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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


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【お報せ】 今日のひと言 (from PIYO)

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月間ステルラ12,1月号 参加作品「好きなだけ泣くといいわ」はこちら
月間ステルラ2,3月号 参加作品「鈴に導かれて」はこちら
【小説まとめ読み】 - 目的別のおすすめ小説をリンクした記事
「郷愁の丘」 「リゼロッテと村の四季」を読む 「大道芸人たち Artistas callejeros 第二部」を読む 「十二ヶ月の歌 2」」を読む

Posted by 八少女 夕

【小説】夜の炎

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第十一弾です。山西 左紀さんは、「物書きエスの気まぐれプロット」シリーズの短編で再び参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの『物書きエスの気まぐれプロット エニフ(仮)』

ほぼ毎年、この掛け合いで作品を発表しているので、常連の方はご存じだと思いますが、サキさんのところのエスと、私の「夜のサーカス」という作品の登場人物であるアントネッラ(ハンドルネームはマリア)はブログで小説を書いている友人ということになっています。アントネッラは、イタリアのコモ湖畔に住んでいます。本編は、完全な私の創作ですが、サキさんと「ブログでの創作活動」をメインに競作する時は、かなり私個人の創作秘話とリンクして書くことが多いです。

今回の掌編の「作中作品」が生まれたきっかけも、本当にここに書いてある通り、夢で見たものから書き起こした、つまりサキさんの作品とまたまたシンクロしているものを使ってみました。ま、私のは駄作だったのでボツったんですけれどね。


【参考】

「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物

「夜のサーカス」外伝

「scriviamo! 2019」について
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



夜のサーカス 外伝
夜の炎
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


「まあ。面白い作品じゃない」
アントネッラは、頬杖をついて古いブラウン管式ディスプレイに見入っていた。彼女の創作仲間であるエスが、長編としてウェブ小説コンテストに出そうと決めている異世界ものの導入部分を読ませてくれたのだ。

 彼女が実際に見た夢をプロットとして書き起こし、それに肉付けしながら一つの作品に仕上げようとしているらしいが、出自や容姿にコンプレックスを持っていたヒロインが、その隠れた才能を開花させて王の側室という立場から影の軍師になっていく、異色のシンデレラストーリーだ。

 一話を発表する前に結末まで決定しているというのは彼女にしては珍しい。それに、ヒロインの容姿や作品の時代設定などは、これまでのエスの作品とは少し違っているようだ。容姿端麗で何もかも楽々とこなすヒロインや、彼女が得意なスピーディに展開するSF活劇はもちろん心躍るが、こうした悩みやコンプレックスを持ち苦悩しつつも人生を切り拓いていく話には、大きな深みがある。

 じっくりとエスの作品の続きを読んでいたいのだが、残念ながら、そうも言ってはいられない。そのコンテストにアントネッラも誘われたのだ。

「前回も苦手なジャンル、ファンタジーで書かされたし、今度は異世界。ジャンル違いだから、筆が全く進まないんだけれど」
そう断ったのだが、エスを始めとする創作仲間に説得されたのだ。

「とにかく、一部だけでも書いてみて、どうしてもピンとこなかったら最終的にエントリーを取り下げればいいでしょう」

 その締め切りもあと二週間ほどだ。のんびりとエスの話に浸っている場合ではない。

「エスみたいに、寝ているうちに話が勝手に生まれてきたらいいわね。もう行き詰まっているし、そのメソッドに頼ろうかしら」
アントネッラは、真面目に考えるのを放棄すると、コンピュータのあるデスクの上に渡したハンモックによじ登った。

 彼女は、コモ湖を見渡すヴィラを祖母から相続して住んでいる。けれど、そのヴィラをきちんと維持していくだけの収入はないので、まるで廃墟のように朽ち果てた状態のまま放置し、最上階の狭い物見塔に全財産を詰め込んでそこに住んでいるのだ。

 生来片づけが苦手なため、ほぼ足の踏み場もない状態だが、そのことはまったく氣にならない。ベッドを置くスペースはないので、天井に吊したハンモックの上で眠る。スペースの有効利用だけではなく、このハンモックにはもう一つの利点がある。窓から美しいコモ湖がずっと先まで見渡せるのだ。

 春の近いうららかな陽氣のなか、彼女は素晴らしい異世界のストーリーが降臨してくることを期待しながら瞳を閉じた。青白い湖面を大きな月が揺らめきながらゆっくりと渡っていく。昼間はトラックや車の往来が絶えない湖沿いの道にも、時折かすかに響く夜鳴き鳥と風に揺すられたマグノリアのざわめきだけが通り抜けた。

 そして、その平和で静かな夜に優しく包まれて、アントネッラは全くなんの夢も見ないまま熟睡した。いつものように。

 朝になった。曇って、素晴らしいことが待ち受けているようには到底思えない一日の始まりだった。少なくとも、異世界に関するストーリーのインスピレーションとは、ほど遠い散文的な朝だ。

 ハンモックから飛び降り、物に覆われていず床が見えるほんのわずかなスペースに見事に着地すると、アントネッラは何はともかく朝のエスプレッソを飲むために、キッチンと彼女が呼ぶ電氣コンロが二つあるだけのスペースに移動して古風なコーヒーミルに豆を投入した。

 少なくとも挽いたコーヒー豆から立ち上る香りだけは、本日もとてつもなく素晴らしい。
「さて。このまま素晴らしい夢を見る可能性に頼っているわけにはいかないわね。あっという間に二週間経ってしまうもの」

 アントもネッラは、マキネットに入れたエスプレッソが出来上がるのを待つ間に、コンピュータの雑多な作品を突っ込んであるフォルダをあちこち開けて、異世界ものに流用できる没作品のストーリーはないか探した。そのうちに、ふと思い出したことがある。

「そういえば、二十年くらい前に没にした作品に、異世界ものが一つだけあったわね。まだ手書き時代だったから、デジタルデータではないけれど。もし見つかったら、あれを流用することができるかもしれないわね」

 アントネッラは、立ち上がると階下の、数十年前には祖父母がサロンとして使っていた部屋に向かった。

 床のタイルは剥がれ、どこも埃にまみれているし、部屋の隅には蜘蛛の巣すらあったがそれは見なかったことにした。一番奥に、引っ越してきた時に「とりあえず」置いたまま一度たりとも触っていない、もともとはバナナの入っていた段ボール箱が七つ積み重なっている。その上から二番目にマジックペンで「昔の作品」と書いてあるのを確認し、開けた。中には手書きのノートがぎっしりと詰まっていたが、彼女は三分ほどで目当てのノートを引っ張り出した。

「ほら、あった。偶然だけれど、この作品もエスと同じで、アラビア語の名前を持つヒロインの話だったわよね」

 燃え盛る劫火を見ながらライラは何もかもが嫌になった。ふと横を見ると、一点の曇りも迷いもなくあいかわらず「天上の美」をたたえた《光の女神》コンスタンスが生け贄の進むべき炎を見つめている姿が目に飛び込んできた。

 コンスタンスの存在は、それだけで一つの正義だった。この世を統べる者としての揺るぎなき潔癖さは、天地を支えている錯覚すらおこさせた。《光の女神》の称号は、あながち大袈裟とも言えなかった。コンスタンスの言葉は真言まことのり として全てに優先した。生まれも容姿も人格も全てが「女神」にふさわしいものだった。

 比較して考えると、ライラの《夜の女神》は明らかに単なる称号に過ぎなかった。コンスタンスに氣に入られ、その助け手としてこのように《天上人》の幕屋には居るけれど、所詮よそ者だと自分では思っている。称号はこそばゆく、「女神さま」などど呼ばれて跪かれることにもどうしても慣れることが出来なかった。

 ライラには、自分の存在意義が儚く思われた。そして《鍛冶の神》だの《軍神》だの、または《氷の女神》や《風の神》といったコンスタンスを崇拝する《天上人》たちに溶け込むことが出来なかった。コンスタンスは常に美しく、優しく、かつ公正だった。しかし、ライラは自らを《神》《女神》と呼ばせてなんとも思わぬ人々の「正しさ」に息苦しさを感じ得なかった。

 そして、今、豊穣の祭りのクライマックスで、一人の少女が《火の女神》ヘピュタイアによって炎の淵へと導かれつつあった。

 突然のアクシデントは、その時起こった。一人の少年が何か歩叫びながら乱入し、たちまち衛兵たちに捕らえられた。縄をかけられ、そのまま少女と同じ火の淵へと連れて行かれた。

 ライラはぎょっとして、周りを見回した。天幕の中の《天上人》たちは誰一人として顔色一つ変えなかった。いや、《光の女神》の片腕である《太陽》イオンという青年だけはわずかに眉を寄せた。しかし、何も起きなかった。

 ライラは、その瞬間に自分の中で何かが発火したのを感じた。手を伸ばすとコンスタンスの目の前の玉璽をつかみ眼前のガラスをたたき割った。《天上人》たちは何が起こったのかを理解できなかった。ライラはそのまま火の淵へと走った。



「やはり、没にした作品ねえ」
アントネッラはため息をついた。何この陳腐な設定。そう思いつつも、結末を思い出すためにページを繰ると、ノートの端にメモが書き添えてあった。

「あら、すっかり忘れていたわ」
紛れもない自分の字で、この「夜の炎」という作品は、かつて見た夢の内容を書き写した作品だと注釈を添えていたのだ。

「夢で見た作品、もうずっと前に書いていたのね。でも、これじゃ、どうしようもないわよね。やれやれ、やはり、この企画、私はギブアップさせてもらおうかな」

 アントネッラは、色褪せたノートをパタンと閉じると、バナナ模様の描かれた箱に再び押し込み、ぎゅっと蓋をした。エスプレッソを飲むために階上に彼女が戻ってしまうと、部屋には空中を舞う埃いがいに動くものはなくなった。汚れて光を半分くらいしか透さなくなった窓から、早春のやわらかい光が入り込み、また放置が続くであろう七つの箱を照らしていた。

(初出:2019年2月 書き下ろし)

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Category : scriviamo! 2019
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

パンのお供(8)ピーナッツバター

「パンのお供」シリーズの八回目。今回は、ピーナツバターの話題です。

前菜盛り合わせ

ちょっと古い話題で恐縮ですが、昨年のクリスマスに義母と義兄を招待しました。その時の前菜の写真です。いや、探したらほかに写真を撮っていなかったのですもの……。一番手前のベージュのクリームが、今回のテーマであるピーナッツバターです。

これ、自家製なんですよ。私が作った、最初で最後のピーナッツバターです。

ジャムは基本的に自分で作るのですけれど、ピーナッツバターというのは買うものだと思っていました。なのに作ったのは、ピーナッツが大量に余っていたからです。

スイスでは十二月の待降節になると、ピーナッツやみかん、それにチョコレートなどを常備することが多いんですね。そういう風物詩的な存在なんです。で、連れ合いが喜んで食べるので、深く考えずに買ってきたんですけれど、それを食べ終わる前にヤツはアフリカ旅行に出かけてしまったわけです。私はピーナッツのように面倒くさい食べ物を、大量に食べる習慣がないので、全く手をつけないまま一ヶ月くらい放置されていたんですよ。

で、こんなものを春まで放置してもまずくなるだけだと思い、何か使うレシピはないかと探したんです。そして見つけたのが自家製ピーナッツバターだったというわけです。

レシピといっても、から焼きしたピーナッツをバター、砂糖、塩と一緒にフードプロセッサーで粉砕するだけです。で、完全になめらかになっていない状態が、素人っぽい感じですが、これが美味しいんですね。お店で買うのよりも、香りが高くて劇的に美味しくていくらでも食べられてしまうのです。その証拠に、食べきってしまい、年越しできませんでした(笑)

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Category : 美味しい話
Tag : パンのお供

Posted by 八少女 夕

【小説】鈴に導かれて

「十二ヶ月の歌」の二月分です。「scriviamo!」開催中なんですが、いただいた作品へのお返しが全て終わっている(追記:昨夜サキさんから新たに一ついただきました)ので、こちらを発表しておくことにしました。三月分も書かないとまずいなあ。

月刊・Stella ステルラ 2、3月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。二月はユーミンの“ BLIZZARD”にインスパイアされて書いた作品です。これは歌詞も動画も省略しました。ご存じない方は、検索すればいくらでも出てきますので……。

原曲はみなさんご存じのように、冬の定番ラブソングで、かなり胸キュンなユーミンワールドです。この曲が効果的に使われた映画もありましたし。なのですが、私の作品では全く別の使い方をしてあります。昔からちょっと思っていたんですよね。「これって、胸キュンっていうか、かなり怖い状況じゃないかな」って。一つ間違えば遭難じゃないですか。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む




鈴に導かれて
Inspired from “BLIZZARD” by 松任谷由実

 思った通り、天候は変わってくれた。朝は晴れていたから、彼女は疑いもしなかっただろう。全て計算通りだとは。

 和馬はストックにつけた鈴を響くように鳴らした。かなり遠くから、答えるように鈴の音が聞こえてきた。辺りは、もうほとんど視界が消え去っている。横殴りの吹雪、もちろん誰もいない。あの時とそっくり同じだ。だが、恐怖と不安に震えていた、あの時の俺とは違う。さあ、来い、恭子。お前の人生の終着点へ。

 間もなく起こる妻の事故死が、彼に多額の生命保険金を約束してくれるはずだった。彼は、泣きながら説明するだろう。「天候が変わったので急いで下山しようとしたのですが、吹雪いていてコースを外れたことに氣がつきませんでした。視界がほとんどなかったので、彼女はあの岩が見えなかったのだと思います」

 その岩には、いま彼がもたれかかっている。千恵子が命を落としたのも、この岩に激突したからだった。もちろん、あの時は俺は何もしていない。吹雪になったのも偶然だった。

 あの事故があったのは、十年以上前だ。千恵子は、和馬の同窓生だった。二人が付き合っていることは、ほとんど誰も知らなかった。卒業後は東京で暮らすつもりだったし、田舎娘と小さくまとまるつもりは全くなかった。妊娠しているかもしれないと言われた時にはぞっとしたが、今は刺激をせずにまだ早すぎるからなどと言いくるめて中絶させようと思っていた。

 山は寒いし、スポーツをすることで、もしかしたら流産するかもしれないと考えたのは事実だ。だが、彼女をスキーに誘ったことにそれ以上の意図はなかった。今日とは全く違う。

 コースを外れたのもいつものことだった。和馬と千恵子は、子供の頃からこの山に通い詰めていたので、スキー客の来ない急斜面をいくつも知っていた。天候が変わりそうだったので、早く降りた方がいいからと、近道をしようといいだしたのは千恵子の方だった。

「降ってきちゃったね。やばいかな」
「急いだ方がいいよな」
「そうだよね。ねえ、ユーミンの歌みたいに鈴つけてよ。せっかくだもん。ほら、上の売店で買ったお守りの鈴」

 姿は見えなくても、ストックにつけた鈴の音を頼りに後を追う、そんな歌詞だったように思う。和馬は「追いかけられる」ことにうんざりしたが、そんな様子は見せずに鈴をストックにつけて滑り出した。

 彼女を、待つつもりはなかった。とにかく早く麓へ着きたかった。後ろから響く鈴の音がだんだんと小さくなり、彼は少しほっとした。何があろうとも、あいつから逃れなくては。結婚なんてことになるのは死んでもごめんだからな。俺の輝かしい人生は始まったばかりだというのに。

 自分のつけている鈴の音が、うるさかった。千恵子につけられたことも腹立たしかった。それをつけている限り、彼女から逃れられないとすら感じられたので、投げ捨てようと思い立ち止まった。

 そして、ぎょっとした。白い吹雪の煙幕に隠されてほとんど見えていなかったが、すぐ近くに大きな岩があった。こんなのにうっかり激突していたら死んでいたな。

 そう思いながらグローブを外して鈴を取り除こうとした。手がかじかんで、うまく外せない。鈴は大きく鳴った。呼応するように、鈴の音が近づいてきた。

「えっ?」
突然、視界に現れた千恵子が、そのまま岩に激突した。

 動かなくなった千恵子をそのままにして、和馬はその場を後にした。その時は逃げることしか考えていなかった。いろいろな責任から、失うものから、恐怖から。吹雪は、和馬がその場にいた痕跡を全て消してくれた。

 千恵子の遺体が見つかり、彼は同窓生として何食わぬ顔で葬儀に出かけた。彼女がなぜ一人であの雪山にいたのか、誰もしらなかったこと、妊娠もしていなければ、事件性も疑われていなかったことに安堵した。そして、あの日のことは、ずっと胸の内に秘めたまま、故郷を離れ東京で生きてきた。

 それが、この岩だ。

 和馬は、ことさら手を振り鈴を鳴らした。恭子、お前には悪いが、あの保険金がないと俺はもうにっちもさっちも行かないんだよ。そのために、大人しくて頭の回らない、お前みたいな退屈な女と結婚したんだからな。千恵子の事故は忘れたことがない。あれに俺が関係していたことは誰も知らない。だから、あれにヒントをもらったなんて誰にも証明できないだろう。完全犯罪。させてもらうぜ。

 彼は、結婚したばかりの妻を言いくるめ、保険をかけた。初めての年末年始を夫の生家で過ごすのもごく自然だ。そして、子供の頃から行き慣れたスキー場へ案内する。偶然・・ 天候が崩れる。視界の悪い中、下山して一人だけ事故に遭う。なんて悲劇。

 呼応する鈴の音が大きくなった。こだまして、二つも三つもあるように聞こえる。おかしいな。あの時は聞こえてすぐに千恵子がぶつかったのに。

 鈴の音だけが響いていたかと思うと、不意にあの時の千恵子の来ていたのと同じ黄色いスキーウェアが見えた。まさか! 恭子はピンクのスキーウェアなのに。

「いったでしょう? ユーミンの歌みたいにしようって。ブリザードは世界を包み、時間と距離も消してくれるのよ。二人を閉ざしてくれるの……」

 千恵子! まさか、幽霊が? 俺は、お前を殺そうとしたわけじゃないんだ。お前が勝手に死んだんだろう。やめろ、俺にとり憑くのはお門違いだ。

 和馬は、慌てて立ち上がり必死に逃げた。滅茶苦茶にストックを動かしとにかく麓へ急いだ。手元のストックについた鈴が大きく鳴る。焦りながら、そちらを見た一瞬、前方から注意がそれた。前をもう一度見た時には、迫り来る大きな岩は、もう目と鼻の先だった。

* * *


 夫の事故死から半年が経ち、恭子は久しぶりに友人との食事に出かけた。若くして未亡人になってしまった彼女の肩を抱いて、力づけようとした。

「スキー場で吹雪に遭うなんて本当に大変だったよね。でも、恭子が無事に下山できて本当によかったよ」
「前方は、ぜんぜん見えなかったんだけれどね。でも、ずっと彼のストックにつけていた鈴の音を頼りに進んでいたの。氣が付いたら麓のリフト乗り場にいたのよ」

「え。でも、ご主人が亡くなったところって……」
「そうなの。麓じゃなかったし、コースも外れたところだったの。でも、私はずっと鈴の音を頼りに下山したのよ。きっと私のために、亡くなった後も案内をしてくれたんじゃないかって、今でも思っているの」

 彼女は、そっと白いハンカチで目頭を押さえた。
「彼が、こんな風に亡くなるなんて、想像もしていなかったけれど、でも、まるでわかっていたみたいに、彼は私のためにいろいろしてくれていたの」

「たとえば?」
「例えば、生命保険。結婚したばかりだし、まだ若いからいらないんじゃないのって私は言ったんだけれど、彼がどうしてもって言って、お互いを受取人にした保険金に加入したの。おかげで、私は路頭に迷わずにすんだのよね」

「そうか。そのご主人を悲しませないためにも、恭子、早く立ち直ってね。あなたは若いんだし、人生はまだまだ続いていくんだから」
「うん。ありがとう、力づけてくれて。いつまでもメソメソはしていたら、彼も成仏できないものね。私、頑張るね」

 恭子は、あれからお守り代わりに常に身につけているキーホルダーの鈴を振って微笑んだ。

(初出:2019年2月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の歌 2)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の歌 2
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

パルミジアーノ・レッジャーノ

パスタ

唐突ですけれど、みなさん、パスタにかけるチーズは何をお使いでしょうか。

イタリア人の多くが「パルミジアーノ・レッジャーノ。それ以外はあり得ない」と答えるでしょうね。ええ、あれは美味しいんです。けれど、なかなかお高くて……。

子供の頃、自宅で見たり、外食でよく使ったのは緑色の筒型容器に入ったクラフト社の「パルメザンチーズ」でした。あれは「パルミジアーノ・レッジャーノ風」のハードチーズの粉末だそうですね。

スイスは、酪農大国なので、もちろんいろいろなハードタイプのチーズがあります。粉チーズはいろいろと売っているのですけれど(当然ナチュラルチーズですよ!)、やはり最上はパルミジアーノ・レッジャーノだと思います。あ、パスタなどにかける粉チーズに限定しての話ですけれど。

パルミジアーノ・レッジャーノの下位互換としてグラーナ・パダーノという硬質のチーズがよく出回っていますが、これは塊で食べてもかなり美味しくて、可能な限りこれを常備しています。

写真のパスタにかかっているのは、パルミジアーノ・レッジャーノの18ヶ月もの。これはクリスマスの時に、街の90歳のイタリア人おじいちゃんが売っていたので、彼の年末の餅代にという意味を兼ねて奮発して買いました。日本で買うより安いとはいえ、10フランもしたので、大事に食べましたよ。塊でしたから、自分で粉砕しました。これ、固くなりすぎる前にやらないといけないんです。粉砕した後は、冷凍庫で保存できます。

チーズが大好きという方にはたまらない味わいだと思いますが、ちょっと苦手という方には少しチーズ味が濃すぎるかも知れません。そういう方は、もう少し熟成の少ないパルミジアーノ・レッジャーノが美味しいかも。

薄く削ってグリーンサラダにかけたり、グラタン・ドフィノワというポテトグラタンに使ってみたり、サイコロ状に切ってバルサミコ酢をかけて食べたり、パルミジアーノ・レッジャーノの楽しみは尽きません。イタリア人は海外旅行に行く時に持っていくという冗談を聞いたけれど、確かにこの味に慣れていたら、手に入らないところにいく時は持っていきたくなるだろうなと思います。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】殻の名残

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第十弾です。limeさんは、素敵な掌編小説で参加してくださいました。ありがとうございます!

 limeさんの書いてくださった『やさしいゲイル』

limeさんは、繊細で哀しくも美しい描写の作品を書かれるブロガーさんです。小説において大賞での常連受賞者であるだけでなく、イラストもとても上手で羨ましい限りです。

これまでの「scriviamo!」には、イラストでご参加くださったのですが、今年は掌編小説でのご参加です。読んでうるっときてしまった、この優しくて悲しいお話は、こんなお約束のもとで書かれたそうです。

この掌編は、以前、
*誰かの誕生日
*必ず、常識的に「汚い」と思えるものを「美しく」描いた表現を入れる
*文字数は2000字以内。
という縛りを仲間内で作って、創作し合った作品です。


limeさんのお話に、余計な茶々を入れるのも嫌だったので、お返しは単純に、私もこの縛りにしたがって何かを書くことに決めました。

またしても、同じ世界観が出てきたのは、私がこだわっているからではなく、私の周りに自然科学に詳しい子供と園芸が趣味の母親というバターンが他にいなかったというだけです。



【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」


「scriviamo! 2019」について
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殻の名残
——Special thanks to lime-san


 少年は庭の一角でしゃがみ込んでいた。雨上がりの午後、優しい光に照らされて、母親が情熱を傾ける庭は、生き生きと美しく輝いていた。薔薇と芍薬は、互いに競いながら庭の女王の座を得るべく開き始めた蕾を戴き枝を伸ばしていた。

 菊のようなアストランティアや、黄色く控えめなハゴモグサは行儀よく並び、ネギ仲間であるアリウムも紫の丸い花を咲かせていた。アイリスの花にも丸い雨の雫が揺れている。彼は、ゆっくりと庭園を歩きながら、ひんやりとした清らかな空氣を吸い込んだ。

 家の奥からは、ティーンエイジャーたち特有の抑えの効かない笑い声が響いている。パーティはたけなわのようだった。再婚相手の娘であるナンシーの誕生会が行われることを母親は教えてくれなかった。パーティがあると知っていたら、理由をつけて一日遅く来たのに。彼は、誰からも話しかけられないでいる居心地の悪さを紛らわすために、一人庭に出た。

 彼は、中等教育を終えて、まもなく大学進学資格を得るAレベル試験の準備のためシックス・フォームの寄宿学校に入る。それまでいた寮にずっといることは出来ず、新しい寮にはまだは入れない。それで、この二週間をバースにある母親の再婚相手の家で過ごすことになった。

 十歳になるまで過ごしたケニアにわずかでも帰りたいと思ったが、その旅費を出して欲しいと父親に頼むことができなかった。寄宿学校の費用も決して安くはない。それを父親が出してくれなければ、彼はこの家に居候するしかない。到着して一日でもう疎外感を感じるこの家に。彼は、何かを期待するのはやめようと決心し、黙って応接間から歩み去った。

 庭の片隅、イチゴが赤くなり始めている一角も、雨の後にしっとりと濡れて瑞々しく輝いていた。彼は、ゆっくりと蠢く珍客を見つけて、観察をするためにしゃがみ込んだ。

 Limax maximus。レオパード・スラッグだ。オーガンジーのような半透明の柔らかい体に、豹のような文様が整然と並んでいる。三インチほどの長さで、緩やかに進んでいた。彼によって出来た影を感じるのか、ゆっくりと身を反らした。

 サバンナの俊敏な狩人である豹とは、似ても似つかぬ動きで、むしろ彼はその角の形状からユーモラスなキリンの姿を思い出して微笑んだ。

「ヘンリー!」
後ろからの声に驚いて彼は立ち上がった。
「母さん」

「あなたここで何をしているの? 皆さん、もうテーブルについているのよ」
彼は、困ったように下を向いた。
「僕が、いなくてもいいんじゃないかと思って。その、招待されたわけではないし」

「何を言っているの。いるのが分かつているのに、一人だけ別の食事をさせるわけにいかないでしょう。早く来なさい。いったいそこで何を見ているのよ」

 近づいてきた母親は、ようやく彼が観察していたものが見えたらしかった。
「まあ! ナメクジじゃない! さっさと殺して!」
 
 彼は、ショックを受けて一瞬ひるんだが、あえて口を開いた。
「庭の片隅で懸命に生きている生命だよ。殺すなんて」

「当たり前でしょう。汚い害虫だもの」
「虫じゃないし、汚い生き物なんてないよ。軟体動物門腹足綱は、陸に生息する巻き貝の一種だよ。サザエやアワビの遠い親戚だし、遠く辿れば真珠を作るアコヤガイや聖ヤコブの象徴ホタテガイとだって同じ祖先をもっているんだ」

「何をバカなことを言っているの。ナメクジは庭を荒らすし、危険な病氣を媒介するのは常識です。もう、役に立たない子ね。くだらない屁理屈ばかり言って実用的でないのは、あなたのお父さんそっくりだわ」

 母親は、近くの園芸小屋から塩の箱を持ってくると、あっという間にマダラコウラナメクジの上に撒いた。体を反らして苦しむ生き物から、彼は眼をそらした。

 母親は、その場に心を残している息子の手首を強引に引いて、彼女の自慢の家へと戻っていった。
「すぐに手を洗うのよ! 早くしなさい」

 塩をかけられたマダラコウラナメクジからは、どんどんと水分がしみ出した。艶やかだった豹斑を持つゼリー状の肌は溶けるように消えていった。そして、人のいなくなった美しい庭を午後の日差しがすっかり乾かす頃には、白い塩の山も水分と共に土に混ざりわからなくなった。

 マダラコウラナメクジのいた場所には、小さな白い楕円形のものが光っていた。真珠のように七色の光を反射するそれは、かの生き物が体の中に隠し持っていた、遠い先祖が巻き貝だった頃の殻の名残だった。

 女主人が長い時間をかけて作り上げた庭園には、醜いものや不都合なものなど何もなかった。彼女が丹精込めて育てた花や整然と美しく並ぶ樹木が、その完全な幸福を象徴するように、穏やかな風の中にそよいでいた。

(初出:2019年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more

1959字。ギリギリでした……。

Limax maximus shell
参考: Limax maximus shell レオパード・スラッグの体内に埋もれている殻 
出典 wikimedia.org
関連記事 (Category: scriviamo! 2019)
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Category : scriviamo! 2019
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ミルクティーの朝

さて、一日小説はお休みです。今日の話題は、紅茶。間もなくロンドンに行くので、これまで出し惜しみしていた紅茶をガンガン飲んでいるのです。

紅茶

以前に「コーヒーと紅茶とホットチョコレートと」や「紅茶を飲む」といった記事でも紅茶について書いていますが、私は紅茶もよく飲みます。ただし、自宅で飲む場合は若干のこだわりがあります。

子供の頃、母親が淹れてくれる紅茶があまり好きではありませんでした。なんでこんなものを英国人は大騒ぎして飲むんだろうと、不思議に思っていました。ところが、イギリスに初めて行った19歳の夏、その概念がひっくり返ってしまったのですね。何これ、こんな美味しい飲み物だったの?! って。

実は、子供の頃に母親が淹れてくれた紅茶は、薄め(まさに紅)でマグカップに砂糖が二つ入っていたんですよ。で、私の嗜好には、それは甘ったるくて味のないまずい飲み物だったのですね。ところが、なぜその紅茶があまり好きでないのか、自分で分析せずに飲まなくなってしまったので、淹れ方によって味が全然違うことに氣付かなかったのです。

英語で紅茶はBlack Teaといいますが、実際にヨーロッパで淹れるとかなり黒くなります。たぶん水質の違いだと思います。真っ黒の濃い紅茶は、私はそのままだと飲めないので、マグカップであれば砂糖を最高で一つ、可能であれば半分入れます。500mlのポットなら一つという割合です。これに少しミルクを入れることが多いですが、連れ合いと飲む時はミルクはないこともあります。

私はコーヒーはミルクなしでは飲めないのですが、紅茶はどちらでもいけるのですね。

写真に映っているのは、イギリスで買ったティーバッグ。黄色い缶はぴったりだったので再利用しているフランスのお菓子のものですけれど。イギリスのティーバッグには丸いものが多いのです。それに、紐がついていませんし個別包装にもなっていません。しまう時にも場所をとらないので、私はこういう方が好きなんです。マグカップは、この秋に母の遺品からもらってきたもの。昔私も愛用していたんですよね。

それに、スイスではなかなか手に入らないのが、カフェインレス(いやテーインレスっていうのかな)の紅茶です。夜でもガンガン飲むためには、個人的にはこの方が好ましいです。昔は関係なく眠れましたが、いまはそうはいかないので、夜は普通のコーヒーや紅茶は控えています。

というわけで、今月末にはまた紅茶を買い込むことになりそうです。
関連記事 (Category: 美味しい話)
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】あの日、庭苑で

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第九弾です。山西 左紀さんは、「絵夢の素敵な日常」シリーズの短編で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの『PX125』

山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

ここ何年かは(私が先に書く)プランBでのご参加が続きましたが、今年はサキさんが先行で。そして、この作品は、サキさんのブログ33333ヒット記念作品として私のリクエストにお応えくださった作品でもあるのです。詳しくはサキさんのブログで作品を読んでいただくとして、これに対して何をお返ししようか、少し悩みました。

そして思い出したのが、この作品について、サキさんがちらっと「シンクロしている」と話してくださったことなんです。全くの偶然なんですが、私が「野菜を食べたら」という作品を発表したとき、とあるシチュエーションが、執筆中のサキさんの作品とシンクロしていたのですね。

というわけで、私からのお返しは、その「野菜を食べたら」で出てきたあの娘の話を書くことにしました。サキさんの作品で描かれた「仮面を被ったお嬢様」をテーマにしました。サキさんの方では仮面を取ろうとしていますが、こちらは被ろうとしています。「野菜を食べたら」のちょうど一年前でストーリーが始まります。


【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」


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あの日、庭苑で
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 鏡に映るのは地味な服装に身を包んだ自分だった。黒にかなり寄ったグレイの生地は野暮ったかったし、小さな丸みを帯びた襟も全く好みではなかった。アンジェリカは、むしろ黒い糊の効いたシャツのシャープな襟を立てて着る方が好きだ。たとえモノトーンのシンプルな装いでも、アクセサリーの付け方ひとつ、選ぶ靴一つで、「さすがあのアレッサンドラ・ダンジェロの娘ね」と言わしめるだけのファッションセンスを彼女は持っていた。けれど、今日の服装は、その反対の印象を与えなくてはならない。アンジェリカ・ダ・シウバという娘が、雇い主の家族であることを、誰にも悟らせないようにしなくては。

 彼女は、持っていこうとしたアクセサリーを全て引き出しに戻すと、パタンと音を立てて閉じた。彼女の持っているアクセサリーは、貧しい十七歳が手にするような品物ではない。持っていることがわかってしまったら、盗んだと疑われるか、さもなければ経歴に疑問を持たれるだろう。

 アメリカで育ったブラジル移民の娘という経歴は、嘘ではない。そのブラジル移民が、誰もがその名前を知るサッカー選手であることは、伏せているが。母親は未だにファッションアイコンである元スーパーモデル。伯父は、健康食品会社の経営者である大富豪。母親の三度目の夫は、いつだったかの神聖ローマ帝国皇帝の血を引く貴族で、いくつかの城を所有している。その中で、もっとも辺鄙なところにあるために所有者ですらほとんど行かない城に、アンジェリカは夏期休暇中の仕事をしに行く。

「なぜ、ファルケナウにしたのかい? エッケンブルグなら勝手も知っているし、私も毎週のように足を運ぶから、安心だろう?」
母親の夫であるヴァルテンアドラー候家当主は心配そうに言った。

「だからよ、ルイス=ヴィルヘルム。あのお城で働く人たちはみな私が誰だか知っているもの。それに、あなたがちょくちょくやってきて私を甘やかしたら、私また給料泥棒になってしまうわ」
アンジェリカは言った。

 昨年は、ニューヨークのヘルサンジェル社で三週間働いたのだが、初日からCEOである伯父と顔なじみの経営陣たちに甘やかされて、まったくまともな仕事ができなかったのだ。

「でも、ファルケナウは本当の田舎で、息抜きのショッピングも出来ないよ。代々の城主が滅多に行かなかったから、使用人たちも代々地元の人たちが彼らなりのやり方を踏襲していてね」
「そういえば、ママも行ったことがないって言っていたわ」

「落ち着かないからなかなか足が向かなくてね。近くに空港もないので、往復に時間がかかるんだ。そうまでして行く理由も考えつかないしね」
ルイス=ヴィルヘルムは、困ったように言う。

「でも、あなたの息子は、あそこに住んでいるんでしょう?」
アンジェリカは、不思議に思って訊いた。

「そうだね。この春に引っ越したんだ。それこそもっと便利なエッケンブルグや他の城を勧めたんだが、仕事でチェコに行くことも多いので、あそこがいいと言うんだ。もっともいつまであそこに耐えられるか、私も様子を見ているよ」

 ルイス=ヴィルヘルムの最初の妻は、やはり彼と同じ階級の出身で、離婚後は息子を連れてベルリンに引っ越した。息子であるヨハン=バプテストはヴァルテンアドラー候家の跡継ぎとして、ルイス=ヴィルヘルムがドイツにいるときは側で時間を過ごすことがあった。

 アメリカの小学校に通い、卒業後はスイスの寄宿学校に入ったアンジェリカは、自身がルイス=ヴィルヘルムの城で時間を過ごすことが少なかったので、ヨハン=バプテストと顔を合わせたのは母と養父の結婚式を含めて二度だけだった。でも、その二度目のことは忘れないだろう。

* * *


 アンジェリカは九歳になったばかりだった。母親が、ドイツの貴族と結婚したのは前の年の年末だ。アンジェリカの学校があるので、ロサンジェルスの家での暮らしがベースになっていたが、アメリカに馴染めないルイス=ヴィルヘルムのために長期休暇の時は、ヨーロッパに戻るのが常だった。

 その夏は、一番大きくて由緒のあるエッケンブルグ城に滞在していた。ここは、ヴァルテンアドラー候家の本拠地で、かの神聖ローマ皇帝もここで生まれ育ったという。ここ十数年は、スイスのサンモリッツを本宅としているルイス=ヴィルヘルムも、ドイツでは大抵この城に滞在するのだ。

 育ったロサンゼルスの家は敷地が千二百平米あり、広くて豪華だ。その家に慣れていたアンジェリカでも、本物の城に滞在するのは初めてだった。城から門までも車でないと行けないし、その途中に鹿や雉などが生息しているというのも驚きだった。また城門から街までもやたらと時間がかかる。街からはどこでも小高い丘の上にあるエッケンブルグ城が見えて、それが南東の方角を知る目印だと言われた。

 城には同年代の子供はいなかった。ルイス=ヴィルヘルムの息子がやはり長期休暇のために滞在していると聞いていたけれど、十四歳のドイツ人の少年にとってアンジェリカは、仲良く遊ぶような存在ではないんだろうなと思った。

 半年前の結婚式の日に引き合わされたヨハン=バプテストは、敵意こそ示さなかったけれどアンジェリカの兄になってくれるつもりは毛頭ないようだった。今回も、アレッサンドラやアンジェリカと親しく付き合いたいという意思の全く感じ取れない形式的な挨拶だけをして城のどこかに引っ込んでしまった。彼は、父親に会えたこともさほど喜んでいるようには見えなかった。

 私なら久しぶりに会うパパには抱きつくのに。アンジェリカは、思った。ヨハン=バプテストとは、食事の時にしか会わなかったし、全く話しかけられることがなかったので、もしかして彼は英語がよくわからないのかしらと思った。

 アンジェリカに常に英語で話しかけてくれる城の使用人たちは数人で、彼女は特別に訴えかけたいことがなければ、意思が通じないくても、そのままにしていた。必要ならば、黒い服を着たシュミットさんやブレーメルおばさんを探すか、ママやルイス=ヴィルヘルムに訴えかければいいんだもの。

 彼女は、九歳にしては考えが大人びていた。パパとママは有名人だし、仕事が忙しいから、いつも一緒にいられなくてもしかたない。ルイス=ヴィルヘルムはママの二番目の夫だったあの意地悪な人と比べたらずっと感じがいい。別につらいこともない。だから問題は起こさないようにしようと。

 言葉が通じない人たちとは親しくなれなかった。友達もいないし、城の滞在も数日も経てば退屈になってきた。テレビゲームはないし、スマホに入っているゲームにも飽きてしまった。

 アンジェリカは、城の中を探検してみようと思った。ヨーロッパのお城に滞在する子供向けドラマで見たように、もしかしたら宝物のある洞窟なんかがあるかもしれないし。そういえば、ママはどこへ行ったんだろう。朝食の後、姿を見ていないな。

 アンジェリカは、絨毯が敷かれ歩幅が広く歩きにくい階段を降り、広間の裏側から庭園へと向かった。フランス式に剪定されたコニファーの間を通り過ぎようとしているときに、向こうからヨハン=バプテストが歩いてきた。

「ハロー、ヨハン=バプテスト」
「やあ、アンジェリカ、どこへ行くんだ?」
彼がドイツ語ではなくて、英語で問いかけたので、アンジェリカは意外に思った。話せるのかな。

「退屈なの。だから、お城を探検してみようと思って。あなたは、もう探検した?」
彼は、苦笑して首を振った。
「探検はしていないよ。別に、魔法使いや竜が隠れているような城じゃないしね」

「洞窟は?」
「グロットのことかい? あちらに見える噴水の裏側が、ちょっとした洞窟みたいな装飾になっているよ」
「宝物、隠してあるのかしら?」
アンジェリカが期待を込めて訊くと、彼は肩をすくめた。
「宝物があるとして、隠すとしてもあそこじゃないだろうね」

 彼は、アンジェリカと探検ごっこをしてくれるつもりは毛頭ない様子だった。とはいえ、すぐに立ち去りたそうな様子でもなかった。

「ママかルイス=ヴィルヘルムを見なかった?」
「さっき二人で、庭園の奥の方へ歩いて行ったよ。案内しようか?」
「ええ。お願い」

 フランス式庭園の終わりは、階段になっていて、降りていくと木陰の小径になっていた。そこには孔雀や雉の仲間が放し飼いになっていた。

「見て。あの鳥、判事さんのカツラみたいな頭よ」
「ああ、あれはキンケイっていうんだ。アジア原産だよ」
「あの尻尾が長いのは?」
「オナガドリ。日本の鶏だ」

「ヨハン=バプテスト、あなたとても詳しいのね」
「この城には何度も滞在しているから、さすがに憶えるよ」

「そうか。あなたもママとパパのところを往復しているのよね」
「今はそうでもない。寄宿学校に入って長期休暇の時にどちらかに帰るだけだ」

「帰るか……どっちも『帰る』だけど、どっちにも『行く』のよね」
アンジェリカの暗いつぶやきに、彼は足を止めて向き直った。妙な言いまわしだが、彼にはその正確な意味がすぐにわかった。
「どこか居心地が悪いのかい? ここの話? それともイギリスにいるお父さんの家?」

 アンジェリカは小さなため息をついた。
「居心地が悪いって程じゃないわ。パパはいつも大騒ぎして迎えてくれる。ママも帰るとぎゅっと抱きしめてくれる。でも、ソニアがね、パパの奥さんなんだけれど、うんざりって顔で私を見ることがあるの。そういう時に、マイクみたいに私のこと邪魔だと思っているんだろうなって、納得するようになってしまったの」

「マイクって、誰?」
「マイク・アッカーマン。前にママと結婚していた人」

 ヨハン=バプテストはなるほどという顔をした。マイク・アッカーマンはアメリカの著名なテレビ・モデレーターで、アレッサンドラ・ダンジェロとはわずか半年で離婚した。

「そのアッカーマンが、君を邪魔だっていったのかい?」
「ええ。お前はママが嫌いになったダメ男の子供だ。ママはリセットして新しい人生を始めたのに、子供だから放り出せないで迷惑している、ママも私のことを邪魔だと思っているって」
「アレッサンドラが、そんなことを言ったわけじゃないんだろう?」

「言わないわ。ママは、『マイクの言ったことは全然デタラメよ。ママとパパは離婚したけれど、どちらもあなたのことは深く愛しているわ。それは感じるでしょう?』って言ったわ。だから、そのことを疑っているわけじゃないけれど……」
「けれど?」

「あのね。マッテオ伯父さんがドールハウスを買い換えてくれた時にね。私、前の時にお氣に入りだった安楽椅子をとっておいたの。でも、新しいドールハウスには新しい家具があって、その椅子を入れるところがないの。それを見て、マイクが言っていたのは、こういうことなのかなって。古い家からきたものは、どんなに好きでも、あたらしい家には、上手く入らないんだなって」

 彼は心にもない否定を口にはしなかった。
「君は、その歳でずいぶんよく考えているんだな。驚いたよ」

 アンジェリカは肩をすくめて言った。
「でも、ママやルイス=ヴィルヘルムには言わないでね。大騒ぎして心配するもの」
「言わないさ」

 やがて、二人は少し開けた庭園に出た。そこには各種の薔薇が放射状に植えられていた。その中心には、つる薔薇で覆われた白い木の東屋があり、探していた二人が座っていた。

 ルイス=ヴィルヘルムは、最愛の妻の手を取り、じっと見つめながら楽しそうに語りかけていた。彼女は笑顔で答えて楽園のような光景を楽しんでいた。それは一幅の絵のように美しかった。夏の始まりの、輝かしい新緑と、深く艶やかな薔薇の花、多忙な美の女神である妻を穏やかで慎み深い夫が讃美している。おそらく誰にも邪魔をされたくないであろう、ほんのひとときの至福。

 アンジェリカは、黙ってしばらくその二人を見ていた。穏やかな風が吹き、薔薇の香りが満ちた。

「私、あっちの方を歩いてくるわね」
そう言って、背を向けたアンジェリカの背中は、小さな子供のようだった。そう思ってから、ヨハン=バプテストは、そうじゃないと思った。彼女はまだ九歳の子供なのだ。懸命に背伸びをして寂しさと戦っているけれど、大人びた台詞ほど、彼女は寂しさと折り合いをつけているわけではない。

 新しいドールハウスに上手く収まらない家具は、アンジェリカだけではなかった。彼には、アンジェリカの居心地の悪さがだれよりもわかった。彼は少女に近づくと、その手を握った。

 驚いて見上げる彼女に、彼は、慣れなくて難しかったけれど、可能な限り優しく笑いかけて言った。
「僕が、案内してあげる。あっちには、小さな滝があるし、昔、僕が海賊ごっこをした小屋がある。一緒に宝探しをしよう」

 アンジェリカは目を輝かせた。
「本当? あなた、海賊役するの? 私、さらわれたお姫様の役、やっていい?」
「いいとも。今日だけ、特別だよ」 

* * *


「アンジェリカ、本当に考え直すつもりはないのかい?」
「もちろんないわ。大丈夫よ、ルイス=ヴィルヘルム。そんなに心配しないで。私、これでもけっこうドイツ語が上手に話せるようになっているのよ。なんとかなると思うわ。どうしても耐えられないようなことがあったら電話だって出来るんだし、それに、ヨハン=バプテストもいるじゃない」

 そういうと、ルイス=ヴィルヘルムは少し困ったような顔をした。
「その、君はあいつと長らく会っていないだろう? その……あいつは、悪氣は全くないけれど、とても無愛想でな。君のような都会的な女の子の扱いも下手で、あまり上手にかばってくれないかもしれないぞ」 

 アンジェリカは、そっと微笑んだ。仏頂面のまま、一生懸命お姫様をさらう海賊の役をしてくれた少年の姿を思いだす。

「彼は、私のお芝居にきっと付き合ってくれるわ」
小さなスーツケースを軽々と持ち上げて、彼女は楽しそうに笑った。

(初出:2019年2月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2019
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

苦手なこと

久しぶりにトラックバックテーマです。しかも二年くらい昔の。ま、いいですよね。テーマは「宇宙と深海、調査をするならどちらに行きたい?」です。

いきなり後ろ向きな結論で申し訳ないですが、私は「どっちも勘弁!」です。基本的に、過酷な環境のところはあまり行きたくないんですよ。

それは、こんな経験が背景にあります。

働き始めてしばらく、海外に嬉々としていった時期があります。(今でもそうだろうと言うツッコミはさておき)当時は日本の会社員でしたから、休めても最高9日程度。海外は近場がメインでした。グアム、サイパンなど。で、一度CLUB MEDのリゾートに滞在したことがあります。このリゾートは、宿泊や食事だけでなく、施設内の多くのアトラクションの利用もタダというシステムで、プールで遊んだり、バーで楽しんだりいろいろと出来ることを試しました。

その中に「スキューバダイビング体験」があって、施設内のとても深い専用プールで、初めてそれをやることになったんです。もちろんスーツや酸素ボンベも全部貸してくれて、インストラクターが教えてくれました。

そして、いわれたようにちゃんと酸素ボンベを装着して、何の問題もなく作動したそれを背負って、グルーブの人たちと一緒に下の方へ潜ったのです。最初は何でもなかったし、普通に息もしていました。ところが、プールの一番底で「ここでボンベが壊れたりしたら息できなくなるんだよな」とちらっと考えてしまったんです。その途端、ちゃんと作動しているにもかかわらず、ボンベの酸素が吸えなくなってしまったんです。そうしたら、もちろんパニックで、最終的には急いでインストラクターと上昇して、水面に出てことなきを得ました。それ以来、二度とスキューバダイビングをやったことはありません。

「落ち着けばできる」それはわかっています。他の人は皆ちゃんと酸素ボンベで息を吸えていますよね。でも、その時だって「これは心理的なものだ。落ち着けば大丈夫」とちゃんとわかっていたにもかかわらず、どうやっても息が吸えなかったんです。

ということは、たぶん宇宙空間でも、深海探索でも、私がちらっと「ここでもし……」と考えてしまったら、きっとパニックになるんだろうなと。

私は、普段「鈍すぎる」と思うくらいの鋼鉄の神経をしていると思っています。いろいろな事が氣になる繊細な方たちのことを拝見して「大変だなあ、私は鈍くて助かった」と思うことも多い方です。そんな人間でも、パニックになる時にはなるし、それは制御できないんだとダイビング体験は教えてくれました。

同じ「もし……」の可能性のある飛行機での旅は問題ないですし、今なら実際には問題ないかもしれませんが、少なくとも宇宙旅行や深海探索はしなくても困ることでもないので、生涯やろうとしないように思います。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の一之瀬です今日のテーマは 「宇宙と深海、調査をするならどちらに行きたい?」です!どちらも広大で真っ暗な闇の中にあり、たくさんの謎に包まれている宇宙と深海、どのような世界なのだろうと想像をしてしまいます未知への好奇心が掻き立てられて、ワクワクしてしまうのにそれでも少し怖いような気持ちになりますね私はいつも天気のいい夜に外で星を見上げるのが好きなので宇宙調査でその...
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Posted by 八少女 夕

【小説】不思議な夢

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第八弾です。ユズキさんは、『大道芸人たち Artistas callejeros』の主人公の一人ヴィルの登場するコラボマンガを描いてくださいました。ありがとうございます!

 ユズキさんのブログの記事『scriviamo!2019はマンガを描きました 』
 ユズキさんの描いてくださった『コアラ先生は謎の男を拾っておもてなしをしました。

ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『ALCHERA-片翼の召喚士-』の、リライト版『片翼の召喚士-ReWork-』、そして『アストリッド様と「行くわよ愉快な下僕たち!」』を集中連載中です。

そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。

 今回描いてくださったマンガは、『ALCHERA-片翼の召喚士-』の世界観、続編に出てくるキャラクターのコアラのトゥーリ族であるウコン先生がいち早くお披露目だそうです。コラボ相手に選んでくださった唐変木男ヴィルとユズキさんの作品とは縁が深くて、ヒロインのキュッリッキ嬢や、その守護神であるフェンリルとのコラボもさせていただきました。

で、今回はヴィルが異世界召喚されちゃって、もったいないおもてなしを受けているのに、なのに相変わらずの無表情&唐変木ぶりを発揮している、もう私にとってはツボ! なマンガだったのですが、ご希望は、このお話をヴィル視点で書いて欲しいとのことでした。というわけで、書きましたが、あ〜、ユズキさん、申し訳ありません。失礼の数々、ヴィルに代わって深くお詫びいたします。


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物



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大道芸人たち・外伝
不思議な夢
——Special thanks to Yuzuki san


「ねえ、やっぱりちゃんとお医者様に診てもらった方がいいんじゃないの?」
蝶子の言葉にヴィルはムスッと答えた。
「こんなのは寝ていれば治る」

「なあ。健康保険をなんのために払ってんだよ。俺運転するぜ。ちょっと診てもらって抗生物質を出してもらうとかさ。なんなら、お尻にぶすっと注射でも打ってもらえば……」
「注射なんて死んでもごめんだ!」
そういうと、ドイツ人は布団をかぶって背を向けた。

 蝶子は、稔と顔を見合わせて肩をすくめると、仕方ないので部屋の外に出た。
「なぜあんなに意固地になるのかしら」
「さあな。ただの風邪なら確かに寝てりゃ治るけれど、あれ、インフルエンザじゃないのか? そういえば、テデスコが寝込むほど具合が悪くなったのって、もしかして初めてだな」

「普段の理屈っぽさはどこに行っちゃったのかしら。あそこまで非論理的になるなんて」
「テデスコ、もしかして注射が怖いのかもしれませんよ」
レネが言った。

 全くお手上げだった。エッシェンドルフの屋敷にいれば、ミュラーが医者の往診を頼んでくれるだろうが、旅先ではそういうわけにもいかない。
「しかたないわね。私、薬局に行って解熱剤でも買ってくる」

「じゃあ、俺たちは、買い出しに行くか」
稔が言うと、レネは頷き、三人はそっと宿を出て行った。

「注射なんて死んでもごめんだ」
ブツブツとつぶやくと、ヴィルはもう一度寝返りをうった。激しい頭痛がして、なかなか寝付けない。体が頑丈なのが取り柄なのに、一体どうしたというんだ。明日までに熱が下がるといいんだが。

* * *


 ほらみろ。少し寝ていたら、痛みは治まったし、熱ももうないようだ。医者なんかに行く必要はなかったな。

 ヴィルは、勝ち誇った思いで瞼を開けた。それから、何度か瞬きをした。安宿で寝ていたんじゃなかったのか? 何で俺は、ここに立っているんだろう。

 そもそも、その場所に見覚えがなかった。街の作りは、さほど奇妙ではなかった。若干カラフルすぎるように思うが、美しく計画された、清潔な町並みだ。しかし問題は、道行く人々が彼の馴染んでいるヨーロッパの人種と違うようなのだ。中には、彼自身と同じゲルマン系に見える人々もいる。たとえアジア系やアフリカ系の人間がいても、今時は珍しくない。だが、動物の頭をした人物が、服を着て直立二足歩行をしているのは普通ではない。

 狐がすれ違いざまに振り向いていった。連れだって歩いているのは大きな熊だ。そんなことがあってたまるか。

 つい数日前に、稔が話していたことを考えた。確か蚊が媒介するウィルスが脳炎を起こすので、日本では子供の頃に予防接種が義務づけられているとか。日本人に生まれなくてよかったと思っていたが、もしかして、先日の日本行きで蚊に刺されその脳炎にかかってしまったのだろうか。

 呆然としていると、服の一部を誰かが引っ張った。視線を下げて見ると、そこに服を着たコアラがいる。コアラだ。こんな間近にコアラを見たのは初めてだ。そう考えて、次に自嘲した。近くも何も俺はコアラを見たことなんかないじゃないか。あの時に、見そびれたんだから。小学五年生の遠足。夢にまで見たデュイスブルク動物園。

 服を着たコアラは、何かを話しかけている。残念ながら、何を言っているのかさっぱりわからない。どうやら悪意はなさそうだ、どちらかというと親切な話し方だ。

「悪いが、英語で話してくれないか」
言ってから、自分でもどうかしていると思った。オーストラリアにいるからといってコアラが英語を話すわけないだろう。オーストラリアのコアラは服は着なかったと思うが。

 そして、そのコアラは、英語に切り替えてくれることはなかった。どうやらヴィルが何を言っているのか、通じていないようだ。だが、彼は(オスだと思うのだが確かなところはわからない)、ヴィルをどこかに連れて行こうとしている。放っておいて欲しいと伝えようとしたが、考えてみればこのままここにいても問題が解決しそうにないので、とりあえずそのコアラについて行くことにした。

 ついてから、「最悪だ」と思った。どうやらそこは、あれほど行くことを拒否した診療所のようなところだったからだ。

「いや、俺はもう治ったので、心配しないでくれ。特に注射はごめんだ、絶対に断る」
幸いコアラは注射器を取り出すような氣配はなかったが、どうもこの消毒薬の匂いは落ち着かない。

 ヴィルは、子供の頃から病院や診療所が苦手だった。成長して、診療所は病を治療するところで、拷問するところではなく、怖れることは何もないのだとわかってからも、苦手意識は変わらなかった。それは、彼にとって苦々しいことだった。論理的でないとわかっているのに、感情が自分を支配しているのが腹立たしい。いい歳をして病院が怖いなどと認めるのは絶対に嫌だった。

 服を着て二足歩行をし、パイプを吹かし、人間に話しかける、非論理の極みであるコアラは、消毒薬の匂いのするこの診療所を我が物顔で歩き、診察椅子と思われるところに座れと促している。人間の医者にかかるのだってごめんなのに、どうしてコアラに診療されなくちゃいけないんだ。

「はっきりさせておきたいが、これは夢なんだろう。いわゆる明晰夢ってやつなんじゃないか。明晰夢なんてモノをみたことはこれまでに一度もないが、そもそも不眠症ぎみの俺は、ほとんど夢を見ないしな。もしこれが夢ではなかったら、俺は頭がイカれてしまったことになる。そうすると、それはそれであんたのフィールドだ。あんたが医者のコアラならな」

 コアラの方は、じっと真剣にヴィルの問いかけを聴いていたが、それがわかったわけではないらしい。かなり困った顔をしながら、何かを懸命に訴えていた。身振り手振りを推察するとなぜあそこにいたのだ、どこから来たのかと質問しているようだ。そんなこと、俺の方が訊きたい。ヴィルは途方に暮れて押し黙った。

 コアラは、どこかへと電話をした。電話も使うのか。そうだろうな、家や診療所を持っているくらいだ。電話くらいするだろう。ヴィルは妙な感慨を持った。

 直に、誰かが訪ねてきたので、コアラは玄関へ行き招き入れた。別のコアラが来るのかと思ったが、今度は人間だった。ヴィルは、これ幸いと英語を始め、ドイツ語やイタリア語、それに片言の日本語の単語なども含めて男に問いかけた。人間なんだから英語くらいわかるだろうと思った読みは外れた。その男は、コアラと同じ言葉を使っていた。ヴィルに触って、何かを調べていたようだったが、結局なんの解決にも至らずに帰って行った。

 これではっきりした。ここは、いつもいる旅先のどこかではない。俺の頭が高熱でおかしくなってしまったという疑いは晴れないが、それにしては恐怖を引き起こすような状況は(注射を除いては)起こりそうにもない。ということは、やはり明晰夢の一種なのだろう。ヴィルは、とにかく落ち着いて、目の覚めるのを待とうと思った。

 そもそも自分はなぜコアラの夢を見ているんだろうかと考えた。コアラが特別好きだと思ったことはない。そもそも、三十年以上生きてコアラに関わることはほとんどなかった。唯一あるとしたら……。

 小学五年生の時、ドイツ西部のデュイスブルクに遠足に行くことになっていた。オランダにほど近い街までは遠いので泊まりがけだった。デュイスブルク動物園はコアラの繁殖に力を入れていて、オーストラリア固有種を生まれて初めて見ることを子供たちは、みな楽しみにしていた。ヴィルもそうだった。

 だが、泊まりがけと聞き、ヴィルの父親は反対した。私生児として生まれたヴィルの音楽の才能に氣がついた父親は、週に一度ミュンヘンの屋敷にレッスンに来るよう命じた。厳しいレッスンと課題に追われる日々が続いた。例外は許さず、たかが動物園に行くためにレッスンを休むなどとんでもないというのが彼の主張だった。

 デュイスブルク行きの費用を、母親は出してくれなかった。それだけの経済的余裕はなかったし、レッスンに関することで父親に反対することも彼女は望まなかった。城のように豪奢な邸宅住む父親にとって、その費用ははした金以下だろうが、頼んでも無駄なことは訊くまでもなくわかっていた。

 ヴィルが諦めなくてはならなかったのは、デュイスブルク行きだけではなかった。サッカーの試合も、友人の家に泊まりに行くことも、年末のパーティも、どんな羽目外しも許してもらえなかった。彼は、父親の教えに従い、フルートとピアノの腕前をあげ、大学在学中にコンクールで優勝するほどに上達したが、後に反抗して音楽から離れ、演劇の道に入った。

 あの時に夢にまで見た、コアラをみること。それがこの夢の引き金だろうか。だったらなぜサッカーの試合観戦や、遠足の夢を見ないんだ。ヴィルは、首を傾げた。

 服を着たコアラは、彼を別の部屋、おそらくダイニングルームと思われる部屋へ連れて行き座らせた。それからにこやかに何かを告げると席を外した。

 何が起こるかはわからないが、危害を加えられることもないと思ったので、目が覚めたときに分析できるように、周りの状況を目に焼き付けておこうと思った。窓の外には、新緑が萌え盛っている。季節も違うらしいな。

 カチャカチャと音がして、コアラが部屋に戻ってきた。見ると磁器のティーセットを盆に載せている。質のいい薄い茶碗に、コアラは紅茶を注いだ。それをヴィルに勧めて飲めと促した。それから、次から次へと甘そうな菓子類を運んできた。

 おい、コアラはユーカリしか食べないはずじゃなかったか。いや、これまで見たあれこれと比べたら何を食べようがこの際さほど重要ではないのかもしれない。

 真っ白な生クリームの上に、色とりどりのベリーが載ったトルテ。カスタードクリームに季節のフルーツをこんもりと載せたタルト。カラメルソースの艶やかなカスタードプディング。イチゴにクリームのたっぷり載ったサンデー。チョコレートやナッツを使ったクッキーやショートブレッド。パルミエパイ、クッキー、スコーン、マカロン。

 ちょっと待て。なぜこんな大量の菓子を運んでくるんだ。何十人の客が集まるんだ? それにしては、ティーカップが二人分しかないが、どういうことなんだ。ヴィルは、言った。
「まさか、俺一人にこんなに食えって言うんじゃないだろうな。ブラン・ベックじゃあるまいし、こんなに甘いものばかり食えないぞ」

 彼の仲間の一人であるレネは、甘いものに眼がなく、一緒に日本に行ったときにもスイーツ・バイキングで一人だけ山のようにこういった菓子を頬張っていた。あの時ヴィルは、妙に薄いコーヒーのみを飲み、醒めた目で仲間を見ていた。最後に蝶子に押しつけられたエクレアを一つだけ食べたのだ。甘かったが、それなりに美味いと思った。

 ちらりと菓子を見た。一つくらいなら、食べてみてもいいのかもしれない。

 それから、急いで自分を戒めた。ダメだ、ダメだ。お伽噺のセオリーだと、こういう時に出されたモノを口にしてはいけないことになっているんだ。ただの夢なのに馬鹿馬鹿しいとは思うが、ここは用心して食わないのに限る。ブラン・ベックなら、問答無用で楽しく食うかもしれんが、俺はもう少し慎重なんだ。

 コアラは、親切そうに何かを訴えている。食え食えと言っているんだろう、見ればわかる。おや、なんだか泣いているようだ。俺が泣かせたんだろうか。

 その泣き顔を見ているうちに、ヴィルは子供の頃のことを思い出した。学校の行事に参加することがなくなり、クラッシック音楽の練習に明け暮れていたため、同級生からはお高くとまった子供だと敬遠され、彼は次第に孤立していった。デュイスブルク動物園に行かせてもらえず、悲しい想いでいたときも、それを打ち明け悲しみを吐露する友人がいなかった。彼は、誰の前でも泣くことが出来なくなった。

 そうか、俺は、ずっと泣きたかったんだ。つらい悲しいと、わかってほしいと、誰かに打ち明けたかったんだ。ずっとその相手がいなかったから、飲み込んでいたが、今の俺はもう一人じゃない。悲しみも、歓びも、共に分かち合える仲間がいるじゃないか。

 三人が楽しそうに甘いものを食べているときに、あれは俺の食べるものではないと、醒めた態度で見ていたが、一緒にワイワイと食べればよかったのかもしれない。だから、俺は、こんな夢を見ているのかもしれない。

 そう思った途端、急に晴れ晴れとした心持ちになった。周りが霞がかかったようにぼやけていく。そうか、俺は目醒めるんだな。元いたところへ、三人の元に帰れるんだ。

 彼は立ち上がると、コアラの医者に礼を言った。
Danke sehr.どうもありがとう

* * *


 目を覚ますと、少し暗くなっていた。やっぱり夢だったな。どのくらい寝ていたんだろう。ああ、本当に熱が下がったらしい、痛みもなくなっている。トイレに行くために起き上がり、多少ふらつきながらドアに向かった。

「え! 帰っていたの?」
ドアの向こうにいた蝶子が驚いた。

「何がだ? それはこっちの台詞だろう」
ヴィルは眉をひそめた。

「だって、薬を買って戻ってきたら、いなかったから。ねえ?」
蝶子が同意を求めると、稔とレネも真面目な顔で頷いた。

「よほど具合悪くなって一人で医者に行ったのかと思った。そこら辺は見て回ったけれど、倒れてもいなかったし、早く連絡をくれないかって話していたところだったんだぜ」
稔も口を尖らせた。

「もしかして、僕たちがいないと思っていただけで、本当は布団にくるまっていて見えなかっただけなんでしょうか?」
レネも首を傾げている。

 ヴィルは、トイレから戻ってくると、三人の座っているテーブルについた。それから、買いだしてきたと思われるクッキーの袋に手を伸ばすと、開けて食べた。

「どうしたの? まだ、熱があるの?!」
普段は自分から甘いものを食べないヴィルが、いきなりそんな行動に出たので蝶子はうろたえた。

「これも食べますか?」
レネは、おそるおそるマカロンも差し出した。

 悪くない。あんなにたくさんはいらんが、たまには甘いものもいい。ヴィルは、心配してくれる三人の顔を眺めながら思った。そして、先ほど見たシュールな夢について語った。

「馬鹿馬鹿しい夢だが、何か意味があるのかもしれないと思ったよ」
そう言って話を終えると、三人は顔を見合わせて、笑った。

「それって、異世界召喚ってヤツなんじゃないか」
稔が言った。ヴィルは、とことん馬鹿にした顔で応じた。

「いいなあ。もし僕がその場にいたら、全部少しずつ食べさせてもらったのになあ」
レネが言うと、蝶子は吹き出した。
「少しずつじゃなくて、完食したんじゃないかしら」

 ヴィルも同じことを思った。それから、「シャワーを浴びてくる」と立ち上がった。

「もういいの?」
「すっかり毒が抜けたよ。明日、予定通り移動も出来るさ。次の目的地、決めといてくれ」

 そう言うと、ドアへ向かう彼の後ろ姿に、稔が笑って言った。
「もう決まっているよ。デュイスブルクだろ」

 ヴィルが驚いて、振り向くと、蝶子とレネも笑って人差し指をあげて賛成の意を示していた。多数決が成立し、行き先が決まった。

(初出:2019年2月 書き下ろし)


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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

雑多なあれこれ

「scriviamo!」中で小説が続いていますが、ちょっと休憩です。今日は、いろいろな小さな話題をまとめてお送りします。

卵サンドの朝

まずは、「scriviamo!」ですが、「プランB」で参加してくださった方のうち、ポール・ブリッツさんとたらこさんが、それぞれお返し作品を発表してくださっています。ありがとうございます。(「プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです)

 ポール・ブリッツさんの「竜崎巧の朝」

 たらこさんの「scriviamo! 2019」

私の無茶なサーブに、それぞれ素晴らしい作品で打ち返してくださっています。ブログでの企画の醍醐味は、こういうところにあるんだろうなとニマニマしています。ありがとうございました。

思えば、「scriviamo!」も締め切りまで一ヶ月を切ったということで、折り返し地点まで来たんですよね。また明日から、お返し作品の発表が続きます。また皆さんが読んでくださると嬉しいです。現在、最後にいただいたサキさんへのお返しを執筆中です。次の週末くらいのお返しになるでしょうかね。

* * *


この記事の最初に載せた写真は、昨日の朝食です。「日曜日の朝はゆっくりと」という小説ではキャラクターに「ゆったりスローライフのすすめ」みたいなことを語らせていますが、実際の朝ご飯ともなると、なかなかそこまで「丁寧な暮らし」風にはいきません。特に一人だと、なおさら。この朝も、どうしても卵サンドが食べたかったのですが、ゆで卵を作るのが面倒だったので、「しゃらくせえ」と江戸っ子に変貌し、炒り卵でごまかしました。マヨネーズで味をつけてしまうとあまり変わらないと思うのは私だけでしょうか?

しかし、自分の書いたこととのあまりの落差が恥ずかしく、一応はヒマラヤの岩塩と胡椒はミルで挽き、さらにマヨネーズにガランガーの粉を混ぜてみました。それと、パセリやトマトを飾ると、ちょっと「おしゃれ〜」に見えませんか? あ、ダメですか。

ガランガーは、ドイツ中世の尼僧ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが愛用したショウガの仲間なのですが、タイ料理では今でも普通に使うようです。生だとショウガに似た味ですが、乾燥した粉末は、すこしだけ入れるとスイスのマヨネーズが、キュー●ーマヨネーズに近い味わいになるのですよ。皆さん、ご存じないかもしれませんが、キ●ーピーマヨネーズの美味しさは、伊達ではないのですぞ。

* * *


さて、もう一つここで書いておこうかなと思ったことなんですけれど。

皆さんのブログを訪問していると、前向きで素敵な内容のところもある一方で、いろいろと辛くて光が見えないような方もいらっしゃるようです。これは、どこの誰、という意味での発言ではないので、パーソナルに受け止めないでいただけると嬉しいです。

私のブログもそうですけれど、あまりマイナスなことは書かないので、まるで人生が順風満帆で悩みもなく、祝福されているかのように見えると思うんですよ。中には本当にそういう方かもいるかもしれませんが、少なくとも私はそうではありません。社交性もいまいちで誰かと会うための最初のメールを出すのに半月もうじうじ悩んでいるタイプで、実際に友人も少ないです。

勝ち組とか負け組というような分け方はあまり好きではないのですけれど、たぶん、いや、絶対的に勝ち組ではないし、これから勝ち組になりたくてもそうは問屋が卸さないし、小市民としてやれる範囲のことをちょこちょことやるしかないんだろうなあと思っています。

そういう私だからこそ、光が見えなくてつらいことを吐き出しているブログ記事を見かけると、お氣の毒だなあと思いつつ折れないで欲しいなと思うんですよね。ただ、場合によっては「頑張れ」と言われること自体がつらい場合もあると思うし、上手く直接声はかけられないのですけれど。というわけで、ここで小さく書いてみました。まあ、お読みにならないと思いますけれど……。
関連記事 (Category: となりのブログで考えた)
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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記 世吉と鵺

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第七弾です。もぐらさんは、オリジナル作品の朗読で参加してくださいました。ありがとうございます!

もぐらさんの朗読してくださった作品『主人思いの小僧と貧乏神』

もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。お一人、もしくはお二人で作品を朗読なさり、当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。いつもとても長くて本当にご迷惑をおかけしています。

今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。どうぞあちらで聴いてみてくださいね。

で、お返しですけれど、恒例の「樋水龍神縁起 東国放浪記」の話です。今回も窮鬼(貧乏神)の話題はほんのとっかかりだけですが、もぐらさんのお話のエッセンスを取り入れた話にしてみました。

平安時代の話なので、馴染みの少ない言葉がいくつか出てきますのでちょっとだけ解説しますと、出てくる「家狸」というのはいわゆる猫のことです。この当時、猫は民衆の間では狸の仲間だと思われていたようです。日本の在来の野生の猫をネズミを捕ることからペット化し始めた頃のようです。それとは別に遣唐使などと共に輸入されてきた猫もいました。それから、題名に出てくる「ぬえ」の方は、皆さんご存じですよね。想像上の生き物です。某映画のキャッチコピーを思い出した方は、私と同年代でしょうか。


【参考】
「樋水龍神縁起 東国放浪記」をまとめて読む 「樋水龍神縁起 東国放浪記」

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樋水龍神縁起 東国放浪記
世吉と鵺
——Special thanks to Mogura-san


 その村についたのは、もう暮れかかる頃だったので、次郎は何をおいてでもすぐに今夜の宿を探さねばならなかった。村はずれの小さな家でどこか泊めてくれる家がないかと訊くと、親切そうな女は困った顔をした。

「この家は狭く、とてもお二人をお泊めできるような部屋はございません」
確かにここは難しいだろうと思った。貧しい家はどこもそうだが、土を掘り床と壁と屋根を設置した竪穴式の家で、家族が身を寄せ合って眠るのが精一杯の広さしかないことが見て取れた。

 女は辺りを見回して言った。
「この先にもいくつか家はありますが、皆ほぼ同じような有り体でございます。例に漏れますのは、一番村の奥に住んでおります世吉よきち の家でございます。この者は、隣村の少領である佐竹様の右腕と言われる働き者で、親切なのでございますが……」

 次郎は首を傾げた。
「何か不都合があるのでしょうか」

「いえ。実は、この者の家には、化け物が棲んでいるのでございます。確かぬえ とやら申しました。天竺にいる虎のような体と、蛇になった尾を持ち、ヒューヒューと、氣味の悪い声で鳴くのだそうでございます。その様な家ですので、宿を請う者どころか、嫁すら迎えることが出来ないのでございます」

「そうですか。では次に泊まれるような家があるような村は」
「さようでございますね。隣村は難しいので、おそらく山道を十里ほど先に行く他はないかもしれません。ただ、もう暮れてまいりましたね。さて、どうすべきでしょうか」

 次郎は言った。
「我が主人は陰陽道に秀でられたお方ですので、多少の化け物など怖れることはないかと存じます」
「さようでございましたか! それならば、世吉も喜ぶことでしょう。誠にあの化け物さえいなければ、どんなにいいかと、村の皆で申しておったのでございます」

 次郎は、急いで主人である安達春昌の元に戻ると、女の話を伝えた。
「鵺?」
春昌は怪訝な顔をしたが、特に反対はせずに、その世吉の家へと馬を進めた。

 その家は、確かに村の他の家とは違い、決して大きくはないが茅葺き屋根の木造家屋だった。簡素な佇まいながらもきちんと掃き清められ、化け物が棲み憑いているような禍々しい氣は一切感じられなかった。

 もちろん次郎には、そういった普通の人には見えぬものはぼんやりと見えるだけで、主人のようにはっきりと見たり、判断をする知識があるわけではない。だが、主人が「心せよ」とも言わないところを見ると、いきなり化け物に襲われるようなことはないだろうと判断し、戸を叩いた。

「もうし、旅の者でございます。一晩の宿をお願いにまいりました」
その次郎の声に反応して、中から誰かが戸口へとやってきた。

 顔を出したのは、質素な身なりだが人好きのする顔をした小柄な青年であった。
「これは、珍しい。立派なお殿様のおなりですな。もちろん喜んでお泊めしたいのですが……その……村では何も申しておりませんでしたか」

 次郎は頷いた。
「伺っております。鵺という化け物が棲み憑いていると。まことでございますか」

 世吉は、困ったように言った。
「名前はわかりませぬが、異形のものがいるのはまことでございます。お氣になさらないのであれば、どうぞお上がりくださいませ」

「わが主は陰陽道に秀でておりますので、もしお望みでしたらお泊めいただくお礼に、その鵺の退治なども……」
次郎が小さい声で囁くと、世吉はぎょっとして春昌の顔を見た。

 それから困ったように言った。
「いえ、あれが窮鬼のようなものだとしても、仕方ないことと受け入れたのは私でございます。皆に追われて行く当てがなく氣の毒だったのです。私には生きるに足らぬ物はなく、これで構わぬと思っておりますので、どうぞあれをそのままにしておいていただければと思います」

 そう言うと、世吉は春昌と次郎を奥の部屋へと案内した。調度も整い、掃き清められた心地いい部屋で、嫁はなくとも世吉が家の中をきちんとしていることがわかった。化け物が突然遅いかかって来ることなどもなく、次郎は少し拍子抜けした。

 夕膳の支度をしてくると世吉が部屋から出て行ったので、次郎は家の脇につないだ馬の世話をするために再び戸口に向かった。すると、奥の部屋からヒューヒューという薄氣味悪い声が微かに響き、何かが拭き清められた廊下を静かに歩いてくる。

 次郎は肝を冷やして、急いで春昌のいる部屋に駆け戻ると大きな声で叫んだ。
「春昌様! 鵺が!」

 春昌は、落ち着いて次郎の飛び込んできた部屋の入り口を見た。それから、廊下から世吉が慌てて走ってくる音が聞こえた。
「どうか、そのものをお助けくださいませ!」

 世吉は、戸口で何か黒い生き物を抱えてひれ伏していた。怖れ伏していた次郎は、その世吉の言い方に驚いて顔を上げた。

「心配せずとも何もせぬ」
春昌は少しおかしさを堪えているような顔を見せた。

「春昌様?」
次郎は、春昌と鵺らしき生き物を抱える世吉の顔を代わる代わる眺めた。

「世吉どの。教えていただけないか。あなたがその生き物と暮らすようになつたいきさつを」
春昌の静かな声に、世吉は安堵し、生き物を放した。それは「ヒューヒュー」とわずかに喉から漏れるような音を出しながら、悠々と春昌の側に歩いてきた。

 次郎はその生き物を見て、少し拍子抜けした。確かに一度も見たことのない生き物だった。漆黒で、長い毛に覆われている。尾の長さは頭から尻までと同じくらい長く蛇のように蠢いていたが、蛇というよりは狐の尾に近いものだった。顔と体つきは屏風で見た虎に似ているが、全体の見かけは少し大きな町の裕福な家にて飼われる家狸ねこま に酷似していた。違うのは尾が長いことと、毛が非常に長いこと、それに大きいことだ。

「はい。このものは、私めがまだ少領である佐竹様の下人として、辺りを回っていたときに出会いました。とある裕福な家で、むち打たれていたのでございます。訊けば、どこからともなく来て棲み憑いたものの、それ以来、家運が傾き下人などが夜逃げをするようになったとのこと、法師さまに見ていただいたところ、このような生き物は見たことはないがおそらくは文献に見られる鵺であろうと。窮鬼のごとく、家運を悪くすると申します。されど、小さい体で息も絶え絶えに助けを求めている様を放っておくことはできず、お館ではなく、我が家でしたら殿様のご迷惑にはならぬであろうと、お許しをいただき連れ帰りました。それ以来三年ほど共にこうしておりますが、すっかりと慣れておりますし、たまに鼠なども狩ってくれます。たとえ運がよくなろうと、退治されてしまうのはあまりにも辛うございます」

 春昌は、ゴロゴロと喉を鳴らすその黒い生き物を撫でて言った。
「これは鵺ではない。唐猫からねこ だ」

 次郎は仰天してその大きな生き物を見た。唐猫と呼ばれる生き物ことは、以前に仕えていた媛巫女に聞いたことがあった。天竺の様々な法典を鼠より守るために遠く唐の国から船に乗せられてきた貴重な生き物だと。

「非常によく似た唐猫を御所で見たことがある。天子様がことのほかご寵愛で、絹の座布団で眠り、日々新しい鶏肉と乳粥で大切に養われていると聞いた」
春昌の言葉を耳にして、世吉は腰が抜けるかと思うほど驚いた。

「鼠を狩るのは当然だ。家狸ねこま が飼われるようになったのも鼠を狩るからだが、唐猫と家狸はもともと同じ種類の生き物だからな。何かの間違いで逃げ出し、親とはぐれてしまったのであろうが、その様なむごい目に遭わされたとは氣の毒に。家狸のごとく鳴くことが出来ず、鵺のような音を出すのは、おそらく喉が潰れてしまったのであろうな」

 唐猫は、悠々と世吉の元に戻ると膝に載りヒューヒューと息を漏らした。その愛猫を抱きしめながら世吉はつぶやいた。
「そうか。そんなに尊い生き物だとは知らずに、ずっとお前を窮鬼の仲間だと思っていた。申し訳のないことを」

「そうではない。禍々しくないと同様に、尊くもない。ただ、家狸ねこま と同じく、馬や牛とも同じく、けなげに生きる生き物だ。そして、世吉どの、そなたはその命を救い、窮鬼だと思いつつも懸命に世話をした。それをその猫は知っているからそなたと共にいるのだ」

「私は、このものを追い出すことも死なせることも出来ませんでした。もし窮鬼と共に生きるのであれば、人の数倍、身を粉にして働かねばと思っておりました」

 春昌は頷いた。
「その心がけが、そなたをただの下人から、少領どのの片腕と言われるまでの地位に就けたのであろう。言うなれば、そなたの唐猫からねこは、窮鬼ではなく恵比寿神に変わっていたのであろうな」

「はい。安達様、お教えくださいませ。私ごとき、身分の低い者がそのような珍しい生き物と暮らしていて、とがめられることはないのでしょうか。知らなかったとは言え、三年ほども共におりましたし、もし天子様の唐猫の仔などであったとしたら……」

 春昌は、怯える世吉に笑って言った。
「誰にも言わねばよい。法師は鵺と言ったのであろう。誰もが鵺を恐れて、その生き物を引き取りには来ない。そなたはその唐猫を鵺と呼び、寿命を迎えるまで大切にしてやるといい」

(初出:2019年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】迷える詩人

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第六弾です。前回に引き続き、ポール・ブリッツさんのご参加分。今年は十句の無季自由律俳句でご参加くださいました。

 ポールブリッツさんの「電波俳句十句

毎年ポールさんのくださるお題は難しいんですけれど、今年は更に悩まされました。毎年のお題と違うのは、今回の作品はかなりパーソナルな内容なのかなと思いまして、どう取り扱っていいのか。

ここで私が十句もパーソナルな内容の俳句をお返しすることは、誰も望んでいないと思うので、俳句に詠まれた内容を(一部は申し訳ないのですけれど、正確な意味がわからなかったのですが)、私なりに感じる創作者の共通の悩みのことを書いてみようかなと思いました。そして、書いてくださった十句にちなんで、十のよく知られたラテン語の箴言や格言を散りばめてみました。私が付け焼き刃で書く下手な俳句などでは却って失礼になると思ったので。

登場するのは、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」における「歩く傍観者」こと、(身元が判明する前の)主人公マックスです。ご存じない方も、彼が主人公だったことをお忘れの方も、全く問題ありません。この作品ではほとんど関係ありませんから。


【参考】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物

森の詩 Cantum Silvae 外伝

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森の詩 Cantum Silvae 外伝
迷える詩人
——Special thanks to Paul Blitz-san


 穏やかな秋の午後、マックスは山道を急いでいた。まだ今宵の宿を見つけていないのだ。足下には絨毯のごとく大量の栗のイガが散らばっていた。

「痛っ」
マックスは、声を上げた。今日は、もう三度目だ。彼はまたしてもそれを踏んでしまったのだ。

 この地域は、特に風味豊かな栗を産することで有名だ。鬱蒼と茂る背の高い栗の木々は、村のそれぞれ家で管理している。教会と代官に納める分以外は、乾燥栗や、その粉末に加工されてヴェルドンはもとより、貿易によって運ばれ遠くセンヴリやカンタリア王国の宮廷でも食卓に上ることがあった。

 落ちているのはイガばかり、つまり、旅籠で本日の定食を頼めば、彼の足を刺したイガが抱いていた秋の味覚を口にすることが出来るはずなのだ。

 まずは栗を煎る香ばしい煙が、それからようやく小さな灰色の家々がマックスを出迎えた。彼は、歩きにくい粗い石畳の小径を進み、《牡鹿亭》と書かれたおそらくこの辺りで唯一の旅籠に足を踏み入れた。

 中には旅人らしい影は多くなかった。食事をしているのは、旅籠の亭主らも含めて四人ほどで、おそらく客は奥に一人で座る青年のみだろう。

「今宵の宿を頼みたいのだが」
そう尋ねると、亭主は立ち上がり、中へと招いた。古い栗の木を用いた寝台や机、とても小さな戸棚があるだけの簡素な部屋だったが、マックスは満足した。

「今すぐ来てくれれば、定食を出すが」
マックスは、頷いた。少し早すぎるとも思ったが、食いっぱぐれるよりはいい。

 食堂は狭いので、彼は先客の前に案内された。それは青ざめた顔をした痩せた青年で、銀色のタンブラーを右手で持っている。中には半分ほどのワインが入っている。その手がわずかに揺れているのを見て、マックスは「おや」と思った。

「ワインはいかがですか」
亭主がワインの入った水差しを持って近づいてきた。マックスは礼を言ってタンブラーを差し出した。マックスに注ぎ終えると、訊くまでもなくもう一人の客もタンブラーを差し出したので、そちらにもためらいながらも注いだ。

「そんなに飲んで、大丈夫か、アントー? 」
亭主の問いかけに、アントーと呼ばれた客はあざ笑うように言った。
「大丈夫じゃないさ。生まれてからこのかたずっと」

「それじゃ、わざわざ明日の頭痛や悪寒をあえて背負い込む必要はないんじゃないかい?」
余計なことと思いつつも、マックスは言ってみた。

 男は片眉を上げると、マックスにタンブラーを差し出して答えた。
「正にその通り! それでは、明日の頭痛と吐き氣に乾杯しよう、旅のお方」

 マックスは、盃を合わせて少し飲んだ。
「君は、この村にしばらく逗留しているのかい? 詳しいなら少し教えてくれないか」

 アントーは、口の端だけで笑いながら言った。
「何を知りたいのかね、旅のお方。俺は、確かにこの辺りのことに少しは詳しいさ。今は歓迎されず、長居をすることはないが、何といっても隣村で生まれ育ったのでね」

「そうなのか! 僕は、サッソ峠を超えてグランドロンヘと入るのは初めてなんだ。初雪が降る前に街道へと出たいんだが、どこを通ると一番いいだろうか」
「そうだな。俺なら、少し西へと向かいエッコ峠にするな」
「ずいぶんと遠回りなのにかい?」
「サッソ峠は、日が当たらないためか辺りはひどく貧しくてね。旅籠はないし、食べられるものや安心して休める場所も見つけにくい。ここを出てしばらくはひもじい思いをすることになるし、追い剥ぎにやられる可能性も多い。道は一本なので、迷うことはほとんどないと思うがね」

「じゃあ、君がここに居るのは、故郷に帰るためなのか?」
そうマックスが訊くと、アントーは引きつったような笑い方をした。

「俺は、二日ほど前に故郷の村へ行ったんだが、追い払われたんだよ。金の無心だけのために戻ってくるなってね。名をなして、豊かにならない限り、故郷にも帰れないのさ」
そう言うと、苦しそうにワインをあおった。

「故郷を離れてから、どこに居たんだい?」
「あちらこちらさ。宮廷で雇ってもらおうなんて野望は持っていないが、大きな町に行けば、詩人として名をなすことも出来るかもしれないってね」

「君は、詩人なのか」
「今は、ただの酔っ払いだ。言うだろう、『In vino veritas.(真実とはワインの中にある)』ってね」

 マックスは肩をすくめた。
「つまり、これから君は、本当のことをペラペラとしゃべってくれるというわけだね」

 アントーは、おやと言うようにマックスを見た。
「ラテン語がわかるってことは、お前さんは、ずいぶんと教育を受けているんだね、旅のお方」

「ほんの少しね」
マックスは、酔っ払っていないので、真実を吐き出してはいなかった。実際には、彼は当代で受けられる最高の教育を受けており、宮廷や貴族たちの家で教師として働くことで生計を立てていた。そして、この旅籠の主人らが生涯に一度も見たことがないほどの大金を質素な旅支度に隠し携えていたのだ。

「そうか。俺は、だが、ラテン語に詳しいというわけではない。さっきのはたまたま知っていただけだ。そもそも、まともな教育を受けることなど不可能だったしな。まともに食うものもない貧しい村で、詩人になりたいといったら、誰もが笑ったよ。ただ、親は喜んだ。小さな畑を二人の息子が引き継ぐのは不可能だったし、詩人になるなら村から出て行くに決まっているからな」

「そして、君はそうしたんだね」
「ああ、したとも。ヴォワーズ大司教領へ向かい、門前町で自慢の詩を朗々と歌うところから始めた。まさか、村でよりもひどい嘲笑に迎えられるとは思いもしないで」

「『Sedit qui timuit ne non succederet.』」
「なんだそれは?」
「ホラティウスの言葉だよ。『失敗を怖れ成功したくなかった者は、静かに座っていた』つまり、何もしない人間は失敗もしない代わりに成功することは絶対にないって意味だ。君は詩人になる努力を始めたんだろう」

 アントーは頷き、タンブラーから酒を飲み干すと、亭主に合図してお代わりを要求した。亭主は、先にマックスにスープを運んできた。わずかに茶色いクリームスープからはほのかに栗の香りがした。

 アントーは、酒をもらうと、低い声でブツブツと詩らしきものを唱えていたが、マックスにはほとんど聞き取れなかった。彼は、顔を上げてマックスに語りかけた。
「そうさ。でも、詩人を目指すのと詩人になるのは同じではなかった。大きな壁があった。みな俺の詩には、教養がないと言うんだ。韻は踏めていないし、故事も含めていないと。だけれども、どうしたらそんなことが出来る? 俺は、何も知らないし、習う相手もいないんだ。金もないし。なあ、旅のお方、詩人の資格とはなんなのだ?」

 マックスは同じホラティウスの言葉を思い出した。
「『天賦の才、人より優れた心、そして偉大な物事を表現する雄弁さを持っている人は、詩人の名誉を受ける権利がある(Ingenium cui sit, cui mens divinior, atque os magna sonaturum, des nominis hujus honorem)』ってね。雄弁さの部分は、技術的な問題もあるから学ぶ必要があるのかもしれないが、そもそも大切なのは何を表現したいかじゃないのかな」

 アントーは、顔を上げた。暗い想いにわずかな陽が差したかのように。
「表現したいこと……それならいくらでもある」

「こうもいうよ。『魂があるところに、歌がある(Ubi spiritus est cantus est)』僕は、全く詩人ではないから、知識があっても詩は作れない。詩を作りたいと想うことこそが、既に一つの才能なのではないかな」

「じゃあ、俺はまだ詩人でありたいと願い続けていてもいいのだろうか」
「もちろん、いいと思うさ。名をなして金持ちになるかどうかはわからないけれど、もともと金がないから詩人を目指してはいけないなんてことはない、そうだろう? もし、君さえよければ、僕に一つ聴かせてくれないかい?」

 アントーは、小さく頷くと、うつろな瞳を宙に泳がせ詠じた。
「少女が戸口で頼む 火のついた炭を分けてくれと
隣人は怠惰なのろまと罵り 戸を閉めた
冷えた家に戻った継母は 怒りにまかせて少女を叩き
彼女は叩かれた数を 腹の中で数えた」

 詩は、次の連へと進み、いくつもの傷跡を受けて謎の死を遂げた継母を置き去り、少女が街へと出て行く様子を述べた。少女は街で早々に男たちに売られて、悲惨な生活へと流されていくやるせない物語だった。マックスがこれまで聴いた詩と違うのは、確かにそのアントーの詩は韻律を全く無視しており、平坦な文章にしか聞こえなかったことだ。だが、物語そのものは、非常に興味深かった。

 亭主がやってきて、詩には全く感銘を受けた様子を見せずにアントーをじろりと睨んだ。
「おい、なんの役にも立たない物語でお客さんを悩ませるんじゃないぞ」

 青年詩人の声は小さくなり、語るのをやめてしまった。その様子を見て、マックスは、この近隣でのアントーの立場を思いやるせなくなった。

『何故笑っているのか。名前を変われば、物語はあなたのことを語っているのに(Quid rides? Mutato nomine et de te fabula narrator.)』
そう言ってやりたいと思ったが、それが却って故郷でのアントーの立場を悪くしてはならないと思い、黙った。

 亭主は、マックスの空になったスープ皿の椀を下げると、平たい麺にラグーをかけた料理を置いた。ラグーには煮込まれてバラバラになった肉が見えたが、塊はなかった。その代わりに大きな栗がいくつか見えた。

「スープはいかがでしたかい」
「ありがとう。美味しかったよ。栗が入っているんだね」
「へえ。そして、この麺にも栗の粉が練り込んでありやす」

 その麺を、マックスは一度も見たことがなかった。指ほどの長さに切れていて、グレーと茶色の中間の色をしている。少しざらりとした舌触りだが、もっちりとして弾力のある歯ごたえだ。
「土台になっているのは小麦ではないのかい?」
「ソバ粉、栗の粉、それにほんのわずか小麦でさ。この谷の名産としてお代官さまに献上する品目に入っておりやす」

 この地域は、小麦がよく育たなく、むしろソバの生育に適しているのであろう。ないものを憂えるのではなく、その土地だからこそ出来る物を強みに、人々が生き抜く様を、マックスはここでも感じた。
「『Aut Viam Inveniam Aut Faciam』と言うとおりだね」

「なんですかい、それは?」
「先ほどから、僕たちが話しているラテン語名言集のひとつさ。『私は道を見いだすか、さもなくば自ら道を作るだろう』っていう意味だよ。他の土地のように小麦を植えるのは難しいかもしれないが、栗にしろ、蕎麦にしろ、この谷だからこそよく育つ植物を利用して、他にはない強みを作った先人たちの知恵に感心しているのさ」

「そうなんですかね」
そういって亭主はまた下がった。

「自ら道を作るか……」
アントーが、つぶやいた。

「そうだ。君の詩も、おそらく道を作りかけている最中なのではないか?」
マックスは言った。

 アントーは、自信なさそうにマックスを見た。
「聴いてくれるのは、貧しい人たちばかりだ。金のある奴らは、俺の語りかけに立ち止まることをしない。それに神父がやってきてたしなめるんだ、善きことをした者が報われる物語を、きちんとした韻律で語れと。この世に善きことをした貧しい者が報われたことなど、俺は一度も見聞きしていない。そんな耳障りのいい絵空事を語るために詩人になりたかったわけじゃないんだ」

 マックスには、アントーの悩みの本質が見えてきた。韻律や故事などは習うことが出来よう。だが、彼が望むのは世の中の矛盾と不正義に対する告発を詩にすることなのだ。そして、それを望む限り金銭的な成功や名誉を得ることは難しいに違いない。

「僕には、君を助けてあげることが出来るかどうかはわからない。でも、名を成すことと、伝えたいことを同時に実現するのは、詩人に限らず難しい。君の物語に僕は心を動かされたから、受け入れられることは可能だと思う。でも、それが難しいのは確かだ。少なくとも韻律を学んで、体裁を整えれば、聴いてくれる者が増えるかもしれない。もしくは耳障りのいい詩で先にパトロンを作ってから、より伝えたい詩を詠じるという道もある」

 アントーは、しばらく黙ってマックスを見つめていた。
「お前さんは、まじめに聴いてくれるんだな。そうか、そうかもしれないな。今すぐに全てを実現しようとするから、上手くいかないのだろうか」

「新しいことをしようとすれば、時間はかかるだろう。『滴は岩に、力によってではなく、絶え間なく落ちることによって、穴をあける(Gutta cavat lapidem, non vi, sed saepe cadendo. )』って言うからな」

 アントーは、タンブラーを脇にどけて、真面目にマックスの顔を見つめた。
「体裁を整えるために韻律を学ぶか。だが、どこで、誰に……」

 マックスは、少し考えた。
「もし、またセンヴリに向かうつもりならば、マンツォーニ公の領地へと行くがいい。サン・ジョバンニ広場には、アレッキオという年老いた詩人がいる。彼とは、一年ほど親交を持っていたが、人の心のわかる立派な魂を持った男だ。彼にマックス・ティオフィロスに紹介されたといって教えを請うといい」

「ありがとう。是非そうするよ。なんとお礼を言っていいか」
「『苦難の中にいるものには、恐らく、よりよいものが続くであろう(Forsan miseros meliora sequentur.)』もしくは『過ぎ去った苦しみの思い出は、喜びに変わる(Jucunda memoria est praeteritorum malorum.)』っていうからね。君の志が実を結ぶことを応援させてもらうよ」 

 それからマックスは、懐から財布を出して、銀貨を一つ渡した。一つの詩に対する賞賛にしては高すぎる金額だったので、アントーはぎょっとして訊いた。
「どうして?」

「君の未だ世に認められていない才能にさ。『Magna voluisse magnum.』(全ては我が槍に至る - 偉大なことを欲したということが偉大である)、そう思って受け取るといい。僕に出来るのはここまでだ。このあとに運命が開かれるかどうかは、君次第だ」
マックスは言うと、彼自身のワインを飲み干して、青年の幸運を願った。
 
(初出:2019年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】日曜の朝はゆっくりと

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第五弾です。ポール・ブリッツさんは、今年も、二つ同時にご参加くださいましたが、まずはプランBの方です。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。毎年難しいお題を出すのを生きがいになさっていらっしゃるのでは、と思うのですが、どうでしょう(笑)

さて、まず先にBプランからのお返しですが、ポールさんは「自炊日記」という形で、一ヶ月間召し上がったものを記録していらっしゃるので、それにちなんだ作品を書いてみました。別になんてことのない短い話ですが、中に簡単なレシピが組み込んであります。

というわけで、お返しはこの作品と一切関係のないもので、単純に「中にレシピ的な記述が入っている作品で」お願いします。



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日曜の朝はゆっくりと
——Special thanks to Paul Blitz-san


 朝から何も食べていなかったので、真子はすこぶる機嫌が悪かった。正直言って、食べられるものであれば、コンビニのおにぎりだろうが、ファーストフードの最安値ハンバーガーでも構わなかった。

 でも、そんなことを言おうものなら、食文化への冒涜だとか、よい食事と少しの酒は精神への貢ぎものだとか、意味不明な言葉を並べ出す男がいる。だから、イライラをぐっと堪えて、その男の手がもう少し早く動くように誘導しなくてはならない。

 オーギュスタンは、面倒くさいタイプだ。真子のかつて勤めていた会社に、一筋縄ではいかない同僚がいた。忘年会に一人遅れ、乾杯の音頭をとる部長がしびれを切らして真子に様子を見てこいと言った。行ってみると余興に使うプリントを作っている。部長が苛ついているから早くしろと言ってもフォントが揃っていないと、それからやたらと時間をかけていた。オーギュスタンは、かなりその人に近い、空氣を読まずにこだわるタイプだ。元同僚と違ってフランス人なので仕方ないのだろうか。

 めくるめく情熱の夜を過ごして、幸せの絶頂にいるというのならば、このウルトラ悠長なブランチの準備に何も思わないかもしれない。だが、あいにく真子とオーギュスタンは、そのような色っぽい関係ではなかった。

 真子は、かつてかなり高給をもらっていたので、広くて綺麗な新築マンションを購入した。ところが、急に子会社に出向を命じられ、手取りが減ってしまい、ローンの返済が苦しくなってしまったのだ。売るのは条件が不利だったし、通勤に便利なこの住まいを手放すのも悔しかった。それで、空いている部屋を貸すべく同居人を募ったのだ。

 本当は女性の方が安全だと思っていたのだが、あいにくちょうどいい感じの女性はみつからない。あれこれ検討しているうちに、なぜかこの謎のフランス人男が同居することになってしまったのだ。言葉の心配をしたが、英語でなんとかなることがわかったので、お互いブロークンなままなんとか意思疎通を図っている。

 実は、それも彼と同居することにした理由の一つだ。日本人同士だと毎日ちゃんと会話をしないと氣がとがめるが、外国人なら「意思疎通が外国語で難しくて」と逃げられると思ったのだ。もっとも、彼が居るときには、どういうわけか会話に引きずり込まれてしまう。氣まずくなることもない。

 それに、フランス人と言えば、女を見ればすぐに口説くものなのかと思っていたが、おそらく彼も相手を選ぶのであろう、同居を始めて二ヶ月経つが、ただの一度もそのようなことはなかった。

 真子の方でも、それ以上の関係になりたいとはカケラも思っていない。今朝にしても、別にご飯を作ってもらわなくてもいいのだが、つい話の流れで作ってもらうことになった。トロいので自分で作るから台所を明け渡せと今さらいうのも剣呑だ。

 ガラスタンブラーに、彼は赤ワインを注いだ。よくカフェなどで水を入れてくれるDURALEX社のピカルディというコップだ。そして鼻歌を歌いながら真子に微笑んだ。
「君の健康に乾杯」

 真子は乾杯に応えるために、手元の水の入ったコップを持ち上げた。
「ありがと。でも、朝っぱらから、ワインなの?!」
「もう十時半だから、早すぎないさ」

 いや、まず朝ご飯を作ってから、そういうことをほざいて欲しいんですけれど!

 その真子の心の叫びを全く意に介さず、オーギュスタンは、窓辺に置いている小さなプランターに向かい、何かの草に見えるハーブを数本指でカットした。

「それは、何?」
「エストラゴンさ。日本人の使うヨモギと親戚にあたるハーブだよ。ギリシャでヒポクラテスが著作で触れているくらい、ヨーロッパでは歴史のあるハーブなんだ」

 なるほど。ああ、しまった。こんなことを訊くんじゃなかった。彼は、ワインを飲みながら、コンピュータに向かい、エストラゴンのことを書いたサイトを探して真子に見せてくれた。

 他にすることがないので、真子はエストラゴンについての長い説明を読んだ。

 その間に、オーギュスタンはエシャロットの皮を剥いて刻んだ。小さくつやのある薄紫の小タマネギ様の野菜は、タマネギに似ているけれど匂いはマイルドで甘みも少ない。エストラゴンやパセリもみじん切りにしている。赤ワインのボトルを開けたのでまた飲むのかと思ったら、小さな鍋に入れてそれでみじん切りにした野菜類を煮だした。

 塩胡椒してから、ぐつぐつと煮ている。
「さあ、しばらくかかるからおしゃべりしよう」

 なんですって!
「それ、何を作っているの?」
「ベアネーズソースだよ。白ワインで作る人もいるけれど、僕は赤ワイン派さ。アルコールは飛ぶから問題ないよ。十分くらい煮るから。とにかくきちんと煮詰めないと美味しくないからね」

 ものすごくいい香りが台所に充満している。これは間違いなく美味しいはず。かんしゃくを起こしてコンビニに菓子パンを買いに行ったりしたら、きっと生涯後悔する。でも、お腹がすいたなあ。

「食事をする度に、こんなに手をかけているの? 大変じゃない?」
真子は訊いた。

「せっかくの食事は、美味しく愉しくすべきだよ。それが可能ならね。高級な食材や、手間のかかる手順が必要だと言うんじゃないよ。でも、胃袋だけでなく、眼も舌も、心も喜ぶ様な食事こそが、本当の意味での豊かさだと思うよ。だから会話や、テーブルセッティングも、大事だ。それに少しのワインもね」

 彼は、ガラスタンブラーをもう一つ出してきて、真子の前に置くと、ワインの瓶を手に持って訊いた。
「飲む?」

「まだ昼前だし……」 
真子は、一度良心に従って水差しをみたが、このいい香りのブランチは、日常ではなくて「ハレ」だと思ったので、改めてワイン瓶を指さし頷いた。オーギュスタンは、にっこりと笑いワインを注いだ。

「人生は短いんだ。夜にアルコールを飲めない日もある。なのに、休日でも昼前は飲まないなんてルールで自分を縛っていると、もったいないよ」
「そうかもしれないけれど……。フランスって、みんなそうなの? それじゃ、下戸が生きにくいじゃない」

「飲みたくない人に強制したりするのは、犯罪だよ。酒は、節度を持って楽しく飲むべきさ。それに僕は、楽しみを分かち合いたいだけで、飲ませたいわけじゃないよ。いらないなら喜んで一人で平らげるさ」
 
 ふむ、そうか。そのポリシーは、いいかも。
「フランスでは、こんな凝った料理を作れる男性、多いの?」
「別に凝っていないよ、このくらい、誰だって作るだろう?」

 いや、私は作らないけど。真子は思った。ううむ、ということは、この料理はフランスでは大したことのない部類なのか。まだソースしか作っていないから何が出来るのかわからないけれど。

 オーギュスタンは、鍋の様子を見た。ずいぶんと煮詰まってきたようだ。火を止めて、少し冷ましている。それから小さな鍋に移して、卵黄を混ぜてから湯煎にかけた。オリーブオイルを少しずつ加え、マヨネーズのような状態になってから火を止めた。

 それから彼はパンを入れている戸棚から、マフィンを取り出して二組トーストした。粗熱がとれてから、柔らかくしておいたバターを塗り、ベアネーズソースも塗った。そして冷蔵庫から取り出したローストビーフを「そんなに」といいたくなるほどこんもりと載せるとまた少しベアネーズソースを塗り、ミルで挽いた海の塩、黒胡椒とエストラゴンを載せた。

「さあ、テーブルについて」
冷蔵庫から様々なハーブの入ったサラダ菜を取り出してきて大きめの黄色い皿に敷いた。そこにローストビーフマフィンを置いた。それだけで、そこらのカフェが逃げ出したくなるほどのおしゃれな一品になった。

 いつもと同じテーブルだし、台所だって変わっていない。なのにどうしてここまでおしゃれブランチになるんだろう。ソース以外は、本当に全く難しくなさそうなサンドイッチなのに。

「ああ、お腹すいた。でも、待った甲斐があったわ、本当に美味しそう」
どうぞ召し上がれボナペティ

 真子は、マフィンをしっかりと手に持つと、思い切ってかぶりついた。ベアネーズソースの濃厚な味いと香りが、口の中に広がる。
「このソース、本当に美味しい! これって、どこかで売っていないかなあ」
そう真子が言うと、彼は人差し指を振ってたしなめた。

「出来合のソースを、プラスチックの容器から絞るようなやり方では、この味わいは得られないさ。コンビニエンスストアでは手に入らないからこそ、作りがいがあるんだ」
「そうかもね」

 待たされた怒りは、どこかに吹き飛んでしまった。仕事と自宅の往復だけで疲弊し、何かに当たり散らしたいと思っていたイライラもいつの間にか消え去っていた。

 空腹を満たすためだけ以外の食事をしたのは、久しぶりだった。一杯の昼前の赤ワインと、自宅で食べるとびきり美味しいサンドイッチ。少しゆっくりすぎるほどに手間をかけた準備と、ゆったり味わうブランチタイム。それ以外に予定のない、何でもない時間。

 満たされない想いへの処方箋は、高い給料でもなければ、かっこいい彼氏でもなかった。新しいショッピングモールや話題のカフェに行くことでもなければ、スケジュール帳を予定で埋めることでもなかった。そうではなくて、反対に、今あるものの中でゆったりと時間を過ごすことなのかもしれない。

 ベアネーズソースを心ゆくまで味わいつつ、真子は自分で面倒くさい呼ばわりをした同居人に対して、「次は何を作ってくれるのかな」と虫のいいことをいつの間にか考えはじめた。

 その野望を知ってか知らずか、彼は満足げにサンドイッチを食べながら、またワインをグラスに満たした。

(初出:2019年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

卵焼き器でミニロールケーキ

以前、「卵焼き器を使う」という記事で、卵焼き以外にミートローフ風やら。たこ焼き風やらにも使えるという話題を書きました。

で、もう一つ、ネットで見かけて「簡単そう」と思いトライしてみたのがミニロールケーキを作ることでした。

ミニロールケーキ

見かけが今ひとつアレなのは、私の腕前のせいです。ネットで探せばもっと本格的に美味しそうな写真が見つかります。私のところは料理ブログではないので、これでご勘弁を。

ロールケーキに限らず、スポンジケーキを使うお菓子って、敷居が高いじゃないですか。材料を用意して、まずオーブンでスポンジケーキを焼いて、それからクリームを用意してと、工程が多くてレシピを読んだだけで「いいや、食べたいけれど我慢しよう」になってしまう。それに、量が多いので「こんなに食べたら、カロリーが……」となりますよね。

この卵焼き器のロールケーキは、卵焼き器の幅のミニサイズのケーキが出来るので、一人で食べきれます。「いや、わたし一人でそんなに食べない、彼と二人で(はあと)」という方は半分食べるんでしょうが、私はあまりに美味しくて即完食してしまいました。食べられます、ノープロブレム。

という話はさておき、工程がどれほど楽なのかという話に戻ります。

材料は、卵一個、砂糖大さじ1、牛乳大さじ1、ホットケーキミックス(私は海外在住なので自作のミックスです)大さじ3です。詳しい工程はネットで調べていただくとして、要するにこの順番に泡立て器(私は電動)で混ぜ合わせます。これを焼きます。

私の卵焼き器はティファールのテフロン加工のものなんですけれど、油をしかずに普通に五分焼くだけでこのように綺麗な茶色い綺麗なスポンジが出来ます。大事なのは卵焼き器が熱くなったら一度濡れ布巾で冷ましてから生地を流し入れること、それから念入りに長く焼きすぎると固くなってロールするときに割れます(経験済み)。

この生地を冷ましている間に、クリームを作ります。レシピではクリームを泡立てたりしていますが、ズボラな私はマスカルポーネを使います。これにメープルシロップを適宜入れるのが最も簡単なバージョン。バリエーションとしてココアを入れてチョコ味にしたり、オレンジと砂糖を混ぜてオレンジマスカルポーネクリームにしたりと、色々と出来ます。

で、巻いておしまい。文字で書くと工程があるようですが、お菓子作りを少しでもしたことがある方は、実際にやってみればどれほど面倒が減っているかがわかります。洗い物は少ないし、すぐに出来るし、しかも一口サイズで美味しい。コンビニに買いに行くよりも楽だと思います。まあ、自宅に生クリームはともかく、マスカルポーネもあることが多い私は特殊かもしれませんけれど。


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Posted by 八少女 夕

【小説】野菜を食べたら

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第四弾です。canariaさんは、楽しい「薄い本(同人誌)」様の短編で参加してくださいました。ありがとうございます!

canariaさんの『scriviamo! 2019 参加作品』


canariaさんは、Nympheさんというもう一つのお名前で独特の世界観と研ぎすまされた美意識の結晶を小説・イラスト・動画などで総合芸術を創作なさるブロガーさんです。現在ブログでは、「千年相姦」を絶賛連載中で、同時に「侵蝕恋愛」も続々刊行、それにイラストのプロジェクトも同時進行と、大変精力的に活動なさっていらっしゃいます。無理にブログの友達になっていただいたのは、前の前のブログの時からですから、お付き合いは結構長いですよね。

さて、今回は昨年に続き、私の「ニューヨークの異邦人」シリーズに絡めた作品、同人誌による二次創作という体裁で遊んでくださいました。

妹Loveで大富豪な上、何をやるのか作者でも謎なマッテオ・ダンジェロが、「郷愁の丘」作品中でグレッグがジョルジアに書いて渡したスケッチをWWFでの商品化するために動いてしまったという笑える設定です。ま、そんなわけないだろうというツッコミはなしで。これ小説の世界ですから(笑)

というわけで、またしても外伝を書かせていただきました。ええと、ヒロインのジョルジアはお留守です。その代わりに、思いっきりネタバレな(というか本編では書く予定のなかった人たち)がゾロゾロ出てきています。どんな先の話だ……。ま、いっか。


【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」


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野菜を食べたら
Special thanks to canaria-san


 ドアの前に立って、アンジェリカは大きく息を吸い込んだ。ジョルジアの言いつけたことを忘れたわけではない。でも、他にどうしようもないんだもの。

 思い切ってノックをした。
「グレッグ、ねえ。邪魔して悪いけれど……」

 その先を言う必要はなかった。バタバタと音がして、中からドアがガチャリと開いた。口髭に隠れてはいるけれど、慌てて口をパクパクさせている様子は、おかしい。
「す、すまない!」

「ジョルジアには言われていたの。あなたが論文執筆に集中しているときは、邪魔をしないで先にご飯を食べろって。でも、二人ともあなたを待つって言い張るし、それなのに、ラファエーレはお腹が空いてぐずり出すし。だから、ご飯を食べに来るか、そうじゃなかったら二人に直接もう食べろって言って欲しいの」

「もちろんすぐに行くよ。本当に申し訳ない、アンジェリカ。僕は、また時間をすっかり忘れてしまったんだ」
そう言うと、一度デスクに戻って、広がっていた資料にいくつか紙を挟んでから閉じて重ね、それから走るようにしてさっさと戻りかけているアンジェリカを追った。

 ダイニングテーブルの横で、老いた愛犬ルーシーを撫でながらうつろな瞳をしていた幼い少年が、アンジェリカの後ろから入ってきたグレッグを目に留めて歓声を上げた。
「パパがきた! エンリコ、ごはんだよ!」

 飛び上がり駆け寄ったラファエーレ少年を、抱き上げるとグレッグは「ごめんな」と言った。少年は父親にぎゅっと抱きついて、そのまま椅子まで運んでもらった。グレッグは、もう一人のもう少し年長の少年に目を移した。

 エンリコは、明らかに自分も大好きなグレッグ伯父さんに抱きつきたいという顔をしていた。しかし、彼はもう九歳で抱きつくには少し大きくなりすぎているし、さらにいうと、目の前にいるアンジェリカ・ダ・シウバに笑われるのは嫌だった。

 グレッグは、そのエンリコの側にやってきて、肩の辺りを優しくポンポンと叩くと「遅くなってごめんな」と謝った。彼は首を振って笑顔を見せた。赤ちゃんではないので、食卓に全員が揃うまで待つことは問題なかった。もちろん、自分の父親を待つのは話が別だ。アウレリオ・ブラスは、食事に間に合うように帰ってきたことなどない。それどころか、予定よりも数日遅れることもしょっちゅうだ。朝はマリンデイに行くと話していたのに、夕方になってミラノから電話をしてきたりする男なのだ。

 でも、グレッグは違う。彼は、小走りになって、こうやってテーブルについてくれる。研究に夢中になると時間を忘れてしまうのはいつものことだから、せっかく遊びに来たのにほとんど一緒の時間を過ごせないこともある。それでもエンリコは、大好きなグレッグにわがままを言って困らせたりはしたくなかった。

 グレッグは、エンリコの母親マディの腹違いの兄だ。ツァボ国立公園に近いサバンナの真ん中《郷愁の丘》と呼ばれるところに住んでいるので、エンリコの家からは早くても一時間以上かかる。でも、数年前までは、二週間に一度くらい、エンリコの祖母レイチェル・ムーア博士と研究のことを話しに来ていたので、エンリコは祖母の家でしょっちゅうグレッグ伯父さんと会うことが出来た。

 様子が変わってしまったのは、ラファエーレが生まれてからだ。それからは、仕事と育児に忙しくて、二人ともなかなかレイチェルのところにもマディのところにもやってこない。だから、エンリコは、休みになると自分から率先して《郷愁の丘》に数週間泊まりに行くようになった。

「ねえ、ちゃんと付け合わせの野菜も食べなさいよ。好き嫌いなく何でも食べるから安心してって言われたのになぁ」
お皿の上の肉はなくなったものの、野菜がいっこうに減らないことにヤキモキしたアンジェリカが促した。

 エンリコは口を尖らせた。
「ジョルジアが作る付け合わせは美味しいから、すぐなくなっちゃうんだよ」
「ママのごはん、とってもおいしい!」
小さなラファエーレも調子を合わせたので、グレッグが慌てた。

「君の作る食事も美味しいよ。実を言うと、君に料理が出来るなんて、思ってもいなかったんだ。まだ十八歳だし、それに……」
「甘やかされたお嬢さまだから?」
「いや、その……」

「そんなに真面目に困らないで、グレッグ。それに氣を遣ってくれなくてもいいのよ。だいたいね、エンリコ。私がジョルジアみたいに料理上手だったら、こんなところであなたのベビーシッターなんかしていないで、とっくにスターシェフになって稼いでいるわよ。まったく子供のくせに生意氣だわ、ジョルジア並みに美味しくないと完食しないなんて」

 二年前から、アンジェリカは夏休みには小遣い稼ぎに働こうと自分で決めた。小学校の頃から親しい友達は、ピザ屋やアイスクリーム屋などで働いていたし、いま在籍している寄宿学校の仲間もそれぞれの国に帰って、なんらかの季節の仕事をするかヴァカンスに出かけていた。

 アンジェリカは、ピザ屋でも何でもいいから外で働いてみたいと思ったけれど、皆にひどく反対された。いつ誘拐されるかわからないというのだ。

 アンジェリカのためには、百万ドル以上の身代金を要求をされても、即座に払おうとする人間が周りにやたらといる。スーパーモデルの母親アレッサンドラ・ダンジェロ、有名サッカー選手の父親レアンドロ・ダ・シウバ、城をいくつも持つ母親の再婚相手ヴァルテンアドラー候家当主ルイス=ヴィルヘルム。それに姪を溺愛する伯父でアメリカ有数の富豪マッテオ・ダンジェロ。

 だから、送迎なしではなかなか街には行けない。ピザ屋で働くなんて夢のまた夢だ。

 それで、泊まり込みで身内のところで働いてみたけれど、二年前のマッテオのところでは甘やかされすぎて自分でも給料泥棒だと思った。去年は、ルイス=ヴィルヘルムのドイツにある城の一つで働いてみたけれど、今度は使用人たちが真面目で厳格すぎて息が詰まる。出来ればあそこにはもう行きたくなかった。

 それを相談したら、ジョルジアが《郷愁の丘》に来てみたらどうかというのだ。ちょうど彼女は長期アメリカに行かなくてはならない時期で、マディのところにしばらくラファエーレを預けるか悩んでいるところだった。

「あなたが来てくれたら、私は安心して旅立てるわ。ラファエーレの遊び相手は泊まりに来るエンリコがしてくれるし、グレッグも可能な限り二人の面倒を見るから、さほど手はかからないと思うの。それに、ここには誘拐犯は絶対にやってこないって、あなたの両親も、それにルイス=ヴィルヘルムやマッテオも安心すると思うわ」

 《郷愁の丘》は、陸の孤島だった。誘拐犯は来ない代わりに、ショッピングも出来なければ、観光も出来なかった。ネットのつながりも悪いし、そこまでドライブというわけにもいかない。退屈ではあるが、居心地は抜群だった。叔母のジョルジアは、ほぼ入れ替わりでいなくなってしまったが、真面目で内氣で小言を言わないグレッグや、純朴で比較的従順な二人の少年との暮らしは悪くなかったし、サバンナで見る動物たち、広大な景色など、都会では体験できない刺激的な日々を満喫していた。

 エンリコとラファエーレは、テレビもなければゲーム機もないところで、遊んでいた。ルーシーを撫でながら、おそらく原始時代から大して変わっていないのであろうと思われるカジュアというゲームを何時間もしていることがあった。なぞなぞや積み木やブロック遊びに興じ、たくさんある百科事典を開いてみたり、グレッグが仕事をしていないときは絵を描いてもらっていた。

 今も、食事をしながら、エンリコは夕方に絵を描いてもらいたいとグレッグにねだっている。絵といっても彼が描くのは野生動物のスケッチなのだが、子供たちは彼の手にした鉛筆の先からシマウマや象やキリンが魔法のように現れるのを見るのが大好きだった。

「あ、絵といえばね! 忘れるところだったわ」
アンジェリカは、突然思い出して立ち上がり、自分が滞在している客間に入っていった。

 すぐに戻ってくると、アンジェリカはグレッグと子供たちに手にしたクリアファイルを見せた。
「あ」
グレッグは手を伸ばすと、それを嬉しそうに眺めた。彼にとってそれは思い出深いものだった。

 始めてジョルジアがこの《郷愁の丘》に来て、彼のスケッチを褒めてくれたのはもう十年以上前のことだ。その時に彼女に贈った絵を、彼女は額に入れてニューヨークの寝室に飾ってくれていた。二人が結婚してから、絵はこの《郷愁の丘》に戻ってきて、今も寝室にかかっている。

 今、アンジェリカが持ってきたクリアファイルは、その絵の一部分拡大を用いてある。ジョルジアの兄、マッテオがその絵を「WWFで商品化したい」と言い出したとき、始めは冗談だと思っていた。

 マッテオはWWFに多額の協賛金を寄付している会員だ。十年以上前にニューヨークで開催された野生動物の学会の最終日にWWF主催のパーティのことは忘れられない。レイチェルが彼女たちの研究のスポンサーである大富豪に紹介してくれるというので、嫌々出かけてったのだ。その篤志家マッテオ・ダンジェロこそが他ならぬジョルジアの兄とは夢にも思っていなかったのだが。

 ジョルジアがレイチェルと一緒に彼の地味な研究の意義を兄に力説してくれたお陰で、彼はマッテオに継続的な援助をしてもらうことが出来るようになった。それだけでなく、二人の結婚が決まってしばらくしてから、寝室にかかっている例の絵をWWFでの商品化するよう推薦してくれると言い出したのだ。

 その前後の数年にわたり、WWFでは無名の人物や子供たちの描いた野生動物のイラストや写真で、寄付金付き商品を作り販売していた。ポストカード、レターセット、鉛筆ケース、額入りのコピー絵、メモブロック、ミニタオル、エコロジーバック、それにアンジェリカが持ってきたようなクリアファイル。

 グレッグの絵も他の作者の絵と一緒に商品化され、一年間にわたり世界中で販売された。もっともアフリカで目にしたのは、「僕の親しい友人の絵が商品化されたんですよ」と誇らしげに配るリチャード・アシュレイの事務所でだけだったので、グレッグは実際のところそれがどれほど売れたのかを知らない。

「懐かしいものを……。アレッサンドラ、君のお母さんがくれたのかい?」
グレッグが訊くと、アンジェリカは首を振った。
「違うわ。これはね、ここに来る直前に、私がマドリッドで見つけたものなの」

「マドリッド? 君のお父さんのところでかい?」
レアンドロ・ダ・シウバは、現在はリーガ・エスパニョーラでの連覇を目指すチームに所属しているので、マドリッド在住だ。だから、アンジェリカはマドリッドに立ち寄ってから《郷愁の丘》のあるケニアへやってきた。

「パパの家にあったわけじゃないわ。実はマドリッドで『オタクの祭典』って催しをやっていたので、ちょっと顔を出してきたの」
「『オタクの祭典』ってなんだい?」

 グレッグは地の果てに住んでいる上、サブカルチャーなどにほとんど興味がない。日本発のマンガやアニメを特に愛好する人たちが世界各国で同人誌即売やコスチュームプレイを楽しむイベントを開催していることなど知るよしもない。

「あなたに詳しく説明したら、夜が明けちゃうわ。簡単に言うなら、コミックやアニメーションの愛好家がトリビュート作品を販売する展示会みたいなものかな。いろいろなジャンルのものがあって面白いのよ」

 グレッグだけでなく、並んでご飯を食べているラファエーレも、アンジェリカの座った席の隣で、いやいや野菜をつついていたエンリコも、さっぱりわからないという顔をして彼女を見ている。

 アンジェリカは、こほんと咳をして続けた。
「とにかく。とある作品のグッズがないかなと思って行ったんだけれど、行列で並んでいるときに、たまたまその隣のブースにね『Fleurage』っていう綺麗な名前のサイトがあって、氣になっていってみたの。そうしたらたぶん偶然だと思うけれど『郷愁の丘……』っていう作品を売っていて、日本語で読めなかったんだけどつい買っちゃったの。そしたら、特典だってこのクリアファイルをくれたのよ。例のWWFのファイルが今ごろ私の手元に来るっていうのも驚きだけれど、それが《郷愁の丘》に行くっていうのも、おもしろくない?」

 グレッグは、アンジェリカが差し出したクリアファイルを、感無量な様子でじっと見つめた。
「そうだね。本当に」

「そのシマウマの絵、グレッグが描いてくれる絵とそっくりだよ」
エンリコが不思議そうにのぞき込んだ。

「そうよ、だって、これ、グレッグの絵なんだもの」
アンジェリカが答えると、彼は『ええー!」っと、椅子から飛び降りて、ファイルを持っているグレッグの側に回った。

「いつこんな風になったの? 僕、知らないよ!」
「お前がまだ、ラファエーレよりも小さかった頃の話だからね。そうか、これは見たことなかったか」
「いいなあ。これがあったら、僕、学校に毎日持っていくのに。みんなに自慢して、それに……」

 エンリコは、クリアファイルをそっと撫でた。グレッグは困ったなという顔をして、甥の頭を撫でた。 
「残念ながら、リチャードが全部持って行ってしまって僕やマディのところにも残っていないし、今はもうどこにも売っていないんだ」

 アンジェリカは、肩をすくめた。こうなると思った。とにかくエンリコときたら、グレッグに関することは何もかも素晴らしいと思っているんだもの。私には、ちっとも理解できないけれど。

「いいわよ。そのつもりで取り出してきたし、これはエンリコにあげるわ。私の滞在中、付け合わせの野菜を一口も残さないって、約束できるならね」
エンリコは、駆け足で自分の席に戻り、喉が詰まるのではないかと思われるほどのスピードで野菜を平らげた。

 笑ってそれを見ているグレッグの横から、ラファエーレが小さな声を出した。
「ぼくも、もらえるの? おやさい、たべたよ」

 グレッグはまた困って、息子の頭を撫でた。
「お前は、まだ学校に行っていないし、あれをなんに使うんだ?」
「でも、おやさい、たべたよ」

 アンジェリカは、笑って答えた。
「大丈夫よ。マッテオのところに、あの時に発売されたものがみんなとってあるはずだもの。ラファエーレにはミニタオルがいいんじゃないかしら。すぐに送ってくれるように、連絡するから」

 ラファエーレは、すぐに笑顔になった。おそらくタオルが届く頃には、きっとこの子は何を欲しがったかも忘れているだろう。シマウマの絵など何百枚でも描いてくれる父親と、付け合わせを食べろと言う必要もないほど料理の上手な母親の両方の愛情を受けて楽しく日々を過ごすのだろうから。

 それでも、アンジェリカは早速マッテオにメールを書こうと思った。自分のアイデアで生まれた作品が、今ここでまたホットな話題になっていることを、大好きなマッテオ伯父さんがとても喜ぶだろうと思ったから。カペッリファミリーの結束は固いのだ。たとえアメリカ、ヨーロッパ、アフリカと違う大陸に住むことになっても。

(初出:2019年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

健康と享楽の間

最近、けっこうどうでもいい、防備録みたいな話ばかりだなあ。

でも、続けます。今日の話題は、食べるもの全般について考えることです。

誰だって、たとえば三食カップラーメンだけでは「体によくない」って思いますよね。あ、カップラーメンに恨みがあるわけではありませんよ。私は元祖カップヌードルを昔から好きでして。ま、滅多に食べませんが。

「あなたは、あなたの食べているもので出来ている」という言葉がありますけれど、日々何を食べているのかで、体型から顔つきから病歴まで、いろいろと影響してくることは間違いないでしょう。

私は、そういう考え方を持った親に育てられたので、普段の食事にはそこそこ氣をつけています。肉や魚や野菜はどこで獲れたものか調べますし、調味料なども何が入っているのかを氣にし、たとえば出来合のソースよりも自分で作るソースを使うようにしています。食品目のバランスや、調理方法なども大切だと思いますが、まあ、この辺は毎日のことですので旬のものを中心に、大体の目分量と長年の主婦の勘で用意しています。

満点にはほど遠いですけれど、たぶんファーストフードとコンビニのものだけを食べている方よりは、健康的な食卓なのではないかと思います。

とはいえ。

あまり、健康健康と騒いで、外出先でまで面倒くさい注文をしたり、せっかくの美味しいものを逃したり、もしくは、全然美味しくない食生活をするのは嫌なんですよね。

べつにアレルギーではないので、外では何でも食べます。ファーストフードも、コンビニも、問題なし。まあ、自分で握ると米と塩と鮭と海苔くらいで出来る「おにぎり」が、商品になると、ぎょっとするような内容表示になっていることをたまに認識したりしますけれど、まあ、数年に一度くらい食べたからって死ぬわけではないんですよ。むしろ、そこら辺の隣人にもらう森のキノコの方がよっぽと死の危険性をはらんでいたりします。

それに、一時、連れ合いの関節炎の治療に付き合って、マクロビオティックの調理法をしばらく実践したことがあるんですが、確かに健康的なんだろうなと思いましたが、私はもう少し不健康でいいやと尻尾を巻いて逃げ出してしまいました。(もっとも今でも、マクロビの考え方や食べ方、調理のしかたは頭に入れながらの食生活は送っています。そうやってバランスを取ると、確かに体調もいいですから。以前よりは少なめとはいえ、肉もばっちり食べながら)

結局は、バランスの問題なのだと思います。私には完全にストイックな生活は向きません。もともとズボラなタイプで、しかも人生は楽しみたいタイプ。贅沢である必要はありませんが、毎日食べるのであれば「美味しい」と感じられるものがいいのです。外出しても、旅の途上でも、そして、自宅でも。

そんなわけで、今日も中途半端にストイックでありつつ、食いしん坊な日々を送っています。
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Posted by 八少女 夕

【小説】魚釣奇譚

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第三弾です。夢月亭清修さんは今年は、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

清修さんは、小説とバス釣りのことを綴られているブロガーさんです。サラリーマン家業の傍ら小説家としてブログの他に幻創文庫と幻創文芸文庫でも作品を発表なさっていて、とても広いジャンルを書いていらっしゃいます。それに魚釣りでは専門誌に寄稿なさるほど本格的に取り組んでいらっしゃいます。

「scriviamo!」では毎年全く違ったジャンルでご参加くださるのですが、今年はプランBをご希望です。


去年は大変ご迷惑をおかけしたこの企画、今回はプランBで参加させてください!
力入れて、がっつりお返しする所存です!

希望としましては、コラボではなくオリジナルが嬉しいです^^


ということですので、ご縁のある既存の作品に絡める作品はなし。完全なオリジナルで書くことにしました。どんなものにするか考えたのですが、ご本人のお書きになるジャンルがとても広いので、どうしようか途方に暮れました。結局、お好きなお魚と、それからほんの少しだけ「異世界」っぽい感じを絡めた作品を書いてみました。ただし、「異世界もの」というわけではありません。

他のプランBの方にも書きましたが、お返しはこれに絡めてもいいし、ぜんぜん関係のない作品でも構いません。


「scriviamo! 2019」について
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魚釣奇譚
——Special thanks to Mugetutei Seishu-san


 その湖は、電車がトンネルを抜けて最初のカーブを曲がった所に突然広がっていた。深い青緑の湖水は、風が全くないためか、周りの新緑を綺麗に映し出している。曲がりなりにもアウトレットと名のついている商業施設があるような街から、まだ15分も走っていないようなところに、こんな神秘的な湖があるとは夢にも思っていなかったので、亜美は思わず立ち上がった。

 アウトレットにろくなモノがなかったこともあるが、亜美はその街を闇雲に歩き回った。石畳の道は、少し合っていない靴を履いた彼女をひどく疲れさせた。だから、予定よりも早い電車に乗って戻ってきたのだ。

 往きにこの湖を見た記憶は全くなかった。反対の山側に座って、考え事をしていたせいだろうか。

 車内放送が次の駅がすぐであることを知らせた。この湖畔で停まるの? 彼女は少しだけ考えた。このまま電車に乗っていても、一時間後にあの何もない街のホテルについてしまう。だったら、この湖畔で少しだけ時間を過ごすのもいいかもしれない。

 五月になったばかりで、この北国では遅くやってきた春が、遅れを取り戻そうかとするごとく忙しく飛び回っていた。新緑の木々はぐんぐんと伸びて、あちこちで白や黄色の花が咲き誇っていた。陽が高くて、明るい光に満ちている。彼女は、ショルダーバッグをつかむと、立ち上がり出口に向かった。

 それは、湖畔の洒落たホテルの前に停まった。そのホテルの横から、湖へと出ることができる。ホテルにはテラスがあって、数人の客が湖を見ながらコーヒーを飲みつつ談笑していたが、湖に出るとそのざわめきは全く聞こえなくなった。

 不思議な静寂だった。わずかに霞みだした青緑の湖水を一艘の小舟が漂っている。灰色の服を着た小柄な男が釣り糸を垂れているのを亜美はようやく見て取った。釣り竿も、男も、舟も、湖も動かなかった。まるで時間が止まっているかのように。

01.05.2005 Le Prese


「君は、中国人? それとも日本人?」
すぐ近くから声がしたのでびっくりして振り返ると、すぐ後ろに青年と中年とどちらで形容していいかわからぬ男が立っていた。外国人にしてはあまり背が高くなく、濃い茶色の髪は短く服装もどこにでもあるような茶色いジャケットにジーンズ姿だ。

「日本人です」
「そうか、ずっとあの釣り舟を見ているけれど、珍しいかい?」

「ええと、そうですね。東京ではあまり見ないし……その、何もしないでぼーっとしているのって、本当に久しぶりで」
亜美は、戸惑いながら答えた。

「君たちは、本当に予定をいれて忙しくするのが好きだよね。僕の知っている何人かの日本人も来る度に今日は何をするのかって訊くよ。休みの時にまで動き回らなくてもいいと思うけれどね」
「はあ。でも、せっかく遠いヨーロッパまで来たんだし、いろいとやらなくちゃって思ってしまうんですよ」

 何を弁解しているんだろう、私。男は、肩をすくめて笑った。
「それで、ここで立っているのも、その『いろいろ』のひとつかい?」

「電車でここを通ったら、とても素敵だったんで降りてみたんです。こんなところに、こんな幻想的な湖があるって思ってもみなくて。あの舟も全然動かないし、不思議だなって」
「あれはトマ爺さんさ。彼は楽しんでいる。ようやく五月になって釣りが解禁になったからね」
「解禁?」
「ああ、ここでは釣りは五月しかしちゃいけないんだよ」

 ぴしゃんとわずかな音がして、トマ爺さんは何かを釣り上げたようだった。舟と湖面、そして、爺さんの釣り糸の先が揺れている。爺さんは、魚を箱にしまうと、次の餌をつけてまた湖に糸を垂らした。再び湖面は静かになった。

 男は訊いた。
「一人で旅行をしているのかい。日本人にしては珍しいね」

 亜美は頷いた。
「本当は、プレ・ハネムーンのつもりで予約したんですけれど、相手に二股かけられていたことがわかって。傷心の旅になりました」
「そうかい。それは氣の毒だったね。でも、結婚してからわかるよりはマシだろう」
「そうとも言えますね」

「見ていてごらん、だんだん大物が釣れるようになるから。トマ爺さんの釣り竿には魔法がかかっているんだって、人々は言うよ」
男が指さすと、確かに爺さんのは少し大きな二匹目を釣り上げたようだった。

「さあ、君の願いを言ってごらん。爺さんの魔法の釣り竿が大きな魚を仕留める度に、それは現実になっていくから」
男の言葉に、亜美はぎょっとして、その顔をまじまじと見つめた。冗談を言っているのかと思ったが、表情はごく真面目だった。

 そして、亜美はようやく思い当たった。どうして私はこの人とこんなにペラペラと話しているのだろう。ここまでいつも下手くそな英語でのコミュニケーションに苦労していたのに。もしかして、この湖も、あの釣り舟も、この男の人も、本当に魔法が関係しているんだろうか。

「信じられないみたいだね。こんな話は知っているかい? ロシアの民話だよ。あるところに貧しい漁師のおじいさんがいて、海で金色の魚を釣り上げた。その魚は人間の言葉を話し、海へ帰してくれたらどんな願いでも叶えてくれるという。おじいさんは、かわいそうに思い何ももらわずに放してやったが、家に帰ってその話をするとお婆さんは彼の無欲をなじった。壊れたたらいを示し、せめてそれを直してくれと頼んでくれればよかったのにと」

 亜美は、その話をどこかで聞いたことがあると思った。子供の頃に読んだ絵本だ。たしかプーシキンによる民話集を元にした本だったように思う。
「たしかそのおじいさんは海へ行ってそれを頼んだのでしたっけ」

「そうだ。そしてまた家に戻るとたらいは新品に変わっていた。おばあさんは、くだらないことを頼んだと悔しがり、新しい家を頼め、貴族になりたい、女王になって宮殿に住みたいと、次々とおじいさんに願いを言わせた。そして、金の魚はその全てを実現してくれた」

 亜美は、その話をどうしてこの男はするのだろうと訝った。でも、今いるここが、魔法にかけられた異次元であるのならば、この男の言うとおりに、素直に願い事を言ってみるべきではないかと感じた。

「私の願いも本当に言っていいんですか?」
「もちろん。願わなくては、何事も叶わないからね」

 亜美は、あれこれを考えた。そして、金の魚や魔法の釣り竿を怒らせないような些細な願いごとを口にしてみた。
「インスタで、100のハートマークが欲しいなあ」

 彼は、片眉を上げるとトマ爺さんの方を示した。
「撮ってアップしてごらん」

 亜美がスマートフォンを向けてシャッターを切ると、ちょうどトマ爺さんが魚を釣り上げている瞬間が撮れた。魚は大きく跳ね上がり、偶然とは言えこんなにいい写真が撮れたことは今まで一度もなかった。彼女が、その写真を早速アップすると、みるみる「いいね」のハートマークがついていき、数分以内に倍のフォロワーと108のハートマークがついてしまった。

 亜美は、驚いた。本当に魔法の釣り竿なのかと。今は二十一世紀なのに。

「さあ、次の願い事はなんだい?」
男は冷静に言った。

 亜美は先ほどよりもずっと慎重に考えた。結婚するつもりで退職してしまったが、破談になって出発前まで履歴書を書きまくってあちこちに送った。その一つでも色よい返事が来たら嬉しい。
「第一志望の会計事務所に就職できたら嬉しい」

 トマ爺さんの舟から、またぴしゃりという音がして、明らかにより大きな魚がかかった。男は頷いた。
「メールをチェックしてごらん」

 亜美が、メールを調べると、会計事務所からのメールが入っていた。
「来月から、働いて欲しいって! すごい、信じられないわ」

 男は表情を変えずに続けた。
「次の願いは何かね」

 願いは決まっていた。
「別れた彼よりも、優しくて、誠実で、有能で、かっこよくて、みんなが羨む彼氏が欲しいな」

 男は「やれやれ」という表情を見せたが、またしてもぴしゃんという音がした。するとスマートフォンからダイレクトメッセージの通知音が鳴った。

 亜美がスマートフォンを見ると、どうやら新しいフォロワーのようだったが、よく見るとそれは長い間ファンでしょっちゅう舞台を観にいっていた有名俳優からだった。
「素敵な写真だね。僕も釣りが大好きなんだ。君が僕を既にフォローしているって知って嬉しかった。相互フォローさせてもらったよ。これからもよろしくね。というより、もっと親しくなりたいから、DMしたんだけれどね。連絡を待っているよ」

 亜美はスマートフォンを取り落とすかと思うくらい驚いた。隣にいる男を見ると、「どうした」とでも言いたげな涼しい顔で立っていた。
「見てごらん」

 恐る恐るトマ爺さんの方を見ると、釣り上げた魚はすでに鮭サイズになっていた。こんな小さな湖にあんな魚がいるんだろうか。

「そろそろ大きさも限界だよ。もっと願いがあるなら慎重に頼むがいい」

 亜美は、急いであれこれ考えた。こんなラッキーは、二度とないだろう。何億円ものお金を頼むか、お城を頼むか、それとも……。そうだ。

「いっそのこと、あの魔法の釣り竿をもらえれば、いつでもどんな願いでも叶うんじゃないかしら」

 亜美がそう言った途端、男はとても悲しそうな顔をした。そして、黙ったまま亜美から離れていった。

「え?」
スマートフォンが震えたように思ったので、それを見るといきなり電源が落ちて画面が暗くなった。
「え、え?」

 亜美はまずスマートフォンの再起動ボタンを押して、電源を入れようとした。それから離れていった男に何か言おうとして顔を上げると、彼はどんなスピードで離れたのか、もうどこにもいなかった。動揺しながら湖のトマ爺さんの方を見ると、舟の上の爺さんは始めと同じように黙ってい釣りをしていたが、釣り上げたはずの大漁の魚はどこにも見えなかった。

 スマートフォンの起動を待つ間に、亜美の脳裏には、突如として子供の頃に読んだ「金色の魚」の絵本の結末が蘇った。女王になってもまだ満足しなかったおばあさんは、おじいさんに「金色の魚を家来にして海の支配者になりたい」と言い出したのだ。どんな欲張りな願いも叶えてあげた金色の魚は、さすがに呆れて海の中へ戻ってしまった。そして、お婆さんは元の貧しい家で壊れたたらいと一緒に待っていたそうだ。

 亜美は、自分の最後の言葉が、民話のお婆さんと同じだったことに氣がついた。再起動を終えたスマートフォンは、前と全く同じ状態だったが、トマ爺さんを映したインスタグラムの投稿はなかった。フォロワーも前と同じだったし、今朝ホテルを出て以来の新着メールもなかった。

 亜美は、肩を落としてまた駅へと歩いて行った。

(初出:2018年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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途中に写真があるように、この話は実際に私の見たある5月1日の光景から作りました。(もちろん、謎の男が話しかけてきたわけではありませんよ)モデルにした場所は、ベルニナ急行の終点ティラノにほど近いレ・プレーゼという場所です。このレ・プレーゼ湖は、一時間半もあればまわりをぐるっと歩ける程度の小さい湖です。
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Posted by 八少女 夕

日本で買ってきた便利なモノ (2)ミニサイズのボウルとざる

シリーズ系の記事を作っておいて「第一回のみでずっと放置」をよくやってしまうのだけれど、今回はちゃんと二回目をアップしたぞ。って、当たり前のことに威張る必要はないですね。

ミニサイズのボウルとざる

さて、今回ご紹介するこのミニサイズのボウルとざるは、正確に言えば私が買ったものではありません。母が残していったモノをもらってきただけですけれど、実はかなり便利です。それも、おそらく本来の目的とはちょっと違った使い方をしていると思います。

既に何度か書いたように思うのですが、我が家には電子レンジがありません。連れ合いがどこかで「非常に体に悪い」と聞いてきて禁止令を出したのがきっかけですけれど、結局彼の工場にはあって、時々使っています。なんせ彼は蒸し物などが一切出来ないのですね。

私は、「夫に対して絶対服従」というタイプではないんですけれど、電子レンジに関してはあちこちで「実はよくない」という話を聞く上、日本にあるような便利な電子レンジでもないですし、いっそのこと全く使わないという暮らしを既に十年近くしています。

我が家の食卓では、オーブンを多用するので、それでもすむのかもしれませんね。

でも、ちょっと面倒くさいなと思うのは、冷やご飯を一杯分だけ温めたいとき。その時に、このセットがとても重宝するんです。簡単に言うと、ざるの上にボウルをセットして、わずかに水を引いた小さなお鍋で蒸すんですね。普通の蒸し器と違って量が少ないのであっという間に沸騰して、蒸す時間もおそらく電子レンジとあまり変わりません。

応用としては、バターをちょっと溶かしたい時やチョコレートの湯煎などでも使えます。便利ですよ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】アプリコット色の猫 2

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第二弾です。たらこさんは今年も、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

たらこさんは、四コママンガでひまわりシティーという架空の世界で起きる壮大な事件をいろいろと表現なさっていらっしゃる創作ブロガーさんで、「ひまわりシティーへようこそ!」を絶賛連載中です。

「scriviamo!」では毎年Bプランをご希望です。前回と前々回のお返し作品が、わずかに重なっていたので、なんとなくそこに留まってみました。今回書いたのは、最初の作品「アプリコット色の猫」の続きになります。(競馬好きの例のお客さんの話題がちょっとだけ出てくるのは、たらこさんの作品へのトリビュートです)

あ、毎年のことですが、お返しはこれに絡めてもいいし、ぜんぜん関係のない作品でも構いませんよ。


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アプリコット色の猫 2
——Special thanks to Tarako-san


 いつになく暖かくなったので、お昼ご飯は林檎の木の下でお花見としゃれ込むことにした。姫子は、相棒である猫のマリッレの姿を探した。

 姫子は、ザルツカンマーグート、フシュル湖畔の小さな果樹園を経営している。……というと海外で成功した立派な日本人みたいに響くが、実際の所はすぐ近くでお城を改造したホテルを経営するケスラー夫妻にあれこれ面倒を見てもらいながら、お情けで暮らしているようなものだ。

 長い話は省くが、かつて人生のゲームオーバーぎりぎりまで行っていた姫子は、ウィーンでこの猫と知り合い、ここにたどり着いたのだ。マリッレは不思議な猫で、姫子には彼の言葉がテレパシーのように聞こえる……と思っている。彼の元の飼い主、ケスラーさんの亡くなったお父さんも、マリッレと会話が出来ると言っていたらしいが、その主張のせいで耄碌したと皆に思われてしまったらしいので、姫子はこの件は誰にも言っていない。姫子が日本語でマリッレに話しかけてもその意味がわからないので、まさか物事をいちいち猫に相談しているとは誰も思っていないようだ。

 マリッレは、明るいオレンジ色の毛をした雑種で、大きいつぶらな瞳と、ぶちっと途中で切れたような尻尾を持っている。姫子はマリッレを連れ帰ってきたので、ケスラー氏の遺言により果樹園と小屋を相続し、初めての冬を乗り切った所なのだ。

 湖はキラキラと輝いていて、空は高く晴れ渡っていた。湖の向こう側に見える山の雪が、たったの二日で見事になくなり、太陽が気持ちよく燦々と降り注いだ。そして、タンポポが牧場をあっという間に黄色に埋め尽くしたと思ったら、ついに林檎の花が次々とほころび始めたのだ。

 林檎の花は、底抜けに明るい女の子のようだ。うっすらとピンクのつぼみが、開くと真っ白になる。ミツバチたちが、必死に飛び回り、春の女王に挨拶して回る。姫子は、その林檎の木の下でお昼ご飯にするのだ。ケスラー夫人が届けてくれた焼きたてのバンとチーズ、それに小瓶に入れたレモネード。もちろん、マリッレのためにガラス瓶にクリームを入れ、薄切りハムも用意した。

「ねえ、マリッレ。この林檎、このままでいいの?」
「このままって、どういうこと?」
「ほら、花を間引きしたり、虫がつかないように一つ一つ袋で覆ったりするんじゃないの?」
姫子は都会育ちなので、その辺の知識はかなり怪しい。

「まさか。このままでいいんだよ。虫がついたって大したことないよ。味には変わりないし」
マリッレは、そう答えるとまたクリームを舐めることに集中した。こんな大切な仕事の最中に、何をバカなことをといわんばかりの態度。

 味には変わりないしって、そりゃ、猫にとってはどうでもいいかもしれないけれど、虫のついた林檎なんて売れないんじゃないかしら。まあ、無農薬って謳えばなんとかなるのかなあ。

 ぼんやりと考えながら、ごくっとレモネードを飲んだ。お日様がぽかぽかとあたって、暑いくらい。春がこんなに素敵だと思ったのは何年ぶりだろう。去年までは、奨学金を返済するために、昼は役所の仕事、夜はキャバクラのバイトに追われていた。あの生活が嘘みたいだ。

 ふと、影が差して太陽の光が遮られたので、姫子は瞼を開けてそちらを見た。いつの間にか、馬がそこにいた。乗っているのは隣人の「フレ姐」ことフェレーナだ。ケスラー氏の姪にあたる女性らしい。女性といっても、短髪にチェックのシャツ、ダボダボのデニムのオーバーオールに長靴、ファッションもへったくれもない農家の装いで、声を聴かない限り女性か男性か判断が難しい。

 フェレーナの名は、愛称としてフレーニーが一般的だ。名詞の後に「i」をつけて伸ばすのは、小さいまたは可愛いという意味合をもたせる指小辞で、つまりフレーニーとは「フェレーナちゃん」に近い呼びかけだ。だが、このフェレーナの場合、本人がそれを嫌がるので「フェレ」とだけ呼ぶ人が多い。服装はもとよりかなり男前な振る舞いなので、姫子は普段はフェレーナと呼び、心の中では「フレ姐」と呼んでいる。

「ピクニックか」
頭上からの声は、とても威圧的に響く。怒られているのかと思った姫子は、怯えて立ち上がった。けれど、「フレ姐」は、ひらりと馬から飛び降りると、バスケットをのぞき込んで言った。

「その美味そうなのはなんだ? レモネードか。少し振る舞っておくれよ」
「どうぞ」
姫子は、水用に持ってきていたもう一つのコップにレモネードを入れて差し出した。ついでにクラッカーとチーズも念のために手で示すと、「フレ姐」は嬉しそうに座って一緒に食べ出した。

「本当にこんな陽氣のいい午後は、あくせく働くのはもったいないよな。さっさと店じまいしてきてよかったよ」
「フレ姐」は、レモネードをごくごくと飲んだ。

「店じまい?」
姫子が首を傾げる。

「観光客相手の馬車巡りのことだよ」
クリームを舐め終わり、丁寧に顔を洗いながらマリッレが注釈を入れた。もちろん「フレ姐」には聞こえていないと思う。姫子の頭の中だけに響いてきているはずだ。

「うん。農場の世話だけじゃ心許ないだろ。だから、こいつに小さな馬車をつなげて、そこら辺を巡るんだ。けっこういい収入になるんだよ」
「ケスラーさんの古城ホテルのお客さん?」
「ま、それが主かな。送迎を兼ねて駅に行くと、ただの観光客も乗るけど」

 馬は、ぶるるとたてがみを震わせた。
「こいつも少しは休みたいよな。そこら辺の草、食わせてもいいかい?」
「もちろん」

 この馬ウイスキーは、「フレ姐」の愛馬だ。もともとは、マリッレと同様に亡くなったケスラーおじいさんの持ち物だったらしい。「フレ姐」は、ケスラーおじいさんとは血が繋がっていなくて、亡くなったお嬢さん、つまり今の当主ケスラーさんの姉の夫の連れ子だ。

 姫子がこの農場を譲り受けて住み込んだときに
「あんたが、噂の日本人だね。上手いことやったね。この果樹園、欲しかったのになあ」
といわれたので、姫子はぎょっとしたのだ。が、すぐに彼女はウィンクして言った。
「心配しなくていいよ。あたしには全くその権利はないんだ。それに、あたしはこのウイスキーをもらったんだ」

 ケスラーおじいさんは、このなんとも粗っぽい娘とウマがあったらしく、おじいさんがへそを曲げて亡くなるまでボロボロの果樹園小屋に住み込んでいたときも、よくやってきて一緒に酒盛りをしていたらしい。

 それが縁で、何頭かいる馬の世話を彼女に頼むようになり、遺言には死後も動物の世話は「フレ姐」の農場がするだけでなく、このウイスキーを譲ると書いてあったそうだ。「フレ姐」はウイスキーをとても大切にしている。しょっちゅうブラッシングしているので、毛はとてもつやつやだ。

「ウイスキーってなんて種類? まさかサラブレッド?」
姫子は訊いた。

「まさか! あっちは競走馬に使えるくらい軽いんだ。ウイスキーはどっしりしていて全然見かけが違うだろう。これはティンカーだよ。英語では、ええと、アイリッシュ・コブとかいうんじゃないかな。乗馬だけでなく農作業をしたり、馬車を牽いたりするんだ。大人しくて御しやすいから乗馬セラピーにも使われるんだよ」

「乗馬セラピーって何?」
「馬に乗ることで精神や神経を癒やすんだよ。注意欠陥多動性障害や自閉症の子供たち、ノイローゼや鬱病、それに多発性硬化症などの患者にも効果があるらしいよ」

 姫子は目を丸くした。所変われば、色々なセラピーがあるものなんだなあ。

「姫子は、馬に興味があるのか?」
「……どうかしら。さっきわかったと思うけれど、全然知らないの。生きている馬を見たのも動物園以外ではここが初めてだし……でも、ある男の人がいつも馬の話をしていたから……」
「なんだよ。ボーイフレンド?」

 姫子は大きく頭を振った。
「いや、そう言うんじゃなくて。もう二度と会うこともない人」
バイト先のキャバクラに来ていたお客さん、なんて言えない。そもそもキャバクラが何か説明しなくちゃいけないし、ものすごく面倒くさい。

「そんなこと言って、簡単に復縁したりするんだよな、女って。ま、いいや、こっちに来たら紹介してくれよ。馬に詳しいヤツなら、一緒に盛り上がれるだろうし」
そう言って、レモネードを飲み干すと「ありがとう」と「フレ姐」は立ち上がった。

 夢中になって草を食んでいるウィスキーを口笛一つで呼ぶと、ひらりと跨がり、あっという間に古城の方へと去って行った。

「凜々しくてかっこいいよねー」
そうつぶやくと、マリッレは「そう?」とでもいいだげに無視して、バスケットの中のハムに前足を伸ばした。
「姫子の周りに、凜々しくてかっこいい男も女も全然いなかっただけでしょ。あんな感じの農家なら、この辺にはどっさりいるよ」

「別に農家の男の人と知りあいたくて言ったわけじゃありません」
そう言って、姫子はタッパーウェアを開けて、細かく裂いたハムをタッパーウエアの蓋に載せてだしてやった。

(初出:2018年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

日本で買ってきた便利なモノ (1)シンク水切りプレート

「scriviamo!」中なので、ここ二ヶ月ほどはやたらと小説の更新が多いと思います。でも、小説は読まないという方もいらっしゃると思うので、ときどきこの手の記事を挟みますね。

この記事は、シリーズ化して日本で買ってきた便利なあれこれをご紹介したいと思います。


シンク水切りプレート

さて。我が家のフラットはもともと独身者を想定して作ったらしく、キッチンの調理台などはかなりコンパクトに出来ています。窓から45センチの水切り兼調理台、33センチ幅のシンク、38センチの調理台、そして四つのガラストップ式コンロです。

十五年以上これで調理してきているので、出来なくはないのですが、たまに「手狭だな」もしくは「水切りの時にちょっと置くスペースがあったらな」と思うことが多かったんです。

そして、前回日本の某百円均一ショップでみつけたのが、この水切りプレートです。あ、百円ではなかったと思いますけれど、文句はありません。

これ、奥の五本柱のついている部分が伸縮してネジで固定できるので、自分の好きな長さにしてこんな風にシンクに橋渡しできるのです。縦でも横でもどちらでも使えますし、もっと幅の広いシンクのお宅でも使えるんじゃないでしょうか。

例えば洗ったジャガイモをむくまでの間ちょっと置いておいたり、手で洗ったお椀などを拭くまでの間乾かしておいたり、色々な使い方が出来るんです。

こういうモノは、スイスではちょっと見つかりませんし、あったとしてもまあ、五千円くらいは軽くかかるでしょうね。これは買ってきて大正解でした。
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