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Posted by 八少女 夕

【小説】豪華客船やりたい放題 - 5 -

大海彩洋さんと、ちゃとら猫マコト幹事で開催中の「【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅」の参加作品の第五回目です。

お目付役の京極に見つかってしまったので、仕方なく一緒に船内を回ることにした山内拓也。現在は『不思議の国のアリス』コスチュームをしたアンジェリカの外見です。ただし、中身と声は拓也そのものです。

今回は、中途半端な『旅の思い出』と参加者のみなさまとのコラボ系を少し書いてみました。それとレストラン名などは、数学パラドックス系で遊んでみただけです。次回、最終回にできるかなあ、頑張ります。


オリキャラのオフ会


【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定/この話をはじめから読む



目が合ったそのときには 3
豪華客船やりたい放題 - 5 -


「すげーな、豪華客船って。プールもある、カジノもある、レストランやバーもいっぱいある、船室だっていくつあるんだか」
アメリカ人少女、アンジェリカの外見に成り代わった俺は、執事コス、もといタキシードをビシッと着こなした京極に付き添われて船内を歩いた。

「客船に乗るのは初めてか?」
京極が訊いた。

「もちろん。お前は、初めてじゃないのかよ」
「子供の頃に、何回か乗ったことがある。もっとも世界一周するような客船ではなくて、三日くらいの国内クルーズだったけれど」

「へえ? 海外のクルーズだっていくらでも行けるだろうに、なんで?」
「父は仕事人間でね。三日以上の休みを取ったことがないんだ。家族旅行そのものも滅多に行かなかったけれど、行くとしても最長三日。それも、お盆や年末などの会社の閉まる時期だけだから。どこへ行っても混むのがわかりきっている。だから、定員以上にはならないし、渋滞もないクルーズ旅行をしたんじゃないかな」

 そうなんだ。
「で、この船と較べてどうだった?」
「僕は子供だったからね。何もかもが大きくて、夢のように見えた。もっとも、実際には、この船の方がずっと大きいし、豪華だし、スケールも桁違いなんだけれどね。オーナーはもちろん、招待客にしろ、用意されている食事やアトラクション、エンターテーメントにしろ」

 そうなんだっけ? エビフライやスパゲッテイは、けっこう馴染みっぽい味だったけどな。

「どこがそんなにすごいんだ?」
俺が首を傾げると、京極は壁に掛かっているポスターを示した。

「例えば、ほら。メインダイニングでは、今夜は相川慎一とテオドール・ニーチェがベートーヴェンのソナタを聴かせてくれる。明日は、新星ディーヴァとの呼び名も高いミク・エストレーラによるディナーコンサートだ」

「俺、そういう高尚なのは、よくわかんないからな。こっちのほうが面白そうじゃね? 高級クラブ『サンクトペテルブルク』でワンドリンク付きショウってだってさ。おい、見ろよ、このシスカって歌手の姉ちゃん、銀髪にオッドアイだぜ。戦闘服系のコスプレさせたら、メチャクチャ似合いそう」

 京極がため息をついた。なんだよ、思うのは自由だろ。
「お。こっちも、いいじゃん」
俺の指したポスターを見て、京極は「ほう」という顔をした。

「君もスクランプシャスのファンなのか」
俺はムッとした。俺だってアニソンの専門じゃないんだよ。スクランプシャスは若者の思いを代弁してくれる名バンド。ま、俺も若者っていっていいのか、若干怪しい年齢にさしかかっているけどさ。

 しかし、まさか生スクランプシャスがここに来るとは。ライブはいつなんだろう。お願いだから『魔法少女♡ワルキューレ』放映時間とだけは重ならないでくれよ。

 そんな話題を花咲かせながら、俺たちは豪華客船の中を歩いて行った。

 目立つメインダイニングに行くことを京極が渋るので、俺たちはカジノを横切り、わりと目立たないカフェテリア『アキレスと亀』を目指した。

 カジノでは、アラブの王族みたいな服を着た男と、小柄の中年のおっさん、それに胡散臭いオヤジが、目も醒めるようなタイコーズブルーのドレスを着た女と勝負をしていた。はじめはけっこう余裕をかましていた男たちだが、みるみるうちにチップが女の方に移動していく。へえ。すげえ。

「なあ、京極、俺も少し賭けていい? あの赤い髪のねーちゃんみたく賭ければ、少し儲かるかも。そしたらコスプレも、自分の金で買えるようになるし」
そういうと、京極は首を振った。
「君は今、十歳のアンジェリカ嬢なんだ。カジノで賭け事するなんて言語道断だ。行くぞ」

 ちぇっ。本当にお堅いんだから。少しぐらいいいじゃん。

 カジノを横切って再び廊下に出ると、小脇に二頭のハスキー犬ぬいぐるみを抱えたとても幼い少女とぶつかりそうになった。おっと。

 少女はぽかんとしているだけだが、抱えたぬいぐるみ達が眉間を釣り上げて吠えかけたような氣がした。
「なんだよ、怖えな。わざとじゃないって」

 少女を氣遣っていた京極が振り向いて「なんだって?」と訊いた。
「いや、そのぬいぐるみが、怒ってしかもちょっと火を噴いたような……」
俺が言うと、京極は今日何度目になるかわからないため息を漏らした。

「ハスキー犬が怒っているように見えるのは普通だろう。模様だよ」
ま、そうだよな。よく見てもやはりぬいぐるみだし。京極の女に対する神通力は、幼児から老婆まで変わらないらしく、小さな女の子は俺なんか見もせずにヤツににっこりと笑いかけて手を振った。

 まあいいや、とにかくメシ食おう。カフェテリア『アキレスと亀』は、その廊下の突き当たりにあった。黒をメインにしたインテリアに、ギリシャ風の壺などがあちこち置いてある。

 俺は、メニューを開いて「うーん」と唸った。なんだよ、ここ、ギリシャ料理の店じゃん。俺は、普通の洋食が……。あれ、このムサカってのは美味そうだな。茄子のグラタンみたいなもんじゃん? それにほうれん草のパイか。それももらおう。それにえっと、飲み物は、おおっ。ウゾか、結構強そうだな。

「それはダメだ。君は十歳なんだから」
京極がすぐにダメだしする。ちっ。ま、いいか、このヨーグルトドリンクみたいなヤツで。

 選んでいると、奥の方のステージに灯がついた。ミュージシャン登場かな? でも、この店、まだ開店休業状態じゃん。俺たちの他にいる客といったら……、あ、白っぽいキャミソールドレスを着た女が一人か。お、すげー美人だ。それにあのスタイル。ポン、キュッ、ポンてな具合だよな。今のドレスもいいけど、コミケで着せるとしたらやっぱりピッタリとした戦闘スーツかなあ。別に戦闘系にだけ萌えるわけじゃなんいだけどさ。

 ともかく、客より従業員の方が多そうな状態だけれど、何かショーが始まるらしい。

 見ると、奥にわずかに他の床よりも高い場所があり、大広間にあったのとは比べものにならない古ぼけた感じのするピアノが置いてある。そこに着崩した麻のジャケットを着た金髪の男が座った。フルートを持った女や、ギターを抱えた男もステージに上がってきた。この二人はアジア人だ。それから、ひょろひょろとしたもじゃもじゃ頭の眼鏡男がピアノの前に立った。

 最初に弾きだしたのは、ギターを持った日本人。流れてきたメロディは、ギリシャ風の曲だ。あ、これ聴いたことがあるような。ギリシャ観光局って感じ? 別にどうということのない曲なので、メシを食うのに邪魔になることはなさそう。もじゃもじゃ頭の眼鏡男はなぜかトランプ手品を繰り広げている。

 俺は目の前に置かれたムサカに取りかかることにした。あっちっち。茄子と挽肉のグラタンみたいなもん? 美味っ。
「上品に食べてくれよ」
京極がささやく。うるせえな。お前は食わないのかよ。

 ヤツは、舞台の方に集中している。金髪男がピアノで先ほどより上品そうな曲を弾き出して、手品男もトランプをしまって歌い出した。意外にも上手いのでびっくり。

「モーリス・ラヴェルの『五つのギリシャ民謡』だな」
京極が頷く。
「なんだよ、お前、知ってんのか」
「ああ。ギリシャの民謡に素晴らしい和声のアレンジを加えて作った作品だ。この店に合わせてこの曲目を用意するなんて、洒落たアイデアだと思わないか?」

 俺は「うん」とは答えてみたものの、いまいちピンときていない。飯が美味ければ、何でもいいんだけど。京極はレチーナワインを飲んでいるだけで、全然食わないので俺がどんどん片付ける。舞台の曲は、アジア女のフルートや、ギター男が演奏に加わり、なかなか華やかな演奏になってきた。

 その『五つのなんとやら』が終わったらしく、客席から拍手が起こった。京極、白いドレスの綺麗な姉ちゃんや、いつの間に入ってきたのか他の観客も拍手を送っている。

 舞台のギター男がさっと立ち上がり手を伸ばした。その先にいたペパーミントグリーンのドレスを着たショートカットの女が、舞台に上がった。あ、この顔は知っている。さっき京極がポスター見ながら褒めてた歌手じゃん。初音ミクみたいな名前の、ええと、なんだっけ。

 一層大きな拍手に迎えられ、彼女は優雅にお辞儀をした。もじゃもじゃ男は舞台から降りて、アジアの二人と金髪男が伴奏をはじめた。

 おお、この曲はよく知っているぞ。なんて曲か知らないけれど。
「映画『日曜日はダメよ』のテーマ曲『Ta Pedia Tou Pirea』だな」
京極が解説してくれる。

「何それ?」
「ギリシャを舞台にした名作映画だよ。曲名は『ピレアの男たち』って意味じゃないかな。アカデミー音楽賞も取ったはずだ」

 澄んだ歌声は心地よい。さすがメインダイニングで歌う予定のディーヴァ。見るとキャミソールドレスの別嬪姉ちゃんも、さっきのもじゃもじゃ眼鏡男の時とは全く違う熱心さで舞台に見入っていた。

 俺は、とりあえずほうれん草のパイを片付けるのにメチャクチャ忙しい。京極、悪いけど全部片付けちゃうぞ。美味いし。

「ところで、君はいつまでアンジェリカ嬢の身体を乗っ取っているつもりなんだ」
京極は声を潜めて訊いた。

「ほんのちょっとだよ。うまいもん食って満足すればそれでいいんだ。最長で明日の『魔法少女♡ワルキューレ』放映時間までには戻してくれって頼んである。あの子が、船のあちこちを見るのに飽きちゃったら、すぐにでも終わりだろ。ほら、そこにも四角い額縁があるしさ」
俺は、ガツガツとフェタチーズとオリーブ入りのサラダをかき込んだ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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忘れてた……。ミク嬢が歌ったのをイメージしたのはこちらです。

Ta Pedia Tou Pirea - NANA MOUSKOURI


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Posted by 八少女 夕

【小説】豪華客船やりたい放題 - 3 -

台風の被害に遭われたみなさまに心からのお見舞い申し上げます。こんな時にのんきにどうでもいい小説をアップしている場合ではないのかもしませんが、とはいえ数日自粛しても同じ事ですし、不快に思われる方は読まないと思いますので、予約投稿通り本日公開します。以下、予約投稿の文章です。

大海彩洋さんと、ちゃとら猫マコト幹事で開催中の「【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅」の参加作品の第三回目です。

サラッと書いて終わらせるはずだったのに、なんか思いのほか文字数が……。はじめに謝っておきますが、真面目に豪華客船の謎に挑んだりはしません。能力も興味も皆無なキャラクターで出かけてきてしまったので。さらにいうと、妖狐の問題も全く解決する予定はありませんので、ストーリーに期待はなさらないでくださいね。

さて、今回の語り手は、京極髙志の方です。


オリキャラのオフ会


【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
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目が合ったそのときには 3
豪華客船やりたい放題 - 3 -


 僕は、ウェルカムパーティで何組かの知り合いと遇った。父が後援していた指揮者の令嬢で、かなり有名なヴィオリストである園城真耶。そして、彼女の又従兄弟で日本ではかなり有名なピアニストである結城拓人。この二人が乗船していたのは、嬉しい驚きだった。

「まあ、京極君じゃない! 久しぶりね。十年以上逢っていなかったんじゃないかしら」
彼女は、あいかわらず華やかだ。淡いオレンジのカクテルドレスがとてもよく似合っている。

「僕は、五年くらい前に舞台で演奏している君たちを見たけれどね。君たちもこの船に招待されたのか?」
シャンペングラスで乾杯をした。結城拓人はウィンクしながら答えた。
「いや、僕たちは君たち招待客を退屈させないために雇われたクチさ。変わらないな、京極。あいかわらず、あの会社に勤めているのかい? 先日、お父さんに遇ったけれど、そろそろ跡を継いで欲しいってぼやいていらしたぞ」

 僕は肩をすくめた。ぼんくらの二代目になるのが嫌で、自分の力を試すために父の仕事とは全く関係のないところに就職した。父はさっさとやめて自分を手伝えとうるさいが、責任のある仕事を任されるのが楽しくなってきたところだ。それに、何人もの社内若手の身体を乗っ取ったあげくに、山内の身体とパスポートを使い海外に逃げ出した妖狐捜索の件がある。自分も巻き込まれた立場とはいえ、いま放り出して会社去るのは、無責任にも程があるだろう。

「父は誰にでもそんなことを言うが、そこまで真剣に思っているわけじゃないんだ。ところで、君たちはこの船のオーナーと知り合いかい? もしそうなら、紹介してもらいたいんだが」
《ニセ山内》の件を相談するにも、まずはオーナーと知り合わないと話にならない。

「いや、僕たちはヴォルテラ氏と面識はないんだ。でも、あそこにいる二人なら確実に知り合いだと思う。ほら、イタリア系アメリカ人のマッテオ・ダンジェロ氏とヤマトタケル氏だ」
拓人は、二人の外国人を指さした。

 一人は海外のゴシップ誌でおなじみの顔だ。スーパーモデルである妹アレッサンドラと一緒にしょっちゅうパーティに顔を出すので有名になったアメリカの富豪で、たしか妹の芸名に合わせてダンジェロと名乗っているとか。

 もう一人の金髪の男も見たことがある。雑誌だっただろうか。端整な顔立ちと優雅な立ち居振る舞いの青年だ。変わっているといえば、茶トラの子猫を肩に載せているとこだろうか。もちろんパーティで猫の籠を持ち歩くわけにはいかないし、この人混みでは足下にじゃれつかせていたらいつ誰かに踏まれるかわからないので、そうするしかなかったのかもしれない。

 僕は首を傾げた。
「ということは、彼があの有名なヤマト氏なのか? でも、噂では、彼の父親は……」

 園城真耶は謎めいた笑みで答えた。
「だから拓人が、確実に知り合いって言ったのよ。もっとも、紹介してくれるかはわからないけれどね。でも、マッテオは、この船のオーナーとも財界やイタリアの有力者とのパイプで繋がっているに違いないわよ。とにかく挨拶に行きましょうよ」

 僕は、二人に連れられて、ひときわ目立つ二人のところへと向かった。驚いたことに、日本に永く住み音楽への造詣も深いと噂のヤマト氏だけでなく、ダンジェロ氏までが結城や園城をよく知っている様子で、親しく挨拶を交わしていた。特に園城に対しては最高に嬉しそうに笑顔を向ける。

「ああ、真耶、東洋の大輪の薔薇、あなたに再会するこの日を、僕がどれほど待ち焦がれていたか想像できますか? 今日もまた誇り高く麗しい、あなたにぴったりの装いだ。先日ようやく手に入れた薔薇アンバー・クイーンの香り高く芯の強い氣高さそのままです」

 僕は、ダンジェロ氏が息もつかずに褒め称えるのを呆然と聞いていた。彼女は、この程度の褒め言葉なら毎週のように聞いているとでも言わんばかりに微笑んで受け流した。
「あいかわらずお上手ね。ところで、私たちの古くからの友達とそこで再会したの。ぜひ紹介させてくださいな。京極髙志さん、あなたもよくご存じ日本橋の京極高靖さんのご長男なの。ご近所だからタケルさんはご存じかもしれないわね」

「おお、あの京極氏の……。はじめまして、マッテオ・ダンジェロです。どうぞお見知りおきを」
「はじめまして。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 ヤマト氏もどうやら父のことをよく知っているらしい、ニコニコして握手を交わしてくれた。
「お噂はよく伺っています。お近づきになれて嬉しいです。今、マッテオと話をしていたのですが、あちらのバーにとてもいい出來のルイ・ロデレールがあるそうなんです。それで乾杯しませんか」

 それで、僕たちは広間の中央から、バーの方へと移動することにした。が、園城と結城は一緒に移動する氣配がない。
「失礼、私たち、これからリハーサルがあるのでここで失礼するわ」

「リハーサル? ああ、君たちが出演する、明日の演奏会のかい?」
ダンジェロ氏が訊くと結城は首を振った。

「いや、それとは別さ。実は、普段ヨーロッパにいる友達四人組も来ているんだ。それで急遽一緒に演奏することになってね。たぶん、夜にバーで軽く演奏すると思うから、時間があったら来てくれ」
「じゃあ、また、後で逢いましょう」
そう言って二人は、去って行った。それで、僕はダンジェロ氏とヤマト氏に連れられてバーの方へ行った。

 移動中に、ヤマト氏の愛猫が何か珍しいものを目にしたらしく、彼の肩から飛び降りてバーと反対の方に駈けていってしまった。ヤマト氏はこう言いながら後を急いで追った。
「失礼、マコトを掴まえて、そちらに行きます!」

 結局、僕はダンジェロ氏と二人で、笑いながらバーに向かった。

 がっしりとした樫の木材で作られたバーは後ろが大きな四角い鏡張りになっていた。そして、そこに目をやって僕はギョッとした。映った僕たちの他に、白い見慣れた顔が見えたのだ。思わず叫んでしまった。
「山内!」

 その声に驚き、ダンジェロ氏も鏡の中の妖狐に氣付いた。しまった……。

 よく見ると山内の様子がいつもと違う。立ち方がエレガントだし、それにいつも好んで選ぶ変な服と違い、上等のワンピースを着ている。サーモンピンクの光沢のある絹の上を白いレースで覆った趣味のいいカクテルドレスだ。そして、僕の横を見て嬉しそうに口を開き、鈴の鳴るような可愛らしい声で英語を口にした。
「マッテオ! 私よ」

「おや、その声は僕の愛しい天使さんだね。どういう仕掛けになっているのかな? アンジェリカ」
ダンジェロ氏が、その声に反応した。

 僕は、自分でも血の氣が引いていくのをはっきりと感じた。山内のヤツ、なんてことをしてくれたんだ!
「まさか、妖狐に身体を乗っ取られてしまったのかい、お嬢さん!」

 妖狐の姿をしたダンジェロ氏の連れと思われる少女は、首を振った。
「いいえ。違うの。さっきタクヤとしばらくのあいだ身体を交換する契約を結んだだけ。マッテオが社交で忙しい間、この船内のなかなか行けないところを冒険するつもりなの。明後日の十時までに戻るから心配しないで。マッテオに心配かけないように、あらかじめちゃんと説明しておこうと思って。でも、会場の真ん中には行けなくて困っていたの。この広間で四角い枠はこの鏡の他にはあまりないでしょう。この側に来てくれて本当に助かったわ」

「ダンジェロさん、この方は……」
僕が恐縮して訊くと、ダンジェロ氏は、大して困惑した様子もなく答えた。
「ああ、紹介するよ。僕の姪、アンジェリカだよ。普段は十歳の少女なんだ。アンジェリカ、こちらは京極髙志氏だ」

 ってことは、山内のヤツは十歳のアメリカ人少女のなりでこの船内を歩き回っているっていうわけか……。

「ああ、タクヤが言ってたタカシっていうのはあなたね。どうぞよろしく。マッテオ、詳しくはこの人に説明してもらってね」
妖狐の中の少女は朗らかに笑った。

 ダンジェロ氏は、鷹揚に笑った。
「オーケー、僕の愛しい雌狐ヴォルピーナ ちゃん。世界で一番賢いお前のことだ、何をするにしても僕は信用しているよ。危険なことだけはしないでおくれよ。それに、困ったことが起こりそうだったら、すぐに僕たちに相談すると約束してくれるね」

「サンクス、マッテオ。もちろんそうするわ。タカシも、心配しないでね」
妖狐姿のアンジェリカはウィンクした。

「ところで、アンジェリカ。そのカクテルドレスだけれど」
ダンジェロ氏が、鏡の奥へと去って行こうとする彼女を呼び止めた。彼女は振り返って「叱られるかな」という顔をした。

「私の服だと小さくて入らないから家に戻って、ママのワードローブから借りてきたの。だって、変な安っぽい服着ているのいやだったんだもの。ダメだった?」
ダンジェロ氏は、「仕方ないな」と愛情のこもった表情をして答えた。

「エレガントでとても素敵だよ。アレッサンドラに内緒にしておくが、汚さないないように頼むよ。来月ヴァルテンアドラー候国八百年式典の庭園パーティーで着る予定のはずだ。とくにそのレース、熟練職人の手編みで1ヤードあたり六千ドルする一点ものだから、引っかけたりしないようにしてくれよ、小さなおしゃれ上手さん」

 僕の常識を越えた世界だ。姪に甘いにも程がある。だが、よその家庭の話はどうでもいい、僕はアンジェリカ嬢の身体を借りて、何かを企んでいる山内を探して監視しなくては。まったく、どうしてことごとく邪魔ばかりするんだろう、あの男は。誰のために僕がこの船のオーナーと話をしたがっているのか、わかっているんだろうか。
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Posted by 八少女 夕

【小説】豪華客船やりたい放題 - 2 -

大海彩洋さんと、ちゃとら猫マコト幹事で開催中の「【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅」の参加作品の第二回目です。

ようやく本題に入った。こんな感じでストーリーが進みます。というわけで、うちのキャラを書こうとしているみなさま、中身が入れ替わっておりますので、ご注意ください。


オリキャラのオフ会


【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
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目が合ったそのときには 3
豪華客船やりたい放題 - 2 -


 俺がお茶会に紛れ込んで美味いものを食うにはどうしたらいいかを考えていると、ドアの前に来ていたブルネットの少女が「ところで」と唐突に話しかけた。げっ。いつの間に。

「あなたは一体だれ? その耳と尻尾は仮装なの?」
どっかで見たような顔の少女だった。俺は、アイドルや二次元の方が好みだったのでガイジンには詳しくないが、この顔にそっくりな女は何度も見たことがある。スーパーモデルってやつ? 名前までは知らないけれど。が、この子は大人びてはいるけれど、絶対に本人じゃないだろう、若すぎる。

 俺がこの妖狐スタイルになって実にラッキーだと思うことの一つに、語学問題がある。学校に通っていたときから、勉強は苦手で英語なんて平均点以上採ったことがない俺だが、この狐耳から聞こえてくる言葉は、全部日本語と同様にわかるのだ。テレビの会話を理解していただけだから、俺が話す言葉もガイジンに通じるかどうかはわからないけれど。

「仮装じゃないさ。本当の耳と尻尾」
言ってみたら、少女は目を丸くした。
「触ってみてもいい?」

 ってことは、俺の言葉も通じているって事だ。へえ、びっくり。
「触ってもいいけどさ、あんた、怖くないのか? 俺が妖怪だったらどうするんだよ」

 少女は首を振った。
「全然怖くないわよ。だって、カーニバルで仮装の子供たちが着るみたいな、ペラペラの服着ているお化けなんているわけないもの。なぜセーラー服にミニスカートを合わせているの? 狐の世界での流行?」

 俺はがっかりした。日本でも放映が始まったばかりの『魔法少女♡ワルキューレ』をガイジンが知っているとは思わないけれど、アニメコスプレについては、海外でももっと市民権を得ていると思ったのにな。でも、確かにこの子が着ている服、めちゃくちゃ高価そうだもんな、化繊の安物コスチュームに憧れるわけないか。

「狐の流行じゃなくて『魔法少女♡ワルキューレ』のコスチュームだよ。あんた、ジャパニーズ・アニメは観ないのか。どこの国から来たんだ? 俺は、日本人で山内拓也って言うんだけどさ」
俺が訊くと、少女はにっこりと笑って握手の手を差し出した。

「はじめまして。私、アンジェリカ・ダ・シウバ。アメリカ人よ。マッテオ伯父さんと一緒に来たの。タクヤは、日本の狐なの? 招待されて一人で来たの?」
「いや。京極髙志っていうヤツが招待状をもらったんだ。俺は面白そうだから来ただけ。俺、どこにでも行けるんだぜ。四角い枠からは出られないんだけどさ」
「ふーん。便利なんだか不便なんだかわからないわね。ところで、どうして男の人みたいな声なの?」
「俺、もともとは男だったんだもの。身体をだれかに取られちゃってさ。まあ、この身体のままでも、そんなに悪くないけどね。お茶会に行けないのが、目下の悩み」

 アンジェリカは、少し思案をしていた。
「お茶会に行けなくて悩んでいるのって、みんなとお茶が飲みたいの?」

「いや、美味いものさえ食えれば、それでいいんだけどさ。でも、ビュッフェのところにいって好きなものを取りに行くとか、そういうことはできないんだ。京極の野郎は、社交で忙しくて、エビピラフとグラタンを取ってきてくれとか、言っても聞いていないと思うし」

 アンジェリカは、頷いた。
「せっかくどこにでも行けるのに、簡単じゃないのね。私はエビピラフなんか食べられなくてもいいから、ちょっとだけでもどこにでも行ける能力が欲しいな。この船の地下に、いろいろと秘密があるんですって。でも、どこにも通路がないんだもの」

 で、俺はひらめいた。
「まじか? だったら、しばらく身体を交換しないか?」
「交換? そんなことできるの?」
「ああ。俺がこの服を脱いで、あんたと目を合わせれば、入れ替わる」

「でも、それで元に戻れなくなったら困るもの」
「この身体になったら四角いところのどこへでも行けるんだぜ。つまり好きなときに俺の前に出てきて目を合わせれば戻れるんだ。もっとも俺、明後日の朝十時までにはどうしてもこの身体に戻って『魔法少女♡ワルキューレ』の第二回放送を観たいんだ。遅くともそれまでにしてくれよ」

 アンジェリカは、少し考えていたが頷いた。
「わかったわ。そうしましょう。でも、私の格好をして、品位の下がるようなことしないでよ」

 俺は、情けなくなった。京極にもいつも叱られっぱなしだけど、こんなガキにまで信用ないなんて。まあ、無理ないけど。

 そういうわけで、俺とアンジェリカは、身体を交換した。アンジェリカに教えてもらった彼女の船室に戻り、お茶会に相応しい服を選ぶことにする。いま着ているクリーム色のワンピースを見るだけで、大金持ちの娘なのは丸わかり。俺、ロリコン趣味はないけど、これだけの美少女の身体でコスプレ、もといファッションショーごっこをするのは悪くない。明後日の十時までの四十時間、楽しく遊ばせてもらうぜ。ついでに好きな食い物たらふく食べるぞ!
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Posted by 八少女 夕

【小説】豪華客船やりたい放題 - 1 -

大海彩洋さんと、ちゃとら猫マコト幹事で開催中の「【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅」の参加作品の第一回目です。

すみません、まだウゾさんのところのキャラしか出てきていませんし、宿題の『旅の思い出』も出てきていません。次回以降にぼちぼち書きますので、今日は導入部のみで失礼します。


オリキャラのオフ会


【2019オリキャラオフ会】豪華客船の旅の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など




目が合ったそのときには 3
豪華客船やりたい放題 - 1 -


 ほう。さすがは、お坊ちゃま。

 京極は、ウェルカムパーティに遅れないように身支度をした。タキシード、俺には執事コスプレにしか思えない服装をしてもちゃんと絵になる。鏡を覗いて、俺がちゃっかり来ているのを知り、露骨に嫌な顔をした。

「来るなといったのに、どうしてここにいるんだ、山内」

 山内拓也、それが俺の名前だ。見かけは全然それっぽくない。かつては普通の男だったけれど、あれこれあって、今は狐の耳と尻尾を持つ美少女の姿をしている。四角い枠の中にしかいられないのはもどかしいが、反対に四角い枠の中であればどんなところにでも自由にいけるという、非常に便利な能力を持った異形なのだ。

 京極髙志は、俺が勤めていた会社の総務課長代理だ。イケメンで、お育ちもいい上に、仕事も出来るので女たちが群がるけっこうなご身分。ずっとムカついていたけれど、俺が本来の身体を乗っ取られてこの姿になってしまって以来、自宅にかくまってくれて面倒を看てくれている。そう、こいつは性格もいいヤツなんだ、腹立たしいことに。

「世界から金持ちがワラワラ集まる豪華客船パーティ、美味いものも、綺麗どころもたっぷりと聞いたら、そりゃ行きたくなるさ。お前だけ楽しむなんてずるいぞ」

 京極は、ますます嫌な顔をしてため息をついた。
「僕は、遊びに来たわけじゃない。乗っ取られた君の身体とパスポートで、イタリアに入ったという《ニセ山内》の情報をもらうために、この船のオーナーと話をする必要があるから来たんだ。君だって、早く身体を取り戻したいだろう」

 そう言われて、俺は少し考えた。まあ、確かに身体を取り返したいって思いはあるけれど……。
「そんなに急がなくても、いいかな。ほら、先週『魔法少女♡ワルキューレ』の放映が始まったばかりだし、その他にリアルタイムで追いたいシリーズがいくつかあるんだよな。ゲームもまだシリーズ3に着手しだしたところだし、コスプレの方も……」

 俺ののんびりライフのプランを聴いてイラッときたのか、京極はそれを遮った。
「そういえば、先週も着払いで何かを頼んだだろう」

「悪い。けど、しょうがないだろう。俺は休職中で収入ないしさ。お前のクレジットカードの家族カード作ってくれたら、着払いはやめるよ」
「冗談じゃない。カードなんか作ったら、とんでもないサイトで課金するに決まっている」

 よくおわかりで。
「まあね。でも、服は仕方ないよ、必要経費だろ? お前にとっても」

 これは京極にとっても痛いところをついたようだ。服の着用が、俺の持つもう一つの迷惑な能力を封印するからだ。

 俺は、誰かと目を合わせると、そいつと身体を交換することが出来る。まあ、そういうわけで俺自身の身体を誰かに持って行かれてしまったわけだ。で、もう一度目を合わせると再び元に戻る。同じ相手とは一度しか交換できない。つまり、俺は俺自身と目を合わせて身体を取り戻さなくちゃいけないわけだけれど、そいつがどこにいるのかわからない限り、話は簡単じゃない。

 で、事情をよく知っている京極ん家の露天風呂をメインの根城にさせてもらっているのだが、一応美少女の姿をしているので、独身の京極には目の毒らしく「服を着ろ」と言われた。で、着てみたらなんと誰と目を合わせても問題は起こらないということがわかったのだ。おかげで、京極は俺が服を脱いで人前に出ないようにますます心を砕く羽目になったというわけだ。

 俺にとっても悪い話ではなかった。もともと俺は猫耳のギャルが大好きなのだ。で、鏡に映せば自分の姿にはいくらでも萌えられる。コスプレもし放題。アニメとゲームの合間にコスプレ、こんな天国がどこにあるだろうか。身体が戻ってしまったら、またドヤされながら営業に回らなくっちゃいけない。だったら今のうちに存分楽しまなくちゃ。

 払わされる京極には悪いけど、俺の軍資金はとっくに底をついてしまったから……。ま、いいだろ、お坊ちゃまには働かなくても構わないくらい財産があるんだから、月に数着の服くらい。いや、数着じゃないな、小物も入れたらギリ二桁ってとこ?

 今日、選んでみたのはさっき届いたばかりの『魔法少女♡ワルキューレ』のシリーズもの。まずは『ファイヤー戦士ブリュンヒルド」を着てみた。白い肌に赤いミニスカって、滅茶苦茶合うよね。髪型もちゃんと高めのポニーテールにして再現したけど、京極のヤツ、わかってんのかな。

 京極はため息をつくと、袖口をカフスで留めた。
「しかたないな。観て歩くのは仕方ないが、あまりあちこちで迷惑をかけるなよ。大人しくそこでアニメでも観ていてくれ」

 そう言って京極のヤツは出て行った。ふふん、この船のテレビはオンデマンドだから、かじりついていなくても再放送を観られるんだよ。もちろん『魔法少女♡ワルキューレ』の放映は外せないけどさ。

 さ。せっかくたくさんの服を用意してきたし、あちこちで見せびらかしてこなくっちゃ。どこから行こうかな。

 テレビやスマホ、ドア、窓や鏡だけじゃない。プール、ビリヤード台、調理場の流し、ワゴンの下、段ボール箱、ポスター。四角いところならこの船のどこにでもある。

 試しに一つのドアへ行ってみたら、ちょうど二人の少女が挨拶をしているところだった。一人はクリーム色のボレロ付きワンピースを着たブルネットの少女で、もう一人は全身真っ白のビスクドールのように美しい少女。ブルネットの少女が一人であれこれ話しかけながら、もう一人の少女にガラスの煌めく髪飾りをプレゼントして去って行った。白い少女は、髪飾りを陽に透かし、それから少し離れたところで立っていた全身黒づくめの男にそれを見せた。

 俺は、もう一人の少女が語っていたことをちゃんと聞き取っていた。「甲板長主催の船に纏わる伝説とお茶会」そんなものがあるなら、顔を出してみようかな。いや、茶菓子を食べるのは、枠の中にいたらダメだよな。さて、どうしよう。
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Tag : 小説 連載小説 オリキャラのオフ会 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】不思議な夢

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第八弾です。ユズキさんは、『大道芸人たち Artistas callejeros』の主人公の一人ヴィルの登場するコラボマンガを描いてくださいました。ありがとうございます!

 ユズキさんのブログの記事『scriviamo!2019はマンガを描きました 』
 ユズキさんの描いてくださった『コアラ先生は謎の男を拾っておもてなしをしました。

ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『ALCHERA-片翼の召喚士-』の、リライト版『片翼の召喚士-ReWork-』、そして『アストリッド様と「行くわよ愉快な下僕たち!」』を集中連載中です。

そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。

 今回描いてくださったマンガは、『ALCHERA-片翼の召喚士-』の世界観、続編に出てくるキャラクターのコアラのトゥーリ族であるウコン先生がいち早くお披露目だそうです。コラボ相手に選んでくださった唐変木男ヴィルとユズキさんの作品とは縁が深くて、ヒロインのキュッリッキ嬢や、その守護神であるフェンリルとのコラボもさせていただきました。

で、今回はヴィルが異世界召喚されちゃって、もったいないおもてなしを受けているのに、なのに相変わらずの無表情&唐変木ぶりを発揮している、もう私にとってはツボ! なマンガだったのですが、ご希望は、このお話をヴィル視点で書いて欲しいとのことでした。というわけで、書きましたが、あ〜、ユズキさん、申し訳ありません。失礼の数々、ヴィルに代わって深くお詫びいたします。


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物



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大道芸人たち・外伝
不思議な夢
——Special thanks to Yuzuki san


「ねえ、やっぱりちゃんとお医者様に診てもらった方がいいんじゃないの?」
蝶子の言葉にヴィルはムスッと答えた。
「こんなのは寝ていれば治る」

「なあ。健康保険をなんのために払ってんだよ。俺運転するぜ。ちょっと診てもらって抗生物質を出してもらうとかさ。なんなら、お尻にぶすっと注射でも打ってもらえば……」
「注射なんて死んでもごめんだ!」
そういうと、ドイツ人は布団をかぶって背を向けた。

 蝶子は、稔と顔を見合わせて肩をすくめると、仕方ないので部屋の外に出た。
「なぜあんなに意固地になるのかしら」
「さあな。ただの風邪なら確かに寝てりゃ治るけれど、あれ、インフルエンザじゃないのか? そういえば、テデスコが寝込むほど具合が悪くなったのって、もしかして初めてだな」

「普段の理屈っぽさはどこに行っちゃったのかしら。あそこまで非論理的になるなんて」
「テデスコ、もしかして注射が怖いのかもしれませんよ」
レネが言った。

 全くお手上げだった。エッシェンドルフの屋敷にいれば、ミュラーが医者の往診を頼んでくれるだろうが、旅先ではそういうわけにもいかない。
「しかたないわね。私、薬局に行って解熱剤でも買ってくる」

「じゃあ、俺たちは、買い出しに行くか」
稔が言うと、レネは頷き、三人はそっと宿を出て行った。

「注射なんて死んでもごめんだ」
ブツブツとつぶやくと、ヴィルはもう一度寝返りをうった。激しい頭痛がして、なかなか寝付けない。体が頑丈なのが取り柄なのに、一体どうしたというんだ。明日までに熱が下がるといいんだが。

* * *


 ほらみろ。少し寝ていたら、痛みは治まったし、熱ももうないようだ。医者なんかに行く必要はなかったな。

 ヴィルは、勝ち誇った思いで瞼を開けた。それから、何度か瞬きをした。安宿で寝ていたんじゃなかったのか? 何で俺は、ここに立っているんだろう。

 そもそも、その場所に見覚えがなかった。街の作りは、さほど奇妙ではなかった。若干カラフルすぎるように思うが、美しく計画された、清潔な町並みだ。しかし問題は、道行く人々が彼の馴染んでいるヨーロッパの人種と違うようなのだ。中には、彼自身と同じゲルマン系に見える人々もいる。たとえアジア系やアフリカ系の人間がいても、今時は珍しくない。だが、動物の頭をした人物が、服を着て直立二足歩行をしているのは普通ではない。

 狐がすれ違いざまに振り向いていった。連れだって歩いているのは大きな熊だ。そんなことがあってたまるか。

 つい数日前に、稔が話していたことを考えた。確か蚊が媒介するウィルスが脳炎を起こすので、日本では子供の頃に予防接種が義務づけられているとか。日本人に生まれなくてよかったと思っていたが、もしかして、先日の日本行きで蚊に刺されその脳炎にかかってしまったのだろうか。

 呆然としていると、服の一部を誰かが引っ張った。視線を下げて見ると、そこに服を着たコアラがいる。コアラだ。こんな間近にコアラを見たのは初めてだ。そう考えて、次に自嘲した。近くも何も俺はコアラを見たことなんかないじゃないか。あの時に、見そびれたんだから。小学五年生の遠足。夢にまで見たデュイスブルク動物園。

 服を着たコアラは、何かを話しかけている。残念ながら、何を言っているのかさっぱりわからない。どうやら悪意はなさそうだ、どちらかというと親切な話し方だ。

「悪いが、英語で話してくれないか」
言ってから、自分でもどうかしていると思った。オーストラリアにいるからといってコアラが英語を話すわけないだろう。オーストラリアのコアラは服は着なかったと思うが。

 そして、そのコアラは、英語に切り替えてくれることはなかった。どうやらヴィルが何を言っているのか、通じていないようだ。だが、彼は(オスだと思うのだが確かなところはわからない)、ヴィルをどこかに連れて行こうとしている。放っておいて欲しいと伝えようとしたが、考えてみればこのままここにいても問題が解決しそうにないので、とりあえずそのコアラについて行くことにした。

 ついてから、「最悪だ」と思った。どうやらそこは、あれほど行くことを拒否した診療所のようなところだったからだ。

「いや、俺はもう治ったので、心配しないでくれ。特に注射はごめんだ、絶対に断る」
幸いコアラは注射器を取り出すような氣配はなかったが、どうもこの消毒薬の匂いは落ち着かない。

 ヴィルは、子供の頃から病院や診療所が苦手だった。成長して、診療所は病を治療するところで、拷問するところではなく、怖れることは何もないのだとわかってからも、苦手意識は変わらなかった。それは、彼にとって苦々しいことだった。論理的でないとわかっているのに、感情が自分を支配しているのが腹立たしい。いい歳をして病院が怖いなどと認めるのは絶対に嫌だった。

 服を着て二足歩行をし、パイプを吹かし、人間に話しかける、非論理の極みであるコアラは、消毒薬の匂いのするこの診療所を我が物顔で歩き、診察椅子と思われるところに座れと促している。人間の医者にかかるのだってごめんなのに、どうしてコアラに診療されなくちゃいけないんだ。

「はっきりさせておきたいが、これは夢なんだろう。いわゆる明晰夢ってやつなんじゃないか。明晰夢なんてモノをみたことはこれまでに一度もないが、そもそも不眠症ぎみの俺は、ほとんど夢を見ないしな。もしこれが夢ではなかったら、俺は頭がイカれてしまったことになる。そうすると、それはそれであんたのフィールドだ。あんたが医者のコアラならな」

 コアラの方は、じっと真剣にヴィルの問いかけを聴いていたが、それがわかったわけではないらしい。かなり困った顔をしながら、何かを懸命に訴えていた。身振り手振りを推察するとなぜあそこにいたのだ、どこから来たのかと質問しているようだ。そんなこと、俺の方が訊きたい。ヴィルは途方に暮れて押し黙った。

 コアラは、どこかへと電話をした。電話も使うのか。そうだろうな、家や診療所を持っているくらいだ。電話くらいするだろう。ヴィルは妙な感慨を持った。

 直に、誰かが訪ねてきたので、コアラは玄関へ行き招き入れた。別のコアラが来るのかと思ったが、今度は人間だった。ヴィルは、これ幸いと英語を始め、ドイツ語やイタリア語、それに片言の日本語の単語なども含めて男に問いかけた。人間なんだから英語くらいわかるだろうと思った読みは外れた。その男は、コアラと同じ言葉を使っていた。ヴィルに触って、何かを調べていたようだったが、結局なんの解決にも至らずに帰って行った。

 これではっきりした。ここは、いつもいる旅先のどこかではない。俺の頭が高熱でおかしくなってしまったという疑いは晴れないが、それにしては恐怖を引き起こすような状況は(注射を除いては)起こりそうにもない。ということは、やはり明晰夢の一種なのだろう。ヴィルは、とにかく落ち着いて、目の覚めるのを待とうと思った。

 そもそも自分はなぜコアラの夢を見ているんだろうかと考えた。コアラが特別好きだと思ったことはない。そもそも、三十年以上生きてコアラに関わることはほとんどなかった。唯一あるとしたら……。

 小学五年生の時、ドイツ西部のデュイスブルクに遠足に行くことになっていた。オランダにほど近い街までは遠いので泊まりがけだった。デュイスブルク動物園はコアラの繁殖に力を入れていて、オーストラリア固有種を生まれて初めて見ることを子供たちは、みな楽しみにしていた。ヴィルもそうだった。

 だが、泊まりがけと聞き、ヴィルの父親は反対した。私生児として生まれたヴィルの音楽の才能に氣がついた父親は、週に一度ミュンヘンの屋敷にレッスンに来るよう命じた。厳しいレッスンと課題に追われる日々が続いた。例外は許さず、たかが動物園に行くためにレッスンを休むなどとんでもないというのが彼の主張だった。

 デュイスブルク行きの費用を、母親は出してくれなかった。それだけの経済的余裕はなかったし、レッスンに関することで父親に反対することも彼女は望まなかった。城のように豪奢な邸宅住む父親にとって、その費用ははした金以下だろうが、頼んでも無駄なことは訊くまでもなくわかっていた。

 ヴィルが諦めなくてはならなかったのは、デュイスブルク行きだけではなかった。サッカーの試合も、友人の家に泊まりに行くことも、年末のパーティも、どんな羽目外しも許してもらえなかった。彼は、父親の教えに従い、フルートとピアノの腕前をあげ、大学在学中にコンクールで優勝するほどに上達したが、後に反抗して音楽から離れ、演劇の道に入った。

 あの時に夢にまで見た、コアラをみること。それがこの夢の引き金だろうか。だったらなぜサッカーの試合観戦や、遠足の夢を見ないんだ。ヴィルは、首を傾げた。

 服を着たコアラは、彼を別の部屋、おそらくダイニングルームと思われる部屋へ連れて行き座らせた。それからにこやかに何かを告げると席を外した。

 何が起こるかはわからないが、危害を加えられることもないと思ったので、目が覚めたときに分析できるように、周りの状況を目に焼き付けておこうと思った。窓の外には、新緑が萌え盛っている。季節も違うらしいな。

 カチャカチャと音がして、コアラが部屋に戻ってきた。見ると磁器のティーセットを盆に載せている。質のいい薄い茶碗に、コアラは紅茶を注いだ。それをヴィルに勧めて飲めと促した。それから、次から次へと甘そうな菓子類を運んできた。

 おい、コアラはユーカリしか食べないはずじゃなかったか。いや、これまで見たあれこれと比べたら何を食べようがこの際さほど重要ではないのかもしれない。

 真っ白な生クリームの上に、色とりどりのベリーが載ったトルテ。カスタードクリームに季節のフルーツをこんもりと載せたタルト。カラメルソースの艶やかなカスタードプディング。イチゴにクリームのたっぷり載ったサンデー。チョコレートやナッツを使ったクッキーやショートブレッド。パルミエパイ、クッキー、スコーン、マカロン。

 ちょっと待て。なぜこんな大量の菓子を運んでくるんだ。何十人の客が集まるんだ? それにしては、ティーカップが二人分しかないが、どういうことなんだ。ヴィルは、言った。
「まさか、俺一人にこんなに食えって言うんじゃないだろうな。ブラン・ベックじゃあるまいし、こんなに甘いものばかり食えないぞ」

 彼の仲間の一人であるレネは、甘いものに眼がなく、一緒に日本に行ったときにもスイーツ・バイキングで一人だけ山のようにこういった菓子を頬張っていた。あの時ヴィルは、妙に薄いコーヒーのみを飲み、醒めた目で仲間を見ていた。最後に蝶子に押しつけられたエクレアを一つだけ食べたのだ。甘かったが、それなりに美味いと思った。

 ちらりと菓子を見た。一つくらいなら、食べてみてもいいのかもしれない。

 それから、急いで自分を戒めた。ダメだ、ダメだ。お伽噺のセオリーだと、こういう時に出されたモノを口にしてはいけないことになっているんだ。ただの夢なのに馬鹿馬鹿しいとは思うが、ここは用心して食わないのに限る。ブラン・ベックなら、問答無用で楽しく食うかもしれんが、俺はもう少し慎重なんだ。

 コアラは、親切そうに何かを訴えている。食え食えと言っているんだろう、見ればわかる。おや、なんだか泣いているようだ。俺が泣かせたんだろうか。

 その泣き顔を見ているうちに、ヴィルは子供の頃のことを思い出した。学校の行事に参加することがなくなり、クラッシック音楽の練習に明け暮れていたため、同級生からはお高くとまった子供だと敬遠され、彼は次第に孤立していった。デュイスブルク動物園に行かせてもらえず、悲しい想いでいたときも、それを打ち明け悲しみを吐露する友人がいなかった。彼は、誰の前でも泣くことが出来なくなった。

 そうか、俺は、ずっと泣きたかったんだ。つらい悲しいと、わかってほしいと、誰かに打ち明けたかったんだ。ずっとその相手がいなかったから、飲み込んでいたが、今の俺はもう一人じゃない。悲しみも、歓びも、共に分かち合える仲間がいるじゃないか。

 三人が楽しそうに甘いものを食べているときに、あれは俺の食べるものではないと、醒めた態度で見ていたが、一緒にワイワイと食べればよかったのかもしれない。だから、俺は、こんな夢を見ているのかもしれない。

 そう思った途端、急に晴れ晴れとした心持ちになった。周りが霞がかかったようにぼやけていく。そうか、俺は目醒めるんだな。元いたところへ、三人の元に帰れるんだ。

 彼は立ち上がると、コアラの医者に礼を言った。
Danke sehr.どうもありがとう

* * *


 目を覚ますと、少し暗くなっていた。やっぱり夢だったな。どのくらい寝ていたんだろう。ああ、本当に熱が下がったらしい、痛みもなくなっている。トイレに行くために起き上がり、多少ふらつきながらドアに向かった。

「え! 帰っていたの?」
ドアの向こうにいた蝶子が驚いた。

「何がだ? それはこっちの台詞だろう」
ヴィルは眉をひそめた。

「だって、薬を買って戻ってきたら、いなかったから。ねえ?」
蝶子が同意を求めると、稔とレネも真面目な顔で頷いた。

「よほど具合悪くなって一人で医者に行ったのかと思った。そこら辺は見て回ったけれど、倒れてもいなかったし、早く連絡をくれないかって話していたところだったんだぜ」
稔も口を尖らせた。

「もしかして、僕たちがいないと思っていただけで、本当は布団にくるまっていて見えなかっただけなんでしょうか?」
レネも首を傾げている。

 ヴィルは、トイレから戻ってくると、三人の座っているテーブルについた。それから、買いだしてきたと思われるクッキーの袋に手を伸ばすと、開けて食べた。

「どうしたの? まだ、熱があるの?!」
普段は自分から甘いものを食べないヴィルが、いきなりそんな行動に出たので蝶子はうろたえた。

「これも食べますか?」
レネは、おそるおそるマカロンも差し出した。

 悪くない。あんなにたくさんはいらんが、たまには甘いものもいい。ヴィルは、心配してくれる三人の顔を眺めながら思った。そして、先ほど見たシュールな夢について語った。

「馬鹿馬鹿しい夢だが、何か意味があるのかもしれないと思ったよ」
そう言って話を終えると、三人は顔を見合わせて、笑った。

「それって、異世界召喚ってヤツなんじゃないか」
稔が言った。ヴィルは、とことん馬鹿にした顔で応じた。

「いいなあ。もし僕がその場にいたら、全部少しずつ食べさせてもらったのになあ」
レネが言うと、蝶子は吹き出した。
「少しずつじゃなくて、完食したんじゃないかしら」

 ヴィルも同じことを思った。それから、「シャワーを浴びてくる」と立ち上がった。

「もういいの?」
「すっかり毒が抜けたよ。明日、予定通り移動も出来るさ。次の目的地、決めといてくれ」

 そう言うと、ドアへ向かう彼の後ろ姿に、稔が笑って言った。
「もう決まっているよ。デュイスブルクだろ」

 ヴィルが驚いて、振り向くと、蝶子とレネも笑って人差し指をあげて賛成の意を示していた。多数決が成立し、行き先が決まった。

(初出:2019年2月 書き下ろし)


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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】追憶の花を載せて

今日は「十二ヶ月の情景」十二月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。100,000Hit記念企画のラストになります。

月刊・Stella ステルラ 10、11月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、ポール・ブリッツさんのリクエストにお応えして書きました。

12月、うちの鈴木くんと八少女さんのキャラクターを誰かコラボさせてください。いろいろと性格とか考えると、八少女さんの小説世界にからめられる人間が鈴木くんくらいしかいない(笑)

そろそろ鈴木くんも中学生なのでホームステイかなにかでヨーロッパへ旅行させてもいいでしょうしね(^^)


鈴木くんとは、こちらのポールさんの小説の主人公です。
恩田博士と生まれ変わりの機械たち

ヨーロッパへ来ていただく事も可能だったのですが、私のキャラが中学生がホームステイするような所にあまりいないなあ、ということで、日本を舞台にした掌編になりました。

ポール・ブリッツさんの元になった小説が、とてもいいお話なので、余計なことを書いてぶち壊したくないなと思い、もともとの設定を元に書きました。あー、と言うわけで、原作を未読の方はまずポールさんの作品を読んでから、こちらを読まれることを推奨いたします。

コラボさせたのは、昨年の「十二ヶ月のアクセサリー」シリーズの中で出てきた二人組です。


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追憶の花を載せて

 加奈はウィンドゥ・ディスプレイ越しに灰色の空を見上げた。今朝はかなり冷え込んでいる。もしかしたら雪が降るのかもしれない。

 恋人たちがイルミネーションの輝くロマンティックな街を歩く。洒落たレストランで乾杯をする。そんなクリスマスの過ごし方を加奈はしたことがない。恋人が出来れば、その時には……というような期待もない。なぜならば、加奈には既に生活を共にするパートナーがいるのだ。

 その麗二と加奈にとって、クリスマス・イブはかき入れ時だ。二人は『フラワー・スタジオ 華』という花屋の共同経営者なのだ。

 クリスマスはパーティや花束の注文が多く、二十五日からは忘年会や送別会、それにお正月迎えの花の注文で、文字通り食事をする暇もなくなる。一日が終わるとくたくたで、とてもその後にデートをするつもりにはなれない。

 ハードなのはそれだけではない。花屋というのは冬には過酷な職場だ。しもやけやあかぎれは日常茶飯事だし、ひんやりした店をつらく感じることも多い。バイト時代とは違って、二人で店を持つようになってからは、防寒着で店に出るようにしたし、定期的に暖かい室内での仕事や作業を交代でするようにしているけれど、それでも、なぜこんなに寒い思いをする仕事を選んでしまったんだろうとため息をつくこともある。

 それでも加奈は、この仕事が好きだった。二人とも初めて持った店である『フラワー・スタジオ 華』は、生業であると同時に夢の実現でもあった。この世知辛い世の中、いくつもの花屋が生まれては消えていくが、店の経営はなんとか軌道に乗り、持ちこたえて八周年を迎えようとしている。

 花を贈る人々、花を自宅に用意する人たちにはそれぞれの物語がある。その人生の重要なシーンに、麗二とともに関われることは、とても素敵だ、そう加奈は思っている。

 それに、この時期の客たちから聞くストーリーは、なかなかドラマに満ちて、加奈の趣味である同人誌の題材になってくれることも多い。

 モデルになった人たちは、自分の容姿や言動に似ている登場人物が、同人誌の世界で華麗にパフォーマンスをしていることはもちろん知らない。モデルにした人たちについては、完全な架空の人物よりも敬意を払い、重要で好意的な役割を与えていたけれど、さすがに伝える勇氣はない。

 一方、キャラクターへの愛情が湧き、モデルとなった客に対しても、より好意的に熱心に接客に当たることになる。その本末転倒な熱意にもかかわらず、その顧客がある時から二度と店にやってきてくれないこともある。同人誌の件が明るみに出たからではなく、単純に他の店を好んで行くようになったり、引っ越したり、亡くなったり、とにかく様々な理由からだ。

 そうした店にとっては過去となった顧客の好んだ花の組み合わせや、特別な理由で作ったアレンジは、加奈の心の中でそのお客さんたちに捧げた花束として残っている。その人たちの顔を思い浮かべる時に、いつも花があるのだ。

 麗二にその話をしたら、彼はそれに同意した。
「ああ、俺も花を一緒に思い浮かべるよ。もっとも、今よく来てくれるお客さんでもそうだけどな」

 加奈は、意外に思った。想像の中で花を散らしているのは、件の趣味を持っているがための、少し妙な妄想だと思っていたのだ。そうではなくて、どうやらこれは、花屋の職業病みたいなものなのかもしれない。

 そんなことをつらつらと考えつつ、レジの下に置いた小さなヒーターで手足を温めていたら、ドアが開いて、ベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」
そういいながら、入ってきた客を見て、加奈は「あら」と意外に思った。十代前半と思われる少年だったのだ。彼は、怖々と店の中をのぞき込み、「花くらい、毎週、買っています」というような風情はなかった。

 彼を見て、すぐに「対象外」と思った。同人誌のジャンルは、麗しい男性によるステージパフォーマンスで、ソフトなロマンスも含むが、加奈に言わせると「BL」ではない。少女マンガ以下のぬるい描写だからというのがその言い訳だが、そう言い張る加奈にも良心はある。モデルにするならやはり成年でないと。いくら妄想とはいえ、犯罪はいけない。ましてや相手はお客さんだ。

 そんな彼女の思惑を何も知らない少年は、店を一通り見回してから、助けを求めるようにこちらを見た。

「何かお探しですか」
加奈は少年が逃げ出したくならないように、できるだけさりげない調子で訊いた。

「ええと、花を」
それはそうだろう、ここは花屋だから。そう思ったけれど、そうは言えない。

「花束? アレンジ? それとも鉢植え? プレゼントですか?」
矢継ぎ早に質問を投げかける。目的がわかると、提案がしやすいのよね。

「お墓に供えようと思って。今は寒いから、すぐにダメになっちゃうのかな」
少年は、口ごもった。なんと。意外な目的だわ。

 ちょうどその時、バックヤードから麗二が出てきた。筋肉ムキムキな上に姿勢がいいので小柄な少年には威圧的なのかもしれないと一瞬心配したが、片手に持った小袋から裂きイカを取り出しては口に放り投げていて、威厳のカケラもない。っていうか、その接客態度は、ちょっと。

「あ、ちょうどいい所に。こちらのお客さん、お墓に供えるお花を探していらっしゃるんだけれど、切り花じゃない方がいいのかって、寒いから」

 麗二は、少し考えて頷いた。
「そうだな。菊などはわりと寒さに強いし、寒い方が暑いよりも持つとは思う。もっとも、ごく普通の仏花をここに買いに来たわけじゃないんだろう、きみ」

 そう訊くと、少年の顔はぱっと明るくなった。
「そうなんです。ぼくにとって、一番尊敬できる大切な人のお墓なので、お墓の近くで売っている、みんなと同じような花は、いやなんです。でも、みんなと違う花を供えて、ぼくのだけすぐにダメになったり、供えるべきでない常識はずれの花を持っていったなんて言われたりしたらよくないと思って」

 麗二は、少年に笑いかけた。
「そうか。基本的には、何を供えても構わない。でも、『常識がない』と後ろ指を指されるのが嫌なら、とげのある花と蔓のある花は、避けた方が無難だね。例えば薔薇なんかだよ」

「なるほど。そう言えば、お墓に薔薇が供えてあるのは、見たことがありません。ぼく、白い薔薇ならいいかなって思っていたんですけれど、それじゃダメですね」

「薔薇は寒さには弱いから、いずれにしても今はやめた方がいいだろうな。そういえば本物の薔薇じゃないけれど、クリスマスローズの鉢植えはどうかい? 寒さに強くて、この季節らしいし、文句を言われないような色のものが多いよ」
そう言って麗二は、薄いピンクや白の鉢植えを少年に見せた。 

 十二月に咲くクリスマスローズは、ヘレボルス属の中でもニゲルと呼ばれる植物だ。同じヘレボルス属のオリエンタリス も日本では「クリスマスローズ」の名前で売られているが、こちらの開花は春先になる。

 花びらに見える部分は、実は萼片がくへん なので、寒さの影響が少なく長持ちする。

「ああ、クリスマスローズは、花言葉もちょうどいいかもしれないわね」
加奈が言うと、少年はこちらを見た。
「なんていうんですか?」

「いろいろあるけれど、『慰め』や『追憶』って言葉が代表的かしら」
「それに、受験生や学者に贈る人もいるよな。『がく が落ちない』を『学が落ちない』って語呂合わせにしてさ」

「学者……。実は、供えたいお墓に眠っているのは、僕が一番尊敬している博士なんです」
「だったら、ちょうどいいな。多年草だから直植えして根付いたら、ずっと咲き続けるよ」
麗二は、咲きそろっている花の鉢をそっと揺らした。

「そうですか。じゃあ、それでお願いします」

「春先に咲くのがいいなら、ヘレボルス・オリエンタリスだけれど、今はまだ入荷していないな。今、欲しいなら、このニゲルだね。どんな色がいいのかな」
「その薄紫のをください。それから、春になったら咲くのも供えたいから、入荷したら教えてくれませんか」

「いいとも。じゃあ、ここに名前と連絡先を書いてくれるかい……ふむ、鈴木君っていうんだね。電話番号も……ああ、ありがとう」
麗二は、大人の自分よりもずっと上手な鈴木少年の字を感心して眺めた。

 大事に鉢植えを抱えて鈴木少年が出て行ってすぐに、また扉が開いて一人の老人が入ってきた。
「ああ、先生、こんにちは」
麗二は頭を下げた。

「今の男の子……」
先生と呼ばれた老人は、首をひねっていた。

「ご存じなんですか」
加奈が訊くと、はたと思い出したような表情をしてから、彼は笑顔を見せた。

「ああ、旧友の葬儀で遭った子だ。彼の最後の弟子といってもいいな。あの時は、確か小学生だったが、ずいぶん大きくなったな」

 ウィンドウから覗くと、少年は自転車の籠に鉢を大事そうに載せると、颯爽と漕いで去って行った。

「そうですか。一番尊敬している博士のお墓に供えるって言っていましたよ。その方のお墓じゃないでしょうか」
麗二は言った。

「だろうな。あいつを憶えていて、まだ慕ってくれることは、わたしは嬉しく思うよ。だが、あいつはどう言うかな。『追憶』なんてものは、老人に任せて、若者は前を向いて行けなんて、あまのじゃくなことを言うんじゃないかな。というのも、わたしもあいつの遺言に近いような言葉を聴いたんだ」

『ふり返っちゃだめだぞ、鈴木くん。ペダルをこげ、ひたすらこぐんだ!』

 加奈は、もう一度ウィンドウの外を見た。鈴木少年は、力いっぱいペダルを漕いで、寒空をものともせずに去って行った。籠の中のクリスマスローズも、寒さに負けずに花びらに見える白いがく をけなげに広げていた。

 たぶん彼は、追憶だけに生きたりはしていないだろう。恩師の願ったとおりに、未来に向かってひたすらペダルを漕いでいるのだ。でも、振り向かずに進むその先々に、きっと恩師がいる。彼は、繰り返し咲く冬にも強い花を、その恩師に見せるために植えるのだろう。

 『フラワー・スタジオ 華』で迎える八年目のクリスマス。私だって寒さに負けている場合じゃないよね.加奈は、麗二との夢であるこの店という花を何度でも咲かせるために、自分も未来に向かって力強くペダルを漕いでいこうと思った。

(初出:2018年12月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の情景
Tag : 小説 読み切り小説 100000Hit コラボ 月刊・Stella キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -7 - 

今日は「十二ヶ月の情景」十一月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。今日は、まだ十月ですが、来週にすると、Stellaの締め切りに間に合わなくなるので、今日の発表です。

月刊・Stella ステルラ 10、11月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、大海彩洋さんのリクエストにお応えして書きました。

11月17日、真の誕生日なんですよね~。テーマは「蠍座の女」、コラボ希望はバッカスの田中氏と思ったけれど、すでにlimeさんちの水色ちゃんとコラボ予定のようなので、出雲の石倉六角堂で。出雲なので、別の誰かさんたちが出没してもいいなぁ~(はじめちゃんとか。まりこさまとか。)


「真」とはご存じ彩洋さんの大河小説「相川真シリーズ」の主人公です。翌日11月18日は、実は今連載中の「大道芸人たち Artistas callejeros」のヒロイン蝶子の誕生日ですが、今回は絡めませんでした。「さそり座の女」ですけれど、あいつはヨーロッパにいるんですよ。「石倉六角堂」は松江ですし、蝶子はそんなにしょっちゅう日本には来ないので、無理がありすぎました。

で、はじめに謝っておきます。たくさんご要望があるんですけれど、全部はとてもカバーできませんでした。五千字ですよ! 出すだけなら出せますけれど、まとまった話にならなくなるし。というわけで、「石倉六角堂」までをカバーしました。そして、かなり無理矢理ですが彩洋さんの大事な真のお誕生日を絡ませました。でも、ご本人は出てきません。その代わり、以前この話で少しかすらせていただいた、あの方が登場です。


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む

【参考】
「その色鮮やかなひと口を」



その色鮮やかなひと口を -7 - 

 うわ、可愛い。怜子は思わずつぶやいた。ルドヴィコの作る和菓子は、いつも色鮮やかで、かつ、日本情緒にあふれるトーン、動物を象った練り切りなどは愛らしいのだが、今回はいつもにましてキュートだと思った。

 それは金魚を象っていた。単なる金魚ではなく、島根県の天然記念物にも指定されている『出雲なんきん』だ。土佐錦、地金とともに三大地金のうちの一つに数えられている、島根ゆかりの金魚だ。小さな頭部と背びれがないこと、それに四つ尾の特徴がある。

 既に江戸時代には、出雲地方で大切に飼育され、大名諸侯が愛でていた、歴史ある品種なのだ。不昧公の呼び名でおなじみの松江藩七代藩主松平治郷は、江戸時代の代表的な茶人でもあり、彼の作法流儀は不昧流として、現在に伝わっている風流人だが、彼もまた『出雲なんきん』をこよなく愛し「部屋の天井にガラスを張って泳がせて、月光で眺めた」という伝説すら残っている。

 今年はその不昧公の没後二百年であるため、島根県の多くで不昧公二百年祭として縁の催しが行われている。ルドヴィコの勤める『石倉六角堂』でも、不昧公ゆかりの伝統的な和菓子に加えて、二百年祭にふさわしい創作菓子を毎月発表していた。

 十二月の分を任されたルドヴィコは、怜子にアイデアがないか相談した。彼女が勧めたのが『出雲なんきん』を象ったお菓子だった。

 求肥は、上品な白で、所々朱色で美しく彩色してある。透けている餡は橙色の黄味餡。狭い目幅の特徴をよく捉えた丸い目がこちらを見ている。凝り性のルドヴィコは、試食用の『出雲なんきん』の柄を全て変えていた。

「おお、これは綺麗だ」
「ルドさんらしいわねぇ」
集まってきた職人たちや、販売員たちが口々に褒めて、手に取った。

「あ、奥様。お一つどうぞ」
怜子は、石倉夫人に朱色の部分の多い一つを手渡した。

 夫人は、一瞬その和菓子を眺めてから、わずかに不機嫌に思える口調で言った。
「いいえ、そちらのもっと白い方を頂戴」

「え。あ。はい」
怜子は素直に渡した。どうしたんだろう、そんなことをこれまで言ったことないのに。

「ルドちゃん。味は満点だけれど、つくる時はできるだけ白い部分を多くしなさいね。『出雲なんきん』は、他の金魚と違って白い部分が多い白勝ち更紗の体色が好まれるので、わざわざ梅酢を使ってより白くなるようにして育てるのよ」
穏やかに語る様子は、いつもの夫人だった。

 彼女が事務室に戻って言った後、義家が言った。
「あちゃー。サソリ女を思い出したんだな。桑原くわばら」

 怜子は、はっとした。

 それは、先週のある晩のことで、時間は遅く閉店間際だった。お店に、かなり酔っている女性が入ってきたのだ。大きめのサングラスと、真っ赤な口紅が少し蓮っ葉な印象を強めていた。
「ふふーん、ここなのね。来ちゃったわ」

 販売員は、和菓子に用はなさそうだと思っても一応「いらっしゃいませ」と言った。女性はハスキーな声で言い放った。
「あんたには用はないわ。せっちゃんを出してよ」

「……石倉のことでしょうか」
せっちゃんという名前で思い当たるのは、社長の石倉節夫以外にはいなかった。

「そうよ。あの人を出して。あたしの大事な人なの」
それを聞いていた店の人間は固まった。石倉夫人が厨房から出てきたからだ。

「申し訳ありませんが、主人は不在ですが、何のご用でしょうか」
石倉夫人が訊くと、女はゆっくりとサングラスを外して、そちらを見た。厚化粧だが、目の下の隈や目尻の皺は隠せていなかった。

「主人……ね。なんとなくわかっていたわ。やっぱり、そうだったのね。昨夜は、あたしの誕生日だったのよ。一緒に過ごす約束だったのに、いつまで経っても来ない。電話にも出ない。約束したのに、ひどいわ」
その年齢には鮮やかすぎる朱色のワンピースの開いた襟元に見える鎖骨が少し痛々しかった。

「奥さんがいる人ってわかったからって、はいそうですかって、忘れられるようなものじゃないわ。あたし、大人しく引き下がったりしないから。地獄までついていくつもりだって、せっちゃんに伝えてちょうだい。……あたし、こう見えても一途なの。ほら、歌にもさそりは一途な星座っていうじゃない、ははははは」

 その翌日、出てきた石倉社長は、いつもの朗らかな様子はどこへ行ったのか、すっかり消沈していた。数日ほどは夫人に口もきいてもらえなかったらしいが、ようやく元の朗らかな様子に戻った所を見ると、今回は許してもらえたらしいというのが、職人たちの一致した意見だった。

 その女性が来店した時は、怜子はその場にいなかったので、『出雲なんきん』の菓子から連想するとはまったく想像できなかった。でも、奥さま氣の毒だもの……。私だって、ルドヴィコが他の人にフリーだといって言い寄ったりしたら嫌。

「怜子さん。どうしたんですか? 怖い顔していますよ」
ルドヴィコにいわれてはっとした。

「ごめんなさい。あれ? それ、どうするの?」
彼は、店内試食用とは別にしてあった『出雲なんきん』を箱に詰めていた。それは販売を想定していたものよりも躍動感あるデザインで大きめに作ってあった。

「特注です。驚かないでください。怜子さんも知っているイタリア人が今から取りに来ます」

 怜子は首を傾げた。ルドヴィコを除けば、怜子の知っているイタリア人は、ルドヴィコの家族と、ミラノ在住の親友ロメオくらいだ。誰が日本に来たんだろう?

 自動ドアが開き、のれんの向こうから背の高い金髪の男性が入ってきた。女性店員たちがどよめいた。

 あ。雑誌の人だ! ヴォルなんとか家の御曹司で、同居人にすごい和食を作っているって人。かつて、この人の特集の載っている雑誌に、店のみんなでキャーキャー騒ぎ、男性陣の白い目を浴びたことを思い出した。なーんだ。そういう意味の知っている人か。

「こんにちは、いらっしゃいませ」
怜子は、使える数少ないイタリア語で言ってみた。他のアルバイトたちが羨ましそうにこちらを見ている。

 男性は、魅力的に微笑んだ。
「松江でイタリア語の歓待を受けるとは思いませんでした。嬉しいですね。お電話した大和です。マセットさんは、いらっしゃいますか」
「はい。厨房にいるので、呼んできますね」

 怜子が声をかけると、ルドヴィコは先ほどの箱を持って出てきた。
「こんにちは、大和さま」

 イタリア人同士なのに、何も日本語で会話しなくてもいいのに。どちらも、日本人と遜色のない完璧な発音だ。怜子は、つたないイタリア語で話したことを少しだけ後悔した。

「特注品で、四つでしたよね。こちらでよろしいでしょうか」
ルドヴィコは『出雲なんきん』が四匹、頭を突き合わせているように箱に詰めたものを大和氏に見せた。

「おお、これは綺麗だ。大使館でお目にかかったファルネーゼ特使が、松江に行くなら是非マセットさんの和菓子を食べてくださいと勧められた理由がわかりましたよ。これは、金魚ですよね……蠍ではなくて」

 その一言に、場の空氣は凍り付いた。幸いそこには、石倉夫人はいなかったが、石倉節夫社長が来ていた。先ほどの会話があったので、誰もがあの酔った女性のことを思い浮かべて彼の方を見ないように不自然な動きをした。もちろん、大和氏は何も氣付いていないであろう。

「ええ、これは『出雲なんきん』という島根特産の金魚を象りました。もしかして蠍に見えましたか?」
ルドヴィコが訊くと、大和氏は首を振った。

「いえ、もちろん蠍には見えません。ただ、たまたま今日、これを食べさせようとしている相手が、さそり座の生まれなのですよ。蠍にちなむものを探した関係で、朱いものを見ると何もかも蠍かもしれないと考えてしまって」

「そうでしたか。さそり座ということは、もしかして今日がお誕生日ですか?」
「ええ。そうです。彼とは、この後に出雲で待ち合わせ、誕生日を祝うつもりなのです。本人には内緒ですが、ちょっとした懐石料理の準備をしてありまして、その締めにこちらを出そうと思っています」

 例の雑誌のインタビューでも、同居人に凄い和食を作っているって話していたけれど、この人、懐石料理まで作っちゃうんだ。怜子は目を白黒させた。

「そうでしたか。蠍モチーフを探しておられたのですね。では、少々お待ちください」
そう言うと、ルドヴィコは箱から『出雲なんきん』を一つだけ取り出して厨房へ入っていった。そして、十分ほど経って出てきた時には、別の和菓子を手にしていた。

「あ、蠍……」
怜子は、思わずつぶやいた。『出雲なんきん』は透明度の高い求肥で包んでいたが、蠍の方はマットでどっしりとした練り切りだ。鋏と尾が躍り、今にも動き出しそうだ。

「一般には、あまり売れるモチーフではないですが、せっかく特注でいらしたのですから」
そうルドヴィコがいうと、大和氏は楽しそうに笑った。

「ああ、これは素晴らしい。松江中を探した蠍をこんな形で手に入れられるなんて。ありがとうございます。彼がどう反応するか楽しみです」
「どうぞ素敵なお誕生日を、とお伝えください」

 大和氏は、礼を言って代金を払うと、大事に『出雲なんきん』と『蠍』の入った箱を抱えて帰って行った。

「ルド公。ありがとうな。お前さん、機転が利くな」
「ありがとうございます、社長。蠍は朱一色ですし、形もさほど難しくなかったので」
「イタリア人っていうのは、大人になっても誕生日を盛大に祝うものなのか」

 ルドヴィコは、節夫ににっこりと笑いかけた。
「誕生日は、習慣になっているから祝うものではありませんよ」

 節夫は、わからない、という顔をした。ルドヴィコは、ニコニコしていた。
「義務や形式じゃないんです。その人のことを氣にかけている、誕生日も忘れていない、これからも仲良くしていきたい、その想いの表れなんです」

「そうか。どうも、そういうのは慣れなくてな。いつも一緒にいる相手だと、余計やりにくいんだよな」
「ストレートな表現は、一般的な日本人男性よりも一般的なイタリア人男性の方が得意かもしれません。そういう形がよりよいとは言いませんが、行動に出すと想いは伝わりやすいと思います」

 節夫は「そうか」と言って、何か考えていたが、閉店時間になると早々に帰って行った。普段のように店の若い連中を飲みに誘うこともなく。

* * *


「ただいま、帰った」
玄関の扉を開けると、節夫は少し大きな声で言った。奥の台所から妻の柚子が出てきた。

「お帰りなさい、どうしたの、こんなに早いなんて珍しい」
「まあな」
そう言うと、下げていたショッパーを持ち上げて渡した。

「あら、なあに?」
「そ、その、夕方、今日が誕生日で祝うっていうお客さんが来たんだ。それでちょっと思い出して」

 柚子がのぞき込むと、小さめのホールケーキが入っていた。和菓子屋の社長夫人として、ほとんど口には出さないが、柚子はチョコレートケーキが好きなのだ。節夫が買ってきたのは、チョコレートスポンジに、ガナッシュクリームを挟み、更にダークチョコレートでコーティングしたチョコレート尽くしのケーキだった。

「まあ。よく憶えていてくださったわね」
「誕生日だってことか」
「ええ。それに、ここのチョコレートケーキが好きなことも」
「まあな。お前は、あれが好きとか、これが欲しいとか滅多に言わないから、憶えやすいさ」
「他の女性と違って」

 きつい一刺しも忘れない。節夫は、思ったが口には出さなかった。さそり座の女は一人ではないのだ。

 柚子は、チョコレートケーキを冷蔵庫にしまい、手早く節夫の晩酌の用意をすると一緒に座った。彼女の態度は、まだ若干冷ややかだが、絶対に許さないと思っているならば、こんな風に一緒に座ってくれることはないだろう。

 四十年近い結婚生活、節夫は浮氣が発覚する度に謝り、関係を修復してきた。彼女は、どんなに怒り狂っていても「石倉六角堂」の営業に支障が出るような騒ぎを起こしたことはない。妻としてだけでなく、共同経営者として節夫にとって柚子以上の存在がいないことは、二人ともよくわかっているのだ。

 柚子は、しばらくするとチョコレートケーキをテーブルに運び、紅茶を淹れた。
「せっかくですもの。いただきましょう」
「おう」

 節夫は、ティーカップに口をつけた。ふと、柚子の視線を感じて「ん?」と訊いた。彼女は、楽しそうに笑って、『さそり座の女』の一節を口ずさんだ。
「紅茶がさめるわ さあどうぞ それには毒など入れないわ」

 むせそうになったが、節夫はなんとか飲み込んだ。まいったな。ご機嫌を直してもらう方法を、もう少しルド公に習わなくっちゃな。


(初出:2018年11月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】September rain

今日は「十二ヶ月の情景」九月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、山西先さんのリクエストにお応えして書きました。いやはや、難しいリクエストでした。

コラボの希望は「ヤキダマ」そして「コハク」です。ずうずうしくも2人ですがお許しください。
一応サキの了解は取っています。面白そうだからいいか、とのことでした。
リアルコハクは知りませんが、まぁ良いでしょう。
別々の作品のキャラですが、ヤキダマは現実世界にも設定がありますし、コハクは現実世界のキャラです。
2人共建築関係の仕事ですし、まだそんなに偉くはなってないようですが、世界を舞台に活躍している様子です。
年齢はヤキダマが少し上くらいでしょうか?

そしてテーマは「9月の雨」でお願いします。
私の年代ですと太田裕美ですね。

コラボ相手は完全にお任せです。


少し補足しますが、先さんは、既に発表した『春は出発のとき』のリクエストをくださったサキさんと二人三脚でブログを運営なさっています。サキさんと先さんはのお二人で左紀さんなんですけれど、リクエストをいただいた「コハク」や「ヤキダマ」というキャラクターとお話そのものを考えられたのはサキさんです。ですから、「了解を取った」ということなのでしょうが、かといって、私が今後の作品に差し支えるような重大な設定を作るわけにはいかないのは、他のコラボと同様です。

そして、建築士の「コハク」は、たしか『物書きエスの気まぐれプロット』シリーズのエスの友達ではなくて、その作品に出てくるキャラクターだったはず。(つまり左紀さんのブログには、サキさんの友達の「リアルコハク」、エスの友達の「コハク」、それにエスの作品のキャラ「コハク」と少なくとも三人の「コハク」が登場)、一方、「ヤキダマ」は『シスカ』と同じ架空世界に住んでいるのですが、私の所のキャラクターたちとのコラボや、『オリキャラのオフ会』では、現代の日本(やイタリア)に普通にいるという設定もあります。

そういうわけで、今回は、強引に『物書きエスの気まぐれプロット6』の中の『コハクの街』に出てくるコハク(シバガキ・コハク、漢字不明)と、『いつかまた・・・(オリキャラオフ会)』に出てくるヤキダマ(本名・三厩幸樹)が、「建築系の大学で知り合っていた友人だった」という強引な設定のもと、話を作りました。たぶん、サキさんの逆鱗に触れる設定ではないと思いたい……です。まずかったらおっしゃってください。


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September rain

 三厩幸樹みんまや こうき は、もと来た道を戻ることにした。これから友人を訪ねる予定なので、時間がたっぷりあるというわけではなかったのだが、先ほど見かけた光景をそのままにして置いたらずっと後悔するように思ったのだ。

 彼は迷った時に、こう考えるのが常だ。彼の妻にこの話をして、その判断に賛成してもらえるだろうかと。彼女に胸を張って報告できないようなことはしたくない。

 通り過ぎた角を二つほど戻ると、その女性はまだ同じ場所にいた。スーパーマーケットの入り口の近く、歩道に出ているので自動ドアが開くことはないが、庇に覆われることもない場所だ。冷たい雨が降りしきる中、手に持った傘を広げもせずに佇んでいる。

 よけいなお世話かもしれないけれど、でも、この後、自動車道に飛び込まれたりしたら困る。近づいてよく見ると、泣いているわけではないようだ。二十代後半だろうか、白いリネンのブラウスに、焦げ茶のタイトスカート。落ち着いた服装だが、個性にも乏しい。他の通行人が誰も立ち止まらないのは、その存在が大きく主張してこないからかもしれない。

 彼は、その場に数秒立って、声をかけるべきか思案した。濡れたまま、空を見上げるように立っていた女性は、それでも視界に入った彼の存在に氣がついたようで、彼の顔を見て不思議そうな顔をした。
「何か……」

 彼は、傘を差し掛けた。
「あ。いや、どうなさったのかと……。傘はお持ちのようなのに、濡れたまま立っていらしたので……」

 彼の指摘で初めて降雨に氣付いたかのごとく、彼女は「あ」と言ってから自分の傘を広げた。
「私ったら、ぼんやりして」
「あ、いや、何でもないならいいです……すみません」

 その女性は、少し慌てた。
「いいえ。その……氣にかけていただき、ありがとうございました。実を言うと、考え事、いえ、昔のつらかったことを思い出していました」

 彼は、返答に困ったが、歩いている方向がどうやら同じで、会話を打ち切るのは難しかった。
「そういうことは、ありますよね。でも、今日みたいに冷たい雨に濡れると、風邪をひきますよ」

「九月の雨は冷たくて……」
彼女は、小さな声で歌を口ずさんだ。
「?」

「あ、何でもないです。昭和の歌謡曲……だからご存じないですよね」
「ええと、聴いたことはありますよ。太田裕美でしたっけ。でも、あなたもこの歌がヒットした時に聴いた世代じゃないですよね」
彼が訊くと、寂しげな笑顔が返ってきた。

「大学生の時に、お付き合いしていた男性が教えてくれたんです。お父さんが大ファンだったそうで、家でカラオケをする時に、お母さんが歌わされるんだって、九月になるとよく口ずさんでいました」

「それで憶えてしまったんですね」
「ええ。その時は、昔の曲だな、歌詞も前時代的な価値観の、いかにも昭和な言葉選びだなって、彼と笑い合っていたんですけれど……」

「けれど?」
「その彼と、別れることになったのは九月でした。冷たい雨の中、濡れながら家に帰ったんです。歩きながらあの曲の歌詞を思い出して、涙が止まりませんでした。辛さから逃げるために東京に出て、別の仕事をして、少しは自立して、がむしゃらに働いて……。もう、忘れたと思っていました。でも、先ほど、ああ、九月の雨だって思い出したら、急に胸がいっぱいになってしまって」

「どんな歌詞でしたっけ」
彼は、間抜けな質問だと思いながらも、口にした。彼との個人的な思い出の方は、これ以上訊きづらかったから。

「失恋の歌です。かつては幸せだったのに、相手の心が離れてしまったのを感じながら、九月の雨に濡れている。昔から、秋って別れのシーズンだったんでしょうね」

 角まで歩くと、彼女は小さな惣菜屋を示した。
「私は、ここで。ご心配いただき、ありがとうございました」

「お買い物ですか」
彼が訊くと、彼女は首を振った。
「いいえ。ここに勤めているんです。素朴なものばかりですが、結構美味しいですよ。機会があったら寄ってくださいね」

 彼女は、お辞儀をして去って行った。傘を畳む後ろ姿は、柔らかかった。

 店にやってきて惣菜を購入していく客たちは、彼女の人生について思いを馳せることはないだろう。彼もまた、彼女が東京でどんな生活を送り、なぜ戻ってきたのか、そして、この街でかつて起きた恋と別れについて、何も具体的なことは知らない。

 彼が、過去も含めて全てを包み込みたいと願ったのは、結婚したばかりの妻だ。彼は、愛する人のつらい過去を変えることは出来ないが、日々の生活の中で笑顔と喜びを共有することは出来る。そして、これから起こりうるどんな困難にも共に立ち向かい、持てる全ての力で守っていきたいと思っている。

 今、わずかに言葉を交わした女性もまた、様々な思い出を抱え、人生の続きを家族や友人たちと歩いて行くのだろう。九月の雨に、いずれもっといい思い出ができるといいが。彼は、そんなことを考えつつ、先を急いだ。

* * *


「シバガキさん、チェックをお願いします」
涼二は、CADで作成した設計図を設計士の所に持っていった。若々しい彼女は、彼よりも年下に見えるが、この設計事務所の中ではすでにベテランの一人だ。下の名前は、なんだったか宝石みたいな綺麗なやつだったな……ああ、そうだ、コハク。

 ショートカットの髪をわずかに傾けながら、彼女は涼二の作成した図面をチェックしている。彼は、間違いが見つからないといいなと考えながら、彼女の向こう側の窓をぼんやりと眺めた。

 雨が降っている。ちくしょう。また予報が外れた。どうして傘を持っていない日に限って降るんだろう。
 
「あら。降ってきたわね。帰るまでに止むかしら」
彼女は、身震いすると窓の所へ行って閉めた。
「ずいぶん涼しくなったわよね。どちらかというと寒いくらい。九月って、もう秋の始まりなのよね」

 彼女の言葉に、涼二はそう言えば、九月の雨だったかと改めて思った。
「September rain rain……」

「ちょっと。小林君、なんなのよ、突然」
彼女は、涼二の突然の鼻歌に、目を丸くしている。

「すみません。つい、思い出してしまって」
「なんの歌?」
「あ。昔のヒット曲です」
「……くわしいのね。カラオケ?」

「ええ、まあ。家で、親父とお袋が喜んで歌っているのを見て育ちまして。もっとも、それを思い出したわけじゃないんですけれど」
「じゃあ、何を思いだしたのよ」

 涼二は、口を一文字に閉じて視線を落とした。彼女は、急いで付け加えた。
「あら。イヤなら言わなくてもいいのよ」

「あ、そういうわけではないです。……今まで、意識していなかったけれど、ずいぶんダメージを受けていたんだなと、今ようやく認識したんです」
「え?」

 涼二は、窓に背を向けて立った。窓には冷たい雨が伝わって落ちる。部屋の中には水滴は入ってきていないが、彼の背中には冷たさが流れているようだった。

「大学の時つきあっていた彼女がいたんです。彼女は短大で二年早く社会に出て、僕は甘えた学生だったな。今なら平日の夜中に突然呼び出したりしたら迷惑だってわかるけれど、あの時の僕は、配慮が足りなかったと思います。いろいろなことがすれ違って、それがいわゆる性格の不一致ってやつだと、思っていました」

 彼女はデスクに頬杖をついて聴いていた。
「それで?」

 彼は肩をすくめた。
「つまらない喧嘩をしたんです。二股をかけていると疑われて、カッとなって、売り言葉に買い言葉でした。しばらくしたら、謝ってくるだろう、くらいに思っていたんですけれど、それきりになってしまい、共通の知人から彼女が東京に転職してしまったと聞かされました。急に、周りの地面がなくなって、崖に一人で立っているようで。でも、その後は日常に戻って、けっこう上手くやっているつもりだったんです」

「もしかして、今でも引きずっているの?」
「どうでしょうね。あれから、何人かの女性と付き合い始めるくらいはしているんですけれど、全然続かないのは、もしかして、あの別れのせいかな。あの喧嘩も、こういう冷たい雨の日だったなあ。まさに『九月の雨』だ」

「そのお知り合いに訊いて、連絡してみれば。また付き合うとかそういうのでなくても、ほら、お互いに伝えられなかった言葉を、今なら上手に表現できて、その結果、苦い過去がいい思い出になるかもしれないし」

 明快な人だな。涼二は思った。
「そうできたらいいんですけれど、東京のどこにいるか、あいつも知らないんじゃないかな。彼女のご両親は、この街にいるから、いずれまた遭うことがあるかもしれませんが……。すみません、こんな話してしまって。図面を見ていただいているのに」

「いいのよ。どっちにしても、もうじき人が来る予定で、この図面のことは明日の朝話そうと思っていたし」
「そうですか。 お客さんですか?」
「いいえ、違うわ。同業者ってとこかな。大学時代に知り合ったの。彼は、大学院まで行って、今はK市の建築事務所で活躍しているのよ。今日、駅前に仕事で来るって聞いたので、久しぶりだからついでに寄ってねって言ってあったの。あ……来た!」

 彼女は立ち上がっで、窓の外を眺めた。涼二の知らない男性がこちらに向かってきた。
「小林君、悪いけれどエントランス、開けてくれる?」
時間外なので自動ドアはもう開かない。彼は、急いで入り口に向かった。

 入ってきた男性と、簡単な挨拶を交わした後、彼女は彼に涼二を紹介した。
「幸樹、こちらはうちの新人で小林涼二君。建築士目指して私たちの通った大学の夜間部に通っているの。小林君、こちらは、三厩幸樹さん。とても優秀な建築士よ」

 涼二は、「はじめまして」と手を伸ばしながら見上げた。柔和な顔立ちをした背の高い男性だ。

 彼女が三人分のコーヒーとクッキーを用意する間に、涼二は図面を片付けて、ミーティングの机に幸樹を案内した。先日彼女が手がけた音楽堂に入ったと熱心に話をする幸樹の専門的な見解に、涼二はなるほどと、目からうろこが落ちる思いで耳を傾けた。

 コーヒーが空になる頃、彼女は提案した。
「ねえ、小林君とこの後軽く飲みつつ、二級建築士試験についてのアドバイスをする予定なんだけれど、よかったら幸樹もどう? 空調設備や防災設備など、設備工学のことは、私よりも幸樹のほうがずっと精通しているし……」
と、言いかけてから、彼女ははっとして慌てて訊いた。
「あ、幸樹、新婚だったね。急いで帰らないと、可愛い奥様が心配する?」

 すると、幸樹は笑って言った。
「いや、『今日はコハクに会う』と言ったら『よろしく伝えてね。ゆっくりしてきて』と言われたよ。彼女も、北海道で知り合った友達と再会するとかで遅いらしいし」
涼二は、幸樹の話をもっと訊きたいと思っていたので、とても嬉しかった。

 場所を移した先は、駅ビルのスペイン料理屋だった。
「私ね。ちょうど今の小林君みたいに、建築事務所で働きながら資格試験の準備をしていた時に、自分の適性について悩んだことがあってね。それで、衝動的にスペインへ行ったことがあるの。それ以来、スペイン料理が大好きになっちゃったの。タパスは少しずつたくさん頼めてお酒のおつまみにいいし」

「へえ。シバガキさんが……。意外ですね」
彼女は、いつも颯爽としていて、迷いなどないタイプなのかと思っていた。

 自分に建築家としてやっていく才能があるか、涼二は不安に思う時があった。一度は諦めて普通の就職をした後で、もう一度夢に向かっての再チャレンジだ。年齢のこともあり、将来に不安がないと言ったら嘘になる。でも、その不安が自分だけのものではないと思うことは、大きな励みになる。

 彼女はいくつかのタパスを注文し、ベネデスの白ワインを、男性陣はビールの方が得意なので、セルベッサを頼んだ。

 チーズのオリーブオイル漬けや、スペイン風オムレツ、タコと青唐辛子のピンチョスなどが運ばれてきた。ウェイターの一瞬の戸惑いを察知した幸樹が黙って皿を動かして、テーブルに空間を作った。

 彼女はそれを涼二に示して言った。
「この人、こういう氣遣いが本当に上手なのよね。奥さんのサヤカさんも、感心していたわよ」

「え。彼女が、コハクにそんなことを?」
幸樹は、驚いた。

「彼女もあいかわらずなのね。とても感謝しているって、本人にはほとんど言わないんでしょう? 幸樹の奥さんってね、口数が少ないから、知らない人から見ると、ぶっきらぼうにも見えるんだけれど、とても繊細な感性を持った素敵な女性なのよ。ね、幸樹」
「ええ。まあ」

 涼二は、照れる幸樹を意外に思いつつ見ていた。新婚か。そりゃ、幸せだろうなあ。その途端、不意に自分のことを思い出して俯いた。あの時、彼女と別れていなければ、もしかしたら自分も今ごろは、こんな顔をしていたのかもしれないと。……参ったな。

「あ。小林君が暗くなっちゃった」
「シバガキさん、さっきの話のせいですよ。あ、いや、自分で話したんだから、自分のせいか……」
「九月の雨のせいでしょう」

「九月の雨?」
幸樹が妙な顔をした。

「そうなんです。さっき、シバガキさんに、昔、九月の雨の日に別れてしまった話をしていたんですよ」
涼二は、肩をすくめた。

「えっ……」
幸樹は、二度瞬きをして涼二を見た。

「どうしたの?」
彼女が訊くと、幸樹は、少し間を空けてから答えた。
「あ、いや。ここに来る前に、偶然会った人のことを、考えていたんだ」

「どんな人?」
彼女が訊くと、幸樹はまずセルベッサのグラスを空けた。そして、二人の顔を見てから、口を開いた。
「太田裕美の『九月の雨』って曲、知っているかい?」

(初出:2018年9月 書き下ろし)

※2019年11月25日 サキさんのご要望に従い、ヤキダマとコハクのお互いの呼び方を訂正しました。
※2019年11月26日 サキさんのご要望に従い、コハクからのコトリの呼び方を訂正しました。
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Posted by 八少女 夕

【小説】コンビニでスイカを

今日は「十二ヶ月の情景」八月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、けいさんのリクエストにお応えして書きました。

リクエスト月は8月でお願いします。
内容は、うちのキャラを適当に使って、一つ情景を描いていただけたら嬉しいです。


一番乗りでいただいたリクエストです。けいさんのところのキャラは、皆さん素敵なので悩みましたが、今まで一度もコラボしたことのない方にしようと、あれこれ探してみました。

けいさんの「怒涛の一週間」シリーズの三作目に当たる「セカンドチャンス」から、お二方にご登場願いました。実質コラボしていただいたのは、とある高校生(作品中ではまだ中学生でした)です。本編の中では、主人公の親友とその教え子という形で印象的に登場した二人ですけれど、もしかしたらいずれはこの二人が主役の作品が発表されるかも? 以前、ちらりと候補に挙がっていると記事を書いていらっしゃいましたよね。そんなお話も読みたいなーと願って、この二人にコラボをお願いすることにしました。あ、それに、舞台設定のために、もう一方も……。

けいさん、好き勝手書いちゃいましたが、すみません! 


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コンビニでスイカを

 私には、行きつけの店がある。……といっても、コンビニエンスストアだけれど。都心に近いのに緑の多い一角、道路の向こうの街路樹を眺める窓際の飲食コーナーの一番端に座るのが好き。

 オレンジジュースを買ってきて、問題集を広げる。クラスの女の子たちは、シアトル発の例のファーストフードに行っているけれど、なんとかラテを毎日飲んでいたら、私のお小遣いは一週間で尽きてしまう。話の合わないクラスメートに交じって居たたまれなく座ることに対する代償としては高すぎる。だから協調性がないって言われるのかな。

 冷たいオレンジジュース。風にそよぐ街路樹の青葉を眺めてぼーっとしていたら、知っている男性が窓の外を通っていった。私が通う塾の先生。すぐ後ろからついていくのは、青木先輩。去年までおなじ中学に通っていた有名人だ。

 少なくとも夏休みの前までは、彼は私のクラスの女の子たちの憧れの存在だった。背が高くて、スポーツマン。陸上部のエースだった。都大会で、100メートルと幅跳びで優勝。大会新記録と都中学新記録を同時に達成。関東大会と全国大会出場も決まっていた。高校のスポーツ推薦も決まっていたとか。

 でも、新学期になったらに、彼の起こした事件のことでみんなが大騒ぎしていた。どこかのコンビニで万引きをして捕まったって。部活はすぐに引退との名目で辞めさせられて、推薦も取り消されたらしい。

 それから、クラスの子たちの態度は180度変わった。以前はキャーキャー言っていたのに、今度はヒソヒソと眉をひそめて噂するようになった。当の青木先輩は、最初は少し背を丸くして、下を見ながら歩いていたけれど、二学期も後半になるとまたちゃんと前を向いて歩くようになった。

 その理由を、私はなんとなく知っている。先ほど、彼の前を歩いていた塾の先生。私の担当じゃないから、確かじゃないけれど、名前は確か阿部先生。私は、このウィンドウから二人が行ったり来たりするのを何度も見た。最初は先生が先輩を引っ張るようにして歩いていた。それから先輩はうなだれるようにして、その次には妙に嬉しそうについていった。

 学校でみんながヒソヒソ噂することや、受験しなくてはいけなくなったことは、先輩にとってとても大きなストレスだったと思う。きっとあの先生がいたから乗り越えられたのだろう。もっとも、のんびりそんなことを想像している場合ではないのよね。一年後の今、受験に立ち向かっているのはこっちだし。

 私は、推薦で一足先に高校入学を決められるほど成績はよくない。もちろんスポーツ推薦はあり得ない。運動音痴だし。目指している学校は、私にとっては背伸びもしているけれど、近所のおばさんたちを感心させるほどの難関校というわけでもない。

 オレンジジュースを飲みながら、私は問題集を解いた。なんのために受験をするのかな。義務教育は今年で終わる。みんな当たり前のように高校に行く。それに、成績がよかったら大学にも行くのだろう。お母さんは「頑張らないといい大学には入れないわよ」って言うけれど、まず高校に入らないと。

 高校に行ったら、何か楽しいことがあるのかな。それとも今みたいに、クラスメートたちに嫌われないように適度な距離を取りながら、いるのかいないのかわからない存在でありつづけるのかな。透明人間みたい。

 あれ、青木先輩が戻ってきた。なんだろう。

 自動ドアが開いて、先輩は入ってきた。もちろん私には氣付かない。っていうか、多分、先輩は私を知らない。

「要。どうしたんだ」
レジの所にいる店長が先輩に声をかけた。えー? 名前を呼び捨てって、身内なのかな。

「ちょっとね。先生ん家に寄ることになってさ。先生の友達も久しぶりに来るんだって。だから、なんか一緒に食えるもん買いに来た。アイスかな。それとも……」
「ここから先生のお宅までは少しあるだろう。溶けるぞ」
「そうだよねー」

 店長は、冷蔵ケースの方へ行きカットスイカを持ち上げた。
「これはどうだ。冷えているし、すぐに食べられる」
「いいね。えっと、398円か。二つ……小銭足りるかな」
「俺が払おう。息子がお世話になっているんだ」
「だめだよ。これは俺から先生への差し入れだもん。俺が買うの」

 先輩はレジでスイカのパックを二つ支払った。律儀なんだなあ。私は、首を伸ばしてそちらを見た。あ、スイカ、本当に美味しそう。途端に、青木先輩と目が合った。

「あれ」
「なんだ、要。知っている子か」
「うん。中学の一学年下の子だと思う。たしか塾も同じだったはず」」

 わ。先輩が、私の顔を知っていた。私は、ぺこりと頭を下げた。

「よう。勉強しているんだ。偉いね」
私は、先輩の近くまで歩いて行った。

「七時から塾なんです。まだ早いから」
「帰らないの?」
「家に帰ると、とんぼ返りしなくてはいけないし、うち、飲食店で夕方から親が忙しいし」

 店長が笑った。
「うちと同じだな、要」

 私は先輩に訊いた。
「店長さん、先輩の……?」
「うん。親父」

「わ。知りませんでした。すみません。山下由美です」
「いや、こちらこそ、まいどありがとうございます」

 一杯のジュースで一時間も粘る客って、ダメな常連客じゃないかなあ。私は少し赤くなる。
「私も、その美味しそうなスイカ買います」

 青木先輩が、ポケットからまた財布を取り出した。
「じゃ、それも俺がご馳走するよ」
「そ、そんな。悪いです」

「大丈夫だって。こんなに暑いのに、頑張って勉強しているんだろう。俺、去年、懲りたもん。暑いとぼーっとなって、もともとバカなのにもっと問題を間違えてさ。阿部先生にいつもの倍ヒントもらわないと解けなかった」

「でも、先輩、ちゃんと受験に成功して高校に行けたじゃないですか。私は頑張らないと。A判定出たことないし」
「俺だって、A判定も一度も出なかったよ」

 そうか、それでも受かる時には受かるのね。諦めずに頑張ろう。

 私は、先輩におごってもらったスイカのパックを開けて勧めた。店長がフォークを二つつけてくれた。先輩は、パックを私のいつも座る席まで持ってきてくれて隣に座り、嬉しそうに食べた。「おっ。甘い!」

「ごちそうさまです」
そう言って私も食べた。本当だ。甘い。

「スイカ食べたの、本当に久しぶり」
私はしみじみと味わいながら言った。先輩は驚いたようにこちらを見た。
「ええつ。何で? 夏って言えばスイカじゃん?」

「大きいから自分では買わないし、普段は、うちに帰っても一緒に食べる人いないし。あと、種を取るのが面倒くさいから、お母さんに買ってって頼んだことなかったんですよ」

 青木先輩は笑った。
「確かに面倒だけれどさ。種のないスイカって、なんだか物足りないよ」
言われてみると、本当だな。種を取ったり、ちょっと甘みの足りないところにがっかりしながら食べるのがスイカ。そうやって食べると、甘いところがより美味しくなるみたい。

 ってことは、何もせずに簡単に高校に行けるより、受験で苦労して入るほうがいいのかなあ。

「先輩。高校って楽しいですか」
私の唐突な質問に、先輩は首を傾げた。
「楽しいって言うのかなあ。前とそんなに変わらない。君は中学、楽しい?」

「全然。登校拒否したいと言うほど嫌じゃないんですけれど、あまり合わない同級生たちに嫌われないようにばかみたいに氣を遣っているんですよね。勉強もスポーツも得意じゃないから、学ぶ意味とか、達成感もあまりないし。こんなこというの贅沢かもしれないけれど」

「そうだなあ」
先輩は、よく知らない私の愚痴に、真剣に答えを探しているみたい。変なこと言って、まずかったかな。

「去年の夏休み、俺のやったこと、聞いているだろ」
えっと……。万引きの件かな? 今度は私が返答に困った。
「あまり詳しくは、知りません。推薦がダメになったって話は聞きましたけれど」

「そ。万引きの手口を研究して、できそうだから試してみたら捕まっちゃったんだ。自分のバカさ加減に呆れて、何もかも嫌になって死にたいって思ったよ」
「先輩が?」

「うん。でも、阿部先生が止めてくれて、セカンドチャンスをくれたんだ。俺に、どんなバカでもやり直しできるってわかるようにサポートしてくれたんだ。それに、そうやって先生に助けてもらいながら頑張っているうちに、うちの親だって、俺のことを要らないから放置していたんじゃないってなんとなくわかったし、こんな自分でも生きていれば何かの役に立てるかもしれないって思えるようになったんだ」

 私は、頬杖ついて、先輩の話に聞き入っていた。
「そうだったんですか」

 先輩は、大きく頷いて笑った。明るくて素敵な笑顔。
「うん。だから、メチャクチャ勉強して、今の高校に入った。正直言って、高校で学ぶことが何の役に立つのか、よくわからないし、すげー親友ってのともまだ出会えていないけれどさ。でも……」

「でも?」
「阿倍先生にとても仲のいい友達がいるんだ。本当に羨ましくなるくらいの親友。今日も来るんだよ。その人と先生、大学で知り合ったんだって。もし先生が高校に行っていなかったら、大学にも行けなかったし、そうしたら親友とも出会えなかったってことだろう? 出会いなんてどこにあるかもわからないし、未来のこともわからない。でも、今を頑張らないと、きっと未来のいいことはどっかにいってしまうんだ。そう思えば、なんだかなあって思う受験も頑張れるんじゃない?」

 そうか。いま頑張ったご褒美、ずっと後にもらえることもあるのかな。

「あ。スイカ、なくなっちゃった! ごめん」
青木先輩が、空になったパックを見て叫んだ。あ、本当にあっという間に食べちゃった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
そろそろ塾に行かなくてはいけない時間だ。私は、問題集を鞄にしまって立ち上がった。
「お。行くのか。俺も、そろそろ行かなくちゃ。また今度な」

 店長の「またお越しください」という感じのいい挨拶に送られて、私は先輩と一緒にコンビニを出た。先輩は、阿部先生のお宅へと向かうので、角で別れた。頭を下げて見送ると、ビールやジュースやおつまみと一緒にスイカのパックの入った袋が嬉しそうに揺れている。

 先輩の言ったことを、じっくりと噛みしめた。数学も、英語も、今後何の役に立つのかなんてわからない。私が高校に行って、意味があるのかも。楽しいことやいいことが、どこで待っているのかわからないし、ただのクラスメイトじゃなくて、本当の意味での親友といえる人とどこで会えるのかも知らない。

 だからこそ、今やれることを一生懸命やるのが大事。うん。頑張ろう。先輩の高校、共学だったよね。志望校、今から変えたら先生に何か言われるかな。


(初出:2018年8月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -13- ミモザ

今日は「十二ヶ月の情景」七月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 8、9月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、limeさんのリクエストにお応えして書きました。

舞台は、バッカス。あの面々が出演。
そして、話のどこかに「水色ネコ」を混ぜてください^^
私のあのキャラじゃなくても構いません。単に、毛色が水色の猫だったらOK。
絵だったりアニメだったり、夢だったり幻だったりw


というご要望だったのですが、水色ネコと言ったら、私の中ではあのlimeさんの「水色ネコ」なんですよ。やはりコラボしたいじゃないですか。とはいえ、お酒飲んじゃだめな年齢! っていうか、それ以前の問題もあって、コラボは超難しい!

というわけで、実際にコラボしていただいたのは、その水色ネコくんと同居しているあのお方にしました。それでも、「耳」の問題があったんですけれど、それはなんとか無理矢理ごまかさせていただきました。大手町に、猫耳の男性来たら、ちょっと騒ぎになると思ったので(笑)

limeさんの「水色ネコ」は、あちらの常連の皆様はすぐにわかると思いますが、初めての方は、待ち受け画面の脳内イメージは、これですよー。こちらへ。私が作中で「待ち受け画面」にイメージしていたイラストです。


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バッカスからの招待状 -13- ミモザ

 その客は、少し不思議な雰囲氣を醸し出していた。深緑の麻シャツをすっきりと着こなし、背筋を伸ばし綺麗な歩き方をする。折り目正しい立ち居振る舞いなので、育ちのいい人なのだと思われるが、ワッチキャップを目深に被っていて、それを取ろうとしなかった。柔らかそうな黒い前髪と後ろから見えている髪はサラサラしているし、そもそもこの時季にキャップをつけているのは暑いだろう。ワッチキャップはやはり麻混の涼しそうなものだから、季節を考慮して用意したものだろう。きっと何か理由があるのだ、たとえば手術後の医療用途といった……。

 夏木は、カウンターの奥、彼が一番馴染んだ席で、新しい客を観察していた。店主の田中は、いつものようにごく自然に「いらっしゃいませ」と言った。

 今晩は、カウンターにあまり空きがなく、夏木は言われる前に隣に置いた鞄を除けた。田中は、申し訳なさそうに眼で合図してから、その客に席を勧めた。

「ありがとうございます」
若々しい青年だった。

 その向こう側には、幾人かの常連が座っていて、手元の冊子をみながら俳句の季語について話をしていた。
「ビールや、ラムネってところまでは、言われれば、そりゃ夏の季語だなってわかるよ。でも、ほら、ここにある『ねむの花』なんていわれても、ピンとこなくてさ」
「ねむって植物か?」
「たぶんな。花って言うからには」

 タンブラーを磨いて棚に戻しながら田中は微笑んだ。
「ピンクのインクを含ませた白い刷毛のような花を咲かせるんですよ」

「へえ。田中さん、物知りだね」
「じゃあさ、この、芭蕉布ってのはなんだい?」

「さあ、それは……」
田中が首を傾げるとワッチキャップを被った青年が穏やかに答えた。
「バナナの仲間である芭蕉の繊維で作る布で、沖縄や奄美大島の名産品です」

 一同が青年に尊敬の眼差しを向けた。彼は少しはにかんで付け加えた。
「僕は、時々、和装をするので知っていただけです。涼しくて夏向けの生地なんです」

「へえ。和装ですか。風流ですね」
夏木が言うと、彼は黙って肩をすくめた。

「どうぞ」
田中が、おしぼりとメニューを手渡し、フランスパンを軽くトーストしてトマトやバジルを載せたブルスケッタを置いた。

 青年は、メニューを開けてしばらく眺めたが、困ったように夏木の方を見て訊いた。
「僕は、あまりこういうお店に来たことがなくて。どんなカクテルが美味しいんでしょうか」

 夏木は苦笑いして、『ノン・アルコール』と書かれたページを示して答えた。
「僕は、ここ専門なんで、普通のカクテルに関してはそちらの田中さんに相談した方がいいかもしれません」

 彼は、頷いた。
「僕も、飲める方とは言えませんね。あまり強くなくてバーの初心者でもある客へのおすすめはありますか」

 田中は、にっこりと笑った。
「そうですね。苦手な味、例えば甘いものは好まないとか、苦みが強いのは嫌いだとか、おっしゃっていただけますか」

「そうですね。甘いものは嫌いではないのですが、ベタベタするほど甘いものよりは、爽やかな方がいいかな。何か、先ほど話に出ていた夏の季語にちなんだドリンクはありますか?」
緑のシャツを着た青年はいたずらっ子のように微笑んだ。

 田中は頷いた。
「ミモザというカクテルがあります。そういえばミモザも七月の季語ですね。カクテルとしてはオレンジジュースとシャンパンを半々で割った飲み物です。正式には『シャンパーニュ・ア・ロランジュ』というのですが、ミモザの花に色合いが似ているので、こちらの名前の方が有名です」

「おお、それは美味しそうですね。お願いします」

 ポンっという音をさせて開けた緑色の瓶から、黄金のシャンパンがフルート型のグラスに注がれる。幾千もの小さな泡が忙しく駆け回り、カウンターの光を反射して輝いた。田中は、絞りたてのカリフォルニア・オレンジのジュースをゆっくりと注ぎ、優しくステアしてオレンジスライスを飾って差し出した。

「へえ、綺麗なカクテルがあるんだねぇ」
俳句について話していた常連の一人が首を伸ばしてのぞき込んだ。

「面白いことに、本来ミモザというのはさきほど話題に出たねむの木のようなオジギソウ科の花を指す言葉だったのが、いつの間にか全く違う黄色い花を指すようになったようなんですよ。その話を聞くと、このカクテル自体もいつの間にか名前が変わったことを想起してしまいます」

「へえ、面白いね。俺も次はそれをもらおうかな」
もう一人も言った。田中は、彼にもミモザを作り、それから羨ましそうにしていた夏木にも、ノン・アルコールのスパークリングワインを使って作った。

 待っている間に、緑のシャツの青年が「失礼」と言って腰からスマートフォンを取り出した。どうやら誰かからメッセージが入ったようだ。礼儀正しく画面から眼をそらそうとした時に、待ち受け画面が眼に入ってしまった。

 水色のつなぎを着た、とても可愛い少年が身丈の半分ほどある雄鶏を抱えていた。瞳がくりくりとしていて、とても嬉しそうにこちらをのぞき込んでいる。つなぎは頭までフードですっぽりと覆うタイプなのだが、ぴょこんと耳の部分が立っていてまるで子猫のようだ。夏木は思わず微笑んだ。

 青年と目が合ってしまい、夏木は素直に謝った。
「すみません。見まいとしたんですけれど、あまりに可愛かったので、つい」

 そういうと青年はとても嬉しそうに笑った。
「いや、構いませんよ。可愛いでしょう。いたずらっ子なんですけれど、つい何でも許してしまうんです。最近メッセージを送る方法を覚えまして、時々こうして出先に連絡してくるんです」

 そういうと、また「失礼」といってから、メッセージに急いで返信した。
「一人で留守番させているんですけれど、寂しいのかな。急いで帰らないと、またいたずらするかな」

「オジギソウとミモザみたいに、混同されている植物って、まだありそうだよな」
青年の向こう側で俳句の話をしていた二人は、田中とその話題を続けていた。

「この本には月見草と待宵草も、同じマツヨイグサ属だけど、似ているので混同されるって書いてあるぞ。どちらも七月の季語だ」

「どんな花だっけ」
「ほら、ここに写真がある。なんでもない草だなあ」
「一重の花なんだな。まさに野の花だ。白いのが月見草で、待宵草は黄色いんだな。そういえば、昔そういう歌がなかったっけ」

「待~てど、暮らせ~ど、来~ぬ人を……」
「ああ、それそれ。あれ? 宵待草じゃないか」

 田中が、笑って続けた。
「竹久夢二の詩ですね。語感がいいので、あえて宵待草にしたそうですが、植物の名前としては待宵草が正しいのだそうですよ」

 その歌は、夏木も知っていた。
「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」

 日暮れを待ちかねたように咲き始め、一晩ではかなく散る待宵草を、ひと夏のはかない恋をした自分に重ね合わせて作った詩だとか。

 夏木は、隣の青年がそわそわしだしたのを感じた。彼は、スマートフォンの待ち受け画面の少年を見ていた。にっこりと笑っているのに、瞳が悲しげにきらめいているように感じた。

 青年は、残りのミモザ、待宵草の色をしたカクテルを一氣に煽った。それから、田中に会計を頼むと、急いで荷物をまとめて出て行った。帰ってきた青年を、あの少年は大喜びで迎えるに違いない。

 待っている人が家にいるのっていいなあと、夏木は思いながら、もう一杯ノン・アルコールのミモザを注文した。

ミモザ(Mimosa)
標準的なレシピ
シャンパン : 1
オレンジジュース:1

作成方法: フルート型のシャンパン・グラスにシャンパンを注ぎ、オレンジ・ジュースで満たして、軽くステアする。



(初出:2018年7月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】夏至の夜

今日は「十二ヶ月の情景」六月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、大海彩洋さんのリクエストにお応えして書きました。いただいたテーマは「夏至」です。(明日が夏至ですから、なんとしてでも今日発表したかったのです)

そして、【奇跡を売る店】シリーズで素敵な短編小説を書いてくださいました。


彩洋さんの書いてくださった 「【奇跡を売る店・短編】あの夏至の日、君と

コラボは、ここに出てくる登場人物の誰か、でいいでしょうか。このシリーズ、元々がパロディなので、適当にキャラを崩壊させていただいても何の問題もありません。如何様にも料理してくださいませ。
そして、舞台は、私がまだ見ぬ巨石・ストーンヘンジがいいかなぁ。あるいは夜のない北欧の夏至でも。


というご要望だったのですが、この中の誰かって、皆さん日本にいるし、ヨーロッパの夏至にいた方たちのうちお一人は、もうコラボできないし、結構悩みました。

それで、コラボしているような、全くしていないようなそんな話になりました。さらにいうと、ストーンヘンジは絡んでいますがメインではありません。キャラクターも読み切り用でおそらくもう二度と出てこないはず。若干「痛たたたた」といういたたまれない状況に立っています。「そうは問屋が卸さない」って感じでしょうか。

ちなみにリトアニア辺りだと、夏至でもまだ夜はあるようです。私の辺りで日没は21時半ぐらいですが、リガだと22時半ぐらいのよう。その短い夜に一瞬だけ咲くと言われる、生物学的には存在しない花。これが今回の小道具です。


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夏至の夜

 風が牧場の草をかき分けて遠くへと渡っていった。川から続く広い通りは、聖なるサークルへの最後の導きだ。ここまで来るのに三年の月日が経っていた。これほどかかったのは誤算だったが、なによりも長くつらい旅を乗り越えられたことに感謝しなくてはならないだろう。

 彼は、遠く常に雪に覆われた険しい山脈の麓からやってきた。この地に伝わる「癒やす石」の力を譲り受け、同じ道を帰らねばならない。主は彼の帰りを待ちながら、苦しい日々を過ごしているはずだ。もちろん、まだ彼が生きていれば。それを知る術はない。

 なんと長い一日だ。彼の故郷でもこの時期の日は長い。だが、この北の土地ではゆっくりと眠る暇もないほどに、夜が短くなる。通りを歩く旅人の姿が多い。みなこの日にここへ来ようと、集まってくるのであろう。聖なるサークルへと向かい、夜を徹して祈り、不思議な力を持った朝の光がサークルを通して現れるのを待つのだ。夏至祭りだ。

 彼は、サークルへ向かう巡礼者たちの間に、奇妙な姿を見た。純白の布を被った小柄な女だ。どのような技法であの布をあれほどに白くしたのだろう。布はつややかで柔らかそうだった。風にはためき時折身につけている装身具が現れた。紫水晶のネックレスと黄金の耳飾り。

 視線を感じたのか、女は振り向き彼を見た。浅黒い肌に大きな黒い瞳、謎めいた笑みをこちらに向けた。

* * *


 奈津子は反応に困っていることを顔に出さないようにするのに苦労した。目の前にいるのが中学生だったなら、「これが中二病か」と納得して面白かったかもしれない。また、妙齢の大人だったら、一種の尊敬心すら湧いてきたかもしれない。もし、自分の身内だったら「何言っているの」と一蹴することもできた。

 けれど、目の前で憂鬱そうな様子で先史時代のストーンヘンジの話をしているのは、基本的には自分とは縁もゆかりもない、二十歳も年下の日本人男性だった。そして、非常にまずいことに、妙にいい男だった。

 奈津子がこの青年と二人で旅することになった原因を作ったのは甥だ。それも唯一氣が合い、コンタクトを持ち続けてくれる可愛い身内だ。そもそも奈津子は甥の順と一緒にこの旅行をするつもりで休暇を取った。計画の途中で、「友人を連れて行ってもいいか」と訊かれたので「もちろんいいわよ」と答えた。甥が出発前日に「会社存続を左右する顧客への対応で、どうしても休暇を返上しなくてはならなくなった」とキャンセルしてきたので、初対面の若い青年とこうして旅をしているというわけだ。

 甥がわざわざこの青年を旅に誘った理由は、間もなくわかった。

 スイスに住む奈津子は、宗教行事の影に隠れた民俗信仰を訪ねることをライフワークにしていて、これまでも色々な祭りを見てきた。スペイン・アンダルシアのセマナサンタ、ファリャの火祭り、フランスのサン・マリ・ド・ラ・メールの黒い聖女サラを巡るジプシーの祭り、ヨーロッパ各地の個性豊かなカーニバル、チューリヒのゼックス・ロイテン、エンガディン地方のカランダ・マルツ。

 豊穣の女神マイアの祭りに起源があると言われる五月祭とその前夜のヴァルプルギスの夜や、太陽信仰と深い関係のある夏至や六月二十四日の聖ヨハネの祝日は、ヨーロッパ各地で様々な祭りがあり、奈津子にとって休みを取ることの多い時期だ。有名なイギリスのストーンヘンジの夏至のイベントも若い頃に体験していて、そのことを甥に話したこともある。甥の順とは、去年一緒にノルウェーの夏至祭を回った。

 今年の順との旅では、リトアニアの夏至祭を訪ねることにしていた。

 この時期のリガのホテルはとても高いだけでなく、かなり前からでも予約が取れないため、奈津子は車で五十分ほど郊外にある小さな宿を予約してあった。今日の午後、早く着いた奈津子が既にホテルにチェックインを済ませた。それから空港に一人でやってきた古森達也を迎えに行った。別の部屋とは言え、見知らぬ年上の女と一週間も過ごすことになって、さぞかし逃げ出したい心地になっているだろうと思っていたのだが、達也は礼儀正しい好青年でそんな態度は全く見せなかった。

 レンタカーでホテルに向かい始めてから、助手席に座った達也はどうしてこの旅に同行したいと順に頼んだのかを語り始めた。長年彼を悩ませている夢。夏至を祝うためにストーンヘンジに向かい、謎の女に出会うという一連のストーリーの繰り返し。それも、おそらく先史時代のようだった。

 そんな話を真剣に語られて、奈津子は戸惑った。

 そもそもストーンヘンジには、痛々しい思い出があった。二十年以上前のことだ。まだ、大学を卒業して間もなく、また、自分自身でも何を探していたのかよくわからなかった頃、奈津子も熱に浮かされたようにパワースポットといわれる場所を巡っていた。そして、夏至のストーンヘンジへ行ったのだ。

 太陽と過去の叡智が引き起こす自然現象を待つ巨石遺構は、エンターテーメントを求める人々で興ざめするほどごった返していた。そもそも、こうした祭りには一人で参加するものではない。一人でいると周りの盛り上がりにはついて行けず、楽しみも半減していた。

 当時はまだ今ほど外国語でのコミュニケーションに慣れていなかったので、奈津子は一週間近くまともな会話をしていなかった。そんな時に、明らかに日本人とわかる二人の壮年男性らを見かけて、もしかしたら会話に混ぜてもらえないかと近くまで寄っていったのだ。ヒールストーンの彼方から太陽が昇ったその騒ぎに乗じて、その二人に話しかけるつもりだった。

 だが、それは非常にまずいタイミングだった。奈津子は、一人の男性がもう一人に対して愛の告白をするのを耳にしてしまったのだ。いくら人恋しいからといって、このなんとも氣まずい中を平然と話しかけられるほど奈津子は人生に慣れていなかった。今から思えば、そこでふざけて話しかければあの二人のギクシャクした空氣の流れを変えられたのかもしれないが。

 あの時と違って、奈津子はいい年をしたおばちゃんになった。スイスで十年間以上一人で暮らし、言葉や度胸でも当時とは比べものにならない。そして、可愛い美青年が、妙な告白をしても、なんとか戸惑いは表に出さずに、会話を続けることもできた。

「だとしたら……どうしてストーンヘンジに行かずにここへ来たの?」
奈津子は単刀直入に訊いた。

 達也は頭をかいてつぶやいた。
「いや、あれは、夢の話ですから。変な話をしてしまって、すいません」

「いいえ、してもいいのよ。でも、どう答えたらいいのか、わからないのよ。それはあなたの前世の記憶だって思ってるの?」
「いや、そんなことは……。あれです、どっかのアニメか映画で観たのかもしれないです」

 奈津子は首を傾げた。
「さあ、知らないわ。あったとしても、私は浦島太郎で、日本のアニメや映画などにはずっと触れていないのよ。もっとも私、夏至のストーンヘンジにはいったことがあるのよ」
「知っています。順がそう言っていました。だから奈津子さんに逢ってみろと」

 一度もストーンヘンジに行ったことがないにしては、達也の話すストーンヘンジの様子は妙に具体的だった。誰でも見たことのある二つの石の上に大きな石で蓋がしてあるような形のトリリトンの話なら、行ったことがない人でも記憶に留めているかもしれない。だが、達也はヒールストーンの向こうから昇る朝日のことを口にしていた。

 ヒールストーンは周壁への出入り口のすぐ外側のアヴェニューの内部に立つ形の整えられていない赤い砂岩でできた巨石だ。サークルの中心から見て北東にあり、夏至の日に太陽はヒールストーンのある方向から出て、最初の光線が遺跡の中央に直接当たり、ヒールストーンの影はサークルに至る。

 普段の観光ではあまり話題にならないが、夏至のストーンヘンジでは、主役といってもいい石なのだ。

 それに、最近の学説では、夏至のストーンヘンジの祭りは天文学的な意味合いだけではなく、民俗的な、ヨーロッパの他の夏至祭りとも関連のある意味合いを持つともいわれている。すなわち男女の仲を取り持つ祭りというわけだ。馬蹄形に並べられたトリリトンとその周辺にあるヘンジは女性器を表すと考えられ、もともとは脇に小ぶりな岩が二つ置かれていたと考えられるヒールストーンの影が夏至にその遺跡に届くことが、性的な象徴として祝われていたというものだ。

「ヨーロッパの各地の夏至祭りでは、いわゆるメイポールのような柱を立てて、その周りで踊ったり、たき火を飛び越えたりして祝う習慣があるのね。そして、この日に将来の結婚相手を占う、あまりキリスト教的ではない呪いが、主に北ヨーロッパで行われているの。多くが縁結び的な役割を担っているのよね」

「大昔のストーンヘンジでも、そういう役割を担っていたということなんですか」
達也は真面目に訊いた。奈津子は肩をすくめた。
「なんとも言えないわ。そうかもしれないし、違うかもしれない。ブルーストーンに癒やしの力があった信じられていたというのも、推測に過ぎないし、ヒールストーンの影に性的な意味合いがあるというのも、勘ぐりすぎなのかもしれないし。現在の各地の夏至祭に縁結び的な側面があるというのは事実だけれど」

 薬草を摘み、三つ叉になったポールを囲み祝う。朝露を浴びる。そうした呪いの後、夢の中に未来の夫が現れるといった縁結び的信仰が共通してみられるのだ。

 とはいえ、奈津子には夏至祭りに縁結びの力があるとは思えなかった。なんせ二十年以上、何かとこの祭りに行っているのに、一向に御利益がないからだ。たまにいい男と一緒かと思えば、ここまで年下だと、期待するのも馬鹿みたいだ。

「夢の中に……ですか」
「枕の下にセイヨウオトギリソウを置いて眠ると、未来の夫が夢に現れるというような信仰ね」
「なるほど」
「この辺りでは、シダに夏至の夜にしか咲かない赤い花が咲くので、それを見つけて持ち帰るといいという言い伝えもあるのよ」
生物学的にはナンセンスだと言われている。そもそ胞子で増えるシダに花は咲かないから。

「なんですって?」
達也が大きな声を出した。奈津子はぎょっとした。

「どうしたのよ」
「いや、シダの赤い花っておっしゃったから」
「言ったけれど?」
「さっき、日没の直後くらいに見たように思ったんです」

 奈津子は車を停めた。今夜は、夏至祭りではない。祭りは大抵どこも聖ヨハネ祭である二十四日かその前夜である二十三日に行われるからだ。つまり、二日ほどゆっくりと観光をしてから祭りに行く予定だった。が、よく考えれば今夜こそが本来の夏至だ。そこで赤いシダの花を見たなどと言われては聞き捨てならない。

「どこで?」
「さきほど通った林ですよ。ここは一本道だから。このまま戻ったら見られると思いますけれど」

 馬鹿馬鹿しいと、このまま走り抜けてもよかったのだが、好奇心が勝った。それに、夏至らしい思い出になるではないか。無駄足だとしても、少しくらい戻っても問題はないだろう。ホテルはすぐそこだ。奈津子は素直に車をUターンさせた。

 その林は、さほど時間もかからずに、たどり着くことができた。十一時を過ぎてすでに暮れていて、どこにシダが群生しているのか見つけるのにもう少しかかった。けれど、最終的に車のライトが茂みをはっきりと映し出した。

「ほら、あそこに」
それは、本当に花と言えるのか、それともまだ開いていない葉が赤く見えているのか、奈津子には判断できなかった。けれども、それが花に見えるというのは本当だった。

「本当だわ。まるで花みたいね」

 赤い花を咲かせるシダを見つけたら、深紅の絹でそっと包み、決して立ち止まらずに家まで持ち帰らなくてはならない。そして、道を尋ねる旅人に出会っても、決して答えてはいけない。それはただの旅人ではないのだ……。奈津子は、赤いシダ花の伝説を思い出して身震いした。

 達也は、車から降りると、黙ってシダに手を伸ばした。奈津子は、心臓の鼓動が彼に聞こえるのではないかと怖れた。奇妙な組み合わせとは言え、夏至の夜に未婚の男女が、存在しないはずの伝説の植物を手にしようとしている。それは、常識や社会通念というものを超えて、何かを動かす力を持つのかもしれない。ストーンヘンジで、道ならぬ恋心を打ち明けたあの男が、もしかしたらこのような夏至の魔法に促されたように。

 達也は、シダを手折ると、奈津子には目もくれずに林の奥へと歩き出した。人里離れた林の奥を目指しているようだ。声を出してはならない。そう思う氣持ちとは逆に、どこかで冷静で現実的なもう一人の奈津子が「戻さないとまずい」と訴えていた。

 と、視界の奥に、見るべきでないものが入ってきた。白いマントのようなもので全身を覆った人。小柄だからおそらく女だろう。二十一世紀には全くふさわしくないドルイド僧のようなその姿に、奈津子は焦った。彫りの深い顔立ち、黄金の耳飾りと、紫水晶のネックレス。つい先ほど彼が描写したままの謎の女の姿。

 あれこそ、決して答えてはならない危険な旅人ではないのだろうか。達也は、ずっとその人物と無言で見つめ合っていた。どれほどの時間が経ったのかわからない。しびれを切らした奈津子は禁忌を破り、声をかけた。
「達也君。そっちへ行ってはダメよ。さあ、ここから離れて、ホテルに行きましょう」

 達也は、ビクッとしてこちらを振り向いた。奈津子は、手にしていたシダを全て手放させると、袖を引っ張るようにして、彼を歩かせ車に乗せた。彼は何度か振り向きつつも、やはり理性の命じるままに助手席に乗った。そのままホテルにつくまで、奈津子が何を訊いても全く口をきかず、ずっと考え込んでいた。

 翌朝、約束の朝食の席に降りてきた奈津子は、達也が伝言メモを残して消えてしまったのを知った。

 慌てて日本の順にメールを送ると、彼にもメールが入っていたそうだ。急に予定を変えることになり、一足先に帰国することになった。お詫びを順からも伝えて欲しいと。ホテルのフロント係によると、朝一番でチェックアウトしたらしい。隣には、異国風の女性が一緒にいたということだった。

へい、奈津っち。

ぶったまげたよ。達也がまさかいきなり国際結婚するとか、ありえなくね? つーか、俺が何度訪ねていっても、奈津っち一度だって女の子紹介してくれたことないのに、なんで達也にはそんなサービスするんだよ。てか、人の世話していないで、自分の相手は?

それにしてもすげー美人を連れてきたって、仲間内でも大騒ぎだぜ。この間ダメになった休暇の代わりに改めて休みをもらったので、冬休みには、そっち行くから、その時に話そうな。 順


 別に私がくっつけたわけじゃないわよ。甥からのメールを見ながら、奈津子はひどい疲れを感じた。あちこちを蹴飛ばしたい氣分だった。心配して損した。前世がどうのこうの、ストーンヘンジがなんとかかんとかいうから、夏至の揺らぎが見せる魔界に取り込まれたんじゃないかって、どっちが中二病かわからない不安を持っちゃったじゃない。

 彼はきっと、あの女性がどうしているのか氣になって、またあの林に行ったのだろう。そして、そのまま意氣投合して二人で旅することにしたのだろう。

 男女の仲を取り持つと言われる不思議な夜。確かに、ある種の人々には効果絶大らしい。たまたま自分だけそうでないからと言って、迷信扱いするのは間違っているのかもしれない。いや、語り部というのは、その手の恩恵は手にすることができないということなのか。

 奈津子は大きなため息を一つつくと、この件はもう忘れようと思った。そして、「冬に来るならクリスマスマーケットに付き合え」という趣旨のメールを、唯一なついてくれる甥っ子に書いた。


(初出:2018年6月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 100000Hit コラボ キリ番リクエスト 月刊・Stella

Posted by 八少女 夕

【小説】キノコの問題

今日は「十二ヶ月の情景」五月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、canariaさんのリクエストにお応えして書きました。

テーマはずばり「マッテオ&セレスティンin千年森」です!

情景は森(千年森)で、ギリギリクリアかな?

キーワードと小物として
「セレスティンの金の腕時計」
「幻のキノコ」
「健康食品」
「アマゾンの奥地」
「猫パンチ」
希望です。

時代というか時系列は、マッテオ様たちの世界の現代軸でお願いしたいと思っています。
コラボキャラクターはクルルー&レフィナでお願いいたします。


「千年森」というのはcanariaさんの作品「千年相姦」に出てくる異世界の森、クルルーとレフィナはその主人公とヒロインです。

一方、マッテオ&セレスティンは、私の「ニューヨークの異邦人たち」シリーズ(現在連載中の「郷愁の丘」を含む)で出てくるサブキャラたちです。「郷愁の丘」の広いジョルジアの兄であるマッテオは、ウルトラ浮ついた女誑しセレブで、その秘書セレスティンはその上司には目もくれずいい男と付き合おうと頑張るけれど、かなりのダメンズ・ウォーカー。このドタバタコンビをcanariaさんの世界観に遊びに来させよという、かなり難しいご注文でした。

これだけ限定された内容なので、ものすごくひねった話は書けなかったのですけれど、まあ、そういうお遊びだと思ってお読みください。コラボって、楽しいなってことで。canariaさん、なんか、すみません……。



短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」





「ニューヨークの異邦人たち」・番外編
キノコの問題


 覆い被さり、囲い込み、食べ尽くして吸収してしまうかと思うほど、深く濃い緑が印象的な森だった。鳥の羽ばたきと、虫の鳴き声、そしてどこにあるのかわからないせせらぎの水音が騒がしく感じられる。道のようなものはあるはずもなかった。ありきたりの神経の持ち主ならば、己が『招かれざる客』であることを謙虚に受け止め、回れ右をして命のあるうちに大人しくもと来た道を戻るはずだ。だが、今その『千年森』を進んでいる二人は、ありきたりの神経を持ち合わせていなかった。

「それで、あとどのくらいこの道を進めばいいんでしょうか」
若干機嫌の悪そうな声は女のものだ。都会派を自認する彼女は、おろしたての濃紺スウェード地のハイヒールを履いていて、一歩一歩進むたびに苛ついていると明確に知らせるトーンを交えてきたが、彼女の前を進んでいるその上司は、全くダメージを受けていないようだった。

「なに、もうそんなに遠くないはずだ。こんなに森も深くなったことだし、【幻のキノコ】がじゃんじゃん生えていそうじゃないか」
そう言って彼は振り返り、有名な『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』を見せたが、『アメリカで最も商才のある十人の実業家』に何度も選出された男としては、かなり無駄な行為だった。エリート男と結婚したがっている何十万人もいるニューヨーク在住の独身女のうちで、セレスティン・ウェーリーほど『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』に動かされない女はいないからだ。

「それはつまり、あなたは根拠も何もなく、こんな未開の森を進んでいると理解してもいいんでしょうか」
「そうさ、シリウス星のごとく熱く冷たいセレ。まさか誰もまだ知らない【幻のキノコ】の生えている場所が、カラー写真と解説つきの地図として出版されていたり、GPS位置情報として公開されているなんて思っていないだろうね」

 ヘルサンジェル社は、CEOであるマッテオが一代で大きくした。主力商品は健康食品で、広告に起用されたマッテオの妹であるスーパーモデル、アレッサンドラ・ダンジェロの完璧な容姿の宣伝効果でダイエット食品の売り上げはアメリカ一を誇る。社のベストセラー商品はいくらでもあるが、新たな商品開発はこうした企業の宿命だ。とはいえ、あるかどうかもわからないキノコを社長みずからが探すというのは珍しい。

 セレスティンは深いため息をついた。
「もうひとつだけ質問してもいいでしょうか」
「いいとも、知りたがりの綺麗なお嬢さん」

「あなた自らが、その【幻のキノコ】を探索なさるのは勝手ですけれど、どうして社長秘書に過ぎない私までが同行しないといけないのでしょうか。この靴、おろしたてのセルジオ・ロッシなんですよ!」

「まあまあ。世界一有能な秘書殿のためなら、五番街のセルジオ・ロッシをまるごと買い占めるからさ。ところで、今日の取引先とのランチで君が自分で言った台詞を憶えているかい?」
「もちろんですわ。とても美味しい松坂和牛でしたけれど、あんなに食べたら二キロは太ってしまいます。週末はジムで運動しなくちゃいけない、そう申し上げました」

「ここを歩くとジムなんかで退屈な運動をするよりもずっとカロリーを消費するよ。湿度が高いってことはサウナ効果も期待できるしね。それに、【幻のキノコ】は、カロリーを消費中の女性のオーラに反応して色を変えるそうだ。つまりこの緑一色の中で見つけやすくなるってことだ。ウインウインだろう?」

 セレスティンは、カロリーを消費する運動やサウナでのウェルネスに、テーラードジャケットとタイトスカートが向いていないことを上司に思い出させようと骨を折った。が、マッテオはそうした細部については意に介さなかった。
『とにかく今日この森に来られたことだけでもとてつもなく幸運なんだ。そうじゃなかったらアマゾンの奥地まで行かなきゃいけないところだったんだぜ」

「なぜですの?」
「『千年森』に至るルートは、いくつか伝説があってね。一番確実なのがブラジルとボリビアの国境近くにある原生林らしいんだが、あそこには七メートルくらいある古代ナマケモノの仲間が生存しているという噂があってさ。追われたらハイヒールで逃げるのは大変だろう?」

「それはその通りですわ。でも、カナダとの国境近くの町外れの廃墟がボリビアと繋がっている森への入り口になるなんてあり得ませんわ」
「あり得ないもへったくれも、僕たちは今まさにそこにいるんだ。まあ、堅いことを言わずに、ちょっとしたデートのつもりで行こうよ、大海原色の瞳を持つお嬢さん」

「いつも申し上げている通り、まっぴらごめんです。そもそも、今日はちゃんとしたデートの予定があったのに……ハーバード大卒で銀行頭取の息子なんですよ。ああ、連絡したいのにここ圏外じゃないですか」
「まあ、なんと言っても『千年森』だからね。安心したまえ。今日のが不発に終わっても、今後ハーバード大卒で頭取の息子である独身者と知り合う確率は……チャートにして説明した方がいいかい?」
「けっこうです!」

 ブリオーニのビスポークスーツにゴールドがかった絹茶のネクタイを締めた男とマーガレット・ハウエルのテーラードジャケットを来た女が森の奥深く【幻のキノコ】を探しているだけでも妙だが、話題もどう考えてもその場にふさわしいとは思えなかった。

 その侵入者の会話に耳を傾けつつ、物陰から辛抱強く観察している影があった。それは黒髪を持った美貌の少年で、二人のうちのどちらが彼の存在に氣付いてくれて、悲鳴を上げた瞬間に颯爽と飛びかかろうとひたすら待っていた。

 だが、都会生活が長く野生の勘のすっかり退化してしまったニンゲンどもは、いつまで経っても彼に氣付かなかった。それどころか、めちゃくちゃに歩き回っているにもかかわらず、どうやら最短距離で彼の大切な養い親のいるエリアに到達してしまいそうだった。

「お。見てみろよ。あの木陰、なんだか激しく蠢いているぞ」
マッテオが示した先を、セレスティンは真面目に見ていなかった。大切なハイヒールのかかとが何かぬるっとしたものを踏んだようなのだ。

「マッテオ。この森はどこを見ても木陰だらけで、蠢いているなんて珍しくもなんともありませんわ、それよりも……」
「でも、ほら。女神フレイヤの金髪を持つお嬢さん、木陰は珍しくなくても、木々と一緒に女性が蠢いているのはちょっと珍しいよ」

「なんだって!」
背後から叫びながら突然黒い影が飛び出してきたので、今度こそセレスティンとマッテオは驚いた。

「本当だ! レフィーったら! 僕がちょっと目を離すとすぐこれだ。発情の相手なら、この僕がいるって言うのに!」

 マッテオは、セレスティンに向かって訊いた。
「あれは、誰かな。男の子のようにも見えたけれど、猫耳みたいなものと、尻尾が見えたような……」

 セレスティンは、目をぱちくりさせて言った。
「猫耳に尻尾ですって。マッテオ、あなた頭がどうかなさったんじゃないですか。それよりも、いつから私たちの後ろにいたのかしら。やはり危険いっぱいじゃないですか、この森。これ以上、こんなところに居て、私のおろしたてのハイヒールに何かあったら困るわ。何か変なものを踏んじゃったみたいだし……」

 ところが、そのハイヒールの惨状に98パーセント以上の責任があるはずの彼女の上司は、その訴えをまるで聴いていなかった。
「ひゅー。こいつは、滅多に見ない別嬪さんだ」

 返事が期待したものと全く違ったので、真意を確認したくて顔を上げると、マッテオが意味したことがわかった。先ほど森と一緒に蠢いているとマッテオが指摘した誰かが、黒髪の少年に木陰から引きずり出されていた。深い緑の襤褸がはだけていて、白い肌や白銀に輝く髪が露わになっていた。あら、確かに、珍しいほどの美女だわ。いつも綺麗どころ囲まれているマッテオでも驚くでしょうね。

 マッテオは、美女を見たら口説くのが義務だとでもいうように、ずんずんと二人の元に歩いて行って、アメリカ合衆国ではかなり価値があると一般に思われている『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』をフルスロットルで繰り出した。

「こんにちは、麗しい森の精霊さん。この深くて神秘的な森には、人知れず永劫の時間を紡ぐ至宝が隠されているはずだと私の魂は訴えていたのですよ。美こそが神の叡智であり、すべてに勝る善なのですから、私があなたを崇拝し、その美しさを褒め称えることを許してくださいますよね」

 何やら揉めていたようだった森色の襤褸を着た美女と黒髪の少年は、この場の空氣を全く読まない男の登場にあっけにとられて黙った。相手に困惑されたくらいで、大人しく引き下がるような精神構造を持たないマッテオは、構わずに続けた。

「怪しいものではありません。僕は、マッテオ・ダンジェロといいます。アメリカ人です。この森で国籍というものが何らかの意味を持つなら、ですけれど。少なくとも佳人に恋い焦がれる心に国境はありません。あなたも、この森のように幾重にも巡らされた天鵞絨の天幕の後ろに引きこもっていてはなりません。どのような深林も恋の情熱の前では無力なのですから。あなたの名前を教えてくださいませんか。私が心から捧げる詩を口ずさめるように」

「てめぇ、何を馴れ馴れしく!」
黒髪の少年が我に返って敵意を剥き出しにした。襤褸を着た美女は、その少年をたしなめた。

「クルルー。客人にそのような口をきいてはならぬ」
「でも、レフィー。聖域であるこの森で神聖なあなたを口説くのがどんなに罰当たりか思い知らせないと」

「さっき、発情の相手がどうのこうのって自分でも言っていたのに」
セレスティンが、小さくツッコんだ。
「なんだとぉ」

 少年は、セレスティンの元に飛んできた。おや、こちらも美形だったわ。セレスティンは驚いた。緑色の宝石のような切れ長の瞳に、漆黒ではなくて所々トラのような模様の入った不思議な髪。綺麗だけれど、危険な匂いがプンプンするタイプの美少年だ。ツンとしていれば、いくらでも女が寄ってきそうだが、どういうわけか今の少年は取り乱して怒っていた。

 手元を素早く前後に動かして、こちらを小突いてくる。この動作は、ええと、ほら、あれ……猫パンチ。うわー、ありえない。美少年がやっちゃダメな動作でしょう。
「ちょっと、やめてよ。何取り乱しているの」
「レフィーの前で余計なこと、言うなよ」
「あのね。そうやって取り乱すと、知られたくないことがバレバレになるのよ。わかってるの?」

 二人がこそこそと会話を交わしている間、マッテオはさらに美女に愛の言葉の攻勢をかけていた。
「あんた、あいつを止めなくていいのか。目の前で他の女を口説くなんて、とんでもない恋人だな」
少年が怒っている。

「おあいにく様。あの人は、私の上司で、恋人じゃないの。それよりも、目下の問題は、私のハイヒール……。何を踏んじゃったのかしら」

 セレスティンが、足下を見ると、どういうわけかそこには真っ赤なキノコがうじゃうじゃと生えていた。しかも、怪しい蛍光色の水玉が沢山ついていて、それが点滅しているのだ。
「やだっ、何これ!」

 美女にクルルーと呼ばれた美少年は肩をすくめた。
「ああ、そのキノコね。ニンゲンの女に先の尖った靴で踏まれると増殖を始めるんだよね。ああ、こんなに増えちゃって面倒なことに……。レフィー、ちょっと! お取り込み中のところ悪いけれど、緊急事態みたいだよ」

 マッテオの口説き文句を半ば呆れて、半ば楽しむように聴いていた美女はこちらを振り向いた。そして、セレスティンとクルルーの周りにどんどん増殖している赤いキノコを見て、慌ててこちらに走ってきた。
「なんだ。おい! 何をやっているんだ」

 マッテオは、そのキノコを見て大喜びだった。
「なんてことだ。これこそ僕たちの求めていた【幻のキノコ】だよ! セレ、でかした!」

 だが、襤褸を着た美女の方は厳しい顔をした。
「何が【幻のキノコ】だ。これを増やすことも、持ち出すことも許さんぞ。やっかいなことになるからな。クルルー、その二人を森の外へ連れて行け。私はそのキノコの増殖を止めねばならぬ」

 クルルーが、ものすごい力を発揮してキノコで真っ赤になったエリアからマッテオとセレスティンを引き離すと、美女はそこへ立ち、続けて森の緑が同調するようにその場所に覆い被さった。そこで、美女が何をやっているのかはわからなかった。クルルー少年に引きずられて二人は森の端まで連れて行かれたからだ。

「これだからニンゲンをこの森に入れるのは反対なんだ。カナダ側にも巨大ナマケモノを配置しないとダメなんだろうか」
そういうと、少年は二人をドンと突き飛ばした。

 一瞬、世界がぐらりと歪んだかと思うと、二人の目の前から美少年クルルーと『千年森』は消えていた。それどころか、彼らが通ってきたはずのカナダとの国境近くの町から400マイル近く離れているマンハッタンのカフェに座っていた。

「え?」
騒がしかった鳥のざわめきの代わりに、忙しく注文をとるウェイターと客たちのやり取りが聞こえ、心を洗うようなせせらぎの代わりに、趣味の悪い電飾で飾られた噴水の調子の悪い水音が響いた。

「なんてことだ。ここまで飛ばされてしまったか。やるな。さすがは『千年森の主』だ」
マッテオは、残念そうに辺りを見回した。セレスティンは、まず手始めに自分の服装がまともな状態に戻っているかを確認したが、残念ながら汗だくでボロボロの様相は、『千年森』にいたときと変わっていなかった。

 でも、ニューヨークに戻ってくるまでの時間を短縮できたんだから、急いで家にもどれはデートまでに着替える時間があるかも! 彼女はお氣に入りの金の腕時計を眺めた。ギリギリ! でも、今すぐ行けば間に合うはず。

「セレ。君のハイヒールに、例のキノコ、ついていないかい?」
諦めきれないマッテオが訊いた。彼女は、大事なハイヒールにキノコがついていたら大変と見たが、『千年森の主』が何らかの魔法で取り除いたのか、あの赤いキノコは綺麗さっぱり消え失せていた。

 それに、あのクルルー少年の言葉によると、ハイヒールに近づけると、あのキノコはとんでもなく増殖してしまうはず。ついていなくて本当によかったってところかしら。

「残念ながら、ついていないみたいですわ、マッテオ。申し訳ないんですけれど、もうアフターファイブですし、私、失礼します。今から急げば、デートに間に合いますので」
そう言いながら、颯爽と立ち上がった。

「OK。楽しんでおいで。今日の残業分、明日はゆっくり出社するといい。やれやれ、僕は氣分直しにジョルジアを訪ねてご飯を作ってもらおうかな」

 セレスティンは、にっこりと微笑みながら立ち去った。途中でもう一度時間を確認するために金時計を見た。

 あら。この時計の文字盤、ルビーなんてついていたのかしら。

 この時計は、なくして困り果てていたところ、マッテオが見つけてくれて、さらに素晴らしい高級時計に変身させてくれたものだ。だから、見慣れていた前の安っぽい時計だった時についていなかったものがあっても不思議ではない。でも、確か、今朝はついていなかったと思うんだけれど。

 立ち止まってもう一度サファイアガラスの中の文字盤をよく見た。ルビーがキラリと光った。蛍光色みたいな色で。しかも動いているような。

 これ、ルビーじゃないわ。さっきのキノコ。この中に入り込んでしまったのかしら。

 セレスティンは先ほどの趣味の悪い噴水前のカフェに戻ろうとした。マッテオに見せないと。だが、どうもカフェが見つからないし、マッテオもいない。ううん、今から電話して戻ってきてもらってこれを見せるとなると、時間を食っちゃう。せっかくの頭取の息子とのデートが……。

 彼女は、そのやっかいなキノコは金時計に閉じ込めたまま、明日まで何も言わないことにした。どう考えても、今夜この時計がハイヒールで踏まれるような事態は起こらないはずだし、明日の朝に氣がついたことにしても問題ないと思う。

 彼女は、キノコの問題はとりあえず忘れることにして、今夜ハーバード大卒の男を逃さないために、彼の前でいかに頭の足りない金髪女の演技をすべきか、綿密にプランを練りだした。

(初出:2018年5月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】春は出発のとき

今日は「十二ヶ月の情景」三月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。今月以降は、みなさまからのリクエストに基づき作品を書いていきます。まだリクエスト枠が二つ残っていますので、まだの方でご希望があればこちらからぞうぞ。

月刊・Stella ステルラ 4、5月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、山西左紀さんのリクエストにお応えして書きました。

コラボ希望のサキのところのキャラはミクとジョゼ。
テーマは「十二か月の情景」に相応しいものを設定して、
2人の結婚式の様子をストレートに書いてください。
次第はすべてはお任せします。



ジョゼというのは、もともと2014年の「scriviamo!」で書いた『追跡』という小説で初登場し、左紀さんの所の絵夢やミクと出会った小学生でした。後に、『黄金の枷』本編でヒロイン・マイアの幼馴染として使い、同時に左紀さんの所のミクとの共演を繰り返すうちにいつの間にかカップルになってしまいました。で、前回左紀さんはプロポーズの成功まで書いてくださったのです。結婚式を書くようにとの仰せに従って今回の作品を書きました。

ポルトガルの結婚式というのはこんな感じが多いようです。ブライズメイドたちがお米を投げたり、花嫁が教会の出口でスパークリングワインを飲む、というのは実際に目撃しました。その時の花嫁は、グラスを後ろ向きに投げて壊していました。

いちおう『黄金の枷』の外伝という位置づけにしてありますので、そっちを読んでいらっしゃらない方には「?」な記述もあるかもしれませんが、その場合はその記述をスルーして、結婚式をお楽しみください。ついでにいろいろとコラボの間にばら撒いたネタを回収しています。どうしても氣になるという方は、下のリンクやサキさんと大海彩洋さんの関連作品をお読みください(笑)

サキさんのお誕生日には、少し早いのですけれど、これからPやGの街へと旅立たれるということなので、前祝いとして今、発表させていただきます。サキさん、先さん、そしてママさん、良い旅を。


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【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷




黄金の枷・外伝
春は出発のとき


 アーモンドの花が風に揺れている。エレクトラ・フェレイラは、Gの町のとある家への道を急いだ。若草色のドレスは新調したもの、七人の花嫁介添人マドリーニャスは、結婚式のテーマカラーであるグリーン系のドレスを着るのだ。一つ年上の姉セレーノは少し落ち着いた松葉色のドレスを選んだ。

 もう一人の姉のマイアは、花婿と子供の時に一緒に学んだ仲で、本来ならばもっとこの結婚式の花嫁介添人にふさわしかったのだろうが、残念ながら式に参列することができない。そもそも幼馴染のジョゼが結婚することを知らない可能性が高い。なんせエレクトラ自身が数カ月以上もマイアと連絡がとれないのだ。

 花嫁介添人の多くを花婿の知り合いがつとめるのは珍しいが、花嫁は外国人でこの国での友人や親戚がさほど多くない。一方、花婿の方は「俺を招ばなかったら許さない」と言い張る輩が百人以上いるような交友関係に、先祖代々この土地に根付いていたので親戚縁者がこれまたやたらと多い。花婿の友人パドリーニョスを務める男たちの数を考えると花嫁介添人マドリーニャスの水増しは必要だった。

 ジョゼを落とそうと頑張っていたことを考えると、この役目を受けるのはどうかと思ったが、もう氣にしていないことを示すにはいい機会だと思う。それに、この二日間、街中からジョゼの友人たちが入れ替わり立ち替わりやってくるのだ。どんないい出会いが待っているかわかったものじゃない。行かないなんてもったいない。

 ジョゼの結婚式は、マイアの結婚式とはだいぶ様相が違っていて、この国ではわりと普通の結婚式だ。つまりたくさんの招待客や親戚演者が集まり、二日間にわたってパーティをするのだ。

 マイアの結婚式には友人たちを集めてのアペリティフやパーティもなかったし、宴会場でのフルコースもなかった。花嫁介添人マドリーニャス花婿の友人パドリーニョスなどもいなかった。ただ、教会で厳かなミサが行われただけで、教会の出口でお米のシャワーで迎えることすらなかったのだ。父親とセレーノとエレクトラだけが招ばれ、ミサが終わると迎えに来たのと同じ車に乗せられた。宴会場にでも行くのかと思ったら、そのまま自宅に送り届けられてしまったので、驚いた。

 今回の結婚式は、そんな妙な式ではなかった。式はPの町にあるサン・ジョゼ・ダス・タイパス教会で行われる。ここは、マイアがあの謎のドラガォンの当主と結婚した教会で、それが偶然なのかどうかはわからなかった。

 でも、エレクトラは直接教会にはいかない。介添人は花嫁の自宅に集合するのだ。花嫁であるミク・エストレーラには両親がいなくて、ティーンの頃にGの町に住む祖母に引き取られたのだそうだ。現在、歌手である彼女は主にドイツで活躍しているので、この国に帰ってくるときは祖母の家に滞在している。集まるのはその祖母の家なのだ。

「遅かったわね! どうしたの」
セレーノとジョゼの二人の女友だちはもう着いていて、エレクトラに手を振った。花嫁の三人の女友達ともすっかり仲良くなって一緒にカクテルを飲んでいた。

「美容院で思ったよりも時間がかかっちゃったの。私が最後?」
皆が頷いた。落ち着いた赤紫のツインピースを着たアジアの顔をした婦人が笑顔で出迎えてくれた。この人がお祖母さんなの? お母さんでもおかしくないくらい若く見える!

「はじめまして、フェレイラさんね。今日はどうぞよろしく。軽くビュッフェを用意しているからぜひ召し上がってね」

 中に入ると真っ白な花嫁衣装に身を包んだ今日の主役が座っていた。長く裾の広がったプリンセスラインのドレスは、わりと小さめの家の中で動き回るとあちこちの物とぶつかる危険がある。それで、彼女は動かない様に厳命されていた。

 それでも、はにかみながら笑顔を見せて立ち上がると、自分のために来てくれたことへの礼を述べた。
「エレクトラ・フェレイラさんよね。初めまして。今日はどうぞよろしくお願いします」

 エレクトラは、にっこり笑って挨拶した。
「はじめまして。介添人に選んでくれて、どうもありがとう。まあ、なんて綺麗なのかしら。ジョゼはきっと惚れ直すと思うわ」

 ミクはぽっと頬を染めた。初々しいなあ。たしかジョゼよりもけっこう年上だって聞いていたけれど、そんな風に見えないし、お似合いだなあ。エレクトラは感心した。っていうか、こんなところで感心しているから、負けちゃうんだよね。

 遅くなったので、あまりたくさん食べている暇もなく教会に向かうことになったが、ミクの祖母の作ったタパスはどれもとても美味しかった。あとでたくさん食べることになるから、ここでお腹いっぱいになっちゃマズいし、遅れてきて正解だったかな。エレクトラは舌を出した。

 教会には、参列者がたくさん待っていた。それに白いスーツを着せられて所在なく待っているジョゼも。花婿の友人パドリーニョスを務める七人たちに囲まれてかなり緊張しているようだ。ミクのドレスを本番まで内緒にするために、今日はまだ花嫁に会っていない。でも、これからずっと一緒なんだからいいのかな? エレクトラは参列者の方に目を移した。

 代わる代わるジョゼと花婿の友人パドリーニョスのところに行って大げさに喜んでいる友達たちは、エレクトラたちのよく知っているメンバーだった。祭りの度に待ち合わせて大騒ぎしているし、子供の頃からいつも一緒にいるメンバーなのでほぼ全員の顔と名前が一致している。

 つまり、エレクトラのよく知らない顔は、花嫁の招待した人たちなのだろう。ドイツ語で話している数名の男女がいた。おそらくミクが出演しているオペラ関係の人たちだろう。それに、ミクの祖母が急いで挨拶に向かった先にいる日本人女性。綺麗な人だけれどだれかな。

「あ、あの人、知っている?」
セレーノが話しかけてきた。
「ううん。お姉ちゃん、あの人知っているの?」
「ええ。偶然ね。日本のヴィンデミアトリックスって大財閥のお嬢さんだよ。ジョゼとミクが知り合うきっかけになった人なんだって」

「へえ。すごい人と知り合いなんだね。あっちのドイツ人は、オペラの人でしょ」
「そうだよ。ミュンヘンの劇団の演出家だって、ガイテルさんって言ったっけ。憮然としているでしょ?」
「え。そうだね。なんかあまり嬉しそうでもないよね」
「そうだよ。あなたと同じ、失恋組だからね」
「セレーノ。私はもう……」
「まあまあ。強がらなくてもいいってば」

 ミクを乗せた車がやってきた。あれ。ジョゼが迎えに行っちゃった。教会の中で、お父さんが花嫁を連れてくるのを待つわけじゃないんだ。エレクトラの疑問を見透かしたようにセレーノが囁いた。
「ミクのお父さんは亡くなっているの。身内に父親役を頼めるような人は叔父さんしかいないらしいけれど、なんか事情があって頼みたくないみたいだよ。だから、二人で入口から一緒に祭壇まで歩いて行くんだって。あなた、遅刻したからそういう事情を聞きそびれたのよ」

 ジョゼは、ミクの花嫁姿に見とれているようだった。確かに綺麗な花嫁だよね。ドレスはとろんとしたシルクサテン、華やかな上に高級感もある。ジョゼと研修で訪れた日本で見たけれど、日本のシルクって長い伝統があるんだよね。大きく広がった裾、後ろが少し長くなっていて楕円形に広がるようになっている。

 ヴェールはそれほど長くなくて、あっさりしているから、ミクの笑顔がはっきりと見える。そして、百人以上集まっている参列者たちを見て目を丸くした。これからは、これだけのジョゼの友達たちと付き合っていくことになることを、実感しているってところかしら。

 さあ、私たちは花嫁介添人マドリーニャスのお仕事。二人に続いて教会に入り、それにミサが終わったら入口でライスシャワー。

 そして、これからのひたすら食べる宴会の戦略も立てなくちゃ。宴会場でアペリティフがあり、揚げ物やフルーツ、それにチーズやハムなどがでるけれど、そこでたくさん食べすぎるとフルコースが入らなくなってしまう。二時からの着席宴会は五時ぐらいまでだけれど、一度帰ってからまた集まって、ビュッフェ。ダンスをして真夜中にケーキカットをするまでずっと飲んで食べてが続くのだ。

 大人たちはそれで帰るけれど、私たち若者は朝まで騒ぐのが通例。

 しかも、明日もある。普通は二日目は親戚だけだけれど、ミクのところに親戚が少ないので私たちも招待されている。つまり明日もフルコース。たぶん、明後日からダイエットしないと大変なことになっちゃう。明日はGの町にある日本料理店でやるっていうから、とても楽しみ。

* * *


 サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会の向かいは緑滴る憩いの公園になっている。その前に一台の黒塗りの車が入ってきたが、道往く人々や参列者たちは、ちょうど花嫁と花婿が現れた教会のファサードに注目していて、その車がゆっくりと停車したことに氣付くものは少なかった。

 挙式で司祭の手伝いをしていた、神学生マヌエル・ロドリゲスは、目立たぬように通りを横切り、黒塗りの車のところへやってきた。待っていた運転手が扉を開けた。6ドアのグランド・リムジンには向かい合った四つの席があり、彼は素早く中に入り既に座っている二人の女性の向かいに座った。

「ご足労でした、マヌエル。式は無事に終わったようね」
向かって右側に座っていた黒髪の貴婦人がにっこりと微笑んだ。

「はい、ドンナ・アントニア、そして、ドンナ・マイア」
ドンナ・アントニアと呼ばれた黒髪の貴婦人の右隣に、少し背の低い女性が座っていた。そして、嬉しそうに窓から幸せそうなカップルの姿を眺めた。

「あの人が、ジョゼの言っていた人ね。うまくいって、本当によかった。ああ、セレーノとエレクトラもいるわ」
マイアは、妹たちが花嫁介添人マドリーニャスを務めることを知らなかった。

「ドンナ・アントニア、本当にありがとうございます。あなたが言ってくださらなかったら、こうして二人の結婚式を見ることはできなかったでしょうから」
マイアが言うと、アントニアは首を振った。

「アントニアでいいって、言ったでしょう。あなたはもう私の義妹なのよ。あなたの友達が結婚するたびに出てくるわけにはいかないけれど、今回はたまたまこんな近くで結婚したし、マヌエルが教えてくれたんですもの。あの青年にはライサの件で助けてもらったし、私もトレースももう一度お礼がしたかったの」

 マヌエルは、アントニアの視線の先に眼を移した。彼の座っている隣の席に大きな包みが二つ置いてある。
「では、こちらが……」

 その言葉に、二人の女性は頷いた。アントニアが続ける。
「これがマイアとトレースからのプレゼントで、こちらが私から。あの花嫁さんにトレースが作ったのは、とても上品な桜色のパンプスよ。妬ましくなるくらい素敵だったわよね、マイア」
「うふふ。あなたがそういえば、23は作ってくれると思いますけれど……」
「そんな時間は、全然ないじゃない。あの忙しい合間にあの青年の靴も作ったのよね」
「ジョゼは、23の靴の大ファンだから、きっと大事にすると思うわ」

 マヌエルは、なるほどと思った。この大きい箱には、靴が二足入っているのだ。知る人ぞ知る幻の靴職人の作った、究極のオーダーメード。まさか、ドラガォンの当主その人が作ったとは二人共思いもしないだろう。

「もう一つの箱にはボトルが入っているので、扱いに注意するように言って渡してくださいね」
アントニアは言った。

 マヌエルは「かしこまりました」と言った。運転手が再びドアを開けた。彼はプレゼントを大切に抱えてベントレーから降りた。

「なんのボトルにしたのですか」
「1960年のクラッシック・ヴィンテージのポートワインよ」

 そう聞こえた時に、ドアが閉まり二人の会話は聞こえなくなった。

 何と幸運な二人だ、今日華燭の宴を迎えたカップルは。マヌエルは密かに笑った。

 百人以上の友人たちの暖かい祝福、家族の愛情、仕事仲間も駆けつけ、イタリアのとある名家からも特別な祝いが届いている。それだけでなく、ドラガォンの当主たちからもこの祝福だ。こんな婚礼は、滅多にないな。

 二人は教会の入口で参列者たちの拍手と歓声の中、笑顔でスパークリングワインを飲み干していた。そして、これから続く幸せな日々、ひとまずは、これから二日間続く食べて飲んで踊ってのハードな披露宴に手を携えて立ち向かいはじめた。

(初出:2018年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】未来の弾き手のために


scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第十五弾、最後の作品です。大海彩洋さんは、『ピアニスト慎一』シリーズ作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

彩洋さんの書いてくださった短編 『【ピアニスト・慎一シリーズ】 What a Wonderful World』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。とてもお忙しくて、特に今年は予期せぬ事態があったにもかかわらず、睡眠時間を削っても、妥協しないすばらしい作品を書いてくださいました。

ピアニスト相川慎一のでてくるお話は、彩洋さんの書いていらっしゃる壮大な大河ドラマの一つなのですけれど、ブログを通してのお付き合いで発表のきっかけというのか、そう言ったご縁が多いせいか、私が特に注目しているシリーズでもあるのです。クラッシック音楽の素人一ファンとして、このシリーズに書かれる音楽の話は本当に興味が尽きませんし、私にはこんなに書けないけれどその分音楽を読む楽しみをいつも与えてくれる物語です。

今回は、その慎一の人生のターニングポイントとも言える一シーンをバルセロナを舞台に書いてくださったのですが、その背景にうちのチャラチャラした面々がちゃっかりと注目を浴びていて、申し訳ないやら、何やってんだあんたたち、という状態でした。ま、みんな仕事しているからいいのか。

お返しは、舞台をウィーンに移して書いてみました。ほら、リアルの私が先週そこから帰って来たばかりだし、それにお借りするあるキャラクターの本拠地ですから。そして、ご指名なので、うちの六人全員を無理やり登場させました。今回は、仕事しているのは一人だけです。最もチャラい奴だけが働いているのって(笑)

今日どうしても発表したかったのは、本日が彩洋さんのお誕生日だから。Happy Birthday, 彩洋さん。創作にも、リアルライフにも実り多くて幸せな一年になりますように!


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2018」について
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
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大道芸人たち・外伝
未来の弾き手のために
——Special thanks to Oomi Sayo san


 あまり高い席は用意しないでくれと釘を刺されていたので、どんな服装でくるのかと思ったが、杞憂だったな。結城拓人はドイツ人のスーツ姿を見て思った。蝶ネクタイではないが、紺のスーツの生地は一目でわかる上質さで、仕立て具合を見れば明らかにオーダーメードだとわかる。

 拓人が招聘されてウィーンのコンツェルトハウスで演奏することになったのは、ヨーゼフ・マルクスの『ロマンティックピアノ協奏曲』だった。ウィーンで何世紀にも渡り内外の名だたる大作曲家たちが活躍したためか、祖国ですら存在をあまり知られなくなったオーストリアの作曲家の作品だ。客を集めにくい作曲家の作品であるだけではなく、ピアニストに驚異的なテクニックを要求するために、この作品が演奏されることは滅多にない。拓人にとっても初めての挑戦だった。

 かなり図太い神経を持つと自他共に認める彼ですら、この数カ月は胃が痛くなる様な思いをしたが、その甲斐あってまずまずと言っていい演奏をすることができた。普段、日本で当然のように受ける取り巻きたちからの熱烈な喝采と違い、下手な演奏には容赦ないウィーンっ子たちからアンコールを要求されたのだ。彼にとっては枕を高くして眠ることのできる成功だった。

 彼の親しい友人であるドイツ人、エッシェンドルフ男爵が今日この場に来て聴いてくれたのは、彼の精神状態を心配して力付けようとしたわけではない。そうしようとしてくれたのは、彼の再従妹はとこである園城真耶とドイツ人の三人の仲間たちで、彼らはもうホールを出て後で落ち合う予定のワインケラーへと向かっている。三人はドレスコードに悩まされるのが嫌なので、カテゴリー6の席を希望した。

 真耶と共にカテゴリー2の席に座り、さらにわざわざ終演後に拓人とともにロビーで待ち合わせたのはヴィルだけだったが、それはどうしても紹介して欲しい人がいたからだ。

「すまないな、拓人。無理を言って」
「別に無理でもないさ。僕にできるのは引き合わせることだけ。引き受けてもらえるかどうかはわからないんだから。でも、噂で聞いたほど難しい男ではないと思うけれどな。まあ、氣軽に頼めるとはいえないけれど。今回の調律をしてくれたのは、僕の音楽をお氣に召したわけではないと思うから」

「というと?」
「忘れられたオーストリアの作曲家の名作に再びスポットを当てる手伝いをしたいという男氣がひとつだろうな。そして、もう一つの幸運は僕が日本人ピアニストだったってことかな。彼はある日本人ピアニストの才能に惚れ込んでいて、その縁でハードルを一つ低くしてもらえたってわけだ。おかげで、こちらは『あのシュナイダー氏に調律してもらえる幸運』をお守りに本番に臨めたってわけだ」

「なんの慰めにもならないな。俺はドイツ人だ。しかもまともなピアニストですらない」
そうヴィルが言うと、拓人は魅力的に笑いながら言った。
「だが、お前には父上の遺言という切り札があるじゃないか。ダメ元で頼んでみろよ」

 そう話している間に、への字口をした老人が姿を見せた。かろうじて背広といってもいい上着を身に付けているが、シャンデリアの輝くホールでは多少場違いに見えた。だが、そんなことはおそらく誰も氣にしないだろう。その険しい顔を見ると、すれ違うものは自分が悪いことをしている心持ちになり、目をそらしてしまう。

 拓人はヴィルの腕を取り、急いで彼の方に歩いて行った。
「シュナイダーさん! 今日の演奏を素晴らしいものにしてくださった喜びは、言いつくせません。なんとお礼を言っていいのか」

 拓人の謝辞を遮るように老人は手を眼の前にあげた。「お世辞なぞたくさん、さっさと用を言え」とでもいいたげに。拓人は肩をすくめて、ヴィルを示した。
「ご紹介します。友人のアーデルベルト・フォン・エッシェンドルフ男爵です。先日亡くなったミュンヘンのエッシェンドルフ教授の子息です」

 老人はじっとヴィルを眺めた。ドイツ人は、愛想のいい拓人と違いほとんど無表情だった。まっすぐに老人を見て、敬意のこもった声で「はじめまして」と言った。シュナイダー老人は十分に観察をすると口を開いた。
「父上の若い頃に似ているな。ピアノを弾く息子のことは聴いていたよ。だが、音楽はやめたんだろう。もう俺の調律は必要なくなったと父上は連絡してきたが」

 それでは、父親があのベーゼンドルファーの調律をもうこの男には頼まなくなったのは、彼が音楽をやめてあの館に足を踏み入れなくなってからなのか。父親は、彼を抱きしめることもなく、共に夢を語ることもなかった。だが、彼のために可能な全ての手を尽くしてバックアップしようとしていたのだ。

 急死した父親に代り、先祖代々の領地と館と爵位を引き継いだヴィルは、かつて彼が知っていた音とは違う音を出すベーゼンドルファーを元の状態にしたかった。父親が秘書であるマイヤーホフに残していた指示の一つが、長らく連絡の取れない状態になっている著名な調律師を探し出すことだった。

 ウィーンのコンツェルトハウスで演奏することになった拓人と電話で話していた時に、無理だと諦めていた調律師が仕事を引き受けてくれたという話題になった。それが件のシュナイダー氏だと知ったヴィルはすぐにここにくることを決めていた。

「その通りです。私は父の元を離れて生きるつもりでした。そして実際に何年もあのピアノに触れませんでした。今、私が触れるあのピアノは、もはや私が何よりも愛したエッシェンドルフのピアノとは違う存在になってしまっている。亡くなる直前まで父もずっとあなたを探していた。あなたが今日の調律をすると聞き、飛んで来ました。もう一度あのピアノを蘇らせていただけないだろうか」

 老人は首を振った。
「諦めてくれ。こっちはこの歳だ。残された時間はさほどない。その時間の全てを捧げたいと思う弾き手のためにしか調律はしない。ましてや弾かないピアノのためにミュンヘンまで行くような時間はない」

 拓人は思わず口を挟んだ。
「シュナイダーさん、彼はピアノをやめてはいません。コンサートピアニストではありませんが……」

 ヴィルは、その拓人を制した。
「いや、拓人。シュナイダーさんは正しい。あのベーゼンドルファーは、ふさわしい弾き手を持っていない。かつてこの方に調律してもらっていたこと自体がおこがましかったんだ」

 老人は、拓人に訊いた。
「お前さんは、この男の腕をどう思う」
「彼は、僕の音楽の同志です。表現する世界と方法は違いますが、同じものを目指していると断言できる数少ない音楽家の一人だと思っています」
拓人は迷わずに答えた。ヴィルは少し驚いた。拓人がそこまで認めてくれているとは知らなかったから。

 老人は「ふん」と言った。それからもう一つの問いを発した。
「この男の耳はどうだ」

 拓人は怪訝な顔をした。
「耳ですか? 確かだと思っていますが、なぜですか」

 老人は、ヴィルをじっと見つめて口を開いた。
「この世には、最高の腕を持つ弾き手がいる。そして、最高傑作である楽器がある。残念ながらその二つが同時に存在することは稀だ。あのベーゼンドルファーは、金持のサロンの飾りであるべきではない。あんたは父上の跡を継いで、あの楽器と有り余る金を手にした。もし、あんたの手に余っているのなら、俺はあんたに聞いて欲しいことがある」

* * *
 

 拓人と真耶が滞在しているホテルから五十メートルほど先に、そのワインケラーはある。どっしりとした表構えの店は十七世紀の創業で、地下へ降りて行く階段の手すりなどにも時代を感じる。暖かい照明とガヤガヤとした混み方は、天井が高くて豪華絢爛なコンツェルトハウスの堅苦しい様式美とは打って変わり、落ち着き楽しい。

「ようやく来たのね。もう結構飲んじゃったわよ」
蝶子が、奥の席から手を振った。隣に座る真耶はあっさりとしたワンピースに着替えていた。そうすることでめずらしくブレザーと開襟のシャツを着ている稔やレネとほぼ同じレベルの服装になっていた。拓人はホテルで急いで着替えて来たので、やはり砕けている。ヴィルは上着を椅子にかけてネクタイを外した。

「まず乾杯しなくちゃ。大成功、おめでとう!」
拓人は、仲間と次々とグラスを重ね、ビールを一口飲むとようやく緊張が解けて笑顔になった。

「海外でのコンチェルト、初めてじゃないんだろう? いつもと違うのか?」
稔が不思議そうに訊いた。

「確かにすごい曲だけど、結城さんは普段リストもラフマニノフも楽々と弾いているから、そんなにピリピリすることがあるなんて意外よね。例の後援会のおばさま方が付いてくるのはいつものことだろうけれど、真耶まで応援に来るのって珍しくない?」
蝶子も続けた。

「だって、こんなに青くなって練習している拓人、もう何年も見たことなかったんだもの。マルクスのコンチェルトは日本ではまずやらないし、どうしても本番を聴きたくなって。どちらにしてもミュンヘンでの休暇は決まっていたし、ちょうどいいじゃない?」
真耶はニッコリと笑った。

「う。確かに余裕はなかったな。準備は十分にしてきたのに、先週の始めに通しで弾いた時に途中で真っ白になって、死ぬかと思った」
拓人は、ビールをぐいっと飲んだ。

「デートも全部断ったって、本当?」
蝶子が面白そうに訊いたので、拓人は真耶を睨んだ。

「本当のことでしょう」
「デートどころじゃなかったからね。あんなに大変な曲なのに、問題はそうは聴こえないってことなんだ」

 レネは不思議そうに言った。
「どうしてですか。僕はピアノのことは素人ですけれど、見ているだけでわかりましたよ。ものすごくテクニックを必要とされるんだろうなって。そう思わない人がいるんでしょうか」

 稔がハーブ塩のかかったフライドポテトをつつきながら言った。
「あの豪華絢爛なオーケストレーションがわかり易すぎるのかなあ」
「どういうこと?」

「ベートーヴェンやチャイコフスキーだといかにもクラッシックって感じがするけれど、今日のはなんだか映画音楽みたいに軽やかに思えるメロディでさ」
「ああ、そうか。たしかに聴いていて心地いいメロディが多かったですね」

「弾いている方は、難関の連続で、心地いいどころじゃないか」
ヴィルは二杯目のビールを飲んでいる。

 拓人は大きく頷いた。
「しかも、作曲家が知られていないとなると、演奏会をしても客が入るか心配だろう。ますます誰も弾きたがらなくなって、ほとんど演奏されることがいない。いい曲なのに残念だよな」

「じゃあ、敢えてそのとんでもない挑戦をした拓人に、もう一度乾杯!」
六人はグラスを合わせて笑いながら立ち上がった。
「『ロマンティックピアノ協奏曲』を世に広める、拓人と未来の弾き手たちのために!」

 座って飲みながら蝶子がヴィルに訊いた。
「そういえば、もう一つのトライはどうなったの?」

「断られたよ」
ヴィルは肩をすくめた。
「ダメだったんですか?」
レネが驚きの声を出した。

「完全に断られたわけじゃないだろう」
拓人が言った。
「どういうこと?」
四人は拓人とヴィルを代わる代わる見た。

「一度エッシェンドルフに来てくれるそうだ」
「じゃあ、断られていないんじゃない」
真耶は首をかしげる。

「彼の下で学んだことのある若い調律師を連れてくるそうだ。そして、俺が納得したら、今後彼に頼んで欲しいと言われた」
「本人じゃなくて?」

「一度だけの調律ではなくて、しょっちゅうすることになるだろうから。その調律師はバーゼルに住んでいるので、ウィーンよりは近い。シュナイダー氏のように有名ではないから定期的に来てもらうことができる」
「シュナイダーさんと正反対で、若くてチャラチャラした性格らしいけれど、腕は彼が保証するというくらいだから確かなんだろうと思うよ」

「でも、どうして定期的に調律が必要だなんていうの? そりゃ、一度っきりというわけにはいかないけれど……」
蝶子は首を傾げた。

 ヴィルと拓人は顔を見合わせて頷いた。それからヴィルが口を開いた。
「あのサロンとベーゼンドルファーを、才能があるけれど機会の少ない音楽家たちに解放していこうと思うんだ」

「へえ……」
四人は、グラスを置いて二人の顔を見た。拓人が肩をすくめた。

「シュナイダーさんは、ヴィルに弾き手としてだけでなく、後援者としての役割を期待していると言っていた。今は、以前ほどクラッシック音楽に理解のある後援者がたくさんいるわけではないし、各種奨学金制度もサロン的な役割まではしてくれないからな」

 拓人の言葉にヴィルは頷いた。

「俺が、エッシェンドルフを継ごうと思った理由の一つが、あんたたちの音楽を道端の小遣い稼ぎだけで終わらせたくないことだと言っただろう。あの館を中心にこれまでとは違う活動をするなら、少し範囲を広げていろいろな音楽家たちをバックアップすることも悪くないんじゃないかと思ったんだ。あんたたちはどう思う?」

「賛成よ。あのサロンなら、室内楽の演奏会も問題なくできるわ」
蝶子が言った。

「そういうのの手伝いをするっていうことなら、穀潰しの俺らも、あそこにいる間になんかの役に立つかもしれないよな」
稔の言葉にレネも大きく頷いた。

 真耶がすかさず続けた。
「機会があったら、私たちも混ぜてもらいましょうよ、拓人」
「そうだな。悪くない。休暇がてらに滞在して、何か一緒に弾いたりしてさ」

「休暇といえば、今回、結城さんもエッシェンドルフに来ればいいのに」
蝶子が言うと、拓人は残念そうに答えた。
「そうしたいのは山々だけれど、来週の頭から大阪公演なんだ。ちくしょう、いいなあ、真耶。マネージメントに文句いってやる。なんで僕だけこんなに働かされるんだ」

 一同は楽しく笑った。ウィーンの古いワインケラーで旧交を温める若い仲間たちは、自らとまだ見ぬ未来の若い音楽家のために、熱い夢を語りつつ何度もグラスを重ねた。

(初出:2018年3月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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拓人が弾いたという設定のマルクスのロマンティックピアノ協奏曲は、こんな曲です。
この曲を見つけた時には驚愕しました。華やかで、なんだか少し浮ついていて、さらに実は超難解だというあたり、こんなに結城拓人のイメージに近い曲が偶然見つかるなんて超ラッキー。そんな事を考えている私はそうとうイタい作者だという自覚くらいはありますよ。

Joseph Marx - Romantic Piano Concerto in E-major (1920)


そして、聴きまくるために私がiTunesストアにて購入したのはこちらです。マルカンドレ・アムランの名演ですよ。これが家にいて14フランで買える世の中っていいですねー。お店で探したらどんなに大変か……。本当はヨーゼフ・マルクスの『ロマンティックピアノ協奏曲』だけ買いたかったのですが、敵もさる者で、この三曲はアルバムごとじゃないと買えませんでした(笑)
Korngold & Marx: Piano Concertos
Korngold & Marx: Piano Concertos
Marc-André Hamelin, BBC Scottish Symphony Orchestra
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Posted by 八少女 夕

【小説】恋のゆくえは大混戦

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第十一弾です。ダメ子さんは、昨年の「scriviamo!」で展開させていただい「後輩ちゃん」の話の続き作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

ダメ子さんのマンガ 『バレンタイン翌日』

ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

昨年、キャラの一人チャラくんに片想いを続けているのに相変わらず想いの伝わらない「後輩ちゃん」の話を、名前をつけたりして勝手に膨らませていただいたところ、その話を掘り下げてくださいました。そして、今年はその翌日の話でを描いてくださいました。

今年はついに「後輩ちゃん」(アーちゃん)の顔が明らかになり、可愛いことも判明しました。なのにチャラくんは誤解したまま別の女の子(つーちゃん)にちょっかい出したりしています。

というわけでさらにその続き。今年メインでお借りしたのは、チャラくんではありません。見かけによらず(失礼!)情報通だしリア充なあの方ですよ。


【参考】
昨年私が書いた「今年こそは〜バレンタイン大作戦」
昨年ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」

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恋のゆくえは大混戦 - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 まったく、どういうこと?! あんなにけなげなアーちゃんの前で、よりにもよって付き添いの私に迫るなんて。だからチャラチャラした男の人って!

 何年も思いつめてようやくチョコを手渡せたバレンタインデーの翌日、アーちゃんは恥ずかしいからと部活に行くのを嫌がった。仕方ないので再び付き添って体育館の近くまで一緒に行ったところ、チャラ先輩がやってきた。ちゃんとお礼を言ってくれたから「めでたしめでたし」かと思いきや、モテ先輩にもっと積極的に迫れなどと言い出した。それだけでなく、この私に「モテのやつに興味が無いなら、俺なんてどうよ」なんて囁いたのだ。

「はあ。モテ先輩との仲を取り持とうとするなんて、遠回しの断わりだよね。彼女にしてもらえるなんて、そんな大それた事は思っていなかったけれど、ショックだなあ。つーちゃん、私、帰るね」
アーちゃんは、ポイントのずれたことを言いながら帰ってしまった。

 ってことは、モテ先輩の話が出た時点で泣きながら自分の世界に入ってしまって、あの問題発言は耳にしなかったってことかな。だったら、よかった。だって、こんな事で友情にヒビが入ったら嫌だもの。

 どうもチャラ先輩とアーちゃんは、お互いに話が噛み合っていないような氣がする。もちろん私の知った事じゃないけれど、またアーちゃんの前でチャラ先輩が変なことを言い出さないように、ここでちゃんと釘を刺しておくべきかもしれない。

 私は、一度離れた体育館の方へまた戻ることにした。バスケ部の練習時間にはまだ早いのか、練習している人影はない。あれ、どこに行っちゃったんだろう。

「あれ。君は、昨日の」
その声に振り向くと、別の先輩が立っていた。モテ先輩やチャラ先輩と同じクラスで、わりと仲のいい人だ。昨日も、アーちゃんがチョコをチャラ先輩に渡した時に一緒にいた。

「あ。こんにちは。さっき、チャラ先輩がここにいたんですけれど、えーと……」
「チャラのやつは、今すれ違ったけれど、今日の練習はなくなったからって帰っちゃったよ。急用なら連絡しようか」

 いや、そこまでしてもらうほどの用じゃないし、呼び出したりしたらさらに変な誤解されそう。困ったな。
「そういうわけじゃないんですけれど……。あの、昨日のアーちゃんのチョコレートの件、チャラ先輩、なんか誤解していませんでした?」

 先輩は、無言で少し考えてから言った。
「モテにあげるつもりのチョコだと思っていたようだね。あいつ、あの子がしょっちゅう見ていたのに氣がついていないみたいだし」

 知ってんなら、ちゃんと指摘してよ! 私は心の中で叫んだが、まあ、仕方ないだろう。アーちゃんのグダグダした告白方法がまずいんだし。

「あの子、カードにチャラ先輩へって書かなかったんですね」
「書いていなかったね。やっぱりチャラへのチョコだったんだ」

「先輩は、アーちゃんがチャラ先輩に憧れている事をご存知だったんですね」
「俺? まあね、なんとなく。確証はなかったけど」
「まったく、中学も同じだというのにチャラ先輩ったらどうして氣づいてあげないのかしら」
「あー、なんでかね」

 暖簾に腕押しな人だな。この人づてに、チャラ先輩に余計なちょっかいを出して私たちの友情に水をささないで的なお願いしたらと思ったけど……う~ん、なんかもっとやっかいなことになるかも?

「君は、バスケ部じゃないよね。あの子のためにまた来たの?」
先輩は訊いた。いや、一人で来たわけじゃないんですけれど!
「さっき、アーちゃんと来たんですけれど、チャラ先輩が思い切り誤解した発言をして、彼女泣いて帰っちゃいました」

 先輩は、「へえ」と言ってから、じゃあ何の用でお前はここにいるんだと訊きたそうな目をした。
「俺ももう帰るんだけど、よかったらその辺まで一緒に行く?」

 私は、このまま黙って帰ると更に誤解の連鎖が広がるような嫌な感じがしたので、もうこの先輩にちゃんと話をしちゃえと思った。
「じゃあ、そこまで」

 それから、私はその先輩としばらく歩きながら、お互いに名乗った。その人はムツリ先輩ということがわかった。

 駅までの道は商店街になっていて、ワゴンではチョコレートが半額になって売られていた。あ、あれは美味しいんだよなー。
「すみません、ちょっと待っていただけますか。あれ、ちょっと見過ごせないです」
「あ、あれはうまいよね。半額かあ。俺も買おっかな」

 ムツリ先輩もあのチョコが好きだったらしい。チョコなら昨日たくさんもらったんじゃないですかって訊くべきなのかもしれないけれど、地雷だったらまずいからその話題はやめておこう。

「バレンタインデーは、私には関係ないんですけれど、この祭りが終わった後の特典は見逃せないんですよね。でも、こういうのって傍から見たらイタいのかしら」

 そういいながらレジに向かおうとすると、まったく同じものを買おうとしていたムツリ先輩が言った。
「だったら、俺がこれを君にプレゼントするから、君がそっちを俺にくれるってのはどう?」

 私は、思わず笑った。確かに虚しくはないけれど、自分で買っているのと同じじゃない。
「じゃあ、これをどうぞ。一日遅れでしかも半額セールですけれど」
「で、これが一ヶ月早いホワイトデー? おなじもので、しかも半額だけど」

 バレンタインデーも、この程度のノリなら楽なのに。私は、アーちゃんの毎年の大騒ぎのことを思ってため息が出た。あ、チャラ先輩の話もしておかなくちゃ。

 私がチャラ先輩にはまったく興味が無いだけでなく、アーちゃんとの友情が大事なので変な方向に話が行くと困るということもそれとなく話した。ムツリ先輩は「あはは」と笑った。あはは、じゃなくて!

「まあ、じゃ、チャラにはあのチョコの事は、それとなく言っておく。その、君の事も……適当に彼氏がいるとか言っておけばいい?」
ムツリ先輩は、ちらっとこちらを見ながら訊いた。

 私は必死に手を振った。
「やめてください。私に彼氏だなんて! 私は逸般人いっぱんじんですから」
「え? 一般人?」

「あー、わかりませんよね。腐女子って言えばわかりますか? それも、生もの、つまり実在する人物を題材にした作品を愛好しているんです」
「ええっ。じゃ、モテとか?」

「やめてください。そういう身近なところでは萌えません。M・ウォルシュとかA・ベッカーとか知っていますか。ドイツやロシアのモデルなんですけれど。実在するのが信じられないほど美しい人たちなんですよ」
ムツリ先輩は思いっきり首を振った。やっぱり。まあ、知らなくて当然よね。

「というわけで、チャラ先輩にはうまくいっておいてくださいいね。あ、チョコ買ってくださってありがとうございました」

 私はそう言って、角を曲がるときにおじぎをしてムツリ先輩を振り返った。

 先輩は手を振って去って行った。ちょっと、恥を忍んでカミングアウトしたのに、なんで無反応なの?! ムツリ先輩って、あっさりしすぎていない? っていうか、私、今までそんなこと氣にした事なかったのにな。

 私は、ムツリ先輩と交換した半額セールのチョコを、大切に鞄にしまって家路を急いだ。

(初出:2018年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと漆黒の地底宮殿

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第二弾です。山西 左紀さんは、今年もプランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさんで、こだわった描写にはいつも唸らされています。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

既に多くの作品でコラボさせていただいていますが、もっとも多いのが、「夜のサーカス」のキャラクターの一人であるアントネッラと、そのブログ友達になっていただいたサキさんの「物書きエスの気まぐれプロット」のエスというキャラクターとの競演です。

で、お任せということですので、去年の「ファンタジー企画で七転八倒しているアントネッラの話」の続きを書かせていただきました。まあ、相変わらずアントネッラの作中作はやけっぱちですが、お許しください(笑)


【追記】
サキさんがお返し作品を書いてくださいました! エスと友人コハクの話も、苦手とおっしゃりつつとても面白いファンタジーも二重に楽しめる作品になっています。
夜のサーカスと漆黒の地底宮殿


「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物

「夜のサーカス」外伝


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夜のサーカスと漆黒の地底宮殿
——Special thanks to Yamanishi Saki-san



 磨かれた黒い大理石は、よく目を凝らすと細かい銀の粒で満ちていた。それはまるで永遠へと続く星空のようで、見つめ続ければ吸い込まれ二度とは戻れないのではないかと思わせる。

 ロジェスティラは、可能な限り音を立てないようにゆっくりと歩いたが、それはほとんど不可能だった。彼女の鋼の甲冑は無粋な音を立てた。これではモルガントに見つかるのは時間の問題だ。

「そのような物々しい為りで現れるとはな。お前が《天翔けるロジェスティラ》か」

 ギョッとして振り向くと、いつの間にかそこには小柄な少女が立っていた。流れるような長い金髪、輝く黄金の瞳、白い襞の多いローブ、穢れなく無邪氣な様子をしているが、この口調からすると万物への愛に満ちているとは考え難かった。

「そうよ。あなたは何者なの」
「妾か。何とでも呼ぶがよい。かつてこの地で妾を崇めていた人の子は《冬に暖める母》とも《焼き尽くす者》とも呼んだがな」

 それではここにいるのは火を吹く山の女神、ヘロサなのか! ロジェスティラは身震いした。かの天空のヘロス大聖殿で起こった突然の炎柱が皇孫オルヴィエートのローブに火を点けた時、彼女は皇孫将軍が信じていたほどの高潔な精神の持ち主でない事を知った。彼女が《光の子たち》の騎士としての役割に初めて疑問を持ったのはあの時だった。

「あなたは、モルガントに協力しているのですね、《炎の女神》よ」
わずかに膝をついて敬意を示すロジェスティラを見つめて、少女は甲高く笑った。

「協力だと、妾が? 《天翔けるロジェスティラ》よ。お前は、稀有の戦士で運にも恵まれている。だが、救いようもないほど愚かだ。まずはあの愚鈍な白いサルに忠誠を誓い、我が聖なる神殿を血で穢したかと思えば、今度はあの田舎者に懸想してこの地底宮殿まで追ってくる。お前は一体何がしたいのだ」

 ロジェスティラは、びくっと肩を震わせた。それは、彼女自身が知りたい事だった。



「なんだかどんどん混沌の極みに陥っているような氣がするわ」
アントネッラはため息をつくと、エスプレッソをこくんと飲み干した。もういい加減にコーヒーの休憩はやめなくてはならない。いくら話が行き詰まっているからと言って。

「まさかあのエセファンタジーの続きを書かなくちゃいけないことになるなんてねぇ」

 小説を書くブログを運営している仲間たちでファンタジー作品を書き、その中で二作品を選んで仲間の意見を取り入れた上で完成させる企画だった。アントネッラはやけっぱちでメチャクチャな作品の書き出しを提出した。ファンタジーは書いたことがないどころか、まともに読んだこともなかったのだ。

 そもそも一度作品が消えてしまった時点でギブアップしようと思っていたぐらいなのだ。ところが、その作品の一つ前のバージョンを読んで意見をもらっていたエスが保存しておいてくれたおかげで、少なくともギブアップだけは免れた。つまり体裁だけ整えて提出すればすぐにこの話から逃れられると思っていた。

 器用になんでも書くエスの『クリステラと暗黒の石』が満場一致で選ばれたのは当然だと思ったが、驚いたことに自分の『天空の大聖殿』までが選ばれてしまった。どうやら仲間たちは、エスの作品のように独創的できちんと考えられている作品を二つ選ぶと、どちらにも口を出しづらいが、こんな稚拙なファンタジーになら何を言っても大丈夫だと思ったらしい。

 実際に、仲間たちがワイワイと意見を言ってきて大幅な改稿を繰り返すうちに、当初のコンセプトはもはやどこかに吹っ飛んでしまった。

 正統派ヒーローのはずだった皇孫オルヴィエートは、仲間の人氣が著しく低く二章目であっけなく醜態を晒して退場した。エスの強い勧めで新たなヒーローの座に着いたのはヒロインの幼馴染、悪の象徴からレジスタンス組織に変わってしまった《闇の子たち》の首領モルガントだ。

 アントネッラは、かつてとある地方巡業サーカスの団員たちと知り合いになり、彼らの物語を小説にしようとしていたが、警察も巻き込む大きな事件と上流階級のスキャンダルに関わってしまい、その小説を闇に葬らなくなってしまったことがある。せっかくの個性的なメンバーのことを世に出せなくなったのが残念で、今回の小説では既に二人の容姿を借りてロジェスティラとモルガントを設定している。

「エスは、どうせマッダレーナやヨナタンをモデルにしたキャラクターを主役にするならステラがモデルの可憐な妖精みたいなのも出せって言うんだけれど、あの容姿で妖精にしてもそのまますぎておもしろくないし。もっとも、この活火山の擬人化みたいなキャラにしてみたけれど、これはこれでどうなのかしらね。ま、いいか。あとは光と闇の調停をする大神官としてブルーノ、最高神の化身としてあの胡散臭い団長でも配置しておこう。そこまでセオリーから外したら、きっとみんなも呆れてこれ以上この話に興味を持たなくなるだろうし」

 書けば書くほど、どんどんおかしな設定になって行くが、奇妙なことにアントネッラはこの話が以前ほど嫌いではなくなっていた。ファンタジー専門で書いていこうとは思わないけれど、きっと完結したらこの話のことが誇らしくなるだろうと感じていた。おそらくファンタジーとしてはメチャクチャになるだろうけれど。

「そういえば『クリステラと暗黒の石』の方は、どうなったんだろう」
コーヒーを飲む以外に、行き詰まった小説から逃れる理由を思い出したアントネッラは、ニコニコして古風なブラウン管式ディスプレイ画面に向かった。

「現在改訂版の執筆中……か。『ドラゴンの結石が大量に必要なら、イラつくキャラでも派遣してドラゴンにストレスをかけてやれ』って冗談で書き込んだのは、まずかったかなあ。怒ってブロックされているんじゃないといいけれど」

 エスの改訂版を読むことができなかったので、本当に自分の作品に向かうしかやることがなかった。それに時間もそれほど残っていない。

 アントネッラはブラウザを閉じると、ロジェスティラとヘロサの緊迫した対決の場面の書かれたテキストを開いて大人しくキーボードを叩き始めた。暗黒宮殿のシーンにはまったくふさわしくない、ダフネの甘い香りが漂っていた。北イタリアが少しずつ春めいてきたことを彼女は知った。

(初出:2018年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】異教の影

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十五弾です。TOM-Fさんは、代表作『フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス』とうちの「森の詩 Cantum Silvae」のコラボ作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

TOM-Fさんの書いてくださった小説『ヴェーザーマルシュの好日』

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広く書かれるブログのお友だちです。音楽や趣味などで興味対象がいくつか重なっていて、それぞれの知識の豊富さに日頃から感心しまくっているのです。で、私は較べちゃうとあれこれとても浅くて恐縮なんですが、フィールドが近いとコラボがしやすく、これまでにたくさん遊んでいただいています。

今回コラボで書いていただいたのは、現実の某ドイツの都市の歴史と、某古代伝説、そしてTOM-Fさんのところの『フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス』の登場人物の出てくるお話の舞台に、当方の『森の詩 Cantum Silvae』の外伝エピソード(『王と白狼 Rex et Lupus albis』)を絡めたウルトラC小説でした。

いやあ、すごいんですよ。よく全部違和感なくまとめたなと感心してしまうんですけれど、それもすごくいい話になって完結しているんです。素晴らしいです。

でも、毎年のことながら「こ、これにどうお返ししろと……」とバッタリ倒れておりました。なんか、あちらの姫君が「森の詩 Cantum Silvae」の世界を旅していらっしゃるらしいので、なんとなく全然違う話は禁じられたみたいだし……。七転八倒。

で、すみません。天の邪鬼な作品になっちゃいました。TOM-Fさんのストーリーが愛と自由と正義の讃歌のような「いいお話」で、しかも綺麗にまとまっているのに、全部反対にしちゃいました。愛と正義を否定する、言っていることは意味不明、ゲストにとんでもない態度。なんというか全くもってアレです。

まあ、「森の詩 Cantum Silvae」らしいと言っちゃえば、らしいです。この世界の人たちは、その時代の枠を越えることはできないので。(象徴的に言えば、トマトどころか、フォークすらありません! 手づかみでお食事です)

TOM-Fさんの作品と揃えたのは、「ある実在する都市の観光案内」が入っていることです。この都市のモデルを知りたい方は「ムデハル様式 世界遺産」または「スペインのロメオとジュリエット」で検索してください。

そして、すみません。あちらの登場人物の従兄ということでご指名いただいた某兄ちゃんは完璧に役不足なので無視しました。せっかくなので、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の続編で登場する最重要新キャラをデビューさせていただきます。登場人物を知らないと思われた方、ご安心ください。知っている人はいません(笑)

で、TOM-Fさんのところの姫君(エミリーじゃなくてセシル系? このバージョンもそういう仕様なのかしら?)も、グランドロン王国ではなくずっと南までご足労願っています。舞台は、中世スペインをモデルにした架空の国、カンタリア王国です。


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


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森の詩 Cantum Silvae 外伝
異教の影 - Featuring「フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス」
——Special thanks to TOM-F-san


 その高級旅籠は、三階建でムデハル様式の豪奢な装飾が印象的だった。もし異国からこのカンタリアの地に足を踏み入れたばかりの者ならば、ここはいったいキリスト教の国なのか、それともサラセン人に支配されたタイファ諸国に紛れ込んでしまったのかと訝るところだ。

 これはサラセン人たちの技術を取り入れたカンタリア独特の建築様式で、その担い手の名を冠してムデハル様式と呼ばれていた。ムデハルとは、国土回復レコンキスタ が進むにつれて後退していくタイファ諸国に住んでいたムスリムたちのうち、技術の高さから残留を許された者のことである。レンガやタイル、寄せ木細工などを用いて幾何学模様を施したサラセン風の装飾が、異国にいるような錯覚を呼び起こす。

 今でこそ国土回復レコンキスタ は絶対的正義の大義名分を得、「憎きサラセン人どもを神の名において駆逐する」と言う者もいるが、そもそもこのカンタリア半島では異教徒とキリスト教徒たちは永らく共存し、交流をする普通の隣国同士であった。文化的にも技術的にも優れていたのはタイファ側であったので、キリスト教諸国の商人たちはタイファ諸国の地ヴァンダリスへとこぞって買い付けにいったものだ。

 その旅籠に本日逗到着した一行は、ムデハル様式の建築が盛んなこの街サン・ペドロ・エル・トリーコに初めて逗留したので、豪奢に隙間なく飾られた壁や柱を珍しそうに見回した。その旅籠は、彼らの暮らす王宮よりも美しく彩られているようにさえ見えた。
「なんというところだ」

 ぽかんと口を開けて、周りを見回す太った青年とは対照的に、影のように控えている男は顔色一つ変えなかった。そして低い声で言った。
「殿下。お部屋の用意が済んだようでございます。どうぞあちらへ」
「ヴィダル。お前には、この光景は珍しくも何ともないのであろうが……」

 ヴィダルと呼ばれた黒髪で浅黒い顔の男は、嫌な顔をした。彼もこの街に来るのは初めてなのだ。「異教徒だ」「モロ(黒人)だ」と陰口を叩かれるのを毛嫌いしている彼は、母親の出身を示唆する王子の言葉に苛立ちを感じた。

 その様子を離れたところから眺めていた客が「くすっ」と笑った。ヴィダルは、そちらを鋭く一瞥した。宿屋の中だというのに灰色の外套を身につけたままで、そのフードを目深に被っている。声から女だと知ったが、それ以上のことはわからなかった。

 王子の安全を氣するヴィダルに宿屋の主人は「ヴェーザーマルシュのヘルマン商会の方です。正式な書き付けをお持ちですから物騒なお方ではないと思います」と耳打ちした。

 カンタリアの第二王子エルナンドとその一行は、旅をしていた。表向きは物見遊山ということになっていたが、彼らには別の目的があった。そのために、センヴリ王国に属するトリネア侯国、偉大なる山脈《ケールム・アルバ》を越えた北にあるグランドロン王国の王都ヴェルドン、そしてその西にあるルーヴラン王国の王都ルーヴにそれぞれ嫁いだカンタリア王家出身の女性たちを訪れるつもりであった。

 王都アルカンタラを出て以来、グアルディア、タラコンなど縁者の城に逗留してきたのだが、この一帯には逗留できる城はなく、山がちながらも比較的安全で王子の逗留にふさわしい旅籠のあるこの街に立ち寄ったのだ。

 この旅籠は決して小さくはないのだが、王家の紋章の入った華やかな鞍や馬鎧を施された馬に乗ったエルナンド王子、やはりそれぞれの紋章で馬や武具を飾り立てて付き従う十数名の騎士たち、そして護衛の従卒や小姓たちが入るとそれなりにいっぱいになったので、先客たちは早めに旅籠についておいてよかったと安堵した。

 食事は二階の大食堂で行われた。従卒や小姓などの身分の低い者は別だが、エルナンド王子と騎士たちは食堂の中心にある大きいテーブルに座った。物事を一人で決めるのが不得意な王子に常に付き従う《黒騎士》ヴィダルはいつものように、宿屋の者とすぐに話が出来るように一番端に座った。

 彼の斜め前には、先ほどの外套を着たままの商人が一人で座り、食事をしていた。ナイフを扱ったりフィンガーボールで洗う時に見える白く美しい手から、ヴィダルはこの女は意外と位の高い貴族なのではないだろうかと思った。

 だが、到着してからすでに浴びるほどの酒を飲み続けていた騎士たちは、その外套姿の方にしか目がいかなかったらしい。
「変わった女だ。なぜいつまでもその外套をとらぬのだ」
騎士の一人が言うと、その女は短く答えた。
「あまり人に見せたくない容姿だから。それに女の一人旅は、用心に越したことがないでしょう」

「女というのは氣の毒な生き物だな。己の醜さに囚われて旅籠ですら寛げぬとは」
「そんなに醜いなら、一人旅でもとくに問題はないであろう」
既に酔い始めた騎士たちは、口々に女を馬鹿にする言葉を吐き、ひどく笑い始めた。

 そして、ある者は、ヴィダルの方をちらりと見ながら言った。
「醜いというのならまだましさ。この世には恐ろしい魔女もいる。その美しさで男を籠絡し理性を奪う。外見が変わることもなく、この世の者ならぬ力でいつまでも男を支配し続ける悪魔がな」

 それまで騎士たちの嘲りに反応を見せなかった女が、低い声で呟きながら立ち上がった。
「黙って聴いておれば、このわたしを悪魔扱いして愚弄するつもりか。ずいぶんと勇氣のあることだな」

 ヴィダルは、女の口調にぎょっとして、その動きを遮るように立ち上がった。
「あの男が言っているのは、この私の母のことだ」
「お前の?」

 その時飲み過ぎた別の騎士が椅子から落ちて、地面に倒れ込んだ。騎士たちがどっと笑い、小姓たちが駆け寄って介抱する間、食堂にいた者たちの目はそちらに集中した。だが、ヴィダルは未だに自分を見ているらしい女に目を戻した。

「そうだ。カンタリア国王の愛妾だ。もちろん魔女でも悪魔でもなく普通に歳もとっている。だが、愚か者は自分と見かけの違う者を極端に怖れ、冷静に観察することも出来ぬのだ」
彼の苛立ちを隠さぬ口調に、女は興味を持ったようだった。

「なるほど。お前のその肌の色は母親譲りというわけか。そうか。港街で商人たちがお前の噂をしていたぞ。カンタリアの王子に付き添うサラセンの《黒騎士》がいるとな」
「サラセンでもモロでもない。かといって、正式に呼ばれる名前にも意味はない」

「意味がないのか」
「私がもらった名前は、私の欲しかったものではない。だが、構うものか。名前は自ら獲得してみせるのだから」

 女が顔をもっと上げ、ヴィダルをしっかりと見つめた。そのためにヴィダルの方からも初めてその女のフードに隠れていた顔が見えてぎょっとした。その手と同じように白い肌に、先ほど醜いとあざけった騎士ならば腰を抜かさんばかりの美貌を持った女だった。が、それよりもわずかに見えている髪が白銀であることと、赤と青の色の違う瞳の方に驚かされた。なるほど、この容姿ならば人に無防備に見せたくはないだろう。

 女はわずかに笑うと、座ってまたもとのように食事を取り出した。おそらくこの女の顔を見たのは彼一人だったのだろう。周りは彼らの会話に氣をとめていなかった。女はヴィダルの方を見もせずに低い声で続けた。
「その氣にいらぬ名前を名乗ってみろ」

 ヴィダルはわずかに苛つき答えた。
「それを知りたければ自分から名乗れ」

「ツヴァイ」
「それは人の子の名か。その立ち居振る舞いに言葉遣い、商人などではないな」

「名前に意味はないと自分で言わなかったか。が、知りたければ聴かせてやろう。セシル・ディ・エーデルワイス・エリザベート=ツヴァイ・ブリュンヒルデ・フォン・フランク。これで満足か。名乗れ」

「ヴィダル・デ・アルボケルケ・セニョーリオ・デ・ゴディア」
ヴィダルは苦虫を噛み潰したように言った。
「インファンテ・デ・カンタリアと名乗りたいということか」
 
 嫡出子ではないヴィダルは国王の血を受け継いでいてもカンタリア王家の一員として名乗ることは許されない。愛妾ムニラを溺愛するギジェルモ一世が、せめて貴族となれるようにアルボケルケ伯の養子にしてゴディア領主としたが、彼はその名に満足してはいなかった。だが、彼は女の問いに答えなかった。ひどく酔っぱらって狂騒のなかにいるとはいえ、その場にはあまりに多くの騎士たちがいたから。

「言いたくはないか。ところで、お前は、これも食べられるのか」
女が示しているのは、この地方の名産山の塩漬け肉ハモン・セラーノ だ。その横には、豚の血で作ったチョリソなどもあり、どちらもムスリムやユダヤ人などの異教徒は口にすることが出来ない禁忌品だ。

「もちろん、食べるさ。禁忌などに縛られるのはごめんだ」
彼はそう言ったが、宿の主人は彼の前に無難な川魚料理を出した。彼は塩漬け豚を彼にも出すように改めて頼まなくてはならなかった。女がクスリと笑う声を耳にして、彼は忌々しそうに見た。

「キリスト教徒に見えぬお前はこの地では生きにくいだろうが、異教徒の心は持たぬのだから、かの地に行ってもやはり生きにくいのかもしれんな」
「生きにくい? この世に生きやすいところなどあるものか。そういうお前はどうなのだ。商人のフリをしているのは、何かから逃げているのか」

 すると女は鈴のような笑い声を響かせた。
「わたしか。逃げる必要などない。ただ自由でいたいだけだ。この旅も大いに楽しんでいる。カンタリアの酒と食事は美味い」

 強い太陽の光を浴びた葡萄から作られたワインは、グランドロンやルーヴランで出来るものよりもずっと美味で、香辛料漬けにする必要がなかった。オリーブから絞られた油は、玉ねぎやニンニクを用いた料理の味を引き立てていた。山がちのこの地域は、清流で穫れる川魚、山岳地方の厳しい冬と涼しい夏が生み出す鮮やかな桃色の塩漬け豚も有名だった。さらに、残留者ムデハルが多いため、《ケールム・アルバ》以北ではほとんど食べられていない米、ヒヨコ豆やレンズ豆、アーモンド、ナツメヤシ、シナモンなど、特にアラブ由来の食材をたくさん使う料理が発達した。それらの珍しい食材が古来の食材と融合して、独特の食文化を築き上げていた。

* * *

 
 翌朝、王子たちの朝食は遅かった。深夜まで酒を飲んでいた騎士たちと王子がなかなか起きなかったからだ。ヴィダルはまた端の席に座って静かに朝食をとった。昨夜見た女は、とっくに朝食をとったのだろう、その場にはいなかった。

「ヴィダル。今日は一日この街でゆっくりするのだから、街の名所を案内してくれるよう、宿の主人に頼んでくれぬか」
王子の言葉に頷き、彼は宿の主人に街を見せてくれる人間を推薦してほしいと頼んだ。主人は二つ返事で、彼の舅が案内をすると言った。

 それはかなり歳のいった老人だったが、貴人たちに街を案内するのは慣れているらしく、よどみのない話し方で街の名所を手際よく説明してくれた。ムデハル様式の築物は街の至る所にあり、中でもサンタ・マリア大聖堂の塔、サン・マルティン教会とその塔の美しい装飾を技法の説明も交えて要領よく説明していった。そして、彼は次にサン・ペドロ教会に一行を案内した。

「この教会もムデハル様式の装飾で有名ですが、もっと有名なのは、ここに埋葬されているある恋人たちの悲しい物語なのです」
彼がもったいぶって説明すると、王子と騎士たちは一様に深い興味を示した。彼は一行を教会内部の二つの墓標が並んでいる一画へと案内した。

「いまから百年ほど前のことでした。この街に住んでいたイザベルという貴族の娘と、アラブの血を引く貧しいファンが恋仲になったのです。イザベルの父は二人の結婚を認めず、目障りなファンを厄介払いするために、法外な結納金を設定し五年以内にそれを用意できれば娘と結婚させると約束しました。ファンは唯一のチャンスにかけて、聖地奪回の戦いに身を投じ、五年後に莫大な戦利品を得て凱旋することが出来たました。ところが、イザベルは父親にファンが戦死したと言われたのを信じて既に他の男に嫁いでしまっていました。やっとの思いでイザベルのもとに忍び込んだファンのことを彼女は結婚した身だからと拒絶せざるを得なかったのです。彼は絶望によりその場で亡くなってしまいました。そして、彼を愛し続けていたイザベルもまた埋葬を待つ彼の遺体に口づけしたまま悲しみのあまり死んでしまったのです。その姿を発見した父親と街の人びとは、深く後悔して二人を哀れみ、この教会に共に埋葬しました」

 王子エルナンドは、懐から白いスダリウムを取り出し涙を拭いた。
「なんという悲しくも美しい話であろうか」

 騎士たちもまた、それぞれが想い人たちから贈られた愛の徴であるスダリウムを手にし、悲しい死んだ恋人たちのために涙を流した。だが、ヴィダルだけは醒めた目つきで墓標を見ているだけで何の感情も見せなかった。エルナンドは、ヴィダルのその様子をみると言った。
「お前はこの話に心動かされぬのか」

「心を動かされる? なぜ、私が」
「お前と同じ、サラセン人の血を引く男が、愛する女と引き裂かれたのだ。あの娘のことを思い出しただろう」
そう王子が言うと、《黒騎士》は笑った。

「あの娘とは、どの娘のことです。私は、女のために命を投げ出し、戦い、せっかく得た名声もそのままに悲しみ死んでしまうような愚かな男ではありません」

 エルナンドは首を振った。
「すくなくとも、何といったか……あのルシタニア出身の娘のことだけは愛していたのだと思っていたのだが。他の者のようにお前が悪魔のごとく血も涙もないモロだとは思わんが、時々疑問に思うぞ。神はそもそも、お前に魂を授けたのか?」

 ヴィダルは「さあ。私もそれを疑問に思っております」と答えて、教会の内部装飾の説明をする老人とそれに続く騎士たちの側を離れた。

 老人は、奥の聖壇の豪奢な装飾について滔々と説明をしていた。
「ご覧ください。神の意に適う者たちが命の危険を省みずに聖地を奪回するために戦った勇氣、次々とヴァンダルシアを我々キリスト教徒の手に取り戻したその偉業、神の意思が実現された歓びをこの聖壇の美しさは表現しているのです」

 彼は、幾何学文様と草花のモチーフの繰り返された鮮やかな壁面装飾を見上げた。明り取りの窓から入った光は、その見事な装飾にくっきりと陰影を作っていた。

「神の意ときたか」
女の声にぎょっとして横を見ると、いつの間にか昨夜の謎の女ツヴァイが立っていた。

「お前もここにいたのか」
「この街は面白い。神の栄光を賛美するのに、敵の様式をわざわざ用いるのだから」
女はおかしそうに笑う。

 ヴィダルは首を振った。
「大昔は知らんが、今のこの国で奴らが口にする、残忍な異教徒の追放だの、神の意だの、聖地奪回だのは、本音を覆い隠す言い訳だ。実際は領土拡大と経済的な動機で戦争をしているだけだ。そこでありがたがられている死んだ男も、そうやって手っ取り早く名声を得、大金を稼いだのだ。それなのに女に拒否されたくらいで死ぬとは何と愚かな」

 女は声を立てて笑った。
「それには違いない。だが、たった一人の相手ためにすべてを投げ打つほどの想いの強さがあったのだ。真の愛が人びとの心を打つからみな涙してここに集まるのだろう」

「他人の涙を絞るだけで本人には破滅でしかない愛など何になる。欲しいものを手にすることが出来ないならば、氣高い心や善良な魂なども無用の長物だ」
ヴィダルは拳を握りしめた。女は朗らかにいった。
「では、わたしは、お前がその手で何を掴むのか楽しみにしていよう、《黒騎士》よ」

 ヴィダルはその言葉に眉をひそめて、灰色の外套を纏った女の見えていない瞳を探した。
「ツヴァイ。お前は、一体何者なのだ」

 女は笑った。
「わたしが誰であれ、お前にとって意味はない、そうだろう?」

 それを聞くと、ヴィダルはやはり声を上げて笑った。
「その通りだ。たとえお前が商人であれ、高位の貴族であれ変わりはない。神の使いや、悪魔の化身であっても、同じことだ。この出会いで、私は己のしようとすることを変えたりはせぬ」

 彼は、射し込んだ光に照らされた祭壇の輝きを見ながら頷いた。

(初出:2017年3月 書き下ろし)

ヴィダル by うたかたまほろさん
このイラストの著作権はうたかたまほろさんにあります。無断使用は固くお断りします。



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Posted by 八少女 夕

【小説】ありがとうのかわりに

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十四弾です。けいさんは、毎年恒例の目撃シリーズで書いてくださいました。この作品は、当scriviamo! 2017の下のようにプランB(まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法)への返掌編にもなっています。ありがとうございました。

プランBで、拍手絡みの物語を、うちの「シェアハウス物語」とコラボでお願いしても良いですかね。それを受けて、私も掌編を描く。それのお返事掌編をまたいただく…B→B(A)→A混合サンドイッチ、みたいなの。


この二つ書けとおっしゃるうち、ひとつはちょうどブログトップのFC2拍手を1000カウント目にしてくださった記念掌編です。

けいさんの書いてくださった『とある飲み屋での一コマ(scriviamo! 2017)』

けいさん、実はどうも今、公私ともにscriviamo!どころではない状況みたいで、いま発表するのはどうかなと思ったんですが、こちらの事情(後が詰まっていて)で、空氣を全く読まない発表になってしまいました。ごめんなさい!

今回の掌編は、けいさんの掌編を受けて、前回私が書いた作品(『頑張っている人へ』)の続きということになっています。そっちをお読みになっていらっしゃらない方は、え〜と、たぶん話があまり通じないかもしれません。

今回は「シェアハウス物語」のオーナーにご登場いただいていますが、それと同時にけいさんの代表作とも言えるあの作品にもちょっと関連させていただきました。

で、けいさん……。大変みたいだけれど、頑張ってくださいね。応援しています。


「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね


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ありがとうのかわりに - Featuring「シェアハウス物語」
——Special thanks to Kei-san


 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が一人で切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、そのアットホームさを好む常連客で毎夜そこそこ賑わっていた。

「いらっしゃいませ。あら、葦埜御堂あしのみどうさん。今夜はお一人?」
涼子は現に微笑んだ。

「残念ながらね。でも、みんなここがとても氣にいったようで、近いうちにまた来たいらしいよ。その時には、またよろしく頼むよ」
シェアハウスのオーナーである現は、先日シェアハウスに住む国際色豊かな四人をこの店に連れてきたのだ。

 今日は、会社が終わると一目散にやってきて現が来る頃には大抵でき上がっている西城と、少しは紳士的なのに西城にはハッシーと呼ばれてしまっている橋本が仲良く並んで座っていた。そして、カウンターの中には、涼子ママと、常連だがツケを払う代わりに料理を手伝う板前の源蔵がいた。

「よっ。現さん、この間は驚いたよ。あのガイジンさんたち、すごかったよねぇ」
西城は、あいかわらずろれつが回っていない。

「何がすごかったんですかい?」
あの時、一人だけ店にいなかった源蔵が訊いた。橋本が答えた。
「現さんのつれていらした人たち四人のうち三人が外国の人たちだったんですが、みなさん、日本語ぺらっぺらで、しかも鶴まで折っちゃって。日本人の僕たちよりも上手いのなんの……」

「それに、あのアジアのおねーちゃん! あの人形の折り紙はすごかったよなあ。アレを折り紙で折るなんて、目の前で見ていなければ信じられなかったよ」

 涼子はもう少し説明を加えた。
「源さんも知っているでしょう、時々やってくる、小林千沙さん、あの方の従兄の方が闘病しているって話になって、だったらみんなで応援しようってことになって、あの夜、ここでみんなで鶴を折ったのよ」

 現はその間にメニューをざっと検討して、まずヱビスビールを頼み、肴は適当に見つくろってほしいと頼んだ。源蔵がいる時は、料亭でしか食べられないような美しくも味わい深い、しかもメニューには載っていない一皿にめぐりあえることがあるからだ。

 源蔵はそれを聞くと嬉しそうに、準備に取りかかった。現は、突き出しとして出された枝豆の小鉢に手を伸ばしながら訊いた。
「その後、どうなったんでしょうね」

 涼子は微笑むと、カウンターから白い紙袋を取り出した。
葦埜御堂あしのみどうさんがお見えになるのを待っていたのよ。実はね、四日くらい前だったかしら、小林さんがいらっしゃってね。これを、皆さんにって」

 現は「へえ」と言いながら紙袋の中を覗き込んだ。中には、赤と青のリボンで二重に蝶結びにして止めた、白い袋が五つ入っていた。そして、それぞれに付箋がついていた。

「ゲンさんへ、か。これが僕のだ」
彼は、一つを取り出した。残りの四つには「ワンさんへ」「ニコールさんへ」「ムーカイさんへ」「ソラさんへ」と書いてある。あの時、耳にしただけで漢字がわからなかったので全てカタカナなのだろう。ワンちゃんだけ「ちゃん」付けするのはまずいと悩んだんだろうな。うんうん。彼は笑った。

「西城さんたちももらったんですか?」
現が訊くと、二人は大きく頷いた。

「もちろんさ。俺っちたちは、千沙ちゃんが来た時にここにいたからさ、直接いただいちゃったって訳。開けてごらんよ」

 中には透明のビニール袋に入ったカラフルなアイシングクッキーと、CDが入っていた。彼は取り出して眺めた。

 ピンクや黄色や緑のきれいなアイシングのかかったクッキーは、全て紅葉の形をしていた。それはちょうどあの日ワンちゃんが折った拍手に見立てたたくさんの紅葉に因んだものなのだろう。

「小林さんの手作りですって。いただいたけれど、とっても美味しかったわ」
涼子が微笑んだ。

「それは嬉しいね。少し早いホワイトデーみたいなものかな。で、こちらは?」
彼はCDをひっくり返した。それはデータのディスクか何かを録音したもののようだった。

「それさ。例の闘病中の従兄が演奏したんだってよ」
西城が言った。

 現は驚いて顔を上げた。橋本が頷いた。
「そうなんだってさ。先日、無事に放射線療法がひと息ついて、退院して自宅療養になったんだって」

 涼子がその後を継いだ。
「あの皆さんからの折り紙がとても嬉しかったんですって。絶対に諦めない、頑張るって改めて思われたそうよ。それで退院してから小林さんと相談して、みなさんに何かお礼の氣持ちを伝えたいって思われたみたい。それで、ギターで大ファンであるスクランプシャスっていうバンドの曲を演奏して録音したんですって」

「歌は入っていなくてインストだけれど、すごいんだよ。俺たちもらったCD全部違う曲が入っていたんだ。だから現さんたちのとこのもたぶん全部違う曲だと思うぜ」
橋本は興奮気味だ。

「そうですか。僕のはなんだろう。あ、裏に書いてあるぞ『悠久の時』と『Eternity Blue』か。デビュー・アルバムからだね」
「あら、葦埜御堂あしのみどうさん、お詳しいのね」

「もちろんだよ。僕は自慢じゃないけれど、スクランプシャスのアルバムは全部持ってんだから」
現が言うと、皆は「へえ~」と顔を見合わせて頷いた。

「だれが『夢叶』をもらったのかな」
現が皆の顔を見回して訊くと、涼子は笑った。
「私たちじゃないわ。たぶんワンさんじゃないかしら。あの時、いつか折り紙作家になりたいっておっしゃっていたから」

「俺っちもそれに賭ける」
西城が真っ赤になりながら猪口を持ち上げた。

「宇宙かもしれないぞ。あいつもこれから叶える夢があるからな」
その現の言葉に、皆も笑って頷いた。

 涼子が現のグラスにヱビスビールを注ぎ、源蔵が鯛の刺身を梅干しと紫蘇で和えた小鉢を置いた。

 現はプレゼントを紙袋に戻すと、嬉しそうに泡が盛り上がったグラスを持ち上げた。

(初出:2017年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】絶滅危惧種

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第十一弾です。

大海彩洋さんは、『ピアニスト慎一』シリーズの番外編で参加してくださいました。ありがとうございます!


彩洋さんの書いてくださった短編 『サバンナのバラード』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。年代が近い、物語を書いてきた長さが近い、ブランクがあったことも似ているなどなど「またシンクロしている!」と驚かされることの多い一方で、えらい違いもあり「ううむ、ちゃんと精進するとこれほどすごいものが書けるようになるのか」と唸らされてしまうことがとても多いのです。

今回書いていただいた作品とその本編に当たる「死と乙女」でも、私のよく書く「好きなクラッシック音楽をモチーフに」に挑戦されていらっしゃるのですが、「なんちゃってクラッシック好き」の私とまさに「えらい違い」な「これぞクラッシック音楽をモチーフにした小説!」が展開されています。

で、今回書いてくださったのは、またまた「偶然」同じモチーフ「女流写真家アフリカヘ行く」が重なった記念(?)に、彩洋さんのところの女流写真家ご一行と、うちの「郷愁の丘」チームとのコラボです。というわけで、こちらはその続きを……。

しかし! 大人の事情で「ジョルジア in アフリカ with グレッグ」は出せませんでした。出すとしたら「郷愁の丘」が終わったタイミングしかなくて、それはあまりにもネタバレなので却下。そして、せっかくゲスト(奈海、ネイサン、ソマリア人看護師の三名)に来ていただいているというのに、某おっさんは、これまた大人の事情で取りつく島もない態度……orz。彩洋さん、ごめんなさい。ここで簡単にネイサンたちと仲良しになれるようなキャラに変更すると、本編のプロット大崩壊なんです。

ということで、おそらく彩洋さんの予想と大きく違い、別のもっとフレンドリーなホストで歓待させていただきました。こっちは、たぶん五分で意氣投合すると思います。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む(第1回のみ公開済み)
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
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郷愁の丘・外伝
絶滅危惧種 
——Special thanks to Oomi Sayo san


 普段はあまり意見を言わない看護師がぼそっと言った。
「どうしてわざわざシマウマを観に行くの」

 運転席で、それは当然な問いかけだなと彼は思った。アフリカのゲーム・サファリをする時に、シマウマを観るためだけに車を走らせたりする者はない。ライオンやチーターを探すついでに見たくなくても見えてしまうのが普通だからだ。

「見せてもらうのはただのシマウマじゃないんだよ。ね、スコット博士」
フランスから来た医師が彼に話しかけた。

「はい。これからお目にかけるのは、グレービー・シマウマです」
彼は後を振り返って答えた。彼の運転するランドクルーザーには、三人の客と一匹の犬が同乗している。助手席にはソマリア出身の看護師が座り、フランス人の医師と日本人の女性カメラマンは後部座席に座っている。そして、その後に踞るのは彼の愛犬であるローデシアン・リッジバック、ルーシーだ。

 ネイサン・マレ医師は、撮影をしたがるに違いない奈海が助手席に座った方がいいと主張したのだが、ルーシーがソマリア人を執拗に威嚇するので、距離を開けるためにしかたなくその配置にしたのだ。

「よくあることなんだよ」
スコット博士がソマリア人に謝っているとき、ネイサンは奈海に耳打ちした。

「なにが?」
「アフリカの番犬は、黒人にひどく吠えることが多いんだ。別にそういう教育をしているわけじゃなくても。そして、多くの黒人は番犬が苦手になる。そうすると、それを感じとる犬はもっと吠えるんだ」
「でも、ルーシー、最初は私やあなたにもずいぶん吠えていたわよ」
「まあね。番犬として優秀ってことかな」

 その説明を聞きながら彼は申しわけなさそうに言った。
「彼女は、ほぼ全ての初対面の人間にひどく吠えるんです」

「ってことは、例外的に吠えなかった人もいるってことかい?」
ネイサンが訊くと、彼は短く「ええ」とだけ答えた。

 彼自身の父親であるジェームス・スコット博士でも、その恋人であるレイチェル・ムーア博士でもなく、そして二人の娘のマディでもない。初対面の人間にひどく吠え立てるルーシーがはじめからひどく尻尾を振って懐いたのは、半年ほど前に滞在したアメリカ人女性だった。

 それは、やはり今日のようにマリンディの父親の別荘に滞在した時だった。彼の意思とは関係なく別荘に行くことになったのは今回と同じだったが、その女性は自分で招待したのだ。彼が誰かを招待したのはここ十年では彼女一人だけだった。そもそも、断られると思いながら誘ったのだが、彼女が意外にも簡単に招待に応じてくれたのだ。

 その時たまたまその場にいた旅行エージェントを営む友人リチャード・アシュレイは、彼のことを誤解したようだった。しばらく逢わないうちにすっかり社交的になったのだと。実際には、あいかわらず人間との交流を可能な限り避けている。リチャードは、半年前に彼の人生の沙漠に突然訪れた夢のような二週間のことは知らないだろう。それとも、不器用なために何の成果も手にしなかった話がすでに面白おかしく伝わっているのかもしれない。

 そもそもリチャードは、今回この三人の客を彼に紹介したわけではなかった。ホスピタリティにあふれ、時おりビジネスの範囲を大きく超えて客を歓待するリチャードは、彼に三人の客を見事に接待する能力があると思うほど楽天的ではなかった。

 そうではなくて、この別荘を実質的にいつも使っている人懐こい夫婦に、三人のもてなしを依頼したのだった。つまり、マディとその夫であるイタリア人アウレリオ・ブラスだ。

 アウレリオはオックスフォード時代から付き合いのあるリチャード・アシュレイの親友だ。彼が、リチャードを通じて性格の全く違う無口で人付き合いの下手なケニア出身の学生スコットに近づいたのは、大いなる下心があってのことだった。すなわち、一目惚れした彼の腹違いの妹と親しくなるための布石だ。

 その甲斐あって、マデリン・ムーアと首尾よく結婚したアウレリオは、今では彼の義理の弟となってケニアに移住している。そして、イタリア系住民のコミュニティのあるマリンディの別荘でバカンスを楽しむことも多かったし、親友リチャードの依頼を愛想良く受けてその友人を歓待することも好んだ。だが、愛すべきアウレリオには、大きな欠点があった。肝心な時に決してその場にいないのだ。

 今回もリチャードから紹介され、三人の客の受け入れを快諾したものの、ミラノでの商談の時間がずれ込み約束の日にケニアに戻って来ることが出来なかった。だが、別荘の本来の持ち主である義父ジェームス・スコット博士に代わりに接待をしろとは言えない。妻のマディは二人の子供を抱えていて簡単に250キロも移動できない。そこで急遽、鍵を持っているジェームスの息子であるヘンリーが呼びつけられたのだ。

「グレービー・シマウマって、普通のシマウマとどう違うの?」
日本人カメラマン奈海の声で彼は我に返った。シマウマの研究者である彼は、説明を始めた。

「グレービー・シマウマは、アフリカ全土でよく見られるサバンナシマウマ種よりも大型です。縞模様がよりはっきりしていますが、腹面には模様がありません。ケニア北部とエチオピア南部のみに生息しています」

「ずいぶん減っているんだろう?」
「はい。ワシントン条約のレッドデータでEN絶滅危惧種に指定されています。1970年代には15000頭ほどいたのですが、現在およそ2300頭ほどしか残っていません」

 奈海は驚いた声を出した。
「そんなに減ってしまったの? どうして?」
「縞模様が格別にきれいで、毛皮のために乱獲されたんです。そして、家畜と水飲み場が重なったためにたくさん殺されました」

「今は保護されているんだろう?」
「ええ、捕獲や殺戮は禁止されていますしワシントン条約で保護されたためにここ数年の生息数は安定しています。でも、エチオピアが建設を予定している大型ダムが完成するとトゥルカナ湖の水位が大きく下がると予想されています。それで再び危機的な状況になると今から危惧されています」

 ランドクルーザーは、アラワレ国立自然保護区に入ってから、ゆっくりと進んでいた。マリンディから130キロしか離れていないと聞いていたので、すぐに到着して簡単にシマウマが見られると思っていたが、すでに三時間が経っていて、いまだにヌーやトムソン・ガゼルなどしか目にしていなかった。

「ほら、いました」
彼は、言った。
「あ、本当ね」
ソマリア人が答えた。

「え? どこに?」
奈海は後部座席から目を凝らした。彼女にはシマウマの姿は見えていない。ネイサンが笑った。
「都会の人間には、まだ見えないよ」
「え?」
「サバンナに暮らす人間は視力が6.0なんてこともあるらしいよ。遠くを見慣れているからだろうな。十分くらいしたら君や僕にも見えてくるさ」

 本当に十分以上してから、奈海にもシマウマが見えてきた。彼は生態や特徴などについて丁寧に説明してくれるが、奈海が満足する写真を撮れるほどには近づいてくれない。窓を開けてカメラを構えるがこの距離では満足のいくアングルにならない。

「もう少し車を近づけていただけませんか」
「これが限界です。これ以上近づくことは許可されていません。向こうから近づいてくればいいのですが」

「でも、周りには誰もいないし、僕たちはシマウマにとって危険じゃないから、いいだろう」
ネイサンは、奈海のために頼んだ。
「車で近づくのがダメなら、私、降りて歩いてもいいわ」

「近づくのも降りるのも不可です。彼らをストレスに晒すことになりますから。この規則は、あなたたちに問題が降り掛かるのを避けるためでもありますが、それ以上に生態系を守るためにあるんです」

 警戒心の強いシマウマたちは、どれだけ待っていても近づいてこなかった。やがて彼は時計を見て言った。
「申しわけありませんが、時間切れです。もう帰らないと」

「まだ陽も高いし、少しスピードあげて戻ればいいんだし、あと一時間くらいはいいだろう? まだ彼女が撮りたいような写真は撮れていないんだ」
ネイサンがまた奈海のために頼んだが、彼は首を振った。

「この保護区内では時速40キロ以上を出すことは禁じられているんです。そして、夕方六時までに保護区の外に出ないと」

 これまでのサファリで、こんなに融通の利かない事を言われたことはなかったので、ネイサンと奈海は顔を見合わせた。頼んでも無理だということは彼の口調からわかったので、大人しく引き下がった。

 出かける前にパリに電話をかけていて出発が遅くなったことが悔やまれた。そう言ってくれれば、電話は帰ってからにしたのに。奈海は名残惜しい想いで遠ざかるグレービー・シマウマの群れを振り返った。

* * *


「ヘンリー!」
マリンディに戻ると、アウレリオと二人の子供たちと一緒に到着したマディが待ち構えていた。夫が三人の客たちに無礼を詫びつつ、リビングで賑やかに歓待している間、彼女は彼を台所に連れて行った。

「私たちの到着が遅くなって、三人の世話をあなたにさせたのは悪かったわ。でも、ヘンリー、あなた、まさかお客様にあれを食べさせたわけ?!」
彼女は、流しの側に置いてあるコンビーフの空き缶を指差した。

 彼は肩をすくめた。
「僕にフルコースが作れると思っていたのかい」
「思っていないけれど、いくらなんでも!」

 彼は首を振った。
「心配しなくても、焼きコンビーフを食べさせたわけじゃないよ。そうしようかと思っていたら、見かねたマレ先生があれとジャガイモでちゃんとした料理を作ってくれた」
「あきれた。マレ先生に料理させちゃったのね」

「だから、今夜は、まともに歓待してやってくれ。僕は、帰るから」
「食べていかないの?」
「今から帰れば、明日の朝の調査が出来る。それに、僕がここにいても場は盛り上がらないから」

 マディは、居間にいる四人と子供たちがすっかり打ち解けて楽しい笑い声を上げているのを耳にした。そして、打ち解けにくい腹違いの兄との時間で三人が居たたまれない思いをしたのではないかと考えた。ヘンリーは決して悪い人ではない。ないんだけど……。

「そんなことないわ。それにあの日本女性、写真家だし、弾む話もあるんじゃないの?」
マディは、含みのあるいい方をしたが、彼は乗ってこなかった。

 彼女は続けた。
「彼女と連絡取り続けているんでしょう? 行くって聞いたわよ、来月ニューヨークに」
「どういう意味だ」
「ママがあなたも行くって。あなたが海外の学会に行くなんて、珍しいことだもの。ミズ・カペッリに会うんでしょう?」

 彼は首を振った。
「ニューヨーク学会に行くのは、レイチェルがスポンサーに紹介してくれるからだ。もしかしたら援助してもらえるかもしれないから。ミズ・カペッリは忙しいだろうし、押し掛けたら迷惑だから連絡していない」

「どうして?! せっかく再会できるチャンスなのに、この間、ずいぶん仲良くなったじゃないの」
マディは、よけいなおせっかいとわかっていながら言い募った。

 彼は、答えずに彼女の瞳を見つめ返した。暗い後ろ向きな光だった。彼女は、よけいな事を言ったことを後悔した。上手くいっていたと思っていたのに……。

 彼は、「じゃあ、これで」と言うと表で待つルーシーを連れて車に乗り込み去っていった。

 人付き合いが下手な上、父親ともほとんど没交渉の彼のことを、マディと母親のレイチェルはいつも氣にかけていた。クリスマスや復活祭の食卓に招んだり、別荘での休暇に呼び出したり、学会でも声を掛けたり、彼が《郷愁の丘》に引きこもり続けないように心を砕いてきた。彼は、それを感謝し嫌がらずに出かけてくるが、自ら打ち解けることはまだ出来ない。

 逢ってまだ三十分も立っていないのに、もう昔からの親友のように楽しそうに語り合うアウレリオとマレ医師たちの声を聴きながら、彼女はこの世と上手くやっていけない腹違いの兄と比較してため息をついた。

 夫は彼女に近づくのに躊躇したり、迷惑だろうからと遠慮したりはしなかった。そして、それが彼女自身の幸せにつながった。だが、それをヘンリーに言っても助けにはならないだろう。彼はそういう人間ではないのだから。

 彼女は両親や兄のように動物学者ではないから、学術的なことはわからない。でも、進化論で「絶滅した種は環境に適応できなかったから」と言われているのくらいは知っている。他の生物と同じく環境に適応できないために種を保存できない人間もいるのかもしれない。

 彼女は頭を振ると、去っていった兄の愛するアメリカ人ではなく、パリから来た女流写真家と会話を楽しむべく居間へと向かった。

(初出:2017年2月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】今年こそは〜バレンタイン大作戦

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第四弾です。ダメ子さんも、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。

新しいプランができてる
じゃあ私も久しぶりに思い切ってBプランを注文しますです


ダメ子さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人です。かわいらしい絵柄と登場人物たちの強烈なキャラ、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

せっかくなので「ダメ子の鬱」のたくさんのキャラたちのうち、ダメ子さんのクラスの男の子三人組、とくにチャラくんをお借りしてお話を書かせていただくことにしました。といっても、実際の主役は、一年に一度だけ出てくる、あの「後輩ちゃん」です。チャラくんはバレンタインデーのチョコを自分ももらいたいと思っているのですが、毎年この後輩ちゃんからのチョコを受け取り損ねているんです。

快くキャラをお貸しくださったダメ子さん、どうもありがとうございました。名前はダメ子さん式につけてみました。「あがり症のアーちゃん」と「付き添いのつーちゃん」です(笑)


【追記】
ダメ子さんが、バレンタインデーにあわせてお返しのマンガを描いてくださいました! アーちゃんのチョコの運命やいかに(笑) ダメ子さん、ありがとうございました!

ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」



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今年こそは〜バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 今日は例の日だ。2月14日、聖バレンタインデー。アーちゃんは、がたがた震えている。たかだか先輩にチョコを渡すだけなのにさ。

「ごめんね、つーちゃん。つきあわせて。でも、私一人だと、また去年の二の舞になっちゃう」

 アーちゃんは、とんでもないあがり症だ。昨日も授業で当てられて、現在形を過去完了に変えるだけの簡単な質問に答えられなかった。答えがわからなかったのではなくて、みんなの前で答えるというシチュエーションにパニックを起こしてしまったのだ。先生もいい加減アーちゃんがこういう子だって憶えりゃいいのに。

 そんなアーちゃんだけれど、意外と執念深い一面も持ち合わせていて、もう何年もとある先輩に懸想している。バスケ部のチャラ先輩だ。カッコ良くて女性の扱いの上手いモテ先輩ならわかるけれど、なんでチャラ先輩なんだろう。まあ、明るくてけっこう優しいところはあるけれどさ。

「前ね、今日みたいに授業で答えられなくて、クラスの男の子たちに下駄箱で嗤われたことがあるの。そこにチャラ先輩が通りかかってね。『かわいそうだから、やめろよ』って言ってくれたの」
「それ、いつの話?」
「えっと、中学のとき」

 何ぃ? そんな前のこと?
「もしかして、この高校を受験したのは……」
「うん。チャラ先輩がいたから。あ、それだけじゃないよ、偏差値もちょうどよかったし、家からもわりと近かったし」

 全然近くないじゃない。やっぱりこの子、変わってる。そんなに大好きなチャラ先輩に、告白が出来ないどころか、もう何年もバレンタインデーのチョコを渡しそびれているらしい。なにをやっているんだか。

 スイス産のクーベルチュール、70%カカオ、それにホワイトチョコレート。純国産のミルクチョコレートにとってもお高い生クリーム。彼女ったら、あれこれ買ってきて、レシピも調べて研究に余念がなかった。そして、なんとけっこうプロっぽい三色の生チョコを作ったのだ。

「わざわざ用意したんだから、あとは渡すだけじゃない。何で毎回失敗しているの?」

「だって、先輩、二年前は部活に来なかったの。去年は、ものすごく素敵なパッケージのチョコレートを食べながら『さすが、味も包装もまるでプロ並だよな』なんて言って通ったの。私のこんなチョコは受け取ってくれないかもと思ったら、渡せなくて」

 私はため息をついた。そんな事を言って食べているってことは、本命チョコのはずはないじゃない。でも、舞い上がっていて、そんなことを考える余裕がなかったんだろうな。

「わかった。さすがに一緒に行くってわけにはいかないけれど、途中まで一緒に行ってあげよう。どんなチョコにするの? パッケージもちょっと目立つものにするんだよ。義理っぽいものの中では目立つようにね」

 私がそういうと、アーちゃんはこくんと頷いた。
「ごめんね、つーちゃん。その日は他に用事ないの?」
「あ? 私は、そういうのは関係ないからさ。友チョコとか、義理チョコとか、そういう面倒くさいのも嫌いだからやらない宣言してあるし」

 というわけで、私は柄にもなく、きゃーきゃーいう女の子たちの集う体育館へと向かっているのだ。バレンタインでへの付き添い、この私が。チャンチャラおかしいけれど、これまた経験だろう。

 バスケ部のところに女どもが群がっているのは、どう考えてもモテ先輩狙いだろう。あんなにもらうチョコはどう処理しているんだろう。全部食べるわけないと思うんだけれど。女の私だって胸が悪くなるような量だもの。でも、目立つように処分したりするようなことはしないんだろうな。そう言うところは絶対に抜かりないタイプ。

 チャラ先輩は、そんなにもらうとは思えないから、いかにも本命チョコってパッケージのあれをもらったら、けっこう喜ぶと思うんだけれどな。アーちゃんは、かわいいし。

 もっとも男の人の「かわいい」と私たち女の思う「かわいい」って違うんだよね。男の人って、「よく見ると味がある」とか、「人の悪口を言わない性格のいい子」とか、「あがり症でも一生懸命」とか、そういうのはポイント加算しないみたい。むしろ「意外と胸がある」とか、「かわいいってのは顔のことでしょ」とか、「小悪魔でちょっとわがまま」とかさ。まあ、こういう分析をしている私は、男から見ても、女から見ても「かわいくない」のは間違いないけれど。

「つーちゃん、待って。私、ドキドキしてきた」
その声に我に返って振り向くと、アーちゃんが震えていた。まだ体育館にもたどり着いていないのに、もうこれか。これで一人で、先輩のところまで行けるんだろうか。

「いい、アーちゃん。あそこにモテ先輩と群がる女どもが見えるでしょ。あそこに行って彼女たちを掻き分けて先輩にそのチョコを渡すことを考えてご覧よ。どんなに大変だか。それに較べたら、ほら誰も群がっていないチャラ先輩のところにぴゅっと走っていって、『これ、どうぞ!』と手渡してくるだけなんて楽勝でしょ?」

 私は、チャラ先輩がムツリ先輩と二人で立っているのを見つけて指差した。二人は、どうやらモテ先輩がたくさんチョコをもらっているのを眺めながら羨ましく思っているようだ。
「これはチャンスだよ。自分も欲しいなあ、と思っている時に本命チョコを持って女の子が来てくれるんだよ。ほら、早く行っておいで」

 私の入れ知恵で、パッケージにはアーちゃんのクラスと名前が入っているカードが忍ばせてある。あがってひと言も話せなくても、チャラ先輩が興味を持ってくれたら自分から連絡してくれるはずだ。少なくともホワイトデーのお返しくらいは用意してくれるはず。……だよね。


 アーちゃんは、よろよろしながら体育館の方へと走っていく。えっ。何やってんの、そっちは方向が違うよ。

 彼女は、チャラ先輩の方にまっすぐ走っていかずに、モテ先輩の人だかりの方に迂回してしまった。人に紛れて見えないようにってことなのかもしれないけれど、それは誤解を呼ぶぞ。

 あらあらあら。あれはキツいバスケ部のマネージャーだ。モテ先輩とつきあっているって噂の。アーちゃんの持っているチョコを目ざとく見つけてなんか言っている。「抜け駆けする氣?」とかなんとか。

 アーちゃんは、慌てて謝りながら、モテ先輩の周りにいる女性たちから離れた。そして、動揺したせいか、その場に転んでしまった。私はぎょっとして、彼女の方に走っていった。

「アーちゃん、大丈夫?」
「う、うん」

 全然大丈夫じゃないみたい。膝が擦り剥けて血が出ている。手のひらからも出血している。
「わ。これ、まずいよ。保健室行こう」

 でも、アーちゃんは、自分よりもチョコの箱の惨状にショックを受けていた。
「つーちゃん、こんなになっちゃった」

 不器用なアーちゃんでもきれいに詰められるように、テトラ型のカートンにパステルカラーのハートを可愛くレイアウトして印刷したものを用意してあげたのだけれど、転んだ時のショックで角がひしゃげてしまっている。幸い中身は無傷のようだけれど。

「えっと、大丈夫?」
その声に見上げると、チャラ先輩とムツリ先輩だった。アーちゃんは、完璧に固まっている。

「だっ、大丈夫ですっ!」
彼女は、チョコの箱を後に隠して立ち上がった。
「わっ、私、保健室に行かなきゃ! し、失礼しますっ」

「あ、そのチョコ、モテにだろ? 僕たちが渡しておいてあげようか?」
チャラ先輩は、一部始終を見ていたらしく、覗き込むようにちらっと眺めながら言った。お。チャンス!

「え。いや。そうじゃないです! そ、それにもう、潰れちゃったから、渡せないし、捨てようかと……」
アーちゃんは、焦って意味不明なことを言っている。そうじゃなくて、これはチャラ先輩に持ってきたって言えって。

 パニックを起こしている彼女は、誤解を解くどころか、箱をよりにもよって私に押し付けて、ひょこひょこと校舎に向かって走っていった。ちょっと。これをどうしろって言うのよ。

 思いあまった私は、潰れた箱をチャラ先輩の手に押し付けた。
「これ、モテ先輩に渡したりしちゃダメですよ。 中身は大丈夫のはずだから、食べてくださいね!」
 
 あとはチャラ先輩がこれを開けて、中のカードをちゃんと読んでくれることを祈るのみ。中の生チョコが潰れていなければ、カードに必要な情報が全部書いてあるはずだから。

 ところでアーちゃんは「チャラ先輩へ」ってカードにちゃんと書いたのかな。今は、それを確かめようもない。私はアーちゃんを追わなくちゃいけないし。

 ああ、この私が加担したにもかかわらず、今年も前途多難だなあ。

(初出:2017年1月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】異国の女と謎の訪問者

scriviamo!


「scriviamo! 2017」の第二弾です。ポール・ブリッツさんは、私の小説群に出てくる架空の村、カンポ・ルドゥンツ村の出てくるスパイ小説で参加してくださいました。

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『カンポ・ルドゥンツの来訪者』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。どうも、こういう企画は難しい挑戦をしないといけないとお思いになっているらしくて、毎年しょっぱなから大いにハードルをあげてくださるブログのお友だちです。でも、挑戦されたからと言って、応える方の技量には限りってモノが……。まあ、いいや。

いやー最近読んでいるスパイ小説が面白くって(^^)


この参加宣言と、あちらの小説のみなさんのコメントでは、私もスパイ小説でお返しすることを期待されているような氣もしますが、そう簡単に書けるわけないじゃないですか。しかも舞台がカンポ・ルドゥンツ村ですよ。何もないし。というわけで、こんな話になりました。例によって真相は「藪の中」です。なにが本当でなにが憶測なのか、謎の男は何しにきたのか、ポーランド人と、ロシア人は、スパイ小説とどう関わっているのかもしくは全然関わっていないのか、それは読者の想像にお任せします。

登場するトミーとリナは、去年のscriviamo!をはじめとして、私の小説では既におなじみのキャラなのですが、別に読まなくても大丈夫です。一応シリーズのリンクはつけておきますけれど……。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズ
「酒場にて」

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異国の女と謎の訪問者
——Special thanks to Paul Blitz-san


 道は凍り付いている。育ち始めた霜は、結晶を大きくさせて、雪が降ったあとのようにあたりを白くしている。カンポ・ルドゥンツ村は、ライン河の東岸にある小さな村だ。小高い丘の上にある少し裕福な人たちの住む場所は別として、泉のある村の中心部には三ヶ月にわたり一度も陽の光が差さない。

 河向こうにあるサリス・ブリュッケと違い住民も少ないこの村は、冬の間はまるで死んだかのように人通りがない。かつては広場を囲んで三軒あった旅籠兼レストランのうち今も営業しているのは一軒のみで、他には村の中心部からかなり離れたところにバーとそれに隣接した有機食料品店があるだけだ。

「こんにちは、トミー!」
そのバーの扉を勢いよく開けて飛び込んできたのは、そんな寒村には全く似合わない派手な出立ちの娘だ。鮮やかな緑のコートは確か雑誌で見かけたバリーの新作だし、その下から現れた白いミニ丈のニットドレスは、どこのブランドかわからないけれど今年のトレンドであることは間違いない。黒いタイツに茶色いロングブーツのバランスもこだわりを感じさせる。それがわかるトミーだが、そんなことを容易く褒めてはやらないのが彼らしさだ。

「リナ。いつお外が春になったのよ」
「なっていないわよ。マイナス10℃ってところかな。寒かった~」
「だったら何でそんな恰好をしているのよ」
「だって今日はこういう氣分なんだもん」

 『dangerous liaison』は、コンサバティヴで過疎な寒村カンポ・ルドゥンツ村のはみ出しものが集うバーだ。ゲイのカップルであるステッフィとトミーが経営している。青とオレンジを基調とした南国風の室内装飾はこのあたりでは滅多にない派手なインテリアで、やってくる客もこの谷の半径三十キロ地点にいるはみ出しものばかりだった。

 この村に住むリナ・グレーディクもその一人で、週に二度ぐらいはこの店にやってきてトミーに新しいファッションを披露するのだった。

 カウンターの奥でクスっと笑う声がしたので顔を向けると、ノヴァコフスキー夫人で通っているイリーナが壁についたカラフルなシミのように座っていた。このバーの常連の中で最高齢だと思われ、正確な歳は誰も知らないがおそらく八十歳は超えているはずだ。夫のノヴァコフスキーは五十過ぎてから結婚してこの村に彼女を連れてきたが、彼が亡くなった後三十年ひとりで近くのアパートメントに住んでいる。

「あれ。一人? お客さん、帰ったの?」
リナは訊いた。

 前回この店にきた時に、常連である自動車工マルコが大騒ぎしていたのを耳にしていたのだ。
「おい。知っているか? ノヴァコフスキーの後家婆さんのところにボーイフレンドが来ているぞ! あの歳でやるよな」

「どんなヤツだ?」
「外国人だよ。顔立ちから言うと南欧の男かな。でも背はかなり高い。どこにでもいそうな老人だ」

 マルコの情報によると、村の中心にある旅籠に滞在しているということだった。そして、イリーナが彼を訪ねてきて二人で自宅に向かったのを目撃したレストランの常連たちが、驚きと興味を持って二人の関係についてあれこれ詮索して騒いでいたというわけだった。

「あの婆さんもポーランド人だったっけ」
「いや。確かロシア人だったはずだ。ティツィーノ州からやってきたらしく、イタリア語が達者なんだ」
「ああ。亡命貴族が多いんだよな。革命の時にごっそり持ち出した財宝でマッジョーレ湖のヴィラで優雅に暮らしている帰化者がいっぱいいるって話だ」
「そんな金持ちが、ヤン・ノヴァコフスキーみたいな貧乏人と結婚してこんな田舎に来るか」
「さあな。貴族の召使いの子弟ってのもいるだろう」

「そもそもヤン・ノヴァコフスキーは何でこの村に来たんだっけ?」
「ああ。ありゃ戦争捕虜だよ。フランスで従軍していたんだが、ドイツに投降するくらいなら、スイスに入った方がマシな扱いを受けるからって越境してきたんだ。で、戦後に村の娘と結婚して帰化したはずだ」
「なるほど。その娘が亡くなってから後添いに来たのがあのイリーナ婆さんってことだな」

「その婆さんが、今度は別の外国人をこの村に連れてくるってことか? はてはて。で、今度は何人かな」

 そんな噂が村の中心を駆け巡っていたのが四日ほど前だった。だが、村人の予想に反して、謎の南欧風の男は迎えにきた車に乗ってどこかへと去っていった。

 リナの質問は、村の噂がすでにバー『dangerous liaison』にまで広がっていることや、自分が村の好奇心の対象となっていることを示していたので、イリーナは笑った。銀髪を優雅に結った女性で、若いころと変わらずに魅力的で秘密めいた微笑みを見せる。未亡人となってからはいつも黒い服を身につけているが、纏っているスカーフが色とりどりで華やかだ。

「ええ。帰りましたよ。昨日ね」
それから、トミーにワインのお替わりを頼んだ。

 すぐに帰るつもりはないと判断したリナは、イリーナの隣に座った。
「イリーナの家族?」

 イリーナは首を降った。
「いいえ。友達よ。ペンフレンドね」
「ペンフレンド?」

「ええ。いつだったか州都のスーパーマーケットで、告知をみつけたの。キリル文字で書かれていたのよ。懐かしかったから近寄って見たらペンフレンド募集だったのよ。それで連絡して文通するようになったの。この歳になると、使わないと、すっかり忘れて使えなくなってしまうのよ」

 リナはカンパリソーダを飲みながらイリーナの顔を覗き込んだ。
「イリーナはポーランド人じゃなかったんだ」
「いいえ。私の両親はロシアの出身なのよ。革命から逃げてティツィーノ州に来たの。私はイタリア語圏スイスで生まれ育ったんですよ」

「でも、イリーナはずいぶんきれいなドイツ語を話すよ? どうやって覚えたの?」
「若いころにルガーノに住んでいたドイツの男爵のところで働いていましたからね」

「リナ。あんたはいろいろな事を不躾に訊きすぎるわよ」
トミーが注意した。リナは「ごめん」とは言ったが、反省している様子はなかった。

「いいのよ。変な噂を流されるよりは、訊いてくれた方がすっきりするわ」
イリーナはワインを飲んだ。

 それで、リナは勢いこんで更に訊いた。
「それで、文通をしていた友達が会いにきたのね?」

「そうよ。変わった人でね。ペンフレンドを募集しておきながら、応募してくる人間がいるとは思わなかったなんて書いてくるし、特に文通がしたかったわけでもないみたいだったの。単に婆さんの書いてくる田舎の日常が面白かったから、暇つぶしに時々手紙をくれたみたいね。だから、まさか逢いにくるとは夢にも思わなかったんだけれど」

「じゃあ、何で来たのかしらね?」
リナが訊くと、老女はおかしそうに笑った。
「オクローシカを食べたかったみたいね」

「何それ?」
リナとトミーが同時に訊いた。

 イリーナは笑って言った。
「冷たい野菜スープの一種よ。クワスという発酵飲料で作るの。私は母からクワスの作り方を習っていたので、パンと酵母で手作りしているんですよ。この前の手紙でその話を書いたら、一度訪問したいって書いて来てね。大都会ならペットボトル入りのクワスが専門店で買えると思うんだけれどねぇ」

「ああ、それはわかるわ。故郷を離れていると、なかなか手に入らない手作りの味が無性に恋しくなるのよね」
トミーが頷いた。

* * *


 その頃、村の中心にある旅籠のレストランでは、男たちがまさにイリーナ婆さんと謎の男の噂をしていた。

「俺は、あの男はにはどこかおかしいところがあるように思うんだ」
マルコが熱弁を振るっている。他の男たちはビールを飲みながら首を傾げた。
「どこが?」

「第一に、こんな何にもない村にいきなりやって来たかと思うと、へんな送迎の男たちと去っていっただろう」
「はい、はい。また始まった。お前、外国人とみるとすぐになんかの陰謀だと言い出すんだよな」

 マルコはムキになって続けた。
「おかしいのはそれだけじゃないぞ」
「なんだよ」
「あの顔さ。手は皺しわなのに、額や鼻にほとんど皺がなかった。あれは整形かもしれないぞ」

「へえ。そうなのかな」
「で、イリーナ婆さんのところに何の用だ?」
「諜報機関の奴らが、なんかの書類を受け渡しにきたとかさ。ロシアの亡命貴族とKGBの密会というのは面白い組み合わせだな。それとも亡きポーランド人の遺した第二次世界大戦の時の重要書類か」

 それを聞くと、ほかの男たちは馬鹿にした顔つきで眼を逸らすと、新しいビールを注文した。
「お前は、スパイ小説を読みすぎだ。そんなわけないだろう。寝言もいい加減にしろ。あの男はどうせ婆さんの家族か親戚か、そんなところさ」

(初出:2017年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと天空の大聖殿

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2017」の第一弾です。山西 左紀さんは、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。下記のようなリクエストをいただいています。

夕さんが気になる、或いは気に入ったサキのキャラとコラボしていただけたら 嬉しいです。


山西左紀さんは、色鮮やかな描写と緻密な設定のSFをはじめとした素晴らしい作品を書かれる方です。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

既に多くの作品でコラボさせていただいていますが、もっとも多いのが、「夜のサーカス」のキャラクターの一人であるアントネッラと、そのブログ友達になっていただいたサキさんの「物書きエスの気まぐれプロット」のエスというキャラクターとの競演です。

記念すべき初のプランBですから、やはりこの組み合わせで書きたいなと思いました。アントネッラとエスの交流の話、もしくは劇中劇形式になっているストーリーの話、どちらで遊んでいただけるのかも興味津々です。どんな形でお返事いただけるのか、いまからワクワクです。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2017」について
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



夜のサーカスと天空の大聖殿 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」
——Special thanks to Yamanisi Saki-san


 風を切って雲の間を抜けていく時、《勇敢なる女戦士》ロジェスティラは、イポリトの首筋の茶色い羽毛に顔を埋めた。彼女の忠実な乗り物となったこの巨大なヒッポグリフは、そっと顔を向けて「大丈夫か」と伺うかのごとく黄金色の大きな瞳を動かした。

「怖くなんかないわ。これは武者震いよ。あの天空の大聖殿に近づくのは、お前のような神獣の助けを借りなくちゃ不可能だし、わが軍で《翼あるもの》の使い手は、いまや私一人ですもの。オルヴィエート様をお救いすることが出来るのは、お前と私しかいないんだわ」

 初めて目にした天空の大聖殿は、何と美しいことだろう! いくつもの尖塔がぎっしりとひしめき、針の山のように見えた。灰色と赤茶けた岩しか存在しない、人里離れた地の果てのごときヘロス山に、遠く離れたグラル山塊でしか産出しない青白い大理石をこれだけ運ぶ労力はどれだけのものだったのだろう。

 このように壮大な聖殿を建てても、祭司に集まる貴族たちも、祈りを捧げる民らも到達することは出来ない。五百年前の大噴火によってヘロサ新山が生まれた後、馬はもちろん、徒歩ですら近づくことが出来なくなったのだ。厳しい渓谷に阻まれたこの壮麗なヘロス大聖殿は秘密に守られて、何世紀にも渡り伝説で語られるだけの存在であった。

 ロジェスティラは、モルガントとの対決を思って下唇を噛んだ。将軍である皇孫オルヴィエートを欺き誘拐してこの大聖殿に立てこもっているのが、自分と子供時代を共に過ごした乳兄弟であることを知った時、彼女は「何かの間違いよ!」と叫んだ。けれども、それは間違いではなく、彼が邪悪な《闇の子たち》のために働いていることも疑う余地はなかった。

 いま彼女が躊躇すれば、高貴なるオルヴィエートの命やこの国の命運が失われるだけでなく、《光の子たち》の築き上げてきた世界そのものが崩壊してしまう。

「イポリト。氣をつけて。そろそろモルガントがお前の飛来を感じ取るはずよ。どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないわ」

 ロジェスティラのささやきに、イポリトは「わかっている」と言いたげに振り向いた。「あなたこそ、振り落とされないように、お氣をつけなさい」そう言っているかのように瞬きをした。

 そして、イポリトは、ますます速度を上げて、稲光の中に浮かび上がる青白い要塞に向かって降りて行った。



「う~ん。どうも陳腐だわね」
アントネッラは、ため息をつくと、エスプレッソ用品の置いてある窓辺のテーブルに向かった。

 もちろん、そこまでのほぼ全ての地面には、本と書類の山や、二ヶ月ほど前に買ってきてまだショッピングバッグに入れたままになっているトイレットペーパーや洗剤やパスタ、彼女としてはきちんと積み上げてあると認識している衣類の入った木箱などが道を塞いでいるので、彼女はその間のわずかな空間を身体を横にしたり少し飛んだりしながら通らなくてはならない。これもまたいいエクササイズだわ、というのが彼女のいつものひとり言だった。

「さてさて。ファンタジーもののセオリーには、乗っ取っているんだけれど。謀略。主人公と敵対者の闘争。主人公によるヒロインの救出……これは立場が逆ね。敵対者の仮面が剥がれ、主人公の欠如が解消される。でもねぇ。なんだかどこかで聞いたような話になっちゃっているのよねぇ。どこかに、こう、パンチのあるひねりが欲しいわ」

 窓辺に辿りつくと、彼女は少し大きめのアイボリーの缶の蓋をがたがた言わせて開けた。中からは深煎りしたコーヒー豆が現れる。彼女はフランス製の四角い木箱のついたアンティークコーヒーミルに、その豆を入れて、ハンドルをひたすら回した。美味しいエスプレッソを淹れるためには極細挽きにしなくてはならないのだ。挽きたての魅惑的な香りが、彼女の部屋に満ちた。

「ロジェスティラのイメージは、やはりあのライオン使いのマッダレーナかしらね。愛する貴公子を救うために勇敢にも敵地に一人で乗り込む美しきヒロインですもの。容姿のところを書き足さなくちゃ。オルヴィエートは、よく電話してくるあの金髪の俳優にしておこうかな。でも、敵役モルガントの容姿はどうしようかしら。暗い感じで、でも、一見は悪者に見えないような容姿がいいのよね。あ、ヨナタンの容貌は悪くないわね」

 マキネッタの最下部に水を、その上にセットしたバスケットにきっちりと粉を詰めると、ポット部分をセットして直火にかけた。フリーズドライのインスタントコーヒーを使えば、こんな手間はいらないのだが、第一に、彼女はまっとうなエスプレッソを飲む時間を持てないほど人生に絶望してはいないし、第二に、こうした単純作業は創作に行き詰まった時の氣分転換に最高だと知っていたからだ。

「なんでファンタジーを書く企画に参加しちゃったのかしら。まったく書いたことのないジャンルなのに」
彼女は、マキネッタがコトコトと音を立てはじめたのを感じながら、窓の外に広がる真冬のコモ湖を眺めた。

「そもそも私、ファンタジーをまともに読んだこともないし、この系統の映画もほとんど観ていないし。でも、参加すると手を挙げちゃったからには、何かは完成させないと。ああ、困った」

 夏場は観光客を乗せて軽やかに横断する遊覧船が、手持ち無沙汰な様相で船着き場で揺れている。谷間の陽の光は弱く、どんよりと垂れ込めた灰色の雲の間から、わずかに光が射し込んで湖畔の家々を照らしている。

 少なくともエスプレッソが完成するまでは、窓辺でこの光景を眺めていられたのだが、無情にも完成してしまったので、彼女は素晴らしい香りとともにそのコーヒーを愛用のカップに注いで、またコンピュータの前に戻らざるを得なかった。

「そうだ。エスに彼女の進捗状況を訊いてみよう。彼女は、SFは得意だけれど、ファンタジーはあまり書いたことがないって言っていたから、同じように苦労しているかもしれないし」

 エスというのは、日本に住んでいるネット上の創作仲間だ。アントネッラがインターネット上で小説を公開しだしてから数年になるが、ごく初期の頃から交流をもち、お互いの小説について忌憚なく意見を交わしている。あまり情報処理のことに詳しくないアントネッラのかわりに、エスは調べ物をしてくれたりもする。とても頼りになる友人なのだ。

 今回の企画には、エスも同じように参加している。彼女のファンタジーについての意見を聞いたら、自分の作品に足りない「何か」の正体がわかるかもしれないと思ったのだ。

 アントネッラは、創作に使っているエディタを閉じると、チャットアプリを立ち上げて、ログイン画面が現れるのを待った。

 一瞬「保存しますか?」と訊く画面がでたように思ったが、普段ならキーを押したあとに続く「どのフォルダに保存しますか」と言う問いかけが出てこないことに氣がついた。チャットアプリに保存は関係ないから、保存すべきだったのは何だったのかしらと考えてから青ざめた。

 慌ててエディタの方をアクティヴにしようと試みたが、大人しく終了してしまったらしく、うんともすんとも言わない。

 チャットアプリのログイン画面がポップに輝くのを絶望的に眺めてから、アントネッラは乱雑に机の上に積み上げられた書類の山の中に突っ伏した。


(初出:2017年1月 書き下ろし)


【11.01.2017 追記】
サキさんが、あっという間に素晴らしい返掌編を書いてくださいました! さすがです。みなさまどうぞご一読を!

サキさんの作品 「物書きエスの気まぐれプロット(26)クリステラと暗黒の石


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Posted by 八少女 夕

【小説】ジョゼ、日本へ行く

当ブログの77777Hit記念掌編、7つはすでに発表させていただいたのですが、最後のリクエストと数分の差でかじぺたさんにリクエストをいただいていたのでした。しかもちょうどその頃、かじぺたさんのお嬢さんがご結婚なさったとのことですので、お祝いを兼ねてリクエストにお答えすることにしたのでした。かじぺたさん、大変お待たせしました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*薬用植物
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*城
*ひどい悪天候(嵐など)
*「黄金の枷」関係


「黄金の枷」シリーズの主要キャラたち、とくに「Infante 323 黄金の枷」の主人公たちは設定上、今回のリクエストの舞台である日本には来ることが出来ないので、同じシリーズのサイドストーリーになっているジョゼという青年の話の続きを書かせていただきました。できる限り、この作品の中でわかるように書かせていただきましたが、意味不明だったらすみません(orz)

このキャラは、山西左紀さんのところのミクというキャラクターと絡んでいるんですが、全然進展しないですね。新キャラを投入して引っ掻き回していますが、私の方にはまったく続きのイメージがありません(なんていい加減!)この恋路の続きは、サキさんに全権委任します。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
ジョゼ、日本へ行く


 すごい雨だった。雨は上から下へと降るものだと思っていたが、この国では真横に降るらしい。それも笞で打つみたいに少し痛い。痛いのはもしかしたら風の方だったかもしれないが、そんな分析を悠長にしている余裕はなかった。目の前を立て看板が電柱から引き剥がされて飛んでいき、とんでもないスピードで別の電柱に激突するのを見たジョゼは、危険を告げる原始的なアラームが大脳辺縁系で明滅するのを感じてとにかく一番近いドアに飛び込んだ。

 それは小さいけれど洒落たホテルのロビーで、静かな音楽とグロリオサを中心にした華やかな生花が高級な雰囲氣を醸し出していた。何人かの日本人がソファに座っていて、いつものようにスマートフォンを無言でいじっていた。
 
 風と雨の音が遠くなると、そこには場違いな自分だけがいた。びっしょり濡れて命からがら逃げ込んできた人間など一人もいない。

「ジョゼ! いったいどうしたのよ」
エレクトラが、落ち着いたロビーの一画にあるソファに座って、薄い白磁でサーブされた日本茶と一緒にピンクの和菓子を食べていた。

 ジョゼは、とある有名ポートワイン会社の企画した日本グルメ研修に、勤めるカフェから派遣された。彼が職場の中でも勉強熱心で向上心が強いウエイターであるからでもあったが、日本人とよく交流していて仕事中にも片言の日本語で観光客を喜ばせているのも選考上で有利に働いたに違いない。

 彼は、日本に行けることを喜んだ。彼の給料と休みでは永久に行けないと思っていた遠くエキゾティックな国に行けるのだ。そしてその国は、なんと表現していいのかわからない複雑な想いを持っているある女性の故郷でもある。ああ、こんな言い方は卑怯だ。素直に好きな人と認めればいいのに。

 話をややこしくしている相手が、目の前にいる。日本とは何の関係もないジョゼの同国人だ。幼なじみと言ってもいい。まあ、そこまで親しくもなかったんだけれど。

 エレクトラ・フェレイラは、ジョゼとかつて同じクラスに通っていたマイアの妹だ。フェレイラ三姉妹とは学校ではよく会ったが、それはマイアの家族が引っ越すまでのことで、その後はずっと会っていなかった。ひょんなことから彼はマイアの家族が再び街の中心に戻ってきたことを知った。

 快活で前向きな三女のエレクトラは、小さいお茶の専門店で働いている。ジョゼの働いているカフェのように有名ではないし、従業員も少ないのでいくら組合の抽選で当たったとはいえ、休みを都合して日本へ来るのは大変だったはずだ。それを言ったら彼女はにっこり笑って言った。
「だってジョゼが行くって知っていたもの。一緒に海外旅行に行くのはもっと親しくなる絶好のチャンスでしょう」

「え?」
「え、じゃあないでしょう。そんなぼんやりしているから、そんな歳にもなって恋人もいないのよ。マイアそっくり。もっともマイアだって、さっさと駒を進めたけれどね」
「あのマイアに恋人が?」

 エレクトラは、人差し指を振って遮った。
「恋人じゃないわ、夫よ」

「なんだって?」
「しかも、もうじき子供も生まれるんですって」
「ええええええええ?」

「彼女、例の『ドラガォンの館』の当主と結婚しちゃったの。全く聞いていなかったから、のけぞったわ。私たちが知らされたのは結婚式の前日よ」
「マイアが?」

「あ。なんかの陰謀じゃないかって、今思ったでしょう」
「いや、そんなことは……」
「嘘。私も思ったわよ。でもね。結婚式でのマイアを見ていたら、なんだ、ただの恋愛結婚かって拍子抜けしちゃった。あの当主のどこがそんなにいいのかさっぱりわからないけれど、マイアったらものすごく嬉しそうだったもの」
「僕に知らせてもくれないなんて、ひどいな」

「仕方ないわよ。おかしな式だった上、それまでも、それからも、私たちですらマイアに会えないんだもの。妙な厳戒態勢で、私たちが結婚式に列席できただけで奇跡だってパパが言っていたわ」

 意外な情報にびっくりして、ジョゼは目の前の女の子に迫られているという妙な状況も、自分には好きな女性がいると告げることもすっかり意識から飛ばしてしまった。だから、最初にきっぱりと断るチャンスを失ってしまったのだ。それにエレクトラは、ものすごい美人というわけでもないが、表情が生き生きとしていて明るく、会話が楽しくて魅力的なので、好かれていることにジョゼが嬉しくないと言ったら嘘になった。

 この旅に出て以来、エレクトラはことあるごとにジョゼと行動を共にしたがった。彼は、曖昧な態度を見せてはならないと思ったが、朝食の席がいつも一緒になってしまい、一緒に観光するときも二人で歩くことが増えて、周りも「あの二人」という扱いを始めているくらいなのだった。

「一体、何をしてきたのよ、そんなに濡れて」
「あの嵐でどうやったら濡れずに済むんだよ」

 エレクトラは肩をすくめた。
「この台風の中、地下道を使わないなんて考えられないわ」
彼女が示した方向にはガラスの扉があり、人々が普通に出入りしていた。ホテルは地下道で地下鉄駅と結ばれていたのだ。ジョゼはがっかりした。

 彼女はバッグからタオルを取り出すと、立ち上がって近づき、ジョゼの髪や肩のあたりを拭いた。
「日本では、水がポタポタしている男性は、いい男なんですって。文化の違いっておかしいと思っていたけれど、案外いい線ついているのかもしれないわね」

 エレクトラの明るい茶色の瞳に間近で見つめられてそんなことを言われ、ジョゼはどきりとした。けれど、彼女はそれ以上思わせぶりなことは言わずにタオルを彼に押し付けるとにっこり笑って離れ、また美味しそうに日本茶を飲んだ。

「明日からは晴れるらしいわよ。金沢の観光のメインはお城とお庭みたいだから、晴れていないとね」

* * *


 あの嵐はなんだったんだと呆れるような真っ青な晴天。台風一過というのだそうだ。 ジョゼは、まだ少し湿っているスニーカーに違和感を覚えつつ、電車に乗った。ただの電車ではない。スーパー・エクスプレス、シンカンセンだ。

「この北陸新幹線は、わりと最近開通したんですって。だから車両の設備は最新なのね」
エレクトラは、ジョゼの隣に当然のように座り、いつの間にか仕入れた情報を流した。彼は、ホテルや町中のカフェなどと同じように、この特急電車のトイレもまた暖かい便座とシャワーつきであることに氣づいていたので、なるほどそれでかと頷いた。

 この国は不思議だ。千年以上前の建物や、禅や武道のような伝統を全く同じ姿で大切に継承しているかと思えば、どこへ行っても最新鋭のテクノロジーがあたり前のように備えてある。それは鉄道のホームに備えられた転落防止の扉であったり、妙にボタンの多いトイレの技術であったり、雨が降るとどこからか現れる傘にビニール袋を被せる機械であったりする。

 クレジットカード状のカードにいくらかの金額を予めチャージして、改札にある機械にピタンとそのカードを押し付けるだけで、複数の交通機関間の面倒な乗り換えの精算も不要になるシステム。40階などという考えられない高層にあっという間に、しかも揺れもせずに運んでくれるエレベータ。

 ありとあらゆる所に見られる使う側の利便を極限まで想定したテクノロジーと氣遣いは、この国では「あたりまえ」でしかないようだが、ジョゼたちには驚異だった。

 それは、とても素晴らしいことだが、それがベースであると、「特別であること」「最高のクラスであること」を目指すものには、並ならぬ努力が必要となる。

 ジョゼは、街で一二を争う有名カフェで働いていて、だから街でも最高のサービスを提供している自負があった。ただのウェイターとは違うつもりでいたけれど、この国からやってきた人にとっては、ファーストフードで働く学生の提供するサービスとなんら変わりがないだろう。彼女ミク にとっても。

 彼女は、ミュンヘンで彼のことを好きだと言った。あまりにもあっさりと言ったから、たぶん彼の期待したような意味ではないんだろう。知り合った時の小学生、弟みたいな少年。あれから月日は経って、背丈は追い越したけれど、年齢は追い越せないし、住んでいる世界もまるで違う。もともとはお金持ちのお嬢様だったとまで言われて、なんだか「高望みはやめろ。お前とは別の次元に住んでいる人だ」と天に言われたみたいだ。そして、彼女の故郷に来てみれば、理解が深まるどころか民族の違いがはっきりするばかり。

「なんでため息をついているの?」
エレクトラの問いにはっとして意識を戻した。「なんでもない」という事もできたけれど、彼はそうしなかった。

「この国と、僕たちの国って、大きな格差があるなって思ったんだ」
そういうと、彼女は眉をひとつ上げた。

「格差じゃないわ。違いでしょう。私は日本好きよ。旅行には最高の国じゃない。まあ、同化していくのは難しそうだから、住むにはどうかと思うけれど。結局のところ、物理的にも精神的にも、この国と人びとは私たちからは遠すぎるわよね」

* * *


 台風は秋を連れてくるものらしい。それまでは夏のようなギラギラとした陽射しだったのに、嵐が過ぎた後は、真っ青な空が広がっているのに、どこか物悲しさのある柔らかい光に変わっていた。

 金沢城の天守閣はもう残っていない。もっとも堂々たる門や立派な櫓、それに大きく整然としたたくさんの石垣があるので、エキゾティックなお城を見て回っている満足感はある。

 何百年も前の日本人が、政治の中心とは離れた場所で、矜持と美意識を持って独自の文化を花咲かせた。それが「小さい京都」とも言われる金沢だ。同じ頃に、ジョゼの国では世界を自分たちのものにしようと海を渡り独自の文化と宗教を広めようとした。かつての栄誉は潰えて、没落した国の民は安い給料と生活不安をいつもどこかで感じている。

 ジョゼたち一行は、金沢城を見学した後、隣接している兼六園を見学した。薔薇や百合や欄のような華やかな花は何ひとつないが、絶妙なバランスで配置された樹々と、自然を模した池、そして橋や灯籠や東屋など日本の建築がこれでもかと目を楽しませる。枯れて落ちていく葉も、柔らかい陽の光のもとで、最後の輝きを見せている。

「この赤い実は、山茱萸さんしゅゆ といいます。滋養強壮に役に立つのでお酒に入れて飲みます」
「こちらの黄色い花はツワブキといいます。茎と葉は火傷や打撲に対する湿布に使います。またお茶にすると解毒や熱冷ましにもなる薬用植物です」

 ガイドが一つひとつ説明して回る花は、見過ごしてしまうほどの地味なものだが、どれも薬になる有用な植物ばかりだ。
「野草をただ生えさせておいたみたいに見えるのに、役に立つ花をいっぱい植えているのねぇ」
エレクトラが言った。

 地味で何でもないように見えても、とても役に立つ花もある。そう考えると、没落した国の民、しがないウェイターでも、なんらかの役割はあるのかもしれない。それが彼女ミク にとって、なんらかの意味を持つかどうかはわからないが。

 なんだかなあ。彼女の国に行ったら、いろいろな事がクリアに見えてくるかと思っていたのに、反対にますますわからなくなっちまった。ジョゼはこの旅に出てから20度目くらいになる深いため息をついた。

(初出:2016年11月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとマリンブルーの輝き

さてリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念立て続けに発表させていただいていますが、77777Hit記念掌編としては5つ目。リクエストは山西左紀さんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*野菜
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*公共交通機関
*夏
*「夜のサーカス」関係
*コラボ(太陽風シンドロームシリーズ『妖狐』の陽子)


今回のリクエスト、サキさんが指定なさったコラボ用のオリキャラは、もともとlimeさんのお題絵「狐画」にサキさんがつけられたお話なのですが、サキさんらしい特別の設定があって、これをご存じないと意味がないキャラクターです。というわけで、今回はご存じない方は始めにこちらをお読みになることをお薦めします。

山西左紀さんの 狐画(前編)
山西左紀さんの 狐画(後編)

そのかわり、私の方のウルトラ怪しい(っていうか、胡散臭い?)キャラクターは、「知らねえぞ」でも大丈夫です。

「夜のサーカス」はイタリアの話なんですけれど、現代日本とのことですので舞台に選んだのは、一応明石市と神戸市。でも、サキさんのお話がどことはっきり書かない仕様になっていますので、一応こちらもアルファベットにしています。前半の舞台に選んだのは、こちらのTOM-Fさんのグルメ記事のパクリ、もといトリビュートでございます。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




夜のサーカス Circus Notte 外伝
夜のサーカスとマリンブルーの輝き


 蒸し暑い夏の午後だった。その日は、僕の個展が終わったので、久しぶりの休みを取りA市方面へ行った。長いほったらかしだった時間の埋め合わせをするように、出来る限り彼女の喜ぶデートがしたかった。

 ようやく僕が出会えた理想の女性。思いもしなかったことで怒らせたり泣かせてしまったりもしたけれど、誤解は解けて、僕たちはとても上手くいっている。少なくとも僕はそう思っている。

 今ひとつ僕の言葉に自信がないのは、陽子にどこかミステリアスな部分があることだ。もちろん、僕が一度経験した、夢のような体験に較べれば受け入れられる程度に謎めいているだけだけれど。

 朝食をとるにはとても遅くなってしまったので、僕たちはブランチをとることにした。彼女の希望で、A市に近い地元で採れた五十種類以上の野菜を使ったビュッフェが食べられるレストランを目指した。

 そこは広大な敷地、緑豊かな果樹園に囲まれている農作業体験施設の一部で、その自然の恵みを体で感じることが出来る。都会派でスタイリッシュな陽子が、農業や食育といったテーマに関心があることを初めて知った僕は、戸惑いを感じると同時に彼女の新しい魅力を感じて嬉しくなった。

 ビュッフェに行くと、僕はどうしても必要以上に食べたくなってしまうのだが、薄味の野菜料理なのでたとえ食べ過ぎてもそんなに腹にはこたえない。もっとも大量に食べているのは僕だけで、陽子はほんのわずかずつを楽しみながら食べていた。そして、早くもコーヒーを飲みながら静かに笑った。

「はじめての体験って、心躍るものね」
「初めて? ビュッフェが?」

 彼女は、一瞬表情を強張らせた後でにっこり微笑むと「ここでの食事が、ってことよ」と言った。それは当然のことだ。馬鹿げた質問をしてしまったなと、僕は反省した。

 そのまま農作業体験をしたいのかと思ったら、彼女は首を振って「海に行って船に乗りたいわ」と唐突に言った。

 海はここから車で三十分も走れば見られるが、船に乗りたいとなると話は別だ。遊覧船のあるK港まで一時間以上かけていかなくてはならない。だが、今日、僕は彼女の願いを何でも叶えてあげたかった。

「よし。じゃあ、せっかくだから、特別におしゃれな遊覧船に乗ろう」
「おしゃれな遊覧船?」
「ああ、クルージング・カフェといって、美しいK市の街並を海から眺めながら、洒落た家具の揃ったフローリングフロアの船室で喫茶を楽しむことが出来る遊覧船があるんだ。あれなら君にも満足してもらえると思う」

 K市の象徴とも言える港は150年の歴史を持つ。20年ほど前に起こった大きな地震で被害を受けた場所も多かった。港では液状化した所もあったが、今では綺麗に復旧している。災害の爪痕は震災メモリアルパークに保存され、その凄まじさを体感できるようになっているが、そこからさほど遠くないクルーズ船乗り場の近くにはショッピングセンターや観覧車などがある観光名所になっている。

 僕は陽子をエスコートしてチケットを購入すると「ファンタジー号」ヘと急いだ。船は出航寸前だったからだ。この炎天下の中、長いこと待たされるのはごめんだ。

 なんとか甲板に辿りつくと、この暑さのせいでほとんど全ての乗客は船内にいた。ところが、見るからに暑苦しい見かけの男が一人、海を眺めながら立っていた。

 その男は外国人だった。赤と青の縞の長袖の上着を身に着けていて、大きな帽子もかぶっていた。くるんとカールした画家ダリのような髭を生やしていて、僕と陽子を見ると丁寧に帽子を取って大袈裟に挨拶をした。

「これは、なんと美しいカップルに出会えた事でしょう、そう言っているわ」
陽子が耳打ちした。僕は、陽子がこの英語ではない言語を理解できるとは知らなかったので驚いて彼女を見つめた。陽子は「イタリア人ですって」と付け加えた。

 怪しいことこの上ない男は、それで僕にはイタリア語がわからず、陽子にだけ通じていることを知ったようだった。全く信用のならない張り付いた笑顔で、たどたどしい日本語を使って話しだした。
「コノコトバ ナラ ワカリマスカ」

 僕は、どきりとした。かつて僕が体験した不思議なことを思い出したのだ。人間とは考えられない異形の姿をしたある女性(異形であっても女性というのだと思う)を、僕は一時期匿ったことがあるのだが、その獣そっくりの耳を持った女性が初めて僕に話しかけてきた時、「コノコエデツウジテイル?」と言われたのだ。

 僕は、この人は日本語も話せるのか感心しながら「日本語がお上手ですね」と答えてみた。すると、男は曖昧な微笑を見せてすまなそうに英語で言った。
「やはり、日本語でずっと話すのは無理でしょうな。英語でいいでしょうか」

 僕は、英語ならそこそこわかる上、たどたどしい日本語よりは結局わかりやすいので、英語で話すことにした。

「日本にいらしたのは観光ですか?」
「ええ。私はイタリアで小さいサーカスを率いているのですが、こともあろうに団員の半分が同じ時期に休みを取りたいと言い出しましてね。それで、まとめて全員休みにしたのですよ。演目が限られた小さな興行で続けるよりは、全員の休みを消化させてしまった方がいいですからね。それで生まれて初めて日本に来たというわけです」

 サーカスの団長か。だからこんな派手な服装をしているのか。
「それにしても暑くないのですか? そんな長袖で」
「私はいつ誰から見られてもすぐにわかるように、常に同じでありたいと思っているのですよ。だからトレードマークであるこの外見を決して変えないというわけなのです」
変わった人だ。僕は思った。

「外見を変えない……。変えたら、同じではなくなるなんてナンセンスだわ」
陽子が不愉快そうに言った。すると、サーカスの団長といった男は、くるりとしたひげを引っ張りながらにやりと笑い、陽子の周りをぐるりと歩いた。

「そう、もちろん服装を変えても、中身は同じでしょう。ごく一般的な場合はね」
「なんですって?」

 男は、陽子には答えずに、僕の方に向き直ると怪しい笑顔を見せた。
「だまされてはいけません。美しい女性というものは、化けるのですよ、あなた」

「それは、どういう意味ですの」
陽子が鋭く言った。

「文字通りの意味ですよ。欲しいものを手に入れるために、全く違う姿になり、それまでしたことのない経験を進んでしたがる。時には宝石のような涙を浮かべてみせる。我々男にはとうていマネの出来ない技ですな」

「聞き捨てならないわ。私のどこが……」
言い募る陽子の剣幕に驚きつつも、僕はあわてて止めに入った。
「この人は一般論を言っているだけだよ。僕は、少なくとも君がそんな女性じゃないことを知っている」

 そういうと、陽子は一瞬だけ黙った後に、力なく笑った。
「そう……ね。一般論に激昂するなんて、馬鹿馬鹿しいことだわ。ねぇ、キャビンに入って、アイスクリームでも食べましょう」

 その場を離れて涼しい船内へと入ろうとする二人に、飄々とした声で怪しい男は言った。
「では、私もご一緒しましょう」

 陽子は眉をひそめて不快の意を示したが、そんなことで怯むような男ではなかった。それに、実のところ空いているテーブルはたった一つで、どうしてもこの男と相席になってしまうのだった。僕は黙って肩をすくめた。

 ユニフォームとして水兵服を着ているウェイトレスがにこやかにやってきて、メニューを示した。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」

「何か冷たいものがいいな。陽子、君はアイスクリームがいいと言っていたよね。飲み物は何がいい?」
「ホットのモカ・ラテにするわ」

 僕は吹き出した汗をハンカチで拭いながら、驚いて陽子を見た。ふと同席の二人を見ると、どちらも全く汗をかいた様子がない。いったいどういう事なんだろう。

「私は、このビールにしようかな。こちらの特別メニューにあるのはなんですかな」
サーカス団長の英語にウェイトレスはあわてて、僕の方を見た。それで僕はウェイトレスの代わりに説明をしてやることにした。

「ああ、期間限定で地ビールフェアを開催しているんですよ。このH県で生産しているビールですよ。城崎ビール、メリケンビール、あわぢびーる、六甲ビール、有馬麦酒、山田錦ビール、幕末のビール復刻版、幸民麦酒か。ううむ、これは迷うな。どれも職人たちが手作りしている美味いビールですよ」

「あなたがいいと思うのを選んでください」
そういわれて、僕は悩んだが、一番好きな「あわぢびーる」を選んで 二本注文した。酵母の生きたフレッシュな味は、大量生産のビールにはない美味しさなのだ。

「なるほど、これは美味いですな」
成り行き上、乾杯して二人で飲んでいる僕に陽子が若干冷たい視線を浴びているような氣がして僕は慌てた。
「陽子、君も飲んでみるか?」

「いいえ、私は赤ワインをいただくわ」
陽子は硬い笑顔を僕に向けた。結局、クルーズの運行中、謎の男はずっと僕たちと一緒にいて、陽子の態度はますます冷えていくようだった。

 下船の際に、さっさと降りて行こうとする陽子を追う僕に、サーカスの団長はそっと耳元で囁いた。
「言ったでしょう。女性というのは厄介な存在なのですよ」

 誰のせいだ、そう思う僕に構わずに彼は続けた。
「彼女のことは、放っておいて、どうですか、私と今晩つき合いませんか?」

 僕は、心底ぎょっとして、英語がよくわからなかったフリをしてから彼に別れを告げ、急いで陽子を追った。

 彼女は僕の青ざめた顔を見て「どうしたの」と訊いた。
「どうしたもこうしたも、あの男、どうやら男色趣味があるみたいで誘ってきた。女性を貶めるようなことばかり言っていたのは、それでなんだな」

 それを聞くと、陽子は心底驚いた顔をした。
「まあ……そういうことだったのね、わたしはてっきり……」
「てっきり?」

 彼女は、その僕の質問には答えずに、先ほどよりもずっとやわらかくニッコリと笑った。
「なんでもないわ。ところでせっかくだから、そこにあるホテルのラウンジに行かない? もっと強いお酒をごちそうしてよ」

「いいけれど、僕は車だよ」
「船内でもうビールを飲んでしまったでしょう。あきらめなさい」

 僕は予定していなかった支出のことを考えた。海を眺める高層ホテルの宿泊代ってどれだけするんだろう。それでも、誰よりも大切な陽子が喜ぶことなら……。

 Kの港は波もない穏やかな海のマリンブルーの輝きに満ちていた。

(初出:2016年8月 書き下ろし)


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【参考】
神戸シーバス クルージングカフェ ファンタジー号

そして、実は、次も「夜のサーカス 外伝」なんです。イタリアに残った連中がなにをしていたかは、来週までのお楽しみ。
関連記事 (Category: 小説・夜のサーカス 外伝)
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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト 77777Hit

Posted by 八少女 夕

【小説】横浜旅情(みなとみらいデート指南)

さて、かなり間が空きましたが、リクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念今週から、3つほど続けて発表させていただきます。そのひとつ目で、77777Hit記念掌編としては3つ目。リクエストはけいさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*針葉樹/広葉樹
*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*橋
*晴天
*カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ
*コラボ「秘密の花園」から花園徹(敬称略)


『秘密の花園』は、つい最近読ませていただいたけいさんの小説。花園徹はけいさんの小説群にあちこちで登場する好青年(ある小説ではすでに素敵な大人の男性になっています)で、本人には秘密めいた所はないのになぜか「秘密の花園」と言われてしまうお方。作品全てに共通するハートフルで暖かいストーリーからは、けいさんのお人柄と人生観がにじみ出ているのです。

うちでは「カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ」「現代日本」ということですから、日本に縁のあるリナが一番適役なのは間違いないですが、あのお嬢はまったくハートフルではないので、毒を以て毒を制するつもりでもう一人強烈なキャラを連れて来日させました。

けいさん、私がもたもたしていたら、旅にでられてしまいました。これは読めないかな。ごめんなさいね。オーストラリアに戻られたらまた連絡しますね。


【参考】
「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズをはじめから読む



横浜旅情(みなとみらいデート指南)
Featuring『秘密の花園』


 晴れた。カラッカラに晴れた。桜木町駅の改札口で、花園徹は満足して頷いた。日本国神奈川県横浜代表として、スイスからやってきた少しぶっ飛んだ女の子とその連れに横浜の魅力を伝えるのに、申し分のないコンディション。

 徹は神奈川国立大学経営学部に在籍する21歳。オーストラリアにワーキングホリデーに行ったことがあり、英語でのコミュニケーションは問題ない。それに、そのスイス在住の女の子は、高校生の時に一年間日本に交換留学に来ていたことがあって、ただのガイジンよりは日本に慣れている。

 今日案内することになっているリナ・グレーディクとは、「友達の従妹の、そのまた知り合いの兄からの紹介」という要するに全く縁もゆかりもない仲だった。が、二つのバイトを掛け持ちしつつ学業に励む中での貴重な一日を潰されることにも怒らずに、徹は『インテリ系草食男子』の名に相応しい大人の対応で、誰も彼もいとも簡単に友達にしてしまう謎の女とその彼女が連れて来る男を待っているのだった。

 相手の男の名前は、トーマス・ブルーメンタール。厳つい筋肉ムキムキの男かな。リナが昨夜電話で徹につけた注文は「デートコース! ヨコハマデートにおすすめの所に案内してよね!」だったので、熱々の仲の男を連れてくるのかなと思った。でも、ってことは俺はお邪魔虫なんじゃ? 

「おまたせ!」
素っ頓狂な英語が聞こえて、徹は現実に引き戻された。見間違うことのないリナがそこに立っていた。栗色の髪の毛は頭のてっぺんの右側でポニーテールのように結ばれている。オレンジ色のガーベラの形をした巨大な髪留め。

 それが全く氣にならないのは、着ているものがオレンジと黒のワンピースなんだかキャミソールなんだかわからないマイクロミニ丈のドレスにオレンジのタイツ、そして、やけに高い黒のミュールを履いているド派手さのせいだった。徹は特にブランドに詳しいわけではないが、そのドレスがヴェルサーチのものであることはわかった。なんせ胸にでかでかとそう書いてあるのだから。

 だが、ド派手なのはリナだけではなかった。リナの連れは、ボトムスこそは黒いワイドパンツだけれど、カワセミのような派手なブルーに緑のヒョウ柄の、大阪のおばちゃんですら買うのに躊躇するようなすごい柄のシースルーブラウスを身につけていた。赤銅色に染めた髪の毛はしっかりとセットされている。その上リナにも負けない、いやもっと氣合いの入ったフルメイクをしていて、見事に手入れされた長い爪には沢山のラインストーンがついていた。

「はじめまして」
その「男」はにっこりと笑いかけた。

「トオル、紹介するわね。これがトミー。私がよく行く村のバー『dangerous liaison』の経営者よ。今回は、彼に日本のあちこちを紹介して回っているの」
「はじめまして、花園徹です」

「トミー、この人が『秘密の花園』ことトオルよ」
リナの紹介に彼は少しムッとした。
「ちょっと待て、俺には秘密なんかない。そのあだ名が嫌いだってこの前も言っただろう」

 リナは大きな口をニカッと開けてチェシャ猫のように笑って答えた。
「だからそう呼ぶのよ。ショーゴもそう言っていたわ」

 ちくしょう。田島、あいつのせいだ。なんでこんな変なチェシャ猫女に俺のあだ名を教えるんだ。徹は大きくため息を一つつくと、諦めて二人に行こうと身振りで示した。

「デートコースが知りたいって言っていたよね」
聞き違えたのかと心配になって徹が訊くとリナもトミーも頷いた。

「そうそう。デートの参考にしたいよね」
「そうね。侘び寂びもいいけれど、続いたから少し違ったものが見たいのよ。日本のカップルが行くような場所のことをスイスにいるアタシのパートナーのステッフィに見せてあげたいし」

 OK。では、間違いない。安心して歩き出す。

「わあ、きれい。これがベイブリッジ?」
リナが左右の海を面白そうに眺めながら訊いた。それは、長い橋のようになっている遊歩道だ。かつては鉄道が走っていた道を整備したものだが、眺めがいいのでちょっとした観光名所になっている。

「違うよ。横浜ベイブリッジは、ずっとあっち。この遊歩道は汽車道っていうんだ。いい眺めだろう?」
「そうね。海ってこんな香りがするのね」
トミーが見回した。スイスには海がないので青くどこまでも広がる海は、バカンスでしか見ることが出来ない。

 徹は、周りの日本人たちがチラチラとこちらを見ていることに氣がついていた。そりゃあ目立つだろうなあ。このド派手な外国人二人連れて歩いているんだから。

「横浜ベイブリッジに展望遊歩道があると聞いたの。留学してたときも横浜は中華街しか行ったことがなかったから、今度は行こうと思っていたんだけれど、今日は時間ない?」
リナは振り返って訊いた。

 徹は首を振った。
「残念ながら、あのスカイウォークは閉鎖されてしまったんだ。年々利用者が減って維持できなくなってしまったんだよね」

 横浜ベイブリッジの下層部、大黒埠頭側から約320mに渡って設置された横浜の市道「横浜市道スカイウォーク」は、1989年から20年以上市民に親しまれていたが、競合する展望施設が多かったことに加え、交通の便が悪いことや、隣接予定だった商業施設の建設計画がバブルの崩壊後に白紙に戻ったこともあり、年々利用者が減って2010年には閉鎖されてしまった。

「そのかわりに、これから特別な展望施設に連れて行ってあげるよ。そこからはベイブリッジも見える。いい眺めだぞ」
そう徹がいうと、リナはニカッと笑って同意を示した。

 徹は二人をよこはまコスモワールドの方へと誘導した。この遊園地は入園無料で、アトラクションごとに料金を払うことになっている。シンボルとなっている大観覧車にだけ乗るのもよし、キッズゾーンだけ利用するもよし、単純に散歩するだけでも構わない。

 もっとも、リナは、水の中に突っ込んで行っているように見えるジェットコースターに目が釘付けになっていた。
「あれに乗りたい!」
「はいはい」

 ダイビングコースター「バニッシュ!」は、祭日ともなると一時間も待たされるほどポピュラーなアトラクションだが、平日だったためか奇跡的にすぐに乗ることが出来た。徹はトミーとリナが並んで車両の一番前に陣取るのを確認してから、一番写真の撮りやすい場所に移動してカメラを構えた。

 すげえなあ、見ているだけで目が回りそうだ。ピンクのレールを走る黄色いコースターはくるくると上下に走り回る。人びとの悲鳴とともに、コースは水面へと向かうように走り落ちてくる。そして、水飛沫のように思える噴水が飛び交うと同時に池の中のトンネルへと消え去った。タイミングばっちり。二人が戻ってくるまでにデジカメの記録を確認すると、楽しそうに叫ぶリナと、引きつっているトミーがいい具合に撮れていた。

「きゃあ~! 面白かった〜。こういうの大好き!」
リナは戻ってきてもまだ大はしゃぎだ。

「アタシはこっちを試したいわ」
トミーが選んだのは、巨大万華鏡。星座ごとに違うスタンプカードをもらって迷路の中で正しい自分の星座を選んでスタンプを押して行くと最後にルーレットチャンスがあるらしいが、そもそも日本語が読めないトミーはそちらは無視して、中の幻想的な鏡と光の演出を楽しんだ。
「こういう方が、ロマンティックだわ」

 それぞれが満足したあとで、徹は二人とコスモクロック21に乗った。この大観覧車は100メートルの回転輪、定員480名と世界最大のスケールを誇っている。15分の間に、360度のパノラマ、横浜のあらゆるランドマークを見渡すことができる。
「ああ、本当だわ。あれがベイブリッジね!」

「あそこに見える赤茶色の建物は?」
トミーが訊いた。
「あれは赤レンガ倉庫だ。後で行こうと思っていた所だよ」
「そう。チューリヒにローテ・ファブリックっていう、カルチャーセンターがあって、あたし、そこで働いていたことがあるの。あの赤レンガの外壁を見てなんか懐かしくなってしまったわ」

「へえ。そうなんだ。あの建物も今は文化センターとして機能している所なんだ」

 横浜赤レンガ倉庫は、開港後間もなく二十世紀初頭に建てられた。海外から運び込まれた輸入手続きが済んでいない物資を一時的に保管するための保税倉庫で、日本最初の荷物用エレベーターや防火扉などを備えた日本が世界に誇る最新鋭の倉庫だった。関東大震災で半壊したあと、修復されて第二次世界大戦後にGHQによる接収を挟んで再び港湾倉庫として使用されていたが、海上輸送のコンテナ化が進んだことから1989年に倉庫としての役割を終えた。現在は「港の賑わいと文化を創造する空間」としてリニューアルされ沢山の来場者で賑わっている。

「ここにあるカフェ『chano-ma』はちょっと有名だぞ。ソファ席もあるけれど、靴を脱いでカップルでまったりと寛げる小上がり席やベッド席もあるんだ」

「なんですって? 靴を脱ぐと寛げるの? どうして」
トミーは首を傾げた。リナは肩をすくめる。
「日本人は靴を脱ぐと自宅にいるような感じがするんじゃないかしら?」

「へえ。トオルは、そのベッド席で可愛い女の子としょっちゅう寛いでいるわけ?」
「いや、俺は……そのいろいろと忙しくて、まだ……いや、俺のことなんてどうでもいいだろう!」

 その徹にリナはニカっと笑って言った。
「ふーん。いろいろと忙しいなんて言っていると、かわいいナミを他の人にとられちゃうよ?」
ちょっと待て。どこからそんな情報を。奈美さんは確かにとても素敵な人だけど!

 リナは、赤くなって口をぱくぱくさせている徹に容赦なくたたみかけた。
「この間、ショーゴに言われていた時にも、同じように赤くなっていたよ。あれからまだ連絡取っていないの? ゼンハイソゲなんでしょ」

「その話はいいから。ところで、夕方までここにいて、ライヴつきのレストランで食べたい? それとも、もっと歩いて横浜中華街に行きたい? デートコースっぽいのは、オシャレなライヴの……」
「中華街!」
確かデートコースを知りたいとか言っていたはずの二人は声を揃えて叫んだ。色氣よりも食欲らしい。まあ、その方がこの二人には似合うけどな。

 赤レンガ倉庫には何軒かの土産物屋があったので、出る前にそこをぶらついて行こうということになった。トミーは徹に訊いた。
「せっかくここまで来たんだから、うちのバーで出せる横浜らしいものを送ろうと思っているんだけれど何がいいと思う?」

「おすすめはこれだな」
徹は、黒いラベルのついた茶色の瓶を手にとった。
「横浜エール。開港当時のイギリスタイプの味を再現した麦芽100%のビールなんだ。国際ビールコンペティションで入賞したこともある」

「私はビール飲まないんだけれど」
リナが言うと徹はすぐ近くにあった透明な瓶を見せた。
「これもいいぞ。横浜ポートサイダーというんだ。爽やかな味が人氣だよ。この横浜カラーの水玉がかわいいだろ?」
「あ。これ、おしゃれ! 後から見ると水玉模様になってる。これ一本買って帰って、飲み終わったら花瓶にしようっと」

 そのセリフだと開けずにスイスまで持って行こうとしているように聴こえたが、見ているうちに待てなくなってしまったのか、リナはレジで払う時に栓を開けてもらい、山下公園への道を歩いている最中に飲んでしまった。
「荷物は軽い方がいいでしょ?」

 山下公園を歩いている時、白い花の咲く背の高い木を見上げてトミーが立ち止まった。スイスでは見かけない木だ。微かないい香りがしている。
「ああ、これは珊瑚樹だよ」
徹は、ついている木のネームプレートを確認してから二人に説明した。

「珊瑚樹?」
「赤いきれいな実がなるんでそう呼ばれているんだ。この厚くて水分の多い葉と枝が延焼防止に役立つというので、防火のために庭木や生け垣によく使われるんだ。銀杏などと一緒に横浜市の木に指定されているんだよ」
「へえ。そうなの」

「それにしても開放的でいい公園ね」
リナはそんな高いミュールでどうやってやるんだと訝るような軽やかさでスキップを踏んでいる。

 晴れ渡った青い空が遠い水平線で太平洋とひとつになる。氷川丸が横付けされたこの光景は、横浜らしい爽やかさに溢れている。太平洋の明るさが眩しい場所だ。この山下公園に、これまで何度来たことだろう。徹は思った。そして、この光景のある県が自分の故郷であることを誇らしく思った。

「さあ、中華街に行って美味しいものを食べましょう! 沢山食べたいものがあるの。道で売っている大きいお饅頭でしょ。ワゴンで運ばれてくる点心いろいろでしょ。それから回るテーブルのお店にも行かなきゃ。青椒肉絲に、酢豚に、海老チリソースに、レバニラ炒めに、フカヒレスープ。チャーハンも食べなきゃいけないし、焼きそばは硬いのと柔らかいのどっちも食べたいわ。それに〆はやっぱり杏仁豆腐!」

 どこの腹に、そんなに沢山入るんだよ。徹は呆れた。ツッコミもしないトミーの方もそんなに食べるつもりなんだろうか。なんでもいいや、久しぶりに美味い中華を楽しもう、彼は自身も食欲の権化になって、中華街への道を急いだ。


(初出:2016年7月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】薔薇の下に

先週に続きリクエスト掌編、当ブログの77777Hit記念のふたつめです。リクエストは大海彩洋さんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代・日本以外
*毒草
*肉
*城
*ひどい悪天候
*「黄金の枷」関係
*コラボ・真シリーズからチェザーレ・ヴォルテラ(敬称略)


『真シリーズ』は、彩洋さんのライフワークともいっていい大河小説。何世代にもわたり膨大な数のキャラクターが活躍する壮大な物語ですが、中でも相川真に続くもっとも大切な主人公の1人が大和竹流ことジョルジョ・ヴォルテラです。今回リクエストいただいたチェザーレ・ヴォルテラはその竹流のパパ。ヴァチカンに関わるものすごい家系のご当主です。

うちでは「黄金の枷」関係、しかも毒草だなんて「午餐の後に」のような「狐と狸の化かしあい・その二を書け~」といわれたような。彩洋さん、おっしゃってますよね? どうしようかなと悩んだ結果、こんな話になりました。実は「ヴォルテラ×ドラガォン」のコラボはもう何度かやっていまして、いま私が書いているドラガォンの面々は、竹流と真の子孫と逢っていますので、チェザーレとコラボすることは無理です。で、23やアントニア、それにアントニオ・メネゼスの先祖にあたる人物を無理矢理作って登場させています。

彩洋さん、竹流パパのイメージ壊しちゃったら、ごめんなさい。モデルのお方のイメージで書いてしまいました……。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
薔薇の下に Featuring『海に落ちる雨』


 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港の到着口で、ヴァチカンのスイス衛兵伍長であるヴィーコ・トニオーラは待っていた。

「出迎え、ですか?」
彼はステファン・タウグヴァルダー大尉に訊き直した。直接の上司であるアンドレアス・ウルリッヒ軍曹ではなく大尉から命令を受けるのも異例だったし、しかもその内容が空港に到着する男を迎えに行けというものだったので驚いたのだ。
「そうだ。ディアゴ・メネゼス氏が到着する。お待たせすることのないように早めに行け」

「これは任務なのですか」
「もちろんだ。《ヴァチカンの警護ならびに名誉ある諸任務》にあたる。くれぐれも失礼のないように」

「そのメネゼス氏は何者なのですか。……その、伺っても構わないのでしたら」
「竜の一族の使者だ」

「それはどういう意味ですか?」
彼は答えなかった。

「その……空港でお迎えして、その後こちらにお連れすればいいのでしょうか」
「いや、ヴォルテラ氏の元にお連れしてくれ。その後、すぐに任務に戻るか、それとも引き続き運転をしてどちらかにお連れするのかは、ヴォルテラ氏の指示に従うように」
「ヴォルテラ氏というと、リオナルド・ヴォルテラ氏のことですよね。ローマに戻っていたんですか」

 ヴォルテラ家はヴァチカンでは特別な存在だった。華麗なルネサンスの衣装を身に着け表立って教皇を守るスイス衛兵と対照的に、完全に裏から教皇を守る世には知られていない家系だ。ようやく部下を持つことになった程度の若きスイス衛兵ヴィーコは、当然ながらヴォルテラ家と共に働くような内密の任務には当たっていない。だが、当主の子息ではあるが氣さくなリオナルド・ヴォルテラとは面識があるだけでなく一緒にバルでワインを飲んだこともあった。彼は英国在住で、時折ローマに訪れるのみだ。

「まさか。寝ぼけたことを言うな。当主のチェザーレ・ヴォルテラ氏に決まっているだろう」
タウグヴァルダー大尉は、渋い顔をして言った。仰天するヴィーコに大尉は畳み掛けた。
「これはただの使い走りではない。君の将来にとって、転機となる任務だ。心して務めるように」

 ヴィーコは落ち着かなかった。彼は、スーツに着替えると空港に向かった。激しい雨が降っていた。稲妻が扇のように広がり前方を明るくする。それはまるで空港に落ちているかのように見えた。こんなひどい雨の中運転するのは久しぶりだ。故郷のウーリは天候が変わりやすかったので、彼は雷雨を怖れはしなかった。

 本来であったら今日はウルリッヒ軍曹とポンティフィチオ宮殿の警護に当たるはずだった。軍曹と二人組で仕事をするのが氣まずくて、この任務に抜擢され二人にならずに済んだことは有難いと思った。だが、これは偶然なのだろうか。

 ヴァチカン児童福祉省で実務の中心的役割を果たしているコンラート・スワロスキ司教がローマ教区での児童性的虐待に関わっている証拠写真を偶然見つけてしまった時、軍曹は「歯と歯を噛み合わせておけ」つまり黙認しろと命令した。
「俺たちの仕事は猊下とヴァチカン市国を守ることだ。探偵の真似事ではない」

 彼には納得がいかなかった。スワロスキ司教と個人的な親交を持つウルリッヒ軍曹が、彼をかばっているのだと思ったのだ。カトリック教会内における児童性的虐待は新しい問題ではなかったが、それを口にすることを嫌う体質のせいで永らく蓋をされてきた。プロテスタントの勢力が強いスイスでも問題視し告発する者がようやく現れた段階で、ヴァチカンの教皇庁内部の人間を告発したりしたらどれほど大きいスキャンダルになるかわからない。だが、このままにしておくことは、ヴィーコの良心が許さなかった。

 彼は親友であるマルクス・タウグヴァルダーにこのことを相談していた。マルクスはタウグヴァルダー大尉の甥だ。マルクスから大尉に伝わったのだろうか。彼は大尉に呼び出された時に、その件だと思った。だが、ポルトガル人を出迎えてヴォルテラ氏の所に行けというからには、自分にとって悪いことが起こる前触れではないだろうと、少し安心した。とにかくこの任務をきちんと果たそう。

 予定していた飛行機はこの雷雨にもかかわらず定刻に到着していた。ヴィーコは「メネゼスさま」という紙を掲げて税関を通って出てくる人びとを眺めた。

「出迎え、ご苦労様です」
低い声にぎょっとして見ると、いつの間にか目の前に黒い服を来た男が立っていた。きっちりと撫で付けたオールバックの髪、痩せているが背筋をぴんと伸ばしているので、威圧するような雰囲氣があった。丁寧な英語だが、抑揚が少なく感情をほとんど感じられなかった。

「失礼いたしました。スイス衛兵のヴィーコ・トニオーラ伍長です。ヴァチカンのヴォルテラ氏の所へご案内します。お荷物は?」
小さめのアタッシュケース1つのメネゼスに彼が訊くと、黙って首を振った。

 彼はまっすぐにヴァチカン市国に向かった。雨はまだ激しく降っていて、時おり稲光が走った。ヴィーコは不安げに助手席に座った男を見たが、彼は眉一つ動かさずに前方を見ていた。

 サンタンナ門からスイス衛兵詰所の脇を通って中央郵便局の近くに車を停めると、メネゼス氏を案内してその近くの目立たぬ建物に入った。扉が閉まると、激しい雷雨は全く聞こえなくなり、ヴィーコはその静けさに余計に不安になった。そこは、何でもない小屋に見えるが、地下通路でヴォルテラ氏の事務所に繋がっていた。

 緩やかな上り坂の通路の突き当たりにいかめしい樫で出来た扉があり、ヴィーコがセキュリティカードを脇の機械に投入すると数秒の処理の後、自動でロックが解除され扉が開いた。さらに先に進むと、紺のスーツを着た男が扉を開き頭を下げて待っていた。
「ようこそ、メネゼスさま。主人が待っております、どうぞこちらへ」

 メネゼスが応接室へと入ると、ヴィーコはその場に立って「もう戻っていい」と言われるのを待っていたが、紺の服の男は、ヴィーコにも目で応接室に入るようにと促した。戸惑いながら応接室に入ると明るい陽射しが目を射た。瞬きをして目が明るさに慣れるのを待つと、がっしりとしたマホガニーのデスクと、暗い色の革の椅子、そして同じ色の応接セットが目に入った。

 窓の所にいた男がこちらに歩み寄り、メネゼス氏に丁寧に挨拶をしているのが見えた。格別背は高くないが、灰色の緩やかにウェーヴのかかった髪と青灰色の意志の強そうな瞳が印象的で、一度見たら忘れられない存在感のある男だった。チェザーレ・ヴォルテラ。彼の事務所に足を踏み入れる日が来るなんて。ヴィーコは入口の近くに直立不動で立っていた。

「トニオーラ伍長、ご苦労だった。申し訳ないが、後ほどリストランテまで運転してほしいのだ。もう少しここで待っていてほしい」
ヴィーコは、ヴォルテラ氏に名前で呼ばれて仰天しつつ、頭を下げた。

「ドン・フェリペは、お元氣でいらっしゃいますか」
「はい。猊下とあなたにくれぐれもよろしくと申しつかっています」

 紺の服を着た男が、メネゼス氏とヴォルテラ氏の前にコーヒーを用意する間、二人はなんと言うことはない世間話をしていたが、男が部屋を出て扉が閉じられると、しばらくの沈黙の後、声のトーンを低くして厳しい顔で語りだした。

「それで。緊急に処理をしなくてはならないご用事とは」
ヴォルテラ氏が言うと、メネゼス氏はアタッシュケースから一枚の写真を取り出した。
「この方をご存知でしょうな」

 ヴォルテラ氏はちらっと眺めてから「ベアト・ヴォルゲス司教ですな。ヴォルゲス枢機卿の甥の」と言った。

 メネゼス氏は続けた。
「その通りです。私どもの街にいらして以来、実に精力的に勤めてくださいまして、ずいぶんと多くの信奉者を作られているようです」

「それは好ましいことです」
「ええ。正義感の強いまっすぐな方で、なんの見返りも求めずに人びとの幸福を願う素晴らしい神父でいらっしゃる。ところで私どもが問題としているのは、とある青年がある娘と結婚が出来ないことを悲しみ、ヴォルゲス司教に相談をしたことなのです」

「とおっしゃると、その女性は金の腕輪をしている方ということでしょうか」
「おや、あなたが女性のアクセサリーに興味があるとは存じませんでした。ええ、あなたがその素晴らしい指輪をしていらっしゃるのと同じように確かに彼女は腕輪をしているようです。それはともかく、司教は二人の問題をペレイラ大司教に訴えました。大司教は、私と同じ役割の家系出身で、当然ながらその件からは手を引くように説得したのですが、納得のいかない司教が叔父上である枢機卿とローマに掛け合うと言い出したのです」

 ヴィーコは、話の内容についていけなくなった。金の腕輪? 結婚できない二人の話? メネゼス氏と同じ役割の家系? 何の話だろう。

 ヴォルテラ氏とメネゼス氏は、ヴィーコに構わずに話を続けていた。
「それで、私どもにどうせよとおっしゃるのですか」
「私どもが、あなた方に何をお願いしたり、ましてや要求できるような立場にはないことは明白です」
「では?」

「たんなる情報としてお伝えしに参ったのです」
含みのあるいい方だった。まったく別の印象を抱かさせる物言いだ。ヴィーコは、メネゼス氏を送り込んだドン・フェリペとやらがヴォルテラ氏に何かをさせようとしていることを感じた。ヴォルテラ氏は、眉一つ動かさずに言った。
「つまり、これはイヌサフラン案件だとおっしゃりたいのですか」

 メネゼス氏は、即座に首を振った。
「まさか。あのように善良な方を『ゆっくりと、苦しみながら死に至らせる』なんてことは、キリスト教精神に反します」
「そうですか」

 ヴォルテラ氏の反応を確かめるように、メネゼス氏はゆっくりと続けた。
「そうですとも。ところで、ローマで珍しい樹の苗を扱う業者をご存じないでしょうか。私は最近園芸に興味が出てきまして、いい苗を買いたいと思っているのですよ。例えばミフクラギなどを」
「ミフクラギですか。Cerbera manghas。インドで自生する花ですな。わずかに胃が痛み、静かに昏睡し、三時間ほどで心臓が止まる。よりキリスト教精神に則った効果が期待できると」

 メネゼス氏は特に表情を変えずに言った。
「いいえ。私はあの白くて美しい花を我が家にも植えたいだけです」

 ヴィーコは、ぞっとして二人の話を聴いていた。恋する二人の信徒を助けたいと願った善良な司教についてなんて話をしているんだろう。

 ヴォルテラ氏は小さくため息をつくと言った。
「園芸業者のことは私は存じません。それはそうと、ヴォルゲス司教のことはいい評判を聞いていますので、早急にローマに戻っていただくのがいいと猊下に申し上げましょう。猊下でしたら枢機卿が話を大きくする前に、司教にふさわしい役目を用意してくださるでしょう。ちょうど空いたポストもあることですし」

 メネゼス氏は、黙って頭を下げた。ヴォルテラ氏はほとんど表情を変えないポルトガル人を見ていたが、青ざめて立っているヴィーコの方を向いて言った。
「リストランテ・サンタンジェロに予約が取ってある。悪いが一緒に来てもらい、その後メネゼス氏をもう一度空港へと送ってもらうことになる。いいね」

「はい」
ヴィーコは頷いた。

「サンタンジェロですか。というと、あの有名なイル・パセットを歩いていくわけですか?」
とメネゼス氏が言った。彼が言っているのは、ボルゴの通路(Il Passeto di Borgo)のことだ。サンタンジェロ城とヴァチカンを結ぶ中世の避難通路で、他国からの侵略があった時に歴代の教皇が使ってきたものだ。このポルトガル人はニコリともしないのでジョークなのか本氣で訊いているのかわからない。

「せっかくローマまでいらしたのですから、ご案内したいのは山々ですが、あの通路の半分以上には屋根がないのですよ。この悪天候ではリストランテには入れないほどびしょ濡れになってしまうでしょう」
ヴォルテラ氏は穏やかに微笑みながら返し、手元の小さいベルを鳴らした。

 ドアが開き、先ほどの紺のスーツの男が入ってきた。
「図書館の前にお車を回してあります。リストランテの予約は、スイス人ベルナスコーニ、3名で入れてあります」

 まさか! 3名ってことは、僕も一緒にってことか? 戸惑うヴィーコに、紺の服の男は「入口であなたがベルナスコーニだと名乗ってください」と言った。

 つまり、このイタリア人とポルトガル人が逢っていたことが噂にならないように注意しろという意味なのだと思った。だが、それならわざわざ何も知らないヴィーコにさせなくとも、この男か他のヴォルテラ氏の配下がやったほうが抜かりがないはずだ。なぜ? ヴィーコは訊きたかったが、余計なことをしてヴォルテラ氏を怒らせるようなことをしてはならないことだけはわかっていた。

 想い悩むヴィーコをよそに、図書館へと至る地下通路を歩きながら二人は和やかに話をしていた。
「ところでメネゼスさん、猪肉はお好きですか」
「ええ。そのリストランテは猪肉を出すんですか?」
「そうです。おそらくあれだけの味わい深いの漁師風赤ワイン煮込みは、あそこでしか食べられないと思います。ぜひご案内したいと思っていました」
「それは楽しみです。食通で有名なあなたが太鼓判を押す味なら、間違いありませんから」

「猪猟はトスカーナの伝統なのですが、本日ご案内する店で出している肉は、とある限られた地域のものなのです」
「ほう。何か特別な地域なのですか?」
「ええ。イタリアでも珍しくなってしまった手つかずの森がある地域でしてね。そこでしか育たない香りの高い樫があるのですよ。その店の肉は、その幻の樫のドングリをたっぷりと食べて育った若い猪のものなのです」

「幻の樫ですか」
「ええ。この国の者でもその存在を知る者はほとんどないでしょう。この世の中は深く考えずに踏み込み、滅茶苦茶に荒らしてしまう無責任で無知な者たちで満ちています。失われてはならぬものを守るためには、その存在を公から隠し、目立たぬようにしなくてはならない。いや、あなたにこのような話は無用でしたな」

 メネゼス氏は立ち止まり、しばらく間を置いてから低い声で呟いた。
「ご理解と、ご助力に心から感謝します」
「なんの。これで先日の借りを返せるのならば、お安いことです」
ヴォルテラ氏の張りのある声が地下道に響いた。

「ところで、トニオーラ伍長」
暗い地下通路の真ん中で、不意にヴォルテラ氏が立ち止まり振り返った。ヴィーコはどきっとして立ちすくんだ。
「はい」

「あなたも園芸に興味がありますか?」
唐突な問いかけだった。
「い、いえ。私は無骨者で、その方はさっぱり……」

 ヴォルテラ氏は、静かに言った。
「そうですか。児童福祉省のコンラート・スワロスキ司教は、コンゴへと赴任することになりました。あなたの上司のウルリッヒ軍曹がご家庭の事情で今日付けで急遽退官なさることになったのとは、全く関係のないことですが、おそらくあなたには報せておいた方がいいかと思いましてね」

 ヴィーコの背中に冷たい汗が流れた。ヴォルテラ氏はこれ以上ないほど穏やかに微笑みながら続けた。
「今日、特別な任務を引き受けてくださったお礼としてあなたに何かをお贈りしようか考えていたのですが、園芸に興味がないということでしたら、苗をお贈りしてもしかたないでしょうね」
「苗ですか。私に……?」
「もちろんミクフラギやイヌサフランではありませんよ。私が考えていたのは薔薇の苗です」

 ヴィーコは、即座にヴォルテラ氏の言わんとすることがわかった。彼が必要もないのにメネゼス氏の送迎を任された理由も。
「Sub rosa(薔薇の下に=秘密に) ……」
彼は、ヴォルテラ氏の望んでいる言葉を口にした。

 ヴォルテラ氏は満足そうに頷くと「ワインはタウラージの赤7年ものを用意してもらっているのですよ」とメネゼス氏との会話に戻っていった。

 すっかり震え上がっているヴィーコは、どんな素晴らしい料理を相伴させてもらうとしても、全く味を感じられないだろうと思いつつ、二人について行った。

(初出:2016年7月 書き下ろし)

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スイス衛兵というのは、十六世紀以来ローマ教皇をガードすることになっているスイス人のカトリック教徒による軍隊です。この写真のようなド派手なルネサンス式コスチュームで有名です。
Francis Inauguration fc03
Photo by Fczarnowski via Wikimedia Commons
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Posted by 八少女 夕

【小説】そばにはいられない人のために

当ブログの77777Hit記念掌編のひとつめです。最初のリクエストはTOM-Fさんにいただきました。

ご希望の選択はこちらでした。

*現代日本
*園芸用花
*一般的な酒類もしくは嗜好飲料
*家
*雨や雪など風流な悪天候
*「大道芸人たち」関係
*コラボ、『花心一会』の水無瀬彩花里(敬称略)


『花心一会』は、WEB誌Stellaでもおなじみ、若き華道の家元水無瀬彩花里とその客人たちとの交流を描くスイート系ヒーリングノベル。優しくも美しいヒロインと花によって毎回いろいろな方が癒されています。今回コラボをご希望ということで勝手に書かせていただいていますが、本当の彩花里の魅力を知りたい方は、急いでTOM-Fさん家へGo!

今回の企画では、リクエストしてくださった方には抽象的な選択だけをしていただき、具体的なキャラやモチーフの選択は私がしています。どうしようかなと思ったんですけれど、せっかくお家元にいらしていただくのだから、日本の伝統芸能に絡めた方がいいかなと。花は季節から芍薬を、嗜好飲料はとある特別な煎茶を選ばせていただきました。そして「家」ですけれど、「方丈」にしました。お坊さんの住居だから、いいですよね。ダメといわれてもいいことにしてしまいます。(強引)

TOM-Fさん、『花一会』の流儀、いまいちわからないまま書いてしまいました。もし違っていたら直しますのでおっしゃってくださいね。


【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説で、現在その第二部を連載しています。興味のある方は下のリンクからどうぞ

「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む このブログで読む
「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
そばにはいられない人のために Featuring『花心一会』



 瞳を閉じてバチを動かすと、なつかしい畳の香りがした。湿った日本の空氣、夏が近づく予感。震える弦の響きに合わせて、放たれた波動は古い寺の堂内をめぐり、やがて方丈に戻り、懐かしいひとの上に優しく降り注いだ。

 浄土真宗のその寺は、千葉県の人里から少し離れた緑豊かな所にあった。『新堂のじいちゃん』こと新堂沢永和尚は四捨五入すると百の大台に乗る高齢にも関わらず、未だにひとりでこの寺を守っていた。日本に来る度に稔はこの寺を訪れる。これが最後になるのかもしれないと思いながら。

 彼の求めに応じて三味線を弾く。または、なんてことのない話をしながら盃を傾ける。死ぬまで現役だと豪語していた般若湯(酒)と女だが、女の方は昨年彼より二世代も若い馴染みの後家が亡くなってから途絶えたらしい。
「これもいつまで飲めるかわからん。心して飲まねばな」
カラカラと笑って大吟醸生『不動』を傾ける和尚を稔は労りながらゆっくりと飲んだ。

「何か弾いてくれ」
「何を? じょんがら節?」
「いや、お前がヨーロッパで弾くような曲を」

 それで稔は上妻宏光のオリジナル曲を選んだ。その調べは白い盃に満たされた透明な液体に波紋を起こすのにふさわしい。懐かしくもの哀しいこの時にも。Artistas callejerosはこの曲を街中ではあまり演奏しなかった。コモ湖やバルセロナのレストランでの演奏の時に弾くと受けが良かった。頭の中ではヴィルがいつものようにピアノで伴奏してくれている。

 まだ弾き始めだったのだが、和尚は小さく「稔」と言った。バチを持つ手を止めて、彼の意識のそれた方に目を向けると開け放たれた障子引き戸の向こうに蛇の目傘をかざし佇む和装の女性が見えた。

「ごめんください」
曲が止まったのを感じて、彼女は若く張りのある声で言った。和尚は「いらしたか」と言うと、稔に出迎えに行けと目で合図した。客が来るとは知らなかった稔は驚いたが、素直に立ち上がって方丈の玄関へと回った。

 その女性は、朱色の蛇の目傘を優雅に畳んで入ってくると玄関の脇に置いた。長い黒髪は濡れたように輝き、蒸し栗色の雨コートの絹目と同じように艶やかだった。そして、左腕には見事な芍薬の花束を抱えていて、香しい華やかな薫りがあたりに満ちていた。

「どうぞお上がりください」
稔はそれだけようやく言うと、置き場所に困っている女性から芍薬を受け取った。彼女ははにかんだように微笑むと、流れるような美しい所作で雨コートを脱ぎ畳んだ。コートの下からは芍薬の一つのような淡い珊瑚色の着物が表れた。

 色無地かと思ったが、よく見たら単衣の江戸小紋だった。帯は新緑色に品のいい金糸が織り込まれた涼やかな絽の名古屋、モダンながらも品のいい色の組紐の帯締めに、白い大理石のような艶やかな石で作られた帯留め。この若さで和装をここまで粋に、けれども商売女のようではなくあくまでも清楚に着こなせるとは、いったい何者なのだろう。

「おう、遠い所よくお越しくだされた。何年ぶりでしょう。実に立派になられましたな、彩花里さん。いや、お家元」
居室に案内すると、和尚は相好を崩して女性を歓迎した。

「ご無沙汰して申しわけありません。お元氣なご様子を拝見して嬉しく思います」
きっちりと両手をつき挨拶する作法も流れるように美しく稔は感心して「お家元」と呼ばれた可憐にも美しい女性を見つめた。

「あ~、このお花、花瓶に入れてきましょうか」
稔が訊くと、和尚は大笑いした。

「いかん、いかん。お前なぞに活けられたら芍薬ががっかりしてしぼむわい。わしもこの方に活けていただく生涯最後のチャンスを逃してしまうではないか」

 それから女性に話しかけた。
「ご紹介しましょうかの。ここにいるのは、わしの遠縁の者で安田稔と言います」

「安田さん……ということは……」
「その通りです。安田流家元の安田周子の長男です。稔、こちらは華道花心流のお家元水無瀬彩花里みなせあかり さんだ」

 稔は、畳に正座してきちんと挨拶した。
「はじめまして。大変失礼しました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

「こやつは三味線とギターのこと以外はさっぱりわからぬ無骨者で、しかも今はヨーロッパをフラフラとしている根無し草でしてな。華道のことも、あなたが本日わざわざお越しくださっている有難さも全くわかっておりません」

 彩花里は、微笑んだ。
「いいえ。私たちが一輪の花を活けるのも、一曲に全ての想いを込めて奏でるのも同じ。先ほどの曲を聴いてわかりました。安田さんは、私と同じ想いでここにいらしたのですね」

 それから稔の方に向き直った。
「花心流の『花一会』はひとりのお客さまのために一度きりの花を活けます。本日は、和尚さまへのこれまでの感謝とこれからの永きご健康をお祈りして活けさせていただくお約束で参りました。安田さん、私からひとつお願いをしてもかまわないでしょうか」

「なんでしょうか」
「私が活けるあいだ、先ほどの曲をもう一度弾いていただきたいのです。私が来たせいで途中になってしまいましたから」
「わかりました。よろこんで」

 それから和尚の前の一升瓶を見て、彩花里はわずかに非難めいた目つきを見せた。般若湯などと詭弁をろうしても、住職が不飲酒戒を破っていることには変わりない。ましてや陽もまだ高い。堂々と一升瓶を傾けるのはどうかと思う。
「お届けしたお茶はお氣に召しませんでしたか?」

 和尚は悪びれることもなく笑った。
「いやいや、あの特別のお茶とお菓子はあなたとご一緒したくてまだ開けておりませんのじゃ。どれ、湯を沸かしてきましょうかの」

 彩花里が花の準備をしている間、稔は和尚を助けてポットに入れた熱湯と、盆に載せた茶碗、そして美しい茶筒、三つ並んだ艶やかな和菓子『水牡丹』を居室に運んだ。

 準備が整うと、彩花里は和尚の正面に、稔はその横の庭を眺められる位置に座して三味線を構えた。
「それではこれから活けさせていただきます」
彩花里は深々と礼をした。彩花里の目の合図に合わせて、稔は先ほどの曲をもう一度弾きだした。

 彩花里の腕と手先の動きは、まるで何度もリハーサルを繰り返したかのように、稔の奏でる曲にぴったりとあっていた。活けるその人のように清楚だが華やかな花の枝や葉を、たおやかな手に握られた銀の鋏が切る度に馥郁たる香りが満ちる。

 稔はかつてこの空間にいたはずの、和尚の失われた息子のことを考えた。彼のために奥出雲の神社で奉納演奏をしたのは何年前のことだったろう。妻に先立たれ、ひとり息子を失い、生涯が終わる時までこの寺で独り生きていく大切な『新堂のじいちゃん』の幸について考えた。

 この美しい女性も、たった一度の花を活けながら今の自分と同じ氣持ちでいるのだと考えた。真紅、白、薄桃色。雨に濡れて瑞々しくなった花が彼女の手によって生命を吹き込まれていく。寂しくとも、悲しくとも、それを心に秘めて人のために尽くし続ける老僧を慰めるために。

 バチは弦を叩き、大氣を振るわせる。その澄んだ音色は、もう一度、和尚の終生の家であるこの方丈の中に満ちていった。

 外は晴れたり降ったりの繰り返しだった。眩しいほどに繁った新緑がしっとりと濡れている。その生命溢れる世界に向けて三味線の響きは花の香りを載せて広がっていった。消えていく余韻の音を、屋根から落ちてきた滴が捉え抱いたまま地面に落ちていった。

 彼がバチを持った手を下ろして瞼を開くと、彼女は完成した芍薬を前にまた頭を下げていた。

 ほうっと和尚が息をつき、深く頭を下げた。
「先代もあなたがここまでの花をお活けになられると知ったらさぞお喜びでしょう」

 彩花里は、穏やかに微笑みながらゆったりとした動作で茶を煎れた。その色鮮やかな煎茶の香りを吸い込んで、稔は日本にいる歓びをかみしめた。

「八十八夜に摘んだ一番茶でございます。無病息災と不老長寿をお祈りして煎れさせていただきました」
「水牡丹」の優しい甘さが、新茶の香りを引き立てている。稔は、茶碗を持ったまま瞳を閉じている和尚に氣がついた。飲まないんだろうか。

「和尚さま、このお茶の香りに、お氣づきになられましたか」
彩花里は優しく言った。

「奥出雲の山茶……」
彼は、わずかに微笑みながら言った。

「はい。日本でもわずかしかない在来種、実生植えされ、百年も風雪に耐え、格別香りが高いこのお茶こそ、今日の『花一会』にふさわしいと思い用意いたしました」

 そうか。あの神社から流れてくる川の水で育ったお茶なんだな。それを飲んで無病息災を願う。本当にじいちゃんのために考え抜いてくれているんだ。

「お前もこの日本の味を忘れぬようにな」
彩花里が完璧に煎れてくれた一番茶を味わっている稔の様子を和尚はおかしそうに見ていた。

「安田さんは、ヨーロッパにお住まいとのことですが……どこに」
彩花里が思い切ったように口を開いた。

「はい。俺は大道芸人をしていて、あちこちに行くんです」
「では、あの、パリに行くことなども、おありになるのでしょうか」

「時々は。どうして?」
「母が、パリにいるんです」

「先代お家元の愛里紗さんは、彩花里さんに家元の座を譲られてからパリで華道家として活躍なさっていらっしゃるのじゃ」
和尚が「水牡丹」を食べながら言った。

「何か、お母様にお渡しするものがありますか?」
彩花里は首を振った。
「いま弾かれた曲を、母の前で弾いていただけませんでしょうか」

 稔は訊いた。
「無病息災と、不老長寿を祈願して?」

 彩花里は「はい」と微笑んだ。

 稔は彼女の母親は、この曲の題名を知っているのだろうかと考えた。『Solitude』。彼は、和尚にはあえて言わなかった。家元の重責に氣丈に耐えているこの女性もおそらく知っているけれど、あえて口にすることはないのだろう。共にはいられないことを言い募る必要はない。ただ想う心だけが伝われば、それでいいのだと思った。


(初出:2016年6月 書き下ろし)

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稔が弾いた曲はこちらです。

上妻宏光『Solitude』
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Posted by 八少女 夕

【小説】 アヴェイロ、海の街

「大道芸人たち」を放置していますが、今週と来週も別件小説の発表です。すみません。
本日発表するのは、「黄金の枷・外伝」扱いにしてありますが、ブログのお友だちの間では「ポルト&ローマ陣営」で知られているコラボ作品の最新作です。山西左紀さんのところの「ポルトのミク&メイコ」と大海彩洋さんのところの「詩織&ロレンツォ&トト」と、うちの「黄金の枷」シリーズのキャラたちが交流しているのです。

そのうちの流れの一つが、左紀さんの所のミクとうちのジョゼの話なんですけれど、何だかよくわからないうちに、「ミクとジョゼをカップルに」的な流れになっていまして、人様のキャラ相手にこんなこと書いていいのかと首を傾げつつ、本日の展開になっている、とお考えください。急いで発表すべき大人の事情(笑)がありまして、急遽書き下ろしました。

うちのブログでは「黄金の枷・外伝カテゴリー」で追うと、「ポルト&ローマ陣営」の大体のことがわかるかと思います。ま、一つ前の「カフェの午後 - 彼は耳を傾ける」を読めばそれにほぼ情報は入っているかな。
サキさんの所ではこうやって追えば、わかるでしょうか。
ちなみに彩洋さんの所はこのカテゴリーかな? 今回の話にはからんでいないパートですが。



【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷



黄金の枷・外伝
アヴェイロ、海の街


 ずっと寒かったから心配していたけれど、その日は晴れ渡っていて正にドライブ日和だった。ジョゼが車を家の前に駐車して、呼び鈴を鳴らすと、ミクだけでなく祖母のメイコまで出てきた。

 メイコは口にこそ出さないが「子供が車に乗っていいのか」という顔をしていた。もちろんジョゼはもうれっきとした成人だし、自動車免許証をちゃんと取得している。もっとも、左側のバンパーがへこんでいるのを目ざとく見つけたメイコが十字を切るのを見て「安全運転するから大丈夫だって」と言い訳がましくつぶやいた。

 ミクは新しいブラウスを着ていた。それは若草色や水色、それに白などが鮮やかにプリントされたオーガンジーで、内側に着ている黄色いキャミソールと、日本人らしい彼女のわずかに黄味のある肌を引き立てていた。この前逢った時よりも少し髪の毛が伸びたみたいだ、ジョゼはちらりと横目で見て、あれ、今日はあのピンはしていないんだ、そう思った。

 長かった髪を切って以来、ミクはいつもあのトパーズのついた髪ピンをつけていた。キラキラして似合っていた。一度、落ちそうになっていたので指摘したら「ありがとう。これ、幸運のお守りなんだって」と言った。安いものには見えないから、誰かのプレゼントじゃないかと思ったけれど、どういうわけだか訊けなかった。訊かない方がいいと、どこかで思っていた。

 ミクの幸運を願う氣持ちは大いにあるけれど、ジョゼはそのピンを彼女がつけなくなったことにどこかホッとしていた。もっとも、今日はたまたま付けていないだけかもしれない。

「どこに連れて行ってくれるの?」
ミクは、車の窓を開けて風を入れた。

「うん。特にリクエストがなければ、アヴェイロはどうかな」
「どこ、それ?」

 ミクは、ティーンエイジャーの時にこの国にやってくるまではずっと日本にいた上、その後も留学やなんかで忙しかったから、この国の地理にそんなには詳しくない。そりゃ、リスボンやコインブラがどこにあるくらいは知っているだろうけれど。

「南に一時間弱走ったところだよ。運河の街だからポルトガルのヴェニスって呼ばれているんだ」
「へえ。面白そう。じゃあ、そこに行きましょう」

 ミクは、鼻歌を歌いながら運転するジョゼに顔を向けた。免許を取ったのはもう一年くらい前だと言っていたけれど、まだ一度も彼の運転している姿を見た事がなかった。彼女の滞在がいつも短くて、その度に逢っているものの車で遠出をする時間などあった試しがなかった。ポリープの手術の後の三ヶ月の療養期間は、歌手を目指し始めてから初めての長い休みだ。

 彼のハンドルさばきは鮮やかで安定していた。若者らしく少しスピードは超過しているが、無理な追い越しなどはしないし、ブレーキ操作もスムースだった。彼は、いつの間にこんな大人になったんだろう。ついこの間まで絵夢に甘えていた小学生だったくせに。

「なんだよ。あんまりカッコ良くて見とれている?」
ミクの視線を感じて顔を向け、おどけてジョゼは言った。

「よく言うわ。ちゃんと前見て運転してよ」
彼女は、一時間弱のドライブじゃ、短すぎるなと思ったけれど、死んでもそんなことは言ってあげないと心の中で呟いた。

* * *


 ポルトガル中部、アヴェイロ県の都でもあるアヴェイロは潟と運河で発展してきた海の町だ。現在は大西洋に面する重要な港湾都市として工業も盛んだが、街の中心部はかつての優美な姿を今に留めている。運河の前には美しいファサードの建物が並び、水の上には色とりどりに塗られたモリセイロと呼ばれる舟が浮かんでいる。かつては海藻や塩の運搬に使われていたこの舟も、今はヴェニスと同様に観光客用のアトラクションになっている。 

「でも、乗るだろ? せっかくここまで来たんだし」
ジョゼは、船着き場に向かう。二人で舟に乗るなんてロマンティックと思っていたら、なんのことはない十人以上の観光客が一緒に乗る舟だった。舟にはエンジンが取り付けてあって二人の船頭の役割は、方向転換とマイクによる観光ガイドだった。しかも英語だ。

 水の上は少し肌寒かったので、ジョゼは備え付けてあった毛布を広げてミクの膝にかけた。
「ありがとう。こんなに温度が変わるのね」
「そうだね。まだ春だから。いくらポリープは取れたといえ、風邪なんか引かない方がいいだろう?」

 アール・ヌーボーの美しい家々、塩づくりや漁業で財を成した人たちの豪邸、荒れる海との戦いを彷彿とさせるいくつもの海門、それに英国の王室にも納品しているという有名な塩田などを見学して舟は元の広場に戻ってきた。

「冷えちゃったから、コーヒーでも飲んでいこうぜ」
ジョゼは、船着き場からさほど遠くない一軒のカフェに入って行った。そのカフェは思ったよりも広いが、中は客がぎっしりと座っていた。ポルトガルに多い、対面のガラスケースにお菓子を所狭しと並べて販売している。

 二人が座ると、ウェイトレスが注文を取りに来た。
「大きなカップでコーヒーを二つと、それからオヴォシュ・モーレシュも二つ頼むよ」
ジョゼが注文した。

「オヴォシュ・モーレシュ?」
「ここの名産なんだ。ほら、きた」

 白い貝の形をした薄くてぱりっとした皮に黄身の甘いクリームが詰めてある菓子だった。
「あ、最中!」
ミクは懐かしそうに言った。

「モナカ?」
「そう、この皮にそっくりな日本のお菓子があるのよ。小豆で出来た餡を入れたり、アイスクリームを挟んだり。この黄色いクリームも日本で食べる黄身餡に似ているし、嬉しくなっちゃう。日本には大航海時代にポルトガルから伝わったお菓子や言葉が今でも残っているの」

「へえ。たとえば?」
「鶏卵素麺っていうお菓子はフィオス・デ・オヴォスのことだし、パン・デ・ローはカステラって名前になって、大人も子供もみんな食べるポピュラーなお菓子よ。それにコンフェイト(菓子)を語源にした金平糖という砂糖菓子もあるのよ。だからこちらで食べるお菓子は、あたしには懐かしいものが多いの。たとえ初めて食べるものでもね」

 ジョゼは、ミクをじっと見つめながら訊いた。
「日本が懐かしい?」

 ミクは答えるのに少し躊躇して言葉を選んでいた。ジョゼは、日本に帰りたいと言わないでくれたらいいなと思った。彼女はようやく口を開いた。
「懐かしくないと言ったら嘘になるけれど……」

 それから、笑顔を見せた。
「あたしね、故郷から遠く離れているんじゃなくて、あたしには二つの故郷があるって思うようにしているの。それに、今は日本よりこの国に大切な人がいるから」

「それって……」
メイコのことかな、それとも……。ジョゼが続きを訊こうとするのを無視して彼女は立ち上がり、対面ケースのところで、オヴォシュ・モーレシュの詰め合わせの箱を二つ買った。

 彼は肩をすくめてコーヒーを飲み干すと、会計をした。

 帰りに華やかな家々の並ぶ海岸沿いを通ってから、帰途についた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。この三ヶ月間どのくらい彼女と会えるのかなあ。ジョゼは、今日もまた言えなかったじゃないかと思いながら、車を走らせていた。

「オヴォシュ・モーレシュ、メイコにお土産か?」
「ええ、一箱はね」
「じゃあ、もう一箱は?」

 ミクはいたずらっ子のように笑いながら、箱を開けて「こうして食べる用」と一つ取り出してかじった。
「え。一人で?」
ジョゼが不満顔で言うと、彼女は自分のかじった残りを冗談めかして彼の口元に持っていった。

 彼は、それをそのままひと口で食べてしまった。
「あ!」
ミクは目をみはった。間接キスしちゃった。

 ジョゼは、ミクが嫌がっていないのに氣をよくした。彼女の持っている箱から、もう一つ取り出すとひと口かじってから、ミクの口元に持っていった。そして、彼女がいつもよりずっと魅力的に微笑んでから、大きな口を開けてぱくっと食べてしまったのを確認した。彼は飛び上がりたい氣もちを抑えて真面目に運転した。

(初出:2016年6月 書き下ろし)

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オヴォシュ・モーレシュはこんなお菓子です。
オヴォシュ・モーレシュ
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと黄色い羽 - Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」

今日の小説は、ブログのお友だち山西左紀さんの20000HIT記念小説にインスパイアされて書きました。サキさんは、私のリクエストに応えて、この掌編を書いてくださいました。

山西左紀さんの『物書きエスの気まぐれプロット(22)午後のパレード』

サキさんの所のエスは、私の小説の登場人物アントネッラ(ハンドルネームはマリア)のブロともになってくださっていて、情弱ぎみのアントネッラのために情報検索の手伝いをしてくれたり、公開前の小説を読んで意見をくれたりする貴重な存在、という事にしていただいています。そして、今回そのエスが友人コハクとともにこっそりコモ湖に来ているのですが、アントネッラはそれを知りません。

というわけで「夜のサーカス」の主人公二人を登場させて、なんともビミョーなアンサー掌編を書いてみました。途中出てくる奇妙な存在は、サキさんの掌編にインスパイアされたものですが、サキさんの小説にでてくるパレードの正体と言いたいわけではありません。じゃあ、なんだよと言われそうですが、ええと、なんとなく。

「夜のサーカス」本編は読まなくても話は通じるはずですが、一応リンクも貼っておきますね。



「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




「夜のサーカス」番外編
夜のサーカスと黄色い羽 Featuring「物書きエスの気まぐれプロット」

 コモ湖は春の光に覆われて、これでもかというくらいに輝いていた。普段はサングラスをしないヨナタンすらも、ヴィラに辿りつくまで着用していた。ステラはそのヨナタンの姿にうっとりとしていた。

「なぜ見ているんだい」
困惑したように言う口調はヨナタンそのままなのに、急に映画スターにでもなったように感じたステラは、それをそのまま口にして、彼にため息をつかれた。

「えっと、そろそろだったわよね。まだ通り過ぎたりしていないわよね……」
ステラは慌てて言った。ヨナタンの口元が笑った。これまで通ってきた所にあったのはどれも立派なヴィラばかりで、至極残念な状態であるアントネッラのヴィラを見過ごすことなど不可能だからだ。

 それはかつては壮麗だったはずの大きなヴィラで、40年くらい前に塗ったと思われる外壁はアプリコット色だ。はげ落ちていない所は、という意味である。一階部分の大半は伸び放題になったひどい状態の庭(かつては庭だったと言った方がいいかもしれない)の枯れ枝に隠されてよく見えていなかった。玄関ドアはかろうじて閉めたり開けたりができる状態だったが、たとえ開けっ放しでも泥棒に入られることはなかっただろう。

 門の所に大きい松かさの形をした石のオーナメントが載っていたこともあるようだが、現在そのうちの1つは地面に横たわり、雑草の中に埋もれていた。

 そんな状態だったので、ようやくその前に辿りついたステラもすぐにここがアントネッラのヴィラだとわかった。ヨナタンは、錆び付いた門をギイと押して開けてやると、ステラを通した。

 二人は枯れた草の間を進んだ。もしこれが夏だったら雑草の間を泳ぐようにして進まなくてはならなかったことだろう。玄関ドアの所に進むと開けて「アントネッラ、こんにちは!」と叫んだ。すぐに上の方から「入っていらっしゃい!」と返答があった。

 埃にまみれて廃屋同然の一階と二階を通り過ぎ、さらに螺旋階段を昇っていくとたどりつくのが展望台として作られた小さな物見塔だ。アントネッラは茶菓子とコーヒーを用意して待っていた。

 アントネッラは小さな彼女のアパートから運び込んできた全ての家財をここに押し込んでいた。木製のどっしりとしたデスクには年代物のコンピュータと今どき滅多に見ない奥行きのあるディスプレイ、ダイヤル式の電話などが置いてあった。小さな冷蔵庫や本棚、携帯コンロと湯沸かしを上に置いた小さい食器棚、それからビニール製の衣装収納などが場所を塞ぐので、ベッドは省略してハンモックを吊るし、デスクの上空で眠るのだった。

 ステラはこの場所が好きだった。そこだけは足元が塞がれていないソファの前に立って、開け放たれた窓を眺めると、その向こうに青く輝くコモ湖が見える。マグノリアと花水木があちこちで咲き乱れていた。

「よく訪ねてくれたわね。何ヶ月ぶりかしら。どうしたのかと思っていたのよ」
アントネッラの頬にキスをしながら、ステラは元氣よく答えた。
「だって、南の方に行っていたのよ。私、ローマやナポリって初めてだったの。でも、やっぱり北イタリアに帰ってくるとホッとするわ」

 アントネッラは嬉しそうに笑った。ステラとヨナタンは、「チルクス・ノッテ」というサーカスに所属していて、街から街へとテントで移動して暮らしている。アントネッラとは、普段はヨナタンと呼ばれているこの青年にまつわる事件を通して友達になり、それ以来、興行でコモに来る時には必ず訪問することにしているのだ。

 アントネッラは、私設の電話相談員として生計を立てている。もちろんそんな仕事では、コモ湖畔のヴィラをまともに状態に保つだけの収入は望めないので、この崩れかけた祖母の形見のヴィラはまるで半世紀前から打ち捨てられているかのごとくなっていたが、彼女は全く氣にしていなかった。この窓から眺めるコモ湖の景色さえあればそれで満足だったからである。

「思ったよりも到着が遅かったから心配していたのよ。久しぶりで道に迷ったの?」
アントネッラが訊くとステラは首を振った。
「違うの。街で人助けをすることになったので、遠回りになっちゃった。コモから直接じゃなくて、一度東岸に行って、ヴァレンナから船に乗ってきたの」

「まあ、人助け?」
そうアントネッラが訊くとヨナタンが頷いた。
「二人の日本人が、変なところをウロウロしていたんです。どうやら病院に行った帰りに、レッコ行きのバスの出るポポロ広場へと向かう近道を行こうとしたらしく、表通りをそれてしまったようですね」

「日本人がレッコやヴァレンナに何の用事があるのかしら」
「どうやら一人の女性のお祖母さんがこの地方の出身だそうで、先祖の墓も探したかったみたいですよ。それで、コモの街で道を一本間違えてしまった所、迷路のようになった急な上り坂で、体の弱そうな女性の方が少しダウンしてしまったようで」
「そっちの女の子はイタリア語も話せるのよ。でも、具合が悪くてたくさんは話せなかったの」

 イタリア語の話せる日本人。それを聞いて、アントネッラはある友達の事を連想した。それは日本に住んでいるエスという名前以外はほとんど知らない女性だ。アントネッラと同様、趣味で小説を書いていて知り合ったのだ。

「それで。その二人は、無事に墓地に行けたの?」
アントネッラは、カップにコーヒーを注ぎながら訊いた。ステラは、ビスコッティとアマレットのどちらから食べようか迷っていたが、結局両方一度に手にとってから答えた。
「ええ。少し休んでから、私たちが連れて行ってあげたから。そして、とても面白いものも見たのよ」
「面白いもの?」

 それは、日本人女性たちと別れて船着き場へ向かうために墓地を横切り、出口付近にあった中世の納骨堂の前を通った時の事だった。その納骨堂は黒い艶やかな金属製の壁と柵で覆われているのだが、中には所狭しと頭蓋骨が並んでいるのだった。そして、黒い壁にはダンス・マカーブルよろしく、骸骨たちが楽しそうに人びとを連れて行列している絵が描かれていた。

 納骨堂の柵から、蟻が行列を作って出てきていた。それは二人がこれまで見た事もないような大きな蟻で、黒と赤茶色をしていた。そして、その多くが黄色っぽい三角の何かを運んでいるのだった。ステラが屈んでよく見ると、それは小さな蝶の羽だった。

 そうやってゾロゾロと練り歩く蟻の群れは、終わる事もなく次々と納骨堂から溢れ出てくるのだった。

「まるでカーニバルの行列のようだったのよ。アントネッラに見せてあげたくて、ひとつだけその蝶の羽を持ってきたの」
そういうと、ステラはポケットからハンカチーフを取り出して手のひらの上でそっと広げて見せた。

「あれ?」
そこに挟まっていたのは、黄色い蝶の羽などではなく、三角の金色の紙だった。

 アントネッラは、ステラとヨナタンの両方が「そんなはずはない」という顔をしているのを見て、二人が嘘をついているのではないなと思った。ハンカチごと受け取ると、金色の紙をしげしげと眺めた。
「不思議な事もあるものね」

 アントネッラは、この不思議な話を短い作品にまとめたらどうだろうかと考えた。サーカスのブランコ乗りと道化師が、カタコンブからゾロゾロと現れる骸骨のパレードに翻弄される話だ。

僧侶、裕福な商人、徴税人などの豪奢な中世風の衣装をまとった骸骨たちは、金色の三角の紙をまき散らしながら、コモ湖の方へと向かう二人を追う。

カタカタと歯を噛み合わせて嗤う白い髑髏は、面白おかしい歌を歌えとブランコ乗りに要求するが、道化師が「歌わない方がいい」と止める。ブランコ乗りを地の果てに連れて行こうとする骸骨たちを道化師は黄色いジャグラーボールを使って撃退する。だが、コモ湖の前で二人は追いつめられる。

その時、教会の厳かな鐘の音が鳴り響き、骸骨たちは全て蟻の群れに戻って二人の視界から消えていく。二人の手のひらには、黄色い蝶の羽だけが残される。



 このストーリーについてどう思うか、エスの意見を聞いてみよう。アントネッラは考えた。

 でも。どういうわけか、ここ数日、エスはチャットにログインしていないのよね。「サルベージ」とやらでしばらくチャットできないと予め言われていた時以外に、エスがこんなに長くログインしなかった事はなかった。アントネッラは、今夜こそエスが再ログインするといいなと、ぼんやりと考えつつ、またしても空になったステラのコーヒー茶碗に新しくコーヒーを注いだ。

(初出:2016年4月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】カフェの午後 - 彼は耳を傾ける

scriviamo!


scriviamo!の第十四弾です。山西 左紀さんは今年二つ目の参加として、ローマ&ポルト&神戸陣営シリーズ(いつの間にか競作で話が進むことになったシリーズの1つ)の続きにあたるお話を書いてくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『絵夢の素敵な日常(初めての音) Augsburgその後』
山西 左紀さんの関連する小説
絵夢の素敵な日常(10)Promenade
絵夢の素敵な日常(12)Porto Expresso
絵夢の素敵な日常(初めての音)Porto Expresso2
Promenade 2
初めての音 Porto Expresso3
絵夢の素敵な日常(初めての音)Augsburg


「ローマ&ポルト&神戸陣営」は今年はほとんど進まなかったのですが、サキさんは66666Hit作品に、この作品と頑張って二つも進めてくださっています。

全くこのシリーズをご存じない方のために少し解説すると、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」にはうちの「黄金の枷」サキさんの「絵夢の素敵な日常」大海彩洋さんの「真シリーズ(いきなり最終章)」のメンバーたちがヨーロッパのあちこちに出没してコラボしています。「黄金の枷」の設定は複雑怪奇ですが無理して本編を読む必要はなく、氣になる方は「あらすじと登場人物」をご覧下さい。このコラボで重要になっているのは、本編ではほとんどチョイ役のジョゼという青年です。もともとサキさんのとコラボのために作ったキャラです。他に、マヌエル・ロドリゲスというお氣楽キャラが「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではよく出てきますが、今回は「神父見習い」というひと言以外は全く出てきません。「ローマ&ポルト&神戸陣営」の掌編は「黄金の枷・外伝」カテゴリーで読む事が出来ます。ただ、今回の作品にはジョゼ関係の必要な情報が全部入っていますので、読まなくても大丈夫です。

さて、今回サキさんが書いてくださったのは、「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ、ヤスミンで、彼女はアウグスブルグで絵夢に逢い、さらにはミクと演出家ハンス・ガイステルの会話にちゃっかり聞き耳を立てています。というわけでこちらは、ポルト(本編ではPの街と言っていますが、この「ローマ&ポルト&神戸陣営」ではポルトと言いきってしまっています)に舞台を移し、こちらでも誰かさんが聴き耳を立てています。話しているのは、「黄金の枷」重要キャラと、やはり「大道芸人たち Artistas callejeros」のサブキャラ。以前サキさんがヤスミンを出してくださったお話で、お返しはやっぱりこの人の登場にした事があるのですが、それを踏襲しています。

サキさんは、とっとと話を進めてほしかったようですが、まだまだ引っ張ります。っていうか、この続きは今月末にロケハンに行ってからの方がいいかな~と。ちなみに本編(続編)の誰かさんに関わる情報もちょいと書いています。


【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷


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「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
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黄金の枷・外伝
カフェの午後 - 彼は耳を傾ける
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 白いぱりっとした上着をきちんとひっぱってから、ぴかぴかに磨かれたガラスケースを開けて、中からチョコレートケーキを取り出した。ジョゼはそれをタウニー・ポートワインの30年ものを飲んでいる紳士の座っている一番奥のテーブルに運んだ。
「大変お待たせいたしました」

「おお、これは美味しそうだ。どうもありがとう」
 発音からスペイン人だとわかるその紳士は、丁寧に礼を言った。ジョゼは、ずいぶん目の大きい人だなと思ったが、もちろんそんな様子は見せなかった。

 ジョゼは、Pの街で一番有名なカフェと言っていい「マジェスティック・カフェ」のウェイターとして働いている。1921年創業のこのカフェは、アール・ヌーボーの豪華絢爛な装飾で有名で、その美しさから世界中の観光客が押し寄せるので、母国語だけでなく外国語が出来なくては勤まらない。ジョゼは英語はもちろん、スペイン語も問題なく話せるだけでなく、子供の頃にスイスに住んでいたことがありドイツ語も自由に話せるので職場で重宝されていた。

マジェスティック・カフェ


「こちらでございます」
振り向くと、黒いスーツを着た彼の上司が女性客を案内してきた。このカフェの壁の色に近い落ち着いたすもも色ワンピースと揃いのボレロを着こなしていた。ペイズリー模様が織り込まれたそのスーツは、春らしい鮮やかさながらも決して軽すぎず、彼女の高貴な美しさによく似合っていた。ジョゼは、はっとした。彼女に見憶えがあったからだ。

 彼のテーブルに座っていた、目の大きいスペイン人はさっと立ち上がり、その女性の差し出した手の甲に口づけをした。
「ドンナ・アントニア。またあなたにお逢いできてこれほどうれしいことはありません」

 黒髪の麗人は、艶やかに微笑んで奥の席に座った。革のソファの落ち着いた黒に近い焦げ茶色が、彼女の背筋を伸ばした優美な佇まいを引き立てる。
「遠いところ、足をお運びいただいてありがとうございます、コルタドさん」

 上司に「頼むぞ」と目配せをされて、この二人がVIPであることのわかったジョゼは、完璧なサービスをしてみせると心に誓って身震いをしてから恭しく言った。
「いらっしゃいませ。ただ今、メニューをお持ちいたします」
二人の客は、頷いてから、会話を始めた。

「二年ぶりでしょうか。いつお逢いしても月下美人の花のごとく香わしくお美しい。仕事の旅がこれほど嬉しいことは稀なことです」
「まあ、相変わらずお上手ですこと。お元氣そうで何よりです。お噂は耳にしていますわ。事業の方も、芸術振興会の方も絶好調だそうですね」

「おかげさまで。いつまでも活躍していてほしかった偉大なる星が沈むこともありますが、新しく宵の明星のごとく輝く才能もあります。それを見出し支援することが出来るのは私の何よりの歓びです。そして、同じ志お持ちになられているあなたのように素晴らしい方と会い、若き芸術家たちとの橋渡しができることも」

 麗人は無言で微笑んだ。どう考えても、目の大きい紳士の方がはるかに歳上だと思われるのに全く物怖じしない態度で、ジョゼは感心しながら見とれていた。ドンナ・アントニアか。相当に金持ちのようだとは考えていたけれど、そうか、貴族かなにかなんだな。彼は心の中で呟いた。

 彼女は、チョコレートケーキを嬉々として食べているコルタド氏に微笑んだが、自身はコーヒーしか頼まなかった。それもエスプレッソをブラックで。

 彼女は、ずいぶん前に立て続けにこのカフェに来たことがあった。その理由は、なんとジョゼにある伝言をするためだった。彼女からチップとともにそっと手渡された封筒に、幼なじみマイア・フェレイラからの秘密の依頼が入っていたのだ。彼は、何が何だか全くわからぬままに頼まれたことをやり、そのお礼としてこれまで一度も履いたことがないほど素晴らしい靴を作ってもらった。いま履いている黒い靴だ。

「それで、お願いした件は……」
アントニアは、つややかな髪を結い上げた形のいい頭を少し傾げて訊いた。コルタド氏は、大きく頷くと鞄からCDを取り出した。
「こちらがバルセロナ管弦楽団のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番で、こちらがスイスロマンド管弦楽団によるメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルトです」

「まあ、もう二つもご用意くださったのですね。素晴らしいわ。ありがとうございます。録音していただくの、大変だったでしょう?」
「そうですね。世界に名だたるオーケストラと指揮者にソリストなしのカラオケを録音していただくのですからね。なんに使うのか、皆知りたがります。でも、ご安心ください。あなたのお名前を悟られるようなヘマはいたしておりません」
「心から感謝いたします。かかった費用はすぐにお支払いします。それに、あなたが理事を務めていらっしゃる芸術振興会にいつもの倍の寄付をさせていただきたいと思います」
アントニアは、真剣な面持ちで礼を言うと、CDを大切にハンドバッグにしまった。

「私が全く興味を持たなかったかと言えば嘘になります」
コルタド氏は誰もが引き込まれてしまうような、人懐っこい笑顔を見せた。アントニアはわずかに笑った。
「もし可能ならば、生のオーケストラをバックに演奏したいと願い続けている人のため。それ以上は、私が言わずとももうご存知でしょう?」

 コルタド氏は、意味有りげな顔をした。
「表向きは何の情報もありませんが、私の懇意にしているセビーリャのジプシーたちはこの街に住む特別な一族のことを話してくれますので」

 アントニアは、全く何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。それから突然話題を変えた。
「それで。新たに見つけた才能のことを話してください。場合によっては、寄付をまた増やしてもいいのですから」

「そうですね。例えば、私が大変懇意にしている四人組の大道芸人たちがいます。でも、彼らのことは、私が個人的に支援しているだけですがね。ああ、そうだ。この街出身の素晴らしい才能が国際デビューしたことはご存知ですか」
「どこで?」
「ドイツです。ミュンヘンの、例の演出家ハンス・ガイステルが見いだしたようで。彼女の名前が少し特殊だったので、もしかしたらあなたのご一族なのかと思ったのですが」
「なんと言う名前ですか」
「ミク・エストレーラ」

 ジョゼはぎょっとして、思わず二人をしっかりと見てしまった。幼なじみで且つ想い人であるミクの名前をここで聞くとは! ミクは、正確にはこの街の出身者ではない。日本で生まれ育った日本人だ。ティーンエイジャーだった頃、母親を失いこの街に住んでいた祖母のメイコ・エストレーラに引き取られて引越してきたのだ。ジョゼは、その頃からの友達だった。

 ミクはその透明な歌声を見出されて、ソプラノ歌手としてのキャリアを歩み始めていた。ドイツのアウグスブルグで『ヴォツェック』のヒロインであるマリー役で素晴らしい成功をおさめたことは聞いていた。もちろん彼がアウグスブルグに行ったわけではないけれど、彼女の歌声が素晴らしいのは子供の頃からずっと聴いているから知っている。

 大学に進み、この街を離れるまでは単純に歌うのが好きな綺麗な姉貴だった。(ミクは6歳も歳上なのだ!)大学在学中に、テクニックとか曲の解釈とか、ジョゼにはよくわからない内容に心を悩ませ、迷い、それに打ち勝って単純に美しいだけではない深みのある歌い方をするようになった。

 夢を追っているミクは輝いていたし、ジョゼも心から応援していたが、彼女の夢が1つずつ叶う度にこの街に帰ってくる間隔が長くなり、さらには手の届かない空の星のような存在に変わっていってしまうように感じられて心穏やかではなくなった。

 そうだ、エストレーラ 。彼女の苗字がなんだって? この女性の一族? まさか!

 アントニアは、クスッと笑った。それから首を振った。
「私たちの一族でエストレーラ という苗字を持つものはおりません」

 コルタド氏はアントニアが左の手首にしている金の腕輪を眺めて「そうですか」と納得していない様子で呟いた。彼女は、婉然と微笑んだ。

星を持つOs Portadores da Estrela のと、Estrela であるのは違うのですよ。私たちの家名はどこにでもいるような目立たないものに限られているのです。誰もがその存在に氣がつかないように」

 それから何かを考え込むように遠くを見てから、コルタド氏に視線を戻して優しく微笑んだ。

「才能があり功名心を持つ人は、星など持たぬ方がいいのです。世界へ飛び立ち、自由に名をなすことができるのですから。《星のある子供たち》Os Portadores da Estrela は、あなたもご存知のように、この街に埋没し、世間に知られずにひっそりと生き抜くべき存在なのです」

「あなたも……?」
コルタド氏は、これまでに見たことのあるどの女優にも負けぬほど美しく、どの王族にも引けを取らず品をもつ麗人を見つめた。彼女は顔色一つ変えずに「私も」と答えた。

 そして、二人を凝視しているジョゼに視線を移すと、謎めいた笑みを見せた。彼は客の会話に聞き耳を立てるどころか、完全に注目して聴いてしまっていたことに思い至り、真っ赤になって頭を下げた。

「それで、あなたはそのエストレーラ嬢の後ろ盾になるおつもりなのですか」
アントニアは、コルタド氏に視線を戻した。

「いいえ。そうしたいのは山々ですが、彼女にはもう立派な後ろ盾がいるのですよ。ヴィンデミアトリックス家をご存知ですか」
「ええ。もちろん」
「かのドンナ・エム・ヴィンデミアトリックスが、彼女を応援しているのですよ。それに、どうやらイタリアのヴォルテラ家も絡んでいるようです。あなたが絡んでいないとしたら、どうやってそんな大物とばかり知り合いになれるのか、私にはさっぱりわかりませんね」

 絵夢ヴィンデミアトリックス! またしても知っている名前が飛び出してきたので、ジョゼの心臓はドキドキと高鳴った。絵夢は日本の高名な財閥令嬢で、ミクと同じ日にジョゼが知り合った、長い付き合いの友達だ。

 ミクがポリープで歌手生命の存続を疑われた時に、イタリアの名医を紹介してくれたのも絵夢だった。ついでに、メイコのところに来ている神父見習いの紹介でヴァチカンとつながりのあるすごい家も助けてくれたって、言っていたよな。ともかく、彼らのバックアップの甲斐あって、手術は大成功、彼女はまた歌えることになったんだ。ジョゼはわずかに微笑んだ。

 僕はその事情を全部知っています。言いたくてしかたないのを必死で堪えつつ、ジョゼは綺麗に食べ終えたチョコレートケーキの皿をコルタド氏の前から下げた。

 その時に、アントニアの視線が彼の靴を追っていることに氣がついた。彼は、そっと足を前に踏み出し、彼の宝物である靴を彼女に見せてからもう一度頭を下げた。この靴のことも、それから彼女がマイアの件で彼に伝言を依頼したことも、彼女は知られたくないことを知っていたので、ジョゼはあくまで何も知らない振りをした。アントニアは満足したように頷いた。

 コルタド氏は二人の様子にはまったく目を留めずに、話を続けた。
「来月、またこの街に参ります。その時は、もうひとつのご依頼である『ます五重奏』の方も持ってこれるはずです」
「何とお礼を申し上げていいのかわかりませんわ」

「あなたにまたお逢いできるのですから、毎週でも来たいものです」
コルタド氏が言うと、アントニアは微笑んだ。
「私がいつまで、こうした役目を果たせるかわかりませんわ」

「なんですって。ドンナ・マヌエラからお役目を引き継がれてから、まださほど経っていないではないですか」
「ええ。でも、ようやく本来私のしている役目を果たすべき者が決まりましたの。まだこの仕事には慣れていませんので、しばらくは私が代わりを務めますが」

「それは、ご一族に大きな慶事があったということでしょうか」
「ええ。その通りです」
「なんと。心からお祝い申し上げます。ドン・アルフォンソにどうぞよろしくお伝えください」
「必ず。ご健康と、そしてあなたのご事業のますますのご発展を祈っていると、彼からの伝言を受けていますわ」

「これはもったいないお言葉です。私の方からも心からの尊敬をお伝えください」

 コルタド氏は立ち上がって、アントニアに手を差し出した。その手に美しい手のひらを預けて優雅に立ち上がると、彼女は水色の瞳を輝かせながら微笑んだ。
「バルセロナへお帰りですか?」

「いえ、せっかくここまで来ましたのでひとつ商談をするためコインブラへと参ります。そのためにレンタカーを借りました。そして可能でしたら、少し足を伸ばしてアヴェイロにも行くつもりです。《ポルトガルのヴェニス》と呼ばれているそうですね」
「そうですか。よいご滞在を。またお逢いするのを楽しみにしています」

 二人が去った後に、テーブルを片付けると、コルタド氏の座っていた席に、多過ぎるチップとともに料金が置いてあった。ジョゼは、ミクが帰って来たら「姉貴のことを噂していた人がいたよ」と話そうと思った。

 ミクがまた歌えるようになるまで三ヶ月かかるとメイコは言っていた。その静養期間に彼女はしばらくこの街に戻ってくるとも。

 彼は、つい先日格安で中古のTOYOTA AYGOを手に入れた。小さい車だが小回りがきき丈夫でよく走る。アヴェイロか。そんなに遠くないよな。

 彼女が帰って来たら、ドライブに誘おう。ここしばらく話せなかったいろいろな事を話そう。そして、出来たらもう小さな弟代わりではなくて、友達でもなくて、それよりもずっと大切に思っていると、今度こそ伝えたいと思った。

 街には春のそよ風が心地よく吹いていた。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】王と白狼 Rex et Lupus albis

scriviamo!


scriviamo!の第十三弾です。

ユズキさんは、『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』をモチーフにした絵本風作品で参加してくださいました。ありがとうございます!


ユズキさんの書いてくださった作品『【絵本風】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架:デュランの旦那を慰める会 』


ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。代表作『ALCHERA-片翼の召喚士-』は、壮大で緻密な設定のファンタジー長編で、現在物語は佳境に入ったところ、ヒロインが大ピンチで手に汗を握る展開になっています。

そしてご自身の作品、その他の活動、そしてもちろんご自分の生活もあって大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。ご好意に甘えまくって、さらにキリ番リクエストなどでも遠慮なくお願いしてしまったりしているのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」の主人公四人を全員描いてくださり、そして、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」には《男姫》ヴィラーゴジュリアや、主要三人の素晴らしいイラストも描いてくださりました。昨年のscriviamo!では、《旅する傍観者》マックスをユズキさんのところのキャラで私の大好きなガエルと共演させてくださいました。

そして今回は、物語では一番活躍した割に踏んだり蹴ったり(?)だった人氣ナンバーワンキャラ、レオポルドを題材に絵本風のイラスト連作を作ってくださいました。傷に軽〜く塩を塗り込まれつつ(笑)村人に慰められるレオポルド、ニヤニヤが止まりません。背景に至るまで丹念に描きこんでくださり、嬉しくて飛び上がりました。本当にありがとうございました。

お返しをどうしようかと悩んだ末、以前に一度お借りしたことのあるフェンリルをもう一度お借りして、ユズキさんが描いてくださったシチュエーションをそのまま掌編にしてみました。フェンリルは、ユズキさんの『ALCHERA-片翼の召喚士-』にてヒロインを守る白い狼の姿をした神様です。実際の姿を現すと街にも入りきれないほど大きいので、普段は白い仔犬の姿で登場します。連載中の今は、正直言ってフェンリルもよその誰かを構っている場合ではないんですけれど、私がそのへんの空氣を全く読まず、無理やり中世ヨーロッパにご登場いただきました。

なお、下の絵は以前ユズキさんが描いてくださった「大道芸人たち」のヴィルと仔犬モードのフェンリル。あの時も本当にありがとうございました。


ヴィルとフェンリル by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない二次使用は固くお断りします。


なお、フェンリルは、彼(?)自体が神様なのですが、レオポルドたちのいる中世ヨーロッパでは一神教であるキリスト教価値観の制約を受けていますので、まるで「神の使い」みたいな受け止め方になってしまっています。これも時代と文化の違いということでお許しいただきたいと思います。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む
あらすじと登場人物


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森の詩 Cantum Silvae 外伝
王と白狼 Rex et Lupus albis
- Featuring「ALCHERA-片翼の召喚士」
——Special thanks to Yuzuki san


 深い森《シルヴァ》を臨む草原に、彼は無言で立っていた。その後ろ姿を見ながら、靴屋のトマスとその妻が小さな声で話していた。

「デュランの旦那は、また考え事をしていなさるんだね、あんた」
デュランというのは、彼すなわちグランドロン国王レオポルド二世が忍びで城下を訪れる時に使う名前である。トマスたちは、彼が王太子であった時代から身分の違いを超えて既知の仲であった。
「最近、多いな。まあ、無理もない。なんせ失恋したばかりらしいからな」

「し、失恋? まさか、あの方が?」
「そうさ。どうやら嫁にするつもりだった例の姫さんに、本氣だったらしい」
「でも、あの偽の姫は、デュランの旦那が首をちょん切らせておしまいになったじゃないのさ」

 トマスは、わかってねえなという顔で妻を見た。
「お前、氣がついていなかったのか?」
「何をさ」
「この間、デュランの旦那が見つかったばかりのフルーヴルーウー伯爵夫妻を連れてきたじゃないか」
「え。マックスの旦那と奥方のラウラさまかい?」
「そうさ。あのラウラさまの声、聞き覚えあるだろう?」

 トマスの女房はぽかんとしていたが、やがてぎょっとした顔をした。
「ま、まさか!」
「そのまさかだよ。俺もしばらくわからんかったが、デュランの旦那があの奥方さまを見ていた顔を見てぴーんときたね」

「あらあ。そりゃ傷心にもなるわね、旦那ったら。なんせあのお二人の仲のいいことったら……」
女房とトマスは、彼の後ろ姿を氣の毒げに見つめた。

「ちょっといって慰めてくるか……」
トマスは彼の方へと足を向けた。

* * *


(全部聞こえているんだが……)
背を向けたままのレオポルドは、片眉を持ち上げた。

(余は、失恋の痛手のためにここに来ているのではない……こともないか……)
彼は、苦笑した。忙しい政務の間のわずかな自由時間に、忍びでこの村へ来ることは時折あった。王太子時代に親しくなった村人たちとの交流を通して、臣下たちのフィルターを通さずに市井の状況を知るいい機会でもあったから。とはいえ、近年は高級娼館《青き鱗粉》から派遣されてくる娼婦たちと、私室で楽しい時間を持つことの方が多くなっていたのだ。

 だが、今日、侍従が「どうなさいますか」と訊いてきた時に、娼婦たちを呼べと言い出しかねた。一つには、先日からフルーヴルーウー伯爵夫人ラウラが、宮廷奥総取締ハイデルベル男爵夫人の副官として出仕していて、彼が娼婦たちを呼びつけると彼女にわかってしまうからだった。それはいいとしても、彼自身が娼婦たちと楽しく騒ぐ氣分にどうしてもなれないのだった。

 彼は国王としては若いが、未だに独身でいていいというほど若いわけではない。亡き父王フェルディナンド三世は十八歳で結婚した。今のレオポルドよりも十歳以上若い。それでも世継ぎが彼以外できなかったのであるから、誰も彼もが早く結婚してお世継ぎをと騒ぐのは道理であった。

 彼の結婚がここまで決まらなかったのには理由があった。彼の王太子時代には、父王と現在王太后であるマリア=イザベラ王妃は、レオポルドにふさわしい后について意見が一致したことがなかった。そして、薦められた姫君たちを悉く氣にいらなかったレオポルドは、反対する両親のどちらかを利用して上手に破談にしてきたのだ

 父王が流行病で急逝し、思いがけず即位することとなった後は、レオポルド本人もつべこべ言わずに結婚しなくてはならないことを自覚していた。ところが、即位後の五年間は、政務に追われて嫁探しに本腰を入れ時間はなくなった。彼は既に二度も戦争を体験していた。父王が統一したノードランドをめぐってルーヴラン王国に宣戦布告をされ敗戦、後に西ノードランドを奪回すべく再び戦いを交えたのだ。

 この騒ぎと戦後処理の間は、結婚どころではないとレオポルドは一切の縁談を退けた。縁談ごときは臣下で進められると母后は諌めたが、結婚相手に一度も会わずに決める事だけはすまいと思っている若き王は決して首を縦に振らなかった。そこまで彼が后選びに頑になっている理由は、政略だけで結婚した両親をよく見ていたからであり、さらに自分の息のかかったカンタリア王国ゆかりの王女のみを薦めようとする母親のカンタリア氣質に辟易していたからである。ありていにいえば、母親みたいな女だけはごめんだと思っていたのであった。

 今日も、政務もなく居室で自由にしていると、「母上様がこちらにご機嫌伺いにいらっしゃりたいとのことです」とハイデルベル夫人から連絡を受けたので、逃げだしてきたのだった。

 他にすることもないので、彼は政治のことをゆっくり考えることにした。明日大臣たちとの会議があり、実質ノードランドを支配管理しているヴァリエラ公爵と今後の交易権について話さなくてはならない。公爵は先日の謀略を行ったルーヴランに対する制裁の意味を込めて関税を高くすることを望んでいる。関税引上げ派と据置き派、双方の言い分に理はある。相手に非がある今こそこちらに有利に変更すべきだという公爵のいい分はもっともだ。もちろん現在ルーヴランは大人しいが、一方であまり厳しくすると不満がたまり後々再び宣戦布告を突きつけられる可能性もある。

「さて、どうすべきか」

 その時、《シルヴァ》から、白い仔犬のような姿の動物が出てきた。彼は、目を疑った。十五年前と全く変わっていない同じ姿だった。あの時もこの村に来る途中だった。

* * *


 それは、トマスを知った翌日のことだった。馬で遠乗りに来ていたレオポルドは、《シルヴァ》で苦くまずい木の実を集めていたガリガリに痩せたトマスと偶然知り合った。王宮で何不自由ない暮らしをしていた彼は、旱魃と飢饉が王国を襲っていることに氣がついていなかった。だが、本来なら食べることもないようなものまで食糧にしなくてはならない村人たちの窮状にショックを受けた。

 彼は、王宮から山積みになっていた菓子をごっそり持ち出すと、《シルヴァ》を再び通り、トマスの住む村を目指していた。途中まで来た時に、草むらから白い仔犬のような動物が顔を出しているのに氣がついて馬を停めた。そんなところに仔犬がいるのはおかしかったし、それに逃げもせずにじっとこちらを見ている様相も妙だった。

「なんだ。親とはぐれたのか? それともお前も餓えているのか?」
レオポルドは、話しかけた。「それ」は、じっと彼を見つめて動かなかった。おかしい。どう考えても仔犬の動きではない。じっと眺めると、犬ではないことに氣がついた。狼だ。だが、純白の狼など彼は見た事がなかった。この森の中、これほど目立つ仔狼が、熊や鷲にも教われずに一匹で悠然と歩いているなど、ありえない。

 レオポルドは、馬から下りて狼に近寄った。試しに菓子のひとつを取り出した。その菓子はいい香りのする焼き菓子で、彼は袋に詰める時にも食べたい誘惑と戦わなくてはならなかった。だが、トマスたちに一つでも多くあげたい思いやっとのことで堪えたのだ。その菓子を手にして、彼は狼の鼻先に近づけた。

 狼は菓子の先端を咥えてそっと折った。残りはとっておけ、そういっているようだった。動物が遠慮するのを始めてみたレオポルドは、これがただの仔狼ではないことを確信した。白い狼は、背を向けて草むらへと歩き去った。彼は馬に再びまたがり、先を進もうとした。すると、また狼がやってきて、黙って彼を見つめ、それから背を向けて草むらへと向かう。同じことがさらに二度繰り返された。

 レオポルドは、狼が「ついて来い」と言っているのだと理解した。彼が草むらに分け入り、その後ろを歩くと、狼は振り返らずにけれども彼が見失わないようなスピードでゆっくりと歩いた。それは草むらにいるだけで、彼の行こうとしている道とまったく平行だった。彼は首を傾げた。

 だが、次の瞬間、鋭い鳴き声がして、彼は本来歩いていたはずの道に何かがいるのを知った。それは、大きな鹿で誰かの仕掛けた罠にかかって倒れていた。そこをまるで待っていたかのように餓えて凶暴になった熊が襲いかかっているところだった。レオポルドはぞっとした。もし彼があの道を急いでいたら、彼の馬が罠にかかり、熊に襲われていたかもしれないのだ。

 彼が呆然として小さい狼を見ると、わずかに笑ったような口元をしてから、それは踵を返して草むらの奥に消えていった。彼は、神に感謝して、熊に見つからないように急いで馬を走らせてその場を去った。

 とても小さな経験だったが印象的で、後に白い狼は彼に好意的な存在だと直感的に思わせるきっかけとなった。それは、彼の王としての評価を変えることとなったノードランド奪回の戦いのときだった。

 彼は決戦の前に、ロートバルド平原に進むか、それとも勾配の急なノーラン山塊を通ってルーヴラン軍を急襲するかの決断を迫られた。平原を進めば全面対決となるが、袋小路に追いつめられる危険はなかった。だが先にノーラン山塊から迂回することで、ルーヴランの裏をかき、ドーレ川との間に挟み撃ちにすることが出来る。

 半年前の敗戦の屈辱が、彼を迷わせた。お互いの意見に反対するだけで、建設的な戦法を進言できない先王の重臣たちを戦略会議から外し、自ら陣頭指揮を執ると宣言した手前、失敗は許されないという思いもあった。できるだけ少ない損失で早い勝利を手にするためにはノーラン山塊のルートをとりたい。だが、もし相手がそれを先読みして待ち構えていたら……。

 王都ヴェルドンを発つ時に、人生の師であり今やよき相談相手となった老賢者ディミトリオスが言った餞の言葉が甦る。
「王よ、決断なされませ。あなた様はこの国を率いなくてはならぬのです。年若いなどという言い訳は許されませぬ。ただ、決断なされませ。そして全てを背負うのです。それが王たるものの宿命ですぞ」

「へ、陛下!」
見張りからの連絡を受けた紋章伝令官が陣幕へと入ってきた。見ると顔が青ざめて震えている。
「何事だ」
「そ、空に……北の空に……」

 伝令官が口もきけないほど動転しているので、彼は陣幕の外に出て空を見上げた。そして、目を見開いた。どんよりと暗く垂れ込めた灰色の雲の下のもっと低い位置に白い雲が垂れ込めていた。だが、その雲は大きな狼の頭のような形をしていた。全体が狼の形をしていたというわけではない。そもそも、それは大きすぎて、頭に見える部分以外は山の後に隠れていて見えなかった。その鼻に見える部分だけで、山ひとつ分ほどに大きいのだ。

「何でございましょう。あれは……ノーラン山塊の上に……何か恐ろしいことが待っている徴なのでは……」
兵たち、重臣たちも怯えて浮き足立っていた。

 レオポルドは笑った。伝令官も重臣たちも、それに付き添っていたヘルマン大尉たちもあっけにとられる大笑いだった。
「ノーラン山塊へ行くぞ」

「陛下! なんと、今そちらの道を選ばれるのですか?! この徴が何だかわからず、兵士たちは浮き足立っております。もともと危険なノーラン山塊ですし……」

 レオポルドは言った。
「だからだ。あの徴を見て怯えるのは我々だけだと思うのか。ルーヴランのヤツらは、我々がノーラン山塊から来るとは思わなくなるだろう。これは我々の最大のチャンスだ。兵士たちに伝えるのだ。あれは余の守護に神が使わした白狼だとな」

 迷いを振り切った自信のある力強い言葉と態度は、伝令官たちや重臣たちに伝染した。彼らは、熱狂的に兵士たちに命を伝え、彼らは鬨の声をあげてノーラン山塊へと進んだ。そして二日後には、ルーヴランの軍勢を追いつめて決定的な勝利を手にした。

* * *


「デュランの旦那。また考え事でございますか」
トマスの声にはっとして振り向いた。彼はまだ《シルヴァ》をのぞむ草原に立っていた。白い仔狼はまだ森の入口に踞り、じっとこちらを眺めていた。

「旦那、あまり力をお落としにならないでくださいよ。ご自分のお氣持ちを犠牲にしてまで、あのお二人の力になったのを、神様はちゃんと見てなさる。旦那にはきっとあの奥方さまに負けない、いや、上回る素晴らしいお方が必ず待っていらっしゃるんだから。安心してくだせえ」

 レオポルドは、「そうだな」と苦笑した。
「トマス、あれが見えるか?」
「なんでございましょうね。仔犬でしょうか。毛繕いをしていますね」

 レオポルドは、狼が再び現れた理由を考えていた。白狼がかつて二度までも自分を救ってくれた理由についても考えた。おそらく自分の行動の何かが、あの特別な存在に親切で好意的な氣まぐれを起こさせたのだ。

 あの日、レオポルドはトマスたち貧しい者たちを飢えから救いたくて道を走らせていた。彼は、彼の人民たちを苦しみから救いたかった。王になったら、もっと貧しい人民のために尽くしたいと志を抱いた。そうだ、そうに違いない。彼は考えた。

 ルーヴランから金を搾り取れば、わが国の貴族たちは潤っても、かの国の人民たちは疲弊するだろう。ラウラが涙した、ルーヴの都の貧民たちのような存在がもっと増えるに違いない。あの狼はそれを思い出させるために現れたに違いない。

「トマス。余は、答えを得たぞ」
「なんでございますか。またお嫁さんを探されるご決心がついたんで?」

 レオポルドはカラカラと笑った。
「その件ではない。ノードランドの関税の件だ。据え置くようにヴァリエラ公を説得するのだ」

 機嫌良く帰っていくレオポルドを見送りながらトマスは首を傾げた。なんだかさっぱりわからんが、とにかく少しお元氣になられたようでよかった。ところで、あの仔犬は?

 トマスが《シルヴァ》の方を見やると、そこにはもう何もいなかった。

(初出:2016年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】目が合ったそのときには

scriviamo!


ものすごく巻いていますが、そうなんです、今、いっぱいたまっているんですよ。というわけで、scriviamo!の第六弾です。limeさんは、「妄想らくがき」シリーズの最新作で参加してくださいました。

limeさんの描いてくださった『狐画』
『狐画』by limeさん
このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。

limeさんは、登場人物たちの心の機微を繊細かつ鮮やかに描くミステリーで人氣のブロガーさんです。昨年も携帯投稿サイトの小説家を養成する公募企画で大賞を受賞されたすごい方です。穏やかで優しいお人柄に加えて、さらにこんなに絵も上手い。まあ、みなさんよくご存知ですよね。

今回、scriviamo!参加用に出してくださったのは、ちょっと妖艶な感じの狐の化けたような少女の登場するイラストです。これ、私には七転八倒するほどの難問だったのですが、どうもそれは私だけだったようで、あちこちのブログで素晴らしいお話が発表されています。

で、お返しなんですが、最初にイメージした妖狐を使う話は避けました。他の方と重なることが予想されたし、さらにscriviamo!は基本的に受付順でお返しするので、思いついた話を即日発表できるような状況になかったので。で、普段は書かないようなストーリーにしましたが、なんだか私の性格の悪さを露呈しただけのような……。他の方の書かれる素敵なお話と毛色の違う妙なストーリーになりました。

そもそもありえない状況を書いていますので、「なぜこれがこうなるんだ」というような辻褄にこだわるとハマります。辻褄は、全く考えていませんので、あしからず。


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目が合ったそのときには 
——Special thanks to lime san


「お願い。まずは友達になってくれるだけでもいいから」
佳子の必死な声に、俺は背を向けた。悪い。二次元じゃなきゃ嫌だっていうほどこっちも病んではいないけれど、君はまったく趣味じゃないんだ。

 佳子は、三流の女子校を上から十番目くらいの成績で卒業して、推薦で短大に進み、親のすすめで入った会社で経理をやっているというタイプの女だ。本当のところは知らないけれど、とにかくそういうイメージ。きっと得意料理は肉じゃがとかマカロニグラタンとか、その手の無難なヤツだろう。

 そういうのが好きな男はいっぱいいるから、悪いけれどそっちへ行ってくれ。俺が小悪魔タイプがいいのは知っているだろ。
「悪いけれど、三次元だったら、猫耳のコスプレしてミニスカートでお出迎えしてくれるような子じゃないとイヤなんだ。君にはまったくチャンスはないよ」

 いくら俺でも、本当にそんなタイプじゃないと彼女にできないなんて、そこまで怪しくはない。もちろん、妄想ではいつもその手の子だけれど、現実はそんなに俺に都合良くできていないことくらいわかっている。そもそも上から目線で選べるほどこっちの条件がいいわけじゃない。でも、ここまでいえばこの子は諦めてくれるだろう。

 泣きながら佳子は去っていった。俺は、少しホッとした。秋葉原へ行くつもりだったけれど、氣をそがれて中央通りを銀座方面へと歩いていった。何か用事があった訳ではないけれど、こんな俺でも少し後ろめたいときだってあるんだ。まあ、俺に振られたくらいで世を儚むこともないだろうから、罪悪感を持つこともないんだけれど。

 京橋にたどり着く少し前に、洒落た画廊の前を通り、ガラスウィンドウから見慣れた後ろ姿を目に留めた。総務の京極だ。

 同期で一番の出世頭なだけじゃない。女が群がる超絶イケメンで、生家は江戸時代から中央区に屋敷を構え、子供の頃から一流品だけを身につけている品のいい金持ちで、会長が惚れ込んで孫娘との縁談を進めようとしている。

 そのスペックのたった一つでいいから、神様が俺にわけてくれたらよかったのに。

 京極は、草原の上で白い狐が日向ぼっこをしている絵を見ていた。御坊ちゃまらしい品のいい趣味だ。俺だったら、ただの狐じゃなくて猫耳もとい狐耳をした女の子に日向ぼっこしてもらいたいけれどな。あいつ、あの絵を買うんだろうか。優雅なこった。

 俺は、そのまま銀座まで歩くと、日比谷線に乗って我が家に帰った。ガラのあまりよくない繁華街を通らないといけないせいで、東京二十三区の中にあるというのに家賃は格安だ。部屋に戻って最初にするのはPCの電源を入れること。そして、今日も好みのコスプレちゃんを探してネットサーフィンに興じるのだ。

 冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出した。プシュと開けて、そのままPCの前に戻る。いつもは「猫耳」「制服」で検索するのだが、今夜は趣向を変えてみたくなった。

 少し考えた。「狐」「コスプレ」「小悪魔」。よし、これで行こう。

 いつもとあまり変わらない検索結果が表示されたが、そのページの一番最後に、著しく心惹かれる顔があった。真っ白い肌、髪も白い。ほっそりとした顔立ちに、簡単には落ちないと言いたげな反抗的な目つき。俺の好みにど真ん中。へえ。こんな子がいるんだ。

 俺は、その子の写真をクリックした。表示されたページで、何とその子とチャットもできることが判明。俺の方はカメラはないけれど、あちらはライブで映してくれるらしい。ほんとかよ。

 俺は、恐る恐る「チャット希望」ボタンを押してみた。ボタンが「呼び出し中」に変わり「接続しています」に変わった。それから、パッと画面が暗くなったと思ったら、全面に紛れもないその子の姿が映し出された。

「こんばんは」
聞き覚えのある声だ。もちろんこんなかわいい子に逢ったら絶対に忘れないから、知っているはずはないのだけれど。

「こんばんは。僕の名前は……」
「名前なんて言わなくていいわ。私、知っているもの」
「え?」

「わからない? さっきまで一緒にいたのに」
俺は、ぎょっとした。聞き覚えのある声の持ち主が、それでわかったからだ。
「佳子? まさか!」

「そうよ。ここで逢うとは思わなかったでしょう? さあ、私の目を見て」
「え?」

 狐の耳をした美少女の金色に光る瞳が、こちらを向いて光った。その時に、俺の周りは急に金色の光に包まれて何も見えなくなった。

「はい、終了。私はあなたを手に入れたから」
俺の声がした。

 なんだって? 俺は、恐る恐る瞼を開けた。

 すると、画面の向こうに見慣れた俺の部屋があって、俺の服装をした男が立ち上がっているところだった。

「PCの電源を落とす前に教えてあげる。その狐は、四角い枠の中なら何処へでも行けるの。PCでも、テレビでも、スマホでも自由に。そして、目の合った最初の人と入れ替わることができる。私は、もうあなたを離したくないから、二度と狐と目なんか合わさないけれど、あなたは自由になりたかったら、好きなところヘ行って誰かの体をもらうといいわ。もっとも、あなたも好きでたまらない耳のある美少女を手に入れたんだから、ずっとそのままでもいいかもね」

 そう言うと、彼女はぷちっと電源を落とし、俺は暗闇の中に取り残された。

 これは、夢だ。こんな馬鹿なことが! 俺は、大声をだし、頬をつねり、ジタバタ走り回った。でも、どうにもならなかった。俺は、狐の耳を持ち、白い髪の毛とふさふさの尻尾を持った、ロリータ系美少女の体つきになっていた。冗談じゃない。俺は鑑賞する方がいい、自分が美少女になって何が楽しいものか。

 とにかく、なんとかしなくちゃいけない。佳子が言っていたことが本当だとすると、また俺みたいに狐耳の美少女を求めて検索してきたヤツと交代すればいいんだろうか。

 まてよ、それは嫌だ。自分ならいいけれど、俺みたいな嗜好をもった他のむさ苦しい男になるなんて勘弁だ。どうせ違う人間になるなら、もっと恵まれた存在になりたい。例えば京極みたいな。

 そして俺は思い出した。京極のヤツ、あの画廊で絵を眺めていたな。まてよ、あれも四角い枠じゃないか。もし、あいつが明日もあの画廊に行くなら……。俺にもチャンスが向いてきた。

* * *


 そして、俺は、あの画廊の、あの絵の中にいる。絵の中にいた白い狐は蹴散らしてやった。あの狐が日向ぼっこしていた場所に座って、あいつが来るのを待っている。座っているのに飽きたので、横たわって昼寝をすることにした。

 日中にヤツがやってこなかったのは、やむを得ない。総務のヤツらは五時までは上がれないからな。ようやく営業時間が終わった。待ちくたびれたぞ、早く来い。早く来い。

 ふっ。本当に来たぞ。画廊の店番が大喜びで出迎えていやがる。さあ、こっちにこい。お前と目が合ったその時には、俺の恵まれた人生が始まるんだからな。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】おとなりの天使 ~ The angel next to him

scriviamo!


scriviamo!の第五弾です。山西 左紀さんは、limeさんの「お題掌編」に呼応する形で書かれた素敵な作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの書いてくださった『隣の天使』
limeさんの関連する小説
お題掌編 『となりの天使』(前編)
お題掌編 『となりの天使』(後編)


山西左紀さんは、お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。コラボをしていただいた作品もとても多いのです。普段はSFや仮想世界を題材にした作品が多く、それなのにまるで実際に眼で見ているような精密かつ美しい描写をなさるので尊敬しています。

今回は、珍しく大阪のとあるアパートで起きたお話。でも、サキさんらしさはそのままですね。limeさんの作品にインスパイアされてお書きになったそうです。

もともとのlimeさんのお話は「『隣に引っ越して来たのは・・・?』というテーマで、妄想を広げてください」というお題に基づいて作られました。サキさんもこれに合わせて書いていらっしゃいます。というわけで、私も。で、サキさんへのお返しなので、サキさんの小説と微妙に(じゃないか、がっちりと)絡み合っております。サキさん、キャラクターのイメージが違ったらごめんなさい!

サキさんが、limeさんの掌編にあわせて(でも少し変えて)題名をつけられたのに倣いました。


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おとなりの天使 ~ The angel next to him 
——Special thanks to Yamanishi Saki san


 悟は、意を決して504号室の扉をノックした。やはり、こういうのは最初が肝心だからな。

 前のアパートでも、そつなく対応できていたと自負している。大家さんが亡くなって、子供たちが遺産相続のためにアパートを更地にするからと追い出されることになったけれど、代わりの格安アパートを探してもらえたのもそれまでの行いを評価してもらっていたからだと思っていた。

 もっとも、本当にそつがないなら、大学三年も終わりかけているのに就職活動にはかばかしい成果が出ない現状はおかしいのだけれど。

 引越の挨拶には何をもっていくかもしっかりリサーチした。最初は引越ソバを持っていくつもりだったけれど「蕎麦アレルギーの人もいて迷惑がられることも」と言われてやめた。食べたり使ってなくなるものがベストというけれど「高級すぎるとお返しを期待されているのかと思う」とか「スルメをもらった。どういうセンスだ」とか「タオルはたまる一方でいらない」とか「洗剤は使わないタイプのものだと迷惑」とか、ネットで調べるといろいろと難点が指摘されている。結局、無難にということでかなり高級なティッシュペーパーを三箱、熨斗付き。

 二度、呼び鈴を押したが誰も出てこなかったので、控えめノックに切り替えた。やっぱり出てこない。いないのかな、いや、隣の電灯がついたのがベランダの仕切りから漏れる光でわかって、それできたんだから、いないはずはないよな。

 そう考えていると、向こうからショートカットの若い女性が歩いてきた。顔が小さくて可愛い。へえ。こんな可愛いご近所が。彼女は悟の立っている扉の横、つまり505号室の前で立ち止まると、黒い小さいショルダーバックから鍵を取りだして開けた。
「ただいま~」
甘えた可愛い声だ。

 なんだ、男がいるのか、残念。そう思って自分の引越の挨拶の件に戻ろうと思った途端、その美女がまた顔を出した。
「この部屋の人に用なの?」

 悟は頷いた。
「あ、はい。はじめまして。僕、山中悟といいまして、503号室に越してきました。大学の三回生です。それでお隣のこちらに引越の挨拶を……」

 全て言い終わる前に彼女はにっこりと微笑んで口を挟んだ。
「この人、そんな生温いノックじゃ氣づかないわよ、こうやるの」

 そう言うと、拳を振り上げてガンガンガンとものすごい勢いで扉を叩いた。わあっ、なんてことをするんだ。こっちが常識知らずみたいに思われる。

 悟の焦りをものともせずに「じゃあね」といって女性は505号室に消えてしまった。それとほぼ同時に「はい」と言って目の前の扉が開いた。

 がっちりとした長身の男性と、その斜め後に立っている細身で中性的な女性だ。ちょっと見には少年のように見えないこともないけれど、表札には女性の名前もあったから、女性なのだろう。

「なんでしょうか」
精悍な顔立ちの男性は、仏頂面でたたみかけた。まずい。ドアをあんな風に叩いたら好印象を期待しても無駄だ。

「すみません。隣に越してきた山中悟といいます。引越の挨拶に伺ったのですが……失礼しました」

 男は、一瞬首を傾げたが、「ああそう」という顔をした。
「どうぞよろしく。君は一人ぐらし?」
「はい」
「じゃあ、独り者同士、よろしく」

 え? 悟は、目を隣人と、その後にいる女性との間で泳がせた。だが、彼は受け取ったティッシュペーパーの箱に意識を向けたまま、「じゃ」といってばたんと扉を閉めた。

 もしかして、おかしな隣人なのか? 悟は、首を傾げつつ、自宅の扉を開けて中に入って、そのまま腰を抜かしたように座り込んだ。

 たった今、目の前で視界から消えたはずの、隣人の後にいた中性的な女性が、ちゃっかり自宅に入り込んでいる。どうやって。

「ふ~ん、やっぱり見えるんだ」
彼女は腕を組んだ。白いシャツに白いベルボトム、少し流行遅れに見えないこともないスタイルだが、このさい流行などは大して重要とは思えなかった。

「な、何がですか……。っていうか、どうやって僕んちに?」
ドアに張り付いている悟に、彼女はにっこりと微笑んだ。

「私が見えているってこと。どうやってって、別に難しくないわよ、壁をすり抜けてね」
「はあっ?!」

「なんだ。他にも見えるんじゃないの? もしかして、普通の人間には見えない存在を見たの今日が初めて? そんなわけないわよね、その歳なんだから。ああ、そうか、もしかして私たちの仲間すべてを肉体を持つ存在と勘違いしたまま現在に至っているとか?」
女はけたたましく笑った。

 悟は、瞬きも忘れて相手を見ていたが「あんた誰?」とだけようやく言った。

「私? 彼の守護の天使よ。といっても、もともとそうだった訳でなくて、ちょっと押し掛けで守護しているんだけれどね」
「押し掛け?」
「ええ。ちょうど通りかかった時に、失恋で自暴自棄になっていたから、氣になって居着いてみたの」
「え? そうなんですか? 失恋ねぇ……」

「ええ。さっき逢ったでしょう? 505号室の女の子にね」
「ええっ?」

「あの子の名誉のために言っておくけど、あの子が振ったんじゃなくて、あいつが追い出したのよ。なんだっけ、勝手に外車を買ったから、とかなんとか。お仕置きのつもりで追い出して、すぐに謝って帰ってくると思っていたら、お隣さんと仲良くなっちゃったって訳。隣で幸せそうに暮らしているもんだから、余計落ち込んでいるの。そういうわけで、あいつの前でお隣さんのことは口にしないようにね」

 悟は、「はあ」と頷いてから、なに納得しているんだと自分につっこんだ。

「じゃ、私帰るから。あと、彼の前で、私のことは口にしない方がいいわよ。あいつには見えないし、聴こえないんだから、何を言ってもあなたが頭のおかしい人と思われるだけよ」
そういうと、守護の天使とやらは、すっと504号室と接している壁の中に消えてしまった。マジかよ。

 それから、ありえないことになった。「自称・守護の天使」が勝手に悟の部屋に入ってくるようになったのだ。

 悟は、いつもの手抜きで一週間分のおでんの具を煮込んでいたが、後にいつの間にか立っていた天使が覗き込んだ。
「おいしそうじゃない」

「今日は、なんすか」
「それ持って、ウチにくるか、こっちにあいつを招いてよ」
「なんで」

「505号室がなんかゲームやっているらしくて、楽しそうな声がやたらと響いてくるのよ。で、またグズグス想い悩んでレミー・マルタンに逃げ込んでるの」
「……。男とおでん囲んで紛れますかね」
「紛れさせなさいよ」
「なんで僕が」
「あんたが私を見えるのが悪いのよ。つべこべ言わずに行く!」
「はあ」

 悟は首を傾げながら、504号室に向かい呼び鈴を押した。
「なんだ」
男は出てきて、暗い瞳を向けた。

 いつものように黒い革のパンツに白いシャツ。貧乏アパートにはあまり似合わないハードボイルドタイプ。しかもシリアス系。こういう知り合いいないし、なんか怖いよ。心の中で文句を言うと、後にいた天使が恫喝した。
「つべこべいうと、死神や貧乏神をあんたの部屋に派遣するわよ」

 悟はことさらヘラヘラと笑うと言った。
「あ~、おでん作りすぎちゃったんです。よかったら一緒にどうっすか」

「君、田舎そだちか」
「へ? まあ、そうですけれど、なぜですか?」
「都会での隣人との距離感というものがわかっていないようだから」

 ちくしょう。僕だって、別にお近づきになりたい訳じゃないんだ! 悟が泣きそうになると後からほうっというため息が聞こえた。
「かっこいいわねぇ。こういうもの言い、本当に好み~」

「だったら、自分でなんとかしろよ!」
思わず振り向いて文句を言うと、男は言った。
「誰と話しているんだ。携帯電話か?」

 しまった、こいつには見えないし聞こえないんだった。天使はべーと舌を出した。ムカつく。
「いや、なんでもないっす。嫌ならいいっすよ。一人で食いますから」
そう言って引き下がろうとすると、男は首を振った。
「嫌とは言っていない。酒はあるか。ないなら持っていくが」

 なんだよ、結局来るのか。悟は、急いで部屋に戻ると、彼が来るまでに足の踏み場を作ろうとした。
「そのくらい、私がやるわよ」
天使はさっと手を振った。コタツの周りにあった乱雑に脱いだ衣類や新聞が、あっという間に畳まれて部屋の片隅におさまった。

「へえ。こりゃいいや。ありがとさん。寝床周りもやってくれる?」
「必要ないでしょ。彼とベッドインするなんて許さないわよ」
「! するわけないだろ。でも、彼のために貴重な時間を使うんだからさ~。少しくらい僕にも恩恵があっても……」

 天使は腕を組んでから言った。
「そうね。ちゃんと彼に親身になってくれたら、帰り際にやってあげるわよ」

 男は、ハイネケンを1ダースと、金のラベルのついている一升瓶を持ってきた。見ると純米大吟醸らしい。お、おい。スーパーで買った特売おでんに、どうしてこんな酒を。

「これしかなかった。嫌なら買いにいくが」
「え。いや、とんでもない。もったいないと思っただけで」
「一人で飲んでいてもしかたないからな。つきあってくれ」

 落ち着かない飲みだった。悟は、男と差しで飲みながら、右側にちゃっかり座って男に見とれている天使を見ないようにしていた。余計な事を言うと天使は睨むし、その言葉に反応してはならないし、天使から聞いた情報を勝手に口にする訳にもいかない。頭が混乱していて、酔うどころの騒ぎではなかった。

 一方、男は順調に盃を重ねて、ハードボイルド調からただの酔っぱらいへと変化していった。
「そりゃ、他の男を好きになることだってあるだろうさ。でも、なにも隣に住まなくたって、いいじゃないか……」

 なんだよ。泣き上戸かよ。参ったな。
「そんなに思い詰めない方がいいっすよ。女は一人だけじゃないし、ほら、意外と近くで心配して見守ってくれる人もいるかもしれないし」

 悟は、既にコタツに突っ伏しかけている男の頭を愛おしそうに撫でている天使を見ながら、ドッチラケという氣分で最後のちくわぶを口に運んだ。

「なんだ。それは口説きか。俺は女の方がいい」
「! こっちも女の方がいいっす」

「そもそも、君にも彼女はいないのか。若いのに不甲斐ないな」
あんたには言われたくない。

「すいませんね。東京に高校時代ずっとつき合っていた彼女いたんすけど、こっちの大学に来たら遠距離で自然消滅。今はレポートと就職活動が大変で、彼女作っている暇なんてないっす。関西の子たちはノリも違いますしねぇ」

「ふん。就職活動ね。どこを受けるんだ」
「え。まあ、製造とか。クルマも好きだけれど、ほとんどチャンスが……」

 天使が睨んでいる。しまった。彼女が車を買ったんで喧嘩になったんだっけ。車の話は御法度だったか。

「それなら、親父に頼んでやるよ。国産車が嫌でないならね」
「へ?」

「この人、世界的に有名な国産車メーカーの御曹司よ」
天使が囁く。げっ!

「就職が決まったら、美味い寿司でもおごってやるよ。俺もいつまでも、部屋にこもっているのはよくないからな……」
そう寝言のように呟きながら、男はコタツに突っ伏して寝てしまった。

 う。さっきの言葉、録音しておけばよかった。悟は、天から降ってきたチャンスがうやむやになってしまわないことを心から祈った。

 天使は「私には関係ない」という風情で寛いでいた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】酒場にて

scriviamo!


今年最初の小説は、「scriviamo! 2016」の第一弾です。ポール・ブリッツさんは、別ブログで私の書いた記事を参考に、掌編を書いてくださいました。それもこの企画公表から数時間で……

ポール・ブリッツさんの書いてくださった『狩猟期』

ポールさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書かれていらっしゃる創作系ブロガーさんです。とても勉強家で熱心な創作者で、シニカルな目の付け所の作品を書いていらっしゃる上、よく恐ろしくも容赦のない(笑)挑戦状を叩き付けてくるブログのお友だちです。

今回書いてくださった作品は、ちょっと硬派の復讐劇のような感じなのですが、私のオリジナル小説の舞台カンポ・ルドゥンツ村での出来事らしいのです。別の国や別の州とかなら、よく知らないのでそのままにしておいてもよかったんですけれど、この村で起きたこととおっしゃるのなら捨て置けない点がいくつかあったのを逆手に、流れをひっくり返してみました。ポールさん、すみません。だって、そうでもしないと、これへのお返しで何を書けと……。

舞台は、時々私の小説(「夢から醒めるための子守唄」「夜想曲」など)に出てくる『dangerous liaison』というバーです。



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酒場にて
——Special thanks to Paul Blitz-san


「とにかく、このままにはしておけないよ」
熱っぽく語るマルコに、注文のリベラの赤を出してやりつつ、トミーは綺麗に描かれた眉を右側だけ持ち上げた。

 自動車工マルコ。今日はレッカーサービスの週番だからと清涼飲料水しか飲んでいない。だったらわざわざ飲み屋に来る事もないと思うけれど、彼には『dangerous liaison』は貴重な情報交換の場らしく、欠かさずやってくるのだ。

 オレンジと紺青を基調として、トロピカルな壁画が色鮮やかなインテリアのバー『dangerous liaison』は、カンポ・ルドゥンツ村の中心から少し離れたところにある。村役場の近くにある三軒の伝統的な旅籠レストランと違って、ここには、お硬い輩は足を踏み入れない。

「そもそも連中は、よそ者だろう」
マルコは言った。トミーは首を傾げた。

「どうかしら。でも、エルンストだの、カールだの、ヴィルヘルムだの、そんな古めかしい名前、このあたりじゃ珍しいわよね。話す言葉はフォルアルベルグあたりの方言だから、あっちのスイス人かもしれないし、ボーデン湖を越えたオーストリアかドイツの出身なのかも」

 マルコは、我が意を得たりと言う顔をした。
「だろう。もめ事なら自分のとこに帰ってやってくれりゃいいのにって、村の事なかれ連中は、ヤバいとわかっているのに見て見ぬ振りをしているんだよ。まったく」
彼は川向こうのサリスブリュッケに祖父の代から住んでいるイタリア人で、このあたりの閉鎖的な考え方に辟易している。

「ヤバいねぇ。息子さんが亡くなったのは氣の毒だと思うけれど、もう二年前のことなのにどうして、あんたたちは今さら騒ぐのかしら。そっとしておいてあげなさいよ」

「それが過去の話じゃないんだよ。あの親父は、例の若い男を恨んで、付け狙っているんだ」
マルコは、声を顰めた。その目が妙に生き生きしているのを、トミーは見逃さなかった。なに面白がっているのよ、この野次馬男。

「いい加減なことを触れ回ると、名誉毀損で訴えられるわよ」
「ふん。飲み屋ネットワークを馬鹿にしてもらっちゃ困るね。やっこさんは、一昨日『ガルニ・ポスト』で、あの若者がチューリヒからやってきているかを訊き回って、昨日はサリスブリュッケで弾を入手している。猟が始まって二週間も経つんだぜ。あと一週間しか撃てない今ごろそんなことをやってりゃ、噂にもなるさ」

「まったく、本当に田舎の村って、何一つ秘密にできないのよね」
当人は、まさか村中の噂の種になっているとは夢にも思っていないに違いない。都会人には想像もつかないかもしれないが、秘かに事を運ぶなんて事は、この村では不可能なのだ。ここでは、ケーキを作る時に砂糖と塩を取り違えた程度のことでも、翌週には知れ渡るんじゃないかと、トミーは秘かに思っている。

「あの子は車の事故で死んだんでしょ。自殺と限った訳でもないのに、なぜあの親父があのヴィルヘルムとかいう若者を狙っていると断言するのよ」
「そりゃ、あの息子と怪我をしたスペングラーって男の人生をめちゃくちゃにしたのはヴィルヘルムだと思っているからさ」
「なんだったかしら、間違えて仔連れの牝鹿を撃ったというきっかけの争いだったわよね」
「そこがおかしいんだよ。そんな話は信じられないね」

 それからマルコは、アルコールがみじんも入っていないリベラをちびちびと飲みながら、名探偵のごとく語りだした。
「誰だって、少し考えれば、わかるだろう。仔連れの牝鹿を撃ったりしたら、過失だろうととんでもない罰金を払わなくちゃいけない。それをわかっていて、面白半分で撃つほどあのヴィルヘルムって若者も馬鹿じゃない。それに、それを監督している男が、仔連れの牝鹿を狙いはじめた若者を止めなかったのもおかしい。本当のもっと知られたらまずい事を隠蔽しているに違いねえ」
「はいはい。それで、あんたの信じている真実のストーリーは?」

「あのカールって若者が、まず傷害事件を起こしたんだ。そして、その殺意をなかったことにするために、あの若者が面白半分に牝鹿を撃ったのがきっかけということにした」
「なんでそんな面倒くさいことを」
「痴情のもつれで起こったもめ事だと、世間に知られないためにさ。三人ともその点では利害が一致していたんだ」

 トミーは、ちらっとマルコを見て何も言わなかった。

「しらばっくれるなよ。そっちの世界に居るあんたが知らないわけないだろう。あの親父もお高くとまっていずに、俺たちみたいなブルーカラーとの仲間になっていりゃ、噂からわかっただろうけれどね。自分の友人も息子も同性愛シュヴール ってことを、やっこさんは知らないんだ」

 トミーは、その父親とわずかだが話したことがある。この店には来ないが、日中に併設する自然食料品店の方に買い物に来たことがあったのだ。男同士のカップルが、堂々と店を出していることを、さも珍しいものでも見たような口ぶりで話した。礼儀正しかったが、言葉の端々に「きちんとした家庭で育たなかったからそうなってしまったんだろう」という差別的印象を交えていた。つまり、我が子がそうだとは考えたこともなかったのは明らかだった。

「親が知らないのなんて、よくあることよ」
「あっちの男とは親友だって言うのにな。俺たちが知っている妻子のいる隠れシュヴールのリスト作ったら、お高くとまっている連中は大騒ぎになるな」

 トミーは、大きなため息を漏らした。
「それで、あんたはどうしたいのよ」
トミーは、綺麗にネイルされた手をひらひらと振った。

「そこだよ。例の情けない牧農家見習いのアンリが、何も知らないヴィルヘルムの方にひっついているんだけどよ。なにかあったら、ここを連絡先にさせてくれ……」

 その時、ドアがバンッと開いて、青ざめた顔の青年が転がるようにして入ってきた。
「大変だ!」

 マルコはカウンターの丸椅子から飛び降りて、息を切らして倒れそうな若い牧童を支えに行った。
「何があったんだ、アンリ」

 アンリは、息も絶え絶えだった。フランスなまりの聴き取りにくい彼の話を、マルコとトミーが根氣よく聞き出したところ、二人は近くの森に狩りに行った。そして、車から銃を取り出して準備をしているヴィルヘルムを、例の親父が銃で狙っていることにアンリが氣がついて大声をだし、身を伏せて、二人は難を逃れたらしい。

「それで、件の親父はどうしたんだ」
マルコが訊くと、アンリは泣きそうな顔をした。
「車に乗って、サン・ベルナルディーノ方面へ逃げて行った」
「警察には連絡したのか?」
「それが……」

「僕が止めたんです」
戸口からの声に、一同が振り向くと、ヴィルヘルムが青ざめた顔をして入ってきた。
「もし、彼が僕を狙ったことを通報したら、彼は殺人未遂で逮捕されてしまう」

「だって、それが事実だろう」
「死んだカールが、そんなことを望んでいたと思うか? 自分のために父親を殺人者にしてしまうなんて。何かの誤解だと思うし、話し合った方が……」
「でも、相手は銃を持っているんでしょう。行った先で何をするかわからないじゃない。やっぱり警察に連絡した方がいいんじゃないかしら」

「今、先生に連絡しましたから」
「先生ってのは、エルンスト・スペングラーか?」
「はい。カールのお父さんに、あの時のことを秘密にしたのは間違っていたと、おっしゃっていました。連絡してくださるそうです。上手く説得してくれるといいんですけれど」

「元々は、やっぱり、あれだろ。痴情のもつれ」
したり顔でマルコが断言した。ヴィルヘルム青年は、ぽかんとして、訊き直した。
「いったい何の話ですか」

「だから、あんた達の三角関係がもつれたんだろ? それでおこった殺人未遂を隠すために、仔連れ牝鹿を面白半分に撃ったなんてくだらない話を作った」

 ヴィルヘルムは、まだしばらく口を開けっ放しにしていたが、我に返ると真っ赤になって抗議した。
「どこからそんな話になるんだよ! 勘弁してくれ!」
「あれ? でも、スペングラーとカールがそういう仲だったのは知っているだろう?」
「まさか?!」
「ええっ。お前さんも知らなかったのか?」

「先生と会ったのは、あの狩りの時がはじめてで……。ええっ、お父さんの親友じゃなかったのか? アンリ、お前も知っていたのか?」

 牧童は頷いた。
「あの二人のことは、村ネットワークでは知られた話でしたよ。君が知らなかったとは思わなかったけれど」

 ヴィルヘルムは、カウンターに座り込んで頭を抱えた。
「カールが何かに悩んでいたのはわかっていました。僕に狩りのことを教えてくれる先生に、いきなり刺々しい嫌味を言ったり、刑務所にいた時も先生が面会に来てくれないのは僕のせいだと言ったり。でも、まさかあの二人が……」

「牝鹿を撃ったのは、スペングラー氏の指示だったの?」
トミーが訊くと、ヴィルヘルムは頷いた。
「ええ。罰金は払えないから、いやだと言ったんですが、金なら用意してやるとおっしゃるので言う通りにしました。カールを救うためだと言われて」

「で、あんたが今ごろまた猟をはじめて、例の流れ星のような模様のある牡鹿を仕留めようとしたのは?」
「流れ星? なんですか? それは」

「だから、あの時の鹿の子供の方に流れ星みたいな模様があって、それが最近よく出没するって話さ。その牡鹿をあんたがまた撃とうとしてわざわざチューリヒからやってきたっていう噂が流れていたんだよ。それを聞いて、あの親父さんのあんたへの憎しみが爆発したらしいんだが」
マルコが言うと、ヴィルヘルムは首を傾げた。

「変だな。牝鹿を撃ったとき、僕たちの方からは草むらにいた仔鹿の模様なんかほとんど見えませんでしたよ。そっちはすぐに逃げてしまったし。それに、親を失った仔鹿がどうなったか、罰金を払う時に狩猟漁獲庁で訊いたけれど、一匹では生き延びられないので捕まえてチューリヒの動物園に引き取ってもらったって言われましたよ。撃ちたくても撃てるわけないじゃないですか」

 一同は、首を傾げた。
「何だか、きな臭いな。誰かが話をねじ曲げているぞ」
そういうマルコをじっとみつめてトミーは言った。
「誰が仔鹿の模様のことなんか話したのかしら。それに、この子が性悪だという噂をわざわざ流して得するのは……」

「まさか! あのスペングラー氏が?」
アンリが青くなって立ち上がった。ヴィルヘルムも、心配そうに立ち上がった。
「なぜ、そんなことを……」
「あんたが余計なことを知っていると思っていたのかも」

 一同は、顔を見合わせた。
「ってことは、こいつの口を封じるために、カールの親父に殺意を起こすよう嘘を吹き込んだと?」
マルコは、信じられずトミーと、ヴィルヘルムの顔を順番に見た。

「ちょっと待って。君、そのスペングラー氏に、電話したって?」
アンリはヴィルヘルムに問いかけた。
「ああ。だって、あの先生はお父さんの親友だと……。ってことは……」

「親父さんが危ない!」
慌てて、三人が出て行った後、トミーは誰もいなくなった店内でため息を一つついた。車で追いかけたって、テレビドラマみたいにちょうどいい場面に出くわせる訳でもないのにねぇ。

 少し考えた後、彼は電話の子機を取り上げた。ダイアル先は、馴染みの警察幹部だ。官僚主義のこの国で事を速やかに進めるためには、どのような親しい友人ネットワークを持っているかが最も大切なのだ。トミーは有力者でも、金持ちでもなかったが、この手の財産は誰にも負けないほどあった。

 十五分以内に、主要道路の検問体制が整うだろう。この話の真実も行方もわからない。だが、ここしばらく常連連中がここに集まって噂話に花を咲かせるのは間違いない。まったく、田舎の村ってのは。トミーは、美しく描かれた右眉を満足そうに少しだけ持ち上げた。

(初出:2016年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(3)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第三弾、完結編です。本当は「Infante 323 黄金の枷」を先に発表する予定だったのですが(前回も同じ事言ったぞ)、こちらの展開が明後日の方向に行ってしまった関係で、他の方の書かれるご予定を狂わせるに間違いないという事で、少しでも早く発表する事にしました。
オリキャラのオフ会

浦河に到着するところなどは全てすっ飛ばして、盆踊り大会の日から始まっています。若干の回想は入っていますが。うちの二組のキャラのストーリーを畳む事だけに専念していますし、さらにお許しもなく勝手にコラボっています。該当キャラの持ち主の皆さん、すみません。ありがとうございました。

オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など



君との約束 — あの湖の青さのように(3)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


 正志は焦っていた。浦河の相川牧場に来て二日が経っていた。到着した十日の夜のウェルカムパーティでもずいぶん飲んだが、その前夜の屈斜路湖から、もうペースが崩れていた。昨晩も働いた後にソーラン節の練習をしてから宴会で、思っていた以上に酔ってしまった。そして、今晩は盆踊り大会。ソーラン節を踊りつつ、北海道の海の幸を堪能する結構な待遇だが、これまた飲みまくる事になるだろう。

 自分で酒はそこそこ強いと思い込んでいた。営業という仕事柄、接待で飲み慣れている。だが、この場にいるメンバーの飲み方は、その彼の「そこそこ」をはるかに凌駕していた。

 全員が飲んでいるわけではない。高校生トリオや、中学生の双子、それに見事な太鼓のバチさばきを見せてくれる成太郎は19歳なので、当然一滴も飲まない。二十歳だから飲んでも構わない綾乃も敢えて飲もうとしなかった。牧場の女性陣、それに手伝いにきているかじぺたさんと呼ばれている女性は、お酌をする事はあっても自分たちが飲みまくる事はない。むしろ忙しく台所と宴会場を行き来をしていた。

 異国風の三人のうち、詩人と呼ばれている部屋の中でも全身を覆う見るからに暑い服を纏った不思議な人物は、カニをつつきながら合うとは思えない甘いジュースを飲んでいた。一方、その連れであるオッドアイの青年レイモンドと、大柄な女性リーザは、どれほど飲ませてもまるで水を飲んでいるかのように、全く変わらない。

 それは、コトリも同じだった。屈斜路湖でもそうだったが、もの静かな彼女は飲んでも口数が多くなる事はない。いつもと同じように落ち着いているが、氣がつくと盃が空になっている。ダンゴの方は、賑やかに飲む。量は多くないが、楽しい酒のみだ。そして、屈斜路湖から親しんでいるマックスたちと楽しく話している事が多かった。

 ホストファミリーの相川家は遺伝なのか、誰もがとんでもないうわばみだ。とくに家長の長一郎は、その歳でそんなに飲んで大丈夫なのかと、余計な心配をするほどだが、京都から来た旧知の友、鏡一太郎の方も同じペースで飲み、しかも赤くなって声は大きくなっても、酔って乱れた様子は全く見せない。

 結局、飲んでいるメンバーの中で、一番酒に飲まれかけているのは、悔しい事だが正志なのだった。そして、部屋に行くとふらついたまますぐに寝てしまうので、千絵とまともに話すらできないのだった。

 こんなはずじゃなかった。

 この旅行を計画した時、彼は千絵と、もう少し別の形の旅行をするつもりでいた。屈斜路湖での混浴の露天にゆったりと浸かり、アイヌの文化に触れた後で、二人でじっくりと語り合う。そして、力を合わせて働いた後、部屋で今後の事も話そうなどと、勝手に思っていたのだ。

 今後の事。二人の未来の事。そう、もう少し具体的にいえば、次に旅行するときは新婚旅行だね、という話に持っていければ上等だと思っていた。花火大会もあるから、ムードは満点だと。

 屈斜路湖から見ず知らずのメンバーたちと意氣投合して、毎晩宴会になる事は考えてもいなかった。豪華で美味しい朝食にも舌鼓を打ち、仲間たちと朝から笑い合った。それは嬉しい誤算でとても楽しい事だったが、千絵にプロポーズをする段取りからはどんどん離れていくようだった。

 宴会で千絵と並んで飲みながら話そうと思っても、忙しく働き回る牧場の女性陣を見ると、いつもの放っておけない性格がうずくのか、立ち上がって手伝いに行ってしまう。彼も立って一緒に台所に行こうとすると、他のメンバーが正志を呼び止め、盃に酒をついで話しかけてきた。

 それに、昨日のソーラン節練習直後、宴会の始まりに起こった件があった。

 ソーラン節の振り付けと、厳しい指導、それにめげないメンバーたちのふざけた楽しい騒ぎ。そういうムードが苦手な人もいる。どうやらコトリはそのタイプだったようで、そっと席を外した。たまたま入口の側にいてそれを見ていた正志は、宴会時間になっても帰ってこないので、どうしたのかとトイレに行くついでに建物から出て周りを見回したのだ。

 コトリは愛車DUCATI696のところにいて、オイルをチェックしていた。一日で300キロ近くを走ったのだ。ベストなコンディションにするために、少し整備をしていたのだろう。

「思いっきり飛ばせた?」
正志が訊くと、少し驚いたようだったが、微笑んで頷いた。
「神戸では、ほとんど信号のない直線コースなんてないから」

 それから、しばらくモーターサイクル談義に花が咲いた。正志は、Kawasaki Ninja 650Rに乗っていた時に、逆輸入車だったので、合うキャリア&トップケースを見つけるのに苦労し、バイクを処分したときもそのケースだけは手元に置いてしまったと話した。

「マンションを買うと決めた時に、バイクに乗る事自体をもうやめようと思ったくせにね。まだ未練があるんだろうな」
「ER-6fはまだ市場にでているから、そのうちにまた買えばいいでしょう」
「そのうちにか……」

 その時に、コトリが建物の入口の方を見たので、正志もその視線を追った。そこにはゴミ袋を持っている千絵がいて、DUCATIの前で話し込んでいる二人を見ていた。二人の視線に氣づくと、彼女は小さく手を振って、ゴミ置き場の方へ急いで行ってしまった。

「あ……」
どことなくこれはマズい状況ではないかと思った。後ろめたい事をしていたわけではないし、千絵は、いままでやきもちを焼いたりすることはなかったので、わざわざ追って行って何かをいうのも、よけいに事をこじらせるように思い、しばらく立ちすくんでいた。

「行ってあげたら」
コトリがぽつりと言った。
「え?」

「ダンゴが言ってくれなかったら、私もわからなかったけれど、車種や整備の話、走りの話題についていけない女の子たちは、置いてきぼりになったようでずいぶんと寂しい思いをするみたい。それはそれ、これはこれでどちらも大切なんだって、安心させてあげた方がいいと思う」

 正志は、コトリをじっと見つめた。よくみている人だなと思った。ぶっきらぼうに感じることもあるけれど、とても心の温かい人なのだとも感じた。
「ありがとう。いってくる」

* * *


 ゴミ袋を持って小走りにゴミ捨て場に向かっていた千絵は、悲しいきもちを振り払おうと頭を振った。その時にちゃんと前を向いていなかったので、角を曲がって走ってきた小さなものに氣がつかなかった。

 足元に暖かいものがポンと当たった。それは茶虎柄の小さい猫だった。
「みゃ~!」

「あ。マコト! ごめんなさい!」
千絵は、あわてて屈んでその仔猫を抱き上げた。左右で色の違うきれいな瞳が、千絵を見ていた。いきなりぶつかったにもかかわらず、マコトは嫌がる事もなく、千絵の顔を覗き込んでかわいらしく鳴いた。千絵は、その頭を撫でてやりながら、そっと立ちすくんで、大きなため息を一つ漏らした。

「ずいぶんと大きいため息だな」
その声にはっとして振り向くと、建物の影にいた赤毛の大柄な女性が、千絵の方を見ていた。泉の縁に腰掛けて、何か貴金属のようなものを洗っているところのようだった。

「リーザさん」
「いつも男どもが食い散らかしたものの後始末に走り回っているようだが、それに疲れたんじゃないのか」

 千絵は驚いた。褒めてもらいたかったわけではないし、自分も他の参加者たちのように普通に座って食べているだけでもいいのに勝手に手伝っている事もわかっていたけれど、それでも誰かがそれをしっかり見ていてくれる事が、嬉しかったから。

「いいえ。そうじゃないんです。動き回るのは、私のクセみたいなものですし、嫌じゃないんです。そうじゃなくて……。たぶん、自分の中にはないと思っていたつまらない感情があったので、がっかりしてしまったんだと思います」
「ふ~ん? そういうこともあるさ。それが人間ってもんだろう?」

 千絵は、マコトの毛並みを優しく梳きながら、リーザの方に近づいて行った。見ると彼女が泉の水で洗っているのは小さな真鍮の指輪だった。
「それは?」

「これか? わたしが子供の時に、恩人がくれた指輪さ。ウニがついてしまったんで、洗いにきたんだ」
「とても綺麗。水を反射して光っていますね」

 リーザは、笑って指輪についた水分を丁寧に拭きながら言った。
「高価な宝石付きと違って、どこにでもある類いの指輪かもしれない。だが、わたしにとっては剣とともに一番大切な持ち物だ。モノってのは、どのような形で自分のものとなったか、もしくは失ってしまったか、その歴史で価値が決まるんだと思う。そうやって特別になったものは、他のヤツらがなんと言おうと関係なく大切な存在になるんだ」

 千絵は、リーザが愛おしそうに指輪を嵌めるのを見ながら考えた。私の知らない、バイクに乗っていた頃の正志君。バイクショップの店長であるコトリさんとその話をしている彼がとても生き生きとしていたのは、当時の彼がそのバイクで走る時間を大切にしていたからなのよね。入っていけない世界を感じて悲しくなってしまったけれど、そんな姿を見せたりしちゃダメなのかもしれない。

 マコトが、千絵の腕からぱっと離れて、リーザの膝の上にすとんと遷った。リーザは、千絵の後を見て笑った。
「ああ、邪魔者は消えた方がいいな」

 千絵が振り向くと、そこには戸惑った顔をした正志が立っていた。リーザはマコトを抱いたまま、「がんばんな」とでも言うように正志の肩をポンと叩くと、また続きの酒を飲むために宴会場に戻っていった。それが昨日の事だ。
 
* * *


 盆踊り大会が始まっていた。正志は、「踊っている場合じゃないんだけれどな」と、半ば涙目になりながらソーラン節を踊っていた。昨日の件の誤解はなんとか解けたようだし、千絵は怒ってはいなかったのだが、その後もポイントを稼ぐチャンスがあまりなく、プロポーズどころではなかった。

 踊りながら千絵を探すと、つまだけになった刺身の盛り皿を抱えて台所へと向かっているところだった。

 櫓の上は、盛り上がっていた。レオポルドは、特別に用意してもらった金色の浴衣を身に着けて、ソーラン節を踊った。せっかく用意してくれたお揃いの浴衣もあったのだが、目立たないものは嫌だとゴネたのだ。縫わされる女性陣はムッとしていたようだが、彼らがアイヌの衣装を着、アイヌのハチマキをお土産に持ってきた事を喜んだ弘志夫人が大人の対応で用意してくれた。

「陛下。もうそのぐらいにしておいていただけないでしょうか」
妙に冷静な男の声に振り向くと、見慣れぬ外国人が二人立っていた。一人は、くすんだ赤の袖の膨らんだ上着に灰色の胸当てをし、この暑いのにマントまで身につけた男で、もう一人は大きくデコルテは開いているが、裾までしっかりと覆われたアプリコット色のドレスを着た妙に色っぽい女性だった。

「なんだフリッツか。よくここがわかったな」
レオポルドは、悪びれずに言った。

「あれは誰ですか」
長一郎が、小さい声でマックスに訊ねた。彼はにニコニコ笑って答えた。
「陛下の護衛の責任者を務めているフリッツ・ヘルマン大尉と、高級娼館の女主人マダム・ベフロアです。我々と別れて札幌の歓楽街へ行っていたのです」

「この世界の出口でお待ちしていましたが、いっこうにお見えにならないので、お迎えに参りました」
「もう少しいいではないか。そなたもここに来て飲め。伏見の酒はまだ飲んだ事がないのだろう? それにソーラン節を踊るのも滅多にない経験だぞ」

「陛下。いい加減にしてください。向こうでどれだけの政務がたまっているとお思いなんですか。臣下の皆様のお小言をいただくのは、この私なのですよ」
「じゃあ、お前だけ先に帰って、じじいどもに『よきにはからえ』と伝えろ。余とマックスは、疲れを癒すためにもう一ヶ月ほど滞在する」
レオポルドは、抵抗を試みた。

 ヘルマン大尉は、腕を組み軽蔑した目つきで、女性陣に囲まれて楽しそうなレオポルドとマックスを眺めた。
「では、お二人のご様子を、宮廷奥取締業務の引き継ぎで休む暇もないフルーヴルーウー伯爵夫人に詳細にお伝えする事にします」

 レオポルドとマックスは、ぎょっとして慌てて櫓から降りてきた。
「ちょっと、待ってください、ヘルマン大尉。私はすぐに帰りますので……」
「フリッツ、余が悪かった。明日、花火とやらを見たらすぐに帰るので、ラウラに告げ口するのだけは勘弁してくれ」

「フルーヴルーウー伯爵夫人?」
「ええっ。マックスったら、結婚していたってこと?!」
女性陣から、次々と批判的な声が上がる。特に、馴れ馴れしくされていたダンゴはおかんむりだ。

「ええ。陛下のおぼえもめでたいバギュ・グリ侯爵令嬢で、大恋愛の末の新婚なのよ」
ヴェロニカが、とどめを刺す。皆の冷たい視線に耐えかねて、マックスは、無理やり話題を変えた。

「ところで、ヘルマン大尉。お預けしたお金は全て遣い切ったでしょうか」
現地通貨を持ち帰ってはいけないことになっているので、彼らに渡した三百万円のことを訊ねているのだ。

 ヘルマン大尉の顔は曇った。
「そ、それが……」

 大尉の視線を追うと、二人の後には大量のジェラルミンケースが置かれている。
「私は、歓楽街であるススキノでなんとか遣い切ろうと努力したのですが」

「どうやって遣ったのだ、フリッツ」
「はあ、『そーぷらんど』というご婦人と一緒に入る公共浴場のようなところへ行きまして、値段が張るところでしたので、かなり減らす事には貢献できたと思うのですが……」
「なんだ。そんな大金は払わずとも、女と風呂に入りたいなら、ここの岩風呂を使えばいいのに。いい湯だぞ」

「えっ」
ヘルマン大尉は真っ赤になって、女性陣を見回した。正志は、それは違う! と、心の中でつっこんだが、レオポルドたちに余計な知識は付けない方がいいだろうと思い、そのまま黙っている事にした。

「ソープ……ランドって、何?」
後方で、高校生トリオの一人である萌衣が大きな声で享志に訊いている。正志は、なんて質問をするんだと苦笑いし、享志がどう答えるのかにも興味津々となった。

「聞いたことないな。真、知ってる?」
「いや。知らない。お風呂だって言っていたから、そうなんじゃないのか」

 なんだ、なんだ? どこのお坊ちゃま、お嬢様なんだ、この三人? まあ、こちらに振られるよりは、これで納得してくれれば、その方がいいけれど。なんせ今、千絵の前で、その手の店の詳細を知っているようなそぶりは見せたくないから。

「でも、この人がチンタラ楽しんでいる間に、私がそれ以上に稼いでしまったみたいなのよね」
ヴェロニカが、妖艶な口元をほころばせて言った。

「何をやったのだ」
「ススキノの研修先の高級クラブで、お客さんに氣にいられて。一緒に仕手株というのをやったら、なんだか増えに増えてしまって、このケースの中、全部一万円札がぎっしりなの。どうしたらいいかしら、陛下」

「それでは、それを遣い切るまでは帰れないではないか。なんとか明晩までに使わねばならぬな」
レオポルドは、真剣な面持ちをしたが、金色の浴衣を着ているとどうやっても真面目に考えているようには見えなかった。

 翌朝、襟裳岬経由で花火大会に行く前に、レオポルドとマックスは、ヘルマン大尉によって強制的に着替えさせられた。きちんとした中世の服装をすると、二人ともこれまでのおちゃらけようが嘘のようにサマになった。これまで、彼らの事を少しねじの外れたただの外国人なのではないかと思いかけていた一同も、やはり彼らは異世界から来た王侯貴族なのだと納得した。

* * *


 帯広の夜空を、大きな花が彩った。東京よりも広がっている空がずっと広い。そこを腹の底に響く轟音とともに、赤や緑や金色の色鮮やかな花火が次々と花ひらいた。

 この数日間をともに過ごしたメンバーが座って同じ花火を眺めている。いつも飲んでいたメンバーも、忙しく働いていた女性陣も、バチを話さなかった成太郎も、熊の置物の謎に挑んでいた高校生たちも、宴会を抜け出してバイクの整備をしていたコトリも、今は、全て同じ方向を見て、花火を楽しんでいる。

 隣に座る千絵の白い横顔が、花火の光に彩られている。正志は、今なら話ができると思い当たった。

「千絵」
「なあに、正志君?」

「俺……本当は、もっとお前に休んでもらうつもりで来たんだけれど……いろいろと氣が回らなくて、一人で飲んでいるばっかりで、ごめんな」

 千絵は、微笑んで首を振った。
「そんなことない、正志君。私の事を氣にして、何度も声を掛けようとしていてくれたわよね。それがわかっただけで、十分だったの。あのね、私、この旅、とても楽しかったの。来れてよかったって何度も思ったわ。本当よ」

 千絵は、嫌味でも、諦めでもなく、本当にそう思っているようだった。この旅に来る前と変わらずに、曇りのない澄んだ瞳で正志の事を見つめていた。ちょうど屈斜路湖や美瑛の青い池の水のように。正志の怖れは、すっとほどけていった。

「陛下の提案じゃないけれど……」
「?」
「また、一緒にここ北海道に来ような」

 その言葉を聞くと、千絵は正志を見て、とても嬉しそうに笑った。
「ええ。そうしましょう」

「すぐに来ような。それも……」
「それも?」
「その、できたら……新婚旅行で」

 千絵が、驚いた様子で正志を見た。彼は、意を決して、千絵の方に向き直り、はっきりと言いかけた。
「つまり、その、俺と結婚してくださ……」

 その時、正志は視線に氣がついた。

 中世組四人が遠慮なく注視していた。それに、双子と高校生三人も、生まれてはじめて目にするライブのプロポーズを見逃すまいと、しっかりと目をこちらに向けている。異国風の三人組も会話をやめて止まっていた。そしてそれ以外の若者や大人たちも、あえて見ないようにしながら、全員が固唾をのんで成り行きに注目していた。

 千絵も、その異様な注目に氣がついて赤くなった。正志は、くらくらした。轟音と花火の華麗さを隠れ蓑にして、こっそりプロポーズのはずだったのに、こんな見せ物みたいな状態になってしまった。控えめな千絵が、こんな状態でうんと言ってくれるはずは……ないよな。怒っても、当然だ。ちくしょう、失敗した……。

 がっくりと肩を落として下を見る正志を見て、千絵には、彼の心の内がわかったらしい。皆の視線をものともせずにその手を取ってから、はっきりした声で答えた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 正四尺の特大花火が、帯広の空に炸裂した。その一つひとつの光は流星のように尾を引いて、仲間たちの上で輝いた。だが、彼らはその花火を見ていなかった。たった今婚約した二人の周りに集まって、思い思いの歓声を上げた。正志は、ガッツポーズをして、飛び上がった。

「なんとめでたいことだ。余からも祝わせてもらおう」
レオポルドが言った。

「いや、陛下からはすでにいろいろと……」
「それはそれ、これはこれだ。結婚祝いだからな。ふさわしい贈り物をせねば。そうだな、馬百頭を贈ろう」

「えっ?」
正志と千絵は、固まった。

「い、いや、陛下。うちはしがないマンション暮らしで、馬百頭もらっても……」
第一、馬の値段をわかっていないような氣がする。それに馬の維持費も……。

「余が贈ると言ったら、贈るのだ。足りないと言うなら羊も……」
「いや、そうじゃなくて!」

 その時、コトリがすっと立って、こちらにやってきた。
「デュラン、ちょっといいかしら」

 正志が何か言おうとすると、コトリは「私にまかせて」という顔をした。正志は、千絵と顔を見合わせてから、コトリに頷いた。彼女は続けた。
「この世界では、馬をたくさん贈るのは、あなたの世界ほど現実的ではないの。だから、代わりにたくさんの馬に匹敵する機械馬をプレゼントしてあげるといいわ。たとえば、私のDUCATIは馬80頭に匹敵するの。正志君は、数年前に、Kawasaki Ninja 650Rという機械馬を手放さざるを得なくて、とても残念がっていたの。だからそれをプレゼントしてあげて」

「おお、それはいい案だ。そうしよう」
正志は、その展開に小躍りして、もう一度ガッツポーズをした。やった! またNinja 650Rに乗れるんだ! 今度は、千絵とタンデムするぞ。

「ところで、そのNinjaとやらは馬100頭分か?」
レオポルドはコトリに訊いた。
「いいえ。72頭よ」
「では28頭分は、どうするのだ」

 100頭にこだわるな。誰もが苦笑いした。真が立ち上がって言った。
「では、こうしたらどうでしょうか。残りの28頭は、この牧場から買って、そのままここに預けるというのは」

「そうね。維持費の代わりに、ここで観光用に使ってもらえばいいと思うわ」
綾乃もにこやかに提案した。

 相川長一郎と弘志は、突然28頭も馬が売れる事になって驚いたが、やがて頷き合って笑い、それから言った。
「名前はどうしましょうか」

「ここに集まった仲間全員と同じ名前を付けたらどうですか」
成太郎が提案した。皆がそれに同意したので、相川牧場では、このワーキングホリデーに参加した仲間全員の名前をそれぞれに持つ馬が飼われる事になった。

 一つだけ問題があって、マコト号がダブるので、一頭をアイカワマコト号、もう一頭をチャトラマコト号と名付けることで決着した。当然ながらエドワード1世号、アーサー号、ポチ号もいるし、ハゾルカドス号やコクイノオンナ号もいる。

 相川牧場に積まれたジェラルミンケースの中の一万円札の内、一部はコトリの店に送られ、Ninja 650RことKawasaki ER-6fを仕入れてきちんと整備してから正志たちに送る手はずとなった。そして、残りは相川牧場にて28頭の馬の代金と維持費に充てられる事になった。

 正志たちが、もう一度礼を言おうとレオポルドの方を振り返ると、中世の服装をした奇妙な四人はもうそこにはいなかった。始めからいなかったかのように、消え去っていた。だが、マックスとレオポルドの持ってきた土産や、ずっと着ていたアイヌの衣装は相川牧場に残されていたし、ジェラルミンケースの山もちゃんとそこにあった。

「なんとなく、これからもずっと一緒にいるんだと思っていたわ」
千絵がぽつりと言った。正志も、同じ事を思っていた事に氣がついて驚いた。

「いつかまた逢えるよな。ここ北海道で」
「そうね。ここに集まったみんなとも、またいつか逢えるわよね」

 一つの約束が、次の約束に繋がっていく。北海道で始まった絆が深まると、次の縁を呼び寄せる。正志と千絵は、とても幸福になって、青く深い北の大空を見上げた。

(初出:2015年8月 書き下ろし)

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というわけで、駆け足でしたけれど、今回はこれで完結です。上手く絡めなかった方、ごめんなさい! とくに幹事の彩洋さんのところのメンバーと、もっと絡みたかったけれど、長くなる一方でどうにもできず。課題の角ドンと、それから「とにかく相川牧場で馬を買う」という目標に向けてのみ邁進した結果です。

いろいろと、空白時間がありますので、お好きなようにうちのキャラを使って書いてくださって構いませんので……。どうぞよろしくお願いします。

今回も、皆さんにたくさん遊んでいただいて、嬉しいオフ会になりました。みなさん、本当にありがとうございました。そして、幹事の彩洋さんとマコト、本当にお疲れさまです!
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Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(2)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第二弾です。本当は「Infante 323 黄金の枷」を先に発表する予定だったのですが、他の方が書かれるご予定もあるだろうという事で、こちらを先に発表する事にしました。
オリキャラのオフ会

サキさんのところのコトリ&ダンゴとしばしの別れを告げて、四人はミニバンで富良野へと向かいます。北見でlimeさんのところの双子を、美瑛にてTOM-Fさんのところの綾乃を拾ってまいります。

なお、この後の話は、欠片も書いていません。皆さんの出方を見ながらのんびり一本だけ書こうと思っています。


オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など



君との約束 — あの湖の青さのように(2)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


「あの先に、二人少年がいるだろう」
後の席に座っているレオポルドが、運転席の正志に話しかけた。

 言われてみると、一キロほど先の反対車線の道路脇に、小さな影が二つ見えた。なんで少年ってわかるんだ?
「少年?」

「ああ、少年二人。一人は親指を上に向けている」
「親指?」
「そうだ。そして、もう一人の少年が、昨夜、そなたたちが見せた例の牧場の紙を見ているぞ」

「ええっ?!」
正志と千絵はぎょっとした。正志と千絵、それに昨日知り合って一緒に浦河の牧場でのワーキングホリデーに同行することになった謎の外国人、レオポルドとマックスは、レンタカーの七人乗りのミニバンで北上していた。本来だったら、昨日行くはずだった富良野へ寄る用事があったからだ。

 朝食後、やはり浦河へと行くことになっているバイクでの女性旅行者たち、コトリとダンゴに夜までの別れを告げて屈斜路湖畔を北上し、北見までやってきたところだった。

 普段なら、反対車線のヒッチハイカーになど氣を留めたりしないのだが、そんな手前から予言のようなことを言われたので、スピードを緩めつつ近づくと、本当に二人の少年で、背の低くてフワフワとした髪の少年が「浦河」と書かれた紙を掲げ親指を突き出していて、もう一人がオロオロと見ている紙は、紛れもなくあの浦河の牧場のチラシだった。

 正志が車を停めて窓を開けた。
「本当だ。あのチラシを持っている。お~い、君たち、ここで何をしているんだ?」

「ヒッチハイクです。残念ながら、みなさんは、反対方向みたいですね」
きれいな顔をした少年だった。凊やかな表情でキッパリと答えた。

 背の高い方の少年が、後から小さな声で言った。
「なあ、ナギ、やっぱりヒッチハイクは無謀だよ。なんかあったらどうするんだよ。電車やバスを使った方がいいって」

 千絵は、鞄から例のチラシを取り出して二人に見せた。
「ねえ、あなたたちもここヘ行こうとしているの?」

 二人は、驚いたようだった。それから頷いて、こちらの車線へと移動してきた。
「嘘みたいだ。さっきから二十台くらい、車が通ったんですが、みんな無視するか、全然違うところにしか行かないみたいで」

「そりゃ、そうだよ」
正志は頷いた。電車を乗り継ぐより、相当効率悪いだろう。

「俺たちは、今日、富良野経由で浦河へ行く。レンタカーにスペースはたっぷりある。君たちが、北海道を半周する遠回りが嫌じゃなかったら、乗ってもいいぞ。そこの二人も乗りかかった船で道連れになったんだ」

 二人の少年は、顔を見合わせた。
「遠回りかもしれないけれど、座っているだけで目的地に確実に辿りつける。こんな偶然は二度と起こらないよね、ミツル」
「そうだな、ナギ。この人もこのチラシを持っているからには、人さらいってこともなさそうだし」
二人は小さく話し合い、それから、こくんと頷いた。

「お願いします。ガソリン代とか、必要だったら言ってください。僕たち、お小遣いも持ってきていますから」
ナギの言葉に、正志は笑って手を振った。

「君たちのお小遣いをぶんどるほど悪どくないよ。それに、レンタカー代とガソリン代だけでなく、昨日の宿泊費用まで全部そっちの二人が払ってくれちゃったんだ。国王さまと伯爵殿らしいから、失礼がないように頼むよ」

 その言葉を聞いて、二人の少年は揃って目を見開いた。国王と伯爵? そのアイヌのコスプレをしたウルトラ奇妙な二人が?

* * *


 釧路から屈斜路湖までずっと平坦な道だったので、層雲峡を通るコースは変化が出るだろうと思っていた。確かに少しは変化があったが、それでも単調な道という印象は拭えない。東京の信号機だらけでイライラする道と較べれば天国のようなのだが、こうも直線コースだけだと少し眠たくなってくる。昨夜は楽しくて騒ぎすぎたし。

 その正志の疲れを察知したのか、層雲峡の手前で、千絵が運転を代わると言ってくれた。レオポルドも運転したがったが、無免許に決まっているので、もちろん断った。千絵の運転は、多少もたつくがひたすら直線コースでは特に問題はなかったし、第一ブレーキなどが丁寧で、ナギとミツルはむしろこっちの運転の方が嬉しいようだった。

 助手席に座った正志は、振り返ってレオポルドに話しかけた。
「ところで、陛下。さっき、ミツル君があのチラシを持っているって、なんでわかったんですか?」

「なんだって。そなたには見えていなかったのか?」
「えっ。あの距離で見えるわけないでしょう」
「そんな視力では、狩りの時に獲物が見えないではないか」
「か、狩り?」

 マックスが、にこやかに言った。
「あまり遠くを見ない生活をしている者たちは、視力が落ちるものなのですよ。例えば街の職人たちは、とても細かい作業は得意ですが、100フィート先の麦の数を正確に数えられなかったりします」
「そういうものなのか」

 正志は、マックスの方を向いて訊いた。
「ってことは、あなたもあの距離のチラシが見えたんですか?」
「ええ、もちろんです。私は、遍歴の教師でしたから、遠くを見る事が多かったのです。なるほど、ここの皆さんたちの視力は、街の職人たちのようなものなのですね」

「あの、お二人はどこから来たんですか?」
ミツルがおずおずと訊いた。
「先ほど、我々はグランドロン王国から来たと言わなかったか」

「ええと、聞きましたけれど……それ、どこですか?」
「知らぬのか。《シルヴア》の森に面している国だが」
「ごめんなさい。僕たち、世界地理はまだ中国までしか終わっていないんだ。二学期になったらヨーロッパの地理もやると思うけれど」

 正志は、俺はヨーロッパの地理も歴史もやったけれど、そんな国の事は憶えていないぞと心の中でつっこんだ。

 ミツルが、大人たちの会話に加わっている間、ナギの方は、少し熱っぽい様子で、会話には加わらずにじっとレオポルドの事を見つめていた。

「おお。千絵殿も『本氣』を出されたか」
突然、レオポルドが楽しそうに言った。

「なんですって?」
千絵と正志は、意味が分からずに同時に訊き返した。

「余は昨日、無理を言ってコトリの機械馬に乗せてもらったのだが、彼女が『本氣だしますよ』と加速した時にな、兜が浮いたような感じになったのだ。今は、全身がわずかに……」

「冗談はやめてください。私は法定速度を遵守しています」
千絵が困ったように言う。正志は、F1じゃないんだから、体が浮くほどスピードを日本国内で出せるかと頭を振った。

「ナギ!」
ミツルが咎めるような声を出したので、運転している千絵以外はナギを見た。彼は、はっとして、それから窓の外を眺めた。大人たちは、それからミツルの方を見たが、こちらは曖昧に笑って誤摩化した。わけがわからなかったが、正志は宣言した。
「とにかく、少なくともみんなちゃんとシートベルトを締めてくれ」

 そういっている間に、車は層雲峡を過ぎ、大雪高原へと入っていった。今朝ダメもとで電話してみたら運良く予約が取れたガーデンレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ」に到着したのだ。「大雪高原旭が丘」の施設の一つで、隣には大きなガーデンがいくつもあるが、今日は食事だけなので入園はしない。

 といっても、目の前に雄大な大雪山を眺める広く開放的なレストランでのランチコース。三方向に大きな窓があり、オープンキッチンで料理される宝石のように美しい料理の数々が運ばれてくる。北海道出身のオーナーシェフ三國氏が監修した、産地最高の食材を使った本格イタリアンだ。

 甘エビのカルパッチョにはグレープフルーツのピュレと、食べられる色鮮やかな花が踊るように添えられている。パスタは、黄色トマト、モツァレラチーズ、そして薫り高いバジル使ったオレキエッテ。メインの肉料理は道産牛のフィレンツェ風ステーキ。そしてドルチェがマンゴーソルベとアマレット酒のパンナコッタで甘いザバイオーネソースがかかっている黄金のような一品。

「どの料理も本当に美味しいですね。しかも色鮮やかで美しいときている」
マックスが幸せな笑顔を見せる。

「そなたたちは、毎日このように美味い物を食べているのか。不公平だ」
レオポルドがブツブツ言っているので、千絵と少年たちはくすくすと笑った。

「いや、毎日ここまで美味い物を食べているわけじゃありませんよ。東京じゃこうは行きません。北海道は海の幸も山の幸も新鮮で美味しい場所として有名なんです。ま、北海道以外にもそういうところはありますけれど」
正志がそういうと、マックスはため息をもらした。
「私たちのいるところは、どこへ行っても、それに最高の食材を集めても、ここまで美味しいものは食べられません。皆さんが羨ましい」

 食事が終わり、エスプレッソを飲んだ後、先を急ぐためにレストランを出る事になった。会計の時に、マックスが全て払おうとしたので千絵が抗議した。
「そんなに何もかも払っていただくわけにはいきません」

「いいではないか。この金は、我々の世界にはもって帰れないのだから、運転してくれているそなたたちのために遣って何が悪い」
レオポルドが言った。

 千絵は、少し躊躇したが、また口を開いた。
「正志君に、ここ北海道で食事をごちそうする一年前からの約束があるんです。一年前に、私の無理をきいて助けてくれたお礼なんです。ここで払わなかったら、また約束が果たせないわ」

 正志は、一年前の約束をすっかり忘れていたので驚いた。彼らが札幌の空港で出会い、なりゆきで富良野まで一緒にレンタカーで行くことになったあの二日間のあと、「北海道に再び行って海鮮丼をおごる事」を約束させたのだ。また逢ってもらう口実のつもりだった。

「あの約束は……」
千絵に言おうとした時に、レオポルドがそれを制した。

「では、なおさら、ここは余が払おう。二人でもう一度ここへ来る約束をするがいい。いや、何度でもここに来て、正志殿が助けてくれた事を想うがいい。正志殿も、その方が金を払ってもらうよりずっと嬉しいだろう」

 千絵は目を見開いた。その彼女に、ニコニコ笑ってマックスは、伝票を係員に渡した。彼女は、それから、ゆっくりと正志の方を振り返った。正志は、何も言わずに大きく頷いた。千絵も無言で微笑んだ。

「想い合うというのは、いいものだな、マックス」
レオポルドが話しかけると、マックスは「本当に」と答えた。

「なぜ余だけいつもチャンスがないのだ。昨日、コトリにほのめかした時にも、結婚したばかりだとあっさり袖にされた」
レオポルドが呟くと、マックスが大袈裟に振り向いた。
「陛下! ご結婚相手はきちんと選んでくださらないと困ります。貴賤結婚だけはやめてください」

「マックスさん、それは時代遅れだわ。コトリさんがとても素敵な方だってあなたも知っているじゃない。貴賤結婚だなんて」
千絵が憤慨した。正志は、憤慨まではしないが、マックスがそういう事を言うタイプだとは思わなかったので、少し驚いた。

 マックスは、少し慌てて弁明するように言った。
「千絵さん、違うのです。私は、世界のあらゆる人たちが、身分の差のある人と愛し合っても構わないし、心から応援するのです。ただお一人、この方を除いて。この方にそれをやられると、私に実害が及ぶんです」

「どういうことですか?」
千絵が少し表情を緩めて訊くと、レオポルドが笑いながら代わりに答えた。
「我々の慣例では、貴賤結婚をすると位の高いものはその地位を失うのだ。そして、余が国王でいられなくなると、現在のところ次期国王にされるのは、わが従弟であるこのフルーヴルーウー伯なのだ」

「伯爵になるのだって、不自由で嫌だったのに、国王なんてまっぴらですよ。絶対にやめてください」
マックスが真剣に抗議しているのがおかしくて、正志たちも双子の少年たちもくすくす笑った。

* * *


 コバルトブルーの水が、鏡のように静まり返っていた。美瑛の青い池。去年、富良野に行った時には存在を知らなかった。千絵がiPhoneの待ち受け画面として使っている画像が、この池の写真だと教えてくれたのは正志だった。

「じゃあ、次に北海道に行く時にはここに行ってみたいわ」
そんな風に話したのは、去年のクリスマスの少し前の事だっただろうか。

 今回の旅行を計画した時、正志に富良野の上田久美子に何かプレゼントを持っていきたいと提案したのは千絵だった。二人がつき合うきっかけになったのは、千絵が亡くなった患者から受け取った指輪のプレゼントを久美子に届けることがきっかけだった。けれど、そのついでに美瑛の青い池にも行きたいとは、千絵には言えなかった。

 札幌から、屈斜路湖へ行く。そして、ずっと南の浦河へも行く。楽しそうに計画を進めている正志に、寄り道をして富良野へ行ってもらう事だけでも、大きすぎる頼み事のように感じていた。

 ましてや、自分の遅刻が原因で、屈斜路湖から富良野経由で浦河へ行くなどという殺人的スケジュールになってしまった後は、「青い池」なんて口にするのも憚られた。けれども正志は、何も言わずに車を白金温泉の方へと向け、青い池の駐車場で停まった。

「わざわざ、ここに来てくれたのね」
「そりゃそうだよ。ほとんど通り道じゃないか。行きたいって言っていただろう?」
「ありがとう、正志君。なんてきれいな色なのかしら。信じられないわ」

 しばらく雨も降っていない晴天の夏の日。青い池を訪れるには最高のコンディションだった。次回また北海道に来るとしても、この素晴らしいブルーが見られるとは限らない。どれほど疲れていても、まるで何でもないかのように笑顔で、この瞬間をプレゼントしてくれた正志の優しさを、千絵は瞳に焼き付けようと思った。

「そなたは何をしているのだ」
正志と千絵は、レオポルドの声のする方を見た。そこには黒い服を着た若い女性がいて、かなり本格的な一眼レフカメラを構えて池を撮っていた。邪魔をされて振り向いた女性の顔に一瞬驚きが表れた。それはそうだろう。アイヌの民族衣装を身に着けた外国人が二人立っていたのだから。

「あらら。ちょっと助けにいってくるか……」
正志は苦笑いして、そちらへと向かった。千絵は、双子はどこにいるのかと周りを見回した。少し離れたところでやはり写真を撮っていたので、安心して正志の後を追った。

 女性は、想像した年齢よりもずっと若そうだった。遠目では、黒いスキニージーンズに、黒いカーディガン、そしてショートカットがボーイッシュなイメージを作っているのだが、大きな瞳とふっくらとした柔らかそうな頬はずっと少女のような可愛らしい印象を作る。大人の女性というよりは、滅多にいない美少女という感じが強い。だが、その唇から出た言葉は、正志たちをさらに驚かせた。
「May I help you?」

 かなりネイティヴに近いアメリカ英語の発音だった。外国人相手だと思ったので、わざわざ英語にしたのだろう。だが、レオポルドたちはお互いの顔を見た。

「どこの言葉だ?」
「アルビオン(ブリテン島の古名)から来た遍歴職人たちの言葉に似ていますね。若干、訛っているようですが」

 以前は、二人で話す時には彼らの言葉だったのに、日本語に慣れすぎたのか、いまでは二人の間の雑談まで日本語だ。
「我々に話しかけるのに、そんな辺境の言葉を遣うのか? ラテン語かギリシア語で返してみるか」
「どうでしょうか。遍歴職人たちはそのような言語は話せませんでしたが……」
「では、面倒を省くには、この酒を飲ませるのが一番早いかもしれんな」

 それを訊いて、正志は吹き出した。
「いや、たぶんその方は、お酒を飲まなくても日本語が話せると思いますよ、ちがいますか?」

 女性は、頷くと改めて言った。
「ええ。日本人ですから。でも、あの……日本語がわかるのに、英語、ご存じないんですか?」

 千絵は、にっこりと笑って言った。
「ちょっと特殊なところからいらしたお二人なんです。それで、現代文明のことなどはあまりご存じないみたいで。カメラも初めて見たんだと思います」

 思えば、いつの間にかこの妙な二人の事をいて当然みたいに受け入れてしまったけれど、よく考えたらありえないよなあ。正志は、考えた。でも、間違いなく昨日からずっと一緒にいるし、酒飲んで騒いだし、それにいっぱいおごってもらったもんな。こうやって、二人にはじめて出会う人が驚く度に、正志は自分がいかにこの二人に馴染んでしまっているかを思い知らされるのだった。おそらく千絵もそうなんだろう。

「これは、カメラと言って、いま観ている景色を記録する機械です。絵を描くのと違って、一瞬でできるんです。見てみますか?」
女性は、レオポルドとマックスの写真を一枚撮ると、ディスプレイを切り替えていま撮った画像を二人に見せた。

「なんと! これはすごい。今の一瞬で、この絵を?」
「なるほど、あちらこちらに置かれている絵が妙に写実的だと思っていたのですが、この機械で作成したのですね」

「あたし、春日綾乃って言います。アメリカのニューヨークに住んでいて、いま一時帰国中なんです。あなた方はどちらからいらしたのですか?」

「俺は、山口正志、こちらは白石千絵。東京から来ました。この二人とは屈斜路湖で知り合ったんですが……」
「我々はグランドロン王国から来たのだ。余は国王のレオポルド、こちらは従弟のフルーヴルーウー伯マクシミリアンだ」

 綾乃は、それはどこと言いたげに正志たちを見たが、カップルの肩のすくめ方と曖昧な笑顔を見て何かを理解したのか「そうですか」とだけ言った。

「綾乃さんはもしかして写真家? なんだかすごい機材を持っているわね」
千絵が訊く。綾乃はニッコリと笑った。
「カメラは趣味です。いずれ職業にする可能性もありますけれど。あたし、学生なんです。専攻は天体物理学で、ジャーナリズム・スクールにも通っています」

「て、天体物理学? アメリカで? す、すげっ」
正志が狼狽える。少女みたいだなんてとんでもない……。

「天体物理学とはなんだ」
レオポルドが正志の方を見て訊いた。

「あ~、星を見て研究する学問で……」
「ああ、占星術の事か。なかなか優秀なようだな」
絶対に占星術じゃない! 正志はそう思ったが、自分で説明するのは難しそうだったので、本人が訂正するのを待つ事にした。

「写真撮影が趣味なら、今日ここに来たのはラッキーだったわね」
千絵が言った。綾乃は、大きく頷いた。
「そうなんです。本当は、できるだけ早く札幌へ行って、夜行バスに乗らなくちゃいけないんですけれど、ここ数日のこの池の状態が最高のコンディションだって聴いたら、浦河に行くのが一日遅れてもしかたないって思えてしまって」

「浦河?!」
正志と千絵は同時に叫んだ。
「ええ、浦河です。ある牧場で働く事になっているんです。どうして?」

 千絵は、バックから例のチラシを取り出した。
「これのことじゃない? 私たち、実は、これから浦河へ行くの。あそこにいる二人の中学生も、今朝、やっぱり牧場に行くってわかって、一緒に連れて行くところなのよ」

 綾乃は、千絵の指す方向を見た。二人の少年が、こちらへと歩いてきていた。
「それは……すごい偶然ですね。みなさんは、どうやっていらっしゃるんですか?」
「俺たちは、レンタカーだ。でも、ミニバンだから、もう一人ならまだ乗れるよ。富良野で、一か所だけ寄るところはあるけれど、その後は浦河に直行する。札幌から夜行バスに乗るよりずっと楽だと思うけれど、よかったら、一緒に行くかい?」

 綾乃は、すぐに決断したようだった。
「ええ、ぜひお願いします!」

 正志は、レオポルドとマックスが嬉しそうな顔をするのを、目の端でとらえた。一方、千絵は、正志とミツル少年も嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。おかしくてクスクス笑った。

 綾乃がレンタルスクーターを美瑛で返却するのを待ってから、満席になった七人乗りのミニバンは、目的地へ向かって出発した。

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出てきた場所の情報です。

フラテッロ・ディ・ミクニ
大雪高原旭が丘
白金青い池

次は浦河到着後から書こうと思っています。ちなみにマックスにラウラという妻がいる事は、二人とも決して言いません。ナンパの旅ですからね(笑)話の最後に、ヘルマン大尉とヴェロニカも浦河へやってきますが、この二人の登場はおまけなので、どうぞお氣になさらずに。それより正志と千絵の話のオチはどうしよう。このままではヤマなしオチなしだ……。
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Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(1)

大海彩洋さん(のところの猫マコト)主催の「オリキャラのオフ会 in 北海道」第一弾です。
オリキャラのオフ会

今回のオフ会では、基本的に正志視点で事が進みます。というわけで、正志が目撃していないサキさんの書いてくださったお話の続き部分は、後日に(どんな形かはまだ考え中)発表する事になります。

前回のオフ会(in 松江)での、素晴らしい設定に敬意を表して、例の日本酒が再登場します。cambrouseさん、勝手に設定を増やしました。お許しください。


オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
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君との約束 — あの湖の青さのように(1)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」


「あれ。間違えたかな。こんな簡単な道なのに」
正志は首を傾げた。もう屈斜路湖が見えてきていいはずなのに、その氣配がない。ナビゲーターが引き返すように騒ぎだした。

「曲がり角、見落としちゃったのかしら。そろそろ暗くなってきたから。本当にごめんね。正志くん」
「だから、謝らなくていいってば。もともとの到着時間と大して変わっていないって」

 昼前には札幌千歳空港に着く便を予約していたので、ゆっくりと観光をしながら六時間以上かけて屈斜路湖までドライブするつもりだった。千絵が夜勤明けとは聞いていた。そんな疲れることをして大丈夫かと言ったら「飛行機で少し眠れば大丈夫」というので、そのスケジュールにしたのだ。ところが、急患でバタバタして、羽田発札幌行の搭乗時間に間に合わなくなってしまった。それで搭乗便を変更してもらい、夕方の釧路行になんとか乗り込むことが出来た。

 釧路からのドライブ時間はたったの一時間半ほど、途中で曲がるところはたったの二カ所。ナビケーターもついているのに道を間違うなんてみっともないな。正志は思ったが、千絵は飛行機に乗り遅れたせいだと謝ってばかりだ。
「でも……千歳空港に行けていたら慣れているセダンだったのに、釧路には七人乗りのミニバンしか残っていなかったし……もし、午前の飛行機に間に合っていれば……」

「だから、もう氣にするなよ。そもそも、後輩のパニックを放っておけなかったなんて、本当にお前らしい理由での遅刻じゃないか。疲れているはずなのに、ドライブ中も全然寝ないで、ずっと謝っているしさ」
「羽田の待合室で少し寝させてもらったたじゃない。せっかくの旅行のスタートがこんななのに、運転してくれる正志君の横で私がぐうぐう寝るなんて悪いわ」

「だからさ。そうやっていつも人のことばかり……うわぁっっ!」
正志は、ブレーキを強く踏み、車は急停車した。目の前を黄色っぽい塊が横切ったのだ。それは、慌てて道際の木立へと消えていった。

「い、今の……き、キツネだったよな?」
「……尻尾、ふわふわだったわね」
「う、ビビった~。轢かなくてよかったよ」
「本当にいるのね、キタキツネ。初日に見られるなんて思わなかったわ」
「おう。こういうラッキーもあるってことさ」

 二人は笑って、それから五月蝿いナビゲーターの言う事をきいて、もと来た道を戻りだした。それから、今度は間違えずに52号線に入り、屈斜路湖を目指した。

 二人が出会った北海道へもう一度一緒に行こう、その約束を果たしに来た。一年ぶりの北海道。二人がつき合って一年が経ったということになる。看護師である千絵の休みは不規則だから、週末ごとに逢えるわけではない。都内で清涼飲料水の営業をしている正志は残業や接待が多くて平日の夜に逢えることもあまりない。それでも、二人とも可能な限り機会を作り、逢える時間を大切にしてきた。

 人のことを氣遣うあまり、いつも自分のことを二の次にしている千絵のことを、正志は時々じれったく思い、もっと自分を優先しろと言うけれど、実のところ彼が千絵のことで一番氣にいっているのは、そういう多少過ぎたお人好しな部分だ。それと同時に、時おり心配になる部分でもある。看護師は彼女の天職であると同時に、患者も同僚もそのつもりはなくてもそんな彼女を消耗させてしまうだろうから。

 だから、「長い休みを取ると周りに迷惑をかける」という彼女を説得して、北海道旅行を企画したのだ。「約束だから」と強引に。ついでに、たまたま見つけた数日間牧場に滞在して働き、その仲間たちと帯広の花火大会を観に行くという企画にも申し込んだ。単純に観光して飲み食いしているだけより、二人で同じところで寝食を共にして働いたら、もっとお互いのことがわかるいいチャンスだと思ったから。千絵もそのアイデアを面白がってくれた。

 札幌から牧場のある浦河まで直行してもよかったのだが、せっかく休みを取ったので、一度行ってみたかった屈斜路湖で屈斜路コタンの文化に触れることにした。本当は、札幌からのドライブの途中に去年の旅の目的だった、富良野在住の女性を訪ねてお土産を渡すつもりだったのだが、ルートを変更したので、明日、一日で北海道を半周する500km近いドライブになるが、美瑛、富良野を通って浦河まで行くことにしている。

 半日遅れの北海道到着だったが、正志は半日無駄にしたとは思っていなかった。千絵が羽田に着いたらすぐに飛び立てるような都合のいい便には空きはなかったけれど、夕方のフライトを待つまでの間、二人でゆっくり食事をして、たくさん話もできた。待合室で椅子にもたれていたのが、いつの間にか彼の腕に額をもたれかけさせてきた千絵の寝顔を眺めたりしたのも、くすぐったいような嬉しい時間だった。そして、釧路からの一時間半のドライブも、青い空と目に鮮やかな沿道の緑、そして、どこまでも続く道を行くワクワクした心地が久しぶりでとても楽しかったのだ。

「お。あったぞ。あれが今晩の宿だ」
屈斜路湖畔に建てられた本物のアイヌ文化を楽しめるとうたっているプチホテルだ。アイヌ文様をインテリアに多用した客室や、アイヌの伝統に根ざす創作料理を出してくれたるだけでなく、ホテルのスタッフがアイヌ詞曲舞踊団に早変わりしてライブをしてくれることもあるらしい。

 車を停めた時に、正志は、横に停めてあった赤いDUCATI696をちらりと見た。イタリア車か。へえ。綺麗に乗っているな。持ち主はどんな人だろう。そんな事を考えつつ、荷物を持ってホテルへと入っていった。

 アイヌの民族衣装を身に着けた、笑顔の女性が迎え入れてくれた。チェックインがすむとやはりホッとする。なんだかんだいって長い一日だったからな。食事の前に風呂に入って、ゆっくりするか。

「屈斜路湖に面した混浴の露天風呂があるって聞いたんですけれど」
「コタンの湯ですね。ここからすぐのところです。もっとも今、やはりここにお泊りの外国の男性お二人が入っていますよ」
「あ~、俺たちは一緒に入ろうと思って水着を用意してきましたが、その二人は?」
「褌してますよ。外国の方は大抵そうなんですけれど、全裸は抵抗があるとおっしゃったので。さっき宿主が締めてあげました」
「そうですか」

 正志は千絵の方をちらっと見たが、クスッと笑っていたので大丈夫だろうと思った。よく考えたら、若い女性であっても、千絵は看護師で男性患者の世話などもするのだから、褌を締めた男を見るのくらいどうということはないのであろう。それよりも、外国人か。言葉は通じるのかな。正志は戸惑った。

「ところでどこの国の方なんでしょうか。英語ですか?」
「さあ。それが、妙に流暢に日本語を話されるんですよ。ですから、会話には困らないと思います。もっとも、少し変わったところのあるお二人ですけれどね」

「そうなんですか?」
「ええ。どうも、大変コンサバティヴな伝統のある国からいらしたみたいで、テレビやエアコンのことなどをご存じないようなんです。でも、いい方々だと思いますよ。それと、アイヌのモシリライブをどうしても観たいとおっしゃるので、八時半から開催するんですよ。追加料金はお二人が払ってくださいましたので、必要ございません。よかったらそのお時間にシアターにお越し下さいね」

 正志たちは部屋に荷物を置くと、宿の裏手の露天温泉風呂に向かった。

 脱衣室は男女に分かれている。風呂の半分までは大きな岩で区切られているが、その先は混浴だ。
 
 正志が入っていくと、確かに二人の先客がいた。一人は黒い長い髪をオールバックにしたがっちりとした男で、もう一人はもう少し背が低くて茶色くウェーブした肩までの髪の男だった。屈斜路湖の先に夕陽は沈んでしまったばかりのようで、わずかに残った薄紫の光が遠く対岸の稜線を浮かび上がらせていた。二人は、そちらを見ながら静かに外国語で話していた。

「おじゃまします」
正志が声を掛けると、二人は振り向いた。
「おお。遠慮はいらぬぞ。素晴らしい眺めが堪能できるいい湯だ」
髪の長い男が言った。妙に流暢だが、確かに変わった言葉遣いだ。正志は思った。

 茶色い髪の男の目が、岩の向こうから表れた千絵に釘付けになった。彼女の水着は水色花柄のホルターネックタイプで、ブラの部分の下に大きいフリルがあるし、ボトムスも花柄のフリルがミニスカートのように覆っているので、ごく普通のビキニと比較すると大した露出ではないのだが、二人が顔を見合わせてやたらと嬉しそうな顔をしたので、正志はムッとする以前に先ほどの宿の女性の言っていた「コンサバティヴな伝統の国から来た」という言葉を思い出しておかしくなった。当の千絵の方は、そんな風に見られて居心地が悪かったのか、すぐに湯の中に入ってしまった。

「同じ宿に泊まっていると聞きました。俺は山口正志。彼女は白石千絵といいます。東京から来ました。日本語がとてもお上手ですが、日本にお住まいなんですか」
正志が言うと、二人とも首を振った。

「我々はグランドロン王国から来たのだ。余は国王のレオポルド、こちらはフルーヴルーウー伯爵マクシミリアンだ」
「こ、国王と伯爵?」
そんな国あったっけ、そう思いながら正志は二人の顔を見たが冗談を言っているようにも見えなかった。

「そ、そうなんですか。日本語はどちらで習われたんですか」
「習ったわけじゃないんです。これのおかげで聴き取ったり話したりが出来るというだけで」
マックスが手元の瓢箪を持ち上げてみせた。

「なんですか、それは」
「日本酒だ。知らないのか。出入り口で売っているが」
レオポルドが上機嫌で言った。

「出入り口って?」
「時代や空間を超えて旅をする時に通る道の出入り口だ。《シルヴァ》という大きい森と繋がっているのだ。この世界の入り口ではこの酒を買うように奨められているぞ」

「なんて銘柄の日本酒ですか?」
正志の勤める会社は酒類も扱っているが、そんな日本酒があることは知らなかった。聞き捨てならない。

「cambrouse酒造の『年代記』だ。『るじつきー』『ぴるに』『じーくふりーと』と三種類あって、我々は一番値の張る『るじつきー』を買って飲んでいるので、このように話が出来るのだ」

「他の二つだと、どうなるんですか?」
千絵も興味を持ったようで訊いてきた。

 マックスがにこやかに答えた。
「相手の言っていることは、三つとも同じようにわかるのです。ただ、こちらの話す能力に差が出るらしいのです。『ぴるに』だと、どのようなことを話そうとしても、相手にはイーとしか聴こえないそうです」
なんだそりゃ。ショッカー仕様なのか? 正志は首を傾げた。

「もうひとつの『じーくふりーと』だと?」
「相手が返答に困るような爆弾発言を繰り返すそうだ」
レオポルドが答えた。正志と千絵は、顔を見合わせた。それは、まずい。

「それで、お二人は一番高いのを、お買いになったわけですね」
「そうだ。だが、『るじつきー』には現地の滞在費を十分まかなえる金額の小切手が一枚ついて来るのだ。だから結局はさほど高くないのさ」
「お国の通貨でお支払いになったんで?」

「通貨ではなくて、これで払いました」
マックスが、風呂の脇の岩の上に置いてある袋を開けてみせた。中には、大小様々の金塊が入っていた。

「! こ、これ、本物の金ですか?」
「ええ。かなり重いんですよ。あの小切手でもらえる紙幣が、あれほど軽くて価値があると知っていたら、こんなに持ってこなかったんですが」

「一体いくらの小切手だったんですか?」
「五百万円。適当な大きさの金塊がなかったので大きめので払ったら、おつり分も小切手に入れてくれたらしい。札幌に行った連れたちは歓楽街へ行くというので、三百万ほど渡して、残りを我々が持っているのだが、想定したよりも物価がずっと安くて、まだ全然使えていないのだ」

 風呂から出て、食事の時に二人と再会することを約束して部屋に向かう途中、正志たちは二人連れの女性とすれ違った。一人は、黒い髪をきれいにボブカットに切り揃えているボーイッシュなイメージでおそらく千絵と同年代、もう一人はもう少し若そうで、艶やかな長い髪をポニーテールにして赤いリボンをつけているミニスカートの可愛い女性だった。

 二人とも感じよく会釈をして、通り過ぎた。そして、向こうから歩いてくるレオポルドたちのことを見つけると、ポニーテールの女性が大きく手を振ってにこやかに訊いた。
「あ、デュランにマックス! お風呂はどうでしたか?」

 マックスは妙に嬉しそうに答えた。
「ええ。とてもいいお湯でしたよ。こちらの奥方も一緒に入ったのですよ。お二人もお入りになればよかったのに」

 ボブカットの女性は、素っけなく答えた。
「わたしたちは、宿の風呂に入りました。水着も持ってきていないし」

「そなたたちもフンドシを締めてもらえばいいではないか」
レオポルドが言うと、ポニーテールの女性だけでなく、会話を耳にしてしまった正志たちも吹き出した。

「そういうわけにはいきません。それにもうすぐに食事でしょう。ところで、その服、いつも着ているんですか?」
ボブカットの女性が指摘しているのは、レオポルドとマックスの着ている白い服のことだ。木綿でできたアイヌの民族衣装でカパラミプというのだと、当の二人に露天風呂を上がった後に更衣室で教えてもらった。切伏文様を施し刺繍もされている手のかかった服で、かなり高価だと思うが、なぜこの外国人二人が常に着ているのかわからない。

「我々の服装は目立つのでな。滞在国の民族衣装を着ていた方が少しは目立たぬであろう」
「いや、反対に、ものすごく目立ちますけれど」
正志が指摘したが、どうもこの二人は「目立つ」と言われると少し嬉しそうだった。結局、目立ちたいのか。

 こうやって、正志たちも二人の女性と和やかに話をすることができたので、食事は宿のスタッフに頼んで六人一つのテーブルにしてもらった。

「自己紹介がまだでしたね。俺は、山口正志、東京で営業職に就いています。こちらは白石千絵、看護師です」
正志が改めて挨拶をすると、女性二人も笑顔で握手をした。

「はじめまして。私は三厩彩香みんやま さやか です。でも、普段はコトリで通っています。神戸の『コンステレーション』というショップで店長をしています。こちらは友人で運送会社に勤めている佐々葉月さっさ はづき 、通称ダンゴです」

「ダンゴ? こんなにかわいいのに?」
千絵が驚くと、ダンゴはほんの少し顔を赤らめた。
「笹団子からの連想ですって。友達がつけてくれたんです」

 そのいい方とはにかみ方がとても可愛らしかったので、正志と千絵は「なるほど」と、思った。ただの「友達」ではないらしい。

「ダンゴってなんですか?」
マックスが、ニコニコと訊いた。コトリは、わずかに微笑んで、目の前のきびで作られた「シト」という団子を指差した。
「これよ。こういう丸くて素朴なお菓子のこと」

「ほう。ということは、これもダンゴみたいなものだな。見かけは素朴だが、なかなか美味いもので、病みつきになってしまったのだ」
その言葉に横を見ると、レオポルドが部屋にあったジャガイモを発酵させたポッチェを持ち込んで食べていた。これから食事なのに、なぜそれをいま食べる……。正志は苦笑した。

「ところで、ダンゴさんたちは、なぜこの人の事をデュランって呼ぶんですか?」
正志はレオポルドを指差した。
「え? だって、そう自己紹介されましたよ。違うんですか?」

「違わないぞ。どちらも余の本当の名前だ。正式に全部名乗ると長いが、聴きたいか?」
「陛下、やめてください。聞き終わるまでに夜が明けます」
マックスがやんわりと制し、それからにこやかに続けた。

「城下に忍びで出かける時に、レオポルドと名乗られるとすぐに陛下だとわかっちゃうんですよ。それで、子供の頃から忍びのときはデュランと名乗られるのを常にしておられるのです。ちなみに、私はマックスという名前だと思って育ちましたので、親しい者の間では普段からマックスです」
「じゃあ、何故、我々には忍びのお名前をつかわなかったんですか?」

「先ほどまでデュランとマックスで通していたんだが、だんだんと民のフリをするのも面倒になってきてな。どっちにしても我々の事を知っている人間はここには居ない事がわかったしな」
「私も、陛下に対して敬語を使わず話すのに疲れてしまったんで、もう忍びはやめようかと、さっきお風呂の中で二人で話し合ったのですよ」

「ええ~。じゃ、私たちも陛下と伯爵って呼ばなくちゃダメ?」
ダンゴが可愛らしく口を尖らせる。
「そんな必要はありません。さっきまでと同じようにマックスと呼んでください」
「余の事もデュランでいいぞ」

「じゃ、そう呼びますね。コトリもそうするでしょ?」
「今さら変えるのも変だしね」
そのコトリの言葉を聞くと、レオポルドは若干嬉しそうだった。

 料理が次々と運ばれてきた。エゾウグイ、アイヌ語名「パリモモ(口笛を吹く魚)」の活造りは、淡白だが甘味があり口の中でとろけるよう。それに凍らせた刺身「ルイペ(溶けた食べ物)」、ヒメマスの塩焼きなど屈斜路湖の幸が続く。行者ニンニクと豚を濃い味のたれでからめて作った「コタン丼」、おそらく肉と野菜のたっぷり入った味噌汁「カムオハウ」も美味しかった。菱の実「ペカンペ」を利用した和え物、味が濃くて美味しい舞茸、オオウバユリ「トゥレプ」を用いた粥「サヨ」など、日本人である正志たちもはじめてのアイヌ料理の美味さに六人ともしばし無言となった。

「ところで、お忍び旅の目的は?」
千絵が、酒をつぎながらマックスに訊いた。

「休暇です。しばらくきつい仕事をしていまして、それが無事に完了したので、打ち上げみたいなものでしょうか。みなさんは?」
マックスが訊き返すと、千絵はバックから一枚のチラシを取り出した。

「私たちはね、明日からここで働くのよ。たった数日間だけれど、自然と触れあいつつ、美味しいものを食べて、最後に花火を見せてくれるっていう、面白いツアーを見つけたの」

「オリキャラのオフ会 in 北海道」ちらし by 彩洋さん

 すると、コトリとダンゴがびっくりして立ち上がった。
「ええっ。千絵さんたちも? 私たちも、その牧場に行く予定になっているの」

「なんだって。そりゃ、面白い偶然だな。じゃあ、明日からもしばらく一緒だな」
正志が言い、四人はしばらく盛り上がった。

 レオポルドはマックスと、しばらく何か異国の言葉で話していたが、やがて言った。
「面白そうなので、我々も同行してもいいだろうか」

「え? いらっしゃいます? だったら、申し込まないと。今、電話して訊いてみますね」
千絵が、電話するその横で、正志はコトリたちと明日のルートについて話していた。

「うん、わかっている。無謀なんだけれど、今日寄れなかった富良野に行かなくちゃいけないんで、朝一で国道39号線を通って一日ドライブすることになっているんだ」
「それは、ちょっと大変ですね。私たちは、バイクですし、そんな無理は利かないので、直行します。向こうでお逢いしましょう」

「あ。表のDUCATI、君のなんだ! すごいな。その華奢な体で、あれに乗っちゃうんだ」
「あ、でも車体は161キロで軽い方なんですよ。燃料やオイルを入れても200Kgいかないはずです。アルミフレームも使っていますしね。かなり扱いやすいです」
「へえ。たしか80馬力くらいあったよね」
「ええ。加速は胸がすくようですよ。正志さんもバイクに乗るんですか?」
「昔ね。最後のはKawasaki Ninja 650R。マンション買うときに手放した。でも、いずれまた乗るかもね」

 千絵は電話を切ると、にっこりと笑った。
「アイヌ文化に興味のある外国のゲストって言ったら、大歓迎ですって。明日、一緒に行きましょうね」

 六人は、明日以降も続く親交と共同作業を喜んで、再び乾杯をした。食事の後には、スタッフたちがエンターテーナーに早変わりして、モシリ・ライブを開催してくれた。心の触れあう、縄文の精神をテーマにしたアイヌの舞台は圧倒的だった。

 その興奮が醒めやらぬまま、六人はレオポルドたちの泊っている豪華な特別室「アイヌルーム」へ移動し、夜更けまで楽しく飲んで親交を深めた。

(続く)

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Posted by 八少女 夕

【小説】君を知ろう、日本を知ろう

60,000Hit記念掌編の第三弾です。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、最後の今回は、けいさん、山西左紀さんからのリクエストにお応えします。

お題:「『八少女 夕』に密着取材!」
キャラ:複数ブログからの複数キャラ
(けいさん)


さて60000HIT企画のお題ですが、気遣い無用とのことですので「そばめし」でどうでしょうか?
そしてキャラはサキの作品から夕さんの気になる人物をお貸しします。
誰でもいいですよ(複数可)。
(サキさん)


けいさんのお題にお応えするために、こちらのキャラはヤオトメ・ユウ&クリストフ・ヒルシュベルガー教授です。正確にはヤオトメ・ユウと私はイコールではないのですが、違っているところには注釈をつけました。

密着取材ということ、それに複数のブログから複数のキャラというご指定なので、TOM-Fさんちのジャーナリスト、それから、けいさんもよくご存知の大海彩洋さんにもご協力をいただき、それにサキさんのキャラにも絡んでいただいてコラボにしました。

けいさんの「夢叶」からロジャー、TOM-Fさんの「天文部」シリーズからジョセフ(名前のみのご登場)、彩洋さんの「真シリーズ」から龍泉寺の住職。そして左紀さんの「絵夢の素敵な日常 」から榛名(すべて敬意を持って敬称略)をお借りしています。けいさんが「ロジャーの苗字、つけてもいいよ」おっしゃってくださったので、遠慮なくつけちゃいました。けいさん、お氣に召さなかったらおっしゃってくださいね。

ウルトラ長くなってしまったので、前後編にわけるつもりでしたが、「オリキャラのオフ会」作品もどんどん伸びて、このままでは新連載が始められないので、この作品は14500字相当、まとめてアップする事になりました。はじめにお詫びしておきます。


【参考】
教授の羨む優雅な午後
ヨコハマの奇妙な午後
パリ、イス、ウィーン、ニライカナイ、北海道、そして





君を知ろう、日本を知ろう

 ううむ。これは、よくない事の前触れじゃないかしら。ユウは、嫌な予感に身を震わせた。バーゼルでの学会が滞りなく終了したら、久しぶりの休暇。その足で日本へと旅立つつもりだった。もちろん、一人で。日本に全く興味がない夫は既に南アフリカへと旅立っていたので、これからの三週間は誰にも邪魔されずに、ホームランド・ジャパンを満喫するはずだった……。

「それは、実に面白い偶然だね。フラウ・ヤオトメ」
立派な口髭をほころばせて、威厳たっぷりに微笑むのは、他でもないユウの上司、クリストフ・ヒルシュベルガー教授だ。上質のツイード・ジャケットをきちんと着て、完璧な振舞いと威厳ある態度を示すので、はじめて逢う人間は厳格な紳士だという印象を持つ。第一印象がいつも正しいとは限らない。

「私の休暇の行き先も、やはり日本でね。君の通訳やオーガナイズは、決して満点をあげられるものではないが、少なくとも私の好みをよくわかった上で手配を任せられるという意味では、これ以上のガイドはいないからね」
「お言葉ですが、先生。いったい私がいつ、休暇を先生のガイドとしてのボランティアに使うと申し上げたんでしょうか」

「まあまあ、いいではないか。前回のように、君一人ではとても泊れないホテルへのアップグレードや、日本ならではの最高級料理店に、私の財布であちこち行けるのは、悪い話ではないだろう」
「う……」

 そう言われてしまうと、ぐうの音もでない。それに、断ってもどうせ引っ付いて来るのだ。こちらにも大した用事はないので、つきあって日本のグルメと、こぎれいなビジネスホテルのシングルルームを堪能できる方がいい。

 その誘惑にうっかり負けてしまったので、ユウはヒルシュベルガー教授と並んでチューリヒ経由日本行きの飛行機に乗る事になった。

「この機内食には、まったくもって我慢がならん」
ヒルシュベルガー教授は、そういいながらもワインを二杯お替わりし、ソースのあまりかかっていないチキンだけでなくカラカラに乾いた米まで平らげた。

「なぜパンを食べないんだね」
「前に一度、申し上げたでしょう。私は主食の炭水化物を二つ重ねて食べるのはあまり好きではないんです。私だけでなく、多くの日本人がそうだと思うんですけれど。お米がついているのにパンは不要でしょう」

「だったら、私が」
そういうと教授は、ユウの返事も聞かずに彼女のトレーからパンとバターを取って食べはじめた。

 ユウを挟んで教授と反対側、つまり窓側に座っていた青年が、身を乗り出してきた。
「失礼ですが、あなたは日本人で、しかもドイツ語がお話になれるのですね」

 ユウは「はい」と答えて、その青年を見つめた。スイス方言のドイツ語を話した青年は、人懐こい微笑みを見せた。茶色い髪がドライヤーをあてているかのように綺麗になびき、ヘーゼルナッツ色の瞳が輝いていた。

「僕はバーゼルの新聞社に勤めているもので、ロジャー・カパウル(Roger Capaul)と言います。実は、ニューヨークのとある有名なジャーナリズムスクールの夏期講習に参加して、インタビューの具体的手法の実習中なんですよ。それでその講師が僕に課したレポートのテーマが『日本人への密着取材を通して日本という国を知る』なんです。たまたまこれから東京へ仕事で行き、その後に自分の休暇を利用して旅行をするつもりなので、向こうに行ってからどなたかに頼もうかと思っていたんです。が、つい先ほど待合室で会った人に、現地の日本人はあまり外国語を話したがらないと言われまして」

 ユウは頷いた。外国語を話したがる日本人はいないわけではないだろうが、知らない外国人に「密着取材をさせてくれ」と言われて快諾する人はあまりいないだろう。いたとしても若干厄介なタイプである可能性が高い。

「あまり賢いメソッドとは言えませんね。バーゼルでお知り合いをつてに探して頼む方が早いと思いますけれど」
「僕もそう思いましたが、実は時間切れ間近でして。それで、もしご迷惑でなければ、このフライトの間だけでも、ご協力をいただけたらと……」

 ユウは戸惑って、ヒルシュベルガー教授を見た。彼は、しっかり話は聴いていたが、まだ口を挟むときではない思っているらしく知らんぷりをしていた。

 その時に、近くをフライトアテンダントが通りかかり「お飲物はいかがですか」とにこやかに聞いた。ロジャーは素早く言った。
「有料でも構わないのですが、普通よりもいい赤ワインなどはありますか?」
「ございます。2005年のボルドーで、先ほどファーストクラスのお客様のためにあけた特別なものがまだ半分ほど……」
「では、それをこちらのお二人分も含めて、三人分お願いします。クレジットカードは使えますよね」

 その言葉を耳にした途端、ヒルシュベルガー教授は厳かにユウに宣言した。
「フラウ・ヤオトメ。先日、君はたしか日本では袖がこすれるとどうこうと、私に言っていたように思うが」

 ユウは、ヒルシュベルガー教授がロジャーの懐柔作戦にあっさりと乗った事を感じて、軽蔑の眼を向けながら答えた。
「『袖触れあうも他生の縁』です。わかりました。協力すればいいんでしょう。ったく」

 ロジャーは、作戦の成功が嬉しかったのか、にっこりとした。

 ユウはロジャーの方に向かって口を開いた。
「まずは自己紹介しますね。私は、ヤオトメ・ユウと言います。東京出身の日本人で、14年前から夫の住むカンポ・ルドゥンツ村(注1)に住んでいます。職業は、ここにいるクリストフ・ヒルシュベルガー教授の秘書(注2)、それからサイドワークとして小説を書いています(注3)
「ほう。小説ですか。ドイツ語で、それとも日本語で?」
「日本語のみです。半分趣味みたいなものですが、私のライフワークです」

「今回の日本行きもお仕事ですか?」
「いいえ、ただの休暇です。ボスがついてきてしまったのは予想外だったのですが」
ユウの嫌味など、全く意に介さない様子で、滅多に飲めないヴィンテージのボルドーをグラスで堪能しながら教授は威厳ある態度で頷いた。

 ロジャーは、手元のタブレットに繋げたBluetoothキーボードを華麗に叩いて内容を打ち込んでいく。
「そうですか。では、東京以外にもいらっしゃるのですか?」
「京都と神戸に行くのだ」
教授が即答したので、そんな予定のなかったユウはムッとして雇い主、もとい『休暇の予備のお財布』を睨んだ。

「あの、それでしたら、その時の往復の電車だけでも同行させていただけませんか。道中に目にするものと、あなたのご意見を通して、日本を知る事が出来そうに思うんですが」
ユウは、ひっついてくる輩は一人でも二人でもさほど変わらないと思った。教授がまた口を開いた。
「道中一緒なら、どうせなら向こうでも一緒に廻ったらどうかね。私は構わんが」

 ユウは、いったい誰の休暇で、誰の旅行なんだと思いつつ、諦めて同意した。絶対にどちらかに神戸牛をおごらせてやる。それに、大吟醸酒も飲むからね。

 それから、不意に氣になり、ロジャーに訊いた。
「ところで、あなたにその課題を出した、ジャーナリズムスクールの講師、なぜ日本のことを?」

 ロジャーは、肩をすくめた。
「何故かは、僕にもわかりません。彼には教え子の日本人がいて、よく彼女をジュネーヴに派遣したりしているんですよ。その関係でスイス人の僕には、日本の事でもと思ったのかな。もっとも、彼女に密着取材するなんて手っ取り早い方法はダメだって、最初に釘を刺されましたけれどね」

 ユウは、どぎまぎした。どう考えても、その講師というのは……。
「う……。もしかして、その方、ニューヨーク在住で、お名前はクロンカイト氏……なんてことは……」
「ご存知なんですか? それは奇遇だ。こんど彼がスイスに来る時には、ぜひご一緒に……」
「い、いや。その、知り合いってわけではなくて。その、いろいろとあって、彼には大変申し訳のない事をした事があって……その禊がまだ済んでいないのよね……」

 教授は口髭をゆがめて笑った。
「悪い事は出来ないね、フラウ・ヤオトメ」

 だが、ロジャーは、別のことに食いついてきた。
「ミソギって、なんですか?」

 ユウはぎょっとした。
「え? ああ、これも日本独特の思想と観念に基づいた言葉よね。もともとはね、日本固有の宗教である神道で、宗教行事の前に清らかな水で体を洗って綺麗にすることを禊っていうの。でも、それから転じて、一度罪を犯したり、失敗をしたり、醜態を晒しても、それを自ら認めてお詫びや償いをすることで『水に流して』もらって、再びまっさらな罪悪感のない状態で社会や被害を受けた人の前に出られるようになることを『禊を済ませる』って、言うのよね」

「シントー……なるほど」
彼のタブレットには、また大量の文字が打ち込まれていった。ユウはその手元の向こう、窓の外に広がっている、何時間も続くロシアの大地を眺めつつ、どんな旅になるのだろうかと考えた。

* * *


 新幹線の中で、ロジャーが歓声を上げたのは、やはり向かい合わせになる三人掛け椅子だった。もちろんその前には、二列になって礼儀正しく待つ乗客たちの正に真ん前でドアを開き、秒単位の正確さで次々と出発する、スーパーエクスプレス新幹線に大袈裟な感嘆の声を上げた。

「いま君は、典型的な『はじめて日本に来た観光客』になっているぞ」
ヒルシュベルガー教授が、三度目の来日らしい余裕で笑ったが、ロジャーの興奮はまだおさまっていなかった。やたらと写真は撮っているが、どうやら被写体として魅力的なのは密着取材相手よりも日本の驚異の方らしく、はじめの頃に較べるとユウと教授の映っている写真はめっきりと減っているのだった。

「それで、お仕事の方は無事に終わったの?」
成田で一度別れてから、三日後の今朝、JR品川駅の新幹線改札口で再びロジャーと合流したのだ。

「ええ、おかげさまで。とある国際会議の取材だったんですが、昨夜、会社に原稿と写真を送りました。ほら、これですよ」
そう言って、タブレットでインターネット版の記事を見せてくれた。へえ、もう記事になっているんだ。あ、本当だ、名前が一番下に書いてある。へえ~、かっこいい。

「ですから、今日からは、楽しい休暇です。まあ、密着取材はしますけれど、せっかくだから日本を楽しみたいなって」
「そう。じゃあ、ここでは、何から話せばいい……」
「ああ~!」

 突然、ロジャーが大声を上げたので、ユウと教授は面食らった。が、すぐに理由がわかった。日本晴れの真っ青な空の下、車窓に富士山が見えていたのだ。

 ロジャーだけでなく、同じ車内にいた外国人たちは揃って、富士山の見える窓の方に駆け寄り、カメラを向けた。それを見て、日本人乗客たちは微笑みつつ、それぞれがスマートフォンを取り出してやはり写真を撮っていた。もちろんユウも一枚撮った。
「なんて雄大で素晴らしい姿なんだろう! それも、こうやって新幹線の中から簡単に見られるなんて!」

 チューリヒからジュネーヴへ向かう特急からマッターホルンやユングフラウヨッホがついでのように見える事はない。ロジャーが旅をしたオーストラリアでも、エアーズロックことウルルに一番近い主要都市アリススプリングスまでは500キロあった。とても旅の途中に見る事の出来るものではなかった。

「冬の晴天だと、場所によっては東京からでも見えるのよ」
「ええっ。そうなんですか」

 ロジャーが富士山の勇姿に興奮しているのとは対照的に、教授の方は、品川駅で一つに絞りきれずに三つ購入した駅弁の内、シュウマイ弁当にとりかかっていた。

「ところで、君のお父さんはグラウビュンデンの出身でフランス語圏で暮らしているのか? 珍しいな」
箸を休めることのないまま、教授はロジャーに話しかけた。

「ええ、その通りです。さすがですね」
ロジャーがそう答えたので、ユウは驚いて教授に訊いた。
「どうしてわかったんですか?」

「カパウルは典型的なロマンシュ語の苗字だからね。それなのにドイツ語の発音はロマンシュ語よりもフランス語訛りの方が強い。つまり、彼はフランス語圏で育ったと簡単に推測できるんだ」

 ユウは感心した。スイスの言語事情というのは、なかなか複雑だ。公用語が四つあるが、誰もがすべてを理解できるわけではない。バーゼルはドイツ語圏だが、フランスとも国境を接している。英語、ドイツ語、フランス語を流暢に扱い、さらにはネイティヴでない限りは話せないロマンシュ語まで話せるスイス人というのは滅多にいないので、新聞社に勤めるにあたってロジャーは実に有利だろうと思った。

 それに、この人なつこい笑顔もまた大きな武器になるだろう。ユウも、彼の与えられた課題にそこまで協力する必要はないだろうと思いつつ、この笑顔で質問されると、ついつい何でも答えたくなってしまう。

 今日も既に、いろいろと聞き出されていた。
「そもそも、どうしてスイスに来ることになったんですか? スイスがお好きだったんですか?」

「いいえ、全然。スイスは、東京よりも寒そうだったから、全く興味がなかったのよね」
「じゃあ、どうして?」
「あ~、私、一人でアフリカ旅行をしたことがあるの。その時にたまたまスイス人の夫と知り合って。彼は日本には全く興味のないタイプでね。そういう人が日本に住むのは大変だし、仕事もないでしょ。だから、私がスイスに来るしかなかったわけ」

「アフリカ一人旅ですか。それまた思い切ったことをなさいましたね」
「まあね。大学で東洋史の専攻でエジプトやセネガルの民間伝承をちょっと齧ったりしたんで、その延長で」

「日本が恋しくなりませんか」
「う~ん。あまりならないですね」
「それはどうして? スイスの生活の方が合っているんですか」
「そうね。スイスの生活は嫌ではないわ。私、人に合わせるのがちょっと苦手なの。日本って国では、周りと合わせることはとても大切なのよね。もっとも、それが日本が恋しくならない理由ではないけれど」

「では、どんな理由があるのですか」
「日本のもの、情報が簡単に手に入るし、帰国するのもそんなに難しくないからかしら。私の曾々祖母は、ドイツ人で明治の初期に日本にお嫁に行ったのだけれど、生涯祖国に帰れなかったし、インターネットもテレビもなかったのよね。彼女に較べると、私はずっとお手軽な時代に異国に嫁いだと思うの」
「なるほどね」

 そうやって、ロジャーの質問に答えている間に、教授は「幕の内弁当東海道」と「ヒレカツ弁当」も綺麗に平らげて、きちんと身支度を済ませてから、スイス製高級腕時計を眺めて厳かに宣言した。
「そろそろ京都につく頃だな」

 既に、新幹線には二度乗っている教授は、新幹線の発着がスイス時計と同じくらい正確であることをさりげなくロジャーに示したのだ。
「え。もう? 500キロの距離をこの短時間で?」
「それが新幹線なのよ」
ユウは少しだけ自慢したくなった。

 京都駅に着くと、教授は「約束の時間には、十分間に合いそうだ」と言った。
「約束の時間って、なんの?」
ロジャーが訊く。
「お昼ご飯っていう意味よ」
ユウが囁く。駅弁を三つ食べたあとなのに? ロジャーの顔に表れた疑問は、二人には黙殺された。

 連れて行かれた先は、龍泉寺。お寺だ。レストランに行くんじゃないのか? ロジャーは首を傾げた。

 入口で作務衣を来た若者に、ユウが約束があることを告げると、「伺っております」と言って奥へと消えた。そして、すぐに小柄な老僧侶が出てきた。黒い着物に紫の袈裟を身につけている。白い眉毛が長く、目が細いので、ロジャーは昔みた香港映画の仙人を思い出した。もちろん仙人と違って、その老人はワイヤーワークでいきなり空を飛んだりはしないようだったが。

「ようこそおいでくださった。おひさしぶりでございますな、ヒルシュベルガー先生。それに八少女さんも」

 深々とお辞儀をすると、ユウは教授に住職の言葉を訳した。教授は、礼儀正しく彼に手を差し伸べた。
「ご無沙汰いたしております。チューリヒでのワークショップで素晴らしい講演をしていただいて以来ですね。またお目にかかれてこれほど嬉しいことはありません。いつかこちらへお邪魔させていただくという約束をようやく果たせました」

 ユウは、教授の言葉を訳した後に、続けてロジャーを示して言った。
「ご紹介させてください。こちらは、バーゼルで新聞記者をなさっているロジャー・カパウルさんです。休暇を利用して、私に密着取材をしながら、日本という国を知ろうとなさっているのです。私のような日本にも外国にも属さないコウモリのような日本人を取材しているだけでは、日本の本質からはほど遠いので、ぜひ和尚さまから禅を通して日本のことをお教え頂けないかと思い連れてまいりました」

 ユウの言葉に、和尚は細い目をさらに細めて笑った。
「ほ、ほ、ほ。仏の道には日本も外国もございません。禅の教えは誰もが知っている至極簡単なものでございます。己の内と向き合い、まっさらな心で、穏やかに生きる。たとえば、そろそろお昼で、お腹がすきましたでしょう。どうぞお上がりください」

 ユウに訳されて、ヒルシュベルガー教授は、至極もっともだと言わんばかりに頷いた。ロジャーは、老僧の言葉に既に深い感銘を憶えたようで、目が輝いていた。

「はい。お邪魔いたします」
住職に案内されて三人は、奥の広間に向かった。そこは天井に見事な龍が描かれいる書院造の間で、四人分の膳が用意されていた。ロジャーは、キョロキョロと珍しそうに見回していたが、教授はわずかに咳払いをしてさっさと座るように促した。

 始終にこやかな住職は、言った。
「難しいことはございません。一度の食事をすることでも、禅と日本に受け継がれてきた心のあり方を知ることが出来ましょう。本日は、私どもが通常食べる、飯、汁、香菜、平、膳皿、坪の一汁三菜に加えて、もてなしの心を込めて、猪口、中皿、箸洗代わり、麺を加えた二汁五菜の献立を用意させていただきました」

 既にユウは全てを訳すことが出来なくなって適度に端折っているが、訳せたとしてもロジャーには全て憶えられたとは思えないのでいいことにした。

「これは美味しい。ベジタリアン料理というのがこれほど美味しいものだとは思いませんでした」
教授は感嘆した。

「そう。精進料理は、誤解されています。修行のために、美味しいものを諦めて不味さを我慢する食事というように。しかし、その考え方は禅の教えとはかけ離れています。いま目の前にある食材に手間をかけ、その持ち味を活かすように心を込めて調理する。そして、一度しかないこの食事に感謝しながらいただく。不味くなどなるはずがないのです」

「この胡麻和えも美味しいですね。胡桃に、胡瓜、椎茸、さくらんぼ、それにキウイも入っているんですね」
ユウの言葉に住職は頷く。

和敬清寂わけいせいじゃく という言葉がございます。和え物とは二つ以上の素材を合わせて作る調理法ですが、それぞれの個性を生かしつつ互いの味を引き立て合うことが最も大切なのです。日本でとても大切とされる『和』というのは、お互いを敬い引き立て合うことです。それは、誰かが他の誰か一人のために我慢することではなく、それぞれが敬い合い、お互いのよさを引き立て合うことです。古来日本にはなかった食材も、その性格を活かして和えることで他の食材の新しい美味しさを生むことが出来るのです。私どもの寺の典座てんぞ は、なかなかに冒険が好きでしての、こうして驚くような組み合わせで新しい味を作ってくれるのですよ」

「これは……プリンみたいですね」
でも、甘くない? ロジャーが首を傾げる。

「これは胡麻豆腐です。炒り胡麻、水、片栗粉で作ります。材料はこれだけですが、胡麻をここまで滑らかにするまでに半刻ほどかかります。雑念を捨て、一心に胡麻をすりあげる調理方法が禅の考えそのものと通じるので『精進料理の華』と呼ばれています。だし醤油、木の芽、わさびと味付けもシンプルですが、その僅かな香りと辛みが持ち味を活かしておりますでしょう」

 香りの高い枝豆入り梅おこわ、夏野菜の天麩羅、ご汁風けんちん、メカブの酢の物、手打ちの蕎麦など、どれも美味しくて飽きがこなかった。肉が大好きな教授も、ジャパンな舞台に圧倒されているロジャーもその食事に夢中になった。

威儀即仏法いぎそくぶっぽう  作法是宗旨さほうこれしゅうし ともうしましての。料理をすること、食事をすること、起きて身支度をしてから、夜に就寝をするまでの全ての身支度や立ち居振る舞いそのものが、仏様の教えを広めることにほかならないという意味でございます。仕事が忙しいから、他にやることがあるからと、生活を乱すようなことはせずに、きちんと生きることがとても大切だということです」

「そう。食事を大切にすることは、禅の心に適っているということだな」
厳かにヒルシュベルガー教授が宣言する。ユウは、まあ、そういわれればそうだけれど、あなたの場合は少し極端では……と思ったが、この素晴らしい精進料理と住職の禅の手ほどきを受けて感動の渦の中にいるロジャーのためにも、この場では黙っておこうと思った。

 素晴らしいもてなしと、禅の心に感動し、すっかりお腹もいっぱいになったので、礼を言って退出しようとしたが、三人とも足がしびれて立てなくなるというみっともない経験をすることになった。給仕をしてくれた、あの作務衣の修行僧が、必死で笑いを堪えていた。

* * *


 神戸で、三人を待っていてくれるのは、黒磯榛名という青年らしかった。

「どうやって、そうやって次から次へと日本在住の日本人と知り合いになるんですか?」
ユウが訊くと、ヒルシュベルガー教授は澄まして答えた。
「昔、香港で仲良くなった友人の子息だよ。友人はヴィンデミアトリックス家の執事をしていてね。今日は残念ながら時間が取れないので、かわりにハルナ君が迎えにきてくれて案内もしてくれるというんだ。悪い話じゃないだろう?」

「え? ヴィンデミアトリックス家って、あの有名な?」
ロジャーがぎょっとした。

「知っているの?」
ユウが訊くと、ロジャーはもちろんと言わんばかりに頷いた。

「というわけで、明日はおそらくヴィンデミアトリックス家も認める最高の味のレストランで神戸ビーフを食べることになるから、今日は対極な庶民の味に案内してもらうことになっているのだ」
教授が真面目な顔で言う。

 また食べ物の話か。ユウは思ったが聞き流した。ここ数日の間で、彼の行動パターンを理解したロジャーもあっさりと受け流した。

 京都での二泊旅行を堪能した後、三人は再び新幹線に乗って新神戸へと向かった。京都駅からわずか30分、京都駅に較べると簡素な印象の駅だが、新幹線の発着のためだけの駅なのでホームも上りと下りの二つだけであっさりしているのも当然だった。駅に直結しているホテルに泊る事になっているので、荷物を持たずに神戸の街に行けるのもありがたかった。

 無事にチェックインをしてひと息ついた後に、ユウの部屋にフロントから電話があり、黒磯青年がやってきたことがわかった。ユウは、教授とロジャーの部屋に電話をして、エレベータの前で待ち合わせをし、一緒にフロントへと降りて行った。

 フロントで待っていたのは、手足が長くすらっとした細身の青年だった。少し長めの黒髪、とても白い肌、そして大きな瞳が印象的だ。
「はじめまして。ようこそ、神戸へ。黒磯榛名です」

「お忙しいのに、ありがとうございます。八少女 夕です。こちらが、クリストフ・ヒルシュベルガー教授。そして、バーゼル在住の新聞記者で、ロジャー・カパウルさんです。今日は、どうぞよろしくお願いします。榛名さんは、ネイティヴではない外国人の話す英語はわかりますか?」
「簡単な英語でしたら。難しくなったら通訳をお願いできますか」
「わかりました。というわけで、これからはドイツ語じゃなくて、英語でよろしくお願いします」
ユウは二人のスイス人に宣言した。

 二人のドイツ語を日本語に訳しつつ、日本語をドイツ語に訳すのは大変なのだ。日本人は、スイス人の話すぐらいの英語は大抵聴き取れるので、スイス人に英語で話してもらえれば、日本人が上手く表現できない言葉を英語やドイツ語に訳すだけで済み、ずっと楽になる。

「庶民的な神戸の味にご案内するようにと父から言われているのですが、地下鉄に乗って移動するのは問題ないですか?」
「もちろん」
「そうですか。では西神・山手線に乗って新長田駅までいって、そこから少し歩きます」

 地下鉄に乗っている時から、ロジャーは少し不思議な顔をしていたが、新長田駅について歩き出してから、榛名に質問をした。
「京都で見た街並と比較すると、何もかもが新しいように見えますが、ここは新開発地域なのですか?」

 榛名は、街並を見回して答えた。
「1995年に、とても大きい地震があって、この地域はとても大きい被害を受けたのです。この駅は全壊して、あの辺りは震災の後に起きた火災で一面の焼け野原になってしまったのです。いまご覧になっている新しい建物はそれ以降に再建されたものなのです」

「つい最近のことのように感じるが、あの大地震から二十年経っているのだな」
ヒルシュベルガー教授も周りを見回した。

 阪神大震災のニュースのことを記憶している教授はもちろん、若いロジャーもコウベの地震については、知っていた。彼の住むバーゼルは地震がそれほど多くないスイスの中で、巨大地震によって街が全壊したという希有な歴史を持っている。1356年に起きたこの地震では、近隣30キロメートル以内の教会や城も倒壊するほどで、マグニチュード6.5であったといわれているが、7以上だったという研究すらある。

 とはいえ、知っていて関心があるというのと、経験するのとでは大きな違いがあった。一行は、日本に到着してから、すでに二度は体感する大きさの地震にあっていたが、ロジャーは、ユウをはじめとして日本人たちがほとんど騒がないことにも強い印象を受けた。彼自身は地震や火山などの被害が考えにくい国に住んでいることをとても嬉しいと感じたからだ。

「もちろん、日本人だって、地震や、火山や、台風や、その他の自然災害にあわないことを願っているのよ。でも、いつ何か大きな自然災害が起こっても不思議はない、そういう感覚は誰もが持っていると思う。スイスにいるよりもずっと自然の驚異というものを身近に感じて暮らしているって氣がする」
ユウは、ロジャーに言った。榛名は、それに同意して頷いた。


「すっかりきれいになったのですね」
ユウは、榛名に言った。彼女は震災の数ヶ月後に、仕事のためにこの地域を訪れたことがある。震災直後ひどい状態ではなかったとはいえ、瓦礫が片付けられて何もなくなった街には、全てを失った虚しさが漂っていた。いま見る新長田は、その状態が嘘のように、きちんとした街になっていた。

「建物の再建や、地下鉄の再開などは、震災後に比較的早くに再開発が進んだらしいです。ですから、東日本大震災に較べると、街が綺麗になったのはとても早かったんですが、その後にテナントがなかなか決まらなかったり、人通りが震災前のレベルにはなかなか戻らないなど、未だに問題はたくさん残っているんです」

「そうなんですか。大変なんだな」
ロジャーは、言った。

 榛名は、紺の暖簾に「お好み焼き」と白く染め抜かれた小さな店を指差しながら答えた。
「ええ、ですから僕は、三宮の繁華街にある店ではなくて、少し離れていてもこの店に来ようと思ったんです。こうやって、客を連れて来ることも、この地域の復興に少しでも役に立つかなと思って」

「お好み焼きとたこ焼きのお店ですか? 神戸なのに?」
ユウは不思議そうに榛名を見た。お好み焼きとたこ焼きと言うと、大阪名物という印象がある。榛名は笑った。
「この辺りは、日本でも有数のお好み焼きの激戦区です。だから美味いですよ。それに、この地域が発祥と言われる庶民の味があるんですよ」

 あまり大きくない店内は茶色い木の壁、木の椅子に紺地の座布団とユウのイメージするお好み焼きやそのままのインテリアで、肉や醤油、ソースの焼ける香ばしい匂いに満ちていた。まだ昼前だが、座席はそこそこ埋まっていて、人氣店だというのがよくわかった。

「お、榛名君、いらっしゃい」
「こんにちは。今日は外国からのお客さん連れてきたんだ」
「それはそれは。その奥でいいかい?」

「黒磯さん、常連なんですね。予約はなさらなかったんですか?」
ユウが訊くと「ここは予約は受け付けない店なんですよ」と笑った。

 彼は、生ビールを人数分頼んで、それから三人の全権を受けて食べ物を注文した。牛すじ肉とコンニャクを煮たぼっかけ入りのにくてん焼き、すじ焼き、貝焼き、だし汁に浸けて食べる明石焼、を注文してから「それにそばめしも」と言った。

「そばめし?」
一度も聞いたことのない名称に、ユウは訊き返した。

「ええ。そばめしです。これが長田発祥の庶民の味なんですよ」
「そばなんですか? それともご飯?」
「両方です。焼きそばとご飯を一緒に焼き付けたものです」
「ええっ?」

 説明を訊いたヒルシュベルガー教授は、ユウにちくりと言った。
「君は、日本人は炭水化物を二つ一緒に食べるのは好きではないと言っていたね」

「う。それって嘘じゃないですよ。そんな組み合わせ、はじめて聞きました」
ユウが言うと、榛名は笑った。
「関東の方は、そばめしをご存じなくて、最初はそういう反応を示される方が多いですよ。騙されたと思って食べてみてください」

 ロジャーはもちろん、ヒルシュベルガー教授もお好み焼きを食べるのは生まれてはじめてだった。
「これは?」
「スイスで言うオムレツみたいなもの」
ユウは答えた。

 ドイツ語圏のスイスでは、オムレツというのは日本でいうオムレツとは違って、どちらかというとパンケーキに近く、ハムやチーズと一緒に食べる。卵と小麦粉の生地を円形に焼くというところは、似ている。

 ユウは東京ではわざと、お好み焼きやもんじゃ焼きの店に教授を連れて行かなかった。もんじゃ焼きのどろっとした感じには、西洋人は抵抗があるだろうし、関西と違って店によって味のレベルに当たり外れがありすぎるからだ。

 出てきたにくてん焼きをひと口食べて、その判断は正解だったと思った。これだけの味を東京で探すのはかなり難しかっただろう。すじ肉の味がじわっと来る。スイスのぼんやりとした肉の味とは大違いだ。はじめて見る不思議な食べ物に戸惑っていた二人のスイス人も、ひと口食べて以降の箸を動かすスピードが倍増した。
「うっわ~、おいしいですね」

 そして、そばめしが出てきた。ご飯と細切れになった焼きそばが一緒くたになっている。こんな料理あり? 目を丸くするユウだったが、榛名の微笑みに促されてひと口食べてびっくりした。焼きそばと、焼き飯のおいしいところを一つにした料理と言うが、二つ合わさると倍ではなくもっと美味しくなるらしい。それに、ぎっしりと入ったすじ肉、それにお焦げの風味が絶妙だ。

「ここのそばめしは、油を一切使わないで、強火で仕上げるんです。自宅でやりたくてもちょっと出来ない味なんですよ。どうですか」
「……美味しい」

「炭水化物、二つだがね」
勝ち誇ったように教授は言い、彼女の目の前のそばめしを一瞬で全てかすめ取った。
「ちょっと、先生! 大人げないですよ」

 二人の子供っぽい争いを見て、ロジャーと榛名は大笑いした。

* * *


「それで、日本のことはわかった?」
神戸に三日滞在した後、ユウは、帰りの新幹線の中でタブレットに忙しく何かを打ち込んでいるロジャーに訊いた。

 彼は、しばらく考えていたが、やがて言った。
「まだ、まとまりませんね。歴史を感じる伝統の様式美、あちこちで見かけるキッチュな風物、この新幹線のような完璧なテクノロジーや、行き届いたサービスのこと、経済の仕組みのこと、震災のこと、それにあの和尚さんやハルナ、クロイソ氏、それにヴィンデミアトリックスの皆さんのホスピタリティなど、取り上げるテーマが多岐にわたっていて、印象もまちまちなんです。そもそもユウ、あなたのことも知れば知るほどわからなくなります」
「どうして?」

「日本と同じですよ。シンプルのようでいて、奥深い。私たちと似ているようで、想像を絶する違いもある。いろいろなものを受けとめる柔軟な成熟さがあるかと思えば、信じられないほど子供っぽい。これをレポートにしてクロンカイト氏に提出したら、結局何が言いたいんだと怒られそうです」

 ユウは肩をすくめてから教授に訊いた。
「日本って、そんなにわかりにくいですか、先生?」

 ヒルシュベルガー教授は、「神戸牛すきやき弁当」とおにぎりや沢山のおかずを楽しめる「六甲山縦走弁当」を食べ終え、壺に入った「ひっぱりだこ飯」に取りかかっているところだった。
「そんなことはない、大変わかりやすいよ。庶民的な味も、身代が傾くような高級料理店の味も、それぞれ違っていても、実に美味い。日本とは、そういう国だ」

「……。もう少し格調高くまとめられないんですか」
「そんな必要がどこにあるかね。どんなものでも、心を込めて大事に調理し、それを一人一人が美味しく食べる。それこそが禅の真髄だと、龍泉寺の和尚も言っていたではないか」

 あれってそういう意味だったっけ、と首を傾げるユウとは対照的に、教授の言葉に深く感銘を受けたロジャーは、タブレットを鞄にしまい、側を通った車内販売の係員からビールと駅弁を買って食べだした。

 ユウは、クロンカイト氏が読まされるレポートの内容を想像して、「氣の毒に」と小さくため息をついた。

(初出:2015年7月 書き下ろし)

注釈

  1. カンポ・ルドゥンツ村は、グラウビュンデン州にあるということになっている架空の村。リアル八少女 夕在住の村がモデルで、ここを舞台にした小説がたくさんある。

  2. この秘書というのは高橋月子さんが書いてくださった掌編の設定で、チューリヒ在住の生理学の権威クリストフ・ヒルシュベルガー教授はもちろんフィクション。リアル八少女 夕の職業はプログラマー。

  3. 高橋月子さんの書いてくれた小説の設定では、作家ヤオトメ・ユウの小説「夜のサーカス」は出版されていることになっているが、リアル八少女 夕の本は出版されていない。あたり前。

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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ リクエスト キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

【小説】The 召還!

60,000Hit記念掌編の第二弾です。六人の方からいただいたリクエストをシャッフルして、三つの掌編にしたのですが、今回は、栗栖紗那さん、ふぉるてさん、limeさんからのリクエスト。

『異世界』でお願いしたいと思います。
(紗那さん)


ええと、お題は 『時間(または「時」に関連するものや、連想する何かなど)』
キャラは…もし可能であれば…こちらの世界の住人の誰か(人選、人数などは任意で…)を入れて頂けると…嬉しいです><;
(ふぉるてさん)


では、そうですねえ、お題というほどこだわらなくてもいいんですが、「植物」をどこかにいれてほしいな。
木でも草でも花でも。菌類でも(笑)←架空の植物でもいいです。
「ぼく夢」の博士が植物研究者ってことにちなんで。
そして、うちの玉城をどこかにちょろっと出してもらえたら、もうすごく喜びます^^
(limeさん)


このリクエストにお応えするために、リナ姉ちゃんのいた頃シリーズでおなじみのリナ・グレーディクと、彼女の友達でロンドン在住の東野恒樹をメインに据えました。そして無謀にも、異世界に無理矢理連れて行ってしまいました。

紗那さんのまおーからユーニス、ふぉるてさんの「ARCANA」からハゾルカドスとモンド、そしてlimeさんの「RIKU」から玉城(すべて敬意を持って敬称略)をお借りしています。




The 召還!

 話が違う。東野恒樹は、ビッグベンの文字盤の長針にぶら下がりながら呟いた。

 彼が、ロンドンに引越してきてから、一年以上が経つ。周りの日常会話が聴き取れるようになり、言いたいことの半分くらいは言えるようになった。友達もそれなりに出来た。

 それなりでよかったはずが、友情を深める必要もない女と友達になってしまった。それが、この絶体絶命の一番の原因だ。
「おい! なんで俺がこんなアクションスターみたいな真似をしなくちゃいけないんだよっ! リナ!」

 ロンドン名物、国会議事堂の時計塔であるビッグベンことエリザベス・タワーは、英国在住者であれば無料のツアーに参加することで登れることになっている。彼を訪ねてきたリナ・グレーディクはスイス人なので、無料ツアーには参加できない。それでも、どうしてもエリザベス・タワーに登るために、彼女は国会議員のなんとかさんと、ウェストミンスター寺院で主任なんとかをしているかんとかさんを動かした。恒樹とリナだけが、特別ツアーガイドのミスターXに引率されていく、というのも十分に怪しかったが、集合時間も尋常ではなかった。23時って、なんだよ。

 暗闇の中、懐中電灯を頼りに階段を登っているのは、まるで泥棒ツアーみたいだったし、だいたい夜景以外何も見えなかった。謎のアジア系移民という趣のミスターXは、こっちの理解などおかまいなしに、ペラペラ喋りながらさっさと階段を登っていったが、こんな時にハイヒールのサンダルを履いてきたリナは、階段の隙間に踵が引っかかったとかで、あれこれ騒いだ。恒樹は、しかたなく戻った。

 元々は美人とは言え、例のチェシャ猫みたいな口の大きい笑い顔が懐中電灯の光に浮かび上がって相当ブキミだった。「笑ってる場合じゃないだろ」とリナを引っ立てて、ミスターXの銭湯の中みたいに妙に響く声を追って登った。

 それが、急に何も聞こえなくなった。
「あれっ? おい、俺たち、はぐれたのかもしれないぞ」
「そう? そこら辺にいるんじゃないの?」

「おいっ。そうやって勝手に動くなよっ。……って、わぁぁぁぁ」
急に足元が抜けたようになった。そして、氣がついたら、彼は世界で最も有名な時計の一つの長針にぶら下がっていた。

「きゃあっ。コーキ、大丈夫? ちょっと待って。そっちに行くから」
「おい、氣をつけろ。お前、そんなハイヒールで!」
「だって、靴脱ぐと、それはそれで危なさそうでしょ?」

 こんな状況で、のんきなことを言うな! ともあれ、恒樹は文字盤の上のアーチの柱につかまりながら手を伸ばすリナに腕を伸ばした。二人とも必死で手を伸ばして、ようやく二人の手が届きそうになった時、リナのつかまっている柱にひびが入って少しだけ崩れ、彼女は支えを失った。
「え? きゃあああああ」

 落っこちてきたリナの手を握っていた恒樹は、反動で長針から手を離してしまった。そのまま、二人は、真っ逆さまにビッグベンから、ロンドンの夜景へと落っこちていった。まるで007の映画みたいに。いや、こんな時に冗談言っている場合じゃないって。恒樹は、泣きそうになりながら考えた。どこだっていいから、ここでないところに居たいと。

* * *


「もうし、もうし……」
う~ん、なんだ? どこからか、間延びした声が聞こえてくる。恒樹は、そっと瞼を開いた。眩しかったので、すぐに一度閉じたが、その時に目にしたものがありえなかったので、額に手をかざしながら、もう一度怖々と瞼を開けた。

 あ~、なんだこれは。一つ目。一つ目~?

 恒樹はがばっと起き上がると、状況の確認をした。草むらに横たわっていた。周りは深い森というわけではないが、少なくともロンドンの国会議事堂の前にはないような緑豊かな場所だった。ただし、イギリスのどこにでもあるような、普通の控えめな植生ではなく、赤やピンクの派手な花があちこちに咲いている、妙にサイケデリックな森だった。だが、特に湿度が高いわけではなく、まるで大昔のチャチな映画セットみたいだ。

 恒樹の横たわっていたすぐ側には、リナが横たわっている。氣絶ではない、俗にいう爆睡ってやつだ。百年の恋も醒めるような豪快な眠りっぷり。

 そして、恐る恐る、先ほど見た珍妙なものを確認すべく、前に辛抱強く立っている男の顔を見た。鼻と、口と、その下の白いあご髭は普通だ。ただ、まん丸い目が一つだけ、真ん中についている。ありえん。とりあえず、俺の頭がどうかしちまったのか、確認するためにこいつを起こそう。

「おい、リナ! 起きろ!」
「うう~ん。眠いもん」
「寝ている場合じゃないって。お前、危機管理能力なさすぎ!」
「あん? うるさいなあ。睡眠不足は、美容の大敵……あれ? ここ、どこ?」
「知らん。なんか尋常じゃないことが起こったような……」

「ビッグベンから落ちたんじゃなかったっけ?」
「ああ、でも、天国にしちゃ、ここちょっと普通だぜ? それに、この人さ……」

 リナは目をこすって、ようやく一つ目の男を見た。
「あれ?」

「おお、お目覚めかな。こんな所で二人で寝ているから、何かあったのかと思いましたんじゃ」
一つ目の男は、意外と親切らしい。

「あ~。あなた、誰?」
リナのヤツ、単刀直入だ、と恒樹は思った。一つ目の男は、笑顔を見せて言った。
「ユーニスというんじゃ。お前さんがたはどこから来たのかな」

「こんにちは、ユーニス。あたしはリナ。この人はコーキ。ちょっと前までロンドンにいたんだけれど、ここはどこかしら?」
「ここか。おそらくイースアイランドのどこかと思いますがの」

 恒樹は、その語尾の自信のなさをとらえて詰め寄った。
「おそらくってなんだよ。確信はないのか?」
「十分ほど前に、魔王様と一緒にいたのは、間違いなくイースアイランドでしたからの。たまたま魔王様たちが視界に入っていないものの、まあ十中八九はまちがっていないかと」
「俺たちだって、少し前はロンドンにいたんだよ! そんな推論があてになるかよ」

 リナは、まあまあと間に入った。
「別にイースアイランドとやらだって、不都合はないでしょ。そういうことにしておこうよ」
「リナ、お前なあ。現在位置がわかんなきゃ、帰り道だってわかんないだろ!」

 リナは肩をすくめた。
「面白いから何でもいいじゃない。少し冒険していこうよ。これってイセカイショーカンってやつでしょ?」
「召還じゃねぇ! ただの迷子だろ」

 リナは、恒樹の言葉をあっさり無視して、ユーニスの肩を馴れ馴れしく叩いた。
「じゃあ、とにかく一緒にこの森を出ない? うまく魔王様に出会えたら、私たちを送り返してって頼めばいいでしょ?」
「おっしゃることはもっともですの。では、行きましょうか」

 歩き出そうとするユーニスとリナに向かって、恒樹は訊いた。
「そっちだって、確証はあんのか?」

 リナは当然大きく首を振った。ユーニスは大きな一つ目をくるりと一回転させてから答えた。
「こちらから歩いてきましたからの。そのまま前方へ進もうかと」
「そうしたらもっと迷うだけじゃないのか?」

「じゃあ、あそこのお兄さんに訊いてみようよ」
リナが突然言った。お兄さん? ユーニスと恒樹は、怪訝な顔をしてリナの方を振り返った。リナが指差している先に、アマリリスに酷似している巨大な花が沢山咲いている異様に妖しい繁みがあり、そこから「痛って~」と頭を抱えながら、日本人とおぼしき男性が立ち上がっている所だった。

玉ちゃん by limeさん
この画像はlimeさんからお借りしています。著作権はlimeさんにあります。limeさんの許可のない使用はお断りします。


「ったく、なんだよ。人の頭を思いっきり叩きやがって」
チェックのシャツを着たその青年は、屈んで何かを拾った。それは宝石が埋め込まれたかなり立派な杖のように見えた。

「大変失礼しました! あなた様の頭を叩くつもりは全くなかったのでございます!」
その声に、青年はぎょっとしたようだった。恒樹たち三人も、どこからその声が聞こえたのか周りを見回したが、他に人影はなかった。

「わたくしでございます。ここ、ここ」
青年は「わっ」と言って杖を投げ出した。

「っと。それはあまりに乱暴な!」
「つ、杖が喋った!」

 これは面白いと、リナが走って青年と杖の所へと向かったので、恒樹とユーニスも巨大アマリリスの繁みへと急いだ。

「わたくしは、ハゾルカドスと申します。偉大なる魔法使いレイモンド・ディ・ナール様によって、このような特別の力を授かったものでございます」

 杖がペラペラ喋るという状況には簡単に順応できない青年の代わりに、リナは杖を起こして訊いた。
「じゃ、あなたも魔法が使える?」
「え。いえ、魔法をお使いになるのはわがマスターでして……」
「そっか。じゃあ、その偉大なるご主人様を呼んでよ」
「はあ。で、でも、その……マスターはどうしてここにいないんだろう……それに、他の皆さんも、いったいどこに」

「なんだよ。魔法の杖も迷子かよ」
恒樹が呆れる。それから日本人に話しかけた。
「君、日本人だよな? 俺は東野恒樹、日本人。こっちは、リナ・グレーディク、スイス人。ロンドン観光中にどういうわけかこの謎の世界に飛ばされちまった様子。この一つ目のおっさんは、魔王様のお付きとやらでユーニスっていうんだってさ。で、君は?」

 青年は、巨大アマリリスの繁みからようやく抜け出してくると、ぺこんと頭を下げた。
「玉城って言います。さっきまで熱を出して自宅で寝ていたはずなんですけれど、なんでこんな所にいるんだろう。ここ、ロンドンなんですか?」

「イースアイランドですじゃ!」
ユーニスが叫んだ。その横から杖のハゾルカドスが異議を唱えた。
「いいえ、ヴォールのはずです!」

「あ、どっちも証拠ないから信じなくていいと思う」
恒樹が宣言すると、それは全然慰めにならなかったらしく玉城は泣きそうな顔をした。

「いっぱい増えたけれど、あたしたち全員、役立たずの上に迷子ってこと?」
リナがのんびりと訊くと、ユーニスとハゾルカドスは揃ってため息をついた。

「ねえねえ。ここの花って、持ち帰ったりしてもいいのかな」
間延びしたリナの質問に、恒樹は首を傾げた。
「何をするつもりだよ」
「こんな大きいアマリリス見た事ないもの。持って帰って増やそうかなって」

「そういう無謀なことは、やめた方がよいの」
ユーニスがいうと、ハゾルカドスもカタカタ動いて同意した。
「ちょうどヴォールでは『ラシル・ジャルデミア』のご神木が500年に一度の花を咲かせているのです。何か特別なことが起こっているから、私どももこのような不可解なことの巻き込まれているのかもしれませぬ。この森の植物は、どれも奇妙ですから、触ったり抜いたりなどということはなさらない方が……」

 リナは、こちらを向くと例のチェシャ猫のようなニッという笑いを見せて、右手を上げた。
「もう、抜いちゃった」
リナの右手に握られた巨大なアマリリスの下から、玉ねぎサイズの球根がブルブル震えて見えた。

「うわっ。こいつ、やっちまったよ」
恒樹が、後ずさるのと、球根が「ぎゃーーーー」とつんざく叫びをあげたのが同時だった。リナは、ぱっと手を離して、一目散に逃げだした。恒樹が続き、ユーニスも走り出した。

「お待ちください!」
杖のハゾルカドスは叫ぶと、腰を抜かして座り込んだ玉城の背中とシャツの間に飛び込んだ。玉城は、必死に立ち上がると、さっさとトンズラした三人を追った。

 球根は走れなかったらしく、追ってこなかった。無事に逃げたとわかると、四人と杖は座り込んで息を整えた。
「お前さ、少し考えてから行動しろよ」
恒樹がいうと、ユーニスが同意した。
「とんでもないガールフレンドをお持ちですの」
「ちっ、違う! こいつは、俺のガールフレンドじゃない!」

「そんなに激しく否定しなくたっていいじゃない。ねぇ、タマキ? あ、これって、ファーストネーム?」
リナが訊くと、恒樹は「違うよな」と確認した。玉城は黙って首を振った。

「じゃあ、ファーストネームは、なんていうの?」
リナが訊いた。その途端、玉城は「わっ」と泣き出した。

「おい、お前、どうやらしちゃいけない質問をしたらしいぜ」
恒樹が言うと、リナは黙って肩をすくめた。

「それはそうと、無茶苦茶に走って逃げたので、さらに迷ってしまったようですの」
ユーニスが不安げに言った。先ほどよりも暗く、どうも森の奥に入ってしまったようだ。

「森の動物にでも案内してもらえるといいんだがな」
恒樹が腕を組んで考えているとハゾルカドスが、「あっ」と言った。

「なんですの。いい案でもありますかな」
「ええ。リスの知り合いがいるんです。モンドっていうんです。呼んでみましょうか」

 そこで、四人と杖は、声を合わせて「リスのモンドさ~ん!」と呼んだ。恒樹と玉城は、「