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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


ようこそ。このブログでは、オリジナルの小説と、スイスにいる異邦人の日常を綴っています。
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Posted by 八少女 夕

バターの話 2

ずいぶん前に、バターについて書いたことがあったので、今回は『2』としておきます。

日本は健康について、ものすごく敏感なところもあるのですが、「なぜ、そんなのが放置されているの?」というような好ましくない食品が幅をきかせていたりすることもあります。

そのうちの一つが、トランス脂肪酸なのですが、この物質に対する温度差が欧米と日本でものすごく違うのです。実際にどれほど危険なのかということは、ここでは問題にしません。タバコやお酒、それにドラッグも、体によくないのはわかっていても、摂る人は摂りますし。

で、トランス脂肪酸を含むバターの代用品ですが、日本と比較すると少なくともスイスでは全く市民権が得られていない感じなのです。売っていますよ、もちろん。ということは買っている方もいるはずなんですけれど、実を言うと「それが出てきたので食べた」という経験が皆無なんですよ。

私も迷うことなくバターを買います。私、バターが好きなんですよ。家計が傾こうが、太ろうが「だからなんなの」と言い切れるくらいに。

日本だと「バターが高くてとても買えない」という話を聞きますよね。で、どうするかというと、バターの代用品を買うか、それとも何も買わないかの二択があるかと思うんですが、スイスの多くの人たちは、そもそも「代用品を買うべきか」と迷うこともなく、多くの人がバターを買っている感じなんですよね。

日本にはバターというとどこか高級品というイメージがあって、実際に高いものだと千円を超すような凄いバターも売っています。値段を比べると、スイスのバターは決してものすごく安いというわけではないのですが、それでも「高いから買わない」という話は聞いたことがありません。

昔はそうではなかったようです。義父母が子供の頃は、よほど裕福な家庭でない限り、バターは来客があるなど特別な時にしかテーブルに上がらなかったそうです。

今では、どの家庭でも朝食にはとりあえずバターとジャムが出てきます。そのバターの種類はあまり多くなくて、生活保護を受けている人でも、夫婦合わせて150万円くらい月収がある人でも、大体同じバターを食べています。それに、私が味音痴なのかもしれませんが、スイスのバターにはあまり味の差がないように思います。料理用でない普通のバターはどれも美味しいと思います。

スイス人の食事はお昼ご飯がメインで、朝と夜は驚くくらいあっさりしています。それでも、美味しいパンとバター、それにジャムや蜂蜜、もしくはチーズとハムなどが出てきて、楽しく会話をしていると食事のことを質素だとは思わないのですよね。

そこまで生活に根付いている食品だから、そもそも代用品を使って安くあげよう、というような発想がないのかもしれません。それにですね。スイスの食品会社は、日本企業ほど研究熱心じゃないのですよ。つまり「バターに遜色のないほど、そこそこの味の代用品」なんて作れないんじゃないかしら……。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (11)セビリア、弦の響き -2-

三回に分けた二回目です。

今回登場するキャラクターのことは、第一部を読んでいないとわからないかもしれません。安田(旧姓遠藤)陽子は、稔の幼なじみです。そして、稔失踪の直接の原因となった女性といっても構いません。稔は、彼女と結婚したくなくて逃げ出してしまったのです。その後、彼女は稔の弟、優と結婚して三味線安田流を支えていくことになります。

しかし、陽子の稔への執着はあっさりと消えたわけではなかったようです。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(11)セビリア、弦の響き -2-


 カルロスの別荘に帰り着いたのは午前二時だった。
「じゃあ、明日は少しゆっくりめに、九時にここを出られるようにしましょう」
蝶子があくびをしながら言うと、レネも頷いて階段を上がりだした。

 ドアに鍵を掛けて、ヴィルも蝶子の入っていった部屋に向かおうとした時に、電話が鳴った。カルロスだった。
「マリア=ニエヴェスが十五分前に出たと言ったから、今ならまだ寝ていないと思ってね」

「何かあったのか? こんな時間に」
「ドンナ・真耶がヤスくんに早急に連絡を取りたいそうです。時差の問題があるから、明日の晩まで待たない方がいいかと思ってね。電話をするように伝えてください」
「わかった。礼を言うよ」

 ヴィルは電話を切ると、まだ上の空の稔を呼び止めた。
「真耶があんたに早急に連絡を取りたいそうだ。これが携帯電話の番号だと」

「俺に? なんだろう」
稔はメモの電話番号を見つめて首を傾げた。

「義理の妹さんが、私の不在中に、ものすごい剣幕で電話をかけてきたらしいの。佐和さんが出て、どうしても安田くんに連絡したいからと伝言を受けたらしいんだけど、なんて言っていいのかわからないでしょ。それでドン・カルロスのところにかけたら、みんなはセビリアに行っちゃったっていうから、本当にどうしようかと思ったわ」

「陽子のやつ、お前の密着取材番組、観たのか……。ごめん、迷惑かけて。明日にでも、安田の家にかけるよ。もし、またかけてきたら、俺から連絡するって言ってくれ」

「わかったわ、こちらこそ、ごめんね。あの番組のせいで見つかっちゃったのね」
「いいんだ。そろそろ、潮時だったんだろ」

 電話を切ると、複雑な心境で稔は部屋に戻った。連絡して何を話せばいいんだろう。今さら、なんで大騒ぎするんだよ。義理の妹。つまり、優と首尾よく結婚したんだな。

 翌朝、稔が他のメンバーが朝食を用意している間に電話をかけると、他の三人は目を見合わせて黙った。蝶子の真ん前でかけるということは、秘密にしたい訳ではないらしい。

「あ、俺だ、稔」
そういうとしばらく稔は沈黙した。電話の向こうで誰かが騒いでいるらしい。

「そうだ。ヨーロッパからかけている。陽子と話したいんだ」
稔の言葉に、蝶子は仰天した。遠藤陽子! 噂の元婚約者じゃないの。

 しばらく待たされた後に、稔の耳に陽子の声が飛び込んできた。
「稔? 本当に稔なの?」

「そうだよ。俺と連絡を取りたいと園城真耶にかみついたのはお前だろ」
「……。かみついたって、ひどい言いようじゃない。あなた何やっているのよ。いつの間にかスペインの大道芸人のお祭の事務局長なんかになっちゃって」

「それが言いたくて、園城に電話したのかよ」
「違うわ。全然違うわ」
陽子は激しく言った。

 稔は不思議な氣持ちでいた。遠藤陽子の声だった。かつては自分の家族ほどに近かった幼なじみの、何でも話し合い、ケンカをし、三味線を合わせては競い合った陽子の声だった。二つの受話器は一万キロメートルも離れている。それは今の二人の境遇の遠さをも意味していた。

「園城真耶の番組で稔を見たと家元に、いえ、お義母様に言ったらちっとも驚かなかったのよ。理由を訊いたら、園城真耶を通して弦を稔に送った事があるって、平氣な顔でおっしゃるじゃない。あんまりだわ。なぜ、私に隠すの」

「隠していた訳じゃないだろう。単に言うほどの事じゃなかっただけだ。それより、今さらだけど、おめでとう。優と結婚したんだってな」
聞き耳を立てていた蝶子は目を丸くした。

 稔は陽子が息を飲む音をはっきりと耳にした。
「そうよ。ありがとう。私、もう遠藤陽子じゃないの。安田陽子よ。稔の義理の妹なの。だから、稔が逃げている理由はもうないのよ。なぜいつまでもそっちにいるのよ、しかも……」

 含みのある陽子の震えた声に、稔は心穏やかでなく答えた。
「しかも、なんだよ」

「何故なの? フルート科の四条蝶子とつき合っていたなんて! 私は少なくともいつも稔に対して正直だったわ。稔が誰と恋愛しようと邪魔した事なんて一度もなかったじゃない! それなのに、私を十年以上も騙していたなんて、信じられない!」

 稔は陽子の論理展開に呆れて、しばらく返事も出来なかった。
「俺がいつお蝶とつき合ったんだよ! わけのわかんない事言うなよ」

 蝶子は、椅子の上でずっこけた。会話のまったくわかっていないレネとヴィルは困ったように顔を見合わせた。

「いいか、俺はお前に隠れてこそこそ誰かとつき合った事なんかない。大学時代にはお蝶とはほとんど話した事もないよっ。その証拠にあのトカゲ女、コルシカであった時に俺の顔を覚えていなかったんだぜ!」

 ずいぶん根に持つじゃない。蝶子はどっちらけという顔をした。

 陽子は、稔の剣幕を聴いて、どうやら自分の怒りが誤解だったと悟ったらしかった。
「……。ごめんなさい。だって、ショックだったんだもの。私と婚約していたのに、四条蝶子と逃避行したんだと思ったから」

「ったく、お前なあ、あの番組観たんなら、わかってんだろ。お蝶は仲間の別の男と結婚してんだよっ。俺がその前にお蝶と恋仲だったら、そんな複雑なメンバーの中にいつまでもいる訳ないだろう。第一、お蝶は俺のタイプの女じゃない。俺の事、もう少しわかってると思っていたよ」

「わかっていると思っていたのよ。だけど、全部違ったんだと思ったら、黙っていられなくって。それで氣がついたら園城真耶の家に電話していたの」
陽子は悲しそうに言った。

「なら、もういいだろう。切るぞ。優やお袋によろしくな。お前も、元氣で頑張れよ。安田流をしょって立つんだからな」
「稔! 何言っているのよ。安田流の家元になるのはあなたでしょう。いつ帰ってくるのよ」
「俺は帰らない。俺はもう安田流の人間じゃないんだ」
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

卵焼き器を使う

今日の話、『美味しい話』カテゴリーにしようかとも思ったんですけれど、中身から鑑みてとりあえず『生活のあれこれ』の方につっこんでおきます。

つい先日、挽肉がお買い得になっていました。それに、挽肉を買うとちょうどポイントが二十倍になるという時で、つい買ってしまいました。私は買い物は1週間に一度しか行かないのですけれど、挽肉はアシが速いので、買ってきたらわりとすぐに調理して冷凍か冷蔵し、使う日に温めてソースにからめるということが多いです。

で、「やらなきゃ」と思いつつも「うーん、面倒くさい」と一瞬躊躇したんですよ。何が面倒くさいかというと、ポロポロに炒めるのは大して面倒ではないのですけれど、よくやるので今回はハンバーグか、肉詰めか、その手の塊になるものを作りたかったのです。その一つ一つ丸める手間が面倒だと思ってしまったのですね。

それで、タネを作る所までやってから、卵焼きパンに詰めてオーブンで焼いてみました。(注・卵焼きパンとは、取っ手のとれるティファールの卵焼き器の形をしたものです。これって、日本にしか売っていないんですよ)

出来上がったものを適当にカットしたら、それでOKでした。

ミートローフ風

この卵焼き器を使う料理はいろいろとバージョンがあって、例えばたこ焼きや餃子などのレシピをネット上でよく見かけます。丸いたこ焼きはたこ焼き器がなければできないですし、餃子は一つ一つ包む手間があります。それを省略して、味だけオリジナルのままにするレシピです。フラットに長方形の形で焼いたものを切るんですね。

もちろん、作る本人が「どうしても丸いたこ焼きを作りたい」「餃子を包む作業をするのが大好き」という方は、オリジナルの作り方をすればいいと思いますが、同じ味であれば楽をして、その代わりもう少しちょくちょく作ってみたいと思うのであれば、それでいいように思うんですよね。

料理をなさらない方は、ピンとこないかもしれませんが、仕事が終わって疲れ切った時や、ぐずった子供の世話をしてようやく料理が出来るようになった時、その他のいろいろなシチュエーションで、「肉をダンゴにする」「皮で包む」もしくは「素揚げをしてから更に煮る」といったほんの少しの手間を考えてうんざりしてしまうことってあるんですよ。それでも、家事は毎日待ったなしで、やらざるを得ない。だから、つい楽をするためにスーパー惣菜に頼ってしまったり、外食で済ませたいと思うこともありますよね。

そんな時に、「この方法なら、見慣れている見かけとは違うけれど、味はほとんど一緒」で済む調理法があれば普通に使っていけばいいんじゃないかなと思います。少なくとも私はそうします。それで連れ合いが見かけがどうこう言っても無視。もっとも、彼は、料理の見かけにはほとんど文句を言いません。

卵焼きパン、このほかにもスペイン風オムレツ、トルティーリャを使うのによく使います。一口サイズに切って楊枝で刺すと、タパスとして出す時に好評です。
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Category : 生活のあれこれ

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (11)セビリア、弦の響き -1-

さて、『La fiesta de los artistas callejeros』が終わり、四人はまた旅に出ています。滞在先はセビリアです。事情があって、初めての滞在以来足を踏み入れていなかったこの街に、再びやってくることになりました。

私自身はセビリアには三度ほど行っています。大きな街で、数日ではとても見て回れないのですが、実はあまり長く滞在したことがありません。ここから三十キロほど離れたカルモナには合計で数週間滞在しているのですけれど。

いずれにしてもアンダルシアは異国情緒にあふれる所です。Artistas callejerosの四人にとっても重要な場所になっているようです。皆さんお忘れになっていると思うので付け加えておきますが、今回出てくるマリア=ニエヴェスという女性は、第一部で出てきたヒターナ(ジプシー)です。四人のパトロンであるカルロスの精神的よりどころでもある魔女みたいなお婆さんですね。

この章は少し長いので三回に分けています。


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あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(11)セビリア、弦の響き -1-


 マリア=ニエヴェスのタブラオ『el sonido』で、ミゲルと一緒に弾きまくったので、稔はすっかりフラメンコの光と影に染まっていた。あまりに強く叩いたので、表板が壊れるかと思った。そろそろフラメンコ用に別のギターを用意すべきかもしれない。

「顔つきが変わっていますよ」
レネが、こわごわと覗き込み、その様子を見て蝶子が笑った。

「放っておきなさいよ。そのうちにセビリアでなくてもフラメンコ・モードに瞬時に入れるようになれば、戻ってくるのも簡単になるわよ」
そういって、バッグを探ると家の鍵を取り出してドアを開けた。カルロスのセビリアの別荘に来るのも久しぶりだった。

 セビリアに再び行きたいと言い出したのはレネだった。カルロスの前妻、あのエスメラルダとの事を氣にして、他の三人はあれからセビリアで稼ごうと言うのを控えていた。

 稔がフィエスタの待ち時間に思い出したかのように『ベサメ・ムーチョ』をミゲルに習ったように弾いていると、ヴィルが手拍子を取り出した。蝶子はやはり、あの時のマリア=ニエヴェスの踊りをまぶたの裏に描きつつ、ゆっくりと腕を伸ばしていった。蝶子の優雅な動きは、周りの人々の関心を買い、ヴィルに合わせて手拍子を叩きだすスペイン人たちが現われた。稔の『ベサメ・ムーチョ』は『セビリジャーナス』に変わった。観客の中から何人もの男や女たちが輪の中に入ってきて、みんなで踊りだした。レネはその様子をヤスミンの手を握りながらじっと見ていた。

 フィエスタが終わり、次の行き先をどうしようかという話になった時に、一番に口を切ったのがレネだった。
「セビリアに行きたくありませんか」

「行きたいのか?」
稔がぎょっとしたように訊いた。

「僕、もう大丈夫だと思います。もし、みんなが行きたいなら、僕もまた行ってみたいです」
そういって『ベサメ・ムーチョ』を呑氣に歌いだしたのだ。

 他の三人はほぼ同時に人差し指を挙げ、賛成の意志を示し、あまりにもそれが同時だったのでおかしくて笑い出した。それが決定だった。四人はセビリアを目指したのだ。

 稔はずっとセビリアに来たかった。というよりは、再びマリア=ニエヴェスのタブラオに来たかった。

 スペインにいる事が多くなるほどに、フラメンコの響きが稔の中に居座り始めた。不思議な事に、スペインを一歩出るとその存在はカーテンが揚がるように消えてしまう。けれど、再び国境を越えて周りがスペイン語を話すようになり、バルに通い詰めると、妙に落ち着かなくなる。

 それは八月の最後の週になっているのにまだ宿題に手を付けていない小学生のような、後ろめたい感覚だった。あの音を自分のものにしなくてはならない、ミゲルが弾いて聴かせた、あの晩、わずかにつかみ取れそうで、翌日には掻き消えてしまっていた、あの音を。

「セビリアにいる間、俺は毎晩あそこに通うから」
バンの中で、ハンドルを切りながら稔は宣言した。

「あそこの酒は美味かったからな」
後部座席からヴィルが短く答えた。一緒について来るという意味だ。

「だけど、ギョロ目の別荘で飲むより高くつくぜ」
「だから、朝寝坊は禁止よ。昼間にたくさん稼がなくっちゃ」
蝶子が助手席であでやかに笑った。

「イダルゴの恩人のお店の経営に貢献するんだから、ちょっとは恩返しになりますよね」
レネも言った。

 実際に恩返しになっているかは、はなはだ心もとなかった。というのは、マリア=ニエヴェスは明らかに普通の客の四分の一程度の代金しか請求しなかったからだ。

 もっとも稔は二日目になるともうずっと舞台でミゲルと一緒に弾き続ける事を要求された。また、人手が足りなくなると、他の三人はウェイター、ウェイトレスとして使われた。

 そのうちにレネは奥に引っ込んで、タパス作りを手伝いだした。イネスにつきまとって台所に入り浸っていたのが役に立ったらしい。

 蝶子は魅力的に微笑んで男性客たちに追加注文を促した。ヴィルは普段の無表情が嘘のように甘い言葉を遣うジゴロ風の男を演じ、年配の女性客たちから予定よりも高い酒やつまみを上手に注文させた。

 マリア=ニエヴェスは満足そうに頷いた。なかなか役に立つ連中だこと。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

『荒鷲の要塞』を見ながら

唐突な話題ですみません。

先日から連れ合いが、よくかけているDVDの話です。観ているといわないのは、彼がすぐに寝落ちしてしまうので、けっきょく別の日にまたかけて、更に寝落ちするという繰り返しのループの中にいるからです。

さて、その映画は邦題『荒鷲の要塞』、原題は『Where Eagles Dare』といい、はブライアン・G・ハットン監督、リチャード・バートン、クリント・イーストウッドが出演する1968年の戦争映画です。もちろん、連合軍のヒーローが大活躍で、ドイツ軍が悪者&お間抜け。そして、下に貼り付けた予告編でもわかるようにずーっと「ババババババ」と「バーン」の繰り返しのアクションムービー。

さて、ストーリーはともかく、私が注目しているのはDVDの音声の話です。

メインの音声はもちろん英語です。そして、彼は英語版をかける時と、フランス語版をかける時があります。彼にとっての母国語はフランス語なんですね。

最初は、フランス語でかけていましたが、すぐに英語にしました。主人公たちの会話がフランス語だと女々しく響いて合わないというのが理由です。私はフランス語では映画にはついて行けないので、「ふーん」程度でした。ところが、英語版で会話を聞き出したら、なんだか妙なのです。

主人公たちではなくて、でてくるドイツ人たちが変なんですよ。全員英語をしゃべっているんです。

なぜフランス語の時に違和感がなかったのかというと、フランス語吹き替え版では、ドイツ人はドイツ語で会話をしているのです。フランス人、そんな吹き替えでわかるのか、という問題がありますけれど、それはさておき、やはりナチスドイツは、フランス語や英語で会話すると変なんです。

よく考えると、こういう映画はけっこう多いように思います。こちらで映画やテレビ番組を観ていると、ちょい役で外国人が出てきて、ほとんどの会話をその国の言語で話すというのがよくあります。字幕なんてつきません。でも、なんとなく通じてしまうし、それの方がリアリティがあるんですよね。

それはたぶん、私たちが日頃からそうした多言語の中で生きているからだと思います。本当にイタリア語やフランス語やドイツ語が、普通にその辺で話されているんですよ。スーパーのレジで、道ばたで、職場で。まあ、日本語ともなると無理ですけれど。

でも、アメリカやイギリス制作の映画では、全部を英語でやるんですね。当然のことなのに妙に響くこのパラドックス。うーむ。

さてさて。そんなこんなで英語音声とドイツ語音声で、私一人が何度も観ている『荒鷲の要塞』。結末がある意味衝撃です。ネタバレは避けようと思いますが、あれですよ。日頃会社でクライアントの氣まぐれに振り回されて無駄なプログラミングをしたことなんて、「ま、いっか」と思えますね。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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荒鷲の要塞 Where Eagles Dare  1968 予告編
関連記事 (Category: 思うこと)
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Posted by 八少女 夕

【小説】庭園のある美術館で

今日は「十二ヶ月の情景」十月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 10、11月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、TOM−Fさんのリクエストにお応えして書きました。今月も、難しいリクエストでした。

テーマは、『秋の東京』でお願いします。月の希望は、10月か11月で。
ウチの詩織(都立高校生)を使ってやってください。八少女夕さんの作品世界とキャラは、お任せします。


観月詩織ちゃんは、TOM−Fさんの「天文部シリーズ」のダブルヒロインの一人です。最初の登場では高校生でしたが、とある事情があって、都立高校卒業後の話になっています。事情って、つい最近彼女がうちの小説の舞台を訪問してくださった後の話を書いてしまったからです。この時の話は、以下の二つの作品でTOM−Fさんとコラボさせていただきました。

TOM−Fさんの書かれた 『この星空の向こうに Sign05.ライラ・ハープスター』 
私のお返し掌編 『あの時とおなじ美しい海』

読まなくても通じるようには書きましたけれど、まあ、そういうことが背景にあると言うことで。

そして、共演させていただいたのは、最近よく出てくるあのシリーズの、いつも作者に散々な扱いを受けているナイロビ在住のあの人です。今回も特にオチのない情景だけで、すみません。


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む

【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」





庭園のある美術館で

 東京都庭園美術館のカフェは、ほぼ満席だった。

 その日、『マンハッタンの日本人展』が開催されて、氣鋭の作家たちによる現代絵画や彫刻などが展示されていた。そして、アレッサンドラ・ダンジェロ所蔵のケン・リィアン作『impression sunrise , long island iced tea』も、目玉作品の一つとして来日していた。

 リチャード・アシュレイは、美術に造詣が深いわけではない。実のところケン・リィアンがどのような画家なのかも全く知らなかった。単純に、スーパーモデルが大衆食堂にかかっていた色鉛筆画を32万ドルという高額で買い取ったという話を聞いて興味を持ったのだ。

 彼は、ケニアのナイロビ在住で、たとえニューヨークに行く機会があってもその大衆食堂に行くことはないであろう。たまたまやってきた東京でその絵を観るチャンスがあるなら、観ておくのも悪くないと思って出かけてきたのだ。それに、直接ではないが、彼はアレッサンドラ・ダンジェロやその大衆食堂と縁がないわけではなかった。

 間もなく結婚する友人の婚約者はアレッサンドラ・ダンジェロの実姉で、ニューヨークでの結婚パーティはその大衆食堂で行うことになっているらしい。リチャードはそのパーティに行くことはないが、ケニアでの披露パーティは、彼と、彼の親友であるアウレリオ・ブラスが仕切ることになっているのだ。

 仕事を兼ねて日本へ行くというアウレリオに同行して、プライヴェートな休暇として秋の日本にやってきたリチャードは、この展覧会の話を聞き一緒に行くことにした。商談を終えて合流するはずだったアウレリオがやってこないので、彼は十五分ほど待ってから中に入り、一人で展覧会を見て回った。

 アウレリオのことは心配していなかった。彼が時間通りにやってきたら、その方がよほど不安に思ったことだろう。アウレリオは、知り合ってから二十年近く経つが、予定通りに現れたことは二度ほどしかなかった。

 この美術館は、かつては日本のプリンスの一人である朝香宮鳩彦王が1933年に、当時フランスで全盛を迎えていたアール・デコ様式を大胆に取り入れて建てた邸宅をそのまま伝えている。建物そのものが芸術作品といってもよく、日本国の重要文化財に指定されている。

 アール・デコ風の額縁に収められ、赤外線センサーと警報器に守られている『impression sunrise , long island iced tea』は、確かに繊細で美しい作品だった。しかし、リチャードは美術への造詣が浅く、何をもって他の作品よりいい、悪いと判断すべきなのかわからなかった。そして、32万ドルの価値がどこにあるのかは、全く理解できなかった。

 それは他の作品も同様で、納得したのかしないのか、自分でもわからないまま、とにかくお茶にしようと思ってカフェにやってきたのだ。少なくとも食べるものが美味しいか、まずいかだけは彼でもわかるのだ。

 彼は、颯爽と庭園に面したカフェ『TEIEN』に入り、ケーキとコーヒーを食べたいのだと言った。

 店員は彼を見上げて困った顔をした。リチャードはケニア生まれのオランダ人で、187センチと長身だ。自由な方向になびいてしまう赤毛と、そばかすの多い白い肌を持って生まれてきたが、長らく赤道直下の太陽に焼かれたせいで、外から見える部分の大半はかなり浅黒くなっていた。

「申し訳ございません。ただいま満席でございまして。少々お待ちくださいませ」
何を言っているのか、全くわからない。日本語だから。彼は、満席だといっているのではないかと推測した。相席でもいいかと訊いているんだろうか。

 ぐるっと見回すと、窓辺に一人で腰掛けてアイスティーを飲んでいる若い女性が目に入った。柔らかなウェーヴのかかった髪の綺麗な日本人女性だ。先ほどの絵『impression sunrise , long island iced tea』で、白い服を着た女性の前にあった飲み物に似ている。もっとも『ロングランド・アイスティー』は、強いアルコールの入ったカクテルだから、この女性の飲んでいる罪のないソフトドリンクと同じではないだろう。

 窓から入ってくる柔らかな陽射しに、グラスの明るい茶色と、彼女の艶やかな髪が輝いて見えた。

 目の前の係員は、しどろもどろの英語で「満席です」「お待ちください」というようなことを伝えようとしていたが、彼はわからなかったフリをして、窓辺の女性の近くへと進みながら言った。

「ここに相席してもらうんですね。彼女が嫌でなければ、僕は構いませんとも」と女性にも聞こえるように係員に宣言した。女性は、それでこちらを見て、まともに目が合った。

「ありがとう、お嬢さん。助かりましたよ」
彼は人なつこく笑いながら、女性の前に座った。店員は、諦めてメニューを取りに行ってしまった。リチャードの目の前に座っている彼女は、少し困った様子で、ただ頷いた。

「英語はわかりますか? ああ、大丈夫そうですね。日本は面白いですね。多くの方が英語はわかるのに、ほとんど返事をしないんですから。でも、こうしてトライすると、ちゃんと意思が通じる。そうですよね」
返事を待たずにどんどん会話を進める。

「ちゃんと話せる人もいます。例えば、私の友人はニューヨークに留学中ですが、地元の人と同じように流暢に話せます」
その女性が、ゆっくりとではあるがきちんとした英語で話すと、彼は前よりももっと嬉しそうに身を乗り出した。

「やあ、そういうあなたもちゃんと返事をしてくれた! 素晴らしい。僕は東京に来たのは三回目で、プライヴェートで動き回るのは初めてなんですが、あなたが初めての友達になりそうだ。リチャード・アシュレイといいます。どこから来たと思いますか?」

 女性は、首を傾げた。
「どこか南の島ですか?」
日焼けから推測したのかな。リチャードは笑った。

「はずれ。アフリカ大陸です。ケニアです。ナイロビに住んでいるんですよ。今週は、親友と一緒に東京に来ていましてね。この展覧会でアレッサンドラ・ダンジェロ所蔵の絵が展示されるって聞いたんで、予定を変更して見に来たって訳です。驚いちゃいけませんよ、実は僕たちの友人がまもなくそのアレッサンドラ・ダンジェロの義兄になるんですよ。まあ、僕たちはまだ彼女とは面識がないんですけれどね。きっと時間の問題でしょう。だから、先に絵の方とお近づきになるのも悪くないと思いませんか」

 彼はここまでの間に、まったく息継ぎをした様子がなかった。女性はあっけに取られ黙って頷いていた。

「ああ、親友はどこかって疑問に思うでしょうね。それは僕も同じなんですよ。どこにいるんでしょうね。あいつは昔から、どういうわけか予定の通りに行動するってことが全く出来ないんです。本当なら二時にこの美術館の入り口で合流していたはずなんですが、もう三時半ですからね。それはそうと、僕はケーキでも頼もうと思うんですが、お嬢さんも一ついかがですか。ご馳走しますよ。やあ、まだ名前を訊いていなかったな、教えていただけませんか?」

「観月詩織です」
彼女がそう答えると、彼はそばかすの多い顔をさらにほころばせた。そして、詩織をケーキのショーケースに連れて行った。

「そうですか。もう僕たちは友達ですからね、シオリって呼んでもいいですよね。僕のこともリチャードって呼んでください。おや、これは困ったな、なんて美味しそうなケーキばかり並んでいるんだ。シオリは何を頼みますか。二つでも三つでも遠慮しないでくださいね」

 詩織は遠慮していたが、リチャードが何度も勧めるので諦めて一番さっぱりしていそうなレアチーズケーキを選んだ。彼の方は、フルーツタルトとチョコレートケーキを頼んだ。

「この時期の東京に来たのは初めてなんですよ。アウレリオは、あ、これが待ち合わせに来ない友人の名前なんですけれどね、彼が言うには、日本に行くなら春かこの時期がベストだって言うんです。一度夏に来た時にはモンバサに来たかと思うくらい蒸し暑くて閉口しましたが、今は嘘のように過ごしやすいですね。あとでその庭園を散策するつもりなんですけれど、シオリ、あなたも付き合ってくださいますよね」

 カフェの目の前は、日本庭園になっていた。池を中心に築山や茶室が、豊かな自然に囲まれた静かな四季折々の佇まいを表現している。職人たちの技の粋を集めたアール・デコ様式の邸宅も素晴らしいが、宮家の人々は完全な洋風の世界のみに住み生きるのではなく、やはり和の心で日本庭園に向き合うことも好んだのであろう。

 ヒヨドリ、ツグミ、セキレイ。たくさんの小鳥のさえずりが響いていた。そして、虫の声も聞こえる。都心にあることを忘れてしまいそうになる。リチャードは日本庭園内の茶室を指さした。
「あの建物はなんですか」

「あれはお茶室です。ティーセレモニーをご存じですか。そのセレモニーのために建てられる専用の小屋です。間取りや設備が決められている上、環境もそれにふさわしい静けさと自然を兼ね備えている必要があるんです」
「なんですって! お茶を飲むために、静かな庭や小屋を用意する必要があるんですか?」
リチャードは、信じられないと大げさに騒いだ。

「ティーセレモニーのお茶は、ただのお茶とは違うのでしょうね」
詩織は微笑んだ。

「ロングアイランド・アイスティーが紅茶ではないように?」
リチャードの問いに、詩織ははっとして立ち止まった。

 彼女は、長らくそこに立ちすくみ、何かの想いを追っているようだった。それでリチャードは当惑した。
「あの絵に何か特別な思い出があるんですか、シオリ?」

 そう訊かれて彼女は、ようやくそこにリチャードがいたことを思いだしたように顔を向けた。
「ええ。とても深い思い出があります。いえ、それはきっと絵を描いた本人にあるのでしょうね」

「あの作者、ケン・リィアンをご存じなんですか!」
詩織は、ただ小さく微笑んだ。リチャードのように自分が当事者と知り合っていることを自慢したりはしなかった。

 その色鉛筆画は、実は詩織がかつてケン・リィアン自身から受け取り、吉祥寺の自室の引き出しに収めていたのだ。あの絵を持ってニューヨークの友人を訪ね、今は亡き画家の足跡を共に辿った。そして、彼が大切な女性を想いながらこの絵を描いたと確信した場所を探し当てて、飾ってもらうように頼んだのだ。

 絵は、その後、同じ場所に飾られたままで著名なスーパーモデルの手に渡り、一時的にこの東京に里帰りしている。この展覧会での収益は、薬物依存症治療の支援団体に寄付されるそうだ。

 秋の爽やかな風に、詩織のわずかに赤みかがかった髪が踊る。楓のまだ緑の葉が優しくそよぐ。湖面をつがいの鴨がゆっくりと泳ぎ去って行った。

「さあ、あちらへ行ってみましょう」
詩織は、想いを振り切るようにそう言うと、落ち着いた佇まいの西洋庭園を通り、美術館の本館に近い明るい芝庭へとリチャードを案内した。

 芝庭は明るく開放的で、人々がのんびりと寛いでいた。見るといくつかの野外彫刻が置かれている。
 
「やあ。こんな所にキリンがいるぞ」
リチャードが笑い出した。ブロンズ製のキリン像が首を弓なりに反らして近くの木の葉を食べようとしているように見える。

「ケニアには野生のキリンもいるのですよね」
詩織が訊くと、リチャードは頷いた。
「ええ。それも、首都のナイロビの近くにも住んでいるんですよ」

「え? でも、ナイロビは首都ですよね」
「そうです。ビルが建ち並ぶ都会です。でも、郊外にでるとサバンナが広がっているのですよ。すぐ側にも国立公園がありましてね。ライオンやヒョウはそんなに簡単には出会えませんが、インパラやシマウマ、それにキリンなどはそれほど珍しくないのです。それに仕事柄、野生動物の保護区に行く機会がとても多いので、月に数回は目にしていますよ」

「よく見慣れているものを、入館料を払いわざわざ見るのは不思議な感覚がするんじゃありませんか?」
詩織が訊くと、リチャードは笑いながら頷いた。
「ええ。あなたもそうでしょう、シオリ。あの絵をわざわざ展覧会で観るのは不思議に感じるのではないですか」

 詩織は、そうですねと小さく頷いて、アール・デコ建築の堂々たる姿で佇む本館を眺めた。

 かつて彼女のものであった絵は、彼女の手を離れ違う世界に旅立った。晩秋、この庭の銀杏や楓が美しい錦絵を見せる頃には、ひっきりなしにしゃべり続けるこのケニアからの男だけでなく、あの絵の中の白い服を着た女性もまたこの国から立ち去るだろう。そして、あの輝かしい海を眺めながら「ロングアイランド・アイスティー」を楽しむのかもしれない。

 そして、彼は? 彼の魂は、ここにいるだろうか。それとも、あの海へ行くのだろうか。自由に、全てから解放されて。詩織は、そんなことに思いを馳せて、リチャードと共に出口へと歩いて行った。

(初出:2018年10月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

『郷愁の丘』を一部翻訳していただきました

ブログのお友達、けいさんが先日60000Hitを達成なさいました。おめでとうございます!

そして、その記念リクエストを募集してくださったのです。このリクエスト、ブログで発表している小説の一部を英訳してくださるという、英語の堪能なけいさんらしいすごいプロジェクトなんですけれど、こんな機会は滅多にないと、虎視眈々と狙ってしまいました。そして、無事にゲットしてお願いしました。

金曜日に発表してくださったので、小躍りして拝見してきました。とても繊細に正確に、かつ、私の伝えきれていない所もちゃんと英語にしてくださっているんですよ。けいさん、本当にありがとうございました!

けいさんの 翻訳のある記事 「The Nostalgic Hill」英語翻訳 (60000HIT・2)

ちなみにお願いしたのは、『郷愁の丘』からの一節です。

読んでくださった方は憶えていらっしゃるかな。グレッグの援助に口添えするためやってきたパーティでジョルジアが、久しぶりに逢った兄マッテオ・ダンジェロに小っ恥ずかしいほどの絶賛をされてしまうシーンです。

「え? あなたたちが兄妹?」
「そう。僕の本名は、マッテオ・カペッリなんだ。僕には自慢の妹が二人いるんだよ」
満面の笑顔でそういうと、再び愛しそうにジョルジアを見つめて賞賛の言葉を発した。
 
「ああ。僕の愛しい妖精さん! 今宵はまた一段と美しいね! この緑はエル・グレコの絵で聖母が纏っていた色だね。本当にお前によく似合っているよ。もし天国に森があるとしたら、お前のように輝かしく優美な天使が待っているに違いないよ。それに、僕の贈った真珠を使ってくれているんだね。とても嬉しいよ」

 ジョルジアは、先ほどグレッグがドレスの同じ色についてたったひと言で済ませたことを思い出して、思わず笑った。

『郷愁の丘』(11)君に起こる奇跡 より 



郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (10)バルセロナ、フィエスタ -2-

『La fiesta de los artistas callejeros』の話の後編です。今回、一人新しいキャラクターが追加されています。この人は、今後よく出てくるようになります。準々レギュラーくらいの立ち位置でしょうか。

さて、今回の『La fiesta de los artistas callejeros』で四人が披露した音楽は、第一部の執筆当時に私が聴きまくっていたクロード・ボリング(ボーラン)の『ピクニック組曲』でした。この人の音楽にはよくフルートが使われるのですけれど、アルバムで演奏しているのはジャン=ピエール・ランパル、日本の童謡のアルバムを出す親日家です。もちろんそのアルバムも買ってしまった私です。脳内では、勝手に蝶子やヴィルのヴィジュアルで演奏を聴いてしまうあたりが、またイタいんだな、これが。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(10)バルセロナ、フィエスタ -2-


 五日間続くフィエスタは、最高の天氣に恵まれた。会場にはたくさんのテントが張られ、メインステージでは各国からの芸人たちによるショーが次々と繰り広げられている。

 Artistas callejerosはグエル公園の常連たちの歓声のもと『銀の時計仕掛け人形』を披露し、また別の日には彼らのもう一つの顔であるレストランでの演奏をメインにしたショーも披露した。メインステージにはピアノやドラムが用意されて、真耶をはじめとする音楽家たちの演奏も喝采を浴びた。ジャズやマリアッチやブラスバンドの楽団が楽しげにバラエティ豊かな音楽を響かせ、馬乗りの少年たち、火吹き男、コントーションの少女たちに人々は驚愕の叫びをあげた。

 ほかのテントでは、タパスや軽食、セルベッサなどを人々が楽しみ、その周りではステージにすぐに立つ必要のない芸人たちが勝手に芸を披露しては人だかりを作っていた。

 四人がこの半年に出会って声を掛けてきた多くの芸人たちが参加してくれていた。また、たくさんの参加者から「あいつらにきいたんだ」といわれ、大道芸人たちの口コミの力を思い知らされた。

「次はいつやるんだ? ヨーロッパでやるなら、どこへでも行って絶対に参加するからさ」

 稔は、次回が出来る確信を得て嬉しそうに頷いた。
「半年以内には決定する。インターネットのサイトはここだ。ここで告知するから。事務局はミュンヘンで、俺の携帯にかけてくれてもいいけれど、このメールアドレスの方がいいかな」
定住者ではなく、しょっちゅう国境を越えているもの同士で連絡を取り合うのはかなり難しい。

「あの、ちょっと、いいですか?」
おずおずと声を掛けてきたのは、雲をつくような大男だった。蝶子はふりむいてぎょっとした。

「はい、なんでしょう」
「さっき、ボリングを三重奏していましたよね」

 見かけと英語の発音から察するにスカンジナビア人のようだ。背中を丸くして、居心地悪そうな様子で話しかけるので、どんな文句がでるのかと蝶子は身構えた。

「ええ。『ピクニック組曲』から……」
「その、僕は、ダブル・ベースを弾くんです。でも、なかなか合奏する機会がなくって。ボリングはピアノ・トリオのための音楽をたくさん書いているから、もしかしたらダブル・ベースが必要になる事ないかな、って……」

 蝶子は目を丸くした。男は、慌てていった。
「いいんです。言ってみただけですから。こういう祭典に行けば、もしかしたらそういうメンバーを探している人もいるかもしれないなと、思っただけなんです」

 そういって踵を返し、丸い背中をさらに丸めて立ち去ろうとした。
「お、おい、待てよ!」
横にいた稔があわてて声を掛けた。

 蝶子も我に返って笑った。
「まだ、あなた、自分の名前も言っていないわよ」

 びっくりして振り向いた男は、その弾みに自分の右足に左足が絡み付いて、転びそうになった。そして、ばつが悪そうに笑いながら言った。
「すみません。ヘイノ・ビョルクスタムって言います。ノルウェー人です」

「で、普段はどこにいるの?」
「夏はノルウェーで仕事をします。冬になると、南ヨーロッパをまわっているんです。太陽が全然あたらないと、精神的に不安定になるんで」

「へえ。それで、本職は?」
「コントラバス弾きですよ。オケで弾いたり、室内楽に誘ってもらったり、ジャズ・バーで働いたり、いろいろやってます」
「ボリングは弾いた事あるの?」

「ええ。といっても、『室内楽のための組曲』しか、舞台では弾いた事ないんです。でも、それで好きになったんで、個人的に楽譜を取り寄せたりしました。楽譜があれば、すぐに弾けると思いますよ。お氣に召すかは保証できませんけど……」

 稔は笑って言った。じゃあ、今晩、もう一回『ピクニック』やるから、その時に加わってみろよ、いいだろ? テデスコ」

 ヴィルは黙って頷いた。ヘイノの顔はぱっと明るくなった。
「ところで、ドラマーもそうやって寄ってくるともっといいんだけどな」
稔が周りを見回した。今のところ、ドラマーは申し出てこないようだった。
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Posted by 八少女 夕

調味料を使い切る話

まだ実家暮らしだった●十年前の話です。

もちろん台所の主は母でしたが、私も中学生ぐらいの時から少しずつ調理をしていました。といっても、フルコースを作っていたわけではなく、自分の朝食をつくるとか、親が遅い時にご飯を炊いてとか、ほうれん草を茹でて、肉野菜炒めを作って……というような、誰でもやるであろう簡単な台所仕事です。

我が家の食卓は、かなり洋かぶれしていたところがあり、ごく普通の和食よりも和洋折衷の食事の方が断然多くて、私がたまに珍しい料理を試しても受け入れられる素地がありました。例えばタイカレーなど。今だったらそこら辺のコンビニでもタイカレーのレトルトパックが買えるかもしれませんが、当時はタイ料理はそこまでメジャーではなくて、ちょっと小洒落たスーパーなどで材料を集めて自分でまともに作るという方が普通だったと思います。

そして、これからが本題なんですけれど、例えばナンプラーなどは使い切りサイズなんてものはないので、一本買ってくるわけですよ。そして、これがなくならない。

母にしてみればいつまでもなくならない、ナンプラーのようにクセのある調味料がいつまでも放置されているのは邪魔だったと思います。でも、母は「使わないものはどんどん捨てる」というタイプの人ではなかったのですね。ましてや娘が少ないお小遣いやバイト代の中から自ら買ってきたものを勝手に捨てるなんてことは絶対にしない人でした。私はそのうちに忘れます。数年後、もともと臭いのか、それとも品質低下したのかよくわからない開封済みのナンプラーが発見される……というようなことになったわけです。

スイスに移住して、初めて自分の台所というものを持ちました。私はあまりファッションや美容には興味がなく、読書や観劇、その他の趣味にもほとんどお金は使わないので、日々どんどん熱意を傾けて散財するのは基本的に台所に関するものです。で、いつのまにか、「どう考えてもこんなに使わないだろう」という量のストックや、「こんなもん、いつ買ったんだっけ」の調味料などが貯まっていました。

それを少しずつ使ったり、あまりにも古すぎてどうしようもないものは、断腸の思いでコンポストに入れたりして整理しているのですけれど、今後の戒めとして、滅多に使わない調味料を買うのはやめようと決心しました。例えば、上で取りあげたナンプラーのような。こっちにもつい最近まであったんですよ! 開封済みで十年くらい使っていなかったナンプラーが。

学習しようよ、本当に。

というわけで、今後私が台所に置く調味料はこんな風にして(既に道のりの半分くらいです)それ以外のものを安易に買ってこないようにしようと思います。

塩。料理に使う細かいものは、自然食料品店でポルトガル産海塩を買っています。食卓用には結晶のものをミルで挽いて使います。例えばハーブ塩など、味が限定されるものは使い切れずに残るので買わないようにしました。必要な時は塩とハーブと両方入れればいいのですから。

胡椒。粒胡椒を買っています。これもミルで挽きます。増やしたくないといいつつの例外ですが、ペステーダという黒胡椒ベースの調味料だけは愛用なので小さいものを買っています。このペステーダについては今度別記事を設けます。

お酒。白ワインを常備。日本酒や紹興酒と書いてあるレシピは全てこれで代用します。製菓は余っているポート、シェリー、モスカトやトカイワインなどがあれば使いますがなければ、やはり白ワインで代用します。その場合はシロップなどで甘みを追加します。

赤ワインは料理用には用意しませんが、開けたもののコルク臭がして飲めなかったものや、まずくていらないと言われたものがある時は、それで塊肉の赤ワイン煮を作り、その残った煮汁を赤ワインソースにして冷凍して適宜使います。

強いお酒。その時台所にあるもの(キルシュだったり、ブランデーだったり)を使うか、保存食作りによく使うホワイトラムを使います。ない時は白ワインで代用です。

お酢。十年以上、バルサミコ・ビアンコを常備していて、和洋中華全てこれだけで済ませます。クセがないんですよ。別に普通のバルサミコ酢も用意してありますがこれはよく使うのでOK。時々連れ合いが工場の掃除用に食用酢をよこせと言ってくるので、それにバルサミコ・ビアンコはもったいないため、掃除用に激安の食用酢を用意しています。

油。基本はオリーブオイルのみ。例外としてごま油は小さめのものを用意しています。

醤油。美味しいたまり醤油などというものとは無縁な世界にいるので、基本的にはそこら辺で買える普通のキッコーマンです。その代わりに、醤油麹などを育てて、うまみを追求します。

ソース。日本のソース(中濃ソースやお好み焼きソースなど)にこだわるのはやめて、そこら辺のスーパーで買えるリーペリンなどに他のものを混ぜていろいろな味を作ります。

味噌。滅多に使わないので、八丁味噌を冷凍しておき、そのままスプーンですくっています。いろいろあっても使い切れないので白味噌や赤味噌などは買わないようにしました。また、豆豉や海鮮醤の代わりとしても八丁味噌を使っています。

マヨネーズやマスタード、ケチャップなどは、一種類のみにします。混ぜて味の作れるオーロラソースやタルタルソースのようなものは買わずに自分で作るようにしています。トマトソースやドライトマトペーストなどは自分で手作りするので、いろいろな味のバリエーションができます。例えばピッツァソースなどは市販品ではなくていつも自分で作ります。

唐辛子の類い。今ある鷹の爪を使い終わったら、あとは全然なくならないカイエンヌペッパーの粉末であれこれ網羅することにします。

ハーブ類。バジルとローレル、オレガノ、チャイブは栽培しているものを。パセリ、フェンネルの葉、ローズマリー、タイムは買ってきた残りを冷凍して使い切るようにしています。あとは代用で済ませます。

その他のスパイス類。これが、現在の悩みの種。カレー粉の仲間だけでも四種類くらいあって、訳がわからなくなっています。全く使わなくて香りが変質してしまったものから処分しています。それに、かつてモロッコ一日観光した時に買った肉用スパイクミックスと魚用スパイスミックスを愛用していて、それがなくなる前に似た香りの調合を見つけたいです。最終的に持っているスパイスは、上で挙げたカイエンヌペッパーの他に、ナツメグ、マイルドなパプリカ、マイルドなカレー粉、ハリッサ用スパイスミックス、ラクレット用スパイスミックス(冬の必需品・笑)、キャラウェイシード、シナモン、オールスパイス、ガランガーくらいに留めたいですね。

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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (10)バルセロナ、フィエスタ -1-

さて、前回から数ヶ月の時間が経っていて、第一回目の『La fiesta de los artistas callejeros』当日です。場所はカルロスのお膝元であるバルセロナ。初めてのことなので、事務局長の稔は緊張しています。

大して長くはないんですけれど、一応二つに切りました。キリもよかったので。


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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(10)バルセロナ、フィエスタ -1-


 大道芸人の祭典に参加する大道芸人なのに、なんでこんな格好をしているんだろう。稔は首を傾げた。これはレストランで働くときの一張羅だ。レネや蝶子がいつもの大道芸人モードの服装なのでよけい腹立たしかった。しかし、開会宣言とテープカットをカルロスと一緒にやるためには、多少はったりのいった服装が必要だった。ちくしょう、この後すぐに脱いでやる。

 ふと横を見ると、やはりスーツに身を包んだヴィルが視界に入った。芸術振興会の理事たちのスノビズムを満足させるドイツの男爵様の役目を果たしているのだ。

 目をさらに遠くに飛ばすと、手を振っている園城真耶がいた。大道芸人の祭典に出演するにふさわしいとはいえないが、押し売りの飛び入り参加だ。その真耶の横には日本のテレビ局のクルーがいて、真耶の姿と、舞台の上の稔を録画している。

 蝶子に真耶からの電話が入ったのは一週間前だった。
「ねえ、蝶子。あなた来週スペインにいる?」

「いるわよ。どうして?」
「私、月曜日にマドリッドで演奏会なの、よかったら会いにこない?」
「死ぬほど残念だけど、その週はバルセロナを一歩も動けないのよ」
「どうして?」

「火曜日から、『La fiesta de los artistas callejeros』って大道芸人の祭典が開かれるの」
「まあ、そういう祭典があるの? 知らなかったわ。いつもバルセロナで開催されるの?」
「いいえ、第一回の今回はたまたまよ。メインの協賛者がバルセロナにいるから」

 それを聞いて、真耶の声のトーンが変わった。
「ねえ、その祭典って、誰が中心になって組織しているの?」

「『La fiesta de los artistas callejeros』事務局よ。国際色豊かな集団なの」
「たとえば、ドイツの男爵とか?」

「そうね。でも事務局長は日本人なの」
「三味線を弾く、大道芸人?」
「よく知っているわね」

 真耶の声は激昂した。
「蝶子! どうしてそういう大切な事をいつも私に黙っているのよ」

「別に隠していた訳じゃないわ。でも、真耶の活動とは被らない事だし、それに今回は第一回だから結構小規模なのよ。あらかじめ知らせるほどの事でもないじゃない? 無事に終わったら葉書にでも書こうかと思っていたのよ」
「つべこべ言うのはよして。とにかく、演奏会が終わったら、私も駆けつけるから」

 駆けつけてきたのはいい。飛び入りでヴィオラを弾いてくれるのも悪くない。稔は思った。
「だけど、なんでテレビ局が一緒にくるんだよ」

「だって、密着取材の最中なんですもの。一緒にバルセロナで取材させてくれるなら、マドリッドからの往復も局が持ってくれるんですって。フィエスタの宣伝にもなるし悪くないでしょ?」

 そりゃ、フィエスタのためには願ってもない宣伝だよ。だけど、園城よ、俺とお蝶が日本の家族に居場所がわからないようにしている身だって事、忘れていないか?

 稔は半ばやけっぱちで、テレビカメラの前でフィエスタに対する意氣込みを語った。テレビ局は真耶に紹介されたヴィルと蝶子がドイツの男爵夫妻だという事を知って、大喜びでインタビューをした。

「なんだか、思ってもいない事になっちゃったけれど、ま、いいわね。うちの家族や安田流の方々が真耶の密着取材の番組なんか観る訳ないでしょうし」
蝶子は肩をすくめた。

「日本の大道芸人もそういう番組は観ないかもしれないぞ」
ヴィルが冷静に言ったが、稔は首を振った。
「いや、俺はどっちかというと、協賛金集めに役に立つかなと思ってさ」 

「あら、じゃ、私が帰ったら、局のお偉方に吹き込んでおくわよ。そのうちに日本でやれば?」
真耶はニコニコと笑いながら言った。

 四人は顔を見合わせた。考えた事もなかったが、いつかは『La fiesta de los artistas callejeros』を日本でも開催できるかもしれない。

「じゃ、またあのお餅を食べられるかもしれませんね」
レネの心は既に日本の甘味処に飛んでいた。
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Posted by 八少女 夕

「樋水龍神縁起 東国放浪記」の脳内テーマ

何ヶ月かに一度、こういう痛い記事を書いてしまう私です。(痛い自覚くらいはあるんですよ、一応)

今日の話は「BGM / 音楽の話」に入れるべきかもしれませんが、後から探すときにこちらを探すように思ったので、「樋水龍神縁起の世界」カテゴリーに突っ込んでおきます。


私の小説群、いろいろとある(しかもあちこちで繋がっている)のですけれど、一つの大きな世界観を持っているのが『樋水龍神縁起』です。もっとも、本編を隔離して置いてあるせいか、このブログで発表した続編などの方が知られているかもしれません。

題名から、全て時代劇と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、『樋水龍神縁起』本編と、その続編『樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero』は、現在から近未来の小説です。

そして、まだ未完で時折発表している『樋水龍神縁起 東国放浪記』や外伝の多くは、千年前の(つまり主人公たちの前世)の話で、元陰陽師の安達春昌とその従者である次郎が放浪をしているストーリーです。

この小説を書く時に、いつも私が聴いている曲があります。今回貼り付けた動画がそうなんですけれど、アルメニアの作曲家、アルノー・ババジャニアンの『ノクターン』です。日本の曲じゃないのですが、妙に懐かしいというか、こう、昭和にあった時代劇のテーマ曲みたいに響く曲なんですよ。(全部なんか聴いていられるかと思われる方は、大体2:25あたりから聴いてください)


Arno Babajanyan - Nocturne


子供の頃、時代劇が好きでした。もちろん大河ドラマのように史実を元にした時代劇も好きだったのですが、将軍様やお奉行様や浪人が毎週問題を解決しちゃう、「そんなはずないだろう」がてんこ盛りな時代劇も大好きでした。そして、某南町奉行様のお話の「るーるるる〜」というテーマ曲もものすごく好きだったんですよ。今時、ああいうテーマ曲は流行らないでしょうけれど。

この『ノクターン』は、アルメニア産の曲なのに、なぜかその「昭和な時代劇」の空氣を纏っていて、初めて聴いた時から『樋水龍神縁起 東国放浪記』に結びついてしまいました。ブラウン管の画面の中、花や落ち葉が舞う中を、色褪せた狩衣を着て馬に乗って去って行く春昌たちを想像しています。あ、だから、痛いって自覚はありますったら。

これを書いているってことは、そうです。私の中で「これの続き書きたいな」という思いがムクムクしていたりするのです。ただし、書いている時間がない? っていうか、そんなの書いている場合じゃないだろうってことなんですけれど……。

【参考】
「樋水龍神縁起 東国放浪記」をまとめて読む 「樋水龍神縁起 東国放浪記」
樋水の媛巫女
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (9)ミュンヘン、『Éxtasís』

前回のコメント欄で、「次はスペインです」なんて書いていましたが、すみません、その前に一度ミュンヘンに戻っています。第一部と違ってシーンごとに時間が飛び飛びなので、「何日後にここへ行った」というわけではなく、『事務局』の設立からずいぶんの時が経っています。次回のスペインは、もう『La fiesta de los artistas callejeros』の本番です。

でも、その本番の前に、このシーンを挟んだ方がいいと判断し、急遽、章の順番を入れ替えました。独立したシーンなので、どこへ入れても良かったんですけれど……。


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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(9)ミュンヘン、『Éxtasís』


「お。これ、一度弾いてみたいと思っていた曲があるぞ。かけてもいいか?」
エッシェンドルフの館のサロンでCDの並ぶ棚をあさっていた稔が、言った。

 月に一度、数日間ではあるがミュンヘンに戻る生活に四人は慣れてきた。

 この館にいる間、ヴィルはほとんどの時間を秘書のマイヤーホフの打ち合わせで過ごし、蝶子は執事のミュラーや家政婦のマリアンと館の家政について話すことになった。その間、稔とレネは、『La fiesta de los artistas callejeros』の事務手続きのことに集中した。

 夕食後には、サロンに集まり、曲を合わせたり、今後のことを相談したり、もしくは今晩のようにただワインを傾けながら百科事典を広げたり好きな曲をかけて寛ぐのだった。

 人の蔵書やCDの棚というのは面白い。自分ではなかなか手の出ないジャンルや作者または演奏家の作品を発見し、新たな興味の対象になることがある。レネはと稔は最近、エッシェンドルフ教授の様々なコレクションにちょくちょくと手を出していた。

「今さら訊くまでもないでしょ。どうぞ」
そちらを見もしないで蝶子が言うと、早速、稔はCDを取り出してプレーヤーに収めた。

「何の曲ですか?」
レネが覗き込む。稔は「これ」と、ケースをぽんと渡した。

「ああ、ピアソラ。タンゴですね。ああ、思い出しますねぇ、バレンシア」
レネは嬉しそうに言った。初めて一緒にバレンシアに滞在した時に、稔がレネのリクエストでピアソラをリクエストした。ヴィルが蝶子とタンゴを踊り、それまで隠していた素性を明かすきっかけになったのだ。

 稔は、プレーヤーを操作しながら曲を探していた。
「『Éxtasís』は、ああ、これか。これをアレンジしたデュオの曲があってさ。ギターとフルートで演奏したいなと思っているんだけれど、その前に原曲をちゃんと聴いてみたいと思ってさ」

「バンドネオンと……ヴァイオリンですね。ギターとフルート? どんなアレンジになっているんだろう」
レネはケースの曲目リストを見ながら言った。それからほかの二人が静かなことに氣がついて目を移した。

 ヴィルは、蝶子の方を見ていた。曲が始まると体を強張らせて俯いていた彼女の表情は険しくなっていった。まるで拷問を受けているかのようだった。
「蝶子? どうした」

 稔もその様子に目を留めて言った。
「やめようか」

 彼女は鋭く答えた。いつもよりさらにきつい調子で。
「そのままにしておいて!」

 蝶子は立ち上がると、ヴィルの所ヘ行き、その手を引っ張った。強引とも言えるほどの激しさで。
「踊って」

「え?」
「いますぐ私と踊って。上書きしなくちゃいけないの」

 上書き。その蝶子の言い回しを三人は久しく耳にしていなかった。思い出したくない記憶を、別の記憶で上書きする。かつて彼女が上書きしていたのは、エッシェンドルフ教授に刻まれた愛憎に満ちた日々のことだ。
 
 蝶子にアルゼンチン・タンゴを教えたのも、エッシェンドルフ教授だった。長い時間をかけてただのダンスではなく、人生の悦びや愛の苦悩が表現できるほどに、教え込んだ。この館の、このフロアで。

 そして、この曲は他の曲とは違っていた。

 あの頃の蝶子は教授の誘う肉体的快楽の世界に溺れていたが、まだそれでも心の中は醒めていた。彼は、蝶子に必要な存在、彼女が何よりも望んだフルートを続けさせてくれる、それも彼女が必要としていた高みへと連れて行ってくれる最高の教師だった。婚約した後だったが、彼が多くの女性と浮名を流してきた存在であることも、蝶子にはどうでも良かった。彼の真心も期待していなかった。

 けれども、この曲を教え、踊りながら彼が見せた情熱は、それまでとは違っていた。

 それまでほとんど言わなかった愛の言葉を、彼は耳元で繰り返した。それは蝶子には突き刺すような痛い言葉だった。契約でも、躯の欲望の解消でもなく、一人の男が全情熱をかけて彼女の魂を欲している。それは、冷たい結婚を決意した愛のない蝶子にはつらく重すぎる想いだった。

 もしかしたら、彼女がこの館から逃げ出したのは、亡くなったヴィルの母親マルガレーテのためでもなく、自由でいたいからだけでもなく、ハインリヒのあの想いから逃れたかったかもしれない。

『Éxtasís』が流れる度に、彼の言葉が甦る。もうこの世にいなくなってしまったハインリヒの、彼女が利用して、逃げだし、多くの人の前で拒絶した男に対する罪悪感が彼女を締め付ける。

 彼は、父親の愛を知らなかった蝶子に、父親として、教師として、そして男としてありとあらゆる愛を注いでくれた。それは確かに心地よかったのだ。愛することは出来ず、憎みすらした男だったが、死んでほしいと願っていたわけではなかった。

 蝶子の「記憶の上書き」は上手くいかなかった。ヴィルはそんな蝶子の心の内が全てわかったわけではない。だが大方の予想はついた。彼女はいつものように虚勢を張っていた。

「蝶子、我慢するな。俺に遠慮せずに泣いていいんだ」
その言葉を聞いて、彼女は踊るのをやめた。それからヴィルの胸に顔を埋めて、震えだした。彼は黙って彼女を抱きしめた。

 稔とレネは、黙って二人を見つめていた。

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Astor Piazzolla - Extasis
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

タスク管理の話

なんだか、防備録みたいな記事になりました。

最近、今まで以上にiPhoneとMacの「リマインダー」というアプリを使っています。要するにタスク管理なんですけれど、私は家にいる時はMacの音が聞こえるし、外出先ではiPhoneが手元にあることが多く、そのどちらかに「●●の時間だよ」という連絡が来るようにしているのです。

そもそもは、全然関係ないんですけれど、ここ二週間ほど腰というか背中全般がなんとなく痛かったのです。ぎっくり腰のような激痛ではなく、「なんとなく……」というレベルです。ストレスや、更年期障害、それに、ちょっと無理して重いものを引きずったこともあったかも、いろいろと遠因はあるのですが、それに加えて私は座りすぎ。そんなこんなもあって、強制的に立つように努力したのです。

で、その手のタイマーはiPhoneアプリにいろいろとあって、一番使いやすいのがListTimeというアプリなのですが、それはまた別の話。

で、タイマーがいろいろとお知らせしてくれると、忘れっぽい私でも思い出す(あたりまえ)というこがわかり、たとえばサボりがちなギターの練習などを促してくれるといいなあと思ったわけです。会社の昼休みや就業時間のお知らせは「タイマー」アプリを使っているのですけれど、それにこうしたタスクを登録するのはちょっとなと思っていました。で、サードパーティアプリもいろいろと探してみたのですが、MacとiPhoneでタスクを同期するとなると、そのアプリの会社に新しいアカウントを作らなくてはいけないというものがあって「うーん」と二の足。

それで、改めてAppleの「リマインダー」をよく見てみたら、なんとやりたかったことは全部これでいけることがわかりました。

例えば、月曜と水曜と土曜と日曜の18時半に「●●して」というような通知が、iPhoneにもMacにも来る。それだけです。これが簡単にできるとわかったら、ついでにいろいろとタスクを入れてみました。「五個ものを捨てる」とか、「●●の支払い」とか、年に一度「●●の契約を延長するかどうか決める」というようなことです。もちろんカレンダーでも同じことも出来るんですけれど、カレンダーにたくさんタスクを書いておくと、単発の予定が埋もれて見にくくなるという問題もあって、ルーティンのタスクを「リマインダー」に移したら、ずいぶんとすっきりしたんですよ。

これを応用すると「黄金の枷を書く」とか「書く書く詐欺」の方の管理も楽になるのかもと、ちょっと考えていたりします。

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Posted by 八少女 夕

【小説】September rain

今日は「十二ヶ月の情景」九月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

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今日の小説は、山西先さんのリクエストにお応えして書きました。いやはや、難しいリクエストでした。

コラボの希望は「ヤキダマ」そして「コハク」です。ずうずうしくも2人ですがお許しください。
一応サキの了解は取っています。面白そうだからいいか、とのことでした。
リアルコハクは知りませんが、まぁ良いでしょう。
別々の作品のキャラですが、ヤキダマは現実世界にも設定がありますし、コハクは現実世界のキャラです。
2人共建築関係の仕事ですし、まだそんなに偉くはなってないようですが、世界を舞台に活躍している様子です。
年齢はヤキダマが少し上くらいでしょうか?

そしてテーマは「9月の雨」でお願いします。
私の年代ですと太田裕美ですね。

コラボ相手は完全にお任せです。


少し補足しますが、先さんは、既に発表した『春は出発のとき』のリクエストをくださったサキさんと二人三脚でブログを運営なさっています。サキさんと先さんはのお二人で左紀さんなんですけれど、リクエストをいただいた「コハク」や「ヤキダマ」というキャラクターとお話そのものを考えられたのはサキさんです。ですから、「了解を取った」ということなのでしょうが、かといって、私が今後の作品に差し支えるような重大な設定を作るわけにはいかないのは、他のコラボと同様です。

そして、建築士の「コハク」は、たしか『物書きエスの気まぐれプロット』シリーズのエスの友達ではなくて、その作品に出てくるキャラクターだったはず。(つまり左紀さんのブログには、サキさんの友達の「リアルコハク」、エスの友達の「コハク」、それにエスの作品のキャラ「コハク」と少なくとも三人の「コハク」が登場)、一方、「ヤキダマ」は『シスカ』と同じ架空世界に住んでいるのですが、私の所のキャラクターたちとのコラボや、『オリキャラのオフ会』では、現代の日本(やイタリア)に普通にいるという設定もあります。

そういうわけで、今回は、強引に『物書きエスの気まぐれプロット6』の中の『コハクの街』に出てくるコハク(シバガキ・コハク、漢字不明)と、『いつかまた・・・(オリキャラオフ会)』に出てくるヤキダマ(本名・三厩幸樹)が、「建築系の大学で知り合っていた友人だった」という強引な設定のもと、話を作りました。たぶん、サキさんの逆鱗に触れる設定ではないと思いたい……です。まずかったらおっしゃってください。


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September rain

 三厩幸樹みんまや こうき は、もと来た道を戻ることにした。これから友人を訪ねる予定なので、時間がたっぷりあるというわけではなかったのだが、先ほど見かけた光景をそのままにして置いたらずっと後悔するように思ったのだ。

 彼は迷った時に、こう考えるのが常だ。彼の妻にこの話をして、その判断に賛成してもらえるだろうかと。彼女に胸を張って報告できないようなことはしたくない。

 通り過ぎた角を二つほど戻ると、その女性はまだ同じ場所にいた。スーパーマーケットの入り口の近く、歩道に出ているので自動ドアが開くことはないが、庇に覆われることもない場所だ。冷たい雨が降りしきる中、手に持った傘を広げもせずに佇んでいる。

 よけいなお世話かもしれないけれど、でも、この後、自動車道に飛び込まれたりしたら困る。近づいてよく見ると、泣いているわけではないようだ。二十代後半だろうか、白いリネンのブラウスに、焦げ茶のタイトスカート。落ち着いた服装だが、個性にも乏しい。他の通行人が誰も立ち止まらないのは、その存在が大きく主張してこないからかもしれない。

 彼は、その場に数秒立って、声をかけるべきか思案した。濡れたまま、空を見上げるように立っていた女性は、それでも視界に入った彼の存在に氣がついたようで、彼の顔を見て不思議そうな顔をした。
「何か……」

 彼は、傘を差し掛けた。
「あ。いや、どうなさったのかと……。傘はお持ちのようなのに、濡れたまま立っていらしたので……」

 彼の指摘で初めて降雨に氣付いたかのごとく、彼女は「あ」と言ってから自分の傘を広げた。
「私ったら、ぼんやりして」
「あ、いや、何でもないならいいです……すみません」

 その女性は、少し慌てた。
「いいえ。その……氣にかけていただき、ありがとうございました。実を言うと、考え事、いえ、昔のつらかったことを思い出していました」

 彼は、返答に困ったが、歩いている方向がどうやら同じで、会話を打ち切るのは難しかった。
「そういうことは、ありますよね。でも、今日みたいに冷たい雨に濡れると、風邪をひきますよ」

「九月の雨は冷たくて……」
彼女は、小さな声で歌を口ずさんだ。
「?」

「あ、何でもないです。昭和の歌謡曲……だからご存じないですよね」
「ええと、聴いたことはありますよ。太田裕美でしたっけ。でも、あなたもこの歌がヒットした時に聴いた世代じゃないですよね」
彼が訊くと、寂しげな笑顔が返ってきた。

「大学生の時に、お付き合いしていた男性が教えてくれたんです。お父さんが大ファンだったそうで、家でカラオケをする時に、お母さんが歌わされるんだって、九月になるとよく口ずさんでいました」

「それで憶えてしまったんですね」
「ええ。その時は、昔の曲だな、歌詞も前時代的な価値観の、いかにも昭和な言葉選びだなって、彼と笑い合っていたんですけれど……」

「けれど?」
「その彼と、別れることになったのは九月でした。冷たい雨の中、濡れながら家に帰ったんです。歩きながらあの曲の歌詞を思い出して、涙が止まりませんでした。辛さから逃げるために東京に出て、別の仕事をして、少しは自立して、がむしゃらに働いて……。もう、忘れたと思っていました。でも、先ほど、ああ、九月の雨だって思い出したら、急に胸がいっぱいになってしまって」

「どんな歌詞でしたっけ」
彼は、間抜けな質問だと思いながらも、口にした。彼との個人的な思い出の方は、これ以上訊きづらかったから。

「失恋の歌です。かつては幸せだったのに、相手の心が離れてしまったのを感じながら、九月の雨に濡れている。昔から、秋って別れのシーズンだったんでしょうね」

 角まで歩くと、彼女は小さな惣菜屋を示した。
「私は、ここで。ご心配いただき、ありがとうございました」

「お買い物ですか」
彼が訊くと、彼女は首を振った。
「いいえ。ここに勤めているんです。素朴なものばかりですが、結構美味しいですよ。機会があったら寄ってくださいね」

 彼女は、お辞儀をして去って行った。傘を畳む後ろ姿は、柔らかかった。

 店にやってきて惣菜を購入していく客たちは、彼女の人生について思いを馳せることはないだろう。彼もまた、彼女が東京でどんな生活を送り、なぜ戻ってきたのか、そして、この街でかつて起きた恋と別れについて、何も具体的なことは知らない。

 彼が、過去も含めて全てを包み込みたいと願ったのは、結婚したばかりの妻だ。彼は、愛する人のつらい過去を変えることは出来ないが、日々の生活の中で笑顔と喜びを共有することは出来る。そして、これから起こりうるどんな困難にも共に立ち向かい、持てる全ての力で守っていきたいと思っている。

 今、わずかに言葉を交わした女性もまた、様々な思い出を抱え、人生の続きを家族や友人たちと歩いて行くのだろう。九月の雨に、いずれもっといい思い出ができるといいが。彼は、そんなことを考えつつ、先を急いだ。

* * *


「シバガキさん、チェックをお願いします」
涼二は、CADで作成した設計図を設計士の所に持っていった。若々しい彼女は、彼よりも年下に見えるが、この設計事務所の中ではすでにベテランの一人だ。下の名前は、なんだったか宝石みたいな綺麗なやつだったな……ああ、そうだ、コハク。

 ショートカットの髪をわずかに傾けながら、彼女は涼二の作成した図面をチェックしている。彼は、間違いが見つからないといいなと考えながら、彼女の向こう側の窓をぼんやりと眺めた。

 雨が降っている。ちくしょう。また予報が外れた。どうして傘を持っていない日に限って降るんだろう。
 
「あら。降ってきたわね。帰るまでに止むかしら」
彼女は、身震いすると窓の所へ行って閉めた。
「ずいぶん涼しくなったわよね。どちらかというと寒いくらい。九月って、もう秋の始まりなのよね」

 彼女の言葉に、涼二はそう言えば、九月の雨だったかと改めて思った。
「September rain rain……」

「ちょっと。小林君、なんなのよ、突然」
彼女は、涼二の突然の鼻歌に、目を丸くしている。

「すみません。つい、思い出してしまって」
「なんの歌?」
「あ。昔のヒット曲です」
「……くわしいのね。カラオケ?」

「ええ、まあ。家で、親父とお袋が喜んで歌っているのを見て育ちまして。もっとも、それを思い出したわけじゃないんですけれど」
「じゃあ、何を思いだしたのよ」

 涼二は、口を一文字に閉じて視線を落とした。彼女は、急いで付け加えた。
「あら。イヤなら言わなくてもいいのよ」

「あ、そういうわけではないです。……今まで、意識していなかったけれど、ずいぶんダメージを受けていたんだなと、今ようやく認識したんです」
「え?」

 涼二は、窓に背を向けて立った。窓には冷たい雨が伝わって落ちる。部屋の中には水滴は入ってきていないが、彼の背中には冷たさが流れているようだった。

「大学の時つきあっていた彼女がいたんです。彼女は短大で二年早く社会に出て、僕は甘えた学生だったな。今なら平日の夜中に突然呼び出したりしたら迷惑だってわかるけれど、あの時の僕は、配慮が足りなかったと思います。いろいろなことがすれ違って、それがいわゆる性格の不一致ってやつだと、思っていました」

 彼女はデスクに頬杖をついて聴いていた。
「それで?」

 彼は肩をすくめた。
「つまらない喧嘩をしたんです。二股をかけていると疑われて、カッとなって、売り言葉に買い言葉でした。しばらくしたら、謝ってくるだろう、くらいに思っていたんですけれど、それきりになってしまい、共通の知人から彼女が東京に転職してしまったと聞かされました。急に、周りの地面がなくなって、崖に一人で立っているようで。でも、その後は日常に戻って、けっこう上手くやっているつもりだったんです」

「もしかして、今でも引きずっているの?」
「どうでしょうね。あれから、何人かの女性と付き合い始めるくらいはしているんですけれど、全然続かないのは、もしかして、あの別れのせいかな。あの喧嘩も、こういう冷たい雨の日だったなあ。まさに『九月の雨』だ」

「そのお知り合いに訊いて、連絡してみれば。また付き合うとかそういうのでなくても、ほら、お互いに伝えられなかった言葉を、今なら上手に表現できて、その結果、苦い過去がいい思い出になるかもしれないし」

 明快な人だな。涼二は思った。
「そうできたらいいんですけれど、東京のどこにいるか、あいつも知らないんじゃないかな。彼女のご両親は、この街にいるから、いずれまた遭うことがあるかもしれませんが……。すみません、こんな話してしまって。図面を見ていただいているのに」

「いいのよ。どっちにしても、もうじき人が来る予定で、この図面のことは明日の朝話そうと思っていたし」
「そうですか。 お客さんですか?」
「いいえ、違うわ。同業者ってとこかな。大学時代に知り合ったの。彼は、大学院まで行って、今はK市の建築事務所で活躍しているのよ。今日、駅前に仕事で来るって聞いたので、久しぶりだからついでに寄ってねって言ってあったの。あ……来た!」

 彼女は立ち上がっで、窓の外を眺めた。涼二の知らない男性がこちらに向かってきた。
「小林君、悪いけれどエントランス、開けてくれる?」
時間外なので自動ドアはもう開かない。彼は、急いで入り口に向かった。

 入ってきた男性と、簡単な挨拶を交わした後、彼女は彼に涼二を紹介した。
「三厩くん、こちらはうちの新人で小林涼二君。建築士目指して私たちの通った大学の夜間部に通っているの。小林君、こちらは、三厩幸樹さん。とても優秀な建築士よ」

 涼二は、「はじめまして」と手を伸ばしながら見上げた。柔和な顔立ちをした背の高い男性だ。

 彼女が三人分のコーヒーとクッキーを用意する間に、涼二は図面を片付けて、ミーティングの机に幸樹を案内した。先日彼女が手がけた音楽堂に入ったと熱心に話をする幸樹の専門的な見解に、涼二はなるほどと、目からうろこが落ちる思いで耳を傾けた。

 コーヒーが空になる頃、彼女は提案した。
「ねえ、小林君とこの後軽く飲みつつ、二級建築士試験についてのアドバイスをする予定なんだけれど、よかったら三厩君もどう? 空調設備や防災設備など、設備工学のことは、私よりも三厩君のほうがずっと精通しているし……」
と、言いかけてから、彼女ははっとして慌てて訊いた。
「あ、三厩君、新婚だったね。急いで帰らないと、可愛い奥様が心配する?」

 すると、幸樹は笑って言った。
「いや、『今日はコハクさんに会う』と言ったら『よろしく伝えてね。ゆっくりしてきて』と言われたよ。彼女も、北海道で知り合った友達と再会するとかで遅いらしいし」
涼二は、幸樹の話をもっと訊きたいと思っていたので、とても嬉しかった。

 場所を移した先は、駅ビルのスペイン料理屋だった。
「私ね。ちょうど今の小林君みたいに、建築事務所で働きながら資格試験の準備をしていた時に、自分の適性について悩んだことがあってね。それで、衝動的にスペインへ行ったことがあるの。それ以来、スペイン料理が大好きになっちゃったの。タパスは少しずつたくさん頼めてお酒のおつまみにいいし」

「へえ。シバガキさんが……。意外ですね」
彼女は、いつも颯爽としていて、迷いなどないタイプなのかと思っていた。

 自分に建築家としてやっていく才能があるか、涼二は不安に思う時があった。一度は諦めて普通の就職をした後で、もう一度夢に向かっての再チャレンジだ。年齢のこともあり、将来に不安がないと言ったら嘘になる。でも、その不安が自分だけのものではないと思うことは、大きな励みになる。

 彼女はいくつかのタパスを注文し、ベネデスの白ワインを、男性陣はビールの方が得意なので、セルベッサを頼んだ。

 チーズのオリーブオイル漬けや、スペイン風オムレツ、タコと青唐辛子のピンチョスなどが運ばれてきた。ウェイターの一瞬の戸惑いを察知した幸樹が黙って皿を動かして、テーブルに空間を作った。

 彼女はそれを涼二に示して言った。
「この人、こういう氣遣いが本当に上手なのよね。奥さんのコトリさんも、感心していたわよ」

「え。彼女が、コハクさんにそんなことを?」
幸樹は、驚いた。

「彼女もあいかわらずなのね。とても感謝しているって、本人にはほとんど言わないんでしょう? 三厩君の奥さんってね、口数が少ないから、知らない人から見ると、ぶっきらぼうにも見えるんだけれど、とても繊細な感性を持った素敵な女性なのよ。ね、三厩君」
「ええ。まあ」

 涼二は、照れる幸樹を意外に思いつつ見ていた。新婚か。そりゃ、幸せだろうなあ。その途端、不意に自分のことを思い出して俯いた。あの時、彼女と別れていなければ、もしかしたら自分も今ごろは、こんな顔をしていたのかもしれないと。……参ったな。

「あ。小林君が暗くなっちゃった」
「シバガキさん、さっきの話のせいですよ。あ、いや、自分で話したんだから、自分のせいか……」
「九月の雨のせいでしょう」

「九月の雨?」
幸樹が妙な顔をした。

「そうなんです。さっき、シバガキさんに、昔、九月の雨の日に別れてしまった話をしていたんですよ」
涼二は、肩をすくめた。

「えっ……」
幸樹は、二度瞬きをして涼二を見た。

「どうしたの?」
彼女が訊くと、幸樹は、少し間を空けてから答えた。
「あ、いや。ここに来る前に、偶然会った人のことを、考えていたんだ」

「どんな人?」
彼女が訊くと、幸樹はまずセルベッサのグラスを空けた。そして、二人の顔を見てから、口を開いた。
「太田裕美の『九月の雨』って曲、知っているかい?」

(初出:2018年9月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

卵白が余る話

唐突な題ですが、今日はそういう話。卵白って、余りがちじゃありません? 

例えば、私も連れ合いもカルボナーラが好きで、時々作るんですが、もともとのレシピだと卵黄しか入っていない。カスタードクリームもそうですよね。

でも、卵白だけ使う料理ってあまりないんですよ。あえて言うとメレンゲくらい? メレンゲやダコワーズって、そんなにどうしても食べたい味じゃないんですよね。それに、カルボナーラを作っているのと同時進行でダコワーズを作らなくちゃいけないとなると、面倒で嫌になっちゃいます。

一度は、「卵白を冷凍しておく」にもトライしたんですけれど、例えばパイに塗る時に自然解凍するのが面倒くさいのです。私は電子レンジは使わないので(だから台所にない)、急いで解凍ってできないんですよ。

というわけで、卵白は余らせないことに決めました。強引に同時に使うんです。カルボナーラの時はベーコンと一緒に卵白だけ炒めてしまいます。カスタードクリームも、全卵で作るレシピで作っています。

そして、パイなどでほんの少しだけ照りが欲しい時は、卵は使わずに、牛乳とオリーブオイルを刷毛で塗っています。それで十分なのですよ。

そう決めて実行するようにしたら、冷凍庫の中に使わない卵白が増えていくという哀しみともさよならすることが出来ました。マメなことが出来ない私の性格には、この方法が一番のようです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (8)リオマッジョーレ、少女 -2-

先週の続きです。パオラは本編では初登場ですが、そういえば容姿の描写を全くしていませんね。どんな容姿でも、想像にお任せします。私の中ではlimeさんのイラストのままですが、あ〜、後ろ向きだ。小野小町か。

全くの余談ですが、私はチンクェ・テッレには二度行っています。一度は春、それから日本の友人に同行を頼まれて真夏にも行っています。本来のチンクエ・テッレらしさ(美しいけれど素朴な漁村)に近かったのは、春でした。観光シーズンでないので、土産物屋などの多くが閉まっていましたが、その分素朴で静かな趣がありました。夏は、えーと、修学旅行シーズンの京都三年坂みたいな……。特にユネスコ世界遺産になってしまってからは、ますますその傾向が強まったでしょうね。

自分自身が旅好きで、世界の素敵なところに行ってみたいと思うタイプなので、文句は言えないのですけれど、ひなびた春のチンクェ・テッレに行けただけラッキーだったと思うべき……ですかね。




「大道芸人たち」蝶子 by limeさん

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(8)リオマッジョーレ、少女 -2-


 ジュゼッペの視線を追うと、道をとぼとぼと歩いてくるパオラが見えた。半年前より少し背が伸びたようだ。体に合わない窮屈なワンピースを着ている。母親のいるバーへ行こうか迷っているようだった。そして、思い詰めたようにジュゼッペのリストランテの方をみやって、四人に氣がついた。

「蝶子お姉さん! レネお兄さんたちも!」
半年前に出会い、この店に招待してくれた蝶子たちのことを忘れていなかったのだ。

「元氣だった?」
蝶子が訊くと、彼女は大きく頷いた。
「またここを通ったのね」

「パオラに逢いに来たんだぞ」
稔が言うと「本当?」と顔を輝かせた。

「もし君に他の予定がなかったら、今夜また僕たちとご飯を食べてくれませんか」
レネが言うと、彼女はとても嬉しそうに笑った。

 パオラはアジを丸々一匹食べた。いつも一人で食事をするために上手くフォークとナイフを使えない彼女に、稔が魚の食べ方を丁寧に教えてやる。
「そうだ。まず真ん中からまっすぐナイフを入れる。そうすると、ほら、身と骨が楽に離れるだろ。うん、そして、上の身を綺麗に食べ終わったら骨をこうやってすーっと取る。ほら、残りの下の身がでてきた!」

「こんなに子供の扱いが上手いなんて知らなかったわ」
子供の扱いは全く得意でない蝶子が感心して眺めた。

「まあな。うちには三味線の弟子がわんさか出入りしていてさ。稽古の間だけわざわざベビーシッターとか頼めないだろ。だから連れて来ることもある。そうやって音に馴染んだのが次の世代の弾き手になることもあるしさ。で、若手やジュニア組が幼年組の面倒を看るんだ。弟子が稽古を見てもらっている時に、俺もよくその子供の相手をしたよ」
「へえ。何が役に立つかわからないものね」

 食事が終わると、一行はパオラと一緒にリオマッジョーレの街を歩いた。といってもとても小さいのでいくつかの観光客向けの土産物屋の他にはほとんど見るものもない。ある店のウィンドウ前で蝶子は足を止めた。子供のマネキン人形が、少し色褪せた祝日用のワンピースを着ていた。パオラは、ウィンドウから眼をそらした。望んでも手に入らないものは見ないようにしているようだった。

 蝶子は快活に言った。
「ここ、入りましょう」
戸惑うパオラの後ろからレネが「ほら、行こう」と背中を押した。

 色とりどりのかわいらしい子供服に、パオラの瞳は輝いた。女物の服に全く興味のないヴィルと稔は、所在なさげに入り口付近で待っていたが、蝶子とレネは、あれこれと話しかけながらパオラに似合う服を選んだ。

 一つは、祝日用の白いワンピースで、沢山のフリルと桃色サテンの太いリボンベルトがついている。それから明るい色合いで着心地のいいTシャツを数点。それに、デニムのキュロットスカート。パオラの母親は家事を放棄してほとんど片付けないので、娘の衣装が増えたことに氣がつくか疑問だが、それでもワンピース以外はできるだけ今着ているものと変わらないデザインのものを選んだ。

「すぐに大きくなるから、長くは着られないかもしれないけれど、次にここに来る時にまた新しいのを買ってあげるからね」
蝶子が言うと、パオラは首を傾げた。

「どうして、そんなによくしてくれるの?」
「どうしてかしらね。多分、私もおしゃれが好きだから、かしら」
そう答える蝶子にレネは嬉しそうに微笑んだ。

* * *


「行ってよかったですよね」
ミュンヘンに向かう電車の中で、レネは蝶子に話しかけた。
「そうね。どうしているのか想像だけして、何もできないのって落ち着かないもの」

「これからは堂々とあのリストランテの店主に様子を訊けるしな」
ヴィルは、ジュゼッペおじさんのリストランテの連絡先を携帯電話に登録した。エッシェンドルフを継いですぐに、ヴィルは携帯電話を持つようになった。数日に一度カルロスの所に連絡を入れるだけでは済まない用件も多くなったからだ。

 『La fiesta de los artistas callejeros』の事務局長として、稔もようやく携帯電話を契約したばかりだ。蝶子とレネは、今のところ必要を感じないので、持たずに行動しているが、こうした小さな変化は、四人の暮らしのあちこちに見られた。

 見ず知らずの少女の人生に関わることなど、かつては考えられなかった。それまでの生活の全てから逃げ出してきた四人は、ここ数年、自分のことだけをする大道芸人のその日暮らしを心から楽しんだ。それは、それぞれの人生をリセットするためには必要な過程だった。どこにも所属することのない自由な日々だ。

 やがて、行く先々に馴染みの場所ができて、ルーティンとなる仕事を持つようになった。そして、新しくベースとなる場所が生まれ、新しい責任も生まれた。自由は減ったが安心と、それから自由になる財産が増えた。そのことにより、自分以外のものに目を向ける必要と余裕が生まれた。エッシェンドルフの使用人たちの生活と業務を顧み、新しい仕事と責任をやり甲斐を持ってこなすようになった。

 加えて通りすがりだった弱い存在に目を向ける余裕も生まれてきたということだろう。

 親から冷たい仕打ちを受けるあの少女には、心の支えとなる存在が必要なのだ。強く生きて、やがて子供の頃の境遇を笑い飛ばせるようになるまで、永遠とも思える時間を過ごすためには「誰かが自分のことを考えてくれる」と感じる瞬間を噛みしめられるべきだ。

 変わっていくのも、悪くない。窓の外を上機嫌で見つめる蝶子に、レネは嬉しそうに微笑んだ。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

紹介作品、書いていただきました

今日は、いただき物のお知らせです。

ブログのお友達けいさんが、当ブログの100,000Hitと私の誕生日へのプレゼントで素敵な紹介作品を書いてくださいました。

けいさんの書いてくださった 「ほんの気の迷い企画 5

この「ほんの気の迷い企画」は、けいさんのところのお話のキャラがそれぞれのブログを突撃訪問し、お話の一部を覗き見または朗読してくださる企画なのですが、いつも作品の心髄とも言えるシーンを上手にピックアップなさっていて「けいさん、本当に丁寧に作品をお読みになる方だなあ」と感心していました。そうそうたる小説ブロガーさんたちを訪問紹介なさったこれまでのシリーズのどちらも、作品愛にあふれているだけでなく、ところどころで垣間見えるけいさん流の暖かいユーモアがたまらなくかわいいのですよ。

そして、今回も例に漏れず、私の作品やブログの記事で紹介した内容をとても素敵に組合わせてくださって、うちのブログがおそらく実際よりもずーーーっと素晴らしく思える、ありがたい内容になっています。感謝感激です。

本当は、感動をもっと語りたいんですけれど、書けば書くほど、書いてくださった作品と乖離していくので、やめておきます。どうぞあちらで読んでくださいませ。あ、紹介してくださるのは、先日私が図々しくお借りしたキャラ「阿倍先生と要くん」です!

けいさん、どうもありがとうございました。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (8)リオマッジョーレ、少女 -1-

さて、四人はまた旅の途上にいます。第一部のように、章ごとに訪れた場所でのエピソードは記載していないので、唐突かもしれませんね。『La fiesta de los artistas callejeros』開催の準備と、ミュンヘンの屋敷での仕事の合間に、四人はいつも通り旅をしながら稼いでいます。その途上で北イタリアに来ているわけです。

今回の登場する少女のエピソードは、実は2014年の「scriviamo!」で発表した外伝として生まれました。そして、第二部が書き終わっていなかったので、彼女が本編にも組み込まれることになったのです。この外伝が生まれたきっかけは、limeさんにいただいた一枚のイラストでした。

交流からストーリーが大きく変わることは本当に珍しいのですが、こんな風にたまに起こります。もしこの外伝をご存じなかったら、ぜひこちらからどうぞ。


「大道芸人たち」蝶子 by limeさん

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(8)リオマッジョーレ、少女 -1-


 ジェノヴァ滞在中に海の見える店で食事をしようと言い出したのは蝶子だった。
「この間みたいな、ぼったくりはごめんだぜ」
稔は疑わしげに言った。

「わかっているわよ。でも、せっかく海の街にいるんだから、今日くらいいいでしょう?」
蝶子は言った。だが、ジェノヴァのような大きい街で、海岸沿いのリストランテなどに行くと割高になるのは必至で、さらに外国人だと見るとメニューを隠して通常よりも高い値段を吹っかけてくるのは、その手の観光エリアに多い。

「少し観光エリアから離れていて汚いエリアですけれど、地元民が通う店を一つ知っていますよ」
レネが言った。

「マジか? そこ行こうぜ」
稔が身を乗り出し、蝶子やヴィルももちろん反対などするはずがなかった。レネが随分昔に行ったトラットリアは、海が見えるといっても、いくつもの家の壁の間からわずかに覗いている程度で、外装はもとより内装も全く観光客を惹き付けようとする意欲は感じられなかったが、本当に地元民で溢れかえっていた。看板の代わりに漂ってくる魚を焼く匂いに四人の足は速まった。

 白ワインはいくつか選択肢があったが、メニューは二種類くらいしか選べなかった。
「今日は、シーフードリゾットか、カジキマグロだね」
太った親父が言い、蝶子とレネはカジキマグロを、残りの二人はリゾットを選んだ。

 脂の載ったカジキマグロと、完璧なアルデンテのリゾットは、四人をしばし沈黙させた。もちろんすぐにワインをお替わりして、いつものごとく楽しく騒いでいたが、不意に蝶子がカジキマグロを見ながら黙った。

「あの女の子、どうしたでしょうね」
蝶子の代わりに、レネが言った。何の話をしているのか他の二人もすぐにわかった。

 もう半年以上前になる。四人がはじめてチンクェ・テッレに行った時のことだ。リオマッジョーレという街に一日だけ滞在した。そして、四人はパオラに遭ったのだ。

 少女は八歳だったが、それよりもずっと小さく見えた。栄養が足りていないのだろう。海辺の街で母親と暮らしているといえば聞こえはいいが、母親は家事を放棄してまともに帰っていなかった。食べるものがなくなると母親の勤めるバーへ顔を出しては菓子パンなどをもらうのが常だったが、そんな食生活でも栄養失調になっていなかったのはバーの隣でリストランテを経営するジュゼッペおじさんが見かねて残りものを包んでやっていたからだ。

 そんな生活の中でも生き抜いている少女は、大きくなったら自分の力でこの街を出て行きたいと言っていた。蝶子はそんな少女に自分の子供の頃を重ねていた。彼らにとってあっという間の半年も、子供にとっては氣が遠くなるほど長いこともよく憶えていた。あの子は半年前にカジキマグロをおごってくれた彼らのことを思い出しつつ、大人になるまでの長い辛抱の日々を堪えているんだろうか。

「そんなに遠くないし、行くか、リオマッジョーレ?」
稔がワインを注ぎながら言うと、レネは即座に指を立てて賛成の意を示した。

「ジュゼッペおじさんの所は間違いなく飯も酒もうまいしな」
ヴィルが続ける。

「いいの? そろそろミュンヘンに行かないと」
蝶子が訊くと、ヴィルは首を振った。
「マイヤーホフが連絡して来たよ。明後日のアポイントメントは延期になったそうだ。二日くらい予定を延ばしても問題ない」

* * *


 チンクェ・テッレはユネスコ世界遺産にも登録されている。色鮮やかな家々が可愛らしい五つの漁村。車の乗り入れは禁止されているので、ラ・スペツィアから電車に乗って訪れる。リオマッジョーレは、もっとも五つの中では大きい村だが、それでも見るべき所と言ったら広場が一つあるぐらいだ。

 その広場にジュゼッペおじさんのリストランテはある。小さいアパートメントホテルも経営していることを前回訊いたので、電話をしてみると幸い一部屋空いていた。駅から直行すると、ジュゼッペは太った体を揺するように笑って言った。
「ああ、あなたたちでしたか。よく憶えていますよ。ようこそ。今夜はいいカジキマグロが入ったんですよ」

 蝶子は、苦笑いすると訊いた。
「パオラはどうしていますか?」

「相変わらずですよ。先月、あの子の母親が男と失踪騒ぎを起こしましてね。振られて帰ってきてから二週間くらいはあの子と一緒にいたようですが、ここ数日はまた放置しているようですね」
「ここに来るんですか?」
「お腹がすいてしかたない時はあそこの低い塀の上に座ってこちらを見てますんでね。何かを見つくろって持っていってやります。いっその事引き取った方がいいのかとも思いますが、母親が隣の店にいますからねえ」

 蝶子は、鞄を開けて財布を取り出そうとした。ヴィルが手を置いてそれを止めた。訝しげに見つめる彼女を短く見つめてから彼はジュゼッペに言った。
「差し出がましいとは思うが、毎月、代金を送るので彼女に毎日一回は暖かい食事を食べさせてやってくれないだろうか」

「旦那がですかい?」
「ああ、口座でも小切手でも都合のいい方法を指定してほしい。それに、他にも援助が必要そうだったら報せてほしいんだ」
「でも、それだったら母親に……」

 蝶子は首を振った。
「そんなことをしたら、あの母親はそのお金を男に貢いでしまうわ」

「あんたの言う通りだね、スィニョーラ。わかりました。引き受けましょう。おや、ちょうど来たぞ」
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Tag : 小説 連載小説 いただきもの

Posted by 八少女 夕

悪筆の話

今日の記事、あまりオチがありませんから、読み飛ばしてくださってけっこうですよ!

最近は、ほとんどのことがデジタル通信で済むようになったので昔ほど苦悩しなくなりましたが、私は悪筆です。

よくブログのお友達がノートを公開なさっていたりしますが、私があれをできないのはメモった字が解読不可能なレベルに汚いからです。手紙を書かなくてはいけない時は、頑張りますのでもう少しまともですが、それでも「女性の筆跡」とはとても思えないろくでもない字です。

で、最近のニュースで著名な講師でタレントの方が「勉強のできる子は字が綺麗というわけではない」というような話をしたということを耳にして、なんだか少しほっとしてしまいました。いや、自分が勉強ができるといいたいわけじゃないですよ。そうじゃなくて、悪筆でも「人じゃない」みたいな扱いをする風潮が減るかなーと。ま、勉強のできるできないは別として、悪筆だと社会人としてどうよ、というのはありますけれども。

デジタルがメインの時代に生きているだけマシかも。はあ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】コンビニでスイカを

今日は「十二ヶ月の情景」八月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、けいさんのリクエストにお応えして書きました。

リクエスト月は8月でお願いします。
内容は、うちのキャラを適当に使って、一つ情景を描いていただけたら嬉しいです。


一番乗りでいただいたリクエストです。けいさんのところのキャラは、皆さん素敵なので悩みましたが、今まで一度もコラボしたことのない方にしようと、あれこれ探してみました。

けいさんの「怒涛の一週間」シリーズの三作目に当たる「セカンドチャンス」から、お二方にご登場願いました。実質コラボしていただいたのは、とある高校生(作品中ではまだ中学生でした)です。本編の中では、主人公の親友とその教え子という形で印象的に登場した二人ですけれど、もしかしたらいずれはこの二人が主役の作品が発表されるかも? 以前、ちらりと候補に挙がっていると記事を書いていらっしゃいましたよね。そんなお話も読みたいなーと願って、この二人にコラボをお願いすることにしました。あ、それに、舞台設定のために、もう一方も……。

けいさん、好き勝手書いちゃいましたが、すみません! 


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



コンビニでスイカを

 私には、行きつけの店がある。……といっても、コンビニエンスストアだけれど。都心に近いのに緑の多い一角、道路の向こうの街路樹を眺める窓際の飲食コーナーの一番端に座るのが好き。

 オレンジジュースを買ってきて、問題集を広げる。クラスの女の子たちは、シアトル発の例のファーストフードに行っているけれど、なんとかラテを毎日飲んでいたら、私のお小遣いは一週間で尽きてしまう。話の合わないクラスメートに交じって居たたまれなく座ることに対する代償としては高すぎる。だから協調性がないって言われるのかな。

 冷たいオレンジジュース。風にそよぐ街路樹の青葉を眺めてぼーっとしていたら、知っている男性が窓の外を通っていった。私が通う塾の先生。すぐ後ろからついていくのは、青木先輩。去年までおなじ中学に通っていた有名人だ。

 少なくとも夏休みの前までは、彼は私のクラスの女の子たちの憧れの存在だった。背が高くて、スポーツマン。陸上部のエースだった。都大会で、100メートルと幅跳びで優勝。大会新記録と都中学新記録を同時に達成。関東大会と全国大会出場も決まっていた。高校のスポーツ推薦も決まっていたとか。

 でも、新学期になったらに、彼の起こした事件のことでみんなが大騒ぎしていた。どこかのコンビニで万引きをして捕まったって。部活はすぐに引退との名目で辞めさせられて、推薦も取り消されたらしい。

 それから、クラスの子たちの態度は180度変わった。以前はキャーキャー言っていたのに、今度はヒソヒソと眉をひそめて噂するようになった。当の青木先輩は、最初は少し背を丸くして、下を見ながら歩いていたけれど、二学期も後半になるとまたちゃんと前を向いて歩くようになった。

 その理由を、私はなんとなく知っている。先ほど、彼の前を歩いていた塾の先生。私の担当じゃないから、確かじゃないけれど、名前は確か阿部先生。私は、このウィンドウから二人が行ったり来たりするのを何度も見た。最初は先生が先輩を引っ張るようにして歩いていた。それから先輩はうなだれるようにして、その次には妙に嬉しそうについていった。

 学校でみんながヒソヒソ噂することや、受験しなくてはいけなくなったことは、先輩にとってとても大きなストレスだったと思う。きっとあの先生がいたから乗り越えられたのだろう。もっとも、のんびりそんなことを想像している場合ではないのよね。一年後の今、受験に立ち向かっているのはこっちだし。

 私は、推薦で一足先に高校入学を決められるほど成績はよくない。もちろんスポーツ推薦はあり得ない。運動音痴だし。目指している学校は、私にとっては背伸びもしているけれど、近所のおばさんたちを感心させるほどの難関校というわけでもない。

 オレンジジュースを飲みながら、私は問題集を解いた。なんのために受験をするのかな。義務教育は今年で終わる。みんな当たり前のように高校に行く。それに、成績がよかったら大学にも行くのだろう。お母さんは「頑張らないといい大学には入れないわよ」って言うけれど、まず高校に入らないと。

 高校に行ったら、何か楽しいことがあるのかな。それとも今みたいに、クラスメートたちに嫌われないように適度な距離を取りながら、いるのかいないのかわからない存在でありつづけるのかな。透明人間みたい。

 あれ、青木先輩が戻ってきた。なんだろう。

 自動ドアが開いて、先輩は入ってきた。もちろん私には氣付かない。っていうか、多分、先輩は私を知らない。

「要。どうしたんだ」
レジの所にいる店長が先輩に声をかけた。えー? 名前を呼び捨てって、身内なのかな。

「ちょっとね。先生ん家に寄ることになってさ。先生の友達も久しぶりに来るんだって。だから、なんか一緒に食えるもん買いに来た。アイスかな。それとも……」
「ここから先生のお宅までは少しあるだろう。溶けるぞ」
「そうだよねー」

 店長は、冷蔵ケースの方へ行きカットスイカを持ち上げた。
「これはどうだ。冷えているし、すぐに食べられる」
「いいね。えっと、398円か。二つ……小銭足りるかな」
「俺が払おう。息子がお世話になっているんだ」
「だめだよ。これは俺から先生への差し入れだもん。俺が買うの」

 先輩はレジでスイカのパックを二つ支払った。律儀なんだなあ。私は、首を伸ばしてそちらを見た。あ、スイカ、本当に美味しそう。途端に、青木先輩と目が合った。

「あれ」
「なんだ、要。知っている子か」
「うん。中学の一学年下の子だと思う。たしか塾も同じだったはず」」

 わ。先輩が、私の顔を知っていた。私は、ぺこりと頭を下げた。

「よう。勉強しているんだ。偉いね」
私は、先輩の近くまで歩いて行った。

「七時から塾なんです。まだ早いから」
「帰らないの?」
「家に帰ると、とんぼ返りしなくてはいけないし、うち、飲食店で夕方から親が忙しいし」

 店長が笑った。
「うちと同じだな、要」

 私は先輩に訊いた。
「店長さん、先輩の……?」
「うん。親父」

「わ。知りませんでした。すみません。山下由美です」
「いや、こちらこそ、まいどありがとうございます」

 一杯のジュースで一時間も粘る客って、ダメな常連客じゃないかなあ。私は少し赤くなる。
「私も、その美味しそうなスイカ買います」

 青木先輩が、ポケットからまた財布を取り出した。
「じゃ、それも俺がご馳走するよ」
「そ、そんな。悪いです」

「大丈夫だって。こんなに暑いのに、頑張って勉強しているんだろう。俺、去年、懲りたもん。暑いとぼーっとなって、もともとバカなのにもっと問題を間違えてさ。阿部先生にいつもの倍ヒントもらわないと解けなかった」

「でも、先輩、ちゃんと受験に成功して高校に行けたじゃないですか。私は頑張らないと。A判定出たことないし」
「俺だって、A判定も一度も出なかったよ」

 そうか、それでも受かる時には受かるのね。諦めずに頑張ろう。

 私は、先輩におごってもらったスイカのパックを開けて勧めた。店長がフォークを二つつけてくれた。先輩は、パックを私のいつも座る席まで持ってきてくれて隣に座り、嬉しそうに食べた。「おっ。甘い!」

「ごちそうさまです」
そう言って私も食べた。本当だ。甘い。

「スイカ食べたの、本当に久しぶり」
私はしみじみと味わいながら言った。先輩は驚いたようにこちらを見た。
「ええつ。何で? 夏って言えばスイカじゃん?」

「大きいから自分では買わないし、普段は、うちに帰っても一緒に食べる人いないし。あと、種を取るのが面倒くさいから、お母さんに買ってって頼んだことなかったんですよ」

 青木先輩は笑った。
「確かに面倒だけれどさ。種のないスイカって、なんだか物足りないよ」
言われてみると、本当だな。種を取ったり、ちょっと甘みの足りないところにがっかりしながら食べるのがスイカ。そうやって食べると、甘いところがより美味しくなるみたい。

 ってことは、何もせずに簡単に高校に行けるより、受験で苦労して入るほうがいいのかなあ。

「先輩。高校って楽しいですか」
私の唐突な質問に、先輩は首を傾げた。
「楽しいって言うのかなあ。前とそんなに変わらない。君は中学、楽しい?」

「全然。登校拒否したいと言うほど嫌じゃないんですけれど、あまり合わない同級生たちに嫌われないようにばかみたいに氣を遣っているんですよね。勉強もスポーツも得意じゃないから、学ぶ意味とか、達成感もあまりないし。こんなこというの贅沢かもしれないけれど」

「そうだなあ」
先輩は、よく知らない私の愚痴に、真剣に答えを探しているみたい。変なこと言って、まずかったかな。

「去年の夏休み、俺のやったこと、聞いているだろ」
えっと……。万引きの件かな? 今度は私が返答に困った。
「あまり詳しくは、知りません。推薦がダメになったって話は聞きましたけれど」

「そ。万引きの手口を研究して、できそうだから試してみたら捕まっちゃったんだ。自分のバカさ加減に呆れて、何もかも嫌になって死にたいって思ったよ」
「先輩が?」

「うん。でも、阿部先生が止めてくれて、セカンドチャンスをくれたんだ。俺に、どんなバカでもやり直しできるってわかるようにサポートしてくれたんだ。それに、そうやって先生に助けてもらいながら頑張っているうちに、うちの親だって、俺のことを要らないから放置していたんじゃないってなんとなくわかったし、こんな自分でも生きていれば何かの役に立てるかもしれないって思えるようになったんだ」

 私は、頬杖ついて、先輩の話に聞き入っていた。
「そうだったんですか」

 先輩は、大きく頷いて笑った。明るくて素敵な笑顔。
「うん。だから、メチャクチャ勉強して、今の高校に入った。正直言って、高校で学ぶことが何の役に立つのか、よくわからないし、すげー親友ってのともまだ出会えていないけれどさ。でも……」

「でも?」
「阿倍先生にとても仲のいい友達がいるんだ。本当に羨ましくなるくらいの親友。今日も来るんだよ。その人と先生、大学で知り合ったんだって。もし先生が高校に行っていなかったら、大学にも行けなかったし、そうしたら親友とも出会えなかったってことだろう? 出会いなんてどこにあるかもわからないし、未来のこともわからない。でも、今を頑張らないと、きっと未来のいいことはどっかにいってしまうんだ。そう思えば、なんだかなあって思う受験も頑張れるんじゃない?」

 そうか。いま頑張ったご褒美、ずっと後にもらえることもあるのかな。

「あ。スイカ、なくなっちゃった! ごめん」
青木先輩が、空になったパックを見て叫んだ。あ、本当にあっという間に食べちゃった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
そろそろ塾に行かなくてはいけない時間だ。私は、問題集を鞄にしまって立ち上がった。
「お。行くのか。俺も、そろそろ行かなくちゃ。また今度な」

 店長の「またお越しください」という感じのいい挨拶に送られて、私は先輩と一緒にコンビニを出た。先輩は、阿部先生のお宅へと向かうので、角で別れた。頭を下げて見送ると、ビールやジュースやおつまみと一緒にスイカのパックの入った袋が嬉しそうに揺れている。

 先輩の言ったことを、じっくりと噛みしめた。数学も、英語も、今後何の役に立つのかなんてわからない。私が高校に行って、意味があるのかも。楽しいことやいいことが、どこで待っているのかわからないし、ただのクラスメイトじゃなくて、本当の意味での親友といえる人とどこで会えるのかも知らない。

 だからこそ、今やれることを一生懸命やるのが大事。うん。頑張ろう。先輩の高校、共学だったよね。志望校、今から変えたら先生に何か言われるかな。


(初出:2018年8月 書き下ろし)
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