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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (7)ピアノを弾く人 -1-

しばらく間があきました。今回からチャプター2、東京編です。

瑠水はチャプター1の時には高校を卒業したばかりでしたが、それから五年の月日が経っています。チャプター2では「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラとしておなじみの二人が出てきます。実は、もともとはこの作品のために生まれたキャラでした。羽桜さんがカラーイラストのラフとして描かれたものを例によって頂戴し、「あらすじと登場人物」記事に貼付けさせていただきました。嬉しいです。


「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(7)ピアノを弾く人 -1-


 エスカレーターに乗るときの最初の一歩で、瑠水はまたタイミングを逃した。東京に来てもう五年になるのに、未だに他の人たちのようにすっと乗ることが出来ない。出雲や松江にももちろんエスカレーターはあった。だが、秒刻みで皆が規則正しくエスカレーターに乗り込むなんて状況はまれだった。少なくとも瑠水の人生では一度もなかった。

 人が多く、広告が溢れ、車がひっきりなしに通り、同じような建物がやたらとたくさんある。コンクリートやアスファルトだけの空間があり、計画的に植えられた樹が行儀よく並んでいる。瑠水は都会のリズムに何年も慣れなかった。姉の早百合は、すっかり東京になじんでいる。甥の学を抱き上げながら、もっと早くこっちに来たかった、そういった。瑠水は、いつも樋水のことを思った。帰りたいと思ったが、途端に悲しくなった。

 樋水に帰るところがなかった。摩利子と一の東京行きの決め方は普通ではなかった。早百合は松江の短大に行ったのに、なぜ瑠水に島根大学を受けさせてくれなかったのだろう。次郎先生もやたらと東京に行く方がいいと言った。樋水に居たいといいたかったが、その度にあの晩の龍王のことを思い出した。ご神体にまで否定されたという思いが瑠水をひどく傷つけていた。

 そして、真樹のことがあった。

 時間が経てば経つほど、自分の愚かさがはっきりしてきた。なんて子供だったんだろう。男の人と女の人がいつも一緒にいたら、いずれそういうことになるとは思いもしなかった。あのときの私の振る舞いは誘っているも同然だったわよね。

 実際に、あのキスを瑠水は嫌ではなかった。反対だった。次郎から真樹はなんともないという短い返事をもらった後も、瑠水はしつこくあの時のことを想い描いていた。やがて、瑠水は自分も真樹に恋をしていたのだとようやく思い至った。一切の連絡がなく、完全に終わってしまったことを思い知った後も、思い出を過去のものにすることができないでいた。

 シン。いま、どうしているの。

 三ヶ月以上経ってから、思いあまって瑠水は真樹に電話をかけた。電話番号がなくなっていた。携帯の番号を変えてしまったのだ。あのとき、瑠水が何度もかけたことを真樹は受信記録で知っているはずだ。それなのに、いや、だからこそ何も言わずに携帯番号を変えたのだろう。瑠水は真樹にまで否定されたのだと思った。もちろん、自分が悪かったからしかたないのだけれど。

 樋水には帰れなかった。だれも帰ってこいとは言ってくれなかった。正月には、家族全員が東京にいるのだからと摩利子と一が東京に上京してきた。だから、この五年間、瑠水は一度も島根に足を踏み入れていなかった。

 樋水と龍王の池が恋しくておかしくなりそうなときがある。真樹を想って眠れない夜もある。だが、それは常に一方通行の想いだった。

 やがて就職を決めなくてはならなかった。瑠水は当然のように東京で活動をした。地質学協会の仕事が決まった。早百合はいった。
「やっぱり、そうでしょう? 今さら奥出雲に帰るのなんかまっぴらよね~」

 瑠水は、唇を噛んだ。帰れるものなら、いますぐにでも飛んで帰りたい。

 瑠水は東京に慣れた。地下鉄の路線図もだいたい頭に入った。エスカレーターだけはタイミングが計れないが、人ごみの中でも、流れにのって歩けるようになった。友人や同僚との適度な距離をもった付き合いや、相手を困らせない程度にどうでもいい世間話などもこなせるようになった。けれどやはり孤独だった。

 早百合の家庭にもあまり足が向かなかった。瑠水が行くとなぜか早百合と彰が険悪な雰囲氣になることが多かった。彰が瑠水に親切なことを言うと早百合がきついイヤミをいい、それからケンカになるのである。それに、二人とも樋水時代のことを話す時に決まって真樹のことを悪く言うのだった。これだけは夫婦ともに共通していた。早百合も彰もクラッシック音楽には何の興味もなかったし、バイクは不良の乗るものだという認識も共通していた。『水底の皇子様とお媛様』のおとぎ話なぞ、十歳の頃から馬鹿にしていたので、瑠水が真樹に対して持っている尊敬、人間性、そして愛情はまったく理解してもらえなかった。ましてや五年経っても忘れられないでいることなど言えるはずもなかった。

 瑠水は、大抵の時間を一人で過ごした。仕事の後も同僚とどこかに行くことは稀だった。勤め先は大きいビルの中に入っていたので、三階のショッピングモールに入っているCDショップによく行った。真樹に聴かせてもらったいろいろな曲を買った。ラフマニノフのピアノ協奏曲だけはまだ買えなかった。


 ある日の午後ことだった。二階にあるコンサートホールの扉がわずかに開いていて、中からピアノの調べが聞こえてきた。中で誰かがリハーサルをしているのだ。その音に、瑠水は思わず足を止めた。

 あの第二楽章だった。オーケストラはついていないが、忘れられないあのメロディだった。瑠水は、エスカレーターから降りて、思わずその扉に向かった。

 小さなホールの舞台でグランドピアノを弾いているのはカジュアルなパンツにワイシャツをラフに着た男だった。半ば目を閉じるようにしてゆっくりと体を動かしながら、甘いメロディを弾き続ける。瑠水は怒られることを覚悟で、中に入って一番後ろの客席に座り、その音に聴き入った。

 真樹の部屋が甦った。端のかけたマグカップに入った瑠水のためのミルクコーヒー。手をつけなかった。横に座った真樹のぬくもり。それから……。瑠水は思わず顔を手で覆って深いため息をついた。

 第二楽章を弾き終えると、その男は不意に言った。
「真耶か。遅いぞ。普段は時間厳守だとかギャーギャー騒ぐくせに」

 我に返って、瑠水は椅子から立ち上がった。その音でこちらを見た男はびっくりしたようだった。

 瑠水は、頭を下げて謝った。
「すみません。すぐに出て行きます」
あわててバッグをとろうとしたが、革ひもが隣の椅子に引っ掛かって手こずった。その間に男は舞台から降りてこっちに近づいてきた。

「そんなに慌てなくても、いいよ。君、誰?」
「すみません、このビルで働いているものです。扉が開いていてラフマニノフが聞こえたものだから、つい」
「ふ~ん。いいよ、そんな言い訳しなくても。その手を使ったのは君が初めてじゃないし」

 瑠水は男の馴れ馴れしい口調と、訳の分からない言い草に戸惑った。瑠水は男とドアの間に挟まり、やたらと近くに寄られて体を強ばらせた。

「でも、今までにいないタイプだな。このビルのどこで働いているの?」
瑠水は、なんでそんなことを言わなくちゃいけないんだと思いつつ、ついまじめに答えてしまった。
「地質学協会……」

 男は目を丸くしてそれから爆笑した。
「そんな仕事があるんだ。それで、いつから僕に近づくきっかけを狙っていたわけ?」
「いえ、そうじゃなくて、本当にすみません。失礼します」
「待ってよ。せっかくだから、食事でも一緒にどう?」

 何なのよ。このナンパな男は。さっきのピアノの音色と大違い。瑠水が真剣に困っていると舞台からよく通る声がした。
「何やっているのよ、拓人」

 男は振り返っていった。
「ようやく来たか。あんまりお前が遅いから、消えようかと思ったよ。このお嬢さんとね」
「それは申し訳ないわね。渋滞に引っ掛かったのよ。ここあと30分しか借りていないんでしょ、さっさとリハしましょう」

「あと30分待っていてくれる?」
瑠水は思いっきり首を振った。
「本当にすみません。わたしこれで失礼します」

 逃げるようにして、帰った。それが、結城拓人との出会いだった。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
こんにちは、TOM-Fです。

おっと、一気に五年経過ですね。
瑠水がちょっと……いえ、かなり成長したので驚きました。でも、ずっと樋水と真樹のことを思い続けているなんて、うん、やっぱりいい子ですね。
いろいろと諦められないけど、相手から拒絶されている(と思い込んでいる)し、慣れない都会暮らしは孤独でもあるし。なんというか、居場所のなさ、みたいなものが感じられて切なくなります。
思い出というにはまだ生々しすぎる痛みを伴うラフマニノフに引かれるようにして、拓人と真耶との出会いが描かれているのは、この曲が瑠水にとって、とても重要な役割を担っているのだと思わせられます。
主要なキャストが出揃い、物語がどう動いて行くのか。これからの展開に目が離せなくなりましたね。
次話が楽しみです。
2013.07.10 10:00 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

五年経ってもまだお子様というわけにもいかないので、少しは大人になっています。あまり前作には引きずられたくないのですが、瑠水はやはり「陰」の部分が強い子で、かなりうじうじ型です。でも、前作のヒロインゆりと違って、朗のような確信を持って引っ張っていってくれる人はどこにもいないので、一人で右往左往するんですね。

で、ようやく出てきた、ナンパ男とそのはとこ、またクラッシック音楽と絡みつつ話が進みます。チャプター2もどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2013.07.10 18:24 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
この田舎者が都会に慣れないまま、なんていうのか、日常生活は遅れるんだけど、何かちょっとしたことで躓く感じ、ものすごくリアルで素敵です。
私も、いまだに大阪に出ると(私の都会…^^;)頭痛がします。酸素が少ない!と思っているのですが。
それに東京はもう、完全におのぼりです。新幹線が東京23区に入ると、心拍数が上がります。高い建物がいっぱい並んでいるのが怖いのです。
でも、それなりに出張中もお仕事できています。
チャプター1の瑠水のあれこれ反応の幼い感じは、自分にも覚えがあるのに、あまりにも昔のこと過ぎて共感するのが少し難しいまま拝読していましたが、この回で一気に瑠水が近づいた感じがします。
過去のどうしようもないことでうだうだするのも、もう本当によくわかるし。
ちょっと楽しみが大きくなりました。
そして、拓人たちとの接触。うふふ。トレンディドラマの続きを楽しみにする感じです(???)
夕さんの描写は淡々と事実を並べていく形なのに、知らず知らずに引き込まれていく感じ、うらやましいなぁと思いながら、ちょっと自分も勉強しようと思いました。
チャプター2も応援しています!
コメント、いつも時間がたってからですみません。大道芸人たちも、読み進んだところまでの感想を書きたかったのに、そのままになっていました。出張が終わったので、ちょっとずつ小出しに感想をまた書かせていただきますね。
2013.07.12 23:36 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんにちは。

東京と大阪って違います?
私は実は大阪にあまり足を踏み入れたことがなく……。
東京と松江がすごく違うのは、前回の旅行で実感しました。

東京は私の住んでいたあたりだと、まだ人間が住んでいるところという感があるのですが、場所によっては「近未来都市か」とつっこみたくなるくらい人工的なところもあって、ああいうのは瑠水にはキツいだろうなと思います。田舎に順応したいまの私にも辛いです(笑)

それから、これはお話だし、読者は瑠水と真樹のそれぞれのことを本人たちよりも知っているので、この瑠水の後ろ向きにいらつくというか「さっさと行って自分で確認すりゃあ済むのに」と思えるのですが、実際の人生でも、本当に小さなことで道は別れてしまって、その後の相手の心を確認する術もなく「どんなに後悔しても、もう取り返しがつかない」と思い込んでいることって多いと思うのですよ。それがまた本人が迷走する理由にもなります。瑠水のこの後の迷走も、実は本人の成長には必要なことなのかなと思って書きました。

拓人と真耶は、私の作品の中では珍しく「あれこれ恵まれすぎ」なキャラで、その分出てくる時には安定しています。単純にお楽しみいただけると嬉しいです。羽桜さんの描いてくださる拓人が麗しいんだ、これが(笑)

コメントは、本当にお氣になさらずに。作品を読んでいただくこと、コメントをいただくことは、本当に何よりも嬉しいのですが、それで彩洋さんの生活を逼迫するのはまったく本意ではありませんので。他に何もすることがなくて、暇で死にそうな時にでも書いていただければ、感謝です。

コメントありがとうございました。
2013.07.13 12:46 | URL | #9yMhI49k [edit]

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