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【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 2 -

「郷愁の丘」です。四回に分けた「シマウマたち」の二回目です。

グレッグの研究対象であるシマウマの観察に連れて行ってもらうジョルジア。いわゆる「サファリ」ですね。草食動物は群れになっていることが多く、一度にたくさん眺めることができます。あまりたくさんいるので、そのうちに、人々は草食動物を見るのに飽きてしまいます。

私はシマウマが大好きだったので、シマウマに対しては飽きませんでしたが、そういえば滞在の終わりにはトピやガゼルを見ても「ふ~ん」くらいにしか思わなくなっていたかも。でも、どの動物も、動物園の動物とはまったく違う佇まいで、ちょっと神々しいほどでしたよ。というような話は、今回のストーリーとは関係ないですが。

今回発表する分もそうですが、この小説は主人公たちが二人でいることがとても多くて、会話の具体的内容にとても苦労しました。とにかく、この二人、ずっと恋愛とは無縁のことを話しまくっているんです。一緒にいる時間が長いのでそのボリュームも半端なく、しかも私は写真家でも動物学者でもないので、何を話すんだろうかというところから始めて、悩みまくりでした。しかもストーリーに絡まってないといけないし。自然に表現できていたらいいんですけれど。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 2 -

 その話をしている間、ランドクルーザーはゆっくりと進み、道の悪い長い坂をいくつか下っていった。しばらくすると切り立った崖を背にしてどこまでも広がる広大なサバンナを走っていた。そこは《郷愁の丘》のテラスから眺めているあの土地だった。やがて、彼の目指す水場が近づいてきた。昨夜の雨で広がった大きな水源で、今朝テラスからそれを見て見当をつけていたのだ。彼は、離れた木陰で車を停めた。

 トムソンガゼルやインパラやヌーの大群が、ゆっくりと草を食んでいる。キリンの姿も見えたし、もちろん彼の観察対象であるシマウマもたくさんいた。陽炎の先に彼らが立ちすくむ。何頭かが、こちらを観察している。それ以上近づいて来ないかどうかを慎重に。安心したように頭を下げて食べだすものがいる。

 それは子供の頃の絵本で見たエデンの園のようだった。ジョルジアは、無意識に装備を手にしようとした。そして、休暇中だった事と、今回の旅に望遠レンズを全く持ってこなかった事を思い出した。

 彼は、固まっているシマウマたちを指差しながら、説明をした。
「あそこの二頭は姉妹だ。手前の子供は一週間ほど前に生まれた。かなり近くにハイエナがいたから随分ひやひやしたよ」
「まあ。ねえ、もしかして、シマウマを個別にわかっているの?」
「ここの調査は頻繁にしているから、特徴のある個体はわかるよ」
遠いせいでもあるが、ジョルジアには小さい仔シマウマ以外はどれも同じに見える。それを告げると彼は笑った。

 しばらくすると、動かないランドクルーザーに興味を持ったのか、それとも安心したのか、もっとずっと近くに動物たちが近寄ってきた。もちろん、すぐ側というほどではないが、それでも背の高いキリンなどが通り過ぎると、その姿に圧倒される。ジョルジアはコンパクトカメラを構えて、何回かシャッターを切った。彼は、何かを手元のノートに書いていた。小さい几帳面な筆蹟だ。

 氣がつくと昼どきになっていた。彼は、ルーシーに水と乾いた餌を少しやった。ジョルジアは、紅茶の入ったポットから二つのカップに紅茶を注ぎ、朝用意したランチボックスを開けた。

 長時間の戸外で悪くならないように、ジャムだけが挟まったあっさりとしたサンドイッチと塩だけしかつけないゆで卵。ジョルジアが見慣れている物に較べて黄身が白い。それにいくつかのオレンジ。彼はポケットナイフを駆使してあっという間に皮を剥いてくれる。

 ランチはあっさりしているが、目の前にたくさんの野生動物がいて、一緒に食事をしているのは愉快だった。食事の後も、観察と会話は続いた。

「先日した話の続きだけれど。人間の目は、シマウマの縞部分の写真を見てモノクロームとカラーを見分けられるものなのか?」
「ええ。見分けられるわ。もしそれがイラストで、全くただの二色だったらダメだけれど。もしわずかでもグラデーションがあれば、カラー写真にはいろいろな色が写っているの。もちろん、個人差もあるし、遠くから眺めたら、それだけで判断するのは難しいわね。でも、シマウマ自身はどうなのかしら?」

「彼らがモノクロームとカラーの違いにこだわるとは思えないな。少なくとも彼らと僕たちとは違う見え方をしていることはわかっている。ほ乳類のうち三色型色覚を持つのは霊長類だけでシマウマは二色型色覚だ。青と赤の違いは識別できないだろうね。黄色や緑は識別できるから新鮮な草とそうでないものは見てわかるのかもしれないね」
「色の違いを認識する必要はないってことね」

「そうだね。彼らにとってもっと大切なのは、周囲の動きを認識する事だからね」
「つまり?」

「目のついている位置を観察してごらん。横についているだろう? あの配置のおかげで視野がほぼ三百五十度あるんだ。背後で何かが動けばすぐに氣づく。肉食獣から逃げるために必要なんだね。ただし、両方の目で同時に見る両目視野はとても狭くて距離を測るのは得意ではない」

 ジョルジアは、なるほどと思いながらシマウマを見た。確かに彼らは振り向かずに後も見ているようだ。
「ライオンやチーターは?」

「追う方の肉食獣は、距離の測定がとても大切なので、立体的に見える両目視野が百二十度あるかわりに後方に全く見えない領域が八十度ある」
「よく出来ているのね」
「そうだな。非常によく適応している事はわかっても、どうしてそうなったのかはわからないんだ。さっき話にでた、二色型と三色型の色覚も、魚類では三色型や四色型色覚を持っていたのにほ乳類は一度色覚を失って二色型になり、その後に霊長類が再び三色型を獲得している」

 ジョルジアにとっては、色の違いはとても重要な関心事であると同時に、あたり前の事でもあった。色の違いによって表現するカラー写真と、陰影で表現するモノクロームの世界。それは人類がその違いを認識できるからこそ存在する表現方法だ。

 そのシステムを考える事は、作品の根源を見極める事でもある。そして、写真家のジョルジアにとってだけでなく、この会話は動物学者であるグレッグにとってもなんらかのインスピレーションになっていればいいと思った。

「シマウマって、本当に斬新なデザインの毛皮を着ているわよね。あたり前みたいに思っていたけれど。よく考えるとどうしてあんな風に進化したのかしら」
「それはいい質問だね。実は未だにはっきりとはわかっていないんだ。わりと最近までは、あの模様が集団でいると個体の区別がつきにくくなり襲われにくくなるからと信じられていたんだが、群れから離れると反対に目立ちやすくなるだろう」

「最近は別の学説もあるの?」
「ああ。体温調節のためとも言われていたけれど、最近一番有力だとされているのは、ツエツエバエを除けるのに有効だという説だ」
「ツエツエバエ?」

「吸血蠅でね。睡眠病を引き起こすトリパノソーマの感染の原因になるんだ。研究ではツエツエバエから検出される血液の中から、シマウマのものは極端に少ない事がわかっているし、ウマ科の他の動物に比較するとシマウマが睡眠病にかかりにくいこともわかっている。そして、吸血虫は色が均一でない所には着地しづらいという研究があるんだ。つまり縞があると刺されにくくなるといってもいいね」

「それは人間でも有効なの?」
「そうだ。ツエツエバエに刺されると人間も睡眠病になる。だから、まだらな服を着ている方がいいってことになるね」

「自然の叡智ってすごいのね。縞のある方がいいとシマウマの遺伝子にプログラムが書き込まれるまで、随分とたくさんの試行錯誤をしたんでしょうね。私たちがあっさり『進化論』と呼んでいるものだって、細胞が知っているわけじゃないんですものね」

 彼女の言葉に、グレッグは頷いた。
「進化論というのは、結果的に生き残ったものがどうして生き残ったかの理由付けとしてわかりやすいけれど、本当はそれだけでは片付けられない多様性もある。何千万年経っても、いまだに弱くて生存に向かない個体も普通に生み出され続けていることの説明はつかない」

「そうね。言われてみるとそうだわ。でも、絶対的な勝者じゃなくても、何とか生き延びる事が出来たなら、それはそれで生き残った事にならない?」

 彼は、ジョルジアを見て驚いたような顔をした。それから答えた。
「その通りだね。生き残るというのは正にそういう事だ。そして、そうやってなんとか生き延びた弱い生命の中から、次の環境変化に適応できたものが、思いもしなかった繁栄に預かることもある。そう思うと、僕もなんとか生きていくことに希望が持てるな」

「私もよ」
ジョルジアがそう答えると、彼は笑った。それは「君は弱者ではないだろうに」という否定の笑い方だった。ジョルジアは、少しだけ不満に思った。彼女はいつも自身を光に満ちた人びとの蔭に埋没した取るに足らない存在だと認識し続けてきたから。
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Posted by 八少女 夕

公爵のB&B

北イタリア旅行の話の続きですね。

私と連れ合いは、一度行って氣にいったところがあると、何度もリピートして訪問するのです。北イタリアのアペニン山脈やピアチェンツァの界隈も、そんなこんなで何度も行っています。

もともとは、コルシカ島へ行くための通り道だったのですが、このあたりをもっとよくドライブしたいということで、時々ここを訪ねて回っているのですね。

そんなこんなで、何度も訪れることになった街の一つが、カステッラルクアート(Castell'Arquato)。人口5,000人に満たない小さな中世の遺構です。八世紀からの古い歴史を持つお城を中心に、いい意味で観光地ずれしすぎていないほっとする場所なのです。

カステッラルクアート

今回みつけた宿は、Booking.comで予約したB&Bなのですが、地図上ではどう見ても中心の広場のところにあります。でも、あのあたりにあった高いホテルの横にB&Bなんてあったっけ? 首をかしげながらも、便利な場所なのに安いので急いで予約しました。しかも、鍵のかかる門の内側の敷地にバイクを駐車できるという利点もありました。夜間外に置いておくのは心配なので、パーキングは予約の大事なポイントなのです。

B&B
B&Bテラス

そして、たどり着いてみたら、本当にお高いホテルの隣にあった、以前「ここってすごいお館みたいだね」と言っていた建物がB&Bだったのです。もともとはピアチェンツア公爵のお屋敷だったそうで、かなり立派な建物。それを現代的に改装してあるのでとても快適な空間になっていました。

実は、泊まった二晩は私たち二人だけしか宿泊客がいなくて、しかもオーナーは別のところに住んでいるので、お城みたいな館を占有することになってしまいました。

そして、豪華な朝食。

フォカッチャのサンドイッチ

イタリアの朝ごはんは、普通だと甘いジャムの入ったクロワッサン、パンとジャム、そしてコーヒーぐらいのことが多いので、そんなイメージでいたのです。でも、それらに加えて、毎朝違うタイプのお菓子と、フォカッチャのサンドイッチ、焼いたパイなどがこれでもかと並べられました。

オーナーの女性とおしゃべりしながらこれを二時間くらいかけて食べていました。このマリーナさん、イタリア人には珍しく(失礼)外国語が得意で、しかもものすごく歴史や文化にも詳しい方でした。連れ合いは、理解できる人だと突然フランス語で話しだしたりするので、会話はイタリア語とフランス語と英語が混在することに。ついていく私も、話すほうもコロコロ言語が変わるので大変だったかも。でも、いつもこうなんです。

手作りジャム

マリーナさんとご主人は近郊に農場を持っているのですが、手作りジャムも出してくださいました。イチゴ、サクランボ、かりんなど農園で採れたもの、それにびっくりしたのがバラの花びらで作ったジャム、とても香りが良くておいしかったです。

ちょっとした王侯氣分を楽しめた二日間でした。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(6)シマウマたち - 1 -

少し間が空きましたが「郷愁の丘」です。ここは12000字を超えているので4回に分けます。

日本やスイスは、住むのに比較的安全な国です。そういうところから、そうではない国を訪問すると、安全であることに対して考えさせられることがあります。今回の部分は、そういった体験をもとにした記述が少し入っています。

それに、季節のあり方が日本とは少し違うので、そのことにも触れてあります(ここだけでなく、小説全体のあちこちに埋め込んであります)が、あまりうるさくならない程度の記述に抑えてあります。この辺は難しくて、伝わらないと困るのですが、一方で「説明しています」という感じになるのは嫌なので、毎回「どうしようかな」と悩むところです。

タイトルのシマウマは……。すみません、まだ出てきていません。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(6)シマウマたち - 1 -

 翌朝、彼はサバンナの調査にジョルジアを同行しようと言った。ルーシーにそれを告げると尻尾を振って、外へ飛び出そうとした。彼は、それを厳しく止めた。

 ジョルジアは、彼がルーシーを連れいてかないつもりなのかと思った。けれど彼は外の様子を示していった。
「あそこで跳ね回られると、車の中が大変なことになるからね」

 前庭は茶色い泥沼のような様相をしていた。ジョルジアは、昨夜の食事中に突然降り出した激しい雷雨の事を思い出した。

「雨季だから」
彼はその時、なんということはないという様子で言った。恐ろしい雷鳴や、屋根が抜けるのではないかと思うような大雨だったが、彼が落ち着いていたので、ジョルジアは思ったほど恐ろしさを感じなかった。ニューヨークで時々経験するハリケーンのような横殴りの風はなく、ひたすら大量の雨が降っただけで夜半までは続かなかった。だから、ジョルジアも安心して眠りにつく事が出来たのだ。

 彼はリードをつけてルーシーに水たまりを避けさせ、指定席である最後部座席に載せた。

 ジョルジアは、レイチェルの家で二匹のドーベルマンを見た時から疑問に思っていた事を訊いた。
「ルーシーをどこにでも連れて行くのね。家の番はいいの?」

 彼は笑った。
「犬を泥棒よけとして飼う人の方が多いけれど、うちにその心配はないよ。盗まれて困るものはほとんどないし、それでもうちから何か盗みたい人はルーシーぐらいなら簡単に殺してしまうさ。僕やここに滞在している人に、誰か不審者が来た事を報せてくれるという意味では、ルーシーは番犬だ。でも、それ以外ではどちらかというと僕の唯一の家族みたいなもので、泊りの時や調査ですぐには戻れないかもしれないところに行く時にはいつも連れて行く」

 それから、申しわけ程度の柵しかない表側の庭をジョルジアに見せて言った。
「この家には、野生動物よけの弱い電流を流す柵だけで、人間が侵入するのを防ぐ仕掛けは何もない」

 確かにそうだった。《郷愁の丘》の門には何のロックもない。サバンナの景観を遮るような境界も全くない。崖に面した東側には柵すらない。だからこそ、ジョルジアは生涯忘れる事はないだろうあの朝焼けを寝室で見る事が出来たのだ。

 レイチェルの家の塀には電氣ショックを与える柵があって、周囲からはあまり中が見えないように背の高い植木があった。その内側には鋭い針のあるアガベの仲間が隙間なく植えてあり、入り込んできた輩は怪我をするようになっていた。二匹のドーベルマンの他に、ガチョウを何匹も飼っているのは侵入者が入り込むと大きな鳴き声で騒ぐからだと説明してくれた。ゲートも電動だったし、さらに家のどの窓やドアにも鉄格子の侵入よけがあった。

「どうして? 何か他の仕掛けがあるの? それとも、性善説を信じているの?」
ジョルジアが訊くと、彼は笑って首を振った。

「ここがあまりにも人里から離れているから、何も必要ないんだ。この近くにいる人間はマサイのある部族だけだ。彼らは盗んだりはしない。牛以外はね」
「牛?」

 グレッグは頷いた。
「彼らの信仰では、神は世界の全ての牛をマサイのものと定めたんだそうだ。だから、他の部族やその他のよそ者が牛を飼ったりすると、彼らは『正統な持ち物を取り返しに』行くんだ。でも、それ以外の金目のものや電氣製品などを盗るために家に入り込んだりするような人たちではない」


「それで、他の家のようにドアに鉄格子がついていないのね?」
「泥棒たちは、何もないとわかっているのに、こんな遠くまでやってくるような無駄な事はしないからね。引越したての頃、二回か三回ほど留守に入られた事がある。でも、あまりに何もないので呆れたんだろうね」

 彼は居間を見回した。ジョルジアは改めて置いてある家具に目を留めた。ジョルジアの感覚では、そこにある家具の全てはアンティークと言ってよかった。

 彼女がニューヨークでよく行くダイナー《Sunrise Diner》で友人となったイギリス人クライヴとクレアの働いている骨董店《ウェリントン商会》には、ここにあるような家具がびっくりするような値段で売られている。モダンで快適な家具に飽きた酔狂な金持ちか、古き良き時代に憧れる人たちが「ようやく見つけた」と喜んで買っていく。それほど、今やどこにも見かけなくなったような古くて使い込まれた家具だった。

 ただし、この家具が作られた時代から高級品とは言いがたいクオリティで作られたもので、それが時代を経て使い込まれ、上塗りもあちこち剥げて色褪せたせいで、どことなく物悲しさが漂っていた。そして、その家具の中も上も、シンブルに徹した簡素さで、言われてみると金目のものなどどこにもなさそうだった。食器やカトラリーですら、特に高級なものは何もなかった。

 この家までわざわざやってきて何かを盗んでいこう、それを更に売り払おう考えた泥棒が、運搬の手間すら惜しんでやめたことは十分に想像できた。

「僕は、せっかく書いた論文や資料を心配して青くなったけれど、興味も持たなかったらしくて、何もかも残っていてホッとしたんだよ。それから十年近く一度も泥棒には入られていない。時々、スプーンや砂糖などはなくなるけれど」

 二年前にリチャード・アシュレイが黒人の使用人の事を罵っていたのを思い出した。カトラリーや食糧の備蓄がなくなるのは、こちらでは日常茶飯事なのだと。ジョルジアは、ここでもそれが起こっているのかと思った。つまり、想定される犯人は、あのアマンダだということになる。でも、グレッグの方はとくに彼女に腹を立てているように思えなかった。そういうものなのだと、受け入れてしまっているようだ。

 出かける用意を済ませ車で待っていると、彼も戸締まりをして出てきた。ライフルを持っていたので、彼女はぎょっとした。彼は、笑ってそれを後の座席に置くと言った。
「まず使わないよ。でも、どうしても使わなくてはいけない時もあるから、ここに住むようになってから訓練した。人間の愚かさのため、使わざるを得ないときが一番辛い」

「使う羽目になった事があるの?」
「幸い、威嚇だけで済んだけれどね。キクユ族の男がハイエナに襲われたのを救った事がある。それに、僕はあまり観光客には関わらないようにしているんだけれど、レイチェルが案内したベルギーの金持ちは勝手に車から降りて、ライオンに襲われそうになったんだ。その時は同行していたレンジャーがそのライオンを射って怪我をさせたんだ。それが原因でしばらくして死んだ。彼女はその観光客の勝手な行動を止められなかったとずいぶんと自分を責めていたよ。」

「調査のためにも、氣を遣うのね」
「そうだね。撃つなんて事は論外だけれど、動物たちのストレスにならないようにしたいんだ。彼らの警戒心を起こさせるような行動は極力避ける」

「どういうふうに?」
「例えば距離だよ。ほんのわずかな違いなんだけれど、たった半メートル近すぎるだけで、動物たちは落ち着いて草を食めなくなるんだ。見えないテリトリーだね。長年の経験で、どこまでは近づいていいかはたいていわかるんだ。こちらが我慢して動物たちの安心できる位置に留まっていると、信頼してくれた動物の方から近づいてきてくれる事もある」

 ジョルジアは、納得して彼の言葉を聞いていた。
「向こうから興味を持ってくれる事もあるのね?」
「馴染みの深い動物たちは、興味津々で観察してきたりするよ。何ヶ月か観察していると、お互いに知り合いみたいになるんだ」
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Posted by 八少女 夕

目を守る

今日はトラックバックテーマでもあるんですが、一応「生活のあれこれ」カテゴリーに入れてみました。テーマは「サングラスをかけますか?」だそうです。

で、かけます。以前「眼鏡の話」という記事でも語りましたが、昔から酷使してきた目を、ここ数年必要にかられて保護しています。

昨年の秋に日本に行った時に、遠近両用眼鏡と中近両用眼鏡を作ってきました。中近両用の方はブルーライトのカットを強くしてもらって会社での仕事専用に置きっぱなしにしています。そして、下の写真の水色のフレームのものが、それ以外の時間に使っている遠近両用。JINSという会社で作ってきました。ほとんど違和感なく使い始められ、現在ではもともとの眼鏡に戻れないほど馴染んでしまいました。

クリップ・オン・サングラス装着

そして、屋外に長時間行く時は、さらにサングラスを掛けています。色が変わるものや、そもそも完全に掛け替える度入りサングラスなども検討したのですが、現在一番都合が良くて使っているのが、このクリップ・オンタイプのサングラス。これは白内障や加齢黄斑変性の原因となる紫外線と青色光線(ブルーライト)をカットしてくれるそうです。通販生活で買いました。

色が黄色いので、眩しい昼間から、暗くなったり屋外に入っても特に問題なく見えます。もちろん屋外に長時間いる時には外しますが、キオスクに寄るときぐらいならこのまま。

オーバーグラス式サングラス

こちらは以前もご紹介したことのあるオーバーグラスタイプのサングラス。主にドライブで使っています。これの優れたところは、前方だけでなくサイドもサングラスになっていて、ドライブ中に西日が横から入ってきて辛いときなどもカバーしてくれるのです。運転中は横を向いたりできないし、高速などでは勝手に停まれないので、このサングラスは本当に便利です。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の三浦です今日のテーマは「サングラスをかけますか?」です夏は日差しが強く、まぶしいですよね街中ではサングラスをかけている方が増えた気がします三浦は自転車通勤 なので、サングラスはマストアイテムです 車を運転される方 や、ファッションでかけている方も多いと思いますが皆さんはいかがですかあと、外国人の方はめちゃくちゃサングラスが似合ってかっこいいですよねサングラス...
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Posted by 八少女 夕

【小説】それもまた奇跡

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」六月分を発表します。六月のテーマは「メダイ」です。「なんだそれ」と思われる方もあるかと思います。カトリックで使われるお守りのようなメダルのことです。

宗教的なもの、とくに「奇跡を起こすメダル」の話をするとアレルギー反応を示される方もあります。特に私がカトリックを公言しているので警戒なさる方もあるかもしれませんが、今回の話はとくに信仰心や奇跡とは関係のない話ですのでご安心ください。むしろどちらかというと「塞翁が馬」的なストーリーですね。

全く必要のない情報ですが、出てくる男性が勤めている「健康食品の会社」の社長は「郷愁の丘」のヒロインの兄、マッテオ・ダンジェロだという設定です。でも、この作品には出てきませんし、これはただの読み切りです(笑)


短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む



それもまた奇跡

 ケイトは、行ったばかりのデパート、ボン・マルシェの方に戻った。その近くにある『奇跡のメダイのノートルダム教会』に寄ってくるように、トレイシーに懇願されていたことを思い出したのだ。

 彼女自身はカトリックではなく真面目なキリスト教徒とはお世辞にも言えなかったし、聖母出現だの、奇跡を起こすメダルなどというものはナンセンスだと思っていたが、それを信じて待っている人間のために、デパートの帰り道に寄るくらいのことを断るほど偏狭ではなかった。でも、くだらないと思っていたせいか、もう少しで忘れるところだった。

「何それ?」
パリに行くと話した時に、トレイシーがおずおずと口にした願いを耳にしたケイトは、何を買ってくればいいのか全く理解できなかったので問い直した。

「奇跡を起こすメダルよ。楕円形でね。表に聖母マリア像と『原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え』って意味のフランス語が、裏には十字架とM、それにジーザスと聖母マリアの心臓が打出されているの。パリの教会で買う事ができるの」

「一つの教会でしか買えないの?」
「他のカトリックの教会で置いているところもあるかもしれないけれど、似ていて違うものとあなたは見分けがつかないでしょう? 道端で売っているものや、通販などだと偽物がほとんどよ。そもそも転売は禁止されているの。だから、本家の教会で買って来てほしいの」

 トレイシーは、現在入院中でパリに自ら行くことはできない。奇跡が必要なほどの重病でもないので、わざわざ家族が行くこともない。要するに親友が行くついでに欲しいと言ってみたのだろう。ケイトは、「わかったわ」と頷いた。

「ところで、その教会にそのメダイとやらは一種類しかないの?」
「いいえ。銀色だったり、ブルーだったり、いろいろとあるみたいだけれど、その教会で売っていればどれも本物だわ。このお金で買えるものを買ってきて。おつりはあなたにあげるから、好きなものを買ってね」

 彼女の手渡してくれたドル紙幣は、とっくにユーロに両替した。これで買って行かなかったら詐欺になってしまう。六月の日差しは刺すように強い。今日はとても暑い。何も考えずにタンクトップできてしまったけれど、その教会にこの格好で入れるかなあ。ケイトは先ほど暑くてしまったスカーフをカバンから取り出して、申しわけ程度に肩から羽織った。

 白い教会の門は、先ほど通り過ぎたところだった。中に入り、きょろきょろと見回した。熱心な信者なら教会で祈ってからメダイを買いに行くのだろうが、ケイトはそれを省略して売店に直行した。ボン・マルシェでの買い物にはあれほど時間をかけたのに、しかも、この後にスケジュールが詰まっているわけでもないのに、ひどい態度だ。敬虔なカトリックだった亡き祖母が知ったら、さぞ憤慨したことだろう。

 メダイはどこにありますかと訊く必要もなかった。壁際にたくさんぶら下がっていて、人びとが次々と買い求めていた。ケイトは近づいて見て驚いだ。一つ一つを結構な値段で売っているのかと思ったのだが、多いものは50個ほどがビニール袋にどさっと入っている。それでいて15ユーロほどの値段だから、ほぼ材料費だろう。最もいいものも一つ六ユーロなので、商売として売っているのではないようだ。

 ふーん。よくわからないけれど、とにかく買って帰ろう。

 トレイシーが身につけるように、一番高い一つ入りのものを一つ、それから彼女が他の人にプレゼントできるように大入袋を一つ買った。それに、信じていないのにどうかと思うが、試しに十個入りのものを自分用に買った。これはトレイシーから預かった金額ではなく、自分のお財布から出したつもりで。

 
* * *

 
 こんな踏んだり蹴ったりの旅は生まれて初めて。ケイトは心底腹を立ててシャルルドゴール空港のベンチにうずくまった。ケチがつき始めたのは、ボン・マルシェに行った水曜日からだ。

 ホテルに戻るとフロントの感じの悪い男に「さっさとチェックアウトしろ」と言われた。金曜日まで六泊する予約だから今日チェックアウトするはずはないと答えると、予約は三泊だけで昨夜までだという。

 そんなはずがあるかと予約確認書を見たら、どういうわけか本当に三泊分だけだった。慌ててインターネットで探してなんとか残りの三泊分の宿を確保したが、少し郊外で足の便が悪かった。そのせいで帰りの空港行きバスに乗り遅れた。

 次のバスで空港に向かうと、飛行機には乗れないという。まだチェックインは締め切っていないのになぜと問いただすと、ダブルブッキングでもう席がないという。次の便に代わりの席を用意してくれるというが、それでは乗り継ぎ便に間に合わなくなり、最終的には八時間も遅れることになった。

「はあ。本当に腹がたつ。こっちで八時間遅れるなら、まだパリ観光ができるのに」
ケイトは、使い切ろうと買い物をしてしまったために残り少ないユーロで、バゲットサンドイッチとオレンジジュースを買い、ゲート前のベンチで食べた。

 財布の中は、わずかなコインと、水曜日に買って財布に突っ込んだ『奇跡を起こすメダイ』だけが虚しい音を立てていた。
「そういえば、これを買いに行ったっけ。奇跡が起こるって言われたけれど、反対じゃない。礼拝堂に行かずにこれだけ買いに行ったのがいけなかったのかしら」
サンドイッチをかじりながら、ケイトはメダイをながめて首をかしげた。

「失礼。この席は空いていますか」
その声に振り向くと、スーツを着た小柄な男が立っていた。周りを見回すと、確かにもう空いているベンチはほとんどなく、ケイトは隣の席に置いていた彼女の手荷物を足ものとに置き直して「どうぞ」と言った。

 男は「ありがとう」と言って腰かけた。それからケイトの手元のメダイを見て話しかけた。
「カトリックですか」

「え。いいえ。母方の祖母はカトリックでしたが、私はプロテスタントで洗礼を受けています。もっとも、大人になってからは冠婚葬祭以外では一度も教会に行っていないかも。これは、友人に頼まれて買いに行ったついでに、つい自分用に買ってしまっただけ」
「どこで?」
「『奇跡のメダイのノートルダム教会』よ。他にもあるの?」

 男は身を乗り出してきた。
「ええ。同じデザインのものはあちこちの教会で売っています。けれど、いわゆる『奇跡を起こすメダイ』は、その教会で買ったものだけなんです。通信販売などはなく、しかもプレゼントは構わないが転売は禁止されていて、インターネットなどで売っているものでは奇跡は期待できないんです。では、あなたは本物を買われたんですね。羨ましい」

「あなたはカトリック? これを買いそびれたの?」
そうケイトが訊くと、男は頷いた。
「ええ。こちらにはビジネスで来て、昨日、やっと時間が空いたので買いに行ったんですが、教会が見つからなくて探している間に売店が閉まってしまったんですよ。闘病している母に頼まれたんですが、買えなくて残念です」

 ケイトは、それを聞くとカバンからビニール袋を取り出した。十個もいらないと思っていたところだったから。中から五個とりだすと、男に渡した。「どうぞ」

「え。そんなつもりではなかったんですが、本当にいいんですか? お支払いしますが、おいくらでしょうか」
「転売すると効果がなくなるんでしょう? 大した値段じゃなかったし、プレゼントするわ。お母さん、早く治るといいわね」

 男は、「ありがとう」と言って頭を下げた。
「お礼にご馳走させていただけませんか。目的地はニューヨークですか? それともどこかへ乗り継ぎですか?」

「ロサンゼルスまで行かなくちゃいけないの。実は、前の便にオーバーブッキングで乗れなくて、ニューヨークで四時間も待たなくちゃいけないの」

「でしたら、空港の近くのおいしいレストランにご案内しましょう。空港内よりもおいしいものが食べられますし」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく」

「僕は、ブライアン・スミスと言います」
「私は、ケイト・アンダーソンよ。よろしく」

 搭乗の案内が始まった。ファーストクラスとビジネスクラスから先にと言われ、ケイトはブライアンが立ち上がったのを座ったまま見送った。
「エコノミーなんですか?」
「ええ」

「ちょっと待ってください」
ブライアンは、カウンターに行くと何かを係員と話してからケイトに来るように合図した。なんだろう?

 ケイトがカウンターに行くと、係員が彼女の搭乗券の提示を求めた。
「こちらのスミスさまのマイレージで、ビジネスクラスにアップグレードをいたしますね」
「え? そんな、悪いです」
「いいんですよ。どっちにしても、マイレージは使い切れないんですから」

 係員の計らいで、ブライアンの隣の席にしてもらい、ニューヨークまでのフライトで彼とずっと話すことになった。話は面白いし、感じのいい人だ。

 話しているうちに、彼は健康食品の販売で有名な会社の重役であることがわかった。ふ~ん。道理でマイレージを捨てちゃってもなんでもないわけだ。ケイトはちらりと彼の上質なスーツを眺めた。若いのにすごいなあ。エリートってやつかあ。パリに遊びに行くのに五年も旅費を貯めなくてはならないケイトとは、随分と違う世界に住んでいる。

「ロサンゼルス市内にお住まいなんですか? 実は、今度の土曜日にロスの母の家に行く予定なんですよ。もしお時間があったら一緒にいかがですか。メダイを譲ってくれたご本人に母は会いたがるはずですから」
ブライアンはニコニコと笑いかけた。

 ええっ。これっきり二度と会わないはずだと思っていたけれど、この人そうじゃないの? いやいや、失礼な想像をしちゃダメよね。こんなにお金持ちで有能そうで性格も良さげな人は、放っておいても女性が群がるだろうし。まあ、ものすごくかっこいいってわけじゃないけれど……。

「ええと。その日は、私もトレイシーに会ってメダイを渡す予定なんです。彼女は今月いっぱいUCLAのリハビリ科にいて、そこなら我が家からそんなに遠くないし、それに彼女はこれを待っていると思うので……」

 その後でもいいなら、という前にブライアンは身を乗り出してきた。
「UCLAメディカル・センター? トレイシーさんはそこに入院しているんですね。なんて奇遇なんだろう」

 あ。トレイシーのお見舞いにも行くのね。ま、そうだろうなぁ。それじゃ、きっと彼女に夢中になるな。男性は、みんなトレイシーみたいな美人が好きだし、ましてや入院中の儚い感じは破壊力抜群だもん。よけいな期待しないでよかった。うんうん。

 ケイトは、変に安心して、自分の幸運の取り分を大いに楽しむことにした。すなわち、このビジネスクラスのフライトと、ニューヨークのレストランでの豪勢なランチだ。五個全て足しても五ユーロに満たないメダルと引き換えのラッキーとしては、奇跡とまではいかないけれど十分お釣りがくるだろう。ホテルを追い出されたことやフライトの遅れを差し引いても。

 ブライアンが連れて行ってくれたのは、予想に反して高価そうに見えないイタリア・レストランだったが、何もかも信じられないくらいおいしかった。食事がまずいことで有名な空港界隈にこんなにおいしいレストランがあるなんて。さほど値もはりそうになかったので、ケイトは安心して食べたいものをオーダーした。おいしいワインに、もちろん終わりのドルチェまで。もっともその食事で一番よかったのは、ブライアンとの楽しくて興味深い会話だった。

* * *


「ケイト! 奇跡をありがとう」
土曜日に、約束通りにメディカル・センターへ行くと、トレイシーが待ち構えていた。

「トレイシー。私があれをちゃんと買えたって、どうしてわかるのよ」
ケイトは笑いながら、『奇跡を起こすメダイ』を鞄から取り出してトレイシーの透き通るように白い手のひらに置いた。

「だって、スミスさんが全部話してくれたもの。そしてね。私たち、おかげで婚約したの!」
トレイシーの発言に、ケイトはずっこけた。いくらなんでも展開が早すぎる。

「え? も、もう?」
「ふふ。私たち、ずっとお互いにいいなって思っていたのよ。でも、ケイトの冒険のおかげで、月曜日からずっと個人的に話をすることになって……」

 えっ、月曜日? ケイトは首を傾げた。
「ミスター・スミスったら、そんなにすぐにここに来たの?」

 トレイシーは、きょとんとしてから、笑い出した。
「ごめんなさい。説明不足だったわね。私の言っているのは、あなたが出会ったブライアン・スミスさんの弟のダニーのことよ。ここで療法士をしているの。そもそも、あの『奇跡を起こすメダイ』のことを教えてくれたのもダニーなの。あなたとお兄さんがバリで知り合って、しかもメダイを譲ってもらったと聞いて、翌日に興奮して話に来たのよ。それがきっかけで、私たち、お互いにいいなと思っていたことがわかって」

 ケイトは、なるほど、と思った。婚約したのは弟さんか。ケイトはうっとりするトレイシーのますます綺麗な横顔を眺めた。
「今週に入ってから、私の回復のめざましさに、先生たちも驚いているわよ。やはり『奇跡を起こすメダイ』なのね。ケイト、本当にありがとう」
いや、それはメダイのおかげというか、愛の力なんじゃ……。そういう無粋なことは、この際言わないほうがいいのかな。

「で。ミスター・ブライアン・スミスは、お見舞いに来たの?」
「いいえ。でも、昨日ダニーがあなたの来る時間を訊いてきたの。きっとブライアンはもうじき来るでしょうね。あなたにしては、妙に首尾よく彼を夢中にさせちゃったのね、ケイト」

 ええっ? なんの冗談?
「それはないと思うわよ。もう二度と会わないと思って、ガサツに食べて飲んじゃったし」

 トレイシーはウィンクをした。
「ダニーによると、彼はあなたのことを周りに全然いなかったナチュラルなタイプで、とても氣になるって言っていたんですって。そもそもあなた、新しい出会いなんて全然ないってこぼしていたじゃない。これもメダイの奇跡かもしれないわよ」

 あんなに真面目に祈っている人たちの信じているメダルで起こる奇跡が、こんなどうでもいいことのわけないじゃない! まあ、でもラッキーというのはどんな形でもうれしいけれど。

 病室の外でコツコツと靴音が近づいてきた。ノックの音が聞こえて、ケイトは、真っ赤になった。


(初出:2017年6月 書き下ろし)

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この小説で扱っている『奇跡を起こすメダイ』はこういうメダルです。(画像はWikimedia Commonsより)

Miraculous medal
By Xhienne (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons
Medal of the Immaculate Conception (aka Miraculous Medal), a medal created by Saint Catherine Labouré in response to a request from the Blessed Virgin Mary who allegedly appeared rue du Bac, Paris, in 1830. The message on the recto reads: "O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee — 1830".
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】それもまた奇跡

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」六月分を発表します。六月のテーマは「メダイ」です。「なんだそれ」と思われる方もあるかと思います。カトリックで使われるお守りのようなメダルのことです。

宗教的なもの、とくに「奇跡を起こすメダル」の話をするとアレルギー反応を示される方もあります。特に私がカトリックを公言しているので警戒なさる方もあるかもしれませんが、今回の話はとくに信仰心や奇跡とは関係のない話ですのでご安心ください。むしろどちらかというと「塞翁が馬」的なストーリーですね。

全く必要のない情報ですが、出てくる男性が勤めている「健康食品の会社」の社長は「郷愁の丘」のヒロインの兄、マッテオ・ダンジェロだという設定です。でも、この作品には出てきませんし、これはただの読み切りです(笑)


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それもまた奇跡

 ケイトは、行ったばかりのデパート、ボン・マルシェの方に戻った。その近くにある『奇跡のメダイのノートルダム教会』に寄ってくるように、トレイシーに懇願されていたことを思い出したのだ。

 彼女自身はカトリックではなく真面目なキリスト教徒とはお世辞にも言えなかったし、聖母出現だの、奇跡を起こすメダルなどというものはナンセンスだと思っていたが、それを信じて待っている人間のために、デパートの帰り道に寄るくらいのことを断るほど偏狭ではなかった。でも、くだらないと思っていたせいか、もう少しで忘れるところだった。

「何それ?」
パリに行くと話した時に、トレイシーがおずおずと口にした願いを耳にしたケイトは、何を買ってくればいいのか全く理解できなかったので問い直した。

「奇跡を起こすメダルよ。楕円形でね。表に聖母マリア像と『原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え』って意味のフランス語が、裏には十字架とM、それにジーザスと聖母マリアの心臓が打出されているの。パリの教会で買う事ができるの」

「一つの教会でしか買えないの?」
「他のカトリックの教会で置いているところもあるかもしれないけれど、似ていて違うものとあなたは見分けがつかないでしょう? 道端で売っているものや、通販などだと偽物がほとんどよ。そもそも転売は禁止されているの。だから、本家の教会で買って来てほしいの」

 トレイシーは、現在入院中でパリに自ら行くことはできない。奇跡が必要なほどの重病でもないので、わざわざ家族が行くこともない。要するに親友が行くついでに欲しいと言ってみたのだろう。ケイトは、「わかったわ」と頷いた。

「ところで、その教会にそのメダイとやらは一種類しかないの?」
「いいえ。銀色だったり、ブルーだったり、いろいろとあるみたいだけれど、その教会で売っていればどれも本物だわ。このお金で買えるものを買ってきて。おつりはあなたにあげるから、好きなものを買ってね」

 彼女の手渡してくれたドル紙幣は、とっくにユーロに両替した。これで買って行かなかったら詐欺になってしまう。六月の日差しは刺すように強い。今日はとても暑い。何も考えずにタンクトップできてしまったけれど、その教会にこの格好で入れるかなあ。ケイトは先ほど暑くてしまったスカーフをカバンから取り出して、申しわけ程度に肩から羽織った。

 白い教会の門は、先ほど通り過ぎたところだった。中に入り、きょろきょろと見回した。熱心な信者なら教会で祈ってからメダイを買いに行くのだろうが、ケイトはそれを省略して売店に直行した。ボン・マルシェでの買い物にはあれほど時間をかけたのに、しかも、この後にスケジュールが詰まっているわけでもないのに、ひどい態度だ。敬虔なカトリックだった亡き祖母が知ったら、さぞ憤慨したことだろう。

 メダイはどこにありますかと訊く必要もなかった。壁際にたくさんぶら下がっていて、人びとが次々と買い求めていた。ケイトは近づいて見て驚いだ。一つ一つを結構な値段で売っているのかと思ったのだが、多いものは50個ほどがビニール袋にどさっと入っている。それでいて15ユーロほどの値段だから、ほぼ材料費だろう。最もいいものも一つ六ユーロなので、商売として売っているのではないようだ。

 ふーん。よくわからないけれど、とにかく買って帰ろう。

 トレイシーが身につけるように、一番高い一つ入りのものを一つ、それから彼女が他の人にプレゼントできるように大入袋を一つ買った。それに、信じていないのにどうかと思うが、試しに十個入りのものを自分用に買った。これはトレイシーから預かった金額ではなく、自分のお財布から出したつもりで。

 
* * *

 
 こんな踏んだり蹴ったりの旅は生まれて初めて。ケイトは心底腹を立ててシャルルドゴール空港のベンチにうずくまった。ケチがつき始めたのは、ボン・マルシェに行った水曜日からだ。

 ホテルに戻るとフロントの感じの悪い男に「さっさとチェックアウトしろ」と言われた。金曜日まで六泊する予約だから今日チェックアウトするはずはないと答えると、予約は三泊だけで昨夜までだという。

 そんなはずがあるかと予約確認書を見たら、どういうわけか本当に三泊分だけだった。慌ててインターネットで探してなんとか残りの三泊分の宿を確保したが、少し郊外で足の便が悪かった。そのせいで帰りの空港行きバスに乗り遅れた。

 次のバスで空港に向かうと、飛行機には乗れないという。まだチェックインは締め切っていないのになぜと問いただすと、ダブルブッキングでもう席がないという。次の便に代わりの席を用意してくれるというが、それでは乗り継ぎ便に間に合わなくなり、最終的には八時間も遅れることになった。

「はあ。本当に腹がたつ。こっちで八時間遅れるなら、まだパリ観光ができるのに」
ケイトは、使い切ろうと買い物をしてしまったために残り少ないユーロで、バゲットサンドイッチとオレンジジュースを買い、ゲート前のベンチで食べた。

 財布の中は、わずかなコインと、水曜日に買って財布に突っ込んだ『奇跡を起こすメダイ』だけが虚しい音を立てていた。
「そういえば、これを買いに行ったっけ。奇跡が起こるって言われたけれど、反対じゃない。礼拝堂に行かずにこれだけ買いに行ったのがいけなかったのかしら」
サンドイッチをかじりながら、ケイトはメダイをながめて首をかしげた。

「失礼。この席は空いていますか」
その声に振り向くと、スーツを着た小柄な男が立っていた。周りを見回すと、確かにもう空いているベンチはほとんどなく、ケイトは隣の席に置いていた彼女の手荷物を足ものとに置き直して「どうぞ」と言った。

 男は「ありがとう」と言って腰かけた。それからケイトの手元のメダイを見て話しかけた。
「カトリックですか」

「え。いいえ。母方の祖母はカトリックでしたが、私はプロテスタントで洗礼を受けています。もっとも、大人になってからは冠婚葬祭以外では一度も教会に行っていないかも。これは、友人に頼まれて買いに行ったついでに、つい自分用に買ってしまっただけ」
「どこで?」
「『奇跡のメダイのノートルダム教会』よ。他にもあるの?」

 男は身を乗り出してきた。
「ええ。同じデザインのものはあちこちの教会で売っています。けれど、いわゆる『奇跡を起こすメダイ』は、その教会で買ったものだけなんです。通信販売などはなく、しかもプレゼントは構わないが転売は禁止されていて、インターネットなどで売っているものでは奇跡は期待できないんです。では、あなたは本物を買われたんですね。羨ましい」

「あなたはカトリック? これを買いそびれたの?」
そうケイトが訊くと、男は頷いた。
「ええ。こちらにはビジネスで来て、昨日、やっと時間が空いたので買いに行ったんですが、教会が見つからなくて探している間に売店が閉まってしまったんですよ。闘病している母に頼まれたんですが、買えなくて残念です」

 ケイトは、それを聞くとカバンからビニール袋を取り出した。十個もいらないと思っていたところだったから。中から五個とりだすと、男に渡した。「どうぞ」

「え。そんなつもりではなかったんですが、本当にいいんですか? お支払いしますが、おいくらでしょうか」
「転売すると効果がなくなるんでしょう? 大した値段じゃなかったし、プレゼントするわ。お母さん、早く治るといいわね」

 男は、「ありがとう」と言って頭を下げた。
「お礼にご馳走させていただけませんか。目的地はニューヨークですか? それともどこかへ乗り継ぎですか?」

「ロサンゼルスまで行かなくちゃいけないの。実は、前の便にオーバーブッキングで乗れなくて、ニューヨークで四時間も待たなくちゃいけないの」

「でしたら、空港の近くのおいしいレストランにご案内しましょう。空港内よりもおいしいものが食べられますし」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく」

「僕は、ブライアン・スミスと言います」
「私は、ケイト・アンダーソンよ。よろしく」

 搭乗の案内が始まった。ファーストクラスとビジネスクラスから先にと言われ、ケイトはブライアンが立ち上がったのを座ったまま見送った。
「エコノミーなんですか?」
「ええ」

「ちょっと待ってください」
ブライアンは、カウンターに行くと何かを係員と話してからケイトに来るように合図した。なんだろう?

 ケイトがカウンターに行くと、係員が彼女の搭乗券の提示を求めた。
「こちらのスミスさまのマイレージで、ビジネスクラスにアップグレードをいたしますね」
「え? そんな、悪いです」
「いいんですよ。どっちにしても、マイレージは使い切れないんですから」

 係員の計らいで、ブライアンの隣の席にしてもらい、ニューヨークまでのフライトで彼とずっと話すことになった。話は面白いし、感じのいい人だ。

 話しているうちに、彼は健康食品の販売で有名な会社の重役であることがわかった。ふ~ん。道理でマイレージを捨てちゃってもなんでもないわけだ。ケイトはちらりと彼の上質なスーツを眺めた。若いのにすごいなあ。エリートってやつかあ。パリに遊びに行くのに五年も旅費を貯めなくてはならないケイトとは、随分と違う世界に住んでいる。

「ロサンゼルス市内にお住まいなんですか? 実は、今度の土曜日にロスの母の家に行く予定なんですよ。もしお時間があったら一緒にいかがですか。メダイを譲ってくれたご本人に母は会いたがるはずですから」
ブライアンはニコニコと笑いかけた。

 ええっ。これっきり二度と会わないはずだと思っていたけれど、この人そうじゃないの? いやいや、失礼な想像をしちゃダメよね。こんなにお金持ちで有能そうで性格も良さげな人は、放っておいても女性が群がるだろうし。まあ、ものすごくかっこいいってわけじゃないけれど……。

「ええと。その日は、私もトレイシーに会ってメダイを渡す予定なんです。彼女は今月いっぱいUCLAのリハビリ科にいて、そこなら我が家からそんなに遠くないし、それに彼女はこれを待っていると思うので……」

 その後でもいいなら、という前にブライアンは身を乗り出してきた。
「UCLAメディカル・センター? トレイシーさんはそこに入院しているんですね。なんて奇遇なんだろう」

 あ。トレイシーのお見舞いにも行くのね。ま、そうだろうなぁ。それじゃ、きっと彼女に夢中になるな。男性は、みんなトレイシーみたいな美人が好きだし、ましてや入院中の儚い感じは破壊力抜群だもん。よけいな期待しないでよかった。うんうん。

 ケイトは、変に安心して、自分の幸運の取り分を大いに楽しむことにした。すなわち、このビジネスクラスのフライトと、ニューヨークのレストランでの豪勢なランチだ。五個全て足しても五ユーロに満たないメダルと引き換えのラッキーとしては、奇跡とまではいかないけれど十分お釣りがくるだろう。ホテルを追い出されたことやフライトの遅れを差し引いても。

 ブライアンが連れて行ってくれたのは、予想に反して高価そうに見えないイタリア・レストランだったが、何もかも信じられないくらいおいしかった。食事がまずいことで有名な空港界隈にこんなにおいしいレストランがあるなんて。さほど値もはりそうになかったので、ケイトは安心して食べたいものをオーダーした。おいしいワインに、もちろん終わりのドルチェまで。もっともその食事で一番よかったのは、ブライアンとの楽しくて興味深い会話だった。

* * *


「ケイト! 奇跡をありがとう」
土曜日に、約束通りにメディカル・センターへ行くと、トレイシーが待ち構えていた。

「トレイシー。私があれをちゃんと買えたって、どうしてわかるのよ」
ケイトは笑いながら、『奇跡を起こすメダイ』を鞄から取り出してトレイシーの透き通るように白い手のひらに置いた。

「だって、スミスさんが全部話してくれたもの。そしてね。私たち、おかげで婚約したの!」
トレイシーの発言に、ケイトはずっこけた。いくらなんでも展開が早すぎる。

「え? も、もう?」
「ふふ。私たち、ずっとお互いにいいなって思っていたのよ。でも、ケイトの冒険のおかげで、月曜日からずっと個人的に話をすることになって……」

 えっ、月曜日? ケイトは首を傾げた。
「ミスター・スミスったら、そんなにすぐにここに来たの?」

 トレイシーは、きょとんとしてから、笑い出した。
「ごめんなさい。説明不足だったわね。私の言っているのは、あなたが出会ったブライアン・スミスさんの弟のダニーのことよ。ここで療法士をしているの。そもそも、あの『奇跡を起こすメダイ』のことを教えてくれたのもダニーなの。あなたとお兄さんがバリで知り合って、しかもメダイを譲ってもらったと聞いて、翌日に興奮して話に来たのよ。それがきっかけで、私たち、お互いにいいなと思っていたことがわかって」

 ケイトは、なるほど、と思った。婚約したのは弟さんか。ケイトはうっとりするトレイシーのますます綺麗な横顔を眺めた。
「今週に入ってから、私の回復のめざましさに、先生たちも驚いているわよ。やはり『奇跡を起こすメダイ』なのね。ケイト、本当にありがとう」
いや、それはメダイのおかげというか、愛の力なんじゃ……。そういう無粋なことは、この際言わないほうがいいのかな。

「で。ミスター・ブライアン・スミスは、お見舞いに来たの?」
「いいえ。でも、昨日ダニーがあなたの来る時間を訊いてきたの。きっとブライアンはもうじき来るでしょうね。あなたにしては、妙に首尾よく彼を夢中にさせちゃったのね、ケイト」

 ええっ? なんの冗談?
「それはないと思うわよ。もう二度と会わないと思って、ガサツに食べて飲んじゃったし」

 トレイシーはウィンクをした。
「ダニーによると、彼はあなたのことを周りに全然いなかったナチュラルなタイプで、とても氣になるって言っていたんですって。そもそもあなた、新しい出会いなんて全然ないってこぼしていたじゃない。これもメダイの奇跡かもしれないわよ」

 あんなに真面目に祈っている人たちの信じているメダルで起こる奇跡が、こんなどうでもいいことのわけないじゃない! まあ、でもラッキーというのはどんな形でもうれしいけれど。

 病室の外でコツコツと靴音が近づいてきた。ノックの音が聞こえて、ケイトは、真っ赤になった。


(初出:2017年6月 書き下ろし)

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この小説で扱っている『奇跡を起こすメダイ』はこういうメダルです。(画像はWikimedia Commonsより)

Miraculous medal
By Xhienne (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons
Medal of the Immaculate Conception (aka Miraculous Medal), a medal created by Saint Catherine Labouré in response to a request from the Blessed Virgin Mary who allegedly appeared rue du Bac, Paris, in 1830. The message on the recto reads: "O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee — 1830".
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Posted by 八少女 夕

ピアチェンツァ、食の魅力

って、新作短編じゃありません。今日は、先日の休暇で出会った美味しい話。

イタリアはどこに行ってもそれぞれ自慢料理のあるところです。そして、世界が認める美味しさ。レストランの「あたり度」はスイスの比ではありません。スイスにも美味しいものはありますが、較べる相手が悪い(笑)食にかける情熱の違いは歴然です。

そして、私と連れ合いが今回廻ったピエモンテ州とエミリア=ロマーニャ州は、そのイタリアの中でもグルメの中のグルメがそろっているところです。ワイン、米、パスタ、チーズ、きのこ、狩猟肉などなど。

イタリア料理を語るときに決して外せないパルミジアーノ・レッジャーノチーズは、パルマやレッジョ・エミーリア産、世界三大ハムの一つプロシュット・ディ・パルマもパルマ産でその名前を戴いています。旅をしているときにずっと通っていたブドウ畑では、Colli Piacentini Gutturnio (赤)やColli Piacentini Ortrugo(白)などの素晴らしいワインが作られています。

これらを食べて飲まなくてどうします!

今回の旅ではいくつかのラッキーがあったのですが、そのうちの一つ。ボッビオの近くで見つけたB&B。実際の経営者が旅行中だったために、その息子さんが代わりにもてなして下さったのですが、これが僥倖以外の何物でもなかったのです。

ちなみに、ボッビオは、県都ピアチェンツァの南西にある小さな中世の街で、莫大な蔵書のある図書館があったことで有名で、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のモデルにもなりました。なんですが、車でないと行けないせいか、日本人観光客にはまだ会ったことがない街です。B&Bはそこからさらに5キロくらい離れた、村というよりは集落というような場所にあります。GPSなしではたどり着けないような場所です。州はエミリア=ロマーニャで、県がピアチェンツア、そしてそれぞれの市町村の名前があるわけですが、これ以上細かく書いてもわからないと思うので、これまで。

さて、B&Bで我々の到着を待っていてくれたサンドロさんは、普段はボッビオでバーを経営している40歳のかっこいい兄ちゃん。(なぜか日本の「タトゥー」に憧れて横浜に何ヶ月か滞在して本物の彫物師に刺青を入れてもらったそうです。遠山の金さんもびっくりのすごい刺青で、見せてもらった時はギョッとしました)

で、あっというまに連れ合いと意氣投合して、自宅から持ち出してきたビールを二人で飲みまくりました。話題は文化のことから、政治までいろいろです。そして、晩ごはんを食べようにも、田舎の山の上で、連れ合いがだらだら飲み出しちゃったから、もうどこにもいけないな、こりゃ晩ごはん抜きかと思っていたら、歩いて十分くらいのところにピッツェリアがあるというのです。それにしてもすごい山だしどうしようかとごちょごちょ相談していたら、サンドロが「なんなら今から車で一緒に行く?」というので大喜びで連れていってもらいました。

で、ピッツァを頼むのかと思ったら、「この店に来たら、ピッツァよりもオススメがある」と教えてくれたのが生パスタです。手作り生パスタというのは製造にものすごく時間がかかるので、ピアチェンツァ界隈ではもう五人ほどしかできる人がいないのだとか。その一人、九十歳のおばあちゃんが作っている生パスタです。

生マッケローニの一皿

これがその生マッケローニとポルチーニ茸の一皿。もうね。アルデンテというのはこういうことなのね、というか今まで食べていたパスタは一体なんなの、という美味しさです。例えて言うなら冷凍の伸びきったうどんしか食べたことがなかった人が、はじめて本場の讃岐うどんを口にした時のような衝撃。しっかりとコシがあるのに、固くはなくて、もちっとしていて美味しい。余分な味付けは何もしていないだけに、素材の美味しさがぐぐっとひきたっていました。

前菜詰め合わせ

その前に、サンドロがパパッとオーダーしてくれたのが、この前菜取り合わせ。二種類のチーズスフレに、プロシュット・ディ・パルマ、コッパ、サラメッティ、プロシュット・クラテッロ。塩けが絶妙で本当に美味しいんです。

白ワインはOrtrugoというやはりピアチェンツアの二種類のワインを合わせて作ったもので、とても飲みやすいクセのないワインです。私が飲んだ白ワインの中で、おそらく上から五位以内に入る美味しさ。この組み合わせを、ボッビオへ向かう緑豊かな谷間を見ながら戸外で食べるのです。小さな村なのにレストランは満杯。近くの人たちが皆通ってきているわけです。

チョコレートムース

食後のデザートは、やはり手作りのチョコレートムース。こうなってくるとカロリーはとんでもないことになっていますが、構うものですか。こんなに美味しい体験は生涯にそうそうありませんし。

私たちだけでは絶対に味わえなかった、最高のディナー。こうした幸運も、見ず知らずの人と楽しくペラペラ喋る連れ合いのおかげでしょう。実は、このサンドロ、イタリア語しか喋らないのです。私も彼の話していることは八割がたはわかりますが、さすがに自分の言いたいことを全て表現するにはイタリア語の能力に限界があります。どうしても伝わらない分、連れ合いが通訳してくれているわけですが、「私はイタリア語わかんない」と拗ねていたらこういうラッキーにはありつけないなと思うのです。

もう何年も前になりますが、一念発起してしばらくイタリア語を独学しておいて本当に良かったと思いました。

ちなみに、サンドロ、なんどこっちが奢ると言っても、俺が招待するといってきかず。結局ご馳走になってしまいました。B&B70ユーロ、払ってもらった晩ごはんのお会計55ユーロ。翌日ワインはもらうは、連れ合いはビールを飲みまくるわ、それ大赤字じゃない……。一応、普通じゃありえない高額のチップは置いてきましたが、少し涼しくなったら高級スイスチョコでも送ろうかなと思っています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -10- マンハッタン

WEB月刊誌「Stella」参加作品「バッカスからの招待状」です。東京・大手町にある隠れ家のようなバー『Bacchus』。バーテンダー兼店主の田中佑二が迎える客たちのなんて事はない話をほぼ読み切りのような形でお届けしてます。

今回は、いつもと違って田中本人の過去に関わるストーリーになっています。前半の客・中野の視点と後半の常連・夏木の視点からは、どういう過去かはわからないようになっていますが、中野がマミと呼んでいる女性(本名・伊藤紀代子)と田中の過去について詳細を知りたい方は、「いつかは寄ってね」という掌編を覗いてみてください。


月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 連載小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


「バッカスからの招待状」をはじめから読む「バッカスからの招待状」をはじめからまとめて読む
「いつかは寄ってね」をはじめから読む「いつかは寄ってね」をはじめからまとめて読む




バッカスからの招待状 -10- 
マンハッタン


「東京に行くなら、寄ってほしいところがあるの」
彼女はそう言った。

 理由を訊いても答えてくれないのはいつもと同じだ。彼女の秘密主義には慣れていた。出会ってから十七年、一緒に暮らして九年経つが、それは変わらない。

 中野は背筋を伸ばして歩いた。大手町のビル街。五年ぶりに訪れた日本だったが、少なくともアメリカに移住した十八年前以降、大手町に来た記憶はないので、おそらく二十年以上はこの界隈には足を踏み入れていないだろう。東京駅の様相がずいぶんと変わってしまったのにも驚いた。

 こんなに様変わりした街なら、彼女が言っていたバーはもうないかもしれないと思っていた。だが、少なくともそのビルは建て替えたりしていないらしく、その地下にバーがあるかどうかははっきりしないが、とにかく中に入ってみた。そして、言われていなければ見落とすほどの小さな紫のサインをみつけた。白い小さな文字が浮かび上がっている。『Bacchus』と。

 さて。まだなくなっていなかったら、入って酒を飲んで来いとだけ言われたが、一体どんな店なのだろう。

* * *


 入口が開いた。入ってきた客と、ちょうど目の合った夏木は、おや、と思った。中年のきちんとした紳士だが、佇まいにどことなく違和感がある。顔はアジア人だが、外国人だろうか。

 店主でありバーテンダーでもある田中がいつものように穏やかに迎えた。
「いらっしゃいませ。カウンターと奥のお席、どちらがよろしいですか」

 田中が名前を呼ばないという事は、一見の客なのだろう。珍しい。この店は、なかなか見つけにくい場所にあり、新しい客の大半は、常連が連れてきて紹介するのだ。必然とほとんどの客の名前を一人で店を切り盛りしている田中が憶える事になる。夏木のように入り浸っていると、やはり、ほとんどの常連の名前を知る事になってしまう。

「一人ですから、カウンターでお願いします」
その日本語は、ごく普通のものだったので、夏木は外国人ではなかったのかと思った。なにが日本人と違うと思ったのかと考えると、姿勢と歩き方だった。

 おしぼりを受け取ると、その客は「ありがとう」とはっきりと口にした。その動作、答え方もどことなく慣れているものと違う。外国暮らしが長いのかもしれない。

 その客は、店を見回し、それから田中に訊いた。
「この店、随分昔からあるんですか」

「はい。来年、開業二十五周年を迎える予定です。途中で数回、手を入れましたが、基本的にはほとんど変わっていません。どなたからかご紹介でしょうか」

 彼は頷いた。
「パートナーが、東京に行くならこの店に行けと。彼女も少なくとも十七年は日本を離れているので、店がまだあるかどうかわからないと言っていました。変わらずにあったよと伝える事ができますね」

「外国にお住まいですか」
「ええ。ニューヨークに住んでいます」

 夏木は、田中の表情が一瞬強張ったのを見た。彼は、しかし、すぐにまた手を動かして、メニューを男に渡した。
「……その頃の女性のお客様で、アメリカですか。メニューをどうぞ。なにをお飲みになりますか」

 おや。紹介者のこと、これ以上、訊かないんだろうか。夏木は首を傾げた。

 男はメニューを広げて、各種の酒やカクテルが並んでいるのを見た。それから、顔を上げて自分を見ている夏木と目を合わせた。そして、笑って訊いた。
「ここでは、なにかお奨めはありますか?」

 夏木は肩をすくめた。彼は、アルコールを受け付けない体質で、酒は飲めないからだ。
「ここ、ワインやウイスキーなども揃ってますが、田中さんの作るカクテルは評判いいですよ。僕はお酒は弱いので、いつもノンアルコール・カクテルを作ってもらっています」

 男は頷くと、「じゃあ、僕もカクテルを」と言ってそのページを開いた。
「ああ、『カクテルの女王』があるぞ。僕の住んでいる街に因んで、これをお願いします」

 田中は頷いた。
「マンハッタンですね。かしこまりました。ライ・ウィスキー、カナディアン・ウイスキーのどちらになさいますか。バーボンや他のウイスキーでもできますが」

 彼は少し考えてから言った。
「バーボンで作っていただけませんか。そう言えば、彼女はいつもそうやって飲んでいたので」

 田中は、「そうですか」と小さく言うと、「かしこまりました」と言って後の棚からフォア・ローゼスを手にとった。他にもバーボンはあり、こういう状況では必ず確認する田中がその瓶を手にした事を夏木は彼らしくないなと思った。

「バーボンを使うなら、『バーボン・マンハッタン』と言わなくてはならないと言う方もあるそうですね。実を言うと、僕にはそこまで味の違いはわからないんですよ。彼女はいつも、そのフォア・ローゼスで作ってほしいとバーテンダーに頼んでいますね。もしかして、この店で憶えたのかな」

 田中は、何も言わずに、バーボン、ノイリー・プラット スイート、アンゴスチュラ・ビターズ をミキシング・グラスに入れてかき混ぜた。カクテル・グラスに注いで、マラスキーノ・チェリーを飾った。

 それから、いつものように丁寧な手つきで、男の前に置いた。
「どうぞ」

「さすがですね。彼女はいつもノイリー・プラットにしろと注文して、時おり誇り高いバーテンダーともめているんです。これはあなたのオリジナルなんですか?」
男は満足そうに頷くと、夏木に向けて少しグラスを持ち上げると飲んだ。

 田中は首を振った。
「いいえ。特にご指定がなければスイート・ベルモットはクセの少ないチンザノを使います。ただ、十五年以上前にこの店で、フォア・ローゼスのマンハッタンをご所望なさり、ずっとお見えになっていらっしゃらない方は一人しか思い当たりませんので、こちらのレシピでお作りしました」

「マミを憶えていらっしゃるんですね。僕はニューヨークで彼女と知り合ったので、日本にいたときの彼女のことは何も知らないです。彼女も全く昔の事は話したがらないので」
男は、ニコニコと笑いながら言った。

 田中は、少し間をあけてから答えた。
「大変失礼ながら、お名前は憶えておりません。そのお客様は、妹さんとご一緒によくいまそちらの夏木さんがいらっしゃる席にお掛けになっていらっしゃいました」

 夏木は、また「おや」と思った。二度目や三度目には必ず名前で呼んでくれる田中が、マンハッタンのように強い酒を頼み、しかも変わった注文をする常連の名前を憶えていないなんて事があるだろうか。

「ニューヨークに戻ったら、彼女に報告しよう。お店がまだちゃんと有っただけでなく、田中さんが憶えていてくれて、こだわりのマンハッタンを出してくれたってね」
「お元氣でいらっしゃると伺い、嬉しいです。どうぞ奥様に、よろしくお伝えください」

 その男は、上機嫌で帰って行った。夏木は、田中に訊いた。
「すごいですね。そんな昔の注文をよく憶えているものだ」

 田中は、少し遠い目をして答えた。
「先ほど、バーボンを使うなら、『バーボン・マンハッタン』と言わなくてはならないという人もいると、あの方はおっしゃっていたでしょう。あれを私も言ったんですよ。私もまだ若くて、頭でっかちでしたから」

「へえ?」
「レシピは、あくまで基本です。お客様にはそれぞれの好みがあります。好みに合わせてその方にとって一番おいしいカクテルを作るのが私の仕事であって、自分の知識を押し付ける必要はないのです。その事を教えてくださったのが、その方でした」

 それなのに、名前を憶えていない? そこまで考えてから、夏木ははっと思い当たった。

 僕の座る席って、例の『でおにゅそす』涼子さんも二十年以上前によく座っていたって……。もしかして、さっきの人の奥さんって、あの涼子さんのお姉さんなんじゃないか? 

 待てよ、田中さんは彼女の事を「涼ちゃん」と呼んでいた。それなのに、そのお姉さんの名前を知らないなんてありえない。ということは、田中さんは、もしかして誰だかわかっていて知らないフリをしていたんじゃ……。

 田中は、フォア・ローゼスとノイリー・プラットの瓶を棚に戻してから、振り向くと言った。
「夏木さん、『でおにゅそす』にいらっしゃったとおっしゃいましたよね」

「はい。この間、すみれさんと一緒に行きました。和風の飲み屋に一人で入るのは敷居が高いというので。素敵なお店でしたよ。田中さんにもいらしてほしいとおっしゃっていました」
「お互いに時間がなかなか合いませんので。ところで、近いうちに、またいらっしゃるご予定はありますか?」
「ああ、実は、今度の金曜日に行く予定なんです。近藤さんが僕たちが言った話を聞いて行きたかったと言うので」

 それを聞くと、田中は頷いて名刺を取り出してペンを走らせた。
「それでは、これを彼女に渡していただけませんか」

 夏木は、「わかりました」と言ってそれを受け取った。文字が上になっていたので、内容が読めた。

「涼ちゃん。今日、君のお姉さんのご主人と思われる方がいらしたよ。彼女が日本を離れた仔細をご存じないようだったので、細かい事は何も訊かなかったが、今はニューヨークで幸せに暮らしているようだった。田中佑二」

 お姉さんが、ニューヨークに住んでいる事を、涼子さんは知らないってことかな? 夏木は、田中の顔を見て、仔細を訊くべきか考えた。田中は、微笑んで「お願いします」と言った。それは、これ以上は触れないでほしいという意味に聞こえたので、その通りにする事にした。

 夏木は名詞を大事に自分の名刺入れに挟むと、頷いた。少なくとも酔っぱらって、これを渡す事を忘れてしまう事だけはない。飲めない体質も悪くないなと思った。

 お礼の代わりにと田中がごちそうしてくれるというので、彼は一番好きなサマー・デライトを注文した。

マンハッタン(Manhattan)
標準的なレシピ
ライ・ウイスキー、バーボン・ウイスキーまたはカナディアン・ウイスキー 2
スイート・ベルモット 1
アンゴスチュラ・ビターズ 数滴

作成方法: 
材料をミキシング・グラスに入れてステアする。
カクテル・グラスに注いでマラスキーノ・チェリーを飾る。




(初出:2017年6月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

北イタリアの夏

短い休暇を満喫してきました。750ccのバイクにタンデムで北イタリアを数カ所巡ってきました。

最初にマッジョーレ湖のリゾート、ピエモンテ州のストレーザで二泊。かつてのボッロメオ家の栄華を今に物語るボッロメオ三島の玄関口になっている街です。ここにはすでに10回くらい行っていて、いつも泊まるホテルの一家とも仲良しになっています。

「夜のサーカス」や「ヴィラ・エミーリオの落日」などの小説のインスピレーションを得たのもここなのですね。

それから、アペニン山脈のドライブをするためにピアチェンツァへ移動しました。滞在したのは、やはりすでに滞在したことのあるカステル・アルクアトとボッビオというともに中世の街です。今回は両方ともB&Bに滞在したのですが、どちらも予想外に興味深い宿でした。Booking.comで見つけたんですけれど、どちらも大きなツアー会社経由では絶対に泊まれないような特別な体験でした。詳しくはいずれまた。

あ、ボッビオやバルディ、ビゴレーノなどのアペニン山脈の小さな町は「夜のサーカス」や「森の詩 Cantum Silvae」それに「ピアチェンツァ、古城の幽霊」などいろいろな小説のインスピレーションのもとになっています。

B&Bのわんこたち

こちらの二頭の犬は、ボッビオに近い方のB&Bのところで飼われていました。どういうわけだか好かれてしまって嬉しかったな。洋服は毛だらけになりましたが(笑)

マッジョーレ湖遠景

真っ青なマッジョーレ湖。とても印象的でもっと眺めていたかったのですが、この写真を撮ったあたりでバイクが急に不調になりました。エンジンがかからなくなると困るので、そのままスイスの我が家に直行することに。食事も休憩もせずにとばしてきたのでちょっと疲れましたが、予定より半日も早く家にたどり着き、夕方からはゆっくりとしています。

それにしても北イタリアは暑かったです。38度くらいありました。そして、夜も暑くて、さらに蚊にも悩まされました。今夜は涼しくて、蚊もいない、快適な夜を過ごせそうです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 3 -

「郷愁の丘(5)朝焼けの家」、三回に切った最終部分です。少し長くなってしまいましたが、四回に分けるほどの量ではなかったので、このまま行きます。

今回書いたうち写真集に関する部分は、前作を読まれた方には重複になるかと思いますが、前作を読んでいな方へのダイジェストとして書き加えました。

また、後半部分では、グレッグがモテない理由がいくつかでてきます。生真面目で堅いだけが理由ではないんですね。とくに七時間の件は、やったら大抵の女の子は怒って去りますって。悪氣は全くないんですけれど。ジョルジアは、ぜんぜんへっちゃらでしたが。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 3 -

 明らかにきちんと仕事をしていないにもかかわらず、アマンダが帰ってしまったので、ジョルジアは余計なこととは思ったが、彼女の感覚での「ちゃんとした掃除」をしてから道具をしまい、また読書に戻った。

 グレッグは、その間一度も出てこなかった。それどころか昼の時間を過ぎて、ジョルジアが愛犬ルーシーとひとしきり遊んだ後になっても。

 裏庭には建物のすぐ近くに二本の大きなガーデニアの樹があって、優しい木陰を作っていた。その間にはキャンバス地のハンモックが吊るされていて、グレッグは時おりそこで昼寝をするのだと言っていた。何時でも自由に使ってくれと言われたのを思い出したジョルジアは、その上で読書の続きをしたり、しばらくうとうとしたりしなから、時おり鍋の様子を見てのんびりと時間を過ごした。

 その間、たくさんの野鳥たちがテラスを訪れた。黄色、赤、青、目の周りに模様のある鳥や、尾の長い鳥もいた。さらには宝石のように金属的な照りのある青い鳥がやってきて、ジョルジアは一人歓声を上げた。ルーシーは嬉しそうに尻尾を振った。

 インターネットはなかった。電話もなかった。今どき見かけないような古風なテレビやラジオもあったが、その日は電波が弱いらしくて使い物にならなかった。台所の窓のあたりにくるとiPhoneでメールチェックをする事は可能だったが、インターネットを快適に見られるほどではなかった。昨夜ジョルジアがしたメールチェックをグレッグが意外そうに見ていたのがおかしかった。

「そうか。この位置ならデータ通信が出来るのか。僕は携帯電話しか使わないし、そちらはほとんど問題ないのだけれど、前にマディがここはメールチェックも出来ないと憤慨していたんだ」

「Eメールがないと困らない?」
ジョルジアは訊いた。

「週に一度は講義で大学に行くので、その時に通信しているよ。僕がその頻度でしかメールチェックをしないので、急ぎの人は携帯電話かSMSで連絡してくる。でも、ここでもメールチェックが出来るなら、いずれはスマートフォンに変えた方がいいかな」
グレッグは肩をすくめた。

「どうかしら。メールに追われずに済むのって、現代社会では特権みたいなものだから、このままでもいいのかもしれないわよ」
その自分の言葉を思い出したジョルジアは、笑ってエアプレーンモードに切り替えた。

 こんなに「何もせずに過ごした」のは何年ぶりだろう。ジョルジアは、そのつもりがなくても自分はニューヨーク式の秒刻みの生活に慣れすぎていたのだと思った。いろいろな写真のアイデアが頭の中を通り過ぎていく。必要だったのは、別の物を見ることではなかった。外部からの刺激を減らしてアイデアが自由に行き交うスペースを確保することだったのだ。

 彼女は、最終段階にきている新しい写真集の事を考えた。

 一年半前の十一月、ニューヨークのウッドローン墓地で起こった事が始まりだった。それはとある追悼詩に使う墓石の写真を撮る仕事で、普段は使っていなかったILFORD PAN Fのモノクロフィルムを入れたライカを構えていた。その時に偶然視界に入ってきた男の佇まいに、彼女は衝撃を受けた。そして、氣がついたら夢中でシャッターを切っていた。彼女は、それをきっかけにモノクロームで人物像を撮りはじめた。

 彼女がそのまま恋に落ちてしまった知り合ってもいない男、彼女を愛し導いてくれる兄や妹、よく行くダイナーのウェイトレスで今や最良の友になったキャシー、誰よりも親しい同僚であるベンジャミン、そして、その他に少しずつ勇氣を出して向き合い撮らせてもらった幾人かの知り合いたち。どの写真にも映っていたのは、人生の陰影だった。モデルとなった人びとの陰影であると同時に、それはジョルジア自身の心の襞でもあった。彼女が選び取った瞬間、彼女が見つけた光と影。

 この旅が終わった後に編集会議があり、これまで撮った中から新しい写真集で使う写真を選ぶことになっている。彼女が考えているどの写真にも自負があり、意味がある。けれども、何かが足りなかった。彼女の中で、誰かが訴えかけている。一番大切な私をお前は忘れている。もしくは、蓋をしてみなかった事にしようとしていると。ニューヨークでは、それが何だか彼女には皆目分からなかった。ここ《郷愁の丘》でもまだわからない。だが、声はずっと大きく、もしくは近くで囁くように聞こえた。

* * *


 ばたんと扉が開いた音がして、まるで転がるように彼はキッチンに入ってきた。あまりの勢いだったのでジョルジアは何かあったのかと心配した。
「どうしたの?」

「え。いや、その……君を放置したまま、半日以上も……」
「ああ、そんなこと。論文は進んだ?」

 ジョルジアは、鍋の蓋を取って中を覗き込んだ。スプーンですくって味を見ると満足して火を止めた。彼は、テーブルの前に立ちすくんだ。
「その香りで、我に返ったんだ。なんて美味しそうな匂いなんだろう、お腹が空いたなって。それで、時計を見たら……」

 キッチンの隅々に夕陽の赤い光線が柔らかく入り込んでいた。ジョルジアが湧かしたお湯にスパゲティを投入するのをじっと見つめながら、彼は項垂れた。
「本当に申し訳ない。こんなに時間が経っていたなんて」

 ルーシーが、その側にやってきて慰めるようにその手を舐めた。ジョルジアは、テーブルの上にサラダボウルと取り皿を並べた。
「飲み物は、どうしたらいいかしら?」

 グレッグは、あわてて戸棚から赤ワインを取り出した。彼が栓を開け、ジョルジアは、食器棚からグラスを二つ出した。それから、二人でテーブルに向かい合った。

「夢中になって時間を忘れてしまうこと、私にもよくあるの。アリゾナで脱水症状を起こしかけたこともあったわ。ほんの半時間くらいのつもりだったのに、四時間も撮っていたの」
「それは大変だったね。でも、今回はもっとひどいよ。こんな何もない所に君を七時間も放置したなんて」

 ジョルジアは、微笑んだ。
「ルーシーと遊んだし、あのハンモックの上で持ってきた小説を読み終えたのよ。それに我慢ができなくて、少し写真も撮ってしまったの。初めて来た所なのに、こんなにリラックスして楽しんだことないわ。おかげで新しい仕事のアイデアがたくさん浮かんできたのよ。それに、これも作れたし」

 ジョルジアは、アルデンテに茹で上がったスパゲティとボローニャ風ソースをスープ皿に形よく盛りつけた。渡そうとした時に、彼が黙ってこちらを見ているのに氣がついた。朝食の後、何も食べていなかったようだし空腹だろうとは思ったが、グレッグの瞳が潤んで見えるのを大丈夫かと訝った。
「具合が悪いの?」

 彼は、はっとして、それから首を振った。それからいつものようなはにかんだ表情をしてから小さな声で言った。
「君にこんな家庭的な一面があるなんて、考えたこともなかった」

 ジョルジアは、彼の前に皿を置いて答えた。
「それは食べてから判断した方がいいんじゃない? どうぞ召しあがれ」

 彼は、スパゲティを絡めたフォークを口に運ぶと、目を閉じてしばらく何も言わなかった。ジョルジアがしびれを切らして「どう?」と言いかけた時に、瞳を見せてため息をもらすように「美味しい」と言った。兄マッテオがこのパスタソースについて毎回並べる何百もの讃辞に較べると、拍子抜けするほどあっさりとした意見だったが、その口調は兄の賞賛に負けないほど深いものだったので、ジョルジアは満足した。

「どんな魔法を使ったのかい?」
彼は台所を見回した。料理は得意ではないから、最低限の調味料しか持っていない。アマンダが届けてくれた野菜も、昨日肉屋で一緒に買ったひき肉も、普段と全く同じで、特別なものは何ひとつない。訝るのも当然だった。ジョルジアは肩をすくめた。

「特になにも。ちょっと時間がかかるだけで普通のボローニャ風ソースと一緒よ。祖母に習ったの」
「イタリア系のアメリカ人は、みなこういうパスタソースを食べるのかい?」
「いいえ、そうでもないわ。みな忙しいもの。スーパーマーケットの出来合いのソースで食べる方が多いんじゃないかしら」

「君も?」
「そりゃよそで出てきたら食べるけれど、自分で作るならこうやって作るわ。家にいる日ってあるでしょう? 他のことをしながら作ればいいのよ。たくさん作って、余ったら冷凍して置くの。もっとも、兄にこれを作ったのがわかると、たいていすぐにやってきて食べちゃうんだけれど」

「お兄さんがいるのかい?」
「ええ、マンハッタンに住んでいるの。妹もいるわ。彼女はロサンゼルスに住んでいるの」
「そうか」

 彼はわずかに遠くを見るような目つきをした。ジョルジアは、彼が自分の家族のことを考えているのだと思った。
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Posted by 八少女 夕

またしても旅の途上

今年から有給休暇が一週間増えました。社長が太っ腹になったのではなくて、法律でそう決まっているのです。私は今年の夏に大台に載るのですが、その年齢になると年間五週間の有給休暇を与えることが義務付けられているのです。

で、休暇が増えたはいいのですが、今しか取得できるチャンスがなかったので、取ってしまうことにしました。六月の休暇というのは初めてです。実はヨーロッパでは一番美しい時期。まだ夏休みが始まっていないので子供づれも少なくホテルも見つけやすいのです。

何も考えすにふらっと旅をしています。今回の旅では、やはり「森の詩 Cantum Silvae トリネアの真珠」関係の構想の助けと取材になったらいいな、などと考えております。



というわけで、現在イタリアのストレーザにいます(^^)
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 2 -

「郷愁の丘(5)朝焼けの家」の第二回目です。

今回はじめてアマンダという女の子が登場します。要するにお手伝いさん的な仕事をしている女性ですが、こうした使用人を雇うのはわりと普通の事です。スイス辺りだと時給が高いので、大学講師で糊口を凌いでいる貧乏な研究者が使用人を雇うなんて不可能なのですが、それが出来てしまうのがアフリカなのかもしれません。

もっとも、グレッグは掃除くらいはできますが料理はさっぱりなので、こうした使用人もなしに一人で地の果てに暮らしているという設定は、ちょっと無理があるかもと思いました。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 2 -

 彼は朝食を用意していた。
「スクランブルエッグは、そこそこ普通に作れるんだ。目玉焼きだとあまり自信がないけれど……。どっちが好みかな?」
「お得意なスクランブルエッグをお願いするわ。それに、必要なら何かお手伝いするわよ」

 そして、二人で作った朝食をキッチンから運ぶと、ダイニングテーブルに向かい合って座り、朝食をとった。

 ジョルジアは、窓から見た朝焼けの魅力について話した。彼は、彼女の熱意に嬉しそうに耳を傾け、それから言った。
「ここは、マサイの言葉では《Ol-dóínyó olíyio》と呼ばれているんだ」
「どういう意味なの」

「隔離されて寂しい丘。世界に自分一人しかいないような心持ちになるからだろうね」
「《郷愁の丘》はロマンティックに響くけれど、マサイの呼び名にも一理あるわ」
「彼らは、僕らのような甘い言葉は使わないのかもしれない。もしくはもっと感受性が研ぎすまされていて、言葉による遊びはしたくないのかもしれない」

「あなたはマサイの言葉もわかるのね」
「いや、わかるというほどではない。簡単な挨拶は出来るけれど、彼らの言葉は難しいんだ」
「文法が?」
「それもあるけれど、僕たちの言語では全く違う概念に同じ単語をあてはめたりするので、何の話をしているのか理解するのが難しい。だから、結局は英語で話してもらうことになる」

「昨日のあの女の子もマサイ族なの?」
ジョルジアは、昨日ここに着いた時に、門の前で待っていた若い女性のことを考えた。ずっと大人しかったルーシーが、ものすごい勢いで吠えて、それは彼女が仕事を終えて去るまで続いた。その娘は忌々しそうにルーシーに舌打をして、それから、ジョルジアの事も睨みつけたようだった。

「いや、アマンダはキクユ族だ。ここから十キロくらいのところにキクユ族の集落があって、そこから通ってくる」
「十キロも歩いて?」
「ああ」
「大変なのね」

「実は、来てもらいたくて頼んだわけじゃないんだ。アマンダの家族が仕事を欲しいと言って来てね。断ってもいいんだけれど、よけいなトラブルを避けるために、来てもらっている。まあ、僕も家事が得意って訳ではないし」

 ジョルジアは、アマンダの緩慢な仕事ぶりを思い出した。拭き掃除も目についた所を少し触れるだけ、シンクに置かれていた食器類はずいぶんとたくさんの洗剤を使っていたわりに汚れが落ちきっておらず、ジョルジアは彼女が帰った後、食事を用意する時にそっと洗い直した。

 朝食の後、グレッグは戸惑いながらジョルジアに言った。
「申し訳ないが、できるだけ早くレイチェルに返さなくてはならない資料があるんだ。今日中に論文のその部分を確認したいんだけれど、しばらく君をひとり放置しても構わないだろうか」

「もちろんよ。私のことは氣にしないで。もし差し支えなかったら、勝手にお昼ご飯の用意をしていてもいい?」
「え。それは、申し訳ないな。でも、僕が用意しても大して美味しいものが作れるわけじゃないからお願いするかな……ここにある物は何でも自由に使っていい。わからなかったら訊いてくれれば……」
「火事にでもならない限り、ひとりでなんとかするわ。邪魔しないから安心して」

 一番近い街イクサまでは車で一時間近くかかる。ニューヨークでは、身近なもので足りないものがあれば徒歩で、大きい買い出しには車で十五分もあれば何でも揃う大型ショッピングセンターに行くことが出来る。だから、サバンナの真ん中に住むというのはちょっとしたサバイバル生活のように思える。彼はガスボンベや発電用のオイル、それに日常品の買い出しは大学に講義に行く時や用事があって街に出かける時にしていると言った。昨日も帰りがけにイクサの食料品店に寄って、何種類かの肉や卵を買った。スーパーマーケットと呼ぶにはずいぶんと小さな店だった。

 ジョルジアは、ひとまず冷蔵庫と貯蔵庫を調べた。思ったよりも充実している。野菜は、アマンダが届けてくれると言っていたが、こんなにたくさん持って十キロも歩くのは大変だろうなと思った。

 瓶詰めのスパイスの類いもいくつか発見した。これらは使った形跡もないが、古くても未開封なら問題はない。彼女の一番好きなパスタソースを作るのに足りないものはなかった。アフリカの強烈な日光を浴びて、トマトは十分に甘く熟している。

 それから三十分後には、ジョルジアは鍋の中でソースを煮込み始め、使った他の調理器具を洗い始めた。手際よくすべてを洗うと布巾で乾かして定位置に納め、台所の椅子に座って小説を読み始めた。

 そのすぐ後に、庭先でルーシーがものすごい勢いで吠えだした。どうしたんだろうとジョルジアは椅子から立ち上がって首を伸ばしたが、見えなかった。ガタッという音がしたので扉を見ると憮然とした顔でアマンダが立っていた。

「何をしているのよ」
彼女はツカツカと鍋に歩み寄ると、勝手にふたを開けた。
「何これ」
「パスタソースよ。イタリア料理なの」

 アマンダは、ジョルジアの答えに満足した様子はなく、乱暴に蓋を閉めると、シンク周りを見回した。全てが片付けられてやることはなくなっていた。

 それから裏から箒を持ってくると、乱暴に床を掃き始めた。ジョルジアの座っている下を掃く時に彼女の足にゴミがかかるような動きをしたが、彼女はさっと立ち上がって難を逃れた。
「お邪魔だったのね。終わるまで外で待ちましょうか」

「あんた、いつまでこの家にいるつもり?」
アマンダのトゲのあるいい方にジョルジアは戸惑った。
「数日はいると思うけれど」

 アマンダはもともと出ている唇を大きく突き出して、敵意を込めて睨むと雑巾をシンクに叩き付けて出て行った。ジョルジアは、もしかして、この娘はグレッグと雇用主と使用人以上の関係なのではないかと思った。

 その途端、胃のあたりがちくりとしたように感じた。彼女はグレッグのいる部屋の扉を見た。これは何なのだろう。それから彼女がずっと片想いをしているはずの男と彼が婚約するだろうと噂されていた美しい女性のことを思った。どちらも同じようにジョルジア自身の人生とは直接関わらないはずの関係。

 ジョルジアが、かつてそのジャーナリストと知り合う可能性があったパーティで、その日本人女性と一緒にいる姿を見かけたとき、彼女は苦しくて悲しかった。けれど、あの時、私は不快に思っただろうかと彼女は訝った。否、決して不快には思わなかった。ただ、自分が惨めで辛かっただけだ。

 一方、今の感情は何なのだろう。グレッグの想いに応えられないのならば、たとえどんな形にせよ彼に誰かがいることを喜ぶべきだろうに、どうして私はそれを嫌だと感じたのだろう。これは嫉妬なのかしら。だったらなぜ? 私は彼に惹かれ始めているんだろうか? ジョルジアは混乱したまま、しばらく廊下の奥を眺めていた。
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Posted by 八少女 夕

iPad mini が復活……

iPad mini 3

このブログによく来てくださる方は既にご存知かと思いますが、私は筋金入りのApple信者です。なんせ、90年代から現在にいたるまで買った全てのパーソナルコンピュタはMac。スマホ時代になってから買ったのもすべてiPhone。会社ではWindowsも使っていますから、特に食わず嫌いでもないのですが、一度も浮氣した事はありません。

これはたんにデザインが素敵だからというようなことではなくて、他社のコンピュータのマシンとOSごとに少しずつ違う操作を憶えるのが面倒だからだったりします。というようなApple談義は今日のテーマではありませんのでこれでおしまい。

今日の記事は、去年の日本里帰りの時に買ったiPad miniのことです。いや、スイスでも買えるんですよ、iPadは。ただ、ちょうどその時日本のAppleストアで整備済製品のiPad Mini 3 が売られていたんです。整備済製品とは例えば初期不良でAppleに帰って来た製品をちゃんと整備して売っている製品のことです。中古品を買うのと違ってほぼ新品なのに安いので、前もMacを買った事があるのです。

iPad Mini 3 はiPad シリーズの中ではなぜか扱われなくなってしまっています。そのせいか整備済製品としてもとてもお買い得でした。私のはWifiバージョンで容量は128GB。指紋認証もついているし、私のやりたい事にはこれで十分だったのです。

iPhoneは毎日持ち歩くのには便利ですが、ネットを見たり地図を見たりするには少し画面が小さくて不便です。ブログを見るのも。まあ、スマホ用テンプレートで見ればいいんでしょうが、ちょっと手間が多くなったりしてPC用テンプレートで見たい事もあるんですよね。たとえば旅の間などMacに長く触れないときは、iPhoneだけだとちょっと不便。でも、iPadは私には携帯するのにかさばり重すぎるんです。MacBook Airもあるので、iPadはいらないと。で、サイズとしてiPad Miniは理想的だったんですよね。実際に大満足で使っていました。

ところが、スイスに戻ってきてからしばらくして、調子がおかしくなってしまったのです。具体的に言うと、勝手に再起動を繰り返すのです。音楽を聴くぐらいで大してメモリーを食う事もしていないのに。それにブラウザSafariを起動するだけで死んだりします。

ネット検索すると、結構同じ症状に悩んでいる人が多く、書いてある解決法をいろいろと試しました。工場出荷状態にしてから再インストールも三回くらいはしましたが、全然治りません。

「う〜ん。もしかして、ハズレの端末を買っちゃったのかなあ。まだ保証期間内だけれど……」
大きな問題が一つありました。Appleストアの日本で買ったから、スイスではたぶん保証外。っていうか、この田舎だとAppleストアに持ち込むのも一苦労で、それで保証外だったら悲しい。

それで、最終手段に出ました。iOSの全ての不具合を解消するという「iCareFone」なるソフトウェアを購入して、修復させてみたのです。

ビンゴでした。本当に、あのどうにもならなかった再起動ループがぴったりと治まったのです。

そりゃ、お金はかかりましたけれど、自宅から一歩も出ないで話が済んだし、これからもiPhoneは買替え続けるので不具合があった時に安心だし、それにこのソフトウエアはiTuneを使わずにiBookのデータや写真などをやり取りできるなど便利な機能が満載なので、買ってよかったと思います。
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Posted by 八少女 夕

【小説】ありがとうのかわりに

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十四弾です。けいさんは、毎年恒例の目撃シリーズで書いてくださいました。この作品は、当scriviamo! 2017の下のようにプランB(まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法)への返掌編にもなっています。ありがとうございました。

プランBで、拍手絡みの物語を、うちの「シェアハウス物語」とコラボでお願いしても良いですかね。それを受けて、私も掌編を描く。それのお返事掌編をまたいただく…B→B(A)→A混合サンドイッチ、みたいなの。


この二つ書けとおっしゃるうち、ひとつはちょうどブログトップのFC2拍手を1000カウント目にしてくださった記念掌編です。

けいさんの書いてくださった『とある飲み屋での一コマ(scriviamo! 2017)』

けいさん、実はどうも今、公私ともにscriviamo!どころではない状況みたいで、いま発表するのはどうかなと思ったんですが、こちらの事情(後が詰まっていて)で、空氣を全く読まない発表になってしまいました。ごめんなさい!

今回の掌編は、けいさんの掌編を受けて、前回私が書いた作品(『頑張っている人へ』)の続きということになっています。そっちをお読みになっていらっしゃらない方は、え〜と、たぶん話があまり通じないかもしれません。

今回は「シェアハウス物語」のオーナーにご登場いただいていますが、それと同時にけいさんの代表作とも言えるあの作品にもちょっと関連させていただきました。

で、けいさん……。大変みたいだけれど、頑張ってくださいね。応援しています。


「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



ありがとうのかわりに - Featuring「シェアハウス物語」
——Special thanks to Kei-san


 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が一人で切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、そのアットホームさを好む常連客で毎夜そこそこ賑わっていた。

「いらっしゃいませ。あら、葦埜御堂あしのみどうさん。今夜はお一人?」
涼子は現に微笑んだ。

「残念ながらね。でも、みんなここがとても氣にいったようで、近いうちにまた来たいらしいよ。その時には、またよろしく頼むよ」
シェアハウスのオーナーである現は、先日シェアハウスに住む国際色豊かな四人をこの店に連れてきたのだ。

 今日は、会社が終わると一目散にやってきて現が来る頃には大抵でき上がっている西城と、少しは紳士的なのに西城にはハッシーと呼ばれてしまっている橋本が仲良く並んで座っていた。そして、カウンターの中には、涼子ママと、常連だがツケを払う代わりに料理を手伝う板前の源蔵がいた。

「よっ。現さん、この間は驚いたよ。あのガイジンさんたち、すごかったよねぇ」
西城は、あいかわらずろれつが回っていない。

「何がすごかったんですかい?」
あの時、一人だけ店にいなかった源蔵が訊いた。橋本が答えた。
「現さんのつれていらした人たち四人のうち三人が外国の人たちだったんですが、みなさん、日本語ぺらっぺらで、しかも鶴まで折っちゃって。日本人の僕たちよりも上手いのなんの……」

「それに、あのアジアのおねーちゃん! あの人形の折り紙はすごかったよなあ。アレを折り紙で折るなんて、目の前で見ていなければ信じられなかったよ」

 涼子はもう少し説明を加えた。
「源さんも知っているでしょう、時々やってくる、小林千沙さん、あの方の従兄の方が闘病しているって話になって、だったらみんなで応援しようってことになって、あの夜、ここでみんなで鶴を折ったのよ」

 現はその間にメニューをざっと検討して、まずヱビスビールを頼み、肴は適当に見つくろってほしいと頼んだ。源蔵がいる時は、料亭でしか食べられないような美しくも味わい深い、しかもメニューには載っていない一皿にめぐりあえることがあるからだ。

 源蔵はそれを聞くと嬉しそうに、準備に取りかかった。現は、突き出しとして出された枝豆の小鉢に手を伸ばしながら訊いた。
「その後、どうなったんでしょうね」

 涼子は微笑むと、カウンターから白い紙袋を取り出した。
葦埜御堂あしのみどうさんがお見えになるのを待っていたのよ。実はね、四日くらい前だったかしら、小林さんがいらっしゃってね。これを、皆さんにって」

 現は「へえ」と言いながら紙袋の中を覗き込んだ。中には、赤と青のリボンで二重に蝶結びにして止めた、白い袋が五つ入っていた。そして、それぞれに付箋がついていた。

「ゲンさんへ、か。これが僕のだ」
彼は、一つを取り出した。残りの四つには「ワンさんへ」「ニコールさんへ」「ムーカイさんへ」「ソラさんへ」と書いてある。あの時、耳にしただけで漢字がわからなかったので全てカタカナなのだろう。ワンちゃんだけ「ちゃん」付けするのはまずいと悩んだんだろうな。うんうん。彼は笑った。

「西城さんたちももらったんですか?」
現が訊くと、二人は大きく頷いた。

「もちろんさ。俺っちたちは、千沙ちゃんが来た時にここにいたからさ、直接いただいちゃったって訳。開けてごらんよ」

 中には透明のビニール袋に入ったカラフルなアイシングクッキーと、CDが入っていた。彼は取り出して眺めた。

 ピンクや黄色や緑のきれいなアイシングのかかったクッキーは、全て紅葉の形をしていた。それはちょうどあの日ワンちゃんが折った拍手に見立てたたくさんの紅葉に因んだものなのだろう。

「小林さんの手作りですって。いただいたけれど、とっても美味しかったわ」
涼子が微笑んだ。

「それは嬉しいね。少し早いホワイトデーみたいなものかな。で、こちらは?」
彼はCDをひっくり返した。それはデータのディスクか何かを録音したもののようだった。

「それさ。例の闘病中の従兄が演奏したんだってよ」
西城が言った。

 現は驚いて顔を上げた。橋本が頷いた。
「そうなんだってさ。先日、無事に放射線療法がひと息ついて、退院して自宅療養になったんだって」

 涼子がその後を継いだ。
「あの皆さんからの折り紙がとても嬉しかったんですって。絶対に諦めない、頑張るって改めて思われたそうよ。それで退院してから小林さんと相談して、みなさんに何かお礼の氣持ちを伝えたいって思われたみたい。それで、ギターで大ファンであるスクランプシャスっていうバンドの曲を演奏して録音したんですって」

「歌は入っていなくてインストだけれど、すごいんだよ。俺たちもらったCD全部違う曲が入っていたんだ。だから現さんたちのとこのもたぶん全部違う曲だと思うぜ」
橋本は興奮気味だ。

「そうですか。僕のはなんだろう。あ、裏に書いてあるぞ『悠久の時』と『Eternity Blue』か。デビュー・アルバムからだね」
「あら、葦埜御堂あしのみどうさん、お詳しいのね」

「もちろんだよ。僕は自慢じゃないけれど、スクランプシャスのアルバムは全部持ってんだから」
現が言うと、皆は「へえ~」と顔を見合わせて頷いた。

「だれが『夢叶』をもらったのかな」
現が皆の顔を見回して訊くと、涼子は笑った。
「私たちじゃないわ。たぶんワンさんじゃないかしら。あの時、いつか折り紙作家になりたいっておっしゃっていたから」

「俺っちもそれに賭ける」
西城が真っ赤になりながら猪口を持ち上げた。

「宇宙かもしれないぞ。あいつもこれから叶える夢があるからな」
その現の言葉に、皆も笑って頷いた。

 涼子が現のグラスにヱビスビールを注ぎ、源蔵が鯛の刺身を梅干しと紫蘇で和えた小鉢を置いた。

 現はプレゼントを紙袋に戻すと、嬉しそうに泡が盛り上がったグラスを持ち上げた。

(初出:2017年2月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 1 -

「郷愁の丘(5)朝焼けの家」の第一回目です。ジョルジアは、グレッグの住む《郷愁の丘》に来ています。ここは九千字を超えているので分けています。綺麗に三回や四回に分けられればよかったんですが、そうはいかず、とりあえず三回に分けていますが三回目だけがすこし長くなります、すみません。新聞の連載小説を書いているプロの小説家って、本当にすごいなあ。

ともあれ、今回発表する部分は、本当に何度も何度も書き直しました。しかも、この作品の一番最初に着手した部分でもあります。本当はこの章のサブタイトルを「郷愁の丘」にしようかと思っていたんですが、本タイトルにしてしまったのでここは「朝焼けの家」にしました。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(5)朝焼けの家 - 1 -

 ここはどこだろう。目の醒めたジョルジアは、はじめニューヨークのソーホーにある地下レストランのことを考えた。それは狭くて騒がしい赤い照明が特徴の店で、壁に飾った七十年代風のオブジェも全て赤く染まってしまい、非現実的で落ち着かなかった。

 あの店にいるはずはない。ニューヨークのレストランに枕や布団があるはずはない。彼女は枕に手を触れて、ゆっくりと起き上がった。騒がしい音楽も、狭くて人いきれがして領域を侵害される感覚もなかった。

 ここは、《郷愁の丘》だ。昨夜到着したグレッグの家、彼に案内された客間。昨夜電灯をつけた時には普通の部屋だったのに、どうしてここはこんなに赤いのだろう。

 そして彼女はすぐに納得した。その赤い光は、東に面した大きいガラス窓から入ってきているのだ。《郷愁の丘》の敷地は七十メートルほどの崖の際にあった。客間の外は広々としたテラスとほぼ自然のままの庭が崖まで続き、その先にはサバンナが地平線まで広がっていた。そして、これまで見たことのないような鮮烈な朝焼けは、そのどこまでも続く広い大地を舞台に繰り広げられていた。

 火事のように燃える朝焼け。どこかで聞いたことのある言葉。それは、そんな簡単な表現や、テレビや映画の映像では決して再現することの出来ない強烈な光景だった。

 ジョルジアは、立ち上がり、ガウンを羽織るとテラスに通じるガラス窓に歩み寄った。

 自分の力で歩いているのか確かではなかった。息をしているのかも自信がなかった。これまでいたのと同じ惑星ではないように感じる。世界が燃え立っている。地平から上が、暖かい赤から黄色に近いオレンジへのグラデーションで彩られていた。遮るものは何もない。あったとしても、小さく意味もなかった。視界の全てはその色だけ占められた。ジョルジアの全感覚を支配したままゆっくりと変化する色の競演。陽炎のごとく揺らめいて広がっている。

 いいしれぬ感情は、光を捉える虹彩で感じているのではなかった。それはもっと深く強い激流として彼女の足元から、腹部から、螺旋を描きながら狂わんばかりの激しさで湧き出ている。立っていられることが奇跡のようだった。

 彼女は、あまりの強烈な色の輝きに写真を撮ることも忘れてただ眺めていた。

「一度アフリカに来たものは、いつの日か再びアフリカに帰る」
その言葉は、これまで知識や概念として彼女の中にあったが、今、彼女の中で叫んでいるのはもっと別の強い感情だった。

「いつの日か、私はここに帰る」

 彼女が再びケニアを訪れたのは、一度見た光景を忘れられなかったからではなかった。なぜここに来ようと思ったのか、彼女には説明できなかったし、意味など何もないと思っていた。そうではなかったのだ。彼女は、どうしても来なくてはならなかった。まだ一度も見たことのないこの世界を自らの目で見るために。

 それはナイロビでも、モンバサでも、マリンディでもなかった。雑多で混沌とした都会や、藁葺き屋根がリゾートの雰囲氣を盛り上げる海辺の別荘では決して見ることの出来ないものだった。笑い声が絶えなく快適なレイチェル・ムーア博士の家ででもなかった。文明から遠く離れ、サバンナに孤高に建つ、この《郷愁の丘》にたどり着いた者だけが見ることを許される光景だった。

 少し離れた敷地内を動く二つの影があった。愛犬と朝の散歩をするグレッグ。朝焼けをみつめる彼のシルエットを彼女は見つめていた。

 この人は、ずっとここに一人で立ち続けて来たのだ。億千もの朝の、グレートリフトバレーで生まれた遠い祖先の記憶を保ちながら、たった一人で。国籍や両親の居住地、受け入れてくれる社会、そんな概念では語れない強い郷愁が、彼をここに引き寄せた。

 そして、彼は私にそのかけがえのない秘密を見せてくれたのだ。想いに応えることも出来ず、約束も出来ず、ただ自分の寂しさを埋める優しさにもたれかかろうとした残酷な私に、何の見返りも求めずに。

 握りしめている手のひらに、昨日作った擦り傷が痛みとも熱ともつかぬ熱い感覚で脈打っていた。彼がレイチェルの家で、この傷の手当をしてくれた時の優しい感触が甦った。彼が彼女に触れたのは、本当にその時だけだった。紳士的でとても優しい態度の内側に、隠していた心を暴露された居たたまれなさと、愛する人の心を得る事のできない絶望が押し込められている。そんな立場に彼を追いやってしまったのが、自分なのだと思うと苦しくて悲しかった。

* * *


 彼とルーシーの姿がゆっくりと視界から消えてもしばらくジョルジアはその窓辺に立っていた。やがて朝焼けはごく普通の朝の空に変わり、昨日のように何でもない日常が戻ってきた。彼女は我に返ってガウンに手をかけると、部屋に隣接している浴室に行き、シャワーを浴びてから着替えた。

 客間を出て廊下を歩いた。玄関の近くにある居間兼ダイニングルームを覗くと、ルーシーは、尻尾を振って寄ってきた。グレッグが氣づいて笑いかけた。

「おはよう。よく眠れたかい」
「ええ。ぐっすりと」

 昨日あった事も、先ほどのジョルジアの人生を変えるほどの光景も、まるで何もなかったかのような穏やかな朝の挨拶だった。

 ジョルジアが思いもしなかった、彼の想いについて知った午後、転んで怪我をしたジョルジアを連れてグレッグが戻ると、レイチェルは困惑した顔をして二人を見ていた。彼がアカシアのトゲをひとつ一つ丁寧に抜いてくれ、それから消毒をしてくれている間、ジョルジアは《郷愁の丘》にある彼の家の事を質問した。どんな建物か、屋根の形や近くにどんな動物が来るのか、井戸から水を汲んでいるのか、など。

 その会話から、レイチェルもこれからジョルジアが彼の家に行こうとしている事を知り、納得して嬉しそうに送り出した。おそらく彼女はまた誤解したのだろう。彼女は知らないのだ。ジョルジアはニューヨークに住む著名ニュースキャスターに恋をしているとグレッグに告白してしまった。そして、その事実は簡単には動かせない。

 それでも、彼女はここに来た。何かが起こる事よりも、このままグレッグという彼女にとって特別な人間との交流が断ち切られる事がつらかった。だから、彼が求めてきたら拒否するような事はしまいと思っていた。

 けれども、昨夜は何も起こらなかった。彼は、男性の同僚や親族を家に泊めるのと変わらないように家の中を案内し、パンとチーズとワインだけの簡素な夕食を普通にした後、「今日は疲れただろう。また明日」と礼儀正しく挨拶をして寝室に向かった。

 ドアの閉まった客間の中から、彼女は彼の去っていく足音を聞いた。彼は、ルーシーに話しかけていた。
「そこにいろ。そして彼女を守るんだ」

 ジョルジアは、彼の事を考えながら穏やかに眠りについた。今、目の前にいるのは、その彼女が眠る前に思い浮かべたのよりはわずかに明るい笑顔を浮かべているグレッグだった。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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この作品にはいろいろな曲がインスピレーションをもたらしてくれていますが、このシーンを構想しているときはずっとこの曲を聴いていました。Eraはフランスのエリック・レヴィを中心とした音楽プロジェクトで、中世のラテン語風の歌詞で一世風靡した「Ameno」などで知られています。中世ヨーロッパ風の小説のBGMにいいかなと思っていましたが、どういうわけかこの「郷愁の丘」BGM用プレイリストに入ってしまいました。なぜかアフリカにも合うんですよ。


Era - I Believe
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Posted by 八少女 夕

ブレガリアの小さな村で

本日は四連休の最終日なのですが、初日と二日目に行ったドライブの話などを。

今年は五月にも雪が降るなど、とんでもない寒い春だったので、どこか出かけるにしてもずっと私の運転する車ででした。(連れ合いはバイクの免許だけ、私は自動車の免許しか持っていません)

それがようやく(春を通り越して)夏の様相になったので、バイクでぐるりと周ってきました。あいかわらず予定も何も立てなかったので適当に出かけて、雪に覆われたアルブラ峠を越えてエンガディン地方へ。(同じ州です)

それからブレガリアとポスキアーボどっちに向かいたいかと訊かれたので、「ブレガリア!」と即答しました。

ポスキアーボ谷もいいのですが、こちらは電車でも行けるので冬の間に何度か行っているのです。でも、ブレガリアは車かバイクでないと行けないのです。

ブレガリアと言えば「夜想曲」という中編小説の舞台にもした所で、私のお氣に入りの地域です。

画家のセガンティーニが愛した事でも有名で、とくにソーリオにはわざわざ訪ねてくる日本人もあるようですが、ブレガリア谷全体に素朴な美しさが漂っています。

カスタセーニャ

私たちが泊ったのはカスタセーニャというイタリアとの国境の村です。セガンティーニが目にしたのとおそらくあまり変わっていない状態の家並みも残っています。ブレガリア谷は良質の栗が穫れる事でも有名で、村の奥にはそれぞれの家族が所有している栗の樹の林が続いています。

現在は基本的には、夏のバカンス地になっているようですが、個人的には美しく過ごしやすいブレガリアの夏は、厳しく凍てついた冬、哀愁漂う秋、スーパーマーケットや大型量販店とは無縁の、素朴でどこか寂しい暮らしと対になってこそ意味を持つと思うのです。

ところで、日本の方がスイス旅行をするにあたって「どこが素敵か」と訊くので、例えばこのカスタセーニャなど、いくつか知っているスイスらしい村を答えると、その次に質問してくるのはたいてい「そこには何があるの」なのです。

ところがその手の村には、「ダ・ヴィンチのモナリザがあるよ」とか「王宮で衛兵交代をしているよ」というような具体的に見るべきものはないのです。セガンティーニが眺めたのと同じ山の光景は、天候さえよければ見えるかもしれません。でも、それだけです。アルプス山脈と、その麓にあるただの素朴な村ですから。

海外旅行では「エッフェル塔を見た」「コロッセウムを見た」というような史跡観光はつきものです。とくに団体旅行だとそうなりがちなのは、ヨーロッパの人でも同じなのですが、日本人の場合は個人旅行でもそういうタイプの計画を立てる方が多いです。分刻みの計画を立てて、スタンプラリーのように効率的に何カ所も回ろうと考える事が多いのですね。

大都会、たとえば、パリやロンドンやローマなどは、そういう旅に向いています。実際に史跡がたくさんありますし、計画しないと「見ておけばよかった!」と後悔するような場所や施設がてんこ盛りです。

でも、スイスをはじめとするヨーロッパの田舎というのは、そういう旅には全く向かないのです。「何時何分のバスで到着し、村は一時間もあれば見る事ができるので、次のバスでサン・モリッツに帰ろう」という計画的観光は、正直言ってお奨めできません。できないというのではありません。できますが、そんな忙しい間にちらっと立ち寄るなら来る意味はあまりないと思います。

ここは「ハイジ」をはじめとする有名文学作品や、旅行案内には一度も出てこない、つまり多くの日本人にとって訪れるに値しない「ただの村」です。ところが、その美しさと価値は、「何があるの」と訊かれて「何もないよ」「どこにも出てこないよ」と答えるしかない素朴さの中にあるのです。そして、スケジュール、次の予定などを考えないのんびりとした時間を過ごしてこそ、来る甲斐がある所なのです。

ブレガリアには、アルプスに横たわる谷の特徴でもあるフェーン現象によって、鮮烈なコントラストをみせる青空と山塊、四季折々の自然の姿、緑と清冽な川の水音と、そして、素朴な石造りの村が点在しています。どちらかというと貧しい、生活の厳しさを感じさせる地域で生きる方言のイタリア語を話す人びとが、メルヘンではない、現実の暮らしを営んでいます。

教科書には出てこない限られた歴史、現実の国境やEUの問題や日々の生活のあれこれを、カフェに座る異国からの旅人たちや村の人びとたちと各国語いり交えて語り合いつつ、ゆったりと時間を過しています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】麗しき人に美しき花を

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」五月分を発表します。五月のテーマは「コサージュ」です。

子どもの頃「大人になったら、何になりたい?」と訊かれていつも答えていたのは「お花屋さん」でした。なぜ実際に花屋を目指さなかったかというと、子どもの頃の私はあかぎれとしもやけにひどく悩まされていて、水仕事というのは全く現実的な選択ではなかったからですね。

実際に大変なお仕事のようです。買う方が手にもつ花束はそんなに重くないですが、大量の花や、水の入った容器や鉢を動かすので腰を悪くしたり、朝がとても早かったり、たくさん勉強をしなくてはならなかったりと、「綺麗なお花に囲まれて幸せ」だけではないですよね。実際に携わっている方を尊敬します。今回は、そんな花屋を経営するちょっと変わった若いカップルの話です。


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麗しき人に美しき花を

 おお、来た。久しぶりにミウラ様が。加奈は顔がにやけないようにしつつ、上品な営業用笑顔をつくった。
「いらっしゃいませ」

 その三浦という名の男性客は、美形だ。ただの美形ではなく、本当に本人の肌なのか疑うほど瑞々しく皺ひとつない張りのある肌と、親か祖父母あたりが日本人ではないに違いないと思われる彫りの深い顔立ちをしている。そして自分の美貌の世間に与える効果をよくわかっているらしく、髪型から靴の先までいつも完璧に決めて登場するのだ。かつて「王子キャラ」を前面に打ち出していた歌手兼俳優がいるが、正にあのタイプ。ああ、麗しい。これこそ眼福だわ。これだけで今日の午後は幸せに過ごせそう。

「こんにちは。今日は、ご主人はいらっしゃらないのですか」
彼がいうご主人とは、加奈の同居人であると同時に、この『フラワー・スタジオ 華』の共同経営者でもある華田麗二のことだ。

「いますよ。奥でちょっと休憩中です。呼びましょうね」
「いえ。休憩は大切ですから。じゃあ、今日は奥様にお願いしましょう」
ミウラ様はどうやったら可能なのかさっぱりわからないが、どこにも皺を作らずに微笑んでみせた。その麗しさに、加奈は麗二よりもアレンジのセンスなどで信用されていないといわれたも同然の悲しみは忘れる事にした。

「あ、でも、彼の休憩、そろそろ終わりますよ。とにかくご希望をお伺いしましょうか」

 ミウラ様は微笑んだ。
「来週の日曜日にコサージュを作ってほしいんです。実は、ちょっとした祝い事のパーティを開く事になって、タキシードの胸元にコサージュを挿そうということになって。僕の分と、それから、とある女性の分の二点をこちらでお願いしようと思って」

 な、なに! 女性の分? まさか、その祝い事って結婚披露宴じゃないでしょうね。だとしたらショックだわ。動揺して、受注伝票を何枚も書き間違えてしまった。

「あれ。三浦さん、こんにちは」
後から麗二が出てきた。野太い声がどこかくぐもっているのは、何かを口に咥えているからだろう。ミウラ様の前でなんて接客態度! そう思って振り返ると、案の定、麗二は口に棒キャンディーを咥えている。

 名前から想像するのとは大違いの筋肉ムキムキ男で、『フラワー・スタジオ 華』の響きから想像する格調高さはみじんもない。ま、それでもミウラ様が麗二のことをお氣に入りのようだからいいんだけど。

「へえ。パーティ用コサージュね。えっと、つまり結婚披露宴ですか?」
わあ。そんなこと私の前で訊かないで! ショックに対する心の準備が。

「いいえ。違います。仕事上でのちょっとした受賞パーティなんです。ですから、べつに同僚と対にする必要はないです」
加奈は、それを耳にした途端に笑顔になり、麗二はそんな彼女の様子を見てため息をついた。

「お前な。顧客を妄想のオカズにするのはやめろよ」
上機嫌で三浦が帰って行った後、麗二は呆れた様子で言った。

「失礼ね! オカズだなんて。この私がミウラ様を穢すような事、するわけないでしょ!」
「でも、お前の同人誌のなんとかって作品のモデルなんだろ。ほんっと、あれだけはわかんないよ、男と男が絡んでいるのを想像して、何が面白いんだ」

「ちょっと! 私は腐女子でもなければ、オコゲでもないのよ! 単にミウラ様のように麗しい男性がステージ上でパフォーマンスするのを想像するのが楽しいだけで」
「でも、どうせ男しかでてこないんだろ」
「え。そりゃ、だって想像でも他の女性に盗られるのは嫌じゃない? でも、べつにハードな描写があるわけじゃないのよ」

 麗二はため息をつくと、陳列用のアレンジを作るために材料を作業台の上に並べつつ言った。
「あってたまるか。だいたいさ、なんか神格化しているみたいだけれど、あの人だって俺と同じに毎朝トイレにこもるだろうし、髭だって生えてくんだぞ」
「やめて! ミウラ様がトイレになんて行くわけないでしょ! 顎だって、脛だって、つるつるにきまっているのよ」

 そもそも、なんでトイレにこもるなんて話をしながら、薔薇やかすみ草をカットしてんのよ。だが、彼はそのあたりのことは、氣にもならないようだ。飴を咥えたままリラックスしながらどんどん手を動かしている。

「うへっ。すね毛をピッセットで抜く男なんてキモチ悪い」
「ピンセットで抜くわけないでしょ! 元からまったく生えてこないか、百歩譲っても、サロンで永久脱毛よ」

 麗二はおもいきり馬鹿にした顔をした。まあ、麗二とは無縁の世界よね。加奈は思った。彼の手元を見ると、ミウラ様が背負っていてもおかしくないような、紅薔薇とかすみ草の完璧なアレンジメントが出来上がっている。毎度の事ながら、言動と仕事のギャップがありすぎる。

 アレンジメントをショーウィンドウに置くと、麗二は先ほどの受注伝票を見ながら「う~ん」と言った。

「どうしたの?」
加奈も覗き込んだ。

「希望の花さ。こっちの三浦さん用のオーキッド系というのはいいんだけれどさ。女性の方はコサージュ向けじゃないんだよなあ。デルフィニウム、ストック、金魚草、スイトピーのような優しい花、野の花の雰囲氣かあ」

「え。でも、麗二、そういう花束はしょっちゅう作るじゃない」
「花束は問題ないけれど、コサージュだからさ。しかも主役だろ。水が下がってしおれたらクレームになるよ。よりにもよって水の下がりやすい花ばっかり」

「あ。そうだね。どうしようか」
「そうだなあ。希望を全部無視するわけにはいかないから、まあ、強い花を中心にして萎れても目立たないようにギュウギュウにして希望の花を入れるか」

 筋肉ムキムキ、すね毛ボーボーのワイルドな外見とは裏腹に、麗二の生花の知識と大胆なテクニックは、まさに花屋になるために生まれてきたと言っていいほどだった。子供の頃から「お花屋さん」に憧れて、なんとなくこの道を目指した加奈は、最初のバイト先で彼に出会い衝撃を受けた。

 当時から彼は天才肌で、セオリー通りの組み合わせでまとめようとする加奈には信じられない花同士をぱっぱとまとめて、どこにもない個性的でかつ優雅な、もしくはかわいいアレンジを作った。ユリと向日葵。さまざまな蘭の競演。紫陽花を使った花束。プロテアと薔薇。ネギ科の花で作ったポップなアレンジ。

 はじめは適当にやっているのかと思っていたが、つきあうようになり彼の部屋に初めて行った時に本棚に並んでいた膨大な蔵書を見て、彼がどれほど勉強家であるのかも知った。それに彼は「緑の親指」の持ち主で、どんなに難しい花でも咲かせる事が出来るし、部屋の隅で捨てられるのを待つばかりになっていた弱った鉢植えもいつの間にかピンピンにする事が出来るのだった。

 その麗二でも眉をひそめるような難しいコサージュかあ。人ごとのように思った時、麗二は腕を組んで意外な事を言った。
「これは加奈の出番だわなあ」

「私の?」
加奈は驚いた。ごく普通のなんて事はない花束やアレンジはするものの、大事なお客様の特別な注文はいつも麗二任せだし、彼女もそれが当然だと思っていた。加奈自身が得意なのは、どちらかというとワイヤリングや、いろいろな新素材を使ったラッピングの工夫だった。

「うん。普通よりもたくさんの花をぎゅうぎゅうにするだろ。絶対にへたらないように22番くらいでクロスしたいけど厚ぼったくしたくないんだ。そこで加奈にワイヤリングとテーピングとリボンをやってもらいたいんだ」

 麗二だって、ワイヤリングは上手だけれど、これはミリ単位で完璧なワイヤリングをしろってことね。麗二が私に頼るなんてめったにないことだし、他でもないミウラ様のためだし、頑張る! 加奈は奮い立った。

「わかった。じゃあ、一緒に完璧なコサージュ作ろうね。ところで、なんの受賞パーティなのかなあ。演劇とかかなあ。それともデザイナーとか?」
加奈が夢見がちに言うと、麗二は驚いたように答えた。

「なんだよ、お前、あの人の職業知らないのか?」 
「え? 知らないよ。麗二はそんな事教えてもらったの?」
「うん」

 何で今まで教えてくれないのよ。そう思いつつ、加奈は麗二にすり寄った。
「で、何? もったいぶらないで教えてよ」
「う~ん。知らない方がいいんじゃないかな。お前の妄想をぶち壊すかもしれないしさ」

「ええ~、ひどい。そんなこと言われたら氣になるよ」
「ま、いいじゃん。芸能人だと思っていりゃ。コサージュ作るのには、問題ないだろ」

 加奈は地団駄を踏んだ。
「教えてよ。教えてくれないと、今度の特別号で麗二をモデルにしたキャラとカップリングするよ」

 麗二はぎょっとして立ち上がった。
「おいっ。勘弁してくれ。それだけはやめろ! 自分の伴侶をオモチャにすんなよ!」
「じゃあ、教えてよ」

「なんだよ。お前のために黙っていたのにさ。ほら、この間、オヤジん家にシロアリがでたじゃん。その駆除の相談で窓口に行った時にさ……」
「ま、まさか、ミウラ様が……」
「うん。結構偉いみたいだったけれど、職場では作業着姿だったから、薔薇の花は背負っていなかったぜ」

 イメージが崩壊して打ちひしがれる加奈を横目でみながら、麗二はコサージュにする花のプランを紙に書きはじめた。適当でそうとは見えないイラストだが、彼のプラン画を見慣れている加奈にはどんなコサージュになるのかがすぐにわかった。じゃあ、あそこにこうワイヤーを通して……。頭の中には二人で作る最高傑作がどんどん出来上がっていく。

 うん。ミウラ様がどんな職業でもいいや。害虫駆除も大事な仕事だし。なんか受賞するってことはすごい人ってことだし。あの人とその同僚が、私と麗二の作る最高の花を身につけてくれれば、それで。

 カランと音がして、入口のドアが開いた。あ、新しいお客さんだ。おお、超美人。カトレアやカサブランカを背負うのがふさわしい感じ! 今まで、私の作品にはいなかったタイプのキャラだわ。

「いらっしゃいませ」
加奈は元氣よく迎えた。

(初出:2017年5月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

お風呂

今日は短く行きます。なんだかいつも妙に長文になってしまうので。

お風呂が好きです。

温泉も大好きだけれど、ヨーロッパの温泉というのは「温水プール」なので私の好きな温泉とはちょっと違います。露天でまったりする温泉が好きで、別に水着を着て泳ぎたいわけじゃないので、ヨーロッパのウェルネス休暇にはあまり興味がありません。

で、お風呂が好きなので、自宅ではほぼ毎日湯船に浸かります。日本の方は「何あたり前の事を言っているんだ」とお思いになるかと思いますが、欧米の生活から言うとこれは「異常」です。普通は軽くシャワーで、自宅に湯船がない方も多いのです。

結婚したての頃、「毎日浸かる」ということで、連れ合いと少し文化的な争いになった事があります。しばらくして彼が慣れてその争いはなくなりました。私が彼の葉巻や飲酒に何も言わなくなり、彼が私のお風呂に何も言わなくなったという感じでしょうか。

でも、一応、控えめにします。シャワーの一回分は湯船で使うお湯の半分程度と言われたので、基本的には湯船の半分程度を目安にお湯を張ります。まあ、時々それよりも多くなりますけれど。

滅多にやらないけれど、時々入浴剤を入れて温泉ごっこをしたり、リラックスするために精油を入れたりする事もあります。それと、石鹸やシャンプーなどは昔は「安いものでいいや」だったのですが、最近は自分が使って幸せになるものを厳選します。

引越すとしても、たぶんバスタブがあることは優先順位が高くなるだろうなあ。同時に、水がウルトラ貴重な国には住めないかもと思っています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(4)アカシアの道 - 2 -

「郷愁の丘(4)アカシアの道」の続きです。レイチェルのうっかり発言により、グレッグの片想いの相手は自分だとジョルジアは氣づいてしまいました。モテモテのひとは、こういう場合の上手なあしらい方というのをわかっているのでしょうが、彼女はそうでなく……。

人生には、時々こういう瞬間があると思います。これまでの経験がほとんど役に立たず、とっさに何かをしなくてはならない時。このとっさの行動が、実は人生のターニングポイントだったという事は、もちろんその時にはわかりません。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(4)アカシアの道 - 2 -

 苦痛に満ちた顔で、階段を降りていってしまった彼を見て、レイチェルは彼女に言った。
「ごめんなさい、私、ヘンリーに謝ってこないと」

 彼女が出て行き、閉まったドアをジョルジアは眺めていた。あまりの不意打ちで、彼女の思考は止まっていた。

 ジョルジアは、恋愛模様の当事者になった事はほとんどなかった。ティーンエイジャーの頃から人びとの関心は、美しく装った妹に集中し、彼女はそれを客観的に眺めるばかりだった。

 男性とデートするようになったのは通常よりずっと遅く、同僚のベンジャミンに紹介されてからだ。その相手であるジョンにひどく傷つけられて去られてから、彼女は人との交流そのものもまともに出来なくなり、社会からも背を向けた。

 一年ほど前から、意に反して恋に落ちてしまったが、その相手は知り合いでもなく実際に逢う事もないので、恋愛の当事者として当意即妙の反応を返す必要は全くなかった。

 突然、こんな形で男性を意識する事になり、彼女はどうしていいのかわからなかった。荷物の前に座り込み、何をするでもなくそれを見つめた。

 どれだけそうしていたかわからない。彼女は階段を上がってくる音を聞いた。短いノックが聞こえた。
「ジョルジア」
グレッグだ。

 彼女は立ち上がり、混乱して戸惑いながらドアに向かった。どんな顔をすればいいんだろう。

「開けなくていい、ただ聴いてほしい」
ジョルジアは、ドアノブに手をかけたまま立ちすくんだ。

「レイチェルが言ったことは、どれも本当だ。それに、あのとき君に話した、好きになってしまった女性というのは、君のことだ。でも、君をマリンディに招待したのも、こんな所まで連れてくることになってしまったのも、邪なことを企んでいたわけじゃない。ただ、リチャードの事務所で君に再会したときに思ったんだ。こんな奇跡は二度と起こらない。だから一分でも長く君と時間を過ごしたいと」

 彼女は、混乱していた。彼に対して一度も感じたことのなかった動悸にも戸惑っていた。それでいて、片想いをしている男に感じる強い痛みと熱情が欠けていることも冷静に感じていた。どうしていいのかわからなかった。ジョルジアは、望まぬ相手に愛の告白をされたことなどこれまでたったの一度もなかった。ましてや、その相手がこれまで一度も感じたことがないほど自分に近く感じる特別の相手なのだ。

「君がショックを受けて、僕に不信感を持つのは当然だ。距離を置かれたくなかったからだが、故意に隠していたのは事実だし、自業自得だと思う。君をちゃんとナイロビ行きの停まるヴォイかムティト・アンディまで送り届けてくれるようにレイチェルに頼んだ。せっかくの休暇に不快な思いをさせてしまって、本当にすまなかった」

 ジョルジアは、何か言わなくてはならないと思った。だが、何が言えるだろう。近いと思える存在を失いたくないから「無害な」友達でいてほしいと? そんな都合のいいことを言う権利があるとでも?

 しばらくしてから、彼が返事を待たずに去っていく足音が聞こえた。ジョルジアはドアを開けてその落胆した後姿が階段を降りて見えなくなるのを黙って見つめた。彼は振り返らなかった。

 何かを言わなくてはならない。もしくは、敵意のない態度を見せなくてはならない、例えば食事のときに、いや、リビングに行ってレイチェルに話しかけながらでも。

 彼が謝らなくてはならないことなどなにひとつなかった。もし、それが罪なら、ジョルジアが、自分を知りもしない相手のことをいつも考えてしまうのも大罪だった。彼女はグレッグと一緒にいた時間を不快に思ったことは一度もなかった。何と答えていいかもわからないほど混乱させられている彼の告白ですら不快ではなかった。

 ジョルジアが、それを告げようと決心して階下に降りようとした時、表からエンジン音がした。そしてルーシーの吠え声がドアの締まる音とともに消えたのも。

 彼女は、我に返って階段を走り下りた。玄関にはレイチェルがいて、ジョルジアを見て頷いた。

「彼は?」
「このまま、帰るそうよ。あなたをよろしくって、頼んでいったわ」

 ジョルジアは、そのまま彼女の横を通り抜けて表に出た。黒いランドクルーザーは、もう門を出て走り去っていた。ジョルジアは走って公道に出た。並木の間を赤茶けた道がずっと続いている。土ぼこりが舞い上がって、去っていく車が霞んでいく。彼女は、間に合わないと思いながらもただ走った。けれど、ぬかるみの中に隠れていた石につまづいて転んでしまった。

 膝と、それから手のひらに激痛が走った。こんなのは嫌。世界は突如として以前通り素っけなく親しみのないものに変わってしまった。アフリカも厳しく痛い存在になってしまった。どうして。

 こみ上げてくる苦しさを押し込もうとしたその時に、彼女は近づいてくる犬の吠え声を聞いた。顔を上げると、焦げ茶のローデシアン・リッジバックが走り寄って来ていた。
「ルーシー……」

 大きい犬は、尻尾を振ってジョルジアに駆け寄ると、振り向いて主人を呼んだ。グレッグが遅れて走って来ていた。彼は、駆け寄ると屈んで「大丈夫か」と訊いた。

「痛いわ」
彼女は、手のひらを見せた。赤茶けた泥まじりの土の下から血がにじみだしている。

「この辺りはアカシアの木ばかりだから、トゲがたくさん落ちているんだ」
彼はとても優しく手のひらの泥を拭って、棘がいくつも刺さっているのを見た。
「すぐに手当をしないと。立てるか」

 ジョルジアは、完全に安堵している自分に驚いていた。泥だらけの惨めな姿で、手のひらと膝は痛くても、心の方の痛みが消えていた。

「ルーシーが吠えて報せてくれなかったら、君が追って来ていたことも、こうして怪我をしたことも知らずにそのまま走り去ってしまう所だった」

「どうしてさよならも言わずに行ってしまうの? 約束したのに」
「約束?」
「約束したでしょう。私を《郷愁の丘》へ連れて行ってくれるって」

 彼は驚きに満ちた目で、彼女を見つめた。
「……。君は、二度と僕と二人きりにはなりたくないんだと思っていた」

「私はムーア博士に逢いにここに来たわけじゃないわ。マリンディに行こうと思ったのも、イタリア人街を見たかったからじゃない。あなたは、他のどんな人とも違う。あなたは私にとても似ていて、きっと誰よりもわかってくれる人だと感じたからよ。あなたと友達になりたかったの。それが迷惑だと言うなら諦める。でも、こんな風に黙って去っていったりしないで」

 グレッグは、ジョルジアを支えてゆっくりと立たせた。
「《郷愁の丘》までは日帰りできる距離じゃないんだ。それでも来るかい?」

 彼女は頷いた。
「荷物を取ってくるわ」

 グレッグは、少し間を置いてから言った。
「まず、この傷の手当をしてからだ。車をとってくるから、ルーシーとここで待っていてくれ」

 彼は、かなり先に乗り捨てたランドクルーザーの方に歩いて戻っていった。ジョルジアは、ルーシーの優しい鳴き声を聞きながら、その背中を見ていた。
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Posted by 八少女 夕

パンのお供(2)ハムペースト

わざわざシリーズを作ったのに(1)だけで放置していた「パンのお供」。まだまだたくさんあるはずなのに、いったいなにをやっていたんだか。

日本では「ご飯のお供」は、どの家庭でもそれぞれにあって、むしろ「そんなもん、わざわざ意識していないよ」というものであったりもします。同様に、何がなくともとりあえずパンなので、そのパンのお供も大事です。

買ってくるパンにしろ、自分で作るパンにしろ、とにかくパンは常に自宅にあるものなのです。で、我が家でもパンとバターはとりあえず切らさないようにします。そして、そのパンをどう食べるかは、日々違うのですね。しかも、スイスは夕食が軽い事が多いので、パンプラスαがそのまま夕食のメニューになります。スープ+パンとか、パンとハムとチーズとか。

で、いつも同じだと飽きるので、いろいろと工夫をするようになると。

というわけで、今回は「ハムペースト」です。

ハムペースト

かつて「サンドイッチ談義」という記事でご紹介しましたが、日本にいた頃から愛読していた本、パトリス・ジュリアン著「フレンチスタイルのサンドイッチ」に、「こういうムースや味付けバターがあると、カスクルート(フランス式サンドイッチ)は簡単に豊かになるよ」と、いろいろな基本ムースや味付けバターを紹介したページがあるのです。

で、それ自体さほど難しくないのですが、怠惰な私は更に簡単にアレンジしてしまうのでした。

パトリス・ジュリアン氏の「ハムのムース」はハムの他にバター、サワークリーム、プレーンヨーグルト、サラダ油なども入っていて、細かく切ったハムをすりこぎですってという工程があります。

私のは、材料はハムとマスカルポーネチーズ(リコッタでもOK)だけ。
ハムをチョップする

ハムは適当にちぎってハンドブレンダーで細かくします。それとマスカルポーネチーズを混ぜて、必要なら塩こしょうで味を整えるだけです。マスカルポーネやリコッタを使う理由は、カッテージチーズなどと違って、柔らかくするために他の材料と混ぜたり、しばらく常温で置いてといった面倒が何もないからです。つまり冷蔵庫から出して速攻で作って五分後には食べられるというわけです。

これだけで十分濃厚なので、バターは塗らずにそのまま厚めにパンに塗り、窓辺に栽培している(というか毎年勝手に生えてくる)ルッコラを挟むと、それだけでOK。パンだけでなく、クラッカーに塗っても美味しいですよ。


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