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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (8)バルセロナ、 エンパナディーリャの思い出

イタリアを離れて四人がやってきたのはバルセロナ郊外です。これからしばらくはスペインを旅する事になります。
あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(8)バルセロナ、 エンパナディーリャの思い出


「やっと再会できましたね」
蝶子の頬に熱いキスをしてカルロスは言った。

稔は久しぶりにカルロスを見て、やっぱりギョロ目だと思った。記憶の中でこの巨大な目と濃い眉がデフォルメされてしまったのかと思っていたが、実物は記憶以上だった。

コモから、直に南スペインに向かうのでバルセロナにも立ち寄りたいと電話すると、カルロスは大喜びで、滞在中は彼の自宅に泊まれ、出来ればクリスマスと新年もここで迎えろと言った。

蝶子は耳を疑った。
「でも、それじゃ一ヶ月もいる事になっちゃうわ」
「一ヶ月どころか、ずっといていただいて構わないんですけれどね。まあ、あなたたちは自由が好きなんでしょうから、思うがままに出入りしていただいて構わないんですよ」

いったい何の因果でこんなに親切なのかよくわからないが、とにかく「四人で」向かうと伝えておいた。カルロスはバルセロナの駅に迎えをよこすと言っていたが、来てみたら本人が運転手と一緒に待っていた。

「ああ、では、こちらが新しいメンバーなんですね」
稔とレネに握手をした後、カルロスはヴィルに笑いかけた。稔が紹介した。
「そうだ、初対面だったね。ヴィルだ。俺たちはテデスコと呼んでいる。ドイツ人だから」
「よろしく」
ヴィルはいつも通りの無表情で握手をした。



カルロスは小さなバンに四人を案内した。運転手がドアを開けると、カルロスは蝶子の手を取ってバンに乗るのを助けた。稔は感心した。ラテン民族の女の扱いには敵わない。しかし、それに堂々と応える蝶子の女としてのスマートさは、そこらの日本人にはマネが出来ない。こいつ、いつからこんな風になったんだろう。

大学時代の蝶子は少なくともこんな風ではなかった。容貌や服装は大きく変わっていない。きつい性格も前とそんなに違いはない。だが、立ち居振る舞いが全く違う。

たとえば園城真耶は生まれたときからのお嬢様生活で、他のクラスメイトとは全く違う立ち居振る舞いをしていた。立ち方、歩き方、ものを取るときの手つき、驚いたときの振り向き方、全てが優雅で流れるようだった。

蝶子はそんな動きはしなかった。それで当時の蝶子の美しさが損なわれていると感じた事はなかったが、今の蝶子はあの当時の彼女とは較べものにならないほど洗練されている。その違いは歴然としている。蝶子は存在だけで当時よりずっと美しかった。それは動きなのだ。

稔が三味線を弾く時には、すっと姿勢がよくなる。それ以外の動きで三味線を弾く事は出来ない。その姿勢は稔の体に染み付いている。だから、蝶子がフルートを吹く時に洗練されて美しいのは当然だった。

けれど、稔は歩いているときや、食事をしているとき、または車に乗り込むときの動きなどまったく意に介さない。だが、蝶子にはその全てに洗練された怜悧な優雅さが備わっている。カルロスが大道芸人の女を姫君のように扱うのは、この蝶子の美しさにあるのだと稔は解釈した。

そこまで考えて、ふと、どこかでもこんなことを考えたぞ、と思った。それから目をドイツ人に動かした。

そうだ、こいつの動きだ。着古したジーンズを履いて、普通の町中のカフェで足を組んでいても、どこか稔やレネとは違う。

かつてそれに氣づいた時に、稔はよく観察した事がある。稔やレネの腰は、だらりと椅子の前方にあり、背中が椅子から離れて丸まっていたが、ヴィルはきっちりと椅子の背に深く腰掛けていた。稔の足は投げ出されていたが、ヴィルの組んだ足にはどこかまだ緊張があった。

違いはそれだけだった。だが、そのわずかの姿勢の違いが、明白にあか抜けた洗練を生む。普段は誰も目に留めないが、それがコモでのようにきちんとした服装を身に纏う時に大きな違いとして表れるのだ。

稔はふいに、確信を持った。こいつはただの庶民じゃないな。真耶や蝶子がどこかで身につけたような上流階級の躾をどこかで受けているに違いない。



四人もの風来坊に一ヶ月も泊まれと言うくらいだから、小さな家だとは思っていなかった。だが、それは家ではなかった。少なくとも稔や蝶子のような日本のごく普通の家庭に生まれたものにとってはそれは家と呼ぶようなものではなかった。城と呼びたい所だ。もちろんフランスやドイツの城のようには大きくない。しかし、単に館と呼ぶのは奥ゆかしすぎる。

門から直接建物が見えないというのも驚いたが、三階建ての建物に一目で二十室以上部屋があるのがわかったのにも目を白黒した。重厚な木のドアを開けて中に入ると、外見のシンプルな白っぽい石の造りと相反して、スペインらしい色使いのインテリアだ。エントランスの床は白い大理石、柱や階段の桟は濃い茶色の木だった。赤いアラベスク模様の絨毯が敷かれ、極楽鳥草や薄いオレンジの薔薇などが生けられた大きな花瓶が置かれている。

「あなた、何者なの?」
呆れて蝶子は訊いた。

「ただの実業家ですよ。ただ、この家と土地は先祖から受け継いだものです」

「イダルゴか」
ヴィルがつぶやいた。

「その通り」
カルロスは答えた。

稔は蝶子をつついて日本語で解説を求めた。
「イダルゴってなんだよ」
「郷士っていうんじゃなかったかしら、日本語では。土地を持っている下級貴族よ」
「ふ~ん。ある所にはあるんだな。ま、じゃ、ちょっと贅沢のおこぼれをいただくか」
稔はつぶやいた。



四人はそれぞれ客間をあてがわれた。蝶子は使っていいと言われた大きなバスルームに案内されてにっこりと笑った。なんて豪華なバスタブかしら。アラベスク模様の寄せ木造のついたてなど、無駄に装飾のある空間がとても氣に入った。

こんなに贅沢な建物にゲストとして滞在するのはミュンヘン以来だった。

エッシェンドルフ教授の館は、このカルロスの館に匹敵する大きさと贅沢な空間だった。彼もまた先祖伝来の広大な領地を持ち、本来、働く必要などない特権階級の一人だった。

彼の完璧主義のために館の調度は常に完全な状態に保たれていた。ドイツ式の緻密で優美な内装。使用人が必死に磨く真鍮の桟や取手。または塵ひとつなく掃除された室内。

蝶子は五年以上の時間をその館で過ごした。留学当初に借りた小さな学生用フラットは質実剛健そのもので不必要なものなど何もない空間だったので、教授のレッスンを受けるために最初にその館に行った時にはあまりの豪奢に落ち着きを失ったものだ。

しかし、直に蝶子はその館に慣れてしまった。学生用フラットには共用のシャワーしかなかったので、エッシェンドルフの館でバスタブに浸かったときの幸福感は何にも代え難いものに思われた。その記憶が、蝶子をバスルーム好きにした。今の蝶子は、バスルームよりも自由の方がはるかに大切である事を十分に自覚している。それでも、このように機会があれば最高の贅沢の一つとしてバスタイムを愉しむこともやぶさかではなかった。



「紹介するよ。普段、料理をしてくれるイネスだ」
カルロスが居間でくつろぐ四人の所に連れてきたのは丸まると太った優しそうな年配の女性だった。

代わる代わる握手をする四人に暖かく笑いかけてイネスは言った。
「何か食べられないものはありますか?」
四人は顔を見合わせた。

「何でも食べるよな?俺たち」
「そうよね。サルの脳みそとかじゃない限り」

「魚は食べられますか?」
日本人二人はにんまりと笑った。
「俺たち日本人だから。もちろん魚は喜んで食べるよ。イカもタコも海老も」

「そちらのお二人は?」
「自分では注文しないが、出てきたら食べる」
ヴィルがいうと、蝶子が意地の悪い顔をした。
「やっぱり北ヨーロッパ人はダメよねぇ。魚の美味しさを知らないなんて」
「出てきたら食べるって言っているだろう」

ムッとするヴィルの横で、いいにくそうにレネが打ち明けた。
「僕、魚は平氣だけれど、生のタマネギが苦手です。努力はしますけれど…」
「あら、それは私も苦手だわ」
蝶子がそういうと、ヴィルがほんの少し勝ち誇ったように眉を持ち上げた。

「でも、料理には入れてくださって構いませんわ。この人に食べてもらうから」
蝶子がヴィルを指した。
イネスは笑って、台所に姿を消した。

「彼女の料理は天下一品ですからね。きっと、苦手なものも克服できるようになるでしょう」
カルロスは言った。蝶子はカルロスを振り向いた。

「ねえ、でも、本当に迷惑だったら言ってね。あらかじめ言っておくけれど、私たちお酒飲んで大騒ぎするの」
「わかってますよ。酒蔵にすぐに案内しますか?」

「やだな。酒ぐらいは稼いで買ってくるよ」
稔が言った。他の三人も頷いた。カルロスは肩をすくめた。
「わたしも宴会に混ぜてもらうつもりですから」
蝶子は微笑んだ。



「さ、お茶にしましょう。スペインは夕食が遅いので、四時頃におやつを食べるんですよ」
イネスが声をかけた。

四人はカルロスと食堂に移った。黒檀のテーブルにコーヒーと揚げ物が用意されている。イネスがそれぞれの前の皿に一つずつ巨大な揚げ餃子にみえる菓子を置いて言った。

「エンパナディーリャって言うんですよ。たいていは塩味のものを入れておかずのようにするんですけれど、今日はアプリコットジャムを入れて揚げたんです」

最初に手をつけたのはレネだった。一口食べて、それを皿に置いて、それから眼鏡を取って泣き出した。全員がびっくりしてレネを見た。

「どうしたんだよ、ブラン・ベック」
向かいに座っていた稔が訊いた。

「こ、この味です。子供の頃、母さんが作ってくれたお菓子…」
「なんだよ。泣く事かよ」

レネは涙を拭って、語りだした。
「僕には、二つ年下の妹がいたんです。体が弱くて、外に遊びにいったりできなくて、遊び相手は僕だけでした。母さんはよく、これとそっくりのお菓子を作ってくれました。妹の大好物だったからです。僕もこのお菓子が大好きだったけれど、妹が欲しがるので我慢していつもあげてしまいました。父さんから妹はもう長く生きられないと言われていたからです」

レネの言葉に、コーヒーを飲んでいた他の三人は、手を止めた。レネは続けた。
「妹は、本当に長く生きられませんでした。かわいそうに、あんなに小さかったのに、苦しんで病院でチューブだらけになって…。母さんに、揚げ物のお菓子が食べたいと言って、でも、最後は力がなくって食べられなくって。妹が死んでから、母さんはずっと泣いてばかりいました。やっと少し元氣になってきた時に、その話をしたら、また母さんが泣いてしまって。僕はそれで母さんに食べたいからこのお菓子を作ってほしいと言えなくなってしまったんです。あれから二十年以上も、どこかでこれを食べたいと思っていたけれど…」

ヴィルが自分の皿に置かれていたエンパナディーリャをレネの皿に置いた。続いて稔と蝶子もほぼ同時にレネの皿めがけて自分の菓子を投げ込んだ。皿に並んだ四つのエンパナディーリャを見て、レネは再び泣き出した。今度は号泣だった。

イネスは呆れていった。
「まだ、ここにはこんなにあるんですよ。何もあなたたちがあげなくても」

けれど、その四つは他のエンパナディーリャとは違っていたのだ。三人が他の人間とは違うように。レネは泣きながら四つの菓子を平らげた。後でまたイネスにもらって食べた稔は、どうやったらこんなに大きくて甘くて脂っこいものを四つも食べられるんだと首を傾げた。



「来週、この館でクリスマスのパーティがあるんですよ。よかったら参加してください。あなた方のショーも披露してもらえると嬉しいですね」
カルロスの申し出に四人は喜んで同意した。

パーティに使う広間にはスタンウェイのグランド・ピアノがあった。それで、昼はバルセロナの街で稼ぎ、大量に酒を買ってきて、夜は広間で打ち合わせと称して音楽を奏で、手品を楽しみ、そして宴会をすることになってしまった。

もちろん、その他に三食イネスのスペイン料理にも舌鼓を打つ。

カルロスの言葉は嘘ではなかった。イネスの料理は絶品だった。地中海の幸、肥沃なスペインの山の幸が贅沢に、しかし、飽きのこない家庭的な味付けでこれでもかと出てくる。魚介類が苦手だったはずのヴィルでさえ、自分からお替わりをするほどだった。もちろん酒類は必須で、ペネデスの白ワイン、リオハのティント(赤ワイン)やシェリーを傾けながら食事を楽しんだ。蝶子のお氣に入りは赤ワインと炭酸飲料を半々にして作ったティント・デ・ベラーノというカクテルだった。

カルロスが仕事で館を留守にする時は、イネスがテーブルに座って四人と話をした。
「カルロス様は、皆さんがいつ見えるかと、本当に楽しみにしていらしたんですよ。私もどんな方々かと興味津々でした」

「カルちゃんは、こういう風来坊をしょっちゅうお館に引き入れているの?」
蝶子が訊く。
「めったにありませんね。でも、仕事やプライヴェートのお友だちが泊まりにくる事はよくあります。このお屋敷にはそもそも部屋がありすぎるんですよ。お一人だとお寂しいんじゃないですか」

「ギョロ目はずっと一人もんなんだ?」
稔はついにギョロ目と呼ぶ事にしてしまったが、誰も何も言わなかった。当のカルロスさえも。

「ご結婚を解消なさってから、五年ほどになられますが、あれから長く続いた方はまだいませんね。お忙しすぎるってこともあるんでしょうけれど、ご結婚には懲りていらっしゃるみたいで」
イネスはくっくと笑った。どんな奥さんだったのだろうと四人は想像をそれぞれめぐらせた。



バルセロナの街は活氣に溢れていた。もう相当寒かったので仕事をするのは十時から四時間ほどだったが、宿泊代を考えなくていいので相当の金額が酒類に費やされ、バンを買うための貯蓄を引いても、まだ十分な金額が手元に残った。コモのロッコ氏のレストランでも相当の余剰金ができた。これからの厳しい冬を乗り切るには運のいい状態と言ってよかった。

ロッコ氏は来年も同じ時期にまた働いてほしいと言った。そう言ってくれるのは有難かった。

四人は来年の事に思いを馳せた。それぞれが大道芸を始めた時には考えられないことだった。蝶子はコルシカフェリーの上で不安と寄る辺なさに心を悩ませていた。行くところも待っている人間もなかった。稔はいつ終わるとも知れない大金の返済と罪の意識に疲れていた。レネは仕事と恋人を同時に失い人生が嫌になっていた。ヴィルは父親から自由になりたかった。一度も見た事のない父親の婚約者が実行したように。

お互いに一人ではできなかったことが、Artistas callejerosとしてチームを組む事で可能になった。大道芸としても、また、トネッリ氏のバーやロッコ氏のレストランで展開したショーもその完成度の高さとお互いのプロ意識、そして友情のもたらす信頼関係で高い評価と報酬をもたらした。偶然の出会いがもたらしたカルロスのような親切な人間の助けで、このように贅沢で楽しい日々を送る事すら出来るようになった。

稔は去年の冬の事を考えていた。何回か安宿に泊まる金も稼ぎだせず、大都市の地下鉄で夜を過ごした。自分は何をしているのだろうと思った。日本に帰ろうにも航空券を買うなど不可能だった。夏の間に稼いだ余剰金はすべて遠藤陽子に送った。送っても送っても完済にはほど遠かった。なぜこんな事を続けているのか、わかってくれる人間はこの世の中にはいないと思った。生涯浮浪者のように生きるしかないと思っていた。それがどうしたことか。お城のような館で、美味いものを食べながら、仲間と酒宴の日々だ。バンを買って、みんなでヨーロッパ中をめぐろうと夢を語っている。高校生の時に夢を見ていたようにギターで生活費を稼いだりもしている。人生、先の事は本当にわからないものだ。諦めないで本当によかったと思う。
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Comment

says...
このての話はダメです。
帰りの電車の中で鼻水じゅるじゅるです。

3人がレネのお皿に…。
レネ、よかったねぇ(っ_・、)

ますます4人が好きになってしまいました♪
2013.03.05 11:22 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

akoさん、電車の中で……。いろいろとご迷惑おかけしてます(?)

この辺まで来れば、もう「大道芸人たち」の内輪話、ついていけます(笑)
自分でも書いていて好きな四人組なので、お氣に召してとても嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2013.03.05 20:45 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
それぞれのプライベートが少しづつ流れてきましたね。
新しいお話を読ませていただくときの、このような素敵な登場人物たちとの出逢いが本当に楽しいです。
気の合う仲間と多数決で決める気ままな旅。良いですね。どこに行っても楽しそう。
まだまだわけありの事情を聞かせてもらいます~^^
2014.04.18 05:35 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

けいさんのところもイースターのお休みに入られましたでしょうか……。
続けて読んでいただき、とても嬉しいです。

チャプター2まできてくださったのですね。
ようやく本題というか、起承転結でいうところの承です。大道芸人だけだと、ずっと続けるのは難しい生活ですが、いろいろな人たちとの出会いや助けを得て、この生活がずっと続けられるかな……というところでしょうか。実際にこうして好き勝手だけをして生きられたらいいんですけれどね〜。

まだまだ続きますが、引き続きどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2014.04.18 17:26 | URL | #9yMhI49k [edit]

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