモチーフである樋水龍王神社の、それどころか「大道芸人たち Artistas callejeros」にすら出てくる伝説の話ですので、当ブログの常連の皆様には、ぜひご紹介したい部分なのです。


fc2小説「樋水龍神縁起 -第一部 夏、朱雀」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第二部 冬、玄武」
fc2小説「樋水龍神縁起 -第三部 秋、白虎」
fc2小説「樋水龍神縁起 - 第四部 春、青龍」
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「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より「樋水の媛巫女」

「九条様について来られた陰陽師とはあなた様でございますね」

 振り向くといつの間にか、女がそこに立っていた。緋袴に白い単衣姿、今羽化したばかりの蝉の羽のように白とも薄緑ともつかない紗の被衣から見えるのは紅色の口元だけであった。

 奥出雲は考えた以上に原初の森の姿を留め、緑滴り蝉が激しく鳴く。樋水龍王神社という特別の神域を囲み、この森は不思議な清らかさに満ちていた。その神々しい氣に圧倒されていたとはいえ、安達春昌は今まで氣配なく背後に人に立たれたことなどなかったので、ひと時氣色ばんだ。

 だが氣を沈め冷静に観察してみることにした。その女の身につけている衣は全て上等の絹だった。身分は低くないらしい。しかし、どこかしっくりこないところがあった。理由はすぐにわかった。それは口元だった。深紅の形のいい唇から見えている歯が童女の如く白かったのだ。それから、身丈の倍ほどにも広がる清冽な薄桃色の氣を感じて、それではこれが噂の媛巫女かと納得した。安達春昌は、下男を通して媛巫女に力を貸してほしいと願い出たところだった。

「樋水の媛巫女様とお見受けいたします。安達春昌と申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
「九条様はこの奥出雲に何をお持ち込みになられたのか。ただいま『やすみ』のはずの龍王様が穏やかならず解せませぬ」

「山越えの際、北の方にキツネが憑きました。旅路故、私一人の蟇目ひきめ神事で祓うように申し付けられましたが、なかなか手強く、ぜひとも媛巫女様のお力をお借りしたいのです」
「キツネごときに龍王様の眠りが妨げられるとは思えませぬ。誠にキツネなのでございましょうか」

 女の声音は凊やかで心地よかったが、その言葉は力に満ち明快であった。女は被衣をわずかにあげて、訝しそうに春昌をみた。その時に、媛巫女の顔が見え春昌は思わず息を飲んだ。

 黒耀石ほどに黒く艶のある双眸がこちらを見ていた。白い肌に黒い瞳と描いていないのに均整のとれた眉と紅の形のよい唇が映えている。春昌は美しいと評判の幾人かの姫君のもとに忍んだこともあったが、未だかつて手を入れていない生まれたままの顔でこれほど美しい女に遭ったことはなかった。

 媛巫女は龍王に捧げられた特別な女で、それゆえ人間の男のための化粧は必要ではなかった。眉を剃ることも、お歯黒をすることもなかった。だが、それ故にその生まれながらの浄らかさが極限までに高められ、本来の美しさを神々しさにまで高めていた。京で位が低い高い、呪に長けているいないと、人の世の迷いごとに日々を費やしている春昌には、この媛巫女が手の届かぬ神の域に属する特別な女であることがすぐにわかった。

 媛巫女は、その間安達春昌を見つめていたが、やがて言った。
「陽の氣に長けておられる。神の域のこともお見えになるとお見受けします。蟇目神事も形だけではなく誠におできになられるのですね」
「媛巫女様のお力には遥かに及びませぬが、多少の心得がございます」

「私に蟇目神事はできませぬ」
媛巫女ははっきりと言った。安達春昌は、意外な心持ちで媛巫女の次の言葉を待った。

「私は浄め、鎮め、そして龍王様にお任せするのみでございます。キツネを鎮めることはできますが、消すことはできませぬ」
「私はいたしますが、困っているのは北の方様に蟇目の矢を放つことはできないことでございます。もとより私には御簾の中に入ることも叶いませぬ。媛巫女様のお力でキツネのみを御簾の外に連れ出すことはできませんでしょうか」

「出来ます。が、その祓いは為さねばなりませぬのか。いま、この樋水にて」
「九条様は近く二の姫が東宮妃としてご入内される大切なとき、方違えでこの出雲に参られましたが、キツネをつれて帰ったとあっては主上さまもお怒りになられましょう。なんとしてでもこの一両日中に祓わねばなりませぬ」

 媛巫女は、主上と聞き、ふと胸元の勾玉に手を当てた。ああ、それではこれが下賜されたという奴奈川比売の勾玉か、春昌は聡く考えた。
「そうとあれば致し方ありませぬ。しかし、ただいま龍王様の『やすみ』ゆえに神域での祓いは禁じられております。従って北の方が神社にお越しになるのはお断りいたします。私の方から戌の刻に九条様のもとに伺いましょう。蟇目神事のご用意をなさりお待ちくださいませ」

 そういうと媛は来たときと同じように氣配なく森に姿を消した。安達春昌は蟇目神事の前だというのに、媛に心奪われてしばらくその場に放心して立ちすくんでいた。

 九条実頼は、媛巫女の来訪にことのほか満足の意を表した。氣に入っているとはいえ、位の低く家柄もとるに足りぬ安達春昌は陰陽師として完全には信用しきれなかった。特に入内前のこの大切な時期に北の方が狐憑きで京には戻れない。だが、龍王の媛巫女が来てくれたたとあれば、もう祓いは済んだも同然だった。この媛巫女は昨年、親王の病を癒やすように主上の命を受け、奥出雲から身を離れて内裏に現れ親王を浄め、その礼に神宝である奴奈川比売の勾玉を下賜されたのである。

「樋水龍王神社の瑠璃と申します。右大臣さまには、ご挨拶が遅れまして、まことに申し訳ございません。ただいま龍王様の『やすみ』の時ゆえ、神域では通常の神事が禁じられております。それゆえ、ご挨拶は控えさせていただいておりました。『やすみ』はあと二ヶ月続くはずでございましたが、昨日、龍王様がお出ましになり、本来神域にあるべきでないよどみの存在が明らかになりました。それ故、安達様のお導きで、こうして私が蟇目神事のお手伝いにまかり越しました」
「それは、それは。どうかなにとぞお力添えを」

 瑠璃媛は供の次郎とやらを一人を連れて、神域の外にある九条の滞在先にやってきたのであった。春昌は遥か後方に控えていたが、瑠璃媛が側を通るときの衣擦れの音、わずかな沈香の漂い、そして灯台の炎に浮かび上がる媛の白い横顔に心をときめかせていた。長く黒い髪が媛の目と同じ黒耀石の輝きを放っていた。

 毎夜亥の刻に現れるキツネを祓うために、媛は北の方の寝室にて待ち、春昌は次郎とともに御簾の外で待つ。右大臣は自分の寝室に下がり、朝に報告をすることとなった。

 静かな夜であった。蝉が合唱をやめて風が樹々をならすだけになると、奥出雲の清冽さがさらにひしひしと感じられた。北の方の寝息と灯台の炎の音だけが暗闇に響くが、媛巫女の氣配はどこにも感じられなかった。春昌は長い待ちの時間にわずかでもいいから美しい媛巫女を感じたいと思ったが、それは叶わぬ願いであった。

 やがて剣呑な目つきで春昌を見ていたはずの次郎が突然意識を失った。それでキツネの到来がわかった春昌は急いで自らの氣配を消した。そうせねば自分もキツネに眠らされてしまうであろう。北の方が不氣味なうなり声をあげだすと紗の衣擦れがして、瑠璃媛が動いたのがわかった。

 御簾の向こうだったにもかかわらず、目ではない目で観察を始めた春昌には瑠璃媛とキツネの対決がはっきりと見えた。キツネは恐るべきかんなぎが側にいることに驚愕して逃げ回らんとしたが媛巫女は素早く自分の氣でキツネを囲い込み、手にしていた水晶玉にキツネの霊を封じ込めてしまった。

 北の方が布団の上に崩れ落ちる音がしたと同時に、御簾の中から瑠璃媛がでて来た。水晶を春昌の先の庭の方に向けて差し出し、頷いた。鏑矢を引き絞り水晶の方向、瑠璃媛を傷つけないように慎重に狙った。そして納得がいくと「いまぞ!」と合図を出した。水晶からキツネが躍り出てきたが、その時には鏑矢に刺し抜かれて、庭の老木にあたり、キツネの霊は霧散した。

 その衝撃で、瑠璃媛は倒れた。目を覚ました次郎が駆け寄るよりも速く、春昌はすでに瑠璃媛を抱き起こしていた。その時、三人ともまったく予想していなかったことが起こった。

 春昌と瑠璃媛が触れた部分が乳白色に輝き、二人ともそれまで感じたことのない不思議な感覚が走ったのだ。瑠璃媛は驚いて身を引くのも忘れ、春昌に抱きかかえられたままになっていた。春昌の方は、完全に瑠璃媛に魅せられてしまい、しばらくはやはり離すこともできないでいた。次郎が最初に我に返った。
「この無礼者め! 媛巫女様から離れぬか!」

 その声に、瑠璃媛が我に返り、身を引いた。
「およし、次郎。私は大丈夫です。春昌様に失礼なことをしてはなりませぬ」
それから、おびえた目つきで春昌を見た。春昌は、混乱したまま無礼を詫びた。瑠璃媛も動揺を隠せないまま、北の方のご様子を見なくてはならないと、御簾の中へと入っていた。

 春昌は熱にうなされた目で、瑠璃媛の後ろ姿を追いかけ、御簾の中の媛をもう一つの目で見た。媛の氣が大きく広がり、やはり広がった自分の氣と触れ合っているのを見ることができた。その二つの氣はねじれあい一つになった。



 右大臣と北の方は大喜びで京に帰っていった。本来は安達春昌も一緒に帰る予定だったが、穢れを落としてから帰ると口実を作り、数日の猶予を願い出てひとり奥出雲に残った。穢れなどどこにもついていなかった。あの夜、瑠璃媛を送り届けて、神域の外で別れた後、瑠璃媛の幻影に心うなされながら森を通っている時、不意に今でかつてないほどに完璧に浄められていることに氣がついた。全ての穢れが消え失せていた。龍王の御覡に触れて、あの不思議な白い光を浴びたからだ、春昌はそう思った。京にこのまま戻るわけにはいかない。このまま、あの媛と離れるなどできぬ相談だった。

 安達春昌は、右大臣が貧しい貴族の娘に生ませた四の君を狙っていた。上手く右大臣に取り入れば、陰陽寮で賀茂家に劣らぬ地位に就けてもらえるやも知れぬ、そう考えていた。そして自分はそうあってしかるべき力を持っていると自負していた。

 陰陽寮には自分より上位にもかかわらず、下等な霊すらも見ることのできない者たちがたくさんいた。これだけの力をもち努力をしている自分の家柄が低いというだけで取り立ててもらえないのは不公平だと感じていた。この奥出雲の方違えで右大臣に取り入れば、四の君との結婚が許されるかもしれない、危険を冒してものキツネ祓いももちろん打算があってのことだった。だが、もはや四の君のことは考えなくなっていた。春昌は生まれて初めて計算なしに女に惚れた。もちろん計算が完全になくなったわけではなかった。自分の価値を高めるのには落ちぶれた四の君なんかよりも、主上の覚えのめでたい特別な媛の方がいい。春昌は、森の奥の神社の神域を目指してうろうろと歩き出した。

 その頃、瑠璃媛は、混乱の極みに陥っていた。次郎と神社に戻ってから、瑠璃媛の心には一瞬たりとも平穏な時がなかった。龍王の『やすみ』の時にはしないことではあったが、龍王が起きていることを知っていたので、瀧壺のある池に入り龍王を探した。龍王は眠っておらず、瑠璃媛が水の中に入るときはいつもそうするように、近くへと寄ってきたが、いつものように共に泳いだりはせずそのまま瀧壺へと姿を消した。

 瑠璃媛は、水から上がり、拝殿で意識を神域に同調させようとした。普段なら媛と森は直に一体となり、そこに龍王が喚び憑るはずだった。だが瑠璃媛は森に同調できなかった。瑠璃媛の心には別の存在が住んでいた。瑠璃媛は『やすみ』の龍王が即座に起きたほどの神域における異物とはあのキツネではなかったことを知った。それは安達春昌その人だった。あの晩の、あのときを境に、龍王はその御覡を失った。瑠璃媛は恐ろしさにおののいた。恋は、龍王の巫女として生まれた瑠璃媛にとっては破滅でしかなかった。



 神域には入れなかった安達春昌は、奥出雲を離れる前にせめて一目でもと想い詰めて、旅支度をしたままはじめて瑠璃媛と出会った森の外れに向かった。逢いたくて、逢いたくて、意識を集中して瑠璃媛を呼んだが、森はその入り口を深く閉ざし春昌を拒むように立ちふさがった。どうしても出なくてはならない時間を半時も過ぎてから、ようやく春昌は京へ向かうべく道を折り返した。

 森を振り返り振り返り、丘まで来るとそこに見覚えのある紗の被衣の女がひとりでひっそりと立っていた。

「瑠璃媛……」
「お別れに参りました」

 わずかに見えている口元の横を涙が伝わったのを見た春昌は、我を忘れて媛を抱き寄せた。
「なりませぬ」

 泣きながら抗議する瑠璃媛は、しかし、自ら離れようとはしなかった。媛はやがてはっきりとした声で言った。
「私を殺めてくださいませ。あのキツネにしたように、私を消してくださいませ」

「なぜ、私がそなたを殺めねばならぬのか」
「私は、人をお慕いしてはならぬ身でございます。春昌様にもご迷惑がかかりましょう」

「迷惑などかからぬ。二人で京へ登ろう。陰陽師の妻として京で暮らせばよいではないか」
「私は、ここを離れては十日と生きられませぬ。春昌様。せめて一目お会いしてお別れを申し上げたくて参りましたのに」
「愚かなことを言うな。そなたは私とともに来るのだ。嫌だと言っても盗んで連れていく。それでたとえ主上の怒りを買ったとしても構わない」

 春昌は瑠璃媛を馬に乗せて、自分も跨がるとそのまま奥出雲を離れ、京を目指す道へとひた走った。樋水龍王神社の御覡を盗みだしてしまったことの重大さに氣づいたのはずっと後だった。そのときは他のことは何も考えていなかった。瑠璃媛は自分のしていることをはっきりと自覚していた。人からならば運がよければ逃げおおせることができる。だが、運命からは何人も逃げられはしない。瑠璃媛は自分に課せられた運命を受け入れていた。そして、その残りの時間のすべてを春昌と共にいることを選んだのだった。



 空は燃えていた。丘の上に立ち、初めてみるこの広大な朝焼けに立ちすくむ。樋水の東にはいつも山が控えていた。瑠璃媛は朝焼けを見た事がなかった。これほど広い地平線も見た事がなかった。向こうに遠く村が見える。今まで一度も行ったことのない村。一度も会ったことのない人たち。そしてもっと遠くには春昌の帰りたがる京がある。

 瑠璃媛にとって京とは極楽や涅槃と同じくらいに遠いところだった。そこに誰かが住んでいることは聞いた事があっても自分とは縁のないところであった。瑠璃媛にとって世界とは樋水の神域の内と外、奥出雲の森林の中だけであった。そこは瑠璃媛にとって安全で幸福に満ちた場所だった。

 安達春昌に遭い、瑠璃媛はまず心の神域を失った。龍王とのつながりを失った。場としての神域と奥出雲を出ることで、氣の神域を失った。そして、安達春昌にすべてを与えたことで肉体の神域も失った。

 瑠璃媛は今、あらゆる意味での神域から無力にさまよい出た一人の女に過ぎなかった。その類い稀なる能力をすべて持ったまま、それをまったく使うことのできない裸の女に変貌していた。

 その心もちで、朱、茜、蘇芳、ゆるし色、深緋、ざくろ色、紫紺、浅縹、鈍色と色を変えて広がる鮮やかな空と雲を眺めて立ち尽くした。

 春昌には媛の心もとなさがわかっていなかった。媛は京と素晴らしい未来に思いを馳せているのだと思っていた。春昌の人生は常に戦いだった。どんな小さなものも、全て勝ち取ってきた。貧しくつまらない家柄に生まれた、大きな能力と野心のある若者は、そうすることで人生を切り開いてきた。欲しいものは全て勝ち取れると信じていたし、今、較べようもなく尊いものを手にしたと誇りに思っていた。

 春昌は自分のしていることを正しく理解していなかった。勝利に酔いしれ、昨夜の媛との情熱的な夜に満足の笑顔を浮かべて馬の手入れをしていた。

 突然、森からひづめの音が聞こえた。
「神を畏れぬ盗人め、覚悟しろ!」
次郎が矢を引きつがえて春昌に向かっていった。春昌は無防備な状態だった。考えもしなかった攻撃にあわてて身を翻そうとした途端、放たれた矢と春昌の間に何かが割って入ったのを感じた。白い単衣と黒い髪が見えた。鈍い音がしてそれに矢が刺さったのがわかった。何があったのか理解できなかった。

 必死で媛を抱きかかえた。安達春昌は矢を用いたりする武士ではなかった。だが、瑠璃媛がどのような状態にあるのかはすぐにわかった。蘇芳色の染みが白絹の亀甲紋を浮き上がらせていく。媛が息をするたびに、その染みは広がっていく。瞳孔が開かれ、額に汗がにじみ出る。白い顔は更に白くなり、唇はみるみる色を失っていく。

「媛、瑠璃媛……」
「ひ、媛巫女様……」
よりにもよって命よりも大切な媛巫女を射てしまった忠実な次郎も、媛に劣らぬ青い顔になって、泣きながら寄ってくる。

「次郎……」
聴き取れぬほどのかすかな声で瑠璃媛は次郎を呼んだ。泣きながら次郎は駆け寄った。

「媛巫女様……、私はなんということを……」
「龍王様が、お定めになったこと……。お前のせいでは、ありません……」
「媛巫女様…」

「……私の最後の命を……きいておくれ」
「媛巫女様」

「お前の……命が終わるまで……春昌様を……わが背の君を……お守りして……」
「何を! もうよい、媛、口をきくな!」
春昌は泣きながら媛を抱きしめた。

 瑠璃媛は最後の力を振り絞って、勾玉を握りしめ、春昌を見た。
「幸せで……ございました……。許されて……再び……お目にかかる日まで、これを……」

 それが最後だった。瑠璃媛は動かなくなり、苦しそうな息づかいも果てた。二人の触れた時に起こる、既に当然となっていたあの白い乳白色の光と、不思議な感覚が、少しずつ消えていった。完全に何も感じなくなっても、まだ春昌は呆然と瑠璃媛を抱いていた。次郎の号泣も、馬の嘶きも耳に入らなかった。

 昼前までに、次郎の涙は枯れ、春昌も起こったことを理解するまでになっていた。
「どうか、私めをお手打ちにしてくださいませ。私めが、媛巫女様を……この手で……」
次郎は春昌の前にひれ伏して涙声で言った。

 春昌は、言葉もなく次郎を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「媛巫女を、樋水までお届けしてくれぬか」

「………」
「こうなったのは、私のせいだ。瑠璃媛を龍王様のもとで弔わねばならぬが、穢れた私は神域に入りお届けすることができぬ。つらい役目だが果たしてくれぬか」

「春昌様は、そのまま行ってしまわれるのですか。私は春昌様のお側に居ねばなりませぬ。媛巫女様とのお約束を果たさねばなりませぬ」
「では、媛巫女の弔いが終わり、そなたが樋水に暇乞いをしてくるまでここで待とう。戻ってこずとも、他の刺客とともに戻ってきても構わぬ。瑠璃媛なくして一人で生きのびたいとは思わぬ」

 次郎は、馬に媛巫女の亡がらを乗せ、樋水へと戻っていった。安達春昌は翡翠の勾玉を抱きしめたまま、七日七晩その場で次郎を待った。眠りもせず、食事もとらなかった。意識を失っていたが、次郎に世話をされ息を吹き返した。

 それから二人は京には登らず東を目指した。村と村の間を歩き、半ば物乞いのごとく、半ば呪医のごとく過ごした。安達春昌は、その後二十年ほど生き、伊勢の近くの小さな村で、はやり病により死んだ。

 最後まで手厚く看病をした次郎は、言われた通り亡くなった廃堂の裏手に主人と翡翠の勾玉を目立たぬように埋め、そのあと一人で樋水龍王神社に戻りそこで生涯を全うした。

 瑠璃媛が亡くなった後、樋水では安達春昌を逆賊として呪詛する動きがあったが、夜な夜な神として祀った媛の霊が現れ泣くので、次郎が戻った後、安達春昌を媛巫女神の背の神として合祀することとなった。それ以来、樋水龍王神社の主神は、樋水そのものである龍王神と媛巫女神瑠璃比売命、背神安達春昌命の三柱となった。
.23 2013 断片小説 trackback0
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comment

says... ""
こんばんは、TOM-Fです。

こうしてダイジェスト版を出していただくと、登場人物や出来事が概括的に追えて、いいですね。
瑠璃媛も安達春昌も情熱的で、悲恋ですけど、羨ましいです。そして、ここから物語は始まったのですね。

来週、駄文を寄せさせていただきます。えへへ、すごく楽しみです。

では、では。
2013.02.23 17:08[edit]
says... ">>TOM-Fさん"
こんばんは。

いや、そうしないと「で、瑠璃媛って誰? 安達春昌?」になってしまう(笑)
幸い、ここにしか出てこないので、記事一回分で済みました。

実をいうと、一番最初に思いついたのは、この二人の話だったのですよ。それがいつの間にか千年後の話になり、あんなことに……。

来週、私も楽しみにしています。そして、それをちゃっかり利用して、その流れのまま一氣に「Dum Spiro Spero」連載に流れ込む姑息な計画を立てております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2013.02.23 17:42[edit]

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