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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (7)ピアノを弾く人 -2-

「ピアノを弾く人」の後編です。この章で出てくる、瑠水の働いているビルは、私がしばらく働いていたところがモデルになっています。オフィスだけでなく、コンサートホール、美術館、レストランなどが入った複合施設でした。新宿から電車で一駅なんですが、私は新宿から30分歩いていました。高層のオフィスから晴れた日には富士山も見えるいい環境でした。

さて、今日の瑠水は拓人にナンパされています。そういえば、羽桜さんは笑っていらっしゃいましたね。瑠水の拓人に対する心の中のツッコミがツボにはまったって(笑)


「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(7)ピアノを弾く人 -2-


 それから二週間ほど後のことだった。残業を終えて、瑠水は一階のカフェテリアに行った。
(疲れちゃったし、今夜料理をするのはうんざり。あそこでBLTサンドイッチでも食べよう)

 東京でいいことのひとつは、こういうおいしいものがたくさんあること。ちょっと高いけれど、ここのBLTとアイス・ラッテ・マッキャートはちょっとした心の贅沢だわ。

 瑠水が大口を開けてBLTを食べようとしたとき、目の前に同じものを載せたトレーがポンと置かれた。瑠水が目を上げると、先日のナンパ男が笑っている。羽毛のような焦げ茶色の髪。いたずらっ子のようにきらめく瞳。愉快に口角が上がった薄い唇。深緑のタートルネックのセーターは上質なカシミヤだった。この服装ということは、またリハーサルだったのかしら。

「また遇ったね。君とは趣味も合うみたいだ、ここのBLTは絶品だよね」
「……」

「この間、待ってくれなかったのは残念だったな。リハはすぐ終わったんだ。でも、このビルに働いているなら、絶対また遇えると思っていたよ」
「あの……」

「僕は結城拓人。ま、名前は知っているよね、きっと。君は?」
知りませんとも。あなた誰よ。

「私は高橋瑠水です。先日は失礼しました。でも、何か勘違いなさっているみたいですけれど、私は本当にあなたの氣を惹きたくてあそこにいたわけじゃ……」
「わかった、わかった。で、どう? この後、一緒に軽く飲みにいかない?」
「いえ、けっこうです。明日も仕事ですし……」

 拓人はまた爆笑した。いままで、翌日仕事があるという理由で誘いを断った女はいなかった。これは新たなタイプだ。面白い。なんとしてでも落とさなきゃ。

「今度の土曜日、この間のヴィオリストと一緒にあのホールでミニ・リサイタルをするんだ。よかったら聴きにおいでよ」
瑠水はこれには素直に頷いた。この人のピアノはまた聴きたい。コンサートを聴きにいくだけなら、この馴れ馴れしい態度とも無縁だし、それに、この間のきれいな女性のヴィオラも聴いてみたい。

「下の事務所でチケット買います。まだ残っているといいけれど」
「チケットを買うことはないよ。入り口に招待券出しておくから」
「でも……」
「だから、漢字、教えて」
拓人はメモ帳を差し出した。瑠水はしかたなく名前を書いた。

「へえ。みは水なんだ。きれいな名前だね」
早くいなくなってくれないかしら。そう思っている瑠水の前から、拓人は退こうとしなかった。瑠水は諦めてサンドイッチを食べ始めた。なんでこんな変な人と関わっちゃったんだろう……。


「ねえ、高橋さん、昨日結城拓人とご飯食べていなかった?」
翌日、職場で瑠水は同僚の田中誠治に話しかけられた。瑠水はびっくりして訊いた。
「田中さん、あの人知っているの?」

「もちろん知っているよ。よくテレビに出ているじゃないか。中学生の頃、史上最年少でショパンコンクールで優勝して、いまやもっとも売れているコンサートピアニストだよ。クラッシックに興味なんかない俺でも知っているくらいだから、超有名人といってもいいね。知らないでご飯食べてたの?」

 それで名前は知っているだろうとか言っていたんだわ。あいにくだったわね。こっちは田舎者で。テレビも持っていないし。
「勝手に相席してきたんです。前にひと言くらい話をしたことはあったけれど」
「へえ。ピアノの腕でも有名だけど、女たらしでも有名だからね。超お堅い高橋さんも簡単に夢中になったのかとびっくりしたよ」

 瑠水はおかしそうに笑った。
「この土曜日にこのビルの二階のホールでコンサートするんですって」
「ああ、知っているよ。園城真耶とだろ。二ヶ月に一度、ここでやるんだよ。両方とも熱狂的なファンがいるから、チケットはなかなかとれないらしいね」

「園城真耶さん?」
「知らないの? これまた有名なヴィオリストだよ。いろんな賞を総なめにしているから、海外でも有名なんだけど、日本では化粧品のCMに出ているのでそっちの方が有名かもな。女優顔負けの美貌なんだ。二人は親戚じゃなかったかな。有名な音楽一家だよ、確か」
へえ。そんなプラチナチケット、もらっちゃっていいのかな。じゃ、花でも持っていかないとダメかもしれないわね。


 会場に行って、瑠水はその雰囲氣に圧倒された。瑠水が想像していた東京のクラッシックのファンとは、もっと落ち着いて上品な人たちだったのだが、この会場にいるのはどちらかというとアイドルの追っかけをしているようなタイプの女性がやたらと目立った。招待券を受け取る時に、受付の女性に睨まれた。花を預けて、会場に入る前に周りの女性たちに悪意あるひそひそ話をされた。妙な雰囲氣だった。

 だが、コンサートの間は、それを忘れていられた。それどころか久しぶりに樋水のことや真樹のことも忘れることが出来た。園城真耶は本当に美しかった。彼女に瑠水はすっかり魅せられてしまった。ヴィオラという楽器は音も曲も、ヴァイオリンと較べて地味なのだが、彼女の容姿と落ち着いた様子はヴィオラにしっくりと合った。そして二人が息ぴったりに演奏を始めると、全てが消え去り、音楽だけが瑠水を支配した。

 ブラームスのヴィオラ・ソナタ。結城拓人はピアノを弾いている時には別人だった。真耶の優しく力強い情熱的な弓使いに、時に語るように、時に制するように激しく掛け合い、絡み合った。二つの音色が、光り飛び散る夏の川の水飛沫のようにホールを駆け巡る。来てよかったと瑠水は思った。


 しばらくして、瑠水が再びカフェテリアにいるとき、またしても瑠水の前にトレーが置かれた。心なしか乱暴に。今日はBLTじゃないわよ、と思って見たら、そっちも照り焼きチキンサンドだった。なぜか負けたような氣になった。相手はむすっとした顔で目の前に座った。勝手に。

「チケットに書いておいたメモを無視した」
瑠水はため息をついた。確かに招待券には拓人のメールアドレスが書いてあって、感想をそこへ送るようにとあった。でも、それって私のメールアドレスを教えるってことじゃない、そんな見え透いた手を使われても。

「再来月の分は、もう事務局で申し込みました。とっても素敵だったから、毎回行こうと思って。会員になると優先予約できるんですね。楽しみにしてます」

「花も、楽屋まで持ってきてくれなかった」
何すねてんのよ!

「今日こそ、絶対に連絡先をゲットする」
他の女をナンパするのに忙しいんじゃないの? 瑠水は上目遣いで拓人を見た。

「結城さん。私は、もう十分あなたと真耶さんの音楽のファンですから、それでいいじゃないですか。恋愛ゲームは他の人としてください」
「ゲームじゃなきゃいいのか。食事して、それからなんだっけ、化石学協会のこととか話そうよ」
「地質学です」
「そう、それ。どんなことをしているのか興味がある。君は僕の仕事のこと知っているじゃないか」

「結城さんって超有名人なんでしょう。次から次へとガールフレンドを取り替えるってききました。そんなにお忙しいのに、地質学のことなんか知ってどうするんですか?」
「地質学のことが知りたいんじゃない、君と君の仕事のことが知りたいんだ」

「結城さん。変わった方って、言われませんか?」
「それはお互い様だろう?」

 確かに。瑠水は妙に納得してしまった。それで、どういうわけか瑠水は金曜日に拓人と食事に行くことに同意してしまったのだった。

追記

拓人と真耶が演奏していたのはブラームスのヴィオラ・ソナタ。私のイメージは第二番です。持っているCDはユーリ・バシュメットのもの。とてもいい演奏なのです。
例によって、動画を貼付けておきましょう。別の方の演奏ですが……。


BRAHMS Viola Sonata No.2
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Comment

says...
こんばんは、TOM-Fです。

おっと、さすがにあれで終わりではなかったか。
拓人に対する瑠水のツッコミは、なかなか面白かったですね。
『何すねてんのよ!』には思わず噴出しました。電車の中じゃなくて良かった(笑)
こういうナンパ男は、厄介ですね。瑠水ちゃん、まんまと拓人のペースに乗せられてますねぇ。経験値の差は、いかんともし難いか……。
この展開、たまりません。次話を早く読みたいです。

ところで、八少女夕さんがお勤めだった複合施設って、もしやJR中央線の新宿の西隣にあって、横から見ると直角三角形になっている建物ですか?
じつは私も研修のために、そこで一週間くらい泊り込んだことがあるんですよ。確かにいい環境でしたね、あの施設。懐かしいなぁ……って、違ってたらゴメンナサイ。
2013.07.17 12:08 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

あはは、あれでお出番終わりじゃサブキャラの地位は無理でしょう(笑)

拓人は大学時代に蝶子やら遠藤陽子やら、次つぎとナンパし(でも玉砕)、ドイツでもナンパに精を出していましたから、瑠水程度の拒否なんかへでもありません。しれっとしております(笑)

そしてですね。例のビルはJR沿線ではなく京○線○台駅のところにあります、東京オ○ラシティというビルです。(伏せ字にする意味ないか)
横から見ると直角三角形のビルは、どれだろう? 西口のすぐ近くでしょうか。
新宿の高層ビルに一週間もお泊りなんて、なんか、すごいです。ちょっといいなあ。

コメントありがとうございました。
2013.07.17 19:16 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.07.17 23:50 | | # [edit]
says...
ご指摘、本当に助かりました。
ずっと疑いもせずに使っていた言葉でした。ご指摘はもっともです。
早速訂正させていただきました。
後日お礼の記事を書くつもりですが、まずはお礼まで。

本当にありがとうございました。
2013.07.18 11:36 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おもしろかった~ぁ♪
瑠水と拓人のやりとりを読みながら
自然と笑みがこぼれてしまった^^
続きが楽しみだわぁ♪
いつも思うのですが、夕さんの音の表現って素敵ですよね♪
読みながら耳を澄ましたくなる^^
2013.07.19 06:17 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

うふふ。面白いと言っていただけて嬉しいです。
ここは実は自分でもけっこう好き(笑)

音の表現、いつも苦労しているんですよ。言葉にならないものを言葉にする苦悩。
akoさんのように珠玉の言葉がするすると出てきたらいいのにって、いつも思います。
この連載のあとに、真耶を主人公にした掌編を書きたくて、ここでも音に苦悩しそうです。
頑張ります。

コメントありがとうございました。
2013.07.19 19:52 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ていうのか、意外に瑠水が頑強な姿勢を貫くのが面白い。
東京に出てくるまで、ちょっとうじうじ感があったのに。
やっぱり都会では開放的にはなれないのかな。
いや、拓人の絡み方が直接的すぎるのが、瑠水には胡散臭いのかしら??^^;
なんにせよ、面白いやり取り。これがどこへ行きつくのか、楽しみ。
拓人にしたら、異文化との初接触、といったところなのでしょうか。
そう考えたら、瑠水が頼もしく見える…^^;
なにすねてんのよ!……あはは。目に浮かぶよう。

デュオというのは、三人以上で奏でる音楽とは違う魅力があるといつも思っていました。
時には妖しく絡み合い、時には闘い、時にはゆったりと隣を歩く……
三味線の弾き合いでも、三味線と唄でも、いつも「2」という組み合わせはドキドキする。
私も、音楽の表現はとても難しいと思うのですが、これからも夕さんが紡がれる言葉をたのしみにしています。
2013.07.19 22:53 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんにちは。

今でもかなりうじうじしていますが(笑)

瑠水の男性の基準は「水底の皇子さま」と真樹と一パパですからねぇ。
拓人はかなり胡散臭いでしょう。
それに自己否定が強いので、才能のある有名人が自分に対して「遊び以外はありえない」と思っていますし。拓人もこの辺はかなり「遊び」ですから間違いはないんですが。

デュオに関しては、あくまで音楽を紡いでいるのですが、それでも二人の人間から何かが生まれでる感覚って、やっぱり特別だと思うのですよね。一対一の人間関係をはらんでいるというのでしょうか。三人以上になると責任というのか緊張というのか、とにかく何かが分散される感じがありますよね。デュオで信頼しあえる関係というのは理想です。表現、難しいです。頑張ります……。

コメントありがとうございました。
2013.07.20 12:18 | URL | #9yMhI49k [edit]

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