scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

変わっていること

久しぶりに「となりのブログで考えた」カテゴリーです。最近、軽い話題の記事が少なくて恐縮ですが、忘れる前に書いてしまいたかったので……。



自分の正直なきもちを綴っている友人が書いていたのですが、ずっとその友人には自己否定があって、「普通ではない事」イコール「悪い事」だったと。その具体例の中に恋愛の方向性などの話の他に「大和民族でない血が混じっていること」も入っていて、びっくりしてしまいました。

いや、その事実についてではないですよ。そうじゃなくてそのことが「自己否定に繋がる」ということ。というのは、私はまったく反対に感じてしまう人間だとそこで認識したからです。

私にも16分の一、外国人の血が混じっています。曾々祖母は当時の国籍ではドイツ人でしたが、ストラスブールの人でしたからドイツ人でもフランス人でもないアルザス人です。他の16分の15の血は日本人で、日本に生まれた日本人であることを誇りに思うと同時に、私はこのわずかなアルザスの血を誇りに思っています。明治の初期に二度と帰れないとわかっていて日本にまでノコノコと嫁いでいった変わり者の血だからです。

私にとって「変わっていること」「皆と同じでないこと」は常に自己肯定に繋がっていました。「偉い」「よりよい」ではなくて単純に「個性があるのはいいこと」という概念を鵜呑みにしていたみたいなんですよね。

もちろん日本には「出る杭は打たれる」「まわりの空氣を読む」というような概念があることはわかっています。それでも、人と違えば違うほど、それは私の利点だと勝手に思い込んでいたのです。私には世間一般的な物差しでは他の人より秀でている点は余りありません。だから少しでも自分のプラスポイントにしてしまえという、かなり自己中心的な思い込みですね。たぶんそうすることでしか、子供の頃の弱くて情けなくて力のない自分とその状況に耐えられなかったからなのかもしれません。

中学生のとき、グループの女の子たちが休み時間に一緒にトイレに行く習慣がありました。ある時から、私はそれを断りました。休み時間の度に用もないのにトイレに行きたくなかったからです。冗談みたいな話ですが、そんなことに勇氣がいたのです。それ以来、私は「あの子は少し変わっている」という評価を得るようになりました。それが今の明らかに平均的日本人とは違う人生に繋がっているように思います。

連れ合いは私に輪をかけた変わり者です。そして、彼もまた、変わっていることを全く根拠もなく誇っています。まさに「割れ鍋に綴じ蓋」です。二人とも世間一般的には「ああはなりたくない」なのかもしれません。
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Comment

says...
変わってることが悪いことだと思ってる人は
日本には多いと思います
私も理屈で悪いとかではなくても
周りの雰囲気のようなものもあって
なんとなく悪いように感じてしまいますです

フランスでは周りと一緒だと駄目みたいな話を
聞いたことがありますが
2014.03.02 10:04 | URL | #- [edit]
says...
あ、先に言っておきますがサキも相当に変わっています。
ズ~ッと空想世界に入り込んでいるような変な奴です。
空想しながら歩いていてどこかに落ちそうになったり、赤信号を渡ってしまいそうになったり、一応生命の危機は回避していますが危ないものです。
あきらかに平均的日本人とは違っているのかもしれませんが、この年になるまでの間の学習で、上手に平均的日本人に紛れ込んでいます。
その点は日本人なのかもしれません。
上手いもんですよ。
でも大和民族というもの自体、妖しいものですから。
2014.03.02 13:45 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
「変ってるね」って言われると、わたしなんか大喜びするんですが。
小説なんか書いている妄想族は、きっとみんな変わり者なんでしょうね。
別の民族の血が混じってるなんて、わくわくする事だと思うのですが。
血とは別の、自分の有り方への疑問や、自己嫌悪なのかも。
血のせいにしたほうが、自分を傷つけないで済むかも、といった自己防衛かなと感じました。

あ、ありましたね、休み時間の女子のトイレ大移動。
私は面倒くさがりだったので、ついて行かなかったように思います。
今も昔も、人に迷惑にならない程度の「変わり者」です。^^
いや、子供らにはめいわくかも・・・。
2014.03.02 14:09 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
私は、どちらかというと「変わっている」ことを自慢にするタイプですね。
「おたく」と言われたり、好奇な目で見られたりすると、もう嬉しくてたまりません(笑)
そうは言っても、それは嗜好や趣味や生き方やらといったレベルのお話で、社会不適合者じゃなければ、どうこう言われるようなものでもないはずなんですけどね。
まあ、気にする人は気にするし(私の周囲にも他人と違うことを気に病む人がいます)、気にしない人は気にしないということなんでしょうね。
2014.03.02 15:52 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんにちは。

そうなんですよね。特に学校にいた頃は、ことさら「皆と同じであれ」を強く感じていたように思います。
同じ髪型をしたり同じ文房具を買ったり、今から思うとなぜそんな事までということも、一緒にしないとまずいと言う強迫観念があった頃もありました。
でも、一つ崩れたらそのあとはなし崩しでした(笑)

そうですね。フランスなんかはとくに強いですが、ヨーロッパ全体でも「皆と同じ? ありえない」でしょうね。

コメントありがとうございました。
2014.03.02 16:53 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
お、ワイン、美味しいですか?
私も今日は自宅で赤を飲みました〜。安いけれど飲みやすいオーガニックものでしたよ。

空想世界は、次の作品の源でしょうから、大いに推奨したい所ですが、赤信号や足元には氣をつけてくださいね!

そうなんですよね。あまり変わったヤツをアピールをすると、いろいろと面倒くさい事になるので、必要のない所では平均的日本人の皮を被る技術も、邪魔されずに妄想を続けるためには大事だったりしますよね。

大和民族も多民族の集合体だと思うんですが、そもそも民族の意識が少ないためか少数民族に対して無神経な事を言う方も多いんですよね。で、そのつもりはないのに、言われた民族に属している方が傷ついてしまう事も。もっと民族のごった混ぜな国だとなかなか起こらない事だったりしますよね。

コメントありがとうございました。
2014.03.02 17:18 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
そうですね。
うちのブログにいらっしゃっている方々は、みな「変わっている」と言われると喜ぶタイプみたい(笑)

皆と同じであることをよりどころになさっていた方は、それが崩れるととてもつらいと思うのかもしれませんね。自己肯定にせよ、自己否定にせよ、根拠にはどっちにせよ大した説得性はないのですが、本人にとってはそれはものすごく大事なのかも。

「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩がとても大きく注目されたのは、日本ではそれが当たり前の事ではなかったからなのかなと思います。

お母さんが「みんなと同じにしなさい」と言わないタイプなのは、お子さんのためにはいいと思いますよ。うちの母もわたしが「学校でみんながああしている」というと鼻で笑うような人でした。でも、おかげで私は、人の顔色をうかがわずにどこでも生きていけるようになりましたからね。

コメントありがとうございました。
2014.03.02 17:36 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。
TOM-Fさんは、社会適合ばっちりのオタクですよね。

とても重要な事だと思うのですよ。他の人の迷惑にならないように最低限の事をみんなが押さえていれば、あとは好きな事を何をしても文句を言われないってことが。

でも、氣になる方は「氣にするな」といっても氣にするのをやめられないんでしょうねぇ。日本の社会というのがよけいにそういう方向を助長しているように思います。少しでも変わっていくといいんですけれどねぇ。

コメントありがとうございました。
2014.03.02 19:04 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
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2014.03.08 09:56 | | # [edit]
says...
こんばんは。

記事はいつコメントいただくのも大歓迎ですので(笑)

ああ、あります、あります。
いっている当人が、つきつめると差別と言うか分けて考えてしまっているってこと。本当は純粋な血なんてないから、その事でどうこう思うこと自体ナンセンスですけれどね。でも、頭のどこかに引っかかったりするんですよね。

コメントありがとうございました。
2014.03.08 17:22 | URL | #9yMhI49k [edit]

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