scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

風景の中の城

今日は「 Cantum Silvaeの世界」カテゴリーの記事です。ま、半分はこのあいだ行った休暇の旅行の話ですが。

Bardiのお城から

中世ヨーロッパをイメージしている小説を連載中だから行ったわけではないのですが、この休暇中はどうも中世の街と縁が深かったようです。そのうちの一つ、Bardiという北イタリアの街にあるお城からの風景です。

このお城に入ったのはこれが初めてだったのですが、塔の外を眺めたら、ちょうど私がイメージしていた「ヒロイン・ラウラの憧れていた」のに近い光景が広がっていました。

日本だとお城から眺める世界にはどうやってもビルやら新幹線やら、とにかくどう転んでもサムライの時代の風景とは明らかに違う光景が広がってるのですが、ヨーロッパではこのように(よく見なければ)当時とあまり変わらないように見える光景に出くわす事が多くあります。もともとの人口の違いなのか、たまたま私が日本では都会にしかいかないからなのか、理由はわかりません。

もちろんこの光景も、中世ヨーロッパとは大きく違うでしょう。こんなに開墾されていなかったでしょうし、舗装された道路もあるし、川もよく見ると自然のままではありません。お城にも電灯があるし、窓にはガラスがはめられています。それでも、私はラウラが「あの森を越えて、いつか遠くへ自分の足で歩いていきたい」と願った広大な自然を目にしたような錯覚を憶え、町と一体になった要塞のような城に「そうそうこんな感じ!」とつぶやく事ができるのです。

こうした街の中を歩くと、どこか孤独を感じます。石の壁に囲まれた空間は外界から、自然の脅威から人びとを守っています。けれど、それは便利で快適な現代社会とは違い、暗く冷んやりとした硬質で素朴な世界です。閉じられているからこその限界も強く感じます。食事のバラエティは少なく、生活のトーンもある種の単調さに支配されます。

中世の人びとは、さらに限られた世界に住んでいた事でしょう。完全な再現ではないとはいえ、こうした世界にわずかでも身を置くと、その閉塞感を感じ取る事ができました。

たぶん私が描きたかったのは、本来のエビソードの根底に流れるこのどことない不安、閉塞感、外界への憧れと怖れ、そんなものだったのかもしれないと感じた旅でした。

本編はようやく本題に入ってきています。



この記事を読んで「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読みたくなった方へ

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Comment

says...
そうですね~~。
中世とかは資源が限られていますからね。
自然・戦争色々あっての生活ですからね。
安楽な生活は決してなかったでしょうね。
それを実感をさせる文章と写真です。
2014.09.20 05:17 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

東京ほどではないのですが、私の住んでいる所もそこそこ便利で快適なのですよ。
だから、旅行でこうした街に行ったりすると目から鱗が落ちるようなんですよ。
ましてや中世はもっともっと不便で、不安で、危険だったんだろうなと思います。

コメントありがとうございました。
2014.09.20 17:16 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
時々、今何年何だろうって思える景色ってありますよね。ヨーロッパの古い街、古城などはそんな世界ですよね。私もフランスの南西部に行った時、しみじみそう思いました。
日本の場合はどうだろう? 街並みは結構な田舎でも、ある程度便利になっていますものね。石じゃなくて木の文化なのでそのまま残るということがないから、なのかしら。
お城からの景色と言えば。すっかり見える建物なんかは変わっているけれど、私、岐阜城に登って街を見下ろしたとき、斎藤道三や織田信長の気持ちが分かったような気がしました。この景色見たら、天下取ったろか~って思うかも!って。狭すぎず、広すぎず、世界が手に入るような気がする大きさの景色が広がってて、そのイメージが天下取りにつながるのかもって。あの景色には孤独感とか閉塞感はなかったなぁ。
見える景色で人の心も、文化芸術も違ってきますね。
そして、孤独感は、ある意味芸術には必須のものかも。
あれ、なんかちゃんとしたコメントになっていないなぁ。
そろそろ「貴婦人の十字架」追いつかなくちゃ。
2014.09.21 13:02 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。日本の場合、倉敷の美観地区とか、京都の一部とか、残っていることは残っているんですけれど、その範囲がとても限定的ですよね。あ、白川郷なんかは村ごとなのかな、行った事ないんでわかりませんが。ヨーロッパの場合は、とくに保護しているわけでもないのに、「旧市街」といわれる所は大抵残っているように思うんですよ。だから街全部がユネスコ世界遺産になっちゃったりするんだと思うんです。

でも「大事なものだから残そう」っていう意識で残しているわけでもないようなんですよね。なんていうのか「なんで建て替えるの?」みたいな。でも、スイスではやはり新築はみな2×4みたいな現代建築が増えています。たぶんコストの問題。それはちょっと残念。イタリアやフランスやドイツでも、人口がどんどん増えていくような所は、どんどん新築が増えるので、昔っぽい家は相対的に減るんでしょうけれど、やはり田舎に行くと丸々残っている感じなのはいいなあと思います。あ、住むのは若干不便かも。スイッチ一つで暖房が入ったりしないから。

お城から見下ろす話。天守閣って、そういう効果あるかもしれませんね。
日本も、西洋も、お城も教会も必ず街を見下ろすような所に建っていて、一番てっぺんに登ると絶景ですよね。あれが、たとえばパリやらローマやらウィーンだったりしたら、「世界は私のもの」とまで思っちゃうかも。

孤独や閉塞感を感じるのは、むしろ街の中を歩いているときかな。灰色の街並、硬質の石畳、それによそ者を警戒する人びとの対応、そびえ立つ城壁。街の端から端まで徒歩で15分くらいの小さい街で、余計そう言うものを感じます。昼にシエスタになっちゃうとか、夜は道端に人っ子一人いないとか。

「貴婦人の十字架」逃げませんので、どうぞごゆっくり。あ、東北にタブレット持っていかれるんでしたっけ。旅先で暇を持て余していらしたらその時にでも。でも、そういう時に限って圏外だったりするんですよね(笑)

コメントありがとうございました。
2014.09.21 15:21 | URL | #9yMhI49k [edit]

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