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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (5)ピアノ協奏曲

さて、前回ちょっと書いたように、この小説の真の主役が登場します。それは人物ではなくて、私の好きな音楽トップ5にいつも入っているピアノ協奏曲です。例によって、追記に動画を貼付けておきます。この回を機に、ストーリーは樋水の世界から離れていきます。

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(5)ピアノ協奏曲


 早百合は、秘密を持っていたので、家の空氣に敏感だった。東京へ行ったのは、大きなニュースを彰に伝えるためであった。それは早百合の賭けでもあった。

 早百合はここ数年間大きな猜疑心に苦しめられてきた。子供の頃からずっと好きだった彰が、自分ではなくて妹の瑠水の方を愛しているのではないかという疑いである。瑠水の方には彰にほとんど関心がないこともわかっていた。あの子はあの消防士といる方がいいのだ。変な趣味だと思ったが、彰に興味を持たれるよりずっとよかった。

 彰は今でも繁く樋水にやってきた。早百合は半ば誘惑するような形で彰と関係を持ったが、それでも樋水に来た彰が目を輝かせるのは、瑠水の姿を見た時だった。

 早百合はいつも瑠水に対して「理解できない」何かを感じていた。瑠水には『見える者』としての能力があり、龍王や蛟に深く魅せられている。田舎が嫌いな早百合と違って、瑠水は樋水が好きでしかたなかった。山や自然に対する愛情も尋常ではなかった。

 次郎の瑠水に対する態度も早百合には理解できなかった。私と瑠水のどこがそんなに違い、次郎先生は瑠水を特別扱いするんだろう。早百合は次郎に傅かれたくはなかったが、自分と瑠水とのその違いが彰にも影響しているとしたら由々しき問題だった。

 早百合に出来るのは、彰を既成事実で囲い込むことだけだった。そして早百合は賭けに勝ったのである。

 彰と結婚する、来年には子供もできるという電撃ニュースを持って、早百合が樋水の我が家に帰ってきたとき、家にはそういうことを発表しにくい重さが漂っていた。早百合がいない数日の間に、瑠水が龍王の池で溺れかけ、一と摩利子が厳しい顔で今後のことを話し合っていたのである。

 一と摩利子の態度だけでなく、瑠水自身の様子も変であった。瑠水の顔からは、以前のような無邪氣さが消えていた。何かよほどショックなことがあったらしい。早百合は摩利子に訊いた。
「あのロリコン消防士に襲われたかなんかして、ショックで身投げでもしたんじゃないの?」

 摩利子はそれを即座に否定した。だが早百合には『龍の媾合』のことは話さなかった。早百合はいつまでも自分のニュースを隠しておけないので、その日のうちに妊娠と結婚について発表した。一と摩利子は驚いたが、もちろん祝福して喜んだ。瑠水ももちろん祝福したが、その心はどこか遠くにあった。

 高校卒業後の進路として、瑠水は地質学を学べる大学への進学を希望していた。島根大学を受験したいと言っていたが、一と摩利子は東京に行くことを勧めた。いい教授は東京に集中している、いつまでも田舎にばかりいてはいけないというのがその理由だった。数日前までは瑠水は樋水から離れたくないし、地元に即したことを学びたいと主張していたのだが、『龍の媾合』以来、前ほど島根にこだわった発言をしなくなっていた。それに一と摩利子も東京進学を強要していた。

 瑠水はひどく傷ついていた。『水底の二人』の幸福に加わりたかったのに、龍王様に厳しく拒まれた。お父さんもお母さんも私を追い出そうとしている。次郎先生に相談した時にも、東京に行く方がいいと言われた。樋水全体に拒まれている。そう思った。何がおきたのか自分でもわからなかった。

 瑠水は考えたくなかったので受験勉強に集中した。真樹に東京の大学を受験すると言った所、残念そうだったが止めはしなかった。一や摩利子と同じようなことを言った。一と摩利子もいつまでも瑠水のことばかり心配しているわけにいかなかった。早百合の結婚式はまったなしで、その準備にも忙しかったからだ。

 月日は飛ぶように過ぎ、瑠水は東京の大学進学を決めた。卒業までの短い時間に、瑠水は引越の準備をしたり、真樹とクラッシック音楽のコンサートに行ったりして忙しく過ごした。真樹と離れるのはつらかったが、それで縁が切れるとは思っていなかった。大学を卒業したら、できるだけ早くまた樋水に戻ってくる。その時にまた一緒にクラッシック音楽を聴いたり、バイクに乗せてもらったり、同じことが出来ると思っていた。


 瑠水が東京に引っ越す予定の二日前に、二人は出雲で会った。どこに行きたいかと訊く真樹に瑠水は真樹と音楽が聴きたいと言った。それで真樹は今まで連れて行ったことのない自分のアパートに瑠水を連れて行った。

 それは小さなアパートだった。居室とダイニングキッチン、それに風呂場だけのシンプルな間取りで、おしゃれでもなければ、大して片付いてもいなかった。しかし、真樹らしいシンプルで飾りのない部屋だったので瑠水の心は落ち着いた。

 真樹がコーヒーを淹れに行っている間、瑠水は物珍しそうにCDの棚を眺めていた。こんなにバラバラになっていて、どうやってかけたいCDを探せるのかしら。ドボルザークの『新世界から』は棚の上に置かれていた。ハチャトリアンの『スパルタクス』はクイーンの隣にあった。

 CDプレーヤーの電源を入れると、もう中に何か入っていた。プレーヤーの上に空のジャケットが載っている。ラフマニノフ・プレイ・ラフマニノフ。作曲者本人が演奏しているピアノ協奏曲第二番。瑠水は好奇心に駆られてプレイボタンを押した。

 真樹がコーヒーを載せた盆を持って入ってきた。かかっているラフマニノフにちょっと耳を傾けた。いつものように解説などはしなかった。ただ黙っていた。甘い旋律。瑠水も黙っていた。狭い六畳の居室にいることも忘れて、オーケストラとピアノが対話するように奏で、心の中をかき回すロマンティックな音に没頭していた。ラフマニノフ自身が演奏したという古い音源には雑音が入り込んでいたが、それすらも耳には入らず、ひたすら痛み感じさせるほど叙情的な旋律に入り込んでいた。

 第二楽章になると、旋律はもっと甘く切なくなった。音によって、心とからだがどこかへと昇ってゆく。自分が感じているものが何なのかを、瑠水は正確にはつかめなかった。

 氣がつくと、真樹は瑠水の隣に座っていた。ごく自然に、しかし、その距離は不自然だった。狭い六畳とはいえ、そこまで近くに座る必要はなかった。けれど、その近さは、今の瑠水にはごく当たり前に思われた。バイクの後ろにいるときの近さ。樋水の風を感じるときの歓喜。『水底の二人』が放つ光に似た、どこか奥底から湧き上がる甘い歓び。

 その旋律の甘さが最高潮に達している時に、真樹は瑠水の唇を塞いだ。ごく自然に、でも激しく。その長いキスは、第二楽章が終わるまで続き、瑠水は甘さに囚われてされるがままになっていた。

 弦楽器が掛け合う第三楽章がはじまると、瑠水は我に返った。真樹の手が瑠水のブラウスのボタンを外している。違う。そうじゃない。みんながなんと言おうと、私はシンを信じていたのに。渾身の力を込めて真樹を突き飛ばすと、瑠水はバックとコートをつかんだ。

「瑠水!」
真樹の声を振り切るように、瑠水は靴を履き玄関から飛び出した。混乱して、涙が止まらなかった。

追記

私が中学一年の時にはじめて聴いて夢中になったのも、雑音の入ったラフマニノフ自身の演奏でした。LPでした。最初から最後まで全部好きな協奏曲というのは、もしかしたらこの作品だけかもしれませんね。かつてどこかの軽い小説で「聴かせれば女が自分から服を脱ぐって、あの曲か」と形容されていた記憶がありますが、「そういう表現もありえるかも」と思ってしまうくらいロマンティックな曲です。約30分の演奏ですが、「そんなに聴いていられるか、第二楽章の終わりとはどの辺だ」と思われる方のために。19:00前後が例のシーンの箇所でございます。ま、そこだけ聴かせてもダメだと思いますけれどね……。

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Comment

says...
こんにちは、TOM-Fです。

わわっ、展開早いっ。一気に進みましたね、いろんなことが。
事態の真相を隠されたまま、そういう態度とか対応をとられたら、瑠水ちゃんもいろいろとショックでしょうね。樋水の自然が大好きな瑠水ちゃんには、ちょっと可哀想な気もしますが、まあ樋水とは違う世界を見ておくのも、いいのかもしれませんね。
おおっ、真樹くん、実力行使ですか。まあ、わからないでもないですけど、ちょっと性急すぎたかな?
次回からは、東京編になるのでしょうか。またいいところで終わったので、続きが気になります。

それと……。
なんと、ラフマニノフの二番でしたか、真の主役って。あのロマンティックで甘美なメロディ、一度聞いたら忘れられませんね。
またまたCD自慢で申し訳ないですが、ウチにあるアシュケナージ&アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のCDは、すごく重厚壮大でありながら泣かせどころをわきまえた演奏です。背中が、ぞくっとなりますよ。服は脱ぎませんけど(笑)
2013.06.12 06:44 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
夜まで我慢できすに読んでしまった(>_<)
そして今、脱がされてしまうのか?っとヒヤヒヤしつつ
音楽を聴きながらコメントさせていただいております。
ぇぇ・・ もちろん仕事中ですともッ!! ←チャレンジャー (笑)

あの夜を知っている真樹となにも知らない瑠水。
それでも唇を重ねあわせたのは
ごく自然な流れだったのでしょうね。
ボタンをはずす真樹とそれから逃れるように飛び出した瑠水。
真樹にとっても瑠水にとっても
そのどちらともが、やっぱり自然だったんだろうなぁ・・
なんて思いつつ、なんだかちょっぴりモヤモヤしてしまって
その怒りの矛先を
龍王様にむけてしまいそうな私です^^;
2013.06.12 09:34 | URL | #G5P3Ad7M [edit]
says...
こんばんは~^^

きてはいましたが、コメントではお久しぶりです。読ませて頂きました^^
一気に展開して来ましたね^^

早百合は少し打算的ですね。でもどうしても愛されたい相手がいたら、そうなるのかもしれません。
瑠水は・・・・・まだ子供でしたか^^;

ラフマニノフ。甘く切ない曲。
私はクラッシックに詳しくないのですが、ラフマニノフは好きです^^
あと好きなのはショパンとモーツァルトというベタベタさ加減ですが^^;

離れてしまう相手への想い。甘く切ない曲。長いキス。
不自然な位置取りに自然な流れ。本当は自然なんですが、瑠水の心は追いついていないのですね。
今までの瑠水を考えればしかたないのですが、真樹、ちょっと可哀そうでした^^;

次の更新が早く来ないかな~と楽しみに待っていますね^^


2013.06.12 14:37 | URL | #GWG7oyQ. [edit]
says...
こんばんは。

そうなんです。「樋水龍神縁起」本編は四部作なんですけれど、こっちは一冊でおしまいなので、さくさく進みます。瑠水は下手に温室培養されたので、タヌキ宮司系の事情も知らなければ、クラスで浮きまくっているので「あんた、男と女ってのはさ〜」と解説してくれる友達もなく、「水底の皇子様」に憧れちゃっているし。普通の18歳としてはそろそろバランス的に無理が出てきていて、そしてこんなことに(笑)

真樹は「部屋に来てくれたし、キスも大丈夫だったし」とすっかりOKだと思っちゃったみたいで。

次回は、チャプター1の終わりです。お楽しみに〜。

で、ラフマニノフなんですが、あまりにも好きすぎて、なかなか小説に使えなかったこの曲、この小説にならいいだろうと使いました。アシュケナージ、Youtubeで一部聴きましたがいいですね。CDを入手してみるかな。自宅で聴けば、脱ぎまくっても大丈夫だろうし(嘘です、脱ぎませんってば)

コメントありがとうございました。
2013.06.12 19:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

「我慢できずに」なんて言っていただけて、本当に嬉しいです。
職場で脱いじゃいました? 
私も通勤電車でも何十回も聴きましたが、まだ脱いでいないから大丈夫かと(笑)

真樹も三年も待ったし、もう18歳で卒業したし、これから離ればなれになるしって思ったんでしょうね。瑠水がその事に思い当たれるのはもうちょっと先です。本当に子供で……。龍王は何か意図しても長期スパンだし、長い時は千年単位ですからね〜。今回は何かを考えているのか、それともただの川なのか(笑)

コメントありがとうございました。
2013.06.12 19:40 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

お元氣でいらっしゃいますか。canariaさんの件のショックやお母様の命日でいろいろと思われる事もあってお休みなのかなあと、考えておりました。みなさんのコメ欄でお見かけするかぎりでは、わりとお元氣そうだったので安心してお待ちしています。

早百合は、ウルトラ打算的ですよね。彼女は瑠水や母親に見えるものが見えない分、疑心暗鬼に育ってしまったのかもしれません。まあ、彰が瑠水の方に惹かれているのをわかったのだから、そう鈍感というわけでもないのでしょうけれど、とにかく瑠水とはちょっとタイプの違う娘ですね。そして、瑠水の方は、本当に子供で……。この年齢と五歳くらい乖離のある精神年齢が実年齢に追いつくまでの成長の物語ですので、もうしばらくお子様瑠水におつきあいくださいませ。

真樹は、このあと、もっと(ごにょごにょ)……。

コメントありがとうございました。

P.S. 25000Hit過ぎたら、リクも待たずに例の小説の最大難関に挑戦しようかなあと思っておりまする。
2013.06.12 19:52 | URL | #9yMhI49k [edit]

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