Edit comment Name Title E-mail Website 夕さん、ようこそ関西へ、でしたね。うん、色々と辛い思いもある中で、来ていただいて本当に良かったです。いや、うちの家族も、結構はちゃめちゃ度が高いのですが、お母様を亡くされたところで、こんなわちゃわちゃしたところに来ていただいていいのかと思ったのですが、ぜひ行ってみたいといってくださって、ほんと、なんかありがたかったです。 本当は義妹の特製餃子が登場する予定もあったのですが、やっぱりここは大阪らしく粉ものか? でもたこ焼きは予定が入っていたから、うちの特殊なお好み焼きにしようってことになったのでした。野菜寿司は母のお店にもたまにしか出ない(なぜなら面倒くさいから^^;)んですが、いい感じの大根もできあがっていたので、食べていただけて良かった。 そして、三味線演奏は、ほんと、お恥ずかしい限りでございました。でも、私も師匠の「あいや節」をおねだりできたので、ちょっとほくほくでした。いや、もちろん、他の場所で聞くのもいいのですが、あの狭い空間で横で聞くと、すごいお得感があるのですよね。稔も弾いていたじょんがらの旧節がなかなか難しくて、私がわちゃわちゃでしたが、一応ご披露できて良かった。もしもスイスに行くことがあったら、三味線担いで行きますわね。皮が破れないように人工皮革もあるので。 そして、淡路タマネギ、食べれてよかったです。あ、京都の八起庵で出てきたのはどこのタマネギだったんだろ? あれも結構生なのに食べれてましたよね。あれ? 淡路だったかどうか、記憶がありません。一応ね、神戸に来てくださったからには、海を見ていただかなくちゃ!と。しかも私の一番のお勧めの海は、やっぱり明石海峡大橋入りの風景なのでした。 そして、あの生石神社の巨石は建てたんじゃなく、運んだのでもなく、あの岩山を掘り下ろしたんですよね。いや、実際に岩を割ることはそんなに難しい岩ではないみたいなので、掘り下げるのはそんなに難しそうではありません。 TOM-Fさんのコメントにもありましたが(TOM-Fさん、妄想じゃないんですよ)、諸説あるのですけれど、実は斉明天皇が、自分のお墓の石室のために切り出そうとして、途中で止めたという説があります。斉明天皇は日本の巨石文明というのか、巨石信仰の最後の担い手であったのですが、それにしても、石室のサイズにしては大きすぎるんですよね。ただ、斉明天皇は自分の娘と一緒の墓にして2つ分の石室を作るつもりだったといいますし、その時代から、あの高砂の石は「良い石」としてすでに大和の国まで情報が届いていたようなので、石好き女帝の斉明天皇が見逃すはずはなかったかもなぁ。ただ、切り出してみたら、でかすぎて、運べなかったとも。 ただ、私は、上から見たときに、エチオピアのラリベラ岩窟教会群の聖ギオルギス教会と同じだと思ったので、これはやはり、切り出して運ぼうとしたものではなく、あの形に掘り下した、何らかの宗教的意図を感じているのです。もっとも、豊臣秀吉もあれを何とか大阪城の石垣にしたいと思ったといいますから、分かりませんけれどね。 でも、あの山の上、私の密かなくつろぎどころなんですよ。平日だと、あの神社大体誰もいなくて(神社の人すら見かけない)、静かすぎて素敵です。そこに夕さんをご案内できて本当に良かったです。 あ、長くなっちゃった……しかも、まだ一部でした。 Password 管理者にだけ表示を許可する