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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -2- ゴールデン・ドリーム

この小説、オムニバス小説集「バッカスからの招待状」なんですが、「またもや『樋水龍神縁起』ものかよ!」と思われるかもしれませんね。実は、40,000Hit記念にTOM-Fさんからいただいたリクエストにお答えしての小説なのです。いただいたお題は「トロイメライ」、キャラのご指定は高橋瑠水でした。そういうわけで、「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読んでいらっしゃらない方はいまいち「?」かもしれません。でも、読んでいなくても話は通じると思います。


バッカスからの招待状 -2- 
ゴールデン・ドリーム


 開店直後のバーに入るのは本番前の舞台を覗くような、少しだけ優越感に浸れる瞬間だ。
「いらっしゃい」
ドアを開けた時に響いてきた変わらぬ声。懐かしさが込みあげた。

「これは、これは。高橋さんじゃないですか」
バーテンダーは声を弾ませた。高橋一は嬉しそうに頷いた。
「四半世紀ぶりだね。田中さん」
「お元氣そうで」
「田中さんも。この店が続いていて嬉しいよ」

 かつてはジャズがかかっている事が多かった店だが、今日は静かなピアノ曲がかかっていて、柔らかい間接照明がメロディに合わせて揺れているように感じた。一は磨き込まれたカウンターのマホガニーを愛おしむように撫でてから、かつて自分の席と決めていた位置に座った。
「広瀬さん、いえ、奥さまはお元氣でいらっしゃいますか」
「ああ、今晩ここに来ると言ったら、悔しがっていたよ。田中さんに是非よろしくって」
「ありがとうございます。次回はぜひご一緒に。本日は、何になさいますか」

 一は嬉しそうに下を向いて笑ってから言った。
「やっぱり、山崎だよね、ここに来たら。十二年を頼む。あと、つまみは連れが来てからで」
「お連れさまですか」
「デートなんだ」

 田中はびっくりした。高橋一はかつての客で、広瀬摩利子と結婚して島根県に移住するまでここでよく待ち合わせていた。その時の二人の様子からは、一が摩利子以外の女性とデートをするなんてありえないように思えたのだが。

「妻公認でデートできる二人のうちの一人だよ」
一はウィンクした。

 ドアが開いて、ぱたぱたと誰かが入ってきた。
「わ、遅れちゃった、お父さん、ごめんなさい!」
それを聞いて田中は納得して微笑んだ。一はさっと手を上げて合図した。

「田中さん、これ、俺の娘です。瑠水っていいます。この店にはまだヒヨッコすぎて似合わないけれど、どうぞよろしくお願いします」
父親に紹介されて、瑠水は田中に向かってぺこっと頭を下げた。
「はじめまして」

 それから瑠水は父親の横、かつては摩利子がよく腰掛けていた椅子に座った。
「ここ、落ち着く素敵なお店ね。もっと前に教えてくれたら、よかったのに」
そういって、店内を見回した。一は「そうだな」と相槌を打ったあと、田中に肩をすくめて説明した。
「こいつ、つい最近まで東京にいたんだけれど、残念ながらまた島根にもどってくることになっちゃったんですよ」

 田中は微笑んで、ささみをトマテ・セッキのオリーブオイル漬けなどで和えたものをそっと二人の前に出した。
「何をお飲みになりますか」

 瑠水は、首を傾げてからカウンターにあったメニューを開いた。カクテルはあまり詳しくない。そういうものが出てくる店ではいつも連れて行ってくれた結城拓人が提案してくれたものを飲んだ。

「あ。この曲……」
瑠水はメニューから目を上げて、流れてくるピアノ曲に耳を傾けた。

「ああ、シューマンのトロイメライですね」
田中はグラスをピカピカに磨き上げながら言った。瑠水は口を一文字に結んで頷いた。結城さん、これも弾いてくれたっけ。もう過去の事になってしまった。夢のように遠い。

「あの……何か夢に関するカクテルって、ありますか?」
瑠水が訊くと、田中と一は目を見合わせて微笑んだ。
「そうですね。例えばゴールデン・ドリームはいかがでしょうか。リキュールベースで柑橘系と生クリームがデザートのようなカクテルで、お好きな女性が多いですよ」
「あ、では、それをお願いします」

 瑠水は結城拓人の事を考えていた。とても優しい人だった。拓人に出会った時、瑠水は出雲にいる真樹に報われない片想いをしていると思っていた。拓人は遊びの恋しかしないと聞いていたので大切にしてくれるなんて思いもしなかった。瑠水は拓人のピアノを聴きたかった。あの優しい音色に包まれて、真樹を想う痛みを和らげてほしかった。

 あれは、拓人のマンションに二度目に行ったときの事だ。彼は瑠水が一番喜ぶ事を知っていた。東京の夜景が拓人の背後の全面ガラスに見えた。それは潤んで泣いているようだった。彼の音はその悲しむ世界を落ち着かせるように柔らかく響いた。

「この曲は?」
瑠水が訊くと、拓人は弾き続けながらそっと言った。
「ロベルト・シューマンの『トロイメライ』、聴いた事はあるだろう?」
「ええ。優しい、心の落ち着く旋律ですね」
「ああ。ドイツ語で夢想とか白昼夢って意味だけれど、僕には他のイメージが浮かぶんだ」

「それは?」
「ドイツ語で肉屋の事をメツゲライ、乳製品屋をモルケライっていうんだ、その連想で僕にはトロイメライと言われるとなんとなく夢を売っている店ってイメージが広がってしまうんだ」
拓人はその羽毛のような髪を少し揺すらせていたずらっ子のように笑った。

 どんな店なんだろうと瑠水も思った。でも、いま思えば、拓人自身が瑠水に夢をくれたのだった。彼が教えてくれたのだ。真樹が扉を叩いてくれるのを半ばあきらめつつ待つのではなくて、強く確信を持って愛し続ける事を。瑠水の立ち止まったままだった背中を、彼とその音楽がそっと優しく押してくれたのだ。それから一度に開かれた扉。瑠水は願い続けていた真樹のいる人生を手にする事ができた。そして、大切な自然と世界のために働く一歩も踏み出す事ができた。

「それで。みなさんへのご挨拶は終わったのか」
一が訊いた。
「ええ。急だったから、異動までに逢えなかった人も多かったし。でも、ちゃんと言ってきた。お父さんも、ごめんね。無理に引っ越しの手伝いに来させちゃって」
「俺はいいよ。それより、相談もなく決めたと早百合が激怒していたぞ」
「わかってる。でも、お姉ちゃんに相談すると反対されるから……」

 瑠水は下を向いた。一が瑠水の頭を撫でた。それだけで、瑠水は父親が自分の紆余曲折を否定せずに見守り、決定を後押ししてくれている事を感じた。母親の摩利子も暖かく迎えてくれた。樋水村の人びとも、樋水川も、龍王神社も、全てがあるがままの自分を受け入れてくれている事を感じた。そして、真樹も。

 東京で何があったを真樹は訊かなかった。ただ変わらずに愛してくれた。瑠水は自分の行動が、受身な態度が、多くの人たちを傷つけた事を少しずつ理解していた。だから、その分も自分がつかんだ幸せをずっと大切にしようと思った。

「お父さん、ありがとう」
「ん? なんだいきなり」
「シンと結婚するなんていきなり言って、びっくりしたでしょう?」
「う~ん、どうだろう。俺は、お前がシン君と逢った頃から、きっとこうなるんじゃないかと思っていたからなあ」

 田中が納得した顔で、瑠水の前にカクテルグラスをそっと置いた。淡いクリーム色、細かい泡が聞こえないほどの小さな音を出していた。ひと口含むと、柔らかい甘さが舌に広がった。爽やかな香りとともに飲み込むと、わずかにガリアーノリキュールの苦さが引き締めた。泣いていた東京の夜景、瑠水を許して受け入れてくれたピアノを弾く人の嘆き。

「お父さん。心配かけた分、これから一生懸命、親孝行するね」
瑠水が言うと、一はもう一度、娘の頭を撫でた。

「俺やお母さんの事はいいんだよ。シン君を大事にして、幸せになれ。お前たちが島根で所帯を持ってくれて、俺は嬉しいよ。住むのはシン君の工場のある出雲にするのか、それともお前の勤める松江?」
「えっと、間をとって宍道あたりにしようかと思っているんだけれど。明後日お社に結婚式の相談に行くんだけどね、シンが今日電話したら武内先生が住む所の事でも話があるっておっしゃっていたんだって。もしかしたら別の所を紹介してくれるのかもしれない」

 一は「えっ」と言う顔をした。妻の摩利子なら「あのタヌキ宮司、何を企んでいるのかしら」とでも、いうところだ。

 でもなあ、シン君と結局は一緒になったし、俺たちがヤキモキした所でどうしようもないよなあ。

 瑠水は神妙な顔をしてクリーム色のカクテルを飲んでいた。優しい色をした酒は、親子のつかの間の時間を優しく包んでいる。一が東京で飲むならぜひここに行きたいと言ったわけがわかったような氣がした。拓人が弾いてくれた『トロイメライ』のように、心を落ち着かせてくれる柔らかさがある。ああ、「夢を売ってくれる店」って、こういう所なのかもしれないな。


ゴールデン・ドリーム(Golden dream)
標準的なレシピ
ガリアーノ - 20ml
コアントロー - 20ml
オレンジ・ジュース - 20ml
生クリーム - 10ml
作成方法: シェイク



(初出:2014年4月 書き下ろし)

追記

わざわざ動画を貼付けるほどもないくらい有名な曲ですが、一応。

"Träumerei" aus Kinderszenen von Robert Schumann - Yuli Lavrenov (Klavier)
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Category : 小説・バッカスからの招待状
Tag : 小説 連載小説 リクエスト キリ番リクエスト 神話系お題

Comment

says...
瑠水さんももうなんだかすっかり大人ですね
一さんも瑠水さんも若いときを知ってるから
トロイメライがしんみりと聞こえてきますです
結婚かあ…
2014.04.07 09:44 | URL | #- [edit]
says...
更新、お疲れさまでした。

わがままな注文に応えて、上等なカクテルを出してくださってありがとうございました。バッカスシリーズですね。ここ、いろいろな集会で使われてますよね。うん、いいお店だなぁ。
瑠水と瑠水パパにも久しぶりに会えて、楽しかったです。

拓人の弾くトロイメライ、すごく甘美なんだろうな~。東京の夜景をバックにというのも、意外と似合うかもしれませんね。
へえ、トロイメライって、ドイツ語でそんな意味にも解釈できるんですね。たしかに、曲の主題には合っているような気がします。ゴールデン・ドリームかぁ。思えば、あの恋(?)は瑠水にとっても拓人にとっても、いつか覚めるべき「夢」だったのかもしれませんね。
ん、タヌキ宮司さん、間違いなく「企んで」ますね。こりゃあ、瑠水と真樹の新居は、いきなり神社の離れですかね(笑)

今回も素敵な小説を書いていただき、ありがとうございました。またリクエストしよおっと(笑)
2014.04.07 14:14 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

そうですねぇ。
ダメ子さん(の中の人)は本編からずっと読んでくださっていらっしゃいますものね。ありがたい事です。
瑠水もだけど、あの頼りなかった一が、すっかりお父さんしているし。
ダメ子さんの結婚はまだまだずっと先ですよね(笑)

コメントありがとうございました。
2014.04.07 21:10 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

『Bacchus』、Stellaの新連載に使おうか、未だに迷っています。もう待ったなしなのに〜。

最近はどんなピアノ曲を聴いても私の中では拓人が弾いているビジュアルになってしまって、自分でも「こりゃそうとう痛いな」と思っています。

> へえ、トロイメライって、ドイツ語でそんな意味にも解釈できるんですね。
解釈できません! これは私が毎回そんな氣がしてしまうだけで、一般の人はちゃんと「夢想」「白昼夢」だと認識しているはずです。

拓人とその周りの華やかな世界は、確かに地味な人生を送っている瑠水にはゴールデン・ドリームだったかもしれませんね。

タヌキ宮司は亡くなる直前の次郎から「龍の媾合」の宵の真相をきいて以来、手ぐすね引いていますからねぇ。あの人の場合「善は急げ」なんでしょうけれど……。ええ、そして新居はなぜか松江からも出雲からもバスで一時間の樋水村で、それぞれの仕事を半分に減らすように圧力をかけて、残りの時間でどこかの神社の見習いにしてしまうようです。樋水を大好きの瑠水はいいけど、真樹は完璧に巻き込まれていますよね。

TOM-Fさんらしいリクエスト、ありがとうございました。楽しんで書けました。
次回も楽しみにしていますね〜。

ありがとうございました。
2014.04.07 21:19 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは
そういえば最近、静かなバーなんて行ってないなー
なんて思いながらしんみりと拝見させていただきました。
誰かに触れ合う事で彼氏に対する気持ちが変化する
女性って本当に複雑な心を持っているのですね。
横道にそれる事で結果が良ければ・・それはそれでよいのですね。
なるほど・・私ももっと大きな男にならねばと思いました。
山崎の十二年ものですか・・かなりの価格みたいですねー。
2014.04.08 18:28 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

当事者にしてみたら「ふざけんな」でしょうが、こういう心の動きというのは珍しくはないと思います。
本当に好きな人と一緒になったとしても、心のどこかでは他の大切な思い出を大事にしまっていたり。
でも、たとえそうだとしても、この手の事は心にしまったまま墓場まで持っていくのが、どちらに対してものマナーなんだろうなと思います。本当に。ええ。

山崎12年も高いですが、18年はもっと高いみたいです。30年、50年なんてのもあるそうですが……。もちろん12年しか飲んだ事ありません。12年も美味しいから、他のはもっと美味しいんだろうなあ。

コメントありがとうございました。
2014.04.08 20:06 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
何だか嬉しい掌編でした。
一パパが登場して、娘を田中マスターの所へ連れて行くなんて!
物語の時間の流れと共に、自分が初めて夕さんの物語を読ませていただいた時の感慨も蘇りました。
そこに瑠水、という「今」が飛び込んできたとき、はっとしました。
あ、時間が流れてるって。

このバッカスからの招待状シリーズ、いいですね。
拓人、たらしだけど、いい奴だよなぁ……(しみじみ……)
このシリーズを読むと、早く【死と乙女】の続きをアップしなくちゃとやる気になります。
(浮気していてすみません……^^;)
やっぱり、このシリーズの世界、好きだなぁ。大道芸人も大好きだけど。
2014.04.09 12:48 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

そういえば、記憶は消したけれど、この『Bacchus』に拓人と真樹も来て対談(っていうかやつあたり)していましたよね。

もともと田中とそのバーは、「樋水龍神縁起」で出して終わりのつもりだったんですが、いつのまにかこんな集会所みたいになって……。一も歳を取ったし、瑠水も大人になったという事でしょうか。といっても、例の花祭りの日まで、まだ一年弱あるので、このシーンに至るまでは、それこそ四半世紀待たないと(笑)

「樋水龍神縁起」での拓人は「いい人」ですね。とくに思い出に変わるとたらしもいい人になりますよね。お、続きを書いてくださいますか。「死と乙女」は大変そうだからなあ。浮氣は、お互いさまですので(笑)私なんか「大道芸人たち」の放置プレイが……。

「樋水龍神縁起」系世界は、こういうスピンオフやリクエスト以外は、たぶん過去の方に潜ると思います。また書いたらどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2014.04.09 20:47 | URL | #9yMhI49k [edit]

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