scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

呪縛の話

なんだかんだいっても、昨日生まれたわけでもないので、ぼけぼけしているだけではなくて、時には人生のことなども考えたりしているのですよ。といってもそんなに難しく考えているわけではないんですが。

最近思うこと。人はいくつになっても何かに縛られている生きものなのかなあと。

その人が何に縛られているかは、本当に様々です。本人が意識していない場合もあるし、それを望んでいる場合もある。たとえば親や配偶者に縛り付けられている人がいます。物理的にだけでなく精神的にも支配されている。夢に支配されている人もいます。仕事に支配されるのもよくあることです。どうにかしにくいことではありますが、子供や健康状態もそうですよね。言葉の遊びみたいになりますが「誰にも何にも縛られないこと」に固執することが呪縛になっている場合すらあります。誰であっても多かれ少なかれそうなんですが、何人かの人びとの自分のしたいことをその呪縛を基準にして全て消していっている姿を見ると、場合によっては、それってそんなにしてまで死守するほど大切なことなのかなあと思ったりもします。

こんなことを書いている私自身も完全に自由ではないんです。だから高みの見物的にこういうことを書いているわけではないんです。

人間のやりたいことは果てしなく、それに対して実際にできることには限界があります。だから、人生において人はいつも岐路に立っては選択することの繰り返しです。何かを選択する時に、自分を縛り付けるものを優先してあきらめ続け、後になってから「あれがなければ私の人生は違っていた」と言うのは、残念ながら間違いです。私のある親族は、生涯自分の親を恨んだまま人生を終えました。途中で何度も自分のしたいことを選べるチャンスがあったにも拘らずです。

私はそういう風には生きたくありません。呪縛が嫌ならば自分で断ち切る、そうしなかったならば後になって「あの時あれに縛られていたからできなかった」とは言わないようにしたいといつも思っています。選んでいるのは自分なのですから。
関連記事 (Category: 思うこと)
  0 trackback
Category : 思うこと

Comment

says...
まったくもってその通りだと思います^^
人生はいくつもの選択の繰り返しで
その選択は、何に縛られていようが常に自分がしてるんですもんね。
「あの時ああしておけばよかった」
そんな後悔はたとえ一瞬たりともしたくないですよね。
ッテカ、しないし!! (笑)
すべては自分の選択による結果♪ですよね^^

・・弱音や愚痴はたまに吐くけど。(笑)
2013.08.11 07:00 | URL | #- [edit]
says...
人には選択できる呪縛と、強制不可避な二種類の呪縛があると思う。

●選択できる呪縛
・ 自分で目標を作ること(自由という名の呪縛)
・ 仕事(一応、選ぶ権利も辞める権利もある)
●強制不可避な呪縛
・ 両親と住む+面倒を見なければならない(縁は切っても…親子はやめられない)
・ ろくでもない身内に振り回されること(散々悩まされた後で縁は切ることもできる)
・ 子育て(少なくとも成人するまで)
・ 誰かへの精神的な負い目など(何年経っても忘れないもの)

人生の選択肢における「選択」には限りがあって、自分の周囲の状況とか事情でそれしか選べないということが多々ありますが、そういった状況に身を置いてしまうのは、本当に自分ではどうしようもないことのように思えます。
子育て、仕事、住む場所での問題、年老いた両親などは生きている上で回避できない呪縛ですが、自分で選べる選択肢もあるわけで、それは状況や環境に左右されないものなので自由と呼べるものです。

現状のどうしようもない状況を打破する可能性がある夢であるほど、人は新たな呪縛で自分を縛る。
夢と言い換えると希望はあるように思えますが、実際には自分の夢のために生活を切り詰めたりする新手の呪縛ですよね。
自分を切り詰めることで生活を圧迫して、目標のものを達成することで得られるものに意味を見出す。
結局、人間は呪縛を嫌いながらも縛られて生きることが好きな性を持っていると言えます。
そうした夢が逆に家族を縛る呪わしい呪縛になることもあります。

「分を超えた望み(夢)は歪みをもたらして他者に呪い(呪縛)を撒き散らす」のです(※ とある魔法少女アニメの台詞改変)。

生きることを優先して夢を諦めるか。
夢を優先して家族を犠牲にするか。
何かを手に入れるために人は何かを犠牲にすることを避けられなくて、それはもう死ぬまでつきまとう人間の深い業であるともいえるのかもしれない。

なんかクソナガクて申し訳ない真面目コメントになりました(´・ω・`)
夢を追うのって大きければ大きいほど「疲れ」も発生させますよね。
周辺の呪縛に流されながら、捨てるものは捨てて身軽になり、面倒な夢よりもお気楽に緩く生きてる道の方が実は幸せであるかもしれない。
2013.08.11 07:01 | URL | #mQop/nM. [edit]
says...
おはようございます。

コメントでkさんが書かれているように「自分ではどうにもならない呪縛」というものもあって、それは切り捨てられなかったり、切り捨てたりはしたくなかったりするものであったりもするのですが、人生の選択の全てが呪縛基準になってしまうとどうしても不満が残ると思うのですよ。「これだけは譲れない」ものがあったとしたら時には呪縛に「ごめん」をしてでも突っ走ることがあってもいいと思うのですよ。そのことによって「まあ、あれがあって大変だったけれど、でも、やりたいこともやったしな」と収まりがつくんじゃないかなあと。

akoさんは、これまでもずっと、そうやって前向きに生きてこられたんじゃないかなあと思います。だからこそ、たとえ苦境の中にあっても輝いて見えるんじゃないかと。弱音はいくらでも受け止めますからね〜。お互いに支えあっていきましょー!

コメントありがとうございました。
2013.08.11 08:30 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おはようございます。

そうなんですよね。「幼い子供」とか「要介護な親」とか「つき合っていかなければならない病」など、不可避な呪縛も存在しますよね。不可避でもないけれど手を切るのは難しい「ついもらってしまった嫁」とか「何となく入ってしまった学校」なんてものも存在しますし。

どうしても避けられないことには向き合うしかないのですが、実をいうと本当に避けられないわけではない呪縛に囚われている人もけっこう多いのかなと。

一例で言うと、「一流大学と一流企業に入ることこそが人生の幸せ」と親に強制され続けてどこにもいけずにひきこもっている人を知っています。その人は本当は、いつになっても自分のやりたいことが見つからない。でも、それをいつまでも親のせいにするのではなくて、いつかはその呪縛を断ち切って自分の道を探さなくてはならないと思うんですよね。

夢が自分のものであるかぎりは、どんなに他の何かを犠牲にしても(少なくとも本人は)納得できると思うのですよ。でも、その夢が自分のものではなくて、他の誰かのものだとしたら、自分には他の夢があってそれを誰かの夢のために犠牲にしているんだとしたら、叶っても叶わなくても、いつまでも後悔すると思うんですよね。

人間は、特に日本人は、「何かのために辛苦を耐え抜く」のが好きな生き物なので、疲労困憊しつつもそれを続ける訳ですが、時に何のためにそれをやっているのか見失ってしまうことがあります。自分の幸せのためにやっているのか、大義名分のためだけにやっているのか、それとも呪縛を断ち切るのが怖くてやっているのか。

いずれにしても、全ての行為は自分の選択であること(卑怯にも逃げださなかったということも含めて)を意識して、「後悔しないのか」と自問し続けながら、選択を続けていくしかないように思います。

個人的には、苦しみ疲労困憊しつつもそれでも自分の心に正直に向き合う生き方が、悩むことを放棄して楽な道を選ぶ生き方よりも好きです。私に好かれてもその方の救いには全くならないでしょうけれど。

コメントありがとうございました。
2013.08.11 09:02 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
 こんにちは。
まぁ 大概は あの時ああしておけばーー と言う時は あの時には 
よりその時自分にとって大切なモノ選んでいるのですよね。

あははっーーー 僕の名前と 弟の名前が まさに こーゆー意味込められているのですよ。
僕の名前は 自分の為に 親や周り 既成事実や常識を捨て去る事ができる 強さを と
弟の名前は 伝統や時間や そーゆーモノを受け入れ 受け継ぐことのできる しなやかさを と

今となっては 僕と弟の名前 反対だった方がふさわしい様な気がするが…
とても難しいから 名前に込めたのかなと思っています。
2013.08.11 09:30 | URL | #- [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.08.11 14:26 | | # [edit]
says...
サキもずいぶんたくさんの事に縛られていると思います。
どれか1つだけ解放してやる、といわれたらお願いしたいことはもう決まっています。
でも絶対、無理なんですけどね。

では。
2013.08.11 15:04 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは、TOM-Fです。

呪縛かぁ、そうですね。責任という呪縛もありますよね。結局、人は「自分であることをやめられない」という呪縛が、いちばん根本にあるんでしょうね。
なにかに縛られながら、なにかに制限されながら、そのなかで折り合いをつけながら納得して生きていく。まあ、そういう生き方もアリかなとは思います。
いずれにせよ、なにかを出来なかった言い訳にはしたくないものですね。
2013.08.11 15:16 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
社会という範疇にある限り、そのテリトリーの中での束縛がありますからね。

それは国によっても様々ですし、その人を囲む環境によっても千差万別ですし、
誰もが同じようなことしようとしても全員がうまくいくとは限りませんからね。

俺も何かに束縛されるようなことは嫌いですし、
自由にのびのびと物事に取り組みたいですね。
2013.08.11 15:42 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。
で、あの時に選んでおけばよかったと後になっても思うなら、そのあとの時点でやり直せばいいのだと思うんですよね。まあ、絶対にやり直せないこともあるんですが。

へえ〜、ウゾさんと弟くんの名前にはそんな意味が。といってもどういう名前なのか全く想像つかない(笑)
どうなんでしょうね。私と姉の性格や行動様式、子供の時ものすごく違っていまして、それが高校生ぐらいのときから入れ替わったように反対になったのですよ。だから、もしかしたら、大人になったら「名は体を表す」になっているかもしれませんよ。

コメントありがとうございました。
2013.08.11 18:58 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。実際にはどのように生きても自分の人生なので、自分で責任を持たなくてはならないんですよね。

生き死に以外に大切なことって、確かにそんなにありません(笑)

コメントありがとうございました。
2013.08.11 19:03 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。
暑いんですってね! 大丈夫ですか?

絶対開放不可能な呪縛なんですか? だったら、腹をくくって上手くつき合っていくしかないのかな。
そういうこともあるんですよね。人生には。

コメントありがとうございました。
2013.08.11 19:29 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

「自分であること」なるほど。それも呪縛であるんでしょうね。
それだけは確かにやめられません。

何かを環境ととらえるか、呪縛ととらえるかでも、結果が同じであっても人生は違ってくるとは思います。大切なのは選択は「人のせい」ではないことだけかもしれませんね。

コメントありがとうございました。
2013.08.11 19:38 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

どんな環境にあっても、なんらかの束縛は受けるでしょうね。それが「ちょっと煩わしいなあ」と思う程度ならばいいんですけれど、自分の人生を破壊するほどになってきたらやっぱり断ち切る勇氣が必要な時もあるんじゃないかなあと思うんですよ。

意地の悪い人や物を断ち切るのは意外と簡単なのですが、優しい人や弱い物が束縛ではなくて呪縛になった時に断ち切るのには時に苦悩が伴うんですよね。できればそういう状況にはなりたくないですけれど。自由にのびのび生きたいですよね!

コメントありがとうございました。
2013.08.11 19:46 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
人間(あるいは人類)というこの形で存在していること自体が呪縛ですよね。
酸素吸わないと生きていけないし、水が無くなったら干からびるし、地球上に生きているものとしてはあり得ないくらい第一のバリアである皮膚は薄皮一枚だし。そこへきて、余計なことを考える脳が少しばかり発達してしまって、それがまたいけない。
なんてことを考えだすと、哲学論的になりますが……
思えば、名前は呪=「しゅ」だと言いますね……生まれた子どもが悪霊にさらわれないように、この世に生まれた途端、強うそうな(あるいは生き延びれそうな)名前を付けるのだとか(クマ、とかシカ、とかトラとか。で、後で改名。幼名はまず生き延びるために必要だったんですよね)。名前がないものは悪霊にもっていかれる。ということは呪=名前という呪縛によって、人はこの世に繋ぎとめられているのですよね。そこには親の愛情とか願いとかいう呪がある。
完全なる自由は、居心地がいいとは限らないようですし。自由=責任でもあるのですよね。
だからきっと、呪縛は必要なもの。でも、適当に手足が動かせるくらい、頭は自由な発想ができるくらい、がいいかな。
2013.08.12 00:03 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
呪縛を呪縛と感じると呪縛になるけれど、宿命とか定め、なんてのだと、少しニュアンスが違ってきますね

そんな大層なものやなくても、断ち切るのも立ち向かうのも意思の力が必要ですけど人はしがらみの中で生きてますから世捨て人のようにならない限りは折り合いをつけていくしかないですし、枠の中で精一杯やっていくもんやと思います。
その枠を広げられるか狭めてしまうかの問題なんでしょうね。
2013.08.12 00:05 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

たぶんそうなんでしょうね。程度の問題なのかもしれません。完全な自由なんてなくて何かには縛られているんでしょう。

子供の時は、あまりこういうことを意識しなかったんですが、「何かを自分で決定できる範囲」が同年代の子供なら大して差がなかったからなのかなあと思います。今まわりをみると、「何ゆえそんなもの、もしくは人に縛られているんだろう」と驚くようなこともあって、その縛っている方の人間も「その発想は、え〜と」と驚くのですよ。

彩洋さんのおっしゃる通り、人類の発達した脳、必ずしも人類を幸福にするためだけに働いているわけではないようだなあと……。

ある程度の責任と、ある程度の自由と、それからそこそこの幸福と。みんなが感じられるような世界だといいなあなどと思いつつ、お菓子をぽりぽり食べている私でした。

コメントありがとうございました。
2013.08.12 19:42 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。実際にどう感じるか、もしくは程度の問題なのでしょうね。

まったく誰とも何とも関わらないことも難しいし、だからといって幸せとも限りませんからね。
枠の中で本人が「これが幸せ」と思えれば、それって呪縛ではなくて「大事な柵」なんでしょうし、大したことのない縛りでも、本人が苦しむこともあります。まあ、結局人の向かう道は、よそからは如何ともしがたいので静観していようと思っています。私も、いろいろと意識しながら選択していこうと思っています。

コメントありがとうございました。
2013.08.12 19:47 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/664-dda8f924