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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


ようこそ。このブログでは、オリジナルの小説と、スイスにいる異邦人の日常を綴っています。
【お報せ】 今日のひと言 (from PIYO)

scriviamo! 2024 無事に完走しました。今年もありがとうございました。

【小説まとめ読み】 - 目的別のおすすめ小説をリンクした記事
『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』を読む 『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』を読む 短編小説集『12か月の植物』をまとめて読む エッセイ集『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む

Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠(27)特訓の始まり -1-

今日は『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』、第27回『特訓の始まり』をお届けします。

えーと、この小説、憶えていらっしゃるでしょうか。年末で中断してから4か月以上経っているので、自分でもどこまで公開していたか確認しなくてはいけませんでした。

トリネア候国の残念なお世継ぎ姫エレオノーラは、縁談でやって来るグランドロン国王の前に出るために行儀作法を取り繕おうとラウラに特訓を依頼しました。残念ながら、その一行こそが縁談相手レオポルドとフルーヴルーウー辺境伯夫妻なのですが、それも知らずに。

さて、というわけで、今回からはその特訓が始まったという話です。少し長いので4回に切ってお送りします。


トリネアの真珠このブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


【参考】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠
(27)特訓の始まり -1-


「そうではありません。念入りには洗いますが、そのように水をあちこちにはまき散らしません」
ラウラからの指摘が入ると、エレオノーラは動きを止めて、うんざりした顔をした。

 貴婦人教育は、まず立ち方、座り方、お辞儀などの訓練から始まった。ラウラの物腰は柔らかく指摘する言葉は丁寧だったが、一切の妥協を許さぬ正確さを求めたので、2刻ほどの訓練でエレオノーラはすでに疲労困憊していた。

 夕食時間となり、授業は終わったと思っていたのに、今度は食事前の手洗いのやり直しを命じられた。
「エレオノーラ様。私がいたしますので、よくご覧くださいませ」

 ラウラは召使いの捧げ持つ小皿から石鹸を手に取り、優美に泡立ててから指を1本ずつきれいに洗った。決して急がず、よけいなところに泡やたらいの水を飛ばすこともない。組み合わされた手を水面の上でそっと振って水を落とすと、召使いからリネンを受け取りまた優雅に手を拭いた。

 トリネアの名産の1つに石鹸がある。《中海》沿岸で育つオリーブの油に海藻灰を火にかけ幾日も混ぜながら煮込んでから冷やしてつくるこの石鹸は、樫灰と獣脂を原料とする北方産の製品と較べて硬く扱いやすい上に不快な臭いもないことからルーヴの王宮でも愛用されていた。

 グランドロン王国の宮廷でも、貴婦人方は《中海》の石鹸を好んだが、あまりにも高価なので使用人はもちろん、ヘルマン大尉のような階級であっても手の届かない贅沢品だとされていた。

 この離宮に遷ってから驚いたことに、一介の商人『デュラン』とその使用人に過ぎない一行にも《中海》の石鹸をはじめとする高価な品の使用が当たり前のように許された。離宮の多くの使用人たちは、姫の滞在する理由や『デュラン』一行がどのような素性のものなのか詳しく知らされておらず、『姫様と同じ階級の客人』のように扱った。

 ラウラは、手洗いを3度やり直させてようやく、エレオノーラが昼食の席に着くことを許可した。椅子を引く召使いは、ラウラが着席の作法を4度やり直させる度に、椅子を引いたり押したりを繰り返させられ、初めてのことに目を白黒させていた。

 もっとも、召使いたちはこの謎めいた客人たちの登場をむしろ歓迎しているフシがあった。姫君エレオノーラの粗暴さは召使いたちを戸惑わせたが、それを諫める存在は侯爵夫妻しかなく、その肝心な主たちは聞いた話によると10年近く前にさじを投げ出してしまっていたからだ。

 どこからやって来た客人かは知らぬが、あえて畏まっているようには見えないのに、作法は見事だったし、とくに姫君に厳しい指摘をしているラウラと呼ばれる貴婦人の作法は、召使いたちがかつて見たことがないほどに優美で完璧だった。

「もう1度、杯をテーブルに置いてくださいませ」
ラウラに叱られて、エレオノーラはため息をつき、従った。

「よくご覧ください。この指先を。杯の足を掴もうと伸ばしてはなりません。まずこの人差し指と中指をきれいに並べ、指先で上の部分に触れてから、こうして下に滑らせます。それから初めて親指で脚をはさみます」
ラウラがしたとおりに、エレオノーラが杯に触れる。

「そうです。いいえ、直接斜めに口元に運ぶのではなく、1度胸の高さの半分ぐらいまで持ち上げてから……ええ。ずっと優美に見えます」

 言われたとおりに飲んでから、エレオノーラはタンッと杯をテーブルに置いて、口を尖らせた。
「いちいちこんなことをしながら口元に運んでいたら、全然飲めないじゃないか」

 ラウラはにっこりと微笑みつつ言った。
「『まったく杯が重ねられなくて、困りますわ』……そう言い直してくださいませ。それに、おろし方は、口までに運ぶのと全く逆の動作をします。さあ、どうぞ」

 奇妙な咳がしたので、一同がその方向を見ると、レオポルドが顔を背けて肩をふるわせていた。食卓で貴婦人たちに失礼がないように笑いを必死に堪えているらしい。横にいるマックスは、ラウラそっくりの妙に親切な笑顔でその場をやり過ごしている。無表情で食べ続けるフリッツと、それぞれ反応は違うがみな同じことを感じているようだった。

 エレオノーラは、少し赤くなりながら再び杯を持ち直し、教えられたことを繰り返した。
「困りますわ……なんてはじめて言った」
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Category : 小説・トリネアの真珠
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

片付けたい

お片付けの話。

不要品イメージ

当ブログの企画「scriviamo!」も終わり、遅れていた「12か月の植物」もなんとか今月分まで公開して、やっとひと息つきました。ここしばらくずっと執筆に追われていたので、皆さんのブログもひたすら読み逃げになってしまっていましたが、こんな事情でございました。

そんな状態でも、仕事や生活は待ったなしなので、なんとかルーティンは続けてきましたが、ひと息ついて見回したら「うーん」と考え込んでしまいました。

モノが多すぎる。

いわゆる「シンプルライフ」や「ミニマリスト」のさっぱりした生活は、わたしには無理だとはわかっているんですが、それにしてもゴチャゴチャしすぎているなあと、反省しました。

わたしの生活は、基本的に仕事して、ご飯作って食べて、小説書いて、寝るだけなので、多すぎるモノの大半は調理関係です。(あとは、とってあるけれど読まない本や、謎の衣類、それと家庭菜園関係も……)

食品ストックもちょっと多すぎ。最近はセールでも必要の無い食品の買いだめはしないようにしています。だから、少しずつは減っているけれど、まだまだ多すぎ。

2年くらい前に、「食糧危機が来る!」と心配してため込んだ食糧を「消費しなくちゃダメだわ」とせっせと消費しているのはいいんですけれど、それで「この食材は実はあまり使わなかったな」と氣づいたりもしています。それに、大事にしすぎて消費期限がとっくに切れあまり美味しくなくなってしまった日本のお菓子や食材も、断腸の思いで処分する時期に来たみたいです。

それに、一時よく使っていたけれど今は飽きてしまった調理器具など、「あってもタンスの肥やし」というモノもけっこうあるのです。

日本人であるわたしは、モノが増えてきたら収納を増やすということをやってしまいがちなのですが、本当は今ある収納に収まらないのはなにかを捨てなくちゃいけないんですよね。そうしないといまなにを持っているのかすらも忘れてしまう。

そんなわけで、この金曜日から少しずつ、モノ減らしに取り組んでいます。

最初に取り組んだのが、コンロ周り。お茶用の棚を整理して、大量に出ていたスパイス類を目に触れないようにしました。それだけでかなりスッキリ。この調子で少しずつ断捨離していこうと思います。
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Posted by 八少女 夕

【小説】熊のネギ

今日の小説は、植物をテーマに小さなストーリーを散りばめていく『12か月の植物』の4月分です。『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』を再開する前に、とりあえず。

3月のテーマは『ベオラウフ』です。

日本では馴染みのない植物だと思いますが、スイスやドイツなどでは春を告げる旬の食材なのです。

今回出てくる真菜というキャラクターは、おそらく初出だと思います。じつは、影でコソコソ書いている(でも、今のところ公開するか微妙な感じの)小説の主人公だったりします。


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熊のネギ

 知らない食材に手を出すのにはすこし勇氣がいる。とくに真菜にとっては、日本語で書かれたレシピが見つからないことが、最初のハードルになった。

 日常的にドイツ語を使っているとはいうものの、料理をするときにはどうしても日本から持ってきたレシピ本から選んでしまう。日本語の本は材料から手順までひと目でわかる。ドイツ語だとどうしても慣れない単語が出てきてしまい、それが面倒なのだ。

 でも、今日はしかたなくドイツ語のレシピを使うことにした。日本では馴染みのない食材を使うからだ。

 ベアラウフ(Bärlauch)、つまり「熊のネギ」と呼ばれる野菜は、英語からラムソンとも呼ばれている。スズランの葉っぱによく似た葉からネギとニンニクの中間のような香りがする。スイスやドイツ語圏の国々では春の旬の野菜として食べられている。スーパーマーケットでも、この時期には売り場に並ぶ。

 真菜は、これまで買ってみようと思ったことがなかった。そもそもスイスで春を迎えるのはまだ4回目だ。最初の春は、そんな野菜があることにすら氣がつかなかった。

 マルクスとの結婚生活に終止符を打ち、真菜は生まれて初めての1人暮らしをスイスの小さな村ですることになった。カンポ・ルドゥンツ村は便利とはいえないけれど、職場に近くて家賃が安い。

 3年間の結婚生活のうち、2年は週に4日しか同居していなかった。スイス連邦工科大学に通いキャリアアップをはかる彼を応援し、残りの3日間は1人で過ごすことに慣れていたので、離婚後に1人になっても寂しくてたまらないと感じることはなかった。

 家計を助けるために、仕事もしていたしドイツ語もそこそこ話せるようになっていた。だから、離婚後にまっすぐ日本に帰るのではなくて、そのままスイスに残るという選択ができた。

 1人になって、食事は自分のために作るようになった。マルクスの好みに合わせて考える必要はなくなり、彼がチューリヒいく3日間の大半を残り物を片付けることに割くルーティンも消えた。自分の健康と、財布と、興味だけを基準に献立をたてることができるようになった。

 和食を作る頻度は、むしろ減った。マルクスが和食を食べたがるときは、日本人としての見栄も会ったのか一汁三菜に近いものを作っていた。もちろん、今と違って週に3日しか働いていなかったので余裕もあったのだが、それでも便利な和食用の食材がほとんどない海外できちんとした和食を作るのは思いのほか大変だった。

 週5日勤めるようになって料理に割く時間が減っただけでなく、1人の収入だけで衣食住のすべてを賄うことになり経済的にも厳しくなったので、もっと安価で簡単にできる調理をするようになった。それと同時に、これまで素通りしていた食材にも目が留まるようになった。

「これって、どうやって食べるものなんだろう」
真菜は、ベアラウフの前でつぶやいた。そして、その時は買わずに帰ってフラットで食べ方を検索した。

 調べてみたら、あまり難しそうではなかった。例えば、ベアラウフ・ペストロは、バジルで作るペストロ・ジェノベーゼのバジルをベアラウフに変えただけのようだったし、スープなどもピューレ状にして混ぜるだけのようだ。

 ニョッキやクヌーデルの生地に練り込む使い方もあるようだったが、そこまでするのは大変そうだったので、一番簡単そうなベアラウフ・ペストロを作ってみることにして、ひと束買ってきた。

 真菜は、毎年夏の終わりにバジルでペストロ・ジェノベーゼを作る。それを薄く伸ばして冷凍しておくと香りも飛ばず、1人分でも割って簡単にスパゲッティソースにできる。ベアラウフ・ペストロも、手順はほとんど同じだった。

 まず松の実を煎る。ある程度刻んだベアラウフ、松の実、オリーブオイル、パルメザンチーズ、塩胡椒をブレンダーに入れてペースト状にする。それだけだ。

 氣をつけなくてはいけないのは、ベアラウフは、長く加熱するとせっかくの香りが消えてしまうことだ。

 だからパスタとして食べるときも、さきにパスタとパルメザンチーズを用意しておき最後にペストロを絡めるようにして食べるらしい。

 パスタはごく普通のスパゲティーにしてみた。アルデンテに茹でる。パルミジアーノ・レッジャーノは高すぎて手が出ないので、もう少し廉価なグラーナ・パダーノをたっぷりめに使う。そしてペストロをからめて急いでテーブルに座る。

 真菜は、はじめてのベアラウフをそっと噛みしめた。

 美味しい……。とはいえ、いままで食べなかったことを後悔するような味ではない。というか、馴染みのある味だ。つまり、ニンニクほど匂いの主張がなく、ネギほど味の主張がない。その両方を上品にしたような味。なるほど。ニンニクペーストやネギペーストだと強烈だけれど、これなら春の味として楽しむという意味がわかる。

 これ、なんで「熊のネギ」って呼ばれるんだろう? 真菜は不思議に思った。熊といえば鮭を捕獲したり蜂蜜をなめているイメージが強い。スイスには基本的に熊が生息していないので、東京で育ったときについたイメージを上書きする要素がない。

 少なくともかつてはスイスにも熊が生息していたことは知っている。

 ローマ帝国の初期にスイスにはケルト系の民族が住んでいたが、彼らが崇めていた豊穣の女神アルティオは熊の化身だった。スイスがローマ帝国に組み込まれてから、男性神アルタイオスに変化したが、これがアーサーという名前の語源になった主張する学者もいるらしい。真偽のほどはともかく、昔のスイス人たちにとって熊が身近で畏敬の対象だったことは間違いないだろう。

 スイス連邦の首都であるベルンは、名前も州旗も熊由来だ。街の開拓者が「ここではじめて狩った動物の名前をつけよう」と決めたと伝わっているというから、当然その頃にはいまのベルン州にも当たり前に熊がいたのだろう。

 調べてみたら、スイスで最後の熊が撃ち殺されてしまったのは1904年のことだそうだ。といっても、それ以後スイスで野生の熊が出没していないわけではない。

 周りを海に囲まれている日本とは違い、隣国の野生動物が移動してくることは普通にある。イタリアのトレント州には現在100頭以上の熊が生息している。そのうちの何頭かは、国境を越えて真菜の住むグラウビュンデン州にも足を伸ばすことがある。

 そうするとしばらくは大騒ぎになり、場合によっては射殺されてしまう。

「熊を撃つ機会なんてめったにないからね。そのお役目を申しつかった狩人は大喜びだろうね」
かつてマルクスがそう言っていたことを思いだした。

 前夫もまた狩猟免許を持ち、秋になると何日も泊まりがけで狩りに行っていた。真菜は動物を殺したいという趣味がまったく理解できなかったが、強硬に反対しようとは思わなかった。それでも、イタリアにいれば死なずに済むのに、スイスに来てしまったがために撃たれてしまった熊には同情したものだ。

 そんな熊にはあまり優しくないスイスだが、ベアラウフは非常に好まれている。調べてみたところ、由来そのものははっきりしていないらしい。通説の1つに「熊が冬眠から目覚めて最初に食べるのがこの球根だから」というものがある。熊が冬眠から目覚めるのも、ベアラウフが森の中で生えてきて人びとが採集するのも春なので、この2つが結びつけられたのかもしれない。

 真菜は、綺麗な緑のベアラウフ・ペストロの残りも、ペストロ・ジェノベーゼ同様に冷凍することにした。すぐに食べないと香りが飛んでしまうし、冷蔵庫でどのくらい持つものなのかもわからなかったからだ。

 この味と香りは、癖がなくていろいろな料理とも合いそうだ。春の旬の野菜として、これからはときどき買おう。

 そう思ってから、「これからって……」と笑った。いつまでスイスにいるつもりか、決めていなかった。マルクスと別れたので、スイスに住む必要性はなくなったのだ。

 日本に帰る決心がついていなかったし、仕事もあって1人で暮らしていけるので、今のところはまだスイスに住んでいる。いま日本に帰ったら住むところも仕事もないから。

 これからのすべての春をスイスで迎えるかどうかの覚悟はまだできていなかった。何回迎えるかどうかはわからない。でも、この春はこうして1人で無事に迎えられた。

 熊が狩人たちの猟銃から逃れてなんとかスイス・アルプスを歩いていくように、厳しい冬を眠って過ごした後にふたたび目覚めるように、真菜もまたその日々をなんとか生きていくしかないのだ。

 真菜は、改めて思った。

 未来のことは、わからない。でも、来年の春もここにいたら、またベオラウフを買ってみよう。

(初出:2024年4月 書き下ろし)
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

春は忙しい

世界情勢は不穏ですが、それでも春。夏が短く、やるべきことは待ったなしなので、とりあえず家庭菜園にいそしみます。

サクラサク

ここのところ週末はとても暖かいです。先週は28℃近くまで上がり、今週もかなり暖かい。とはいえ、平日は「雪が降るかも」などという乱降下もあるので油断なりません。とりあえず、現在のスイス田舎は素晴らしい春の真っ最中です。

IMG_7917.jpg

買って来たロマネスコとブロッコリーの苗を、とりあえず畑に植えました。ロマネスコは順調に育っていますが、ブロッコリーは既にいくつかナメクジにやられました。ううむ、周りに他の草がないので、標的になっちゃっているんだなあ。

他に種から育てているアブラナ科シリーズもあります。コールラビ、ブロッコリー、キャベツですが、かなり大きくしてから畑に植えるとして、ナメクジ&カナブン対策を考えないといけないんですよね。種はいっぱいあるけれど、苗にまでするのが大変なので戦々恐々としています。

このほかに、去年植えていた玉ねぎや3月に植えたジャガイモなども、順調に育っています。

育苗中

もう少し簡単なシリーズがこちら。一番手前はズッキーニです。こちらは成長がめちゃくちゃ早い。去年も畑で大活躍でした。

そして、奥にはトマトとナス。トマトは毎年簡単に育つので心配していないのですが、ナスがねぇ。今年は頑張りたいです。

窓辺のサラダ菜

こちらは順調なキッチン窓辺のプランター。畑も近いですけれど、調理中にちょっとだけほしいサラダ菜やハーブ類は窓辺が便利です。根っこのついていたサラダ菜をリボベジ的に土に植えたものは、普通にどんどん増えてかなり長いあいだ食べられますし、種を蒔いておいたミニサラダもぐんぐんと増えてきました。

今年の目標は、去年に引き続き、ほぼ野菜の自給自足。頑張ります。



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Category : ガーデニング

Posted by 八少女 夕

【小説】傷つけない刀

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第10弾、ラストの作品です。大海彩洋さんは、「学園七不思議シリーズ」の作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

 大海彩洋さんの書いてくださった『【奇跡の予感・ブルームーン~バッカスからの招待状・返歌~】 』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。今回は大河小説「真シリーズ」のメインキャラの1人、大和竹流ことジョルジョ・ヴォルテラが『Bacchus』に降臨です。当ブログの150000Hit記念掌編でリクエストにお応えして「学園七不思議シリーズ」の高校生トリオを大手町のバーに放り込むというけしからん作品を書いたのですが、そこで某山猫くんが「けんかして仲直りしたい」と思い悩んでいるというような話を書いてしまったんですね。今回の彩洋さんのお話は、そのアンサー小説でした。

お返しどうしようか悩んだ末、『Bacchus』で書くことは特に何もないなあということで、登場人物が被っている「いつかは寄ってね」で書くことにしました。

彩洋さんのお話や、あの方々には全く関係のない話ですが、いちおう彩洋さんの作品のあるモチーフだけいただいてきました。あとは飲んでいるだけ?


「scriviamo! 2024」について
「scriviamo! 2024」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2021」の作品を全部読む
「scriviamo! 2020」の作品を全部読む
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む

「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね




傷つけない刀
——Special thanks to Oomi Sayo-san


 つむじ風が道の上の花びらを回しているのを見ながら、すみれは今年の桜も終わったな、とぼんやり思った。毎年、年度初めはバタバタしていていつもの仲間との花見を企画し忘れてしまう。ま、夏木さんたちも忙しいわよね。言い訳のように考えた。

 すみれは、神田駅の行き慣れた地下鉄出口の階段を昇った。今日は第2木曜日。月に1度の『でおにゅそす』の日なのだ。

 久保すみれ、夏木敏也、近藤雅弘の3人は、もともとは大手町のバー『Bacchus』の常連だ。といっても、3人ともアルコールに弱く、ほかの店ではなかなか楽しめないといった方がいい。

 その3人が神田の和風飲み屋に定期的に行くようになったのも『Bacchus』つながりなのだ。『でおにゅそす』は、『Bacchus』で知り合った伊藤涼子の店だ。

 和風の飲み屋に憧れているけれど、なかなか行く機会がないし、1人では入りにくいというすみれにつきあって、夏木と近藤が行くようになり、いつのまにか『Bacchus』が店を閉める第2木曜日は常連がこぞって『でおにゅそす』に行く習慣となった。

 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと建っている。2坪程度でカウンター席しかないが、開店してから5年ほどの間にそこそこの固定客が付き、暖かい家庭的な雰囲氣で満ちている。

「こんばんは」
すみれは、引き戸を開けてのぞき込んだ。

「いらっしゃいませ、久保さん」
涼子が微笑んで迎える。今日の装いは薄緑に花筏柄の小紋だ。名古屋帯はグレー。落ち着いていて素敵だなあ。すみれは思った。

「今日も、わたしが最初ね」
夏木と近藤は、だいたい7時頃に来ることが多い。もう来慣れたすみれは、2人がくるまで涼子や、この店の常連たちとおしゃべりしながら楽しく待つことができるようになっていた。

 その時、奥の席に座っている男が目に入った。よく座っている常連の西城ではなくて若い男性だ。

 変わった格好だなあ……。すみれは思った。ひと言でいうと紺ベースの和装だ。ただし普通の和装ではない。神田では男性の和装も珍しくないのだが、少なくとも伝統的な和装という感じではない。何が違うんだろう。羽織みたいなのに飾りみたいなのがついていること? モダン? かぶき者? アイドルの衣装で和風テイストを取り入れたものにも似ている。

 あれかな、秋葉原近いから、何かのコスプレかな。

 とはいえ、コスプレとは断言しにくい理由の1つが、その服がいい感じに褪色してしかも擦れた感じなのだ。また、化繊にありがちな光沢がなく、非常に落ち着いた風合い。うーん、謎。

 カウンターの中から、涼子がその男性の前につきだしの小皿を置いた。
「お飲み物はいかがなさいますか」

「ぬる燗にいい酒はなにがありますか」
彼は品書きは見なかった。
「そうですね。栃木の『開華』純米や、宮城の『浦霞』山廃大吟醸、それから今だけ島根の『玉櫻』生酛きもと純米を入れています」

 涼子が答えると彼の表情は、ぱっと明るくなった。
「ああ、桜の季節ですからね、それをいただきましょう」
「かしこまりました」

 それから涼子はすみれの方を見た。興味津々にやり取りを聞いていたすみれは少し赤くなった。
「久保さんは、今日はどうなさいますか?」

 ここでウーロン茶というのは情けないけれど、さすがに私にもぬる燗を下さいとは言えない。全く飲めないというわけではないけれど、飲み終えられるか微妙だし。

「もしかして、『玉櫻』少し試してみたいですか?」
モゴモゴしているすみれを見て、涼子が少し笑った。

 すみれは大きく首を縦に振った。
「本当は、いつものウーロンハイをお願いするつもりだったけれど……。ちょっと羨ましくなっちゃって。でも、頼んでもひと口くらいしか飲めないし……」

 すると、男性がわずかに笑って言った。
「じゃあ、彼女にお猪口を。僕の徳利から試すといい」

「そんな、申し訳ないです! わたしがお支払いします!」
そういうすみれに、彼は笑って手を振った。
「そんな無粋なことはさせないよ。さあ、どうぞ。桜の縁だ」

 すみれは涼子に出してもらった猪口に、ぬる燗の『玉櫻』を満たしてもらった。
「ありがとうございます」

 彼は猪口をわずかに持ち上げた。よくわからないけれど、和装でこういう仕草って、5割増しカッコよく見えるなあ。
「じつは、ぬる燗って初めて飲むんです。それ用のお酒があることも今日知りました」

「まあ、そうなの。専用というわけではないのだけれど、例えば大吟醸などは香りのバランスが崩れてしまうのでお冷やの方が適していると一般にはいわれているわ。ぬる燗、つまり40度くらいに温めると香りが引き立つし、味わいも豊かに感じられるので、それを楽しめるお酒が好まれるの。たとえば、生酛きもと系酒母を使った、生酛や山廃というタイプのお酒ね」

 和装の男性が続ける。
「生酛系酒母っていうのはだね。酒蔵に自然に生息する乳酸菌を酒簿の中で増殖させて作るんだ。時間と手間がかかるので、生酛系酒母で作られているのは、すべての日本酒の1割にすぎない。酒母の中の米をすりつぶし、米を溶けやすくする山卸という昔ながらの手作業も行うのはそのうちの2割、つまり全体の2%。君がいま飲んでいるのがその生酛なんだよ」

 そういう特別な日本酒を飲んでいるとは!

「なるほど。確かに、香りはとてもシャープだけれど、突き刺すような味はしない。とても美味しいです。旨味っていうんでしょうか、複雑な味がするように感じます」

「自然の乳酸が生み出すまろやかな酸味、コクのある複雑な味わいだね。それから、余韻を感じないかい?」
「はい。これまでに飲んだ日本酒よりも、長く美味しさが続いている感じです」

「『押し味』っていうんだ。これを楽しむのにぬる燗は適しているんだね」

 すみれは、面白そうに猪口の中をのぞき込んだ。
「効率よりも、味のこだわりを選んだってことですよね。でも、その価値をわかって飲まないともったいないってことですよね」

「美味いとわかれば、それで十分なんじゃないか?」
男性も、涼子も笑った。

「うーん。もっとたくさん飲める体質だったらいいなあ。これ、本当に美味しいもの。たとえると、切れ味のいいナイフに見えるけど、怪我はしない感じ?」

 そうすみれが言った途端、男性はぎょっとしたようにすみれを見た。

 これまでの朗らかな微笑みとあまりに違う表情だったので、すみれも涼子も戸惑った。

「あの……なにかまずいこと言いましたか?」
そうすみれが訊くと、男性ははっとして、バツの悪そうな顔をした。

「いえ、とんでもない。ただ、少し驚いたんだ。僕のことを見透かされたのかと思ってね」

 涼子は、2人の前に鰆の西京焼きの皿を出しながら訊いた。
「と、おっしゃると?」

 男性は、少し考えている感じだった。
「……どのくらい一般に知られている話か……。薬研藤四郎やげんとうしろうって短刀のこと、知っているかい?」

 すみれも涼子も即座に首を振った。男性は、「そうか」と笑った。
「鎌倉時代中期の粟田口派に属する吉光という刀工がいてね。この吉光の通称が藤四郎っていうんだ。徳川吉宗が作成させた『享保名物帳』という名刀のリストで天下三作に選ばれた名工で、特に短刀の妙手として有名なんだ」

 2人が話についてきているかを確認するため、彼は少し間をとった。2人は頷いた。
「そういうわけで藤四郎と名のつく有名な短刀はたいていこの粟田口吉光作なんだが、薬研藤四郎は少々変わったエピソードを持つ刀なんだ」

「どんなエピソードですか?」
すみれが訊く。

「薬研というのは、薬をすりつぶす鉄製の道具なんだが、それに突き刺さってしまうほどの切れ味なのに、持ち主だけは傷つけないという不思議なエピソードがあるんだ」
「ええ?」

「室町時代の大名畠山政長が明応の政変に負けて自害しようとしたときに、この短刀を用いたのだが、3回突き立てても刃が腹に突き刺さない。なんと切れ味の悪い刀だと怒って放り投げたところ、そのまま薬研を貫いてしまったというんだ。それで、鉄を突き通す切れ味なのに主君は傷つけない不思議な怪刀として知られるようになったというわけだ」

「へえ。そんな刀があるんですね。たしかに、切れ味はいいのに、怪我はしないって言葉に当てはまりますね」
すみれは、目を丸くした。

「その刀は畠山家の子孫に受け継がれたのですか?」
涼子が訊く。

 男性は首を振った。
「いや。足利将軍家に伝わり、足利義輝殺害後、織田信長に献上された。信長は名刀のコレクターでね。中でも薬研藤四郎はお氣に入りだったらしく本能寺の変の折にも所持していたと言われているんだ。ただ、その後は豊臣秀吉や徳川家が所持したとの説もあるが、信頼できる証拠もない。つまり、本能寺の変以後は行方不明といってもいいんだ」

「ええと、つまりあなたは、トレジャーハンターということでしょうか」
すみれは恐る恐る訊いた。

 男性は笑って首を振った。
「いや、そうではない。僕は刀鍛冶でね。ちょっと薬研藤四郎にも縁があるんだ」

「ええ? 刀鍛冶って、刀を作るお仕事ですよね! すごい。あ、だからその和装なんですね」

「はは。この服装で仕事をしているわけではないさ」
そう笑って、彼は『玉櫻』をもう1提注文した。

 その時、引き戸が開いて、夏木が近藤と一緒に入ってきた。
「久保さん、涼子さんも、こんばんは」
「いらっしゃいませ、夏木さん、近藤さん」

「あ、途中で会ったんですね」
すみれが訊くと近藤が頷いた。
「神田駅でね。あ、20分くらいでオルガさんも来るって、連絡来たよ」
オルガ・バララエーヴァも『Bacchus』の常連だ。

 夏木はすみれの前の鰆の皿や猪口を見て訊いた。
「かなり待たせたかな?」
「いいえ、それほど待っていませんよ。とても面白い話を聞いていたんです。生酛きもとの日本酒と、薬研藤四郎っていう刀。ね、涼子さん?」
すみれは、涼子に同意を求めた。

 涼子は頷いたが、他のことに氣を取られていた。小さな店のカウンターはほぼいっぱいになっている。直に他の常連も来るだろうし、もう1人来るとしたら、座る場所をなんとかしないといけない。

 刀鍛冶の男性は、酒を飲み干すと立ち上がった。徳利の下に十分すぎる代金が置かれている。
「また来るよ」
「まあ、ありがとうございます。あ、おつりは……」
「とっておいて」

「追い出したみたいになっちゃったな」
彼が出て行った後、夏木が困ったように言った。

「薬研藤四郎とのご縁がなにか、訊きそびれちゃったわ」
すみれが口を尖らせた。

「何それ?」
近藤が出てきたビールを飲みながら訊いた。

「鉄の道具に突き刺さるくらい鋭い刀なのに、持ち主は傷つけない不思議な刀なんですって。織田信長が持っていたんだけど本能寺の変で行方不明になったとか」
涼子が説明した。

「カッコいい和装だったなあ」
夏木がポツリと言った。
「刀鍛冶さんなんですって。でも、剣士でも通りそうよね」
すみれが教えた。

「常連さん?」
夏木は涼子に訊いた。

「いいえ。今日初めていらしたお客様よ」
涼子は、彼の置いていった代金を手に持ったまま、不思議そうな顔をして戸口を見つめた。

「どうかしたんですか?」
すみれは涼子の手元を見ながら訊いた。

「十分すぎるほど置いていってくださったんだけれど、一番下にこのコインが……」
そう言って見せたのは見たことがない古銭だった。

「なになに? 和同開珎?」
すみれが訊くと、近藤が呆れた声を出して涼子に言った。
「そんなわけないだろうに。ちょっといいですか?」

「うーん。天正……通宝かな?」
かなり黒くなっているが銀貨のようだ。夏木がスマートフォンで検索する。
「ああ、室町時代のお金みたいだね。それにしては状態がいいみたいだけど。ネットにある写真のは、もっとボロボロだよ」
「コスプレ用の再現貨幣?」
「最近のコスプレってそんな芸の細かいことするのか?」
「……というか、なぜこれを置いていったんだろう?」

 近藤がぼそっと言った。
「あの人、その刀匠藤四郎の幽霊で、行方不明の短刀を探していたりして」

 皆がぎょっとして近藤を見た。彼は慌てて言った。
「いや、冗談だから!」

 夏木はため息をついた。すみれは、考え深そうに言った。
「う〜ん。もしかしたら、本当にそういうことなのかも。もしくは、あの人が薬研藤四郎っていう刀の妖精とか。そうでもおかしくない佇まいだったのよね」

 夏木と近藤は、すみれが飲み慣れない日本酒で酔っているなと判断して目配せした。 

(初出:2024年4月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

生き残った白菜がふくたちになった話

去年の野菜が春まで生き残ってしまった話。

ふくたち

「白菜、育っている」という記事でも書きましたが、種まきが遅すぎてグズグスしているうちに大雪に埋もれてしまった白菜が、しぶとく生き残って今野菜に育っています。

ブログのお友だちダメ子さんに教えていただいたのですが、秋田で同様に雪に埋もれた白菜が春にトウ立ちして「ふくたち」という別の高級野菜に変身し、売り出されているとのことです。私の白菜も無事にふくたちになりました。ようするに結球しない謎野菜ですが、食べられればなんでもいいのです。

ふくたち菜の花

このまま収穫してもよかったのですが、花芽を摘んでさらにトウ立ちさせるともっと美味しいとの情報を得たので、とりあえず花芽だけ食べてみました。

「これがすごく美味しいのか?」という感じでしたが、きっと秋田のふくたちはもっと甘いんだろうなあ。わたしのは、苦みの少ない菜の花って感じでした。でも、春らしい若緑。今年もマイ家庭菜園の野菜が食べられて嬉しいです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】瑶池蟠桃

「scriviamo!」は終わっていないのですが、今日の小説は、植物をテーマに小さなストーリーを散りばめていく『12か月の植物』の3月分です。4月になっちゃったのであわてて。

3月のテーマは『桃』です。

桃源郷という言葉もあるように中国の楽園は西にあって桃の花が咲き乱れているというイメージ。アンズや桃はヒマラヤ原産ともいわれていて、パキスタンにある標高2500mのフンザ地方は現代の桃源郷といわれるほどアンズの栽培が盛んだそうです。しかもここの人たちは長寿で有名で、アンズの種を常食することが健康で長寿の秘訣なのかもといわれています。中国で語り継がれた不老長寿の仙桃伝説はこうした事実と関係があるのかも。

ところで、もともとは黒歴史から借用したこの仙人ものも、もう4作目。そろそろカテゴリー作るべきかしら。


短編小説集『12か月の植物』をまとめて読む 短編小説集『12か月の植物』をまとめて読む



瑶池蟠桃

 河岸の向こうは、見渡す限り桃の花が咲いており、まるで薄紅色の雲のようだった。

 宋子墨は、丁氏にもらった呪符を確認した。この川にたどり着くまでに6枚を使い果たしており、残りの1枚で勅旨を為し遂げ長安に戻れるだろうかと思った。

 傾城傾国の美女と謳われた李夫人が病に倒れ、帰らぬ人となってから、皇帝は塞ぎ込むようになった。道士に妙薬を作らせ長寿を実現しようとしたが、それを燃やした煙の中に亡き夫人の姿を見てからは、病や死を怖れるようになった。

 西の果てに崑崙山あり。その高みに太妙天紫府化気西華金母元君、つまり西王母として知られる最高位の女仙の住む瑶池があると言われている。

 子墨は、李氏の遠い縁者として官位を得たが、李一族の栄華は心許ない状態にあった。早くに両親を亡くし、叔父の厄介になって育ったので居心地は悪く、一刻も早く出世したいと願っていた。

 共に育った叔父の娘、宋木蘭とは心を通わせていたが、もちろん同じ氏族での恋は許されるはずもなく、娘を皇帝の後宮に送り込もうとしている叔父の逆鱗に触れることがないように忍ぶしかなかった。

 生きて帰れるかもわからない西域崑崙山への旅、あるかどうかもわからぬ不老長寿の妙薬の探索を引き受けたのは、そうした事情があった。

 皇帝の重用する道士たちは、誰ひとりとしてこんな地の果てまで旅したことはなかったし、都中を駆け回って探した名のある道士たちも崑崙山のことは文献でしか見たことがないと言った。

 だが、勅旨を拝受してしまった以上、野獣に襲われようとも西の果てまで行かないわけにはいかなかった。手がかりもないまま、西へと向かったが、天水にたどり着いたとき、宿屋で知り合った不思議な道士がいた。

 まだその時は、立派な旅支度でたくさんの部下もいたので、静かで立派な宿屋に泊まることができていた。それゆえか、子墨の一行の他には、その若い道士しか泊まっておらず、夕食の時に話をする機会があったのだ。

「2月の末までに鄯善に入れば、普段はたどり着けぬ瑶池への道をみつけられるだろう。というのは、蟠桃会を目指してたくさんの神仙たちが集まってくるからだ。仙人たちを追い、満開の桃の花を見つけることができれば、王母娘娘のいる神泉苑は遠くないだろう」

 3月3日は西王母の誕辰であり、この日には神仙が瑶池に集まり蟠桃会を開催するといわれている。

 その不思議な道士は丁と名乗った。そして、子墨が自分の役割を話すべきか迷っている間に、子墨の素性から、勅旨の詳細まですべて言いあてられてしまったのだ。それで、子墨はこの道士は、これまでに会った道士たちとは違い、おそらく神仙であろうと思った。

 丁氏は、子墨の顔を見ながら言った。
「勅旨を捨てて逃げ出せば、そなたを監視している部下らによって命を失うだろう。このまま進めば、そなたの命は助かるが、部下らを失うだろう。そなたがこの旅を終えることができるように、呪符を書いてやろう。部下には見せぬように」

 そして、その言葉通りとなった。武威、酒泉と西に行くに従い、部下たちが1人またひとりと減っていったのだ。ある者は食あたりで残り、ある者は強盗と闘い、またある者は同行者同士の喧嘩で共倒れとなった。そして、楼蘭とも呼ばれる鄯善に着いた時には、彼は身の回りの世話をする下男すらも失い文字通りひとりとなっていた。

 丁氏にもらった呪符は旅のあいだ、何度も彼の命を救った。強盗に襲われて副官が血の海の中で息絶えていたときも、子墨は切れた衣服の下で呪符がすっぱりと切られていただけで済んだし、渡し舟に穴が開いてが転覆しかけたときにも呪符がいつの間にか穴を塞いでいた。6枚の呪符はそのように役割を終えて使い物にならなくなった。

 いま彼は丁氏が話していた満開の桃花の土地に到達しようとしていた。2日ほど前から、彼は空を飛ぶ神仙を幾度も目にした。言われていなければ鳥と見間違えてしまっただろうが、西王母の住む瑶池を探して、常に空を見上げていたので、奇妙なほど同じ方角へと飛ぶ影を見逃さなかった。

 その方角は、まるで死の砂漠とそれに続く恐れの渓谷に向かっているようだったので、同じ方向に進もうとする旅人はいなかった。だが、丁氏の言葉を信じて1日進むと、突然水流豊かな川と、その向こうに桃の花が咲き乱れる不思議な土地が目に入ってきたのだ。

 渡し守は物言わぬ老人で、向こう岸に着くまで全く彼を見なかったし、彼が降りるとあっという間に岸を離れた。
「あ……。帰りの舟はいつ……」

 こちらを全く見ずに去って行く渡し守をしばらく見ていたが、あきらめて振り向くと、いつ近づいたのか至近距離に3人が立っていた。真ん中にいるのは赤い服を着て焰のような色の髪をした女で、右にはやたらと頭の長い老人、左の黒鉄の鎧で武装した男が雷のような大声を出した。
「お前は何者で、何の用だ」

 彼は、ひれ伏して勅旨を差し出した。
「長安の都から参りました宋子墨と申します。太妙天紫府化気西華金母元君にわが皇帝へ不老長寿の妙薬を御下賜くださるようお願いに伺いました」

 長旅と途中で起こったいくつもの不愉快な出来事により立派だった箱は壊れ、剥き出しになった勅旨は汚れボロボロになっていた。ごく普通の役人などに見せれば、間違いなく偽物としてうち捨てられてしまうだろう。

 武装した男は、勅旨を受け取ると頭の長い老人に渡した。老人は開いてから頷き、女に向かって恭しく訊いた。
「確かに皇帝劉徹からの書状でございます」

 武装した男が不満げに遮った。
「しかしながら、このような小者を使いに出すなど王母娘娘を軽んじているのではありませぬか」

 老人もそれには同意見らしく、女を顧みた。
「いかがなさいますか、紅榴元君」

 紅榴は、じっと子墨を見つめて言った。
「勅旨だけではないな。強力な呪符も持っている。それに、この者を取り巻いている守護の呪術は、翠玉がかけたものであろう」

 老人ははっとして頷き、子墨の周りをじろじろと見て回った。
「いかにも。翠玉真人ならではですな。最低限の細さと長さなのに、このように隙の無い呪詛返し、久しぶりにこの目で見ましたわい。これを知らずにこの者を襲ったら、さぞひどい目に遭うのでしょうな」

「おい。お前、翠玉真人の知り合いか!」
武装した男が大声を出した。

「わかりませぬ。天水の宿屋で知り合い、これらの呪符をくださった丁氏と名乗られた道士にここまでの道を教えていただきました」
ひれ伏しながら、子墨は考えていた。では、あの丁氏が、皇帝が必死に探していた神仙、翠玉真人だったのかと。

 紅榴はさっと袖を振った。
「通してやれ」

「よろしいのですか。他の日ならともかく、本日は蟠桃会だというのに」
武装した男がまた大きな声を出した。

「翠玉が手助けしたと奏上すれば、王母娘娘もお許しくださるだろう。なんせ翠玉に仙道の手解きをしたのは娘娘なのだから」
「なんと! そうでしたか」
2人はそれを知らなかったようで、驚きかしこまった。

「ただし、神泉苑に入れる前に、もう少しましな格好にさせてやれ」
紅榴は笑った。

 子墨は、土の上に頭をこすりつけた。

 3月3日に開催される蟠桃会については、子墨も聞いたことがある。天界の瑶池に住む西王母は大きな桃園を持っている。そこには、平たく甘い蟠桃が実る3600本の桃の木がある。手前の1200本は3000年に1度熟し、これを食べた者は仙人になれ、中ほどの1200本は6000年に1度熟し、これを食べた者は長生不老が得られ、奥の1200本は9000年に1度熟し、これを食べた者は天地のあらん限り生き永らえるといわれている。

 3月3日には、西王母の誕辰を祝う宴会があり、高貴な神々や神仙たちが集う。7人の女仙が蟠桃園をまわって収穫した貴重な仙桃が客に配られ、共に食すという。もし、その言い伝えが真実ならば、その仙桃をひとつでも持ち帰れば皇帝の命を果たしたことになる。

 子墨は3人に続いて、花盛りの桃の苑を歩いていった。どの木も今が盛りと咲き誇っており、仙桃などは見当たらない。

 山のように仙桃があれば、1つ分けてもらえるのではないかと期待もできるが、人間の住むところと同じように、3月に桃はならないのかもしれない。そう思ってキョロキョロしていると、木々の間をときおり仙女たちが進んでいくのが見えた。そして、その1人が目に入ると子墨は思わず叫んだ。
「木蘭!」

 兄妹のごとく共に育った従妹がかなり離れた木の下で働いており、彼は案内する3人を離れて木蘭のところに向かおうとした。

「そなたは何がしたいのだ、宋子墨」
紅榴が静かに、けれど威厳のある声で彼を止めた。
「王母娘娘に、その勅旨を渡したいのか。許しを得ずに仙桃を盗み出したいのか。それとも、あの見習いと逃げ出したいのか」

 子墨は、立ち止まり振り返った。ずっと黙っていたのに、彼の思っていたことはすべて紅榴にはわかっていたようだ。

「木蘭は、後宮に入ったのだとばかり……」
子墨は、再び少女の方へ顔を向けた。

「そう。そなたの従妹は後宮に送られた。だが、そなたはどうすることもできないと諦めたのではなかったか。手っ取り早く出世をするために、西域の旅を決めたのもそなたであろう」

 その通りだ。彼は恥じて下を向いた。せっかくこの女仙が西王母に会わせてくれるというのに、無為にするわけにはいかない。

 紅榴と2人の随仙は、桃林を通り過ぎ、立派な宮殿に入っていった。奥には見たこともないくらい広い大広間があり、その奥に黄金の衣装を纏った女神が座っていた。紅榴らは跪いた。子墨もあわててそれに倣った。

 紅榴が西王母に語りかけた。
「王母娘娘にご挨拶いたします」
「立ってよろしい」
「感謝します」

「そこに連れてきた人間は誰ですか」
「皇帝劉徹からの書状を持ってきた使者でございます。翠玉真人が手助けをしたようですので、追い返しませんでした」
「なるほど。書状をこちらに」

 勅旨が西王母に手渡され、女神は表情を変えることもなく、それを読んだ。
「老いず、死ぬこともなくなる妙薬がほしいと。それに値すると思っているのであろうか。紅姑、憶えておるか、あれは人間の時で1年ほど前のことであったか、共に長安に行ったのは」

 紅榴は、頷いた。
「はい、娘娘。かの皇帝が7日7晩にわたり道士たちに自らの長寿を願う祈祷を奉じさせたので、休めない道士たちを憐れまれて、降臨なされました。そして、蟠桃を皇帝に授けましたね」

 子墨は驚いた。そんな大がかりな祈祷をさせていたことを知らなかったからだ。だが、よく考えると、子墨が都を出立してからすでに2年が経っていた。
「それでは、皇帝はすでに不老長寿の仙桃を賜ったということですか」

 紅榴は頷いた。
「然り。だが、不老長寿の身になったわけではない」

「なぜでございますか?」
子墨は、さらに驚いた。西王母が自ら出向いて仙桃を賜ったのに、それで不老長寿にならなかったのでは、彼がここに来たことも全くの徒労だろう。

「絢爛たる輿に乗ったり、虎にまたがったりして行ったわけではない。どこにでもいる貧しい老女の装いで近づき、5つの仙桃を与えたのだ」
西王母が笑った。

「そして皇帝劉徹は、それを尊ばなかった。仙桃も傷のあるつまらぬ果実だと判断し、後宮の軽んじられている娘たちに与えてしまった。そなたが、先ほど見た少女もその1人だ」

 紅榴の言葉を聞いて、子墨は地面に両手をつき震えた。
「それでは、木蘭は知らずに化仙してしまったと……」

 紅榴は答えた。
「不老不死になったわけではないが、神通力を身につけた。自らの意思で後宮を抜け出した者、家族の元に戻った者、それから、仙姑としての修行を望んだ者がいる。だが、あの皇帝は目が曇り、仙桃を捨ててしまったことも、後宮の少女たちが消えてしまったことすら氣がついていないのだ」

「それでも勅旨を携え、長い旅に堪えてきたそなたの辛苦を思えば、このまま追い返すは氣の毒。本日は、みなに誕辰を祝ってもらう日、そなたに慶びを分けてやろう」
その西王母の言葉が終わらぬうちに、子墨の目の前に蟠桃が1つ現れた。

「翠玉の目に叶った者ならば、あの皇帝よりはこの蟠桃の価値がわかるであろう。この果実をどう使うかはそなた次第。都に持ち帰り皇帝に献上するもよし、不老長寿の桃として売り大金を手にするもよし、みずから食して仙道に進むもよし」

 思いも掛けない言葉をかけられて、子墨は戸惑った。両手の中に皇帝すら切望する貴重な仙桃がある。それを自らの自由にしていいなどということは考えたことすらなかった。自分に仙人になる可能性があることも1度たりとも考えたことはなかった。

 西王母の前から退出し、紅榴に案内されて再び桃の林を歩いた。仙女はわずかに笑って言った。
「仙道は、険しく難しい。能力に溺れて善行と修行を忘るれば、たやすく闇の底に沈む。身を清く保ち、人の脆さを許し、慈愛の心を持ち続けることではじめて堕ちずに進むことができる。それが難しいと思うならば、楽な方の道を奨めるぞ」

 子墨は、手元の仙桃をじっと見つめた。思っていた輝くような果物ではなく、どこにでもあるような小さな蟠桃だった。このような苦難の旅の末に入手した宝物には全く見えない。誰かに売りつけようとも、市場にある桃の値段以上の金を出す者はいないだろう。

 皇帝に献上しても、そこら辺の市場で買ってきたものだと疑われて、相手にされないか、もしくは詐欺師と糾弾されて命を落とすやもしれぬ。そうでなくても、無事に長安まで戻れる保証すらない。

 下男すらいなくなってしまった今、ひとり長安まで戻ることすら困難に思えた。

 しかし、だからといって安易に仙桃を食べることも空恐ろしく思われる。

 ふと、遠目に見た木蘭のことを思い出した。彼女が仙女となりこの瑶池に住んでいるというならば、僕も……。いや、そんな理由で、仙道に入る者がいるだろうか。紅榴仙姑が言っていたような、厳しい道に進む覚悟は全くないのに。

 いつの間にか彼は先ほどの河岸に立っていた。無口な渡し守が、当たり前のごとくそこに立っている。

 彼は、紅榴の方を向いて頭を下げた。
「ご案内いただきありがとうございました。……どうするか、帰り道に考えてみたいと思います」

 紅榴は、笑って言った。
「それはいい。その桃は人間の時間で30年ほどは腐らないので、じっくりと考えよ」

 舟は河岸を離れた。満開の桃の苑が遠ざかる。子墨は、答えのない問いをひたすら繰り返しながら、澄んだ青空を見つめた。

 不老長寿を願った皇帝劉徹は、後元2年69歳で崩御し孝武皇帝という諱が贈られた。後世には前漢の最大版図を築いた武帝として知られている。

 宋子墨の行方を史書は伝えていない。唐代に海藍上人として名を知られることになった神仙は同じ宋子墨という名であると伝わっているが、同一人物かどうかも不明である。 

(初出:2024年4月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

マンドラゴラが生えている?

ちょっとびっくりしたことがあったので、ご報告を。

アルラウネ

この記事は2024年のエイプリルフール記事です。

借りている畑の片隅に、とても綺麗な紫の花が咲いていたので、持ち主の隣人に訊いてみたんです。「これはなんて花ですか?」って。

「ああ、ナスの仲間でAlraunenっていうのよ」とにこやかに教えてもらいました。

で、「ナス? いくらなんでも早いですよね」って訊いたら、びっくりされて、慌てて言われました。
「これ、野菜じゃないの。毒があるから氣をつけてね」と。

アルラウネって言葉に聞き覚えがあったので(昔のマンガ?)、氣になってどんな植物なのか、日本語の情報が無いか調べてみました。そしたら「マンドレイク、またはマンドラゴラ」って!

えー? あのマンドラゴラが、こんなに普通にその辺に生えるものなんだとびっくりしてしまいました。この下に人間の形をした根っこが埋まっているのかと思うと、ドキドキですよね。




この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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なんてことがあるわけないでしょう。生えていませんよ、もちろん。今日は4月1日です。
ま、ジギタリスなどの毒草を庭に植えているご家庭はけっこう多いんですけれどね。

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Posted by 八少女 夕

【小説】西の塔にて

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第9弾です。山西 左紀さんは、連載作品でご参加くださいました。ありがとうございます!

 山西 左紀さんの『白火盗 第四話』

左紀さんの今年の2作品目は、ことしの1つめの参加作品と同じ『白火盗』からです。

というわけで、お返しの作品はこちらも前回のお返しで使った世界観をそのまま使うことにしました。サキさんの使われたあるシチュエーションもつかっていますが、それ以外はまったく関係のない話です。ご了承ください。

コメントで「オットーを身代わりにしてハンス=レギナルドは、どこに逐電していたのか」とのご意見を何名からかいただいたので、その答えを(笑)


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西の塔にて
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 暗い城内を歩くとき、床石が硬い音をたてる。彼は眉をひそめた。

 普段彼が住む城塞では、石材よりも木材が多用されている。辺境であり、石材を運ぶのに必要な人足や石工が足りないこともあるが、何よりも王都ヴェルドンにはない膨大な木材の供給源があるからだ。

 常に雪を抱く《ケールム・アルバ》の麓はどこまでも続く森林であり、あまりにも広大で比するものがないゆえに単に森を表す《シルヴァ》と呼ばれている。

 辺境伯とは名ばかり、彼が治めることになった土地は、ほぼ未開の地だった。だが、少なくとも彼は王都ヴェルドンにいてその任に就いたときからそのことをよく理解していた。国王がこの困難な任務に彼を選んだのは、ただ単に彼を氣に入っていたからだけではない。

 彼は、尊い家系に生まれたひ弱な貴族ではなかった。遠くルーヴラン王国に属する地方領で馬丁として少年時代を過ごした。

 彼が騎士に叙任され異国の王に仕えるようになるまでには、それだけで吟遊詩人が一生困らぬほどの長い物語になる紆余曲折があったのだが、彼が祖国を去った原因についてはたったひと言で済む。領主バギュ・グリ候の令嬢が遁走した咎を追わされたくなかったからだ。

 彼女は、彼のかつての主人であり、初恋の相手でもあり、型破りな男姫ヴィラーゴで、ジプシーに加わり遁走する迷惑極まりない女で、しかも恋焦がれて止まない愛人でもあった。

 王都ヴェルドンの城の中を、奇妙な服装で深夜歩き回ることになったのは、まさしくその男姫ヴィラーゴのためだった。

 それでも、一昨夜の国王との会話がなければ、こんな危険な行動には出なかっただろう。

 国王の婚儀のために領地から集まった諸侯たちは、婚儀の前夜に特別の宴でもてなされた。彼が諸侯の1人としてもてなされるのは初めてであり、以前のように近くで親しく話をする機会はないと思っていた。

 実際、彼の席は国王からは遠く、その席順を見たヴァリエラ公爵は満足そうに笑った。出自の怪しい異国人が国王に重用されることに大きな警戒心を剥き出しにしていたからだ。

 彼は、もう以前とは違うのだと思った。フルーヴルーウー辺境伯としての爵位と領地、有り余る野心と才覚を向ける新しい活躍の場と引き換えに、彼は国王との奇妙なほどに近かった絆を失ったのだと。

 だが、深夜が過ぎ、諸侯たちの多くが酔い潰れた時刻に、彼は国王がわざわざ彼の元に歩いてくるのを見た。

 国王レオポルドは、不思議な人物だ。背の低さも、醜悪に近いほどの面立ちも、1度たりとも彼に嫌悪感を抱かせなかった。その強い眼光は、どのようなときも変わらない。そして、蠟燭と牛脂灯の鈍い灯の中でも、歩み来る彼の姿からは力強いエーテルが放たれているように感じられた。

 彼の隣で先ほどまで浴びるように飲んでいたノルム伯は、酔い潰れて祝卓に突っ伏していたが、ついに椅子からずり落ちて床に転がった。国王は、その寝姿をちらりと見てから、空いた椅子を引いて彼の隣に座った。

「そう。久しぶりだがあいかわらずだな、ハンス=レギナルド。ノルム伯と変わらぬほど飲んでいたようだが、顔色ひとつ変えぬとは」
「恐れ入ります。陛下こそ、もっとたくさんの祝杯をあげておいででしたが……」

 レオポルドは、緊張して立つ給仕に目で指図をして、2つの杯を満たさせた。

「おや。その袖か。フルーヴルーウー流とやらは」
国王は愉快そうにハンス=レギナルドの胴着の袖を見た。肩の膨らんだ部分を1度絞った位置から、長い袖が装飾用についているが、非実用的なためハンス=レギナルドは、これを縦に切って縫製させ下の胴着の袖を同色の糸で刺繍させたものを露出させた。

 これが宮廷の貴婦人たちの間で評判となり、彼が領地に赴任してヴェルドンの宮廷から去った後も大流行した。お堅いヴァリエラ公が風紀の乱れを懸念して進言したため、しばらく禁令が出たほどだ。

 ハンス=レギナルドは、諸侯たちに睨まれようと氣にも留めず、好きな礼装で今夜の宴に参加した。国王もそのフルーヴルーウー辺境伯の振る舞いを可笑しく思い楽しんでいる。2年会わなかったとはいえ、国王との信頼関係は揺るいでいない。

「この度は、誠におめでとうございます」
「うむ。よく来た。こんな折りでもなければ、そなたは戻らんだろうから、楽しみにしていたぞ」

 2人は杯を重ねて強い酒を飲み干した。給仕はあわてて2人の杯に蜜酒を注ぐ。ハンス=レギナルドは、かつてのように軽口を叩いた。
「それにしても、実に殺風景な祝宴でございますな。華が欠けております。……それも無理もないこと、今宵までは花嫁様も、高貴なる乙女の皆様も、敵国の姫ぎみ。しかし、婚礼がお済みになった明日には、みなさま方をご紹介いただけますか」

 それをいった途端、国王の顔は曇り小さな声でつぶやいた。
「いや。ブランシュルーヴを西の塔からは出さぬつもりだ」

 ハンス=レギナルドは、心底驚いた。
「それはいったいどういうわけで? なにかあちらの策謀でも?」

「そうではない。ただ、あれの姿をどのような男にも見せたくないのだ。あれの手を望み、欲しがろうとする男にとって、盗み取るのはさほど難しいことではあるまい」
そういうと、レオポルドは拳を強く握りしめた。

 ハンス=レギナルドは、不思議そうに彼の主人であり親友でもある男を眺めた。
「強い自信と求心力をもつあなた様を、王妃様がそこまで臆病にしたとは驚きましたね。陛下はかのイーラウ嬢をはじめお美しいご婦人方をいくらでもご覧になり、手に入れていらっしゃったではないですか」

 レオポルドは、小馬鹿にするように笑った。
「イーラウだと? 比較対象にもならん。あれは……ブランシュルーヴはまったく違うのだ。美しい造形が豪奢な布で着飾っているだけではない。まるで太陽のように強い光を放ち、すべてが霞む。もうこの世に、他の女など存在しないかのようだ」

 ハンス=レギナルドは「ほう」といって頷いた。
「しかし、姫はルーヴランの女官であった4人の高貴なる乙女たちをお連れになってのお輿入れと伺いました。おそらくは、4人とも陛下の愛妾とさせ、グランドロンとルーヴランの絆をより強固なものにするために……」

 その4人については、家名だけが伝わっていた。ヴァレーズ伯、マール・アム・サレア領主、アールヴァイル伯に加えて、彼の出身地であるバギュ・グリ候の令嬢たちだ。

 バギュ・グリ令嬢については、愛妾アデライドの連れ子クロティルデだろうと予想していた。バギュ・グリ候テオドールには候子マクシミリアンと候女ジュリアの他に子はなく、かのジュリアはジプシーと共に出奔して行方不明になっていたからである。

 国王は、4人の高貴なる乙女のことを促されて、鼻で笑った。
「あの女たちを愛妾に? なんの冗談だ。わざわざ王妃の不興を買えと? そもそも、どんな女たちかすら、憶えておらぬ。……いや、もちろん、1人は別だ。だが、いずれにしろそのような対象ではない。氣味が悪い女でな」

「氣味が悪い? 高貴なるご令嬢が?」
ハンス=レギナルドは、いままで国王が女にそのような評価を下したのを訊いたことがなかったので意外に思って訊いた。

「ああ。奇妙なことに、ブランシュルーヴがもっとも信頼しているのが、その女でな……そうだ。バギュ・グリは、そなたの出身地ではなかったか? 候女を知らないか? 美しいが、夜に蠢く獣みたいに残忍な顔つきをした姫だぞ」

 ハンス=レギナルドは、それから彼がどんな受け答えをしたかすら憶えていない。それはクロティルデではあり得ない。親のいうことには一切逆らわない、清楚で退屈な少女が、たった数年でそのような女に変貌するはずはない。

 ハンス=レギナルドの人生で、国王が描写したような特性を持つ女は、たった1人だった。そこにいるはずのない女、しかしながら紛れもないバギュ・グリ候女、男姫ヴィラーゴジュリアその人だ。

 西の塔には、いつもの3倍の護衛兵がいて、見つからずに通過することはできない。彼らは「どのような男も決して通してはならない」と厳命されている。

 だから、彼は修道女の服装を身につけてきた。彼にこの服を貸してくれた修道女は、あいにく見かけほどは慎ましくない。夫亡き後、修道院に入ったものの、彼の誘惑に軽々と応じ、彼がグランドロン王国の騎士となるのに十分な金銭的支援を申し出てくれた女だ。

 暗いとはいえ、女の服装だけで易々と地階の護衛を騙すことができたのは、彼の類い稀な美貌の恩恵だろう。護衛たちは、美しく清楚に見える修道女に戸惑い、問いかけることもなく彼を通してしまった。わずかな手振りをしただけで、《沈黙の誓い》を守っている慎ましい修道女だと勝手に判断してくれた。

 だが、難しいのはこれからだ。地階の護衛たちは新しく、まだ彼の顔をよく憶えていなかった。だが、上の階に行くたびに護衛の騎士は古参で忠誠心に篤い者らが固めるであろう。

 西の塔には、中心に円形階段があり、下からいくつかの広間と部屋が用意されている。最上階はもちろん王と王妃が休む広間と寝室だが、彼はそこに行くつもりはない。しかし、4人の高貴なる乙女たちがどこに部屋を与えられているのかまでは調べられなかった。

 バギュ・グリ候女がもっとも王妃の信頼が厚いというのならば、最上階に一番近い場所が妥当であろう。そこまでたどり着けるであろうか。

 円形階段を上がると2人の騎士が大きい木造の扉を守って立っていた。扉は開き、中の侍女が騎士の1人と話している。もう1人の騎士がこちらに向かって大股で歩いてきた。
「止まれ。お前は何者だ!」

 またしても《沈黙の誓い》の手振りで押し切れるだろうか、そう思ったとき、女が言った。
「お待ちください。その方は、伯女様のためにわたくしが呼んだのです。失礼の無きように」

「それは失礼いたしました。どうぞ」
2人の騎士は最敬礼をして、ハンス=レギナルドを通した。

 女は素早く彼を扉の内側へと連れ込むと、すぐに扉を閉めた。そして、声をひそめて囁いた。
「ハンス=レギナルド様! いったいここで何をなさっているの?」

 顔を見ると、それは宮廷騎士時代によく通っていた侍女だった。
「マルガレーテ! 君は今、ここに勤めているのかい?」
「ええ。アールヴァイル伯女様のお世話をおおせつかっているの。ハンス=レギナルド様こそ、いったいどうなさったの……」

 ハンス=レギナルドはみなまで言わせなかった。
「それは本当か。高貴なる乙女の皆様……いやバギュ・グリ候女様はこの部屋の奥に?」

「そんなわけあるでしょうか。ここはわたしたち侍女がご用事の準備をするための部屋で、候女様は王妃様のひとつ下、他の3人の姫様方はその下の階にご滞在なさっているわ。まさか、候女様のご寝所をお訪ねになるおつもりでしたの?」

 彼は、あっさり認めていいものか迷って口をつぐんだ。
「どんな事情があるかわかりませんけれど、今あそこに忍び込むなんて、正氣の沙汰ではありませんわ。いつ王様がお訪ねになるかもわかりませんのに……」

「なんだって? 候女様たちのところに陛下が? 昨日婚儀をすまされたばかりだというのに?」
氣色ばむハンス=レギナルドを見て、マルガレーテはよくわかったと言いたげな顔をした。

「まあ、ご心配にはおよびませんわ。王様だけでなく王妃様もご一緒にですもの。王妃様はこの西の塔から一歩も出られないので、大切なご友人たちを訪れるくらいの自由は王様もお許しになったのですわ。でも、王妃様とわずかの間でも離れたくない王様は、一緒に行かれるのです」

 ハンス=レギナルドは、上を見上げて「やれやれ」と言った。
「ところで、なんとか護衛兵に見つからないように候女様の部屋に行く方法はないかな」

 マルガレーテは、わずかに口を尖らせて言った。
「……つまり、わたくしが手引きするんですか。ご褒美はなんですの?」

 彼は、悪びれずに笑みを見せた。
「明日、水仙の咲く庭園の東屋で会おうよ。フルーヴルーウーの緑の水晶を知っているかい? 君が身につけたら綺麗だろうな」

 彼女は、「仕方のない方ね」と肩をすくめ、侍女しか使わない裏階段へと彼を案内した。

 細い螺旋階段を3階層ぶん登ってから、廊下を進む。かなり遠くに、この階への侵入者や客人を阻む護衛兵たちの立つ戸口が見えた。マルガレーテは口元に人差し指をあてて、奥の大きな樫の扉を示した。

「どうなっても知りませんからね。わたくしは仕事に戻らなくては」
そう耳元で囁くと、急いで元の道を戻って去って行った。

 ハンス=レギナルドは、意を決したように樫の扉に向かい、静かに扉を開けた。鍵はかかっていない。さっと入ると扉を閉めた。

 侵入者に氣づき声を上げられても困るので、小さな声で呼んだ。
「ジュリア様」

 その途端、奥から声がした。
「ほら。いったとおりであろう。余の勝ちだ、ブランシュルーヴ」

「まあ。なんてことでしょう。あなた様の部下は、皆こんな風に考えなしに行動するのですか、陛下」
涼しやかな女の声が響く。

「そなたの国の候女も負けず劣らず考えなしだと思うが、ちがうか?」
愉快そうなその声の持ち主はよく知っている。

 目をこらすと、奥の緞帳の影に国王レオポルドと、濃いヴェールで顔面を隠した高貴な服装の女性、おそらくブランシュルーヴ王妃が座っている。

「なんという格好だ。そなた、いつ修道院に入ったのだ。……まあ、女のなりも、それなりに似合うな」
レオポルドは蠟燭を掲げて、ハンス=レギナルドを見たのでその顔が目に入った。かなり呆れた表情をしている。

 暗闇の中で目をこらしてあたりを見ると、マルガレーテと同じような侍女の服装をした女が2人ほど横たわっている。王と王妃の前だというのに。

「ここはバギュ・グリ候女様のお部屋では……」
ハンス=レギナルドは、衝撃からやっとのことで立ち直り、それだけ口にした。

「一昨日と昨日のそなたの様子から、絶対に今宵来るとわかっていたぞ。それで王妃と賭けをしたのだ。王妃は、わざわざ捕まりに来る愚かな家臣がいるなど信じられぬ様子だったがな。それで、一緒に来て確認しようとしたら、なんと肝心な候女までいない。……いつのまにか別の場所で逢い引きの手配をしていたのかと呆れていたところだ」

 ハンス=レギナルドは、肩を落とした。ジュリアが抜け出した。もしかしたら、彼を探しに出かけたのかもしれない。すぐに戻りたいが、国王夫妻に侵入が露見したこの状態で、無事に西の塔を出られるとも思えない。

「わたくしの負けですわ。でも、陛下。この西の塔は、簡単に出たり入ったりできるのですね」
王妃は楽しそうにいった。

 レオポルドは、彼に訊いた。
「そんなに簡単だったのか?」

 ハンス=レギナルドは、首を振った。
「たまたま顔を知った衛兵がおりませんでしたので。《沈黙の誓い》の手振りで、声を出さずに済んだことも幸運でございました」
罪に問われるにしてもマルガレーテの協力のことは、なんとか隠したままにしておきたい。

「それにしても、候女様がここを抜け出せるとは思ってもいませんでした」
横たわっている侍女たちを見ながら彼はつぶやいた。

「この侍女らと余たちが朝までぐっすり眠っているあいだに、何食わぬ顔で戻っているつもりだったのではないか?」
王が笑いながら答えたので、ハンス=レギナルドはぎょっとして2人を見た。

「わたくし付きの侍女たちもだらしなく寝入っていますよ。わたくしたちには、その手の薬が効かないことは、ジュリアったら知らなかったのね」
王妃も楽しそうに笑う。

 ハンス=レギナルドは、深いため息をついた。ジュリアならばジプシー由来の得体の知れない薬を持っていても不思議はない。だが、異国に着いたばかりの身で、王と王妃にまで薬を盛るとは無謀すぎる。命がいくつあっても足りない。

「まあいい。今回のことは、そなたとの因縁に関連がありそうな上、王妃が候女がそのような女であることは織り込み済みで、それでも側に置き続けているという以上、余も騒ぎ立てるつもりはない。だから、衛兵たちを呼ばなかったのだ。だが、それだからこそ、こそこそバギュ・グリ候女に逢いに来た理由については、話してもらうぞ」

 意外な成り行きに、ハンス=レギナルドが返答を整理しようと考えていると、レオポルドはそれを待たずに王妃の方を向いた。
「……ブランシュルーヴ、そなたは候女から何か聞いておるのか?」

 王妃は、ヴェールの向こうから鈴のような笑い声を響かせた。
「いいえ。あれは、他の女官たちのようにはいきません。質問しても答えたいことにしか答えませんし、こちらの思うとおりに動かすことはできません。こちらが訊かなくても悩みや昔話を語りたがる女はいますが、ジュリアはそのような者でもありません。……それでいて、たまに語る経験譚ときたら、どんな物語よりもおもしろいのですわ」

「その中に、美貌の騎士の話はなかったのか?」
国王が愉快そうに訊くと王妃は首を振った。
「いいえ。でも、美貌の馬丁の話はありました。女とみたらすべて手を出す手のつけられない好色家なのに、彼女の身持ちの悪さについて説教をしてくる男……身に覚えがありますか? フルーヴルーウー辺境伯どの」

 ハンス=レギナルドは、憮然として答えた。
「ございますし、わたくしのことでしょうが、女のすべてではございません。それは、陛下が保証してくださるでしょう」

 国王は笑った。
「たしかにすべてではないな。だが、数が多いことはまちがいない。なあ、ハンス=レギナルド、そなたにいい報せがあるぞ」

「この首と胴体が離れずに済むという報せ以上のよきものでしょうか」
彼にも軽口を叩く余裕が戻ってきた。

「場合によってだがな。どうやら、候女もまた、そなたがこのヴェルドン宮廷にいることを知ってから浮き足立っていたというのだ。そうであろう、ブランシュルーヴ?」

 夫の問いかけに王妃もまた笑って答えた。
「はい。昨日の婚儀で、廷臣の皆様にご紹介いただいた時以来、ジュリアはずっと上の空でした。もちろん、他のものには氣づかせませんでしたが。あの時は、フルーヴルーウー伯爵殿と、それともその部下のヴォルフペルツ殿のどちらがジュリアを動揺させたのかわからなかったのですけれど、今夜はっきりしました」

 レオポルドは、ハンス=レギナルドに言った。
「さて、せっかくだから、このままここで候女が戻るのを待とうではないか」

 ハンス=レギナルドは、眉をひそめた。
「ジュリア様は、動揺して許しを請うようなことはなさらないかとおもいますが」

「そうだろうな。だが、そなたが領地に帰る前に、上手く話をまとめてやる機会はもうなさそうなのでな。そなた、そろそろ伯爵夫人がほしいところであろう?」
レオポルドは愉快そうに言った。

「懲罰ではなく、そのような恩寵をいただく理由がわかりませんが」
ハンス=レギナルドは、困惑していった。

「そなたが王妃に色目を使わなければそれでいいのだ」
国王は冗談とも本氣ともわかりかねることを言った。

「そなたがこの国に来て、騎士となり、武功を立て、ついには辺境伯にまでなったのも数奇な人生であったが、バギュ・グリ候女もまた波乱に満ちた境遇を経てこのブランシュルーヴに仕えることになり、この国にたどり着いたのだ。このまま再会せずに終わるのは天の意思にも反すると余は思うのだ、そうではないか?」

そう言って近づいてきた国王は、彼の修道女の服装を掴みながら笑った。
「もっとも、これではあまり絵になる再会とも思えんがな」

(初出:2024年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ケチャップ麹つくった

手作り調味料の話です。

ケチャップ麹

発酵調味料をいろいろと手作りしている話は、過去にも何回か書きました。作ってみてあまり使い勝手がよくなかったものはリピートしないようにしています。現在、リピートしているのは醤油麹とコンソメ麹、そしてにんにく麹です。

麹は、乾燥麹を日本から送ってもらったものを使っています。1キロもあればしばらくは持つんですよね。

どの麹調味料も発酵が終わった時点でもう1度ブレンダーにかけて米粒がないように滑らかにしています。そうすると和洋中華、どの料理に使っても違和感がないのですよね。

そして、今回初挑戦したのがケチャップ麹です。ケチャップには大量の砂糖をはじめとしていろいろと謎のものが入っているので使う度に「いいのかなあ」と罪悪感があったんですよね。

それで、砂糖は入れなくても麹パワーでほんのり甘いと聞きつけて、ケチャップ麹を作ることに決めたのです。いろいろな作り方があるようですが、現在は生トマトが手元にないので(味がないので冬にトマトは買わない主義)、トマトジュースを使う作り方にしてみました。

分量はトマトジュース330ml(というものを使ったけれど、25mlでもいけるかも)、米麹100g、塩35g、小さい玉ねぎ1個、ローレル1枚です。

トマトジュースと塩と麹だけでもいいらしいのですが、トマト麹ではなくケチャップぽくしたいので、玉ねぎも入れて発酵しています。ローレルは香り付けに。

ヨーグルトメーカーなどを使って短時間で作ってしまう方法と常温発酵がありますが、わたしはいつも常温発酵で作っています。日本では(特に夏場は)常温発酵は難しいのかもしれませんが、スイスは室内の温度は年間を通して一定しているので、ズボラなわたしでも失敗したことはありません。

ケチャップ麹

というわけで、1週間発酵させてから、ブレンダーで滑らかにしたのがこちら。

米粒も一緒にペーストにしてしまったので、色はケチャップ風ではなくてオーロラソース風ですね。真っ赤なのがいい方は、ペーストにはしない方がいいのかも?

できたものをひと口食べてみた感想は、ケチャップよりもまろやかで、どちらかというとケチャップを使って作ったクリームソース系? 旨味もあるし、塩味もあるので、このままソースとして使えそうです。

これでケチャップを買わずに済むようになったらいいなあ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】王女さまと黒猫が入れ替わったお話

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第8弾です。もぐらさんは、オリジナル作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

もぐらさんが書いて朗読してくださった作品「第714回 貧乏神様と福の神様のとりかえっこ」

もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。

今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品群です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。

今年の作品は貧乏神さんと福の神さんが取り替えっこするというお話です。もぐらさんのところの神様たちは、とても親しみやすくて、お互いを羨んでないものねだりをしつつも、自分の元の立場が悪くなかったことも学んで楽しく戻っていきました。

さて、お返しの作品は、いつもは『Bacchus』か『樋水龍神縁起 東国放浪記』のお話で作ることが多いのですが、今回はまったく違う、西洋のお伽噺風ファンタジーで作ってみました。もぐらさんのところのお2人と違って、入れ替わる2人も、他の登場人物もかなり残念なタイプですが、そこはわたしの作品だからみなさんご存じですよね。


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王女さまと黒猫が入れ替わったお話
——Special thanks to Mogura san


 ある日、王女は西の塔に赴きました。

 この塔はゲオルク・ケミアスという名の魔術師が、真夏でも大きな鍋を火にかけて、氣味の悪い薬品をあれこれと混ぜて錬金術に励んでいます。

 王女が入ってきたというのに、ひれ伏すどころか振り向きもせずに、鍋の中身を見つめてブツブツ何かをつぶやいています。

 鍋の脇には、少年がいて魔術師に言われるままに大きな棒で鍋の中身をかき混ぜていました。

 「ケミアス、おまえに命令があります」
王女は、精一杯の威厳を込めて言いました。

 ケミアスは、嫌そうに振り向くとおざなりに頭を揺らしました。
「これは殿下、ごきげんよろしゅう」

「いいこと。聞きなさい。命令があるのよ」
王女は声を張り上げました。魔術師は、しかたなく王女の方に向き直ります。
「なんでございますか」

「わたしを猫にしてちょうだい」
王女は、言いました。ケミアスは、一瞬だけぽかんと口を開けて王女を見つめましたが、すぐに頭を振りました。
「それはできません」

「なんですって。おまえは、この国で一番の魔術師で、この西の塔で錬金術とやらの研究をするのに多額の費用を使っているじゃないの。それなのに、王女であるわたしの命令を拒否するつもり?」

 魔術師は、まず少年に向かって「ヨハン、手を休めるな」と言ってから王女に向き直りました。
「そもそも、なにゆえ猫になられたいのですか」

 王女は、ここぞとばかりにまくし立てました。
「朝から文法や修辞学に弁証法と、たいくつな講義を聴く毎日がウンザリ! 算術や幾何学なんて何を言っているのかわからない。ようやく終わったかと思ったら、ダンスに刺繍に糸紡ぎよ。猫は、食べて寝て遊んでいるだけだもの、そっちの方がいいに決まっているわ」

 魔術師は、頷きました。
「それはお氣の毒です。ただ、あなた様は、王様と王妃様のただひとりのお世継ぎ。食べて寝て遊んでいる猫になられては、みなが困ります。王様もお許しにならないでしょう。わたくしめを雇っているのは王様ゆえ、王様の命令以外のことはできかねます。女王様になってから命令なさいまし」

 王女は、ひどく腹を立てていたので、叫びました。
「わたしが女王になったら、おまえの首をちょん切るように命令するわ」

 王女が出ていって、静かになったので魔術師ケミアスは「やれやれ」と言って仕事を続けた。ヨハン少年は心配そうに言いました。

「お師匠様。あんなに怒らせていいのですか」
「できないものは、できないのだ。あきらめてもらうしかないだろう」

「お師匠様の力でもできないのですか?」
弟子の納得いかない顔を見て、魔術師は言いました。
「よいか。王女殿下はわしと同じくらいの背丈があり、この盥20杯分ほどの重さだ。それを盥1、2杯ほどの猫に変えたとして、残りはどこに消えるというのだ。捨てればいいのか」

 弟子はなるほどと思いました。錬金術も無から黄金を作り出すのではなく、さまざまな金属や無機物を溶かしたりかき混ぜたりすることで、もともとの物質と同じ質量の金を作ろうとしています。

「心配するな。殿下も女王になったら、猫になったり魔術師の首を切ったりするより重要なことがあるとわかるであろう。わしは、王様に呼ばれているので、執務室に行ってくる。おまえは、しっかりと鍋をかき混ぜておくのだぞ」
そういうと師匠は、塔から出ていきました。

 ヨハンは、師匠ケミアスほど楽観的ではありませんでした。王女が女王になる頃には自分が魔術師として首をちょん切られる立場に置かれるのではないかと思ったのです。不安に思いながら、鍋の中身をかき混ぜていました。

「もうし。お頼みします。あなたが魔術師ケミアスさんですか」
入り口から小さな声がしたので、振り向くとそこに小さな黒猫がいました。

 ヨハンは、猫が口をきいたので驚きましたが、偉大なる師匠の名誉のために大きく首を振りました。
「ちがいます。ぼくは弟子です」

「そうですか。むしろ、そのほうが好都合……いや、なんでもありません。ひとつ、頼みをきいてくれませんか」
猫はもったいぶって言いました。

「頼みとはなんですか?」
「なに、ちょいと魔法を使って、わたしを人間に変えてほしいんですよ」

 ヨハンは、驚きました。師匠にもできないことを、どうして彼ができるというのでしょうか。
「それは無理というものです。そもそもなぜ人間になりたいのですか?」

「ああ、想像してみてくださいよ。わたしは、王女さまと王妃さまの部屋を行ったり来たりして過ごしているのですがね。2人とも、キラキラする首飾りやら、色とりどりの羽根飾りを山のように持っているのですよ。しかも、それらを毎日使いもしないのに、毎週のように行商人から新しいのを届けさせているのです。あれらすべてにじゃれついたら楽しいじゃないですか。それに、肉や魚が次々と出てくる晩餐! 2時間もかけて楽しめるんですよ。すてきじゃありませんか」

 ヨハンは、晩餐のあたりは少し羨ましいと思いましたが、羽根飾りにじゃれつくとはどういう意味なのかがよくわかりません。一生懸命に師匠の真似をして言いました。
「人間はあなたの20倍ほどの重さがあるのです。足りない分は、どこから持ってくるというのですか。無理を言わないでください」

 猫は、ニヤリと笑いました。
「大丈夫ですよ。さきほど王女さまが癇癪を起こして言っていました。どうしても猫になりたいってね。ってことは、わたしと王女様を取り替えれば、過不足はありませんよね」

 いまひとつ頭がまわっていないヨハンは、そういうものなのかなと思いました。錬金術に詳しいとは言いがたいのですが、それで王女さまと猫が満足し、師匠の首がちょん切られないのならいい解決策だと思いました。

「そうかもしれないね。でも、いったいどうやったらきみと王女さまを取り替えられるんだろう」

 猫は、これは好都合とほくそ笑みました。ヨハンが、まっとうに考えだしたり、魔術師が戻ってきては大変と、いそいで魔術師の書見台に飛び乗ると、写本のページを器用にめくって、目的のページを見つけ出しました。

 そうです。この猫は、魔術に精通していました。お城に来る前は、年老いた魔女の元に住んでいたからです。

「ほら、これですよ。このページです。必要な薬草は、こことあそこの瓶に入っています。あとはトカゲの尻尾に、その鍋の中の液体を40滴。そして、この呪文をつぶやいて混ぜればいいんです」

 ヨハンは、自分で魔法薬の調合などしたことがなかったのですが、猫に馬鹿にされると思って、言われるがままに薬を用意しました。

 猫は、作ってもらった薬を瓶に詰めて首にぶら下げてもらいました。
「助かりました。恩に着ますよ」
そういうと、嬉しそうに出ていきました。

 やがて、魔術師ケミアスが戻ってきましたが、ヨハンはなんとなく猫のことは言わない方がいいと思って黙っていました。

 さて、猫は薬を持って王女の寝室に向かいました。
「王女さま、王女さま」

 王女は、魔術師にわがままを聞いてもらえなかったので、癇癪を起こして泣き疲れ、寝台に突っ伏していましたが、聴き慣れない声に驚いて周りを見回しました。すると、いつもの黒猫がじっとこちらを見ていました。

「わたしに話しかけたのは、おまえ?」
「そうですよ。魔法の薬をもらってきました。わたしと一緒にこの薬を飲むと、あなた様は猫になれますよ」

 王女もヨハンに劣らず思慮が浅かったので、猫がしゃべっていることや、魔術師ケミアスに言われたことも全く考えずに、よろこんでその薬を猫と分け合いました。

 さすが王国一の魔術師ケミアスの持っている写本と薬剤の効果は素晴らしく、王女と猫は姿が入れ替わり、誰が見ても氣がつかないほどでした。

 もっとも違いがわからないのは容姿だけでした。召使いたちは、王女がタペストリーで爪を研ぎ、蝶に飛びかかったので困ったように目配せし合っていました。

 また黒猫の世話係は、猫が急に餌を食べなくなってしまったので、王妃から叱責を受けるのではないかとヒヤヒヤしていました。

 それから3日後のことでした。王女と黒猫が、西の塔の魔術師ケミアスを訪ねてきました。

「これは、これは。黒猫の姿をした王女殿下に、殿下の姿をした黒猫殿。何のご用ですかな」
ケミアスは、横目でチラリと弟子ヨハンを眺めつつ、うなだれている1人と1匹に話しかけました。

 ヨハンは、3日前に自分のしたことをもう忘れかけていたのですが、当の王女と猫が訪ねてきただけでなく、師匠が入れ替わった1人と1匹の正しい中身を言いあてたことに仰天し、叱られるのだと思ってうなだれました。

 黒猫の姿をした王女が叫びました。
「どうか元の姿に戻してくださいな! あの薬を作れたんだから、元に戻す薬も作れるのでしょう?」

 ケミアスは片眉を大きく上げました。
「はて。あの薬とは何の話でしょうか」

 王女の姿をした黒猫が上目づかいをしながら小さい声で言いました。
「あの……あの写本にあった、体を取り替える魔法の薬で……その、ちょっと……ヨハンさんにお願いして……」

 魔術師は、コソコソとドアの方に向かっているヨハンを捕まえると、静かな低い声で訊きました。
「ヨハン。薬を作って渡したのか」

「お許しください。黒猫さんの言うとおりです。その本にあるように調合したら簡単にできてしまったので……お2人が入れ替わって満足したら、お師匠様の首もちょん切られないし、みなが幸せになると思ったのです」

 魔術師は、大きなため息をつきました。王女の奇行を案ずる城内の噂で王女と黒猫が入れ替わったことは、わかっていました。この魔術を可能にする材料は、その辺りには転がっていません。誰かが忍び込んで薬剤を盗み出したりしているとしたら由々しき問題だったのですが、黒猫とヨハンの仕業とわかったので、心の中で安堵していました。

 ケミアスは王女と黒猫の方を見て訊きました。
「それで、お二方は望んだ姿になったのに、どうして元に戻りたいのですか」

 黒猫の姿をした王女が言いました。
「生肉と生魚ばかり出てくるんだもの。食べられないわ。それに、ゆっくり寝ていると、犬が来て追い回すの。それどころか、ネズミが穴から出てきて前足をかじったのよ。あまりにも怖くて氣絶するかと思ったわ」

 魔術師は王女の姿をした黒猫の方を見ました。
「あなたも戻りたいのですか。王女殿下としての暮らしはお氣に召しませんでしたか」

「宝石や羽根飾りで遊ぶ時間なんて全くありませんからね。やれダンスだ、やれ行儀作法だと苦痛なことを押しつけられてウンザリです」

 魔術師は、王女の豪奢なドレスがあちこち裂けて、髪もひどく乱れているのを目の端で捕らえました。

「ヨハン。おまえが入れ替えたのだから、元に戻すのもおまえがやるか?」
ケミアスは、弟子に問いかけました。ヨハンは思いきり首を横に振ります。

 魔術師は、大きいため息をつくと、とても怖い顔をして王女と猫の両方に言いました。
「もし2度とこのようなことを望まないとお約束くださるならば、戻して差し上げます。約束できない場合は、残念ながら生涯その姿のままです」

 震え上がった王女と猫は声を揃えて言いました。
「「約束します」」

 重々しく頷くと、ケミアスは何やらブツブツと呪文をつぶやきながら、さまざまな薬草といくつかの鉱物をすりつぶしたものを、ドロっとしたスープに混ぜました。それを2つの器に入れると、1つには黒猫のに、もう1つには王女に渡しました。
「さあ、こちらを飲んでください」

 王女と黒猫は、いそいでそれぞれの薬を飲み干しました。ヨハンはこわごわと、何が起こるのか見ていました。

 1人と1匹は「うーん」と蹲ると、しばらく黙っていましたが、やがてのったりと顔を上げました。猫は猫らしく背中を丸めて伸びをし、王女はお姫様らしい動きで辺りを見回し、それから、はっとしたように嬉しそうな表情になりました。

「ああ、やっとこの姿に戻れたわ。まあ、なんてひどいかぎ裂きなのかしら、このドレス、氣に入っていたのに」
王女は、優雅に立ち上がります。

「なーぅ。体が軽い! こうでなくっちゃ」
そう言って、黒猫は書見台から棚の上へと飛び移りながら叫びました。

 王女は、先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら、魔術師に言いました。
「こんなことになったのは、あなたの弟子教育が今ひとつだったせいでしょ。このドレスの損害だって、どうしてくれるの?」

 ヨハンは青くなりましたが、ケミアスは全く動じませんでした。
「その理屈では、王女殿下がこのようなことをなさった教育の責任を、王様にとっていただくために、これから謁見を願い出てもいいわけですね?」

 王女は真っ青になりました。王は非常に厳格な性格だったからです。
「お願い! 父上様には言いつけないで!」

「女王陛下になったおりに、首をちょん切ると脅された件についても?」
「そんなこと、しないから、それも言わないで! お願い!」

 王女が出て行った後、コッソリと出ていこうとする黒猫の襟足を、魔術師はつかみ持ち上げました。
「待ちなさい。君は、ただの黒猫ではないようだね」

 黒猫は観念してうなだれました。
「わたしは、薪の上で燃やされるのでしょうか」

 ヨハンは、ぎょっとして師匠と黒猫を代わる代わる見ました。

「それは君も嫌だろうね。わしも弟子が巻き添えになって火あぶりの刑に処されるのは、後味が悪いのでね。……君が今後はわしの監視下で大人しく働くなら、王様に寛大な処置をお願いしてみるがね」

 黒猫は大きく頷きました。ヨハンは、自分が一緒に罰せられて火あぶりにされるなんて思ってもいなかったので、びっくりしましたが安心して笑顔になりました。

 魔術師は、そんなヨハンを見ながら、のんきだなと思いました。どう考えても黒猫の方が優秀な弟子になりそうだったからです。

 ともあれ、黒猫はこの日から魔術師ケミアスに引き取られました。かなり抜けているヨハンと、調子のよすぎる黒猫は、お互いを補い合いながら修行に励み、のちにヨハンは、素晴らしい使い魔を持つ大魔術師として名を馳せたそうです。本当のところはわかりませんが。

(初出:2024年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

どの交響曲が好き?

今日はひさしぶりにクラシック音楽の話題です。

X(旧Twitter)で見かけたトピックで、「あなたの一番好きな交響曲をリプライしていって」というのがあったんですよね。で、みなさんが「ベト5」とか「ブラ2」とか、通っぽいリプライをしているのをちらっと見ながら、わたしは何かな~と1週間くらい考えていました。

ちなみにわたしは上記のように省略して書くのが苦手です。いや、他の方は普通に使っていただいて問題ないんですよ。

わたしの父母はクラッシック音楽界にいたので、我が家でも子供の頃から「はくちょうこ(=チャイコフスキー『白鳥の湖』のこと)」やら「メンコン(=メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調』)」といった用語が飛び交っていました。なので、その手のお仕事についていらっしゃる方たちにとっては職業上の用語だとわかっていますし、通の方たちにとってもその言葉を使うのが自然なのだと思います。たんに自分が使うことに抵抗があるのです。自分はその手のプロでも、通でもないし、そういう自分がそんなに軽く言うのは偉大な作曲家と作品に対して失礼だと感じてしまうんですよね。

さて、本題。なぜ「これが1番!」が速攻で出てこなかったのかというと、実はわたしが偏愛している曲は交響曲よりも協奏曲や標題音楽などの方が多いんですよ。で、大好きなベートーヴェンでもわざわざ「交響曲ならこれ1つ!」というのがピンとこなかったのです。

で、結局この3つかな……と思って出てきたのは以下の通りです。
第3位 エクトル・ベルリオーズ 幻想交響曲
第2位 カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番 『オルガン付き』
第1位 ヨハネス・ブラームス 交響曲第1番

ま、順番は、そのときどきで入れ替わりますが。

あ、他にも好きな交響曲はあります。でも、こういうときに挙げる曲って、1、2回聴いて「あ、これ好きかも」って程度の作品じゃないですよね? 少なくともわたしは、大好きが高じて「どの楽章のどの部分が偶然ラジオから流れてきてもすぐにわかる」くらいに繰り返ししつこく聴いた曲に限定してしまうんです。そうなるとこの3作品になるかなと。

なぜこの3作品がそんなに好きだったのか……を語ると長くなるので、またいつか別の機会に。

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エクトル・ベルリオーズ 幻想交響曲

Berlioz - Symphonie fantastique, Op 14 - Jansons

カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番 『オルガン付き』

Saint-Saens Symphony No 3 / Munch, Boston Symphony (JMCXR-002) 1959/2009

ヨハネス・ブラームス 交響曲第1番

Brahms: Symphony No. 1 in C minor, Op. 68 • (Karajan-1973)
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Posted by 八少女 夕

【小説】もう存在しない熱海へ

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第7弾です。TOM-Fさんは、紀行文風小説でご参加いただきました。ありがとうございます!

 TOM−Fさんの書いてくださった「『鉄道行人~pilgrims of railway~』 第二話

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広い小説を書かれるブログのお友だちです。

「scriviamo!」には皆勤してくださり、毎回趣向を凝らした名作でご参加くださっています。今回書いてくださった作品は、『乗り鉄』としての知識と経験をフルに生かした紀行文的な小説、2022年の「scriviamo!」に参加してくださったシリーズの2作目です。つい先日、国内鉄道全線完乗という偉業を成し遂げられたというTOM−Fさんにとってとても思い入れのある作品ではないかと感じています。

鉄道会社、鉄道ファン、そして、日常の利用者それぞれに想いと意見があって、それぞれの言い分にはどれも納得・理解、または共感できるし、正解のようなものはないのだと思うのです。

美しい文章と描写で表現したTOM−Fさんの作品を読んで感じた、それらのあれこれを何とか自分なりの感情にまとめようとしたのですが、結局その三者をどこかに置き去りにして、自分と鉄道のノスタルジーだけを強調する作品ができてしまいました。

不毛でオチはない作品ですが、日本中の鉄道に乗りまくったTOM−Fさんなら「知っている!」とおっしゃられるはずの古いネタがあれこれあるかと思います。


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もう存在しない熱海へ
——Special thanks to TOM−F-san


 灰色の通路を降りていく。ここはいつも工事中だと思う。以前はそれを嘲笑したものだが、いまはむしろそのことにホッとする。変わらないものがあることはいい。

 横浜駅で東急東横線からJR東海道線に乗り換えるのは何回目だろう。

 記憶にある限り、ここはいつもひとりで乗り換えた。幼いとき、母に連れられて乗ったのは新幹線だったから菊名駅で乗り換えて新横浜駅に向かった。高校生になって以降、ひとり旅で東海道本線に乗ったのは、もちろんそれが経済的だったからだが、他にも理由があった。

 熱海の祖母の家に向かう道中、わたしはいつもひとりだった。たぶん、そのひとりの時間を少しでも引き延ばしたかったのだと思う。

 わたしの子供時代は、自然災害や戦火から逃げ惑う世界の氣の毒な子供たちどころか、日本にもいくらでもいる苦労人たちと比較しても、十分すぎるほどに恵まれていた。にもかかわらず、わたしは幸せではなく、無力な未成年であることに苦しみ、早く自由な大人になりたいとひそかに願い続けていた。

 それでいて、道を踏み外すほどの勇氣も無かったので、平凡で灰色の日常がただ過ぎ去るのを待っていた。学校の長期休暇に、少ないお小遣いを持って、熱海の祖母のところに遊びに行くことが、ほぼ唯一の心ときめく大冒険だった。

 新幹線が30分で走りすぎる道のりを、鈍行列車は80分以上もかけて行く。その時間をあの頃のわたしはひたすら楽しんだ。

 今日のわたしは、ないとわかっているものを探すために、同じ路線に乗る。

 ホームに上がる前に、駅弁を買うために売店に立ち寄る。探している駅弁は今日もない。

 そんなに難しい注文ではない。ただのお好み弁当だ。幕の内風にいくつかのおかずが詰まっていた。魚のフライ、卵焼き、ひき肉と筍の和え物、唐揚げ。

 以前はいつ行っても同じようなお弁当があったのに、いまは流行らないのだろうか。だから、次に食べたいシウマイ弁当を買う。少なくともこれはまだ存在することが嬉しい。

 昔はあったプラスチック容器、ポリ茶瓶に入ったお茶はどこにもないので、しかたなくペットボトルのお茶も購入する。

 すべてはこの調子だ。あの頃を探して見つけられない。

 ホームに入ってくる東海道本線は銀の車体に緑とオレンジの線が入っている。オレンジ地に上下が緑だった113系に乗れるはずはないのだ。でも、わたしはいつもそれを期待している。

 かつてはいつ乗ってもボックスタイプの座席があったけれど、いまは通勤列車風の長椅子座席が多い。ボックスタイプでないと駅弁が食べにくい。それで、やむを得ずグリーン券を購入する。グリーン車ならば長椅子ではないし、それに、東京駅からでなくとも座れる可能性が高い。

 到着を待つあいだ、近くのホームで電車が到着し、防護柵が開閉する度に、さまざまな電子音でのアラームが鳴り響き、心地よく爽やかで特徴のない女性の声で録音されたアナウンスが響く。そして、それに何人もの男性のアナウンスが被る。

 つまり、駅は常になんらかの音声が鳴り響いている。そうだ、これが日本の都会だった。わたしは苦笑いする。記憶の中にこの引っ切りなしに畳みかける音声はない。もしかしたら、当時もそうだったのかもしれないが、当時のわたしにはノイズキャンセル機能が備わっていたのかもしれない。

 憶えている音声は、鳥の声、蝉の合唱など、自然の音ばかりだ。

 平日、通勤時間帯でもないので、グリーン車の停車位置で待っている客は少ない。また、東海道本線は必ず横浜駅で停車するからなのか、防護柵も設置されていない。

 静かに到着した列車は、速やかに出発する。わたしは、せっかくなので2階席に上がる。海を見たかったので進行方向左側を探した。窓際に1人で座ることができてホッとした。思った以上に空いている。

 きれいな青空の下、電車は静かに走っている。まるで新幹線のようだ。電光掲示板、滑らかな女性のアナウンス、英語も続く。

 グリーン車の内装は、展望を考えた窓や、リクライニングもできるシート、そして、頭上にライトがついていたり、折りたたみテーブルがあるところなど、至れり尽くせりで飛行機のようだ。

 昔座った青いビロウドの四角い対面型ボックス席は、当時ですらレトロめいていた。足元の暖房が熱すぎるほどで、たまにシートが焼けているんじゃないかと思うような特別の香りがしたものだ。

 隔世の感があるが、それも当然のことだ。もう何十年も前なのだから。

 窓の外には都会らしい街並みから住宅街に変わって、さまざまな光景が流れていく。

 日本で初めて長距離電車に乗った外国人は、大都市間に郊外といえる景色がないことに驚いたと口を揃える。たとえば東京と横浜のあいだに、田んぼや牧草地だけの光景などはない。ひたすら都市部としかいいようのない建築物のみの光景が続く。

 とはいえ、よく注意して見ると、その光景は決して同じではない。横浜駅を出て大船あたりまでくると、線路から家までの距離はずっと遠くなってくるし、途中駅で待つ人びとの姿も明らかにまばらになっていく。街ごとの人口密度が大きく違うのだろう。

 相模川を越えると、住宅街が姿を消す。青空の下、白い工場や倉庫群が灌木に混じって見える。平塚に到着するというアナウンスが聞こえた。

 あまりのんびり車窓を眺めていると食べ損ねるので、駅弁を開ける。

 ほかの幕の内風弁当ではなく、シウマイ弁当を選んだ理由の1つが木箱だ。このほのかな木の香りに、格別ノスタルジーがある。それに、プラスチック製容器で食べるよりもご飯が美味しく感じる。

 大磯駅を過ぎた辺りから、待ちわびていた太平洋が遠くに見え始める。

 高校生のわたしが、通る度に心躍らせた光景だ。普段の生活圏からは東京湾だってめったに目にする機会はなかったけれど、熱海行きで見える海は、わたしにとって特別だった。汚れていない海の青さは、紛れもなく旅をしているのだと実感させてくれる。

 太平洋は変わらなかった。空よりも一段深い青でどこまでも広がっている。平らで、穏やかだ。

 電車は淡々と進む。二宮、国府津、鴨宮。鈍行に乗らなければ、存在すらも知らない街だけれど、わたしがかつて、1つ1つ心躍らせていた駅名だ。お城で有名な小田原。それから、早川、根府川、真鶴、そして湯河原まで来ればもう次は熱海だ。

 時おり通り過ぎる家の庭木に、取り損ねたミカンが見える。それも、懐かしい光景の1つだ。

 遠く霞んでいるのは初島だろうか。そう思った途端、小さい頃の思い出が蘇る。

 1度だけ母に連れられて行った。母は、決して安くはないフェリーの運賃を払って姉とわたしをわざわざ連れて行ってくれたのだろうが、岩場で見たフナムシにキャーキャーと怯え大騒ぎしたことしか憶えていない。

 何もない島という印象しかなかったのだが、今では、首都圏から一番近いリゾートアイランドとして、グルメスポットやマリンスポーツの拠点、アドベンチャー施設などのあるお洒落で明るい島を売りにしているようだ。

 熱海自体も、高校生のわたしがひとりで歩き回った街とは違っている。

 かつて温泉保養地として名を馳せた熱海は、バブル崩壊後に衰退して1度は侘しいシャッター街になってしまった。それを憂えた地元の人たちの努力と、若者たちを中心とした観光客への新たなマーケティングで、今はまた別の賑わいを見せるようになった。

 2000年前後の、ひどく廃れた街の様子には心を痛めたが、現在の若者で賑わうスポット、行列のできるグルメ店の様子を見ると、やはり別の意味での違和感を感じる。ここは、わたしが知っていた頃と同じ街ではないのだと思い知らされるのだ。

 なにもかもが変わってしまった。熱海も、わたしも、家族も。

 バブル期の訪れる前の、街全体が温泉リゾートか巨大な老人ホームの様相を示していた一時期に、わたしは熱海に通っていた。

 たくさんの高齢者向け分譲マンションがあり、引退した人びとが住んでいた。それぞれの部屋に住みながら、ロビーがあって管理人や看護師が常駐し、食堂や大浴場などで交流する、ゆるい共同生活をしていた。

 そのすべてが、もの珍しくて好ましかった。当時はまだ若くて元氣だった祖母が、山歩きに趣味の陶芸にと1人暮らしを楽しんでいた様子が、わたしの熱海への憧れにつながったのだと思う。

 祖母と部屋で遊び、小さなコンロで焼いた磯辺餅を食べ、屋上から海上花火大会を見た。温泉浴場にゆっくりと浸かり、近隣の山道を散策した。

 東京では見かけない運賃後払いのバスで街の中心に出かけると、大きなホテル裏手の配管から温泉の香りが漂っていた。

 商店街は、少し古くさく感じられる店が多かった。そう、あれは紛うことなき昭和の時代だった。

 街の中心にヤオハンというスーパーマーケットがあった。ひとりで行ったときには、普段は添加物が多いと買ってもらえなかった廉価な3個入りプリンを買ってひとりですべて食べた。

 もっと幼い頃は、母と姉と一緒に最上階のレストランに行った。なんでもない冷やし中華も、熱海で食べているというだけで特別美味しいと感じていた。

 そのヤオハンがなくなってしまったのは、最近のことではない。流通業界の再編は、地方都市では早かった。

 今でも当時食べていたいくつかの憧れの食べ物は、例えば東京で入手することができるのだろうが、それはきっとあの時のように美味しくはないのだろう。あの頃の熱海ではないのだから。

 大好きだった祖母はもうこの世にはなく、彼女が熱海で住んでいた高齢者向け分譲マンションの部屋もとっくに売却された。

 あの頃息苦しくてしかたなかった、逃げ出したくてたまらなかった学校と生活は遠い記憶の彼方に沈み、父母ももうこの世にはいない。姉もわたしも家庭を持ち、実家すらもうなくて、わたしは日本に帰る場のない存在になってしまった。

 わたしは異国に住み、生活費を稼ぎ、したくないことをせずに済む自由を手に入れた。所有する車のキーを回し、アクセルを踏むだけで、実家と熱海を隔てるのと同じ100キロメートルを容易に移動することができる。

 何十万円に相当するチケットを購入し、1万キロメートル離れた日本に里帰りして、思い出の地を訪ねたいからという理由でこうして電車に乗ることに誰の許可も必要としない。

 あれほど逃げ出したかった世界から、完全な自由を得たはずなのに、思い出すのはあの頃のことばかりだ。

 どこにも行けなかった、悲しくて情けなかったあの頃には、今はどれほど望んでも会えなくなってしまった人たちが当たり前のように存在していた。

 ひとりになりたくてしかたなかったあの頃には、もう2度と会えなくなってしまった人たちの面影を探しながら日本を彷徨う未来があるとは想像すらしなかった。

 わたしは、いまの、現代的でおしゃれな店に背を向ける。そして、楽しそうな観光客たちが向かわない、海岸の果てに立った。

 波の音が、あの頃と同じように繰り返す。

 東海道本線を走っていた113系の車体や、暖房の効きすぎたビロード張ボックス席や、ポリ茶瓶に入ったお茶や、ヤオハンや、昭和らしい街角の存在しなくなってしまった熱海に、かつてと同じように押し寄せる。

 わたしが思い出を共有した人がまったくいない海岸。

 おそらく未来のいつか、わたしがこの世に存在しなくなっても、この波はまったく変わらないだろう。

 帰りは、新幹線で帰ろう。わたしは、熱海駅に向かいながら考える。ただでさえ失われた世界に感傷的なわたしが、夕闇の差し込む東海道本線の郷愁に80分以上も堪えられるとは思えないから。
 
(初出:2024年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

土作りとニンジンの種まき

今年の畑仕事に向けてウズウズしているこの頃です。

にんじん準備中

三寒四温のスイスの田舎。去年初めて畑での家庭菜園が思いのほか上手くいったので、2年目の今年はもっと計画的にやってみようと冬のあいだいろいろと考えていました。

たとえば、せっかくニンジンの芽が出たのに雑草やルッコラなどに埋もれてしまい、上手く間引きもできなかったので収穫はいまいちでした。今年はもう少しちゃんとニンジンコーナーを作りたいと思って、まずは芽を室内で準備することに。出てきましたよ。

畑の土作り

畑の方は、先月の終わりに冬のあいだ育てていたコンポストを埋め込んでみました。ミミズたちが2週間くらい仕事をしてくれるのを待って、もう1度耕します。そして、前回の記事でも宣言したとおり、今年はマルチを張ってみようと思います。

マルチを張ると、地温が少し上がるらしいです。それに、もう1つ、雑草が生えまくるのを抑えることができるというのです。雑草は日本ほどの勢いはないとはいえ、やはり育てたい作物の養分を奪ってしまうし、去年あまりにもだらしない畑の状態になっていたのもちょっと恥ずかしかったんですよね。

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Posted by 八少女 夕

【小説】ケファの墓標

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第6弾です。ポール・ブリッツさんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!

ポール・ブリッツさんの書いてくださった 『城』

ポール・ブリッツさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や哲学論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。毎年ポールさんのくださるお題は手加減なしで難しいんですけれど、今年もまためちゃくちゃ難しかったです。

ポールさんがくださったお題は、ジャンルとしてはファンタジーとなっていましたが、読む方によってものすごく解釈が分かれそうな作品です。ロールシャッハテストみたいな?

今日発表する作品は、ポールさんの作品の中から、いくつかのキーワードをいただいて再編成して書きました。ポールさんが意図なさったお話とはかけ離れているとはわかっているんですが、あえてこんな風に書いてみました。


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ケファの墓標
——Special thanks to Paul Blitz-san


 テベレ川の向こうがゆっくりとオレンジ色に染まっていく。遠くアペニン山脈の稜線が空とオレンジに染まるローマの街を分けている。

 ローマの街を一望する高さ88メートルのジャニコロの丘は、下町トラステヴェレ地区の近くにある。その素晴らしい光景は、古くから詩人や画家たちに愛された。かつてヤーヌスの神殿があったことにちなんで名付けられたといわれるが、現代この丘ででもっとも注目を集めているのは、ガリバルディ広場に立つジュゼッペ・ガリバルディの堂々たる銅像だ。

 この丘の中腹に、わたしの目指している建物がある。サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会だ。この場所は、イエス・キリストの12使徒の筆頭であったシモン・ペテロの殉教地といわれている。

 眺めのよい広場から素晴らしい展望が広がる。南東には、サンタ・マリーア・イン・パルミス教会、通称ドミネ・クォ・ヴァディス教会があるはずだ。

 カトリックの伝承では、ローマでの迫害から逃れようとしたシモン・ペテロが、ここで天に帰ったはずのイエス・キリストと遭ったとされている。

主よ、どこへ行かれるのですかDomine, quo vadis ?」
そう問うペテロにイエスは答えた。
「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ行く」
自分の命を惜しんだことを恥じたペテロは、ローマに戻り殉教したという。

 これは2世紀末に小アジアで書かれた『ペテロ行伝』に書かれているエピソードであるが、信憑性については疑問視されている。この教会の建てられた場所が、もともとはローマの再来の神レディクルム神への祭儀に関連しており、シモン・ペテロが引き返したこととの連想で、異教を信じる人びとを取り込む目的に使われた可能性が高い。

 だが、現代イタリアや、世界宗教の1つとなったキリスト教を信じる人びとのあいだでは、そうした背景そのものはもうどうでもいいことなのかもしれない。

 遠くシリア属州ゴラン平原で生まれた漁師ヨハナンの子シメオン(シモン)はガリラヤの地、湖でナザレのイェーシュア(イエス)に従い弟子となった。彼を救済者メシアと信じ、その信仰を告白した。その時に彼は『ケファ 』という二つ名をもらった。

そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロ である。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

マタイによる福音書16章15-19



 ローマカトリックの初代教皇とされる聖ペテロのシンボルが鍵なのは、この記述に基づいている。存命中から十二使徒のリーダー的存在かつ原始キリスト教団の中心的存在でもあったが、同時に人間くさい面も併せ持っていた。

 イエスが捕らえられ裁判にかけられたとき、彼は他の使徒たち同様に逃走した。そして、「あなたはあのイエスの仲間だ」と言われ、彼は3度までそれを否定した。そして、「鶏が2度鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出して泣いた。

 神の子に天国の鍵を預かるまでに信頼された弟子にしては、非常に脆い心と態度であるが、むしろこれこそが人の本質であり、それでも最後には勇氣を振り絞って信仰の道を全うしたことが、崇敬の念を集めているのかもしれない。

 ジャニコロの丘に建つサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会も、ローマの多くの教会同様、多くの美術作品で装飾されている。教会が閉まる時間が迫っているので、巨匠の作品をじっくり観察するのはあきらめて、ここに来た目当ての建物を目指す。

 ブラマンテのテンピエット。教会の中庭に、ルネサンスの建築家ドナト・ブラマンテが建てた殉教者記念礼拝堂だ。

 古代神殿に似た柱に支えられたドーム屋根が載った建築は、盛期ルネサンス建築の最高傑作と讃えられると同時に、アンドレア・パッラーディオに継承されて、その後のあらゆるドーム型建築の基本になった記念すべき建造物だ。

 建物の中心、聖ペテロ像の前に格子状の覆いのついた小さな穴があり、地下のクリプタが見えるようになっている。こここそが聖ペトロが逆さ十字架に架けられたと信じられている位置だ。

 ほんとうかどうか、確かめる術はない。それどころか聖ペテロがローマで死亡したことを示す歴史文書も存在しない。

 わたしは、ただ、自分と同じように弱くて、幾度も迷った人物が、背負うにはあまりにも重い重責を載せるケファとしての運命を受け入れたことに、敬意を示すためにこの地を訪れたのだ。

 中世以来ここは聖ペテロの磔刑の跡地として巡礼者を集めていた。小さな土塁でしかなかった土地に、スペインのカトリック両王フェルディナンド2世とイザベラは、1480年から1500年頃にかけて、サン・ピエトロ・イン・モントリオ修道院を建てさせた。

 わたしは、いろいろなことを考えながらモザイクに彩られた緑色の円を眺めた。

 陰氣な顔をした係員が、「時間だ」と言った。18時まではまだ2分ほどあるが、早く帰りたいのだろう。わたしは、頷いて出口に向かった。

 あたりはすっかり暗くなっていた。夜鳴き鳥が、静寂を破る。松のあいだを風が渡っていく。肌寒い。

 ガリバルディ広場へ戻り、ホテルのあるロヴェレ広場を目指して115番バスに乗った。

 バスは空いていて、わたしの他には前方に若い観光客が1人座っているだけだった。

 ロヴェレ広場に着く少し前に、その観光客は「おお」といってスマートフォンを構えた。

 左側にサン・ピエトロ大聖堂の大きなドームが見えている。いうまでもなくローマ・カトリック教会の総本山、バチカン市国にあるキリスト教最大の教会建築だ。
「うわ。やっぱりすごいな。なんて立派な建築なんだろう!」

 その言葉にわたしは複雑な想いを抱いた。
 
 聖ペテロの墓所があったとしてやはり信仰を集めていた場所に、最初の聖堂が建築されたのは4世紀である。この場所が本当に聖ペテロの墓であったかどうかは考古学的には立証されていない。ここにはかつて皇帝ネロの競技場があって、64年の大火の罪を背負わされたキリスト教徒たちが見世物として処刑されたとされている。大聖堂の地下にアウグストゥス時代のコインを奉献された墓所が出土しているので、少なくともここが初期キリスト教徒たちの信仰の対象地であったことは間違いない。

 地下墓所の祭壇跡の真上に、教皇の祭壇が位置し、この場所が初代教皇とみなされる聖ペテロの墓所であると全世界に宣言している。

 初代大聖堂は、ヨーロッパ最大の教会堂ではあっても、当時のキリスト教総本山たる主席教会堂ではなく1つの巡礼記念教会堂にすぎなかった。

 だが、ブラマンテが2代目サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命されたときは、すでに600年以上にわたり首席教会堂となっていた。

 ブラマンテは大きなドームを戴く回転対称にこだわったギリシャ十字形の集中式プラン大聖堂をデザインしたが、アーチと内陣部分が完成した時点で死去した。

 彼の死後に仕事を引き継いだ主任建築家らは、それぞれ完成を待たずに亡くなり、大聖堂の計画プランもその都度変更された。

 ミケランジェロが主任建築家となって、再びブラマンテのギリシャ十字集中式プランに戻し、のちにファサードが追加された以外は現在でも見られるサン・ピエトロ大聖堂の姿になった。

 その建築の最中にも、キリスト教会そのものが大きな転換期を迎えていた。贖宥状販売は、サン・ピエトロ大聖堂の建設のための大きな財源となっていた。それはマルティン・ルターが批判して宗教改革、ひいてはプロテスタント教会の成立を促した。また、1527年ドイツ王かつスペイン王であるカール5世によるローマ略奪がおきるなど、カトリックの権威と永遠の都だったはずのローマは斜陽の状態にあった。

 財政難と政争の中で、幾度も中断されたあげく、ほぼ現在見られるサン・ピエトロ大聖堂が完成したのは1680年だった。

 高さ25.5mのオベリスクを中心としたサン・ピエトロ広場、教皇が祝福を与えるバルコニーのある2階構造のファサード、観光客が 「スタンダール症候群」なる強迫観念の精神状態になるほど詰め込まれた膨大な芸術作品、持てる権力と財力を誇示するかのような内陣の青銅製大天蓋など、サン・ピエトロ大聖堂の威容を語るには言葉が尽きない。

 それは美しく壮大で感嘆の声を呼び起こす。けれど、その建物は、2000年前に信者たちが迫害を怖れながらも心を込めて祈っていた場とは、あまりにも違う存在になってしまった。 

 それを建てる際には、たくさんの贖宥状が売られ、ルネサンスの聖職者たちは豪奢な宮殿で放埒な生活を送り、石材を流用するために古代遺跡をも破壊した。神の代理人を名乗る教皇が庶子を儲けてその影響力を利用し我が子に一国を治めさせるような不品行が公然と行われていた。

 イエス・キリストがケファの上に建てた教会は、天国の鍵を預けられて自分の弱さを悔やみ泣きながらローマに戻り殉教したシメオンの墓は、そのような威容と豪奢を必要としたのだろうか。

あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。

マタイによる福音書23章27-28



 わたしはサン・ピエトロ大聖堂を眺めながら心の中でつぶやいた。
「2000年前に、ケファがあった……」

 すると前の席にいた観光客が怪訝な顔をしてこちらを見つめた。

 どうやらわたしは、モノローグを心の中にしまっては置けずに、音に出してしまったらしい。恥ずかしい想いをごまかすために、窓の外のローマを眺めた。

(初出:2024年2月 書き下ろし)



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ジャニコロの丘と言ったら、誰がなんといおうとこの曲なんですよ。わたしには。


Respighi - Pines of Rome  Karajan Berlin Philharmonic
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Posted by 八少女 夕

12周年と創作を続けている意味

当ブログ「scribo ergo sum」は、3月2日が誕生日です。今年は12周年。去年は「scriviamo!」について語ったので、今年は創作を続けていること、ブログだけで発表している意味について語ってみます。

創作イメージ

まずはいつも足繁く通ってくださる常連の皆様、小説を読んでくださったり記事に興味を持ってくださる方に、心からの御礼を申し上げます。

ここは、現在わたしは週に2回このブログを更新することにしています。基本的に水曜日が小説、日曜日がスイスに住んでいるわたしの日常に関する記事をアップしています。

2012年にこのブログを立ち上げる時のコンセプトは「小説ブログ」だったのですが、まあ、あの当時はこの世にこれほど自作小説を発表している方がいらっしゃるとは夢にも思っていなかったので「たまにはこういうブログがあってもいいんじゃないか」程度の軽い動機ではじめました。

現在、日曜日にスイスの日常に関する記事をアップしているのは、明らかにそちらの方が需要があるからです(笑)とはいえ、「あわよくば、そこを目指してこのブログに到達してくださった方が1本くらいは読んでくださると嬉しい」程度の野望は持っていますよ。

とはいえ、他のブログのお友だちと違って、複数の小説系SNSに登録したり、コンペティションに参加したりといった、より読んでもらえる努力、もっと切磋琢磨する努力は、ここ数年一切していません。

何回か、そういう方向も考えたのですけれど、最終的にわたしの求める創作の形態はそれじゃないんだなと思うようになったのです。

創作仲間はほしいですけれど、でも、この12年間でたくさんの素晴らしい出会いがあって、しかもいまだに多くの方が(「しょうがないなあ」と内心思っていらっしゃるとは思いますが)おつきあいくださっています。正直言って今のところ「もっとたくさんの仲間がほしい」とは思わないのです。

そして、自分の小説についても「読んでいただきたい」という想いはもちろんあります。でも、「書きたいことを曲げる必要があるならポピュラーにならなくてもいい」という結論に至ってしまったのです。

ブログ活動で知り合った方の中には、ご自分の小説をよくするために大変な努力を重ねられている方が何人もいます。小説系SNSに登録すると、質の高い読者や創作仲間と知り合って批評し合ったり、時にはプロが批評してくれることもあります。そうした厳しい目にさらされてこそ、更なるレベルに到達できるのは間違いないと思います。

そうしようと思ったことも何度かあるんですけれど、最終的にはやめました。理由は……。わたしは小説を書き直すのが嫌いなんですよ。もちろん「てにをは」の間違いや、自分でも納得のいかなかった文章を書き直すことはしますよ。でも、既に1度書いて完結させた長編小説をまるまる書き直すような大きな努力をしたくないのです。

構成も、流れも、シーンも、表現も、その時点で考え抜いて書いたものです。キャラクターも話も結末も、一般に受けるとは思いません。小手先で書き直したからといって、おそらくそれは変わらないでしょう。だったら、逆戻りして同じ小説をもう1度書くよりも、まだ書き終えていない話を書きたいんですね。あいかわらず受けないでしょうけれど。

もう1つの理由は、創作を続ける意味を以前よりもはっきりと認識するようになったからです。昔は99%は「単なる趣味」だけれど1%くらいは「あわよくばこれで世に認められるかも」というような受け止め方だったんですよ。もともとアマチュアだった人が認められて作家デビューした話もありますし、昔の「文芸賞の入賞から文壇デビュー」というような険しさと比較すると「もしや」的な感情くらいは持てる世の中ですよね。とはいえ、12年間もこうやって周りを見て、そうなる方がなるべくしてデビューしていく姿を見れば、「そりゃ、わたしはないでしょ」がはっきりわかるわけです。そして、負け惜しみと取っていただいてかまわないんですけれど、わたしが求めている未来はそこにもないと思うようになったんですよ。

つまり、わたしは、これからも日本に戻ることはなくて、ここで自分の好きな小説を、誰にもケチをつけられずに書きたいんですよね。いや、批判は一切要らないという意味ではありませんよ。そうではなくて、「売れるための小説」「経済活動としての仕事」という視点ではなくて純粋に自分の書きたい題材を、誰にも忖度せずに書きたいという意味です。

これは趣味だからこそ続けられる書き方ですし、小説系SNSの運営基準に合わせて表現を変更したくもありません。だから、いっこうに読んでくださる方が増えない現在のままでも、この辺境ブログにだけひっそりとアップし続けていくつもりです。それに、たとえば、文学賞を目指して努力するつもりもありません。

そのかわり、どれほど厳しくても今のペースで発表し続けていこうと思っています。もう既に自分でもわけがわからなくなるほどの小説がありますけれど、まだ「お話の泉」は枯渇していないですし、広げた風呂敷を着々と畳んでいくのは、読み始めてくださった方に対する最低限の礼儀であるとも思っています。

こんな方針で運営し続けるブログですが、引き続きおつきあいいただければ、これ以上の喜びはありません。
今後もどうぞよろしくお願いします。
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Posted by 八少女 夕

【小説】春の先触れ

「scriviamo!」は終わっていないのですが、今日の小説は、植物をテーマに小さなストーリーを散りばめていく『12か月の植物』の2月分です。今週で2月も終わりですし。(「scriviamo! 2024」のお申し出は29日までです)

2月のテーマは『スノードロップ』です。我が家の近くでも、いま盛りですよ。

このストーリーに出てくる聖燭節シャンドルールという祝日、ドイツ語圏ではまったく祝わないので、いつのことだかわかっていなかったのですが、実は個人的にちょっと特別興味がありました。子供の頃に大好きでスイスにまで持ってきたフランスの児童文学『もしもしニコラ!』に出てきたんですよね。そっか。2月2日だったんだ。

というわけで、わたしもクレープ作って食べましたよ。


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春の先触れ

 ボウルに卵と砂糖を入れて、泡立て器でかき混ぜる。カチャカチャという音に心が躍る。粉を何度かに分けて振り入れる。ダマにならないように丁寧に混ぜていく。牛乳で伸ばし、最後に塩も入れる。

 できた生地は、ラップをして1時間以上冷蔵庫で休ませる。いつもそうする時間があるわけではない。でも、余裕があるときにはこのお休みタイムを必ず設ける。しっかり吸水させると生地が伸びやすくなりきれいに焼けるからだ。

 2月2日。聖燭節シャンドルール を祝う知人は、この辺りにはいない。シュゼットの生まれ育ったフランス語圏では、聖燭節すなわち主の奉献の祝日には、クレープを食べて祝う習慣がある。イエス・キリストが生後40日目に律法の定めにより神殿で浄めの儀式を受けたという聖書の記述にちなんでカトリックの国では祝日とされることもある日だ。もともとはヨーロッパに古くからあった立春の祭が姿を変えたものだとも言われている。

 この日は冬至と春分のちょうど中間にあたり、春を待つ人びとの期待がもっとも膨らむ時季でもある。クレープを食べるのは形が太陽を象徴しているからとも、中世の教皇が聖燭節の巡礼たちに振る舞った聖体にちなんだともいうが、シュゼットは由来そのものには頓着しない。欠かさずに作るのは、とにかくクレープが大好きなのだ。

 本当は、1人で食べるものではないとも思う。少なくとも、フランス語圏にいたときは、そんなことは考えもしなかった。子供時代は、祖母や母が作ってくれて一緒に食べたし、成人して身内が1人もいなくなってからも、友人や恋人だったアランと一緒に食べたものだ。

 ローザンヌを去り、ドイツ語圏の小さな村に引っ越したのは、アランとの酷い別れから立ち直るために必要なことだった。生活圏や人間関係が被りすぎている場に身を置いていると、引きずると思ったからだ。

 それは正しい判断で、シュゼットは静かに人生の真冬をやり過ごし、精神的にもずいぶんと楽になった。誰にも会いたくないと心から思っていた時期に比べると、「クレープを1人で食べるのは変だ」と感じられるようになったのは、いい兆候だと思う。まずは、まともな社会関係を構築してからよね。彼女は心の中でつぶやく。

 シュゼットは、洗い物を終えてきれいに片付いたキッチンを満足げに見渡してから、庭に出た。

 夏には色とりどりの花を咲かせる小さな庭も、この季節は休眠状態だ。でも、東側の一画にだけ、小さな春が訪れている。スノードロップが花を咲かせたのを、彼女は3日前に確認していた。この花を飾るのも2月2日のお約束。

 白い6枚の花弁には、それぞれ黄緑色の飾りがついている。毎年、一番最初に花を咲かせる春の先触れだ。

「あら。もうスノードロップの時季なのね」
声に振り向くと、隣人のバタリア夫人が、スキーストックを杖代わりに立っていた。散歩の途中らしい。

「これが咲くと、冬も直に終わるってホッとします」
シュゼットが言うと、バタリア夫人は目を細めて頷いた。

 夫人とは、ふた回りも歳が違うが、近所の中では比較的仲良くしてもらっている。一昨年引っ越してきたシュゼットは、まだドイツ方言が上手く聴き取れなくて、地域に馴染んでいるとは言えない状態だ。若かりし頃にフランス語圏の農家で住み込みで働いたことのあるバタリア夫人は、そんなシュゼットに、困ったときには助け、そうでないときにはうるさくしすぎず、心地よい距離で接してくれる。

 シュゼットがスノードロップを少しカットしているのを見て、夫人は「ああ」と言った。

「そういえば今日はあなたのお誕生日だったわね。おめでとう。今日もクレープを用意しているのかしら?」
夫人はいたずらっ子のように笑った。

「ええ? 憶えていらっしゃったんですか? ありがとうございます」
シュゼットは、少し顔を赤らめた。

「そりゃあ、憶えるわよ。あなた、シュゼットだし」
ドイツ語圏のスイスでは、聖燭節を祝う習慣がない。だから、この日にわざわざクレープを食べる人もいない。そうしたあまりない習慣に話題が移ったとき、名前との奇妙な符合も話題になった。

 ドイツ語圏の人びとは、クレープをそれほど日常的に作って食べないが、「クレープ・シュゼット」のことはたいてい知っている。砂糖をかけたクレープに、グランマルニエを注いで火をつける。派手な演出と濃厚なカラメルソースが人氣のデザートだ。

 1年前の今日、バタリア夫人とその話題になり、シュゼットは自分がその名前をもらったのは、みながクレープを食べる日に生まれたからだと白状する羽目になったのだ。

「ええ。今年もクレープの生地、準備してあります。……あの、よかったら、お散歩のあと後で召しあがりにいらっしゃいません? 1時間くらいしたら、焼く準備も整いますし」
シュゼットは、訊いてみた。

「あら。それはすてきなお誘いね。ありがとう、ぜひ。聖燭節シャンドルールのクレープなんて半世紀ぶりくらいよ」
夫人は、喜んで散歩の続きに出かけ、シュゼットは小さな自分の誕生日会の準備のために家の中に入った。
 
 この地域では、自分の誕生日に同僚や友人にコーヒーと茶菓を振る舞う習慣がある。シュゼットの仕事はオンラインで近くに同僚もいないから、まだそうした振る舞いをしたことはない。でも、バタリア夫人には、何度かお茶に招いてもらったこともあって、1度は自分から招待してみたいと思っていたのだ。大袈裟でなく、さりげなく。誕生日の今日はとてもいい機会だ。

 スノードロップを小さな花瓶に生けてダイニングテーブルの中央に置いた。寝かせておいた生地を1枚ずつ焼いて重ねていく。他に用意するのは、生クリームを泡立てるくらい。茶器を用意して、はちみつやジャム類、それにクリームチーズとハムなどもテーブルに置いた。
 しばらくして、バタリア夫人が呼び鈴を鳴らした。

「お招きいただきありがとう。これ、お祝いよ」
 彼女は、チョコレートの箱を手渡した。

「まあ。ありがとうございます。そんな必要はないのに……」
そういうシュゼットに夫人は、にっこりと微笑んだ。
「いい匂いがしているわ。ご馳走になるのが楽しみ」

 テーブルに置いたホットプレートに、焼いてあるクレープを温めるためにしばらく置く。それから、それぞれ好きなものと一緒に食べる。

「あら、これ」
オレンジマーマレードは、バタリア夫人がたくさん作ったからとお裾分けしてくれたものだ。クレープによく合う。
「そうなんです。美味しくて、ほとんど食べてしまったので、残り少しなんですけれど」

 他愛のないおしゃべりをしながら、クレープを食べて時間が過ぎていく。子供の頃には当たり前だったけれど、今ではできなくなった聖燭節の午後だ。

 夫人は、テーブルの上のスノードロップを見ながら言った。
「ドイツ語圏でのこの花の言い伝え、知っている? どうして真冬にこんなにきれいに咲くのか」

「いいえ。どんな言い伝えなんですか?」
「昔むかしね、他のものには色があったけれど、雪にはまだ色がなかったんですって。それで雪はまず大地にお願いしたの。『どうかわたしに茶色を分けてください』って。でも、大地は眠っていて答えてくれなかったの。それで、雪は草に頼んだの。『どうかわたしに緑色を分けてください』って。でも草はケチで聞こえないフリをしたんですって」

「ケチだったんですか?」
シュゼットは笑った。

 バタリア夫人も笑って続けた。
「それで、雪は空に向かって頼んだの。『どうかわたしに青を分けてください』って。でも、空はあまりにも遠くてその声は届かなかったの。それで雪は絶望して泣き出したんですって」

「誰も分けてくれなかったんですね?」
「そう。でも、泣いている雪に声をかけたものがいたの。『どうしたの? なぜ泣いているの?』って。雪が顔を上げると、とても小さくて首を傾げた小さな花が咲いていたの。雪が自分の悲しみを話すと、スノードロップは言いました。『じゃあ、必要なだけわたしの色を持っていっていいわ』それを聞いた雪はとても喜んでその色をもらい、今のように真っ白になったの。そして、優しくしてくれたお礼に、スノードロップに対してだけは真冬でも冷たくしないようになったんですって」

 シュゼットは微笑んだ。
「だから、この花は冬でもきれいに咲くんですね」

 スノードロップの花言葉は『希望』『慰め』。この言い伝えにはぴったりだ。

 シュゼットとバタリア夫人は、次々とクレープを片付けた。ハムとチーズの組み合わせは好評だったし、オレンジマーマレードと生クリームでも何枚か食べた。最後の2枚になってから、2人ともバナナとチョコレートが好きだと判明したので大いに笑った。シュゼットは急いでチョコレートを溶かし、2人でチョコバナナを堪能した。

 楽しいお茶会だった。聖燭節である誕生日に、笑いながらクレープを食べる楽しい時間。誰かを思い出しながら心を痛めることもなく、ただ楽しむことがまたできるようになったのが何よりも嬉しかった。

 シュゼットは、雪のあいだからぐんぐんと伸びるスノードロップの姿を思い浮かべた。その花は間違いなく春がもどってくる兆しなのだ。

(初出:2024年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

庭仕事2024 事始め

もう2月も終わりに近づいているので。

トマト発芽

トマトと茄子の種を植えて、苗を育てはじめました。どれがトマトで、どれが茄子かわからなくなってしまったのですが、葉っぱがある程度出てくれば見分けがつくのでいいかな。このくらいいい加減です。トマトや茄子の苗を植えるまではまた2か月くらいあるので、たぶん間に合うはず。ダメなら苗を買ってきます(笑)

あとはブロッコリーやキャベツなども今年は種から育ててみたいのですが、どうでしょうかね。

畑 2月

借りている畑も、(去年から生き延びている野菜を除き)まだ何かを植えるという状況ではないのですが、準備をしています。今年は去年よりも計画的に作業を進めようと考えていて、畑の区画も変えてみることにしました。

今年は90センチ幅の畝を東西の方向に2つ、南北に1つT字型に配置することにしました。そして、去年雑草にけっこう栄養を取られたりも地温が低すぎたようなので、今年は基本マルチを張ってみようと考えています。

そのためにかなり早い段階で、耕して土作りをしなくてはと考えています。去年から野菜ゴミで作りだしたコンポスト堆肥をしばらく埋めて肥料にする予定なのです。これは先週にまず第1段階として耕してみた様子です。この週末コンポスト堆肥を植えてみようと思っていたのですが、実は今週はまた雪が降ってしまい、ちょっと延期です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】緑の至宝

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第5弾です。津路 志士朗さんは、もう1つ掌編で参加してくださいました。ありがとうございます!

 津路 志士朗さんの『魔法の呪文にも色々ある件について。』

志士朗さんの2つめの参加作品は、『揃いも揃ってクラスメイトの癖が強い。』の北条くんほか高校生たちのお話です。

下記のCプランのお題を組み込んで書いてくださいました。

今年の課題は
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
 メインキャラ or 脇役かは不問
 キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「秋」
*身の回りの品物を1つ以上登場させる
*交通手段に関する記述を1つ以上登場させる


こちらも直接絡むのは難しかったので、「呪文(この作品ではマントラ)」をテーマに作品を書いてみました。「魔法の呪文」に読めないこともないですが、その辺りはわたしの作品なので「単なる偶然か、科学的にどうにか説明のできる事象なのかも?」にとどめてあります。

ちなみに、こちらに出てくる神様だかなんだかわからない存在は、実はこの作品で登場させたことがあります。


「scriviamo! 2024」について
「scriviamo! 2024」の作品を全部読む
「scriviamo! 2023」の作品を全部読む
「scriviamo! 2022」の作品を全部読む
「scriviamo! 2021」の作品を全部読む
「scriviamo! 2020」の作品を全部読む
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



緑の至宝
——Special thanks to Shishiro-san


 ライナスは、鋭い目つきで辺りを見回した。少なくとも4人の男たちにドハティ卿を載せる輿を担がせる予定だったが、現地人たちの抵抗で用意することができなかった。それで、アーナヴが簡易椅子を背負う形になり、前を見られない卿は機嫌が悪い。だが、他に方法はない。目指す寺院は、車が入れるような所ではなく、車椅子すら通れないような足元の悪い隘路の先にある。

 夜明け前に出発しなくてはならないので、夜行性の野生生物に出くわす危険もあるが、ここ数日の高温を考えれば卿の健康にはいい。アーンドラ・プラデーシュ州は、デカン高原に位置するハイデラバードとは違う。真夏ではないのに、日中は40度近くまで上がり、湿度も高い。南東インドは、体調のよくない高齢者に心地いい氣候ではない。しかし、卿は自分で行くと言い張った。

 ライナス自身もこの近辺に足を踏み入れるのは初めてだ。子供の頃にハイデラバードに住んでいたため、簡単なテルグ語を理解できる彼は、それが決め手でドハティ卿の側近に取り立てられた。青年期にイギリスに戻って以来、インドにもヒンズー教寺院にも縁の無い生活をしてきた。そう、興味はほとんどない。インド人の女にもだ。

 ハリシャに近づき、心にもない愛の言葉で懐柔したのは、もちろん例のマハーマーユーリー寺院に到達するための足がかりがほしかったからだ。結局、ハリシャの父親アーナヴが卿を背負い寺院まで案内することを考えれば、ライナスの企みは成功したといってもいいだろう。

 欲しいものを手に入れた後は、黙ってインドを去る。ハリシャもアーナヴも追ってくることはできない。それを見越して、ライナスは彼に関する情報はすべて虚偽のものを伝えてある。

 秘密主義のドハティ卿が、ライナスに手の内を晒してくれたのは、数ヶ月前のことだった。東インド会社時代にこの地にいた4代前のドハティ卿の妻、レディ・アイリーンが残した日記にこの地とマハーマーユーリー寺院のことが書かれていた。

 1860年代、ゴールコンダ・ダイヤモンドで有名なコルール鉱山が操業していた最後の時期だ。ドハティ卿があれだけの財をなしたのは、おそらくゴールコンダ・ダイヤモンドの恩恵があったのだろうとライナスは想像している。

 王冠に取り付けられた《コ・イ・ヌール》や呪われた青ダイヤとして有名な《ホープ・ダイヤモンド》など宝飾史に残る名ダイヤモンドの多くがコルール鉱山で産出されたと考えられている。

 いまや、枯渇し廃鉱され過去のものとなってしまったコルール鉱山だが、レディ・アイリーンの時代にはまだ重要視されていた。

この村のマハーマーユーリー寺院については、暗号のように書くことにとどめます。親切なラージュに連れられて、わたしは早朝に川の向こうにたどり着きました。ああ、なんということでしょう。未開の地と思われているこの奥に、わたし達など及びもつかぬ世界が存在したのです。わたしは、この目で見たことを夫にすら言うことはできません。もしこれが知られたら、海の向こうからおそろしい勢いで何もわからぬハイエナたちが押し寄せてきて、すべてをめちゃくちゃにしてしまうことでしょう


 ドハティ卿は、レディ・アイリーンの日記の1ページを指し示して、ライナスの反応を待った。

「これは……」
「そうだ。彼女は、このとき療養のため別邸に滞在していた。ハイデラバードに残っていた夫には、何を見つけたのか伝えなかったのだろう。そうでなければ、もっときちんとした形で我が家に伝わっているはずだからね」

「では、あなたはレディ・アイリーンの見つけたものを探しすためにアーンドラ・プラデーシュに行くおつもりなのですね」
「そうだ。コルール鉱山ではなく、クリシュナ川沿いの小さなこの村に行って、マハーマーユーリー寺院とやらを見つけねばならぬ。しかも今年中に」

「なぜ今年なのですか」
ライナスは首を傾げた。この古い日記の記述を、卿はずっと知っていて、80歳近くになるまで探しに行かなかったのだ。40年ほど前なら、関節痛で100歩も歩けないなどということもなく、体力的にもずっと楽だっただろうに。

 ドハティ卿は、日記の別のページを開けて見せた。

ああ、どうか170年後のわたしの子孫が、この日記を読んでくれますように。その時代の人びとが今よりも精神的に円熟し、マハーマーユーリーの《緑の至宝》の真の価値を見いだせますように。そうでなければ、さらに170年待たなくてはならないでしょう


 ライナスは、考えつつ言った。
「170年に1度だけ。つまり、何らかの周期でこの《緑の至宝》とやらが現れる、見つけやすくなるということなんですかね」

 卿は頷いた。
「おそらくそうだろう。その隠された秘宝が現れるのが、今年というわけだ」
「《緑の至宝》とは、宝石でしょうか」
「おそらく緑のダイヤモンドだろう」
「ダイヤモンド?! エメラルドや翡翠ではなくて?」
 
「他の地域ならエメラルドなどもあり得るが、コルール鉱山のすぐ近くで他の石とは考えられないな。きさま、《ドレスデン・グリーン》は知っているだろう」

 卿の言葉にライナスははっとした。世界的に有名な珍しい緑のダイヤモンド。
「あれもゴールコンダ・ダイヤモンドなのですか。年代的にブラジル産なのかと……」

「インド由来だとする資料はなく推測の域は出ないが、ゴールコンダ・ダイヤモンドだと推測する根拠はある」
「それは?」

 卿は得意そうに語った。
「中がほとんど無傷で、窒素のほとんど混じらない透明度の高いタイプIIaなんだよ。41カラットもあるのに。IIaダイヤモンドは、すべてのダイヤモンドの1%未満しかないんだ。そして、それはゴールコンダ・ダイヤモンドの特徴なのだ」

 ライナスは息を飲んだ。
「では、あなたは、レディ・アイリーンがそのマハーマーユーリー寺院で《ドレスデン・グリーン》クラスのグリーン・ダイヤモンドを見つけられたとお考えなのですね」

「わしはそう考えている。マハーマーユーリーは孔雀を神格化した女神だから、緑色の宝石が奉納されている可能性は高い。盗難よけか神事かの理由で、170年に1度しか顕現しない仕掛けをされていたのを偶然彼女は目にしたのだろう。だが、彼女は、それを持ち帰ることはできなかった。だから、子孫にわかるように日記にそれを示唆したのだろう」

 それから数ヶ月が過ぎた。先にインド入りしたライナスは、首尾よく村の娘ハリシャと懇ろになり、村に定住したがる善良な外国人の演技を続けた。森の奥に地図に載っていないマハーマユーリー寺院があることも確認した。マハーマユーリーの祭があることを知り、その日に合わせてドハティ卿が先祖の足跡を追う金持ちとしてやって来た。

「なぜほかの男たちは、このご老人を運ぶのを断ったんだ」
ライナスは、アーナヴに訊いた。暗い足元を照らすために額につけたハロゲンライトが、アーナヴの浅黒い横顔を浮かび上がらせたが、背中にドハティ卿を背負う重みに俯きながら歩く男の表情はよくわからない。
「あの寺院は観光名所ではない。とくに今朝は……」

 ライナスは、森に先ほどまでは聞こえなかった鳥の囀りが始まったので、見回した。
「君1人で背負ってもらうことになったのは氣の毒だが、他に案内してくれる村人がいなかったのは予想外だったよ。……夜明け前に間に合うと思うか?」

「ええ。もう、そう遠くありません」
アーナヴの言葉の通り、直に川のせせらぎが聞こえてきて、木々が途切れる場所に出た。そこに見えている地平線近くはわずかに薄紫色に変わりだしている。吊り橋があり、アーナヴに続いて渡った。

 それから5分も歩かないうちに、不意に森は途切れ、何もない村しかない地域には不釣り合いなほど大きな石造寺院が現れた。一緒についてきたドハティ卿の部下や医者らが口々に驚きの声を上げた。

 その寺院は、苔やつる性の植物に覆われ、決していい状態とは言えないが、巨大な一枚岩を削り出して作ったと思われる楼閣にはたくさんの彫刻が施されている。

 アーナヴは、そっと腰を落とし、ドハティ卿を降ろした。ドハティ卿はようやく目指したマハーマーユーリー寺院を自らの目で見ることができた。
「これが!! さあ、中に入るぞ」

 だが、アーナヴは、どういうわけか寺院の正面にではなく、今やって来たばかりの川の方向に向いて、跪き頭を地面にこすりつけた。

「何をしているのだ。この寺院の中に、神像があるのではないのか?」
ライナスが訊き、アーナヴは答える。
「はい。しかし、今の時期は神像ではなく、マハーマーユーリーご本人に敬意を示すのが正しいのです。ハリシャは説明しませんでしたか?」

「ハリシャは、今朝寺院にいけば《緑の至宝》を目にするでしょうと言っていたが……。神像に緑のダイヤモンドがついているのではないのか?」
ライナスは、言葉をきちんと理解していなかったのか不安になった。

 アーナヴは不思議そうに見た。
「緑のダイヤモンド? いいえ。《緑の至宝》はダイヤモンドではありません」

「ダイヤモンドではない?!」
ライナスが大きな声を出し、ドハティ卿は、英語に通訳するように命じた。

「ダイヤモンドではないとしたら、《緑の至宝》とはなんなのだ!」
ドハティ卿は、急いで暗い寺院の中に入っていき、目をこらした。寺院の中は、緑色のつる性植物で覆われている。その奥に非常に大きい神像、孔雀の羽を広げた装飾の神像があった。

 ドハティ卿が、ライナスとアーニヴに説明を求めようと再び入り口に向かったとき、夜明けが輝きだした。

 そして、真っ赤に燃え立つ地平線を背に、誰かが歩いてくるのが見えた。

「ハリシャ?!」
ライナスは、アーニヴの娘、今のところは自分の恋人と目されている女の名を叫んだ。しかし、近づいてくるその人物は、純朴な村娘その人ではなかった。

 美しい顔は、女のようでも男のようでもあった。体つきも華奢ではあるが、女性らしい膨らみやくびれはない。そして、わずかにではあるが自身から光を発しているように見える。それともそれは夜明けの特別な光と朝靄が見せる幻影だろうか。

 アーニヴは、自分の娘には決してしないような態度でひれ伏した。その人物は、緑色の光沢のある布を身に纏っている。そして、ゆっくりと孔雀の派手な尾羽が後ろに広がった。いや、それも目の錯覚かもしれない。そのような装飾の服を着ているだけなのかもしれないのだ。

 近づいてくるその人物のはるか後ろには、一緒にここに来るのを拒んだ村人たちが続いていた。怪我をしている者や、長らく病で寝込んでいた老女までが行列をなしていた。

 孔雀の羽根飾りをつけた人物と村人たちは、ドハティ卿の一行が目に入らないかのように通り過ぎて、寺院の中に入った。それに続くアーニヴの姿で我に返ったライナスは、ドハティ卿に手を貸し、一緒に寺院の中に入っていった。

 寺院の中にも朝日が入り、中の様子がよく見えるようになっていた。緑の服装の人物が、神像に背を向けて立った。神像と人物の背丈はまったく一緒で、神像の姿は完璧に隠れ、緑の服の人物がちょうどマハーマーユーリー神像そのもののように見えた。

 やがて、その人物は朗々とマントラを唱えだした。孔雀の尾羽は震えてさらに広がって見えた。

 寺院の高い天井は、その声を反響させた。

「こ、この声は……」
ドハティ卿は、ライナスを見た。

「マントラですね。サンスクリット語の呪文のようなものです」
ライナスは小声で説明した。

「だが……この残響はいったい……」
普段は威圧的で居丈高なドハティ卿が、珍しく不安そうな様相で寺院の中を見回している。

「インド人は、マントラの振動が、人の意識やエネルギーに直接的に作用すると信じているそうで……もちろんわたしはそんなことは信じていなかったのですが……」
ライナスもまた、意味はわからないものの、寺院内に満ちる力強い音響に脅威を感じている。

 やがて、村人たちが唱和しはじめた。寺院内はもっと大きな響きに満ちた。

 長い残響が消えると、寺院内は静寂に包まれた。そして、ライナスは寺院の外に激しい雨が降っていることに氣がついた。その雨は、まるで滝のようで、イギリス人たちは顔を見合わせた。

 雨は長く続かず、また突然に止んだ。太陽の光が森の木々に残った雫に反射して輝いている。村人たちは、喜んで寺院から出て行った。

 ライナスは、先ほどまで足を引きずっていた男や、弱々しく歩いていた老女が、颯爽と歩いていることに氣がついた。驚いてドハティ卿をみると、彼もまた背が伸び、10歳以上も若返ったかのように足を動かしている。

「どういうことだ。痛みが全くない……」
卿は首を傾げている。同行していた医者が驚いて駆け寄った。
「まさか! あの関節の状態で、そんな風に歩けるはずはないのに……」

 ライナスは、驚いて孔雀の羽をつけたあの人物を見ようとした。だが、そこには石の神像があるだけで、あの美しい人物は影も形もなかった。

「孔雀は毒蛇を食べます。マハーマーユーリーは、毒蛇や病などあらゆる災難を取り除くのです」
アーニヴが、ライナスの困惑した顔を見て言った。

「あれは、一体だれなのだ。ハリシャに似ていたが、お前の親族なのか?」
ライナスが訊くと、アーニヴは首を振った。

「私の親族ですって? とんでもない。あの方が170年に1度しか現れない《緑の至宝》マハーマーユーリーです。病を癒やし、雨を降らせ、毒や災難を取り除きます。それだけでなくかのマントラは人間の3つの毒である欲・怒り・愚かさを滅して安楽をもたらしてくれるのです」

 ライナスは、動揺しつつもアーニヴの言葉をなんとかドハティ卿一行に通訳した。  

 ドハティ卿は、帰りの道のりを1人で歩いていった。医者は、ずっと首を傾げ続けていた。ライナスは、別のことで首を傾げている。卿がダイヤモンドのことを忘れてしまったかのように、何も口にしないことだ。

 レディ・アイリーンの日記について、ライナスは考えた。170年前に療養中だった彼女もまた、当時の村人たちと共に、あの不思議なマントラによって癒やされたのだろうか。

 村人たちの後ろに続いて橋を渡っているとき、向こう側にまたあのマハーマーユーリーの姿が見えた。もっとよく見るために人びとの間から覗くと、そこにいたのは緑色のサリーを着たハリシャだった。

 まるで若返ったような老女に近づき、嬉しそうに微笑み祝うハリシャは、朝日の中で輝いているように見える。その姿は、170年に1度しか現れない不思議な存在に劣らぬほど、神秘的で美しい。数日後にはライナスが置いて去ろうとしていた未開地の田舎娘は、もうどこにもいなかった。

 ライナスに氣がついたハリシャは、謎めいた微笑みを見せた。彼は、レディ・アイリーンの日記に書かれていた言葉をもう1度噛みしめた。
「《緑の至宝》の真の価値を見いだせますように」

(初出:2024年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

白菜、育っている

冬だけれど家庭菜園の話。

生き残った白菜

先日の「白菜が生きていた!」という記事の続報です。

去年、大雪に埋もれてしまったのであきらめて放置していた白菜が、しぶとく生きていて、それをそのまま育てているのです。コメントをいただいて知ったのですが、秋田県ではこのように雪に埋もれて収穫できなかった白菜が春にトウ立ちしたものを「ふくたち」という別の野菜として売り出すようになったとのことで、うちの白菜も、結球ではなくて「ふくたち」になるのかなと、(ほぼ何もしないで)見守っています。

暖冬で寒くないのでカバーも外して日光に当てているのですが、ボロボロだった葉っぱのあいだからきれいな新しい葉っぱが生えてきています。

まだまだと思っていましたが、もう2月も後半です。来月はもう最初の作物を植えるつもりです。なんて早い! というわけで、借りている畑の他の部分は、既に1度耕してみました。今年は去年よりもちゃんと計画的に作物を植えるつもりなので、その準備に土作りなども考えているのです。

そういえば、金曜日に畑を耕したのですが、土曜日の朝、体中が痛くてぎょっとしました。すぐに「あ、筋肉痛か」と思い出しました。思ったよりも体のあちこちを使う作業なんですね。
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