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Posted by 八少女 夕

【小説】コンビニでスイカを

今日は「十二ヶ月の情景」八月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、けいさんのリクエストにお応えして書きました。

リクエスト月は8月でお願いします。
内容は、うちのキャラを適当に使って、一つ情景を描いていただけたら嬉しいです。


一番乗りでいただいたリクエストです。けいさんのところのキャラは、皆さん素敵なので悩みましたが、今まで一度もコラボしたことのない方にしようと、あれこれ探してみました。

けいさんの「怒涛の一週間」シリーズの三作目に当たる「セカンドチャンス」から、お二方にご登場願いました。実質コラボしていただいたのは、とある高校生(作品中ではまだ中学生でした)です。本編の中では、主人公の親友とその教え子という形で印象的に登場した二人ですけれど、もしかしたらいずれはこの二人が主役の作品が発表されるかも? 以前、ちらりと候補に挙がっていると記事を書いていらっしゃいましたよね。そんなお話も読みたいなーと願って、この二人にコラボをお願いすることにしました。あ、それに、舞台設定のために、もう一方も……。

けいさん、好き勝手書いちゃいましたが、すみません! 


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



コンビニでスイカを

 私には、行きつけの店がある。……といっても、コンビニエンスストアだけれど。都心に近いのに緑の多い一角、道路の向こうの街路樹を眺める窓際の飲食コーナーの一番端に座るのが好き。

 オレンジジュースを買ってきて、問題集を広げる。クラスの女の子たちは、シアトル発の例のファーストフードに行っているけれど、なんとかラテを毎日飲んでいたら、私のお小遣いは一週間で尽きてしまう。話の合わないクラスメートに交じって居たたまれなく座ることに対する代償としては高すぎる。だから協調性がないって言われるのかな。

 冷たいオレンジジュース。風にそよぐ街路樹の青葉を眺めてぼーっとしていたら、知っている男性が窓の外を通っていった。私が通う塾の先生。すぐ後ろからついていくのは、青木先輩。去年までおなじ中学に通っていた有名人だ。

 少なくとも夏休みの前までは、彼は私のクラスの女の子たちの憧れの存在だった。背が高くて、スポーツマン。陸上部のエースだった。都大会で、100メートルと幅跳びで優勝。大会新記録と都中学新記録を同時に達成。関東大会と全国大会出場も決まっていた。高校のスポーツ推薦も決まっていたとか。

 でも、新学期になったらに、彼の起こした事件のことでみんなが大騒ぎしていた。どこかのコンビニで万引きをして捕まったって。部活はすぐに引退との名目で辞めさせられて、推薦も取り消されたらしい。

 それから、クラスの子たちの態度は180度変わった。以前はキャーキャー言っていたのに、今度はヒソヒソと眉をひそめて噂するようになった。当の青木先輩は、最初は少し背を丸くして、下を見ながら歩いていたけれど、二学期も後半になるとまたちゃんと前を向いて歩くようになった。

 その理由を、私はなんとなく知っている。先ほど、彼の前を歩いていた塾の先生。私の担当じゃないから、確かじゃないけれど、名前は確か阿部先生。私は、このウィンドウから二人が行ったり来たりするのを何度も見た。最初は先生が先輩を引っ張るようにして歩いていた。それから先輩はうなだれるようにして、その次には妙に嬉しそうについていった。

 学校でみんながヒソヒソ噂することや、受験しなくてはいけなくなったことは、先輩にとってとても大きなストレスだったと思う。きっとあの先生がいたから乗り越えられたのだろう。もっとも、のんびりそんなことを想像している場合ではないのよね。一年後の今、受験に立ち向かっているのはこっちだし。

 私は、推薦で一足先に高校入学を決められるほど成績はよくない。もちろんスポーツ推薦はあり得ない。運動音痴だし。目指している学校は、私にとっては背伸びもしているけれど、近所のおばさんたちを感心させるほどの難関校というわけでもない。

 オレンジジュースを飲みながら、私は問題集を解いた。なんのために受験をするのかな。義務教育は今年で終わる。みんな当たり前のように高校に行く。それに、成績がよかったら大学にも行くのだろう。お母さんは「頑張らないといい大学には入れないわよ」って言うけれど、まず高校に入らないと。

 高校に行ったら、何か楽しいことがあるのかな。それとも今みたいに、クラスメートたちに嫌われないように適度な距離を取りながら、いるのかいないのかわからない存在でありつづけるのかな。透明人間みたい。

 あれ、青木先輩が戻ってきた。なんだろう。

 自動ドアが開いて、先輩は入ってきた。もちろん私には氣付かない。っていうか、多分、先輩は私を知らない。

「要。どうしたんだ」
レジの所にいる店長が先輩に声をかけた。えー? 名前を呼び捨てって、身内なのかな。

「ちょっとね。先生ん家に寄ることになってさ。先生の友達も久しぶりに来るんだって。だから、なんか一緒に食えるもん買いに来た。アイスかな。それとも……」
「ここから先生のお宅までは少しあるだろう。溶けるぞ」
「そうだよねー」

 店長は、冷蔵ケースの方へ行きカットスイカを持ち上げた。
「これはどうだ。冷えているし、すぐに食べられる」
「いいね。えっと、398円か。二つ……小銭足りるかな」
「俺が払おう。息子がお世話になっているんだ」
「だめだよ。これは俺から先生への差し入れだもん。俺が買うの」

 先輩はレジでスイカのパックを二つ支払った。律儀なんだなあ。私は、首を伸ばしてそちらを見た。あ、スイカ、本当に美味しそう。途端に、青木先輩と目が合った。

「あれ」
「なんだ、要。知っている子か」
「うん。中学の一学年下の子だと思う。たしか塾も同じだったはず」」

 わ。先輩が、私の顔を知っていた。私は、ぺこりと頭を下げた。

「よう。勉強しているんだ。偉いね」
私は、先輩の近くまで歩いて行った。

「七時から塾なんです。まだ早いから」
「帰らないの?」
「家に帰ると、とんぼ返りしなくてはいけないし、うち、飲食店で夕方から親が忙しいし」

 店長が笑った。
「うちと同じだな、要」

 私は先輩に訊いた。
「店長さん、先輩の……?」
「うん。親父」

「わ。知りませんでした。すみません。山下由美です」
「いや、こちらこそ、まいどありがとうございます」

 一杯のジュースで一時間も粘る客って、ダメな常連客じゃないかなあ。私は少し赤くなる。
「私も、その美味しそうなスイカ買います」

 青木先輩が、ポケットからまた財布を取り出した。
「じゃ、それも俺がご馳走するよ」
「そ、そんな。悪いです」

「大丈夫だって。こんなに暑いのに、頑張って勉強しているんだろう。俺、去年、懲りたもん。暑いとぼーっとなって、もともとバカなのにもっと問題を間違えてさ。阿部先生にいつもの倍ヒントもらわないと解けなかった」

「でも、先輩、ちゃんと受験に成功して高校に行けたじゃないですか。私は頑張らないと。A判定出たことないし」
「俺だって、A判定も一度も出なかったよ」

 そうか、それでも受かる時には受かるのね。諦めずに頑張ろう。

 私は、先輩におごってもらったスイカのパックを開けて勧めた。店長がフォークを二つつけてくれた。先輩は、パックを私のいつも座る席まで持ってきてくれて隣に座り、嬉しそうに食べた。「おっ。甘い!」

「ごちそうさまです」
そう言って私も食べた。本当だ。甘い。

「スイカ食べたの、本当に久しぶり」
私はしみじみと味わいながら言った。先輩は驚いたようにこちらを見た。
「ええつ。何で? 夏って言えばスイカじゃん?」

「大きいから自分では買わないし、普段は、うちに帰っても一緒に食べる人いないし。あと、種を取るのが面倒くさいから、お母さんに買ってって頼んだことなかったんですよ」

 青木先輩は笑った。
「確かに面倒だけれどさ。種のないスイカって、なんだか物足りないよ」
言われてみると、本当だな。種を取ったり、ちょっと甘みの足りないところにがっかりしながら食べるのがスイカ。そうやって食べると、甘いところがより美味しくなるみたい。

 ってことは、何もせずに簡単に高校に行けるより、受験で苦労して入るほうがいいのかなあ。

「先輩。高校って楽しいですか」
私の唐突な質問に、先輩は首を傾げた。
「楽しいって言うのかなあ。前とそんなに変わらない。君は中学、楽しい?」

「全然。登校拒否したいと言うほど嫌じゃないんですけれど、あまり合わない同級生たちに嫌われないようにばかみたいに氣を遣っているんですよね。勉強もスポーツも得意じゃないから、学ぶ意味とか、達成感もあまりないし。こんなこというの贅沢かもしれないけれど」

「そうだなあ」
先輩は、よく知らない私の愚痴に、真剣に答えを探しているみたい。変なこと言って、まずかったかな。

「去年の夏休み、俺のやったこと、聞いているだろ」
えっと……。万引きの件かな? 今度は私が返答に困った。
「あまり詳しくは、知りません。推薦がダメになったって話は聞きましたけれど」

「そ。万引きの手口を研究して、できそうだから試してみたら捕まっちゃったんだ。自分のバカさ加減に呆れて、何もかも嫌になって死にたいって思ったよ」
「先輩が?」

「うん。でも、阿部先生が止めてくれて、セカンドチャンスをくれたんだ。俺に、どんなバカでもやり直しできるってわかるようにサポートしてくれたんだ。それに、そうやって先生に助けてもらいながら頑張っているうちに、うちの親だって、俺のことを要らないから放置していたんじゃないってなんとなくわかったし、こんな自分でも生きていれば何かの役に立てるかもしれないって思えるようになったんだ」

 私は、頬杖ついて、先輩の話に聞き入っていた。
「そうだったんですか」

 先輩は、大きく頷いて笑った。明るくて素敵な笑顔。
「うん。だから、メチャクチャ勉強して、今の高校に入った。正直言って、高校で学ぶことが何の役に立つのか、よくわからないし、すげー親友ってのともまだ出会えていないけれどさ。でも……」

「でも?」
「阿倍先生にとても仲のいい友達がいるんだ。本当に羨ましくなるくらいの親友。今日も来るんだよ。その人と先生、大学で知り合ったんだって。もし先生が高校に行っていなかったら、大学にも行けなかったし、そうしたら親友とも出会えなかったってことだろう? 出会いなんてどこにあるかもわからないし、未来のこともわからない。でも、今を頑張らないと、きっと未来のいいことはどっかにいってしまうんだ。そう思えば、なんだかなあって思う受験も頑張れるんじゃない?」

 そうか。いま頑張ったご褒美、ずっと後にもらえることもあるのかな。

「あ。スイカ、なくなっちゃった! ごめん」
青木先輩が、空になったパックを見て叫んだ。あ、本当にあっという間に食べちゃった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
そろそろ塾に行かなくてはいけない時間だ。私は、問題集を鞄にしまって立ち上がった。
「お。行くのか。俺も、そろそろ行かなくちゃ。また今度な」

 店長の「またお越しください」という感じのいい挨拶に送られて、私は先輩と一緒にコンビニを出た。先輩は、阿部先生のお宅へと向かうので、角で別れた。頭を下げて見送ると、ビールやジュースやおつまみと一緒にスイカのパックの入った袋が嬉しそうに揺れている。

 先輩の言ったことを、じっくりと噛みしめた。数学も、英語も、今後何の役に立つのかなんてわからない。私が高校に行って、意味があるのかも。楽しいことやいいことが、どこで待っているのかわからないし、ただのクラスメイトじゃなくて、本当の意味での親友といえる人とどこで会えるのかも知らない。

 だからこそ、今やれることを一生懸命やるのが大事。うん。頑張ろう。先輩の高校、共学だったよね。志望校、今から変えたら先生に何か言われるかな。


(初出:2018年8月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の情景
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ 月刊・Stella キリ番リクエスト 100000Hit

Posted by 八少女 夕

フレンチトーストを食べながら

今日の話題、一応カテゴリーは「美味しい話」に入れていますが、実質は真逆かも……。写真はなにもないと殺風景なので無理矢理です。決してインスタ映えを目指したドヤ顔写真ではないです。

フレンチトースト

昨日の朝、私は朝の一仕事を終えて、なんとなく空腹なのでそろそろ食べようかと思いました。木製パンケースを覗くと、大きな白パンが固くなって存在しています。パン粉にするには大きすぎる。カモのお池に差し入れするには「食べ物を大切にしなかった」と良心が痛むサイズ。そこでフレンチトーストで消費しようと思いつきました。

「ホテルの絶品フレンチトースト」にしたいのは山々ですが、あれは24時間も前に用意を始めなくてはいけないレシピ。基本的に、フレンチトーストを食べたくなるのは直前なので、あのレシピで作ることは稀です。

そういうわけで、レシピもへったくれもなく適当に作り始めました。ある程度の歳月を料理してきた方ならならよくあることだと思います。目分量で卵と砂糖と牛乳を混ぜて、パンを両面しっかりと浸し、バターを溶かしたフライパンで焼く。難しいことは何もありません。

さて、私は普段から自分の食べるものにある程度の判断をする習慣があります。●●療法というほど厳しい食事制限ではなくて、例えば、可能な限り有機農法から作られた食材、または、肉ならスイス産のものを買う、調味料も質を重視、使う油などに注意する、食べる量やバランスに氣を付けるといった、まあそこら辺の主婦だったら「そんなの当たり前」というレベルのことです。

今回も、砂糖を使うならきび砂糖で一回の量はこのくらい、と目分量で入れて作ったのです。で、食べる段階になって口に入れたら、全然甘くありません。仕方ないので、メープルシロップを少しかけました。……まあまあ。

というわけで、氣になってフレンチトーストのレシピを見直しました。

ええっ! レシピは四人分でパン四枚で作るんですが62グラムって書いてあります。一人分にするとパン一枚に、砂糖15グラムちょっと……。角砂糖5個! そりゃ、甘みは違うわ。

「砂糖を一切絶つべき」とおっしゃる方もいるくらい、砂糖の摂り過ぎは体によくないのはわかっています。糖質にもいろいろあって、ただの砂糖の量だけ論議しても表面的なのもわかっています。そういう話は別にして、とにかく、こういう身近な食べ物の思ってもみなかった調味料の配合にぎょっとしてしまったのです。自分で作ればともかく、購入して食べたり、外食する時って、そんなに入っていると意識して食べていないですよね。

なんだか甘みの少ないフレンチトーストを食べながら、私の意識はまたしても妄想モードに入っていました。

ロマンスグレーの立派な紳士がと都心のある著名ホテルのレストランに入っていく。

黒いスーツを着た壮年のウェイターがにこやかに迎える。
「いらっしゃいませ、九条様」
(名前はなんでもいい。鷹司様でも園城様でも。とにかく都心にお屋敷があって悠々とこのホテルに通う感じ)

彼は、午後四時になると決まってここを訪れ、馴染みのウェイターたちと和やかに会話しつつ、フレンチトーストとコーヒーを注文する。

「お待たせいたしました。フレンチトーストでございます」
にこやかに微笑みながら、恭しく差し出されたフレンチトーストを眺めながら、彼は微笑みつついつものように答える。
「ありがとう」


ってことをやると、この紳士は年間1825個の角砂糖分の糖分を、このホテルで体に入れることになるわけだ……。美味しいものは、大好きですが、やはり何を食べているのか確認しつつ、自分で作るのって大切だなと思った朝でした。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (7)ミュンヘン、事務局 -4-

四回に分けたラストです。

無理矢理読ませて置いて、こんなことを書くのは申し訳ないのですが、長編小説を連載していると、どうしてもあまり面白くないパートというのが出てきてしまいます。この章もそんな部分の一つです。内容的には、後ほど重要な展開に必要なファクターが結構入っているし、もともとの「こんな設定あり得ないでしょ」を少し「現実でもあるかな」と錯覚していただくための記述がたくさん入っているのですが、どうしても「だからなんなの?」と思ってしまうような内容になります。すみません。

さて、今回は前回の続き、「蝶子はここエッシェンドルフでは家事などをしてはならない。あくまで男爵夫人でいなくてはならない。それは世間的な建前の話だけでなかった。稔がこのことを理解したのは、例の葬儀の後の相続ならびにヴィザの再取得などで四人が一ヶ月近く滞在したときの事だった」という記述の説明からです。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -4-


 冬で外ではあまり稼げなかった事もあり、ブラブラしているのに飽きた稔はヴィルに車の練習をしたいと頼んだ。日本ではよく運転していたが、ミュンヘンでドイツの免許を取得すればヨーロッパ中のどこに行っても運転できる。

 ヴィルは運転手のトーマスに指導を頼んだ。仮免許運転者には横で指導する同乗者が必要なのだ。稔は言葉の壁も乗り越えて、かなりすばやくヨーロッパでの運転ルールを覚え、免許を手にした。

 蝶子が車のいる買い物が必要になったときなどに、一緒に運転していくと申し出たが、ヴィルは首を振った。
「ここではだめだ。運転はトーマスの仕事だ」
「なんでだよ。トーマスを顎で使うのはお蝶だって氣が引けるだろ」

「そうであってもだ。いいか、トーマスは運転手として雇われているんだ。仕事にプライドを持ってね。俺だって、そこまで行くなら自分で運転した方がいい。だが、そんなことをしたらトーマスが暇を持て余す事になる。給料さえ払っていればそれでいいって問題じゃないんだ」

 稔は納得した。ただでさえ、ヴィルがいないときはトーマスには本来の仕事がなく、マイヤーホフやマリアンたちを必要な所に送迎するか、他の事をして過ごしていた。

 館には多くの使用人たちが、それぞれの仕事を持っていた。稔や蝶子が何もかも自分で出来るとしても、それに手を出す事で他の使用人たちの領分を侵す事になる。だから蝶子もここでは炊事や洗濯などをしてはいけないのだった。

 蝶子は、「家事は必要ない」という稔の示唆を理解していたが、敢えてその事には触れなかった。その代わりにちゃかして笑った。
「メンバーを叱咤して皿洗いをさせる能力もあるわよね」

 その一方で、稔はマリサの事を考えていた。

 マリサはマリアンと同じような立場のイネスの娘でありながら、この話を聞いても自分がマリアンに家事を習いたいなどとは決して言わないであろう。

 イネスは父親のいないマリサに不自由な思いはさせたくないと、カルロスのもとで身を粉にして働きながらマリサを簿記の学校に通わせたのだ。

 マリサは同級生の様に子守りのバイトもした事がなければ、家事手伝いもした事がなかった。

 彼女は怠惰な娘ではなかった。言われた事には素直に従うまじめさもあった。けれども、どこか受け身だった。蝶子のように豪奢な館での暮らしから一足飛びに大道芸人になるような度胸と強さもなければ、ヤスミンの自分に必要な事を吸収しようとする貪欲な機敏もなかった。

 稔はマリサのはかなげで素直な所が好きだったが、弱く他力本願な性格を物足りなくも思っていた。

 今までつき合った、多くの女の子がそういうタイプだった。それに対峙していたのは、永らく遠藤陽子だった。陽子は何もかも自分の腕でつかみ取った。三味線の腕前も、クラスで一番だった成績も、書道での一等賞も、近所のおじさんおばさんの評判も。

 ずっと男だけが独占していた、高校の生徒会長の座も、陽子はほれぼれする選挙演説と周到な根回しで勝ち取った。そんな多忙な年のバレンタインデーに陽子が焼いてきたチョコレートケーキは、稔が当時つき合っていた沢口美代の持ってきた特徴のないチョコレートクッキーの数倍美味しかった。

 陽子は本質的には稔のつき合ったどの女よりも尊敬を持てる、好ましい存在だった。けれど、稔はそれを認める訳にいかなかったので、苦々しく思っていた。

 陽子のとげとげしい口調と、強い光を宿す負けず嫌いな瞳を思い出す。蝶子のカラッとした冷たさと違い、陽子には粘着質の冷たさがあった。いや、むしろ、陽子の心は熱く燃えていたのかもしれない。なぜ自分と恋仲になりたがったのだろうと、稔は思った。お蝶と築き上げてきたような色恋抜きの堅い友情、それをあいつと結べたなら俺は生涯あいつといい関係でいられたのに。

「今度は、そっちが考え込んじゃっているわけね」
蝶子の声で稔は我に返った。

 頭を振ると、話題を変えた。
「再来週は、バルセロナだよな。俺、少し三味線を練習して来る。『銀の時計仕掛け人形』やるんだろ?」

 蝶子はうんざりした顔をした。
「また、あれをやるの? グエル公園の常連たちに見つかると、一時も休めなくなるんだもの、嫌になっちゃうわ」
「いいじゃないか。男爵夫人生活でなまった体もしゃきっとするぞ」
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 2)
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Category : 小説・大道芸人たち 2
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

ソファを買い換えた

今日は、自宅で進めている片付けについて。

私が連れ合いと住んでいるフラットは、東京の住宅事情に慣れていた私には十分すぎるくらい広いのですけれど、本来は独身者用らしいです。「へえ。2と1/2なんだ」という感じですね。

スイス(や多分ドイツなどもそうだと思いますが)の部屋の数え方は、日本とはちょっと違います。日本だと1LDKなどといって、リビングは一部屋に数えていませんよね。こちらではリビングも数えます。そして、別になったキッチンはなぜか半分で数えるようです。

我が家を日本式に説明すると1LDKで、バスタブ&洗濯機乾燥機つきなところが、普通よりも豪華です。その話はともかく。

このリビングが、私にとってはとても広いのです。35㎡のリビングって、今のおしゃれなマンションなら普通なのかもしれませんが、「ここって独身者用だから狭くてさ、それで引っ越すんだ」というフラットにしては広くありませんか? ダイニングキッチンは別ですし。

さて、このリビングには、真ん中に薪ストーブがあって、そこで大体二つに分かれています。キッチンに近い半分は、私のオフィス的に使っている机と本棚、テレビ、それに昼寝や来客用に使っている小さな簡易ベッドを置いています。そして、残りの半分に、薪を入れておく大きな箱、もらったソファ二つと安楽椅子、それにCD用の飾り棚が置かれています。もらったソファのうち、革張りの一つはとても座り心地がいいのでそのままでよかったのですけれど、残りの面積の半分を占めていた巨大ソファがどうも氣に入らなかったのです。

旧ソファ

いただいたものですし、色が氣に入らなかったのは布でカバーして15年以上使ってきたのですけれど、このソファが場所を占めているおかげで、増えてきたものをしまう場所がなくてイライラしていました。この写真では、何も載っていませんが、連れ合いが雑誌を山積みにして、文具やリモートコントローラーを放置し、さらに脱いだ洋服も掛けて、どんなに言っても片付けてくれません。そりゃ片付けられませんよ、しまう場所もないんですから。

それで、ついに私がキレて「ソファを買い換えたい」宣言をしました。連れ合いは最初は反対しましたが(彼はまだ使えるものを変えることにひどく抵抗するタイプ)、購入・搬入、前のソファの処分まで全て私が一人でオーガナイズすることを約束してOKを取り付けました。彼に手伝ってもらうと、決意してから実行するまでに何年もかかるので、一人でやらせてもらった方が話が早いのです。

(そういえば、ダイソンのハンドクリーナーを買う時もものすごく抵抗されたけれど、今や彼の方がずっと氣に入っていてほぼ乗っ取られています)

前のソファはベッドにもできなかったので、来客が来ても泊めることもできませんでした。いや、私の女性客が来る時は、寝室に泊めるのでいいんですけれど、簡易ベッドではまずいタイプの男性客が来ると義母のゲストルームに行ってもらうことにしていました。義母が年をとってきて、そうやって押しつけるのもまずいなと思っていたので、その問題も解決できるベッドになるソファを探してみました。

新旧ソファ

新しいソファが木曜日に無事届きました。そして、古い方は、持っていってもらいました。下が新しい方。並べると占めている空間の違いがわかりますよね?

新品を買ってもよかったのですけれど、環境問題、搬入の問題、前のソファの有効利用などを考えて、リサイクルショップから購入しました。こちらのリサイクルショップは、要らないものをタダで寄付し、その代わり買う方も新品を買うよりずっと安い値段で手に入れることができるシステムです。私が買ったものは、見かけは新品と変わらない感じで、とてもしっかりしている上、背もたれと肘掛けを取り外すと120㎝×210㎝のフラットなベッドになります。シンプルな形状のおかげで、カバーをつけるのも簡単です。しかも、以前のソファはその形状と置いた位置のせいで、窓のブラインドの開け閉めが大変だったのですが、その問題もなくなりました。

ソファ買い換え完成形

カバーをつけて完成。これ、自分への誕生日プレゼントです。(本日、4日が誕生日)

これで、前のソファで使っていた約1/3のスペースが空きました。ここをどう変えていくかは、連れ合いと相談の上です。全部一人でやると、またへそを曲げるので。
関連記事 (Category: 生活のあれこれ)
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Category : 生活のあれこれ

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (7)ミュンヘン、事務局 -3-

四回に分けた三回目です。特に引っ張るほどの内容でもないんですけれど、たまたま長さの関係で、こうなりました。発表の長さって、毎回悩むところでもあります。私の場合は、短くてもいいので、とにかくまとまったものはコンスタントに出すという「自分ルール」を決めているのでこうなるんですけれど、これって読者には親切なのかなあ、それともウザいのかな。

ただ、この程度の内容で8000字ぐらい一度に読ませて、それから一ヶ月放置「また内容忘れちゃった」にするよりはいいのかなあ。もっと手に汗握る、さらに言うと忘れにくい強烈な内容の小説だと、また違うんでしょうけれど。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -3-


「話にもならないわ!」
蝶子がため息をつきながら戻ってきたのは二時間ほど後だった。

「なんの面接だったんでしたっけ?」
レネが蝶子に再びワインを注いでやりながら訊いた。

「家政婦よ。マリアン一人じゃまわらない仕事を分担する人が二人は必要なんだけど、よくわかっている方が結婚してやめる事になったの。もう一人が彼女のやっていた分を引き継ぐには荷が重いので、少ししっかりした人を雇いたいんだけど、今日来たのは普通以下よ」

「どんなことをしてもらいたいんですか? 掃除とか、洗濯とか、料理とか?」
「料理そのものは、料理人がいるからしなくていいの。下準備はしてもらうけれど。掃除や洗濯、それに買い物。掃除と一口に言っても、真鍮はどう磨くとか、この木材はどの溶剤で手入れするとか、ものすごく覚える事があるの。洗濯もしみ取りの方法や特殊な手入れを知らなくちゃいけないし。ある程度ちゃんとしたお屋敷で働いてきた人か、そうでなければものすごく頭の回る人がいいんだけれど、そんな人は、全然こなかったわ」

「ものすごく頭の回る人って、ヤスミンは?」
レネの言葉に、蝶子は目を瞠って答えた。
「そりゃ、理想的だけれど、ヤスミンが家政婦の仕事をしたがったりすると思う?」

「昨日、劇団の仕事と美容師の仕事の両立がきついって言っていたんです。でも、生活のためにはしょうがないってね。アウグスブルグのアパートを払うのが大変なら、ここの僕が使わせてもらっている部屋に越してくればって言ったら、それは理想的だけれど、ただの居候は嫌だし、時間のやりくりのつく仕事をミュンヘンで見つけるのは難しいって。ヤスミン、マリアンとは仲もいいし、時折率先して手伝っていたから、経験なくてもいいなら、やりたがるかもしれませんよ」

 蝶子はヴィルの方を見た。ヴィルは、好きにしろという様に頷いただけだった。
「じゃあ、今晩でも電話して訊いてみるわ。そりゃ、ヤスミンが引き受けてくれたら、これ以上の事はないわね。私たち、安心していろんな事を任せられるし」

「やりたい!」
ヤスミンは即座にそう答えた。
「でも、ヤスミン、家政婦よ? いいの?」
蝶子は戸惑いながら訊いた。

「もちろんよ。花嫁修業になるじゃない。前ね、マリアンと話していて、家事のことをまったくわかっていないってわかったの。暇があったらこちらから頼んででも、マリアンにあれこれ教えてもらいたいと思っていたのよ。それが、お給料をもらえて、アウグスブルグのアパートを引き払えて、美容院の仕事も辞められて、レネが来る時には確実に会えるんでしょ? お願い、シュメッタリング、私を雇って」

「わかったわ。ヴィルにそう伝えるわね。私たち、再来週からしばらくいなくなるけど、都合のいい時に、こっちに移ってきて。引っ越しの請求書はマイヤーホフさん宛にしてもらってね」
「ありがとう、シュメッタリング」

 蝶子は電話を切ってから、電話の前でしばらく黙って佇んでいた。
「どうしたんだよ、お蝶?」
通りかかった稔が声を掛けた。

「なんでもないわ。ヤスミンは柔軟ね」
「何の事だ?」

「わたしね、どこかで仕事を二つに分けていたの。『職業に貴賤なし』って言うけれど、まさにその貴と賤に。私がマリアンの雇い主なのは偶然にすぎないし、大道芸人は本来なら家政婦って職業よりも下かもしれないのにね。その無意識の差別に氣がついちゃって、自分でちょっぴりショックを受けているのよ」

「お前、だんだんトカゲらしくなくなってきたな」
褒めているのか貶しているのかわからない感想を稔がもらしたので、蝶子はにらんだ。

「ヤスミンは、わたしとは全然違う意識を持っていたんだわ。マリアンを家事のエキスパートとして尊敬していたの。私だってマリアンはすごいとは思っていたけれど、自分が習いたいだなんてまるっきり思わないのよね」

「お前はドミトリーの炊事場や洗濯場で、トカゲにしては率先してやってくれるじゃないか。それ以上の家事は必要ないだろ?」
稔はのんびりと言った。

 蝶子はここエッシェンドルフでは家事などをしてはならない。あくまで男爵夫人でいなくてはならない。それは世間的な建前の話だけでなかった。稔がこのことを理解したのは、例の葬儀の後の相続ならびにヴィザの再取得などで四人が一ヶ月近く滞在したときの事だった。
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 2)
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

皆既月食を見た

去る2018年7月27日、今世紀で最も長く観察できる皆既月食がありました。私は肉眼で皆既月食を観察したのは初めて。ちょっと嬉しくなってしまいました。下の写真は、私が撮ったものではありません。インターネットでLIVE配信していたものをキャプチャーしたものです。

皆既月食

私は科学系ニュースの類いは基本的に日本語でインターネット経由で読むことが多いので、珍しい天文ショーなどは時間や状況が合わなくて指をくわえていることが多いのです。

しかし。今回の皆既月食は、スイスの方がずっと条件がよかったので、アラームをセットして待っていました。金曜日の夜、22時20分。しかも、夏なので観察していても凍死しません(笑)

時間になって外に出ても月は全く見えません。月食で見えないのか、場所が悪いのか首を傾げながら探していると、大家の奥さんが車で帰ってきて「月を見ているの?」と。「そうだ」と答えると「ここじゃダメよ。さっき見えたところに行きましょう」と連れて行ってくれたのです。

そう、我が家からだと山に隠れて見えない位置に出ていたのです。で、見に行くと本当に真っ赤なすごい月が。これが皆既月食かと感動しました。ひとしきり見て、満足して家に戻ると、連れ合いが「どうだった」と言うので「すごい。真っ赤だった」と興奮して話しました。で、連れ合いも見たくなったらしく出て行こうとするので、「そこじゃ見えないよ。車で行こう」とまた外に出て、今度は車の鍵をもって、二人でダッシュ。同じ所にまた行って二人で観察しました。

よく考えたら二人で満月を観たのは本当に久しぶりです。しかもスイスではこのレベルの皆既月食は数百年に一度とか。晴天で、星もいっぱいでていました。すぐ近くにあると言われた火星は、肉眼ではよくわかりませんでしたけれど。

皆既月食

この小さいのが、私がiPhone 5Sでなんとか撮った写真。最大にズームしてもこれでした。もっといいカメラの方は暗くて全く写らず。その分、肉眼で沢山見ましたから、いいですよね。実際は、もっとくつきり綺麗な赤い月でしたよ。
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【小説】大道芸人たち 2 (7)ミュンヘン、事務局 -2-

前回は、エッシェンドルフの館に勤める秘書のヨーゼフ・マイヤーホフの視点でお送りしました。大道芸人の仲間でありつつ、「男爵夫妻とその友人」として大きな屋敷に滞在する四人の姿が浮き彫りになったところで、スペインから訪ねてきたマリサが何やら封筒を持ってきました。大して引っ張るような中身ではなかったんですが、これからがこの話の本題です。

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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -2-


 蝶子が中から書類を取り出すと、稔も覗き込んだ。
「許可が取れたんだな」
「ええ、本当に六月に開催できそうよ」

 二人の話を聞きつけて、奥でコーヒーを飲んでいたヤスミンが興味を示した。
「何を?」

 リングの練習の手を止めてレネが答えた。
「『La fiesta de los artistas callejeros』。僕たちが計画している大道芸人の祭典なんです。第一回はバルセロナで開催する事にしたんですよ」
「バルセロナで?」

「ギョロ目が全面的にバックアップしてくれているんだ。スペイン芸術振興会バルセロナ支部の理事だしな」
稔がウィンクした。そうだった、とヤスミンは頷いた。劇団『カーター・マレーシュ』も彼に協賛金をもらっていたのだ。

「協賛してもらっているドイツの劇団は参加しなくていいの?」
「あんたたちは大道芸人じゃないだろう?」
ヴィルがコーヒーをマリサに渡しながら言った。

 ヤスミンは口を尖らせた。
「あなたたちの結婚式の時に、団長たち、パントマイムで小遣い稼ぎしていたわよ。大道芸人みたいなもんじゃない」

「加わるか? 団長に訊けよ」
稔がヴィルにグラスを差し出して、ワインを注いでもらいながら言った。

「バルセロナねぇ。みんなでは行けないかもしれないわね。どうしてドイツでやらないのよ」
「男爵様が大道芸人やっているからね。マスコミがどう報道するかわからないだろ。第一回目は、ちと遠くで様子を見るんだ」

 稔がウィンクすると、ヤスミンは納得してコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「わかったわ。明日、会議があるから、話題にしてみる。今度の六月ね」

「来週は来れる?」
レネがおずおずと訊いた。

「どうかな。公演が始まるから。あなた達は再来週には、また旅に出ちゃうのよね」
ヤスミンはちょっと残念そうに言った。

「じゃあ、来週、なんとか時間つくって、アウグスブルグに行きます」
レネはきっぱりと言った。

 館にいる時間が短いので、ここに来るとヴィルは忙しい。蝶子も同様だった。フィエスタの許可が下りたとなると、事務局長を務める稔にはやる事が山のように出来た。こうやってのんびりと酒を飲んだり、英国庭園に稼ぎにいったりする時間は減るはずだ。レネもまたフィエスタの事務局として仕事を持っていたが、彼の担当の財務はそんなに忙しくなかった。まだ大した出納は行われていないからだ。ということは定休日の他にもう二日くらいレネがいなくなっても構わないはずだった。

「フィエスタの参加者たちはどうやって集めるんですか?」
マリサが稔に訊いた。

 たいていの大道芸人たちは四人のようにホームベースとなる住所がある訳ではないし、連絡網がある訳でもない。前例のない第一回でどのくらいの人間が集まるのか想像もつかなかった。

「俺たちがこれから行く先々で会う同業者たちを誘うのさ。上手く行けば彼らが行く先々でさらに広めてくれる。集まりやすいのはスペインを中心に活動しているやつらだろうけど、国籍が偏るのもなんだから、フランスやイタリア、それにオーストリアでも集めたいんだよな」

「もっと北の国は?」
「ロンドンやブリュッセルにも足を伸ばしたいとは思っているのよ。時間との戦いみたいになってきたけれど……」

 そういうと蝶子がワイングラスに残念そうな一瞥をして、ドアに向かった。これからマリアンと新しい使用人候補の面接があるのだ。

 稔は予定表を開けた。これから忙しくなる。ヴィルたちの予定と事務局の予定、そして既に決まっている仕事の予定がバッティングしない様に心を配らなくてはならない。ずっとのんびりとやってきたけれど、これからはそうはいかない。その緊張感が心地よかった。

 Artistas callejerosを結成するまでは、ただ生きていくだけで精一杯だった。それから四人で旅をするようになってからは、新しい経験で時はあっという間に過ぎ、時には問題がおこった。しかし、それらは全て解決し、ここのところ稔には少々退屈に思える事もあったのだ。

 フィエスタを組織しようという話が出た時に、誰が総まとめをするかが問題になった。資金を自由に動かせ、館をホームベースとして使えるヴィルを、他の三人はまず黙って見た。

「適役はヤスだろう」
ヴィルはあっさり言った。

 稔は戸惑ったが、蝶子とレネは簡単に納得した。四人での旅でも、対外的な交渉はいつも自然に稔にまわってきた。稔はそういう交渉が得意だった。

「俺はバックアップにまわる。お偉方と話さなくてはいけないことや、男爵の名前がはったりとして必要な時にはいつでも出て行くが、フィエスタそのものを牛耳るには、あんたみたいなリーダーの資質がどうしても必要なんだ」
ヴィルはそう付け加えた。

 稔は自分がリーダーの素質に恵まれていると思った事はなかったが、この四人に限定して考えるなら、確かにリーダー向きだと思えるのは自分だった。それはつまり、他の三人がリーダーにまったく不向きだというだけなのだが。
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Posted by 八少女 夕

片付け中

早いもので、もう七月も終わりに近づいています。母が急逝して50日以上が過ぎました。仏教でいえば四十九日法要を済ませたという時期です。

もちろん最初の数日のようなショックは去り、メソメソすることもほとんどなくなってきていますが、何かの折に「あ、これ次に電話する時に……」などと思ってしまい、もう母がいないことに改めて愕然とすることはあります。二年も三年も逢わずに、週末に電話するだけということが日常になっていたので、普段の生活に母がいないことは慣れていたのですけれど、日本にもどこにもいないという現実を完全に受け入れるのにはまだしばらくかかるのかもしれません。

私は既に父親を亡くしているので、親を亡くすということをわかっていたつもりでしたが、そうでもなかったのですね。

大好きなアーティストStingに「Fragile」という曲があります。人間の存在がいかに儚いものであるかを歌ったものです。普段あまり意識していないのですが、この五十日はこの曲のことをよく考えました。



さて、父も母も突然亡くなったので、私もできればそうであって欲しいなあと願うようになりました。普通に元気に歩き回って、それから苦しまずにあっという間に逝くのって理想的ですよね。

でも、そうなると周りは本当に大変だろうなあと。母は、後期高齢者だったので、それなりに準備をしていたのですけれど、それでもこちらはわからないことだらけで困りました。それに今、日本の姉が猛暑の中やっている片付けの大変さがわかって、人間が一人亡くなると本当に後片付けに手間がかかるものなのですね。

それで、私は自分が亡くなった後のことを考えてぞっとしてしまいました。日本で日本人が一人亡くなるだけでもこれだけ大変なのに、私の場合は外国にいて、しかも周りは日本語がわからない人ばかり。それに、ちょっと不安になって調べてみれば見るほど、手続きもものすごく面倒くさいということがわかってきました。法律が二つ。関係省庁も二倍。今の予定では定年後の年金は二カ所からになりますし、これで住む国が変わって、国籍も変わったりしたらもっと大変なことに。たいした財産もないのですが、残された人たちの大混乱を防ぐためには、公的な遺言書を日本とスイスと両方に用意する方がいいらしいことがわかってきました。

それに、私はネット関係でもいろいろとやっているので、残された誰かが何も痕跡がなくて大迷惑することにも氣がつきました。

というわけで、遺言状の他に二カ国語でエンディングノートを用意しなくてはならない。不要な銀行口座やネットのアカウントはできるだけ今のうちに消しておくべきですし、それに始末に困るような荷物はどんどん処分して身軽にしておくべきだとわかりました。ものすごく面倒くさいです。

こういうのを老い支度っていうんだろうなあ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (7)ミュンヘン、事務局 -1-

先日の記事でアナウンスした通り、本日から「大道芸人たち Artistas callejeros 第2部」のチャプター2を公開します。このままラストまでではなく、チャプター2の終わりで再び止めます。チャプター1を連載していたのって2016年なんですね。そんなに長く「ニューヨークの異邦人たち」シリーズにぱかり関わっていたんでしたっけ? びっくり。

さて、このチャプター2では、これまであまり表立っていなかったメンバーが表舞台に登場するようになります。この話をご存じない方、もしくは間が空いて忘れてしまった方のための情報ですが、アーデルベルト・エッシェンドルフ男爵というのは、このストーリーの主役の一人、通常ヴィルと呼ばれている青年のことです。今回は、故エッシェンドルフ教授の、そして今は、その息子であるヴィルの秘書を勤めているヨーゼフ・マイヤーホフの視点から始まります。

長いので大体2000字になるように切りながら公開していきます。


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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -1-


 ヨーゼフ・マイヤーホフは腹立ちを感じていた。またしても新しい外国人が居候するらしい。そもそも、エッシェンドルフの館は彼のものではないし、彼の雇い主であるアーデルベルト・エッシェンドルフ男爵が招待するのだから腹を立てるのは筋違いなのはよくわかっていた。それでも、今は亡き教授の時代の規律に満ちた館の厳粛な雰囲氣が、毎晩酒を飲んで大騒ぎする居候たちに台無しにされるのはいかにも残念だった。

 今度やってくるのはスペイン人だそうだ。居候コンビの一人、例の得体の知れない日本人の恋人らしい。もう一人の居候のフランス人の恋人は、アウグスブルグ時代のアーデルベルトの友達だとかで、四人がこの館にいる時は当然入り浸っているが、少なくともこの女はドイツ人なのでいろいろと勝手がわかっている。自立したはきはきした娘で、マイヤーホフはヤスミンのことはかなり好意的に見ていた。

 居候コンビのことだって、別に嫌っているという訳ではない。フランス人、レネはどちらかといえば愛すべきタイプで、論理的でなく時計に合わせた生活が出来ないという欠点はあるものの、いくら居候していても邪魔にならなかった。稔も、特筆すべき欠点がある訳ではなかった。

 正直言って、マイヤーホフは稔に対する反感が自分でもよく理解できなかった。安田稔は朗らかで礼儀正しい立派な日本人で、運転手のトーマスとは歳が親子ほど離れているにもかかわらず友情で結ばれていた。アーデルベルトや妻の蝶子も稔のことを厚く信頼しており、一目置いているのがはっきりとわかった。

 それが氣に入らないのかもしれない。

 アーデルベルトの心はArtistas callejerosに向いている。エッシェンドルフのことよりも、四人での大道芸の生活を優先している。

 彼は毎月一週間ほどこの館に戻ってきては、領地の管理や館の維持のための事務、使用人への心遣いなどをこなした。冷静で判断力があり、口数は少ないが目下のものに対する暖かさがあるアーデルベルトは上司としては理想的だった。上流階級のものにありがちな傲慢さがほとんどないのは、もともと彼がこうした贅沢な特権階級の暮らしをほとんどした事がないからだったが、子供の頃からの教授の教育のおかげで下層階級のみっともない振る舞いは一切しなかった。

 彼の妻もそうだった。けれど、マイヤーホフには蝶子に関して、稔と異なりはっきりと嫌う理由があった。親子二代を色仕掛けで落とすとは! 先生が亡くなったのは、この日本の魔女のせいだ。それなのに、今、いけしゃあしゃあと女主人としてこの館に戻って来た。そして、また、アーデルベルト様を大道芸の旅に連れ回して。アーデルベルトが自分の意思で旅に出ている事は百も承知していながらマイヤーホフは、蝶子と、さらに国籍が同じというだけで稔をも逆恨みしていた。

 ベルが鳴り、マリアンが玄関に出た。英語で応対している所をみると、例のスペイン女が来たのだろう。ちょうど書類を市役所に提出するために出る所だったので、マイヤーホフは階段を下りてゆき、マリアンが案内する女性とすれ違った。

 金髪だった。スペイン女というので、カルメンといった風情のきつい感じの黒髪の女と想像していただけに、その若い娘の柔らかで優しい様子に意外さを持った。

 マリアンが紹介をした。
「こちらはアーデルベルト様の秘書のマイヤーホフさんです。ヨーゼフ、こちらはマリサ・リモンテさん」

「はじめまして」
鈴のような声に、思わず微笑んでマイヤーホフは手を差し伸べた。

「はじめまして、お会いできて光栄です」
マリアンは、これまでマイヤーホフがアーデルベルトの仲間に対してちっとも親しみを持った初対面の挨拶をしてこなかった事を知っているので、片眉を上げて、何かを言いたそうにした。が、とりあえず沈黙を守る事にした。

 階上の廊下で扉が開く音がした。四人が居間として使っているサロンだ。
「マリサ! 早かったな」
稔の声を聞いて、マリサの顔はぱっと明るくなった。

 マリアンとマイヤーホフを残して、彼女は階段を駆け上がり稔のもとに行った。稔はマリサを抱きしめることもなく、キスもしなかった。久しぶりに会った恋人同士だというのに。マイヤーホフは少し驚いた。だが、マリサは満足だった。稔のこれ以上ない笑顔は多くを語っていた。義務の冷たいキスよりも、この笑顔の方がよほど多くの愛を語っている、日本人のやり方に慣れてきたマリサは既にそれを理解していたのだ。

「迷わなかった?」
蝶子が訊くとマリサは静かに首を振った。
「遠くからでもすぐにわかりました。こんなに大きなお屋敷ですもの」

 蝶子は自分がはじめてこの屋敷を訪れた日の驚きを思い出して微笑んだ。マリサは鞄を探って封筒を取り出して蝶子に渡した。
「ドン・カルロスから預かってきました」
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

パンのお供(7)トマト

今回の記事、新カテゴリーにしようか迷いましたが、キリがないので「パンのお供」シリーズの続き、カテゴリーは「美味しい話」のままにしました。その代わり、新しいユーザータグ「キャラたちの食卓」を増やしてみました。

トマト

パン食がメインなのでほぼ日常食ばかり、「インスタ映え」するような小洒落たものは、正直言ってあまり食べていません。パン切って、冷蔵庫から出してきたバターとチーズやハムを載せて、もしくはジャム塗って、というようなことが多いです。

トマトを食べる時も、本当はダイスに切って、オリーブオイルと塩こしょうで和え、ニンニクをこすりつけたトーストバゲットに載せるブルスケッタを作った方が素敵なのはわかっていますが、え〜、お客様が来ない限りやらないな。

こうして、切って、バター塗ったトーストバゲットに載せておしまいです。美味しいんだこれが。日本の超美味しいマトでなくても、トーストと有塩バターのマジックでとても美味しいトマト載せパンになります。あ、有塩バターの代わりに、オリーブオイルでも美味しいですが、その時は塩をお忘れなく。

トマトのせパン

ちょっと小洒落た感を出したいなら、こうしてハーブでも載せればOK。これはいつかご紹介したポルトガル・バジル。普通のスイート・バジルよりも葉が小さくて苦みがなく優しい味ですが、香りはしっかりバジルです。

我が家には、窓辺にハーブのプランターがあって、今年はこんなラインナップです。外にあるのがルッコラとサラダ野菜、そしてポルトガル・バジル。窓の内側には、オレガノ、ミント、ポルトガル・バジルが一つずつ鉢植えになって置いてあります。ローズマリー、ローレルは、連れ合いのところにデカい鉢で植えてあるので、一定量採ってきて冷凍してあります。パセリはどうしてもうまく育たないので、これだけは買ってきて、冷凍で常備です。あ、あと、フェンネルも野菜として買ってきた時に葉をとって冷凍しておきますね。

さて、私が書く小説は、やはり私が普段食べて「美味しいな」と思ったモノが反映されることが多いです。時々「食事の描写が美味しそう」というありがたい感想をいただくことがあるのですが、美味しさが伝わったら食いしん坊の作者としては嬉しいです。

今回のトマト載せパンに関しては、同じではないですが「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部でも登場させています。かなり緊迫した状況の直後に使ったので、このメニューについてツッコまれた方は一人もいらっしゃいませんでしたが。

「おはよう」
「おはよう」

 代わり映えのしないいつもの朝だった。稔はパンを割ると、軽くトーストをして、オリーブオイルと塩と完熟生トマトをつぶしたものを載せた。ヴィルの方に、つぶしトマトの入ったポットを差し出すと黙って受け取り、同じようにトーストパンに載せて食べた。

「美味いな」
「ああ、美味い」


「大道芸人たち Artistas callejeros (27)バレンシア、 太陽熱」より



スペインでは、こうした「パン・コン・トマテ」を朝食に食べる人が結構いるらしく、カルモナで休暇を過ごした時はバルでほぼ毎朝食べていました。よく考えると、同じイベリア半島でも、ポルトガルのバルでは見たことありませんね。あちらは黄色いお菓子ばかり見たな……。
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Tag : パンのお供 キャラたちの食卓

Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -13- ミモザ

今日は「十二ヶ月の情景」七月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、limeさんのリクエストにお応えして書きました。

舞台は、バッカス。あの面々が出演。
そして、話のどこかに「水色ネコ」を混ぜてください^^
私のあのキャラじゃなくても構いません。単に、毛色が水色の猫だったらOK。
絵だったりアニメだったり、夢だったり幻だったりw


というご要望だったのですが、水色ネコと言ったら、私の中ではあのlimeさんの「水色ネコ」なんですよ。やはりコラボしたいじゃないですか。とはいえ、お酒飲んじゃだめな年齢! っていうか、それ以前の問題もあって、コラボは超難しい!

というわけで、実際にコラボしていただいたのは、その水色ネコくんと同居しているあのお方にしました。それでも、「耳」の問題があったんですけれど、それはなんとか無理矢理ごまかさせていただきました。大手町に、猫耳の男性来たら、ちょっと騒ぎになると思ったので(笑)

limeさんの「水色ネコ」は、あちらの常連の皆様はすぐにわかると思いますが、初めての方は、待ち受け画面の脳内イメージは、これですよー。こちらへ。私が作中で「待ち受け画面」にイメージしていたイラストです。


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バッカスからの招待状 -13- ミモザ

 その客は、少し不思議な雰囲氣を醸し出していた。深緑の麻シャツをすっきりと着こなし、背筋を伸ばし綺麗な歩き方をする。折り目正しい立ち居振る舞いなので、育ちのいい人なのだと思われるが、ワッチキャップを目深に被っていて、それを取ろうとしなかった。柔らかそうな黒い前髪と後ろから見えている髪はサラサラしているし、そもそもこの時季にキャップをつけているのは暑いだろう。ワッチキャップはやはり麻混の涼しそうなものだから、季節を考慮して用意したものだろう。きっと何か理由があるのだ、たとえば手術後の医療用途といった……。

 夏木は、カウンターの奥、彼が一番馴染んだ席で、新しい客を観察していた。店主の田中は、いつものようにごく自然に「いらっしゃいませ」と言った。

 今晩は、カウンターにあまり空きがなく、夏木は言われる前に隣に置いた鞄を除けた。田中は、申し訳なさそうに眼で合図してから、その客に席を勧めた。

「ありがとうございます」
若々しい青年だった。

 その向こう側には、幾人かの常連が座っていて、手元の冊子をみながら俳句の季語について話をしていた。
「ビールや、ラムネってところまでは、言われれば、そりゃ夏の季語だなってわかるよ。でも、ほら、ここにある『ねむの花』なんていわれても、ピンとこなくてさ」
「ねむって植物か?」
「たぶんな。花って言うからには」

 タンブラーを磨いて棚に戻しながら田中は微笑んだ。
「ピンクのインクを含ませた白い刷毛のような花を咲かせるんですよ」

「へえ。田中さん、物知りだね」
「じゃあさ、この、芭蕉布ってのはなんだい?」

「さあ、それは……」
田中が首を傾げるとワッチキャップを被った青年が穏やかに答えた。
「バナナの仲間である芭蕉の繊維で作る布で、沖縄や奄美大島の名産品です」

 一同が青年に尊敬の眼差しを向けた。彼は少しはにかんで付け加えた。
「僕は、時々、和装をするので知っていただけです。涼しくて夏向けの生地なんです」

「へえ。和装ですか。風流ですね」
夏木が言うと、彼は黙って肩をすくめた。

「どうぞ」
田中が、おしぼりとメニューを手渡し、フランスパンを軽くトーストしてトマトやバジルを載せたブルスケッタを置いた。

 青年は、メニューを開けてしばらく眺めたが、困ったように夏木の方を見て訊いた。
「僕は、あまりこういうお店に来たことがなくて。どんなカクテルが美味しいんでしょうか」

 夏木は苦笑いして、『ノン・アルコール』と書かれたページを示して答えた。
「僕は、ここ専門なんで、普通のカクテルに関してはそちらの田中さんに相談した方がいいかもしれません」

 彼は、頷いた。
「僕も、飲める方とは言えませんね。あまり強くなくてバーの初心者でもある客へのおすすめはありますか」

 田中は、にっこりと笑った。
「そうですね。苦手な味、例えば甘いものは好まないとか、苦みが強いのは嫌いだとか、おっしゃっていただけますか」

「そうですね。甘いものは嫌いではないのですが、ベタベタするほど甘いものよりは、爽やかな方がいいかな。何か、先ほど話に出ていた夏の季語にちなんだドリンクはありますか?」
緑のシャツを着た青年はいたずらっ子のように微笑んだ。

 田中は頷いた。
「ミモザというカクテルがあります。そういえばミモザも七月の季語ですね。カクテルとしてはオレンジジュースとシャンパンを半々で割った飲み物です。正式には『シャンパーニュ・ア・ロランジュ』というのですが、ミモザの花に色合いが似ているので、こちらの名前の方が有名です」

「おお、それは美味しそうですね。お願いします」

 ポンっという音をさせて開けた緑色の瓶から、黄金のシャンパンがフルート型のグラスに注がれる。幾千もの小さな泡が忙しく駆け回り、カウンターの光を反射して輝いた。田中は、絞りたてのカリフォルニア・オレンジのジュースをゆっくりと注ぎ、優しくステアしてオレンジスライスを飾って差し出した。

「へえ、綺麗なカクテルがあるんだねぇ」
俳句について話していた常連の一人が首を伸ばしてのぞき込んだ。

「面白いことに、本来ミモザというのはさきほど話題に出たねむの木のようなオジギソウ科の花を指す言葉だったのが、いつの間にか全く違う黄色い花を指すようになったようなんですよ。その話を聞くと、このカクテル自体もいつの間にか名前が変わったことを想起してしまいます」

「へえ、面白いね。俺も次はそれをもらおうかな」
もう一人も言った。田中は、彼にもミモザを作り、それから羨ましそうにしていた夏木にも、ノン・アルコールのスパークリングワインを使って作った。

 待っている間に、緑のシャツの青年が「失礼」と言って腰からスマートフォンを取り出した。どうやら誰かからメッセージが入ったようだ。礼儀正しく画面から眼をそらそうとした時に、待ち受け画面が眼に入ってしまった。

 水色のつなぎを着た、とても可愛い少年が身丈の半分ほどある雄鶏を抱えていた。瞳がくりくりとしていて、とても嬉しそうにこちらをのぞき込んでいる。つなぎは頭までフードですっぽりと覆うタイプなのだが、ぴょこんと耳の部分が立っていてまるで子猫のようだ。夏木は思わず微笑んだ。

 青年と目が合ってしまい、夏木は素直に謝った。
「すみません。見まいとしたんですけれど、あまりに可愛かったので、つい」

 そういうと青年はとても嬉しそうに笑った。
「いや、構いませんよ。可愛いでしょう。いたずらっ子なんですけれど、つい何でも許してしまうんです。最近メッセージを送る方法を覚えまして、時々こうして出先に連絡してくるんです」

 そういうと、また「失礼」といってから、メッセージに急いで返信した。
「一人で留守番させているんですけれど、寂しいのかな。急いで帰らないと、またいたずらするかな」

「オジギソウとミモザみたいに、混同されている植物って、まだありそうだよな」
青年の向こう側で俳句の話をしていた二人は、田中とその話題を続けていた。

「この本には月見草と待宵草も、同じマツヨイグサ属だけど、似ているので混同されるって書いてあるぞ。どちらも七月の季語だ」

「どんな花だっけ」
「ほら、ここに写真がある。なんでもない草だなあ」
「一重の花なんだな。まさに野の花だ。白いのが月見草で、待宵草は黄色いんだな。そういえば、昔そういう歌がなかったっけ」

「待~てど、暮らせ~ど、来~ぬ人を……」
「ああ、それそれ。あれ? 宵待草じゃないか」

 田中が、笑って続けた。
「竹久夢二の詩ですね。語感がいいので、あえて宵待草にしたそうですが、植物の名前としては待宵草が正しいのだそうですよ」

 その歌は、夏木も知っていた。
「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」

 日暮れを待ちかねたように咲き始め、一晩ではかなく散る待宵草を、ひと夏のはかない恋をした自分に重ね合わせて作った詩だとか。

 夏木は、隣の青年がそわそわしだしたのを感じた。彼は、スマートフォンの待ち受け画面の少年を見ていた。にっこりと笑っているのに、瞳が悲しげにきらめいているように感じた。

 青年は、残りのミモザ、待宵草の色をしたカクテルを一氣に煽った。それから、田中に会計を頼むと、急いで荷物をまとめて出て行った。帰ってきた青年を、あの少年は大喜びで迎えるに違いない。

 待っている人が家にいるのっていいなあと、夏木は思いながら、もう一杯ノン・アルコールのミモザを注文した。

ミモザ(Mimosa)
標準的なレシピ
シャンパン : 1
オレンジジュース:1

作成方法: フルート型のシャンパン・グラスにシャンパンを注ぎ、オレンジ・ジュースで満たして、軽くステアする。



(初出:2018年7月 書き下ろし)
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イクメン・エンテ

大体日本より一ヶ月くらい遅れて、通勤路の「カモのお池」では毎年雛が孵ります。今年も孵りました。

育児中

以前は、この池では雄の顔が緑で「デコイ」っぽい外見のマガモしかいなかったのですが、いつの頃からか白いアヒルがかったカモが住むようになりました。

野生のカモのように見えますが、どうやら近くの農家が飼育している状態で、毎年夏に増えてはクリスマスの時季になるとパタッと数が減る、おそらく一定数お皿にのってしまっているのではないかと思われます。

そして、白いカモは少し体が大きく、今では交雑の結果、純粋なマガモっぽい個体と、アヒルっぽい個体、その間のあらゆるバリエーション、おそらく合鴨なんだろうなという個体が同居しています。どっちにしてもドイツ語では「エンテ」です。

さて、アヒルっぽい白い個体の血が濃く出た雛は黄色になります。マガモっぽい個体は茶色です。明らかに黄色い方が目立つので猫などに襲われやすくなるようです。それとも、自然の摂理がそうなのか全体的に黄色い雛の数は茶色い雛より少ないのです。

今年見かけたのは、白い雄と体の小さいマガモっぽい雌のカップルです。このカップル、前からそうだったんですが、妙に雄が雌を追い回していました。もともとカモはカップルで行動することが多いのですけれど、あんなに雌の後を追い続けている雄も珍しいと思って見ていたんですよ。

そして、二匹の雛が孵ったのですけれど、それから驚きました。ずっと家族で育児しているんです。

育児中

普通、雛が孵った後は、雄は離れていることが多いんです。この写真のように、雌だけが雛にぴったり寄り添って育児をしている姿を見慣れていました。ところが、雌を追い回していた白い雄は、ずーっとそのまま育児でも雌と雛たちに寄り添っています。雛たちは二匹しかいないのですがどちらも父親の色を受け継いだ黄色い子たち。

日本人みたいに「育児をするのなんて父親として当然でしょう。イクメンとかいって威張らないで!」という話でもないんでしょうが、変わったエンテ家族の姿に、通りかかるたびに癒やされている私です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】リゼロッテと村の四季(4)嵐の翌日

20世紀初頭のスイスの田舎カンポ・ルドゥンツ村を舞台にした不定期連載「リゼロッテと村の四季」を久しぶりに更新します。え、前回の更新って、二年以上前? まずい。

今回で、主要キャラクターは全部揃ったかな。今回はジオンやドーラが出ていません。その代わりに前回初登場したハンス=ユルクが再登場しています。



「リゼロッテと村の四季」「リゼロッテと村の四季」をはじめから読む
あらすじと登場人物




リゼロッテと村の四季
(4)嵐の翌日


 目が醒めて最初にすることは、窓辺に行き外を見ることだ。カンポ・ルドゥンツ村は、驚くほど晴天が多い。たとえ夜中に激しい雨が降っていても、目が醒めるとたいてい晴れ渡っているのだ。

 リゼロッテは、この村の激しい雷雨に慣れてしまった。もちろんデュッセルドルフでも雷雨は経験した。今よりも小さい子供だった彼女は、びっくりして母親に抱きついて助けを求めた。

「リゼロッテ。何も怖いことはないのよ。あれはただの電氣なの。もし雷が直撃してもこの家には避雷針があるから、それを通って地面に電流は逃げていくのよ。それに光った時と音がした時が一緒ではないでしょう。それは雷が落ちた所が遠い証明なのよ。光の方が音より早く進むから」
医者であった母親は、とても論理的な話し方をした。

「どのくらい遠いの?」
「音がしてから何秒かかったによるのよ。10秒かかったなら3.5キロ以上離れていることになるわ」

 この村に来てから、雷雨に怯えても飛び込んでいくことのできる母親も父親もリゼロッテの側にはいなかった。夜に同じ館で眠っていたのは、ずっとヘーファーマイアー嬢と番犬のディーノだけだった。ヘーファーマイアー嬢のベッドに駆け込むくらいなら、布団をかぶって耳を塞いでいる方がずっといい。三週間前に彼女が急遽デュッセルドルフに帰ってからは、家政を手伝っているエグリ夫妻が泊まり込んでいたが、彼らの部屋に飛んでいくこともなかった。

 本当はもっと怖がってもおかしくなかった。雷はずっと近くに落ちるから。母親との記憶に従って計算すれば、この村で経験した一番近い雷は700メートルくらいの所に落ちたことになる。それになんてすごい雨なんだろう。屋根を激しく打つ大粒の雨。窓の外を滝のように流れていく。青白く光る稲妻と、すぐに聞こえてくる「バリバリッ」というものすごい音。リゼロッテは、山の天候が変わりやすいということを、身を以て体験した。

 それなのに、泣いても怖がっても、お母さんはもういないんだと、冷静に思っている自分に驚いた。

「あいつは、お前を捨てて、男とともにアメリカに行ってしまったのだ。もうお母さんのことは忘れなさい」

 父親に言われた言葉は、彼女の心にまだ突き刺さっている。そして、父親も一緒にここには住んでくれず、デュッセルドルフにいる。仕事があるから。

「嬢ちゃま」
ドアの外でノックに続いて、カロリーネ・エグリの声が聞こえた。

「なあに?」
「いや、雷が怖くありませんかね」
「大丈夫よ。あれはただの電氣なんでしょう」

 カロリーネは、十一歳にしてはませた返事をする少女に驚いたらしいが、ドイツ人というのはこういうものなのだろうとひとり言を呟いてから、ホッとしたように言った。
「そうですか。安心しました。お休みなさいまし」

 リゼロッテは、村の子供たちは泣いているのかもしれないと思った。ジオンは「雷なんてへっちゃらさ」と言いそう。でも、教会学校でめそめそしていたルカ・ムッティあたりは、お母さんのベッドへ駆け込んでいるのかもしれない。そんなことを考えているうちにうとうとして、目が醒めたらもう朝だった。

 リゼロッテは、窓の外を眺めた。周りの樹々が雨の雫でキラキラと輝いている。そっと窓を開けると、風とともに湿った樹々の香りが室内に入り込んできた。世界がとりわけ美しく感じられる瞬間、彼女は昨夜ひとりでいることが寂しかったことも忘れて、この村で過ごす幸せを感じた。

 部屋に用意された陶器製の大きい洗面器は、黒い金属製のどっしりとした枠におさまっている。大人ならば屈む必要のある高さだが、小柄なリゼロッテにはちょうど胸の位置に洗面器が来た。下の枠に入っている陶器の水差しから自分で水を注ぐのは重くて難しいので、前夜にカロリーネが入れておいてくれる。

 リゼロッテは、顔を洗い、リネンのタオルできちんと拭うと鏡の前で髪を梳いて後にまとめた。リボンを綺麗に結ぶのは出来ないので、それだけはカロリーネにしてもらうのだ。用意されていたさっぱりとした普段着を身につけると、朝食をとるために階下へと降りて行った。

「おはようございます、嬢ちゃま。よく眠れましたか」
「お早う、カロリーネ。ぐっすり眠れたわ。外、とても綺麗ね」
「そうですね。後で一緒に散歩に行きましょうね」

 リゼロッテは、嬉しそうに頷いた。ヘーファーマイアー嬢のいた時には、外が綺麗だろうと関係なく、いつも午前中は書斎で課題を解かなくてはならなかった。今は、代わりに週に3回ほど牧師夫人であるアナリース・チャルナーが通ってきてくれるのだが、その分リゼロッテはカロリーネとおしゃべりをしたり今まで行ったことのない村のあちこちに行くことが出来ているのだ。

 はじめは2週間だけと言って帰っていったヘーファーマイアー嬢はもう3週間も戻ってきていなかった。リゼロッテは、そのことを全く残念に思っていなかった。

「嬢ちゃま。綺麗に召し上がりましたね。ミューズリーをもう少しいかがですか」
カロリーネは訊いた。この家にきたはじめの頃、リゼロッテは朝食を全て食べ終えることが出来なかった。デュッセルドルフにいた時には、ライ麦などの色の濃いパンと白い丸パン、ソーセージにハムとチーズがあり、さらにマーマレード、そして、卵料理が用意された。女中のウーテが温めた皿の上に載せた目玉焼きやオムレツを運んでくると、リゼロッテはそれが冷めないように他の何を置いても卵料理に取りかからなくてはならなかった。あまりお腹の空かないリゼロッテは、いつもそれでお腹いっぱいになってしまって好きなマーマレードを食べる余裕がなかった。

 スイスでは、朝温かい料理を出す習慣がないのだそうだ。だから、リゼロッテの父親が滞在してわざわざ注文しない限り卵料理が出ない。その代わりにジャムのたっぷり入ったヨーグルト、何種類かのジャムや蜂蜜、それに薄く切ったチーズがテーブルに載っていた。どれも冷たい料理なので、リゼロッテは今日はこのジャム、明日は蜂蜜と食べたい味を試せるようになって嬉しかった。

 ヘーファーマイアー嬢がドイツに帰ってからは、カロリーネがリゼロッテの食事について責任を持つことになった。彼女はヘーファーマイアー嬢がドイツらしさにこだわりすぎて、リゼロッテの嗜好や健康状態を無視していることを快く思っていなかったので、任されてからは自分の三人の子供たちを育てた経験と勘に従って彼女にスイス式の食事を用意してやった。そして、リゼロッテはついに自分の前に用意された朝食を全て平らげたのだ。

「ありがとう、カロリーネ。でも、もうお腹いっぱいだわ。この後、本当にお散歩に行けるの?」
リゼロッテは期待に満ちて訊いた。カロリーネは笑った。
「おやまあ。それをお待ちでしたか。じゃあ、ここを片付けたらすぐに参りましょうね」

 ディーノは散歩に連れて行ってもらえるのが嬉しいようだった。短い尻尾をしきりに振りながら門の前をぐるぐる回った。この犬は、ベルン産牧羊犬ベルナー・センネンフンド で、もともとはエグリ夫妻の兄の家にいたらしい。動物の好きなリゼロッテはかなり早くからこの老犬と仲良くなったが、ヘーファーマイアー嬢はリゼロッテが犬と近づくことを好まなかった。

 ヘーファーマイアー嬢と違い、カロリーネもロルフも、犬と触れ合うことが教育によくない、もしくは不潔で危険だという発想を持たなかったので、リゼロッテは心ゆくまでディーノをなでたり、散歩で一緒に駈けたりできるようになった。ジォンが茶色い小さな犬と楽しく触れ合っているのを見て心から羨ましく思っていた彼女は、ようやく夢の一つが叶ったと感じていた。

 ディーノの首紐を握ってもいいと初めての許可をもらったリゼロッテは有頂天だった。ディーノも仲良くなったリゼロッテと遊べることが嬉しいらしく、大きく尻尾を振りながら張り切って道に躍り出た。

 真っ青な空が眩しい素敵な朝だった。濃い緑の木々が穏やかに葉を鳴らす。昨夜の嵐の名残である水分をたっぷりと含んだ風を送り出す。リゼロッテは、小高い丘の上にある屋敷から転がるように走り下るディーノを追うような形で、森の合間を流れるライン河沿いの道へと向かった。

 カロリーネは、いつものようにのんびりと後から歩いてくる。途中で出会った近所の夫人たちと挨拶を始めるのだが、そこからがいつも長くなってしまうのだ。リゼロッテは、待つよりもディーノと少し先まで進み、また時々戻ってくることを好んだ。

 ライン河といっても、この辺りはまだ上流に近くたいした川幅ではない。嵐の翌日は水量が多く轟々と音を立てている。水もいつもの青灰色ではなくてヘーゼルナッツペーストのような茶色だ。時おり魚がぴしゃんと音を立てて跳ね上がる。なんて楽しいんだろう。こんな素敵な朝、書斎に籠もって勉強ばかりしているなんてつまらない。

「あ!」
道を横切ったのはふわふわの尻尾を持った茶色いリスだった。ディーノは大喜びでリスを追いだした。

「だめよ、ディーノ!」
あまりの急突進で、思わず革紐から手を離してしまった。リスを追って犬は森の中に入っていく。カロリーネがまだ近くにいないことを見て取ったリゼロッテは、ディーノを追わないと見失うと思い、いつもは行かない森の中に足を踏み入れた。

 下草は濡れていた。絹の靴下を通してひやりとする感触が広がる。
「ディーノ! 待って!」

 リスはあっという間に木に登って逃げてしまったので、犬はその木の下で吠えていた。リゼロッテは革紐をしっかりとつかむと、ほっとして大きく息をした。
「ディーノ。もう。こんなに濡れちゃったわ。早く戻りましょう」

 そう言った途端、ディーノの先、もう少し先を歩けば、いつも通る橋があることに氣がついた。
「まあ。ここは近道だったのね。じゃあ、そっちに行きましょう」

 彼女は、橋の前にやってきた。端を渡ろうとすると、向こうにいた何人かの少年たちが「おい!」と叫んできた。

 河はとても大きな音を立てて流れていたので、リゼロッテは渡ってはいけないのかと思い、ディーノを引っ張って止めた。

 その少年たちは、日曜学校で見かけた少年たちではなくて、一度も見たことがない。見ると、一人の少年が石を拾ってこちらに投げようとしだした。リゼロッテはショックを受けた。まだ何もしていないのに。その時、リゼロッテの後ろから、誰かが走って追い越すと橋を渡りだした。

 それは、やはりリゼロッテの知らない少年だった。その少年も石を持っていて、向こうの少年たちに向かって投げつけていた。ディーノは興奮して争う少年たちに吠えかけている。

 リゼロッテを追い越した少年は、向こう岸の少年たちよりも背が高く力もありそうだった。少年たちは反撃に必死だった。リゼロッテはディーノを止めるのに必死になりながら、どうしようかと途方に暮れた。

「やめたまえ!」
また後ろから声がして、別の少年がやってきた。

「あ」
今度はリゼロッテの知っている少年だった。教会学校で紹介された時、チャルナー牧師夫人が「わからないことがあったら訊いてね」と言ったあの背の高いハンス=ユルク・スピーザーだ。

 彼は落ち着いて橋を渡り、乱闘中の少年たちに近づいた。
「ち。スピーザーだ」
少年たちは喧嘩をやめた。

「何をしている」
ハンス=ユルクが背の高い少年と、向こう側の少年たちの間に立つと冷静に質問した。小さい少年たちは、口々に訴えだした。

「僕たちが始めたんじゃないぞ。こいつが先に石を握って襲ってきたんだ」
「それに、そもそもそいつが、俺たちの村の秘密基地に入り込んで荒らしたんだ。だから文句を言いに来ただけなのに」

 背の高い少年は何も言わずに立っていた。ハンス=ユルクは、背の高い少年を振り向いて訊いた。
「本当なのか、マルク」

「俺は、悪口を言った生意氣なガキどもをちょっと懲らしめただけだ。お前には関係ないだろう。裁判官みたいな顔すんなよ」
マルクと呼ばれた少年は、憎々しげにハンス=ユルクを睨むと、また橋を渡ってこちら側へ走り、リゼロッテの脇を通って森へと入っていってしまった。

「畜生! 逃げられた!」
少年たちが口々に叫ぶと、ハンス=ユルクは「やめなさい」と言った。
「でも……」

「挑発には乗るな。石を投げるような喧嘩はだめだ」
冷静に諭されて、小さい少年たちは少しだけ反省したようだった。

「なんでイェーニッシュの味方をするんだよ。あいつがカンポ・ルドゥンツに住んでいるからか」
一番血氣盛んな少年がハンス=ユルクに食いかかったが、彼は首を振った。

「どこの村に住んでいるかは関係ない。そんな喧嘩の仕方は、時にとんでもない事故に繋がる。見過ごすことはできないよ。基地を荒らされた件は氣の毒だけれど、もし盗難があったなら、ちゃんと親を通して問題をはっきりさせるべきだ。それにこんな河の増水している時に、橋で喧嘩するのもやめた方がいい。三年前に、この橋が流されたのを忘れたのか」

 ハンス=ユルクの意見をもっともだと思ったのか、小さい少年たちはブツブツ言いながらも、向こうへと去って行った。ハンス=ユルクは、橋を渡って戻ってくると、リゼロッテに手を上げて挨拶した。「やあ」

「おはよう。どうなるかと思って心配していたわ。喧嘩の仲裁に来たの?」
リゼロッテは、訊いた。

「いや。僕は、その先でカロリーネに逢ったんだ。君と犬の姿が見えないからって心配していたんで、二手に別れて探しに来たんだよ」

 リゼロッテは驚いて顔を赤らめた。
「まあ。ありがとう。ディーノがリスを追いかけて違う道に来てしまったの。すぐに帰ればよかったわ」
「大丈夫さ。ほら、あちらからカロリーネがやってくる。でも、喧嘩に巻き込まれないでよかったよ」

 リゼロッテはハンス=ユルクに促されて、一緒にカロリーネの方へと歩き出した。
「さっきの人たちは?」
「あの少年たちはサリスブリュッケの子供たちだよ。喧嘩していたのは、カンポ・ルドゥンツに住んでいるマルク・モーザーだ」

「まあ。嬢ちゃま、心配しましたよ。どこにいらしたんですか」
「ごめんなさい。ディーノが、そこの森を突っ切ってしまったの。急いで戻るべきだったのに、喧嘩があって……」

「ああ、すれ違いましたよ。モーザーがまた……。本当に困った子だこと」

 カロリーネは眉をひそめて、マルクが去った方向を眺めた。またってことはしょっちゅうなのかな……。リゼロッテは考えた。カンポ・ルドゥンツ村の子供だというのに、教会学校にも来ていなかったなと思った。

(初出:2018年7月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

パンのお供(6)カレー

パンのお供シリーズの六回目ですね。今回は、べつに特別な料理ではなくて、残り物のカレーの話。

カレー&バタートースト

レトルトパックを開封する時は別として、カレーって大抵お鍋に残りますよね。二日目のカレーは美味しいって言いますけれど、三日目になったりすることも。それも、一食分にもならない変な量が残ることがあります。

そんな時によくやるのが、バターたっぷりのトーストと一緒に食べることなんですけれど、これって皆さんもやるのでしょうかね。ジワッと染みた塩入バターとカレーがとても合うんです。

ちなみに、写真に映っているのは、我が家の普通のカレーです。こちら、いわゆるカレールウというものがないので、カレー粉を炒めるところから全部自分で作るんですけれど、どういうわけか日本のカレーのような濃いめの茶色にはならないんですよね。あれって何の色なんだろう?
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(17)わたしはここに

ついに「郷愁の丘」は最終回を迎えました。前作「ファインダーの向こうに」の小さなスピンオフとして書いた「サバンナの朝」を発表してから二年、正式に連載小説としての連載を開始してからも一年三ヶ月、例によってなかなか進まない主人公たちの姿に読者をやきもきさせつつ、なんとかここまでやってきました。

前回、第三者であるレイチェルに移った視点は、再びジョルジアに戻っています。

追記に恒例の後書きを記載しています。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(17)わたしはここに

 ハンモックに揺られながら、ジョルジアは深く澄んだ青空を眺めた。全ての不安がこの光景のように拭い去られていた。ページをめくる静かな音がした。顔を向ける。ハンモックのすぐ下に座って彼は曾祖父の研究日誌を繰っている。彼女の視線を感じて目を上げた彼は、目を細めて微笑んだ。

 穏やかな優しい微笑みも、朝焼けの中で燃え上がる魂の闕乏も、月の光に照らされた激しい情熱も、全てが紛れもない彼自身であると同時に、そうあるべきひとりの人間の姿だった。そこには何のぎこちなさもなく、わずかな矛盾もなかった。全く同じものが、ジョルジア自身の中にもある。彼女は彼を肌で感じ、魂で受け入れることができた。

 そして、それは一方通行ではなかった。これまで誰一人として出来なかったことを彼は容易くやってのける。醜い肌を見られることを怖れてジョルジアが流した涙は、彼の抱擁の中に溶けて消えていった。何も失われなかったし、どちらの想いにもブレーキはかからなかった。

 そして、グレッグも彼女の弱さと怯えの原因を目にしたことで、ようやく彼女の言葉を心から受け入れることができた。「あなたは私に似ている」

 家族に心から愛され、素晴らしい友人と理解ある同僚に囲まれていてもなお、彼女は彼と同じ煉獄を歩き続けてきた。

 それは同情でも寛容でもなかった。受け入れてもらえなかった苦しみと、そのために傷つき迷い続けてきた同じ感情の共有だった。だからこそ、二人はお互いを求め、受け入れることができ、与えることができた。

 彼は相変わらず礼儀正しく臆病だが、想いを隠そうとはしなくなった。穏やかな、けれども、あの朝焼けと同じように心の隅々までに広がる万感の想い。彼女はそれを感じ、受け止め、自分の中にも認め、境界もなく溶け合っていく歓びを知った。

 自然と環境が引き起こす、すべての強い印象とわき上がる感情も、螺旋を描くようにして彼の中に穏やかに帰着していった。

 ジョルジアはついに、彼女の《郷愁の丘》は場所ではなくこの人なのだと見出した。

 発つ朝に、ジョルジアはようやく納得のいく写真を撮ることに成功した。朝焼けの中に佇む彼と寄添う愛犬ルーシーの影。


愛しいジョルジア。

もう雪が降ったというのは本当かい? 前に雪を見たのはずいぶん昔、オックスフォードでだ。イギリスの冬が苦手で屋内に隠ってばかりいた僕には、あまり楽しい思い出ではないけれど、君のいるニューヨークの雪を想像すると、とてもロマンティックに思えるから不思議だ。

こちらは、少雨期の終わりだ。そろそろバブーンたちが悪さをしに《郷愁の丘》を訪れるようになる。台所にまで入り込むので、より一層、戸締まりをちゃんとしなくてはいけなくなる。

もっとも悪い事ばかりじゃない。道のぬかるみがなくなるので、君が経験したようなひどい運転はしなくて済むようになる。移動にかかる時間もずっと短くなるんだ。今度は、君も乾季のケニアを経験するだろうね。

君と会社の契約の話、もちろん僕には全く異存はないよ。君のキャリアを大切にしてほしい。ニューヨークでの君の味方とのつながりも。僕はむしろ、君と年に五ヶ月も一緒にいられるようになったことを心から喜んでいるんだ。

それに、ダンジェロ氏、君の兄さんにも感謝しなくてはならない。年に一度、報告にニューヨークまで行くという契約、そうでもしないと成果を出そうともせずにのらりくらりとしていると疑われているのかと思っていた。たとえその通りでも、君の居る街への往復航空券をもらえるのは本当にありがたい。もちろん休みを都合して、出来るだけ長く君と過ごす時間を作るつもりだ。もっとも、そうなると今度からはルーシーを連れて行く手だてを考えないといけないな。

論文は、山登りで言うと七合目まで来ている。もっとも新しいアイデアが湧いてきたので、少し別の角度からアプローチすることになるかもしれない。明日、レイチェルの所に行って、方針について相談して来ようと思っている。

レイチェルの所には、ここの所ずっとマディたちがいる。だから最近よく逢うんだけれど、小さなエンリコが、僕に懐きはじめているんだ。メグにひどく嫌われていたから、全く思いもしていなかったんだけれど、彼は僕といるのを好み、自分からやってくる。子どもの扱いは全くわからないけれど、絵を描いてみせると喜んでケラケラ笑うんだ。

マディは、僕が君と出会って変わったからだというけれど、そうなのかな。自分では変われたのか、よくわからない。でも、誰かに好かれていると感じるのは、嬉しいものだね。

そうそう、君に教えてもらったボローニャ風パスタソース、とても簡単そうだったから試してみたんだ。でも、火にかけていた事を忘れてしまって鍋を焦がしてしまった。二回もそれをやったので、アマンダがとても怒ってしまって、二度と焦げた鍋は洗わないって言われてしまったよ。焦げていない上の方は食べたよ。君のほどではなかったけれど、長く煮たおかげで自分で作ったとは思えないくらい美味しかった。焦げた匂いはしたけれどね。そういうわけで、時間のかかる料理は僕にやらせると危険だから、別の簡単な料理を教えてくれないか。

君が来る二月が待ち遠しい。君に見せたいものがたくさんあるんだ。それに、話したい事も山のようにある。手紙やメールには全ては書ききれない。

マディは君がもっと快適に過ごせるように《郷愁の丘》を変えた方がいいっていうんだ。一理あると思う。でも、彼女がなんとかしろと言う家具よりも、一番大切なのは暗室を用意する事だろう? どうしたら氣にいるか、君の意見を聴かせてくれるね。近いうちに、また書くよ。

愛を込めて グレッグ



 ジョルジアは、手紙を折り畳むと、コートのポケットにしまった。一昨日、彼が送って来たメールには、彼の家の近くに出現した小さな川で水を飲むシマウマ親仔の写真が貼付されていた。《郷愁の丘》は、痛みや悲しみを越えて新たな生命を生み出している。はるかに広がるサバンナは生きてさまざまな表情を見せている。

 ジョルジアは今にも雪が降り出しそうな高層ビルの合間の空を見上げた。ニューヨークでは今日も八百万もの人生ドラマが忙しく繰り広げられている。彼女も、その一人として人生の道を歩いていると思った。

 その道は曲がりくねり、見とおしは悪く、とても遠い。けれども、地球の裏側には彼がいる。同じくらい遠く足元の悪い道を、一歩一歩進んでいる。それを知っているのは、何と素晴らしいことか。やがて、その二つの道が一つに重なる事を夢見ながら歩いていくのは、この上なく美しい。

 彼女は今日もまたここで、精一杯の日常を生きようと思った。 

(初出:2018年6月 書き下ろし)

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【後書き】

始まりは、本当の偶然でした。ブログのお友達である夢月亭清修さんの企画に参加するために、鉄道に関する掌編を書くことになったのです。私は鉄道に特別詳しいわけではなかったので、実際に乗って印象深かったナイロビ-モンバサ間の夜行列車で何か書けないかと手持ちの作品を見渡したのです。そうしたらジョルジアがアフリカに行っていたことを思い出しました。

その作品を書くために、いくつかの具体的な記述を書いている内に、どういうわけか新しい物語とキャラクターが生まれてきてしまったのです。

作品を書き出した時に考えていたのは、ジョルジアの物語の続編のような体裁をとりながら、もう一人の人間の物語を書きたいということでした。グレッグです。そして、これまで形にはしていなかった、アフリカでの経験を少し描写してみたいという欲も出てきました。

リチャード・アシュレイが生まれ、レイチェルやマディ、アウレリオとメグが生まれました。ルーシーも早い段階から活躍をはじめ、長老もいつの間にか重要な地位にのし上がってきていました。そして、その間にニューヨークにいるマッテオやキャシーも黙っているはずがなく、一度限りで出したはずのクライヴやクレアもどんどん動いてくれました。

この世界で遊んでいる内に、外伝の世界ではマッテオの秘書のセレスティンや専務のブライアン、ジョルジアの妹アレッサンドラだけでなく前夫のレアンドロとアンジェリカなど、それぞれが好き勝手に動き出して、まるで『大道芸人たち Artistas callejeros』や『森の詩 Cantum Silvae』、それに『黄金の枷』の世界のように、複雑な世界観が完成してしまいました。こうなったら、後はそれぞれの物語を大人しく書き写すのが私の仕事になります。

ヒロインであるジョルジアと主人公グレッグの、いつもの私の物語よりもさらに後ろ向きで「ぐるぐる」と悩んでばかりいる姿に、イライラとなさった読者は多いのではないかと思います。この二人、出会ってからお互いが必要な相手だと確信するまでに四年もかけています。その間に、ジョルジアは一度、別の立派な男性(TOM−Fさん、キャラをお貸しいただきありがとうございました)に想いを寄せて、失恋して、それを乗り越えています。

この小説で私が言いたかったのは、「王子様は、身近なところにいる」ということではありません。「自分と似た相手となら上手くいく」ということでもありません。「運命の相手は必ずどこかにいる」ということでもありません。

あえて言うなら「本当に必要として、それを正しく願えば、それは現実になる」ということ、それに、(マッテオのように必要のない人は別として)「誰か心から理解してくれる人の存在は人生を救う」ということだと思います。

この作品のもう一つの主役は「アフリカ」でした。

1998年末に私は東アフリカのサバンナを訪れました。テレビも、インターネットも、デパートメントストアも、しゃれたカフェも、バーも、コンビニも何もない、生と死が隣り合わせの厳粛な空間に立ち、自らの小ささと世界の雄大さ、自然の暖かさと厳しさ、生命の孤独と生きる強さを痛いほどに感じました。その経験は、それからの私の人生に大きな影響を与え、ターニングポイントとなりました。

あの複雑な想いを、この作品に書き込めたとは思っていません。おそらくそれは、それから書いたすべての作品の中に、そして、これからも書き続ける私の作品の中に少しずつ表れてくるものだと思っています。

とはいえ、この小説が私なりのアフリカ讃歌として読者の心にわずかでも届くことを願っています。

さて、この作品は一応のハッピーエンドで終了しました。不甲斐ない二人を応援してくださった皆様に、心から御礼申し上げます。

長らくのご愛読と執筆への応援、本当にありがとうございました。

特に、この作品が生まれるきっかけをくださった清修さん、いつもながら文句一つ言わずに大切なキャラクターを貸してくださったTOM−Fさん、関連する小説を通してこの作品を有名にしてくださった彩洋さんとけいさん、素敵なイラストを描いてくださったダメ子さん、canariaさんに心からの感謝を捧げます。

本来ならば「ニューヨークの異邦人たち」シリーズは、これをもって一応終了するつもりでいたのですが、例によってまたしても続編が生まれてきてしまい、まだしばらくこの世界から逃げられないようです。

まだ完成はしていないので、いつ公開できるかはっきりしたことは言えないのですが、発表する時には、また読んでいただけると嬉しいです。

最後に、この作品の脳内エンディングテーマを、ご紹介しますね。


Saint-Preux: Le Piano d'Abigail 1ere partie

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Posted by 八少女 夕

今年もサン・ジョアン祭に行けないけれど

さて、6月23日です。せっかく夏至関連の話を書いたばかりですし、サン・ジョアン祭のことを書いておこうと思います。

サン・ジョアン祭の風船

私が大好きで毎年通っているポルトで一番大きな祭りがサン・ジョアン祭です。サン・ジョアンとは日本語でいうと「洗礼者ヨハネ」のこと。キリスト教ではとても大切な聖者ですが、日本だとサロメの逸話が一番知られているかもしれませんね。先日発表した小説でも触れましたが、6月24日の「聖ヨハネの祝日」にヨーロッパ各地で大きな祭りが開催されるのは、洗礼者ヨハネが重要な聖者ということもありますが、やはりキリスト教以前に祝われていた夏至祭の影響が強いのでしょう。

サン・ジョアンの祝日の前夜祭は、私の小説でも何度か書いています。「Infante 323 黄金の枷」本編でも、主人公たちのデートに使いましたし、外伝でも書いています。だから、一度は行きたいなと思っているのですが、まだ実現していません。今年行こうと思っていたのですけれど、実は母が三月にポルトに来るかもという話があって、実際は来られなかったのですが、この祭を訪れるのは別の年にしたのです。結局、母はポルトガルを見ずじまいになってしまいました。残念。

ポルトガルのバジル

サン・ジョアンの前夜祭で大事な役目を果たすのが、バジルとイワシの塩焼き。今年は、そのバジルの種を買ってきて自宅で栽培しました。ほら、こんな風に育ちましたよ。スイスにももちろん普通のバジルはいくらでも売っているのですけれど、このバジルは葉がとても小さくてその分くせが少ないのです。香りはそのままに、苦みが少ないのですね。

サン・ジョアン祭の風船

こちらは、紙風船を飛ばす時の、やり方。昨年の三月に、向こうで友達になって自宅に招いてくれたミゲルが季節外れだけれど飛ばしてみてくれたのでした。やはり一度は本番を見たいですね。

なんとなく、日本の灯籠流しにも近いものがあって、夏の趣があります。実は、これと同じ風船をいただいてきたのですけれど、やはり火事が怖いので私は飛ばせないので、ランプ的に使えないかななんて考えています。


「Infante 323 黄金の枷」「Infante 323 黄金の枷」をはじめから読む
あらすじと登場人物

小説・黄金の枷 外伝
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Posted by 八少女 夕

【小説】夏至の夜

今日は「十二ヶ月の情景」六月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、大海彩洋さんのリクエストにお応えして書きました。いただいたテーマは「夏至」です。(明日が夏至ですから、なんとしてでも今日発表したかったのです)

そして、【奇跡を売る店】シリーズで素敵な短編小説を書いてくださいました。


彩洋さんの書いてくださった 「【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と

コラボは、ここに出てくる登場人物の誰か、でいいでしょうか。このシリーズ、元々がパロディなので、適当にキャラを崩壊させていただいても何の問題もありません。如何様にも料理してくださいませ。
そして、舞台は、私がまだ見ぬ巨石・ストーンヘンジがいいかなぁ。あるいは夜のない北欧の夏至でも。


というご要望だったのですが、この中の誰かって、皆さん日本にいるし、ヨーロッパの夏至にいた方たちのうちお一人は、もうコラボできないし、結構悩みました。

それで、コラボしているような、全くしていないようなそんな話になりました。さらにいうと、ストーンヘンジは絡んでいますがメインではありません。キャラクターも読み切り用でおそらくもう二度と出てこないはず。若干「痛たたたた」といういたたまれない状況に立っています。「そうは問屋が卸さない」って感じでしょうか。

ちなみにリトアニア辺りだと、夏至でもまだ夜はあるようです。私の辺りで日没は21時半ぐらいですが、リガだと22時半ぐらいのよう。その短い夜に一瞬だけ咲くと言われる、生物学的には存在しない花。これが今回の小道具です。


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



夏至の夜

 風が牧場の草をかき分けて遠くへと渡っていった。川から続く広い通りは、聖なるサークルへの最後の導きだ。ここまで来るのに三年の月日が経っていた。これほどかかったのは誤算だったが、なによりも長くつらい旅を乗り越えられたことに感謝しなくてはならないだろう。

 彼は、遠く常に雪に覆われた険しい山脈の麓からやってきた。この地に伝わる「癒やす石」の力を譲り受け、同じ道を帰らねばならない。主は彼の帰りを待ちながら、苦しい日々を過ごしているはずだ。もちろん、まだ彼が生きていれば。それを知る術はない。

 なんと長い一日だ。彼の故郷でもこの時期の日は長い。だが、この北の土地ではゆっくりと眠る暇もないほどに、夜が短くなる。通りを歩く旅人の姿が多い。みなこの日にここへ来ようと、集まってくるのであろう。聖なるサークルへと向かい、夜を徹して祈り、不思議な力を持った朝の光がサークルを通して現れるのを待つのだ。夏至祭りだ。

 彼は、サークルへ向かう巡礼者たちの間に、奇妙な姿を見た。純白の布を被った小柄な女だ。どのような技法であの布をあれほどに白くしたのだろう。布はつややかで柔らかそうだった。風にはためき時折身につけている装身具が現れた。紫水晶のネックレスと黄金の耳飾り。

 視線を感じたのか、女は振り向き彼を見た。浅黒い肌に大きな黒い瞳、謎めいた笑みをこちらに向けた。

* * *


 奈津子は反応に困っていることを顔に出さないようにするのに苦労した。目の前にいるのが中学生だったなら、「これが中二病か」と納得して面白かったかもしれない。また、妙齢の大人だったら、一種の尊敬心すら湧いてきたかもしれない。もし、自分の身内だったら「何言っているの」と一蹴することもできた。

 けれど、目の前で憂鬱そうな様子で先史時代のストーンヘンジの話をしているのは、基本的には自分とは縁もゆかりもない、二十歳も年下の日本人男性だった。そして、非常にまずいことに、妙にいい男だった。

 奈津子がこの青年と二人で旅することになった原因を作ったのは甥だ。それも唯一氣が合い、コンタクトを持ち続けてくれる可愛い身内だ。そもそも奈津子は甥の順と一緒にこの旅行をするつもりで休暇を取った。計画の途中で、「友人を連れて行ってもいいか」と訊かれたので「もちろんいいわよ」と答えた。甥が出発前日に「会社存続を左右する顧客への対応で、どうしても休暇を返上しなくてはならなくなった」とキャンセルしてきたので、初対面の若い青年とこうして旅をしているというわけだ。

 甥がわざわざこの青年を旅に誘った理由は、間もなくわかった。

 スイスに住む奈津子は、宗教行事の影に隠れた民俗信仰を訪ねることをライフワークにしていて、これまでも色々な祭りを見てきた。スペイン・アンダルシアのセマナサンタ、ファリャの火祭り、フランスのサン・マリ・ド・ラ・メールの黒い聖女サラを巡るジプシーの祭り、ヨーロッパ各地の個性豊かなカーニバル、チューリヒのゼックス・ロイテン、エンガディン地方のカランダ・マルツ。

 豊穣の女神マイアの祭りに起源があると言われる五月祭とその前夜のヴァルプルギスの夜や、太陽信仰と深い関係のある夏至や六月二十四日の聖ヨハネの祝日は、ヨーロッパ各地で様々な祭りがあり、奈津子にとって休みを取ることの多い時期だ。有名なイギリスのストーンヘンジの夏至のイベントも若い頃に体験していて、そのことを甥に話したこともある。甥の順とは、去年一緒にノルウェーの夏至祭を回った。

 今年の順との旅では、リトアニアの夏至祭を訪ねることにしていた。

 この時期のリガのホテルはとても高いだけでなく、かなり前からでも予約が取れないため、奈津子は車で五十分ほど郊外にある小さな宿を予約してあった。今日の午後、早く着いた奈津子が既にホテルにチェックインを済ませた。それから空港に一人でやってきた古森達也を迎えに行った。別の部屋とは言え、見知らぬ年上の女と一週間も過ごすことになって、さぞかし逃げ出したい心地になっているだろうと思っていたのだが、達也は礼儀正しい好青年でそんな態度は全く見せなかった。

 レンタカーでホテルに向かい始めてから、助手席に座った達也はどうしてこの旅に同行したいと順に頼んだのかを語り始めた。長年彼を悩ませている夢。夏至を祝うためにストーンヘンジに向かい、謎の女に出会うという一連のストーリーの繰り返し。それも、おそらく先史時代のようだった。

 そんな話を真剣に語られて、奈津子は戸惑った。

 そもそもストーンヘンジには、痛々しい思い出があった。二十年以上前のことだ。まだ、大学を卒業して間もなく、また、自分自身でも何を探していたのかよくわからなかった頃、奈津子も熱に浮かされたようにパワースポットといわれる場所を巡っていた。そして、夏至のストーンヘンジへ行ったのだ。

 太陽と過去の叡智が引き起こす自然現象を待つ巨石遺構は、エンターテーメントを求める人々で興ざめするほどごった返していた。そもそも、こうした祭りには一人で参加するものではない。一人でいると周りの盛り上がりにはついて行けず、楽しみも半減していた。

 当時はまだ今ほど外国語でのコミュニケーションに慣れていなかったので、奈津子は一週間近くまともな会話をしていなかった。そんな時に、明らかに日本人とわかる二人の壮年男性らを見かけて、もしかしたら会話に混ぜてもらえないかと近くまで寄っていったのだ。ヒールストーンの彼方から太陽が昇ったその騒ぎに乗じて、その二人に話しかけるつもりだった。

 だが、それは非常にまずいタイミングだった。奈津子は、一人の男性がもう一人に対して愛の告白をするのを耳にしてしまったのだ。いくら人恋しいからといって、このなんとも氣まずい中を平然と話しかけられるほど奈津子は人生に慣れていなかった。今から思えば、そこでふざけて話しかければあの二人のギクシャクした空氣の流れを変えられたのかもしれないが。

 あの時と違って、奈津子はいい年をしたおばちゃんになった。スイスで十年間以上一人で暮らし、言葉や度胸でも当時とは比べものにならない。そして、可愛い美青年が、妙な告白をしても、なんとか戸惑いは表に出さずに、会話を続けることもできた。

「だとしたら……どうしてストーンヘンジに行かずにここへ来たの?」
奈津子は単刀直入に訊いた。

 達也は頭をかいてつぶやいた。
「いや、あれは、夢の話ですから。変な話をしてしまって、すいません」

「いいえ、してもいいのよ。でも、どう答えたらいいのか、わからないのよ。それはあなたの前世の記憶だって思ってるの?」
「いや、そんなことは……。あれです、どっかのアニメか映画で観たのかもしれないです」

 奈津子は首を傾げた。
「さあ、知らないわ。あったとしても、私は浦島太郎で、日本のアニメや映画などにはずっと触れていないのよ。もっとも私、夏至のストーンヘンジにはいったことがあるのよ」
「知っています。順がそう言っていました。だから奈津子さんに逢ってみろと」

 一度もストーンヘンジに行ったことがないにしては、達也の話すストーンヘンジの様子は妙に具体的だった。誰でも見たことのある二つの石の上に大きな石で蓋がしてあるような形のトリリトンの話なら、行ったことがない人でも記憶に留めているかもしれない。だが、達也はヒールストーンの向こうから昇る朝日のことを口にしていた。

 ヒールストーンは周壁への出入り口のすぐ外側のアヴェニューの内部に立つ形の整えられていない赤い砂岩でできた巨石だ。サークルの中心から見て北東にあり、夏至の日に太陽はヒールストーンのある方向から出て、最初の光線が遺跡の中央に直接当たり、ヒールストーンの影はサークルに至る。

 普段の観光ではあまり話題にならないが、夏至のストーンヘンジでは、主役といってもいい石なのだ。

 それに、最近の学説では、夏至のストーンヘンジの祭りは天文学的な意味合いだけではなく、民俗的な、ヨーロッパの他の夏至祭りとも関連のある意味合いを持つともいわれている。すなわち男女の仲を取り持つ祭りというわけだ。馬蹄形に並べられたトリリトンとその周辺にあるヘンジは女性器を表すと考えられ、もともとは脇に小ぶりな岩が二つ置かれていたと考えられるヒールストーンの影が夏至にその遺跡に届くことが、性的な象徴として祝われていたというものだ。

「ヨーロッパの各地の夏至祭りでは、いわゆるメイポールのような柱を立てて、その周りで踊ったり、たき火を飛び越えたりして祝う習慣があるのね。そして、この日に将来の結婚相手を占う、あまりキリスト教的ではない呪いが、主に北ヨーロッパで行われているの。多くが縁結び的な役割を担っているのよね」

「大昔のストーンヘンジでも、そういう役割を担っていたということなんですか」
達也は真面目に訊いた。奈津子は肩をすくめた。
「なんとも言えないわ。そうかもしれないし、違うかもしれない。ブルーストーンに癒やしの力があった信じられていたというのも、推測に過ぎないし、ヒールストーンの影に性的な意味合いがあるというのも、勘ぐりすぎなのかもしれないし。現在の各地の夏至祭に縁結び的な側面があるというのは事実だけれど」

 薬草を摘み、三つ叉になったポールを囲み祝う。朝露を浴びる。そうした呪いの後、夢の中に未来の夫が現れるといった縁結び的信仰が共通してみられるのだ。

 とはいえ、奈津子には夏至祭りに縁結びの力があるとは思えなかった。なんせ二十年以上、何かとこの祭りに行っているのに、一向に御利益がないからだ。たまにいい男と一緒かと思えば、ここまで年下だと、期待するのも馬鹿みたいだ。

「夢の中に……ですか」
「枕の下にセイヨウオトギリソウを置いて眠ると、未来の夫が夢に現れるというような信仰ね」
「なるほど」
「この辺りでは、シダに夏至の夜にしか咲かない赤い花が咲くので、それを見つけて持ち帰るといいという言い伝えもあるのよ」
生物学的にはナンセンスだと言われている。そもそ胞子で増えるシダに花は咲かないから。

「なんですって?」
達也が大きな声を出した。奈津子はぎょっとした。

「どうしたのよ」
「いや、シダの赤い花っておっしゃったから」
「言ったけれど?」
「さっき、日没の直後くらいに見たように思ったんです」

 奈津子は車を停めた。今夜は、夏至祭りではない。祭りは大抵どこも聖ヨハネ祭である二十四日かその前夜である二十三日に行われるからだ。つまり、二日ほどゆっくりと観光をしてから祭りに行く予定だった。が、よく考えれば今夜こそが本来の夏至だ。そこで赤いシダの花を見たなどと言われては聞き捨てならない。

「どこで?」
「さきほど通った林ですよ。ここは一本道だから。このまま戻ったら見られると思いますけれど」

 馬鹿馬鹿しいと、このまま走り抜けてもよかったのだが、好奇心が勝った。それに、夏至らしい思い出になるではないか。無駄足だとしても、少しくらい戻っても問題はないだろう。ホテルはすぐそこだ。奈津子は素直に車をUターンさせた。

 その林は、さほど時間もかからずに、たどり着くことができた。十一時を過ぎてすでに暮れていて、どこにシダが群生しているのか見つけるのにもう少しかかった。けれど、最終的に車のライトが茂みをはっきりと映し出した。

「ほら、あそこに」
それは、本当に花と言えるのか、それともまだ開いていない葉が赤く見えているのか、奈津子には判断できなかった。けれども、それが花に見えるというのは本当だった。

「本当だわ。まるで花みたいね」

 赤い花を咲かせるシダを見つけたら、深紅の絹でそっと包み、決して立ち止まらずに家まで持ち帰らなくてはならない。そして、道を尋ねる旅人に出会っても、決して答えてはいけない。それはただの旅人ではないのだ……。奈津子は、赤いシダ花の伝説を思い出して身震いした。

 達也は、車から降りると、黙ってシダに手を伸ばした。奈津子は、心臓の鼓動が彼に聞こえるのではないかと怖れた。奇妙な組み合わせとは言え、夏至の夜に未婚の男女が、存在しないはずの伝説の植物を手にしようとしている。それは、常識や社会通念というものを超えて、何かを動かす力を持つのかもしれない。ストーンヘンジで、道ならぬ恋心を打ち明けたあの男が、もしかしたらこのような夏至の魔法に促されたように。

 達也は、シダを手折ると、奈津子には目もくれずに林の奥へと歩き出した。人里離れた林の奥を目指しているようだ。声を出してはならない。そう思う氣持ちとは逆に、どこかで冷静で現実的なもう一人の奈津子が「戻さないとまずい」と訴えていた。

 と、視界の奥に、見るべきでないものが入ってきた。白いマントのようなもので全身を覆った人。小柄だからおそらく女だろう。二十一世紀には全くふさわしくないドルイド僧のようなその姿に、奈津子は焦った。彫りの深い顔立ち、黄金の耳飾りと、紫水晶のネックレス。つい先ほど彼が描写したままの謎の女の姿。

 あれこそ、決して答えてはならない危険な旅人ではないのだろうか。達也は、ずっとその人物と無言で見つめ合っていた。どれほどの時間が経ったのかわからない。しびれを切らした奈津子は禁忌を破り、声をかけた。
「達也君。そっちへ行ってはダメよ。さあ、ここから離れて、ホテルに行きましょう」

 達也は、ビクッとしてこちらを振り向いた。奈津子は、手にしていたシダを全て手放させると、袖を引っ張るようにして、彼を歩かせ車に乗せた。彼は何度か振り向きつつも、やはり理性の命じるままに助手席に乗った。そのままホテルにつくまで、奈津子が何を訊いても全く口をきかず、ずっと考え込んでいた。

 翌朝、約束の朝食の席に降りてきた奈津子は、達也が伝言メモを残して消えてしまったのを知った。

 慌てて日本の順にメールを送ると、彼にもメールが入っていたそうだ。急に予定を変えることになり、一足先に帰国することになった。お詫びを順からも伝えて欲しいと。ホテルのフロント係によると、朝一番でチェックアウトしたらしい。隣には、異国風の女性が一緒にいたということだった。

へい、奈津っち。

ぶったまげたよ。達也がまさかいきなり国際結婚するとか、ありえなくね? つーか、俺が何度訪ねていっても、奈津っち一度だって女の子紹介してくれたことないのに、なんで達也にはそんなサービスするんだよ。てか、人の世話していないで、自分の相手は?

それにしてもすげー美人を連れてきたって、仲間内でも大騒ぎだぜ。この間ダメになった休暇の代わりに改めて休みをもらったので、冬休みには、そっち行くから、その時に話そうな。 順


 別に私がくっつけたわけじゃないわよ。甥からのメールを見ながら、奈津子はひどい疲れを感じた。あちこちを蹴飛ばしたい氣分だった。心配して損した。前世がどうのこうの、ストーンヘンジがなんとかかんとかいうから、夏至の揺らぎが見せる魔界に取り込まれたんじゃないかって、どっちが中二病かわからない不安を持っちゃったじゃない。

 彼はきっと、あの女性がどうしているのか氣になって、またあの林に行ったのだろう。そして、そのまま意氣投合して二人で旅することにしたのだろう。

 男女の仲を取り持つと言われる不思議な夜。確かに、ある種の人々には効果絶大らしい。たまたま自分だけそうでないからと言って、迷信扱いするのは間違っているのかもしれない。いや、語り部というのは、その手の恩恵は手にすることができないということなのか。

 奈津子は大きなため息を一つつくと、この件はもう忘れようと思った。そして、「冬に来るならクリスマスマーケットに付き合え」という趣旨のメールを、唯一なついてくれる甥っ子に書いた。


(初出:2018年6月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

どれを完成させるべき?

本来は水曜日は小説公開の日でしたが、今週はお休みしてみました。「そんなつもりになれない」というような理由ではなくて、ちょっと準備不足でした。「郷愁の丘」の最終回、本文はもちろんとっくに書き終わっているんですが、後書きを書く時間がなかったんです。

で、代わりと言ってはなんですけれど、今日は「coming soon……詐欺」を少し進めてみました。(この記事も少し前にほとんど用意が終わっていたものです)


実はですね。現在、本来ならば完結させるべき「続編あれこれ」、どれも書き終わっていないんですよ。個人的には書き終えてから連載を開始したい性格なんですけれど、今から終わっている関係ない作品でお茶を濁すのもなんなので、この後は、「リゼロッテと村の四季」を一つと、「大道芸人たち Artistas callejeros」の次の章を公開しようかなと思っています。

で、その次に来るのは、ちゃんと完成してからにしたいんですけれど、次の三つの内のどれかにしたいと思っています。

そして、可能ならば、すでに既読の方からご意見を頂戴して、一番要望の多かったのから書こうかなと思っているんですけれど、そういうのはダメでしょうか……。この記事に全くコメがなければ、まあ、自分で決めますけれど。

(動画ですけれど、何度かスタートを押さないと動かないみたいです)

【候補その1】『霧の彼方から』
『ニューヨークの異邦人たち』シリーズですけれど、とどのつまり『郷愁の丘』の続編です。今回の作品でさらっと逃げたところを、掘り下げてあります。R18シーンがあるから逃げたんですけれど、実際に書いてみたら全然たいしたことのないシーンだったので、これなら公開してもいいかなと思っています。今のところ七割くらい書き終わっています。そんなに長くないので。



【候補その2】『Filigrana 金細工の心』
「黄金の枷」シリーズの三作目です。二作目の『Usurpador 簒奪者』がうまくまとまらないために、いつまでも公開できないんですけれど、はっきり言って『Usurpador 簒奪者』はなくても話は通じるので、外伝的に細切れに出して、ちゃんと連載するのは『Filigrana 金細工の心』にしようかと思っているんです。時系列で言うと、『Infante 323 黄金の枷』の直接の続編になります。これも七割くらいかなあ。



【候補その3】『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』
『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』の続編です。構想だけは、一番ちゃんと進んでいるのですけれど、やはり執筆に時間がかかるのが、このシリーズ。問題は記述の裏取りです。まあ、架空の国なんだからそこまでこだわらなくてもいいんですけれど。
そして、以前の動画でお知らせしたところは、どう考えても一つのストーリーで入りきらないことがわかったので、『トリネアの真珠』と『柘榴の影(仮題)』に分けて、『トリネアの真珠』だけに集中して完成させる予定です。これはまだ四割行っていないかな。かなり頑張らないと難しいかも。



自分でツッコみますが、「こんな動画作っている暇があったら、書けよ」……ですよね。
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Tag : 動画

Posted by 八少女 夕

ホルンデルシロップを作りました

今日の記事は、ずいぶん前に書いてアップし損ねたものです。五月の二十日くらいのものかな。復帰第一弾として、こんな感じから始めようと思います。

ふと思ったんですけれど、いわゆる海外ブロガーさんとあまり交流ないなと。(あ、創作仲間のけいさんをのぞく)

海外在住とプロフィールに書いているから、たまーに海外ブロガーさんがいらっしゃるんですけれど、たいていもう二度といらっしゃらない。何でだろうなと思って、訪問したブログの後に自分のブログを見たら、理由がわかりました。海外在住の話、全然書いていないわ。自分の作品の話ばっかり。そりゃ、もういらっしゃいませんわね。

さて、だからというわけでもないんですけれど、今日はちょっと『海外ブロガー』っぽい話題を。といってもいつもの田舎暮らしの話ですけれど。

ホルンデルシロップ完成


通勤路でニワトコが満開になったので、慌てて有機レモンを買ってきました。年に一度のホルンデルシロップを仕込む季節なんです。ホルンデル(Holunder) とは西洋ニワトコのことで、白い花でシロップを作るほか、黒い実でもシロップやアルコール漬けなどを作ります。実を使った方は、風邪の予防になるなど自然療法でも重要視されていますが、やはりこの花のシロップが爽やかで美味しいのです。

スイスに移住してから、ずっと欠かさずに作っています。もっとも最近の若い人たちは、こういうのはお店でしか買わないみたいです。日本人なのに毎年手作りしているというと驚かれます。でも、ウルトラ簡単なんですよ。

ホルンデルシロップ作成中

花を30くらい摘んできます。もともと教えていただいたレシピによると10くらいでいいらしいんですが、そのレシピだと花を洗わずにそのまま使うんですよ。でも、かなりの確率で虫がいるので、私はちょっとだけ振り洗いするんです。

それを3個分のスライスレモンと一緒に3リットルの水につけておきます。今年は、ちょっとやり方を変えて、水は2リットルにして、後で少し加えることにしました。というのは、容れ物に水が入らなかったのですよ。いつもは大鍋を使うんですけれど、今年は大鍋を三日間占拠させることができなかったので。

ホルンデルシロップ作成中

これがしばらく経った状態。毎日かき回してじっくりと浸透させます。

三日経ったら、花とレモンは使わずに漉したエキスと3㎏の砂糖(三温糖と白砂糖を適度に混ぜる)と一緒に沸騰させます。十分間沸騰させたらもうできあがりです。熱湯消毒した密閉瓶に詰めておしまい。簡単でしょう? 

大人たちは昼間っからワインやパスティスを飲んだりする国ですけれど、子供たちや運転する人は、好んで甘いシロップを飲みます。市販の清涼飲料を用意するよりも、こうしたシロップがあるといつでも用意できて便利なのです。

以前もご紹介しましたが、ニワトコとはこういう花です。とてもいい香りがするのですよ。

ニワトコの花
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Posted by 八少女 夕

スイスに戻っています

一週間の日本滞在を終えて、スイスに戻ってきました。

富士山が見えた


皆様の暖かいお言葉、心に染みました。

いつかはこういう形で駆けつけることになるだろうと、覚悟はしていたのです。でも、どこかでまだずっと先だと思っていました。

母は今あちらへいくつもりは全くなかったはずですが、私が訃報を受けてから、ここに戻ってくるまで、まるで母が全部お膳立てをしてくれているとしか思えないようなトントン拍子でした。

報せを受けた翌日の直行便に空席が残っていました。有休の残り日数や仕事のことを悩むまでもなく、もともとこの一週間は休暇でした。家を出る数分前まで降っていた大雨が止んで晴れたこと、帰りも梅雨に入っているのに晴天だったこと。珍しく左側の窓際に座ったのですけれど、富士山がよく見えました。さらに、私が本当は帰国用に取りたくて取れなかった一日後のフライトは、大雨(台風?)で悪天候でした。

葬儀の準備や当日も、過ごしやすい爽やかな天候で、日本の夏を知らない連れ合いは「日本の夏っていいねえ」と驚いていました。「これ、夏じゃないよ」と釘を刺しましたけれど。

悲しさがなくなったわけではないし、やることはまだ山のように残っているのですけれど、生活の方も待ったなしです。折り合いながら続けていくしかないと思いますし、そうすることで、みな立ち直っていくのだろうなと思っています。

来週辺りから、ブログも再開しようと思っています。どうぞよろしくお願いします。

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