scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと鬱金色の夕暮れ

月末の定番「夜のサーカス」です。今回は、少し話が動きますね。まあ、ほんの少しですが。このストーリー、半年以上前から連載しているので、最近このブログを知った方は取っ付きにくいかもしれません。が、実をいうと、「あらすじと登場人物」だけ読めば十分付いていけます。よろしかったらどうぞ。


月刊・Stella ステルラ 5,6月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




夜のサーカスと鬱金色の夕暮れ



夜のサーカスと鬱金色の夕暮れ


 日はずいぶんと長くなってきた。夜の興行がない日は、皆が町にでかけることができるように六時に夕食だった。そして、食べ終わった面々が次々と出て行ったあとも、まだ完全には暗くなっていなかった。

 片付け当番にあたっていたマッダレーナは、立ち上がって、ヨナタンの席を見た。「舞台の下のナットのいくつかに問題があるので、先に食べていてほしい」と言われて、他のメンバーは待たなかったのだ。しかし、ヨナタンが食べ終わっていないのに、テーブルクロスまで片付けるのはためらわれたので、彼女は他のすべてのテーブルを片付けてから様子を見るために共同キャラバンの入り口に立った。

 灰色と白の雲が交互に空を覆い、そこにあたる夕陽が暖かい色彩の複雑な綾織りを拡げていた。マッダレーナはケニアで過ごした少女時代を思い出してため息をついた。

「すまない」
小走りの足音に意識を元に戻すと、ヨナタンが戸口に向かっていた。

「ああ、手こずったみたいね」
そう訊くと、彼はわずかに肩をすくめた。
「相当すり減っていたみたいで、締まらなくなったのが二つあったんだ。予備がなくて、町に買いに行ったので遅くなった」

 マッダレーナは、ワインを彼と自分のグラスに注ぎながら言った。
「でも、どうして、いつまでもあなただけが点検作業をやっているわけ? 最初の頃はともかく、今は道化師としてもジャグラーとしてもちゃんと働いているんだし、点検はこの片付け当番同様、みんなで持ち回りにするように団長に掛け合えばいいのに」

 ヨナタンは首を振った。
「別に、掛け合うほどのことじゃないよ」
こうヨナタンが断言すると、あとは何を言っても会話が続かないことを知っていたので、マッダレーナはそれ以上言わなかった。実際にはマッダレーナも、この仕事をやれと言われても、きちんとできるとは思えない。舞台の点検は、仲間の命に関わる重大事だ。ちゃらんぽらんなマルコや、入ったばかりだけれど態度がでかく面倒なことを嫌がるマッテオが適当にやるよりは、十年以上にわたり黙々と点検を続けているヨナタンに任せておくのが安心なのは間違いなかった。

 マッダレーナは、立ったままワインを口に運ぶ。食事をしながらヨナタンは言った。
「みんなは町に行ったんだろう。君も行っていいよ。終わったらちゃんと片付けておくから」
「ああ、言い忘れていたけれど、町役場からの伝達があったの。野犬に襲われる被害が続いているので、夜に一人で外出するなって。つまり今からは出かけられないの。どうせだから、このままつき合うわよ」
そういうと、マッダレーナはヨナタンの後ろの壁ぎわにおいてある古い木製のラジオのつまみを回してスイッチを入れた。

 騒がしいロックに眉をひそめてチューニングをしたが、次に聞こえてきた曲で手を止めた。
「あ」
それは子供の頃に繰り返し聞かされたメロディだった。マッダレーナは、曲をそのままにして、椅子に座ってワイングラスを口に運んだ。
 
 ヨナタンは静かに食事を済ませると、やはりワイングラスを傾けながら、クラリネットと弦楽器の静かな対話に身を置いていた。マッダレーナは、そのヨナタンの様子を見て、小さく微笑むと、ためらいがちに口を開いた。
「誰の曲だか知っている?」

 ヨナタンは小さく頷いた。
「モーツァルトの『クラリネット協奏曲』だよ。これは二楽章だ」
「そう。父はいつも『愛と追憶の日々』の曲って言っていたわ」
「映画で使われたんだろう」
「そう。父がアフリカ狂いになる手助けをした映画よ。すっかりかぶれちゃって、こればかり聴いていたの。今日みたいに夕陽のたまらなく綺麗な日にはお約束みたいなものだったのよね」

 少年だったヨナタンの周りには、アフリカ狂はいなかった。彼がこの曲を知っているのは、映画の挿入曲としてではなくて、純粋にモーツァルトの協奏曲としてだったが、やはり思い出に郷愁を誘われていた。

 彼の思い出が連れて行った先は大きくて明るい広間だった。多くの人びとが着飾り、手にはさまざまな形のグラスを持ちざわめいていた。広間の奥には室内楽の楽団が陣取り、『クラリネット協奏曲』を奏でていた。残念ながら多くの客たちは、会話に夢中で音楽を聴いていなかった。少年だった彼は、その曲をゆっくりと聴きたかった。大切な人と何度か一緒に聴いた思い出の曲だったから。けれど、けばけばしく着飾った客がグラスや皿をがちゃがちゃ言わせてひきりなしに語りかけてくるので、彼は曲を静かに聴くことができなかった。

 ヨナタンは、ワインを傾けながら、ラジオから流れてくるクラリネットの響きにしばらく耳を傾けていた。暖かい夕陽が最後の光を投げかけてから、テント村に別れを告げた。後ろにいるマッダレーナのわずかな氣配は彼の郷愁を邪魔しなかった。

 マッダレーナは、何も言わないヨナタンの様子に、過去のことを訊いてみたい衝動に駆られたが、これまでも絶対に口を割らなかったので、無駄だろうなと思った。けれど、いつもよりもリラックスしている様子の彼のことを少し身近に感じた。ワインや夕陽でメランコリーな心地になったせいもあったかもしれない。ヨナタンのすぐ後ろに椅子を近づけて座ると、低い声で語り出した。

「あたしね、ライオンたちがいつも閉じ込められているのが可哀想だったの。今日みたいな夕陽の綺麗な時にはね、父さんに知られないように、ライオン舎に行ってジャスィリを連れ出してね。一緒に丘の上のガーデニアの樹のあるところまで駆けっこしたのよ。父さんは、蓄音機でこの曲をかけていて、その音が途中まで聞こえていた」
「ライオンと。綱が付いているわけじゃないんだろう? 逃げだしたりしなかったんだ」
マッダレーナは笑った。
「しないわ。だって、ジャスィリは、うちで生まれたんですもの」

 共同キャラバンから漏れてくる光と、クラリネットの音色、そして二人の和やかな会話。ほんの少し離れたところに立っている少女の影は項垂れていた。ステラもみんなに誘われて町に行こうとしていた。でも、ヨナタンを待っていたのだ。もう点検が終わったか、大テントに確認に行ったら暗くなっていたので、共同キャラバンに探しにきたのだ。

 ステラはこの曲を知らなかった。二人が浸っている思い出の世界に入っていくことができなかった。二人の会話のウィットや大人の機智、静かな目配せや微笑についていくことができなかった。自分だけが子供で、二人は大人に思えた。

 ステラは、項垂れたまま踵を返すと、自分のキャラバンに向けて歩いていった。マッテオたちと一緒に町に行っていればよかった。そしたら、こんな光景は見ずに済んだのに。目の前がにじんできた。私、いったい、何をしているんだろう。何を泣いているんだろう。ヨナタンは何も悪いことをしていない。ただ、私が勝手に好きになって、勝手に期待して……。

 その時、ガルルルといううなり声が聞こえた。ステラは、涙を拭いて振り向いた。暗闇の中、四対、いやもっと、目の光が浮かんでいる。野犬……。町役場から言われていた……。一人で外にいるなって言われていたのを忘れていた。ステラはそっと、後ずさりながら、共同キャラバンの方へと戻ろうとした。あそこには、ヨナタンとマッダレーナがいるから……。

「助けて…」
小さな叫び声だったが、共同キャラバンの扉が開いていたので、ヨナタンとマッダレーナはすぐに氣がついた。マッダレーナはすぐに立ち上がって、ラジオを消した。走るステラの叫びと、獣のうなり声が聞こえて、ヨナタンはすぐに走り出した。

「ステラ!」
ヨナタンはステラの側に駆け寄ると、少女と獣たちとの間に立ち、小石を拾って投げた。獣たちはそれに怯んで、動きを止め、一度下がった。だが、すぐに体制を整えて、再び近づいてくる。月明かりの中、獣たちの姿が浮かび上がる。野犬なんかじゃない、野生の、狼だ……。ヨナタンは心の中で呻いた。だめだ、石なんかでは追い払えない。怯えるステラをかばいながら、彼は飛びかかられるのを覚悟した。

 その時、突然、恐ろしい咆哮がとどろき、二人と狼たちとの間に何かが飛び込んできた。巨大な獣の登場に狼たちは仰天した。それはヴァロローゾだった。マッダレーナはすぐにライオン舎に行って、頼りになる雄ライオンを連れてきたのだ。狼たちはライオンに脅されるなどという経験はしたことがなかったので、慌てて尻尾を後ろ足の間に隠して逃げ出した。

 ステラは体の力が入らなくなり、その場に座り込むとガタガタと震えて泣き出した。ヨナタンは、そっと彼女を抱きしめると背中をさすって言った。
「大丈夫だ。もういなくなったから」

 それは、温かい手だった。静かな声でそう言われると、本当にもう二度と恐ろしいことはおこらないように思われた。

 ヨナタンが来てくれて、守ってくれたことが嬉しかった。この人はやっぱり私の王子様。わたし「だけ」の王子様でなくてもかまわない。願いが叶わなくてもしかたない。ただの子供と思われていてもいいから、どうしても側にいたい。ステラは気持ちの抑えがきかないまま子供のように泣きじゃくった。

 ステラが落ち着くのを辛抱強く待ちながら、ヨナタンはマッダレーナに礼を言った。マッダレーナは首を振って言った。
「私は何もしていないわ。ヴァロローゾが追っ払ってくれただけ」

 それからヨナタンにウィンクすると、共同キャラバンに鍵をかけて、雄ライオンと一緒にライオン舎に向かってゆっくりと歩いていった。

(初出:2013年4月 書き下ろし)

追記

マッダレーナとヨナタンが聴いている曲を聴いてみたいなという方のために動画を貼付けておきます。



W.A. Mozart "Clarinet Concerto in A major K622 Adagio"
クラリネット: Sabine Meyer
指揮:Claudio Abbado
演奏:Berliner Philharmoniker
だそうです。
関連記事 (Category: 小説・夜のサーカス)
  0 trackback
Category : 小説・夜のサーカス
Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Comment

says...
おはようございます、GWも仕事の負け組みTOM-Fです(笑)

むむむ、ヨナタン、罪作りな男ですね。
回想シーンは、ヨナタンの謎めいた生い立ちの一端が垣間見えますね。団長との出会いの件を思い出して、とても気になります。
日本の野生動物で人を襲うのはもっぱらクマかカラスです(狼はもういませしね)が、野犬や狼に襲われるというのは、ヨーロッパでは結構あるのですか?

次話も楽しみです。
2013.04.29 01:51 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
 こんにちは。
ああっ 野犬 狂犬病は恐ろしいからねーーー
僕 海外では 飼い犬でも気軽に手を出さないことにしている 狂犬病の予防接種 徹底してない国
結構 ありますからね。

うーーん 女性は 影のある人物に惹かれるのかなぁーー
ステラも 健気ですね 自分だけの王子様でなくても いいなんて。
  
2013.04.29 04:42 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

今年は飛び石なのでしょうか。
でも、今日は祝日、ですよね? 違いましたっけ?
お仕事お疲れさまです。

今回の話は、次回の話を引きだすために無理矢理入れたエピソードです。これから、ちょくちょく「罪な男」ヨナタンのフラッシュバックシーンが出て参ります。来月なんかは、かなり……。乞うご期待! (結局宣伝か!)

狼はいます。が、人間を襲うことは稀ですね。やられるのはたいてい放牧しっ放しの羊さんです。狼も昔と違って絶滅の危機にあるので、猟師たちも許可なしには撃てないことになっています。今回は、野犬のしつこい襲撃よりは信憑性があるのと、野犬が襲うとなると狂犬病で命に関わるので、狼にしてみました。

クマも出ますが、やはり出るのは人間が生息地を浸食しているからのようで、かなり可哀想なことになっています。ゴミをあさったり、蜂蜜を盗んで、行政に殺されちゃったりとか。

コメントありがとうございました。
2013.04.29 19:31 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

スイスは大丈夫ですけれどね。日本よりずっと。
でも、まあ、触らないに越したことはないかも。
狐も危ないって言いますよね。

ステラはね「自分だけの王子様でなくてもいい」なんて言ってますが、どうせ舌の根も乾かぬうちに……。しつこいのだけが取り柄の火の玉少女ですから。

コメントありがとうございました。
2013.04.29 19:34 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ヨナタンがここへ来たときの団長との約束というか・・
与えられた自分の仕事を全うする姿というか・・
そうゆうのにキュンとしてみたり
変な言い方になっちゃうけど(というか、変な感覚かもだけど?汗)
マッダレーナに対して、「実はねぇぇぇえ?♪」「私知ってるよーーーッ♪」なんて
ちょっと優越感にひたりながら話したくなってみたり。(笑)
ぁ・・ 性格悪いですよねぇぇえ(;´Д`)ノシ)))
でも、大道芸人たち同様、このお話も大好きなので大目にみてやってください(>_<)

しかし、ヨナタンの過去は私もとっても気になっている部分で・・。
いつか教えてもらえるんですよね?ね?
2013.04.30 08:35 | URL | #G5P3Ad7M [edit]
says...
こんばんは。

あ、こちらも読んでいただけていたとは。ありがとうございます。
ヨナタン、根が真面目ですから。
でも、お○○掘られないための防衛策なのかも!
「知ってるよ〜」がこれから少しずつ増えると思います。だから、見捨てないでくださいね〜。
来月は、またしても、ヨナタンの回想が出てくる予定です。お楽しみに〜。

コメントありがとうございました。
2013.04.30 18:50 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/547-83bc7562