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Posted by 八少女 夕

神宮の話

11月に日本に行ったときの話、時系列は前後しますが、今回は新年にふさわしくお伊勢さんの話などを。

伊勢 外宮にて

実はですね。2010年に「樋水龍神縁起」本編の構想を始めるまで、私は神道や神社のことをほとんどわかっていませんでした。今でもわかっているわけではないのですが、当時よりはマシです。そして、「お勉強しながらの執筆」を通して、神社庁というものが存在し、日本の神社のヒエラルヒーのトップが伊勢にある神宮だということをようやく知ったのです。あ、「どんな教育をした親なんだ」と思われる方もおありでしょうから言い訳をさせていただきますと、我が家はカトリックなのですよ。

そして、そのヒエラルヒーがあるにも関わらず、どうもなんとなく完全には従っていない感じ、ご神体も別方向を向いているし、旧暦十月には日本中の神様を集めて会議なんかしちゃっている出雲大社に惚れ込んでしまって、出雲の話を勝手に書かせていただいたわけなのですが、それでも「トップは神宮なんだ」というのは頭の片隅にあったわけです。

で、「出雲はいずれまた行きたい」という想いはずっとあったものの、まだ一度も参拝したこともないくせに伊勢に行こうという発想は去年の夏ぐらいまで全くなかったのです。

どうして突然行く氣になったか、それはブログのお友だち、ゆささんの参拝の記事を読んだからなんですよね。

出雲の式年遷宮が終わったのは知っていましたが、伊勢の神宮も2013年だとはそれまで知りませんでした。日本にいたら知らないわけはないでしょうが、こっちにいたらそのニュースはほとんど入ってきませんから。そして、ゆささんの記事を読んで、「へえ、お伊勢さんってそうなっているんだ」と興味がムクムク。それで、母に「日本に行くときの旅行だけれど、出雲また行きたいと思っていたけれど、伊勢も式年遷宮なんだって?」と話したら「もうパンフレット集めちゃった」とすっかり乗り氣でおりました。それで、両方を参拝というかなり強引な旅行になったのです。

十月に30℃を記録したという日本、私が帰国した時にはもう涼しくなっていたとは言え、まだ十分に暖かかったのですが、この私が国内旅行を始めた日から急に氣温が下がり、しかも予想では毎日雨でした。でも、実際にひどく降られたのはこの伊勢参拝の日だけでした。

本来ならばこの日だけは晴れて欲しいと思うものでしょうが、実は私にとってはこの日雨だったのはラッキーだったようです。というのは私は人ごみが苦手。日本にいた時もそうでしたが、スイスの田舎暮らしでさらに拍車がかかって、ディズニーランドのような人ごみは耐えられないのです。でも、式年遷宮で秋の金曜日ともなるとどうやっても人が多くなるに決まっているではないですか。この日ももちろんたくさんの参拝客がいてバスもたくさんいたのですが、それでも他の日より少なかったみたいなのです。

そして、はじめての神宮参拝。

何度もこのブログで書いていますが、私には霊感のようなものはまったくありません。でも、空氣が違うんですよ。清浄という以外、適切な表現がみつからないのですが、天照大神のおわすという正宮だけでなくて、鳥居を入ったその境内そのものにぴーんと張りつめた清らかさを感じるのです。森のようになっている、たくさんの古木の一本一本から凊やかな氣が満ちてくるような。これは出雲大社の境内でも感じることですが、でも、ちょっと違うイメージもあります。伊勢の方が厳格な印象がありました。

ゆささんの記事や、母の用意しておいてくれたパンフレットでにわか勉強したので、まずは外宮、それから内宮と参拝しました。式年遷宮が終わったばかりなので、あたらしい宮とそれまでの宮が並んでいて、ああ、こうやって遷宮するんだと感心しつつ、メインのお宮を回っていきました。一日だけだったので、全部はとても無理です。125社もあるというのですから。

と、いいつつも、参拝が終わった後にはちゃっかりおはらい町とおかげ横町に行ってショッピングとグルメを楽しんでしまいました。え、いや、ここがメインだったなんてことは……決して……。

ええ、美味しかったし、楽しかったです。その話は、またいずれ。
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Comment

says...
出雲大社と伊勢神宮、私は八少女さんとは反対の感想を持ちました。
出雲大社→重い。厳格。
伊勢神宮→明るい。のびやか。

行った時期の違いもあるのかしら。面白いですね。
どちらも空気が違う感じがするのは同感です。

神社のヒエラルキーとおっしゃいますが、アバウトみたいですよ。
僧侶になるには、修行をしたり、宗派の許可が必要ですが、
伊勢や出雲はともかく、末社の神官になるのは簡単みたいです。
田舎の神社で、神主が居なくなったから、おれがやることになった。
という話を聞いたことがあります。なると言えばなれるらしい(笑)
出雲と伊勢は別格でしょうけど。

出雲は大和朝廷以前の国つ神。
伊勢は大和の神。
ということで、どっちが上というのは難しい問題です。
神道の成り立ちまでさかのぼれば、出雲が頂点のはずです。
大和朝廷が、そのように約束したことになってます。
国譲り神話ですね。

長々と失礼しました。
2014.01.06 11:55 | URL | #em2m5CsA [edit]
says...
あう、八少女さんのお話聞いてまたお伊勢さん行きたい熱がふつふつと。。
記事のリンクもありがとうございます~なんか、食べ物と猫とニワトリの話ばっかしてますが(*ノωノ)恐縮です。

あいにくのお天気だったようですが涼しく参拝できたようで良かったです~。
最近は10月になっても暑いので…日本どうした…。
お伊勢さんもですが、神社って鳥居をくぐると身が引き締まる感じしますね。背筋をぴっと伸ばして歩きたくなります。
新しいお社に参拝されたのですね~いいなあ☆ぴかぴかだったのでしょうか。
新旧のお社が並んで見られるのも今だけ、お互い、いい時期にお参りしましたね(´▽`)。

おかげ横丁の記事も楽しみにお待ちします☆
おいしいもの、楽しいお店いっぱいですよね。また行きたい~。
2014.01.06 13:23 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

実はですね。
鳥居から入ってしばらくは、私も伊勢の方が明るいなと思っていたのです。庭園の所にいた時ですけれど。ところが、参道を進むうちに、左右の神苑というのか森、人が立ち入れない部分の深さに、厳格で、なんというのかこれ以上は近づけない遠さを感じたんですよね。でも、もしかするとしのぶもじずりさんがおっしゃるように、行った時期や天候のせいもあるかもしれません。

正式には神社庁の試験を受けて資格を取らないといわゆる神主にはなれないと聞きましたが、そうすると、どこにでも抜け穴はあるんですね。実は、カトリックの司祭も妻帯者はなれないとか、司祭でないとミサをあげてはいけないとか、厳格な決まりがあるのですが、我が家の近くに「えっと、こういう例外が……」というのがあります。これまた伊勢や出雲のように、ローマ辺りでは無理でしょうけれど、スイスの田舎だと「アリ」なんですよね。

神社庁のような制度として、きちんとしたピラミッドがあって、そうはいっても「こっちは別格なの」という特別な存在があるというのは、とても好ましいことだと思います。大和朝廷の成り立ちも、それぞれの神社の由来も伝えられているもの通りどうかはわかりませんけれど、現在の形に至るまでの歴史と人びとの信仰の形が尊重されていることが何よりも大切なことなのかなあと思ったり。

変な話ですけれど、今の首都は東京だけれど、京都は別格みたいな形に近いのかなあとも思います。

こういうお話ができるのって、いいですね。また、いろいろと教えてくださいませ。

コメントありがとうございました。
2014.01.06 21:59 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは〜。

本当にありがとうございました。ゆささんおかげです! あの記事がなかったら、生涯お伊勢さんには行けなかったと思うのですよ。
しかも、絶妙の季節に参拝できたようで、歩くのは苦にならず、寒さに震えることもなく……。
日本、最近は亜熱帯化したといわれていますしね。

そうなんですよね。鳥居をくぐって、あのガラッと空氣が変わるのって本当に不思議なんですけれど、特に出雲と伊勢の温度が二度くらい変わるのはすごいですよね。

ぴっかぴかでした。でも、隣にお役目を終えて立っている苔むしたお社もいい味を出していましたねぇ。私も侘び寂びがわかる歳になってきたか……(そういう問題じゃないか)いずれにしてもたぶん生涯に一度の参拝なのに新旧のお社まで見ちゃうなんてかなりラッキーでした。

えへへ、では、おかげ横町の話も、あまり遅くならないうちに。グルメ記事になっちゃいますが(笑)

コメントありがとうございました。
2014.01.06 22:18 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
俺は伊勢神宮も出雲大社も行ったことがないんすよね・・・。

親父には行ける時に行っとけとは言われてるんすけどね。

如何せん、現時点では距離が・・・。

というのはさておき、神社や寺院というのは
俺にとっては昔の息吹がまだ残ってる場所、
というような感じがずっとあります。

寺院なんかではより感じますね。

特にそう強く感じたのは鎌倉と京都に行ったときっすね。

鎌倉五山は制覇し、京都五山は天龍寺と南禅寺だけ足を運べてないんすけどね。

ただ、昔のままで残り(一部は修復を受けてはいますが)、
歴史を物語っているその様は何度見ても飽きませんね。
歴史が好きな俺なんか特に。

神社などではスピリチュアル的な要素は一部で感じたりはしますが、
それは目視できないもの。

ただ、そのイメージがあるからこそ、神社という存在が
非常に神々しく感じるというか、幻想的に見えるというか、そんな感じですね。

伏見稲荷なんてあの鳥居の道を潜った時は何かに引き込まれるかのような感じがしましたね。

あぁ、また行ってみたいです。
2014.01.07 14:11 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

私もバチカンの方が先になってしまいました(笑)
でも、確かに出雲も伊勢も参拝できてよかったですよ。

もともと何か特別なものがある所に建てられたのかもしれないですけれど、二千年というような長い時間、人びとが心を込めて祈り続けてきた場所は、たとえ霊感みたいなものがなくても特別なものを感じますよね。

シュナイダーさんはお寺はたくさん参詣なさっていらっしゃるのですね。
私は、まだ行けていない所がたくさん。
あ、もともと女人禁制なんて所もありますか。

奈良の薬師寺の東塔、何回か見たんですが、毎回飛鳥時代からどんな歴史を見てきたのだろうと、感慨深くながめます。

日本にはそういう場所がたくさんありますよね。これからの帰国でどのくらい訪れられるかなあ。楽しみでもあります。シュナイダーさんがそういう場所を訪れたら、ぜひブログでご紹介くださいね〜。

コメントありがとうございました。
2014.01.07 20:57 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
京都に住んでいる頃、奈良・京都の寺を庭のように歩き回っていたのですが、実は神社って微妙だったのです。
お寺って、ごろごろと仏像があって、建物も風情があって、お庭もすごかったりして、寺宝は公開されているし、見どころ満載って感じなのに、神社って何だかただ、だだっ広い。敷地に入ったら、何だか森やら林やら、砂利道があって、奇妙にでかい鳥居があって、拝殿でお参りして……・で、何か閑散とした感じで……・見どころってなんだろう、と思ったりして。
でも、最近、神社というのは人間のための場所ではなく、神様のための場所だから、人間にとっては閑散として見えるのだと思うようになりました。人間はお邪魔させていただいているだけで。何かを見る場所じゃなくて、何かを感じる場所なのですね……
夕さんのこの記事を拝読しながら、そんなことを考えていました。
最近私のしている巨石巡りも。何があるというわけでもないのですけれど……何かを感じるだけ。
神様のいる場所って、本当に不思議ですね。そしてその不思議さを肌身で感じることのできる式年遷宮。
旅をされた夕さんの引き締まったお気持ちも伝わってくるレポートでした。
見ることができない場所にある「何か」、それを感じる心が肝心なのですね。
2014.01.09 13:18 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

突然話がそれますけれど、京都に住むって、本当にいいですよね。
二年前に二日くらい滞在したのですが、歩くと角ごとに寺社仏閣がある感じで、そのお寺とお寺の間にも途切れずに風情あるお宅が建っていて、毎週のように新しい発見も出来そうだし、お氣にいりの場所で四季を愛でるのもありだし……。あそこは本当に特別だと思います。

で、話を戻して。ああ、言われてみるとそうですよね。お寺だと「うわっ、金ぴかの仏像!」とか「これ教科書で見た!」とか見所があって、手を合わせるんだけれども、同時に「何か見学」って感覚ありますよね。その一方で、神社、私、本殿どころか神楽殿にも入れる服装で行った事ないので、つねに外から参拝するのみ。出雲や伊勢のレベルになると、天皇陛下ですらご神体見た事ないってお話ですものね。

ちょっと違うかもしれませんが、ヨーロッパでカトリックやギリシャ正教の教会は見所満載だけれど、プロテスタントはあっさりしているので素通り、みたいな。

神社とお寺の違いは、たぶん信仰対象の違いなのでしょうね。

巨石めぐりは、たぶん神道に近い感覚かもしれません。人にしてみれば「ただの岩じゃん」なんですが、苔むすほどの時間を通して信仰対象であり続けた存在を通して、人と神が、そして人と人が交流している。そこに意味があるように思います。それは見えないし、数式みたいに証明することもできないけれど、でも、存在していてくれてありがとうと叫びたくなるような「何か」だと思うのですよね。

歳の事を言うのはなんですが、私は最近ようやく自分の中の実感として「何か」を感じられるようになってきたように思います。たぶん、彩洋さんも人生を通していろいろな「何か」を感じられてきたのではないかなあと、思っております。

遠からず(って。いつ?)出雲の方もレポートしようと思っています。

コメントありがとうございました。
2014.01.09 23:01 | URL | #9yMhI49k [edit]

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