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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (7)コモ、 湖畔の晩秋 -1-

今回、また長いので二日に分けて、掲載させていただきます。イタリアの最後の都市は、コモです。北イタリアのコモ湖に面するリゾート地で、ミラノやローマのように日本人が大挙して訪れる都市ではありませんが、風光明媚で美しい所です。
あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(7)コモ、湖畔の晩秋 (前編)


「残りたかったんじゃないの?」

蝶子が訊くと稔はわからないという顔をした。
「なんのことだ?」

「カーラが泣いたんじゃないの?」
「泣くかよ。ああ見えても、あの手の女はしたたかだって、お前が言ったんじゃないか。フェデリコが復帰するのに俺たちがいたら邪魔だと思っているさ、たぶんね。これが潮時さ」
稔は淡々としていた。

寒くなってきたので、今年はもうヴェネチアはやめて、南スペインに向かおうと決定したのは昨夜だった。イタリアを去る前に、レネはコモに寄りたいと言った。反対意見はなかった。

蝶子は、最後まで稔がヴェローナに残りたいと言い出すのではないかと怖れていた。しかし、稔にはまったくそのつもりはなかった。

十日分の給料を渡す時に、バーのオーナーのトネッリ氏は「コモに行くなら」と、一つの住所を渡してくれた。同じ組合に属していて親友といってもいいレストランのオーナーのロッコ氏だった。

「つい三日ほど前に、君たちの事が話題になって、そういう連中がうちにも来てくれればいいのにと言っていたからね。連絡しておくよ」
四人は顔を見合わせた。渡りに舟とはこの事だ。


ロッコ氏は太って頭のはげ上がった、人好きのする親父だった。大げさに蝶子を賞賛し、その手に口づけをした。そして、よかったらクリスマスシーズンに雇った出演者が来るまでの一ヶ月間、四人に彼の所有するヴィラを改造したレストランで働いてくれないかと訊いた。ギャラも悪くないし、しかも宿泊場所としてただでその湖畔のヴィラの使用人用の部屋を提供してくれるという。

イタリアで外国人がこういう高待遇を得ることはほとんどない。ヴェローナでは地元のフェデリコとカーラが連れてきた事でトネッリ氏は彼らを信用した。もちろん、ヴィルと蝶子の演奏が、そこらの音楽家とは較べものにならないほど卓越していた事は間違いない。しかし、そうであっても、普通はイタリア人は外国人に冷たいのだ。しかし、ロッコ氏は四人をイタリア人と同じように扱った。それは親友のトネッリ氏から紹介されたからである。

トネッリ氏はロッコ氏にこういった。
「まず仕事がいい。あの四人の噂でこの十日でうちの売り上げが倍に上がった。だが、それだけじゃない。あの四人は信用できる。何回か店の中に四人だけになった事もあるが、売上金の一セントも減っていなかった。時間に氣味が悪いくらいに正確で、しかもプロ根性が半端じゃない。直前にケンカしていても何の影響もない。飲んでもいいと言った酒は十分に減るが、それでもロシア人の集団じゃないからね」


稔はトネッリ氏にプレゼントされたクラッシック・ギターを持ってきていた。

「前、三味線で器用に『カヴァティーナ』を弾いていたから、ギターを弾けるのは予想していたけれど、ここまで上手だとは思わなかったわ」
蝶子は言った。ギターをつま弾きながら稔は答えた。
「俺さ、高校の頃、三味線じゃなくてギターで身を立てたいとマジで思っていたんだ。だけど、将来を考えると三味線の方がまだチャンスがあるかなと思って、あきらめたんだ。両方をメシの種にする日が来るとはね」

ロッコ氏は四人に衣装も提供した。蝶子はもともとシンプルでエレガントな服に目がなく、しかも、立ち居振る舞いが洗練されているのでまったく違和感がなかった。

ほぼ同じ黒いスーツを渡された稔とレネとヴィルには三者三様の違いがあった。

まったく違和感がなかったのはヴィルだった。普段のカジュアルな服でもどこか身構えているようなヴィルには、むしろこうしたきちっとした服がぴったり来る。蝶子はもしかしたらこの人はどこかの上流階級の出なのかもしれないと思った。

パリでは仕事でいつもこういう服を着ていたという割には、レネは悲しいくらいにスーツが似合わなかった。同じ服でヴィルが芸術家のごとく、もしくはこの館を訪れる上流階級の客たちの一人のように見えるのに対して、レネはなぜかウェイターか使用人にしか見えなかった。そのひょろ長い手足と、自信のない表情が、いっそう落ち着きない印象を強める。

稔は黙って立っている分にはそれほど悪くなかったが、動いた途端にサルが無理矢理服を着せられたようになってしまうのだった。

ロッコ氏はイタリア人らしく美しく装い完璧に立ち居振る舞う蝶子を熱心に賞賛した。Artistas callejerosから全権委任された蝶子のもっとも大切な役目は、オーナーからバーの酒を自由に飲んでいいという許可を得る事だった。そして、それは早くも二日めに成功した。

Artistas callejerosは全員よく飲んだ。レネはワイン一辺倒だった。もちろんパスティスがあればそれも飲むのだが、イタリアではめったに手に入らなかった。

ヴィルは何でも飲むが、一番手が伸びるのはビールだった。ドイツのビールはめったに手に入らず、たいていはハイネケンだった。私服のときはラッパ飲みだったが、スーツの時はきちんとグラスについで優雅に飲んでいた。

稔もよくヴィルと一緒にビールを飲んでいた。ジン・トニックも好きだが、以前食べ過ぎて困った時に奨められたフェルネ・ブランカの薬っぽい妙な味に病み付きになり、いきなりそれを頼む事もあった。

蝶子は仕事の前にはベルモット酒のマティーニ・ビアンコかカンパリ、仕事の後にはもっと強いドライ・マティーニを頼む事が多かった。いずれにしても四人ともワインはよく飲んだ。


ヴィラがレストランとして使用している大広間には、コモ湖をのぞむ大きなバルコニーがあった。夏にはこのバルコニーの桟にはゼニラウムの赤い花が咲き乱れ、痛いほどの強い陽光が湖面を青く輝かせる。しかし、晩秋の今はバルコニーのテーブルは小さな青銅製の二つを除いて全て片付けられ、大きなガラス戸が閉じられていた。

三時から六時の間、レストランは閉まり、四人は自由時間を与えられるので、暖かい晴れた日にはここに座って白ワインを飲みながらおしゃべりやカードゲームに興じた。

大貧民をしたいと言い出したのは稔だった。もちろんルールを知っていたのは稔の他には蝶子だけだったが、ヴィルもレネもすぐに覚えた。

「革命だ!」
稔の勝ち誇った様子に、レネが地団駄踏んだ。しばらく大富豪でたくさんのAや2を集めていたのだ。これで有利なカードが全てひっくり返ってしまった。

「ちょっと、テデスコ!私が出す前にどうしてそんな数を出すのよ」
「こっちの順番が先なんだ。何を出そうが勝手だろう」
「おい!革命を出したのは俺だぞ。感謝もしないで、あっさり上がるなよ」
どう転んでもシックなスーツを着た三人の男と、カクテルドレスを着た美女の会話ではない。

「あら、またワインが空になっちゃった。誰がそんなに飲んでいるのよ」
「パピヨン、あなたとテデスコですよ」

「なあ、俺、赤の方がいいんだけど」
稔が言ったので、今度は赤ワインを頼みにレネが立ち上がった。ヴィルが後ろから声をかけた。
「今度はメルローにしてくれないか。昨日のキャンティはちょっといただけない」

蝶子はちらりとヴィルを見た。なんでよりにもよってこの男とワインの好みが一緒なのかしら。まったく腹が立つ。次は絶対に富豪にのし上がってみせるわ。

コモ湖に早くも日が暮れていく。湖の周りの樹々は揃って黄金に輝き、夏には見られない静かで豪奢な景色が最高の贅沢だった。風が冷たくなってきたので、蝶子はドレスの上に着たカーディガンのボタンを留めた。大きく広がったクリスタルグラスにトクトクと音を立てて注がれるメルロー。乾杯の時の上質な響き。北イタリア有数のリゾート地でこんな優雅な日々を過ごせるなんて、予想もしていなかったわね。蝶子は満足そうに微笑んだ。


カードを集め揃えてポケットにしまうレネに蝶子は訊いた。
「フィレンツェのタロットはここにある?」

「ありますよ。また引いてみますか?」
「ええ。そうさせて」
蝶子は知りたかった。今度は何が出るのか。

「月の逆位置。不安の解消、混沌の終わり。今の道は間違っていない」
蝶子はにっこり笑った。
「ブラン・ベック、大好き」
レネは真っ赤になった。

稔が身を乗り出した。
「俺ももう一度引く!」
レネはカードを切り直した。

「あれ。あなたたちは本当にいつも逆位置ばかりですね。女帝。過剰になっている。何の過剰だろう?」
「訳わからないな。過剰なものなんか何もないぞ」

「愛情?」
「それが過剰なのは、お蝶、お前だろ」

「酒」
「テデスコ、あんたにだけは言われたくない」

「お金ですかね」
「手元には残ってないよっ」

蝶子がはっと氣がついた。
「送りすぎているんじゃないの?」

「何をですか?」
レネが訊いて、蝶子はあやうく、エンドウヨウコにと言いそうになったが、寸でのところで留まった。だが、稔には蝶子の言う意味がわかったらしい。黙って頭の中で何かを計算していたが「失礼」といって部屋に戻ってしまった。

レネがぽかんとしているので話題を変えるべく蝶子は言った。
「ほら、今度はテデスコよ」

「何で俺まで引かなきゃいけないんだ」
「つべこべ言わないで一枚引きなさい。あなたは信じないんだからどうでもいいでしょう。私が見てみたいの」
ヴィルはムッとした顔で、しかし、意外と素直にレネの差し出すカードの中から一枚引いた。

「今度も逆位置か。運命の輪。誤算、運命に偶然はない。心当たりはありますか」
「あたっている?」
「特に誤算はない。この酒浸りの日々が偶然でなくて運命なら結構だと思うが」

蝶子は以前のカードの記憶を辿った。蝶子のカードは塔の逆位置だった。今度が月の逆位置。必要とされる破壊、今の道は間違っていない。稔のカードは愚者の逆位置から女帝の逆位置。軽率な事への心残り、それから何かが過剰になった。ヴィルのカードは恋人の正位置から運命の輪の逆位置。恋、または直感による選択をせよという意味、今度は誤算または運命に偶然はない。蝶子には無表情のヴィルから過去の恋愛沙汰も運命の誤算も読み取る事が出来なかった。

だが、ヴィル本人は無表情の奥で、このカードの「偶然」に困惑していた。直感による選択、あの時、なぜミラノのあの場所で稼ごうとしたのだろう。そして、その場でとても「偶然」では片付けられない出会いをした。父親が愛した女。その上、運命に偶然はないなどと言われれば居心地が悪い。

「ふ~ん?ま、いいわ。ブラン・ベック、あなた自分では引けないの?」
「引けますとも。やったことないけれど。よし、え~と、あれ、吊るされた男の正位置か。これは自己犠牲と忍耐って意味なんですよね」
「まあ、かわいそうな、ブラン・ベック。心当たりあるの?」
「ありますとも、パピヨン。あなたですよ」

三人は同時に吹き出した。そこに稔が走って戻って来た。
「ブラン・ベック、お前は大したもんだ。占い師になれ」

「やっぱりそうだったの?」
蝶子が訊いた。

「ああ。本当は前々回で終わっていたんだ。俺、まだずっと送り続けるつもりでいた」
稔は興奮して、テーブルの上に送金伝票の切れ端を綴ったノートとみっともない字で書かれた計算表を放り出した。それから計算機を蝶子に渡すと片っ端から伝票の日本円の金額を読み上げていった。

蝶子は、その金額を加算してゆき、念のために同じ計算を二度繰り返してから宣言した。
「三百三十二万円」
「ほら。三十二万円、多いんだよ」

伝票にはエンドウヨウコの名前が書かれていて、四人の前にあからさまになっているので、もはや秘密でもなんでもないと判断して蝶子は言った。
「エンドウヨウコさんに連絡すれば?」

稔は首を振った。
「俺は二度とあいつに連絡する事はない。あいつもそんなことは望んでいないと思う」

「あの…」
よくわかっていないレネが困って稔を見た。稔の心に、四年前のことが甦る。コバルト色の空、白い白い紙吹雪。遠藤陽子の真剣なまなざし。彼は首を振った。

「だめだ、もうじき客が入ってくる。この話は、もっと後で、舌が軽くなるくらいしこたまワインを飲んでからじゃないと話せないよ」

蝶子は微笑んだ。ということは飲ませれば吐くってことね。それは結構。
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Comment

says...
初めまして。気持ちの持ちようと申します。
やおとめさんの仰ったように、イタリアの海と太陽の香りと海岸のイメージ漂う小説ですね。
後半を読むのが楽しみです^^。
それでは後半読みまーす。
2012.04.10 12:38 | URL | #- [edit]
says...
気持ちの持ちようさん。はじめまして。
ようこそお越し下さいました。
楽しんで読んでくださる事を祈ります(^_^;)
末永くよろしくお願いします。
2012.04.10 18:07 | URL | #- [edit]
says...
むむ、次は稔の過去ですか!
2014.02.28 15:18 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうなんです。ここで開示です。といっても、あちこちの外伝でばらしまくっているので、今さらって感じなんですけれど……。

コメントありがとうございました。
2014.02.28 22:32 | URL | #9yMhI49k [edit]

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