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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(3)弱者、神仙をおもう

本日は、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の三作目です。

第三曲は『『Dao Zai Fan Ye』使われている言語は中国語です。


『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を始めから読む




心の黎明をめぐるあれこれ
(3)弱者、神仙をおもう
 related to “Dao Zai Fan Ye”


 第三曲は、中国語。『老子道徳経』、四十章からの引用だ。作曲者クリストファー・ティンはアメリカ人だがバックグラウンドは中国にあるので、この曲を作曲するときには他の曲に勝る思い入れがあったのではないかと想像している。女性が淡々と歌う構成は、第二曲『Mado Kara Mieru』と対照的だが、その思想の深さを思うと、歌い方やメロディとの組み合わせに納得する。

 日本の四季と禅の思想を重ね合わせて書いた前回のエッセイと、この第三曲に関して私が感じることには共通点がある。道教の思想と、サンスクリットの教えに基づく禅の教えにも共通するものがあるのかもしれない。

反者道之動。
弱者道之用。
天下萬物生於有、有生於無。

反者は道の動なり。
弱き者は道の用なり。
天下万物は有より生じ、有は無より生ず。



 前半の話はこのエッセイの後半に譲るとして、まずは後半に注目しよう。「天下万物は有より生じ、有は無より生ず」という言葉は、「色即是空」と同じように矛盾に感じる。慣れてしまった西欧的科学法則から考えると、納得がいかない。

 しかし、西欧科学にしても、突き詰めて考えるとやはり同じ問題にぶつかる。「宇宙の始まりはビッグバンだった」と私は教わった。その前はなかったと。もし現在ある原子や分子からしか、何かが生まれないならば、始まりの前にも存在していたことになる。しかし、だとしたらその瞬間は「始まり」ではあり得ない。世界の始まりにどうにかして無から有が生まれたのだ。

 生命も同じだ。生命が生命からしか生まれないならば、最初の生物はどう生まれたのか。始めは生ではなかったものが、生命に変わった瞬間があるはずだ。でもどうやって?

 考えても答えは出ない。しかし、間違っていると思った『老子道徳経』の言葉は、やはり正しいのだ。

 一般に世界で役に立つとされているのは、前向きなマインド、屈強で健康な身体だ。けれど、老子の言葉は、これにも反している。はっきりと意見をいい、自分が正しいと主張する。たくさんの友人を持ち、スケジュール帳を予定で埋める。仕事も趣味も充実させて、恋人も支持者も多ければ多いほどよいと。

 この傾向は、西欧社会には強い。私の住むスイスは、もともと山岳に住む民族なので、若干その傾向は少ないが、それでも私にとってはポジティヴな傾向を持つ人が多い。

 『老子道徳経』の説くタオ では、そのプラス思考讃美を否定している。従うべき唯一の存在や、強固な力に、そして権力などに「道」を知った神仙は背を向けるものなのだと。

 ここまで格調高く「道」などと書いてきたが、ここから話は小市民である「私」のことに移る。ティーンエイジャーの頃、私は四川州に憧れていた。理由は単純で、「パンダと神仙の両方がいるから」である。ジャイアントパンダは実在だが、神仙はどうだろう。過去に存在していたとしても、私のイメージするような(外国人がニンジャに抱く幻想と変わらない)神仙はいなかっただろうし、ジャイアントパンダ同様に四川州限定で生息していたはずはないだろう。とはいえ、未だに私にとって四川州は特別な郷愁を呼び起こす憧れの土地である。

 そもそも、どこから神仙に憧れたか語るのも恥ずかしいのだが、とある香港映画を観たからである。ツイ・ハーク監督作品『蜀山』という。ここでは初めて観た第一回東京国際映画祭での邦題で書いているが、その後に別の題で公開されたときの邦題の方がもっと知られているかもしれない。そちらも観にいったが、日本語字幕や主人公の名前などがとてもイタい感じに変更されていて非常に悲しかった。

 ユン・ピョウ主演の香港映画である。ワイヤーワークで空を飛ぶタイプの武侠アクション映画。隠さずに言おう。私は、耽美系や芸術作品よりもコテコテのエンターテーメントに惹かれるのである。『2001年宇宙の旅』よりも『2010年』が好きといって映画好きに嘆息される。そもそも最初に夢中になった映画が『プロジェクトA』と『STAR WARS』だ。もちろん「ご趣味は」と訊かれて「映画鑑賞」とだけは答えてはいけないと自覚している。

 という話はさておき、『蜀山』に描かれていた中国神仙の世界に魅せられた私は、それから「神仙とはなんぞや」と興味を持ち、『聊斎志異』の和訳を買って喜んでいたりした青春時代を過ごした。当時にブログをやっていれば、そういう話の好きな人と語り合えただろうが、もちろんインターネットに一般人が繋がっているはずのない時代で、ひとりでニヤニヤしていただけだ。

 当時書いていた作品には、『蜀山』の影響をもろに受けた四人の神仙(というよりはカンフーのまねごとをして怪異と戦うキャラクター)がいて、今から考えたら設定からして黒歴史以外の何物でもないのだが、それでも私の中には、『森の詩 Cantum Silvae』や『黄金の枷』ワールドに匹敵するひとつの世界観として今でも存在している。

 というわけで、韓流ドラマに夢中になった方が韓国にある種の特別な憧憬を持つように、またはとある歴史ドラマからある方がロシアやフランスに特別な思い入れを持つように、私にとって中国や神仙たちのメッカとも言える峨眉山を頂く四川州は、ある種の憧れの地になったまま現在に至っている。

 私の場合、その手の憧れの地が四川州だけでなく、中南米だったり、アフリカだったり、イースター島だったり、中近東だったり、あちこちに分散しているのだが、それはまた別の話である。

 中国の神仙思想は、紀元前三世紀頃から広まっていた原始的アニミズムの一種で、不老不死の神仙が存在し、修行または仙丹という薬によって人は神仙になれると信じられていた。『老子道徳経』に出てくる『タオ 』とは、そもそも神仙に至る道のことだ。
 
 しかし、現代社会において心の指標にしようと『老子道徳経』を繙くひとは、ワイヤーワークのごとく空を飛び霞を食べて生きる神仙になろうと思っているわけではないだろう。私もそうだ。いくら永遠の『厨二病』の氣があるといっても、さすがに修行すればその手の存在になれると信じるほどおめでたくはない。だが、初めて『老子道徳経』の存在を知った頃に較べて、それなりの年月を人間として暮らしてきて、その教えが別の意味で心の琴線に触れるようになってきている。

 それに、なんというのか、その昔に夢中になっていた往年のアイドルが何十年かぶりに復帰して回想録を出版したら買いに走ってしまうように、『老子道徳経』と言われると脊髄反射的に「お」と意識が向いてしまうのだ。

 さて、この第三曲に用いられている『老子道徳経』の四十章、前半が非常に難解である。

 読み下しても、意味はほとんどわからない。インターネットで探せばいくつかの解釈があるけれど、いろいろな解釈があって意味はかなりかけ離れている。とくに前半の解釈がバラバラだ。どれが正しいかなんて、教養のない私にわかろうか、いや、わかるはずはない。(漢文の授業風)

 仕方ないので、クリストファー・ティンが発表している公式の英訳から、彼の意図している意味を考えてみた。

The motion of the Way is to return;
The use of the Way is to accept;
Things under the sky/heavens,
Are born of being, are born of non-being/death.



「道の動きとは戻るもの。道の働きは受け入れるもの。天下の全ては存在するものより生じ、存在しないもの(死)から生じる」やはり前半の言いたいことが今ひとつわからない。でも、「弱者」というのが、単なる「弱い存在」ではないらしいということはわかった。

同じ老子道徳経』の七十八章に、有名な一説がある。

天下莫柔弱於水。
而攻堅強者、莫之能勝。
以其無以易之。

天下に水より柔弱なるは莫し
而も堅強を攻むる者、これに能く勝る莫し。



 天下に水ほど柔らかく弱いものはないが、それでいて堅く強いものを打ち破るのに水に勝るものもない。ダイアモンドのように硬いものも割ることはできるけれど、弱い水を折ることができないし、岩ですら水で穿つことができる。「 正言若反( 正しい言葉は普通とは逆に聞こえる)」と続くこの章は、わかりにくい四十章の理解に役立つように思う。

 結局は、前回取りあげた般若心経の「色即是空」と同じように、一見反して見えるものが決して相容れない存在ではなく、「弱さ」「無」「死」というものが「強さ」「有」「生」と表裏一体なのだということを伝えているのだと思う。

 タオ の目指す神仙とは、ワイヤーワークのごとく空飛ぶ超能力者ではなく、いわばゴータマ・シッタールダのごとく解脱して道を悟り彼岸に至った存在、超人であり、そんな存在に至るには、鍛えて鍛えて強くなるプラスのベクトルだけを求めていては到達できないのだ、そんなことをいいたいのではないかと、ぼんやりと思う。

 こちらは、神仙どころか通常の社会的勝者になる街道からもとっくに脱落している身だ。だから、「ぼんやりと思う」などど人ごとのように思っている。とはいえ、「こんなに頑張っているのに、なぜ勝者になれない?!」と苦しんでいる人から見れば、自らの弱さを受け入れて生きていることが、生きやすさにつながっているのではないかと思う。
 

 (初出:2019年3月 書き下ろし) 

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『Calling All Dawns』(3)Dao Zai Fan Ye
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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(2)窓の向こう、四季の移ろい


クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の二作目です。

第二曲は『Mado Kara Mieru』使われている言語は日本語です。


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心の黎明をめぐるあれこれ
(2)窓の向こう、四季の移ろい
 related to “Mado Kara Mieru”


 前書きでも触れたように、クリストファー・ティンのアルバム『Calling All Dawns』を知ったきっかけは、南アフリカのラジオ放送局でかけた、第二曲『Mado Kara Mieru』だった。

 きちんとした日本語に聞こえたので調べてみたら、日本の歌手が数人参加して歌っている。声優としても活躍している方のようで、少女のように歌ったり、成年女性のように歌ったりと、表現の幅がとても広い。四季の移ろいと人生を重ねて、俳句から選んだ歌詞は馴染みがあると同時に、ある種の驚きもあった。

 俳句は海外でも広く紹介され、欧米の言語で俳句を作る試みもある。もちろん本来の五七五・十七文字で表現することは、ヨーロッパの言語では不可能だと思う。ここまで簡素でありながら、かほど多くを表現できることが、驚きと共に受け入れられているのだが、おそらくそれは同様に欧米でもある種のブームになっている禅思想との共通点を感じさせるからではないかと考えている。

 題名であり歌詞にも繰り返し現れる「窓から見える」という言葉は、おそらく普通の窓のことではないだろう。もちろん、普通の窓からも四季折々の光景は見える。けれど、外国の人がわざわざ言及するとしたら、たぶん日本家屋の障子窓や雪見窓、もしくは禅寺の「悟りの窓」のような丸窓を意識しているだろう。それこそ、日本の観光旅行パンフレットにあるように。

 調度のほとんどない部屋に窓がある。外には自然そのままにみえて計算し尽くされた庭がある。春は桜の花片が静かに舞い、夏は眩しい新緑が萌える。秋は紅葉に照らされ、冬は雪の静寂を聴く。窓から覗く世界の美しさは、同時に哲学的だ。

 私は小説『樋水龍神縁起』を四部に分けて、それぞれを季節と四神相応に対応させて書いたのだが、この作品をつなぐテーマが般若心経の私的解釈だった。

 般若心経すなわち魔訶般若波羅蜜多心経は、禅の思想の中心にあるといってもいい。サンスクリット語の音訳である題名そのものが示すように、『彼岸に至る大いなる叡智』に関する教えを説いているが、それはつまり、意味もわからずに唱えることを想定したものではない。教えを理解してこそ意味がある。

 話は少しそれるが、キリスト教でかつてはラテン語だけが使われていた典礼を各国語で行うことも同じ意味があると思う。世界にあるどの信仰であっても、この世のクラブへの参加や何とか会員権の購入とは違う。共同体に属しているかどうか、決められた行為を繰り返すかだけではなく、対峙する心が重要なのだと思う。

 話を戻すが、禅または般若心経を理解するのは決して容易ではない。つまりまるで言葉の遊びのように感じるではないか。「色即是空 空即是色」有名なこの八文字ですら、理解がとても難しい。解釈の一例として「形のあるものは常に移ろい消えゆくものだが、その移ろいやすく消えやすいものもまた確かな存在なのだ」と言うものがある。「空=0」「色=1」と考えてしまうと数式(0=1)として間違いになる。けれど、たとえば人間の身体に喩えてみれば真だとわかる。私の細胞は常に死滅と誕生を繰り返し、子供の頃からずっと存在し続けている全く同じ私ではない(空)が、それでも私は子供の頃から一人の同じ確固たる存在(色)だと感じ続けている。

 では、私とはなんだろうか。脳細胞シナプス信号の見せている幻覚だろうか。では、私がコンビュータの0と1だけを本人が意識しないままに書き綴り公開している小説も、幻覚の余波だろうか。では、それを読んでいる人が書いてくれる感想も? 私はそんなことは思わない。私は存在し、私の思考と小説も存在し、読者も存在する。日々入れ替わる細胞の見せている幻覚などではない。

 そして私が対峙している世界とはなんであろうか。朝に降った雪は、もう消えている。そして、次に降る雪とは同じ物ではない。去年降った雪とも。けれど、それは雪であり、冬だ。移ろい消えていく物でも、確かに再び同じ(そして決して同じではない)形態で再び現れる。

 わたしが『窓から見える』という言葉から連想するのは、禅宗の『悟りの窓』から眺める世界で、おそらくこうした景色だ。それは美しいだけでなく、時に厳しく、時に慰めとなる景色だ。

 この曲『Mado Kara Mieru」には印象的なリフレインが挿入されている。

余命 いくばくかある
今宵はかなし 命短し



 単なる四季を歌ったものではなく、時の移ろい、すなわち人の一生を追った選歌になっているようだ。もちろん、冬の歌として選ばれた正岡子規は老衰で亡くなったのではないが、歌詞と季節から想起されるのは、老いて死んでいく人の一生だ。

 若く健康で青春を満喫している人には、たとえぱ十代だった頃の私には、このフレーズは他人事だ。知らなかったわけではないし、むしろ憧れていた節もあるが、それはすなわち自分がそれとは対極の位置にいることを知っていたからだろう。今風に言えば「厨二病」とでも表現する感覚だろうか。明日の命もしれぬ儚いヒロインのイメージは、それほどまでに当時の私とはかけ離れていた。

 いま私は相変わらず儚い美女とはかけ離れているものの、「余命いくばくかある」は他人事ではなくて実感に近い言葉になっている。もちろん明日や明後日だとは思いたくないし、なんらかの健康問題を抱えているわけでもないので、正岡子規らの心持ちとは違うし「命短し恋せよ乙女」の「命短し」とも意味合いは違う。

 とはいえ、人生を春夏秋冬に喩えたなら、どうジタバタしても夏までは通り過ぎて秋には到達してしまった身だ。さらにジャネーの法則(「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」)に対して激しく頭を振って肯定したいくらい、ここ十年ほど時間のスピードが加速しているので、これからどれほど長生きできても、それはきっと一瞬のように感じるに違いないと思う。

 本当に般若心経の説く「悟り」の境地に達していれば、余命がどれほどであろうと心安らかにいられるであろうが、こちらはまだ十分に迷っている未熟者。どちらかというと「全く宿題に手をつけないまま、現在が八月二十日過ぎであることを突如認識した小学生」のような焦りを抱えている。

 そんな中途半端な状態ではあるが、たとえば日本旅行の折に、典型的な庭園を望むお寺の一室に座るような機会があると、四季折々の光景に人生を重ね合わせて想いを馳せている自分にも氣付く。これはきっと日本の伝統的な思考回路であり、更にいうと何世紀も前から日本に住む年齢を重ねた人々が感じてきたことなのではないかと思う。

 なぜそんなことを考えるかというと、スイスで二十年近く見慣れた秋や冬の光景を見ても、日本のそれほど人生の春秋と重ね合わせることがないからだ。これは奇妙なことだ。めぐる月日も、自然の移ろいも国に関係ないからだ。感覚を日本の文化に重ね合わせるときだけ、人生のあれこれが想起される。

 だからこそ、日本人ではなく中華系アメリカ人であるクリストファー・ティンが、このアルバムで二曲目に選んだ言語と思想の組み合わせに感心する。

 禅の思想も、多くの日本人が抱える四季に関するノスタルジーも、俳句の組み立ても、他の言語と文化で育った者が理解するのは非常に難しいと思う。それらは、翻訳では理解できないし、言葉の意味がわかる人に説明するのも非常に難しい。

 世界の多くの文化では、空間をひたすら細かく埋め豪奢に飾り立てるほど価値が増すと考える傾向がある。ユネスコ世界遺産に指定された多くの建造物は、大きく豪華で、さらに隙間なく飾り立てられている。アルハンブラ宮殿しかり、アンコールワットしかり、ベルサイユ宮殿しかり。だが、禅寺の「悟りの窓」のあるような空間は、それとはありかたのベクトルが正反対だ。畳と窓。装飾は皆無と言えるまでに抑えられ、窓の向こうに見える自然だけが鮮やかに何かを訴えかけている。驚異と威厳を永久に留めようとはせず、反対に「諸行無常」であることを見せつけるのだ。

 私の知り合いのスイス人は、写真で見た日本の八重桜に憧れて庭に植えたが、花びらがやたらと散ることに我慢がならず数年で伐ってしまった。桜の醍醐味は「散ること」だと考えていた私には斬新な発想だったが、散り際に大きな意味を見いだしている民族の方が特異なことはいうまでもない。

 散る桜に儚さを感じ、霞みかかる月を見上げる。そこで感じる無量の想いは、過去の誰かが積み重ねてきた歴史や文学にも影響を受けている。ある君主が辞世の句に詠んだ故事や、百人一首で親しんだ有名な歌、ティーンエイジャーのころに熱中していた上代を題材としたマンガに描かれていた情緒。その積み重ねが、同じ自然現象に違う感情を抱かせている、私はそう思う。

 もう一つ例を挙げる。柳は日本だけでなく、ヨーロッパにもある。しかし、柳の下でどことなく落ち着かない想いをするのは、日本だけなのだ。ごく普通の柳の下に、幽霊がいないことを私は知っている。それは、日本であろうとヨーロッパであろうと関係ないことも。にもかかわらず、日本で柳の下にいるときだけ、なんともいえぬおちつかなさを感じるのは、やはりあの水墨画のおそろしい幽霊図を見慣れてしまったからではないかと思う。

 スイスやヨーロッパの多くの国で、美しい紅葉があり、春の素晴らしい花の光景がある。それぞれの風景に感動し、何度も訪れたいと思う一方で、いつも不思議に思うことがある。美しい日本の春の光景、秋の光景を眺めるときと、心に押し寄せる感情の種類が違うのだ。それは夏に蝉時雨を聞きながら緑の中を歩くときや、冬の雪景色を見るときも同様だ。日本の光景は、私の心につよい郷愁を呼び起こす。

 一番近い端的な表現は『哀しみ』かもしれない。それとも『悼み』だろうか。

 それらの感情は、私の経験に基づくものとは思えない。人生の三分の一以上の経験を、日本以外でしてきているのだ。明らかに、光彩を通して物理的にではなく、日本または日本文化という心理フィルターを通して、光景を見ている……つまり『窓から見て』いるのだろう。

 日本の四季を日本人としての『窓』から覗いて見るときにあらわれる特別な感情は、時代と世代を超えて私の中に息づくものだ。明らかに私ではない過去の誰かの哀しみや悼みを感じ、もはや存在していない細胞のシグナルの続きを受信し発信し続ける『色即是空』の世界。たとえ私の余命がわずかでも、窓から見える世界は永遠なのだと思う。
 
(初出:2020年2月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(1)み旨の天に行われるごとく

前書きでも書きましたが、今年の『十二ヶ月の●●』はクリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作の形を取ります。また例年と違い、連番は発表する月とは関係なく、単純にアルバムの曲順です。

第一曲は『Baba Yetu』使われている言語はスワヒリ語(ケニアの公用語)です。


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心の黎明をめぐるあれこれ
(1)み旨の天に行われるごとく
 related to “Baba Yetu”


 1996年、私は正社員として勤めていた百貨店を退職し、ケニアへと旅立った。特にはっきりとした計画がなかったにもかかわらず、私はそれを無謀だとは思っていなかった。当時、バブルはとっくにはじけていたけれど、日本社会にはまだ今ほどの閉塞感はなかったし、戻ってきてからも何らかの形で食べていくことは可能だろうと、妙に楽観的な感覚を持っていた。

 当時の私は、生き方に迷っていた。といっても、若きウェルテルのように真剣に悩んでいたわけではなく、むしろ「どことない違和感を持て余している」程度のつかみ所のない迷い方をしていた。「これこそが私の生きる道」とわかっている人は、その道に至る方向転換をしてズンズン進んでいけばいいだけだが、「ここではないように思う」という迷い方をしていると、どちらに向かって歩み出せばいいのかわからない。

 そんな時に出会ったいくつかの書籍は、私の進むべき道を照らしているように思った。実際には具体的に示していたわけではなかったが、後から考えると今思う「これでいいのかもしれない」道にそのいくつかの書籍は最短距離で導いてくれたように思う。

 そう思うに至った不思議な符号のいくつかをここで説明していると、いつまで経っても本題に入れないので、それはまたいつか別の機会で書くことにする。

 ともあれ、私のアフリカ行きの水先案内人となったのは、当時夢中になっていた科学者ライアル・ワトソンの著作だった。彼が「科学の淡い淵ソフトエッジ 」と表現した不思議な事々は、おそらく今のネット社会では「エセ科学」のひと言で片付けられるものかもしれない、もしくはオカルトの領域に押し込められることかもしれない。

 けれど、その彼の思想は、私の中のこの世界に対する違和感に大きな指針を与えてくれた。私の生き方や考え方、何かを選び取るときの基準、それに世界との接し方の根本に彼の思想や示してくれた事柄が影響している。

 私がアフリカに旅発ったのは、たぶん彼の思想を体感したかったからだ。それもお膳立てされた体験スクールという安全で楽な方法で。実際には、その滞在期間に経験したことよりも、その後に自分自身で経験したことの方がずっと彼の思想の理解に役立った。

 その体験スクールでは、マサイマラ国立公園とアンボセリ国立公園に合わせて一ヶ月ほど滞在した。そして、その後に一人で三週間ほどアフリカ大陸を旅して回った。

 最初に学んだのは、精神世界がどうのこうのというレベルではなく、彼の地では日本で馴染んでいた生活や考え方が全く通用しないことだった。日本がどうとか、海外がどうとか語る以前に、私は無能な井の中の蛙だったのだ。

 大学名や、どこに住んでいるか、いわゆる常識と思っていた考え方と行動様式は、東京を離れると同時に全く役に立たなくなり、私はろくに意思疎通もできず、平べったい顔をした手に職もなく肉体的能力も劣ったつまらない女でしかなかった。

 ところでそのスクーリングでは、常駐しているはずの「通訳」がその役目を果たせないことが明らかになった。私もまた、一度も海外で暮らしたことのない多くの日本人同様、学校では何年も学んだくせに全く話せないレベルでありながら、日々英語で意思疎通を図る必要に迫られた。その時の「意思を伝え合うために」する根本的な努力は、その後に出会った多くの人びととの相互理解に大いに役立った。

 時には日本人の講師がやって来たり、片言の日本語の話せるケニア人スタッフもいて、その助けもあって馴染んだこともあり、受け身だった参加者は徐々に主体的に学ぶ姿勢を身につけていった。そもそも全てが新しい体験だった。未知の土地を知り、別の民族に属する人と出会い、食べたことのなかったものを食べ、全く違う価値観に触れた。

 レストランではなくて、スタッフの住居区画に案内されて、ベランダで山羊をまるごと焼くパーティをしてもらったこともある。焦げて塩の味しかしないニャマチョマと味の薄いウガリには、レストランで見かけた数匹程度ではなく大量のハエがたかっていた。が、私たちのために大がかりな準備をしてくれたことを思い、キクユ族の青年に感謝して食べた。

 アフリカで、「普通なら」の「普通」が、日本以外では通用しないことを知った。

 レストランに数匹のハエがいたと騒いでも意味がない。高級ホテルというのは「電気や水が潤沢にある場所」ではない。「従業員はお客様にたいする礼儀をわきまえるべき」と考えている人たちがどこにでもいるわけではない。

 水や電気が途絶え、紙幣が価値を失い、誠実さや努力と誤魔化しや欺瞞が同居することを理解し、一人で上手くやっていくことは不可能だと痛感した。

 お金があっても、何かを売っている場所がなければ欲しいものを買うことはできない。その一方で道ばたに生えている雑草が、私たちがスーパーマーケットで購入するしかない日用品の代わりに使われていることも、自分と世界の関わりを深く考えるきっかけになった。

 限りある資源を有用に活用しているのはどの社会だろうか。何をもって私たちは「上の」または「下の」と文明や社会を評価しているのだろうか。そんなことをよく考えた。

 遊んだり学んだりする以前に働かなくてはいけない境遇に属する幼い子供も珍しくない。両親をHIVで失った少女は、赤子の弟を背負って10キロ先の小学校への往復をし、その後に祖母を手伝い煮炊きをしていた。

 サバンナの真ん中では、トムソンガゼルが目の前で出産をはじめた。もしその数十分の間に肉食動物がやってくれば親子共に終わりだという瞬間を見守った。彼らを保護することは許されない。

 愛らしい生き物だけに生きる権利があるわけではない。アニメーション映画ではずるい悪役である生き物もまた、同じ大地で平等に生と死の営みを繰り返しているだけだ。

 同様に、ティッシュを無限に使い散らし、水を無駄に垂れ流しながら語る環境問題も、愛らしい動物だけに寄付金を贈る野生動物保護もまた偽善か自己満足でしかないという現実にも向き合った。

 世界は広く、人間は霊長でも何でもなく、技術は自然に打ち勝つことはできず、文明の定義は曖昧だった。

 彼の地で、私は自分にとっての信仰の意味を感じるようになった。そう、頭で考えるのではなく、肌で感じたのだ。

 私はカトリックの家庭で育ち、少なくとも小学校の四五年生くらいまでは、信仰に全く疑いを持っていなかった。けれど、子供たちがサンタクロースの存在に疑問を持つように、大きくなりある種の知恵が増えてくるに従い、子供の頃に信じていたような形の信仰は姿を消していった。歴史を学び、免罪符に象徴される腐敗の話や、血なまぐさい争いの歴史を知り、神の名の下に行われた多くの殺戮のことを知り、自らがいくら告解しても追いつかないほどの罪を重ね、他の多くの宗教のことを知り、宗教はどちらかというと一種の文化のように解釈して自分の良心との折り合いをつけていた。

 子供の頃、聖書と共に教えられた「主の祈り」は、権威があり絶対的な祈りだったが、私の中に実感として息づいていたわけではなかった。

天にまします我らの父よ 
願わくばはみ名の尊まれんことを み国の来たらんことを
み旨の天に行わるるごとく、地にも行われんことを
我らの日用の糧を 今日我らに与えたまえ
我らが人に許すごとく 我らの罪を許したまえ
我らを試みに引きたまわざれ 我らを悪より救いたまえ


 ケニアは、イスラム教の影響が強く、街の至る所にアラビア文字が見える。スワヒリ語の語彙の多くにアラビア語からの借用が見えるほどその影響は強い。だから、はじめて「Baba Yetu」を聴き、この歌がキリスト教の「主の祈り」だと知ったときには小さな違和感があった。この作曲者は、どうして主の祈りをわざわざスワヒリ語で歌わせて、ゲームの主題歌にしたのだろうと。

 けれど、私自身のアフリカでの体験と重ねてこの曲を聴くと、この組み合わせはラテン語で歌わせるよりもずっと魂に訴えかけるように思う。少なくとも、アフリカの地では一度も教会にあたるところに行かなかったにもかかわらず、私はいつも日本では感じたこともなかった謙虚な想い、帰依としか表現しようのない想いを持っていた。

 それは、アフリカで見たこと感じたことの多くが、技術や文明や人間の意思ではどうにもならないことだったからではないかと推測している。

 ケニアを舞台にした小説『郷愁の丘』では、宗教観を感じさせる記述は極力避けて書いたのだが、それでも主人公がサバンナのもっとも印象的な光景に出会ったときの記述には、感覚が信仰に近づく曖昧な瞬間をひと言だけ紛れ込ませた。

 快適な部屋の中でスクリーンに向かってゲームをしながら、スワヒリ語の『主の祈り』を聴いても、何かが変わるほどの強烈な感情や思想の変革は起こらないだろう。リセットすることもできず、課金することもできない世界で、残酷とも思える生と死の営みを他人事ではなく目撃し、自らの小ささを痛感することは、ゲームを楽しむこととは全く相容れないのだから。

 アフリカに行かなければ、感じることのできない世界だと言うつもりはない。反対に言えば、アフリカに行っても、その様な心境に至らない人も多いだろう。単純に、私にとって、スワヒリ語と『主の祈り』の組み合わせがちょうど過去の体験と重なっただけだ。
 
 もしかしたら、はるか昔、水道も電気も一般家庭に届いて折らず、抗生物質も健康保険も存在していなかった頃、もちろん魔法やチート設定なども存在しない頃には、祈りは今よりもずっと意味のある行為だったのかもしれない。


(初出:2020年1月 書き下ろし)

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『Calling All Dawns』(1)Baba Yetuの歌詞 英訳可能



【さらに追記】
やはりこの曲だけはこっちの方が好きなので、貼り付けておきます。

Baba Yetu (The Lord's Prayer in Swahili)-Alex Boyé, BYU Men's Chorus & Philharmonic; Christopher Tin
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Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ 前書き

 毎年書いている『十二ヶ月の●●』シリーズは、テーマを決めての短編集でしたが、今年は趣向を変えてエッセイを書いてみることにしました。「野菜」や「アクセサリー」といったテーマに沿って書いた小説群を踏襲することも考えたのですが、昨年であった一つの音楽アルバムに沿って、私の人生哲学をゆるく辿ることにしました。

 そのアルバムとは、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』です。

 もともとゲームの主題歌として作曲された第一曲"BABA YETU”を含めた十二の言語と文化で昼から夜、そして夜明けまでを表現していく時間と思想の旅のようなアルバムで、ゲーム音楽としてははじめてのグラミー賞も取っています。

 とはいえ、ゲームにはとことん疎い私ですのでリアルタイムでは全く知りませんでしたし、『Civilization』というゲームがどれほどプレイされているのかも知りませんでした。すみません。

 そもそも”BABA YETU”もオリジナルではなくて、アレックス・ボエの歌うカバーバージョンの方を先に買ったくらいですし。そう、「郷愁の丘」でアフリカシーンを書くときにBGMにしていたんですね。

 アルバム『Calling All Dawns』を買うきっかけとなったのは、2曲目の「窓から見える」でした。実は、南アフリカ共和国のラジオチャンネルで、この曲が流れたんですよ。「日本語だ!」と驚いて調べたら、このアルバムにたどり着いたというわけです。そして、四曲目を歌っているのが私の大好きなポルトガル人歌手ドゥルス・ポンテスだと氣付いた時点で、 iTunesストアでアルバム全体をダウンロードして買いました。

 そして、聴いているうちにそれぞれの歌詞の意味が知りたくなり、知れば知るほど内容に惹かれ、ずるずるとこのアルバムの虜になったというわけです。

 という個人的な事情はさておき、スワヒリ語、日本語、中国語、ポルトガル語、フランス語、ラテン語、アイルランド語、ポーランド語、ヘブライ語、ペルシャ語、サンスクリット語、そしてマオリ語と、選ばれた十二の言語は、私が人生の中で興味を持った文化権とほぼ一致(ケチュア語がないのは残念だけれど)していました。そして、その歌詞の(選ばれた思想の)深いこと。

 一度は、記事で普通に触れようかと思ったのですけれど、それだけでは伝わらないなと思い、せっかくなのでエッセイ集として一つの作品にし、私の脳内を旅してみることにしました。

「心の黎明をめぐるあれこれ」月に一度の更新ですが、よろしくお願いします。

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