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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(1)み旨の天に行われるごとく

前書きでも書きましたが、今年の『十二ヶ月の●●』はクリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作の形を取ります。また例年と違い、連番は発表する月とは関係なく、単純にアルバムの曲順です。

第一曲は『Baba Yetu』使われている言語はスワヒリ語(ケニアの公用語)です。


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心の黎明をめぐるあれこれ
(1)み旨の天に行われるごとく
 related to “Baba Yetu”


 1996年、私は正社員として勤めていた百貨店を退職し、ケニアへと旅立った。特にはっきりとした計画がなかったにもかかわらず、私はそれを無謀だとは思っていなかった。当時、バブルはとっくにはじけていたけれど、日本社会にはまだ今ほどの閉塞感はなかったし、戻ってきてからも何らかの形で食べていくことは可能だろうと、妙に楽観的な感覚を持っていた。

 当時の私は、生き方に迷っていた。といっても、若きウェルテルのように真剣に悩んでいたわけではなく、むしろ「どことない違和感を持て余している」程度のつかみ所のない迷い方をしていた。「これこそが私の生きる道」とわかっている人は、その道に至る方向転換をしてズンズン進んでいけばいいだけだが、「ここではないように思う」という迷い方をしていると、どちらに向かって歩み出せばいいのかわからない。

 そんな時に出会ったいくつかの書籍は、私の進むべき道を照らしているように思った。実際には具体的に示していたわけではなかったが、後から考えると今思う「これでいいのかもしれない」道にそのいくつかの書籍は最短距離で導いてくれたように思う。

 そう思うに至った不思議な符号のいくつかをここで説明していると、いつまで経っても本題に入れないので、それはまたいつか別の機会で書くことにする。

 ともあれ、私のアフリカ行きの水先案内人となったのは、当時夢中になっていた科学者ライアル・ワトソンの著作だった。彼が「科学の淡い淵ソフトエッジ 」と表現した不思議な事々は、おそらく今のネット社会では「エセ科学」のひと言で片付けられるものかもしれない、もしくはオカルトの領域に押し込められることかもしれない。

 けれど、その彼の思想は、私の中のこの世界に対する違和感に大きな指針を与えてくれた。私の生き方や考え方、何かを選び取るときの基準、それに世界との接し方の根本に彼の思想や示してくれた事柄が影響している。

 私がアフリカに旅発ったのは、たぶん彼の思想を体感したかったからだ。それもお膳立てされた体験スクールという安全で楽な方法で。実際には、その滞在期間に経験したことよりも、その後に自分自身で経験したことの方がずっと彼の思想の理解に役立った。

 その体験スクールでは、マサイマラ国立公園とアンボセリ国立公園に合わせて一ヶ月ほど滞在した。そして、その後に一人で三週間ほどアフリカ大陸を旅して回った。

 最初に学んだのは、精神世界がどうのこうのというレベルではなく、彼の地では日本で馴染んでいた生活や考え方が全く通用しないことだった。日本がどうとか、海外がどうとか語る以前に、私は無能な井の中の蛙だったのだ。

 大学名や、どこに住んでいるか、いわゆる常識と思っていた考え方と行動様式は、東京を離れると同時に全く役に立たなくなり、私はろくに意思疎通もできず、平べったい顔をした手に職もなく肉体的能力も劣ったつまらない女でしかなかった。

 ところでそのスクーリングでは、常駐しているはずの「通訳」がその役目を果たせないことが明らかになった。私もまた、一度も海外で暮らしたことのない多くの日本人同様、学校では何年も学んだくせに全く話せないレベルでありながら、日々英語で意思疎通を図る必要に迫られた。その時の「意思を伝え合うために」する根本的な努力は、その後に出会った多くの人びととの相互理解に大いに役立った。

 時には日本人の講師がやって来たり、片言の日本語の話せるケニア人スタッフもいて、その助けもあって馴染んだこともあり、受け身だった参加者は徐々に主体的に学ぶ姿勢を身につけていった。そもそも全てが新しい体験だった。未知の土地を知り、別の民族に属する人と出会い、食べたことのなかったものを食べ、全く違う価値観に触れた。

 レストランではなくて、スタッフの住居区画に案内されて、ベランダで山羊をまるごと焼くパーティをしてもらったこともある。焦げて塩の味しかしないニャマチョマと味の薄いウガリには、レストランで見かけた数匹程度ではなく大量のハエがたかっていた。が、私たちのために大がかりな準備をしてくれたことを思い、キクユ族の青年に感謝して食べた。

 アフリカで、「普通なら」の「普通」が、日本以外では通用しないことを知った。

 レストランに数匹のハエがいたと騒いでも意味がない。高級ホテルというのは「電気や水が潤沢にある場所」ではない。「従業員はお客様にたいする礼儀をわきまえるべき」と考えている人たちがどこにでもいるわけではない。

 水や電気が途絶え、紙幣が価値を失い、誠実さや努力と誤魔化しや欺瞞が同居することを理解し、一人で上手くやっていくことは不可能だと痛感した。

 お金があっても、何かを売っている場所がなければ欲しいものを買うことはできない。その一方で道ばたに生えている雑草が、私たちがスーパーマーケットで購入するしかない日用品の代わりに使われていることも、自分と世界の関わりを深く考えるきっかけになった。

 限りある資源を有用に活用しているのはどの社会だろうか。何をもって私たちは「上の」または「下の」と文明や社会を評価しているのだろうか。そんなことをよく考えた。

 遊んだり学んだりする以前に働かなくてはいけない境遇に属する幼い子供も珍しくない。両親をHIVで失った少女は、赤子の子供を背負って10キロ先の小学校への往復をし、その後に祖母を手伝い煮炊きをしていた。

 サバンナの真ん中では、トムソンガゼルが目の前で出産をはじめた。もしその数十分の間に肉食動物がやってくれば親子共に終わりだという瞬間を見守った。彼らを保護することは許されない。

 愛らしい生き物だけに生きる権利があるわけではない。アニメーション映画ではずるい悪役である生き物もまた、同じ大地で平等に生と死の営みを繰り返しているだけだ。

 同様に、ティッシュを無限に使い散らし、水を無駄に垂れ流しながら語る環境問題も、愛らしい動物だけに寄付金を贈る野生動物保護もまた偽善か自己満足でしかないという現実にも向き合った。

 世界は広く、人間は霊長でも何でもなく、技術は自然に打ち勝つことはできず、文明の定義は曖昧だった。

 彼の地で、私は自分にとっての信仰の意味を感じるようになった。そう、頭で考えるのではなく、肌で感じたのだ。

 私はカトリックの家庭で育ち、少なくとも小学校の四五年生くらいまでは、信仰に全く疑いを持っていなかった。けれど、子供たちがサンタクロースの存在に疑問を持つように、大きくなりある種の知恵が増えてくるに従い、子供の頃に信じていたような形の信仰は姿を消していった。歴史を学び、免罪符に象徴される腐敗の話や、血なまぐさい争いの歴史を知り、神の名の下に行われた多くの殺戮のことを知り、自らがいくら告解しても追いつかないほどの罪を重ね、他の多くの宗教のことを知り、宗教はどちらかというと一種の文化のように解釈して自分の良心との折り合いをつけていた。

 子供の頃、聖書と共に教えられた「主の祈り」は、権威があり絶対的な祈りだったが、私の中に実感として息づいていたわけではなかった。

天にまします我らの父よ 
願わくばはみ名の尊まれんことを み国の来たらんことを
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを
我らの日用の糧を 今日我らに与えたまえ
我らが人に許すごとく 我らの罪を許したまえ
我らを試みに引きたまわざれ 我らを悪より救いたまえ


 ケニアは、イスラム教の影響が強く、街の至る所にアラビア文字が見える。スワヒリ語の語彙の多くにアラビア語からの借用が見えるほどその影響は強い。だから、はじめて「Baba Yetu」を聴き、この歌がキリスト教の「主の祈り」だと知ったときには小さな違和感があった。この作曲者は、どうして主の祈りをわざわざスワヒリ語で歌わせて、ゲームの主題歌にしたのだろうと。

 けれど、私自身のアフリカでの体験と重ねてこの曲を聴くと、この組み合わせはラテン語で歌わせるよりもずっと魂に訴えかけるように思う。少なくとも、アフリカの地では一度も教会にあたるところに行かなかったにもかかわらず、私はいつも日本では感じたこともなかった謙虚な想い、帰依としか表現しようのない想いを持っていた。

 それは、アフリカで見たこと感じたことの多くが、技術や文明や人間の意思ではどうにもならないことだったからではないかと推測している。

 ケニアを舞台にした小説『郷愁の丘』では、宗教観を感じさせる記述は極力避けて書いたのだが、それでも主人公がサバンナのもっとも印象的な光景に出会ったときの記述には、感覚が信仰に近づく曖昧な瞬間をひと言だけ紛れ込ませた。

 快適な部屋の中でスクリーンに向かってゲームをしながら、スワヒリ語の『主の祈り』を聴いても、何かが変わるほどの強烈な感情や思想の変革は起こらないだろう。リセットすることもできず、課金することもできない世界で、残酷とも思える生と死の営みを他人事ではなく目撃し、自らの小ささを痛感することは、ゲームを楽しむこととは全く相容れないのだから。

 アフリカに行かなければ、感じることのできない世界だと言うつもりはない。反対に言えば、アフリカに行っても、その様な心境に至らない人も多いだろう。単純に、私にとって、スワヒリ語と『主の祈り』の組み合わせがちょうど過去の体験と重なっただけだ。
 
 もしかしたら、はるか昔、水道も電気も一般家庭に届いて折らず、抗生物質も健康保険も存在していなかった頃、もちろん魔法やチート設定なども存在しない頃には、祈りは今よりもずっと意味のある行為だったのかもしれない。


(初出:2020年1月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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『Calling All Dawns』(1)Baba Yetuの歌詞 英訳可能



【さらに追記】
やはりこの曲だけはこっちの方が好きなので、貼り付けておきます。

Baba Yetu (The Lord's Prayer in Swahili)-Alex Boyé, BYU Men's Chorus & Philharmonic; Christopher Tin
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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ 前書き

 毎年書いている『十二ヶ月の●●』シリーズは、テーマを決めての短編集でしたが、今年は趣向を変えてエッセイを書いてみることにしました。「野菜」や「アクセサリー」といったテーマに沿って書いた小説群を踏襲することも考えたのですが、昨年であった一つの音楽アルバムに沿って、私の人生哲学をゆるく辿ることにしました。

 そのアルバムとは、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』です。

 もともとゲームの主題歌として作曲された第一曲"BABA YETU”を含めた十二の言語と文化で昼から夜、そして夜明けまでを表現していく時間と思想の旅のようなアルバムで、ゲーム音楽としてははじめてのグラミー賞も取っています。

 とはいえ、ゲームにはとことん疎い私ですのでリアルタイムでは全く知りませんでしたし、『Civilization』というゲームがどれほどプレイされているのかも知りませんでした。すみません。

 そもそも”BABA YETU”もオリジナルではなくて、アレックス・ボエの歌うカバーバージョンの方を先に買ったくらいですし。そう、「郷愁の丘」でアフリカシーンを書くときにBGMにしていたんですね。

 アルバム『Calling All Dawns』を買うきっかけとなったのは、2曲目の「窓から見える」でした。実は、南アフリカ共和国のラジオチャンネルで、この曲が流れたんですよ。「日本語だ!」と驚いて調べたら、このアルバムにたどり着いたというわけです。そして、四曲目を歌っているのが私の大好きなポルトガル人歌手ドゥルス・ポンテスだと氣付いた時点で、 iTunesストアでアルバム全体をダウンロードして買いました。

 そして、聴いているうちにそれぞれの歌詞の意味が知りたくなり、知れば知るほど内容に惹かれ、ずるずるとこのアルバムの虜になったというわけです。

 という個人的な事情はさておき、スワヒリ語、日本語、中国語、ポルトガル語、フランス語、ラテン語、アイルランド語、ポーランド語、ヘブライ語、ペルシャ語、サンスクリット語、そしてマオリ語と、選ばれた十二の言語は、私が人生の中で興味を持った文化権とほぼ一致(ケチュア語がないのは残念だけれど)していました。そして、その歌詞の(選ばれた思想の)深いこと。

 一度は、記事で普通に触れようかと思ったのですけれど、それだけでは伝わらないなと思い、せっかくなのでエッセイ集として一つの作品にし、私の脳内を旅してみることにしました。

「心の黎明をめぐるあれこれ」月に一度の更新ですが、よろしくお願いします。

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