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Posted by 八少女 夕

【小説】オーツくんのこと

月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の野菜」の九月分です。このシリーズは、野菜(食卓に上る植物)をモチーフに、いろいろな人生を切り取る読み切り短編集です。九月のテーマは「麦」です。今回は料理は一切出てきません。でも、実は「十二ヶ月の野菜」シリーズの中で一番最初に考えついていたのはこのストーリーです。

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オーツくんのこと

 なんて大きな月だろう。黒い墨のような空にわずかにたなびく薄い雲が、その光を受けて輝いていた。月の中にはくっきりと文様が浮かび上がり、あれはウサギが楽しく餅をついているのではなくて、暗く空氣の薄い世界に広がる孤独なクレーターの集合なのだと訴えてくる。

 私は自転車を停めて、麦畑の前に立った。風がそよぐ。麦たちが行儀良く右へ左へと傾いで、さわさわと語りかける。すっかり涼しくなった。九月。ここにいない人の事を想って立ちすくむ。ごめんね、オーツくん。私は今も月を見ているよ。

 中学一年生のとき、私は背が低かった。整列するときはいつも一番前で、隣にいたのはやはり小柄な大津くんだった。もの静かであまり目立たない少年。彼と最初に話をしたのは、一学期も終わる頃だった。体育祭でフォークダンスを踊る事になって、身長順で彼と組まされる事になったのだ。

 そのフォークダンスは、学年中で不評だった。男子と女子とにはなんらかの身体的違いがあって、小学生だった頃のようにただの同級生として分け隔てなくつき合えなくなりかけていた。二年生の不良っぽい佐野先輩が、高校生とつきあっているという噂があって、それをクラスの女子たちが補導された生徒に対するようにひそひそと非難していた。山下くんが美弥ちゃんのスカートをめくってからクラスの女子の大半に避けられるようになったのもこの頃だった。

 小学校の頃は何とも思わなかったのに、横に並んで手をつないで右や左に動くだけの事が、とても苦痛になっていたのは、たぶん男子も女子も同じだったに違いない。もう五年も経てば「あれっぽっちのことで」「むしろ羨ましい」になったことだったけれど、私たちは微妙な顔をして嫌々練習をしていた。

 大津君は乾いた手をしていた。手に触れる時に、強すぎる事も弱すぎる事もなく、とても自然に、まさにフォークダンスを踊っていたのだと思う。私と手を繋がなくてはならなくても、嫌な顔もしなかったし、反対に嬉しそうでもなかった。彼は目立たないけれど、クラスの子たちに信頼されているちゃんとした少年だった。

 英語を習いはじめた私たちは、ちょっとでも知っている単語を使いたかった。誰かがオートミールに使われている燕麦を「オーツ」と呼ぶのだと聞きつけて、彼の事を「よう、麦!」と呼ぶようになった。私は麦君とは呼ばなかったけれど、私の中では彼の名前の表記が「オーツくん」に変わってしまった。

 あの夏休みに、私は初めて一人で新幹線に乗った。お母さんは新横浜まで送ってくれて、おばあちゃんが浜松の駅で待っていてくれたので、私のする事といったら間違わずにこだまに乗って、浜松到着のアナウンスを聞き逃さないだけだったのだが、秘境探検に出かけるかのようにドキドキしていた。そうしたら新横浜駅のホームで突然呼び止められたのだ。
「佐藤!」

 オーツくんが手を振っていた。隣にいたのはたぶんお父さん。背は高いけれど、彼にそっくりだった。
「オーツくん、どこに行くの?」
「岡山のおじいちゃんの所。佐藤は?」
「浜松。おばあちゃんのとこ」
「一人なのか? すごいな」
「うん。えへへ」
私はちょっと誇らしかった。

「でも、オーツくん、岡山までこだまで行くの?」
「ううん、名古屋まで。名古屋からはひかりの指定がとれたんだ。浜松までだったら、僕たちと一緒に行こうよ」
私は頷いた。やはり一人で乗ったら、乗り過ごさないか不安だった。オーツくんのお父さんがちゃんと浜松を教えてくれると思ったらほっとした。

 新幹線の中で、オーツくんのお父さんが、オレンジジュースやお菓子、それにさきいかや笹かまぼこなどを奨めてくれた。そして、何かと話しかけてくれたので、私は学校でほとんど話した事のなかったオーツくんともたくさん話す事になった。オーツくんが寡黙ではなかったのでびっくりした。

 夏休みの自由研究のために春からワタを植えていたこと。どうやら夏休みが終わるまでに綿の実ができそうだと嬉しそうに語った。それから、彼の田舎は吉井川の流域にあって、親戚は農家、秋になると稔った麦穂であたりがみごとな金色に染まるのだと教えてくれた。
「え。じゃあ、本当にオーツくんだったんだ」
私がそういうと、お父さんも彼も楽しそうに笑った。

「満月の夜に麦畑に立つと、すごく幻想的なんだぜ。佐藤にも見せてあげたいな」
私は、いつかきっとオーツくんと満月の麦畑を見るのだと、その時に思ったのだ。フォークダンスを踊らされていた時の、居心地の悪さはどこかへと消えていた。オーツくんは「クラスの男子」の一人ではなくて、ちゃんと話のできる友達になっていた。

 次が浜松だとオーツくんのお父さんが教えてくれたとき、私はとても残念だった。できることならこのままオーツくんの田舎に行って、満月の麦畑に立ちたいと思ったのだ。

「二学期にまた逢おうな」
網棚の荷物をお父さんに降ろしてもらっている時にオーツくんは言った。
「うん」
「そうだ。真成寺の裏手に、ススキがいっぱい生える所があるの知っているか?」
突然彼は言った。私は知らなかったので首を振った。
「じゃあ、中秋の名月の頃は早すぎるけれど十三夜の頃に一緒に行こうよ。月見団子持ってさ」

 金色の麦畑のかわりに、たくさんの銀のススキ。月明かりでどんな風に見えるのか、楽しみだった。私は大きく頷いて、二人に手を振った。

 宿題をたっぷりと残したまま夏休みは終わった。オーツくんと違って自由研究も全く準備をしていなかったので、高校野球が始まった頃に私は泣きべそをかいた。看護師で忙しい母は手伝ってくれなかったし、その年も間に合わせの情けない研究でお茶を濁したのだと思う。どういうわけか、私はどんな研究をしたのかまるで憶えていないのだ。オーツくんの綿の観察の事は憶えているくせに。

 いたたまれない二学期の始まりをなんとかこなし、授業に、体育祭の準備に、忙しい日々を過ごしているうちに台風が過ぎて、秋らしくなっていった。

 体育祭の二日前に、私は風邪を引いた。ただの鼻風邪ではなくて、高熱が出て、母は職業的権威を振りかざし私が体育祭に出るのは不可能だと宣言した。私は運動音痴で体育祭なんか大嫌いだったので、いつもなら大喜びする所だった。でも、私が休んだらフォークダンスでオーツくんはどうなるんだろう。あんなに真面目に練習していたのに。
「だって、フォークダンスが……」
「何言っているのよ。そんなフラフラでダンスなんか踊れるわけないでしょう。だいたい、あんな文句言っていたくせに」

 今ごろみんな踊っているかな。ごめん、オーツくん、わざとじゃないんだよ。私は布団の中でつぶやいた。そしてそのまま眠ってしまった。

「真美。お友だちがお見舞いにきたわよ」
母の声で目を覚まして部屋の入口を眺めると、そこにオーツくんが立っていた。
「オーツくん!」
「佐藤、休んでいる間のノート、持ってきた。あと、体育祭で全員に配られた景品」
「え。ありがとう。ごめんね。フォークダンス、あんなに練習したのに」
「大丈夫。山下も休みだったから、残りもの同士で組んだよ」
「そっか、美弥ちゃんも踊る相手がいてよかったんだね」

「それより、熱は大丈夫?」
「うん、体の痛いのも、だるいのも治ってきたみたい。きっと下がってきたんだね。明日か明後日にはまた学校に行けると思う」
「そうか。十三夜は一週間後だし、それまでに元氣になるといいな」
「うん。そうだね。ありがとう」
オーツくんがお見舞いにきてくれた事にも驚いたけれど、新幹線での約束を憶えていた事にもびっくりした。私はそのことが確かに嬉しかったのだ。

 でも、学校に出て行ったら、状況が全く違っていた。教室に入ったら、山下くんたちが「ひゅーひゅー」と囃し立てた。
「麦! 奥さんが来たぞ~」
「よっ。麦夫人。旦那が待っていたぞ」

 オーツくんの親切がクラスのみんなに知られて、私たちは相合い傘を書かれる仲にされてしまっていた。私はそれを笑い飛ばせる心の余裕がなかった。ただ慌てふためき、クラスで非難される穢れた存在ではないことを証明しなくてはならない氣になっていた。
「ち、違うよ! 私、オーツくんとはなんでもないもん!」

 そう言ったとき、オーツくんの表情がわずかに歪んだように感じた。彼だって、こんな風に囃し立てられて迷惑に違いないと思っていた私は、彼の傷ついた表情にズキリとした。でも、私がやってしまったことはこれだけではなかったのだ。

 十三夜が大雨になる事を願っていたのに、これ以上ないほどの晴天だった。私は真成寺の裏手に行くかどうか、夕方からずっと悩んでいた。でも、もしオーツくんといる所をクラスの子に見られたら、本当につき合っている事にされてしまう。それに、オーツくんだってそれを心配してこないかもしれないし。学校ではできるだけ彼と話さないようにしていたので、待ち合わせなどはまったくしていなかった。私は晩ご飯を食べ終えると、布団をかぶって寝てしまった。

 次の日、オーツくんが学校を休んだ。夜中まで外にいて風邪を引いたと男子たちが話をしていた。
「夜中まで何をしていたんだろうな。おい、麦夫人、お前知らないのか?」

 私は知っていた。オーツくんがしてくれたように、ノートを持って見舞いにいき、「ごめんね」と言った方がいいと思った。なのに、私にはその勇氣がなかった。クラスのみんなに囃し立てられるのがなぜそれほど嫌だったのかわからない。学校に出てきたオーツくんは、二度と私の方を見なかった。卒業するまで、一度も話しかけてくれなかった。私は、彼を怒らせてしまった事と、クラスのみんなの噂が怖くて、ついに彼に謝る事ができなかった。

 そして、二十年の月日が経った。私は異国に嫁いだ。パンが主食で、燕麦もたくさん食べる国。秋になると小麦畑が金色に染まる。麦の穂が頭を垂れだすのは、たぶん日本よりも早い。さわさわと音を立てて、風が寂しい秋の訪れを告げる。夏至の頃と違い、日暮れも早くなった。

 今日は中秋の名月。冷たい待宵の月が天空にぽつりと浮かんでいる。大きい、明るい月だ。オーツくん、あなたは今、どこにいるの。結婚して幸せになったかな。奥さんと一緒に月を眺めているかな。ごめんね、オーツくん。私は人の心をわかっていない、嫌な子供だったよね。あの時に行けなかったお月見を、私は生涯し続けると思う。今宵も風が冷たいね。

(初出:2013年9月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
なんて甘酸っぱい思い出///
私が中学校のときはフォークダンスもなかったし
こんな経験ももちろんなかったのに
なんだか胸が苦しくなるのはなんでなんでしょう…?

本筋とは関係ないけれど
山下君がフォークダンスを休んだのって
女子から避けられてるからじゃ…?
と思ったら最後の方で元気にはやし立ててたので
なにより(?)でした
お二人にとっては不運かもですが
2014.09.03 09:54 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

クラスで囃し立てられることや目立つのが嫌なのは、ダメ子さんにはわかってもらえそうです(^^)

山下くんみたいに、めげないタイプは学校では生きやすいのでしょう。
細かいことに悩むと大変なんですよね。

コメントありがとうございました。
2014.09.03 12:29 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
うん、切ないけどほんのりとしたお話しですね。
まるで夕さんの心の隅に残った思い出に、色んな物をまぶしてカムフラージュしたような、暖かいそしてキュンとするお話しでした。
絶対こういう心理状態ってあると思うんです。もう少し成長すれば何てことは無いんですよ。それがどうしたの?って開き直ることだって出来るんです。
きっとオーツ君も同じような心理状態だったと思うんです。でも彼の方が少し大人だったのかな。少しだけ自分の気持ちに素直に行動できたんですね。
でもまだ彼女を思いやり、リードできるほど大人ではなかったんですよね。彼にとっても酸っぱくてちょっと苦い思い出になっていることでしょう。

先がフォークダンスの時の青い心理状態について熱く語っていました。
面白かったです。いえ彼の話がではなくて、彼の表情が……。
2014.09.03 13:53 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
更新お疲れさまです。

ふああ、甘酸っぱいっす。
○○さんへの片思いが何故かクラスの友達にバレて、結局コクることができなかったという悶絶ものの過去を持つ者としては、はげしく共感できる内容でした。
中学生くらいって、いろいろと微妙な時期ですよね。保健体育の教科書が、ショックだったな~(遠い目)
こういうすれ違いというか、なにかがちょっと違っていたら……というお話は、いいですね。初恋の思い出を大事にしている主人公、可愛かったです。
2014.09.03 16:40 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
月見くらいどうって事ないんですけどね。この時期はわかっていないからこそナーバスなんでしょうね。
この話はエピソードとしては、ほぼ99%フィクションですが、それでも誰もが憶えのあるものかもしれません。

オーツくんや山下くんのモデルになった人たちも、もういいおじさんになりました。それぞれ、笑って語れるようになったと思います。戻りたいような、戻りたくないような、特別な時期ですね。

先さんも、そっか、そんな甘酸っぱい思い出をお持ちなんですね(^^)
サキさんに語る様子が目に浮かびます。いいなあ、なんだか。

コメントありがとうございました。
2014.09.03 17:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おおおお、TOM-Fさんに、そんな過去が!
確かに、バレたらもうダメだ、みたいな感覚、ありましたよね。今考えると何がダメなのかよくわからないですが。
中学生くらいって、一番繊細な時期だと思うのですよ。でも、お互いの葛藤にまでは、考えはいかないから、いろいろ傷つくし。
その感じを出したい話でした。
共感していただけて嬉しかったです。
コメントありがとうございました。
2014.09.03 17:36 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
回想のように浮かぶところがいいですね。
最後の文章に惹かれるということは私も年齢をくいましたかね。
今での中学校に行くと思い浮かびます。
童心を思い出す文章ありがとうございます。
2014.09.04 12:12 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。
山の中で、ネットがうまく繋がらず亀返信、すみません!

見ていない風景、見たとしても違う景色で、誰かと過去を思い出すことって、大人になると誰でもあるのかなと思います。

もう届かないけれど、それでも抱き続ける想いというのは、私の作品によく出てくるテーマです。

共感していただけて嬉しかったです。
コメントありがとうございました。
2014.09.05 06:42 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
そうそう。この年頃の恋って、こんな感じなのですよね。
恋も友情もですが、自分の手で壊しちゃって、修復する方法がない。こんなことしちゃったら壊れてしまうって分からなくて、壊れてから理解する。
でも、この体験があるから、セカンドラブ以降ではもう少し賢くなって、人を思いやれるようになって、そして心の中では上手くいかなかった誰かの幸せを願えるようになるのかな。
夕さんの世界、うまくいかない現実を描きながら、優しい視点が感じられる素敵な物語でした(*^_^*)
楽しませていただきました。
2014.09.06 15:06 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

周りの目を意識し過ぎて、本当は一対一の関係、心のあり方であることがわからない、一種独特の時期なんですよね。

失敗を重ねることで、本当に大切なことは、外野なんか無視して貫くべしとわかって、大人になるんですかね。
ちょっと自分にもほろ苦い自虐掌編でした。

コメントありがとうございました。
2014.09.07 10:36 | URL | #9yMhI49k [edit]

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