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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとわすれな草色のジャージ

月刊・Stella ステルラ参加作品です。二月ももうじき終わり。そう、投稿期間なのです。いつもの「夜のサーカス」シリーズです。ようやく、チルクス・ノッテ側の主要メンバーが全部揃いました。今回登場するのは、ヒロイン・ステラの幼なじみと言ってもいい青年、マッテオです。バリバリのイタリア人です。


月刊・Stella ステルラ 3月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


あらすじと登場人物
「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む



夜のサーカスとわすれな草色のジャージ


夜のサーカスとわすれな草色のジャージ

 オリンピックの選考から漏れたと知った時、マッテオは悲しいとか、悔しいとか思う余裕はなかった。この日が来る事は、予想していてもよかったはずだ。でも、心がついていかない。子供の頃から体操界で活躍する夢しか持ってこなかったからだ。

 マッテオは二十歳だった。学校に行ったり、見習いを始めたりといった、新しい人生の切り直しをするには育ちすぎていた。かといって引退して悠々自適の生活をするほど歳をとっている訳でもなかった。ずっと体操しかしてこなかったのでカーブが下を向いた時にどうしたらいいかわからなくなるのはマッテオだけではなかった。

 たくさんの仲間たちとしのぎを削ってきた。選抜選手を決めるための合宿に参加していた馴染みの少年少女たちは、大会の成績に応じていつの間にか少しずつ入れ替わった。マッテオは、同期の中ではいつも一番だったので、たくさんの出会いと別れを経験した。でも、それは他の誰かが出たり入ったりするだけで、彼の居場所は常に約束されていたのだ。これまでは。急に未来がなくなって、マッテオは途方に暮れた。

「望むのは優勝、少なくともイタリア代表になる事」
そう豪語してきたマッテオにみな賛同した。
「俺も」
「私もよ」

 けれど、一人だけ、にっこりと笑って何も言わなかった少女がいた。マッテオはその金色の瞳の少女の事を考えた。彼女は、もう選考会にも合宿にも参加しなくなった。他の子たちの場合とは違って成績が落ちたからではなかった。

 不思議な魅力を持った少女だった。マッテオは彼女を十年ほど知っていた。彼女が合宿に連れられてきた時のことを、いまでも鮮明に思い出す事が出来る。まだ学校にも入っていな年齢の少女に彼は訊いた。
「君、小さいね。もう体操を始めたの?」
「大車輪を出来るようになりたいの」

 そんなはっきりとした目標を六歳の少女が口にするとは夢にも思わなかったマッテオも、横にいた教師も驚いた。少女は、きらきらとした瞳を輝かせて言った。
「わたし、ステラよ。あなたは?」

 ステラはとても優秀だった。しなやかで軽やかだった。床運動や平均台ではバレリーナのように美しく芸術的に動いた。段違い平行棒や跳馬は正確に、でもスピード感を持っていた。天性のものもあるのかもしれないが、それだけではないようだった。教師やコーチに言われたままに、得点の上がるような演技を目指す他の少女たちと、どこかが全く違っていたのだ。

 金色の瞳がいつもキラキラと光っていた。女性らしい柔らかな動きでマットの上を跳躍していった時、段違い平行棒で見事な大車輪をしていた時、平均台の上で意識を集中させて回転した時、全身から生き生きとした歓びが、隠しきれない情熱が溢れ出していた。確実に得点出来るように無難なステップを選んだり、コーチに言われたから見せる硬い作り笑いをする少女たちとはあまりにも違っていた。そのために、時として彼女の成績は芳しくない事があった。

 彼女は得点には興味がなかった。驚くほどの自己克己と努力をしていたが、目指しているのは大会での競技ではなかったのだ。だから、彼女はオリンピックで金メダルを穫りたいというような目標を口にする事はなかった。

 彼は今、ジャージをボストンバッグに丸めて突っ込みながら、自分の行く末について想いを馳せている。世界選手権に、オリンピックにいけなくなったら、どんな人生が待っているかなんて考えてもいなかった。どこか田舎で体操の教師としての職を探すか。それともスポーツインストラクターになって都会の有閑マダムの相手をするか。ちくしょう。それはちっとも輝かしい未来には思えなかった。そう、あのステラが目を輝かしていたような、希望に満ちた未来には。

 マッテオは協会の重い木の扉を押して外に出ると、木枯らしの吹くパルマの街をとぼとぼと歩いていった。風が木の葉をくるくると遊ばせて、ホコリが彼の目を襲った。くそっ。
かさかさ音を立てる枯れ葉の間に、しわくちゃになった一枚のチラシがあった。ふと足を止める。サーカス。チルクス・ノッテ。……チルクス・ノッテ?

「じゃあ、これで、さよならね」
半年前の大会が終わった日、ステラは握手を求めてきた。

「これでって、どういうこと? 来月には選抜の合宿があるよ」
「わたし、就職が決まったの。だから、もう競技には出ないの」
「嘘だろう? 君は入賞候補なのに。何か事情があるのかい? お金の問題かい?」

 ステラは生き生きとした瞳で微笑んだ。
「違うの。ようやく夢が叶ったの。私ね、サーカスに入ったの」
マッテオはぽかんと口を開けてステラの顔を見つめた。サーカス?

 チルクス・ノッテは、そのステラが入団したサーカスだった。マッテオはあわててチラシを拾って指で丁寧に拡げた。そんなに古くないチラシだった。パルマでの興行は終わっていなかった。明日が最終日だ。ステラは、この街にいるんだ! マッテオは、いま来た道と反対側、チルクス・ノッテのテントのある方へと走った。切符を手に入れるために。

* * *

 舞台には光があふれていた。妖艶で美しい女が、ライオンを操っていた。たくましく異国情緒をたたえた屈強な黒人が、見事な逆立ちをしてみせた。赤い水玉のついた白いサテンの服を来たピエロが滑稽ながらも鮮やかなジャグリングをしていた。派手な縞の服を来た男が操る馬たちの曲芸。観客の叫びと、喝采の中で場内は熱い興奮に包まれていた。

 やがて、照明は清らかな青に変わった。静かで宗教的とも思える音楽とともに、先程の道化師が紅い薔薇を手にして舞台に上がってくる。彼は憧れに満ちた様子で上を見つめている。その先に眩しい蒼い光が満ちて、ゆっくりとブランコが降りてきた。ゆったりとしたワルツに合わせて、ブランコは大きく揺れだす。神々しいほどの優雅な動き。彼女はブランコから、道化師めがけて飛び降りるかのように宙に飛び出す。けれどももちろん落ちたりなんかはしない。見事な回転のあとで、しっかりとブランコを掌でつかむのだ。

 マッテオは、その回転が体操界でなんと呼ばれるものか、すべて言う事が出来た。けれど、そんなことはここでは全く意味がなかった。落ちるかと思ったのに、足だけでブランコに引っかかる。片手だけでぶら下がりながら、美しいアラベスクのポーズをとる。ステラの動きの一つひとつに、観客から大きな拍手が起こった。

 喝采を浴びながら、道化師の優しい眼差しのもとで、超新星が爆発したごとき猛烈な輝きを放っている。仲間の体操選手たちの中で、一人だけ違う方向を見つめていた少女は、ここを目指していたのだ。何十人もの選手の中に埋没した一人としてではなく、何百人もの観客の視線を一身に集めていた。そして、光の中であふれる生命力と、息苦しくなるような哀しみと、狂おしい歓びを謳歌していた。

 なんという美しさだろう。マッテオは強い憧れがわき起こるのを感じた。これが彼女の言っていたことなんだ。
「ようやく夢が叶ったの。私ね、サーカスに……」

 カーテンコールが終わって、観客がどんどん去っていっても、マッテオはずっと席に座っていた。

 抱えているボストンバックには、イタリアチームの青いジャージが入っている。どうする? もう一度体操界でトップになるために、そして、いずれは失ってしまう場所を勝ち取るために、高得点のためだけの技術を競うか? このまま、諦めて、イゾラの街に帰るか? それとも……。マッテオは暗くなった誰もいない客席で、舞台を見つめたままじっと座っていた。

 舞台に小さな光が点り、薄紫のシャツにジーンズ姿の一人の青年が入ってきた。そして、膝まづいて、端から舞台のナットが弛んでいないかを点検しだした。慣れているらしく、正確で素早い動きだった。そして、よどみなく移動していく。彼が三分の一ほどの点検を終えた所に、ぱたぱたと音がして青色の何かが走り込んできた。
「あ、いたいた。ヨナタン!」

 その声は、間違いなくステラだった。目を凝らすと、少女は先程の輝く美しい衣装とは打って変わり、明るい金髪をポニーテールにして、マッテオとお揃いのわすれな草色の、つまり、イタリアチームに支給されたジャージを着ていた。何を着ていても、彼女の生き生きとした様子は変わらなかった。いや、むしろ際立って見えた。

 ヨナタンと呼ばれた青年は膝まづいたまま顔を上げて、すぐ側にやってきたステラを見た。
「あのね。マルコたちが街のバルに行くんだって。マッダレーナとブルーノも行くみたいだし、ヨナタンも一緒に行かない?」

 ヨナタンはすっと立ち上がった。ステラよりも頭一つ分背が高い。彼女を見下ろすと、優しく静かに言った。
「この点検が終わったら行くよ。先に行っていてくれてもいいよ」

 ステラは大きく首を振って答えた。
「着替える前に、どこで待ち合わせるか、みんなに訊いておくね。点検が終わるまで待っているから、一緒に行かない?」

 ヨナタンは同意の印に、片手でくしゃっと彼女の前髪を乱してから、その小さな背中をやって来た方向へと押した。スキップするようにステラが去ると、青年は何事もなかったかのように点検を続けて、終わりが来るとすっと立ち上がり、舞台の電灯を消して立ち去った。

 マッテオは、立ち上がった。テントの出口を手探りでみつけて月夜に躍り出ると、雄牛のような勢いで、キャラバンカーのたくさん並んでいる所に向かった。

「すみません!」
たまたますれ違った中年の男を捕まえると、つかみかからんばかりに責任者に会わせて欲しいと頼み込んだ。よく見たら、それは先程、舞台の上で綱渡りをしていた小男だった。マッテオの態度に怯えたルイージは、彼を団長ロマーノのキャラバンに案内してくれた。

 馬の曲芸師がでて来た。こいつが団長だったんだ。彼はマッテオを見ると髭をしごきながら興味深そうに訊いた。
「私に何か用かね?」
「ぼ、僕、マッテオ・トーニといいます。体操をやっていて、イタリア選手権にもでた事があります。そ、その、ここの入団テストを受けたいんですが!」

 ロマーノは、じっとマッテオを見つめた。服の上からでもわかる筋肉質の均整のとれた体型を上から下まで堪能した。それから再び髭をしごきながら、笑顔をみせると言った。
「明日、十時に撤収と移動が始まる。その前に、君のテストをしよう。朝の八時に舞台となったテントに来れるかね?」

 マッテオは、大きく頷いた。ボストンバックをしっかりと抱きしめた。このジャージを着てテストを受けよう。待ってろ、ステラ。数日後には、僕は君の同僚になっているからな。

(初出:2013年2月 書き下ろし)
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Category : 小説・夜のサーカス
Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Comment

says...
 こんにちは。
うーーん 純情そうな 挫折を知らなかった青年かぁーー
ヨナタンといい対照になりそうな人物!!!
彼の 本当に欲しい場所は 何なのか 面白そうな展開です。

ああっ もう ステルラの時期なのですねーーー
まったく 間に合わなかった 来月を目指そう。 
2013.02.24 07:02 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

そう、マッテオも参戦して、チルクス・ノッテの人間模様は混戦予定です(笑)
マッテオはヨナタンとは好対照で、直情型です。イノシシタイプ。

そうなんですよ。もう投稿期間。まだ先月号の感想を書きにいけていない所もちらほらあるというのに。
一ヶ月は早いですね。
来月は、私も少しは落ち着くと思うので、じっくりよそのブログで小説堪能したいなあ。
ウゾさんの新作も楽しみにしていますよ〜。

コメントありがとうございました
2013.02.24 10:30 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おはようございます、TOM-Fです。

サーカスの演技って、じつはかなりレベル高いんだぁと、あらためて思いました。
最初からプロを目指してそのための訓練を積んだステラと、アマチュアでの最高峰をめざしたマッテオ。どちらも厳しい世界ですね。
マッテオを観察するロマーノ団長の視線が、妙にエロティックに感じたのは気のせいでしょうか(笑)
曲者の多い(失礼)チルクス・ノッテで、ストレート勝負って感じのステラとマッテオですが、どんな活躍をしてくれるのか楽しみです。
2013.02.25 01:43 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

私がはじめてシルク・ド・ソレイユを観た時の感想が「この人たち、どうしてオリンピックに出ないんだろう」でした。チルクス・ノッテはそこまで世界的に有名なサーカスではない設定ですが、それにしてもどういう人たちがサーカス団員になるのかなと考えた時に、ブランコ乗りのような演目ではやっぱりもと体操選手じゃないと無理でしょうというのが脳裏にあったのです。

ロマーノの採用基準は、完全に趣味優先ですので、テスト前にもう即決していますね。ほほほほほ。

コメントありがとうございました。
2013.02.25 19:37 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
次いで次いでの三軒目♪

うお、この展開にはびっくりです
この人が入ったら荒れちゃうからやめてーと思うのと、面白そうだからやっちまえという意見でかち合っちゃいそうな進み方ですね
サーカスの芸を彼が覚え始めるのもこれからでしょうし、チルクス・ノッテの人間模様も一層独特になるのではないかと目を見張るものがあります!
楽しみにさせてもらっています、また来月読みに来ます

以上です。
2013.03.06 07:12 | URL | #iVT7Zno6 [edit]
says...
全部読んでいただけるとは、ありがとうございます。

いや、そろそろ荒らさないと、読者が何も起きないことに読者が飽きて寝てしまう(笑)
ご想像の通り、この人がしっかりかき回してくれる予定です。

次回以降もどうぞよろしくお願いいたします。

コメントありがとうございました。
2013.03.06 19:15 | URL | #9yMhI49k [edit]

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