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Posted by 八少女 夕

【小説】ブラウン・ポテトの秋

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。
月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の野菜」の十一月分です。このシリーズは、野菜(食卓に上る植物)をモチーフに、いろいろな人生を切り取る読み切り短編集です。十一月のテーマは「ジャガイモ」です。ジャガイモは年間を通してありますけれど、冬にも地産地消できる数少ない食材の一つなので。

登場するのは「今年脚光を浴びた人」谷口美穂。去年書いた作品の一回きり登場のキャラのはずでしたが、scriviamo! 2014でポール・ブリッツさんに取り上げていただいてからどういうわけか起用が相次ぎました。で、まだ早いけれど、今年の総決算モードということで再登場。で、準レギュラーキャラの名前はポール・ブリッツさんからいただきました。


とくに読む必要はありませんが、「マンハッタンの日本人」を知らない方でお読みになりたい方のためにリンクを貼っておきます。
 「マンハッタンの日本人」
 「それでもまだここで 続・マンハッタンの日本人」
 「花見をしたら 続々・マンハッタンの日本人」
 「歩道橋に佇んで 続々々・マンハッタンの日本人」



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ブラウン・ポテトの秋  続々々々・マンハッタンの日本人

 3キロのジャガイモがふかし上がった。美穂はキッチンスタッフではないが、モーニングセットの準備でブラウン・ポテトを作るのは彼女の仕事になってしまっている。熱々のジャガイモの皮は自然と割れて剥がれているので取り除く。7ミリくらいの厚さに切っていく。

 大きな鉄板にサラダ油とベーコンの細切れを入れてじっくりと油がでるまで炒めたら、薄切りの玉ねぎを入れてしんなりするまで炒める。それからジャガイモを加える。

 バターを時々足して、鉄板にジャガイモを押し付けながらきれいな茶色に焦げるように炒めていく。この頃になるとキッチンはいい香りで満ちる。それを見計らったかのようにポールが入ってくる。

「おはよう、いい匂いだな」
「おはよう、ポール」
これが、毎朝のお決まりの挨拶になっている。

 ダウンタウンにある《Star's Diner》のモーニングセットの目玉が、このブラウン・ポテトだ。ポールがこの店に勤めだして、一週間もしないうちにオーナーに訴えたのが、それまで出していたブラウン・ポテトのまずさだった。
「こんなまずいブラウン・ポテトに我慢できるニューヨーカーなんかいるものか。ブラウン・ポテトはニューヨーカーの心なんだ」

 日本人である美穂には、ポールのその理屈は全くわからなかったが、確かに《Star's Diner》のブラウン・ポテトは大したことのない味だった。オーナーはその批判にぶち切れたのか、それとも納得したのかよくわからないが、突然ポールを「ブラウン・ポテト改善プロジェクト」の責任者に任命した。

 ポールには一つの問題があった。ブラウン・ポテトに対する強い思い入れに匹敵するほどの料理の知識に欠けていたのだ。そして、プロジェクトをサポートするのは朝番のウェイトレスたちの仕事になったのだが、普段より早く来ることを好まないほかの女の子に上手く逃げられた結果、結局美穂にお鉢が回ってきたのだ。

「こればかりは、時間短縮ができないの。とにかくじっくりと焼き色をつけないと」
なぜ日本人の自分が生粋のニューヨーカーにブラウン・ポテトの作り方を教えなくてはいけないのかわからない。

 美穂は作り方をポールに教えて、朝番を交代にしてもらおうとした事が何度かある。けれど、どうしても美穂が作るようにはならない。玉ねぎが黒焦げになるか、ジャガイモが黄色いままか、塩味がきつすぎるか、とにかく上手くいかなかった。
「証券を売るのは得意だったんだけれどね」
彼はごにょごにょと何かを言った。

 結局、美穂が毎朝ブラウン・ポテトを作る代わりに、一時間早く上がっていいという許可を得て、「ブラウン・ポテト改善プロジェクト」の責任者代行に就任することで話は決着した。

 少なくともポールの主張は間違っていなかった。ブラウン・ポテトが改善されてから《Star's Diner》でモーニングセットを食べていく客が明らかに増えたのだ。

「でも、これっぽっちの改善じゃダメなんだよな。もっとドラスティックな改革をしないと」
ポールは証券アナリストの目つきになって腕を組んだ。美穂は肩をすくめた。

 美穂にとって、仕事とは上司に命じられたことをきちんとこなすことで、その経営方針に沿った小さな改革はしても、路線の変更など大きな改革とは無縁だと思っていたからだ。数ヶ月前に一人で始めたおしぼりサービスや、掃除の徹底、ブラウン・ポテトの変更に関わることはできても、改装プランやメニューの変更のような大きな変革はオーナーが考えるべきことだと思っていた。

 でも、ポールはそう思わなかったのでオーナーに直訴した結果、突然彼は店長代理になった。実のところ店長が他店に引き抜かれていなくなってしまったばかりなので、ポールは実質的な店長になったのだ。代理と本物の店長との違いは給料だけだったが、それでも美穂たちとは大きな差がついた。

 美穂も軽い嫉妬をおぼえたが、もっと前からいるスタッフたちはあからさまに不満を表明した。中でもキッチンを仕切っていたジョニーは、メニューを批判されたこともあって大きく反発した。確かにジョニーは本当に調理師免許を持っているのか疑問を持ちたくなるような腕なのだが、新参者であるポールがズケズケとそれを指摘するのは「和をもって尊しとする」美穂の日本的感覚には合わなかった。

「そんな事を言っていると、職場自体がなくなるぞ。お前は日本人だし料理のプロでもないけれど、ジョニーよりはよっぽどマシなんだから少し協力しろ」
ポールはかなり強く要請してきたが、実際の所、スタッフの中で反発しておらず改革に協力してくれそうなのは美穂一人だった。というよりは、言われるとノーと言えないだけなのだが。

 ブラウン・ポテトの調理は佳境に入っていた。塩こしょうで味を整え、たっぷりのパセリを加える。ポールが清掃と設備の点検を済ませたころにようやくダイアナが出勤してきて、それとほぼ同時に最初の客たちが入ってくる。この瞬間から九時頃まで美穂たちの忙しい朝が始まる。

* * *


 風が強い。クリスマス商戦は始まっている。五番街のOLでなくなって二度目のクリスマスが来る。最近は日本の家族にもほとんど連絡しなくなった。そろそろ甥と姪のクリスマスプレゼントを買いにいく時期だ。そのつもりになれない。そう言えば、買い物をしたり、美術館に行ったり、彼を探したりといったポジティヴな行動をここの所全然していない。美穂は枯葉がカサカサと音を立てて舞い踊る歩道橋の上でじっと立ち止まった。

 故郷の吉田町で決まったばかりの語学留学に心をときめかせていた数年前のことを思いだした。肩パッドの入ったシャープなコートと革ブーツでニューヨークを颯爽と歩くのだと夢みていた。フリースのマフラーをダッフルコートに押し込んで、スニーカーにジーンズ姿で、ダウンタウンに住み着くなんて考えもしなかった。

「おい。せっかく早く上がったのに、こんなとこで何をしているんだ?」
その声に振り向くと、ポールが立っていた。ダイアナと一緒だ。二人は住んでいる所は全く違うので一緒に帰る理由はない。そうか、この二人、つき合っているのか。

「何って、ちょっと考え事」
「考えんなら、もっと暖かい所でしろよ。なんなら、僕らと一緒に飲みにいくか?」
ポールがそう言うと、ダイアナの表情が若干険しくなった。美穂はあわてて首を振った。
「今日は、いいわ。また今度……」
「そうか。じゃあな、また明日」

 二人が行ってしまうと、美穂はため息をついて街の向こうを見た。なんだかなあ。私何をやっているのかな。鞄の中には、塩素で消毒したふきんとハンドタオルが入っている。もともとは当番制だっけれど、他の誰もがやらないのでこれを持ち帰って洗濯するのは美穂だけだ。

 スーパーマーケットで安い食材を買って、一人で料理して一人で食べる。ウェイトレスの給料でできる贅沢は限られている。その食費を削って、日本の家族にプレゼントを贈る。送料も馬鹿にならない。

 ポールのようにきちんと自己主張をして、リスクも怖れずに進んでいってこそ、サクセス・ストーリーも可能なのかもしれない。事務職でいい、ウェイトレスでいいと守りに入っている自分は、きっと大きな昇進などありえないのだろうし、ずっと時給2.8ドルのままなのかもしれないと思った。ポールが店長になった時に、「私も頑張っているんだから、時給を上げて」くらいの主張をすればよかったけれど、言えなかった。夕食の玉ねぎを刻みながら美穂はため息をついた。それからキッチンペーパーで涙を拭った。

* * *


 鉄板のベーコンがジューと踊りだしたので、美穂は玉ねぎを投入してしんなりするまで炒めた。そして薄切りポテトを入れた。ブラウンになるまで根氣づよく、じっくりと炒める。いつもの朝の光景。彼女はモチベーションを上げようと鼻歌を歌う。Jポップのレパートリーが切れたので、フランク・シナトラまで持ち出した。


「おはよう、『マイ・ウェイ』か。いい声だな」
「おはよう、ポール」
美穂は、自分を鼓舞するために元氣に挨拶した。

「お。少し浮上したか」
その言葉で、落ち込みを悟られていたのかと、意外な思いがした。
「まあね」

 ポールはブラウン・ポテトを一つつまみ上げて「あちっ」と言いながら口に放り込んだ。
「う~ん。これこれ。これこそニューヨーカーのブラウン・ポテトだ」

「ニューヨーカーのじゃないでしょ。ジャパニーズのだよ」
美穂が抗議すると、ポールはちらっとこっちを見て笑った。
「あん? はいはい、ニューヨークのジャパニーズ」
そのおどけた様子に美穂は笑ってしまった。ま、いっか。職場の居心地が悪くないだけでも。

 ポールは美穂の方をまともに見て言った。
「心配すんなよ。お前が一人で頑張っているの、ちゃんとオーナーに伝えているし、時給を倍にしろって交渉中だからさ」

 美穂はびっくりしてポールを見た。ポールはウィンクすると、『マイ・ウェイ』を歌いながら、モップを取りにバックヤードに入っていった。

(初出:2014年11月 書き下ろし)
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