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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


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「霧の彼方から」を読む 『Usurpador 簒奪者』を読む 「Infante 323 黄金の枷」を読む 『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む

Posted by 八少女 夕

【小説】お菓子天国をゆく

scriviamo!


「scriviamo! 2020」の第一弾です。ユズキさんは、プランBでご参加くださいました。ありがとうございます! プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

ユズキさんは、小説の一次創作やオリジナルのコミックを発表、それにイラストライターとしても活躍なさっているブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『片翼の召喚士-ReWork-』の続編『片翼の召喚士-sequel-』、そして『アストリッド様と「行くわよ愉快な下僕たち!」』などを連載中です。そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストも描いてくださっています。

 今回はプランBで完全お任せということでしたので、どうしようかなあと悩みました。アスト様の世界も好きなのですけれど、まだ世界観をちゃんとわかっていないですし、(あ、アルケラの世界もちゃんと読み込めているかというとかなり不安ですけれど)、勝手にコラボはやはり何回かしていただいている皆さんにお願いしようかなと……。

今回メインでお借りしたのは、愛くるしいフロちゃんですが、仔犬ではなくて神様です。うちのレネが相変わらずぼーっとなっている【ALCHERA-片翼の召喚士-】世界のヒロイン、キュッリッキ嬢を護るために地上にいらしているのですけれど、おやつに目がないところがツボで、うちの甘い物好きと共演させたくなってしまったのです。ユズキさん、勝手なことを書きまして失礼しました。リッキーさんたちの活躍の舞台はこの惑星じゃないんですけれど、うちの連中のスペックが低過ぎてそちらに伺えないので、無理矢理ポルトガルに来ていただきました。


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物



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大道芸人たち・外伝
お菓子天国をゆく
——Special thanks to Yuzuki san


 春のポルトガルは雨が多い。大道芸にはあまり向かないのだが、大道芸の祭典『La fiesta de los artistas callejeros』の準備で来たので、今回の渡航目的のメインではない。余った時間に偶然晴れていて稼げたら儲けもの程度の心づもりでやって来た。

 思いのほか珍しくよく晴れて今日は十分稼げたので満足だった。マグノリアの紫の花が満開になっていて、青空によく映える。白と青のタイル、アズレージョで飾られた教会の前には、若葉が萌え立つ街路樹が楽しそうにそよいでいた。

 稔は、街中の楽器店を回って、ようやく目当ての弦を見つけた。ギターラと呼ばれるポルトガルギターの弦ではないので、ポルトガル以外でも買えるのだが、これからミュンヘンに戻るまでは大きな都市に滞在しないので、できれば入手しておきたかった。途上でもかなり激しく弾くから、また切れるなんて事もあるしな。それに、ずいぶん安かったのは、有難いよな。そんな独り言を呟きつつ坂を下った。

 さてと。ブラン・ベックたちを拾って行かなきゃ。稔は、通りの洋服屋や靴屋は存在を無視し、土産物屋を覗くこともせずに、ショーウィンドウに菓子がズラリと並んでいるパステラリアのみをチェックした。ポルトガルでコーヒーを飲もうとする地元民は、カフェまたはパステラリアに行く。違いはパンや菓子などを売っているかどうかだ。パステラリアは「お菓子の博覧会」状態で、ポルトガル人の愛する卵黄を使ったお菓子のために全体的に黄色く見える。

 三軒目の入り口近くに、ニコニコ笑いながら菓子を選んでいるレネがいた。稔がガラスの扉を開けて中に入ると、太った店員がレネの言葉に従い茶色の袋に次から次へと菓子を放り込んでいる。ブラン・ベック、どんだけ食うんだよ。それ一個でも、めちゃくちゃ甘いぞ。

 稔に氣付いたレネは、すこし照れたように笑ったが、指示はまだ続いた。抱えるほどの大きさになったところで、ようやく会計するように頼んだ。

 稔は奥を覗いたが、他のメンバーは見当たらない。
「あれ。お蝶とテデスコは?」
「先に行って飲んでいるそうです」

 四人は小さなアパートを借りて滞在し、夜はいつも通り宴会をする予定だ。甘い物に興味があるのはレネだけなので、スイーツ選びに飽きて帰ってしまったのだろう。

「こんなにどうすんだよ。そんなに食えないだろ。酒に合わせるならタパスにすりゃあいいのに」

 レネは人差し指を振ってウィンクした。
「ヤスが教えてくれたんじゃないですか。お菓子は別腹です」

 お菓子は別腹という、謎の言い草は日本でしか市民権を得ていないのだが、レネの心にはヒットしたらしい。確かに彼はいくらご飯でお腹いっぱいになっても、スイーツは無限に食べられる特異な胃袋の持ち主だった。

 ポルトガルは、甘い物に目のないレネにとっては、天国のような国だ。パステラリアのショーケースは、彼にとって宝石箱のように見えるらしい。洗練されたディスプレイではない上、日本のケーキ屋のように見かけには凝っていないし、それぞれの名前も書いていない。店員も日本のケーキ屋の恭しい接客はしないが、ポルトガル語が堪能でなくても欲しいものを指さして手軽に買うことができる。

 マカオでエッグタルトとして有名になったパステル・デ・ナタはもちろん、シントラ名物のケイジャーダ、ライスケーキの一種ボロ・デ・アロース、ココナツで飾ったパン・デ・デウス、豆を使ったパステル・デ・フェイジャオン。ドイツで有名なベルリナーの黄味餡バージョンのボラ・デ・ベルリン。稔にわかるのはそのあたりだ。

 レネの知識は、さらにそれを凌駕していた。次々と未知の菓子を解説してくれる。
「名前がいいんですよ。ミモス・デ・フェイラは《修道女の甘やかし》。ケイジーニョス・ド・セウは《天国のミニチーズケーキ》、トラオン・レアルは《ロイヤルクッキー》、こっちは《黄味あん入りの宝箱》」

「お前、いつそんなにポルトガル語に詳しくなったんだよ」
「お菓子の名前しかわからないんですけれどね」

「俺もなんか買おうかな」
稔は、ショーケースを見回してから、甘みの少なそうな黒い菓子を一切れだけ買った。
「なんだろ、これ」

「《チョコレートのサラミ》って言うんですよ。ビスケットの欠片を少し柔らかめのダークチョコで固めてあるんですよね。美味しいですよ」
「ふ、ふーん」

 ようやく会計を終えて帰ることにした。レネは大領の菓子の入った袋を抱えているので、稔が扉を開けてやる。

 通りの向こうを白い長衣を着た男性と、空色のドレスを着たカップルが歩いて行くのが見えた。外国人を見慣れている稔でも凝視せずにいられないほど、美男美女だ。後ろを白い仔犬と黒い仔犬がとことこと付いていく。

 二人が仲睦まじく話している声が届いた。
「ねえ。メルヴィン。その教会の尖塔に昇ってみたいの」
「ああ、上からは街が隅々まで見渡せるでしょうね。エレベーターはないから、階段をかなり昇らなくてはなりませんが、大丈夫ですか?」

 レネは、ぼーっとその美少女に見とれていた。
「おい、ブラン・ベック。またかよ。めちゃくちゃ綺麗な子だけどさ。どう考えても、相思相愛のカップルだぜ」

 レネは抗議するように振り向いた。
「違いますよ。もちろん、綺麗だなあって見とれましたけど、それだけじゃないですよ。ほら、僕たち、あの女の子に一度逢ったことあるなって」

「どこで」
「モン・サン・ミッシェルで。ほら、見てくださいよ、二人の後ろにいるあの白い仔犬……ヴィルがしばらく連れていた迷い犬……」

 稔は首を振って遮った。
「おいおい。お前、大丈夫か? 飼い主の女の子までは憶えていないけど、あの白いのは、たしかにあの時の仔犬にそっくりだよ。だけどさ。あれから何年経っているんだよ。ずっと仔犬のままのはずないだろう」
「そうですよね。確かに……。それに、今度は二匹だし」

 そう言った後に、レネは首を傾げた。
「だったんですけれど……もう一匹、どこに行ったんだろう?」

 通りの向こう、目立つ美貌のカップルが教会の尖塔を見上げている足下には、かつてあのヴィルが珍しくかわいがった仔犬とそっくりな白い仔犬が座っている。だが、つい数秒前に一緒にいた黒い仔犬はいない。

 稔が、レネの肩を指でつんつんと叩いた。見るともう一つの指はレネの足下を示している。目で追うと、そこには……。
「ええっ!」

 飛び上がった、足下には青いつぶらな瞳を輝かせて、黒い仔犬が座っていた。親しみ深い口元を開けて、ちょこんと座る姿は実に愛らしい。かつてモン・サン・ミッシェル、ヴィルが肩に載せていた白い仔犬と較べると、ずいぶんと丸々としているし、いかにも何かを期待している様子も大きく違う。

前足をレネのに置き、催促するように布地を引っ張った。
「え?」

 黒い仔犬が期待を込めて見つめる視線の先は、お菓子のあふれている紙袋のようだ。
「もしかして、お菓子が食べたいとか? まさかね」

「わざわざお前のところに来たって事は、そうかもしれないぞ。こんなに菓子買っているヤツ、他にはいないもんな」
そう言って、稔は自分の買った《チョコレートのサラミ》をパクパク食べた。

 黒い仔犬は「どうして僕にくれないの」とでも言いたげに、稔の足下に移動してぐるぐると動いた。
「お。悪い。でも、これはダメだよ。犬にはチョコは毒だろ?」

 仔犬は不満げに見上げていたが、さっさと切り替えてまたレネを見上げた。
「仕方ないですね。どれがいいかな」
レネがしゃがんで、お菓子の袋を開け、選ぼうとした。すると、黒い仔犬はまっすぐに袋に顔を突っ込んで食べ出した。

「ええっ! ちょっと、それは!」
ほんの一瞬のことだった。仔犬の頭は袋の中にすっぽりとハマり、躊躇せずに食べている音だけが聞こえる。

 二人ともあっけにとられていると、後ろから短い鳴き声がした。仔犬と言うよりは狼の遠吠えのようだ。いつの間にか白い方の仔犬が、レネたちの足下に来ている。

 黒い仔犬は、ぴたっと食べるのを止めた。白い仔犬は、黒い仔犬の尻尾を口にくわえて引っ張り、紙袋から頭を出させた。黒い仔犬の口元は、ありとあらゆるお菓子の破片がベッタリついている。黄味餡、アーモンド、ココナツラペ、ケーキの欠片。

「フローズヴィトニル! なにしてるの?!」
「申し訳ありません。もしかして、あなたのお菓子を食べてしまったのでは」
道の向こうにいた二人が、なにが起こったかを察して慌ててこちらに走ってきた。当の黒い仔犬は可愛い舌をペロリと見せて、愛くるしく一同を見上げる。

「いや、いいんです。それより、勝手にお菓子をあげてしまったりして、大丈夫でしょうか……」
レネがもじもじと、二人に答えている。

 稔は、またブラン・ベックのビョーキかよと呆れながら傍観することにした。黒い仔犬はどうやら白い仔犬に叱られているようだ。って、そんな風に見えるだけかもしれないけどさ。

「ごめんなさいなの。この子、ウチでいつもケーキとか食べさせてもらっているので、遠慮なく食べちゃって」
「弁償させていただきたいのですが、このくらいで足りますでしょうか」
背の高い青年もそつのない態度で頭を下げ、財布から何枚ものお札を取り出した。

「とんでもない。ポルトガルのお菓子はとてもリーズナブルですから、そんなにしません」
レネは、感謝して、20ユーロ札を一枚だけ受け取った。

 もう一度同じお菓子を買うために、レネがパステラリアへ足を向けると、黒い仔犬は当然のように自分も入ろうとしたので、二人と白い仔犬に止められた。稔は堪えきれなくなって爆笑した。なんなんだよ、この食い意地の張ったワンコは。

 でも、ブラン・ベックにとっても、この黒ちゃんにとっても、ここがお菓子天国なのは間違いないな。右も左もパステラリアだらけだし、十分楽しむがいいや。

 レネから譲り受けたかつてお菓子の入っていた袋にまた頭を突っ込んで残りのお菓子を平らげる黒い仔犬は、わかっているよと言いたげに、小さな尻尾を振って見せた。

(初出:2020年1月 書き下ろし)
関連記事 (Category: scriviamo! 2020)
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Category : scriviamo! 2020
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(1)み旨の天に行われるごとく

前書きでも書きましたが、今年の『十二ヶ月の●●』はクリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作の形を取ります。また例年と違い、連番は発表する月とは関係なく、単純にアルバムの曲順です。

第一曲は『Baba Yetu』使われている言語はスワヒリ語(ケニアの公用語)です。


『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を始めから読む




心の黎明をめぐるあれこれ
(1)み旨の天に行われるごとく
 related to “Baba Yetu”


 1996年、私は正社員として勤めていた百貨店を退職し、ケニアへと旅立った。特にはっきりとした計画がなかったにもかかわらず、私はそれを無謀だとは思っていなかった。当時、バブルはとっくにはじけていたけれど、日本社会にはまだ今ほどの閉塞感はなかったし、戻ってきてからも何らかの形で食べていくことは可能だろうと、妙に楽観的な感覚を持っていた。

 当時の私は、生き方に迷っていた。といっても、若きウェルテルのように真剣に悩んでいたわけではなく、むしろ「どことない違和感を持て余している」程度のつかみ所のない迷い方をしていた。「これこそが私の生きる道」とわかっている人は、その道に至る方向転換をしてズンズン進んでいけばいいだけだが、「ここではないように思う」という迷い方をしていると、どちらに向かって歩み出せばいいのかわからない。

 そんな時に出会ったいくつかの書籍は、私の進むべき道を照らしているように思った。実際には具体的に示していたわけではなかったが、後から考えると今思う「これでいいのかもしれない」道にそのいくつかの書籍は最短距離で導いてくれたように思う。

 そう思うに至った不思議な符号のいくつかをここで説明していると、いつまで経っても本題に入れないので、それはまたいつか別の機会で書くことにする。

 ともあれ、私のアフリカ行きの水先案内人となったのは、当時夢中になっていた科学者ライアル・ワトソンの著作だった。彼が「科学の淡い淵ソフトエッジ 」と表現した不思議な事々は、おそらく今のネット社会では「エセ科学」のひと言で片付けられるものかもしれない、もしくはオカルトの領域に押し込められることかもしれない。

 けれど、その彼の思想は、私の中のこの世界に対する違和感に大きな指針を与えてくれた。私の生き方や考え方、何かを選び取るときの基準、それに世界との接し方の根本に彼の思想や示してくれた事柄が影響している。

 私がアフリカに旅発ったのは、たぶん彼の思想を体感したかったからだ。それもお膳立てされた体験スクールという安全で楽な方法で。実際には、その滞在期間に経験したことよりも、その後に自分自身で経験したことの方がずっと彼の思想の理解に役立った。

 その体験スクールでは、マサイマラ国立公園とアンボセリ国立公園に合わせて一ヶ月ほど滞在した。そして、その後に一人で三週間ほどアフリカ大陸を旅して回った。

 最初に学んだのは、精神世界がどうのこうのというレベルではなく、彼の地では日本で馴染んでいた生活や考え方が全く通用しないことだった。日本がどうとか、海外がどうとか語る以前に、私は無能な井の中の蛙だったのだ。

 大学名や、どこに住んでいるか、いわゆる常識と思っていた考え方と行動様式は、東京を離れると同時に全く役に立たなくなり、私はろくに意思疎通もできず、平べったい顔をした手に職もなく肉体的能力も劣ったつまらない女でしかなかった。

 ところでそのスクーリングでは、常駐しているはずの「通訳」がその役目を果たせないことが明らかになった。私もまた、一度も海外で暮らしたことのない多くの日本人同様、学校では何年も学んだくせに全く話せないレベルでありながら、日々英語で意思疎通を図る必要に迫られた。その時の「意思を伝え合うために」する根本的な努力は、その後に出会った多くの人びととの相互理解に大いに役立った。

 時には日本人の講師がやって来たり、片言の日本語の話せるケニア人スタッフもいて、その助けもあって馴染んだこともあり、受け身だった参加者は徐々に主体的に学ぶ姿勢を身につけていった。そもそも全てが新しい体験だった。未知の土地を知り、別の民族に属する人と出会い、食べたことのなかったものを食べ、全く違う価値観に触れた。

 レストランではなくて、スタッフの住居区画に案内されて、ベランダで山羊をまるごと焼くパーティをしてもらったこともある。焦げて塩の味しかしないニャマチョマと味の薄いウガリには、レストランで見かけた数匹程度ではなく大量のハエがたかっていた。が、私たちのために大がかりな準備をしてくれたことを思い、キクユ族の青年に感謝して食べた。

 アフリカで、「普通なら」の「普通」が、日本以外では通用しないことを知った。

 レストランに数匹のハエがいたと騒いでも意味がない。高級ホテルというのは「電気や水が潤沢にある場所」ではない。「従業員はお客様にたいする礼儀をわきまえるべき」と考えている人たちがどこにでもいるわけではない。

 水や電気が途絶え、紙幣が価値を失い、誠実さや努力と誤魔化しや欺瞞が同居することを理解し、一人で上手くやっていくことは不可能だと痛感した。

 お金があっても、何かを売っている場所がなければ欲しいものを買うことはできない。その一方で道ばたに生えている雑草が、私たちがスーパーマーケットで購入するしかない日用品の代わりに使われていることも、自分と世界の関わりを深く考えるきっかけになった。

 限りある資源を有用に活用しているのはどの社会だろうか。何をもって私たちは「上の」または「下の」と文明や社会を評価しているのだろうか。そんなことをよく考えた。

 遊んだり学んだりする以前に働かなくてはいけない境遇に属する幼い子供も珍しくない。両親をHIVで失った少女は、赤子の子供を背負って10キロ先の小学校への往復をし、その後に祖母を手伝い煮炊きをしていた。

 サバンナの真ん中では、トムソンガゼルが目の前で出産をはじめた。もしその数十分の間に肉食動物がやってくれば親子共に終わりだという瞬間を見守った。彼らを保護することは許されない。

 愛らしい生き物だけに生きる権利があるわけではない。アニメーション映画ではずるい悪役である生き物もまた、同じ大地で平等に生と死の営みを繰り返しているだけだ。

 同様に、ティッシュを無限に使い散らし、水を無駄に垂れ流しながら語る環境問題も、愛らしい動物だけに寄付金を贈る野生動物保護もまた偽善か自己満足でしかないという現実にも向き合った。

 世界は広く、人間は霊長でも何でもなく、技術は自然に打ち勝つことはできず、文明の定義は曖昧だった。

 彼の地で、私は自分にとっての信仰の意味を感じるようになった。そう、頭で考えるのではなく、肌で感じたのだ。

 私はカトリックの家庭で育ち、少なくとも小学校の四五年生くらいまでは、信仰に全く疑いを持っていなかった。けれど、子供たちがサンタクロースの存在に疑問を持つように、大きくなりある種の知恵が増えてくるに従い、子供の頃に信じていたような形の信仰は姿を消していった。歴史を学び、免罪符に象徴される腐敗の話や、血なまぐさい争いの歴史を知り、神の名の下に行われた多くの殺戮のことを知り、自らがいくら告解しても追いつかないほどの罪を重ね、他の多くの宗教のことを知り、宗教はどちらかというと一種の文化のように解釈して自分の良心との折り合いをつけていた。

 子供の頃、聖書と共に教えられた「主の祈り」は、権威があり絶対的な祈りだったが、私の中に実感として息づいていたわけではなかった。

天にまします我らの父よ 
願わくばはみ名の尊まれんことを み国の来たらんことを
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを
我らの日用の糧を 今日我らに与えたまえ
我らが人に許すごとく 我らの罪を許したまえ
我らを試みに引きたまわざれ 我らを悪より救いたまえ


 ケニアは、イスラム教の影響が強く、街の至る所にアラビア文字が見える。スワヒリ語の語彙の多くにアラビア語からの借用が見えるほどその影響は強い。だから、はじめて「Baba Yetu」を聴き、この歌がキリスト教の「主の祈り」だと知ったときには小さな違和感があった。この作曲者は、どうして主の祈りをわざわざスワヒリ語で歌わせて、ゲームの主題歌にしたのだろうと。

 けれど、私自身のアフリカでの体験と重ねてこの曲を聴くと、この組み合わせはラテン語で歌わせるよりもずっと魂に訴えかけるように思う。少なくとも、アフリカの地では一度も教会にあたるところに行かなかったにもかかわらず、私はいつも日本では感じたこともなかった謙虚な想い、帰依としか表現しようのない想いを持っていた。

 それは、アフリカで見たこと感じたことの多くが、技術や文明や人間の意思ではどうにもならないことだったからではないかと推測している。

 ケニアを舞台にした小説『郷愁の丘』では、宗教観を感じさせる記述は極力避けて書いたのだが、それでも主人公がサバンナのもっとも印象的な光景に出会ったときの記述には、感覚が信仰に近づく曖昧な瞬間をひと言だけ紛れ込ませた。

 快適な部屋の中でスクリーンに向かってゲームをしながら、スワヒリ語の『主の祈り』を聴いても、何かが変わるほどの強烈な感情や思想の変革は起こらないだろう。リセットすることもできず、課金することもできない世界で、残酷とも思える生と死の営みを他人事ではなく目撃し、自らの小ささを痛感することは、ゲームを楽しむこととは全く相容れないのだから。

 アフリカに行かなければ、感じることのできない世界だと言うつもりはない。反対に言えば、アフリカに行っても、その様な心境に至らない人も多いだろう。単純に、私にとって、スワヒリ語と『主の祈り』の組み合わせがちょうど過去の体験と重なっただけだ。
 
 もしかしたら、はるか昔、水道も電気も一般家庭に届いて折らず、抗生物質も健康保険も存在していなかった頃、もちろん魔法やチート設定なども存在しない頃には、祈りは今よりもずっと意味のある行為だったのかもしれない。


(初出:2020年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


『Calling All Dawns』(1)Baba Yetuの歌詞 英訳可能



【さらに追記】
やはりこの曲だけはこっちの方が好きなので、貼り付けておきます。

Baba Yetu (The Lord's Prayer in Swahili)-Alex Boyé, BYU Men's Chorus & Philharmonic; Christopher Tin
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Tag : エッセイ

Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ 前書き

 毎年書いている『十二ヶ月の●●』シリーズは、テーマを決めての短編集でしたが、今年は趣向を変えてエッセイを書いてみることにしました。「野菜」や「アクセサリー」といったテーマに沿って書いた小説群を踏襲することも考えたのですが、昨年であった一つの音楽アルバムに沿って、私の人生哲学をゆるく辿ることにしました。

 そのアルバムとは、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』です。

 もともとゲームの主題歌として作曲された第一曲"BABA YETU”を含めた十二の言語と文化で昼から夜、そして夜明けまでを表現していく時間と思想の旅のようなアルバムで、ゲーム音楽としてははじめてのグラミー賞も取っています。

 とはいえ、ゲームにはとことん疎い私ですのでリアルタイムでは全く知りませんでしたし、『Civilization』というゲームがどれほどプレイされているのかも知りませんでした。すみません。

 そもそも”BABA YETU”もオリジナルではなくて、アレックス・ボエの歌うカバーバージョンの方を先に買ったくらいですし。そう、「郷愁の丘」でアフリカシーンを書くときにBGMにしていたんですね。

 アルバム『Calling All Dawns』を買うきっかけとなったのは、2曲目の「窓から見える」でした。実は、南アフリカ共和国のラジオチャンネルで、この曲が流れたんですよ。「日本語だ!」と驚いて調べたら、このアルバムにたどり着いたというわけです。そして、四曲目を歌っているのが私の大好きなポルトガル人歌手ドゥルス・ポンテスだと氣付いた時点で、 iTunesストアでアルバム全体をダウンロードして買いました。

 そして、聴いているうちにそれぞれの歌詞の意味が知りたくなり、知れば知るほど内容に惹かれ、ずるずるとこのアルバムの虜になったというわけです。

 という個人的な事情はさておき、スワヒリ語、日本語、中国語、ポルトガル語、フランス語、ラテン語、アイルランド語、ポーランド語、ヘブライ語、ペルシャ語、サンスクリット語、そしてマオリ語と、選ばれた十二の言語は、私が人生の中で興味を持った文化権とほぼ一致(ケチュア語がないのは残念だけれど)していました。そして、その歌詞の(選ばれた思想の)深いこと。

 一度は、記事で普通に触れようかと思ったのですけれど、それだけでは伝わらないなと思い、せっかくなのでエッセイ集として一つの作品にし、私の脳内を旅してみることにしました。

「心の黎明をめぐるあれこれ」月に一度の更新ですが、よろしくお願いします。

『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む

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Posted by 八少女 夕

【小説】Usurpador 簒奪者(1)誰もいない海

今年最初の小説は、予告したように『Usurpador 簒奪者』の第一回です。新年には特に相応しくない、暗い始まりなのですが、この小説、ずっとこのまま暗いかも……。

前作『Infante 323 黄金の枷 』を読んでくださった方は混乱するかもしれませんが、この話はおよそ30年くらい前の話がメインです。時々時間軸が動いたりします。一応、連載として連番が打ってありますが、実際はそれぞれが別の外伝に近い書き方をしてあります。



『Usurpador 簒奪者』を読む「Usurpador 簒奪者」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Usurpador 簒奪者(1)誰もいない海

 大統領の秘書は最敬礼して帰って行った。ポサーダであるフレイショ宮殿ホテルの貸し切られた一室で、静かにコーヒーを飲み終えたマヌエラは、同席していたジョアン・ソアレスに頷いた。彼は立ち上がると携帯電話で運転手のヌエスに表に車を回すように告げた。

「お疲れさまでした。その……失礼ながら、感服いたしました」
ソアレスは、口ごもった。

「何がですか」
マヌエラは、黒服の男を見やった。彼は、つい数ヶ月前まで彼女の上司であったドラガォンの執事バジリオ・ソアレスの実弟で、《監視人たち》中枢組織の中でも最高幹部にあたる存在だった。大統領の筆頭秘書と会見して、ドラガォンの当主ドン・ペドロの手紙を手渡す大役を初めて務めたマヌエラにとって、彼は補佐であると同時に目付役、文字通りの監視人でもあった。

「このような場でも、実に堂々となされて、まるで何年も前からドラガォンのスポークスマンとしてご活躍なさっておられるようです」
「ありがとう。一人だったら不安でしたけれど、あなたがそこに控えていてくださったから、安心していられました」

 ドラガォンの当主は、伝統的に外の人間に会うことはない。相手が大統領本人でも、ローマ教皇でも同じだ。代わりに応対するのは、通常はその妻またはインファンタと呼ばれる当主の娘だ。だが、当主ドン・ペドロの妻ドンナ・ルシアが館から退けられてから八年が経っており、ドン・ペドロには女子がなかったので、これまではジョアン・ソアレスがドン・ペドロの名代となってきた。

 当主の跡継ぎドン・カルルシュと結婚しドンナ・マヌエラとなった彼女は、ドン・ペドロの名代としての役目を果たすことになった。まだ二十二歳と若いことや、妊娠していることは、その役割を退ける言い訳とはならなかった。彼女は、全てがこれまでの人生とは変わってしまったことを日々噛み締めていた。自分で選んだことではなかったが、動かすことは出来なかった。ドン・カルルシュと結婚し、未来の当主夫人として生きていくことを受け入れたのは彼女自身だった。

 強くならなくてはならない。これが、現実に進んでいく人生なのだと、理解しなくてはならない。「そうだったかもしれないもう一つの人生」について考えるのはもうよそう。彼女は、窓からD河の煌めく波を眺めた。彼を、カルルシュを支えて一緒に運命に立ち向かおうと決めたのだから。

「そろそろ行きましょう、ミニャ・セニョーラ」
ソアレスの言葉に我に返り、頷くと、マヌエラは開けてもらった扉の向こうへと歩き出した。

 正面玄関の前で待っていたヌエスは、後部座席の扉を開けてマヌエラを座らせた。それから助手席に座ったソアレスとマヌエラ両方に言った。
「事故がございまして渋滞しているようですので、河向こうを通り、アラビダ橋経由で戻らせていただきます」

 マヌエラは頷いた。どこから帰ろうと同じだった。ドラガォンの館に向かうしかないのだから。その同じ館に閉じこめられている男のことを考えた。彼女が車窓から眺める光景を、きっと彼は生涯目にすることはないだろう。そして、本当だったらマヌエラも、今見ている光景を見ることなどなく、格子のはまった窓からかつてみた街の記憶を辿るはずだった。当主の名代になるとこなどなく、ただ一人の男の人生に寄り添っているはずだった。

「裏切り者」
彼の憎しみに満ちた瞳が、マヌエラの心を刺し続けている。選んだのは自分ではない、逃げることも出来ない、そうであっても、マヌエラは彼の言葉が正しいのだと思った。カルルシュを憎み拒むことだけが、彼の想いに寄り添うたった一つの意思表示なのだから。カルルシュを受け入れ、結婚し、生まれてくる命を待っている自分は、たしかに彼の愛を裏切ったのだ。

 マヌエラは、彼女を得た代わりに世界で一番大切な人間の愛を失ってしまった簒奪者の苦悩に想いを馳せた。アラビダ橋から見えた大西洋は輝いていた。船もなく、観光客や漁師たちの姿も見えなかった。世界は空虚で冷たかった。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

Usurpador 簒奪者 あらすじと登場人物

この作品は、ポルトガルのポルトをモデルにした街のとある館を舞台に進む小説群『黄金の枷』シリーズの第二作です。『Infante 323 黄金の枷』とその続編『Filigrana 金細工の心』よりも三十年ほど前に起こったことを主に扱っています。

【あらすじ】
 黄金の腕輪をはめた娘、後の当主夫人マヌエラは召使いとして「ドラガォンの館(Palácio do dragão)」で働き、二人の対照的な青年と関わることになった。

【登場人物】(年齢は第一話時点でのもの)

◆マヌエラ・サントス(22歳)
 「ドラガォンの館」の召使い。ブルネットに近い金髪にグレーの瞳が美しい娘。

◆ドン・カルルシュ(21歳)
 「ドラガォンの館」の世継(プリンシぺ)。黒髪と濃い焦げ茶の瞳を持つ背の低い青年。

◆Infante 322 [22] (21歳)
 同じ年に生まれたドン・カルルシュの弟。「ドラガォンの館」で「ご主人様(meu senhor)」という呼びかけも含め、ドン・カルルシュと全てにおいて同じ扱いを受けているが、常時鉄格子の向こうに閉じこめられている。雄鶏の形をしたコルク飾りに彩色をする職人でもある。明るい茶色の髪。海のような青い瞳。ピアノ、ヴァイオリンを弾くことができる。

◆アントニオ・メネゼス(26歳)
 「ドラガォンの館」の執事補佐で、《監視人たち》の一族出身。

◆ジョアナ・ダ・シルヴァ(21歳)
 「ドラガォンの館」の召使いである女性。同僚であるマヌエラの親友。

◆ドン・ペドロ
 「ドラガォンの館」の当主で21の実父。非常に厳格で、特に次期当主となるべきカルルシュには厳しくあたる。

◆Infante 321[21]
 ドン・ペドロの弟であるインファンテ。カルルシュの実父。21が閉じ込められると同時に別邸へと遷された。 

◆バジリオ・ソアレス
 「ドラガォンの館」の執事で、《監視人たち》の一族出身。厳しく「ドラガォンの館」の掟に忠実。

◆「ドラガォンの館」の使用人
 フェルナンド・ゴンザーガ(故人 享年23歳)
 バジリオ・ヌエス(36歳) - 運転手 《監視人たち》の一族出身。


【用語解説】
◆ Usurpador(ウーズルパドール)
簒奪者。本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。ないしそれを批判的に表現した語。

◆ Príncipe
 スペイン語やポルトガル語で国王の長子(Príncipe)である男子をさす言葉。日本語では「王子」または「王太子」と訳される。この作品では「ドラガォンの館」の時期当主となる予定の男性のこと。貴族を意味する称号「ドン」が名前の前につく。

◆Infante
 スペイン語やポルトガル語で国王の長子(Príncipe)以外の男子をさす言葉。日本語では「王子」または「親王」と訳される。この作品では「ドラガォンの館」に幽閉状態になっている(または、幽閉状態になっていた)男性のこと。命名されることなく通番で呼ばれる。

◆黄金の腕輪
 この作品に出てくる登場人物の多くが左手首に嵌めている腕輪。本人には外すことができない。男性の付けている腕輪には青い石が、女性のものには赤い石がついている。その石の数は持ち主によって違う。ドン・ペドロとドン・カルルシュは五つ、21および22は四つ、マヌエラは二つ。腕輪を付けている人間は《星のある子供たち》(Os Portadores da Estrela)と総称される。

◆《監視人たち》(Os Observadores)
 Pの街で普通に暮らしているが、《星のある子供たち》を監視して報告いる人たち。中枢組織があり、《星のある子供たち》が起こした問題があれば解決し修正している。

◆モデルとなった場所について
 作品のモデルはポルトガルのポルトとその対岸のガイア、ドウロ河である。それぞれ作品上ではPの街、Gの街、D河というように表記されている。また「ドラガォン(Dragãon)」はポルトガル語で竜の意味だが、ポルト市の象徴である。この作品は私によるフィクションで、現実のポルト市には「ドラガォンの館」も黄金の腕輪を付けられた一族も存在しないため、あえて頭文字で表記することにした。

この作品はフィクションです。実在の街、人物などとは関係ありません。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

「黄金の枷」シリーズのご案内

今年最初の記事は、今年メインで連載しようと考えている「黄金の枷」ワールドのご紹介でいこうと思います。今年は「scriviamo!」もかなり余裕がありそうなので、もう一月中に少しずつ発表していこうかなと思っているところです。

Oporto

「黄金の枷」シリーズは、既に完結・発表済みの『Infante 323 黄金の枷』、未発表の『Usurpador 簒奪者』『Filigrana 金細工の心』からなる三部作です。といっても、『Filigrana 金細工の心』が『Infante 323 黄金の枷』の直接の続編で、『Usurpador 簒奪者』はそれらを補足する前日譚です。

『Infante 323 黄金の枷』では、架空の街P(ポルトガルのポルトがモデル)にある秘密めいた屋敷「ドラガォンの館」を舞台に、左手首に黄金の腕輪をした娘マイアと閉じ込められている当主の弟インファンテ323の恋をメインに綴りました。

普段の私の小説は現実に存在しないことは書かないのですが、このストーリーだけは別で特殊設定の山です。なので、既に『Infante 323 黄金の枷』を読んでくださった(そして、もう忘れてしまった)方も、まだ未読の方にも「?」とお困りにならないように、ここで説明をしておこうと思います。(『Usurpador 簒奪者』『Filigrana 金細工の心』を読むのに必要と思わないネタバレは、『Infante 323 黄金の枷 』未読の方のために、ここでは控えます)


【用語解説】
◆ドラガォンの館
Pの街の旧市街にある非常に大きな館。観光客達には金持ちの邸宅か、修道院か何かだと思われている。門には向かい合った竜の紋章がついている。限られた人びとしか出入りできない。館の中心になるのは当主とその家族で、執事や召使いたち、運転手などが住み込んでいる。『Usurpador 簒奪者』時代の当主はドン・ペドロ、『Infante 323 黄金の枷』『Filigrana 金細工の心』時代の当主はドン・アルフォンソ。

◆インファンテ(Infante)
 スペイン語やポルトガル語で国王の長子(Príncipe)以外の男子をさす言葉。日本語では「王子」または「親王」と訳される。この作品では「ドラガォンの館」に幽閉状態になっている(または、幽閉状態になっていた)男性のこと。かれらには名前がなく通番のみで表される。この番号は生まれた順につけられる。つまりインファンテ323は、インファンテ322の次に生まれた。なお、当主の長子(プリンシペ)は名前が与えられる。インファンテ322の兄がドン・カルルシュ、インファンテ323の兄がドン・アルフォンソである。ただし、本当の兄弟姉妹であるとは限らない。インファンテの子供は、すべて当主かプリンシペの子供として扱われるためである。

◆黄金の腕輪
 この作品に出てくる登場人物の多くが左手首に嵌めている腕輪。本人には外すことができない。男性の付けている腕輪には青い石が、女性のものには赤い石がついている。その石の数は持ち主によって違う。当主とプリンシペ(跡継ぎ)は五つ、インファンテやインファンタは四つ、それ以外のものは当主との血の近さによって三つから一つまでと異なる。腕輪を付けている人間は《星のある子供たち》(Os Portadores da Estrela)と総称される。ドラガォンの館に住むのは執事と運転手以外の全員が《星のある子供たち》である。

◆《監視人たち》(Os Observadores)
 Pの街で普通に暮らしているが、《星のある子供たち》を監視して報告いる人たち。中枢組織があり、《星のある子供たち》が起こした問題があれば解決し修正している。中枢組織のエリートのみ黒服を着ている。

◆ボアヴィスタ通りの館
ドラガォンが所有している屋敷の一つ。Pの街で裕福な人々の住む通りでもことさら目立つ水色の建物。厳重な警備体制が敷かれているのは、代替わりでドラガォンの館から遷されたインファンテの住居として使われているからである。『Infante 323 黄金の枷 』『Filigrana 金細工の心』でこの館に住んでいるのはインファンテ322とドンナ・アントニアである。

◆モデルとなった場所について
 作品のモデルはポルトガルのポルトとその対岸のガイア、ドウロ河である。それぞれ作品上ではPの街、Gの街、D河というように表記されている。また「ドラガォン(Dragãon)」はポルトガル語で竜の意味だが、ポルト市の象徴である。現実のポルト市には「ドラガォンの館」も黄金の腕輪を付けられた一族も存在しないため、あえて頭文字で表記することにした。

この作品群はフィクションです。実在の街(特にポルトならびにガイア)、実在の人物や歴史などとは関係ありません。


「Infante 323 黄金の枷」「Infante 323 黄金の枷」をはじめから読む
あらすじと登場人物

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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今回の本文とは関係ないけれど、最近お氣に入りのこの曲をBGMにして、書き終わっていない『Filigrana 金細工の心』の執筆しています。iTunesストアでダウンロードしたのもこの動画と同じ弾き手ハイフェッツ。脳内イメージは『Filigrana 金細工の心』の主人公の一人が弾いているシーンです。


Heifetz - Vitali `Chaconne` with organ
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Posted by 八少女 夕

ご挨拶

さて、いよいよ年末も押し迫ってきました。って、ついこの間書いたはずなのに、もう一年経ったんですね。みなさまも年末年始でお忙しいことと思いますので、年末と年始で記事を分けることはせずに、2019年の振り返りと2020年のご挨拶をまとめて記事にさせていただきます。

夜明け

【創作とブログの活動】
2019年は下記のような作品を発表しました。

中編・霧の彼方から (完結)
短編集・十二ヶ月の歌 2 (完結)
企画もの・scriviamo! 2019の作品群
オリキャラのオフ会参加・豪華客船やりたい放題

なんか以前に比べると、ずいぶん少ないなあと思いますが、まあ、普通に生活をしているアマチュアとしてはこのくらい発表できればまあまあいいかと、自分を慰めています。少なくとも週一回の小説発表は死守できましたし。個人的には一度にたくさんではなく継続的な発表を心がけているので、新年も息切れしないように続けていく所存です。

さて、2020年の活動ですが、既に始まっている「scriviamo! 2020」(皆様のご参加をお待ちしています)、その後に「黄金の枷」シリーズの『Filigrana 金細工の心』の連載を始めたいと思います。ただ、その前後に本来は第二作の位置づけである『Usurpador 簒奪者』を外伝っぽく発表できないかなと、未だにあれこれ悩んでいるところです。

【実生活】
・休暇旅行
毎年恒例のポルト旅行、2019年は、サン・ジョアン前夜祭のある六月後半にポルトに行きました。また九月末から北イタリアのバイク旅行をし、十月末には勤続十五周年にともらった休暇でシエナとフィレンツェに電車で行ってきました。

2020年は、また三月末にポルトに行く予定でいます。これは既に予約済み。その他の休暇でどこに行くのかはまだ決めていません。そもそも休暇というものが取れるかどうかも今のところ定かではありません。

・デジタル関連
2019年のトピックスとして忘れてはいけないのは、Apple Watchを購入したことです。いろいろと便利になったことは多いのですけれど、ここで特筆するのはそれ以来一日も欠かさずに軽い運動をしていることです。これから年を重ねていくことを考えると運動の習慣と適度な筋肉を維持するのはとても大切だと思うので、新年も引き続き続けていきたいと思っています。

ついでにTwitterとInstagram始めました。まだ初心者なので失敗もいろいろあって、普段はInstagramから同じ投稿を同時にしているのですが、Twitterだけに写真入りで投稿したらめちゃくちゃ大きな画像が貼られて恥ずかしかったとか、ある人をフォローしようとして間違ってその人が論破していたネトウヨをフォローしてしまい、TLがメチャクチャ不快になってしまったとか、年末までいろいろとやっていました。来年こそは、Twitterでちゃんと小説の宣伝しよう。

そういえば、iPhoneの画面を割るかなしい初体験もしました。日本よりも修理にお金はかかるのだけれど、割れた画面を見続けるのに耐えられず、修理してきました。2020年は、雑な扱いを改めようと思います。(もともとの性格だから難しいかも)

・義母のこと
2019年のリアルの活動で一番大きな比重を占めていたのが、義母のケアでした。もう何年も体調の波が大きく家族に負担がかかりすぎていたのですが、九月に特別介護施設に入ることになりました。本人はすぐに引っ越して、日本だったら「なんて贅沢!」とびっくりするような部屋に住むことになり、それはよかったのですが、家族にとってはそれまで彼女が一人で住んでいた住居の片付け等でかなり負担のあった数ヶ月でした。これに懲りて、また自分の持ち物も片付けようと決意を新たにした私でした。

2019年は、実生活でもう一つ大きなことがありました。これに関してはまだ海のものとも山のものともわからない状態なので、しばらくはここでは語りません。今回の「scriviamo!」は珍しくリアルの方でもかなりやることが多い中での開催となりますが、そのことを言い訳にせずに乗り切ろうと決意していますので、今まで通りにお付き合いいただけると幸いです。

・家庭
2019年は、連れ合いとの家庭生活は平穏でよかったと思います。2018年の母との永別以来、日本の姉ともよくコンタクトをとるようになったことも特筆すべきかもしれません。生きていればいろいろなことがありますが、少なくとも暖かい我が家と美味しいご飯、それにぐっすりと眠れる寝床があることを感謝して新しい年を健康に歩いて行きたいと思います。

2019年にこのブログを訪れ小説や記事に関心を持ち励ましてくださった皆様に、心から御礼申し上げます。2020年もさらなるご指導をお願いすると共に、また皆様との楽しい交流があることを心から祈っています。引き続き「scribo ergo sum」を、どうぞよろしくお願いいたします。
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Posted by 八少女 夕

scriviamo! 2020のお報せ

お知らせです。今から当ブログの年間行事である参加型企画「scriviamo!」を開催します。既にご参加くださったことのある方、今まで様子を見ていた方、どなたでも大歓迎です。また、開催期間中であれば、何度でも参加できます。


scriviamo!


scriviamo! 2013の作品はこちら
scriviamo! 2014の作品はこちら
scriviamo! 2015の作品はこちら
scriviamo! 2016の作品はこちら
scriviamo! 2017の作品はこちら
scriviamo! 2018の作品はこちら
scriviamo! 2019の作品はこちら


scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。

私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。

では、参加要項です。(「プランC」以外は、例年と一緒です)


ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)

  • - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
  • - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
  • - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
  • - イラスト
  • - 写真
  • - エッセイ
  • - Youtubeによる音楽と記事
  • - 普通のテキストによる記事


このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。

記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩(短歌・俳句)」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)

参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返画像(絵は描けないので、フォトレタッチの画像です。念のため)」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。

過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)

また、「プランB」または「プランC」を選ぶこともできます

「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。

「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。

「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)


今年の「プランC」は「何でもいいといわれると、何を書いていいかわからない」という方のための「課題方式」です。

以下の課題に沿ったものを150字から5000字の範囲で書いてください。また、イラストやマンガでの表現もOKです。
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
 メインキャラ or 脇役かは不問
 キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「春」
*食べ物を一つ以上登場させる
*色に関する記述を一つ以上登場させる

(注・私のキャラなどが出てくる必要はありません)



期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2020年2月29日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも2月2日(日)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。

皆様のご参加を心よりお待ちしています。



【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから一週間ほどお時間をいただきます。

小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。

ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合はおよそ3,000字~10,000字で返させていただきますのでご了承ください。

当ブログには未成年の方もいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。

他の企画との同時参加も可能です。その場合は、それぞれの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。当ブログのの締め切っていない別の企画(神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の(ブログ等)企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません。ただし、過去の「scriviamo!」参加作品は不可です)

なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。

嫌がらせまたは広告収入目当の書き込みはご遠慮ください。
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Posted by 八少女 夕

【小説】新しい年に希望を

「十二ヶ月の歌 2」のラスト、十二月分です。同時に今年最後に発表する小説となります。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十一月はABBAの “Happy New Year” にインスパイアされて書いた作品です。年末年始にはよく流される曲ですけれど、よく歌詞を読むと「ひたすらめでたい」曲ではないのですね。

縁起を担ぐ日本に限らず、どこでもクリスマスやお正月、それに各種のお祝い事にはネガティヴなことを言わないようにする傾向がありますけれど、暦上のどんな日であろうと「ちっともめでたくなんかない」日々を過ごしている人もいて、でも、それが文句を大声で言うほどではない、ということも。

今年最後の小説ですが、そんな中途半端な小市民たちが、暦の一区切りで氣持ちを新たにしたいと願っている姿で終わりにしたいと思いました。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む



新しい年に希望を
Inspired from Inspired from “Happy New Year” by ABBA

 おせちの重箱は二段にした。三段にするとスカスカになってしまうから。一人で迎えるのだから、たくさん買ってもしかたない。一人に戻って以来、あれこれ切り詰めてきたので、デパートやスーパーで予約をしている立派なおせちを買う案は却下した。かといって、いくつものおせち料理を一人用に作るのも大変なので、スーパーで一口サイズのパックをあれこれ買って詰めることにした。お煮しめだけは自分で作る。スモークサーモンやローストビーフ、それに白ワインも買ってきて冷蔵庫にしまった。

 普段は買わない高級レトルトカレーや、コタツに籠もる時用にミカンも用意した。一人の年越しをとことん楽しむつもりだ。

 もともと本家で繰り広げられる親戚の集まりなどは苦手だったし、だから独り立ちすると同時に東京に出てきたのだ。帰らずにすむのはありがたい。普段なら「帰ってきなさいよ」と口うるさいお母さんをはじめ、今年は誰も帰ってこいとは言わない。それはそうだろう。

 従姉妹の絢香はダブルおめでたで、かねてからの願い通り大がかりな華燭の宴を開いた。伯父は代議士なので地域の名士が悉く参列して祝った。今も本家では彼女と初孫を中心にいつものように格式を重んじたお正月迎えに余念がないことだろう。

 去年は、私に注目が集まっていた。結婚して初めて夫だった志伸を連れて行ったお正月。かつては目立たなかった私が、東京でエリート官僚と結婚したというので、親戚のおば様方からちやほやされた。絢香は面白くなさそうにしていたが、彼女らしいやり方で注目を自分に向けることに成功した。

 とにかく今年の本家では夫婦となった志伸と絢香が、去年のことなど何もなかったかのように「めでたいお正月」を祝うのだから、私の登場など誰一人として期待はしていないだろう。これで二度とあの面倒くさい盆暮れの里帰りをしなくて済むようになったと思えば、そんなに悪いことではない。

 お金持ちやエリート官僚と結婚したかったわけじゃない。たまたま東京に出てきて大学で出会い、それ以来ずっと一緒にいて仲良く笑い転げた人が、いつの間にかそういう立場になっていただけ。私にとって志伸はいつも志伸だったから、私がその隣には相応しくなくなっていたことに、氣が付かなかった。

「どう謝ったらいいのかわからない」
彼は下唇を噛みしめた。彼女の方が将来に役に立つから乗り換えたわけではない、ほんの出来心のつもりだったのに、子供ができてしまったと。それが本心かどうかなんて確かめようはない。それにどちらにしてももう全て終わったのだ。志伸にとって私との未来は消えて、絢香と子供との未来ができた、それが現実なのだから。

 大学の仲間にとっても、親戚にとっても、私は「めでたさに水を差す存在」になったのが腹立たしくて、私は距離を置くようになった。

 チャイムが鳴った。誰だろう?

「リカ! いるぅ?」
声を聴いてすぐにわかった。佑輝だ。すぐに玄関に向かう。ドアを開けると、彼は綺麗なポーズで立っていた。紫のコートにピンクのフェイクファーを巻いた独特な出で立ちにギョッとする。

「どうしたの?」
「どうしたのって、アタシも仕事を納めたし、侘しい独り者同士で年越そうかなって」
佑輝はウィンクした。

 大学以来、ずっと仲間として楽しくつきあっていたけれど、私と志伸が結婚して以来、しばらく疎遠になったのは、なんとなく彼も志伸のことを好きだったのではないかと感じたからだ。新婚家庭にも他の仲間のように招べないでいた。だから、会うのは結婚式以来だ。

「入って、入って」
「お邪魔しまーす。あ、これ、冷蔵庫に入れてね」

 佑輝は、よく冷えたシャンペンを差し出した。2020と大きく書いてある。カウントダウン用か。白ワインの瓶の位置に入れた。冷えているワインは出してコタツのテーブルに置く。

「へえ。いい部屋じゃない。ここは、もらったの?」
佑輝はマンションの中を見回した。私は、いろいろとつまみを用意しながら答えた。
「もともとは共同名義だったんだけどね。従姉妹の実家がタワーマンション買ったの。だから、ここには私が続けて住んでもいいって。まあ、慰謝料みたいなものかな」

 乾杯をしてコタツに入ると、久しぶりに笑い転げながら近況を語った。そうだった。仲間で集まると、いつも腹筋が痙攣するくらい笑うことになるのだ。後から考えると何がそんなにおかしいのかわからないのだが。こんなに笑ったのは本当に久しぶりだ。

「でも、元氣そうでよかった。これでも心配していたのよ」
佑輝がニッと笑った。

 私は、頬杖をついて彼を見た。
「意外だったな」
「何が?」

「ほかの仲間、みんな志伸とは連絡取っているんでしょう。あれから飲み会にも私はお声が掛からなくなったし。だから、佑輝が心配してきてくれたの、驚いた」

 そういうと、佑輝はふくっと頬を膨らませた。
「アタシを見損なわないでよ」

 ワインが回ってきたみたいで、力も抜けてきた。私の存在が迷惑っていうなら、親戚も大学の仲間もいらない。一人のクリスマスも、年末年始も大したことではない。そんな風に肩に妙に力を入れて、離婚騒ぎから今日まで走ってきたのかもしれない。

「佑輝は、私よりも志伸と仲良かったじゃない?」
そういうと、佑輝は笑った。

「大学時代は、確かにそうだったわ。でもね、アタシは、判官贔屓なの。それに、リカの氣持ちがよくわかるのよね。悔しくても悲しくても、つい虚勢を張っちゃって、いいわよ、好きにしなさいよって言っちゃうのよ、アンタもアタシも。志伸みたいな、デキるくせにどこか抜けていて、みんなに愛されて、結局美味しいところを持っていく男に弱いのも一緒でしょう?」

 そうよね。一緒だ、確かに。
「本当はね。悔しかったし、凹んでいたのよね。でも、志伸があっちを選んだ以上、泣きわめいて大騒ぎしても、みっともなく見えるのは自分だけだし」
「アンタね。そういう時は、相手の女をビンタぐらいしても罰は当たらないわよ」

 絢香にビンタか。やっておけばよかったかな。それも、結婚式の当日に手形のついた顔にしたりして。
「佑輝は、みんなと二次会行ったんでしょう? 絢香のこと、どう思った?」

 佑輝は首を振った。
「そっか。志伸から耳に入るわけないわよね。みんな行くのを拒否したのよ。リカがかわいそうだって」

 私は、かなり驚いて佑輝の顔を見た。彼は、空になった私のグラスに淡々とワインを注いだ。
「そうだったんだ。親戚筋からは、立派な式だった、幸せそうな二人だったって話しか入ってこなかったから、てっきり……」

「仮にもお祝い事だから、表だって非難したりする人はいないと思うけれど、祝いに来ないってことも、ある種の意見表明でしょう。大学時代の志伸は、本当にいい男だったもの、あんなことしてすぐに幸せいっぱいになれるほど、志伸の感性が鈍ったとは信じたくないわね」

 佑輝の顔を見ながら、私は自分が現実を曲解していじけていたのではないかと訝った。自分だけが貧乏くじを引き、志伸は何一つ失わずに幸福を満喫しているのだと、どこかで考えていた。

「もっともみんなもね、志伸に制裁を加えようと示し合わせたわけじゃないのよ。それぞれがね、みんな集まるだろうから、せめて自分だけはリカの代わりに抗議してやりたいって考えたみたい。二次会、花嫁側の出席者ばかりで異様な感じだったって、後から幹事に恨み言いわれちゃったわ。身から出た錆でしょって突っぱねたけれどね」

 私ですら、それは氣の毒かもと思った。志伸はみんなとの絆を本当に大切に思っていたから。絢香との新しい人生と引き換えに失いかけているもののことを考えたのかもしれない。

 仲間との絆を彼は誇りに思っていた。おそらくそれは志伸にとって、絢香や伯父様、そして親戚たちの評価と違って、エリート官僚やお金のある後ろ盾を持つ存在であることよりも、ずっと価値のあることだったのだと。彼の二度目の結婚披露二次会は、新しい妻との幸福な門出であると同時に、そして築き上げてきた友情のごっそりと抜けた、苦さのある「人生最良の日」だったのだ。そして、それは今でも続いている。

 彼が、どんな思いで、私とではない年末年始を迎えているのだろうと想像した。絢香と子供を氣遣いながら、去年は私の親戚だった人たちの複雑な腹の底を想像しながら座っていることを考えた。いい氣味だとは思わなかった。

「ありがとね」
私は、佑輝の顔を見ながら、彼のグラスを満たした。

「何に対して?」
「今夜、来てくれて。それに、私のことを氣遣ってくれて。私、仲間うちではほとんど存在感なかったし、心配してもらっているなんて、全然知らなかった」

 彼は長いつけまつげを伏せた。
「アンタは確かに騒いだり、目立つタイプじゃなかったけれど、アタシはリカが仲間にいてくれて本当によかったと、当時から思っていたわよ」
「どうして?」

「アタシがカミングアウトしたときも、男装をやめて好きな服を着るようになった時も、アンタは変わらずに接してくれた。興味本位であれこれ詮索もしなかったし、恋バナにも当たり前みたいにつきあってくれた。他の仲間も、結局は受け入れてくれたけれど、リカが平然としているのを見ていなかったら、ドン引きされたままだったかもしれない」

 新宿二丁目の店に勤めている佑輝は、今日も私よりもずっと綺麗にメイクして、洒落たパンツスーツを着こなしている。そんな彼も大学一年の頃は、短髪でTシャツとジーンズという、どこにでもいる青年の格好をしていた。当時から綺麗なモチーフ入りのジーンズや小物を選び、動きや語尾なども独特だったからもしかしたらと皆感じていたが、噂に過ぎなかった。三年生になる頃、何のきっかけだったか忘れたけれど、あっさりとカミングアウトしてからは、服装も話し方もどんどん変わった。

 当時の私が、その佑輝の変化に戸惑わなかったといえば嘘になる。でも、大切な仲間の一人が、いいにくいことを打ち明けてくれたのに、嗤ったり無視したりするようなことはしたくなかった。そんな薄っぺらい友情じゃないという自負もあった。私は目立たず、仲間うちで一番どうでもいい存在だったから、そのことを佑輝が憶えていたのがむしろ驚きだった。

「そうか。私ね。みんな失ったと思っていたんだ。親戚は絢香を選ぶだろうし、みんなは今後も志伸とつきあいたいだろうし、私の居場所はどっちにもなくなったなって」

「ふふ。アタシの居場所ですらなくならなかったんだもの、大丈夫よ」

 そうか。私の居場所はなくならなかった。それに、たぶん志伸にとっても、離婚は私との関係以外の何かの終わりじゃないんだ。

 彼が、新しい友との絆を持つには、もしくはかつての仲間たちと昔のように笑い合えるようになるまでには、おそらく長い月日を必要とするだろう。

 でも、きっと彼は惜しまずに時間をかけて、仲間との絆を回復するだろう。そして、今の居たたまれなさは時間と共に薄まっていき、新しい彼の人生は「これでよかったんだ」と思えるものに変わっていくのだろう。私の人生がそうであるべきように。彼と一緒にやっていけなかったのは残念だけれど。

「ねえ、佑輝。来年の抱負をきかせて」
私は、彼のグラスを満たした。

 彼は少し勿体ぶって話し出した。
「そうね。アタシ、店を変わる予定なのよ。ちょっと世話になった人に頼まれてね」

「えっと、もしかしてママになるとか?」
「あはは。残念、チーママってところかしら」
「えー、それでもすごいじゃない。私も行ってもいい? それとも女は禁制?」

 佑輝は、艶やかに笑った。
「そういうおかしな垣根のない店にしたいって、立ち上げメンバーと話しているの。アンタも、ほかのみんなも、それに志伸も、来たい人はみんなウェルカム。アンタこそ、それじゃ来たくない?」

 私は首を振った。
「ううん。私か志伸かどっちかが遠慮しなくちゃいけないのは嫌。でも、私の方が先に常連になりたいなあ。で、やってきた志伸に、ああ、あなたも来たのねって、余裕で言いたい」

 佑輝は、ゲラゲラ笑った。
「いいプランじゃない。じゃあ、オープンから通ってもらうわよ」

 除夜の鐘が鳴り出した。おしゃべりに夢中になっているうちに紅白を見逃したらしい。私は、佑輝の持ってきてくれたシャンパンを冷蔵庫から取り出してきた。去年から一度も使っていなかったフルートグラスを戸棚から取り出す。これ、志伸が大切にしていたやつだ。「特別な日はこれで乾杯しないと」が口癖だった。今ごろこのグラスを置いてきてしまったことを考えているのかな。それとも伯父さんにお酌するのに忙しくて、そんなことは忘れているかしら。

 佑輝は、慣れた手つきでコルクを抜くと、綺麗にグラスを満たしてくれた。人生最低だと思った年は終わった。壊れてしまった関係も、見捨てられて惨めだと思っていた自己憐憫のループも、終わったこととして思い出ボックスに閉じ込めてしまおう。

「明けましておめでとう、佑輝、今年もよろしく!」
「おめでとう、リカ。いい年になりますように」

 そうだね。私も、佑輝も、仲間のみんなも、田舎のお父さんお母さんも、そして、私と年末年始を過ごしたくなかった人たちも。それぞれのよりよい未来に向けて、別々に歩いて行くのよね。みんなにとって、いい年になりますように。

(初出:2019年12月 書き下ろし)

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Abba - Happy New Year
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Posted by 八少女 夕

クリスマスの思い出

ものすごく久しぶりなんですが、トラックバックテーマ、やってみようと思います。テーマは「子供のころのクリスマスの思い出は?」です。

村のクリスマスツリー

サンタクロースがプレゼントを持ってくるのを期待して寝ていた話は、私にもあるのですが、いま特に思い出すのは別のことです。小学生だった頃でしょうか。私は、一応カトリック教徒の家庭で育ったので、メインはサンタクロースではありませんでした。

クリスマスの前夜は、ミサに行きました。救い主であるナザレのイエスの誕生は深夜と新約聖書にあるので、真夜中のミサもあるのですが、子供を連れての深夜は難しいだろうということで、夜七時くらいのミサに連れていかれたのだと思います。

父母と一つ違いの姉との四人で、教会に向かいました。普段はいつも姉のお下がりを着させられていたのですが、この時のコートは姉と色違いのお揃い。新品のよそ行きコートは、私にはとても特別感がありました。父に厳しくしつけられたので、私は三歳児の頃からミサの間中、ぐずったりせずにじっとしていることができたのですが、この時はもっと大きくなっているので、一時間くらいは問題なくちゃんとしていられたと思います。

今と違って、当時は信者は頭に白いヴェールを掛けているのが普通で、小さな手を合わせて祈っていた記憶もあります。普段はあまり埋まらない教会も、クリスマスには満杯になるのはいつの時代でも同じですが、そうであってもエアコンなどのなかった当時は、冷え込んで歌うと息が白くなりました。

大きなクリスマスツリーには飾り玉や天使などが飾られていて、何もかも荘厳で清らかでした。

あの時には、世の中の不景氣も、不正も、不平等も、宗教法人をめぐるスキャンダルも、家庭内の不和も、鬱屈した社会も、ほとんど認識していませんでした。クラスの友だちと上手くいかないことや、あまり器用でない自分の事は問題でしたが、そんなことはクリスマスの荘厳なミサの前では些細なことで、あの神聖な時間と空間が誰にでも訪れているのだと信じていました。

当時、今の私よりも若かった両親はともにもうこの世にはいなくて、私を暖かく包んだお下がりでないコートも、天をつくばかりだった大きなもみの木も、すべてが存在しなくなっています。

同時に、教会の正しさと一致を信じ、純粋に救世主の誕生を祝って声の限に歌っていた清らかな少女も、どこかに消えてしまいました。

暗闇の中に大きなトウヒが、金色の電球と白い雪による反射で幻想的に浮かび上がるのを見ながら、異国の地で私はあの頃のことをよく考えます。季節はまためぐってきました。

もう戻ってこない人や物に対する郷愁はどうしようもありませんが、せめてこの地球に存在する全ての生命にとって、平和で希望に満ちた冬至(場所によっては夏至)であるように、祈っています。

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の若槻です今日のテーマは「子供のころのクリスマスの思い出は?」です街中クリスマスムードで一色ですねイルミネーションを見ているととても癒されますところでみなさんは、子供のころのクリスマスの思い出はありますか?若槻はクリスマスの朝起きると、枕元に子供向けビデオがプレゼントとして置いてあったのですが「980円」の蛍光ピンクのシールが貼ってありました母の顔を見上げ...
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Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(9)新しい家族 - 4 -

今回は、中編とはいえ、長く連載してきた「霧の彼方から」の最終回です。そして、「ファインダーの向こうに」「郷愁の丘」と合わせて、ジョルジア三部作もこれで完結です。

追記に後書きを記載しました。


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(9)新しい家族 - 4 -

「あ。このサンドイッチ、パセリが入っている」
アンジェリカは、パセリをつまみ出したが、置き場がなくて困ったように見回した。

 グレッグは、黙ってそれを受け取り、ぱくっと食べてしまった。
「アンジェリカ、あなたったら、パセリを食べられないの?」
ジョルジアが訊くと、少女は首を傾げた。
「あれって、食べるものなの? いつもお皿の脇にどけちゃうのよ」

 ジョルジアは、ため息をついた。
「嫌いじゃないなら、食べた方がいいわよ。栄養もあるし、それにパセリを作る農家の人、みんなが残して捨てるのをわかっていても、大事に育てているのよ」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、次から食べてみるわね」

 無邪氣なアンジェリカの様子を見ながら、ジョルジアはレベッカ・マッケンジーの庭を思い出していた。

 今日もまた、彼女はあの美しい庭と、完璧に手入れされた館を保つために、きびきびと動き回っているのだろう。そして、手を休めたときに、ほんのわずかの息子との邂逅を想っているのだろうか。

『パセリ、セージ、ローズマリー、タイム……』

 美しいチョコレートを買い求め、息子の学業に対する激励をしたレベッカ。彼が理解し合えると願いはじめての愛情を抱いたジェーン。彼に性の手ほどきをし幾晩か温かい肌で包んだマデリン。三人の彼の心に沈む女性たちは、この霧に覆われた島のどこかにいる。彼に教えと激励を授けたウォレス、そしてその他多くの関わった人々も同じように。

 彼女たちは過去の亡霊ではなく、今でもそれぞれの人生を営みながら、存在している。忙しく今日という日を過ごしていることだろう。

 ジョルジアは、食事を終えたグレッグが、アンジャリカやジョルジアの出したゴミを小さく一つにまとめてゴミ箱に捨てる様子を目で追った。自然な動き、行動様式は、誰から習い受け取ったかを考える必要がないほどに、彼の一部となっている。そして、それはいずれジョルジアやアンジェリカ、その他の彼と関わる多くの人に影響を与えていくだろう。彼女は、その考え方が氣に入って、一人微笑んだ。

「ねえ、記念写真撮らない? ママやパパと外にいる時って、できるだけ撮られないようにって行動するから、空港で家族と映った写真なんて一枚も持っていないんだもの」
アンジェリカが言うと、グレッグはすぐに申し出た。
「じゃあ、僕が撮るよ」

 アンジェリカは、首を振った。
「そしたら、グレッグが映らないじゃない」

 彼女にとって、グレッグはもうファミリーの一員なのだ。彼もそれを感じて、はにかみながら笑った。ジョルジアも笑顔になり、近くにいる人に自分のiPhoneを渡して撮影を頼んだ。アンジェリカは、少し斜めを向いて首を傾げた。おそらくこの三人の中で一番撮られ慣れているのだろう。

 写真を見て、アンジェリカは満足そうに頷いた。
「これ、ママのところに送っておいてね。それから、パパにも送って」

「すぐに送るわ。それに、結婚式のフラワーガールの写真も送らなくちゃね」
ジョルジアが言うと、アンジェリカは満面の笑顔を見せた。
「向こうでも、みんなでいっぱい写真を撮っていいでしょう?」

 ジョルジアは、そんな姪を愛しそうに見て頷いた。それから、ふいに思い出したようにグレッグに言った。
「ねえ。そういえば、結婚式の写真をウォレスにも送る約束をしたじゃない?」

「ああ。まさか彼が、そんなことに興味があるとは思わなかったな」
彼は苦笑した。

「僕たちの正装を見たいわけじゃないだろうから、出席者全員のを送るべきだろうか。もしかして、ケニアのパーティの方がいいかな。レイチェルやマディも映っているだろうから」

 ジョルジアは笑った。そこまであれこれ考えているとは思わなかったのだ。
「それもいいアイデアね。両方送ればいいじゃない。それで、思ったんだけれど、どうせならその写真、アトキンスさんにも送ったらどうかしら」

 彼は心底驚いた顔をした。
「マデリンに? どうして?」
「私の撮ったアトキンスさんの写真を現像して送る予定だけれど、せっかくだから。あなたがケニアで幸せに生きていることを知らせたら喜ぶんじゃないかと思うの」

「そうだな。きちんとお礼の手紙も書いて、それに、できたら借りも、一緒に……」
彼が、真剣な面持ちで決心を呟くと、二人を見上げていたアンジェリカが訊いた。
「アトキンスさんって誰?」

「グレッグの昔の恩人よ」
ジョルジアは笑って答えた。
「じゃあ、ウォレスって?」
「グレッグの恩師なの」

 アンジェリカは、重々しく言った。
「グレッグ、恩のある人いっぱいいるのね」

 彼は、考え深く答えた。
「そうだね。たくさんの人に興味を持ってもらい、助けてもらい、生きてきたんだ。それなのに、ずっと誰からも愛されない独りぼっちの人生だと思い込んでいた」

「そんなはずないじゃない。だって、ジョルジアと結婚するんでしょ?」
アンジェリカが、首を傾げた。婚約している二人は笑ってお互いを見た。

 青年だった彼の軌跡を巡る旅では、多くの発見があった。彼は心の整理をした。彼にとって、この国は寂しく悲しい思い出だけに心を抉られる異国ではなかった。袖触れ合うわずかな期間だとしても彼を育ててくれた優しい人たちが住む土地だった。そして、過去だけではなく、研究を共に進める新しい友が現在と未来においても彼を待つ国になった。

 ジョルジアにとっても、やはり心をみつめる旅だった。彼に対する理解を深め、彼という鏡を通して自分のコンプレックスに向き合い、誰かの影でいることをやめたのだ。

 二人は立ち止まり、考え、悩みを脱ぎ去り、そしてまた、他の人たちと同じように、人生を一歩ずつ進めていく。お互いに手を携えて、心の迷路から抜けだし、未来へと。

 『答えは、お前とともにある』長老の言葉は、正しかった。いつものように。

 ゲートへの案内が流れて歩き出した三人には、いつのまにか霧が晴れて窓から陽の光が注いでいた。新しい家族となる儀式に臨むため、彼らは足を速めて搭乗ゲートへと向かった。

(初出:2019年12月 書き下ろし)

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【後書き】
ジョルジアが最初にこのブログに登場したのは、私の記憶が間違っていなければ、最初のオリキャラのオフ会「松江旅情」でした。裏では、すでに「ファインダーの向こうに」を推敲していたので、私にとってはオフ会で出すのはとても自然だったのですが、おそらく読者の方には「?」だったと思います。みんな玉造温泉を楽しんでいるのに、意固地になってお風呂に入らず「俺様猫」にカニの身をほぐして時間を潰していました。

その後で「ファインダーの向こうに」の連載を開始、もともとはTOM−Fさんへのお詫び作品で、リア充にはならずに退場する予定だったのですが、あらあら、どういう風の吹き回しか、数年経ったら読者の方を辟易させるような甘ったるい婚約状態で話を完結させる事になってしまいました。こんな構想は、もちろん最初はなかったんですよ。

この方向転換に、大きな役割を果たしたのは、もちろんこのシリーズのもう一人主人公グレッグです。「郷愁の丘」以降は、ジョルジアだけでなく、グレッグの過去と性格と想いとが、物語の進行と運命に大きな役割を果たし出します。その傾向は今作では完全に逆転して、ほぼグレッグをめぐるストーリーになっています。

「郷愁の丘」は作品の組み立て上、限られた数回を除き、敢えてジョルジアの考えと問題を中心に物語を進めてきました。物語の構成が煩雑になるのを避けるために、敢えて設定してあるのに述べなかったグレッグの(ジョルジアに負けていない)大きな問題は、そのために大して表面には出せなかったのですが、続編である今作「霧の彼方から」を書くにあたって、私は今回はむしろ彼に焦点を当てようと思ったのです。

舞台をアフリカのまま記述してもよかったのですが、彼のこじれた性格の原点である子供時代を、一人称語りの会話だけでなく、少し客観的な視点から語り手(=目撃者)ジョルジアに理解させるためには、やはりイギリスを舞台にした方がいいと思いました。無理矢理イギリスへ連れて行き、さらにはオックスフォードへ連れて行くためにいくつかのエピソードを作り出しましたが、それが不自然でなければいいなと今さらながら思っています。

母親にようやく婚約者を紹介するというごく当たり前の展開は、まったく当たり前でない形で突如打ち切られました。そして、オックスフォードでは、ジョルジアの誤解と迷走そして好奇心を機に、彼の若き日に対する理解が深まりました。この作品では、立ち向かう大きな敵もなく、本当の意味での悪人も存在しません。ジョルジアとグレッグがお互いへの理解を深めて、家族としての未来を見据えながら歩き出す、それだけのストーリーです。

イギリスには数回訪れていますが、今回は設定上、あまり詳しくない地域を中心に記述したので、途中で不安になってロケハンに行きました。そういう意味でも印象深い作品になりました。

あいかわらず、地味なストーリー展開でしたが、最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。ジョルジアとグレッグを中心に据えた連載小説はこれでおしまいですが、この「ニューヨークの異邦人たち」の世界観には多くの個性的な面々が蠢いているので、また短編などで彼らを登場させることもあるかと思います。

まずは長い間のご愛読に心からの感謝をこめて、このストーリーの結びとさせていただきます。
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Posted by 八少女 夕

日本で買った便利なモノ (7)竹籠の弁当箱

さて、今日は日本で買った便利グッズを紹介するコーナーです。七回目の今回は、便利かどうかは微妙ですが、お氣に入りのお弁当箱を紹介してみようと思います。

竹籠の弁当箱

私は、会社にお弁当を持っていきます。小さなキッチンがあって、何人かの同僚と一緒に食べています。日本の皆さんのような凝ったものを持って行く人はいません。お弁当に美しさや可愛さを求める風潮は皆無で、たいていの人が残飯やハムかチーズの挟まっただけのサンドイッチのようなものを食べています。

私自身も、日本にいた時から、可愛くて栄養をばっちり考えたちゃんとしたお弁当を作るのが苦手で、残飯の詰め合わせの茶色いお弁当をこそこそ食べていたので、堂々とそれを食べられるようになった現在に満足しています。

とはいえ、時々、このお弁当箱を使いたくて、その時だけはなんとなく見栄えのいいお弁当を考えたりします。

これは大分のとある竹専門店で買った竹籠の弁当箱で、柔らかいフォームが大好きなのです。汁物は入れられないので、サンドイッチやおにぎりなどをメインに詰めます。

このお弁当だったら、ブロッコリーかパセリを入れれば色合いがよかったのですけれど、計画性がなくてその時にはなかったので、アレですけれど、まあ、ここは料理ブログじゃないし、いいですよね。
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Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(9)新しい家族 - 3 -

「霧の彼方から」の最終章『新しい家族』、四回に分けた三回目です。本当は五回に分けたかったところを無理矢理四回に分けたので、今回更新分はいつもよりも少し長くなっています。前半は、前回の続きでオックスフォード、後半はヒースロー空港です。

お読みになればわかると思いますが、この小説、ロンドン市内の描写が皆無です。書いてもよかったのですけれど、観光名所を安易に描写するとガイドブックから抜き出したみたいな文章になりますし、そうならないように書くには丁寧な描写が必要で2千字程度では難しいのです。無駄に長くするとでテーマがぼけるので、敢えて行きも帰りもロンドン滞在分をごっそりと飛ばしました。


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(9)新しい家族 - 3 -

 部屋の灯を落とし、窓の外の街灯が雨粒に反射してにじむのを、彼の肩に頭をもたせかけながら見つめた。彼は、彼女の肩に腕を回した。

「私があなたを必要としているって、信じられるようになった?」
ジョルジアが訊くと、彼は少し戸惑ってから小さく頷いた。

「たぶん。その……今まで、誰からも必要とされたことがなかったから、それに、追いかけてもらったこともなかったから、まだ勝手がわからないんだ。でも、これまでとは何もかも違っているのは感じている。君のいる世界に僕は居続けていいらしい。君の家族も、友達も、僕の存在を歓迎してくれている。これまで起こらなかったことが、当たり前のように起こり始めている。きっと、本当に君が僕の探し続けていた問いへの答えなんだ」
「そして、あなたが私の問いへの答えなんだわ」

「君の問い?」
グレッグは首を傾げた。ここ数週間のジョルジアの迷走に、本当に氣がついていなかったようだと、彼女はおかしくなった。

「そう、私の問題。あなたがこれまでの人生でずっと答えを探していたように、私もあちこちで躓きながら、答えを探していたように思うの。答えがあなただと思ったら、ようやく問いがなんだかわかったように思うの」
「それは? あ、その、訊いても構わないなら……」

 彼といてこんなにほっとするのは、多分彼が高みから話をしないからだと思った。礼儀正しさと臆病さが同居している。その臆病さはジョルジアの持つそれと似ている。だから彼女は安心して自らの弱みを彼にさらけ出すことができる。

「もちろん。あのね。私は、これまでの人生でいつも同じことに怯えていたの。誰か他の人と比較されて、劣った存在だと思われること。主に妹や、それから兄と比較されて、それで私の方が劣っているのは事実だったから、次第に何も言われる前からそうだと決めつけて卑屈になってしまったんだわ」
「そんな……。君は、本当に素晴らしいのに」

 彼の茶色の瞳は柔らかい光をともし、誠実に彼女を肯定していた。彼女は笑った。
「あなたにこんなに大事にしてもらっていることを知りながらも、他の誰か、かつて付き合っていた女性と比較されて失望されているんじゃないかと心配していたの。でも、いろいろなことが勘違いだったとわかって、それで自分のコンプレックスがはっきりしたのね。それに、たとえ劣っているとしても、努力してそれを乗り越えていこうと思えるようになったのも、あなたのおかげだわ」

 彼は、ほっと息をつき、それから笑った。
「僕も、君のお陰で信じられないほど変わったんだ。それに、どれほど多くのどうしようもないと思っていた部分を君に肯定してもらったことだろう。僕が君を必要としているだけでなく、君もまた僕を必要としていてくれる。そのことが、どれほどの喜びをもたらしてくれているか。こんなに口下手ではなくて、君に効果的に伝えることができたらどんなにいいだろう」

* * *


 ヒースロー空港の構内を歩きながら、アンジェリカはガラスの向こうをつまらなそうに一瞥した。霞んで何も見えなかったのだ。

 出発便が遅れてゲートが表示されないので、グレッグはどこかで軽く食事でもしようかと提案した。すると、アンジェリカがキオスクで買いたいとねだった。
「あそこに、組み合わせ自由のミールセットを売っているの。でも、ママやパパと一緒だといつもファーストクラスのラウンジに行って、ああいうのを食べるのは無理なんだもの」

 アンジェリカは目を輝かせて、サンドイッチと小袋入りポテトチップス、それに安物のオレンジジュースを選んだ。ジョルジアとグレッグは、彼らにとっては大して珍しくもない安価なサンドイッチやミネラルウォーターを一緒に買い物籠に放り込み顔を見合わせて苦笑した。

 ベンチに座り、三角サンドイッチを頬張るアンジェリカは満足そうだった。この調子では、エコノミークラスに乗ることも新体験として喜ぶかもしれない。

 防犯にかかわるホテルはともかく、飛行機まで勝手にクラス替えをされてしまうことに、ジョルジアは猛反対したのだ。
「どっちに乗っても安全性には関係ないし、アンジェリカがどうしてもいやというなら、彼女だけビジネスかファーストクラスに座らせてちょうだい」

 アンジェリカは、もちろん二人と一緒のエコノミークラスを熱望し、アレッサンドラも「それならどうぞ」と譲ったのだ。

 ポテトチップスをかじりながら、少女は横なぐりの雨が伝い落ちる窓を眺めた。
「サン・モリッツは、晴れている日は毎日真っ青な空だし、雪が降る時はどっさり降るのよ。ずっと寒いけれど。ねえ、グレッグ。どうしてここでは毎日雨が降ったり止んだりするの?」

 彼は、一瞬ひるんだが、口を開いた。
「簡単に言うと、ブリテン島の位置のせいなんだ」
「位置?」

「うん。赤道近くのアフリカ沖で暖められた南大西洋の暖流は北上して、ヨーロッパ大陸の西岸を流れ、ブリテン島付近でUターンするんだ。そして偏西風が常に海流上の暖氣を運んでくる。この二つの要素のせいで、例えばロンドン辺りの西岸に近い場所の冬はいつも比較的暖かいのだけれど、同時に天候や氣温が不安定で変わりやすくなってしまうんだ」

「だからスイスよりもずっと北にあっても全然寒くないのね」
アンジェリカがわかったように頷く。

「それにサン・モリッツは標高1500メートルだから寒いんじゃない?」
ジョルジアは付け加えた。

「もちろんそれもあるね。とはいえ、君のお父さんのいるマンチェスターにしろ、ロンドンにしろ、あれだけの緯度にしては温暖なのは確かなんだ。それに雨ばかり降っている印象があるだろうけれど、すぐに止んでしまうので年間降水量はそれほど多くないんだ」
グレッグが付け加えると、アンジェリカは頷いた。

「グレッグの説明は、わかりやすいわね。これから、わからないことがあったらグレッグに訊くわ。パパの説明は『そういうもんなんだよ』だけでちっとも納得できないんだもの」

 彼は、少し慌てて言った。
「たまたま君のお父さんの知らないことを僕が知っていただけだよ。別のこと、例えば、スポーツのことや人間工学なんかについては、僕よりも君のお父さんの方がよく知っていると思うよ」

「そうね。私、スポーツの授業で上手くいかなかったことを、次に会う時にパパに話すと、いつも理論からとても丁寧に説明してくれて、トレーニングにも付き合ってくれるの。だから、私、スポーツの成績もすごくいいのよ」

 グレッグは、満面の笑顔を見せる少女を眩しそうに見つめた。ジョルジアは、姪に言った。
「そうね。あなたのことはとても誇らしいわ、アンジェリカ。それに、誰に何を質問するのがいいか、わかっているのはとても大切なことね。グレッグは、動物行動学の先生だし、学び方のメソッドもよくわかっているから、あなたの心強い味方になるわよ。私もいつも彼に新しいことを教えてもらっているもの」

 グレッグは、はにかんで言った。
「僕も君からいつもたくさんのことを学んでいるよ。きっと君も僕にたくさんのことを教えてくれるだろうね、アンジェリカ」
少女は嬉しそうに頷いた。
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Posted by 八少女 夕

【キャラクター紹介】ジョルジア・カペッリ

久しぶりのキャラクター紹介の記事です。発表済みの作品や、まだ発表していない作品のキャラクターをちょこちょこっと紹介して、作品に親しみを持ってもらおうかな、という姑息な企画ですね。

今回は連載中の「霧の彼方から」のヒロイン、ジョルジアの紹介です。「なんで今さら?」と思われるかもしれませんが、なんとなく。なんせ、これまで何度も「これでこの話はおしまい」と言ってきた割に、ずるずると続編を発表してきたのが、おそらく今度こそ本当に、まもなく「さようなら」になりそうなので、今を逃すとこの人の紹介、もう出来ないかなと思いまして。


【基本情報】
 作品群: 「ファインダーの向こうに」「郷愁の丘」「霧の彼方から」
 名 前: ジョルジア・カペッリ(Giorgia Capelli)
 居住地: ニューヨーク または ケニア中部サバンナ《郷愁の丘》と呼ばれる地域
 年 齢: 初登場の「ファインダーの向こうに」では33歳
 職 業: 写真家

* * *


ジョルジアは、イタリア系移民である貧しい漁師の娘として生まれました。国籍はアメリカ。

生まれつきの肉体的コンプレックスと、それに起因するトラウマを抱えて、33歳にもなっているのに人付き合いを怖れている「こじれた」キャラクターとして登場しています。ティーンの頃から夢中だったカメラでなんとか身を立てています。小さな出版社《アルファ・フォト・プレス》の専属として働き、世界の子供の笑顔をテーマにした写真集で注目を集めました。

もともとは「マンハッタンの日本人」シリーズでご迷惑をおかけしたブログのお友達TOM−Fさんとそのキャラクタージョセフにお詫びをするために書いた作品の人身御供的ヒロインとして設定しました。なので、第一作では徹底して「ぼっち」のまま登場して、退場しました。

二作目「郷愁の丘」以降では、ケニアの動物学者グレッグとの交流、そして、彼と人生をともに歩むと確信を持つまでの過程が、読者のみなさまを呆れさせるほどのゆっくりペースで描かれました。

さて、これまで読んでくださっている方には、ここまでは特に新しい情報はないのですが、一つだけ特に記載したことがなかったのは、彼女のモデルとした人物のことです。

彼女の妹で、よく見るとよく似ている(印象があまりにも違うので、よく見ないとそこまで似ていると思ってもらえない)キャラクターとして登場したアレッサンドラ・ダンジェロのモデルは、スーパーモデルのジゼル・ブンチェンだと何度か書いたことがあるのですが、ジョルジアは実はアイルランドの歌手のエンヤ(アルバム「シェパード・ムーン」の頃かな)の容姿を頭に描いて記述しました。どこがそっくりな姉妹なんだか(笑)

ただし、エンヤはいつもエレガントな服装ですが、ジョルジアは身なりにかまわず、いつもTシャツとジーンズというスタイルで登場させました。彼女の心境が変わり、自分自身を肯定できるようになるにつれ、同じスタイルにも柔らかさとおしゃれがわずかに垣間見えるようになったと記述しています。

最終的には、おしゃれなんかしてもしかたのないサバンナのど真ん中に引っ越すことになりましたので、これ以上ファションセンスが磨かれることはなさそうです。作者同様。

【参考】
「ファインダーの向こうに」を読む「ファインダーの向こうに」を読む
あらすじと登場人物

郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物

霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物
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Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(9)新しい家族 - 2 -

「霧の彼方から」の最終章『新しい家族』、四回に分けた二回目です。本当は五回に分けたかったところを無理矢理四回に分けているので、シーンとしては途切れています。まあ、でも、内容から考えれば妥当なところで切ったかな。

登場したパブは、オックスフォードでご飯を食べにいった「Turf Tavern」をモデルにしています。美味しかったなあ。

今回、はじめてアンジェリカの養父となるルイス=ヴィルヘルムの性格の話が登場しています。別に無理して書くことなかったのですけれど、彼女の境遇を理解するには、あった方がいいかなと。本題とはまったく関係ありませんし、フラグでも何でもありません。あしからず。

アンジェリカは「できる子」なので、後半は邪魔せずに大人しく寝てますね(笑)


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(9)新しい家族 - 2 -

「この店、素敵ね」
ジョルジアは、古いパブを見回した。

 ニスの黒変した木のカウンターや傷のついた椅子。ビールマシンのピカピカに磨かれた真鍮の取っ手。それは、ニューヨークで時折みる、古いパプ風にあえて古い木材やアンティークの家具をそろえて作った「それらしい」インテリアではなく、本当に何百年もの間に多くの学生たちが学び巣立っていくのを見つめていた年老いた店なのだ。

 若かりしグレッグや、リチャード、それにアウレリオたちも、ここでビールを飲み、将来の夢について語り合ったのかもしれない。

「この店についての思い出を聞かせて」
微笑みながら訊く彼女に、グレッグは小さく笑った。

「大した思い出はないんだ。リチャードが、誘ってくれたのでやってきて座るんだけれど、彼はほとんど全ての客と友達で、挨拶しに別のテーブルへ行き話し込む。僕は、その間、ずっと黙って座っていたな。やることがなかったから、メニューを開いていて、暗記してしまったっけ」

「それと同じメニュー?」
アンジェリカがメニューを開いて訊いた。

「いや、新しくしたみたいだね。もっとも、書いてある内容はほとんど変わらないな。このソーセージ&マッシュは、オックスフォードのパブの定番料理だけれど、ここのは秘伝のグレービーソースを使っていて美味しいよ」

 豚肉と牛肉の合い挽きで作った粗挽きソーセージが、クリーム仕立てのマッシュポテトにどっかりと載り、上からグレービーソースがかかっている。グレッグはチキンとマッシュルームのパイ包みも頼み、三人でシェアすることを勧めた。アンジェリカは、嬉しそうに両方の味を楽しんだ。

「明日は屋台のフィッシュ&チップスを食べてもいい?」
アンジェリカは、ジョルジアの反応を見た。伯母は笑って頷いた。
「パパやママに禁止されているものを、ことごとく試そうって思っているでしょう」

「そういうわけじゃないけれど、ママはそんなものは食べないし、今はなおさらよ。貴族って、屋台で買ったものを立ち食いしたりしないんですって。そんなのつまらなくない? グレッグは貴族なんかじゃないわよね」

 彼は答えた。
「僕の知っている限り全部遡っても、貴族は一人もいないな。もっともサバンナには屋台はないから、立ち食いしたくても出来ないよ」
「じゃあ、明日はなんとしてでもフィッシュ&チップスを食べなくちゃね」
アンジェリカは嬉しそうだ。

「ルイス=ヴィルヘルムは、とてもいい人だけれど、ハンバーガーが食べたいとか、コークが飲みたいとか、言い出せないところがあるの」
「どうして? たしなめられるの?」

 ジョルジアは、意外に思って訊いた。二年前の妹の結婚式を含めてまだ数回しか逢っていないが、ヴァルテンアドラー候家当主ルイス=ヴィルヘルムは、アレッサンドラだけにではなく、連れ子のアンジェリカにもかなり甘く接しているように見えたのだ。

 アンジェリカは首を振った。
「そうじゃないの。その反対。何でも叶えようと、大騒ぎしちゃうの。通りすがりのファーストフードに寄ってくれればいいだけなのに、夕食のフルコースのメニューを変えてなんだかすごいハンバーガーを用意させようとしたりして、コックさんを困らせたみたいなの。それで、ママが慌てて、用意してあるご飯でいい、いちいち私の我が儘に耳を傾けるなって」

「まあ」
「私のはまだいい方よ。結婚してわりとすぐの頃だったけれど、ママと一緒に別の貴族のお城に招待されたんですって。それでママがお世辞でそのお城を褒めて、こういうところに住んだら素敵でしょうねって言ったら、そのお城を購入して喜ばせようと、本氣で交渉し始めかけたんだって。ママは、それに懲りて、慎重に発言するようになったって」


* * *


 続き部屋の扉をそっと閉めて、ジョルジアはもうベッドに入っているグレッグに微笑みかけた。

「アンジェリカは、今夜一人で寝られるのかい? 寂しがっていないかい?」
小さい声でグレッグは訊いた。

「いいえ、大丈夫よ。あの子、両親の間を行き来して、時にこうやってどちらもいないところで寝るのに慣れているのね。あっさりと寝息を立てだしたわ。彼女のませた口調にびっくりした?」
「いや。とてもいい子だね。君とやり取りしている様子、微笑ましいよ。君の家族、とても仲がよくて信頼し合っているのがよくわかる」

 彼の言葉にはほんの少し哀しみが混じっている。ジョルジアは言った。
「グレッグ。もうすぐあなたが私の家族になり、私の家族はあなたの家族になるのよ」

 彼は、瞳をあげて言った。
「そうだろうか。そうだとしたら……いや、そうなんだ。ずっと望んでいた、暖かい家庭を、君とすぐに僕は持つことができる。夢ではなくて、本当に。そして、君の素晴らしい家族は、もうすぐ僕の姻戚になるんだ。とても嬉しいよ」

 窓の外ではずっと風が木の枝をしならせている音がしていたが、いつの間にか雨音に変わっていた。心地のいい寝室で、その雨音を聴きながらどれほどロンドンやバースで聞いた雨音と違っていることだろうと、ジョルジアは思った。
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Posted by 八少女 夕

またラクレットの季節だよ

以前「ラクレットの季節だよ」という記事で書いたこともあるのですけれど、再びラクレットについて語ってみようと思います。

ラクレット

日本人にとってのスイスの食卓イメージは、暖炉で溶かしたチーズをパンにかけて食べているアニメ「アルプする少女ハイジ」の一シーンでしょう。夏も冬もやたらとチーズを食べるのはあたりで、それに基本的にスイスのチーズを食べています。もっというと「産地はそこら辺の山のチーズ」を食べているかもしれません。もちろんチェダーとか、ゴーダといった外国産のチーズも売っていますよ。売ってはいますが、やはり圧倒的にスイスチーズを食べる割合が多いです。

以前、関西のブログのお友達と話をしたのですけれど、あちらでは粉ものはほぼソウルフードで、全家庭ではないとはいえ、「かなりの家庭でたこ焼き器が標準装備」だとか。私は東京出身で、たこ焼きの作り方も知らなかった身の上です。どこ行ったらたこ焼き器を買えるんだろうと、妙な疑問すら持ちましたが、同じような話で「スイスではフォンデュ鍋とラクレットマシンを持っている家庭が多い」と断言できます。

というか、学生や単身出稼ぎのような「仮住まい」系の家庭を除き、この二つを持っていない家庭を私はまだ知りません。

それほどチーズフォンデュとラクレットは「しょっちゅうやるおもてなし料理」です。日本だと「とりあえず寿司出しとけ」というシチュエーションで、冬であればたいていフォンデュかラクレットになると考えていいかと思います。

私は客を招ぶときは「ここまでやった」とドヤ顔したい一心でフルコースを作りますが、それをやる人はわりと少ないのですね。それよりもおしゃべりしながら楽しむ方が好きみたい。

日本からのお客様が来ると、私もラクレットにすることがあります。なんせ日本人受けは抜群です。チーズとパンしか出てこない(スイスではそうなんです)チーズフォンデュと違って、いろいろな食材でおもてなしもできますし、そのわりに準備は簡単です。

ラクレットのジャガイモ

ジャガイモは「ラクレット用」と書かれているものを買ってきます。(スイスでは用途によって「ほくほく系」「しっかり系」のジャガイモを分けて買うのですが、「ラクレット用」は別にあります。つべこべ言わずにそれを買います)これを圧力鍋でふかします。

ラクレットのトッピング

ラクレットチーズは、スライスして売っているものを買ってきます。対面販売で、好みのものをスライスしてもらうこともできます。

ちなみにラクレットという料理は「ラクレットチーズ」だけしか使いません。つまりグリュイエールやエメンタールではラクレットにはならないのです。そこはいろいろなミックスのあるチーズフォンデュとは違いますね。

あとはトッピングの準備です。ベーコン(生食用の加熱してあるものか、そうでなければあらかじめ加熱しておきます)、コーニションとよばれるキュウリのピクルス、アーティチョークのオイル漬け、ヤングコーン、プチトマト、キノコ類、パプリカ、パイナップル、パセリやタイム、私は食べませんが、エシャロットの薄切りなど、あるものを適宜用意します。

ラクレットの準備

これをラクレット用のトレーに載せて、ラクレットマシンで温めて溶かすのです。我が家のは珍しく三角形なのでチーズを載せるときに形を整える必要がありますが、普通のトレーは四角なのでただ載せるだけです。で、とろとろに溶けたらジャガイモに載せで食べるのです。これが美味しい。自分のペーストと好みのトッピング、スパイスで、食べ進めます。

我が家では連れ合いと二人ラクレットも時々やりますよ。冬の楽しみですね。(日本の方がいらっしゃると夏にもやりますが)
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Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(9)新しい家族 - 1 -

「霧の彼方から」の最終章『新しい家族』です。本当は五回に分けたかったのですが、そうすると年内に「十二ヶ月の歌」を発表できなくなってしまうので、無理矢理四回に分けました。

今年どういうわけか妙にたくさん出してしまったキャラクターであるアンジェリカが登場します。別にラスボスではないです(笑)

前作を読んでいない方のために簡単に説明すると、アンジェリカは元スーパーモデルであるジョルジアの妹アレッサンドラ・ダンジェロと、ブラジル人サッカー選手レアンドロ・ダ・シウバの間の娘です。両親が離婚しているので、二人の間を行ったり来たりしています。


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(9)新しい家族 - 1 -

 レアンドロ・ダ・シウバは、愛娘に何度もキスをして、抱きしめた。
「じゃあな、アンジェリカ。五月には会いにいくから、それまでのさよならだ。ああ、明日の試合がなかったら、あと三日は一緒にいられたのに。なあ、もう少し、こっちに居たくないか。パパと、またマンチェスターに戻ってもいいんだぞ」

「パパったら。そんな訳にはいかないのはわかっているでしょう。どっちにしても、来週には学校が始まるのよ。大丈夫よ、パパ。一ヶ月半なんてあっという間ですもの。ロサンゼルスで待っているわ」

 イースター休暇を利用して、マンチェスターの父親の元に滞在していたアンジェリカは、ジョルジアたちと共にアメリカへ帰ることになっていた。アレッサンドラからの連絡を受けたレアンドロは、愛娘を愛車に乗せてオックスフォードまで届けに来た。

 永遠に思われる「さようなら」の儀式を、ジョルジアとグレッグは顔を見合わせてから、何も言わずに辛抱強く待っていた。レアンドロの車は目立つし、そのオーナーはサッカーに興味がない人ですら記憶に残るほどの有名人だ。彼の娘がそこら辺にいるとわからないように、わざわざ五つ星ホテルのロビーで待ち合わせたのだ。

 それなのに、車寄せに見送りに行き、ドアマンだけでなくその場を通る一般人にも丸見えのところで二人は別れを惜しんでいる。

 やがて、レアンドロは、ジョルジアたちに簡単に別れを告げると、名残惜しそうに去って行った。

「三時間も乗っていたんですもの。車はもうたくさん」
車が見えなくなると、アンジェリカはぽつりと言った。レアンドロ自慢のスパイダー・ベローチェも彼女にとってはただの車にすぎない。娘が自分のようにドライブ好きだと疑わずに思っているレアンドロには氣の毒だが、マンチェスターからオックスフォードまでのドライブは、アンジェリカには退屈だったようだ。

 彼女は、くるりと振り向くと、父親と別れる寂しさで、真っ赤になった目元を伏せた。手元のビーズつきのハンドバッグからレースに縁取りされた薄桃色のハンカチを取り出して、目をぬぐい鼻をかみ、またバッグに投げ込んでパチンと閉じた。それから、にっこりと笑うと、グレッグに手を差し出した。
「初めまして。私、アンジェリカ・ダ・シウバよ」

「初めまして。僕は、ヘンリー・グレゴリー・スコットだよ。ああ、君はたしかにジョルジアの家族だね。とてもよく似ているよ」

 それを聞いて、ジョルジアは目を丸くした。アンジェリカも一瞬驚いたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「そう言ったのは、あなたが初めてよ。みんなアレッサンドラ・ダンジェロそっくりっていうのに」

「ってことは……」
グレッグが自信無さそうに二人の顔を代わる代わる見た。ジョルジアが答える前に、アンジェリカは言った。
「もちろん知っていると思うけれど、私のママよ」

「僕は、君のママにはまだ会ったことがないんだ」
グレッグの言葉はアンジェリカには新鮮な驚きだった。
「ママを見たことないの? 雑誌でも?」

「アンジェリカ。グレッグは、ケニアの動物学者なの。アメリカの芸能雑誌は読まないし、スーパーモデルにはそんなに興味ないと思うわよ」
ジョルジアは少し慌てて言った。グレッグは、困ったように笑った。

 アンジェリカは、可笑しそうに笑った。ママの顔を知らないなんて人、はじめて。
「うふふ。そういう人もいるのね。最高。姻戚になる人の中で、絶対に仲良くなれそうと初日に思ったのはあなたが初めてよ。ねえ、私もグレッグって呼んでもいい?」

 それを聞いて、グレッグはほっとしたように笑った。
「もちろん」

「アンジェリカ、お腹は空いている?」
「そうね。そんなに空いてはいないけれど、何か美味しいものが食べたいなあ。ソニアの料理って、あまり美味しくないんだもの。パパのウェイトコントロールのためだと思うけれど」

 ジョルジアは、小さいアンジェリカが父親の新しい妻にあまり歓迎されていないことを知りながらも、角が立たないように騒がず、氣丈に振る舞ったのを感じてそっとその手を握った。彼女は、伯母の愛情を感じて嬉しそうに笑った。

「だから、今日からジョルジアと一緒だって聞いた時、実をいうと、ほっとしたの。ねえ、グレッグ、あなたはものすごくラッキーだって知っている? ジョルジアみたいに美味しいご飯を作れる奥さんって、そんなにいないわよ」

 彼は大きく頷いた。
「知っているよ。ご飯づくりだけじゃなくて、君のジョルジア伯母さんは、何もかも素晴らしい人だ。僕は本当にラッキーな男だよ」

 ジョルジアは、彼がそんなことを言うとは思いもしなかったので驚いた。

「でも、今晩は、ジョルジアのご飯は食べられないのよね。どこか美味しいお店、知っている?」
ませた口調でアンジェリカが訊いた。

 グレッグは、少し考えてからジョルジアに言った。
「僕は、学生時代にはあまり外食をしなかったから、そんなに詳しくないんだけれど、とても美味しい料理を出すパプがあったんだ。もし君が反対でなければ……」

 ジョルジアは肩をすくめた。十歳の子供を連れて行ってもいいのだろうか。アンジェリカは、急いで言った。
「ジョルジア、お願い。私一度でいいからパブに入ってみたいの。でも、ソニアがいつも反対するんだもの。子供がお酒を出す店に行くものじゃないって」

 アンジェリカの言葉に、ジョルジアは少し困ってグレッグに訊いた。
「子供が入っちゃだめなの?」
「いや。キッズメニューがあるパブもあるよ。そこにはないかもしれないけれど」

 彼が行こうと考えるからには、酔っ払いがひどく騒ぐような店ではないのだろう。
「じゃあ、あなたのお薦めのそのパブに行きましょうよ。アンジェリカ、パパにどんなお店に行ったか訊かれたら、パブじゃなくてレストランに行ったと言っておいてね。教育方針に反しているかもしれないから」
「もちろん、黙っているわ。やった!」
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

毎日少しずつ運動

さて。なぜカテゴリが「Apple / IT 関連」なんだというツッコミは置いておいて。今日は、最近頑張っていることについて書いてみましょう。


Apple Watchを買った動機の一つに、なまった身体をなんとかしたいというのがあったのです。そして、目論見通り、九月から毎日欠かさずに何らかの運動をしています。

といっても、平日はそれまでと変わらずに、朝晩自転車で通勤するか、昼休みに30分ほど散歩をするだけで、ほぼ一日に必要なワークアウトは完了するのです。

とはいえ、老後に備えてすこしブヨブヨしてきたお腹をなんとかしたかったので、加えて毎日わずかずつ筋トレ的なことをすることにしました。そして、Apple Watchのワークアウトのメニューで「これなんのこと?」と調べてわかったのが、「高強度インターバルトレーニング(HIIT)」というトレーニング方法です。簡単に言うと「強い負荷の筋トレを20秒行っては10秒休む、パターンを4種目、2周分繰り返す」ことなんですけれど、だいたい四分間これをやると有酸素運動と無酸素運動の両方の効果があって、効率的に痩せやすい身体になるっていうんですよね。

で、いろいろとメニューはあるようなんですけれど、アプリに時間とメニューをお任せできないかなと思って調べてみました。

で、とりあえずこちらを使っています。「3分フィットネス」というアプリです。

3分フィットネス -簡単エクササイズ-

運動レベルは「 楽」「普通」「ハード」「めっちゃハード」、鍛える部位は「全身」「上半身」「下半身」と選べます。毎日少しずつ違うメニューを提案されるので、いろいろな部位の筋肉を鍛えられるんですよね。今は「普通」「全身」か「ハード」「下半身」のどちらかで毎日一セットだけやっています。

このアプリ自体はiPhoneアプリなのですけれど、ついでにApple Watchのワークアウトで「高強度インターバルトレーニング(HIIT)」の計測もするので、ヘルスケアやアクティビティにも記録されています。

3分フィットネスとありますが、おそらく休憩を入れていないのか、一セット五分かかります。ま、大した違いはないですね。これを続けたお陰なのかわかりませんが、お腹周りに筋肉らしい手触りがはっきり感じられるようになってきましたし、春からどんなに頑張っても落ちなかった体重がようやく落ちてきました。

健康のためにしばらく続けてみようと思います。
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Posted by 八少女 夕

【小説】主よみもとに

「十二ヶ月の歌」の十一月分です。十月分に続いてですが、「霧の彼方から」の最終章をはじめてしまうと十二月になってしまうので。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十一月はBYU Vocal Pointの “Nearer, My God, to Thee” にインスパイアされて書いた作品です。作品中に出てくる賛美歌は世界中で歌われていますが、この歌もその一つです。一番よく歌われるのはお葬式という特殊な賛美歌です。

歌詞はむしろ喜びに満ちているような歌なのですが、トーンはどちらかというと悲壮です。このギャップに私はいつも引っかかっていました。これが、この話で伝えたかったことと重なりました。これは「悲壮な幸福」の話です。

今回のストーリーは、名前だけを変えてありますが、私小説です。私の話ではないのですけれど。

追記に動画と、歌詞、そして意味がわかるように私のつたない訳を添えました。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む



主よみもとに
Inspired from “Nearer, My God, to Thee” by BYU Vocal Point ft. BYU Men's Chorus

 私が海外に移住した時期と、シスター荻野が帰国したと母から聞いたのは、ほぼ同じ頃だったと思う。私の記憶の中のシスター荻野は、小柄なのにとてもエネルギッシュ、快活な女性だった。カトリックの小学校に通った私の身近には、白いくるぶしまである服を着て黒いベールを被ったシスターと呼ばれる修道女がたくさんいたので、彼女たちがどのような出来事をきっかけに修道の道に入ったのか、深く考えることがなかったように思う。

 純潔を保ち、神に仕える。ありとあらゆる私欲を、今の私にとっては決して罪ではない、例えば「欲しいものを好きなだけ所有する」「大笑いするためだけのエンターテーメントを観にいく」「誰かを好きになる」「同僚達と一緒にムカつく上司の噂を肴にして呑む」といったことのどれもができない生活に自ら志願して向かう、覚悟のある人たちの心持ちをほとんど考えていなかった。

 子供の頃の私にはわかっていなかった。たとえ善良な努力家であっても、世界に溢れる物質的または精神的な誘惑に抵抗し、世界とそこに生きる誰かのために己の人生を捧げることが、どれほど難しいことなのかを。

 シスター荻野は、そうした修道女の中でも格別で、驚くべき熱意と克己心を持ち、その人生を神に捧げる道を邁進し、行動に移した。ブラジルの貧民窟にある修道院に志願し赴任したのだ。

 子供の頃に考えていたほど、宗教の世界は徳と善良だけが支配する世界ではない。それは、他の宗教と同様にカトリックも例外とはならない。免罪符の販売に象徴された中世における腐敗とは違うかもしれないが、十三億もの信者を抱える大きな組織には、階級もあり、それに伴い莫大な資金の動きもある。権力争いもあれば、栄華もある。

 テレビに映り、みなに跪かれ、ジェット機で飛び回る有名な枢機卿もいれば、教会内での信者や他の聖職者を己の意のままにして満足する司祭もいる。また、オルガンの演奏者として名を成すもの、心ゆくまで学究にいそしむ学者型の聖職者もいる。学校の経営者として子供たちを厳しく導く修道女たちもいる。

 どの生き方が正しい、またはキリスト者として間違っていると、私が断じることはできない。真面目な信者とは口が裂けてもいえない俗物である私と違って、信仰と祈りによってその道に邁進している人たちは、それぞれに信念に従って正しいことをしているのだから。

 ただ、『選び取った苦難』の一点だけにこだわれば、現代においては、その道を選ぶキリスト者は少ない。

「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広く、その道は広々としており、そこを通って入る者は多いからだ。 命に至る門はなんと狭く、その道はなんと狭められていることか! それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音7章13-14節)

 マタイの福音書で、有名な『山上の教え』の一つとしてイエス・キリストが語っている言葉を実践することは、非常に難しい。恵まれた世界に生を受けたにもかかわらず、自ら苦難に向かっていくことは非常な思い切りを必要とする。

 シスター荻野は、その道を選んだのだ。日本にいて、ごく普通の修道女として信仰に満ちた生活を送る事もできたのに、それでは自分にできる全てを差し出したことにはならないと、敢えて志願したのだ。

 彼女のことを思い出すとき、母が段ボールに詰めながら私に見せた古着やタオルのことが脳裏に蘇る。母は、シスターからの手紙を読み、支援物資を集め、教会を通してブラジルに送る担当を買って出た。
「こんなよれたバスタオルやTシャツは失礼かと思っていたんだけれど」

 私は目を丸くした。以前手伝った近所の教会バザーでは、新品に近い物以外は持ち寄ることはしない。売れないので結局主催者の邪魔になるからだ。その箱の中には、切って雑巾にでもした方がいいかと思うものもあった。
「色褪せた物どころか、穴の空いたものですら、有難いんですって」

 新品はおろか、こぎれいな中古品を買うことすらもできない人々が溢れているという事実は、どこか別の惑星の出来事のように、私の観念からシャットアウトされ続けてきた。けれど、その箱は、わずか一瞬ではあるが、その遠い世界のことを私に想起させた。貧しく誰かの支援なしには生きられない人たちの、出口のない苦しみをほんのわずかだけ想像して、氣の毒に思った。そして、その世界と日々向き合い、異国で神と人々に奉仕し続けるシスターについての尊敬の念を深くした。

 私にとっては、ほんのそれだけのことで、すぐに忘れ、いつもの飽食と怠惰な日々を過ごした。人生の全てを擲ち、貧しい異国の人々の救済のために捧げているシスター荻野のことは、それからしばらく忘れてしまっていた。

 そのシスター荻野が、帰国したと母から聞いたとき、はじめは休暇の帰国なのかと思った。
「まさか。自分の休暇のために使える飛行機代があったら、貧民街の方のために使ったでしょうね。上層部からほぼ命令に近い形で送り返されたんですって」
「どうして?」
「ずっと帰国していなかったし、健康状態がよくないので精密検査をしなさいってことだったみたい……」

「ご病氣なの?」
「ええ。検査の結果ドクター・ストップで、海外赴任は禁止されてしまったらしいわ。本来ならとっくに定年になってるお歳だし、あんなに尽くされたんだし、ゆっくり養生して楽に余生を送っていただきたいと思うけれど、ご本人はブラジルに戻りたいと本当に悔しそうで」

「それで、今どうしてらっしゃるの?」
私が訊くと母は「U市の祈りの家ですって」と答えた。それは、高齢の修道女だけが住んでいる家で、いわば修道女達の老人ホームのような位置づけの場所だった。

* * *


 次にシスター荻野の近況を耳にしたのは、週に一度していた母との国際電話でだった。鍼灸院に私の姉が行ったときに偶然出会ったというのだ。腰が曲がって歩くのもやっとだったらしい。

 それから、母は祈りの家にシスターを訪ね、歩くのもおぼつかないのに奉仕に加わろうとしていた様子を話してくれた。
「あんなに永いこと働きづめだったのだから、老後くらいはのんびりして欲しいと私たちは思うけれど、ご本人はまだ神様に尽くして働きたいのでしょうね」

「じゃあ、何か簡単な仕事をなさっているの?」
私が訊くと、母のトーンは暗くなった。今でも何かで奉仕したいと願うシスター荻野のことを、世話をしている若い修道女らが迷惑がってきつく当たっているようだと。

「意地悪をしているつもりではないんでしょうけれど、身体が動かないのに余計なことをするから仕事が増えると言わんばかりだったのよね。私たち古い信者や関係者は、シスターの素晴らしい働きのことを知っているけれど、若い人たちは昔のことなど知らないし、ご本人も謙遜して何もおっしゃらないみたいだったし」

 なんて悲しい老後なんだろうと私は思った。母もそう思ったらしく、時おり訪問して、話を聞いたり教えを受けていたようだ。次に私が日本に行くときは一緒に訪問しようかと話をしていたのだが、元氣だった母が急逝してしまい、その約束は果たされなかった。

* * *


 母の葬儀に際しては、急いで一週間だけ日本に帰国したので、シスター荻野の話題を姉としたのは、その次に日本に帰国したときだった。

「そういえば、お母さんと近いうちにシスター荻野の所に訪問したいって話したから、今から一人で行ってこようかしら」

 すると、姉は首を振った。
「行ってもわからないと思う。三ヶ月くらい前に、鍼灸院の先生に聞いたんだけれど、認知症が進んでしまって、誰のこともわからなくなってしまわれたんだって。それを聞いて私も訪問を諦めたの」

 どうして……。私は、シスター荻野の人生の苦難を思い、やりきれない心持ちになった。

 努力が必ず報われるわけではないことくらい知っている。でも、因果応報の法則から考えれば、あれほどまでに人のために尽くし、キリスト者としての理想的な生き方を続けてきた彼女には、笑顔と尊敬に囲まれた穏やかな老後が相応しいと思っていた。こんな人生の最終章は、あまりにも酷だ。

 亡くなった母の葬儀で聴いた「主よみもとに」の歌詞が心に響く。

主よ、みもとに 近づかん のぼるみちは 十字架に
ありともなど 悲しむべき  主よ、みもとに 近づかん

さすらうまに 日は暮れ   石のうえの かりねの
夢にもなおあめを望み 主よ、みもとに 近づかん

主のつかいは み空に  かようはし の うえより
招きぬれば いざ登りて  主よ、みもとに 近づかん

目覚めてのち まくらの  石をたてて めぐみを
いよよせつに 称えつつぞ  主よ、みもとに 近づかん

うつし世をば はなれて  あまがける日 きたらば
いよよちかく みもとにゆき  主のみかおを あおぎみん

(カトリック聖歌 658番 / 讃美歌 320番)


 葬儀では、たいてい歌うので、亡くなった人のための曲のように錯覚するが、これは生きている信者達がどのように生きて死を迎えるべきか思い新たにするための歌なのだ。

 キリスト教の、そしておそらくシスター荻野が考えていた幸福とは、おそらく私の感じる幸福とは違うのだと思う。現世での因果応報や、人々に認められて尊敬されることも、穏やかで健康な老後も、その他、私がそうだったらいいと願うよりよい人生の終わり方も、真のキリスト者の目指すべきものではないのだろう。

 幸福といえば、健康で衣食が満たされ、栄誉を授けられ、氣の合う仲間やお互いを大切に思う家族に恵まれるようなことをすぐに思い浮かべるが、キリスト教の教えではそれは真の幸福ではない。イエス・キリストが人類のために無実の罪で十字架の上で命を失ったように、使徒やそれに続く信者達が迫害に屈せず殉教したように、断固として教えの道に忠実に生きて命を捧げ、最後の審判で認められて天国に受け入れられることこそが幸福なのだ。

 もちろん過去から現在に至る多くの信者は、その様な生き方はできない。かなり善良な信者でも、良心に恥じない、つまり「盗まず」「殺さず」「姦淫せず」程度のさほど難しくない戒めを守り、時おり貧しい者を心にとめて慈善行為をしたり、時おり思い出したように祈りを唱えたりして、自らの至らなさに心を留めるのが精一杯だ。ついつい食べきれないほどの豪華な食事を食べてしまったり、恵まれた人たちを妬んでしまったり、嘘をついてしまったりと、小さな罪をも重ねつつ、それでもできることなら死んだら地獄には行きたくないと、都合のいい望みを抱く。

 そうした何億人もの「正しい信者になりたくてもなれない人びと」、聖書のいうところの広き門から入り楽に暮らす人々を見つつも、一線を画して真のキリスト者を目指すことは、厳しく孤独な道行きだ。生きているうちに尊敬され報われるのではなく、一人狭き門と険しい道を選び続け、惨めな生の終わりすらも神の国へ至る途上だと喜ぶのはなんと難しいことだろう。

 身体がボロボロになるまで働き、邪険に扱われ、お荷物と見なされていることを肌で感じ、働きたくても身体が動かなくなったことを嘆くシスターには、忘却は一つの救いなのかもしれない。一足先に旅立った母は言っていた。あの方こそ、神の国に迎えられるのに相応しいと。
 
 他の誰かが天国に行くのかは知らない。惜しまれて立派な葬儀で送り出された人のことも。けれども、ゆっくりと旅立とうとしているシスター荻野の行く先については、私は亡き母と同じ意見を持っている。

(初出:2019年11月 書き下ろし)

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Nearer, My God, to Thee | BYU Vocal Point ft. BYU Men's Chorus

歌詞と意訳

Nearer My God to Thee
主よ御許に近づかん

【ラテン語】
In articulo mortis
(死の瞬間には)
Caelitus mihi vires
(私の強さは天からもたらされる)
Deo adjuvante non timendum
(神は助けたまい、なんの怖れもない)
In perpetuum
(永遠に)
Dirige nos domine
(我らが主よ、導きたまえ)
Ad augusta per angusta
(狭き小径より至る いと高きところへ)
Sic itur ad astra
(そは星々へ至る道のごとし)
Excelsior
(さらなる高みへの)

Nearer, my God, to Thee, nearer to Thee!
(もっと近くへ、我が神よ、もっとあなたの近くへ)
E'en though it be a cross that raiseth me,
(たとえそれが私を十字架に架けるとも)
There let the way appear, steps unto Heav'n;
(天へと続く道と階段を現してください)
All that Thou sendest me, in mercy giv'n;
(全ては私に下され、天から与えられたもの)
Excelsior excelsior excelsior excelsior
(もっと もっと もっと もっと 更に高く)
Still all my song shall be, nearer, my God, to Thee.
(それでも全ての我が歌は、我が神よ、あなたの御許に)
Nearer, my God, to Thee, nearer to Thee!
(あなたの御許に、我が神よ、あなたの御許に)
Though like the wanderer, the sun gone down.
(さすらい人のごとく太陽は沈もうとも)
Darkness be over me, my rest a stone;
(暗闇が私を覆い、石の枕で休むこととなろうとも)
Excelsior excelsior excelsior excelsior
(もっと もっと もっと もっと さらなる高みへ)
Angels to beckon me nearer, my God, to Thee.
(天の使いが私を誘う あなたの御許に、我が神よ、あなたの御許に)
Nearer, my God to Thee, nearer to Thee.
(あなたの御許に、我が神よ、あなたの御許に)
Excelsior excelsior excelsior excelsior excelsior excelsior excelsior excelsior
(もっと もっと もっと もっと さらなる高みへ)
Or, if on joyful wing cleaving the sky,
(さもなくば 歓びの翼に乗り空を駈けるなら)
Sun, moon, and stars forgot, upward I'll fly.
(太陽、月、そして星を後に残し、私はさらに上へと飛ぶだろう)
Excelsior!
(さらなる高みへ!)





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Posted by 八少女 夕

この花の名前は

今日は、最近ちょっとハマっているアプリについて書いてみます。

PlantNet

道ばたで花が咲いていて「これなんていう花だろう」って思うこと、ありませんか? 私はよくあるんです。更にいうと「日本でよくある●●に似ているけど、違うような」とうろ覚えの時もあります。で、以前は、手元に図鑑でも持っていなければ調べようもなかったのですけれど、最近は便利なものがあるのですね。

最近ダウンロードした「PlantNet」というアプリです。私はiOSのものですけれど、Android版もあります。とてもわかりやすいアプリで、「写真を撮り、その写真で検索する」ということに特化してあります。

写真を選び、それが花なのか、葉っぱなのか、幹なのかなどを選んで検索すると、いくつか候補が出てきます。で、他の写真と見比べて同定できるのですね。

フランスの「農業開発研究国際協力センター(CIRAD)」「国立情報学自動制御研究所(INRIA)」「農業研究所(INRA)」などの研究機関によって開発されたアプリなので、情報の信頼性も高いですし、それに位置情報つきで知らせることが出来るので、おそらく分布などを調べているであろう研究機関に協力することも出来るわけです。

まあ、日本語化はされていませんが、そもそも花アイコンや葉っぱアイコンをはじめ、基本的に視覚だけで全て済むアプリなので日本語でなくてもOKなのでは。また結果についても、学名はいずれにしても世界共通のラテン語ですから、そのラテン語を検索すれば簡単に和名もわかるかと思います。

また、私にとってラッキーなことには、ヨーロッパの情報はかなり多いので、「結局わからない」ということは皆無です。

スマホが当たり前になった時代にマッチした、自然科学の楽しみ方ですよね。
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