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Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(6)旅籠の娘

マックスはグランドロン領からルーヴランに入りました。マックスはディミトリオスの弟子だけあって、いくつもの言葉を流暢に操ることが出来ます。旅をする上でこれはとても重要です。言葉はその世界への扉を開く鍵です。そして、彼はまた一つの人生をかいま見ることになります。今回も前後編に分けるはずでしたが、来週は新作発表で次は二週間後になるので、一度に発表することにしました。

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あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(6)旅籠の娘


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 たったひとつ川を超えただけというのに、どうしてこのように変わるのだろう。マックスは久しぶりにルーヴランに足を踏み入れてつくづくと感じいった。旅籠にはたくさんの男たちと娘たちが集っていた。彼らは衣食が足りて有り余っているようには見えなかった。男たちの上着はすり切れていて、色あせていた。女たちのショールも荒いウールの平織りであった。しかし、彼らは愉快で、わずかな酒や料理を実に楽しんでいた。卑猥な冗談が飛び交い、女たちは明るくそれを笑い飛ばしていた。

 グランドロンでは滅多に見られない光景だ。あそこでは、まず女たちは料理屋に足を踏み入れたりはしない。きちんと家庭を保つ事、厳格ですました態度こそが好ましい女の姿だった。男たちも、黙ってカードゲームに興じるか、厳しい顔で収穫の事や疫病の事などを低い声で論じるのがぴったりした。

 彼はいくつもの言葉を自由に扱う事が出来た。言葉を切り替えると、自分の性質までもが少し変わるように思える事がある。ルーヴランの言葉は柔らかく韻律に富んでいる。詩や愛のささやきが似合う。グランドロンの言葉は硬くはっきりとしている。そう、法律や論理を論じるのに適している。人々の態度も、その言葉に支配されているようだ。陽氣で感覚を優先するルーヴラン人と勤勉でまじめなグランドロン人。もちろん、個人差はある。だが、一般的な両国の国民性にはこのようなイメージがついてまわっている。彼は、明らかに典型的なグランドロン人ではなかった。それだけに、この軽やかなルーヴランの人々の様子は好ましく思えた。

 角の席に座っていた若い娘が、体を斜めにねじって、マックスの方を物欲しそうに眺めた。例えば大司教領など、教会の力の大きい所では、女がこのような公の場であからさまに誘ってくる事はない。亭主が長いこと不在で身を持て余している女ならまだしも、あきらかに未婚と思われる服装の娘が酒の出る場に出入りしているだけでなく、見ず知らずの男に誘いをかけてくる。いったいどういう事なのだろう。もしかして、服装は生娘のようだが、体を売って生計を立てている女なのではないだろうかと思った。

「親爺、こちらにもう一杯ワインと、それから水をまわしてくれないか」
彼はルーヴランの言葉で頼んだ。それを聞いて、周りの男たちが明らかに意識して彼に注目した。

「旅のお方よ。あんたは、どこから来たのかね」
斜め前に座っていた相席の男が口を開いた。
「サレアの向こうからだが、なぜかね」
「あんたが宿の主人に話しかけたからさ。あんたはあの娘に注文しなくてはいけない。見なかったかね。あの娘がさっきからあんたにしなを作っているのを」
 
 マックスは意味が分からなかったので、首を傾げて返事をしなかった。それで男は声を顰めて付け加えた。
「いいかい、ここでは客が今夜一緒に寝る女を決めるんじゃない。女の方が客を指定するんだ。そのかわり娘に選ばれた客の世話はすべて娘自身がするんだよ」
「そんな事を言われても、こっちにそのつもりがない時だってあるだろう。ものすごく醜い娘に選ばれたらどうするんだい?」

 男は肩をすくめた。
「寝るか、野宿するか、選択肢は二つしかないんだよ。もう夜も遅いし」

 そんな話をしているうちに、件の娘がワインの入った水差しと木のコップに入った水を持ってマックスの前に座ると、ちらっと相席の男を眺めた。男は笑うと、自分の盃を持って娘の座っていたテーブルへと遷っていった。男たちがどっと笑うと、再び何もなかったかのように、それぞれの食事やゲームや討論に戻った。

「マリエラよ。こんばんは」
「僕はマックスだ。ずいぶんと変わった風習の街なんだね」
マリエラと名乗った娘は、クスッと笑った。絶世の美女というのではないが、ご免こうむるというほどの容貌でもなかった。ほんの少し目の形が小さくてアンバランスだが、笑う時に出るえくぼは魅力的と言えなくもなかった。わざとやっているのだろうが、少しだらしなく広げた襟元から胸の谷間が見えている。だが宮廷で見る娘たちと違って肌はかさつき、鎖骨が痛々しかった。

「この一帯で、私たちが働けるのはこの街だけなの。そして、私たちは専門的に旅人を接待することになっているのよ。あんたが今夜の最後の旅人。さっき宿代を先払いをしちゃったでしょ。あの親爺は一度受け取った金は死んでも返さないから、私と一緒に暖かい布団で眠っても、外で凍えても、あんたは同じ値段をこの旅籠に払う事になるってわけ」
「そして、君が夜中に僕の荷物をごっそりあさって朝までに消えてしまうって算段かい?」
「馬鹿なことを言わないで。私たちの仕事は信用第一なの。あんたが次の行き先で身ぐるみ剥がされたなんて言ったら、この街を通る旅人がいなくなってしまうじゃない。ねえ。私、努力家なのよ。いい思いをさせてあげるわ」

 旅の途中に何度も商売女と夜を過ごしたから、押し掛けでなければこの話に抵抗はなかった。彼は肩をすくめると、彼女に盃を差し出した。ワインが注がれ、自分の盃にも勝手に注いだ娘と一緒に乾杯をした。

 マリエラは五つ先の村の出身だと言った。ごく普通の農村で生まれたが、飢饉の時に村に食べるものがなくなり街に働きにいくように家族に言われたと話した。
「働くと言っても、つてもなにもない私は奉公にも出られない。兄さんたちのように職人の見習いにもなれない。女給つまりこの仕事をするしかなかったってわけ」
「もっと別の仕事がしいたんじゃないのか。たとえば、他の街に行けば、少なくともただの女給としての仕事があるんじゃないのか」

 マリエラは首を振った。
「おおっぴらにやるか、こっそりやるかの違いだけよ。あのね。私たち女給にはこれといった賃金がないの。旅籠の持ち主と結婚するのではなければ、こうやって生活費を稼ぐほかはないのよ。私はそんなに嫌じゃないわ。だって、少なくとも自分がどうしても嫌な客とはしなくてもいいんですもの」

 なるほど。では、少なくともこの娘の一晩の客としては合格したってわけだ。話がつくと、マリエラは安心して立ち、厨房からマックスと自分の料理を運んできた。他の客たちの料理は少し遅れて旅籠の女将と親爺が運んできたが、明らかにマックスたちのほうが量も多く、肉も大きい部位が選ばれていた。

 水っぽいスープにはいろいろな野菜がくたくたに煮こまれていた。肉もあまり若くはない雌牛をつぶしたためか非常に長い時間をかけ煮込んで柔らかくしてあった。腹を膨らませるために穀物の粉を臼で挽いて作った粥がでる。それからざらざらしたパンだ。

 グランドロン王家が全幅の信頼を寄せる賢者ディミトリオスのもとで育ったマックスは、旅に出るまでこのような食事をした事はなかった。ディミトリオスの家では主人の他に何人もの弟子たちがテーブルクロスのかかった長いテーブルに行儀よく座り、きれいに用意された食器に召使いたちが順にスープを注いでいった。同じスープでも丁寧に裏ごしした人参が色鮮やかで滑らかなポタージュや、青エンドウがきれいに浮かぶコンソメなどだった。肉も子牛のステーキや、丁寧に作られた腸詰めなど決して安くなく手間のかかったおいしい料理が出た。彼がディミトリオスの屋敷に引き取られた時は弟子としてではなくただの使用人としてだったのだが、それでもこの旅籠で出る料理よりはいい物を食べていた。

 ディミトリオスに引き取られた当初は、家に帰り両親や兄弟たちと暮らしたいと思った。主人は厳しく仕事も楽ではなかったから。けれど、次第に提供される生活のレベルに慣れてしまい、常に空腹に悩まされる鍛冶屋の次男の生活には戻りたくないと思うようになった。貧富の差は大きかった。社会の壁も厚かった。偶然老師の家に引き取られ、しかも、下僕から弟子と身分が変わったことも幸運だった。わずかな知識は剣や生まれには打ち勝てない。だが、ディミトリオスほどの賢者と彼にあらゆる知識を習った弟子たちの持つ学問は、それだけで先祖伝来の財宝や何万もの軍馬を連れた戦隊よりも価値があった。王家に出入りし一定期間学問と礼儀作法を子女に教えると、その倍以上の時間を自由氣ままに旅をするに十分な報酬を手にする事ができた。それは鍛冶屋の父が一生かかっても目にする事のできなかったであろう大金だった。

 マリエラにとっては客の相伴で食べる、他の人たちよりはほんの少し大きい肉が最大の贅沢だった。彼女がそうすることでしか食べていく事ができないと言うならば、彼の実はとても重い財布からほんの少しの金を使うことにはためらいはなかった。

 マックスは、夜が更ける前にマリエラを連れて部屋に向かった。部屋は質素で寝台は狭く、この女の寝相が悪かったら自分は床の上で朝を迎えるのだろうと思った。上着を取り靴紐を解いてそれから一つしかない椅子に座った。マリエラはどっかりと寝台に腰掛けていたので。彼女は窓によりかかり遠くに見える山の方を眺めていた。

「君の故郷かい?」
その問いに、彼女は黙って頷いた。
「時おり帰って、家族に会う事もあるのかい?」
彼が重ねて問いかけると、マリエラははっとしたように彼の方を振り返った。それから視線を落として首を振った。
「私は死んでいるのよ」

 意味を図りかねた。それを察してマリエラは少し笑った。
「私は自由人じゃないの。あの家から出るには、花嫁行列か葬列しかないの。でも、初夜権を誰も買ってくれなかったから……」
農村の多くの民はそうだった。移動の自由はなく、職業を変えるのも土地を出て行くのも領主の許可がいた。領地に属する娘と初夜を過ごす権利も領主にあった。もちろんすべての結婚する村娘と本当に寝るほど酔狂な領主は多くなく、たいていは花婿がこの権利を買い取る一種の結婚税であった。だが口減らしをするような貧しい農村では嫁を迎え初夜権の支払いをしてくれるような青年はなかなか見つからなかった。だからマリエラは領主にとって死んだ事にしてしまわねばならず、二度と故郷に帰る事はできないのだった。

 彼は今宵はこの娘にできるだけ優しくしてやろうと思った。
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Comment

says...
更新、お疲れ様でした。

とても印象的な、旅の一夜の出来事ですね。
マックスの置かれていた環境と、マリエラのそれとの対比が鮮やかで、物語の背景が上手く描かれているように感じました。
初夜権については存在の有無や真偽がはっきりしないようですが、課税の口実だったという説もあるようですね。うん、ありそうな話だ。いずれにせよ、家を出られるとすれば「花嫁行列か葬列だけ」というのは、なんとも切ないですね。はぁ、自由って、ありがたいです。
そんな環境の中でも明るく生きているマリエラの姿に、人間の逞しさを感じました。
マックスと一緒に旅をしながら、この世界のことをすこしずつ知っていく。このお話には、そういう楽しみがあります。
次回も、楽しみにしています。
2014.05.21 10:04 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

マリエラとの対比という形を取りながら、時代だけではなくマックスという人物の背景を説明しております。現代ものと違って、やはり説明が多くなりますね。

初夜権はあきらかに税金でしょうね。小麦にかかる税とか、教会税とか、ありとあらゆるもので取っていたようです。

こんな奴隷制度みたいな話は大昔のことという印象がありますが、実はヨーロッパの農村では18世紀頃までこんな感じだったようです。基本的人権やら、男女差別のない社会なんていう概念のない時代にあっても、人びとはしぶとく生きていたことと、社会の根底にあった悲しみのようなものを上手く表現できるといいなあと思って書いていました。

次回は再びルーヴの王城に戻ります。また、ちょっとつまんないかも。でも、後半のために必要な説明が……うじうじ。

コメントありがとうございました。
2014.05.21 18:52 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
やっぱり、ルーブランがあの国でグランドロンが彼の国なんですね。
対比と細かい描写が面白いです。
そしてマリエラの登場。
彼女もたぶん通りすがりの1人の人間なんでしょうけど。マックスにどんな影響を与えるんでしょうね。
この時代の人権のなさに驚きますが、時代背景からじっくりと考えると、そういう時代だったと言うことで納得はできます。
可哀想ですが、彼女たちにとっては余計なお世話なのかもしれません。
マリエラ、たくましいなぁ。
只、只、彼女の人生の安泰を祈ります。
マックス!精一杯やさしくしてあげてね!
2014.05.23 14:34 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうなんです。実際にある二つの言語と民族を念頭に置いています。このシーンではよくわかりますよね。
王様たちの性格の違いも、それを念頭において作りました。

マリエラも、そうです、二度と登場しないキャラです。マックスはこうやって日々をギリギリで生きている人たちを観察しているので、たぶん、若さや育った環境の同じ人たちと較べると、人を見る目や政治に対する考え方など、思慮ぶかくなっていると思います。ディミトリオスが渋々ながらも旅立ちを許したのは、自分では教えられないこうした経験値を詰めるからなのでしょうね。

この話は15〜6世紀を念頭において書いていますが、戦後の日本で育った私たちには考えられないようなことが、つい最近まであったんですよね。そういう環境が当然だった人たちというのは、とても打たれ強かったと思います。マックスはきっと明日の朝には相場より多いお金を渡していくと思います。マリエラ、美味しいものを食べられるといいですね。

コメントありがとうございました。
2014.05.23 18:40 | URL | #9yMhI49k [edit]

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