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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとターコイズの壷

月末の定番「夜のサーカス」です。

さてさて。今回の話はほとんどが過去に属するものです。「極彩色の庭」で出てきた二人の少年の話が、もう少し詳しく開示されています。続けて読んでくださっている方にも多少わかりにくい書き方をしているこの小説、それでもサーカスの仲間たちよりも読者の方が多く知っている状態になってきています。

来年の初夏を予定している最終回までに、ステラの恋の行方、ヨナタンの謎、そしてブルーノの悩みの三つの問題を終息させていきます。

ちなみに毎月一定数あるこのブログの検索キーワードに「シルク・ド・ソレイユ アレグリア 歌詞」というのがあります。この小説の構想をする時にイメージした曲を私が訳した記事(「Alegria」の歌詞を訳してみた)なのですが、その中の「Vai Vedrai 」の歌詞がこの過去の物語の骨格になっています。ま、歌詞読んでも謎は解けませんけれど。

月刊・Stella ステルラ 9月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




夜のサーカスとターコイズの壷


夜のサーカスとターコイズの壷

「その小さなサーカスには、背の低くて鼻の真っ赤なピエロがいました」
鳶色の髪をした少年が、はっきりと絵本を朗読した。
「白いサテンのだぼたぼのつなぎ服には鼻とそっくりの赤い水玉がたくさんついていました」

 金の髪、青い目をした小さな少年は、嬉しそうにその朗読に耳を傾けていた。そして、すっかりそらで憶えている続きを、もう一人の少年と一緒に唱和した。
「ピエロは、ただ道化師パリアッチオと呼ばれていました」
二人の笑い声が、天井の高いホールに響いた。

 それは城の中でも特に美しい部屋で、白い漆喰に複雑に浮き出た飾りはすべて金で縁取りされていたし、色とりどりの牧歌的で晴れやかな絵が壁面と天井を覆っていた。ピカピカに磨かれた大理石の床には、数カ所紅い絨毯が敷かれていて、少年二人はそこに座っていたのだ。

 鳶色の瞳の少年は、青い瞳の少年の求めに応じて、絵本を朗読している。大好きな絵本。小さな手が、大好きな挿絵の上をそっとたどる。それから、本を支えているもう一人の手にいき、白いシャツで覆われた腕を通り、頬に触れる。

「ほら、ここにもいる。パリアッチオ!」
金色の髪が揺れてクスクス笑いが響く。鳶色の瞳も笑ってその小さな指を捕らえる。
「やめて、ピッチーノ。くすぐったいよ」

 二人の少年は頭一つ分くらい背丈の違いがあったが、実のところ歳の差は一つだった。鳶色の髪を持つ背の高い方の少年は、使用人からは若様と呼ばれ、女主人ともう一人の少年からはパリアッチオと呼ばれていた。背の低い方の少年は金髪に青い瞳で、ピッチーノと、もしくは小さい若様と呼ばれていた。本当は二人とも学校に通っている年齢だったが、城の中から一歩もでない生活をしていた。若様の方には家庭教師が何人もついていて、今日は古典、午後からは数学、明日はイタリア語と科学という具合に学校に行く以上の厳しい教育がなされていた。

 けれど、ピッチーノこと小さい若様の方は、かくれんぼをしたり、美しい庭で花を摘んだり、もしくは、奥様や若様が朗読してくれる絵本に耳を傾けて、機嫌良く日々を過ごすのみだった。小さい若様はあと何年経とうともイタリア語の先生に教わることはできないだろうと診断されていた。文字を憶えることはできない。絵本以上の複雑な言葉を理解することもできない。けれど、少年はいつも幸福に満ちていた。

 ルネサンスの巨匠たちが、ピッチーノの姿を見たら、きっとインスピレーションに揺り動かされて、素晴らしい天使の絵や幼きキリストの絵を描いたことだろう。白くふっくらとした肌にほんのりとピンクがかった頬。その柔らかくて滑らかな様に誰もが触れたくなる。アクアマリンのようにキラキラと輝く瞳が向けられると、その透明さに吸い込まれてしまいそうになる。明るく弾んだ笑い声。人懐っこくて、とくにパリアッチオが、そして、奥様が大好きで、ためらうこともなくぎゅっと抱きついてくる。その屈託のない天真爛漫さが、見るものの全ての顔をほころばせた。

「パリアッチオ。秘密を守れる?」
「うん。何だい、ピッチーノ?」
「あのね、あそこの壺にね」

 ピッチーノが指差す先には、とても大きなターコイズ色をした壺があった。どこかの東洋の国で大切に窯から姿を現したとても高価な磁器で、耳を寄せてそっと爪で叩くと、楽器のように澄んだ音がした。けれど、奥様も執事も、ここで遊んでもいいけれどあの壺の周りで取っ組み合いをしたりして壊してはならないと何度も言っていた。

「何をしたの?」
「パリアッチオと僕の絵をね。こっそりと入れたの。僕たちが、いつまでも一緒にいられるようにって」
パリアッチオはちょっと口を尖らせてみせたが、クスクスと笑う少年につられて、笑い出してしまった。二人は、今までずっと一緒にいたわけではなかった。二人がこの城ではじめて引き合わされてから、まだ一年少ししか経っていなかった。冬の朝、雪に反射した光がとりわけ明るくこの大広間ではじめて顔を合わせて、おずおずと自己紹介をした。二人は、すぐに仲良くなった。これまで別々の場所にいたのが信じられないほど、親密な関係を築いた。対照的な見かけの二人の少年が共にいる光景は一幅の絵のように美しい光景だった。城の女主人である奥様は二人が一緒にいるのを見るのが好きだった。

「いいよ。僕たち二人の秘密だよ。見つかったら、とても怒られると思うし」
「うん。一緒に怒られてくれる?」
「うん。あげる」

 パリアッチオは知っていた。たとえ悪戯が発覚しても、だれもピッチーノを本氣で怒ったりはしない。彼のやることは、本当に無害で、天使のように愛くるしいのだ。そっと、音もしないように願いを込めた絵を壺に隠した少年を、天におわします父なる神も微笑んで見ていたに違いない。地上は楽園ではないけれど、ピッチーノのいるところだけはいつも平和で愛おしかった。

 パリアッチオ自身は、天使ではなかった。城で「若様」と使用人たちに持ち上げられているけれど、王子様のような楽な日々ではなかった。

「あなたはいずれアデレールブルグを背負って立つお方ですから」
そう言われ学校で義務教育を受ける同世代の子供たちの何倍もの努力を強いられていた。苦手な英語と物理にはとりわけ厳しい先生が付けられた。花を摘んで笑うピッチーノの横で、綴り帳にドイツ語をぎっしりと埋めていかなくてはならなかった。日曜日は授業がない代わりに、神父のところで宗教問答に耳を傾けなくてはならなかった。

 アデレールブルグ夫人のピアノに合わせて歌いたい。一緒に花を摘んで笑いたい。ゆっくりと絵を描いて、それをプレゼントしたい。ピッチーノと一緒に、ピッチーノのように。パリアッチオにはよくわかっている。彼にそれが許されないのは、彼の方がピッチーノよりも恵まれているからだと。もう少し高い知能があるから。

「パリアッチオ」
落ち着いた美しい声がした。鳶色の髪と金色の瞳をした美しい女性、そう、この城の女主人であるアデレールブルグ夫人が静かに広間に入ってきた。
「ママ!」
ピッチーノが走って抱きつく。彼女は愛おしげにピッチーノの頬にキスをして、それから少し遅れて近寄ってきたパリアッチオの頬にも手を伸ばした。彼女の唇が頬に触れる時に微かに薔薇の香りが移ったように感じられた。

「イタリア語の時間よ。先生が書斎でお待ちよ」
「はい」
「授業が終わったら、食堂でお茶にしましょうね」
「はい」

 パリアッチオは素直に戸口に向かったが、立ち去りがたい想いでアデレールブルグ夫人とピッチーノを振り返る。「ピエロとサーカス」の絵本を開き、読んでくれるように頼むピッチーノ。彼を愛しげに見つめながら絵本を受け取る夫人。二人の笑い声は、廊下を歩いているパリアッチオの背中に届く。瞳にほんのわずかに、悲しげな光が宿る。

* * *

「ヨナタン?」
マッダレーナの声に彼ははっとした。
「このペンダントが、どうかした?」

 マッダレーナはその宵、水色のロングスカートを着て大振りのトルコ石のペンダントをつけていた。夕闇の中で、ふと目についたそのターコイズが、彼を記憶に引きずり込んでいた。あの壺と同じ色だ。ヨナタンは眼を逸らした。
「すまない。じっと見たりして」

「見ていなかったわよ」
マッダレーナは、ふうっと煙を吐くと、煙草を落として、サンダルのかかとで火を消した。

「見ていたのは、ここじゃない、そうでしょう?」
ヨナタンは何も答えずに、胸のポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消した。

「そんな泣きそうな顔をしてまで、何もかも隠さなくてもいいのに。別に名前と住所を言えってわけじゃないんだから」
「泣きそうな顔をしていたのか?」
「自分でわかんないの?」
「していたかもしれないな。言ってもしかたないことなんだ。もう、手の届かない遠くの話だ」

 道化師パリアッチオは、ライオン使いに背を向けると、ひとり街の方へと歩いていった。彼女はその背中が暗闇の中に消えるまでずっと目で追っていたが、もう一本煙草に火をつけて煙を吸い込むと小さく「ばか」と言った。

(初出:2013年8月 書き下ろし)
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Category : 小説・夜のサーカス
Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Comment

says...
こんばんは、TOM-Fです。

ほお~、道化師の謎(過去)が、ちょっとずつ明かされてきましたね。この高貴な家族に、何が起きたのか。とても、興味がわきます。
湖畔の安楽椅子作歌さんあたりは、そろそろ真相に近づいているのでしょうか。

道化師がいい子すぎて、いろいろと心配になります。こういう育ちだと、自分の本音というか希望を素直に口にしない人間に育ちそうですね。厄介だなぁ、これは。ブランコ乗りさんも、ライオン使いさんも、大変ですね。
2013.08.31 16:19 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

ミステリー書きには向いていないので、すぐ読者に情報開示してしまう私です(笑)
アントネッラは実は読者よりも情報を持っているのですが、全くそれに思い当たっていません。
単純に「ヨナタンとステラはどうなるのかな〜。面白い小説になりそう」ぐらいですね、今のところ。

ヨナタンは、加えて頑固者ですしねぇ。この人がふつーに話せばもう完結しているんですけれどね、この話。
次回はまたしても別トピックに飛びますが、少しずつ話は収束していきますので、もう少し我慢してお読みいただければ幸いです。

コメントありがとうございました。
2013.08.31 21:00 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
“一本煙草に火をつけて煙を吸い込むと小さく「ばか」と言った”
いいなぁ。「ばか」……マッダレーナ、大人ですけどすごく可愛くて素敵です。ちゃんと自分を見て欲しかったんだろうなぁ。
サキの作品ではまず煙草が出てくることは無いと思いますが、これだけで雰囲気がでますねぇ。ヨナタン堅物ですね!なんと携帯灰皿ですか?動きとしてはマッダレーナのかかとの方が数倍は格好いいんですが。
彼女はライオン使いですから、均整のとれた筋肉質のいい女なんでしょうね。だいぶ擦れていてさらに屈折してるとこなんか、サキには使いこなせないでしょうから、彼女には憧れてしまいます。
ステラ!ぼやぼやしてる場合じゃ無いよ。
でも大丈夫かな。火の玉ですもんね?

ヨナタンの過去が少しずつ見えてきて、天使のようなピッチーノがどのような役回りを演じるのか楽しみになってきました。不幸な役回りを演じるとしてもです。まだまだ展開は不明ですが、サキは嫌な予感もしています。バリアッチオはアデレールブルグ夫人やピッチーノとどんな経験をしたのか、恐い物見たさで発表を待つことにします。

ではまた。
2013.09.02 14:01 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

小道具としての煙草は便利ですね。
単に手持ち無沙汰の解消だけでなく、性格の描写にも使えて便利なのですよ。マッダレーナはかっこいいですが、常にポイ捨てです。マルコやエミーリオもそうですね。よい子は真似をしないようにしましょう。ヨナタンは吸うなら絶対にポイ捨てはしない頑なで真面目な性格なのでずっと携帯灰皿派です。ステラの目にはそれすらもカッコ良く見えているようです。

ステラは、マッダレーナとヨナタンが近づくのに慌てて迷走予定です。引き続き応援をお願いします。

ピッチーノはどうなったのか、なぜヨナタンはこんなところにいることになったのか、年内には想像がつくようになると思います(笑)
実は、アントネッラとステラたちがヨナタンの真実に近づくにあたって、またしてもエスのご助力をお願いする予定でいます。クリスマス前後になりますが、どうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。返事が遅くなりましてすみません。
2013.09.03 18:20 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
遅くなりましたが、読みに来ました

うーむ、この物語の前半と後半。明かされたようで謎が残ったように感じました
ヨナタンの過去から現在に至るまでこれからも徐々に解明されていくのでしょうが、ここまで見る限り、誰も予測もしない事態が過去に起こったのではないかと思います
加えて、彼が頑なに身の上を話さない理由も気になりますね
悲しさを称える瞳がこの話に多く(といっても、二回ほど?)登場したのも合わせて集約されていくのを楽しみにします

以上です。
2013.09.15 05:27 | URL | #iVT7Zno6 [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。「なぜこんな所にいるのか」の回答が想像できるようになるのは年末か年明けですかね。正確な謎解きは最終回ですが。

もともとは、スカイさんの要望(国から逃げてきたビエロ)がベースとなっているのですが、ドイツ時代も悲しそうというところに、実は一番の謎解きの鍵があったりします。ま、大した謎じゃないんですが。

次回は、ブルーノ系の話ですかね。またどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2013.09.15 18:07 | URL | #9yMhI49k [edit]

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