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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


ようこそ。このブログでは、オリジナルの小説と、スイスにいる異邦人の日常を綴っています。
【お報せ】 今日のひと言 (from PIYO)

scriviamo! 2020の参加募集は終了しました。みなさま、ありがとうございました。
【小説まとめ読み】 - 目的別のおすすめ小説をリンクした記事
『Filigrana 金細工の心』を読む 『Usurpador 簒奪者』を読む 「Infante 323 黄金の枷」を読む 『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む

Posted by 八少女 夕

冬がきた

湖畔の夕暮れ

いつも同じことばっかり言っているようですが、今年はいつにも増して1年が早かったように思います。もう待降節ですよ! クリスマスまであと4週間、そして、今年も終わりです。

今年は、家の近くにいることが多かったので、ほぼ毎日、散歩をしていました。大体30分くらい歩くのですけれど、季節の移り変わり、温度の移ろい、どんな草花が育ち、草地が景色を変え、日の出や日の入りの時間がどう変わっていくかをいつもに増して肌で感じていました。

そして、認めたくなかったけれど、秋もまた終わり、いまは冬です。毎朝、霜が降りて、氷点下になりつつあります。光が弱くなっていく、どこか悲しい色合いの夕暮れ。冬至になり、太陽が生まれ変わるのを祝った古代の人々の想いを「そうだろうなあ」と納得する、そんな季節です。




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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(8)扉

『Filigrana 金細工の心』の8回目です。

このブログで発表している他の小説(例えば『大道芸人たち Artistas callejeros』など)でも、時おり語られますが、ヨーロッパのお菓子は、大きくて異様に甘いものが多いです。その中では、ポルトガルのお菓子は、大きさも甘さもわりと私好みのものが多いのですけれど、たまに「うわ。またこんなのに当たってしまった」というくらい激甘ものもあります。ただ、「蓼食う虫も好き好き」で歯がきしむほど甘いのが好きな人もいますから。

さて、以前ライサ視点の記述で、22が甘党であることがぼんやりと示されていましたが、ここでついにはっきりと出てきます。めっちゃ甘党。でも、素直ではないんです、この人。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(8)扉

 レイテ・クレームが彼の前に置かれた。濃厚なカスタードクリームの上をパリッとカラメル化した砂糖で覆ったこのデザートを彼は好んだ。

 目の前のアントニアが微笑むと、彼は「そんなに喜んでいるわけではない」という顔をわざと作った。

 アントニアが共に暮らしだすまで、代々の料理人たちは、彼の嗜好がわからなくて氣を揉んだものだ。彼は、食事に文句を付けるようなことは1度もなかった。実のところ、そんなことが許されていると思ったこともなかったのだ。

 20歳の時から、20年近く彼は1人で食事をしてきた。『ドラガォンの館』で格子の向こうに閉じこめられていた頃、そこから出られるのは、食堂で家族と共にする正餐の時だけだったが、あの日から彼はその場に同席するのを拒み通した。……カルルシュがマヌエラに宣告し、彼の幸福の蕾をむしり取ってしまったあの日。絶望に嘆いていたはずの、彼と人生を共にすると誓った女が、あっさり抵抗をやめてカルルシュの愛を受け入れてしまったあの日から。当主としての務めとはいえ、その全てを当然のごとく許した実父への失望と恨みが彼を蝕んだのもあの日からだった。

 カルルシュとマヌエラ、そして当主として父親が上品に食事をする場になど、何があろうとも同席したくなかった。彼の椅子の空虚さが、彼の抗議の証だった。だが、彼がその場に現れずとも、ドラガォンは何1つ滞りなく動いた。

 正餐には、やがてカルルシュとマヌエラの子供たちが加わるようになり、召使いたちもその場に彼がいないことに慣れてしまった。口に出さぬ彼の怒りと憤りが、絶望と憎しみに変わり、ただ時が流れた。

 毎回、召使いたちに呼ばれ出て行かずにいると、しばらくしてから召使いたちがやってきて、居住区の中にテーブルを整えた。彼はその召使いたちが持ってきた食事を食べた。1人で。

 機械的に「ありがとう」とは言ったが、味を好んだかどうかは1度も伝えたことがなかった。子供の頃も、厳格な父親に躾けられて、出されたものを残さないように、よけいな口はきかず静かに食べるようにしていたので、それが当然になっていた。

 『ボアヴィスタ通りの館』に遷ってからも、室内ではなく食堂で食べるようになったこと以外は何も変わらなかった。アントニアが食卓に同席するようになってからも、彼女が使用人たちと料理について話すのを他人ごとのように聞いているだけだった。

 だが、アントニアと暮らすようになってから数ヶ月経った頃、料理人のドロレス・トラードが失敗を繰り返したことがあった。後から聞けば彼女は人間関係で悩みを抱えていたらしいのだが、塩や砂糖の量を間違えた料理が週に何度も出された。

 その日、アントニアはレイテ・クレームをひと匙だけ口に入れると、給仕をしていた召使いに下げるように言った。
「さっきの鴨肉のソースが塩辛すぎたのは野菜で中和できたけれど、これは我慢できないわ」
砂糖が通常の倍は入っている。こんな甘いものを食べられるわけないじゃない。彼女の表情が語っている。

 召使いが恐縮して、彼が食べている器をも下げようとした。彼は、思わず皿を引いて、持っていかれないように器を守った。
「叔父さま。無理して召し上がる必要はないのよ。こんな甘いものを」
アントニアが言った。

 その時に、彼は初めて意識したのだ。彼はいつものレイテ・クレームよりもこの極甘味の方が好きであることを。

「私は、これでいい」
召使いとアントニアは顔を見合わせた。それから、彼女が恐る恐る訊いた。
「叔父さま、その味がお好きなの?」

 彼は、答えなかった。子供の頃、彼は食事について好みを口にすることを許されなかった。自分好みの味にわざわざ調理してくれることがあるなど、考えたこともなかった。自分の運命を呪い、食堂へ出て行かなくなってから、運ばれる食事は命を長らえるために供給される餌のような存在になった。彼は食事に喜びも怒りも何も感じなかった。そのことに、誰かが関心を持つとも思えなかった。

 だが、いま口にしているクリームを取り下げられるのは残念だった。甘くて濃厚な味。

 そのわずかな意思表示は、アントニアと使用人達に初めての希望の光を灯したらしかった。一切問題は起こさない代わりに、決して心を開かないインファンテ。何をすることで彼を喜ばせていいのか途方に暮れていた彼らは、ようやく彼の表情を変えさせることができたのだ。

 アントニアは、それから彼を喜ばせるために様々な菓子を買ってくるようになった。そして、彼はその誘惑に抵抗できなかった。こんなことで飼い慣らされてたまるかと思いながらも、手に取ってしまう。彼女は菓子に合うコーヒーや茶、それにヴィーニョ・ド・ポルトを絶妙に選んで微笑んだ。

 彼女は直に、虚勢を張っている彼のわずかな喜びの表情を、正確に見分けられるようになってしまった。そして、菓子だけではなく、食事で何を彼が好むのか、身につける物で何を心地よいと思っているのかを、彼に代わって館の使用人達に告げる役割を果たすようになった。

 それだけではなかった。ずっと1人で奏でるしかなかった彼の慰め、音楽においても彼女はますます彼の期待していなかった位置にたどり着きあった。

「お前がまともに弾ける日など来ない」
10年前に彼女のレッスンに苛立って冷たく言い放った彼自身の言葉を、彼が撤回しなくてはならないと思いだしてどのくらい経ったであろう。彼は、未だに謝罪と賞賛の言葉を口にしていなかった。「悪くない」程度の言葉を口にするのが精一杯だ。だが、彼女はその言葉に満足して微笑む。彼のヴァイオリンの伴奏をすることをこの上なく喜ぶ。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

アイシングの話

最近、食べる話ばっかりだなあ。どこにも行けないからかしらと思ったけれど、旅行でも食べてばっかりいますよね、私。

アイシング

そういえば、おいしいバウムクーヘンとご無沙汰だなあと思ったのは、先日のこと。日本のバウムクーヘンはしっとりした生地が段違いに美味しいですよね。スイスのものではないので、たまに買えても、あのクオリティのものは夢見るだけ無駄。

でも、それだけじゃなくて、こちらで手に入る「お手軽なんちゃってバウムクーヘン」は外にかかっているのがチョコレートなんですよ。

私は、バウムクーヘンの存在価値の60%は、アイシング(白くて甘い外側のアレです)にあると思っていて、チョコは好きだけれど、「コレじゃない」と思ってしまうのです。

そういえば、この辺りではアイシングを見かけることが少なくて、たまにメチャクチャ食べたくなるのです。

それで、「なければ作れ」です。

アイシングは、そもそも水分に溶かした粉砂糖なので、材料は簡単に手に入ります。

アイシングの作り方にはいろいろとあるのですけれど、卵白を使うものは「卵黄が余る」「衛生に自信がない」などとの理由から却下して、粉砂糖と果汁だけで作ることにしました。具体的には、粉砂糖40gとレモン(またはミカンなど)果汁を大さじ1弱を混ぜるだけ。

これを買ってきたレモンパウンドケーキ(もちろん自分で作ってもいいんですけれど、面倒くさかったので……)にかけるだけ。ひと晩おくとアイシングは固まっています。

アイシングをかけて

正直こんなに簡単なものだとは思っていなかったので、これまではやったことがなかったのですけれど、これなら好きな時に食べたいだけアイシングが食べられますね。


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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(7)薔薇色

『Filigrana 金細工の心』の7回目です。ようやく本題って感じです。時系列も、もともとの「いま」に戻ってきました。プロローグの直後ですね。

いつもは大体2000字前後で切るんですが、うまく切れなかったのでこの章はそのままアップしました。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(7)薔薇色

 彼は、外の光景をひと通り眺めてから窓辺を離れると、戸棚から段ボール箱を取り出した。中には、雄鶏の形をした小さな木製の板がぎっしりと入っていた。2階の陽のあたる角部屋を、彼は仕事部屋として使っていた。

 仕事。それが厳密には義務でないことを彼はよく知っている。彼に納期を告げる者はいなかった。1日に、週に、またはひと月に、どれだけの作業をこなすべきかを指示するものもいなかった。現在『ドラガォンの館』に住むインファンテがそうしているように、手を付けないままに放置できることもわかっていた。

 朝食の後に、定量の『バルセロスの雄鶏』を彩色するのは、35年近く欠かした事のない習慣だった。『バルセロスの雄鶏』は、カラフルに模様が塗られた雄鶏で、この国の最もポピュラーな土産物のひとつだ。大小様々の陶製の置物の他に、キーホールダー、マグネット、ワインのコルク栓の飾り、爪楊枝入れ、栓抜きなどにもなっている。この柄をモチーフにしたエプロンやテーブルセンター、布巾なども国中の土産物屋で売られている。

 多くは安価で、買って帰る旅人たちは、これを誰が彩色しているかなど意にも介さない。外国で低賃金の人びとの手で彩色されているか、どこかの村で内職されているか、そんなところだろうとぼんやりと思っているだろう。そして実際にもそうなのだが、少なくともそのうちのわずかは、この街で最も裕福な人びとが住むボアヴィス通りの、とりわけ立派な館の2階で作られているのだった。

 特に意味はないのだが、いつもの習慣で、本日の作業で作り上げようとする個数の未彩色の雄鶏を1つひとつ並べる。机の端から端まで、等間隔できっちりと。今日は木片だが、時にそれは陶器であることもある。だが、作家ものとなる大きい陶器の作業をすることはない。サインをすることも、「この職人のことを知りたい」と思わせるような作品を作ることも許されていないから。

 どのような色を塗るかの指示はない。彼が作るもので一番多いのは、典型的な黒地のものだが、今日は薔薇色の絵の具を取り出してきた。赤いとさかと区別がつかなくなるほど濃い色にしてはならない。彼は慎重に白を混ぜて色を作っていった。黄色いくちばし、足元はセルリアンブルーにしてみようと思った。赤いハートの模様、囲む白い点線、『バルセロスの雄鶏』には多くのパターンはない。その中でも彼は、自分の好みの色で様々な商品を生み出すのが好きだった。模様の一つひとつを機械のように、誰も検品をしたりはしないと知っていても、完璧に塗っていく。

 35年の月日は、正確な時間管理を可能にしていた。彼はいま予め並べた木片が『バルセロスの雄鶏』のキーホールダーとなるまでの時間を正確に予想する事ができた。午前中に全ての作業を終えると、着替えて昼食に向かうだろう。街から戻ってきたアントニアが、今日のニュースを告げてくれるに違いない。

 手は休まずに作業を続けるが、彼の心は時にその場を離れて自由に泳いだ。今日は、数ヶ月前までは同じように職人としての仕事をしていた甥の1人に意識が向かった。その男、インファンテ323は、実際には彼の甥ではなかった。兄カルルシュは、正確には彼の従兄であったから、甥とされている23も、正確には従甥じゅうせい だった。彼はこの青年に特別な親しみを持っていた。

 それはとても奇妙な事だった。この青年の弟インファンテ324の方がずっと彼自身に似ていて、23はむしろ彼が憎み続けたその父親によく似ていた。実際に、カルルシュの子供たちが幼かった頃は、23にひときわ厳しい視線を向けていた。だが、皮肉なもので、時とともに、3兄弟の中でこの青年がおそらく誰よりも彼の事を理解し、魂同士の共感を持つ事ができる存在だと感じるようになった。

「ギターラを習うって言っていたわ」
この館に勝手に足繁く通っていたティーンエイジャーの頃のアントニアが、23もまた音楽を奏でる同志になったと伝えた時に、彼は驚かなかった。むしろ今まで習いたいと言えなかったのかと驚いたくらいだ。

「あの子は、どこかあなたに似ているのかもしれないわね、叔父さま」
アントニアの言葉に、彼は皮肉っぽく笑ったが、どこかで彼女言葉は正しいのだと心が告げていた。

 23は靴職人だった。

 ある時、アントニアが1足の靴を持ってきた。彼の衣類や靴は、ふだん使用人が用意しておくので、新しいものが納品された時に意識する事はない。ましてやドラガォンの使用人がアントニアに預けて持ってこさせる事など考えられなかった。
「どうしたんだ」

 アントニアは、満面の笑顔でその靴を彼の前に置き「叔父さま、ぜひ履いてみて」と言った。履いてみて驚いた。いつもの靴に較べて革が柔らかく、もう1ヶ月以上も履いている靴のようにぴったりとフィットした。これまで履いていた靴も、熟練した親方が彼の足型に合わせて丁寧に作っていたのだから、それ以上と即座に感じられる靴があるなど考えた事もなかった。

「ビエラさんの所に行って、あなたの足型を受け取ってきたの。そして、トレースに作ってもらったの。どう? 履き心地よくない?」
「23だって?」
その時に彼は、甥が仕事に関しても彼と同じ姿勢でいる事を知ったのだ。そして、彼には才能があった。

 だが、彼は今、靴を作ることはほとんどないであろう。当主でもないアントニアが、あれだけの多く代わりを務めなくてはならないほど、ドラガォンの当主のこなすべき仕事は多い。亡くなった兄に代わって《ドン・アルフォンソ》となった青年には、靴を作る時間はほとんど残されていないはずだ。さらに言えば、ギターラを爪弾く時間はさらにないであろう。残念な事だ。彼は思った。

 不思議だった。彼の心にある青年への嫉妬、痛みは彼が想像したほど大きくは育たなかった。もっと羨んでもおかしくないはずだ。同じインファンテとしてこの世に生を受けたにも関わらず、23は彼がどれほど望んでも手にする事ができず、これからもできないであろう全てを手に入れた。名前と、自身の意志で館の外に出る自由と、愛する女と。だが、その事実は、彼の心をさほど波立たせなかった。あれほど兄を憎んだのと同じ自分とは思えぬ程、彼の心は静かになっていた。

 アントニア。彼は、心の中でつぶやいた。彼女がいなかったら、私は今でも悶え苦しんでいただろう。カルルシュへの憎しみと、マヌエラへの愛憎と、己の運命の厭わしさに。独りで音を奏でる事への怒りと、心を込めて仕事をしても報われないことの虚しさに焼かれていた事だろう。1人で食事をし、使用人たちに冷淡に接し、誰からも好かれない己のことを乾いた心で嘲笑っていただろう。

 アントニア。お前が私の心を解放したのだ。だが、私はお前の望むものを与えてやる事ができない。

 彼は薔薇色の木片を眺めながら、心の中で呟いた。そして、不意に、その色が昨日のアントニアの口紅の色であった事に思い当たった。新しく付けていたそれにいち早く氣づいていながら、彼女の期待している讃辞をわざとかけてやらなかったことが、彼の心をわずかに締め付けた。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

カツサンドのトリック

なんちゃってカツサンド

日本にお住まいの方には、あまり縁のない話かもしれませんが。

海外移住してから、日本では大して好きでもなかったものに、ぐーっとノスタルジアを感じてしまうことがあります。でも、「この食材がないから、無理だな」と日本に帰る日を指折り数えて我慢する羽目になることも。

ところが、ふとしたことから、さほど苦労せずに食べたかった味に再会することもあるのです。

たとえば、私はカツサンドが大好きなのですけれど、本場の大好きなカツサンドにありつくのはほとんど不可能。まず日本のように柔らかい豚ヒレ肉の入手が難しいし、あったとしてもそれをちゃんとしたカツにして、さらにサンドイッチにするという工程のどこかで、もっつたいなくて全部胃袋におさまってしまいますので、カツサンドとして食べることはないように思うのです。

とはいえ、ときどき普通のスイスの豚ヒレでカツをつくり、余ったらそれをカツ丼にしたりすることはあるので、次はカツサンドにしてみようかなと思っています。

で、先日は余り物のカツなんぞはなかったのですけれど、たまたま手作りファラフェル(ひよこ豆のコロッケみたいなもの)が余ったので、それをパンに挟んで食べることにしました。その時に、ふと思い立ってお好み焼きソースをかけてみたんですよ。そしたら、それがほぼ食べたかった味に近かったのですね。もちろん豚肉とは違うのですが、カツサンドで私がおいしいと思っている部分の大半って、もしかしてパンとコロッケの衣とソースなのでは……。

たぶん、ヒレ肉がおいしくても、ソースがウースターソースだったらさほどおいしくなかったのではないかと思います。日本人には、日本人の舌に慣れ親しんだソースがあるんだろうなと改めて思いました。

ちなみに、これはどこかで入手したオタフクのソース。他の調味料はそこらへんで買えるもので代用できますが、この手のソースだけはやはり市販品の味には勝てないなと思います。
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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(11)流転と成長と

本日は、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の11作目です。

第11曲は『Sukla-Krsne』使われている言語はサンスクリット語です。


『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を始めから読む




心の黎明をめぐるあれこれ
(11)流転と成長と
 related to 'Sukla-Krsne'


 昔、道を歩いていたときに見知らぬ人に呼び止められて分厚い本を手渡された。レモンイエローの表紙のペーパーバックで、日本語の本なのに横書きだった。それはサンスクリットの聖典『バガヴァッド・ギーター 』で、クリシュナ意識国際協会という団体による翻訳本だったようだ。

 その人は多くを語らなかったので、どんな意図で私にそれを渡してくれたのか、いまだにわからない。自分でほしくて入手したものでなく、本の体裁もいかにも新興宗教の勧誘っぽい怪しさに満ちていたせいで、私はその本をきちんと読むことはなく、どこかにやってしまった。ただ、その時に『バガヴァッド・ギーター』という言葉が脳に刻まれた。

 もともと私はインド神話に興味がなかったわけではない。クリシュナ神という名前についても知っていたし、高校の世界史の授業で聞きかじったインド二大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』についても、どちらかというともっと知りたいと思っていた。

 韻文詩の形を取った『バガヴァッド・ギーター』が、『マハーバーラタ』の一部として収められていることを知ったのは、かなり後になってからである。簡単な内容を調べると「戦争に向かう王子が、親族・友人と戦うことに迷いを感じていると師であるクリシュナに相談すると、躊躇せずに義務(殺害)を遂行せよと諭される」と、書かれていて「なんて攻撃的な聖典だ」と、またしても興味を失ってしまった。

 しかし、どうやらこのインドの聖典が伝えたいことは、たんなる古代インドの政局の話ではなく、宗教と哲学の話であるらしい。かのマハトマ・ガンジーも「悪徳と戦う高尚な精神の寓意である」と注釈をつけているとのことだ。

 ともあれ、第11曲でクリストファー・ティンが選んだのは、『バガヴァッド・ギーター』の8章からの引用である。彼が用意した英訳は、調べてみるとかなりの意訳のようで、最初に読んだときには意味がわからなかった。それで、他の訳を求めてネットサーフィンを繰り返していたら、どうやら私がかつて手渡されたものと同じ、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによる翻訳の和訳『バガヴァッド・ギーター あるがままの詩』が公開されているサイトに行き着いてしまった。

 クリシュナへの帰依に対する私の意見や、この団体がカルト教団であるかどうかはここでは置いておいて、少なくともこの翻訳は、他にも見つけた英訳同様に意図するところが明確でわかりやすかったので、歌われている8章の内容についてはクリストファー・ティンの載せた英訳よりもこちらを参考に筆を進めたい。

 8章には、こんな内容が綴られている。「この世を去った者がたどる道は2通りある。明るい道と暗い道である。明るい道を行く者は至高の存在と一体化し2度と戻らないが、暗い道を行く者は再び転生する。適切な時期、真理を知ってこの世を去れば、戻ってこずに済むのだから、うろたえずに献身に励め」

 さて、ここで語られている「転生」である。マンガやラノベ(ライトノベル)でおなじみの言葉だが、そもそもの東洋思想での概念は、似て非なるもののようだ。

 古代インドにおける「転生」とは「サンサーラ(輪廻)」のことで、生まれ変わりを流転として捉える。生物は永遠にそのカルマ の応報によって、車輪がぐるぐると回転し続けるように繰り返し生まれ変わる、逃れることができるのなら逃れたい苦行である。

 一方で、「リインカーネーション」と呼ばれる転生は、19世紀フランスで生まれ欧米に広まった考え方で、転生を繰り返すことで霊的な進化をもたらす、魂の成長物語のように肯定的な考え方だ。

 実は、私はずっと古代インドの思想とニューエイジ系の思想を混同していた。つまり、「輪廻」と「リインカーネーション」を同じものだと思い、「輪廻」を魂の成長の過程だと思っていた。

 それ以前でも日本では、神道的死生観と仏教的死生観が混在していたので、やはり古代インドの転生の考え方とは違うものが信じられていたようだ。祖霊集団からの生まれ変わりが信じられたり、仏教的な因果応報を説明する輪廻転生が説かれたりした。

 子供時代に私が知った輪廻転生論は、日本独特の思想にフランス生まれのニューエイジ思想も混じった、漫画的な考え方だったらしい。私が最初に作品として描いたマンガも、じつは輪廻転生ものだった。タイムマシンで過去に行く主人公が行く度に自分の前世と出会ってしまうという、実にしょうもない作品である。しかし、十代のはじめの子供がショウワノートに描いていた作品だ。稚拙なのはしかたない。

 その作品に出てきた主人公の前世は、顔が同じでなぜか名前の読みもことごとく同じという設定だったのだが、それ以外は何のつながりもなかった。つまり、その前世が何かをしでかした因果応報により現代の主人公が何らかの制約を受けているわけでもなければ、過去から何かを学んで魂が成長することもなかった。要するに、名前と顔だけが偶然同じ他人と言ってもいいキャラクターがたくさん出てくるだけの話だった。

 今、私がその作品をリライトするとしたら、どのような『転生思想』を採用するだろうか。おそらくインドの思想は選ばないだろう。そもそも古代インドでは女性は転生せず、解脱するために『ヴェーダ』を学ぶことすら許されていなかった存在らしい。たとえ主人公を男性に変えても、六道を彷徨い苦しむ苦行としての輪廻を題材に書きたいかと問われると「それでなくてもいいかな」と思ってしまう。

 ニューエイジ系の「リインカーネーション」ものなら、意味があるかもしれないと思う。ただし、本人の魂の修行を描くことに抵抗はないものの、何も前世と現世と両方を書くこともないかなと思ってしまうのだ。1度の生のみを描く物語よりも多くのことを語れるかというと、自信がない。

 大人になってから転生を題材として書いた物語は1つだけで、それが『樋水龍神縁起』だ。かつての漫画作品とは異なり、こちらには過去と現在には大きな関わりがある設定だ。ただし、「リインカーネーション」ものとして書いたわけではない。つまり、前世と現世において魂が成長したかというと、ヒロインに限定すれば皆無で、主人公の方は若干の氣づきはあったかもしれないが、大して意味はない。(そもそも魂の成長の話ではなく縁と愛の物語として書いたものだ)

 むしろ、この小説に関しては、同じ転生でも「サンサーラ(輪廻)」の方に近い書き方をしたと、分析している。少なくとも結末に関していえば、『バガヴァッド・ギーター』8章の教えに近いものになった。

 何度か書いているように、『樋水龍神縁起』は私の『般若心経』の解釈を世界観に使った作品だ。仏教には古代インドの思想の影響があるから、概念に親和性があるのも当然だ。とはいえ、意図して寄せたわけではないので、9年も経ってから古代インドの思想との近さを発見し、感慨深い。

 さて、小説のことはともかく、私の人生における『今生』はどんな意味を持っているだろうか。私自身には『前世の記憶』とやらは皆無なのでそもそも魂が存在して転生していくものなのかどうかを判断することはできない。もちろん、ラノベやマンガでよくある「過去に転生して、現代の知識をもとに大出世する」都合のいい「転生」はありえないとわかっている。さらにいうと、特定の性別や民族・階級に属する者だけが転生するというような社会的な意図を感じる思想を100%信じることもできない。

 とはいえ、インドに限らず、世界の多くで個別に伝わる「生まれる前の記憶」の話を総合すると、「絶対にあり得ない」と断言することも難しいのではないかと思っている。だから、「(ないかもしれないけれど)あるかもしれない」という考え方をとって、とりあえず『今生』を生きている。

 それは、「死んだらどうせおしまいなんだから、好き勝手しておこう」というような刹那的な生き方にブレーキをかけるけれど、一方で、『次の人生』のために『今生』を犠牲にする類いのものである必要もない。

 私の『今生』は、『流転』に近い。それも過酷な運命に弄ばれてしかたなくこうなったわけではなく、自分の意思で浮き草のような人生を選び、ここにいる。名誉も実績も手にすることはできず、明日の身が保証されているわけでもないが、過去を悔やんでいるわけでもない。あちこちで見たこと、経験したこと、そして現在の自分に至るまで学んできたことは、どれも印象深く必要だったと感じている。「転生は流転であり苦行である」とする「サンサーラ(輪廻)」の概念がピンとこないのは、そのせいかもしれない。

 永遠の光、全能の存在と一体化して肉体や時間に縛られなくなる解放は、おそらく素晴らしいのだろう。その時が来たら、私の魂もそれを実感するのかもしれない。(まずあり得ないと思うが)その歓喜の瞬間はすぐそこまで来ているかもしれない。だが、それまでは、私は「リインカーネーション」説の方をとり、流転が苦しいか楽しいかにこだわらず、魂をわずかでも成長させることができれば、それでいいのではないかと思っている。

(初出:2020年11月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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【歌詞はこんな意味です】

sukla-krsne gati hy ete
jagatah sasvate mate
ekaya yaty anavrttim
anyayavartate punah 

ヴェーダによれば、この世界を去るにあたり二つの道――明るい道と暗い道がある。明るい道を行く人は二度と戻らず、暗い道を行く人は、また戻ってくる。 8.26

yatra kale tv anavrttim
avrttim caiva yoginah
prayata yanti tam kalam
vaksyami bharatarsabha 

バーラタ族で最も優れた者よ、ヨーギーがこの世を去ったのちに、再生する時期と再生しない時期について、私はここで説明しよう。 8.23

agnir jyotir ahah suklah
san-masa uttarayanam
tatra prayata gacchanti
brahma brahma-vido janah 

火神の支配下にある時、日光が輝く時、一日のうちの吉祥な時間帯、月が満ちていく二週間、太陽が北を行く六ヶ月――至上ブラフマンを知る者がこの時期にこの世を去れば至上主のもとに到る。

dhumo ratris tatha krishnah
san-masa daksinayanam
tatra candramasam jyotir
yogi prapya nivartate

煙っている時、夜、月が欠けていく二週間、太陽が南を行く六ヶ月――この時期に肉体を離れた神秘家は月の惑星に行くが、再び地球に戻ってくる。 8.25

naite srti partha janan
yogi muhyati kascana
tasmat sarveshu kaleshu
yoga-yukto bhavarjuna

アルジュナよ、たとえこの二つの道を知っていても献身者は決してうろたえない。故にたゆまず献身奉仕にはげめ。 8.27

訳文は下記の本より転用しています。
『バガヴァッド・ギーター : あるがままの詩』
A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ/著



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Tag : エッセイ

Posted by 八少女 夕

SDカードカメラリーダー

今日は、先日買った小さな部品の話です。

SDカードリーダー

これ、AppleのSDカードカメラリーダー(Lightning to SD Card Camera Reader)です。長さ13センチくらいの小さな物です。これを買うに至った経緯が本日のお話。

私は、現在OLYMPUSのSZ-31MRというカメラを使っています。2012年に発売されたものですが、普段の旅行遣いにちょうどいい機能が揃っているので、当分買い換えの予定はありません。このカメラのメディアはSDカードなのですけれど、2012年はまだカメラ自体にWifiだのBluetoothだのを搭載してスマホと接続するタイプは普通ではなかったため、Macに読み込む時は専用USBケーブルで接続しています。これ自体には特に不満もありません。

ただ、旅行中などに、撮ったばかりの写真をその日のうちにSNSやブログにアップしたいということがある時に、ちょっと不便だったので、Wi-Fi機能搭載のSDカード"Eye-Fi(アイファイ) Mobi"を使っていたのです。このカードを入れておくと、WifiとしてiPhoneから接続できて、専用アプリを通して写真をiPhoneに転送することができたのです。

ところが、この"Eye-Fi" 関連、事業売却やらなんやらを経て、どんどんサポートを終了、それにともない専用アプリをアップデートしなくなってしまったので、iOSをアップデートしたら使えなくなってしまったのです。

ということで代替品なども探してみたのですけれど、結局一番シンプルなのが、このSDカードリーダーだったというわけです。物理的にSDカードをiOSで読み込むだけなので、もちろん専用アプリなども不要で、しかもApple純正なので機能することはお墨付き。値段も一番安かったし、そもそも何か新しいマシンで充電が必要ということもなく、シンプルに解決しました。

ま、いずれiPhoneがライトニングケーブルでなくなるらしいんですが、私は古い型落ちを使い続ける人なので、少なくとも後5年くらいはこのまま使えると思います。

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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -2-

『Filigrana 金細工の心』の6回目の後半です。主人公22が「できすぎ坊ちゃん」として生きることをやめ、引きこもりになってしまった日々のことを書いた章です。『Infante 323 黄金の枷 』の主人公23の視点で書かれた外伝『格子の向こうの響き』で、メチャクチャ感じ悪い態度で出てきた当時、彼はこんな状態でした。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -2-

 だが、理想と現実は同じではなかった。彼と入れ違いに居住区を出て、『ガレリア・ド・パリ通りの館』に遷されたインファンテ321とは、その後2度ほどしか会わなかったが、12歳のあの日に告げられたことは、何度も心をよぎった。自らの存在意義について。カルルシュとの立場の違いについて。

 彼は、高潔に、雄々しく生きようと努力した。何が起ころうと、カルルシュに当たったりするものかと。たとえ、やっていることが何の役に立たなくても、自暴自棄になったり、苛立ちを見せたりすることはすまいと。

 彼は、20歳になるまで、表向きはその態度を貫き、父親からも、カルルシュからも、召使いからも、尊敬と愛情を勝ち得たと信じ、心の中の虚しさを押し殺してしっかりと立っていた。その誇りと矜恃は、彼の表面に少しずつ漆喰のように層を作り、鎧となり彼自身を支えていた。

 音楽は、彼の心に翼を与えた。音色は、ドラガォンの宿命とは一切無縁なものとして彼の心を解放した。ピアノとヴァイオリンの音色は、彼の心の悩みや苦しみの細やかな襞までをも隠さずに、館の中を自由に駆け巡った。彼は、そうやって存在しない者として生きることを受け入れようとした。

 そして、彼はマヌエラに出会った。

 栗色に近い落ち着きのある金髪、明るい灰色の瞳、利発で優しい印象の微笑み。彼がそれまで夢想した、いかなる空想上の女神よりも美しい女性だった。そして、彼女は聡かった。その柔らかい印象に反して、自らの足で立ち人生の舵をとり、前進していくことを望む強い人だった。彼の魂に触れ、その高潔さをたたえ、さらに押さえつけている虚しさを理解し、彼の心の叫びである音色を聴き取る感性も持っていた。

 初めての恋に彼は夢中になった。そして、彼女と生きることが、理不尽な運命への埋め合わせとして天から与えられた人生の最後のピースなのだと思った。

 暖かい愛と知的な語らいのある生活、これまでに手にしたことのない満足があれば、彼は名もなく、名声も得られず、自らは何の決定も下すことのできない人生であっても、カルルシュのもとにあるドラガォンを支える存在しない1人として捧げることができると思った。もしかしたら、2人の愛の中で生まれてくる子供が、やがてドラガォンを率いていく存在になるのならば、その未来のために尽くすことも悪くないと思えた。それは、私情を滅しシステムのためにひたすら尽くす当主として生きる厳格な父親の意にも沿うのだと。

 だが、例の宣告が、全てを変えてしまった。彼を支え続けてきた理想のインファンテの石膏をも崩壊させてしまった。

 母親の体から出てくるまでの数日の違いで、彼の願う全てを手にしたカルルシュが、マヌエラをも横取りした。ドラガォンの掟を盾に、システムの厳格な運用を悪用して、彼女の心を得る努力もしないで。そのずるいやり方を、父親やシステムだけでなく、マヌエラ自身までが肯定した。

 憤りと嫉妬と憎しみに支配され、彼ではなくカルルシュに味方した全ての人間を恨み拒絶した。それは例外なく、彼の周りの全ての人間だった。『ドラガォンの館』には、システムよりも彼を優先してくれる、肉親も恋人も友人も、ただの一人もいなかったのだ。

 彼のそれまでの蓄積した想い、自分の中にあった不満と怒りは、溶岩のように流れ出て留まるところを知らなかった。

 彼は、それまで進んで被っていた全ての仮面を脱ぎ去った。彼はもう、理想のインファンテを演じることができなかった。システムへの復讐のため、システムにとって好ましくない態度をとり続けた。

 正餐には顔を出さず、父親やカルルシュ、そして《監視人たち》中枢部の黒服たちを無視し、誰かを選んで《星のある子供たち》の父親となることも拒んだ。文句を言われないよう、『バルセロスの雄鶏』を彩色する作業だけはこなし、居住区内に用意される食事を食べ、音楽を奏で、本を読み、ひとり日々を過ごした。

 そうやって月日が流れ、彼は結局思い知ることになった。彼が背を向けても、ドラガォンのシステムには何の影響もなかった。彼が支えなくても、父親ドン・ペドロの当主時代は当然のこと、その死後、カルルシュが当主になった後も、何ひとつ不都合がなかったのだ。

 カルルシュが当主になった時に、大きな混乱が起こるだろうと思っていた。無能で、優柔不断、虚弱なカルルシュに当主の役目がまともに務まるはずはないと、彼は思っていた。カルルシュを見下す母親ドンナ・ルシアに嫌悪感を持っていたはずなのに、彼自身が同じことを感じていたのだ。

 だが、ドラガォンは、ドン・ペドロがいた時と変わらずに存在した。以前から誰も彼には中枢で何が起こっているかを知らせてはくれなかったが、代替わりしてからもそれは同じだった。ひときわ優秀なマヌエラとアントニオ・メネゼスがカルルシュを助けていることは予想できた。それがわかっていても、何の問題も起こらないこと、「もし当主が彼でなければ」という反応が全く感じられないことに、密かに傷ついていた。

 時は過ぎた。もう誰も彼に何ひとつ期待をしなくなった。正餐のテーブルにつかなくなった彼の存在は、やがて忘れ去られた。ドン・ペドロの空いた席にはカルルシュが座り、やがて当主夫妻の4人の子供たちがそのテーブルを埋めた。新しく勤め始めた召使いたちは、かつての『理想的なインファンテ』を知らない。無表情に彼の居住区の掃除をし、1人で食べるテーブルの用意と給仕だけをする存在になった。

 彼は、自分で閉じこもったとはいえ、ひどい疎外感に苦しんだ。父親も、他の誰もが、背を向けた彼を責めもしなければ、困った様子もなく、何ひとつ彼に願ってこなかった。虚弱体質のはずのカルルシュが、当主としての務めを果たしただけでなく、4人もの子供をこの世に送り出したからだ。彼は、インファンテ321が言った「たった1つの存在意義」すら放棄した。それが、彼自身を蝕むとも思い至らずに。

 彼は、彼自身の行為で、当主のスペアから、生まれてくる必要すらなかった者に成り下がってしまった。

 瞳を閉じて、彼はひとり言をつぶやいた。カルルシュに全てを奪われたわけではない。初めから、彼など存在してもしなくても同じだったのだと。
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Posted by 八少女 夕

「アウグストゥス」読んだ

カテゴリを選んでいて、そういえば私って「読書感想文」ほとんど書かないなと今さらながら思いました。今日はそんな珍しいトピック。

「アウグストゥス」

友人がブログに上げていたのが、このジョン・ウィリアムズ著「アウグストゥス」(作品社 布施由紀子 訳)の感想。アメリカの作家で、この作品が遺作らしいのです。私は、失礼ながらこの方を知らず、同姓同名の作曲家を思い浮かべて「まさかね」と思ってしまったぐらいです。

しかし、この方の作品は、21世紀になってから「再発見」されて以来、欧米では絶賛されているそうで、日本でもこの作品と同じ作品社から、3作が翻訳されて順調に重版となっているとのことで、単に私が知らなかったというだけですね。

さて、どうしてこの作品に興味を持ったかというと、友人の絶賛も氣になったのだけれど、それに加えて、私はこちらに来てから10年くらい、毎週ドイツ語の個人レッスンを受けていて、その時の雑談にローマ帝国初期の複雑怪奇な人間関係をほぼ毎週耳にしていたからなのですね。つまり、この本を読む一般的欧米人と同じくらいか、それよりもう少しこの本に出てくる人々に対する基礎知識があると踏んだからなのです。

で、読みたいなあと頼んだら、なんとプレゼントしてスイスまで送ってくださいました! 大感謝。

で、読んでみて、感動しました。この作者、本当にすごい方です。

この作品はご本人も前書きではっきりと書いているように「小説」です。つまり、作者の創造に当たる部分が入っていて、人間ドラマも人間関係も「史実」そのものではありません。とはいえ、考古学や文献に書かれた史実をないがしろにしたわけではなく、むしろその隙間を見事に織りなして、壮大ながらももの悲しい人間ドラマを綴っているのです。

一般に「○○」だと見なされている登場人物は、本当にそういう人物だったかは今となっては誰にもわかりません。史書は書いた人間に都合よく書かれるので、敵対した人物は極悪人のように書かれるのが常です。そして、それがイメージとなって語り継がれるのですけれど、この小説ではそうしたイメージに反する人物像をつくりだし、それがまたどれも説得力抜群、「本当にこれが事実だったのかも」と思わせる世界観になっています。

これ以上書くとネタバレになるので、興味のある方はぜひ手に取って読んでいただきたいと思います。

ちなみに、ものすごくたくさんのことを丁寧に調べて書いているのに「こんなに知っています。僕ってすごい」感が全く出ていなくて、作品としての完成度が異様に高いのも感服ものです。加えて、この本に出てくる固有名詞のうち「シーザーとアントニーとクレオパトラしかわからない」というような方でも、ほとんど混乱なくストーリーを追えるように書いた構成も見事。もう、こんな作品が書けたら死んでもいいと思いますけれど、200回生まれ変わっても無理そう。

読書家の方には、本当におすすめしたい一冊です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -1-

『Filigrana 金細工の心』の6回目の前半です。前回まで、第1作『Infante 323 黄金の枷 』ヒロイン視点のプロローグ、長いライサ・モタの回想シーンと、主人公以外の人間の視点で綴られてきましたが、ようやく本人視点が登場します。

第2作『Usurpador 簒奪者』では、22視点の話は出てこなかったと思うのですが、外から見た彼の「できすぎ」っぷりに胡散臭いと感じられた読者が多かったように思います。この章では、「できすぎの坊ちゃん」として振る舞っていた彼が、激怒の末に引きこもりになってしまった過程が、綴られています。この章は、実はもっと後に置いてあったのですが、別に秘密にするようなことでもないので、先に持ってくることにしました。次週との2回にわけています。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -1-

 彼が初めて自らの進む道、つまりインファンテであることについてはっきりと意識したのは、12歳のある午後だった。まだ、彼と同い年の兄であるカルルシュとの間には大きな待遇の差はなかった。学ぶ時も食事をする時も、いつも一緒であり、彼にとってそれは当然のことだった。彼はドイスと呼ばれ、それが個人名とは違う番号の一部でしかないことを意識することはなかった。

 午餐や晩餐できちんと身支度して、両親、カルルシュと共に、食堂の立派なテーブルの前に座る時、わざわざ呼び出されてから現れて着席する者たちの存在も、特に自分の運命と関連付けて考えることはなかった。

 屋敷の中には、鉄格子で締め切られた居住区があり、そこにある男と、そして多くの場合、女が1人ともに住んでいた。女は1年経つといなくなり、またしばらく経つと別の女が同じ立場になる。会話をすることもなく、その場で食事をし、食後には召使いたちに付き添われて、また鉄格子の向こうへと戻っていった。

 その男は、たいてい席に着く前からもう酔っており、だらしない姿勢で椅子にもたれかかりながら杯を掲げて満たすように要求した。厳格な彼の両親は、男をほぼ無視して食事を進めた。その異質な男こそが、インファンテ321、つまり、当主ドン・ペドロのスペアとしてこの世に生を受けた男だった。

 その男と、選ばれてしかたなく居住区で暮らすことになった女とは、正餐に呼び出されても出てこないことがあった。2階の格子戸を開けて、召使いたちが正餐の時間だと呼び出すと、男は3階の寝室からろれつの回らない大声で「いま、いいところだからよ」と叫び、下品な笑い声を響かせた。その報告を耳にすると、ドン・ペドロは顔色も変えずに、ソアレスに目で指示を与え、執事は2人抜きで給仕をはじめた。正餐を食べ損ねた2人には、後ほど食事が運ばれることになっていた。

 その男こそが、カルルシュの本当の父親だと、いつだったか彼の母親ドンナ・ルシアが口走ったことがある。するとドン・ペドロは、厳しい目つきだけで妻をたしなめた。

 彼は、だらしなく粗暴なその男に、嫌悪感を持っていた。そして、男からも好意を持たれていないことを肌で感じていた。
「お高くとまってやがらあ。てめえは、立派な当主の跡継ぎだと思い込んでいるってわけだ」

 男は、彼のことをよくあざ笑った。何がそんなに彼を面白がらせているのか、幼かった頃の彼にはよく理解できなかった。

 だが、12歳のあの日、21は格子の向こうから彼を呼び止めて、彼の運命を告げたのだ。

 彼は、いつもよりもさらにひどく酔っていた。母親はこの男のことを「わがままな酔っ払い」としてあからさまな嫌悪感を示していた。だが、彼はそれをあからさまに態度に表すことは紳士的でないと自分を律していた。単純に関わらないようにしていただけだ。

「おい。おいったら。まだ、お高くとまってんのかよ。俺を見下しているみたいだが、お前、わかってねえな。お前は、俺と同じなんだぞ」

 彼は、はじめて足を止めて、まともに格子の向こうの男を見た。彼には純粋に理解できなかったのた。彼のどこがこの男と同じだというのだろう。だけが本当の父親かどうかは、彼にとってはそれまで重要なトピックではなかった。そうであっても、関係なく、彼はこの館で召使いたちに傅かれる者としての責任と誇りを持った者として、父親ドン・ペドロからの教えに従ってきたし、厳格な父親や執事のソアレス、そして、幾人かの教師たちを満足させる振る舞いと成果を常に出していた。眉をひそめられ、ため息をつかれるばかりの存在のこの男と、どこが同じなのか、全くわからなかった。

「興味が出たか」
「おっしゃる意味がわかりません」

 21は、大きくのけぞって笑った。杯を持つ手と反対の手で格子にしがみつかなければ、まっすぐ立っていられないほどにふらつき、頬と鼻の先は異様なほどに赤い。そして、濁った白目の細い瞳を細めて、彼の方をじっと見た。
「なんだ。やっぱり教えてもらってねえのか」
「何をですか」

「次に、この檻の中に閉じ込められるのは、お前さんだってことだよ」
21の言葉に、彼は深く息を飲み込み、意味をよく理解しようとした。それがどのくらいの時間だったのか、彼は憶えていない。だが、時間は、酔っ払った男には大した問題ではなかったらしい。

 彼は、その間にさまざまなことを考えた。21という男の呼び名に、彼の22という呼び名。父親とカルルシュの填めている腕輪に1つ多い青い石。何度か耳にした「あれだけの才能がおありなのに、なんてもったいない」という囁き。

 男は、その彼の思考を追うかのように、また、時には前を行きながら、彼はやがて格子の中に閉じ込められるインファンテだということを、杯の中の琥珀色の液体を喉に流し込む合間に語った。彼は、館の中にいる大人たちに確かめるまでもなく、この男が語っていることは真実なのだということを悟った。

 全てに合点がいった。なぜ母親がカルルシュを目の敵にするのか、カルルシュのできが悪い時になぜ他の人たちがそれと比較して彼を憐れむのか。それまでどう考えても理解できなかったことに、彼は答えを見いだした。わずか数日の誕生日の差で、才覚や適性などは関係なく、彼とカルルシュの運命は決まったのだ。

「……で、どうだ。そろそろ夢精でも始まるんじゃねえのか」

 彼は、ある種の嫌悪感を抱いて、21を見つめた。酔った男は、また高笑いをして、だらしなく緩んだ口元から臭い息を漏らしながら顔を近づけてきた。
「高尚なお坊ちゃんよ。俺を見下すのは勝手だがよ。お得意らしい法学も、ラテン語も、お前には必要ないんだよ。お前に求められているのは、俺がやっていることだけだ。女をベッドに引きずり込み、本能の赴くままにやりまくること。それだけさ、俺やお前の存在意義は」

 そんなはずはない。自らの生まれてきた意味が、そんなことだけにあるなんて。彼は心の中で叫んだ。僕は、たとえ同じ運命だとしても、あの人のようになるものか。

 彼は、自分が閉じ込められる運命に、雄々しく立ち向かおうとした。彼が、生まれてきた日に対して責任がないように、カルルシュにもその責任はない。彼を心から慕い信頼を寄せるカルルシュを、格子の向こうからでも支えられるように、きちんと勉強を続け、召使いたちに仕えてもらうに足る尊敬を勝ち得る『メウ・セニョール』になろうと決心した。

 だから、1年後に第2次性徴があらわれて、2週間後に居住区に遷るのだとドン・ペドロに告げられた時も、冷静に受け止めた。その時に、ショックを受けたのは、何も知らなかったカルルシュだった。
「まさか! なぜ、ドイスが閉じ込められるのですか?!」

 そのナイーヴな問いかけに、ドンナ・ルシアはもう我慢ができなかった。女主人としての誇りも務めも忘れ、憎しみを露わにしてカルルシュを罵倒した。ドン・ペドロは、珍しく声歩荒げて妻を叱った。母親のヒステリーは、閉じ込められる当事者である彼をむしろ冷静にした。彼の心の準備はできていた。実の母親でありながら、ドンナ・ルシアの感情的な態度を、彼は好きではなかった。カルルシュに対する理不尽な叱咤にも、彼への身びいきが原因だと感じて、かえって嫌悪感を持っていた。

 彼は、母親を反面教師にし、父親のように冷静で有能な、人の上に立つのにふさわしい人間になろうと固く決意していた。何が起ころうと、紳士的にきちんと振る舞い、このようなことに声を荒げたりすまいと。

 だから、母親が、深夜にカルルシュを殺害するためにその寝室に忍び込んだこと、すぐに露見して遠ざけられた時にも、ショックを受けこそすれ、父親の決定に納得していた。それどころか、今後、たとえ格子の向こうで生きることになっても、これまで以上にカルルシュを支えて生きていこうと決心したぐらいなのだ。
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Posted by 八少女 夕

秋の散歩道

秋

ヨーロッパは、ふたたびCovid-19の感染がすごいことになっていて、来週からまたロックダウンかも……という話になっています。

春のロックダウンが終わったら、みんな、ばーっとバカンスにいってしまったので、そのせいなんじゃないかなあ。私の住む州では、ずっとソーシャルディスタンスの話はされていて、公共交通期間内でのマスク着用義務はあったのですが、ついに全ての公共施設内でマスク着用義務になってしまいました。ううむ。

さて、そんな中ですが、時は普通に過ぎてゆき、秋たけなわです。世界の未来が、なんとなく不安に思われるからこそ、秋の光景が愛おしく目に染みる、そんな心地です。来年もまたこの光景を見ることができるであろうか……千年前の風流人なら絶対にここで一句詠んでいると思います。私は詠めませんけれど。
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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(10)殻より抜けでる鳥

本日は、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の10作目です。

第10曲は『Hamsáfá』使われている言語はペルシア語です。


『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を始めから読む




心の黎明をめぐるあれこれ
(10)殻より抜けでる鳥
 related to 'Hamsáfár'


 第10曲の歌詞は、ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』から、3つの詩を選んで組み合わせてある。『ルバイヤート』というのは『4行詩集』という意味の普通名詞なのだが、この作品があまりにも有名なので、一般に『ルバイヤート』といえばウマル・ハイヤームの作品を指すことが多い。

 これまで散々一神教の聖典からの言葉を並べてきておきながら、ここにきてペルシア語の言葉として選んだのがウマル・ハイヤームとは、クリストファー・ティンはかなり老獪なタイプかもしれない。少なくとも、それに氣がついたときに、私はかなり脱力した。

 この作品は11世紀のペルシアのウマル・ハイヤームの死後に発表された。数学、天文学、史学などで著名な学者だったウマル・ハイヤームの作品なのか、同名異人の作品なのかはいまだに意見が分かれているという。いずれにしても、この作品を生前に発表するのはかなり難しかったと思う。名誉の剥奪どころか死罪にされてもおかしくない内容だからだ。

 イスラム教のことにさほど詳しくない人でも、禁酒のことは知っていると思う。21世紀の現在においても、たとえばイスラム教の大本山メッカのあるアラブ首長国連邦はおろか、かなり辺境のモロッコあたりでも、ビールにありつくのですら難しいほどだ。11世紀のペルシアで、飲酒を褒め称えるのはかなり勇氣が必要だったはずだ。

 ところがこの『ルバイヤート』、読むとほとんどが飲酒礼賛なのだ。しかも、「あるかどうかもわからない天国に行くために酒を飲めないなら、こっちで楽しむ方がいいや」という態度すら見せてしまっているのだ。宗教的権威は、やっかいである。社会がその権威に依存している場合は、話がさらに複雑になる。法が人々の思考と行動を制限するようになるからだ。

おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。
(オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 小川亮作訳 青空文庫 より)

法官ムフテイ よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐ちしお を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。
(同上)


 単なる飲酒礼賛だけでなく、体制側を侮辱したと言われても言い逃れのない詩だ。

 引用した詩集を読んでいくと「ケイコスロー」「ジャムシード」それに「マギイ」といった言葉が表れる。ケイコスローは現在では一般に「カイ・ホスロー」と書かれるペルシアの伝説の王、ジャムシード王とともにイラン最大の民族叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する。「マギイ」または「マギ」はゾロアスター教の神官で、日本で言えば、神道の神職、もしくは陰陽寮の天文博士などにあたる人々だ。だが、後にゾロアスター教が、3大宗教からことごとく異教とされたために、魔術者とみなされるようになり、マジックの語源ともなった。

 つまり、『ルバイヤート』で出てくるこれらの単語は、イスラム教の高職者からみると邪しまで許されざる害悪の象徴だ。彼は、それらを礼賛しているのだから、挑発以外のなにものでもない。

 大学生の頃、私はイランの伝説や民族神話について調べていた。現在ならば、日本語でもいくらでも文献があるが、当時はその類いの書籍は限られていた。インターネットも発達していなかった当時、情報を得るのは大変な苦労があったのだ。海外旅行の時に、わざわざロンドンに行ってまで、中近東の民族伝承の本を探していた。ペルシア語の文献を当たらなかったのは読めないことがはっきりしていたからだ。私の英語力で専門書は読めないだろうと思ったので、ティーン向けの中近東の神話伝説に関する本を購入して持ち帰った。重かった。

 英雄《白髪のザール》と、育て親である怪鳥スィームルグの伝説、ザールの息子であるロスタムの英雄伝などに心躍らせていた一方、ゾロアスター教とインド神話の関係にもひどく興味を覚えた。

 ともに古代アーリア人の系譜をもつ2つの神話の世界では、善と悪の神が入れ替わっているのだ。ペルシア神話の善神《アフラ》はインド神話では《アスラ》(阿修羅)になる。一方で悪神《ダエーワ》は、インド神話では善神《デーヴァ》となる。

 この関係は、日本神話でいうと天つ神と国つ神の関係に近いのかもしれない。天孫降臨をしてきたという触れ込みで「この地域の支配権はもらうから」と宣言してきた天つ神に、1度は抵抗したものの結局国を譲ったとされる国つ神。これらは、おそらく2つのことなる政治勢力間で起こった争いの記憶であろうというのが、一般的な見方だ。

 おそらく古代アーリアでも、同じようなことがあり、それが宗教の中に善神悪神という形で残っているのだろう。

 古代ペルシアには、ゾロアスター教の主神である《アフラ・マズダー》、それ以前から広く信仰されていた《ミトラ》、豊穣の女神《イシュタル》、時間の神《ズルワーン》など深く信仰を集めた神々がいたが、インドで悪神と見なされただけでなく、ユダヤ教やキリスト教、そしてその流れをくむイスラム教でも異教として目の敵とされることとなる。

 たとえば《ズルワーン》は、ヨーロッパでは息子を食らうサトゥルヌス神になり、女神《イシュタル》は、「バビロンの大淫婦」とまでいわれるようになる。しかし、民間レベルで広がっていた信仰は、簡単に撲滅することはできず、ミトラ神の祭日で大きく祝われていた冬至は「イエス・キリストの誕生日」という名目で最大の祝祭になり、サトゥルヌス神の12月の祝日の風習であった贈り物の習慣はサンタ・クロースという形で残っている。女性神への信仰が固く禁止されたキリスト教では、母なる豊穣神への深い信仰は、聖母マリアへの帰依と形を変えて現在まで続いている。

 もちろん現代ヨーロッパでは、誰がどんな対象に精神的な支えを求めようと、大して問題になることはない。だが、それはつい数十年前まではあたりまえのことではなかった。私がもっとも精神的に影響を受けた作家ヘルマン・ヘッセは、この葛藤について生涯を通して書き綴った。中でも私が一番強く感銘を受けた作品は、『デミアン』である。この中で主人公シンクレールが、キリスト教では異教的とされた特別な精神世界を持つための大きな契機として登場する神の名が《アプラクサス》だ。

 この神は、ミトラ教にまで遡る古い名前を持ち、グノーシス主義で大きな役割を持ち、『デミアン』では「神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界を内に蔵している(ヘルマン・ヘッセ『デミアン』高橋健二訳 新潮文庫)」と記述されている。作品中では、卵の殻を破り生まれ出でる鳥の姿として幾度も登場する。道徳と因習に縛られた「普通で正しい」とされる世界からはみ出て苦しんでいたシンクレールにとって、それに縛られずに立つ青年デミアンを彷彿とさせる存在だったのではないか。

 この小説で語られる精神世界のあり方、そして、このエッセイでいく度か語っている『般若心経』の教えは、ほぼ同じものを指していて、この2つにほぼ同時期に出会った私は、シンクレールと同様に新しい世界のとらえ方をするようになった。《アプラクサス》、または《アブラクサス》は、オリエント由来の神だが、若い日に夢中になったオリエント神話にこうして戻ってきたことに思い至ったとき、不思議な因縁を感じた。

 さて、話は『ルバイヤート』にもどる。イスラムの世界でも目の敵にされていた、オリエント由来の思想や風物に、人々は禁止されてもやはり立ち戻っていったことがこの詩から読み取ることができる。ウマル・ハイヤーム1人が酒を愛し、女と音楽を愛で、宗教や道徳上の締め付けに異議を唱えていたのだとは到底考えられない。もしそうだとしたら、これほどたくさんの普通名詞や固有名詞が人々に理解可能な形で残るはずはないからだ。つまり、大っぴらには言えないけれど、ムスリムでもワインを飲んで、それでも自分はうるさい坊さんよりもいいヤツだと思っていた人は、そこそこいたということだろう。

 私自身は、例えば酒に酔ってホストクラブ通いをしたいとは思っていない。もちろん、それを望む人がすることにはなんの異議もないが、私自身にとって、それはやりたいことではない。けれども、長いあいだ「こんなことを考えていいのだろうか」と葛藤していたことからの解放という意味では、ウマル・ハイヤームの訴えに同調できる。物心ついたときから一神教の教えで育った私が、「どの宗教を信じていても善いことは善い」と確信を持つには、ある種の勇氣が必要だったのだ。

 私は、いまでも宗教そのものに異議があるわけではない。無神論者とはそこが徹底的に違う。ただ、誰かの書いた一字一句に縛られて、もっと大切なものを見失いたくなかった。「豚肉を食べることはしないが、異教徒は殺す」のが、「チャーシューは好きだし、外国に友だちがたくさんいる」ことよりも素晴らしいこととは思えない。それを迷わずに口にすることができるようになるには、ずいぶんと時間が必要だった。もちろん、日本人にそれを言うのは簡単だ。まず誰ひとり反論しないだろう。けれども、世界には、それを口にすることに勇氣を伴う場所もあるのだ。

 それを口に出し、権威に寄りかからずに生きることを決めるとき、社会からの非難も身に受ける覚悟が必要だ。その殻を破り生まれ変わる《アプラクサス》のように。20世紀前半のキリスト教社会を生きたヘッセが『デミアン』で描いた物語は、私の心を大きく揺さぶり、それからの生き方の指針となった。

 どの宗教を信じ、どの位階にいるからより天国に近いわけではない。人間が作り出した威光を必要以上にありがたがる必要はない。同様に、自分自身についても慢心をしてはならない。洗礼などの儀式を経たからといって、天国への切符を発行してもらったわけではなく、日々の行いの免罪符になるわけでもないと。

 殻を破り、外に出た雛は、もうその殻に守ってもらうことはできない。自由は、同時に、保護を手放すことだ。私は、これまでにいくつの殻を失ってきたことだろう。そして、これからも、いくつもの心地よく、権威に守られた楽な居場所を失うことだろう。『ルバイヤート』を書きながら、ウマル・ハイヤームも同じことを考えたかもしれない。彼はこう高らかに歌った。

あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴れになろう
(オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 小川亮作訳 青空文庫 より)


(初出:2020年9月 書き下ろし)



この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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Hamsafar (feat. Sussan Deyhim)


【歌詞はこんな意味です】

砲塔は朝日の筋に捕らわれた
カイホスロウ王は聖杯を空にした
暁の先触れが鳴り響き
飲み物の名声は、時とともに消えた


共に旅しよう!

さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬ひとときのこの人生をとらえよう
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴れになろう

とまどうわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ
日の燈火を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ


(註)緑色の訳文は下記の本より転用しています。(ペルシャ語からの翻訳)
ルバイヤート RUBA'IYAT
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam
小川亮作訳 (青空文庫)
 

青色の文は上記の本には収められていなかったので、下記の原文を英訳してくれているサイトを参考に意訳したものです。
خورشید کمند صبح بر بام افکند
کیخسرو روز باده در جام افکند
می خور که منادی سحرگه خیزان
آوازه ی اشربوا در ایام افکند

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Posted by 八少女 夕

ポケ森で『黄金の枷』レイアウト

すみません。今日のネタはしょうもないです。本当に。

ポケ森

数ヶ月くらい前から、ほんの暇つぶしに「どうぶつの森 ポケットキャンプ(ポケ森)」を始めたのです。はじめは普通に遊んでいただけなんですけれど……。

ここしばらく、ハロウィーン系の家具などがいろいろと出てきていて、それを眺めていたら「ううむ。なんか『ドラガォンの館』っぽくない?」と思ってしまったんですよ。で、思ってしまったら止まらない。

ついうっかり、「23の居住区を再現できないかしら?」と頑張ってしまったというわけです。

一応、基本は無課金で遊んでいますし、それに新参者なので持っていない家具なども多いんですけれど、それでも、新しい壁や床などを何とか入手したら、できることがいっぱいあるじゃないですか!

たとえば、最初の画像は、地階、23の靴工房レイアウト。ギターラなんて無理なので琵琶を配置しています。新しく入手した床は、ちょっぴりアズレージョ風でお氣に入り。向こうに見えているのは洗濯物を入れる籠。

ポケ森

別の角度から見ると、靴を縫うためのミシンや、ノートパソコン(設定ではMacBook Air)それに23とマイアがコーヒーをよく飲んでいたテーブルなどを配置しました。

こちらは23のお庭レイアウト。中庭になっていて出られない設定です。植物がたくさんある設定だけれど、これじゃあ狭すぎるなあ。お墓みたいなのを配置したのは「Et in Arcadia Ego」のプレートの代わりです。本当は足下にあるって記述でしたけれど。

ポケ森

2階は、鉄格子を表現するために、檻のついたてを4つ作りました。おいてある家具は立派だけれど、檻の中であるというギャップが出したかったです。

ポケ森

そして、階段を上がったところが、3階の寝室。これでも狭い〜。暖炉はベッドの後ろにしたかったのだけれど、スペースの問題であの位置にしました。それから見えていないのですけれど、百合の向かいに配置したライティングビューローは、ベッドに近すぎるけれど、原作と同じ場所に置けたので自己満足。

そして、この階の壁がハロウィーン用の「ホラーなおしろのかべ エメラルド」っていうのですが、これを一目見て「23の居住区つくる!」と決心したきっかけです。おかげでリーフチケットがなくなる、なくなる……。

ポケ森

そして、百合のある側に本当は作り付けのクローゼットと、広いバスルームもある設定です。バスルームもいずれレイアウトしたいけれど、今のところまだ大きな浴槽をゲットできそうにもないんですよね。

本当に何をやっているんだろう、まったく。完全な自己満足ですが、かなり楽しいです。
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【小説】辛の崎

今日は「123456Hit 記念掌編」の第5弾をお送りします。あ、まだお1人分枠がありますので、リクエストのある方はどうぞ。

今日の小説は、ダメ子さんのリクエストにお応えして書きました。


リクエスト内容
   テーマ: 成長
   私のオリキャラ、もしくは作品世界: 高橋瑠水
   コラボ希望キャラクター: ダメ子さんのオリキャラ
   時代: 現代
   使わなくてはならないキーワード、小物など: 大人の女性


ダメ子さんのところからは、定番でダメ家3姉妹をお借りしました。特に、今回はダメ奈お姉さまに女子大生らしい知識を披露していただくことにしました。

さて、リクエスト内容から考えると、たぶんちょっと違ったイメージの作品を期待なさっていらっしゃるんじゃないかと思うんですよね。でも、あえてこんな感じにしてみました。それと、今回は大阪から離れてみました(笑)


【参考】
「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero・外伝
辛の崎


 澄んだ深い青だった。どこまでも続く日本海は息を呑むほど美しい。
「こんな見晴らしのいいところがあったのね」
瑠水は、真樹を振り返った。

「登った甲斐があっただろう?」
彼は、笑いかけた。
 
 駐車場にYAMAHAを停めて、10分ほど登ったところに石見大崎鼻灯台はあった。坂道や階段が続いたので、瑠水は少し息切れしている。真樹は2人分のヘルメットとバイクスーツの上着を持って来たにもかかわらず、息が上がった様子もないので、瑠水は少しだけ悔しかった。

 瑠水は、真樹とタンデムで出かけるようになってから、いろいろなところに連れて行ってもらっている。かつては、住む奥出雲樋水村と、出雲にある高校をバスで往復するだけだった。道草をしているときにたまたま知り合った生馬真樹は、誰もいないところでクラシック音楽鑑賞をする瑠水の周りにはいなかったタイプの友だちだ。バイクに乗せてもらい、クラシック音楽を聴くのが大好きになった瑠水は、よく週末に一緒に出かけるようになった。

「次はどこへ行くの?」
先々週、瑠水はまた連れて行ってもらえると期待して訊いた。すると彼は、少し困ったように答えた。
「少し遠くへ行こうと思っているんだ。お前も来たいなら、ご両親の許可がいるな」
「泊まり?」

 彼はギョッとした顔をしてから言った。
「まさか! 100キロちょっとだから、日帰りだよ。でも、朝はいつもより早く迎えに来るよ」

 暗くなる前に帰ってくる約束をして、瑠水は今日のドライブについてくることができた。江津市に足を踏み入れるのは初めてだった。

「すみませ〜ん」
後ろからの声に振り向くと、3人の女性たちが登ってきていた。
「灯台、今日登れますか?」

「いや。灯台の中は、灯台記念日にしか公開しないから」
真樹が答えると、どうやら都会からわざわざやって来た3人はがっかりしたようだった。

「もう、リサーチ不足だよ。ここまで来たのに」
3人は姉妹のようだ。顔がとてもよく似ている。一番年上に見える女性が言った。

「でも、灯台に登らなくても、ここからの眺めもなかなかだよ」
灯台の足下のテラスからは、絶景が広がっている。真樹と瑠水は、3人が景色を堪能できるように少し脇にのいた。3人は礼を言って景色を見ながら写真を撮った。

「ここ、バイカーには有名なの?」
瑠水は、真樹に訊いた。
「どうだろうな。ものすごく有名ってわけではないかもしれないな」
「こんなに絶景なのに? じゃあ、どうやって知ったの?」

 彼は笑った。
「去年の12月に、その先の都野津つのづ 柿本神社に仲間内でお詣りに来たんだ。その時にこの灯台のこと聞いて、一度バイクの季節に行ってみたいなと思ったんだよ」

「こんな遠くにお詣りにきたの?」
「そうだね。歳によって違うけれど、ときどき高津柿本神社にも行くよ」

 全国に存在する柿本人麿命を祀る柿本神社の本社とされる高津柿本神社は、ここよりさらに100キロほど西に行った益田市にある。  

「わざわざ柿本神社にお詣りするのね」
「うん。人丸さんには火防の御利益もあるから、ときどき仲間でお詣りするんだ」
真樹は消防士だ。

「防火の神様なの?」
「うん。『人麿ひとまる 』が『火止まる』に通じるから」

「柿本人麻呂って、益田市にいたの? それともここ?」
瑠水は、そもそもいつの人だったかしら、などと考えながら訊いた。

「さあ。俺はあまり古典には詳しくないからな」

 すると、先ほどから2人の会話が氣になっていた風情の、3人姉妹の次女と思われる女性が、ためらいがちにこちらを見た。
「えっと……石見の国府があったのは浜田市だそうです。7世紀のことだから、はっきりとわかっているわけではないんですが」

「お姉ちゃん! 知っているの!」
瑠水と同い年くらいのおかっぱの女性が小さな声で言った。
「ええ。大学の古典の授業で、わりと最近、柿本人麻呂についてやったんだもの。それで、ここに来てみたくなって……」

「そうなんですか」
「さっきお話に出ていた都野津柿本神社は、人麻呂と奥さんの依羅娘子よさみのおとめ が暮らしていたという伝承があるそうです。そして、彼が万葉集に収められている長歌に出てくる辛の崎からのさき も、ここだという説が最有力なんです」

「辛の崎?」
首を傾げる瑠水に、真樹は笑った。島根県人なのに、都会の女子大生に何もかも教えてもらっているのがおかしかった。

 高官としてその名が史書に残っていない柿本人麻呂は、政治犯として死罪になったのではないかという説もある謎の人物である。しかし、史書に名前はなくとも、その歌が後世に与えた影響は無視できず、歌聖と呼ばれ『万葉集』には、80首も採用されている。後には、正一位が贈位され「歌の神」となった。

 その人麻呂が残した多くの万葉歌の中で、ひときわ叙情的で格調高い石見相聞歌は、石見の地で最後の妻になったといわれる依羅娘子よさみのおとめとの間に交わされたもので、日本の和歌史上、初めて個の叙情を歌ったものと言われている。そして、江津周辺の地名がいつくか歌枕として詠みこまれている。

「駐車場に歌碑があっただろう? あれは、ここがその辛の崎だという説を発表した万葉学者の揮毫きごう だそうだ」

 角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽
  つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる 海石にぞ
 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流
  深海松生ふる 荒磯にぞ 玉藻は生ふる
 (石見の海の辛の崎にある海の岩には、海草が生い茂り、荒磯にも藻が生い茂っている)


「そうなの。ってことは、柿本人麻呂とその奥さんも、この光景を見たかもしれないわね」

 3人の女性たちが、礼儀正しくあいさつをして去って行った後、瑠水は、もう1度テラスの先に進み、柿本人麻呂が見たと思われる光景を堪能した。

「屋上山こと宝神山。高角山こと鳥の星山。そして、角の浦に、角の里」
柵にかけられた案内板と実際の光景を見比べていブツブツ言っている様子を、真樹は楽しそうに見守った。

「ああ、本当にきれいね。あんな遠くまで真っ青な海が続いているのね」
「そうだな。あの時代には、旅をするのは大変だったろうし、その度に今生の別れかもしれないって思ったんだろうね」

「え。そういう歌なの?」
「そうだよ。上京するときに、奥さんとの別れを惜しんだ歌、それに、逢えずに亡くなった人麻呂を思う彼女の歌も『万葉集』にはおさめられているんだってさ」
「そうなの。昔は、大変だったのね。100キロくらい、バイクで簡単に日帰りできる時代に生まれてよかったわね」

 そう言って無邪氣に笑う瑠水に、真樹は本当にその通りだと思って頷いた。

* * *


 また灯台までの坂道を登るのは、思いのほか骨が折れた。あの日はなんともなかった10分程度の登り坂を、真樹は30分ほどかけた。事故で上手く動かなくなった左足を引きずりながら歩いたせいでもあるが、おそらくそれだけではなかった。あの日の眩しい思い出を噛みしめていたからだろう。

 いい陽氣で、空は高い。海は凪ぎ、優しい風が吹いている。

 あの日、俺は瑠水といつまでも側に居ると、心のどこかで思っていた。成長するのは瑠水で、自分はそれを待っているだけだと思っていた。たとえ日常生活で、いくらかの物理的な距離が間に置かれても、愛車 XT500で飛ばせば、簡単にその距離を縮めることができると思っていた。

 彼は、もう消防士ではなく、「火止まる」御利益を求めて柿本神社にお詣りすることはなくなった。そして、瑠水は遠い東京にいる。遠出をするのに親の許可が必要だった高校生ではなく、自立した大人の女性としてひとり立ち、自身の人生を進めていることだろう。

 事故が起きたとき、彼の人生は終わったと思った。瑠水が彼を拒否して東京に去ったショックが、事故を引き起こした不注意の要因だったことは否めない。だが、それで彼女の人生を縛り付けることはしたくなかった。だから、彼は瑠水にはなにも知らせなかった。

 そして、本当にそれっきりになってしまった。彼女にとっては、もう終わったことなのだろう。たぶん、俺にとっても……。なのに、まだ忘れられないとは不甲斐なさ過ぎる。あの3年間に捕らえられ、失ったものを思い続ける、成長しないのは自分の方だったらしい。そう思いつつも、ここに来て思い出すのは、やはりあの日のことだ。

ただ の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(万2-225)
(直接お逢いすることはかなわないでしょう。せめて石川のあたりに雲が立ち渡っておくれ。それを見ながらあの人を偲びましょう)


 都に着いていくことのできなかった依羅娘子が人麻呂を想い嘆く歌を読んだとき、人麻呂とは違い自分には逢いに行ってやる手段も氣概もあると思っていた。まさか、自分の方が、遠く東京にいる瑠水を想い、その山が退けば彼女のいる地を望めるのではないかと願うとは考えもしなかった。しかも、相聞歌にもなりはしない、ただの未練だ。

 時代や科学技術だけでは、越えられないものがある。それは、万葉の時代も今も同じなのだ。そして、人の心もまた、千年ほどでは簡単には変わらない。

 柿本人麻呂の詠んだ石見の海を眺めながら、彼は間もなくやってくるまたしても1人の冬を思い立ち尽くした。

この道の 八十隈やそくま ごとに よろず たび かへり見すれど いやとほ に 里はさか りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひしな えて 偲ふらむ 妹がかど 見む なびけこの山(「万葉集」巻2 131 より)
この道の曲がり角、曲がり角ごとに幾度も振り返って見るけれど、いよいよ遠く、妻のいる里は離れてしまった。 いよいよ高く、山も越えて来てしまった。 妻は今頃は夏草が日差しを受けて萎(しお)れるように思い嘆いて、私を慕っているだろう。 その妻のいる家の門を遥かに見たい、なびき去れ、この山よ。



(初出:2020年10月 書き下ろし)
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バターとチョコと

バターとチョコと

もうこのブログでは、何度も話していることですけれど、わたしはバターが大好きです。それにチョコも大好きです。

なので、切らさないようにしているのですけれど、おそらく、一般的なスイス家庭と少し違うところがあります。日本だと、普段買うバターは有塩で、お菓子作りのためにわざわざ買ってくる方が無塩、というご家庭の方が多いと思うんですよ。

でも、スイスでは、バターといったら基本は無塩なのですね。で、パンにつけるときも、料理でも無塩のものを使うのです。そもそも酪農国スイスでは、冷蔵庫のなかった時代であっても、バターはできたての新鮮なものをひんやりとした地下室で保管することが可能だったので、有塩にする必要がなかったようです。

連れ合いは、3年間アフリカ横断をした経験があり、南アフリカに多くの知り合い友人がいてその生活に馴染んでいるので、あちらではごく普通だった有塩バターの味を知っていて好んでいます。そう、植民地時代のアフリカなどでは、バターは有塩でないととてもちゃんと保存できなかったようです。イギリス式(トーストとバターなど)のパン食が先に普及した日本は、たぶんこの経緯でイギリスで一般的という有塩バター派になったのかもしれませんね。

さて、日本育ちの私は、やはりどちらかというと有塩バターでパンを食べたいのです。たとえジャムやチョコと一緒でも。あ、ホテルなどで無塩バターしかついてこないときは、普通に無塩で食べますよ。

で、普通のパン(スイスのパン屋のパンはとてもおいしい)の他に、トーストパンを購入しておき、時おりトーストに有塩バターをたっぷりつけて食べたくなるのです。ジャム類は基本的に私が自分で作ったものですが、それ以外に板チョコを挟んでお手軽パン・オ・ショコラを作ることがあります。

フランス語圏と違って、いわゆるクロワッサン生地のパン・オ・ショコラは、この辺りだと見つけるのが難しいのです。あっても板チョコじゃなくて、ガナッシュ・クリームが入っているタイプのもので、私は甘みの少ない板チョコをパンと食べたいんですよ。

なので、見た目は全然違いますが、大好きな有塩バターを染みこませたトーストに板チョコを挟んで食べています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-3-

『Filigrana 金細工の心』の5回目『グラン・パルティータ』の最終回です。ライサの回想シーンは、ここまでです。

第1作『Infante 323 黄金の枷 』の「(20)船旅」で、妹のマリア視点で語られているように、充分に回復したライサは家に戻り、3か月の世界旅行に招待されました。今回の後半部分は、その船旅が終わってすでにPの街に戻ってきてからです。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -3-

 その苦悩を、今の彼は感じさせなかった。自嘲的に口の端をゆがめただけで、得ることのできない喝采も、演奏することのできなかった曲への執着をも手放し、録音されたものを観客として聴くことを受け入れていた。

 特に『グラン・パルティータ』は、彼のお氣に入りらしく、日を改めて何度もかけていた。第3曲のアダージオを聴くときに、決まって瞼を閉じてアームチェアの背にもたれかかった。その口元に優しい微笑が浮かび上がっている。ああ、本当にこの曲がお好きなんだわ……。ライサは、その彼の様子をじっと眺めた。

 レースカーテンがそよ風に揺れている。優しい木漏れ陽がアダージオに合わせたかのように、サロンに入ってきた。世界にはほかに誰もいない、2人だけでいるかのように感じた。つらいことも、苦しみも、境遇の差も、そして、過去も未来も何もない、平和で美しい時間が流れていた。

 永遠に思われた悪夢の時間を経験したからこそ、ライサにとってその至福は、なにものにも代えがたかった。愛されていると思いこみ有頂天になったかつてのライサは、相手が何を愛しどんな時間を好むかなど考えたこともなかった。相手を見つめて物言わずに座っているだけの、泣きたくなるような愛しい時間が、どれほど心を温かくするのか、ライサは生まれて初めて知った。

* * *


 ライサは、暗闇の中で窓からわずかに差し込む月光を眺めていた。彼女が目覚めてもピアノの音が響くことはもうない。サロンで、彼とドンナ・アントニアの息の合った演奏に耳を傾けることも、彼と2人でともにCDを聴くこともなかった。『ボアヴィスタ通りの館』で繰り返される、使用人たちにまるで貴婦人のように扱われた生活も、もう夢のように遠かった。

 生まれてからずっと彼女を縛り続けていた黄金の腕輪が外され、『ドラガォンの館』に勤める前まで住んでいた家に送り届けられた。《星のある子供たち》の存在も知らない、養父母とその娘マリアの住む家に。過去にあったすべてのことを口にしない新しい誓約だけが、彼女を苦しめたすべてとの訣別を約束し、かつ、わずかな名残そのものでもあった。

 ドラガォンからペドロ・ソアレスがやって来て、ドン・アルフォンソの決定を伝えたあの日、彼女はそれが何を意味するのかよく把握していなかった。養父母やマリアと再び会えるとは考えていなかったので、とても驚くと同時に嬉しかった。『ドラガォンの館』で起こったことに対する、当主ドン・アルフォンソの謝罪やそれに伴う特別措置についても、人ごとのように聞いていた。

 やがて、自分はいつまでもここにはいられないのだということに思い至った。セニョール322や、ドンナ・アントニアと違い、自分にはここで召使いに傅かれるべき理由は何もなく、充分に回復したなら出ていかなくてはならないのだと、いや、本来の職務、つまり『ドラガォンの館』の召使いとして雇われた本分を果たさねばならなかったのかと。

「本来ならば生涯外されることのない星2つの腕輪を、ドン・アルフォンソは例外として外されることを決定しました。これにより、ドラガォンとの雇用契約はもちろん、《星のある子供たち》としてのすべての制限からもあなたは自由になります。ただし、沈黙の誓約だけは生涯にわたり厳守いただきます」 

 ライサは、戸惑いながら頷いた。目の前に座るペドロ・ソアレスもまた男性であり、近くにいるだけで強い緊張ををもたらした。話を1秒でも早く終えてほしかった。養父母の家に戻る日程も、それからのことも、まるでエコーがかかったかのように遠くで響き、自分自身の人生に大きな変化が訪れていることをうまく認識できなかった。

 車に乗せられるときの優しいアントニアの抱擁も、シンチアとルシア、それにディニス・モラエスが遠くから微笑みながら別れを告げてくれた姿も記憶に残っているのに、セニョール322との別れのあいさつが思い出せない。

 開け放たれた窓から、白いレースカーテンが揺れて見えた。ヴァイオリンの音色が遠く響いた。ライサは、彼が窓辺に立ってくれることを強く望み、車窓からわずかに身を乗り出した。

 車は静かに走り出し、門が閉められた。『ボアヴィスタ通りの館』の水色の外壁が遠くなり、やがて視界から消えた。風が最後まで届けていてくれたヴァイオリンの音色も、やがて途切れた。

 養父母の家に車が乗り付けられ、妹のマリアが飛び出してきて抱きついたときも、ライサの心はまだこちら側の世界に戻ってきていなかった。朝の目覚めでピアノの響きを求め、午後のひとときや夕べの憩いにここにいるはずのない人びととの語らいを求めていた。

 それから半年近く経っても、彼女の心はまだどこかにたゆたっている。左手首の違和感はまだ消えない。もう存在しない黄金の腕輪のあった場所が、忘れ物を思い出させようとするかのように、主張している。目が覚める度に、聞こえるはずのないピアノに耳を傾け続けている。

 ライサは、月の光が戯れる窓辺を眺め、腕を交差して自らを抱きしめてベッドに座っていた。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

もう10月

今日は、どうということのないつぶやきみたいな記事です。

峠の夕暮れ

氣がつくと今年ももう3/4が終わってしまいましたね。

123456Hitの最終作品もまだ書けていない体たらくなのですけれど、すでに来年のことを考えなくてはいけない時期ではありませんか。

実をいうと、リアルの方がかなりやることが多くて、なかなか創作に熱中できない状態です。ブログを開設してから今年ほど上の空な歳はなかったように思います。現在もまだ同じ状態が続いていて、先が見えていないのでご報告はもう少しはっきりしてからにしたいと思います。来年くらいかなあ。まあ、健康にのんきにやっておりますので、ご心配なく、とだけ言っておきますね。

といいつつも、実は現在連載中の『Filigrana 金細工の心』実は見切り発車です。つまり完成していない状態で発表しています。もちろん主要シーンはすべて終わっているんですけれど、かなり空いているところがあるんですよ。ちゃんと書かないと完全な自転車操業になってしまう……。

もっとも、これが終わったら、のこりの「書く書く詐欺」は『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』と『大道芸人たち Artistas callejeros』の第2部だけなので、頑張ろうと思います。一体、何年かけているんでしょうねぇ……。これからは、もう少し慎重に物を言うようにしなきゃ……。

そういうわけで、みなさま、芸術、読書、スポーツ、食欲の秋などをそれぞれにお楽しみくださいませ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-2-

『Filigrana 金細工の心』の5回目『グラン・パルティータ』の2回目です。ライサの回想シーンは、まだ続いています。

これまで22の演奏を聴くだけだったのが、この日を境にCD鑑賞などにも同席するようになりました。今回出てきたモーツァルトの『グラン・パルティータ』は、後々再び出てくる曲です。私は、この曲を数年前まで知らなかったのですが、このストーリーの構想を立てていた頃に『クラシック100曲オムニバス』的なアルバムで聴き、使うことを思いつきました。

さて、少し長かったのですが、次回でライサの回想シーンは終了です。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -2-

 普段の彼は、昼食の後はいつも1人でヴァイオリンかピアノの練習をする。ライサは部屋に戻って本を読みながらその音に浸った。午後も遅くなると、それまで部分的に練習していた曲を通しで弾き、その後に完成している曲をいくつも弾く。ライサはその頃にそっとサロンに近づくのが常だった。ドアの近くで立っているのを察した彼に呼ばれて、彼女はピアノの正面にあるソファに腰掛ける。

 だが、その日は昼食後にすぐにサロンに行くことになった。モラエスとルシアがアームチェアの前のローテーブルにコーヒーの準備を始めた。勧められて彼女はそこに座った。彼は、ガラス棚からCDを1枚取りだしてモラエスに渡し、それから、ライサの斜め横のアームチェアに腰掛けた。

 ライサの体に強い緊張が走った。彼とここまで接近したことはまだなかった。初めて会った深夜に24と取り違えたのは、月光ではっきりと見えなかったからでもあったが、明らかに他人だと分かっていても思い出さずにいられないほど、彼は彼女にトラウマを与えた男に似ている。今のライサには、加齢による変化、感情の表し方、周りの人との関わり方の違いをはっきりと見て取れる。それでも、彼女は体は意思に反してこわばった。

 彼は、ライサの反応を見て取ったが、何も言わなかった。モラエスがかけたCDが音を立てだした。

 ピアノかヴァイオリンの曲を聴くのだと思っていたが、それは管楽器の音で始まった。ライサは、目を見開いて彼を見た。彼は、その反応の変化に満足したようで、また以前と同じような口元だけの微笑を見せた。
「セレナード第10番 変ロ長調『グラン・パルティータ』というんだ。管楽合奏曲だよ。第6版のケッヘル目録では370aだが、初版のK361で表されることの方が多い作品だ」

 彼は、目を瞑り聴いていた。彼女が『ドラガォンの館』で働いていた頃、24は甘い言葉を囁きながらいつも彼女との距離を縮めようとした。それがあの恐怖の始まりだった。けれど、いま傍らにいるもう1人の、とてもよく似たインファンテは、彼女の存在を無視しているのではないが、何かを意図して近づいてくるという印象を一切与えなかった。自分の事も、ライサのことも何も語らず、ただ『グラン・パルティータ』に没頭している彼の様子に、ライサの緊張は少しずつほぐれていった。
 
 その日から、時おりサロンで同じように彼と食後の時間を過ごすようになった。夕方に彼自身の演奏を聴かせてもらう時には、黙って聴くのみだった。演奏後に彼と交わす会話も短く、曲目や作曲者の意図以外のことを話すことはなかった。だが、食後の時間は、性質が違う。彼が選ぶ曲は、ヴァイオリンやピアノが主役となる曲ばかりではなかった。たとえば管弦楽曲のように。

「ピアノやヴァイオリンの曲よりも、管弦楽の曲がお好きなんですか?」
ライサが聴くと、彼は「どちらも好きさ」と言ってからわずかに自嘲的な笑みを見せた。
「ただ、こちらは破れし夢へのノスタルジーというところかな」
「破れし夢?」

 彼は、CDのジャケットを見ながら言った。
「聴くだけでなく、演奏してみたい。その想いはピアノとヴァイオリンに留まらなかった。だが、1人で弾ける曲には限りがある。20代のはじめに、シューベルトの『ます』の5重奏に挑戦したことがある。ヴィオラとチェロまでは、なんとかそれらしく弾けるようになったので、パートごとに録音して合わせてみた。だが、上手くいかなかったんだ」

「どうしてですか?」
「演奏というのは、メトロノームのように、正確に速さを刻んでするものではないんだ。何人かが同時に息を合わせてこそ合奏が成り立つ。だが、私は5人に別れることはできないんだ」

 彼は、インファンテだった。Pの街の中で演奏家たちと合奏することも、不特定多数の人間と知り合いになることも許されていなかった。金銭的には、どんな贅沢でも要求できたが、それでも、世間的には『存在しない者』として生きる他はなかった。

「今は、だいぶマシになった。ピアノの2重奏も可能になり、ヴァイオリン・ソナタで伴奏をしてもらうこともできるようになった」 
ドンナ・アントニアのことだろうと、ライサは思った。

 かつて彼には、伴奏者も、観客もいなかったのだろう。心を揺さぶる美しいメロディーも、情熱ほとばしる弓遣いも、虚空に消えていただけだと思うと、ライサの心は痛んだ。彼女にとって苦しみしかなかったあの鉄格子で閉ざされた空間に、彼もまた閉じ込められていたのだ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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K. 361 Mozart Serenade No. 10 in B-flat major, III Adagio
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Posted by 八少女 夕

醤油麹入りかえし

今週も食いしん坊の話です。

醤油麹とかえし、作成中

美味しい料理を作る秘訣って、腕ももちろん関係しているのですけれど、食材もとても大事な要素だと思うのですよ。でも、何をどう買うのかはポリシーやら、家計やらとの兼ね合で、いつでも最高のものが手に入るとは限りません。

たとえば私は、食肉、卵、乳性などは極力スイス産のものを買います。EU産の方が安いんですけれど、生産方法が若干動物虐待に近かったり、食の安全性が調べきれなかったりするので、とりあえずスイス産を大前提にしています。すると、とくに肉は、メチャクチャ高くなるんですよ。なので、ステーキやらフィレ肉などはめったに買えない……つまり調理方法での工夫が試されるというわけです。

もともと肉の(野菜もだけれど)味や食感は、日本の企業努力には遠く及ばないので、下処理に時間を掛けます。筋切りしたり、塩や白ワインを揉み込んで寝かせたり、というような一連の手順です。

そして、調味料の方にもけっこう手を掛けて、でも普段の調理には時間がかからないように工夫しているのです。

食材も大事だけれど、調味料の良し悪しって、料理のできにものすごく影響するので、ヨーロッパ産の調味料は可能な限りいいものを用意しています。もちろん、最高級オリーブオイルで揚げ物なんてできないので、使い分けますよ。でも、たとえばお酢などは通常は大量に使うものでもないので、汎用性がありさらにとても美味しくなるホワイトバルサミコ酢を普段使いにしています。

さて、アジア系の味付け(ヨーロッパ風の味付けの隠し味も)で不可欠なのがお醤油なのですけれど、これが問題です。ごま油は、機会があったら都会でお高いのを購入することもしますけれど、お醤油くらいよく使う調味料はそういうわけにはいきません。日本のようにワンランク上のお醤油でもそこら辺のスーパーで手に入る、もしくは通販で買えるならいいのですけれど、ここではそういうわけにはいかないのです。

で、私は、「醤油麹入りかえし」を作って対応しています。やっと本題にたどり着いた……。

「かえし」はご存じのように、「麺つゆのもと」みたいなものです。「かえし」1に対して出汁を3〜4入れると麺つゆになるそうで。で、かえしの原料となる醤油は、スイスのどこでも買えるキッコーマンのごく普通のお醤油でもいいのですけれど、私はもう少し旨味がほしいので醤油麹を混ぜているのです。

醤油麹ももちろん自分で作ります。乾燥麹を一時帰国の時に持ち帰ります。そして、1年に1度くらい仕込むのです。ひたひたになる状態で常温に置き、毎日かき混ぜながら1週間くらい経つと、とてもいい香りがしてきます。もろみのような状態になるのですが、それだと使いにくいので、私は最後にブレンダーで滑らかな半液体ペーストにして保存します。この醤油麹を、かえしづくりで利用するのですね。

かえしを作るには、本来は日本酒やみりんが必要なのですけれど、醤油、白ワイン、砂糖、メープルシロップを混ぜて作ることができます。醤油130cc、醤油麹70cc、白ワイン100cc、メープルシロップ大さじ2、砂糖(私はきび砂糖)大さじ1を中火くらいで熱し、沸騰寸前で止め、瓶に詰めます。上の写真のメープルシロップの空き瓶にちょうどおさまる量になります。埃や虫が入らないようにお茶パックなどでカバーして、1週間くらい寝かせます。それで出来上がり。その後は、普通に蓋をして冷蔵します。

かえしも、醤油麹も、日本だと作成中の腐敗に氣をつけなくてはならないので冷蔵庫で作るもののようですが、私はよくチェックをしながら涼しい時期に常温で作成します。

基本的にレシピに「醤油」だけがあるときも、「醤油とみりん」とあるときも、このかえしで代用します。その他、肉を焼いて、バターとかえしで味付けしても美味しいし、たとえばブラウンソースなどの旨味を増すのにも使います。醤油だけだと、少し塩けが尖っているのですけれど、このかえしだととてもまろやかな味わいになるのです。

写真は、同時に作っていますが、最後の醤油麹をかえし作成で使ったので、同時に醤油麹を仕込んでいる状態で、ふだんは醤油麹が切れたら、それだけ作るんです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-1-

『Filigrana 金細工の心』の5回目です。

まだ「(2)悪夢」で始まったライサの回想シーン、まだ続いています。最初の構想では、このライサの回想は、もっと後に出すつもりだったのですが、むしろこの方が事情がはっきりするのと、前作とのつながりが強いのでこうなりました。長いので切ったんですけれど、サブタイトルの曲、モーツァルトの『グラン・パルティータ』は、まだ出てきませんね。



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あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -1-

 1ヶ月ほどの間に、彼女は、ドアを離れて彼が奨めるソファに座ることができるようになった。食事の時にも、怯えてカトラリーを取り落とすこともなくなった。彼は彼女が1つひとつの段階を経ていくのに満足し、まずは皮肉に満ちた微笑を、それから少しずつ優しい笑顔を見せるようになった。その表情の変化は、ライサの彼に対する忠誠と思慕に拍車をかけた。

 逃げ惑いながら、ピアノの音を目指して走る目覚め以外に、まるで夢を見ていなかったかのように心地よく目覚めることもあった。そんな時でも、音色は常に彼女を光に導いてくれた。彼は、朝食前には練習中の曲ではなく完成し弾き慣れた曲だけを演奏する習慣があった。数日前に耳にして、彼女が特に好きだと口にした曲を、改めて弾いてくれることもあった。

 そんな時に、彼女は急いで起き上がり、シンチアたちの助けを借りずに洗面所へ向かい、急いで身支度をした。朝食の席に行き、彼とドンナ・アントニアのいる、明るい窓辺の席に座ることを思うと心が躍るのだ。

 まだ、うまく自分を表現することができず、俯きがちながらも、ライサの表情から怯えや恐怖が薄れ、信頼と安堵が戻ってきていることをアントニアは喜んだ。彼女は、ライサを刺激しないように、『ドラガォンの館』の話は一切しなかった。聞きたくない男のこと、思い出させるあの場所のことを、ライサは聞かずに済んだ。

 過去にあったすべてと、ライサは切り離されていた。それ以外の人生などなかったかのように、『ボアヴィスタ通りの館』の暮らしだけが、彼女を包んでいた。

 アントニアは、朝食が終わるとどこかに行くことが多かった。そんな時は、彼女は快活に言った。
「また後で会いましょう、ライサ」

 同じ言葉と笑顔が、彼女を安心させた。午前中は、シンチアやルシアの仕事を見ながら過ごしたり、アントニアが用意してくれた本などを読んで過ごすことが多かった。アントニアが戻らないときは、彼と2人で昼食を取る。彼は口数が少なく、アントニアのようにライサの答えやすい話題を振るような努力はしなかった。けれど、ワインの好みを訊いたり、アントニアの渡した本の内容に触れたり、ごく自然に会話をするようになった。

「メウ・セニョール。今朝の曲について教えてくださいませんか」
ライサの問いに、彼はわずかに笑って答えた。
「あれはモーツァルトだよ。ピアノソナタ ハ長調K545 だ。おそらくクラッシック音楽に全く興味がなくても1度はどこかできいたことがあるだろうな」

 その通りで、コンサートなどに行ったことがないライサでも、珍しくよく知っている曲だった。
「K545って、何を表す番号ですか?」

「ああ、ケッヘル番号といってね。モーツァルトの作品を、作曲された順に整理してつけた認識番号だ。19世紀のオーストリア生まれの音楽学者ケッヘルが作品の散逸を防ぐために整理したんだ。当時は、作曲者が自分で通し番号をつけるという概念そのものがなくてね。寡作な作曲者なら演奏記録などで後からでも調べられるだろうが、モーツァルトは多作だったから、後少しでも遅ければ、目録作りは不可能だったろうね」

「じゃあ、あの曲は545曲目なんですね」
「いや、そうではないだろうな。後の研究によってケッヘル番号は何度か改訂されていてね。たとえば最初のK1とした作品の前に後ほど4曲ほどみつかったので、K1a,、K1b、という具合に補助アルファベットをつけて表示することになった。それに、後から偽作だったことが分かった曲もみつかったので、ケッヘル番号だけで何曲目と判断することは難しいだろうな」

 それから、口の端だけで微かに笑うと言った。
「同じことを訊くんだな」

「え?」
ライサは、彼がどこか遠くを見るような目つきをしていることに氣がついた。だが、それは一瞬のことで、すぐに彼はそばに控えているモラエスに合図をした。

「はい。メウ・セニョール」
「今日のコーヒーは、サロンの方に運んでくれ」
「かしこまりました。デザートもそちらにお持ちしますか」
「いや。それはここでいい」

 モラエスは、ルシアに合図をし、彼女は2つのナタス・ド・セウを運んできた。
「ええと、確かこちらが……」
そういいながら、自信なさげにルシアは1つのグラスをライサの前に置いた。もう1つのグラスを前に、彼はルシアにいつものように礼を言った。同じデザートなのに、なぜルシアはあんなことを言ったのだろう。ライサは不思議に思った。

 ひと口スプーンを口に入れて、ライサは驚いた。この館で出されるデザートはいつもとても美味しいのだが、今日のデザートは衝撃的に甘かった。砂糖の量を間違えたのかと思うほどだ。思わず、彼の方を見ると、若干不思議そうにグラスを眺めていたが、何も言わずにそのままデザートを食べていた。

 ライサは、ルシアが置くべきデザートをとり違えたのだと思った。おそらく彼が食べるデザートだけが、通常のものより甘いのだ。彼女は、なんとか最後までそのデザートを食べ終えた。普段よりもずっとコーヒーが恋しかった。

「サロンに来なさい。コーヒーを飲みながら、モーツァルトを聴こう」
彼は立ち上がった。ライサは、コーヒーと聞いて迷わずそれに従った。
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