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Posted by 八少女 夕

あわてて撮ってみた / 平和を想う

先日の満月。スーパームーンだと聞いていたから見たかったけれど雨だから無理かなと思っていました。

スーパーフルムーン

でも、寝る寸前に諦め悪く見上げたら、本当に一瞬だけ雲間に浮かび上がったのですよ。この写真を撮ったらもう次の瞬間にはまた曇ってしまいました。

なんだかラッキーだと思った一瞬。



さて。

昨日は終戦記念日で、多くの方が戦争と平和について言及していらっしゃいましたね。実をいうと、昨日のわたしは69年前のことよりも一日前に家から車で15分の所で起こった列車事故で頭がいっぱいだったのです。

それでも終戦記念日で追悼式典があったり、他の方の記事を読んでやっぱり思う事があります。

戦争はよくないこと。これは私の動かせない意見です。どの国にも国益があり言い分はあるでしょうが、それを武力で解決すると必ず誰かが傷つきます。それをどんな理由をつけても「必要」という考え方をすることはできません。でも、今日はそのことを書きたかったわけではありません。

69年間の戦争と無縁な時間を過ごしてきて、日本人があの頃とは変わってきているなと思うのです。日本人だけでなくてスイス人やドイツ人もですけれど、特に日本人は兵役もないので「関係ない」ことで、戦争や戦闘というのはファンタジーの一部みたいになっていますよね。

近年、戦艦を可愛い女の子で擬人化するゲームがありますよね。それに小説では戦闘ありきなバトルファンタジーがジャンルとして確立しています。それが悪いというのではありません。楽しんでいる人たちに「戦争で亡くなった方の身になれ」などというつもりもありません。そうではなくてつくづく平和なんだなあと思うのです。

一方、スイスやドイツでもティーンエイジャーが「子供の人権」を振りかざしてかなりモンスター化している話をよく聞きます。そんな時にナチスドイツの時代にSSの前で子供が口答えなんかしたら、その場で射殺されて文句も言えなかった、なんて話を聞くと、ヨーロッパも全く時代が変わって平和になったんだなあと思うのですよ。

69年前の方がよかったなんて事ではありません。でも、人びとはこの平和で自由な時代にいられる幸せをわかっているのかなあと思う事があります。「あたりまえ」なんかではありません。

のんきに月の写真を撮って「スーパームーンだ」なんて言っていられるのも、私みたいな一庶民が年に二回も海外に行ったりできるのも、小説を書いてアップしたりしているのも、すべて過去の誰かが苦しんで学んだ歴史の上に成り立つ裕福で平和な世界に暮らしているからなのだと思うのです。そして、それを「当然の権利」だなんて驕ってはならないと思うんですよね。

そんな事を考えた終戦記念日でした。
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Comment

says...
平和ってなんなんだろうなと思ったりします
個人や集団間での争いは絶えないですし
例にある「子供の人権」を振り回すというのも
一種の現代版の戦争なんじゃないかとも…
殺しあったりしないだけいいのでしょうけど
平和を愛しているというよりも
今ある枠組みの中で戦争をしているのかもしれないと…

とそれより、そんなに近くだったんですね
スイスでも社長が謝罪会見をして~みたいな感じなんでしょうか?
2014.08.16 09:47 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

お互いが嫌な思いをしないようにきもちよく生きられればそれが最高なんですけれどね。
私が子供の頃は、民主主義国家と共産主義国家がいがみあっていましたが
それがなくなったら、今度は別の対立の構図ができていますし。
また、大きな戦争がなくなれば、今度はどうでもいいことで争っていますよね。

できれば8月15日一日だけではなくて、毎日平和であるように願うべきなんでしょうね。

そして、列車事故は、本当に近くだったんですよ。
スイスでは、社長が出てきて頭を何十秒下げてなんてパフォーマンスはやりませんね。
スポークスマンが出てきて、「予期できなかった」「できる限りの事はする」って話していたぐらいです。
下手に謝ると責任とらされるってことなんだと思います。
わるかろうと、なかろうと、とりあえず謝らされる日本とはメンタリティが違うみたいです。

コメントありがとうございました。
2014.08.16 17:39 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
戦艦のゲームや戦記物にのめり込む、というのは実害がないので別にかまわないし、そういう視点から世界を見ることで新たな発見があるからある意味有意義なことでもあるのですが、

一国の指導者が、「今の力で国境線はわが国に有利に変えられる」と信じてしまうのはあまりにも危険です。

さまざまな国々の指導者がそういった思いにとらわれているらしいのがなんとも……ですが、

日本の指導者までもがそういった思いを抱いているらしいのにはもう何も言葉がありません。とほほほ。
2014.08.17 02:19 | URL | #0MyT0dLg [edit]
says...
こんばんは。

ううむ、戦記物は書き方によって有意義となることもありですが、戦艦のゲームの方は、のめり込んでもいっこうに構わないとは思いますが、その事が「有意義」とは思えないかな。
戦艦ってもともとは戦争のための船ですよね。それを本質とは関係ない二次元の女の子のビジュアルを用いて「かわいい」「大好き」というカテゴリーにさせることが何か世界や人類の役に立つ事とはあまり思えまないので。そのゲームに限らず、たとえばヒーローもののハリウッド映画で、戦争をした特定の国家を美化したり、「銃を持つのってかっこいい」と思わせたりする事にも全く同じ理由で批判的な私です。

それよりも。

過去に於いても今も、世の中の事って、ある特定の人たちの都合でいろいろと変えられているのは事実で、ポール・ブリッツさんのおっしゃることも一理あるんですけれど。でも、日本って一応、民主主義国家ですよね。あの指導者は国民が選んでいるんですよね。選挙で芸能人や元スポーツ選手など知名度だけは高い政治の素人を擁立すると大量得票で当選させているのもみんな有権者なんですよね。

アイドルの総選挙や、ブームになったレビドラマ、それにみなさんが夢中になっているゲームと同じくらいの真剣さで、有権者一人一人が政治にまともに向き合う大人の国民の方があたり前の存在になってこそ、政治がまともな方向に向かうのだと私は思っています。

コメントありがとうございました。
2014.08.17 16:54 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
戦記ものは戦争を扱っているけど、大衆向けに娯楽化した題材を選んでいますよね。
日本人が好きな大河ドラマの戦国時代だって、400年前の殺し合いの時代のものをやたら華美に綺麗に描いてますけど、実際はもっと殺伐としていたんじゃないでしょうか。
(最近は女性の活躍もあったという風に資料も読み直されてるようですが)
戦争って、それを知らない世代からすればもうファンタジーですよね。
きっと、江戸時代の人も戦国の話はファンタジーだったと思うんですよ。
平和というものは戦争の異常性を麻痺させてしまうんじゃないかと思う。
私が子どもの頃は、戦争の話を聞いてもまったくの他人事で、ああ、こんなつまらない話はもういいよってなってました。
(戦争をじかに体験した人には悪いけれど)
そして、夏にやる戦争ものもあの頃のファンタジーものだねとしか思っていなかったのです。
実際、自分が生きて、その時代の空気を知っていなければ絶対に戦争というものを理解できない。
口で戦争はダメ。
日本人として、とかそんな言葉を言われたって、言った方だって本当に理解しているのかわからない。
戦争がよくないのは言われなくてもわかってはいるんです。
感情的な良い悪いよりも、戦争がもたらす経済的な打撃をデータとして見せられるほうが戦争は理解できます。
実際のところ、私が戦争に対するマイナスがどこにあるんだろうなと考えたら、そういう実物的証拠を絶えず突きつけることにあるんだと思います。
その現物が原爆ドームなど、原爆と戦争を象徴とするものに現れているんじゃないかとも思うのです。
戦争がもたらした負の遺産を抱えながら在るのが日本という国ではないでしょうか。
2014.08.18 15:20 | URL | #Tf9aLMeg [edit]
says...
こんばんは。

本当の戦争の話はつまらない、それよりもファンタジーの戦記物の方が面白いと思ってしまう事は、子供だったら普通だと思います。もちろん話している方はエンターテーメントとして話しているわけではないので、そんなことをきくと、怒ったり悲しく思ったりするでしょうけれど。

ただ、「経済的なものをデータにして」戦争を考えるのは、ちょっと危険だと思います。

「時給500円のバイトを毎日何年間もするのと、身内に保険金かけて殺害するのとどちらが経済的効率がいいか」って話はしませんよね。それは後者の方はやってはいけない事だからです。道徳的にも法律的にもまずいと大抵の方は思われるでしょう。
でも、戦争は実は儲かるので起こされる事でもあるのです。儲からないまでも、経済的理由が引き金になる事があります。大義名分は違っても、お金のために起こされる戦争ってとても多いのですよ。

でも、「儲かりまくる事なら、やってもいいのか」っていうと、そうではないと思うのですよね。

「なぜやってはいけないのか」を考え、主張を訴えるのに「経済」はもちろんですが、「宗教」や「正義」は、ちょっと根拠として弱いと私は思うのです。なぜならば、どちらも人類の都合で簡単に歪められるからです。

だから、私が基準にしているのは、道徳や宗教的なものではありません。もちろんそれにも最終的には繋がっていく事だと思うのですが、基本的には「壊す事は簡単にできるけれど、それを元に戻せないような事を意図的にしてはならない」という思想です。

例えば、生物の生命を奪う事はできますが、それを元に戻す事は誰にも出来ません。STAP細胞ができると証明されても、ある亡くなった一人の人間を再び生き返らせる事はできませんよね。人類は核爆発や原発事故を起こして、放射能をまき散らす事はできても、一度起きた放射能汚染をなかった事にする事はできません。昔の人が心を込めて作った素晴らしい建造物を爆撃するのも同じですし、戦争の話ではなくその辺にいる小動物に虐待をしたりしてはいけないというのも同じだと思います。

人間はそうした取り返しのつかない事を防ぐための社会的ルールとして、宗教や道徳や法律を定めてきましたが、規模がとても大きくなる(国家間レベル、民族間レベル)と、勝手に例外を作ってしまうようです。でも、そんな例外を作ってはいけない。それが私の考え方です。

過去の戦争や人類の失敗の事を語り継ぐのは、未来に再び同じ間違いを犯さないため。人類の未来を決めていくのは戦争や事件を体験した人たちではなくそれらを知らない私たちなのですから、ファンタジーとしてではなく、現実の当事者としての責任を持って現在起こっている事に対してアクションを起こしていく必要がありますよね。

コメントありがとうございました。
2014.08.18 18:22 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
本当によく分からないのですよ。
今年はなんだか書かなくちゃという気持ちになってしまって書いたのですけれど、本当は戦争についての記事は書きたくなかったのです。
自分の記事の冒頭に書いた通り、そんなことは分かっているとか言われちゃうだけだろうなと思ったし、コメントをくださる人との間で感情論になるような気もしたりしたので(だから最初はコメント欄を閉じたり、でも書いたからにはコメ欄を閉じるのは無責任かなって気もしてまた開けたり)。
でも、沖縄でひめゆりの塔の生き残りとなった方が体験を話しておられるのを直に聞いた時から、こういう話は理論では割り切れるものじゃないと思っていました。ウジ虫が人間の体を食べる音が暗闇で聞こえる、というような話は、残酷だけれど現実で、これを理論でどうこうなんて言えませんよね……
この頃、ずっと口を噤んでおられた体験者の方々が語り始める、という記事をよく見かけます。
それを見ると、私も何だか心臓はバクバクしてきちゃうのです。
身を持って苦しんだ人がいなくなるって、実は恐ろしいことなんじゃないかと・・・・・
うまく言えないけれど、沖縄のおばあちゃん(おばあ)のお話を聞きながら私が最初に思ったのは、生きていてくださってありがとう、でした。
……えっと、でも、記事を書いてよかったかな、と今は思っています。夕さんの記事とコメ欄も、読ませてもらえてよかったなと思います。
2014.08.19 09:45 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

彩洋さんの「う〜ん」というの、ものすごくよくわかります。コメ欄を開けたり閉めたりする、あの感じも。
あれなんですよね。せっかく交流してくださっている方と、喧嘩したくないんです。だから、普段は極力当たり障りのない事を言っているんです。でも、どうしてもそのままにできない事ってあるんですよね。言わなくてはならない事っていうんでしょうか。

コメントを書いてくださった果敢な方は、たぶんわかってくださると思っているのですが、口論がしたいのではなくて、意見をはっきりと書くことで、それぞれの思考を進める結果になる事を望んでいるのです。日本人的な人付き合いとして、どうしても違う意見を書く事を避けるか、彩洋さんのおっしゃるように感情論ならないように口を閉ざすというのが多くなるのですよね。でも、議論と口論は違うし、言いっぱなしで人の言う事をきかないのもよくないと思います。難しいですよ。

それとですね。この手の事から眼を逸らして、意見の相違がありそうもない(仔ガモは可愛いとか)記事だけを書き連ねるのも、なんか違うと思ったのですよ。彩洋さんが、今年書かずにはいられなくなったのは、やはり同じだったんじゃないかなと思います。

これまで口を閉ざしていらした方が話しだしたのって、二つ理由があると思うのです。ひとつは「黙ったまま逝ってしまっていいのか」ってこと。いくら平均寿命が伸びていると言っても、もう69年ですし。そして、もう一つが、ここしばらくの日本の流れを見て「なぜ今この流れにいくのか」って感じられるのだと思います。

ゲームのことを例に出しましたが、人びとの感覚が実感を伴わないものになっているって怖い事だと思うのです。戦争に限らず、若い人たちは仮想世界に親しみ過ぎていると思うのですよ。それはリセットのきく事であるし、セーブもできる。でも、現実の世界はなかったことにはできないし、待ったなしです。それが全く違うのだと、わからない人が増えているように思うのです。

かつてフライトシミュレーターで何度も成功したからと、旅客機をハイジャックしてレインボーブリッジの下をくぐり抜けようとした人がいました。その動機に呆れて笑った人もいたと思います。でも、いろいろな意味で、仮想世界と現実の区別のつかなくなっている人が多いように感じるのですよ。

隣国の人たちが、無茶な要求をする、ほっておいたらこちらが侵略される、だから武装すべきだとと安易にいう人は、その武器が何をするものだかわかっていない。防空壕の中でいつ死ぬかわからぬ恐怖に震えるということもわかっていない。誰かの言うなりに黙っていたら、世の中が全く変わってしまって「こんなはずじゃなかった」といっても遅いという事もわかっていない。そうなってから、「やめた」と抜け出す事はできないんですよね。戦争を体験した方々は、当然それをわかっていらして「この流れは、まずい」と思われているように思うのです。

「スイスは日本と違って武装しているんだよね」「だから日本と違うよね」とおっしゃる方は多いです。でも、スイスと日本でものすごく違うのはそこではないんです。国民一人一人がどれだけ考えているかがまるで違うんですよね。スイスだってユートピアではありませんが、少なくとも国民の投票に関するスタンスという意味では民主主義が機能していると思います。日本はそれがかなり麻痺しているように思います。だから、私は、こういう話になると、若干きつめのことを書く事になります。それでコメントをしてくださった方と疎遠になったりするのはまったく本意ではないんですが、これは性格でどうしようもないみたいです。

私も彩洋さんの記事、読ませていただいてよかったと思っています。彩洋さんらしい、心に響く素晴らしい記事でした。

長くなってすみません。

コメントありがとうございました。
2014.08.19 18:12 | URL | #9yMhI49k [edit]

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