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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (10)即興曲

東京の港区にある高級マンションのゲストルームに泊ったことがあります。全面ガラス張りになった窓から東京タワーをはじめとするものすごい夜景が広がっていて、映画みたいでした。拓人はそういう億ションに住んでいます。

さて、今回も 羽桜さんがとても素敵なイラストをつけてくださいました。挿絵がつくと、小説って五割増でよくなったように錯覚しませんか? 羽桜さん、お忙しいところいつも本当にありがとうございます!


「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(10)即興曲


 バルコニーに向けた全面の窓ガラスからは東京の夜景が見渡せた。黒く輝く大理石の床の上に、アイボリーの起毛カーペットが敷かれており、黒光りのするスタンウェイのグランド・ピアノがぽつりと置かれていた。港区の高層マンション。今日もレストランに行くのかと思っていたが、拓人は黙って車を走らせ、自宅に瑠水を連れてきた。

 玄関には大輪のカサブランカが飾ってあり、冷蔵庫にはシャンペンとキャビアが入っていた。尋常ではない暮らしだ。掃除をしているのは使用人に違いない。拓人は素早くラザニアをオーブンに入れると、鼻歌を歌いながらサラダを用意した。それからシャンペンとキャビアを開けると、グラスを瑠水に差し出した。瑠水の心は定まらなかった。

 そもそも、なぜ今度こそはっきり断らなかったのだろう。そんなつもりはないって。たぶん、私は揺れているんだろう。樋水から離れ、シンに会えなくなってから、ずっと寂しかった。この人といると、この東京でひとりぼっちなのではないと思える。おとぎ話の中にいるみたいに、華やかな世界。真の才能。モノトーンな毎日に訪れた本物ではないシンデレラ・ストーリー。私はそれを楽しみたいのかもしれない。はかないシャンペンの泡を見て思った。

「拓人様とは一度きりよ」
あの怖い女の人はそういった。そうなのだろう。この人は、ゲームを終わらせようとしているのかもしれない。もし、私が落ちれば、それで簡単にゲームオーバーになるのだろう。私には静かで代わり映えのしない日常が戻ってくる。けれど、その時には、もう私は胸を張ってシンを愛しているとは言えなくなる。全てが終わってしまう。瑠水には自分が終わらせたいのか、このままでいたいのかがわからなかった。真耶さんのように確かな世界を持っていれば、何があってもしっかりと立っていられるのだろう。けれど、私は誰にでも出来る仕事をするだけのどうでもいい女だ。結城さんにとってだけでなく、シンにとっても、龍王様にとっても。どこへ行けばいいのか、わからない。

 拓人は、対面キッチンの奥から窓の夜景を眺める瑠水の横顔を見ていた。真耶の言葉を思い出した。昨日の曲合わせで真耶の家に行ったときのことだ。

「この間は驚いたわ。あなたが瑠水さんを舞台袖に連れてきたんだもの。そんなにひどい目に遭わされていたの? 親衛隊に」
「さあ。僕が行った時には、連中はもういなかったんだ。でも、瑠水はもう会場に行きたくなさそうだったから」

「珍しいわね。あなたが、そんなに女の氣持ちを慮るなんて」
「彼女は特別なんだ。もしかしたら運命の女性かもしれない」
「まあ。そうなの?」

「うん。会うだけでドキドキする。朝から晩まで、彼女のことを考えている。ピアノを弾いている時にも」
真耶は、軽く眉を上げた。
「ちょっと待って。もしかして目が合うとドキドキする? 彼女が自分のことをどう思っているのか、不安になるって感じ?」
「その通りだよ。真耶、ファム・ファタールってのは意外なところにいるもんだよな」

「拓人。申し訳ないけれど、あなたは世紀の大恋愛をしているんじゃないわよ」
「なんでさ」
「それは、ごく普通の恋よ。あなた、217人もの女性と寝ておいて、まさか今まで一度もそういう氣持ちになったことがないっていうわけ?」

「……ない」
「あきれた。いったいいくつなのよ」
「お前とひとつ違いだ。28歳」
「しょうがない人ね。それが初恋なら、簡単にプロポーズなんかしない方がいいわよ。それは麻疹みたいなものだから。その調子じゃ、このあといったい何人のファム・ファタールに会うことか」

「プロポーズなんか、簡単にはできないよ」
拓人は唇を噛んだ。真耶は拓人を覗き込んだ。
「どうしたの? いつもの自信過剰くんが」

「瑠水には誰か好きな男がいるんだ。それに打ち勝つまではそれどころじゃないよ」
「まあ。あんな大人しい人が二股かけているってこと?」
「違うよ。二股じゃない。たぶん、瑠水は誰ともつきあっていない。それに、僕もいまだに受け入れてもらっていないんだ」
「あなた、何やっているの? 馬鹿な人ね。でも、その方がいいのかもね。218人目にしてようやく叙情的演奏のためのレッスンが出来そうだから。頑張って。私、瑠水さんが好きだわ。私の大切なはとこ殿をこんなにきりきり舞いさせられる女性なんて、そうそういないものね」

 本当にきりきり舞いだった。拓人は瑠水のことをもうずいぶん知っていた。地質学などという、聞いたこともない学問についても、前よりはわかっていた。島根の奥出雲で高校まで過ごしたことも、そこが何やらミステリアスな伝統を持つ村だということも。両親はその小さな村で料理屋をしている。それ以外の家族はみな東京にいる。今までの女たちには、こんなに根掘り葉掘り人生のことを聞いたりはしなかった。

 もっと自分の人生や過去にも興味を持ってほしかった。未来のことについても話をしたかった。できれば、同じ道を歩む未来について。けれど、今、彼女の視線の先にあるのは、未来ではなく過去だった。瑠水からはいろいろなことを聞き出せたけれど、その男に関することだけは何も情報が得られなかった。瑠水は誰かを愛し続けているとはひと言も言わなかった。過去に誰かとつきあったというような話もまったく出てこなかった。話がそちらへ行きかけると、花がしおれるように生氣が失せ、頑に黙りこんでしまう。やっかいな島根男め。今に見ていろ。

 食事が済むと、瑠水は皿を洗うと言った。食器洗浄機があるのだが、一緒に何かをするのが嬉しかったので、拓人は皿を洗い、瑠水に皿を拭いてもらった。それからグラスにポートワインをついで窓際のピアノのところに連れて行った。

「何を聴きたい?」
瑠水は、実際のところたくさんのピアノ曲を知っているわけではなかった。クラッシック音楽の知識は全て真樹から受け継いだものだ。真樹はオーケストラ曲が好きだったので、瑠水はピアノの独奏曲はリストかショパンのとても有名なものしか知らなかった。

「まだ知らない曲を……」
それは、真樹から離れるための第一歩でもあった。

樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero - 即興曲
イラスト by 羽桜さん
このイラストの著作権は羽桜さんにあります。羽桜さんの許可のない二次利用は固くお断りします。


 拓人は、シューベルトの即興曲作品90の第三曲を弾いた。羽毛のような柔らかい髪が、間接照明に揺れた。ピアノの上に置かれたポートワインのグラスが響きに合わせて動く。水面が乱される。瑠水の心も波だっていた。現実のものとは思えないインテリア。優しく情熱的な演奏。星のように散らばる東京の明るい夜景。夜空のような大理石。何もかも終わりにしてしまおう。樋水も、シンも、それにこの美しすぎる幻も。

 瑠水は、拓人のありとあらゆる演出に逆らわなかった。あと数時間で全てが終わる。そうしたら、私はまた灰色で冷たい東京のアスファルトを這う、みじめな存在に戻ろう。拓人の唇と手は、真樹の行動を追い、追い越して、それから瑠水を支配した。ラフマニノフ第二番の二楽章が瑠水の脳裡に浮かんで消えた。

追記

シューベルトの即興曲はいくつもあるのですが、私はこれが一番好きです。ちなみにどうでもいいことですが、「大道芸人たち」の出雲の章で瑠水がヴィルに弾かせたのもこの曲です。まったく女ってやつは……。


More Brendel: Schubert Op. 90/3
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
こんにちは、TOM-Fです。

おほほほほ~っていう、前回の謎の笑いの理由は、コレでしたか。

瑠水は、やっぱりまだ揺れてるんですね。拓人との関係でも、自分の価値とかを確立できてなくて、不安定なんですね。寂しさ、居所の無さ、自身の未熟さ。それらから、いくら逃げても、消えてなくなったり終わったりするわけじゃないんですけどね。
うむむ、今回のお話では、なんだか拓人が可哀相に思えてきました。瑠水ちゃんのお相手は、一筋縄ではいきませんねぇ。
羽桜さんのイラストも素敵です。物語によく合っている挿絵って、シナジー効果抜群ですね。
さて、大きな節目を過ぎた物語と、瑠水ちゃんがどうなっていくのか、ますます楽しみになってきました。

それにしても、港区の億ションですか~。
先日、六本木ヒルズの東京シティビューから夜景を見てきましたが、あんなところが自宅なわけですね。シャンパンにキャビア、ロマンティックなピアノの生演奏(ここ、ポイントですね)。
いいなぁ……と、単純に憧れてしまう屋台のタコヤキTOM-Fでした(笑)
2013.08.28 10:01 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

瑠水も揺れているのですね……それも致し方ないのでしょうけれど。龍王様のことやシンのこと、そしてそれらから逃げ出すように東京に来たこと。
迷いだけでなく後悔もあるからこそ、自分が惨めに這い蹲るような未来を心の片隅ででも願ってしまうのでしょうか。
読んでいて心が苦しくなってきました。

夕さんの物語ですから、ボクの心はどうあれ決着はつくのでしょうけど、そこまでの過程が気になりつつも、不安を掻き立てられます。

羽桜さんのイラストも一足先に当人のブログで目にしていましたが、小説内にあるとまた格別ですね。
前後の話がわかるからなのかもしれませんね。

ではでは……
2013.08.28 14:08 | URL | #T7ibFu9o [edit]
says...
えっと……私の目が1文に釘付けです。
下から3行目~2行目……え?とこれは幻想ではなく?? そういうことなんですよね?
瑠水って、実は結構したたかなのかも。揺れながらも雑草のようにたくましい底力があるんだろうなと思ったりします。
もちろん、居場所がみつからない不安な気持ちがあるのだけれど、泳ぎ着く岸辺は本当は決まっているんですよね。
拓人の読みは鋭い。付き合っているかどうかという問題ではなく、心を何が占めているかということ。たとえ離れていても、傍にいなくても、手を握ったりキスをしなくても、心に住んでいるものは追い出せないのですよね。
でも道半ばでは不安でたまらない。
確かに、拓人は逆に振り回されているのかもしれませんね。
そう、麻疹とはまさにこのこと。
どうなるのか、本当にわくわく……(真樹のところに落ち着くのは分かっているのに^^;)
2013.08.28 15:42 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
どうも御無沙汰です。最近ウツウツ子ちゃんが蛇系攻撃をマスターしたようで。。。
挿絵があると視覚的に引き締まるのと同時に、ツボの場面の雰囲気画統一化されるので、とっても効果的だとおみます。
定期的に願いできるのでしょうか?それだと本当にウによいですね!
2013.08.28 16:11 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。つい、馬鹿っぽい笑いを……。

前回発表した真耶の外伝(あの時の真耶は今の瑠水より歳下)と比較すると明らかに自分が確立できていない迷いまくりのヒロインです。高校で浮きまくっていたし、よりどころにしていた樋水や真樹とも上手くいかなくなってしまって、自己否定に走ってしまった結果でもあるのですが、それ以前にこの子はもともと受身のくせに、何かやるとなると先の事を考えずに飛び込むタイプ。

まあ、拓人は217人分の業を背負っているんで。これがまた、真樹タイプの人だとかわいそうすぎますが。

この億ション、稔が酔っぱらって泊めてもらったあそこですね。ま、かっこいいですけれど、生活感はないですよね。稔も落ち着かなかったみたいですよ。

コメントありがとうございました。
2013.08.28 19:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。ここは典型的な「後ろ向き女」瑠水の真骨頂ですから。ご指摘の通りいろいろな事があって、後ろ向きに拍車がかかっています。この段階からもう少し自分の足でちゃんと踏み出すまでは、あと数回かな? 決着はつきますのでご安心ください。

あ、そうか。私と羽桜さんは小説が先だけれど、それ以外の方はイラストが先でしたね。自分の作ったキャラなんですが、こうしてイラストにしていただいて、眼に見える形になるのはいいですねぇ。

コメントありがとうございました。
2013.08.28 19:55 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ここでは多少ぼかした書き方をしていますが(あとの章でもっとはっきり書きますが)水揚げされちゃいました(笑)

この娘はしたたかというよりは、いい加減で思慮が浅いのです。「龍の媾合」の時もそうでしたが、「水底の二人が姿を見せてくれるだろう」「こうすればきっと拓人が終わりにしてくれるだろう」という他力本願で根拠のない見通しのまま飛び込んでしまうんですね。

ただ、読者(そしてもちろん私も)真樹の事や樋水の事情を知っていて、さらに「大道芸人たち」を読んでいれば終着点はわかっているのですが、瑠水本人はもちろん全くわかっていない中で迷っているんですよね。だから彼女としては拓人をもて遊ぶ結果になる事は全く脳裏にないのです。ま、結果は一緒ですが。

それよりもしょーもないのは、追記の方ですよ! こっちは本当に弁解の余地もなし。女って、全く。

コメントありがとうございました。
2013.08.28 20:08 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ううむ、敵もさるものですね。ご無理をなさらないでくださいね。

本当は最初のイラストを描いていただく予定しかなかったのです。で、あちらのブログでお話ししているうちに「またお時間があったら描いていただければ嬉しいです」みたいなことを図々しく言って、そしたら「ちなみにどの辺がいいですか?」とご親切にもおっしゃってくださったのです。それで、個人的に「あったらいいな」な場面をいくつかあげて「このうちの一つでも」と書いたところ、なんと全部描いてくださる事に……。
私としては、棚からぼたもちと打ち出の小槌が一緒に落ちてきたみたいなもので、もう本当に(冷や汗)

何のお礼ができるかなあ。

コメントありがとうございました。
2013.08.28 20:25 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
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2013.08.31 02:52 | | # [edit]
says...
こんにちは。
そうなんです。素敵なイラストでしょう?

なるほど。興味深いご意見をありがとうございます。考えすぎという事ではないですよ。そう感じてくださったという事は、鍵コメ様がこの小説も読んでくださったという事なので嬉しいです。

私の個人的な意見をここに書いておきますね。はじめて私がこのイラストを見た時に個人的には全く違和感はありませんでした。理由はですね。ホールで多くの聴衆に聴かせる時と部屋の中とでは、ピアノの響きは全く違うからなんです。

ピアノというのはとても大きな音の出る楽器ですが、ホールは上下前後の空間も大きく、さらに聴衆によって音が吸収されてしまうので、屋根(蓋の部分です)を大きく上げて響かせますよね。その音は当然演奏者からみて左側の方に多く聴こえるわけです。

でも、いくら億ションの設定とは言え、個人の家の室内では、右にいようと左にいようとそんなに差はないと思います。どちらにしても非常に大きく聴こえます。拓人が屋根を上げた時に音が窓側に逃げるようにピアノを設置しているのは、近所の騒音の迷惑を考えても妥当のように感じるのですよ。あ、私は音楽家ではないので、これは私の個人的なイメージですけれど。

羽桜さんから、このイラストを始めて見せていただいたとき、もし瑠水が窓側にいたら「女たらしの拓人がロマンティックな夜景ではなくキッチンの方を向かせるのは、不自然」と思ったことでしょうね。ただ、それだからといって「描き直してください」と頼んだかどうかは微妙なところですね。確かに私が拓人ならこうするというのはあっても、それが小説の設定に全く影響を及ぼさないならば、むしろ描いてくださった方のイメージを優先するでしょうね。

小説を読んでいただき、疑問をお寄せいただいてありがとうございました。自分では思わないような発想やご意見は小説を書く時にも大いに参考になります。これからもどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました
2013.08.31 14:57 | URL | #9yMhI49k [edit]

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